少年Aの散歩/Entertainment zone
文など:ジャッキー

中高生向けの文章

 2011年11月3日、かつて勤めていた学校の文化祭に行ってきた。中学二年生だった子たちが、高校二年生になっていた。その中の一人が、「中高生向けに(サイトを)更新してくださいよ」と言ってきた。確かに、このサイトは普通の中高生が読むには少し難しすぎるかもしれない。
 彼らを教えていた時、僕は定期的に「説教プリント」を作っていた。中には16ページという大長編の冊子もあった。担当していたクラスに配っていたが、少し多めに刷っておいて、欲しがる子には渡していた。年度が替わって担当から外れても、プリントだけもらいにくるような子もいた。例の彼もその一人だ。
 彼は、決して僕ともの凄く仲がよかったということはない。自分の意見を、上手な言葉ではっきり言うようなタイプでもない。それどころか、それとまったく正反対かもしれない。非礼を承知ではっきり言えば、「あまりものを考えているようには見えない」子なのである。それでも、彼は僕のプリントを心待ちにしてくれていたし、卒業して二年が経った今でも「新しいのを読みたい」と言ってくれる。「あまりものを考えているようには見えない」子が、である。彼は「見えない」というだけで、「実はたくさんものを考えている」子なのかもしれないし、「その準備段階にある」子なのかもしれない。少なくとも、僕が何かを書いて、それを読むことによって、少なからず何かを得てくれるはずの子であるに違いない。そこまでわかっていて、何も書かないというわけにはいかない。
 もう一人、「あまりものを考えているようには見えない」子がいる。その子は僕に本当によくなついてくれていた。文化祭で偶然出会って、プリントの話になった時に、「今、持ってますよ」と言って、僕が昔作ったプリントをその場で出して見せてくれた。これほど嬉しいことはない。
「あまりものを考えているようには見えない」と言ってしまうと、本人たちは気分を悪くするかもしれないが、決して悪口でも、ばかにしているのでもない。「君たちには可能性がある」ということを言いたいのだし、「人からどう見えるかということだけが、その人の本質を表すのではない」とも言いたい。
 賢そうな奴らが、本当に賢いとも限らない。本当に賢いのは君たちかもしれない。君たちは、僕の文章に興味を示したというだけでも、本当にセンスがいいと思う。優れた感性を持っているはずだ。そのくらい言える自信がなければ、偉そうに先生なんかやって、プリントなんか刷れないよ。

 そういうわけで、「中高生向けの文章」を再び、書いてみたいと思う。僕の普段の日記を読んで「面白い」と思えるような人は、それを読んでくれたらいいし、よくわからない、という人は、とりあえずここから読んでほしい。

 とりあえず、当時書いたものをいくつか置いておこう。
 中二に向けて書いた文章は、中二の子にできるだけ理解しやすいように書いてある。また、学校で半ば公式に配るものだから、学校側や親への配慮も含まれている。ゆえに、必ずしも僕の本心や、信念がそのまま文章に反映されているというわけではない。「まあ……今のうちはこれだけわかっておけばいいかな」というレベルにとどめている。「これがわかったら、次はもっと大切なことに気づいてほしい」という想いをこめて。
 僕はむしろ、「この文章をいつか疑ってほしい」と思ってさえいた。「本当に正しいと僕が思うこと」を、さまざまな理由(僕の力量の問題も含む)で書くことができなかったからだ。その、「書かれていない本当に大切なもの」を考えながら、ぜひ読んでください。大人の方は、そのへんくみ取って、鼻で笑ったりしてくれませぬよう……。
「わー。こんな先生に教わりたかったなあ」と思ってくださる方がいれば、それ以上の喜びはありません。


<現役時代>
【長編】
 ●要領よくやれ!(2008年、中二に向けて。2009年6月改訂)

 ●辞世の句(2010年2月、退職に際して)


【短めの】
 ●作文の心得(2008年11月、中三に向けて)

 ●読書の時間について(2009年4月、中二に向けて)

 ●読書とマンガについて(2009年6月、中三に向けて)


 新しいのは、書けるときに書きます。少々お待ちを……。

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