少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2021.3.29(月) エヴァーのテーマは「仲良し」です!
2021.3.26(金) 便乗力2/新世紀エヴァンゲリオン
2021.3.23(火) 個人の終わり(クドカンと庵野さん)
2021.3.21(日) 70年ぶりの再会
2021.3.18(木) 自伝(職歴)
2021.3.15(月) 雑記。不自由なほうが群れやすい
2021.3.12(金) 岡林信康になるために(死別について)
2021.3.10(水) 夜という価値観 別解
2021.3.4(木) 「かわいい」考、常識論
2021.3.2(火) 大好きの証拠

2021.3.26(金) 便乗力2/新世紀エヴァンゲリオン

 読み返してないので怖いですが2013年6月から僕はたびたび「便乗力」という言葉を使っております。このあたりでは連続7回+補足1回という大ボリュームで書いています。
 その後は2013年7月2日2013年9月29日、そして今年の3月10日にも久方ぶりに登場しています。

 どうせあなたはお分かりにならないだろうからお教えしますが、あなたが彼女と別れなければならない最大の理由は、“それが陳腐な女だから”です。
 陳腐というのは凡庸ということです。凡庸ということは、ザラにあるということです。ザラにあるんだから、別にそれをいやがることもないんじゃないかというのが、現代の最大の退廃なのです。
 陳腐であるということは、退廃しているということです。現代では、既に退廃もそこまで大衆化しました。平凡な顔をした大敗とくっつく必要はないということです。そして、平凡な顔をした退廃ほど、逃げるのに困難を極めるものはありません。何故ならば、平凡こそは、人類の行き着く最終の安息の地だからです。そこが退廃しています。そこに居着いたら、もう永遠に逃げ場はありません。だからすぐ逃げなさいと言っている訳です。
(橋本治『青空人生相談所』ちくま文庫P211−212)

 何度も何度も引用しているこの本は1987年12月(元となった『親子の世紀末人生相談』は85年6月)刊行。
 僕のいう便乗というのは、この《陳腐=凡庸=ザラにあるんだから、別にそれをいやがることもない》というのの線上にあります。
「エヴァに乗る」というのもそういうことだったんだと僕はようやく理解しました。

 相変わらず(前回参照)『シン・エヴァンゲリオン』を観ていないし、その前の新旧劇場版やテレビシリーズその他もほとんどまともに見ておりません(テレビの最初のほうと最終話付近とQの後半らへんだけ見たことあります、あとスパロボF)が、ネタバレを恐れないので大まかなことはなんとなく知っていまして、シンジくんが最後に「エヴァに乗らない(乗らなかったし乗る必要のない)世界」を選択(?)するらしい、というようなふうに聞いております。
 テレビシリーズの最終話(26話)でも、フツーに学校に通うシンジとアスカとレイ(ゲンドウとユイはフツーに家にいるし、トウジ、ケンスケ、委員長なども学校にいて、ミサトさんは先生)が「エヴァに乗らない世界」として(ということだと思います)描かれましたが、なるほど基本的には25年前と同じところに着地したんだと僕は勝手に理解しますし、いずれも「(エヴァに乗らなくても)僕はここにいてもいいんだ!」ということなんだろうと思っています。
 最終話では「学園編(?)」のあと、以下のような流れになって終わります。

シンジ そうだ、これも一つの世界。僕の中の可能性。今の僕が僕そのものではない、いろんな僕自身があり得るんだ。そうだ、エヴァのパイロットではない僕もあり得るんだ。
ミサト そう思えば、この現実世界も決して悪いもんじゃないわ。
シンジ 現実世界は悪くないかもしれない、でも自分は嫌いだ。
誰? 現実を、悪く、嫌だと捉えているのは君の心だ。
ロン毛 現実を真実に置き換えている君の心さ。
じょせい 現実を見る角度、置き換える場所。これらが少し違うだけで、心の中は大きく変わるわ。
加持 真実は人の数だけ存在する。
ケンスケ だが、君の真実は一つだ。狭量な世界観で作られ、自分を守るために変更された情報。歪められた真実だ。
トウジ ま、人一人が持てる世界観なんて、ちっぽけなもんや。
委員長 だけど、人はその自分の小さなものさしでしか、物事を測れないわ。
アスカ 与えられた他人の真実でしか、物事を見ようとしない。
ミサト 晴れの日は気分良く。
レイ 雨の日は、憂鬱。
アスカ と、教えられたら、そう思い込んでしまう。
リツコ 雨の日だって楽しいことはあるのに。
冬月 受け取り方ひとつで、まるで別物になってしまう脆弱なものだ。人の中の真実とはな。
加持 人間の真実なんてその程度のものさ。だからこそ、より深い真実を知りたくなるのね。
ゲンドウ ただ、お前は人に好かれることに慣れていないだけだ。
ミサト だからそうやって、人の顔色ばかりうかがう必要なんてないのよ。
シンジ でも、みんな僕が嫌いじゃないのかな。
アスカ あんたバカぁ? あんたが一人でそう思い込んでるだけじゃないの。
シンジ でも、僕は僕が嫌いなんだ。
レイ 自分が嫌いな人は、他人を好きに、信頼するように、なれないわ。
シンジ 僕は卑怯で、臆病で、ずるくて、弱虫で。
ミサト 自分がわかれば、優しくできるでしょ。
シンジ 僕は僕が嫌いだ。でも、好きになれるかもしれない。僕はここにいてもいいのかもしれない。そうだ。僕は僕でしかない。僕は僕だ。僕でいたい。僕はここにいたい。僕はここにいてもいいんだ!
(歓声)
みんな (口々におめでとう的な言葉)
シンジ ありがとう。

<字幕>
父に、ありがとう
母に、さようなら
そして、全ての子供達(チルドレン)にーー
おめでとう

(『新世紀エヴァンゲリオン』TV版26話の最後の最後)

 世紀末から新世紀にかけてアングラに憧れた人たちが小劇場で上演していた前衛っぽいお芝居にはかなりの確率で↑このようなシーンがあったはずです。たくさんの役者が舞台に突っ立って口々にそれっぽいことを少しずつ喋っていくやつ。あれって今思えばエヴァーの影響もあったのかも。(2000年代初頭に高校演劇やっていたので色々見る機会があったのです。)

 この最終話を見て僕はエヴァーのテーマを「やっぱり自分、てことだよな」だと思い込み、それは間違っていなかろうとずっと思っていて、今「やっぱりそうだったんじゃないの?」と思っています。

「全ては捉え方次第 何が重要かをとらえるんじゃなく 何を重要にするかを大切にしていきたいものだ」
 高校以来の友(麒麟さん)が当時から座右の銘としていたフレーズ。2002年10月くらいから僕もたびたび引用している。「死なない程度に格好良く」なんてのもあった。
 僕にとってエヴァーはそのようなメッセージを持ったもので、このたびの『シン』はたぶん、それとそんなに遠くないような感じで終わったんじゃないでしょうか。(観てない)
 シンジは人に好かれることに慣れ、自分を好きになり、誰かを好きに、信頼するようになっていく、のではないでしょうか。
 僕はそうなることをずっと待っていたので、とても嬉しいです。「全然違うよ!」ということであれば教えてください。しばらくは勝手に祝杯をあげています。

 僕は最初から(遅くとも中学1年生の時に再放送で最終話を見て以来)「エヴァに乗らない可能性」のほうをずっと重要に思ってきたので、エヴァには乗りませんでした。
 25年くらいエヴァに乗り続けてきた人もいるのでしょうが、僕は頑なにエヴァには乗りませんでした。乗りそうになったことも何度かありましたが、結局は乗る気になれませんでした。
 だって14歳のシンジが、12歳の僕に教えてくれたのだ。「エヴァに乗らない未来もある」と。「角度を変えろ」と。
 旧劇場版も新劇場版も、ネタバレをあれこれ見聞きしながら、ただひたすらにシンジの「でも、好きになれるかもしれない」という言葉を信じて、「なんでまだそんなことやってんだろう?」とだけ思ってきたのでした。エヴァに乗らない世界で。

 で、このたび、どうやらシンジくんが25年ぶりに、エヴァに乗らない可能性のほうにまたやってきてくれたらしいので、これでやっと同じ世界だね! 友達になれるね! なんてところです。
『シン』が気に入らない人は、「俺たちはまだエヴァに乗ってるし、乗っていたいんだよ!」と思っているんじゃないかと思います。でもその予告はもう、25年前にあったというか、25年前にシンジはもうエヴァに乗らない可能性に気づいているのです。でもその可能性に辿り着くまでに、25年かかった、ということなのかもしれません。言うは易し行うは難し。みなさまにおかれましても、時間のかかる場合があるのでしょう。

 自分と他人を好きになるためにこの25年間はあったのかもしれない。


 あなたは、人生に当りはずれがある、などということを考えたこともございますまい。ございますまいが、しかし現実には、そういうこともあるのです。ええ、人生には当りはずれがございます。そして、人生とは、そのはずれくじを引いてしまった人間が、そのことを結果としてひっくり返してしまう為にあるのです。別にあなたはこのことを聞かなくともよろしい。私は別にあなたに向かってこのことを言っているのではないのだから。私は、このことを、運悪く、奇形児として生まれてしまった場合の、あなたのお子さんに向かって言っているだけなのだから。
(前掲書P181)

 エヴァーの25年間はそのようなものだったのではないか、と、ほとんどエヴァーに乗ったことのない立場からは、思います。
 シンジはたぶん卑屈なだけの自分から脱して自立するのだと思いますが、自立というのは残念ながら、便乗を当然とする人のもとにはまず訪れません。
 エヴァーに乗れば乗るほど、自立は遠くなります。エヴァーだけでなく、なにかに便乗すればするほど、自立は遠ざかります。自分を、他人を、好きになれません。
「与えられた他人の真実でしか、物事を見ようとしない」と最終話でアスカは言いました。
 そのような態度でいる限りは。

 僕はエヴァーに乗らなくて良かったし、もう誰もエヴァーに乗らなくて良くなった。極めてわかりやすい形で、「エヴァに乗らない世界もある」ことが示されたらしいので。嬉しいなあ。
 止まっていた時計が動き出したような感覚です、本当に。
 みんな止まっていたんだもん、シンジは25年も前にもう、「僕はここにいてもいいんだ!」って叫んでたのに。
 みんなが「与えられた他人の真実」ばかりを見ていた25年が終わります。終わったことにします、もう、これをもって。

 彼女がなぜ最悪か? それは、別れることに理由を求めるから。
 あなたが別れたいと思う理由は“嫌いだから”なのだ。どうして“嫌い”に理由がいるだろうか? 十分な説明を果たしてからでないと、ただそれを嫌うということさえも許されないのか? 嫌いという、人間の感情の根本が認められないという状況が、あなたの目の前に迫っているのだ。それを人間の死と言わずしてなんであろうか? あなたの付き合っている平凡な女こそが、AIDSよりも恐ろしい現代日本の死病の元凶である。一刻も早く防衛策を!
(前掲書P212)

 ここに出てくる平凡な女は、「与えられた他人の真実」しか理解しない人です。
 でなければ「別れる理由を説明して!」なんていう発想は出てこないと思います。(本に載っている相談文には直接そのようなことは書かれていませんが、橋本さんがこう言うということは、省略された部分があるのかもしれません。)
 当事者の外側にある「理由」とか「納得のいく説明」みたいなことにしか根拠が求められないのは、あらゆるものに便乗して生きてきた人の特徴です。
 誰かに説明してほしいのです。
 常に何かに責任を押し付けていたいのです。
 僕がエヴァームーヴメントのほとんど全てが大嫌いだったのは、引用した最終話のやりとりが理解されているとは到底思えなかったから、なんだろうと今は思います。

 みんな、それがムーヴメントだから便乗するんだけど、便乗っていちばん自立からは遠いことなんだよね。25年にわたる国民的便乗ムーヴメントのなかで自立なんかできるものか。流行れば流行るほど遠ざかる。乗れば乗るほど依存していく。25年かかるわけだよ。おかえりシンジ!


 追記 聞いたところによると『シン』では↑のような救われ方(?)をみんながする感じ! らしい(要出典)ので、最高ですね。もしそうなら、本当に素晴らしいと思います。

2021.3.23(火) 個人の終わり(クドカンと庵野さん)

さくら〈戸田恵梨香〉 (家族写真を見せて)私の好きな寿一(じゅいち)さんは、こういう顔をしています。でも近頃、すっかり変わってしまった。なんか深刻ぶって。殺気立って。(能面を見せて)こんな感じ。近寄りがたい。
寿一〈長瀬智也〉 (心の声:こんな顔、したくてもできない。)
さくら わたしの生い立ちについて話したの、覚えてます?
寿一 ああ、はい。あの、すげぇ育ちが悪いっていう。
さくら ……言い方。介護の現場で、金持ちが遺産相続で揉めてるのを見て、つくづく、貧乏でよかったなって思ったんです。金持ちだけど、冷たい家か。貧乏だけど、温かい家。この二種類しか、この世にはないんだって。でも観山(みやま)家は、金持ちで、温かい家でした。今どうですか? この家、寿一さんしかいない。わたしは、家族に囲まれて笑ってる寿一さんが好きでした。ちょうどよかった、わたしには。一人の人間として見たら、そこまで。
寿一 え。
さくら みなさんを呼び戻してください。金持ちで、温かい観山家に戻してください。
(TBSドラマ『俺の家の話』第9話より 脚本:宮藤官九郎)

 上記は先週金曜日に放送された回のセリフを耳コピしたものである。
 注目したのは「一人の人間として見たら、そこまで」という一言。
 個人としての観山寿一ではなく、家族との「関係」の中にある観山寿一を好きだと言うのだ。
 大袈裟にいえば、ようやく近代が終わる。個人の時代は終焉し、「関係」の時代がやってくる。だってエヴァンゲリオンさえ、個人ではなく関係へ開いて終わったらしいじゃないですか。(観てない。)

『シン・エヴァンゲリオン』は観ていないが、庵野秀明さんに密着した『プロフェッショナル 仕事の流儀』(3月22日放送)は見た。
 1998年10月に『彼氏彼女の事情』第1話冒頭を数秒見て、僕はこの人のファンになったのだ。(前回書いた「ファンというものは出会いの瞬間を一生覚えている」というのは、地下アイドルに限ったことではないのだろう。)
 しかしエヴァはTVシリーズの本放送(テレビ愛知の朝7:35〜、小学生だった)と再放送(三重テレビの夕方、97年4月〜10月)をそれぞれ飛び飛びに見ていただけである。最終話は好きだった。特に「おめでとう」と言われて「ありがとう」と返すところがきわめて好きだ。当時からずっと好きである。
 新旧劇場版をこれまでいっさい見ていないのは、「おめでとう」「ありがとう」(または「ありがとう」「さようなら」「おめでとう」)で完結したと思っているからだ、と振り返って思う。
 ※日記を検索すると2005年に『Air』(旧劇場版の一編)への言及があるが、通して見た記憶はまったくない。友人宅かどっかで再生されていたのは見たような気もする。友人から全話焼いてもらった、という記述も他所にあるが、これはまったく見ていない。あと正直に告白すると最近『Q』のテレビ放送を半分くらい見たので、なんとなく『シン〜』の世界観(時系列とか)は理解しております。

 観ていないがネタバレを聞く限り結局エヴァーは「おめでとう」「ありがとう」(または「ありがとう」「さようなら」「おめでとう」)で終わったのではないのでしょうか。違う解釈もあるんだろうけど、そういう解釈をしても良いようなものではないのでしょうか。観てないけど……。
 僕にとってエヴァンゲリオンは「おめでとう」「ありがとう」的な終わり方をするものなので、シンジくんが成長して、ゲンドウと和解し、その後の世界を前向きに生きていく感じのエンドだった、という各所から聞いたネタバレが本当であるならば、それは96年3月放映の最終話にちょうど25年かけて追いついた、という感じなんだろうな、と。

 父に、ありがとう
 母に、さようなら
 そして、全ての子供達(チルドレン)にーー
 おめでとう
(『新世紀エヴァンゲリオン』TVシリーズ最終話の最後の最後より)

 このラストを踏まえ、98年に『カレカノ』を見た段階で、庵野秀明という人は「悪いものではない(≒いいやつ)」と措定した。その印象は今も変わらない。ちなみに『ラブ&ポップ』(1998)も公開から少し経ってレンタルビデオで見た。かなり好きである。『ナディア』(1990)は就学前ゆえほとんど覚えていない。(このへんはすべてマウントですのでお聞き流しください。)

『プロフェッショナル』で庵野さんが繰り返し言っていたのは、「頭で考えると、自分の中にある以上のものは出てこないんだよ」ということ。これも「個人」というものの限界を言っているのだと思う。
 別のドキュメンタリーでは確か、「アニメはすべて理屈で作られるが、実写は役者が演じるし不確定要素が多いので、理屈だけでは作れないものができあがる、それもまた面白い」というようなことを言っていた。実写『シン・ゴジラ』(2016)を経てそうした「面白さ」への希求が強まり、『シン・エヴァンゲリオン』でも「自分の中にないもの」をより求めたのかもしれない。それがどの程度達成されたのかはわからない。『プロフェッショナル』では、絵コンテをつくらずみんなに考えさせる制作方法を試みつつ、「結局自分でやっちゃう庵野」という描かれ方をしていた。


 最近このHPの掲示板で「間借り人」さんとやりとりがあって、花田清輝の以下の発言を引用した。

花田 実体概念は古いな。機能概念でないと……それが平野君の言っていることではないか。
埴谷 新しい、古いはいいが、ヒットラーにあるものは多かれ少なかれ強烈な簒奪者にはすべて発見されるね。
花田 だからその非歴史的なとらえ方を僕は古いと言っているわけだ。やはり歴史的な段階でそれぞれちがって来るので、それを今日的な観点から見れば、すべて機能概念としてとらえて行っていいというわけだ。
埴谷 もちろん今日的な概念から見ていいわけだ。
花田 そうなるとすべてのその実体はなくなってしまう。
埴谷 いやあるよ。歴史の底流にあるそれはいまだに向うから吾々をとらえる。
花田 実体ではないのだ。
埴谷 では何かね。
花田 社会的関係の集中的な表現としてあるだけだ。
(関根弘『花田清輝 二十世紀の孤独者』P145-146から孫引き)

 掲示板では、この「社会的関係の集中的な表現」に関連して、森達也さんの『A3』における麻原彰晃とか、森喜朗(83)さんについても書きました。お時間のある方は覗いていってみてください。

「社会的関係の集中的な表現として」というのは、まさに『俺の家の話』での、「志田さくらの好きな観山寿一」である。さくらは「一人の人間として」の寿一が好きなのではなく、「社会的関係の集中的な表現として」の寿一が好きなのである。
「家族という関係の中にある寿一」である。
 家族という関係、というのは、もちろん一つではない。
 父との関係、弟との関係、妹との関係、腹違いの弟との関係、義理の弟との関係、甥との関係、息子との関係、別れた奥さんとの関係、そういった「社会的関係」の、「集中的な表現」というものが、イコール、「さくらの好きな観山寿一」なのである。
 それぞれの家族との関係が、集中したもの。集中した存在。集中した表現。そういうものとしての観山寿一なのである。「一人の人間として」一対一で向き合うとき、その「社会的な関係」はすべて削がれて、丸裸になる。そこに魅力は「そこまで」ない、のである。

 べつにクドカンが書いたから未来はこうなる、というものでないのはもちろんだが、そういう視点を含んだドラマが金曜の22時から放送されていて、それなりには人気を得ている、というのは注目に値しないことはない。
 ようやく、「個人」というものにすべて収斂されていくような時代が終わりつつある。それはいろんな人がいろんな形で予見している。僕は、これからは「関係」の時代だ、と明言しておく。
 つまり仲良しの時代でござる。この話は向こうしばらく、断続的に続いて行きますし、ここ数年か、あるいは10年くらい、ひょっとしたらもう21年、ずーっとこの日記に書き続けていることでございます。

 折しも今日、僕はある人から「あなたはどんな人ですか」というようなニュアンスの質問を投げかけられたが、「仲良しの集中的な表現として」のジャッキーさん、というのが、僕のめざしている正体です。

2021.3.21(日) 70年ぶりの再会

 3月3日、23年ぶりに岡林信康さんが全曲書き下ろしのオリジナルアルバムを出した。買った。(3月12日にも書いた。)
 3月20日、2000年に引退した水野あおいさんが21年ぶりにライブをした。この1年間で配信ライブにお金を払ったのはたぶん初めて。4400円。そしてオンラインサイン会に参加するためのA4ポートレートが2000円。合計6400円、出してしまった。財布の紐のかたい僕にしては本当にめずらしい。
 5月28日、岩泉舞先生が『七つの海』以来29年ぶりの単行本を出す。そこには27年ぶりの新作短編が載るとのことだ。予約済。

 岡林信康さんについては23年間さほど途切れずに何らかの活動をしていて、僕もコンサートに行ったことがあるが、その間、新曲は『さよならひとつ』など数える程度。今度は一気に9曲だ。
 98年の『風詩』からの年数であるが、僕がいよいよ岡林狂いとなるのは2002年3月くらい(日記で確認)らしいので、4年くらいのラグがある。

 それを踏まえても、上記3つを足せば70年ぶりくらいになる。足してなんの意味がある? というのはともかく、70年がわずか数ヶ月でこの身にやってくる。
 偶然とはいえ集中するのはこの1年間の流行病の影響もあるだろう。また、僕が好きな人たちに「そういう人」が多い、ということもあるのかもしれない。Amikaさんもライブや新曲はまだだがYouTubeラジオなど音声の配信を始めている。

 水野あおいさんのことは97年12月9日深夜放送の『ナイナイナ』「矢部浩之に趣味を!」の回で、矢部さんがアイドルの追っかけになってみるというくだりに登場したので知った。ファンたちの手ほどきを受けて一緒に応援する矢部さん、みたいな企画。『あおい伝説』と『Dan Dan』が歌われた。
 ……地下アイドルのファンというのは、このように、自分とアイドルとの「出会い」の瞬間を一生(他界するまで)覚えていて、隙あらば本人に伝えたいと思っている。なぜならば地下アイドルとファンの出会いというのは、全て一目惚れの片想いから始まるからである。ニンニン。
 その僕の一方的な「片想い」は2年ちょっと経って「引退」という形で断たれたが、なぜか2020年になって水野あおいさんは主としてTwitter上に復活を果たし、先日ついにオンラインライブおよびサイン会が開催されたのである。
 リアルタイムで通して視聴していたのはおそらく50人を下回る。あの水野あおいが、21年ぶりだぞ! と思ったが、きっとこの数字は多くも少なくもなく、当時来ていた人たちがそのまま変わらずやってきたという感じなのだろう。僕のようなライブ初参加の人間はそう多くはなかったと思う。ただし、ひょっとしたらその50人の中には桃井はるこさんなど著名な方もいたかもしれない。
 その後のオンラインサイン会の参加者は水野あおいさんを含めて17名だったので、僕は2021年の水野あおいファンBEST(?)16に残ったことになる。そのくらいの人数なので、iPadのZoom画面には全員の顔がいっぺんに並んでいた。あおいちゃんの司会のもと一人ずつ発言していったが、その内容と容貌から察してイベント初参加者は僕だけのように思われたし、たぶん最年少も僕だった。そういえば岡林信康さんの熱海ライブに行ったときもおそらくは最年少(連れてこられた孫を除く)だった。都市部のライブなら若い人も来ていたんだろうけど。
 僕もほんの少しだけあおいちゃんとお話しできた。もちろんものすごく緊張した。そしてやはり出会いのことを語ってしまった。「本当にいたんだ、って感じだよね」というようなふうにおこたえをいただいた。うむ! こう書くと、アイドルのライブとサイン会に行った人のレポートにそっくりというか、これはアイドルのライブとサイン会に行った人のレポートなのだから当たり前である! 普遍的。僕も人の子だ。
 21年の、というか、ほぼ23年4ヶ月と言ってよい時を超え、僕はあおいちゃんと対面を果たし、同時に初めての再会を果たしたのでありました。

 ちなみにあおいちゃんは今回、いっさいその姿を見せることなく、音声のみでライブおよびサイン会を行った。ファンの人たちにとって、歌声とおしゃべりは最新だけれども、姿は21年前かそれより以前で止まっている。たった一つの現在のあおいちゃんではなくて、みんなの心の中にあるすべてのあおいちゃんが、画面の向こうで今、歌っている。とても新鮮な体験だった。
 もうちょっとマスコミや世間が大人しいものであったら、山口百恵さんだって今ならこういう形でライブをできたかもしれない。
 この文章は「見逃し配信」を聴きながら書いているのだが、いまちょうど『あおい伝説』という、僕の初めて触れた曲を歌っている。歌声は本当に当時と変わらない。色褪せるどころか、変質さえほとんどしていない。少し優しい感じにはなったかしら。踊っている姿を見たい、というのが正直なところだが、僕の心の中にあるすべてのあおいちゃんがちゃんと踊ってくれているのだから、思ったよりもさみしくはない。

 毎度のごとく、書きながら「いったい自分はなぜこの文章を書いているのだろう?」と考えている。いつも書きながら考える。ここまで書いてみて、やっとちょっとわかった。
 この3つの再会(再開)、計70年という時間が何を意味するのかといえば、時間に対する信頼なのだ。20年や30年という時が、いかに信頼に足るものであるか。いかに信じるに足るものであるか。いかに待つに値する時間であるか。その確信が、再会を祈る力になる。待ち続けるための力になる。
 水野あおいさんをただ好きでいた23年間。そこに見返りなど当然ない。だけど何かを待ち続けていた。僕はこの人を愛し続けていた方がいいとなぜか確信して、中古屋を回ってCDを探したり、定期的にYouTubeをチェックしたりなどしていた。その時間に巨大な意味を持たせてくれたのが、今回のライブとサイン会だった。もし僕がほんのチラリとしか彼女のことを気にしていないで、そのまま23年経っただけだったとしたら、「ああ、ナイナイの番組に出てた人か」くらいしか思わなかっただろう。いや、それさえ怪しいし、そもそも復活に気がついているとも思えない。23年間、一目惚れの片想いをひたすら続けていたからこそ、その日々にすべて新しい色がつく。「僕の心の中のすべてのあおいちゃん」なんてことが言えるのである。

 岩泉舞先生の唯一の単行本『七つの海』は発売してすぐに我が家にあった(兄が買った)はずで、年齢一桁の頃から何度も何度も読み返し、いまだってお店の一等良い場所に置いて折に触れ手にとって開いている。お客さんの中にも「これは!」と感動してくれる人がいる。だから新刊が出ると聞いた瞬間、29年分の時間が輝いて声を出す。
 そのように僕の70年間はすべてリアルタイムだった。途切れなく愛は続いている。
 待つというのはそういうことなのだ。ただ愛するということでいい。来ることによる見返りを望むのではなくて。いつの間にか「待った」ということになっていた、というような場合のほうが、幸福は確かなように思う。

 9月にBAROQUEまたはKannivalismというバンドのヴォーカルだった怜という人が引退した。僕は本当に彼が好きである。再会の見込みなどもちろんないが、永遠に愛し続けるだろう。その時間はそれだけで大変素晴らしく、信頼に足るものであるはずだから。

2021.3.18(火) 自伝(職歴)

 名古屋市立の幼稚園、小学校、中学校、高校を出て上京し22歳で大学を卒業した(エリート!)。就職せず寝て暮らした。
 アルバイトは学生時代から一般的なものは続かない。バーミヤンは2ヶ月でやめた。学費と家賃は親の世話になっており衣服は兄から無限にもらえたし髪も自分で切っていて都内の移動はすべて自転車、酒もほとんど飲まなかったので極端にいえば食費を稼ぐだけでよかった。余剰はほぼ古本と中古CDに投じた。
 家庭教師と日雇いの肉体労働、それから商品を右から左に流すヤクザな売(バイ)を個人で少々。20歳くらいからはほんのわずかではあるが原稿料(取材記事とかテープ起こしとかが主)をもらいはじめた。あ、僕は痩せています。
 寝て暮らしていた期間も似たようなもので、大工仕事と小さな原稿とふまじめな売、家賃は自己負担になったが管理費込47000円だったので僕の生活水準だと10万円も稼げば十分以上に遊んで暮らせた。本当にだいたいは寝ていた。ぽつぽつとバーに立つようにもなった。(今は誰だってバーに立っているがこの頃は「一日店長」という概念がまだなかった、というか、そもそも僕が立っていたお店の作り出した概念と言って過言ではない。それで僕もテレビに2回密着された。あさイチとニッポンのミカタ。新聞も何回か載った。)
 光明のないほのぼのとした暗黒を14ヶ月間過ごし、某私立中学に非常勤講師として勤める。よほど急いで探していたらしい、メール送って面接一つで採用になった。この学校で得た友達(生徒)は数えきれず、かけがえない。週に4〜5日学校で国語を教え、木曜日は朝までバーの店長。そのまま寝ずに1時間目の授業をこなすこともあった。しかし全然忙しくはない。50分授業が一番多い時で週に16コマ、少なければ12コマだったから、1日に2〜3時間くらいしか働いていない。時間外労働はほとんどなかった。ひたすら国語科室で本を読み、自由にたずねてくる生徒と遊び倒すだけの日々。専任の先生は遠く離れた職員室にいて、別館のようなその部屋にずっといるのは僕だけだったから、まるで秘密基地。ひっきりなしに、保健室みたいにいろんな生徒がやってきて本当にずっと遊んでいた。夏休み等はまるっともらえて給料もまるっと出た。安かったけど。2年目の賞与は2万円だった。(出るだけいいほう!)
 最初1ヶ月だった契約は延びに延び、しかし2年(正確には22ヶ月)で終了。ふたたび無職放免となる。どうしたものかと思っているところで友人が編集・出版業の会社をつくり、繁忙期だけ手伝ってほしいと打診を受ける。「年間いくらあったら暮らしていけますか?」と聞かれ、正直に「150万あれば余裕です」と答えた。まだエアコンのない練馬の古いアパートで暮らしていたのだ。しかし間取りは7畳弱+キッチン2畳半、風呂トイレ別、庭つきで日当たりも風通しも良好、僕にとって悪いことは何もなかった。エアコンはなければないで問題ないのだ。実家でも使ってなかったし。実際11年以上住んだ。
「ほな、最低でも150万は毎年振り込むんでよろしくー」くらいの温度で仕事が決まった。繁忙期は10月後半から3月いっぱいくらいまでなので、残りの半年以上は文字通り寝て暮らせる身分となったのだ。この生活は5年ほど続く。
 大学卒業からこの「半年寝て暮らし生活」までは、本当に寝て暮らしていた気がする。この時期にぼんやりし続けていたおかげで、いま僕は心身ともにとても元気なのだと思う。その後もまあまあ寝て暮らしているが、さすがに今のお店を始めた頃から(ここ4年くらい)はやや忙しくなってきた。
 半年寝て暮らし生活が終わったのは、ふたたび教職に復帰し某女子校に勤めたから。非常勤講師だったのでやはり忙しくはなく、時間があれば廊下とかで遊んでいたし、夏休みも毎日のように学校にいた。ここで出会った友達(生徒)も数多く、かけがえない。そして何より、僕が僕らしさを素直に出せるようにさせてくれたのは彼女たちである。これはいくら感謝してもしきれないところだ。3年めにお店を開き、その年度の中途で退いた。
 今はお店と、編集・執筆の仕事を依頼があれば、そして高校生に勉強を教える(というかアドバイスをする)というのも仕事とはいえないがやっている。僕としてはやや忙しいと感じるが、同世代の平均よりはかなり余暇が多いと思う。

 自由で、のんびりとした職歴である。とにかくストレスの少ないようにやってきた。負荷がでかいなと思ったら速やかにやめる、というのを原則として。上記に漏れた小さな仕事や、大きくなったかもしれないが中途でやめた仕事などは大量にある。たぶんそうやって選んできたおかげで今のところ僕は心身ともに健康だし頭も悪くならず、過去の自分が見ても「やなやつ」とか「つまらないやつ」にはなっていないはず。そしてまだしばらくはかわいいつもりだ。
 その代わり、そう、お金はない。言ってしまえば貧乏である。自由や心身の健康、美意識の維持・増進、かっこよさ、かわいさなどなどの代償は、まさしく貧乏なのである。どちらを選ぶか? といえば、国民の皆々様方のほとんどは「金!」と答えるであろうおそろしいあの「貧乏」でございます。都や国からいただける予定の協力金とやらは数年いのちの延びるたくわえになるので大事にとっておきます。
 ただ僕の貧乏は今のところあまり具体的な形をとっていない。使うお金といえばコーヒー代くらいのものですし、所得が低ければ税金も保険も安くなります。あまり具体的に困っていないから、そんなに危機感もないわけです。
 これがひとたび、具体性を持ち始めたら、「貧乏ってやべえ!」「なぜ僕は貧乏なんて道を選んでしまったんだ!」と絶望して発狂するかもしれません。その時は恥も外聞もプライドも何もかも捨てて皆さんに言います。「ごめんなさい。お金ください」と。最終的にはそれが僕の最大のセーフティネットになる……といいなと思って、お店もホームページもやっているのかもしれません。っていうか、夜学バーというのはよく考えると、「ごめんなさい、お金ください(その代わりお酒やコーヒー出しますので)」でしかないよな、とも思えてきます。それをいえば、商売というものはすべて「ごめんなさい、お金ください(その代わり〇〇しますので)」なのでございましょう。ということは、存在そのものが〇〇になりさえすれば……なんて風に考えるのは、怠け者か教祖の発想でしょうか。

2021.3.15(土) 雑記。不自由なほうが群れやすい

 前回の死別の話は力を振り絞って書いた。人が死んだ話だからあえて触れる人は少ないのだろうし、この日記を読んでいる人もだいぶ少ないので、誰からも何も反応はない。それでいいしそういうものであるが、それにしても人が死ぬというのは静かなものだ。その人を知る人にとってはこの上ない大事でも、知らない人にとっては極端にいえば穢れでしかないという場合もある。でも、やはりテレビでも映画でも人が死ぬとドラマは盛り上がる。名探偵コナンでも2時間サスペンスでも。
 彼を知る人とはその後もいろいろ話している。話の節々に浮上するという感じだ。生活に直接影響のない場合、友人の死というのは多くそういうふうに展開する。
 人の死をダシにして、という反感も予想はしている。介入を許させないほどの大親友であったというならともかく、それほどの関係ではないという場合には特に。でも、生活に直接影響のない場合、友人の死というのは多くそういうふうに展開する。

 いろいろ書きたいことは尽きない。メモ帳にテーマは書き連ねてある。でもあんまりもう長々と書きたくはない。書いちゃうけど。なんで書いちゃうのかというと、書きながら考えるのが癖になってるからかな。散歩だなぞと言い訳をして。
 テレポーテーションが使えたらな。

 掲示板それなりに動いていて嬉しいです。時間はかかってもまず間違いなくご返信しますので、それが嫌でなければどうぞご活用くださいませ。
 こないだ読み終わった関根弘『花田清輝 二十世紀の孤独者』(恩師から買った)と、いま読んでいる森達也『A3』(友達に勧められた)とが、森サン(83)を経由して交わる、という、僕しか面白くないような返信を書いてしまいました。恐縮です。

 先日から書いている冊子作りの仕事が相変わらず続いています。今週が正念場というところ。クライアントがいて、その要望に応える仕事は負荷がものすごい。得意な人もいるのでしょうか、僕は苦手です。
 ほかにもいろいろやることがあるしやりたいこともある。急激に詩集が作りたくなってきたし詩について書きたくもなってきた。そのためにいよいよ、短歌の悪口も言いたくなってきた。はっきりと言ってしまいますが僕は短歌ムーブメントがかなり嫌いです。ごめんなさい。ゆるしてください。ほら、やっぱり……。嫌われたくないから書けないや。
 何かを褒めるために何かをけなすなんて最低! っていうのは本当にその通りなのでやりたくはないのですが、それでも短歌ムーブメントにだけは悪口を言いたい!
 でも言わない! 嫌われたくないから!
 おしまい!

 詩は、詩はいいですよ。近代詩的なもののことですね。自由だから。孤独だから。群れようとしたって群れらんないし、群れてる詩人ってダサいから。孤高は詩人の縁語です。
 でも、これが「現代詩」になった瞬間に、群れてる感じになるの、なんでなんだろ?
 なんだって、現在進行形のジャンルは群れることによって成立しますからね、仕方ないね。
 そりゃーもちろん、100年前の詩人たちだって群れてたっちゃ群れてたと思いますよ。でも、今は群れずにやることもできますからね。当時だって宮沢賢治はほとんど群れてなかった。たぶん群れようとしても群れられなかった。
 僕は詩の友達って一人もいませんよ。だけど19年間、ずっと発表し続けてますよ、ネット上で。いっぺんは自分の同人誌にも載せましたよ。
 詩の友達、いるとしたら麒麟さんだけど、彼はもう書かないもんなあ。書いてくんないかな。彼がいなかったらこんなに詩というものにこだわっていないと思う。20年前にメモライズで詩を書いていた人。

 詩というものは、ただ「詩」とだけ言ったとき、似たような匂いのするジャンルの中では最も自由であるはず。文字を使った芸術表現の中で、と言い換えても良い。それがちっとも流行んないのは、「不自由なほうが群れやすいから」でしかないと、僕は思います。
 で、短歌ってのはその不自由さと、手軽さ、簡単さのバランスが丁度いいんでしょうね。SNSみたいなもんですね。ホームページは流行んない。

■守庚申のお知らせ■
 3月13日(土)24時〜29時ごろ
 守庚申用チャットあひる社(7階)にて同時開催

 地図には「5階・6階」とありますが、その一つ上の階です。階段またはエレベーターでお越しください。そこそこ広くて通気も良いので、それなりに快適だと思います。読書などしていても良いです。朝には追い出します。
 大きな声を出さず、お行儀良くいてくださるならどなたでも。無料。何も出ません。何かください。
 チャットはPC向けで、スマホだと厳しいと思いますが、前回(1月12日)はがんばっている方もおられました。もっといいチャットだれかつくって。

 庚申の夜に眠ると縁起が良くないので起きて夜を明かそうという古来の風習を続けているというだけのものです。深い意味はありません。

2021.3.12(木) 岡林信康になるために(死別について)

 友人が亡くなっていたのを昨日知った。ある人がお店に来て知らせてくれた。その人もつい数日前に知ったという。友人のうちでもあまり知られていないようだった。もう数ヶ月が過ぎていた。23の誕生日を迎えていなかった。

 若い歌い手が死んだ まだ26の若さ
 彼は祭壇に置かれ ジェームス・ディーンになった
 俺が歌に疲れ果て 山の村に逃げたのも
 丁度同じ26 あれからもう20年
 ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど
 生き続けることが出来て良かった
(岡林信康/ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど

 3月3日に岡林信康が新譜を出していたのを一昨日知った。『復活の朝』という曲が昨年すでに発表されていたのも知らなかった。高校生の時に好きになり、ライブにはあまり行きたがらない僕が熱海まで聴きに行ったくらいにはファンなのだが。通販でCDを注文してから、YouTubeで『復活の朝』を聴いたりしていた。
 岡林信康のオリジナルアルバムは1998年1月21日発売の『風詩』以来。それから1ヶ月半くらい経ったころ、件の彼は生まれている。その前のアルバムは1992年10月28日の『メイド・イン・ジャパン』。かの『ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど』はこれに収録されている。尾崎豊が死んだのは1992年の4月25日、歌詞にある「若い歌い手」とはもちろんそのことだろう。尾崎豊はまさに26歳で、ジェームス・ディーンはさらに若く、24歳で没している。

 岡林信康は1946年7月22日生まれ、レコードデビューは21歳。22歳の時にはもう『山谷ブルース』『友よ』『流れ者』『チューリップのアップリケ』『くそくらえ節』『がいこつの歌』『手紙』といった有名曲が歌われ、すでに「フォークの神様」と呼ばれていたようだ。
 もし彼がジェームス・ディーンや尾崎豊のように夭逝していたならば、間違いなく彼らと並ぶ伝説になっていただろう。そうでなくてさえ彼は生ける伝説なのだ。逆にいえばジェームス・ディーンや尾崎豊だって、生きていれば生ける伝説となっているかもしれない。
 26歳で岡林は(岡林さん、と書きたいところなのだが、伝説について語る時は呼び捨てとしたい)、死ではなく隠棲を選ぶ。年表を見ると彼が目立った音楽活動をやめたのはせいぜい2年くらいのものなんだが、「山の村に逃げた」というのは本当である。そしておそらくその時期があったからこそ、その後の彼の人生は(僕の目には)より光り輝くのであり、「生き続けることが出来て良かった」という当人の感慨にもつながるのだと思う。
「あれからもう20年」どころか、2021年の今や、「あれからもう50年」となった。

 岡林信康には『26ばんめの秋』という超名曲もあり、26歳という年齢には思い入れがあるといつかコンサートのMCでも言っていた。そういえば僕の同級生であった西原夢路が死んだのも26歳だった。一人暮らしの自宅で死んでいたのを発見された。自殺ではなく、発作か何かだったようだが、詳しいことは誰も見ていないのでわからない。
 今僕は、彼の死んだところから歩いて10分もかからないところに住んでいる。決して意図したわけではない。これも腐れ縁というもの。彼と僕とのことを知りたければ、過去ログページの検索ボックスに「西原」と打ち込んでいただければ。2011年が死んだ年。彼は震災を経験していない。「あれからもう10年」だ。

 人が死ぬと西原の話をしてしまう。オイちゃんの話をしてしまう。トルコロックさんの話をしてしまう。あるいは、あの子やあの人の話をしてしまう。残されるということはそういうことなのだと思うし、残して死ぬということはそういうことなのだと勝手ながら思っている。死ねば、死んだ人は残された人の肥やしにされて、文句を言うことはできない。「肥やし」というのは悪い意味で言っているのではない、本当に、本当に勝手ながら彼ら彼女らの死は、僕を豊かにさせている。そうさせていただいている。
 死んだ人の心を忖度しても意味はない、と僕はこれまた勝手に思う。「故人が嫌がるかどうか」なんてのは確かめようがないから、「全責任を自分が負う」しかない。僕は西原について何度でも書く。それを彼が嫌がるかどうかは知らない、わからない。とにかく僕はただ彼のため自分のために誠心誠意、心を込めて書く。それを嫌がられるなら呪いは僕が引き受けよう。喜んでくれるならこちらも嬉しいが、それを知るすべはない。
 僕はすべての友達の死を、自分のために利用させてもらう。それが供養になるかは知らない。残された者はそうするしかないと勝手に思っているだけだ。生きている僕らはこれからの人生をまだもう少し生きていなければならない。その道に君たちを連れて行く。嫌だと言われても聞こえないから勝手に連れて行く。申し訳ないがそうさせてもらう。そのほうが僕は幸福になれるからだ。
 僕はもうhideの年齢さえ超えた。基本的には死ぬつもりはない。できればあと50年、みんなとともに行くつもりである。すべてのカムパネルラを引き連れて。『銀河鉄道の夜』ってのはそういう話だと思います。死んだ人と、どう共に生きていくか。

 岡林信康はなぜ、23年ぶりにオリジナルアルバムを出すのか。というか、出せたのか。3月10日の東京新聞朝刊の記事(僕はこれで新譜の発売を知った)には、「僕の歌作りは体験で得た実感が大事。世界が同時に悩み、苦しむコロナ禍は心の深いところに届いたのかな」というコメントが載っている。確かに、ついこないだまで最新曲であった2012年の『さよならひとつ』は、孫を歌った曲だった。孫とコロナに挟まれた51歳からの23年間は、何もなかったのかよ! と突っ込みたくはなる。しかし、その23年間がそっくり今回の新譜に詰め込まれたってことでもあろう。さぞ名盤なのであろう。

 こうして書くと、時間というものはなんと不思議だ。
 ある23年間と、ある23年間が、まったく違うように見えて、しかし同じ23年間なのだ。
 岡林信康は今年で75歳になる。26歳を単位とするのなら、あと数年で三周目を終える。24歳が単位であるならば、もうすでに四周目に入った。そう思えばよく生きている。ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど、ジェームス・ディーンの三倍を超えて生きている。
 岡林が26歳になってから50年弱。すごい50年だとファンとして思う。
 もし岡林が26で死んでいたとしたら、そのすさまじい50年ぶんを、その間に生み出した偉大なるものたちと同等のものを、僕らは彼の代わりに作り出さねばならなかった。
 なんで? っていうツッコミはなしよ。死んだ人と共に生きるってのは、そういうことなのよ。
 だから22歳で死んだ人がいるとしたら、僕らは、彼が生きるかもしれなかった50年なり80年なりを、彼と共に生きなければならない、と僕は単に、勝手に思う。彼をそこまで連れていかなければならない、と。
 それはもちろん、一人でやる仕事ではない。一人の人生を、一人が背負うなんてのは無理だ。埃のような小さなひとかけらでも、みんなで少しずつ持って進んでいくのだ。
 その人のことを好きならば、好きなぶんだけ、持って行く。ともに行く。西原のことを僕はなんだかんだ言って少しは好きだったのだろう、たぶんご家族を除けばトップクラスの分量がここにある。それを彼が望むかは知らない。生きる者のずるい特権として、断りもなく持って行くのだ。全責任を自分で負って。


 二人はためされてるの 君は僕の何
 これで壊れてゆくなら 僕は君の何だった
 何も出来はしない そんなもどかしさと
 のがれずに歩むさ それがせめての証
 今 書きとめたい歌
 君に捧げるラブ・ソング
(岡林信康/君に捧げるラブ・ソング 別音源

 病に倒れた友人を歌った曲だという。その川仁忍さんはまもなく亡くなった。岡林の写真を撮り続けていた人で、親友だったと言われる。岡林はそれから数十年、今まで生き続けてきた。間違いなく、彼とともに。聴いていただければわかるが名曲で、代表曲の一つとなり、最近のコンサートでもよく歌われている。
 引用したのは3番の歌詞。恋愛のことを歌っているようにも、友人関係にも、そして、死別の直後にも思える。

2021.3.10(火) 夜という価値観 別解

 2021/03/11追記 そもそも「ノリ」というのは「乗っかる」ということで、「同調」のことなのでしょう。だからそれが夜のノリだろうが何のノリだろうが、ノリはノリ。すでにあるものに乗っかることを「ノリ」と言う。だから「ノリが悪ぃなあ」という言葉は、「俺(たち)に同調しろよ」という意味になる。そういう性質を僕は、「普通な」とここでは表現してみたのです。(過去の日記では「便乗力」という言葉で語られているはずです。)
「普通」というのは、「繰り返す」であり「変えない」である。それを維持するために、「同調(ノリ)」が要求される。



 お店のHPに「夜という価値観」という題で長い文章を書いた。今はトップページの「最新情報」にあります。とある人がそれを読み「うだうだした文章」と評したが、その通りだと思う。うだうだしている。福満しげゆき先生の単行本のあとがきくらいうだうだしている。だからもう少しだけシャープなことをこっちにちょいと置いておく。

 夜のノリが感染抑止を妨げているのはある程度、間違いがない、と思う。(このように断言を避けるからうだうだするのであるが、極力正確を志すのは性分でもある。)
 それもあって今の僕は夜のノリをこれまで以上に快く思っていない。「夜のノリ」というのは、ここでは「酒を飲んでうるさく騒ぐ」ということだと理解してください。お花見はそのノリを昼にやる特別行事。
「うるさく騒ぐ」というのは、「ウェーイ!」みたいな感じで飛び跳ねてはしゃぐ、というだけではない。「大きな声で手を叩いて笑う」とかもそうである。居酒屋で「隣のテーブルうるさいな」と、ギリギリ「思わない」くらいの音量が、僕がいまイメージしている「夜のノリ」である。つまり、「夜に酒飲んでたら当たり前にそのくらいの音量にはなるよね」と理解されているていどが、平均的な「夜のノリ」だということ。
 居酒屋で話している人の声は大きい。かつて、たとえば鳥貴族で飲んでいる人たちはだいたい大声であった。周りがうるさいから大声を出さざるを得ないのである。もちろん最初から誰もが大声だったわけではない。最初にちょっと声を大きくした人がいて、それに合わせて周囲も少しずつ声量を上げていき、やがて大声にいたる。授業中、最初は小さな声で話していたはずの生徒たちが、いつの間にか大声になっているのと同じ現象である。
 それは「普通の人」のする、「普通の行為」。

 普通の人は普通に「夜のノリ」を体得していた。そして今もなお、それを実践している。20時にほとんどのお店が閉まる現況にあっても、20時までは「夜のノリ」を貫くし、できるならばその後も「夜のノリ」でいたいと思っている。
 で、たぶん、その「夜のノリ」でいられる数時間によって、感染抑止は妨げられている。もしもすべての人が「夜のノリ」を捨てて、酒を飲んでも距離をとって静かにぼそぼそ話すようにしていたら、少なくとも今よりはだいぶ感染拡大を抑えられているだろう。
 この期に及んで「ギャハハー!」「ギョヘー!」と叫んでいたり、叫ばないまでもけっこうな大声で「そんでヨオー!」「そしたらユミのやつがさァ~!」「馬鹿野郎!!」「ったくお前は」(ドォッ)みたいにやってる人たちは、その意味では愚かである。と、そう書いてしまうとカドが立つので「普通」とする。(ゆえに、ここからは「普通の人」ではなくて「普通な人」と表記される。)

 普通な人は普通なので、かつて体得した「夜」についての価値観(捉え方)を、変えることなく暮らす。「夜」というのはこういうものだから、こうするのである、という習慣的な行動様式を、そのまま20時までやる。人によっては、その後もやり続ける。夜は朝まで続くのだ。
 普通とは、「繰り返す」ということである。「変えない」ということである。「夜とはこういうもの」と一度理解したら、それを繰り返し、変えないのが普通というものである。
 とはいえ、「ダメ」と言われたらそれに従う。本当は変えたくないのだが、「変えろ」と言われたことについては、変える。「変えろ」と言われない限りは、変えない。だから、「20時以降は飲み屋はやっていません」ということになれば、飲み屋には行かない(行けない)けれども、「酒を飲むな」とは言われていないので飲むし、「大声を出すな」とは言われていないので、出す。
 なぜ、「小声で話しましょう」というキャンペーンがなされないのか。声量はウィルスの広がり方に影響しないのだろうか。そうは思えないのだが。「マスクをしましょう」は言われるけれども、「ぼそぼそしゃべりましょう」は言われない。なぜなのだ。普通な人には難しいから、だと僕は思います。
「小声で話しましょう」を言ってしまうと、「小声でしゃべってるからマスクはしなくてもいいでしょ?」になることが懸念されているのではないかしら。「マスクはしましょう、もし外さざるを得ない時は、小声で話しましょう。っていうか、マスクをしているときも小声で話しましょう。」というのは、キャンペーンとしてはやや複雑で、普通な人にはたぶん伝わりにくい。だから、「マスクをしましょう」「会食は控えましょう」になっているのではなかろうか。
 あるいは、「声の大きさにまでケチをつけるのか!」という反感もあるだろう。声量は人それぞれで、大雑把に言えば、体が大きければ声は大きくなる。もともと声の大きい人は「不利」である。「あらあの人声が大きいわ、いやだわあ」という差別はもちろん、「あらあの人からだが大きいわ、いやだわあきっと声だって大きいのよ」という差別も起きそうだ。
 いろいろ考えると、「マスクをしましょう」「会食は控えましょう」という単純明快なキャンペーンが選ばれるのは納得なのだ。
「小声で話しましょう」は、言われなくてもできる人たちは自然に心がけていて、普通な人は、言われないとできないから、できていない。で、夜のノリを変えられない人たちってのは普通だから、彼らの声はけっこう大きい。
 僕は、はっきりと言ってしまえば、そういう人たちが好きではない。あんまり関わりたくない。感染も防ぎたいので、普通な夜のお店には全然行っていない。もちろん、店主もお客もしっかりとわきまえている名店には行くことがあるし、喫茶店にもよく行く。「昼のお店」でも、20時までやっているところはけっこうある。「行く場所」は探せばあるものだ。


 僕は昔から夜が好きで、それで「夜学バー」なんて名前のお店を開いたのでもあるが、僕が好きな「夜」というのは、ここまでに書いてきたような「夜のノリ」ではない。その裏で並行してひっそりと進行する、比較的静かな夜である。
 虫の鳴くような夜である。
 遠くから人の叫び声が聞こえてくるかもしれないような夜でもある。
 それが僕にとっての「夜という価値観」。

 20時までという明確な区切りには、まったく自由がない。なんと夜らしくないのだろう! 夜が縛られるのは、朝によってのみなのに。その広大さと儚さこそが夜の最大の魅力だというのに!
「夜のノリ」に魂を縛られたままの人は、20時までだろうがなんだろうが、その範囲内で「夜」をやろうとする。「夜」を20時までに閉じ込めて、できるだけその密度を濃くしようとがんばっている。「質」を変えてみようとは、普通な人は思わない。
 僕はいまこの機会に、夜のことをもっと考えたくて、それであえて夜の営業をやめにしてみた。夜が20時でぶった切られるのは、僕の価値観にとって不自然極まりないのである。本当は誰だってそうなのだろうが、「それでも夜にいたい」のであろう。
 夜にいるのはけっこうだ。夜は輝く、素晴らしい。せっかくだから、新しい夜を探すとか、新しい夜との関係を築くとか、そういう発想もあっていい。

 とくに関係はないが、むかし書いた詩を置いておきます。中二病っぽくて恥ずかしいけど。

 僕は撃つ

酒を飲んだり夜中に出歩いたりすることはいつしか日常になってしまったけど
空はいつでも非日常の微笑みを投げてくるよね
それが痛い
だけどうれしいんだ

 早く! 早く!
 ひとつでも多くの星を!

2021.3.4(木) 「かわいい」考、常識論

「かわいい」は永遠である。「かっこいい」は瞬間である。
 直観で言っているだけです。
 かわいいと思うとき、そこには普遍性や永続性がイメージされているのではあるまいか。
 かっこいいと思うとき、そこでは一回性や刹那性が意識されてはおるまいか。
 それが旧来の女性性と男性性とにきれいにマッチしてはおりますまいか。

「美しい」は、それが一体となったような感じでしょうか。
 ただ直観で言っています。

「かわいい」が普遍性や永続性に対する感覚であるとすると、そこに「共感」が伴われやすいのにも合点がいく。
「かっこいい」は共感を特に必要としない。
 だから孤高の「かっこいい」はあっても孤高の「かわいい」は想像しにくい。
「かわいい」はみんなのもので、「かっこいい」は個人的なもの、というふうにも言える。
 だからサンリオの社是は「みんななかよく」なのである。
 極端な話をすれば、「かわいい」は世界平和を導こうとするけれども、「かっこいい」は時に戦争と結びつく。

 人間は生まれた時、ほぼ無条件で「かわいい」ものとして扱われる。そして成長するにつれ「かわいい」から離れていく。老人になった時、ふたたび「かわいい」と、言われる場合は言われる。
「かわいい」は普遍性と結びつく。子供と老人は普遍的なものである。しかし、いわゆる「現役世代」と言われるような層の人たち、すなわち「社会人」なるものは、普遍的ではない。なぜかといえば、社会というものは刻一刻と変化していくものだからである。社会人は、その時々の社会に適応する。子供と老人は、あまり社会とは関係なくいられるから、少なくとも相対的にはずいぶん普遍性が高い。

 そうなると、「社会」というのは「かわいい」ものではない。
 普遍性がないから。
 動物がなぜかわいいか? 普遍的だからだ。
 そういうふうに、概ねのものは説明できると思う。

 では、たとえば雷のようなものは、普遍的だが、かわいいか? 地震や津波は、かわいいか? というと、それはまた違った話なのだろう。たぶん、ポジティブで普遍的なものは「かわいい」になるけれども、ネガティブで普遍的なものは、「おそるべき」というような感覚をよぶのだろうと今のところは整理している。怖い、恐ろしい、あるいは「畏敬」とか。それらは「かわいい」と同様、共感と結びつきやすい。
 ライオンはかわいい、そして、おそろしい。みたいな。

 人は、社会に適応すると、かわいくなくなる。社会と関係がなくなればなくなるほど、かわいくなる。
 社会というのは、べつに「雇用関係の輪の中に入る」とか、そういうことをのみさすのではない。
 ここで僕の言う社会とは「常識」のことである。

 老人でも、古き「常識」をそのまま引きずっているのは、イメージでいえば、たとえば「頑固」とか「保守的」といわれ、かわいくない。森喜朗(83)氏などは、それで集中砲火を浴びたのだろう。
 子供でも、大人みたいに常識を唱える「現実的な」子供は、「かわいくない」とされる。
 老人ならば、時代の常識を超えて、普遍的なある種の境地に至らないと、「かわいい」とは言われない。かわいい老人は、現役世代から見て、浮世離れしていなければならない。
 よく「子供の発想は自由で面白い」なんてことを言われるが、それは彼らがまだ「常識」を身につけていないか、受け入れていないからである。
 社会に適応していない、ということが、「かわいい」の要件だったりするわけだ。


 花は社会と関係がない。だからかわいい。動物はかわいい。子供はかわいい。ぬいぐるみはかわいい。パンケーキはかわいい。
 ここに「女の子はかわいい」なんてことを書き添えれば、事はずいぶんと重大そうになる。
 花は普遍的に良いものである。だから「かわいい」と言われる。
 女の子は普遍的に良いものである。だから「かわいい」と言われる。
 そうだろうか?

 もし、その「常識」というものが「男たちの常識」でしかないとしたら、そこから離れた存在であるということで、「女の子はかわいい」となるのかもしれない。そういうふうに考えを進めることもできる。
 僕は「女の子はかわいい」なんてのは、普遍的ではないと思う。「子供はかわいい」というのだったら、まだ普遍的な気がする。
「女はかわいい」に変えてみるとよくわかる。
「男はかわいい」には決してならない。それは「社会=常識」というものが、男のために作られたものだからである。(男の手によって作られた、とは言わない。)

 当たり前のことを書いているようだけど、この文章の全体を通して考えていただければ、それなりに重要な話です。
 男女の話は一例にすぎない。

「かわいい」は普遍性と永続性に向けて発される。だからこそ、「かわいい」を発してしまえば、それは普遍性と永続性を持つものとして設定されてしまう。
「かわいい」というレッテルを貼れば、普遍と永続の中にそれを封じ込めることができる。それを無視して、「社会=常識」というものを組み上げることができる。
 子供と女性はそのようにして排斥されてきたのだ、とだけ言えばまあわかりやすい、つまらん話。
 僕はラディカルなことをただ言いたがるだけの人間なので、「っていうことは、常識というものをなくしてしまえば、普遍と永続だけが残るわけだな」と考える。
 世の中が「かわいい」だけに満たされるということは、すなわち「普遍と永続」だけに満たされるということで、「社会=常識」が消滅するということ。
 花の世界。なんてすばらしい! と思うけど、現実にそうはならないでしょう。
 個人的には、できるだけ「かわいい」の領域を広げていったほうがいいとは思うけど、100対0にはまずならない。

「かっこいい」は満を持してここに登場する。
「かっこいい」は点である。瞬間である。
 一撃で獲物を仕留める、鮮やかさ。その輝き。

「社会=常識」とは、線である。論理である。
 論理的なつながりの集積である。
 当然、無数の点により構成されることになるのだが、それを「かっこいい」点としていくほか、人の世をよくする方法はない。
「社会=常識」は、これまで主として男によって作られてきた。点を打ち、それを線とする行為をほとんど男が占有してきたからである。
 だから「かっこいい」も主として男の領域だった。
 センスのいい人間は、自分の打つ点をできるだけかっこいいものとし、それによって社会の質を上げてきた。
「かっこいい」社会は良い社会。
「かわいい」社会はたぶん、ない。「かわいい」は社会とは関係がないから。
 社会は社会で「かっこいい」を極力やって、社会と関係がない領域(できるだけ広いほうがいい)は、「かわいい」で満たされる、というのが、僕の好み。
 その二つが何らかの事情で交差したところに、たぶん「美しさ」は生まれる。

 適当に書いているだけですが、つじつまが合う部分は合うかもしれません。
 僕は(個人の感想ですが)海に落ちる夕陽を見ても、それだけではたぶん「美しい」とは思わない。
「かわいい」とも「かっこいい」とも思わないだろう。
(「きれいだなあ」とは心底思うであろう。「気持ちいい!」ともたぶん感じる。)
 その波打ち際で、子供が夕陽になんて目もくれずに走り回って遊んでいたら、僕はその子供を「かわいい」と思い、夕陽を「かっこいい」と思い、その光景を「美しい」とたぶん、思う。
 なぜそう思うんだろう。
「海に落ちる夕陽はすばらしい」という常識がまずあって、でも常識外れの子供はそんなもんとは関係なく遊ぶ。そうすると子供は「社会と関係がない存在」として立ち上がってくるから、「無邪気でかわいいなあ」みたいな感想にもなる。そして、その子供と対比されて孤高となった夕陽はなんだか「かっこいい」ような気がしてくる。その二つが共存している光景は、「美しい」と感じて不自然ではない。みたいな感じか。
 もし、この子供が「海に落ちる夕陽」に見とれて、ぼーっとそれを眺めて突っ立っていたとしたら、べつにかわいくはない。その子供は今まさに、「常識」の中に溶けていこうとしているのである。
 我ながらむちゃくちゃ言ってんなあ。でも、そういうことだと思う。

 太陽や海は、もちろん普遍性と永続性を備えつつ、同時に社会的な存在でもあるのかもしれない。
 というか、社会というものがそれを基礎として発達してきたのか。
 社会は決して、子供を基礎とはしない。
 社会とは、常識とは、再現性があるということでもある。
 子供は、忘れる。だから社会の基礎にはならない。
 覚えて、思い出す、ということを繰り返して、少しずつ大人になっていく。
 少しずつかわいさが消えていく。


 だから、まだ持っているかわいさを大切にして、社会と関係のある領域ではできるだけかっこよく、っていうことが、大事だと僕は思うっていうだけの話です。

2021.3.2(火) 大好きの証拠

『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』というアニメで、主人公のまなびちゃんが転校2日目で生徒会長に立候補し、「この聖桜学園の生徒で、この聖桜学園が大好きであれば、資格はいらないって、みかんちゃんが言いました!」って言う。
 そこへもちろん、「確かに理屈は通ってる。でも、だ。聖桜学園の何を大好きだと言えるかな?」とツッコミが入る。
「天宮学美、今から歌います!」
 そう宣言して、まなびは壇上から、聖桜学園の校歌を全校生徒と職員に向けて歌い上げる。

 転校して間もなく、まなびは聖桜学園のことを何も知らない。しかし、彼女がたった1日や2日であろうと、聖桜学園の敷地内に、聖桜学園の他の生徒たちとともにいたことは確かだし、聖桜学園の校歌を歌詞も見ずに最後まで、心を込めて歌えたのも眼前の事実。それが「大好き」の証拠として提出された。


 僕がこのアニメを好きで、この第一話が大好きだというのは、「資格はいらない」という一言に尽きる。正確に言えば、資格は二つだけ。「この聖桜学園の生徒で、この聖桜学園が大好き」であるということ。
 そしてそれを証明するために、「大好きの証拠」を提出しなければならないということ。
 証拠というのは、何も堅苦しい証明書や物証が必要なわけではない。ただ「心を込めて歌を歌う」とか、そういうことでいいのだ。
 もちろん歌う必要なんて通常はない。笑顔でいるとか、ふさわしい振る舞いをしているとか。

「この聖桜学園の生徒で」というのは、リアリズムである。たとえばお店だったら、お金を払うか、それ相応の根拠がなければ「お客」とは看做されない。
 公共図書館のカードを作るにも、その自治体や隣接する自治体等に住んでいたり通っていたりする事実が原則として要求されるし、国政選挙に参加するにも国籍や住民票が基本的には必要となる。
 そのリアルな基盤さえ満たせば、あとは「大好き」だけなのである。しかし、口で「大好き」と言うだけではたぶん足りない。より強固な証拠が求められる。
 それは何でもいい。ただ「提出先」を通過すればいい。
 すなわち、目の前にいる人たちに、「うん」と言わせればいい。
 通しちゃえばいいのである。
 たぶん愛されるとか、愛し合うとはそういうことで。


 生きながら僕は静かに、すべての呼吸を証拠としたい。コーヒーを飲む作法一つ。その局面を愛とさせたい。いつか空にさえ届くほど。

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