少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2014/02/25 火 泣き疲れて眠る君はまるで

 ジャニーズおよびアイドルや芸能界についての僕の考えは、かなりこの人のこのレビューに近い。

芸能界というのは一般常識が通用しない、それでいて成功者には巨額の富をもたらす、事務所とマスコミ、そして「表舞台」から構成されるきわめて小さい世界である。自分の持つ「芸」を売るというシビアな世界ながらも、ジャパニーズ・ドリームを夢みて入ってくる人間は後を絶たない。

 ただこれだけのことで、これを踏まえた上でその「芸」を愛したいなら、それをすればいい。

 ここでいう「芸」というのが何か、それによって何が生まれるのか、というのは考えがいがある。芸というのはたぶん、人間がその肉体を使って、人の心になんらかの作用をもたらさせるもののことを言うのだと思う(もちろん「声」も肉体を使ったものである)。これが肉体から離れて「作品」になったとき、それを「芸術」と言うのだろう。肉体のつきまとう作品は「芸」であって「芸術」ではない。
 ジャニーズの人たちは、その肉体を精一杯使って、みる人の心に「作用」をもたらす。その作用が良いのか悪いのかは、みる人たちがそれぞれ決めたらいいことだ。それが芸というもので、決して「芸術」なんかでなくて構わない。
 でも彼らがその「芸」を生み出す背景には、もしかしたらそれこそ『光GENJIへ』とか『SMAPへ』(現『KAT-TUNへ』)とかいったいわゆる「暴露本」に記されているような、あるいはそれ以上の「シビアな」事情(性的なことについてのみを言っているのではなくて、種々の)があるのかもしれない。それは芸の、あるいは「夢」の副作用としてある。
 夢の副作用はもちろん、原則として本人たちが了承した上で背負っているものなので、みる側は別に気にしなくともよい。気にする人がいる、というのは事実だと思うけど。

 僕の場合は、そういういびつなサイクルの機関にはあまり頼りたくないから、特に好きにはならない。同じ理由でアダルト産業にも格別の思い入れはない。
 ただ、機関がどこかでいびつだとして、その中にいる人間がみないびつなのかというと、そういうわけではない。いびつな機関を、それとわかっていて愛してしまう人は、たぶんその中にいる人間をみて、その人を愛してしまうのだろう。しかし、いびつなものをいびつだと知りながら、そこに目をつぶって細部の美しさだけを求めるようなことは、木を見て森を見ずという視野の限定が、あるんじゃないかという気はする。これは生きるためにとても便利な限定である。それができなければ、生きていくのは苦しい。「それはそれ、これはこれ」なのだ。
 こういうことを「割り切る」という。世の中、割り切れないことは多いが、そこをむりやり割り切ってしまうのが、「割り切る」ということである。
 僕はそういう割り切り方が昔から苦手だった。ここ十年くらいで、少しずつ割り切れるようになってきていると思う。丸くなってきたのだ。ところがそのこととはまた別に、「割り切るべきか、否か」という問いも常にある。そんなことを考えている時点で、割り切れてなどいないのかもしれない……。

 夢の副作用を背負った「芸」に生きる人たちが、副作用の強い「しあわせ作用」を人々に与える、というのが、あらゆる「信仰産業」のからくりとしてあると、直観的に僕は思う。あらゆる薬に副作用があるように、何かをコントロールしようと思えば、副作用が生まれるのは仕方ない。現代人はこういったことに付き合って生きていく生き物だ。
 それにしても、「本当のこと」って何だろうか?

愛について いらだってばかりの僕は
BABY BABY BABY BABY BABY
いつだって からまってばかりいたけど
本当のことへと 動き続けよう
生まれ落ちる 新しい世界へ

2014/02/24 月 平等

 ちょっと前に、「平等を廃す」みたいなことを書きました。平等(であるべき)という考え方を棄てよう、という感じです。「分けて考える」ということが大事だとも書きました。平等というのは、分けて考えないから出てくる発想です。
「わたしがしてあげること」と「わたしがしてもらうこと」は別のことなので、分けて考えたほうがいいと僕は思うのですが、ここをごっちゃにしてしまうと、「平等(であるべき)」という発想になります。
「今日は肩たたきをしたから、お片付けはしない」っていうのは、「肩たたき」と「お片付け」をごっちゃにしています。それは分けて考えたほうがいいのです。もちろん、相関関係を意識するのも大切で、両方やると時間がなくなってしまう、といった場合はどちらか片方を選択したほうがいいでしょう。このときは「平等」とは無関係です。しかし、「肩たたきをしたんだから、お片付けはしなくても問題ないだろう」になると、「平等」に近づきます。双方をどこか等しいものとして見ているきらいがあるからです。だからこれは容易に、「わたしは肩たたきをしたんだから、あなたはお片付けをしてください」に変わるでしょう。意識的に双方は(「量」として)等しいので、「わたしは100の仕事をしました。あなたも100の仕事をしてください」とつい言いたくなってしまうのです。僕はそういうことであるべきではないと思っています。
 肩たたきをしてもらったから、感謝の気持ちとして肩たたきをお返しする、という意識は「平等」からちょっと遠くなる可能性を秘めています。これはどっちかというと「お互い様」というやつなのです。しかし、「わたしは肩たたきをしたのだから、あなたも肩たたきをしてくれないとおかしい」は「平等」的だし、「肩たたきをしてもらっちゃったので、わたしも肩たたきをしてあげないと」も「平等」的です。こういう感じは、僕はちょっと疲れます。
「平等」と「お互い様」は、近いようで決定的に違います。

 何人かの友達のネット上の発言の中に、僕に関するものがあって、それは僕が認識していた事実とはちょっと違うことが含まれていて、そのため僕のことを、僕が認識しているよりも悪いふうに捉えているように思えたので、なにか言おうと思ったけど(実際いちどは書いたけど)、踏みとどまりました。僕には向こうのほうの事情や、向こうがどのように認識しているのかが正確にはわからないし、何か言ったらまたややこしくなると思ったのです。そもそもまず「事実誤認」であるかどうかがわかりません。これは僕の認識でしかないので。そして何より、ここで何かを言うのは「事実誤認に基づいて僕が悪く思われるのは不公平だ」という訴えにしかならなくて、それは「平等」という主張です。
 どちらかというと僕は「お互い様」で処理したいのですが、どうすればいいのかというのは難しいですね。

 夫婦でいうと、なんかイメージとしては、夫側の不満と妻側の不満ってのはたいてい、「平等」という考え方からきてる気がするんですね。サラリーマン+専業主婦の夫婦でいうなら、「誰が稼いでると思ってるんだ」とか「あなたもちょっとは家事をしてよね」とか。
「平等」でないやり方で、平和にいきたいもんです。「お互い様」が大切です。なんというか、お互いが能動的に何かをすることが大切で、算数は要らないと思うのです。

2014/02/16 日 「時間軸を曲げて」

 特定の言葉や図像等に過敏に反応する。そのうちよくなるだろうとは思うがこういうのは完治しないと経験上知っている。「べつに気にならない」という状況は「完治」ではない。まったく消えてしまわないと。
 それはそうと自浄作用というものはある。自然淘汰というものもある。

 たとえばビール瓶の中の分子はふつうあらゆる方向へ向かって自由運動をしているが、あるとき偶然それらのすべての分子が同じ方向を向いて運動したらどうなるか? そのビール瓶はひとりでに動き出すだろう。確率は超天文的だがゼロじゃない。藤子・F・不二雄先生の『ドジ田ドジ郎の幸運』という名作に描いてあった。
 奇跡的に動き出したビール瓶は、奇跡が終われば動きを止める。そして何事もなかったように、ただのビール瓶に戻る。自浄作用や自然淘汰というのは僕はそういうものだと思う。
「熱はどうしても散らばっていってしまう」と偉い人は言った。奇跡的に同じ方向を向いていたビール瓶の中の分子たちは、やがて自由運動に戻る。熱というのは、一瞬の奇跡である。
 それは僕の好きなゲーム『ファイナルファンタジー6』で、自由な主人公たちがたまたま「ケフカを倒す」という同じ目標のために一時的にだけ共闘する、ということも同じだ。あれこそが熱である。そして瓦礫の塔の崩壊とともに彼らは散らばっていく。その場で死を選ぶ者さえいる。彼らはそれぞれの生き場所、あるいは死に場所へと還っていくのである。

 真夜中に盛り上がる馬鹿な話。ある一時期にだけ仲良く遊んだグループ。楽しかった思い出のすべてはそのときに熱のように集まり、やがてすべてが散っていく。桜は春にだけ咲きすぐに散る。花見の時には何十人でも集まる仲間たちも、やはり同じように散っていく。
 諸行無常という言葉を噛みしめる。分子とか熱とか、難しい話をする必要はなく、行雲流水、すべては移ろうのだ。それだけのことだが、そこに青春や思い出や、賑やかな笑い声が関係してくるだけで、とたんに寂しい気持ちになってしまう。
 しかしそのすべてが必然であり、世の中全体の温度を保っていくための当たり前の過程でしかないということも僕は知っていて、だからこそ僕の周りもこうして結局は平和になっていくのだ。
 一人、また一人と、誰かがいなくなっていく。


 ありがとうという言葉で失われしものに誓うよ
 磯に波打つ潮よりも濃く我の心は共にあると
 そして微かな恐れもなく 僅かな疑いも持たず
 甘き力が我らとゆくこと それを知ってる

 少年のように無邪気に嘘を笑えたら
 明けの鐘に泣き濡れる時も 時間軸を曲げて

 突き刺す松葉のように晴れ渡った思いが訪ねる
 紅葉濃き山路に霞み立ち 我はひとっ飛び時を超える
 不意に嵐の空を襲う優雅な虹の弧のように
 ものくるほし日に見た幻が我らを撃つ

 少女のように爪に炎をともせたら
 宵の野辺に泣き濡れる時も 時間軸を曲げて

(小沢健二/時間軸を曲げて)

 天才読者だけど、今回のジャッキーさんの言ってることは、正しいかどうか、微妙なところだと思います。今が末日であることと同じくらい怪しんでいる。
(「世界に親切」天才読者)

 僕もこの件に関しては「正しい」とは思わないですね。冒頭でたっぷり言い訳したように。ただ、「そう考えたらつじつまが合う」とか「そう考えたほうが妥当だと思える」ときはあるんじゃないかとくらいは、思います。で、「そう考えたらわかることがある」とか「そう考えたらうまくいったことがあった」という状況が、きっとあるだろうと僕は、思います。

 ただ、「男が入れる側で女は入れられる側だ~受け入れろ~女は受け入れる性だから受け入れろ~」というのは、言ってる内容がなんであれ、印象が悪いので、的確で感じのいい言葉を発明していただきたいものです。
(「世界に親切」天才読者)

 本当にそうなんですよね。僕が政治家だったら確実に炎上しています。それにしても舛添さん、「雪の害は一日で終わるからそれほど問題じゃない」という意味の発言をして一部で叩かれてますが、この発言自体は間違ってないと思うし、別にまだ対策を一切しないと明言してるわけじゃないんだから、「では雪対策にはお金をかけないんですね?」とちゃんとあらかじめ確認してから叩くべきだよなと、思います。

 ↓の補足
 女の「受け入れられたい」が全うされるのは女同士の会話(またはそれに準ずるようなやり取り)の中でだけなのではないか、という感じのことを書き忘れた。
 では、男の「受け入れたい」はどこで全うされるのか? 男同士の会話? っていうと、たぶん違う……。
 この辺のことは「マニア」「オタク」「腐女子」などと関係があるのだろうか。

2014/02/15 土 考えてみた…受け入れる性と受け入れられる性

 便宜上、男性と女性、というふうにきっぱり分けて考えます。
 子供を作るとき、性器について男性は「入れる」側で、女性は「入れられる」側です。(だとします。)
 男性と女性の関係というのが、性的な場面でなくても、「入れる」「入れられる」といったような役割に実は分かれていて、そういうふうに意識していたほうがうまくいくのだ、という仮説を考えてみました。
 これはずばり、「男は男らしく、女は女らしく」という考え方になるので、嫌悪感のある方もいるかと思います。ただ、そういうふうに考えてみても別にいいんじゃないか、と思うので、考えてみました。別に、絶対にそういうふうだし、そうであるべきだと主張したいわけではなく、そういう言い方もあるという例の一つとして、考えてみることにしただけです。ただ、こういうことかもしれないな、という気分は多少あります。

「入れられる」側の女は、「受け入れる」性であって、「受け入れられる」必要はない。
「入れる」側の男は、「受け入れられる」性であって、「受け入れる」必要はない。
 女は、男のことを受け入れる。だが、男に受け入れられるということはない。男は「受け入れる」ということができない性だからだ。
 だから女は、自分で自分を受け入れるしかない。自分で自分を認めてあげるしかない。男に頼っても意味がない。どこかおかしなことになってしまっている女はだいたい、男に対して「受け入れてほしい」と思っている。それがそもそもにして、最大の誤りなのだ。女は、自分で自分を受け入れるしかない。
 男は男で、女のことを「受け入れよう」などと時に思う。無駄なことだ。男は「受け入れる」という仕組みを持っていない。どこかおかしなことになってしまっている男はだいたい、女に対して「受け入れてあげたい」と思ってしまっている。(きっと「守ってあげたい」でも「救ってあげたい」でも事情はだいたい同じだと思う。)しかし男はそういうふうにはできていない。

 経験的に(そしておそらく一般的に)女は、男の趣味に染まりやすい。男はそうなりにくい。女は男の趣味や好みに対して「素敵ね」と素直に思うことが比較的多いが、男のほうは女の趣味や好みに対し「なぜこんなものが、そんなにいいんだ?」と思ったりする。それは、女が男を「受け入れる」性であるのに対して、男はそうではなく、ただ「受け入れられる」だけの性であるからだ。
 男は「受け入れる」を知らないが、だからといって「拒絶する」をもっぱらにするわけではない。そういう男もいるのだろうが、そうする必要はまったくない。男はわざわざ、「受け入れる」「受け入れない」という主体になる必要はないし、まったく向いていない。ただ「受け入れられる」「受け入れられない」という客体でありさえすればいいのである。とりわけ女に対しては。
 女は男の趣味や性格を概ね受け入れる。受け入れられないとしたら、その関係は良好にはならない。良好な関係のために、女は「受け入れる」ために考え行動するし、男は「受け入れられる」ために考え行動する。この、いわゆるお互いの「努力」のようなものがなければ、良好な関係というのは築かれにくい。なかなか自然にはできないものである。(まれにそういう幸福なカップルというのはいるだろう。)
 男のほうは、女の趣味について「なぜこんなものを?」と思ったからといって、それを拒絶したり、無理して受け入れようとする必要はない。ただ「そこにそういうものがある」ことを認め、傍観していればいい。興味があれば参加すればいいし、なければしなくてもいい。相手が健康な女であれば、それほど「受け入れてほしい」とは思わない。ただ、男が「拒絶」を形にしてしまうと、女は「受け入れてもらえない」という悲しみに暮れることにはなる。(受け入れる性である男から受け入れられないのは当たり前のことであるのに。)
 女が「受け入れてもらえない」という理由で別の男に「受け入れてください」と浮気をしても、すぐに崩壊には繋がらない。女は結局、受け入れられることがないからだ。崩壊するのは、女が別の男を「受け入れてしまった」時である。そうなれば早晩、終わりである。
 逆に、男が別の女を「受け入れようとした」場合は、それほど問題ではない。最終的には受け入れることはできず、「トラブル」になって終わるだけだ。しかし、別の女から「受け入れられてしまった」となれば、事態は相当深刻になる。
 男のいわゆる「火遊び」は、大半が「受け入れようとした」というものであり、女の「さみしかったから」という言葉で言い訳される行為は概ね「受け入れられたかった」である。しかしこれらは、少なくとも当人にとっては、本筋の(本命の)男女関係とは無関係なのだ。本筋の男女関係においては、男は「受け入れられる」だけが問題であるし、女は「受け入れる」だけが問題なのだから、その逆のことをいくらしても、当人にとっては大した問題ではない。しかし浮気をされた側にとっては、その違いなど分かりようがないのだから、深く傷つくし、永遠にトラウマを抱えることにもなりかねないし、そのまま「別れる」ということにもなる。
 ある種の女は、「私のもとに戻ってきてくれるなら浮気してもいい」と、それなりに本気で言う。彼女たちは、自分が「受け入れる」性であることをよく知っているのだ。「何でもいいけど私はあなたを受け入れるだけよ」という宣言である。そしてこれはだいたい同時に、「そのかわり、私が誰かに気まぐれで受け入れられたがってしまうことも許してよね」が含まれていたりもする。

 男は「受け入れられる」性なので、おそらく男が女の家に婿入りするほうがうまくいきやすい。女は「受け入れる」性でしかないから、男の家に嫁入りするとうまくいかないことが多くなるのではないか。嫁・姑問題というのは、そういうことで起きるのだろう(とか勝手に思ってみた)。

 ……この段落はまったくの余談。『サザエさん』という国民的アニメにおいて、婿入りしたマスオさんは義父である波平さんと一緒に飲みに行くような仲であり、飲んだくれた二人をサザエとフネが揃って叱る、というシーンもおなじみだ(Wikipediaにも書いてある)。婿入り家庭の最も有名なモデルケースである磯野家においては、「婿+父/娘+母」という構図ができているのである。そしてこれは、「うまくいっている」と言って問題がないだろうと思う。一方、『ドラえもん』はママが嫁入りした形のようだが、有名な『おばあちゃんの思い出』(てんとう虫コミックス4巻)において、ママとおばあちゃんはやや対立的な立場にいるのである。(P179、P189。アニメ版は確認していません)……まあ、おばあちゃんは孫を甘やかすもんなんだから、当たり前なんでしょうけども。しかし、それにしてもフネとサザエはあまり対立しているイメージがない。血の繋がった母娘の間にあるのは対立というよりも、同調とか共感とか、あるいは支配とかいったもので、それは問題だとしたら母娘間で別個に解決しておくべき問題なのではないか、と、今のところは思う。……

 すでにちょっと書いたが、女が「受け入れる」性だからといって、「何でもかんでも受け入れるべき」という話ではない。男のほうも「受け入れろや~」なんて傲慢な気分でいてはいけない。「受け入れる」「受け入れられる」という在り方の美しさが、二人の関係を決定づける、ということなので、歪んだ「受け入れ方」や「受け入れられ方」をしているカップルは、うまくいかないのである。
 なんて話を木曜喫茶で僕の作品および日記の天才読者を相手にしていたら、彼が『愛はカレーとうんこの間に―彼女のカレーはうんこ味―』という、僕がちょっと前に書いた幻の小説の話題をスッと出してきた。さすが天才読者。そうなのです。いま書いたようなことは、気づかないうちにこの作品の中で書いてしまっていたのです。
 主人公は温子という女子高生。彼氏の紘樹は温子のうんこを食べるのが大好き。それで温子は、「彼氏のために」と、せっせとうんこを食べさせ続ける。しかし紘樹は特に下痢便が好きで、暗にそれを要求してくる。温子は努力して体調を崩して下痢を出し、彼氏に提供し続けるが、もちろん心身は蝕まれていく。
 これがまさに歪んだ「受け入れ方」であり「受け入れられ(受け入れさせ)方」である。オチはもちろんハッピーエンドで、二人は幸せになるのであるが、どういうプロセスでそうなるかというのは作品をお読みください。(どこで読めるようになるかはわかりません。当時も書いたけど、僕は個人的にうんこって言葉を使うのにはやや抵抗があるので……。とても良い作品だとは思うんで、タイトルを変えてKindleで出すかも。)
 最後には二人は、紘樹が温子の実家のカレー屋を継ぐっていう形で結ばれる。つまり婿入りしている。うーんなるほど、そういう作品だったんですね。
 男は「受け入れられる」性であるが、その「受け入れられ方」は、美しくなくてはならない。もちろん女の側から見ても同じ。

 さあ余談。女は「受け入れる」性であり、男は「受け入れられる」性である。それを前提として考えていくと、なんとなく「あー、そうかも」と思えるところが多い。ある男の趣味(好きな作品とか人とか)がその恋人の女性によって全面的に認めてもらえているとして、じゃあその女性の趣味についてはどうなんだ?(この疑問も木曜喫茶にて天才読者から提出されたもの)というのは、もうずっと考えているんだけど、こういうふうに考えたら「あー」となんだか納得した。
 僕の場合、恋人に何か強く思い入れた趣味があれば、受け入れるとか受け入れないとかとは無縁な感覚(であるべきもの)で、「ただそういうものとしてそこにあるから好きなように見てる」って感じ(に完璧に持っていきたい)。嫉妬はもちろんしますけどね。
 たとえばディスコミとかサジタリウスとか男吾とか、まなびとかのぞみちゃんホットラインとか鈴木先生とか小沢健二さんとか、僕が生きる中で大切にしてきたものたちをとても好きになってくれて、一緒になって「ウオー」とかいって楽しんでくれりゃ、僕のような孤独なロンリーオタクにとって天使を超えた救世主的存在なわけなんだけど、別に無差別に「ぜんぶ受け入れろや~」って態度なわけじゃないんですよ。僕なりに「受け入れられ方」というのを考るのです。僕の好きなものを全部好きになってほしいわけじゃないし。好きになってくれそうなものからダメ元で差し出してみて、それで一緒に盛り上がれるようならラッキー、ってくらい。
 好きな○○に関してはともかく、僕の在り方に対して「受け入れられない!」って思うことは、たくさんあろうけれども、だけど一気に、っていうのはお互い難しいもんだから、ちょっとずつ。僕もいろいろストレスたまるときがあるし、心配なことも不安もたくさんあるんだけど、こっちはもう「受け入れる」だの「受け入れられない」だのを考える係じゃない(かもしれない)ので、ただ遠巻きに「いいんだよ……」という精神で見る。それで不満はない。ストレスがたまったら、責任をもって発散の手伝いをしてもらうだけだし。心配や不安はお互い様だし。なんかにキャー! とか言ってても、そういうもんだよなとか、疲れてるんだなとか思うだけ。(世の中ではこれを「受け入れる」と言うのかもしれないが……うーむ。)

 なんて言うと変に誤解されるかもしれないから念のため書いておくけど、僕に「拒絶」の二文字はなく、受け入れているか否かでいったら完全に受け入れています(そのつもり)。ただ、それをあえて意識的にする必要は、たぶん僕にはないのだろうなとなんとなく感じている、のです。
 前もちらりと書いたけど女の子が発見するものの中には本当にキラリと光るものがあって、そういったヒントに助けられたことは数え切れないほどあります。でもそれは「受け入れる」ということとは全然違う現象だと思うし、女の子のほうにとっても「受け入れられたい」という希望を持つことは、もうあまり意味が無い、そんな段階にはもういないだろう、と思っております。女が「受け入れられたい」と思うのは、甘えか逃避でしかありません(ここで断言!)。
 自分で自分を受け入れた(少なくともその道筋は見えた)のならば、もう誰かに受け入れてもらう必要はなく、あとはパートナーや世間と最善のバランスを取って生きていくのみです。そうなれば男のほうだって、もうほかの誰かに受け入れられる必要はないし、もちろん誰かをあえて受け入れる必要もない。
 ところで女の「自分を受け入れる」に対応するのは、男にとっては「自分に受け入れられる」になるはずなんだけど、これは「自分を受け入れる」と違って全然イメージがわかなくないですか? たぶんそんなもん、ないんですね。概念として存在できない。テキトーすぎるかもしれないけど、何か思いつくまでそういうことにしておきます。そうだとしたら、そういう点で僕は、女の子のほうが大変だよなーと思います。

 モードを戻す。
 男の中にも、女の趣味に染められる人はいる。それは乱暴に言ってしまえば役割を間違えている。あるいは混乱している。いや、もちろん女の趣味に影響されること自体が悪いわけないのだが、ときおり限度を超える男というのがいて、「影響」の元を辿れば「依存」が隠れていたりする。(女の場合もそうなんだが。)そのパターンで果たしてうまくいくのだろうか? というのは非常に疑問だ。
「いかにして上手に、優しく受け入れられるか」が男の絶対的なテーマで、「依存」という関係があるうちはきっと杜撰な受け入れられ方しかできない。女のほうも、男に依存していては「受け入れる」なんてことはたぶん不可能だ。
「受け入れる」「受け入れられる」という関係は、気を抜けばすぐさま「依存」に陥る。それを防ぐのはやっぱり結局、「優しさ」以外にないのだろうと直観する。

2014/02/11 火 歴史を教えてくれた人

 野田先生という人がいる。名古屋市立高校の教諭を退き、今は「投書家」(僕が勝手にこう呼んでいる)として活躍中である。中日新聞を読んでいるとたまに載っているらしい。(こないだたまたまお母さんが発見してくれたので読むことができた。71歳という年齢に驚いた。)
 高校一年生の時に現社を教わった。現社とは言っても、ソクラテスがどうとか、倫理的分野のことを中心にやったような気がする。探せばノートがどこかにある。
 高校三年生の時には世界史を教わった。最初の授業、文明の誕生についての話が忘れられない。あのときに僕の頭の知的な部分は一気に活性化したと思う。もう一人の世界史の先生と、RinQという英語の先生とともに、一年間みっちり鍛えられた。

 高校二年生のときは授業を受けていないが、図書委員長だったからたびたび話をしていた。忘れられないエピソードもある。
 10月の終わり、僕は粗相をして無期謹慎という処分になった。午前中は自宅に誰もいなくなるから見張りがいないと言って、なぜか校内で謹慎することになった。暗い部屋に閉じこめられて自習をしていたわけだが、その間にいろんな先生が話しに来てくれた。その中に当然、野田先生もいたのである。
 彼は僕の前に座るなり言った。「俺は小泉が嫌いだ」。
 2001年といえば小泉純一郎氏が初めて首相になった年で、「ブーム」と言っていいほどの人気だった。そして時は9.11の直後。「ナショナリストの平和主義者」としてはいろいろ考えることがあったんだろうと今は思う。当時の僕はそこまで考えていなかった。
「俺は嫌いだが、未来の日本人がどう言うかはわからん。十年後に小泉は褒められているかもしれんし、最悪だったと言われているかもしれん。それは歴史が決めることだ。だが俺は小泉が嫌いだ。」そんなようなことを先生は言った。
「お前がしたことも、善し悪しは歴史が決める――」そこまでのことを言われたかどうか、正確には覚えていない。しかし、僕の心にはそういうイメージがくっきりと残った。
 僕がしたことが「悪い」ことだったのかどうか。当時の僕には、それさえちゃんとわからなかった。しかし、当時僕の周りにいた人たちは、少なくとも学校にいた大半の人たちは、それを「悪い」とした。そういう評価が確かにあった。
「悪い」としか言えないような結果ももたらしたかもしれないが、それはあくまでその時点でのことだ。今思えば、そうとばかりは言えないような結果もあった。それはまさしく、歴史が決めることでしかない。
 たとえば、先生からのあの言葉は、その事件がなければもらえなかったものだ。それ一つだけでも、僕にとっては良い結果だった。しかしそれでは、あまりにも独り善がりというものだ。
 僕にとって良かった結果を、なんとかして他の人たちに還元できれば、少しでも僕のしたことは「良い」に近づく。そういう歴史を作っていくことはできるのだろう。
 そういうわけで先生からの一言は見事に『9条ちゃん』に反映されている。気恥ずかしいほどだ。先生ももう年で、あと何度会えるかわからない。先生の生徒であった証拠を、少しでも残しておきたいと思う。
 そういえば高校一年生の時、現社の授業で僕に憲法を教えてくれたのは野田先生であった。その憲法を茶化すような小説を書いて、彼がどう思うのかは知らない。怒られるかもしれないが、そのときは潔く怒られよう。絶対不戦を訴える野田先生に、『たたかえっ!憲法9条ちゃん』なんてタイトルを見せたら破門されるのでは……と恐ろしい(笑)。

付録:朝日  愛教  史話集
2014/02/10 月 都知事選補足

「80年代からテレビ(バラエティ含む)に出続けた圧倒的な知名度」「厚生労働大臣として生活の豊かさ向上を考えた実績」「母親の介護について書いたベストセラー」「待機児童や高齢者福祉等の問題を強調」……こういったものが勝った、ということは記憶しておいていいと思う。
 結局、原発なんてものに(特に年寄りは)興味ないのです。自分や孫の問題のほうが大きい。
 小泉さんは「原発のない世の中を次の世代に残そう、それが我々年寄りの使命」的なことを言っていたが、そういうふうに抽象的にものを考えられる人はあんまり多くない。
 これまで小泉さんが勝ってきたのは「○○改革」という抽象性だけではなく、「当人のまとう雰囲気(オーラ)」という非常に具体的な(これを僕は非常に“具体的”だと思う)ものが大きかったのだなあと改めて思いました。
 言葉は抽象、肉体は具体なので。

2014/02/09 日 選挙と9条ちゃん

 都知事選の開票中です。舛添さん、宇都宮さん、細川さん、田母神さんという順の得票率になることは間違いなさそうです。
 それはそれとして、ちょっと面白い分布を見つけました。これ
 四人の候補者が得た票を、世代別に割ってみた円グラフです。「○○歳代の何パーセントが××に投票したか」ではなく、「××に投票した人の何パーセントが○○歳代か」というもの。
 舛添さん、宇都宮さん、細川さんの三人は、分布の仕方がほぼ同じです。田母神さんだけがまったく違う分布をしています。
 僕はこの四人の誰にも特に好意的ではないのですが、この事実は面白いなと思うのです。田母神さん以外の三人は、20年か30年経って現在の高齢者層が死んだら得票数がガクッと減るわけですが、田母神さんはあんまり減りません。
 このグラフを信じれば、田母神さんを支持した人の27.5%が40代です。いま40代の人は、20年後か30年後でもかなり多くの人が生きています。いま50代以上の人は、けっこう死んでいるでしょう。
 四人の得票のうち50代以上が占める割合は、70.2%、66.6%、69.1%、41.3%です。20年後、30年後には、この人たちはたぶんだいたい死んでいます。
 得票率にかなり大きく差がある(特に田母神さんはかなり低い)ので、このパーセンテージをもって何かを言えるとは思っていませんが、田母神さんが得た票のうち、半分近くが30代と40代なのは面白いと思います。個人的な推測としてはこの人たちの投票態度はきっとこれからあんまり変わらず、おそらく20年後30年後に若い人たちから「老害」と言われるでしょう。なんとなく未来が見える気がします。
 上位三人が得た得票のうち七割は50代以上です。この人たちは20年後や30年後に死ぬので、もう無視しましょう。今は若い人が何をやっても勝てません。投票率を上げるのもまず不可能だと思います。
 20年後や30年後には、田母神さん的な人に投票される傾向がおそらく強まります。ただ、いま20代~40代の人も、かなり多くの人は上位三人に入れているわけなので、それほど大きく変わることはないんじゃないかと思います。
 ただ、若い層は年を取ればたぶん投票に行く割合が増えます。すでに投票している人の傾向はあんまり変わらない(二十代以上の人の性向なんてそうは変わらないでしょう)かもしれませんが、将来的に選挙に行くようになるかもしれない人のことは読めません。
 あるいは、今十代とか、一桁の人たちのことはもっとわかりませんね。
 いま何かを訴えるんなら、そういう人たちに向けたほうがいいのでしょう。みんなそう思って、「投票率を上げよう!」とか言ってるんだと思いますが、行けと言われて行くような人は、だいたい付和雷同な意見しか持っておりませんので……。
 いま50代以上の人は20~30年後にはかなり死んでいます。ここ20年の20代の衆院総選挙の投票率は35~50%です。もしこの率が、年とともに上がっていくのでなかったら、そして、これからの若い世代がもっと投票に行かなくなったら、国政選挙で投票率が50%を切ることもあり得ます。ひょっとしたら国政選挙なのに30%とか、そういうこともあるかもしれません。
 そうすると何が起こるかというと組織票が強くなります。ただし、今力を持っている組織票が数十年後にも相変わらず強いのかというと、わかりませんね。そこも含めて、選挙というものを考えていく必要があると思います。
 選挙をやるかどうか、やるとして形式はどうするか、ということはもちろん、キーになるのは「子供たちに何を教えるか」「子供たちをどう扱うか」でしょう。この辺はまた次回。

 ところで今回舛添さんが圧勝したのは推薦した政党の力とメディアの力が主なのでしょう。僕は何週間か前に「舛添氏優勢」と新聞だかテレビだかネットだかで見た瞬間に、今回はこの人が勝つのだと確信しました。
 ググると、テレビがいろいろ操作してたみたいなのも出てきて、面白かったのは「細川さんを取り囲む群衆を映す→舛添さんの顔を映す」みたいなのがあったとかいうやつ。これ本当だったら凄いことですよね。このとき、細川さんの選挙カーにはモザイクが入っていたとか言ってて。本当だとしたらなんで、そんなすぐバレるような杜撰な操作をしたんだろうか?(メディア操作については放送大学の高橋和夫先生の科目「現代の国際政治」で、主にアメリカをモデルにいろいろ語られているので興味のある方はぜひご入学を^_^)
 なんにせよ、こういうことに振り回されているうちは、選挙に対して誰がどんなことを言ったって、あまり意味がないのです。
 もしも「宇都宮氏優勢」と事前にメディアが言い立ててたとしたらどうなったか? そんなことは誰にもわからないのですが、僕は、勝ってたかなと思います。その際にはネット上でよく話題になってる舛添さんへの批判的な意見や過去のあれこれも大々的に取り上げられていたことでしょう。
 日本人はやはり多数派でいたいものですから、「優勢」な人に入れたいのです。「え……おまえ、舛添なんかに入れたの?」って言われたくないので。また、特別な政治的態度を持っていると思われるのも嫌いますね。「えっ……おまえ、反原発なの」とか。その逆とか。「勝った人に投票する」のがイチバン無難です。そんなわけで、「原発推進」を掲げても「反原発」を掲げても、勝てません。本音はともかく、掲げないことが大事です。
 2012年の衆院総選挙で、単独過半数で圧勝した自民党の原発に関する公約はこれです。「原発再稼働の可否については、順次判断し、全ての原発について3年以内の結論を目指す」。可とも否とも言わない。
 舛添さんも、原発についてはどちらともいえない態度だったと思います。当確後には「原発は依存体制を減らすのが重要だ」と言っています。ネットの雰囲気だと「舛添になったら原発が推進される」みたいな印象を(僕は)受けるわけですが、宇都宮さんや細川さんがハッキリ脱原発だと言っているから、その対比としてそう見えるだけであって、舛添さんは無難に、特に何も言っていないわけです。

 おそらく選挙の結果というのはそういうふうに決定されているものなのです。投票に行かない人が多いのも、それが「無難」だからだと思います。どこにも入れなければ、責任を負わなくてすみます。それを批難する人もいますが、今回でいえば舛添さんに入れた人たちのけっこうな部分が、それと同じような選択でそうしたのだと思いますし、「友達(自分の属する世間)が支持しているから」で投票先を決めた人も、「無難」が軸にあります。ドクター・中松さんやマック赤坂さんに入れた人も、ほとんどはジョークという「無難」な言い訳に走ることで責任から逃げようとしています。問題は投票するかしないかではなく、するにしてもしないにしても、どういう態度でそうしたのかという、そのへんでしょう。
 そういうふうに考えながら2009年の僕は『たたかえっ!憲法9条ちゃん』という小説を書いたのだし、ほとんど同じテーマは『絶対安全!原子力はつでん部』にもあります。昔はそういう日本人の在り方があまり好きではありませんでしたが、最近は「そういうもんなんだもんなあ」と思うようになってきています。そこに立脚しなければ何も考えられないのです。諦めるとは現状を認めることでもあります。諦めからしか、希望は走り出しません。ラストシーンに書き足した一節で、そんなようなことも書いたような気がします……。さりげなく。

2014/02/08 土 子供

 日本では二十歳にならないと選挙に行けません。子供は未熟で、選挙に向かないとされているからです。
 だから僕は選挙が嫌いです。
 子供に選挙権を、という話ではありません。子供が本来多数決に向かないのは、確かだと思います。
 選挙に「向く」人たちの間で決められた決定が、選挙の決定です。
 そして選挙に「向く」というのは、偉い人や偉そうな人の言うことによく騙される人です。テレビやネットに流される人です。先生の話をよく聞いて、先生が気に入るようなことができる人です。そういう人が選挙に向いています。
 子供の中にも、そういう子たちはたくさんいますね。子供を騙すのは簡単です。でも、子供に対してそれをやると、「騙している」のがあからさまにわかります。
 子供が選挙に向いていないというのは、そういうことです。騙してしまえば、騙しているのが丸わかりだからです。

 選挙に向く人だけが選挙に行きます。向かない人は行きません。
 向く人というのは、言うことを聞く良い子です。
 ほかのやり方はないもんかなと思います。
 日本では制限選挙の時代を含めても125年程度の歴史しかないのだし、別にそんなにこだわることもないような。

2014/02/07 金 僕のアーバンブルーズへの貢献

 ある二人の有名な人たちがこんなことを話していました。「ファンっていうのはさ、もともと僕らの作品や考え方に共感してくれた人たちなわけだから、仲良くなれるはずなんだよね。でも、たとえば音楽でいうなら、レコード会社はできるだけミュージシャンとファンとの距離を遠くして、その間をお金で埋めてもらおうとする。それって変だし、寂しいことだよね。」
 この会話を聞いたのは僕が22歳の時でした。僕はこの方たちと仲良く(そんな、めっちゃ仲良いというほどでもないのですが)なれたことで、「好きだとかファンだっていうことは、いつか仲良くなるためのきっかけにすぎないのだな」と思うようになりました。これは僕がよく言っている「恋愛などない」という考え方とかなり近いような気がします。
 それで、「仲良くなりたい」と思う気持ちを大切にして生きるようになりました。そして僕は恋愛とほとんど同じ感覚を持って、何人かの大好きな人たちとふれあい、仲良く(中にはめっちゃ仲良くなれた人もいるし、これからなれそうな気がする人もいる)なりました。
 恋愛と同じ感覚、とは僕にとってどういうことかというと、「相手(やその作品)をよく知り、よく考える」「好意を伝える」「勇気を出す」です。よく知り、よく考えれば、好意の伝え方もなんとなくわかるし、勇気も出しやすいのです。
 どんな対人関係でも基本的には最初に距離があって、その間にどちらかからの好意が生まれます。好意を持ってしまったほうはその好意に、その後どうしていくにせよ、責任を持たねばなりません。

2014/02/04 火 8の倍数と26歳

 過去ログを撤去しといて新しい日記も書かないというのは見に来てくださる皆様に対して非常に失礼なものですね……スミマセン。そろそろ元気になってきたのでがんばります。過去ログは必ず復旧させますのでなにとぞよろしくお願いします。

 雪が降りました。雪が降ることを降雪と言います。僕のお母さんは南こうせつさんの大ファンです。南こうせつさんは現在「8×8」の64歳ということで、ネット上にある「男は8の倍数で、女は7の倍数で変化が訪れる」というテーマのインタビュー集において、「8×3の24歳で『神田川』が大ヒット」なんていうことを語っておりました。
 それで興味を持ってWikipediaを読んでみたりしました。26歳で富士山の麓に引っ越したとあります。

「若い歌い手が死んだ まだ26の若さ 彼は祭壇に置かれ ジェームス・ディーンになった 俺が歌に疲れ果て 山の村に逃げたのも ちょうど同じ26 あれからもう20年 ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど 生き続けることができてよかった」

 これは岡林信康さんの『ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど』という歌です。名曲ですので、どうか9分くらいだけ時間を作ってもらって、じっくりと聴いてください。尾崎豊の26歳の死に際して作った曲だと思います。
 岡林には『26ばんめの秋』というものすごい名曲もありまして、こちらも合わせてお聴きいただければ幸いに存じます。

 岡林信康さんは26歳で山村に引きこもったわけです。その前後の事情については彼の著書に詳しいので、図書館などで探して読んでみてくださいませ。
 南こうせつさんも、こちらは事情をよく知りませんが、26で富士山の麓に引っ込んだそうです。現在は地元のほうで大自然に囲まれて暮らしているんだとか。
 この辺のことをきくと、僕のお母さんが昔からこの二人の大ファンだったということに深く深く納得します。そして僕も、お母さんのそういう精神をほとんどそのまま受け継いでいます。お母さんのことを語り出すときりがないのでやめますが……。

 僕はふだん「年齢で人を差別するのはよくない」と思っている側の人間ではありますが、しかし年齢を使ってものごとを考えて、何らかの結論(それがけっこう雑なものであっても)を導き出すのはけっこう好きです。
 26歳については過去に書いたことがあると思うので、「8の倍数」について考えてみます。
 ……毎度のオタクっぽい自分語りになります。
 こんなこと書いても誰が面白がるのかわからないし、もう何回も書いてきたことなのでうんざりしている人もいるかと思いますが、しかしこの作業はけっこう大事なことなのです……。今から出てくる固有名詞は、「当時の僕が触れたものの中で、今に至るまで良い影響を引きずり続けているもの」だけです。当然、触れたけど好きにならなかったものや、当時は好きだったけど今はそうでもないようなものは含まれません。だからこれから書くものは、「僕の29年の人生が自信を持ってお勧めする素晴らしい作品たち」です。皆様におかれましては、「オススメ作品一覧」みたいな感じで捉えていただければと思います。
 僕は本当に、どこまで行ってもオタクですので、自分を語る時にまず好きなマンガやアニメ、音楽などから入ります。悲しい性ねっちゅなもんで。(60年代末頃の岡林ふう)

 男は8の倍数。8歳の頃といえば小学二~三年でした。この頃は図書館に通ってマンガばかり読んでいました。手塚治虫先生の諸作品と、『まんが道』『デビルマン』を読んだのが最も印象に残っています。それからお母さんが借りてきた、ちばてつや先生が昭和30~40年代くらいに描いていた『テレビ天使』『みそっかす』などの少女マンガ。岡田淳先生の作品は『星モグラ サンジの伝説』を皮切りに、少しずつ読み始めたかどうか、というところです。

 マンガに関しては、いつ読んだということの確認はできませんが、アニメの場合は放送時期がわかるので便利です。
 小学二年生といえば、1992年度です。92年といえば1月から12月まで、かの名作アニメ『ママは小学4年生』の本放送がありました。また、テレビ愛知の伝説の再放送枠「まんがのくに」で、『魔動王グランゾート』『魔神英雄伝ワタル』『魔神英雄伝ワタル2』が立て続けに再放送されています。このあたりは厳密にいえばまだ7歳なのですが、この枠で『宇宙船サジタリウス』が始まるのがなんと10月29日で、8歳になる3日前から始まったことになります。すごい! 完全に一致! そして『ママは小学4年生』の同枠での再放送は93年の9月~12月までと、ちょうど8歳の終わり頃と重なっています。僕の8歳は、ママ4に始まってママ4に終わり、その間にサジタリウスが挟まるという、恐ろしい構成になっていたわけです。

 そして、さらに恐ろしいことに、このページによると、2000年1月(それ以前からの可能性もあり)から2001年2月にかけて、三重テレビ(我が家は名古屋市内だけどなぜか映った)で『ママは小学4年生』が再放送されています。僕はこの放送を毎週見ていたわけですが、2000年11月1日で僕は16歳になりますので、やはり僕は8の倍数の時にママ4を見ていたことになります。(この時に録画したビデオが、未だに残っています。)
 そしてそして、2001年は、BS2の「衛星アニメ劇場」において『宇宙船サジタリウス』も再放送されているのです! なんということでしょう、僕の16歳は、ママ4に始まってサジタリウスに終わっていたようなのです。なんと恐ろしい……。
 16歳といえば僕は演劇部で初めて書いた戯曲『少年三遷史』(当時の、現在に繋がる僕のすべてが詰め込まれた演劇)を上演し、それとは無関係に愛知の高校演劇界でなぜか多少目立ち、ネット上の日記について先生から怒られ、停学(正確には無期謹慎)をくらい……と、華々しい高校生活を送っていました。

 考えてみれば、僕が初めて物語を書いたのはたぶん8歳の時です。ひょっとしたら9歳になっていたかもしれませんが、小学三年生ということははっきりしています。『山そう村の大事けん』というやつです。これは原稿用紙10枚程度でした。初めてまとまったものを書いたのが16歳の時で、それが『少年三遷史』。そして、24歳の僕は『たたかえっ!憲法9条ちゃん』を書くわけです。これはけっこうすごいと思います。
『宇宙船サジタリウス』に次いで僕の人生を決定づけた『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』というアニメは、2007年1~3月放映なので、22歳です。しかし、これを何度もくり返し見たのち、まとまった評論文を書いたのが9条ちゃんを書いた直後(2009年の5月頭)で、これは24歳なのです。もちろん、9条ちゃんと一緒に、初めて出店した「文学フリマ」で売りました。「男は8の倍数」説、意外と当たってるのでは?

 だったら、岡林の何度も歌う「26歳」ってのはなんなんだ?
 僕の人生に照らし合わせると、この「8の倍数」というのは、「8の倍数の年の時に、それまでの7年間で貯め込んできたものを放出する」というような感じなのかなあ、と思います。8歳の時までの成果は『山そう村の大事けん』だし、16歳の時までの成果は『少年三遷史』、24歳の時までの成果は『たたかえっ!憲法9条ちゃん』である、というように。『まなび』に関して考えばわかりやすいですが、22歳の時に出会って、2年間考え続けた結果を、24歳の時に放出したわけです。
 26歳というのは、24歳で始まった「放出」が一通りおさまったくらいの頃、ってことなのではないかと思うのです。それで、山に引きこもったり、死んでしまったりするのかな、と。
 尾崎豊という人のWikipediaを見ると面白いです。小学3年生(8歳か9歳かは不明だけど、11月29日生まれなので8歳のほうがありそう?)の時に初めて詩を書き、16歳の時に『ダンスホール』などのデモテープをソニーに送っているそうです。23歳で第一子が生まれ、24歳の時には『誕生』という二枚組アルバム(ラストから二番目のアルバム)を出しています。
 そして26歳で出した(発売は死後)のが『放熱への証』というアルバムで、このアルバムに僕が最も好きな彼の曲『自由への扉』は収録されております。(『たたかえっ!憲法9条ちゃん』に出てくる「放熱の証」というフレーズは、このアルバムに敬意を表してのものです。)

 ある種の男は、24歳くらいで才能の最も輝かしい部分を出してしまうのかもしれません。南こうせつさんなら、『神田川』は24歳。そういえば村上龍さんが『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受賞したのも24歳でした(書いたのは23歳)。ちなみに村上龍さんは26歳で同作の映画を撮ります。これも面白いなあと思います。
 僕の場合は、24歳で『9条ちゃん』、25歳の時に『ぶっころせ!刑法39条ちゃん』、26歳で『女の子のちんちんって、やわらかいと思う』と『絶対安全!原子力はつでん部』を書きます。そして……それから、しばらく目立った作品を書いていません(ほぼ『ペド太』のみ?)。貯め込む時期だったのかなと思います。
 このたび『9条ちゃん』が商業化しますが、その改訂作業は24歳の自分との戦いです。もちろん、最初に書いたものより良いものになっている自負はあります。若い勢いを殺さずに、より良く改訂できていると思います。しかし、だからこそ、「自分はまだ24歳の延長なのかもしれないな」と思うわけです。僕にはまだまだ、24歳のノリが残っています。『少年三遷史』はもう書けませんが、『9条ちゃん』なら書けます。
 次の「8の倍数」は32歳。この時期に自分がどうなっているのか、とんと見当もつきません。悪いことにはならないように、精進しながら今日を生きます。

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