Entertainment Zone/少年Aの散歩
by ジャッキー(Jacky itp)
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■おこづかい(セルフレジ)

好きな額で継続的に(Liberapay)
100円単位(Stripe Payment Links)
1000円単位(Stripe Payment Links)
10000円単位(Stripe Payment Links)
250円単位で毎月(Stripe Payment Links)
・ID:ozjへダイレクトに(PayPay)
夜学バーに『ドラえもん』を(Amazon)
・郵便貯金/ゆうちょ銀行:12160(2)36281831※(2)は省略して入力の場合あり/218 36281831
・郵送、持参:110-0005 東京都台東区上野2-4-3 池之端すきやビル401 夜学バーbrat 尾崎昂臣

 各項目については↓【説明1】をご参照ください。


 ここは従来「お会計」というページでしたが、「対価のはっきりしないお金は出しづらい」という声を多数いただき、「でも子供にお金あげるときは対価なんて考えてないじゃん!」と思ったので「おこづかい」と改称しました。おこづかいをくださいますと、僕が喜ぶのです。陽気にくらせば神が喜ぶのと同じことです(?)。←僕は特定の宗教の信徒ではありませんが、この考え方は好きです

 最近書いたこのページに関する文章
 2022.9.27(火) マサルさん。金くれねーじゃないですか?
 2022.9.28(水) 金くれ音頭のさらなる説明(昨日の続き)
 2022.9.30(金) 世の中論 お金についての価値観の変化
 2023.3.27(月) ホームページ完全有料化!
 2023.3.28(火) ホームページ完全有料化!(2) シェアウェアとしてのホームページ


【説明1】
LiberapayはPayPalまたはクレジットカード、デビットカード等によって支払えます。文字列や記号がいっさい通達されないため、完全に匿名で送ることができます。アカウント作成が必要です。カード等の手数料(カードの場合3.6%、PayPalの場合3.6%+40円)を差し引いた全額が届きます。継続支払いのみです。

Stripe Payment Linksでは、カード情報を打ち込むだけで簡単に支払えます。数量を変更させることによって任意の額を決定できます。カードの手数料(3.6%)を差し引いた全額が届きます。振込者の情報が通達されます。

PayPayで「ozj」を検索すると僕が出てきますので自由に送金できます。手数料等は発生しません。

Amazonのほしいものリストに、ドラえもん&ドラえもんプラス全巻を入れました。ここからご購入いただくと、僕の運営する「夜学バー」に届きます。僕は個人としてはもちろんこれらをすべて持っていますが、幼少期からコーラものまず、クリームもなめずに少しずつ集めた宝物なので、お店に置くぶんを別に確保すべく、恥も外聞もかなぐり捨てました。ぜひ夜学バーの景観と文化資本の向上にご協力くださいませ。手数料等は発生しません。

・「口座に直接お金を入れるほうが個人情報等セキュリティの面でも比較的安心だし、手数料もわかりやすいのでやりやすい」というお声をいただいたので増やしました。ゆうちょ同士だと手数料発生せずまるっと届きます。回数制限あるかもしれませんが。(2022/07/10)三井住友銀行、東京三菱UFJ銀行、みずほ銀行をご希望の方はご連絡ください。(2023/03/28)

・上記いずれも利用できない、しづらい方もいらっしゃるでしょうから郵送や持参もぜひ。僕のやっているお店の住所が書いてあります。(2023/03/28)


●報告
・2022年2月2日現在までに合計109円のお金をいただいています。3ヶ月で109円! うち100円は11月。そんなもんなのです。
・書き忘れていました、2021年末に『ドラえもん』の単行本をお店に4冊(+の2〜5巻)送っていただきました。ありがとうございます!
・2月2日(3日に受取)、PayPayから26円いただきました。ありがとうございます! 一見存じ上げぬ方のようでしたが、アイコンが梅図かずお先生の関連だったので、僕のツイートか日記を見てくださったのかも。気が向いたら話しかけてみてくださいませ。(すでに友達だったらわからなくてごめんなさい)
・2月8日(おたんじょうび100にちめ)までにPayPayで500円、番外編ですがLINE経由でファミマのギフト券500円ぶんいただきました。人から金品をもらうのは実際緊張するのですが少しずつ慣れていこうと思っています。近年「若い女の子たちを中心に」そういうことを当たり前とする文化が育っています。クラウド養いング文化。いろんな人がいろんな人に金品を送り合う、その網の目(ネットワーク)が社会をモゾモゾと動かしていく。もちろんクラウドファンディングやなんかもその一端ですが、その華やかさの陰でもっと静かに地道にも金品は送り合われています、極めてカジュアルに。みんなはそれに慣れつつある。僕も慣れておこう。ここにはお金や世の中についての僕の根本的な考え方がけっこう深く関わってくるのですが、まだうまく説明できないので乞うご期待。
・2月14日、964円が振り込まれました。Stripeから2月3日に送っていただいたようです。気づくまでタイムラグがあってすみません。1000円振り込んだのに964円しか届かないということは、36円(3.6%)はカード手数料に消えております。ところで、たとえばnoteだと利用料10%+カード手数料5%で合計15%消えていきますので、1000円なら850円しか届きません。Stripeでは1000円につき114円多く届くわけです。すごいですね。でも36円より0円のほうがいいことは間違いないので、いつかそういうサービスが誕生するのを待ちましょう。今のところ現金手渡しに勝るものなし。ともあれ大金をありがとうございます。数日前にママチャリを修理に出したら2000円でした。その約半額になりました。かなりやばい状態だったのですが快適にしてくれました。鳩の街の千輪というお店ですが、工賃と材料代(ベアリング部を取っ替えてくれた)を考えるとほとんど利益が出ていないのではと思うので、ここで超〜ひそやかに宣伝しておきます。近隣の「喫茶千輪」も良いお店です。ぜひどうぞ。
・Liberapayはこれまで「毎週1円」という奇特(奇抜)な方が一件あったのみでしたが、「毎週346円」というお勘定が増えていました(4月7日に確認しました)。月額1500円を4週か5週に割り振った額ということらしく、週により115円になったり347円になったりするのでしょう。Liberapayは継続支払いのみなので、これは画期的な変化。「収入!」という感じになります。僕がよく行く喫茶店はコーヒー一杯250〜500円なので、毎週1回ずつ喫茶店に行くだけのお金をいただけるということ。うれpです。いま名古屋に5日間滞在した旅行記を書いております。「月に1500円」という額に見合う文章にならむことを。もちろんこれらのお金は「文章」だけへの対価というつもりではありません。僕という存在や生活すべてへの対価。「それに見合う僕でありたい!」(小沢健二『痛快ウキウキ通り』)ので、喫茶店に行くなどして、少しでも良きものであろうと努めます。
・『ドラえもん』がなんと5冊も届きました。順調に夜学バーにてんとう虫コミックスが増えていっています。ありがとうございます。(2022/05/03記)←書き加えた日付を書くことにしました。届いた日ではありません。
・Liberapayが「毎週1円(月額4〜5円)」に戻っているようです。4月のみだったのかな。またのご利用を。(2022/05/07記)
・上記の話、Liberapay上では消えているけど、Stripeで見ると5/6付で1500円(月額)が表示されている。どういうことなんだろう。ひょっとしたらシステム上、一時的に消えるだけなのかな? もしそうだったら失礼いたしました。なんにしても非常に助かっています。僕はよく頭を打つのですが、その被害を抑えるための帽子型ヘルメットを最近買いました。1800円くらいでした。僕が頭打ちすぎてバカになったら、あるいは死んだら、おそろしい国益の損失。そういうことにも使われているということで……。(2022/05/11)
・Stripeにより8日に300円、9日に500円の入金(カード手数料のみここから引かれます)あり。Stripe経由の入金は2月3日以来3ヶ月ぶり。一連のおねだり日記アピールが効いたかしら。ありがとうございます。喫茶店に行けます。(2022/05/11記)
・PayPayで7日に送金があったものの「受け取り期限」が9日までだったため失効してしまいました。ごめんなさい……。幸いどなたかわかっているのでよかった。知っている人でもあらかじめ「友達」になっていなければ「自動受け取り」できないようなので、慌てて通知をONに。ちゃんと気づくかな。がんばります。(2022/05/11記)
・↑の失効した方から再度送っていただき、PayPayで2000円いただきました。ありがとうございます。また、別の方から500円いただきました。少しずつ収入が増えてきました。これを「収入」と胸を張って言えれば(すでに言っていますが)、ホームページに書くために買ったものやしたことは理論上すべて「経費」になります(天才)。(2022/05/15記)
・500円のファミマの券いただきました。(2022/05/23記)
・Stripeの記録から、5/23に200円と1000円、26日に100円。また5月からサブスク500円という方がいらっしゃいます。おありがとうございます。7月11日(サイト開設日)に5000円。また同日からサブスク250円の方も登場。Liberapayは見知らぬ方(肉親の可能性も微レ存)から相変わらず毎月1500円の登録があります。完全に正体を隠すにはLiberapayがおすすめです。PayPayは6月1日に500円、4日に1000円、8日に100円、7月10日に1000円、8月1日に255円。このページ経由かどうか微妙なのもありますが、おこづかいはおこづかいということで。特に6月1日の500円は「話聞いてくれた代」みたいな感じだった。でもその人もこのホームページたまに読んでくれてるみたいだし、分けて考える必要はないと判断いたしました。ゆうちょは動きありません。(2022/08/03記)
・Liberapayは週あたりのおこづかいが753円になりました。34+346+143+230円。Stripeから直のサブスクおこづかいは250円(7月から)+500円(5月から)で750円。また8/9に100円、11に300円、28日に100円、9/27に2000円と600円、10/5に1000円、9に1000円。以上からは3.6%(場合によっては+40円)引かれて振り込まれることになります。PayPayは9/7に500円、28に1000円と5000円、10/2に500円、7に1111円。『ドラえもん』はありがたく夜学バーに並べさせていただいております。ゆうちょには9/27に2000円。みなさまありがとうございます。各人に御礼をしたり申し上げたりというのは、あまりしておりません。心の中では死ぬほど感謝しております。ご理解くださいませ。それにしてもそろそろスプレッドシート作って公開したほうがいいな、確定申告の時にも楽だし。がんばります。どなたか雛形を作ってくださっても非常に助かります(他力)。現状、月に5000〜10000円くらいのおこづかいをいただいていることになります。これが10万円くらいになったら僕はなんとか人並みに暮らして行けますので、夢の「みんなから1円ずつもらったら」の実現に向けて、手を抜かず気を抜かずジャッキー業に精を出しつづけます。もし何かしら資格を取ったり大学に受かったりしたらみんなご祝儀ちょうだいな!(伏線)(2022/10/13記)
・確定申告が終わったのでご報告。令和4年中に「おこづかい」ページから得た収入は63624円でした(Liberapay25702円、Stripe16653円、PayPay+ゆうちょ21269円。ありがとうございます。令和5年はこの倍が目標。(2023/03/28)


【説明2】
 最近はnoteなどのサービスを通じて何かを売ったり、いろんな投げ銭、寄付のサイトがあったり、クラウドファンディングも盛んです。それらを選ばないのは、単純に手数料が高いから。約10%〜20%くらいはかかるのが普通のようです。Ez費(いーじーひ)は、せいぜいカード手数料くらいしか生じない方法にしました。それと、できる限り間に挟むものが少ないほうが好きで、だから直接現金のやり取りをする「お店」というものが性に合っているんだと思います。夜学バーは今のところ、キャッシュレス決済がいっさいできません(2021年11月現在)。
 また、「何かを引き換えに何かを得る」という(一対一対応の、天秤的な)考え方が、そもそもあまり性に合わない(好きじゃない)ので、有料コンテンツや会員限定コンテンツ的なものは今後もたぶんやりません。受験期に複数の同級生が、「勉強するからホームページ閉める(やめる)」と口々に言っていたのがあまりにも嫌で、意地でも毎日更新し続けたのを思い出します。喪失や我慢を前提とせず、楽しい日常の中に楽しい勉強を組み込めばいいだけじゃないか! と。ちゃんといいとこ受かったのでよかったです。
 何より僕は、「インターネットは無料であるべきだ」という考えを強く持っています。インターネットが高校時代の僕を完璧に魅了した最大の理由は、すべてが無料だったからです(プロバイダ料や通信料、シェアウェアなどはありましたが)。僕のようなお金も能力もないただの子供でも、アクセスさえすればあらゆるコンテンツを無料で見ることができました。広告すらほとんどありませんでした。そこで無限に遊び、学べたことを本当にありがたく思っております。いつまでもそうあってほしいという願いを踏まえ、「お金を払った人は(登録した人は)これを見ることができます」という方式は取りません。投げ銭のできるフリーウェアというイメージです。
 未来には、報酬や対価といった、「これに対してこれが対応します」という考え方は徐々になりをひそめていくと思います。一対一対応ではなく、それぞれの人がいろんな方向に発散して、いろんな方向からいろんなものを受けとるようになります。みんながそれぞれに存在し、絡み合って調和して世の中がうごめいていくようになっていきます。というか、そういうふうに僕は持っていきたいので、微力ながらそのように志します。


【説明3】
 これは「お金をください!」という話ですが、その一言をいかに言い換えるのか、を味わうコンテンツでもあります。僕にお金を渡す方法と、その方法を選んだ理由についてはもう書きましたから、ここからは芸術の世界です。


 2022/05/03の日記でこの試みについてかなり深く触れました。あわせてお読みいただければ。


 当ホームページ「Entertainment Zone」は維持費が月にいくらか(数百円~千円前後?)発生しておりますが、この料金は家族共有のniftyアカウントと一体になっているため、なんといまだにお父さんに負担してもらっています。(よくわかってないけど多分そうなっているんだと思います。亡くなったらどうしたらいいんだろう? その時こそ真の存続の危機なので、僕よりも長生きしてもらわなくては……。)

 サイトそのものの経費はその程度ですが、一方で「僕という人間の維持費」は実のところ、それなりにかかっております。
 本を読んだり、喫茶店に行ったり、誰かとお茶したり、お酒を飲みに行ったり、旅行したり、何もせずにぶらぶら散歩していることなどが、僕を僕たらしめ、このホームページを継続させています。それらの行為がすべて僕の経験と人格と思考等々に影響し、文章や何やらに反映されます。これらはすべて経費です。
 読む本の何割かは図書館で借りてきますし、喫茶店はコーヒー250円〜400円くらいのお店が主で、お酒や旅行も無駄を省き、可能な限り安く抑えます。移動は基本的に自転車だし、旅先にも自転車を持っていきます。たぶん同年代の普通に働いている人からしたら、「え? いまだにそんな感じなの? 学生?」と思われるでしょう。実際学生なのです!(放送大学! これも経費。)
 散財や贅沢はほとんどしません。「あー、今日はうなぎ食べちゃおっかな〜」みたいなことすら、ほぼありません。「よーし今日は(コロッケ定食ではなく)焼き魚定食にしちゃうぞ!」くらいのことならあります。「思い切って、ウィンナーコーヒーだ!」とか。
 とはいえ貧乏くさいのが好きなわけではないので、ここぞというときにはいつでも即座にまとまったお金を出せる心構えを持つようにしてます。自分よりお金のない人にはごちそうするし。そのメリハリは、なんか名古屋人っぽいなーと思います。

 なんにせよ、多少ならずお金は必要です。それはどこから出ているのか? もちろん働いて得ているのでありますが、「さして働かない」ということも、僕を僕たらしめる重大な要因です。「基本的に暇であり、自分の予定のほとんどは自分で組み立てられる」という原則が、散歩のような人生を可能にさせているわけです。
 ライターの仕事は「頼まれれば嫌なことじゃなければ何でもやります」という勝手なスタイルで、ほぼ営業活動をしておらず、最近は年に数十万円程度(2021年はやや多め、百万円ちょい)しか稼いでいません。教育業も、2017年に非常勤講師を退いてからは個人的に勉強を教えたり推薦入試などのアドバイスはしておりますが、お金にはならないものです。同人誌等の売上はもちろん微々たるものです。
 現状の主な仕事は「夜学バー」(2017〜)にまつわるものですが、日ごろから「決して儲からないお店」を標榜しており、年中無休で営業していた頃でも僕の懐中にやってくるのはせいぜい月に10万円くらい。(なぜ儲からないかについては夜学バーのホームページをご参照のこと。)

 それでよく生きていられるな、というふうにぜひ思っていただきたいのですが、先述の通り支出がそんなにないし、いろんな人が助けてくれるので、生きるだけなら結構できそうなのです。つい昨日も山口県から柿が届きました。本当にありがとうございます。このご恩は僕が僕として生きることによって返し続けます。

 2020年3月14日に「存在への対価」という文章を書きました。これは新型コロナウィルスの流行を受けて売り上げが落ちに落ち、これはいよいよ大変だということで、夜学バーというお店を存続させるために募ったものです。存在していることそれ自体への対価として、お金をくださいと。ようするに寄付ですね。このあと、感染拡大防止協力金というものが出てきて、なんとか支給も決まったため、目立つところからは取り下げましたが、これが少なくとも数ヶ月間、お店のお財布と僕の精神を支えてくれたことは真実です。このご恩は、いつか閉店する日まで夜学バーが存在することによってしか返せません。ただ存在しているだけではなくて、無論、かっこよく。

 冒頭に書いた「僕という人間の維持費」というのは、僕が僕らしく存在するためにかかっている費用。僕はあんまり多くのお金を持っていませんので、僕にお金を渡すということは、僕がこれまでと同様か、あるいはそれ以上に面白く愉快に、散歩のように生きていくための「維持費」の一部を賄うということです。
 自分で多くのお金を稼ぎながら散歩のように生きられるなら、それが一番いいのかもしれませんが、残念ながらそれは僕の能力と性分の埒外のようです。僕には、少ないお金を稼ぎながら散歩のように生きるしか今のところできません。
 その稼ぎ口はこれまで大きく分けて、ライターの仕事と、教育の仕事と、飲食の仕事と3つあったのですが、それに加えて「存在の仕事(その報告としてのホームページ)」というものを今、ここに付け加えてみようかと思った次第です。

 2000年7月11日に開設してから、このホームページは直接的には一銭にもなっていません。しかしここの文章をきっかけにお店に来てくれたり、仕事がもらえたり、ふと思い出してくれた人が僕に連絡できたり、人間関係が継続しやすくなったり(その逆もあるかもしれませんが)、間接的には莫大な利益がもたらされました。べつにそれでいい、十分だ、というのは一方でありつつ、「まったくお金にならないというのも大変なことだな」と思うようにもなりました。
 ホームページを持つ人は、みんな辞めていきます。少しずつ更新しなくなり、やがて母体のサービス終了とともに消滅します。なぜかというと、お金にならないからなのです。これは歳をとって確信しました。
 みんなが欲張りなわけではなくって、ただ、ほかのことでお金を稼いでいると、ホームページなんかにかまけている暇がないのでしょう。ほとんどの人にとってホームページはいっときの趣味であって、忙しくなればやらなくなるのは当たり前。僕のように人生の一部として、ほとんどライフワークにしてしまっている人は実に少数です。

 ほかに仕事があって、そっちを優先しているうちに、家族ができて、優先すべきものが増えていって、ホームページなどという趣味は、あるいは文章を書いたり何かをまとめたりすることというのは、別にやらなくても良い、どうでもいいこととなっていきます。それは自然なことです。
 僕がホームページを続けている最大の理由は、あんまり働いていないからです。仕事で忙しいなら、一銭にもならないホームページをやる余裕はないでしょう。そして次に大きな理由は、僕が主にお金を稼いでいる「ライター」「教育」「お店」という三つの仕事が、ホームページによって一本につながり、間接的な利益を生むからです。
 しかし、生活に困窮してくれば、「間接的な利益」なんて悠長なことは言っていられません。とにかく直接の利益、明日の糧を優先するでしょう。そうなったらこのホームページは止まるでしょうし、今よりももっとつまらなくなると思います。

 あんまりお金があって暇すぎても、何もせずに寝ているだけになるかもしれないので、見ていて面白くもないでしょうが、利潤の追求やビジネス的な成功ばかりを考えていると、まったく無価値な言葉しか生み出せなくなりそうです。なぜ無価値かというと、多くの人が利潤の追求やビジネス的な成功について考えざるを得ない(或いは、それを考えている人たちにしぶしぶ追随せざるを得ない)状況にある以上、それについての言葉は、ほぼ無条件に陳腐だからです。せいぜい、「その中で少しは珍奇」という言葉を、一所懸命産み出し続けるしかありませんが、それを楽しいと思えるような人格では僕は、ないようです。「競争社会の風雲児」になるよりも、その社会を眺めてあれこれ考えていたいものです。
 同様に、「利潤の追求とかふるいよね! みんなで仲良く手をつなごうね!」とニッコリ笑う人たちの輪の中に入っていくことも僕にはできません。それらはほとんど同じことです。そういうふうな、「みんなであっちを目指そうよ!」という人たちの言葉はほぼ無条件に、陳腐になります。方向がもう、決まっているので。
 そうでないふうでにいるには、まずお金をそう稼ごうともせず、ある程度の暇を持ち、余裕しゃくしゃくに暮らしていなければなりません。それを奇跡的に(なんとか)実現させてきたのがこのジャッキーさんなのですが、そのお手伝いをよかったらみなさま、ちょっとお願いしますよという話で、この文章はあるわけなのです。

 ところで、20年以上、膨大な文章やらなんやらをWeb上に積み上げてきている僕ですが、その「感想」をいただくことは滅多にありません。それは寂しいと言えば寂しいのですが、あんまりバンバン「感想」がきても困ってしまいます。なぜ困ってしまうのか、というと、そもそも「感想」なんてのは言葉にするもんじゃないからなのですね、多分。感想は感想として、胸の中に混沌としてあればいいもので、秩序づけて整頓して、言葉を飾って相手に届けるようなものではありません。だからコメントよりも「いいね」の社会になっていったのだと思います。しかしこのホームページには「いいね」も何もないので、ただただ無味のカウンターがくるくると回り続けるだけです。課金システムというのはよくできたもので、言ってみれば「いいですね!」的なもの。そういうものが多少でもあれば、張り合いにもなるだろうと思っています。いやー、ほんとに、空に向かって語り続けることのむなしさよ。誰も読んでないかもしれないのに、何を僕はこんなに饒舌に……というのは、記事を書くたびに思ってしまうことです。だって誰からも何も反応なんてないんだもん(たまにはあって、それが本当に嬉しいんですけど!)。それで20年以上やり続けていること、ただそれ自体を褒めて、ねぎらってほしいものです。馬鹿にすることも簡単でしょうけど。

 古い友達から、「ジャッキーがそういうふうに生きていてくれることがとても嬉しい」と言われることがあります。フルタイムで正社員をやっていたら、なかなか散歩のようには生きていけません。フリーランスでもたくさんのお金を稼ごうと思ったら、馬車馬のように走り続けねばなりません。今のところの僕は、多くのお金を必要としないので、散歩のようにやっていられますが、たとえば子供ができたりなんてしたらどうか? 家族が病気をしたらどうか? それでも僕は散歩のように生きていられるのだろうか? 友達やこのホームページの読者の方々から、お店のお客さんたちから、「そういうふうに生きていてくれて嬉しい」と、感謝されたり、安堵されたり、少々の幸福を感じてもらえたり、するだろうか?
 また、年老いて、今よりもさらにお金が稼げなくなったときに、適切に対処して自身の美学を貫き通す余裕が、ちゃんとあるだろうか?

 第4の仕事(存在)は、そういった時のための布石のつもりです。僕は非常に小規模ではありますが、このようにチャランポランに生きていることで、おそらくだいたい数十人から百人程度の人たちに、ほんの少しの安心や幸福を感じてもらえていると思うのです。それを継続するために、それで世の中をちょっと良くするために、一つ仕事を増やしておこうという、単純な話です。

 喫茶店でコーヒーを飲み、そこにいるおじいちゃんやおばあちゃんたちと同じ空間で同じ時を過ごす。たとえばそういうことが僕の人生と思想と、文体を支えています。そういうことが一切なくなったら、どうなるかわかりません。僕はすっかりつまらなくなってしまうかもしれません。かっこよくなくなるかもしれません。それは明らかに、これまでの僕を面白いとか、かっこいいとか、心強いと思ってくれてきた人たちにとって損害です。僕の心身の余裕は当然、ある程度の経済的基盤の上に立っています。それは最低限の労働によって賄ってきました。
 もし、素敵に存在することそのものが、「最低限の労働」になるなら、いやー、ほんとに、それ以上の幸福ってないですね。親にとったら子が存在していることがそれだけで価値だったりして、だからお小遣いをあげたりするのだと思いますが、そのようなもののことを僕は言っているのかもしれません。喫茶店で僕はよくいろんなものをオマケしてもらう(#かわいいぼく)のですが、それっていうのもやっぱり、存在そのものへのある意味での対価として、くださっているのだと思います。「若い元気な人に来てもらってうれしいねえ」と。
「ジャッキーさんは元気でいいなあ、ほれ、お金をあげるよ」というノリで、気が向いたらということで。
(ここまで、2021年10月31日記)


「ウーチヤカ大放送」(第12回)で話していて思いついたことがあったので追記。一言でいうと、「お金を払うか払わないかで何かが変わるかもしれないというとき、それを払うか払わないかなんです」。このページで僕がしたいのは、「僕は文章を書いたりしていて、あなたはそれを享受しているのだとしたら、ぜひその対価をお支払いください」ということではまったくない。そう理解されたら悲しいので何度も書いておきます。
 お金というものを持っていて、それをどのくらい、いかに使うかという「選択と判断」が自由になるときに、何にどう、どのくらい使ったら、自分と、誰かと、世の中が良くなるのか? ということを、日夜考え続けねばならないというのが、貨幣経済社会(すなわち今のこの世の中)というもの。その選択肢の一つを、ちゃっかりと提出してみましたよ、というようなことです。
 いま、電子マネーの個人間送金が無料で、誰にでもできるようになりつつあって、ウィッシュリスト公開もありふれてきています。ものやサービスを買う(消費する)だけでなく、人が人にお金を直接渡す時代。何にどう、どのくらい使うか? ということの選択と判断を、よっぽど意識的に行わないと、すぐ訳のわからない事態に陥ってしまいます。お金の行く先は本当に無数にあります。
(これも、2021年10月31日記。21:42)


「お金を払ってその分の権利を得る」が買い物の原理。しかしここで僕がやっているのは「任意税」のようなもので、払ったとて何も手に入らない。感謝すらされない。もちろん強制力もない。それで誰がお金を出すのか? 誰も出さないのである。3ヶ月で109円という現実がたぶんそれをあかしている。
 国家や自治体の場合、任意税(すなわち寄付)を支払うと財政が潤い、名誉も得られ、間接的には自分の利益となる。一方「ジャッキーさんの財政が潤うと自分にも利益がある」と感じる人は、現状ほぼいないらしい。それを増やそうというのが、このページの試み。
 お金の役割、みたいな、根本的な話。何かを得るために使うだけではない、自分は何も得られないけどお金を使う、ということはいくらでもある。募金がそうである。たとえば途上国に学校を建てるための募金。用途がはっきりしているから「自分はこのためにお金を払ったんだ」ということがわかりやすい。僕に対する募金でも、用途はある程度はっきりしている。たとえば僕が何かを食べたり、飲んだりするのに使われる。漫画を買うのに使われる。自転車を直すのに使われる。「その10000円はダイレクトにこれに使われます」といった確かさはないけど、それは日本赤十字社への募金(寄付)も同じである。とにかく、世の中をよくするために使います、という約束があって、ああいうものは成立している。
 僕は世の中をよくするために生きているので、僕にお金を渡すということは、世の中をよくするために貢献するということで、赤十字に寄付するのと原理的には変わらないはずなのだ。詐欺師みてーな言い方だけど、そういうつもりでこのページは存在しています。めざせ毎月50円。
(2022年2月2日追記。1月27日の@tkom_Jackyツイートが原型。)


【2022/05/23】
 とある、このホームページを熱心に読んでくださっている方とお話しし、さまざまご意見をいただいたので少し反映いたします。

 まず「自分で額を決めるのは難しい」とのこと。これについては「おざ研」の時にすでに考えていて、それゆえ木戸銭を「1000円前後」としました。結果、2年9ヶ月の来客のおよそ90%が「1000円」、9%が「1000円未満(0円を含む)」でした。
 指定されると、指定された数字が「安パイ(安全牌)」となり、ほかの可能性をカットして脳は楽をします。100円といえば100円としか考えないし、1000円なら1000円としか考えない。もし高めに「10000円」とでも指定したら、「高いから払わない」というふうに「払わない口実」ができる。
 僕がこの「お会計(セルフレジ)」ページに込めたおもい(思想)は、「頭を柔軟に、かつ活発に働かせていただく」ことで、脳に楽をさせては意味がありません。だから指定しません。いくらでもいいです。
 前例や他の人の動向はこのページ内に逐次書いていますので、参考にすることはできると思います。月額4〜5円の人、月額1500円の人、単発で数百円〜2000円くださった方、PayPayで26円送金してくださった方、いろいろです。
「自分で額を決めるのは難しい」とおっしゃった上で、お金を出さない方は、たぶん「お金を出さない」と先に決めている人でしょう。「出さない」が先にあって、「その理由」をあとから探しているんだと思います。そうなると、「なぜ出さないと決めているのか?」が僕は気になります。その理由が明確であれば、お伺いしたいし、明確でないのなら、明確になるまでぜひ考えていただいて、その結果を教えてもらえたらめっちゃ嬉しいです。そういうことをわかりたくて、僕はこのページを作ったのです。
 迷うなら「Liberapayで毎週14000円」でぜひ、お願いします。それがLiberapayの寄付上限額だからです。ただしこの一行を「払わない口実」にはしないでほしいです。

 次に「システムが信頼できない」とのこと。同じことは別の方からも言われたことがあります。「ジャッキーさんのことは信頼できるけど、その間にあるシステム(業者)が信頼できない」ということのようです。
 Amazonや楽天、メルカリ、iHerb、PayPay、PayPal等々の「すでに使い慣れたものや、みんなが使っているらしいもの」は信頼できるが、StripeやLiberapayは信用できないということでしょうか。
 これについても僕は、「お金を出さないと先に決めていて、その理由を後から探す」の典型だと思っています。いちおうStripeの導入事例でも見ますか? GitHubとかSlackとかもありますが、トヨタやSONYがないと信用できないかもしれませんね。このサイトが全てニセモノという可能性もあるし、有名企業が導入してるから安心、ということも決してございません。AmazonやGoogleには「仕方なく」情報を渡しているだけで、情報を渡す先は少ないほうがいい、というのも理解できます。「信頼できない」の中身はせいぜいそんなところでしょう。
 Liberapayについては、確かによくわからないところはあります。僕も最初は「なんだこれ?」と訝しんでました。でもサイトをよく読んだ結果、「スギ薬局のアプリにクレジットカードを登録する」のと変わらないリスクだと思ったので、利用することにしました。小さなリスクを言い訳にするのはやめましょう。あなたが僕にお金を渡さない本当の理由は、絶対に別のところにあります。システムのせいじゃありません。
 もちろん僕もバカではないので、「利用者の母数が少ないと、何かあったときに自分が被害者になる確率が高まる」ということも考えてはいます。でもStripeやLiberapayはそこまで「母数が少ない」でしょうか。これは正直なところわかりません。不安な人は現金書留で夜学バーまで送ってください。住所をこちらに知らせず、窓口控えにのみ記載することも可能だそうです。郵便局も信頼できないという方は、ご相談ください。

「ジャッキーさんのほうが僕より貯金あるんじゃないか」というお言葉も頂戴いたしました。たしかに僕は典型的名古屋人で学生時代から口座にお金を絶やしたことがありません。つましい生活が平気なのでお金が貯まるのです。大学出てからずっと年収でいえば150〜200万円、経費や控除いろいろ差し引いて所得は限りなく0円に近い、という感じです。髪は自分で切るし、移動はほとんど自転車。高いものは食べない、買わない。本や音楽、喫茶店やバーには多少のお金を使いますが、節度を持ち上手にやりくりしていますので痛まずにやってこられました。11年数ヶ月を過ごした練馬時代は家賃管理費47000円で、エアコンないので光熱費もかさまず、冬はこたつと灯油ストーブ。基本的に自炊。えらいもんじゃないですか。中野坂上に引っ越していきなり家賃が80000のエアコン付きになって死にかけたので4年で引っ越しました。今はスターの神秘でシークレット。ぜひご参考に。
 そういう生活をして、もともと貯金が少しはあるところに今般の感染拡大防止協力金等があってもちろん一時的に豊かにはなりました。みなさん、金持ちの作った商品は買わないってことなくて、むしろ金持ちが儲かる仕組みに普段から加担してるわけですから、そこは関係ないですよね。
 僕になぜ貯金があるか。そりゃこんな生き方では将来が不安だからです。なにせお金を稼いでおらんのです。僕の今の生き方を「市場価値」に換算したらそのくらいになるということなので、そこに不満は一切ありません。市場価値だと「年収150万円」くらいにしかならないので、市場価値の外側にこの「お会計」を設置し、それが少しくらいどうにかなればもうちょっと僕だって暮らしやすくなるという話ではあります。
 僕という存在を市場に置いたとき、そこで値付けられる額は「年収150万円」です。僕がこの低収入に甘んじているからこそ、夜学バーというお店があり、Ezというホームページがあり、また僕という奇妙な存在がこのように在るわけです。僕が年に500万円を稼ぐような生き方に舵を切れば、おそらく夜学バーは(万一やっていたとしても)今のような良いお店ではないでしょうし、Ezは更新されなくなって媚びへつらいnoteで小銭を稼いでいるだろうし、きっと僕という人間はありふれた(バズるような)発想しかしない超つまんない人間になっております。その差額の350万円は、ある意味で僕が「面白い存在」でいるための経費だといえます。もし、その「面白さ」の恩恵を受けている人がいるならば、その350万円のうちの少しでも、埋めるご協力をしてもらえませんかね? というのが、この「お会計」システムなのでございます。しかしこの理屈をそれなりに理解してくださっている方でさえ、なかなかお金は出せない。なぜかといえば「常識のくびき」に支配されているから、というのが今のところの僕の考えです。それをほぐさんとする努力の文章がこれという側面もあります。

 すでにどこかには書きましたが改めて。僕は夜学バーというお店をやっております。固定費は15万円くらいです。家賃が100000円、光熱費は夏冬にすごく上がるので通信費(固定電話+FAX+光回線)と合わせて平均20000円ほど。ゴミとおしぼりで約10000円。お花、新聞、更新料等の積み立てで10000円としましょう。原価率は商品によりますがせいぜい3〜4割に設定しています。木戸銭(チャージ)を頂くので控えめに、売上の8割が粗利になるとします。
 僕が週に5日営業し、月の営業日は22日とします。他の従業員を使っても僕に入ってくるお金はほぼ変わらないか、むしろ自分が立たないぶん減る場合もあるので考えません。コロナ前の売上平均は15000円くらいでした。現在は10000円くらいだと思います。多めに見積もって15000円として、22日で33万円。粗利を264000円としましょう。固定費15万円を引いて114000円です。お店をやったことがないとわからないかもしれませんが、その他にも諸々めちゃくちゃお金はかかります。主には備品代や修繕代など。トイレットペーパーとかティッシュとか、石鹸とか消毒液とかそういうこまごまとしたものも含みますし、食器や調理器具、冷蔵庫が壊れたとか有事の貯蓄も必要なので14000円でも少ないくらいですが、キリがいいのでそうしてみます。とりあえず僕の手元に来るのは10万円くらいでしょうか。
 実際はもっと少ないですよ。営業日を増やしたり、景気が良くて40万円の売上があったとします。32万円の粗利があり、17万円残ります。少なくとも2万円は備品やお店のものを買うのに使いたいですね。でも実際は5万円くらいは入り用なことがあったりします。ちょっと高めのお酒を仕入れたりもしたいですし、割れた食器の補填なんかもしますし。まあ13万くらいは給料としてもらっちゃおうかなってところだと思います。
 こう考えると、だいたい売上の3割くらいが僕のところにくる、という理解で良いと思います。で、そのお金のほとんどを僕は「僕と、ホームページと、お店の質を磨く」ために使っております。世間でいわゆる自己投資。
 ちなみに最近はお店の利益をほぼ全て「夜学バーの口座」に入れたままにしており、僕はこの2年強で2000円しか給料をもらっておりません。なぜならマジでこの2年間、夜学バーの売上は「維持するのがやっと」というレベルだからです。その代わり「協力金」をもらって、莫大な税金を支払っております。少なくとも半分は所得税、住民税、国民健康保険(超高い)などに消えます。もちろん残る額もかなり大きいのですが、同年代の所得と比べてそう差があるとは思いません。同じ早稲田大学を出た30代の人なら毎年このくらいもらっていてもおかしくないかもしれません。

 繰り返しますが1ヶ月、一所懸命働いて、僕が得るお金は10万円くらいです。もしこのノリでずっと生きていくなら永劫そうでしょう。永劫それで僕は生きていけるんでしょうか? 不安でなりません。それゆえ少しくらい貯金もするわけですよ。とっても頭がいいんだから。
 もし貯金がさらに増えたとしても、いわゆる「生活水準」は変わらないと思います。なぜなら、ずっとある程度の貯金はあるから。ある上で、髪を自分で切って、自転車で移動してきたから。ひろゆきみたいな感じ。彼は2021年の段階で「月の生活費は5万円」と言っていて、たぶん本当なんだろうと思う。イレギュラーな出費はあるんだろうけど。
 僕はべつにみなさんからお金をもらったって豪遊はしませんよ。美味しいものすら食べにいきませんよ。困らないお金はもともとあるんだから。ただ「将来の不安」は少しだけ和らぎます。単純に嬉しくもあります。そもそも「ホームページをずっとやってて、興味深く読んでくれる人たちがそれなりの数はいるはずなのに、誰も何にも言ってくれない」ということにさみしさと虚しさを感じていて、でも何も言いようがないのもわかるから、「何も言わないならせめて金くれよ!」がこのページの発端なのです。
 お金をもらって何かが変わるとすれば、自分が「これは」と思うことにお金を出しやすくはなるかもしれません。たとえば8月下旬に行われる予定の夜学集会(夜学バーで出会った高校生たち)主催のダチュラ・フェスティバル。僕に金銭的余裕(=将来への安心感)がもっとあれば、彼らのためにできることも増えるかもしれない。広告代を出すとか。
 本や冊子とかだって気軽に作れるようになる。お金があれば余暇を作りやすくなって、僕がまた小説でも書き始めるかもしれない。旅行に行きやすくなって、長くてためになる(?)紀行文を書くかもしれない。本をたくさん読んで面白い発想を編み出すかもしれない。すべて「かもしれない」で、「あなたが〇〇円のお金を出せば、僕は絶対にこれをします」という具体的な確約がないから、みんなピンときてくれないが、現実的にそういう変化は絶対に起こります。いろんなたのしいプロジェクトの生まれる可能性が高まります。
 この路線でこれ以上進むと、「あなたの持っているお金は汚れています、私にお金を渡せばお金は浄化され、宇宙のために使われることになるでしょう」と言うカルトに近づいていくので、ポイントを切り替えます。

 Twitterのこのツリー(書いてから3時間とか5時間とか経ってるのに今のところ0リツイート0いいね)にも書きましたが、「具体的な商品(対価、見返り、目標)がイメージできない」と、普通の人はお金を出さない。それが「常識のくびき」。みんな、お金ってのはそういうもんだと、そういうもんでしかないと思い込んでいる。それをほぐして、頭を柔軟にして、楽しく生きましょうよ!? って僕はずっと、延々、言っております。べつに僕にお金を渡さなくたって「ほぐす」ことはできますが、たとえば僕にお金を渡すことによっても理論上「ほぐれる」のではないか? と例示しているまでです。この路線もカルトに近づいていきかねません。僕がしたいのは洗脳ではなく、ソクラテスごっこです。

 さて僕が夜学バーによって稼げる額は年間120〜150万円くらいで、ライターとか教育業(?)で稼ぐのは最近だとせいぜい30〜50万円くらい。それで150〜200万円という数字が出てくるわけです。これは経費や健康保険、年金などなどあらゆるものを引く前の額です。引いたら恐ろしい額になります。どうやって生活しているんでしょうね? 誓って他に収入源はありません。
 綱渡りなわけです。貯蓄がほんの少しだけあって、それが増えたり減ったりするのです。減ってきたらどうするのか? がんばって多めに働くだけですが、働き口がなければそうも行きません。困りますね。まあいろいろ工夫はあります。
「夜学バーにもっとお客さんが増えれば収入も増えるのでは?」それはまったくその通りです。夜学バーのポテンシャル的には、たぶん年間600万円くらいの売り上げは作ることがなんとか可能で、それ以上売り上げようと思ったら「ぜんぜん違う雰囲気のお店」になるでしょう。今の質を下回らないためには500万円までが順当なところで、600万円はギリギリの臨界。ってことは、3割が僕のところに来るとして、240万円。僕の市場価値のマックス値はせいぜいそんなあたりです。

 そういう人間に対して、「ジャッキーさんは僕より貯金がある」と言う、僕より年上の、公務員の方がいるわけです。その人のことは大好きだし、僕のことをいつも褒めてくれるし、よき議論(?)相手でもありますので、何一つ貶めたい気持ちはありませんが、「貯金があるからなんなんです?」というのは主張としてあります。
 貯金は僕のほうがあったとしても、不安はどっちが大きいでしょうか?
 僕のほうが大きいぞ、と言う気はありません。不安の多寡はわからないので、比べられない。貯金額は数値なので、比べられる。それだけの話でしかないでしょう。
「比べられる部分で戦えば勝てる可能性があって、比べられないことで戦っても勝ち負けは発生しない」ということ。

 僕は「収入・所得は少ない」が「貯金は多少ある」そして自称「将来の不安がめちゃくちゃ大きい」です。
 将来の不安が大きいので、つましい生活をして、余ったら貯蓄します。「余った! 何に使おう?」と思ったことは一度たりともありません。将来が不安だからです。
 誰かが僕にお金をくれれば、僕の将来の不安はちょっとだけ和らぎます。なぜかそれはあんまり「具体的なイメージ」として喚起されないみたいで、僕にお金をくれる人はあんまりいません。
 たぶん現状「困っているように見えない」ということなのでしょうが、べつに僕は「困っているからお金をください」と言っているわけではないので当たり前です。「困っていないが不安はあって、それが和らぐことによって僕とあなたと世の中のためになるから僕にお金をください」と言っているわけです。そしてそれにお金を出す人がごく少ないという話です。

 僕は「お金の機能」の話しかしていないつもりです。「そのお金が何を果たすか」です。「商品(目的)との交換」以外にもお金の使い方ってあるだろう、ということを考えているのです。
 僕は「一対一対応」を嫌います。ためしに僕の日記ページから「一対一対応」で検索してみてください。なぜ嫌いかというと、簡単にいえば「発想が貧しい」から。「AといえばB」ってだけじゃなくて、CでもDでもなんでもEじゃん! それが自由ってものの基礎でしょう。

 他にもいろいろなことをその方とお話ししましたが、概ねは2022/05/03の日記にすでに書かれていることでした。また他に思い出したことがあったら書くと思います。

 さっそく追記。
 僕は「返報性の原理」(何かしてもらったら、お返しをしたくなる心の働き)が人並みには備わっていないと思っていますし、原則としては好きじゃないので、できるだけ排除したいと考えています。この「お会計」の話をしていたらある人が、「もしこれを通じて10万円払った人が目の前に現れたらどうしますか?」と質問されました。べつにどうもしません。その話になったら「それについてはどうもありがとうございます」と言うのみです。それが100円だろうが100000円だろうが差はないです。「ありがとうございます」しかありません。
 100円の人より、100000円の人に優しくするってことはありません。金額のぶん感謝自体は大きくなりますが、だからって何かを割り引くことはないです。「この人は10万円くれたんだからこのくらいのことはおおめに見なきゃ」というのは僕の一番嫌いな邪悪です。それはたとえばバーにおいて「太客(常連)がでかい顔をする」のと同じだし、バラマキの額で投票先を決めるようなものです。
 モノをくれたからこの人には優しくしようとか、お金をたくさん払ってくれるからこの人は好きだとか、そういうのは基本的に僕にはないです。僕を嬉しくさせてくれる人が好きです。その要素の一つとして、確かにお金はあります。だけど小さなことです。
 たとえば、お店で、すごく嫌な人が、ミルクだけ頼んで10時間いて、あらゆるお客も僕も不快にさせて、最後に1500円だけ払って帰ったとしたら、「10万円くらい置いてってくれたらとりあえず今日は許したのにな」と思ったりはします。(もちろん1時間くらいでなんとか帰っていただけるように努力はしますが、それがうまくできない時もあるのです。)正直な話、そのくらいの要素としては当然あります。1万円じゃ許しません。5万円ならどうだろな。
 何もないならせめて金くらい置いてけよ、くらいの感覚は僕にだってありますが、基本的には二の次、三の次。お金をくれたって、嫌なやつは嫌なやつで、関わりたくありません。それが2億円とかなら我慢するぜ、というようなグラデーションがあるだけ。
 1円でももらえたらめっちゃ喜びます。実際、毎週1円ずつ振り込まれる設定にしてくださっている方がいることは、かなり大きな心の支えになっています。面白いし。10000円だったらめっちゃありがたいですが、だからその人に特別優しくするってことはないです。感謝の意識は1円の人とそんなに変わらないと思います。ただ、もちろん、その人がどんな想いや事情があって「10000円を毎週」くださっているのかという話を聞けば、それはそれで別の話なので、めちゃくちゃその人のことを好きになる可能性はあります。何も知らない段階では、何も感じようがないというだけです。額「だけ」では判断しない、いや判断できないということです。想いや事情に関連して額がなんらかの意味を持つなら、それはもちろん僕の心にも影響してきます。



【説明4】(工事中)
 クラウド養い・養われイング社会について(参考
<その他の参考文章>
 頂き女子 1 2
 かわいいぼく(頂きぼく)

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