少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2012/11/30 金 乙未 元気玉椅子

 椅子がほしい! って言ってたら、「みんなに買ってもらえばいいじゃん」的な内容のメール(乱暴な要約)が来たので、それもいいかなーと思っている。
 元気玉的なことです。
 Amazonとかで、2000~3000円くらいの椅子を指定して、買って送ってもらうという。それでどのくらい集まるのか知りませんが、やってみるのも面白いかなとは思います。やっぱ、面白さが大事だと思うので。あと、みんなでやる感じというか。そのほうが楽しい。
 詳細は考え中ですが、週明けくらいには何らかの答えが出ているとよいな。引き続き意見や、「こんな椅子がよい」など、お待ちしております。

2012/11/29 木 甲午 日なたで眠る猫

 こっそりとリンクページ更新しました。
 cotonecoさんという方のページを増やしたのですが、なかなか気合いが入っていますね。彼女は中学生くらいの時にもサイトをやっていたそうで、鮮やかな出戻りです(サイト自体は以前から持っていたようですが、テキスト中心のものを公開するのは久しぶりなのだと思います)。
 6年半も前に名古屋で出会って、恐ろしいほどの偶然が重なってつい1年くらい前に再会しました。それは本当に、海底から浮かんできた亀が浮木のうろに顔を突っ込むような偶然だったわけですが、何よりもすばらしいのは、彼女の感性が素敵であるということです。ほとんど言葉を交わしたでもなかったのに、5年間も僕のことを好意をもって覚えていてくれたというのは、本当に勘がいいのだと思います。
 6年半前、彼女は小沢健二さんを好きというわけではなかったようですが、再会する頃にはすっかりとりこになっていました。これは僕が最近たびたび言っている、「会わなかった時間に熟成する」というやつでしょう。

 出会った時、僕のことは「ちょっと気になる」くらいだったのでしょうが、どうして「気になる」になったのかといえば、僕の容姿だか人格だかに、何か惹かれるものがあったからだと思います。それがなんだということはともかく、結果としてたとえば「小沢健二さん」ってところに行き着いたというのは、とても偶然とは思えません。何かを感じたから気になってくれたわけですが、それは「小沢健二さんのことを好きになるような感性」だったのかもしれません。
「小沢健二さんのことを好きになるような感性」を僕はけっこう大事にしています。いま僕が主に働いている仕事場では、ほとんどの人が「小沢健二さんを好きになるような感性」を持っています。だからと言っていいのかわかりませんが、仕事上のストレスというのはほぼありません。楽しいです。(今日は環境学→犬→LIFEの順にBGMが流れています。)
 もちろん……小沢健二さんを好きな人にはいろんな人がいますから、一概に「小沢健二さんを好きな人はすばらしい」なんてことは言いませんし、好きじゃないからと言ってなんだということでもないです。しかし、「あの人のことが、こういうふうに好きである」というところで共鳴した時の喜びは、僕にとって実に巨大なものです。

 こういうことがあると、人生は生きるに値する、ということを思います。僕を前向きに生かす動力の一部となってくれたcotonecoさんには心からの感謝を、巨大かつ不気味なキスと共に捧げたい。どうも有難う。

2012/11/28 水 癸巳 場所の経過

 場、順調に進んでいます。明日お金を払う予定です。
 莫大なお金が飛んでいきますよ。
 詳しくは未定だけど、2015年の夏だか秋くらいまではやれると思います。逆に、それまでに出て行くとなったら違約金を払わなければならない(かもしれない)。
 三年弱でいくらぐらいのお金が動くのか……ちょっと大変な額になってきます。ので、まあ、向こう三年くらいは僕に優しくしてください。金銭的に。
「名古屋人は貯金が好きだけどよ 経済に明るい証拠だでよ ほだよ」なんて、山本正之先生は『名古屋はええよ!やっとかめ』で歌っております。僕も別に、貯金が好きなわけではないですが、気づいたらとりあえず物件を借りられるくらいには貯金がありました。まだまだ僕は名古屋人です。その後は、おざ研にどのくらい人が集まるかにかかっております。

 熱は散らばっていく……なんてよく言われたもんですが、まさに本当にその通りで、情熱は失われていくのです。散逸します。それが一つは怖いです。
 また、アニメでも漫画でも映画でも小説でも、「続編やれー」って声が高まると続編は作られるのですが、「続編つまんねー」とかなって、「やんないほうがマシだった」になったりもしますね。そういうことにはやっぱ、したくはないです。そう思う人は多少いるかもしれないけど、それで誰も来なくなるようなことがあっては、困る。まあ、僕はそうならないように動くので、そうはならないと思うけど。
 だいたい、バーだった頃だって、一晩に五人くらいしか来ないような時期は平気であったんだもんな。十時くらいまで一人ぼっちとか、ざらだった。この二年間くらいはそういう日はほとんどなかったです。最初はまあ、多少こけても、そのうち安定してばいいな、という感じで、緩やかにやっていきます。
 まあ、みなさん、できるだけ来てください。

 昨日、その「場」の名前について書きました。そしたら掲示板にたくさんのご意見がきて(嬉しい! 掲示板に書き込みがあると嬉しい! 掲示板に書き込みがあると嬉しい!)、その中の一つに「名前はとりあえずなくっても、そのうちできるんじゃねーの」的な書き込み(乱暴な要約)がありました。うーんなるほど、確かに考えるようなことでもないなー。部屋そのものに関しては「尾崎教育研究所」とかいうふざけた正式名称があるんだから、とりあえずこれでいいかもしれない。
 あと、忘れてたのは「木曜会」。夏目漱石が木曜日に自宅へ教え子やら弟子的な人らやらを集めてやんややんやしていた、その会の名前。ま、これはいろんな人がすでに使っちゃってるから、あえて正式名にはしないと思うし、そんな偉そうなもんでもない。
 ほんと、なんでもいいですね。個人的には木曜□で、読み方ナシってのをひとまず表記としては使えばいいような気がしてる。木曜日とそっくりで、一本抜けてて、悪くない。

 明日、うまくいけばカギがもらえますので、12/1の土曜日にかんたんにお披露目兼、会議をしようかなと思っていたりします。暇な人、部屋が見てみたいという人はご連絡ください。メールフォームとか、ありますので。時間とかはまだ決めていませんが、午後から夜にかけてくらいだと思います。

2012/11/27 火 壬辰 新しい場の名前を空き地にはできないので

 名前についてずっと考えています。
 なんのといえば、「新しい場」の名前です。
 おかげさまで昨日内覧に行って、今日無事に申し込むことができました。あとは審査ですが、これは心配しなくてもよさそうです。ただし、この期に及んでも何が起こるかわからないというのが人の世なので、安心はしておりませんが……。
 さて名前。僕が考えるべきなのは、二つの名前です。
「部屋そのものの名前」と、「木曜日の集まりの名前」。

 部屋の名前は、さっき社で会議してなんとなく決まってしまいました。「尾崎教育研究所」、略しておざけん。あほくさいけど、なんか笑いながらしゃべってたらこれしかないなーって気になってきました。
 ま、でもこれは表向きというか、固いほうの名前。

 固くないほうの名前(通称?)はどうしようかっていうところで、僕がやるんだからやっぱり、場の持つ意味としては「原っぱ」とか「空き地」なんですよね。でも、それをそのまま名前にしてしまうと、「BAR 秘密基地」みたいな究極のつまんなさに陥る。「BAR 秘密基地」って、本当にありそうだから笑っちゃう。ってか今検索してみたら「秘密基地」を掲げてる飲み屋とかってやっぱいくらでもあったよ。これほどつまんないことってないでしょう。「僕たちは子供の心を忘れていません!」っていう精一杯のアピール。「大人になりたくないとつぶやいている大人 子供に戻りたいとつぶやいている子供」って歌詞がSOPHIA先生の『せめて未来だけは……』にあるけど、「BAR 秘密基地」とか言っちゃう、大人としても子供としても完璧に偽物であるような人間ではありたくないです。

 だから、意味としてはもう、意識の上ではそれこそ、原っぱとか空き地でしかないんだけど、それを掲げることは僕にはできませんよ。
 だって僕は、藤子・F・不二雄ミュージアムに「いつもの空き地」が再現されるって聞いて、心の底から激怒した人間ですからね。腹が立つっていうか、なんでそんなに心の悪い人間が多いのかって。
「いつもの空き地」を再現します、って、それをしちゃったら、「この空き地はもう日本中のどこにもありません」ってことを言っちゃってるようなもんでしょう。しかも、ミュージアムって「博物館」だかんね、「博物館」に収められちゃったら、日常生活からは完全に消えちゃうっていうことです。「こういう空き地っていいよね。昔はそういうのもあったのかもね」っていう郷愁にしかならない。そんなくだんねー状況に『ドラえもん』っていう名作が置かれるのは、僕にとっちゃたまったもんじゃねーっすよ。
 しかもその「空き地」のあり方が、なんだかねえ。住宅街の真ん中にでも土地買って、そこに土管だけ置いて、「子供たちが自由に遊んでいい場所です」って言うんだったら、それは素敵な「再現」かもしれない。でもなに、あの感じ。人工的な鑑賞物になってる。子供だましでしょう。「子供を騙す」って、罪深いと思わないのかね?
 そもそもデザインがちっとも「再現」なんかじゃない。柵で囲ったコンクリートの真ん中にわざとらしい土管が置かれているだけ。あれで子供が喜ぶのか? いや、喜ぶんだろうよ。喜ぶからこそ、罪深いんだよ。バカ!
 そんなこともわかんねーやつらの作った博物館なんかに行きたくない。だから行ってないし、行く気もない。

「そういうことじゃない」んですよ。
「空き地やります」でも「原っぱやります」でも「秘密基地やります」でも、なんでもそうなんだけど、へたな「再現」は罪を作るだけです。違うものなんだから。どう頑張っても同じものはできないんだから。「その空き地」は「その空き地」で、ほかのところに作っても贋作ですよ。
 具体的なものをイメージして、「同じものを」って思うから、駄目なんです。大切なのは概念です。「それがどんなものであったか」「どんなところが素敵であったのか」を考えて、それを別の形で表す。「いま、ここでやるとしたら?」を考えて、それにふさわしい細部を作っていく。
 そうでなくてはいかんので、僕は「空き地」という看板を掲げることができない。そもそも、恥ずかしいしね。そんなもん。

 だけど、それでも僕の考えは「空き地や原っぱという概念」から離れないのです。近所の公園でも、ドラチャ(ドラえもんチャット)でも、木曜喫茶でもそうなんだけど、僕が二十年かけて求めてきたものって、それなんだから。だから、名前にもそれを反映したものがやっぱりほしくなる。
 そこで啓示のように降りてきたのが「くうち」という言葉。くうちって何かっていえば、「空地」と書いて、空き地のことをさす。なんだよ結局空き地じゃんってことなんだけど、「くうち」って読むと、法律とか不動産とかで(たぶん)使われる、固いイメージがある。ふーん、「くうち」ねえ。名前としてはどうかなあ。いまいちな気もするなあ……って数日間ずっと思ってたけど、そのほかに意識が行かない。困った。
 空き地が子供のものならば、大人のものであるような空き地的概念の場所はなんだろう? それって「くうち」以外にあり得るか? ってところで、僕の思考は止まっている。木曜に開かれるくうちだから木曜くうち。うーん。どうかなあー。
 もっとも、その名前にしたからといって、その名前が大きな意味を持つわけではない。木曜喫茶だって、一応そういう名前ではあったけど、みんな「むめー」とか「もくよー」とか言ってたし。だから誰も「くうち」とか言わなくたって別にいい。馴染みの公園の正式名称を知らずに遊んでいる子供たちなんかいくらでもいるんだから。「ジャッキーんとこ」「おざけん」「くーち」「木曜」……それこそ「あきち」って呼んでもらってもかまわない。なんかいいアイディアないかねえ。□って書いて実は空き地って読ますとかね。そんなんでもいいし。あ。これけっこういいのかもな。
 名前を考えるのっていろいろ楽しいですけど、すっげー責任が重いことでもある。もし意見あったらなんでも、きたんなく、くださいね。

2012/11/26 月 辛卯 アイドル嫌いのそのわけは

 昨日の続き。
 アイドルとは、「不特定多数の人から、どんな愛情を注がれてもよいとされているもの」であるという話に戻る。
 それを生身の人間が引き受けるというのは、あまりにきついと思う。
 でもその「生身の人間」は、「たくさんの人から愛情を注がれる快感」とか、権力欲、名誉欲、金銭的な満足、などなど……によってその「きつさ」ってあんまり感じなくなっていくんじゃないかなと勝手に推測する。
 だから特に文句も言われず、これまでアイドルという文化は生き続けてきた。大スターだったけど結婚してあっさり引退して、その後まったくメディアに登場しない山口百恵さんみたいな人の話はあまりきかない。

「不特定多数の人から、どんな愛情を注がれてもよいとされているもの」であるアイドルが、「特定の人と、特定の愛情を育む状況」になったら、どうなるんだろうか。山口百恵さんの場合はあっさり「そいじゃ、特定のほうで」ってなったんだと思うんだけど、松田聖子さんはちっともそうはならなかった。この違いって、なんなんだろ。
 時代かもしれない。たとえば畑田国男さんっていう人は百恵さんから聖子さんの転換について、「姉の時代から妹の時代になった」っていうことを言ってる。そういうのはあるだろう。
 何にしても、現代っていうのは「不特定多数の人から、さまざまな愛情を注がれる」という状況が、「特定の人と、特定の愛情を育む」ということとそれほど矛盾せず、普通に受け入れられているんだと思う。
 木村拓哉さんが工藤静香さんと結婚して、二人とも「半分アイドル」みたいな顔をしながら生きてるっていうようなのが象徴的なのかもしれない。小倉優子さんでも、木下優樹菜さんでも、未だにきっちりアイドルみたいな顔をしている。

 しかしアイドルの中のアイドルであるAKB48は違う。ほかのアイドルグループだって同じようなもんだが、AKB48は頑なに「恋愛禁止」を標榜し続けている。恋愛がバレて発狂するファンもいる。大部分の消費者は「ま、そういうこともあるでしょ」くらいに思ってるんだろうけど。
 AKB48がアイドルの中のアイドルであるっていうのは、「不特定多数の人から、どんな愛情でも注がれてみせます」という態度がはっきりしているからだ。握手会をやるっていうのは、「どんな人とでも握手してみせます=どんな愛情でも受け入れます」ということだから。
 だからAKB48はアイドル市場において他の追随を許さない圧倒的な人気がある。「会いに行けるアイドル」は、「自分だけのアイドル」じゃなくって、「みんなのものでいてくれるアイドル」で、だからこそアイドルの中のアイドルなのだ。
 オタクは基本的に「他人と関係を持つ」ことが苦手なので、アイドルにはそうであってもらえないと困る。「どんな愛情でも受け入れます」という姿勢をはっきりさせてくれないと、「拒絶されたらどうしよう」という不安にオタクは勝てない。AKB48は「絶対に受け入れます」という姿勢がはっきりしているから、オタクも安心して応援できるわけだ。
 たぶん、そういうアイドルがここんところいなかったから、みんなは「アニメ」のほうに行ったんじゃなかろうかって思う。アニメキャラは原則として、「受け入れます」という姿勢でいてくれるから。拒絶を極端に恐れるオタクにとってそれほど安心できる存在はない。
 ここ十五年くらいのアニメ美少女の異常な人気は、そういうふうに説明できると思う。

 しかしAKB48というのは「生身の人間」であって、「普通の女の子」なので、「不特定多数の人から、不特定な愛情を受ける」ことはどう考えても負担だ。それを麻痺させるために多忙さがあって、総選挙があって、握手会があって、必ず売れるようなCDを出す必要がある。「名誉」がある。
 非常に危うい、しかしよくできたバランスの上で運営されているのがAKB48だ。

 アイドルにそれを求めるか、アニメにそれを求めるか、ほかのものに求めるか、どういう状況が健全なのかといえば、「何にも求めない」でいいんじゃないかと僕は思うんだけど、そういうわけにもいかないらしい。自分勝手なやつらは、自分勝手に愛情を注げる対象をどうにか探し出す。見つからなければ誰かのストーカーにでもなるだけかもしれない。このあたりは非常に難しい話だ。とにかく、自分勝手なやつらを根絶しない限りは、アイドルだかアニメだかに「犠牲」になってもらうしか仕方ないのかもしれない。
 ん? 自分勝手なやつらが根絶されれば健全なのでは? そうだな。それを僕は求めているのだろう。そのために教育とかほざいているのだろう。ずっと。
 僕のアイドル嫌いはここから流れ出るわけなのですね。

2012/11/25 日 庚寅 アイドルは暇つぶし

 アイドルとは何であるか。
 僕は「不特定多数の人から、どんな愛情を注がれてもよいとされているもの」だと思う。
「どんな」というといささか行きすぎかもしれないが、アイドルというのはそういうものだと思う。もちろん殴るとか殺すとかいった愛情の注ぎ方をすれば、それは法律によって罰せられるのだが、アイドルというのはそういうものだと僕は思う。
 アイドルの宿命は、「誰からの、どんな愛情にも耐えなければならない」ことである。そうでなければアイドルにはなれない。
 僕は、そういう状態を生身の人間に期待することは酷だと思うし、とりわけ若い男の子や女の子にそれをさせるのは無茶苦茶な文化だと思うから、アイドルというのは全面的に嫌いだ。
 もちろん、若い男の子や女の子がある種の「犠牲」になることによって、救われる人がいる。気持ちよくなる人がいる。「犠牲」と言っても、男の子や女の子は自ら進んでアイドルになって、楽しんで、それで救われたり気持ちよくなったりしていたりもする。需要と供給はある程度マッチしていて、だからアイドルという文化は生き続ける。
「需要と供給がマッチしている」という状況に甘えて、「だからこのままでいい」になって、アイドルそれ自体の意義はあまり問われない。
「お互いが気持ちよくなるんだからいいじゃん」「誰にも迷惑かけてないし」「それで困る人がいるの?」という感じで、アイドルは肯定されていく。
 僕はそのように捉えています。

 アイドルによって幸せになる人はたくさんいるんだろうけど、アイドルはそういう人から、「アイドルでないものによって幸せになる機会」を奪っているかもしれない。
 それで本当にいいのか?
 ネットゲームによって、エロゲームによって幸せになる人だっていくらでもいるが、彼らは「それ以外の手段によって幸せになる機会を奪われている」のかもしれない。
「ネットゲームは、自分が幸せな気分を味わうための一つの手段でしかない」と言い切れるならやや話は変わってくるが、世の中には「それしかない」という人はたくさんいる。アイドルにしてもそうだ。
 ただし、仮に「アイドルは、自分が幸せな気分を味わうための一つの手段でしかない」と思っていたとしても、そのことが「別の手段の実現を阻害する」という状況は当然発生する。
 それでもなお、「他の手段なんて知ったこっちゃない、自分はアイドルが好きだ」と言う人はいる。オタクというのはそういうものだ。
 アニメオタクだって鉄道オタクだって同じである。「知ったこっちゃない、自分はこれだけでいい」と思う。だからオタクは客観性を失って、はたから見れば「キモイ」と言われるような容姿・言動・行動に終始するようになる。

 今野敏という人の『慎治』という小説では、いじめられっ子の主人公がガンプラ(ガンダムのプラモデル)オタクになることによっていじめを克服する(この作品はあさばせんせーがよく引用する)。このパターンでは乱暴に言えば、オタクになってある種の客観性(他人と上手に関わっていこうとする意志)を捨てることで、「いじめっ子」と訣別するというわけである。
「オタク」というのは、裏を返せばそういう使い方もある。
 他人とうまく付き合えない人が、それでも何らかの形で他人と付き合っていきたいと願う時、いじめは深刻になるかもしれないのだ。いじめられる側に孤立の覚悟があれば、いじめはふつう「無視」という段階にとどまる。その「孤立の覚悟」を持つために、「オタクになる」という選択肢は有効かもしれない。「一人ぼっちでもガンプラがあるから淋しくない」という状態になれれば、「いじめられる」という関係にすがらなくても生きていけるようになる。もっと詳しくって有効な話はあさばせんせーが素晴らしい講義をしていますのでそれを参照
 しかしこの場合の「オタクになる」というのは、「人との繋がりを一時的に断つ」ということでもあって、すなわちある意味でいえば「社会で他人とともに生きること」を保留することでもある。だから、「マイナスの状態からゼロ付近まで浮上させるための手段」としてしか普通は使えない。

 アイドルにしても何にしても、それにはまることで「マイナス」から「ゼロ付近」まで浮上することはできるかもしれない。リハビリとしてのオタク活動。しかし、「社会で他人とともに生きる」をプラス概念とするならば、そこに行くためにはアイドルに頼ってばかりいてはいけない。オタクとはそういうものだから。
 ここでまた問題になるのは、「オタク仲間」の存在である。「オタク仲間」と楽しい関係を持つことは、「社会で他人とともに生きる」こととかなり近い状態であるから、そこにとどまって満足してしまうような人も多い。同好の士というのは素晴らしいものだが、「同好」であるというだけでは関係として非常に脆い。また、はたから見れば「キモイ」であることも、個人でやっている状況とそれほど変わらない。
 オタクというのは、せいぜいその程度のところまでしか人を連れて行ってはくれないものだ。対象から多くを学ぶ者は学ぶだろうが、学ばない者は学ばないし。

 今は「オタク」という観点からしばらく書いてみたが、たとえばアイドルなら、「オタク」とまではいかないライトな(軽い)ファン層というのも非常に多い。これに関してはどうだろう。
 正直言って、何で彼ら彼女らが「ライトなファン」なんてのをやってんだか、僕にはちっともわからない。オタクの気持ちは少しはわかるけど、「ライトなファン」の気持ちは本当にわからない。
 アイドルを愛でることで、自分が満足する(気持ちよくなる)ためなのか? 他人と話を合わせるためなのか? ただ、なんとなくなのか?
「かわいいなあー」つって、ため息をつくためなのか?
 猫を愛でるように、気分を落ち着かせたり、幸せな気分を味わったりするためのなのか? 愛情を注ぐ「ごっこ」なのか?
 とにかく何か、応援するものとか、好きと言えるものがほしいのか?
 そういう程度のものだったら、アイドルの存在意義ってなんなんだ? それともそういう、ライトな消費のされ方こそが、アイドルなのか?

 まあ、「暇だから」って感じなのかなあ。総じて。
 その「暇」を、なんか別のことに使ったってバチは当たらないと思う。「暇」っていうのは、時間的な意味でもあるし、精神的な意味でもある。
 僕がアイドルとか、深夜アニメを基本的に邪悪だと感じるのって、「人々の暇につけ込んでいる」からなのかもしれない。

 中学校とかで、なんで部活動があって、特に運動を奨励するのかって、「部活をやって時間を奪い、疲れさせてしまえば、学校の外で悪さはしないだろうから」っていう理由があるってのはけっこう有名な話だと思う。
 それみたいなもんで、現代の人間は暇なもんだから、それを野放しにしておくと悪さするかもしんないからね、人間を飼い慣らしておくには、アイドルとか深夜アニメとか……要するにテレビというものを、活用するのはうまい方法だ。部活は本当に、その役割をよく果たしていると思う。「学校の外で悪さをしない」かわりに、学校の中での悪さが、部活のせいで横行するってのはあるけど、それも善し悪しだよね。学校の外でもっと大きな問題を起こすより、学校の中で、子供たち同士で問題を起こしてもらったほうが、大人としては困らないもの。

 人々を「暇」にしておくと危ない、っていう考えが、根底にあるんだと思う。
 だから暇を奪おう、っていうのが、どっかにある意志で。
 それを邪悪だと言い切ってしまうのは難しいけど、そんなに信用のないことってないよなあ、とは思う。
 諦めみたいなものがある。そこには。
 知恵なのかもしれないけど……。
 うん、知恵なんだろうね。
 だからアイドルっていうものは「必要」なんだ。
 邪悪かもしれないけど、秩序を保つために必要。
 飼い慣らすために必要。
 その程度のことでしかないようだ。

「その程度のこと」に対してどういうふうに向き合っていくべきかというのは、大人として僕はちゃんと考えていくつもりですけど。
 そういう「知恵」の支配からこぼれ落ちる、僕みたいな人間の気持ちはどのくらい尊重してもらえるのかな? っていうのはいつも思いますね。

2012/11/24 土 己丑 まっすぐでゴー

 木曜喫茶が消滅して23日が経過しました。
(木曜喫茶というのは、僕が七年半通い詰め、木曜日の店長を四年半務めたお店の便宜的な呼称です。その中でいろんな人間関係ができて、いろんな楽しいことがありました。そこがついに消滅というか、簡単にいえば僕は追い出されてしまったのでした。)
 そこはまるで、ドラえもんの空き地のような場所であって、近所の公園や原っぱのような場所でした。来たい人がふらっと来て、その時に応じた遊び方(話し方)をして帰って行く場所でした。僕はそこを愛していましたが、なくなりました。
 とても寂しい事件でしたが、未練はありません。

 なくなってから僕が何をしていたのかというと、ひたすら「新しい場の創設」について考えていました。
 そもそも木曜喫茶というのは、僕が作った場ではありません。先々代のオーナー(探偵のほう)が作った場を、彼が引退するのに伴って引き継いだというだけのことです。僕はその流れで、先代オーナーの方針に助けられて、ずるずると続けてきたにすぎません。
 この九月からオーナーが変わって、わずか二ヶ月で追い出されることになりました。お店自体が僕のものではない以上、それは仕方のないことです。僕は現オーナーを恨みません。それどころか、感謝さえしています。僕に、「場所は人から与えられるものではない」ということを教えてくれたからです。
 場所は与えられるものではなく、自分たちで作るものです。
 もとあったお店におんぶにだっこで、四年半続けてきたのが木曜喫茶でした。「ゴールデン街」という街の引力にも助けられ、黒字は出ないまでもそれなりに安定した営業を続けてこられました。
 しかし、それでは僕は、またお客さんを含む「僕ら」は、ただ「乗っかっている」だけでしかありません。「乗せてくれている」側の気が変われば、振り落とされます。
 それを痛いほど思い知ったのが今回の事件でした。
 で、僕は「辛いなあ」とか「寂しいなあ」とか思いながら、過去の想い出に浸って、「木曜喫茶っていう場があって、楽しかったなあ」なんて思うことは絶対にしたくないし、しませんでした。考えるのは常に「新しい場の創設」です。
 お客さんの中には、自ら「難民」を自称して、「行くところがなくなった」「ジャッキーが新しい場をつくるならきっと行く」と言ってくれる人が少なからずいます。「あーあ、今度からはどこに通おうかなあ」って思いながら新しい場を探し歩いているような人は、僕のお客さんの中では少数派なのだと思います、たぶん。少なくとも、まだ23日しか経っていない、今のところは。
 まだ熱が失われないうちに、新しい場を作りたいと僕は思っています。それで、週に一日とか、あるいは月に一日というペースで、定期的に安価で借りられる、アクセスのよいお店はないかなあと思って探しました。でも、そんな都合の良い店はちょっと探したくらいでは見つかりません。それに、どのお店を借りるにしてもそのお店の「王様」はオーナーであって、僕ではありません。

 そこで僕は、「お店」という考えを離れることにしました。場所だったらどこでもいいじゃん、と。しかしレンタルスペースを借りるにしても、お金はかかるし、「王様」にはなれないし、何より、それほど楽しくないのです。
 選択肢は一つしかありませんでした。自分で物件を借りることです。まっさらな部屋を借りて、そこをみんなで「場所」として作り上げていくのです。ゼロから。それほど素敵なことはありません。
 今、僕が主に働いている会社は、僕の友達が、ゼロから作った会社です。ボロアパートを借りて、能力とやる気と遊び心のある友達を誘って、楽しく順調にやっています。彼は実は、僕が木曜喫茶をやっていた店の先々代オーナーだったのですが、彼もやはり少なからず「前にやっていた人から引き継いだ」形だったし、友人との共同経営でもありました。つまりその時は彼はまだ「王様」ではなかったわけです。だから彼はお店をやめて、「会社」という形で自分が王様であり得るような場を作りたかったんだろうと思います。王様と言っても、偉ぶっているわけではなく、むしろその逆なのですが、国を作る時の中心人物が王様だというならば、やはり彼は王様だと思います。僕がイメージする王様というのは、『イワンのばか』に出てくるイワンのような王様です。(読んでみてください。)

 僕がやりたいのはお店でも会社でも国でもなくって、「場所」です。人が集まるところ。それはなくしてはいけない。何度でも書くけど、僕は近所の公園が駐車場になって、大好きだったチャットが閉鎖されて、「こんなことはあってはならない」って、強く強く思った。その、十歳とか十五歳とかの経験が、今も僕を動かします。
 ずっと愛してきた「お店」がなくなった。でも、今度の場合は、僕は「王様」ではなかったけれども「大臣」くらいではあって、「新たな場を作る」っていう力もある。そういうことばっかりを考えてずっと生きてきたから、そういう準備はできている。
 今度は僕が王様になります。もちろん、物件を借りるというからには、王様である僕よりも上に皇帝だか神様だかっていう、大家さんという存在があるにはあるけど、統治は一任してもらえるはずだから、状況は全然違う。

 今日は不動産屋に電話をかけまくって、どうにか安い物件を仮に抑えました。月曜日に見に行って、その日のうちには申し込む予定です。
 ものすごいお金と、労力がかかる仕事です。物件を借りたところで、中身は空っぽなんだから、家具や備品も揃えなければなりません。その辺は、みなさんにも協力してもらって……。あまりお金をかけないように、とんてんかんてん、安い木材とか使って、どうにか形にします。椅子とかどうしようかなあ。なんかいろいろ、そういうの詳しい方いたら、声かけてください。
 僕だけががんばるんじゃなくって、いろんな人に甘えられるだけ甘えて、みんなで作っていくような、そんな場にしたいと思っています。ここにも経過とかいろいろ書くと思います。問題にならない程度に。
 今のところは、毎週木曜日(にこだわらなくてもいいんだけど)に一晩開放して、場所代で1000円くらいだけいただこうかと思っています。飲み物とかはいったん僕に寄付してもらって、そこから僕が給仕するという形がいいのかな。つまり、最低1000円くらい払ってもらうけど、あとは、お金ある人が買ってきてくれた一升瓶とかをみんなで分け合うとか、ものがなくなったら余裕ある人が買いに行くとか、そういう感じを考えています。あんまり無秩序にするとやばいので、できるだけきっちりと。もちろん子供と貧乏人に優しい僕のこと、割引、出世払い、現物払いは適宜やりますけど。
 内装とか、みんなで協力してやりたいと思うから、興味ある人はご連絡ください。誰でも、僕のことが好きで、僕の考えに賛同してくださる方なら、大歓迎です。

 新しく考えている「場」は、お店ではありません。法律的にそれはできないし、利益を得ることを目的とした「お店」という在り方は、僕の考えにはなじみません。ただ、お金の問題は生じてしまうから、「場所代(会費)」だけいただければと。もちろん優しい人はたくさんくれるとか、「ほいよ、一ヶ月ぶん」とか言って、五〇〇〇円くらいポンとくださる方がいてくれたら、恐ろしいほど僕は喜びます。なんかそういう、柔らかい感じでしばらく、やっていければいいなあ。楽しみにしてて下さい。契約まだなんでなんとも言えないけど。

2012/11/21 水 丙戌 ラジオとは 続き

 昨夜は帰り道、『ゆずのオールナイトニッポンGOLD』を聴いていた。
 ゆずの二人が楽しそうにバカな話とかして盛り上がってるわけだけど、その後ろにやっぱりスタッフの笑い声が(けっこうな音量で)入ってる。
 僕のほうを見てくれていないんだなと思う。
 そりゃ、ブースの中にパーソナリティ以外の人がいるんなら、笑い声が入るのは当たり前というか、仕方ないことなんだけど、それが異様に目立っているのがやはり好きじゃない。
 パーソナリティの、あるいはパーソナリティ同士の話を聴いて、「いちリスナーとしてついつい笑ってしまっている」のか、それとも「一緒になって盛り上がっている」のか、というのが、昨日書いた「内輪であるか否か」というところの争点で、僕は前者のような笑い声でなければ許容できない。その線引きはもう、僕の個人的な感覚によるとしか言いようがないものかもしれないけど。
 普通、リスナーはラジオを聴いて「高笑い」はしない。深夜だったらなおさら押し殺す。爆笑するにしても、「一人きりの爆笑」と、「みんなと一緒の爆笑」「話者に向けた爆笑」は種類が違う。
 その笑い方の質で、僕は「この番組は僕のほうを見てくれていないな」とか思ったりする。パーソナリティは、目の前のスタッフを笑わせているのであって、僕のようないちリスナーに対しては語りかけていない。と感じる。
 パーソナリティ(たち)は常に、不特定多数のリスナーに語りかけていなければラジオではない。スタジオ内のスタッフを「客」にしてしまえば、それは「密室芸」でしかない。リスナーは密室芸の中継を聴かされているようなものだ。(で、そういうのが好きな人もけっこういる。)
 でも、パーソナリティはリスナーを直接意識してくれたほうが僕は嬉しい。スタッフの顔の向こう側にリスナーがいる、っていう意識で番組をやっている人もいるそうだけど、そんなもんラジオじゃないと僕は勝手に思っている。

 それから「不自然」ということについて。
「一緒になって盛り上がっている」というような笑い声を発しておきながら、その人は一言もしゃべらない。
 それほど不自然なことはないと思う。

2012/11/20 火 乙酉 ラジオとは

 ラジオ番組での、スタッフの笑い声があまり好きじゃない。
 それは何でだろうかとずっと考えてきた。
 で、ゆうべ自転車乗りながら『LINDA』と『深夜の馬鹿力』を珍しく聴いてたらふと思いついた。「内輪」感があるのが嫌なのと、「不自然」だからだ。
 僕は内輪で盛り上がるってのが嫌いである。仲間内で、仲間内だけがわかる話題をすることは楽しい。それ自体は「内輪」ではない。「内輪」というのは、その輪の外に排除される人間がいるときに発生する。仲間内で盛り上がって、そこに加われない人間がいるとなると、「内輪」と「外輪」ができてしまう。(これもドーナツトークとか言うのだろうか。)
 パーソナリティが面白いことを言う。それを聴いてスタッフが笑う。なんかもう、それだけで閉じてしまっている。そういう番組を面白いと思う人は、「その輪の中に入っていける人」で、僕なんかはだいたい、そこに入ろうとしない。できない。
 輪の中のパーソナリティは、「輪の中の人」に向かって語りかける。「スタッフの笑い声が入る系の番組」でパーソナリティをしていると、きっと「目の前にいるスタッフに語りかける」ということをしてしまうはずだと思う。もちろんそのスタッフを通してリスナーにも語りかけているつもりなんだろうが、それで「語りかけられた」と思えるのは、笑っているスタッフに同調している人だけだ。僕なんかは「なーんでこのスタッフは面白くもないのに笑ってんだろう」としか思わない。「笑いのツボ」はそれぞれ違うのに、スタッフがそれを代表してしまうと、「笑わなければならないポイント」が誘導されてしまう。そんなファシズムありますか?
 僕はパーソナリティと向き合いたいのであって、パーソナリティと向かい合っているスタッフと同化したいわけではないのだ。すなわち、「内輪」の片棒を担ぎたくなどはない。
 この違い、非常に微妙だけど、わかってもらえるんだろうか。「輪」の有無。「輪に入らないと楽しめない」のではなくって、「番組とリスナーとが一対一の関係である」ような番組が好きだ。
 それが、宗教のようになるかならないかの違いでもあると僕は考える。なるのは、前者。

 この話は非常に長くなりそうなので、続く。

2012/11/19 月 甲申 本当の自分

 本当の自分ってのはなんなんでしょうか。
 自分は自分であって、本当の自分なんてものは存在しない。偽りの自分もない。
 ただ自分があるだけだ。
 自分と他人、ということをここ何年かずっと考えている。自分をわかるためには他人をわからなければならないし、他人をわかるためには自分をわからなければならない。
 まず、自分と他人の間に線を引かなければ、自分などというものはわかりようがない。友達と、家族と、先生と、線を引く。距離を変える必要はない。線だけ引く。
 それぞれの境界線の形は当然まちまちで、その形がひょっとしたら「本当の自分」とか「偽りの自分」とかいうふうに呼ばれてしまうこともあるかもしれない。
 そこでよーく目をこらすこと。
 必要があれば、線を引き直すこと。
 そういうことの繰り返しで、自分というものはできてくる。

 実に抽象的だが、今日会った若者にそういうことを思った。

2012/11/18 日 癸未 痛みに耐えて、よく頑張った! 感動した! おめでとう!

 今さら、小泉純一郎という人の昔の発言を思い出して、今さらわかったことがあった。今さらすぎて、わかったところでどうということもないかもしれないし、十年以上前にわかっていた人は何万人単位でいるだろうようなことなんだけど、当時僕は高校生だったからわからなかった。念のため記す。
 2001年の五月場所で、貴乃花という力士が優勝した。貴乃花は当時大けがをしていたんだけど、がんばって勝った。それで表彰式で当時の首相であった小泉純一郎という人が、
「痛みに耐えて、よくがんばった、感動した! おめでとう」
 って言った。この言葉は流行語になって、その二ヶ月後くらいに上演された『少年三遷史』というすばらしいお芝居にも引用された。
 で、この「痛みに耐えて、よくがんばった、感動した! おめでとう」っていう言葉は、すごい言葉だったんだなってわかったのが十一年半も経った今日。たぶん小泉純一郎は言うべくしてこの言葉を言って、流行るべくして流行ったのだ。この言葉が流行ることは、いろんな人にとって都合がよかった。特に小泉純一郎と彼を支持する人間にとって都合がよかった。
 小泉純一郎という人は「痛みに伴う改革」とか言ってた人だから。「構造改革だ!」「改革はよいことだ!」「しかし改革には痛みが伴う!」「だから改革の途中でちょっと悪いことがあっても大目に見てね!」っていうふうに言ってた(はずだ)。そういう彼だから、「痛みに耐えることはすばらしい」っていうイメージが世の中にすり込まれたら、かなり都合がいい。
 だから「痛みに耐えて、よくがんばった」の背後で、小泉純一郎という人が本当に言いたかったのは、「改革には痛みが伴いますけど、痛みに耐えることって立派ですよね。だからがんばって耐えてくださいよ。ほら、貴乃花みたいに。痛みに耐えてがんばるのって格好良くて素敵な美徳ですもんねえ? そういうわけなので僕を支持してください」だったのだろう。
 それで見事にみんな、「そうだなー」って思った。名古屋で演劇の脚本を書いていた十六歳の純朴な少年も、やはり騙されたクチで、うっかり「痛みに耐えて」を芝居の中で引用してしまっていた。
『少年三遷史』という芝居の中では、2001年から1991年にタイムスリップしてきた俊太という少年が「痛みに耐えて」の真似をするシーンがある。そのあとで彼は「支持率80%以上だぜ?(このセリフはたしか後に「70%」へ変更された)」と言うのだが、それに対して1981年から1991年にタイムスリップしてきた哲也という少年は、「そんな異常な首相、いるもんか」とちゃんと返す。脚本家の少年はどうしても小泉純一郎という人を「異常」と言いたかったのだろう。直観に優れた少年は、なぜか小泉純一郎という人が好きではなかった。
 小泉純一郎という人について、「あんまり興味はないけど、好きか嫌いかで言ったら全然好きじゃないな」と思いながら、「痛みに耐えて」だけは気になっていて、芝居にまで引用してしまった。それはなぜかといえば、「痛みに耐えて、よくがんばった、感動した! おめでとう」という一連の言葉の流れが、あまりにも仰々しく、わざとらしく、幼稚で笑えるようなほどのものだったからであろう(だからこそ芝居のネタになる)。当時僕は、「なんでいい大人が、こんな小学生みたいな言葉を興奮して叫んでんだ?」とか思っていた。今なら、なんでそういうふうだったのかがわかる。この言葉は本当は貴乃花を讃える言葉ではなくって、自分の政策を通すための言葉だったからだ。
 貴乃花を讃えるのなら、大人なんだから、いくらだってほかに言葉はあっただろう。こんな小学生みたいな言葉を使うのは、「誰にでもわかる言葉」を使う必要があったからでしかない。「貴乃花に届く言葉」ではなく、「誰にでもわかる言葉」を。そうでなければ流行しない。人々の心に残らない。

 っていうような、十一年半も前の、そんなにわかりにくすぎもしないようなからくりを、今さらわかってしまった。しかし、わかってよかった。

2012/11/17 土 壬午 

 もうちょっと気を引き締める。
 あと三ヶ月がんばる。
 今日はやたらと疲れていた。
 規則正しい生活も心がけよう。

2012/11/16 金 辛巳 もっと愛しあいましょ

 高校生の時からこのサイトを見ているという、二十代半ばの人に会った。大学で地方から出てきて、わざわざ僕の作った本もタコシェや文学フリマで買って読んでくれたらしい。『おなちん』が好きだと言うからすばらしい。
 小沢健二さんについての何かしらがきっかけでここにたどり着いたという。固有名詞を出すのも悪いことばかりではない。そういえば僕がdolis partyというサイトを見つけたのも、「小沢健二」で検索したのだった。
 僕を好きになってくれるような人だから小沢さんについての話をしても「おー、そう思えるとはすばらしい!」って思えるようなことを言ってくれて、とってもうれしい。本当にうれしい。
 こういうことがあるからやっていけるのだし、生きていける。全国には三十人の読者がいるのだ。そう思えるから、やめない。そう思えるのは、本当にそういう人と出会ってきたから。まだまだ隠れている人はいるかもしれない。

 木曜日、暇になっちゃったから、たくさん人と会いたい。
 ある意味、毎週木曜日に誰かと会える、っていう環境に甘えていたところもあった。それは幸せで素敵なことだった。悪い甘え方ではなかったと思う。だけどその環境がなくなった時に、誰とも会えないような人間になってしまうんだったら、本当にただ「甘えていただけ」になってしまう。場が今はなくとも僕は誰かと会う。会いたい。
「なくなっちまったからなあ」なんて言葉は最低だ。「なくなっちまったけどよお」がカッコイイし、正しい。
 もっと愛し合いましょう。

2012/11/15 木 庚辰 美しき日々

 2004年ごろの日記を読み返していた。
 バカだったと思う。
 しかし意味はあった。

 嘘ばかりついていた自分が嫌いで、とにかく正直になろうとした。それで思ったことをすべて書こうと思っていた。リハビリのようなものだった。いつもの通り極端だった。

 はじめは混沌としていた。10歳の時にむりやり秩序を作った。15歳の時にそれを自覚した。20歳まで作り物の秩序の中で生きていた。
 それで20歳くらいの時に、「こんな秩序は嘘だ」ということに気づいた。色んな人に気づかせてもらった。「そんなの嘘だよ」って言ってくれる友達が周りにたくさんいたのは幸せなことだったし、そういう環境を作ることができていた自分はやっぱり捨てたもんじゃなかった。
 でも、「こんな秩序は嘘だ」と言って、そう簡単に捨てられるものではなかった。だから荒療治のようなものが必要だったんだと思う。10代のころあまりにも不誠実だった僕は、20代にさしかかる前後になって、ようやく「誠実」ということの重みを知った。それであの頃の僕はもしかしたら一生で一番誠実だったのかもしれない。生真面目というほどに誠実だった。それを見て「ジャッキーはつまんなくなった」って言ってた人はたくさんいたみたいだし、そう見えるのも無理はなかった。
 僕はあのまま誠実に生きていくことはできたのだろうか。できなかったのかもしれない。その誠実さはやはり、作り物の誠実さでしかなかったのだろう。もちろん、心の底からそうありたいと思ってそうしていたのではあるが、しかし「ああいうこと」が僕にとって最もしっくりくる誠実のあり方ではなかったのだとは思う。
 不誠実に振れた針が、今度は誠実に思いっきり振れて、両端の限界を知って、それから少しずつ、中庸というのか、あるべきあり方に近づいているのが、20代の自分だ。
 僕はあれ以上不誠実になれやしないし、あれ以上誠実にもなれやしない。そうわかってしまえば、もう不誠実とか誠実とかっていう尺度は考えなくってよくなる。ほっといたって、あれ以上にはならないんだから、考える必要がない。すべては経験の中にすでにある。あとはバランスを取るだけだ。

 現在の僕が真面目なのか不真面目なのか、実際よくわからない。ただあらゆる面でバランスを取ろうとだけはしている。それができるのは、かつてヤジロベエの両腕をできるだけ長く伸ばすように生きてきたからだ。
 腕は腕としてあって、あとは胴体をどこに据えるかという問題。そこから肉付けやデザインや、なんやかやが付け足されていく。生きていくことは実に楽しい。
 だから無駄じゃなかった。
 あのとき若かった、誰にとってもそうだろう。

2012/11/14 水 己卯 公園でグラスを投げること

 去年の今頃にも彼女と会ったこの公園で僕は彼女と会っていた。
「ダイタイサァア? アーシハァ、ハジメッからいけ好かなかったわけぇ!」(※プライバシー保護のため、音声は変えてあります)
 彼女はゆったりと怒っていた。寒空の下で。ドラゴンのような雲を見つめながら。
「公園で飲んだジャンよぉ、前にィ」(※音声は変えてあります、以下注記なし)
「うん、そんなこともあったね」
「そんときサァ、ジャッキー覚えてるィ? あいつヨォ、グラス投げたジャンかぁ」
「グラス?」
「そォそォ、なんかァ、連れてきた女にィ、グラスをォ、投げたのよォ」
「そうだっけ」
「そーそー。んでねェ、一回目はチャンと、女のほーが受け取ったんだけどサァ、二回目に失敗して、落として、割っちゃッタンよお」
「えっ。ガラスだよね?」
「そーなんだヨォ、ガラスなんだヨォ。公園だぜェい?」
「大変なことだ」
「ソーダよぃ。こどもが裸足でカケまわんのが公園だろうがヨぃ」
「想像力がないね!」
「ソーダよぃお。想像力がナイのよぇ」
「グラスを投げたら割れる。割れたら危ない。ここは公園である。公園はこどもが裸足で駆け回る場所である。こどもが裸足で駆け回るところに割れたガラスの破片があったら危ない」
「子ども達はわぁ、未来ダァアってぇ、ケーダブさんも言ってるシィ」
「グラスを投げることによって未来が失われるわけですよね。公園が危ないってことになったら遊べなくなる。遊ばないこどもはろくな大人に育たない、ろくな未来を創らない」
「そーユーサァ、想像力がないような人って嫌いだからあ、アーシ絶対、この人とは仲良くデキネーって思って、んで帰ったンヨォっしょ」
「それは申し訳なかったねえ」
「公園でグラスを投げるってのは、絶対許せないの。わたし」
「うん」
「あそこコンクリートだったから、割れるのわかるじゃん。しかも夜だったから、割れたってなったら完璧に掃除するのって無理だよね、暗くって」
「なるほどなあ。ほら、僕、最近ずっと言ってるでしょ。邪悪とは何かって話」
「あ、“自分のことしか考えない”ってのが邪悪、ってやつね」
「そうそう。公園でグラス投げるってのはまさにそれだね」
「ほんとだ。グラス投げて、割れたところで、自分はケガしないもんね。別に頻繁に来るってわけでもなさそうだったし」
「ほかの人とか、子供たちとかさ、そういう人たちのことを考えない。それが想像力がないってことか。あ、想像力と邪悪というのはかなり関連が深いのだね」
「そう思う」
「自分のことだけを想像するのって、まわりの色んなことを含めてあれこれ想像するよりも、ずっと簡単なんだ。想像力のない人は、邪悪になりやすい」
「ジャッキーと出会えてヨかったっち」
「ぽらんぽらん」
「ぴーん」
「投げて、割れるところまでは仕方ないね。酔っていたのだし」
「その後だよね」
「泣きながら破片をかき集めるっていうのならわかる」
「うん」
「泣きながら破片をかき集めてた?」
「忘れた」
「僕も何も覚えてない」
「少なくとも泣いてはいなかったよ」
「ある程度破片はかき集めただろうけどね」
「忘れちゃったな」
「なんかさー」
「うん」
「ウワー! 割っちゃった!!! どうしよう~」
「うん」
「とか、そういうふうだったらまた違うんだけどね」
「ああ、なるほどね。すべてはそこだと思う」
「そうだったか」
「そうなんじゃないかなあ」
「そうか」
「僕はそう思う」
「ジャッキーは三日くらい落ち込むよね」
「そうかもしれない」
「そこなのかもね」
「最低でもね」

2012/11/13 火 戊寅 花の宴

 まったく、僕のようなナチュラルハイ人間は、酒を飲んで良いことなんてないよ。
 それでも酒を飲むのは人類の歴史はかなり酒だからだ。
 平安時代から残る名作と言われる和歌だって、酒に酔って詠んだものが沢山あろうし、酒の勢いでなんとやらなんてのも昔からあったはずだ。源氏が朧月夜と関係を持ったのだって、花の宴で酔っぱらってたからに決まってる。だからあの有名な「俺は偉い人だから人を呼んでもムダだぜ」的なセリフも出たんでしょう。あんな言葉、酔っぱらっていなければ言えるわけがない。
 酔っぱらって源氏は朧月夜とやっちゃって、それで源氏は須磨に流れざるを得なくなる、っていうのはもう、「酒はのんでものまれるな」ってことでしょうな。もちろん、しらふで朧月夜のもとに通った日だってたくさんあっただろうけど、最初の一回は間違いなく酔ってたはずなので。

 人類の歴史はかなり酒。
 人間の一生は、人によっては酒との戦いである。
 吾妻ひでお先生の『失踪日記』なんか読むと、その最も極端な例がかいま見える。
 僕も酒との戦いの中で生きている自覚がある。
 これに、何らかの形で決着をつけて、勝たないと。
 飲まないということでもいいし飲むということでもいいが、のまれてはならぬ。もう、当たり前のことなんだが。

2012/11/12 月 丁丑 ここから始まる物語

 友達が集まって僕を励ましてくれた(と思う)。
 花をもらった。
 とても嬉しいものですね。
 これから、すべては、ここから、はじまるわたしたちの物語!
 って、最終回でみかんちゃんが言うよね。まなびストレート!のね。
 終わりなんてねーんだ! 死ぬだけだ。
 どこを切っても始まりであるが、どこを切っても終わりなどない。
 死ぬだけだ。

2012/11/11 日 丙子 バディ・バデー

 古い友達に会った。
 悪いものが少なくなって、良いものはそのままであるような生き方をしたい。良いものはもう、いま以上増えなくても構わない。
 そう思えるのは、ずっと見てくれている人がいるからですね。
 いまある良いものをちゃんと見つめていなければ、見失ってしまう。
 そのために古い、愛する友達と会う。
 それでお互いに確かめる。
 よろこばしいことよ。

2012/11/10 土 乙亥 橋本治という立ち止まり方

『橋本治という立ち止まり方』をようやく読み終えた。

2012/11/09 金 甲戌 男のプライド/年下の男の子

 僕と、ある男性Aさんがいるとする。
 Aさんのことを好きな女性がいる。
 Aさんもその女性のことが(わりと)好きである。
 その女性が僕と出会う。
 その女性が僕を好きになる。
 Aさんは僕のことがそれほど好きではない。
(男のプライドによって、対抗心を燃やしている)

 Aさんは僕より年上で、僕にはないいろいろなものを持っている。
 僕はAさんより年下だが、Aさんにはないさまざまなものを持っている。
 どちらがより素敵か、ということを客観的に決めることは難しい。

 Aさんは僕より年上で、自分に自信を持っている、というよりは、「こうありたい自分」という、理想像としての自分に、自信を持ちたがっている。
 Aさんも発展途上なので、「今の自分」を「理想像としての自分」に近づける、あるいは同化させるために、いろいろなことをしてみている。
 その過程において、「女性」というものをとても重要な存在とみなしている。
 逆に、「男性」というものをほとんど重要視していない。
(ここがAさんの最大の誤りだと思う)

 ところで、女性は勝手に男性のことを好きになる。男性だって勝手に女性のことを好きになる。僕はそういうのがけっこう嫌いだが、たいがいそのようになっているらしい。それで世の中には騒動が絶えない。
 Aさんと女性は、お互い勝手に好き合っていた。と思う。詳しくは知らないが。
 僕は「勝手に好き合う」というような趣味はないので、そういう癖のついてしまっている人間と仲良くすることができない。

 勝手に好き合ってしまった経験は、僕にだってないわけではない。だから、そういう関係の脆さは、なんとなくわかる。
 勝手に好きになった心は、簡単に変わる。
 それを知っていて、それが嫌だから、「関係」とか言い出しているのです。

「勝手に好きになる」っていうのは、プライドということとかなり関連が深い現象だと思う。
 そこには「自分」しかないので。

 男のプライドは、勝手に好きになった相手に対して、「所有したい」と思う。あるいは、「所有している」と思う。だから、それが離れていくのを感じると、傷つく。
 プライドが傷つく。

 それから、男のプライドは、自分が自分よりも「下」であると認識している、あるいはそうであるべきだと思っている相手に対して、過敏に働く。日本では特に、それは「年齢」や「性別」という尺度で決められる。要するに、年下の男に対して、男のプライドは過敏に働く。

 僕は一応、そのことを知っている。男のプライドが年下の男に対して過敏だということを知っている。だから、僕は年下の男の子と付き合う時には、できるだけ気をつける。男は、年下の男の意見を聞き入れるということが、まずない。それは、僕がずっと「年下の男」だったから、よくわかる。僕の意見なんか、聞いたふりをして、まったく聞いていない、というのが、年上の男の姿だった。その結果、僕は「生意気」とか言われた。(まだ根に持っている。)
 まあ、そう言われても仕方ないくらいに、態度も偉そうだったのかもしれない。でも、なんで「偉そうに見えるような態度」だったのかというと、単に僕が年上に媚びなかっただけだと思う。「媚びない」ことが「失礼」であるならば、僕は失礼だったかもしれない。
 僕は「年齢差別」が基本的には嫌いだ。尊重はすべきだと思うし、自分より年上の相手にはとことん冷たかったりもするから、そう言っている僕も厳密に言えば差別者である。だから正しくは、「年下差別」が嫌いと言うべきか。
「年下だからって、それだけで差別するべきではない」と思っているから、「僕は自分から差別されに行くようなことはしませんよ、年上であるあなたのことを“その分は”尊重しますけど」というくらいの態度でいる。
 年下の男の子と話していると、つい「それは違う」と、否定したくなる時がある。そんな時はまず踏みとどまったほうがいい。年下の、未熟な答えこそ、熟慮する必要がある。未熟だからこそ、年上の男が、「どこが未熟であるのか」「熟したとしたら、使い物になるのか」ということを、考えねばならない、のかもしれない。
 僕はちゃんと男であって、プライドも強いから、年下の男の子の言っていることを否定して、自分が「上」であることを確認したい、という欲求はどこかにある。でも、そんな動機で何かを否定するほど邪悪なことってないから、しないように努めている。
 学校の先生って、こういうことがわかってないんですけど。

 男は、年下の男を恐れている。ほとんど怯えている。だから、否定したがる。
 僕は恐れたくも怯えたくもない。恐れられたり、怯えられたりすることが好きではないから。
 でもほとんどの男は、そんなことを考えたこともなく、ただ自然に、息を吸うように、年下の男を否定している。あるいは、見下している。
 そんな人が、年下の男に、自分の「所有していると思っている対象」をかっさらわれたら、男のプライドはズタズタになる。(僕は、最近自分の身にそういうことがあったんじゃないかなと邪推している。)

 ま、邪推は邪推でしかないし、冷静で賢い「理想像」を自分に対して持っているような人は、自分がそのように邪悪であるということを発想するわけがないから、僕はたぶん間違っているんでしょうけれども。

 日本の男は、どうしても数直線的にものを考える生き物で、「自分」というものの位置を、「他人との比較」の中でしか決められない。しかも、できるだけ単純に決めたがるから、単細胞な人の考えはたいてい「年齢」というところに行く。「年齢が下ならば、下であるべき」と思いたがる。「年齢が下である人間が、(何らかの意味で)実際に下であることを確認すれば、自分の位置が正当に定まる」と思っている。
 それを「安定」だと思っているから、年下の男を恐れる。

 吾妻ひでおの『二日酔いダンディー』って漫画に、「垂直思考しかできないやつはこのザマだ」って素敵なせりふがあるんですけど、まったくそう思いますね。垂直思考ってのがなんなのか、よくわかんないけど、たぶん僕が今言っているようなこととニュアンスは一致すると思う。

2012/11/08 木 癸酉 TMDチー

 一週間が経ちました。
 改めて、誕生日おめでとうをありがとうございます。
 日記的なところでこっそりと祝ってくれた人も、ありがとう。
 感動的な文章でした。嬉しかった。

『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』って、僕がこの25年で最も愛しているアニメで、みかんという女の子が「好きな言葉はともだち」って言うシーンがあるんですよ。
 僕が史上最も愛しているアニメ『宇宙船サジタリウス』でも、「友達、仲間、一人じゃ生きていけない」ってフレーズが最終回付近で何度も繰り返されて、それがおそらく全編通してのテーマだったりします。
「友達」を実感できるようになって、本当によかったなと思ってます。
 それは本当にみんなのおかげです。ありがとうありがとう。

 木曜喫茶が終わったことに関しても、いろんな人がいろんなことを言ってくださいます。で、みんな優しいです。それはやっぱり友達だからなんだなと思います。

 何年か前に、イヴァン・イリッチという人の「遺言」について書きました
 僕はイリッチ(イリイチ)の遺言なる本に、あるいはそのもととなった音声に接したことがない(本、高いんですよ! 図書館で借りようかな)のでよくわからないのですが、読書メモをブログに載せてくださっている方がいたので、ちょっと引用してみます。

イリッチの希望は無償性の回復。
そういえば、テゼの歌に「ただでくれたのだから、ただで返しなさい」っていうのがあったように思う。これがイリッチが主張する倒錯する前の最善のキリスト教の姿ということになるのだろう。

結語に近いところで、イリッチは「わたしはこの世界で、自分が愛する人々と共に生きること以上に素晴らしい状況があるとは思えません」という。そこにあるのは「当為」の行為ではなく、無償性。それが賞賛されている。
「無償性」の章でこの本は閉じられる。もし、ここまで付き合ってくれた人がいたら、ありがとう。 ぼくは自分でもこれを読み返す気がしないのに。

最後にイリッチは「もっと答えをお持ちですか」というケイリーの問いに、こう答える。
「わたしが話したことが答えだなどとは、誰にも思ってほしくありません」

(「今日、考えたこと」より『生きる希望 イバン・イリイチの遺言』メモ その3

 かたい話も、むずかしい話もするつもりはなくって、「無償性」なんて言葉もどうでもいい。要するに「ともだち」ってことだったり、「好き」ってことだったり。そういうことが何よりも大事で、僕は本当に、自分が愛する人と共に生きる以上に素晴らしい状況があるとは思えない。毎日のようにそういう人たちと接することができて、実に僕はいまハッピーです。

2012/11/05-07 月-水 庚午-壬申 帰ってから書いた日記(11/08)

 福岡初日。大阪に住んでいる、大学の後輩から連絡があったので漫画喫茶を出た。植芝理一先生サイン会の会場である福家書店に行ったら、いた。西鉄の駅の大画面のとこであやたんと待ち合わせた。三人でラーメンを食べにいった。行きたかった店が閉店してしまっていたり行列ができていたりしたので、適当なお店に入った。そうしたら壁に狐のお面が飾ってあった。運命を感じた。味はまあ、そこそこだった。
 サイン会に行った。並んだ。サインをいただいた。
 自分があれほど使い物にならなくなるとは思わなかった。サインをいただいて、ふたことみこと言葉を交わして、握手していただいて、それだけだったが、それで何もかもだった。
 歩くことも満足にできなくなって、手足が震えた。もうだめだととにかく思った。植芝先生の作品と出会って、十五年以上。それが中学生の時だったか小学校の時だったかわからないが、すでに「冥界編」の終わりかけくらいではあっただろうと思う。
 ファンレターを持ってきていたのに、渡すことができなかった(あとでちゃんと渡した)。
 近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら、しばらく落ち着かなかった。
 言葉を尽くせないし尽くしたくもないのだが、どんな時よりも動揺した。良いことか悪いことだかは、よくわからない。どんな形であれ植芝先生が好きだ。できれば友達になりたいけど、一方的になるものではないのでついつい崇敬してしまう。
 藤子不二雄先生を除けば、僕の人生に最も強い影響を与えた漫画家は植芝先生とMoo.念平先生で、二人とも藤子不二雄の子供なんだから、やっぱりもう、完璧に筋が通っている。
 しかし植芝先生は、それでもなお特別だ。なにが特別なのかというと、これはもうそれこそ言葉が出ない。僕は『宇宙船サジタリウス』や『まなびストレート!』や『あまいぞ!男吾』などについては「これが売れない世の中はおかしい! 憎い!」と大声でいつも語っているけれども、植芝先生の作品に関してはそういうことはほぼ言ったことがない。そのように特別だ。
 はぁ…植芝先生…。

 サイン会、なんだかんだ夕方までかかったので、その後五時くらいまであやたんと喫茶店で話した。四年くらい会ってなかったのでは。大学の後輩も彼も、植芝先生の読者だったというのがまたすばらしい偶然。ちなみにサイン会には僕以外に東京や神奈川や神戸から飛行機で来てた人たちが少なくとも四人いて、友達になりました。よかった。うれしい。話しかけてくれたお姉さん本当にありがとうございます。
 それから高速バスで長崎へ。

 長崎では、このサイトを見てメールをくれた男の子と会って、路面電車で思案橋というところに行って魚を食べ酒を飲んだ。初対面だったけどいろいろ話せてよかった。この日記もよく読んでくれていて嬉しかった。
 夜は彼のご自宅にお世話になった。本当に本当にありがとうございました。

 翌日は浦上天主堂、平和公園などを歩き回った。有名な平和祈念像っての、生で見たけど、あれはすごい。彫刻を見てこれほど圧倒されたのは初めてかもしれない。とにかく、像それ自体の造形がすばらしい。また、直前に原爆資料館や原爆落下中心地を見てきたっていうのが、それ以上の気持ちをもたらした。かつて原爆が投下された、太陽の輝く青空を高く、平和祈念像が指さしているという光景は、さすがに胸をうつものがある。
「なんで平和祈念像がどう見ても西洋人なんだよ!」って思ったこともあったけど、よく見れば顔は完全に仏だし、あのあたりはクリスチャンの街でもあったわけだから、これでよかったんだろうな、と実物を拝んで思った。
 平日の昼間だったけど、祈る人や、泣いている人はいた。
 資料館の前で暴れてる若者もいたけど。

 それからバスに乗って長崎駅まで行き、福岡までのバスを予約して、路面電車に乗った。西浜町というところで降りた。眼鏡橋まで歩いて共楽圏というところのちゃんぽんを食べた。
 眼鏡橋の近くにカステラ屋さんが三軒ある。何も考えずに適当に入ったら、有無を言わさぬ勢いでカステラを試食させられた。おいしかった。お茶もおいしかった。なんという行き届いた営業だろうかと思った。三軒とも試食させてもらって、どこも美味しかったが、特筆すべきは勝喜堂。僕はたぶん永遠にカステラといえば勝喜堂と言い続けると思う。長崎に行く人はぜひ寄ってみてください。よい店です。ほかのカステラ屋は着飾った女性のスタッフが何人もいて、立派な箱に入った高級感漂うカステラを売りにしているのだが、勝喜堂はおっちゃんが一人いるだけで、箱も包装紙を巻いただけだ。五三焼きと普通のカステラの見分け方は、「五三焼き」というシールの有無だけで、同じ包装紙を使っている。しかも僕が行った時はシールを切らしていたらしく、紙をノリで貼り付けたものだった。店構えも、あえて言えばあばら屋のような、古くさい作りで、張り紙とかもだいたい手書き。他店の小綺麗で気取った感じとはまったく違う。僕はドラえもんに出てくる「あばら屋」という和菓子屋を思い出した。ああいう店です。本当にすばらしい。味も本当によかったです。砂糖を少なめにして、オリゴ糖を入れて作っているそうです。
 甘いものに目がないという、最近よく行くからあげ屋のお兄さんに食べてもらったら、「こんなにおいしいカステラ初めて食べました!」と言ってくれた。

 歩いて出島へ。何時間もかけて見学した。出島は今や非常に見所のある観光地になっているので、歴史好きな人には本当におすすめ。
 出島を見終わる頃には(とても全部は見られなかったが)バスの時間が近づいていたので、駅へ。一応文明堂のカステラも食べた。よくわからなかった。

 福岡に戻り、天神にある、昔むめいで店長やってた方が独立開業したバーへ。素敵なお店だった。お酒、どれもおいしかったです。特に「J.M」というラムがふるっていた。
 あやたんとそこで待ち合わせて、西新の味一というラーメン屋へ。ここは本当に美味しかった。福岡で三回ラーメン食べたけど、ここだけが美味しかった。あとは普通だった。そして、ここが一番安かった。まあ、そんなもんだよな。看板が派手でなく、かつ食券制でない店にしかもう行かないことにしようかな。
 天神の漫画喫茶に再び泊まった。

 午前中、太宰府へ。梅ヶ枝餅を三回食べた。天満宮しか行けなかったけど、歩き回るには充分な広さだった。
 帰り、大野城市に寄った。ラーメン食べたけど普通だった。
 博多駅を覗いて空港へ。うどん食べた。柔らかかった。

 成田に着いたのが17時くらい。19時から、山口県から来る友達と例のからあげ屋で酒を飲み飯を食った。カステラも食べた。実にいいお店。東中野だからみんな行こう。
 仕事場で寝た。起きた。仕事した。家に帰ってまた別の仕事(?)した。
 遅くなってすみませんでした。

2012/11/04 日 己巳 漫画喫茶で書いた日記(10:17)

 きつい。11/1は誕生日でありました。
 徹夜明けになる予定の2日は早めに帰りたかったので、明日のぶんまで仕事するぞーと張り切っていたら、午後4時前に「木曜喫茶の営業は今日で最後にしてください」という通達がきた。それであらゆるやる気を失ってしまった僕は、いろいろ考えながら過ごして、仕事ができなかった。
6時半ごろに店に行ったら、すでに2人のお客さんが扉の前で待っていた。長野県からいらっしゃっしゃる常連の方(ありがたいことに、そういう方がいるのですよ)と、教え子の高校二年生の男の子だった。
 お店に入って話していると、ぽつぽつお客さんが来たり、帰っていったりした。「最終日である」ということは、まだ僕の中で決定していなかった。(そのときはまだ、ほんのわずかながら「通達」に抵抗するつもりがあったし、もし「条件付きで続けてもいい」というようなことを言われたら、続けるつもりだった。)だから、何人かのお客さんに「最後かもしれないんですよー」と、言うにとどめた。
 誕生日だったから、みんなに祝ってもらえて、本当にうれしかった。ある意味、僕だけにとったら、これが有終の美だったのかもしれない。誕生日だっていうことで、いろんな人が来てくれたし。特に、7年以上前からこの店で会っている人も何人かいて、とてもよかった。よかったけど、やっぱり終わりっていうのは寂しいものです。もちろん。

 ドラえもんのケーキを作って(て、てづくり!)きてくださったH子さん、ありがとう。
 すてきなお祝いをみなさん本当にありがとう。
 この夜のことは忘れないでしょう。たとえ忘れても、僕の中に何かの形で生き続けるでしょう。ともにすごせてよかったです。大好きな人ばっかりが来てくれて、それでいて初めての方もいて、幸せでした。

 朝になって、仕事に行きました。夕方くらいまでぜんぜん頭が働かなくって難儀した。しかも、19時ごろから23時ごろまでいったん家に帰って大切な用事を済ませたので、仕事が終わって家に着いたのは朝の5時だった。それで寝た。

 気がついたら10時46分だった。勤めていた学校の文化祭で、11時45分から、仲のよい子のダンス公演があるので、死ぬ気で13キロ、自転車を漕いでなんとか間に合った(すごい)。
 毎回楽しみにしている中学演劇部の公演も見た。本当にすばらしかった。いつも思うけど、この子たちの公演後の涙は美しい。泣くっていっても卒業公演の時くらいだけど、今回はいろいろ事情があったみたいで、泣いている子がいた。僕はこの部を好きでいて誇りに思う。

 もっとも心が休まるのは、高校のイラスト研究会とか美術部のあたり。写真部、理科研究部、社会科研究部、コンピュータ部(このへん、正式名称じゃないかもしれないけど)とかも密集している地域。「そういうやつら」しか来ないので、とても楽しい。

 たくさんの教え子(教えてないのもいるけど)や、その親御さんなんかに声をかけられて、まことに幸せです。まあそれも、今年くらいまでかなあ。来年はぎりぎりいくかなあ。みんな卒業しちゃうんだよな。その後になっても、附属の大学のほうにいけばいいんだけど。

 学校っていうのも「場」であって、そこにはすっげー強い引力があって、みんなは集まってくる。だけど、すっげー強い引力は、すっげー強い反引力(?)に変わるから、「卒業」っていうことと同時に、まったく散っちゃうんだよね。ふつう。さみしいな。もう会えない子もいるんだろう。いつか再会するために、今のうちに少しでも会っておかなければならないから、毎年なんとか文化祭は行く。

 夕方、祭りの終わりの匂いが香ってきたころに帰った。
 みんな、まだまだ仲良くしてください。
 全員と、いつかの再会を願っています。

 イベントだらけなんです、ここんとこ。誕生日だし、むめいは最終回だし、僕の人生に大きな転機をもたらした学校の文化祭で、みんなと会ったし。そして11月4日には、福岡で植芝理一先生のサイン会。
 うえしば先生は、ご存命の漫画家さんの中で、いや、こんなこと言ってもしょうがない。僕はうえしば先生が好きです。
 初めてのサイン会だから、ひこうき乗って、初めて福岡へ行きます。

 家に帰ったのが5時くらいで、ちょっと買い物に行って、帰って寝た。3時間だけ寝て、夜の9時にちゃんとおきた。よかった。準備して電車乗って、終電で成田駅まで行った。らーめん食べて歩き出した。
 本当は、駅から3キロのネットカフェにいって少し休んで、そっからまた8キロ歩こうかと思ってたんだけど、成田山に続く道に見とれていたら道に迷って(というか、そのまま本当に成田山のほうまで行ってしまって)、予定が完全に狂った。駅からまっすぐ行くと8キロちょいくらいなので、大幅に時間が余ってしまう。そこで、駅から3キロくらい歩いたところのミニストップに行って、休憩することにした。
 ほっとコーヒーとレターセットを買って、植芝先生へのファンレターを書く。
 2時間かかっても書き終わらず、便箋は9枚に及んだ。
 それでも植芝先生に対する想いは、1000分の1も伝えられない。
 ファンレターなんてほとんど書いたことないから難しかったけど、少しでも。

 ミニストップのおじさんがいい人で、そこから空港までどのくらいで、何時くらいに出たらいいか、ということを教えてくれた。世間話のようなこともした。このミニストップには、また来たいと思う。

 4時前からふたたび歩き始めて、ちょっと迷いそうになったところもあったけど、研ぎ澄ませて、歩いた。月明かりしかないような暗い道で、星がよく見えた。

 5時すぎに空港に着いて、荷物検査を受け、待合ロビーへ。
 ファンレターの続きを書いてから、笙野頼子の『成田参拝』を読む。成田で読むと、またすごい。 飛行機に乗って、窓の外を凝視していたら、『成田参拝』に出てきた神社らしきのが見えた。一瞬だけ。こっち側の席でよかったと思った。ただ、本の写真では神明鳥居だったのに、明神鳥居があった、ような気がした。一瞬だったからよくわからないけど。違う神社なのかな。あとで航空写真みて確認しよう。

 2時間弱のフライト、まったく眠れなかった。
 天神で長崎行きのバスを予約して、それから、ネットカフェに来た。今。
 九州で僕は何人の人と会えるだろう。

2012/11/07 水 壬申 帰ってきました

 とりあえず帰ってきました。
 いろいろ書くことがあるのですが時間が足りません。
 もう少々お待ちくだちい。

2012/11/03-05 土-月 九州

 初めて九州に行って参ります。
 植芝理一先生のサイン会です。
 あと長崎にも行く予定です。
 ちょっと待っててくだちい。

2012/11/02 金 丁卯 創っていくことの素晴らしさ。

 昨日言っていたことの続きですが、やはり「場」は消滅しました。
 僕が無銘喫茶のカウンターに立つことはおそらく二度とないでしょう。
 木曜日が暇になります。旅行にも行けます。

 初めて無銘喫茶に行ったのは、2005年の、たぶん6月くらいの、木曜日だった。
 居心地がよくてそのまま居着いた。
 他の客にとったら、「なんだあいつ?」ってこともあったのかもしれないけど、僕はしぶとかった。それで結局は僕と、僕を好きでいてくれる人たちがその場所には残った。(もともとそういうことでしかないのだ。)
 2006年くらいから、月に一度店長をやっていて、2008年の6月だか7月だか……忘れたけど、そのくらいから毎週木曜日に立つようになった。それから四年半弱の木曜日で、営業をしなかったのは二回しかない。2009年の12月31日と、2011年の3月17日。前者は当時のオーナーから「パーティやりたいから譲ってくれ」と言われて。後者は大震災のあとだった。
 20時から朝まで、翌日に何があろうと立ち続けた(夜中に寝てたことはよくあったけど)。時には昼から昼まで、いや昼から夕方までいたようなことも昔はあった。

 2008年にどうして僕が木曜日の店長を始めたのかといえば、その時に水・木を担当していた人が辞めてしまって、その穴を埋める形で、引き継いだのだった。それはもちろん、2005年に僕が初めて来た時の店長で、彼のお客さんのうちいくばくかは、僕のお店にも来てくれていた。もちろん、僕がやり始めてしばらくすれば、「僕のお客さん」だと言えるような人だけになっていった。

 僕にとって無銘喫茶は、というより、木曜日の木曜喫茶は、「引き継いだ」という意識でやっていたものだった。
 だから木曜喫茶は、厳密には「僕の店」ではない。僕は持ち主でもなければ、店をつくった側の人間でもない。ただの客だった。しかも、「やりたい!」と積極的に手を挙げたわけでもない。僕が店長をやろうと思った、というか、やらざるを得なかったのは、「この場所がなくなったら嫌だ」「自分や、いまここに通ってきているお客さんの行き場所がなくなるのは嫌だ」という理由が最大のもので、自分の「やりたい」という気持ちは、それほど大きいわけではなかった。もちろん、「自分以外には絶対適任はいないし、自分がやるのならきっと楽しくできる、よい場がつくれる」という見通しもあった。そしてそれは、おそらくその通りになっていた。幸せなことに。
 僕は本当に楽しかったし、常連の方々も、常連であるからには、きっと楽しんでくれていたのだろうと思う。
 でも、何かが違うというのは、「これは僕の店ではない」ということだった。そして、「みんなの店でもない」ということだった。
 僕は、すでにあったものを利用して、その良いところを活かし、自分に合わないところを削っていって、「自分がやるのならこんな感じがいいのだろう」と思うようなところに店の雰囲気を落ち着かせた。どんな店にしようか、いろいろと迷いもあったけれども、最終的には、「僕がここに立っていればなんでもいい」と結論した。これはきっと驕りや自信というのではなくて、たんに僕と僕のあり方が、お客さんにとって何らかの「目印」になるのだ、ということがわかったし、自分もある程度そのように振る舞えるようになったがゆえの、「自覚」である。ちょっとわかりにくいか。でもいい。
 僕が立っているところを見て、「ああ、あの人が立ってるんなら大丈夫なんだろうな」と思ってくれるようなお客さんが、木曜喫茶のお客さんだったのだ、と思う。単に。

 今回、僕がどうして木曜喫茶をやめることになったのか、というと、ある見方をして言えばそれは「僕の店ではないから」だ。
 僕の店ではなくって、持ち主がほかにいる以上、持ち主の判断が絶対なのだ。いや、本当は絶対ではない。常識や法律を武器に戦って、ある程度の権利や発言権を勝ち取ることもたぶんできただろう。相手に譲歩させることは、ひょっとしたら不可能じゃなかったのかもしれない。しかし、持ち主と「そういう関係でしかいられない」ということは、「ここは僕の店ではない」という事実をより鮮明にさせるし、そうなった以上、「ここはみんなの店でもない」を強調することにしかならない。
 相手に譲歩させて勝ち取ったものは、決して自分のものにはならない。(僕はこういうことをろくに考えもせずにまず書いてしまいますが、まあ、だいたい合っているでしょう。)
 僕の主張は僕の主張としてあって、持ち主の主張は持ち主の主張として“独立して”ある。そうなると、「僕の店ではない」以上、「持ち主に譲歩させる」という形でしか、僕の主張を通す目はない。そうでなければ、弁護士がどうの、という話になってしまう。
 しかし「譲歩させる」というのはもちろん、勝ちではない。
 そういう状況のもとで、僕は何をやる気もない。
 そうやって勝ち取った「場」は、もうもとの「場」ではないから。遅かれ早かれ、ということにしかならないはずだ。

 そして、まあその、正直に言ってしまえば、持ち主に「譲歩するつもりがない」ということが、決定的だった。
「譲歩するつもりがない」という言葉をもう少し補足すると、「この問題を解決するためにはこちらが譲歩するしかないのだが、しかし自分にはその気がまったくない」ということだ。
「譲歩」という選択肢しか、そこにはなくって、そしてその唯一の選択肢を、取る気がない。
 僕が思うのは、「どうしてそこには譲歩という選択肢しかないのか?」ということで、そういう状況であるならば、僕にはもう一つの選択肢もない。なぜならば僕は「譲歩させる」という選択肢に意味なんかないと思っているからだ。
「譲歩」なんていう、野蛮な、数直線的な選択肢しか持ってないような相手に対して、僕は何もできないのだ。
 僕は、そういう世界で生きていないから。
 生きていたくないからか。

 譲歩、っていうのは、選択肢じゃないんです。
 そもそも。
 それは「手順」のうちの一つなんです。結論を導き出すための。
 それなのに、「譲歩の有無」というものを結論にしたがる人がいる。
 僕はただ、そうなのかあ、仕方ないなあ、と思って、「じゃあいいです」と言う。

「創っていくことの素晴らしさ。」というフレーズは、たぶんこのホームページの、開設当時から掲げられている。
 15歳の僕を、すげーと思うよ。
 こんなにも、「創っていく」ということが軽視される時代になるなんて、きっと予想もしてなかっただろうにね。
 ブログだの、SNSだの、ツイッターだの、そういったものが隆盛するはるか以前に僕は、「創っていくこと」を礼賛していた。
 その一つのあらわれが、htmlのこのサイトだったわけだ。
 今は、「あらかじめあるものに乗っかっていく」時代であるようで、「創っていく」ではない。
 僕にとって木曜喫茶っていうものは、「創っていくこと」の結果ではなかった。過程ではあったのかもしれないけど。
 だから、やめるっていう決断はあっさりしていた。

 このままここにいたら、楽しいは楽しいのだろうけど、「創っていく」ことにはならない。持ち主と「一緒に創っていく」ということができるのならば、それが最高ではあるのだが、今度ばかりはどうやらそういうことじゃないらしい。

 僕は泣かないし、怒りもしない。
「そうなんだ」と思う。
 それから「そうだよな」と思う。
 そういうもんなんだよな。

 場所を失うことが大切だ、などとは言わない。
 しかし場所を創る原動力というのは、場所を失った悲しみにしかないのではないか、とも思う。
 それも僕が、やめてもいいかな、と思った理由の一つです。
 失って、あきらめないで、また創る。
 それが僕だけじゃないことを祈ります。

2012/11/01 木 丙寅 矢の如し。

 一瞬の永遠、混沌の秩序。
 あの頃、向陽高校演劇部の練習台本といえば「サイレント・シーズン」ってやつで、その中にさりげなく出てくるフレーズ。

 場を失うということだけが嫌だった。
 近所の公園も、ドラえもんチャットも、十三の「おかわり」って店も、なくなってしまった。そこにいた人たちとはもう会えない。
 いや、会うことはできる。
 しかしその場所に立っていた僕らは、やっぱりその場所に立っていた僕らでしかないのだ。
 違う場所にいる僕らは、違う場所にいる僕らとして再び出会うしかない。
 それは悲しいことかもしれない。
 僕にとってはさみしいことだ。

 いま一つの場が風前の灯火である。
 明日になれば笑って、「なんとかなったわ」って言えるようなことかもしれないけど、今の気持ちはなんともならない。
 この火が消えたら僕は困る。
 その場にいる多くの人が困る。
 まずはその火を消さないこと。そして、
 消える前にほかのところへ火をうつすこと。

 僕はもう泣きたくなんかないので、それをするしかない。
 あらゆる知恵と経験と、友達を頼って、
 なんとしてもこの火を絶やさぬように。
 新しい火が新しい世界を照らすように。
 新しい世界が美しくあるように。

 新しい火がともる。そこにいる僕たちは新しい僕たちだ。
 かつてあの場所にいた僕たちはもう出会えない。
 新しい僕たちが楽しくありますように。
 それだけを願う。
 難しいことだと思う。
 しかし、そうするからにはかつてよりもっと素敵な場を作らなければならない。
 ドラチャが閉鎖して泣いていた15歳だか16歳だかの自分が、「当たり前だろ」と言う。「お前にはもう、そのための力があるんだから」
 そのために、そんなに頑張ってきたんだろう。

 僕がこのホームページを十二年以上にわたって、なんだかんだ色々ありながらも続けてきたのは、ここがもうすでに一つの場だからです。
 そういうこと言うの何回目だよ、って感じだけど。
 ここが「自分そのもの」だとか、「自分の一部」だということではなくって
 自分がいて、みんながいる、一つの「場」なので。
 独壇場ではあるけれど、お客さんの顔はふだん、見えないけれども、
 僕とみんなが立っている場所であるので。
 だからこそリニューアルにあたってチャット復活させたし、掲示板もわかりやすいところに置いた。ってーか、15歳の自分が「こういうデザイン」にしたのって、やっぱホームページを「場」だと思ってるからなんだろうね。
 誰か忘れたけど、今みたいなデザインだったころにリンク貼ってくれていた人が、コメントで「チャットと掲示板とリンクがメインのようです」って書いていて笑った。
 あー、そういうふうに見えるのかー、って、その時はショックだったけど、今では「それほど名誉なことはない」って思える。
 なんでこんなデカデカと、「CHAT」とか「BBS」なんて文字を掲げてんのかって、やっぱ僕がそれらを好きだからなんです。「LINK」もね。つながり。
 それがメインでない限り、どうしても「場」にはならない。
 そうわかった時、僕はこの何年かのこのサイトのデザインを振り返って、なんか申し訳ない気分になってしまった。
 僕はもう、ここが「場」であるということから逃げないことにしよう。そうしていたつもりはまったくないけど、そうなってしまっていた。デザイン的に。
 それに引き替え、15歳の僕はなんて潔いというか、堂々たるデザインを考えたもんだと思う。もちろんそんなつもりはまったくなかったはずだけど、そうなっていた。
 元来がさみしがりやだから。
 違う。さみしがりやだってのもそうだけど、「人々がさみしがっているってのは、おかしい」って思ってたんだ。
 で、「さみしくない」ための希望として、幼かった僕はインターネットにはまり込んだんだ。
 もちろん今の僕は、インターネットに対してそれほど希望を持っていない。だけど、好きであることは確かだし、れきとした「場」にもなりうるだろう、ということもわかってきた。
「人々がさみしがっているのは、おかしい」
 これはずっと変わっていない。
 そして、「さみしくないためのインターネット」ってのも、あるかもしれないと今、思っている。
 ただ、インターネット「だけ」に「さみしくない」を求めれば、「もっとさみしい」が来るだろうということも、知っている。
 じゃあどういうバランスがいいのか? ということを探る。または、「インターネットで何を言えばいいのか?」ということを探るのが、僕の散歩の意味だというだけ。

 何かが終わりそうだ。
 終わらないかもしれないが。
 終わったとして。僕は泣かない。
 なくなれば作ればいい。
 消える前の火を救えばいい。

 そりゃ、火は弱まるだろう。照らせる人の数は減るだろう。
 でも泣かない。まずはそれでいいと思う。
 もう歩き続けるしかない。
 それが28年間も生きてきた人間の責任である。

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