少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。
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2012/12/31 月 良いお年を。
年末感のあることをできるだけ避け、家でずっと漫画を読んだり寝たりしていました。
2012/12/27 木 壬戌 働く
明日まで働いてます。
それはそれとして、なんか、よくわかんないけど、楽しいですよ。
子供が生まれても、変わらないでいられるような生き方を、子供が生まれる前に作っておかなければいけないんだよなと、思います。
子供が生まれれば変わらざるを得ない、というのはわかりますが、子供が生まれても変わる必要がないような状態に、既になっておけばいいのかな、と。
なんというか。
子供が生まれてこう変わった、というのは、あるはずだし、あっていいことだけど、あまりに急激に変わりすぎるのもどうなのかな、と僕は思うので、既に変わっておく、ということも必要だろうなと思うわけです。準備をしておく。それは大人になるということかもしれません。もちろん僕なりの大人になりかたではありましょうが。
2012/12/26 水 辛酉 立派じゃない
大前提として、僕はあんまり立派じゃない。
友達のニートさんが、「ジャッキーさんの言うことはすべて正しい」って名言を吐いたけど、まさにこれで、僕の「言うこと」はけっこうな確度で正しい(ように聞こえる匂いを持っている)。でも、僕自身は全然正しくない、クズなんです。
それでも少しずつ、良いようになってるとは思うんだけど。
いろいろ言い訳しながら、ダメな生活をしています。
そこ突っ込まれたら困るんですよね。
でも僕の立場は、「理想は理想で、向かっていくべき方向でしかない」なので、ゆんわりとそちらのほうへ歩いていきます。見失ったらおしまいだけど、歩いている途中にあるのは、希望でしかないので。
2012/12/25 火 庚申 考えるとは
「考える」ということをする時点で、「私」は出てきてしまう。
「考える」時点で、すでに無私ではない。
「エゴ」と呼ばれるものは顔を出す。
考えることばかりをしているつもりの僕は、やはり自分を重視しているのです。
無私とか無償の愛とか、そういうこととは無縁の人間です。
僕は「自分にとって素敵な世界」を求めています。
それは「楽しい世界」です。
自分にとって楽しい世界を作るためにできることをしています。
偉そうなことを言うつもりもなければ、他人のことや世界のことを中心に考えているわけでもありません。明らかに。
ただ自分の好む世界になるようにささやかな努力をしているだけです。
「考える」時点で、すでに無私ではない。
というのは、中途半端な善人がよく陥るジレンマで、「私はみんなの幸せを願っているが、みんなの幸せを願うというのは自分の欲望でもあるので、結局私は自分のためにみんなの幸せを願っているのだ」というような感じのことです。
「他人のことを考えてあげている自分」というのはどうしても存在するわけで、そこに着目すれば「結局自分のために考えているのではないか」になる。これはどうしてもつきまとってくる。仕方ないことです。
これに対して、中途半端な善人はどうすればいいんでしょうか?
考えずに善でいられる人は、本当に善なのだと思いますが、「善でありたい」と考えて善であろうとする人は、善ではないのでしょうか。まあ、善ではないのかもしれません。が、別に善でなくたっていいと思います。
ありとあらゆる種類の言葉を知って何も言えなくなるような、そんな馬鹿なあやまちはしない、のです。
僕の考えや行動はすべて自分のためにしていることです。
僕による邪悪の定義は「自分のことしか考えない」であって、「常に自分のことを考える」ではありません。「常に自分のことは考えているが、たいてい周りのことも考えている」というのが僕の基本的な態度です。もちろん「周りのことを考える」は「自分のために考える」ではあるので、それを踏まえて表現し直すと「自分と他人との関係をいつも考えている」ということだと思います。
「自分のため」を考えるには、「他人との関係」を意識しなければいけません。そうでなければ楽しさや幸せは訪れない気がします。少なくとも僕は、そうでなければどれだけ気持ちよくても寂しさが先に立ちます。
だから、「自分のために他人との関係を考える」をします。
僕は誰かとの「自分が楽しいと思える関係」によって嬉しく、楽しくなります。
自然と、同じくそうやって思うような人が集まることになります。
そんだけのことですね。
他人他人言ってると、「本当は自分が好きなだけなんでしょ?」みたいなこと、たまに言われます。自分が好きって、そりゃ当たり前のことですよ。そこまではだいたいみんなそうでしょう。自分が嫌いってのもあるかもしれないけど、それはたいてい「自分を好きになりたい」の裏返しで、僕もそういう時期が長かったです。ずっと、「こんな自分を、自分は好きになってもよいのだろうか?」なんてことを考えていました。自分を愛したい、しかし自分は愛するに足る人間なのだろうか? と。この疑問に答えるためには「愛するに足る人間」になるしかないですね。いまだその途上です。
自分を好きでいるためには、他人が必要です。
他人から愛されなければ、「愛するに足る」かどうかはわからないのだし。
で、その他人っていうのは多いほうがいいです。
教育とか僕が言ってるのは、そういう素敵な「他人」と出会うため、出会いやすくするためです。23日に会った男の子に僕はある種の「教育」を、あるいはそのきっかけを与えたように思いますが、それはいつの日か僕と彼とが楽しい関係を築くためで、つまりは自分のためです。
『ドラゴンボール』の最終回は、悟空がウーブという少年を「教育」するために飛んでいって終わります。どうして悟空がウーブを教育(ここでは戦い方を教えるということ)しようとするのかといえば、「いつの日か強くなったウーブと楽しく戦うため」でしょう。僕は悟空とだいたい同じような考え方をしているんだと思います。
ドラゴンボールは教育マンガです。
で、教育というのは、「楽しく暮らすため」にするものなんじゃないのか、と思います。
世の中にあるものすべてが教育(教材)である、ということを僕はよく言っていますが、教育というのは、人が人に、直接施すものだけを言うのではありません。環境を作っているもの、人が出会うもののすべてが教育です。
おざ研ってのは「楽しく暮らすため」の方法を考えたり実践するための場所であるつもりで、「教育」そのものだと僕は思っています。というか、そうしたいと願っています。
「楽しい」ってなんだ? とかも含めて。
まあ、そんな堅苦しい場でもなくって、実際はただ座りながら固体や液体を体内に入れるだけの場なんですけど。
そしてもちろんおざ研を作ったのは自分のためでもあります。
そういうことをやってしまう自分が好きだってのもあります。
誇らしくもあります。
それは良くも悪くもないことです。と思います。
僕は結婚式の一般的な形式について「あんな文化に加担したくない」って強く思います。しかし、「来てほしい」と思ってくれる人がいて、「行ってあげたい」と思うのだから、行きます。それでその時にいろいろ悩みます。
素直に一般的な、無難な参加の仕方をすればいいのに、それをしないというのは、なんなんでしょうか。これは自分でもよくわかっていませんが、「一般的な、無難な参加の仕方をしている自分が許せない」というのはあるでしょう。
なぜ許せないのか? 自分の考えを曲げているような気がするから? 自分らしくいられないと勝手に思っているから?
とか、まあ、自分の内面のことを考えれば、嫌らしい理由はいっぱい出てくるんですけど、何よりやっぱ、「その文化を肯定したくない」ってのがあるんでしょうね。
意思表示をしたいのでしょうね。
初めて結婚式に出席した時は、ネットで調べて、なんとか無難なふうにしました。
でも、ネットに書いてあるからその通りにする、っていうのは本当に苦肉の策で、自分が納得していないことを、「なんかそうしなきゃいけないらしい」というだけの理由でするのは、僕は嫌なのです。これぞまさに「エゴ」と言われることかもしれませんが。
それをすることが何かの「教育」になるとは思わないのです。
もちろん、実際に「どういう感じ」にするかは、状況を見て決めるんですけど。(そのくらいの常識はある。)
考える時に、必ずしも他人を優先させない、というのはあります。
考える、というのはたぶん実質、そういうものでしょう。
それを重視しすぎると僕みたいになって、それは別に良いことではないのかも知れません。
おざ研ページにカレンダーつけました。「重い」とか「見づらい」とかご意見ください。
守庚申研究会というのを開こうかなと考えておりまして、それもカレンダーに書き込んでおきました。
つかれました。想像力の話、書くの忘れてないです
2012/12/24 月 己未 教育を研究する所
おざ研にホワイトボードがやって来たので、23日の深夜はホワイトボードを駆使した「研究会」になりました。何を研究したって、それは具体的には恋愛だったり社会だったりしたんだけど、一言でいえば結局は「教育」でした。やっぱり、そういうことになるんです。
「恋バナ」みたいになったときに、ドラえもんケーキ作ってくださったお姉さんが率先してホワイトボード使って恋愛講義みたいなのしてくれて、それが本当に楽しくて面白くって、爆笑しながらためになって、実に実に、有意義な時でした。そして朝方には恋愛からどんどん発展して、社会全体の話にまで広がって、「結局はどれもこれも教育の話なんだよね」ってことになりました。
おざ研というのは「尾崎教育研究所」の略ですが、この看板(木の看板も作ってしまいました)を掲げていることによって、何を話していても教育の話をしているような気になるし、何を話していてもいつの間にか「結局、教育だよね」ということになったりします。「あー! 今わたしたちって、まさに教育の研究してるんじゃない?」みたいな感じで。我ながら、素晴らしい名前をつけたもんです。
僕が「教育」と言うとき、それは基本的に「学校教育」のことではありません。もっと広い意味のことです。人が変化するための材料やきっかけのすべてが「教育」です。そう思えば、どんな話をしていても「教育」に行き着くのは必定なのです。
それにしても、朝方まで続くマジメな話ってのは素敵なもんです。爆笑が随時差し挟まれながらの。これがおざ研の理想的な使い方なんだよなあ、って素直に思えました。そして、一緒に夜を明かした人たちのことが、それまでよりも好きになったりもします。これも本当に素敵なことです。
友達が増えたり、友達とより仲良くなったりすることが、僕の至上の幸せなのですが、この場所に居着いてくれるような人ってのはみんな、どっかでそういうふうに思ってんじゃないかなって思ったりしました。
2012/12/23 日 戊午 天皇誕生日の奇跡について
高校一年生の男の子にネットで声をかけて、中野で会いました。
結論から言って、会ってよかったです。
彼は前々から僕の「木曜□」に興味を持ってくれていたようだったので、「そのうち来てくれるのかな?」と思っていました。しかし若いということもあって実際は難しいだろうし、来てくれたとしてもいきなりそういう場に足を踏み入れて「知らない人ばっかりで怖いよエーン」みたいな状態になっちゃったらお互い困るので、昼間にデートを申し込みました。人と話すことに慣れている成人なら、いきなり来てくれたって問題はないのですが、若い人だったら別です。それも、話すことがそれほど得意でない子供だったらなおさら。
やっぱり「みんなでいる場所」では、「関係」を作るのはなかなか難しいのです。初めは二人きりで会って話して、歩いてみて、「関係」を作っておいたほうが、「みんなでいる場」にも居やすくなる。
木曜□は、そこに何人の人がいようが「一対一」になることができます。もちろん「三人で話す」をすることもできるし、すごいときには「十人で話す」もありえます。そして、それらの状況がずっと続く、ということはまずありません。流動的に変わっていく、というのが魅力であって、前提です。
ただ、基本はなんといっても「一対一」で、それの応用として「三人」や「十人」の会話が可能になります。もし「一対一」に不便を感じるなら、まずはそこからだろう、と思います。もちろんさっき書いたように木曜□は「そこに何人の人がいようが『一対一』になることができ」るのだから、リハビリの場としてもちょうどいいでしょう(そういう人は実際けっこういる気がします)。しかし「怖いよー」になることはできるだけ避けたいので、ちょっと声をかけてみた、というわけです。
前置きが長くなりました。
ニコニコカレーでカレー食ってブロードウェー行きました。
で、電車でおざ研まで連れて行きました。
天皇誕生日にしてクリスマスイブ前夜ということで、人が集まる日にしていたので、あわよくばいろんな人と顔を合わせられたらいいなと。
16時くらいにはおざ研に着いていましたが、「木曜□(日曜だけど)」が開くのは19時なので、とりあえず二人で話しました。YMOとか流しながら。
「何時に帰ればいいの?」と聞いたら、「基本的には18時までに」とのことだったので、17時くらいにはおざ研を出なければならない計算でしたが、実際には21時半くらいまではいたと思います。
引き留めなかったと言えば嘘かもしれませんが、何度か「そろそろ帰ったほうがいいかな?」とは聞きました。それでも帰らなかったのは、「居たかった」ということだと思います。
僕も実は、あまり早く帰したくはありませんでした。なぜならば、子供にとって「遅く帰る」というのは、自立の一歩であると思うからです。
子供は、親に支配されています。その支配は、特に「経済的な側面」と「時間的な側面」とに強く表れます。簡単にいえば、「おこづかい」と「門限」です。
たとえば「毎月のおこづかい」というような形でお金をもらっていれば、そのお金を「自分の判断」で使うことができます。しかし「必要な時に親に申請する」という形式だと、お金の使い方は「親の判断」に委ねられます。これが子供の自立を阻むための親の方策としてあって、最近はこっちの割合が増えていってるんじゃないかと勝手に思っています。
こうした「おこづかい」の形式を変えるのはかなり難しいですが、「門限」のほうは簡単です。単純に、帰らなければいいだけのことです。怒られるかもしれませんが、怒られるだけのことです。お金は、あげなければ使うことはできませんが、外出を禁じるというのはかなり困難です。ずっと見張っているわけにはいかないし、学校など、外出しなければならない機会は、子供を普通に生活させるつもりならばいくらでもあるはずだからです。外出するたびに、門限を破ることは可能になります。
「門限を破る」が続くと、普通の親は慣れます。「ああ、そういうものなのか」と思うようになります。親にとってはさみしいことかもしれませんが、子供にとっては「自立」です。
もちろん、親を悲しませていい、ということではないので、「○時に帰るから心配しないで」と言ったり、どこで何をしているということを大まかに伝える必要はあります。(場合によってはそれをしないほうがいいようなこともあるかもしれませんが。)そして何より、親が悲しむような理由では門限を破らない、ということは鉄則です。
まあ……僕みたいなどこの馬の骨かもわからないような兄ちゃんと遊ぶなんて、ひょっとしたら「親が悲しむような理由」なのかもしれないんですけど……それでもシャブ売って乱交パーティとかよりは全然マシなわけで。いやこれは極端すぎるか。不純異性交遊よりはいいんじゃないでしょうか、親からしたら。同じようなもんかねえ?
ともあれまあ、そんな思惑もないではなくって、「しばらく帰らないほうが面白いなー」とか思ってました。
そうしたらこの天皇誕生日に、「人の力」を感じさせるような数々の奇跡(?)が起こって、それを目の当たりにさせることができて、本当によかったと思います。
奇跡というのは、「みんながいろんなものをくれた」という、それだけのことです。まな板から空気清浄機まで、「おざ研にはまだこれが足りないなー」と思っていたようなものの何割かが、一夜にして揃ってしまいました。みなさん、もう、本当にありがとうございました。
手作りのドラえもんケーキも、僕の誕生日に引き続き登場して、僕はもう泣きそうになってしまったのココロよ。
「これや! これが人の力や! 人の心の光や!」とか、わけのわからないことを言っていたような気がします。
ここでいう人の力ってのは、僕の思う希望というもの、そのものです。
おざ研の物件を借りた時は、これほどみんなの力がすさまじいものだとは思っていませんでした。自分を、みんなを、見くびっておりました。
しかし、人の力は育つのですな。太陽と水のある場所に。
若い彼に、きっと良い刺激になったと思います。
二人きりの時はよくしゃべってくれたけど、人が増えてきたら口数が減った。それが当然だし、それでいいと思う。それは「楽しくない」ということではなかったはず。そして、「ここにいたい」と思うことと、「楽しい」と思うことは違うし、「話す」ということは、また全然、違ったことだ。「ここにいる」ということに、絶対に、意味がある。そういうふうに少しでも思うのなら、いつか再びこの場所を訪れてほしい、と願います。
2012/12/22 土 丁巳 自分として自由に歌う
たらふく寝て、夕方カラオケに行きました。
自分の歌い方は、カラオケに行くたび変化していきます。楽しいです。
歌によって、だんだん自分の輪郭が見えてくるような感覚すらあります。
その歌をその歌として成立させつつ、かつ自分として自由に歌う、というのは、割と難しいですが、楽しいものです。
2012/12/21 金 丙辰 バンドと協調性
朝8時までおざ研にいて、働いて、中村一義のライブで武道館へ。
ペアでチケットを取った友達が、「行きますか?」って言ってくれたので。初めて中村一義を生で聴きました。武道館も初めてです。
最初はベースボールベアーをバックバンドに、『1,2,3』『セブンスター』『虹の戦士』『希望』をやりました。
で、これがちょっと辛かったです。僕にとっては。
曲は最高、ボーカルも当然よかったのですが、演奏が酷かった。
あれは雑音です。というのは、「楽器の音が混じり合って何がなんだかわからない」という状態だったからです。僕の優れない耳はそう感じました。
なんでそうなるんだ? と考えると、「協調性がない」という言葉に落ち着きました。悪い言い方をすれば、「自己中」の寄せ集めみたいな演奏だったのです。音と音とが協調しておらず、ちぐはぐに感じました。それで「音が混じり合って雑音になっている」というような印象を僕は受けました。ギターソロもなんだか浮いているように僕は思いました。
アレンジに関しても、CD音源をコピーしているだけのようで、それでいてあんまり心地よいリズムでもありませんでした。「グルーヴ」と呼ばれるようなものをまったく感じられませんでした。
悪い友達が「ベースボールベアーはアジカンやサカナクションのコピーバンド」と言っていましたが、なんとなくその雰囲気がつかめました。ボーカルはわりと上手だと思いますが、「情」は感じられませんでした。歌は心です。
中村一義さんの歌は、もう、「心」でした。これほど情をこめて歌える男性ボーカルは、「バンド」の世界では珍しいかもしれないと思います。声を張り上げたり、怒鳴ったりすれば「情」になると思っているような歌い手が多いように感じます。
そのあとサニーデイ・サービス(と100sの町田さん)が登場して、中村一義と一緒に『青春狂走曲』『謎』『NOW』『まる・さんかく・しかく』『ハレルヤ』をやりました。
ベースボールベアーの演奏を酷いと感じたのは、PAとか会場(武道館)のせいかな、と思ったりもしたのですが、サニーデイの演奏がとても良かったので、そうではないとわかりました。上に書いたようなことは、すべてサニーデイや、その後に出てきたバンドの音と比較してのことです。
サニーデイ、すばらしかったです。リズム感が良いのか、心地よい「グルーヴ」のようなものを感じました。『まる・さんかく・しかく』は『金字塔』でのカバーよりアレンジがよかったと思います。
くるりの岸田さんと佐藤さん(と100sの玉田さん)とは、『犬と猫』『ここにいる』『ジュビリー』『ロックンロール(くるり)』『ショートホープ』を演奏しました。
演奏はとてもよかったのですが、岸田さんのコーラスは「これでいいのか?」と感じました。確かに、中村一義さんとくるりの両方を好きな人は、「キャー! 中村くんと岸田が一緒に歌ってるゥー」とかって発狂するのでしょうが、音としてはちぐはぐだった感が否めません。僕は岸田さんのボーカルに思い入れがほとんどないので、ちょっと協調性がないコーラスだったように感じました。ギターは素敵でした。特に『ここにいる』は名演奏で、思わず震え上がりました。
100sはさすがでした。『Honeycome.ware』『ウソを暴け!』『サムデイ(佐野元春)』『君ノ声』『永遠なるもの』『キャノンボール』『ロックンロール』をやり、アンコールは出演者全員で『歓喜のうた』を歌いました。
100sは六人グループで、楽器が五つもあるのに、「協調性」が保たれていて感動しました。「これがバンドというものだよなー」と思いました。
2012/12/20 木 乙卯 木曜□のつかいかた
前夜は実家に泊まり、お父さんお母さんと仲良くして、早朝に起き、おにぎりとお茶を持たせてもらって、鈍行列車でどんぶら東京に戻った。
これも大幅に電車が遅れて、14時くらいにようやく仕事場についてちょっと働いて、19時前におざ研へ。木曜なので木曜□。
今夜もたくさんの(10人弱くらい?)方に来ていただいた。初めて会う方が二人もいた。一人は友達の友達で、ネット上でも少し付き合いがあったけど、もう一人はほとんどやりとりしたことがない人。僕の『絶対安全!原子力はつでん部』を読んでくれて、知ったらしい。
木曜喫茶でも木曜□でも、「興味はあるんだけど行く勇気が出ない」っていうのがあると思うんですよね。今回初めて来てくださった方からも、事前に「会ったことのない人が行っても大丈夫ですか?」と訊ねられた。確かに、そりゃ怖いというか、「大丈夫かな?」ってのはあるのでしょう。それをどうにか払拭して、「初めての人でも訪ねやすい場所」にしたいと思っているんだけど、どうすればいいんだろう。なにかアイデアのある方、ぜひ教えてください。
僕は、友達ができることが何より好きです。友達ともっと仲良くなることが、その次に好きです。こんな変な場所に、または変な人間に「興味がある」というのは、その時点で友達になっちゃってるようなものなので、ぜひ「もっと仲良く」なりにきてほしいです。もう、気軽に。気楽に。
その方は、日付が変わったあとにやってきて、朝8時に僕がおざ研を出るまでいらっしゃいました。すごいことだと思います。しかも、たぶん楽しんでくださっていたと思います。そういうこともあるんですね。
僕はもう麻痺してるんだけど、あの空間って実はとっても「刺激のある」場所なのかもしれない。そこに座って、誰かが話しているのを聞くだけで、楽しいような。僕もきっと、それでかつての「木曜」の常連になったんだろうな。
ついつい、初めて来た方なんかが、何も話さないで座ってると、「楽しんでくれてるかな?」とか、「誰か話しかけたらいいのに」とかって思わず気を回しちゃったりするんだけど、座ってるほうとしては、別にそれでも楽しいのかもしれないんですよね。もちろん、「もうちょっとしゃべりたいなー」とか思ってるのかもしれないけど、自分がしゃべることだけがその場の意味ではないというのは、あると思う。
場が、それだけでもう意味を持つというか。それが場の力かなってのも思う。
かつてゴールデン街でやっていた頃、とりわけ多く話すわけでもないのに、頻繁に、あるいは思いだしたように来てくれていた方もいた。僕のやっている「場所」は、確かに「人と話す場」ではあるのかもしれないけど、もっと本質を言えば、「人と顔を合わせる場」なんですよね。重要なのは実は、「話す」ではなくって「顔を合わせる」だったりするんです。
で、それほど話さないまま「顔を合わせる」を積み重ねていく間に、その人の中で何かが変わっていくという、そういうのも見てきた。ある女の子は「最初はジャッキーのところ行くのが実はちょっときつかったけど、最近は楽しくてしょうがない」って言ってくれたし、ある男の子は「自分がどうしてあの場ではあんまり話せないのがわかりました、話せるように頑張ってみます」というようなことを言ってくれた。人それぞれ、いろんな「場」との付き合い方があるようです。
そういうことをいろいろ考えていると、やっぱ「場」っつうのはすげーよなって思うのです。諦めずに、新しいの作って、本当によかった。
これからも、体力の続く限り、木曜日と、それからたまには週末に、開放しますので、少しでも興味のある方は、よかったらお越しください。鬼も蛇もいませんし、誰もが優しいですが、「過干渉」だけは、ないと思います。……基本的には。
2012/12/19 水 甲寅 結婚式行ってきました。
始発の鈍行列車でどんぶら行こうかと思っていたけど、身体は正直なもので、「起きたくない」っていう気持ちが少しでもあれば、決してその時間には起きられないものです。式は12時から、受付は11時からだというのに、起きたら9時前でした。新幹線で行って12時にぎりぎり間に合うかどうか、というところ。11時51分着の新幹線に乗れそうだったのに、品川までの電車が遅れたために遅刻が確定しました。
式場に入ると、神式で、二人の女の人が舞っていて、その前に新郎新婦がいました。「右のほうへお座りください」と言われたんだけど、「右のほう」の席が埋まっていたので、「左のほう」の端っこにちょこんと座ったら、そこは「新婦側」の席だったようで、向かいに座っていた女の子にくすっと笑われました。
こういう場合、僕はどういう行動を取ればよかったのでしょうか? 新郎側の席のほうへ行って、突っ立っていればよかったのでしょうか。そういう判断力は僕には全然ないのです。遅刻はするわ、座る場所は変だわ、ネクタイもしてないわで、やっぱり自分はこういうの苦手なんだなと思ったことです。もちろん、そういう方向に進ませているのは自分だろうとは思うのですが。
その後、出席者で写真撮影。こういう時にネクタイしてないと目立つのでしょうね。何人かの友達にもネクタイしてないことを突っ込まれて、やっぱり必要なもんなんだなーって再確認。ちょっと無理してでも着物を買えばよかったなあと思いました。正月に大須で探すかね。もしくは、鈴木先生がしているようなループタイを手に入れないと。
ちなみに、どうして僕がネクタイを嫌いなのかというと、うまく結べる自信がないからだと思います。そんなもん毎日してりゃ上手くなるってもんでしょうが、それを拒否しているのが僕だというわけです。
それからホール的なところへ移動。ご飯を食べたりなんだりする時間です。これはけっこう、肩の力が抜けた雰囲気で楽しかった。BGMに『まなびストレート!』サウンドトラックより「intermission」「ここから始まる物語」が使われておりました。僕しかわからないようなのがいくつかあって嬉しかった。もし欠席してたら、一人もわかる人がいなかったってことになってしまう。
式のあと、ロビーで1時間くらい待って、夫婦を伴って七人で一時間だけカラオケに(もう一人いたんだけどJOYJOYの前で時間切れ)。『ひとつのハートで』(超魔神英雄伝ワタルOP)をリクエストして新郎に歌ってもらった。そしたら嫁様が『ハートを磨くっきゃない』(飛べ!イサミOP)をリクエスト、新郎が歌う。続いて『夏の大三角形』も嫁様がリクエスト、新郎が歌う。最後は夫婦で『STEP』(魔神英雄伝ワタルOP)を歌ってもらって、『僕達は天使だった』(ドラゴンボールZ ED)を新郎に一人で歌わせて帰った。
彼にしてみれば、一緒に『STEP』を歌ってくれるようなお嫁さんがもらえて、本当に幸せだろうな。僕と彼とが仲良くなったのだって、高校一年生の教室で彼が『STEP』とかの歌詞を机に書いていたのを僕が目ざとく見つけたことが大きなきっかけだった気がするし、やっぱワタルってのは偉大です。
僕も『ひとつのハートで』とか一緒に歌ってくれるようなお嫁さんをもらえたらいいなと思いますよ。
お嫁さんはかわいらしい人だった。正直に言って、式で着飾ってる時よりも、その後でカラオケしたり歩いたりしてる時のほうがずっと魅力的に見えました。当たり前なのかもしれないけども。式でする格好って、そういうもんなのかもしれませんけどもね。普段の姿こそが魅力的であるような方をお嫁さんにもらうってのが、いかにも彼らしいというか、僕の友達らしいです。
さて……結婚式に出席する、ということについてですが。
やっぱり、辛い、という一言は出ます。
これが彼の結婚式でなくて、また彼女の結婚式でなければ、苦痛だっただろうなと思います。実際は、今回の式に出ていて辛くなるという場面は、いちばん最初を除いて一切なかったです。つまんない挨拶とか退屈な間とかもほとんどなくて、良い結婚式だったなと思います。
ま、しかし、それにしたって「本当にこの形式でなければいけないのか?」「本当にこの場所でなければならなかったのか?」というようなのはあります。忙しい社会人の身では、面倒くさいことは式場や業者に任せちゃうのが楽だってのがあるんだろうから、仕方ないけど。
「みんなと同じことができない」というのが僕のコンプレックスであって、それはつまり「みんなと同じでいたい」という強い気持ちのあらわれである、と思います。
実は、誰よりも「みんなと同じでいたい」と願っているのは、僕なのではないかと。
それが叶えられないから、それだけ辛い。
思わず逆のことをしてしまう。
ここまでわかったのが今回の最大の収穫かもしれません。ここまでわかれば、あとはどうにか対応できそうです。
でも、「みんなと同じでいたい」と僕が願っているというのは、本当なんだろうか? と考えると、なんとなく思うのは、僕は「みんなと同じでいたい」というよりも、「みんなと楽しく一緒にいたい」のだろうなということ。
ここが、なんかたぶん、複雑なんですよ。
「みんなと楽しく一緒にいる」ためには、「みんなと同じでいる」ことが楽な道で、だけど僕にはそれができない。だから、「みんなと同じでいる」という以外の道を探して生きているんだと思います。その結果が、「おざ研」だったりするんだろうな、とか。
「みんなと楽しく一緒にいる」ための方法が、「みんなと同じでいる」ことしかないような世の中は、きっと楽しくない。
幼稚園の時から、僕は「みんなと同じでいる」ができなくって、だけど「みんなと楽しく一緒にいる」を熱望していて、そのために悩み、迷って、これまで生きてきたのでしょう。
僕の人生の道標であり、使命であるように思っているのは、「みんなで楽しく一緒にいる」ための方法について考えることです。僕にとって「結婚式」というのは、「みんなと同じでいる」ことの一つで、だから僕は苦手なのです。これを僕がやるとしたら、それ以外の道で、「みんなで楽しく一緒にいる」にしなければなりません。もちろんそりゃ、要望があれば「ちゃんとした式」は挙げるんでしょうけど、それとは別に、何かをやらなくては。
何年か前から、「結婚文化祭をやりたい!」ってことを言ってるんですけど、それをする根拠というか、理由みたいなものが、おぼろげながら見えてきた気がします。
その際はみなさん、ご出席をお願いいたします。
今からがんばって一週間ぶん更新しますー。
長らく留守にしてすみませんでした。
みすてないで見に来てくださいませ……。
(2012/12/25 19:39)
十九日名古屋行ってます。
二十日木曜日と二十三日日曜日、木曜□(日曜□?)十九時から開けるので、みなさまよろしくお願いしますです。
これが忙しいとかいうやつでしょうか?
19日名古屋行ってきました。友達の結婚式でした。
20日仕事して木曜□でした。知らない人がきて嬉しかった。
21日仕事して中村一義を聴いてきました。
22日一日中外に出ていました。
23日今日です。中野で人と会ってから日曜□です。
25日くらいになったら少し時間できると思うので奇蹟想像力とかについても書きます。
社会人って嫌ですねえ。
2012/12/18 火 結婚式行ってきます
明日19日は友達の結婚式のため名古屋に行きます。
基本的に結婚式は断ろうと思ってるし、ここにもさんざん結婚式が苦手だと書いているのだが、そういうことを全部わかった上で「来てくれたら嬉しいなあ」と言われたので……行きます。結局、そういうことになるんですよね。うあー。
スーツを着るのが極端に苦手なので、着物でも買って、着ていこうかと思ったんだけど、ちょっと時間がなかった。あと素敵な結婚祝いも考えていたのだけど、結局手に入らなかったので手ぶらで行きます。ハァー。
せめて鈴木先生のしてるようなループタイを買っておくべきでした。いや、もう、ネクタイに関しては本当に僕は、「金田一少年の事件簿に出てくる、幼い頃首を絞められたトラウマでネクタイができなくなった人」みたいな感じなんですよ。
前も書いたけど、僕は本当に結婚式が苦手です。葬式も苦手です。なんでなのか? ってことがようやくわかりました。
めっちゃ単純なことでした。
実は昔から知ってたんだけど、目をそらしたかっただけなのだと思います。
僕は、「みんなと同じことができない自分」に直面するのが怖いのです。これは「みんなと同じことをするのが苦痛である」ということとはちょっと違います。「できない」というコンプレックスが根底にあるのだと思います。
僕はよく、あまのじゃくだと言われたり、「どうしてみんなと同じにできないのか」というようなことを、思われたりしてきたような気がします。確かにいつからか、「みんなと同じことはしたくない」と思うようにはなっていたようですが、しかしそのはじまりは、「みんなと同じことができない」だったのです。よく考えてみれば。
幼稚園でもみんなと同じことができなくて、ずっと園長先生と遊んでいたらしいです。これはお母さんから聞いたので、どのくらいの期間そうだったのかはわかりませんが、遠い記憶では、幼稚園の門をくぐることができなくって入口のところで泣きながらずっとぐずってたような光景を覚えています。
小学校でも、みんなと同じことができなくて、前半はほとんどいじめられていました。後半になって「おもしれーやつ」的なポジションを獲得したあたりから、「みんなと同じことができない」ということを「みんなと同じことをしない」にすり替え始めたのではないか、と思います。
つまり、「みんなと同じことができない」は、いじめられる対象ですが、「みんなと同じことをしない」は、「おもしれーやつ」なのです。現象としては同じことですが、印象としてはまったく違います。僕はたぶん小学四年生くらいの時にそれに気づいて、ほんのちょっとだけ舵取りを変えてみたわけです。同じようなことだけど、見せ方を変えたということでしょう。
僕はずっと、「みんなと違うこと」をしてきましたが、それは「みんなと同じことができない」からだったのです。「みんなと違うことをするのが快感」だったのではなくって、「みんなと違うことをすることの正当化として、カッコをつけていた」のです。「快感」がなかったわけではないと思いますが、しかし、いろいろと冷静に思い出してみると僕の行動は普通の「目立ちたがり」とはちょっと違ったような気がします。「目立ってしまう」から、「わざとだよ」というフリをした、というのが近いと思います。で、そのうち「目立ってしまうより先に目立ってしまおう」というふうに、「目立つ」を先取りするようになったのでしょう。そしてそういう在り方が自分にとって非常に楽であることに気づいたのでしょう。
「みんなと同じことをする」というのは僕にとって恐怖です。「できないかもしれない」と思ってしまいます。「どうせできないから、しなければならない状況から逃げる」というのが僕の発想です。塾に行かなかったのもそうだと思うし、就職活動をしなかったこともそうでしょう。その代わり、それでどうにかするためにがんばりました。
がんばれば、みんなと同じことをしなくったってどうにかなります。実力で。
ところが、結婚式と葬式だけは別ですね。
ここで僕は困ってしまっているわけです。
僕がどれだけ工夫しても、「しきたり」から逃れることはできません。
「結婚式」や「葬式」そのものから逃げることしかできません。
だから僕は逃げたいのでしょう。できるだけ。
みんなと同じことをすることへの恐怖が、幼稚園の頃から消えていないのだと思います。「僕にはどうせできないんだ」という恐れが。
でも、僕ももう大人なんだから、やってみればできるような気はします。やろうと思えばできるのに、やらないのは、ワガママです。しかし僕は、未だにやる気はありません。未だにワガママです。通るならば通るところまでは通したいと思っています。
明日結婚する友達は、ある程度まではそれを通らせてくれるでしょう。だからこそ僕は出席を決めたわけです。
たとえば僕は、「祝儀は出さないぞ! 車代も受け取らないぞ!」と言い放ちました。「いいよ」と彼は言ってくれました。「料理も本当は食べたくない!」と言ったら「それは無理」と言われました。そのあたりで僕は安心しました。実際に祝儀を出すか出さないかは別として、「出さなくてもいい」と言われることで安心しました。実際は、ちょっとリアルな額を包んでおこうと思います。明日無事に袋を買えたら。
これはリハビリだなーと思いました。いつかまともに結婚式に出るためのリハビリとして僕は彼の結婚式を利用させてもらうような感じなのかもしれません。なんか、まともな社会人の人がこれ読んだら怒る人もいそうですけど、僕はそのように社会的に未熟なのです本当に。
ただでも、僕はあんまりまともな結婚式に出る気はないです。本当にないです。本当に辛いので。しかしもし必要に迫られた時、ちゃんとできないと困るので、やっぱリハビリは必要なのかなとも思います。
よくわかりませんが明日は楽しみです。
正直言って僕は逃げたいですよ。みんなと同じことはできないので、やりたくないですよ。やろうと思えばできるのかもしれないけど、やっても楽しくないですよ。楽しくないことがデメリットだとして、メリットは浮かびませんよ。今は。でも、結婚とかするとしたら、相手方の親戚とのつきあいとかもあるんで、がんばんなきゃいけないですよね。辛いですがやります。
僕は本当に苦手ですよ。しきたりの通りにふるまうのが。
「しきたりなんてあってないようなものだよ。実際は誰も作法なんて気にしてないよ」とか、僕も思うんですよ。思うんですけど、その線引きが僕はできないんですよ。線引きというのは、どこまでがよくてどこまでがだめなのかということですよ。ジーパンで行っちゃいけないのはわかるんだけど、そのくらいしかわからないのですよ。ジーパンで行ってもいいんですかね? そういう常識が僕にはまったく欠けているので、怖いのですよ。
「祝儀は友人なら三万円とかってイメージあるけど決まってるわけじゃないから」っていうのもわかるんですけどたとえば五千円でもいいんですかとか百円出すのと何も出さないのとどっちがいいんですかとか逆に五万円出したらどんな感じなんだろう多い分には誰も困らないからいいのかなとかよくわからないですよ。極端なのはよくないとは思うし、理屈では「死ぬほど貧乏なら出せなくても仕方ない」なんだけど、それもやっぱ建前なわけなのでしょうかですよわからないです。僕は別にそこまでお金がないわけではないので出せと言われたら出せるんですけど、出せるからこそ悩みます。しかも相手は友達なわけですよ。でもお嫁さんは友達じゃないわけですよ。友達のお母さんは友達じゃないわけですよ。
ネクタイは必須なんですかね。
もうそういうこと何もわからないんですよ。昔、目上の人の結婚式に出るときにめっちゃ調べたけど、結局よくわかりませんでした。
みんなわかんないまま、通夜の焼香とかしてるわけだし、別にどうでもいいんだろうけど、どうでもいいのかよくないのかすらわかんないです。
みんなわかんないんじゃないんでしょうか。わかるんですか? わかりません。
なんか、みんなよくわかんないまま、「こんな感じでいいことになっているらしい」って、適当にいろいろやってるわけだと思うんですが、僕はそういうのがかなり苦手なのです。
もはや僕は「無難にやる」ことさえ怖いし、何が無難なのかもいまいちわからないです。明日はスーツ着てネクタイ着て革靴履いて行こうかと言いたいけどまともな革靴がないからどうしようと思うけど誰も足下なんて見てないと思うけど見てる人もいるだろうなと思うけど見られたところで別になんということもないというのもわかるけど。
あとなんですか。
二回くらいしか出たことないからわからないです。
いい年して、ばっかじゃなかろかと思うけど、これけっこうマジなんですよ。
結婚式のことになるとフニャフニャになります。
なんか、しっくりこないというか。
この世のできごとではないように思えます。居心地が……悪いというのではないけど、なんか違う世界にいる感じに、結婚式について考えただけでなります。これもリハビリしていったほうがいいんだろうなあ。
まあとにかくがんばります。今は混乱しているので、帰ってしばらくしてまとまったら何か書いてみたらまとまるかもしれませんまる。
2012/12/17 月 ジャッキーさん、ついに政治を語る(か?)
選挙終わりましたね。自民党の圧勝でした。
僕もようやく政治の話ができるようになったようです。
この12年間で、僕が唯一まともに政治について書いたと思われる文章が、「
2009/09/08 選挙前に宣言していたことremix」です。これ以外はほぼないと思います。意図的に政治について書くこと・語ることを避けてきました。
なぜなら、わからなかったので。
その態度を未熟だとか、不真面目だとか、逃避だとか思う人もいたかもしれません。そしてそれはその通りだったかもしれません。ただ僕は、2009年の9月に書いた(原型を書いたのは8月29日、衆院選の前日らしい)ようなことを、けっこう本気で思っていたらしく、3年以上経った今読み返しても、概ねは変わっていません。もちろん、今だったらこんな書き方はしないでしょうけど。
ただ3年のうちに、わかることは増えましたし、3年前に書いたことをどう修正したり敷衍していったりするべきか、ということもなんとなくわかります。
そのあたりを今日からしばらく、書いていくかもしれません。
「新世代に流行する悪しき風潮の多くは前時代の悪しき風潮の安易な克服である」
武富健治先生の漫画『鈴木先生』に登場する言葉で、3年前の僕も立派に引用しています。
民主党の圧勝から、自民党の圧勝への転換は、まさしくこれでしょう。
3年前の投票者は、「自民党はダメだから民主党」と言い、今年の投票者は、「民主党がダメだったから自民党」と言った。
これを「安易な克服」と言わずして、何か。
日本で起こる「変化らしきもの」のほとんどは、こういうものかもしれません。
>『たかじんのそこまで言って委員会』とか見て「ふーん」とか思ってるくらいのことだ。
と、3年前の僕は書いています。
この「ふーん」の内容が、ようやく固まってきました。
僕はこの番組を見て、何を思ってきたのか。
東京に住んでいる人は、『たかじんのそこまで言って委員会』という番組を見られない。放送していないから。ところが、この番組は首都圏を除くかなり多くの(ほとんど、と言っても差し支えないかもしれない)地方で放送されていて、関西を中心に絶大なる人気を誇っている「お化け番組」です。しかも、もう10年近く続いている。そういう番組は他にはないと思います。
『委員会』という番組について説明していると長くなるので省略しますが、この番組は「橋下徹」という人物を大阪府知事にした番組です。それは間違いないと思います。この番組がなければ橋下さんは立候補しなかったと思いますし、立候補していても落ちていたかもしれませんし、当選していても今ほどの影響力は持たなかったでしょう。間違いなくこの番組は、橋下さんの後ろ盾として存在しています。
そして、この番組は「安倍晋三」という人物を「圧勝した総理大臣」として返り咲かせた番組だとも思います。
選挙結果を受けて、東京に住んでいる、『委員会』を見ていない人が、「どうして安倍さんがもういちど総理大臣になれたのだろう」という意味のことを言っていました。
東京の人にとって安倍晋三さんは、「おなか痛いって言って」辞めた人です。この表現は、ずっと東京に住んでいるナインティナインの岡村隆史さんがラジオで使った表現です。ネタとはいえ、やはり東京の人はそういう認識のままなんだなと思いました。
『委員会』はずっと、安倍晋三さんを「総理にふさわしい人」というようなふうに言っていたと記憶しています。いつからそういう雰囲気があったかは調べると面白いと思いますが、今はわかりません。
実際、安倍さんは何度も『委員会』に出演していました。その度に、「やっぱり安倍さんは素晴らしい」というような感じの番組づくりをしていたと思います。あくまで僕の印象ですが、間違いないと思います。
「『委員会』が、地方での安倍さんの印象を良くした」というのは、乱暴なのかもしれませんが、僕は間違いないと思っています。そのくらいテレビの力は、『委員会』の力は、よみうりテレビの力は、強いものです。
選挙前に読売新聞の一面を毎日チェックしていたのですが、「自民が優勢」という報道が連日(毎日だったかはわかりませんが)されていました。今日の一面は、安倍晋三さんの顔写真です。満面の笑みで映っていますが、昨日の報道では「終始こわばった顔で、記者たちに『笑顔でお願いします』と何度も頼まれ、ようやく一度だけ表情を崩した」と言われていたので、たぶんその「一度だけ」のカットなんだと思います。読売新聞はどうしても、安倍さんの満面の笑みを一面にしたかったのではないかな、と思います。
よみうりテレビと読売新聞は、自民党や安倍さんが好きなのでしょう、たぶん。もしかしたら、民主党が政権を取ってから、何年もかけて、安倍さんを首相にすべく「ステルスマーケティング」を仕掛けていたのが、『委員会』という番組だったのかもしれないな、とさえ僕は思ってしまいます。
読売新聞は、選挙直前に自民党の優勢報道にかなり力を入れていました。フタを開けてみれば本当に圧勝だったのだから、その優勢報道は「真実」だったのかもしれませんが、わかりません。
日本人は、「多数派」につく生き物です。自民が優勢と言われれば自民に投票するし、民主が優勢と言われれば民主に投票します。僕は、ただそれだけのことだろうと思っています。
投票そのものについても同じです。「今回は投票率が高い!」と言われれば投票する人は増えると思いますし、「今回は投票率が低い!」と言われれば、投票する人は減るでしょう。周りの人が「投票行く!」と言っていれば行きたくなるし、「投票なんか行かない」と言っていれば行きたくなりません。そういうものです。世間とは反対の行動を取るようなあまのじゃくは、全体から見たら本当に少数です。
「投票率が高い」ということになれば、行かないと「少数派」になってしまいます。少数派になると、「なんで投票しないんだ」と責められます。それが怖いから、投票に行きます。反対に、「投票率が低い」ということになれば、「投票に行くなんて格好悪い」にもなりかねません。そういう国です。
読売新聞の優勢報道は、「優勢なんだから自民党に入れろ」というサインであって、「優勢なのでよそに入れろ」ではありません。読売新聞の思想うんぬんとは別に、受け取る側の心のしくみとして、そうなのです。
今回の「自民党の圧勝」の裏にあった(原因となった)と僕が思うものを挙げれば書ききれなくなるような気がしますが、上記のようなことも原因の一部としてあったのではないかな、と僕は思います。かなり強く。
僕は、「自民がダメで民主がダメだったんだから、その他にする」という発想がもうちょっとあるんじゃないかな、と思っていたのですが、そうでもなかったですね。いくらかあったその票は、「維新」に流れました。
維新の会は、首都圏以外を牛耳る『委員会』出身の橋下さんと、東京都知事だった石原慎太郎さん(さらに宮崎県知事だった東国原さん)が組んだので、ほとんど全国すべてが「地盤」ということになります。そりゃ、強いでしょう。ただ、小選挙区では当選者のうちほとんどが「大阪府」内の選挙区でした。しかし同時に、「大阪府内の当選者はほとんどが維新」ということにもなっていて、橋下さんと『委員会』の力はすごいものです。
「日本未来の党」は、元民主党が多かったからか議席が減って、みんなの党はけっこう増えました。共産党・社民党も減りましたね。
この、「増えた減った」ってのがまたくせ者です。僕に言わせれば現代は「答え合わせ社会」で、自分の意志や予想に反した結果が出れば「外れた」と思ってしまうのが現代人です。この「外れた」ってのは、くせ者だと思いませんか? 「外れたから今度は当てよう」に、容易になるわけですから。
今回でいえば、「共産党の議席が減る」というのが「正解」だったわけです。だから、言ってしまえば共産党に投票した人は「間違えた」のです。そういう意識が、日本人にはあると思います。
自民党に入れた人は、ホッとしたんじゃないですか? 民主党に入れた人は、ギョッとしたんじゃないですか? 共産党や社民党に入れた人もギョッとしたでしょう。みんなの党に入れた人は、ホッとしたと思います。そういう人がいたとしたら、それは「答え合わせ社会」の病です。
選挙とはなんなんだろう、と思います。ツイッターなんかではイベントとして盛り上がっていたようですが、そのあたりに関連しそうなことも3年前の僕はそれなりに書いています。書けそうだったら、今思うことも書いてみます。
2012/12/13 木 戊申 アニメは量より質ですよ。
「録画」という文化がいくら一般化していたって、深夜アニメのように、「子供が起きていない時間にやるようなアニメ」っていうのは、基本的に中高生やそれ以上の大人をターゲットにしているものだと思う。
僕は小学生までの子供に向けたアニメがとても好きだし、反対に中高生以上に向けたアニメというのは原則的に好きではない。僕の好みからすれば、深夜アニメなんてのは取るに足らないものだ。
ネットを見ていると、「うちの地元では深夜アニメがちっともやっていない」とか言って嘆いている人をたまに見る。でも、深夜アニメがやってないってのは健全なんじゃないかなあ? とか、子供向けアニメ至上主義者である僕は真剣に思う。それは有効な「フィルタリング」であるかもしれないのだ。
それから、「多い/少ない」ってことはそれほど大事なのだろうか? とも。「○○がやってる/やってない」ってのは確かに嬉しかったり悲しかったりするのだろうけど、子供はとにかくやってるものを見て、やってないものは見ない。それだけのことで、問題となるのはやはり「子供が見られる時間に放送されているアニメの質」ということにしかならないのではないか? と僕は思う。
僕は少年ガンガンという雑誌を小学一年生から読んでいて、『ハーメルンのバイオリン弾き』という長寿連載がアニメ化したときはかなり嬉しかったけれども、見てみたら原作とは似ても似つかぬ作品に変貌させられており、その上まったく面白いと思えなかったので、結局最後までは見なかった。
もしも愛知県で『ハーメルン』が放映されなかったとしたら、もちろん僕は悲しんだだろう。けれども、フタを開けてみれば別に嬉しくも楽しくもなかったのだから、この場合は別にどっちでもよかったことになると思う。むしろ、原作は大好きであるがアニメはまったく面白いと思えなかった『ハーメルン』を放映するよりも、代わりに『ママは小学4年生』の再放送をしてくれていたほうが、きっと僕にとっては良い影響があったと考えるのである。
もちろん、「人それぞれ」という言葉があるように、『ハーメルン』によって非常に良い影響を受けた子だっていたかもしれないんだけれども、「人それぞれ」を言い始めたら何もできないのだから、「よい」と信じるものをバランス良く放映していくしかないと思う。それは、地域ぐるみ、国ぐるみで考えるべき、テレビ放送の理想的な在り方だろう。
「多い/少ない」「やってる/やってない」っていうことよりも、「その地方のテレビに映るもの全体の質」を考えるべきなのでは? と、ストイックなオタクである僕は強く強く思う。
愛知県が(というよりテレビ愛知が?)本当に偉かったのは、たとえば子供向けアニメの再放送枠を平日の18時半から19時までの30分間、子供にとって最も見やすいと思われる時間に、週に5話ぶんも確保していたところだ。本来その時間に放映されるはずだったアニメは平日の午前中に移すなどの工夫をしていて、『新世紀エヴァンゲリオン』なんかが朝方放送されていたのはそういう事情だったらしい。この発想はすばらしいと思う。対象年齢層の高めなもの、すなわちオタク向けの作品は、いつやってたってチェックする人はチェックするんだし、夜更かしでも早起きでも情熱があればするだろうし、何より中学生以上なら財力と知恵とでもって「録画」という技術も使えるはずだ。ところが小学生以下の子供は、「チェックする」なんて習慣はなかろうし、寝る時間や起きる時間をあまり自由には操れないし、「録画」という技術も使えなかったりする。だから、彼らのために「平日夕方の18時半」という見やすい時間を確保してあげるのは、完璧に正しいやり方だった。三重テレビの平日18時の枠や、東海テレビの16時台の枠なんかも、名作の再放送枠として非常にありがたいものだった。
大切なのはたぶんこういうことで、「中央でやっているアニメを、できるだけ多く、できるだけ時間差のない形で提供する」ということではない。ところが、多くのオタク、すなわち中学生以上の大人たちが求めるのは、こういうことだったりする。「多く、多く」「速く、速く」と、数字になるものばっかり気にして、「全体の質」を考えない。僕はそういうのを「邪悪」だって言いたいですね。自分のことしか考えていない。
大人の事情っていうか、一日が24時間しかなくって、予算も決まりも地元制作番組もある以上、あらゆる番組を放送することはできない。アニメに限らず。取捨選択はどうしたって発生する。その中で、どのようにバランスを取っていくべきか? ということを一生懸命考えた結果が、テレビ愛知のあの方法だったんだと僕は思っている。
そりゃ、新作を放映するのは大切だ。でも、それを平日の夕方にやる必要はない。特に、高めの年齢層やオタクをターゲットにしたものであるならば。だって、部活や仕事で遅くなったら、どのみち夕方のアニメは見られないでしょう。録画する人も多いだろうから、それなら子供に。ってのは、とても優しい。
「テレビは、できるかぎり新しいものを放送するべきだ」なんてことを、誰かが決めているわけではない。それはニュースの仕事だ。娯楽として、または文化としてのテレビの責務は、「バランス良く、適切に発信すること」だとしか僕には思えない。過去のすばらしい遺産があるならば、それを次の世代、またさらに次の世代に残すことは、少なくとも新作を放映することと同じくらいには大切だと、僕は信じる。
やってないアニメがあったって、いいんだ。だからなんだ? と思えばいい。そこには「やってるアニメ」があるのだから。心ある大人が編成するなら、そこにはきっと「すばらしいアニメ」があるはずだ。そうでないなら、絶望するけど、幸いに僕が幼かったころの……少なくとも95年くらいまでの愛知県のアニメ状況は、非常に恵まれていた。心から感謝しています。(ちなみに、件のテレビ愛知の再放送枠は、96年3月29日をもって消滅します。一説にはエヴァンゲリオンが朝方に、しかも8日間遅れて放送されていたことに対するクレームを受けて、とのことですが、僕はこの説を心の底から信じています。ちなみにエヴァの最終回はテレビ東京で96年3月27日、テレビ愛知では4月4日だったようです。)
ほかの地方ではどんな感じだったのか? というのを、寡聞にして僕は知らない。機会があったら教えてくれたらとても嬉しいです。
12月13日から
木曜□本格運営です。みなさま遊びに来てくださいませ。
2012/12/10 月 乙巳 FF6と岡田淳さんとまなびストレート!
は、同一のものかもしれないのです。
結局僕が好きになるものというのは、そういったものですね。
宇宙船サジタリウスも、みんなで会社を作る話として見れば、似ているといえば似ています。
小山ゆう先生の『おれは直角』というマンガも、最後はみんなで家を建てるという筋書きだし。矢口高雄先生の『蛍雪時代』も、いい匂いのする話がたくさんあります。
そういう要素のあるものを探してくればキリがないし、よくある類型といえばそれまでですが、大切なことだと思います。
そういうことはやっぱ人と話しているとわかってきますね。
2012/12/09 日 甲辰 岡田淳さんのすすめ(改めて)
岡田淳さんの作品にはまってくれた大人はいない、かもしれない。
僕は小学校に上がるか上がらないかという頃から愛読していて、高校生くらいからは「他人にすすめる」ということを頻繁にするようになった。好きになってくれた人はたくさんいたけど、「はまった」という感じの人はまだ知らない。
小沢健二さんという人についてだったら、二十歳すぎてからとか、四十近くなってから好きになったという人はかなりいる。だけど、「大人になってから岡田淳さんを好きになって、全部買って読んだ」なんて話は聞いたことがない。(サイン会で、「子供の時に読みたかったです!」と言っていたおばさんはいた。)
そりゃ、ものが児童書だから。ということだとは思う。
この「児童書だから」ってのには、いろんな意味があるけど。
児童書というのは子供が読むもので、大人だったら、「ああ、これは良いものだから、子供に買ってあげようかな」くらいの温度で好きになれば、充分なんだとは思う。
大人に対しては、そのくらいの力しか持っていないのかもしれない。
あるいは大人は、「はまる」ということ自体を、しないのかもしれない。
子供とは「はまりかた」が違うのかもしれない。
やっぱり、大人は、難しいことを考えてしまうから、岡田淳さんの本みたいに、「おもろいんちゃうか」という道しるべで書かれたものを読んでも、ぴんとこないのかもしれない。
そういうことはよくわからないけど、僕は本当に岡田淳さんの本は素晴らしいと思う。
思うし、すばらしいと思う人は本当にたくさんいると信じている。
だから僕は今でもよく、岡田淳さんの本をすすめたり、貸したりしている。
上に「はまってくれた人はいない」ととりあえず書いたけど、僕が知らないだけで、そういう人はいるのかもしれない。あるいは大人には、「はまる」という行為は必要ないという、それだけのことかもしれない。そういう感じにならなくっても、しっかり栄養にできるというだけのことなのかもしれない。
そんなことは、そして、どうでもいい。
多くの人に読んでほしいと思うだけです。そしてよかったら、「子供」の手に、目に、ふれるところに、岡田淳さんの本を置いてほしいと願うだけです。
それ以上の「教育」はないと僕は信じています。
「大人である自分」には、それほどぴんとこなかったとしても、ぴんとくる子供は必ずいます。みんながみんな、ぴんとくるかはわからないけど、ぴんとこなかったとしたって、もし読めば、どこかに栄養は残ると思います。きっと。
それは「大人である自分」にとっても同じだと思います。
僕は実は最近なかば諦めてしまっていて、あんまり岡田淳さんの本を人にすすめていなかったんですよね。ネット上にもあんまり書いていない。その代わりに、アニメとかをすすめるようにしていました。(アニメを好きな人は多いので。)でも、諦めることはないですよね。本の力とか、児童書の力、岡田淳さんの力を諦めてしまってはいけない。なんか昨日の「同窓会」と、今日の夜に『花もて語れ』の5巻と6巻を立て続けに読んだことで、言葉の力とか、お話の力っていうのを思い出しました。
このHPを読んでくださっている人は、きっと文章を読むことが苦ではない人でしょう。よかったらほんの少しだけ時間を作って、岡田淳さんの本を何冊か読んでみてください。児童書だから、短くて読みやすくて、すぐに読み終わります。名作と言われるものは偕成社文庫というので、安く買えます。本屋か図書館に行って、ぴんと来たのを読んでくださればと思います。多くの本は偕成社から出ています。ほかには理論社というところから『扉のむこうの物語』というのが出ていて、少し長いですが、名作です。同じ理論社で『こそあどの森』シリーズというのがあって、こちらもすばらしいシリーズです。その他にもいろいろありますので、興味があったら調べてみてください。ただ、Wikipediaは書いてないものが多くって、あてになりません。
今から「同級生」になることはできないのかもしれませんが、そんなこととは関係なく……。ぜひ、未来のためにも、何冊か読んでみてくださったら、嬉しいです。気になることがあったら、メールなどでお問い合わせいただければと思います。
2012/12/08 土 癸卯 僕たちは同級生だった
あまりに美しい。とまず言いたくなるような日だった。
八つくらい年下の人と友達になった。
その人は岡田淳さんの熱心な読者だった(ぼろぼろになった『はじまりの樹の神話』を持っていた)ので、勇気を出して話しかけてみたのだった。
気がつけば五時間も六時間も話し込んでしまった。
主に子供の本の話で盛り上がった。よく読んでいて驚いたけど、考えてみれば僕も中学生くらいまでにはかなりの量の児童書を読んでいたと思うので、同じようなものかと思う。ほかにはドラえもんや宇宙船サジタリウスを好きだ(またその温度がよかった)と言ってくれたり、飛べ!イサミも見ていたという。サジタリウスはBS2の再放送で見たらしいけど、僕も同じものを見ていた。なんて巡り合わせだろう。
考え方もしっかりしていて、とか、褒めるんだったらいくら書いても足りないけど、書きたいのはそういうことじゃない。
二人で話して、最後は「僕たちは同級生だったんだね」っていう話になった。
岡田淳さんという先生に教わった同士だったんだなって。
ドラえもんやサジタリウスでもあるけど、なんといっても岡田淳さん。
共通して、根底に、岡田淳さんの作品があるっていうことの安心感は、小学校の同級生とか、そういう次元のものに近しいと思う。岡田淳さんって小学校の図工の先生でもあるし、僕たちは岡田淳さんの作品の中で一緒に小学校生活を送っていたようなものだったから、なんだか本当に教え子っていう気分がある。
年齢とか、出身地とか、あらゆるものを越えて、岡田淳さんに大切なことを教わっていた。すてきなものの詰まった、図工室のような作品の中で。
話しているとまるで同窓会のようだった。
想い出を語るように話し合えた。
いや、それは本当に想い出なのだ。僕たちにとっては。
作品の一つ一つがかけがえのない自分の経験だから。
小学校に上がるか上がらないかという時から、ずっと親しんできた岡田淳さんの作品は、本は、本当に自分を構成する小さな細胞の一つ一つにまでしみわたっているように感じる。
幸せです。
ありがとうございました。
2012/12/07 金 壬寅 □本格運用へ
なんと、昨日のうちに椅子が十個以上届いてしまいました。
プレオープンは椅子が埋まらないくらいのゆったりとした雰囲気でしめやかに執り行われました。来週からは本格運用するので、みなさま気軽においでください。
まだみんなにメールしたりしていないので、急がないと。
2012/12/06 木 辛丑 第1回木曜□
2012/12/06 18:30に
おざ研開けます。
お店ではなく、寄合です。
場所に奉納するお金だけかかります。
1000円だけ握りしめてきてください。
飲食物ほかは持ち込みです。
余裕のある人はおみやげを。
2012/12/02 日 丁酉 まなびストレート!上映会
高円寺で催された『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』を上映する会に行ってきた。
参加者は12名、二次会的なものから参加された方がさらに2名。そのうち半分以上は7月に行われた新文芸座でのオールナイト上映やその直前にサイゼリヤでやったオフ会で顔を合わせている。その時に参加したのが10人くらいだから、少し増えてるし、リピート率も高い。同じアニメを、わずか数ヶ月おいてまた全話見ようっていって、これだけの人がリピートするってのは本当にすごい。さすが『まなびストレート!』だ。
高円寺のカラオケ店で11時から全13話上映して、17時半頃にまなびを制作した会社「ufotable」の前まで歩いて、また駅のほうへ引き返して第6話で登場する「ミスド」のモデルとなったミスドへ行って、閉店(23時)までカフェオレとオールドファッション(作中で登場人物が頼んでいたと思しきもの)を食べながらお話しをした。終電のある人は帰って、僕を含めて帰らなくても別にいいような人が5人で中華料理を食べた。午前2時すぎにお開きになった。
そのうち4人は高円寺から新宿まで歩いて、おざ研をお披露目した。それで朝まで。僕は10時くらいまで起きててそのままお仕事。
ところで「あ君」という素敵な友達が一晩中ウィスキーばっか飲んでてクズだなと思った。高円寺から新宿まで歩く間も、コンビニで買ったトリスをひたすら飲んでた。おざ研に着いてからもとにかく飲んでた。最終的にはトリス180mlをひとびんと、メーカーズマーク750mlを半分くらい飲んでた。そいで今まで見たこともないくらい酔っぱらって、帰り道には知らない女の人の後ろを変なポーズで追いかけたりしていた。
彼は肉体的な快楽を我慢することができない性質らしく、いろいろとクズなのだけど、彼ほど話をしていて楽しい友達もなかなかいない。感覚においても思考力においても僕は一目置いている。(しかし酒が入ると女の子の口に指を突っ込んで出し入れしながら暴言を吐いたりするらしいからよくない。)
そういうわけで10時くらいまでひたすら話をしていた。仕事があるので寝たほうがよかったのだが、それを考えても実りのある話だった。
彼は『まなび』を第四話のラストあたりからリアルタイムで見ていて、二週目を見たのはなんとこの7月だったらしい。で、三週目が今回。という感じらしい。ちゃんと確認したわけではないので、リアルタイムで見てから7月までに一回くらいは見ているのかもしれないけど、だいたいそんな感じのようだ。
それで彼は、「数ヶ月の間に二回も『まなび』を見直して、だんだん好きになっていった」というような趣意のことを言っていた。
『まなび』はいわゆる「スルメ」のような、噛めば噛むほど、見れば見るほど、考えれば考えるほど味が出てくるアニメだと思う。
今の人はスルメを食べないし、スルメのようなものを愛でることが得意ではなくって、「熟成する」とか、そういう感覚もあんまりないのかもしれない。
同じものを何度も見る、っていうのは、とても大切なことだと思うんだけど、アニメファンの口から出てくるのは「今期」って言葉ばっかり。つまり「今やってるアニメを追うこと」が第一になっている。ジャンプ読者でも同じ。僕は「今期アニメ」も「ジャンプ」も一切見ない。もちろんアンテナを張り続けることは大切だと思うから、気になったらとりあえず少し見てみる。そこから継続して見続けるということは、ほとんどない。
新しいものは一切見ないのかといったらそういうわけでもなく、漫画ならどんどん好きなものは増えていっているけれども、アニメの場合はもう、『まなび』からの6年間は何にもない。何かあったら教えてほしいです。
将棋の羽生さんが、「今は昔よりも『読める手の数』は減ってしまったが、『読まなくてもいいと判断できる手の数』は増えている」とか、そういうようなことを言っていた。だから全体としては強くなっているということだと思う。僕もそういう感じで、昔はどんな漫画でもアニメでもとにかく摂取しまくっていたけど、今はもう「見なくてもいいや」っていう判断がものすごく増えた。かつては「とりあえず見てからものを言おう」くらいのことは思っていたりしたんだけど、それはもうほとんど時間の無駄なのではないか、ってくらい直観が磨かれてきている、と思う。(それでもたまには間違えるのだろうから、完全に否定したりはしないようにしている。)
直観は磨かれていく。そのために二十何年間も、ひたすら何でも食いまくった。『まなびストレート!』も、ほぼ直観的に「これは!」と思って、それから6年間、スルメのように十何回も噛みまくり、今や狂ったように愛している。『まなび』を見抜いたことによって、僕は自分の直観を信頼できるようになったのかもしれない。『まなび』以来本当に、アニメはほとんど見なくなってしまった。
みなさんもぜひ一度『まなび』を見てみてほしいです。
2012/12/01 土 丙申 協働と信頼のカウンター作り
昨日(30日)、「寄り合い」用の部屋を正式に契約して、鍵をもらった。寸法だけ測って帰った。
今朝9時半、近所に住んでいるひろりんこ君にクルマを出してもらって、まず中野のホームセンターへ。
記念すべき初日は、まずカウンターを作ろうというのである。カウンターはこの部屋の「顔」だと思うから。
僕の愛している『まなびストレート!』というアニメの第二話で、こんなシーンがある。高校二年生の女の子、まなび、みかん、むっちー、めぇの4人は、ごちゃごちゃとモノの溢れた混沌たる生徒会室を、「秩序」というスローガンのもとに空っぽにする。すっからかんになって見違えた生徒会室に対して、生徒会長のまなびが提案したのは「リフォーム」だった。まなびたち4人と報道部のももは、トラックでホームセンターに乗りつけて木材や工具、塗料などを買いこみ、学校に戻って「カフェ」をテーマにリフォームを始める。が、人手が足りなくて思うようには進まない。その時にももは、全校にテレビ放送でリフォームの様子を映し出し、まなびにインタビューを行った。
「どうして生徒会室が、カフェなんですか?」
たまり場……。たまり場を作りたかったんです。はい、えっと、まず、みんなが集まって、楽しくできる場所を作ろうと思って。せっかくだから可愛いオシャレな場所のほうがいいかなって。だからここは、学園みんなのたまり場なんです。ここは、この学園が大好きだったら誰でも大歓迎なカフェです! 生徒会役員じゃなくてもオッケーです。運動部の子も文化部の子も、帰宅部の子も用事がある子も用事がない子も、いつでもどんどん遊びに来てください! おいしいお菓子と、飲み物を用意して待ってます。私たちと、学園の話をしましょう! それで、みんなで一緒に毎日を、わくわくきらきらにしていきましょう! そしたら、もっともっと学園が楽しくなって……うん、「まーっすぐ、ゴー!」
この放送を見て、生徒たちは続々と生徒会室に集まってくる。大道具製作に慣れた演劇部、重いものを運べる柔道部、お花を持ってくる園芸部、手芸部、電気屋さんの娘など……それぞれがそれぞれにできることで協力して、みんなで生徒会室のリフォームを完成させる。
『まなびストレート!』の第二話を、味気なく、細部をごっそり省略して説明すればこんな話で、僕は今回、カウンターを作るにあたってどうしてもこれがやりたかった。
「これがやりたかった」なんて言ったら、オタクのごっこ遊びみたいだ。もちろんそれもあるけど、それはけっこう素敵な遊びだし、「これ」を通じて生まれるものは、「真似したことに対する満足」だけではないと、わかっている。
僕の人生は、『まなびストレート!』によって決定されたところがかなりある。「変えられた」でも「影響を与えられた」でもない。「これでいいはずなんだけど、いまいち自信が持てないな」と思っていたところへ、力強くエンターキーを押されてしまったような感じだ。
僕という人間や、その生き方は、『まなび』を見る以前からほとんど固まっていた。手塚治虫と藤子不二雄と岡田淳で育って、小学四年生くらいまでのところでだいたいのことは決まっていたはずだし、その後もその本線から外れることなく、少しずつ足腰を強くしてきた。
僕の本当に大好きな漫画家さんで、『ディスコミュニケーション』の植芝理一先生、『あまいぞ!男吾』のMoo.念平先生、『友達100人できるかな』のとよ田みのる先生という方々がいて、彼らがなんとこの春、藤子不二雄ファンによる同人誌『Neo Utopia』へ一斉に寄稿するらしい。ああ、僕の心から愛する先生方は、みんな藤子不二雄の子供たちであって、その魂を正しく美しく受け継いでいて、だからこそ僕はこんなにも好きになって、そして今こんなにも素敵なタイミングで藤子不二雄先生の絵を揃って描くというのだ。
そしてその藤子先生も、手塚治虫の子供たちなのだから、本当に多くのものが線でつながる。そういう意味ではまったくブレずに生きてきた。
これがレールの片側だとしたら、もう片側には愛してやまない『宇宙船サジタリウス』があって、サジタリウスで原画を描いていた武内啓さんはその5年後に僕が最も深くはまりこんだアニメである『絶対無敵ライジンオー』のキャラクターデザインとメインの作画監督を担当した。そしてその武内さんの仕事はさらに後、『まなびストレート!』のデザイン等に少なからぬ影響を与えている。こういったレールの上を僕は生真面目に走り続けているのだ。深く中枢に「丸顔」という真理を抱きながら……。(丸顔にあらずんば顔にあらず、なんて冗談を真顔で言ったりしているので、そろそろ誰かに怒られるかもしれない。)ちなみにMoo.念平先生とディスコミュニケーションの頃の植芝理一先生は完璧な丸顔を描いております。藤子先生・手塚先生は言わずもがな。
とか言ってたら、Moo.念平先生が奇しくも
まっすぐGO!してる写真を見つけてしまいましたよ。まったく、こういうことがあるんだ。僕はもうこの線上でしか生きることはできないらしい。
参考:まなびのまっすぐGO!
そういうことだから、この「本線」から外れた生き方を僕はしない。『まなびストレート!』は、まさに「本線」そのものであって、「あ、やっぱこっちでいいんだ」という確信と安心、そして前進するための動力を与えてくれた。「あー、ぜんぜんやっぱこの線でいいんじゃん、すべてにつながるじゃん」って。
無銘喫茶で「木曜日」をやれなくなって、僕はいっぺん急停止せざるを得なかったんだけど、目の前にはまっすぐの線路が続いていて、「こっちだよ」って言ってくれてた。(毎度同じことを書いてて申し訳ないけど、僕にとって今っていうのは本当に重大な時期なのだ。)
だからすぐにまた走り出して、自分でも驚くくらい早く行動ができたし、「椅子買ってくれ」なんてワガママも言えた。「椅子買ってくれ」って、信頼がなけりゃ言えないよ。3150円以上もするんだし。だけどやっぱ、「今までのことを思い出せば信じられる」っていうか、「ここで甘えることができなかったら、君の想い描いている場所は完成しないんじゃないの?」って、本線走ってた自分が後ろから言ってるんだよね。なんか詩的に言うと。だから、怖いけど「信頼」を投げてみたんです。自信があるわけじゃなくって、信頼を投げない限り信頼って絶対かえって来ないから、っていうことなんだと思う。綺麗に言えば。
友達の車でホームセンター行って木材とビス(ねじ)買って、インパクトドライバーで組み立てて、っていうのも、なんか「信頼」のためだったような気がする。まずカウンターっていう顔を作らなきゃ、何も伝わらないなって思った。特設ページで写真を見てもらえばと思うけど、けっこう頑張って作った。最初はもっと簡素なものにしようと思ったんだけど、やっぱできる限りのものを作らないと、「椅子買ってくれ」なんて絶対言えない。限界は仕方ないけど、手抜きはいけない。そういうちっぽけな信頼を投げたって、返ってくる信頼も知れているんだ。
お手伝いには、全部で4人きてくれた。木材を切るのとビスを打つのは責任持って僕が全部やったけど、パネル支えてもらったりとか、一緒に配置や構造考えたりとか、僕一人じゃ絶対にできなかった。こうやって「みんなでやる」を実践することって、とても大切で、特にこれから作ろうという場所のためには絶対に必要だった。
僕の座右の銘らしきものはちょっと長くって、「自分でやれることは自分でやる やれないことは友達に相談する それでも駄目ならお金を使う」ってので、いけるところまでは自分と、仲のいい友達の力で、ってのが基本。それは『まなびストレート!』でも第二話とか第十話(「集う仲間たち」)をはじめ、至る所で描かれている。
形としては『まなび』を模倣するような形になったけど、それは結果としてってことでしかなくって、だってそれ以外に選択肢なんかないもん。だったらせっかくなら「まなびごっこ」みたいなの意識しようよ、っていうぐらいなんだ。
木材をのこぎりで切ったり、ビス打って組み立てるのは本当に楽しかった。頭寄せ合って、ベンチの上で図面書いたのも、とてもよかった。ああでもないこうでもないと知恵を巡らせながら少しずつ、歩くように完成に近づいていく感覚は、とても着実で楽しかった。手伝ってくれた友達、本当にありがとう。
カウンターを作って写真をアップしたら、「すごい!」って多くの人に言ってもらえた。それと並行して、「不要な本棚があるので持っていきます」とか、「キッチン用品余ってるんだけど」とか、「すでに椅子送りました」とか(!)、そういう声もたくさん届いた。これって本当に『まなびストレート!』と同じだなと思う。「リフォーム」は本気で、本格的に、全力でやったからみんなの協力が得られたんだし、第四話で作るプロモも、がんばって作ったからみんなの歓心を買ったんだし、署名運動だって学園祭だって……。『まなび』には、「手を抜かない」ってことの大切さを改めて感じさせられる。
それと、「一日でやる」ってこともかな。『まなび』っていうアニメは、作中で一度作業が始まるとそのまま真夜中や朝までそれをやり続ける、っていうシーンがとても多い。「この勢いを、そのまんま、行けるところまで!」っていうのは、まさに第三話のタイトルである「月曜日じゃ遅すぎる」ってやつ。「この熱を大切にしたい、この熱をもってやるからこそ、できあがるものがあって、それは絶対に素敵だ!」っていう確信。いや、っていうか、単に肉体と精神の躍動が、「もっとやりたい、今日やりたい、明日じゃダメなの!」って告げる。
だからカウンターも、木材見て、図面引いて、木材買って、運んで、組み立てて、っていうのを一日でやった。完成度が高いかっていうとわからないけど、一日でやったことには大きな意義があったと思う。そうやって作ったカウンターには、「入居初日の熱」ってのがちゃんと宿るはずなのだ。
そういう感じの一日で、昼はとんとん拍子なる店で日替わり定食を、夜はシディーク百人町店でカレーを食べました。
丙申 カウンター作り
詳しくはあとで(眠い)
とりあえず↑にあるおざ研のページは更新したのでみてみてください。
椅子をねだっています。
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