少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。
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2022.9.3(土) 一度そうなってしまったら、そうでなくなるのは難しい
2022.9.13(火) 不可逆だけどもさ〜♪;彗星
2022.9.14(水) 立ち飲み屋にて(1)
2022.9.15(木) 立ち飲み屋にて(2)
2022.9.14(水)〜20(火) 奈良公園のシカ
2022.9.27(火) マサルさん。金くれねーじゃないですか?
2022.9.28(水) 金くれ音頭のさらなる説明(昨日の続き)
2022.9.30(金) 世の中論 お金についての価値観の変化
2022.9.30(金) 世の中論 お金についての価値観の変化
月末なのでいったん締め括り。金くれ三部作のラスト。とはいえもう「金くれ」は言い終わった感あるので別の角度から。
すでにチラッと触れましたが問題は基本的に「土地と建物」なのであります。もちろん固定資産税はじめ維持費もバカにならないでしょうが、やはり賃貸と持ち物件とでは雲泥の差があるはず。
古い喫茶店や食堂、居酒屋、バーなどが僕はとても好きですが、その多くはかなりのんびりとした経営に見えます。多くは自身の持ち物件であり、また年金も(なんなら複数名ぶん)出ていたりします。若い世代が賃貸でお店を出すのとは話がまったく違います。
自分の土地と建物で商売をやり、その同じ建物で寝起きするとなれば、「自宅の家賃と店舗の家賃」がゼロなわけであります。何らかのローンが残っている場合もあるかもしれませんが、それでも「二重に家賃を払う」というやり方よりは楽でしょう。
僕の好きな古いお店の多くはこの形態。だからのんびりとやれて、そののんびり具合が「いい味」を出すわけであります。僕がやりたいお店の雰囲気も、そのようなものです。もちろん「のんびり」やりたいわけではなくて、「いい味」のほう。そのためにあんまり「ガツガツ」せず、儲けよりも「いい味」を優先させるお店づくりに努めたくなるというわけです。
賃貸でお店をやりながら「ちゃんと儲ける」をするには、よっぽど商売が上手でなければいけません。バーであれば、夜学バーのように「のんびりお客を選び、のんびりお客に選んでもらう」ということをしている場合ではありません。「お客を選ばない」か、「あらかじめ選んでおいた客層を呼びこむ」をするのが常道でしょう。すなわち「誰でもおいでください、たくさん飲んでくだされば人格や知性は問いません!」とやるか、「うちはこういうお店ですので、こういう方のみおいでください。こういう方にとってはパラダイスですから、似たもの同士楽しみましょう!」とやる。「広く浅く」か「狭く深く」に振るというわけ。
夜学バーは「やや広く、やや深く」という中途半端な態度。しかも利潤より「信念」が先に立ち、「美意識を歪めるくらいなら飢えて死ぬ」という武士は食わねど高楊枝的な痩せ我慢を続けております。
もちろん僕も馬鹿ではないので、「ひと月の来客数がだいたいこのくらいなら、夜学バー的な素敵な雰囲気を保ちつつ、かつそれなりに儲けることもできる」というライン(以下「まなびライン」と呼ぶ)は想定しています。そもそも絶対に儲からない、生活していけない、というお店を始めたわけではありません。その閾値のギリギリあたりまでお客が呼べるなら、僕はけっこう暮らしていけるわけです。正直にいえば、2020年の3月くらいまでは少しずつそのラインへ近づいていっていたような感覚がありました。そのあとは新型コロナウィルス感染症等々の影響を受けてお客は激減(と言っていいと思います)、現在に至るまで2年半、夜学バーは僕に給料をほぼ(一銭も、と言っていいくらい)払えておりません。もちろん感染拡大防止協力金のおかげでしばらく野垂れ死にはありませんが、いつまでもそれに頼れるはずもなく。
今も僕は「まなびライン」を目指して航海を続けておるわけですが、「のんびりお客を選び、のんびりお客に選んでもらう」「やや広く、やや深く」という悠長なやり方では、なかなか光が見えないというのも事実。そんな厳しい日々の中でも、新たにおいでくださるお客さんはたくさんいて、特に若い人(中高生)がちらほら増えてきたのはまさに希望。種まきの時期と考えれば少しは気持ちが楽になる。この素敵な若者たちに見捨てられぬよう、僕は依然として毅然として、かしこくかわいくかっこよく、やり続けねばならない。より具体的には、短期的なバズによって「見つかる」のでなく、誰かにとって「いつの間にか見つけてしまっていた」という「宝物」であり続けねばならない。淡々とこうして誰も読まないような文章を書き続けるのもそのため。
ただ、「まなびライン」というのを数十年維持し続けるのは神業以上の奇跡と思います。良い時期もあれば悪い時期もあるのが水商売で、どんな時でも固定費は容赦なく襲いかかってきます。(こたびの感染症で多少周知されたかと存じます。)
僕がいきなり言い出した「おこづかい」(旧「お会計」)というのは、その補填。「楽して暮らしたい!」とかではない。まったく楽じゃない、不安しかない不安定な暮らしを、ほんの少しでも下支えできるものはないか? それを「僕なりに」やるとしたらいったいどういう形になるのか? を模索する過程の、必死の実験。
お店とか商売の話をしますと、現代は「市場原理」に任せていれば良いものが残っていく、という時代ではない。そういう時代が過去にあったのかはさておき、少なくとも今とか今後しばらくはそうだと思う。そしてまた同時に言えるのは、現代は「市場原理」とは別の仕方で良いものを残していくことがしやすい時代でもある。そう信じるからこそ僕は売れないお店をやっているし、売れないホームページを書き続けているし、臆面もなく「金くれ」を言ってみている。
ある商品を、ある値段で店頭に出し、ある個数が売れたら生活が成り立つ。どれだけ売れるかは需要と供給という市場原理に委ねられ、「努力」が足りなければ食っていくに達せず、「努力」が実れば食っていけるだけ売れる。これが商売の基本である。
ごく最近、新しいオシャレな立ち飲み屋と、新しいオシャレなベーカリー&カフェに行った。どちらも単価が高い。立ち飲み屋は一杯飲むのに1000円くらいして当たり前だし、ベーカリー&カフェはカレーパンが500円くらいする。コーヒーは540円で高いとまでは言わないがまず間違いなくパンと抱き合わせされるのでセット料金が540円と考えればすごいことだ。そんなに高いお金をとれる理由がどこにあるかと言えば、付加価値であろう。たとえばオシャレさ。ここに来て酒を飲んだパンを買ったという経験とその証拠。このオシャレ世界の一員となれた誇り。特に立ち飲み屋にはそういう空気が感じられた。「俺たちは同じ価値観を共有する仲間!」的な。銭湯が向かいにあり、銭湯大好きオシャレ野郎(この「野郎」は『大正野郎』と同じ「野郎」の用法であり悪口ではない。マニアとかオタクとかの類義語)たちをターゲットにしているらしい。開店時間も銭湯と同じに設定されている。「東京で最先端の文化のただなかにいる」という演出のライト。
これこそが「市場原理」である。クラフトビールとクラフトジンとクラフトラム! 誰もが欲しがるその流行をいち早く提供! だから人は来るし、多少値は張っても「そういうもんだ」と思ってもらえる。昔でいえば「高い食事には税がかかる」みたいな感じか。そういうふうに付加価値でくすぐらないと、現代に水商売はなかなか成り立たない。「努力」そのものである。
この「努力」というものは、「いかに需要を汲み取るか」ということに大きな力が割かれる。もちろん「店側が流行(=需要)を作り出す」というのも多少はあるが、今回の立ち飲み屋で言えばクラフトビール、クラフトジン、クラフトラム、フィーバーツリー、立ち飲み、銭湯、アナログレコード、ガラス張りの外装、木材とコンクリートの組み合わせ等々……すでに十分に流行しているものたちを寄せ集めたものであるから、まあ「需要があるとわかっているものを素材として組み立てた」というふうには見える。さっきの言い方だと「あらかじめ選んでおいた客層を呼びこむ」をしている。
誤解してほしくないがこのお店はいいお店である。また行こうと思うくらいに。「すでに需要のあるものを寄せ集めた」のと同時に、「その需要の奥底をガンガン掘り続けている」という点で、真に最先端ではあるからだ。自分たちで探してきた、自分たちが美味しいと信じるものだけを店頭に出しているのは間違いない。売れるためには需要のあることをしなければならないが、その枠の中で自分たちが本当に好きなことを追究している。いや、順序としては、自分たちが本当に好きなことの中で、需要がちゃんとあるものをお店にしたというか。いやー、まあ、もっと言えば、流行しているようなものが好きな人たちが流行に乗れるのは当たり前っていうか……これは悪口ではない。
つまり、市場原理と相性の良い人たちは、好きなことをしていたら自然と市場原理に乗れちゃったりするわけですね。それが悪いことであるはずはない。ただ、市場原理と相性の悪い人たちはどうしたらいいの? という問題がある。つまり流行に乗れない、「そっち」には何の興味も持てないという人たち。僕みたいな人のことである。そういう人が比較的生きやすい時代にはなりつつあるだろう、というのが今回の文章の骨。
こないだ東京新聞で池井戸潤という作家がこう言っていた。《小説は、マーケットイン(顧客の要望を重視して製品を開発する考え方)ではなく、プロダクトアウト(提供側が良いと判断した製品を市場に投入する考え方)でないと。つまり、「僕はこういうものが面白いと思うけど、皆さんはどうでしょう?」と読者に問いかけるものでないと、といつも心掛けています。》(9月13日朝刊)
池井戸先生はそれでベストセラーを連発しているのだから本当に偉いもんだが、数十万人規模の読者がいなくても、例えばそれがたった30人規模の読者でも、「プロダクトアウト」は成り立つはずである。「熱心な信者を20〜30人集められれば新興宗教は維持させられる」というような話を聞いたことがある。カルトの信者は市場原理からお金を出すのではない。その教義に照らして自分が払うべきだと思う額を出すのである。つ、つまり僕がやろうとしているのはカルトの考え方なのであるが、まあ害のないカルトであろう。やわらかなジャッキーカルトの形成をねらっているわけだ。(こういう冗談か本気かよくわからないことばかり言うから誤解されるのかも。)
たとえば僕がヤカンを作っているとする。ヤカンなんてお家に一つか二つあれば足りる。僕のヤカンを好きな人が30人いるとする。ヤカンはせいぜい50個くらいしか売れない。たくさん買って人に配ったり、要りもしないのに買って家のそこらじゅうに飾り始めたら(それを僕が煽ったら)これはほぼカルトである。しかし実際の僕は、要らないヤカンを買う必要はないと思っているし、常々そう言っている。みんなは僕のそういうつましいところが好きだったりする。
ここで普通なら考えるのは、ヤカンは一個しかいらないけれども、ヤカンTシャツとかヤカンステッカーとか、ヤカンまんじゅうとかだったらなんぼあってもいいわけですから、グッズをたくさん作って30人に売りまくればいいのではないかという発想。しかしこれも、その人の身の回りのものがどんどんヤカンになっていくわけだから、これまたカルトみが増すし、「お金を回収するために要らないものを量産する」という話でもある。だったら何もしなくてお金だけもらったほうが色々といいはずなのである。僕の考えの基礎はこれである。
僕の作るヤカンは素晴らしく、ユーザはそのおかげで毎日を少しだけ素敵に暮らしている。使い込めば使い込むほど、そのヤカンの魅力は光り輝く。ユーザは毎日のようにそのことに気づく。であれば、そのヤカンへの対価は「購入時」だけでなくて、その後も継続して支払われたって何も不自然ではないわけだ。世の中の人は、というより資本主義?みたいなものは、そういう発想をなぜか禁じてきたというだけである。
昨今、ようやくその禁が解かれ始めているのを感じる。《現代は「市場原理」とは別の仕方で良いものを残していくことがしやすい時代でもある》とさっき書いたように、だんだん「自分が受け取るものとは無関係に、好きなものに好きなだけお金を払ってよい」という文化が表に出てきた。お金というものの意味が変わってきたのかもしれない。たぶん、お金はもうかつてほどの求心力を失いつつある。
お金が世の中に満ち溢れていれば、お金の役割はそのぶん多くなる。ところが現代は「お金がなくてもなんとかしなくてはならない」時代で、お金が果たす役割というのが相対的に少なくなる。お金で解決させるよりも「工夫する」ほうが効率がよくなっている。なぜならみんなお金を持っていないし、増える見込みもあまりないから。
みんなが求めるのは「生きる工夫」のほうで、そのために少しのお金を払う。それが僕の未来予想であって、また単純なる願いでもあり、賭ける先でもある。多くのお金を得ることは難しい。だったら、わずかなお金を使って、「生きる工夫」を得て、それを未来永劫に生かしていけるほうがいい。自分への投資って話。まあそれを僕が担いますよというのはちょっと偉そうすぎる話だけれども、僕が言っているようなことを役立たせることができるような人はそれなりにいるとは思う。そういう人からはちょっとくらいお金をもらったってバチは当たらなかろうと思うわけであります。
「このお金を使ってしまったら、明日の飯がないのです」という人はいまだに少ないし、これからもそう多くはならないと思う。ただ、「子供を大学に行かせるお金が当座ない」ということは無数にあるし、増えていく可能性はある。そうすると、「子供を大学に行かせるお金が当座ないのだが、何をどう工夫するべきか」という発想に当然なるわけで、その時に必要なのは知恵である。知恵というものを得るために、人は少しのお金を使って、本を買ったり、ジャッキーさんにおこづかいを渡したりするわけである……。うーん、そうなればいいけど、結局みんなタダで得られるものはタダで持ってっちゃうからなあ。でもそこはだんだんと世の中の考え方がちょっとずつ変わっていくんだとは思う。「ありがとー」とかいって気軽に100円渡すことが不自然ではない世界は、なんか割と近くまできている。
ある女友達(10歳くらい若い)が、「話聞いてくれてありがとー」とか言ってPayPayに500円送ってくれたことがある。付き合いが長く仲も良いので、とくに「え?」ってなることもなく、こっちも「ありがとー」ってカジュアルに応えた。そういうことが多少当たり前になっていく可能性はあるなと感じている。
現金の呪力が低まっている。「現金を渡す」ということが何か忌むべきことのように思われていたのが、少しずつ薄らいでいる気がするのだ。クレジット決済の普及や電子マネーの登場も大きい。「お金」というものが単純な数字として、軽々しく増減させて良いものになっている。(別に昔からそうっちゃそうだったのかもしれませんが、だとしたら現代は「簡単に他人にお金を送る手段」が多くなってきたから、自然とそういう動きも増えていくというふうに考えられます。)
賃貸で生活せざるを得なくなり、「お金は増えては減るのが当たり前」という諸行無常感が高まっている、とか。世代によっては、バブルを経た虚しさとかもあるのかも。
「お金は大事だよ〜」みたいに言われてたのって高度成長から平成まで、という話かもしれないわけです。令和に入って「お金はまあ、それなりには必要ですけれども」になっていく可能性はある。そのくらい不景気が洒落になんなくなってきたというか。昔、みんながお金を持っていなかった頃は、みんなそんなに金金金金してなかったと思うですね、だから経済的に損をする、ってことがあんまりピンときてなかった。知らない人にご飯を出したり平気でできた。平成の人間はそれを「こっちばっかり負担して、損しかない」って思っちゃうのだ。ま、もちろんいろんな人がいますけれども。田舎の人がサービス精神旺盛だったりするのは、その感覚が保存されてるんじゃないのかな。むろん地域や人にもよりますけれども。「お互い様」という感覚はこの国で普遍的だけれども、昭和後期から平成あたりはそれが「お金(に換算できるもの)」に偏りすぎていた。もっといろんな要素を総合して「お互い様」ということでいいのだ。本当は。
すなわち、「お互い様」というのが「等価交換」だと思われていたのが、この数十年だった。しかし「等価」なんてのは幻想だ。ただ「お互いに思いやる」というだけでいいのである。なんて素敵な考え方でしょう? こういうイイコトを自分で考えて言う人を、「残して」行かなければならないと、思いませんか? 思ってください^_^
話がとっ散らかってきたところで、今は実のところ10月1日のお昼である。9月中にお金の話を終わらせたかったが、これは重要な話なので、もうちょっと、どこかのタイミングで断続的に、続きを書いていくと思います。いったんこれにて。
2022.9.28(水) 金くれ音頭のさらなる説明(昨日の続き)
昨日の日記には珍しく(それはもう非常に珍しく)少しの反響をいただきまして、それをもとに「さらなる説明」をちょっとだけ、してみます。
当然ですが昨日書いたのは僕がお金について考えていることのほんの一部。ある人から「Wikipediaの警告文みたいになっている」とご指摘を受けました。完璧な文章を書くのは僕には難しいから、どうしても荒削りで不完全なものになり、その結果として「Wikipediaの警告文」(あなたがたが○円ずつ寄付してくれないとWikipediaは維持できませんよ!というアレ)になってしまうのはある程度仕方ないともう割り切っております。それで何度もこのような補足の説明を重ねて、どうにか少しずつわかってもらおうという考えです。
もちろん僕がやっているのは「Wikipediaの警告文」でもあります。みなさまがたがおこづかいをくれないと「僕」は維持できないのです。まあでもそんなことだけ言っていてもつまらないので、もうちょっと本質的、根本的なところへ踏み込みたいなと思ってあれこれ考えております。
昨日の記事を公開して、Twitterに貼りましたらば、割と即座にお金をくださった方がオンラインで数名おりました。まことにありがとうございます。少なくとも「Wikipediaの警告文」としての機能はいくらか果たせました。しかし「Wikipediaの警告文」に終わってしまってはだめなのです。危機感を煽ったり同情を誘ったりするのには限界があり、その路線でお金をもらい続けようと思ったら窮状の訴えをどんどんエスカレートさせていくしかなくなります。そうではなく、あくまでも思想的と言いますか、理屈で「なるほど、それはジャッキーさんに定期的におこづかいをあげねばなるまいな」と理解していただかなければならない。それが僕の挑戦であり、実験であるわけです。そういうことをしている人はあんまりいないだろうから、僕としてもやる気が出るというもの。というわけで今日もがんばります。
「お金をください!」的なことを言うと、けっこうよく言われるのが、「でも、お金をあげちゃうとこれまでの関係が変わってしまうんじゃないか?」という疑問。それについて僕はこう返したいのです。「なんで?」とシンプルに。
僕がこの活動(?)を通じて一番言いたいのは、「お金を渡す」っていうことがそんなに大それた、重大なことなのか? ということなのだ。お金なんて、お金じゃないですか。お金をなんだと思っているのです。お金を、お金以上に何か重大なものに思い過ぎているのではないですか。そういう主張を僕はしているつもりであります。お金はお金で、関係は関係。文明人なら(!)分けて考えればいいと思います。
高校生の時、毛受(めんじょう)先生が確か、「もし友人が金を借りに来たら、『わかった金を貸そう、ただし俺たちはもう友人ではなくなるぞ』と宣言する」みたいなことを言っていた。お金のやり取りってのはそのくらいデリケートなものなんだということを彼は言いたかったのだと思う。また、これは毛受先生か他の人だったか忘れてしまったが、「友人には金は貸さない、困ってるなら返済不要で渡したほうが後腐れがない」みたいなことも聞いたことがある。
「金を貸す」ということには「返してもらう」という約束がつきまとう。「約束」は果たされない可能性があって、そうすると友情にはヒビが入りやすい。借りた側に悪気がないこともある。「友情はあるけど金は返せない」という状況はいくらでもあって、「あいつは大切な友達なのに金を返せないから合わせる顔がない」みたいな話にもなる。「あいつは大切な友達なのに金を貸しているから今はなんとなく対等でいられないような気がする」とか。
そんなことになるくらいなら、「困ってんなら10万円やるよ」「サンキュー♪」くらいの温度でやったほうがスッキリするじゃないか、というのは非常に理解しやすいのである。
そのはずなのだが、しかし「現金」にはそれをさせない謎のパワーが備わっている。
たとえばギャンブルに勝ったとかボーナスが多めに出たという人が、焼肉なり寿司なりを友達にご馳走してあげる、というシチュエーションはいくらでもあると思う。それを後から「てめーあんとき寿司奢ってやっただろうが!」と持ち出してくるようなのはやべー奴で、友達甲斐がない。ここまではご理解いただけると思う。しかしこれが「現金」となると、途端に「なかなかそういうことってないよね」って話になるはずだ。
つまり、ギャンブルに勝ったとかボーナスが多めに出たという人が、「1万円ずつあげるよ」と友達に配って回る、ということは想像しにくい。それはみんな「え……」ってなる。焼肉や寿司ならそうはなりにくい(と思う)。なぜなのか? ということを僕は考えたいのである。
いくらでも説明はある。たとえば、焼肉や寿司は「儀式」なのだ。それは食事でもハンググライダーでも、いわゆる風俗とかでもまあ構わない。「みんなで何か同じことをやる」ということのために、誰か一人がその代金を負担することにはさして抵抗がない。「今回は儀式代を俺がもつよ」ということは不思議とまかり通る。「現金を渡す」ことにはその儀式性がない、ということになっている。
考えてみると、確かに「現金を渡す」という現象は日本社会のなかにほとんどない。結婚(式)とお葬式、そして売春くらいである。
結婚(式)とお葬式は文字通り「儀式」であって、そういう風習だからみんなやるし、そもそも「結婚(式)やお葬式にはお金がかかるから出席者がその一部を負担する」という経済の理屈もちゃんとある。ただ結婚(式)に関しては、「ほとんどの人が結婚し、ほとんどの人が似たような式を挙げる」という前提がかつてあったから「お互いさま」として成立したのだ。葬儀についても、これまでのように盛大(と言っていいのか?)にやることはどんどんますます少なくなっていくと思う。だから「御祝儀」「御香典」という文化はだんだん廃れていく(すでにけっこう廃れている)はず。
売春については、これがまあ悪いですね。「現金を渡す」というのは、現代ではほとんど売春(当然援交、パパ活等を含む)なのである。だから「お金を渡してしまったら、関係が変わってしまうのではないか」という発想になるのではと僕は疑っている。
広義の性風俗(キャバクラやガールズバー、コンカフェ、メイドカフェ、地下アイドルなどなどを含む)はまさに「金を渡して架空の人間関係を楽しむ」ものである。しかしこの場合は、直接お金を渡すのではなくて、「お店」とか「パフォーマンス」がクッションになっている。すなわちここにも「儀式」が介在するわけだ。「自分は性的な関係を買っているわけではない、飲食物やコンセプト、歌や踊りあるいは豊かな時間、すなわち文化的なナニカにお金を払っているだけなのだ」という言い訳ができるので、みんな堂々と胸を張り安心して売買春に精を出せる。
その「儀式」がほぼ存在しないのが、個人売春である。ただそれに「援交」なり「パパ活」なりといったネーミングがついてポップ化すると、「みんなやってることだから」という理屈で儀式となり、クッションになる。
さて「パパ活」という言葉は象徴的である。あれはお金で「パパ」という立ち位置を買っているわけだ。すなわち金で関係を買っているのである。売春の発想に基づけば、「お金を渡すということは関係を買うということ」という話になる。性風俗に限らずあらゆる三次元タレント、二次元キャラなどへの疑似恋愛にしても、「お金を払う」ということが「関係の証明」になる。「推し」「推され」という関係を買っている。そういう文化にどっぷり浸かると、「誰かにお金を渡す=関係を買う」という感覚になる。
「ジャッキーさんにお金を渡したら、それまでの人間関係が変容してしまうのではないか」という発想に至る理由は、「なんかそれで上下関係ができてしまうんじゃないか」というシンプルな疑念でもある。でもなんでなんだろう? 原価100円のドリンクに500円を支払い、原価0円の木戸銭(席料)は1000円払ってくれるというのに。それで別に上下関係はできませんよね。ビジネスという「儀式」を挟んでいるからですね。
でもその「儀式」がなくなると急に「人間関係が変わってしまうのではないか?」となる。不思議なのである。僕にとっては、コーラの代金として500円もらって200円儲けることと、200円もらうこととは経済的にはほぼ同じなのだが。でもそれをすると「関係が変わってしまう」気がするらしい。
僕はこうして日記スター(新しい概念)をやり続け、お店スター(それほど新しい概念でもない)を兼任しているんだから、それに対する代価をくださる感覚でいいと思うんだけども、「取引」とか「契約」というこれまた儀式が存在しないから、どのタイミングでどの金額をどうやって払ったらいいかわからないし、その額や渡し方によって「関係が変わってしまう」という可能性も描いてしまうかもしれない。
しかし僕にはどうしても、「お金」というものを大袈裟に捉えすぎているようにしか思えない。お金なんて、お金でしかない。増えたり減ったりするだけのものだ。それがおよそどんなものにでも化け得るから、無限の可能性を秘めた怪物な宝物に思えて、なぜだかなんだか珍重してしまう。
こうなってくるとカルト宗教が「お金は汚い! だから教団に献金しましょう」と言っているような感じになってくるからあとは各自!って感じにしておきますが、まあお金っていうものはお金でしかない。そんなに特別なもんでもないんじゃないですか、というのは声を大にして言っておきたい。「お金主義」なんですよね、現代日本人はあまりにも。
と、このようなことを書いている僕はもちろん「お金というものをそう大したもんだと思っていない」のです。むろん「自分が生きたいように生きていくためにある程度持っておきたいもの」ではある。ただそんなにたくさんはいらない。だから「ちょっとでいいのでちょっとずつください」と言っている。
「お金というものをそう大したもんだと思っていない」僕は、お金をちょっとくらいもらったところで「ありがとう」以上のことは何も思いません。このことはすでに「おこづかい」のページか、そこからリンクされている日記か何かに書いたと思います。
子供ってのはアホだから、お年玉で10000円くれる親戚のおじさんと、2000円「しかくれない」親戚のおじさんとでは、前者のほうを好きになってしまう傾向があります。しかし僕は9歳児ながら非常に賢いので、くれる金額で人を測るということはしません。100万円くれても「ありがとう」で終わりです。まあビックリマークくらいはつく(「ありがとう!」)かもしれませんが、その程度です。なぜならば僕は喫緊、お金に困っているわけではないからです。
僕はとりあえず貧窮はしておりません。名古屋人なので(?)常に貯金には余裕があります。だからこそ、「お金をちょっともらったくらいで『ありがとう』以上のことは何も思いません」と言えるのです。もし僕が、明日の飯にも宿にも困るような生活であったなら、まとまったお金をもらって涙を流して感謝し、「この御恩は」とか言うかもしれません。しかし僕はとりあえず貧乏旅行にくらい行ける余裕が今はあるので、ちょっとお金をもらったくらいで「恩に着ます!」という気持ちにはなりません。「わーい、ありがとう〜」くらいのものです。
しかし前回書いたように僕の収入は支出に照らしてほぼギリギリ、というかまあジリジリと減っているくらいです。最近はライターの仕事があんまりなくて、お店とか文章とか思索とか詩作とか人との関係とか、すなわち「ジャッキーさん維持増進活動」のほうに力を入れておりますので。(もちろんライター仕事だって「維持増進活動」の一環なので少しは続ける所存です、ご依頼お待ちしております。あ、そうだ。僕にお金を無条件で渡すのに抵抗がある人は、なんかお題を出して20000字くらい書かせて、それで原稿料くれるとかどうですか? ちゃんと確定申告で計上しますのでそちらの経費にもできますよ。)
このまま僕がだんだん窮状化していって、お金に余裕がなくなった時、いよいよ本気で「Wikipediaの警告文」をやり始めるかもしれません。それはちょっと嫌だなあと思うので、まだ余裕のある今のうちに、「僕」という人間が持続可能なくらいにおこづかいをもらえる環境を整えておきたいな〜と、これはけっこう本気で考えているわけです。けっこう壮大なことをしているなと僕は自分では思っているのですが、なかなか理解してくださる方はおりません。この長い文章をここまで読んでくださっている人は、せいぜい15人くらいじゃないかと思っております。そのうち9人は「流し読み」です。YOU!お前のことだよ!(←太田光さんが監督した短編を含むオムニバス映画のサブタイトルです。)
時間があるときにちゃんともっかい読んでください。マジで。
僕が「お金というものをそう大したものだと思っていない」のも、お金をもらっても「ありがとう〜」くらいで終わるのも、ひとえに「今んとこ生活が窮乏していない」からで、しかしこのままで行くといつかは窮乏し始めます。そうしたら僕はまあ、とりあえず身体の動く限りは過酷な肉体労働に身を晒し(昔はそういうことけっこうしてたんですよ)、なりふり構わず乞食活動にも精を出し、儲からないお店は畳んで、路上で飲み会を催しては「シャンパン(路上なので常温)を開けろ!」と迫り……みたいな感じになっていくわけです。っと、また「Wikipediaの警告文」になってしまった。いやでも↑こういうじゃっきーさんも面白そうですね。ちょっと楽しみではありますね。でもそうはしたくないですよ、本当に。
言わねばならないことを言っていなかった。僕は誰からお金をもらおうと、その人との関係を何も変えない自信があります。その点は大丈夫です。「ありがとう〜」以上のことは何もないです。子供って親からおこづかいをもらっても「ありがとう〜」すら思わないでしょう。当たり前のことだと思ってるから。僕はさすがに9歳児ながら賢い子なので「ありがとう〜」とは思いますけど、それ以上のことは本当にありません。
そう! 現代では結婚(式)とお葬式、売春のほかに、「おこづかい」というものがあるのですね。現金を直接渡す行為として。
親はおこづかいを渡すとき、「大切に使ってね」とは思うし、「何に使ったのか」は気になるものだし、「無駄遣いしちゃダメ!」とは言いますけれども、基本的には自由に使わせますよね。僕の「おこづかい」もそういう感じのイメージにとらえていただけると嬉しいです。僕はお金をめちゃくちゃ大切に使います。めっちゃケチなので。歩ければ歩くし自転車で行ければ自転車で行きますし、公共交通機関は1円でも安いルートを探すし、野菜は1円でも安いスーパーを求めます。しかし同時に、「このキャベツは相場よりもやや高いが他所のスーパーに行くよりここで買ったほうが色々と都合がよかろう」と判断する柔軟性もありますし、「キャベツが食べたいと思ったが高いのでレタスにしよう」という調整も得意。まあ要するに上手にやっていこうとしているわけですよ。えらいもんじゃないですか。
僕がこれまで手にしたお金なんて同世代の平均の何分の一とかだと思いますよ。それを大事に大事に、丁寧に使ってきているのです。300円持って駄菓子屋にいるような気持ちでいつもいるのです。だから別にお金をもらったって「お金をもらった、大切に使おう」と思うだけです。どんなお金に対してだって平等にそう思います。
昨日の夜、つまりくだんの日記を書き終わった直後の営業で、あるお客さんがお釣りの600円を僕にくれた。僕は「わーい、ありがとう〜」と喜んだ。600円というのは僕の小学6年生の時のおこづかいの額である。この人は僕と同世代の女の人で個人事業主(たぶん)で、そうめちゃくちゃお金に余裕があるのではないだろうけれども、おこづかいをちょっとだけくれたのである。「これを渡してどんな日記が書かれるか楽しみなんで」とおっしゃった。それでこの段落を書いている(不覚にも?取引に乗ってしまった!)わけだが、おこづかいをあげるのにもいろんな楽しみ方というか、「かたち」があるわけですね。お金っていうのはわりといろんな使い方ができるし、していいものだと思うわけなんですよ。そしてそれは誰もが自由に思いついていいはずなのです。
あんまりお店で僕に直接おこづかいをあげるというのが増えすぎて、「それをしなくてはならない」雰囲気になってしまうのは怖いですけれども、たまにそういうことが発生するのは面白いし、「釣りはいらねえぜ」というのが未だにわりと当たり前に発生する(うちのお店でもある)のが飲み屋ですから、そんなに違和感はなかったと思います。まあ、そういうふうに昔からあるお店とかって成立しているところはありますね。どこから来たのか謎の臨時収入。
あと、夜学バーって、「自分の土地、自分の建物で商売をやっている」ようなお店の雰囲気でやっていまして、もしも家賃(約10万円)がなければ、普通に成立しちゃうやり方ではあるんですよ。そしたら僕に入ってくる10万円のお金が、そのまま20万円になるわけなんで、なんとか生活できそうなわけですよ。だからまあイメージとしてはその「土地・建物代」を、「お店の売上」以外のところで担保できないもんかな、と考えているわけです。クラウドおこづかいで家賃だけ払えれば、あとはお店の売上でなんとかなりますから。
最後に不遜、傲慢なことを書いておこう。なぜ僕は友人・知人からお金をもらってもその「関係」を変えない自信があるのか?
「だってお金くらいもらって当たり前のことをしてるんだもん。かわいいぼくだってことでも、立派な僕だってことでも。」
そういうふうに言い続けられるだけの生き方をこれからもしていかなければならない。それは並大抵の覚悟ではないのです!(知ってます?)
2022.9.27(火) マサルさん。金くれねーじゃないですか?
マサルさん。金くれねーじゃないですか? 欲しいゲームとかフツーにあるじゃないですか? 俺、すごかったスよ ムカツイちゃって。知ってます? そんで愛沢さんに相談した訳ですよ。
(真鍋昌平『闇金ウシジマくん』2巻より)
マサルというキャラクターが、金を使って手下にしていた若者に裏切られるシーン。金を渡せなくなった途端にこのような言葉。金の切れ目が縁の切れ目というやつ。ファッションと口調がすばらしい。「コンビニの前にたむろしてるようなやや頭の弱い不良」というイメージを完璧に1コマに落とし込んでいる、流石の職人芸。とくに「俺、すごかったスよ ムカツイちゃって。知ってます?」がすごい。
これから書きたい本筋とはまったく関係ないが、まず「俺、すごかったスよ」がくるのがすごい。何が、というのはないのだ。まず「程度の甚だしさ」なのだ。事情や説明の前に「甚だしさ」だけが先にくる。すべての感情を「ヤバい」で表現するとか、若者言葉のそういう性質が極端に極まるとこうなるのである。何よりも感覚が先行する。
実際、「何が」すごかったのかは明かされない。「ムカツイちゃって」という感情がくる。「感覚→感情」の順である。そして「知ってます?」というふうに、「自分の気持ちを知ってほしい」という素直さ(さみしさ)がくる。「マサルさんは知ってくれない」ゆえに「愛沢さんに相談」するわけである。
感覚がきて、感情がきて、「あなたは自分に共感してくれない」「だから別の人間に共感を求めた」となるわけです。「欲しいゲームとかフツーにあるのに、なんでマサルさんはそれをわかってくれないのか?」という不満が、彼を裏切りに導いたわけである。素直な子だから。彼らが欲しているのは「まっすぐに向き合ってくれる人間」なのだと思う。
先日、あるお客さんが僕のお店(夜学バー)にいらっしゃった。お会いするのは初めてで、しかし夜学バーのSNSとかホームページとかはよっくご覧だそう。この日記(少年Aの散歩)もかなり読んでくださっているらしい。いわゆるロム(ROM… Read Only Member)状態だったようだが、このたび藤井風の『旅路』という曲にある「この宇宙が教室なら 隣同士 学びは続く」というフレーズを聴いて「これは夜学バーだ!」と感激し、思い立っておいでくださったとのこと。ありがたいことです。
この方はふだん、湯島から地下鉄で12分の北千住という町のバーなどでよく飲んでいるそうで、そこの飲み友達とおふたりでおいでだった。かなり僕のことを気に入ってくださっているのは伝わって、けっこう褒めてくださって、お酒もたくさんお召し上がりになった。
僕は次のような内容をお伝えした。「気に入ってくださって、褒めてくださって本当にありがとうございます。またおいでいただければとても嬉しいですが、無理においでくださらなくても、僕のホームページには僕に直接おこづかいを渡すシステムが備わっておりますから、そこからぜひお金をください。」
彼は、僕のお店や文章を非常に良いものと思い、その存続および躍動をおそらく願い、そしてそれなりのお金を持っている。可処分所得が僕の数倍はあるだろうし、毎月の飲み代(のみしろ)はひょっとしたら10倍くらいに及ぶかもしれない。しかし人は、おいそれとお金をくれない。1週間ほど経ちますが特にそれらしき入金はない。(もしすでに匿名サブスクとかやってくださっていたらすみません。)
別に僕はお金だけがほしいわけではない。お金よりも良いものをいただけるのであれば、お金なんかいらない。しかしそういうものが特になければ別にお金くらいくださってもバチは当たらないのではないですか、とごく正直に思うものである。
あなたがいくらかお金をくれるなら、僕の暮らしはほんの少しだけ楽になり、気の焦りや絶望は思索と詩情に取って代わり、きっと僕はますますあなたにとって面白いことをやれるようになりますよ。ちょっとのお金が与えられたくらいでつまんなくなるようなタマじゃあ、ありませんよ。お約束いたしますよ。折に触れ僕はそう主張しているつもりである。しかしお金をくれる人はほとんどいない。お金よりもすばらしいものを積極的に僕にくれようとする人も、そう多くはない。この現実を超えるために僕はこういう文章をまた何度でも書かねばならない。
無料でこのホームページを読み、無料で愛し、時おりお店に来て数千円を払う(その何割かが利益となる)。無料で夜学バーを愛し、無料でその様子を遠巻きに観察し、その行く末を無料で案じ、時おりお店に来て数千円を払う(その何割かが利益となる)。そしてホームページが消えたり、お店が潰れてなくなった時には、「ジャッキーさんも流石にもたなくなったかね」「年には勝てんのだね」「いいお店だったのに」「やっぱりああいうやり方では成立しないんだね」とか言う。お前らなー、お前らだぞ、僕を潰すのは。知ってます?
僕がやってるのはビジネスじゃないんです。知ってます? ビジネスという枠の中で成立させようとなんてしていないんです。もし夜学バーがお金なくて潰れたら、あなたたちはこう思うことでしょうね。「やっぱりジャッキーさんのやってることはビジネス的に無理があったよね」と。そりゃそうだ、無理があるとわかっていてやってるんだ。ビジネスとして成立するようにやったら「あのお店」は作れない。お店を知っている人ならわかると思います。でもある種の人たちは「それでもやっぱりビジネスとして持続可能じゃないとダメだよね」と思うんでしょう。僕はそういう人たちが非常に嫌いだから、ビジネスじゃない方法でひたすら持続可能性を探り続けているのです。(ちなみに僕はお金のやりくり自体はそれなりに上手だと思います。ナゴヤジン無駄遣いしない。)
「お店に来る人がお金を払う」とか「クラウドファンディングを行う」というだけで成立させようとすれば、絶対にダサくなる。クールでいられなくなる。僕は「儲かるお金から逆算してお店を作る」ということをやっているんではなくて、「お店を作る」ということをやっているのだ。お金はそこから計算されるだけ。僕の作ったお店の稼げる額が10万円だとしたら、その10万円は10万円でもう動かない。それを増やそうとすれば「お金がより儲かるようにお店のあり方を変える」ということになる。それが「儲かるお金から逆算してお店を作る」ということだ。むろん普段からできるだけお金が入ってくるようには工夫しているが、そこがあまり優先されると夜学バーはきっと「あなたの好きな夜学バー」ではなくなる。そうやってみんな堕落してきたのをみんなが知ってる。だけど誰もが見てみぬふりして、お金を出すでもなく、何か別の貢献をするでもなく、ただすべてが終わった後で「やっぱりなあ」「だめだったかあ」「残念だなあ」「さみしいわねえ」と言うだけ。
なぜそうなるのかって、みんなが自分の生活にいっぱいいっぱいだからですよね。余裕がないからですよね。そういう人たちに僕が言いたいのはただ一つ。「余裕を持てよ」そんだけです。
なんでそんなに余裕がないの? 余裕がないって思い込んでるだけ。余裕がないと思い込んだほうが、楽だからってだけでしょう。何も考えなくていいから。
僕はずっと「お金の使いみち」の話をしているのです。「おこづかい」というページを熟読してください。問題はずっと、「お金があって、それを使えるというとき、何に使うかなんですよ」というフレーズに尽きている。みんな「何に使うか」ということを考えるのがだるいんです、特に「あたらしい使い方」をもう考えたくない。「常識の外にあるお金の使い方」を考えたくない。
常識化してくればみんなやるよね。クラファンとか、NISAとか。みんながやり始めたらやり始める。それと同じで、「よくわからないことはやりたくない」のだ。ちょっと前はみんな、ネット通販すら渋ってたもの。
どうもこの世は、「お金に関することは、完全にわかっていること(=常識として根付いていること)だけをやりたい」という考えが強い。とても堅実なことだと僕も思います。だから「お店に行って、あらかじめ設定された値付けに従って金額を支払う」ことはできるが、その外にあることはできない。「ジャッキーさんにお金をあげたほうがいいことは理屈ではわかるが、どうしてもそれを実行できない」という人(潜在的おこづかいくれ者)はけっこう多いのではないか。
「〇〇を受け取った代わりに(それと同等の価値があるとされる)□□円を支払う」ということにしか脳が慣れていない。それ以外のお金のやりとりはできない。「だって何ももらってないのにこっちがお金を払ったら損じゃん」とだけ思う。「自分だけが損するじゃん」と。
よく「気に入ったお店にはお金を落とさなきゃ」と言うのを聞く。なぜかといえば、そうしないとお店が潰れてしまうからであろう。あるいは、お金が少しでも多く入ったほうが、お店の人が健やかに暮らせると思うからだろう。しかし無条件に現金を渡すことはしない。普通のお店や個人であれば、その方法がわからないから、というのがある。「すみませんが銀行口座を教えてください」とはお客からは言いづらい。ただ、僕に関しては「おこづかい」ページという窓口があり、そこに郵便局の口座まで晒してあるのだ。そして「ぜひ振り込んでください!」という意味のことまで書いてある。僕や僕のお店が潰れるのが嫌だったり、僕に健やかに暮らしてほしいと願う人は、ぜひ無条件でお金を恵んでいただきたい!
しかし、上記のルートから定期的にお金をくれる人は未だ数名にとどまる。不思議なことだ。原価100円のドリンクに500円支払う人が、僕に無条件で100円あげるということさえ絶対にしないんだから。
どうしてドリンク差額の400円にはGOを出して、僕に100円を差し出すことにはGOを出さないのだろうか? ドリンク500円のうち、僕のふところに入るのは100円かせいぜい200円くらいのもの。だったら何もせずに100〜200円を払ったほうが、あなたが支払うお金は300〜400円も少なくて済むではないか、という考え方だって(多少無理があるものの)あるにはある。
夜学バーの木戸銭(入場料)は大人1000円であるが、この原価は0円といえば0円だ。でも常識の中に「席料」という概念があるからみんな文句言わず支払う。あるいは、あらかじめ相手が設定してくれているから「じゃあ、まあ」と支払う。
わざわざお店に来て、コーヒーを一杯飲むのに1500円かかる。交通費込みで2000円だとする。それはまあ支払う。しかし「ジャッキーさんにおこづかいをあげよう」ということで500円振り込むことは絶対にしない。なぜか? 「自分が何も享受していないのに、お金なんか払えない」と思うからであろう。
本当に何も享受していないのか? それは「ビジネス」という儀式が間にないってだけでしょう?
「ビジネスごっこ」を介さないと、お金を出すのが不安だってだけだと思いますけれども!
そんくらいみなさまの頭の中はジョーシキに毒されていて、その膿をわたくしジャッキーさんが吸い出してご覧に入れますので試しにお金をください〜って言うといよいよ詐欺師めいてくるけど、まさしくその通りそういうことを僕はずっと言っております。そういうふうに柔軟にしていかないと、「あなたが良いと思っているもの」は今後、世の中に残っていきませぬ。僕もこのホームページも夜学バーもなくなるか、やなふうに変質しますよ。
何度でも言いますが、夜学バーを今の形態で続けて、僕が儲かるお金はせいぜい月に10万円くらいです。所得税も住民税も、国民健康保険も、年金も引かれる前の額です。ボーナスもないです。昇給も当然ありません。未来永劫、このお値段です。続けられると思いますか? かわいそうだと思いませんか? どうしてお金をくれねースか、マサルさん?
それで常識的なあなたはこう思うのです。「だったらもっと儲かるやり方をすればいいじゃん」と。いや、それが「これ」なんですよね。これ以外に何がありますかね。お店でシャンパンを煽りますか? 邪悪な客でも金を払うなら優しくしますか? 僕がお店の中に住み着かせている美意識を、順次取り払っていきますか? それをすれば15万とか20万くらいにはなるかもしれませんね。でもそのお店に「あなた」は来ないわけですし、そういう人間の書く文章を「あなた」は読まないのではないですか。
これは僕が大げさでなく命かけて行っている実験なのです。夜学バーの店主として生命を全うするにはどうすればすればいいか、っていうと、今これを読んでくださっている「あなたがた」に手伝ってもらうしかないってことです。僕の言っていることややっていることは、なかなか人に伝わらない。でも伝わる人たちもいる。ありがたいことである。その人たちに「お金をください」と言うのが僕にとっては最も自然なことに思われるのです。人を騙してお金をもらうより、「ジャッキーさんの言ってること、やってることは立派だなあ」とちゃんと思ってくれる人に、「じゃあお金をください」と言うのが正道で、正直ってもんだと思うのです。お店やるのに適した土地と建物なんかもらえると超嬉しいです。もちろん売上を上げることも頑張りますけど、純利益を20万や30万にするのはかなり難しいと思われます。
だから、もし件の、お店に来て「ジャッキーさんはりっぱ!」みたいなことを言ってくださった方がこれを読んでいたら、改めて言いますが、お金をください。どうしてお金をくださらないのですか? 歩いて30分の距離を20分(家から電車に乗るまで10分、乗車時間5分、電車を降りて目的地まで5分)で行くために鉄道に200円払う人が、また夜学バーで数千円を支払える人が、僕に個人的には1円もくださらないのはなぜなのですか?(本当にこのことは多くの人に考えてみてほしいです。)
結局、「取引じゃないとお金は出せない」ってことだと思うんだけど、それをあほくさいと、僕はずっと思っているのです。お金ってそんな不自由なものなのですかね。
2022.9.14(水)〜20(火) 奈良公園のシカ
修学旅行の制服に〜 ついていこう〜♪
(山本正之/奈良公園のシカ 1993『才能の遺跡』より)
小5 中津川野外教育
小6 修学旅行 京都・奈良
中2 稲武野外教育
中3 修学旅行 東京・千葉
高1 稲武野外学習
高2 修学旅行 岡山(・広島)
上記が僕の小中高に経験した公教育による宿泊研修のすべて。
高2の修学旅行で僕は広島に行っていない。二日目の早朝に勝手に宿を抜け岡山港から小豆島に渡って遊んでいたら怒られて帰された。僕の修学旅行はそこで途切れ、終わっていない。顛末は
このあたりの日記を読むと少しはわかるかもしれないけど、恥ずかしいからあんまり見ないでね。
ちなみにその犯行予告はすでに5月の記事に見えます。
10月には修学旅行に行きます。
2泊3日で、2日目は終日判別研修(またの名をD研修)で、班ごとに好きなところに行けるのです。
まーしかし恐らくそれほどおもしろい所には行けないでしょう。
班の他の人たちがあんまりおもしろくない所を選ぶだろうし、おもしろい所は先生がダメって言うだろうし。
「おもしろい」「おもしろくない」ってなんだと突っ込みを入れられそうですが・・・
それにおもしろくない所に行って面白さを見いだすのは醍醐味でもありますからね。
でも、僕はせっかく中国地方へ行ったのに決められた班で決められた所に行くというのはどうも、我慢できません。
そういう考えの人が友達の中にも何人かいて、隙あらばみんなで抜けてどっか行こうかと言っております。
たぶん他の人が行かなくても僕は班からはぐれると思うけど。
しかしそれなら何処へ行こうか。中国・四国なら行けるだろうし、九州も行くだけなら行けるだろう。
とにかく6時までに岡山の宿舎に帰ればよいのだ。
やっぱアレかな。はらたいらと世界のオルゴール館。
だがこんな所で言ってたら完全に計画犯罪がバレてしまうなあ。停学か。
先生、これ見ても見ないふり、黙っててください。(笑)
当面、来週の稲武野外学習センター忍び込み計画(1年生が宿泊している所へ行って、寝込みを襲う)で停学に・・・
ならないよなぁ、さすがにそんなことじゃ。
ただし物凄い叱られるだろうな。まあいいや。右から左だ。
最近どうも死んでしまおうか位の勢いでね。
なんだか本当に消えなましものをって感じで、なんとなく死んでしまっても・・・というか消えてしまってもいいかなと。
人間いつでも死ねる気になればなんでもできると言いますが、まあそれに近いものはあるかも。
生きることに意味が見いだせない、というわけじゃない。
ただ、死を否定する気持ちが全くなくなったというだけ。
(2001年5月10日の日記より)
なんかネガティブなことも書いておりますが。これで本当に実行してしまうからこのジャッキーさんという人はネジが飛んでいる。
「停学か」との予想はほぼ当たり、修学旅行のあと僕は無期限の出席停止(謹慎)を受ける。ただこれは「停学」という扱いではないらしい。話によると停学にしちゃうと教育委員会への報告だか手続きだかなんかが必要になって、僕にもなんらかの「バツ」がついちゃうため「出席停止」ということにしたのだとか? よくは知らない。逮捕勾留はされたけど不起訴で前科つかないみたいなものだと思う。
引用にある「稲武」というのは愛知県北東部の山奥。長野県との境らへん。名古屋市立中高の生徒は必ずここで合宿を行う。僕は異様に稲武が好きで、プライベートでも何度となく自転車で訪れている。まず高1の秋、母校の中2が稲武に行くタイミングに合わせたのが初(
2000年9月20日の日記参照)。高2の春、上記の日記を書いた1週間後にも行って「稲武野外学習センター忍び込み計画(1年生が宿泊している所へ行って、寝込みを襲う)」は実現された(
2001年5月17日の日記参照)。
「忍び込み計画」は本当に楽しく、刺激的だった。日記には書いていない後日談として、T橋くんとの友情はその後も続き、2年生からは僕と同じ演劇部に入部した。また先生からは「オザキ、お前稲武に来ていたらしいが……本当か?」とたずねられた。「そんなわけないじゃないですか! 稲武ですよ稲武! あんな山奥行けるわけないじゃないですか!」みたいに押し通したら、「そりゃそうだよな……」と話が終わった。お咎めなし。非常に痛快であった。
宿泊研修とか修学旅行ってのは、僕にとってそういうふうに楽しむものだった。それは明らかに狂っていて厚顔無恥。上級生が下級生の合宿に勝手に参加するなんて正気の沙汰ではない。カードゲームの大会で小学生に混じって大人のオタクが参加して優勝しちゃうみたいな煙たさもある。パパから将来の夢を問われたのび太が「ぼくはだんぜんがき大将になる!」と宣言するヤバさに近しい。(6巻「夜の世界の王さまだ!」参照)
そういうところがコンプレックスだった時期もあるけど、今はもう開き直っている。だってそういう子だからなあって。橋本治さんが「ブスの定義は、自分をブスだと思っていること」みたいなことを確か言っていたけど、それに近くて、なんだって胸を張ってやれば成立する。オドオドしてると「成立」しない。
これより先、この記事に書かれることはすべてフィクションである。真実は1ミリたりとも含まれていない。
お昼ごはんはよく行く食堂で700円の日替わりランチ。10枚綴りのランチ食券が6000円なので、いつも欲しいなと思う。近くの喫茶店でコーヒーを飲む。330円。お孫さんらしき中学生くらいの女の子が帰ってくる。もっとずっと小さかった気がする。時は過ぎてゆく。
ごはんとコーヒーをいっしょしたおともだちにお見送りしてもらって空港へ向かう。NRT1505→OKA1810。自転車組み立てて空気入れて海岸線を走る。「海岸通り」というお店に行ってみる。空港から一番近いバーだと思う。バーと居酒屋の境目ってわかんないけど。
店名を風(伊勢正三)の曲名からとるほどのフォーク好きだというのと、マスターが写真家だということで、「おお文化的」と思って選んだら名店であった。お店やお客さんの雰囲気、コミュニケーションの感じもとてもよかった。初めての沖縄、せっかくだから泡盛をたんと飲む。途中からサービスで、10年〜30年の古酒(瓶熟成期間も考えたら40年以上のものもあった)をたらふく。結局8種類も飲んでしまった。
最初は「くら」3年古酒をソーダで。それから「珊瑚礁」5年をストレート。注文したのはそこまでで、そっからはすべてコース料理のように、15ml程度ずついただいた。以下メモ。「珊瑚礁」5年(タンクオーナー)、「かねやま」20年、「龍」(1988年、鍾乳洞貯蔵)、「おこげ」11年、「門外不出2019」13年(60度、36本限定)、「COR COR」(ラム、搾り汁)。
おつまみも沖縄ならではのものばかりでとてもおいしかった。名店。おすすめいたします。
それにしても、量は少なめとはいえ40度前後の酒ばかり8杯も飲むと大変だ。ひとまず宿に入って休憩。2550円で個室、バス・トイレも室内にあって綺麗。ほんの少し街から離れるが穴場だと思う。
「亜麻ちゃん食堂」で夕飯。味噌カツ定食とどて煮で1150円。すごく安い! というわけではないが、これが夜中まで食べられるのは実にありがたい。名古屋市名東区から移住してきた夫婦のお店で、僕が大曽根出身だと言うと喜んでくださった。お米に「ゆかり」がかけてあるのに感動!
ブックパブ「いちほし」というところに行ってみる。いろいろ調べてみたが那覇市には「本が置いてある飲み屋」みたいなものはほとんど見つからなかった。割と最近できたらしいこのお店はほぼ唯一そういうのを売りにしているように見えた。いわゆる「残黒」を水割りで。
「ずっと東京ですか?」「いえ名古屋出身で、進学で上京しました」「進学って、大学?」「はい」「有名大学ですか?」「えー……有名ですね」「有名大学……」
大学名を知りたがっているように思えたので、「あのー、さっきゴールデン街の話しましたけど、新宿の近くの」と言ってみた。「高田馬場あたりの?」「はい」
「このお店、早稲田の人が多いんですよ。引き合うのかなあ」
その時もう一人お客さんがいたのだが、その方も早稲田出身らしい。さらに2名ほど早稲田出身の常連さんがいるという。「この本を書いた子もね、早稲田で、うちによく来るんですよ」
その表紙を見て、思わず吹き出してしまった。説明が難しいが著者のFくんは僕のほぼ直系の後輩で、古くから交流がある。「えー、後輩ですよ」「マジでぇ?」「呼び出しますか」みたいな流れに。
とりあえず店内の写真を撮ってLINEしてみた。既読がつかない。「寝てるでしょうね」とマスター。お隣の方がお会計を申し出る。閉店も近いはずなので僕も支払いを済ませお店を出た。
奇縁であるな。LINEの履歴からするともう8年くらい会ってないようだ。しかしTwitterでこの日記のURLを貼った時なんかに「いいね」してくれるから、まあお互いにちらほら見ているんだろう。今回の旅はこのような「偶然の出会い」に充ち満ちていた。本当にすごいからまあ嘘だと思って最後まで読んでください。たぶん長いけど。
0時。「BAR STEREO」というお店が1時閉店とあるので、行ってみることにした。泡盛を飲みすぎてもうそんなに飲めなさそうだし、明日も早いから1時くらいまでがちょうどいい。松山から栄町市場へ。那覇の繁華街をほぼ横断するかたち。
何を飲もうか、やはり泡盛か。しかしウィスキーで終わるのもいいな。などと思って酒棚を眺めていると、電話が鳴る。件の後輩であった。「いまタクシー捕まえるところです!」「あーでももう僕お店出ちゃったよ。別のお店で飲んでるよ。来る?」「行きます!」「安里駅の目の前のステレオっていうバー」「わかりました!」
すごいスピード感。さすが早稲田の極北サークル出身だ。難しい説明をあえてすると、まずOさんという人がいて、この人が学内でトチ狂った感じの「企画」をたくさんやっていた。僕は2年生の終わりに「うまい棒3000」というイベントにたまたま行って暴れ回り、のちに「ジャッキーだけはガチ」とOさんに言わしめる爪痕を残した結果、いつの間にかあれこれ一緒にやるようになった。(この日の記録はこの日記にも残っておりますが、あえて貼りません。)
この集団は「サークル」ではなく、あくまでも「企画を立てる個人とその協力者」という流動的なもので、それが僕には心地よかった。面白いと思ったら手伝ったり参加するし、そうでもなければ別に行かない。なんとも気楽な付き合いであった。
ただ、そのOさんが卒業するくらいのタイミングで、「この感じは持続可能にしておいたほうがいい」という雰囲気になったんだと思う(この辺の事情はよく知らない)。たぶんちょうどその頃、学生会館のとあるサークルの部室が乗っ取れそうな感じだった(すごい話だよね)ので、せっかくだからサークル化してそこを根城になんか面白いことやっていこうぜ、みたいなのもあったんじゃないかと思う。僕が4年生の時にイキのいい1年生が少なくとも4〜5名集まっていて、彼らがめちゃくちゃ優秀だったため存続が確定したといえる。ここが「サークル化第1世代」と言ってよく、例のFくんはそれよりちょっと下のこれまた優秀な世代の一人なのである。
つまり「サークルの後輩」なのだが、ややこしいことに僕は「サークル」に入っていたという感覚は一切ない。Oさん時代からだいたい同じ距離感でいる。面白そうな企画なら行くし、たまたま大学近くを通りかかれば用もなく部室に寄っていた。最近だとOさんのバーで顔を合わせたりもたまにあったり。
正確に説明するのは難しいが、まあ一般的な言い方をすれば「サークルの後輩」。でもなぜか「彼はサークルの後輩です」と言うのには激しく抵抗がある。サークルにした方がいろいろと便利だからそうしたんだけれども、そもそもはサークルではなかったのだ。まあそれはそれ。
Fくん到着。それまで「うっちん茶」を飲んで待っていた。彼はジムビームハイボールの超でっかいのを、僕は泡盛を注文。「神谷」と「金丸」を選んでいただいた。閉店時間は目安に過ぎぬらしい、3時近くまでいた。
「風呂入ってました、気づかなくてすみません! いきなりあの写真だけ送ってくるのは粋ですよね。まさかジャッキーさんに会えるとは思ってなかったんで、めっちゃ嬉しいです!」
勢いよくゴクゴクと酒を飲む。本当にこの団体の人らはよく酒を飲む。僕もよく飲んだし、今も飲んでいる。
「めちゃくちゃ緊張してるんで! とりあえず酒飲みますね!」みたいな感じでどんどん行く。話をしていくと、確かに本当に緊張しているようだ。いわく、10年ほど前に僕が彼に「大説教」をしたことがあって、それがものすごく心に残っているらしい。その時に彼は「それまでのよい子ぶった自分の皮」をバリバリと剥がされた、とのこと。言われるまで忘れてた。めっちゃ簡単に言うと、ある人が死んで、そのことに対する彼の態度がどうしてもちょっとそれはねーだろ、って感じだったので、「お前なーこの期に及んで」と叱ったのだ。誓って言いますが僕はあんまりそういうトーンで人に話さない、かなり例外的なこと。やっぱ人(これも僕の仲良かった後輩)が死んでますものでね。
僕なりに振り返って、いったいどういうことに対して怒ったのかを分析すると、たぶん「自分の言葉で喋ってない」ってことだったんでしょうね。「借り物の言葉」でしゃべる人ってほぼ100%保身のことを考えているので、「お前なー」ってなったんじゃないかと思います。その時の彼はたぶん意図せず、「どこかで聞いたような言い回し」をしていた。「どこかで聞いたような言い回し」によって、「自分のオリジナルの気持ち」を表現し切れることなんて絶対にない。そんな都合のいい一致があるわけない。あるとしたらどんだけ陳腐な内面しか持ってないの? ってことになる。
「わたしの内面はこのように陳腐なものでございます、こちらでどうかお許しください」と、陳腐な言葉だけ外に出して見せ、中身は隠して逃げようとしている。それは「自分を知られることが怖いから」と「自分を知ることが怖いから」のどちらか、あるいはその両方しかない。
自分の内面を正確に表現しようと努めず、一般論や凡庸なセリフで済まそうとするってことは、相手か自分かをケムに巻いて誤魔化そうとしてるってこと。他人や自分と向き合おうとしないってこと。だから僕は聞いたようなことばかり言う人が今も昔もすっごく嫌い。正確にものを伝えようって気がてんでないってことだから。
「え、お前はあんなことがあったのにまだ他人とも自分とも向き合う気がないってわけ?」みたいなふうに僕は思ったんでしょう、その時。言葉の具体的な内容よりも、おそらくだがその奥にあるそういう逃げ方、隠し方が僕はすごく嫌だったんだと思う。多分だけどもね。もう10年前のこと。でも最近似たようなことがあったから、そういうことなんじゃないかなと思ってる。
彼とまともに喋った(?)のはたぶんそれ以来。偉そうな言い方だけども、それなりに立派になっているように思う。なぜならば僕のことを的確に褒めてくれるからね……。何を言うとんじゃこいつ、と思われるかもしれないけど、僕のことを的確に褒められる人ってのは本当にすごい。だってどこを褒めていいかよくわからないじゃない、ちゃんとわからないと。
何より嬉しいのは、何年会ってなかろうと僕のことを「先輩」だと思ってくれていること、忘れずにずっと気にしてくれていること、そして連絡したらちゃんと会いにきてくれること。そういうところがこの人の「人たらし」たる所以のところなんだけど、素直に喜んでおく。それが一種の技術でもあるってことは当然彼も自覚しているし、僕がそのことをきっちり言語化することもきっとわかっているだろう。頭がいいんですね、お互いね。
別にそんな辛気臭い話ばかり2時間もしていたのではない。むかしの話なんかしてゲラゲラ笑ったり、いわゆる旧交をあたためるって時間もあったし、ちょっと真面目な話にもなった。結局寝るのが4時くらいになってしまったが、充実した夜であった。ありがとう。また遊んでちょ。
モテるモテないの話とか、ヒモまわりの話とかは、けっこう価値観というか感覚の合うところがあった。かわいこぶって生きていこうぜ、おれたちは。
雨だったので「おもろまち一丁目」から「運天港」までバス。晴れてたら名護からは自転車とも思ってたんだけど。でも結果としてはバスでよかった。島でけっこう走り回ったから、体力を温存しておいて大正解。寝不足だったしね。
島。そう島! 伊平屋島に渡ったのだ。7時すぎのバスに乗って寝れるだけ寝て、9時21分に港着いて四角いおにぎりみたいなの買って食べてから畳の座敷でまたちょっと寝て、11時に出港、フェリーの中でもぐうと寝た。あんまりお布団じゃないところで寝るのは得意じゃないので難儀したけど。とくに飛行機やバスは全然寝られない。
12時20分、前泊港着。自転車を組み立てる。日差しがすごい。実は大切な帽子を「海岸通り」に置き忘れてしまっていたのだ。日焼け止めにサングラス、UVカットのマントみたいなんは装備したけど、帽子がないとかなりきつい。どっかに落ちていないかなと思いながら走り、共同売店にも2軒寄ってみたけどどこにもない。我喜屋集落の山羊を横目に宿泊先のペンションへ。
宿のおじさんは芝刈り中、「5号室」と言われてとりあえず中へ。外から施錠できないシステム。つまり外出時に部屋の鍵は絶対に開けっぱなしになる。すごい!
芝刈りが終わるまでお金も払えないので、とりあえず島でのスケジュールを立てる。コーヒーが飲みたいのにカフェは休業中。とりあえず泳ぐかと決めた頃におじさんがきたのでお金を払う。帽子を貸してくださった。非常にありがたい。なかったら顔がただれて溶けていた。
南に走る。暑すぎる。途中島尻で売店に寄って、150円の水泳帽と、四角いおむすびみたいなのを買う。米崎ビーチ着。更衣室とシャワー室のある建物はまるで無人で、おそらく問題なかろうと水中メガネだけお借りする。海岸も無人。服を脱ぎ、あらかじめ下に着ていた水着姿に。いやー、こんな綺麗な海で泳いだのは初めてですね。とても最高でした。おむすびを食べました。しおの味がした。自撮りしたり、泳いでるところを動画で撮ったりなどしてはしゃぎ回る。一人ぼっちになる練習してるの。孤独に遊んでも心から楽しい、これ孤高の真髄なり!
30分か40分くらい遊んで上がり、シャワー浴びて長い橋で野甫島に渡る。「世界の塩博物館」という建物を見つけてフーンと思っていると、どうやらコーヒーが飲めるらしい。助かった!
野甫島を一周。あまりに景色が良いのでツイキャスで走行配信しようと思って始めたら圏外になって終わった。そうなんですよね。絶景であればあるほど、生配信は難しい。以前も峠越えの生中継しようとしたらいいところでプツッと切れた。さみしいが、これでいいとも思う。孤独の中でしか得られない感覚というのはある。美しさの中で孤独であることは敬虔さ。もちろん孤独の外でしか得られない感覚だってあるんだけどもさ。
帰路、大橋を渡る途中、車から降りて6人くらいのサングラスした若い女の子たちが記念写真を撮っていた。また浜辺では海水パンツ履いた上半身裸の若い男の子たちが5人くらいで野蛮に棒を振り回していた。よく見るとすれ違う車の中に高校生くらいの人たちを乗せているのがちらほらある。民家の庭にもバーベキューの準備かなんかしているのを見かけた。これらは修学旅行の班別行動だったらしい。この島には高校がなく、十代後半の人間がほとんどいないという。40軒以上の民家がそれぞれ修学旅行生の宿泊を数名ずつ受け入れているそうだが、交換留学みたいな側面もあるのかもしれない。
疲れきった。いったん宿に戻り休息をとる。
陽が落ちて暗くなり始めたころ、夕飯を食べるため外に出た。ついでにぶらぶらと島内を散策する。またも修学旅行生を受け入れているらしい民家を発見。ぼうっと眺めると、なんだか見覚えのある顔がひとつ、ふたつ……?
目を疑った。まさか? いやそんな? 逃げるように彼らの視界から退き、混乱しつつドキドキしていたら、あちらも何かを思ったのか、ふたりの若い女の子が庭先の門からヒュッと出てきた。「あっ!」「えっ?」「信じられない!」
那覇市でたまたま入ったバーの常連が大学の後輩だったりするように、離島でたまたま会った修学旅行生が仲のいい友達だったりも、するようなのである。とりあえず記念写真を撮った。いやー、こんな偶然があるものなのだなあ。
一人は本当にとても仲の良い人で、もともとはそのお父さんと僕に長い付き合いがある。父娘ともども僕のホームページの読者、いやファン、いや信者?(そう冗談まじりに娘はよく言っている)。もう一人はお店に来てくれたことがあるし、こないだ文化祭に遊びに行った時にも顔を合わせた。二人とも僕はLINEさえ知らないが、運命は電波よりも強いというわけであろう。
あんまり長いこと遊んでいると何かしら問題(いや問題なんか何もないとは思うが)に思われると嫌なので、早々に立ち去る。そこは僕の泊まっているペンションから自転車で数分の距離。おそろしい話だ。世界はせまい。
「海岸通り」のマスターからおすすめされた居酒屋へ。ヤギのマース煮、玉子丼さしみ入、魚ざ(魚肉の餃子で、皮には野草が練り込まれていて美味しい)を食べた。オリオンビールと「照島(伊平屋米)」という泡盛を飲んだ。ヤギはたぶん3人前くらいあったし、魚ざも一枚で10個も載っていたので、すごく時間もかかったしお腹もはちきれんばかりになった。スナックにでも寄ろうかと思ったけど、食べものもお酒もたくさんだと思ってそのまま帰ることにした。ストーカーのように例の民家前をあえて通ってみると、なんと、ちょうど星でも見に出ていたのか、数名の修学旅行生たちが門の前に出ていた。シュッとそこを過ぎる時、「あっ!」という声が聞こえた。他の人になんて説明したんだろーか。
僕も星を見ようとペンションの外のいっちゃん暗いところに寝転んだ。『まなびストレート!』5話のめぇたんみたいにふわっと視界が広がって、身体が浮くような感覚になる。立って見上げる星空と、寝転んで眺めて見えるものとの間に、どうしてこんな懸隔があるのだろう? あまりに美しい。
夏の大三角形のはくちょう座、こと座、わし座の構成要素がはっきりとほぼすべてわかる。カシオペヤ座から北極星を割り出す。こんだけ綺麗だともっともっと星座を覚えたくもなるな。日ごろはそうでもないからあんまりだけど。でも近所でいいスポットやっぱちゃんと探そう。
ひとしきり星を見てから、いったん宿に戻って、15日付の日記を書いて、再び外に出たら月が出ていて明るくて、あんまり星が見えなくなっていた。
9時発のフェリーで本島に戻る。修学旅行生らも同じ便らしく、港に着くと民家の方々が海に向いて立ち並び、船上にいる子供たちと手を振り合っていた。そこをかき分けて進むと、また「あっ!」という声がした。僕を見つけた誰かであろう。
船内では往路と同じくフラットシート、すなわち靴を脱いで上がる椅子のない雑魚寝ゾーンへ。肉体労働の人たちが慣れた様子で寝っ転がっていて、その空いたわずかな隙間に陣取った。少し離れて老人たちがいたり、小さい子を連れた女性がいたり。もちろん修学旅行生もひしめきあって混沌としていた。
出港までiPad開いてこの日記を書いていたが、船が動き出すとあっという間に船酔いし画面を見ていられなくなった。そこへ知己たる修学旅行生がやってきて「酔い止めいります?」と言うので甘えることに。
修学旅行生たちは船の中で完全に自由行動らしい。彼らだけで200名くらいいて、そのほかにも当然乗客はある。300人乗りのフェリーがほぼ満席。とはいえ高校生の中に紛れて気配を消せるほどのごった返しではない。「あの子、知らない大人と仲良さそうに喋ってる……?」と怪しまれることは必定。別に悪いことをしているわけではないのだが、要らぬ波風は立たせぬが吉。
酔い止め薬は席にあるそうなので、高校生や教員たちがほぼ占拠しているエリアへ何食わぬ顔でついていく。彼女の隣の席には僕の知っている女の子(昨夜の子とは別)が座っていて、めちゃくちゃビックリされる。驚きはすぐ笑いに変わり、そしてスッと受け入れてゆく。流石である。酔い止めもらう。「大丈夫、なじんでますよ」と言ってはくれるが、なんにせよあまり長い間ここにいるのも具合が悪い。甲板の最上階に3人で上がってみる。荷物は彼女らの席に置かせてもらった。
階段を登っていくと景色がひらけ、さっきまでいた島の姿が遠く見える。進行方向の裏側のてっぺん。運転室の真後ろ。強風も陽射しもすべて船自体が塞いでくれている。そして見晴らしは最高。美の中に落ち着いた完璧な世界。サイドへ回れば風と光と海の恐怖がいっぺんに襲いかかる。アトラクション要素も満点である。3人で黙って海を眺めて、時に「虹?」とか「飛び魚!」とかつぶやいた。
ポールや手すりで踊りつつ他愛もない話がゆったりと続く。最上階ゾーンは狭く、ちょっと広めな踊り場くらい。人は常に10人もおらず、何人かはずっと寝ていて貸切みたいな時間もあった。喋ったり黙ったりチェキ撮ったり。
すっかり油断していたら、ある先生が声をかけてきた。女の子の一人が即座に僕をさして「いま仲良くなった人です」と言った。これはまあ正直にいえば嘘なのだが、結果として完璧に有効な嘘であった。かわいい生徒たちが、サングラスしてコーネリアスのTシャツ(©️←初期型、緑)を着ている謎の痩せ男にナンパされてると思って、心配で声をかけたのだと思うが、それを瞬時に見通し(?)先んじて牽制した彼女は実にえらい。深入りされたら「コーネリアス着てたので話しかけたんです」と言うこともできるし万全。事実二人ともファンなのだ。先生はしばらくそこであれこれ話していて、僕は逃げるでもなくぼんやりとそこにずっといた。怪しいような、別に怪しくもないような、不思議な態度だっただろう。先生は他の生徒にも声をかけつつ、しばらくして降りて行き、2度とこなかった。別の先生が上がってきたりもしたが、特に声をかけられることもなかった。「念のため監視」くらいの枠には入っていただろうか? わからないが、とりあえず生徒と他の乗客の自主性を重んじるいい学校だとおもいました。
自主性といえば、血気盛んな高2の男女約200名を高速フェリーの上で自由行動させるって本当にすごいと思う。柵なんて腰の高さくらいなのに。ちょっとふざけて海に落ちたらまず間違いなく2度と帰ってこられない。揺れも結構あったしスマホや財布くらいなら落とす人いそう。僕も大事な帽子やサングラスを死守するのに必死だった。生徒を信用しているというか、賭けに出ているというか。かなり大らかである。文化祭だって誰でも出入りOKな感じだったし。
文化祭の話をすると、その高校の2年生ふたり(いま甲板で遊んでくれてる子たち)と、他校の高3と中2がひとりずつ、そして得体の知れない大人(僕)の5人で、ジャマイカを模した(?)休憩所を半占拠してギター弾いてラララ〜とかやってても誰も気にしてなかった。自由の楽園なのでは? その自由さを利用しないのはけっこう勿体無かったりするのでは? なんてことを思いました。でもその「信頼に基づいた自由」を悪用して好き勝手やるやつが増えると、だんだん締め付けが厳しくなってきたりもするんで、バランスが難しいのではありますが。
実際、僕が修学旅行で怒られて帰されたあと、ものすごく宿の監視やら何やらが厳しくなったそうで、それで「尾崎だけは許さない、おれたちの楽しい修学旅行が台無しだ」といった声が当時あった。とても申し訳ないと思う。向陽高校という美しき温泉に泥を投げこんだようなものだった。
それにしても船の上の1時間ちょっとは、生涯でも数え上げるべき美しいシーンだった。僕はもちろん、自分が高校2年生の修学旅行で宿を抜け、小豆島に渡った時のことを考えていたのである。その時も朝のフェリーで、光景だけなら同じくらい美しかった。しかしそれは違法であり、悪さのスリルによる割り増しもあった。今回は完全に(!)合法で僕は島に渡り、堂々と胸を張って帰ってきたのである。
僕の修学旅行は1日目で岡山に泊まり、2日目の朝にはフェリーで小豆島に渡り、いつの間にかそこは沖縄の伊平屋島であった。夜には新しい友達と同じ星を見て、3日目の朝にまたフェリー乗って帰ってきた。みんなと笑って、はしゃぎながら。心に住んでる修学旅行は20年かかってここまで育ち、ようやく想い出の眠りに就ける。
いつまでも自分勝手なことしか僕は言わないのだが、これが僕にとっての「反省」なのだろう。一般的、常識的な言葉は遂に言えなかった。あの時も今もだいたい同じことしか考えていない。ただ成熟し、洗練したというだけ。それぞ「永遠に楽しい」ということなのだ。
僕の20年間は修学旅行を正当化するためにあった。何がいけなくて、何ならよかったのか。その帳尻合わせのために生きてきたのかもしれない。僕はおかしい、頭がおかしい、それは仕方ない、じゃあどうすればこのままこの世で、楽しくみんなと生きていくことができるんだろうか?
中学生のとき、植芝理一先生の『ディスコミュニケーション』読んでYMOを好きになり、坂本龍一『SELDOM-ILLEGAL』を読んだ。副題は「時には、違法」。挑発的なタイトルである。村上龍の『69 sixty nine』を読んだのはこの本からの流れだったんじゃないかな。
違法でも良いことはあるし、合法でも悪いことはある。その見極めや扱いが上手になることが僕にとって一番必要だったんだと思う。その訓練をずっとやってきた。伊平屋島からの船上で僕は、その卒業試験を受けているような感覚だった。一問、一問と解けてゆく、幸福。みんなありがとう。
まもなく港に到着する。座席に置いてきた荷物を持ってきてもらって、昨夜記念写真を撮った子にも挨拶を交わす。呆れ顔で笑っていた。海と最後のお別れを交わす。写真もまた撮る。やがて着港し、ほんわかと離れる。
修学旅行生たちとは別の出口から降りて、自転車ガラガラ引いて口笛吹きながら出口へと向かった。その姿もバッチリ写真に収められていて後で見せてもらった。さすがである。写真展やりたいレベルですね。番号を指定すると焼き増ししてもらえるの。
僕も振り返って写真を撮った。フェリーさん、さようなら、お世話になりました。パチリ。
バス乗って2時間ほど、「琉大入口」で降りて自転車組み立て、琉球大学へ入ってゆく。大自然の中にぽつぽつと建物がある。「ここは大学だ! 大学がジャングルになっているんだ!」(参考文献:藤子不二雄『みどりの守り神』)田舎の大学ってけっこうこうだよね。6月に東京農大のオホーツク校(網走)行ってきたの思い出した。そこでも学食食べた。琉大でも学食食べた。北から南まで。趣味なのだ。
おおなんと僕の大好きな「戸山方式」ではないか! 早稲田大学の文キャン(文学部キャンパス)にある戸山カフェテリアと同様のシステムである。すなわち、まず並んでいる小皿を好きに取って、カウンターでお米や味噌汁、お魚などを口頭で注文して受け取って、トレイごとレジに持っていくとそこで精算されるという仕組み。いわゆる昔の「民生食堂」みたいな感じなわけですね。自由な組み合わせでメニューを構成できるので最高なんである。大学芋、パンナコッタ、カレー、味噌汁、オクラと温泉卵、鯖の煮付け、シーサラダ。調子に乗ったら900円以上。豪遊。
学内にある「放送大学沖縄学習センター」へ。「東京の学習センターに所属している学生です、なにか記念品などありませんか」と図々しく事務所に問い合わせる。うちわ(沖縄+九州版)もらって、そこにオリジナルスタンプも押した。放送大学に入ると各地のキャンパスで御朱印巡りみたいなことできるのです。楽しい。
炎天下、死にそうになりながら西原町をめぐる。
友人の出身地なのである。中学校、バイト先、小学校、幼稚園、実家(!)、近くの児童公園、そしてかなり遠かったが知念高校まで巡って関連施設をほぼコンプリート。はっきり言ってほぼなんの意味もない行為だが、他人の聖地めぐりはこれもまた僕の趣味の一つなのだ。本人いたほうが面白いには違いないんだけど、これはこれで。僕の聖地も興味ある人めぐってくださいね!(って言ってたらめぐってくれた人本当にいる。ありがたい。)
体力、というか日光受容量の限界を感じ「知念高校前」からバス乗って「開南」へ。宿にチェックイン。シャワーとお手洗いは共用だがドライヤーなどはちゃんとあり(島にはなかった)、施錠もできて(笑)ちゃんと個室だった。これで2000円なら安いものだ。
ゴロゴロしながら「どこ行こうかな〜」と思ってたら、近くの喫茶店がすごく良さそうで、あと40分で閉店とあったので急いで服着て出て行った。
コーヒーハウスマツダ。カウンター5席のみの小さなお店。マスターご高齢で耳遠く、手もずっと震えていた。お客のおじいさんと相撲中継見ていた。すごくいいお店。ホットコーヒーはマグカップにソーサ敷いて出てきた。300円。あまりに名店。みなさん那覇行ったらぜひ。
コーヒースタンド小嶺がお休みしているのを目視して、喫茶スワンへ。48年の歴史とのこと。おじいさんがカラオケ歌っていた。『美わしの琉球』いい曲だ。煙草も吸えるし(僕は吸わないけど)食事もできるしなんだってあるんだぜ。コーヒー400円。素敵なお店だった。また行きたい。
宿のとなりにある「サライ」というお店でぜんざい頼んだら、かき氷が出てきた。ホットとアイスがあるというのは、そういうことか。沖縄のぜんざい文化もっと知りたいな。おいしかった。いったん荷物を整理して、ごはん食べにゆく。「どらえもん」というお店で「どらえもんそば」食べた。もちろん名前で選んだ。壁時計がドラえもんだった。
おととい(水曜)帽子を忘れたバー「海岸通り」へ。「さっき妻とね、夜学バーのホームページをひとしきり読んで盛り上がってたんですよ」けっこう気に入ってくださったようだ。お通しも、もずく、おさしみ、ピーナッツ豆腐など沖縄っぽいものをたっぷりと。お土産にタンナファクルーというお菓子(めちゃくちゃおいしかった)までいただく。かわいいぼく。泡盛は、伊平屋島帰りということで「照島マイルド」のずいぶん古い、丸いボトルのやつ。同じ酒造の「芭蕉布」10年。宮古島の「豊見親」、そして最後にまたラム、伊江島の「Santa Maria」。
大歓待を受けて帰るのは名残惜しかったが、時間もないことだしまた必ず来ようと心に誓ってお店を出た。2日前に後輩Fくんが酔っ払って「ジャッキーさん、もし2000円札が欲しかったらローソンが狙い目ですよ、端数がいいっすね、7000円とか9000円とか」と言っていたので、やってみた。9000円おろしたら確かに2000円札が4枚やってきた!
那覇の中心部から南のほうにいたので、近くになんかいいお店はないかと地図と睨めっこしていたら、「ここだな」というところが見つかった。PERMANENT VACATIONというお店。我ながらよく辿り着いたと思う。「初めての沖縄で、紹介もなしに来たの?」とものすごく驚かれた。これは自画自讃したい。音楽だけでなく漫画やその他さまざまなカルチャーが息づいている良いお店だった。しかも安い。そして店主さんも空間づくりがうまいというか、僕の好みのやり方だった。人や言葉を差別しない。差別はしないが判断はする。差別と判断の違いは、差別は「前もって」定められているが、判断は「その都度」行われる。おすすめします。
オリオンビールと泡盛、しまったここにきて銘柄を忘れてしまった。それとシャーリー・テンプルを。この旅、ここまでで泡盛15種類と沖縄産ラム2種類を飲んでいる。あとはオリオンの生と小瓶。
このお店のように「カルチャーめいた」場所はたぶん沖縄にはかなり少ない。ここを見つけられたのは最大の収穫かもしれない。でも知らないだけで、たぶんどこかにまだ潜んでいるのだろう。都市の奥は深い。また来るのがとても楽しみだ。
おりしも船上で遊んでくれた女の子ふたりがTwitterの「スペース」機能を使って喋っていたので、聴きながら水飲んで那覇の街を散策することにした。彼女たちはそれぞれ別の部屋に宿泊しつつ、遠隔で語り合っているというわけだ。おしゃべりは2時台のどこかまで続いた。僕はぐるぐると走り回った。国際通りの南側のアーケードや栄町市場もくまなく塗りつぶした。ブックスおおみねという書店が開いていた。いったい何時までやっているのだろう。さぬき屋という味のある古いうどん屋さんでうどん食べた。きつねうどん500円で激安とは言わないが、朝までやっているのは非常にありがたい。いや沖縄の夜は長い。ちょんの間と思しき「旅館」も見つけた。おばちゃんが入口に座ってた。飛田新地とかと似た形式なのだろう。
最後に入ったバーでは、「10年やってるけど飛び込みで来たのは3人めくらいだよ」と言われた。我ながらよく見つけたものだ。路面店だが入り口には店名も何もなく、よく見ると小さく「BAR」とだけ書いてあった。朝8時までやってるそうだ。こういうお宝のようなお店が街にはある。ジャックダニエルのライのやつのシングルバレルをストレートでいただいた。甘くて美味しい。
ところで、「自分はこういう信念を持ってやっています」ということをやたら語る人っている。信念なんてわざわざ口に出す必要はない。説明したがるのは自信がないからであろう。幸福な人は黙っている。幸福に自信のない人は自慢をしたがる。
こないだ友達を連れて入ったバーで、「お客さんと色恋やるバーテンダーもいますけど、自分はそういうのは一切ないですね。そういうのは自分が他の店に行ってやればいいんですよ」と、2回言った。2回言ったのである。しかもその話題を持ち出したのはこちらからではない。「マスターもぉ!お客さんとぉ!いい感じになることとかぁ!あるでしょぉお!」とか訊ねたわけではない。しかし彼はそれを2回言った。1回でもそれなりの違和感があったのに、なぜ彼は2回も言ったのか。そこには必ず何かある。よっぽど気をつけていても、ひょこっと出てしまう。こういうのは。僕だってたまにはある。(ゆえにあんま突っ込まないでくだちゃい。)
もちろん本題に関係があるならば「信念」を語るのにもそれなりの意味があろう。しかし「やたら語る」というのはすなわち本題からズレてまでそれを言うってこと。そこには必ず、何かあるのだ。
以上は詩として言いたかっただけ。さて3日目の朝。雨が降っていたのでモノレールで空港に向かった。普段なら雨でもなんでも合羽着て自転車で動くのだが、少しでも荷物を減らすため合羽を置いてきてしまったし、僕の持ってきた折り畳み自転車(キャリーミーの改造車)はけっこう滑りやすいし、モノレールに乗ってみたかった。こういうのは「信念をやたら語る」なのか? 少しはそうかもしれない。まあセーフといたしましょう。
10時55分に発つ便に乗る予定なのだが、「予約超過」のため夜の便に振り替えてくれたら5000円あげます、という掲示を見つけたので、申し出てみた。仕組みがよくわからないのだがその可否はギリギリにならないとわからないらしい。通ればボーナストラック、あと半日遊べるドン! 修学旅行生たちはお昼ごろ那覇の真ん中、国際通りで自由行動になるそうだから、ワンチャン合流して遊べるドン! 空港でお見送りもできるワン! でも彼女らがどこにいるかを事前に知った上で自分から近づいていくのは、なんだか有罪っぽいドン! でも面白いからいいんじゃないか、ワン。なんて考えていたら「やっぱり振り替えいりませんので10時55分のに乗ってください」と言われる。なんやねん! ワン。ドン。
昼過ぎにセントレア(中部国際空港のこと)到着。名鉄で堀田まで行き、Cという大好きな喫茶店でイタリアンスパを食べる。食後のコーヒーを注文しようかちょっと迷う。次のお店でコーヒーを飲むことはほぼ確定だから。でもせっかく来たのだしやっぱコーヒーも飲みたくなって「コーヒーくざさい」を言って、やわらかなチョコケーキとともにゆったり楽しむ。ゴルフ中継なんぞ見ながら。
そして「街と珈琲」へ。こちらは夜学バーの開店からずっとコーヒー豆を送ってもらっている取引先でもある。マスターは小沢健二さんを敬愛する同志でもある。入り口近くのカウンター席でホットコーヒー飲んで談笑していると、ギイと扉が開いた。見知った顔があった。見知った顔があった?
それは東京の某喫茶店で知り合った、夜学バーにもよくおいでくださる方だった。なんで? え? ここはどこ? 東京? 名古屋だったはずだが? という表情をお互いに一瞬でした。こんな奇跡はありましょうか?
その人は名古屋にゆかりのある人で、小沢健二さんを聴く人でもあるので、「街と珈琲いいっすよ」とはかつて言った。つまり僕がこのお店を紹介したということではあるのだが、まさか東京に住んでいる人と、遠き名古屋で、同じ日の同じ時間に同じ場所で居合わせるなんてことがありますか? なんの打ち合わせもなしに。いや、あるんですよね。ちょっと前にも東京に住んでいる友達と鶴舞駅(名古屋)のホームでばったり会ったもの。
思えばこの旅行は偶然の連続である。たまたま入ったバーで大学の後輩の話が出て、呼び出して深夜まで飲んだり。たまたま!修学旅行中の友達と出会ったり、フェリーまで一緒の便だったり(1日に2便しかないもんね)。そして名古屋でもたまたま友達と遭遇するなんて。どこまでが本当? と聞かないでください。すべてフィクションと断ってあるはずです。でも本当に奇跡のような旅だった。
いま勢いで「友達」と書いたけど、「街と珈琲」で居合わせた方に対してかつてこの「友達」という言葉を使ったら、「え、友達? 友達ですか? 私はジャッキーさんを友達だとは言えません」みたいな反応をされたことがある。ちょっと傷ついたが、たぶん彼女としては、人間関係をジャンル分けしたり人をカテゴライズするのがやだってのもあるだろうし、あるいは自分はお客さんでジャッキーさんはお店の人だから、友達と言ってしまうのは本当に適切なのだろうかという気持ちもあったかもしれない。理解はできる。僕はその時「うーんなるほど」と思って特に何も言わなかったんだけど、すぐ後に「あー、あの時はこう言うべきだったな」という言葉が思いついたので、ついでだからここに書いておきます。「友達かどうかはさておき、僕はあなたのことがとても好きです」と。素敵じゃないか!
友達かどうかという判断は自分では下せない。なにしろ相手のあることだし。でも「好き」であるということは相手がなんと言おうがそうなのだ。どれだけ独りよがりの感情であろうとも。そう、独りよがりになりすぎて相手に負担をかけてしまう可能性があるので軽はずみにはあまり言えないんだけど、相手に負担はかからないだろうという、あるいは多少かかっても問題なかろうという賭けのもと、言ってしまう。
似てるのかどうか微妙な話だけど、「褒める」というのには理屈がいる。「これこれこうだからあなたは偉い」「こういうところがあなたはすごい」というふうに。しかし「好き」というのにはそういうのいらない。私はあなたが好きです。それだけはまず揺るぎないので、どうにか安心していただきたい。ここらへんのことはもうちょっと煮詰めていつか書くかも。(って言って書いてないことたくさんあるのですが、たいがい忘れています。気づいたら教えてください。すごく昔のやつでもいいです。)
偶然に出会う、そして僕は見る。それでここで君と会うなんて、予想もできないことだった! 神様がそばにいるような時間! 続く!(参考文献:フリッパーズ・ギター『偶然のナイフ・エッジ・カレス』、小沢健二『ローラースケート・パーク』)
偶然といえばこの日、「街と珈琲」では沖縄フェアということでオリオンビールと沖縄おつまみのセットが提供されていた。僕が沖縄から戻ってきたその日に! それを伝えたら、「実は8月末にやるはずだったのが延期になったんです」とのこと。なんという巡り合わせ。
そういえば考えてみると、僕がもし前に行っていた喫茶店でコーヒー頼まず、早めにここへ到着していたら、彼女が来るよりも先にお店を出てしまっていたかもしれない。偶然ってのは本当に偶然、ほんの少しでもズレていたら実現しないものなんだなあ。改めて。
というわけで、オリオンビールとおつまみのセットを注文。偶然に殉じて。となりの彼女もバナナジュースかなんか追加で飲んでた。オリオンビールが意外と中瓶で大変だった。急いで外出りゃ街に光るのはネオンサイン。
沖縄で名古屋料理を食べ、名古屋で沖縄料理を食べる。狙わずそうなったようでいて、すべて狙ってそうなっているようにも思える。常に何かを狙っているから、たまにどれかがヒットするって感じ。
沖縄でFくんが「ジャッキーさんの生活の解像度はすごい」みたいなことを言ってくれた。「街と珈琲」で行きあった(信州弁)人は、「ジャッキーさんはいっぱい種を蒔いてるから」というようなことを言ってくれた。どちらも同じような話。こじつけの能力を磨き、偶然の確率を上げてゆく。そうやっていろんな辻妻を合わせている。
この夜は栄で2軒ばかり飲み、早めに実家帰っていっぱい寝て、翌日は旧友のたかゆきくん(高校時代の日記によく登場する)とつねかわ行って、川で走り回って遊んで、マンションの一階に座って喋って、スガキヤ行ったりコメダ行ったり朝日屋行ったり、両親と触れ合ったり、最終日は南区を自転車でめぐって喫茶店研究したりして新幹線で東京行ってそのまま夜学。いろいろあったしそれこそ解像度ってんならずいぶん細かく生きたけど、また別のお話。あんまり長くなりすぎる。一言でいえば、友達ってのはいいもんですね。やっぱり。
こうして僕の修学旅行は20年かけて完結した。「行って戻ってきた」というよりは「ようやく花が咲いた」とでも言いたい。ここを彩る無数の花の一つ。たかゆきくんと仲良くなってよく遊ぶようになったのは中学2年生のときで、それから僕らは何も終わらず咲き続けてきた。どんどん美しくなりながらこの惑星はまだまだ回り続ける。あなたも当然この時間の一部なのだ。「わたしの世界とあなたの世界が隣り合い微笑みあえるのなら」(参考文献:Amika『世界』)。よろしく大好きなみんな。
2022.9.15(木) 立ち飲み屋にて(2)
昨日の続き。(1)ちょっと書き直しました。すでにお読みの方は復習がてらもう一度どうぞ。
「突き詰めましょうよ」と僕は食らいついた。そして「ところで、ちょっと前から僕のこと嫌いですよね?」と聞いてしまった。「嫌いではないです」とのお返事。「でも、なんだか嫌そうです。突き詰めましょう。」「では言わせてもらいますが」ということで、下記のようなお話があった。
まず1点目。実は(1)で書かなかったが、僕は初期位置から食器を持って彼の近くに移動したしばらくあとで、ふたたび食器を持って元の地点に戻り、そのまたしばらくのちに食器を持ってまた彼のところへ戻ったのである。それが彼には「信用できない」という印象を強く強く強く与えたようなのだ。
なぜ僕はいったん彼から離れたのか? その時彼は僕の左隣にいた。僕の右隣には70代くらいの男性がいた。僕と彼とのお話が白熱しきっていたころ、老人は僕らをクールダウンさせようとしたのか、「自分も子供に関わる活動をしていて」というお話を始めた。僕は過去にその老人と対面したことが何度かあって、彼は初めてだった。老人は僕ではなく明らかに彼に話しかけていた。その「活動」のチラシの紙も彼にだけ手渡した。僕のことはあまり気にかけず、ほぼ彼にのみ話しかけている感じに思えたので、「ちょっと失礼」という感じで食器を持って移動したのである。それが許せなかったらしいのだ。
そういうことか! と僕は膝を打った。なるほど。それを嫌だと思う人は確かにいるだろう。想像がまったく及んでいなかった。不覚であった。確かにそれは「逃げた」とも取れるし、「面倒ごとを押しつけた」ようにも思えるし、「途中で話を投げ出した」ようにも感じられるだろう。
ただ、僕としてはもともと「いったん中断」という心づもりであった。僕は「立ち飲み屋ってのはそういうもん」と理解していた。状況に応じて話がいきなり止まることもあれば、いきなり再開することもある。
「あの、ですね、それは本当に申し訳ありませんでした。言い訳をさせていただきますと、僕は立ち飲み屋での仕草というのはそういうものであると理解していたのです。あなたがこちらの方とお話が弾み始めた(じじつ彼は面倒がらずよく話を聞き誠実に相槌を打っていた)ので、いったんあちらの方々とお話をしに行ったのです。思い出してください、僕も最初は食器ごとあっちにいましたよね。つまり僕はただ、元の位置に戻っただけなのです。思い出してください、僕はそもそもあっちにいて、しかし遠くにいるあなたとお話が弾み始めたから、近くで話したほうがよかろうと食器を持ってお引越ししてきたのです。そしてさっき、あなたとこちらの方のお話が弾み始め、自分はやや蚊帳の外でしたし、あちらの方々ともちょっと交流がしたかったので、元の場所に一時的に戻ったのです。必ず戻ってくるつもりでしたし、実際戻ってきました。」
「それは私が尾崎さん、と呼び止めたからです。」
「(え?そんな記憶はないぞ。)いえ、僕は自分の意志でこちらに来ましたよ。」
※ここは見解の相違であり水掛け論になるのでお互い不問となりました。(参考文献:吾妻ひでお『失踪日記』『アル中病棟』)
「ともあれ、食器を持って移動するという行為に関して僕は、立ち飲み屋での動き方とはそういうものだと理解していて、一切悪気がないどころか、むしろ前向きな気持ちしかありませんでした。柔軟に場所を移動することによって様々な人と様々に交流できるのが立ち飲み屋の流動性の持つ醍醐味だと僕は思っています。一方、あなたは食器を持って移動するという行為に対して僕とは違う見解を持っており、嫌悪感を抱いた。これは認識の違い、価値観の違いです。それに気が付かず、気を配れなかったことに対して非常に申し訳なく思っております。どうかお許しください。」
↑実際このように丁寧に論理的に言えていたかどうかはさておき、理屈としてはほぼ同じことをお伝えできたと記憶しています。ただし、本日記の読者にとってできるだけ状況をわかりやすくするために意図的に付け加えた説明も多々あることを念のため付記しておきます。結果として僕は非常に誠実そうに、より頭良さそうに描かれております。いささか割り引いてお読みくださると幸いです。
以上の心を尽くした説明によって、少しずつ彼は心を溶かしていってくれたように僕には見えた。
彼が僕に対して違和感を持った、2点目。
「尾崎さんとお話をしていると、透けて見えるんですよね。」
「何がですか。」
「こちらの話に対して、共感する気がないという態度が透けて見えるのです。」
「僕は先ほどのお話(僕が念頭に置いていたのは、15年前から日本はアジアの中で〜誰かが責任を負わなければならない、というあたりのくだり)について、いっさい共感しませんでしたので、共感していないように見えていたのだとしたら、透けて見えたのではなく、正しくその通りに見えたのだと思います。」
これは「透けて見える」という言葉の揚げ足取りに過ぎず、非常に尾崎さんは意地悪だなと一方では思うのですが、でもこれはけっこう大事なことなのです。「共感していないのだから共感していないように見えて当たり前」ということを、意外と見落とす人はいると思います。
彼が僕に対してネガティブなイメージを持ったのはどうやら上記に端を発するようだったので、ひとまず僕は「見解の相違です」と熱弁した。そしてダメ押しに、このようなことを伝えた。2、3回に分けて伝えたことを一緒くたにして記述するので時系列には混乱がありますし、整合性を持つように上手にまとめていますので、実際の言葉とは違います。それは卑怯と思われるかもしれませんが、それでも僕は僕なりにこの出来事を保存しておきたいのです。なんか、高2の時に数Bのフィッシュこと山本先生にめっちゃ叱られたことを日記に書いた気持ちとほぼ同じ。どうしたらいいんだろう。いまだにわからない。今でもよく思い出すくらいだから、考えていないわけではないです。←あえて今さら実名まで挙げて引っ張り出すのはなぜなんですか尾崎さん? そういうとこですよ!
「僕はめちゃくちゃ頭が良いので、適当な理屈で誤魔化したり、詭弁ではぐらかしたりしてはおりません。あなたの言っていることもかなり論理的に正確に理解しているはずです。そのうえで、僕はあなたのことを好きです。そもそも僕や、僕のお店や、僕の書くものに興味を持ってくださったのだから、嫌われたり仲違いしたまま終わりたくありません。だから何度か『もうやめましょう』というような拒絶を示されても、食らいついて、ここから一歩も離れずにお話を続けているのです。そして、そんな面倒くさい僕の言葉に、あなたはずっと誠実に答え続けている。その点を僕は心から好ましく、嬉しく思いますし、すばらしい方だと思っています。」
ものすごく正直にいえば、これは「嫌われたくない」という強い想いからの戦略的な誉め殺し攻撃でもあるが、もちろん本心でもある。彼は真面目なのである。本当に誠実な人なのである。だからこそ、こうなっているのだ。僕がややこしいことをややこしい言い方でするのがかなり彼を混乱させたと思う。
僕の主観でしかないけど、彼はかなりこの辺りで柔らかくなっていて、たぶん僕のことをちょっとは好きになってくれていた。少なくとも「なんだよこいつ」までではなかった、と思う。そうであってほしい。
そんな雪解け間近の北の空へと徐々に向かっているかに思われたところで、くだんの老人が「まあまあ二人とも」という感じで話し始めた。またご自身の活動の話である。ここで僕は我慢ができなくなった。本当に悪い癖である。こないだフジテレビの「ラフ&ミュージック」って番組で松本人志さんが太田光さんに「Mー1の審査員やれへんの?」と言われて「やらないですよ、またこういう空気になるし。我慢できないんですよ、1点とか入れちゃいますよ」みたいなこと言ってたの。わかる! 僕はこの時そういう太田光さんみたいな感じになっていた。
何をしたかお分かりだろうか。ご老人が話し始めて10秒くらいで、食器を持って移動する仕草を始めたのである。流石にご老人も苦笑して「ちょっと!」とたしなめ、せっかく雪解け近く思えた彼も「そういうとこですよ!」と語気を強めた。
「ごめんなさい、我慢できなくて! 突っ込んでくださってありがとうございます。爆笑問題の太田光さんみたいに、どうしてもふざけてしまうんです。絶対これは面白いと思ってやってしまいました。すみません、もちろんギャグです。ツッコミが来ることを信じて、いや、祈っていました……。」
本当に「これは流石に面白い」と思って、止められなかったのでございます。
この後は、ご老人のお話をつつがなく、相槌うちながら12分くらい聞いていると、「ともかくね、人それぞれに価値観ってのがあってね、こっちの人はこう思う、こっちの人はこう思う、ってのがあるんだから、お互い柔軟にね、やっていくのがいいんだよ」と! すごい! つながった!
そして彼は「すみません、ずいぶん酔っ払ってしまって、頭が働かなくなってきました」と、お会計をしてお帰りになった。色んな意味で、このご老人(僕は実は〇〇さんと呼ぶのだが、この文章の中では便宜上「老人」「ご老人」で通した。そういうウソはいくつもある)には巨大な感謝を捧げます。
帰り際に彼は、「自分が幼かったです、夜学バーお邪魔すると思うので、追い返さないでください。本も読みます」(大意)と言ってくれた。たぶん、それほど僕のことを嫌いな状態では帰らなかったと思う。そうであることを祈る。僕はそれでも不安なので、「ありがとうございます! 『あたらよ』や『小バー』それから『初心』ぜひ読んでくださいませ、僕がふざけただけの人間じゃなくて、それなりにまともなことを考えている至極いいやつなのだということがわかるはずなので……!」と縋るように言った。こんなこと自分で言わないほうがいいのかもしれないけど、これも照れ隠しだし、本当に思っていることなので胸を張ってよく言う。あああ、何卒尊敬してくださいますように!(?)
ジャッキーさんごろって いつも こんなちょうしさ。
エピローグ。
この一連の様子をずっと見ないようで見ていた店主さんは、黙って(実際はなんらかの発声があったけど)日本酒をスッと差し出してくださった。そして一言。「わたしジャッキーさんのこと誤解してました。もっと啓蒙したい人なのかと思っていました。」け、けいもう!? そんなこと思ったことない(若い頃にも一切なかったかといえばはっきりと嘘ですがもう10年や20年はほぼないです)ですよ! シャア=アズナブルが「わたしは世直しなど考えていない!」と言うようなアレですよ。っとまあ、「仲良しは正義!」とか主張するのも一種の啓蒙なんだとしたら啓蒙だと思うし、「気づいていないことを気づかせる」みたいなことはしがちだと思うので、啓蒙それ自体はしてると思うけど、別にしたいわけではないと思う。
なぜ店主さんがそのようなことを言ったのかといえば、僕がどっと疲れ果てていたからでしょう。そして「ああ、こわかった。つらかった。心臓がばくばくした。でも最後はちょっと好きになってもらえた気がするからよかった」と素直に言ったからかしら。啓蒙したいんじゃなくて、歯を食いしばってがんばって人と関わって、結果としてそれが啓蒙みたいに側から見える時があるってことで、「したくてしてる」なんてわけじゃ1ミリもない。しなくて済むんなら一切したくない。でもなんでするのかっていうと、したほうがいいと思うから。なぜしたほうがいいと思うのかといえば、その都度考えて、「うん、これはやったほうがいいな」と思ったから。個別に。あらゆるケースに対していちおうはよっく考えて、したほうがいいと思ったらするし、思わなかったらしない。それをひたすらやっている。一個一個。ゆえに疲れる。のだと思う。勝手にやっててなんだけどねぎらってくだちゃい。会いにきて夜学バー、読みにきてホームページ。
2022.9.14(水) 立ち飲み屋にて(1)
9月は全然日記書けてなかった。ともかく忙しかった。何が? うーん。お店に出てたからかな。お店が終わると帰って遊んでテレビ見て寝てしまう。日中はなんだかその気になれなかった。『あたらよのスタディ・バー』という本を8月末に新しくつくって、それでいったん執筆欲(?)が落ち着いたのもあるかも。ところでこの本、まるで売れていません。いい本なんだけどな。手応えがないから糠に釘!って思っちゃって、はーちょっと休憩、いったん落ち着こう、みたいなのもありそう。
月曜、とある「立ち飲みのできる古本屋」に行って『あたらよ』と『小バー』を納品してきた。ついでに日本酒をいただく。うなぎの寝床みたいな細長いお店。少し離れて飲んでいた男性が僕に興味を持って話しかけてくださったので、食器を持ってその方の隣に移動した。立ち飲み屋の柔軟さ。醍醐味であろう。
その方の奥様が『小バー』をお持ちとのこと。ご本人も夜学バーの名刺をスマホケースに入れてくださっていた。こんなに嬉しいことはない。彼は「いつか子どもを主人公にした映画を撮りたい」とおっしゃっていた。それもあって、「子供を主人公にするお話を書いたり、お店で若い人と交流するのは、どういう想いからなのですか」というようなご質問をいただいた。
僕は熟慮した結果、いつも言うようなことを言った。まず「若い人をお客さんにしたほうが長いことお金を払ってもらえる」というビジネス的な側面。そして「若い人と友達になったら長いこと友達でいられる」という仲良し的な側面。
正直な話、これはうまく伝わらなかったのではないかと思う。どうも前者のニュアンスが強めに伝わってしまったような気がする。というのも、このすぐ後に二人はちょっと険悪なというか、すれ違いムードに突入するのであるが、その前後にやや批判めいたトーンで「それもビジネス的な視点からですか」というような一言をいただいたのだ。僕が「長いことお金を払ってもらえる」という表現をよくするのはこれが面白い表現(説明)だと思うからなのだが、真剣に文字通り、お金儲かる嬉しいウハウハ〜みたいな気分で言っているのだと思われることも多いような気がする。儲けたいだけならもっと別の道筋を考えますよ。でもそういう想像をしてはもらえない。相手は僕のことを「そのくらい賢い」とは思ってくれていないらしいのだ。(なんでなんだろう? こんなに賢いのに……。)←これもあえて書いている
(なんであえて書くのかっていうと、言外に「そういう想像をしないのはなんでなんでしょうね?」という含みがあることを匂わせたいからである。)←「想像力足りなくないですか?」とは言えないし、その書き方は決して正確ではないから、このような書き方に努めている。あくまでも僕が言いたいのは「あなたには想像力が欠けている!」という客観的、総合的判断ではなく、「あなたはそっちのほうには想像力を巡らせてくれていませんよね?」という個人的、局所的な「問いかけ」なのである
まそんなこたどうでもいい。ともあれ「長いことお金を払ってもらえる」という言葉は、確かにビジネスといえばビジネスなのだが、僕が僕の人生を全うさせるために必要なことである。儲けようというのではなくて、生存しようという話である。それがイコールだというのならそれはビジネスということでいいけれども、特に批難される謂れはないと思う。僕はこれからもみんなから少しずつのお小遣いをもらって生きていくつもりなのだ。「おこづかいをくれる人」は別に何歳だっていいが、10歳の人は15歳も35歳も80歳も含んでいる可能性があるのだから、できるだけ若いほうからターゲットにしていきたいというのはある。だって年上の人からしかおこづかいをもらえないなら、僕がとても歳をとった時に生存ができなくなる。生存のために、若い人に目を向ける、変な話、恩を売っておこうとか、友達になりたいとかも思うのである。
それをビジネスと呼ぶことはできるが、仲良しと言ったっていいだろう。つまるところ先述の「ビジネス的な側面」と「仲良し的な側面」とは僕にとってほぼ差がない。しかし後者を言うのは照れくさいから、照れ隠しのために「お金を〜」という言い方をちょっと強調する。それで誤解を与える。伝わる人には伝わるだろうが、伝わらない人には伝わらない。反省。のちに生かします。
もう少し詳しく。僕はたぶん普通の人よりお金に頓着していない。多くのお金がほしいと思ったことがない。お金のことを考えたくないから、できるだけ余裕のある暮らしをしたいと思い、努力している。これも伝わるかわかんないんだけど、すぐに手に入るお金のことを考えても楽しくないから、長い目で見て少しずつ入ってくるお金のことを意識しようとしている。それが「長いことお金を払ってもらえる」という表現につながっている。
僕は商売が下手だしビジネスが嫌いである。だから、できるだけそんなことを考えなくても済むように、「長い目で見て少しずつのお金を払ってくれる細いお客さん」を多く作ろうとしている。もらえるお金を最大化しようと思うなら、ちゃんとターゲットを絞って、その人たちが払える限界の額を払ってもらえるような仕組みを設計するべきだろうが、それが僕には楽しくないから、「若い人たちと友達になる」すなわち「将来どんな商売をしてもたぶん少しぐらいはお金を払ってくれるだろう人たちを増やす」ということをして、結果的にちょいちょいお金が儲かるようになればいいな〜と考えている、のである。(わ、わかるかな……。)
うーん、目先のお金を考えるとどうしても「商売」「ビジネス」になるけど、長い時間をかけて少しずつ少しずつお金が入ってくる、ということでいいのなら、「友達をつくる」という迂遠なことをしても人生は成立してしまうのではないか? という実験なのだ。うむ。こえー実験なんですよ。褒めてほしいし応援してほしい。それは『銀河鉄道の夜』(初期型)で博士が言うような「実験」。詳しくは『あたらよのスタディ•バー』を読んでちょ。
というようなことはたぶんもちろん伝わらず、もしかしたら僕は「若い人をシャブ漬けにして一生お金を搾り取り続けようとする悪徳者」という印象になってしまっているのかもしれない。誤解なのだ。僕はけっこういいやつなのだ。ちなみに「シャブ漬け」は時事ネタです>未来人
話を立ち飲み屋に戻して。彼は続けて僕に問うた。「子供の視点を大事にしているのですか?」(正確な表現は覚えておりません、ご了承ください。)
僕は考え込みながら少しずつ答える。「うーん……。子供の視点っていうんじゃなくて、全年齢に向けて何かを表現しようと思うと、やっぱり子供がわかるものを書きたいということになるというか。その本(『小バー』)の帯にも、《ちいさいころにわかっていたら、それからずっとわかっていられる。》ってありますけど、ちいさいころにわかっていたらそのままずっとわかってもらえると思うし、ちいさい人がわかることなら、それより大きい人もきっとわかってくれるんじゃないかなあ、というふうに思って、ちいさい人も大きい人もわかるものを書いたり、ちいさい人が来ても大きい人が来ても楽しい、面白いと思ってくれるお店にしたいと思っているのです。」
これこそ伝わったか、伝わらなかったか、わからない。
今度は僕が問いかけてみた。「いつか子供の出てくる映画を撮りたい」とおっしゃっていたので、「どうして子供に目を向けるのですか?」と同じ質問をしたのだ。
すると、「日本は少なくともこの15年くらい、アジアの中でリーダーシップを取れる存在ではなくなってきている。経済的にも政治的にも良いとは言えない世の中になってきていて、また環境問題などもますます深刻化してゆく。これは誰かが責任を負わなければならない。前向きなメッセージを次世代に伝えていかなければ。」というようなことを、確かおっしゃったと思う。
僕は「どうして誰かが責任を負わなければならないのですか?」「なぜそのメッセージを伝える相手が次世代、すなわち子供たちなのですか?」というような質問をさらに返した。
「では、誰も責任を負わないでいいんですか? そのままでいいんですか?」と彼は応じた。「え、いや、責任を負うってどういうことなんですか?」とか僕は返したと思う。このへんで僕はもうずいぶんいじわるである。筋が通らない、理解できないと思うことにはとにかく「なんで?」と返していた。彼の言うことには、どうもなんらかの「前提」があって、それを僕は共有できていない。それが一体なんなのかを突き止めるため、論理をどんどん遡ってゆこうとしたのだ。ソクラテスしぐさである。
「誰かが責任を負わなければならない」ということが、どうも彼にとっては自明の理らしいのだが、僕はその言葉が登場するまでの理屈をいっさい知らない。また「世の中が悪くなっている」と彼は思っているようだが、そのことも僕は共有できていない。
普段なら僕も、「ふむ、この人はどうも自分とは違った前提を持っていて、それを誰もが共有しているものだと思い込んでいるらしいな」とだけ思って、特に追及などしないのだが、この日は違った。なぜかといえば、話が前後して恐縮だがそのちょっと前に彼は、僕が「なんとなく」という言葉を使った際に、かなり批難めいたトーンで「なんとなくではなくて、突き詰めるべきだと思います」と言ったのである。僕はその「なんとなく」を譬え話の中で、本筋から少し離れた軽口として言ったつもりだったので、「あ、これ突き詰めるんですか」と脳がパッと深刻になり、「オウじゃあ突き詰めてやろうじゃねえか、おいらと突き詰めあったらどんだけめんどくせーか教えてやんぜ」モードに入ってしまったのでありました。やな人ですね。これだから「怖い」と言われるし、もしかしたら嫌なやつなのでは? と思われるのかも。いいえ僕はいいやつです(自己申告)。
で、なんで彼が「突き詰めるべきだと思います」と強めに言ったのかといえば、たぶんこの時にはすでに彼は僕のことをあまり快く思っていなかったのだと思う。最初はかなり快い相手だと思ってくれていて、だからいろいろ話しかけてくれたのだと思うが、僕とコミュニケーションを続けていく中のどこかで、「快くない!」と切り替わってしまったらしい。このことはのちに検証されますのでもうちょいお付き合いください。
僕がいじわるにも「なんで?」「なんで?」を繰り返していると、彼はついに「もういいです、やめましょうこの話は」というふうに拒絶した。僕は「あ、嫌われた」と思った(ここらへんで僕は心臓バクバクで、今にも涙が出てきそうなくらい怖くて心細かった)が、ここで退いたら永遠にこの人とは仲良くできない気がしたので、食らいついた。「突き詰めましょうよ」と、これまたいじわるに言ったわけである。ここらへん、言葉の時系列が正確ではないかもしれないが、大筋に誤解がないように書くよう努めているのでお許しください。
と、こんなところで中断してしまうとあらぬ誤解がありそうで怖いが、時間がなさすぎるので明日以降また続きを書きます。
2022.9.13(火) 不可逆だけどもさ〜♪;彗星
カントは死ぬ前に一杯の紅茶を飲んで言った。「これでよし。」(島本和彦『逆境ナイン』より※資料ナシ)
9月3日の記事に補足。一度そうなってしまったら、そうでなくなるのは難しい。しかし、彗星のように戻ってくることはできる。その「行って戻ってきた」ことは消えない。だから、「髪を長く伸ばしてみて元には何も戻らないと知るはず」なのだ。(参考文献:フリッパーズ・ギター『ラブ・アンド・ドリームふたたび』)
それだけを言いたくて、わざわざ前日の日付で書き始めている。今は14日。あと15分ばかりでNRTを追い。このあと別の日記を書く予定。素材は無数にある……。誰も光速では書けないのだろうか。
不可逆だけどもさ〜。「元に戻る」ことはできないんだけど、「そこへ戻る」ことはできるかもしれないという、とんちのような話。戻っても「待ち合わせたレストランはもう潰れてなかった」かもしれないんだけど。そこで目を閉じて息を吸うくらいは。
「もしも間違いに気がつくことがなかったのなら?」恐ろしい話だ。気づいたら修正せねばならない。しかし、気づいたのに知らんぷりして突き進む人もいる。気持ちはわかる。僕はかつて方向音痴なくせに「一度来た道を二度通るなど言語道断」とずんずん先に進み、結果わけのわからない道に入り込んで完全に迷子、ということがよくあった。人生がこうなってしまってはおしまいだ。今は引き返す勇気を持っている。
間違いかな? と思ったときに、引き返してしまったら「間違いだった」ということになる。引き返さなければ「あれは正解だった」という可能性が残る。そのわずかな希望のために、プライドを保護したいゆえに、人は進む。「だってもったいないじゃない」「ここでやめたらわたしの人生は、この時間はなんだったの?」気持ちはわかる。完全に無かったことにはできないし、たぶんしないほうがいい。その過去をすべて踏まえた新しい未来をつくっていかねばならない。面倒だからみんなはしない。
松笛くんは「世の中面白ければそれでいいのさあ〜」と歌っていた。なんでもいいから、そういうふうに自分なりの軸で生きていくしかない。
その「自分なりの軸」というものを見つけることができないと、「自分はあそこで間違え、そのまま進んできてしまった。だからこのまま(どこへとも知れぬ道を)行くしかない」となる。十年一日のごとき人は、「これでいい」と思えることがないらしい。
2022.9.3(土) 一度そうなってしまったら、そうでなくなるのは難しい
今日はドラえもんと楳図かずお先生のお誕生日。老いと若きについて最近改めてまた考えている。
もう午前3時なので簡潔にだけ。若いとか若くないとかじゃなくって、すなわち年齢とか何年生きたとかじゃなくって。重要なのはただ「一度そうなってしまったら、そうでなくなるのは難しい」ということ。これでかなり多くのことが説明できる。
「大人になる」ということでもなんでもいいが、人間の変化は原則として不可逆。一度そうなってしまったらそうでなくなるのは難しい。特に問題にしたいのは身体の老化ではなくて内面的なこと、例えば価値観、人生観。
一度そうなってしまったらそうでなくなるのは難しい。このことを本能的にかなんなのか聡い思春期は知っていて、ゆえに「変わりたくない」と強く願う。変わってしまったらおしまいだから。「忘れたくない」と思う。詳しくは『バナナブレッドのプディング』『櫻の園』『ラブ&ポップ』について僕が過去書いた内容を参照(若さゆえの拙さは大目に見てね)。
しかし「変わらないように」「忘れないように」と闇雲に努めるのは悪手。雑すぎる。うまくいくわけがない。人は変わるし、忘れるから。どう変わり、どう忘れるかが肝要なのだ。
問題は「一度そうなってしまったら、そうでなくなるのは難しい」ということなんだから、「そうなっても問題がないようなものになる」しかない。維持などできない、嫌でも変わらねばならない。だったらせめて素敵なものに変わってゆくしかないではないか?
人間は常に「変わりたくない」と願っている。身体と同じように内面にも恒常性がある。同じ状態を保持したいと思ってしまう。なぜか? そのほうが楽と思うからだろう。たとえ「未来のことを考えたら変わったほうがいい」と理解していても、変わらないのが楽と思ってしまうから動けない。しかし、現状維持というのは実のところ結構難しい。自己も環境もいつの間にか変わってく。
どうせ変わるのだから、変わることを前提とする心構えが必要と僕は思うのだが、「変わりたくない(変わるべきでない)」と頑固に思う怠惰さが人の心にはある。
時は戻らない。人間も戻るはずがない。歩行にたとえれば、後ずさりはできない。正しい一歩を踏み続けるしかない。足踏みするのも勿体無い。すばらしい一歩をひたすら踏み続ける以外に道はない。取り消しができないのだから。一度そこに足を踏み入れてしまったら、もう戻ることはできないのだから。
すべて内面の話。行動や来歴は別。
すなわちこういう散歩の話。
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