2000年9月後半の行い(Jacky)
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2000.9.30(土) 栗、栗ご飯、甘栗モンブラン~曙光さす地平線の彼方へ~
すんごい嫌なことあったのよ。
別にテストとかは全く関係ないの。むしろ古典とか80~90点くらい取れたんじゃなかろうかという勢いで。
そんなことじゃなくてね。
あんまり言いたくないことだから、言わないけどさ。
ひとつ嫌なことがあって、それは前々から嫌だ嫌だと思っていたことなんだけど、今回改めてそれが本当に嫌になって、しかももうひとつ、いつも何をしていてもつきまとってくるもっと大きなものもあって・・・
それですごいさっき不安定になってて。
誰かに聞いてもらいたくて、誰に聞いてもらうのがいいかって考えたら、また違うことを考えてしまった。
誰にそれを伝えれば僕は楽になるのか? そんなことはわかりきっていた。でもそんなことはできない。だから余計に辛くなる。
それでも僕にはたくさんの友達がいて、幸せだっていうことがわかっていたから、僕は誰かに助けを求めようと思って、携帯電話のメモリを調べた。
思い当たる名前はいくつかあった。でも・・・
僕はメールを打つことをしなかった。みんなJ-PHONEだし、打てばきっと返って来たはずだった。
でも・・・
僕が持ってるモノっていうのは、全然大したものなんかじゃないし、きっとみんなも同じくらいかそれ以上のモノは持っているはずだ。
それに・・・ 僕が今メールを打ってその人に余計なことを考えさせて、負担をかけるのが一番嫌だった。現に僕がメールを打とうとした相手のうちのひとりからは、今日学校で、直接「死にたい」なんていう言葉を聞いた。そんな時にわけのわからんことで頭を使わせたくはなかった、それは他の人に対してだって言えること。
というわけで、僕の心の中にできてしまったモノは、どこへも発散することもなく、僕はそんな中で勉強なんかする気になるわけもなく・・・
11時頃、PCをつけた。
最近は、チャットをする時間も少なくなってきたし、Eメールもそんなにしていない。
大好きな人たちはあんまりネットをしなくなっていく。
ネットに行っても出逢うことはほとんどない。
それでもインターネットは楽しい。気兼ねなく好きな話もできるし、普段ほとんど会わない人にも毎日のように逢える。
うん、悲しくなったらPCをつける。それで結構至福の時に変わったりする。
一時的な、ものだってわかってるけどさ。
勉強できなくなるってこともわかってる。
でも、今一番の幸せは、掲示板をチェックしてレスをつけること。いろんな書き込みがあると本当に嬉しい。たとえば「挨拶にかえて」についての僕の記事にともやりょうや添え木のレスが付いていたのは、すごい嬉しかった。語り合うことって、素晴らしいことだって思ったよ。
つーわけで、これからもカキコよろしく。まだ書き込んだことのないそこのあなた! 初めての人からの書き込みが管理人としては一番嬉しいのですよ!
ところで、「おはロック」について語りたくて仕方がありません。
一言で言うと、否定派ですので。
2008/09/09 これはもう、泣くしかない日記。「嫌なこと」ってのはたぶん家庭の事情で、「もっと大きなもの」っていうのは女の子のことかな。携帯を使って「個人」に頼ることは、遠慮とプライドが許さないから、とりあえずPCの電源を入れてとにかく「誰か」と繋がろうとする。っていう、あれです。この頃は本当にネット依存症だったよ。本当に普通の電脳少年でした。ちなみにおはロックは、今は大好きです! 超名曲だと思うぜ!
2000.9.29(金) こどもごっこ2~住み慣れたこの地を後に~
トイレにめがけて
全力疾走をする2人。
「ここ
とっぴ!」
「その便器僕が
予約してたんだもん!」
「僕のが
先に予約してたもん」
「僕なんか
一年前から予約してたもんね」
「僕なんか
生まれてからすぐ予約したもん」
「嘘つけ、いつした?
何時何分何秒? 地球が何回まわったとき?」
2008/09/09 …もちろん後ろの「せき」の彼です。文字にするとつまんないけど、こういうこと本気でやってる時って死ぬほど面白いんだよね。
2000.9.28(木) こどもごっこ~さあゆこう仲間たちよ~
今日、「むかしごっこ」をしました。
言い換えれば、「小学生ごっこ」です。
うしろの
×関の○席の友達と。
非常に楽しかったです。
けんかしてみたり。
おかあさんごっこしてみたり。
給食を時間内に食べられなくて掃除の時間に机が後ろに下げられた状態で先生とマンツーマンになりつつ泣きながら食べてみたり。しかもそれがよりにもよって時間割が四時間でみんなが帰ってからも号泣しながら食べてみたり。
昼休みに
おはじきをしたのも「むかしごっこ」の一環と言えます。
とにかくガキだ、ガキになりきるんだ!
「なんだよう、やめろよう」
「そっちこそなんだよう」
「あ痛っ」
「そっちが先にやったんだもん」
「ぼく先じゃないもん、そっちだもん」
(しばし叩き合う)
「もう、なんだよう~」(泣)
「うえ~ん」(泣)
「うえ~ん」(ごうなき)
(しばし号泣)
後、大爆笑。
おもしろすぎる。
高校一年生なんて、こんなもんです。
一年の前期に総務や室長になった人は、「総務」や「室長」としか呼ばれず、名前で呼んでもらえません。
うちのクラスの室長も、然り。
僕は彼のことを勝手に「まーちゃん」というあだ名(本名に関係なし)で呼んでいるのですが、さすが名前を呼んでもらえないことを不憫に思い、
【室長を『山田君』と呼ばれさせてあげようの会】を設立。
なんとしてでも後期は彼を室長にしてはいけない。
ホームルームの時間、後期の役員決め。室長がまず決められる。
立候補がない。前期室長は「誰もやらないのならやってもいい」とのこと。やばいよやばいよ
つくづくだよ。
急遽役員会議。
「室長を“室長”と呼ばせたくないなら、
役名を“山田”にしたらいいんじゃないかな」
「つまり、
“各クラスの山田は、至急多目的室3に集合!”と」
「なるほど、確かに。いいアイディアだ」
「代わりに、
本名が“室長”になる」
「なるほど。ドラえもんの“先生”みたいなもんか」
そんなこんなを会議しているとやがて、黒板に
《室長 山田 副室長 P》と書き出される。やばいっす!
「ちょぉっとまったぁ~~~!」
リュウ・ホセイばりの待ったコール! もちろん僕です。
「室長を、山田君と呼ばれさせてあげてください!」
というわけで、
半ば強引にPくんを室長に仕立て上げて、山田君は「副室長」に!
おめでとう、まーちゃん、いや「山田君」! 僕はこの日を待っていた!
「ねぇねぇ、なんて呼べばいいの?」
そんな声が教室内をこだまする。みんな戸惑っているようだ。もう山田君を「室長」とは呼べないのだから。
幸せだ・・・
だが、幸せでない人が1人。
Pくんだ。
自ら進んで室長になったわけでもないのに、既にみんなから「室長」と呼ばれている。
「これからお前のことは“室長”と呼んでやるからな! 覚悟しとけよ!」などと言う輩も。
名前が剥奪されたのである。
彼はもう「Pくん」とは呼んでもらえないのだろうか。
帰路につく彼の背中は、どこか寂しげだった・・・
合掌。
そうかと思えば、超幸せそうな人もいる。
誰とは言わないけど。
なんか、ほとんど面識のない某僕の友達に、ぞっこんLOVE(謎)なのである。
かわいい・・・(笑)
照れてるところが、まじで笑える。
だって、その友達のことはめちゃくちゃよく知ってるから、どうしても爆笑なのであります。
からかいがいがあるぅ~
あ~、今日は良く爆笑したな~、テンション高かったよ。
って、こんなことしてる場合じゃない、アレだ、あのなんだ、う~ん何?
うまく言えたことがないやいや~い♪
あ、そうだ! テストは明後日!
勉強に、勉強に、勉強に、勉強に、勉強に、勉強に、励みましょ~~~~う!(BY 島田敏)
2008/09/09 某僕の友達っていうのはtkykのことなんだが、いやー、なんだろうね。ネットやメールから感情が高まっていくこともあるっていう、ね。まぁ別にこれは恋ではなかったと思うんだけど。ところで二人ばかりほとんど本名出てるんだけど、問題ないかな? かな。Pは軽井沢に行ってしまったが未だにかなり頻繁に会う。
2000.9.27(水) わやだがや(名古屋弁で「しおしおのぱ~」の意)←違?
テストが近いので、一日に一回しかPCに触らない生活が続いている(と言っても2,3日)。
だいたい夜中の2時頃に日記書いて掲示板見てちょっと(?)サーフして寝る、というリズムだった。
昨日はNESでFCの
「ドラえもん(ハドソン版)」をプレイしたりしていたのだが・・・
今日はそのリズムが崩れた。
寝たのは11:00頃。
起きたのは翌日の7:30。
テスト前だっていうのに寝過ぎだろ。
ってわけで28日に書いてます。
どうもすいません(さんぺー)
2008/09/09 四文字削除しました。サーフ(笑)
2000.9.26(火) 岩崎宏美→益田宏美→岩崎宏美 ×岩崎ひろみ
土曜日(30日)からテストです。
ので、日記は短めに。
今日一番感慨深かったこと。
『ママは小学4年生』を見ました。
サンライズの歴史に残る名作だと思います。
(あれは決して少女漫画ではなく、サンライズによる超一級のSF作品です)
監督が
井内秀治(ワタル・グランゾート)。
なんとあの
富野由悠季(ガンダム)もOPのコンテ切ってます。
そしてなにより、面白いです。
僕の
理想の男女関係像は、
『ど根性ガエル』の藤岡ヒロシと吉沢キョウコなんですが、
水木なつみと山口大介もいいかな~なんて思っております(なんのこっちゃ)。
つい先日クラスの室長さんが学校に
『姫ちゃんのリボン』(水沢めぐみ)を持ってきてました。
あれも随分と面白いですね。あの絵がたまらん。可愛い。
またつい先日友人が
『こどものおもちゃ』(小花美穂)を一冊25円でGETしたという話を聞きました。
あれも随分と面白い。
『彼氏彼女の事情』(津田雅美)も最近のHIT。
全部欲しい。単行本欲しい、LDも欲しい。
でも一番欲しいのは・・・
『ど根性ガエル』。
ヒロシとキョウコちゃんは
最高です。LD欲しい、
漫画高い。
2008/09/09 オタクくせー! でもすべて正しい。井内秀治は偉大。LDて。
2000.9.25(月) おばちゃんの自転車には手袋が付属している
植芝理一の
「ディスコミュニケーション」、最終回しちゃいましたね。
まあ、マイナーなのでおいといて、と。
たとえテスト前でもPC触り出すと1時間でも2時間でも余裕でブッ飛ぶね。
我ながらすごい。敵ながらあっぱれじゃ。
「サインコサインタンジェント」と聞くたび真っ先にお笑いコンビ
「ゆ~とぴあ」が思い浮かぶ僕は異常か?
「サインコサキンタンジェント」とどうしても言いたくなるのは、病気なのか?
「慎吾ママのおはロック」はあんまり好きじゃないのに
「加藤ママのおはロック」はやけにすんなりと受け入れられて頭の中をぐるぐると回っているなんて矛盾しているか?
「寺内貫太郎一家2000」が昔とかなり違うことに腹を立てている僕は古いのか?
巨人優勝しましたね。
・・・・・・。
ダメだ! 普通の話が続かない!
リザーヴ友の会のスローガン募集だよ!
全員集合しちゃうよ! 8時だよ!
あずさ2号で私は私はあなたから旅立っちゃうよ!
いい日だったら旅立っちゃうのは至極あたり前だよ!
あたり前田のクラッカーだよ!
山止たつひこのこちら葛飾区亀有公園前派出所ではあたり前田の缶コーヒーとか言ってたよ!
ブラックのBOSSには町田康が出てたよ!
芥川賞作家だよ!
村上龍とおなじさ!
寄せては返す波・・・ 人生と同じさ!
東京とロンドンだと9時間も時差があるよ!
中国は時間がひとつしかないよ!
豆知識だよ!
「大爆笑問題」っていう番組のコントで「豆知識」っていうのがあったよ!
誰も知らねぇよ!
不知火ってどうして「しらぬい」って読めるんだよ!
白鯨って「しろくじら」だと思っちゃうって!
「はくげい」っていったら「吐くゲー」っぽいじゃん! ってお約束だよ!
ってか関係ねぇよ!
趣旨わかんねぇよ! ってか存在してねぇよ趣旨なんてよ!
ちょっと倒置法使ってみたよ!
知的さ! ああ知的さ! なんとでも言うがいいさ!
限界だ・・・
なんなんだこのテンションは。
今日、朝起きて学校に行って授業受けて帰ってビデオ見てラジオ聴いて勉強してご飯食べて寝て起きてPCやって今に至る。
日記なんて1行で終わるじゃんかよ!
なにわけわかんないこと書きまくってんだよ!
腕まくるなよ! なんかそれだけで笑っちゃうだろうがよ!
夜中だからか? そうなのか!?
めちゃイケをやっと見ました。
面白かったです。でも、今週のは監督の
片岡飛鳥の力が完全に出ていなかったと思います。
もっと面白くできるはず。構成もオチもいまいちだった。大久保さんを使うのならもっと違う企画が良かった。
だいばくしょうを期待していたけど、今週のはまだまだ。
じゃ、そういうことなんで。
2008/09/09 無茶苦茶すぎて何も言うことがない。とりあえず普通じゃないアピールがうざい。ディスコミ最終回の時に何書いてんだかまったく。
2000.9.24(日) 本番(東京大学物語第6巻サブタイトル)
本番でしたよ、ほらその、演劇の。「店長百万円入ります。」の。
わざわざ隣の市から見に来てくれた友達もいて、嬉しいかぎりっす。
しかも、その娘が
ごめんね。のペットボトルをくれたんです。
リボン付きで。
かなり感動しました。まさか本当に持ってきてくれるなんて思わなかったから。しかも
リボン付きで。
早めに集合してビラ配った成果もあって、客の入りはどの高校よりも(っつっても3校しか上演してないけど)よかったらしいです。
ウケも良かったです。
特にこれといったアクシデントはなかったし。強いて言えば誰やらが台詞忘れてて仕方ないから僕が強引に次の次の台詞を入れちゃった事かな。良い判断だったと思うけど、もうちょっと判断が早かったほうがなお良かったかな。
あ~。しかし、もう神宮字雄一様を演じることはないんだろうな。
ってか、秋江きゅうすけももう2度と演じることはないんだろうな。
なんだか切ないな。
次は何だろな~ 次あたりスタッフかな~ それもいいかもな~
ま~、次の演出は次期部長ということで、楽しみにしております。
とりあえず、目先のテストをなんとかしたいんだけどね。
今日も結局勉強してないし。
もう人間やめたいよ・・・
「人間やめて、どうするの?」
逆転イッパツマンですよ、わかる人います? っまあ東海地方ではわりと有名だけど。
ドラえもんの時計、手に入れました。
でっかいです。
直径40CM。
時間が来ると、音楽が鳴って、ドラえもんが動いて、4パターンの言葉を喋ります。
例によって兄がバイト先のお店からもらってきたのですが、これは非売品というわけではなく、市販もされています。
が、市販のものと違うところが少々。
裏側に、
贈・小学館とタイプされています。
どうやら小学館から兄の本屋に直接寄贈されたものらしいです。
早速部屋に掛けました。う~ん、いい感じ。
ところで、今日少しだけ部屋の掃除・整理を行いました。
僕の部屋にはひとつ、藤子不二雄専用の棚があるのですが、ちょっと前に全部収まりきらなくなりまして。
今日、新しい棚(?)を追加しました。
って言っても、ミニテーブルを棚の横にちょこんと置いただけなんですけどね。
それでもかなり楽になって、引き出しの中に入れていた藤子本達も無事救出されました。めでたしめでたし。
最後に、今日初めてりんご飴を食べた演劇部の部長さん、おめでとうございます。
そして、僕なんかにもりんご飴を食べさせてくれて、ありがとうございました。
かなり久しぶりで、懐かしくて、美味しかったです。
感謝、感激、
飴、あられぃ!
あ、「オチ」がついた。
2008/09/09 なんだかなあ。全体的に、なんだかなあ。ま、何はともあれ、また神宮寺様を演りたいね。当時はまだ、ヘンタイになりきれてなかったけど、今ならもっとヘンタイになれる! かもしれない。このドラえもんの時計は、8年経った今もなお現役で使っております。練馬の家で。
2010/08/11 今でも使ってます。
2000.9.23(土) 命日命日僕らは一般の
4年前のこの日・・・
机の前で
ペンを握ったまま
それから2度と
2度と動かなかった男がいる
それは
その人こそ
藤本弘
世に言う藤子・F・不二雄である
死んだ。
今日は藤子・F・不二雄の命日だ。
黙祷を捧げます。
癌のバカ。
手塚治虫も、逸見政孝もみんな、癌で死んだ。
癌なんて、迷惑だよう!
メイワク、 ガン ハ、 メ・イ・ワ・ク~
なんちゃって。
いくら僕でも同じネタを2度使うなんて事しないよ。
「ドラえも~ん!」
「どうしたのび太くん、またスネ夫にいじめられたのか!?」
「ちがうんだよう・・・ ねぇ、
癌を無くす道具出して~~~!!」
「・・・!! のび太くんにしてはまともなおねだり」
「ねぇ~ん、出してよう、ねぇったらぁ」
「・・・・・・悪いけど、そんな道具を出すことはできないよ」
「どうしてさぁ?」
「そんなことをしたら、歴史が変わってしまう。これから癌で死ぬ全ての人が、みんな生きていたことになってしまう」
「そんなぁああ・・・
フニャコフニャ夫先生が死んじゃってもいいの?」
「なぬ! フニャコ先生が? まさか癌に?」
「うん・・・ 癌なんだってさ」
「フニャコ先生が死んだら
ライオン仮面の続きが読めなくなる!! もしやまたぼくが書くハメに・・・」
「ね、わかったろ。出して~」
「しょうがないな、癌を無くすことは無理でも、せめてフニャコ先生だけでも・・・」
「さっすがドラえもん!」
「進化退化放射線源!」
「それで、どうやって癌を治すのさ?」
「いいかい、まず、フニャコフニャ夫先生の、
腹をかっさばく!」
「ええ!?」
「それで、癌細胞のあるところを
ひん剥く。そこに退化光線を当てれば・・・」
「そうかなるほど! 早速フニャコさん家に行こう!」
「どこでもドア!」
「フニャコせ~んせい!」
「ききき君たち、い、いったいどこからどうやって・・・?」
「まあまあ落ち着いて」
ズバッ!
ジョリッ!
「ここに退化光線を当てるんだね! さ、早くしてよ、ドラえもん」
「まかせな、それ! ・・・これで一安心、いいことした後は気持ちがいいね」
「ああ! ど、ドラえもおん!」
「どうかした?」
「ふ、フニャコ先生が・・・!」
「ん?」
「死んでる・・・」
「死因はきっと、
出血多量だね、さ、癌も治ったことだし、帰ろうか」
「ドラえも~ん! ライオン仮面はどうなるんだよう~~!?」
「アハハハ、気にしないの!」
「・・・そうだね! あんまり難しく考えちゃダメだよね! 癌も治ったんだし、まあいいか!」
「どこでもドア!」
「おや、今日の晩ご飯は
パパの好物、トカゲの丸焼きだね!」
「うわぁあ、おいしそ~う! いっただっきま~す!」
「もう、二人ともしょうがないんだから。パパに残しておいてあげなきゃダメよ」
「は~い!」
2010/08/11 F先生は癌ではありませんでしたが、Wikipediaもなく、ネット上の情報がまだまだ整理されていなかった当時のこと、たぶん誰かが「F先生は癌だった」というようなことを言ったか書いたかしていて、僕もそうだと信じ込んでしまっていたのでしょう。浅はかなことです。恥ずかしくて仕方がない。2008年の再UP時には本文の改訂を行いましたが、やっぱり当時のまま載せることにします。
それにしても命日になんと不謹慎なネタを……。
2000.9.22(金) NOWなうまさ・もろこし棒
原田宗典『吾輩ハ苦手デアル』
原田宗典『東京見聞録』
原田宗典『あはははは』
映画パンフ『ドラえもんのび太のパラレル西遊記+エスパー魔美星空のダンシングドール+ウルトラBブラックホールからの独裁者B・B!!』
藤子・F・不二雄『ドラえもん熟成コミックスわくわく大自然編』
中部版『TVBros』
こんだけ買いました。
今日はハードスケジュールだったんですけどね。
朝から午後は市立大会体育大会応援、夕方から演劇部今池公演下見、夜は学校祭の打ち上げ。家に帰ったのは9時過ぎ。それから『寺内貫太郎一家』を見る。で、寝る。
結局なんにもしてないや。
映画パンフは、他に『のび太の恐竜』『ぼく桃太郎のなんなのさ』『のび太の魔界大冒険』『のび太と竜の騎士』『のび太の日本誕生』がありました。いつかお金貯めて買いに行こう。
あ、そうそう、19:00から『ドラえもん! 秋だ! 遊ぼう! ノンストップ120分SP』があったんだっけ。ビデオに撮ったから、明日見よう。
稲武レポ書く予定だったのに・・・
明後日本番で、そしたらすぐにテスト。
あ~、人★生に憑かれた。
2008/09/09 原田宗典いっぱい買ったけど全然読んでない。添え木が好きだったんだよな。学校祭の打ち上げはすかいらーくだったかなあ?
2000.9.21(木) 憑かれた(謎)
昨日稲武行ってきました。
愛知県と長野県のはざま(わかりやすくいうと寛平、わかりにくくいうと黒男)。
その話は後日。今日は体力無いです。
授業中眠かった。
でも寝なかった。
学校で寝たこと無いし。
辛い。
からい。
2008/09/09 「後日」とあるけど、この稲武レポ、書いたような書いてないような。なので、ここに書きます。
すっごい簡単に説明すると、僕は当時、中学二年生の女の子に恋をしていました。なぜかというとそれは小学五年生の頃に遡る。僕が調子に乗って公園で出会った三年生の女の子を口説いたら(なんだそれ)、バレンタインデーにその子からなんかでっかい手作りチョコもらって、初めてそんなもんもらってしまったからどうしていいかわかんなくてその時はホワイトデーの日に勇気出してポストにチョコ(家にあったやつ)入れてめちゃくちゃドキドキして終わりだった(カワイイなー僕)けど、その四年後、僕が中三で彼女が中一の時に、他の子から「○○ちゃんねーまだあんたのこと好きなんだよー」的なことを言われて猛烈に意識するようになって、いつの間にかストーカー寸前の激しい熱情へと変わり、毎朝窓から彼女が部活の朝練へ出かけるところを眺めていたりするくらいぞっこん命になってしまったわけだが、僕は奥手であったのでこちらから何かしようなどという発想は一切無く卒業式を迎えた。したら、なんとその日に自宅のマンションの下でめでたく「付き合ってください」的なことを言われたので一も二もなくオーケーした。したはいいがその後連絡はなしのつぶて。その後二人きりで会ったことは一度もない! 夏祭りや初詣で偶然顔を合わせたことはあったが、ほとんど会話はなし。電話しても手紙を送ってもなんだか迷惑がられてしまう。曰く、「お父さんが、付き合うとかそういうのはまだ早いって言うの」だそうで。付き合っているはずなのに避けられて避けられて避けられて避けられてデートはおろかろくに話すことさえなく、十ヶ月の暗黒の日々は過ぎていった。僕の精神は弱りに弱って、秋口にはもう狂人の如く惑っていた。そこで19日の出来事があったわけである。彼女が稲武(公立の合宿所=野外教育センターがある山奥の村)に行くと聞くや、会いたい知りたい話したいの僕はすっかり馬鹿だから「行き先がわかっているのなら、そこに行けば会えるはずである。だから行くしかない」と考え、本当にそれを実行してしまうわけである。……ここまで詳細に事情を語ったのは生まれて初めてかもしれない。8年間ずーっと、ほとんど誰にも話さずに封印してきた話である。いやホントに、たぶんここまで詳しい話は誰にもしていない。なぜって? だって恥ずかしいじゃん。
その日はもちろん学校があったんだけど、いつものシティサイクルではなくマウンテンバイクで登校した。授業が終わったら速攻で出発しようというつもりで。クラスメイトに「稲武に行くぜ」と話したらみんな応援してくれて、鉄道と地理に詳しい心の友は「J-PHONEは電波が入らないから」と、ドコモのプリケーを貸してくれた。で、授業終了と同時に駆け出したわけだが、僕はそれまで自転車で長距離を走ったことなどなく、山道を自転車で上がるのがどれほど辛いものかも知らなかった。加えて当時の(自転車に目覚める前の)僕は特に体力も根性もある方ではなかったから、往復15キロ弱程度の自転車通学をしていたとはいえ比較的もやしっ子であった。なので、割とすぐに力尽きた。稲武は、自転車初心者の当時の僕にとっては途方もなく遠く、そして、高かったのだ。足助町に入ってからの山道はほとんど自転車を漕いで進むことができず、ハァハァ言いながら何度も止まって休んだり、時には押して歩いたりもした。その後リベンジした時は、同じ自転車だったのにスイスイと登れたので、体力と根性、そしてペース配分や漕ぎ方のコツが全然「なってなかった」ようだ。稲武町内に入った頃はもう真っ暗で、野外教育センターへの道は全然わからなくなって、完全に迷ってしまった。「稲武まで行けば道はわかるだろう」と、軽い気持ちで考えていたが、甘かった。
あまりにも暗く、寒く、極度に疲れて、同じところをぐるぐる回って途方に暮れた僕は、勇気を出して近くの民家に助けを求めてみた。藤原さんというお宅だった。「すいません、野外教育センターに行きたいんですが」「野外教育センター? ここから自転車で行ったら一時間か、ひょっとしたら二時間以上かかる。それに道も悪いし、明かりもないから、やめたほうがええよ」熱心に説得されたのだが、「どうしても行きたいんです」と、涙を口から吐き出すようにして告げると、「じゃあ、車で連れていったる」と藤原さんの息子さんが言ってくれた。藤原さんのお母さんは、「だけど、こんな時間にいきなり行っても仕方ないから、電話して先生たちに行くことを伝えるね」時間はもう十時近かったのである。僕はもちろん先生たちに見つからないよう、忍びこむつもりであったが、体力は限界に近く、これからまだ何十キロもあるような話を聞かされていたので、ただ頷いて、「おねがいします」と言うしかなかった。
藤原さん一家は本当に温くて、優しかった。突然やってきた僕みたいなガキを、「よく来たね、疲れたでしょう」といたわってくれた。事情も詳しくは訊ねられなかった。僕は何度も涙が出そうになるのをこらえた。パンとお茶をごちそうになって、息子さんの運転する車で野外教育センターまで連れて行ってもらった。センターの入り口の前には校長先生と、僕の中学一年生の時の担任の先生が仁王立ちしていて、とても中に入って、彼女に会うなんてことはできそうもなかった。涙ながらに事情とも言えない事情を話して懇願しても、絶対に会わせてはもらえないだろう。そんな姿を大嫌いな(本当に、大嫌いだった)先生たちに見せるのは嫌だし、藤原さんにも迷惑をかけてしまう。僕は精一杯笑って、デジカメを渡して「記念写真をとってもらえる?」と、先生に頼んだ。先生は始終戸惑いながら、顔をこわばらせたままで、シャッターを押した。看板の横で、制服のままピースサインした写真は、ハードディスクの中にまだ残っている。「ありがとう」と言って、そのまま藤原さんの家に帰った。それから藤原さんと何を話したのかは覚えていないけど、息子さんは「何か飲みりん(飲みなさい)」と言って、僕に小銭をいくらか手渡した。僕はもちろん、一度は断ったけど、すでに握らされていた硬貨の、あまりの温かさに、今度こそ泣いてしまって、「ありがとうございます」と泣きながら言って、「このご恩は必ず…」なんていう、恥ずかしいことまで言ったと思う。それで、藤原さんの家を後にした。
後に何度か稲武を訪れた時に、僕はもう一度お礼が言いたくて藤原さんの家を探したんだけど、何度行っても、どの道を走っても見つからなかった。キツネが化けていたんだ、なんて言うつもりはないけど、僕の今までの人生の中で、「藤原さん家が見つからない」というのは最も不思議な事件だ。いつか必ず見つけ出して、もう覚えていないかもしれないけど、「ありがとうございました」と言いたい。この「ありがとうございました」は、「あの時はお世話になりました」だけの意味ではなくて、もしも藤原さんがいなかったら僕は、自転車で旅をするということをこれほど好きになってはいなかったかもしれないし、人間のあたたかさとか、すばらしさとか、他人に優しくすることとか、とにかくもう、挙げ始めたらキリのないくらい大切なことをたくさん教わった気がして、藤原さんは確実に僕の人生を変えてくれた人だから、あんなに病んでて、気が狂っていた僕を、人と人との関係の中に引き戻してくれた人たちだから、全身全霊の感謝を込めて、「ありがとうございました」と言いたいのだ。
藤原さんに別れを告げた時にはもう、日付が変わるか変わらないかという時で、寒いなか山を下り続けていた。翌日も学校だから、無事家にたどり着けたとしてもまたすぐに家を出なければいけない。冷えと疲労に支配された身体は重く、真っ暗な視界と下り坂の退屈が狂気を煽った。僕はまるで半分死んでいるように無心に坂を下り続けていて、大型のバンが横付けして併走しているのに気がつかなかった。誰かが、何かを叫んでいるのが聞こえて我に返ると、真横にバンがいて、運転席の窓を開けておじさんが僕に語りかけているようだった。「どうした? どこまで行くんだ?」と言っているようだった。僕は必死で、「名古屋です、名古屋」と答えた。「止まれ」というサインを出したので、僕はブレーキをかけて止まった。道路の真ん中だ。真夜中なので他に車はない。「どこまで行くんだ?」とおじさんは言った。「名古屋です」と、もう一度僕は言った。「そうか。俺はこれから家に帰るんだけどよ、途中まで乗っていくか? こんな夜中にこんな道走ってたら危ねえぞ」僕は、渡りに船、と、「お願いします」と言った。
その人は、確か沖田さんと言って、一色町で建築か何かをやっている人だった。そして、明らかに酔っぱらっていた。仕事で稲武の先の町まで行っていたと言うが、お酒を飲まされたようだ。そりゃあ、お酒でも入っていなければ、どこの馬の骨かも知れない自転車少年を頼まれもせんのに拾おうなどと思わないだろう。酔っぱらった沖田さんは饒舌で、奥さんの話とか、「男はどうあるべきか」といった話をしてくれた。僕が自転車で名古屋から稲武に行っていたということを話すと、「男はそうじゃないといかん。俺も若い頃は…」と想い出話をしてくれた。藤原さんに引き続き、僕は「こんな大人」と出会うのは初めてだった。だって、僕の知っている大人っていうのは、両親と、大嫌いな先生たちだけだったんだから。藤原さんや、沖田さんのような大人と話すのは、本当に新鮮だった。僕がこの後ヒッチハイクにはまるのは、この原体験があったからだと思う。
沖田さんは酔っぱらっていたから、僕が「名古屋に行くんです」と言っているのに、なぜか岡崎で降ろしてくれた。それだったら豊田市内で降ろしてくれたら良かったのに、と少し思ったが、その分沖田さんとお話しできたので良かったなと思い直した。それに、岡崎からなら一号線をまっすぐ北上するだけだから、絶対に迷うことはない。そういうことを考えてくれたのかも知れないな、と思っていると、沖田さんが「名刺を渡そう」と言って、運転席をがさごそと探り始めた。少し探して見つからなかったらしく、「まあいいや」とすぐに諦めた。「こんなへんな偶然で出会ったんだからよ、また妙な偶然で出会うかもしれねえよな。名刺はそん時に渡すぜ」僕はこのセリフの格好良さにしびれすぎていて、本当に連絡先を聞かなかった。今にして思えば電話番号か住所くらいは聞いておくべきだったのだが、しかし今でも僕は信じている。「また妙な偶然があって、沖田さんに再会することがあるんじゃないかな…」と。
岡崎からの国道一号線は退屈だったが、交通量も多くなく信号もほとんど無視できたので、相当のスピードで飛ばせた。すぐに出発点の近くを通り過ぎ、今池という繁華街に差し掛かった。そこでまた事件が起きる。猛スピードで飛ばしていた僕は、信号を無視して左折しようとした車にぶつかりそうになってしまったのだ。「すみません!」と僕は叫んだが、車の中からヤンキー風情の兄ちゃんが二人出てきて、「てめえ、この野郎!」と凄んできたので、僕はもういちど「すみませんでした!」と叫んで、逃げた。そうしたら、その車はエンジン全開、交通規則完全無視で追いかけてくる。燃え尽きそうな体力を必死でつなぎ止め逃げ回ったが、狭い小道に入っても構わず迫ってくる。他に車がいないから一方通行も完全無視だ。彼らもたぶん、酔っぱらっていたか、クスリでもやっていたか、よっぽど虫の居所が悪かったか…いや、単に退屈しのぎだったのかもしれない。でも、明らかに彼らは本気で、僕の自転車を「つぶそう」と考えていた。煽るつもりなら減速するはずのところでも、アクセル全開で突っ込んでくる。僕はせいぜい曲がり角を曲がれるだけ曲がって、相手の減速を誘うしかなかった。もうこれは死ぬかも知れない、と思った時、曲がり角の向こうに団地があった。一か八か、僕は自転車を捨てて団地の中へ逃げた。もしも向こうも車を捨てて追いかけてくるようなら、片っ端からドアを開けて助けを求めるしかない。もしすべての家のドアに鍵が閉まっていたら? 考えたくもなかったが有り得ることだった。僕は息を殺しながら頭をフル回転させ、あらゆる可能性についてシミュレーションを行った。果たして、二人は追いかけて来なかった。それでも十分間ほどその場に隠れていて、静かに自転車を回収して速やかに走り去った。
今池からはものの十分ちょっとで我が家に着いた。夜には帰るつもりだったから両親には何も言っていない。たぶん遅くまで心配して待っていてくれていただろうけど、さすがにもう寝ていた。時刻は明け方。もう四時を過ぎていた。僕はベッドに倒れ込んで、お母さんが起こしに来るのを待った。それで、遅刻もせず数時間後には学校へ行った。
学校が終わってから稲武に行って、また学校が始まる前に帰って来れた。それも、幾多のイベントをこなした上で。本来の目的は果たせなかったものの、これは僕にとって大きな自信になったし、また山道にへこたれたことは反動にもなった。以来、高校を卒業するまでに稲武には何度も登ったし、京都まで往復してみたり、受験が終わった後に東京から富士山の北側を経由して名古屋へ戻ったり、自転車に乗ってどこかへ行くということが趣味みたいになった。何でそんなことするんだ? と問われたら、「必ず何かが起きるから」としか言いようがないのだが、その言葉に自信を持てる根拠というのは、なんと言っても初めての自転車旅行にあたる、この稲武小旅行が源になっているのであった。
2000.9.20(水) 稲武(予定)
朝帰り(予定)なので更新は微妙です。
2000.9.19(火) 遠き山に日は落ちて
音楽のテストだったりして、まあまあの出来だったりして。
今朝、学校へ行こうかななんて思って愛車「コチラ横田号」をかっ飛ばしていると、前方からとってもかわゆい女子中学生(2年)が歩いて来ました。なんだか重そうな荷物を持っています。
J「今日はなあに? 遠足でもあるの?」
中「明日から
稲武だから、荷物持ってくの」
稲武?
説明しよう。「稲武」とは、
愛知県稲武町のこと。この場合は、
「名古屋市稲武野外教育センター」のことを指す。名古屋市の中学生は2年生の時に必ずここへ赴いて、キャンプファイヤーだの飯盒炊爨だのをするのです。
ふ~ん、明日かぁ。
明日は部活休みだなぁ~
行こっかなぁ。
決めた。行こう。
もちろん、
自転車で。
こっから稲武まで、バスで2時間半ほどかかります。
自転車だと、4~6時間が見込み。
授業が終わるのが、15:05。ST終了が15:15くらい。下校時刻が15:20と見た!
僕の経験と予想では、キャンプファイヤー終了が20:00・・・
4時間半で着けるだろうか。
たぶん無理だろうな。よほどテンション高くないと。
・・・でもまあとりあえず、行くことに意義があるわけで。
デジカメで写真撮りまくって来れば、証拠に残るわけで。
しかし、完全に朝帰りだな。
ま、いいか。
明日に備えて、寝ます。
あ、そうそう、今日、中学校に行って来ました。
24日の公演とこのHPの宣伝して帰ってきました(笑)。
大曽根中学校演劇部のみなさんが、僕らの劇見に来てくれたら嬉しいなぁ。
あとですねぇ、僕は基本的に人を憎んだりしないんですよ。
むかつく人はいても、嫌いな人はまずいない。
でも、殺したいほど憎らしい人が1人だけいます。
2008/09/09 コチラ横田号っていうのは、映画『メッセンジャー』の矢部浩之さんのセリフから。僕はこの映画見てないけど、オールナイトニッポンでネタになってた。確か、この自転車を買ったお店がヨコタだったか、メーカーがヨコタだったかのどっちか。16400円の安物。高三の時に事故って廃車になりました。この、道端で会った女の子にまた会いたい。中学校で宣伝とか痛すぎて死にたい。「殺したいほど憎らしい人」ってのは穏やかじゃないけど、何かあったのか。僕がそんなことを言いだすなんて珍しい。
2000.9.18(月) 七瀬まんだらけ再び
↓買いました
ドラえもん音頭(LP)
藤子・F・不二雄の世界(初版第一刷)
T・Pぼん(希望コミックス版)1巻(第六刷)
T・Pぼん(希望コミックス版)2巻(初版第一刷)
T・Pぼん(希望コミックス版)3巻(初版第一刷)
パーマン(てんとう虫コミックス版)第4巻(第11刷)
ドラえもんのび太の宇宙漂流記(総集編)
たぶんどれも現在では入手難でしょうね。
全部絶版なんじゃないかな。
ってことで。
自殺(2)
ある日・・・。
僕は、何気なく外に出て、その辺をぶらぶらと歩いてみることにした。
僕はぼうっとした顔で辺りを見回す。
自動販売機の前にたたずむ男は、1つのボタンを機械的に連打し続けていた。受け口のいっぱいになった自動販売機は、先ほどからずっと不快な機械音を発している。
いつもよりも静かな商店街の片隅に、髪の長い女がうずくまっていた。女はうつろな瞳で、なにかをしきりに唱えているようだった。やがて女の目の前に、商店街をうつむきながら歩いていたあまり背の高くない少年が立ち止まった。と思うと、少年は突然女の顔面を蹴り上げた。女は悲鳴も上げず、少年に向かって小さな声でなにかをささやいた。ねぇ、・・・・・・ない? ・・・そぼうよ? 少年は無言で女を蹴り続けた。
僕は公園へ行くことにした。
公園は男女で溢れていた。ベンチに草むら、土の上、あらゆるところにそれはいた。なかには、一人でしているものも、いた。ベンチ組の中には、ひょっとしたら五十代の男女も見られた。
全ては予想したとおりだった。こうなることは知っていた。こうならなくてはおかしいのだ。それに、これらは今までの日常の中でも確実に起こり得たことで、それがただ今あるきっかけによって同時に誘発されてしまっただけのことなのである。
現在時刻、午後六時四十分。もう薄暗くなってしまった空には、月は見えなかった。人類滅亡まであと何分か・・・。そんなことは知りたくもなかった。
「あれ」は既に発射されたのだろうか。
どこから何が飛んでくるのか、それもわからない状態なのだ。
僕は何もしないし、なにもできない。とりあえず帰って、シャワーを浴びて寝よう。多くの日本人がそうしているように。この現実から逃避し、何も知らないまま終末迎えようではないか・・・
僕はきびすを返し公園に背を向けた。すると、なにか肌色のものが目の前を抜けていった。耳には非常に心地の悪い中年女性の奇声が響いている。それはまだ、遠くで発せられ続けているようだ。
別に珍しいことでは無いのだろう、何もおかしいことでは無いのだろう、全ての人間がああなり得るのだ。すると僕は、極めて異常だと言うことになるのかな。
公園ではないどこかから、「だるまさんがころんだ」が聞こえる。子供は無邪気だ。彼らは何も知らない。悩みふさぎ込むことも、耐性が破れて暴走してしまうこともない。しかし、本当に彼らは何も考えていないのだろうか。ひょっとしたら全てを理解した上で、「だるまさんがころんだ」をしているのではないだろうか。中年女性が叫び散らしながら裸で走ることと同じように、子供たちが「だるまさんがころんだ」をするということは、「今一番したいこと」であり、人生を満足させて死んでいくための一種の手段であるのかもしれない。何もわからないまま死んでいくのと、虚像ではあるにしろ確かに楽しみながら死んでいくのとではどちらが幸福なんだろうか。答えは、出ることはない。それは各々の価値観の違いであって・・・・・・
僕はわけのわからない考えを頭の中に張り巡らせた。子供がそんなことを考えながら「だるまさんがころんだ」をしているわけは無いと心では思いながらも、僕はそんなことを考えていた。何かを考えている時は何も考えなくても済むからだ。逃避の方法を僕は知っていた。
つづく
2008/09/09 版にこだわっているところが痛い。小説についてはノーコメントで。と言いたいところだけど、読まずにコメント。藤子ネタがあります。表現、展開、テーマなどすべてありきたりすぎてむしろすがすがしい、と思えるようになりたいです。当時は当時なりに、これを書くことで何かのけじめをつけられると思って書いていました。ま、読まないでください。
2000.9.17(日) 消されてたまるか(by 並平凡)
芝居を見ました。
メガトン・ロマンチッカーという劇団の
「ふられてたまるか」という劇です。
刈馬カオスさんの最終戯曲公演だそうです。
僕は最終日の夜の部、つまり本当に最終公演を見たことになります。
まあ、面白かったんですけど。
噂に聞いていたほどではなかったかなぁ、と。
確かに、台本はしっかりしていて、面白いものだったと思う。
でも、役者が悪かった(爆)。
勿論上手な人もたくさん居ましたが、一番最初に出てきた人の滑舌が非常に悪かったため、一番最初にまず冷めました。
その後、もっと滑舌悪くて台詞もカミカミな人や、やたら高くて変な声の人も出てくるし・・・
声が聞きづらかったです。滑舌は全体的に悪くて。
演技自体には文句無いです。勢いも迫力もスピードもあって、テンポも十分。でも噛んじゃダメ。
高校演劇で全員が全員あれだけ動けたなら、多少脚本がへぼくても県大会には確実に進めますね(規模小さいたとえだなぁ)。
あと、びっくりしたのが
うちの芝居とネタかぶってる!
24日にまだ公演があるので、詳しくは秘密ですが、同じギャグがありました。
注目するところは一緒なんですね(笑)。
嬉しかったのは、
フリッパーズ・ギターの
「スパイ!」(だっけ?)がBGMに使われていたこと。
あれは曲名を知っている人だけ「なるほど」と思ったことでしょう。
しかし果たしてあの会場の中に何人いたのか・・・(笑)
最後に、腹が立ったこと。
ギャグはまあまあ面白かった。僕が普通に笑えたところもあった。
でも、「これ」っていう後に残るギャグはなかったな。それに、
内輪ギャグやめろや。
明らかに劇団員の知り合いしかわからないと思われるギャグが多い。
お客さんいじりを劇中でするのはかまわんがなんだか内輪っぽいぞ。
マニアックなネタ多いし。
まあいいっす。
とりあえず、面白かったので。
彼女のセーラー服を脱がすのは、俺だぁ!
2008/09/09 いいじゃんか、客層が内輪なんだから、内輪ネタがあっても。フォローしておくと、「ふられてたまるか」は本当に面白いです。佃典彦氏が初演当時「ダンチだよ」と言ったとか言わないとか。刈馬カオスさん本人は滑舌よくないですが、それはO谷高校の伝統だと後で聞きました。
2000.9.16(土) アブフレックスの「アブ」って、「腹筋」って意味なの?
学校しんどいわ~。
行きたくないや。
でも行く。
学校祭閉会式と、賞状伝達式。
・・・たるい!
つまんねぇな~。
うちのクラスとしては、賞は取りませんでした。
でも、一枚だけ賞状をもらいました。
「クラスPR優秀賞」
僕がカバンの中から飛び出した、アレです。
賞とっちゃいました。
最優秀とまではいかなかったですけど。
まあ、当然の結果でしょう(笑)。
カバンを提供してくれた人と、僕を舞台上まで運んでくれた人たちに、感謝。
表彰台の上で、校長先生から僕に直接賞状が手渡されました。
賞状を受け取り、表彰台から降りるとき・・・
(なにかやらなければ!)
という芸人魂が沸くわけです。
しかしこの場の空気はそういうことを決して許さない空気だ。
みんなのテンションも下がり気味だし、他の人たちがみんな普通に降りていっているのに、僕だけ特別なことするのもなぁ。
でも、やっちゃうんですよね。
向陽パフォーマンスドールと呼ばれたこの僕。
きっちりとほのかな笑いをとって帰りました。
式が終わって、2時間目から普通に授業。
内職(部日誌-演劇部の活動内容等を書く-など)をしながら片手間に受けてました。
こんなんでいいのかな~、テストまであと2週間なのに・・・
どうしようかな、次のテスト。真面目にやるか、手を抜くか。
きっと迷ってるうちに当日迎えちゃうんでしょうね(爆)。
授業後、部活。
雨のせいで文化祭公演の片づけができなくなりました。よって、休みの予定だったはずの火曜日に部活が入りました。
非常に厳しい。
で、反省会ってのをやりました。
今回の公演を通して(練習~撤去)の反省を発表するのです。
現場にはものすごい空気が流れます。
演劇部らしからぬ、笑いの無い空気です。
まあ、僕みたいに喋ればついつい笑いになってしまう人も居て、笑うところはきっちり笑うんですが。
特に今回は、台本がギャグだったこともあり、「わりと」明るい反省会でした。
そのあと、「いまいけ公演」の下見。
24日に文化祭公演と同じ芝居をもう一度ちゃんとした(?)劇場でやるんです。
「今池アカデミー劇場」で15:00~(細かくは未定)です。皆さん見に来てくださいな。
のあと、打ち上げも兼ねて顧問の先生に夕食をごちそうになりました。
イカスミラーメンと豚丼と豚丼ひつまぶしバージョン(謎)を食べました。
おいしかったでこりゃ。
おなかいっぱい、おやすみなさ~い!
2008/09/09 いまいけ公演、懐かしい。この時の作品『店長百万円入ります』は、練習から反省会まで、本当に良い雰囲気でやれた希有な作品だった。自分の脚本を除けばやはり一番好きだな。
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