少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2022.5.3(火) 同情するなら金をくれ(常識を破って)
2022.5.6(金) それなりにはまあ暗くなるわな/再会の美
2022.5.10(火) この愛はメッセージ!(自由と摩耗、さみしさと優しさ)
2022.5.19(木) 死なない程度に格好良く
2022.5.22(日) そして孤高はやや渋め
2022.5.30(月) 手伝うという関係

2022.5.30(月) 手伝うという関係

 アー イソガシイ イソガシイ。何が忙しいって自分のことよりも他人のことで、こまごまとしたケアー案件が多すぎて自分のことが全然できなくなっている。はっきり申し上げて僕はそれが幸福なタイプの人間ですから、みんなが僕のことを舐め腐らん限りは、いくらでも時間と知恵と体力を搾り上げます。(舐め腐る奴の相手はしとれん。)

 まずダチュラフェスティバルじゃろ。高校生たちによる自主文化祭。これは全力で応援しんとかん。といって僕がしているのは「会議場所の提供」くらいで、あとは聞かれたことに答えたり、「それほんまに大丈夫?」と確かめる係。構図としては『通電少女』の時に近い(あのときは中3→高1の女の子3人だった)けど、今回は「僕の企画」ではなく「高校生たちの企画」なので正反対かもしれない。お金も、通電の時は僕がだいぶ赤字の恐怖と戦い、実際背負ったけど、今回は高校生たちが恐々としている。ふふふ。何かをやるってのはそういうことなのだ。

 もう僕は、「自分が主導して誰かに手伝ってもらう」ということは少し嫌で(やらないとは言っていない)、「誰かが何かをやろうとするのを手伝う」という側でありたい。早くも隠居にシフトしていこうとしている。たぶん僕と遠からぬ志を持つ方々はみんな、いつかはそうなりたいと思っているし、敬す先達の中には実際そうしている人もいる。でもきっと悩みも似通っていよう。それは「手伝ってもうまくいかない」あるいは「うまくいきそうにない」。それでついつい手伝い過ぎたくなってしまう。でもそれじゃ意味がないとも思う。こちらも負担になってくる。悩ましい。

 そもそもどうして「自分が主導して誰かに手伝ってもらう」ことが少し嫌なのかと言えば、それだと人は成長(向上)しにくいと思うから。「自分はこれがやりたい!」という個人的な情動が先にあって、知見ある第三者がそれをアシストするほうが伸びは良い、そう思っているのだが、だからといって「自分はこれがやりたい!」と宣言する人がことごとく潤沢な伸びしろと伸ばし力を持っているというわけではない。
 結局は似たようなことになる。「手伝ってもらう」という形であれ、「こちら(僕)が手伝う」という形であれ、伸びない時は伸びない。それは僕の「教育」力の不足であろうか? それともそもそも、僕はその人をサポートする「係」としてふさわしくないという相性の問題か? あるいはその人はどうしても何をやっても、成長(向上)という類のことをしにくい性質なのだろうか?
 わからないが、実感として思うのは、僕と関わってめちゃくちゃ伸びる人と、むしろ僕と関わっていない時にめちゃくちゃ伸びる人と、どちらもいるということ。どちらでもある、という人がたくさんいたら僕は嬉しいし、実際「自分の現場」と「僕との関係」を往復することに意義を見出してくださる人は多い。「たまにお店に来る」とか「地元に帰った時などにたまに会う」友達なんかは、そういう感じなんだと思う。伸びるとか伸ばすとかっていうと偉そうに聞こえるのかもしれないが、そういう時、決まって僕も同時に伸びているのである。僕もみんなに、伸ばしてもらっている。だから関わるということをやめない。時間も知恵も体力も、むしろ自分が伸びるために搾るという面も大きい。最近流行の「切磋琢磨」というやつであろう。

 たびたび書いているがさみしがりや(?)な友達が何人かいて、よくLINEをする。たまに通話もする。昔はそれで時間を使い過ぎたり、気を遣いすぎたりしてこっちが潰れかける、ということがやはりあったが、最近はもう、無理して返事はしないし、通話も出られる時にしか出ない。そうやって肩の力を抜いて付き合うと、向こうも「そういうもんだ」と思ってくれるし、依存されすぎることもない。ただ愚痴言い合ったりして遊んでる感じ。ちょうどいい距離感の友達でいられる(と思う)。

 京島店という試みを始めてしまったこともイソガシイ理由の一つで、「自分のこと」のうちのメイン。週一とはいえ、というか、だからこそ考えることもやることも多い。不安も大きい。今んとこめちゃくちゃ赤字である。でも楽しいことも多い。投資だと思ってやっている。
 僕がいるのは毎週木曜日だが、6月は金曜日をかつて夜学バーで働いてくれていた人が担当するようだ。これについても、僕はものすごくいろいろ手伝いたいし、口も出したいのだが、けっこう我慢している。独力でやることを前提に、人の力を借りる、というのがやはり良かろう。それに僕がこれ以上大変になったら、共倒れしてしまう。なんとか相互補完、相乗効果に持っていかねば。7月以降も続けられるように。

 僕の座右の銘は「自分でできることは自分でやる できないことは友達に相談する それでもダメならお金を使う」。自分→友達→お金の順。お金や友達に頼りすぎると、やがて切れてひとりぼっちになる。ひとりぼっちはスタートラインであって、終着点ではない。(参考文献:海援隊『スタートライン』)

 川本真琴さんの『桜』という曲でも「ひとりぼっちになる練習してるの」と歌われるが、やっぱりいっちゃん最初に「ひとりぼっち」にならんくば。友達って、一人の時にしかできないと思うんだよね。(無茶苦茶なことを言っているようだが、一面の真実と信じる。)
 たとえばグループとか「界隈」にいたら、そこに入ってくる人たちと友達になれるような気はするけど、実のところ「界隈」という共通の友達がいる他人、って感じになりがち。どこにいても自分は自分、ひとりぼっちの人間、というふうにできないと。

「手伝ってもらう」とか「手伝う」とかっていうのは、ともすれば「つるむ」という状態になりかねず、「ひとりぼっち」とは縁が切れる。友達というのは「ひとりぼっち同士」が原則なので、「つるむ」になるといつの間にか「友達」ではなくなっていたりする(逆説的!)。「友達と仕事する」ことの危うさはここにあるんだろう。
 もちろん「手伝う」という関係は素敵で、素晴らしくて、それがなかったら何も成り立たない。人は一人じゃ何もできないのだから。だけどその前提として、手伝われる側も手伝う側も、「ひとりぼっち」の確固たる一人である、ということが必要。でなければ溶けたり、倒れたりする。

 ここまで書いてようやくピンときた。僕が注視しているのは「手伝う」が成立する関係、なのだ。それがないときにむりやり「手伝う」をやると、バグる。「手を振るくらい」がちょうどいい関係もあれば、「手伝う」がまさにぴったりの関係もある。それは流動的に変化する。今は手伝うタイミングだけど、1年前は違った、とか。
 今だ! というタイミングで、手伝ったり、手伝われたりするのが最高なのだ。友達というものは、そういうタイミングの時に全力で手伝うことができて、そうでない時はあえて何も手伝わないような存在。「今だ!」という時か、そうでないかがお互いにわかる、というのが、仲が良いということなのではあるまいか。

 僕は「今だ!」という時に、「これだ!」ということを、手伝う。友達に対して。それを洗練させていきたい。どこまで何を手伝うべきか、というような見方ではなくて、「今だ!」「これだ!」をただ見極める。達人のように。そのためにずっとじっと見ている。

 僕の多くの友達たちも、きっとそれを見定めている。「おれの出番だな」というとき、急に現れることだろう。それ以外の時は、それぞれ持ち場で、自分の仕事を全うしている。手伝うも手伝われるも考えず。お互いにお互いのことを心の裡で、静かに思いやっている。

 パズルのピースがカチャンと合うように友達は急に言う。「あのさ」と。

2022.5.22(日) そして孤高はやや渋め

 5月8日と、5月21日と、2つの屋内フリマに出店した。どちらも拙著『小学校には、バーくらいある』などを売った。ほとんど売れなかった。売れないのは商品が来場者に訴えなかったからである。それはもちろん承知の助という上で所感。

 どちらにも共通していえたのは、「DJブースがあって、音が大きい」ということ。流れる曲はイージーリスニング系というよりどちらかといえばズンズンとリズミカルなものが多かったろうと思う(21日については序盤しかその場にいなかったので全容は知らない)。
「DJブースがあって、音が大きい」という空間を作ると、「DJブースがあって、音が大きい」ということを許容できる人にしか門は開かれない。実のところこの世の中には「DJブースがあって、音が大きい界隈」というものが存在する。「DJブースがあって、音が大きい」ということをほぼ無条件で「良し」とする人たちの界隈(世間的集まり)。
 僕は「DJブースがある」ということは嫌いじゃないけれども、「音が大きい」ことに関しては個人的には(耳が弱いので)あまり得意でない。嫌いというわけではなくて、爆音が気持ちいいってのは理解できる。クラブイベントならありだと思う。ただ「フリマ」を行う空間としてどうかは議論がある(曖昧な表現)。
 8日のフリマ空間の主役は「フリマ」だったと思うので、大きい音でズンズンした音楽をかけるのは筋が悪かったろうと僕は思う。通りすがりの人が「なんだろう」と会場を覗いたとき、どんな音楽がどんな音量でかかっていたら、入ってきてほしい人に入ってきてもらえるだろうか? という観点での設計が肝要(と、僕は思います)。あまり大きくズンズンしていると、「ああ、『DJブースがあって、音が大きい界隈』の人たちが、身内ノリでやってる空間なんだな」と解釈されかねない。ただしもし、かのフリマがまさに身内や「知ってる人」だけを対象としていて、部外者やおかしな人が入ってこられないような「バリヤ」としてズンズンさせていたのだとしたら、ひとつの設計の意図としてありだったとも言える。
 21日のフリマ空間は「DJ」が主役だったと思うので、音が大きいことになんら問題はない。DJイベントのついでにフリマもやります! ということで、だからレコードを出品している人が多かった。そこで「自作の児童書」を売るという僕の行為こそが、なんなら場違いなのである。あの空間は「爆音DJ空間」であって、まさしく「DJブースがあって、音が大きい界隈」によるイベント。「そういう価値観の仲間」がやってきてくれればそれでいいということだとしか解釈できない。その界隈と関係のない、たまたま近所を歩いていた人が「なんだろう、あらマーケットなんてやってるの」と入ってくるような設計ではない(そういう人は皆無であるという意味ではない)。それはそれでなんの問題もない。その会場は古い銭湯なのだが、「銭湯界隈」というのは、あるいは「町の活性化につとめる元気な若い人たち」というのは、「DJブースがあって、音が大きい界隈」の人たちが現状、多いのだろう。(そしてこういうイベントによってその傾向は強化されていく。)
 また別の話として、音が大きいということは必然的に人の声も大きくなってしまうので、呼気等から感染しうる病気の流行下においては最善でない(曖昧な表現)。比較的音が小さい「第2会場」にも行ってみたが、あまりにも声の大きすぎる人がいたので、スッと帰った。

 結果的には、どちらのフリマにも参加して良かった。買ってくださった方もあったし、これを機に知ってくださった方、お近づきになれた方もいた。意味はあった。ただ「界隈」の集まりに参加することにはもう懲りた。コミケやコミティアくらい巨大になれば話は別だが、小規模なお祭りでは針のむしろ。そこで光栄ある孤立を誇示するのもそれなりに意義はあろう、だけどダメージもでかい。価値観の孤独さを痛感させられる。だったら独立独歩で独自にやったほうが絶対に楽しいし、見てくれる人は必ずいる。他人の褌を借りるのはごくたまにでいい。
 今月はその気まぐれ。そして孤高はやや渋め。

 何度でもくり返すが、僕の主張の核はいつでも「常識(=思い込み)の打破」である。「界隈」というのは、「常識(=思い込み)」の共有団体である。「音がでかいほうが楽しいよね!」と思い込んでいる(それを常識として共有している)人たちの集まり。その規模が小さければ小さいほど先鋭化していき、外側にいる人を傷つけやすくなる。だから少なくとも「自分たちがどういう思い込みをしているのか」を自覚することが大切になる。でなければ、知らずに他人を傷つけてしまうから。
 たとえば今回、21日のフリマで、委託していた品物を返却していただいたときに、僕が一所懸命書いたポップや飾り付けの類いがすべて消えていた。おそらく捨てられてしまったのだろうが、まだ確認していない。悲しすぎて問い合わせることもできなかった。おそらくあちらにとっては、「ポップなんて終わったら捨てるものだよね」という感覚が当たり前なのだろう。僕はそうではなくて、2009年の『9条ちゃん』から今までずっと、即売会で使ったポップや飾り等はすべて捨てずにとってある。本やCDの帯を捨てないのに近い感覚で。もちろん僕のほうだって、相手が「ポップはだいじ」という価値観を持っていないかもしれないことを先取りして予想し、「ポップも保管しておいてください」と事前に頼むべきだったのだ。だからこの悲劇は「誰も悪くない、価値観が違っただけ」ということにもなろう。ただ、そんだけ価値観が違うならやっぱり、付き合い方は考えるべきですわよね。そして孤高は、やや渋め。

2022.5.19(木) 死なない程度に格好良く

 世の中には2種類の人間がいる。スターとそれ以外。「むかし銀幕のスターは生まれながらのスターだった 誰も知らないところに住み 会えるのはスクリーンの中だけ だけど時代はずいぶん流れたね 今じゃ隣のちょっとかわいいあの子が 次の日にはもうスターだってもてはやされてる」と篠原美也子さんが『誰の様でもなく』を歌ったのはもう29年も前らしい。

 スターはだんだん身近になってきた。YouTuberはわかりやすい例。能力か運が多少あればスターになれるようなそんな気さえする。しかしスターでありつづけることは本当に難しい。

 ちっぽけだが僕だってスターのひとりだと思う。ちっぽけでも続けるのは本当に大変なことだ。多くの先輩や友達、そして後輩たちがスターの座を、道を、降りていった。
 スター、とここで言うのは何も大げさなことではない。ただ「格好良い」というだけのこと。スターの要件なんて実のところ、そんだけだと思う。

死んだらそれでお終いさ
   2000.10.18 Wednesday
   author : 麒麟


死なない程度に格好良く
そうして生きてりゃ問題ない
死なない程度に格好良く
僕にはそれしか解らない

血にまみれてまで掴む勇気が
無謀だとは思えないのか?
感動を与えることが
人生って事じゃないだろう?

感じさせるな
その五感に
冷たい雨に気が付かぬように
ただ少し息をのみ
見上げた空に吸い込まれようとも
俺は死なないだろう

死なない程度に格好良く
そうして生きればそれが答え
死なない程度に格好良く
僕が見つけた一つの答え

誰にも迷惑にならない
微かな希望の骨頂
楽には死ねないだろう きっと
死なない程度に格好良く

           20:28
(「ッんだよ・・・・くそがッ!!」より)

 彼が高校2年生、17歳になって約2ヶ月半の詩(日記でもあろう)。「死なない程度に格好良く」というフレーズはこの後も彼の座右の銘として長く置かれていた。今は知らない。ただ、おそらくはまだ近くにある。
「他校の後輩」として出会った僕はこの人に強く憧れ、このフレーズも数えきれぬほど唱えた。死なない程度に格好良く。その意味をいまだわかっているとは言い切れない。詩の美というのはそういうものだ。響きとして常に在れば。

 死なない程度に格好良く。もう、過不足がない。足りないことも、付け加えることもない。死んだらそれでお終いなのだ。千切れるほど研ぎ澄まされていた僕や彼が一度たりとも死ななかったのは、この言葉があったからかもしれない。
 死なない、ギリギリのところで僕は格好良く生きているつもりだ。スターを手放すつもりはない。だからと言ってそのために死ぬような愚も犯さない。彼がどういう気持ちで今を生きているかは知らない。今会っても彼は彼なりに格好良い。死なない程度に格好良く、生きている。


 よくこの日記にも登場する西原夢路くんは「死なない程度に格好良く」という言葉をおそらく意に介さず、2011年に死んだ。彼は「死なない程度に」という諦念を持てなかった。


 麒麟さんと初めてまともに話したのは2002年の3月だったと思う(2023/05/23追記:7月だったことが判明!詳しくはこちら)。初対面は2001年8月だがその時にはほぼ肉体の交流のみがあり、言語のやり取りはゼロに近い。それをきっかけに僕は彼の日記(ほとんどは引用した詩のようなもの)を覗くようになって、たしかメールも送った。日記(メモライズ)の壁紙が『うめぼしの謎』だったのと、メールアドレス(だったと思う)に「outlaw-star」みたいな文字列があったので、そのことを書いた気がする。この頃のメールはめちゃくちゃ探せば出てくるかも。
 アウトロースター。アウトロー(無法)なスター。まさに当時の彼に、そして僕にぴったりのワードである。元ネタは『星方武侠アウトロースター』というアニメ。彼は伊東岳彦先生のファンだった。

 2002年の7月、10代の僕らはまるで論理的でない詩のような言葉で語り合った。生まれて初めての感覚だった。音楽のセッションってのをしたことがないが、そういうのと似ているんじゃなかろうか。明るい話題ではなかった。「人生は遠い」と言い合ったのをよく覚えている。この話は何度も書いているが、何度でも語りたい。僕にとって本当に重大な時間だった。

「人生は遠い」「アゼルバイジャンな気分」覚えているのはこの二つくらいだが、わけのわからないイメージだけの言葉で僕らは何かをわかり合っていったわけである。そこには様々なものが漂っていたわけだが、かなり大きな勢力として「諦観」があった。その象徴的フレーズが「人生は遠い」で、深く記憶にしみこんだわけだ。
 僕らには諦観、諦念というものがあって、しかし絶望ではなかった。詩にくるまれてむしろ鮮やかであった。だから仲良くなれたのだろう。
 また別の時、矢田川の橋の下に「アキラメモード」って落書きがあって、それを見て(直接だったか画像だったか忘れたが)お互い笑ったのも覚えている。諦め。アキラメ。でもそれは僕らにとって決してマイナスだけをもたらすものではなかった。なぜならば僕たちのアキラメの後には「格好良く」がある。死なない程度に格好良く。

 死んだらそれでお終いさ。
 死なない程度に格好良く。


 僕たちにはわかっていた。無条件で格好良くいられるほどのスターではない。死なない程度のスターなのである。だけど決して「格好良く」を手放すつもりもない。そこをまったく諦めようというわけではない。「星くずの俺たち けっこういいとこあるんだぜ」と歌う主題歌のアニメ『宇宙船サジタリウス』を、まず間違いなく彼も同じ枠の再放送で見ているだろうし。(オープニング省略されてたっけ? いや本編見てれば十分!)

 死んだ西原は、無条件で格好良くいられると思っていたのかもしれない。「芥川賞を取るんだ」とずっと言っていたのも、どれだけボロボロでも仕事(教員だった)だけは行こうとしていたのも、その完璧主義、潔癖さ、「たとえ死んでも格好良く」という美学(?)のせいだったんだろうか。
 西原くんよ、死んだらそれでお終いだ。本懐を遂げたつもりならそれも一つだが、こっちはせいぜい「死なない程度に格好良く」で生きていく。
 結局のところ、西原と決定的に「合わなかった」のはそこだったのかもしれない。ポイッと諦めて簡単に退けてしまう僕のことがムカついてしょうがなかったんじゃないかね。死人に口なし。どうせそうだろう。
 細く長いスターを僕はこれからもやっていく。西原は「太さ」をどうしても捨てられず、「短い」という結果をとってしまった。


 自殺する理由の多くは「不安」だと思う。未来が怖いのだ。西原くんは直接的には自殺じゃなかったかもしれないが、彼がずっとその恐怖と戦っていただろうことは、少なくとも何年かは一番の親友であったはずの立場から推定する。
 なぜ未来が怖いか? 「良い未来」を望むからである。
 それが現状から遠いほど不安は大きくなる。
 あるいは「悪い未来」を嫌がるからだ、ともいえるが、「良い」「悪い」というのはまったく主観的なもので、当人が決める。たとえば西原が「芥川賞を取る」ことを「良い」として、「芥川賞を取れないどころか、生涯一冊の小説も出版されない」を「悪い」と思っているのだとしたら、晩年の現状は「まだ一冊の小説も出版されていない」なので、彼の理想からはほど遠く、さぞ焦り、不安だったことだろう。
 一方でたとえば僕は「格好良い」を「良い」とし、「死ぬ」を「悪い」とする。その間にはかなりの幅があるし、「死ぬ」か「格好悪い」かであれば、即断で後者を選択できる。「アキラメ」とはそういう余裕でもある。
 おかしいな、彼も椎名高志先生の『GS美神 極楽大作戦!!』を愛読していて、我々は声を揃えて「横島クンは人生の師匠!」と叫んでいたのに。横島忠夫先生(17歳)はまさに、概ねどんなときでも「格好悪い」を選択する人だった。むしろそれが潔く、格好良かったし、そこをベースとして「死なない程度になら身体を張れる」というのが横島先生最大の美徳なのである。
 しかしそれを彼は「自虐」や「自傷」(ある種の)という形で実践してしまったのだろう。僕とは解釈違いだ。横島クンの情けなく格好悪い部分だけを真似したってしょうがないのに。
 もちろん、「一流の漫画読み」(自称)たる彼がそんなことわからないわけがないので、わかってはいてもどうすることもできなかった、ということなんだろう。


 この1年半で2人の若い友人が自殺した。2人ともたぶん「死なない程度に格好良く」という人たちではない。どちらもある種のスターではあったが、それを続けることができなくなってしまったんだと僕は勝手に解釈している。
 ここでいう「スター」というのは必ずしも「人気商売」を意味しない。「格好良い」という状態でいることだ。もちろんそれは客観的に見て、という話ではなくて、彼や彼女の「理想」の話。
 たとえば「こうありたい」という状態があって、それが叶わない時、「じゃあこうでいいや」とあっさり引き下がれるか、否か。
 柔軟に理想を変えられるかどうか。「格好良い」が実現しないことを受け入れられるか。「みっともない」という状態に耐えうるか。
 成績がずっと1位だった人が、100位に落ちて、その後も学校に通えるか、というような話。
 通える人は通える。その後200位に落ちたとしても、「それはそれで」と思える人もいる。思えない人もいる。
「みっともなくて無理! もう学校に行けない!」と思ってしまう、それは気持ちとしてよくわかる。
 ここで「だったら学校に行かなければいい」と思うのは簡単だ。しかし「成績が落ちたから学校に来なくなった」と思われることは、もっと恐ろしく「みっともない」。だから人によっては、この時点で死を選ぶだろう。


 スターであり続けるということは難しい。
 スターがスターを降りることも難しい。
 スムーズにできなくて死を選ぶことさえある。
 やめられるタイミングがあるなら、やめてしまったほうがあとで楽なのだ。
 中途半端に「格好良い」という状態、自分の理想の状態、みんなから褒められたり認められたりする状態を「良い」と思い続けてしまうと、そこから動けなくなる。
 スターになったら永遠にスターでいるか、「今だ!」というタイミングで列車から飛び降りて、スターでない生き方に活路を見いだすか。
 どちらもできないと死を選ぶことさえある。

 僕はわりと、「なんでみんなスターでいようとしないんだ?」と思ってしまうほうである。しかし、バタバタと死んでいく人たちを見ていると、「どうしてもっと早くスターなんてやめてしまわなかったんだ?」とも考える。
 で、結論は「死なない程度に格好良く」なのである。そのバランス感覚。
 格好良くあり続けることは大切である。みんながスターであるほうが素敵だと僕は思う。だが、いつまでも同じ「スター」観を持ち続けて、その維持のために命を落としては元も子もない。そこは「死なない程度」でいいじゃない。
 見栄張って破産するより、ちょっとずつグレード落として行って、並行して「安価でも格好良く見せる」工夫を身に付けていったらいいじゃない、とか。
 若い美は衰えていく。年齢を重ねれば同じ見た目ではいられなくなる。維持よりも、変化を前提として、ではどのような美しさ(格好良さ)が実現可能かを考え、工夫しなければならない。
 もちろんそういうのはかなり大変である。頭も使うし技術も高めていかなければならない。要するに面倒くさい。格好良くあり続けるためには、そういう面倒を引き受けなければならない。面倒がって「維持」ばかりを考えていると、それが立ちゆかなくなった時、一気に破綻が訪れる。

 楽しく生きるのにはエネルギーが要る、というのはそういうことでもあるのです。


「楽しく生きるにはエネルギーがいる」。村上龍が『69 sixty-nine』という小説のあとがきに書いたフレーズ。
 人間というのは、同じことを続けることにならあまりエネルギーを必要としない。ホメオスタシス? 恒常性維持機能? みたいなのがあるからか。考え方や習慣を変えたり、まったく違うことを始めようとする時には、莫大なエネルギーを要する。僕も最近始めた「喫茶 夜学バー」とか、そのInstagramとかに相当多くのエネルギーを吸われてしまった。それもあってだいぶんくたびれている。でも、そういうことをしなければならないのである。人は、時に。
 当たり前だが、動かないと踊れない。

 スターを続けるのは難しい。はっきり言って、同じ状態をずっと続けてスターであり続けるような人なんてまずいない。よく見ると変わっている。
 先週の『ナインティナインのオールナイトニッポン』で、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんの芸「押すなよ! 押すなよ!」がある時から「押せよ!」になった、という話をしていた。最初は「押すなよ!」と言ったのに押す、というギャグだったわけだが、そのうちに「押すなよ!」と言っても押さなくなって、そこに「押せよ!」と怒る、というところまでがセットのギャグになる。マンネリを逆手にとって新たな笑いを作り上げるわけである。そんな説明をした矢部さんに対し、岡村さんは「伝統芸って言われながらも実は進化してる。その時代時代に合わせていってて、笑いは増えていってたんですよね。これ、すごいことに。」と付け加えた。

「信じたいために疑い続ける」的な、「変わらないために変わり続ける」的な、逆説。
 その柔軟性、ある意味での諦めみたいなものが、スターをスターでいさせる。

 スターでいるためには二つの覚悟が必要なのである。まず「スターである」ということを引き受ける覚悟。「格好良い」という状態を維持する覚悟。
 もう一つは、「格好良さのために変わり続ける」という覚悟である。
「スターではありたい、でも変わることはできない」という人が、いよいよバランスをとれなくなると、死ぬことさえあるんだろうなと思う。
 念のため書いておくが、最近死んだ特定の人のことを言っているのではない。そういう場合もあるだろうというだけ。


 別の話。ある人は、ちょっとスターのような活動をしていた。大学卒業を機にそれをすっぱり辞めて普通の会社に就職した。仕事、結婚、子育て……。そういったことに集中した。よくある話。
 その人はちっとも格好良くなくなった。一般性と常識に埋もれていった。幸福であった。しかし、配偶者や子どもからはもうあまり褒められることがない。
 どうしたらいいのだろうか?

 死なない程度に格好良く、せめて少しだけでも、配偶者や子どもにとってのスターであればと思うが、なんだかあんまりそうでもなさそうなケースが多いような気がする。
 たとえばいわゆる、「SNSで若い女の子に没個性なリプライを飛ばすおじさん」なんかは、もうちょっとあらゆる場所でスターたらんとして生きてくれないかなと個人的にすごく思うのです。
 スターはどこにでもいる。僕は地方の高校演劇の大会でその人に出会った。輝くことは希望であるはず。誰もが輝かんとして、スターたらんとして生きていったほうが、みんな嬉しいんじゃないのかなあ。

2022.5.10(火) この愛はメッセージ!(自由と摩耗、さみしさと優しさ)

 来店二度めのお客。大学生の若い男性。このホームページを見て再び訪れる。「前にお会いしたときは、そんなに憎しみに満ちた感じに見えなかったんで意外でした(意訳)」というようなことを言われた。そう僕は憎しみに満ちているのである。
 ここ数日その憎しみとは一体なんだろうと考えていた。一つ出た結論というか結語(?)は「潔癖」ということであった。「納得しないこと簡単にはうなずけない」(岡崎律子『A Happy Life』)の精神。実の親いわく幼少期の僕の口癖は「なんでいかんの」だったという。名古屋弁で「どうしていけないのか」の意。ダメと言われたらとにかく「なんで?」と問うていたらしい。面倒な子供である。その頃から「常識」というもので動かされることを嫌っていたとみえる。

 身の回りを自分にとって美しいと思えるものだけで固めていたい、というのが潔癖ということだが、それは当然常識的な、また客観的な「美しさ」と必ずしも合致しない。
 崇敬する植芝理一先生による大好きなまんが『ディスコミュニケーション』に「光るゴミ」という回がある。主人公の高校生男女(松笛と戸川)が街を歩きながら「光るゴミ」を探すという筋。

戸川「それにしても…… 街の中っていろんなゴミがあるのねー」
松笛「戸川は ゴミって嫌い?」
戸川「実は…… けっこう好き!」(エヘッv)   1人で歩いてる時なんかけっこう地面に落ちてるいろんなゴミを観察しちゃう
  空き缶 空きビン ペットボトル
  テレクラのティッシュ エッチな雑誌
  放置された自転車
  捨てられた人形 ロボットのおもちゃ
  あとゴミをあさってるカラスの群れとか
 「なんだか知らないけど 自然とそういうものに目が行っちゃう」
    もちろんきれいな場所ーー 桜並木とか庭園とかも好きだけど……
  汚くてゴチャゴチャした場所を歩くのもけっこう好き
松笛「じゃあ戸川はーー きれいなものも汚いものもどっちでもーー つまり“見る”のが好きって事か」
戸川「あ そうかもしんない 歩きながらその時その場所のいろんなものを見るのが好きなの!」
  今 歩いている目の前の光景も
  100年たったら全然違う光景になっちゃうかもしれない そして100年後のこの道はわたしは見る事も歩く事もできない
  わたしはもう この世にいないから
  そんな事考えながら歩いてると
  今 こうして見ている景色が
  ものすごく不思議でかけがえのないものに見えてくるの
 「たとえその景色がきれいでも汚くても なんだかとても美しいものに見えてくるの」
松笛「戸川! 今日は光るゴミを探しながら この街のいろんな光景を2人で見よう!」
戸川「うんっ‼︎」
(植芝理一『ディスコミュニケーション』11巻「光るゴミ」P152−155)

「たとえその景色がきれいでも汚くても なんだかとても美しいものに見えてくるの」
 この戸川の言葉が、ずばりそう、それ、っていう感じ。
 美しさというのは「きれい」か「汚い」かではかられるものではない。僕のもつ「潔癖さ」というのは、「きれい」を良しとし、「汚い」を悪しとするようなものではない。ではいったい何かというと、これは非常に難しいというか、まだ考えている途上でもあるのだが、なんとなくいま思っていることを書いてみると、「なんだかとても美しいものに見えてくるの」という感性を邪魔するものだけは許せない。
 たとえば「きれいでしょ!」とか「汚いよね!」と迫ってくるもの。そんな急いではいけない。美しさとはじっくりと浮かび上がってくるものでもあるかもしれないのだ。

 ところで、この「光るゴミ」回で松笛がいう「そうかもしれないぜ」という一言は、僕にとっては作中きっての「好きなセリフ」である。気になる人は是非読もう。夜学バーに全巻あります。特に若い人はこれを読んで早いとこ頭をおかしくしておかないと、常識に蝕まれてものごとを「きれい」と「汚い」で分けてしまうようになる。ゴミが光っていることに気づけなくなる。


 5月8日に「フリマ」に出た。ダチュラ・フェスティバルの主催者たち(夜学集会=ヤガシュー)が出るというので僕も便乗した形。別々に申し込んだが隣のブースになった。いろんな人がいてみんなバラバラに無秩序で、その点では悪くなかった。
 学校の教室ふたつぶんくらいの広さに、モノを売っている人もいれば、お客さんに箱を積ませる(その間ギターと太鼓で演奏をする)スペースもあり、DJセットを持ち込んでズンチャカ言わせている人もあり。カーペットに座り込んだり歩き回ったり、まさに自由という感じであった。

 僕は途中からすごく気分が悪くなってしまって、結果的には終了時間の30分前に荷物をまとめて出ていくことにした。なぜ耐え難くなってしまったのかといえば、結論としてはたぶんそこに「設計」が感じられなかったからだと思う。(あるいは設計観の違い。)
 自由を自由のまま箱の中に放り込めば、欲望が暴走する。暴走しても楽しいだけの欲望もあれば、暴走させると周囲に負担をかけるタイプの暴走もある。自由な空間はそのいずれもを許す。その許しはすなわち「優しさ」である。そこは優しさに満ちた空間であった。
 僕の言う「設計」というのは、ある種の厳しさである。許せないことを抑制し、許せることへと誘導する仕掛けである。「これは許せない」「これは許せる」という視点が必要になる。つまり権力を持った管理者がいる、ということになって、そのぶん自由度は低くなる。

 誤解されぬうちに書いておくが、僕の理想は「誰もがみな自由に生きてゆくことを許しあえればいいのさ」(尾崎豊『自由への扉』)である。みんなの自由をみんなが許しあう世界。ゆえにこそ、「周囲に負担をかけるタイプの欲望」を発露されると非常に困ってしまう。正直な話、よほど成熟した人間でなければ、「自分の自由」と「他人の自由」とを両立させようと努めることは難しい。努めることさえ難しいので、その実現は大変遠い。
 優しさに満ちた空間では、「周囲に負担をかけるタイプの欲望」をも許してしまう。問題はそこにある。それを避けるにはたとえば「設計」が必要だと僕は考える。そういうことになるのを避ける仕組みづくりである。たとえば会場の作りだとか内装だとか目に見えるものもそうだし、「ルール」という形のないものであってもいいし、場を取り仕切るスタッフの「態度」であってもいい。あらゆる手を尽くして、みんなの自由がバランスよく両立する空間を目指すというのが、いまここで僕の言っている「設計」という語の意味である。

 能天気に性善説な人たちは、「自由でどうぞ!」とだけ言って、その皺寄せに目を向けない。その裏で、まじめな優等生たちがどんだけ負担を強いられ、大人しく我慢していることか。名作漫画『鈴木先生』でも語られている。

鈴木「だけど今の学校教育は我々が普段思っている以上にーーー 手のかからない子供の心の摩耗の上に支えられているんだ…」
(武富健治『鈴木先生』5巻 「@掃除当番 その4」)

 僕は「さみしさによる優しさの搾取」と呼んでいるが、優しい空間には必ず、さみしい人が集まる。そして優しい人を搾取する。「優しい人」というのはもちろん、「手のかからない子供」という類の存在も含む。
 全員が全員、「さみしい人を救うためになら、わたしの優しさをどれだけ与えても構わない」というふうに理解して(割り切って)いるのなら、問題はない。しかしそこで起こっているのは、「さみしい人」が、「さみしくて優しい人」を搾取している、ということかもしれないのだ。それを想像したら、できるだけそれの起こらない構造や仕組みを考えて、場を設計しなければならない。(個人の理想論です。)


 美しさというのは、じっくりと浮かび上がってくるものかもしれない。その余裕がどこで生まれるかというと、「自由」から生まれるのだと信じる。どういうことかといえば、戸川が言っているのは「散歩」のことであり、散歩とは自由そのものなのである。どこをどう歩いてもいいし、何を見てもいいし、見ないこともできる。いつでも立ち止まれる。ゴミを拾ったっていい。拾わなくてもいい。
 戸川があのように散歩できるのは、その街がある程度平和だからだし、誰も戸川の自由を侵害してこないからなのだ。だから彼女は安心していろんなものを見て、感じることができる。その余裕の中で、美しさというものは浮かび上がってくる。
 理想は、誰もがそのように散歩できる街なのだ。その実現は難しいが、目指して設計をしなければいけない。


 僕が自分のお店を通じてやろうとしているのは、その「設計」そのものなのだ。便利だが入りづらい立地と門構え、店内の構造や内装、牽制するかのような文字だらけのホームページ、暗黙のルール、いわゆる「客を選ぶ」ということ、店員(僕など)の態度、などなど、あらゆる要素を駆使して「誰もがみな自由に生きてゆくことを許しあえればいいのさ」の実現に向ける。
「誰もが」という語の範囲は、理想としては当然「全人類」なわけだが、当面不可能ですので、「このお店の中」だけでとりあえずやる。僕の試みが少しでも広がれば、世の中にそういう空間が増えて、ひょっとしたら「そういう人」も増えるかもしれない。僕なりの地道な革命。

 それがちょっとここんとこうまくいかなくて、愚痴みたいな文章を書いたのが4月29日の日記(から始まる今日までの一連)なのですが、僕が言いたいのは結局「似た理想を持った人間はいないのか? さみしいんだが!」というだけ。
 上記したフリマの会場は「10代のための場所」みたいなことをうたっていて、もしかしたらと少しは期待したのだが、どうやらそういうことでもないらしい。決して悪し様に言いたいわけではなくて、彼らは彼らで彼らの持ち場を理想と信念に従って一所懸命に作り、守り、認められ、ちゃんと人も来ているんだから、まことに立派なものなのである。だからこそそれを見て、また少しさみしくもなる。


 昨日(9日)、わざわざ「お話が」と言われ外に出て、この「一連」に関する話をある人とした。僕が非常にさみしがっていることをわかってくれたのであろう、『まなびストレート!』でいうと落ち込んでいるむっちーの家を訪ねるみかんちゃんムーブである(第6話「シナモンシュガーレイズド・ハピネス」)。なんでも『まなびストレート!』でいいたがるのは僕がそういうオタクだから。
 あちらとすれば「わたしの意思をあなたはわかっていなさそうだから言っておきますが、わたしの意思はこういうものです」という話で、こちらとすれば「そこまでの強いお気持ちだったとは、非常にありがたいです、引き続きよろしくお願いいたします」ということだった。それで救われる気持。世界のどこかで、一緒に血反吐吐いてくれる人がいるのなら、結局がんばれるんだよね。それだけで。たとえば札幌でヤマダさんって友達が「漂流教室」っていうすごい活動を淡々と(?)してるんだけど、彼(ら)がどんだけ孤独で、どんだけ血反吐吐いてるか、僕なんかよりずっとなんじゃないかとさえ思うんで、札幌行ったらぜひ「漂着教室」に寄ってみてほしい。あれはああ見えてちゃんと「設計」が効いている。だからと言ってうまくいくことばかりとも思えず、僕の想像もつかない大変なことが無数にあるのだろう。たまに思い出したり、足を運んだりして、勝手に心強くなっている。

 とにかく僕は愚かさを追い出すことの手は緩めない。たとえば、バーで、たまたま隣に座った女性に、自分の話したいことをべらべら喋り続ける男性がいて、女性のほうが「そうなんですねえ〜」と丁寧に聞いてくれていたとしても、それは「さみしさによる優しさの搾取」であって、「手のかからない子供の心の摩耗の上に支えられている」というような事態である可能性は、非常に高い。そういうことを許さないための設計を、さらに洗練させていかなければならない。
 例のフリマでも、若い男が、若い女性のブースの前に合計何十分も立ち止まって、何やら話している光景を見た。彼女がどう感じていたのかはわからないし、彼が結局彼女の作品を買ったのかどうかとかも、何もわからない。その男性は、おそらくすべてのブースで似たようなことをやっていたし、話しかけられそうな人間のすべてに話しかけていたように見えた。僕はかなりそっけなく対応したからかすぐにいなくなったが、それでも何度か来た。いちばん長いこと対応していたのが、たぶんその若い女性だったと思う。
 彼はさみしいのである。とにかく誰かと話したいのだ。僕のブースでも、10円の冊子を買ってくれて、お店の名刺を手にとって、「お邪魔してもいいですか」と僕にたずねた。申し訳ないが僕は何も答えなかった。その時僕にできることは何もなかった。ブランキー・ジェット・シティの『ディズニーランドへ』みたいな気分だ。彼はそのまますぐにいなくなった。そして別の人のところに行くのだろう。さみしさは消えることがない。僕には彼のさみしさを救ってあげることはできそうにもないし、余分にエネルギーを出してまでそれをしてあげる理由もない。一体どうしたらいいのだろうか? あの空間に満ちた「優しさ」が、根本的に何かを解決させられるとも思えないが、僕に何かができるとも思えない。誰かに何かができるとは考えられない。

 僕にできて、すべきのは、自分の持ち場でがんばることだけだ。やるせないがそれしかない。
 それを理解してくれて、支えてくれる人たちには心から感謝したい。でも、それが明確な形として伝わってくることがあんまりないし、僕もそれほど自信のある人間じゃないから、心細くなるし、さみしくもなる。孤独な気がする。誰か、何か、と思ってこんなことを何度も書いている。そしたら、照れたろうに、恥ずかしいだろうに、伝えてくれる人がいくらかいる。それだけでもうちょっとまたがんばれる。まあなんとかやっていきます。もう少しずつ。この燃料が切れるまでは……。

2022.5.6(金) それなりにはまあ暗くなるわな/再会の美

「常識三部作」と名づけた前回を含む3回の日記に関して、LINEで少し話した友達が2人ほど。あとは、お店に来ていくらか触れてくれた人が幾人か。恥ずかしいし、そんなもんでいいのだが、書いた側の感触としては無風に近い。
 わかっていたことだが、たぶん本当に僕の言っていることはわかられていない。そうとしか思えない。何を言っているのか、どのくらいわかってもらえているのかまったく自信がない。見当もつかない。ただ僕のことを好きな人がけっこうな数いることだけはわかって、その確信だけが救いである。だったら十分幸せだろうとハタから見れば思えるのかもしれない。そんだけ愛されていて何を贅沢言っているのかと。でもそういうのって別の話になっちゃうよね、人間。僕はもうこの人生を続けていくことについて大きな絶望はないが、自分の言っていることややっていることが思うほどは伝わらない、理解されない、愛されない、また儲からないだろうという不安は常に莫大にあって、それなりにはまあ暗くなる。
 むろん、伝わるように努力しよう、という方針ではある。だけど薄めたり単純化してわかってもらうということはどうしてもできない。ただがんばるだけ。「わかってくれ、ここまで言ったらわからないか? じゃあもうちょっとこうしてみようか、それでもダメか、じゃあこうしてみるか? あ、ほんの少しだけ伝わったのかもしれない。だけどもっと伝わってほしい、わかってくれ、わかってくれ……」そんな感じのことを一生続けていくんじゃないかな。

 言っていることが「わかられる」って実感は得にくいのだけれども、僕の言ったことややったことがどこかに「届く」ってことはある。普段はそれなりに暗くも過ごしているけれども、たまにあるそういう証拠のおかげで生きていける。
 5月4日にある女の子が、代々木公園で自分の写真集(自分が被写体のものと、自分が撮影したものの2冊)を手売りする、そういうツイートを前日の夜くらいに見かけて、行ってみた。会うのは2年以上ぶり。渋谷で用事を済ませたあと、18時からお店だったので、ほんの数分しか滞在できなかったが、とても喜んでくれた。当たり前である。僕ならめっちゃ喜ぶ。
 雑に要約すると「ジャッキーさんのおかげでわたしはいまこうしてここにいます」的な内容のことを言ってくれた。当時、僕が少しだけそそのかした(背中を押した?)ことが、彼女としてはたぶんかなり大きな一歩だったのだろう。いまも若いが当時はさらに若かったわけで、そのそそのかしが吉と出るか凶と出るか、たぶん誰にもわからなかったし、いまも答えはない。だけど現在我々はたぶん友達であり、それぞれにがんばって、自分の信じたい道を行こうとしている。共通の友達も元気でやってる。それだけはとりあえず確認できたと思う。それでいいのだ。それだけで十分である。その証拠を手に僕はより多くの勇気を持って生きていけるし、彼女のほうもほんの少し心強さが増すはずである。(そう信じる。)

 夜学バーに出入りする若い人たち(夜学集会と自称していて、こちらとしては嬉しいがむずがゆい。まあそう自称することで夜学バーを使い放題にするハラでもあろう。問題ない。)が8月20日と21日に「ダチュラ・フェスティバル」とかいうのをやるそうな。村上龍の『69 sixty-nine』が下敷きとしてあるそうだが、僕が発案したのではない。たまたま好みがかぶってしまった。「ダチュラ」は『コインロッカー・ベイビーズ』からですよね、わかります。
 この2年間に高校生活を送った人たちは、文化祭をまともにやれた経験がほとんどない。だからこそ自分たちの力で「フェスティバル」をやろうというのだろう。『69』で矢崎くんたちにフェスティバルを開催させたのは1969年当時そこにあったえも言われぬエネルギーだったのだと思うが、「ダチュラ・フェスティバル」の彼らも、えも言われぬエネルギーに動かされている。それを「時代の力」と言い切って仕舞えば単純な話だが、たぶん彼らはそんなもののために走っているのではない。なんだか、もっと恐ろしく大きいもののために走っているのだ。ついて来い! フィロストラトス。

校長「いいかっ 不屈! この試合でもし負けて校長室に優勝旗を飾れなんだら… その時野球部は廃部じゃっ‼︎ いいなっ」

不屈「ふざけるなっ‼︎ おれたちは そんなことのために戦っているんじゃあないっ‼︎ そんな小さいもののために戦っているのではないっ‼︎ ひっこんでいてもらおうか」

(島本和彦『逆境ナイン』)

 野球部の廃部を阻止するために始まったこの物語は、上記のようにまとめられて終わる。僕の頭をおかしくさせた作品は数多あるが、小学5〜6年生くらいの時に読んだ『逆境ナイン』はその筆頭近くに必ず置かれる。ご興味ある方は是非。たったの全6巻。
 前述した代々木公園の女の子も、たぶんこの2年間に高校生活を送った一人だと思う。そしてまた、「恐ろしく大きいもの」のために走っている一人でもあろう。そういう人たちを僕は好きだし、僕自身もずっとそういう人間であったという、それだけは「わら一筋の自負」としてある。(参考文献:太宰治『富嶽百景』)

 ぜひ、そういう人たちはみんな「フェスティバル」で合流してもらえたらと勝手に思っている。会場代やら何やらでお金はかなりかかる。それをどう工面するかで初期メンたちは頭を抱えているはずだが、もし足りなかったらもちろん僕は出せる額をいくらでも出す(絶妙な表現)。前回の記事に書いた「僕にお金を渡したら世の中が少しだけよくなる」というのはそういうことでもあるんですけど、ピンと来てくれる人はほぼ皆無。月に1500円入ってきていたお金は期間限定だったのか、5月から「月に4円か5円」まで減ったようです。フェスティバルまで3ヶ月ちょっと。15円くらいならご支援しますよ、ダチュラ・フェスティバルのみなさん! 僕にみんながお金をくれればいくらでもご支援しますけどね! みんなくれないからね! とりあえず日雇いのバイト入れるね! 闇金もいくね!

 ひごろ吝嗇だが、「それをやるならお金は僕が出そう!」というようなことはたまにあって、お金があればあるほどそういうことはやりやすくなる。しかし僕にお金は決して集まってこない。不思議なものである。


 僕は孤独であるが、だからこそ友達がたくさんいるし、時に幸福を感じることもできる。それでいいというか、それしかない。すごくさみしい。それは10年以上前に『さみしい』というタイトルでまんがを描いたころからあんまり変わっていない。だがまあ、そういう地道な積み重ねが道になるとしか。

 最近、お店のお客も(もちろん売上も)ずいぶん少ない。営業時間を絞ったりしてるからってことでもあるんだが、往時(2年以上前のこと)を振り返るとぜんぜん違う。と言って、お客を増やすために「以前なら来てほしくなかったような人たち」に門戸を広げようという気持ちは一切ない。つまんないならやる意味はない。つまんなくていいんならもっと別の仕事をやる。

 これも2年以上前だと思う。毎日深夜2時くらいに開店する、80近いお爺さんが1人で経営する近所の食堂で真夜中、牛乳ハイ飲んでたら、中国人の女の人が入ってきて、その時たまたまおしゃべりなタクシー運転手さんがいたので3人でちょっと話して、その時にたぶんショップカードを渡したんだと思うけど、なんと5月1日にその女の人がきてくれた。2人しかお客のなかった日で、2時間くらい一対一で話した。中国語訛りのカタコトで、独り言はぜんぶ中国語。魯迅の『故郷』は中国の教科書にも載っていると教えてくれた。佐藤春夫のつくった漢詩を読み上げてくれた。漢詩は向こうでも学校で習うそうだ。こっちで百人一首覚えるようなものなんだろうか。
 また会えてよかったし、また会えるといいなと思う。最近始めた「喫茶 夜学バー(通称京島店)」のほうは彼女のお家に近いみたいだから、いつかふらりと来てくれるかもしれない。そういうことが「証拠」なのである。2年以上も前に、ほんのわずかな時間をともにした、その想い出が悪いものであったなら、こんなことは起きていないのだ。僕がいい子にしていたからなのだ。
 5月3日に来てくれたお客さんも、1年ちょっと前に初めて来て、今回が二度め。その間に僕の『小学校には、バーくらいある』を読んでくれたそうだ。「ふと思い出して、来ました」と。ふと思い出してもらえて、その記憶が良いものだった、だからまた会える。そういうものなのだ。代々木公園の女の子との記憶は僕にとってすべて美しい。だから会いに行ったのである。


 それなりにはまあ暗くなるわな。ここんとこ、具体的にはたぶん3月半ばくらいから、心身ともにちょいっと忙しくて参ってきている。幸福でない出来事も多い。しかし、時おり上記のような幸福がある。実のところかなりたくさんある。だから仕方ない、続けていく。仲良くしてほしい、それだけです。本当にそれだけ。
 誰もお金はくれないし、コメントもリプライも、いいねもリツイートももらえないけれども、たまにお手紙は届くし、再会の時がある。そこは意外とトレードオフ(両立不可)なのかもしれない。孤独ゆえにこそ、素敵な友達がたくさんいるのだというのも同じ。ひとりぼっちになるためのスタートラインにあの時立ってよかったな。たぶん9歳くらいの時。
 なるほどな。大人になるとおこづかいってもらえなくなるもんな。僕のことを大人だと思ってるんだろうな。おこづかいちょーだい。

2022.5.3(火) 同情するなら金をくれ(常識を破って)

 下記2本の日記と併せてたぶん三部作になります。お願いします。

  2022.4.29(金) そうだよねえ!!
  2022.4.30(土) 9歳児(Que sais-je?)


 昨夜、お店にこの日記の読者が少なくとも3名いらっしゃって、そのうちのおひとりが「これまであえてあんまり褒めなかったですけど」と前置きして、この日記のことをとても褒めてくださった。単純に嬉しい。本当に、褒められることがたいへん少ない。

 僕は確かに、おそらく、意識的にも無意識的にも、「コメントなどしてくれるな」というオーラを出している。「感想なんて言ったら、おまえは何にもわかっちゃいない!って言われそう」とも言われた。その通りだと思う。そういう雰囲気を醸し出すことによって、僕は自分の身を守ろうとしている。
 何も言われたくないわけではないのだが、嫌なことを言われたくはない。嫌なことを言われるくらいなら、何も言われないほうがマシ。(よほど嫌なことが過去、何度も何度もあったのである。)
 僕がわかりにくい書き方ばかりするのは、わかりやすい書き方をすれば「嫌なことを言われる」から。みんなただ読んで、「よくわからない」と思って、そっとブラウザを閉じつつも、「でもジャッキーさんはなんか重要なことを言っている気はする」とだけ思ってくれれば、それでいい。詩を読むような感じで。
 と思っているのかもしれない。

 はっきり言って、もちろん僕は褒められたいが、褒めてほしいわけでもない。ただ僕の文章に嫌悪感を持たずに読んでくれる人たちが、仲良くしてさえくれたらいい。

 もしコメントがほしいんだったら、とっくにブログとかに「移行」している。今だったらnoteに書いてTwitterに貼る。そしたらコメントは来る。なんでかって、「そういうもん」だから。
 いま、世の中には「ホームページにコメントする」という文化がない。ここには掲示板もメールフォームもあるし、SNSアカウントだってリンクしている。直接会いに行けるお店が、なんと東京の上野にある。なのに僕にコメントは飛んでこない。なぜかというと、そういう文化(習慣とか癖と言ってもいい)が今現在、存在していないからだ。
 みなさまの「常識」の中に、「インターネットのホームページの内容にコメントする」という行為がない。だから誰もそんなことはしない。(これも「尾崎哲学」の根本をなす視点。)
「読んだ本が面白かったから作者にファンレターを送る」ということを、今や誰もしないのと同じことだ。

 だから僕はここでのびのびと、好き勝手なことを書いていられる。何を書いても誰も何も言ってこない。天国みたいな場所である。Twitterでやったらわけのわからないことをすぐ言われる。
 とはいえ僕はツイートに関してもコメントされることは少なく、かなりいいことを言っているつもりがあっても、リプライや引用リツイートされることは稀である。すぐにレスがつくのは「ぬるぽ」くらいだ。なんか言われた、と思ったら「嫌なこと」だったりする。
 ただ、Twitterには「いいね」とか「リツイート」という機能があって、よほどいいことを言っていたらそれなりにそういう反応はつく。10とか20とか。数百以上にバズったことは14〜15年くらいTwitterやってて一度たりともない。
 この日記(ホームページ)にはそういう機能すらない。カウンターが回るだけである。それも僕はほとんど見ていない。
 要らない。ウェブ拍手とか、そういうのも。ただこれを読んで、何も言わず、仲良くしてくれたらいい。


 もし、何か反応をしたいんだったら、お金をください。そう思って「お会計(セルフレジ)」というページを作った。ぜひ隅々までお読みいただきたいが、去年のお誕生日から半年運用し、Stripeの入金(Liberapay分を含む)が3370円。多いと思いますか?

 もしこの日記をnoteというプラットフォームに「移行」し、月額1000円に設定したら、仮に10人しか登録してくれなくても、半年で60000円になるのです。手数料引いて50000円くらい? 月額100円でも5000円にはなっている。
 僕は、たとえ月額1000円でも読んでくれるような熱心な読者がだいたい30人くらいはいると見積もっているので、半年なら180000円の入金がないとおかしいわけであります。
 でも現実にはそういうことがない。なぜならば、そういう文化が現代日本には存在しないから。
 noteはすでに「文化」となり、campfireに代表されるクラウドファンディングも「文化」となった。ああいうものになら今やみんな簡単にお金を払う。あれらは非常に「よくできている」から。
 Stripeなんかクレカ入力するだけだし、Liberapayもアカウント作る手間があるだけ。「面倒くさい」のは手間の問題ではなく、「文化、習慣、癖」の問題。
 すなわち僕のいう「常識」のこと。

 ちなみに、Amazonのほしいものリストを使った「ドラえもん全巻を夜学バーに!」キャンペーンは、けっこう順調に集まってきています。こちらは「目標が明確」「結果がイメージしやすい」「現金よりモノのほうが気軽、重たくない」「ジャッキーさんらしい」というような事情がいろいろありそうだけど、いちばんは「Amazonのほしいものリストからモノを送る」という行為がもう「常識化」しているからだと思う。みんながもう、そういう発想に慣れている。見慣れているから、参加もしやすい。これがもし、「通販でドラえもんを買って、夜学バーの住所を指定してください。足りない巻はこちらです。」みたいなやり方だったら、もっと少ないでしょう。それはまだ「癖」になっていないから。手間はそれほど変わらなくても、なんとなく「遠い」気がする。自分の中で「常識」になっていないから。常識化していないことをやるにはエネルギーが要る。だから、ずる賢い普通の人は、常識につけ込んで、「このやり方なら慣れてるでしょ? ほら、お金を出して!」とやるのです。

 もし僕がクラウドファンディングやったら、それなりのお金は集まると思う。そういう意識はもうみんなの中に根付いている。「知り合いがクラウドファンディングをやっていたら、支援してあげよう」という意識が。常識が。
 そこ(常識)につけ込もうという気持ちは僕にはまったくない。そうではなくて、「常識の範囲内から出て、僕にお金を渡しなさい」と言っているのです。

 SNSならいいねはするし、リプライもするけれども、ホームページにコメントはしない。同様に、クラウドファンディングなら支援するけれども、僕のやっている「わけのわからないお会計(セルフレジ)システム」には、誰もお金など払わないのである。
 ア、簡単に考えつくようなことはほとんど僕は考えていると思うので下手なツッコミはよく考えてからにしてください。「クラウドファンディングは見返りがあるから」「クラウドファンディングには明確な目標や目的意識があるが、ジャッキーさんがやっていることはそれが曖昧だから」「お金を払って読めるものにお金を払うのと、お金を払わなくても読めるものにお金を払うのとを同列に語るのはおかしい」等々。
 僕はむしろそういう考え方(常識)を嫌だと言っているのです。
「わかりやすい見返りがないとお金を払いたくない」も、「目標がないとお金を払いたくない」も、「お金を払わなくても読めるなら払わない」も、ただの「常識」で、その人がイチから考えたことではありません。漫然と生きるうちになんとなく身につけてしまった「気分」に過ぎない。洗脳された証拠でしかない。
 僕の理屈では、僕にお金を渡すことは、僕の全活動に対する「支援」であり、僕は明確に「世の中をよくする」という目標を持っている。僕にお金を渡せば、世の中はほんの少しだけよくなる、というのが僕の主張である。ただそれが「見えにくい」し、「説得力ある説明をしていない」からか、ほとんど誰もお金を払わない。
 クラウドファンディングの説明文がなんであんなに長いのか? それは「納得させる」ためである。情報商材の説明ページがめちゃくちゃ長いのとほぼ同じ理屈。「これにお金を出すことには、こんなにメリットがあるんですよ」と暗示をかけるための時間。
 僕は僕なりに、あんなもんより遥かに長い、22年間をかけて書かれたこのホームページや、それ以外の種々の活動のすべてをもって、それにかえようと思っているわけだが、そんなこと言われても「はぁ」というのが正直な感想というものだろう。
 そんなことより「私は夢を叶えたいし、私が夢を叶えることによってこの地方は活性化するし、子どもたちは救われるし、どっかの国の難民にも寄付をします」とか言われたほうが、話は早いのである。
 そう言われれば簡単に、「あ、自分がお金を払うと、つまり世の中はよくなるんだな」となる。
 ところが、僕にお金を渡したとて、世の中がよくなるかどうかは、よくわからないらしいのである。なんでか知らないが。
 なぜ、「私は夢を叶えたいし、私が夢を叶えることによってこの地方は活性化するし、子どもたちは救われるし、どっかの国の難民にも寄付をします」という人にはお金が集まるのに、僕が「僕にお金を払えば世の中はよくなります」と言っても、お金は集まらないのだろうか?

 なぜ、僕のことが大好きで、僕のことを応援したいと思っている人ですら、お金を払わないのだろうか?

 それはおそらく、僕がcampfire等の「よくできた」流行プラットフォームを使っていないからだし、「常識に則った納得のいく説明」をしていないからである。
 だから僕は、自分がお金をもらえないことに対してまったく憤りはない。もらえなくて当たり前だと思っている。だからこそ堂々と言える。「金をくれ」と。

 詐欺みてーなことしてたら「金をくれ」なんて恥ずかしくて言えないが、僕は何も悪いことをしていないので、「僕は世の中をよくしますから、お金をください」と言う。
 詐欺みてーな悪いこと、っていうのは、「常識につけこむ」ということである。流行に乗っかって、みんなが慣れている方法で、みんなが馴染みやすいやり方でもって、みんなが刺激されつけた情動に訴えて、「お金をください」とやる。そんなもん詐欺だと僕は思っているよ。
 騙してるほうも、騙されてるほうも、ただ「常識」に流されてるだけ。「いま流行のお金の流れ」にただ乗っているだけ。

 みんな、「お店」であればお金を払う。値段表があればお金を払う。しかし、自分で金額を決めて、当代の常識に定められていない発想や手続きを経由してお金を払うことは、なかなかできない。
「これは500円ですから、500円ください」と言われれば、払う。「僕は絶対に世の中をよくしますので、いくらでもいいからお金をください」では、払わない。
 当たり前である。そういうものだから。
 で、僕はこの「そういうものだから」が嫌いなわけです。
 少しでもそういうのをなくしたくて、あるいは離れたくてやっているのが、このホームページだし、「お会計」とかいうやつなのです。

 いっぺんやってみたら、たぶん脳がバグる。「わたしはいったい、なににお金を払ったのだ? いま?」となる。その時、アナタは一瞬でも、常識から解放されたってことになると思う。
 知らんうちに凝り固まっている、その頭を、ほぐしていかないと、世の中はよくならんです。
 それをせずに戦争反対とか選挙に行こうとか言ってても、ぜんぜん意味ないと僕は思っています。微力でも世界をやわらかくするために僕は生きているのです。

 これからは、特に変化なければ、なんと月に1500円ずつくらい振り込まれるようです。これが30000円になるのはいつの日でしょう。よほどみんなの心や頭に革命でも起きなければ、こんな説明を読んでお金を払おうなんて人は増えないでしょうけれども、1500円払ってるやべー人がいるってのは、僕にとっては大きな希望です。どこのどなたか存じませんが。
 これからも、革命を起こすべくちまちま文章を書いたり、いろんなことをしていきます。がんばろうね。



 以上のことを踏まえていただき、先月末の二つの記事を読んでいただければ、たぶん僕が何に悲しんでいるかがわかると思います。

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