少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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【もくじ】
2023.5.8(月) 本質的なマイノリティの感覚を取り戻す覚悟
2023.5.15(月) 人気がない!
2023.5.23(火) 中庸なる孤高
2023.5.27(土) 進退
2023.5.28(日) ゼニの順序

2023.5.8(月) 本質的なマイノリティの感覚を取り戻す覚悟

 早稲田大学を創立した大隈重信は「在野」をよしとした。実際当学の出身者には「中央」の人間ばかりでなく「野」の傑人が目立つ。わかりやすくいえば作家とか芸人とか。タモリさんなんか卒業すらしないで大物になったのだから在野中の在野だ。僕も優秀なので就活を一切せず卒業後はそのまま野に放たれた。そういうことじゃないだろうと思いつつそういうことでもあろうと思う。

 できる限り在野でいたいと思っている。Podcastでもさんざ強調している「遠心的」という態度もたぶん同根。中央に「いる」ことを拒絶すれば「在野精神」になり、中心に「向かう」ことを拒絶すればより遠くをめざす「遠心的態度」となるわけだ。
 なぜそれを尊ぶか? まず何よりも苦手だからである。最近早稲田の入試問題を分析する機会があって、「なるほどこの学校は(未だに)こういう能力を持った人間がほしいのだな」と改めて思った。それはともかく「知っている」ということを重んじる。さらに言えば「知っていることを今ここで使える、ということに気づく」能力。英語なんか、細かい語法を知っていればいるほど強い。応用力とか、情報をまとめる力、というのではなくて、ただひたすら「たくさんのことを知っていて、ちゃんとそれを使えるかどうか」が試される。(そう僕は解釈しました。)
 僕が思うに早稲田大学は、「ポテンシャルが高い人間」が欲しいのである。「そつなくこなす」とか「器用である」とかはどうでもいい。ただ能力値の高そうな人間を大量に受け入れて、あとは自由にさせる。その中で何割か、何パーセントかが出世したら万々歳、みたいな考え方なのだと僕は思っている。
 慶應義塾大学文学部の入試英語は昔から「辞書持ち込み可」「記述・論述あり」というのが特徴だが、まさに「応用力」「情報をまとめる力」「そつなくこなす」「器用である」といった早稲田では問われない能力が要求されている。また「実際に役に立つ能力が(現時点で)あるかどうか」を確かめているのだとも言える。慶應は「役に立つ人間がほしい」のに対して、早稲田は「とにかく能力があればなんでもいい、あとは本人次第だ」というバクチの姿勢なのである。

 もっと踏み込んだことを言えば、早稲田は「発達途上」の人間が受け入れられやすいのに対して、慶應は「すでに成熟している人間」が受け入れられやすい、というのが私見。「頭はめちゃくちゃいいけど情報をまとめる力(たとえば、記述式問題に対応するための能力)はない」という人でも、早稲田だったら入れるが、慶應はちょっと難しい、みたいなイメージ。早稲田がなんだかがさつで男くさくて、慶應はなんとなく洗練されて女子っぽいイメージもちょっとあるのは、そこに由来するのじゃなかろうか。(10代後半だったら女子のほうが成熟している、というのが一般論だと思う。)
 データを挙げるのは難しいけど、慶應文学部の女性率は62%、早稲田文学部は56%(文化構想学部は58%、教育学部は38%)だそうである。2018年1月時点で河合塾が出していた数字とのこと。
 慶應文学部に女性が多いのは「慶應をめざすような男は文学部を志望しない」とか「対策が特殊なので同大他学部と併願しづらい」というような事情もあると思う。

 ま、そんなことはどうでもいい。ここまではこの先をたやすく読ませないための前置きでございます。

 典型的早稲田人間である僕は、社会に直接役に立つ能力が18歳時点で備わっておらず、在野精神と遠心的態度をそのままずっと温存し続けてきた人間である。
 ともかく中央や「権威・権力」の内部にいることが苦手で、できるだけ関係を持たずに生きていたいと思っている。また「直接」世の中に役に立つ仕事をしているとは思っていない。なにしろ苦手なのだ。なんとか間接的に、ゆっくりと世の中をよくしていけたらいいなと思って日々がんばっている。
 熱心な読者にはお察しであろうが「選挙」というものに参加したことがほぼない。ほぼというのは、20歳になってしばらくたったころ、実家に帰ったらちょうど投票券が届いていて(住民票はまだ名古屋にあった)、せっかくだから久々に小学校にも入れるし行ってみるか、というノリで地元の議会議員選挙に投票してみたことが一度きりある。その時の手応えのなさは忘れない。投票というのは自分にとって、というか、選挙戦の外側にいる人間にとっては幻想のようなものだろうと理解し、二度と参加していない。
 じつはその後も一度、住民票移してから練馬区の近所の小学校まで投票券持って行ってみたことがあったが、なんとなくその気になれずにきびす返して帰宅した記憶がある。向いてないなととことん思った。
 こう明言したのは初めてかもしれない。なぜ明言しないかというと、怒られそうだからである。きっと怒る人がいるのである。ツイッターとかじゃとても言えない。怒るんじゃなくても、優しくたしなめてくれたり、諭すように「なぜ選挙に行くべきなのか」を丁寧に説明してくれる人がきっといる。それは僕にとって「中央に来なさい」と手を引いてくださるようなもので、性に合わないといえばこれほど性に合わないことはないのだ。誠にありがたいことですが、自分で決めさせていただきたい。
(なぜ投票行為に手を染めないのかということについては色々と考えることがあって、ここに書いていない様々な思考も膨大に重ねたうえの総合的判断で毎回「しない」と決めているわけなので、この件に対してあれこれ言われても僕はたぶん無視するか生返事で済ませますのでご了承ください。「無視されてもかまわないので」という前提でご意見くださるのもやめてください。)

 これとほぼ同じ気持ちで、僕は新型コロナウィルスのワクチンを一度も接種していない。本日5月8日でこの感染症は一応ひと区切りついたということに世間ではなりましたので、まんをじして書き記しておきます。長かったな~。
 COVID-19に対するワクチンは2021年2月から医療従事者等へ、4月に65歳以上の高齢者へ、5月から徐々に一般に普及していった。10月4日時点で全人口の71.3%が少なくとも1回の接種を終えていたらしい。
 首相官邸HPによると2023年5月2日時点で、全人口の81.1%が1回接種、80.2%が2回接種、68.7%が3回接種(1回目および2回目は一般接種のみに限る)。デジタル庁HPによれば2023年5月7日時点で、全人口の77.97%が1回接種、77.52%が2回接種、68.69%が3回接種(1回目および2回目は一般接種のみに限る)。おおむね8割の日本人がワクチンを接種している。成人に限れば90%前後になるだろうか?(ちなみに15歳未満人口がだいたい1500万人弱で全体の12%)そこにあてはまらない、およそ10%のマイノリティの一人に、僕という在野人間はいるのである。

 10%ってどのくらいマイノリティなのでしょう? 総人口が1億2500万人ということは、15歳未満(14歳以下)人口よりちょっと少ないくらい。けっこうなもんだ。おおむね中学1年生(12~13歳)以下の人口とほぼ重なるって感じだろうか?
 どうして接種しなかったかというと、これも理由はいろいろあって一つに定まることではないんだけど、「強制ではない」「罰則がない」がまずあって、では自分で考えればいいんだなということになる。すると僕はものぐさなので、「どっちでもいいなら何もしない」を原理とする。選挙もそうである。良い点と悪い点を秤にかけ、どちらとも決められない時は「何もしない」を選択する、基本的には。捨てるか捨てないか迷ったら捨てない、ということなので、こういう人の家の中はモノにあふれがちである。世に「優柔不断」と言われる。
 選挙に行かないことにもワクチンを打たないことにも明確な理由はない。ただいろいろ勘案した結果、「特にポジティブな理由が勝たない」ので、それなら何もしませんという選択をとる。何も選択しない、と言ってもいい。僕のような人間はトロッコ問題への解答も楽かもしれない。「何もしない」「成り行きに任せる」という行動原理なのだ。末っ子だからかもしれないし、自然を愛するゆえかもしれない。

 在野精神とか遠心的な態度というのは、ともすれば「信念がない」とか「成り行き任せ」ということにもなりかねない。風に吹かれて。しかしそれが正しいと思ってこっちもやっているのだ。「慎重」ということでもあるから。
 たとえば僕は「mRNAワクチンの危険性をうったえる言説」にけっこう説得力を感じていた。それに対して「安全なのでみんなでワクチン打って防疫に努めるべきだ」という主張があるのも知っていた。その時に僕は「危険な可能性があるなら自分から飛び込む必要はないんじゃないか?」と思うようなやつなのだ。子供の時から「体育祭とか球技大会とか絶対ムリ」だった人間が、どうして今回だけ「みんなで防疫」に参加できるだろう?
 世の中の流れから、「おそらく人口の8~9割くらいは接種するだろう」という雰囲気は2021年の初夏くらいにすでにあって、その時点でほぼ自分は「在野する」という予感があった。これは今だから書けることである。毎日めちゃくちゃあれこれ調べた。ワクチンについてもだし、感染症そのものについても。個人としてできる防疫(むろん他人にうつさない努力も含む)は徹底的にした。日常のリスクを下げに下げ、ほぼ例外を設けないようにした。(頭がいいので)かなり効果的な対策ができたと思う。そのおかげかは検証できないが今までおそらく当ウィルスには罹患していない。細かいことはきりがないので書かないが、1分間くらいこっそり息を止めるとかフツーに日常化していた。
 同調圧力を感じる心は僕にもあって、「ワクチン打った?」とたずねられるたびに苦しかった。それは次第に「何回打った?」に変わっていった。このプレッシャーは「打った」人にはなかなかわからないだろう。自分が正しいなんて思っていないから嘘をついたり話を流した。巷で言われる「反ワク」的なカテゴリに入れられるのは死んでも嫌だった。マイノリティであり、かつ開き直らないでいるのは本当につらい。でもそういうことに耐える心をちゃんと維持しておかないと、静かなマイノリティの気持ちに寄り添うことなんて絶対にできない。
 僕はまあまあ凄いことを言っている。つまり反ワクとは「開き直り」であり、マイノリティである重みに耐えられないから、「本当はマジョリティであるべきだ」という顔をしたがる。そういうことってあるでしょう? およそマイノリティがあれば現代では、ほぼそういう類いの「開き直り」も同時にあるものなのだ。

 僕が自認年齢を9歳とすることについて、「本質的なマイノリティの感覚を取り戻す覚悟」と友達が評してくれた。これが「自分は28歳です」だったら全然覚悟が違うわけだ。それに僕は「自分は9歳である」とは思っても、「9歳であることを認めてほしい」とは絶対に言わない。こちらはあくまでマイノリティ(少数派)であるからだ。革命はそう簡単に起こせるものではない。ゆっくり、虎視眈々と狙っていかなければ……。「開き直り」は時期尚早、軽率すぎる。
 ワクチンを打たず、かつそのことに開き直らないでいた(今日までどこにも書かず、誰にも言わないできたのが一つのその証明であろう)のは、「静かなるマイノリティであることの覚悟」そのものである。もう忘れているかもしれないけど、できる限り思い出して、想像してみてほしい。あの状況で、ワクチンを一度も打たないで、かつ「私は打たない!」とか「打ってはいけない!」と叫ぶことすらせず、静かに防疫に努めながら日常を送ることが、どれだけ大変だったかを。迫害とまでは言わないが、それなりにその疑似体験にはなっていた。

 2021年にこういうことは書けなかったし、2022年にも難しかった。僕は遠くにいたいのである。キャンプファイヤーを遠くから眺めて、友達と静かに語り合っていたいのだ。水面下密かに遊ぼう。そうやって遠くにいる人にしかできないことがある。見えないことがある。わからないことがある。そういう「係」を自認し、世の中をよくしようと日夜がんばっています。

2023.5.15(月) 人気がない!

 むかし『お金がない!』ってドラマがあった。それはそれとして。
 人気がない!
 人気とはなんだろう。

 人気というものを深く考えさせられる場面が『鈴木先生』(武富健治)という漫画にあった。
 第2巻「@昼休み」という回で、白井という卒業生が中学にやってくる。岡田先生をたずねてきたのだ。岡田先生は言う、「何だよゴブサタじゃねェか! 須藤や高橋はしょっちゅう顔出してるぞ?」
 白井、須藤、高橋……岡田先生のもとにはたくさんの卒業生がおとずれる。白井の(おそらく3年次の)担任は鈴木先生だったらしいが、彼の求めるのは「岡田ちゃん」だ。曰く、

「本当の人気ってのは時間が経てばちゃんと結果になって見えてくるもんなんだぜ!? なァ? オレの学年でよ 鈴木先生鈴木先生ってキャーキャーベタベタしてた優等生のヤツらで 卒業してからここを訪ねてきたヤツってどれだけいる? ほとんどいねェんじゃねェか!?」

 表面上は人気があるように見えても、実際恩義を感じている者は少ないのではないか? 鈴木先生は優等生を贔屓し、優等生に人気がある。岡田先生は落ちこぼれに手をかけ、落ちこぼれに人気がある。優等生は「薄情」だが落ちこぼれは「受けた恩は絶対(ぜってェ)に忘れねェ!!」――「本当の人気」は後になって判明する。白井の主張はこのようなもので、確かに鋭い。
 これを相対化するのが中村(ナカ)という本作のヒロインの一人。

「いいか…? 鈴木先生んとこに卒業生が来ないのはなァ――― みんな今の現場で精一杯頑張って立ち向かっているからなんだよ! 遊びに来ないから忘れてるとか情が薄いとか… 勝手に決めつけて見下してんじゃねェよ…!」


 僕は最近、「人気がない!」と嘆き続けているのだが、もちろんこれは白井の言う「人気」のほうである。『鈴木先生』の愛読者たる僕は、あえて白井側に立って自虐しているのだ。中村が言外に語るほうの「人気」は、たぶんかなりある。
 学校の先生を通算5年度務めた、その時の生徒たち。家庭教師や塾などで教えた子たち。ホームページや同人誌の読者たち、そしてお店のお客さんたち、またさまざまな友達たち。そのうちの多くは、もちろんわざわざ訪ねてなど来ない。連絡も別にない。でも心の中で折にふれ僕のことを思い出してくれている人たちはきっとたくさんいる。そう信じることが僕にはできる。しかし、検証することは不可能である。証拠などない。
 白井の言う「人気」は目に見える。だから強い。鈴木先生や僕に「人気」があるとしても、それはたぶん目には見えづらい。ゆえに弱い。不安になる。「自分は人気がないのではないか?」と常におびえている。
 4月2日の日記に書いたとおりである。お店の周年にも、ホームページの20周年にも、あんまり人は来ない。ふだんのお店にもそんなに来ない。連絡がすごくあるかというと、平均よりはいろんな人から連絡を受けるほうだとは思うが、中身を見れば定まった面子とじゃれ合っているばかりである。なぐさみになるのは中村の言葉、「みんな今の現場で精一杯頑張って立ち向かっているから」うんうん、そうだよね。

 氷砂糖のおみやげ#014でもちらりと語っているけど、たとえば結婚して子供のいる地元の友達は、なかなか僕と遊んでくれない。僕も「遊んで」と言わないから悪いのだが、向こうから「遊ぼう」と言ってくることは本当にない。なぜか? そりゃ「みんな今の現場で精一杯頑張って立ち向かっているから」なのだ。そんなことはわかっているのだ、それはそうと僕は寂しい、ってことを言っているだけである。
 子供がいてテーキテキに遊んでる名古屋の友達は「もっつ」くらいかな。あと「ボードバカ」くんか。そういう友達ももちろんいる。彼らはなぜだか声をかけやすい。お互いに必要だと思っているからじゃないかと思う。僕と遊ぶことが「現場」に活きたり、刺激になったりするのだろうと、僕もなんとなく感じるのだ。ちなみにもっつは英語の教員、ボはベンチャーの社長である。もちろん「たかゆき」くんも遊んでくれるが、やや遠慮してしまう。あ、これらの名前はすべてこのホームページの初期のころ(高校時代)に彼らが使っていたハンドルネームです。
 いずれにせよ「遊ぼう」「喋ろう」と誘うのは僕のほうである。彼らが東京に来ることがほとんどなく、僕は頻繁に名古屋に帰るからだけど。たまにちょっと不安になる。「自分には彼らが必要だが、彼らには自分は別に必要ないのでは?」と。しかし会ったら杞憂とわかる。明らかに相手も充実しているようにしか思えない。友達はいつでもいいもんだ。僕が動かなければそういうことにはならないんだから、むしろ責任を持ってちゃんと動かないと。それは末っ子の役目でもあるんだろうなあ。どこに行っても僕は末っ子なのだろうなあ。

 ところで「氷砂糖」#8~10(特に#9)は、僕の人気のなさについて語る回なのでよろしければ聴いてみてくださいまし。

 みんなそれぞれの現場で、持ち場で、頑張っていて、かつて袖振り合った人間とわざわざ再会したり、旧交を温めたりする暇なんてない。それはそうだが、僕にとっては寂しい考え方だ。どうにかこうにか、遊びたい。たとえば僕と会い、話し、遊ぶことが、各人の「現場」に意義や刺激を与えうるとしたら? そりゃみんな会いに来てくれるはずだ! そう思って「夜学バー」という、あらゆる人生の役に立つってコンセプトのお店をやっているわけだけど、それがそれこそ人気なくて、あんまりそういうものだと思ってもらえてないみたい。
 僕の悲しみと課題は結局ここで、「人と仲良くすることはあらゆる人生に役に立つ」ということを、みんなにわかってもらいたいのだ。仕事に子育てに趣味にと忙しく、ほかに何かする余裕は持てなかろうけれども、もし多少の余裕ができた暁には、そのことをもっと考えるといいんじゃないかと僕は信じるものである。人と仲良くすることは、たとえば仕事だって向上させるだろう。また子供から尊敬され、ゆえに健やかに育つことも間違いない(言い切る)。どんな趣味にもきっと良い影響をしか与えない。僕はそう信じるのである。
 特に子を持つ友達に対しては本当によく思う。「うちの親はすげー素晴らしい友人関係を持っている」という事実は、めちゃくちゃ「教育に良い」と僕は考えるのだが、交友関係をほとんど持たないような親は多そうだし、せいぜい「ママ友・パパ友」「趣味友達」といった同質性の高い関係に閉じていきがちだ。ムーミンとスナフキンを足したような僕みたいなもんと仲良くしてたら面白いと思うけどな……それこそ「教育に悪い」と思われてしまうのかもしれないが、いや、ふだんの教育に自信を持ってくださいよ!
「親と、親と同じような人間」ばかりを見ていても子供の世界はあまり広がらないので、「親とは違う生き方をしている人間」というものとふれあう機会はもっとあっていいと思う。そのために夜学バーってのは子供に対して開かれているわけだ。そういえば最近、古い友達から「いつかうちの子たちの家庭教師をして」って2回言われた。やー、ほんとに、そのうちみんなの子供が大きくなったらプロ家庭教師として生きていく道もありえます、というか、ありえさせてほしいですね。ご依頼お待ちしています。ご予約はお早めに。

2023.5.23(火) 中庸なる孤高

 いいことも悪いこともある。僕は人からネガティブな言語を向けられることにひどく弱い。反対にポジティブな言語にはめっぽう弱い。これら「弱い」は正反対の意味。念のため。
 どちらもあって心情疲れた。

「そんな日もある」というのは大親友かつ尊敬する人生の(1年3ヶ月)先輩である某氏が高校時代すでに言っていた言葉で、僕はどれだけその言語に助けられたろう。ネガティブでもポジティブでもない。中庸そのもののような、その場で宙に浮くのみのような、言葉。そういうことを10代の僕らはずっと言い合っていた。
 彼の座右の銘は「死なない程度に格好良く」。これも高校生のころから、メモライズ(そういうブログサービスがあった)に書いていたと思う。若き僕に多大なるインスピレーションを与えた彼の詩や日記は2014年6月まではブログとして断続的に書き継がれていたがもう9年も止まったままだ。mixiにはたまに何か書いていたがそれも長年途切れている。ずっと僕は彼の言葉を待っているのだが。ここもたまには読んでくれてねーかな。お店には出張の折ちょこちょこ寄ってくれていたんだけど2020年のコロナショックからまったく会っていない。次の帰省くらいには連絡してみようと思うよ。ゲストでも連れて。
 もう一つの座右の銘「すべては捉え方次第 何が重要かをとらえるんじゃなく 何を重要にするかを大切にしていきたいものだ」。これについてはたぶん僕とちょっとだけ違う。この日記にも何度か書いてきたが「出発点もアプローチも違うのだが結論はだいたい同じ」ということを20代の我々は非常に面白がり、誇りにもしていただろう。
 たとえば大学受験で彼は理系、浪人、国立、地元。僕は文系、現役、私立、東京。そのまま地元就職して実家から自動車で会社に通い、転職もしていない彼。都内を自転車で走り回ってわけわかんないことあれこれやってきた僕。もうネットにはたぶんほとんど現れていない彼、いつまでもホームページを続けてる僕。B型の猫好きと?型の犬。大曽根の川沿いのマンションと瀬戸の山中(?)の一軒家ってのもあるかもしれない。それで気は合うし、話も合う。プリキュアみたいなもん。
 恥ずかしいが資料を提示しておこう。「麒麟」とは件の彼のこと、Fとは奇しくも前回ちらり言及した「ボ」氏のこと。

 麒麟たんとか僕とかは、ある種の対人能力が抜群にあるので、それでずいぶんとスムーズに生きることができている。まあ、あくまでも「ある種の」でしかないので、必ずしもうまくいっているわけではないのだが、演劇部で正しく演技の技術と精神を培ってきた(はずである)我々は、言葉だけでなく声のトーン、リズム、テンポ、表情、目線など、会話の様々な要素を巧みに操ったり、「考えながら話す」ということによって話題を上手に誘導したり、創り上げたり、面白くしたりということをしている。ごく自然に。またFという男も、自分ではあまり意識していないようだが、やはり自然に「相手からうまく話を引き出す」ということをやっている。注意深く彼の話すのを聞いていると、相づちや質問のタイミングやトーン、言葉選びなどが非常に上手なのである。Fは昔から何を言っているのかよくわからない奴で、常に「翻訳」が必要なことばかりを言うのだが、なぜかモテるし、接客の技術もかなりあるようだ。たぶん彼は、「自分の話をすることは苦手だが、相手本位の会話を作っていくことは非常に巧い」という人間なのだろう。
 そういうわけで、僕とか、麒麟たん、それからFというのは、「話す」ということにおいて、それぞれ「技術」を持っている。ところが、それを持っていない人間もいるのである。
(2011/01/05の日記より)

 このあとは《僕が思うことというのは、「それを持つべきか」というところだ。》と続くのだが長いしここではあんまり意味ないので割愛。
 そして、このあとのこれを載せるかどうかはだいぶ迷ったのだが、21年前におそらく彼が僕のことを書いたであろう文章を、思い出すたび探し出すのが面倒なのもあるし、本人もたぶん僕が引っ張り出さなければ永遠に読まないだろうから無断ではっつける。ムカついたら謝るのでファミレスでもいこう。せっかくだから全文いく。

2002.07.30 Tuesday

俺はとある後輩が以前より愛すべき存在に思えた。

人生で、その人に出会った時間というのは一日にも満たない。
ただただ、今まで会ってきた人のイメージを足したり割ったり引いたり、
その回数がやたらと必要な人だったと思う。
そして、俺が無意識(かなりの突発性)の中でしか作り出せない瞬間を、
努力というのか解らないが、人生のストックを自ら構成して
一つの作品として世に送り出す。
その、一つの思考パターンってモノを見ていて、「この子は一種の芸術かもな」
と心に浮かぶ。
そう、イメージや想像力、創造力。での話。
「アゼルバイジャンな」いう形容をしたくなる。
そんな子だ。

高校三年の時に同じクラスにいた人間に良く似ていた。
会話の質、ルール、会話というモノの捉え方。
純粋に俺というスペックを使い尽くすセンスのある人間。
彼は幼少の頃の思い出の所為でその才能を長い間封印していたらしいが、
俺との邂逅でそれを再び発揮したらしい。
つまり、そんな子たちにとって必要でありたいと感じるときもあるって事だ。

俺は鏡としてしか生きていないらしい。
それは、長く俺の近くで暮らしてる人間は気が付いているかも知れない。
いい意味も悪い意味も含めて素直すぎる。
愛玩動物みたいな物だろう。
虚空に向かって愛してくれ愛してくれの連呼。
それは途方もなく、当に渇望。
無意識のうちで囁かれているその言葉も、自由という枠の中での出来事。
あまりに途方のない、広すぎる世界。
無知故に狭い世界と、中途の知故に途方のない世界。
一度手にした知の所為で知る混沌。
知を得た時点で全てが全てでなくなった。

ふん、まぁいい。

俺が君に抱く感情は君の抱いている感情のそれと近しい物だと思う。
いまいち感情という枠が言葉にし辛い位置にあるせいだとも思う。
ただ、愛すべき存在だとは思うよ。

なんてね。

 読み返してて、「これ僕じゃなくて別の人についての言葉だったらどうしよう?」と唐突に不安になったので、証拠を探してきた。

26日は初絡み(数十秒)から約1年を経て
とある方と「凹み」への闘争をしていました。
その夜へこみました。
理由は、その日のみに起因せず
単に今までの人生を思い返して
どれだけ自分が恥ずかしい存在であったのか
生まれてすみませんの一言で片付けられるほど
高尚なものではなかった事の自覚。
そう言えば第三母校である千種高校演劇部の打ち上げで
トランス状態に入った愛すべき16歳を目の当たりにし
そのアニメちっくなトリップぶりに
へこみを隠せず
酔っ払ったふりをして「あたし…酔っちゃったみたい」と身体を寄りかからせる
そんな羞恥まるだしの意図的な匂いを彼女の無意識の中に感じ取り
深く考え込んだのでした。
僕の膝をベッド代わりにする根性は
もし初対面とか
さして興味のない人物でしたらば
殴り倒したい衝動と種種の自己嫌悪とが交錯して
数億倍もへこんでいたことでしょうが
一年前にそうであったのとは全く違い
僕にも免疫というか
開き直りにも似た
そんなアゼルバイジャンな感情システムが生まれていたようです。
(2002.7.26~28(日))


三つくらい、日記が連動しているのを見るにつけ、
つまりWebサイト保有者がある特別な時空間を共有した場合に起こり得る事なのですが
それは確かに多角的に一つの真実を垣間見られるという意味で
興味深いことなのかもしれません。
同じ事実について僕はこう思い、彼はこう描写し、彼女はこのように観察していたのだと。

しかし、三つくらい、日記が連動しているのを見るにつけ。
嬉しい反面、危機感をも感じる。
自分の裏側までもが暴露されてしまう気がして。
もしもその三つを第三者の立場から眺めたら
僕は僕の見せようとしていない僕を見られてしまうわけだ。
わくわくすること。しかし恐ろしい事。
隠したい事が、どうしても隠せない。そういう世界だ。
それを恐れていたのでは、この職業=Jackyは勤まらない。

だけど一番はやっぱり楽しい気がする。
何か、何だろう。「楽屋裏」のようなニオイがして、
マニアだけに或いは運の良い人間だけに許された楽しみがあって
全てを読破した人間にはきっと相応の充足があるのだろう。
僕と近しい人が書く日記というのはやはり
度々こちらと呼応していなくもない。
それが見ていてこちらとしても楽しいものだ。
(2002.7.30(火) ずっこけあすなろ三社員)

 解説。「アゼルバイジャンな」という語が麒麟さんの日記と共通しておりますね。このわけのわからないフレーズ(造語、と言っていいのか?)がこの日、僕らの間で流行っていたのだ。これが「連動」というやつ。三つくらい日記が連動している、の三つ目はたぶん第三母校の少女。彼女の日記を探し出して貼ることもがんばれば可能なのかもしれないが、それをして現在どう思われるのかイメージできないのでやめておきます。ちなみに千種高校の打ち上げは確かファミレスで行われ、お酒は飲んでいないはず。東海高校(第二母校)と違ってね!

 たぶん彼は、僕を「作品」「芸術」と看破した最初の人間だったと思う。その次はしあれさんだろうか。あるいは中学の同級生のエリちゃんやマリちゃんあたりがもっと早かったのかもしれないが、なんにせよ僕がまだ17歳のとき公に言語化していた麒麟さんは偉大である。それも会うのは二度目で、まるっと1年前に数十秒だけ接したのみだったのだ(その時に彼が僕をバックハグして撮った写真は有名であり、記録された僕の流し目は国宝級である)。その後メモライズを通じてEメールをちょっと交わした記憶はある(壁紙が『うめぼしの謎』で、メアドは「アウトロースター」だったので仲良くなれる気がした、みたいな話は 2022.5.19(木)死なない程度に格好良く 参照)。それからはたぶん、お互いに(少なくとも僕は)インターネット上の言葉から知るだけの関係が続いた。

 ところで僕、この邂逅は2年の合発(専門用語で3月に行われる高校演劇の「合同発表会」のこと)と思ってたんだけど、3年の地区大(会)だったんですね。思ってたより半年遅い。記憶もあてにならん。記録って大事。1年も会わないでいたとは! あとはこの2ヶ月くらい後、千種高校の学校祭でもっかい会っていて、その次は覚えてない。もう瀬戸だっけ?

 僕は僕でJackyというのを「職業」と認識していて、おそろしいもんだと思います。そんでそれを20年以上続けてるんだから。呪いみたいなもんですけどね。ウォーキング限界芸術。かつ僕と彼との関係もここから20年以上続いている、続いているよね? それも尊いこと。

 なんでいきなり麒麟さんの話をずっとしているのかというと、最近仲良くなった人とすごく似ている気がするからだ。「格好良さ」に対してのこだわりとその達成、気高き美意識、感覚と主観から始めて僕と同じ場所に着地させてしまう離れ業。こないだ好きな曲を紹介してもらって、それが「嫌いです」から始まる曲(たしか)で、「嫌いから始まる曲ってすごくない?」って言われて笑ってしまった。麒麟さん(ここからは実際の呼称、すんたんと書こう)もBUCK-TICKの『ミウ』という曲が好きで、「嫌いだ、から始まるってすごいよな」とよくカラオケで歌っていたのだ(むろん彼の歌はめちゃくちゃうまくて格好良い)。
 孤高って言葉が好き、ともその人から言われた。それも実に笑える。僕はその言葉を彼から教わっているのだ。2000年12月に彼が書いた詩で「孤高の流源」ってのがある。高2の時点で「孤高」を志向していたのだ。すげーよね。それは貼らないでおく。めちゃくちゃ探せば見つかります。
 実際おぼろげな記憶で、例の2002年7月に会ったときも「孤高だわ、孤高」みたいなことを言っていた、気がする。

「エンなんだよエン」ってすんたんが、天に指をくるくる回しながら気だるそうに言っていたのを覚えている。縁なんだか円なんだか、両方なんだかわからないが、エンなんだよね。まわりまわってくり返すのだ。僕はときおり、「これから出会う人はみんな、すでに出会った人と同じ人なのかもしれない」という意味不明なことを言うのだが、こういうことがあると本当にそうなんじゃないかって気がする。すべての人はすべての人とおんなじで、たまにその度合いが高いとこういうことが起きる。だから誰かが死んでも僕はそこまで悲しくなかったりするのだと思う。『黒百合城の兄弟』(山本正之)の影響もあるでしょう。

 すんたんに似ているということは僕にも多少は似ているということだが、もちろん「出発点もアプローチも違う」わけである。ただ三者に共通するのは最初に引用した文にあるやつ。《言葉だけでなく声のトーン、リズム、テンポ、表情、目線など、会話の様々な要素を巧みに操ったり、「考えながら話す」ということによって話題を上手に誘導したり、創り上げたり、面白くしたりということをしている。ごく自然に。》
 ごく自然に。これが重要だと思う。行為として自然ではあるが、生まれつき備わったわけではない。それぞれの鍛錬のたまものである。すんたんが「愛すべき存在」と書いてくれたのはきっとそういうところを見抜いていたからと思う。

「俺は鏡としてしか生きていないらしい。」と2002年のすんたんは書いている。これは僕もまったく同じだ。よく夢想するよ、君がもし大学で東京に出てきていたらどうなっていたかと。どっちがいいとかわからないけど、その優れた鏡のうつしだすものはきっとあれこれ変わっていただろう。
 東京で出会ったその人は、そういう意味でも非常に興味深い。

いい意味も悪い意味も含めて素直すぎる。
愛玩動物みたいな物だろう。
虚空に向かって愛してくれ愛してくれの連呼。
それは途方もなく、当に渇望。
無意識のうちで囁かれているその言葉も、自由という枠の中での出来事。
あまりに途方のない、広すぎる世界。
無知故に狭い世界と、中途の知故に途方のない世界。
一度手にした知の所為で知る混沌。
知を得た時点で全てが全てでなくなった。

 心当たりがありすぎるでしょう? すべてのそういう人たちには!

 ともかく僕が「すんたん」という人物から受けた影響は計り知れない。僕という鏡に彼は本当に美しく映えた。それで研かれた。感謝しかない。形の違う合わせ鏡は奇妙に笑える。

2023.5.27(土) 進退

「ある日」は「唐突」にやってくる。

「伏線」など張るひまもなく。

「説得力」のある破壊なんてあるものか。

「ある日」がいつくるか……
今日にも……。

(藤子・F・不二雄『ある日……』)


 僕が東京の湯島(上野)で営んでいるお店、「夜学バー」の話。

 みなさんお忘れでないでしょうが、このホームページは有料でございます。詳しくはこの記事その次の日の記事をご覧ください。さらにトップページに戻って「おこづかい」というコーナーを覗いてみていただくとさらに理解が深まると思います。

 有料なので、お金を払ってまで読んでくださっているみなさまには大きなメリットがございます。たとえば面白い文章が読めます。しかもその内容は、僕に関するものである限り原則どこよりも早く、どこよりも深いものであります。
 今回は夜学バーのホームページにそのうち書くはずの長い文章の、下書きみたいなものになるのかもしれません。ただここはここなのでいつも通り気ままに書きます。

 要するにフライングしてここに最新情報をお届けします。隠しておきたい気持ちもありますが、書きたい気持ちが上回っております。書きながら考える、というのが僕にとってかなり大事でもあるし。5月8日の日記は2~3年あたためた内容だったけど今日はもう産直。鮮度。
 わざわざここまで読みに来てくれて、しかも購読料をちゃ~んと支払ってくださっている皆々様方にはやはりそのくらいのスジは通したいというわけです。


 昨日の夕方、不動産会社の人がお店に来て、夜学バーの契約は6月で終わると告げられた。詳しいことは略すけどこれは本当に誰も悪くなくて、事の成り行きでそうなるべくしてなっただけなので、誰に対しても遺恨はなし。しかも7月から再契約すれば今まで通り続けられる。その条件も別に悪くないので、「今まで通り」続けるのであれば、ただ再契約するだけ。家賃も変わらない。何も変わらない。ただ礼金を一ヶ月ぶん支払うくらいのものだけど、それは更新料と同額なので本当に一切、何も変わらない。

 でも僕はその話を聞いたときに「きた!」と思ったのです。やめれるんだ、と。

 ふつう不動産契約ってのは、こちらから「やめます」と言わないかぎり終わらない。更新料なるものを請求されたら支払うというだけで、自動的に継続してゆく。ところが今回は、こちらから契約書に名前を書いて、連帯保証人と印鑑証明を用意しないと自動的に契約は終了するわけである。何もしなくても向こうが勝手に終わらせてくれるのだ。

 かつてこのホームページに「活字芸術」という投稿コーナーがあって、僕もたくさんの作品を載せていた。以下はその一つ、高校生のときに書いた『無題』というタイトルのもの。

《ぼくは、いやになっていた。/////あるひ、//「これをたべたら死ねる」といわれた。//でも、ぼくはたべなかった。////ちがうひ、//「これをたべないと死んでしまう」といわれた。//でも、ぼくはたべなかった。》
※改行が多い(長い)のでスラッシュで処理しました

 僕の行動原理はずっとこれ。ひどく雑に考えるなら末っ子だからかもしれない。向こうからやってくるものに対して何をするか、という受けの姿勢が基本なのだ。合気道みたいなイメージで捉えていただきたい。専守防衛。年の近い三人の兄からいかに身を守り、いかに愛されるかに幼少期のすべてをつぎ込んだ人間が自然に身に付けた処世術。

 ゆえに今回、「6月で(いったん)契約を終えざるを得ません」と言われて、まず思ったのは「終わるんだな」だった。
 性愛関係でも、だいたい向こうから「終わりにしましょう」と言われるのが僕なのである。そしてそれを言われて食い下がったことなど一度としてない(はずである)。「終わるんだな」とまず思う。
 新宿ゴールデン街のバーを間借りしていた時も、「今日で営業を終わりにしてください」とその当日にメールで告げられた。28歳の誕生日だった。何それ?と思ってさすがに一通「それは決定ですか?」的なことだけは返信したが、「はい」とのことだったのでそれで「そうか」と受け入れた。
 そのちょうど1ヶ月後の12月1日(藤子F先生のお誕生日!)にはもう西新宿に物件を借りていて「尾崎教育研究所(おざ研)」をスタートさせた僕は本当に偉いじゃありませんか? もっと褒めてくれていいんだけど。

 つまり、僕は向こうから出された要求については基本そのまま受け入れるけれども、それをバネにポンッて全然別の方向にすぐ行っちゃえる、そういう華麗さで生きているのである。

 今回も、何もしなければ6月で契約終了なんだったら、まず考えるのは「6月で終わるメリットってなんだろう?」ということだ。ここでデメリットはあんまり考えない。続いてきたことが終わるのにデメリットがあるのは当たり前だから。(立派だよね。)
 時間にして数分とか、もっといえば数十秒くらい考えて、「再契約しないだろうな」と直観した。いろいろ悩む部分は無論あるけれども、基本方針として「池之端すきやビル301は7月から夜学バーではなくなる」ということはもう前提で、そのことをプラスに働かせるために自分はどうしたらいいのか、ということばかりずっと考えている。1日以上経って、今日一滴もお酒を飲まずにこうしてこの文章を書いているんだから、たぶんまあ大きな事情がなければそのセンで行くのだろう。
 まだ不動産屋とは詳しい話をしていないし、「その後」のことが確定したわけでもないので、実際どうなるかは実のところわからない。月曜に具体的な話をしてみる予定で、それ次第では「やっぱ再契約します」となるのかもしれない。ゆえにこそ、この文章はできるだけ早く書かれなければならなかった。事情が変われば書けなくなるから。熱の散らばる前に焼きつける。


 ここからは、あくまで「仮定」であり「予定」だという認識で読んでいただきたいのですが、6月で夜学バーbratは終わりです。あと一ヶ月しかありません。早すぎない? 僕もそう思う。だけど冒頭に引用したみたいに、「ある日」は唐突にやってくるのだ。幼きより熱心な藤子不二雄読者であり続けている僕には心底にまで沁み入っている。伏線など張るひまもありませんでしたね。なんで? どうして? やめることないじゃん? 説得力のある破壊なんてないのです。

 ただ、抑止することは、予防することはできたと思う。なんで僕が「終わるんだな」のあとに「再契約はしない」に数分ないし数十秒で至ったかといえば、あの場所で続けるモチベーションがもうそんなにないからです。なんでかっていったら人気がないからですね。当たり前のことですよね。このことをくだくだ言っても意味ないので終わり。

 しかし僕は慎重に「夜学バーをやめる」とは言っていない。形を変えてもうちっとだけ続けるつもりである。ただ、あの場所で、brat(これは前にあの場所で営業していたバーの名前である)と称してすることはたぶんない。
 どこでどのように続けていくか、というのは考えてないわけではないが、確実なことは何も言えない。とりあえず心配してほしいし、持続可能となるように、夜学バーという概念を愛してくれる方はできる範囲でご支援いただけると幸いです。

 たぶんあと一ヶ月であの場所は見納め。もしそうなるなら、6月8日以降は無休にすると思うので、一所懸命来てください。

 はっきり言って、存分に儲かるなら、フツーに再契約して終わりなのです。儲かると言って、それはお店の売上でなくとも、夜学バーという概念を通じて僕にお金が入ってくるなら何でもいい。でもそういうことになっていなかったから、やめることに特に躊躇がなくなる。だって固定費が13~15万くらいかかるのだ。それを支払って、原価や消耗品費も踏まえて売上を出して、従業員には薄給で、場合によってはほぼボランティアで頑張ってもらって、それで手元に残るのは10万程度であった。僕の作った仕組みが悪いのである。世の中と、少なくとも僕がアプローチできた人たちの多くとはマッチしていなかった。そんだけの話。
 ここを読んで「結局、金の話なん?」と思う人はいるのだろうか。僕ほど金にこだわらない人はいないのに。そこまではここの読者様ならわかってくださるだろう。しかし真実というのは逆説的なもので、「お金にこだわらないし、お金を必要としないんだから、お金を与えなくてもよいだろう」というのは、完全に誤っている。逆だ。

「お金にこだわらないし、お金を必要としない人にこそ、お金を与えるべき」なのである。なぜならば、その人は自分のためにはお金を使わず、「あなたがたのために」使うからである。すなわち、世の中をよくするために。
 お金がほしい人にお金を渡したら、その人が気持ちよくなるために使うだけでしょ? こんな当たり前のこと(と僕は思う)なのに、うまくいかないもんさね。
 6年ちょっと夜学バーをやって、どうも世の中は僕が思うほどそういうことを考えていないのだなとわかったから、悔いはありません。お金ください。
 もちろん、「そういうことを考えている」人たちもたくさんいることは僕は肌身に沁みてわかっております。6年間、毎日のようにお店に立っていて、「なぜこのお店がどうにか成立しているのか」を絶対に世界一知っている人間なのだ。「みなさまのおかげです」というのはよっくわかっております。しかし、僕の見通しは甘かったのです。足りませんでした、僕の能力が。支えてくださった方、これからも支えてくださるつもりの方、本当にありがとうございます。これは本音です。諦めず、まだまだがんばりますので、よろしくお願いいたします。さらに上手にやるための過程です、これは。

 さらに家賃がやすく、ほんの少しだけへんぴなところですぐに再開する、というのが理想で、そのために動いているのですが、どうなるかは本当にわかりません。とにかく一旦終わると思うし、終わらないにしても、まあとりあえずお店に来てください。すべてはそこからです。そしてたぶん、やっぱりどうしても必要なのは「お店に来なくてもお金を出しやすい環境」というやつなんでしょうね。夜学バー友の会、みたいなものもついに考えなければならないのかもしれない。そういうことを考えるのにも、いっぺんリセットしたいなと思っておるのです。

 正直言って、「ほっとくとこういうものはなくなるんだよ」というメッセージを出しておきたいのもある。僕は伊達や酔狂でああいうお店をやっているのではない、本気でやっているのだ。ほっとかれたらちゃんとやめます。僕がただ苦しんで、陰で泣いて、それでみんなから「アー夜学バーまだあるんだ、嬉しい」とか思われるのは簡単、だけどそんなの、まったく、ちっとも、美しくない。
 美のためにやってるんだよ。

2023.5.28(日) ゼニの順序

 ゼニの話を少々。昨日こんなことを書きました。

《「お金にこだわらないし、お金を必要としない人にこそ、お金を与えるべき」なのである。なぜならば、その人は自分のためにはお金を使わず、「あなたがたのために」使うからである。すなわち、世の中をよくするために。
 お金がほしい人にお金を渡したら、その人が気持ちよくなるために使うだけでしょ? こんな当たり前のこと(と僕は思う)なのに、うまくいかないもんさね。》

 さっき青木雄二先生(『ナニワ金融道』の作者です)の文章を読んでいて、「人間はまず着ること、住むこと、食べることをしっかりとさせてから、しかる後に芸術、文化その他もろもろの人間的な活動ができると、マルクスは言っております。これらの条件を満たすためには、間違いなく銭の力が必要なんやで。貧乏はけっして恥ではないが、あまりの貧困は罪悪であるというのは、そういうことです。」とあった。衣食足りて礼節を知る、という話。
 僕はお金をそんなには欲しいと思わないし、必要な額も平均よりは少なめだと思う。それは自転車にばかり乗るとか床屋に行かずに自分で髪切るとかそういうところも含めて。
 自分としては、ボロくてダサい服を着ていても別に平気である。ただ、もし僕が本当にボロくてダサい服ばかりを着ていたら、たぶん夜学バーというお店の質はちょっと下がる。どちらかといえば店主が清潔でカッコいいほうが良いようなお店なのである。そうですよね?
 そういうことを僕は言いたいのだと思います。

 僕という人間、本人はさほどのお金を必要としていないが、僕というスペックを大いに活用、発揮したいのだとしたら、ちょっとだけ余剰のお金が必要なわけである。
 まったくお金がなかったらお店も借りられない。本を買って読むこともできない。そうすると「クォリティ」は下がり、できるはずのこともできなくなってしまう。それで僕はずっと「おこづかいください」と言い続けているのです。

 ちなみに僕が着ている服っていうのはほぼ人(主に兄)からもらうか、たんぽぽハウスとかのリサイクル屋さんで買ってくるものなので、べつに衣装代に金をかけているとかいう事実はありません。でなければこんな収入で生活を続けていけない。でも多少はね。宇宙船サジタリウスのパーカーとかね、買っちゃったしね……。
「こそあどの森」のパーカーやトレーナーは買わなかったよ。本当に、財布のひもはかなり固い。

 ともかく、まずは僕の衣食が足りなければ何も創造的なことや、「世の中をよくする」なんてことはできないわけです。僕は常にある程度の貯蓄を持っている人間で、お金に困ったことは一度としてない。なぜならば、そうでなければ「世の中をよくする」活動なんてできるわけがないことを知っているから。「あ、そうなの。じゃあジャッキーさんにはお金をあげなくていいよね。だって持ってるんでしょ?」という話じゃなくってね。ある程度の額は「落ちたときのクッション」として絶対に必要だから、それを削らないように必死に生きている。だから「常にある」と言えるだけで、気を抜けばあっという間になくなる。収入が少ないんだから。
 根に持ってるので言いますが、とある公務員(40代、妻と2人の子との4人暮らし)の方から、「ジャッキーさんは僕よりも貯金があるんじゃないですか?(意訳:ゆえに自分がジャッキーさんにおこづかいをあげるのは不自然で、むしろこっちがもらいたいくらいだ!)」と言われたことがございます。かりに貯金額で僕のほうが上回っていたとして、それがなんだというのでしょう。お互いに、いろんな事情があるじゃないですか? 貯金額だけでは何も測れないじゃないですか?(なんか福満しげゆき先生みたいな口調になってしまった。)
 ごめんなさい、「むしろこっちがもらいたいくらいだ!」と意訳したのは冗談です……。それは置いといて、まあ確かに、家庭があって、家のローン(あるかは知らないけど)とか子の学費とか○名ぶんの生活費とかを背負っている身からすれば、僕みたいなちゃらんぽらんに対して「どうとでもなるでしょ」とか「うらやましいこって」といった感想になるのはもっともです。だからこそ、「そこはお互いに事情があるんだから、比べるのはやめましょうよ」と言うにとどめます。本当は別に根に持ってません。事例として使いやすいだけです。

 ゼニの順序、というタイトルにしたのは、まず僕の生活が安定しないことには僕は何もできないのです、という当たり前のことを訴えたいゆえ。僕はゲージツ家ですからパトロンがいたほうが良いのですが、当然「売れない」が冠につくからには簡単にはいかない。もっとわかりやすく天才ならよかったんだけど。それでお店をやったりしてみんなから少しずつお駄賃をもらおうという発想になるわけでございます。
 そしてお金をできるだけ使わないとか、お金があんまり必要じゃない生き方をしているというのは、実のところ「生来の性質」ではなくて、「そうじゃないと成立しないから」でしかない。「生活が安定しないと良いことができない」ゆえ、「少ないお金で安定するよう努力する」を選んでいるわけですね。ただの努力、工夫なんです。そうまでして僕は「良いこと」がしたいわけです。良いって何?ってのは聞かないでね。難しいから。
「えらい!」とは思ってほしいけど。

 僕はできるだけ少ないお金で生活を安定させられるよう努めております。それは「多くのお金を稼がなくても良いことができるようにするため」です。つまり、夜学バーみたいなもんがそんなに儲からなくても、なんとか続けられるようにするためですね。でも、さすがにそれでも「収支」というものがマイナスになったら「生活」は脅かされるんで、すなわち貯金が減ってゆくんで、僕はたとえば刺身の上にタンポポ乗せる仕事とかしてお金を補填しないと不安になりますよね。そうすると時間がなくなって「良いこと」に手が回らなくなりますね。困りますね。具体的には、こういう文章も書けなくなるわけです。

 僕は愉快に生きていきたくて、それだけだと孤独だから「世の中をよくする」みたいなことをとりあえず言語として持っているんだけど、そのためにゼニっちゅうのが必要になる。ただ生きていくためのお金を確保したら、僕はその他のお金を「夜学バー」みたいなことのために使える。順序を正すと「夜学バー」みたいなことがちゃんとお金を生み出せば(それは売上という形でなくとも良い)、僕は良いことと生活を両立することができる。考えるべきは、いかに「夜学バー」に代表される僕のゲージツをゼニにするか、という話なのだ。それが、これまでの方法だとギリギリうまくいかなかった。もうちょっと、という手応えはあって、しばらく続けてみようと思っていたところで、6月終了の話が出た。

「存在への対価」とか「おこづかい」とか、あれこれ色々考えて、ちょっとは成果が出つつある。たとえば夜学バーというお店が存続するためには、もう「お店に行きたい人がお店に行って、飲食したぶんだけのお金を払う」ということでは成立しない。なぜかというと、明らかに、「夜学バーが好きで大切に思う人の数やその気持ちの強さ」と、「実際に夜学バーに足を運んで飲食をする人の数やその額」との間に開きがありすぎる。すなわち「適切な額」が入ってきていないのだ。「続いてほしいのに経営不振で潰れる」という悲劇はどうやったら避けられるんだ? それは単なる飲食店という枠組みではまあ当たり前の、仕方ないこと。だけど夜学バーは、というか僕は、少なくとも自称ゲージツなのでありますから、そのワクを超えて存続させていきたいし、そう願う人もかなり多いはず(そう信じるし、そうとしか思えない)なのである。

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