少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2013/10/31 木 恋愛と信頼

 とんでもない邪悪(と、僕はどうしても思う)とぶち当たって、落ち込んでいたけど、おざ研でみんなと話して、それから解決への道筋を当事者と相談して、なんとか生きていく気がもてました。昨日から今日にかけては、僕の人生の中で最も死に近い時間だったかもしれない。
 僕が不安なのは未来だけなので、過去に拘泥するつもりはない。つもりはなくてもちらつくものだから、工夫してなんとか処理していくけど。それでも明日が見えないことの不安はどうしようもない。人間はすべての邪悪を、心の中にある光(「すべての色を含んで未分化」な「無色の混沌」)の中に抱え込んでいて、それは些細なきっかけで出てきてしまう。僕はこれからもまた別の、もしくはもしかしたらまったく同じ根の邪悪に、ぶち当たるかもしれない。
 いま、物凄く腹が立ってディスプレイを破壊しそうになってしまった。落ち着こう。こういうことが将来もあるのか。まさか自分が再び思い出し怒りの呪縛に苛まれる日が来ようとは。仙人もハダカを見れば雲から落ちるよ。
 とんでもない邪悪は誰の心にもあって、その扱いを間違えればどん底まで人を傷つける。それは僕にも可能性のあったことだ。そうならないために、「ちゃんとあらかじめ確認」というのを徹底しなければならない。だろう運転ではなく、かもしれない運転。
「まさか、この人はこんなことしないだろう」に甘えていては、いけないのだと、僕はようやくわかったのだ。おめでたい僕の頭は、要するに甘えていたのだ。他人を信頼するということは、責任を放棄するということだ。信頼などないのである。それは「恋愛などない」ということと同じだ。ないところに、あると思うのが、恋愛であり、信頼なのである。信頼なんてない。ただ「信じる」ということだけがあって、それは常に能動的になされなければならない。
 恋愛なんてないのだ。ただ「恋心」だけがある。と、西間木さんという人が言っていた。その通りだと思う。この言葉を聞けただけで、僕はこの人に出会って良かったなと思えた。素晴らしいフレーズで、バーナード・ショーとかそういう感じの人が言っていてもおかしくない。
 同じだ。人間には「信じる心」だけがある。信頼なんてものはない。それはまやかしだ。「恋愛」が、理想や希望や期待を相手に押しつけるのと同じようなことであるのと同様に、「信頼」というのも、相手任せの無責任だ。「他人である」という前提がない。同化しようとして、道連れにして、大抵は良くも悪くも共倒れする。無責任の結果、邪悪な事件が起きたって、それは文句の言いようがない。僕は事が起こってようやく、それに気づいた。なんて単純でバカなおれ。
「信じる」ってことは自分の責任で、能動的にすることなのね。「信頼したから、あとはヨロシク」なんてのは、責任の丸投げだね。そんなことしたら、汚職はあるね。人間関係ってそういうもんではない。よし、そうか、そうだったのか。(C)芝浦慶一『快探偵ZERO』
「信じることが真実へと繋がる」なんてことをもうずっと僕は言っていて、「違うかな?」と思うこともよくあったけど、でもやっぱりそうなんだな。「信頼する」だの「信用する」だのというのは、どこか他人本位だ。「信じる」だけが、シンプルで、責任感がある。ビリーブ。エスペランサ(希望)とエスペラール(待つ)が似てるみたいな。

 邪悪はある。「誰もが心の中に西原を持っている」なんてことも、言ってたなー。西原という、死んでしまった僕の友達はこのフレーズを絶賛してくれた。「そうなんだよ、みんなおれなんだよ、でも本当にそうだったらこの世は終わりだ、絶望だー」みたいなことを、泣きながら笑いながら言っていた。西原は邪悪な奴だった。僕の心の中にも西原のような邪悪さがあったのだが、それを出さないように心がけていた。僕は彼が邪悪さを隠さないでいられることが羨ましかったし、彼は僕が邪悪さを隠しおおせているのが羨ましかっただろう。そして「羨ましい」はそのうち「妬ましい」とか「煩わしい」に変わって行ったのではないかな。
 どうしたら邪悪なことになんないかっていうのは、繰り返しになるけど、「ちゃんとあらかじめ確認」して、各人の責任のもとで、お互いに「信じる」をやるしかないんでしょう。はー。ようやくここまで来られたよ。もうちょっとなんとかやりたいね。
「信頼」や「信用」は、裏切られれば相手への憎悪や絶望に変わりがちだけど、「信じる」は自分の責任だから、「信じた自分が悪かった」「もっと確認を徹底しておくべきだった」「途中経過も観察するべきだった」などなど、いろんな反省が出てきますね。それは膨大な煩雑な作業で、たぶんいやんなるけど、やんなきゃしょーがないんすな。
 僕は信じていたつもりで、信頼や信用を相手に丸投げしていた。それに甘えて、あるいはつけ込んで、またはそのことに孤独や寂しさを感じて耐えきれず、ついに裏切る。それが人間なのだな。
 愛することもね。いくらでも丸投げできる。それだけは、してはならない。

 だから僕は、邪悪だとどうしても思う、ある事件を許す。引き受けるしかない。そこには徹底的に邪悪な部分と、ある程度仕方のない部分を僕は感じていて、前者はやっぱり、感情的に許せないというか、さっきディスプレイを破壊しそうになった部分で、「どうしてそんなことができるの? 人間として本当に醜いよ」というようなところだ。後者は、「そういうことはしちゃうだろうけどさ、もうちょっと慎重になってもよかったよねえ」というところ。後者はだいたい受け入れた。僕にも責任はある。前者に関しては、「あまりにも邪悪だから禊ぎをしたほうがいい」とか「そこだけは深く深く反省すべき」とか思う。殺していいんだったら、一人くらい殺すかもしれない。世のためにも。

「いろいろ建て直そう。震災みたいなもんだよ。杜撰な工事をしていたら倒れる。逃げなければ津波にのみ込まれる。管理が甘ければ放射能が漏れる。」
 と、ちょうど今、僕はメールに書いた。
 単純にまあ、そういうことなのかもしれない。「かもしれない運転」ってやつを忘れたまま、のほほんと楽しんで、甘い蜜を吸っているだけでは、いざというときに甚大な被害が出る。甘えてはいけなかったね。
 信頼して金だけ渡して、「じゃ、これで原発ヨロシク」とか言ってたら、いつの間にかいろんなところで中間搾取が行われて、そこにいる誰かが私腹を肥やして、末端では「こんな予算じゃまともな運営ができないよ」とか言ってたりする。あーあ。そっから僕はなんで学べなかったんだかな。未熟。

「先に立たない後悔は後で役に立てよう」って、奥井亜紀さんの復帰作(厳密にはどれが復帰作といえるのかわからないけど)『DENIMUM』収録の『明日は明日の風まかせ』って歌にある。僕はこのアルバムの持っているパワーが大好きだ。最初の曲『アウトレット』の最初のフレーズは、「そんなルールは無視しよう」だ。
『AKA』という曲は、奥井亜紀さん自身が「第二のデビュー曲」みたいに言うこともある、重要な曲。過去を見つめ直して、再び歩き出そうとする、決意の曲。
「前に歩いて行きたい 私の心はいつでも赤い」(『AKA』)

2013/10/30 水 許し男

 だいたいのことは許した。
 許しすぎて笑えるくらい許したし、表情一つ変わらなくなるくらい許した。もうこれ以上許すものはない。コンクリ殺人の犯人を許すより難しい許し方をした。あとはもうだいたいのことは許せるだろうと思う。
 その「許す」ってのは、藤子・F・不二雄先生の、『ボノム=底ぬけさん=』のような許し方だった。あのおじさん、仁吉さんは全てを許したが、自分の家内が寝取られているのを目撃して、凄まじい顔をした。然る後にそれを許し、仏のポーズで玄関先に座りこんだ。(読んでみてください。)
 僕もそのような顔をしていたと思うし、そのようなポーズを取ったような感じの様子になった。僕は仏だったんだな。そして仏になるには、凄まじい顔をしなければならないんだな。仁吉さんはそのままその凄まじい顔のままで仏になった。僕もそのように、凄まじい顔のような顔をし続けるのかもしれない。
 今日から僕はもっとニヒルになるだろうし、自由になるだろう。しかしそれでも何かを信じ続けるのでしょうね。信じるものがだんだん削られていって、最後には米粒よりももっと小さなかけらになるのかもしれないけど。ダイヤモンドのように輝く何かかもしれないし、結局ゼロになるだけかもしれない。でも、時にため息をついて、凄まじい顔をしながら、更新していくのだ。とにかく。

 心は穏やかではないけれども、しかし人生はそんなもんだ。ほとんど取り乱さなかった自分に対して、本当に知行合一だなと思った。ある意味「知」なるものの奴隷だ。くだんねー人間かもしれない。でも偉大だよ。仏だからな。
 自分が酷い人間だから、他人がその程度の酷いことをしても許せるのかもしれない。「ま、そんなもんだよね」と軽く思える。しかし僕の頭はお花畑だから、いくらでもヒントはあったにも関わらず、わからないものはわからない。友達が友達と付き合って結婚して子供産んでても、最後の最後までわからない。「え、マジで?」ってビビる。あとはまあ、別に。

 自由にすればいいよ。誰もが皆、自由に。許し合うことだ。そのことにやけくそな確信が持てた。自由、自由。それしかないね。だいたいのことはそれで許した。
 夜回り先生が言ってたよ。何をしてもいいけど、することに責任を持つようにしよう、それが君の人生を豊かにするんだって。本当にそう思うよ。君は永遠に背負い続けるだろう。そしてその分の豊かさを獲得するだろう。僕もたくさんのものを背負って生きている。同じことだよ。
 先に立たない後悔を、無数に背負って、その分だけ豊かになって、優しくなって、自由になって、自由を許して、歩こうとしてる。下手くそなときもあるけれども、できるだけ。うん、好きにすればいいんだ。『ガウェインの結婚』を読んだときから決まってたんだ。もちろん『ボノム』も。あるいは『Peter and Wendy』を。尾崎豊の『自由への扉』も。

 今回わかったのは、僕の言ってることは想像以上にわかられていないってことと、時間が経ってわかってもらえることもあるということだ。そのことのぶんだけ、僕の人生はこれから豊かになるだろう。しかし闇雲に人を信用することはなくなるだろう。この場合の「信用」というのは「過度な期待」ということだ。「まあ、この人はこういうことはしないだろう」という種類の想いだ。そんなもんは何度でも裏切られている。僕だって裏切っているだろう。「だろう運転」ではなく「かもしれない運転」というのは鉄則で、それを僕は知っていたはずなのに、目は曇るな。
 過度な期待は、相手を縛ることでしかない。それは自由とは正反対のことだ。うっかりしていた。というよりも、他人を自由にさせるのは、恐ろしいことだから、したくなかった。しかし僕も人の親になりたがっている人間なんだから、そういうことはちゃんとわきまえておかなければならないので、ある。

 絶望は前提だって、僕が言った言葉の意味、わかるだろうか。僕の絶望的前提は、さらに深まったよ。でもそれは僕の人生を豊かに、静かにしていくことでしかないよ。脳天気は剥奪されてしまった。僕はさらに深い優しさを持つだろう。でもそれは、簡単に人にわかってもらえるようなものではないのだろう。その優しさは今回のように、人を傷つけてしまうだろう。気づかれるならその後に、それが優しさであったと知られるものだろう。手遅れでなければいいんだが。
 人生、何が起こるかわからないし、誰が何をするか、本当にわからないものだ。そんなことはとっくにわかっていたけど、実害がなかったから、もうちょっと、って遊んでいたんだ。遊んでいるうちに手を切った。それでようやく反省をした。「ああ、ナイフって切れるんだ」って。
 あの人たちを僕は好きだったんだ。好きでいたかったし、今でも好きなんだ。
 僕は深く深く落ち込んでいる。殴られれば痛いし、悪口を言われれば傷つく、普通の人間なんだ。「知らなかった」ですまないことだってこの世の中にはある。でも、それは未来に抱えていくべき問題だ。それを優しさにできるよう、精一杯生きていこう。
「知らなかった」で人を殺す。それはいけないことだ。だけど「知らない」人は許さなければいけないし、教えなければいけない。教えてわからないのなら、殺した方がいいのかもしれない。殺したとしても、許している。僕はそういう人間なんだ。冗談じゃなくて本当に。

2013/10/29 火 溶けない男

 友達が友達と、二年くらい前につきあい始めて、結婚して、子供が産まれて一ヶ月以上経っていたということを知った。男のほうが突然「手紙を読みます」とか言って読み出して、それが友達の女の子からの手紙だということはすぐにわかったんだけど、どうしてこいつがそれを読むのかわからなくって、「?」って思ってたら署名として書かれていた女の子のほうの苗字が男のほうに変わっていたから、「え?」ってなった。付き合っていたことすら知らなかったので。
 そういうこともあるんだなー、と思った。「なんで言わなかったんだ!」なんてことは微塵も思わなくって、むしろ笑えた。面白かった。「この二人を引き合わせたのは僕といえば僕なわけだから、仲人的な感じだよなー」なんて考えて、「感謝しやがりなさい」とか思ったりした。その程度だったけどとてもショックだった。
「人生、そんなこともあるんだな」と。
 この男は、僕が思ってたよりもずっと、シュッとそっちに行ける人間だったんだなと思った。僕はシュッと行けない。僕が結婚できないのは慎重だからだろう。臆病だと言ってもいい。勢いがないと言ってもいい。それから、シュッと行くためには、自分を溶かして、何かと絡み合っていくことが前提になる。そう僕は思っているから、難しいのだろう。
 まだまだ溶けない。そろそろ溶けたい。でも、溶けない魅力ってのもあるんだよなとも思う。溶けないで、シュッと行かないで、普通に歩いていくのもいいじゃないかと思う。その途上でなんでもあるなら、なんでもあればいいのだし。
 ずいぶん抽象的な話になってしまったが、必然性があれば溶けます、っていう、ただ単純にそういう話なんでしょう。では「自分にとっての必然性」とは? ってなると、また考え込んでしまうけど。
「溶ける」というのはネガティブな意味合いだけではないです。

2013/10/28 月 昔からあるバー(ナード)ショー

 いま四谷三丁目で仕事をしているので、荒木町という昔からあるバーショーを散歩してみた。かつては松平摂津守(美濃藩)の江戸屋敷で、その後は花街として発展したらしい。今でも古い街並みを残し、バーや小料理屋など小さな飲食店が建ち並んでいる。なんてことはイナカモノゆえ初めて知った。歩いてみれば確かに面白い町だった。
 くまなく歩き回ると、小さな路地の真ん中に、赤い看板があって、見ると、80年代を中心にした古めの音楽を愛する人向けのバーらしかった。YMO、フリッパーズ・ギター、ピチカート・ファイヴ、大滝詠一、沢田研二などのレコードジャケットが見え、僕の好きなあたりにすっぽり当てはまったので、入ってみた。とてもいいお店だった。細野晴臣さんと中沢新一氏の対談本『観光』のハードカバーを初めて手に取ることができて感激した。
 歩いてみるものだな、と改めて思った。当たり前だが、ネット上に存在しないもののほうが多いのだ。今の人はそれを忘れかけている。僕だってともすればそうなりかねない。

 たとえばTwitterで、「さっきまでおざ研にいましたー」なんてAさんがツイートして、それを見たAさんの友達のBさんが「あー、行けばよかったなー」とツイートする、なんてことはけっこうある。今の社会はそれが普通になってしまっている。特にmixi以降の社会というか。さらに言えば携帯電話以降なのかもしれないけど。
「未知のもの」に対する信頼が、ぐっと薄くなっているのを感じる。ささやかな「賭け」のような感覚が、だんだん大切にされなくなっている。「既知のもの」にある安心が、「未知のもの」にあるワクワクを駆逐していく。
 歩いていれば、そりゃ、何もエラレない時だってある。失敗だと思う時もある。でも、「今度の本の表紙のためにカメラマンの知り合いがほしいな」とか思って昔からあるバーショーに行ってみたら、そこにたまたま若いカメラマンがいて意気投合して、「じゃあ今度」なんて話になることだって、ざらにあるのだ。なんもなきゃ、酒飲んでマスターと話して帰ればいい。それを愛せなければ、何とも出会えない。そういうもんだろう。

 何もないことを愛せるのはいい。おざ研に誰も来ないとき、一人で酒を飲んだりコーヒーを飲んだりする(そんな時はタモリの『惑星流し』を主に聴く)。そういう時間は確かに愛せる。そこに誰かがやってきて腹を立てるということはない。むしろその破壊が心地よい。
 暇を買いに街へ出て、その暇が破壊される静かなワクワクを胸に秘めながら、歩いたり、酒を飲んだりする。暇を愛する人は歩けるし、黙って酒が飲めるのだ。どこかで破壊を待ちながら。たぶん僕のような人間にとって暇というのは爆発する前の緊張感なのだな。嵐の前の静けさ。それが好きだったりしてる。ずっと静かでも、それはそれでいい。

 夜道を散歩する。何もない。知っている風景。そこに現れる道祖神。隠れ鳥居。それを目的に歩いているわけでもないが、運命のように、後からそれが大切であったとわかる。
 その感じが大切だと思うから、あんまりネット上にはおざ研のことを書きませんが、よかったら適当に、暇を愛しに来てください。

2013/10/27 日 男吾と仲良くはちきんガールズ

 トークイベントに行って、Moo.念平先生とほんの少しだけお話しすることができた。
 この方が僕の人生にどのような影響を与えたか、実際僕は知らない。それほどたぶん血となり肉となり心となっている、と思う。
 僕はMoo.先生の描く、たとえば『あまいぞ!男吾』の主人公・巴男吾のように生きようとは思わない。生きたいとは思うかもしれない。でも僕は男吾ではないのだ。男吾の真似をしたって男吾に笑われるだけだと思う。だから僕は僕として、もしも男吾と出会ったら、仲良くなれるような人でありたい。
 男吾になってしまったら男吾とは肩を組めないのだ、とか。

 作品の後半、男吾は高校生で学校の先生になる。彼の教育方法は僕に真似できるものではないが、僕は友達として彼の教育を見ている。その中で吸収できるものは吸収したと思う。
 おそらく二十歳にもならないような年で「児童漫画を描く」と志し、それから本当に児童漫画しか描いていないMoo.先生。その生き方が僕には鮮烈にまぶしい。けれども目をそらしたり閉じたりするようなつもりはない。だから、今日みたいな機会があれば、目を見開いてずっと見る。そういう態度でいたら、ぐわーっ、と、Moo.先生の顔が寄ってきた。あー、思い出す。

 僕はMoo.先生を尊敬しているんだけど、だけど、ちゃんと何かが、「尊敬」なんていうわざとらしい言葉をすっかりかき消す。僕はたとえば、はちきんガールズを見てはしゃぐかもしれない。決して、「はちきんガールズを見てはしゃいでいるMoo.先生を尊敬する」ではないのだ。
 もし、僕がはちきんガールズにはしゃがなかったとしても、それがどうなんだということでもある。僕は男吾が好きだけど、男吾みたいに殴りあいはしない。それで男吾との仲がどうなるということもない。(男吾と殴りあうことがあれば殴りあうかもしれないけど。)

「二人」という関係はいつだってそうだ。愛するとか、恋するとか、そういったすべてのものは、かき消されてしまう。そういうものがある。
「尊敬」だって、「憧れ」だって、何もかもをかき消してしまうような、空間のような「好き」がある。方向のあるものではなく、長さもなく、ただそこにあるだけの「好き」があって、たとえばそれは「友達」という言葉になったり、「仲がいい」になったりする。そう、この二つの言葉には、方向なんてない。たぶん長さもなくていい。

 男吾は僕にたくさんのことを教えてくれたけど、男吾は教えようとして教えたのではない。僕が勝手に教わったのだから、それで上下関係なんてものはできない。教育は上下を分けるけど、学習は上下を分けない。そういうことも考えたりする。
 だから男吾とは仲良くできるかもしれない。
 そういうふうに、どんな人との関係でも、考えていきたい。だからといって誰とでも仲良くなれるのかというとそういうことでもなく、なれるんだったらなれるし、なれないんだったらなれない。ただ、最初からなれないということでもない。なるときはなるし、ならないときはならない。ただそれだけのことで、どんな人でも人なんだ、という、単純明快な一つのことに収斂する。

2013/10/26 土 ハジマル。

 音楽っていうのはほとんど回数で、聴き続けていれば慣れていってやがて好きになる。そういうものだと思う。だからアニメソングは心に残る。僕が奥井亜紀さんを好きになったのも、ひょっとしたらそうして何度も聴いていたからかもしれない。
 でも、大人になってコンサートに足を運ぶようになると、一度聴いただけで「これは!」と思える曲と出会うことがある。奥井亜紀さんの曲でも、一度で好きになるものと、そうでないものがある。『ハジマル』という曲は、その前にMCがあったせいでもあるけど、一度で心にすっきり響いた。

 夕陽に背を向けて
 遠回りした帰り道
 少しだけでも話せたら
 重い荷物を忘れていられた

 抱えた悩みごと
 制服みたいにお揃いだったのに
 たどりついた答えは
 それぞれに違う扉の向こう

 正しい道の上にもみずたまりはできる
 歩いても走ってもしみこむ北風

 僕らが未来に描いた夢は
 笑われてゴミ箱に捨てられた
 夕陽だけが背中を抱きしめて
 見守ってくれた

 ひとりじゃなんにもできないけれど
 足りないものはいつもそばにある
 ひとりじゃなくてひとつのかけら
 つながっている みんなでひとつ


 雑草が花をつけた
 ゴミ捨て場の隅からはじまる
 いちばん早い春に
 誰もまだ気づいてはいないけれど

 勇気をくれた笑顔は小さな日だまり
 すべてを投げ出して励ましてくれた

 僕らが夜空に描いた夢は
 星座の上から滑り落ちた
 地上で輝ける場所探して
 転がり続けよう

 ひとりじゃなんにもできないけれど
 足りないものはいつもそばにある
 ひとりじゃなくてひとつのかけら
 つながっている みんなでひとつ

 だんだん完璧になっていく。あのわずかな数分間が、それまでとこれまでの人生のすべてを祝福してくれた気がした。
『TIMEcARTRIDCG』というアルバムです。

 たくさん書いて落ち着いたのでとりあえず反省します。
 人を不快にさせるようなことを、そうだとわかっていてやるのはよくないことです。下のように言い訳を駆使して、責任逃れをするのもよくないです。「だってここは自由な場なんだもーん、嫌なら見るな!」っていうような無責任さは、ちょっとヤバイですね。僕はそういうのにかなり近いことを言っています。反省しました。僕の場合は「嫌なら見るな!」じゃなくて「嫌がるな!」にかなり近いですが。
 未熟だと思いますよ。そんなにうまくできないよ。

2013/10/23 水 それでも

 下の記事は没にしかけたものですが、とりあえず載せます。気が荒いですね。
 他人のことをわかろうなんていうのは、難しいです。個人的には「わかる・わからない」とかいった個人的な事情よりも「関係」を考えたいのですが、そんなもんは僕の独り善がりな思想ですね。わかってますよ。でもここでそういうことを言うのは、ここが真っ白なキャンバスだからです。
 真っ白なところに、種々の「事情」というものを越えて、「考え得る内容」を、ひたすら書いていたい、と僕は思っています。
 事情を越えているから面白いのです。事情にがんじがらめになったFacebookをある種の人たちが「面白くない」と感じるのは、そこなんじゃないかとか思います。かつてmixiよりも2ちゃんねるを好んだ人たちのように。
 でも僕が一人の人間として生きている以上、そしてここでもそのことを表明している(僕がジャッキーさんであることをバラしている)以上、「事情」を無視することはできませんよね。これを見て不快になったり困ったりする人はいるようです。困りましたね。閉鎖ですかね。止めてくださいね。

 人を不快にさせるのは悪いこと。
 そうだとしたら「勝手に不快になってる人」が他人の行動を何もかも掌握することができます。そうじゃないですね。「故意にやったら悪いこと」だというのも、「あなた私の前でわざとまばたきしたでしょ!」みたいになりかねません。だからちょっと違います。結局は、「まあ、適当に、譲り合いの心で、和をもって尊し」みたいな感じになるんでしょう。
 僕もこのサイトと世間との間に「和」を創り出すために、譲り合いの心を持たねばなりません。これまでもわずかながら努力はしたつもりではあるんですけど……。

 みんないろいろ大変なんですね。
 想像する以上にみんな大変です。
 ここで初めて今日僕は涙が出てきました。

2013/10/22 火 没にしかけた文章

「⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。」
 と、もう何年も(よく覚えてないけど、このタイトルに変えた時くらいから?)記しておりますが、そのココロというのは、「あんまり気にしてくださんな」でした。大学に入って、このHPを読んだ同級生から「ジャッキーが何考えてるかわからない、怖い」というような感想をもらって、「やめたほうがいいのではないか?」と思って、その後もいろいろとそういうようなことがたくさんあったので、「さてどうするか」と思って、苦し紛れの言い訳として書いたのがこの注意書きでした。「フィクションだ、こんなことは思ってもいないし、書いてある出来事も事実ではない」という逃げの一手でした。
 この「散歩」のコンセプトは「こういう考え方もあります」で、必ずしも僕の「心からの本心」ではないです。「たまたま思いついた主張や意見のうちの一つ」です。あるいはもっと詩です。だから嘘や偽りはたくさんありますし、各記事に矛盾もあるでしょう。「そう書いてみることが 僕の散歩の意味だというだけ」(谷川俊太郎『少年Aの散歩』より)です。そしてそれが、文章を書く男子(!)の習性だということだと思っています。
「誰かがブラウン管の上で 僕の散歩をシミュレートしている その誰かはこの僕自身かもしれない」(同)というようなものです。
 僕は単純にイイヤツなんだと思いますが、たぶん文章は時々怖かったり、頑なだったりするでしょうね。僕を実際に知っている人は、僕という人がわからなくなったりするかもしれませんね。僕に恋愛感情を抱きうるような人を中心として。(人間は恋をされれば歩くだけでも詐欺師になるのです。)
 それで僕を判断するならば、いいです。これは僕の書いたものです。僕の散歩です。いくらでも裁いてください。それは詩を書き、嘘をつく人間の宿命です。
 冷たいとか自分のことしか考えていないとか、そう僕は自分に対して思いますが、だから「それはどういうことなんだろう。どうすればいいんだろう」を考えます。
「自分のことを考えることが、そのまま他人のことを考えることになる」というふうに思うこともあります。そういうふうにたぶんずっとやっています。だからいつまで経っても一人称は「僕」で、そこからほとんど離れません。
 僕はたぶんかなり膨大なことを考えていますよ。それはたぶんそうです。そしてかなり多角的だし広々としていますよ。ただ死角とか盲点はあるでしょう。それを僕は、考えることや、行動することによって埋めていこうとしています。それが散歩です。きっとある人にとってはばからしいし、非効率だし、無意味だし、時には残酷で無慈悲でしょう。滑稽でしょう。呆れて嘲笑する人もいたと思います。また、ある人にとっては狭いでしょう。僕にとっては広大な平野です。誰かにとってはちっぽけな箱の中でしょう。それが多様性というものなのかもしれません。
 その多様性が、互いをわかって、認め合うようなことが、僕にとっては「いいな」と思えることです。しかしそれも自分勝手というやつなのかもしれません。
 僕はもう、わかってもらえなくても悲しくありません。少し寂しいくらいです。不快なことを言われても、「辛いな」と心で思って、こうして文章を書きながら考えるだけで済みます。それはある意味壮大な八つ当たりなのかもしれませんけど、僕は散歩を続ける限り、その八つ当たりを信じるしかないのです。
 信じないのだとしたら、もういい加減、こんなばからしい、「少年」の散歩はやめるべきです。もういい年なんだし。15歳だった僕もじきに30になります。でも、40になろうが50になろうが、80になろうがこれを続けていることも、面白いし有意義な気もします。ただ、それは大いなる犠牲の上にしか成り立たないのでしょう。そして安定はきっと遥かなる遠くにあるのでしょう。
 あの15歳の自分に優しくするなら、僕はこのまま彼の供養を続けて行きたいのです。これから新しい15歳の誰かを尊重するなら、どっちのほうがいいんだろうか。そんなことを考えています。
 僕は断然普通に、イイヤツだと思うんですよ。きっと人のために涙だって流しますよ。ただ冷静に考える頭はいつだってどっかにあろうとします。
「あなたはやっぱり自分しか好きじゃないんだ」ということを言われたのです。それはそうかもしれないしそうじゃないかもしれません。でも、どっちだって僕はいいんです。あなたの問題です、それは。
「自分しか好きじゃない」僕を、軽蔑してもいいし、説教してもいいし、教育してもいいし、誘惑してもいいです。放置してもいいです。
 これも、言葉のリズムと格好良さ、そして何より直観に任せて書いています。正しいかどうかはわかりません。しかし僕から出てくるものです。散歩の意味です。
 それを「ばかばかしい」と思うでしょうし、「言い訳がましい」とも思うでしょう。それはまだあなたの問題です。僕の問題や、僕らの問題にしたいのであれば、それなりの手続きというものがあります。その手続きはきっと面倒くさくて煩雑です。それをするかどうかは、あなたに委ねられています。
 これは別に特定の誰かに言ってるわけではなく、永劫、この文章が誰かの目に触れ続ける限り、その誰かに言っているのです。だからそういう書き方になります。だから自ずと、そこには「演出」があるし、「演技」もあります。嘘だってついています。
 僕はあんまり恋をしないってだけで、みんなのことが大好きなんだけどね。どうして「自分しか好きじゃない」なんて言われちゃうんだろう。なんで「好き」っていうことの中身や方向を、決められなくてはいけないんだろう。やんなっちゃうな。でもいいよ、ゆっくりいこうよ。
 突き詰めていけば誰だって「自分しか好きじゃない」だと思うさ。恋をするのだって、それが成就されれば自分が気持ちいいからだとも言えるよ。「そういう状態に勝手になっている」と本人が思いこんでいるから、「なんかわかんないけどとにかくあの人が好き」になるけれども、恋をしているのがあなたである以上、あなたが決めた状態だよ。無意識が神さまそのものだっていうのなら、また別だけど。
 僕は突き詰めたら「自分しか好きじゃない」だと思うよ。でも、だからこそ「その僕が好きな人たち」っていうのを作るさ。これは言語化してるから機械的に見えるけど、自然に感情的にそうなっているさ。そういう「好き」は「好き」に入れちゃいけないのかな。
 僕は自分のことをずっと見ているし考えているけれども、それをするには周りを見なくてはならないから、ずっと周りの人のことを考えています。みんなを愛することは自分を愛することだし、自分を愛することはみんなを愛することです。中心に自分はいます。神を置けばいいでしょうか? 恋人を置けばいいでしょうか? 空洞にしたほうがいいでしょうか? それは、そのうちそっちのほうに行くかも知れない。わからない。わからないです。
 僕には絶対に欠陥があります。それはわかります。だから誰かに嫌われたり、「もう無理だ」と思われることも、仕方ないと思います。無理をして誰にも嫌われないようにしたらいいのかなとも思います。サイト消しておざ研やめて小説も詩も書かないで普通に働いて寡黙になれば、いいです。
 そう考えると、「でも、それって暇だな」になります。この「暇だな」というのが、僕が「自分のことしか好きじゃない」と言われる原因なのかもしれない。「暇でもいいから他人をしあわせにすることを考えろよ」って言われたら、「それはやだなー」です。そろそろ暇になる訓練をしなきゃいけないのかもしれません。でも、その動機がありません。だから嫌な人にとっては嫌なんでしょうね。「あたしは動機になんないの?」だから。なりません。
 ああ、結婚して、子供ができた友達のことを想います。それまでアクティブにいろんな活動をしていた彼は黙って家庭へと消えていきました。若い僕は寂しくなりました。僕だって同じ状況になったらそうなるかもしれません。でも、それはいろんなことを覆すことですね。難しいですね。
 もちろん、そう極端ではなくて、バランスを取る方向をめざしていますよ。きっと時間がかかります。だから申し訳がないです。
 ここに書いていることは一篇の詩です。そこに意味はあります。メッセージもあります。だけど嘘ばかりです。そういう態度がよくないのだろうなとも思いますが、やめるか、変えるか、わかりません。考え中です。もう、トラブルになるのは嫌だなと思います。僕の伝え方が未熟だというだけだと思うので、しばらくはもっと、本当のこととか、当たり障りのないことを書いたほうがいいかもしれません。でも、どうであれ僕が面白いと思ったことを書くだけです。それが男の悪いところなんだよな、って本当に思います。
 とか、性別のせいにすんなとか、属性の中に問題を放り込むなとか、いろんな非難の仕方があることは、たいていのことに関しては多めにわかってるんですよ。わかってるけど書きますよ。
 ま、もっと気楽に一言でも言えるのかもしれないけど、これが性分なんでしょうね。そしてそれに何かの意味があると思っているんでしょうね。
 とにかくこの日記はフィクションです。本心じゃありません。「こういう考え方もあるよ」っていう紹介です。
 そういう言い訳がよくないことだってのもわかったから、ちょっと落ち着きます。これまではそうだった、というか、現状はそうであるという感じです。

2013/10/21 月 絶望は前提(雑)

 回り道はいくらだってすればいい。
 しかし絶望と焦燥感は大切です。
 それは何のためにあるかと言えば、調子に乗らないためだったり、傲慢にならないためだったり、です。
 劣等感を持ちましょう。ガンガングングンズイズイ、落ち込みましょう。

 僕にとって絶望は前提。
 常に傍らにあります。

「いまの自分」には、抱いている絶望も苦しみもすべて含まれます。だから、「いまの自分」を肯定的に受け入れるということは、絶望や苦しみも受け入れるということだったりします。自分を肯定するのは大切なことだと思いますが、実はそういった覚悟も必要な行為だと思います。
 僕は絶望的な自分を受け入れているつもりなので、「絶望は前提」です。「絶望が現状なのは当たり前の事態」でもあります。だって、そういう自分を僕は受け入れてしまったのだから。
 もちろん、絶望的であることは良いこととは言えないので、そのことに対してはあまり肯定的ではないです。絶望を排除するために緩やかに行動しています。でも別に排除されなくたってそれほど困りません。それは前提として、当たり前にあるもので、排除されたかどうかの審判は死ぬ日で充分、という感じです。
「どのように生きようとしたか」だけが人生において問題になる、というようなことと似ています。
 これはもう悟りのようなものです。
 なかなか難しいことだと思うし、そうすべきとも限りません。

 苦しむなら苦しめばいいです。
 それは必要経費かもしれないし、そういう人生はそういう人生。
 肉体的な苦痛でなければ一切、同情しません。
 苦悩は個性。あるいは人生そのものです。
 そのように思いますよ。
 だから苦しくて、同情されたくない人は言ってください。
 同情しないので。
「大変だねー」くらいは言うけど。

 そういうふうに一旦思うと、「えー、大変だねー!」「大丈夫? つらいよね」「わかる、わかるよ」なんていう言葉が、言えそうな気がします。
 こだわりがなくなるってのはそういうことなのかもしれませんね。

 僕はとんちの利いたこととか、意味のあることをつい言ってしまうんだけど、相手の考え方に好影響を与えないようであれば、相手が喜ぶことを言えばいいですね。でも、その見極めは不可能でしょう。いつ、どんな言葉が、どんなきっかけで花を咲かせるかわからないのだから。

 そこで、相手の考え方に好影響を与えるなんてことは、別にしなくてもいいってことにすると、僕はもうあらゆる意味のあることを言う必要がなくなります。
「好」ということを信じなくなると、そうなってしまいます。
 僕はいま、実は「好」というものを信じるべきかどうか、迷ってるんですよ。
 今さらね。
 ずっと「好」ということを信じようとしてきたし、信じていた時期も長かったけど、それはひょっとしたら、少なくともある局面では必要がないものなのかもしれません。

 やっぱ「高め合う」っていうことが大事なんでしょうかね。
 人間関係って。
 でもそんなもん、結果的にそうなってりゃいいもんであって、めざすもんじゃないですよね。最も僕を学ばせ、成長させた友達たちは、一緒にいてもただ楽しんでいるだけだし、お互いの人生や考え方に一切干渉しないわけですからね。
 僕らはある意味、きっと高め合った。高め合おうとなんてせずに。
 それは結果的には「好」を信じていることになるんだけど、「好」なんてもんを意識して過ごしていたわけではない。
「好」は常に、後からついてくるもんでしかないから、「これは好なのか?」と考えながら人間関係を続けるのは、あんまり良くない感じがする。

 相手の考え方に好影響なんか、与えなくていい。ただ楽しめばいい。
「読書は勉強じゃないよ。ただ楽しむだけさ」って『二十面相の娘』って漫画のセリフにあったけど。
 楽しんでいるうちに結局は血や肉になってるってことでしょうね。
 万事、そういうことでしょう。
 だからもし誰かが悩んで話しに来たら、楽しい方向に持っていきたいと思っていますよ。

 動き出した列車は停められない。
 歩き出した人間は止められないのです。
 歩き出す前になら何だってできて、それは「教育」というものだと思うんだけど、ひとたびその段階を越えてしまったら(本人が越えたいと思ったら)、もう「教育」は「説教」でしかなくなるんですね。
 裏を返すと、他人の説教を大人しく聞く大人ってのは、まだ「教育」を求めてる自立してない人間なんじゃないでしょうか。
 自立した人間は、走り出したら止まらない、火の玉、悟空の、大・冒・険、ドカーン、です。
 自立は、保護者がいないってことだから、いくらでも怪我するし、失敗するんですけどね。それを引き受ける覚悟があってこその、自立だから。
 自立したい、でも怪我はしたくない、なんてのは、自立する気のない甘えん坊の態度です。
 自立したいなら苦しみ、絶望する覚悟を持たなければならない。

 つまり自立を決意した人間に教育は不要なんですね。
 拒絶するでしょう。そうでこそ自立の意志があるというものです。
 自分の力で学習していくことが自立。だから放送大学のキャンパスは教育センターではなく「学習センター」なんですよー。

 一人の足で立つのなら絶望は前提。
 歩きながら学習し、苦しんでいく。
 それを当たり前だと思えなければ、「自分じゃ何もできない」ってこってす。
 ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか。

2013/10/20 日 ローラースケート・パーク

 細野晴臣さんの1976年のシングル『北京ダック』が大好きです。もう37年も前(アルバム『泰安洋行』収録のバージョンから数えたら38年!)なんですね。その頃の中華街がどんなんだったか知りませんが、この唄の情景を思い浮かべながら横浜を歩きました。雨が降っていました。火事は見ませんでした。
 細野さんといえば僕は中学生の頃にYMOにはまっていて、そのきっかけは植芝理一先生の『ディスコミュニケーション』です。今日はとある学校の学園祭にお邪魔して、文芸部の部誌を購入したのですが、そこに文章を載せていた友達のペンネームが「でぃすこみ」だったのがどうも、遠く遠く繋がれてる君や僕の生活って感じで、晴れ晴れとした気分になりました。雨は夜中まで降り続けていたようだけど。
 昨年分の部誌も見せてもらって、人間というのは、特に若い人というのは、一年くらいでずいぶんと文章の質が変わるものだなあと思いました。それが良いように登り詰まって行くような風だといいですね。

 南風を待っても、現状では「高い山まであっという間吹き上がる北風の中」だったりもしますね。
 背中を押してくれる優しい風なんてものは、果たしてあるのか。あったとして、それは確かなものなのか。

 岡田淳さんが『二分間の冒険』の中で書いた、「この世界でいちばんたしかなもの」について、それなりに長い間僕は納得できていませんでした。反対するわけじゃないけど、しっくりこないというか、「本当にそんな単純な答えでいいの?」と思っていました。
 でも大人になったある時、読み返していたのか考えていたのか忘れましたが、「ああ」と、突然腑に落ちたのです。悟が最後に「つかまえた!」と叫ぶ、その一瞬前のあの四行ばかりの台詞の意味が、すとんと胸の中に落ちました。

 カジヒデキさんは『ラ・ブーム ~だってMY BOOM IS ME』という一見ふざけたような脳天気調の曲の最後で「みんな僕を好き みんな君を好き みんな自分の事も愛してる」なんて歌っています。  これもわけがわからなかったものです。今でも若干よくわかりません。しかしひょっとしたらこれは『二分間の冒険』の「世界でいちばんたしかなもの」と似たような位置にあるものなのかもしれないな、と思ったりします。
「夢見ても何もかもが偶然つながるよ」なんて歌詞もこの曲の中にあります。雨の元町公園を「ユーウツな雨がふりつづいても」と歌いながらそんなことを実は考えていたのかもしれません。

 考えてみれば『二分間の冒険』の、言葉にすればあまりにも単純明快な、しかし考えるほど複雑に絡み合っていくようなあの「ダレカの正体」という難問は、僕が何かを考える際に常々ぶち当たる「自分と他人」という問題そのものだったりするんでしょうね。岡田淳さんは、僕にしてみればほとんど小沢健二さんと同じようなことをずっと言い続けてる人で、年を重ねるごとに二人の作品の重なる部分が明らかに見えてきて、「やはり僕はこの方たちに育てられてきたのだな」としみじみ思います。
 幼少期、『二分間の冒険』をはじめとする岡田淳さんの作品に出会っていなければ、その数年後に小沢健二さんを好きになるということはなかったかもしれないし、今のように面倒くさいことを延々考えてしまうこともなかったかもしれません。でも、今の僕にもしも少しでも魅力のようなものがあるとすれば、こういった方々から教えてもらったひとしずくずつのヒントたちが源泉です。なんてことは定期的に言っていますが、本当に定期的に強く思うのでございます。

「やっぱり自分、てことだよな」というような「意外な結論」(この話を小沢健二さんはドゥワッチャライクの単行本で一番最後に持ってきていますが、それは相当に大きな意味があることだと思うんですよ)は、やはり正しいというか、間違っていないんです。だけどその場の空気はプシューと抜けていく。「そりゃそうだけどさ、それを言ったらどんなもんでもそうなわけでさ」みたいな気分にはなるけれども、それを突っ込む野暮な奴もいない。それでプシュー。でもそれを言う奴は悪い奴ではない。その時の虚脱感も、嫌悪感とはまったく違う。
「やっぱり自分、ってことだよな」はただの具体例に見えて、途轍もない大きなエネルギーを持った言葉だ。だって結局は自分だというのは本当にそうだし、だいたいあらゆる話題に適応できる。恋バナだろうが仕事の悩みだろうが家庭の問題だろうが、すべて「やっぱり自分、てことだよな」は使える。使えるから意味がないように見えて、どんな場合でも必ず基盤として存在するからやっぱり大切なのです。

 岡田淳さんの『二分間の冒険』に僕が長年感じていたのは「やっぱり自分、てことだよな」と誰かが言った時の、「それを言ったらそりゃそうだろうけどさ」という、肯定せざるを得ないある意味暴力的な「完璧な結論」と直面した時の苦笑いに近いものがあったのです。でもそれはやっぱり正しいし、岡田淳さんの場合はちゃんとあの「四行の台詞」をちゃんと用意してくれています。
「この世界でいちばんたしかなもの」とは、たとえば信じることとか、判断することとか、愛することとか優しさとか、そういったものだってことなんです。それらすべての基盤となるのが、当たり前のように「ダレカの正体」だということです。なんか書きすぎてしまった気がする。

 これから読む人もいるかもしれませんが、あの物語を楽しむにはこんな話はどうでもいいんです。「おもろいやないか」が一番大切です。どうか素直な心になって、ワクワクドキドキ、二分間の冒険を楽しんでほしいと思います。

 まず「世界でいちばんたしかなもの」がわかってこそ、この世界を確かなものだと思えるのだと思います。そうなったらもう、生きていくのは楽しいです。今年もよろしくお願いします。

2013/10/18 金 ピアスと画鋲(人間について)

 珍しく夢の話から。
 高校生の女の子が耳に画鋲をつけていた。
 ピアスのつもりなんだろう。
 それは「人と違う個性」の主張ということなんだろうか。
 それともただ「知らない」だけなのだろうか。

 たとえば縫い物のことを考える。
 縫い物は、だいたいの人が同じようなやり方をする。
 常道というものがある。
 ひと縫いして、またひと縫いして、という繰り返しが縫い物の基本である。たぶん。
 この繰り返しのやり方が完全に「みんなと同じ」だったならば、機械のようなものだ。上手下手の差はあっても、ユニクロと百均程度の違いでしかない。
 しかし、「みんなとまったく違う」となったら、話にならない。それは縫い物ではなくなってしまう。ある程度常道に沿わなくては、強度など実用的な面で、あるいは見た目で、たいていは劣る。みんなとまったく違って、しかもよいものが作れるとしたら、新たなジャンルを開拓した天才だ。

「ほんの少しだけ人と違うこと」の繰り返しで、個性というのは紡がれていく。
 人格といってもいい。
 自分は、どのように「少しだけ」、みんなと違うふうにするか。

 ピアスのように画鋲をつける女の子は、どの程度みんなと違うのだろうか。
 ピアスのように画鋲をつける女の子は、たぶんほとんどいない。
 画鋲のような形をしたピアスだったら、あると思う。

 ピアスと画鋲の違いは、身体につけるか壁につけるか、という用途の違いであって、身体につける場合は落ちないように反対側から留め具をつけますよ、ということでしかないのかもしれない。
 それを言ってしまったらほかにも似たようなものはあるのかもしれない。安全ピンは身体でも壁でもなく主にうすい布につけるためのもので、留め具が針と一体になっている。
 それも「少しだけ違う」ということだったりする。

 画鋲とクギも遠くない。クギとネジも遠くない。
 そうしたら、画鋲とネジは近いし、ピアスや安全ピンとネジも近い。
 ネジとトンカチは近くないけど、こういうことを何千回か繰り返したら、ひょっとしたらつながるのかもしれない。
 地続きなんだと思う。

 ピアスをしている女の子と、画鋲をしている女の子は、地続きだ。でも、どこかで歯車がかみ合っていない。画鋲のようなピアスをしている女の子と、画鋲をしている女の子は、見た目はほとんど同じだけど、何かが違うはずだ。
 それがクギやネジになってくると、もう絶対に違う。そのうちそれがトンカチになる。耳からトンカチをぶら下げる女の子が出てくる。ところでそういう子と、耳にピアスや画鋲をつけている女の子は、友達になる時はなる。トンカチやピアスや画鋲とかってものと、まったく別のところに、きっと何かがあるわけだし、「わたし本当はトンカチをあけたかったんだ。でも親がピアスにしときなさいって」なんて子も、いる。

 どこかで歯車がかみ合わなくても、どこかで歯車がかみ合ったりするから、人間は面白いというわけで。
「少しだけ違う」ひと縫いひと縫いを、それぞれが繰り返し続けてきた結果、「僕たちは少しだけずつ違うけど、だから当たり前にどこか似ているね」というような感じになるのだ。
 違うことも、重なっていることも、恐れるべきじゃない。はじめは必ず「少しだけ違う」から始まっているのだ。それが時にはピアスとトンカチになり、画鋲のようなピアスと画鋲になり、柄の違う画鋲になり、同じ模様だけど色違いのピアスになり、まったく同じように見えるけど使ってる年数が少しだけ違うピアスになる。買ったお店も買った日も同じだけど、わたしとあなたのピアスは違うピアス、と言うことだってできる。
「わたしはあなたのトンカチが好き」「おれはおまえの画鋲が好きだ」なんて、ことも、ある。

 なんだか「みんな違ってみんないい」みたいになってきましたが、僕の言いたいことはなんだか少しだけ違うのである。
 金子みすずがピアスなら、僕は画鋲だと思うのです。

2013/10/17 木 「自分の意見」を軽視しよう

 脳みその仕組みを変えなきゃ。
 またなんか悪い癖がでて、人にいやな思いをさせたようだ。
 他人の気持ちってのをもっと考えたほうがいいのかもしれませんね僕は。
「あなたに傷つける気持ちはなくても、わたしは傷ついたのよ」というようなことが多くて、「そんなもんしょーがないじゃん、こっちはこれ以上どうしようもないよ」とか「それはお互い様なんだけどなー」とかは思うけど、それは向こうも完璧に思っていることなので、あまり意味がない。

「自分の意見」なんつーもんにどんだけの価値があんのか、というね。
 それは「かっこいい」ということ以外には、ただ一つの機能しか持ちません。「相手の気持ちや考え方に影響を与える」ですね。言い切りましたけど、そういうことにします。その上で「かっこいい」って考え方をまったくナシにすると、「相手の気持ちや考え方」だけを考えることになります。それでいいんですね、あまりにも単純なことに。人はどうしても見栄やプライドを大切にしてしまうけど、僕はもうどうにかしてそれを捨ててしまいたい。
 二十年ぶりくらいにコマを回して、最初はうまくできなくって、何度も練習したら勘を取り戻して、ヤッターとか思って人の前でやったら、二回連続で失敗して、「プププー」みたいになって、僕はその時とてもいやな気分になったんですね。僕は再びコマを回せるようになって超うれしくって、意気揚々と回してみせようと思ったら「できねーんでやんのー」ってなったわけだから、残念だし恥ずかしいしプライドは傷つくし、「本当はできるのに!」って気持ちもあるんだけど、できなかったのは事実で、練習不足でしたってことでしかないんだし、「ここでカッコつけるのはやめたいな」と思って、なにも言わなかった。そういうふうにいくらでもカッコ悪さを飲み込んでいけるようにしたいんだけど、結局はこうしてここに書いてしまっているし、その直後にくくっと酒を飲んでしまったのはわりかし恥ずかしいことかもしらんですが、そういうことも含めてカッコ悪さを白状していきたいもんだと思うの。

 僕は「自分の意見」に対する頑なさをもうちょっと柔らかくしたいです。「自分の意見」なんてのは、相手に好影響を及ぼさない限りにおいては、カッコ付けだけのもんだ。だからもっと柔軟でいい。
 いちおうけっこう柔軟なつもりなんだけど、なんかほんとの柔軟さではない。「納得できる理由があるなら柔軟に対応しますよ」という柔軟さは、実はぜんぜん、柔らかくないのである。
「木も歩くかもねー」という、あっけらかんとした柔軟さは時に必要だ。

 僕が「木は歩く」と思っていたとする。そこに誰かが「木が歩くわけないじゃん」と言う。僕はむきになって「いや、木は歩くんだよ」と言う。それで相手が「歩かないよ!」と言う。これほど不毛なことはないんです。僕が「木は歩く」と頑なに思っていることが原因の一つだし、相手が(その強度はともかく)「木は歩かない」と思っているのも原因の一つ。もし僕が「木が歩こうが歩くまいが、どっちでもいい」と思っていて、相手が「木も歩くかもねー」と思ってたら、なんと平和なことでしょう。僕はついつい「木が歩くのかどうか、徹底討論しようじゃないか。じゃあまず、僕が木が歩くと思っている理由を列挙するね!」みたいな温度になってしまうことがあって、本当にまずいと思う。反省する。
 それは「討論仲間」とだったらいいけど、そうじゃない相手とだったら、別に木なんか歩いても歩かなくてもどっちでもいいわけだし、「ふにゃー」と対応しても別にいいんです。
 この「どっちでもいい」ってのが、あんまり僕にはないのかもしれないですね。いや、たいていのことはどっちでもいいんだけど、どうしてもどっちでもよくないと思うことが出てきてしまうというか。でもそれはあとから考えたら「別にどっちでもいいじゃん」ってことだったりもする。「小沢健二は長男か次男か」って話題が出たとしたら、僕はもちろん次男だと思っているから「次男でしょ」と言う。「だって二って数が入ってるし、○○のインタビューでうんぬん、お母さんの著書ではあれこれ」みたいなことを言うでしょう。でも実際は、早く亡くなってしまったお兄さんがいて、厳密には三男なのかもしれないし、長男はでっち上げの架空の人物かもしれない(だって会ったことがないのだし)。どんだけ討論したところで「まあ、次男と考えるのが妥当」くらいの結論しか出なかったりするわけです。そんなことのために泡をとばして意見を言うってのは、あんまり意味がないね。
 上の例で、僕は小沢さんという人があまりにも好きだから、少しでも事実と違う(と僕が思っている)ことがあると、どうしてもむきになっちゃうんですよ。でもねえ、別に僕は本人じゃないからねえ、当たり前だけど。長男だろうが次男だろうが、どっちでもなかろうが、なんだっていいんですよね。もっと大切なことは、小沢さんの人格であり、作品であり、生き方なわけだから。それがわかってるんだから僕はなにもむきになることはないのだ。かりに彼の人格を誰かに否定されたところで、勝手ながら「君が僕を知ってる」気分になることだってできるんだし。そしてその「知ってる」というのは僕が勝手に思っているにすぎないから、他人に言うべきことでもないし。だから「いいんだよ」でも「そうだね」でも「結局、自分ってことだよな」でも、なんでも思えばいいのだな。

 どっちでもよくないものってのは、「どっち」なんて言い方はできないものなんですよ。「どっち」っていうような、選択肢の中から選ぶような問題ってのは、絶対にどっちでもいいものなんですって。それが「ねえ本当は何か本当があるはず」ってなもんです。
 きっと「すべての色を含んで未分化」なんていうことが、大事だったりするんです。

「事実」だと人が思っていることは、すべて「自分の意見」でしかないと心得るべきだ。人間にわかることなんて、実は一つもないのだ。あらゆる現象は人の目を通せばすべて意見。そいだから、もっと謙虚になってええねん。

2013/10/14 月 僕の考えた最強のイオン(イオンに文化を導入する)

 なぜ僕がイオン嫌いだったのか、といえば、それはひとえに「文化がない」からだ。(ここでいう文化とはもちろん、二日前に書いた意味でのこと。)
 土曜にイオン明石ショッピングセンターを案内してくれた橋本くんが、折しも日記に「僕は最近まで店の店員さんを人間だと思ってなかったんですよ。」と書いていた。イオン(はじめはSATY、のちにどんどん巨大化)が16年も前から駅前に鎮座している町に育ち、「想像力」が育まれなかったのだろう、と彼は考えているらしい。
 イオンというのは実際、無機質すぎる。「人間」がいない。人間を歓待するロボットの街だ。まるでタイやヒラメの竜宮城だ。
 人間のいないところに文化が存在するはずがない。そういう意味でディズニーランドには決して文化などない。あそこには人間がいない。ネズミやアヒルの竜宮城なのである。そこに紛れ込んだ人間同士が、仲良くなるということはないだろう。ディズニーで出会ったディズニー友達、というのは聞いたことがない。仮にあったとしても、毎日の膨大な入場者数を考えれば例外中の例外ほど少ないはずだ。

 そこで、イオンに文化を導入したらいいんじゃないかと僕は考えた。「僕の考えた最強のイオン」とは、「文化的な側面をも担ってしまうイオン」である。もちろん、現在のイオンの持つ機能はすべて残して。
 現在のイオン内でも、たとえばゲームコーナーにちゃんと最新の台が設置してあるような状況ならば、ひょっとしてそれは僕の言うような「文化」になりうる。ゲームセンター内に人間関係が生まれるというのは、割とよくあることなのだ。そういう仕掛けをいくらでも作る。
 たとえば、ゴールデン街のような色とりどりのバーが並ぶ飲み屋街があったっていい(近くに駅があればだが)。古本屋街があってもいい。フリマ専用のスペースがあってもいい。個人経営の喫茶店がテナントに入ってもいい 。オタク心をくすぐるような、中野ブロードウェイのような趣味の街を作ってしまえばいい。主婦や高齢者のサークルみたいなのも、もっともっと増やしたり、活動しやすくしたりする。もちろん放送大学の学習センターも作る。
 ゴールデン街や中野ブロードウェイ、あるいは高円寺や吉祥寺のような「人の集まる街」が、果たして郊外で成立するのだろうか? という心配はあるが、たぶん大丈夫だろう。入れ物があれば人は集まる。かなり遠くからでもやってくる。それはイオンが証明しているのだ。そのくらいには人間というのは、土地が変わっても均質な部分は均質なのだと僕は思う。
 それで人が集まるようになれば、文化を求めて上京しようとする人も、「イオン内の文化で十分」になって、減る。

 人は、特に若者は文化を求める。知らない人と出会うことを求める。それを担保する場所は、どんな地方にだって少なからずある。しかし、見つけることは困難だ。見つけてもらえないから供給も増えず、供給が増えないからまた見つけてもらえない。そういう循環で、地方には、結局「人の集まる文化的な場所」がほとんどないのだ。
 もう、田舎には「田舎の人の結びつき方」を維持するのは無理だろう。そして郊外にはもともと、「郊外の人の結びつき方」なんてものは、たぶんろくにない。だからインターネットや、LINEが活躍するのだろう。
 まず郊外が「郊外の人の結びつき方」をイオンによって確立し、それをやがては何らかの形で田舎にも敷衍させていけばいいのではないか。なんか、そうするしかないんじゃないかってのも思う。あまり保守的に考えるのでなければ。そういうふうに人の意識や生活ってのはもう、すでに変わってきてしまっているから。イオンという新しい、これまでとは異質の存在を逆手に取ったら、この「僕の考えた最強のイオン」計画ってのは、悪くないんじゃないかと思えるのだ。

2013/10/13 日 僕の考えた最強のイオン(序論)

 僕はイオンが好きじゃなかった。僕にとってイオンといえば名古屋市内のイオンで、たとえば金山駅から徒歩で行ける熱田イオン、実家の近くのナゴヤドーム前イオンなどだ。
 イオンに行くたび、こんなもん必要ないだろう、と思っていた。なぜならばそこは名古屋で、イオンのような大型ショッピングモールなど必要ないくらいすでに栄えた都市なのだ。ことに、上に挙げた二つのイオンはかなりアクセスのよい駅から徒歩で行けるところにある。僕は無駄だと思った。中小の小売店が死ぬだけだという手垢にまみれた感想を持った。
 しかし最近になって思い直したのは、「名古屋なんざ、それほど都会ではない」ということだ。栄のあたりをかろうじて除けば、およそ「都市的な文化」は存在しない。「栄のあたり」というのは、構造的に余所者を閉め出した閉鎖空間である。なぜかといえば、栄にはJRと名鉄が走っていないからだ。厳密にいえば名鉄瀬戸線が走っているが、それは隣県からの進入を許すものではない。瀬戸線というだけあって、瀬戸からしか来られない。この閉鎖空間が、名古屋の都市圏の核である。田舎者に踏みにじられない、純然たる都会である。
 名古屋の都市圏というのは、この閉鎖された栄という街を中心とする、「地下鉄の走っている部分」だけを指す。すべての文化はそこに集中する。大須も東山公園(動物園)も名古屋城も歌舞伎の御園座も、瑞穂運動場も名古屋港水族館も地下鉄でしか行けないのだ。ちなみに名鉄瀬戸線も、栄町駅に乗り入れる手前で地下に潜る。栄や名駅の地下街も含め、名古屋というのは本当に地下の街である。

 翻ってイオンのある場所を考えると、熱田イオンは金山駅、ドーム前イオンは大曽根駅と、JR・名鉄の双方が走っている駅の近くなのである(ただしもちろん地下鉄も走っている)。市内にはほかに大高店と名古屋みなと店がある(大型店舗はこの四つのみ)が、前者はJR、後者は名鉄の駅がある(地下鉄はない)。
 交通の便のよいところに大きなショッピングセンターができるのは当たり前のことだが、決して「地下鉄だけの駅」のそばではない(ドーム前は怪しいが大曽根が十分近いので)というのは、ポイントなのではなかろうか。
 地下鉄が走っている場所はとにかく都会である。京都でも仙台でも福岡でもそうだと思う。そんなところに大型イオンはできない。イオンは都会にあるものではないからだ。
 京都駅の南側にも大きなイオンがあるが、文化があって栄えているのは圧倒的に北側なのである。南側は少し前まで何もない田舎だった(だから再開発ができる)。しかも地下鉄烏丸線側ではなくもっと西寄りの近鉄側である、というのはこじつけすぎだろうか。
 繰り返すが、名古屋の都会部分とは、基本的に「地下鉄しか走っていないところ」である。名城公園、久屋大通、栄、伏見、矢場町、上前津、大須観音、新栄、今池、覚王山、本山、星ヶ丘、東山公園……といったあたりだ。そのあたりはまだ都会なのである。そのあたりを除けば田舎または郊外なので、イオンが必要なのである。名古屋という「都市」は本当に狭く、名古屋という「田舎」または「郊外」は、異様に広い。そしてだからこそ、彼らは本当にイオンが大好きなのである。

 長々と当たり前のことを書いてしまったが、ともあれ僕は「イオンって名古屋みたいな田舎にとっては必要なものなんだな」と思ったのだ。地元の友達のイオン大好きな様を見て、「田舎だからなあ」と素直に思えるようになったのだ。イオンが田舎の人を引きつける力は、地球の引力を思わせるほど強い。何もないところに「何でもある」が出現して、そこが「家族そろって楽しめる」であり、「友達や恋人と楽しめる」であり、「一人でも楽しめる」だったら、そりゃパラダイスだろうよと思うのだ。
 イオン的なものの出現によって地元が暮らしやすい場所になり、そのために首都圏への人口流出にある程度歯止めがかけられているという状況は、あるんじゃないだろうか。そういう研究だとか統計ってないのかな。中央への一局集中を僕はあまり快く思っていないので、「凝縮された中央」感を手軽に満喫できるイオン的なものを否定する理由は、そうなるとあんまりないのである。中小の小売業が、なんて言い方は、もうちょっと現実的に難しいから。
 だからといって僕は、今のイオンが好きだというわけではない。どうすれば「僕の考えた最強のイオン」になるのかというのは、明日以降書いていこうと思います。

2013/10/12 土 文化の定義

 文化とは、利害関係や友人関係をまだお互いに持っていないような人たち同士が集まって、そこに新たな利害関係や友人関係が作られていくような様や、それを可能にする仕掛けや仕組みのことをいう。そういう場所を「文化的な場」という。
 のではないかな、と、異様に文化などというものの存在しにくそうな、田舎の駅に連結された超巨大なイオンショッピングモールの中で思った。
 ここには文化がない、と直観的に思い、なぜそう思うのかを自問してみたところ、そのような答えがとりあえず出た。
 僕はおそらく、文化が好きだ。だから延々、飽きずに、一銭も儲からず、時には何時間も孤独な時を過ごさねばならないようなわけのわからない事業を続けているのだ。(おざ研、ことに木曜□のことです。)
 あれを文化だと思うから、やるのだろう。寂しさならもう充分に癒せるほど友達はいる。
 ……もちろん、こんな「文化」なんて言葉はほとんど僕の造語だ。名前なんてどうでもいい。しかし、ともあれそういうものが僕は好きで、大切だと思っている。賛同してくれる人が、おそらくあの場に来てくれている。それは本当に喜ばしいことだ。
 どんどん、友人関係のないところから友人関係を作り、利害関係のないところから利害関係を作っていってほしいものだなと、思います。
 人がこないと消滅するか、上に書いたような理想が実現されなくなってしまいます。僕の才では、あまり工夫をすることは難しく、願ったり、お願いするしかありません。よろしかったら、ぜひに。

補足。
 東京が「する」場所であるのは僕が地方出身者で独身で一人暮らしだからです。家族がいないからです。根がないからです。だから「今のところ好きではない」の「今のところ」がつくのだと思います。東京を悪く言うつもりはありません。いつか名古屋で暮らせたらと夢想もしますが、それは名古屋が好きだからというだけのことで、東京が嫌なわけではありません。もちろん物価が高いとか空気が汚いとか家族が遠いとかいろいろ具体的な理由はありますが、それらは名古屋に住むことの僕にとってのメリットを逆写しにしただけのことです。(名古屋も空気は綺麗ではないですが。)
 それと、中央にいると見えないこともたくさんあります。東京というより「中央」にいることの居心地の悪さを感じることはあります。それは一長一短ですが、どこかで離れてみるのも一手だろうと思うのです。
 ただ家庭を作るとなったら、「家族が遠い」という事情は話が変わってきます。新しい家庭を考えて住む場所を決めたいと思います。

2013/10/11 金 JKリフレ 名古屋と東京について

 実家でゆっくりした。
 帰るとまず、居間のテーブルの近くに転がっている中日新聞を読む。
 それで「ここは名古屋だ」ということを確かめる。
 最寄り駅で降りて、見知った道を通り、どこよりも慣れた家に入って両親の顔を見て、それで充分といえば充分なのだが、それはまだ「地元」「実家」ということの確認でしかない。「名古屋」という地域の確認をするには、やはり地元紙を読むに限る、と僕は思う。
 自転車ならともかく、電車やバスに乗ってやってくると、空間感覚が狂うのだ。自分がどこにいるのか、不思議な気分になる。センチメンタルすぎるような気もするが、そうとしか言いようのない、微妙な感じになるのだ。それで困ることは何もないが、中日新聞を読むと少しずつそれが落ち着いていくのは本当だ。
 東京と名古屋では、たとえば震災に関する温度がずいぶん違う。また、原発に関する温度もまた違う。東京では電力会社(東京電力)は世論の「敵」であるが、名古屋では電力会社(中部電力)はトヨタに次ぐ地元の大企業の一つだ。名古屋にあるほとんどの会社が、何らかの形でこの二社(特にトヨタ)と関係しているのではないか、と僕は勝手に思っている。そのことは多少、中日新聞の紙面にも影響しているはずだ。現に今朝の一面はトヨタの記事だった。
 トヨタは電気自動車を作っているし、自動車は燃料を積んで走るものだ。だから「エネルギー」と無関係ではいられない。だから中日新聞は原発に対してはそれなりに敏感だと思う。反面、放射能や被災地に関してはそれほどではない、と思う。帰省の時にしか読まないからわからないけど。
 細かいところの検証はともあれ、中日新聞が東京のどの新聞とも絶妙に違っているのは明らかだ。当たり前だが地元の記事が多いし、地元の感情に寄り添った報道をする。ドラゴンズの話がやたら多い。今日も谷繁監督と落合ゼネラルマネージャーの話題がドーンと載っていた。これも一面だっただろうか。
 それを見て、よそから来た僕は「うーん、名古屋に来たなあ」と思うのであった。明日の午前中にはもう発ってしまうのだが、それでも滞在した感が出るのは中日新聞のおかげである。

 そしてお父さんお母さんと時を過ごし、自分の血を確かめる。どこまでも親子だと実感する。これが最も大切なことだ。当然ながらご飯はうまい。泣くほどうまくもなく、実に当たり前の味がする。自分が普段食べているすべてのものは、まだ「当たり前」にはなっていないなと感じてみる。

 東京生まれの人から、「いいよねー地元や実家のある人は」みたいな、嫌みのような妬みのようなことを時折言われる。そうかねと思う。あなたには到底体験できないことなんだから、素直に心を傾けてくれたらいいなと思う。
 東京生まれの人には東京生まれならではの地元や実家というのがあるはずで、それは僕のような地方人には到底体験できないことだ。僕も素直になりたいと思う。地方出身者には必ず地方出身者というコンプレックスがあり、それが地元愛につながるだけなのだから許してほしい。また東京出身者には東京出身者のコンプレックスが、ある人にはあり、それが「いいよねー」という言葉になったりするのだろう。お互い様なのだろう。
 先日会った名古屋の友達が、「ずっと名古屋にいるから視野が狭いんだと言われた。地元にこだわりすぎたかな」と言っていた。それはある意味でそうなんだろうが、その「狭さ」は到底僕にはないものだ。彼女は地元で結婚して子供を作り、実家の隣に家を買った。それをいいなと思う僕はいる。

 日本は広く、それを分ける境目の線は薄い。薄いからこそ、概念的にいくらでもいろんな分け方ができる。ほかと比べてどうかということは知らないが、まあ当たり前にそうだよね。
 日本という国をどう分けるか、あるいは分けないか、という態度の取り方は結構大事で、それは出身地や居住地などによってかなり「くせ」が違うだろう。もちろん個人単位ではいくらでも違う。それを意識して、自分はどういう態度や認識でいるのか、あの人はどうなのか、ということを考えるのは、少しばかり意義があり、また楽しいことでもあるような気がする。

 僕は名古屋が好きで、東京は今のところ好きではない。東京は何かを「する」ための場所で、「いる」ための場所ではない、という認識がまだ根強くある。ところが東京生まれの人にとっては違うかもしれない。「する」と「いる」について考えると、地元や実家とは何であるのかというのが、ほんの少し見えてくるような気はする。

2013/10/10 木 紙か布か

 いつも褒めていただいてばかりなので、たまにはこちらからも。
 四季さんのブログ(10/09)で、布ナプキンについて語られています。僕はこういう文章が読みたかったですね。※直リンクの仕方がわからなかったのでトップで失礼します。

実際に布ナプを使う前にわたしが考えていたことというのは、「だって股間がモコモコしちゃうじゃん」とか「だってテープが付いて無いんじゃズレちゃうじゃん。どうすんのよ」とか、まあそんなことなんだけど、使ってみた途端に、わかった。わたしが「イヤだな」と想っていたそれらこそが、実は布ナプの最大の恩恵なんですよ(断言)。

 ここがハイライトというか、僕の感動した地点です。僕は別に、「男子にはわからない女性ならではの話題を詳らかに語る」みたいなことがいいと思うんではないです。そんなことよりも、展開していく認識の披露です。
 十年くらい、あるいはそれ以上前から僕は「認識とは入れ子型」なんてことを言っておるのですが、この文章はまるで「入れ子型の箱が展開していって中にある小さな箱が姿を現す」ような感じです。入れ子ってのは、箱の中に小さな箱があってその中にさらに小さな箱が、ってのが延々と繰り返されていく構造のこと。
 気づいていくことやわかっていくことが僕は好きです。それによって、だんだんとより小さな、あるいは大きな箱が見えるようになると思うのです。(わかりにくいですが、僕のイメージでは自分の内側に小さな箱があり、外側には大きな箱があって、それら両方を開いて行くことによって自分の内も外も広くなり、だんだんと自由になっていく感じなのです。)
 四季さんとは小沢健二さんの話題を通じて知り合いましたが、彼の歌に「星座から遠く離れていって景色が変わらなくなるなら ねえ本当はなんか本当があるはず」という歌詞があります。『Powers of Ten』(これについて言及したことがその曲を出した当時あった)みたいなイメージなのかなと思いますが、ミクロに、あるいはマクロに迫っていくことによって、何か「本当」のようなものが見えてくるのかもしれない、というような予感を抱きます。
 認識がどんどん突き詰められていくと、何か本当のようなものに近づけるような気がやはり、するのです。

 四季さんのこの文章では、一般的に言われている布ナプキンの長所と短所のさらに奥まったところに、布ナプキンの、というか、生理や生活というものの本質に迫るものがあることを指摘します。それは僕の最も気持ちいいことの一つです。僕はこのサイトのコンセプトをいつしか「他人があまり発想したり言語化しないところを突こう」ということにしていますが、その姿勢と見事に符合するような文章です。それがなんだか嬉しかったのでした。

2013/10/09 水 

 だんだん素直になる
 それが無関心ということではないと
 誰が言えるだろう

 まあ無関心から始まってよかろう
 いったんリセットして
 そっから感じればいい

 まーそういうことなんでしょう。

2013/10/08 火 あるべき姿(2)

 二者間の関係には「あるべき形」というのがあるのではないか、と書きました。(それはもちろん固定的なものではなく、常に柔軟に変化というか、踊り続けているようなものであることが理想的なのだろうと思います。)

 僕にはかつて幾人かの恋人がおりましたが、そのすべての相手に対して「間違いだった」と思っています。限りなく正直に言って「間違っていた」と思います。ちょっとした手違いと勘違いで「恋人」というような関係になってしまったわけで、実はそれは「あるべき形」ではなかったのです。今の彼女たちとの関係こそが、たぶん本当に「あるべき形」なのです。
 若い時はついつい、何でもかんでも「恋愛」という方向へ持っていこうとしてしまいがちです。それはもう、仕方のないことかもしれません。当時の自分たちは、そうでなければ近づけないくらい不器用だったのかもしれません。互いの互いへの好意を、「恋心」という単純すぎる名目でしか捉えることができなかったのだろうと思います。
 実際、「いやー、間違えてたねえ」と言い合っている(僕に合わせてくれているだけだったりするのかもしれないけど)ような相手もいて、僕はそういう話をしている時に本当に「あるべき形」なるものを感じるのです。
 僕のかつての恋人たちはすでに結婚していたり、それにほど近い状態にあったりしていて、それが正解かどうかは知らないし、そもそも正解なんてもんはないだろうという言い方もありそうなもんですが、ひとまず僕が思うのは「やはりあれは間違いだったな」で、一般的に言う未練とか、恋心の残滓とか、そういったものとは遥か遠いところにその気持ちはあります。
 面白いのは、「恋愛」という特別な関係を排除してもなお、心地よい関係というものが残っている相手がちゃんといる一方、「一生連絡を取ることはないのではないか」と思うような相手もいるということです。
 後者に関しては、思うところがいろいろあって、そういう相手と付き合っていた時期があったということですが、それはそれで面白い話です。最大の間違いと言えば最大の間違いですが、前者に該当する人たちと同じといえば同じです。結局は、「あるべき形」に落ち着くということなのです。そういう意味で、一律に間違いは間違いです。

 若く、あまりにも若く未熟で、わからないことばかりでした。僕には身近に何かを教えてくれる年上の人というのがほとんどいませんでした。というより、自分からそういう人たちからの「教え」を拒否していたのです。今思えばそれは馬鹿馬鹿しいこだわりだったのですが、当時の自分は何も意識せず、尊い教えを賜る可能性を排斥していたと思います。それでひたすら「自分で考えよう」とばかりして、いろいろ寄り道というか、ここで言う「間違い」を冒しつづけて、ようやく少しずつ鞘に収まりつつあるかな、と感じているのが最近です。かつてはあまりにも自分本位でした。それで抜き身でした。
 過去の関係を否定したい気持ちは全くないのですが、しかし昔の自分の勝手さはひたすら否定したいです。間違いは間違いで、それは未熟さの故でした。間違いございません。

 かつての恋人に対して、「今でも好きだ」という気持ちはありません。そういう言葉を使えばそういうことになるのかもしれませんが、そういうことではないのです。かつて恋人だったとかそうでないとかは関係なく、仲が良ければ良いし、悪ければ悪いです。
 ただ、こういう「分け方」はあまり一般的ではなくって、いろいろトラブルを招くのです。再婚した新しい奥さんが、「前の奥さんを知っている友達とは会わないで」みたいなことを旦那に言うケースなんかいくらでもあるわけでして。そういう場合、旦那としては「そうします」と言うほかはないんでしょう。
 いくら僕の中で「関係ない」と思っても、過去は歴然としてあるものなので、客観的に見れば「アリエナイ」と思う人はいます。「イヤダ」もあります。そのへんは理屈ではないのです。
 そうすると僕は「そうします」という返答をしなければならないような気がするのですが、それはもう、いろんなものを反故にすることになります。新しい奥さんに全てを捧げるつもりなら、それでいいし、そうするべきなのかもしれません。
 ところが勝手なことに僕はもう「恋愛」という第一線から退いているご隠居なんです。だからしっぽりと煙管をくゆらせながら考えたりするのです。
 ところがところが、重ねて勝手なことに僕はまだ、「恋愛感情の残滓」なるものを持ち合わせているようで、執着心だとか嫉妬心だとか独占欲だとか、そういったものだけは若干残っているんですね。それは実に、よくないことだと僕は個人的には思います。
 最近はだんだん、その残滓も薄れてきて、このまま次第になくなっていくような気がしています。仙人の世界ですよ。
 とはいえ、僕の心には何が起こるのかわかりゃしないので、明日にはまた燃え上がるような恋に支配されるかもしれません。それは五十年後にやってくるのかもしれません。わかんないことです。仙人が水浴び見て雲から落ちるみたいな。

 行雲流水。行く雲のように、流れる水のように、移り変わっていくのが人と人との関係です。許し合うためには縛らないことです。それができる相手というのが、生涯の伴侶となるべき人なのかもしれません。
 実際にはそんなもんはほとんど不可能で、みんななんだかんだどっかで折り合いをつけながらやっているんでしょうが、その「折り合い」というのは実は、「縛ることをやめよう」で括れるようなものなのかもしれません。ただその表出の仕方がそれぞれに違って、グロテスクだったり哲学的だったり色々な場合があるのだというだけなのかもしれません。

 では、その、縛るとは何か。
 結局は、自分、というか、自縄自縛ってことだと思います。
 相手への束縛は実は自分の心の束縛ですから。
 それをなくすべきかなと思います。
 僕のお父さんはジャズを聴いて、お母さんは南こうせつを聴き、その趣味は見る限りほとんど独立しているようなのです。「それでいいんかね」と思ってた時期があるにはあります、「お父さんは南こうせつに嫉妬しないのか」とか。でも彼らにとってはそれがもう完成された世界なんでしょうね。それが良いのかどうかはわからないし、自分もそうできるか、そうすべきかはわかりませんが、そういうのを見ていると自分の未熟さを思います。

 あるべき形であるためには、自分はあるべき姿でいなければならない、という単純な言葉遊びのような発想を噛みしめます。
 一切のこだわりを捨て、その上でこだわりを纏うというような冷静さを持たなければ、人は冷静な関係を維持していけません。冷静でないまま生きていけばいいとも思うのですが、さすがに僕には手遅れでしょう。そうする動機も今のところありません。

 二者間の関係には「あるべき形」があって、それぞれは「あるべき姿」をとっている。恋愛は時にその姿を曇らせる。曇らせるが故に、一時的にうまくいくようなことがある。恋は盲目。恐らくこれが真実です。
 曇りが晴れて初めて自分はあるべき姿でいられるのだろうし、あるべき形の見極めもできるようになるのでしょう。自分と相手の姿がちゃんと見えなければ一緒に踊ることはできません。
 こんな面倒くさいことを考えてないで、もっと情熱的に恋をしてさっさと結婚してしまえばいいと思うんですけど、それができるならとっくにそうしてますね。たぶん、できません。
「それは違う」っていう発想が、僕の人生の最大の暇つぶしなんです。暇つぶしっていうのは言葉のイメージが悪いですけど、僕の言う暇つぶしとは「人間の生きる理由」です。人間は、特に日本人は生きる理由を持っていません。だからそれぞれにそれを探さなければなりません。人生という、容易には死ねない生の世界に足を踏み入れてしまった以上、何十年という長い「暇」の時間を、どうにか過ごしていかなければならないのです。(真剣十代しゃべり場で立川談志さんが言ってたことが、けっこう近いと思います。)

 僕は自らを縛る縄を、鎖を、ほどいていこうと思います。
 藤子・F・不二雄先生の短編に『ボノム=底ぬけさん=』っていうのがあって、これは長らく単行本に収録されなかった、あわや幻という作品だったんですけど、今は読めます。なぜ入らなかったのかと言えば、内容が過激すぎたからかもしれません。僕が今、言ってるようなことを、とことん突き詰めれば、こういう悲劇にしかなりませんという警鐘でもあると思います。だから、縄と鎖をほどいただけではダメで、ほどいた後に、再び装備するのです。それが道徳とか倫理とかいうものであり、『ボノム』はその存在意義を示す作品なのかもしれません。

2013/10/04 金 あるべき姿(1)

 友達がまた別れた。
「また」という言葉が何を表すのかは置いといて、別れたそうです。そうですか。一つの時代が(あなたの中で)終わりましたね。

 人間関係、特に二者間の関係には、その二人にとっての「あるべき形」があるのだと思っています。恋愛は、時にそれを崩して侵入してくる、ウィルスのようなものですね。「恋愛関係こそが我々のあるべき形なのだ」と思ってるのはおそらく当人たちだけでしょう、と僕は真剣に思います。
 そういうことに敏感な人は、世間では恋人だと呼ばれる相手に対して「相方」とか「パートナー」とか言ったりするわけです。かっこつけ(ファッション)で言ってる感じの人もいて、それはなんだかなあと思ったりもしますが、なんにしても「恋人」だとか「彼氏・彼女」だと言いたくない事情があるのでしょう。「なんかそういう表現はふさわしくない気がするなー」と。
 それはすっげーわかります。僕は「あるべき形」がそれぞれにあるもんだと思っているので、その一つを表現するのに、みんなと同じ、言ってみれば「制度的」な言い方をするのは、なんだか自分たちの在り方を狭めているだけにしか思えなかったりするのです。
 とはいえ、「結婚」というのはけっこう、これでよくできた仕組みで、それを利用するメリットはしっかりあります。ある人には。詳しくは省略するけど、同様に「付き合う」とか「恋人/彼氏・彼女と呼ぶ」ことにもメリットはあるのです。ある人には。それを行使するかしないか、別の呼び方にして別のメリットを行使するか、といった問題になってきます。(なんかややこしいな。)
 えーと。ともあれその、メリットに目がくらんで、デメリットとか、その他の要素に目が行かなくなることってのはずいぶんたくさんあるのですよ。それも「恋愛」「付き合う」「結婚」等々のヤバさだと思います。

 恋愛の最大のメリットってのは「気持ちいい」なわけですが、これを「楽しい」と勘違いしてしまう人は非常に多いのです。
 これも面倒なので省略しますが、このからくりによって勢いがついて、そのまま結婚するケースもまあ、少なくないのだと思います。
 でもそのうち「気持ちいい」がなくなって、「どうしたもんか」となる、ってのがけっこう、まあ、あるのかもしれないですね。
 ただ、僕が最近思うのは、「気持ちいい」で結婚した人のほうが、実はあきらめがつきやすいんじゃないかってことです。
 たとえば「気が合う、ゆえに楽しい」で結婚した人たちが、「あれ、気が合わなくなってきたぞ、ゆえに楽しくない」となってしまったら、もう終わりな気がします。
 それがもしかしたら、「お互いに違っているほうがうまくいく」という伝説のゆえんなのかもしれないです。
 はっきり言って、何十年も「楽しい」を維持していくのは難しいと思います。だったら、「気持ちよくもなし、楽しくもなし、別れたくもなし」を維持していくほうが簡単だったりする可能性も、ありますよね。
 結婚したことないから全部空論なんですけども。
 そういうことなんで、僕の理想は「楽しい」なんですけど、でもやっぱ、それって現実的には相当難しいことで、そうではなくって、「気持ちいい」で結婚しちゃって、それが消え去って、「まあ、別に気持ちよくもなくなったけど、だからといって別れることもないかねえ。もう慣れたしねえ。気は楽だよ」という感じが、いいんでしょう。
「楽しい」とか「気が合う」とか「○○が魅力的だ」を重視してしまうと、それらの要素がなくなったり、感じられなくなった時に「こんなはずじゃなかった」になりますね。「気持ちいい」だったら、たとえそれが消えても、「まあ、そういうもんか」って、あきらめがつきやすい気がしますよ。もともとが曖昧なもんで。
「あー、なんで結婚しちゃったんだろうなー」って思っても、それに対する明確な答えがないもんだから、本格的な後悔に行かないんだと思うんですね。

 もちろん、「気持ちいい」で結婚した人が離婚しない傾向にあるとか、そういうわけじゃないのでしょうよ。むしろやっぱ、ガンガン離婚していくのだと思います。ただ、「楽しい・気が合う・○○が魅力的だ」で結婚した人も、同じくらい、もしくはそれ以上に、うまくいかなくなって離婚しちゃうんじゃないかっていうのは思うのです。
 だったら、どうしたらいいんでしょうか? っていうのが、「あるべき形」っていうことに繋がっていく気がします。たぶん続きます。

 まあ、それにしても、離婚なんていうのは未だに、というか今のところ、少数派ですからね。死ぬまで別れないケースのほうが、たぶんまあ、多いでしょう。あとはそれが「どういう家庭か」ということになっていくだけですね。どうなるんでしょうね。このへんはさすがによくわかりません。


2013/10/03 木 103の日

 おざ研に103の子が来てくれたよ。
 高校一年生の時のクラスが103というクラス名だったから10月3日とか1月3日とかを大事にしているわけです。みんなでメール送り合ってました。面白いねえ。

 ところで10月3日は天さんの日なのか。
 くだらないっすね。なんかためになることを言おう。

 15の春に出会った友達とはもう、13年半の付き合いにならんとするわけです、もうすぐ折り返しですね。
 ずいぶんと生きました。
 このサイトも13年以上経つってことです。
 未だに考えてますね。考えることはなくなりません。
 初期の頃は考えてるっていうより乱射してる感じでしたが、今思えばそれも考え方の模索でした。
 そういう生き方なんだね、僕はね。
 そのことについて焦ったり悩んだり、周りが気になったりは、もうほとんどしませんが、それで少なからず誰かと衝突したりはします。
 まあしかし許し合うことです。

「信じられぬ大人との争いの中で許し合いいったい何わかり合えただろう」
 っていうのは尾崎豊の最初期の曲で『卒業』ってやつの歌詞です。
 尾崎豊は死ぬ間際にはこう歌っております。
「誰もが皆自由に生きてゆくことを許し合えればいいのさ」
 もう引用、何度目ですか? 『自由への扉』という曲。あー。
 何度も引用するってのは、それだけ大事だと僕が思っているんでしょう。
 最近ようやくそういう境地に達しつつある、気がしますよ。
 人を信じることですね。恐れずに信じること。
 もちろん疑うことも大事です。
 悪いことの存在は常に疑い、よいことの存在は常に信じる。
 両方を同時に行うことかもしれません。

 暴走車が突っ込んでくる可能性は常にありますが、久しぶりの友達にばったり再会する可能性も常にあるのです。
 許し合うということの行き先はそのあたりでしょう。
 よいことが起きることを信じ、悪くなってしまうことを疑う。
 それを踏まえて進もうとするとき、人は「勇気」というものの力を借りるわけです。
 あるいは慎重に、ことを運ぶべく工夫します。
 脳天気ではないところで「許し合う」をするには……ということを、けっこう考えています。

2013/10/02 水 林子平になる

 ずっと自転車だったけど、原付を買って、かつ徒歩が増えた。
 速度に幅ができた。
 北海道で出会った旅人の「ミスター」が言っていたように、やはり徒歩こそが旅の第一の方法なんだと改めて思い至った。

『風雲児たち』という歴史漫画を読んでいて、林子平とか高山彦九郎だとかいう人たちがものすごく歩くのが速かったというのを知った。
 林子平は一日に120キロは歩いたと『風雲児たち』にある。
 時速10キロをノンストップで12時間というわけだ。凄まじい。
 試しに高田馬場駅からおざ研までできるだけ速く歩いてみたが、2400メートルくらいで17分かかった。時速8~9キロ程度。信号が幾つかあることを考えても、せいぜい時速10キロ弱くらいだろう。ほんの20分でかなり疲れた。これを12時間、ほとんど休みなく歩き続けなければ林子平にはなれないというのか。もっと歩いて、足腰を鍛える必要がある。
 おぱんぽんさんこと岡田さんという大学の先輩は、「日本縦断マラソン」を二度もしているのだが、彼も「二日半で200キロ」とかいう驚異の数字をたたき出していた。たしか100キロ走ったような日もあったと思う。本当に凄い。尊敬する。しかし林子平はそれ以上だというんだから気が遠くなる。
 名古屋までくらいだったら一週間あれば行けるだろうと思うんで、やってみようかとは思うんだけど、道がだいたいわかってるから面白みがない。それとも会津にでも行くか。

 都心を移動するなら原付にメリットはほとんどない。自転車、特にロードレーサーが最強だ。ごく暑い季節でなければ、原付のうまみってのはあんまりないんだなあと、二~三週間くらい集中的に乗って確信した。
 ロードレーサーが最強なのは間違いないとして、それでは徒歩で移動する意味とはなんだろうか? と考えてみる。
 それはもう「結局、自分ってことだよな」という一言に尽きてしまう。
 自分が自分であるために、歩かねばならないのだ。
 自転車はやはり、どこまで行っても自分ではない。
 また、当たり前だが人間ではない。

2013/10/01 火 手を繋いで踊るために

 誰かの代わりに考えようとしてはいけない。
 それに気づいた。
 正しいかどうかはわからないが、そういう方向性もある。

 誰かと同じように想ったり、感じたりすることが苦手な僕は、ついつい「誰かの代わりに考える」ことによって、その欠点を補おうとしていたみたいだ。
 それをすれば、その誰かの心を奪うことにもなりかねないし、自立を阻むことにもなりうる。親が子供の生き方を決めてしまうようなものだ。
 頭がいい、考えることが得意な人は、どうしても「考える」ことによる解決を選ぼうとする。そういう人はだいたい、「考える」以外のことが苦手だから、それしかないのだ。不器用なのだ。
 確かに、考えるべき場面はある。多い。極めてたくさんの困難が、「考える」ことによって切り開ける。僕は割とそう信じている。
 しかし、「考える」のは常に自分だ。

「考える」ということは、常に自分のためにすることで、他人のためにすることではないのだ。
「他人のために何かを考える」ということには意味がない。
 考えるのは、自分のためだけでいい。
 他人のためにするのなら、「想う」とか「感じる」でいい。
 そのために日本には「思いやり」なんていう言葉がある。
「考えやり」なんてものはないのだ。

「誰かと一緒に考える」ということの難しさを感じる。
 小沢健二さんが『うさぎ!』の参考文献の欄に「一緒に考えましょう。」って書いたことがあったけど、あれは極めて重要なフレーズなんだ。

 考えることが得意な人は、考えるのが苦手な人に頼ってもらいたがるし、考えるのが苦手な人は、考えるのが得意な人に頼ろうとする。
 そして、ある種の共依存関係が成り立つ。
 ベストセラーの啓発本を書く人と、買う人のような。
 それがそのままいけないというわけではないかもしれない。しかし、その関係にのみ溺れ続ければ、誰もまったく成長しないまま、腐っていくばかりになるだろう。

 また、「自分で考えたい」と思う子供が、「こっちで考えてあげよう」と思う大人に反発を覚えるのは、当たり前のことだ。
「どうしてこの人たちは、僕の頭の中をそんなに狭い範囲に刈り込むんだ!」

 自分のためのことだけを考えよう。他人のことは、考えない。もし相手を、自律した大人だと思うなら。大人としての、自身の判断を、その力を、育てよう。いつまでも肩を組んでちゃ、歩けるようにはならない。
 それが「可愛い子には旅をさせよ」だと思う。
 死ぬかもしれない。トラブルに遭うかもしれない。
 でも、それを怖がってはいけない。
 しょせん、人生だから。こんなもんは。

 手を繋いで踊るには、そうでなければいけない。

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