少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。
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2023.8.5(土) 美のトレードオフ
2023.8.17(木) 太田光さんの影響
2023.8.24(木) りりちゃんは捕ームレスです
2023.8.27(日) 座右の銘とスタアグア
2023.8.31(木) 第43話 合宿
2023.8.5(土) 美のトレードオフ
1月と2月、著しく体調をくずした。どちらも似た症状でお医者さんからは「胃腸が弱ってるところへ風邪ひいちゃったんだね~」と言われた。その顛末は
こちら。
嘔吐と瀉腹、食欲不振、筋肉の減衰、しばらくのおかゆ生活で体重は一時50kgを切り、BMIは17.1くらい。ふだんは52~54kgで、ギリギリ標準体重(BMI18.5〜) になるかならないか。その後は少しずつ回復して6月には自転車旅行や閉店騒動も経て体力、筋力には不安が消え、体重も51kgくらいまでは戻っていた。7月以降はしばし休養。と思いきや新潟行ったり名古屋行ったり、それもキックボード何十キロも乗り回したりするので、体重が増えるというよりは筋肉が戻っていくという感じ。
今のところ僕は筋トレができないし、する気もないので安心していただきたい。僕の美はたぶんそこにない。かつては「筋トレくらいしたほうがいいのかな、男の子なんだし……」とチャレンジしてみたいことが何度も(何度も!)あったが、一切続かないのでやめた。日ごろの生活で必要な筋肉だけをつけていったほうが自然だし健全と思うようにした。その代わり自転車に乗りキックボードに乗り走り歩き階段を上り下りすることを極力厭わないように努めている。それでまあだいたい実際健康だった。
すでに美とか書いてしまったがちょっと前のある日近所の銭湯に入って髪の毛乾かしてたら鏡に映った自分の身体があまりに美しくて感動してしまった。いまちょうど髪長いからってのもある。痩せてるから美しいみたいな価値観には昔からわりと否定的(僕は丸顔が好きなんでね! ドラえもんが好きだからね!)なんだが、これはさすがに「わーキレイ~」と思ってしまった。なるほどなーと。ようやくわかった、橘右京の格好良さってのはこれか!
橘右京ってのは……『サムライスピリッツ』っていうゲームに出てくる居合い抜きの剣客なんですけど、長髪、痩身、美形、病弱、そして勝利すると俳句やなんかを詠むという詰め込みすぎなキャラクター。僕はそんなにこのゲームやりこんでたわけじゃないし同じ世代でもスト2とかほど誰もがやってるってやつでもないのでどうかシラけないでいただきたいのですが、おさなごころに「試合に勝って血を吐く」みたいな演出がやたらカッコよく思えたもんです。もちろんモテるんでやたら女性たちに追いかけられて、ずっと逃げ続けてる。要するにYOSHIKIですね。華奢な美形(美形!)がドラム叩いて失神する。あの儚げな、いまにも死にそうな感じがいいんですよね。
夜学バーの閉店に際して、「日本人は終わるのが好き」ってのをすでに書きましたが、日本人って死ぬこととか死にそうなこととかがどうしてもすごく好きなところがあると思います。どの国の人も好きは好きかもしれないけど、これほど「美」と結びつけている人々は少ないんじゃないかと思う。アニメ『フランダースの犬』のラストはその象徴でありましょう。本国(ベルギー)ではマイナーで評価も高くはないし、アメリカでは結末がわかりやすいハッピーエンドに変えられているとWikipediaにはあります。
髪を長く伸ばしてみてわかったことはいっぱいあって、やっぱ髪が長い男ってのは基本的に弱そうなんだな。弱そうだからモテる人たちにはめっちゃモテるんだな。弱そうなやつが殴ってくるからグッとくるんだな。もっと言えば、髪を伸ばすような男は実際弱くって、弱いから女をすぐ殴るんであって、女もそれをわかってるから「この人にはわたしがひつよう!」になるんじゃないのかしら、という、勘ぐり。すべてがこれで説明できるとは思わないがそういうケースもあるだろう。
なんで髪を伸ばすような男が弱いのかっていえば、そもそも前髪があるような男は自信がないのだよ。モテたくて髪を伸ばすようなやつだって、髪を伸ばさないとモテないと思ってるからだしね! モテたくてバンドやるやつらがだいたい髪長いのも、バンドやんなきゃモテないって思ってるからなわけで……。
Xは初期のころみんな髪を逆立ててたけど、多少前髪らしきものは残しているし、おでこにバンダナを巻いて隠したりもしているのです。売れてくるとバンダナは取れ、前髪も減ってゆく傾向がみられました。初期のBUCK-TICKもよく見ると前髪があります。あとヴィジュアル系って昔から「売れてくると化粧や衣装が地味になる」みたいなのがあって、「もう着飾らなくても俺(たち)はモテる!」という自信がついてくるから、なのだと僕は思っております。ゆえにイエモン(94年頃)やシャムシェイド(売れ始めた頃)の短髪ボーカルはすごい!のではありますが、いずれもそれなりには売れていたわけで、本当にすごいのはカリガリ(3代目Vo.)くらいかもしれませんね……。
今さらですが「髪が長い男は殴ってくる」という意味のわからない偏見を書いてすみませんでした。短髪男の暴力は僕の観測範囲に少ないというだけで、実際は非常に多いと思います、と書くとそれはそれですごい偏見なので、できるだけ正しそうな偏見に置き換えますと、髪の長さにかかわらず女に暴力を振るってくる男は自信がないし、男はだいたい自信がないので、男はけっこうな確率で女を殴ってきます。物理的にじゃなくてもね! じわじわ殺してくるんだよね、心を。
でそれは別に性別関係なかったりするんで、この「男」「女」ってのは便宜的な表現で、ただ「つがい」ってことをいいたいだけです。
一般に、女の人でもおでこをぜんぶ出してると強そうな感じがしたり、自信ありげに見えたりしますからね。すごい短髪とかもそう。つ、ま、り、これまたSNSでは言いづらいような雑なことを書いてしまえば、ほとんどの女の人は自信がないのです。長髪が多いから!
髪が長くないと愛されないんじゃないか?というのは、男女ともに、髪を長く伸ばしてしまった人間が等しく抱く不安なのではなかろうか。僕も髪を長く伸ばしてみて、なんとなくそう思う。切ったらまた伸びるのに膨大な時間がかかるので、伸びれば伸びるほど惜しくなってくる。どこかでサッと短くしちゃわないと、延々と伸ばし続けてやめどころがわからなくなる。損切りできない性格の人はそうなりがちだし、自信がない人ってのは損切りが苦手である。実のところ髪の長さと自信なるものにはけっこう緊密な関係にある。個人の感想はーと。
スキンヘッド(およびそれに準ずる短髪)について語るとまた長くなるのでこれにはまた別の理屈があるでしょうとだけ記しておきます。
胃腸炎で脂肪が落ち、その後の活動的な日々で筋肉が引き締まって、その頃にはすっかり髪も長く伸びすぎてしまった僕は、鏡を見て「う、うつくしい!」と思ってしまったのだった。こうなると例の「髪が長くないと美しくないのではないか?」「痩せていないと愛されないのではないか?」が発動しかねません。そういうふうに繋がるのです。むりやり。
ただ、裏を返すと僕が髪を長く伸ばしてみたのは、「いつものこの髪型じゃないと愛されないんじゃないか?」と思ってしまっているかもしれないと気づき、いったん変えてみようとしたって面もある。でも、さらにひっくり返すと「じゃあ丸坊主のほうが手軽でいいじゃん」になる。実は僕は10歳の時と20歳の時に丸坊主にしていて、30歳の時にも迷ったんだけど、その時は「愛されないんじゃないか?」が強くって、というか、20歳のころ(正確には19の夏)のような感動的な外的要因がなかったので、一瞬考えたけどやめた。次は40歳で丸坊主になるかどうか。その時次第としか言いようがないけど、40歳になって丸坊主でも自分は魅力的である!という自信が持てた上で、なんかしらの外的要因が手伝えばするかもしれませんので、みなさんなにかありましたらどうぞ(?)。
しかし、弱々しくて死にそうな痩せた身体に、丸坊主の頭ってのはちょっとそぐわない気はする。ダウンタウンの松本人志さんは、おそらく筋肉を育てるよりも先に坊主になったと思う(詳しい人知っていたら教えてください)。あれこそダウンタウンが売れに売れていた絶頂期で、自信はさすがにあっただろう。だから松本さんは坊主にできた(もともとおでこも出しがちではあった)。芸人は耳とおでこ出さんと売れへんで~!みたいなのもあったんかもしれない。そいで坊主にしたら、そのバランスを取るようにどんどんむきむきになっていった。そういう順序のような気がする。あるいは筋トレを始めたら坊主にしたくなったのかもしれないけど。汗とかかくしね。
そう、運動したりたくさん汗かくとわかるけども、長髪と汗との相性ってよくないですね。バンドマンとかはそれがまた美しく見えたりもするんだろうけど、そこは芸術点の話で、効率ではない。野球部が全員丸坊主とか、女子テニス部が短髪にするとか、そういうのは効率の問題。筋トレする人も、髪の毛が筋トレのマシーンに引っかかって邪魔だとか、結ぶと寝っ転がれないとか、いろいろあると思う。
『ドラゴンボール』で孫悟飯がビーデルさんに(略、ここまで書けば知ってる人はわかるし知らない人には書いたところであまり意味がない、なぜなら僕が書きたいだけだから、そしてここまで書いたら満足してしまったから!)
追記、補足。ビーデルさんは短髪にすることによって「愛される」という客体であることをやめ、人として悟飯とまっすぐ対等に向き合おうと覚悟したのだと思います。自信があるから短髪にするのではなく、自信を持つために、自立するために短髪にした。かつて「女性の自立」を訴える女性が短髪にしがちだった(今も?)のもここに関連すると思う。
『スラムダンク』の三井くんも似たパターン。彼はやさぐれてるとき長髪で、バスケに戻り(これも略でいいでしょう、あの短髪は効率と自信との二重写しだと思います、花道が坊主になるのも、もちろん。)
少年漫画とは自信の物語だったのです、少なくとも90年代のこの時期。だから『ダイの大冒険』の主人公はポップだと言われるし、ベジータや流川が潔くライバルに道を譲るのがラストシーンになる。あれは自信を失うという描写ではなく、自分の役割や立ち位置を明確に自覚するという意味で、「自己についての確信」を描いたものと捉えられる。彼らは虚勢を張っていた。それが取り払われた。なぜそういうことがクライマックスになるかといえば、男はみんな自信がないからです。だから勝ち進んでゆくバトルやスポーツの物語が好きと言うことでもあります。プロレスや格闘技の類を好む人も強いのでなく弱いから。偏見、というか占いです。社会臨床占い師。追記終わり(2023/08/06 10:36)
1時間くらいで書き終えようと思っていたのに2時間以上書いている気がする。進まないな。またでっかいことをあえて言いますが僕が求めているのは美なのです。いま長髪と引き締まった痩身(脂肪は少なく筋肉は少数精鋭)の相性がよくて、身体の曲線がすらっとしており、まあ実際きれいなのは確かです。たまに女の子が「自分のスタイルがいますごい良いから見て!」みたいに言ってSNSとかに写真上げたりしてる気持ちが実感としてわかってきたかもしれない。やっぱいっぺん自分でやってみると心の幅が広がる感じする。面白い。
で、美を求めてるみたいなことを言うと、このまま美容方面に走っていくのではとか、まさかトランス……というふうに思われるかもしれませんが、これまでと身体との向き合い方を変えるつもりはありません。ただ自然にやるのみです。なぜ髪を切るのではなく伸ばすほうで変化をつけようと思ったかといえば、伸ばすほうがより「自然」だからであります。ただ、途中でピースの又吉直樹さんみたいになりすぎて「この状態で夜学バーの閉店を迎えるのはいやだなあ」と思い、前髪と襟足少しだけ切って中村一義さんみたいにいたしました。めっちゃかわいくなったので、「やはり男は前髪……」と思ったものですが、まだまだ僕には自信というものが足りないみたいですね。
いや実際似合う似合わないとか、個人の好みとかあるし、僕もいっさい手を加えたくないとかではないので、いまみたいに自分がやれる範囲でセルフカットしていくのが自分らしいわよね、と思ってやっておりまして、たぶんしばらくはそのままいきます。
いよいよ本題なのですが、ここ数日ちょっとまた体調が悪くなっております。怯えながらカロリーメイトゼリーとかバナナ食べていて、ちょっと固めの固形物食べたらすぐおなかが下ったので、うわーまたかーと、冬と同じ病気を疑った。同じ病院(あれからすっかり信頼している)に行って落ち着いたのですが、一時はやはり体重が50kgを切って、鏡を見るとまた一層、死にそうでカッコいいんですよね。わいが令和の橘右京や!
それはともかく。そんなことが本題なのではなく、タイトルの「美のトレードオフ」というのは書き始める前から決めておりました。言いたいのはここ。
まず表層的な話をすると、美しさと引き換えに命を賭けるというのが日本の価値観つうもんなのかもしれないよね、って。「清貧」だってそう。貧乏が美しいってのは、貧乏のほうが金持ちよりも死に近いと考えられてきたからだと思うだよね。
そっからいきなり観念的なほうへ飛躍すると、やっぱ美しくあるためには何かが「必要」になるんだろうな。トレードオフっていうと「犠牲」って言葉を使いたくなるけど、そういう後ろ向きな言い方はしたくないから、抱き合わせみたいなイメージで。
11円を犠牲にしてうまい棒を得た、っていうのはつまんないけど、うまい棒を得るには11円が必要だ、っていうのはただの当たり前な話。そういうことが美しさとかにもあるんかもしれない。
さっきも書いたけど丸顔大好きな僕は決して痩せているものが好きというわけではない。丸顔だけが好きというわけでもないから。美ということでいえば、丸い美と、丸くない美があって、丸い美も丸くない美も、美に貴賤はありませんわね。へりくつのようだけれども。
僕は自分と愛し合っている人のことを大切にしたいけれども、なぜ愛し合っていられるのかといえばたぶん僕が美しいからであって(そういうことにしといてください)、美しくあるためには大切にできないこともあるかもしれない。また大切にしようとすれば損なわれてゆく美しさもあるはずだ。美のトレードオフ。言うまでもないがこの「愛し合う」ってのはかなり広く、また深~い意味でね。(愛が深いんじゃなくて意味が深いんですよ。)
めっちゃ簡単にいえば、僕は面白い人だから面白いんだけども、面白いってことは基本的にどこかの誰かを傷つけ得るんですね。爆笑問題の太田光さんは「笑いってのは基本的に人を傷つけることだ」みたいなことを言うし、恩師・猫先生こと浅羽通明猫は「人を傷つけない言論などない」と仰る。この長い文章だって絶対に誰かの心をモヤモヤさせている。23年間、ずーっと誰かを傷つけてきたホームページなのだ、ここは。マジで。
僕が面白い人間であろうとすればするほど、誰かが傷ついたり、損をしたりする。それは『がんばれ元気』で堀口元気が(ここは略さない! なぜならみんなこのマンガ読んでないから。さみしい)ボクサーとして勝ち進むたびに対戦相手の夢や生活や心身をぶち壊していくようなものかもしれない。元気はそこに苦悩する。当たり前だ。人を傷つけてまた泣かせたら何か感じ取れるものさ~♪←歌ってる
勝つことは……面白くあることは……あるいは美しくあるということは、すべて、その苦悩を引き受けて進むということでもある。覚悟ある者だけがそっちの世界へゆく。病床、のたうち回りながらずっと考えていた。「ああ、こんなことをしたら傷つく人がいるかもしれないからやめよう」なんて、あほくさいな。ほんの少しだけ死が近づいただけで、こうもはっきりと思えるものか。橘右京くらい病弱だったらまあ悟ってんな。
さすがに書くまでもなかろうと思いますが美しいってのは外見だけの話ではありません、そしていかなる美しさもやはり誰かを傷つけ得ると僕は考えます。
これまでずーっと、誰かの顔色をうかがって、というか、あらゆる人の顔色をうかがってきたように思う。むりに生まれにこじつければ男四人兄弟の末っ子ですから。よく言えばどこにも肩入れしない生き方だ。しかし社会というもの、すなわち大人の世界は、特定のものに肩入れすることを基本とする。この仕組みに僕は本当に馴染めない。僕がいつも言う「一対一対応」というものだ。ひとつの問いにひとつの定まった答えがある。空欄があれば埋めさせられる。A~Dから何かを選ばされる。何も選ばなくたっていいじゃないかァ。選ぶとか埋めるということ自体もうやめちゃいませんか? そういったことがようやくなんとなく認められてきそうな兆しがないでもないような気はするが、根深すぎて悪くすりゃまあ数十年はかかるんだわな。加速を願う。
僕は大人のくせに子供の世界を生きようとしている。しかし当然、一人という世界はちっぽけなものだ。「あたしの世界とあなたの世界が隣り合いほほえみ合えるのなら」と始まる名曲(Amika『世界』)があるけど、せいぜい叶うのはそのくらいかな。
当然、こんなものは自分を正当化しようとしているのにすぎない。でも仕方ない、あまりにも世の中と相性が悪く、また特定のものに肩入れできるほど共感力も強くないのだ。どうやって生きていくべきかなんて誰も教えてくれないわけだし、「常識」から逸れるならもう自分で考えるしかない。そしたらあとは覚悟するだけだ。怒られる覚悟を。嫌われる覚悟を。理解されない覚悟を。孤独になる覚悟を。人を傷つける覚悟を。同じかそれ以上に傷つく覚悟も。
めちゃくちゃ卑近なっつうか、どうでもいいような具体例を挙げさせてもらうと、こないだ友達に、「いや~○○大の○○学部を一般受験しようかと思ってるんだよね~」みたいな話をして、「なんで? ちゃんと通うの? 何を勉強するの? 独学じゃだめなの?」といったことを質問され、「いやだって面白いから!」という、『ディスコミュニケーション』の松笛くんイズム(「世の中面白ければそれでいいのさあ~」)で答えていたら、「あんまりすてきなお話には思えなかった」と返されてしまった。う、うむ。そりゃ、一般論で考えたら道義的に間違っている。僕はこんな説明をしたのだ。「○○大は入学金が安く、前期学費は入学後に払えばいいので、入っといて学費払わなければ実質○○万円で少なくとも中退になれるんだよね~」。これは理屈上めちゃくちゃ面白い、とはやはり思う。実行するのはまずいのかもしれない。しかし、しかし、これをもし僕が本当にやるんだとしたら、絶対に面白く、意義深く、できる限り世の中がよくなるようにやるし、○○を学びたいのは本当なので、意味があると思えばちゃんと学費も払って通う覚悟さえある。そもそも僕が受験勉強することは夜学バーにきてくれている若い受験生たちの刺激になるし、教え合ったりもできる。最新の受験事情もインストールしたい。少なくとも僕と僕の周囲にとってはすべてめちゃくちゃメリットのある行為になるはずなのだ。それは早稲田に入ったこととあんまり変わらない。卒業はしたけど就職しなかったんだし。
何が道義的にいちばんまずいかっていったら、僕が入学したせいで「入りたいけど入れなかった」人が出てしまうということだろう。でもこれ、本当に「道義的にまずい」のだろうか。普通に考えたらまずそうだが、でも僕だって「入りたい」わけじゃないですか……。そこの差ってなんなんだろう。悪意はないのだ。無邪気さはあるが。そして僕はその入学劇を(劇とか言ってる時点で怒る人は怒るってのはわかってるんですけど)絶対に自分の糧にするのだ。入ってみて「ちゃうな」と思ったら辞めるのは当たり前だし、「これは!」と思ったら続けるのは当たり前だ。普通なら50~100万以上という額が必要なところをかなり安価で離脱できるというリスクヘッジにとりわけ魅力を感じていて、しかもそこがかなり僕にとっては「面白い」ポイントなのである。真面目な人が怒りそうで本当に申し訳ない気持ちになってきたんだけど、僕にとっては大切な内容なのでもうちょい書きます。
もちろん、僕も想像力は人並みにあるつもりなので(共感力はない)、「誰か一人が損をする」ことに心痛まないわけではない。だが、それって別に当たり前のことだからなあ……。これは本当に僕に人の心がないってことなんだろうか。本当にわからない。壊れているのかもしれない。心が。
常識の船に乗ったことがない(乗ろうとして何度も落ちた)から、ものを考えるときにどうしても「常識としてはこうなんだろうけど、理屈としてはどうなのだろう?」と考える癖がつきすぎている。そしてそれが僕の魅力である。
ちゃんと考えよう。僕が受験しなければ、あるいは受かったあと辞退してしまえば代わりに通る人が1名いる。ただその1名が、本当にその大学に「入りたかった」かは謎であるし、「入ったほうがよかったか」もわからない。親に無理やり地元の大学を受けさせられたが、どうしても実家を出たいなどの事情があってできれば受かりたくなかった(ここより高偏差値で安い寮のあるやや遠い学校を併願してるとか、落ちた場合は地方への就職のクチが用意されているとか)というケースもないではなかろう。わざと落ちる手もあるが、勇気と度胸と覚悟がかなり要る。親が点数開示を請求する可能性もある。または浪人して翌年に東大にでも行っていたかもしれない(それが幸福かも未知である)。滑り止めの大学に最高のキャンパスライフと素晴らしい将来が待っているかもしれない。入学式の日に大学が爆発して落ちた人は生き残り受かった僕が死ぬかもしれない(逆もある)。それは極端なまでも、1年浪人していたらちょうど社会状況の好転したタイミングで就活ができたとか、なんかそういうことだってあり得る。もちろん落ちたことを苦に自殺するケースも想定できる。死ぬきっかけができてハッピー!っていう考え方も常識を外せばあり得る。だけどそこで死ななかったら永遠に幸福だった可能性もわずかにはある。人それぞれ&未来は誰にもわからない。
こんなんへりくつなんですけど、そういうことを考えてしまうから「なんでいかんの?」(幼少期の僕の口癖、だったらしい)と何に対しても思ってしまうのだ。
たぶん、それであんまり僕に倫理観というものはない。自分が嫌なことは嫌だと思うだけだが、嫌だからなんなのだ?ということも同時に思ってしまう。病気である。
ただ、僕はこの数分のやり取りがあって、「たぶん僕は受験しないだろうな」と思った。ケチがついたことはやらない、というのがここ数年の僕の手癖なのだ。むしろありがとうと言いたい。閉店騒動で6月7月はいっさい勉強できなかったし、これからもだいぶ忙しいから、不安だったのだ。センキュー。
僕はまったく怒ってもいなければ傷ついてもいないし、むしろあんな中途半端なおちゃらけた説明にマジレスしただけでこんなにあれこれ書かれて、気を悪くするとしたら相手のほうだろう。悪いとしたら僕が悪く、上記のやり取りにもその人にもネガティブな感情はいっさいない。ただ面白くなりそうなので書いてしまった。ネタにしてごめんね。でもこれを通じてまた新たに自分のことがわかったな、とじつは嬉しい。そういう人間なのである。すっげー悪く言えば、自分のことしか考えていないの。邪悪!
高度に発達した邪悪は誠実と区別がつきませんからね。僕はそういう巧妙な生き方をずっとしているんだと思います。それで邪悪に対しては、人一倍敏感なのだろうな。
実際どうするかとかは置いといて、そういうふうに僕は自分の理屈ですべて考えてしまう。理屈とはつまるところ「わかんないじゃん」「そうじゃないかもしれないじゃん」だけである。本当に無責任だ。自己嫌悪には当然なる。しかし、そうでないふうに生きていく自信もないから、当面はこれでいくしかなかろうな。そうやって面白さと、美しさを育ててきたんだからな。
美のトレードオフに戻ると、美には何かが必要なのであろうが、その「何か」が何かは、実際のところよくわからない。わかったとして、そのことが誰にどんな影響を及ぼすのかは、事前にはあまりわからない。事後でもわからないと思う。未来は誰にもわからない。ただ一時的に、気分を害する人がいるかもしれなくて、心を病んだり、死んだりする人もいるかもしれないということだ。その逆もある。
自分が自分らしくあることが世の中をよくしていくのだと信じられる、そのような自分とは一体なんだろうか?と常に自問する。その結果、他人からはまったく意味がわからないようなことをしてしまう。綺麗事が好きなわけではない。芸術というものは人を狂わせるという、ただそれだけで説明できるのかもしれない。
人を傷つけるとか苦しめるということを最も悪いことだと規定すればモノを考えるのは随分と楽だ。しかしそうでもないと考え始めたらモノを考えることがめちゃくちゃ難しくなる。そういうふうに、突き崩すと思考の軸を失ってしまうようなものが常識である。芸術とは常識を抜き去った人工であり、実のところ人間の美しさとはそういうところに宿る。(この領域は考え出すとそれこそ狂ってしまいそうになるので、大人しく自然を愛でているほうがいいと思う。山を歩いたり、海を眺めたり。)
優れた芸術が世の中をよくするのか? それはよくわからない。求める人はいるのだろう。意外とみんな、狂いたいから。人によっては芸術のように人を狂わせて生きていくし、人によっては誰も狂わせず常識に則って生きてゆく。で、たまに誰かに狂わされる。いずれの人々も。
自然はそういうことと無関係にいつでも美しい。たぶん最後はそこである。
2月、
病に伏していたころに書いた文章である。人を傷つけてまた泣かせるという覚悟を持つってのが、芸術と引き換えになるって話はよくありますわね。それこそ太田光さんが、お笑いの本質は人を笑いものしたり傷つけることにあるって言ってるようなこと。そこに魂を売るかどうか。それに悩んで僕はこんな真夜中に(もう5時だ、書き始めたのは0時ごろだったのに)こんな長い文章を書いているのだ。そんだけでずいぶん優しい人だと思いませんか。僕は思います。頭がいいので……。
でも最終的にたぶん僕を救うのは知性ではなくて野性でして、そんだからやけに自分の裸を見てたんでしょうね。
2023.8.17(木) 太田光さんの影響
弱り切って体重が49.1kgまで落ちた。51~3kgくらいがたぶんここ15年くらいの標準ゆえ少々異様。ジャストいまは49.5くらい。体力も気力も落ちてきている。
その中でも「夜学バー博」の準備はゆっくりと進めている。8月21日から27日、14時から20時までの間ずっと。
本郷SQUARE & LABにて。宣伝のために
ゲーム作ったのでやってみてください。(そのうち消えるかも知れませんが、その頃には新作がどこかにUPされているはず。)すげー適当なつくりですがいちおうクリア可能で、すでに最低でも4人はラスボス倒してくださっております。
氷砂糖のおみやげも配信続いてます、よろしくお願いいたします。
6月末に夜学バー閉めて、もう1ヶ月半働いておらず、うち半月はリーダーヤンキー(キャプテンヤンキー?)でほぼ寝て暮らしていた。この先どうやって暮らしていこう。
僕が僕になった瞬間は何度かある。まずは9歳の時なのだが、明確な記録が残っているわけではない。小学校高学年から中学にかけては紙やデータでそれなりに記録が残っているが、まだ「蠢き」のようなものだった。
意外とちゃんと語っていないのだが、僕を「こちら」の方向へ最も強く動かした人間は誰か?というと、実は太田光さんなのかもしれない。
もちろん手塚治虫先生や藤子不二雄先生、岡田淳さん、奥井亜紀さん、小沢健二さんといった方々との(一方的な)出会いが小学校までにあったが、それらはやはり「基礎」であって、「動力」ではなかった。いろいろな人たちによってネジと機構が作られたが、巻いたのは太田さんだったように思う。
以下は2002年6月23日の日記より。
いったい僕は爆笑問題が好きだ。
中学校1年生の頃だっただろうか、時期は定かでないのだが、僕は初めてテレビで彼らを見た。
感動した。こんなに面白い人が(「人たち」ではないのがポイント)世の中に居たのかという程の衝撃を受け、
その日のうちに閉店間際のブック・オフに駆け込み『日本原論』と『天下御免の向こう見ず』を買った。
それ以来僕は彼らの虜であり、
中2の時などは名古屋パルコへライブを観に行き警察に捕まった輝かしくも苦い思い出がある。
漫画家のおおひなたごうも出演していて、チャンピオンの「おやつ」を知ったのはその頃だったろうか。
いたく感動した覚えがある。
並べられた爆笑問題関連の蔵書約20冊を見ると、驚くべき事に全てが帯付である。
ブック・オフで買った二冊は運良く帯が付いていたわけだがそれは置いといて、
つまり古本派の僕が爆笑問題の本だけはほぼ新品で購入していると言う事。
更に本棚を見ると特集雑誌や種種のコピー、新聞の切抜きなどが幾つかあった。
ビデオはもっと凄い。流石にレギュラー番組までは気が回らなかったが、
1999~2001辺りの単発出演番組はほぼ全て録画してある。凄まじい事だ。
ちなみにレギュラーは号外!爆笑大問題だけは毎週ちゃんと録画。ファンの鑑のような少年であった。
「太田コラム」というコーナーはMDで編集してベスト版を作ったりもしたものである。
さて退屈なミーハー語りを終えて、
思うことをさらりと述べる。
僕はかつて、太田光に傾倒していた。そうそれはまさに「傾倒」であった。
彼の全てに憧れた。彼を模倣しようと言う気すらあった。
今だから笑える話だが、「太田光は高校時代ひとりも友達が居なかった」と聞きつけた少年は
高校入学時、「よし僕も高校では友達をつくらないでおこう!」と決意したとかしないとか。
まあそんな決意も入学式2秒後に「あっさりとまあ」崩れ落ちることとなるのだがそれはまあ別の話。
しかしなんとまあ馬鹿な事だろう、恥ずかしくて仕方がない。
そんな事で太田光の才能が手に入るのなら、
『日本原論』が『日本言論』になっていたので直した。あとは原文通り。当時高3、17歳。
太田さんへの「傾倒」は『号外!爆笑大問題』からで、それが98年4月6日に始まっているから早くても中2と思われる。文中で「中学校1年生の頃だっただろうか」とあるのは、言うたら「盛っていた」わけである。
……最近、日記を書き始めるとすぐに数時間経過する。精確なことを書こうとしていちいち調べすぎてしまうのが一番の要因だ。
中学2年生の日記(ノート)を確認すると、初日(11月22日)に「今日はちびまる子ちゃんを読んで日記を書こうと思ったきねんすべき日だ。」とあり、そのまま「せめて1冊分はつづけたい。文章力と漢字をみがくためにも。」と続いて結ばれる。殊勝な上昇志向だ。この頃から「かしこくなりたい」という気持ちが強くあったのだろう。この日記には読んだ本のタイトルが記されており、何も読んでない日は「なし」とわざわざ書かれている。「本」というものへの強い信頼、いや信仰のようなものを感じる。ありふれたことだけど。
翌23日の日記は「特にすることがないので矢田川にくり出して」から始まる。散歩は本当に幼い頃からの習性だった。「どうやら徒歩と関係の深い家に生まれたようだ。」と書いてあって面白い。
そしてこの23日の日記のラストに「太田コラムもビデオにとったし」というフレーズが。ちなみに上の引用文にある名古屋パルコのライブがたしか11月1日(誕生日だった気がするのだ)。4月に始まった番組を見て、11月にはもう完璧に「傾倒」しているのだから、若い情熱のスピードはすごい。
本を読んだり映画を観たりするのを「良いことであって、すべきこと」と思っているのは、たぶん太田さんの影響。もちろんもとをたどれば藤子不二雄先生の『まんが道』や、手塚治虫先生の伝記とかそういうのがあるんだけど、いまテレビに出てる若い(といって当時30代前半)タレントがリアルタイムでそういうことを言っているのは、やっぱ臨場感というかダイレクト感があったんだと思う。
「傾倒」は2001年1月2日に満期を迎えた。この日のことについては、
2017.10.12とか
2022.4.30、
はじめに(これもそろそろ改訂しないと)などで触れられている。あんまり本筋とは関係ないけど
2013/12/22 日 思春期はバカだからという文章もなかなか面白いので置いておきます。
その日に、というか、この2001年1月という季節に、僕はいちど生まれ変わったのかもしれない。恥ずかしいが貼っておこう。
2001年1月前半の日記。
すでに語り尽くしたように思っていたが、意外とこれを引用して解説したことってなかったのかな。いまやっちゃいます。
2001.1.2(火) AKIRA
爆笑問題の『対談の七人』という本を読んだ。
僕はこの16年間、何をしてきたのだろうか。
ろくな本もろくに読まず。
ろくな映画もろくに見ず。
ろくに勉強していたわけでもなくて。
ろくに人を笑わせたりするわけでもなし。
ろくでもない漫画ばかりを読んで。
今だって、ろくな演技をしない。ろくに台本も書かない。
こんなんじゃダメだ。
変わらなきゃ、イチロー。
カレー部に入ろう。ズ。ブルーハーツ。
僕がこんなことを思ったのは、これを読む前に見ていた村上龍の『Ryu’s Bar』という番組にも原因があるかもしれない。
村上龍や中田英寿やビートたけしや坂本龍一が、僕の精神を昂ぶらせていたのは間違いない。
なぎら健壱や立川談志や爆笑問題が僕の頭をお笑い一色にした。
淀川長治や小林信彦や橋本治や山田洋二やジョン・アーヴィングが僕の頭を捏造土器でぶん殴った。
最後に、太田光が得意のジャパニーズオーシャンスープレックスホールドを食らわせた。
いや、恥ずかしいですよ。恥ずかしいけど何か意味があるかもしれないから、自分の16歳の文章なんか引っ張り出してきてるんですよ。
で、この日から(それ以前と比べれば)狂ったように本を読んだり映画を観たりし始めるんですね。いまの僕は映画っていうものにそんなに大きな情熱を抱いてないんだけど、それもある程度まとまった本数をこれまでに観てきたからそう言えるのであって、「映画」というものを信仰する時期ってのはあってもいいし、僕にとってはもちろん、あってくれてよかった。
この日まではとにかく、テレビばっか観てたし、漫画ばっか読んでた。引用文に「ろくでもない漫画ばかりを読んで」とあるけど、本当に漫画とみれば何でもというか、さして面白くないものでもそれなりに楽しんで読んでいた。作品そのものよりも「漫画」というジャンルにはまっていた。いま思えば「なんであんな漫画面白がって読んでたんだ?」と思うようなものが無数にある。映画好きとか音楽好きとかアニメ好きとか、なんでもそうだけど、あるジャンルにはまると、価値判断がバグってきてしまう。簡単にいえば、何でもそれなりによさげに思えてきてしまう。僕でいえば『少年ガンガン』に載っているってだけでなんでも読んでた(貧乏性ってのもある)し好きになってた。それは「好きな作家の本を読む」ということと似ている。好きな作家の作品だから、なんでも面白く感じてしまう。冷静な判断はできなくなる。その歌手が歌っているから良い曲に思えるのであって、もしあなたがその歌手を知らず、初めてその曲をまっさらな気持ちで聴いたとして、本当に「良い」と思えるのか?みたいなこと。
かしこい僕は「ろくでもない漫画」とわかっていつつ、「でも漫画だから」ということで読んでいたわけだ。それをまったく無駄だったとは言わないが、まあまあ無駄だったとは思わざるを得ない。
むろん、かしこい僕は、「ろくでもない漫画」も含めていろんな漫画をそこそこ網羅的に読みまくっていたからこそ、だんだん目が肥えていったということもわかっている。だからまったく無駄ではない。その期間も長すぎたとは思わない。でも、まあ、ちょっとロスったわね。やりすぎた。そのくらい僕は漫画ばっかり読んでいた。それを一生続けていたら何かになったかもしれないが、結果として続けなかったのだから、やはりもうちょっと手前で気づいてもよかった。とはいえ16歳でいったん気づいてブレーキ踏んだのはかなり偉いと思う。何の話だ。
今日は黒澤明の『野良犬』を観た。昨日は『生きる』を観た。どちらもたぶん、2001年ぶり。記録によれば前者は1月に、後者は4月に観ている。
あと木下恵介の映画もここ1週間くらいで何本か観た。映画は観るときは観るけど、「映画」というジャンルに対してはさして情熱はない。
2001年1月2日に僕の中で何が変わりはじめたかというと、ひょっとしたら、「ジャンル」でものを考えるのではなくて、「ろく」であるかどうかという基準を持つようになった、のかもしれない。
爆笑問題の『対談の七人』という本は、なぎら健壱、立川談志、淀川長治、小林信彦、橋本治、山田洋二、ジョン・アーヴィングの七人との対談本である。この人たちと爆笑問題とのやり取りを読んで僕は、「このままじゃダメだ」と思ったのであった。
僕はこの本に登場する人たちを「りっぱな人たち」と思って、彼らがものすごく、いわゆる「文化的教養」みたいなことを話す。本とか映画とかみたいな。落語とか。
テレビ(アニメ含む)と漫画を中心に生きてきて、片手間にちょっとその他のジャンルのものにも手をつけてみていたってくらいの当時の僕に、「これじゃ足りないんだ」と思わせてくれた。結局、僕はかしこくなりたかったし、オタクレベルみたいなものを上げたかったのでしょうな。そしてもっと素朴には、太田光という人に近づきたかったし、太田さんが尊敬する人たちはもっとすごいじゃんっていう、「藤子→手塚の法則」的なものを感じていたわけでしょう。
なんでそんなに上昇志向が僕の中にあったかっていうと、もちろんコンプレックスゆえ。自分には何もない。いいところが見つからない。せめて、後天的に身に付けられるところでがんばるしかない。それだけが僕の自己否定をやわらげてくれる唯一の道だ。そう思っていたに違いない。
きっと太田光ってそういう人だったんだろう、と思っていたに違いない。
本を読んだり映画を観たりすることによって、人生というものは好転しうる。高校時代に友達が一人もいなかったような人が、人を笑わせることを職業にできるのだ。僕には希望だった。似たように彼を尊敬した若い人は当時けっこういたと思う。
ただ、かしこ~い僕は、ただ本を読んだり映画を観たりするだけで良いとも思っていない。だから「ろく」という言葉にこだわっているのだ。また「ろくに人を笑わせたりするわけでもなし」「ろくな演技をしない。ろくに台本も書かない」といったフレーズからわかるように、ただインプットだけを考えているわけでもない。(ここが本当に偉いと思う。)
太田さんがすごいのは、高校時代、友達が一人もいなかったのに、演劇部に所属して、文化祭でひとり芝居を上演していることだ。観客は先生が一人来ただけだったという。高校3年間、誰とも一度も口をきかなかった、というのは有名な話だが、その中で、たったひとりで芝居を打っているのだ。すげーじゃん。そのことが、一番。
どんなに孤独でも、ただ自分の中にものを詰め込むだけじゃなくて、外に出す、表現するということをした。高2の時、長野にある島崎藤村ゆかりの地を巡ったって話も。ただ読むだけじゃなくて、行動に起こしている。それがたぶん、僕が太田さんから学んだことというか、「ネジを巻いてくれた」ってことだった気がする。
れいの『号外!爆笑大問題』で、青森県の車力村っていう、鉄道もないようなど田舎にある「太田光」ってバス停が紹介された。地名は大田光(おおたっぴ)だが、バス停にはなぜかテンがついているのだ。その村で太田さんが一日村長を務めるという回もあった。僕はどうしてもそこに行きたくて、高2の夏、キックボード背負って一人で行った。金木という、太宰治の生家のある駅で降り、何十キロも走った。思えばこれは、太田さんが藤村の聖地に行ったことのオマージュだった。
「氷砂糖のおみやげ」(ポッドキャスト、ラジオみたいなの。聴いてね)の21日に公開される回で、「シンクとフィール」って話を少ししている。僕はシンク(Think)の人だと思われがちだけど、実はすごくフィール(Feel)の人でもあるのだ。というか、シンクとフィールって絶対に分かつことのできないもので、大田光さんはまさにそういう人だ。だから演劇を学び、お笑い芸人になったのだ。
こないだ高校の同級生の浦野くんに、「あの文学少年の尾崎くんがなぜ飲食(業界)に?と思ってた」って言われた。それはもう、僕が大田光の影響下にあるからというのが、今日のお話なわけです。
僕は大田光だから、本を読んだり映画を観たりするだけじゃなくて、演劇をやったり先生をやったり、バーを経営したりする。絶対に、常に「現場」にいたいと思う人間なのだ。「現場」というのは何か? 人がいる場所である。人が何かを伝え合う場所。
高校3年生の太田さんがほぼ無観客の中、おそらく意地のようにひとり芝居をやったのは、「自分は絶対に現場にいる人間なんだ」という信念からだと僕は思う。
ちなみに2001年1月前半の僕は、わかっている限り以下のものを「摂取」している。
『爆笑問題の対談の七人』、『七人の侍』、『AKIRA(映画)』、結城恭介『美琴姫様騒動始末』、『ザ・ベル・オブ・ニューヨーク』、『危険な遊び』、『爆笑問題の死のサイズ』、ビートたけし『あのひと』、『戦場のメリークリスマス』『シェーン』『街の灯』
なんか異様に映画というものにはまっておりますね。そんな時期もあるのだ。
テレビは、演芸番組やお笑い番組を中心にめちゃくちゃ観ている。「とぶくすり」のビデオとかも借りてきて観てる。記録には残ってないけど漫画やアニメはだいぶみてると思う。ちなみに1月後半以降の記録が見つかったので
UPしてみました。ご興味ある方はどうぞ。
1月7日の日記にはこうある。
こんな一日を、最近はずっと過ごしている。とにかくなにか、娯楽に接していなければいけないという使命感があるのだ。どんどん吸収していって、自分は素晴らしい人間になってやると、貪欲なまでに映画に、本に、お笑いにかじりついている。このまま行けば、自分は成功できるかもしれない。でも近いことを考えれば、たぶんいい大学には行けない。本気を出せば、国立の名古屋大学くらい行ける自信はあるし、早稲田だって夢ではないと思う。浪人でもすれば入れるんじゃないかな、とは勝手に考えているけれど、とりあえずもうそんな気はない。ちょっと前、名古屋大学を本気で狙ってみようかと思ったが、今を勉強で潰すくらいならと思い、5分でやめた男である。21世紀、娯楽に生きることを決意した僕は、これからちょいっと違いますよ。
な~にが「ちょいっと違いますよ」じゃ。お恥ずかしい。早稲田より名大のほうが簡単だと思ってるふうなのもよくわからない。まだ高1だし何もわかっていないのだろう。実際は現役で早稲田に入ってるから偉いもんですが、ここで勉強とかしないで「自分は素晴らしい人間になってやる」とばかり考えていたのが、遠回りで良い結果を生んだのだろうとしか今は思えない。
自分は素晴らしい人間になりたい(なぜなら自分は素晴らしくないと思っていて、それが強いコンプレックスだから)、そのためには娯楽に接すること、映画や本やお笑いにかじりつくことだ、というふうに、この16歳の僕はほぼ疑いなく思っている。「いい大学」に入るよりも優先すべきだと。
これもまさに太田光さんの影響だろう。そしてそれをしっかり文章に残すこと。ただ吸い込むだけでなく、吐き出すことも、当時の僕は意識していたと見える。感想文がかなり残っている。だって眼目は「楽しむこと」ではなくて「素晴らしい人間になりたい」なのだから、役に立たせなければいけない。具体的にはこの頃、文章や演劇に反映できたらと思っていたのだろう。それですっごいつまんない、『椿三十郎』のオマージュみたいな台本書いたりしたな。駄作でも吐き出したことは褒めてあげたいよ。
長い長い自分語りになった。
その後、太田光さんへの「傾倒」はゆっくりと薄らいでゆく。具体的には「太田総理」(2006~2010)とか、ラジオ(カーボーイ)で「太田のこれを読め」をやっていたあたりで、「なんだかこの人は僕が思っていたほど素晴らしい人ではないのかもしれない」と思い始めた。中沢新一との共著『憲法九条を世界遺産に』の発売も2006年で、だいたいそのあたりにはなんとなく距離を感じていた。もちろん大ファンなのは変わらないし、カーボーイも聴き続けていたけど、以前のような情熱はなくなり、著書も買わなくなっていった。
しかしここ5~10年くらい、ふたたび熱が上がってきている。「2016年」ってのを僕はいろんなことの区切りだと思っているから、たぶんそのへんからだと思う。2018年のコントライブ『O2-T1』は最前列で観ましたけれども!最高だった、本当に。
いったい何が起きたのかというと、いちファンの視点からいえば、太田さんが本当に太田さんらしくなった、ということなんじゃないか。僕が「傾倒」していなかった10年ないし15年くらいのあいだ、爆笑問題は忙しすぎたし、まだ今ほど偉くもなかった。がむしゃらにいろんなことを試して、走り続けた結果、余計なものがそぎ落とされ、本質的なものだけが残ったのではないかと。
テレビで「助けてくれー!」とかいって騒いでいるのも、漫才もラジオも文章もコントも、それぞれ太田さんの本当にいいところばかりが結晶していると今とても素直に思っている。吐き出し方が本当に上手い、というかもはや美しい。自分がこれまでに吸収してきたものを、どこでどのように表現するか、という采配。そこが今の太田光さんの最大の強さだと思う。
裏を返せば、少し前までの爆笑問題はちょっとゴチャゴチャしすぎていたのだろう。悪く言いたいのではない。その「何でもやってみる」という莫大な模索の期間があったからこそ、今があるのだ。それは僕が「何でも食ってやる」と思って、ある意味では時間を無駄にしていたけれども、しかしその期間がなければ今の僕はないのだということと同じ。暴飲暴食を経て美食にたどり着くこともある。
では爆笑問題は、太田光さんは落ち着くべきところに落ち着いたのかといえば、そういうわけでもない。NHKのつぶやき英語にしても、TBSの選挙特番にしても、「それいま太田さんがやらなくてもいいんじゃない?」と僕が思うようなことに未だに果敢に挑んでいる。そういうある意味での「吸い込む」的なことをやめない。
太田さんがやりたいと言って始まったというYouTubeの「テレビの話」もそういったチャレンジのひとつ。僕はめちゃくちゃ面白いと思っているが、それほどお金になったり人気が出ているとは思えない。でもたぶん太田さんにとって、爆笑問題にとって必要なことなのだ、あれは。
若き日の太田さんから僕が学んだこと、影響を受けたことはすでにいくらか書いた(書けてないこともあると思う)が、最近の太田さんから僕が学ぶことは、たぶんそのバランスの取り方だ。吸い込み、吐き出すこと。新しいことを取り入れたり始めたりしつつ、古巣もしっかり守ること。適した場所で適したことをすること。
タイタンライブやツーショット(長尺漫才)、カーボーイ(ラジオ)、サンデージャポンのような長く続いているものと、新しいことのバランス。僕でいえば、このホームページがあって、まあお店(夜学バーとかそういうの)がありつつ、新しいことも少しずつやっていく。しばらくはごちゃつくだろうが、50代くらいには今の太田さんくらいのバランスでやっていければいいな。
明日いろいろあるのになんか大変な長文を書いてしまった。まとまりがないが、まだまとまれない時期なんだろう。永遠にそうでもおかしくないけど。
そうそう、話を戻そう。本題が実はあるんだった。ずっと働いていなくて、ひと月半をほとんどロスしてしまった。必要だったと思うしかない。それで2001年1月2日のことを思い出しているのだった。僕たちに必要なのは未だ「絶望と焦燥感」。2023年8月17日もそれなりの区切りになるといい。願わくはこの記事が、未来の自分から引用されますように。でも日付ハンパだから9月1日とかにまたなんか書こうかな。
2001年1月19日も相当重要な日だったんだけど、きりがないのでまたいつか。
2023.8.24(木) りりちゃんは捕ームレスです
りりちゃんが詐欺幇助で逮捕され、いろんな友達から連絡があった。2020年の5月ごろ(
5/16、
5/31、
6/8の日記に言及がある)、僕はかなりこの人にハマっていた。もう3年前か。
ナインティナインの岡村隆史さんがラジオで「コロナが収束したら3ヶ月間くらいは風俗店に美人が増えるので、歯を食いしばって踏ん張りましょう」(大意)というような発言をした(そして大炎上した)のが4月23日の深夜だったらしい。矢部さんが叱りに(?)きたのが翌週4月30日の放送。ちなみに最初の緊急事態宣言は4/7から5/25まで。そういう時代。
3年前。りりちゃんについてまとまった批評めいたことをしたのは僕が初めてだったらしく、けっこう感激された。『小学校には、バーくらいある』もわざわざ通販で買ってくれた。この頃のりりちゃんはまだ「頂き」という言葉を生み出しておらず、「うらっぴき」という業界用語を使っていた。僕はけっこう古参なのである。3年の間に、DMしたり電話したり直接会ったことが一回ずつくらいある。別にそう仲良くなったわけではないけど、こないだりりちゃんが新しいアカウントになったときフォローしてくれたから、覚えてくれてはいるようだ。
そういうことで僕にとっては「友人が逮捕された」という話でもあって、そういうことを知っている人たちから「ジャッキー! りりちゃんが逮捕されたよ!」と報せを受けたわけだ。片手におさまらない人数から連絡きた。
りりちゃんは2023年の7月15日ごろからホスト通いをやめ、その頃からおそらく頂きはしていない。自分のしてきたことを「詐欺」と呼ぶようにもなってきていた。ソープで働いて日銭を稼いでいた。バーの店員として働こうとする意思も見えた。昼職とは言わないが、比較的明るい夜の中での生き方を模索しているように僕には思えた。ホストクラブと「詐欺」から1ヶ月以上離れているというのは、彼女にとっては本当にすごいことだったと思う。そして苦しいことだったらしい。
りりちゃんは変わろうとしていた、というか、すでに変わっていた。あとは一歩一歩着実に歩くだけだった。そこにきての逮捕。これがよい方向に働くことを切に願う。
正直、僕はりりちゃんが逮捕されることはないだろうと思っていた。少なくとも2020年時点では、彼女のやり方は非常に巧妙だった。罪にならないギリギリのラインを常に攻めていた。しかしなるほど、詐欺幇助か。りりちゃんは捕まらないとしても、りりちゃんの影響を受けた女の子は捕まりうるわけだ。誰もがりりちゃんのように上手にやれるわけではないから。
今後は、詐欺罪で再逮捕ということもありうる。たぶんだけどりりちゃんは警察にありのままを話すし、本名で報道もされてしまった。自白は取り放題(個人の想像です)で、「自分は被害者だ」と名乗り出る人もいるかもしれない(りりちゃんはほとんどの頂き相手に本名を伝えていたと思う)。そしたらいわゆる余罪がわんさと成立し、10年刑務所という可能性もある。
この期に及んで言うが僕はりりちゃんが好きである。3年以上ずっと追いかけてきて、話したことも会ったこともある。彼女の人格それ自体を邪悪と思ったことはない。人生の「ハズレくじ」を引いてしまった人間が、それをいかにして逆転させていくかというストーリーとして彼女のことを今も見ている。
りりちゃんは「悪いこと」をしたと思うし、悪いことをしていいとは僕は思っていない。しかし、一時的に悪いことをしてしまった人が、それほど悪くない生き方に変わっていくパターンは世の中にいくらでもある。生まれが悪すぎたり、運が悪すぎたりして、いつの間にか悪いことに手を染めている人はけっこういて、その中にはめちゃくちゃいいやつだっているかもしれない。ただ何かがバグっているのだ。
りりちゃんはお金のことを、増えたり減ったりする数字としか捉えていなかったと僕は勝手に想像する。点数みたいな感じで、ある意味では「たかが金」。だからいくらむしり取っても平気だったし、それを一晩で使い切っても平気だった。また、「おぢたちに夢と希望を与えている」という理屈も持っていた。金とかいうどうでもいいもんを渡すことによって、かけがえのない夢と希望を得られるんだったら、むしろ向こうが得じゃない? それがりりちゃんの思想の柱だった、と僕は思っている。
りりちゃんがマニュアルを売っていたのはお金のためだけではない。りりちゃんはずっと「女の子たちのために」と言い続けてきた。救われようのない環境に生まれ育ち、いつの間にか泥沼から抜け出せなくなっているような女の子が、自信を持って胸張って前向いて生きられるように、マニュアルを売っていたという側面もあるはずだ。
もちろん、一般常識に照らせばこんなもんはバグっている。長い目で見てその女の子たちが本当に幸せになるのかも怪しい。人を騙してお金をもらおう、それをみんなに推奨してみんなで幸せになろう、相手は若い女に慕われて夢と希望を得てるんだから問題なし!なんていうのはフツーに考えておかしい。しかし、たとえばめちゃくちゃ不幸な境遇に生まれ育ったやつが、生きるために万引きをくり返すうちにものすごい技術が身について、そのやり方を似た境遇の人間たちに教授する、というふうに置き換えると、「そもそも貧しさが悪い」ということを言い出す人もいそうではないですか。りりちゃんはそういうことをやっていたのだ。
りりちゃんというたった一人の女の子が、自分の力だけでできる「よいこと」はなんだろう、と考えたとき、得意な裏引きのしかたをみんなに教えてあげる、サポートしてあげる、というところにたどり着いた。彼女にできるのはその時それしかなかった。彼女は善意でそれをしていた。彼女はマニュアルを売っていただけではない、リプやDMや質問箱やツイキャスなどで、あるいは鍵垢を作って、無料で、女の子たちに「頂きのコツ」を伝授したり、いろんな相談に乗ったりしていた。きっと本当に善意だった。彼女の価値観のなかで「世の中をよくする」ということを考えたとき、やるべきことはこれだと確信していたのだ。ただそれが、世間の常識や善悪の基準から著しく外れてしまっていただけなのだ。
りりちゃんの幼少期から思春期にかけての話を聞くとあまりに壮絶で、親とか男たちが悪いんじゃん、って思ってしまう。金や性、そして善悪についての感覚が一般常識とズレてしまうのは当然だ。それを僕は「バグ」と表現した。息を吸うように万引きをするやつってのはいる。小学校や中学校にいくらでもいた。貧しかったり、親が狂っていたり。あるいは友達がやっているからそれが「常識」になってしまったり。息を吸うようにカツアゲする奴もたくさんいた。金がないんだから、あるところからもらうのは当たり前だと思っている。「だってオレは金持ってないけどこいつは持ってるじゃん」と。
特殊詐欺の組織が「オレたちは老人が溜め込んでいる金を若い世代に還元させているのだから、世の中にとってよいことをしているんだ」とメンバーに教育するのとちょっと似ている。この価値観もかなりバグっているが、彼らの中では一本のスジが通っているのだ。
何が悪いかっていったら、僕が思うにはその「バグ」である。言い方を変えれば認知の歪み(僕の言葉でいえば「認知の固定」)。犯罪に繋がるようなバグは、治安をよくしたいなら取り除かねばならない。そこをとにかく考えないと仕方ない。
で、りりちゃんは、ホストと詐欺から距離を置いて、人脈を育てようとがんばって、バーに立ってみようとしたりして、少しずつその「バグ」を修正しようとしていたように僕には見えていた。心からそれを応援していた。逮捕され、それが報道され、ともすれば刑務所に入ることによって、バグ修正は進むのか、それとも、遅滞するのか。それはわからないが、関わる機会があるならできることはしたい。
多かれ少なかれ、人間の認知は固定されている。すなわち歪んでいる。それが人それぞれに違う「価値観」というものだ。しかしその「認知」とやらがあまりに千差万別で人によってズレがあると争いが絶えないしいろんなことがうまくいかないから、「常識」みたいなものがつくられ、大まかなことはこれにのっとってやっていきましょうね、ということになっている。
運悪くそこから大きく外れてしまうと、たとえば詐欺や万引きに抵抗がなくなる。それが当たり前という価値観に固定されてしまう。それが僕のいう「バグ」である。無数の人間が同時に世を生きる以上、100%バグを消すことは不可能だと思うが、できるだけ減らすためにできることをみんながするのがよいと僕は思う。
くり返すけどりりちゃんの人生とは、明らかに不運なところに生まれ落ち、社会の中でまっとうに生きることが難しいほどの致命的なバグを抱え、しかしそのバグの中で「自分にできるよいこと」を全力で実践し、あるていど有名になって、いろんな価値観の人と出会ううちに、「自分はもっとよく生きられるのかもしれない」とか「本当にすべきことはたぶん今していることじゃない」といったことを強く確信して、少しずつバグ修正をし始めている……という流れになっているんじゃないかと勝手に思っている。
たしか2020年くらいの段階で、「みんなにコミュニケーションのこととかを教えるような本を作りたい」みたいなことを言っていた。りりちゃんは、結果として「頂き(裏引き)」をしていたけれども、それを実現させるためのコツや工夫は本当にすごい、価値のあるものだと僕は思っている。コミュニケーションがめちゃくちゃうまいし、それをマニュアルという形で言語化することもできていた。実際のところ能力はすさまじいのだ。頂き以外の領域でもそれを発揮できたら、社会が認める形で「よいこと」ができるはずである。それはたとえばバーに立つことだったかもしれないし、短期的にはソープの接客技術をさらに磨くことだったかもしれない。
ごく最近のツイートにこういうのがあった。
(前略)お話するの好きなガチ恋しか残ってくれない(;_;)裏引きたいならこれで残ってお金払ってくれる人なんて激アツだから良いと思うけど裏引きもっていかないで在籍だけで本指名返して頑張るならこれは良くないなって思ってる。エロもお話もどっちも完璧にこなしてる人がランカーなのかなって(;_;)かっこいいと思ってるランカーの女の子達。今日もソープに指名で女の子来てくれて沢山お話し聞いたけど努力が凄すぎて感動した。私は色恋本営ばっかで距離感近すぎて合わない人は速攻消える。ちなみに楽しくお喋り以外はキスとかぎゅーとか目ずっと見つめたりとか甘えたりとかしかしない、ガチ恋のみ勝つ。クソきもいが。自分に合った接客が一番だけどね😭私も迷ってるー🐕🐕一緒に頑張ろ😭❣️❣️❣️
(2023年8月22日)
「ソープは頂き(裏引き)相手を探すためにやってる」みたいなことを以前よく言っていたのだが、最近は「ソープ嬢としてのプロ意識」みたいなものが高まってきているのかもしれない。さっき書いた「比較的明るい夜の中での生き方」を模索する一環と僕は見る。
この文章はりりちゃんのためだけに書いているのではない。「バグ」ってのは誰もが持っているもので、僕もかなりヤバいのを抱えている。それを修正、というか調整することはきっとできるし、そうするとグンと生きやすくなるのも確かだと思う。諦めないでほしいのだ、友達たちに。
2023.8.27(日) 座右の銘とスタアグア
「夜学バー博(ヤガクバーパク)」という催事を21日から27日まで行っていた。夜学バー6年3ヶ月の歴史とそれ以前のことを振り返る展示。詳細は文章で書き残すのは難しいし、『夜学バー博文録』という冊子もすでに作っているし、何よりこれは夜学バーのイベントであるからそっちのホームページに記すのが筋であろう。でもとりあえずこっちにも何か書いとく。
場所は本郷のビル4階、三坪ほどの小さな四角の白い空間。だいたい夜学バーと同じサイズで、擬似カウンターを作ってコーヒーとネーポンも供した。展示物は僕がほとんどすべて自転車で運んだ。
こんなことをいつまで続け(られ)るのだろう?と思うことがよくある。僕の座右の銘は昔から「1.自分でできることは自分でやる 2.できないことは友達に相談する 3.それでもダメならお金を使う」というもの。今はまだ体力もあるし頭もしゃっきりしているから1の範囲がかなり広いが、もちろん2に助けられてもいる。この2の範囲をどんどん増やしていくのが当面すべきことだろう。3が莫大に増えることは僕の生き方だとイメージしづらい。
うんやっぱり博自体のことはのちに夜学HPでまとめることとしよう。ともかく手伝ってくれた友達に感謝。
感謝といえば新しい歌を作った。『スタアグア』というよく意味のわからないタイトルで、曲中にも何度か歌われる。たぶん聴いてくれた人たちはあんまりピンときてくれてないと思うけど、これはあとから効いてくるように思う。初期の隠れた名曲。で、歌詞の中に「感謝」って2回出てくる。感謝してたんだろうな。
バー博最終日前日の夜、まちくたさん(夜学バーのお客→従業員で仲のいい友達)がたまたまうちの近くを通りかかるとのことで、一緒にご飯を食べた。それで「あした一緒に新曲の発表会をしようね」という空気になった。1週間くらい前に自転車乗りながら録った鼻唄みたいなのを帰ってからなんとなくメロディにして歌詞を1番だけ書いた。翌朝早めに行ってコードつけて練習して2番の歌詞を考えた。博の最終日は時折テロテロと音を鳴らしながらやってた。
20時に博が終わって、お客も2人だけ。まちくたさんが歌ったあとに歌った。あたらしい新曲『スタアグア』。(
インスタ(3曲入り) YouTube YouTube別角度)
スタアグアとはなんやねん、かっこつけた造語みたいなの、恥ずかしくて恥ずかしいぞ!と思いつつ、それ以外にないのだから仕方ない。仮歌では「ニカラグア」だったのだ。この響きと意味を大切にしつつなんとか自分っぽいものにと苦心した。
聞いて 矢田川の ほとり 歩いて…
いたよ 泣いてるの 誰か 知ってるの
空の彼方 闇に染まるまで
雪に泣かれながら 僕ら待つ山茶花に感謝
スタアグアは遠くから呼ぶね
ああ 塞ぎ込んだ目の奥に
光る川の水面と砂利
ああ 囲む山々は消えない
立ちのぼれ 輝け スタアグア
星の彼方 愛が届くまで
時に浮かれながら はしゃぎ回るみんなに感謝
スタアグアの故郷を追って
ああ 塞ぎ込んだ目の奥に
光る川の水面と砂利
ああ 囲む山々は消えない
愛しあえ さまよえ スタアグア
愛しあえ さまよえ スタアグア
みすぼらしいメモ帳の切れ端で恐縮だが、「聞いて」から始まるのはKannivalism『クライベイビー』のオマージュ。Aメロが一回しかないのもそう。あのバンド歩いたり泣いたりしがちだから僕の中ではかなりイメージが重なる。
歌詞カード上、「歩いて…」と「…」がつき、しかもそこで改行されているのは、「泣いてる」の主体をぼやかすため。泣いてるのは誰だ? 普通に聴けば「自分(視点人物)」のことだが、よく考えれば誰か別の人が泣いていて、それを見たという話かもしれない。「木の陰で泣いている美しい人の悲しい姿」で始まる奥田民生『恋のかけら』という名曲があるが、その情景もなんとなく意識にはあった。実際、はじめの歌詞には「ふたり」という単語が入っていたのだ。「ほとり」とかかっててそれもよかったのだが、主体を特定できないほうにした。そしたらむしろ泣いているのは自分だというふうにしか普通には読めないようになったが、これでいいと思う。
そのあとで「僕ら」と言っているのも似た意図。ひとりなのか、ふたりなのか、もっと大きな、不特定多数の「僕ら」なのか、あるいはまた……と広がってゆく(といいな)。
ニカラグアがスタアグアになったと書いたが、この歌は意味よりもずっと詩情を優先していて、何より響きを重んじた。「雪に泣かれながら僕ら待つ山茶花に感謝」なんかも歌ってて気持ちがいい。「なかれ/ながら/ぼくら」「さざんかにか(んしゃ)」あたりなど。
僕は詩を書くとき何より響きとリズム、タイミングを意識するのだが、それが歌でできたなという感じがする。僕は気に入っているが、繰り返すけどたぶんそんなにパッと心に入ってくるようなものではないだろう。(『お散歩遠く』はダイレクトプラグインだけど。初期衝動の神がかりもあってあれは本当にいい曲だ。)
しみじみとだんだん好きになっていくような感じを目指している。「囲む山々は消えない」なんか、じっくりと沁み入っていくような名フレーズではありませんか! しかし実は、僕の魂のふるさとである矢田川からは、山は北側にしか見えない。元となったのはまた別のふるさとたる信州の風景。見渡す限りに360度が山という、あの盆地の美。数日後には長野にいることが決まっていたのもあると思う。(この記事を書き始めた時は茅野にいて、今は上田でこれを書いています。)
『星の彼方へ』というフリッパーズ・ギターの曲がありますが、あのイントロをアウトロでちょっと使っています。完成系ではどうなるかわからないけど、どこかには入れたい。制作中ずっとこの曲を思い浮かべていた。最初は2番を作る気はなかったんだけど、「空の彼方」を「星の彼方」にできると気づいて、作ることにした。
「時に浮かれながら」は「風に吹かれながら」でもよかったのだがJ-POPすぎる。前者のほうが僕っぽいというか、詩っぽい。
あとはもう勢いで書いた。あっちかな、こっちかな、という具合で。なんとなくこれが良いだろうという言葉を置いた。僕の詩が好きだという人(6人くらいしかいない)は気に入ってくれると嬉しいです。僕にとっては詩の朗読のようなものかもしれない、これは。
自作曲を弾き語りで歌う、というのは僕の夢だった。なぜならば、それは「1.自分でできることは自分でする」の領域を広げることだから。ひとり芝居もそうだし、お店をやることも、バー博みたいなのもそう。歳をとって「1.」が増えていくのは本当に喜ばしい。しかし衰えていくことも同時にあるわけだから、「2.できないことは友達に相談する」という領域もちゃんと育んでいきたい。また、チャップリンみたいなことを言うが最低限の「3.」も確保しておかないといざという時に困ってしまう。
たとえばこの日記を読んでくださっている方々には、僕の「1.」を楽しく味わってもらいながら、「2.」に協力していただき、ほんの少しのだけ「3.」を支えてくれたら、僕の生き方は完結するというか、成立するのです。そのためには「1.」部分の魅力だよな〜と思うんで、これからもりっぱに生きていこうと思います。夏の誓い。
2023.8.31(木) 第43話 合宿
【8月29日】
夜学バーにいがちな高校生が「勉強合宿したい」と言うので、「それならいい場所がある」と、
6月に立ち寄って気に入った茅野(長野県)の宿を紹介した。あれよあれよと参加者を集め、最終的には高3が2名、高2が1名、それより大きな人たちが3名の計6名で泊まることになった。4名は1台の車に同乗し、1名は遠方より18きっぷで、そして僕は東京から特急あずさ3号でそれぞれ向かった。
みんなは上諏訪駅に集合し、ご飯を食べて喫茶店(サスナカ)に寄ってから宿に来るようだ。僕は10時前には茅野駅に着いていたのでしばらく別行動。まずベルビアと言う駅ビルを見てまわり、「まちライブラリー」で情報収集。チラシを物色したり、Iくんという高校生が「放課後cafe」という活動をしているのを知るなど。
茅野駅の周辺にコンビニはない。すぐ近くに上川という大きな川が流れている。駅前の道を一本外れたら田舎道。あずさ停車駅とはいえ、ほとんど登山のための駅なのだ。とはいえさすが長野県、文化度はそれなりに高く、静けさや自然とのバランスがちょうどいい。気に入った。長野に拠点を作るなら茅野でもいいかもしれない。いい物件はないものか。
お腹が空いた。寝不足なのでせめて身体に良いものをと、かふぇ天香という健康志向なお店に入って酵素米鹿肉カレーを。お会計のとき、ちいおばさん(木島知草さん、今はちいばあと自称している)の絵はがきとチラシが目に入った。ちいおばさんは松本の人である。同じく松本の人である僕のお母さんはずっと彼女のカレンダーを買い続けていたし、絵はがきもいっぱい壁に貼ってある。
ちいおばさんは絵や詩をつくるだけでなく、「がらくた座」という人形劇団をほぼひとり(娘さんが手伝ったりしていた)でやっていて、自宅で「10えん劇場」というのを開いていた。僕も幼きころ行ったことがある。子供は10円、大人は100円。
僕の夜学バーはチャージを「木戸銭」と劇場のように呼んでおり、その額は一般1000円、奨学生500円、中高生等以下0円と、立場や経済状況などによって変動するようになっている。その理由や元ネタは複数あるが、たぶん最古は「10えん劇場」だ。
前回の記事で紹介した座右の銘も、ちいおばさん精神が色濃く影響している。「がらくた座」とは、その辺に捨ててあったゴミやがらくたを人形に改造して出演させたことに由来するのだ。当然すべては手作り、お金はほとんどかからない。「1.自分でできることは自分でやる 2.できないことは友達に相談する 3.それでもダメならお金を使う」が僕の座右の銘と言ったが、ちいおばさんは基本的に「1」、娘や友人の手を借りて「2」。「3」の領域はほとんどなかったように見えた。素材はその辺のゴミなのだから。
そのように多大なる影響を受けたちいおばさんの絵と字が突然目に入って、視界が開けたような気がした。信州の人は、なんでも自分でやるし、近くにあるものを素材として物事をなすことが多いように感じる。この旅の中で何度もそれを再認識させられた。その精神は母親を通じて、僕の血の中に座り込んでいる。
琥珀という古い喫茶店へ。西口からほんとすぐだが、2階だし、普通の人には入りづらいと思う。隣には若者が入りやすそうなおしゃれな喫茶店(あとで出てくる)があって、うまい棲み分けがなされている。
琥珀に入るとやはり近所の高齢の方々の社交場になっていた。高齢といっても50〜60代の若手もいたかもしれない。ビッグコミックオリジナルを読みながらコーヒーをすする。緑茶が出てくる。嬉しい。400円。領収書いただく。
日焼けどめと自転車の鍵とライトを忘れてきてしまったので散策がてらマツキヨとダイソーの入ったショッピングモールへ。駅から1kmくらい北。手早く買い物を済ませる。そのまま東口にまわって住宅街の中にある「コミュニティCAFE 楚そっと」に行ってみた。事前にWebで調べた段階でも気になっていたが、まちライブラリーでチラシを見て、お年を召した女性がやっているらしいこと、いろんな人が集まってお話ししたりすることを望んでいるらしいことがわかったので、決めた。
チラシにはこうある。《コミュニティCafeとは? Cafe的な空間や機能を利用して居心地の良い空間を提供し、さらにはそこに集う人が様々な発見や出会いを通じて広く社会に開かれた情報発信、地域の活性化を目指すものです。》《新たなご縁がつながり、ここに集うみなさんの蕾が少しずつ花開きますよう、楚々とした気持ちで美味しい珈琲や楽しい集いの場として使っていただければ幸いです。》
「様々な発見や出会い」「広く社会に開かれた」「新たなご縁」「蕾が少しずつ花開き」といった言葉を読めば、この人が(この店が)僕のような人間を求めている、少なくとも歓迎してくれるだろうことはほぼ確信できる。
「コミュニティ」をうたうようなお店やスペースって、「発見」「新たな」「開かれた」「花開く」といったことをあまり堂々とは主張しないことが多い、と思う。もっと「居心地」や「情報発信」「地域の活性化」、あるいは「楽しい集いの場」などを強調しがちなものである。
楚そっとのチラシの書き方を見ると、そういったもの(居心地とか)は手段であって、その先にねらうのはもっと広がりのあるものだとわかる。わかりやすくやっていただけて、非常にありがたい。心強い。で、もちろん僕は歓迎された。わーい。
これを書いてるのはもう9月2日のお昼なんだけど、きのう(1日)軽井沢を走っている時に「文化的とはどういうことだろう」と考えていた。ざっくり、「新しいもの、見たことのないものを生み出そうとする姿勢」とひとまず結論した。これは僕がかつて提唱しかけていた「文化場」という概念に深く関わる。最近ようやく「場」という一語について僕なりの理解が定まってきて、おかげで文化場とは何かってのも説明できそうなのだ。復活夜学バーのこともその線で考えている。8月29日に戻ろう。
楚そっとは僕のいう文化場なるものにぴったり当てはまる。新しいものの誕生を求めて、複数の人々がその「場」に何か(トランプで言えば手札)を置いていく。僕が好きな場所はすなわちそういうものだと思う。やっとここまで言語化できた。
野菜を売っているお姉さんがいたので、ミニトマトと巨大きゅうりを2本買った。東京と二拠点生活しているおじいさんとは、自転車の話やカバンの背負い方の話などした。まちライブラリーにかかわっている方がいらっしゃったので、先述した「放課後Cafe」のIくんに夜学の名刺を渡してもらうことになった。伏線回収と、そして種まき。
郵便局に寄ってハガキを一枚買い、書いて、送る。こういうことがスッとできるようでいたい、常に。
宝来軒という古い中華屋さんに行ってみた。まだ13時半だが準備中となっていた。勇気を出して扉を開け、営業時間をたずねてみた。「11時からだいたい今くらいで終わり、夜は17時から18時半まで」とのこと。難易度高めだが、なんとかして来よう。
当てが外れてお腹は空いた。駅前はわりと観光地価格という感じの小綺麗なところばかりなので駅の中でわさび菜そば食べた。宿に入って寝っ転がってみんなを待つ。
僕を除く5名(女子たち)は下の大部屋に泊まり、僕は2階の洋室(3人部屋)をとった。みんなは勉強合宿で来ていて、僕はその引率の先生、兼「あそび」の部分という感覚。かりに誰か息が詰まっても、もう一部屋あると逃げ場にもなる。
大部屋は襖でふた部屋に仕切ることができ、奥を寝室、手前を勉強の間とした。そこに大きな横長のテーブルと無限の座布団。奥はいちおうプライベートゾーンとして、手前は男子(僕)も適当になんとなく気を遣いつつ出入りOKという感じにした。着いて早々みないそいそと勉強を始めたので「えらい!」と思った。
夕方、さっきの宝来軒に6人全員で行った。空いていたのでめいめい好きに注文したのだが、そのあと続々とお客が来て僕らのせいでオーダーが止まってしまう事態に。おばあちゃんのワンオペってわかっていたのだから、ある程度注文を揃えるか、そもそももうちょい少人数で来るべきだったなと反省。でもああいうふうにみんなで食卓を囲うシーンはあってよかった。合宿中はみんな好き好きに動き回っていて、統一感というものはあんまりなく、そこが僕としては非常に心地良かったわけだが、わがままなもんでそうなるとみんな揃ってる状態も恋しくなってくる。
中華丼を食べた。
戻る途中の入船という居酒屋に、20歳以上の3人で寄った。高校生3人はそのまま宿へ戻った(かどうかはわからない!)。L字カウンターに地元の人が3人座ってカウンター内の店主と語り合っていた。僕らはそれを小上がりの座敷から見ていた。夜学バーの田舎版みたいな風景だった。ビール大瓶とウーロン茶、枝豆、瓜の味噌漬。2000円。店を出てから、これが安いのか高いのか、そもそも茅野の物価は東京と比べてどうかなど話し合った。難しいところだ。
この時は僕も結論が出ていなかったのだが、このあと長野県内の各地をまわって、「大きい駅の周辺は東京とさして変わらないが、小さい駅になるとぐんと物価が下がる」という仮説が浮かんだ。指数は主に喫茶店のコーヒーの値段。サンプルは各1〜2軒ずつだが茅野400円、北中込300円、岩村田350円といえば「なるほど」という感じがしませんか。ちなみに中軽井沢は700円(アイスコーヒーは800円!)であった。
入船というお店については、お通しとしてカボチャの煮物が出てきたのに、その代金はカウントされていなかった。席料なし、完全なサービスということ。そう思えばかなり安いのではある。「ハイボール190円!」とかの激安居酒屋とは比べられないが、小規模店であればまあ「安いほう」ではないか。もちろん都内の古い居酒屋でもっと安いお店はあろうが、それは今や例外にカウントしていいと思う。
どうでもいい話なのだが、飲食店に興味のある人たちが集まると自然とそういう話になるのだ、という例。
ところで実はこの合宿、大部屋6名+僕という予定だったのだが、直前で急遽5名+僕になった。少し寂しいし、上の部屋にも2名ぶんの余裕があるから、当日午前2時半にTxitterで「29日か30日、長野(中央線沿い)に来られる人募集、宿泊も可」みたいな雑な募集をした。それを見て「2泊したいです!」と言ってくれた人がいたので、サプライズで招いた。
同じ宿に泊まる人が一人増えるというのに、サプライズというのは僕、それにしてもどういう了見なのか。自分がすべてお金を出すというでもないのに。普通なら「〇〇さんという人が来て泊まりたいと言っているのですがいいですか?」という断りを全員に入れるべきである。来る側としてもそのほうが「招かれざる客」として扱われる恐怖がなくて済む。しかし、僕はそのような近代的な(?)手続きが本当に苦手で、「言ったほうがいいんだろうな〜、でもな〜」と思いつつ、結局だれにも何にも言わなかったのだ。いちおう事前には、下の部屋を借りた名義人(高校生)に「途中で人が増えてもいいよね?」ということは確認してあるし、参加者もみんなそういうことは起こりうるという認識でいたと思う(たぶん)。ただ具体的にだれが、いつ来るかということは言わないでいた。
一般常識ではそれは言ったほうがいいんだろうけど、これはいちおう夜学バーがなくては出会わなかった人たちの合宿ではあるので、「いつ誰がやってくるかわからない」という夜学バーの、いや「店」というものの本質をそのまま、この合宿所に持ち込みたかったのでありましょう、僕は。
僕の好きな場所の本質というのはまず何よりも、ランダムに人が増えて、減っていくことなのだ。
実はもう一人、住んでいる場所が比較的近いからということで、僕がDMで直接お声がけした人もいた。この夜に電車で来て終電で帰るという予定だった。到着するころ僕は入船で飲んでいたので、「どこかでご飯でも食べてから宿においでください」と告げたところ、わけのわからない居酒屋に入り込み、店主と話し込んでしまい、「ぜひそのジャッキーさんとかいう人も呼びましょうよ」的な流れになったそうで、呼ばれた。一息に書いてしまったけど伝わるかな。もういちどお読みください。
まずサプライズ要員の到着を待ち、ほとんど何の説明もなく宿にぶち込んだ(無責任)のち、急いでそのわけのわからない居酒屋に向かった。確かに相当クレイジーだった。そして我々はなんだかずいぶん気に入られてしまった。次から次と酒を勧められる。わけのわからないオリジナルの酒を。
今回の合宿を含む長野旅行では、DIY(Do it yourself)について深く考えた。長野の人はこの精神に実に豊かだ。なんでも自分でやってしまう。素材がそこにあるから、いや、「そこにあるものしかない」からと思う。
海があれば外からものを運んでくることができるが、盆地では基本的に「ここにあるもの」を生かすしかない。また、海の幸より山のもののほうが保存や加工にたぶん向いている。それで長野県は「目の前の素材をもとにしてなんでも自分でやってやる」という気概に溢れた人が多いのだ。盆地は工夫を育むのである。先に紹介した「ちいおばさん」はまさにだし、このクレイジーな店の主もそうなのだ。
内装は当然として、ベランダに屋根をつけたり、電気を通したり、駐車場だった土地を単管で増築したり(!)、大工まがいのことを全部自分でやっている。ドリンクもフードもほとんどオリジナルで、特にビネガー(果実などを酢に漬けたもの)は70種類も自作していた。
そういうお店はもちろん全国どこに行ったってある。しかし長野はその数がとりわけ多く、またクレイジーな気がする。文化という側面から見ると、長野は山の集まりではなく盆地の集まり。盆地ごとに文化が違い、その文化水準は平均してなぜか極めて高い。よく教育県と言われるが、知れば知るほど首肯される。かなり小さな町にも書店が残っていたり、文化的で独自性の高いお店がいくつもあったりする。喫茶店などの本棚も他県に比べれば充実している。さすがに東京西側(新宿・渋谷以西)とまでは言わないが、東京東側(台東区以東)程度の文化度はあるかもしれない。(そのくらい東京の東西文化格差は大きいと僕は思っております。)
クレイジーなそのお店は僕ら二人で貸し切りで、店主も店員(彼女?らしい)も椅子に座って四人で談笑しつつ飲んでいたのだが、そこへお客さんが一人やってきた。誰かと思えばさっき宿にぶち込んだ(無責任)者であった。ちょっと感動する。いくら茅野といえ他にも開いているお店はあるだろうに、なんのヒントもなく同じ店に到達するとは。クレイジー嗅覚はみな一流。それでもうしばらく五人で飲んだ。そろそろ帰ろうと思ってたのに酒量が増して大変だった。
宿に戻る。終電で帰るはずだった人は泊まっていくことになり、僕の借りた2階の洋室が役立った。宿泊代は部屋単位、頭数で割るため人が増えればそのぶん安くなるわけだ。大部屋のほうは6等分となり、一人あたり一泊1666円となりました。すばらしい。
さあこの夜は非常に楽しかった。たしか僕と高校生複数人(一人は東京にいて通話で参加)が午前五時までずっと起きていた。何してたかとかいまいち覚えてない。教えてほしい。なんかずっと遊んでた。
詩的にふりかえれば、止まりながら消えてゆくような時間だった、溶けてゆくような時間だった。ただ黙って座っている、その空気感だけが記憶にしみついている。その場面は愛だった。
僕はいろいろ褒めてもらえるけれども(この合宿でも夜中にきゅうに褒められたりした!)、いちばん褒められるべきなのは、詩情にすべてを封じ込めてしまえるところだと思うな。ものすごく「思想が強い」はずなのに、押しつけにならないし、教祖にもならないのは、結局のところすべてを詩に落とし込んでいるからと思うデスね。もちろんほかにもそうならない理由ってたくさんあるんだろうけど、意外と大きいのは最終的に「意味」を語らず、無言で空とか眺めていて平気なところだと思いますわね。エライ人(出世する人)はそこでなんか言っちゃうんでね。主張とか、まとめとか、結論みたいなことを。
できるだけ続きのありそうなふうにしたいのだ。
【8月30日】
天宮学美さんのお誕生日。28日の夜はじっしつ1時間も眠れず特急あずさでもほぼ一睡もできなかった僕はきっちりと昼まで寝た。休息は大事である。みんなが遊びに行ったりご飯食べに行ったりしてるなか、昨日買ったミニトマトと巨大きゅうりをポリポリ食べてまかなった。琥珀でコーヒーでも飲むかと外に出てみたら、「午後2時まで閉めます」とあったので、時間つぶしがてら隣のKiiTOSというカフェに入ってみた。
ここも駅ビルの「まちライブラリー」でチラシを見て知った。就活支援をしている企業の経営らしく、どんなふうにやっているのか興味があった。カフェ、イベントスペース、コワーキングスペースという少なくとも三つの機能が見てとれた。ここで就労希望者と企業の人事がマッチングされ、気軽な交流会や説明会のようなことが行われているらしい。夜学バーの名をいちおう宣伝しておいた。
けっこう本気で、長野県への展開を考えているのである。夜学バーを長野につくる(開く)ということかもしれないし、僕個人が明確な意図を持って定期的に長野に来るという話かもしれないし、わからないのだが、ともあれ長野で何かするときのために色々な攻め筋を持っておきたい。僕みたいなのが生き抜くにはそういうことに手を抜いていてはいけないのである。
午後2時を過ぎても琥珀が開かない。仕方ないので宿に戻る。しばらくして電話が鳴った。
2022年の11月25日(金)。夜学バーに20歳の女の子がやってきた。記録によるとこの日は金曜だってのにお客が計3名のみで、おかげでその子ともゆったり、しっかり話すことができた。僕はすごく素直に言って「なんて素晴らしい人間なんだ」と思い、「友達になりたい、というかすでに友達では?」という気持ちになって、たまたまその子の宿泊地が僕の家の方角だったので、「そのへんまで一緒に帰りますか」と提案し、だいたい午前2時くらいまで歩きながらあれこれ話した。
そのあとは一、二度連絡をとったのみであったが、茅野から遠くない山の上で働いているはずだとは知っていた。思い切って合宿初日の朝、特急あずさの中で、よかったら遊びに来ないかと誘ってみた。そうしたら絶好のタイミングだったようで、「高校の時の友達と二人で行きます」「小諸の読書の森も行ってみたい」と、30日の日中に宿まで来てもらって、そこから3人で小諸に行くことがトントンと決まった。
こういうのが僕は好きすぎる。すばらしい出会いだと自分が思っていたら、相手もそう思ってくれているかもしれないと仮定し、勇気を出してアプローチしてみる。それが返ってくることもある。そこからまた、もっと楽しいことにもなっていったりする。
自信とは「自分についての確信」だと僕はよく言うんだけど、「確信」は結局のところ「仮定」にすぎない。「仮定を信じる」のを確信というのであろう。祈りにも近いものである。
車をいったん停めてもらって、ひとまず宿に案内した。こちらもサプライズ、というか、連れてこられた二人と、大部屋の六名とは、いっさいの面識がない。そりゃそうだ、夜学バーにも一度しか来たことがなく、僕も一度しか会ったことがないのだ。もう一人は僕とさえ初対面である。
ただしそこにはもう一人、僕さえも面識のない人がいた。参加者の一人の友達で、ほかに知っている人はとくにいない(たぶん)。今日から参加していて、宿はほかにとっているそうだ。
そういえば最初から参加しているうちの一人も、大部屋宿泊者のうち面識のあったのはたぶん一人だけで、あとは僕と数回会ったことがあるだけだと思う。実のところ、もともと仲がよいという組み合わせはそんなに多くないというのがこの合宿の前提で、そこが本当に震えしびれる部分だった、僕にとっては。
みんなが自由に好き勝手やり、別々の音を奏でつつハーモニーが生まれる。なんだか自然にそうなっていた。僕があれこれ言ったわけではないのに。
合宿なんてもんをやって、ただの馴れ合いに終わるのは面白くない。ここでその三人が登場したことは僕にとって福音だった。完全に知らない人がやってくるのは面白い。しかし、怖い。その人たちがまともかどうか、その場にいて邪魔にならないかどうかは「連れてきた人」の判断のみに委ねられるわけで、信頼を賭けるギャンブルみたいなもんだ。ゾクゾクしますね。それですべてが台無しになる可能性だってある。ゆえにこそ慎重になる。
問題はもちろんなかった。すぐに場に溶け込み、出かけるタイミングがつかめなくなるくらいだった。みんな柔らかい。ありがたい。
どの時だったか、「一度だけお店に来てくれたことがあるんだけど、その時に、なんて素晴らしい人間なんだ!と思って……」と語ったら、「そうなんですか? それは知らなかったです」というような反応を本人から得た。そういうことはなかなか自然には伝わらない。といって好意は見せ方によって濁るのでまた難しい。精進を誓いつつ、結果としてまた会えたのだから良いこととしよう。
車に乗せてもらって小諸に向かう。同級生ふたりは前に乗って、僕は後部座席に。普通にしていると声が聞こえづらいので、シートベルトを思いきり前に引っ張って浅く座る。疲れるし肩も凝りそうだが、往復3時間という時間を楽しく過ごすために選択の余地はない。
実際すごく楽しかったし、この時間でかなり仲良くなれたと思う。それはもちろん僕の主観に過ぎないが、そう仮定しないことにはその先はない。他人の気持ちを知ることができない以上、その仮定の精度を高めることしかできない。そのために日ごろからたくさんものを考えたり、自分のいろんなところを鍛えたり磨いたりするのだ。本なんか読んだりもして。
途中、「ゼペット」というところに寄ってもらった。自分が行きたかったのもあるが、ぜひ彼女らに紹介したかったのだ。調べても何も出てこないと思う。そこがすごい。とんでもないものが、この世の中にはいくらでも人知れず存在する。その証拠みたいな場所である。僕一人だけで抱えておくのは耐えがたいので、たくさんの人をぜひ連れていきたい。
6月の記事でも触れているのでご参照あれ。簡単にいえば、「ゼペット」という屋号を持つおじいさんがほぼ一人で作った膨大な作品群が、そこで見られる。しかしたどり着くのは容易でない。もちろん駅などない。峠と峠の間、旧中山道の途中にあるただの奇抜な民家である。
このゼペットじいさんは、本当に何でも作る。家だって自分で作るし、自分で解体する。でっかい重機で木も動かす。絵画や彫刻はもちろん、さまざまな素材でさまざまなものを制作している。
感動したのは、80代半ばにして彼が完璧に現役だということだ。制作中の巨大な油絵を見せてもらった。小諸の道ばた。ちょっと泣きそうになった。
若いころ『ウッディライフ(No.43)』に特集されたそうで、さっそくネットで買った。こんど見せてあげるね(誰に言っているのか)。
かつて喫茶店だった家でお手洗いを借りた。絵画が飾ってあったり、立派な薪ストーブがあったりして、豊かさが伝わってくる。感動。僕は感激屋なのである。別れ際、「まねをしろ!」みたいなこと言ってたのもすごいよかった。書き忘れたけど廃車にしてナンバー返納した車のナンバープレートを手書きで再現して車の前後にくっつけてたのめっちゃよかった。これも6月にはなかった、彼の新作である。
改めて、「読書の森」へ。主人、すろうりぃ氏も自分でなんだって作る人である。こっちは調べればいくらでも出てくるのでぜひ。今回は本当に、「自分でなんだってやっちゃう人をめぐる旅」だった。
読書の森は昼間、喫茶店である。夜は宿泊客がいればゲストハウスになるし、いなくても誰か来れば夕飯を出す、というような柔軟なスタイルでやっているようだ。夕方に着いた僕らはコーヒーだけいただいて帰ろうとしたのだが、18時くらいまで主人が帰らないというので、裏の森を歩いて待つことにした。主人(やゲスト)の手作りした小屋やオブジェなどを二人に紹介しつつ、とんだりはねたりした。土を歩くのはそれだけで気持ちがいい。
一緒に夕飯食べる?と言われたので、いただくことにした。相変わらず何もかもおいしくて健やか。主人夫妻と娘さん、お孫さん、ほかに来客が4名、そして僕ら3名で、11名という大所帯。
すすめていただき僕はお酒も。奇遇なことに、来客4名のなかに6月にケーナをくださった83歳の方とその奥様がいた。
『あたらよのスタディ・バー』と『夜学バー博文録』を主人に進呈。これで『あたらよ』は在庫切れ、僕の手元にも値札シールついたやつしかなくなった。もう読んだよ、という方で、返呈(?)いただける方がいたらぜひください。もう1冊くらいはとっておきたいので……。
20時くらいまでたのしく談笑し、明らかに少なすぎるお勘定を支払い、茅野へとって返す。21時半~22時くらいにようやく到着。焚き火がほぼ終了し、焼けるものはマシュマロしか残っていなかった。
この夜も楽しかった。昨夜以上にみんな自由だった。どこにいてもいいし、何をしていてもいい。そんな雰囲気がそれなりにあって、そうできる人はそうしていた。一緒に小諸に行った二人も泊まっていくことになったし、飛び入りでもう一人、東京から男子がやってきた。ワーイ、これでまた2階で寝る人間が増えた!
大部屋の勉強ゾーンをメイン会場として、その縁側とつながる焚き火ゾーン、2階の洋室とそのベランダ、そしてバーエリア、さらに宿の敷地外と、縦横無尽にみんな思い思いに過ごした。この夜、宿で夜を明かしたのは10名。ちなみに庚申の日にあたり、朝まで眠ってはいけないとされる夜であった。
この宿にはバーがある、というかむしろそっちが本体らしく、両日とも夜中ないし朝まで誰かしら飲んでいた。我々は基本的にセルフサービス日本酒(最高だった)を酒源としていたので、一夜めはほぼこのバーエリアには近づかなかった。そこに目をつけた若いのが、カウンター座ってほかのお客さんと話しているのを見つけた。「やるじゃねーか」と思って、僕も飲んでいこうかと思ったのだが、席が埋まっていたのであとにした。
10人くらいの大所帯になると、どこか「逃げ場」がほしくなる。僕の友達とか、夜学バーに好んで来るような人の多くは、一枚岩な集団行動にそんなにそもそも魅力を感じないだろうし、少なくとも夜学バーというお店は「みんなおんなじ」をよしとする思想ではない。この合宿の参加者が「夜学バーを軸にして集まった人たち」である以上、「中心から離れたい」と思う人が出てくるのは必定。おそらく誰も来ないであろう、地元の人たちが集って飲んでいるバーエリアで独自の経験を味わおうと彼女は思ったのだ、たぶん。それが最年少の女の子なのだから、グッとくる。
部屋に戻ると、「そういえば○○いなくない?」と気づいた人がいたので、「○○なら殺したよ。ばらばらにして、踏んづけたら『あ』って言ってた」みたいな悪趣味な冗談を言っておいた。日本語訳すると「彼女の居場所はわかっているし、安全な状態にあるから大丈夫」である。
おしゃべりしたりベランダでギター弾いたりいろいろ遊んで、バーのほうに行ってみたら席が空いていたので座った。「(こうしてジャッキーさんと横並びになるのは)だいぶレアいすね」と。単純なことだけど、そういうのってなんかちょっと新鮮だよね。いつもは店主とお客さんで、カウンターはさんで向かい合ってるわけだから。「とくべつ~」って感じ。こういう空気感も、すごく記憶の鼻のほうにある。
そうしていたら、勘のよい高3がスッと入ってきた。ややあってカウンターがまた空いたので3人で座った。高3はパインジュースを注文した。高2はちなみにライチジュースとかカフェオレ飲んでた。あと辛ラーメン。僕はジェムソンのソーダ割りを。
この人たちと夜学じゃないバーで3人並ぶのは当然初めてで、とくべつ~って感じだった。そういうような瞬間がこの夜にはいろんな人との間にあった。
ずいぶん酔っ払った女の子が、「ジャキ離れをせねば!」みたいなことでくだ巻いててめちゃくちゃ面白かった。ジャキ離れというのは、ようするに僕の言うことを真に受けすぎてしまうことへの反省であり、非常に大切なことである。僕の長所は、めちゃくちゃいいことを言っているのにあんまり真に受けられないことなのだ。「ジャッキーさんはいいこと言うな~、それはそれとして自分はこう生きるけどね!」みたいなのがジャッキーさんとの基本的な距離感であるべきで、そうであってこそ「この点についてはジャッキーさんに完全同意!」という瞬間的な詰め方もできるのである。「完全同意!」が基本だと「あそび(余白)」がなくなってしまう。
ジャッキーさんの言うことはほとんど正しいけれども(!?)、正しさなんて無数にある。正しいかどうかと、その正しさをどのくらい採用するかは別の話。ジャッキーさんが80のパワーで大事にする正しさも、自分は20くらいのパワーで大事にすればいい、とか。
ジャッキーさんの正しさを否定する必要はない。ジャッキーさんが言うことは正しいけれども、わたしは別の正しさを基本的には優先しますね、みたいなこともあっていい。正しさ同士で矛盾しなければ問題はない。矛盾しているように見える場合は、どうにか調整する。世の中には本当の矛盾なんてあんまりない。(←さらりとすごそうなことを書いてみたが未検証。)
最年少またも行方不明になり、どうやら初対面のお姉様方(僕を小諸に連れていってくれた人たち)と夜のおさんぽに出たと思われた。楽しそうなので自転車乗ってノーヒントで探しに行ったが、さすがに見つからず、20分くらい走り回って戻ったら帰ってきてた。ストロングゼロ買ってきてる人がいて笑った。ストロングゼロじゃないチューハイもらった。そしたらあとで、「ストロングゼロなくなったからチューハイ返して」と言われたので返した。チューハイ返してって言われたの初めてだ。
朝になった。空気がより澄んだ。翌日仕事のある人たちのために寝床を整える。一階の大部屋は六人で布団埋まってるので、夜に合流した男子を二階の入口側のベッドに寝かせ、女の子2人を奥の二段ベッドに配置、僕はその間に布団敷いて寝ることにした。
うわさの最年少は大部屋に布団あるのに二段ベッドの下の段にもぐりこみ女の子(初対面、僕も初対面)と同衾して寝てしまった。しばらくしてゴツンと僕の上に落下してきた。痛かった。むこうは起きなかった。しばらくそのままにしていたが、二段ベッドの2人が帰ったあと、僕はベッドにうつった。あちらは布団ですやすや寝ている。とても平和で、目を閉じた、と思いながら目を閉じた。
【8月31日】
チェックアウトが10時なので9時半くらいに起き、昨夜酔っぱらいながらも洗濯して干しておいた服などを取り込む。下に降りていくとなぜかまったく帰るような雰囲気でない。「宿の人がいないからお金を払えない」とのこと。なんという雑な。僕なんか電話予約で連絡先すら聞かれてないからこのまんま逃げきれそうである。ぼんやりのんびりしていたら11時15分くらいに宿の人やってきてお金を払えた。思ったより安かった。値段よくわかっていなかった。
そしてゆるやかに三々五々、それぞれに流れ解散していった。車に相乗りする人たち、18きっぷで戻る人、自転車で走っていく人(僕)、帰り方を決めあぐねている人。これにて合宿はおしまい。
またこういうことはやるかもしれない、というかやりたいので、参加したい人は折にふれ僕にこっそり耳打ちを。実は2009年8月末に、新潟の南魚沼において似たような合宿をした。友達の女の子が実家を開放し、いつ来てもいいしいつ帰ってもいいという雑な合宿を1週間くらい行ったのだ。僕は3日くらいいた。また2010年8月末にも、友達の家が持ってた伊東のリゾートマンションで似たようなことをした。それから13年経って、僕の中では第3回の「雑合宿」がこのたび催されたわけだ。奇しくもいずれも8月末、またいずれも僕の主催でない。今回は実質というか、事実上「象徴的主催」っぽい側面はあったけど。さあ次回はどうなるでしょう。
合宿のあとも僕の旅は終わらない。まだまだ長野で遊びます。続きは
9月1日の記事に。ぜひ読んでくださいね!
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