少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2013/06/30 日 二年間の休暇というSF

 ジュール・ヴェルヌという作家の『二年間の休暇』という有名な小説があります。『十五少年漂流記』という名前もあります。
 僕が読んだ『二年間の休暇』は偕成社文庫に入っている完訳版で、40字×15行×800ページ弱ある長篇です。『十五少年~』というタイトルになっているものは、子供向け・一般向けにカットしてある版であることが多いと思います。
 カット版では、対立シーン・活劇シーンなどが中心に描かれ、『二年間の休暇』のキモ(だと僕は思う)である、日常シーンがかなり省略されています。
 日常シーンというのはずばり、「少年たちがその島で、いかにして生きていったか」ということの詳細です。どうやって食料を確保したかとか。どういう毎日を送っていたのかとか。そういうことがこの小説には、実に細かく描かれています。
 それをもって、この小説はSF小説なのかもな、と思います。

 ジュール・ヴェルヌという作家はSF作家だと言われます。藤子・F・不二雄先生など、全世界に多大なる影響を与えた偉人です。でもその代表作である『二年間の休暇』は、一見SFではありません。常識をこえた不思議なことは何も起こらず、ただ淡々と島での生活が続いていくだけというシーンが大半です。
 ところでSFってのはなんでしょうか? いろいろと考え方がありますが、一つには「世界観・フィクション」の略である、というのがあります。
「一つの世界観を作りだす」というのがSFであると。だからマルクスの『資本論』なんかは、SF作品なんだというような立場です。
『二年間の休暇』は、十五人の少年たちが、自分たちで自分たちの「世界(世界観)」を作ってしまう話です。
 たとえば彼らは島を冒険しながら、未知のものすべてに名前をつけていきます。島の名前から、岬の名前、丘の名前、森の名前……と。世界を名付け、意味づけることによって、島を自分たちの創造した「世界」に変えていくのです。そこで自分たちの政治体制を作り、生活のリズムやルールを作り、ただ淡々と、二年間のうちの大半の時間を過ごしていきます。

 不思議なこと、科学で説明できないことが起きるのがSFなのではなく、「もう一つの世界観」を作るのがSFだとしたら、『二年間の休暇』以上に心躍るSFはないと思います。子供たちだけで、イチから「世界観」を作ってしまう小説なのだから。
 この作品が百数十年も世界中で愛され続けている理由は、かなり原始的で本質的な意味での「SF」だからなんだろうなあ、と思います。

2013/06/29 土 便乗力補足

「ジャニーズには便乗できるけど体育祭・球技大会等には便乗できない」
 という人がいたので。
 便乗力とは何にでも便乗できる力ではないのですね。
 その人はジャニーズには便乗してもヴィジュアル系ロックバンドには便乗しないわけです。
 しようと思えばできるかもしれませんが、便乗以前の段階で、「ヴィジュアル系はちょっと……」になるのです。
(ジャニーズファンとヴィジュアル系ファンは実は同じような人たちだったりするので、ジャニーズファンがヴィジュアル系ファンになったり、その逆だったり、同時にこなしたりすることはけっこうあるんですけども。)
 体育祭や球技大会に便乗できないのは、便乗以前の問題で、たとえばスポーツが好き・得意じゃなかったら便乗しづらいですよね。
 ともかくなにかに便乗できるならそれは便乗力があるということなんじゃないかなあと、今のところは考えております。

 それから、人間の発達・成長段階によって便乗の種類や質や度合いというのは変わります。
 僕だって高校生の頃はたぶん「ドラえもん」というものに便乗していて、意外と本質や関係なるものを見ていなかったと思います。
 それは「変わった」というよりも、「その部分に関しては、自分の軸からずれていた(ので、後に修正された)」というふうに認識はしておりますが。

2013/06/28 金 「便乗力」がない(7)[第一部完]

 いったん最後にします。
 ちょっと方向を変えて、外見の話。

 僕には外見の美醜を判断する習性がありません。
 アイドルや女優、歌手を外見で好きになったことが一切ありません。
 小さい頃から今に至るまでずっとそうです。
「あ、あの人きれいだな」「あの子かわいいな」というのも、ないです。「いい人そうだな」「気が合いそうだな」という判断しか、ないのです。
 ただこの「気が合いそうだな」という判断が実に重要で、これが僕にとって「美醜判断」の代わりになっているようです。
 だから僕は、「僕だけの美意識」で外見を見ているのだと思います。
 言い換えればそれは「自分の好みがはっきりしている」なのかもしれませんが、しかしそれは「気が合いそう」という内面についての予想の話でしかないので、実際に気が合ってみるまでは「好き」にはなりません。「あー、いい人そうだな」くらいで終わります。だからテレビや雑誌の中の人には興味がありません。気が合うかどうかを確かめる機会が基本的にはないからです。

 これはなんなんだろうな、とずっと思っていました。
 たぶん答えは単純なものです、僕に便乗力がないからです。

 美醜なんてものは本来、ありません。
 よく言われるように社会的なものです。
「この国では現在、こういう顔が美しいとされている」といった常識に便乗できる人が、「美醜」という判断基準を持てるのです。
 彼らは「美醜」という判断基準を自分の中に取り込み、それと外部とを照らし合わせて「答え合わせ」します。つまり「自分の内にある判断基準と、外にある人やものとが一致するかどうかを確かめる」です。
 この「一致するかどうか」というところが問題です。僕がつねづね警鐘を鳴らしている「答え合わせ社会」の病でもあり、今回ずっと語っている「便乗力」の病でもあります。

「美醜という判断基準」なんていうものは、人の中には本来ないものなのです。外から取り込むことのできる人だけが持つものです。取り込んで内面化して、すっかり自分の持ち物であると思い込むのです。
 そういう手順を前提にするから、便乗力(内に取り込んでおいて、外にあると思い込む)のない僕には、それができません。
 僕は延々と、「あー、外には美醜という基準があるんだな」と思うだけです。
 それを内に取り込もうとは思いませんし、外にあるその基準と、人やものを照らし合わせるのは、何か思惑があってしかやりません。(美醜なるものの判断ができないと、便乗社会では上手に生きていくことはできないので、必要に応じてそのようなことはします。)

 僕は基本的に、外見の美醜によって人を差別することはありません。美醜以外のところで判断はします。顔や外見にその人の人格や思想は出るものなので、美醜とかいう数直線的な判断なんかよりもずっと厳しく僕は人の外見を見ていると思います。『人は見た目が9割』なんて本がベストセラーになりましたが、僕はけっこうあの本に書いてあることに同意しています。
 そう、美醜というのはかなり数直線的なんで、一度取り込んでしまえば、乗っかり続けるのは簡単だし、楽なんですね。あんまり複雑なことを考えなくていい、という利点があります。「美人」「イケメン」「ブス」「不細工」という、四種類だけに人間を分ければ、楽ですよね。でもそれは手抜きですよ。
 そして僕は、「人間というのはその人そのもので判断することはできない」と原則的に考えておりまして、大切なのは「関係」だろうと思っています。「その人がどういう人か」というよりも、「その人と自分との間にどんな関係が築けるか」「その人と僕とを含む《自分たち》とは、どのようなものになるだろうか」「その人は《関係》というものについて、どのように考え、実践する人なのだろうか」などを考えます。最後のはかなり「その人そのもの」に近いですが、もちろんそういうところもちゃんと考え合わせます。
「美醜」というものは「その人そのもの」を見ることでしかなくって、「気が合うかどうか」は、「自分とその人の間にあるもの」を見ることです。これまで述べてきたような考え方を持っている僕だから、もちろん後者を大切にします。だから僕は客観的な「きれい・かわいい」を問題にしなくって、「いい人そうだな」「気が合いそうだな」を問題にします。「いい人」ということは、「よい関係を築くのが上手」ということだったりするので。

 外見は大切なものですが、「美醜」というのは単純すぎて手抜きだし、「関係」という視点がありません。外見とは、美醜ごときにとどまる単純な問題ではないと思います。

「美醜」というのは「下心」に繋がり、下心は関係と無関係です。
 だから美醜だけ見てると恋愛は失敗するのです。
 見た目に限りません。
「その人そのもの」だけを見ていると恋愛は失敗するのです。

 そういうふうに書くと、便乗力がないほうが恋愛も何もかもうまくってハッピー! みたいな言い方に聞こえるかもしれませんが、しかし日本が戦争に強かったことや、戦後復興や高度経済成長なども便乗力のたまものだと考えることができますし、震災など有事の際に理屈や地域をこえて助け合えるのも便乗力のおかげかもしれないのです。便乗力がなくなれば、少なくとも一時的には結婚する人も少なくなりそうだし、すなわち少子化も加速しそうな気がします。

 そう思うと、便乗力を悪いということはできません。
 けっきょく、便乗力のある人は、あることを意識して生きて、ない人はないことを意識して生きて、その都度自分の行動の是非を、それぞれで判断するのがいいよね、っていう、当たり前の結論にしかならないです。
 具体的にどうしていこうか、というのは今はまだ僕にはそのくらいしか言えませんので、これからの散歩の中でまた、考えていこうと思っています。

 といったところでいったん便乗力とかいうものの話は終わりですが、さて、これは果たして「便乗力」という名前でいいんでしょうかね? いいような気もするし、ほかの名前が適切な気もします。なにぶん難しい概念なので、名付けが大変です。もし何か、いい言葉が思いついたら、教えてくださると助かります。

2013/06/27 木 「便乗力」がない(6)

 僕の言う便乗というのは、「自分の内と外との境界を曖昧にする」というようなことだと前回書きました。
 便乗する人は、自分の外にあるものを、内に取り込みます。
 しかし本人はたいてい、それに気づきません。
「内に取り込んでおいて、外にあると思い込んでいる。」
 それが便乗です。

 片想いするということは、他人を自分の内に取り込んでしまうことです。「あの人はこういう人なんだ」「だから好きだ」というふうに、片想いというのは展開されるものですが、「あの人はこういう人」という前提は、基本的にその人の思い込みでしかありません。ある人間がどういう人であるかということは、誰にもわからないのです。
 決して、「相手がどんな人か」で恋愛を始めるべきではない、「相手と自分が、どのような関係を築いていけるのか」ということを焦点にすべきだ、というのは僕がいつも言っていることです。だって、「相手がどんな人か」なんてのは、まずわからないのです。わかるのは年収とか、顔とか、その辺のことだけです。その辺のことだけを参考に恋愛して、結婚すると、今の時代はけっこう破綻します。離婚です。

 年収とか顔とか具体的なことを超えて、「あの人はこういう人」を決めてしまうことは、自分の内に「その人」を作り上げることに他なりません。もちろん自分の内にある「その人」は偶像です。偽物です。本人じゃないのです。片想いする人は、自分の内にある偶像を愛します。すなわち自己愛と同じです。
 でも片想いする人にとって、「その人」は自分の外に存在することになっています。誰も「自分は自分の作り上げた偶像としてのあの人が好きだ」なんてことは思わないでしょう。あくまでも「あの人が好き」とだけ思います。これが「内に取り込んでおいて、外にあると思い込んでいる」です。

 アイドルを好きになるというのは、「片想い」のかなり純粋な形です。
 他人を自分の内に取り込んで偶像化するのは、それなりに難しいものなのです。「この人はこういう人」という前提が、いつ破られてしまうかわからないからです。たとえば「この人は煙草なんて吸わない」という像を作ったのに、実はその人が喫煙者だったとあとでわかって幻滅するとか、そういうことが多いのです。ところがアイドルとしてデビューするアイドルはそもそも偶像として作られるもので、できるだけ徹底して「こういう人」を貫き通すように努めます。アイドルが方向転換すると従来のファンが離れてしまうというのは、「この人はこういう人」という前提が崩されてしまうからです。
 人は変わっていくものですが、それを受け入れられるアイドルファンはたぶん、そんなに多くありません。だから、変わってしまったものはさっさと捨てて、次の偶像を求める人が後を絶たないわけです。その偶像がまた崩れたら、さらに次の偶像を探します。小沢健二さんのファンでも、『けいおん!』ファンでも、似たような感じの人はかなりいますね。これを恋愛でやってる人も、かなり多いですよね?

 これまでに出てきた、体育祭や球技大会の例でも事情はだいたい同じです。彼らが自分のクラスの試合を応援するとき、試合をしているチームを自分の内に取り込んでいます。だからチームが勝つと自分が勝ったみたいで嬉しいのです。巨人ファンもワールドカップの応援も同じです。
「自分がチームの内に取り込まれている」ではないと思います。それだと、チームが勝って嬉しいというのがよくわかりません。形式上はもちろん、チームの中にその人がいるということになるのですが、心理的には、「その人の中にチームがある」と言ったほうがいいと思うのです。
「おれもチームの一員だ」「巨人ファンは十人目の選手だ」というのは方便で、本当は「チームはおれの一部だ」「おれは巨人を内包している」なのであります!

 愛国を口にする愛国者は、「日本はおれの一部だ」と思っているのです。「おれは日本の一部だ」ではありません。彼らは自分が日本を所有していると思っています。愛するというのはだいたい、そういうものです。

 便乗とは、だから、乗っかるふりをして、取り込んでしまうことのようなのです。あるいは乗っかるというのは、浦島が亀に乗っているようなイメージではなくって、亀が浦島の上に覆い被さってしまっているようなイメージだというわけです。

 漫画とかで、強いやつを自分の中に取り込んでパワーアップして、「おれは強いんだ!」みたいな態度を取る悪役モンスターみたいなのがけっこういます。あれが僕の言う便乗なるものです。
 つまりドーピングみたいなものですね。
「僕のパパは会社の社長で……」みたいな、親の七光りを自分の能力だと思い込むような愚が、便乗というやつです。

「フリッパーズギターを聴いていれば音楽好きっぽくてオシャレ」っていう時代が、たぶんあったと思います。そういうのはまさしく便乗ですね。フリッパーズパワーを自分の中に取り込んでしまうことだから。自分はフリッパーズギターではないのに。

 そういうふうに考えていくと、肩書きや自己紹介はだいたいドーピングです。肩書きはあればわかりやすいし、自己紹介しないってわけにもいかないので、それがダメだということはないと思いますが、しかしそういうもんだってのは確かでしょう。だから僕は自己紹介があまり好きじゃないのでしょう。

「自分は末っ子だから」と話し出す人は、自分を末っ子としてカテゴライズしている、つまり自分を末っ子の中に入れているわけですが、同時に自分の内に末っ子なるものを取り込んでしまっているわけです。で、「末っ子なんだから自分はこういう人」を内面化して、そういう人であることを正当化します。そうすると楽です。
 血液型もそういったもんです。

 ロックのライブに「参戦」するという表現をここ10年ほどよく聞きますが、、ライブというものを自分の中に取り込んでしまっているから、そういう言い方になるのだと思います。
 参戦厨に関してはけっこう根が深いというか、語るべきことが多そうなので、とりあえずそれだけ。

 便乗力が高まると、「対象」と「自分」との距離を適切に取ることができなくなります。境界が曖昧になって、いつの間にか自分の中にその「対象」を取り込んでしまいます。「対象」に「取り込まれている」というのと一見同じことなんですが、でもそれはSFですよね。人間が何かに取り込まれるなんて現象はないんです。あくまでも、変化が起きるのはその人の内部です。その人の心が変化するだけなのです。
 自分の心が変化し、何かに支配されてしまったような状態になることを「取り込まれる」と一般的に言うだけのことです。
 自分に心が変化しただけのことを、外部にある人やモノのせいにしてはいけません。そこは冷静に、ならなくては。

 このテーマで語れることは本当にたくさんあってきりがないので、そろそろ一旦おしまいにしたいのですが、とりあえずも書きます。もうちょっとの辛抱です。

2013/06/26 水 「便乗力」がない(5)

 便乗とは、自分の内と外との境界が曖昧になってしまっている状態なのではないかな、と思いました。
2011/01/25 人間は成長するんだってば」という記事で、こう書きました。

 「でも、自分のルールと、他人のルールって、違うんだよね」

 これが26歳の女の子の言葉である。
 彼女は「自分と他人」という言葉を使っているが、この場合、正しくは「自分と母(姉妹)」である。
 女の子に特有のことかもしれないが、自分と「母親」や「姉妹」とが、違う人間であるということを認識できていない人がけっこう多い。特に自分を母親とを、心の底で同一視している女の子はかなりいる。
 彼女は26歳になってようやく、「自分と母親(や姉妹)は違う」ということに気づけたわけである。ここで初めて、彼女は「自分」というものを獲得したのだ、とも言える。ようやく「ひとりぼっちになるためのスタートライン」に立ったわけである。

「内と外との境界が曖昧になる」ことの極端な例は、この記事に書かれているようなことです。
 恋愛ってのも、そうなりがちですね。
 好きな相手に感情移入しすぎると、「なんで?」が出てきます。「なんでわかってくれないの?」とか「なんでそんなこと言うの?」とか。こういう類の「なんで?」ってのは、「そんなわけない!」っていう前提が内心にあります。「この人は私の好きな人で、私と内心を同一にしているはずだから、わかってくれるはずだ。それなのにわかってくれないのは、この人が不義だからだ」みたいな感じで、怒ったりします。女性の場合でも、男性の場合でも。そういう妙な思い込みを成り立たせるのが恋愛感情の暴力的なところです。それで最終的には「信じられない!」とか言って、別れたりします。
 親や家族に反発するというのも、「わかってくれるはずでしょ?」っていう傲慢さがあらかじめ本人にあるからです。「なんで、わかってくれるはずの親や家族が、わかってくれないの? おかしいよ。意地悪してるんじゃないの? 私のことが嫌いなの?」みたいな感じに、なるんです。
「本当はわかってくれるはずなのに、わかってくれないのは、おかしい」と思って、その「おかしさ」の原因を、相手だったり、自分だったりに求めて、他人を憎んだり、自分を憎んだりしてしまう。
 それが僕の言う「便乗」なるものの病です。

 男でも女でも、理不尽に怒るやつってのはいますね。あいつらはほぼ例外なく、「自分のルールと他人のルールが違うということを知らない」のです。あるいは、「知っているんだけど、自分のほうが絶対に正しいと思っていて、だからそれをそのままの形で押しつけても構わない」と思っています。
 たとえば僕はかなり「自分(の考え)は正しい」と思っているたちですが、それをそのまま押しつけていいとは思いません。たいてい、そのまま押しつけたら逆効果だからです。
 僕は「日常的に化粧をして外に出かけること」を様々な理由からよくないと思っていますが、付き合っている女の子に「それは嫌いだからしないでくれ」と言うわけにはいきません。相手には相手の事情があるし、好みもあります。僕は自分のその感覚をかなり正しいと思っていますが、理想と現実とは常に調整が必要なんで、頭ごなしに「やめろ!」と言っても、意味がないです。
 じゃあどうするかというと、「お互いの事情や好みについて知り、考える」ですね。それでお互いにとって良い地点がありそうならば、少しずつそっちのほうに向かっていくって感じですね。

 ものごとの「原因」というのは、必ず「関係」の中にあります。絶対ですね。「ものごと」というのは何かと何かの間にしか生じないものなので。悪い人間とか良い人間というのは、単体では存在できない。まあ当たり前のことです。関係の中で、悪かったり良かったりしていくんです。
 だから何か問題を感じるような時は、そこに注視したほうがいいと思うんですよ。自分や相手といった、「そのもの」を見るのではなくって、もうちょっと視点を引いて、全体とか、関係とか、そういう「間にあるもの」を考えたほうがいいんですね。
 で、「便乗」って状態は、その「間」というものをナシにしてしまう。
 例の女の子の例だと、「自分と家族との間が見えなくなってしまっていた」というわけです。

 ここでちょっとナニワ金融道について書いた記事を思い出したので、箸休め的に読んでいただけると嬉しいです。
『ナニワ金融道』という漫画の主人公・灰原は、全身に刺青の入った朱美という女と結ばれます。
 灰原にとっても朱美にとっても、刺青というのは「よくないもの」であるわけですが、二人の関係の中にはどうしてもそれは入り込んでくる。消えるものではないのだから、受け入れていくことを迫られる。
 でも、灰原は「刺青のある女のほうがいい」とはならなかったし、朱美も「これは私の誇りなの」とか、そういうことは言いません。二人にとって、刺青は明らかにマイナスなもので、その関係に暗いかげを落としました。だけどそれを、「永遠に暗いもの」とだけしていくわけにはいかない。
 ここで素晴らしいのは、灰原も朱美も、自分自身の気持ちや考え方を極端に変えようとはしなかった(と思われる)ところです。灰原が「刺青って興奮するなあ、最高だよ」と思って、朱美も「ウフフそうでしょ、刺青最高~('ω')」「最高~('ω')」みたいになれば、幸せなんでしょうけど、それってやっぱ無理があるし、いびつです。
 二人は自分の心の中を無理に変えようとはしませんでした。また、目をそらすのでもなく、開き直るのでもなく、「二人の関係の中にある、この刺青というものと、自分たちはどういうふうに付き合っていくべきだろうか」ということに真剣に目を向けた……のだと僕には読めました。
 関係というのはそういうふうに、作ったり修正したりしていくものなんですね。

「便乗」っていうのはそういうことをナシにします。
「おんなじだってことにしちゃえば、差異を考える手間が省ける」という手抜きの思想が、便乗というものの土台にあります。
「朱美、君には刺青が入ってるけど、僕だって汚い金貸しなんだ。だから僕らは似た者同士だよ」とかいって済ませちゃえるような人間には、「名作の主人公」としての資格がありません。それは手抜きなので。

「おんなじだってことにしちゃえば、差異を考える手間が省ける」という手抜きの思想。これが世の中にはびこっています。
 日常の化粧だって原則的にそれです。
 結婚式だってそうです。
 みんな「面倒くさい」んですね。

 朱美と灰原は理想のカップルの一典型だと僕は思うので、『ラブロマ』とか読んだあとは、ぜひ『ナニワ金融道』も読んでほしいですよ。

 は、便乗なるものの仕組みについて、もうちょっと。

2013/06/25 火 「便乗力」がない(4)

 才能には理由がない。才能のない連中は理由を欲しがる。
 私生児だったから、
 両親が英才教育をしたから、
 芸術家の家系だから、
 戦後生まれだから、
 理由はなんでもいいのだ。特別視しようとする、それは間違っている。
 才能のない連中は他にもさまざまな嘘や欺瞞を利用する。
(村上龍『すべての男は消耗品である』1987)

「才能のない連中は、自分に才能がないことに理由を欲しがる」と言い換えてもいいと思います。
「あいつに才能があるのは、こういう条件があったからだ。もし同じ条件がそろってさえいたら、自分にだって同じ才能があったんだ」と。

 80年代の村上龍さんは「才能には理由がない」と言いますが、僕なりに言うとこうです。
「その人がその人であることに理由はない。その人がもし、自分の在りようについて何らかの理由に縛られているのなら、それは実に愚かなことである」。
「私はB型だから……」みたいな形で、自分が自分であることに自ら「理由」という名の枷をはめてしまうのは無意味です。(もちろん、上手に生きていくために他人をカテゴライズする方法としては、時に「理由」は多大なる威力を発揮するわけですが。)

 僕は名古屋生まれの名古屋育ちで、四人兄弟の末っ子です。それらのことは僕の人格形成に巨大な影響を与えました。しかしそこで「名古屋出身だからこうなんだ」「末っ子だからこうなんだ」と考えるのは、便乗力のたまものです。僕には便乗力がない(そういう前提で今は書いています)ので、決してそういうふうには思わないのです。

 一つの結論めいたことを言ってしまえば、「便乗力がない」とは「孤独」なのです。そして孤独とは、「自分勝手」ということです。
 前向きにいえば「自律的」で「自由」ということでもあります。

 孤独で自分勝手な人は、「自分の外側のことは自分の外側のこと」と分けて考えます。「名古屋出身」「末っ子」ということも、「それはそれ」と分けます。「自分は自分で、チームはチーム。クラスはクラス。イベントはイベント」とはっきりと分けるので、体育祭や球技大会にもいまいち乗り切れません。「自分は自分、国は国」と思えば選挙にも行きません。「自分は自分、東北は東北」ならば、地震や津波に心を痛めないわけです。
「自分は名古屋出身だけども、それとは無関係に自分は自分としてある」と思うから、「名古屋出身だから自分は……」という思考になりません。
 基本的に、世の中はかなり複雑だと思っているので、「○○だから××」、というのは、すべて極論だと思っています。(僕は極論が好きですが、それは「例外や誤差はあるものの、そのことを意識してさえいればかなり有用だ」と思うからです。言い切れることなんてない、と思えばこそ、言い切るのです。)

「便乗力がない」とは、なんだって分けて考えてしまうことなのです。
「便乗力がある」とは、「自分と何かを一緒くたにして考えたり、行動したりする」ということです。

「確かに両親は画家だけれども、それとは無関係に自分は自分」と思っていれば、「あなたは両親が芸術家だから才能があるのよね」なんて言われると、「えっ。関係ないでしょ?」って思ったりします。

 日本がある時期、戦争に強かったり、経済的に右肩上がりを続けられたりしたのは、便乗力が強かったからだろう、と思います。「一億火の玉」「臣民はみな陛下の赤子」「日本列島改造」「所得倍増」みたいなスローガンに便乗して、自分とそれらの考え方との境目をなくすことができたから、全力を捧げられたのだと思います。「関係ねーよ」と思う人が多ければ、みんな手を抜いたでしょう。しかし日本人は手を抜きません。だから強かったわけです。共産主義は労働意欲を削ぐ、なんて言われますが、もしかりに共産主義政権になっていたとしてもひょっとしたら日本はうまくやっていたのかもしれないな、とさえ思います。「共産主義」というスローガンに便乗して、自分をその思想の中へと埋没させ、全力を尽くせたのではないかな、と。

 僕のような便乗力のない人は非国民である、と前回書いたのはそういうことです。便乗力がない人が多いと、原則的には国力が落ちるのです。
「便乗力がない」とは「自分の頭でものを考える」でもあります。そういう人が多ければ、船頭多くして船山に登るといった具合に、方向性がブレて、集団としての力が出しにくくなります。
 だからもし、日本に「自分の頭でものを考える」人が増えてしまったら、一時的に日本の国力はがた落ちするでしょう。「一時的」が終わったあとにパラダイスが待っていればいいですが、それは楽観的というものです。どうなるんだかはわかりません。
「みんなで貧乏になろう」という、まれに見られる妙な主張は、「みんなが賢くなったら国としては貧乏になりますけど、それでもやっぱりみんな賢いほうが希望があっていいよねえ」ということなんだと思います。そして僕はそういう考えに同意します。
「誰もがみな自由に生きてゆくことを許し合えればいいのさ」と尾崎豊が歌う(『自由への扉』)のは、そういうことなんだろう、とか。

 この次は何を書くのか、わかりませんが、続くと思います。

2013/06/24 月 「便乗力」がない(3)

 日本人は「空気」や「世間」を重んじます。それが「便乗力」なるものと深く関係していると思います。「みんながやってるから」「全力でやる」というのが日本人です。むかし2ちゃんねるのニュー速VIP板の合言葉といえば「全力で釣られる」でしたが、それもひょっとしたら日本人っぽい性向だったのかもしれません。
 昨日出した例は「太平洋戦争」と「高度経済成長」ですが、これらの源となったエネルギーといえば国民の「便乗力」なんじゃないかと思うんです。「みんながやってるから」「全力でやる」という。体育祭や球技大会も同じですね。
 選挙も同じようなものだと思います。僕には便乗力が著しく欠如しているので、選挙には基本的に行きません。ちなみに僕が選挙について語った文章は今のところこのあたりくらいですので、よろしければ暇つぶしにでも。
 そこに書かれていることにかなり深く関連しますが、選挙ってのは「みんなで便乗するイベント」と言える気がします。○○党(○○候補)を応援する、というのは、ドラゴンズを応援するとか日本代表を応援するとか、同じクラスのチームを応援するとかいうことにけっこう近いのでは、と。
 選挙の場合は、それが国政を左右する、というのが最大の特徴ですが、僕はそこにもピンとこないので、やはり投票(便乗)しません。
 東日本大震災に心を痛めず、選挙にも行かない僕はほとんど「非国民」です。
 はたぶん、その「非国民」とはどういうものか、というようなことについて書くと思います。
 非国民には僕のように便乗力がない人を含むと思うわけですが、便乗力がないとはどういうことであり得るのか、とか。

2013/06/23 日 「便乗力」がない(2)

 便乗力のなさについて考えると思い出すのは、高校の時の体育祭や球技大会です。彼らが「自分のクラスの勝利」にかける情熱は並々ならぬものです。自分が参加する試合だけでなく、同じクラスのほかのチームの試合についても、まるで自分が参加しているかのように熱くなります。それは「声をからした応援」だったり「勝ったときの喜び」「負けたときの悔しさ」「感動の涙」「胴上げ」などなどの形で表れます。
 便乗、ではなく「同調」と言ってもよさそうです。彼らはまず「自分のチーム」に同調し、「自分のクラス」にも同調しています。僕にはそれができません。かろうじて「自分のチーム」になら同調できそうですが、「自分のクラス」という大きなものになると、もう同調できません。また、彼らは「体育祭」「球技大会」というイベントそのものにも同調しています。(これはどっちかというと「便乗」が近いような気がします。)
 高校の時、体育祭や球技大会のたびに毎回僕は沈鬱な気分になっていました。「ああ、またあの便乗大会が始まる……」とか思っていたのでしょう。

 僕が高校二年の時にサッカーのワールドカップがありましたが、それにも僕はうまく乗ることができませんでした。「日本代表」に便乗できないのです。代表を代表だと思っていないのだと思います。また、中日ドラゴンズや名古屋グランパス、その他のチームを特に応援することもありません。もちろん地元チームは心のどこかで気にはしていますが、「勝て!」と念じているわけではありません。「なんとなく嫌いじゃないな」程度の愛です。勝敗はあまり関係ありません。それでも優勝したらやっぱりちょっとは嬉しいので、便乗力がまったくゼロというわけではないのかも。優勝によって地元がちょっとしたお祭り騒ぎになるのも、嫌いなわけではありません。それは僕が、「そういう名古屋」をわりと好きだからなのかなと思います。
 授業でサッカーなどをやる機会があっても、いまいちみんなほどは熱くなれませんでした。「便宜的に設定された、必然性のない一時的なチーム」にさえ命をかけたように頑張ることができるというのは、すごいなと思います。僕が下手くそだから熱くなれないってのも大いにありますが、なぜ下手くそなのかといえば、熱くなったことがないからでしょう。いや、正確にいえば熱くなったことはほんの一時期だけあるのですが、「おまえの熱くなりかたはおかしい」というような扱いをされてしまって、それ以来は一切ありません。中学生の時でした。

 僕には便乗力がないけれども、日本人は基本的に便乗力に優れています。ほかの国だってそうなのかもしれませんが、太平洋戦争や高度経済成長のことなどを考えると、日本人は特別にすごいのではと思います。
 便乗力によって日本は大国になったのだと言ってもよいのではと思うほど。
 といった話はまた明日

2013/06/22 土 「便乗力」がない(1)

「俺には感情がない。それが悩みだ」なんていう冗談が2ちゃんねるとかでたまに見られますが、僕も似たようなことをずっと言っていました。「自分は冷たい人間だ」とか「僕には人情ってもんがない」とか。確かにそのようなことを思うのです。でもそういう表現は他人にうまく伝わりにくくって、「そんなことないでしょ、ジャッキーさんはアタタカイ人間だよ」なんて嬉しいことを言ってくださる方もいます。確かに僕はある面ではとても「熱い」し、感情的なところや直観的なところもたくさんあります。優しさを心がけてもいます。でもやっぱり「僕には心がないんだよなあ」なんてことを思っていました。
 もう何年間も――ひょっとしたら十年や二十年、そのことをうまい言葉で表現できなくて悩んでいたのですが、このたびついにしっくりくる言い方が見つかりました。「僕には便乗力がない」です。
 この発想に至ったのは木曜□におけるなかやくんとの「正しさについての雑談」のおかげだということを、いちおう明記しておきます。

 便乗力とは何か、という話の前に、どうして僕が「オレ……ニンゲンノココロ……ナイ……」みたいなことを思っていたのかということから始めます。
 ちょうど二年前の6月に『少年Aの散歩 震災後特別編集版』というのを作りました。約三ヶ月間の日記をまとめた冊子ですが、書き下ろしとして「●六月一一日  論理と感情と」という文章を付記しました。ここに「ニンゲンノココロ……ナイ……」についての悩みが吐露されています。
 以下に引用しますがあまりに長いため、大切なところを太字にしておきます。時間のない人はそこだけ拾って読んでくださればと思います。

[前略]それら(2013/06/22注:この文章が載っていた冊子と『絶対安全!原子力はつでん部』をさす)を読むと明らかなのだが、僕は震災に関して、地震や津波については語る言葉をいっさい持っていない。それはもう、不思議なのだが、僕にはまったく当事者意識というものがないのである。どうも僕は日本という世間に溶け込みきれていないようだ。いや、ひょっとしたら「人類」という世間からも外れてしまっているのかもしれない。誤解を恐れずに言えば、地震と津波の被害に関して、悲しいとかいたましいとかいう気分がほとんどないのである。たくさんの人が死に、たくさんのものが壊されたが、それについてはどんな感情も起こらないのだ。
 単純に、実感がない。僕は被災地に行っていないし、知り合いが津波に流されたわけでもない。避難所生活もしていない。限りなく正直に言って、自分はその点に関してはまったくの第三者だと思っているのだ。
 震災に関連する事象で、僕が具体的に実感できているのは放射能に関することだけである。これは僕や、僕に近しい人にも関係してくるから、他人事ではない。ところが赤の他人の死や不幸や、知らない街が破壊されてしまったことは、完全に他人事でしかない
 僕が自分のことを「正」と言い切れないのは、こういう点にある。ものを考えたり文章を書くときの態度は「正しい」と思えるが、「感じる」という分野においては、僕は自分が正しいのかどうかわからない。
 たぶん僕は冷静すぎるのだ。論理的な想像力は人一倍あっても、感情的な想像力にまったく乏しい。冷徹で、残酷な人間といえるかもしれない。

 冷静な僕はたとえばこう思う。他人の感情と自分の感情は別なんだから、僕が他人の感情を勝手に想像することはできない。「自分ならこう感じるだろう」という仕方で、陶酔するように心を痛めることなどできやしない、と。

 二月に、かつて親友だった西原という男が死んだ。寂しいとは思っても、悲しいとは思わなかった。だけど、通夜で西原のご家族にお会いした時は、だらだらと涙があふれて、止まらなくなって、嗚咽して一瞬しゃべれなくなってしまうほど泣いてしまった。
 やはり、「実感」ということだと思う。直接会って話をすると、彼のご家族の感情は僕に伝わる。ご家族の想いが引き金となって、僕の中にある彼に関する記憶や感情も呼び覚まされる。失ってしまったということと、ご家族の心の中を彼の死がこんなにも変えてしまったということと、自分が最後まで親しくしていれば彼が死ぬことを避けられたのかもしれないということといった、悲しさと、寂しさと、悔しさと、怒りと、憤りと、後悔と、いろんな想いがぐるぐると渦を巻いていた。すべて、とても個人的な感情だった

 僕は、論理という側面から、あるいはきわめて個人的な事情という側面からしかこの震災を捉えることができなかった。感情という側面からは、僕は何一つ語る言葉を持たない。どうしても地震と津波は他人事でしかない
 僕はそんな自分に対して「いいのか?」と思う。理屈では「いいんだ」とは言える。しかし「本当にいいのか?」とも思う。あまりにも僕には感情がないよなと常々思っていて、たまに自分を欠陥人間だと思うこともある。感情がなさすぎる。というわりには、死んだ友達の家族に会えばわんわん泣く。アニメを見れば滝のように涙を流す。これはなんなんだ? どういうことなんだ? いろいろに考えて、いくつか仮説は立てられたが、未だ結論には至っていない。まだまだよくわからない。それを解明するには、「考える」ということだけではもうダメなのかもしれない、とも考える。「考える」を信じたい気もするし、そういう問題ではないような気もする。

 震災後三ヶ月の集成たる二つの本が語るのは、僕には論理があって、感情がないということである。いや、「ない」というのは正確じゃない気がする。ではなんと言えばいいのだろう。わからない。これを「わかる」ようにするのが、これからしばらくの、僕の個人的な課題だろう。どうあれまだまだ、散歩は続くのであった。

 ここに明言されているように、僕はそれから二年間、自分の「冷たさ」のようなものについて考えてきました。そしてそれについての現時点での一つの説明が「便乗力がない」というものなのです。

 続きます
 過去のmixi日記からの転載を進めています。
(もうネット上からは消えたものだけど、自分の書いた文章はハードディスクの中に原則すべて保管しているのです)

 2005年1月から2008年12月まではデータがあるので、順次UPしていきます。
 とりあえず2008年分ポエムだけ。
 ポエムは、2007年くらいに書いていたものが素晴らしいのですが、そのあたりは2007年分をUPした時にまた増えます。

2013/06/18 火 なかなか書けないぞ

・便乗力について
・改めて、歌について(声がおんぷ)
・ジャッキーブランドについて
・モテ奴を目指す理由(童貞に安住しない)
・あまりにも大切なまなびストレート!とかいう作品
・リンクしているいくつかのサイトについて
・岡田淳さんについて諸々(人生は生きるに値したりとか)
・料理と酒とスポーツと絵と色々のものについてに関わるいろいろ
・下のほうにもいくつかメモっておいて書いてない話題があるし、忘れてるのもかなりある
・書いてほしいこととかあったら言ってね

 名古屋に行ってからしばらく、なかなかまとまった時間が取れないでガス。
 そのかわり楽しいこと、面白いこと、かけがえのないことがたくさん起こっていて、ちゃんと書かなくてはいけないこともけっこうあります。


ふしぎな木の実の料理法』っていう岡田淳さんの作品があって、これは「こそあどの森」シリーズの第一作。主人公はスキッパーという男の子。
 スキッパーは人付き合いが得意じゃない。
(詳しくは読んでください、本当にいい本なので。)
 僕だって(形は違っても)スキッパーだった。
 でもスキッパーは変わった。
 もちろんとても熱心な読者だった僕も変わった。

 僕はスキッパーのために何かをしようとは思わない。
 思わないほうがいいとも思わないけど、あえて何かを「してあげる」という意識はなくてもいいと思う。
 ただ僕はこそあどの森の住人のように生きていたい。
 そうあるべきだろうと思う。
 ドリトル先生が少年に対して、一人の人間として向き合ったように。
 ただそれだけのことで、当たり前のことで、それだけがスキッパーを変えるための力だった。それ以外のものはすべて、スキッパーの中にあったのだ。

 宗教じゃなくたって揺るがないものというのはある。

 ↓に書いたことにほんのりと関連したことをしばらく書いていく予定です。ほかのことも挟みながら。

2013/06/15 土 ジャイ誕

 留守にしている間に、メールフォームからおたよりが届いておりました。普段は直接返信をしているのですが、今回はアドレス未記入だったので、この場を借りてお返事してみます。

[ 名前 ]
はじめ
[ メールアドレス ]
未記入
[ 件名 ]
初めてコメントさせて頂きます。
[ 本文(大) ]
先日の日記の絶対に誰もが、なんて言葉はとても危険だと思いました。絶対は誰が決めるんでしょうか?物理法則以外に絶対がありますか?何故自分が絶対だと思うんですか?自分と同じ意見の人だけが「分かってる人」なんですか? 最近の日記は批判が多くて排他的で(しかも断定が多くて)読んでいてしんどいときがあります。
だったら読むのを辞めてしまえばいいのでしょうが、それはジャッキーさんが自分の意に沿わないものに対して何もコメントしなければいいのに(無視すればいいのに)あえて批判するのと同じなのかもしれません。ただそれを批判するとき、それを愛してる人がどう思うかをもう少し想像すべきではないでしょうか。
「~すべき」なんて言い方も相当一方的ですが。おかしいと思うことをおかしいと言うなと言うわけではありませんが。でもそういう文章を書くときには、ジャッキーさんが挙げているいくつかの愛する曲や作品や人が批判されることを想像して欲しいです。素敵だと思う文章も多いだけに残念です。
生意気を言いましたが、ご一考頂ければ幸いです。

「先日の日記」というのは、6/4と6/5の間の「一緒に素直に~」から始まるやつですね。「絶対に、誰もが」という表現を確かに使いました。
 おそらくちょっと長い話をします。

●「絶対は誰が決めるんでしょうか?」について
 誰かが決めるものではないような気がします。
 ただ、もしも「あるものが絶対であるかどうかを決めることは誰にもできない」のだとすれば、「絶対に決められない」と断ずることも誰にもできなくなります。もちろん「絶対など絶対にない」と言うこともできません。
 そして、こんなつまんねーことを言うために「絶対」という言葉が存在しているわけではないと僕は思います。

●「物理法則以外に絶対がありますか?」について
 絶対的な物理法則はひょっとしたらあるのかもしれませんけど、それを人類が知っていて、今現在的確に言語化できているかどうかというと、別の話ですよね。一度は認められながらも、後に否定された物理法則だってあるわけですし。Wikipediaとかいうサイトの「物理法則」の項を読んでみると、なんだかいろんなことが書いてあって、「物理主義」なる言葉も出てきます。この周辺のことはすでにいろいろ議論があるようです。
 僕は物理法則は絶対とは思っていませんし、たぶん最近は割とそういうことになっているんじゃないでしょうか。
 もちろん、「絶対であるものだけを物理法則と呼ぶ」というような定義をするのならば別ですけど。

●「何故自分が絶対だと思うんですか?」について
 僕は「自分が絶対だと思う」というふうに言ったつもりはないのですが、どうやらそのように見えるらしいですね。(わかります。)
 問題とされている文章では、《岡田淳さんも奥井亜紀さんも、宇宙船サジタリウスも、絶対に、誰もが「これは素晴らしい」と思えるようなはずのものなんです。》と僕は書きました。僕はそう信じていますね。それを曲げるつもりは今は一切ないです。それは僕にとって、道に咲いている花を見て「この花は美しい」と思うくらい当たり前のことです。その花を見て「美しくない、むしろ邪悪である」と思う人もいるのかもしれませんが、しかし僕はそういう人の存在を想像しながら「絶対に美しい」と主張します。その時に僕は「自分が美しいと思っているこの花は絶対に美しい」と信じています。
 その花を汚い、邪悪だと言う人がいたとして、もちろん僕はその人の意見を肯定しません。「ああ、まあ、人それぞれだからねえ」なんてことは言いません。肯定しませんが、尊重はしたいと思います。「なぜ汚いのか、邪悪なのか」という意見を聞いて、「なるほど」とか「それは違う!」とか言いたいです。どこかに誤解があるかもしれないし。
 僕は「自分は絶対に正しい!」と思う時は思います。だけどそれを無条件で永遠に「正しい」とむきになって叫び続けるつもりではないです。「あれ、本当は正しくないぞ」と確信する時が来れば、「正しくなかった……」と言うと思います。そういうことは何度も何度もしてきました。そのたびに自分の考えは変わっていきます。
「今はこれが絶対に正しいと思う!」と、胸を張って主張して、ほかの意見とぶつかるならば、その意見をできるだけ聞いて考えます。その程度の柔軟性はあるつもりです。もちろん「絶対に」と言うからには、基本的には「変わるわけがない……」と思ってはいますが、それでもちゃんと考えます。「信じたいために疑い続ける」が信念です。信じ続けるためには疑い続けることが必要なのだと思うので。
 何かを正しいと思う、その信念は力強いです。それを言葉で表現しようとすると、「絶対に素晴らしい」という力強い言葉になります。それを否定する人がいても構いませんが、否定されても僕は「いや素晴らしい!」と言います。「こういうところが素晴らしくないじゃないか!」と言われたら、検討して、「そうかも」とか「そんなことない!」とか言うでしょう。
 なぜそんなに「絶対」だと思いたいのかといえば、単純に、それが絶対であるべきだと思うからです。
 なぜ絶対であるべきだと思うのかというのは、個々の「絶対」それぞれに理由があります。

●「自分と同じ意見の人だけが「分かってる人」なんですか?」について
 そんなことを言ったつもりはないので一言で返しますと、「そうは思いません」です。ただし、もしも仮に自分と同じ意見の人がいるとしたら、間違いなく「うーん、わかってる」と思うでしょう。当たり前のことです。
 そして絶対は別にいくつあっても困りません。

●「批判が多くて排他的で(しかも断定が多くて)」について
 それは申し訳ないです。でも僕は批判が好きです。批判というのは僕は「よくないと思うものを、根拠を挙げながらよくないと主張する」というようなことだと思っていて、なるべくそのような仕方を心がけてはいます。できるだけ無礼にならないように、できるだけ的確に。しかしまだまだ下手くそなようなので、もうちょっと練習します。「これは問題だ」と思われる箇所がありましたら、ぜひ教えてください。
 排他的である自覚はあまりないので、ちょっと気をつけてみます。

●「ただそれを批判するとき、それを愛してる人がどう思うかをもう少し想像すべきではないでしょうか。」について
 想像して、それからどうすればいいんでしょうか?
「こういうことを言うと傷つく人がいるからやめよう」と、踏みとどまるべきなんでしょうか。実際、踏みとどまることもけっこうあります。でも、「傷つくかもしんないけど、考えるきっかけにもなるかもしれない」と思えば、書きます。

●「ジャッキーさんが挙げているいくつかの愛する曲や作品や人が批判されることを想像して欲しいです。」について
 好きなものを批判されたって、それはそういうものです。
 現実や本質から逃げるつもりはありません。



●件の文章について
 言葉足らずだったでしょうか。
 岡田淳さんも奥井亜紀さんも、宇宙船サジタリウスも、僕の目には「本当に素晴らしい」ことばかりを伝えてくれているように見えます。そしてそれはかなり普遍的なことで、誰だってそれを「素晴らしい」と思うようなはずのものだろう、と僕は思っています。
 ただ、この「ようなはずのもの」というのがくせ者なのです。
 たとえば岡田淳さんの作品にはとても素敵なことが書いてあります。と僕は思います。しかし、それを誰もが「素敵だ」と思うかどうかは、別の話だということです。
「道にゴミを捨てないようにしましょう」という張り紙を、「偽善だ」と思う人はいるわけです。素直じゃないから。
 素敵なものは普遍的に素敵だと思うのですが、普遍的に素敵だからと言って、みんなが必ずそれを「素敵だ」と思うわけではない、ということを僕は言いたかったのです。
「人にはやさしくしたほうがいい」というのは当たり前に正しいようなことだと僕は思います(「やさしい」の意味が難しいというだけで)が、そういうことを言っても、「正論ばっかり言って」とか「きれいごとだ」と切り捨てられることはあります。
「本質的に素敵である」ことと、「誰もが素敵に思う」ということは別のことで、僕は「本質的に素敵である」ということのほうを「絶対に、誰もが『これは素晴らしい』と思えるようなはずのもの」という言葉で表現したというわけです。それはもちろん、「はず」というだけで、実際にそうであるはずはありません。

2013/06/12 水 水曜日の惑星

 水曜日なので更新。

 最近リンクした我衣に連載されている「幸福について」という文章が面白いです。いろいろ考えたくなります。
 また、「世界に親切」で最近僕のことが書かれてたりもして、面白い人には面白いと思います。
 僕の留守中のことは↓にリンクのあるはてなブログに書いていますのでちらっとご覧下さい。

 次に更新できるのはたぶん水曜日くらいです。
 それまではここを更新しようかと思いますので、よろしくお願いします~。過去の記事は読みでのあるものも多いので、合わせてどうぞ。

2013/06/06 木 羨望のジョーイ’s ライフ

 フルハウスのジョーイおじさんみたいな暮らしが羨ましい。
 昨日の続きになりますが、ある歌にもしも本質みたいなのがあるとすると、現今の「カバー」ってのはそれの誤解か曲解ばっかりなんじゃないのかと僕は思います。「原曲に似せろ」というわけではなくって。
 歌の本質ってのは一つじゃないです。無数の本質が積み重なって一つの歌です。その本質の再構築であれ、取捨選択であれ、同じ(または非常に似た)メロディや歌詞を使うのであれば、どこか共通の「本質元素」がなければおかしいですね。ところが「メロディと歌詞」以外の部分(つまりカバーする人が付け加えたオリジナリティ)には、そういうものが見あたらなかったりする。だから「違和感(ギャップ)を楽しむ」みたいなことにしかならない。あとはカバーする人・される人への愛着と、原曲への思い入れと、それまでに培ってきたその曲に対しての理解によって、補うわけです。カバーする人も聴き手のそういう能力に甘えているところがあると思います。単品で美味しいわけではないのです。たいていは。セットでお得、みたいな感じでしょう。「きゃー、○○さんの曲を××さんがカバーするの~?」っていうところに、最も重点があります。「おおっ、ウナギのウメボシ和えだ~。どっちも好物なんだよな~」みたいな。食べ合わせは悪いはずなんだけど、好物だったら気にならない。あるいは意外な取り合わせの妙。「えー、メロンにマヨネーズ?」「いや、これが意外と美味しくてさあ」とか。そうなるともう、何が何だかわかんないですね。でもなんかこう、お祭りのように楽しめばいいと思います。
 楽しめない音は音楽にはならない、っていう歌もありましたからね。寛容になりたいものですよ。

 本質がどうとかではなく、歌のうまい人が情感をこめて歌った曲を、心のない人が「目立ちたい」とか「ただ歌ってみたい」とかいう目的で歌ったら惨憺たる結果になるという、そんだけの話なんでしょうけど。

2013/06/05 水 ウェーイ

 ラブリーラブリーウェーイwwww
 ハナレグミとかいう人が小沢健二さんの『ラブリー』をカバーしたというので、CDを持っている人に聴かせてもらいました。
 僕はハナレグミというのは、「離れても~わたしたちは仲良し~グミみたいにポップでキュートな~わたしたち~」みたいな曲を歌う、女の子二人組のさわやかデュオかなんかだと思っていたので、なんか武勇伝語る系のおじさんがかっこよさそうにギターをかき鳴らしてる感じが意外でした。ちなみにクラムボンは髪の毛がぼさぼさなのになぜか透明感のある白い服の女性ボーカルが「かぷかぷ~ あたしの世界は今日もかぷかぷ~」みたいな歌を歌っている横で、暗そうな顔をして弦楽器とかを弾いている(たまにシタールとかを奏でる)男の子がふたりくらい座っている感じのものを想像しているのですが、こっちはどうなんでしょうか。
 最近の邦楽ミュージシャンがする「カバー」ってのはたいてい、「ぼくの! オリジナリティ! それを加えると! あの曲がこんなふうに!」ってなふうに、「カバーする側の自意識」が原曲を覆い隠してしまう感じのものばっかりで、なんとかトリビュートアルバムみたいなのはだいたい自己満足の結晶みたいに僕は見ています。メロディや歌詞を元のまま流用しながらも、アレンジや歌い方は「いつものその人」でしかないので、ちぐはぐです。「今週のルフィはガッツ石松さんが声をあてます!」つって、いつものアニメーションのまま声だけガッツ石松さんが普段通りの感じで「海賊王に、おれはなる!」とか言ってるようなもので、それはガッツ石松さんのファンにとっては面白いかもしれませんし、ワンピースのファンにとっても「そういうのもあるのか」だし、まあ平和な営みなのかもしれませんが、それでワンピースという作品がより輝きを増すかといえばそんなことはないですよね。たとえば「ゴムゴムのガッツ石松」みたいなものがあって、それを食べたルフィが「ああっ! 声がガッツ石松みたいになっちゃったよ~」とかいうギャグを飛ばすのなら「おおおおー!」ってなもんですが、そういうの一切なしに、番組はじまったらいきなりルフィが「今週はガッツ石松さんの声だぜ!」とか宣言してそのまま主題歌が流れて普段通りにストーリーが進行して行って、でも声はガッツ石松さんでっていうそういう感じが、ハナレグミの『ラブリー』でした。

 一緒に素直になってくれる人がほしかったんです。
 岡田淳さんも奥井亜紀さんも、宇宙船サジタリウスも、絶対に、誰もが「これは素晴らしい」と思えるようなはずのものなんです。問題はただ一つ、彼らに対して「素直」になれるかどうかでしかないんです。素直になれない人は「いいね」で済ませます。それがもしかしたら「好み」とかいうことになるのかもしれませんけど、そんなことはどうでもよくって僕はとにかく一緒に素直になってくれる人がほしかったんです。
 そのわりには僕は素直になることが下手くそ、なのかもしれません。そうでもないのかもしれませんけど。わからないけど。
 絶対に、誰もが「これは素晴らしい」と思えるようなものを、素直に受け入れていたいです。花がきれいとか、そういう感じで。

2013/06/04 火 ずっとここにいたかったんです

 肯定できるような恋人の呼び名はないかなとずっと悩んできた。
 嫁とか相方とか言うのは嫌だなと思う。
 配偶者候補というのは長すぎる。
 かといって名前を書くのもどうかという感じ。
 細君とでも言うか。古いし、かっこつけてるような感じがある。
 パートナーってのは左翼っぽい。
 レゲレッラ、レゲレゲラってのも意味を超え過ぎている。
 彼女と言えばいいしそれが普通なんだけど、
 妙なところで意識の高い人は男も女も、その辺で悩んでいるはずだ。
 彼氏と言うか彼と言うかみたいなところで。
 そのくらい呼称のレッテルってのは力強い。
「好きな人」ってのはいい。でも照れくさいし、片想い否定派の身としては誤解を招きそうだ。そんな細かいことにこだわってるからいけないんだけど。

 運転手と車掌、ってのはフェミニズム系の人から怒られそうだけど、それがしっくりくるなら悪くない。
「うちの車掌が~」ってのは具合がいい。
 だけど相手が「うちの運転手がさ~」って言ってたらなんだか「アッシー」みたいだ。けど、それも面白い。
 それ的なものでよいものがありそうな気がする。
「なぎさとほのか」とかね。
「なぎさがさ~」「うちのほのかがね~」どっちでも好きなほうを選ぶ。
 その都度違ってもいい。
 ドラえもんとのび太も最高だ。
 和尚と小僧。
 松笛と戸川。
 あー、これでいいんじゃないか。結局。
 男吾とお姫ってほど完璧じゃないからな。

 松も笛も長細いもので、男根をあらわす。
 揺れる。奏でる。
 戸は開け閉めしながらそれらを受け入れる。
 ときおり川が流れる。
 そういうことで問題ないのである。
 松と笛と戸と川があったら風流だねえとか、
 そういったことで非常にのどかだ。

 日曜日は戸川と石神井公園に行った。
(これだ、これ。すばらしいな。)
 うちから歩いて一駅と半分。散歩にはちょうどよさそうだが、往復して公園の中までずっと歩くとちょっと疲れる。
 石神井川を通る。桜並木が続く。当然桜は咲いていない。日陰に咲きかけの紫陽花が生えていた。咲きかけだったので一瞬何の花かわからず、「なんだこれ」とか言ってたら戸川が「それ紫陽花だよ」と教えてくれた。
 川沿いは南側の道を歩くと土を踏める。最近は土を踏むだけでも一苦労だ。それだけにありがたい道。環八をくぐる。
 少し道を逸れ、遊歩道に入る。石の道。ウェーイとか言ってぴょんぴょん飛び跳ねながら進む。ここで一緒にウェーイって言ってくれるのが非常に嬉しい。別に苦笑されるんだっていいけれども。
 公園の入口近くにあるピーター・パンは、移転前から気に入っているパン屋さん。パンもうまいが特製のジュースもうまい。ジュースを二つ買って歩く。キウイが入っていた。僕は小さい頃キウイでアレルギーが出ていたのだが最近は多少食べても大丈夫になった。たくさん食べはしないから、もしかしたらたくさん食べても大丈夫なのかもしれないが、怖いからしない。
 入口に「旧内田家」という看板があって、はてそんなものあったかなと思った。矢印通りに進んでみるが、行けども行けども姿がない。仕方なく検索してみると、「ふるさと文化館」に隣接しているとのことだったので、行ってみた。
 ふるさと文化館は思った以上に充実していた。一階だけ見たが、二階はもっとすごそうだった。「常設展示ガイド」と「ねりまの昔ばなし」という本を買った。かなりしっかりした作りだが、二冊でたった700円。
 文化館の脇に、古民家はあった。明治20年頃に練馬区に建てられた家だという。2010年に移築されたそうだから、これまで知らなかったのも無理はない。芦花公園にある徳冨蘆花の家を小さく、きれいにしたような感じだった。以前にどっかの山奥(完全に忘れた)を自転車で走っていたとき、偶然古民家を見つけて立ち寄ったのが僕の古民家熱の始まりで、それ以来古民家と聞けば見に行くようにしている。
 内田家は移築ということもあってけっこうセキュリティ(?)が甘い。座りこんでお茶を飲んでも問題なさそうな感じだ。僕らは縁側に座って二人で『甘夏組曲』を歌った(歌詞の中に縁側が出てくる)。こういうことが幸せなのである。石神井公園といえば『孤独のグルメ』にも登場した茶店が有名だが、内田家のほうがのんびりできて好きだな。日曜日なのにほとんど人がいなかった。
 和室でくつろいでいた外国人二人と日本人一人のグループの会話をずっと聞いていた。日本人の男の人は「だから、そうそう。たとえば京都とか奈良とかは、盆地。アラウンドエリア、マウンテンマウンテンマウンテン。」みたいな感じで、日本語とカタカナ英語で話していた。抑揚すらつけず淡々とカタカナ。その発音でどんだけ伝わるもんか? と思ったが、涼しい顔で、何の疑問も持たずに話す男の人の姿を、潔く、カッコイイと思った。笑ったけど。古民家を出たあと、二人で物真似しながら爆笑したけど。マウンテンマウンテンマウンテン。
 古民家の近くの遊歩道には庚申塔がやたらとあった。ところで庚申塔ってなんなんでしょうか。ずっと気になってて、調べればいいのに調べたことがない。「馬頭観音」と書かれた石もたくさんあった。馬頭観音の像ではなく、石。これはいったいなんなんだ? 何の意味のある石なんだ? これが観音様そのものと考えて差し支えないのか? それとも名前が刻んであるだけ? それになんの意味が?……これも調べればいいんだけど、調べたことがない。
 このあたりで僕が突然なんの意味もなく「(自粛)」とか言って(自粛)て歩き出したら、戸川は「(自粛)」とか問いかけてきて、吹き出した。「それ、あかんやつやん!」と突っ込んで大笑いした。けたけた。ジョークってのは楽しいですね。
 いい加減疲れてきたので、「疲れたー、ヤダー」とかってだだをこねるごっこを始めた。「じゃ、一周して帰ろっか」とお母さんみたいに言われたので、「一周、どっちー」と言ったら笑われた。「そうそう、一周ヤダとも言えないんだよね、子供って」
 一周している途中でたくさんの毛虫に出くわして震えた。慌ててフードをかぶり、幼少期によく遭遇した通称「キントキ」という緑色の毛虫がいかに恐ろしいか、という話をひとしきりしたあと、「毛虫って上から落ちてきたりするんだよな、だからさっきからフードをかぶっているわけだが」と言ったら、「なんですぐにそれを教えないんや!」と怒られた。怒りながら戸川はすみやかにフードをかぶった。
 空がひらけ、毛虫の恐怖がなくなったかに思われた地点でも、「あー、隕石ならぬ隕毛虫が落ちてきたらどうしようー」とか言って怖がった。「宇宙毛虫」という言葉が出てきて震え上がった。宇宙毛虫。ただでさえある種の毛虫には宇宙感がある。
「ペポ、松笛くん悪くない、ぜんぶ○ー○○星人のせい」ってシビップの物真似してたのも面白かったな。シビップの出てくる宇宙船サジタリウスってアニメは宇宙が主な舞台だから、「星人」ってつけるとそれっぽくなるんよね。笑ったしちょっと救われた。
 だんだん我々の掛け合いやジョークが冴えてきて、本当に嬉しく感じた。しかしそれもいつかすべては優しさの中へ消えていくんだろうかなんて考えたりするけど、勝つと信じたい今は勇気を出して歩かなくちゃ。っと。
 ブドウを食べたりキムチラーメンを探して夜遅く出かけるとか、二人でよく見たアニメはやっぱりサジタリウスとかまなびとか、そんなことのすべては僕らが見ている光なんだけれども、それが最終的に行き着く地はどこなんでしょうか。美しさだとか優しさとかであればいいですね。そう信じたり祈ったりしているし、そのような歩き方を精一杯しています。
 そして帰り道。スーパーに二軒寄って買い物をした。「一人で暮らしてるってすごいね」と言われた。すごいだろう。やってみりゃできるもんなんだけどね。ちゃんとできてるかは別としても。衝動買いしたココナッツ水、意想外の味がしてまた笑った。

『たたかえっ!憲法9条ちゃん』という名作で、世界一可愛いヒロインである知恵院左右は「モニターの向こうにあるマモルの部屋に住み着く」ことを願ってます。とってもセンチメンタルで乙女チックな気持ちです。「私はその部屋に住んでいない」「私の名前はその部屋の中に存在しない」と、好きな男の子の部屋を盗撮しながら知恵院は悩むのですが、「でも、他の女の子が住んでいないんならそれでいい」と満足のレベル(セルフエスティームとかいうやつや!)を下げて、ささやかにゆるやかに生活を送っていました。
 しかしそこに9条ちゃんという女の子が現れて、マモルの部屋に「住み着く」ようになりました。マモルは9条ちゃんの名前を唱えながら自慰にふけり、それを見ながら知恵院は思い悩みます。見なければいいのに、知恵院は見てしまうのです。そして9条ちゃんをうらやましく、また疎ましく思います。
 やがて9条ちゃんがいなくなってしまって、マモルは抜け殻のようになりますが、9条ちゃんを想像した自慰をやめません。しかしある夜、何を思ったかマモルは「知恵院」という名前をつぶやきながらそれをします。
 それは知恵院が望んでいたことのようでもあり、でも決定的に「何か」が違うものでした。だから知恵院は……と、この後は本編でお楽しみください。
 と言いつつ少しだけ続けますが、あの時に知恵院は窓ガラスを破りますね。あの窓ガラスはなんだったのでしょう? いろいろに考えることができて、面白いです。(もちろん書いてる時はただ、「窓ガラスを破ったらカッコいいな」くらいにしか考えてなかったけど。)

 彼氏との関係に悩む、ある女の子が「愛されたい」と言っていました。愛されていないと私は不安だ、的なことのようです。そして「女の子の心というのはだいたいそういうものだ」みたいなことも言っていました。僕もけっこう、そうだろうなと思います。
 女の子が(もちろん男の子だってそうでしょうが)ほしいのは「場所」です。「私はそこにいたい」です。「愛されたい」というのは「愛されるような場所にいたい」です。「場所」があれば安心するし、なければ不安です。「愛されていなければ不安」というのは「いる場所がないと不安」なのです。
 知恵院が求めた場所はどこだったのでしょうか。自分の家、モニターの前、それは彼女にとって居心地の良い場所ではありませんでした。彼女はモニターの向こう側に行きたかったのです。
 続編である『ぶっころせ!刑法39条ちゃん』という作品を書くときには、「すべての女の子は知恵院左右である」と思っていました。それは間違っていなかったと思います。「すべての」ってのは言いすぎなんでしょうが、「ある種の」としたところで、知恵院左右である総人口はかなり多いような気がします。

 戸川安里香にとって居場所とはどこだったのでしょう。それはわかんないんですけど、11巻から13巻あたりを読むと、なんとなくわかる気がします。戸川と公園を歩いていたのを思い出すと、なんだか11巻の『光るゴミ』の話と似ている気がします。本当に11巻は、教科書です。
 これからもちょくちょく戸川のことは書いていきます。

2013/06/03 月 僕のWeb日記史

 この日記の来歴について。
 あんまり覚えていないこともあるのだが、とりあえず資料として。

 2000年7月11日から2003年6月30日まで、この日記はほぼ毎日汚れなく更新され続けた。6月30日の記事のタイトルは「最終回」だった。
 なぜこのタイミングで最終回なのかというと、大学の同級生に、「サイト見たよ……コワイ……」みたいなこと言われたからってのが直接の原因だと思う。僕は高校の頃と変わらないテンションで日記を書き続けていたのだが、そういう文化のなかった人には不気味に見えたようなのである。ほかにもなんか、色々問題が起きたりしていたような気がする。「ああ、トーキョーとか、ダイガクとかいうところでは、これをこのまま続けているとまずいんだ」と思って、でも「サイトを閉じる」という発想はなかったので、形式を変えることにした。のではないかな、たぶん。
 ちなみに6月27日には「最近はなんだか大学校のほうでもこのような僕の文章を嗜む人々が多く出てきて/なんか知らんけど誰かが情報を廻しているようだな。/喜ばしいことだ。/これで僕の大学校でのポジションもようやくあやうくなるかというとこだ。」とかなんとか書いている。その後には読み手への注意書きみたいなことを横柄に書き綴っているので、たぶんなんかあったんだろう。

 そのせいなのか、2003年7月から12月まで、「月記」という形式になる。最初は「一ヶ月書きためておいたものを、月末に一気にアップする」ということにしていたが、たぶん途中からは書く都度アップしてたんじゃないかな。それもあんまり覚えていない。それにしても物凄い文字の密度だなあ、この時期は。
 宗教団体の合宿に拉致されて、激しい精神攻撃を受けるのもこの時期。この経験が僕を「自分と向き合う」のほうへ導いたところもあるのかも。

 2003年12月の後半からは「ケイオティック日記」とかいうわけのわからない名前になっている。20~22日付の日記に「世界が抜本的な見直しを行ってから幾日かが経過した」と書いてあって、原因はそれである。

 2004年2月9日から三人称っぽい形をとった「Two is beginning of the end」なる、かっこつけた題名の日記になった。これが意外と長続きし、164話すなわち五ヶ月くらい続くんだけど、2004年7月11日のEz4周年記念をもって終了。この形式にした理由は「本当のことを嘘っぽく」「嘘のことを本当っぽく」書きたかったから。これはあとで語る僕の悪い癖のせいもあるけど、年を取って現実との兼ね合いがしづらくなったのが大きい。いろんな人に見られている、ということが、面倒くさくなってしまったわけだ。

 2004年7月11日の日記は「原点回帰」と題し、フォントいじりに満ち、画像まで載っける大サービスだった。この転換に関しては2010年10月の僕が2004年7月のページで解説している。この頃までの僕は「自分を隠す」ことで精神を安定させようとしていたわけだけど、どうやらそういうわけにもいかないみたいだ、と思い始めていた。「もっと開けっぴろげに、他人に自分をさらけ出したほうがいいんじゃないだろうか、できるならばそうしたい」と願い、日記もその気持ちを反映したものに、どんどんなっていく。
 2004年8月の日記は、ちょうど岩手県での自転車合宿から帰ってきたところから始まる。この合宿で僕は本格的に「このままではまずい」と確信して、「もっと素直にならなきゃ」と焦り始めたのだった。合宿を境に日付の表記法が変わっているのが、前後の変化をずばり表していて面白い。
 9月21日に日付の表記法が元に戻るが、この日に僕はだいたいのことを悟ったというか、その後しばらくの身の振り方を決めたようだ。

 真人間になりたい。というか、隠し事ばかりの生活に嫌気がさした。疲れた。何一つ包み隠すことなく、開けっ広げに生きて行けたら楽なんじゃないかなあ。なんて思っている。そして、そこに連れていってくれる人間がいるのだとして、その人を愛することによって自分がそういう場所へと到達することができるのであれば、僕はその人を愛して、楽になる。何かに縛られている状態が、最も楽で。足場のある状態が、いちばん安心できる。楽になりたい。安心したい。で、あれば。誰か、“今いちばん肌で触れ合うに気持ちよい人間”をとことんまで愛すのが最短距離。

 今目の前にある永遠。それだけを信じていれば良い。そのあとで、やっぱり間違いだったと気付くなら、それはそれで。ただ、今はそれが間違いだなんて信じていないというだけ。不安はある。けど、感じない。信じることで真実へと近づく。近づく。



 世に言う「盲目」の状態ではなくて。「人生を楽に生きるための処方を研究し尽くした結果として演じられる計算された盲目さ加減」を目指している。単に「盲目」という状態を格好悪いと感じているだけなのかもしれないが、まあそういうところも含めて、「自覚」が最重要だ。ってのは、何年も前から変わっていないんだなあ…。自覚することって、本当に重要だと思うよ。単なる盲目はインチキ宗教と変わらない。ああいう受動的な群れは死ねばいいと思っている。

 ここから後の僕の一見とち狂ったような文章についての説明は、すべてここに凝縮されている。僕は自分をこのように洗脳したのである。
 それでも10月31日まではある程度の冷静さを保っている。

 2004年11月1日から、また妙な形式を思いついた。日記を一日一ページとして366ページ作り、毎年その日付のページに追記していく、という形式だ。「五年分の日記が書ける手帳」みたいなのがよく売ってるけど、あれのWeb日記版をやろとしたわけだ。これは2005年の1月17日で終わる。

 2005年1月末にmixiに入会し、その閉じられた空間で調子に乗って僕はいつしか好きな女の子のことばかりを書くようになった。その影響がじわりじわりとHPのほうにも及び、2005年4月8日まで徹底的に恋のテンションが貫かれ、「一見とち狂ったような文章」が量産される。しかし4月8日以降、なぜか更新が半年ほど止まる。「彼女ができた!ので、閉鎖します」と書いてここから姿を消したのは、この時だったかなあ。日記はmixiに閉じこもって書いていた。また、この5月だか6月くらいに、mixiで知り合ったお姉さんに無銘喫茶に連れていってもらって、それからは毎週欠かさず通っていた。大学ではダミーサークル笑い飯のイベントにも顔を出していた。急に面白いことが増えすぎて、Ezに書くエネルギーがなくなってしまったようだ。すべてをWebに書こうとしたら、一日中書いていなくてはいけないような時期だった。……mixiには書いていたくせにね。そのうちmixi日記も復元して載せたいな。

 2005年11月1日、再開した時には好きな女の子とお別れをしていて、mixiにもどっぷりはまっており、2ちゃんねるのニュー速VIP板にも常駐していた。2005年くらいまではmixiは本当に面白かったし、VIPも本当に面白かったのだ。再開してしばらく、僕のテンションが死にたくなるくらい高いのは、この二つのメディアの性質を引きずってるからである見ればわかるけど。まるで同一人物とは思えないわけだが、今見るといずれも非常に面白い。
(話が少し飛ぶけど、2007年9月に「2005年11月からmixi日記を書いていないことになっています。」という思わせぶりな一文がある。これがある程度そうだとすると、再開した時にはそれほどmixiには入れ込んでなかったんだろうか。まあ、調べればわかることだけど、それでもけっこう書いていたはずだ。)

 2006年3月21日に「名古屋に帰ります」と言って更新が一ヶ月ストップ。ここから丸一年、2006年3月末まで動いたり止まったりをくり返す。それほど忙しくはなかったはずだが、「大四病」というやつなんだろうか。最大の原因はやっぱりmixiだと思うけど。

 2007年4月、大学を卒業してしまったので、やることがないからHPが強化される。7月まで、記事ごとにちゃんとしたタイトルをつけ、リンクを作ったりして、信じられない気合いの入りっぷり。暇のなせる業だろう。8月から気合いがまったくなくなるのには理由がある。ある出会いによって色々と考えてしまったのと、それに関連して2ちゃんねるでいじめられたりしたからだ。ところでこの頃、ネットラジオ「ウーチャカ大放送」やメールマガジン「( ・∀・)ノ<たまにはメールくれよ」などにも精力的に取り組んでいたし、仲間内でフリーペーパーも作っていた。
 12月まで、細々と大人しい日記が続くが、年末にまた2ちゃんねるで叩かれたりしたので、たやすく凹んで、次のまともな復帰は半年以上後である。
 2008年1月、2月はブラック会社に勤務していたので、日記を書く気力も何にもなかったと思われる。2008年3月にはてなブログを開設して、特に2008年11月まではそっちでけっこうな量の長文を書いている。2008年6月から中学校の先生になったので、Webにものを書くことにビクビクし始める。たぶんこの頃に過去ログをいったん格納(封印)。

 2008年7月11日、Ez8周年を記念して復帰。10月までまともに更新を続ける。10月後半から乱れ始めて、「混沌」期に突入(ちなみにこの頃からTwitter批判してる)。2009年1月から3月までの間と、3月から5月末までの間、すっぽりと書いていなかったりする。しかし5月に『9条ちゃん』を出してから、「学校や生徒にバレたって、なんの問題ない!」と開き直る。
 10月くらいまでは更新が数週間空いたりもしていたが、11月に誕生日を迎えてから徐々に安定していき、そこからは今にいたるまでほぼ毎日、だいたい更新している。どっかのタイミングで過去ログをだいたい開放。知らないうちに少しずつ増えている。

2013/06/02 日 ぐうたらの日

 言っちゃいけないことが増えているような気がする。
 本当はそんなことないはずだ。
 君がそう言うならって僕は開き直るよ。
 自由気まま気の向くまま。

 言わないことが大人だと教わった。
 今のところその人は邪悪だったけどね。
 だからわからない。
 愚直さを信じたい自分もいる。

 正しくないことも、
 美しいことだってある。
 正しくはなくても、
 間違っていないことはある。

 とはいえ……
 隠蔽すべきところをきっちりわけている
 僕は本当に卑怯者だが
 きっちり分けようと思うだけ偉いんじゃないかとも
 思ったりするわけです。

2013/06/01 土 美しさ

 2003年6月18日に発売されたPIERROTの3A面シングル『ネオグロテスク/薔薇色の世界/夕闇スーサイド』。
 18日は水曜日だった。オリコンかなんかの関係でCDはだいたい水曜日に発売されるらしい。でもだいたい前日には店頭に並んでいる。
 僕はこのCDを中古屋で買った。

 ネオグロテスク
 薔薇色の世界
 夕闇スーサイド


 男湯と女湯で石けん投げ合っているような、
 一見幸福そうな関係だっていい。
 でも十年後の美しさを担保するものは
 実はそんなもんばかりでもない。

 過去の痛みや悲しみは美化されがちだが
 それはでもサライに訊ねたって分からない

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