少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2014/01/30 木 いっせーのせっ!

 かずよし
 ↑中村一義さんの1st~3rdアルバムまでの歌詞を文字起こししてるページ。一時期携帯にブックマークしてずっと読んでた。ところどころ書き間違いがあるけど、便利です。

 最近忙しいのと、いろいろ内的事情があって、なかなか日記を書けません。過去ログの復帰もしたいんですけど……。
 2月9日(手塚先生の命日)を過ぎたらちょっと余裕が出ると思います。

 何も考えてないから書けないのかといえば、そういうわけでもなく……しかし、考える方式が変わったのか、「文章」に直結しないんですよね。それを望んでいた節もあったんですが、実際にそうなると「あれ? 書けなくなった?」ってちょっと焦ります。

「かもしれない運転」ってのを僕は推奨しているです。なんか自動車の教習所とかで習うらしいんですけど、「歩行者はいないだろう」の「だろう運転」ではなくて、「歩行者がいるかもしれない」の「かもしれない運転」をしましょう、と。
 そうやって考えるようにすると、他人の文章の端々ごときから、その人の内面を解ろうなんてことは思えなくなります。「こうは書いてるけど、まあ……」って、常に保留をかけるような感じになります。「なんか事情があるのかもしれない」「もうちょっと深い考えがあるのかもしれない」などと。ただ、「なんか事情があるのだろう」とか「もうちょっと深い考えがあるのだろう」とは、思わないです。そこは冷たいです。せいぜい「かもしれない」程度なんで、あんまり尊重しないってことです。

2014/01/27 月 ゆるっとやろまい

 神戸屋に行った。どえりゃーうみゃー。
 この週末はどんと倒れていました。
 ゆるっとやろまい、と言いたいところ。
 がんばります。

2014/01/26 日 読解力

 わからない人がわからないことを言っている。自分なりの読解力で、人は読みたいように読む。だからフィクションはありがたい。どんどん、好きだった人を否定して成長して行けばいい。
2014/01/25 土 改悛の情が顕著である

 9歳か10歳くらいから引きずっていることについて、少しずつ答えを出していこうと思っています。
 小学校三年生の時に『山そう村の大事けん』という物語を書きました。それはうまく書けたと自分で思ったし、同級生も面白がってくれたし、何より書いている時がやたら楽しかったので、「書く」ということが好きになりました。もともと国語の教科書を読むのが得意で、よく先生に褒められていたというのもあります。
 このサイトの「はじめに」にも書いていますが、四年生の時に奥井亜紀さんの『Wind Climbing~風にあそばれて~』という曲と出会って、いてもたってもいられない状態になり、とりあえず原稿用紙に向かってみた、ということがありました。この頃にはたぶん岡田淳さんの『扉のむこうの物語』の影響があって、「物語を書く」ということに憧れていたんだと思います。
「書きたい」という気持ちだけがあって、何も書けない時期でした。心の中には密かに、「作家になりたい」というのはありました。同時に「自分は学校の先生になりたいのかもしれない」というのもありました。だんだん身の程がわかってくると、「商品カタログでもなんでもいいから文字を書いてお金にしたい」とか「結局学校の先生にでもなるのだろう」とかいうふうになっていきました。
 実際学校の先生にもなったし、いまは商品カタログならぬ学校カタログみたいなのを作ってお金をもらっています。ここまででほぼ、現実的なレベルでの未来予測は実現されました。そして3月には『9条ちゃん』が出版され、とりあえず小学四年生の僕はその意味でだいたい報われたことになります。
 しかしもう一つ、その頃からいままでずっと引きずっているものがあります。それは「僕が愛するものはこんなに美しいのに、僕はこんなにも美しくない」ということです。この感覚は、いまに至るまでほぼ変わりません。
 こういう悩みを抱えているからこそ、「正しさ」や「美しさ」や「善し悪し」についてやたらに考えてきたのだと思います。
 僕の人生は醜かったです。その中できらめく瞬間は幾つもありましたが、一方でどぶ川も流れていました。
 毎日のように死ぬことを考え続けてきましたがそれはおそらく醜さからの逃避です。美しく生きられないならいっそ、と。そういうふうに最後の切り札として「死ぬ」という選択肢を用意していたから、僕の行動にはたいてい責任感なるものが伴っていませんでした。それは実に美しくありませんでした。「死ぬ」が背中にあればこそ、「美しくなくてもいいだろう」があったのです。やけっぱちです。思春期によくある。
 齢29にして僕はやっと美しさに向き合うことを決心しつつあります。それは「生命を引き受ける」ということでもあります。ようやく面倒くさがらないで生きる気になったというようなことです。
 最近、「夜回り先生」の本を読んでいます。数年前に講演会のテープを仕事がらみで聴いて、それからずっと興味を持っていましたが、著書をまるまる読んだのは最近(というか今日)が初めてでした。
 夜回り先生こと水谷修先生(ここでは敬意と愛着を込めて「水谷」と書きます)の言っていること、やっていることは極端ではありますが、僕は心から尊敬します。肯定というより尊敬です。本を読みながら、「僕は水谷のように生きられないのだろうか?」と何度も自問自答し、悩んだすえ、「ともあれそのように生きたい」と思いました。
 水谷のように生きると言っても、夜回りをしようとか、できるだけ多くの子どもたちの側に常に寄り添っていようとか、自分の悩みには向き合わず他人のことだけを考えようとか、そういうことではありません。もうちょっと抽象的なところで、「水谷のように生きたい」と思ったのです。これを詳しく説明することは、いまはできません。
 これまで頭で考えてきたことを、ついに実践するべき時期がきたのだ、そのための勇気が湧いてきたのだ、という感じです。邪悪を糾弾しつつ、自らの邪悪には死を意識することによって逃げ腰になっていた、そういう卑怯な自分に、ようやく耐えられなくなってきました。もうちょっとで、「生きるほうが楽である」という境地に達せるかもしれません。
 ずっと長い間、自分は男吾(Moo.念平先生の『あまいぞ!男吾』の主人公)のようには生きられないと思っていました。その自信のなさはどこから来たのかといえば、たぶん「それでは僕の欲求は充足しない」です。「我慢したくない、その自信がない」です。そうです。「我慢」と思っているうちは、絶対に無理でしょう。しかし年を取って、それが「我慢」というのでなくなれば、男吾のように生きることはできます。ずっとそれを望んではいたのだから。
 いきなり人生の目標をマンガのキャラに設定するような気持ち悪い話になってしまいました。「○○のようになる/生きる」は危うい話で、そこに固執したら教義に従って生きる宗教者のようになるので、そこはちゃんと意識しつつ、かなり抽象的なところで「水谷のように」「男吾のように」と考えています。どのくらい抽象的かというと難しく、まだ説明はできません。
 気持ち悪い話を続けると、アニメ『宇宙船サジタリウス』のトッピーくらいの誠実さなら、僕は持てるかもしれないし、是非とも持ちたいと思っています。いずれ、死を意識することはなくなるでしょう。これまでの邪悪はすべて、今後を生きるための反省材料にします。
 ただ、心から邪悪を追い出すことは不可能かと思われます。『サジタリウス』にも、禁欲の修行を続けた男が十年目に失敗するというような話がありました。そうであってこそ「関係」という考え方が意味を持つのです。たぶん、邪悪を抑制したり調節したり、中和するものがあるとすれば「関係」だけです。
 サジタリウス号のクルーは何度も何度も邪悪に支配されかけますが、それを取り持つのはやはり「関係」でした。単純に「人情」と言ってもいいのかもしれませんが、ラナという人物は「コスモサービス」という大企業よりも、遊園地での係長の地位よりも、トッピーたちと一緒につくった貧乏零細企業「新宇宙便利舎」で働くことを選ぶのです。
 僕はそこに美しさを見ます。だから泣きます。泣いて濁った瞳を洗います。いつか泣くこともなく、ただ素直に「当たり前のこと」として笑顔で祝福できるようになれることを、僕はたぶんずっと望んでいます。
 当然、サジタリウス・クルーは「死にたい」なんてところに引きこもりません。生死に関する重要なことは第二話でもう言っているし、最初の「ベガ第三星編」および全体の物語のテーマは「生きるよろこび」(吟遊詩人シビップの歌う『愛が心にこだまする』の歌詞より)です。
 自殺が無責任だというのは、「死んだ後のことを考えない」という意味ではないような気がします。人は責任から逃げたいから死にたくなるのです。いろんな事情があるのだとは思いますが、自殺や自殺願望のかなり多くは、「責任からの逃避」であるような気がします。(責任というと意味が限定的になってしまいそうなので、「自分の背中にのしかかってくる重圧」といった意味だとしましょう。そういう言い方をしたら「そりゃそうだ」という感じではありますが。)
 苦痛が酷くて死にたいと思う人に「無責任」という言葉を投げるのは酷いと思いますが、原理的にはそうです。(たぶん「許される無責任」はあります。)
「仕事で失敗したから死にたい」の類なら、無責任と言って差し支えないでしょう。世の中はこういう「死にたい」に満ちているし、僕もそこに逃げ込みがちです。でも、そういう考え方が僕の人生にどぶ川を作っています。ゴミだらけのどぶ川です。もうちょっとマシな川にしたいものです。
 強さとは、責任に向き合おうとする力のことなのかもしれません。僕は気分が沈んだり、やりたくないことがあると長時間眠る癖があるのですが、まったく疑いの余地なく逃避です。これは僕の弱さでしょう。弱さは弱さとしてあって別に差し支えないものだとは思いますが、できるなら少しずつ鍛えていったほうがいいだろうなと思っています。
「生きるよろこび」「みんな誰かを愛してる」(『愛が心にこだまする』より)そういう当たり前のことを、あらためて噛みしめてみます。この世界にいる喜び。そうやって愛するものとの溝を埋め、堂々と「友達」と言い張れるようになりたいのです。

 ノンポリ天皇のブログ、更新しましたー。

2014/01/15 水 本を読む

 なぜ本を読むかといえば、人生や人間関係は有限だからだ。
 本当は本なんか読まないでも、人と触れ合うことですべてをわかっていけばいいのかもしれない。でも、人と触れ合うだけでは、間に合わないことや、わかりづらいことがある。だから本を読んで補填する。また、取り返しのつかない過ちの罠を、事前に知らせてくれるのも本である。
「知らないことを教えてくれ」と言うのではない。「ヒントがほしい」と思って読む。自分が生きていくためのヒント。考えるためのヒント。行動するためのヒント。人とともに生きるためのヒントを。それをくれるのは必ず他者である。言葉や漫画や、自然を含めた、自分の外部にあるものたちだ。
 無限に生きられるなら知ろうとする必要はない。幾つでも生きられるなら物語をきく必要はない。歴史を体験できるなら学ぶ必要はない。瞬時にわかるなら考える必要はない。一人で生きるなら他人と触れ合う必要はない。そうではないと思うから、そういった必要を感じる。
 ヒントは自然がくれる。本がくれる。他人がくれる。どんなところにもヒントはある。どこからヒントをもらうかは人によって得手不得手がある。バランスの取り方は難しい。
「本から学ぼうなどと思っては犬にされてしまう。本も読まないようでは豚になる。仲間たちもいろいろなことを教えてくれるだろう。」と、『二十面相の娘』という漫画にあった。たとえば本と仲間。どちらかに偏って、頼り切ってしまってはよくない。

 僕の生まれ育った環境には、充分に「人」がいたとはいえない。「自然」だって多くはなかった。だから僕は本を読んだのだと思う。
 文字が読めるようになってすぐ手塚治虫先生と藤子不二雄先生と岡田淳さんの本を読みあさり、そこから膨大なヒントをもらった。また、近所に散らばるささやかな自然をむさぼるように味わった。「人」はあんまりいなかった。
 それはたぶん偏っていたのだろう。だから僕は「人」のことをよくわかっていなかった。そのせいで特に「人」には迷惑をかけて生きてきた。「本」の中身は溶けにくい。しみわたるまで時間がかかる。
 僕はいまだに「人」の集合である社会や世間というものに疎い。それは幼い頃に「本」ばかりからヒントをもらい続けていたからだろう。
 それで僕は十代の終わり頃から飢えるように「人」を求めた。本も読んでいたが、明らかにその比率は変わっていった。僕は「人」を知りたかった。そうしたら今度はそちらに傾きすぎた気がする。しかも僕が知ろうとした「人」とはあまりにも「個人」でしかなかったのだ。
「個人」については、けっこうわかってきたような気がする。諦めのような書き方になってしまうが、「個人」について考えすぎてもあまり意味がない、と思う。人間の行動原理の中で、個人の内面というものにそれほど大きな比重はないのだ。大切なのは外的要因、と言う人もいるが、僕の好きな言葉でいえば「関係」である。当たり前のような結論だが。それは仏教でいえば「空」とかいうものかもしれない。
 僕はいま「個人」を知る必要をあまり感じていない。恋人にしたって友達にしたって、そいつがイイヤツかワルイヤツかというのは、正直に言ってわからない。考えても仕方がない。裏切りはどこにでも生まれる。「そいつはどういうやつなのか?」にはそれほど意味がなくて、「よい関係を保つためにどうしたらいいか?」を考えたほうがいい。それを考えるための材料として、「そいつはどういうやつなのか?」はある程度意味があるかもしれないが、それを固定してしまっては絶対にいけない。「こういうやつだから大丈夫」とか「こういうやつだから気をつけよう」をすると、「こういうやつ」がズレた時にその後の推論をすべて誤りにしてしまう。関係と同様に、個人の内面も流動的なのだ。

「個人」についてあまり考えないとすると、本を読むにしても読み方がぜんぜん違う。そういう目線でもって、いろんな本を読みかえしたり、新しく読んだりしてみる。かなーとか思ってる。
「人と会う」ってことは相変わらず続けていくけど、その感触みたいなものは、これから変わっていく予感。

2014/01/14 火 本でも読むか

 今年の3月27日に『たたかえっ!憲法9条ちゃん』が一般発売される見込みで、それに向けていろいろと販促キャンペーン的なことをやっていく予定です。(手伝ってくれる方、アイディア出してくれる方を随時募集中です。)
 あと二ヶ月くらいは、仕事の傍らそういうことをやっていこうかと思っております。なかなか気力が続かない人間なので、激励してくださると幸いです。(具体的には、木曜にでもおざ研に遊びにきてくださいな。)

 なんとなく、自分の「人」との関わりを振り返ってみます。
 小学校に上がる前は、人間関係といえばほぼすべて兄でした。三人の兄に、いじめられたり可愛がられたりして育ちました。
 小学校の四年生くらいまでは、決まった友達がいないまま、けっこう孤独に過ごしていました。いま思い返せば、遊んでて楽しかった相手として「まこ」ってのがおりましたが、ときおりよく遊ぶ時期があったという程度でした。基本的には家で本を読んだり、そのへんをふらふら歩いているうちに遊び相手を見つけるといったことが主でした。家まで呼びに来る友達というのはいませんでした。
「そのへんをふらふら歩いているうちに遊び相手を見つける」というのは、まさしく僕がときおり言っている「原っぱ」や「空き地」というやつで、町内を歩いていて知った顔があれば「入れて」と言ったり、「入る?」を待ったりするわけです。知らない人でも、時にはいつの間にか一緒に遊んだりしていました。これが僕の「場」についての考えの原点(本当に、原点中の原点)です。
 四年生の夏休みくらいから、もともとそこそこ仲の良かった「ゆうじ」というやつとみっちり一緒にいるようになりました。毎日のように家に呼びに来て、くだらないことをして遊んだもんです。五、六年生は、ゆうじに加え、ちょっと意識の高いやつらと遊ぶようになったりしました。ここまでは「クラス」という限られた範囲です。塾とか習い事はしていなかったので、校外の友達というのはほぼいませんでした。「かわかみ」っていう中学生とたま~に遊んだりしてたけど。

 中学に上がって、初めて「クラスをこえたごった煮の関係」を体験します。中学は8クラスあったのですが、1クラスに3~5人くらい、悪いやつとかちょっと悪いやつとか悪ぶったやつとか悪ぶりたいやつとかがいて、そいつらが徒党を組んで、外で遊んだりしていたのです。僕はほぼ夏休み限定みたいな形で、中一、中二と彼らと行動をともにしていました。とても刺激的でした。
 小学生の時みたいに「入れて」とか「一緒に遊ぶ?」といったやり取りはもうなくて、顔を合わせれば「おう」くらいのことを言って、そのまんまなんとなく一緒にいました。彼らが溜まる場所は、たとえば「宮グラ」と呼ばれるグラウンドだったり、「六中(ろくちゅう、「六棟の中央」の略)」といった暗号で呼ばれる団地の一角だったり、名鉄上飯田駅の地下にあるゲームセンターだったり、「ゲーム戦隊」というゲーム屋だったり、だいたい決まっていたので、そのあたりを巡回していればたいてい誰かと合流できるようになっていました。
 そのメンバーはたぶん全部で30人から40人くらいはいたかと思います。といって名簿があるわけでもなく、顔を知っていて互いに敵意がなければ「仲間」とされて一緒に行動するので、実際はもっとずっと多かったと思うし、たえず増減していたかと思います。そいつらが数人ずつの単位になってあちこちで歩き回っているわけです。その班のようなものはきわめて流動的で、2日続けてまったく同じメンバーだけでいるということはまずありませんでした。それが時には十数人に膨れあがったりして、そうなるとちょっとしたお祭り状態で、「今日は帰らないでオールしようぜ」みたいなノリになったりしました。
 当時は誰もケータイなんて持っていなかったので、「なんとなく集まって遊ぶ」ための仕組みが出来上がっていました。「約束しなくても毎日会えた(川本真琴『ひまわり』)」の世界です。「誰と遊ぶ」という確たる約束がないからこそ、メンバーの流動性が保たれやすくなって、柔軟に遊ぶことができました。
 先に挙げたような集合場所の存在は、その流動性を保つための仕組みの一部です。特に「六中」というのは面白くて、ただの団地のエレベーターホールなのです。(そこに粋がった中学生たちが溜まっているわけだから、怖がる住民もいたと思いますが、その団地では普通の光景でした。)「六中」の存在は僕に、「どんな場所でも特別な場になりうる」ということを教えてくれたように思います。誰が来ても「おう」の一言で合流することのできる六中は、まさに今の僕が理想としているような「場」でした。
 真夏の暑い中でも、六中にはよく風が通って、もちろん日光も防げたので、床のタイルはひんやりと冷たく、とても涼しかったです。彼らがあそこをたまり場に選んだ理由は、暑さをしのぐためが主だったでしょう。特に「六棟」が好まれたのは風通しとアクセスの良さ。必然性のかたまりのような場所だったのです。
 中二の夏休みが明けると、彼らとの濃密な関係はほとんどなくなり、もうちょっと一般的な、万引きとかしない感じの友達が増えます。その代表的な一人が「たかゆき」という人間で、彼とは今でも仲良しです。ここから卒業までは、あまり流動性の高い人間関係は持たなくなりました。

 高校に上がると、もはや説明の必要もない(「はじめに」参照)「ドラチャ」というチャットに参加したり、高校演劇のコミュニティに入っていったりして、「ごちゃごちゃ」な関係が一気に増えました。が、ドラチャは一年生の冬にはもう崩壊していたし、演劇は大会などのイベントがなければ「場」としてはあんまり機能しませんでした。
 高校二年生の僕は「場」を失っていて、「個人」として行動するようになります。このHPはぎりぎり「場」のような雰囲気も持っていましたが、そこにいる「僕」はどう見てもただの個人でした。それで僕は個人としていろんな人と仲良くなりました。
 高二から高三にかけては、僕は「個人」だったなー、と思います。「場」を一つも持っていない、根無し草のような存在でした。それは魅力的でもあったと思いますが、吹けば飛ぶような魅力です。
 高校三年生のときは個人すぎて、クラスに仲の良い友達が一人もいませんでした。(途中から一人、クラスの輪から抜けて僕のところへ来たやつがいたのですが、秋には不登校になりました。)僕は受験勉強をしていたし、ネットもやっていたし、学校の外の人間関係が豊かだったので、クラスではだいたい静かにしていました。休み時間はひたすらお弁当を食べて、昼休みをまるまる暇にして、図書館に行っていました。そこは僕にとって愛する場所でしたが、しかしまだ僕は個人でしかなかったので、(そして図書館とはコミュニケーションの場ではないので、)そこが原っぱとしての「場」になるようなことはありませんでした。
 ただ、思えばあの頃は学校全体が居心地のいい空間でした。歩き回っていればいくらでも友達がいるので、会う人会う人に挨拶をしたり、冗談を言ったり、戯れたりして、歩いているだけで幸福でした。僕のことを嫌いな人も多かったけど、好きな人はそれ以上に多かった、と思います。いろいろ反省することは多いけど、僕にとっては本当に素晴らしい時間でした。しかし僕はやはり根無し草で、学校中をふんわりと泳ぎながら、いろんな人に手を振っている回遊魚のようなものでした。それは僕があまりにも「個人」でしかなかったからだと思います。(この「個人」とかいう言葉がここで意味するところについては、あまり上手く説明することができません。)

 大学に入っても、「個人」であることは続きました。「ジャッキー」という異質な存在として学校にいて、所属のないままいろんな人と仲良くなって、西原というやつを通じて「うおのめ文学賞」の人たちにも混じって、楽しかったのは楽しかったです。しかし、ファミレスでバイトをしても溶け込むこともなくすぐにやめるし、どうしても僕は「所属」ということが苦手でした。個人として個人と仲良くなるということばっかりをしていました。

 それで結局、ネットに戻ります。大学三年生の時にようやく木曜喫茶的な場所に行くわけですが、それはmixiで知り合った人に連れられてでした。2005~7年頃のmixiはそれなりに面白くて、「ニートさん」や「皿屋敷さん」と出会ったのもこの頃のmixiです。並行して2ちゃんねる(VIPとか)もよく見ていました。
 自分はネットや木曜喫茶のような流動性の高い場所でなければやっていけないのだと悟ったのか、ぐいぐいとそっちのほうへのめり込んでいきました。それで今に至るまで、その二つは続けています。

 2007年にちょっとした転機があって、2008年から先生になって、無銘喫茶の木曜日も代替わり(僕がやるようになった)して、2009年になったくらいでちょっとした嫌な人間関係の転換があって、このあたりで僕はまた「個人」のほうへ寄った気がします。
 言ってしまえば、なんか何も信じられなくなったのです。
 2007年から自分の半生を振り返りながら自らを統合していく作業を始めて、2009年2月~5月の『たたかえっ!憲法9条ちゃん』初版制作をもってひとまずは完成しました。ここでやっと「自分」というものに納得がいったように思います。それを軸として「正しさ」なる理想を組み立て、さらに自らの思想のようなものを固めていく一方で、諦めも膨らんでいきました。
 2009年の春から2013年の秋まで、完全に僕は迷っていました。迷走です。僕はこの四年半、やはり「個人」として生きていたのです。それがようやっと、解放されたように思います。
 諦めというか絶望というか、そういうものが心も頭も支配していて、「そうじゃないはずなんだ」といろいろ考えながら、でもどこまでも「個人」としてしか生きていられなかった時代が、この四年半でした。どこかで「まあいいや」がありました。「死ねばいいし」といったレベルの。その甘えを、ここで完全に断ち切りたいと思います。

 もう僕は「個人」であることをやめます。それは自分が「自由」でいることを受け入れ、「平等」であることを求めないことだと今は思います。
「自由」が「みんなが自由」という状況にあってこそ成立するものなら、「自分が自由でいることを受け入れる」ということは、「みんなが自由でいることを受け入れる」ということとなります。「私欲」が暴走すれば、それを妨げてしまいます。そこで、必要なのは自律です。欲望や欲求の管理と仕分けであり、あるいは「まあいいや」の是非を常に検討する態度です。自律した自由な人は、「私」という意味での「個人」ではいられません。
「平等」とは今、他人の状況と自分の状況とを引き比べて、その差分を計算することに拠っています。その計算結果と、欲望や欲求とは完全に分けて考えなければ、「私にも与えよ」とか「彼からも奪え」という気分が出てきます。他人と自分とを、比べるために分けることから、「個人」は生まれるような気がします。
 個人と個人がぶつかると必ず面白いことが起きるので、それによってわかったこと、知ったことは膨大ですが、よくないこともいろいろあります。それで僕はしばらく本でも読もうかと思っています。

2014/01/13 月 いいさ落ち込んで誰かを傷つけたいなら

 こちらから目白通りに出られます
(ガスト谷原店駐車場に貼られたノンポリ川柳)
2014/01/04 土 関係厨としての意見

 そしてもちろん、「個が全体を圧殺する」も「悪」である。なぜかと言えば、「全体」が「答」を握っていないのと同じように、「個」もまた「答」を握っていないからである。「答」とは、「自分と他人で作り上げるもの」である以上、「他人の領分」を侵してまで、「個」が「答を握る」をしていいはずがないからである。だからこそ、「自分のありよう」や「自分たちのありよう」を決める時、その「自分」や「自分たち」は、「自分」や「自分たち」とは関係ないところにいるはずの「他人」との関係を想定して、「調和的」であるように決めなければならない。
「なぜか」は言うまでもない。「答」とはすべて、「自分と他人とで作り上げるもの」だからである。だからこそ人間の思考は、「自分→他人→自分」と回る、メビウスの輪的グルグル状況を、当然とするのである。
 いま私たちの考えるべきことは、「必要に応じて“私たち”を成り立たせられるだけの思考力と、思考の柔軟性をつけること」――このことに尽きるだろうと、私は思う。
(橋本治『いま私たちが考えるべきこと』新潮文庫)

 この本を読み返した。引用したのは結論だけど、この結論を導き出すために250ページ近くの前段があり、そのすべてがこの結論を理解するために必要なものなので、結論だけを引用したところで仕方がないんだけど、そういう結論だけを読んで「前段を読んでみようかな」と思う人もいるかもしれないので載せてみた。

 自分と他人、っていうのは、それほど単純なものではないんだよと、言ってあげたい。誰にかというと、「自分と他人との狭間で苦しんでいる人たち」に。
 僕の考え方の内では、自分と他人とのあいだに「狭間」と呼べるような間隙はない。自分と他人の間には「関係」という名の「かかわり(関わり・係わり)」だけがあって、空間としての隙間はない。あるとしたら「距離」という言葉で表されるような、数直線的な幅だけがある。そしてその幅はもちろん「関係」という言葉の中に含まれているから、結局はこの「関係」というものを考えれば良い、と思っている。(こういう考え方をする僕のような人間をネットスラングっぽく表現すると「関係厨」である。)
「自分と他人との狭間で苦しんでいる人たち」は、「自分と他人との狭間」に「自分」をもう一人置いて、挟まれて(挟ませて)、苦しんでいる。どうしてそこで「自分」を二つに分裂させてしまうのだろう。

「自分を中心に考えたらいいのか? 他人を中心に考えたらいいのか? どっちもバランスよく考えたほうがいいんだろうけど、それって難しくないか?」という苦しみ方をしてる人はとても多いと思うんだけど、なんとなくここには「当事者意識」がないような気がする。「自分」という人形と「他人」という人形を両手に持って、どちらをより愛するべきかと悩んでいるような。「自分」というのはすなわち自分なのに、どうしてここで「人形を持っている自分」と「人形になって持たれている自分」の二つを用意してしまうのか。この二人の「自分」は言い換えると「愛する自分」と「愛される自分」である。こういう状態にある人のことを「自己愛の強い人」とか言うのかもしれない。
 二人の自分のうち、どっちがこの件の当事者なのかというと、どっちかといえば「人形になって持たれている自分」のほうだと思う。もう一つの人形である「他人」と対峙しているのは、こっちのほうの「自分」だから。でも、当人の意識はほとんど常に「人形を持っている自分」のほうにある。これを僕は「当事者意識のなさ」とか言いたい。
 自分と他人との関係を考えるには確かに「客観性」が大切だけど、この「当事者意識のなさ」をそのまま「客観性」と呼んでいいのかどうかは疑問である。客観性というのはたぶん「当事者でありながら、第三者としての視点でもものを見る」みたいなことであって、「傍観者としての視点を中心に据える」といったことではない。
 人形を持ちたがるのは、「どちらも自分で操りたい」からだ。自分が考えていることも、他人が考えていることも、自分で操作したい。それが無理なら、せめて把握していたい。「自分」にせよ「他人」にせよ、それが「未知」であることが怖い。「わからない」という不安に勝てない。だから人形を持つ自分が、すべてを掌握していたいと思う。
 人形を持っている人は「その人形はどういう人形か」「人形はどんな気持ちでいるか」ばかりを考えて、「人形同士の関係」を考えることができない。「関係」というのは「相手」がいて初めて成り立つものだが、人形を持つ人の目には二体の人形しか見えておらず、当然「相手」と言えるような存在がいない。「相手」がいないのだから「関係(かかわり)」を持つことができない。
「関係」というのは、他人を「相手」として想定することによって初めてできる。「相手」というものを存在させるためには、その他人と「向き合う」ことが必要である。その時に大切なのは「相手はどういう人か」ではない。「相手がどう思うか・思っているか」ではない。関係厨としての意見からすると、考えるべきはもちろん「相手とのかかわり」についてのことである。
 どうしたらそれを考えることができるんだ、と問われたら、いまの僕はとりあえずこういうふうにしか答えられないと思う。「人と接する時は、はじめはできるだけ遠めに距離をとって、相手の態度を見ながら少しずつ遠近を調整していくように心がけるといいと思うよ。」「相手の気持ちや性格について考えるよりも、相手が言っていることとか、していることそのものに注意するようにして、あまり言葉のウラを考えすぎないほうがいいと思うよ。」など……。一つ目は「他人との関係の在り方をあまり早くに決めつけないこと」、二つ目は「他人の内面を決めつけないこと」とでもいえるか。関係厨の視点からすると、その人がどういう人だとか、どういうことを思っているとかいうのは、とりあえずあんまり考える必要がない。

「良好な関係を築いていたはずの人が実は悪人で、騙されたり裏切られたりした」といった事態はかなり恐ろしいが、他人の内面を考え続けていればこういう事態が防ぎやすくなるのかというと、ちょっとわからない。肝心なのは「良好な関係」に見えるような状況に甘えないことだ。
 また、「関係だけを見ていると、相手が我慢して(無理して)良好な関係を維持させてくれているような状況に気づけないのではないか」という疑問もある。これは確かにそうかもしれない。僕は未熟なのでそういうことがけっこうあるだろう。世の中に関係厨しかいないのであればたぶんうまくいくのだが、そうではないのでこういう事態は起こる。それはもう、「当事者でありながら、第三者としての視点でもものを見る」という意味での「客観性」に頼るほかないのかなと、暫定的に考えている。

 と、いまここに書いたことはいま思いついたことなのでこれからじっくり考えていきます。ただ、一生懸命考えたことだし、ずっと考えていたことをまとめただけのようなところもあるので、「全部まちがっていた!」みたいなことには、たぶんならないと思います。ともあれもうちょっと考えます。

2014/01/04 土 関係厨としての意見

 そしてもちろん、「個が全体を圧殺する」も「悪」である。なぜかと言えば、「全体」が「答」を握っていないのと同じように、「個」もまた「答」を握っていないからである。「答」とは、「自分と他人で作り上げるもの」である以上、「他人の領分」を侵してまで、「個」が「答を握る」をしていいはずがないからである。だからこそ、「自分のありよう」や「自分たちのありよう」を決める時、その「自分」や「自分たち」は、「自分」や「自分たち」とは関係ないところにいるはずの「他人」との関係を想定して、「調和的」であるように決めなければならない。
「なぜか」は言うまでもない。「答」とはすべて、「自分と他人とで作り上げるもの」だからである。だからこそ人間の思考は、「自分→他人→自分」と回る、メビウスの輪的グルグル状況を、当然とするのである。
 いま私たちの考えるべきことは、「必要に応じて“私たち”を成り立たせられるだけの思考力と、思考の柔軟性をつけること」――このことに尽きるだろうと、私は思う。
(橋本治『いま私たちが考えるべきこと』新潮文庫)

 この本を読み返した。引用したのは結論だけど、この結論を導き出すために250ページ近くの前段があり、そのすべてがこの結論を理解するために必要なものなので、結論だけを引用したところで仕方がないんだけど、そういう結論だけを読んで「前段を読んでみようかな」と思う人もいるかもしれないので載せてみた。

 自分と他人、っていうのは、それほど単純なものではないんだよと、言ってあげたい。誰にかというと、「自分と他人との狭間で苦しんでいる人たち」に。
 僕の考え方の内では、自分と他人とのあいだに「狭間」と呼べるような間隙はない。自分と他人の間には「関係」という名の「かかわり(関わり・係わり)」だけがあって、空間としての隙間はない。あるとしたら「距離」という言葉で表されるような、数直線的な幅だけがある。そしてその幅はもちろん「関係」という言葉の中に含まれているから、結局はこの「関係」というものを考えれば良い、と思っている。(こういう考え方をする僕のような人間をネットスラングっぽく表現すると「関係厨」である。)
「自分と他人との狭間で苦しんでいる人たち」は、「自分と他人との狭間」に「自分」をもう一人置いて、挟まれて(挟ませて)苦しんでいる。どうしてそこで「自分」を二つに分裂させてしまうのだろう。

「自分を中心に考えたらいいのか? 他人を中心に考えたらいいのか? どっちもバランスよく考えたほうがいいんだろうけど、それって難しくないか?」という苦しみ方をしてる人はとても多いと思うんだけど、なんとなくここには「当事者意識」がないような気がする。「自分」という人形と「他人」という人形を両手に持って、どちらをより愛するべきかと悩んでいるような。「自分」というのはすなわち自分なのに、どうしてここで「人形を持っている自分」と「人形になって持たれている自分」の二つを用意してしまうのか。この二人の「自分」は言い換えると「愛する自分」と「愛される自分」である。こういう状態にある人のことを「自己愛の強い人」とか言うのかもしれない。
 二人の自分のうち、どっちがこの件の当事者なのかというと、どっちかといえば「人形になって持たれている自分」のほうだと思う。もう一つの人形である「他人」と対峙しているのは、こっちのほうの「自分」だから。でも、当人の意識はほとんど常に「人形を持っている自分」のほうにある。これを僕は「当事者意識のなさ」とか言いたい。
 自分と他人との関係を考えるには確かに「客観性」が大切だけど、この「当事者意識のなさ」をそのまま「客観性」と呼んでいいのかどうかは疑問である。客観性というのはたぶん「当事者でありながら、第三者としての視点でもものを見る」みたいなことであって、「傍観者としての視点を中心に据える」といったことではない。
 人形を持ちたがるのは、「どちらも自分で操りたい」からだ。自分が考えていることも、他人が考えていることも、自分で操作したい。それが無理なら、せめて把握していたい。「自分」にせよ「他人」にせよ、それが「未知」であることが怖い。「わからない」という不安に勝てない。だから人形を持つ自分が、すべてを掌握していたいと思う。
 人形を持っている人は「その人形はどういう人形か」「人形はどんな気持ちでいるか」ばかりを考えて、「人形同士の関係」を考えることができない。「関係」というのは「相手」がいて初めて成り立つものだが、人形を持つ人の目には二体の人形しか見えておらず、当然「相手」と言えるような存在がいない。「相手」がいないのだから「関係(かかわり)」を持つことができない。
「関係」というのは、他人を「相手」として想定することによって初めてできる。「相手」というものを存在させるためには、その他人と「向き合う」ことが必要である。その時に大切なのは「相手はどういう人か」ではない。「相手がどう思うか・思っているか」ではない。関係厨としての意見からすると、考えるべきはもちろん「相手とのかかわり」についてのことである。
 どうしたらそれを考えることができるんだ、と問われたら、いまの僕はとりあえずこういうふうにしか答えられないと思う。「人と接する時は、はじめはできるだけ遠めに距離をとって、相手の態度を見ながら少しずつ遠近を調整していくように心がけるといいと思うよ。」「相手の気持ちや性格について考えるよりも、相手が言っていることとか、していることそのものに注意するようにして、あまり言葉のウラを考えすぎないほうがいいと思うよ。」など……。一つ目は「他人との関係の在り方をあまり早くに決めつけないこと」、二つ目は「他人の内面を決めつけないこと」とでもいえるか。関係厨の視点からすると、その人がどういう人だとか、どういうことを思っているとかいうのは、とりあえずあんまり考える必要がない。

「良好な関係を築いていたはずの人が実は悪人で、騙されたり裏切られたりした」といった事態はかなり恐ろしいが、他人の内面を考え続けていればこういう事態が防ぎやすくなるのかというと、ちょっとわからない。肝心なのは「良好な関係」に見えるような状況に甘えないことだ。
 また、「関係だけを見ていると、相手が我慢して(無理して)良好な関係を維持させてくれているような状況に気づけないのではないか」という疑問もある。これは確かにそうかもしれない。僕は未熟なのでそういうことがけっこうあるだろう。世の中に関係厨しかいないのであればたぶんうまくいくのだが、そうではないのでこういう事態は起こる。それはもう、「当事者でありながら、第三者としての視点でもものを見る」という意味での「客観性」に頼るほかないのかなと、暫定的に考えている。

 と、いまここに書いたことはいま思いついたことなのでこれからじっくり考えていきます。ただ、一生懸命考えたことだし、ずっと考えていたことをまとめただけのようなところもあるので、「全部まちがっていた!」みたいなことには、たぶんならないと思います。ともあれもうちょっと考えます。

2014/01/03 金 103すんたか

 高校の、103(1年3組)の一部の人たち(7人)による集まりに行ってきました。奥さんふたり、子供ふたりも参加し、最大11人の会になりました。
 2000年の4月に出会っているわけだからもうすぐ14年。長いものですね。それぞれ家族ができたりもして。
 大した話をするわけでもないけど、「何かが持続していて、それでもその持続を妨げない何かは変化していたりする」ことを確かめる機会がこうして定期的にあるというのはありがたいことです。
 ナイナイの岡村さんが毎年正月に、高校のサッカー部の人たちや地元の友達と集まる機会を必ず設けているのは、たぶん同じように何かを確かめるためなのだろうと思います。
 夜は、知り合って12年半くらいになるすんたんと会った。4日の日中には16年の付き合いになるたかゆきくんと会った。(先取りをするようだけどこれを書いているのは4日なのです。)
 名古屋にきても、いつもほとんど時間がとれないので、だいたいこれらの人たちに会うだけで終わってしまう。ほかにも会いたい人はたくさんいるんだけど、なかなか難しい。

2014/01/02 木 恋愛などない、簡潔編

「恋愛などない」って言い方をするからわかりにくいんだろうなー。
「ないはずのものを、あると思うのが恋愛」ということです。そういう意味でなら恋愛は、あります。

「自分の外側にあるものを、自分の内側にあると思い込む」というのが、問題の根幹です。

 恋愛の相手は自分の外側にあるものなわけですが、それを自分の内側に投影させて、自分勝手な妄想でその像を歪曲させてしまうのが、恋愛というものです。
「あの人はこう思っているのだろう」とか「あの人はこういう人なんだ」とか、「あの人はわたしにこういう態度をとるべきだ」とか。他人であって、外側にあるものだということを忘れて、他人のことを自分の内側で処理しようとしてしまうのです。「あの人」が「あなた」に変わっても、同じです。
 外側にあるものなのに、内側にあると思ってしまう。そして外側にある「本来のその人」には目もくれず、自分の内側にある「虚像のその人」ばかりを見つめる。本当はそこには何もないのに。
 恋愛っていうのは、いつもこういうものとしてあります。こういう意味の上ではもちろん恋愛は「ある」わけです。
 でも、一般的に恋愛ってのは、ちょっと違ったふうに思われてますよね。なんかよくわからないけど、無条件に尊くて、素晴らしいというような。そういう一般的なイメージで語られるような恋愛ってのは、「ない」ということです。恋愛なんてものは、上に書いたような形でのみ、存在します。
(そういうふうに僕が「恋愛」という語を勝手に定義し直したというだけなので、「恋愛などない」というセンセーショナルな言い方は、かなりずるいわけです。)

 僕は、虚像を愛したり憎んだりするだけの恋愛や恋愛感情は好きじゃないし、必要じゃないと思っています。「いいな」と思ったら、仲良くなってみて、「これだ」と思えば付き合えばいい。ちゅーもしてせっくすもして気持ちよくなればいい。単に、それでいいと思います。
「好きだ!」っていう感情は、もちろんあるし、あっていいし、僕にもあります。ただそれを、自分の内側で消費してはいかんのです。あくまでも相手は外側にいるのだということを忘れず、「好きだ!」という感情は、お互いの関係を素敵なものにし、それを保つということのために存在するのだと心得るといいような気がします。仲良くするために、「好きだ!」はけっこう必要です。でもそれは「仲良くするための必然性を高めるもの」とでも思ったほうが、たぶんいいんです。
「好きだと思う→仲良くなる→仲良いのって楽しいなあ→楽しく過ごせるから好きだなあ→そもそも好きだと思ったのは仲良くなれる予感があったからなんだろうなあ」みたいなふうに、僕はわりと考えてます。

 ところで僕は、「男女が好んで付き合う」というだけの意味でも、恋愛という語を使います。これがまた、わかりにくいところで、すみません。
 そういう意味でならもちろん恋愛はあります。

2014/01/01-2 水 一生の計はディスコミにあり

 新年を迎えて最初に読む漫画はなんにしようかな? と思って手に取ったのが植芝理一先生の『ディスコミュニケーション』だった。久々に一巻を読んでびっくりした。「ここに何もかもすでに書いてあるじゃないか!」とぶっ飛んだ。なんて素晴らしい作品なのかと感動しながら。
 もしかしたら近いうちに、「ディスコミから考える恋愛」みたいな話を、書くかもしれない。
 とりあえず今回は、思わず泣いてしまった第3~4話の『心臓の鼓動』から、少し引用するにとどめよう。

(松笛)
 人間はね――
 みんな電波みたいなものを持ってるわけね――
 その電波はスピードも振動数も波長もひとりひとり違うわけね―― 本当は僕たちという存在自体が――
 ――振動とそのずれの間にあらわれるゆらぎの矢みたいなものなんだけど――
 好きになるってのは互いにまったく違った電波が受信されて共振するってわけね
 初めて僕の中に戸川の「好き」っていう電波が飛び込んで来た時 僕は本当にびっくりしたわけね
 それがね――非常に特殊な形態をもった電波だったわけね
 僕が今まで見たことのないスピードや波長だったわけよ
 これならもしかしたら“向こう側”への壁を破れるかもしれないって そう思ったわけね
《略》
 戸川といっしょにいると
 いろんなヴィジョンが見えるんだよ
《略》
 光の向こう側?
 それを知るためにおれたちはこうやってふたりでいるんじゃないか
《略》
(戸川)
 松笛くんがなにを見たのかはわたしにはわかりません
 それは わたしは結局の所わたしであって決して わたしは松笛くんではないからなのです(当たり前だけど)
 もしかしたらわたしたちが誰かを好きになるという秘密はそこらへんに隠されているのではないだろうかなんて 考えたりしたのでした

 このあたりの言葉は、最近の僕の考えや気持ちにとても近い。(正直、前半の電波うんぬんの部分はよくわからないけど。)
 僕にもいろんなヴィジョンが見えていて、でもそれはおそらく誰かと同じヴィジョンではない。同じヴィジョンを共有することが美しいような気がするけど、同じ画面でそれを見ることは絶対にできない。同じだと確信することは不可能なのだ、という前提からしか、結局二人で歩いていくことなどできないのだろう。
 戸川のいう「光の向こう側」と、松笛のいう「向こう側(への壁)」というのは、同じなのか。違うのか。そんなことは問題ではないのか。よくわからない。
 ひとまず僕が思うのは、「破るべき、壁のような光」はあるのかもしれないということ。いったい、その向こう側には何があるのか?
 光を見るだけなら、ひょっとしたら誰にだってできるのかもしれない。でも松笛が言うには、それを破り、その先を見ることができるかどうかというのは、二人にかかっているらしい。だから、松笛と戸川はそのために二人でいる。
「そんなことのすべて 僕らが見た光」って、小沢健二さんが『恋しくて』という曲で歌っていた。あれは別れの歌のようだ。むりやりくっつけると、この曲の二人には向こう側を見ることができなかったのかもしれない。

 上に引用したところを注意深く読むと、どうやら植芝先生は、「二人が一つになる」ということをあんまりいいことだと思っていないのかなと思える。第15~16話あたりを読むと、それをほぼ確信できる。「一つになる」というのは、恋愛において適切なことではない、と言っているようにさえ僕には思える。
 たぶん、二人が一つにはならず、「二人」のままでいるべき理由とは、それぞれのヴィジョンの中にある光を破るためなのだ。そしてその光とは、たとえば「自分自身の心の中にある光」みたいなものなのかもしれない。
 初期の戸川は、このようなことをくり返して言う。「わたしは松笛くんの謎をとく義務があるんだから!!」それはもともと投稿作であり、読み切りとして書かれた第一話のラストにも出てくる。

(戸川)
 あのね松笛くん
 私は松笛くんの謎を解くまでずーーっと松笛くんの注文を受けていくからね
 どういうわけか私は松笛くんが好きになっちゃったんだからさ
 松笛くんの謎を解くことは私自身の謎を解くことでもあるの
 私はね そう思うのよ

 そうなの 松笛くんって本当に変わってるのよ
 何考えてるのかよくわからないしさ 変な行動も多いしさ
 でも私が松笛くんを好きだってことは確実なのよね
 どんな女の子や男の子にも その謎を解かなきゃいけない男の子や女の子がひとりは必ずいると思うの
 だから私が松笛くんを好きになったってことは――
 ――私が松笛くんの謎を解かなきゃいけない人間だということなのよ
 私はなんとなくそう思うのよね

「謎を解く」というのは、「理解する」ということではあるだろう。しかしそれは、戸川が松笛のことを一方的に理解するのだというよりも、松笛が松笛自身のことを理解する、ということのほうが大切な気がする。同時にそれは、戸川が戸川自身のことを理解するということにもなる。
 おそらく、相手のことを理解するということはできないのだ。相手のヴィジョンを見ることは不可能である。だから、「相手に相手のことを理解させあう」という形でしか、「謎を解く」ということはできないのだろう。「光の向こう側」へと、お互いを導いていくということ。
 恋人同士が二人でいることというのは、「相手のことを知り、理解する」ことに始まって、「自分のことを知り、理解する」ということに終わるのではないだろうか。お互いのことをわかり合うという作業は、「自分が相手のことを知るため」ではない。きっとそれは手段でしかなくて、本当は「相手が相手のことを知るため」や「自分が自分のことを知るため」に行うのだ。
 たとえばこう。自分のことを知りたいという相手が目の前にいたら、自分のことを知らせるための何らかの作業が必要である。その作業のうちに、自分も自分のことがわかってくるのだ、とか。本当はたぶん、もっとずっと果てしなく複雑な事情がたくさん絡み合って、「謎を解く」と表現するにふさわしいような、特別なわかり方に結実するのだろう。
 旧版のディスコミ最終巻(13巻)の最後には、松笛が涙を流せるようになる、というエピソードが載っている。これはたぶん、松笛が松笛自身を理解するための大切な一歩だったんじゃないだろうか、と思う。「向こう側」への確かな一歩。松笛も戸川も、そういうふうに一歩一歩を踏みしめていって、きっと最後にはお互いの謎を解く……「解いてあげる」のだろう。

 心の中にある光は、混沌として未分化。謎そのもの。それを破ると、何があるのか? 虹を架けるような誰かが僕を待つのか? すべての時間が魔法みたいに見えるか? 願いは放たれるのか?(このあたりについては小沢健二さんの『ある光』という曲と、「無色の混沌」と題されたエッセイを参照。)
 なかよくしていくうちに、「わかっていく」ことは無数にある。そうやってずっと生きていけるなら、ひょっとしたらいつか「向こう側」だって見えるのかもしれない。
 自分というのは謎そのもの。それを解くカギになる人は、きっとどこかにいて、どこにでもいるものではない。「好きになる」というのは、「この人の謎を、わたしなら解いてあげられる」でもあるだろうし、「この人なら、わたしの謎を解いてくれる」でもあるだろう。そうだとしたら、『ディスコミ』のいう「好きになる」というのが単なる「恋心」(戸川がコウサカくんに抱いていたような)とはちょっと違うというふうに思えてくる。僕らが好き合ったのはたぶん、「この人はお互いにとってのカギである」と直観した、ということにちがいない。
 とかいうきざなこともたまに書いていきますよ。

 もちろん現実的には、たった一人の人間「だけ」が謎を解くための要因のすべてになるわけではなくって、もっといろんな人やものとの関係がものを言ってくる、ということではあると思うけど。それにしたって最終的なカギを握る人ってのも、やっぱりいるってことなんでしょう。それがもし「ともに子を産み育てる相手でしかありえない」なんていうことを言われたら、「そうかもしれないな」とくらいには僕は、思います。

2014/01/01-1 水 晴れたれば、鮮やかれ。

 鮮やかれ! 今年もよろしくお願いいたします。
 紅白歌合戦を見ました。天ぷらにお刺身、おそば、たくあんなどと、あびるほどの日本酒もつけていただいて、かつてないほど幸福な大晦日を過ごしました。
 紅白、本当に面白かったですよ。『あまちゃん』放映中はいろんなことをぐだぐだ言っていた僕ですが、実のところべつにそんなにネガティブな感情を抱いているわけではなくて、なんかみんながあんまり言わないことを言いたいだけの天邪鬼人間だっただけなんで、結局めちゃくちゃ楽しんでました。けっこう見てたし、興味があっていろいろ読んだり聞いたりもしていたので、ほとんどの事情がわかっていて、純粋に「いいなー」って思いながら見ました。「博愛」をとなえて迎えた年の締めくくりに、ああいう素直な気分でいられたのは非常によかったと思います。
 AKB的なものとかEXILE的なものとかももクロとか、その他の何やかんやに関しても、言いたいことはそりゃあるんですけど、それはそれとして素直に「おー」って思って見ました。ももクロとても良かったです。僕はあの子たち、ふつうに好きなんですよね。ちょっと曲とかプロデュース上のあれで「うーん」って思うところはあるんだけど、それはもうほんとそれってだけなんで。一曲目の仏教っぽいやつは曲も衣装もパフォーマンスもとてもよかったです。調べてみたら『GOUNN』って曲で作曲はしほりさん、中川翔子さんの『つよがり』を書いた人。こないだ『つよがり』の歌詞を読んでたんで知ってた。作詞は只野菜摘さん。この人は堀江由衣さん、野中藍さん、平野綾さん、井上麻里奈さんに曲を提供しているようで、あと藤田咲さんが加わったらまなびストレート!だなー。『走れ!』も、よかった。歌詞をちょっと変えて歌ってテロップと違っちゃうとか、生っぽくてよかった。
 紅白ってやっぱ、日本のその年の総決算みたいなところあるんで、清濁併せのんでこそっていうか、ちょっと気に入らない人が出てたりとかしても、それがこの年の日本だったってことなんですよね。そういうふうに見ても面白かったです。
 個人的MVPはTOKIOの城島茂さんと泉谷しげるさんのWしげる。この二人にいちばん心を揺さぶられました。城島くんだけでなく、TOKIOはみんなよかったな。しげるも、生放送ならではのドキドキ感があって。途中何言ってるかわかんなかったけど、意味としてではなく感じるものがあった。『春夏秋冬』ってもともと好きな曲だったけど、あの数分間の体験を経て、より好きになった。「今日ですべてが終わるさ 今日ですべてが変わる 今日ですべてが報われる 今日ですべてが始まるさ」っていう歌詞、意味わかんねーけどなんかいいなってずっと思ってたんだけど、いきなりピンときた。終わるし、変わるし、報われるし、始まるしっていうふうに、すべてが同時に来るように思えるときってのは、あるかもしれない。
 僕は実のところ、この年越しに賭けてたところがあります。去年はうまくいかないことも多くて、特に後半はずっと沈んでたので、「来年は!」って強く思ってたのです。この正月に、すべてが終わり、すべてが変わり、すべてが報われ、すべてが始まるような、そんなふうになったらなと夢想していたような感じで。
『春夏秋冬』の歌詞には絶望的なことばかりが綴られているように見えます。実際昨年の終わり頃はほとんどあんな気分でした。はっきり言ってこの曲が言いたいことはいまだによくはわかりません。でもなんとなく思ったのは、「今日ですべてが……」の部分って、なんかこう、そんなに特別な瞬間を歌っているのではないのかもしれないということ。その瞬間はいつ訪れるかわからないし、常に訪れているのかもしれない。曖昧だけどそんなことを感じたと思います。それは単に日常的なことなのかもしれないと。
 たまたま大晦日にあの曲を聴くと、「新年から……」って気分になってしまうんだけど、これは「春夏秋冬」というだけあって、きっと季節や時期なんて関係がないのでしょう。そういうふうに移ろっていく時間の中で、そういう瞬間を待ち望んだり、祈ったり、向かっていったり、探したり、体験したり、そのように自分を鼓舞したり、っていうのが、きっとあるんです。それで「僕は新年に希望を抱いていたけど、べつにいつだってそういう瞬間はあっていいんだよな」と、改めて思えたのかもしれません。どうしても人は、自分とは関係のないどこかに、見えやすい区切りを求めてしまうし、それはけっこうわかりやすくて効果的なことではあるんだけど、それに縛られすぎてもいけないのだよなと。
 この曲は吉田拓郎さんの『今日までそして明日から』と同じくらい好きで、重要だと思う曲です。

 紅白のあとは、ジャニーズカウントダウンライブを見ました。むかーし、J-FRIENDS的なことをやっていた時代に見たことがあったけど、真剣に見たのは初めて。僕も『8時だJ』に絶望するまでは(笑)ジャニーズ的なものがそれなりに好き(SMAPの8cmシングル全部持ってるのは自慢)だったので、いろいろ見ながらリハビリしている感じです。ちなみに全ジャニーズ曲でいちばん好きなのは『ファンタスティポ』です。あれは楽しい。映画も好き。
 僕がジャニーズを見る時に気にするのは、アイドルスターとしての「姿勢=資質」です。たぶん、これは天性のものです。僕が好きなアイドルスターってのは、常に「自分を見ている人」のために歌い、踊り、視線を投げかけるものです。「自分の考えた最高にかっこいい自分」をアピールするような(そう見える)アイドルは、僕は好きじゃありません。自分がどう格好良く見えるか、というよりも、「見てくれる人に何かを投げかける」という姿勢を第一にする。それはすなわち資質だと僕は思います。たぶんダメな人は努力してもダメです。(どうなんでしょうね?)
 ただカッコイイだけのアイドルは、「奪われる」存在です。視線によってむしり取られるものです。そうではなくて、「振りまく」とか「投げかける」を自然にできるアイドルが、僕は好きなんだと思います。
 見てる人がアイドルを能動的にむしり取る時、そこには「解釈」があらわれます。「私の○○くん」といった解釈で、むしり取ります。そんなに勝手なことはありません。完璧すぎるジャニーズを「サイボーグ」とか表現する文化があるところにはあるようですが、そういうアイドルというのは、「どうぞ解釈してください」と、身を投げ出しているものです。「どうぞ消費してください」「気持ちよくなってください」です。それはそれとしてアイドルの在り方としてアリだとは思いますが、僕はそれをどうしても健康的とは思えないのです。
「振りまく」「投げかける」アイドルには、解釈もくそもありません。彼らは自信を持って振りまき、投げかけるのだから、見る人はそれをただ幸せに享受するだけです。
 僕はこの「奪われる」というのを、たぶんかつて「据え膳」と表現したのでしょう。僕の好きなアイドルスターというのは、「食べられる存在」であったり「美味しいお店に連れていってくれる人」とか「高級レストランのシェフ」なのではなく、「心を込めて手料理をつくってくれる人」です。それでその時には、質とか味とかは二の次だったりするのです。
 どんなに格好良くても、心がこもっているように見えなければ、僕はその子をアイドルとしてあんまり好きにはなれません。この「心がこもってる」ってのを別の言い方でいうとたぶん「優しさ」とかになって、これがないと僕は、たぶんどんなものでも好きにならないでしょう。
 僕はSexy Zoneっていうグループがけっこう好きなんですけど、この子たちはみんな、笑顔がいいんですよ。歌もけっこう気持ちが入ってる。(菊池くんは、まあ、微妙だけど。この子はこの子でかわいいところもあるからいい。)佐藤勝利くんという子がだいたいセンターにいて、カメラに向ける目線が優しくて、とても良いのです。カッコイイとかセクシーとか、グッとくるとかそういう話とは別に、優しい感じがする。流石だなと思いますね。(ちなみにこういうのは全部その筋のプロが教えてくれたり話し合ったりしたことで、それを僕なりに言語化してるだけだったりします。)
 佐藤くんと菊池くんが交互にうつると、「こうも違うものか」と思います。そういう意味でもSexy Zoneは妙にバランスがいいです。中島健人くんも、やりすぎってくらい優しさを出してますね。聡ちゃんという子とマリウスという子は、あんまりうつんないけど、善意が滲み出てる感じがするし、やっぱり優しげでとてもいいです。
 でも、今のところ僕が心から敬服して崇め奉るようなジャニーズアイドルはまだ見つかっていません。ジュリーとかフミヤとか氷川きよしはジャニーズじゃないし、アイドルって言うと怒る人がいるのかもしれないけど、あのくらいのレベルに達する子が出てきたら、すごいことです。(でもそれはもはやなんだかジャニーズではないような気もする……。)
 奥井亜紀さんについて僕は、初めてライブを見た日に、「人間が輝ける限界まで輝いている」とか書きました。かりにそのくらいの輝きレベルを持ったジャニーズが現れたら……なんてことも、考えたりします。でももうそれは完璧に人格の話になってくるわけなんで、「ジャニーズ」とか「アイドル」という枠の中で生きていくのは、おそらく難しいんでしょうけど。ジャニーズとかアイドルとかってシステムは、「人格の力を借りないで輝くことができる」っていうことでもあると思うんで。(そしてそれが、僕の考える「アイドルに関する最大の問題」です。)

 なんか長々と書いてしまいましたが、そういうふうに、「優しく何かを振りまいたり、投げかけたりする」っていうような感じのアイドルが、僕は好きなんですね。わかんないけど。
 やっぱアイドルつったって人間であって、鑑賞物として扱いたくはないんですよ。「究極に優しい人」がアイドルだ、っていうことだったら、僕はけっこういいなと思ったりするんですけど。もちろんそれが人工的すぎると、相当げんなりしちゃうわけなんだけど……。
 そういえば大昔、僕は堂本剛さんがあんまり好きじゃなかったんですが、それってたぶん「アイドルなのに!」ってのが強かったからなんでしょうね。堂本剛さんを堂本剛さんという人間として見るようになった途端、大好きになりました。彼は「奪われる」も「振りまく」もあんまり関係がなくって、ただみんなの前で歌を歌ったり面白いことを言ったりやったりする人間であって、歌手とかタレントというほうが近いんかなーとか、最近では思います。彼はアイドルの枠の中にいて「人格」を持とうとして、しかもそれがけっこう魅力的だったんですね、たぶん。

 そんなこんなでカウントダウンを見てました。「この子はいいなー」「この子は微妙だなー」とか偉そうに思いながら。56曲メドレーだったけど、今や知ってる曲がほとんどで、かなり楽しめました。
 その後は神社に初詣行って甘酒飲んで、翌日の夕方まで自宅でゆっくりして、公園でコーンポタージュ飲んで、おはしカフェガストで読書に励みました。『ディスコミュニケーション』新装版一巻を読んで改めてこの作品の大切さを噛みしめ、橋本治さんの『いま私たちが考えるべきこと』を読み返しました。一年の計は……なんてことを言うけど、自分にとって本当に大切な本たちを読み返すことができて、気が引き締まりました。

 年越しをまたいで、非常に濃密で素晴らしい時間を過ごしたことです。「今日ですべてが」って思えるくらい、心機一転できて、さい先の良いスタート。今のところけっこううまくいっています。ちょっと調子に乗った部分もありましたが……新年だから、という言い訳をしながら。こんなに幸福な年末年始を過ごしてしまったのだから、責任を持って今年は前向きに、元気にやっていきたいものです。

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