少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2021.2.26(金) 微分と積分と僕
2021.2.20(土) 森喜朗(83)
2021.2.16(火) 関係 パン屋さんと喫茶店
2021.2.15(月) オリカク「柴の記」(子供向けアニメの話)
2021.2.14(日) 昨日に引き続き多忙の記
2021.2.13(土) バーレンタイン! バーレンタイン!by太田光
2021.2.11(木) 儀式に不参加(解題「少年Aの散歩」)
2021.2.9(火) ママは小学4年生
2021.2.5(金) 1月10日ごろの雑記と続き

2021.2.26(金) 微分と積分と僕

 またもおふろから。うーん、仕事が終わらぬ。
 べつにずっと仕事をしていて終わらないのではなく、他にいろいろすることのあるのが大きい。週に4日はお店を開けているし、高校生に教えるために微分・積分とベクトルの復習をしたり、英語の文章を何本か読んで重要なところに線引いて渡したり。読みたい本もある。散歩もしたいし喫茶も行きたい。せねばならんことは無数にある。こうした文章もその一部で、↓の森サンの文章に何時間かけてんだって話。その時間を「仕事」にあてればもっと余裕があるわけだが、やっぱ余裕って前借りしちゃいますね。帰ってきてから『ザ・ノンフィクション』の録画と『俺の家の話』見てしまった。
 やれる時にやらないと永遠にヤンナイ、ってのもあるので……。

 受験英語に関してはほぼ忘れていないし、数学も前より理解できている。よろこばしいことだ。まだまだ自分は賢いなと思う。


 近代より前は「神=自然=曲線」っていうのに対して人間はなすすべなく、ちっぽけなものだった。ところがたぶんニュートンとかそういう人たちのあたりから、「人間=人工=直線」っていうラインが強くなってくる。それが大雑把に言って「ルネサンス(再生)」の「ヒューマニズム(人間主義)」というものなのだと理解している。
 微積とは、僕の理解する範囲でものすごくざっくばらんに言うと、曲線を直線に変換して、自然を人間の扱える領域に引き込んだ、というものだったのだろう。
(微分は曲線を接線に変換するものだし、積分は曲線から無数の「線分みたいなもの」をみちびいて合算するものだと思うので。)
 そういう観点からすると、すべてを「まっすぐ」で表現しようとするベクトルという考え方も、万物を直線に置き換えるもの、とみることができるかもしれない。
 本当はもっといろいろ複雑なことがあるようだが、高校で習うレベルのことだけをもとにして考えれば、上記のような理解で問題ないんじゃないか、と思う。

 神を離れた人間の営みとは、何もかもを直線に移し替えること、なのである。(たぶん。)
 そもそも、十字架がそれを象徴するように、神の役割とは「すべてを直線に移し替えること」だったのかもしれない。人間にはできないから、神が代替した。
 世の中のあらゆる複雑なことは、「神が作られた」「神の意思である」という直線で表現された、というわけ。
 今も昔も人々は、曲線を曲線のまま受け入れることがなかなかできないのだ。必ず、理由を欲しがる。

 目的地があってそこへ行く、というのは直線である。散歩は曲線。
 そしてその散歩を微分して散文とするのがこの日記である、と言えば格好良かろう。カッコいい。
 ふつう散文は直線で、優れた詩は曲線に近い。
 だが、ただの直線的散文には芸がない。
 三次関数が二次関数になっても、まだ微分ができる。
 僕の肉体的散歩が四次関数だとすれば、詩は三次関数で、この文章は二次関数、そのくらいがいいな。詩的な文章ってのは、まあ二次関数くらいでしょう。
 では、さらにこの文章を微分するとどうなるのであろうか?

 あるいは、この文章を積分すると?
 もちろん詩になり、それを積分して散歩になり、それを積分していくといつか僕になるのである。そしてまたいつかは宇宙にたどり着く。
 同様に、微分の果てはミクロな宇宙の果ての果てであろう。

 フラクタル理論の
 うんとはじっこの方まで行ってみたいな

 そう遠くはない。

 2/20の記事、全体的に手直し・補筆しました。読んでみてください。(2021/02/21 20:09)
 今日お会いした方が、この記事をとても褒めてくださったので少し回復。「橋本治レベル」とのことですので、そのお言葉を信じて生きていきますね。ありがとうございます。

 2/20の記事、いちばん下に追記しました。(2021/02/20 22:20頃)
 別に僕は森サンの話をしたいわけじゃないのです。価値観と世界観のことを書いておるのです。しかしそれがうまく表現できません。
 ほんとに、森サンについて何かを言いたいのではなくて、仲良しと世の中について書くための方便です。たすけてください。

2021.2.20(土) 森喜朗(83)

 これからわかりにくいことを書くのできっと多くの人にはよくわからないだろうと思いますが早合点して「ジャッキーさんはこう言っているのだな」とはゆめゆめ思わぬようお願い申し上げます。「どれだけ分かったと感じてもそこを離れてはいけない」です。GUNIW TOOLS『真鍮卵』PVの字幕より。
 最後のほうに「言いたいこと」がようやく出てきますので、長いですがそこまでどうぞ。


 僕は「仲良し」にとても重きを置いています。(講演参照)
 だから森喜朗さんの女性蔑視とされた発言(未来人のみなさんは検索してみてください、何年後でも出てくるもんだろうか?)を目の当たりにしても、とりあえず「仲良し」という視点から見ます。
 僕はお店をやっていますので、こんなご時世に際してもそれなりに人と会うことがあります。すると、かなり多くの人が森喜朗さんのその発言とその後の態度等について怒りや憤り、やるかたなき各種ネガティブな感情を抱いていることがわかりました。
 最初の1週間くらいは新聞の紙面の一等地を毎日飾っていましたし、テレビでもインターネットでも、とにかく森さんは叩かれておりました。
 しかし僕は「仲良し」を標榜している人間ですので、すぐに森さんに怒りは抱きません。「ほう?」と最初は思います。(もちろん発言の全文をくまなく読み、どこがどのように切り取られているのかも精査しました。)
 仲良しの発想からは、とにかく「まず最初に怒り」という展開はありません。突然殴られたとしても、「なぜだ?」と考えます。むろん、身を守る必要を感じれば最優先しますし、その感覚を鈍らせてはいけないとも思っています。ちゃんと殺気立って生きてはいるのでご安心を。
 別に単純な博愛主義者でもない(複雑な博愛主義者です)ので、殴ってきた相手と仲良くしようとまず思うわけではないです。「仲良くはできなさそうだな」と当然まず、思います。
 しかし、その相手を観察はします。
 なぜ観察するのか? その相手と仲良くなれる可能性を探るためです。そしてそれは、その相手と仲良くするためにするのではありません。
 誰だって、いきなり自分を殴ってきた相手と仲良くなろうとはなかなか思いません。しかし、「自分を殴るかもしれない相手」だったらどうでしょう。なんとなく敵意を向けられている感じがあったとしても、まだ殴られてはいないのです。その場合、こちらの態度や様子次第では、向こうも態度を変えたり、思い違いがあれば修正したりして、のちに仲良くなれる可能性はありそうなもんです。
「第一印象は最悪で、絶対仲良くならないと思った」と高校の同級生から言われたことがあります。太田光さんみたいなノリで生きていたからだと思います。僕はその人を殴ったわけではなかったし、その人も僕を殴りはしませんでした。そのまま同じ教室にいたら、いつの間にかお互いのことが少しずつわかってきて、だんだん仲良くなっていったのです。今でもめっちゃ仲良しです。
 べつに森喜朗さんといつの間にか仲良くなろうという話ではありません。彼は「殴った」わけですから。(そうなんですよね? ここではそういうことにしますね。)

 ただ、「殴った」と「殴るかもしれない」の間にあるものは何か? ということを考えたいのです。さらにわかりやすくするなら、「つい殴ってしまった」人と、「あぶね、殴りそうだったわ、我慢して偉いなー俺」という人と、ならば?
 この「殴りそうだったわ」というのは、ふつう口には出しませんので、「殴る予備軍」の存在を感知することは困難です。「殴った」という事態になって初めて、「殴りたかった」という内心の事実が浮き彫りになる、ということが多いはずです。
 ということは、「殴った」人を観察することはとても意義深いのです。「殴るかもしれない」人の観察は難しいので。
「殴った」人を観察することで、「殴るかもしれない」人の特徴や性質、あるいは自分が殴られそうなタイミングなどがわかる、かもしれないのです。すると、「殴られることを回避する」ための対策も講じることができそうです。あるいはその人に「殴らせない」というアプローチを仕掛けることも考えられます。そこから「仲良し」の道も、開かれうるわけです。

「殴る」という事態が起こるとき、「それを未然に防げなかった」という反省も同時に生まれます。
「殴るかもしれない」という人についての研究が十分であれば、それを回避することは、不可能ではなさそうだというのが上記の通り、僕の考えです。完全にゼロにはできなくとも、だんだん減らしていくことはできると信じたいものです。そしてその「殴るかもしれない」人についての研究とは、実際に起きた「殴る」という事態や「殴った」人の観察を通じて行われるものなのです。

 これは決して、「殴りそうなやつを事前に見つけて排除しよう」という発想ではありません。僕のは「仲良しの発想」なので、「殴るなんてやめようよ!」「仲良くやろうよ!」ということでしかないのです。
 だから「殴るかもしれない」可能性を感じたら、「殴らせない」という方向へ少しでも持っていけるような道を探るのです。
 ものすごく極端な例を出します。道端で「バカ!」と罵られたとします。そこで「うるせーバカ!」と返すのは簡単ですが、それは最初に罵った人間の内心を何もよくさせないでしょう。たとえば「そのジャンパーかっこいいっすね!」とか言ってみたらどうでしょうか? 少なくとも「うるせーバカ!」よりは平和なのではないでしょうか。(「バカにすんじゃねー!」とボコボコにされそうでもありますが。)

 迷惑をかけられたら(殴られたら)それなりのアレは必要かもしれませんが、実害が生じないうちは平和的解決もありでしょう。そしてそれは、決して「その人と仲良くなる」ためではありません。「その後」を見据えてそうするのです。
 いつか、誰かと仲良くなるためにそうするのです。
 自分が、でもありますし、相手が、でもあります。
 森喜朗さんに怒っている人たちは、この「いつか、誰かと」という発想が、果たしてあるんだろうか? と疑問に思ったので、この文章を書いてみています。

 森喜朗は悪だ! 辞めさせろ! 迷惑だ! 引きずりおろせ!
 はい、森さんがその地位(オリンピックなんちゃら長)にいないほうが良いか否か、についてはよくわかりません。何にしてもそのやり方でいいのか? とだけ思うわけです。
 そこには「仲良しの発想」がないからです。
 くり返しますが、べつに森喜朗さんと仲良くしろと言っているわけではないし、森喜朗さんに優しくしろと言うのではありません。自称ちょっぴりサイコパスなんで「可哀想」とすら思いません。どうなろうが知ったことではありません。
「その後」を見ているのか? という話です。
 悪いものがいて、それを悪く言って、やめさせる、排除することに、「暴力の練習」以外の意味がどんだけあるのか? ということです。
 森さんは議員も辞めていなければ、持っている権力もおそらくそうは変わりません。とりあえずオリンピックなんちゃら長だけは辞めさせることができました。それはもしかしたら何らかの前進なのでしょう。しかしそのための手段は、本当にあれでよかったのか? という話なのです。(非難や批判や悪口……すなわち「世論」なるものが実際どれだけその動きに貢献したのかはわかりませんが。)

 同じ結果を得るなら、暴力よりも仲良しのほうがいい、と言えば、大抵の人は同意してくれるでしょう。ただ、想定できる声は「優しく言ったって聞く耳を持つわけないじゃないか」というのです。
 つまり、ワレワレコクミンがみんなで彼を槍玉にあげたから、ある程度の「暴力」を持ってしたから、首はすげ変わったのであって、「おじいちゃん、ダメですよ、そんなこと言っちゃいけないのよ」みたいなホンワカしたやり口では、森喜朗を辞めさせることはできなかったのではないか、と。
 実力行使しかない! みんなで声をあげよう! 「そういう空気」をつくりあげるんだ! 森喜朗に優しく言ったって、聞くわけがないんだから!
 世間のイメージ通りとすれば、森喜朗はきっとそういう人なんでしょうね。
 じゃ、そういう人をそういう人として育て上げて、あるいは維持して、権力者の座に(今も!)つかせ続けているのは、いったいだあれ? といえば、「みんな」ですよね。森喜朗さんに直接間接に関わっている「みんな」。ものすごくミクロに見れば、僕だってその一人。
 言ってみれば、「ダメですよ」を、サボってきた人たちみんなです。
 サボってきたから、今さら「ダメですよ」と言ったって、もう遅い。

 サボってきたから、ああいう人が力を持っていて、こういうことになっても平気な顔をしていられる。
「ダメだよ」を言ってこなかった、あるいはそれが不十分だったか、時機が遅れてしまっていたから、いま「古い世代はわかってないね」という状況になっているのです。
「わかってないね」は、断絶だし、「こっちが正しい」でもあります。「わかってないね」が出てしまったらもう、「森さんだって正しい」という可能性はほぼ無視されます。
「わかってないね」という形で断絶してしまっているから、誰も仲良くしようとはしないし、「わかろう」とも「わからせよう」ともしない。
 お互いに話をしようという態度にならないのです。

 森さんの問題は「アップデートできていない」ということではなくて、「みんなと仲良くできていない」ということです。みんなというのは、主にメディアを通して森さんを知る人たちのことです。友達とは仲良くしているのかもしれないので。
「ごめんねえ、そういうつもりじゃなかったんだよ」と言って、「それにしてもあの言い方はよくなかったですよ」と言われて、「変だなあ、そういうつもりじゃなかったのになあ、どこが悪かったのかねえ」と言って、「こういうところとかじゃないですかねえ」と言われて、「うーん、そういうふうに言ってるつもりはないんだよなあ」と言って、「というのも、そもそもこういう認識がよくないと近年言われていまして」と言われて、「えー、どうして? 私はちゃんとこういうふうに表現したじゃない?」と言って、「その表現を、このように受け取る人もいるんですよ」と言われて、「そんならそれに文句を言うつもりはないけれども、正直言って自分にはよくわからないんだ。悪意があって言ったのでないことだけはわかってほしい」と言って、……みたいなやりとりができるなら、まだマシだったと思うんですね。
 この例だと、明らかにアップデートはできていないものの、「話をしよう」という態度がお互いにある。そういう感じに話せたのだとしたら、もう少し同情もあったと僕は思います。

 森さんは釈明を含んだ会見で、「面白おかしくしたいから聞いているんだろう」と、質問した記者に言っています。僕もほとんど同意見です。どんな会見でも、記者たちはできるだけ「売れる」答弁を引き出そうと考えているはずです。また、あの場で質問した記者たちは「仲良くやろう」という意思を誰も持っていないように僕には見えました。
 森さんのこの発言は、もちろん半ば喧嘩腰です。それは記者がそもそも喧嘩腰というか、「売れる発言を引き出そう」と考えていることに由来しているところが大きいと僕は考えます。逆ギレされたら「しめた」と思うような態度で最初から臨んでいるのです。また、本気で森さんに怒っている人もいたかもしれません。怒りをぶつけられれば、怒りで返してしまうこともあるでしょう。「バカ!」「うるせーバカ!」の世界です。
 会見を見る人の多くは、最初から「どっちか」を期待しています。記者が責めあげて森さんがひたすら謝り倒すか、森さんがさらに「悪役」になるような発言をするか。
 それも「仲良しの発想」でないことは明らかです。だから僕はあの流れがすべて嫌いです。

 森さんがかりに、今後も「よくなる」ということがないとします。よくなるというのは、国民の皆様方が満足するような言動を常にとるようになるってことです。僕もたぶん、森さんはずっとあの感じだと思います。少なくとも我々みんな(記者たちを筆頭に!)の態度がまったく変わらない限りは。誰もが「仲良しの発想」を中心にして生きていくのでない限りは。
 森さんはよくならない。だから引きずりおろすしかない。批判の声を緩めてはならない。
 僕によるとそうではないのです。
 結論めいたことをいえば、僕たちは森さんを利用して、仲良くする練習をしたほうがいいのです。
 なぜならば、あなたたちが嫌いなのは森さんだけではないからです。
 森さんはたまたま「殴る」という行為(比喩です)を実際にしましたが、しないだけで「殴りそう」な人はたくさんいるはずです。死ぬまで殴ってこないかもしれませんが、その代わり表面化しないところでめちゃくちゃ悪いことをやっている人もたくさんいるでしょう。で、そういう人のことを国民の皆様方は基本的に嫌いだと思います。
「殴る」をした人を一人ずつ血祭りに上げていけば、そのうち誰も「殴る」をしなくなるだろう、というのは正攻法でもありますが、野蛮です。それは「暴力の練習」にしかなりません。「血祭りにするのが上手くなってきたよな俺ら」という、かつては2ちゃんねるに、今はたぶんTwitterにたくさんいる「暴力と祭りが好きな野蛮人」の発想です。
 それに、死刑があっても殺人は絶えません。「そのうち」というのがいつ来るかはずいぶん心許ない話です。「仲良くなんて悠長なことを言っていてはいけない! ころさねば!」という理屈も分かりますが、ころしたところで悠長なのには変わらないとしたら、ころさないほうがマシかもしれない、っていう考え方も成立はします。
(個人的には「仲良く」と「殺す」をうまくバランスとっていくことが大事だと思っています。)

「暴力の練習」ではなく、「仲良しの練習」をしたほうがいいと僕は思うのです。
 それは森さんを変えるためではありません。「その後」のためです。だから「練習」だというのです。
 森さんとは仲良くなれないだろうけど、森さんじゃない、別の人と仲良くなるための練習だと思って、森さんと仲良くできる可能性について考えるのです。
 何度も言いますがそれは森さんに優しくしようということではありません。たとえば、僕らみんなが簡単にできることで言えば、まず第一に、「元の発言の全文と、その後の会見の全文を記者の発問を含めてすべて精読する」ということがあります。そして、考えるのです。いろんなことを。いろんな方面から。
 果たして森さんは何を考えて、どう思ってこう言ったのか? それに対する反応としては、いったい何が正しいか? 私たちはどのように反応すれば、世の中はよくなっていくのか? 仲良しは世に満ちるのか?
 それが観察であって、「仲良しの練習」だと僕は思うのです。
 そういう訓練をみんなが日常、していったら、みんな仲良く、っていう状況が、少しは増えていくんじゃないかしら。


 罰を与える、という発想「だけ」ではダメなのです。薬物依存者を刑務所に入れても、単純な懲罰や隔離のみによっては薬物依存はまずよくならない、ということはもはや常識だと僕は思っていますが、それって森さんに対しても同じだろうし、世の中のだいたいのことに対してたぶん、そう。
 もちろん、罰を与えることも、時には殺すことも、色々考えたらそっちのほうがいいってことはいくらでもあって、今回の森さんの件もそうだったかもしれない。とにかく今は迅速に辞めさせなければならないから、どんな手段を使ってでも引きずりおろす! というのは戦略としてアリだった可能性はあります。が、それにしたって、「本当はこんなことしたくなかったけど、今回は仕方なかった」という反省がなければ、「殺したほうが早い」と言っているだけになってしまいます。
 僕は、森さんが「攻撃されていた」と思っています。非難囂々でした。そうじゃない、もっと優しいアプローチだってあったはずです。「おじいちゃん、ダメだよ」「どうしてそんなこと言うの?」っていう。それはもちろん森さん「なんか」のためにするのではありません。この世界の美しい「その後」のためにするのです。

 そもそも、ええ、ここからが実は本題のようなものなのですが、なぜ森さんを攻撃しなければならなかったのか? といえば、それまで放っておいたからです。放っておいたから強大になって、撃ち殺さねばならなくなったのです。まずそのことを反省しなければなりません。
 それはもちろん、森さんという個人を放っておいた、ということにとどまりません。そういう価値観を放っておいたのです。(ここだいじです。)
「だからもっと激しく運動をすべきだった!」「誰もが声をあげねばならないのだ!」「黙っている奴も同罪!」「みんなの意識が低いから悪い!」ということでもなくて。
 むしろ、そういう暴力的な発想しかしてこなかったこと、が問題だと僕は思っているのです。
 もう一度書きますが僕が思う森さんの問題点というのは、「アップデートできていない」ことではありません。「みんなと仲良くできていない」ことです。
「当然アップデートできているべき立場であるのに、アップデートできていないのだから、その立場から退くのは当然だ」という意見には、それなりに同意します。それなりにというのは、かりにアップデートできてなくても、アップデートできている人が周りにいて、その人の意見を森さんが「あ、そうなんだね、じゃあそうしようね」と受け入れれば成立すると思うからです。「ありがとうねえ、俺は古い人間だからその辺のことはわかんなくてさ。一所懸命理解しようとは思ってるんだけどねえ」とでも言えば、むしろ健全な気さえしませんか。
 人と仲良くできるなら、それでいいのです。でも、森さんにはたぶんそれができない、と思われてしまっているんでしょうから、「退くべき」を否定はしません。
 でも、「ねえ森さん、それってどういうこと?」と言うのを諦めるかどうかは、また別の話です。僕はそれをすべきだと思うし、その様子をテレビで流してほしいと思います。例の記者のような態度ではなく、もっと優しく。「森さん森さん」みたいな感じで。そいで森さんも素直に「だって、これこれでああだこうだじゃないか」と言えばいい。
 具体的な成果は何も生み出されないかもしれない。森さんは変わらないかもしれない。でもそれでいいのだ。それはみんなにとって練習なんだから。いつか、誰かと仲良くするための。
 人を変えるなんてナンセンス。関係が変わっていけばいいのだ。
 ただひたすら、「仲良くやった方がいい」ということをもっとアピールするべきだ、と僕は思うのであって、この文章はその思想の押し付けです。

 できれば、『森喜朗の仲良くやろうや』みたいな番組を作って、毎週さまざまなゲストと遊んだりお話をして、森さんがどんな人とでも仲良くできるようになることを目指す、みたいな企画をやり続けてほしいよ。ひ孫くらいの歳の子供とだったら、少しは仲良くできるかもしれないし、犬とだったら仲良くできるかもしれないし。あるいは、誰とも仲良くなれないのかもしれない。それを見て僕たちは「練習」するのだ。さっきの、全文読む、ってのと同じこと。

 それは森さんだけじゃないじゃん、距離感バグった人(おじさんとかおばさんとか)を主役にした『距離感改善ゼミナール』みたいな番組やってもいいし。テレビでもYouTubeでも。勉強になるさ。
 だって距離感バグったおじさんとかって、80過ぎたら森さんになるんじゃないの? だって、あの人たち放っておかれてるでしょう? 森さんを育んだのって、そういう「めんどくせえから放っておこう、キャバクラで金が動くし」みたいな判断の積み重ねなんです。
 そうそう、森さんみたいな人って、たぶん金になるんですよ。だからほっとかれるんです。
 なんで金になるかって、そりゃ「いいもん食いたがる」から。(比喩ですよ。)
 お金が欲しい人って、お金になるんですよね。
 きっと森さんの周りにはたくさんお金があるでしょ。だからずっと(今も!)権力があるんでしょ。
 その価値観を放っておいてるのは、お金がほしいあなたたちですのでね。
 みんなが森さんの共犯だと僕は思っているので、なんでそんな怒れるのかな? って不思議です。

 森さんの周辺にいる人が森さんを擁護したとして叩かれる、というのを何件か見ました。森さんを直接知っている人たちが、なぜ森さんをそう悪く言わないのか? ということを、ちゃんと考えないとダメだと思います。それも「仲良くする練習」の一環なのです。
「敵を知り己を知れば」というのと、実は似たようなことなのです。

 昔の男が平均的に横柄なのは、当然「男に金があった」からだと思います。
 もし女の方がお金を完全に握っていたら、男は偉ぶれない。
 そういう価値観を温めている人が、森さんを温め続けてきたのです。
 金なんすよ、金! 金がいらない人だけ石を投げろ! 僕は投げないぞ。
 投げないけど、そこにお金が関わっている、ということを絶対に忘れないぞ。

「いわゆる男」についてだけ書きますが、距離感や「仲良し」について何も考えなくても、お金を使えばキャバクラ、ガールズバー、コンカフェ、フーゾク、パパ活等で女の子と関われるわけですね。「いわゆる男」以外の場合でも、何かしらその手の手抜きはあると思います。
 女の子と関わりたいけれども、そのために距離感や「仲良し」について考えて練習して実力をつけていくのは面倒だし自信もないから、お金を稼いで、そのお金で女の子と関わるわけですね。そうやって、距離感力や「仲良し」力をちーとも身につけていない人間が増えていき、そういう人がそのまま年寄りになっていきます。
 すると、森喜朗ってのがぜんぜん他人事じゃない気がしませんか? あなたの隣にいますよ? っていうようなもので。
 これから続々、絶対にあなたの前に登場するハズの、そういう森喜朗的なものに対して、常に「後手の暴力」で挑むのか? ということを僕は言いたいのです。後手の暴力より「先手の仲良し」ではどうですか、と。

 今のところ、森喜朗以外の森喜朗的なものたちはそれほど悪くは思われていません。なぜならば、そこからお金が流れてくるからです。キャバクラにお金を払っているのは誰か? 表紙グラビアがなくなったらヤンマガや漫画アクションを「買わなくなる」のは誰か? というようなもので。
 楽をするためにお金は払われますので、「お金がほしい」と考える人は、「楽をしたい」という発想をなかなか否定できないです。
 それがみんなの嫌いな森喜朗の正体です。
 だからみんなが共犯なのです。
 深淵!


<未来(書き終えた1時間後)の僕より>
 以上のように書きましたら、若い女性より以下の感想が届きました。
「いままで散々仲良くしようとしてきた でもなおらないんだ だから金取ることにしたし、放っておくことにした でなきゃ自分がやられるだけだから いつか、なんてこないし 練習しても練習しても聞く耳持たれなかった(略)」
 いかん! ちがうんだ! そうじゃないのだ!

「彼ら」は聞く耳持たない。練習しても無駄だ(仲良くなれない)。それはそうである。
 だって、その人たちに練習が足りなさすぎるんだから。
 こっちだけが頑張ることないですよ。無理して付き合うことはありません。気が向いたら「利用」すればいい。僕は「どんな相手とでも仲良くなる試みをせよ!」と言っているわけではないのです。練習は大事だから、たまにはしたほうがいいとは思いますが、不快になるとわかっていてやることもないです。
 ちなみに↑の感想の主語は、「私」であり「私たち」だと思います。ここ大事。

 最初のほうで僕は「観察」という言葉を使っている。まずはそれが大事。
 そして、テレビ番組の例で、『森喜朗の仲良くやろうや』を放送すべきだというのは、つまり「利用する」ってことで、「見世物にする」ということ。それによって、我々は勉強するのです。あんまりひどい発想だから本文では書けなかった。(書いてしまった。)
 なぜテレビ(YouTubeとかでもいい)でなければならないかというのは、テレビなら、直接不快な目にあわずに「練習」ができるから、なのです。まあ、それをみんなが見たいのか? といえばわからないが、ゲストがSixTONESだったら見る人は見るでしょ。で、もちろん彼らは森さんと「対等」に接する。べつにタメ口をきくとかではなくていいけど、気を遣ったりはしない。そういう時に、森さんのような人はどういう態度をとるのか? SixTONESの側も、もちろん舐めたりバカにしてはいけない。いったいどう接するのか? そこに何が生まれるのか? というあたりを、僕は面白いと思うし、勉強になるはずだということ。実際に「殴る」ような人間の生態を研究しようという話でもある。そしたら殴られるのを回避できるかもしれない、というのは最初に書いた。

 人は、変えようとして変わるものではない。それは僕だってわかっている。だから、その人と仲良くしようなんていうのは徒労である。それを強いるほど僕は馬鹿ではない。
 そうじゃない。その人とは仲良くしなくてもいい。その人と仲良くなることなんて諦めていい。嫌な相手とわざわざ仲良くなろうとする必要はない。
(ただ、おそらく、もしも本当に『森喜朗の仲良くやろうや』を毎週(僕の徹底した総指揮のもと)放送したら、けっこうな人が森さんに対してポジティブな印象を持つこともあろうとは思う。そういうものである。)

「講演」でも何度も「ここだけは誤解されたくない」と繰り返したが、大切なのは仲良しの「発想」であって、「実際に(多くの人と)仲良くすること」ではないのである。
 自分が仲良くしたい人とだけ仲良くすればいい。しかし、そのための練習が、人々には圧倒的に足りない、と僕は見ている。ほんっとに仲良しの発想を持たない。だから、「仲良くしたくない」と思うのも早いし、そう判断したら、攻撃してもいいということになる。

 件の「若い女性」の感想は実のところもっと長い。その一部を僕なりに変換して書くとこう。「わたしたちがいくら仲良くしようとしたって無理。向こうは『若い女』としてしかこっちを見ないし。だからもうお金取ることにした。」
 彼女(たち)なりの観察と研究の結果、そうなったのであろう。
 大事なのはけっこうそこである。こっちが仲良くしようとしているのに、まったくわかってくれようともしない。そういう人間をいち早く見抜いて、「殴られる」のを避けるには、やはりどこかで「仲良くする練習」を要するというのが、悲しき現状なのである。
 彼女の絶望は、かつて「仲良くしようとした」ことからきている。
 そして、なぜそれで絶望しなければならなかったかといえば、相手が仲良くしようとしてくれなかったからでしょう。
 ただ欲望だけを向けられたり、とか。わかりやすいところでいえば。
 僕が言っているのは徹底して理想論なのだが、もしもその「相手」が、「仲良くしよう」という意思を持っていれば、絶望なんかしなかったはずなのである。(これはもちろん、「仲良くなりたいな~ゲヘヘ~」みたいな言葉を心の中で唱えたことがあるかどうか、という話ではありませんよ!)
 だから「みんなで練習しましょう」と言っているのです。
 練習なんか、どうせしやしないよ、いいやつばっかり練習して、やなやつはサボってる、ってのがリアリズムではありまして、そんなことはわかっていますが、千里の道も一歩から、という話です。

「森さんで練習する」っていうのは、「怒らない」ってことです。まず第一に。
 森さんに怒ってる人は、この機会に練習をしてみてはいかがでしょうか? と僕はけっこう本気で思っています。
 別に怒ったりしていなくて、「それ言っちゃダメでしょー」とだけ思っている人も、けっこういるはずです。
「いやー、時代だねー」とだけ思っている人もけっこういるでしょう。
 そんな僕たちはみんなで、どうやって生きていくのか? ということなんです。

 みんなで練習するしかないと僕は思いますが、現実としては、「すでに頑張っている」人たちが損をしている。悲しみに暮れている。
 だから、じゃあそれをやめちゃうのか? っていう話で。
 僕は、「どうやったらみんなは練習をするようになるんだろうか?」ということを一応は考えています。
 でも、とりあえずは、「すでにがんばっている人」と、「いやー、ほんとに大変だよね」とか言い合ったりして、そういう人たちと仲良くなっていくことから始めます。


 なんかもうやだな、そもそもこの文章は、実験として書いた部分があります。これ、伝わるのかなあ、って。伝えられている自信がない。ヒトエニ僕の力不足でございます。
 だから別にどう思われても仕方ないですが、これからもこういうことをがんばって書きます。
<未来(書き終えた……2時間後)の僕より おわり>


<翌日の僕より>
 もう一度書き留めておきます。

 その価値観を放っておいてるのは、お金がほしいあなたたちですのでね。
 みんなが森さんの共犯だと僕は思っているので、なんでそんな怒れるのかな? って不思議です。

●2021/05/26追記
 やはりはっきり書いておきます。
「みんな」がお金をほしがるから、森さんみたいな……もっとちゃんと言えば、当たり前に女性を蔑視する人たちがのさばるのです。
 まだしばらくは、そういう男たちがお金を握り続けます。
 そして、少なからぬ女の人たちは、そこから流れてくるお金を頼りにせざるを得ません。
 パパ活とか頂き女子というのは、女の人が自主的にそのお金を引き出そうとするものです。男たちが「女」や「女を従属させること」「女に愛されること」等々、「女」にまつわる様々なことを欲し、金で買えるなら買おうと思う限り、ここをお金は自然に流れていきます。
 ある種の男たちが比較的多くのお金を持ち、そのお金で「女」が購入される。
 問題はこの流れ。
 言うまでもないけど、これは「売春」みたいな狭義の話ではありません。もっと広く社会に充ち満ちている気分です。コンカフェとかメイドの店なんかその代表です。光に集まる虫のように、男たちは「女」のあるところへ金を持って群がります。個人間でもそういう状況がいくらでもあります。また「無料キャバクラ」なんてすさまじい言葉さえあります。「実際に金を払わなくても払ったのと同じくらいおれのほうが偉い」と彼らは思っているのです。なぜなら男は生まれながらに「金を持っている側」だからです。剣を極めた達人はそのうち剣すら持たなくなる、みたいなものです。
 この状況をよくするには、そもそもお金を男たちに持たせないこと。
 また、お金を「女」に使わせないこと。
「どうせ買われるならできるだけ楽に、できるだけ多くのお金を得たいものだ」と思っている女の人はけっこう多いはずです。それは「買う」ことを当たり前とする男があまりにも多いから。もう諦めているのです。その結晶が頂き女子です。
 男がお金を持っていなかったら、あるいは、「女」にお金を払おうという気持ちがなかったら、このような状況はないはず。
 では、「お金を払って女を買う」が禁じられれば、男はどうするでしょうか? もちろん、暴力によって女を手に入れます。基本的には男のほうが力が強いから、簡単なものです。
「暴力よりはマシ」ということで、今はお金によって取り引きされているということだと僕は理解しております。金がないから暴力によって女を手に入れている男は今でさえかなりたくさんいますので、金が通じなくなったらもっと増えると予想します。
 だから「仲良し」しかないと僕は言うものであります。綺麗事ですが、最終的にはそれしかなかろうと思います。
 金も暴力も使わずとも、男の人と女の人は仲良くすることができます。仲良くなれば仲良くできます。そんな単純なことを「面倒くさい」と思う人間の非常に多いのが、世の中の最大の問題だと僕は考えています。
「恋愛」も、「面倒くさい」から来る手抜きの一種です。「恋愛」という常識的な手続き(「好きである」とか「付き合っている」という確認)を経れば、べつにそんなに仲良くならなくても性的な関係を持つことができるし、精神的にも結びついているという錯覚を容易に得ることができます。「恋愛」関係が解消されたあとにまったく交流がなくなるケースのほとんどは、そこに「恋愛」以外の関係が特になかった場合でしょう。
 金、暴力、恋愛、三つとも「面倒くさい」から来る手抜きです。
 手抜きをせず、「仲良くする」という練習をしたほうがいいですよね、というのが僕の言いたかったことです。
 とりわけ男は、金や暴力によって「女」を手に入れようとすることをやめ、仲良しという関係を育む練習をすべきだし、男も女も、「恋愛」などという手抜きをできるだけやめる方向に努力するほうが良いと思うのです。
 もちろん恋愛っていうのは、いろいろ複雑だったり繊細なところもありますから、完全にゼロにするというのは想像さえ難しいんだろうし、「付き合う」という約束事をいきなりなくしたら秩序が吹き飛んでしまいますので、できる限り「関係」なるものを意識して、「恋愛」という一般性ではくくることのできない自分たちだけの「仲の良さ」をめざすのがよいのではないでしょうか、というくらいに、思います。

2021.2.16(火) 関係 パン屋さんと喫茶店

 僕のお店は「湯島」というエリアにある。上野と言っても御徒町と言ってもいいが、湯島という字面と響きが好きなのでそう主張している。このあたりにはかつてたくさんの喫茶店があったようだし、今も結構ある。四年前に夜学バーを始めた頃にちょうど「どりーむ」というお店が閉まった。その後「PELU」「がまぐちや」「ヴェルデ」も閉店。がまぐちやが閉まるときは食器や調度品などをたくさん分けていただき、夜学バーでコーヒーやソーダ水などを注文するとそれらを楽しむことができます。
「シャルマン」「あぜくら」「バード」「ボンドール」「ニューバンブー」「フレンチヴォーグ」「飛鳥」などは健在。この中ではシャルマンを最もよく訪れる。
 ならんでよく行くのが某というお店。なぜ伏せるのかは問わないでいただきたい。架空と思っていただいて結構である。これから語るお話もフィクションかもしれない。
 パン屋さんは、「飛鳥」と同じ湯島ハイタウン内に「パスコショップ レピ」があり、都道452号神田白山線の近くに「舞い鶴」がある。(この道路の名前いま調べて初めて知ったけど、すごい名前だ。カンダハクサン。)
 もう一つ「北海ベーカリー」という小さなパン屋さんがある。サンドイッチを作って売っている。ここは本当に小さい。玄関先にガラスのショーケースが一つ置いてあるようなもので、全身を店内に入れたらもう一歩も歩くことができない。創業70年と聞いたことがある。本日の営業をもって終了する。
 12時すぎ、お店を覗いたら暗くて、ショーケースは空っぽで、中に人もいない。よもやすでに売り切れ、とぼとぼと戻る道すがら、件の某に入った。
 ホットコーヒーを注文し、東京新聞を読む。次いで週刊文春の小林信彦さんとクドカンの連載をチェック。ママとお客さんが世間話をする中で、「北海ベーカリー」の閉業が話題が上った。そこで僕もついというか、思わず「さっき覗いてきましたが営業しておらず、パンもひとつもありませんでした。早めに売り切れてしまったのでしょうか」というようなことを言った。数年たびたび通ってはいるが、業務外の会話を交わしたのはほぼ初めて。
 聞けば、このお店はペリカン(浅草にある老舗パン屋さん)のパンを北海ベーカリーから仕入れているそうなのである。40年ほど営業しているそうだが、それより以前から北海ベーカリーでペリカンを買って食べるのが好きだったそうで。
 実は僕の営む夜学バーも、2月から金土にモーニングを実施しており、それならペリカンだろう! と毎週食パンを仕入れることにしたのである。というのも、自宅からお店に向かう道の途中に、ペリカンのパンを委託販売(という言い方で合っているのだろうか?)しているお店があるのだ。本店で買うには予約が必要だが、そこでなら待たずに買える。ほかにも数箇所ある(数箇所しかない!)ようで、僕が知っているのはいずれも近い。
 喫茶某では40年間、北海ベーカリーからペリカンを仕入れてきた。閉業は経営上の大問題なわけである。仕方ないからほかのパンにしようかとおっしゃるので、僕はまた口をついて「そんなら僕が買ってきてお届けしましょうか」と言ってしまった。だってペリカンが好きで40年間ペリカンだったのだ。「いえ北海ベーカリーから買うのでないとダメなんです」というんでなければペリカンのほうが、と僕は思った。どうせ僕もしばらくは毎週買うのだから、その時にもう一本買えばいいだけのこと。
 そういうわけでたぶんしばらく僕は嘴の中に食パン詰めて運搬する鳥。

 パン屋さんと喫茶店との関係は深い。知っていたつもりだったけれども、「古い喫茶店が古いパン屋さんの閉業に困る」という事態を目の当たりにして、紐帯を改めて実感した。
 その結びつきを切れないようにする手伝いが少しでもできるとしたら本当に、僕にとっても幸いである。自分なぞがすべきのはそういうことなのだ。前に書いたが、僕のような若い(若いのだ)人間が静かに、当たり前に通い続けること自体が、古いお店の主人(あるじ)たちにとってはきっと嬉しくて、大げさに言えばお店を続けていく気持ちや生きていく気持ちに影響すると思う。そうすると街に素敵なお店が(ほんの少しかもしれないが)より長く存在することになり、街は美しさを保てる。その間に、僕たちはちゃんと美しいものを作っておかなければならない。悪あがきのような時間稼ぎでも、そこにしか希望はない。

2021.2.15(月) オリカク「柴の記」(子供向けアニメの話)

 オリカクとはオリジナルカクテルのことです。新井白石がシェイカー振って作ります。こういうタイトルにするとあとでなんだかわかんないからやめたいのだがつい癖でまず何かくだらないことを書いてしまう。
 あれなので()で書き足しました。

 13日は翌朝7時40分くらいに寝て11時に起きようと思ったら12時になり、14日はそれから眠らずにずーっと翌日の朝8時くらいまでほとんど休まず(一回コーヒー買いに行った、↓の記事を参照)仕事をしていた。予定では74まで終わる予定だったが59までしか終わらず、それでも世の中は始業するためそこまででやめて送った。昼すぎくらいまでそのままやれば65くらいまでは終わりそうだったが、8時くらいの段階で「あ、これはもう無理だ。やりたくない」と思ったので潔く終了。ここで退けるから僕は死なないし鬱にもならんのであろう。「締め切り前の漫画家ごっこ」はおしまい、という感じ。いやほんとに、酷使してたんだから仕方ない。
 気づいたら黄金勇者ゴルドランの後半20話くらいと魔神英雄伝ワタルを31話までみていた。ちょうどアニメ一年分くらいが僕の集中できる限界なのだろう(超適当)。
 かりに25分を52話としたら、1300分だから21時間40分。12時に作業を始めたとして翌朝9時40分ということになる。納品のメールを送り終わったのが9時過ぎだったからだいたいぴったり。コーヒー買いに行った時間など誤差はけっこうあるけど、仕事をすすめつつアニメ一年分観られるのだからある意味潤沢な時間の使い方。
 いまやっているのはクリエイティブというよりはパズルと職人仕事に近くて、漫画ならたぶん下書き(ネームとペン入れの間)に似ている。完成品としてのクォリティは求められないし、ネームを作るときのようにCPUフル回転というわけでもない。しかしアイディアを具体的な形に変換して、美しいコマ割りや構図に落とし込むのはこの作業である。だから当然、アニメの内容は半分くらい素通りしていく。
 しかし、そもそも子供向けアニメとは、全話観なくてもいいし、内容を必ずしも理解していなくてもいいものなのだ。学校から帰ってきてテレビつけたらもう始まってて、それでわかんない部分がけっこうあってもとりあえず最後まで見る、みたいなのを前提として作られている(と思う)。
 また、もともとは週に一度30分だけ見るものだから、何時間も見続けていると疲れてしまう。ゴルドランもワタルもバンクシーン(合体や必殺技など何度も使い回す動画)が必ずあって、飽きるとは言わないが疲れてしまうのはどうしようもない。
 かならず正座して全話!みたいに思ってたこともあったけど、今回だらだら流していたことによって思ったこと、わかったこと、考えたこともたくさんあったから、10話くらいで止まってまた何年も経過、みたいになるよりはずっと良かった。見たい場面は作業リソース削って見るし。最近ようやく、すでに何度も見ている作品なのだし、流し見を何度もする、というのもアリかなと思えてきた。大人!

 ゴルドランについては言いたいこと山ほどあるけど、またそのうち。とりあえずやっぱワルターとシャランラは最高で、主人公たちがそのぶん際立たないというのはあるが、そこがまた良いところなのだ。タクヤ、カズキ、ダイの3人は、名前とおなじくフツーの「お子達」(ワルターによる呼び方)なのである。お子達は楽しく遊んで冒険することが大好き。それだけでいいのだ。「太陽とか冒険とかクリスマスとか黒いブーツが子供の時からただ単純にただ単純に好きなだけさ好きなだけさ!」(BLANKEY JET CITY『クリスマスと黒いブーツ』)ってこと!

2021.2.14(日) 昨日に引き続き多忙の記

 ↓の記事あのタイトルでは何が何やらわからないのでわかるようにしてみた。
 相変わらず忙しい。この文章は近所にあるGという喫茶店にコーヒー買いに行った帰り道に書いております。家にいるときは仕事してるか瞑想(仮眠以上覚醒未満)してる。
 突然の仕事してるアピール! 何事かとお思いの諸氏、そうなのです日ごろ料理をしない人間ほどたまにつくったらSNS等に載せるのです(いえ人によります)。実に僕はこのパターンで、ふだん仕事なんかほとんどしないからたまにすると新鮮すぎてこのようにテンション上がってしまうのです。
 ほんとに、陰でコソコソ働いてるとかじゃなくて、ほんとに仕事がないのです。冬の間だけ教育関係の取材と原稿が毎年あるけど、それ以外はまあ「頼まれたら何でもやる」という感じで、基本的にあんまり頼まれません。誰もいなかったらおはちが回る、という程度。ご依頼はいつでも寝てお待ちしてます。なんかあったらご相談ください。
 もちろんお店に出たり人に勉強教えたりもしてはいますが、それらは娯楽の範疇。消費者との直接取引だと企業とか組織とか大人の世界がほとんど関わらないから、気が楽なの。仕事というより生活に近い。お掃除やお洗濯。
 今やってるのはその商品を享受する人と僕との間にたくさんの人や組織、そしてお金が挟まっている。思想以前に緊張するのら。

 そろそろおうちなので今度また。「少年Aの散歩」は詩と思想だけれども、当初のコンテンツ名であった「ひごろのおこない」は、身辺雑記。そっちのほうにも寄っていきつつ、次の段階へと進めていきたい(くわしくはそのうち)。
2021.2.13(土) バーレンタイン! バーレンタイン!by太田光

 おふろの中であります。忙しすぎておふろの中くらいでしか何もできず、喫茶瞑想もしばらくお預け。とはいえ月曜か火曜にはどっか行く。行かいでか。これ何弁?
 忙しいっていうか、月曜朝までには仕上げねばならない原稿がありまして、原稿といっても元の文章や図版は全部そろっているのですが、見開きに収まるように配置考えて削ったりリライト(文章の書き換え)したり、色つけたり枠つくったりしてラフ組んでるのです。それをイラレ(AdobeのIllustrator)でやっているのですが、僕デザイナーじゃないので、文章を書くのが本業なので、不慣れでずいぶん時間がかかる。もちろんほんとのデザインを作るのはデザイナーなのですが僕のラフはそのもとになるだけでなくクライアントにも直接見てもらうモノなので手は抜けない。何しろ量が膨大で、辛い、けどまあなんとかぎりぎりやれるかなと思っていたところでパソコンが壊れて直してたら今日一日つぶれてしまった。いま土曜日の29時半、一睡もしなくて間に合うかどうか。早起きだったから現時点で21時間ちょい起きてる。48時間は起きていたくない。そういう無理は僕はしない。覚醒待つ、もうだめだ。明日はバレンタインですから、夜学バー宛にでも何か送ってくださいね〜締め切りは来年のバレンタイン!

2021.2.11(木) 儀式に不参加(解題「少年Aの散歩」)

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 僕ももちろん僕を超えたものの力によって
 動かされているんですが
 その力を拝む気持ちにはなれません
 昔ながらの賑やかな儀式の数々に
 僕はただの一度も加わったことがない
 ただの一度もいけにえの血を見たことがない
(谷川俊太郎「少年Aの散歩」『メランコリーの川下り』より)

 大きな動きがある。それは儀式だと思う。
 みんなで一丸となる、というのは大きな動きとなる。それは儀式。
 長い間この世の中を支配してきた悪がある。その幹部クラスが隙を見せた。みんなは一丸となって石を投げる。それは儀式なのだ。
 儀式は人智を超えたものの力によって動かされる。
 僕はその力を拝む気持ちにはなれない。ここでいう拝むというのは、見るとか確認するというのではなく、信仰するとかありがたがるという意味。
 体育祭でも何でもいい。僕はいけにえの血を見たことがない。
 高校生だったある年の球技大会、自分の出るべき種目には参加したが、それ以外の時間は応援にも出ず、教室でぼんやりとしたり、日の当たらない図書館の前の、階段の下の大きなリアカーの上に寝そべって、カッコつけて文庫本読んでいたのを覚えている。それは古い古い旺文社文庫、薄緑色の硬い表紙でカバーのない、太宰治の作品集。『駆け込み訴え』をそのとき読んだ。
 3年生の時は文化祭をサボってしまった。申し訳ないと今でも思うが、その時はそうするしかないような気分だった。どうしてもそういった儀式に参加することができなかったのだ。
 それは今でも変わらない。性分と言ってしまえばそれまでで、この性分を正当化する理屈をずっと探している。いまだに、それはあるようなないような、いまいちピンときていない。
 みんなで石を投げる時。あるいはみんなで声をあげようと誰かが声をあげている時。僕はそこに加わることができない。それは儀式であって、体育祭や卒業式と同じものだと思っているんだろう。
 その時僕はたぶん世界から離れている。丸山眞男の『「文明論之概略」を読む』という本を最近読み始めたのだが、その序にこうある。《古典を読み、古典から学ぶことの意味は——すくなくも意味の一つは、自分自身を現代から隔離することにあります。「隔離」というのはそれ自体が【積極的/傍点】な努力であって、「逃避」ではありません。むしろ逆です。私たちの住んでいる現代の雰囲気から意識的に自分を隔離することによって、まさにその現代の全体像を「距離を置いて」観察する目を養うことができます。》
「少年Aの散歩」という詩の中で視点人物が概ねクールでいるのは、たぶん彼はこの「離れる」を積極的にしているということなのだろう。そこにかつての僕は共感したのかもしれない。
 僕ももちろん僕を超えたものの力によって動かされている。それは確かで、否定はしない。ただ、だからといってその源を賛美もしない。そういうものだと思うだけだ。
 正しい動きが世の中にあるとして、それを「正しい」と認識はしても、そこに「参加する」かどうかはまた違う。参加した途端に見えなくなってしまうものや、できなくなってしまうことだってあるかもしれない。あるいは、僕というものの性質が、あるいは見映えが、変わってしまうかもしれない。
 正しい動きに参加して、「正しい」をさらに加速させよう! というのは正しい。しかし、それはその時の正しさでしかないから、それに参加した人が、また次に出てくる「正しさ」を認識できるかどうかはわからない。

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 本当に大切なことは何万年来不変です
 そしてどうでもいいことは
 もう言い尽くされていると思うんだけど
(同前)

 その都度の「正しさ」というのは、言い尽くされた「どうでもいいこと」なのだと僕ははっきり思っている。そんなことは当たり前なのだ、と。そして本当に大切なことは別にある。
 むろんそれで、石投げの儀式に参加する人たちをばかにしたり、間違っていると言うつもりはない。すでに書いた通りその態度は「正しい」のである。正しいことが進行して、世の中は正しい方向にその瞬間、進んでいく。ただ想像を絶するほどに複雑な世の中は、正しさに向かって動いたその一瞬のすぐ先に、ぜんぜん明後日の方角へ向きを変えたりする。石を投げる人たちは、その一連の流れに一喜一憂する。徒労だと言いたいのではない。世の中はそのようにしか動いていかない。
 儀式に参加できない僕は、世の中を動かしていくことができない。その力の一部にはなれない。僕「も」もちろん僕を超えたものの力によって動かされているのだが、その力は「一丸」を動かすのとは別の働きである。
 一丸の動きから離れて散歩している僕は、脇道から世の中を眺め、ああだこうだ考えてたりする。それももちろん元を辿れば同じ「力」によってなされている以上、一丸の動きと無関係ではない。僕の散歩だってきっと、遠回りしつつ世の中に影響しているのであろう。
 そういう係なのだ。で、たぶんその係が足りていない。もうちょっとそういう係が増えてもいいんじゃないか? だからいまいち、いつもいつでも正しいはずの動きの直後には決まって、「明後日の方角」にばかり行ってしまうんじゃないか。
 黙っているから無関心だというわけではない。関係ないことを言っていればけしからんということもない。世の中はもうちょっと複雑だと思う。
 村はずれの仙人みたいな老人が子供たちにぜんぜん役に立たないような伝説や古典を語り聞かせる、みたいなことに意味がないとは思わない。
 意味から離れたはずの詩が、とてつもない重大な意味を導いてしまうことだってよくある。

2021.2.9(火) ママは小学4年生

 前置きが長いです、ママ4についてはここから

 1992年のアニメ『ママは小学4年生』が大好き。テキスト編集の仕事が膨大で、好きな映像でも流していないともたない。前半〜中盤はもう本当に何度も見ている気がしたので、今回はあえて39話から51話(最終話)までをとりあえず観た。そしてまた1話から再生し直して現在5話である。
 本放送を見ていた記憶がある。歴史の話をすると、監督の井内秀治さんは88年に『魔神英雄伝ワタル』、89年に『魔動王グランゾート』、90年に『魔神英雄伝ワタル2』を撮った人である。そのすべてを我が家では熱心に見ていたはずだが、末っ子の僕はまだ幼かったので『ワタル2』の最後のほうがぎりぎり記憶にあるか、というくらい。太陽が近づいてきて地球を飲み込もうとする回(36話)は怖かったので鮮烈に覚えている。のちに小沢健二さんの『天使たちのシーン』という曲で「太陽が次第に近づいて来てる」という歌詞を聴いて「ワタルやん!」と思ったのは僕だけではあるまい。こちらは93年発表。僕が初めて聴いたのはもっと後だけど。
 このあたりの作品は人気があったので再放送も盛んにされた。たとえばテレビ愛知の「マンガのくに」という、週に5日あるおよそ18時半からの約30分枠でも、以下のように流れていたことがわかっている。

 魔動王グランゾート 1991.12.12 - 1992.02.13
 魔神英雄伝ワタル 1992.02.14 - 1992.04.20
 魔神英雄伝ワタル2 1992.04.21 - 1992.06.29

『ママ4』の本放送が1992年1月10日 - 12月25日なので、92年の東海地方はほとんど「井内秀治祭り」のようになっていたわけだ。しかも「マンガのくに」では1993.09.27 - 1993.12.06に『ママ4』の再放送が行われる。もちろん僕らは「えっ、もうやるの?」と驚き、喜んだ。
 ちなみに「マンガのくに」が僕に与えた影響は甚大で、例を挙げれば以下のようなものたちを短期間で全話一気に注ぎ込んでくれた。

 宇宙船サジタリウス(1986) 1992.10.29 - 1993.02.19
 あした天気になあれ(1984) 1993.05.17 - 1993.07.30(ちばてつや原作)
 銀河漂流バイファム(1983) 1993.12.07 - 1994.01.28(→朝の枠に移動)

 その後、グランゾートとワタル2作も下記のように再々放送される。

 魔動王グランゾート 1995.04.17 - 1995.06.12
 魔神英雄伝ワタル 1995.09.12 - 1995.11.14
 魔神英雄伝ワタル2 1995.11.15 - 1996.01.26

 僕は常々、日本の子供向けアニメは「95年に一度終わった」と主張しているが、それにはもしかしたら「東海バイアス」がかなり強く反映されているのかもしれない。96年1月に『ワタル2』を終えたあと、『名探偵ホームズ』『赤ずきんチャチャ』の2本だけ放映して、12半年続いた「マンガのくに」枠は3月いっぱいで終わる。
 理由はいくつか考えられて、まず第一には再放送枠のせいで朝や深夜に追いやられていた青年向け(!)の新作アニメを夕方の枠で流したかったのだろう。たとえば、東海地方において『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)は朝の7時35分から放送されていたのだ。あの超人気シリーズの第1作『スレイヤーズ』も95年にスタートし、これの放送も朝だった。どちらもテレビ東京では18時30分からで、他地方でも概ねは夕方に放送されている。
 95年度はそのような話題作、人気作が結構あるのだが、テレビ愛知(テレビ東京系列)の18時30分の枠は「マンガのくに」で埋まっているため、そのようにせざるを得なかったわけである。都市伝説レベルだが、東海地方のオタクによる「エヴァとかスレイヤーズとかを夕方にやれ!(起きれん!)」という投書がテレビ愛知に殺到したとか、しなかったとか。
 逆に、なぜ子供向けアニメが夕方の枠に長年不動の地位を占めていたかといえば、もちろん数字が取れたからである。しかし95年には、あの『ワタル』でさえいまいちパッとしなかった、ってことなんだろうな。はっきりと時代の変化が読み取れる。僕は勝手に読み取ってしまう。もう「ちょっと前の子供向けアニメ」に大した需要はなくなっていた。「新しい青年向けアニメ」一強の時代が始まったのである。だから95年度を最後に「マンガのくに」も終わる。そして『天空のエスカフローネ』とか『超者ライディーン』とかが堂々と夕方の枠に入り、まだ小学生だった僕は驚き、戸惑い、涙を流すのである……。

 実のところ上記内容は過去すでに(何度か)書いているが、何度でも言ってやる。1995年は震災とサリンで始まったが、それを受けたか受けないか、肝心なのはやはり「その後」なのである。
 95年で好きなアニメはなんといってもNHK教育の『飛べ!イサミ』であった。小学5年生の三人組(+幼稚園児のケイちゃん)を中心に子供たちが正体を隠して大活躍する、いかにも僕の好きそうな話である。これは4月から翌3月まで。また『黄金勇者ゴルドラン』も2月から1年間放映されている。僕の中ではこの2作品が「時代の終わり(締めくくり)」を象徴している。どちらも「子供向けアニメをメタ的に眺めたオタクの視点」から制作されたきらいがあり、子供向けとして成立する限界ギリギリの作風であった。『ゴルドラン』は最近見返してみた。もちろん大好きなのだが、もうここまでやっちゃったらこれ以上はないよな、と思わせるものだった。この「勇者シリーズ」、翌年は『勇者司令ダグオン』という腐女子を意識した美少年グループものになり、その次は『勇者王ガオガイガー』、熱血・SF・ロボットの三位一体で「そういうオタク」をターゲットに含めた作品であった。勇者シリーズはこれにて終わる。
 戻って、95年10月に『エヴァ』が始まる。それから2年以内にポケモン、FF7、ワンピースなどが整備され「新体制」は完成するのだが、それを書いていくと流石に長くなりすぎるので割愛しよう。
 ちなみにNHK教育は96〜98年まで『あずきちゃん』『YAT安心!宇宙旅行』の二本柱でしばらく「ちょっとだけ背伸びした子供向けアニメ」くらいの温度を保つのだが、99年からは『コレクター・ユイ』と『カードキャプターさくら』である。これらについて僕が言うことはありすぎて、今はない。
 時代というのは変わっていくもので、変わらないことを求めるわけではない。そう立ち止まる冷静さくらいは持ち合わせている。そもそも僕というオタクは常に過去を見つめ続けてきたオタクで、何も自分が子供だった時代のものだけを神聖視しているのでもない。最初に好きになった漫画家は89年2月9日に没する手塚治虫なのだ。そのあとに藤子不二雄やちばてつやの初期作品に親しむ。どの時代にもその時代なりに様々なものがあり、新しい世界の中にも自分にとってキラキラと輝く名品はいくらでもある。そんなことは当たり前で、そういうことを言ってるんじゃないのだ。
 こういうことは歴史の中で繰り返されてきていて、だからこそ、そこを注視したいのだ。
 95年に世界が一変したことは僕にとって明白で、人によってはそれが89年だったり2008年だったり、2011年だったり2020年だったりするのだろう。着目するポイントをずらせば、どの年号だってそれはあり得る。
 一変するときは一変する。大切なのは、その時に僕らはどうするか、なのだ。

「まず僕が思っていたのは、熱はどうしても散らばっていってしまう、ということだ。そのことが冷静に見れば少々効率の悪い熱機関である僕らとかその集まりである世の中とどういう関係があって、その中で僕らはどうやって体温を保っていったらいいのか?」(1993年、小沢健二『犬は吠えるがキャラバンは進む』ライナーノーツより)

 体温を保つ、ということなのだ。
 それは過去に学ぶということでもあるし、過去を引き連れて生きるということでもある。過去と未来を引き合わせることが幸福であると僕は信じていて、だから「時間」と「再会」を愛する。
 ↑この段落、マーカーで線引いといてください!


『ママは小学4年生』の話をすれば、この意味がちょっとは明らかにできると思う。
 この51話に及ぶ物語はまさしく「再会」のドラマである。
 あらすじを説明しましょう。

 あたし、水木なつみ。小学4年生。嵐の夜に突然現れた赤ちゃんは、なんと15年後の未来からタイムスリップしてきた、あたしの赤ちゃん、みらいちゃんだったの! パパとママはロンドンに行っちゃって留守だし、いそうろうのいづみおばさんは赤ちゃんが大っ嫌い! あたし一人でもう大変。でも、決めたんだ。みらいちゃんが無事に未来へ帰れる日まで、あたしが育てる。だって、あたしがみらいちゃんの、ママだもん!

 ご想像の通りこれは、各話のオープニングに流れる主人公のナレーションである。なんとわかりやすい。子供向けアニメというのは、必ずしも「全話見てもらう」ことを前提としていない。どこからどう見ても良いものである。そのために毎回、このような説明があったりもする。『機動戦士ガンダム』の「人類が増えすぎた人口を……」というのも同じ事情である。だから今回「39話から51話を見る」というのができたということでもある。
 さて、15年後の自分の赤ちゃん、みらいちゃんを未来に帰す、ということは、そこで待っているのは「未来の自分」である。これはすごくないですか? 「二重の再会」ってことですよ。赤ちゃんが突然自分のもとからいなくなってしまった「未来の自分」にとっての再会でもあるし、未来に送り返した「現在の自分」にとっては、15年後にまた再会する約束でもある。もうこれだけで、僕は涙が出そうになるのです! 再会が大好きだから!
 小学4年生のなつみには、みらいちゃんを無事に未来へ送り返す義務がある(これは終盤、いづみおばさんのセリフにある)。なぜそれが義務なのかというと、僕なりに言えば、そうしなければ「再会」はどこにもないからである。なつみがそのままみらいちゃんを育てた場合、みらいちゃんが15歳になった頃に赤ちゃんのみらいちゃんが15年前にタイムスリップする、というわけのわからないことになる。そしたらみらいちゃんを失った「未来の自分」はどうなるのか? 生まれてくるはずだったみらいちゃんや、みらいちゃんを産むはずだった自分はどうなるのか? いったいなんなのか? わけがわからないし、明らかに「時間」は幸福を見失う。だから義務だとたぶん、将来マンガ家として大成功をおさめるいづみおばさんは言うのである。
 物語の冒頭でなつみに課せられた義務は、「再会」の義務なのだ。

 そして話は突然、最終話付近に飛ぶ。みらいちゃんは当然、無事に未来に送り返される。そこで活躍するのは、町の変人発明家である「江地さん(エジサン)」。完璧なネーミングセンスに脱帽する。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のドクみたいな人、とイメージしていただければよろしいです。
 1992年12月25日(最終話放送日と同日!)、天才江地さんはタイムマシンの発明に成功し、みらいちゃんを未来に送り届ける。しかしタイムスリップを実行するためには特定の時間に特定の場所に行かねばならず、みんながそのために奮闘する……というのはまさに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』第一作(1985)のラストと重なるし、山の上にクラスメイトや大人たちが集まる絵面は『E.T.』(1982)を思わせなくもない。名作が時代に与えた影響の大きさがしのばれる。
 タイムマシンは諸事情により運転士が必要で、一度行ったら戻って来られないのだが、江地さん自身がその役を買って出る。「なあに、未来のほうがわしの研究に都合がいい」そうな。江地さんは15年後のなつみにみらいちゃんを引き合わせるとすぐ、助手であるロボットのツバメくんとともにどこかへ消えていく。「さて、今度はどこに研究所を作るかのう」と言いながら。
 江地さんは単身15年後に行くわけだが、みんなはおそらく15年後にも生きているのであって、きっとまたどこかで再会できる。15年前の姿そのままの江地さんと! こんなにワクワクすることはない。(近い発想として、僕は青山剛昌先生のデビュー短編『ちょっとまってて』を思い出します。名作です。)
 そしてみんなは、もちろん同じように15年後、みらいちゃんと再会するはずなのである。15年前そのままの姿か、もしくはそれ以前(生まれてすぐ)の姿と!
 だから、タイムマシンにみらいちゃんを乗せたあとのお別れの際、みんなは口々に言う。タイムスリップまで一分三十秒!

マリオ「チャオ、みらい」
龍一「元気でね、みらいちゃん」
潮「さよなら、みらいちゃん」
漬子「また、会おうね」
丸「元気でな」
紗利衣(並んでるけど台詞なし)
文夫「じゃあな、みらいちゃん」※声のみ
祐介「おっきくなるまでね、ばいばい」※声のみ
タマエ(泣きながら)「元気でね、みらいちゃん」
えり子(泣きながら)「さようなら、みらいちゃん」
大介(頭を撫でて)「また会おうぜ」
いづみ「みらい、お別れだね。あたしのこと、ちゃんと覚えておいてよね。15年後に、また。その時は、有名なマンガ家になって、面白いマンガいっぱい見せてやるから……。元気でいるんだよ」(抱きしめる)
ボビー(顔をなめる)
なつみ「みらいちゃん、これは、未来のママに渡してね。みらいちゃん、ちょっとの間だけ、バイバイね。すぐに会えるから、いい子で待っててね。みらいちゃん……!」(強く抱きしめる)

 改めて書き出してみると、祐介(だと思う)のせりふがなんか面白い。「(自分が)おっきくなるまで」という意味なのだろうか。さておき、やはり別れの言葉のなかに「再会」を思わせる言葉がちりばめられている。みらいちゃんがなつみの子供だということを今やみんな知っており、15年後にまた会えるはず、ということもわかっているのだ。
 いづみおばさんのせりふは泣かせる。これを書くために聞いていてまた泣いてしまった。みらいちゃんは、果たして「ちゃんと覚えて」いられるのだろうか。赤ちゃんなので、さすがにはっきりとした記憶はほとんどないだろう。それがわかるから、いづみおばさんは泣いて抱きしめるのである。が、しかし、いづみおばさんはほぼ間違いなく15年後にみらいちゃんが生まれてすぐに「再会」を果たし、それから大叔母として関係を続けていくはずなので、みらいちゃんが15年前のいづみおばさんのことを「ちゃんと覚えて」いる必要はあんまりないのである。それが救いでもあり、面白さでもあるのだが、それがわかっていてもやはり「二十歳の、今の自分を覚えていてほしい、この日々のことを忘れないでいてほしい」という強い願いはまた別にあって、その本当の気持ちがまた美しいのである。きっと、みらいちゃんの心にはそれが届いて、二十歳のいづみおばさんのことをどこかで「ちゃんと覚えて」いるだろう、と信じたくもなるわけなのだ。
 ちなみに、いづみおばさんは92年に描いた『チビっ子ママ』でマンガ賞を受賞し、2007年でもまた何らかのマンガ賞を獲ることがわかっている。すなわち、この誓いは本当になるのである。あー! いい話だ! 大好き!
「元気でいるんだよ」というのも面白い。「元気でいるかどうか」は、未来のいづみおばさんがすぐに確かめられるのである。しかし1992年のいづみおばさんにとっては、みらいちゃんが無事に未来に行けたかどうか、15年後にならないとわからないのである。ここがこの最終話の最大のポイントである。
 いいですかみなさん、みらいちゃんが無事に未来に帰れたかどうかは、わからないのですよ。少なくともアニメ本編の中では、「無事に帰ってきてますよ」という知らせが未来からあったとは描かれていない。みんなは15年間、「江地さんがちゃんと未来のなつみにみらいちゃんを無事に届けてくれていますように」と祈り続けるのである。そう! 『ママは小学4年生』という作品は、そういう祈りの物語でもあるんであーる。すごくない!? すごいの。

 その祈りの重さを、『姫ちゃんのリボン』(1992年10月2日 - 1993年12月3日)の小林大地に並んで日本アニメ史に燦然と輝くウルトラいい男である(個人の感想です)山口大介の態度が物語っている。ゆっくりと頭を撫でて、「また会おうぜ」これである。なんとクールな。
 みらいちゃんの父親が大介だということはオープニング映像(富野由悠季先生の手がけた名品だぞ! ほんとにすごいからみてね!)からもほぼ明らかだし、本編でも第1話から匂わされている。10歳の大介だってきっとなんとなくわかっている。なんなら最初からわかってたんじゃないかって気さえする。なつみはわかってたんだから。みらいちゃんが未来の自分の子供だってわかる前から、「あたしが育てる! 絶対誰にも渡さない!」って言ってたんだから。(狂ってるよな~。)(そして、かしこいのでこの話には深入りしません。)
 大介にとって、「また会える」ということは既定路線である。第1話のツンデレ描写からして明らかになつみのことが大好きで仕方ない大介は、それを望んでもいる。しかし両親が幼い頃に離婚し、父親と再婚した母親とその連れ子とともに暮らす大介にとって、これは脳天気に構えていられるような話ではないのだ。(この辺の事情は46話でようやく詳しく描かれるのだが、この話を語るだけでまた同じくらい長くかかるので今回は簡潔にします。)
 大介は10歳にして「覚悟」を求められている。なつみと結婚し、その間にみらいちゃんを儲けることを内心誓いつつ、それが容易でないこともわかっている。かりにみらいちゃんが生まれるところまでは「運命」のように決まっていたとしても、その後はわからないのである。そして大介は、誰よりも「その後」について考えている少年であるはずなのだ。
 自分はなつみと、ずっと仲良くやっていけるのだろうか? なつみに愛される自分でいられるのだろうか? 自分もなつみを愛し続けられるのか? そして、もしもうまくいかなくなったとしても、みんなが幸福になれる道を絶対に見つけ出さなくてはならない……。大介はそんな巨大なテーマを10歳で背負うことになったのだ。
 しかし、この優秀な作品はここにもきっちり救いを残している。父親の再婚相手と連れ子について、大介は「おれのおふくろは、今のおふくろだけさ。そして大平はおれの本当の弟だ。」と(いろいろあった上で)認めているのである。なつみも、「本当は大介、お父さんも、今のお母さんも、大平ちゃんも、みんな大好きなんだよね」と内心でつぶやく。(46話)
 現代は、「結婚がゴール」とはとても言えない時代である。『ママ4』は1992年、そのことをきっちり語っている。結婚がゴールではない。離婚することもある。それでいて、その先にも当然、幸福はある。大介自身がそのことを証明しているわけだから、みらいちゃんだってきっと、何があっても幸福になれる可能性を持っているのだ。
 大介の「また会おうぜ」というシンプルな一言は、結婚とか家族とか運命といったものを一切取り払った、人間としての「再会」をのみ表す。大介にとって「血のつながり」はそれ自体さほど重要ではない。「自分とみらい」という、二者間の関係のみを見つめているのである。「おふくろ」と、大平に対するのと同じように。

 シンガーソングライターAmikaさんの『住宅』という曲は、「この血より濃いものを探しに行く」という印象的なフレーズを二度繰り返して終わる。覚悟と決意と祈りの歌、と僕は思っている。大介の心境は、まさにこれだ。
 ところで、あえて深読みというか、可能性の提示だけをしておくが、そういえばそもそもみらいちゃんが「なつみと大介の血のつながった子供」ではない、という可能性も、絶対にゼロとは言い切れないのである。みらいちゃんは確かに未来のなつみと大介が育てるのであろうが、「血」というのならまた別の話。大介ではない別の男性となつみとの子供かもしれないし、極端にいえば、どちらの血も一切入っていない場合だってあり得る。世の中にはいろんな事情があるのだ。いや、ほんとに、可能性がゼロではないというだけの話なんだけど。でも、たとえそうだったとしても何の問題もない、というのは、本編46話できっちりと明らかにされている。すごいよー。

 ちょっと余談を続けると、オープニング・エンディングテーマを歌う益田宏美さんは、結婚して名を変えていたころの岩崎宏美さんである。この益田宏美名義で『誕生』『家族』『きょうだい』というアルバム三部作をリリースしており、作詞はほぼすべて岩谷時子、作編曲はピコこと樋口康雄が手がけた、いずれも名盤である。本作品に起用された『愛を+ワン』『この愛を未来へ』は、どちらも『きょうだい』に収録。
 益田宏美が結婚して、一人めの子供の妊娠中にレコーディングされたのが『誕生』、育児中に作られたのが『家族』、二人めが生まれる頃にできたのが『きょうだい』という、時系列に沿ったコンセプトアルバムシリーズで、子供の声が収録されたトラックもいくつかある。実に幸福な作品たちで、僕はもう大好きで、ボックスも買っちゃった。
 その後、岩崎宏美に名前が戻っているのは、離婚したからである。だが、そんなことは問題ではないし、もちろん結婚していた頃の曲が使われた『ママは小学4年生』の素晴らしさには何も影響がない。だって、そのことを証明したアニメってのが、これなんですからね。第46話にはそういう力もある。あのエピソードがあることによって、すさまじい強度を持つ作品となりおおせたのだ。


 なつみは別れ際、「みらいちゃん、ちょっとの間だけ、バイバイね。すぐに会えるから、いい子で待っててね。みらいちゃん……!」と言う。みらいちゃんは、15年後のなつみには「すぐに」会える。「いい子で待ってる」のは、本当に「ちょっとの間だけ」だ。しかし現在のなつみにとっては、15年後まで会うことができない。そして、わけのわからないことを言うようだが、みらいちゃんが現在のなつみに会えるのも、やはり15年後なのである。
 みらいちゃんの体感時間としては「すぐに」なのだが、その「すぐに」には、15年という時間がしっかり詰まっている。これは理屈で納得していただかなくてかまいません、僕も詩のような気持ちで書いています。そのような「再会」を、二人はこれからするのです。二重に。

 みらいちゃんが帰ったあと、なつみは両親とともにロンドンに渡る。2年後には戻り、みんなと同じ中学に進む予定だという。つまり、なつみはみんなと「再会の約束」をして旅立つわけだ。
 実はこのくだり、本作品では二度めである。というのも、本当は第1話の時点でなつみは、両親とともにロンドンに行ってしまう予定だったのである。しかしみらいちゃんがやってきたことによって、なつみは自分の意志で日本にとどまることを決めた。『ママは小学4年生』は第1話から51話まで、一貫して「別れと再会」を描くことに終始した、とも言える。
 一度めと二度めで、象徴的なのはやはり大介。第1話、みんなが別れを惜しむ教室内ではそっぽを向き続け、あとからケンカのどさくさにオルゴールをプレゼントするという教科書通りのツンデレ(死語っぽいけどこれがやっぱりぴったりなのだ)ぶりを見せたが、最終話には空港でなつみとしっかり握手を交わすのである。

 なつみが大介に手のひらを差し出す瞬間、主題歌『愛を+ワン』のイントロが流れ出す。そのまま曲は2番に突入し、機内での親子の会話まで続く。そこでなつみは、母親から「ママね、赤ちゃんができたの」と告げられる。その一言に驚き、大きな笑顔を広げていくなつみのアップとともに、二周目のサビはこう歌う。

ねえ だから だからわたしも
きょうだいができたのだね
小さな手つないで
行こうしあわせ気分で
(益田宏美『愛を+ワン』作詞:岩谷時子)

 まことに、よくできたアニメなのだ。オープニングで流れる1番の歌詞には、きょうだいを思わせる言葉はない。
 さあ、水木家に新しい赤ちゃんがやってくると知ったなつみは、どんな反応をするのか?

 ほんとう? ほんとに赤ちゃんができたの? じゃ、また赤ちゃんを抱っこできるんだ! やった! ね、ママ、赤ちゃんのおむつ、あたしがかえていいでしょ? あ、ミルクもあたしがあげる! あたしとっても上手なんだから。それからね、お風呂にも入れられるし、それから……

 ここで主題歌は「幸せの未来へ わたしたちは歩いて行く」と歌い、青空へ飛行機が吸い込まれるように消えていって、そこで作品は完結する。
 なつみの反応は無邪気で、子供っぽい。最初に出てくるのが「また赤ちゃんを抱っこできるんだ! やった!」という「自分の事情」だからである。みらいちゃんと自分のきょうだいを「赤ちゃん」という言葉でひとくくりにしてしまうのもちょっと幼い。それでも10歳という実年齢を考えたら、かなりしっかりしているほうだろう。まず喜び、新しい生命を前向きに受け入れているのだ。そしてみらいちゃんとの日々(12月25日に帰っていくのでどれだけ長く見積もっても9ヶ月弱だが、視聴者にとっては1年間という長さ)の中で得たものを、まだ見ぬきょうだいに対して発揮させようとノリノリになっている。
 このことに対してはいろんなことを思えるしいろんなことが言えそうではあるが、僕は個人的に、きょうだいがいたほうがみんなと離れてもなつみはさみしくないだろうから嬉しいし、みらいちゃんのお世話を経てさまざまに成長した彼女だからきっと、きょうだいにも優しくできると思う。年の離れた兄弟である大介と大平にもさらに親近感がわきそうである。
 なつみは、第1話から言っているようにみらいちゃんを自分で育てたかっただろう。でもそれは15年後まで待たなければならない。だから、というのではないが、自分の弟か妹という形で、子供の成長に1から寄り添って行けるというのは、きっと彼女にとって幸福なことだと思うし、そのきょうだいにとっても、みらいちゃんにとっても、世の中にとってもいいことだと信じたい。


 長い前置きの最後に、こう書いた。

 体温を保つ、ということなのだ。
 それは過去に学ぶということでもあるし、過去を引き連れて生きるということでもある。過去と未来を引き合わせることが幸福であると僕は信じていて、だから「時間」と「再会」を愛する。

 過去に学ぶ、過去を引き連れて生きる、過去と未来を引き合わせる……すべてなつみが、大介が、みんながやっていたこと、そしてやっていくこと、だと思う。
 時代は変わっていくし、自分もみんなも変わっていくかもしれない。それでも10歳の時にみんなでみらいちゃんを守っていた「過去」は動かない。そして15年後にみらいちゃんと再会するということを、疑うわけにはいかない。
 未来は決まってるんだから仕方ない、という諦めを言っているのではなくて、未来がそうなっている以上、僕たちはどうやって生きていったらいいのか、ものすごくちゃんと考えなければならないということだ。そのことは大介が教えてくれている。

 僕が1992年の『ママは小学4年生』というアニメを好きだったことは動かない。時代は変わっていき、『ママ4』のようなアニメはもう作られないし、作られても人気は出ないだろう。だからといって、1992年にあった作品は消えないし、好きだという気持ちもそれで変わるわけではない。
 それとともに僕は生きていくのである。
 変わっていく時代の中で、その時に応じて正しいと信じることをやっていく。その時に僕は『ママ4』を参考にする。ただそれだけのことなのだ。
 そして、いくら時代が変わっていくと言ったって普遍的なものはあるし、たまたま古いものが新しい時代を生きるある人にジャストフィットしてしまう、ということは少なくない。だから『ママ4』を僕がこのようにして語り続けることにも意味がないわけではない。名作は名作として、古典は古典として強大な力を持つ。売れる売れないとは無関係に。

 95年前後で、僕の好きな類いのアニメは終わった。終わったまま、これからも終わりっぱなしである。「ロックは英語曲をカバーすりゃいいんだ! 日本語で歌うな!」と内田裕也みたいなことを言ったって、そういうのが再び主流になる世の中はたぶんもう来ませんよね。それはそういうものなのだ。
 だけど内田裕也の言うことだってもちろん一理はあって、日本語ロックが主流になったからといって英語で歌うロックの魅力がなくなるわけではないし、過去の名盤も古典も色あせはしない。
 それを積極的に求める人は少なくても、「でもよぉー、英語で歌うロックってのはさあー、すげーいいんだよー」という言葉を発し続ける人がいれば、「そういうのもあるのか」と思う人もきっといる。
 僕の時間は95年で一度終わっていて、それまでのことはすべて鞄に詰めた。その鞄を持ってずっと旅をしている。寅さんみたいに。
 そういうことでいいんじゃないか?

 僕はその鞄を、すべての未来に持ってきている。
 だから、「過去と未来を引き合わせる」ということにもなる。
(もちろん96年以降のものだって未来に持って行っているのだが、話が複雑になるので95年までのものを詰め込んだ鞄に限っている。)
 時代が変わったことを嘆くのではなく、どんな時代になろうともその鞄一つあれば、自分はそれで体温を保っていられる、ということだし、その鞄の中のものをうまく使えば、意外とどんな時代だって乗り越えていける、っていうことでもある。それが普遍性だったり、「現代にジャストマッチ!」だったりする。
 過去が未来に生きるためには、現在にいる僕の采配が不可欠なんだってことでしょう。

「みんな自分の聖書を一冊ずつ持ってんの」(川本真琴『早退』)なんて歌もありました。僕の言っている鞄ってのは、「全財産つめた鞄が軽くてステキでしょ?」(川本真琴『ピカピカ』、たぶん元ネタはアニメ『赤毛のアン』第1話)っていうようなもので、みんなが一冊ずつ持ってる聖書に近い。決して、「88年から95年までのアニメを見ろ! 素晴らしいぞ!」と言いたいだけではない。いや、言いたいんだけど、言ってもあまり意味がないこともわかっている。
 僕にとってそれは聖書なんだっていうこと。
 みんなにはみんなの聖書がある。
 それは「無人島に持って行く」というようなものであるよりは、「みんなのいる未来に持って行く」というようなものである。

 なつみ「みらいちゃん、これは、未来のママに渡してね。みらいちゃん、ちょっとの間だけ、バイバイね。すぐに会えるから、いい子で待っててね。みらいちゃん……!」(強く抱きしめる)

 なつみはここで、「渡してね」と言って鞄を一つ、タイムマシンに載せている。しかし江地さんはなんと、もともとはみらいちゃんとともに未来からやってきたこの鞄を、未来のなつみに返していないのである。(これは今回気がついた。)
 おそらく、江地さんがタイムスリップした時点で未来が変わったのであろう。新しい15年後の未来では、みらいちゃんが消えた次の瞬間に、江地さんがなつみと大介のもとに登場する。「みらいちゃんを心配した未来のなつみが10歳のなつみと交信する」というような歴史は、すべてなくなってしまったのだ。同時に「鞄」も消えたということだろうか。ひょっとして、歴史のつじつまとして「みらいちゃんははじめからタイムスリップなんてしなくて、江地さんだけが未来にやってきた」ということになったのかもしれない。このあたりは正直よくわかりません。
 しかし10歳のなつみはみらいちゃんのことをもちろん忘れていないし、みらいちゃんのほうも、忘れてしまっていたら嫌である。江地さんが(おそらく過去の記憶をすべて持った状態で)未来に存在しているということは、みらいちゃんの記憶(?)だってちゃんと存在していると考えたほうが自然だろう。
 では、なつみが「渡してね」と言ったのは、無駄だったのだろうか? なつみは何も、未来の自分に渡せなかったのだろうか? そんなわけありませんよね!……なんて曖昧で思わせぶりなことを書き残して、本稿を終わります。



『ママは小学4年生』を見ていたら、『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』や『宇宙船サジタリウス』や岡田淳さんの諸作品のことを色々思い出していっぱい考えたんだけど、あと数万字は増えてしまうので、またいつか。

2021.2.5(金) 1月10日ごろの雑記と続き

(1月10日ごろの雑記)
 久しぶりに上野周辺にやってきた。喫茶店はほとんどが開いていてお客も入っている。豆腐屋もやっている。20時を過ぎればおそらくどこもひっそりするのであろうが、昼の活気は日頃とそうは変わらないように思える。
 テレビで会見をする人たちは「外に出ないでください」と訴えている。しかし少なからぬ人々は外に出ている。「少なからぬ」と言えるのは、前回の緊急事態宣言時は明らかにもっと人出が少なかったから。
 慣れは強さでもある。みんな図太く自分の生活をしているのだ。各自が各自なりの判断で行動を決めている。この一年弱で彼らは(我らは)そのように学んだのであろう。学びの集積がこの光景を作っている。
 行政や医師会の訴えを知らないわけではない。「それはそれとして」と、みんなは生活している。ある意味ではズルい。

 学校の教室で、みんなはてんでに好き勝手なことをやっている。「ダメ」とされていることでも、その時その場で先生が何も言わなければ(そう踏めば)平気でするし、叱られたとて、隙を見計らって再開するか、何か別の楽しいことを始めたりする。鉛筆を握っている生徒も、よく見ると落書きをしていたり、お手紙や小説を書いていたりする。
 それでもギリギリ授業は「成立」していたりもする。なんとなくノートだけ取って、大事そうなところはいちおう聞いて、テスト直前に悪あがきでもすれば、それで60点くらいは取れてしまう。みんなが100点を取れるわけではないが、平均点は60点くらいで、赤点(たとえば平均点の半分以下)は数名。そういうもんだ、とみんな思っている。赤点を後悔する子もいるが、次のテストまで気合が続くケースは少ない。
 もちろん理想はみんなが真面目にちゃんと授業を聞いて、みんなが100点かせめて80点以上は取ることなのだが、現実はそうはいかない。
 どうやら今はそのつづきなのである。みんなは先生や学校の文句を言う。言いながら、学校には通うし、なんだったら宿題だって出す。それが「成績」に反映されるからだ。
 だけど、授業を真面目に受けるかといえば、そうでもない。彼らには彼らの「愉しみ」というものがあって、それは彼らにとって「生活」そのものなのだから。
 もちろん授業を完璧に真面目に受けている生徒もけっこういる。その人たちは、そうでない人たちから「特別」だと思われているか、特に何にも思われてはいない。

 いま世の中で起こっているのはそういうことだと思う。先生たちは色々言う。「将来のことを考えろ」とか言う。でもみんなのうち大部分は、「まあ、確かにそうなんだけどさ」と内心思いながら、「知ったこっちゃない、楽しいことをさせろ! 苦しみを与えるな!」と思っている。時おり、態度に出して反抗する生徒もいる。大人になったって、この仕組みは変わらない。
 僕は「先生の話を聞くべきだ」と言いたいのでは、ない。「先生の話なんか聞かないのがフツーですよね」という確認を、今さらながら今日、上野の街を歩いていて改めてしたのだった。

「先生の話」なんてのは、実際どうだっていいのである。テレビで流れていることはテレビで流れていることで、生活する人たちにとって大切なのは目の前に広がる実際の光景であり、そこにある「空気」。それを否定するつもりは毛頭なく、ただ「それが普通である」ということに、本当に今さら、立ち戻った。

 僕はそこに、ある種の強さを見たのだ。本当に。みんなそれぞれ、てんでに自由に生きているのだ。


(続き)
 ここまでを、ひと月近く前に書いてほっぽっていた。ここからは今日。
 読み返してみて、いやほんとにその通りだ、と思うし、この時に見た上野の風景は未だ古びずに浮かぶ。というか、いまと違うのは空気の濃さくらいだ。(その時は寒かったし、正月明けでまだ空気も澄んでいたような気がする。)
 みんな普通に暮らしている。「それはそれで」と。人間は慣れぬということのない生き物であり、かつては「(店の閉まる)20時以降は何をしたらいいんだ?」と思っていた者も、「20時まで」の範囲内で十分楽しむ方法を会得している。かく言う僕のことでもある。

 普通に暮らすということは、各自が各自の世間の中で生きるということである。かつ、現在はあまり余分なことはしないし、できない。みんな飲み会くらいはするんだろうけど、それもほぼ世間の中で完結する。
 世の中は格差社会で分断社会で、人々は縦横に切り分けられている。「世間」「クラスタ」「界隈」「階層」その他さまざまな言葉で表されるようなグループ分けがなされている。学歴や所得によってもその人が他人と交流する時間と場所が変わってくる。大卒と中卒の交わる空間は実際かなりレアだし、僕などが芸能人とばったり会う機会は非常に少ない。彼らは墨田区や台東区の古ぼけた喫茶店になど来はしない。(来るとしたらロケであろう。)
 ここで自慢をさしはさむと、今をときめくストーンズにいる小さくてかわいい金髪の男の子は教え子である。会えば「おう」くらいになると思うが、さみしいことに僕はもう、ほぼ彼とばったり会うことはないだろう。おそらく生活圏が違いすぎる。同じ教室にいたっていうのに。同じ都内にいるというのに。
 ゆえに、ここからは僕の乱暴な仮説なのだが、感染症もその壁を容易には乗り越えない。一年前ならまだしも、すでに人々が「世間の内で完結させる」ことをより志向し、無意識に行えるくらいには慣れてきた今となっては。かりに赤坂のクラブや六本木のバーで流行っても、墨田区や台東区の古ぼけた喫茶店まではなかなか届かない。
 むろん「なかなか届かない」からと言って「絶対に届かない」ではなく、どんな隙間でもすり抜けてやってくるのが微細なウィルスということでもある。「墨田区や台東区の古ぼけた喫茶店にいるから安心や!」ということでは決してない。ただ、陽性となり欠場した白鵬の所属する相撲部屋の向かいにある古い喫茶店(墨田区である)は実にのんびりとしていたし、その周辺でクラスタが発生し大騒ぎに、という話も聞かない。地理的に近くても世間の壁はそうそう越えない、というのはあると思う。ウィルスの流行る単位はエリアではなく、世間だというのが僕の仮説。
 ある世間で感染症が蔓延してしまったら、まずはその世間内に、次にはその隣接する世間内に広がっていく。遠い世間にはなかなか届かない。少なくとも、もともと他人との距離をとりがちな日本では、そのようなことになっているのではないか。
 テレビの街頭インタビューで、「周りに感染者がいないので実感がわかない」「自分は大丈夫だろうという気持ちがある」なんて答えるのを見たことがあるが、この実感はその意味で正しいのだと思う。周りに感染者がいないというのが本当であれば、その人の世間ないしごく近い世間においてはとりあえず流行っていないということで、だったら「今のところ安全」という認識は妥当なのである。「世間内第一号が自分」という可能性はもちろんあるが、「隣接する世間」にも流行の兆しが特にないのなら、その可能性もかなり低まるとは考えられる。
 僕はまだ、直接の知り合いに感染者がほぼいない。ほぼというのは、10年近く会っていないような友人2名の感染をTwitter経由で知ったからである。一人はさっきのストーンズの子の同級生で、今は某最大手2.5次元舞台に出ている子。会えば「おう」と言ってハイタッチくらいはするんだろうが、やはりばったり会うようなイメージは持てない。
「僕の世間は無傷で、安全性がかなり高い」と主張したいわけではない。確かに僕の世間はさほど多くなく、割と狭くて、その中では感染の話を聞かない。ただ、僕は「隣接する世間」の数がたぶん人よりけっこう多いのだ。バーに立ち、不特定のお客を相手にするから。
 夜学バーという世間は狭い(できるだけ存在しないように努めているほどである)が、夜学バーに通ってくる人の世間は別にある。「近所に住んでいる決まった人だけが通ってくるお店」ならばまだしも、夜学バーは「いろんなところに住んでいるいろいろな人が通ってくるお店」なので、出入りする世間の総量(なんか変な表現だ)は割と多いということ。
 ただ、しかし、「夜学バーに通ってくる人」というのは、どうしてもどこか偏ってしまう。「どんな人でもおいでください」とうたってはいても、実際に集まってくるのは、ある特徴を備えた人たちである。それはもちろん、「慎重で思慮深い」という一点に尽きる。(もちろん、全員が絶対にそうだと言っているのではありませんよ。とりわけ流行前は、本当にいろんな人が来ておりました。ただ最近は上記の傾向がより強まっている、という実感があります。)
 実際にいる世間はお客ごとに全然違っても、その「世間の質」はある程度似通っているのではないか、という、これも僕の乱暴な仮説。具体的にいえば、あんまりワーキャーした世間にばかり出入りしている人は少ない。むろんこれも絶対ではない。ワーキャーも思慮深いも両方できる、という人はけっこう多いのだ。僕だってそうだ。ただ平均を取れば、やはりワーキャー度は低いだろうと思う。
 ワーキャー度が高ければ高いほど、イメージとしては、世間内ウィルス蔓延可能性が高まりそうだ。ワーキャー度ではなく、ガハハ度でもいい。アハハー度でもいい。そういう側面を持った人でも、今こんな時だから、ちょっとその度を落として生活してみようか、という人も多いと思う。するとワーキャー世間属し度が下がる。そのようなことが水面下で徐々に進行しているような気がする。すなわち、ワーキャー世間とそうでない世間とのはっきりとした分離が。
 ワーキャー世間(すなわち、普通の世間)ではより流行り、そうでない世間ではそうは流行らない、というふうに少しずつ最適化されていくように感じるのだ。キャバクラに行くか行かないかとか、テキーラのショットを飲むか飲まないかとか、そういう選択の積み重ねの結果として、うっすらとした膜が一つ、世の中にうまれていく、その境界が可視化されていく。
 みんなは飽きて、忘れていく。慣れていく。だからこそ、自然とそうなっていく。
 みんながてんでに、自由に暮らしているということは、落ち着くべきところに落ち着いていくということでもあるのだろう。とりわけ今は、イレギュラーな行動が減り、レギュラーな行動が相対的に増えている。みんなのレギュラーな行動をもとに、ずんずん仕分けは進行していく。

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