少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2022.4.3(日)〜7(木) 名古屋帰行
2022.4.22(金) 美と関係
2022.4.25(月) さよならなんて云え流れ星ビバップ
2022.4.26(火) 劣等感共同体
2022.4.29(金) そうだよねえ!!
2022.4.30(土) 9歳児(Que sais-je?)

2022.4.30(土) 9歳児(Que sais-je?)

 たぶん昨日の続きです。昨日のも5回読んでください。

 僕はフランスと別に関係ないけど、フランスにいま友達が二人いて、フランス語を勉強している友達もいる。たまたまQue sais je?(クセジュ?)という言葉が目に入った。
 白水社の「文庫クセジュ」というラインナップのおかげで知っているけれども、こう表記するのは知らなかった。それではじめ「9歳児」と読んだ。ケラケラ。
「わたしは何を知っているだろうか?(何も知らないではないか)」と自分に問いかけるフランス語の表現らしい。←友達のTwitterより。
 9歳から10歳くらいはたぶん自我の発現しはじめる時期。僕もこの頃「自分には何もない」「このままではいけない」と思い始めた。9歳の終わりに『魔法陣グルグル』というアニメが始まって、そのエンディング・テーマだった奥井亜紀さんの『Wind Climbing〜風にあそばれて〜』を聴いて僕は、「何かしなくちゃ!」といてもたってもいられなくなっていた。証拠の記憶。
 クセジュ?の季節。

 2001年1月2日の日記(恥ずかしいのでリンクを貼らないがこのHP内で読める)なんて、まさに「クセジュ?」が全開である。焦燥はここに加速した。
 もちろん、「知識(量)」が大事だと思っていたのでもない。小学6年生くらいの時に読んだ夜麻みゆき先生の『レヴァリアース』のなかにすでに答えはあった。多くのことを知るために学ぶのではなく、「知るコトを知るために学」ぶのだ。
 詳しくはこの日記でも。僕にとって最初に死んだ親友はシオン様で、その次がバーニィ。続くのが西原くんとオイちゃん。その辺りのことについて書いている。9年も前の文章、恥ずかしいし不用意な記述や誤りもあるかもしれないが、ご笑覧いただいた上、事実誤認や問題があればこっそり教えてほしい。


 藤子不二雄A先生が3年前、NHKのインタビューで、「子どもは大人よりもずっと複雑にものを考えてる」と言っていた。これは僕の基本的な考え方でもある。大人になるというのは、常識を食べて、思考を単純にしていくことだ。これは「尾崎哲学」の根本。
「常識」によって思考を単純化させていく、ということに強い反発と深い憎しみを持っているのが僕という人間であり、この日記の22年間はその軌跡でしかない。
 僕は最近、胸を張って自分のことを「9歳」だと言うことにしているが、ようやく確信を持てたのだ。自分が小さい子だということに。その根拠は自分が「単純にものを考えない」というところにある。

 9歳から高校生くらいまでは、「周到な言葉」を知らなくて、思っていることを表現することが全然できなかった。だけど賢かった僕は本当に膨大なことを考えていた。それは常に「モヤモヤ」としていた。そのモヤモヤの意味するところが「絶対に正しい」という確信だけはあって、でもたとえば学校の先生にそれをわからせるような言葉を僕は知らなかった。「この人が言っていることよりも、僕がモヤモヤと考えていることのほうが絶対に正しい!」と心底思っていて、だけどそれを言葉にすることができない歯がゆさ。絶対に間違っている! と信じる相手を、説得することも殴り倒すこともできない自分の弱さ。
 高校の途中くらいから「論理」みたいなものを身につけて、口喧嘩では先生たちに負けないくらいにはなった。だからといって「モヤモヤ」が「スッキリ」に変わるわけではない。ほとんどの先生はいつでも「スッキリ」の言葉を使うが、こちらは「モヤモヤ」で対抗するので、話の噛み合うことはほとんどなかった。
 モヤモヤって何かって言うと、それを無理やり言語化したのがこの日記、この長ったらしい謎の構成をした文章群なのだ、といえばお分かりになるのではなかろうか?
 僕には「こうである」とスッパリ言えることが少ない。断言することは結構あるけれども、それは「他の多くの人たちがすでに言っている断言」ではない場合が多い。つまり「あらかじめどこかにある常識」を引っ張ってくるわけではないので、ほぼ孤軍奮闘になる。はたから見れば独善的でさえあろう。
 僕が「こうである」と言うとき、短い言葉では表現ができない。なぜなら僕はものすごく複雑なことを複雑なまま伝えようとしているからである。世の中には、本当は複雑だったはずのことをものすごく単純化してわかりやすくした言葉がいっぱいある。ほとんどの人はそっちを活用して省エネする。僕にはそれができない。ガキだからね。9歳であるって根拠がそこ。
 自分の外側にある言葉を借りて「こうなのだ」って誰かに伝えることなんてできない。してなんの意味がある? それで自分のことを認めてもらったり褒めてもらったって、「自分の外側にある常識」が認められたり褒められたってだけなんだから。
 もし、小さい子が、「クワガタってクヌギが好きだよね」と言って、「そうだよ、よく知ってるね、すごいね」と褒めたとして、5歳の子なら喜ぶかもしれない。早熟な9歳だったら喜ばないと思う。「別にすごくないよ」って言うんじゃないだろうか。「すごいね」じゃなくて「そうそう、いい匂いだよね」とか、「クヌギの蜜ってうまそうだよね」とか言ったほうが嬉しいんじゃないだろうか。自分の言ったことに、自分なりの言葉を返してくれたほうが。

 肉体的にも頭脳的にも9歳であるような人と、今の僕との差がどこにあるかというと、口数と表現力、あと物おじしない度胸と自信、それくらい。「モヤモヤ」を外に出せるか、出せてないかというだけで、モヤモヤしていることには違いないし、それを「スッキリ」に変換できないってのも同じである。
 たとえば藤子不二雄先生なら芸術家だから、「作品」という形でそれを外に出す。僕の場合はこの日記である。どちらも「スッキリ」ではなく、「モヤモヤ」を具現化したものだ。
「スッキリ」というのは、「戦争反対」とか「選挙に行こう」とか、そういうのである。そういうスッキリとした言葉は、僕とはまったく関係がない。

 単純さに殺されてきた複雑さに僕はひたすら同情を寄せる。というかそれは僕の心そのものだ。すべての9歳の心。それを守るための空間が、僕のやっているあのお店なのであって、それを殺そうとしてくる存在を、僕は絶対に許さない。そういうことを書いたのが、昨日の文章だったわけです。

2022.4.29(金) そうだよねえ!!

 寝ようと思ったけど涙が止まりませんので少し書く。とまず同情を誘っておく。

 いったん、僕がすごく怒っていたことを知ってほしい。
 →2022年3月11日の日記
 これに代表される種々の問題の解消のために僕は生きていると言ってよい。
 僕は上記リンク先の文章(全5回+αにおよぶ)において、「僕が怒っているのは、なめられているからである。なぜなめられるのかというと、僕が女の子で、かつ9歳の男児だからである。すなわち差別に対して怒っているのだ。」と最初に言っている。そのあと何を書いたかは正直わすれてしまった(ぉぃ)が、ともかく最初にそう書いている。

 僕はお店をやっているが、そのお店に通ってくれている人の多くは当然「いいお店だ」と思ってくださっているに違いない。僕も実にそう思う。しかし「どうやってその良さは担保されているのか」をどれだけ理解してもらえているだろうか? 自分で言うのもなんだし、だいぶ激しい言い方になってしまうが、「僕が日夜、愚かな人たちをボコボコにしているからよい空間として成り立っている」ということに尽きるのである。そしてこれが、どれだけ大変で、どれだけストレスフルで、どれだけ危険で、どれだけ……とにかくもう、辛くてキツくて難しいことなのか、おそらく想像もできないでしょう。
 僕は5年間、具体的には週にだいたい5〜6日くらいお店に立ってきた(その他の日は別の人にお任せしているか、休日。ちなみに2020年末までは年中無休)わけなのだが、その中で常に、「愚かなことを許さない」という姿勢を貫き通した。もちろん、見逃してしまったり、保留にしてしまうこともあったけれども、「許した」ことは絶対にない。

 はい、「愚か」というのはどういうことかって、それは僕が愚かだと思ったら愚かなんです、そういうものを排除した、その結果としてできたものを、あるまとまった数の人たちが「いいお店」と認めてくれてるんだから、それで話は成り立っているはずです。

 愚かなことを許さない、というのは、「愚かだと認定した人間を許さない」とは違う。いったん愚かだと思って、「愚かですよ」と伝えて、その後愚かなことがなくなれば、まったく問題がなくなる。そうしたらその人は「愚かではないお客さん」になる。ことによれば「素敵なお客さん」にさえなる。愚かを憎んで人を憎まず、でやっているつもり。
 で、それは働いてくれてきた人たちについてもそう。愚かだと思ったら、愚かだということを(僕なりの方法で)伝えて、それで少しずつでも愚かじゃなくなるなら何の問題もないけど、少しも愚かじゃなくならないのなら、働いてもらうことはできない。永遠に、ではない。少なくともしばらくは無理というか、嫌だと思ってよしてもらう。
 こう書くと僕は暴君のようですが、それがどれくらい大変なことかはわかるんじゃないでしょうか? いろいろ目をつむって、なあなあにやったほうが楽に決まってる。事なかれ主義でずるずるやってくのがふつうだと思う。フツーのお店ってのは、そうだからああなのです。
 お客にも、従業員にも、そういう態度で(泣きながら)向かい合って、その結果として、あるまとまった数の人たちが、「いいお店」と思ってくれるわけなのです。それをしなかったら、僕の思う(またその人たちの思う)「いいお店」は作れないのです、少なくとも僕の能力と性分では無理だと思います。
 いわゆる「治安がいい」という状態は、掃除にたとえれば、毎日一所懸命お掃除してるから保たれているのです。そのお掃除は、楽なもんじゃないです。時には「ちょっとどいてください」とか「タバコの灰がこぼれてますよ」とか「そういう使い方はしないでください」とか言わなければならないのです。それは掃除の領分を超えているような気もしますが、それをしない限り、きれいな状態を保つことはまずできません。親が子に「出したらしまう」を指導するのと同じことです。

 僕のお店を「いいお店だ」と思ってくれる人がいるとしたら、それは、以上のような僕の勝手な独裁と、その犠牲者の上に成り立っております。そのことをまず理解していただきたい。
 掃除をするのは僕の仕事なので、それは当然粛々とやりますが、そこにポイッとゴミを捨てられたら、僕は泣いてもいいでしょう? そういうことを今日は言いにきました。(ここはどこ?)


 男というのは女よりも力が強くて凶暴である、と仮定します。ポリコレ的な検証は無視です。男と女にパッキリわけてここからは説明します。僕が主観的に観測した主観的事実に即して。
 女は弱いですから、男が喋るのを聞きます。聞いてあげます。無視したら怖いからです。ケンカになったら勝てない、殺されたり犯されたりする、そういう恐怖が根底にあります。これは本当に絶対にそうです。それで女は優しく、男の喋るのを聞いてくれるのです。僕は「無視すりゃいいのに」と思うのですが、かなり多くの女は無視しません。それはそうです、女が男より弱いから仕方ありません。もちろん、強ければ対抗も可能でしょう。あるいは、強くなくても、勇気を出して強いふりをするか、弱くとも立ち向かう、ということをすれば、無視したりあしらったり、たしなめたり怒ったり、いろいろできます。しかしかなり多くの場合、そうはしません。ただ話を聞いてあげます。あるいは聞いているふりをして、「早く終わらないかな」とでも思います。
 この状況を僕ははっきりと「愚かだ」と思いますので、そういうことが起こらない空間を作るのが僕の仕事です。一所懸命がんばってはおります。しかし、なかなか難しいんですね。

 僕はやっぱりイベントって嫌いです。「イベント」には普段来ない人が来がちです。それを狙ってイベントってのは行われるし、僕も新しいお客さんが来るのが嬉しくはあります。自分がカウンターの中にいて、その時空をすべて取り仕切るのであれば、やべー奴がいてもなんとかしますが、イベントってけっこう「他の人を前面に出す」ってことが多いので、そうもいかないことが多いんですね。
 たとえばゲストでマルマルさんに来てもらいました、ってやって、お客にバツバツさんがいたとして、バツバツさんが愚かだった時、僕はバツバツさんに「愚かですよ!」と言っていいもんかどうか、けっこう悩むわけです。その人は僕のお客さんであるというより、マルマルさんのお客さんなわけなので、僕が介入することによってマルマルさんが困ってしまうかもしれないのです。僕はマルマルさんに気を遣って、バツバツさんに「愚かですよ!」を言えなくなるわけです。
(でも今これを書いている僕はとても悲しみ、怒っているので、「次からは言ってやろう!」と思ってはおります。できるかはわかりませんけど。)

 ああ、僕のこの謎の構造をした文章で、もうそろそろ何が言いたいかわからなくなってきているかもしれませんが、言いたいことは一つだけです。僕は愚かなことを許しません。

 愚かな状況に至らない環境を作るのが僕の仕事だし、至った場合に適切な処置をするのも僕の仕事。いつもうまくいくわけではないし、とりわけ機能させづらい時もある。たとえばそれは上記したような「イベント」の場合。より具体的には、僕(だけ)がカウンターにいるのではなく、別の人が中に入っていて、その人に任せている場合。任せているのだから、あまり口出しをしないように努めてきました。教育実習生の授業中に指導教官が口を挟まない(指導はすべて授業のあとになされる)のと同じです。
 でも今これを書いている僕はとても悲しみ、怒っているので、次からは言うかもしれないというか、言ったほうがいいなあと思い始めています。そのくらい疲れてしまった。

 愚かな状況というのはたとえば、すでに書いたように、「女が男の話を聞いている」というのに象徴されます。もちろん「女が女の話を聞く」でも「男が男の話を聞く」でも「男が女の話を聞く」でも同じですが、いちばんわかりやすいというか、頻度が高いのが「女が男の話を聞く」であるというだけです。だから象徴と書きました。
 もちろん、これが問題にならない時もあります。話が面白い時です。「面白い」というのはコンテンツとして面白いとか、内容があるとかためになるとかそういうことではございません、ちゃんと話す側と聞く側が、同じくらい楽しいということです。そしてまた、「いつでもその状況を自由に解消することができる」という条件もあります。しかし、その話がつまらなかったり、「その状況を自由に解消することができない」場合は、完全に僕にとっては愚かで、問題です。これは断固阻止、中止させねばなりません。
 しかし難しいのは、その話が「面白い」か「つまらない」かの判断を、僕がしてしまってよいのか、ということです。それはその人たちにしかわからないことだし、なんだったら当事者にだってわかりません。はたから聞いているこっちからすると「つまんねーから黙れ」だとしても、当人(聞いている側)としては「別に苦痛ではないし、知らない話ではあるからとりあえず聞いておく」というくらいなのかもしれない。話す側は、もちろん話しているのだから気持ちいいはずですね。
 あーそうそう、「話しているから気持ちいい」という自覚を持って、「相手(聞き手)は果たして気持ちが良いだろうか?」を常に検討していればいいんだけど、そうじゃない感じの話し方をしていると、僕は愚かだと思います。その時点で僕はまずその人を軽蔑します。もちろん、その行為をやめれば軽蔑もやめます。
 Aさんが喋っていて、Bさんがそれを聞いている。僕もそれを聞いている。その空間には3人しかいない。ここで、僕が「つまらん」と思っていても、Bさんがどう思っているかわからないとなると、「つまんねーからやめろ」と僕がいきなり言い出すのは、ちょっと勝手かもしれない。Bさんからしたら「私は面白いんですが?」かもしれない。
 だから僕は慎重になってしまう。でもそれを今反省している。自分の感覚を信じて、「黙れ」と言えばよかった。Bさんだって同じことを思っていたかもしれないんだし。「ジャッキーさんが止めないのだからこの状況は正しいんだ」と思われていた可能性すらある。だって、お店の中ではカウンターにいる店主がいちばん「えらい」というか、発言に重みがあることになっている(と僕は思います)から。
 僕の悪い癖として、「意思表示をしないんだったら助けませんよ」という姿勢がある。逆に、少しでも意思表示があれば迅速に動く。覚えておいてください。たぶんそうです。動けなかったら何か事情があるか、意思表示に気付けていません。(そういうデクノボー状態の時もないとは言えません。)
 僕は、かなり慎重になってしまう。とにかく「意思表示」を読み取ろうと頑張るし、それとなくつついたりもする。しかし何も出てこないこともある。そうなると動けない。「実害が出てないから動けない警察」みたいで、恥ずかしい。動いちゃえばいいんだよな。はあ。

 僕は自信を持つべきなのである。僕のお店なんだから、僕が「害悪だ」と思ったら、すぐに動けばいいのである。排除すべきなのである。なにも遠慮はいらない。口コミサイトを恐れている場合ではない。僕、今夜は0時過ぎにみんな帰ったのに、4時くらいまでまったく動けなくなってしまって、数年ぶり(二度目くらいかも知れない)に片付けもせずに帰って、6時まで寝床に入れず固まって、入っても眠れなかったので、今これを書いている。
 僕がどうして凹んでいるのか、という主たる理由は、実はまだ書いておりません。もうちょっとお待ちください。

 人は人に媚びる。遠慮する。僕だってやってしまう。で、それは悪しき状況で、愚かである。少なくとも僕のお店においてはそうだ。僕のお店があるまとまった数の人たちから「いいお店だ」と思われているのは、ひとえに「誰にも媚びなくていいから」に他ならない。きっとそうだと思う。「媚びる」ということが必要のない空間だから、芸術的に心地が良いのである。
 僕の仕事は「媚びる」を排除することである。しかし、それが「媚びる」という状況であるという確たる証拠がないと、僕は動けない。少なくとも今日まではそういう方針で来た。「うん、これは媚びを前提とした(あるいは要求する)態度だな」と僕が断じられれば、「ダメです」ができる。そういう直接的な言い方はしないかもしれないが、なんかシレッと、それを停める。
 だからね、僕が泣いてるのはね、誰もその証拠をくれなかったからなのね。それで僕は「仲間がいない、ひとりぼっちだ」と思っちゃったの。僕が感じ取れなかっただけなのかもしれないけど、それだったらそれだったで、通じ合えなかったってことだもんね。
 みんなが「これでいい」と思ってるんだとしたら、僕一人が「そんなのやだよ!」と言ったって、仕方ないんだもん。僕はせめて無視するか、茶化すしかない。
 媚びるって何かって言うと、「甘やかす」ってことでもあるんですよ。誰かがふざけたこと言ってるのに、「ふざけんな!」って言わずに、「そうですよねえ」って言っちゃう感じね。これも媚びな訳。そんな空間、反吐が出るほど嫌いなので、そういうことは絶対に排除していきたいわけです。
 でも、「ふざけんな!」って思うのが僕だけで、みんなが心から「そうですよねえ」って思ってるんだとしたら、僕はもうどうしようもないというか、あれ? 僕が必死にやってきたことって意味なかったんだ? ってなる。わかるかしらね。
 僕は「媚びる」ってことをなくした場を作りたくてお店をやってる。その僕が「あ、媚びてる!」って思って、それを排除しようと思うのに、他の人たちは「いや、別に大丈夫ですよ。これは。」って涼しい顔してたら、「あ、そ、そう……?」ってなる。一度や二度なら、「僕の思い過ごしか」で済むけど、100回くらい続いたら、「あ、全然感覚が違うのね」ってなる。「じゃ、みんな僕の思う『媚びる』が存在してて、別に平気なんだ」「じゃあ、何のためにこのお店はあるの?」ってなるわけだ。
「媚びる」というのは、僕が思うよりもぜんぜん、みんな平気なわけ? 僕絶対、無理なんだけど。
 媚びるってことをもうちょっと説明すると、それは対等じゃないってことで、嘘ってことで、仲良しじゃないってこと。えーと。つまり「適当にすます」ってことね。そんな時間が楽しいわけないんだけどな。
 僕はいろいろがんばっておりますが、一人相撲だったわけか! つらー。ってなったわけだね。
 ま、もちろんいろんな事情がみんなにあって、タイミングがあって、コンディションがあってね、たまたまうまく噛み合わなかったのが今夜だった、って感じだと思う。でもなんか、くたびれてしまったな。それも仕方ない、巡り合わせが悪かった。そんな日にしか書けない文章がこれだから、せいぜい大切にしよう。

 ふざけたこと言ってる奴に、「そうですよねえ」なんて言えない。嘘です。けっこう言ってる。二人っきりなら特に。でもその場に他に人がいるときは、めちゃくちゃ工夫する。「そうですかねえ」とか「そうなんですか」とか「なるほど」とか。絶対に同意にならないギリギリのところで踏みとどまる。(そうしないときは、また別になんらかの事情があるはず。)
 それは、その場にいる別の人を、一人きりにさせないため。その人に嘘をつかないため。「自分は同意しているわけじゃないが、目の前のこの人に最大限気を遣って、この表現にとどめているんだ」というメッセージになっていなくてはならない。たとえ伝わらなくても、そういう意思は絶対に持っていたい。
 あるいは無視する、黙る、そういうことをして、そういうことをしていいんだ、という態度を示す。だけど、そうすると、別の誰かが「そうですよねえ」をやってくれちゃったりして、僕が「押し付けた」みたいな形になってしまうことがある。そういうときは本当に悲しいんだけど、悲しんでる暇があったら、「ふざけんな!」って言わなきゃいけないんだな。今度からはそうできるように努力する。勇気出す。大変なんだもんよ。僕、けっこう弱いんだからな。

 けどもっと弱い人もいるからな。

 構図としては、Aさんが喋る。僕が無視する。そうすると、BさんがAさんの聞き役になる。これが最悪。いや、無視していいんだよそんな話は! って思うんだけど、みんな優しいし、怖いから、聞いてあげちゃうんだよね。カドは立たないほうがいいんだし。それに、「これはまったく無意味な話ではない」とも思うんだろうね。「これはこれで」って。「相手が喜んでるんだからいいか」とかね(これが最悪の最悪の最悪の最悪な発想なんだけどねまーじで。覚えといてね)。そうなると僕はお手上げなのである。が、「お手上げ」なんて思って停止するのは、もっと最悪だなって思うから、今度からはマジで、「おいこらふざけんな!」って言わなきゃいけない。理屈なんてなしで。「特に理由もないが黙れ!」と言えるようにならなければ。無茶苦茶な話だけど、そのくらいのことができないとダメなんだ! って思ってる、今は。
 でもね、そうやって「がんこおやじ」ってのが出来上がっていく、っていうのもあるから、葛藤が大事だってのも当然ある。あのねー僕はみなさんが思ってるようなことは大体考えてますから!(だといいな)
 いちいち書けないから書いてないだけだと思います。ほんとにこっちを小さく見積もらないでほしいぜ。ジャッキーさん全肯定の精神でお願いしますね。
 考えて、葛藤して、でも賭けのように出ることもできて、っていうのを、うまくバランスとっていきたいわけ。自分が辛いってのがいちばん嫌だからね。それじゃ「いいお店」ってのは続かないから。と言って独善的になりすぎるのもいけない。「あるまとまった数の人」がちゃんと好きだと言ってくれて、その人たちが決して一枚岩だったり「界隈」「共同体」「類」といったものにまとまってはいない、という状況を常に保ち、来る人たちが流動的に入れ替わっていく、出会いと別れと再会が循環していく、そういうふうにしておきたい。
 レベルが違うんだよ本当に。

 あんたのわかってる範囲だけが世界だと思わないでほしい!(ブーメランのように戻ってくるがそれを華麗にキャッチ!)

 話を戻して、僕は愚かなことを許しません。すべてはここ。
 その気持ちが、僕のあのお店を「いいお店」たらしめているのです。愚かなことを許してしまったら、あんなによい空間はつくれません。それって本当に大変で、難しくて、途方もないことなんだけど、みんなそんなにピンとこないんだろうか。わかってくれとは言わないし、褒めてくれとも今さら思わないけど、好きなら邪魔はしないでくださいな。
 つまり、一所懸命掃除してる横にクレープ捨てたりしないでね。
 僕は愚かなことを無くしたい、「媚びる」というのを存在させないでおきたい、だから、「媚びる」ということをできるだけしないでいてほしいのね。もちろん、相手が怖かったり、人に優しくしたかったり、どうでもいいから波風起きないような適当な接し方をしたほうが楽だとか、そういう事情は分かりますんで、そことのバランスでね。ギリギリのラインでいいから。うまく工夫して、「そうですよねえ」じゃなくて、「そうなんですか」「そうなんですね」「なるほど」それだけでいいんです。
 それだけで僕は救われるのです。これだけがわかってほしい。おしまいです。


 嘘をつかないでいてほしいってことです。でもこれは難しい。なぜなら、自分の振る舞いが嘘かどうか、というのは、かなり神経を使わないとわからないから。
 今自分は、この話を聞いて心地よいか? この場にいてもっと心地よい状態になるためには、ここままでいいのか? またはその逆。そういうことを常に問い続けないといけないわけです。
 僕は少なくともお店に立っている時は常にそういうようなこと(実際本当にかなり複雑なこと!)をしていて、それを何年も何年も、血反吐吐きながら、いろんな愚かさと闘って、嫌な思いもたくさんしながら、なんとか皆様が「いいお店」だと思ってもらえるような空間が維持できているのです。ちょっとやそっとの努力でできるもんじゃないし、奇跡でできてるんじゃなくて、明確に意思の力で実現させているのです。たまたま僕の人柄がそういう空間を作ったとかじゃなくて、めちゃくちゃ頑張ってようやくそうなっているのです。
 だから、不思議なのは、「夜学バーが好きです」と言っている人が、それを全然しないってこと。できないってこと。なんで好きなのかって言ったら、そりゃ、「ジャッキーさんのたゆまない、血反吐吐くような日々の努力が好きです! 憧れてます! 自分も血反吐吐きたいです!」って人は多分これまで、一人もいなかったんでしょうね。
 誰も血反吐なんか吐きたくないし、そうまでしてこんなことしたい人なんていないんだと思う。僕はどうも頭がおかしいのだ。血反吐吐いてでもこんなことがしたいのだから。
 僕の明確な意思の力と、嫌われたりそしられたり誰かと気まずくなったり疎遠になったりっていうある種の犠牲を払って、それが成り立ってるってことはあんまり想像されてないんじゃないかね。あと体力とかね。
「夜学バー好きです! だからこのお店に立ちたいです!」って人で、それを想像できてて、自分なりにそういうことをやろうって人は、まあいないんでしょうな。いてほしいなあ。
 実際、そういうことを言ってくれた人はたぶん一人もいません。「ジャッキーさんって、自分をこんなに傷つけてまでお店のあり方をコントロールしようとして本当にすごいですね(気が狂ってますね)」といった褒められ方は、ほとんど記憶にない。「言ったことあるよ!」って人は、もう一度言ってください。喜びたいので。
 何人かは思い浮かびます。「そこまでわかっていただけていたら十分です、ありがとう」って言いたい相手が。でもお前じゃねーぞ。舐めんなよ。いや、あなたかもしれません。読んでくれてありがとう。

 酔狂でお店をやってますけども、実のところめちゃくちゃすごいことをしてるんです。それは作品としての質がすごいでしょ、ってことでもあるけど、どんだけの犠牲が横たわってるか、ってのもけっこうすごいのです。友達なくしたりしたし。えぐいんすよ。ほんとに。
 だから気軽に「そうですよねえ」なんて言ってほしくないの。
 そんだけなんだなあ。
 本当にそうだって時に、胸を張って「そうですよねえ!」って言ったら、どんだけ気持ちいいか、みんな知ってるんじゃん。
 それをやりたくて、それをやりやすい場所をつくるのに、血反吐吐いてるんだから、いたわってよ! っていうだけですね。僕が言いたいのは。
 マジで全然、想像もつかないような世界があるんです。
「何を大袈裟な……」っていう見積もり方はしないでください。
「そうですよねえ」が「そうですかねえ」に変わるだけで、僕は最ッ高に幸福なんで、この文章、5回くらい読んでください。
 そんでどっかで「そうだよねえ!!」って言い合えたら、最ッッッッッ高の幸福ですわね。

2022.4.26(火) 劣等感共同体

 猫先生(浅羽通明先生の愛称)がこないだ「リベラルとは『うしろめたさ共同体』」と言っていてさすがと思った。感動していたら「当たり前じゃん」と笑われてしまった。確かに、その意味するところに意外性はない。ただ表現がおもしろい。「うしろめたい」という感覚によってつながり、群がるのがいわゆる「リベラル」なる者達だというまとめ方は、いろいろ応用が効くなとワクワクするのである。

「劣等感共同体」というのを思いつく。コンプレックス共同体。これは90年代以降の「サブカル」と相性が良い。
 2000年代くらいから、「底辺」「童貞」「非モテ」「無職」といったキーワードで繋がる人たちが増えてきた印象がある。時代を遡ればまた違った形で似たような「劣等感共同体」があっただろう。だめ連とかそうかも。最近だと各種の「社会不適合」や各種の「生きづらさ」といったものがそれだと思う。(具体的に書くとストレスに結果する可能性があるので「各種」という語で含みを持たせるにとどめます。)

 下品な人たちは、下品ということでつながり、まとまる。つながり、まとまるために、下品なことを言ったりやったり、好んだりする。
 その下地には劣等感共同体がある。

 逆に優越感共同体というのもあるだろう。
「意識高い」という言葉で揶揄されるような人たちもそうかもしれない。
「港区」とか。
「自分たちだけがこの正しさを知っている」ということでつながり、まとまる人たちもそう。たぶんカルトはこっち。(ただその根には劣等感があったりもするから、一筋縄でない。)

 劣等感共同体の人たちは、たとえばああいうところにいるなあ、という具体的な場所はすぐに思い浮かぶ。優越感共同体の人たちも、具体的な居所がいろいろ思いつく。(続きは非ウェブで!)

 そのどっちにも、僕はもちろん入りたくない。だからその旗手みたいなものたちも原則として好きではない。
 そもそも「共同体」というものが合わないのだ。
 僕からすると、「うしろめたさ共同体」も「劣等感共同体」も「優越感共同体」も、「正義感共同体」もなんでも、共同体という時点でみな同じように思える。

 共同体の時代は終わりです。いや、別にそれがなくなるわけじゃないけど、とてもダサいので、自分が何の共同体に知らず知らず入っちゃってんのか、常に点検しておいたほうが、カッコつけやすいとは思う。
 予言。だんだん、共同体型の人はこれまでよりほんの少しだけ生きづらく、孤高の人はこれまでよりほんの少しだけ生きやすくなるでしょう。最も生きやすいのは、「いろんな人と仲良くできる人」です。共同体にはまり込むと、その外の人と仲良くしにくくなるから、いろんな友達を持つことがリスクヘッジになるはず。「共同体ホッピング」みたいな、あっちがだめになったから今度はこっちで、みたいな人がたぶんいまけっこういるんだけど、それはだんだんもたなくなってくる。
「〇〇共同体」のなかに安住してしまうと、お外の人からは「ああ、〇〇の人」としか思ってもらえなくなる。その時点で損なのだが、その「〇〇」すら失ってしまったとき、そこには何もなくなる。それで苦しんでいる人たちがいまとてもたくさんいるように思う。
 昔なら、一つの共同体(この文章における意味としては「価値観」と言い換えてもいい)だけを信奉して、それでよかったんだろうが、もうそんなに安定した世の中ではない。ずっとひと所に「いさせてもらえる」なんてことはもう、ない。

2022.4.25(月) さよならなんて云え流れ星ビバップ

 尾崎豊の命日であります。同じ苗字だけどたぶん関係ありません。だけどお墓はおじいちゃんのと同じ場所にあります。いっぺん見にいった。
 2020年の4月に結構まとまったことを書いているので詳しくはそっちに譲る。1992年4月25日からまるっと30年。あんま記憶ないけど。


 そのこととまったく関係ないわけではない近況。

 ひとつめ。
 2017年4月から営業している東京・湯島の「夜学バー」ですが、このたび「1.2号店をオープンさせました。週に1日だけのいわゆる「間借り」なので2号店ではなくて1.2、通称「京島店」。毎週(月3回か4回)木曜のみ、という予定。こちらは念願の「喫茶店」としてやりますので、木戸銭なし(ノーチャージ)。テーマは「時間」と「地域」。地域というのは「ご近所」という意味でもあれば、「遠方」という意味でもあり。地域性みたいなことをイメージしてやります。それが21日から始まりました。28日、5月5日、12日、26日が今のところ決まっております。その後も継続予定。
 高校1年のクラス(103)で一緒だったUくん(このサイトではNと表記されていたことも)が、ずっと「間借り専門のカフェ」をやっていて、4月30日正午に独立店舗で開業するそうな(ecke)。それに刺激を受けて、僕は逆に、独立店舗からの間借りカフェをやってやろうという、これは友情の産物でもあります。Uくんがいなかったら「やるぞ!」という気持ちになっていなかったと思う。
 まだ1日しかやっていないのだが、昨日お店に友達がやってきて、「自分も同じ場所で間借りでお店をやろうかなあ」と。集う仲間たち。いいじゃないの。やってやりましょう。あれよあれよと、もう先方に話を通してしまったらしい。頼もしい。ぜひとも実現してほしい。我もという人は、まだ曜日埋まってないのでぜひ。


 ふたつめ。
 まだどこにも公式発表していないと思うけどフライングでこっそり書いてしまう。後ろには夢がない。絶対に実現させてもらいたい。
 夜学に出入りしている高校生たちが、北千住の某所を借りて、8月下旬に「フェスティバル」を催すそうである。フェスティバルというのは村上龍の『69 sixty-nine』に出てくるものがモデルだそうだが、決して僕がけしかけたのではないし、僕がこの小説を勧めたのでもない。発案者の男子が勝手に読んで勝手にやりたがったのである。(出会った時にはもう読んでいたはず。)
 いま手元に文庫本があるので久々に開いてみた。ああ、ニワトリ懐かしい。ニワトリを北千住に放ちたいね。ニワトリぜひやろう。ニワトリで、世界の混沌ば表現しよう。資料によれば、殺人以外すべて許されるらしい。
 本場のフェスティバルは勤労感謝の日だそうなので、11月23日にもなんかやりたいですね。
 僕も中学生の時にこの本を読んで、恥ずかしながら「永遠に楽しい」という言葉をめいっぱいに吸い込んでしまった。

 唯一の復しゅうの方法は、彼らより楽しく生きることだと思う。
 楽しく生きるためにはエネルギーがいる。
 戦いである。
 わたしはその戦いを今も続けている。
 退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは死ぬまで終わることがないだろう。
(あとがきより)

 単行本は87年だが、雑誌連載は84年から85年ということなので、『69』は村上龍が32歳くらいの時に書いたものだ。作中でも終盤に「三十二歳の小説家になった今でも」という記述がある。
 気づかないうちに僕は、この時の村上龍の年齢を越えていたのであった。楽しく、戦い、笑い続けている自負はあるが、だからこそ、「楽しく生きるためにはエネルギーがいる」という一節の重みがよくわかる。自分ではこれが普通だと思っているし、これ以外のやり方ができないということでしかないのだが、冷静になると結構大変。みんな、負けないでほしいものだ。負けないためには、強くなくちゃいかんでね。
 これからはそういう生き方がしやすくなる一方だと思う。「退屈」であることがより楽であった時代は終わりつつある。エネルギーを使って楽しく生きるほうがまだ楽だ、というのが今後の世界。この見通しにはけっこう自信がある。自分がそうだからそうなってほしいという願望だと思われたら嫌だな。これまでは絶望しかなかったんだけど、なんとなく世の中を見ていると、これまでよりは希望を持っていいのではないかと思えているのだ。だってシェア自転車とかあるし。この20年くらいを振り返ってみると、実のところみんな貧乏になる準備を着々と進めてる。わかっているのだ、それしかないと。貧乏では「楽」は望めない。もう「楽しい」しか健全に生きる道はないのである。


 みっつめ、以降の、限りなくたくさん。
 熱はどうしても散らばっていってしまう。ひとつめに書いた、友達が間借りするかもしれないって話も、Uくんの開業も、ふたつめに書いたフェスティバルも、いずれもその熱がいつまで、どのように続くかはわからない。盛り上がって、そのまま消え失せる、僕は花火がそんなに好きじゃない。名古屋の喫茶店の店先にある回転灯がすごく好きだ。営業中はずっとパカパカまわってる。京島店に今週から設置する予定。クレーム来ませんように。
 藤子不二雄先生の『劇画・オバQ』という作品をご存じだろうか? 大人になった正ちゃんのところへQちゃんが帰ってくる。昔の仲間が集まってくる。酒を飲み交わし、想い出話に花咲かす。ああ、自分たちは大切なものをなくしていた、もう一度昔みたいにユメを追おう!「おれたちゃ永遠の子どもだ!」と盛り上がるみんな。一晩明けると、その熱は完全に冷めている。作中では正ちゃんの様子しか描写されていないが、おそらくみんな似たようなものだろう、ハカセを除いて。(そうでない可能性が残されているという読み方も不可能ではないが。)
 熱が散っていくのは当たり前のことだ。仕方ない。それを批判したいのではない。たくさんの熱が生まれて、消えて、その中のくすぶる火種が再びまた燃え上がる。あるいはずっと小さな灯火を、地味に、ささやかに、ともし続ける。そういうことに美しさを見出すほかはないのである。
 消えていく想いがある。離れていく心がある。だけどまた再会しうる。わずかでも光を放つ小さな炎もある。それが胸の内にあるだけで少しは強く生きられる。

 冷めてしまってもいい。忘れないでいてほしい。僕が望むのはたぶんそれだけなのだ。いや、欲を言えば、また会いたいというだけ。
 とても淋しいことが立て続けにあった。「交差する電車 猛スピードで目の前を加速する 一瞬僕から音が遠ざかる」って歌詞がある(岩沢厚治・詞曲『踏切』)。たとえば巨大なトラックが通過したあとのような、ビュンって空気がすべて持ってかれるような、あれが心の中で起こる感じ。瞬間の、絶対の孤独。
 具体的に何があったか? すぐに浮かばないくらい、それは虚しさや悲しさ、淋しさとして胸にある。すべて詩になる。ひとつめ、ふたつめの「近づいてくる幸福」と、みっつめからの「離れていくさみしさ」。それがいつも同時にあって、喜びと悲しみが時に訪ねる、って感じで。

 その中で何も麻痺させず、楽しく生きていくってのは大変なのだ。ひたすらエネルギーがいる。そのためなのか? ここ数日は眠りこけていた。そろそろ。愛やまごころで立ち向かっていかなければ。

2022.4.22(金) 美と関係

 誰も褒めてくれないし誰も認めてくれない。そういう劇的なことは起こらない。ただ日々淡々と良いことが起こる。悪いことも起こる。それだけ。

 大きな人間。たくさんの虹。

 これまでに会ったすべての人間と、これから出会うすべての人間は、同じ人間かもしれない。
 という話をしたら、「かもしれない」という表現に注目されて、そこ? と思ったが、数時間経って思い返してみると、確かにそこが肝である。

 この人は、誰かと同じ人間かもしれない。
 なんで「かもしれない」かというと、冷静に、理屈で考えればそんなことはないからってのが一つ。その人はその人で、ほかの誰かではない。
 そして、その「誰か」というのは「特定のある一人」ではない。AさんとBさんが同一人物、という話をしているのではない。ただ「誰かかもしれない」ということなのだ。
「誰か」というのは「特定のある一人」ではない。「誰か」なのだ。これまでに出会ったり、一方的に知ったりした、「誰か」。それは一人に限定されるものではない。複数形の「誰か」。
 新しくある人に出会う。その人はすでに知っている「誰か」かもしれない。その「誰か」は、固有名を持つ個人では決してない。これまでに愛してきたもの、それは自らに宿る時間そのものである。
「それが僕の人生のすべてなんだ」

 時間を愛してやまない僕は人の中にさえ時間を見る。
 ある人に出会った時、そこに時間を見る。その時間を愛することがある。それだけの話だ。
 その人がどういう人かは関係ない。そこに時間が宿っていれば、それを見る。それが愛おしければ愛する。
 いまだに僕は、新しく好きな人と出会った時、「また会ったね」と思う。
 その人はかつて出会った、すでに知っている「誰か」なのだ。
 相手からしたら「誰と間違えているの?」ということかもしれないが、そういう話ではない。誰とも間違えてはいない。あなたは初めて出会った、新鮮な相手だが、他人ではない。自分にとってとっくの昔に大切な人間なのだ。そう言っているにすぎない。つまり、自分の人生の時間とその質にかけて、僕はあなたが好きだと告げているにすぎない。

 一目惚れというのはそうやって起こる。それは「誰かに似ている」ということではない。誰とも似ていないが、その人は「誰か」なのである。「白馬に乗った王子様」というのは結局、そういうことなのではないか?
 これも誰にもよくわからないだろうからもうちょっと説明を頑張る。

 誰とも似ていない、初めて会った誰かのことを、僕はずっと待ち焦がれていた。そういうことはあるんじゃないだろうか。
「あなたのような人が現れるのを待っていた」と言う時、なぜそう言えるのかというと、僕の人生の記憶のすべてがそう言わせるのだ。
「どうしてこういう人間が僕の前に存在しないのだろう?」と、漠然と思っていた、その具現化した結晶が目の前にいるあなただった、ということ。
 初めて聴く曲について、「これこれ!」と思うような。なぜそれを「これこれ!」と思うのかといえば、僕がそれをあらかじめ好きだからだ。
 それはまったく新しい曲でありながら、すでに出会ったものと同じかもしれない。

 この世の中に美しいものは、そんなにたくさんの種類はない。
 究極に美しいものを一つ知ってしまえば、もう何を見ても美がわかる。
 愛を知ればもうあとは永遠に愛を忘れない。
 人を知ればもうあとは永遠に人を忘れない。

 たとえば、まず人を知る。その中に美を見る。そして美を知る。するとあらゆる人の中に宿る美が、目に見えるようになってくる。プラトンの『饗宴』に書いてあったのは結局そういうことではなかったか?

 6年前にこんな日記を書いていた。ここに『饗宴』からの引用がある。なんと3種類の翻訳を併記しているが、そのうちの一つだけをこちらにも引いておく。気になる方はリンクに飛んでください。

 さて、この恋(※エロス)のことに向かって正しくすすむ者はだれでも、いまだ年若いうちに、美しい肉体に向かうことからはじめなければなりません。そしてそのときの導き手が正しく導いてくれるばあいには、最初、一つの肉体を恋い求め、ここで美しい言論(ロゴス)を生み出さなければなりません。
 しかし、それに次いで理解しなければならないことがあります。ひっきょう肉体であるかぎり、いずれの肉体の美もほかの肉体の美と同類であること、したがってまた、容姿の美を追求する必要のあるとき、肉体の美はすべて同一であり唯一のものであることを考えないとしたら、それはたいへん愚かな考えである旨を理解しなければならないのです。この反省がなされたうえは、すべての美しい肉体を恋する者となって、一個の肉体にこがれる恋の、あのはげしさを蔑み軽んじて、その束縛の力を弛めなければなりません。
 しかし、それに次いで、魂のうちの美は肉体の美よりも尊しと見なさなければなりません。かくして、人あって魂の立派な者なら、よしその肉体が花と輝く魅力に乏しくとも、これに満足し、この者を恋し、心にかけて、その若者たちを善導するような言論(ロゴス)を産みだし、また、自分のそとに探し求めるようにもならなければなりません。これはつまり、くだんの者が、この段階にいたって、人間の営みや法に内在する美を眺め、それらのものすべては、ひっきょう、たがいに同類であるという事実を観取するよう強制されてのことなのです。もともと、このことは、肉体の美しさを瑣末なものと見なすようにさせようという意図から出ているのです。
 ところで、人間の営みのつぎは、もろもろの知識へと、彼を導いていかなければなりません。このたびも、その意図は、かの者が諸知識にある美しさを観取し、いまや広大なものとなった美しさを眺めて、もはや家僕輩のごときふるまいをしないように、ということにあります。つまり、一人の子供の美しさ、一人の大人の美しさ、一つの営みの美しさというように、ある一つのものにある美しさを大事なものとし、それに隷属して、愚にもつかぬことをとやかく言う、つまらぬ人間になりさがらぬように、ということにあるのです。むしろ、かの者が美しさの大海原に向かい、それを観想し、力を惜しむことなく知を愛し求めながら、美しく壮大な言論(ロゴス)や思想を数多く産みだし、かくして、力を与えられ、生長して、以下に述べる美を対象とする唯一特別の知識を観取するように、というわけです。(中公バックス 世界の名著6『プラトンI』より 鈴木照雄訳)

 単に、この影響下に僕もいるということか。誰かと出会ったとき、そこに美を見れば好きになる。僕の言葉で言うとそれが「時間」という表現になることもある。その人の中にある時間と、僕の中にある時間が共鳴し、その間に良き関係が育まれたならば。

「それは彼がこれからは認識上の美をも看取することができ、またすでに観た沢山の美を顧みて、奴隷のように、一人の少年とか一人の人間とかまたは一つの職業活動とかに愛着して、ある個体の美に隷従し、その結果、みじめな狭量な人となるようなことがもはやなくなるためなのです。」(別の翻訳から)

 ある個体を愛してはならない、という話ではない。美はその個体にのみ宿るものではない、というだけ。美はいくつもある。美は普遍的であるからこそ美なのである。だからこそ僕は「関係」というものを重視する。
 これまでに会ったすべての人とこれから出会うすべての人は同じ人間かもしれない。なぜそう思えるのかといえば、たとえばプラトンの翻訳において「美(美しさ)」と表現されているものの存在を僕は前提としているからであろう。美は美であって動かない。「関係」は常に成長し、流動し、とどまることがない。
 やはり山本正之さんの『黒百合城の兄弟』という18分に及ぶ名曲の影響があるだろう。「心がキラリ光るヤツ」というのは、一人だけではない。たくさんいる。それは黒百合城で出会った人たちだ。誰が誰にあたる、というのではない。「その人たち」は、「黒百合城の人々」なのだ。

 現実で出会う「その人たち」は、「黒百合城の人々」である。同じ人たちなのである。一対一対応ではなくて、ただ「美しい人々」というのがいて、自分との「関係」によって、どのように具現化するか(目の前に現れるか)が違う、ということなのだ。

 美は普遍的、関係は流動的。美はあらゆるところにあり、関係はここにしかない。遠い世界にも美はある、しかし関係はない。

 こんな話は誰にもわかってもらえなかろう。別にわかってもらえなくたっていい。僕にだってよく分からないのです そう書いてみることが
 僕の散歩の意味だというだけ

2022.4.3(日)〜7(木) 名古屋帰行(執筆中)

【3日】
 3時間くらい寝て6時30分のこだまに乗る。刺されまいかと怯えつつアイマスクとヨックネール(空気のクッション)するもわずかしか眠れず。9時30分くらいに熱田駅着。ここんとこいちばん大好きな某喫茶行ってみるも閉まってた。ガーン。日曜お休みなんかな。それとも早仕舞いなのか(4時開店なのだ)。『いちばん大好き』って宮村優子さんの歌にあった。

 仕方ない。呼続に向かおう。神宮前駅の改札をくぐる。直後、自転車で行ったほうが早かったと気づく。雨予報だったので電車で移動するつもりでいたが、まだ空は。数キロ程度なら問題なさそうだった。そんなこと考えていたら乗る電車を間違えた。これは常滑線ではないか。豊田本町でドアが閉まる。降りそびれた。道徳駅で下車。ついでなので近隣の喫茶店でも覗いて行くか、と思ったら雨が降ってきた。うまくいかん。幸先悪い。
 とりあえず持参した自転車(ササッと組み上がる小さな愛機)にまたがり、フードかぶって観光がてら走る。「キャプテン」という喫茶店が良さそうだったので入る。実際よかった。日曜のモーニングは最大の娯楽ってか。タバコの煙にまみれ、スポーツ新聞や競馬新聞を開いているおじいちゃん、ビール飲むおばちゃん、近所の元ヤンキーっぽいおじさんたちなど。ゲーム台もたくさんあってなんと両替機まで店内にある。若者なんか一人もいないが「キャプテンのクリームソーダ!」みたいな写真付きのメニューが貼ってあって、レトロ喫茶ブームにも乗っかろうとしている謎の姿勢。女性が複数人働いていた。忙しそうだった。
 ヒヤタンは水色のアデリア。コーヒーとトースト半分とゆでたまごと、岐阜のヤクルトこと「エースDX」がプレート(というかトレー)に乗ってやってくる。イイジャナイノ。某喫茶から始められなかったのは悔やまれるが、ここも相当良いお店である。

 目的地「街と珈琲」へ。ここは「隠れ家ギャラリーえん」というお店の後継店。夜学バーが開店から5年間ずっとコーヒー豆の仕入れ先にしてきた。お付き合いも長くなったものだ。偶然(?)小沢健二さんの熱心なファンでもあって、いろいろと仲良くさせていただいている。
 前の「えん」というお店は「古民家そのままカフェ」という感じだったが、今回は「古民家改装カフェ」と言える。かなり新しく、キレイに作り替えていた。しかし残すべきところはきちんと残している。2階の奥の和室なんかはほぼそのままで、ちょうど茶室として利用されていた(実は愛知はかなり抹茶や茶会が盛んなのである)。味のある扉などもそのままにしてあった。
 細かいことはまた別のところで語るかもしれないが、このお店の構造は本当によく考えられている。店内は大まかに以下のようにエリアが分かれている。

①カウンター内(店主がコーヒーを入れる場所)
②カウンター席(テイクアウトのお客さんが待つこともできるし、お会計もここでする)
③調理場(カウンターとは独立した部屋)
※↓ここからは靴を脱いで上がる
④座敷 テーブル席(1卓だがひょうたんのような形をしていて、複数のグループが共有しても違和感がない) ⑤座敷 ちゃぶ台席(丸いのと四角いのと2卓ある) ⑥座敷 小さなレンタルスペース(⑤の脇にあり、ものすごく狭いがものを売ったりいろんなことに使える)
⑦座敷 お手洗い
⑧2階 洋室
⑨2階 和室
⑩2階 子供部屋?(準備中)

特徴A ①②④は透明な窓に面していて、外からも内からもまるっきり見える。
特徴B ①と④は壁で仕切られているが、バスケットボールくらいのサイズの穴が開いていて、コミュニケーションや物の受け渡しが可能。②と④のお客同士で目が合うこともありうる。
特徴C 2階(⑧⑨⑩)につながる階段は二つあり、片方は⑤⑥と⑦の間に位置し、主にお客の動線である。もう一方は③とつながっており、従業員はここから出入りすることもできる。
特徴D ④の上空は吹き抜けになっており、2階の通路に面する。よって1階と2階とでコミュニケーションや物の受け渡しが(やろうと思えば)できる。

 ……こんなことを文字で説明して何になるのかわからないが、とにかく「エリアが分かれていて、それらがうまい具合につながっている」という構造が実現されている。透明な窓によって外部ともつながっている。「独立しつつ、孤立しない」とでも表現しようか。
 上記のように空間的に(エリアとして)独立しているだけでなく、「土足と座敷」という分かれ方がまずあって、「テイクアウトとイートイン(と+α)」というのもあり、「カウンター席とテーブル席とちゃぶ台席」「お店の人とお客とお店を間借りしている人」「1階と2階」「コーヒーを作る場所と料理を作る場所と飲み食いする場所」「大人と子供」「近所の人と遠くの人(たとえば僕)」……挙げていったらキリがないほど、無数の「意味上の分断」が店内にある。しかしそれらはまったく「分断」としては意識されない。分断されているということは、つながりうるということなのである。
 大事なことだから二度書くぞ。「分断されているということは、繋がり得るということなのである」。
 ばらばらになればこそ、つながることができるのだ。個々があるから、みんなもある。たった一つの「かたまり」があるのではない。「個別」がたくさんあって、それらが仲良くする、というのである。僕はこの「街と珈琲」というお店はそういうものだと思った。
「街と珈琲」のコンセプトはずばり「街」であって、さらに具体的には「商店街」であろう。壁一面の間貸し棚がそのミニチュアとして二重写しになっている(これについてはぜひ現地へ)。「一つのかたまりではなくて、たくさんの個別」というのは、まさに商店街そのもの。それを空間の構造という根本から作り上げていったことに唸らされました。とっても素晴らしいです。

 最初は④のテーブル席に座って、ゆっくり中日新聞を読みながらコーヒーを飲んだが、2階を見学して、お客がややひいてきたタイミングで店主の奥さまが「ぜひあいてたら②カウンター席でお話ししていってください」と言ってくださり、そうさせていただいた。なんかRPGみたいである。ある人に話しかけることでカウンターに移動するイベントが発生!みたいな。どのみち浩太郎さん(店主)とはもうちょっとお話ししていくつもりだったけど。
 いま僕は「自習と対談」というコンセプトの何かを準備中でございまして、その「対談」相手としてのオファーをしてみた。ご快諾いただいたので、第一弾は愛知県名古屋市南区呼続の「街と珈琲」店主との対談をするぞ。乞うご期待。5月5日までにはなんとか。

 まだ少し時間があったので近隣をうろうろ。地図で見つけた喫茶店の前まで行ってみる。立て看板はない。扉は閉ざされ、窓はカーテン。明かりさえ確認できず内部はほぼ見えない。「営業中」等と書いた札もない。店名は屋根から生えた突き出し看板(珈琲会社の名前が入ったやつ)にかろうじて小さく書いてあるだけで、ほかに文字情報は一切ない。インターネット上にも営業時間などの具体的な情報はなきに等しく、口コミもゼロ。かろうじて料理の写真だけが1枚載っている。おそらく、営業していれば超いいお店(個人の価値観)であろう。営業していなければ、お店ではない。普通の感覚ならこれはお店ではないと判断するのが普通だろう。かつてお店でもあった民家。そこをグイッと勝手に開ければ、不法侵入者である。僕は迷った。それをすべきか、せざるべきか。
 いったんそこを離れ、しばらく悩む。開けてみて、開かなければそれまでだし、開いて営業してなかったら「やってないの」で終わりだし。でも「やってないの」はショックなんだよな僕にとって。気が小さいから。でもその思い切りのなさで後悔したり、よほど素敵なものを逃してきたこともあるだろう。ここは頑張りどきではないか。なんていう葛藤をして、よし頑張ろうともう一度お店の前まで行って、屋根の横の突き出し看板を見上げてみると、お昼だから気が付かなかったけどほのかに、黄色い回転灯が回っているではないか! 愛知や岐阜において、このランプが光り回っているということは「営業している」合図なのである。勇気が出た。入ってみた。名店!
 コーヒーにマドレーヌ。鉄板に卵焼きが敷かれた焼きそばを食べた。紅生姜も乗っていた。美味しかった。幸いにも「街と珈琲」の近くだから、また来る機会が必ずある。嬉しいな。中日新聞読む。出がけに「また来てね」と言われた。また行かねばならない! しかし東京の人間だから、せいぜいまた何ヶ月後かになっちゃうんだろうな。(本当はこの滞在中にもう一度行きたかったが、叶わなかった。)
 テレビで『クギズケ!』っていう上沼恵美子さんと高田純次さんの番組がやってて、それもよかった。東京じゃなかなか上沼さんの面白いところ見られない。

 地下鉄名城線で自由が丘下車、自転車でうりんこ劇場へ向かう。着いたところで実家に「夕方帰る」と電話。いつも急ですみません。でも今日を狙って帰ってるって気づいてるかねお父さん。
 当日精算でチケットを受け取り「大人の方はあちら」と案内された先に行ってみるとふたつ隣に岡田淳さんが! ご挨拶を交わす。奥様もいらっしゃった。
 これから始まるのは主に小学生以下を対象とした児童演劇『学校ウサギをつかまえろ』。原作は僕の最もそんけいする岡田淳さん。小さい頃にお母さんが「そんけいする岡田淳さん」と連呼していたのがちょっと嫌だった。「そんけい」というのがどういうことなのかわかっていなくて、「別にそんけいしているわけじゃないと思うんだけどな」という気持ちだったのだと思う。でも今は「そんけい」ということがどういうことかわかるから、素直に「そんけいしています!」と言える。そんけいしてます。
 このお芝居は2017年の5月に初演されて、その時も僕は観に来ている。原作が岡田淳さんだからというだけではない。僕と劇団うりんことの長い結びつきは過去ログを漁っていただくとして、簡単に説明すると同じ小学校の二つ下の女の子が主要人物として(全員主要なのである)出演しているのだ。その子との深く長い縁についても、ぜひ過去ログを漁ってくださいませ。見つかるんかな。
 5年間、全国の小学校や、時には劇場でも上演し続けて、ついに4月3日の僕の観る会で千秋楽を迎えた。伸ちゃん(その子)が「よかったら来て」と教えてくれたのだ。今回の帰名はそれで決めた。そしたら岡田さんもいらっしゃると後で知った。
 いちばん後ろの席に座って上演を待つあいだ、いろんなことが混じり合って涙があふれた。この劇場に初めて来たのは1995年らしい。演目はこれまた岡田淳さんが原作の『びりっかすの神さま』だった。そして次が1996年、また岡田淳さんの『森のなかの海賊船』。この時には岡田さんのアフタートークがあって、『ムンジャクンジュは毛虫じゃない』と『扉のむこうの物語』にサインをいただいた。僕は緊張して何も喋ることができなかったと思う。そのとき僕は6年生で、伸ちゃんは4年生である。別に彼女はそこには来ていなかったと思うが、すでに僕らに交流はあった。というか、お互いを認識し始めたのはそのくらいの頃なんじゃないかな。僕が少しは社交的になり始めてからだと思うから。
「劇場で演劇を観る」ということも初めて(学校の行事かなんかでならあったかもしれないが)だったろうし、「そんけいする作家と対面する」というのも初めてだった。その人は今でも僕のいちばん好きな物書きである。10歳とか11歳の頃の話。その頃に同じ場所でともに幼少期を過ごしていた人が、その劇場で、その人のお芝居に出演して、それを岡田淳さんご本人と同じ列に並んで観るというのは、いったい何が起きているんだ? 脳がバグるって表現を僕はよく使うけれどもまさにそれになった。宇宙が歪んで繋がったような。
 自分はいまだに自分のことを、ろくでもない劣悪な人間だとけっこう思っているけど、だからこそ「そうではないかもしれないと思えるようなこと」があると、嬉しくなる。この空間にいま自分がいるということは、自分が「まんざらでもないやつ」である証拠のような気がして、生きてきてよかったのだろうな! と思える。
 お芝居も本当に良かった。これまでうりんこで観たお芝居の中でもいちばん良かったかも。『妥協点P』も良かったけど。今回はただ単純に、入り込んで観ることができた。まずこの原作が好きなんだなってことも改めてわかった。
 僕はお芝居を観るとき、けっこう余計なことを考えてしまう。「自分だったらこうするな」と想像したり、「なぜああいう動きをするのだ?」と分析したり。今回は途中で、そういう見方は楽しくないなと思って、リラックスしてあんまり考えないようにした。最初のうちはぎこちない気持ちだったけど、だんだんのめり込んでいった。子供の頃みたいな、まったく自我が消失して時間の中に溶けていくみたいな感じではないけど、ほんの少しだけそれに近いような感じにはなった。それも自分ごととしてかなり重要なことだった。素直に、自然に。それが19歳くらいからずっと僕のテーマなのだ。
 後半はなんかずっと泣いてた気がするな。美佐子が「チコ、チコ」で笑っちゃうシーンあたりから。詳しくは単行本を読んでね! どの図書館にもたぶんだいたいあるよ!
 なんかねえ、優しいよね。

『学校ウサギをつかまえろ』を初めて読んだのはたぶん小学校中学年くらいで、それからずっと他の岡田淳作品と並んで心の中にあるわけだから、作品のあちこちに僕の大切だと思ってきたものが顔を出す。「ああ、ここにもこういうシーンがあったんだ」「僕がこれを好きなのはこの作品の影響でもあるな」みたいな。
 本番後は演出の田辺剛さんと岡田淳さんによるアフタートーク。質疑応答は、まず岡田さんの奥様が発言なさって、それから僕。かなり待ったけど誰も手を挙げなかったので……。司会の方の質問を挟んで、最後は熱心そうな読者のかたが。ほんとーに日本の人はかなり様子を見てから発言をするよね。様子を見ないでいきなり手を挙げる人はだいたいヤバい人。それを肌で知っているからいっそう最初のうちは様子を見る。そういう循環があると思う。
 そのあと、ロビーで岡田さん、ちぇりーと3人で少しだけお話をして、みんなで写真を撮らせてもらう。「写真を撮りたい!」という一言が、僕にはどうしても言えなくて、これまでに岡田さんと写真を撮ったことはたぶん一度しかない。お店のどこかにひっそり貼ってある。今回は、どうしても3人がよかったし、そんな機会はもうないかもしれないので、勇気を出してお願いした。それもこっそりお店に貼った。
 やっぱり写真ってのはいいな。藤子不二雄A先生も事務所に写真(たとえば手塚先生やF先生と写ったもの)を飾っている。かの名作『少年時代』も、タケシと進一がわざわざ写真館に行って撮るツーショットが作品をより美しくしてる。
 僕もずいぶん見た目の若い人間(とっちゃん坊や)だが、伸ちゃんはそれに輪をかけて小さい、女児役の直後というのもあっていっそう。岡田さんもいつの間にやら75歳。でも信じられないくらいみずみずしい。僕は岡田さんとか楳図先生みたいにならねばいけない。むろんまねっこではなくて。3人でニコッと並んだ写真は、時間というものの不思議さと強靭さを感じさせてくれる。記念写真。そう記念写真を撮らなければならない! たくさんの数はいらない。大切な時にパチリ。有名な写真がいくつかあるだけでいい。

 自転車で丘を下る。千代田橋アピタの脇を通り、矢田川の河川敷に降りて走る。懐かしい。さまざまな記憶が蘇る。後悔や反省も湧き上がる。強く生きなきゃと思う。
 まだ夕方の16時台だったが、胸がいっぱいで、どこにも寄る気にならなかったので実家に帰った。お父さんに頼んで、さっき撮ったばかりの写真をプリンタで現像してもらう。新しいものの好きな古い趣味人なのでそういうのはいつでもスタンバイできている。2枚撮ったのを5部ずつプリント。1部は同じく岡田淳読者のお母さんに。2部はそれぞれ岡田さんと伸ちゃんにあげよう。1部は僕の。もう1部は大切にとっておく。
 興奮冷めやらぬ中、伸ちゃんにお芝居の長い感想を書いて送る。ついでに夜学バーのスケジュールも作って更新。「昨日の残り」と言って大量に出てきたごはんを食べる。『学校ウサギをつかまえろ』の原作を読み返す。これは、僕が実家から東京へ持ち去ってしまったためにお母さんが自分で買い直したものである。2017年5月20日付のサインが入っていた。この日は『学校ウサギ』初演2日目で、岡田淳さんのアフタートークがあった日。僕は行った(高校の後輩でちぇりーと同い年である、ひろりんこ夫妻も来ていた回だと思う)が、お母さんは行っていないはず。宛名はないので、たぶんこの日に岡田さんが書店用に書いたサイン本を、どこかの本屋(おそらくピコット)でお母さんが見かけて買ったのだと思われる。どうでもいい話だろうが、未来の僕や誰かにとってはきっとエモい。
 19時半くらいまでだらだらと過ごし、家を出た。ウィルス感染可能性が比較的高まっているので念のためすべてホテル泊にしたのだ。自転車で走りながら振り返ると、ベランダから見ている。手を振る。振り返される。なんというか、『雪渡り』の良さってこれなのだ。
 つねかわに寄る。拙著『小学校には、バーくらいある』にも半ば無理やり登場させた名店である。20時までやっているはずなので行ってみたら、ちゃんと開いていた。おばちゃんと、すっかりボケきったおじちゃんと、娘さん(たぶん)がいた。鉄板ものを頼んでる時間もお腹もないので、駄菓子を買おうと思ったが、それもあんまり欲しくないので、ライフガードだけ頼んだ。世間話をちょっと。どうしても一度はここに顔を見せねばならない。僕とたぶん同級生でなぜかいま演歌歌手になりかけてる山田くんって、だれ? って思ったけど、うわ、もしかしてあの、合唱コンクールでめっちゃ指揮うまかったあの子、山田くんだった気がする。いま思い出したわ。けどダイナマと仲良かったとも思えないし別人かもしれない。(死ぬほどローカルトーク!)
 雨予報のはずだったけど、一日中たいして降らなくて、せっかく持ってきた傘も合羽も出番がなかった。19号線から丸の内まで走っていく途中、金城学院中高の前を通ったので、同級生にDMしてみた。

 ホテルにチェックイン。荷物を置いて、ずっと行ってみたかったお店に一軒だけ。住吉のOというお店。レコード屋なんだけどカウンターがあってお酒が飲める。DJの機材も揃っているし、システムもちゃんとしてていい音だった。アナログの視聴機も自由に使えて、めちゃくちゃいいお店。
 しかし特筆すべきは接客。空間の作り方。「身振り手振りの激しい店主はいい店主」というのが僕の発明した「いい店の見分け方」なのだが、この方はまさにそう。全身を使ってコミュニケーションしている。大袈裟なボディランゲージではなく、あくまで会話の補助としての活用。
 なぜ身体を使うと良い店主なのかというと、明確な根拠は別にないのだが、場のバランスを制御したいなら必須だろうとは思う。身体的な所作の効果を使わないで場を作れるのは、居合抜きや合気道の達人のように道を極めた人だけだろう。
 彼はたぶん優れたDJでもあるのだろう。たとえば優れた舞台人もきっと良いバー店員となれるはずだ。場の作り方を知っているから。お客さんとのコミュニケーションの仕方を知っているから。自分が何をすれば、お客はどうなって、場がどうなるかを肌でわかっているから。
 ミュージシャンやDJや舞台役者やお笑い芸人は「バーの店員(店主)」をやりがちだが、本業(?)がそっちだからといって(僕の思う)いいお店をやるとは限らない。その人のその「本業」がどういう質のものか、ということにかかっている。横暴な芸をやっている人は横暴なお店をやるのだと、まあ単純に考えればそういうこと。(そうじゃないパターンもあるだろうがそれは例外と言っていいと僕は思う。)
 ジェイムソンソーダ、グレンフィディック12年ソーダ、ジェイムソンソーダ、ボウモアストレート、ジェイムソンソーダ、5杯で2700円。や、安い! 最寄駅は栄(東京でいうと銀座←?)ですぞ。名古屋でお店やりたい。
 このお店は、僕が事前に睨んでいた通り、「界隈」みたいなものから距離を置いて、孤高にやっている。名古屋の夜の店は基本的に「知らない人」を排斥する。原則として「すでに身内となっている人たち」のなかで閉鎖的にやる。地方はどこでもそうだろうと思われるかもしれないが、その中でもグラデーションはかなりある。いちばん排他的なのは今のところ長野県松本市。高知なんかは受け入れるのが早いほうだと思う。だから好き。
 僕の思ういいDJというのは、音楽の前に人をフラットにさせる存在。「なかなかいい選曲ですね(ニヤッ)」「おれもそう思うよ(デュフフ)」「ありがとうございます励みになります」みたいなのは、いいDJではない。「なんか知らんけどめっちゃいい!」「めっちゃいい!」「イエーイ!」これがいいDJというものである(個人の感想です)。「わかる人」だけが認めてくれるようなものは、おおむねどんな世界でも二流なのだ。
 こちらの店主さんがたぶんいいDJだというのは、カウンターの前に人をフラットにさせるバー店主だと僕は見るからである。そのためにはいろいろなテクニックや工夫が必要で、それこそが僕の日頃から研究しているところなのだが、たぶん彼も同様の研鑽を積んでいる。大変頼もしい。
 いい気分で寝た。


【4月】
 早めに起きて熱田方面へ。9時ごろ「いちばん大好き」喫茶へ。開いていた。ホットコーヒー、バタートースト、ゆでたまご、ハーフタイム。300円。実にいい。安いからいいのではない。300円だからこういうお店が実現しているという単なる事実である。たとえばこれが480円なら客層や来店頻度に影響する可能性が高い。そうなればお店の雰囲気もまったく違ったものになるはずなのだ。それは「人」だけの問題ではない。その「人」がもたらすものはもっと甚大である。お店の使い方が違うのだから、汚れ方も傷つき方も変わる。わかりやすく言えば置かれる新聞や雑誌だって変わってくるだろう。値段設定一つで何もかもが変わる。「こんなに素敵なお店なんだから、もっと高くてもいいのに」とは僕だって思うが、話はそう単純でもない。
 中日新聞読む。夜学バーでとっている東京新聞と中身がかなりかぶっているから、コツコツ読んでおくと帰ってからのまとめ読み(できるだけ読むようにしている)がぐんと楽になる。

 特に予定はないので自転車で北上。前回行ったMGという喫茶店に行ってみる。コーヒーばかり飲んでいると大変なのでバナナジュースにした。牛乳か豆乳かを問われた。珍しいこともあるもんだ。豆乳にした。
 さらに北上して喫茶PKへ。ここではミルクセーキにした。そんな喫茶店ばっか行って何をしているのか? 何よりまず休憩。そして本を読んだりものを考えたり、何かやるべきことをしたり。ついでに喫茶店そのものについての研究をする。内装、食器、カップの取手の向き、ミルクの出し方、音、お店の人の様子、研究項目は無数にある。このお店はたとえば、名古屋の喫茶店につきものの「お菓子」がついてこない。なぜなのか? お菓子がついてくる喫茶店とついてこない喫茶店には、いったいどんな違いがあるのだろうか? そんなことをぼんやり考えるなど。
 大須のViolet Blueへ。我らが青春。PUTUMAYOの服買った。試着までして。こういう系のブランドがたくさん揃っていて、めちゃくちゃ安い。好きな人はぜひ行ってみてください。僕はあんまりコテコテのではなく、ギョッとされないようなやつを買ってます。着てたら「あ」って思ってくだされば。
 そのすぐ近く、金右衛門というテキーラ販売店へ。ライシージャとソトルをそれぞれ3種ずつ飲み比べし、ライシージャを3本ともまんまと買ってしまう。めちゃくちゃ美味しいし、新鮮。ジンの次にブームになるのはテキーラ(というかアガベスピリッツ)だと僕は思っていますので、今のうちに皆さんも飲んどいて、流行ったら「今更?」ってドヤ顔するといいですよ。
 試飲とはいえそれなりの量を飲んだのですっかり良い気分になり、5個のみたらし団子を食べ(他地域だと4個以下の場合が多い)、適当にぶらぶらしてたら、いい感じの喫茶店を見つけたので自転車停めてたら前方から見たような顔が……なんとオレンジの田中さんであった。オレンジというのは名古屋吉本の芸人さんで、結成23年。思わず話しかけてしまった。いや、東京で東京の芸能人とすれ違っても「わっ」って思うだけだと思うんだけど、名古屋で名古屋吉本の芸人さんとすれ違ったらやっぱり、ちょっと、なんか違う心の動きになるのです。僕はデビュー直後のオレンジをテレビでも劇場でも見ているし、名古屋で長く続けている芸人さんはとても少ないのでけっこう本気で応援しているのである。「なっ、名古屋で生正月 爆裂ナインティナイン見てました! パーライブでもみたことあります!」みたいな、20年以上も前の話をいきなりしてしまった。オタクなので……。
 BSよしもとで東京に行くこともけっこうあるとのこと。我が家の近所なので、もし観覧か何かあったら行かねば。小1分くらいだけお話しして喫茶サンへ。どろっと濃いホットコーヒー。豆菓子は「つまみ・ミニ」。古いお店はこれの場合もけっこうある(最近豆菓子の研究をしているのだ)。お客はほかになし。ビッグコミック読む。ビッグコミックオリジナルも置いてある。近所にあったら通うなあ。老夫婦の会話(ほぼママさんの話)が途切れなく続く。
 ミャウエンを通り過ぎ、くたびれたのでいったん丸の内のホテルに戻る。夕飯何を食べようか考えながら(調べながら)仮眠。起きて、それなりに遠いが自転車で東区の筒井(東海高校の近く)まで行って「ラク亭」にてスカロップという大正時代からあるという洋食メニューをいただく。コーヒーが5銭の時に25銭(おそらくライス別)というから、それなりに高級品。ビフステーキは20銭。
 新栄や女子大小路などをパトロール。いいお店はないかや、と思いながら練り歩くも、特に目ぼしいものはなし。名古屋は難しい。良いものはすべて隠れている、たぶん。どこの地方でもだいたい同じとは思うけど、名古屋は「見つけてくれ!」というオーラ(僕は「ヒント」と呼んでいる)を出しているお店がとても少ない印象はある。そういうのをめざとく見つけるのは得意なつもりだが……。
 明日、朝はやいので帰って寝た。感染の心配がなければ夜中まで遊ぶんだけども。僕のような人間も今は夜の街からいなくなっている。


【5火】
 早起きに成功。お隣が暴力団の事務所という素晴らしいロケーションにある喫茶Yでモーニング。トーストとゆでたまご。モーニングに豆菓子がつくか否かは大きなポイントである。このお店はプチテイスト(つまんでテトラ)で、男性には青色、女性には赤色みたいな感じに出すことが多いようだが、サンプル不足。ちなみに「いちばん大好き」の例の店は、コーヒー、トースト、ゆでたまご、ハーフタイムである。おかきの豆菓子の塩味が、トーストとコーヒーにむっちゃ合う。三位一体。ゆでたまごは最初に食べます。(もちろん時によるけど。)
 Yに来るのは三度めくらい。遠方でも、気に入ったお店には何度でも行きたい。喫茶店というのは通ってなんぼ。もちろん年に一回か二回来られるかどうかだが、好きな空間をまた経験できる、というのは何事にもかえられない。これも一種の「再会」である。僕の人生の最大テーマ。
 吹上のSへ。こちらも三度め、いや四度めかな。地元の友達と来たこともある。またもモーニングだが、トーストは遠慮して、ゆでたまごとてんこ盛りのお菓子だけいただいた。飲み物はレモンスカッシュに。中日新聞読む。お客はほかにいない。朝ドラを夫婦で見てる店主たち。テレビを「見上げる」感じがいいなといつも思う。
 人の多いところにはとにかく行きたくない。日中は寝るなどだらだらと過ごした。夕食は人と。今回は地元の友達には一人しか会っていない。遠慮しちゃって。僕は本当に慎重に生きている。千種に気になるお店を見つけたが、今の時期にはちょっと、という感じだったので、友達が何度か行っているという小さなバー(?)に。けっこう長く続いているらしいが、一人営業のオペレーションがぐだぐだすぎて、それもまた色々と参考になった。
 名古屋の友達はみんな20年くらいか、それ以上の付き合いのある人たちばかり。友達はいつでもいいもんだ。それでも新しい友達を求めてまわる。いまは火木土だけ開けているというバーパプリカへ。この旅程だと今夜しかないのである。けっこうたくさん飲んでしまった。あからさまに文化のあるこの感じすら名古屋では珍しい。もうちょっといろいろあってくれてもいいのにな。知らんだけなら教えてほしい。
 明日も早起き。寝。


【6水】
 例の喫茶にまたもゆく。モーニング食べながら、どうしてもこのお店で出てくる「ハーフタイム」という豆菓子が買いたくなって、すべての予定を変更(定光寺に行くつもりだった)して捜索へ乗り出す。熱田から新栄まで走り、プロマーケットという業務用スーパーに行ってみる。知っているとすごく便利なお店で、素晴らしい品揃えだったのだが、やはりハーフタイムはない。ティータイムもない。そもそも小売店には一切卸していないのだろうとほぼ確信。たぶんコーヒー屋さんを通じて仕入れている。ということは、どの豆菓子が出てくるかで、どのコーヒー豆を使っているかの見当もつき得るということでもある。オタク心が疼くぜ。データ化したい。
 高岳周辺にコーヒー豆屋さんがたくさんあるので、いくつかまわってみた。最初に入ったダイヤコーヒーが、なんとティータイムを扱っていた! 一袋1000円で買えるという。こちらは一応ネットでも買えるが、いちおう製造元と連絡先を教えてもらった。めちゃくちゃ親切、家族経営で仲も良さそう。そして豆が安い! メインのブレンドが100g320円。すごく好きになりました。ありがとうございます。豆を買ったらサンプルとしてティータイムをいくつかくださった。恩に着ます……。
 名古屋ではけっこうメジャーなイトウコーヒーへ。店先に豆の自動販売機があって驚く。白壁ブレンドを買ったら、生豆をその場で焙煎してくれた。すごい。ブレンドした状態の生豆も売っていた。豆菓子についての質問はしなかった。ハーフタイム出してる喫茶店に行って聞いたほうが早いだろう、と思ったからだと思う。あとお店の雰囲気的に、なんとなく。
 洋菓子喫茶ボンボンやキャラバンなど(近くにめっちゃ古いコメダもある、高岳最高!)を断腸の思いで通り過ぎ、澤井コーヒーへ。店構えが超素敵なので調べてみてね。アイスコーヒー用のブレンドを買った。
 いったん実家へ。同級生の生家である喫茶Iをいちおう見ていったが回転灯が回っていないのでおそらくやっていない。いつやってるんだ……。次回こそ。
 お母さんはいなかった。お父さんがお昼を作ってくれたので食べる。お母さん帰ってくる。お昼寝する。ぐうぐう。起きて別れを告げ、「裏の河原のほうから出ていくので、ベランダから見ていても永遠に出てこないよ」と念のため伝えておく。河原に出て振り返ると、玄関の前から見ていた。手を振った。
 矢田川をひた走る。アタマムシにおびえる。マスクはこういう時には良い。信号も車もなくて快適だ。庄内川を越えてティータイムの製造元である「はとう商店」へ。見事にシャッターが降りていた。電話してみる。出ない。ありゃー。仕方ないね。こういうの、事前に電話できないのは本当に僕の妙なところ。
 切り替えて、駄菓子の問屋街にすべり込もう。急いで自転車をたたみ、庄内緑地公園駅から浅間町まで電車に乗る。何軒回っても狙った豆菓子はない。類似品すらほとんどない。唯一珍味屋さん(ピーナツ屋さん)だけがティータイムのうち一つだけ扱っていた(全5種)が、ほしいのではないので見送る。うーむ。いろんなお店の話を総合すると、「いまはピーナツの入ったものは(売れないから)どこも扱ってないよ、昔はあったんだけどね」ということだ。ほぼ喫茶店だけの需要になっているってことか。
 なんのセイカもなしに、いったんホテルへ戻る。22時からOGTY(グッチョさん)&とまてぃとFF6配信なのだが、それまで何もしないのもさみしい。とはいえ明日は4時に起きて早朝喫茶に行きたい。明日の用意をあらかた済ませたうえで、ちょっとだけ遊びに行くことにした。
 納屋橋のスキヴィアスへ。お腹すいていたので鶏肉とパプリカのクスクスたべる。トルコの「ラク」というお酒、85度のアブサンをいただく。ライシージャやばいっすよ、みたいな話とかする。久々に寄ったがやはり良いお店だ。世間話、大事。
 帰ってファイナルファンタジー6の配信。毎度楽しい。すっと寝る。


【7木】
 早起き成功。毎日のように通っている例の喫茶店へ4時台に到着! 空はまだ真っ暗。モーニングして中日新聞読む。いつもよりさらにゆったりと過ごす。途中でお客が僕だけになり(こんなことは初めてだ!)、店主もクロスワードかなんかを解き始める。帰り際、ハーフタイムはどこからやってくるのかたずねる。製造元は揖斐郡だそうで、仲介の珈琲屋さんは、まったく聞いたことのない名前だった。え? と思ったが、なんのことはなく、もう何十年も前に社名変更した会社の、古い名称を言っているのだった。「もう53年お世話になってる」とのこと。え、53年て。すごい。
 始発で名(古屋)駅まで。かの有名な「ロビン」で再びモーニング。まだ6時くらいだが、かなり多くの喫茶店がすでに営業している。どこも良さそうなお店だなあ。名駅の西側は本当に面白いんで、ぜひ。
 チッと疲れたのでホテルに戻って二度寝。10時にチェックアウト。ハーフタイムを扱っている珈琲屋さんに電話して、とりあえず豆のサンプルと見積もりを送ってもらうことに。よーし、これで「都内で唯一ハーフタイムを出しているお店」ができるぞ! 喫茶夜学バー京島店(仮)で出したい。初日は21日、間に合うかな。ぜひきてね。詳細は夜学バーのHPやTwitterで。ここにもたぶん書きます。
 ふたたび名駅の西に回り、たまたま見つけたYというお店でモーニング(3回目)。こりゃーすごいですね。見た瞬間に「入らなきゃ!」と思いました。名駅から徒歩圏内なのにインターネット上にほとんど情報がない。大通りでもなく、店構えが普通の人には入りにくいだろうことと、朝しかやってないのとで随分隠れている。サラダとバナナがついて嬉しい。おばあさんがやってるけど男っぽい漫画が充実。昔はマスターがいたのかなとも思ったが、店名は女性的なので、男性客が多かったってことかな。
 並んでいた『疾風伝説 特攻の拓』4巻を読んでいたら、藤子不二雄A先生の『少年時代』に通ずるところがある(こういう発想になるのはそういう病気だからで、普通に考えれば何も似ていない)と思って、その場で組み立てた自論(?)をツイート。まさか数時間後に訃報が届くとは思いもしなかった……。
 ほど近く、高校の時の(他校の)友達が経営する喫茶リバーへ。若い女の子が二人、クリームソーダを注文していた。ちゃんと流行っていてすごいと思う。本棚も充実してきた。おお、同じ世代の人間、って感じの選書。お客少なかったので店主と雑談など。ダンス公演の告知動画に参加することになり、その場で「まっすぐGO!」した。
 初日(3日)に行った劇団うりんこのちぇりーと、ここのホリくんは知り合いっぽい。昨夜行ったパプリカのオーナーもホリと知り合いだし、こないだちぇりーが取った賞の審査員をしているそうな。みんななんらか繋がっている。名古屋は狭い。本当に狭い。僕がちぇりーと再会したのも高校演劇の大会だったし。「大いなる田舎」なんて揶揄されるのもわかる気がする。まあ、みんな(僕含め)顔の広い人ばかり、っていうだけでもあるんだけど。
 友達が「職場にうざいのがいる!」って言うから詳しく聞いたら、「えっ、それ僕が仲良かった〇〇くんじゃない?」「えー!!?」なんてこともあった。彼らはそんなに顔の広い人ではないはず。名古屋は狭い。
 近くのスガキヤでスガキヤのメンマとコショーとチャーシューと五目ごはんのもとを買い、ラーメン+五目ごはんとサラダ+ミニソフトクリーム(コーン)をその場で食べる。旅の〆に最高。ホクホク。そして食後にはコーヒーだ! ということでこれまた近くのモックという喫茶店へ。ここもハーフタイムだった! ヤンマガとか読む。ぎりぎりまでゆっくりして、新幹線へ。
 予約したのはいちばん後ろの席。「特大荷物コーナー」に自転車を置いて、座席をぐっと倒して、しばらくぼんやりしてから、なんとなくiPhoneを手に取ったら、藤子不二雄A先生の訃報が流れてきた。

 たくさんの人がいろんなことを言っていて、とても嫌だった。せめて自分は黙っていようと、初七日まで個人のSNSアカウントを静止させた。日記も(この文章を4日の途中まで書いたほかは)更新していない。続きを書き始めたのは14日の夜。日紀のほうも途切れがちだった。単純に元気もなかった。訃報に落ち込んだということではない。1ヶ月期限を延ばした確定申告が頭の片隅にずっとあったせいではある。でもいちばんは、「愚かなものから距離をとりたい」という気持ちだった。「愚かな」なんて言ったら「何を偉そうに」と思われるのかもしれない。また「かつて尊敬していた人」とかが現れるかもしれない。そういうことをすべて引き受けたうえで、僕は自分が嫌だと思う人の一種別を「愚かな人」と断じたい。だんだんいいことを言っていくのでまあ最後まで読んでください。
 何かにつけて「何か一言言ってやろう」という人間が僕は本当に嫌いだ。いや、この説明は言葉足らずだろう。「一矢報いたい」という感覚は僕にもあるし、「爪痕を残したい」とか「自分のことを知ってほしい」という気持ちだってある。「あわよくば!」という発想は人一倍あるのかもしれない。だからこそ、同族嫌悪みたいなもんかもしれないが、「何か一言言ってやろう」という人間には、ものすごく敏感なのである。
 それを言って、何がどうなるか? ということを、よくよく考えた発言であれば、いい。もちろん、ある発言が「そういう発言」か否かを判定することは不可能なので、すべて僕の匙加減で「愚かかどうか」が決まるということでしかない。そうであってもなお、僕は愚かだと思うものを愚かだと言って嫌いたい。
 悲しみ、淋しみ、何かを天に捧げる時、祈る時、人は何を口にするだろうか? 喪に服すということは、まず第一に「静かにしている」ということなのではないのか。そうは思わない人がいるとしたら、死生観とか宗教観とかの違いだから、さすがにそれを愚かだとは言えないが、そう思う死生観・宗教観の人もいるのだということは、お互いに理解し合っておきたい。(平行線の二本だが、手を振るくらいは。)
 で、僕はいちおう「有名な人(ないし尊敬する人、好きな人、身近な人)が死んだのだから、何か一言言ってやろう」と思う人の感覚を最大限尊重するために、ただ静かにしていた。
 そうやって勝手に最大限尊重しつつ、個人の感想としては「愚かな!」と思っていた。
 もうこれ以上は言う必要ないか。いつか詳しく書くかもしれないけど。とにかく、僕にとって祈りというのはまず「静かにしている」ことが土台にある。それを破る人とは、できるだけ距離をとっていたい。もちろん、すべての祈りが物理的に静かに行われなければならない、というわけではない。ひたすら騒ぎたてる祈りだってある。でも、ただ「何かを言う」ということ(SNSではなんにせよそう見えてしまう)は、さすがにまったく祈りには思えない。だけどあまりにも賢い僕は(ここの凄さを本当にわかってほしい)、「それは個々として見れば祈りには見えないが、『かたまり』として見た時には、実はめちゃくちゃ巨大かつ深遠な祈りなのではないか?」とも思うので、その個人を「愚か」と断じつつも、社会現象としてのその全体を、一つの祝祭、葬儀として見もする。だから別に怒っているわけではない。愚かな人たちがみんなで作り上げてきたのが、素晴らしいこの世界なのだ。誤った個々が、集まって偉大なる正しさを生み出すことはいくらでもある。というか、ほとんどのことはそういうものである。だから極めて個人的な好悪や憤りを、僕はここにだけ封じ込める。念のため繰り返そう。僕が愚かだと思ったことたちは、実のところ全体としては「祝い」であって「幸い」だったのだ。藤子不二雄A先生は、それだけ偉大な人だったのだ。僕にとって彼らは実に愚かだが、また正しすぎるほど正しくもあって、むしろ間違っているのは僕のほうなのかもしれない。とにかく僕もたった一人の人として、個々としての祈りを遠くへ捧ぐ。これまで本当にありがとうございました。

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