少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2021.5.31(月) 雑記 カンヅメカンでしごとを4(終)
2021.5.30(日) 雑記 カンヅメカンでしごとを3
2021.5.28(金) 雑記 カンヅメカンでしごとを2
2021.5.26(水) 麻生太郎(80)
2021.5.25(火) 雑記 カンヅメカンでしごとを
2021.5.24(火) 雑記 内容なし
2021.5.21(金) 仕事は苦手である。求心的だから
2021.5.14(金) #かわいいぼく
2021.5.11(火) 死者との腐れ縁/c/w 孤独に死す、故に孤独。
2021.5.9(日) 彼の孤高を見習いたい
2021.5.6(木) 被支配の自覚
2021.5.5(水) 発達が障害されてますから…😺
2021.5.4(火) ゴールデンウィークという常識2
2021.5.1(土) ゴールデンウィークという常識1

2021.5.31(月) 雑記 カンヅメカンでしごとを4(終)

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 日記らしい日記を最近書いておりますね、めずらしいです。でもこのような近況型の文章は20分くらいでさっと書けてしまうので非常に健康です。しっかり考える系のものは数時間かかってしまいます。
 昨夜あのあと(日記を書き終えたあと)32時くらいまで書いて、ようやく三木、福田が終わりました。特に三木! 面白いんですよね。調べれば調べるほど、その人のことを好きになってしまうところがあって、とりわけ三木と、このあとの大平なんかはかなり気に入ってしまい、時間がかかった。
 14時くらいまで寝ようと思ったけど11時半(35時半のこと)くらいに起きてしまった。二度寝しようと思ったけど今日は喫茶店にパンを届けに行く日だというのを思い出した(参照)。浅草橋でパン買って秋葉原のサラリーマンひしめくEという喫茶店でお昼ご飯食べてコーヒー飲む。初来店。とてもいいお店だけどランチどきは混んでてよくないなあ。あえて悪く言うと「習性の言いなりになって生きている人たち」がたくさんいてつらかった。
 件の喫茶店にパンを届ける。コーヒーをたのむ。かきもち(あげもち?)をいただく。なぜかアイスコーヒーもいただく。アイスコーヒーをチェイサーにホットコーヒーを飲むという、ウィスキーのチェイサーにウィスキーのロックみたいな状況になる。もちろん一滴も残さず飲みきる。週刊文春を3号ぶん読む。なぜかオロナミンCを1本いただく。もちろんパンを届けたお礼ということでもあるんだろうが、僕がまったくちっともかわいくない人間だったらここまでの歓待は受けないと思うので、これからもかわいくかっこよくかしこくやさしく生きていこうと決意を新たにした。義務。
 おてがみを郵便局から発送。自分の住所を書くのを忘れたのに気づく。アチャー。銀行でお金おろす。
 お店に入る。少し時間あったのでお昼寝でもしたかったけど短時間でコーヒーを3杯も飲んだので眠れないどころか動悸が激しくなって困った。お客を待つ。来る。片付ける。家賃を払いがてら不動産屋と更新とか衛生設備について話す。雨のふらないうちに帰る。通学(夜学バーだから通学なのだ)はほぼ自転車。〆切りが今夜なのでできるだけ早くとりかかりたくて、がんばって1時間以内に作業を始めるが大平正芳の資料を読んでいたら眠くなってきたのでちょっと寝た。1時間か2時間くらい寝て起きて28時すぎにようやく大平正芳2本が終わった。全体をざっと見直して、記入漏れが数カ所あったのでそこだけ書いて納品。「ボツ」って言われたらどうしよう。これから寝ます。もういやだ、こんなに不規則な睡眠は。毎日一気に8時間は寝たい。
 ああ、まだ昨日の朝刊と夕刊を読んでいない。

 それにしても大平正芳はすごいし、ほかにも何人か「すげーな」と思える総理がいて、この仕事受けてよかったと心から思う。10冊くらい参照したけど特に『歴代首相物語』と『戦後日本首相の外交思想』はよかった。仕事としてのライティング能力も維持増進できた気がする。先方が気に入るかは別の話だけど、僕はけっこう気に入った原稿になりました。
 そのうち職歴を書いてプロフィールみたいなところに載せますね。これまでどんな原稿書いてきたかとか自分でも振り返りたくなってきた。

2021.5.30(日) 雑記 カンヅメカンでしごとを3

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 9時すぎに起きてパン持ってお店へ。パンを切ったりお花のお世話をしたりさまざまなことをこなす。10時従業員とお客来る。11時すぎに出る。「うえき」でカレーとみそ汁と納豆(だいたいこの組み合わせ)食べる。いつも漬け物を出してくれる。ついでに焼きそばを包んでもらう。コーヒー飲みたいけど近所は土曜日に開いているお店が少ないしあまり遠くに行くと時間がかかってしまうので1年くらい前にできた新しいコーヒー屋さんに行ってみた。いわゆる「コーヒースタンド」というのでテイクアウトが基本。こういうのはだいたい若い人か気の若い人が始めるものだがここはどうもそのようでなさそうな女性が立っていたので気になっていたのだ。コーヒー350円、クリームソーダ400円(いずれも税込)という価格設定も、すんごい古い喫茶店のノリである。クリームソーダのテイクアウトうちもやりたいので今度頼んでみようかな。いいお店だった。ひとがらのよさを感じた。
 ホテルに戻り、お店から持って帰ってきた新聞を読みつつ、テレビを流す。なかなか仕事に入れない。これ書いてる今現在は30日の28時4分なので記憶が曖昧になっているが、ちょっと仮眠をとったり、なんだかんだいろいろしてたら結局18時くらいになっていた。ようやく仕事にとりかかる。田中角栄2本を終え、三木武夫をやり始めたら、これが面白い! 0.4本くらい書いたところで時間いっぱいになった。もう使わないであろう資料を何冊か図書館に返してから帰宅した。
 そこから先、今に至るまで30時間、一文字も進んでいない。さすがである。仕事できない病。カンヅメの荒療治は正解だったと思う。あと3.6本。残すは三木武夫、福田赳夫、大平正芳のみである。ジャンバルジャン。

 こんだけなのもなんなのでもうちょっと何か。30時間何をやっていたのかというと、まず遊んだ。寝た。10時から13時までお店に立った。友達としゃべった。テレビを見た。コーヒーをいれて飲んだ。お手紙を2通書いた。家事をした。お昼寝をした。新聞を読んだ。『新人漫画家、風俗嬢になる』を最後まで読んだ。お風呂に入った。ちょっと資料を読んだ。1ページまんが『お星さま』を描いた。日記を書いている。ジャンバルジャンとは何かというと、近道はない。明日のために今日がある。手を伸ばすんだ、僕のために君がいる。

2021.5.28(金) 雑記 カンヅメカンでしごとを2

 あらすじ:27日の7時から29日の22時まで近所のホテルにカンヅメで仕事しています。徒歩15分くらいのところ。1
 これ書いてる今現在は28日の25時42分です。
 ミッションは某学習出版社の孫請け原稿。日本の内閣総理大臣についてそれぞれ合計1100字程度にまとめる。担当分は計20本。持ってきた資料は合計8冊、大著ばかりで非常に重たい。インターネットも活用するが信頼できないソースは使えないので結構大変だ。また活字だからといって信頼できるわけでもない。8冊のうち1冊はかなり間違いが多いことが途中でわかったがいちばんポップで便利なのでけっこう参照する。間違いが多いことはわかっているのでその本の記述を使おうと思ったら別の本やネットで裏を取らねばならない。
「間違ったことが書けない」そして「できるだけ面白く書きたい」という2点を満たそうとすると、たった1100字に膨大な時間がかかる。神経も使う。それと僕はちょっとあれなやつなので面白いと思ったら原稿に使えなくてもひたすら調べてしまったりもしてしまう。いやほんと、この仕事いいですよ、めっちゃ戦後政治史に詳しくなってます、いま。
 佐藤栄作に関して2010年ごろに明らかになったこととかあって、そうすると2010年以降の本にしか載ってないなと思って、2016年の本を見てみたら、ほんとにその本にだけそのことが書いてあって、当たり前なんだけどすごいと思った。

 26日も自宅でこの仕事をしていて、29時くらいにようやく吉田茂5本が仕上がった。片山哲はすでに終わらせている。1時間半だけ寝て、ホテルに来た。8時から12時半くらいまでの4時間半で岸信介が2本書けた。近所の喫茶店で池田勇人について調べながらしょうが焼きとコーヒーをいただく。戻って3時間ほど仮眠。1時間くらい池田勇人のことを考える。近所の日本中華食堂に行ってみるが閉まっていたので歩き回る。19時すぎ。もう行ったことのないそば屋しか開いていない。あてにしていたところはすべて閉まっているのを確認し、堪忍してそば屋に入ったら、とてもいいお店だった。カレーライスが黄色かった。おとうふがついてきた。そば湯もうれしい。味噌煮込みうどんがあった。
 セブンイレブンで公共料金を払い、100円のコーヒーを買う。喫茶店に寄る暇はないしそもそもどこも閉まっているのだ。戻って仕事に取りかかろうとするも、なんとなくやる気が出ず、コーヒー飲みながらぼんやりする。と言って何もしないのもなんだからこのホームページを書籍化するための方策を練る。すごく優れた方法を思いつく。満足して仕事を始める。たしか22時半くらい。28時半くらいに池田勇人3本終わる。お風呂入って寝る。
 10時過ぎに起きてお店のモーニングで使うパンを買いに行く。好きな喫茶店で400円のモーニングをいただく。コーヒーをレンジでチンして出してくれるお店で、ここんとこすさまじくコーヒーが美味しくなかった(おそらく器具の手入れの問題)のだが、味が復活していた。本当に嬉しい。
 好きなお弁当屋さんがお休みだった。寄ろうかなと思った喫茶店はまだ開いていない。自宅に戻ってマウスとお着替えをとってくる。マウスないと何もできない人間なんだけど昨夜は本当にがんばってなんとかした。戻って佐藤栄作を始める。これがものすごく難産。すごく楽しかったけどそのせいで難産。夕飯を食べに昨日閉まっていた日本中華食堂へ。開いていた。中華丼とギョーザを。スープと漬物とひややっこがついてきた。
 好きな喫茶店お休みだったので戻って、15分寝て、ちょっとNHK見て、21時くらいから佐藤栄作。24時前くらいにようやく3本終わる。ここまでで20本中、14本。うむ! やればできる。お風呂に入って、田中角栄を0.8本ぶん終わらせる。あと5.2本。26時5分。おやすみなさい。

2021.5.26(水) 麻生太郎(80)

 麻生太郎(80)さんでもかばっておくか。森サン(今日追記しました)に続く第二弾。いや、今回の麻生さんについては本当に何も悪くないと思うので、森サンの時とは全然違うのですが。
 麻生さんがこの動画25分くらいからの質疑応答によって、炎上しております。(N高政治部「高校生のための主権者教育」)
 麻生さんは何も変なことを言っておりません。

 麻生さんはすごい人である。質問を聞いた瞬間「どのくらい? 5分くらい?」とまず確認する。司会の人が「もう全然、ご自由に」と答えると、「あのー、明治維新、1868年ですけれども」といきなり150年前から話し始める。いかに長くなるか、と思いきや、およそ7分で締めくくった。もし「5分くらいで」と言われていたら、5分にまとめていたのではないだろうか。
 麻生さんの話はとにかく長い、と麻生さん推しの人が書いていたが、小泉純一郎さんなんかは「政治家は1分で言いたいことをまとめられないとダメだ」と常々言っているそうなので(杉村太蔵『バカでも資産1億円』参照)、それに比べれば長いという程度なのかもしれない。
 麻生さんの言っていることをなんとなく要約してみよう。

 日本は明治維新の際、富国強兵と殖産興業をめざし、教育に力を入れた。日本の教育はすでに進んでいて、江戸時代には街の中に貸本屋が成り立つほど高い教育水準だった(曰く、そんな状況は同時代のヨーロッパでは一つもないらしい)が、そのうえでヨーロッパ流の教育を取り入れるためほぼ世界初(イギリスと並ぶ)の義務教育を導入した。結果として、たとえば今では誰でもラジオ体操を覚えている。これは工場でのライン生産が中心の時代には有効だったが、今は逆に「いろんな人が出てきていい」時代だ。
 文科省の役人の中には義務教育を高校まで伸ばせという人もいるが、高校までを義務としているアメリカよりも日本のほうが義務教育としての水準は圧倒的に高いと言われている。しかし大学となると、途端に他国に軍配が上がる。そこを日本の教育者たち、文科省の役人たちは真剣に悩まなければならない。

 ここまでが、「問題」とされている箇所の手前である。ここからしばらくは、できるだけ正確に文字起こししてみるとする。

 むしろ逆に、いろんなものを考えるんだったらきちんとした教育はもう、小学校までで十分じゃないかと。中学まで義務にする必要があるのかと。たとえば、微分積分、今で言や、因数分解なんていうのは、みんなやらされるけれども、大人になって、ね、このドワンゴの人だって、大人になってから因数分解使った人なんか一人もいませんよ。なんのことだか、サインコサインタンジェントなんて言われて、なんのことかまったく残ってないと思うね。一回も使ったことがないと思う。それが必要かね。義務として。って、いうような意見は、いっぱいあるんですよ。そういった話は。もういっかい、考え直してもいいんじゃないかと。義務教育、もう、小学校まででいいと。幼稚園と小学校だけにしようと。中学から学校行かなくてもいいと。行きたい人は行けばいいんだ。今でも高校は自由でも、高校の進学率は90%超えてますから。間違いなくそれでも、今の、こないだの将棋やったえらい、若くて、王将になった、いろいろになった人がいたけれども、あの人なんて若くてあれだけやれるわけでしょ。学校なんか行って勉強したらあんなことできないと思うね。いいじゃないそれで、その人はその人の生き方なんだから、というような、発想ですよ。ゴルフやるにしても、野球選手やるにしても、なに、自由だと。っていうふうに考えてみたほうが、僕は、これからの時代合ってるんじゃないかなと。昔からそう思ってんだけど、まあ、これ言ってウケたことはないね。まずは文部省挙げて反対、日教組反対、そろって、一緒になって反対してくるから、よほど具合が悪いんだね、あの人たちには、と、思っちゃいますけど。おなかの中では、もっとそのほうが、発想としてはのびのびやれる人が出てきて。基本としては、きちんとしたものは、幼稚園、小学校まで9年間、しっかりやってもらおうと。それからあとはもう少し自由にしないと、いか、ほうが、より伸びる、才能が伸ばせるのではないか。基本的にはそう思ってます。(太字僕)

 麻生さんに落ち度があるとしたら、「微分積分やサインコサインタンジェントが義務教育で扱われたことは(おそらく公的には)ない」ということくらいだと思う。ただ、1958年に学習指導要領から「試案」の文字が消えるまでは義務教育といえど「各学校の裁量」で行われた部分が大きかったそうなので、そこでは微分積分やサインコサインタンジェントが教えられていたのかもしれない。(サインコサインタンジェントについては1958年版の「三角比の利用」単元かそれ以前に入っていた可能性も考えられるが未調査。)麻生さんはその世代で、しかも私学(小学校から大学まで学習院)の出身である。今でも私学なら、中学の時点で先取りして微積や三角関数を扱う先生はいると思う。そう考えれば「微分積分、今で言や、因数分解」という言い方に整合性がないとも言えない。因数分解は現在、中学の範囲である。

「大人になってから因数分解使った人なんか一人もいませんよ」という言葉が批判されているが、その前に彼はしっかり「この、ドワンゴの人だって」と言っている。ここがTwitterなんかだと省かれていることが多い。麻生さんは目の前にいるドワンゴ関係者をさして言ったのだ。N高で数学やプログラミングを教えている先生を含めて言ったのではない。もちろん「一人もいませんよ」は言い過ぎで、ここも落ち度と言えば落ち度かもしれないが、かなり多くの人が事実として因数分解を使わないのは確かだろう。実際、麻生さんが想定した「ドワンゴの人」のうちまあ9割以上は「社会人になってから一度も因数分解を使っていない」可能性が高いと僕はにらんでいる。ゆえに「義務として」ではなく「選択して」学ぶというやり方もあるだろう、という話。
 しかも麻生さんは、これを「自分の意見」として(のみ)言っているわけではない。そういう意見はいっぱいある、と言っている。半ば一般論として述べているのである。確かに、そういう意見、聞いたことあります。なんならよく聞きます。居酒屋とかでも。べつに麻生さんの独創ではない。

 重要なのは、義務教育を「幼稚園、小学校まで9年間」としている部分である。これはすごいことだ。二度も言っているしたぶん言い間違えではあるまい。現在の「6歳から15歳」ではなく「3歳から12歳」にスライドさせると言っているわけ。これにはいろいろな意見があるだろうが、「幼稚園全入」という発想は面白い。保育園は廃止、2年制の幼稚園も廃止、3年制(年少、年中、年長)の幼稚園を国民の義務とする。ヒェー! 何か文句つけるとしたら、ここじゃないのか?

 それからもう一つ注目したいのは、高校は義務教育ではないが90%以上が進学している、というところ。90%以上の人にとっては、すでに高校は行って当たり前なのだ。中学を義務教育から外しても、中学進学率が高校進学率を下回ることはまずない。義務でなくなってもほとんどの人は中学に通うだろう。もちろん、どちらもだんだん下がっていくというのはあるかもしれないが、それと同時に「中学に上がらない代わりに自分の能力を伸ばす」ための環境が適切に整備されていけばいい。
 不良の多い中学(我が母校はそうである)では、中卒で働く者がごまんといる(うちの兄の一人もそうだ)。彼らは中学にはろくに来ないし、来ても勉強しないし、遊んだり暴れたり逆らったりする。だったら最初から通わないとか、途中で辞めるという選択肢が与えられても良いんじゃないかというのが、僕の実感でもある。そこには、因数分解を一生使わない(そもそも身に付けもしない)だろう人たちがたくさんいた。
 彼らがいたから楽しかった部分ももちろんあるが、いなければすっごい平和だっただろうな。しかしそういうふうに結果として「ゾーニング」(?)してしまうことにも善し悪しあり、単純にそのほうがいいとは別に思わない。

 麻生さんが例に出した藤井聡太さん(だと思う)も、じっさい高校を中退している。中学が義務でなかったら中学の時点で辞めていたかもしれないし、やっぱり高校は行こうと思ったかもしれない。ただ選択肢が増えていたというだけ。

 麻生さんが言っているのは、「これからの時代」そのように「自由」な領域を増やしていったほうが、総合的には優秀な人が育ちやすい(国力が高まる)のではないか、という提案だ。その代わり、小学校6年生までの義務教育はきちんとやる。分数の割り算も角柱の面積も比例の概念もわかって、織田信長は知っていて、常用漢字も半分は読み書きできる。「きちんと」「しっかり」やっておけば、日常生活で困ることはほとんどないだろう。さらに麻生さんは幼稚園の3年間も義務教育にすることを視野に入れていて、そうしたら今よりもさらに教育水準の高い12歳ができあがるはずである。

 80歳になって、今とも昔ともまったく違う体制を想像しているのはさすが。これらの考え方に僕がすっかり同意するわけではありませんし、麻生さんも絶対にそうすべきだとまでは言っておりません。断言を避け、あくまで提案、方向性の提示にとどめています。麻生さんは何が悪いのでしょう。何も悪くありません。おわり。

2021.5.25(火) 雑記 カンヅメカンでしごとを

 あまりにも仕事ができないので自主カンヅメすることにした。27日の朝7時から翌々日の22時まで63時間宿をとった。しかし経験上、カンヅメをしたからとて仕事が進むわけではない。せいぜい1.2倍くらいしか捗らない。
 ただ、今回は初めて自分のお金でそれをする。これまでは某社の社長が「カンヅメせえへんか~」と誘ってくれたのが数回と、「このボリュームでこの納期だと僕には無理なのでカンヅメさせてください」とこちらから頼んだのが1回。大阪に用もなく3泊したのは自費だったが、特に差し迫る仕事があったわけではないし、昼間は喫茶店等へ飛び回ることはあらかじめわかっていた(ロードレーサー持ってったし)のでノーカウントだろう。読書くらいはと思っていたがやはりほとんどできなかった。
 もちろんまとまったお金がかかるので、吝嗇家の僕としては非常に珍しい決断。そのくらい仕事ができないのだ。1.2倍でも十分にありがたい。それに今回は歩いて15分ほどの近所だから、「せっかくこの土地に来たのだし……」と色気を出す心配も(少)ない。と、ここまでの情報でほぼ場所は割り出せるだろう。問題はない。来いという話ではない。仕事ができないので……。
 こないだカンヅメのため東上野のあたりに泊まったら、「せっかくだし入谷あたりで喫茶店でも」と時間を減らしてしまった。それでも真夜中、割と機械的な作業だったので『ママは小学4年生』を垂れ流しながらやったらものすごい勢いで進んだ。しかし代わりに長い長い感想文を書いてしまったのでやはりせいぜいが1.2倍だ。
 でも今、だいたい日ごろの0.3倍くらいしか仕事ができていないので、それが1.2倍になればつまり4倍。期待している。謎の計算式に。

2021.5.24(火) 雑記 内容なし

 キャパシティとは許容量の意味である(そりゃそうじゃ)。
 超えると溢れるような閾がある。
 少なくとも今朝方までの数日間チッとオーバーで
 バーンアウト。マリウス葉。
 何もできないでずっと寝ていた。そんな日もある。
 未だにある。
 未だというのは打ち消しを伴って「未だ~ず」とならねばならんのだろうか。
 いまだにの「だに」は「(で)さえ」を意味する助詞だろうか。
「だ」と「に」に分解できるのだろうか。できないだろうか。
 最近友人が急に三人、声をそろえて「マークダウンがよい」と言い始めた。
 マークダウンというのは文章の記述方式をいうのだが
 まあhtmlなんて使ってられないぜみたいな話です。
 それで僕は「br」って打つたびに辛い気持ちになります。
(このサイトはhtmlで記述されているので、改行するときに「br」という記号を打つのです。みなさんには見えていませんが実はこちらのエディタ上ではそうなのです。最近では「p」だけを使って「br」を使わないほうがスマートとされているようで、それも僕にとっては非常に苦しい風潮です。あと僕はずっと「br」なのですが「br /」と記述することもできまして、どっちで書くのが妥当なのかいまいちわからず、本当に胸が押しつぶされそうです。)
 僕はいつまでビーアールビーアール言い続けるのでしょうか。
 すでにhtmlで記述した文章をそのままマークダウンに変換する方法ってあるんでしょうか。あったとしてもそれをするとは限りませんし、最初からhtmlで記述する利点もひねり出せば何かあるとは思うのでそれでいいのですが
 html(笑)とみんなに嘲られているようで僕は本当につらいなあ。
 ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのだろう。走るときはまるで鼠のようなくせに。ぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのはザネリがマークダウンなからだ

 いやまあ本気で言っているのではなくて、それほど弱っているのだという表現です。寓話のようなものです。
 ビーアールと打つだけで暗い気持ちになるし
 仕事のために一太郎を開くなんてもう耐えられない
「時々何がどうなって僕がここにいるのかと考えれば考えるほど動きは鈍ってく みっともないがこうして立ち止まってるのは僕が僕なりに歩き出す前触れなのだから」(by 岩沢厚治 from『一っ端』)
 どちらかというとこの直前の歌詞がより今の状況を具体的に表しているのかもしれないがあえて抽象的なほうを引用。
 積もり積もっていったん停まる。
 眠れ 眠れ 眠れ
 もう朝は来ない

 僕は本当に人と関わることが苦手なのであります。
 みんなとおんなじ。(by 佐久間一行 from「エライ人」)
 僕がよく強調する「仲良し」というのは
「心の負担なくコミュニケーションが可能な状態」ということであって
 そういう発想になるのはもちろん僕が人間と関係することに負担を感じやすい性質を強く持っているからなのであります。
 すなわち「仲良しの発想」なるものには
「負担が少なくなるよう配慮しよう」という方針がある。
 幸せは二人で育てるものでどちらかが苦労して繕うものではないはず。(by さだまさし from『関白宣言』)
 ここんとこちょっと疲れましたので僕はお休みしております。
 なんかあったというよりは単にやることなすこといっぱいあってキャパシティが埋まっているというだけのことです。
 脳に限界があって
 手とか握っていただくと
 基本的には安心するんだけど
「情報が増える」ことにもなるので
 状況によってはしんどい場合もある。
 わがままな脳です。

 幽かな人 全てが無駄と思いたくなく
 望んでいた 不変なまま沈む世界を
 空に投げた石はいつか止まり この身に帰ってくる
 すべてが伝えられず 詩うたいは音色(おと)を外した
(GUNIW TOOLS/頭上の石)

 いつまでも自分を見つめる
 若い人と話すことがけっこうあるんだけど
 すてきな人ほどよく悩むってのはあって
 だから間違えないでって思うけど
 間違いの上に咲く花もありますし
 正しい道の上にも水たまりはできる
 逢える時が来る いつかこんな時代を生き抜いていけたら
 報われることもある
 優しさを手抜きしなけりゃ(by H jungle with T from『FRIENDSHIP』)
 いつまでも自分を見つめる
 同じようなものばっか描きながら
 それはそうと全ては内部表現だなってさっきふと思った
 内部に情報が溢れてパンクしちゃうから
 そっとスイッチを切ったりはします
 いちばんいいのは眠ること
 眠れるから死なないでこれまでやってきた
 だからこそ定時や〆切りが本当に苦手だ。
 あと歩くのとかとにかく何もないようなところに一人でいることだけど
 つまり「時間を無駄にする」ってことでしかリフレッシュは訪れない、僕の場合。
 何時間も何十時間も、夜通しでも自転車で走ったりとか。
 人といてリフレッシュするのはまた別の領域で
 消える系じゃないですね むしろ増えて充足する
 無に近づくには一人のほうがいい

 ゼロと無限の狭間で揺れながら夢を見て
 永遠の歌に憧れている(by shame from『ZERO and INFINITE』)

 だんだん小さくなる世界で僕は無限にゼロをめざそう
 止まるくらいスピードを上げて ずっと(by Flipper's Guitar from『GOING ZERO』)

 孤独はいつか超えられると信じているけど、
 その反対はキリがない。
 望みが果てることはないが
 望みを絶ち続けることによっていつか地球の裏側まで行ける
 どこかへ向かっていくことは、たった一点を目指して行くことだけど
(それはマイナスを志向することでも同じである。)
 どこへも向かわず、ゼロを目指していくことは
 あらゆる可能性へと開かれていくことでもあるはずなのだ。
 それが言葉遊びに終わらないよう
 孤独を噛みつぶし
 証拠を探す

 みんなはどこかへ向かっていこうとする
 その考え方を早いとこやめたらいい
 みんなは自分が過去から未来へと動いていると思い込んでいるらしいが
 ただその場でくるくると回転しているだけのことかもしれない

 明日よ自由になれ
 塞ぎ込んだ 君は見えない
 あれは満月の夜に思いついたんだ
 僕らしく 君らしく なんてね
(ゆず『ふくろ』作詞:岩沢厚治)

 みんなはあまりにも望む
 そんなものは喫茶店に行ってコーヒーを飲んで
 架空のたばこを吸ってみりゃ わかる
 わかんないなら 別の喫茶店に行ってみよう
 あらゆる喫茶店に行ってみよう
 古ければ古いほどいい
 静かなら静かなほど
 老人の店がいい
 時間の染みついた 取り憑かれたような店がいい
 そこには何もない
 時間以外に何もない

 そして時間の尊さを知るだろう
 なんであれ
 美しいと
 そうしたらとにかく明日を生きる

 望むとは向かっていこうとすること
 あるいは、来てくれと願うこと
 ノー 動きなどない
 花が咲き、枯れ、土にかえる。
 その繰り返し

 苦しみを減らし、喜びを増やす
 その方法はたくさんある
 だけどほとんどのことが見えていない
 線で考えるから。
 球体で考えるならまた違う。

 やや落ち着いてきました。

 ひさびさにリンク集つくってみました。

2021.5.21(金) 仕事は苦手である。求心的だから

 つくづく僕は仕事が苦手だ。5月5日に原稿依頼がやってきて、それから常に脳内を「仕事」が支配している。「やらなきゃいけないことがある」と思うといっさい他のことに手がつけられないので、「やらなきゃいけないこと=仕事」を先にやっつけてしまう必要があるんだけど、そんなことできたら苦労はない、というね。みんなもけーけんあるんでしょう?
 図書館で資料を借りて、少しずつ読み込んで……というのを遅々と続けて10日くらい経ってしまった。貸出延長手続きをした。そろそろある程度まで作って見てもらわなければいけないのに、一文字だって書けていない。焦る。焦るだけで何も進まない。だったら別のことをやればいいのにそれもできない。結局長時間寝てしまったりする。あるでしょー?
 ここ数日でやっと資料が頭に入ってきて、書き始めたのはいいが、「できるだけ良い原稿に仕上げたい」という欲が出てしまって1000字書くのに10時間くらいかかっている。第1次吉田内閣を見開き2ページにまとめるために膨大な資料を読み、間違いのないよう注意しながら書いては消し書いては消し、それで満足いく内容に仕上がるかといえばそんなわけもなし。片山哲内閣にも相当な時間がかかってしまった。第2次から第5次の吉田内閣はすでにだいたい調べてあるので多少は楽だと思いたいが、岸信介あたりはまたキツそうだなあ……。
 こんなもんテキトーにやっちまえばいい、と割り切れば楽なのだが、できない。全国の子供たちがこの文章を読むのだ。この文章の質が、ほんのわずかながら「世の中をよくする」ことに貢献するはずなのだ。ちょっとでも面白くしたいし、できるだけ間違いを書きたくない。いちいち調べる。あらゆる構成の可能性を考える。ウキー。
 もうほんと、仕事に向いていない。あまり仕事はしたくない。だけどやり始めたらけっこう楽しい。受験勉強もそんな感じだった。
 自分のお店に立つことは、本当にぜんぜん、仕事だと思っていない。気分としては趣味である。「できるだけ多くのお金を稼ぎたい」と思っていないからだろう。もしそうなったら「こうであらねばならない」というのが、自分の外部にできてしまう。自分の内部だけで完結させることを「趣味」って言うんじゃないですかね。
「これだけのお金を稼がなければならない」という目標は自分の外部にある。目標というものはだいたい固定されているので、そこはそのままにして自分のほうを変えていかなければならない。それが苦痛なのである。たとえば今回の原稿仕事でいえば、「第1次吉田内閣について、いついつまでに、指定された文字数で子供にも分かるようにまとめる」というのが僕の「外部」にある。それは勝手に変えるわけにはいかない。自分の書くものをそっちに合わせていかなければならないのだ。
 この日記は逆に、ほぼ僕の「内部」にある。おおむね自分でコントロールができる、してよい、というものである。内容も長さも文体も、すべて勝手に決められる。納期もない。ストレスがない。「こういうのは書きたくない」というのはもちろんあるが、それも自分が決めることでしかないし、自分で勝手に撤回もできる。自分の内部だけで完結しているというのは、そういうこと。
 受験勉強にしても、まだ見ぬ試験問題が「外部」にあって、それに合わせて学ぶ必要がある。数学でも世界史でも、試験に出題される内容を効率的に学ぶことが求められる。それをしなければ「落ちる」という悪い結果が訪れる。一方、目標もなくただ勉強するだけなら、どのようなやり方をしても良いし、間違ったことを覚えたって別に問題はない。というかテストがないなら間違いという概念もほぼなくなる。
 あらゆる求心的なことが苦手で、ただ遠くへ行く遠心的なことが好きである、というのは、こういうところにも発現している。(夜学バーHP内のテキスト「遠心的な場を求めて」等を参照。)
 ここまで1600字くらいを15分弱。内閣もこのスピードで書けたらなあ。

2021.5.14(金) #かわいいぼく

 Twitterで「#かわいいぼく」というハッシュタグをつけ、喫茶店やお豆腐屋さんなどで可愛がってもらったり良くしていただいたりしたのを記録している。元ネタ(初出)は2019年8月6日のできごと(書くのが遅くなって10月のページに記載)なので、「かわいいぼく」という言葉が僕に住みついたのは意外と最近だったらしい。
 たぶん何度か書いたし先日の「自伝」でも話したのですが、2015年4月から2017年7月までの女子校勤務のなかで僕は「かわいい」ということの正当性を得た。自然にふるまったら自分はかわいいのだとわかった(みんな優しいからかわいいかわいいと言ってくれるのだ)し、そのほうが授業も生徒との関係もうまくいくようだったから、「これでいいんじゃないか」と思えた。時を同じくして、僕のことをかわいいかわいいと言ってくれる人が現れた。たぶん女子校にいたことによってそれまで抑えていたかわいい自分をよそでも少しずつ開放していけたのだろう。「女の子みたいかわいい」等々と閨等で言ってもらえることは昔からあったけど普段からそれで別にいいんじゃないかと思えるようになってきた。そのダメ押しが徳島での「かわいいぼく」事件(事件なのだ)であった。
 もっと若いうちに「かわいいぼく」を会得しておけば得することも多かったとは思われど、そしたらたぶんけっこう嫌なやつになっていたろう。今でさえこんなことを書くときっと「は? 何言ってんのキモ」「アピールおつ」「自分好きすぎ」「お前の中ではな」「黙ってりゃいいのに」といった冷徹な反応をされているんだろうと毎度心が苦しくなる。だけどあえて言うことに一定の意義ありと信じるゆえ記す。
 世阿弥は若いうちの美しさを「時分の花」として区別し、真の花盛りを30代頃とした。その後もまことの上手を極めた達人であれば花は枯れぬという。いま30代半ばの僕がもし(自分で思うように)花盛りにあれば、あとは死ぬまで咲かせられるよう努めるのみ。すべての初心を引き連れて。楳図かずお先生をお手本にいたします、もちろんとてもかないますまいが。

 実家に帰ればいつもかわいいぼくである。甥や姪がたくさんいて両親はすっかり「じいじ」「ばあば」となっているが、子を持たぬ末っ子の僕が帰省するときは「お父さん」「お母さん」となる。コーヒーを入れてくれたりブロッコリーを茹でてくれたりする。そのとき僕はかわいいぼくで、二人ともそれを喜んでくれているはずだ。今のところ僕にできる孝行はそのくらいなので、せいぜい頻繁に顔を見せるようにしている。年に何度も寄っていて、一年以上あいたのは今が初めて。
 祖母に対してもかわいい孫でい続けるのが一種の義務と思っているし、お年寄りの営む喫茶や飲み屋や豆腐屋さんなどに足繁く通うのもそれに似ている。「かわいいぼく」みたいな人がにこにこやってくることを嬉しく思ってくれる人はいる。僕のアーバン商売への貢献。
 わずかでもそれで、世の中がよくなるのではないか? という希望をこめて。

 たとえばお店をやっていて、入ってくる人がぶすっとしているよりもにこにこしていたほうが気分がいい。「かわいいぼく」の思想は、そのように世の中の景観をよくしたがる。みんながかわいくないよりも、みんながかわいいほうがよいはずだ。みんなでかわいくやりましょう。

 7時間にわたって自伝を語りました。アーカイブあります。
 
講演会もよろしくね。


●自伝いいます YouTubeライブのURL

 5月12日(水)は60日にいちどの庚申の日で、朝まで眠るわけにはいきません。いつもならお店や野外で人々と過ごすのですが今回は趣向を変えてまたYouTubeライブでもやります。23時半くらいから朝4時半くらいまで。自伝でも語りたいと思いますので、「話してほしいこと」「聞きたいこと」等々をメールフォームから送ってくださいませ。それをもとにして組み立てるので、一通一通がかなりダイレクトに構成に反映されます。ちゃんと進行表みたいなのを作って、聞くに堪える内容に仕上げる……つもりですので、できれば早めに。そして何度でも。一般的なことでも踏み込んだことでも何でもかまいません。匿名でも送れます。
 追記:みなさまありがとうございます。9通ほど届いています。きわどいものもありますがすべて(工夫して)盛り込みますので、もっともっとください! 目標100通!(5/9)
 追記2:9通で止まってます。もっとちゃぶ台! 複数回かまいません。(5/11)
 追記3:最終的に33通(!)いただきました。ありがとうございます!(5/13)

2021.5.11(火) 死者との腐れ縁/c/w 孤独に死す、故に孤独。

 2011年2月19日を命日として西原夢路は死にました。当時の日記によると訃報に接したのは21日。23日にお通夜に行った。その時に聞きそびれて今日まで命日を知らなかった。今さら彼の父親から教えてもらった。10年ぶりに交流させていただいた。
 西原は本名ではなく筆名で、インターネット上でもそう名乗っていた。学校の同級生だったので基本的には本名の名字に「くん」をつけて呼んでいたがネットで知り合った人たちの集まりなどでは「西原ァ!」などと呼ぶこともあった。今はだいたい「西原」とか「西原くん」と呼んでいて、本名の「○○くん」は口にすることがない。
 彼の家族と話すときには、相手も同じ名字なわけだからなんか変だし、下の名前は一度も呼んだことがないのでもっと変だ。仕方なく「彼」などというよそよそしい代名詞を使うことになってしまう。今後ふたたび呼ぶ可能性があるとすれば同じ大学の同級生や先生と話すときだけだが、綺麗にまったく交流がない。「○○くん」という呼び名は西原本人に対してしか使うことがなく、その西原はもうこの世にいないので、僕からはほぼ永遠に発音されることがない。○○くんは本当に死んでしまった。
 ただ、ネットで知り合った友人の中に「本名派」(?)の人がいて、その人と話すときには「○○」と言うこともある。だけどそこには原則「くん」がつかない。微妙な差異だけど、なんだか全然違うのだ。

 死後10年以上経っていきなり彼のお父さんにメールをした。10年前に届いた封書に(簡潔な名文とともに)アドレスが書いてあったのだ。というのも一昨日、近所のもんじゃ焼き屋さんに入って、「やっぱりここには来たことがある」と確信したからである。それは彼との記憶ではなく、彼のお父さんとの記憶だった。彼とも来たことがあったかもしれないが、だとすれば15年くらい前のことなので思い出せない。
 今、彼について考えていることの核心は彼のお父さんへの二通のメールに記し尽くしてしまったのでここには書かないでおく。書きたくないのではなく同じことを書くのが面倒というだけで他意はない。ともかく覚えておくべきことだけを書くことにしよう。

 彼が生まれて10歳くらいまで育った家は、今僕が住んでいる家の町内にあって、500メートルほどしか離れていないということを初めて知った。郵便番号も同じ。ちなみに彼が死んだ家は、今僕が住んでいる家から1500メートルほどのところにある。二度行ったことがあるが正確な位置を忘れてしまっていたので改めて聞いてみたら、引っ越してから100回くらいは通っている道にあった。もんじゃ屋さんはそのすぐそばで、それよりも近いPという喫茶店には幾度となく通っている。
 僕は本当によく散歩をするので、彼の生家も死家も、その前を数え切れないほど通り過ぎている。さらにどちらも湯島のお店に向かう「通学路」にあるから、自転車でもよく通りかかる。
 もっと言えば彼の死家というのは彼のお父さんの実家でもあって、六十年以上前からこの土地をよく知っているわけだ。もんじゃ屋さんのおばあさんについて「俺が中学生の頃は、娘さんだったよ」と仰っていた。僕が一番大好きだった(昨年末閉業した)喫茶店のことも知っていた。なんだか、ものすごいことだ。時間を愛する僕にとっては。

 もちろん僕は、意識して彼のゆかりの地に引っ越したわけではない。そんな感情は持っていない。本当にたまたまである。10歳頃から就職するまで、彼は埼玉県に住んでいた。僕と彼との交流のほとんどは埼玉時代のもので、生前に一度だけ本所のその家に行ったことがあるが、当時は彼はそこに住んでいなかった。まだ祖父母(あるいはそのどちらかだったかもしれない)がご健在だったと記憶している。2011年のこの日記では「そこから隅田川の花火を見た」と述懐しているが、実はその明確な記憶は残っていない。二階に上がって窓から景色を見たのはよく覚えている。その後一緒に酒でも飲んだはずだが、ほかに誰かいたか、どこで花火を見たか、あるいは見なかったか、何も覚えていない。どなたか教えてくださいませ。
 しかし、あのあたりを歩いたような記憶はある。その頃だとまず間違いなく練馬区富士見台から自転車で行っているが、家の横にでも停めたのだろう。その時に例のもんじゃ屋さんにも行ったんじゃないだろうか。彼はいろんな人を生前そこに連れていったようだから。だけどなぜだろう、全然覚えていないのだ。西原については記憶がまだらなところがある。

 一緒に自転車で東京から岐阜の白川まで走ったことがあって、箱根の山を越え、そのまま名古屋まで走って僕の実家で一泊して、関市を経由して白川まで上っていった。そこで彼のもう一つの祖父母宅にお邪魔して、おいしいお水を飲んだり、ちょっと散歩したり、妹がドラクエ5をするのを眺めていた記憶は鮮明にあるが、泊めていただいたかどうかは覚えていないし、どうやってどこまで帰ったかも覚えていない。シャーッと山を駆け下りて名古屋の実家まで戻ったような気はする。おぼろげに、「いやー、もうこのまま名古屋まで戻りますよ」と言って帰ったような気もする。でも確信がない。泊めていただいたとしたら一宿一飯の恩義を忘れた悪いやつになってしまう。記憶というのはそういうものだとわかってはいるが、特に不思議な抜け落ち方をしているような気がする。鬱で薬漬けになったことや、絶交されたり、死んでしまったのがショックで、記憶に蓋をしてしまった可能性はある。そういうケースが、ほかにもあるので。(「自伝」で語るかもね!)
 でもこういうのは、ちょっとした道すじを与えてもらうと、たとえば一つでも間違いない確かな事実を教えてもらえたら、そこからするすると記憶をたぐり寄せられる可能性もある。ただ、その最も適任たる当人が死んでいるので始末に負えない。ふざけるな。

 もしもの話をすれば、もしあの時、彼が21歳くらいのときかな、病院に行って、鬱の診断を受けて、薬を飲み始めるということをしなければ、どうなっていたんだろう。記憶では彼は、はじめ大学のカウンセリング室かなんかに行ったんじゃなかったかな。それがいつの間にか薬漬けになっていた。で、それがおそらく(個人の見解です)かなり大きな要因となって死んだ。自殺じゃなくて持病の喘息の発作のようなのだが、彼の晩年の生活は酒と薬と煙草と栄養ドリンクと猫と本とラーメンと仕事のストレスがそのほぼすべてだったはず(個人の憶測です)なので、そりゃ死ぬだろという感じだ。彼は僕の家に泊まりに来るときでもちゃんと吸入器を持ってきていて、それを使うのを見たことがある。
 こんなことを言うといろんなところから矢を放たれそうなので普段はあんまり言わないようにしているのだが、友人を悼む一環と思って許していただきたい。薬は薬を呼ぶ。薬を飲むから薬を飲むのだ。そして心身はさらに蝕まれていく。それも含めて寿命だったと言えばそうだ。だけど一方で、僕は薬によって友人に絶交され、薬によって死なれたと思っている。細かいことを書くと長くなってしまうので過去ログを「西原」とでも検索して研究していただきたいが、薬を飲み始めてから彼は明確に変わった。少なくとも僕との関係は変わっていった。僕にとっての「○○くん」はどんどん遠くなっていった。それを薬だけのせいにするのはおかしいとはもちろん思うし、薬だけのせいにするつもりもないが、ともかく彼は薬との付き合い方を誤ったし、薬というものはそれを服用する人に付き合い方を誤らせる性質をそもそも持っているんじゃないだろうか。そのくらいには危ないものなのに、みんな安易に手を出しすぎだよ。
 今の人たちは本当にカジュアルに薬を飲む。向精神薬を当たり前に飲む。「これは(抗うつ薬や抗不安薬ではなく)眠剤だから(大丈夫)」なんて言って飲む。「飲まないほうがいいのに」と僕は思うが、そんなことを言えば「何もわかってない」「あなたにはわからない」といったことを言われるかもしれない。西原からはそう言われた。だから言えない。怖い。縁を切られたもんね。すごい悪口を言われて。
 いま仲良くしている友達にも薬を常用している人がけっこういる。やめたほうがいいのに、と思いつつ、特にそれをとがめることはない。飲むべきではない、と強く思いつつ、べつにそうは言わない。久々にここに書いている。西原は死んでいるので反論もできまいが、僕は君のことを、薬に負けて死んだと思っているよ。あの時僕の言うように減薬していたらもうちょっと別の未来もあっただろうと、答えが出た今となっては勝手に主張させてもらう。しかし当時の君が僕の言うことなんて聞くはずがないし、では当座のつらさを僕が減らすことができたかというと、むしろ僕へのコンプレックスが君を苦しめていた側面も必ずあるんだから、それも難しい話だったろう。結局の所やはり歴史にIFはなく、あのルートしかなかったんだろうなと思ってはおります。
 みんなも、僕は勝手に「薬は飲まない方がいい」と思うし、僕なんかと仲良くできているんなら、どうしても薬が必要なほど重症なわけではない人が大多数だと思うし、一時的にはそうだったとしてもいつかはおくすりなくて生きていけるようにしたほうが絶対いい。そんなことわかってる、って全員思うだろう。西原だってそのくらいは思っていたかもしれない。わかってるけどそうもいかないから困るのだ。言ってもしょうがない。だから普段は言わないでいるんだけど、たまには言っておかないと誰にも届かないのでこっそりここに置いておくだけ。「わかってる」ことだとしても、雪の積もるように。
 西原が薬を飲み始めてからしばらくは、まだ仲良くしていた。だから薬を飲んだら即どうにかなるというわけではない。でもどんどん離れていったね。そりゃ僕は「薬をへらしなさい」と思うし、言うからね。嫌だったろうなあ。申し訳ない。僕のほうはうまくいっているように君には見えたのだろうもんね。留年もしなかったし。(君と違って)補欠合格ではないし!(彼はどうやらけっこう気にしていた。)
 ここには西原のことしか書いてないけどべつにサンプル1つで言っているわけではないです。一応いろいろ見てはいます。やっぱり、いつかは薬や酒に依存することをやめたほうがいい。本当にただ当たり前のことで、「そりゃそうだ」とか「うるせえなあ」としか思われないようなこと。

 それにしても、僕のような友達があり、あんなにすばらしい家族がいてさえ、死んでしまうんだから、寿命だったというしかない。みんなもそれぞれの寿命を全うするだけなんだから、僕なんかが横から何かを言うのはお門違いだ。わかっているつもり。だけどやっぱり、たまには言いたくなってしまう。
 彼は「こうあらねば」と強く思っていた。僕は「こうでありたくはない」とだけ思っていた。実のところ似たもの同士で、教員をやったり小説を書いていた、「一流の漫画読み」としては尊敬し合う僕らの最大の違いは、そこだったと思う。「こうあらねば」は、強いエネルギーにもなるが、その副作用も強い。それを薬で抑えなければならなくなったら、もう潮時だと僕は思います。「こうあらねば」はやめて、「こうでありたくはない」という消極的な美学を意識してみるのはいかがでしょうか。

2021.5.9(日) 彼の孤高を見習いたい

 他人からどう見えるか、を徹底して意識した上で、僕は道の上に寝転んだり飛び石を飛んだりする。
 一人でいる時にこそ道端でふざけたい。仲間がいるから、誰かが見てるからそれをやるというのではなくて。(そういう子供っぽさも嫌いじゃないが。)
 誰かと一緒にいるから木に登れる、というのは恥ずかしい。
 登りたいなら一人でいる時にこそ登らなければならない。
 もちろん傍目には気狂いのように思われるだろう。
 それで困るのは自分ではない。見た人のほうだ。普通の人は気狂いを見ると不安になるものだ。
 だからできるだけ誰にも見られないように木に登ったり道に寝転んだりしたほうがいい。
 誰かと一緒だからこれができる、あれができる、というような「ノリ」はいやだ。誰もいなくても逆上がりをするし、誰もいなくても縄跳びをする。
 そこには本当に誰もいないほうがいいし、仮に誰かに見られたとしても、その人に悪影響を与えないようなやり方をしたい。むしろ良い影響を与えたい。
 家の近所に長い公園がある。川が流れている。週に何度か散歩する。上流へ向かえばスカイツリー。飛び石があって、昔はとても飛べなかったけど、今は堂々と飛ぶ。恥ずかしくもないし、それが誰かにとって良い影響にならんかと願って飛ぶ。
(気狂いにならん)ギリギリの線で
 木には登らない。ちょっと悪いことかもしれないから。
 だけどもしも真夜中、本当に誰も見ていないようだったら、登りたいなと思っているし、登れなくてはならぬ気がする。
 眠れない窓から誰かが見ていてもいい。
 それがどのような影響を及ぼすかは、神のみぞ知る。だけど、できるだけ芸術的に登る。

2021.5.6(木) 被支配の自覚

 いでや、この世に生まれては、その瞬間から自分は支配されているとぞ思うべき。生まれた時点で支配は始まっている。日本に生まれれば日本に支配されている。家庭に生まれれば家庭に支配されている。
 僕は日本とA県とN市とK区とO家に支配された状態で生まれた。O家は早々に自治を認めてくれたし現在は同盟関係のようなものである。A県とN市とK区(ないし住民票を移した先のT都とS区)はただの日本の腰巾着なので、支配という観点で見るなら単純に「日本」だけを考えればいいと思う。

 生まれた瞬間からわれわれは日本に支配されている。国や行政や政治家等々に文句を垂れる人たちは、そのことをちゃんとわかっているんだろうか。われわれは被支配者様にあらせられる(謎の敬語)ぞ。大富豪、政治家、高級官僚といった名家に生まれた場合でさえ、日本の法律から無条件で逃れることはできない(条件付きで逃れることならできる場合もあろう)のだから、多少有利なくらいでやはり被支配者であることに変わりはない。人権も自由も平等もタテマエで、いっさい与えられてなどいない。(概念自体を否定するわけではない。)
 われわれは被支配者なので、時には圧政も受ける。当たり前のことだ。殺されることだってある。そういうものだ。それを必死で避けて、少しでも多くの自由を掴み取ろうというのが人生という時間である。その人生の積み重ねが人類の歴史。何千年何万年の偉大なる先人たちが死屍累々、未来を切り拓きつづけ、おかげさまで随分と暮らしやすくなっているはずだ。われわれはまだこの「人類生」の途上なのである。

 世の中は理不尽である。不公平である。なぜならばわれわれは生まれた瞬間から支配されているからだ。宇宙あり地球あり自然あるのと同様に。地震、台風と同列に。
 諦めにあらず。戦うに必須の前提である。
 何よりもまず敵を知り、己を知らねばならない。
 敵は支配者であり、己は被支配者である。そして支配者というのは金持ちや政治家や官僚ではない。彼らも被支配者に過ぎない。ただ比較的彼らに都合の良い支配が行われているというのはあろう。そこはグラデーション。貧乏人や不器用な愚者にはずいぶんと不利な支配かもしれず、だとすればそれは古代ローマの「分割して統治せよ」という支配の工夫そのものである。それのちょっとだけバレにくいやつ。

 ということは、敵すなわち支配者は、人間の形をしていない。
 だから「ある個人」だとか「ある人々」を糾弾するのはお門違いというか、ほとんど意味のないことだと僕は思っている。そんなのは仲間割れに過ぎない。

「不自由だ」「不公平だ」「政府は何をやっているんだ」そんな声はわざわざ出すまでもない、当たり前のことだ。われわれは不自由であり不公平であり、だから政府がわれわれにとって都合の良いことをしてくれる保証などない。
 われわれは支配されているのである。
 税金が高いのも仕方ない。支配されているのだから。
 知らないうちに法律が決まっていくのも仕方ない。支配されているのだから。
 その代わりこの国はかなり過ごしやすい。われわれは守られてもいる。愛ゆえの庇護ではない。支配である。
 ふだん守られるのが当たり前と思っている平和な人々は、いざ理不尽を前にすると急に「支配だ!」と叫びだす。いや、ふだんから支配されてるんだよ。
「どうして政府は守ってくれないんだ! 税金を払っているのに!」
 違う。税金を払うのは支配されているからだ。「税金を払う代わりに守ってもらう」という対等な契約関係などではない。(もっとも、かりに対等な契約関係だとしたら、「それっぽっちの税金じゃ無理です、もっと払ってください」と言われてぐうの音も出ない。)
 政府に国民を守る義理などない。義務もない。憲法だのなんだのに何が書いてあったってそんなのは言葉だけの建前だ。支配されている者が無条件に守ってもらえるわけがない。ところが国民には納税の義務がある。支配されているのだから当たり前である。アンバランスに決まってる。
 ふだん、何も考えずに税金を払って、何も考えずになんとなく「守られている」ような気になっていると、いざというときに「あれ? 守ってもらえていないぞ?」となる。そりゃそうなのだ、本当は守られないで当たり前なのだ。支配されてるんだから。それをまんまと忘れさせられていたのだ。

 支配されている、という現実を受け入れて、それを前提にすると、「嫌だな」と思う人は思う。じゃあどうするか? と考えるところから、ようやく未来は切り拓かれ始める。
 税金を搾り取られ(=働かされ)、それなのにいざとなっても助けてはもらえない。自分にとって都合の良い世の中になどなりはしない。それでも、取り立てて不満のない時期は黙っている。不満が出てくると声を出したくなってくる。しかしふだん何も考えていないので、どう声を出したらいいかわからない。何をすればいいのかわからない。仕方なく周りを見回す。すでに声を出している人の真似をする。乗っかって、わめく。
 彼らにとって「じゃあどうするか?」の答えはいつも「とりあえず誰かの真似をする」でしかない。ほかにしたことがないのだから仕方ない。そしてそこで終わる。そのうちに「取り立てて不満のない時期」が再び訪れて黙る。「運動」はだいたいそうやって窄まっていく。長く続くのは新参兵が次々と供給される場合。加えて、古参兵が「その運動を続けること」自体を目的としだす場合。
 組織や集団の参加者は、原則として「人真似」をしてそこに入ってくる。すでにあるものに加わろうというのだからそれはほぼ100%「人真似」なのである。その時点で「じゃあどうするか?」という問いは終わってしまう。未来はそこで閉ざされる。もうそこでは、「すでにいる人の真似をする」とか「先にいた人間の良しとすることをする」という道しかない。過去をなぞる機械になる。そうやって新たな支配の中に自ら進んで入っていくのだ。
 支配に慣れた人にとってはそのほうが楽だし心地よい。日本に支配され、それを嫌がって、べつの組織や集団、もしくは「思想」や「主張」に支配されに行く。もちろん、それで日本からの支配を免れることはできない。二重に支配されるだけである。何に属そうと、罪を犯せば裁かれるのだから。

 僕ももちろん日本というものに支配されていて、それを嫌だと思うこともあるのだが、仕方ないのでまずは受け入れる。そのうえで、どのようにごまかしごまかし付き合っていくかを工夫する。そしていつか遠い未来、少しでも嫌じゃなくなるようにがんばる。自分が死んだあとのことも視野に入れて。自分が死んだあと世界がどうなろうが知ったこっちゃないのであるが、遠くを目掛けて投げたほうがきっと遠くまで届くだろう。

2021.5.5(水) 発達が障害されてますから…😺

 短期記憶がバグっている。「覚えよう」と思って覚えることはむしろ得意だが、「覚えよう」と思っていないことはすぐに忘れる。都合の良い脳である。
 以前仙台に泊まったとき、ホテルの錠の暗証番号を出かける前にサッと見て「これは覚えといたほうが楽だな」と思ったので数回胸で唱えておいた。半日経って戻ってきた時にサっと思い出せて自分でも驚いた。こういうのもっとすごい人はすごいので別に自慢にもならないが、とにかく暗記は得意で、根本的に記憶に問題があるわけではない。しかし、どこに何を置いたか、とか、今何をしようと思っていたか、さっきまで何を考えていたか、とかは本当にすぐ忘れる。お店でも、営業が終わったその瞬間にはもうその日に誰が来ていたのか思い出せない。
 こういうことを言うと、「そんなの誰にでもあることだ」と言われる。幼い頃から辛さを訴えるたびそう言われるので、悲しくて、やがてほとんど言わなくなった。この際だからまとめて問おう。「あなたは毎日何十回も何百回もそれがあるのですか?」と。それなら同志だ。辛いよね。

 僕はどうも頭がバグっている。悪く言えば「自分に都合の良い脳」で、意識して「これは必要だ」と思ったこと以外は覚えられない。「何を話したか(何を聞いたか)」は覚えているのに、「誰と話したか(誰が言っていたか)」は覚えていられない。
 おそらくこういうことだろう。「面白い」とか「役に立つ」と感じたことは覚えているのだが、それを誰と話したか、誰が言ったかは「面白い」や「役に立つ」と関係がないから、覚えない。もちろん「誰が言ったか」が「面白い」や「役に立つ」と切り離せない場合は、覚えるのだと思う。まことに都合の良い脳だ。
 良く言えば、「誰が言ったか」をあまり問題としていないのである。誰が言ったから説得力があるとか、女が言ったから意味を持つとか、男なのにこういう発言をするなんて偉いとか、そういうこととは切り離して、ただ「内容」をありのまま聞いている。面白いか、役に立つかを吟味して、覚える。そういうところが僕は「いいやつ」だというのである。(やけくその自画自賛。)
 一応書いておきますが、切り離さないほうが「役に立つ」と思えば、切り離しません。

 頭の中にあんまり「秩序」というものがない。秩序とは固定されたものだ。財布や鍵の置き場所をたやすく決めて遂行できる人は、「秩序」と仲がいいのだと思う。僕は意識のレベルではまったく秩序と付き合えないので、習慣に頼るしかない。家に帰ってきたらまずここに鍵と財布を置く。出かける時はここから取ってここに入れる、といった決まり事を身体に慣れさせていくしかない。
 数年前、新幹線にスマホを置いたまま名古屋で下車し、新大阪まで飛ばせてしまったことがある。かねてより僕は傘でも帽子でも財布でも鞄でも電車に置きっぱなしにしてしまうことがよくあった。それで努力して、電車で座席を立つときには必ず振り返って自分の座っていた場所を見るように習慣づけた。新大阪までスマホを飛ばした事件の時にはすでにその習慣がついていたし、実際下車する時に自分の座っている場所をちゃんとチェックしてから出た。それでどうして忘れてしまったのかといえば、僕はその時スマホを新幹線の窓際に立てて置いていたのである。座席はチェックしたが窓まではチェックしなかったってわけ。
 見えていないのである。秩序がないからだと思う。座席をチェックした時、間違いなくスマホも視野には入っていた。僕はとても目がいいので見えないということはない。たぶんその時は座席にのみフォーカスし、スマホは背景に溶け込んでいた。スマホをスマホとして認識していなくて、模様の一部としてしか見えていなかったのだ。平面の絵のように見ていたのだ。
 頭を打つこともよくある。視界を平面としか捉えていないので、それが近いか遠いか、自分とどのくらいの距離があるか、ということに疎いのである。これも秩序がないからであろう。マンガ脳とも言える。すべてを紙の上のように見ている。
「いま、意識しているもの」以外は、すべて平等なのである。すべてが背景と化し、紙の模様の一部となる。だからお茶もこぼすし、肘で小突いてカップを落としたりもする。事件化することは長年の訓練によってかなり少なくはなってきたが、そのために費やしているエネルギーは膨大である。常にものすごく神経を使って生きている、と思う。それでも毎日こぼすし、落とす。
 記憶についてもたぶん、「いま、意識しているもの」だけがあって、過ぎ去ればすべての記憶が同列に置かれて、一様に背景と化す。つい1秒前に考えていたことも、10年前に考えたことも、みな平等に川原の砂利となる。そこからほしいものを見つけ出すのは至難の業なのだ。

 会話の内容は覚えているが、その相手は覚えていない、というのも、僕がどれだけ言語というものにばかり集中して生きているか、という表れだと思う。その時に交わされている言語(口から発される言葉だけではなく、非言語のものも含めて)に集中するあまり、もっと言えばその時に自分と相手との間にある「関係」というものに集中するがあまりに、「相手」が背景と化している。模様の一部となっている。正直言ってかなり、個人というものをないがしろにしている。
 個人に興味がない、と言ってもいい。「関係」なるものを僕が偏重するのはそのせいかもしれないし、「関係」を偏重するから個人への興味がなくなったという順かもしれない。同時進行かもしれない。そこは別にどうだっていい。
「片想いらしい片想い」なんて一度もしたことがない。初恋は中3(夢の中の少女に恋?をしたのは中2)で、かなり遅いと思うが、それも片想いとはいえないもの。他人に執着しすぎて身を持ち崩しそうになったことは幾度かあるが、やがて執着や恋心なんてのは自分の内側で勝手に起こっている自分本位の現象にすぎず、他人とは一切関係がないと悟った。いつの間にか自称シャカレベ(釈迦級)に達していた。シャカレベが言い過ぎなら準シャカ。恋をしない、中2より以前に立ち戻ったってことなのかもしれない。
 個人に興味がない、関係にしか興味がない。こう言うと冷めた人間と思う人もいるだろうか。まったく逆に考えておりまして、ゆえにこそ僕は熱く強く人を求めるのです。だって「関係」というものは、そこに人がいなければ成り立たない。人と仲良くならなければ成り立ちにくい。「自分」と「相手」がいなければ「関係」はできない。しかし「個人」というものは、単独で成り立ってしまう。そういうものにはあまり興味がない。
 興味がないというか、もしかしたら、自分には認識できない。
 その「個人」がどんな人であるか、決める(規定する)ことができない。したくないのではなくて、不可能。そこに自分にとって都合の良い理屈をつけてみたのが、「だってそんなの失礼じゃん」。

 秩序がない。すべて平面に見えてしまう。その中から、一度に一つのものしか認識できない。「相手(個人)」だけに集中すると、そこへ一目散となって、著しくバランスを欠く。その愚かなることは思春期に知った。
 そもそも「個人などない」と考えるのが自然なのだ。個人など幻想である。そんなものはない。諸法無我。関係しかない。僕なんかに認識できるのはせいぜいごく単純な「関係」くらいのもの。そう思ったほうがずっとスマートに生きられる。
 と、このように偉そうなことを言っているのは、ひとえに僕の欠陥のせいである。「秩序がない」という欠陥をなんとかごまかして生きていくためには、そう工夫するしかなかったのだ。おそらく秩序ある人たちからしたら「個人」なるものを設定したほうが便利なのであろうし、「恋愛」をしたほうが楽なのだろう。
「関係」について考えるほうがずーっと面倒くさいだろう。
 僕はたまたま、大袈裟にいえばすべてのものが平等にしか見えない病気なので、あらかじめ序列やルールを頭に入れて(プリインストールして)おいてそれに従って生きるよりも、その都度結び直される流動的な「関係」に目を向けたほうがやりやすい。秩序を意識するより疲れない。いや、そもそも秩序を意識することがほぼ不可能なのである。たぶん頭の作りがそうなっている。その都度考えるか、身体に習慣づけさせるしかない。前者の自由を謳歌しつつ、後者を駆使して社会に許しを乞うほかないのだ。

2021.5.4(火) ゴールデンウィークという常識2

 22歳前後くらいの友人男女が、代々木公園でピクニックをすると数日前からTwitterで告知していた。いろんなところで出会った友人同士がごちゃ混ぜになって遊べるような会がしたい、ということらしい。「初対面の方も大歓迎」とも書いてあった。おお、いい度胸やないか。5月4日、祝日、快晴、夏日、13時から日没まで。場所は誰でも知っててアクセスも良い代々木公園。ああ、なんと常識的な設定! あたしゃ許しませんよ!
 今日は10時から15時まで、他の人にお店の営業を任せていた。昼過ぎまでゆっくりおうちで休んでから、14時半くらいにお店に寄る。ちらっと覗いて特に問題がなさそうだったので湯島駅から20分ほど千代田線に乗って明治神宮前(原宿)まで。電車はかなり空いていた。立っている人はほとんどおらず座席もすべては埋まらないくらい。しかし原宿の街は、代々木公園は、やはりものすごい人だった。みんなゴールデンウィークという常識に魂を縛られているのだ。
 改めて例の「ピクニック」主催者2人のTwitter(合計3アカウント)をチェックする。「バラ園あたり」「バラ園の近く」「バラ園前」としか情報がない。いいねもせずお忍び(?)で来ているので「着いたよ、どこにいる?」などと野暮な連絡はできない。とりあえずバラ園とやらまで行ってみた。ものすごい人である。ものすごい数のレジャーシート。ものすごい数のおちゃらけた人間たちが、所狭しとボール遊びをしたり羽根つきをしたり、寝っ転がったり騒いだり、あちこちからギャーだのキャハーだのと聞こえてくる。音楽をかけて陽気に踊っている人たちさえいる。できるだけ肉体と近づかないように縫って歩く。まさかそれだけで感染もしなかろうが、怖いものは怖い。その混雑の片棒を担いでいる罪悪感も乗っかって、ちょっと来たのを後悔した。けっこう悩んだんだけど、彼らがどのような環境でどのようにその「ピクニック」を行っているのか興味があったのだ。
 15時10分くらいには代々木公園に着いていたはずなのに、ぐるぐるとバラ園の周りをひたすら歩き回り、ようやく彼らの姿を見つけたのはもう16時くらいだった。つまり、そのくらい代々木公園には人がいたのである。「バラ園前」という情報を得ていてすら、探し出すのに40分前後の時間を要したのだ。想像してほしい。僕がどれだけさみしかったかを……。でも「ごめん、30分くらい探したけど見つからないわ、どこ?」などと野暮な連絡はできない。これは本当に病気のようなもので、まあ発達障害の一種ですね。探し出すと死ぬまで探しちゃうの。彼らのTwitterは13時ごろから一切投稿がなく、もうそのあたりにはいないかもしれないのに。
 僕はこういう催しを見かけたら「行ってみたい」と思うほうなのだ。その中に知り合いが誰もいなくても、いや、いなければなおさら、「いきなり知らない人が現れたらどんな反応をするだろう」と想像し、その答えを知ることが楽しい。「誰でも来ていいですよ」と告知しても、実際本当に何の連絡もなくいきなり登場する人は少ない。それはもう十年も十五年もそういう会を(断続的に)やり続けているからよく知っている。そして自分は常に主催する側か「いきなり現れる」人間として存在し続けてきた。
 大学3年生の終わり頃だったか、学内で「うまい棒祭り」というのが行われていると人づてに聞き行ってみた。会場に着いたらすでにチルアウト気味ですっかり静まっており、うずたかく積まれた(?)数千本の(?)うまい棒の山を前にして10名か多くとも20名程度の学生がたたずんだり座り込んだりして黙々とうまい棒を食べているだけの状態だった。僕は「なんてつまらないんだ!」と憤慨し、乗り遅れをすべて取り返そうといきなり奇声を発しながらうまい棒の山に飛び込み、思いつく限りのあらゆるうまい棒を使ったギャグやら一発芸やらを狂ったようにやりまくった。そこには当然、知り合いなど一人もいない。サークルにも入っていなかったので知り合いの知り合いすらいなかったであろう。「君は何者?」と聞かれても「ジャッキーです!」としか答えようがなかった。その時の主催者とは以降ずっと付き合いが続いている。有名な「タモリ宴会乱入事件」みたいなものであろう。その時のタモリさんも「何者だ?」と問われたら「森田です」くらいしか答えようがなかったはずである。

 室内ではコンサートに同行していた山下洋輔トリオ(山下洋輔、中村誠一、森山威男)が歌舞伎の踊り、狂言、虚無僧ごっこなどで乱痴気騒ぎをしていた。そこに通りがかりのタモリが乱入し、中村誠一が被っていたゴミ箱を取り上げると、それを鼓にして歌舞伎の舞を踊り始めた。山下トリオの面々は「誰だこいつ?」と動揺するが、中村が機転を利かせてその非礼をデタラメ朝鮮語でなじると、タモリがそれより上手なデタラメ朝鮮語で切り返し、中村とのインチキ外国語の応酬に発展。表情を付けてデタラメなアフリカ語を話し始めた際には、山下は呼吸困難になるほど笑ったという。始発が出る時間まで共に騒ぎ、「モリタです」とだけ名乗って帰宅した。(Wikipedia「タモリ」)

 タモリさんが芸能界にデビューするきっかけであった。僕はこれに憧れている、というか、これがすべてだと信じている。
 ゆえに、絶対に事前連絡なしで代々木公園の彼らの居場所を見つけたかったのである。40分かかった。わかりやすい目印の一つでも教えてくれていれば、もっと早く見つけることができたし、「初対面の人」だってひょっとしたら来たかもしれない。まあ、本音を言えば来られても困るのか。実際「炎上(怒られること?)を恐れて」というようなことも言っていたし、今回は身内だけのほうが良かったのでしょう。
 僕はたぶん頭がおかしいので「知らない人であって、いいやつであるような人」を過剰に求める。異常と言ってもいい。そういうふうに人と出会いたい。自分がずっと「入れてもらう側」だったからだと思う。「入れてもらう側」としては、「入ってもいいよ」というメッセージがもらえると非常にありがたいのである。
 僕だったら、こんな時に代々木公園でピクニックなどしない。だって代々木公園には人がいっぱいいるのだもの。はっきり言って、ああいう人たちと一緒になりたくはない。恥ずかしいし、面白くもない。プライドとブランド(?)が傷つく。そんなんだから僕ってば永遠にメジャーにはなれないのだが、だからこそゴールデンウィークに代々木公園ではしゃぐような「常識の人たち」とは別の世界で生きていくことができているのだ。仕方ない。
 たとえば「湯島三丁目児童遊園」とかで僕ならやるかもしれない。何度か下見をして、いつも誰もいないようなら。隅っこのほうにシート敷いて、座して待つ。だって代々木公園である必要って何もないし、僕はむしろ怖い。普通の人はたぶん、湯島三丁目児童遊園のほうが怖いんだろうけど。結局のところ、そういうこと。代々木公園なら、代々木公園に臆さない人が来る。代々木公園なら同じようにシート敷いてる人がたくさんいるから、浮かないし、目立たない。木を隠すなら森の中。湯島三丁目児童遊園だと、一見して「何あれ?」ってなる。きちがいか? ってなる。普通はそんなの嫌だよね。みんなと一緒がいいよね。白い目で見られたくなんかない。代々木公園なら、みんな来てるし、まったく気兼ねない。
 僕も代々木公園の混雑に小一時間にわたって一役買ったわけだし、ちょっとのあいだみんなと遊べて楽しかった。知らない人とも会えてよかった。お店の宣伝もちゃっかりした。若い世代に名を売ることは夜学バーの生命線なのである。それでいいのだ。僕も同じ穴の狢だ。これまでに書いたような内容は「批判」みたいに見られてしまうのだろうが、まあそういう側面もありつつ、ただシンプルに「代々木公園で遊んでるやつなんなん?」という気持ちがすべてに独立してあるというだけである。ほんとに怖かった。こりゃ、ウィルスは収まりませんよ。ほんと。
 何が怖いの? っていうと、「自分とはまったく違う考え方をする人たちがこれだけいる」という事実を、眼前に突きつけられることですね。まったく孤独に感じた。特に友達を探して40分くらい歩き回っていた時。すべてのレジャーシートをしらみつぶしに眺めていった。そこには明らかに自分とは価値観の違う人たちがいる。僕よりもかなり高い感染リスクの中で(進んで)生きている人たちも多くいるはずだ。自分が不要に高い感染リスクの中に生きるということは、ほんのわずか世の中に感染を広めるということともいえよう。大げさにいえば実効再生産数を高める立役者たちである。いい経験だった。そりゃ、ウィルスは収まりませんよ。ほんと。
 彼らがどうして代々木公園で遊んでしまうのかというと、「ゴールデンウィークだから」に尽きる。彼らはゴールデンウィークという常識に魂を縛られているのだ。ゴールデンウィークだから遊びに行かねばならない。そしてそれは「ハレ」の場所でなければならない。それはたとえば、近所の小さな児童公園ではなくて代々木公園のような晴れやかなスポットでなくてはならない。家の中ではいけない。練馬区立富士見台児童遊園ではだめなのだ。普段から常識だけで生きていると、肝心なときに本質が見えなくてつい「いつもと同じ表層」をなぞってしまう。
 もっと独自で面白いことを考えたっていいのに、結局みんな代々木公園になってしまう。みんな忙しいってことなのかな。考えている暇なんてないのかな。休日ってのはそのためにあるんではないのかね!

2021.5.1(土) ゴールデンウィークという常識1

 ゴールデンウィークが始まりました。街には色とりどりの花を持った貧乏そうな顔つきの国鉄の客。上野公園あたりは人がいっぱいで、隣接する上島珈琲店には列ができていたし、カヤバ珈琲という谷中の洒落た喫茶店の前を通りかかったら満席で入れない若者たちが店員さんからその旨説明受けていた。
 僕はお腹がすいたのでAというお店でカレーライスを注文。らっきょと揚げ豆腐とおひたしがついてきた。いつもお年寄りしかいなくて、これまで(まず間違いなく)一度も最年少でなかったことがない。よく可愛がってもらっている。今日もいつも通り。人が増える場所もあれば、何も変わらない場所もある。
 感染症は相変わらず大流行なのだが、人々は「まあ大丈夫っしょ」「そうなったらそうなったで」というノリでおそらくいるようだ。もちろん愚かだと思うが、それが人の常なので仕方ない。その程度の「人の常」しか持ち合わせない我々人類が悪い。
 自分のお店(夜学バー)は5月1日から3日まで「10時から13時」に営業する。4日と5日は別の人に任せる。6日と7日は平日なので「15時から18時」で、8日の土曜日は「7時半から11時半」。少しずつ早起きに身体を慣らせてはいるものの、さすがに7時過ぎに家を出るのはつらいなあ。でも決めちゃったからなあ。
 すなわち原則として、土日祝は朝、平日は夕方。絶妙に行きづらいでしょう。そこがねらいよアクダマン。翌日が平日の日曜日だけは「17時から20時」で、これも同じ意図だけど、やっぱり朝にすればよかったかな、と今は思っている。
 来てほしくないわけではない。むしろすごく来てほしい。だけど混んだらそのぶんリスクも高まるので、難度調整によってコントロールしている、つもり。実際お客は毎日だいたい2〜3名で、5名以上の日はかなり少ないし、1名もなかったのは3月9日以降は1回のみ(4月16日金13時から16時)である。我ながらいいバランスで設定してきたと思う。詳しくは夜学バーの日報をどうぞ。

 いま広がっている変異株は射程範囲(感染力)がかなり大きいという話があって、それがやや気になる。去年の今ごろも、このウィルスがどのくらいの感染力を持つのかがいまいちわからなかったのでのりしろを大きめにとって警戒していたのだが、今回も似たような感じ。他流試合をする人のように、じっと見据えている段階。
 上記の開店スケジュールは、ちょっと前に決めたものだ。当然ながらちょっと前よりは時間が進み状況が変わっていて、僕が予想したよりも「蔓延しそう度(感染が自分の周囲に及びそう度)」がちょっと高い。まだ予定を修正するほどではないが、12日以降はもっと絞ったものにするかも。開店頻度と来店難度を改めて調整したい。
 ニュースを見て、いろんな街に出て人の様子を見て、さらにはもっと具体的に、自分が直接接触しうる人たちの日々の動きを観察して、総合的に「ちょっと怖いな」がいま、僕のお腹の中にある。
 時が経てばまた所見は変わるだろうが、そろそろ自分の周りに感染が発生するだろう、それは一人や二人ではなく、いわゆるクラスタと言われるものだろう、という予感がある。根拠はない。ただ状況だけがそれを匂わせてくる。この辺りでサッと引いた方がいいタイミングだ。サッと引けば自分にそれは及ばないが、引かなければ自分にも及ぶ、そのくらいの瀬戸際と直観している。えー、全く無根拠に
「人の常」のど真ん中に生きる人たちは「まあ大丈夫っしょ」「そうなったらそうなったで」というノリで生活している……ように僕には見えるので、彼らと接触するのは感染リスクが高いし、彼らと接触している人と接触するのもそれに準ずる。「人の常」の中枢と繋がってしまうのが、いまはちょっと怖い。
 日本はクラスタ社会である。階級、階層と言ってもいいが、序列を考える必要はない。教室に発生する「グループ」が大規模かつ抽象的になったような感じ。たとえば中卒というクラスタと大卒というクラスタがある、というように。この二つのクラスタが交わる機会はかなり限られている。だからたとえば、大卒クラスタで蔓延するウィルスは中卒クラスタにはすぐには蔓延しない、と思われる。
 交わることが全くないわけではないので、大卒→中卒という感染の流れもある。ただし、「大卒という一つの巨大クラスタ」「中卒という一つの巨大クラスタ」というふうな一枚岩ではなく、実際は「大卒クラスタA,B…」「中卒クラスタa,b…」というふうに「小さな閉じたクラスタ」が無数に存在しているイメージだろう。大卒クラスタAから大卒クラスタBへは感染しやすいが、大卒クラスタAから中卒クラスタaにはなかなか広がらない。またそれぞれのクラスタは基本的には閉じているので、他のクラスタに一切うつさないクラスタもたくさんあるはず。そう考えると、おそらく「大卒クラスタ」で流行ったウィルスはおおむね大卒クラスタの中で蔓延し、たまに中卒クラスタに飛び火したとしても早晩消し止められて、結局は大卒クラスタのほうにより多く長く生き延びる、ということになるのではなかろうか。
 本当にこれはなんとなくでしかないけど、日本ではこの新型コロナウィルス、ある程度富裕層というか、「お金を使う人たち」の中に多く蔓延しているように思う。特に「お酒を飲むのにお金を使う」人たち。その辺の立ち飲み屋で1000ベロしてる人や、カップ酒持って歩いたり一升瓶抱えてうずくまったりしている人ではなくて、座ったまま何千円も何万円も何十万円もお金を使うような人たち。そしてそのクラスタの外には、意外とあんまり広がっていない。(実感に基づく仮説です。)
 こないだ歌舞伎町を歩いたが、「歌舞伎町だけは集団免疫が成立している」というジョーク(だと思う)があるくらいで、フツーに夜の街を満喫している人がたくさんいた。未来人のために記しておくと、4月25日から5月11日まで(延長の可能性あり)東京都では「朝5時から20時まで」という営業時間制限に加え、「飲食店での酒類提供」も事実上禁止されている。しかし歌舞伎町の人たちは「そんなん知らんがん」(名古屋弁)と夜の街を謳歌していた。いや、もちろん時短したり酒類提供を控えているお店も非常に多いのではあろうが、そうでないお店もものすごく多いのだ。このあたりは4月27日の日記参照。
 いま歌舞伎町にいる人たちのほとんどはおそらく「プロ歌舞伎スト」的なもので、いわゆる歌舞伎町に生きる歌舞伎町の住人たちであろう。上記の僕の仮説でいえば、その人たちの中で蔓延するウィルスは容易にはその外へ出ない。出るとしても、似たようなクラスタにまずは行くだろう。新宿2丁目の住人とか、渋谷や六本木の住人とかへ。ゆっくりと。
 もちろん住宅街にも飛んでいく。中野区や杉並区、練馬区なんかにも。しかし住宅地での感染広がり力は繁華街ほどではない(特に歌舞伎町とは比べ物にならないほど弱い)ので、緊急事態宣言下での比較的おとなしい振る舞いの中でなら自然に収まっていくだろう。それで結局、「元気のいい繁華街クラスタ」のほうにだけウィルスは残る……んではないかと。だから、全体としてはいったん収まったかに見えても、またそこから広がっていく。
 夜の街が一環して「蟻の巣」であることを僕は疑わない。それを絶たぬ限りは蟻も絶えることはない。しかし絶つことはできない。そうなると、本当に歌舞伎町に代表される歓楽街、繁華街の中でだけ集団免疫を成立させるしか道はないのでは? とさえ思う。つまり、そのエリアを隔離して特区とし、そこで遊びたい人たちに優先的にワクチンを接種する、というような。無理なんでしょうけど……。

 今また喫茶店にいる。ここはさっきのお店よりは比較的「見つかっている」お店ではあるけれども、都内でもまあまあマイナーな土地だし「映え」って感じでもないので、基本的には地元の人しかいない。遠方(?)から週に複数回通っているのは僕だけじゃなかろうか。おそらく、いまウィルスの蔓延している「クラスタ」とはかなり遠いところにある。いまちょうどお客は僕以外に一人もいなくて、人に溢れた上野とは(2〜3キロしか離れていないのに)大違いだ。あ、お客がやってきた。座ってアメリカンを注文する。そのテーブルにそっと週刊文春が差し出される。
 ここにいる人たちだって「人の常」で生きていると思うのだが、いったい何が違うのだろう? 人と一口に言ったって、それももちろん一枚岩ではない。人の在り方は多様であって、それをみんなは選択できる。選択の結果、似たもの同士で形成するのが「クラスタ」なるもの。たぶんいま、みんなは知らず知らずと、「自分がどんな人間であるか」を見つめさせられている。自分がどんなクラスタに属しているのか、どんなクラスタと近く、どんなクラスタと遠いのか。
 はっきし言って、普通の人はそれが怖いんじゃないですか? ウィルスのことを意識すると、「自分が何者であるか」と向き合わなければならないので、考えないようにして、「連休だから出かけよう、出かけなきゃ!」という従来の「常識」のほうを取っている。「自分が何者か、自分はどんなクラスタに属しているのか」ではなくて、「今はゴールデンウィークだ」という、より広く普遍的なように見える巨大な世間のほうだけを見つめようとしているのではないですかね? だからクリスマスや年末年始も、あんなに盛り上がっていたんでしょうな。
「考える」なんて事態には遭遇したくもないし、したとしてもそのやり方はわからない。だから「ゴールデンウィークだ」というふうに、目の前にとりあえず「決まりきった発想や行動を促してくれる馴染みの概念」があるのはとてもありがたい。去年「自粛しましょう」という言いつけを守ったのも、自分で考えたくなかったというのみ。今年はそれを守らないというのは、単純に、迫力が足りないってことなんでしょうね。それよりも「ゴールデンウィークだ」のほうがリアリティ(臨場感)があるんだもの。どんな災禍も習慣には負けるのかしら。絶望のような、希望のような。

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