少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2019.10.29(火) セツノーナル

『失踪日記』を読んで吾妻ひでお先生を好きにならない人なんていない。先日亡くなった。初めて読んだのは2005年か遅くとも2006年だったはずだ。僕がまだ大学に通っていたころ。
 今夜はどうも隔靴掻痒、なんというかむずがゆくて、夜中まで何もできなかった(と言いつつ寝っ転がりながらたかもちげん『祝福王』を読破)。いかんと思って、なんとなくお風呂で『失踪日記』をぜんぶ読んだ。冷蔵庫で眠っていた「本搾り」オレンジ500ml缶を出してきて飲んでいる。吾妻先生の直接的な死因はアル中じゃない(20年間飲まなかったようだからすごい)とおもうので、不謹慎とはいわれないだろう。僕は基本的に家で一人でいるときに酒はほぼ飲まないのだが、年に一度くらいカッとなって飲んでみる。いまだに背徳的な気持ちになれるから好きだ。スナック菓子もあんまり食べないが、今日は大好きなカラムーチョの大袋を開けた。ザマーミロ(?)。
 時刻はもうすぐ午前5時である。
『失踪日記』を読むまでは恥ずかしながら吾妻ひでお先生といえば「長兄が好んで読んでいたSFや美少女を描くのが得意な漫画家」というくらいの認識で、『ななこSOS』や『オリンポスのポロン』なんかをちょっと読んだ程度だった。『不条理日記』もとにかくわけがわからないという印象だった。『失踪日記』で開眼させられて読みふけり『二日酔いダンディー』や『エイリアン永理』はバイブルと言いたくなるほど好きな作品になった。『シッコモーロー博士』や『やどりぎくん』なんかも好きだ。もちろん『アル中病棟』は大傑作。
 そんなことはどうでもいい。低レベルなマウンティングだ。2005?2006年の僕は生意気で不安だった。2007年の夏に僕は「あとは余生」と決めるので、その直前。『失踪日記』はそのころの気分に合っていた。
 吾妻ひでお先生は実際に二度、長期的な失踪をする。一度めはホームレス、二度めは最初ホームレスだったがなぜかスカウト?されてガスの配管工として働くようになり家族とは連絡も取らぬままアパート住まいになる。
 誰もが、とまではいわないが実はかなり多くの人が「失踪」に憧れていると思う。ホームレス生活をしてみたい、と思っている。そして今の仕事とはまったく別の仕事を、まったく違った環境で、誰にも自分の過去や素性を知られずに、やってみたいと考えている。吾妻ひでお先生はそのすべてをやり漫画に描いている。それこそ不謹慎かもしれないが、楽しそうだと思ってしまうし、最終的にはそういう手もある、と思える。ある意味で勇気を与えられる作品だ。
 僕も本当にどうしようもなくなったらホームレスとしてしばらく(吾妻先生がしたくらいの期間くらい)は生きていけるだろう。身体さえある程度しっかりしていれば肉体労働だってまだできる。実際大学生のころとその直後の無職期間は軽作業や大工(かんたんなプレハブなどを作ったり撤去したりする)でけっこう稼いでいた。僕はもちろんインテリなんですけれども、じつはけっこう肉体派でもあるのだ。スポーツがあんまり好きじゃないだけで。
 大工はE組というのに所属していて、ちゃんと道具も一式揃えていた。インパクトドライバー、どきゅうのバール、なぐり(トンカチ)、メジャー、カッターなどを腰袋に入れてけっこう本格的に作業していた。粉塵を吸いすぎるのがこわくてやめてしまったが、おかげで「おざ研」(昔やっていたお店みたいなもの)のカウンターも自分で作ることができた。
 そういう経験がいちおうあるので、吾妻先生が失踪中にガスの配管工になったときの気分はなんとなくわかる。やべーやつが多くて、それがなんとも面白いというのもわかる。一方で学校の先生なんかもやっていた僕から見ればほとんど異世界のようだが、意外と地続きでもある。僕の場合は中学校が荒れていたり、三番目の兄がずっと土方(鳶)をやっていたりするので、「ありえたもう一つの人生」ともいえる。
「現場」には意外とインテリがいる。『失踪日記』にも北杜夫のファンで『楡家の人びと』の話題を持ちかけてくる仕事仲間が出てくるが、これはリアリティがある。僕もあっちこっちの現場でさまざまなインテリを目撃した。文学系が多いが、なぜか英字新聞を持ってきて読んでいる人なんかもいた。
 酒場でもそうだ。よく出会う。文化系とガテン系は矛盾しないどころか、意外と相性がいい。座ってものを考えているだけでは何も生み出せない、ということなのかもしれない。
 僕もライターを生業とするより、水商売の現場に出続けるほうが性に合っている。そのほうがじつは文化的なのかもしれないのだ。教壇に立つのも「現場」の一種。でもできるだけ、いろんな現場を知っておきたい。

 ところで、SFとは「世界観フィクション」だという話がある。現実とべつの世界観を描くのがSFなのだと。吾妻ひでお先生はSFの人で、だからこそホームレス生活やガスの配管工を楽しめたんじゃないかという気がする。僕もそういう意味ではけっこうSFの人だろう。
 SFの人は動じない。「そういう世界観もあるな」と思う準備ができている。知らない世界観に出会えば、それだけで面白がれる。どうやら世の中には「自分と違う世界観」に出会うと即、拒否反応を示す人も多いようだ。SFの人は「そういうのもあるのか」と思うだけである。

2019.10.27(日) 最新の者は過去を見る

「若い人」になんとかついていこうとする態度はまあだいたい間違っていてうまくいかない。「若い人」を引っ張っていこうとする態度もだめ。「老害」と化す。僕が近年、老人のやっている喫茶店やバーに並々ならぬ執着を持っているのは、そういう理由なのだろうな。
 常に過去を見る者こそ最新なのだ。
 逆説ですのでどうぞ聞いてください。

 インターネットの華やかならざるころ、僕の情報収集源は主にテレビだった。「伝説のなつかし番組」とか「あの名曲をもう一度」みたいな振り返り番組があったらかならず見ていた。それが「過去」を知るのに最も効率のよい方法だったからである。
 そう、ここでいう「過去」というのは「自分が経験した過去」ではなくて、「自分が経験できなかった過去」のことである。それを見ている人間こそが「最新」。
 若い人は「過去」を見ている。まともな人ならなおさらそうだ。現在だけ見ていたり、ちょっと先の未来だけを視野に入れて生きている人は、まあいわゆる「何も考えていない」とか「意識高い」と言われるような人たちで、ちゃんとものを考えようとしている人は、無意識に「昔」へ目を向けている。
 まともな若い人は、年長の人間を「自分たちを待ちうけている未来」とは考えない。「〇〇さんみたいになりたいです!」という態度は模倣しか生まず、高級な発想とはいえない。いくら目の前に魅力的な年長者がいようとも、それを目指そうなどというのは愚かしい。その人は自分とは別人だし、育ってきた環境も時代状況も違うのだ。ただ、参考にするのだ。その人のことを「未来」ではなく「過去」だと思うのだ。
 自分より年長の人間は、自分よりも「過去」についてよく知っている。何しろ自分たちより長く「過去」を生きているのだ。彼らの「過去」からは学ぶことがたくさんある。それを糧として、自分なりの「現在」を構築し、未来に備えるのが賢い。
 他人を「過去の集積」として捉えると、そこに「歴史」が立ち上がる。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶとはよく言ったものだ。人間というのはそういうふうに「読む」ものである。

 もちろん、同級生だろうが年下だろうが、自分とは違う「過去」を持っているという点で年長者と同様だ。ただ年長者のほうがそれがわかりやすく、見えやすく、学びやすいというだけのこと。どんな人間にも敬意を持とう、というのは、どんな人間だって歴史を持った「過去の集積」なのだから、そこから学べることはいくらでもある、というような話。
 他人を「過去の自分」のように扱ったり、「未来の自分」のように捉えたりするのは実に愚かしい。ただ「自分とは違う過去=歴史を持った人間」であると思って、相応の敬意を持つべきなのである。
「おれもむかしは君みたいだったよ」とか「どうしたらあなたのようになれますか」というふうに言うのが非常に失礼だというのは、相手の「歴史」に対して敬意を表すことができていないから。相手のなかの歴史を読むことで、こちらの学びとし、相手に自分の歴史を読ませることで、相手の学びとする、という方法しかないのだ。教わったり、教えたりするには。

「新しいものを、新しいものを」「現在における最先端を」と求める人は、はっきり言って視野が狭くなる。いちばん新しい地点に立って、過去全体をなめるように眺めるのが、最も見晴らしが良いはずだ。逆にいえば、すべての過去が見えている人がもしいるとしたら、その人は何よりも誰よりも、いちばん前にいてこちらを振り返っているはずなのである。
 いちばん前にいることは神レベルなので不可能として、「まあまあ前」くらいまでなら行けるだろう。で、「まあまあ前のほうにいて前を向いている人」と、「まあまあ前のほうにいて後ろを振り返っている人」と、どちらがよくものが見えているかといえば、実は後者なのだと思う。過去のほうが一対百兆くらいで広大だろうし、何よりも、現在だとか未来と思っていたものはすぐ過去になるからである。前のほうにいて前を向いている人たちは、後ろのほうにいて前を向いている人たちから称賛を浴びる。それは気持ちが良いしお金も儲かるのだと思うが、実際のところクールなのは広大無辺な視座を持ちながら地道に後ずさりしている人たちなのではなかろうか。そういう人たちがたまに前のほうに視線を向けると、まばゆいばかりの光のヴィジョンが見えたりするはずだ。それが未来というもの、であるべきなのだぜ。
 こじつければ、それが「最新」の意味でもあると思うのですね。

2019.10.26(土) オンデマンド(要求に応じて)

 一冊から注文できるオンデマンド印刷が最近安くなってきているので高校生のときに書いた戯曲三本(『少年三遷史』『イワンよりもばか』『なにをする!』)をまとめて解説つけて一冊だけオーダーしたら送料込みで759円だった。本文164ページでこの値段だからかなり安い。複数冊まとめて注文すればもうちょっと安いし、マニア(何人いるんだ?)向けに1500円くらいで売れるのではないか。過去の小説とか詩とか漫画とか日記とかどんどん製本していきたい。自分用としても嬉しい。一冊から作れるのは在庫を抱えなくていいから気が楽だ。
「出たら買うよ」という人がいたらほんとうに作るので、ぜひとも申し出てください。まさかの日記20年分すべて単行本化、というのが、20周年くらいまでにできたらいいなあ。(あと9ヶ月しかない。)そしたら「平成のジャッキーさん展(仮)」が現実のものとなる……かも。

 友達がひさびさに店に来た。半年ほど働いておらず家賃も払っていないでパスタになけなしの調味料をつけて食べてしのいでいるらしい。何か食べるものをと言われたのでカレーを出した。飲み物も出した。お金は今回はタダにした。それにしても会うたびに痩せこけている。かわいそうだからカロリーメイトを三箱あげた。ちょっと古くなってしまった冷凍モノとかもあげた。帰り際「(一緒に)牛丼でも食う?」と言ったら「現金のほうが」みたいなことを言うので「おこづかい」と言って五百円あげた。「ほんとうに大変だったら連絡せよ」と言ったら「ほんとうに大変だったら言うよ(当たり前だろ、と言わんばかりの温度)」とのことだったので本人的にはまだ慌てるような時間じゃないのだろう。
 彼に施しをするのは非常に気が楽である。彼は感謝もしないし恐縮もしない。「申し訳ない」とか言わない。「ああ、ありがと」くらいのことを軽く言うのみである。彼にどれだけ恩を売っても彼からもたらされるものはほぼ変わらない。「お返し」みたいな概念はたぶんない。しかし、どうやら「日ごろからお世話になっている」みたいな感覚はあるらしい。だから恩を売っても売らなくても恩返しはしてくれる。その恩は与える金銭やモノの多寡により左右されるものではなく、「関係」の中に内包されているのであろう。第一、僕は今回のようなことでもなければ彼にモノは与えない。食べ物を買うお金がないようだからカロリーメイトをあげるのであって、なにもなければ何もあげない。僕が飢えていて彼が飢えていなければ彼だって僕にカロリーメイトをくれるだろう。まあただそれだけの話なので、なんとも気が楽だ。世の中のだいたいがこんな感じならいいんだけどな。

 もうすぐ(11月1日)誕生日。10月はお店がほんとうに流行らなくて死にそうだけど、まあ11月はめでたいところからスタートなのでなんとかなるでしょう。そんななか最も付き合いの古い友人の希死念慮が過去最大に高まっているようす。自分はよっぽど玄人だと思う。

2019.10.23(水) それがバランス

 陳腐というのは凡庸ということです。凡庸ということは、ザラにあるということです。ザラにあるんだから、別にそれをいやがることもないんじゃないかというのが、現代の最大の退廃なのです。
 陳腐であるということは、退廃しているということです。現代では、既に退廃もそこまで大衆化しました。平凡な顔をした退廃とくっつく必要はないということです。そして、平凡な顔をした退廃ほど、逃げるのに困難を極めるものはありません。何故ならば、平凡こそは、人類の行き着く最終の安息の地だからです。そこが退廃しています。そこに居着いたら、もう永遠に逃げ場はありません。だからすぐ逃げなさいと言っている訳です。
 既にそれに見こまれているあなたにとって、多分逃走は困難でしょう。困難ですが、それをやらなければ、あなたも死にます。
(橋本治『青空人生相談所』P210?「■付き合っている彼女に結婚をほのめかされて困っている二十六歳男性のご相談」)

 飽きるほど引用したけど、まだまだ。
 僕に何か思想めいたものがあるとしたらこれに尽きる。この文章にいう陳腐、凡庸、平凡、退廃といったものをいやがり、「ザラにはない」というほうへ(遠心的に)向かっていこうとする態度。引力からぬけだして遠くまでいこう、という感じ。
「ザラにはない」というのは、「悪しき風習の安易な克服」ではない。「安易な克服」は必ずや「ザラにある」と結びつくから。「ザラにはない」というのは、そもそも過去にあった「悪しき風習」のことなど問題にしない。ほかの何かのネガ(否定)ではなく、オリジナルでなければいけない。
 この文章にしても、今つくっている本にしても、詩にしても、お店にしても、すべて「ザラにはない」をめざしている。何かの否定でもあり、何かの肯定でもあるが、何かを単純に裏返したものではないし、何かをそのまま写しとったものでもない。
 好きなものも、いやなものも、無数にあるので。

「人と違うふうであろう」と僕は言っている。しかしそれは「少数派になろう」ではない。「人と違う自分をめざした結果、ほかの誰かと同じようになってしまった」も避けねばならない。少数派どころではない、「誰とも違う」をめざすこと。そうすると、自然と人は孤独になる。
 なぜ人が他人と同じことをしたがるのか、といえば、さみしいからだろう。他人とまったく違う、自分だけの考えを持って行動すれば、孤立するのは当たりまえ。それがいやなら、「適度に人と同じことをする」が必要なのである。人に合わせて生きていけば、さみしくない。「少数派」の人たちは、そのへんでこずるくバランスをとっている。
 もちろん、100%他人と違う、というのは不可能だし、100%同じにもできない。これもバランス。「違えるギリギリまで違っていこうぜ」というくらいのことを僕は言いたい。
 服を着るとか、歯を磨くとか、そういうことは僕はする。そこまで他人と違う必要はない。しかし、違うべきところは違っていたほうがいい。見極めは難しいが、その繰り返しが人をかしこくさせるし、人を「その人」自身にさせる。
 原理として、「同じ種類の人たち」がいれば、派閥になる。派閥が争えば戦争になる。派閥がなければ、常に個人同士の差異だけが問題になる。僕は後者に賭けるというわけ。

 さみしさを解消する手立ては、「誰かと同じであること」だけではないはずだ。そんな、「同じではない誰か」を排除するようなことをしなくても、人と仲良くすることはできる。その可能性を探っている。
 究極に孤独である人だけが、どんな人とでも仲良くすることができるのではないか、とも思う。誰とも連帯を組めないような人は、誰とでも等しい距離にいられるはずだから。
 僕はもちろんその境地に達することができない。内面的にどう孤独であるかはさておき、僕の経歴や能力や外見は変わらないから、客観的にはいろんなふうにカテゴライズされてしまう。どこと距離が近く、どことは遠いという判断を、されてしまう。「ここと連帯していて、こことは連帯していない」というふうに、思われてしまう。
 僕のほうには、ほとんどの人との距離が果てしなく遠い、という実感がある。しかし実感は実感、「他人の目」とはまったく関係がない。

 しかし、そもそも人間に百の要素があったら、そのうちの五個くらいは共通していても、九十五個はぜんぜん違うのだ。五個だけ切り取って「共通!」と喜ぶのは、無邪気すぎる。
 僕は、かりに二十個の共通点を見つけたとして、まあ「共通!」とは叫ぶかもしれないが、無邪気に喜ぶ以上のことはない。大事なのは「共通点」などではなく、仲良くできるかどうか、という、ただその一点のみなのだ。そしてそれは「百個の要素」なんかより、ずっと複雑なことなのだ。
 僕が凡庸をきらい、「違う」ことを大切に思うのは、「共通点」などという些末なものにこだわりたくないからかもしれない。無限に細分化されていったとき、一個や二個の共通点など問題にならない。細かな要素がどう模様をつくったり、結晶したり、反応を起こすのか、ということのほうがずっと重要なのである。
 僕が「選別」をしているとしたら、そこのあたりにまず基準を置いている。


 ちょっと別の話。僕は性別問わず若い人と仲良くなりがちですけどね、若くなくて柔軟な人と、若くて柔軟じゃない人とだったら、絶対に若くなくて柔軟な人と仲良くなるし、なりたい。「柔軟ではないけど今のあり方がとても美しい」という人に対しては、仲良くはなれなくても深い尊敬を抱く。喫茶店やバーで働く年老いた素敵な人たちなんかのことは、そういうふうに見ている場合が多いです。
 やはり、若い人のほうが柔軟である率は高い。それは「従順」と紙一重だったりもするけど、柔軟であるがゆえに「生意気」だって側面もある。こっちだって従順で、生意気だもんね。

2019.10.22(火) 邪推と妄想

 僕がなにかをここに書く。まあAさんのことでも書く。実名は出せないのでぼかして書く。ある人がそれをBさんのことだと誤解する。
「ああいう行動をできる人はすばらしい!」みたいなことを僕は書いたとする。それを「Bさんのことだな」とある人は思う。本当はAさんのことなのだが、Bさんだと思い込んでしまう。「ああ、ジャッキーさんはBさんが好きなのね。そういえばBさんと話すとき、いつも嬉しそうな顔してる」と考える。「Bさんと二人でお買い物に行ったという噂もあるし、最近Bさんに彼氏ができたとも聞いた。つまり、ジャッキーさんとBさんは最近付き合い始めたのだ。つながる、つながる……。まちがいない!」

 邪推。僕だって邪推をすることはある。ただ「邪推は邪推」とわきまえるよう心がけており、「かもしれない」にとどめる。そしてその「邪推」を「次の推論に進めるための前提」とはしない。できるだけ。それをしたら「妄想」になってしまう。「邪推」と「妄想」の間はかなり広い。
 身辺で起こる「嫌だな」と思うことのほとんどは、誰かの「邪推」が「妄想」にまで踏み込んだ瞬間に生じているような気がする。
「邪推の上に重ねた推論」を「妄想」に進めないためには、それを「たくさんある可能性のうちの一つ」にすることである。将棋を知っていればわかりやすいかもしれない。自分が次に指しうる手は無数にあり、それに対する相手の対応も無数にある。無数にあるからといって、検討しないわけにはいかない。検討する。一つひとつ。「相手はこう動くかもしれない、いやこう動くかもしれない」と考えるのは、妄想ではない。
 もちろん、可能性が一つに絞られるのだとすれば、答えは一つに定まる。しかし、なかなかまあそういうことはないものだ。「一つに絞られた」と思ってしまうとき、たいていは「そのほかの可能性について考えるのが面倒くさい、考えたくない」といった気持ちが背景にある。

 武富健治先生の名作『鈴木先生』で、「…つながる… 全部つながる??」(2巻、山崎先生)「つながる 全てつながるーーー」(2巻、鈴木先生)「つながる つながる…」(3巻、鈴木先生)といったセリフがある。これらはすべて、「辻褄が合う、ということだけを根拠に可能性を一つに絞ろうとする」態度を表していた。
 しかし実際のところ、「辻褄が合う」なんてものは、そうたいした根拠にはならない。一つの状況証拠だけで犯人を特定しようとするようなものだ。「被害者は弁護士に恨みを持っていた、だから犯人は弁護士だ」というレベルの話。こういう考え方は、疲れているとけっこう陥ってしまいがちである。気をつけなければならない。
 問題は、「辻褄が合うと気持ちがいい」ということである。快感なのだ。『鈴木先生』にもこんなセリフがある。

…山崎先生が裏であることないこと告げ口しているーーー そう考えた時 こう思って気持ちよかった… つながる 全てつながるーーー

 この快楽に流されれば、「妄想」へとまっしぐらである。「ぜんぶ〇〇のせいだ!」と原因を一本化すると、考えることが少なくなって一つの「納得」だけが心に残る。たぶんそれが気持ちいいのだ。借金を一本化してちょっとスッキリしたような気分になるのと本質的には(たぶん)同じ。「テクノロジー犯罪」も「アベのせい」も。
 で、それは実は「最近ちょっとあの人変だよね」も同じなのだ。その人にまつわるあらゆることを、細かい検証は抜きにして「変」という総合評価で一本化する。そこを軸にして、いろいろな辻褄を合わせていく。そうすると楽で、気持ちがいい。
「〇〇はオワコン(終わったコンテンツ)」でも「どうせわたしなんて」でも「男は?」も「女は?」も同様。一本化の罠。「複雑な事情を単純な言葉で一本化し、そこを前提としてものを言う」。インターネット上の「意見」を観察していると、そういう態度が非常に多い。
 みんな、詳しくものを考えるというのが苦手というか、面倒なんだろう。

 こうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。そういう保留を無数に胸の内に持ったまま、できる限り多くの角度から検討を重ねた言葉だけを口にする。神業のようなもので、僕だって常にはできはしないが、そのほうがいい、ということくらいは考えていてもバチはあたるまい。
 最近、「邪推のもと」みたいな噂話をたくさん耳にする。そうすると僕はかしこさを総動員して考える。で、その結果を「将棋の読み」の一部として保存しておく。
 意識的にそうしていなければ、すぐに「妄想」は突っ走ってしまう。「つながる、つながる……」と。
 軸足はあくまで「ここ」に、ピボットで。
2019.10.21(月) 日常の政治について

 政治、という言葉は人間関係についてもたまに使われます。「ある人間関係を思惑通りに動かそうと画策するさま」という感じだとおもいます。そういった政治的なやり口によって保たれたり良好になったりする人間関係もあるのでしょうが、その領域に踏み込むのは「仲良しの発想」ではありません。
 たとえその人間関係を大切に思うがゆえに行われた政治だとしても。
「組織」でも「家庭」でも同じ。政治を企てたら、もう仲良しではありません。
 僕が思うに政治と仲良しは反対っこで、僕は仲良しが好きです。だから政治があまり好きでないのだと思います。
 べつに社会について何事かを言いたいわけではなくて、「なんでどこもかしこも『社会』なんてもんにさせちゃうの?」ってことが言いたいだけです。社会ってもんは約束事でできあがるものなので、約束しなければ社会ってのはない。で、実は仲良しっていうのは、「約束」というものを完全に無効化するんです。

2019.10.20(日) 心で

(少なくとも2035年は)今日が聖桜学園の学園祭です。我が母上や上皇后陛下をはじめとしてさまざまな人のお誕生日です。おめでとうございます。
 たまたま連絡をとったのでおかあさんに「おめでとう」と送ったらスルーされました。そういえば僕もおかあさんから誕生日おめでとうメールなんてきません。ついでがあれば言われるかもしれませんがそれに対して僕が必ず返信するかといえばそういうわけでもないし。僕は家族全員の誕生日を忘れたことはなくて毎年すべての日に「あ」と思っているけど「おめでとう」の連絡はほとんどしたことがない。たぶんみんなそうなんじゃないかな。
 そういう家庭である、ということが今の僕を作っているし、だからたまに怒られたりもするんだろう。

2019.10.19(土) セクシービームで

 僕のこの約二十年間にまたがる日記をお読みいただければわかるのですが(読む必要はありません)、僕は時おり何かを集中的に考えています。一つのテーマを中心にしてとりとめもなく雪崩のような文章を書いてきました。けれどもその「テーマ」が何かは明示されていなかったりして、ハタから見れば「気でも狂ったか」と思われるような様子もあったでしょう。よくあることです。
 ある時パッと何かに気づいたり、あるいは心を揺さぶる大事件があったりして、そういうものをまとめたり整理するために膨大な文章を書きます。で、そっから発展していくわけです。そういうことがたまにあるからこそ、たぶん僕は僕なのです。そういうことがなくなって、変わらなくなって、安定していったら、散歩ルートが完全に固定されてしまったら、つまらない。こんなホームページはやっている意味がありません。お店も。
 変化しない人たちは「人は変化しない」と思っている。柔軟性のない固まった思考の内にピッチリと他人を収める。パズルを嵌めるようにぴっちりと。だから、わかんないんだね。

 柔軟性ってのは敬意を持つってことと同じじゃないのかね。人を尊重するってことと。(2019年8月12日 参照

 紀行文みっつ。(2019/10/16更新)

・2019年8月3日(土)~9日(金)
 高知→徳島→和歌山→大坂→草津→名古屋
・2019年9月9日(月)~10日(火)
 高崎→中之条→前橋→高崎→熊谷
・2019年10月5日(土)~9日(水)
 富山→高岡→金沢→高岡→富山→下呂→関→多治見→名古屋→静岡→清水

2019.8.3(土)~9(金) 高知徳島和歌山大坂草津名古屋

<3日 東京→高知>
 昼すぎに高知龍馬空港に着き、インフォメーションで空気入れを借りて自転車を組み上げ、走り出す。最初の行き先は決めている。喫茶「ポイント」。
 空港と後免駅とのあいだくらいにあるが、駅からも国道からも離れ、商店街というわけでもない、ちいさく静かな道路の脇にぽつんと建っている。県道243号、247号、45号とが交差するところにあるので「ポイント」と名づけられたのだろうか。こんど聞いてみよう。
 ミックスジュースとトーストハーフを注文。食べ終えるころ、ママさんとお客さんとが表に置いてあった僕の自転車を話題にした。「ああ、あの白い自転車。まえにも来たねえ」と思いだしてもらえた。特殊な形の自転車なので、覚えられやすいようだ。
 ちょろちょろと世間話に参加する。今夜すぐ近くで花火が上がると教えてもらったが、見忘れてしまった。不覚。
「ポイント」に行ったら「イマジン」にも行かねばならない。高知市街はまっすぐ西だが、いったん北上して汽車(JR)と電車(路面)の間の道を走る。すると、黒塗りの妙なお店に出くわした。「cafe ぎやあう亭」。外観は新しいように見えたが、感性はどうも古めかしい。怪しいと思って入ってみると、フォークソング好きの男性が退職後に開いた喫茶店だった。メニュー表に岡林信康のレコードジャケットが載っていたので、「岡林好きです」と言ってみると、レコードをかけてくれた。拓郎も好きらしい。
 まえは「タンポポ」という喫茶店だったのを、改装して2月にオープン。国道沿いで立地は悪くなさそうだが、「あてがはずれた」という。ううむ、やはり喫茶店というのはもう、なかなか流行らないものなのだろう。「純喫茶ブーム」は確かに一方では存在するが、たぶんその潮流にのっかっている人たちが好きなのは「喫茶店」を構成する要素のほんの一部分にすぎない。「自分の好きだと思えるものがたまたま喫茶店の中にいくつかあった」という感じなんじゃないかね。クリームソーダとか、古い家具とか食器とか。
 さて「イマジン」。半年ぶり二度目だが、ママはよく覚えていてくれた。相変わらず甲高い声で、けたたましく土佐弁で話す。健康の話などいろいろ教えてもらう。本当に誰にも見つかっていない、なかなかよそにないめずらしいお店なので、高知に行った際はぜひとも寄ってみてほしい。大津バイパスの「YSP高知」の裏あたり。
 途中、古着屋があったので寄ってみる。こういう余裕も必要だ。「html」と書かれた黒い半袖のパーカを買った。htmlさいこう!

 高知駅周辺に到着。北口に新しくできたジャズ喫茶「Debby」に寄ってみる。ここも退職後に始めたお店らしい。「退職後にジャズ喫茶」というパターンは本当に多く、どの都市に行っても見かける。僕のいま住んでいる街にも「退職してから開いたジャズ喫茶&バー」があるし、実家のすぐ近くにも「週末だけ開くジャズ喫茶」が最近できた。先の「ぎやあう亭」はジャズではなくフォーク中心だったが、似たようなパターンだとはいえる。老後の楽しみが「レコードを聴くこと」や「音楽について考え、話すこと」ならば、ついでにお店もやっちゃえ、という感じなのだろうか。うちのお父さんもそういうお店を開いたらよかったのにな。「コーヒー入れたらあとはニヤニヤしているだけでいい」んだから。(これはさくらももこ先生の漫画『ひとりずもう』でももこがヒロシに、八百屋やめて「喫茶ヒロシ」でもやったら、とすすめるシーンにあるセリフ。)
 ただ、そういうのは土地や家があるから成り立つところもあって、集合住宅住まいだとテナントを借りねばならん、その家賃を払えるくらい人が来るかといえば、かなり難しいだろうなあ。
「Debby」は素敵なお店で、読書でもするには最適だ。近所にあったらけっこう通うかもしれない。
 高架下南側の「へびや」へ。僕の知っている中では高知で最もマニアックというか、「見つかっていない」飲み屋だと思う。ここもけっこう年を取ってから始めたらしいお店。マスターは昭和三十年代くらい?の古い歌謡曲にとても詳しい。この日はレナード・コーエンの『Various Positions』というアルバムがかかっていた。あまりに格好良かったのであとでアップルミュージックで聴きまくった。のんのこの水割りをもらう。たった400円という破格。「青い花」というお店のことを教えてもらい、電話までしてくれた。あとで行こう。
 だんだん南下して喫茶「クレオール」へ。喫茶といってもほぼカウンターのみ。ビールと思ったが夜は長いと思いとどまり、カフェオレをいただく。くせのないお店ではないので、くせのないこともない人たちが集まっている。この階上に某というこれまたヤバイお店?があるのだが、閉まっていた。残念。
「Slowhand mojo」へ。ここでは毎年8月に「鏡川フォークジャンボリー」という音楽フェスをやっていて、毎年僕がいく頃なので毎年寄っている。ちょっとだけライブ見る。せまい、ガレージのような空間にモノと人が詰まっている。フェスは四日間開催され、述べ三十組以上が出演。ときおりは「身内ノリ」みたいなものもあって若干つらいが、良い演奏は本当に良い。
 もうちょっと夜の街を散歩する。行ったことのないお店にも行きたい。「フランソワ」という老舗バーに入ってみた。

 ギムレットとジントニックを飲むあいだ、とくにお店の人とも、ほかのお客さんとも会話するいとぐちがなかった。「バー」といえばたいていはそんなもんだ。僕がやっている夜学バーみたいに、「一つの場をみんなで共有する」ことを是として、「常にどの人とも会話が発生する可能性があるが、べつに発生しなくともよい」というくらいの温度調整をめざしてやっているのは、非常に珍しい。このお店も僕のお店も、一言でいえば「お客さんのご自由にどうぞ」なわけだが、「完全に自由」であるか、「下ごしらえはしてあるので、あとは自由にやりましょう」という違いはある。
 このお店は、「完全に自由」という方針のようだった。「ここはあくまでも一人一人が自由にお酒を飲む場所であって、一つの場を共有するとか全体のバランスを取るとかっていうことは特別に意識していません」という感じ。それがふつうだし、それが気楽でもある。ただ、僕は旅行で来ているので、せっかくだから現地の人とちょっとくらい触れあいたいのである。
 右隣に座っている二人組が、ちょっと珍しいお酒を頼んで、ビンを見せてもらっていたので、「僕も見ていいですか?」と声をかけた。そこからはもう、あれよあれよ。農園をやっている人と、建築関係の人。ものすごく話が弾んだ。ゆずのリキュール、ありがとう。そういうふうに、自分から道を拓いていくことは大切だなと改めて思った。
 話は変わるが阿佐ヶ谷に「メリデ」というすばらしいバーがあって、バーテンダー歴50年以上というマスターは確かにこう言っていた。あたしらの役割ってのは、自分を反射してお客さん同士を繋げることなんです、と。そうはっきり言ってもらえると心強い。僕もそういう志でやっているのだ。でも、バーに立つ人がみんなそういう気持ちでいるわけではない。それで今回は、ゆずリキュールのビンを反射材とさせてもらったのである。

「よこやま」でおべんとうを買い、しばらくさまよった後、「へびや」で教えてもらった「青い花」へ。思った以上に文化的な場だった。内装もすばらしい。お通しはくだものにキャラメルポップコーン、えびかなんかのチップス、芋けんぴと盛りだくさん。で、安い! いいお店だ。朝までやっているお店を教えてもらう。
 さて「VIVA!」。ここはもうずいぶん通っている。店主Iさんはテレビ、ケータイ、インターネット等すべて持っておらずお店の電話と新聞だけで暮らしている。「新聞読んだらまんが甲子園のことが出てて、ジャッキーさん来るかも~って思ってたら来た」と言われる。なんともうれしいことだ。ニシン来たかとカモメに問うようなものである。
 最後、「フライボックス」という夜中に開いて朝か昼に閉まるという、都市には必ず必要な形態のお店に行く。ジャズボール作ってもらって飲む。「青い花」にいた人たちが全員いた。


<4日 高知>
 ルーマプラザという男性専用サウナが5時~9時で1000円なのでお風呂入ってちょっと仮眠。オーテピアという複合施設の中にある高知図書館に行ってみる。すばらごい。規模も建築も特集も。これほどの図書館はなかなかない。放送大学コーナーが充実していて嬉しかった。田岡典夫の展示も良かった。
 自転車でじゅりあん、野ばらといった駅近くの喫茶店を見てまわる。日曜だからか、いずれも閉まっていた。藁工ミュージアムで展示を見る。VIVA!のIさんの作品が目当て。とてもよい。ほかにもいくらか見るべきものがあったのでメモしておいた。喫茶スバル、まちかどべんとうやよい店、松屋喫茶店、喫茶ノア、喫茶うらどおりなど、気になるお店がたくさんあった。すみれというお店でお昼を食べた。かるぽーとに行ってまんが甲子園を見物。別の階でやっていた展示を見ていたら「高校生?」と言われた。いくらなんでも。
 Moo.念平先生(今年はこの名前だったはず)が司会をつとめる「大笑いまんが道場」を見てから、急いで上町(龍馬の生まれたあたり)まで走り、宇田味噌製造所の「BEANS」に参加。ここでは毎月第一日曜にイベントをやっているんだけど、今回は「みんなでお寿司を食べる」だけの回。このくらいゆるいのもよいですな。
 高知の人はとにかく集まりたがるというか、「場」をつくりたがる。お店を開いたり、イベントをやったりしたがる。ほかの地方都市より多いと確信している。たぶん、だから喫茶店が多いのだ。人口あたりの喫茶店数は、全国平均の三倍くらいある。
「信長と秀吉、利休と織部にゆかりのある地方には喫茶店が多い」と僕は勝手に信じているのだが、高知は例外なのである。今のところ、高知の場合は「自由民権運動」が強かったことに関係があるんじゃないかとにらんでいる。「集まって話す」という文化は、そのあたりで育まれたのではなかろうかと。これも完全なる独自研究なので、どなたかアドバイスください。
「mojo」へ。Sくんという学生のライブがぜひ聴きたかった。ギターの弾き語りで、味のあるオリジナルソングを歌っている人。去年のジャンボリーで聴いていっぺんにファンになったのだった。やはり、すばらしかった。
 無人の物売り屋「ruはまや」というのに寄る。なんだかよくわからないが、すごい。
 疲れが出てきたので、ホテルに入ってまんが甲子園の中継をニコ生で見ながら夜まで寝た。便利なものだが、これではもはや何のために高知に来ているかわからない。きっかけは確かにまんが甲子園だったのだが……。
 ところで、一泊目は1000円のサウナで仮眠し、二泊目は3000円くらいの安宿をとる、というのは天才的じゃないでしょうか。ホテルというのは15時くらいにはチェックインできて、そっからいつでも寝放題なのだから。一泊ぶんの値段で二泊分寝られるイメージ。トラベルハック!

 がんばって起きて、21時半からのmotoki tanakaさんのライブを聴きに行く。mojoの店長で、高知のいろんなお店を教えてくれた恩人。初めてちゃんと彼の音楽を聴いたが、非常によかった。Iさんも来ていた。
 mojoがなければ僕は高知をこれほど好きにならなかっただろうし、地方都市を歩く「コツ」みたいなものも身につかなかったかもしれない。すべては、帯屋町を歩いていたときに地下のクラブから流れてきた渡辺満里奈の『大好きなシャツ』のおかげ。これはフリッパーズ・ギターが作った曲なので、その先にかならずや「それ系」の人がいるのだと確信したのだ。吸い寄せられるように降りていくと、イベントは終わりかけだったが何人かの人と知り合うことができ、おかげでmojoやBEANSに繋がることができた。直観と、それに対する自信と、一歩踏み出す勇気。僕の歩き方はちょっと変わったと思う。
 おなかすいた。「よこやま」でおにぎりを食べたかったが閉まっていたのでソライロでラーメンを食べた。おいしかったが、しかしラーメンというものは食べるたびに食べなくてもよかったなと思うようなものである。スガキヤ以外。
 日曜だしあんまりやっている店はないかな、と思ったが、「模型ミュージアム KOCHI SNAP」というバーを見つけた。ここがもう、本気のオタクのお店で、僕なんかまったく敵わないというか、ちょうど僕が「手が届いていない」ところを全部取りそろえているような感じだった。「うわ、それちょうど知らない!」「ちょうどそこ、詳しくない!」という分野が中心で、非常に勉強になった。やっぱりオタクには文系と理系ってあって、兵器とか銃とか、車とかってのはたぶん理系なのだ。鉄道は文理どちらもあるから巨大ジャンルなんだと思うけど、僕が好きな時刻表とか「乗り」とかは、たぶん文系。車両とか機構などのことはあんまり知らない。と書いてみて、時刻表は数字を扱うし理系なのかな? とも思った。絶妙なところだ。どうでもいいことだが、考え始めると面白い。
 自分が文系オタクで、理系オタク分野にはぜんぜんついていけない、ということを痛感させられた。あんまりバランスが悪いのもよくないので、もうちょっとこっちのほうも楽しめるようになりたいな。いや、もう、そういう意味でもいい店だし、そっちのほうに興味があるなら天国だと思う。


<5日 高知→池田→徳島>
 早起きして喫茶店をめぐる。「のんた」でモーニング。さほど古いお店ではないのかもしれない。ちょっと文化的な匂いがする。シニアな文化。そしてずっと行きたかった「ハレルヤ」が開いていた。ビッグコミックオリジナルを読んだかな、たしか。ここでもモーニング。おなかいっぱいになった。
 ゆっくりとコーヒーが飲めて、食べものもあって、新聞や漫画が読める。そういう場所はゼッタイに必要だ、と僕は思うのだが、それってどうしても「ちょっと昔の考え方」だ。いまは新聞や漫画を誰もが読む時代ではない。テレビすら求心力を失っている。インターネットとかスマホの時代に、「喫茶店のようなもの」はどういうふうに存在していればいいんだろうな。そういうことを考えるために、僕は各地で喫茶店に寄るのである。
 昨日開いていなかった「じゅりあん」が、今日はやっていた。あと20分程度で汽車に乗らねばならないが、どうしても入ってみたかったので、えいやと入店。ジュースかなんか飲んだかな。こぢんまりとした、いいお店だった。古くて味がある、といった感じではない。もっと生活的で家庭的で、「うちのダイニングが広くなった」くらいの感じ。リビングというよりダイニング。食堂の趣に近い。ああ、もしかしたら喫茶店も、リビング系とダイニング系があるのかもしれないな。
 急いで電車に乗る。「阿波池田」で下車。

 池田には友達(高校の同級生Gのおくさんでもある)の実家があって、これまで二回寄っている。うち一回は、友達本人は東京にいたのになぜか寄らせていただいた。今回もそのパターン。池田に寄るよと連絡したら「よかったらまた実家に寄ってって、ジャッキーくるかもって言っとく」と。
 とはいえ、いきなり押しかけるのはやはり気が引ける。ちょっと時間をつぶして心の準備をしようと、まちなかを走ったり吉野川に足首まで浸かったりして遊んだ。暑かったけど、楽しいな、そういうのは。
 商店街のアーケードをちょっと外れたところにある「カフェ・ド・マキシム」で一服。ミルクセーキを頼んだら、どうも生クリームかバニラアイスかをいれているような味がした。こういう手もあるのか! 勉強になる。なにもかもすばらしいお店で、池田で喫茶店に入るならまずここかな。
 いよいよ、友達の実家へ。場所は完璧に覚えていた。ちょうどお母さんが帰ってきて車から降りるところで、「こんにちは」「ああジャッキーくん」とご対面。バッチリのタイミングだった。すさまじい歓待を受ける。申し訳ない。でもありがとうございます。勝手な話だけど、こういう経験が僕を「人に優しく」のほうへ導いてくれるのであります。とにかく、自分や自分の身内にとって大切な存在には、優しくするものだ。身にしみる。
 世間話をあれこれして、完璧なタイミングで「そろそろだね」とお父さんがつぶやく。たしかに、ちょうどいまから出れば汽車に間に合うくらいの時刻だった。さすが地元の人。おなかいっぱいのお礼を改めてして、駅へ。

 徳島駅に入る直前、たまたま窓の外を見たら喫茶店があった。店構えだけで絶対に名店だとわかる。ずいぶん古い外観だ。営業しているんだろうか?
 僕は新しい街に行くと、何度も何度もグーグルマップとかで「喫茶店」とか「カフェ」とかで検索する。それなのに線路沿いにあるそのお店のことをまったく知らなかった。不思議なこともあるもんだ。駅から出て自転車を組み立てると、すぐにそのお店に向かった。戸を引いてみるも、動かない。カギが閉まっているようだ。
 すでに閉業してしまっているのか。もう夕方だから店じまいしたのか。それにしても、見れば見るほど良いお店に違いない。数百軒に一軒もないほどの名店であろう、と勝手に思い込み、しばし途方にくれたのち、写真でも撮って帰るかと諦めた瞬間、ギギ、と扉が開いた。おおきく腰のまがったおばあさんがいた。
 どんなやり取りがあったかは忘れてしまったが、ともかくお店に入れていただいた。歩かせても悪い、ということを言い訳に、カウンターに座った。どんなメニューがあるかわからなかったので、コーヒーをお願いした。もちろんお客は僕ひとり。ゆったりと待ち、飲み、お話しした。
 僕はこういうお店が好きである。「こういう」と言ったところで読者には何も伝わらないであろう。がんばって試みたい。
 カギが閉まっていたのは、ちょっと早いけどお客がいなくなったから、とのことで、本来なら営業時間の内だったらしい。無理して開けてくれたわけではないのだ、と、ちょっとほっとした。それにしたって、「今日はもうおしまい」と断ってもよかったのに。しかも、見たこともない初めてのお客を。
 僕はよく「窓を開けておく」という表現をする。誰にでも「開いている」ようなお店が僕は好きだ。Moo.念平先生の『あまいぞ!男吾』でも「お客さんを差別するんじゃないよ!!」という有名なせりふがある(3巻「これぞ…おふくろの味」)が、誰であろうと「その扉」を開けた以上はお客さんなのである。少なくとも、差別されるかどうかは入ったあとの振る舞いで決まるのであって、事前に決まるものではない。このママさんも、とにかく扉を引っぱった以上は僕をお客とみなすほか考えていなかったのだと思う。そういうふうに、きっと何十年もやってきたのだ。
 30分ばかりお邪魔した僕のことを、もちろん彼女はまったく差別しなかったし、一人の人間として向き合ってくれた。僕にとって「いい店」の要件とはそれだけである。誰に対しても開いていて、人間として向き合ってくれること。会話の有無や内容は関係なく、振る舞いやお店の雰囲気でそれは十分に伝わる。内装や調度品のすばらしさは二の次で、ただ、それを何十年も続けてきたという証拠が、店のはしばしにこびりついている。
 この「純喫茶ブラジリア」というお店は、夭逝した山之内遼さんの『47都道府県の純喫茶』という本に載っているとあとで知り、すぐに購入した。あんまり広く知られたお店ではないようだが、こうして記録に残してくれている人もいる。嬉しいことだ。

 いったん宿に入り、ちょっと休んで、ポッポ商店街の「駅前bar」というのに入ってみる。「反射」はあんまりなさそうだが、店員さんはあれこれ話しかけてくれた。とても若い人だった。がんばっていただきたいものだ。
 バー「ランボオ」へ。春に続き二度目。たまたま前回ご一緒した方がいて、マスターも覚えてくださっていて、「よくぞ二回も」と賞嘆された。おかげで支払いはゼロ、つまりごちそうしていただいた。ありがたい。こういう優しさが僕を以下略。見つけづらく、入りづらい老舗だけど、そのぶんお店の雰囲気はとてもいい。ぜひとも。
「ピノキオ」に行ってみたら、なんとお客がいた! しかも二人連れ。もう四回目くらいだけど、ほかにお客がいたのは初めてである。嬉しい。せっかくということで、「ガタカ」というお店に連れていってもらった。「映画がありましたね」と言うと、「そう、よく知ってるね」と言われる。なんでも知っておくとたまに褒められる。
 それにしてもピノキオのママは本当によくやっている。けっこうなお年だけど、定休日以外は毎日ちゃんと開けているようだ。ちょっと特殊なお店だけど、徳島に行ってここに寄らないという選択肢はない。なんでかはわからないが、癖になるというか、やっぱり「こういうお店はほかにない」のだ。ママが五十年かけて作りあげた世界は、ほかの誰にも作れない。もう二度と、こういうお店は生まれない。そう思うと、行ける時に行っておきたいと思う。沁みた気持ちが、勉強になる。
 そしてこれまた外せないのが喫茶「あめりかん」。繁華街の路地の二階の、ちいさなお店。生活空間とつながっていて、のれんの向こうにリビングのような風景が見える。ここでいつも一人でお店を守っているAさんの人柄が、たまらなく好きなのだ。19時くらいから夜中まで、ひょっとしたら朝までやっている。お酒はたぶんない。コーヒーとかレモンスカッシュとか、メニューはいたって喫茶店。この日は近くでラウンジをやっているお姉さんがいらっしゃって、せっかくだからと相席になる。名古屋出身だというと喜んでいた。ドラゴンズファンらしい。もっとドラゴンズのことを知っておかなけあ。
 最後、「トランプ堂」でたしか、ヴァージンの残りをハーフくらいの量でいただいたんだったかな、あまり覚えていない。僕以外はほとんど注文していなかったようなので、数年かけてやっと飲みほした感がある。個人的にちょっと感動。


<6日 徳島>
 朝から喫茶店をまわる。有名な「びざん」でレモンスカッシュ飲む。「シャガール」でメロンソーダ頼んだら切ったメロンが刺さってて感動。内装もすばらしいのでじつにおすすめ。ちょっと早いけどランチは「モンパリー」で。けっこう混んでいた。
 そして食後はふたたび「ブラジリア」。一度の旅行で複数回、同じお店に入るということはあんまりないのだが、ここは別だ。入店してカウンターのほうに歩いていくと、お客さんのおばあさんが「かわいいぼくがきたよ」とママに言った。かわいいぼく! そうか、僕はかわいいぼくだったのか。たぶん半ズボンだったからだ。
 ちなみに、僕は近所でも旅行先でも、喫茶店でカウンターに座ることはあんまりない。「よっぽど」だったら別で、このお店は「よっぽど」なのである。そのほうがよい、と思うのだ。
 お客はけっこう多く、昼時だったのでチャーハンや焼きそばを食べている人がいた。な、なんと! そんなにメニューが豊富だったのか。もちろん(?)メニュー表などないので、コーヒーくらいしか出していない可能性もあるなと勝手に思っていたのだが、喫茶店で出されるようなものならたいがいできるらしい。となりのおばあさんがソーダ水を飲んでいたので、僕もそうした。ブラックニッカのグラスにレモン入れて出てきた。最高すぎる。完全にトリコになった。はやくまた来たい。あたりまえだけど、ママも覚えてくださっていた。帰り際、またお客のおばあさんに「ほんとうにかわいいぼくだねえ」と言われた。かわいいぼく! かわいいぼくだぞ!

 自転車で走って私設図書館「おとなり3」へ。二階に上がるとふたりいて、森さんが洋裁を教わっていた。「ああどうもジャッキーさん!」といった感じで話が早い。この方、ネットに書いてる文字だけ見るとややこわい感じがあるものの実際お会いすると本当に素敵で優しくやわらかい人である。相手にもよるかもしれないが。
 一度くらいは行ってみようかと「バーレンシーア」へ。バイトの女の人がいた。量が多いので食べるのにものすごく時間がかかった。雨のなか金物屋兼古本屋の「ソラリス」へ。声をかける勇気がなくて(そんなときもある)そのまま出てきてしまった。
 夜の街へ。早い時間だったので開いているところが少なく、ひとまずBというバーに入ってみる。いいお店だったが「特筆」というものはない。時間をつぶす意味もあり、新町温泉という銭湯に。400円。安い。東京は460円である。
 今年できたばかりのマンガバー「Gペン」へ。「こないだジャッキーさんがいらっしゃったとき、お客さんといろいろマンガの話とかしてたじゃないですか。二人ともメッチャ詳しいのにビックリして、僕ももっとマンガ読まないとって思って、あれからたまにマンガ喫茶とか行っていろいろ読んでるんですよ!」と、死ぬほど嬉しいことを言ってもらえた。死ぬほど嬉しいですよ、だってこのお店のマスターがいまよりもっとマンガに詳しくなるということは、たぶんこのお店がさらに良いお店になるということなのだ。マスターがマンガに詳しいのが良い、というだけの話ではなくて、そういうふうなある種の向上心を持ってお店作りをしようとしている、ってことだから。なんやら新メニューもちょうど作っていたし。また来ないと、って気にさせられる。「また来てください」と言うことよりも、ずっと営業効果があるのだ、そういうことが。ちなみに、草野誼先生の『愚者の皮』が店主おすすめマンガコーナーに置いてあって、さすが! と思った。草野先生はさいこう。
 そして「NOLO」へ。相変わらず楽しいお店だ。料理とお酒が非常に充実しているが、お客さんはオタクが多い、と思う。たぶん。ここの店主さんとはネット上でそれなりにお互い見ているので、「なんか違う地域の人と繋がってるのって面白いね。常に擬似旅行しているような感じ」と言われた。ああ、なるほど。確かにそうだ。僕も常に、ちょっとはどこか徳島にいるような気がする。
 深夜、某所で休憩させていただく。Mさんという方がいたので、ちょっとお話しした。用意していただいていた寝袋で仮眠。早朝のそのそと起きて、フェリー乗り場へ。


<7日 徳島→和歌山→大阪→草津→名古屋>
 和歌山のフェリー乗り場から市街地まで、自転車でぐるぐる走りまわって、喫茶店などを探訪。「純喫茶ラガー」じつに最高。モーニングを食べる。街のほうに出て「浜」でコーヒー、「エミ」でめずらしくクリームソーダ。
 和歌山県は人口あたりの喫茶店数で高知、岐阜、愛知に次いで四位、また和歌山市は「喫茶店の個人経営率」が県庁所在地及び政令指定都市の中で一位(いずれも平成26年)。もうそこかしこ、あらゆるところに喫茶店がある。そしてどこもコーヒーはそろって350円。たまたまだとは思うが、それより安いところも高いところも見なかった。不思議だ。
 和歌山の喫茶店は食事が充実していることが多いようだ。喫茶店というよりは食堂では? というくらいメニューが豊富だったりする。「ランチ○○円」といった看板もよく目にした。僕が思うに、和歌山では喫茶店はけっこう「食事をするところ」で、売り上げの中心は食事。だからコーヒーは安くても構わない、ということではないだろうか。むしろ安ければ「せっかくだからコーヒーもつけるか」にもなりやすい、とか。たいていはセット料金があるんだろうけど。
「エミ」も食事が充実していた。たしかコーヒーが350円で、クリームソーダは450円。や、やすい。ちなみに僕以外はみんな、やはりなにか食べていた。
 もうちょっと和歌山をうろうろしよう、とのんびり自転車を走らせ、ある橋を渡っていたら、向こうからなんだか見覚えのある顔がやってきた。あちらも自転車、しかもロードレーサーに乗っていて、あっという間にすれ違った。え、いまの、Yじゃなかったか?
 Yというのは、十年ほど前に僕が都内の中学校で教員をしていた時の教え子である。いや、まさか、和歌山にYのいるはずがない。よく似た人もいるものだ、と思ったところで、Yが某テレビ局の和歌山支社に配属になっていたことを思いだした。
 レレッ、ということは、和歌山でYと出会う可能性はないこともない。いやでも、あんな立派なロードレーサーに乗るもんかね? と思ったところで、彼女が大学時代に自転車サークルだったことを思い出した。おい、Yやんけ! ぜったい!
 というわけで、ここまで数秒、くるりとひっくり返ってあとを追った。相手はロード、こちらはタイヤのちいさな小径車であり、追いつける見込みなし、と思われたが、幸か不幸か炎天下、あちらものんびり、流して走っていたおかげで、数百メートル全力疾走したところで「Y!」と声をかけることができた。キキッと停まって、「ワー!」と驚いてくれた。よかった。
 久々の師弟(?)再会だったが、ビックリしすぎてお互い「いやー!」とかくらいしか言えなかった。とりあえずおすすめのお店を教えてもらった。行ってみたら、HYDEのサインが飾ってあった。さすが和歌山。
 最後に喫茶「マリンナ」でミルクセーキ。ウーン、すばらしい。

 和歌山から電車で大阪に向かうと、当然まずはミナミに出る。ちょっとだけ時間があるので天王寺で途中下車して、山王のほうをうろついてみた。このへんにも古い喫茶店がいくらかあるのだ。
 しかし、目当てにしていたところがことごとくなくなっていたり、閉まっていた。べつのところに入ろうかとも思ったが、それほどの時間もない。それで、冷やかしで行くべきところでもないことはわかっているが、一種の研究のためだ、と言い訳して、ちょっとだけ飛田の中を歩いてみた。
 いや、これはまた日を改めて書いてみたいのだが、やはりすさまじい。あれほど生々しく売春が目のまえにあるなんてことはほかにないのだ。そういうことがどういうことであるのか、というのを、実際それをせずにある程度知るためには、あそこを歩いてみるのがたぶん一番いい。吉原だろうが金津園だろうが、あの感覚とはまったく違う。

 草津でまた途中下車。駅前のカフェ的なところに入って人を待つ。高校の同級生Pと、全然べつのところで出会った友達Sちゃんとが、今たまたま草津に住んでいるので、せっかくだから三人でと勝手に僕が呼び出したのだ。ほんの一時間くらいだったが、友達と話すのはやっぱり良い。
 それにしても思うのは、「自分は動きつづけていて、それがゆえに止まってもいる」ということだ。すなわち、「止まることができれば、ある方向に動くこともできる」である。これはバランスの取り方の問題で、僕らのあいだに線を引くための発想ではない。それぞれのバランスの取り方が、それぞれにあるだけだ。それは「仲の良さ」とは無関係で、だから友達といえるのである。(だいぶ抽象的な話になってしまった。)
 具体的に。PやSちゃんは僕とは違った次元でそれぞれかっこよく生きていて、たまに交差したり「手を振るくらいは」ってできる。それが「友達」ってことなんだよな、と。彼らとは三十年後にも仲良くしているだろうし、その頃には今とは別の交差の仕方をするだろう。そういう人たちが全国にたくさん散らばっていると思うと、楽しくて嬉しくて仕方ない。今はちょっとはさみしくっても。
 何より、ほんの一時間でも時間をつくって、会って話してくれるってのは、奇跡的なことだ。それだけで感動してしまう。これからも僕は詩を捧げます。(よくわからないかっこつけかた。)

 実家の最寄り駅までは寄らず、金山で下車してあっちこっち走ってみる。某V系バーに初めて行ってみた。楽しかったが、店主がお客の払いでガブガブ飲んでいて、わあ、と思った。「一杯どうぞ」と言われて飲むのではなく「飲むね」と言って注いでいく感じのスタイル。小さな飲み屋では珍しいことではないものの、こういうふうにしないと成立しないのであろうなあ、と思いはした。


<8日 名古屋>
 実家でぐうたら、スイカ食べるなど、とりたてて何もせず過ごし、夕方金山に出て「ブラジルコーヒー」でHろりんこと会食。愛知で教員をやっている、高校の後輩。悪いくせなのだが、彼くらい話のわかる人間と久々に会うと「まったくみんなオロカダヨナー」みたいな愚痴っぽい共感に終始してしまいがちになる。そんなことはわざわざ確かめあわなくてもよさそうなもんだが、お互い、たぶんとくに相手のほうは、普段あんまりそのことを確かめあえる人ってのがいないのだ。たとえばおくさんとはそういう話をするのだと思うが、職場ではなかなかできないんだろうな、と勝手に思う。そして基本的に、職場以外に人間関係というものはなかなかないだろう。
 だからこそ我々は「オロカダヨナー」ではなく「ドウシヨウカネー」を語り合わなければならない。で、語り合ってはみるのだが、「ドウシヨウカネー」の先はなかなかわからない。ただ、「心強いな」とは僕はいつも、思って帰る。

 実家周辺に戻り、最寄りのガストでEちゃんと待ちあわせ。彼女とは少なくとも数年おきに会って、ここで近況を話しあう。彼女の「近況」はいつも面白い。
 ものすごく簡潔に書くと、彼女は非常にプリミティブなのである。プリミティブとは「原始的な、根源的な、初期の、太古の、未発達な、素朴な、粗野な、原形」という感じの意味らしい。決して悪い意味ではない。
 たとえばまず、彼女は僕の太古のファンである。「中学の時からおざきくんのファン」という言葉をかつて引き出したことがあるのだが、これは驚くべきことなのだ。なぜならば僕が今のような僕、「魅力的だと自分で思えるような僕」になりはじめたのは、高校に入って以後、このホームページを開いてからである。中学までの僕なんてただの調子に乗った根暗のオタクで、さほど魅力的なことはなかったと自信を持っていえる。しかしプリミティブな彼女はそこを見抜いていたらしいのである。そして彼女の目は確かだったのだ。(自分で言いますよ、もちろん。)(ところで高校以降の僕は、「ただの」をいかにひっぺがすか、ということをまずがんばったんだと思う。)
 彼女は根源的なことをよく知っている。何が正しいかを肌でわかっている。「未発達」という「発達」を前提とした状態にある。僕と同い年ながら「止まる」気配がない。「まだまだいくらでも動く」のだ。
 彼女は「常識」と相性がよくない。「常識よりも正しい」から。そういう人は魔女に向いている。(また詩になってしまった。)今回会った人でいうと、Iさんに近い。根源的なことがわかっていれば、余計なものは必要がない。だからスマホも持たなくていいのである。
「心強い」という言葉がピッタリとあてはまる。ドリンクバー何杯もおかわりする。本質をずばりわかっているから、今日も今日とてファミレスなのだ。

 夜中、自転車で新栄に出て、「Madcap」覗いてみるがやっていない。しばらくぶらぶらしたのち、とくに行くところも定まらないので「and one」に行ってみる。ここは非常に良いお店で、店主も魅力のある人だが、やはり酒場である。「一人一人が自由に酒を飲むための場所」で、全体が「場」となることは少ない。そこかしこにドラえもんいるのがよい。
『今夜はブギー・バック』が聞こえてきたので「Y」というバーに入ってみたが、べつにそっち系が好きという人ではなく、なんとなく過去のヒットソングだから歌ってみただけのようで、一杯飲んで出た。近くの某V系バーに行ってみる。これで名古屋のV系バーは三軒制覇(?)したことになる。なんだかあれだ。
 V系バーって基本的にバンドマンが始めるものらしい。それはそれで楽しいはずだが、ということはべつに必ずしもV系マニアではない、ということでもある。僕はバンドマンでもバンギャでもなくV系の音楽がちょっと好きなだけの人なので、そりゃ別に楽しくもないよなあ。でも知らないバンド教えてもらえて良かった。勉強にはなる。
 どっかにV系マニアのバーってないものかな。


<9日 名古屋→東京>
 起きて、おとうさんにごはん作ってもらって食べた。「つねかわ」に行ってチェリオ飲んでくじひいた。おかあさんに18きっぷを売って、そのお金で新幹線に乗った。名駅で住よしのきしめんを食べ、ペットボトルの静岡茶を買って、そのままお店に立つ。日常に帰る、という言葉はこういう時に使うほうがライブとかよりしっくり来る。

2019.9.9(月)~10(火) 高崎 中之条 前橋 熊谷

 18きっぷ余ったから中之条でも行くか、ということで。
(以下、これを書いているのが10月12日深夜なので、時系列がちょっと狂っているおそれあり。)

 高崎「コンパル」でカレーライスとソーダ水。「heim」というつい最近できたという喫茶店でコーヒーを飲み、若い店主とちょっとお話しした。
 今回、初めてじっくりと高崎の街を自転車で練り走ってみたら、面白そうなお店がいくつも見つかった。タイミングが悪くほとんど行けていないが、高崎、思ったより面白そう。

 吾妻線で中之条へ。「千里」という食堂で定食を食べる。最高。宿に行く。おばあちゃんが出迎えてくれた。
 僕はこの「山木屋旅館」のことがとても好きで、泊まるのはもう三度目になる。ここに泊まりたいがゆえに中之条に来ていると言って過言ではない。おじいちゃんもおばあちゃんも80代半ば~後半くらいだったと思う。いつまで続けるかわからないけど、まだまだスタスタ階段ものぼるしおいしいご飯もつくってくれる。夕飯がなくなったのはさみしいけど、朝ご飯はうなるほど食べさせてくれる。
 お風呂に入ると先客がいた。若い男性がひとり。ちょうど「中之条ビエンナーレ」という芸術祭がやっているので、おそらくそれを見に来たのであろう。意を決して(意を決するのです)話しかけてみると、やはり東京近郊からビエンナーレのためにやってきたとのこと。東京近郊で、文化的なことに興味がある、しかも山木屋に泊まるような人となったら、ほとんど奇跡! すきをみて夜学バーの宣伝でもしておこう。
 部屋に戻って、とにかくゆっくりしようと思ったが、なぜだか眠れず。静養のために来たつもりなのだが、これでは意味がない。うーん、山木屋が好きすぎて、眠るのが勿体なかったってことなんかね。

 起きると、ごはん。すごい質、量。うう、19時くらいに「千里」でごはん食べてから何も口にしていないのに、その空腹を埋めてなお一向に減る気配なし。一時間以上かけてぜんぶ食べた。昨日お風呂で会ったお客に夜学バーの名刺を渡しておいた。(そしたらあとでツイッターからメッセージをくださった。)
 いったん部屋に戻って、しばらくごろごろ。帰り際にジャムとうめぼしをいただいた。このおばあちゃんのうめぼしはほんとにまあ世界一よ。
「壱番館」という喫茶店も中之条に来ると必ず寄る。こちらも三度目。行ってみると退職されたお父さんがお店にいて、何度か来たことがあると話したらママを呼んでくれた。あれこれお話しして、ああ、やっぱり、いろんな土地にこういうお店があるというのはそれ自体幸福なことだし、僕にとっても本当にもうありがたいことだ。なんというか、自信になるというか、人生はやっていける、人間は信じられる、みたいなことを思う。
 前橋。あてにしていたお店がことごとく休みだった。「喫茶あおき」は煮しまっていてすばらしかった。なじみ深い「ヤギカフェ」も寄った。それからどうしようかと迷ったが、今回は思いきって前橋はそれだけにして、高崎に戻ってみることにした。

 昨日閉まっていた「巴里園」という喫茶はやはり閉まっていた。焼きまんじゅうの「オリタ」も閉まっていた。「白馬車」は18時かららしかった。「Rebel Books」は開いていたので、ビールを飲んでしばらく店主と雑談させていただいた。「金龍」は週末のみらしいし「酔狸殿」に行ってみたいがちと時間が早い。うろうろしていると住宅街の一角にカフェだかバーだかわからないお店を見つけた。それほど古い感じはしない。中を覗いてみると上品でお洒落な白髪の老女が本を読んでいるのが見えた。カウンターに人の姿がないので、おそらく彼女が店主なのだろう。これは間違いない、と思って、開けてみるとやっぱりだった。喫茶店だというのでコーヒーを頼んだ。店内に酒類は見当たらない。時刻は19時くらいだった。僕のにらんだとおり、上品でお洒落で本を読むようなおばあさんは、やっぱりそういう人だった。いろいろの話をした。「ケインズ」また行こう。

 熊谷に着いたらバケツをひっくり返したような土砂降りだった。駅で雨宿りして、一瞬弱まったすきに畳んだままの自転車引きずって「モリパク」まで急いだ。よかった、やっていた。僕は「電話で確認する」ということを基本的にしないので、開いているかどうかは行くまでわからないのだ。べつにこだわりがあってそうしているわけではないので電話すればいいのだが、苦手なのだ。電話が。
「A.L.F.コーヒー」は臨時休業だとネットで見たので、「モリパク」が開いていて本当によかった。前田のとうふと、麻婆チャーハンを食べた。豆腐に豆腐。何も考えずに注文してしまった。でもおいしかった。ビールも二本くらい飲んだかな。
 このお店は本当に、まあ、誰にも教えたくないくらい良い。あんまり言わない。もし熊谷に行ったら、ぜひ。こういう店は、ほかにない。
 けっきょく、僕が好きなお店というのは、「ほかにない」と僕が思うようなお店なのだ。だからわざわざ何の用もないはずの熊谷で降りたりするのだ。かけがえのない友達に会いに来るようなものだ。だからお店を探すのも、かけがえのない友達に会うようなものだ。
「よそにもあるようなお店」に行くというのは、だとすると、「かけがえのある友達に会う」ようなものなのである。
「かけがえのある友達」ってのが、そもそも友達なんだろうか? という話で、僕はいつでも「かけがえのない」ということを探している。文章だって、詩だって、僕はいつでも「かけがえのない」ものを書きたいのである。

「いやいや、どんなお店だって同じものはないでしょう。あらゆるお店がかけがえのないものだと思いますよ」と、良心的な僕の心は同時に言う。たしかにそれもそうではあるのだが、しかしどうしても「すべての人間が同様に友達である」とは思えないからには、やはり僕は友達を探そうとしてしまう。

2019.10.5(土)~9(水) 富山高岡金沢下呂関多治見名古屋静岡清水

<5日 東京→富山→高岡→金沢→高岡→富山>
 富山市での「藤子不二雄A展」開催にあわせ5日6日のツーデイズ安孫子先生が現地でお話しされるとのことで行ってきた。
 東京都区内を出発し、富山、岐阜(美濃太田と多治見)、名古屋市内を経由して東海道線で東京都区内に戻る、といういわゆる「一筆書き」のきっぷを使った。途中下車は七日間し放題で、乗車券は単純に富山を往復するより安くなる。
 JRは乗車距離が長くなればなるほど割安になるので、行きと帰りに切符を分けるより、ぐるっと大回りする切符を一枚買ったほうがおトク。いちおう高校では演劇部兼のりもの研究同好会だったので、そういうのはけっこう好きなのだ。
 まずは新幹線で富山。A先生の登壇される開会式は15時からだったので、土日祝のみ使える「あいの風・IRフリーきっぷ」(2000円)を買って高岡市に移動。

「高岡カルタ」の製作者であるFさんと高岡大仏のまえで待ちあわせ、喫茶「へら」で雑談。
 Fさんとは面識もなければ共通の知人もいない。インターネットで知って、こちらから「お会いしたい」と熱烈なダイレクトメッセージを送った。そのくらい「高岡カルタ」にはインパクトと一種のシンパシーを感じたのである。話してみて確信した。彼はまず根底に「誰もやっていないことをやる」という志がある。そうでないと意味がないとさえ思っていそうだ。食うための労働ならば別の話だが、彼はほかに生業を持っている。
 ここからは僕が勝手に思うだけのことだが、「誰もやっていないこと」によってしか何かが変わることはない。「誰かがやっていること」をやっても、すでにある流れが多少強くなるだけ。「その流れを強くすることに意義があるのだ」と思えればそうすればいいのだが、たぶんFさんも僕も、そこに興味がないどころか、「変わる」ためには逆効果だとすら思っているだろう。何より、単純に「つまらない」。自分でも面白いと思えないし、誰かから面白いと思ってもらえるとも思わない。ただ似たような考え方の、同じ流れの中にいる人たちだけが「いいね」と言ってくれるだけであろう。
 彼は高岡という土地に一石を投じようとしている。独自の一石を。そして次の一石も、すでに構想があるようだ。何年後になるかわからないが、楽しみにしていよう。
「JOY」という喫茶店で昼食。入るやいなや「平均年齢が下がる」と聞こえてきた。いいお店だ。図書館の書庫にあるような、ギギギと動かす重たい書棚が十列ほどあり、その両面に漫画がぎっしり。名作だらけ。こち亀の初期のほうは「山止たつひこ」名義だった。某グルマップでは「閉業」とされていたが、とんでもない。
 その後、南口にまわって「ひとのま」という謎のスペースを覗いてみた。まえに通りかかって何だろう? と思っていたのだが、こないだ札幌で「漂流教室」のYさんからすすめられて、次の機会にはと思っていたのだ。民家を開放してフリースペースにしているような感じ。入り口は開いていたが、人の気配はない。上がり込んでみると、なるほどこれは面白い。人がいたらもっと面白かったな。名刺だけ置いて去った。近所の売店で高山右近たんのグッズを買った。

 富山駅から走って高志の国文学館へ。途中「珈茶点」というお店を見つけた。土曜だからか営業はしていなかった。あとで調べてみたが某グルマップには登録されていないしネット上にほぼ情報がない。覗いてみたら内装や雰囲気がすばらしかったので、開いている時にぜひ行ってみなければ。
 開会式には無事間に合う。えらいかたのお話やA先生のご挨拶を聞き、テープカットに立ち会う。内覧会まで回らせていただく。
 まえにA先生のお姿を直接拝見したのは、この日記の過去ログによると2002年9月7日。名古屋市美術館でマグリット展をやったさい、講演会があったのだ。高校3年生以来。「生きてる。歩いてる!」と思ったもんだ。(日記にもちゃんとそう書いてある。)
 今回は、ほんの1メートルの距離にいらっしゃった瞬間もあった。ハァー。85歳にして『少年時代』のタケシみたいにスタスタ歩く。僕もこのくらい元気でいられるようがんばろう。
 喫茶「GOLD」というボウリング場の中にある喫茶店へ。プレイしているところをガラス越しに上から眺めることができて、面白かった。内装もすばらしい。富山駅の近辺には、まだまだ面白そうなお店がある。こんどまたゆっくり見て回ろう。

 金沢へ。着いたときにはもう18時くらいだったが、どうしても行きたい喫茶店がふたつあった。急いで歩いて「ローレンス」。ここについては僕が書くべきことは何もない。すばらしい。この日は店主のお誕生日だったようだ。「おめでとうございます」と言えなかった。まだ二度しか来ていないし、ずうずうしいかなとも思った。次回にしよう。隙があれば。
 喫茶「岸」。世界でいちばんおいしい焼きそば。意外の事実を報された。なんだというのはちょっとだけ詩に書いた。
 このふたつのお店に来るだけで、このふたりの人に会うためだけに、金沢に寄ったようなものだ。まえに来たとき、完全に惚れ込んでしまったのである。実際おなかいっぱいになって、そのまま戻って電車に乗った。「こま」というお店も大好きなのだが、時間が遅かったためか営業していなかった。夜はいつも(過去二回中二回)新天地を中心にお酒を飲むのだが、今回は時間がなく。満月喫茶に行きたかったな。

 忙しい。高岡に戻った。Fさんから「大仏飲食店街に新しいお店ができている」と聞いていたので、行ってみた。
 大仏飲食店街というのは古い古い小さな横町で、営業しているのはせいぜい一店舗だけのゴースト通り、だと思っていたが、週末の夜のみ営業しているバーがあるというのだ。果たして、灯りがともっていた。看板はまえのお店のままだが、扉にはちゃんと「日ノ出」という新しい名前が刻まれている。意を決して(僕だって初めてのお店に行くときは意を決するのです)入ってみると、いや、いいお店だった。
 ある観点からはどうやら「高岡という街はもうだめだ」という見方があり、「高岡カルタ」にもそれは反映されている。デパートも駅前の本屋もコミュニティバスもなくなって、「イオンに行く」という文化のほかは一掃されてしまいつつあるようだ。素材はいいはずなのに、観光にもさほど強くない。ここの店主は「いっぺんぜんぶなくなればいい」と語った。それは本当かもしれない。僕はFさんをはじめ、すばらしい高岡の人を何人も知っている。このまま新陳代謝が進めば、ひょっとしたら面白い街になるのかもしれない。「昔の高岡」はもうだめでも、「これからの高岡」はむしろ、と。そう思わせてくれるのは、この「日ノ出」とか、次に行く「nousaku」といった素敵なお店たちのおかげでもある。
 看板のないワインバー。ちいさな階段をのぼって靴を脱いであがる。まえに来たとき偶然見つけて入った。引きが強いというか、嗅覚が育ってきたというか。本当にすばらしいお店なのだ。(今回、すばらしいという言葉があまりに多く出てくるが、時間がないからである。)
 このnousaku、なんと東京にも出店するらしい。「富士見台トンネル」という名前で、十日後くらいにオープンとのこと。月に一週間は東京でお店をやって、残りは高岡に戻ってお店をやる、と。なんじゃそりゃ。さすが。行かなければ。
 この高岡のふたつのお店は、僕の言うところの「場」というものが、わりと発生しやすいと思う。お立ち寄りの際は、ぜひに。
 富山に戻って「日の出」という深夜食堂でごはん食べて、寝る。


<6日 富山→下呂>
 11時からA先生のトークショー。もう落語を聴いているみたいだった。くるぞくるぞと「オチ」を待ち構える感じ。九割が知っている話でも、残りの一割や細かな言葉遣いが聞き逃せない。そもそも目のまえで楽しそうにお話しされているというだけで嬉しい。ハァ~~。
 喫茶「ブルートレイン」で休憩。オレンジコーヒーおいしい。
 富山市内を歩き回る。日曜だからか、やっているお店があんまりない。そうこうしているあいだに電車の時間。高山駅でみたらし食べた。東海地方のみたらしは五個。
 下呂。ぐるぐると歩き回る。17時すぎだと喫茶店はだいたい閉まっている。位置や外観を確認するなどして明日にそなえる。「飛騨屋」というお店でキムチラーメン。「けいちゃん屋」に入ってみる。オープンして数ヶ月ほどとのことで、インターネットにもほぼ存在していない。5~6席程度の小さなお店。むろん安い。うん、こういうお店がいいのだ。こういうところがあるなら、たまに下呂に寄ってみるのもいいな。実家から日帰りできるし。宣伝しておこう。名物「鶏ちゃん」をみそ、醤油、塩の三種で味わえる。「けいちゃん串」(このお店が元祖とうたっている)もあるから食べ歩きも可能。
 温泉に入ったあと、近くの足湯に行ってみた。下呂には方々に足湯があり、無料開放されているものもある。近づいていったら先客に「こんにちは」と話しかけられ、そのまま世間話に。地元の人だった。新しい人がやってくると、その人も会話に参加した。夜中の十一時すぎである。バーやスナックが少ないかわりに、こういうところで交流があるのかもしれない。こぢんまりとした喫茶店みたいな雰囲気。お金もかからないし健康にいいし、なんと良い文化だろう。


<7日 下呂→関→多治見→名古屋>
「果林」でモーニング。「じゅん」は最高の一言。「のばら」は温泉街から離れたほう(ちゅうえいさんの実家の近く)にあり、9時から22時くらいまでやっているらしい。日曜は定休だったのかな。コーヒーも食事もお酒もある。すばらしい。下呂に来たらここもゼッタイだなあ。
 高山線で美濃太田、長良川鉄道で関口まで行き、五個のみたらしを食べ、「太陽」という喫茶店へ。ここは、もう、なんていいますか。お店から離れるまでずっと「骨の髄まで」という言葉が頭の中をぐんるぐんるしていた。いや、もう、なんていうのか、骨の髄まで喫茶店なのだ。手を抜いているところが一箇所もない。喫茶店のイデアを体現している。
 僕がここまで言うのは、意外とめずらしいことである。「古いがゆえの良さ」なんてものではなく、「それなりに古くはあるがそんなこととは関係なく骨の髄まで美意識に支配されている」のである。天晴れ、としか言いようがない。驚くべきことに、コーヒーの味までおいしいのだ。思わず豆を買ってあとで家でいれて飲んでみたが、おいしいのだ。おそらくはなんのへんてつもないカトーコーヒーの豆である。どこまで完璧ならば気が済むのだ。骨の髄までか。
 ネットを見ればこのお店の写真やレビューはたくさん見つかるだろうが、喫茶店ってのは「空間」なので、現地に行かないとわからない。たぶん皆さんの家からは遠いけど、ぜひとも体験してほしい。

 となりの関富岡まで歩いて、美濃太田経由で多治見へ。五平餅を食べ、焼き物を見て、散歩。地図にない喫茶店を探し出すなど。おどろおどろしい狭い横町を抜けたところに「中華天国」を発見。カウンターが6席程度とテーブル席が2×2席ていどのちいさなお店。おいしすぎて昇った。ミヤコ蝶々さんの色紙が飾ってあった。
 実家に帰り、おかあさんの作った麻婆豆腐を泣きながら食べて、ごろごろとネットサーフィン(死語にはさせない!)していたら新栄の「Trip bar Madcap」が年内で閉店してしまうことを知る。零時くらいになっていたが「ちょっと遊びに行ってくる」と不良少年しておとうさんの自転車で外出。
 Madcapのまえで耳をそばだててみたらちょっとうるさい感じだったので、ちょっと栄のほうに出てみた。気になっていたお店をあれこれ見て回るが、どこもピンとくるところがない。その代わり「いつか行ってみようかな」と思えるお店がいくつか見つかった。不思議なものだ、インターネットではなかなか探せないようなものが、街に出るとぼろぼろ見つかる。やっぱり歩くことですな。
 新栄に戻って、こんどは静かそうだったのでMadcapに入ると店主のみ。その後一人お客がきて、二時間くらいゆったりと飲んだ。閉店のためレコードを処分するとのことで、フォーリーブスの1stLP『HIT! HIT! HIT!』というのを500円で買った。あとで聴いたらめっちゃよかった。
 このマスターはていねいに人と話す。いろんな街のいろんなお店に行くが、そういう人は多くない。たとえば身ぶり手ぶりが適切だったり、声色が穏やかだったり、ちゃんと間を取ったりといった、あたりまえのことをあたりまえにやっている。とくに身ぶり手ぶり。こういうお店で店員の動きを観察してみると、意外と手を動かしていないことに気づく。目は口ほどにものを言うが、手も口ほどにものを言うのである。勉強させていただきました。また、どこかでお店をやることがあったらぜひ寄らせてください。そういうこと、言いそびれてしまった。余計なことを聞かない、というのもこの人のいいところかもしれない。だから、僕も余計なことが言えない。それでいいのだ。


<8日 名古屋→静岡>
 昼まで寝太郎。ぼんやりしたのち、近所のパトロール。同級生の実家でもある喫茶「稲葉」は閉まっていた。マスターは中にいたので、すでに営業が終わったということなのか。モーニングしかやっていないのかな。また朝に行ってみよう。駅付近をぐるぐるとまわり、「朝日屋」でサンドイッチ買う。トーカイウォーカーの取材が来ていて、すこしインタビューを受けた。(かるい世間話ていどなので記事に反映されることはないと思います。)
 親友Tくんの実家からnメートルくらいのところにある喫茶「ヴィーナス」に初めて入った。イタリアン(鉄板ナポリタン)を食べた。何もかも最高だったので帰省したら必ず寄ることになるだろう。実家のほうに戻って「つねかわ」に寄ったら身体壊してしばらく鉄板休んでいるというのでチェリオのグレープジュースだけ飲んでちょっとしゃべって帰った。僕は、このお店は永遠にあるものだと思っている。
 いったん帰って自転車置いて、歩いて駅へ。鶴舞で降りて散歩。あれこれ見たがいまいち琴線に触れず、けっきょく鶴舞図書館の地下のスガキヤでラーメンとミニソフトを食べ、食後に「新潟」に行くという黄金のコースにした。レモンスカッシュ。雑誌が二週分置いてあるので読み逃していたモーニングの『望郷太郎』とビッグコミックオリジナルのまえの号を読んだ。金山で東海道線に乗り換え、21時すぎに静岡着。

「NJ CAFE」という、これまたインターネットにほぼ出ていないお店。栄えていないほうの南口を出てしばらく歩いた住宅街の真ん中にある。モノリスのような面妖な外観の建物をストリートビューで見て、「これは行かねば」と。中に入ると大きなクスノキが生えていて、各所に抽象美術があしらわれていた。娘さんが中心となって営業しているようだが、お母さんもいつもいるのかもしれない。お店と住んでいる家とが繋がっているらしく、お父さんと猫の姿も見えた。よくわからないが、こういうわけのわからないお店は大好物である。
 北口に出て「喫茶ペーパームーン」へ。前回は昼間、ほんの二十分くらいしかいられなかったので、今回はゆったりと。夜はすっかりバーのような雰囲気になるのか、ほかのお客さんとあれこれ話せて楽しかった。棚の選書もよく、静岡では有数の文化度だと思われる。それからグリーン横町の「鞠舞」でビールと砂肝トマトカレー。もう三度目くらいか。ここを自力で見つけたのは我ながら偉いと思う。アパートの一階の通路を進んでいくと駐輪場の先にこのお店がある。そんなだから当然グーグルマップにも存在しない。今月中に改装してちょっと広くなるらしい。その前に来られてよかった。ごはんもおいしくてすべてが安くて店主もちょっぴり狂った優しい人格者で、静岡の名店と言えば僕はここを推す。


<9日 静岡→清水→東京>
「まるしまのおにぎり」に行くために南口に宿をとったのだ。朝っぱらからおでんとおにぎりを心ゆくまで堪能し、おいしいお茶をたくさん飲んだ。これで静岡を発ち、清水へ。
「洋菓子喫茶 富士」は定休日だったようだ。「木馬」という喫茶店に初めて入ったが、ジャズ系のお店のなかではピカイチにバランスがとれていると思う。コーヒー300円。「マンガ喫茶富士」でまたコーヒー。こんどはお昼を食べにこよう。ほかにも行きたいところはたくさんあったが、時間切れ。電車に乗って東京へ。そのまま夜学バーで日付をまたいだ。

2019.10.10(木) ことばの三態

 自分の昔のを読んでいたら朝になってしまった。
 高校2年生のときに麒麟さんって人と邂逅(この言葉は彼の文章で知ったのだよな)し、彼のメモライズ(今でいうブログ)から詩を学んだ。彼はもう4?5年ほどたぶん書いていない。勿体無いな。そろそろまたその気になってほしい。
 僕が文章や詩を書かなくなる、ということがあるんだろうか。ありそうにもないが、昔に比べればペースは落ちてきているし、どうなるものかわからない。
 2013年の詩に「言論は固体/小説は液体/詩は気体なのだ」とあった。それっぽいことを言いよるね。なんか、そんな感じがする。どれも欠けちゃいけないな。
 固体は、ここに書いているようなこと。気体は、上にリンク貼ったブログで。液体のほうは、ようやくそろそろ入稿できそうです。いや、ほんとに。大詰めです。お待たせしています。買ってください。

2019.10.2(水) 教育は失恋

 死を予見すると人は焦って、饒舌になったり何かを急いだりする。
 そういうことと似ているかどうか、僕の筆(?)も時によりぶれる。

 読者歴10年というベテランさんに「ジャッキーさん最近失恋した?」(原文ママ)と聞かれた。していない。でもさすが、ここんとこの自分は失恋したようなものか。それで感傷的な文章が多くなっているかもしれない。

 またも山田芳裕先生の漫画『へうげもの』の話で、太閤秀吉は晩年、古田織部(主人公)以外に友達がもてなかったと嘆く。その孤独感は、僕にもいたく沁み入る。
 しかし最期の最期、今際の際には、なんていうか友達なのかどうかわからないけど、たくさんの人に送られて、正妻おねのうちで安らかに果てるのだった。(ネタバレ)
 ところで、織部には友達がたくさんいる。僕が目指すのはもちろん、秀吉ではなくて古織(こう略すらしい)である。ただ、まだ25巻中17巻までしか読んでいないので、この後彼がどうなるかは知らない。(史実としてなら多少知ってはいるが。)
 死が近づくと人は焦る。『へうげもの』という漫画で言うなら、利休も秀吉も家康も。古織もそうだったのではないか。年をとるとどうしても、「世の中を変えたい」「正したい」という欲求が出てくるようだ。(織田家の人間は、わりと余裕をもって構えているように見えるけど。)

「やろうと思えばそうできる」という自信が、そう思わせるのだろうか。年をとって能力と実績がついてくると、世の中を変えたり正したり、できるような気がしてくる。現代でも、親というものがなぜ子供にああしろ、こうするなと指図するかって、「自分にはその力がある」という自信からなんだろう。「自分のほうが正しい、だから言うとおりにしろ」という傲慢な態度だ。

 SNSなんかを見ると、政治や社会について物申さんとする人が数多いる。10代でそうなる人もいれば、20代30代のある時からそうなる人もいる。40、50、60それ以降に目覚める人もいるだろう。時を問わず、「それが正しい」と思い込んでしまうと、そうなる。よくもそんなに自信が持てるもんだ。
 もちろん、しかし、僕だってある部分では「これが正しい」という信念を持って生きている。ただ、それがリアルタイムに世間で話題になっていることへ向けられていない、というだけで、「これが正しい」という想いだけは、まあ人一倍強いだろう。
 年もとってきて、お金以外はそれなりに充実している。「この場合は、これが正しい」と言えるくらいには、自信もある。「だから、こうしようよ」と、人に言いたくなることもある。言ったほうがいいと判断する時もあって、実際言う時もある。
 そのことが、もうなんというか、寂しいのである。それを「失恋」と言ってしまえば、ちょっとはそういうことなのかもしれない。

 秀吉が最期にはおねのもとで安らぐように、かは知らないが、僕にも僕をわかってくれる人がいる。失恋などするものかと思う。友達は、たぶんたくさんいる。幼児語ではしゃぎ合えるような人だっているのだ。そういう人たちに囲まれて生きていくことしか、自分にとって癒しはない。
「この場合は、これが正しい」ということの核はここにある。だからこそ、「こうしようよ」と言うのが苦しい。それは「失恋した」と認めるようなことでもあるから。
 わかりますかねえ。すごくわかりやすく書き換えてしまうと、「こうしようよ」と言わねばならない、ということは、相手はそう思っていない、ということなのだ。でも、それをしないわけにもいかない。

 教育なんて発想は、失恋からしか生まれない。親は子に失恋して、その悲しさを埋めるため「指図」なんてするんですね。
 当然、親が死に近い。そういう焦りもあるんだろうし。

 世直しと同じく、教育は寂しい。「そうでないものを、そうする」ものだから。それは自我の発露でしかなく、孤独とほぼ同義。
 ちゃんと、寂しくないような生き方をこれから探していくつもりである。たぶん、あえて茶の湯でいえば「一座建立」を徹底して追い求めること。
 場面の美。

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