少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2023.9.1(金) 信州紀行(合宿の続き)、ついでに熊谷
2023.9.10(日) 疑惑と存在/個人と個人 服部吉次さんの発言から
2023.9.19(火) 「たすけてくれ」と「たすけあおう」(天理教の話)
2023.9.20(水) 神秘的な少年たち(ジャニーさんの話)
2023.9.21(木) ジャキー似多川(ジャッキーさんの話)
2023.9.24(日) 矛盾について
2023.9.30(土) 9月の近況/有名人と有名人じゃない人

2023.9.1(金) 信州紀行(合宿の続き)、ついでに熊谷

【8月31日】
 8月29日から31日まで茅野で合宿していた。昼前にみんなと別れたあと、29日にみんなで夕飯食べた宝来軒という中華屋へ。うまにそばを注文。茅野のクレイジーな飲み屋の店主が「宝来軒行ったの? あそこのうまにそばは最高だよ!」とおすすめしてくれたゆえだが、よく考えたらおととい食べた中華丼とまるかぶりメニューだった。カレーライスにすればよかった(中華屋のカレー研究家なので)。でもうまにそば、たしかに美味しかった。また行けばよい。
 その後、すっかり気に入った琥珀という喫茶店へ。「食べものはないんだけど」とおととい言われたのと同じフレーズを告げられた。ランチやトーストを求めて来る一見の客がそれなりにいるのだろう。おとといと同じ席に座り、おとといと同じホットコーヒーを注文。おとといはビッグコミックオリジナルだったが、今回はビッグコミックを読んだ。
 お会計して「領収書ください」と言ったら、「こないだ来てくれた人よね、尾崎さん?」と、思い出してくださった。珍しい苗字だから、とのこと。オザキってのは覚えやすくて得してる、本当に。このお店には当たり前のように、日常的に通いたい。茅野すみてー。

 12時45分発の列車で小淵沢へ。小海線に乗り換え。臨時快速の「八ヶ岳高原列車5号」が出ていた。ラッキー。ところが駅のアナウンスで盲点を突かれる。
 要約すると「ICカード乗車券の使用できる小海線の駅は清里、野辺山のみです」とのこと。僕は中込(なかごみ)で降りる予定である。中込はそれなりに大きい街だからICカードの簡易ピ機くらいあんだろと思い込んでいたのだが、長野県は甘くないようだ。茅野駅でピしちゃったから、このまま中込で降りるとかなり面倒な手続きが必要になるっぽい。初歩的なミス。終点の小諸まで行ってもピはできない。悩んでいるうちに電車が出発してしまった。清里か野辺山で降りて、いったんピして切符を買い直すのが得策であろう。
 清里のミルクポットも気になったが、ピクニックという喫茶店が気になってなんとなく野辺山で降りることにした。余談だが帰ってから山田太一脚本のドラマ『高原へいらっしゃい』(1976年版)を(木下恵介アワーからの流れで)ぼんやり見ているのだが、その舞台が野辺山であり、驚いた。こういうことが本当に楽しい。
 野辺山駅は国鉄(!)の駅で最も高く、標高1345.67メートル。覚えやすい。喫茶ピクニックはお休みだったので駅前でアイスクリーム食べた。350円。コーヒーみたいな値段だ(←喫茶病)。
 1351着、1415発。さして待ち時間がなくてよかった。臨時快速のおかげ。それでも想定より30分くらい遅れてしまったので、中込ではなく、ちょっと先の北中込で降りることにした。料金変わらないので。
 この「料金変わらないので」がくせ者でして、北中込で降りるとき、車掌さんに「野辺山→中込」のきっぷを見せたら、ものすごく怖い顔をされて、怖い声で、なんだか忘れたがなんか言われた。なぜ忘れたかといえば怖かったから。怖かった……。なんであんなに怖いんだろう。さすが国鉄職員だ。
 手持ちの端末で料金を調べ、同額だとわかったのでそのまま下ろしてもらえたが、ものすごく怖い顔で、怖い声で、「今回は仕方ないですが、本当は正しい切符を買ってもらわないと困るんですよ……」というようなことを言われた。ええ、僕が悪いのだ。降りるときではなく、走っている間に乗車変更を申し入れるべきだった。料金が同じだからいいだろうという甘えがあった。小海線とはいえ1分でもダイヤが狂ったらちょっとした事件であろう、それでカリカリしていたところもあるんじゃないだろうか。申し訳ないことをしました。以後がんばります。

 15時30分、北中込下車。さっそく、Google Mapで「喫茶店」とか調べても出てこなかった「Ako」というお店を発見。「TAKANO COFFEE 喫茶&ドリンク Ako」と電飾スタンド看板にあり、窓にも「喫茶・軽食」とあるのだが、同時に「吞み処」とも書いてあるし、「TRIANGLE 万上焼酎トライアングル 軽食」と書かれた別の電飾スタンド看板(いや、こう言う以外に伝えようがないのですよ、喫茶店の前とかによく立ってるやつ)もある。推測するに、最初は喫茶店として始めたのだが、だんだん実質的に居酒屋やスナックのように変わってきたのだろう。営業はしていなかった。もう何時間かしたら開店するのだろうか。いつか来てみたい。
 良さそうと思っていた駅前の「ルオー」という喫茶店は見るからに廃業。南下し「木馬」を見る。すごくよさそう。だが時間がないので大通り沿いの「シャドウ」のほうに入った。最高だった。コーヒーは300円。
 Akoも木馬もシャドウも看板はTAKANO COFFEEであった。地元の会社かと思ったが「TOKYO AZABU」と書いてある。調べてみると本社は埼玉県川口市……。こういう、卸業者の分布みたいなのにも興味があるのだ。僕は常々「長野県の珈琲は薄味である」と主張しているのだが、そのヒントにも繋がるかもしれない。
 野辺山で食べたアイスクリームが髪の毛についちゃってたらしくかぴかぴに固まっていた。シャドウから500メートルの距離に日帰り入浴のできる温泉宿があったので、入ることにした。700円。銭湯より高いけど今は超安い。
 20~30分くらい浸かったり出たり。歩行浴たのしかった。大きな鏡の前で髪を乾かしていたら、またも「自分美しい!」モードに。嫌がらずに一応聞いてください。ナルシシストの語源となったナルシス(ナルキッソス)って美少年は泉にうつった自分の姿に恋して死んだ。自らの裸体を鏡で見ながら僕は「あっぶねー」ってちゃんと思っているのだ。何があぶねーのかっていうのはよくわからないが、「この感情はどっちの方角にも行き得て、ともすれば本当に溺れて死ぬこともあるな」って感じ。

 幼少期から思春期にかけて、自分の容姿にまったく自信がなかった。それなりにモテるようになってくると「わりとイケるのでは?」と思うようにはなったが、容姿で勝負できるわけではないというのが20代までの認識。30歳くらいで「ああ自分は自然にしてればいい顔をしているんだ」と、客観的というより自分自身の感覚として「いい顔」と認めることがようやくできた。それがだんだん拡張して、30代後半になってついに「いい身体」とまで言うようになった。なんかちょっとヤバいっちゃヤバい、ような気がする。
 この感覚は、ともすれば「トランスジェンダー」に行くし、「アンチエイジング」にも行く。僕の肉体にはそういう資質が十分にある。自分の内面に軸とか芯みたいなのがしっかりないと、肉体の美に引っ張られてしまうのである。これだけ美しいのだから女性になるべきなのではないか、とか、これだけ美しいのだからどんな手を使ってでも維持すべきでは、とかって、歪む。この「肉体に内面が引っ張られてしまう」というのが、さっき書いた「あっぶねー」の正体だろう、と僕はいま感じている。
 髪を伸ばしてみてよかったのは、自分の美しさがより強調できていることかもしれない。女のような美しさ(まあそうだということにしてくださいよ)を持ってみて、むしろ男としての本質が見えてきた、みたいな。今はまあまあ軸とか芯みたいなのがちゃんとあるから、女のような美さえ「なるほど」と一つの材料にできる。冷静に、客観視できる。美しいなと素直に思える。これをもし10代とかでやってたら、内面がついていかなくてバグっていたかもしれない。ただまあ、その頃はこの髪に見合うような顔はできなかったと思うけど。そういうかわいい内面がまだ開放できてなかったから。
「ちゃんと年を取る男の子」というのが僕の自覚。女の子のような側面は人並み以上にあると思うが、女の子になろうという気持ちはない。若々しくあることには大きな喜びを感じるが、自然に逆らってまで見た目を若く保とうとは思わない。
 もし僕が、この「ちゃんと年を取る男の子」という内面的自覚を持っていなかったら、女装にはまっていたかもしれないし、注射や整形や性転換も検討していたかもしれない。何がなんでも老けないよう美容や健康に傾倒しすぎていたかもしれない。そういう才能が僕にはある。
 重要なのは、「ちゃんと年を取る男の人」ではないということだ。僕には「男の人」であるような内面的自覚はない。「男の子」としか思っていない。ここに僕の病がある。男の子であって、しかも僕は男の子が好きである。同性愛というのではなくて、同性として「かわいくてかっこいい男の子」への憧れがずっとある。小さいころに見ていたアニメの主人公とか。Folderの三浦大地くんとか。自分もそうなりたかった、活躍したかったのだ。それが小さいころに叶えられなかったから、永遠に求め続けている。ここまで言えるの、偉くないですか。
『ドラえもん』でのび太が、「こどものうちになれないから、おとなになってから(がき大しょうに)なるんだ。」と言っていたのとほぼ同じ。あのシーンは本当に胸に響く。2巻「ゆめふうりん」参照。
 男の子として男の子が好きな僕は、鏡にうつった自分の裸を見て、「かわいいしかっこいい!」と喜んでいるわけだ。苦節30年、ようやく自分を「そういうもの」として肯定してあげられた。そのことは非常に幸福で、すばらしいことと思う。もちろん外見のみならず、自分の冒険(やっていること)についてもだいたい肯定できる。『魔神英雄伝ワタル』の戦部ワタルと並んだってもう恥ずかしくない。そういうふうに自分を捉えることが、ようやくできたのだ。
 ここから「男の人」へとステップアップしていこうという価値観、あるいは世界観は、今のところ僕にはない。男の子としてこのまま老い、衰え、死んでいくのだろう。あるいはまったく違ったほうに行くのかもしれないが。

 前提を語りそびれていた。この旅に僕は小さな折りたたみ自転車を持ってきている。こうして自転車に乗ったり、いろいろ元気に活動したりして、その結果痩せていたり、それなりに自然な筋肉がついていたりする。また、夜学バーもこの旅(合宿含む)もそうだが、できるだけストレスの少ない環境をひたすら求め、楽しいことをしたり、好きな人たちと遊ぶ時間をたくさん持ち、とにかく安らかに、笑って過ごすように努めている。その結果が、いまの肉体(からだや顔)なのである。
 こないだの「夜学バー博」で、24~25歳の自分の映像を久々に見た。かなり自信のない感じがした。なんとなく胸を張れていない。たぶんいまはもうちょっと健やかな顔をしている。もちろん昔のほうがみずみずしくてキレイではあるし、不安定ゆえの美しさも見出せるのだが、なんというか幅がない。いまはかつてより、バカな顔も素直な顔も、鋭い顔も悲しい顔も比較的自由に行き来できる。豊かになっている、と思う。

 自分のことを好きだと思えるのはとても大切なことだと思うが、それがたとえば「美しい肉体」に由来するとしたら、それを失った場合どうなるか。そこが「あっぶねー」なのだ。打つ手はいくらでもある。「美しさ」というものを自分の変化に合わせて変えていくのがたぶん正道。「現在の美しさを維持しなければ」とか、「もっと美しくならなければ」と思ったら、たぶんいけない。僕の場合は。「今日も美しい」を毎日続けていきましょね。(そうでない日もあっていい。)

 岩村田(いわむらだ)駅のほうへ北上。天然記念物のヒカリゴケを見物し、遊郭跡を横目にして「ピエトロ」という喫茶店へ。ここは最高! 絶対にまた行きたいし、みなさんもぜひ。コーヒーは350円。
 そのあとは「茶王」と迷ったが、少し戻って「きよの」へ。ミルクセーキとナポリタン。本棚に橋本治が5冊くらいあって昂奮した。娘さんの趣味だという。こんど来たらお酒をいただきカウンターでゆっくりしたい。
 その後「春さん」というやきとり屋に行こうと思っていたのだが、合宿参加者の二人がクルマでの帰り道、Txitterのスペースを開いて夜学バーについて話しているようだったので、しばらく聞いたのち参加することにした。
 話ながら自転車漕いで佐久平駅に着いたら、次の電車が40分後だったので、もう40分話した。合計で2時間くらいのアーカイブが残っている。聴きたい人は今月中にご連絡ください。
 夜学バーというお店は、いろいろ考えるとやっぱり遠心的であったほうがよい。中心を定めない。あやふやで不安定という急所を背負ってでも、柔軟性を捨ててはならない。まあそんなようなことを思いました。

 奮発して新幹線に乗り、9分後に上田着。1300円。岩村田からしなの鉄道に乗り継ぐと620円。ほんのささやかな贅沢。ちょっと休んで6月に見つけた飲み屋へ。
 すぐに「こないだの」とわかってくださった。ほかにお客はなし。よもやまお話しながら、ハートランド中瓶、ジナシのお酒、バイソングラスのお酒、マツのお酒などをいただく。ここの店主も「自分でなんでもやってしまう」人で、おつまみに使う野菜、お酒に漬ける木の実や草、活けて飾る植物など悉く、自分の畑でつくったり毎日の散歩のなかで見つけてきたものという。
「長野県で僕は何をすべきか」「新店舗に向けて何をしようか」といったことを道中ずっと考えていたわけだが、やはり「毎日の生活のなかで無理なく積み上げてきたこと」を、なんらかの形にして提供していくのがよいだろう。
 遠く上田の地に心強い友人ができたようでとても嬉しい。


【9月1日】
 本当ならこの日に夜学バーを復活させて、「9月0日大営業」みたいなことをやりたかった。灼熱の上田を朝から走り回っていた。「アド」でモーニング。安くて豪華。とてもいい。「亜羅琲珈」ここは最高。「Wataryo」は閉まっていた。信州大学と長野大学の学生が中心となって創業したという「Chill」というお店を通りがかる。人がいたので勇気出して声をかけてみた。夜学バーの宣伝をしておいた。HiHiな雰囲気だが一度飲みに来てみよう。同行者募集。
 実はずっと自転車の調子が悪いので「スズキサイクル」にもっていく。暑い中ほかの仕事を中断して見てくれた。300円と言われたが500円わたした。「このまま北国街道を進んでいくと丸山邸のあたりに個性的なお店がいくつかあるよ」と情報を得た(まさしくRPG!)ので、行ってみることに。途中の栄食堂で栄ランチというのを食べた。900えん。物価はふつう。
 丸山邸周辺は確かに面白そうだった。ただあまり時間がないので胸に刻みつけて通り過ぎ、卸団地の中にある「ダンケ」という喫茶店へ。ここも最高。行ってみてね。
 18号線を東へ。「樫の木」という喫茶店が地図には見られるが営業していなさそうだった。ところであまりに暑すぎる。道路の表示器に「37度」とあった。上田暑すぎる。
 前回も来た、元印鑑屋の「浅間珈琲」に。アイスレモネードを注文。生き返った。ほんの数キロ走っただけでバテかけている。店主と軽く世間話をしつつ、これからの計画を練る。まだ数軒寄っていきたいところはあったが、ちょっと気分を変えたい気もする。

 予定では、上田から高崎まで新幹線に乗り、高崎駅の周辺を巡ってから、在来線で熊谷へ行って好きなお店をひたすら巡るつもりでいた。しかし高崎はなんとなくテンションが上がらない。暑そうだし、ちょっと都会すぎる。もうちょっとリフレッシュできる場所がいい。軽井沢にでも行こうかな。
 セコい話になるが僕はこういうゲーム性が大好きなのでちょっと語る。上田から高崎までの新幹線特急券は自由席で1870円。熊谷までだと2640円。高崎に寄ろうとしたのはこの差額をケチるためでもある。軽井沢→上野は2640円、→高崎と→熊谷はともに1870円。
 すなわち、軽井沢に寄ってから高崎を飛ばして熊谷に寄るのが最も経済。ちなみに軽井沢→高崎には在来線が一部存在せず(詳しくは鉄道マニアに聞いてね!)、ここをケチるのはけっこう大変である(不可能ではないが労力も時間もかかる)。
 しなの鉄道で上田から軽井沢まで行くと890円、中軽井沢までだと800円。この90円をケチりがてら、中軽井沢で降りることにした。中軽には行きたい喫茶店もあるし、ちょっとしたゆかりもあるのだ。
 おわかりかしら。新幹線代をできるだけケチり、在来線もほんの少し安くしながら、中軽井沢→軽井沢間を自転車で走るという「楽しみ」をも同時に得る。こういうのが思いつくと「あざやか!」って自画自讃したくなる。これも旅の醍醐味。
 ただし、予定通り上田→高崎→熊谷→東京(上野下車)とすると料金は3410+1870で5280円。中軽作戦にすると800+2640+1870で5310円。30円高い! 悔しい!

 上田から中軽井沢までの車内、まぶしいのでサングラスをしながらぼんやり座っていた。すると、さほど混んでもいないのに細身の黒人男性が僕の隣にぴったりとくっついてきた。なんだ? と思っていたら、LINEの画面を見せられて、「これなんて書いてある?」「これで(日本語)合ってる?」等と聞いてきた。なるほどコーチしてほしいのかと丁寧に返したら、「ガールかと思った。ユーアーガールかと思った」と言われた。ナンパか!
 しかし日本語の文章が得意でないのは本当だった。会話には困らなかったが、ひらがなは読めるがカタカナは読めないというレベルらしい。ふだんは上田に住んでいて、これから軽井沢で初めて会う女の子とデートするとのこと。女の子は東京から来るそうだ。どういう設定?と思ったが、「わたしは陸上をやっていて、彼女とは同じ陸上選手として知り合った」という。なるほど?
「わたしいまお酒飲んでる、めっちゃ飲んでるよ。わかる? 見ただけでわかるかな。彼女にバレたくないね」「いや、初めて会うんだったらわからないと思うよ」「よかった。お酒飲む? ビール好き? わたしビール好き」「ビール好きだよ」「じゃあ、ブラザー。一緒に飲もう。どこ住んでる?」「東京」「東京、クレイジーな場所知ってる。教えてもらった」
 iPhoneのメモを見せてきた。「Shinjuku Kabukicho」と書いてあった。笑った。「オーケー歌舞伎町で飲もう、ぜひ」「ガール好き? わたしガール大好き。ガールと飲めるところ行っていっぱいビール飲もう」「いいね、でも僕はお金ないよ」「わたしお金あるよ。ビールをわたしバイフォーユーするから、ブラザー、一緒にビール飲もう」「いいね、約束だ。東京か上田で」
 という感じで、なんだか仲良くなって、LINE交換した。「わたし会社から20万円の自転車をタダでもらった、だけど電車の載せ方、こういうふうに小さくするのわからないから教えて」「お安いご用、教えるよ」……。
 この人は本当にそれなりの結果を出している陸上選手で、「名前を検索してみて」と言われてやってみたら、すぐにいろいろ出てきた。実業団チームにいるということだ。まだ22歳くらいだと思われる(!)。なんか妙な友達ができてしまった。髪の長いメリット、だったかもしれない。
 後日談。今日(9月4日)電話来てたけど出られなかった。まさか東京に来てるんかな? メッセージだと大変だろうし、明日こっちからかけてみるか。

 中軽井沢でお先に下車。自転車組み立て、念願の「新宿スカラ座」へ。どんなお店かはWikipedia等をご参照ください。とてもやわらかく、素敵なお店だった。コーヒー700円(アイス800円)という軽井沢価格。
「昭和30年 旧軽井沢駅周辺」と(たしか)書かれた写真が壁に貼ってあった。「LAMBLE La SCALA」という看板がそこに写っていた。新宿スカラ座が新宿にできたのが昭和29年で、軽井沢に移ったのは7年前くらいのはず。どういうことだ?と思い訊ねてみると、「むかし出店していたことがある」とのこと。調べてもそんな事実は出てこない。インターネットの限界であろう。何か知っている人がいたら教えてください。

 まっすぐ軽井沢駅には向かわず、南へぐるーっと回って「妖精の棲む森」へ。向陽高校103(1年3組)の同級生、ぺ~こ氏がかつてこの地に住まい働いており、僕も何度となく自転車で碓氷峠を登り遊びにきたものだ。軽井沢の想い出はたくさんあり、懐かしい風景にいちいち目がうるんだが、とりわけ好きなのはこの「妖精の棲む森」だ。すでにCLOSEして鎖がかかっていたが、実は隣の敷地からスッと入れてしまうので、ちょっとだけ散策した。軽犯罪すみません……。本当にちょっとだけです。暗くなると危ないし。
 妖精というものは「信じる」という概念と非常に深く結びついている。ここにくると「信じる・信じない」ということについて否応なく考えさせられる。それはともかく、単純にこの道の匂いや雰囲気はじつに素敵。記念写真撮ってぺ~こに送った。
 ぐるっと北上して軽井沢駅へ。10kmくらいの半円を描いたイメージ。このルートは思いのほかよかった。森深くを通ったり、途中で舗装がなくなったり、心身が洗われるようだった。せっかく長野にきたのだからこういう走り方もしなくてはつまらない。
 暗くなるころに熊谷着。最大の目的地モリパクは営業しておらず、A.L.F.コーヒーはついに「テナント募集」になっていた。大好きだった「ふみ」も「窓」も「K」もなくなっちゃったし、熊谷は風前の灯火。悲しい。
「セーヌ」を見にいったら、営業していた。頼もしい。ここは本当にいいバーだからみんな行ってほしい。席料なし、ほぼ全品1000円。ちょっと何か食べてから行こうと、街中を走り回る。新しい、気になるお店もけっこうあった。それらを頭にメモしつつ、さびれきった商店街の端っこに、古めかしい暖簾の「きみちゃん」というお店を見つけた。何度となく熊谷に来ていて、けっこうよく通る道なのに、これまでまったく気がつかなかった。インターネットで調べてみると、限りなく0にちかい情報量。Googleマップに登録すらされていない。歯を食いしばって、入ってみた。とてもよいお店だった。
 ビール中瓶と、フライ焼き、こまい丸干し、熊谷の地酒「直実」(蔵出し生酒 しぼりたて)をいただく。お通しは冷ややっことえびせんべい。
 ママは山内恵介さんの大ファンだそうだ。そうだなー、山内恵介のヒット曲くらい歌えるようにしといて損はないなー、なんてことを思った。浅草や上野でよく飲むから、こんど人連れてお店に行くよ、と仰っていただいた。ありがたいことだ。
 さてお会計は4000円。ふむ。フライ焼きとこまい丸干しは500円と書いてあった。日本酒はどんぶり勘定で「1000円にしとこうか」という話であった。そうなるとお通しとビール1本で2000円ということになる。けっこうなことだ。連立方程式を立てるため、もう一度伺わねばなるまい。(そのためのメモ。)

 セーヌへ。ジンフィズとジンリッキー。年寄りのつくる酒は濃い、というのは僕の持論であるが、87歳の老マスターはしっかりとゴードンを60mlくらいは入れていた。ただビンを見ると37.5%という薄めのやつだったので、命拾いした。ジン好きからはあんまり評判のよくない(と思う)37.5だが、古きよきジンフィズにはちょうどよいような気はした。こんど買ってみようかな。ゆっくりとした落ち着いたシェイクも真似したいと思った。
 ジンリッキーは58歳の息子さんがつくる。同じく60mlくらいはゴードンを注いだ。ソーダのあとにライムジュース入れる作法は参考にしよう。
 さぁこれからどうしよう。きみちゃんの友達が最近始めたという「ちかちゃん」に行ってみるか。向かいに新しくできたバーではオープンマイクやっててギターで歌えるらしいから酒の勢いでオリジナル曲やってみるか(こういう発想が可能になるのは曲を持っている強みであるなあ)、駅のむこうのバーボン屋さんに行くか。熊谷の夜は更けていくのであった……。(手抜き)

 いろいろなところに行ってみた(「らくだの店」にも入ってみたよ)が、どこも大ヒットとはいかなかった。最盛期(?)は熊谷に絶対行きたい好きな店が6軒あったのにいまは2軒にまで減ってしまっている。このままでは僕の熊谷モチベが危うい、みなさまぜひ熊谷に行ってもらって、素敵なお店の開拓を! なんなら開店を!

2023.9.10(日) 疑惑と存在/個人と個人 服部吉次さんの発言から

 いかにその、言葉っていうのは、個人の資格でもってきちんと断定して発言する、そして相手の言い分を待つ。「え、それおかしいじゃないですか、あなた」っていうやっぱり、発言が大事だと思うんですね。そうじゃなくって、「あなたたちの決めたことはおかしいじゃないですか」ってことはほとんど意味がない。誰も決めてなんかいないですよね。みんなで決めたことっていうのは。「あなたが言ったことはおかしい」っていうふうに発言しなかったらば。だから自分の先ほど言いました家族民主主義のことを考えてください。「僕はこの家(うち)が嫌だ」とか、「この家っていつもこうじゃないか」と言ったって何の通用も与えないんです。「お父さん、あなた間違ってる」「お母さん、あなたは嘘をついてる、昨日言ったことと違うじゃないか」っていうやっぱり、個人を、個人の資格でもってやっぱり批判すること。それで反論を待つ。
 それが僕はやっぱり民主主義の基本であり、だからこそ、政治にも経済にも、それは一番基本原則として生きてるんだと思いますね。だから、皆さんが想像している以上に、僕は、今回のジャニーズ事務所の、ある一定の僕はやっぱり成功、それから勝利をおさめてると思います。これから先やっぱり、国際的な問題になってこうやって、これから、まあ7日の日にいったい、ジャニーズ事務所はどういうふうに答えるか。それに、まあ一番潮目を合わせて、ここでもってとにかくひっくり返す、っていう希望が今持ててる、っていうのはすごく大きな問題だと思う。だから、本当に思い切って、発言して良かったなあというふうに思います。以上です、今のところ。
(ジャニーズ性加害問題当事者の会9/4会見にて、協力員服部吉次さんの発言より)

 服部吉次さんは7、8歳のころジャニー(喜多川)さんから性被害を受けていたが、それを家族に話すことができなかった(正確には、姉に話したら嫌悪と共に拒絶されたため沈黙してしまった)。70年の歳月が経ち、初めてその経験を語り始めている。
 引用したのは9月4日の会見で、この3日後にジャニーズ事務所のジュリー、ヒガシ、イノッチと弁護士とが4人で会見した。それに対して服部さんは同日、さらに言葉を返している。白波瀬という人物が会見に出席しなかったことについて、まさに「個人の資格でもって」糾弾した。4日の会見で自身が語ったことを、身をもって実践したのだ。

 ジャニーさんのセーカガイ問題とその周辺の無数のことたちに、僕は並々ならぬ興味を持っている。書きたいことは本当にたくさんあるが、真っ先に選んだのは服部さんの発言だった。
 この問題の中に登場すれば、誰がどんなことを言おうがどこかの誰かに叩かれる。服部さんも散々いろいろなことを言われている。「かつてジャニーズの芝居に出ていたくせに、何を今さら」とか。でもそれらの多くは4日の会見の中での「ずーっと疑惑の中で生きてきたんだ」という発言によって少しほぐれると思う。
 いちおう、さっきの引用部の前段にあたる部分も書き起こしておきます。やや意味のとりにくい部分もあるけど、資料として。

 いかに沈黙というのが恐ろしいか。だから、皆さんにも言いたいことですけれども、家庭で本当に、話がきちんと、公の問題について公に話すということが、家族っていう集団の中でもってできるかどうかは、僕は民主主義の基本だと思いますね。だから、そのことは本当に、深く、胸に手を置いて、果たしてどうだろうかと。私は誰かの権力に潰されていないだろうか。誰かを忖度していないだろうかっていうことを、まあ日本の政治や経済やいろんなところで起きている矛盾を、「おかしいな」って思った時に、じゃあ自分はどうなんだ、というふうに考えてほしいというふうに思います。
 それで、まあだからこそ、つまり僕はまあ今回、そのことをすべて告白して、いろんなところでおしゃべりをしてるわけですけど、こないだ、これも何度か言いましたけれども、再発……ジャニーズ事務所がつくった第三者委員会、あれに私もヒアリングを受けました。ヒアリングの冒頭に、ジャニー性加害問題についての当事者の会の人たちからヒアリングを受けますといったときに(※ジャ注:この部分よくわからない)、性加害と言ったときに、性加害「疑惑」というふうに今まで称されていましたが、この「疑惑」は、今は存在しているっていうふうに変わりましたと。それは、「みんなで変わりましたと決めました」とも言ってもないですね。あれ、確か発言したのは飛鳥井さんだったと思いますけれども、それが存在してます、というふうにまあ、個人の資格でもってちゃんと言うわけですね。で、僕はその時にやっぱり、すごいこう大きな、ショックを受けたんですよ。僕はやっぱりずーっと疑惑の中で生きてきたんだっていうこと。実際に自分が体験したことが、疑惑だっていうふうに思われることは、今その時に疑惑が存在と変わりましたって言うまで、実は僕は、あまり重大なことだと考えてなかったんですね。自分自身でもね。
 だから、その、いかにその、言葉っていうのは……(先の引用部へ続く)

 服部さんは、7歳か8歳くらいの時にジャニーさんに「手をつけ」られ、そのことを翌朝姉に話したらば、「やめなさいよそんな話、汚いじゃん、聞きたくない!」と言われた。そのせいで沈黙してしまった。その沈黙は70年間続いた(とここでは思っていいと思う)。沈黙は常に「疑惑」とともにあった。「疑惑」であるうちは「存在」は認められない。
「それは存在するとも言われていますが、確かな証拠はなく、存在しないものとして世間では扱われています」という場合、人はそのことについて真剣には考えない。ものすごく多くの人がジャニーさんの行為について「こういうことがあるらしい」と思っていたのに、それが「疑惑」である以上、あまり真剣には捉えられず、笑い話のタネにさえなってきた。
「自分の好きなタレントもジャニーさんに何かされてるのかも?」と一時は頭をよぎっても、それが「疑惑」であるうちは深刻に考えなくてもいい。「まあ噂だし、そういうことが仮にあったとしても自分の担当には手を出してないかもしれないし、ってか手を出されてたとしても別にまあいいし」とか。そういうノリで何十年も時は過ぎてきた。
「疑惑」が「存在」に変われば、話は大いに変わってくる。たとえば自分の好きなタレントが、実際にジャニーさんから被害に遭っていて、「本当に辛くて、今もこういう悪影響が残っていて、自分の人生に暗い影を落としている」と訴えたとしよう。それを聞いて、つらい気持ちにならないファンはいるだろうか。「別にまあいいし」と思っていた人でも、臨場感を持ってそれを告白するタレントの姿を見れば、自分の想像力のなさ、あるいは想像力を封印していたことを、恥じるはずだと僕は思う。(もちろん恥じない人もいると思う。)
 そういうものを抱えている現役タレントがまったくいないとは僕には思えない。しかし当人からそのような発言がない以上、それは「疑惑」または「疑惑以前」のことで、「存在」はしていない。だから多くの人は、現役タレントに対して性加害という文脈において特別な認識を持っていない。当たり前だ。「存在」が確認されていないのに、「疑惑」だけで見る目を変えるのは、それこそ相手に失礼だろう。みんな慎重で、優しいのである。
 手を出された人もいれば、出されていない人もいるかもしれない。嘘をついている人もいるかもしれない。すべては疑惑であり、疑惑である以上、それ以上突っ込んだことは考えることができない。

 僕はやっぱりずーっと疑惑の中で生きてきたんだっていうこと。実際に自分が体験したことが、疑惑だっていうふうに思われることは、今その時に疑惑が存在と変わりましたって言うまで、実は僕は、あまり重大なことだと考えてなかったんですね。自分自身でもね。

 何が重大かというのを僕なりに考えれば、疑惑というものは、実体験さえ「なかったこと」にしてしまう、ということ。服部さんもそれに乗って暮らしてきた、そうせざるを得なかったのだろう。だから「ジャニーズの芝居に出ていたくせに」というのはお門違いだと僕は思う。ずっとなかったことにされていたのだ。みんなが「なかったこと」にしているところで、一人だけ「あった」と主張するのがいかに難しいことか。この件って基本的にそういう話でしょう。誰も「王様は裸だ」を言えなかったし、言ったとて「疑惑」という無尽蔵な穴倉の中に捨てられた。
 ジャニーズが、というか芸能界がしてきた(今もし続けている)ことは、「すべてを疑惑の中に封じ込める」ということだと思う。大野くんが大麻やったとか、嵐のメンバーほとんど全員+かなり多くのジャニーズタレントと性的関係を持った女性(AVデビューし、自殺した)がいたとか、そういうのはすべて「疑惑」であり、「存在」しているとは考えられていない。タレントないし事務所が「そうです」と認めるまではすべて「疑惑」のうちに封印できる。ファンたちも共犯となって「疑惑なんですよね、じゃああんまり気にしないことにします」というふうに片付けることができていた。

「これは疑惑です、安心してください」「疑惑なんですね、安心しました」という共犯関係を、芸能界とその華を享受する人たちは延々続けている。服部さんはそこを突いている。そして、「疑惑」というゴマカシを無効化し、「存在」を暴くために必要なこととは何かを、続けて語る。


 僕が最も感動したのは以下のくだり。

 個人の資格でもってきちんと断定して発言する、そして相手の言い分を待つ。「え、それおかしいじゃないですか、あなた」っていうやっぱり、発言が大事だと思うんですね。そうじゃなくって、「あなたたちの決めたことはおかしいじゃないですか」ってことはほとんど意味がない。誰も決めてなんかいないですよね。みんなで決めたことっていうのは。「あなたが言ったことはおかしい」っていうふうに発言しなかったらば。

 みんなで決めたことってのは、誰も決めてなんかいないのである。ルールとか決定事項を批判したところで、民主主義の世界では何も意味をなさない。そこにいる個人がそれを決めたわけじゃないからだ。国家や家庭について文句を言っても、国家や家庭なるものが意思を持って「はーい」と答えてくれるわけではない。枠組みに何を言おうと何にもならない。
 個人が、個人に対して言うことが大切なのである。だから7日の会見を受けて服部さんが言うのは「白波瀬を出せ」なのだ。その白波瀬の言葉を受けて、服部さんがまた言葉を返す。そういうことを繰り返し、重層的に織り成していくことだけが、「民主主義」なる仕組みを健全に動かしてゆく。

 突き詰めると人と人、ってことであろう。人と人とが対話をして、何かが決まってゆくのだ。決まってから「この決まった内容はおかしい」と言っても意味がない。「内容」は何も答えてなどくれない。常に、言葉を交わし合うこと。おかしいと思ったらその時に、その個人へ、個人として、発言をする。その積み重ねが世の中をつくってゆく。服部さんが言いたいのはそういうことと僕は解釈する。
 そういう対話を、「疑惑」という便利な概念を盾にして一切拒絶してきたのがジャニーズの歴史であり芸能界の歴史。政治でも経済でも、誰かがその対話を拒絶していて、あるいは周囲が何も言えなくなっていて、あまり「民主主義的には」機能しなくなっているのだろう。
 人間は、制度やルールの前に無力である。人間が訴えかけられるのは人間に対してだけなのだ。当たり前のようであるが、しかし世の中を見回せば、「個人の資格でもって、個人に対して訴えかける」をしている人は実のところあんまりいないのかもしれない。
 たとえばインターネットに「岸田が悪い」と書いたとして、そこに「個人の資格」があって、ちゃんと岸田という「個人」に届くかと言えば疑わしい。遠すぎる。また「岸田」というのは個人名ではあっても、一般人にとっては「制度」そのものに近い。少なくとも服部さんが言いたいのはそうでなく、自分が個人として接することのできる個人に対して、しっかりと意見を言えているだろうかということだろう。だから「家族」というものをまず彼は単位とする。あらゆる人が、少なくとも身近な人に対しては「個人対個人」として対話を交わす。それがどこでも当たり前に行われていれば、世の中全体も健全化するはずではないかというのが、服部さんの提言だと僕は見るのである。

 もしも自分が両親にジャニーの性加害を訴えていたら、ジャニーズ事務所はなかったかもしれない、ということを服部さんは言っている。ジャニーさんが若くして芸能界で成り上がっていけたのは、服部良一(吉次さんの父)の後ろ盾があってのことだという。もし服部良一が息子への悪戯を知って「ジャニーはとんでもないやつだ」と激昂したらば、むしろ業界から完全に干されてもおかしくない。(服部良一はそのくらいすごい人なのである。)
 たった一人の少年が、個人の資格でもって、両親という個人に言葉を送れたなら。姉の言葉に封殺されず勇気を出せたなら。日本の歴史は少しだけ変わっていたかもしれない。ジャニーズは存在せず、性被害もずっと少なくなる。どこかのタイミングでジャニーさんが逮捕されている可能性も高そうだ。
 ちょうど友達が「ジャニーズがホスト文化に与えた影響」みたいな話をLINEで送ってきてくれた。ジャニーズがなければひょっとしたら今のホストブームだってない、あるいはかなり違った形だったかもしれない。たった一人の少年が、沈黙せずに「言葉」をうまく使えたならば……。服部さんはそう言っているのだ。(いや、たぶん本当に。)
 もちろんジャニーさんがいなくても、他の権力者が似たようなことをしていただけかもしれない。ジャニーズとよく似た何かが世を席巻して、結局ホストを「担当」と呼び、多額のお金を無理して注ぎ込むような文化は生まれていたかもしれない。むしろもっと悪くなっていた可能性すらある。ジャニーズ事務所が人々に与えた「夢や勇気や希望」みたいなものを超巨大と見れば、そう思うこともできる。でも、他の何かが代わりに頑張っていたかもしれない。ジャニーズの圧力で潰されてしまった才能たちがもしいたとしたら、たとえばその人たちが。ジャニーズがなくても馬飼野康二さんは誰かに素晴らしい曲をたくさん書いているかもしれないし。書いてないかもしれないし。どうなっていたかは結局、わからない。ただ、その時の言葉一つで歴史は変わっていたかもしれないとは僕も思う。
「皆さんが想像している以上に」と服部さんが言ったのは、それが世の中というものの根本に関わり、今後それが良くなっていくかどうかの瀬戸際にこの問題はある、というニュアンスなのだろう。

 結局は人それぞれ何を信じるかという問題に帰着はするのだが、服部吉次さんの発言を聞いて僕は、彼の「希望を持って信じる心」というものに打たれたのだと思う。78歳、僕の倍以上生きている。まだまだ自分もやれるだろうし、やらんきゃな、と。

2023.9.19(火) 「たすけてくれ」と「たすけあおう」(天理教の話)

 ジャニーズの話を書こうと思っているのだが、いったん別の話を。たぶんどこかで繋がるだろう。宗教の話。

 僕は天理教(1838-)という歴史ある新宗教が昔からかなり好きである。初めて奈良県天理市を訪れ、神殿を見学したのは2009年12月26日のこと。「ニートさん」という同い年の友人と一緒に行った。彼のはとこが天理のちょっと偉い人らしく、そのよしみで。本部教会では毎月26日が月次祭にあたる。
 何も知らぬままおつとめに加わり、本部教会の隅々まで案内していただいた。基本的な教理はここで教わり、拍手は4回とか、手をつく時はグーで、なんてこともこのときに知った。それからさらに3回ほど天理を訪れている。
 とにかく一度行ってみてもらえばわかるが、本部教会の迫力はすごい。神様を信じる力みたいなのを大いに頼もしく感じる。

 天理教そのものについて語るのは本筋でないので簡単に済ませたいが、たんに「巨大な宗教建築」だからすごいのではない。教理(コンセプトと言っていい)を見事シンプルに建築へ映し出し、それを素人目に一瞬で理解させることがすごい。
 様式は「日本式」で、ほぼ木造。細かいことを言い出すと難しいので、西洋系ではないことだけは強調しておきたい。大広間のど真ん中に「かんろだい」がある。それを取り囲むように3157畳(!)の畳が敷き詰められていて、360度あらゆる角度からそれを拝することができる。時に数万人の信者がそこに集って歌い、踊る。同じ節回しを21回くり返したりするので、初めてでも軽いトランス状態にさせられる。今でいうレイブに近い、と俗には説明できると思う。
 教理と儀式と建築とが一体化している。建築とは造作のみを指すのでない。「掃除」を重んじる天理教の神殿には常にチリひとつ落ちていない。いつもピカピカで圧倒される。汚れやほこりも建築の一要素なのだと得心する。


 僕の大好きな超文豪、佐藤春夫(1892-1964)は20歳くらいの時、天理教の「みかぐらうた」(教典の一つで、メロディと振り付けがついている)を読んだそうだ。彼は「おかぐら歌」と表記しているが、『陽気』という天理教の雑誌に載った文章だから、これも間違いではないということなのだろうか。
 佐藤はそれを諳んじられるほど読み込んだらしい。自分用メモとしても引用しておく。

 なにしろこういう率直な言葉でズバリと云いながらその確乎たる信念に基いて大和の地場に理想の一大殿堂の建設を志し、広く人材を求めて天下に呼びかけている。人々とともに楽しく生きるための理想の達成を一大殿堂の建設にたとえ、そのために人々を「日々の寄進」――真理への奉仕――に召し招くのである。これらの真理は普く天下に流通するものだと云うので、「大和ばかりやないほどに」というような一句が教育勅語に「之ヲ内外ニ施シテ悖ラズ」とあるに劣らぬほどに荘重なひびきを帯びているのにはわたくしはむしろ驚歎した。――こういう俗語がどうしてこんなに堂々としているかと。
(「わが観たる天理教」『陽気』第五巻九号、1953年9月1日発行)

 この短い文章はまず少年時代からの天理教とのささやかな関わりに始まり、中盤に「文学として感嘆」した旨を記し、最後には天理教と共産主義とを結びつけて語る。

 天理教は私有財産を認めない共産主義的な宗教団体ではないのだろうか。この教団では友情と相互扶助とで教団の共同財産によって教徒が生きようという理想を念願しているのではあるまいか。
(略)
 まだ調べても見ないが、教祖の出現と、社会主義或は共産思想の萌芽の時代とが同じ頃だったらうれしかろう。同時代には洋の東、西を問わず、同じような思想の空気が地球の上にただよい瀰漫するものらしいから。

 調べて見ると『共産党宣言』は1848年、天理教立教の1838年にマルクスはまだ大学で勉強中だった。しかし「共産主義(コミュニズム)」という概念自体は18世紀末からあったようだし、同時代に萌芽があったとは言えるのかもしれない。佐藤春夫なかなか面白い。
 いや本筋は共産主義ではない。何も小難しいことを語りたいのでもない。今はちょっと佐藤春夫の話がしたくて脱線した。僕はこの人、好きなのだ。


 天理教は神道系とよく言われるが、終戦までは「神道」ということにしておかないと具合が悪かったという事情も大きい。実際は神道と仏教双方からかなりの影響を受けているようだ。教祖(おやさま、1798-1887)もかつてけっこう熱心な仏教徒だったという話もある。
 基本的な教理は「人間はたすけあって陽気づくめの世をつくるべし」だと僕は理解している。(それを見て親神様が楽しまれるのだ、という俯瞰的な世界観がかなり好き。)ベースはそこにあるものの、時の政府との兼ね合いもあり長い時間をかけて少しずつ教えは変容していった。本来の教えからはかなり遠ざかっていたらしい。そこで戦後は「復元」を打ち出し、できる限り原初の教理に帰ろうとはしたようだが、わからないことも多いし、教団は巨大になりすぎてすでに安定してしまった部分は変えようもない。「おやさまの時代に戻そう」という原理主義には行かなかったらしい。
 しかし、もちろんどこの世界にも原理主義者というものはいる。天理教では八島英雄(1929-2014)という人が有名らしい。この人の書いた『中山みき研究ノート』という本がまさにnoteに全文転載されていたのですべて読んでしまった。その周辺のことなどもあれこれ調べたり、本もあれこれ借りてきて読んだりとここ数日じつはどっぷり天理教漬けだったのである。(付け焼き刃と思われそうだが、教祖傳など公式の本は数冊すでに読んでいたので下地はあった。)おかげで自分なりにかなりいいところまで理解を深めることができた。

 僕は何に関しても原理主義者で、たとえば『ドラえもん』だったら原作まんががすべてである。藤子・F・不二雄先生が書きのこしたもの、言い残したことのみに依拠すべきだと思っている。しかし実際はそうとばかりも言っていられない、あそこまで巨大コンテンツになってしまったら第一に「売れ続ける」ことが最優先なのだ。テレビや映画のドラえもんがどれだけ原作とかけ離れようと、何が何でも売れ続け、コンテンツとして延命させ、「どの書店に入っても必ずドラえもんの単行本が置いてある」という環境を世に維持させることが最も大切と信じている。そのためには多少の歪曲は仕方ないとさえ。天理教も同じであろう。
 あれだけ巨大になってしまったら、「維持させる」「発展させる」すなわち「売れ続ける」ことが最優先になる。それをやめたら崩壊する。資本主義経済の中にあることを諦めなければならない。まさに貧に落ちきる必要がある。その覚悟が俗人にはなかなか持てない。
 八島英雄という原理主義者(おやさまの教えを最優先しようとする態度を僕はいまこう呼んでいる)はものすごく優秀な人で教団でもはじめ重用されていたようだが、やはり巨大な教会組織の中に長くいることはできなかった。事実上破門のような形で分派したようだ。彼は膨大な資料を参照して歴史と教理を復元し、現在の天理教が公式に言っていることの多くが間違っていると言い切る。
 あの有名な、天理教といえばこれ、とすら言える(佐藤春夫も文中に引用していた)「あしきをはろうてたすけたまえ天理王のみこと」という「みかぐらうた」の大サビ(?)も、おやさまの時代はなかったという。当時は「あしきをはろうてたすけせきこむいちれつすましてかんろだい」のほうしかなかったのだ、と。
 ただしこの説はたとえばこのように否定されており、こっちのほうがだいぶ信憑性があるように見える。真実はよくわからない。
 八島さんの言っていることがどのくらい正しいかはさておき、一連の彼の主張を読んで、僕は自分が無意識に抱えてきたこの教団に対するモヤモヤが氷解してゆくのを感じた。「たすけたまえ」は少なくとも、おやさま的には最重要の一節ではなかった可能性が高いらしいのだ。
 教典の一つである「おふでさき」第三号(明治七年)にはこうある。「助けでも拝み祈祷で行くてなし」「人助けたら我が身助かる」
 天理教は僕の理解だと「たすけてくれ」ではなくて「たすけよう/たすけあおう」という宗教なのだ。佐藤春夫の言葉を借りれば「友情と相互扶助」である。そして「人々とともに楽しく生きる」の実現をめざす。

 八島さんは晩年にこう語っていたという。「仏教を始めたのはシャカで、完成したのは教祖中山みき。教祖はおつとめで一元論を教えた」と。一元論とは彼が言うに「善一元論」あるいは「調和一元論」とのことだが、詳しいことは僕にはわからない。(Web上に遺された彼の膨大な講演録を聴けばわかるのかもしれない。)
 仏教も釈迦の死後無数に分派したり変容していったようだが、少なくとも原初は「たすけてくれ」ではなくて「われわれが認識している世界ってのはこういうもので、悟りってのはこういうことですよ」みたいなことを説明したものだった、というのが僕の理解である。八島さんの教説では、天理教もそうだったということなのだろう。
「世の中というのはこういうふうにできている。ゆえに我々はたすけあい、陽気に生きていこうじゃないか」と。

『ドラえもん』だって原作を紐解くとじつは「たすけてくれ」型の話はそんなに多くない。しかしパブリックイメージとしては「ドラえもんなんとかして~」とのび太が泣きついてくるワンパターンが根付いている。(少なくとも僕が見て育った大山ドラえもん後期の時代はそうだったと思う。)
 仏教も天理教も、いつの間にか「たすけてくれ」型に傾いていったようなのだ。
「おふでさき」を読むと、おやさま(ないし親神様)は「たすけたい」「たすけする」というようなことを確かに頻繁に言っている。ただし「たすけてくれとこいねがえ」というようなことを要求しているかどうか。「(鳴り物と歌と踊りの)おつとめをせよ」とは言っているので、そこをどう解釈するかでもあるけど、少なくとも「たすけてくれと願うことが大事」というニュアンスではない、と思う。「神の言うことをよく聞いて、このような心構えで生きていけば助かるぞ」というような意味の印象が僕には強い。その教えをインストールし、定期的に心構えをあらたにするための儀式が「おつとめ」なのだろうなと。
 個人的には、「思案(せよ)」という言葉がめちゃくちゃ頻出するのが好きである。よく考える、ということが教えの中核にあるのがよい。

 めっちゃくちゃ雑に言うと、自分でなんとかしましょうね、というのが仏教で、自分たちでなんとかしましょうな、というのが天理教なのではないか。この「たち」という概念の導入こそ、八島さんが「完成」と言っている所以ではと想像する。だから「調和一元論」という言葉も出てくるのだろう。佐藤春夫が共産主義と結びつけたわけもここにあると思う。
 ともあれ「みんなで悟りを開けば(りっぱになれば)世の中ってよくなるじゃん」というようなこと。しかし、どうも人間というものは、「自分がりっぱになればよいのだ!」という発想にあんまりならないらしい。
 よく働くアリ、普通のアリ、サボるアリの割合が常に2:6:2になる、というのが働きアリの法則であった。これになぞらえれば、「りっぱになろう」と思える人が2割、「みんなと同じようにやればいい」と考えるのが6割、「たすけてくれ~!」と叫ぶだけなのが2割、という感じだろうか。
 ごく単純に考えると、「りっぱになろう」と「たすけてくれ~!」のどっちが強いかで、残り6割の動き方が変わりそうである。小さいうちは「りっぱ」派が引っ張っていけても、大きくなるとなぜか「たすけてくれ~!」が勝ってしまう。世間にはなぜかそのような話が多い。カブトムシがそのまま巨大化したら自重に耐えられなくて死ぬ、みたいな話か。大きさに見合ったありようがあるのだろう、なんにでも。(共産主義にも。)

 そもそも天理教はそのごく初期のころから、おやさまは「みんなでたすけあって陽気に生きていくんやで」みたいなことを語っていつつ、一方では「拝みましょう! 神にたすけを求めましょう! このお札を買うと救われます!」みたいなこと(言葉はかなり誇張しています)をしていた、という話もある。大昔のことだからどこまで何が本当かはわからないが、天理教というのはおやさまの崇高な教えでのみ発展したのではなく、同時に「たすけてくれ」型の集客もしていたからこそ人が集まってきていた、という側面もあったかもしれない。それらはたぶん、神懸かりのおやさまがというよりは周囲の人たちがしていたことだろう。その勢いで、おやさまがいなくなってからちゃっかり「あしきをはろうてたすけたまえ」という歌詞を大サビにしちゃったのではないか、とか。

「たすけてくれ」のほうが当然、お金が集まる。「たすけること」と「お金」の取引になる。「たすけるからお布施をしなさい」という理屈が通る。しかし「たすけあおう」ではお金にならない。みんな無償で働きあうから。それではビジネスにならない。ビジネスにならないと、「社会」で組織として存在するのは非常に難しい。巨大化すればなおさらである。
「たすけたまえ」と繰り返す限り現代の天理教はやはり「たすけてくれ」型ではある。入り口はそこでもいいのかもしれない。たすけてもらえるからこそ、たすける気にもなるのが人間だ。「人助ければ我が身助かる」は美しいが、現世の人間により訴えるのは「我が身助かるから人助けよう」なのだろう。
 あの壮大な神殿と、その塵ひとつない美しさ、そこへ集まってくる何万人もの人々の歌声やおてふり(ダンス)に僕は圧倒され、感動したのは紛れもない事実で、そこに「神様を信じる強さ」みたいなものは確かにあった。それが実現されているのはある意味「たすけてくれ」という人々の気持ちにつけ込んだ(!)からでもあるだろう。その上に「たすけあおう」という偉大なる崇高な教理が乗っかっていることこそが天理教の強みだという気もしてくる。
 おやさまは数え89歳で12日間の拘留を受けた。稀なる厳冬の中でろくにものも食べられず、それでも信念を曲げなかったといわれる。それが天理教の理想、「ひながた」である。この自力(強さ)と「たすけてくれ」という他力(弱さ)、人間の中にはどちらもある。たすけあうことによって少しずつ、強さのほうへ向かって行こうという話だと今の僕はとりあえず解釈している。(2023/09/24改稿)

2023.9.20(水) 神秘的な少年たち(ジャニーさんの話)

 今日は僕の稲武記念日です。23年前の今日から僕の人生は「自転車」と「旅」に染められていった。詳しくは当時の日記を見てね(書いてあるっけ?)。

 23年前から同じ時間を生きている僕はまるっきり子供である。より正確に言えば「大人と子供という仕分けかたにしっくりこないまま大きくなってしまった」という感じだ。今では「大人などない」とまで考えている。
 ここから先は完全に私見で、僕の想像と感想にのみ基づく見解。どうか怒ったりしないでほしい。怒りそうになったら即刻このサイトから離れてすべてお忘れください。傷つきそうな予感があったら逃げてください。際どいことを承知で書いて申し訳ないですが、書かずにはおれない僕の内的事情もあるのです。
 ジャニー喜多川はたぶん「子供」で、事務所が軌道に乗ってからの性加害はおそらくすべて「子供のしたこと」として処理されてきた。なぜそれが放置されてきたかといえば、その子供は巨万なる富を作り出すからに他ならない。「この子供はお金を生むから機嫌を損ねないよう自由にさせておこう」と。
 ジャニーさんがもし1円のお金も生み出さない存在であったらそうはいかない。かりに被害者たちは口を閉ざしたとしても周囲の大人は「爺さん何やっとんねん」と止めに入ったに違いない。「おいジジイこんな噂あるけど本当か? え、ひどいことはしてない? 怪しいな。何にしても役に立たねーからどっか行ってな。二度と子供たちに近づくなよ」。
 ジャニーさんがどれだけいい人で、いかに子供たちから人望を集めていたとしても、1円のお金も生み出さない限りはそうなると思う。1円のお金も生み出さないということはエンタメの才能が一切ないということで、子供たちにとって「師」でも「指導者」でもなくただの「友達」でしかないことになる。「あんな友達と付き合っちゃいけません」と引き剥がされるのが普通だ。
 ただ歳だけをとってしまった子供は、社会の中で位置付けを見失う。家庭の中で「(親の)子供」でいつづけるしかなくなってしまう。しかし実際のジャニーさんは「ただ歳だけをとってしまった子供」ではなくて、「歳をとって才能を開花させ、それがちっとも枯れなかった子供」だった。異論はある。ジャニーさんにエンタメの才能なんて皆無で、ただ気に入った男の子を愛しつづけただけ、本人や他のスタッフの才能と努力(と狡賢い知略)でたまたま成功しただけという解釈。それはそれですごい話だが今日ここではジャニーさんには何らかの「才能」があったと僕は見る。その説明はあとでする。

 僕の解釈では、ジャニーさんは子供だったし、ゆえに子供たちと常に対等でいたがった。「ジャニーさん」と呼ばせ、「You」と呼び、ファミレスで食事した。ジャニーさんと少年たちとの「こんな楽しいことがあった」「こんな面白い出来事が起きた」といったエピソードは無数にある。むろん何をするにも金銭的にはジャニーさんが100%負担していたはずだが、彼の中では「僕はちょっとしたお兄さん」くらいの気持ちだったのではないかと想像する。小学校の先輩くらいの。目上だけど平気でタメ口みたいな間柄。
 小中学生の男子は、同性の友達の身体を異様に触る。全員がとは言わないが、かなり多くの男子がその時期を通る。ジャニーさんはたぶん「そこ」にいる。僕も中学生のときは触ったり触られたりたくさんしたし、友達に家に呼ばれ、ロフトベッドに引き込まれ、バイブレーターみたいなのを使った自慰行為じみたものを見せつけられ、「ねえ尾崎もやってみなよ」と言われたこともある。それが同性愛だったのか昂まった友愛だったのかは知らない。いま彼は野球ばっか観てる。
 想像する。ジャニーさんは「さわりたい」「さわられたい」と思い、夜中に子供のベッドに侵入してマッサージをする。それで「いいのかな」と思ったら、性器を触ったり舐めたりする。「いいみたいだな」と思ったら、その逆のことをしてもらう。「あ、いいんだ」と確信したらさらにその先のことをする。そういう感じだったのではないだろうか。

 わかんない人にはわかんないだろうから念のため断っておきます(面倒くさいなあ!)が、ジャニーさんを擁護しているつもりは全くない。罪がなかったとも言っていない。全然関係ない話をしている。
「ジャニーさんは子供だった」と書くと、「子供だから許されるのか!」と早合点して怒る人がいるのだ。そんなこと言ってない。「いい年して子供だったということは許されない」という続き方だってあるのに。読みたいようにしか読めない人は多い。ひっそり長文でやっていきたいのはそれがゆえ。

 さっき書いたような流れは一夜にして起こったこともあったかもしれないし、長い時間をかけてだんだんそうなってゆくこともあったかもしれない。ともかくジャニーさんは「嫌がる相手に無理矢理」ということをしなかったと思う。「本当は嫌だけどそれを表明できない」とか「何が起こっているのか分からなかった」ということもあっただろうが、ジャニーさんはそこを想像して慮ることをたぶんほとんどしなかった。「嫌がってないんだからしてもいいんだ」という無邪気さでしていた。だって昼間は本当に仲の良い友達みたいなのだから。(繰り返すがすべて僕の想像、感想である。)
「尾崎もやってみなよ」と言った同級生も、良かれと思っていたのだろう。昼間は仲良しだし、電気グルーヴの話だって通じるし、こうして家にまで来てくれるし、ベッドにまで上がってくるのって相当な信頼関係があるよね? そんなふうに思っていたのかもしれない。だから僕がそれを拒絶したとき、彼は悲しかったのかもしれない。「なんで? いつもあんなに仲良しなのに」と。
 ところで、もしそこに「上下関係」や「利害」が存在していたならば、僕はある程度までは受け入れた可能性がある。有名な話で僕は今池のピーカンファッヂ(レコード屋)が入っていたビルで何度かおじさんにナンパされたことがあって、すべて断ったのだが、「YMO好きなの? 俺もすげー好き。ピーカンでなんでも好きなの買ってあげるから喫茶店でもっと話そうよ」とか言われたらちょっとくらい心が動いたはずである。バイブレーターを唸らせながら彼がもし「1000円あげるから」とか言ってきていたら、「あーまあ少しくらいなら」と思ったかもしれないのである。万が一そういうのを受け入れていたら自分の値段ってもんをやっぱり考えちゃっていたと思う。それはそれである種の優しさが自分に備わっていた可能性もやや見える。実際は当時の僕って本当に臆病だったからどのみち逃げたと思うけど。

 昔からジャニーズの暴露本や週刊誌記事、ネット掲示板等に注目し続けており、昨今の報道にもできる限り目を通している僕が熟考して解析するに、ジャニーさんはたぶん「少しずつ関係を詰めながら行為を進めていた」。これまで告発者がかなり少なかったのはそのためでもあると思う。しかし実際にはその「詰め方」はかなり失敗が多かったはずだ。「本当に嫌がっているのか、仕方なく受け入れていたり、混乱して何もできなくなっているのか」という差を、ジャニーさんがそこまで気にしていたとは思えない。「だって嫌がってなかったもん、嫌だったら言えばいいんだよ、僕たちは対等なんだからさ」と本気で思っていたのではないだろうか。

 ジャニーさんの無邪気さを僕は強調しているが、ここでもちろん「ジャニーさんを受け入れなかったら冷遇される」という面について考えねばならない。僕はそういうことは間違いなくあったと考えている。ジャニーさんは無邪気な人だから(これも想像ね!)、「あんなに仲良かったのにどうして僕を拒絶するの? もう知らないから!」くらいのことは自然に思うだろう(想像!)。逆に「昨夜は楽しかったね!」というノリで「Youこっちで踊りなよ」くらい言いそうなもんである。無邪気なんだから公私混同くらいしても不思議はない。
 そういうことによって「ジャニーさんを受け入れると厚遇されるらしい」という雰囲気が強まってゆくことはもちろんジャニーさんには有利に働く。「しめしめ」と思う邪悪さもあったかもしれない。子供というのは天使のように純真無垢な正義の存在ではない、自分への不自然な利益を罪悪感なく享受して澄ましていられるのもまた子供の性質なのだ。僕はジャニーさんについてそのような人物像を結んでいる。
「だって嫌って言わなかったんだもん」は正直な気持ちでもありながら、ズルい言い訳でもある。戸棚に高級そうな和菓子を見つけて、明らかに勝手に食べたらダメそうなのに、「だって食べちゃだめって言われてないもん」と思ってかぶりついちゃうようなものである。「実際怒られてないし、子供たちもあとから文句言ってこないし、問題ないってことだよね」と、ズルいジャニーさんは思い続けてしまった。
 普通の子供は成長ということをするので、そのままほっといてもたいていの場合どこかでそういうことはやめる。しかしジャニーさんという人物は成長なんてもんをしない。周囲(主に実姉のメリーさん)がほっといたら、永遠にそのままである。そしてジャニーズ事務所にとって、芸能界にとって、日本経済にとってはその方が都合が良かった。ジャニーさんが成長せず、同じノリでお金を生み出し続けてくれていたほうが。だから彼は、その「鬼畜の所業」は、ずーっとほっとかれたのである。

 さあ、ここで「ジャニーさんにはどんな才能があったのか」という話に戻る。それは第一に「スターを見抜く才能」だと一般に言われてきた。そこは僕も否定しない。では彼の見抜く、すなわち日本人が大好きな「スター」の素質というのはいったいなんなのだろう? それは「鈍感」ということかもしれないのである。
 これはこの文章の中で最も際どい、ヤバい、むちゃくちゃな部分であるから深呼吸して読んで欲しいのだが、「ジャニーさんの性的行為を受け入れるような鈍感さ」が、芸能界でスターになるために必要なものだったんじゃないかという仮説を僕は立てている。
 芸能界というのは一般に言われるに「汚い」ところで、理不尽なことがたくさんある。いちいち気にしていては心身がもたない。「そういうもんなんだ」とか「これがこの世界では当たり前なんだ」という形で、素直に納得してしまえるような鈍感さがなければ、その醜悪な泥沼にただようステージの上で笑顔を振り撒くなんてできっこないんじゃない?みたいな話。
 そして最も恐ろしいことには、日本の人たちは、特に女の子たちは、「そういう男の子たち」が好きで好きでたまらないんじゃないか?という話でもある。鈍感で、疑いを持たず、無償の慈愛でもって自分たちに笑顔を向けてくれる。そういう顔とか人間性に人々は惹かれてきたのではないか。ひょっとしたらジャニーさんの「性加害」も、結果的にはそこを判定するための(また加速するための)機能を担ってきた面もあったのではないだろうか。
 もっと言うと、もしジャニーさんとの性的な行為を継続的にある程度楽しんでいた少年たちがいたとしたら、そういう人こそスターの素質が最もあるということだったとさえ思えてくる。それはもちろん「ジャニーさんの寵愛を受け続けたからスターになれた」ということでもあろうが、「ジャニーさんを受け入れ、愛するような人間」をこそ、日本の人たちは「アイドル」として求めてきたのではないかという話にもなるはずだ。ものすごく単純に言ってしまえば、「ジャニーさんを受け入れるのだから私たちみんなも受け入れてくれる」という……。こうなってくると「神(教祖)を愛し、神(教祖)に愛された人間だから私たち信者をもあまねく愛してくれる」というイメージにも重なる。むちゃくちゃなことを言っているようだがギャグではない。「ファンたちも共犯」と謗る人がたまにいるが、それと似たことを僕は遠回しに、しかし確かに言っているのだ。
 ファンたちを「悪い」と言っているのではない。その構造の中に無意識に組み込まれてしまっていたのではないかと言っている。「ジャニーさんが愛するような少年たちを愛してきた日本人」というのは間違いなく事実だと僕は思う。そして、ジャニーさんを性的に受け入れたり、受け入れないまでもその噂を「そういうことがあったとしても別に問題ではない」と見過ごしてきたタレントたちはやはり「ジャニーさんを愛しジャニーさんに愛されてきた少年たち」であって、社会的な潔癖さよりもエンタメや芸術や金やスターダムを選んだ人たちなのだ。そういう浮世離れした人間たちを僕たちは結局、すごく好きなのだ。

《昔 銀幕のスターは生まれながらのスターだった 誰も知らないところに住み 会えるのはスクリーンの中だけ だけど時代はずいぶん流れたね 今じゃ隣のちょっと可愛いあの子が 次の日にはもうスターだってもてはやされてる》(篠原美也子『誰の様でもなく』1993)
 スターという存在が実感を失って久しい。ジャニーズは頑なにスターをやろうとし続けた。インターネットへの顔出しを禁じていたのも単に直接的なお金の問題だけではなかろう。おいそれと扱えない、拝むことのできない特別な存在としての演出が間接的にお金を生み出していた。「ジャニーズ」は他の事務所とは違う、なんだか神聖なものという印象が多くの人の中にあったと思う。だから宗教のようにみんな狂ってゆく。
 その中心で輝くスターは、やはり普通の人であってはいけない。浮世離れした、おかしな、どこかで絶対に距離のある、ぎりぎり親しみの持てない非現実的な存在でなければ。それはちょっとした表情や仕草の中に宿り、女の子たちは目ざとくそこに気づいてはメロメロになる。
「同電禁止」という文化が僕は好きである。ジャニーズタレント(主にジュニア)と同じ電車に乗ってしまったことにファンが気づいた場合、速やかに下車するか別の車両に移らねばならないという暗黙のルール。それはもちろんタレントのプライベートを守るためでもあろうが、その神聖性を保つためでもあるんじゃないかと考えられる。
 ジャニーさんの性加害がその神聖性を担保するすべてだったと言っているわけではもちろんない。ただ、その一部として機能していた可能性を僕は見ている。

 さらにえげつないことを言ってしまえば、ジャニーズ事務所の外で、フツーの女の子とフツーの恋愛を衒いなくする男の子に、神秘性は宿るだろうか。(宿るにしても、そうでない場合とどちらが宿りやすいだろうか。)ジャニーさんは「結果的に」お気に入りの少年の性を自分の中に「封印」し、その神秘性を保とうとしていたのかもしれない。もちろんその動機は無邪気な性欲だろうが、それが「結果的に」男性アイドルを愛する人たちの需要と上手に絡まってしまって、ほどけなくなってしまっていたのだ。
 結果として、ジャニーさんの凄さというのは、「男の子を男の子のまま保存する」という方法論を持っていたことじゃないかと思う。もちろん日々の接し方や指導、判断といったところにも手腕はあったはずだが、性的な行為やそれにまつわる「秘密の共有」もかなり重要だっただろう。一切の性加害が存在しなかった場合、たぶんジャニーズは全然ジャニーズではない。いま30代から50代くらいの、みんなが大好きな神秘的な少年たちはどこにもいない。彼らに憧れる女の子たちも、男の子たちもいない。そんなふうに僕は考えている。だからどうということはない。善し悪しの話をしているつもりはない。ただの個人の感想です。

 ジャニーさんも幼い頃に性被害を受けていた、という話もある。この連鎖はいったいどこで、どうやって断つことができるのだろう。その性加害がなければジャニーズはなかったかもしれない。また服部吉次さんがお父さん(良一)に告白していれば、ジャニーズはなかったかもしれない。かもしれないを言っていても歴史は変わらない。しかし「かもしれない」を考え続けることだけが過去に対して僕らにできることだ。
 猪狩くんかっこいいなー。(全然関係ない)

2023.9.21(木) ジャキー似多川(ジャッキーさんの話)

 続きです。前回の記事で「ジャニーさんを擁護しているつもりは全くない」と書いた。本心である。もっと正直に言えば、彼を擁護するということは自分を擁護することにも繋がるから、本心の本心としては擁護したい部分もあるのだが、それをしたらいよいよ人間としてNGというかエラーなので、意識して擁護しないように努めた。それで「つもり」という文字を置いている。
「無邪気」という言葉を用いて書いたあたりの一連は、率直に言ってほぼ自分のこと。僕のジャニーさんについての想像と感想とは、自分語りみたいなもんだ。僕は無邪気で、自然と邪悪なのである。ジャニーさんは人物としてのサイズがデカすぎてあのような大問題になってしまっているが、僕は小物なので別にそんなに問題にはなっていない。それだけ。
 子供は実のところ自己利益のことばかり考える。しかし同時に他人とか地球とか宇宙とかあらゆる生き物のためのことも想っている。そこを「矛盾」と排するのが大人というもので、「自己利益とそれ以外の利益とはトレードオフ(二律背反)だ」と信じ込んでいる。
 僕は本当に自分の利益と快楽のことばかり考えていて、「みんなが幸せになるには」を同時に考えている。冷静に考えたらそんなに都合のいい話はない。でも確かにそういう頭になっているのだ。
 ジャニーさんは自分の快楽を追求しつつ、子供たちの幸せを考え、エンタメを享受するお客さんたちのことを考え、さらには世界平和にも寄与したいと思っていた。そんなことが同時に成立するのだろうか。できなかったから今こうして問題になっているのだが、それなりの達成は見せていた。実際死ぬまでは逃げ切れた。しかし死後にはくらい影を落とした。城島茂さんは「負の遺産」と表現した。
 ジャニーさんは、自分が楽しくて気持ちよくて、子供たちも楽しくて気持ちよくて、ファンたちも経済も喜んで、結果的にはすべての人が「これでよかった」と言えるような状況を夢想していたと思う。ただジャニーさんも超能力者ではないから、「嫌だった」とトラウマになる人たちを事前に察知はできなかったし、「自分が性的にちょっかいを出さなかった場合の少年の人生」というものに対しては思い及ばない。及んだとしても、「きっとこっちのほうが良かったと思うよ!」と言えるくらいの自信はあったかもしれない。わからないけど。すべてのケースについてそう言い切れるわけはないと思うけど。
 こぼれ落ちるものはある。多くのタレントたちはジャニーさんのことを本当に好きなのだと思う。グルーミングとか洗脳なのかもしれないが、性的になんかされたとて結果として大した文句を抱いていない人たちもかなり多いはずだと想像する。いや未成年はあかんやろ、というのはとても理解できるが、「近代的な発想としてはそうですね」ということにはなる。いろいろな価値観があり、事情もある。関わった全員が「結果オーライ」と思えるならそんなに問題は大きくないと僕は思うものの、「結果オーライ」と思えない人たちもきっとたくさんいるし、その閉じたコミュニティの中で完結する話ではなくて世の中全体の問題だと思えば「それを許すわけにはいかない」というのは当然だ。ジャニーズにそれを許したら、世の中のいろいろなところで同じことが起こる。すでにたくさん起こってもいる。その全てを容認するのか? ジャニーさんのように(比較的)うまくやれる人ばかりではないんだぞ!
 何万年、いろいろなことを考えた結果、歴史というのは今のところ「未成年に性的なアプローチをするのはやめましょう」ということに決めていて、その約束事を守れない人は罰され、罵られる。罰し、罵ることが抑止力にもなる。ゆえにジャニーさんは歴史から罰され、罵られるべきなのである。

 近代というものは基本的に、「同時」ということをあまり許さず、「矛盾」をひどく糾弾する。それは歴史の知恵であろう。そこに逆らうつもりはない。しかし発想として「同時」ということが癖づいて離れず、「矛盾」ということをあんまり気にしない人もいる。子供がそうで、僕もそうだと思う。
 要するに「自分勝手」とか「わがまま」ということなのだ。それを許してくれと言い訳をいろいろ考えるが、歴史が決めたルールには勝てない。勝とうとも思わない。「許されないんだな、そりゃそうだな」と思う。僕みたいなもんは静かに生きていくべきで、自分を通そうと思ったらジャニーさんになってしまう。
 ジャニーさんには「これだけのことをしてるんだから、このくらい許してよ!」という気持ちがあったのかもしれない。もちろん世間的には絶対に許されないのだが、許してくれる人たちがいた。メリーさんとか、「噂レベルでは知っていた」人たちとか。あるいはもしかしたら(一部の?)タレントたちも。一方、そのせいで泣いている人たちもいる。それについてファミリーは目をつぶってきた。他人だから。
 ファミリーとはファンたちをやんわりと含み、芸能界やメディアや市場経済もなんとなく包括する。そこからこぼれる人たちの声は弱い。それをいいことにファミリーは跋扈する。

 小さな僕はそんなスケールのことはとてもできないし、「ファミリー」のような発想も肌に合わない。一人で静かに生きているつもりだ。それでも無邪気で邪悪である限り、どうしても自分勝手に振る舞ってしまう。変な言い訳を自分でしながら。そういう点で自分はジャニーさんと変わらないんだろうなと思う。
 近代的ルールをインストールできなくて、「なんでいかんの?」と問いかける姿勢がいつまでも消えない。自分勝手なのをやめればいいだけなのだが、それができれば苦労はしない。これは病気だと思う。社会の標準に合わない状態を病気と言うのだ。引き続き、うまく生きていく方法を探ってゆきます。

2023.9.24(日) 矛盾について

《近代というものは基本的に、「同時」ということをあまり許さず、「矛盾」をひどく糾弾する》と前回の記事で書いた。僕が言いたいことはこれだけでは言い尽くせていない。「矛盾」とはいったい何か?ということが重要である。
 いまさら「近代」などという言葉でものを語るのもむずがゆいが、けっこう便利なので今日はGO。

パターンA「右手にはバットしか持っていない」「右手にはボールしか持っていない」
パターンB「右手にバットを持っている」「右手にボールを持っている」

 パターンAは矛盾している。こういうことを近代は決して許さない。論理とか科学というものは、これを絶対に許さないという約束事が礎になっている。
 パターンBは矛盾していない。バットとボールを同時に持つことは可能である。これを近代は許す、はずなのであるが、近代に生きる人々の多くは、なぜかこれをあんまり許してくれない。

 たとえば「自民党を支持している」と「共産党を支持している」は矛盾するだろうか?
「神様を信じている」と「神様は存在しない」は矛盾するだろうか?
 僕は、自民党と共産党の両方を同時に支持してもいいと思うし、そういう人はいると思う。神様を信じていながら、神様は存在しないと思っていてもいいと思うし、僕はけっこうそうかもしれない。
 神様を信じているけど、神様はいないと思っている。
 いないと思っているけど、信じている。別に矛盾していない。
 ここに「存在しないものを信じることは僕にはできない」という一言が付け加われば、矛盾になる。あるいは、「信じる」という言葉の中に「存在を信じる」という意味がすでに入っていると表明すれば、矛盾になる。

 自民党と共産党についても、たとえば「改憲をめざす政党と護憲を重んじる政党とを同時に支持することは僕には(あるいは、誰にも)できない」と当人が言うか、それが真だと証明できるならば、矛盾する。そうでなければ矛盾しない。

 矛盾ということが成立するのは意外と大変なのである。世の中で「それは矛盾じゃないですか」と指摘されることのほとんどは、別に矛盾していない、というのが僕の実感である。

「喫茶店に入ったら必ずコーヒーを頼む」と言った人が、ある喫茶店でレモンスカッシュを飲んでいたとして、それは矛盾だろうか。その人がレモンスカッシュを飲む前後でコーヒーを頼んでいれば矛盾しないし、そこが「喫茶店」であるかどうかが明らかでないお店の場合はこれまた難しい。カフェとかレストランとかスナックとかで、喫茶店との境界が曖昧な空間はけっこう多い。

 レモンスカッシュだけを頼んで、飲んで、退店したところに、「コーヒーしか頼まないんじゃないんですか!」と詰め寄って、「そうだよ、僕は喫茶店に入ったらコーヒーを必ず頼むんだ」と言って、そのお店が確かに喫茶店であったなら、矛盾のように思える。
 しかし「コーヒーを頼んだのにレモンスカッシュが来てしまったので、仕方なくそれを飲んだ」もある。そうだとしたら、矛盾しない。
 ものごとが矛盾であるかどうかを証明するのはけっこう煩雑な手続きがいる。そう気軽に言い切れることではない。

 矛盾というのは主に言葉の世界、論理の世界の話で、その整合性を本気で気にしている人は少ない。問題は主に「あなたがその二つの(ないし複数の)言動をとったことによって、私は不快になっている」である。
「矛盾」という言葉、あるいは感覚の濫用は、その「個人的不快」を「客観的な悪」のほうへとずらしてしまう。
 矛盾というのは、成立しない理屈を言うのであって、そこに善悪の判断はないはずだ。

「ダブルスタンダード」というのも悪く言われがちだが、これも用法が怪しい場合が多く見られる。基準が二つあったってそれ自体が悪いのではない。二つの基準が矛盾しているときに困るというだけだ。
 たとえば、「何人もりんごを三つまで食べて良い」という基準と「何人もりんごは一つしか食べてはいけない」という基準が同時にあると、どうして良いかわからなくて困るだろう。しかし、「おれはりんごを三つまで食べて良い」という基準と、「おまえはりんごを一つしか食べてはいけない」という基準が同時にあっても、矛盾しないのでルールとして成立する。ただ差別があるだけだ。
 問題は「どうしてぼくはりんごを一つしか食べちゃいけないの? もっと食べたいよ!」ということであって、「矛盾してる!」とか「ダブスタだ!」ではない。
 そしてそこにはもしかしたら、「おれは17歳だけどおまえは5歳だから、食べるりんごの量に多少差があるのは当たり前では?」という言い分だってあるかもしれない。「3個も食べたらごはん食べられなくなるだろ」的な。「ってかこのりんご、おれが買ってきたんだけど?」とか。

 本質から目を逸らすための言葉はたくさんある。近代に仕掛けられたワナである。もっと自由で良い。ただ「不快」だけがその羽ばたきの邪魔をする。
 僕がとなえる「同時」というのは、「矛盾でない限り、どんなものごとだって同時に存在できるし、してよい」ということ。しかし「不快」という感覚がある限り、「それとそれが同時に存在することを私は許さない!」という人は出てくる。「相談しましょ」ということになれば平和だが、「矛盾じゃないか!」と言ってまず怒る人もいる。「いやそれは厳密には矛盾ではなくて……」と説明してもたぶんあんまり意味はない。仲良しの発想というのはこの「相談しましょ」というところにある。

2023.9.30(土) 9月の近況/有名人と有名人じゃない人

 9月はなんといってもジャニーズのことばかり考えていた。一方でまあまあそれなりいろいろあった。
 スマップのデビュー日、西の地で岡田淳さんにお会いした。こういうことを書くべきか書かざるべきか。このホームページの23年間を貫く基本態度としては「書かない」であった。
 ただこの日記は僕にとって個人的に重要な記録でもあって、せめて自分にだけはわかる形で残しておきたいという欲求はある。そのせいでかつて一度、苦いめにあった。その頃はなんとなくそういうことにはセンシティブだった。まだSNSが弱くて、2ちゃんねるが元気だった時代。
 有名人でもないのに有名人と会ったことを書くのははしたないような気がするし、「あれはよくないんじゃない」と言われることも実際あるだろう。しかし有名人ならそれをしてもいいことになっている。これは不思議なのである。
 有名人と有名人じゃない人の間には大きな一線が引かれている。これは僕がジャニーズに関する記事で書いた「神秘性」というものにも深くかかわる。有名人と有名人じゃない人たちは、意図せず互いに差別しあわされている。
 いまも僕は岡田さんの名を勝手に書いたが、有名人だからフルネームを書いてもいいということだとしたらこれも差別である。書くからには、そこに意味がなくてはいけない。その責任を背負って、できるだけよい文章を書く。
 人を傷つけない言論などないのだから、せめて人を救う言論となる可能性をできるだけ高くしたい。それが僕の「すぐれた言論」の定義なのかもしれない。

 9月30日に東大駒場900番教室において行われた小沢健二さんの講義を受けた。素晴らしかった。SNSでははっきりと書かなかった。しかし出席の匂わせはした。わかる人にはわかるが、検索にかからず注目もされないような形で。でも、いったい何に遠慮しているんだろう? 未だに2ちゃんねるで叩かれたトラウマ(笑)に負けているのか?
 急に何か吹っ切れた。
「有名人」の方々は一種自慢げに、「行ってきました」と報告を載せている。そこには多くの反応がつく。噂話のようにネット中に広まる。有名人はこういうことをしてもよく、有名人じゃない人がするとなんだか不自然で、叩かれかねない。
 今の人たちはそういう気分をもうあんまり持っていないのかもしれない。でも「有名人じゃない人は有名人との個人的な関係を表に出すべきではない」っていう常識みたいなのはあったはずだ。そこを僕はそろそろ変えていってもいいような気がしてきた。他ならぬ「有名人」たちさえ、たぶんもう気が変わってる。

 なんであれ、僕にはこのホームページがあるから、ここでひっそり自慢することにしよう。行ってきたぞ! 面白かった! ワーイ!
 これでまたより一層、世の中はよくなるのであります。

 有名人かそうでないかで人を分けるのは、プラトンの『ポリテイア』の中で市民が守護者、補助者、生産者にわけられているような、ナチュラルな差別。
 ところで「ポリテイア」は「国家」と訳されることが多いが、僕はこの訳が好きでない。たとえばいま手元にある関嚝野『プラトンと資本主義』では「国制論」とされている。こちらのほうがまだしっくりくる。
 小沢さんの講義でも出てきたのでプラトンについても書きたいんだけど、長くなるのでまたいつか。

 それにしてもホームページというものはよい。ここでは絶対に、僕だけが主役だから。インターネット全体で言ったらまた違うけど。それにしたって気の遣いかたが全然違う。ありがとうブログ、SNS、僕らをスパッと切り分けてくれて……。(皮肉です。)

 岡田さんとは、僕と同じくらい、もう何よりも岡田淳が好きだという友達と三人で2時間ほどお話しした。以前にも何度か岡田さんとはじっくりお話しさせていただいたことがあるのだが、インターネットに書くのは初めてだと思う。だけどもうそんなことに遠慮する必要はないだろう。時代は変わってる。僕だって十分に偉大だ。有名かどうか、などという物差しはいらない。僕がここにそれを書くことによって、世の中が少しでも美しくなるかどうか、それだけなのだ。僕にとっては!
 ホームページは炎上などしない。するとしたらBBSが荒れるくらいのことだけど、僕の裁量でいくらでも消せるし撤去もできる。SNSがどれだけ燃えても、ここだけは安全だ。(スーパーハッカーが悪意を持って攻めてこない限りは……。)

 小沢さんの東大講義は早めに着いて、敷地内をぶらぶら歩いていたら友達に会った。夜学バーのお客さんでもある。
 説明しておくと900番教室は収容人数600人くらいで、チケットの一般発売は一切なく「小沢さんにレポートを送って認められた(?)現役学生」「小沢さんにコメントを送って認められた(?)東大の教職員とその同伴者1名」「招待客」の3通りのルートしかない。※選考方法はよくわからないので(?)としました
 その方は招待ではなく、「送って認められた(?)」ほう。自力でもぎとった600分の1なのである。はっきり言って感動した。その人がいかに小沢さんのことを好きであるか、僕はよく知っている。
 僕は22歳の時に小沢さんと知り合って、今もこうして覚えていていただけているのであるが、それが叶ったのもまさに「自力」であった。僕の興味がずっと強くそこにあって、小沢さんもまたずっとそこにいたのだ。彼女が昨夜そこにいたのも、同じようなことだと思う。長い長いメールがあとで届いた。
 別の友達にも会った。成城学園中学校に勤務していた頃の教え子であり、ずっと小沢さんのことを考えてきた女の子。ほかにも東大の教員で、夜学バーのある湯島をアートとスナックで振興していこうと活動している永野さんが、近隣のビルオーナーさんとともにいらっしゃった。この人には僕が応募をすすめたのである。
 また、講義が終わった直後、「もしかしてオザケンの講義、いらっしゃいました?」と東大生(たしか1年)の女の子からLINEがきた。茨城県のとある公立中高一貫校に「芸術幼稚園」という生徒主催の企画があって、2019年に僕は講師(?)として「お店やさんごっこ」をやらせてもらった。その時に教室にいた人なのである。当時は中学生だったと思うが、この春に東大に入って、夜学バーにも何度か来てくれた。彼女も「送って認められた(?)」ようなのである。こんどお茶する。

 いろんな方面から、同じ場所に、同じことのために集まった友達が何人もいて、「僕の人生の質の証明!」ってすごく思った。前に劇団うりんこが岡田淳さんの本をお芝居にしたとき、名古屋まで観にいったら、仲のよい高校の後輩とその奥さんがたまたま同じ日に来ていた、ということを思い出した。その日は岡田さんもいらっしゃっていて、かつお芝居には僕の小学校の後輩の女の子も出演していた。集う! 僕の人生の質!

 有名な人というのは、そういうふうに「目印」になる。僕の人生の質は、あるいはそこに集まったほかの人が僕の顔を見て少しでも嬉しい気持ちになったとすれば、その人の人生の質は、その「目印」のおかげで証明されたということになる。有名人というものは、そういう力を持っている。

 人生の質、ということでいえばこの9月は、岡田淳さんにお会いして、小沢健二さんにも(ほんの1分間くらいだけど)お会いしたことになる。僕が8歳とか10歳の時に好きになった、最も憧れてきた人たち。すごいことになっている、それは決して偶然やラッキーではなく、ただずっとそこにいたら、その人たちもずっとそこにいてくれたというだけのことなのだ。
 とこう僕が書くことは、無意味だろうか? 有名な人の名前を出して、会ったことを自慢して、ただ自分が気持ちよくなるだけなんだろうか? 僕の決めることではないが、そんなわけはない、こういう文章が世の中をよくするんだと信じなければ、何事も動いてゆかない。
 人生の質、というものがもしもあるなら、それを必死で追い求め続けた人間の一例としてこのホームページはけっこう面白いんじゃないかとも思うのだ。

 9月25日は2014年くらいから通っている中野坂上のカレー屋さん「Ajito」で夜学バーの出張営業みたいなことをやった。ここの店主を僕はとても尊敬しているので、本当に嬉しかったし、楽しかった。来てくれた人たち本当にありがとう。29日は上野公園で十五夜を見る会をした。多くの人が来てくれた。ありがとう。
 こうして何かをして、誰かが来てくれることも、ああ人生の質!という感じである。

 実力ではなく完全にラッキーだなと思うのは、東大講義のドレスコードに関してである。「パーティに行くような服装で」みたいなことが書いてあった。すぐさま兄に連絡し、「どうしよう~」と甘えた声(LINEだけど)を出してみた。上から下まで見繕ってくれた。彼は洋服のプロで、けっこうな有名人なのだ。(「洋服天国」で調べてみてね。)
 この兄も小沢さんのファン、というかこの人がテレビで小沢さんを見ていたから、そのまま僕も好きになったのである。
 2007年ごろ、小沢さんがエコ活動がなんだとかいってあれこれ言われていたころ、「なんであんなふうに言えるんだろうね?」とこの兄に言ってみたことがある。答えは明瞭だった。「有名人の友達がいないんだろ。」

 スタイリング(?)の時は髪が長かったが、切ったらもっと似合うだろうと、たぶん1年以上伸ばしていた髪をばっさりとやった。もちろんバスルームでひとりきり大暴れ。お金を払って髪を切ったことはありません。
 懐かしい。やっぱりこれがしっくりくる。

 あとは大阪や京都に行ったり、湯河原と熱海と大船に行ったり、充実した9月でした。ありがとうございました。

 いま実は10月2日で、背中からジャニーズの会見が聞こえてきている。「ジャニー喜多川の痕跡をこの世から一切なくしたい」すごい言葉だ。死人に口なし。さすがに胸が苦しくなった。とりあえず一言。「そういうことじゃないと思う。」
 これから旧渋谷公会堂(旧統一教会、旧Twitter的な)に行って小沢健二さんの追講義を受けてきますが、その前に深町珈琲というカフェに行って、誰か来るのを待とうと思います。SNSで「16時から17時までいますのでどうぞ」と言ってみたのだ。誰か来るかな、来ないかな。こういうギャンブルが大好きだ。

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