少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2023.4.2(日) 周年
2023.4.3(月) 髪を長く伸ばしてみて
2023.4.8(土) 四谷佳桜忌
2023.4.11(火) パズルとひねり
2023.4.16(日) 矢部浩之のオールナイトニッポン
2023.4.17(月) 5月8日のこと
2023.4.18(火) 松戸の自殺 死ぬという多様性
2023.4.22(土) 安楽死(成田悠輔さん擁護)
2023.4.23(日) 世の中をよくしよう
2023.4.24(月) 饗宴 すべてが奏でるハーモニー
2023.4.25(火) 中華屋が町中華になった瞬間

2023.4.2(日) 周年

 記念日は3つありまして、4月1日が夜学バーの開店日、7月11日がEz(このHP)の開設日、11月1日がお誕生日。それなりにバランスが良いのでみなさんお祝いお願いします。
 昨日で夜学バーは7年めとなりました。通常営業を始めたのは翌日の4月2日からなので、1日と2日が祝うべき日。さぞや忙しかったろうって? 閑古鳥でした。すごいことだなと思います。
 細かいことはそのうちお店のジャーナル(日報)に書くつもりだけど、ともかくさみしかったですね。

 3月31日の金曜日は17時半開店で、28時まで営業。その後「氷砂糖のおみやげ」関連の作業などをして、あんまり寝られなかった。土曜日は15時から27時まで営業。本来は25時までだったのだが滑り込みで来客(新規)があったので延長。日曜日は13時から24時まで営業。いま26時半過ぎ。
 金曜日はけっこうお客があった。長丁場だったし近所の会社のサラリーマン4人連れなんかもいたりしてかなり疲れたけど充実していた。土曜日と日曜日は「周年の土日」とは思えないほど閑散としていた。しかしお客が0というタイミングはほぼなかった。喜ばしいことではあるが、ずっと働いていたということでもある。しかも両日とも閉店近い時間に団体を含むほぼ新規のお客さんが入った。土曜日は4名+1名、日曜日は2名+4名。大勢の知らない人たちを、知っている人がほぼいない状態で接客する、というのはものすごくエネルギーを使う。つまり死ぬほど疲れたのである。

 よく書いているが僕は夜学バーに立っていることを「仕事」とか「労働」とあまり考えない。遊んでいるだけとも思っていない。変な言い方だが使命感に近い。仕事でも労働でもないが、やらなきゃいけないからやっている。遊びとか趣味というのも間違ってはいないが、やっぱり学校か部活に近いと思う。

 肉体的にあるいは精神的に疲れたというのももちろんあるが、それ以上にきつかったのは「自分って人気がないのでは?」とどうしても思ってしまうことだ。そんなことないのはわかっているが、お祝いにいただいたケーキを6等分に切って、そのうち5切れを自分で食べるってのはけっこう来るものがあります。
 繊細さというのは自分勝手なものだから真実とは無関係に落ち込んでしまう。かといって「周年なのに人が来ない……」なんて嘆き方をすれば来てくれた(少数の!)人たちに申し訳ない。本当に、心から、ありがとうございました。行きたいけど行けなかったとか、あえて行かずに心で祝ってたという人もいただろうし、ジャッキーさんは祝われるのは苦手そうだからやめておこうというある面では正しい判断をしてくれた人もいたと思う。だから何も憎むことも恨むこともない。事実、僕は「周年だウェーイ!」みたいな空気を望んでいないし、そうならないような努力を惜しまずやってきた。その結果「人がいない」ということになったのだから、思惑通りと言えばそうなのだ。しかし、繰り返すけれども繊細さとは自分勝手なものなのである。そういうこととは無関係にさみしくはなる。「え? 人気ない?」とかって不安になったりもする。本当はけっこう人気あるってわかってるのに。
 人にはいろいろ事情があって、それぞれの現場を懸命に生きているわけで、僕のやっているお店というのは「その合間」に何かをチューニングしに来るような場である(そのように設計している)から、指定された日(ここでは周年)に人が集まる、というのは在り方としていびつなのである。わかっているのだ。普段通りの閑散さ。何も問題はない(普段閑散なのは問題であるが)。むしろここ最近の土日だったら少ないほうではなかった。特段多いほうでもないけど。
 もうちょっとちゃんと説明すると、「指定された日に人が集まる」ということは、その集まってきた人たちは「必死」ということなのである。アイドルの現場とかって必死な人たちが集まっているのだ。バンドでもそう。何があってもその日の予定は絶対に空けておかねばならない。それは「その現場」の中でのみ豊かであれど、その外から見ればけっこう貧しいことなのである。つまり宗教的ってことである。
 周年に人が来ない、っていうのは夜学バーが宗教になっていないことの証左で、実に喜ぶべきことなのであるが、その代わり僕はめちゃくちゃさみしい。お誕生日会に人が来なくて、「あー僕は宗教になってないんだな、よかったー」なんてことあるわけないからなあ。困ったものだ。やっぱり周年アピールなんてするんじゃなかったのかな。来年は黙っとこうかな。でも僕、お誕生日って大好きだからな。毎年ホームページの開設日と自分のお誕生日には特別な気分になるもん。昨日と今日だってかなり特別な気分だった。でもあんまり友達に会えなかったな。それは正しいのです、理屈の上では。

 まあともかくもうちょっと人気を出すためにPodcastがんばります。ああこの人をさみしがらせちゃいけないって思ってもらえる人にならないと(未来はない)。

2023.4.3(月) 髪を長く伸ばしてみて

 寝て暮らした。おとーさんおめでとう。
 最近調子があまり良くない。心身ともに。肩の力抜いてゆく。
 いろんなところで余計なことを書いてしまう。そろそろ山でも登りたい、自転車で。

 昨日訃報の出た坂本龍一さんはお父さんと同い年である。僕がYMOを好きになって割とすぐ、『energy flow』というインストゥルメンタル曲のシングルCDがすごく売れた。出演するテレビなどを熱心に見ていたら、『BTTB』というアルバムをお父さんが買ってきてくれた。
 当時好きだったアルバムは『NEO GEO』と『未来派野郎』で、めちゃくちゃセンスが良いような気もするが、理由はただ「たまたま安かったから買えた」だけ。後者はその頃ちょうど値崩れしてたカセットテープで手に入れて、お父さんにCD-Rに焼いてもらった。元のカセットはたぶん実家のテープ置き場にちょこんと座っているはずだ。明石家さんまさんの『世渡り上手』なんかと一緒に。東京にはCD-Rの方だけ持ってきたのだと思う。
 坂本龍一さんの記憶はなぜかお父さんと強く結びついている。思想的にはお母さんと少し合いそうな気がする。

 最近、髪を伸ばしている。坂本龍一さんが出演した99年4月の特番『たけし・さんまの有名人の集まる店』を見ていたら、髪がすごく長くて、ああ坂本さんといえばこの見た目のイメージだな、この番組もリアルタイムで見てたもんな、と懐かしくなった。もうちょっと頑張ればこのくらいになるのか。もうちょっと頑張ってみるか。
 いま確実に人生で一番髪が長いのだが、新鮮な気持ちである。髪が綺麗すぎて普段リンスやトリートメントしないのだが、このくらい長くなってくるとしたほうが便利なような気がする。絡まるから。そういうことも髪を長く伸ばしてみないと肌身にはわからない。結構かっこいいので見にきたほうがいい(営業)。
 僕と仲良くなるような女の子は結構な割合で「男は髪が長いほうがかっこいい、髪を切ると絶対に微妙になるのになぜ男は髪を切るのか」というようなことを言う。だいたいバンド(特にヴィジュアル系)とか好きな人たち。そういう価値観が近くにあると「自分が髪を伸ばしたらどうなるのだろう」と気になって、やってみている、というのもある。
 97年ごろから僕は爆笑問題の大ファンである。ボキャブラ天国は芸人がネタやるようになってから見ていなくて、札幌テレビ制作の深夜番組『号外!爆笑大問題』でハマった。これもお父さんが、夜中にテレビを見ていて「こいつらなかなか鋭くて面白いんだよ」みたいなことをぽろっと言ったので、自分も観てみようとその場でテレビの前に座ったのであった、確か。その一言がなければ僕は爆笑問題を好きにならなかったかもしれない。恐ろしい。たった一言で人生が変わるということは本当にあるのだ。
 太田光さんがあるとき、「ずっと自分は長髪で、短髪なんか絶対に似合わないと思っていたが、いったん髪を短くしてみたら、これ以外に自分の似合う髪型はないと思うようになった」みたいなことを言っていた。それもあって定期的に髪を短くしてみたりもしたが、やはりしっくりくるのは若き日のオザケンくらいの長さ。それ以上長くしたことはないので、今やってみている。これで「自分には長髪しか似合わない!」と思ったりするのだろうか。今のところそんな気配はないが、とりあえず似合っているとは思う。まだ「長い」と言えるほどでもないけど。まだ丸っこい。シルエットが縦長になってきたら「長い」って言っていいと思う。そこまで伸ばすかはわからない。せいぜい99年春の坂本龍一さんくらいまでかな。

 改めて両親が僕に与えた影響は大きい。それもさりげなく。ああしろこうしろと言われたことはほぼない。「部屋を片付けなさい」とか躾の範囲におさまることくらいで、ほとんどのことは自分で決めてよかった。そのせいか、幼い頃はすごく「暇だ」とずっと思っていた。何もやらされないから。
 そのころの「暇」が自分の全てであるような気もする。暇というものが常にベースにあって、そこにさみしさや物足りなさ、少し成長したら焦りなどが乗っかってくる。それをどうにかするために何かをする。忙しい状態はイレギュラーで、暇な時間が最も落ち着く。
 だから暇な店やってんだなー、とかも思う。そんで儲かんないのは当たり前。
 髪を伸ばすのは楽だな。何もしなくていいんだから。それは性に合っているけれども、髪が伸びれば伸びるほど、いろんな問題が生じてくるだろう。それをどうにかするために、髪を切ったり、結んだり、ケアしたりなんだり、いろんなことを人はする。
 年齢もおんなじだ。今日はお父さんのお誕生日なのである。

2023.4.8(土) 四谷佳桜忌

 藤子不二雄Ⓐ先生が亡くなって6日で1年。7日は鉄腕アトムのお誕生日。8日は岡田有希子さんの命日。僕と同じ名古屋市立向陽高校の出身である。すぐ堀越学園に転校するのだが、僕はそこから徒歩1分の場所に住んでいたことがある。また、飛び降りたビルは僕の古巣、株式会社あひる社の隣。妙な縁だ。同地で同社が経営する地下のバー「ドクターヘッド」では今日、岡田有希子さんの曲ばかり流すイベントを行なっていたそうな。

 向陽高校にはエスポワールって女の子の像があって、学園のマドンナ。希望という名前。校歌の歌い出しは「若き名古屋の夢よぶ風に ひらく希望よ心の花よ」。そりゃ希望なんて言葉はどこにでもありふれてありますけれども。

 若き、夢、風、ひらく、希望、心、花……ポジティブな言葉ばかりの散りばめられたその中に「名古屋」という地名が燦然と。なんと名曲なのでしょう!
「ああ青春の叡智の瞳 集まるこの窓わが向陽は 自治の楽園 栄えある母校」とつづいて1番が終わる。ほぼポジティブワードだけで構成される前向きな歌で、思わずこの作詞者、勝承男さんの詩集を探して買ってしまったほどだ。メロディも素晴らしい。ぜひ聴いてみてください。

 向陽で過ごした3年間の日記は、ほぼこのホームページに残っております。そういえば岡田有希子さんも向陽時代+αの様子を雑誌記事などに残していたようです。試しにTwitterで「向陽 岡田有希子」と調べて見てくださいませ。

 決して良い記憶ばかりではないが愛校心はすべての学校に持っている。
 ちなみに僕が「ジャッキー」と名づけられたのはちょうど23年前の今日くらいだったんじゃないかな。長い付き合いになっている。
 ジャッキーのキーは希望の希、ということにしておきましょう。死んだら忌にしてもらって結構。弱希というのはへぼいので、やはり若希でしょうな。若き名古屋の夢よぶ風に、ひらく希望よ心の花よ!

2023.4.11(火) パズルとひねり

 Podcast「氷砂糖のおみやげ」昨日ローンチ(言いたいだけ)しました。今日は兄の誕生日。また3ヶ月後は23周年です。祝ってください。7月11日、火曜日。何も言わずにお店に来てください。何も言わなくていいです。さみしいのが辛いだけだから。

 ポッドキャスト、すなわちラジオというわけですが、非常に楽しい。評判は上々です。継続的に聴いていただけたら嬉しいです。

 ワクチンと選挙、みたいな話を書きたくてずっと温めております。5月8日以降(2類移行後)かな。シャスーも増えてるし縮こまっていよう。あと成田悠輔さん擁護も今さらながらしたい。みんながヒステリックになってるうちに書いたほうが少しは注目してもらえるだろうなとは思うんだけど、本能がバズを避けていますのでね……。そこを踏み込む勇気を持つための、顔出しだったり、弾き語りだったり、Podcastだったりするのです、実は。個人的には!。詳しくはこことか。インスタもよろしく。

 これまでの自分はシャイすぎたし、恐れすぎていた。他人から見たら「どこが?」って感じなのかもしれないけど。
 なんにしても、新しいことを始めて、それを他人に見てもらえたら嬉しい、っていう当たり前の感覚に対して素直になろうと思っています。
 いい人から褒めてもらえたり、ファンになってもらえたら、ちょっとくらい誰かにしぶい顔をされたって問題ない。どちらもモチベーションに転化できればいい。けど実際は叩かれたり嫌われたら3日くらい立ち直れない性分で、そこを少しずつ、なんの、って変えていこうというのが最近。
 ところで短歌をやっている人たち、それは単なるパズルでなく、「ひとひねりだけした一言ネタ」とも一線を画したものであるのか、単なるパズルみたいなもんであって、「ひとひねりだけした一言ネタ」とだいたい似たようなもんなのでしょうか。「ひとひねりだけした一言ネタ」というのは、「アンダーラインの引きすぎで、どこが重要だか分かんないよ」みたいなもんですね(ふかわりょうbotより)。これを31文字に当てはめていくのがパズル。

 急に何を言い出したんだという感じかもしれませんが、「パズル」と「ひとひねり」とを合わせるとなんとなくそれっぽいものになるというのが現代の智慧というものでして、その象徴として現代短歌というものは利用されているよなと個人的には思うわけです。バンプオブチキンとそのフォロワーバンドも似たようなもんです。
 それらは特段「自分の言葉」ではないのに、なんだか自分の言葉であるかのように錯覚してしまう。ところで石野卓球さんのTwitterで「自分の言葉」と検索すると非常に示唆に富む発言がたくさん出てきます。
 しかし物分かりの良い僕は、それはそれでそういうもんでいいとも思います。
 僕なんかギターでコードだけ覚えて他人が作って他人が採譜した曲を我が物顔で歌っているわけです。それを「自分の言葉ではない」としっかりわきまえているかといえば、まあ歌いながら陶酔してたりもするわけで、そういう気持ちよくなり方を否定、撲滅したら世の中のストレスはもっと増えてゆきます。

  教科書にアンダーライン引きすぎて大事なことを忘れていった

 ↑こういうのでいいわけですね。こういうの書いてウットリとすることで、この世のバランスはようやっと保たれているのです。
 Twitterとかで短歌を発表している人のほとんどは(僕の歪んだ瞳で見ると)おおかたこのレベルなのであります。
 その世界に入ってゆくことを「バズる」と言うのかもしれなくて、気高き僕はそれを嫌がり、それを嫌がる僕のことを好きな酔狂さんが常時30人くらいいる、という、そんな感じ、そんな感じの23年間ですわね。

 ふかわりょうさんは、ともすれば短歌のようなウットリプロダクツになりそうなところを、「相手をちょっと傷つける一言」みたいな笑いに仕上げた。さっきのアンダーラインのやつなんてまさに、ウットリにも笑いにも、どっちにも転がる。どっちを選ぶか? それはなんのために? そういう自問、葛藤が、やがて「自分の言葉」あるいは「文体」を作っていくのでありましょう。そこには人格が現れる。つまんない人格もあれば、面白い人格もある。すべてが言葉に宿ってしまう。

 僕の言葉、文体はバズのほうへ向かわない。さぁもっと遠くまで行こう。もうどうせここにいるまま。それなら20世紀の星屑を……(←完全に他人の言葉)

2023.4.16(日) 矢部浩之のオールナイトニッポン

 まとまった文章を書きたい! お題は溜まってきた。時間がない。
 僕の人生の長所は暇ってことである。ひまじゃないと無理。
 夜学バーというお店を6年やってきて、その後半はそっくり非常事態であった。

 2010年、ナインティナインの岡村隆史さんが病気で仕事を休んでいた時期、「オールナイトニッポン」は相方の矢部浩之さんだけで続けられた。2014年、矢部さんは20年続けたラジオ出演を辞めようと考え始めたきっかけを「(岡村さんが復帰した時に)一段落というか、役目を終えた感が出てしまった」「達成感というか」「ゴールというか」と語っていた。
 最近、また色んなお店の閉業が目につく。若い人のお店が多いなという気がする。新型コロナウィルスが上陸してから3年間、お店を守り続けて、あの手この手でがんばってきて、「区切り」を感じたり、「やりきった」的な気持ちになっているのではないだろうか。
 非常事態の緊張感は薄れ、それなのに売上や活気は元のようには戻らない。単純に刺激が少ないし、不安も大きい。潮時と思う人が多くてもおかしくない。僕もそうなのかもしれない。自己分析。

 自分のお店のことはじつに優れたすばらしい作品だと思っているし、お店に立つことも好きだし、向いているし、好きだと思ってくれている人もたくさんいるからやめる気はまだないんだけど、ちょっとくたびれた。自分ではがんばっているつもりなのに、思うようには報われないというか、世間とのズレがあまりにも大きくてへこたれている。
 凄く偉大なことをやっているつもりで、「偉大だな」と思っている人もたくさんいたとして、それだけだとそれで終わりというのが世の中なのだ。偉大だからって何も起きない。偉大かどうかというのは何の現象にも結びつかない。現象を導くのはまったく別の要素。歯がゆく、つらいが、当たり前のことである。

 慎重に言葉を選びたいが、やっぱり計算が狂ってしまったのだ。2019年までと、2020年以降とで。さすがに対応しきれなかった。自分としては完全にカッコよく正しいやり方をしているつもりなのだが、カッコよく正しいことがそれ自体価値なわけではない。快と楽には歯が立たない。
 5月8日が良い区切り。制度的に「もうコロナ禍と呼ばれるような時代ではない」という線引きがなされる。僕はもうちょっとひまにして、今とは別のことに力を入れる余裕を持つべきである。クールで完璧なことに意味がなかったなんて思いたくはないし、軟派で隙だらけなことなんて一生やる気もないが、「詩情に制限はない。それぞれの詩情はそれぞれの詩形を要求する。」という佐藤春夫の言葉に則り、まずは詩情を育んでいかねばならんわけである。

 つーわけでゴールデンウィークのあとくらいからたぶんお休みを増やしますから、どうぞお店においでください。来られない方は3776の『3.11』でも聴いといてください。本当にあんなお店はいつまであるかわからないし、僕だって本当にもうすべてが嫌になる寸前で常にずっと生きているので危ういものだが、まあ僕が死んだとて皆様は悲しむだけで済みます。実害はない。生きていたら得られたかもしれない利益が得られなくなるのみ。もしその利益が事前に想像できていたら生前の付き合い方だって変わってくるはずなのですが、だいたい死んでからしか想像はされません。そういうもんだと思わざるを得ないからさみしいのだということです。むろん生死はもののたとえで、いろんなことが同じようにいえます。
 だってすべてのものにいちいち想像力を働かせるわけにはいかないんですもの。それがさみしいんだけど、それが世の真理でもある。あらゆる友達の死を常に想像しつづけるなんてつらすぎる。さみしいほうがマシと誰もが思ってそうしているのだ。そういうもんなのだから、それを踏まえて生きていかなきゃならない。それを詩にするための時間がほしい。

2023.4.17(月) 5月8日のこと

 5月8日ってのはカワノユウジくんのお誕生日なんですね、これは一生忘れないだろう。初めて覚えた家族以外の誕生日かもしれない。なんで覚えたかっていうとユウジが「おれの誕生日5月8日! おぼえて!」みたいなことを言ってきたからだと思う。「他人の誕生日を覚える」という文化が当時(低学年か中学年、忘れた)の自分にはまったくなかったので新鮮だった。
 彼はまた「おれんちの電話番号は〇〇! おぼえて!」とも言ってきた。自分で考えた語呂合わせまで添えて。その通りに僕は覚えた。ケータイはなく家電しかなかった時代、それはほんの少し便利なことではあったが、数分あれば彼の家のピンポンが押せるわけだからさほどの意味はない。番号はもう忘れてしまった。5月8日は毎年巡ってくるのでその度に思い出し忘れることがない。
「自分にまつわる数字を覚えてもらう」ということが、無邪気で不器用であった彼にとって友情の証明のようなものだったのだろう。彼は人気者ではあったが、心の底から彼を好きだという者はあまりいなかったように思う。お調子者で自分勝手で、目立ちたがりでモテたがりの彼は中学に上がると「洒落にならない」存在となり、僕さえ遠ざかるようになっていった。背が高くスポーツができて人を笑わせることが大好きな彼は女の子にはやはりモテた。高校でいよいよ離れてしまったがその後、池袋でホストをやっているみたいな話を兄づてに(なんでか知らんが偶然会ったらしい)聞いた。池袋ってのがなんとなく彼らしくて笑ってしまった。それからも連絡をとったりは少ししたが、再会する気にはなれなかった。そろそろ会ってもいいのかなと思う。いつ死ぬかわからないんだし、小学校時代のことを語り合える相手なんてほとんどいない。頼みの添え木さん(このホームページの終身名誉副管理人である)は当時のことをほとんど覚えていないらしいし、こないだ偶然地元で会ったマコとはまだ語り合えるような関係をめざす勇気が湧いてこない。

 僕は向陽高校に行って彼は名古屋大谷に行った。奇縁というか腐れ縁というか、桜山駅を挟んで北と南なのであった(向こうは厳密には瑞穂区役所駅のほうが近いが)。こっちは公立の名門、向こうは私立のいわゆるFラン的なところである。しかしかつてはシー俺たちはいつでも二人で一つだった地元じゃ負け知らずそうだろ?的な関係であった(そのように働きかけたのは常に彼である、僕から彼を遊びに誘ったことはたぶん一度もない)。
 同じエリアの学校に通っていて、高校時代に会ったのは覚えている限り一回だけ。もっとあったのかもしれないが忘れてしまっている。大谷の制服を着た彼の姿をなんとなく覚えているから、会ってないということはないはず。ところで僕の第二志望だった瑞陵高校は名古屋大谷の真裏、ほぼ同じ敷地と言っていいほどに近い(地図で見るとビックリする)。落ちていたらそっちに行っていたわけだ。地元から近いわけでもない、アクセスがいいってわけでもないのに、二人ともなぜかそのあたりの学校を、示し合わせもせず志望した。もし彼が「オザキの受ける学校に近いから」という理由で大谷を受けたのならものすごいことだが、流石にそれは。ゼロ、とは言い切れないのは、彼にはそういう可愛くて素直なところがあるし、僕のことがものすごく好きなはずだからである。
 なんであんなに僕のことが好きだったのか? その疑問こそ僕が、彼のことを記憶から切り捨てられない理由なのだ。彼はまた添え木さんやマコのことも大好きだった。彼は絵を描くことが得意で(つまり勉強以外はなんでもできたスーパーマンだった)、3年か4年くらいの時に「添え木の似顔絵をつくった。似てるよね?」と見せてきて、それからずーっとその絵を書きまくっていた。
 当時の僕なんて、本当になんてことない、取るに足らない存在だった。自己認識としてはそうだし客観的にも重んじられていた記憶はない。特に4年生より以前はまったく人気がなく、むしろ下位から数えたほうがずっと早い地位にいた。それなのにユウジは、その頃から僕のことがものすごく好きなのである。彼の野生的な直観が、僕や添え木さんやマコを選んだのである。穿った見方をすれば、弱いヤツらを従えてガキ大将をやりたかっただけだとも思えるが、僕に向ける大きな感情はそれだけでは説明できないと思う。彼は彼なりに僕の何かを見抜いていたのだろうが、たぶん本人にはその自覚はないだろうし、きっと説明する言語も持ち合わせていない。ひょっとしたら今なら、という期待があって、ちょっとユウジに会ってみたくなっている。中学以降、ほぼ関わることを拒絶してきたが、嫌いになったことはない。「やってんなあ」とずっと思っていた。
 どうでもいいが漫画家としての彼の代表作は『うんちゅうじん』という、うんちの姿をした宇宙人が地球に攻めてくる話で、続編も何作か描いていた。「太鼓を叩くバカ太」という曲(?)も作っていた。これらは文化的な側面というより、幼稚園児のノリを永遠に持っているという話だと思う。そんなピュアなところが彼の長所なのだが、世の人は渋い顔をするのみだろう。だからホストのような職に向かわざるを得ない。その情報がどれほど確かかはわからないんだが、彼にはぴったりだと思う。女にはモテるし、ノリも軽くて幼い、そして他人を傷つけることに頓着がない、自己中心的でサイコパスっぽいところもある。なんでそんなやつがこんな僕のことを(たぶん)永遠に好きなんだろう? 彼の持って生まれたエネルギーの大きさは今振り返ると凄まじく、若き日は持て余すしかなかった。僕も僕で相当大きくていまだに持て余している。そういうところがなんとなく彼にはわかっていたのではという気がする。
 記録のかぎり2番めに新しいやりとりは2012年11月1日で、mixiからお誕生日おめでとうのメッセージが来ている。向こうも僕の誕生日を永遠に忘れないんだと思う。そしてマコが卒園文集か卒業文集かなんかに書いていたネタをぶっ込んできている。それをすぐに理解して返信している僕も僕だ。
 そして2019年1月8日、突然「わたしだ」とLINEがきて、うんちゅうじん、バカ太、にぶい音、うんけんなどの専門用語を互いに繰り出し、唐突にやり取りが終わっている。「湯島でバーやってるの? 行くよ〜」というメッセージを僕が完全にシカトしたのである。「シカトか!」というツッコミも無視している。酷すぎる。でもたぶんまだこの時は、会いたくなかったんだろうな。不思議なものだ。とりあえずいま返信しといた。シカトされないといいな(自分勝手)。

 彼と僕との最大の共通点というのは、まだ会ってみないとわからないんだけどたぶん、「あの頃の気持ち(小学生の初心)をいっさい忘れていない」というところなんだろう。そこを彼は見抜いていたのかもしれない。そういえば添え木さんもマコもそういう人だ。あるステージを機にガラリと人格や生活を変えてしまう、ということがない。みんな「つづき」を生きている。
 つづきとか初心ってのはちょうど「氷砂糖のおみやげ」の第4回あたりで語っていることでもあるんで、ぜひ聴いてみてください。

 ゆうじに会ったら僕はどうなってしまうんだろうな。これまで会いたくなかったのは、温度差が怖かったわけではない。たぶん僕も彼も、当時と同じ気持ちで会うことができるだろう。それが恐ろしいのである。ちょっといびつな関係だったから。あれを再現することにそれほど僕は意味を感じない。でもようやく、あの時の関係を踏まえて、もっと良い関係を作っていく自信と覚悟が今になって出てきたのだ、たぶん。生まれて初めて、彼を誘ってみるかもしれない。何年かかってんだよ、という感じだが、捨てたくはない、どこかで大好きな友達なのだ。
 彼はガキ大将だった。自分のことしか考えない人間だった。無邪気で優しくて残酷な、本当のピーターパンだった。彼は、僕がいつの間にか捨ててしまっていた小学5年生の学芸会の台本をいつまでもとっていて、のちに僕に貸してくれた。演目は『ピーター・パン』で、ダブルキャストの主役は僕と森下さん。森下さんは6年のバレンタインデーにチョコレートを僕にくれた。

2023.4.18(火) 松戸の自殺 死ぬという多様性

 未来から来た人のためにも出来事の概要を載せておきます。個人的に、自分にとって重要なことなので。

 4月13日午前4時ごろ、千葉県松戸市のマンション敷地内に少女2人が倒れているのが見つかり、いずれも死亡した。
 マンション最上階の10階には、学校の制服のような上着と靴がそれぞれ2人分置かれていたという。

 衝撃的だったのは、2人がTwitterで飛び降りる様子をリアルタイムで配信していたことだ。現在は削除された33分23秒にわたる動画には、制服のような服装の少女2人が高所から飛び降りるショッキングな様子が記録されていた。

「飛び降り」をリアルタイム配信
 少女のうち1人が「怖い……怖いよ」と何回か繰り返したのち、「大丈夫、行こう」「せーので行くよ?」「せーの」と腕を組みながら後ろ向きで飛び降りている様子が映っている。2人の姿が画面上から消えたあと、“バン”という衝突音が響く。

(略)
 死亡した2人は、それぞれ新潟県に住むXさんと、松戸市に住むYさんだとみられる。2人はともに女子高生だった。
 XさんのTwitterには、〈早く死にたい〉という投稿や、オーバードーズをにおわせる内容が続く。このほかにも、恋愛についても悩んでいたことが、次のような投稿の内容から見受けられる。
〈都合のいい女すぎて鬱。死にたい〉
〈求めすぎてた!私みたいな女が本気で相手にされるわけが無いんだ!死ぬ前にいい夢見させて貰えただけでも感謝しなきゃ〉
(以下略)

文春オンラインより

「Xさん」は原神(ゲーム)の配信者におそらく「遊ばれ」て、これが死にたい気持ちを加速させた要因の一つと思われている。「Yさん」も兼ねてから死にたいと思っていたらしい。二人は最後の晩餐(当人による表現)で酒と薬を大量服用したようだ。飛び降りの直前には「しらふに戻っちゃうから行こ」と言っている(ように聞こえる)。

 なぜ僕はいまこの出来事について書いているのか。どこにも何も書くつもりなどなかったし、誰とも話すつもりもなかった。正確には、松戸に育ち今も住んでいる古い友達とだけわずかにコミュニケーションをとったが、それだけのはずだった。
 しかし今日、お店で、仲のいい17歳の女の子がこの話題を口にした。お客さんはほかに何人もいた。「えっ、この話ってみんなの前でしていいやつ?」と僕は驚いた。女子高生が二人で、手をつないで飛び降り自殺して、それをリアルタイムで動画配信したという出来事。世間では「腫れ物」に分類されることで、かなり慎重に取り扱われるべきことと僕は認識していた。実際テレビや新聞では詳しい報道はされていないらしい(未検証)。しかしその後の彼女の言葉ですべて腑に落ちた。「だって同い年ですよ。」
 同い年で、神聖かまってちゃんや大森靖子が好きで、インターネットに浸かっていて、配信者を追いかけていて……彼女の住んでいる世界とほとんど重なる。リスカやODも身近な現象かもしれない。しかも首都圏。気にしないほうがおかしいし、口にしないほうが不自然とさえ思えてくる。(とはいえそういう「自然なこと」が自然に行われる夜学バーというお店はやはりすごいなとも同時に思う。)

 近い世界に住んでいる人にとってはまったく他人事でない。彼女の言っていたことで印象的だったのは、「こういう女の子同士の深い繋がりってけっこうありふれていて、自分にも覚えがある。それが自殺という形をとるか、別の形をとるかという違いしかない」(意訳)みたいなこと。たとえば「せーの」で楽器を鳴らすか、飛び降りるかといった違い。実は同じようなことなのかもしれないし、楽器を鳴らす延長線上に飛び降りることだってあるのかもしれない。本当に他人事ではない。
 この話題はほんのわずかな時間しか続かなかったが、僕の心はかなりほぐされた。なぜ自分がこの出来事に大いなる興味を持ったのか、ということが少しわかった気がした。悪趣味や野次馬根性だけではなくて、なるほど単に身近だからだ。少なくとも「仲のいい友達にとってものすごく身近」であることは確かで、ということは僕にとってもそれなりに身近なのである。身近といえばこの数年で何人かの若い友人を自殺で亡くしている。なんとなく死というものがどんどん身近になってきているような気がしている。

 僕はつねづね現代は「生きている」ということを重視しすぎていると思ってきた。生存至上主義というか。ただ令和の世になってほんの少し風向きが変わったように感じる。多様性の一環として「死ぬ」とか「殺す」ということさえカジュアルになってきた。安倍さんが殺されたり岸田さんに爆発物が投げられたりというのも「多様性(選択肢の広がり)」の発現だと僕は思っている。
 印象的なこととして2020年に三浦春馬さん、2021年に神田沙也加さん、2022年に上島竜兵さんが自殺している。自殺者数は増えているのだろうか? 2023年3月14日の記事によると2010年代に順調に減少していた自殺者数は2020年に増加、2021年は横ばいだが2022年にまた増えた。小中高生の自殺は緩やかに増えてきた印象ではあるがやはり2020年からは激増、2022年は「514人で1980年の統計開始以降で初めて500人を超えた」とのこと。子どもは減っているはずなのに。若い人たちの間で、死というものが選択肢としてリアリティを増しているように思ってしまう。

 僕の友達の17歳も、おそらく多少の(ひょっとしたら多少じゃないかもしれない)希死念慮は持っていると思うし、僕も未だにちょっとある。タナトスちゅーかかなり多くの人が少しくらい持っている気持ちなのだろう。それが「選択肢」にならないのは、そういうふうにしつけられてきたからで、多様性とか自己決定、自己責任といったことが「しつけ」られれば、むしろ死は選択肢になり得るのではなかろうか。
 だって何だって自分で考えて決めていいんでしょ? 公共の福祉に反しなければ。死ぬのってべつにそんなに迷惑かけないよね? むしろ生きてるほうが迷惑だよね? 自殺配信の女子高生はビルの上から「車いない?」と気にかけている。車に当たったら死ねないかもしれないから、かもしれないし、車に当たったら迷惑だから、かもしれない。

 須原一秀さんの『自死という生き方 覚悟して逝った哲学者』という本を思い出す。浅羽通明先生の解説も含めて名著なので、ぜひ読んでみてほしい。須原さんは自らの論を完成させるため計画的に自殺した。そういう「選択肢」の存在を身をもって提示したわけだ。2006年、17年前のこと。息子の純平さんは巻末に《父の自死からしばらくして、私たち家族が出した結論は、「父にもう会えないのは寂しいが、悲しむことではない」ということです。》と記している。

 世界はどんどん自由のほうへ向かっている。「何が何でも生きていることが絶対正しい、それだけは間違いがないことだ」という金科玉条は古びつつある。「死ぬのだけは絶対にいけない」という言葉にもう説得力はない。「なんでいかんの?」と聞かれても「とにかくそういうものなのだ、おまえも大人になればわかるんだ」なんてもう返せなくないですか? だんだんと「まあ死ぬという選択肢もある、それも各人の自由だ」みたいに返す人が増えていくんじゃないかと僕は思っている。
 自由というのはともすれば自殺を許すということでもありうるし、自殺を許すということは殺人を許すということにも繋がりかねない。だって自由じゃん、と。
 ちょっと前に名古屋で、付き合っていた18歳の女性を刺し殺した29歳の男性が電車に飛び込んで死んだという事件があった。たぶん女性は意に反して殺されているし、電車に飛び込むのもかなり公共の福祉に反しているが、そういうことは起きるのである。件数として増えているかどうかはわからないが、考えてしまう。人の死はどんどん身近になってゆく。ちなみにその事件の被害者は僕のSNSで少しだけやり取りのある人の同級生であった。
 安楽死という選択肢があったほうが平和と考える人も増えてゆくのではなかろうか。私見だが、人を殺す人の大半はたぶん、ボタン一つで死ねるなら自殺のほうを先に選ぶのではなかろうか。「せっかくだから誰か殺してから死のう」という人もいるかもしれないが、「いや面倒だしどうせ死ぬんだからまあボタン押そう」になる人が多いんじゃないかな。「殺しの大半は死ねれば起こらない」どうでしょうかね。

 死が選択肢として身近になって、しかし実行は難しい。そのねじれが様々な印象的な現象を生んでいるというのが僕のテキトーな直観である。自殺できないから他殺するのかもしれないし、死ぬのが大変だから酒と薬を大量服用して親密な友人と手をつなぎネット配信しながら心中する、という大がかりさが必要になる。そういえば少し前、バイクで日本一周してから自殺した22歳の男性もいた。もちろん僕は、もっと手軽に死ねるようにすべきであると主張するのではない。手軽に死ねるようになっていくんだろうなと思っている。酒と薬を飲んで友達と配信しながら飛び降りる、というのはライフハックならぬデスハックであろう。そうすればきっと死ねる!というひらめき。たくさん人を殺せば死刑になれる!という発想に遠くないと僕は思う。バイクで日本一周したらふんぎりがついて死ねる、というのも。それが申込用紙になる日もそのうち来るんじゃないかな。そのほうがたぶん公共の福祉(?)に反しない。

2023.4.22(土) 安楽死(成田悠輔さん擁護)

 前回の文章について「安楽死が現実的になればむしろ自殺が減るのでは」というご感想をいただいた。たとえば「復讐としての自死」が効力を持ちにくくなる、と。
 なるほど「死んでやる」というのは脅しにも使われる。あなたはわたしを傷つけた、そのせいでわたしは死ぬのですから、どうぞ永遠に罪悪感に苛まれてください。安楽死だとその効果は弱そうだから、こういう動機の人は凄惨な死を選ぶのかもしれないが、恨んでいる相手のほうはのうのうと、いつでも、安楽死ができるわけであろう。たぶん、割に合わない。
 僕は安楽死を手軽にできるようにすべきと言っているわけではない。ちゃんと書いておかないと誤解する人がいそうだから明言しておく。ただSF趣味として、そうなった場合に何がどうなりそうか考えることが楽しいというだけである。

 ⚪︎◻︎メガネでおなじみの成田悠輔さんは「国民を二分する議論があるとしたら短期的には憲法改正や核武装など軍事防衛の話があるだろうが、その次に来るのは安楽死の解禁や、将来的にありうる話としては安楽死の強制みたいな話も議論に出てくるんじゃないか」という旨の発言をしている。あの、例の、件の、「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」と主張した番組(動画)内において。

 そういう問題、今の日本社会って見て見ぬフリをし続けていて(略)、そういうものをもっと直接的に議論できるような状況を、雰囲気を作ろうってのが言いたいこと(だったなって感じですね←このあたり正確には聞き取れない)。(聞き手発言略)今だとちょっと安楽死が、すごいお金のある、リッチな人たちの、だけに許されたオプションという感じに、日本だとなっちゃってると思うんですよね。つまりその(聞き手発言を受けて)オランダとか、ヨーロッパの国に行けるような人たちってことですよね。それをその、日本全体としてどう議論していくかっていうのはすごい重要な問題なのかなって気がします。
元動画

 成田さんはものすごく頭の良い人で、言葉の使い方にもいちいち留意して話している。たとえば「みたいな」「ような」「感じ」といったフレーズを、断言を避けるべきところでは必ず用いている。少なくともこの動画内ではそうだと思う。代表的なのが「集団自決、集団切腹みたいなこと」の「みたいな」である。動画タイトルや切り抜き動画等ではこの「みたいな」を抜かしていて、そこから誤解はどんどん広がっていった。成田さんは、少なくともこの動画内では、「集団自決や集団切腹をすべきだ」とは言っていない。
 僕の解釈では、成田さんが言いたいのは、高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹「みたいなこと」をしたほうがいいと思うが、その「みたいなこと」の内に安楽死が含まれるかどうかを議論できる環境を作っておくべき、というようなことだ。殺すべきとか、全員死ねみたいなことではない。人間が主体的に人生を考えた時に、「今いる立場から退く」という選択肢の発想は持っているべきで、その中には「自ら死を選ぶ」という道だって別にあったっていいかもしれない、その議論をしようというわけだ。
 前向きに自死を選ぶという時、「苦しみなく死ねる」というのは非常に大事なことだと思うのだが、むろん肉体の問題にとどまらない。「制度の内側で、社会や世間に許されて死ねる」ということがいかに精神的な安らぎをもたらすか、ということも重視すべきだろう。未来のあり方として、「制度の中で前向きに、無痛で死ぬ」という選択肢がこの国にあるべきかどうか、それを考える時期がもう近くにきているのではないですか?と成田先生は問いかけるのである。(ここでぜひ前回の記事を振り返っていただきたい。)


 ここんとこ僕ちょっと元気がなくて、死を考えるわけではないが、死について考えるくらいにはなっている。何がといって要因はたくさんあるが、一つには「なんだかわかんないけど忙しい」ということがあって、「忙しいというのにお店にはお客が来ない」ということがある。お店を毎日のように8時間くらい開けていると、そのぶん他のことをする時間がなくなるわけなので、忙しくなるのは必定である。そしてその8時間があんまり充実していない感じがする、となると、「忙しいのに時間を無駄にしている」という感覚が強まってくる。焦ってもくる。
 お店が流行んないってことは、何か手を打たねばならないわけだが、その「手を打つ」時間の確保が難しい。気ばかり焦って何もできない。お客のない時にやれることってのは実際少ない。いつお客が来るかわからないという制約の中では、たとえば「1時間くらい集中してやるべきタスク」に手をつけることが難しくなる。数分、せいぜい15分か20分くらいでこなせることをやれるだけやる、という話になってくる。今も実は営業中で、お客のいない合間でこれを書いているわけだが、こういう文章は中断を挟むと勢いが落ちたり一貫性が保ちにくくなったりするから、本当はあんまり手をつけたくない部類のもの。それでも僕にとってここに文章を書くというのは精神的にまあまあ楽なことなので、他のことをするよりはマシなのだ。発散もしたいし。
 それでとにかく、お店に立つ時間を減らさないと他のことが進まないということで、昨夜つくった5月のスケジュールはスカスカになった。ゴールデンウィークまでは、連休だと遠くからお客さんが来たりする可能性も高いからがんばるけど、8日以降はいっぱい休む。僕は木金の夜を「中心に」営業することにした。たまに他の曜日にも立つ。たとえば21日の日曜日(夜)とか。詳しくは夜学バーのホームページをチェックしてください。

 卑屈になって申し訳ないですがここでほとんどの人はたぶん「ふーん」と思うのですね。これを和訳すると「自分には関係ないや」ですね。すごく正直に言っていま僕の心身は死にかけており、もしゴールデンウィークにお客さんが全然来なかったら病みきって消えてしまうと思うが、こう書いたとて「それは大変だ、しかし自分が行ったところで何も変わらないのだから、みなさんどうぞお願いします」と誰もが思い、結果的にまた閑散とする未来、そればかり見えてしまう。自分の持っている一票の重さをまったくご存知ない。自覚がない。僕が言いたいのは本当にたぶん、そういうことなのである。選挙には毎度行くのに、「大好きな」喫茶店にはもう何年も行っていない、みたいな人ってけっこういるよね。
 たとえばあるお店のことを「好き」だと思うとき、普通の人は、「自分とは関係なく独立して存在しているそのお店」が好きなのである。そうでないケースは、いわゆる「常連」という存在になって、お店にとって「なくてはならない」という自覚を本人が持っている場合くらいだろう。この場合「自分とお店」というのがほとんど同化しているのである。しかしたとえば「月に2回くらい行くパン屋さん」に対しては、「自分とは関係なく独立して存在しているお店」という認識に、普通だったらなる。
「自分とは独立して存在しているお店」の店主は、「自分とは独立して存在している人間」で、自分が何をしようが、どう関わろうが影響がない。ただ、もしかしたら「常連」と呼ばれる人は、「マスター最近元気ないっすね、これ実家でとれた柿っす。うっす」みたいに好物を手渡したりして心身のケアに携わる場合もあるかもしれない、でもでも、ワタシのような一介の客は、お店にも店主にも、なんらの影響を及ぼすことはありませんよね!
 そういうふうに思う人が日本人の9割くらいである。だから店というものはもうその「常連」なる概念に頼るしかないのである。僕はそれを拒絶して「常連などない」と言って、それで誰からも気にかけられることのない光栄ある孤独を満喫させていただいているのだ。
 もちろん、誰からも、というのは嘘だし、こういうことを書けば書くほど、「果物とか持っていくと常連認定されてジャッキーさんから嫌われるし、他のお客さんからも〈わかってねえな〉って思われちゃいそうだから、もう何もしない!」という発想になってゆく。そんな可能性は10年前から念頭に置いてやっている! だからこそ、こうして落ち込んでいる。

 僕ができるだけかわいく、あちこちの喫茶店に座ってコーヒー飲んで、本とか読んでる、そのことはそのお店に、必ず良きことをもたらさねばならない。そうなるようなかわいさで、行儀良さで、臨んでいる。お客が来たら嬉しい、そのお客が「いい人」とか「いい子」だったらもっと嬉しい、それだから幸福で、お店だって続けていける。ものすごくただただ、ただただひたすらに、ただそういうことなのである。そのために僕は大好きな幾つかの喫茶店や定食屋に日々通っている。

 積年申し上げておりますが、僕の連発する「〇〇などない」の裏にあるたった一つの主張は、「関係しかない」なのであります。「縁起」であります。そして関係とは、「あるかないか」ではなくて、「どのような関係にあるか」でしかない。なぜならば、すべてのものはどこかで必ず関係するからであります。(ソースは釈迦)
 それを「そうだよね」とあんまり思ってもらえていないような気がするから、落ち込むのだ。勝手にね。繰り返すけれども、繊細さとは自分勝手なものだから。誰のせいでもなく、自分のせいで、勝手に落ち込んでいる。

 パン屋さんで、嬉しそうにパンを買うか、つまんなそうにパンを買うか。すれ違う同じマンションの人間に会釈するか、しないか。そんなささやかなことでも実はなんらかの影響がある。「関係」というのはそういうものである。「関係ない」のではなくて、「なんらかの関係がある」のである。もっと極端に言えば、ただ道を歩くときでも、嬉しそうに歩くのか、つまんなそうに歩くかで、絶対に何かが変わってしまうのである。ごく単純な例だけを言えば、それを見た人が明るい気持ちになるか、ならないかとか。

 僕はこういう文章を書くときに、できる限り成田悠輔さんのように、ものすごく細かいところまで表現をこだわって書いている。推敲不足でなければ、雑な部分は一文字もない。能力不足はあるかもしれないけど。でもそういうことってどんくらい意味あるんかな。成田さんの炎上を見ると、伝わらないんだなって思うし、一次情報であるホリエモンのチャンネルですら動画タイトルで「みたいな」を無視しちゃうんだから、やってられないなって思う。でも、まあそういうもんですから、挫けずにやっていこうと思います。よろしくお願いします(あなたに言ってます)。

 これから楽しく、明るい日々になるといいなと思っていて、すべての人のすべての行動が、それに関係してくるというわけなのです。もちろんその「すべての人」の中には、僕自身も含まれているのです。

 あんまり景気の悪い話はしたくないし、マイナスの効果のほうが大きいだろうとも思うのですが、土曜の夜だってのにこの店ときたら〜♪ ←歌ってる 17時に開店していま21時40分、ここまでお客は1人、売上は600円(10代)、その人が18時51分に帰ってから無風なのです。そりゃ休みたくもなるでしょう。「へー、3時間も自由な時間できていいじゃん」って思われるかもしれないし、もちろんそういうテンションの時が僕にもあるのですが、「3時間」ってのは結果の話であって、それが1分なのか8時間なのかがわからない状態でずっと待ってるってのは、たぶんこういう商売をやったことのある人にしか実感としてはピンと来なくて、どうぞどうぞご想像いただきたく存じ上げるものですが、要するにかなりキツイのです。そりゃ休みたくもなるでしょう。営業日が減ればそのぶんそこにお客は集中するもので、「週に1日だけの間借りバー」みたいなのが成立しやすいのは、「週1なら集客できるから」という事情もあるのです。すなわち無休で営業するってことは、そのぶん「薄まる」という話でもあるわけだ。いやいや自分で好き好んでこういうお店をやって、客を選び続けて、それでそうなっているなら自業自得でしょ? そうですよ。そうだけど、それで辛くなっちゃいけないわけ? いいですよね。つらいよ〜。
 ところが、じゃあ、週に1日とか2日の営業にしたとして、あなたのお店はビジネスとして成立するんですか? しません。おわり。少なくとも今のところは無理だろうし、そうしたいとも思っていない。週1や週2よりも週7のほうが結果的には売り上げは多くなる、普通に考えたら。でもやっぱりこのままこういう感じなのはつらいですね。縮小して、消えてゆくのかもしれませんね(脅し)。
 で、こういうネガティブな嘆きだったり脅しだったりってのは、あんまり意味がない。「景気が悪い→縁起が悪い」ってだけでも人は寄り付かなくなりますから、営業効果を望むなら書くだけ無駄、むしろ逆効果なんですけれども、この日記はそういうところをケーモー?する場でもございますから、きっちり詳しく書かせていただきます。
 大事なのはまあ、すでに書いたように「手を打つ」ってことで、そのためには僕に余裕がないとどうしようもない。心身ともに。それでゴールデンウィーク明けから6月いっぱいくらいまではいっぱい休む。休むと言ってもちゃんと営業はしますから、僕は木金を「中心に」立っているし、土日月もだいたい動いています。火水がいまんとこ休みになっちゃうかもしれない。それでなんとか、お店が維持できるくらいの売上が立たないといよいよこれは、というところ。いっぱいお客さんくるといいな。いきなり10万円くらいくれてもいいです。

 吐きたいのは、どうしてこんなにも世の中と気が合わないんだろうか、って。もうちょっとこの路線を軸に、うまいこと調整してやっていくつもりではありますが、限界もある。世を恨むのは元気な時の遊びで、元気がなくなると自分を恨むようになります。22時になりました。

 具体的にはというか、べつにお客さん来ないからつらいとかいうことではなく(もちろんそれもあるけど)、ここに書いたようなことをあんまり他の人は考えていないのではないか?というふうに思えてしまってすごく寂しい、ということのほうが大きい。22時半になりました。

 22時38分、これから4人でいきますという電話。やった〜。(どんな感情になるかまだわかんないけど)

 午前3時11分、ようやくあとは眠るだけという状態。明日は13時からお店でお仕事、そのまま17時から24時までは通常営業。「なんだかわからないけど忙しい」である。↑のあと電話の4人と、1人おいでになり、結果的に売上は11000円となったわけですが、これをどう考えるかです。計算をいちいち並べても退屈でしょうから結論周辺をかいつまんで書きますと、仮に僕が一人で(従業員を使わず)30日間お店に出てその売上平均が11000円だったとすると、いろいろあって僕の手元には10万円くらいが残ると思います。30日連続で実働8〜9時間(時にそれより長い時もあるだろう)、さらに買い物、支払い、経理、備品管理、掃除など各種お店のメンテナンス、不動産屋や業者とのやりとり、ゴミ捨て、メニュー作成、スケジューリング、広報(ホームページ、SNS、冊子づくり、営業活動その他諸々)、コンセプト維持など(書ききれません、たぶん想像を絶するほど、お店の運営というのはやることが多いのです、たぶん家と大差ないくらい)のほとんどを自分でやって、そのくらい。もし営業を20日間に絞ったら、1〜3万円くらい残るか残らないかということになるでしょう。年収10万。
 それってあまりにも商売が下手では? という話にもなるのですが、もし平均して2000円払ってくれるお客さんが1日に平均10人きてくださるとしたら(平均して3000円なら平均6〜7人、5000円なら4人)、月の3分の1を僕が担当し、従業員には売上の35%を手渡すということで30日間営業した場合、僕の手元には20万円くらい残る可能性があります。それだったらまあ生きていけなくもない。このくらいが現実的。よくてそんなもんだってんだからやっぱ商売は下手でしょう。もうちょっとふるわなくても12〜15万くらいは残せれば、年収にすると150〜180万円、まあ死ぬことはないと思います。このようなワーキングプアを覚悟して美に生き続ける美しい僕も、それすら怪しそうになればそりゃ元気だってなくなり、元気がなくなるとやっぱり絶望とかするんだというだけのことです。3時38分です。おやすみなさい。

2023.4.23(日) 世の中をよくしよう

 僕がお金の話をするのは逆説的に?何かを表現したいからで、しかし伝わるにはまだ不十分な気がするのでもうちょい、昨日の後半部の続き。
 おそらくみなさまは依然「ふーん」と思っていて、なぜかといえば僕が周到に「書かない」部分があることを知っているからです。お店以外の収入、自宅の地代家賃、預貯金額、実家の太さ等々、「困窮度」の指標となる重要な情報を僕は明かさず、ただ「夜学バーというお店による収入」だけを記載しているだけなので、「ふーん。で、ま、別に困ってるとかではないんでしょ?」という感想に終わりがちなのだと思います。
 僕がなぜそれらを明示しないかというのはいろいろありますが、大前提としてそれが「お店の話」だからで、僕が困窮するかどうかとは直接的な関係が薄いというのがあります。お店はお店ですから。お店からの収入が少なくなって、やがて僕の手元にお金がなくなったら、お店が維持できなくなります。それだけのことです。一方で僕は生活保護受給者とかになるかもしれませんが、その覚悟はある程度持っているつもりです。そしてそうなってもそんなには悲惨な感じにならないだろうと思います。みなさまも(僕のことをある程度知っている人であれば)そういうイメージを少しは持っているんじゃないでしょうか。「ジャッキーさんという人は、お金がなくても平気なのだろうから、自分がそのことについて考える必要はどこにもない」と。あるいは、「ジャッキーさんには能力があるのだから、放っといても大丈夫だろう」とか。すなわち昨日書いた「関係ないや」の世界ですね。
 じゃあ、僕ではない、困窮した人が経営するお店についてはどうでしょうか?「ジャッキーさんは困窮していないから無視していいけど、〇〇さんは困窮しているから無視できない」ということになるのでしょうか。これは一面正しいと僕は思います。ただし、「困窮している人のお店に対してはなんらかの行動をとるべきだが、困窮していない人のお店に対しては特に何もしなくていい」という考えについてはどうでしょう。
 僕は「世の中をよくする」というフレーズをよく使いますが、困窮する人に手を差し伸べる、ということだけが「世の中をよくする」だとはいっさい、思わないんですね。だから、「僕は困窮しているので助けてください、お金をください!」という言い方を僕はしないのです。「こういうことをやっていて、このくらいしか儲かっておりません、それってどーなんすかね?」という持って回った言い方をネチネチとやっています。

「困ってるから助けてあげなきゃ」ではなくて、「世の中がよくなるからこうしよう」という態度で多くの人が生きていれば、本当に世の中はよくなる(てかさーいい世の中ってナニ?みたいな疑問は別途存在しますご安心ください)と信じるわけです、僕は。
 僕のやっていることに「人気」がないとしたら、「それを支援すれば世の中がよくなる」とあんまり思ってもらえていないか、世の中なんて別によくならなくていいじゃん、と思われているということなので、僕は凹むという、わりに単純な話だと思いますね。
「おこづかい」ページに書いておりますとおり、僕に資金があれば余裕もできて、「世の中をよくする」ために割くリソースも増えるわけだから、それは「投資」のようなものなのです。リターン(配当)は「世の中がよくなる」こと、という話になるわけですが、そんなわけのわからないもの、受け取ったってしょうがないというか、受け取った実感を得ることは難しいだろうし、そもそもその配当って発生するの?という疑念も湧きましょう。僕はそう、無茶苦茶なことを言ってはおります。
 無茶苦茶なことでも賛同者が増えればそれが道になる。そんなことを魯迅は『故郷』の中で言っているわけで、それを信じて僕は意味不明な荒野を突き進もうとしているわけですが、まだけもの道未満の段階で、でもやっぱり少しは僕の言っていることに「そうだよね」と思ってくれている人はいるんだから、ヤケになるべきでもなくて、でもたまに寂しくなってしまうというだけの話。

 僕が「これはステキなことだ」と思っているようなこと(例えば夜学バーを存在させていること)が、この世の中では通用しない、ということがどうしても悲しい。自分が価値を感じているものに、あんまり価値を感じてもらえていないという孤独。でも「大好きだよ」と言ってくれる人もたくさんいるから、やめようとも思わない。大事なのは「大好きだよ」のヴァリエーションを増やしてもらうことなのかなってのが現状かもしれない。

 ダウンタウンの松本人志さんがかつて「松風'95」という、「観客に金額を自由に決めてもらう後払い制のライブ」をやったら、大赤字だったという。それで松本さん(と大崎さん?)はその方式を(たぶん一回で)捨ててしまった。もったいないと思う。こんなに赤字が出た、ちなみにその内訳はこうである、こういうつもりでやっているわけだから、こういうふうに考えて金額を決めてほしい、みたいなことを丁寧に説明したら、「なるほど、じゃあ次は最低でも5000円は出すことにして、あまりにも面白かったら10000円とかにしようかな」というふうに考えてくれる人は少しずつ増えていったはずだ。「松風を黒字にしよう」みたいな(たぶんしゃらくさい)運動も起こったかもしれない。もちろんフリーライドする人はいなくならないだろうが、辛抱強くやれば「そういう文化」が日本に育まれるきっかけになった可能性もある。
 でも、辛抱強く、なんてことは効率が悪い。「ダメだったし、しばらくはダメだろう、残念だけどこの路線にこだわっているほど我々は暇ではないよね」ってことになるのは仕方ない。松本さんたちは何も悪くない。でも僕は松本さんたちよりは暇だから、微力ながらそういうことをやろうとしているのかもしれないのだ。
 このライブにお金を払わなかった人の言い分はこうだと思う。「吉本は最大手(=儲かってる)だし、松本も大人気(=儲かってる)だし、まともな額を払うやつも可処分所得が多い(=儲かってる)のだろう、一方で自分は儲かっていないのだから、お金を払う義理なんてないわな。」
 そういう人が多かったから、「松風」という前代未聞の、画期的な実験は一瞬で幕を閉じたのであろう。しかし僕が思うに、松本さんはこの試みを通して、彼の思う「世の中をよくする」をやろうとしていた。それに乗ってくれる人は、さして多くなかった。そうやってだんだん、松本さんは腐っていったんじゃないかと思う。「みんなアホすぎやろ」と。

 ここではお金の話を中心にしていたが、「大好きのヴァリエーションを増やす」というのはもちろん、お金だけの話ではない。「じゃあお金あげるよ」というのがすべてなわけはない。たとえば夜学バーの宣伝をどこかでしてくれるだけで十分に僕の幸福は増し、僕にとって世の中はよくなる。そういう直接的なことでなくとも、「あ、なんか落ち込んでるみたいだな」と思って、どっかでさりげなく「ねーこれかわいいねー」とかなんとか言ってくれることとかが、あまりにも友情だと思う。さみしいのが問題なのだから、まったく関係ないことで褒めてくれたりとか、遊んでくれたりすることが何よりだったりもする。
 僕がただひたすらに言いたいのは、「世の中をよくするために、自分は何をすればいいのだろうか」と常に考えることしか、世の中をよくなんてしないということなのだ。昨日書いたように、笑顔で挨拶をするとかそういうことからして世の中に影響する。あらゆる行動が影響する。例としてお金というのは非常にわかりやすくて、何にでも使えるからこそ、何に使うかということが、世の中の良さを明確に左右する。常に完璧にそれをせよ!と訴えたいのではない。できる範囲でそれをして、その範囲を少しずつでも広げていければすごくよいんじゃないでしょうか、という話。
 今日は都内の投票日だそうですが、数年に一度選挙に行って、あとは何も考えない、というよりは、自分のあらゆる行動について「世の中を良くするか」という自問をしつづけるほうが絶対に良い。その中に「選挙」も当然含まれるのだから。もちろん、自分が投票するのとしないのと、どちらが世の中をよくするだろうか?というところから検討するのである。(行けとか行くなとか言っているわけではない!)

2023.4.24(月) 饗宴 すべてが奏でるハーモニー

 三部作は昨日でおしまい。セラピーも終わり。
 類は友を呼び、美は美を呼びますんで、改めて美しさの追究へと向かってゆくことにしましょう。
 昨今は肉体ブームですね。みなさま美容や筋トレに勤しんでおります。
 しかしプラトンの『饗宴』を読みましたか? たとえばこの日記など参照。

 さて、この恋(※エロス)のことに向かって正しくすすむ者はだれでも、いまだ年若いうちに、美しい肉体に向かうことからはじめなければなりません。そしてそのときの導き手が正しく導いてくれるばあいには、最初、一つの肉体を恋い求め、ここで美しい言論(ロゴス)を生み出さなければなりません。
 しかし、それに次いで理解しなければならないことがあります。ひっきょう肉体であるかぎり、いずれの肉体の美もほかの肉体の美と同類であること、したがってまた、容姿の美を追求する必要のあるとき、肉体の美はすべて同一であり唯一のものであることを考えないとしたら、それはたいへん愚かな考えである旨を理解しなければならないのです。この反省がなされたうえは、すべての美しい肉体を恋する者となって、一個の肉体にこがれる恋の、あのはげしさを蔑み軽んじて、その束縛の力を弛めなければなりません。
 しかし、それに次いで、魂のうちの美は肉体の美よりも尊しと見なさなければなりません。かくして、人あって魂の立派な者なら、よしその肉体が花と輝く魅力に乏しくとも、これに満足し、この者を恋し、心にかけて、その若者たちを善導するような言論(ロゴス)を産みだし、また、自分のそとに探し求めるようにもならなければなりません。これはつまり、くだんの者が、この段階にいたって、人間の営みや法に内在する美を眺め、それらのものすべては、ひっきょう、たがいに同類であるという事実を観取するよう強制されてのことなのです。もともと、このことは、肉体の美しさを瑣末なものと見なすようにさせようという意図から出ているのです。
 ところで、人間の営みのつぎは、もろもろの知識へと、彼を導いていかなければなりません。このたびも、その意図は、かの者が諸知識にある美しさを観取し、いまや広大なものとなった美しさを眺めて、もはや家僕輩のごときふるまいをしないように、ということにあります。つまり、一人の子供の美しさ、一人の大人の美しさ、一つの営みの美しさというように、ある一つのものにある美しさを大事なものとし、それに隷属して、愚にもつかぬことをとやかく言う、つまらぬ人間になりさがらぬように、ということにあるのです。むしろ、かの者が美しさの大海原に向かい、それを観想し、力を惜しむことなく知を愛し求めながら、美しく壮大な言論(ロゴス)や思想を数多く産みだし、かくして、力を与えられ、生長して、以下に述べる美を対象とする唯一特別の知識を観取するように、というわけです。
(中公バックス 世界の名著6『プラトンI』より 鈴木照雄訳)

 すなわち、さまざまな美しいものから出発し、かの美を目指して、たゆまぬ上昇をしていくということなのだ。その姿は、さながら梯子を使って登る者のようだ。すなわち、一つの美しい体から二つの美しい体へ、二つの美しい体からすべての美しい体へと進んでいき、次いで美しい体から美しいふるまいへ、そしてふるまいからさまざまな美しい知へ、そしてついには、さまざまな知からかの知へと到達するのだ。それはまさにかの美そのものの知であり、彼はついに美それ自体を知るに至るのである
(光文社古典文庫、中澤務訳)

 すなわち(ちゃんとしっかり読んでくださいね!)、美を知るためにはまず一つの美しい肉体から始めるものだが、それはやがて《一つの美しい体から二つの美しい体へ、二つの美しい体からすべての美しい体へと進んでいき、次いで美しい体から美しいふるまいへ、そしてふるまいからさまざまな美しい知へ、そしてついには、さまざまな知からかの知へと到達する》のである。
 倫理の教科書に出てくるような考え方を踏まえると、まず具体的な一つの肉体があると知る、そして他にも美しい肉体が多数あると知る、すると帰納(法)的に、「美しい肉体とはこういうものである」と知ることができる。ただし、肉体の美よりも尊いものとして魂の美というものがあるので、今度はそれをわかるようにならなければならない。それは「人間の美」を知るといったようなことだが、人間という具体的なものの美を知った次は、「人間の営み」という抽象的なものを知るに進み、さらに洗練された「知」なるものを知るに至る。その「知」にもいろいろあるのだが、ありとあらゆる種類の「知」を知って後には、帰納(法)的になのかなんなのか、ともあれ究極の「知」たる美というものそのものを知ることができる。そういう道すじについて『饗宴』は書いている、のだと思います。
 美を知るにはまず一つの美しい肉体から始めましょう、ということではあるが、そこからさまざまな肉体、そして魂、営み(ふるまい)、知(学問)……、といったふうに、より高次の(とプラトンは書いているはず)段階へと進んでいかねばならんというわけ。

 現代の肉体ブームは、基本的には「自分の肉体」への興味でしかない。自分の肉体のあり方をいかにコントロールするか?という執着。どうにかして自分の肉体を、自分の理想に近づけていきたい、という。これはプラトンが『饗宴』で描く道すじとはまったく違うもので、ゆえに僕のようなプラトンは(同一性同一性障害?)眉を顰めるものでございます。
 すなわち「一つの美しい肉体」への執着にとどまる、というわけですね。よしんばいくつかの肉体に執着を寄せていたとしても、それは「魂の美」というステージに上がるための経過でなくてはならない。たぶん『饗宴』至上主義者はそう思うでありましょう。
 美しくなりたい、可愛くありたい、という気持ちは何も悪いことないと思いますが、それが「一つの肉体」への執着でしかないということになると、そのあとはどこに向かうの?という疑問がわく。哲人はいつか知だとか美というほうへ向かおうとするのであろうが、そうでない人はどうするのだろうか? 哲人には「せやからみんなで哲人になろうよ」くらいしか言えない。インテリの悩ましいところである。

 それで僕はせめて「仲良し」ということを言い出すわけですね。あるいは「関係」という、僕が思うにはかなり仏教的な観点を持ってくる。一人の人間だけでは仲良しも関係も成り立たない、ありとあらゆるすべてのもの・こと同士が「仲良し」という関係をめざす(当然過渡期には実現しないこともままある)ということを。「すべてが奏でるハーモニー」と尾崎豊が歌う(『自由への扉』)のはそういうことなのでございます。あすは命日。日付が好きなので、毎年意識しています。

2023.4.25(火) 中華屋が町中華になった瞬間

 昨日は何もしない1日だった。返信すらほとんどできずに明け暮れた。まれにある。
 ただそういう人ってけっこう多いよね。「メンタルが」なんて理由でさまざまのことをナシにする人。そうはなりたくないものの、そうはなるまいと無理したくもない。自然にやっていく以外にないのだ、結局は。

 夕飯は近所の中華屋に行った。時が来たら詳しく顛末を書きたいのだが、一言でいえば「近所の居酒屋に買収され、個性がすべて《町中華で飲ろうぜ的価値観》に塗り替えられ、味もおいしくなくなった」という話。味は正確に言えばそう不味くはないのだが、ずいぶん男っぽい味になったなという印象を受けた。それにしても以前の味が良すぎた。出てくる温度も大切だったのだなとか、いろんなことを思った。
 僕は6年前くらいから通っているのだが、その時すでに70歳くらいのおばあちゃんだった。自分のお店が終わった帰り道でもギリギリ開いているので非常にお世話になった。「明かりが消えてても入ってきていいから、入っちゃったらもうお客さんなんだから」と優しく言ってくれた。近所のスナックのママさんがお客を連れて飲みに来るようなお店だったから、いつも深夜2時くらいまでは大騒ぎだった。
 それがある時、インスタでバズった。それからはあまり語りたくもないが、日記には書いたことがある。要するに流行りすぎてしまったのだ。客層もずいぶん変わった。おかあさん(そう呼ばれている)一人で対応することはもうできず、お手伝いさんを使うようになった。テレビもいっぱいくるようになった。年齢もあって営業時間は次第に短くなり、もちろんスナックの人たちはいっさい見かけなくなった。店の雰囲気はずいぶん変わってしまって、少しずつ僕も足が遠のいてしまった。
 久々に行ったら何もかもが変わっていた。品も味も失われてしまった。〇〇という居酒屋の名前が端々に見える。レジスターが導入されている。中華丼が「町中華丼」と改められていたのにはさすがに泣いた。いちばんよく頼んでいたのに、もう二度と注文できない。極めつけは、アイドルをやっているお孫さんの写真やなんやがすべてなくなっていたことだ。彼女の名前が刻まれた焼酎のボトルも見当たらない。もうここにあの一族はいないのだと思わされた。たまたまその時いなかっただけで、おかあさんもお店に立つことがあるのかもしれないが、そういう問題ではない。支配、占領、そんな文字ばかり浮かぶ。いや、もちろんこうも思うのだ。「続いてくれるだけありがたい」と。でもそう簡単には割り切れない。

 僕はインスタが悪いと思っている。テレビの取材は断れば良いがSNSは無理だ。「写真を撮るな、SNSに上げるな」とルール化すればいいのか? いやそれだって店の雰囲気を変えてしまう。もちろん数十年やってきたことが「評価」されることは嬉しかっただろうと思うし、この結果をご本人たちが喜んでいる可能性だってある。でも僕からしたら、「本当の文化」みたいなものが「町中華」という凡庸な文化に塗り替えられたとしか思えない。
「本当の文化」すなわち「個性の本質」を守るためには、現状では「バズらない」しかないと思う。僕のお店(夜学バー)もいろいろあってバズらないから幸いだ。でも現代それでは経営は苦しく、「評価」されないさみしさもついてくる。本当はある程度バズって、それでも「品と味」を守れるのが一番いい。それがずいぶん難しいってのはこの中華屋さんが示してくれている通りだ。

 好きなものを好きなまま守るために、自分にできることはなんだろうか? それを誰もが常に考え続けていない限り、こういうことはきっと絶えない。でもそんなことはありえないんだねって、自分でお店をやってて、あるいはこのホームページをやっててすごく思う。それがここ半月くらいの、もっといえば数年にわたる、僕の文章の「暗さ」の源なのである。せめてこれを読んでくれている人たちくらいは、できるかぎりで考えてみてほしい。

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