少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2013/12/31 火 忘年会→冬コミ→年越し

 30日の17時から、おざ研で忘年会をやった。28日くらいに急遽決まった。岐阜在住の「伝説のEカップJK」が共通の友達に声をかけてくれて、僕もちょっと告知して、入れ替わり立ち替わり、たぶん20人くらい集まった。ありがとうございます。
 朝起きてがんばって冬コミへ。初めて(削除)の本が買えた。新刊一冊200円。それだけ買って帰宅。
 それでこれから年越しです! みなさん良いOTCO!
 晴れたれば。

2013/12/30 月 オーーイ

 五月に死んだ「オイ」という男の携帯に、このHPのアドレスが登録されていたらしい。やっぱり見ていたんだな。一度でも会いに来てくれたら良かったのに……。
 死んだ人のことは、どれだけ考えても考え足りるものではないです。

 12/30(月)17:00~終電くらいまで、おざ研で忘年会します。
 何も考えずにやるので、何も考えずに来てください。
 誰も来なければ本でも読んでますので。
 場を楽しくたもつ意志のある方なら、どなたでも大歓迎です。もちろん知らない人でも。

2013/12/29 日 雪が降る町

geocities.jp/yazakit2112/20131229_213023.mp3

 新宿ゴールデン街の入口にある「チャンピオン」という、外人が集うカラオケバーに、なんだかんだで毎年この時期に行っています。『雪が降る町』『ONE FOR EVERYONE』『僕が僕であるために』『ビューティフル・ネーム』『雪が降る町』を歌いました。上にあげたのは二回目の『雪が降る町』です。
 これを歌うと、または聴くと、年が納まる気がいたします。
 まあかたいこと言わず、雰囲気を楽しんでいただけたら幸いです。
『雪が降る町』以外は直観で選んだのですが、ゴダイゴの『ONE FOR EVERYONE』と尾崎豊の『僕が僕であるために』は、なんだか最近の僕の気持ちをそのまま表したような二曲でした。『ビューティフル・ネーム』はリクエストをいただいて歌ったのですが、これは今というよりはいつでも胸の中にある歌です。
 暇な人は歌詞を調べたり、音源を探したりしてみてください。どれもいい曲ですよ。
 ということでようやく年が越せます。来年もよろしくです。(年内まだまだ更新したいですが。)

 蝉海さんという方が、掲示板に興味深い書き込みをくださいました。12月22日の日記に対する反応です。全文は長いので、大事なところをここに引用させていただきます。

≪思春期というのは「面白いもの」と「好きなもの」を混淆しているのではないか≫
≪「面白い」という感覚は結局「皮膚に走る炎」のようなものであり一過性のものです。
しかし「好き」というのは「走った炎」を一度構想し直し、また反省しなければ、
自分の中に留まり続けることができないモメントです。
思春期というのはこうした「面白い」という感情を、
「本当に好きだ」と勘違いし易い時期なんじゃないでしょうか。
つまり「表層の意識」に捉われているのではないでしょうか。
だから「心の底から好きになれる何か」と「即物的な面白さ」の、
分別がうまくできないのだと思います。≫

 なるほどと僕は膝を打ちました。その通り、というか、僕もそんなイメージで考えていたかもしれません。
 僕がしそうな言い方だと、「面白い」というのは快楽でしかない、というふうになるでしょうか。「好き」というのはまたちょっと、違うものです。(それがなんだかわかりませんが。)
 思春期は、そういうものがごっちゃになって、わけがわからなくなる時期なのでしょう。「好き」「面白い」「気持ちいい」などといったものたちが、すべて一緒くたになってしまうのが、思春期なのかもしれません。だからまた、「嫌い」「つまらない」「気持ち悪い」といったものも、全部一緒になります。「グレる」とか「反抗する」みたいなことのメカニズムは、もしかしてこのへんに秘密があるのではないでしょうか。
 恋愛に溺れてしまうことや、自己否定や、自傷や、そういったものも、「何かと何かがごっちゃになって未分化」であるようなことが原因であるような気がします。それがわかったからといって、どうすることも、どうしてあげることもできなそうな気はしますが……。
 思春期ってたぶん、とにかくエネルギーの強い時で、「なんだかわかんないけどとにかくなんだか良い気分だから、これは『好き』っていうことなんだ」とか、「なんだかわかんないけどとにかくなんだかやな気分だから、これは『嫌い』ってことなんだ」とかってふうに、相当なスピード感を持って考えてしまう。そしてその考えに基づいてすぐさま行動してしまう。
 そのエネルギーは後に好影響も悪影響も及ぼすものだから、肯定することも否定することも難しい気がします。「時代を変えていくものがあるとすればそれはきっと名もない青春たち」と何かの歌にあるように、若さと、そこにある情熱は、とてつもない力を秘めていて、それは時に素晴らしい功績を残します。だから「荒野をめざす」若いバカがいたとしても、そのバカの行く手を止めることが必ずしも良いことではないのです。
「行く手は荒野だぞー!」と叫びたくなるような時も、あるでしょう。しかしそれは、『あのバカは荒野をめざす』という作品の老人のように、愚かな叫びでしかないのかもしれません。とことん付き合ってやろう、というような気分でいたほうが、ずっと健全であるような気が、最近ようやくしてきました。それは諦めるとか放っておくとかいうようなのではなくて、タオルを持ってセコンドで待っているとか、そういう感じで。ほんの些細なことでもそういう態度でいたいです。「なんでそんなこと気にすんの?」「ほっときゃいいじゃん」なんて無益なアドバイスを、してしまいたくなる時が僕にはありますが、それは若さの芽を潰すこととあんまり変わらないのかもしれない。
 僕もいつまでも未熟で、か弱い存在です。臆病だったり逃げ腰だったり、怠け者だったり、常識的な感覚が身についていない部分も多くあります。だけど僕は最終的には向き合うし、たちむかうし、がんばります。そのつもりです。タオルを持ってセコンドで待っていてくれたら、それ以上の幸せはありません。
 のび太であってドラえもんでもあるというような感じで、生きていきたいのですが、それもバランスが大事で、難しい。良い関係を作っていきたいものです。ふつうに「二人三脚」とかでいいんですよね、たぶん。片方がこけたら、もう一方もこける。一人で走るよりも確実に遅い。だけど心強いし、楽しい。優れた喩えだなあと思ってます。

 今はやっぱ慣れてないから、結んだ紐で足が痛くなったり、肩が凝ったり、転んで怪我をしたり、泥で汚れたり、汗をかいたり、息が切れたり、……足並みが揃わないことによって生じるあらゆる問題が、きっとこれからも立て続けに起こっていくでしょう。でも、僕らはとうに学んでいる。練習あるのみ。のび太だって転びまくってタケウマに乗れるようになったのだ。
 なんか途中から話題が変わってしまいましたが、そんなようなことをとりとめなく考えたのでした。

2013/12/28 土 年末の沈黙

(目先のものを理解しただけでそれを総括や結論だと思ってしまう)
 そういうことってありますから。

 ゆっくり考えたい。

2013/12/27 金 平等をただす

 僕の来年一年のテーマの一つはたぶん「平等」です。思い返せば2013年はわりと「自由」について考えていました。それがそれなりにまとまりつつあるので、自由と切り離せなそうな平等について、次は考えていくことになると思います。
 平等といえば筒井康隆さんの小説『美藝公』です。試しにリンク先のまとめ(僕が昔書いたものです)を、「平等」という言葉でサーチ(ctrl+F)してみてください。めちゃくちゃ出てきます。ただし、出典が明示されてあるところ以外は僕による「乱暴かつなんとなく要約」で、本文とは異なっているのでご注意を。

「平等主義なんだ」岡島一鬼が叫んだ。「実際にはそうでないにかかわらず、全国民が同程度の生活水準を持っていなければならんとされている社会なんだ。だから金持を許さぬ社会になる。やっぱり一種の全体主義じゃないか。金持を許さんだけではないんだ。天才だって許さないんだ。才能だって、皆、同じ水準を保っていなくちゃならんわけだものな。階級さえ、ないようなふりをしなければならんのだ。そうだ。ずば抜けた美貌だって許さんに違いないぞ。だからこそスタアが生まれないんだ。その辺にざらにころがっている程度の美貌しか許さんのだ。きっとそうだ」(文春文庫P148)

 平等に関する大まかなことは、この作品で筒井先生が書き尽くしているように思うけど、僕は僕なりにいろいろと考えてみます。

 僕は、「平等」ということを求めるのをやめようかなと思っています。僕は人間らしい人間なので、「不公平だ」とか「不平等だ」とか「ずるい」と思うことが、けっこうあります。でも最近、そういうのは考えなくてもいいような気がしてきました。
「あいつは、あんなに悪いやつなのに、大きな利益や快楽を得て、楽しそうに生きている」という「不平等感」は、ありますよね。嫉妬と正義感が混じったような。そう考えてしまうのって、「平等であるべき」だと強く思っているからなのかなと、思います。
「姑息な手を使って、無責任にいい思いをしやがって」っていうような憎しみは、あるんですけど、それってどっから来るのかなって思うと、「平等であるべき」という考えからなのかなと。

「そうか」山川俊三郎が膝を叩いた。「その社会では、文学や科学も、消費の対象なんですね。自分たちの手の届かないところで何かやっているのはけしからん。それがどんなにすばらしいものなのか、われわれにも平等に分配しろ。わかちあたえよ、わかちあたえよというわけですね」(同P173)

 この「わかちあたえよ」という感覚って、実際僕にも、たぶんあります。けっこう気をつけて、それはいけないと戒めながら暮らしてはいるのですが、ついつい、そのようなふうに考えてしまうことはあるのです。
 自分に直接、具体的な害が及ぶわけでなくても、「不公平だ」「不平等だ」「ずるい」というりくつで、嫌な気分になることって、あるんです。
 それはもちろん、「平等であるべき」だと思っているからでしょう。

「わたしはこんなに苦しんでいるのに、あの人は平気そうな顔をしている」という類の苦しみも、平等主義からくるものかもしれません。
「やられたらやり返す、倍返しだ!」という『半沢直樹』のせりふは、平等主義どころの騒ぎではなく、「おれを不平等に陥れたお前は、おれよりももっと大きな不平等を被るべきだ」ということです。ひどいもんです。
 快楽や不快感、利益や不利益を、数値のようにして他人と比べて一喜一憂するのは、あんまり美しくねーなと、思っています。
 これはつまり、「快か不快か」と「トクかソンか」からの脱却です。(このページの『要領よくやれ!』参照)

「あの人は僕と同じ仕事をして、僕よりも高い給料をもらっている」みたいな不満も、平等主義からきています。そんな回りくどいことを考えるよりも、たとえば「自分の仕事だったら、このくらいはもらえるべき」ということを、言うべき人に言うほうがいいです。それが無理だとか、逆効果だというのなら、諦めるしかないです。関係のない他人を恨んでも仕方ないのです。
 基本的には、給料の違いにはたいてい理由があるので、そこを考えるべきだろうなとも思います。理由がどうしても見つからないようだったら、誰かに聞くしかないでしょう。

 本当に「平等であるべき」なのだろうか、という疑問。誰かが不当に利益を得ていたとしても、それはそれで、というふうに分けて考えても、いいような気がします。そこで「不公平だ!」と叫ぶのが、正義感であるのか、嫉妬であるのかというのは、難しいです。その叫びが「公平」の実現に繋がるのならば、それは「正義感」かもしれませんが、どこにも届かないただの嘆きであるようなことも、多いと思います。
 正義感が伴わないのであれば、それは「平等主義」のふりをした、ただの「利己主義」ですね。利己主義を正当化する手段の一つとして、平等という考え方はあるのかもしれません。

 僕たちはおそらく驚くほど自然に、頻繁に、平等という考え方をしてしまいます。そこを一度、疑ってみることは非常に有意義だと思います。
 本当に平等であるというのはたぶん、「みんなが等しく自由である」ということだけで、「数値的に同等である」ということとは、本当はあんまり関係ないのでしょう。
 本当に平等を志向するのなら、「みんなが等しく自由である」というのがどういうことなのか、というのをもっと考えたほうがいいような気がして、ちょっと考えています。

2013/12/26 木 削除


2013/12/25 水 削除

(削除)

 僕が学んだ最大のことはたぶん、「みんなが納得すれば、それでいい」という考え方です。なかなか「みんなが納得」するなんてことは難しいのですが、みんながそれぞれちょっとずつ譲歩しながら、むりやり納得するような形って、あるんですね。

 家族の作ったごはんが、もしくは恋人の手料理が、シェフの名前がついてるレストランくらい美味しいなんてことは、ふつうはありません。でも、体感としてはそれよりもずっと美味しく感じられることはあります。

 鶴見俊輔という人がむかし、「限界芸術」っていう概念を考えています。「非専門的芸術家によってつくられ、非専門的享受者によって享受される芸術」とのことです。今の時代って、こういうのがどんどん拡大しているように見えますね。「歌ってみた」なんてのとかもこれだと思います。リンク先では、「落書き、手紙、祭り、早口言葉、替え歌、鼻歌、デモ」が具体例として紹介されています。「歌ってみた」ってのは鼻歌よりももうちょっと専門性が高いとは思いますが、「~てみた」という表現にみられるように、さすがに専門家ではないだろうと思います。聴き手も、たぶん専門家といえるような人たちではないでしょう。今は、誰でもそこそこの専門性を身につけることができるようになったということだと思います。
 演劇だと、どこからを「専門家」と言っていいのか迷いますが、今回のお芝居は僕の目には「限界芸術」です。あのお芝居を見て評論家めいたことを口にするような人がいるとしたら、それは芸術の種類を見誤っているのだと僕は思います。限界芸術としての演劇は、祭りやデモに近いものがあります。祭りやデモに専門家は、原則いません。いるとしたらテキ屋とか、プロ市民と言われる人たちで、そういうふうに特別な名前がつきます。デモってのは(鶴見俊輔さんの定義によると)、非専門的芸術家が作る限界芸術的なものなんだから、それの専門家が登場したら、わざわざ「プロ」(専門家的な意味!)という言葉が頭についてしまうということです。
 祭りやデモは、日本ではたぶん「みんなが納得」するためのものです。内容や質はあんまり関係なく、とにかく納得してしまえばそれでいいのです。悪く言えば「自己満足」、よく言えば「みんな満足」です。
「歌ってみた」だって、歌う人が納得(満足)して、聴く人が納得(満足)すれば、それで何の問題もないわけです。どれだけ下手くそでも、問題はありません。
 今回の演劇は、役者にも初心者の方がいましたし、音響と映像を操っていた僕も、音響は高校一年生の時に学校の教室にMDデッキ置いて一回だけやったことがある程度で、映像を流したのは初めてでした。中にはベテランのとても上手な役者さんが一人いたし、熟練した(僕にはそう見えた)スタッフさんもいらっしゃって、彼らはけっこう「専門家」かなと思います。そういうふうにいろんな人が参加できるのも、祭りやデモっぽいし、やっぱり限界芸術的なものだったんだと僕は納得しています。

「みんなが納得すれば、それでいい」というのは、お芝居そのもののことだけでなく、もうちょっと大きな範囲で「今回関わった人たちの気持ち」とか、そういうものについてもあると思います。お芝居をしていれば、いろいろあります。辛いこともイヤなことも、幾らでもあったと思います。でも、終わってみればみんな、どうにかして「納得」のほうへ持っていきます。それで「祭り」は終了です。もう終わったことなんだから、いいじゃないか、まあ笑おう、できるだけモヤモヤを残さないで(反省はまあ適当に)。っていうようなところで。
 そうやって日本の世の中はとりあえず平和になっていくんですね。

 僕はこういうふうに納得しました。

2013/12/24 火 気と記憶

 夜、シロノワール食べました。
 メニュー見て品を選んで、そのあとなぜか二人ともすでに注文をすませたと思いこんで、10分だか15分だか喋ってて、「なかなかこないねー」なんて思ってたら、二人ともほぼ同時にはっとして「注文したっけ?」「したような気がする」「だけどした記憶がない」とか言って爆笑しました。

2013/12/23 月 お芝居に参加しますよ

(削除)

2013/12/22 日 思春期はバカだから

 実際、思春期ってのはバカなんだ、ということを自覚しなければならぬ。思春期とは愚かな期間である。精神的に、異常な状態だ。狂っている。だから、間違えやすい。
「思春期に好きになったもの」に対して、異様な思い入れを持つ人は、少なくない。これは非常に恐ろしいことである。「間違えやすい時期に好きになったもの」に、無批判に延々、時には一生涯、しがみつき続けるのは、危険と言わずして何だろう。
 最近、「自分はどうして自分になれたか」ということを考えていた。そんなとき、ふらりとおざ研に来てくれた初対面の青年が、「ジャッキーさんって、昔が好きですよね」と言ってくれた。ほう、と思った。
 僕はなにも、やみくもにただ古いものが好きというわけではない。ただ、「昔好きだったものを、ずっと好きでいる」というだけだ。
 そして、その「昔」がさすものは、決して「思春期」ではない。それよりももっと、手前の時期だ。たぶんこのことが、僕を僕たらしめてくれたものなんだろう。

 思春期……たとえば中学生のときに僕は、爆笑問題の太田さんが好きになった。また、村上龍を好きになった。爆笑問題カーボーイというラジオは今でも聴くし、村上龍だって嫌いではないのだが、当時のような感情(そう、あれは感情だった)はまったくない。中学生から大学生くらいにかけて好きになったものに対しては、かなり温度が下がっている。ジャンルを問わず。
 僕をずっと支えてくれているのは、本当に小学生まで(それも、十歳くらいまで)に好きになったものがほとんどだ。岡田淳さん、奥井亜紀さん、小沢健二さん、藤子不二雄先生、手塚治虫先生、Moo.念平先生、宇宙船サジタリウス、数々の、88年頃から95年くらいまでのテレビアニメ……。あるいはお父さん、お母さん、お兄ちゃん。
 橋本治さんに関しては、本当に好きだと思ったのはたぶん社会人になってすぐ。爆笑問題と対談をしていたので、中学生の頃から知ってはいたけど、その時は「そんなにすごい人なのか?」で終わっていた。太田さんも『桃尻娘』ばっかりほめていたような感じだったし。何度か十代の頃の日記にも登場するように、ずっと気にしてはいたんだけど、真剣に読み始めたのは大学生二年生のとき。それでもまだ「入れ込む」というところまではいかなかった。だから僕はもしかしたら、橋本治さんを好きになった二二歳だかそれくらいまでは、「思春期」だったのかもしれない。きっと狂っていて、橋本治さんを受け入れる準備ができていなかったのだ。

 僕はたぶん、十二歳くらいから二二歳くらいまでの約十年間、狂っていたのだ。だけど、その期間以前に好きになっていたものが、ずっと僕を守ってくれていたのだと思う。上に挙げたどれもこれも、ずっと、休むことなく、好きだった。思春期には本当にいろんなものを好きになって、さめてしまったものは多いけど、小さい頃に好きになってしまったものに対しては、どれだけ時を経てもさめることがない。むしろどんどん、思いは熱くなっていく。
「コアにあるのは 子供のころの正しいこと」って、何度となく引用してきた。藤林聖子さんが作詞した、三重野瞳さんの『Wonderful Bravo!』って歌にある。そういえばミエノも、初めて聴いたのは小学四年生だった。ただ「ミエノ」という人間を認識して、「いいな」と思ったのは中学一年生。ぎりぎり滑り込んだ感じがある。で、本格的に好きになったのは、二十歳を過ぎてからだったかも。二〇〇六年末(二二歳)には『Special Radio』という曲をネットラジオで流している記録があるんだけど、このあたりからじわじわと好きになっていったような。それで思春期が終わってから、ぐぐぐっと好きになっていった。

 思春期の人間は狂っている。思春期の頃に好きになったものなんて、ほとんどは気の迷いなのだ。恋愛だって、思春期であるようなうちは、うまくいかない。思春期の人は「恋愛などない」ってことが一切わかんないくらい、気が狂っている。大人になっても、思春期の頃に好きになったものが好きだっていう人は、「思い入れ」に支配されているか、未だに思春期のただ中にいるのか、あるいは、「狂ってはいたけど、奇跡的に正しい判断ができていた」、「あとからうまく出会い直すことができた」といったところだと、思う。
 もちろん、思春期に好きになったものだから、自分にとって必要ない、ということでは決してない。太宰治を好きになったのは高校生の時だけど、未だに太宰治は好きだしすごい人だと思うし、大いに人生の参考になっている。だけど、愛しているかといえば、愛していない。さっき挙げた、幼い頃に好きになったものを僕は、心の底からすべて、愛している。
 例外として思いつくのは、『ディスコミュニケーション』を描いた植芝理一先生。出会いはちょっと遅いけど、あまりにも愛している。この人は中学一年生か二年生の時に好きになった。僕を思春期に引きずり込んだ作品と言ってもいい(特に11巻の『天使は朝来る』)。だからこそ特別なのかな。夜麻みゆき先生の『レヴァリアース』(読んだのは小六か、中一か。とにかく十二歳だと思う)も、たぶん僕を思春期に招き入れた作品。とても大切だし、愛している。面白いのは、両作品(両先生)とも、思春期を終えてから「出会い直している」ということ。最近になって、ようやくこれらの作品の本当の素晴らしさがわかったような気がしている。

(削除)

 ともあれ、思春期は気が狂っている、ということを僕はすっかり信じ切っていて、「三〇歳以上を信じるな」と叫ぶ思春期をこそ、信じるべきではないと思ってしまう。三〇過ぎて適切に生きている人は、信じるに値し、三〇過ぎても思春期やってるような人は、信じるに値しない。そういうことなんだろう。

2013/12/19 木 あのバカは荒野をめざす

 未読の方は藤子・F・不二雄先生の短編『あのバカは荒野をめざす』をぜひ、読んでみてください。
 F先生の短編はどれも、僕が迷った時や、考え込む時に道標となってくれる。といっても行くべき方向を指し示してくれるような道標ではなくって、「こっちに行くと、こういうものがあります」というだけの道標。これのおかげで僕は、道に迷うことができる。路頭に迷い、途方に暮れることはない。

 またこの作品についてイチから書くのは大変なので、現存する僕の日記から、関連するものを探してみた。パッと見つかったのは以下。(古いものでは2001年のもあったけど、それは内容にはあまり関係ないので省いた。)

 2010/03/02 恋愛は精神異常(この記事が一番、というか唯一まとまっています。)
 2011/11/25 若さ
 2011/12/17 健康の上にあぐらをかいていてはいけない
 2012/05/03 木 甲子 正しさを
 2012/06/24 日 丙辰 後悔は保留の結果

 2010年以降に集中(というか、2010年以降にしか書いていない)のはなぜかといえば、「それまでは僕はまだこの作品にピンと来ていなかった」ということでしょう。小学生のときに初めて読んで「なんか、この作品は怖い!」と思っていて、それほど好きではなかったんだけど、それでもやっぱりずっと気になっていたので、たびたび考えたりはしていて、やっと「ああ!」と胃の腑に落ちたのがなんと、2010年になってからだった、らしい。

『あのバカは荒野をめざす』は、老人になった主人公が過去に戻って、「バカ」な道を選ぼうとしている若かりし自分をなんとか止めようとする話だ。2010年くらいまでの僕がこの作品にピンとこなかったというのは、かなり重要な事実である。
 それまでの僕は「若かった」のかもしれない。

 この作品について書こうとして、例の2010年3月2日の記事を読み返したら、だいたいのことがすでに書かれていた。今日はそれを引用し、補足するにとどめよう。

 若さというのは、恋愛というものによく似ていて、要するに「精神的に異常な状態」だ。それを「信じる」というのも一つの手ではあるのかもしれない。だがそれは、「周囲の反対を押し切るだけの強い情熱」があってこその話だ。つまり、『あのバカ~』において、未来の自分の言葉にも耳を貸さず殴り倒し、己の決断を貫いた若き日の中年ホームレスのような、ぎらぎらとしたエネルギーがあってこそ、「後悔」ということを無力化してしまうほどの大いなるパワーを纏っていればこそ、「信じる」ということができるのである。周囲の反対に押し負ける程度の決断であれば、信じるにも値しない。だからまずは、客観的な周囲が強く強く「反対」してあげることが肝要なのだ。折れればその程度の想いであったのだし、折れなければ結果はどうあれ「悔いが残らない」生き方をしたということで、それはそれで一つの美談になる。とにかく、狂ってる人間の狂っているように見える判断には、反対してあげたほうがいい。

 人間には、言いたくないけどやはり「段階」というものがある。「レベル」みたいなかたちで数値的に語りたくはないので、段階の低いような状態をひっくるめて「若い」と言うことにしよう。人間には、「若い」という状態がある。「未熟」と言ってもいい。
 若さや未熟さの先にあるものは、基本的に「失敗」である。失敗しないのであれば「若い」とか「未熟」ということにはならない。失敗しないならすでに「老練」や「円熟」の域だと思う。

 2010年には「若い」ということを客観視できるようになっていた僕の周りには、自分の目には「若い」「未熟」と映ってしまうような人がたびたび現れる。若くて未熟らしいその人は「今にも失敗しそうに思える考え方や行動」をしている。僕は「そのままでは失敗するぞ」と言ってあげたいし、お節介にも実際言っていると思う。しかし、若くて未熟な人は、そんな言葉に耳を貸したりはしない。『あのバカ~』の若き主人公と同じで。
 でも、僕を慕ってくれる人のうちには、「そうか……」と一歩立ち止まって、葛藤してくれる人もいる。僕はそんな状況を目の当たりにすると、自分が生きている意味はあったなと感激する。しかしやっぱり、そういう人でもやっぱり失敗をする。僕は「だから言ったのに……」とつい思ってしまうけれども、「そういうもんだよな」とも思う。誰も若さを運転することはできない。
 そのあとで……絶望したり、諦めることなく、過去の自分を責めるでもなく、活力を持って生きていくことができることが、結局は「老練」や「円熟」に繋がるのだろう。「なにかをやってみたくなった」と言う、あの老人が持っている可能性は、たぶんそこにある。

 僕はやっぱり、若い人に「失敗してほしくない」と思ってしまう。それは僕の優しさだと思う。でも、忠告を与えられて考え方を変えられるようなのは、若いとはいわない。たとえ理屈でわかっても、心や身体はついてこない。
 あまり若い人に、「正解」のようなものを言うべきではないのかもしれない。「その考え方は、苦しいだけだよ」とか、「こういう考え方が理想的なんじゃないかな?」とか、それがどれだけ正しくても、少なくともその時点では彼らを混乱させたり、苦しめることにしかならない。本当は「正解」ではなくって、「ヒント」や「手引き」をべきなんだけど、これまでの僕はそんなに気が長くなかったし、2010年に書いたような考え方を持ってもいた。「狂ってる人は全力で止める。それでもやるなら、それは意味のある『情熱』だ」と。
 今でも大筋ではこの考え方は変わっていないが、しかし、僕には「正解」を言うこととは別に、するべきことがあるのだということはわきまえていたい。
 僕の考え方に反発して、「そんなことない!」という人が、実際にいる。そういう人に対しては、「じゃあ、どういうことなのかね?」と聞くようにしている。個別に対応するならそれができるわけだが、こうして文章で書くときは、「僕の考えた最強の考え」を書くばかりになりがちである。
 もしかしたら、そうでない書き方もあるのかもしれないな、と今考えている。もし可能なら、そっちも試してみたい。
 また、個別に対応している時でも、どうしても「僕の考えた~」にとらわれて、柔軟に考えたり、視野を広げたりできない時もあったようだ。そのあたりに関してももうちょっと考えていこう。

2013/12/18 水 Cさんは殺してもいいし殺さなくてもいい

 ようやく少々落ち着いた。
 やはり人間は、「正体のわからないもの」をこわがる。
 たぶんそれだけの話なのだ。
 わかってしまえばどうということはない。受け入れられる。
 ただ、面倒くさがりの僕は、逃げる時間も欲しかったのだ。

 なんかこう、彼女が強姦されて、「つらいよー」って言ってるような男は、殺したほうがいいじゃないですか。まずは、彼女に「よしよし」ってしてあげることが先でしょう。でも、それで彼女がだんだん立ち直ってきたら、「そういえばつらいな……」になることは、あると思うんですよ。でも、それでもいつまで経っても辛いのは彼女なわけだから、男はそこで「つらいよー」になっちゃ、いけないんだと思うんですよね。もちろん「つらいよー」って言っちゃダメだとは言わないけど、でもやっぱり強姦されたのは彼女なんだから、そこはちゃんとわきまえて、いつでも「よしよし」ってしてあげるのが、いいんだろうなと僕は今は、思うんです。
 友達がボコボコにされたら、腹が立つけど、とりあえずボコボコになってる友達を助けるのが先だよね、っていう感じの価値観なんです。
 戦うことにあんまり興味はないというか、意味を感じない。
 AさんとBさんが仲良くしてて、そこにCさんがやってきてBさんをボコボコにしたとしますよ。それでAさんは怒ってCさんをボコボコに……っていう流れは、良いとも悪いともわからないけど、問題は実は「AさんとBさんの仲の良さ」にしかないんで、べつにCさんのことなんか無視しても構わないんです。AさんはBさんに「大丈夫?」って駆け寄って、応急処置をしてあげるのが最初。それで、もしもCさんがその後も危害を加えてきそうだったら、殺すなりなんなり、対策を練るというのが正道で、もしCさんがインドかどっかに行っちゃったんなら、まあ別に追いかけて殺すほどのことは、ないですよね。極端な話だけど。
 あと、Cさんがやってきて簡単にボコボコにされるような環境についても、AさんとBさんは考えたほうがいいのかもしれない。それは隕石が頭にぶつかったようなもんだったのかもしれないけど、やけっぱちの危険運転で事故を起こしたようなもんだったのかもしれない。とにかく、ボコボコにしてきた側のCさんのことは、分けて考えていい。
 Cさんみたいな脅威は世の中に腐るほど満ちていて、僕はそれで本当に嫌になってしまうんだけど、AさんやBさんである僕は、Cさんに負けないような生き方をしなければならないし、かりにCさんにボコボコにされてしまったような時でも、その後の処置を絶対にまちがえたくはない。

 とかなんとかってことをじっくり真剣に考えた上で、勇気を出して一歩踏み出してみたら、とりあえず心は落ち着いた。もうあんなに眠らなくてもよくなる……そしたら停滞していた作業が再び捗る……といいけどな。

 必然だと思えば許すこともできる。
 釈然としなければ許すこともできないし、いつまで経っても妄想に取り憑かれ続けるだけだ。
 僕はやっぱり「あきらめる」ということでしか、物事をわかることはできないのかもしれない。「わかる」がくれば、「わける」もできる。そして心は落ち着いていく。
 もちろんそれも、頭と体の「ふたつのこころ」でやってることなんだけど。そのはず。そうだといい。そうだと思う。僕は頭だけで生きているのでは、実はないのだ。

2013/12/17 火 死ぬか殺すか

 心を平静に保つためには寝ることが一番だ。
 しかし最近寝過ぎている。寝た自慢をすると三晩で四十時間寝た。それでさすがに頭が痛い。
 なぜそんなに寝るのかといえばいやな夢を見るからだ。長い時間眠った時は、最後に見た夢を覚えていることが多い。長い時間眠った時は、とりわけよく覚えている。そして悪い夢は、しつこい。忘れようとしてもなかなか忘れられてくれない。だから忘れるためにもう何時間か寝る。
 今朝なんて、二日で三十時間寝たあとだったから、すぐ目が覚めるだろうと思った。確かに目は覚めた。しかしまた、いやな夢を見た。だから五時間くらい追加で寝た。こういうことが何日かに一回ある。この一月半くらいは、ずっとそういう感じ。
 いやなことがあるのだ。それが苦しめてくるのだ。こんな経験は生まれて初めてだ。十代の頃に似たようなことはあった。しかし夢にまで踏み込んでくるのは初めてだ。
 二十代はずっと、あきらめたまま暮らしてきた。ここにきてあきらめきれないものに出くわした。
 ここで「あきらめる」という方向へ行くのか、はたまた別の方向を試すのか、ということで、僕は迷っている。迷っているから苦しい。
 これまでは、どんな辛いことがあったって、考えて考えて「理屈」をつけていたら数日でよくなった。そういうことを書いた日記は幾つかあるはずだ。僕はそれで一生やっていけると思っていた。
「理屈」をつけるということは「あきらめる」ということだ。今回はあまり、あきらめたくないのだ。よく言う話だが「あきらめる」とは「諦める」でもあるが、もともとは「あきらむ(明らかにする)」だ。僕は「明らかにする」ことを怖がっているのかも知れない。
 これまでは、何かトラブルがあれば、すべて「理屈」をつけた。「あきらかに」してきた。「こういうことなんだから、まあ仕方ない」と納得した。それが僕の最良の処世術だった。
 しかし、今僕が抱えている問題はまだ「あきらかに」なっていない。だから夢という、曖昧な、無責任な形になって現れるのだろう。
 これを僕は「あきらかに」すべきなのだろうか。理屈をつけて捨ててしまえばよいのだろうか。それがわからなくてずっと泣いている。
 とにかくそれをすればいいような気もする。でも、一つや二つの都合のいい言葉で片付けるには、大きすぎる。そんなに単純な捨て方をしたら、いつか牙を剥いて再び襲いかかってくる、そんな予感がする。
「あきらめる」ためには、ある程度「事実を確定する」必要が、僕の場合はある。「まあこういうことなんだろうな」程度でもいいから、納得できる「事実」を設定したい。だが「事実」というのは恐ろしいものだ。取り返しがつかない。曖昧なままにしておけば、可能性が許しをくれる。
 逆接ばっかりだけど、しかし、僕が僕としてあるためには、やはり一貫して「あきらめる」ということが必要なのではないか、とも思う。ちゃんと整理をつけなければ進めない。忘れるだけでは性に合わない。というか、整理しなければ忘れられない性分なのだ。
 でもでもでも、こういう例は過去にないから、不安で仕方ない。僕の頭は、心は、気持ちは、ちゃんとすべてを整理して、忘れさせてくれるのだろうか。それがうまくいかなければ、余計につらいだけなのではないか。
 自分はそういう人なんだからそれをするのだ、と、割り切るしかないかな、と思う。ゆっくりと整理していこう。概ねは実は初期の段階でやってしまったんだけど、まだやり残しがある。やり残しは非常にデリケートな部分だから二の足を踏んでいたのだ。今さらほじくり返すのは嫌になる。やめたほうがいいのかもしれない。やめようかな。やーめた。
 なんてのは冗談だけど
 どんな理屈も「そんなこともあったな」の呪文には敵いはしない。ただそれを言うためには、やっぱり「納得」することが、僕にとっては必要な気がする。
 考えすぎずに一個一個やってこう。

2013/12/16 月 自分を拡張する人たち

 自分にまつわる何かを否定された時に、自分を否定されたような気分になるの、よくないです。
「ジャッキーさんは、ジャッキーさんの好きな『まなびストレート!』とかを否定されたら、嫌な気分になりませんか?」みたいなことを言われたことがある。たしかにいい気分はしませんけど、傷つくとか、怒るってとこまではいきません。「なんで?」が先に来ます。「まなびのどこがダメなの?」って思って、「きっと誤解してるんだろう」とか「あれを好きじゃない人もいるのかあー」とか、思います。

 自分じゃないものを否定されて憤る人は、「自分」を拡張しているのでしょう。ドラえもんを好きな人が、ドラえもんを「自分の一部」だと思う。アイデンティティの一部にする。それでドラえもんを馬鹿にされた時に怒る。「拡張した自分」を否定されて、嫌な気分になる、ってことなんでしょう。
 僕がもし「自分」を『まなび』にまで拡張していたとしたら、『まなび』を否定されることが、すなわち自分を否定されることになって、傷つく。でも、僕はそうじゃないから、別に「そうか……」って、思う。
 自分を「メンヘラ」に拡張したら、メンヘラ批判された時に「むきー」ってなります。自分を「おくすり」まで拡張したら、おくすり批判された時に「むきー」ってなります。しかし、メンヘラは便宜的に設定された概念に過ぎないし、あなたはおくすりではありません。
 おくすりはダメ、でもおくすりを使っている私は、「おくすりを使っている私」でしかなく、それについての判断はまた別、っていう「分け方」が、意外と重要なんじゃないかと思う。
「おくすり飲んでるやつなんかダメだよ!」と言われたって、「へー、この人はそういうふうに思うのか」でいいわけです。まあーそれができりゃ苦労はしないってことなんですけど、みなさんどうやってしのいできたんでしょうか?

2013/12/15 日 書けば波風が立つ

 僕の意見なんてただの一個なんだけど、気にする人は気にするものですから、怒られたり傷つけたり、いろいろするもんなんですね。
「こうして戦争は起こります」って言ってる人に対して、「そんなに戦争がしたいんですか?」と言うような、そんな言われ方をすることも、時にあります。
 僕は「こういうことってあるよねえー」って言ってるのですが、「ない」と思うなら「ないのでは?」って思えばいいです。そんで友達に「ないよねえー」って言えばいいです。
 別に傷つく必要はないのです。
 怒る必要もありませんよ。
「間違っているから、ただしたい」と思うなら、直接言ってもらえればいいです。

2013/12/14 土 自分などない・簡潔編

「自分」などない。「関係」だけがある。
 自分というものは、他者との関係の中でしか存在できない。「自分」というものは、単体では存在できない。単体としての自分を「ある」と思うのは、思い込みでしかない。
 かりに「自分」のようなものがあるのだとしたら、それは「他者との関係を作っていく能力」のことだ。他者と関係を作ることができなかったり、放棄しているような人は、これを持っていないということだから、ずばりなんにもないのである。人として無。ところがそういう人ほど、単体としての、個別なものとしての「自分」の存在を深く信仰している。そして、「自分とはこうあるべきだ」という幻想を抱いている。しかし、「自分」などというのはないのだから、「あるべき自分」というのも、存在できない。だから「今の私は理想の自分とは違う」と、嘆く。当たり前のことだ。
「自分」なんてのはそもそもない。ないものを「ある」と思うから、「こうあるべき」という妄想が生まれ、「しかし、そうではない」という、当たり前の結果が導かれる。「ない」のだから、「あるべき」に合致するはずがない。それを合致していると思うのならば、それこそ妄想と言うほかない。
「他者とどのように接していくか」ということのみを考えて生きるほうが、「どういう自分であるべきか」などという無意味な妄想に取り憑かれて生きるよりも、ずっと良い。「自分」などないのだから、「どういう自分であるべきか」は、考えるだけ無駄である。
 自分のことだけを見つめる人は、「関係」について考えることをしない。他者がいないところにも「自分」が存在するのだと思っている。そして「自分」なるものを「こういうものだ」と固定化させたがる。誰か一人がそのように頑なになると、周囲にいる人はそれに合わせざるを得なくなる。そこで無理が生じる。全員が流動的であれば、みんなが自由に動いていけるのに、誰か一人が固定化すると、そのぶんだけみんなは動きづらくなる。不自由になる。
「自分の快を優先させると、そのぶん他人に不快が及ぶ」という状況である。

 自分を固定化させるというのは、「快」にこだわることなのだ。「わたしにとってここにいることが快で、譲るつもりはありません」と、誰かが自分の「快」にこだわれば、周囲はそれに合わせようとして、無理が生じて、不快になる。電車のシートを横たわって独占すれば、その人は気持ちいいのだろうが、他の人にとっては不快である。座れないことが不快なのではない。「みんなの自由」を侵されるのが不快なのだ。誰かが行きすぎた自由を謳歌すれば、そのぶん誰かの自由が制限される。だから「関係」というものを意識して、バランス良く譲り合っていくことが必要だというのだ。それで「原則的には早い者勝ちで座ろうね。できるだけたくさんの人が座れるような座り方をしようね」という、暗黙のルールが作られる。みんなはそれを守る。時には席を譲り合うこともある。
 七人掛けのシートの真ん中に誰かが座っている。「わたしはここを動きません」とその人は思っている。そこへ六人組がやってくる。真ん中に座っている人が、端っこに動いてくれれば、彼らは並んで座ることができる。動かなければ、三人ずつに分かれて座らざるを得ない。六人組は、できればみんなで並んで座りたいと思っている。この場合、折れるべきなのはどっちなのだろう?
 たぶん、いちばんいいのは、真ん中の人が六人組と友達になって、七人組になることだ。そういう「能力」があってはじめて、「私はここに座っていたい」は実現される。そういう「能力」がないのであれば、僕は席を譲ったほうがいいと思う。この「能力」というのはもちろん、最初に書いた「他者と関係を作っていく能力」である。これがなければ、「こだわり」はただの「ワガママ」にしかならない。逆にこれがある人は、「みんなで仲良く」をやりながら、こだわりを通すこともできるのだ。みんなで仲良くできない人には、そこで何かを主張する権利などない。残酷なようだがそう思う。
「他者との関係を作っていく能力」が、唯一「自分」のようなものに近い。それによってのみ、その人は他者から「個性」を承認してもらえるからだ。このことは今の、電車のシートの喩えそのまんまである。もし真ん中に座っていた人が頑なに「私はここがいい」という個性(?)を主張しても、六人組はその人を尊重なんてしないだろう。しかし、「一緒に座りませんか」と仲良くなることができるなら、「わたしはこの席にこだわりがあるんですよ。それっていうのは……」と話すことができて、「なるほど、それはわかります。ぜひともそのままお座りください」となる、かもしれない。それが「他者から承認される」ということなのだ。承認欲求というのは必ず、「仲が良い」といった他者との関係を前提として、満たされるようなものなのである。
「承認されたい」と思うなら、「わたしはこういう人なんだ」とアピールするよりも先に、「仲良くなる」というプロセスが必要だ。「他者との関係をつくっていく」という能力が要る。その後に初めて、その人はその人として承認されうる。「自分」などない、というのは、そういうことでもある。単体としてのみ、個別なものとしてのみ、他者と切り離してのみ「自分」を捉えている限り、絶対に他者から承認なんてされない。誰からも承認されない「自分」なるものを「ある」と信じ込めるとしたら、たいそうな自己愛だと言うほかはない。自己愛の何が問題なのかといえば、そこに「他者」がいないこと。だからそういう人は、いつでも「淋しい」と嘆いている。

 通電事件について知りたい人は、新潮文庫の『消された一家』を読むか、一審の判決を見てください。あるいはネットのまとめ(こことか)を見るのも、とりあえずはいいと思います。
2013/12/11 水 人間の心の脆弱さについて(一部削除)

 つい半年くらい前、ogtyさん(グッチョさん)という古い友達から『消された一家』という本を教えてもらって、久々に脳天が震えるほど興奮して読んだ。その興奮がなんだったのか、というのは、最近またわかってきた。


 それで久々に資料(書籍、判決文、ネットの傍聴記録等)をまた読んでいるのだが、おぞましい、恐ろしい、まったくいい気分のしない事件だ。しかし僕はこの事件に強く惹かれた。それにはたくさん理由がある。
 こういう件に関して、あまり直截な書き方をするのは好まないけど、僕は「人間と邪悪」についてのことを、この事件を通してずっと考えている。一昨日、「心は邪悪になりうる」ということを書いたけど、まさにそうだ。事件を調べていたら学習性無力感とかスタンフォード監獄実験とかが出てきたけど、そういう研究や実験でも証されているように、人間は環境(外的要因)によって幾らでも変貌する。

 誰だって天使にも、悪魔にもなれる。よっぽど「自分の意志」というものを確固として持っているのでなければ、容易く変わってしまう。僕も大学一年生の時にインチキっぽい宗教団体の合宿に騙されて連れて行かれて、心をズタボロにされたことがあった(詳しくは2003年10月の月記、真ん中らへんを参照)。その一年くらい後にもヒッチハイクしていたら○○会という団体のワゴンに連れ去られ、朝まで監禁未遂(監禁罪が成立しないギリギリの時刻に解放)されて、執拗な精神攻撃を受け続けたことがあった。僕は涙こそ流したものの、それで洗脳されるということはなかった。彼らの詰めが甘かったのか、僕がかろうじて「自分」というものを持っていたからか、わからないが、とにかく助かった。僕よりもうちょっとでも弱い人間であれば、あのままどこかに消えていってしまっていただろう。
 自分にそういう経験があるものだから、人間(特に、若い人)の心の脆さというものはわかっているつもりだ。他人の宗教がらみの洗脳を解いた(解けた、と思う)こともある。かなり大変だった。たった数日の合宿で、ここまで頑なに人の心を凍らせることができるのか、と驚いた。
 脆弱な精神は固まりたがる。凍りたがる。意志とは無関係に。「固まれ、凍れ」と語りかける声に、抗うことはできない。そういう性質なのだ。脆弱であれば、強くなりたがるのは当たり前のこと。しかしもちろんそれは、他者によって無理矢理にもたらされた、不自然な強さでしかない。新興宗教に熱を上げる人間は安定しても見えるが、その実は……というのが如実にそれを象徴している。
 宗教は、同じ宗教を信じるコミュニティの内部にいなければ正常に機能しない。だから中途半端な規模の宗教は危うい。対立や諍いを生みやすい。洗脳は常に外界から隔離された状態で行われるが、それはこの広い世の中において正常に機能するはずのない「宗教」というものを、無理矢理に機能させるための措置なのは言うまでもない。
 宗教が二者間でのみ行われれば恋愛になる。どちらも同様に、「ないものをあると思う」である。(これは以前にさんざん書いた。)
 僕は常に恋愛に敗北する。宗教に敗北する。僕の大切なものはいつもそれらに奪われていく。

 例の事件の主犯である松永は、通電や暴力などの痛みだけでなく、セックスの快楽、コンプレックスや負い目への刺激、あらゆる手段による自尊心の剥奪などによって、他人を狂わせ、支配した。自分が自律した一人の人間であることを忘れさせ、依存させ、数え切れないほどの「思い込み」を埋め込み、「役割」を与え、実行させた。自我も思考力も奪われた、白紙のような人間に「役割」を与えれば、それを実行するだけのロボットになる。
 これは余りにも極端な例だけど、こういうことは世の中にいくらでもある。溢れている。実はほとんどの人間は、被害者たちが松永に施されたのと似たような洗脳を、多かれ少なかれ受けているのだ。そこから解放されるには、「強くなるしかない」。絶対に、それしかない。しかしその方法は、誰にもまだよくわかってはいない。

「メンヘラは思い込みが強い」といった言葉をたまに聞く。確かに、メンヘラといわず、人間の抱える内面の問題というのは、たいがいは過剰な「思い込み」が源泉となっている。松永はうまくそれを利用した。あらゆる「思い込み」から解放されて、なお生きていられるのは、悟りを開いた者だけだろう。
 みんな、常識や良識や道徳といった、最低限の「思い込み」を共有して、それを緩やかな宗教として、生きている。あるいは友人関係の中に、家族関係の中に、恋人関係の中に、そういったものを設定する。それはあまりにも緩やかなものだから、あるいは一時的なものでしかないから、破壊することは実は容易い。そこにつけ込んだのが松永だった。あるいは、僕を苦しめる者達が常に利用するのも、そこである。

「良識が崩れていく思春期 重ねれば薄れていく胸の痛み 手鞠をつく君の顔が黒い羊に見える 脳下垂体はすでに生き続けることを諦め始めて 脊髄にモルヒネを せめて気が狂わぬように 与えてくれる」と、PIERROTというバンドが『脳内モルヒネ』という曲の中で歌っている。人間の心は脆弱であり、それでも命を支えているのは実は「自身の脳によって心を麻痺させること」である、ということを、この歌は言っている、ようにも思える。
 人間には、良くも悪くも「麻痺」や「忘却」に代表される、白紙化の能力がある。しかしそれは心の中にまっさらな部分を創り出すということでもあるから、そこに新たな「思い込み」や「役割」が容易に書き込まれてしまう。悪意さえあれば、いくらでもこのことを、自分の都合の良いように利用することができる。洗脳とはおそらく常にそういうプロセスを踏む。

 人間は、外的要因によって天使にもなれば悪魔にもなる。それは実際、事実であろう。そんなことは考えたくもないのだが、松永の事件は、僕らにそれを突きつける。そして自分の実体験と照らし合わせることを強いる。それで僕などは絶望し、だからこそ色々考える。

2013/12/10 火 据え膳の話、ふたたび

 自分の嫌いなものがなんだかわかった。
 僕は小説を書いていて、たとえば憲法や刑法、原発事故なんかをテーマにしてきた。それらは僕にとって「モチーフ」であって、批評の対象であって、決して「他人のふんどしで相撲を取る」のふんどしのようなものではないし、「虎の威を狩る狐」の虎の威のようなものではない。そのつもりだ。否定したい人がいたら理由を教えてほしい。
 戦略的に、多少賢しく標榜してきたものといえば「きちがい」というのがあるが、これは非常に標榜するのに勇気がいるものである。そもそもマイナスの意味の言葉であって、これを嫌みなくプラスに転換させるためにはけっこう頭をしぼった。その姿勢の中には工夫があり、思想的な主張もちゃんとあるはずだ。
 僕が嫌いなのは、「そもそもはじめから、みんなに好かれるに決まってるようなものを利用する姿勢」である。僕はこれにだけは絶対に勝つことができない。ずるいと思うから、とても嫌いだ。
 だから僕はミュージシャンが嫌いだ。カメラマンが嫌いだ。映画が嫌いだ。小説家だって好きじゃない(ゆえにあまり名乗りたくない)。ライターという肩書きも御免だ。かわいい動物を利用する人が嫌いだ。かわいい女の子にかわいい服を着せて利用する人も嫌いだ。そういったものの前に僕は敗北するしかない。
 自分には何にもないくせに、当たり前に価値のあるようなもので身を固めて、偉そうな顔をする人が全員嫌いだ。あらゆるものを、お金のように考えている人たち。彼らがしているのは、札束で頬をたたくようなことと何も変わらない。高級ブランドを着るのとも似ている。だからなんだよ、と思うが、僕は彼らに勝つことができない。
 勝つとは何か? それは、僕の価値観の方がそういう人たちよりも素晴らしいと思ってもらうことだ。おそらくほとんどの人が彼らの方を向くだろう。しかし数少ない何パーセントかの人が、気まぐれにこっちを向いてくれる。そこに僕の幸福はあるが、気を抜けばすぐに持って行かれる。それで僕は「やっぱりな」と泣く。そういうことの繰り返しの人生だったような気がする。結局「うわべの優しさ」や「一時的な気持ちよさ」には、かないやしないんだ。
 僕は、髪を切ってきた女の子に対して、軽い気持ちで「髪切ったんだ? 似合うよ。かわいいね」と言うことができない。それを言えばもっとモテるかもしれないし、たいていはその女の子のことをいい気持ちにさせることができると思う。でも、僕はそんなことは、言えない。愛する人に対してなら、本当にそう思えば言うだろう。そうでなければまず言わない。そんなもんは、「そもそもはじめから、みんなに好かれるに決まってるようなものを利用する姿勢」だと僕は思ってしまうから、いやなのだ。
 そういうセオリーみたいなものって、素直にできるならそれにこしたことはないんだろうけど、少しでも疑問を持ってしまうと、もうできなくなる。嘘はつきたくないし。それこそ邪悪だ。
「おいしいもの食べにいこう」も、僕は言えない。嫌いだ。そんなもん、そもそもはじめから、みんなに好かれるに決まってる。欲望を快楽で釣ってるだけのことだ。食べ物で人を籠絡するのは政治でしかない。野心や下心が常に伴う。使える手では、あると思うけど、そういうのはほかの誰かにお任せだ。僕は富士見台本町商店街の、当たり前にだけおいしくて雑誌やテレビや遠くの人は食べに来ない、小さなうどん屋やカレー屋を愛してくれるような人たちだけと、少なくとも私的には付き合っていたい。
 お手軽なのが嫌いなんだ。定番が嫌なのではなくて。映画だの、写真だの、音楽だの、読書だのと、くだらない。そんなもんはただの衣装だ。札束だ。中身なんか何もない。サブカルもメンヘラもセクシャルマイノリティも、仕組みは似たようなものだ。
「きちがい」だってかなりそれに近い。僕が本を売るために最大限札束に歩み寄った結果が、この言葉だったのかなと今は思う。僕にはこれが限界だった。
「そもそもはじめから、みんなに好かれるに決まってるようなものを利用する姿勢」は、かつて使った言葉でいうと「据え膳」だ。それを食いたくなるのはわからんでもない。しかし、そんなもんに本当に栄養はあるのか?
 本当にかわいいもの、本当においしいもの、本当に栄養のあるもの、本当にすばらしいものは、そんなところにはない。それだけを信じて、僕の人生はある。だからこそ、「あっち」を向かれることが辛い。手軽でキャッチーなものや、優しそうな言葉や、一時的な快楽に人は惹かれる。それでいいの? って僕は思う。どうしてそんなことするの? って思う。永遠に思い続けるのかもしれない。

 2015/12/15 この頃の僕は、ここ10年くらいで最悪の精神状態でした。だからこの時期の日記はそのようになっていますし、現在に至るまで僕の書くものは概ね暗くなっていると思います。この日に書かれたことは、やや大げさですが、この時はこう思ったのだろうし、今もこれを読んで息をのむ自分がいます。

2013/12/09 月 邪悪な心と美しき魂(「絶対負けない!」)

「プリキュアの 美しき魂が
 邪悪な心を 打ち砕く!」

 アニメ『ふたりはプリキュア』の決め台詞です。2004年2月から2006年2月までに活躍した、初代プリキュアが、必殺技を撃つ前に言います。
 この一言に集約されますよ、僕が言ってることってのは。それで僕はこのアニメが大好きだったんです。ちなみに初代のラスボスの名前は「ジャアクキング」で、プリキュアはそもそも「邪悪」と戦うお話だったのでした。
「邪悪」「心」「美しい」「魂」ってのは、僕が常に頭に置いているキーワードです。小沢健二さんにも『美しさ』という曲があります。

 敵は、邪悪な心である。
 邪悪な心を打ち砕くのは、美しき魂である。
 たったそれだけのことです。

「心」と「魂」について、なんとなく考えてみます。「心」は揺れ動くけど、「魂」は震えるだけで、動きません。だから、「プリキュアの 美しい心が 邪悪な魂を 打ち砕く」ではないのです。
 邪悪なものは心です。心しか邪悪にはなりません。魂はおそらく美しいものです。美しくない魂というのはなく、美しくないものには魂がないのです。
 心は、時に邪悪に傾きます。そして魂さえも奪います。
 でも、ほんのわずかでも魂のかけらが残ってさえいれば、心は再び美しく生まれかわります。
 夜回り先生こと水谷修さんが、「昨日までのことは、みんないいんだよ。」と言えるのは、こういうことを踏まえているのだろうと、僕は思います。
 でもそれは、水谷の語りかける相手が、主に子供だからです。親にはもっと、違う言い方をします。

 心が、あまりにも邪悪に蝕まれすぎていれば、魂もほとんど完全に失われてしまっていれば、美しさを再び得ることは容易くないでしょう。僕はそうとしか思えない人たちをけっこう見てきました。「もう、一生かかったってこの人に魂は戻ってこないな」と。
 30年かけて汚れた心は、30年経たないと元には戻りません。そういうふうに考えています。
 15歳の時に水谷に出会って、「今日からは」と誓った子は、30歳くらいになる頃には、美しき魂を取り戻せているのかもしれません。しかし50歳からだと、もう絶望的でしょう。
 時間というものの重さを、僕はそのくらいに考えています。人は更正なんかしない、とずっと思ってきましたが、今は「更正を誓った年齢と同じ時をかけるならば、もしかしたら」というくらいには、思っています。(だから刑罰も、年齢と同じだけの長さを基準にしてもいいんじゃないかと思います。二十歳なら、最低でも二十年は更正に時間をかけないと。)
 僕は29歳なので、今更正を誓っても、58歳までは信用するに足る人間にはなれません。きつい考え方ですが、そのくらいに思っておいたほうが、謙虚に生きられるような気はします。

 心は動きます。邪悪になることもあります。
 そんな時は「美しき魂」のことを思い出します。
 キュアブラックとキュアホワイトの、ぎゅっと握った手と手のことを考えます。


なぎさ「たしかに、あんたの存在はおっきい。とてもあたしたちにはかなわない。だけど、あたしたちは絶対負けない。負けるわけにはいかないの!」
ほのか「わたしたちには、大事なものがある。大事な人たちがいる。ミップルやメップル、そしてポルン。そして、わたしたちを支えてくれるのは、すべての命。わたしに繋がる、すべての命よ!」
なぎさ「だから!」
ほのか「わたしたちは!」
ふたり「絶対負けない!!」

ほのか「無理だとわかってても!」
なぎさ「やんなきゃいけない時だって、わたしたちにはあるのー!」

なぎさ「この世界を守るために」
ほのか「わたしたちががんばらなくっちゃ」
ふたり「絶対にいけないの!!」
(『ふたりはプリキュア』最終話「未来を信じて! 明日を信じて! さよならなんて言わせない!!」より)


なぎさ「ここで倒れるわけにはいかないの! いろんなことがあったんだもん」
ほのか「でも、乗り越えてきたのよ!」
なぎさ「だから、あんたなんかに!」
ほのか「今、ここで、あなたなんかに!」
ふたり「負けるわけにはいかないのーー!!」
(『ふたりはプリキュア Max Heart』最終話「扉を開けて!ここから始まる物語」より)


 ちなみに「ここから始まる物語」ってのは、『まなびストレート!』の最終話にも出てくるフレーズですね!(みかん「これから、すべては、ここから、はじまるわたしたちの物語!)

2013/12/08 日 平凡とは(現在より先に未来を決定する)

 ずっと泣いてる。使い物にならない自分を恥じず、ただ過ぎゆくのを待つ。睡眠薬を飲んで寝る人たちは、みんな「そうじゃないと生活できない」と言う。その「生活」というのは、たぶん「働いたり学校へ行ったりする生活」のことだ。いっそ働くことも、学校へ行くことも、やめてしまえば、ほとんどの人にとって睡眠薬を飲んで寝る必要はなくなる。けれどなかなかそうはできない「事情」がそれぞれにある。だから睡眠薬を飲んで寝る。
 多くの場合、「起きなければならない時間」や「起きていなければならない時間」があるから、「睡眠障害」と呼ばれる状態は生じる。この二つさえなければ、寝たい時間に寝て、起きたい時間に起きればいいわけだから、「不規則な生活習慣」にはなってしまうけれども、具体的に困ることはとりわけないはずだ。「睡眠薬を飲まないこと」を取るか、「規則的な生活」を取るか、という話になってくる。この天秤は人それぞれだ。
「睡眠薬を飲まないと永遠に起きていてしまう」という人もいるかもしれなくて、そういう人こそ本当に睡眠障害なんだろう。たいていの場合は、「寝なければ」という事情や思い込みから、睡眠薬は必要になってくるのだと思う。「夜にちゃんと寝ないと昼間眠たくなって辛いから」というような。
 こういうことを書くと「まったくわかってない」と当事者の人たちからは言われてしまうかもしれない。僕もわかってるつもりはないのです。ぜひ、いろいろ教えてもらいたいと思います。(こういうことで嫌われたことが何回もある。)

 僕は睡眠薬を飲まないけど、自然にずっと寝てしまう。今年度はいよいよ、「何時に出勤しても構わない」という状態になったので、好きなだけ寝る。このストレスのなさ。しかし、誰もがこういう仕事にありつけるわけではないし、正直言って生活は不規則になってしまうので、良くも悪くも、という感じである。ストレスがだいぶなくなったので、あとはどれだけ自分なりに、規則的な生活を構築していくか。
 というわけで日曜である本日も、好きなだけ寝た。落ち込んでいたから。何もしたくなかったから。ずっと寝ていた。僕は先々月末以来ずっと落ち込んでいる。ほぼ毎日、一日のどこかで、死にそうな発作に見舞われる。少しずつ良くはなっているから、時間が解決するのだろう。しかしどこかで、自分の意志を交えて根治させなければ、いつでも再発しそうな予感がある。そのために僕は毎日いろいろ考えている。考えることでしか問題を解決させられない性分についても、その善し悪しを含めてさまざま考えている。
 29歳になっても、やっぱり辛いし、苦しい。若い頃と比べれば質は変わった。しかし心の重さは同じだ。これを軽くするには、おそらく平凡になればいい。僕はもう、そうだと思っている。それを選ぶわけにはいかないから、永遠に苦しみ続けるだろう。それでいい。そうしていたい。
 平凡になるというのは、ルールを設けて、それに従うということだ。現在よりも先に未来を決定してしまうことだ。それをしてしまえば、考えるということはなくなる。それで悩まなくなる。心は平安になる。
 心が平安ならそれでいい、というのは、「自分の快/不快」だけを問題にする人の考えることだ。そんな退屈なことは僕の性分に合わない。

 何時に出勤しなきゃいけない、そのためには何時間眠らなければ辛い、眠れないなら睡眠薬を飲もう、というのが、「現在より先に未来を決定する」という態度なんじゃないかなと、思う。

2013/12/07 土 おどけ半生

 教え子のタンブラー、リンクしました。
 最近のこれ 、いい文章だと思います。
 これ読んで思い出したことがありました。
 僕も小学校中学年までは周囲になじめず、いじめられがちで、小4で自尊心が芽生えた頃には精神がぼろぼろになっておりました。彼女と同じく「道化」的なものを覚え、それから19歳の夏まではずっと、いろんな顔を捏造して生きてきました。ちょうど今の彼女と同じ歳です。これを変えるのは並大抵の努力では難しいと思います。19歳で「このままではまずい」と気づいた僕が、ある程度「これでいいのかも」と思えたのは、23か24の時です。22の夏にある人と出会い、23で先生になって、24で『9JC』を書く、というふうに、まとまっていきました。その後も25くらいまでは相当ふらふらしておりました。そこから地道にバランスを整えて、このたび29になってようやく、足場が固まってきたように感じております(それでもまだ途上です)。10年かけて鍛え上げてきた仮面は、外すのにも10年かかるということなのかもしれません。糖尿病みたいなもんですね。
 そういう前例が一つある、ということを知っていただいて、彼女には焦らず、ゆっくりと、生きていってほしいなと思います。気が遠くなるような時間ですが、それを実際に歩んできた人間がここにあるのです。どうか絶望せず、気を確かに。まあ仲良くやろう。

2013/12/06 金 役割分担


2013/12/05 木 やっぱりタイミング?

(削除)
 タイミング誤ったな。はー。ってだけの話だ。
「タイミング」って僕、「説得力」と同じくらい嫌いだよ。(2010/03/30 理屈と説得力/大人と子供 参照)
 怖がりすぎたってのもあるな。甘えていたのも。
 時は戻らない。先に立たない後悔は、後で役に立てよう。
 恐れずにキャラバンを。

2013/12/04 水 お人好しのあまちゃん

 僕はお人好しなので、疑う疑うと言いながら疑うことを知らなかった。「おめでたいね」なんて言われたこともあった。僕は君たちを信用していただけなのに、酷い言われようだと思ったけど、「信用」なんてものは手抜きでしかないと前に書いた。今はそう思っている。
 僕はもう誰も信用などしない。「この人はこんなことはしないだろう」「この人はこうしてくれるだろう」というのは「予想」でしかない。競馬と同じで、自信のあったレースに外れれば悔しい。それだけのことだ。予想の詰めが甘かったというのもあるけど、そもそもレースには色んな要因が作用するから、それらをすべてあらかじめ把握しておくことは不可能である。そういう諦めを前提として持っていなければ、競馬は冷静に楽しめない。僕にはそれがなかったし、馬券握りしめて叫ぶような気性でもなかったから、競馬に参加したことはない。麻雀も苦手である。僕は将棋の人だった。
 将棋に「予想」はない。あってもいいが、あてにはできない。将棋にあるのは「可能性」だけだ。「相手はこうするだろう」は博打の発想。「相手がこうするかもしれない」というあらゆる可能性をすべて洗い出し、そのすべてを検討するのが将棋である。
 しかし、本当にそんなことをしていたら時間がどれだけあっても足りない。だから「仮にこういうことをされたとしても、まあ不利になることはないだろう」というような手はすべていったん忘れて、されると困りそうな幾つかの手に絞って考えていく。
 ここに落とし穴があったというのは、最近気がついた。将棋の理屈の上では、「相手は、自分が不利になるような手を指さないようにする」という原則があり、将棋を指す人はそれをほとんど信じ切っている。だが指している相手は人間であって、失敗もすれば見落としもあり、気まぐれを起こすことだってある。癇癪を起こしてわざと悪い手を指すこともあるだろう。将棋という文化の原則に閉じこもって、「人間」としての原則を忘れてしまうのが、「できる人」のはまる陥穽だ。
 自分はコンピュータと指しているのではないし、そもそも人生は将棋とは違う。競馬でもあれば麻雀でもある。自分ごときの考える理屈が通用しない時だってあるのだ。わかってはいたが、まったくわかっていなかった。
 だから僕は「おめでたいね」なんて言われてしまうのである。いつまでも「子供の頃の正しいこと」に拘泥している僕は、無邪気にお人好しで、悪いやつでも疑わず、許してしまう悟空のような「あまちゃん」だった。ドラえもんのセリフを借りるなら、「もうすこし こすっからくてもいいがなあ」なのである。
 人間はもっと複雑だというのに。そして人間は、人間を越えたものの力で動かされることもたくさんあるのに。
 わかっていると思っていたのに、まったくわかっていなかった。

 だから、もっとギシンアンキに生きていこう、というのではまったくなくって、自分を越えた力をもっとちゃんと信じよう、という感じ。信用なんてもうしない。何かを信用するということは、他の何かを信用しないということだから。信じるんなら、みんな信じる。矛盾するものでさえ、すべてを信じる。なぜならば矛盾はあるのだ。矛盾すらも信じるということだ。
 疑うことと信じることは、本当に表裏一体。すべてを信じることは、同時にすべてを疑うことになる。その中で僕たちはどうやって体温を保っていったらいいのか? というのがやっぱり、何より巨大なテーマなのだ。
 だから信じるということは、常に祈りなのである。


 そしていつか夏のある日 太陽のあたる場所へ行こう
 子供のように手をつなぎ 虹の上を走るように
 この愛はメッセージ 僕にとって祈り 僕にとってさす光
 いつだって信じて! いつだって信じて!
(小沢健二『戦場のボーイズ・ライフ』)

2013/12/03 火 削除

2013/12/02 月 削除


2013/12/01 日 削除


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