Entertainment Zone/少年Aの散歩
by ジャッキー(Jacky itp)
トップページへ

 お会計はこちらです。


好きな額で継続的に(Liberapay)
100円単位(Stripe Payment Links)
1000円単位(Stripe Payment Links)
10000円単位(Stripe Payment Links)
250円単位で毎月(Stripe Payment Links)
・ID:ozjへダイレクトに(PayPay)
夜学バーに『ドラえもん』を(Amazon)


【説明1】
LiberapayはPayPalまたはクレジットカード、デビットカード等によって支払えます。文字列や記号がいっさい通達されないため、完全に匿名で送ることができます。アカウント作成が必要です。手数料(カード3.6%、PayPal3.6%+40円)を差し引いた全額が届きます。継続支払いのみです。
Stripe Payment Linksでは、カード情報を打ち込むだけで簡単に支払えます。数量を変更させることによって任意の額を決定できます。カードの手数料(3.6%)を差し引いた全額が届きます。振込者名が通達されます。
PayPayで「ozj」を検索すると僕が出てきますので自由に送金できます。手数料等は発生しません。
Amazonのほしいものリストに、ドラえもん&ドラえもんプラス全巻を入れました。ここからご購入いただくと、僕の運営する「夜学バー」に届きます。僕は個人としてはもちろんこれらをすべて持っていますが、幼少期からコーラものまず、クリームもなめずに少しずつ集めた宝物なので、お店に置くぶんを別に確保すべく、恥も外聞もかなぐり捨てました。ぜひ夜学バーの景色と文化資本の向上にご協力くださいませ。手数料等は発生しません。


【説明2】
 最近はnoteなどのサービスを通じて何かを売ったり、いろんな投げ銭、寄付のサイトがあったり、クラウドファンディングも盛んです。それらを選ばないのは、単純に手数料が高いから。約10%〜20%くらいはかかるのが普通のようです。Ez費(いーじーひ)は、せいぜいカード手数料くらいしか生じない方法にしました。それと、できる限り間に挟むものが少ないほうが好きで、だから直接現金のやり取りをする「お店」というものが性に合っているんだと思います。夜学バーは今のところ、キャッシュレス決済がいっさいできません(2021年11月現在)。
 また、「何かを引き換えに何かを得る」という(一対一対応の、天秤的な)考え方が、そもそもあまり性に合わない(好きじゃない)ので、有料コンテンツや会員限定コンテンツ的なものは今後もたぶんやりません。受験期に複数の同級生が、「勉強するからホームページ閉める(やめる)」と口々に言っていたのがあまりにも嫌で、意地でも毎日更新し続けたのを思い出します。喪失や我慢を前提とせず、楽しい日常の中に楽しい勉強を組み込めばいいだけじゃないか! と。ちゃんといいとこ受かったのでよかったです。
 何より僕は、「インターネットは無料であるべきだ」という考えを強く持っています。インターネットが高校時代の僕を完璧に魅了した最大の理由は、すべてが無料だったからです(プロバイダ料や通信料、シェアウェアなどはありましたが)。僕のようなお金も能力もないただの子供でも、アクセスさえすればあらゆるコンテンツを無料で見ることができました。広告すらほとんどありませんでした。そこで無限に遊び、学べたことを本当にありがたく思っております。いつまでもそうあってほしいという願いを踏まえ、「お金を払った人は(登録した人は)これを見ることができます」という方式は取りません。投げ銭のできるフリーウェアというイメージです。
 未来には、報酬や対価といった、「これに対してこれが対応します」という考え方は徐々になりをひそめていくと思います。一対一対応ではなく、それぞれの人がいろんな方向に発散して、いろんな方向からいろんなものを受けとるようになります。みんながそれぞれに存在し、絡み合って調和して世の中がうごめいていくようになっていきます。というか、そういうふうに僕は持っていきたいので、微力ながらそのように志します。


【説明3】
 これは「お金をください!」という話ですが、その一言をいかに言い換えるのか、を味わうコンテンツでもあります。僕にお金を渡す方法と、その方法を選んだ理由についてはもう書きましたから、ここからは芸術の世界です。

 当ホームページ「Entertainment Zone」は維持費が月にいくらか(数百円~千円前後?)発生しておりますが、この料金は家族共有のniftyアカウントと一体になっているため、なんといまだにお父さんに負担してもらっています。(よくわかってないけど多分そうなっているんだと思います。亡くなったらどうしたらいいんだろう? その時こそ真の存続の危機なので、僕よりも長生きしてもらわなくては……。)

 サイトそのものの経費はその程度ですが、一方で「僕という人間の維持費」は実のところ、それなりにかかっております。
 本を読んだり、喫茶店に行ったり、誰かとお茶したり、お酒を飲みに行ったり、旅行したり、何もせずにぶらぶら散歩していることなどが、僕を僕たらしめ、このホームページを継続させています。それらの行為がすべて僕の経験と人格と思考等々に影響し、文章や何やらに反映されます。これらはすべて経費です。
 読む本の何割かは図書館で借りてきますし、喫茶店はコーヒー250円〜400円くらいのお店が主で、お酒や旅行も無駄を省き、可能な限り安く抑えます。移動は基本的に自転車だし、旅先にも自転車を持っていきます。たぶん同年代の普通に働いている人からしたら、「え? いまだにそんな感じなの? 学生?」と思われるでしょう。実際学生なのです!(放送大学! これも経費。)
 散財や贅沢はほとんどしません。「あー、今日はうなぎ食べちゃおっかな〜」みたいなことすら、ほぼありません。「よーし今日は(コロッケ定食ではなく)焼き魚定食にしちゃうぞ!」くらいのことならあります。「思い切って、ウィンナーコーヒーだ!」とか。
 とはいえ貧乏くさいのが好きなわけではないので、ここぞというときにはいつでも即座にまとまったお金を出せる心構えを持つようにしてます。自分よりお金のない人にはごちそうするし。そのメリハリは、なんか名古屋人っぽいなーと思います。

 なんにせよ、多少ならずお金は必要です。それはどこから出ているのか? もちろん働いて得ているのでありますが、「さして働かない」ということも、僕を僕たらしめる重大な要因です。「基本的に暇であり、自分の予定のほとんどは自分で組み立てられる」という原則が、散歩のような人生を可能にさせているわけです。
 ライターの仕事は「頼まれれば嫌なことじゃなければ何でもやります」という勝手なスタイルで、ほぼ営業活動をしておらず、最近は年に数十万円程度(2021年はやや多め、百万円ちょい)しか稼いでいません。教育業も、2017年に非常勤講師を退いてからは個人的に勉強を教えたり推薦入試などのアドバイスはしておりますが、お金にはならないものです。同人誌等の売上はもちろん微々たるものです。
 現状の主な仕事は「夜学バー」(2017〜)にまつわるものですが、日ごろから「決して儲からないお店」を標榜しており、年中無休で営業していた頃でも僕の懐中にやってくるのはせいぜい月に10万円くらい。(なぜ儲からないかについては夜学バーのホームページをご参照のこと。)

 それでよく生きていられるな、というふうにぜひ思っていただきたいのですが、先述の通り支出がそんなにないし、いろんな人が助けてくれるので、生きるだけなら結構できそうなのです。つい昨日も山口県から柿が届きました。本当にありがとうございます。このご恩は僕が僕として生きることによって返し続けます。

 2020年3月14日に「存在への対価」という文章を書きました。これは新型コロナウィルスの流行を受けて売り上げが落ちに落ち、これはいよいよ大変だということで、夜学バーというお店を存続させるために募ったものです。存在していることそれ自体への対価として、お金をくださいと。ようするに寄付ですね。このあと、感染拡大防止協力金というものが出てきて、なんとか支給も決まったため、目立つところからは取り下げましたが、これが少なくとも数ヶ月間、お店のお財布と僕の精神を支えてくれたことは真実です。このご恩は、いつか閉店する日まで夜学バーが存在することによってしか返せません。ただ存在しているだけではなくて、無論、かっこよく。

 冒頭に書いた「僕という人間の維持費」というのは、僕が僕らしく存在するためにかかっている費用。僕はあんまり多くのお金を持っていませんので、僕にお金を渡すということは、僕がこれまでと同様か、あるいはそれ以上に面白く愉快に、散歩のように生きていくための「維持費」の一部を賄うということです。
 自分で多くのお金を稼ぎながら散歩のように生きられるなら、それが一番いいのかもしれませんが、残念ながらそれは僕の能力と性分の埒外のようです。僕には、少ないお金を稼ぎながら散歩のように生きるしか今のところできません。
 その稼ぎ口はこれまで大きく分けて、ライターの仕事と、教育の仕事と、飲食の仕事と3つあったのですが、それに加えて「存在の仕事(その報告としてのホームページ)」というものを今、ここに付け加えてみようかと思った次第です。

 2000年7月11日に開設してから、このホームページは直接的には一銭にもなっていません。しかしここの文章をきっかけにお店に来てくれたり、仕事がもらえたり、ふと思い出してくれた人が僕に連絡できたり、人間関係が継続しやすくなったり(その逆もあるかもしれませんが)、間接的には莫大な利益がもたらされました。べつにそれでいい、十分だ、というのは一方でありつつ、「まったくお金にならないというのも大変なことだな」と思うようにもなりました。
 ホームページを持つ人は、みんな辞めていきます。少しずつ更新しなくなり、やがて母体のサービス終了とともに消滅します。なぜかというと、お金にならないからなのです。これは歳をとって確信しました。
 みんなが欲張りなわけではなくって、ただ、ほかのことでお金を稼いでいると、ホームページなんかにかまけている暇がないのでしょう。ほとんどの人にとってホームページはいっときの趣味であって、忙しくなればやらなくなるのは当たり前。僕のように人生の一部として、ほとんどライフワークにしてしまっている人は実に少数です。

 ほかに仕事があって、そっちを優先しているうちに、家族ができて、優先すべきものが増えていって、ホームページなどという趣味は、あるいは文章を書いたり何かをまとめたりすることというのは、別にやらなくても良い、どうでもいいこととなっていきます。それは自然なことです。
 僕がホームページを続けている最大の理由は、あんまり働いていないからです。仕事で忙しいなら、一銭にもならないホームページをやる余裕はないでしょう。そして次に大きな理由は、僕が主にお金を稼いでいる「ライター」「教育」「お店」という三つの仕事が、ホームページによって一本につながり、間接的な利益を生むからです。
 しかし、生活に困窮してくれば、「間接的な利益」なんて悠長なことは言っていられません。とにかく直接の利益、明日の糧を優先するでしょう。そうなったらこのホームページは止まるでしょうし、今よりももっとつまらなくなると思います。

 あんまりお金があって暇すぎても、何もせずに寝ているだけになるかもしれないので、見ていて面白くもないでしょうが、利潤の追求やビジネス的な成功ばかりを考えていると、まったく無価値な言葉しか生み出せなくなりそうです。なぜ無価値かというと、多くの人が利潤の追求やビジネス的な成功について考えざるを得ない(或いは、それを考えている人たちにしぶしぶ追随せざるを得ない)状況にある以上、それについての言葉は、ほぼ無条件に陳腐だからです。せいぜい、「その中で少しは珍奇」という言葉を、一所懸命産み出し続けるしかありませんが、それを楽しいと思えるような人格では僕は、ないようです。「競争社会の風雲児」になるよりも、その社会を眺めてあれこれ考えていたいものです。
 同様に、「利潤の追求とかふるいよね! みんなで仲良く手をつなごうね!」とニッコリ笑う人たちの輪の中に入っていくことも僕にはできません。それらはほとんど同じことです。そういうふうな、「みんなであっちを目指そうよ!」という人たちの言葉はほぼ無条件に、陳腐になります。方向がもう、決まっているので。
 そうでないふうでにいるには、まずお金をそう稼ごうともせず、ある程度の暇を持ち、余裕しゃくしゃくに暮らしていなければなりません。それを奇跡的に(なんとか)実現させてきたのがこのジャッキーさんなのですが、そのお手伝いをよかったらみなさま、ちょっとお願いしますよという話で、この文章はあるわけなのです。

 ところで、20年以上、膨大な文章やらなんやらをWeb上に積み上げてきている僕ですが、その「感想」をいただくことは滅多にありません。それは寂しいと言えば寂しいのですが、あんまりバンバン「感想」がきても困ってしまいます。なぜ困ってしまうのか、というと、そもそも「感想」なんてのは言葉にするもんじゃないからなのですね、多分。感想は感想として、胸の中に混沌としてあればいいもので、秩序づけて整頓して、言葉を飾って相手に届けるようなものではありません。だからコメントよりも「いいね」の社会になっていったのだと思います。しかしこのホームページには「いいね」も何もないので、ただただ無味のカウンターがくるくると回り続けるだけです。課金システムというのはよくできたもので、言ってみれば「いいですね!」的なもの。そういうものが多少でもあれば、張り合いにもなるだろうと思っています。いやー、ほんとに、空に向かって語り続けることのむなしさよ。誰も読んでないかもしれないのに、何を僕はこんなに饒舌に……というのは、記事を書くたびに思ってしまうことです。だって誰からも何も反応なんてないんだもん(たまにはあって、それが本当に嬉しいんですけど!)。それで20年以上やり続けていること、ただそれ自体を褒めて、ねぎらってほしいものです。馬鹿にすることも簡単でしょうけど。

 古い友達から、「ジャッキーがそういうふうに生きていてくれることがとても嬉しい」と言われることがあります。フルタイムで正社員をやっていたら、なかなか散歩のようには生きていけません。フリーランスでもたくさんのお金を稼ごうと思ったら、馬車馬のように走り続けねばなりません。今のところの僕は、多くのお金を必要としないので、散歩のようにやっていられますが、たとえば子供ができたりなんてしたらどうか? 家族が病気をしたらどうか? それでも僕は散歩のように生きていられるのだろうか? 友達やこのホームページの読者の方々から、お店のお客さんたちから、「そういうふうに生きていてくれて嬉しい」と、感謝されたり、安堵されたり、少々の幸福を感じてもらえたり、するだろうか?
 また、年老いて、今よりもさらにお金が稼げなくなったときに、適切に対処して自身の美学を貫き通す余裕が、ちゃんとあるだろうか?

 第4の仕事(存在)は、そういった時のための布石のつもりです。僕は非常に小規模ではありますが、このようにチャランポランに生きていることで、おそらくだいたい数十人から百人程度の人たちに、ほんの少しの安心や幸福を感じてもらえていると思うのです。それを継続するために、それで世の中をちょっと良くするために、一つ仕事を増やしておこうという、単純な話です。

 喫茶店でコーヒーを飲み、そこにいるおじいちゃんやおばあちゃんたちと同じ空間で同じ時を過ごす。たとえばそういうことが僕の人生と思想と、文体を支えています。そういうことが一切なくなったら、どうなるかわかりません。僕はすっかりつまらなくなってしまうかもしれません。かっこよくなくなるかもしれません。それは明らかに、これまでの僕を面白いとか、かっこいいとか、心強いと思ってくれてきた人たちにとって損害です。僕の心身の余裕は当然、ある程度の経済的基盤の上に立っています。それは最低限の労働によって賄ってきました。
 もし、素敵に存在することそのものが、「最低限の労働」になるなら、いやー、ほんとに、それ以上の幸福ってないですね。親にとったら子が存在していることがそれだけで価値だったりして、だからお小遣いをあげたりするのだと思いますが、そのようなもののことを僕は言っているのかもしれません。喫茶店で僕はよくいろんなものをオマケしてもらう(#かわいいぼく)のですが、それっていうのもやっぱり、存在そのものへのある意味での対価として、くださっているのだと思います。「若い元気な人に来てもらってうれしいねえ」と。
「ジャッキーさんは元気でいいなあ、ほれ、お金をあげるよ」というノリで、気が向いたらということで。
(ここまで、2021年10月31日記)


「ウーチヤカ大放送」(第12回)で話していて思いついたことがあったので追記。一言でいうと、「お金を払うか払わないかで何かが変わるかもしれないというとき、それを払うか払わないかなんです」。このページで僕がしたいのは、「僕は文章を書いたりしていて、あなたはそれを享受しているのだとしたら、ぜひその対価をお支払いください」ということではまったくない。そう理解されたら悲しいので何度も書いておきます。
 お金というものを持っていて、それをどのくらい、いかに使うかという「選択と判断」が自由になるときに、何にどう、どのくらい使ったら、自分と、誰かと、世の中が良くなるのか? ということを、日夜考え続けねばならないというのが、貨幣経済社会(すなわち今のこの世の中)というもの。その選択肢の一つを、ちゃっかりと提出してみましたよ、というようなことです。
 いま、電子マネーの個人間送金が無料で、誰にでもできるようになりつつあって、ウィッシュリスト公開もありふれてきています。ものやサービスを買う(消費する)だけでなく、人が人にお金を直接渡す時代。何にどう、どのくらい使うか? ということの選択と判断を、よっぽど意識的に行わないと、すぐ訳のわからない事態に陥ってしまいます。お金の行く先は本当に無数にあります。
(これも、2021年10月31日記。21:42)


【説明4】(工事中)
 クラウド養い・養われイング社会について(参考
<その他の参考文章>
 頂き女子 1 2
 かわいいぼく(頂きぼく)

トップに戻る