鑑賞記録2001.1〜3



クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶジャングル(映画)

やはりクレヨンしんちゃんの映画はテンポが素晴らしい。今回は「いい話」であったが、僕はクレヨンしんちゃんにおいて例えば「ヘンダーランド」のような美しい「いい話」をやって欲しくない気が強い。やはりドタバタしてなんぼではなかろうか、と。
20010331

三三七拍子(エッセイ・紙粘土)  爆笑問題

太田光のエッセイと、田中裕二の紙粘土。太田さんの政治や社会に対する考え方は読んでいて参考にもなり、痛快である。思い出話はどこまで本当かわからないものもあるが、微笑ましく、美しい感じもする。色々なエッセイが入っている。一応カテゴリ分けはされているわけだが、それでもぐちゃぐちゃだ。本当に太田さんは好き勝手に書いているのだなあ、とわかる。20010331

イエスタデイ・ワンス・モア(小説)  小林信彦

1989年から1959年へのタイムトラベル。バック・トゥ・ザ・フューチャーの日本版だが、決定的に違うことがいくつかある。タイムスリップ意志の有無、未来への影響、そしてラストシーン。皆までは言わないが、それらがかなり新鮮であった。しかしなによりこの小説に魅力的な点は、全体に流れる空気にある。主人公の夏夫は1959年の世界にすっかり魅せられてしまうわけだが、それを重々納得しめるだけの説得力のある時代の描写が素晴らしい。それに、現在・過去の時代を感じさせる時の音楽、映画、TVなどに関する人名・固有名詞が多く用いられ、当時の放送界の様子も詳しく描かれている。それが僕の趣味にマッチして、楽しめた。さすがは「日本の喜劇人」の作者である。しかし、そちらの方に全く興味が無い人が読んだらどうなのだろうか。20010330

まんだらけK(目録)

藤子・F・不二雄のロングインタビュウが良い。自身の漫画に対する考え方がよくわかって、ファン必読。目録も充実、エッセイ漫画もなかなか面白い。しかしなんといっても「小太陽」の復刻が嬉しい。子どもの描いた漫画ながら、ついつい笑ってしまうのは、やはりすごい。20010327

藤子・F・不二雄の漫画技法(HOW TO)

漫画家を目指す者は勿論のこと、藤子不二雄ファンなら絶対に読んでおくべき一冊。彼の漫画に関する考えや、理論、アイディア作りに至るまでよ〜っくわかる。インタビュウか何かで「僕にとって絵というのは手段だったんです」と言っていたと思うが、この本は何も漫画家だけでなく、広く創作活動を営んでいこうと考える若者全てにとってバイブルとなり得る名書である。20010327

おしゃれ泥棒(映画)

素晴らしい映画だ。機知のあるウィットに富んだ台詞と、おしゃれな役者と衣装と舞台と小道具のつくり出すとってもおしゃれな画面。この作品のタイトルを「おしゃれ泥棒」と訳してしまうのも頷ける。そしてカッコイイ展開、巧みな伏線、華麗なる落ち、なんと言っても息もつかせぬ窃盗劇。「百万ドルを華麗に盗みます」というコピーに嘘は無い。それにしてもあんな当時にしても突飛な衣装とメイクが似合ってしまうのは、オードリー・ヘプバーンの才能と言ってもいいかもしれない。恋物語としても、泥棒ものとしても、コメディとしても一流のこの映画、特に素晴らしいのはその落ちである。意外さに唖然としながら、自然と笑みがこぼれてしまう。ちなみに一番好きなシーンは、物置の中の二度のキスシーンである。「これが答えさ」、ああ、なんてかっこいいんでしょうか。20010325

モダン・タイムス(映画)

ギャグはもちろん素晴らしい。チャップリンは内容がどれだけシリアスで、皮肉を多分に含んでいたとしても、その中でギャグをやり、それで笑いを生むことができ、更に何の違和感もなくその世界に溶け込ませてしまう。この作品を見て感じたことは、幸せとは何か。チャーリーの価値観は人とは違うかも知れない。外に出て働くよりも、留置場で寝ていた方が幸福だ。この理論には確かに一理ある。だが、チャーリーは「自分の家を持つためならば、僕は働いたって構わない」と述べ、ラストには留置場で寝ていることよりも恋人と一緒に働いてお金を稼ぐという生活を選んでいる。人間の最も大切なモノとは何かということを考えた。20010325

よしもとPAA LIVE(お笑いライブ)

意外と面白かった。名古屋吉本なんて、どうせつまらないと思っていたのは間違いだった。SABOTENのボケは進行が上手い、下手したら矢部や東野よりも上手い。カルアミルクの九郎丸さんは天才だ。タックインの三根さんは普通だ。コントも良し、企画も良し、漫才も良しで、舞台としてはなかなかだ。ダンスがかなり痛いが、前売り1000円というのは妥当だろう。むしろネームバリューがない分、安く見られるのでお得だと言っても良いかも知れない。20010323

ローマの休日(映画)

オードリー・ヘプバーン主演の超名作映画。白黒という所為もあるのか、「パリの恋人」のヘプバーンの方が可愛いと思ってしまった。だが、髪を切った直後の、調髪する直前のヘプバーンが、異常に可愛かった。何故だろうか。しかし彼女の可愛さだけがこの映画をつくっているわけでは毛頭ない。これは確かに映画史に残る傑作である。切なさ。日本風に言えば「一夏の思い出」ならぬ「一日の思い出」だ。ラストシーンの会話の小気味よさと、別れの叙情との対比がこれまた感動を誘い、ラストカットは「シェーン」を思わせる。20010319

自転車泥棒(映画)

イタリア映画。白黒。たぶん1940年代。ユニコーンの名曲と同じタイトルに惹かれて借りました。ヨーロッパの映画はアメリカ映画と比べて、暗〜い話が多いですが、これもやっぱりそのひとつ。しかし、ただ暗いだけでなく、人間の欲と幸福への執着心、それに伴う破壊の心理描写などを、上手く描き出していました。やはりこの時代の映画が今なお残っているということは、名作ということでしょう。ラスト、主人公と子どもの演技は圧巻です。20010318

フォー・ハッピー・オルガズム〜さらさらと祝祭の庭にて〜(演劇)  メガトン・ロマンチッカー

劇団メガトンロマンチッカー。作・演出・選曲・俺:刈馬カオス。なんだか相変わらずジューシィ・フルーツっぽい曲がかかりました。好きだなぁ。いやはや、世界観が良い。上手い。しかし設定に無理・矛盾・疑問がありすぎ。おそらくはあちらさんも開き直っているのでありましょうが。舞台装置も凝っていて、世界観そのものにマッチしていたので素晴らしい。『私=マリア,僕=ヨハネ(こらこら),俺=自殺(おいおい)』という説を唱えるのは僕だけでしょうかね。20010318

ふかわりょうの来来圏スペシャル(ビデオ)

めちゃくちゃ期待した割にはいまいち。しかしあれらのネタがもしアドリブだったらふかわりょうはスゴイということになる。なんとなくその場その場で適当に考えているっぽい。だって、ネタのビデオじゃなくてTV番組のSPビデオなわけで、ふかわが自分でネタを練りまくったわけではないのかもしれませんから。練られていたのは今日の一言とふかわりゅうくらいかな・・・?20010315

市民ケーン(映画)

新聞王ケーンの一生を振り返り、その死を考える。最後の言葉「バラのつぼみ」とは何を意味していたのだろうか、と。僕はまだ整理がついていないので、是非もう一度観たい。難しい映画です。20010313

女生徒(小説)  太宰治

太宰の、女性一人称作ばかりを集めた短編集。やっぱり太宰はスゴイ。表題作『女生徒』もさることながら、他の短編も素晴らしい出来です。構成も上手い。ラストに『饗応婦人』というわかりやすく、落ちがさっぱりし、割と気持ちのいい作品を持ってくる辺り。20010313

ドラえもんのび太の大魔境(映画)

第3作目のここから映画の質がぐわぁ〜っと上がっています。20010311

あしながおじさん(映画)

ウェブスターの名作を20世紀フォックスがハリウッドで映画化。あしながおじさん=フレッド・アステアが見事変な人間になっていた。アステアのドラムとダンスが見物。もしMGMならば確実に『ザッツ・エンターテインメント』に入っていたでしょう。20010311

ロイヤル・ウェディング 恋愛準決勝戦(映画)

フレッド・アステア。ミュージカル史に残る名シーンがてんこもり。アステアが帽子立てと踊ってみたり、壁や天井の上で踊ってみたり。なかなか魅せられました。20010311

ドラえもんのび太と翼の勇者たち/
ドラミ&ドラえもんズ宇宙ランド危機イッパツ!/
がんばれ!ジャイアン(映画)スクリーン
1回目は感想無し。一応日記には書きましたが。20010310

踊る大紐育(映画)

ジーン・ケリー、フランク・シナトラ他。最初のシーンと最後のシーンが良い。ダンスも、歌も申し分ない。ストーリーも、この頃のミュージカル映画としては良い方。ケリーとシナトラが共演したということでも、注目と言わざるを得ないでしょう。20010310

野良犬(映画)スクリーン

黒澤明監督、三船敏郎主演。三船敏郎は本作も好演。『生きものの記録』『七人の侍』『野良犬』、ほぼ同年代の映画だが、とても同じ人間だとは思えない。
『野良犬』にせよ『七人の侍』にせよ、無常感が残る。本作の場合、刑事仕事のむなしさというものがあった。そして同時に、そうさせしめた社会への痛烈な皮肉・批判が込められている。世の中に悪いやつはひとりもいない、ただ悪い世の中があるだけだ。そのために誰かが死に、刑事はそれを捕まえて、犯人は死刑。なにが正しく、どうしたらいいのかはわからない。ただ、今の世の中はそのようになっている。20010303

椿三十郎(映画)スクリーン

黒澤明監督、三船敏郎主演、仲代達也敵役。
突然だが、『シェーン』という映画は『椿三十郎』の延長線上にある。『椿三十郎』のその後の話を、西部アメリカ版として描いたと言っても過言ではないかも知れない。椿三十郎は、本当に強い刀は鞘に入っているものだと悟った。
しかし、三十郎の魅力は昭和の、いや20世紀のヒーロー史に残る。何も言いますまいて。20010303

異人アンドロ氏(漫画)  藤子・F・不二雄

原則として、ここには漫画を載せないことにしていた。
しかし、F氏最後のSF短編であり、先月末に単行本初収録された本作を読み、書かずにはいられない。
『異人アンドロ氏』とは、まさに成年版『ドラえもん』である。
主人公門梨は、名前の通りボロアパートの家賃すら払えない売れない貧乏作家である。ある日その隣の部屋に、さる事情で地球に住み着くことにした宇宙人のアンドロ氏が越してくる。アンドロ氏はその秘密を門梨に知られ、彼の記憶を消そうとするが、門梨の友人の危機を知り、不思議な道具を次々と使い、門梨の友人を助ける。アンドロ氏は門梨の記憶消去をやめ、勝手知らぬ地球生活についての良き助言者として友人になってくれと頼み、門梨もそれを受け入れる。「トコロデ、仕事アリマセンカ」「ぼくも探してるんだけどね・・・」幕。
この話からは、無限の可能性が感じられる。アンドロ氏の持っているトランクはまさに四次元ポケットそのものであり、アンドロ氏には正義感と人間らしい優しさがある。そして最後の2人のやりとり。これからどんな事件でも起こりそうな予感である。門梨とアンドロ氏の関係は対等であり、保護ではなく友情だ。『ドラえもん』の友情には、やはりどこか「保護」が見え隠れするのは否めないが、門梨は自立した大の大人だ。それに、2人ともバカではない。そして、『異人アンドロ氏』にはF氏の「日常+異分子=SこしFしぎ」の中の「家庭+異生物」というパターン、すなわちドラえもん、ウメ星デンカ、オバケのQ太郎などと同じ要素である。しかも、自分の家ではなく隣同士だということと、登場人物が大人だということが新しい。2人の距離感と友情は、他の漫画にはなかったものだと思われる。それだけに、『異人アンドロ氏』が連載されていたら、という期待は大きい。F氏の成年漫画の人間・社会関係の描写には素晴らしいものがあり、また、ユーモア、皮肉も多分に含んでいる。これらの点を考慮しても、この作品は『ドラえもん』になり得たと思う。この作品に限らずとも、F氏の連載成年漫画が数少ないことが残念でならない。こうなってくると、ますますドラえもんが恨めしい。20010302

絶対無敵ライジンオー陽昇城からくり夢日記(OVA)

いややっぱ感動しますわな、なんか。白鳥マリアと月城飛鳥の「あんたそれでも男なの!?月城飛鳥は見かけ倒しの男の子だったの?」「僕は、僕は、僕は!・・・僕は見かけ倒しじゃないっ!」のシーンね。
いやしかしキャラデザ&メカニックの方に脱帽です。武内啓さんとやまだたかひろさん。よくあれだけ上手にお城を変形させたなぁと。お城が変形するのは「飛べ!イサミ」にもありますけど。あれも名作だったな。20010301

朝刊暮死(小説)  結城恭介20010217

雷門京一郎シリーズの最終作(作者曰く)。この作品でやりたいことはやり尽くしたらしいです。
すごいの一言につきます。雷門が最後には「犯人を作る」ことがわかっていても、読めないんですね。それに、今回のはいつもに増してラブストーリー的要素がより加味されていました。これもなかなか読ませてくれます。
作中に結城恭介さん本人が出てくるのがまた魅力ですね。作家自身はそういうネタは好きじゃないようなんですが、今回はまたそれが良い効果をもたらしていたと思います。活字と現実がごっちゃになって、合わせ鏡みたいな不思議な気分になります。名作。必読。

少年時代(映画)

原作:柏原兵三、藤子不二雄A。企画・制作:藤子不二雄A。監督:篠田正浩。主題歌:井上陽水。小説『長い道』と、それを元に描かれた漫画『少年時代』を原作とした、日本アカデミー賞に輝く名作。僕はいかんせん原作を読んでしまっていたので、どうしても比べがちになってしまい、まともな感想は出せない。それでも、思うところはある。ガキ共、演技うまい。めちゃくちゃうまい。タケシやフトシやスドウ(ケンスケ)たちの性格がよく出ていたし、いじめのシーンなどもかなり上手に演じていた。それにしても、タケシがいじめられるシーンが長かったと思う。
ラストシーンで、汽車と併走するタケシの姿が感動的だった。井上陽水の名曲『少年時代』が流れる。汽車から身を乗り出し帽子を振るシンジ。ついに汽車に追いつくタケシ。やがて汽車はトンネルに入り、タケシの姿は消え、タケシの机に残った一枚の写真、幕。この後を全く描かないのがこの映画の良いところだ。人は誰もが少年時代をとおる。そしてその少年時代は、トンネルを進むに連れ次第に狭くなる光のように、はかなく消えていくものなのだ。20010213

櫻の園(映画)スクリーン

1990年、中原俊監督。原作吉田秋生。ある女子校の演劇部で、創立記念式典の朝からチェーホフの『櫻の園』の幕が上がるまでの2時間をほぼリアルタイムで描き出しています。現役演劇部の僕には、かなりツボにはまりました。女子校の演劇部ってこんな感じだろうな、とか、こんな練習本当にやってそう、とか思いました。演劇部特有の匂いというか、特性というか、そういったものがとても良く出ていて、随所に専門的な描写もあって、この作品のスタッフやキャストには、高校演劇の経験者が多いのではなかろうか。もし高校演劇経験者がいなくて、これだけのものがつくれるのなら、中原俊は天才である。ストーリーも引かれるものがあり、カメラ割りも『12人の優しい日本人』に比べたらかなり凝っていて、心理描写もきめ細かいです。なにより役者たちの演技が上手い。本当に演劇部やってるんじゃないかと思うくらい、演技の練習風景などにも本物らしさが出てました。どれもこれも監督・中原俊の手腕でしょうか。20010212

12人の優しい日本人(映画)スクリーン

1991年、中原俊監督。三谷幸喜脚本。もしも日本に陪審制が取り入れられたらどうなるか、というもしもボックス的な密室映画。12人の陪審員達が無罪か有罪かを巡って論議するわけですが、テンポ、間、人物の個性、台詞回し、単語、演出、話し合いの内容と流れ、心理変化、心情描写など、最高です。どれもこれも脚本の力による物が大きいと思います。これぞ日本人ッ!「まさに」という感じです。深いところについては、まだ色々とわからないところもあったので、今度もう一度観てみたいと思います。20010212

サウンド・オブ・ミュージック(映画)

さて、みなさんお馴染みの『ドレミの歌』や『エーデルワイス』など、現代の日本人ですら誰でも知っているような名曲ばかりが登場する、あの映画です、サウンド・オブ・ミュージック。恐らく知らない人はいないでしょう。一言で言うと、美しいです。画面、物語、登場人物全てが美しいのです。まさにミュージカルの、いや、映画の王道的作品です。最高ですね、いや最高です。20010211

バンド・ワゴン(映画)

1953年、フレッド・アステア主演。ヴィンセント・ミネリ監督。
なんと、ストーリーが『雨に唄えば』そっくりである。びっくらこきました。しかしスタッフの名前を見て納得。製作アーサー・フリード。なんだ、一緒じゃん。脚本ベティ・コムデン、アドルフ・グリーン。脚本家まで全く一緒かい!アステアのパートナーであるシド・チャリシも『雨に唄えば』に出てたし、アステアだって『雨に唄えば』の制作に携わっていたはずである。こりゃ似てくるのも当たり前と言ったら当たり前。あれ作ってからわずか1年後だし。
ストーリーは、売れなくなった映画スターが素晴らしい舞台を作ろうとするも失敗。だが立ち直って、もう一度イチから本当に素晴らしい作品を作り、成功をおさめる。『雨に唄えば』とほとんど同じ流れである。アステアとシドは初めは仲が悪くて、そのうちに愛し合うようになるのだが、その辺も『雨に唄えば』そっくり。雨の中の玄関先でのシーンなどもそっくり。考えてみれば『バンド・ワゴン』におけるオスカー・レヴァントと『雨に唄えば』におけるドナルド・オコナーの役回りもほとんど同じなような気がしてきた。
名曲『ザッツ・エンターテインメント』や『ダンサー・イン・ザ・ダーク』などが最高に良い。ちなみに両方とも後に同名の映画が作られている。思わず口ずさんでしまう、「ざっつ・えんた〜ていめんっ♪」。この曲を歌うシーンは、映画『ザッツ・エンターテインメントPART2』の中でもふんだんに使われており、その映画の中でもフレッド・アステアとジーン・ケリーが歌詞を変えて歌う。この曲はまるでミュージカル映画そのものをそのまま歌い上げている感じで、この頃の映画を語るのには最もふさわしい曲だと思う。良い良い。20010211

巴里のアメリカ人(映画)

1951年、メトロゴールドメイヤーズフィルム。ジーン・ケリー主演。ヴィンセント・ミネリ監督。
歌とダンスと音楽は申し分ない。『ザッツ・エンターテインメント』で、トリを飾るだけのことはあり、特にジーンが子供達相手に踊るシーンや、オスカー・レヴァントの独りオーケストラ、そしてラストの17分ダンスは絶品である。男は念願の個展を捨て、女は戦争の恩人を捨て、結ばれる。いい話ではある、だが、ちょっと不親切だ。役名にて失礼するが、ジェリーとアダムは仲がよいのか、アダムのコンサートの夢はどうなったのか、その後のアンリとジェリーとの友情は変化したのか、ジェリーは結局個展を開くことができたのか、開いたとしたら成功していたのかと、なんともはや気になることが一杯である。伏線らしき物をほうぼうに巡らせておいて、それらに全く触れることなく、ただ男女の愛だけを描くというのは、ちょっぴり物足りないものがあった。もっと登場人物の「夢」についても描いて欲しいものである。しかし、素晴らしいことは素晴らしい。ミュージカル史上に残る名作と言われるのも頷けるというものだ。20010211

ドラえもんのび太の宇宙開拓史(映画)

1981年公開の映画第2作。藤子不二雄原作・脚本。OP『ぼくドラえもん』ED『ポケットの中に』挿入歌『心をゆらして』『ドラえもんの歌』
まず、題字で大爆笑。『ドラえもんのび太の宇宙開拓史』というタイトル表示の「太」という字に、点が二つある。つまり、「犬」と「太」をくっつけたような字になっているのだ。これは原作漫画においてのび太も何度か間違えている、いわば「お約束」のネタである。これには笑った。
しずちゃんが「のび太くん、スネ夫くん、たけしくん」と呼んでいるのはかなり新鮮であった。スネ夫の「目で南京豆でも噛まない限りね」という台詞が面白かった。ジャイアンとのび太のダンスや、タマゴドリのカラのネタなど、ギャグ要素もなかなか多かった。ロップル君のカーゴに「フレンドシップ号」という名前が付いているのにもびっくりだ。空気大砲を使うときに「ドカン!」といちいち言ってくれるのも嬉しい。ちなみに前作は違ったが、この作品ではジャイアンは「お〜れはジャイア〜ン」と歌っている。
気に入らないところ。
ギラーミンとの対決シーン。漫画ではのび太と一騎打ちをし、初めのび太が負けたと思わせておいて、実際はギラーミンが負けていたというハラハラの演出があったのだが、映画ではロップルくんのショックガンを使い、のび太が少し手伝って倒している。これなら2人の友情という面では良い演出かも知れないが、ギラーミンとの対決はのび太にとって大長編史上最高峰の名シーンである。僕は漫画の方が好きだ。
しかし、もちろん良いところもたくさんある。ドラえもんとのび太とロップルくん達が楽しく遊ぶシーンが美しく仕上がっていたし、何よりクレムとのび太の間にある淡い恋の匂いがうまく描き出されていた。ラスト、超空間をはさんでのび太に向かってあやとりを見せるクレムの姿は感動的であった。ただ、ここまでクレムとの関係を強調するのなら、最後にロップルくん達のことを思うシーンで、漫画のように余情の残る画面とせりふをつくって欲しかった。漫画では最後ののび太のせりふで、クレムに抱いていた思いが全て表現されている。どちらが良いとは言えないが、両方のいいところを取ってリメイクしてくれれば素晴らしい作品になると思うが、今リメイクなんぞしたらギャグシーンがほとんどカットされてしまうのではないかと思う。
この勝負はかなり甲乙つけがたいが、判定13対17で漫画の勝ち。

ドラえもんのび太の恐竜(映画)

1980年公開の映画第2作。藤子不二雄原作・脚本。OP『ぼくドラえもん』ED『ポケットの中に』挿入歌『ドラえもんの歌』。
ギャグ的な小ネタが満載。フタバスズキリュウの卵の化石を発見したときののび太のタマゴダンスは必見です。現在のアニメドラでは考えられません。ドラえもんが「〜なのら」口調を使ったり、「ウンコ」という単語を発するのも、恐らくもう見られないことでしょう。「あったか〜い目のつもり」を口で言ってしまったのがギャグを少し弱くし、それがその後ののび太の台詞にも影響してしまい、そのシーンの笑いがおとなしめになってしまっていた。しずかちゃんがドラのことを「ドラえもん」と呼び捨てにしているのも昔ならでは。また、スネ夫のママが「のび太ちゃん」と言う。ジャイアンがキャンプで歌うのは、おなじみ『おれはジャイアンさまだ!』ではなく(この頃はまだ存在していなかったのであろうか)、『ワンパク三人組』という曲だったが、音痴なのには変わりない。小ネタ、SEIKOならぬSAIKOの時計が登場する。
ドラの映画は、藤子先生がまずおおもとの脚本を書いて、それにそって漫画と映画が同時進行で作られたと考えられるので、漫画・映画の相違は様々なところで生じてくる。というわけで漫画と映画の違いについて。かなり色々ありました。「鼻でスパゲッティたべる機械を出してくれえ」のシーンがばっさりカット。まあ、これを入れると話のテンポが崩れると思うので、仕方がない。のび太が白亜紀でピースケと再開するとき、漫画では道具も使わずに海の上を走るのであるが、映画では並んだ細い柱の上をジャンプして進みます。『ルパン三世カリオストロの城』に似ている(?)。コンク・フードが「ヌードル」と書かれたただのカップメンになっている。滝から落ちるとき、漫画では『交通安全おまもり』を使うが、映画では何も使わない。敵の本部に乗り込むとき、漫画ではピースケをその場に置いて行くが、映画では連れていっている。捕らわれたジャイアン達の脳波を読みとるシーンで、漫画では倒置法をふんだんに用いていたが、映画では文章が普通に成り立っていた。
ここまでは、特に差し支えないほどの変更である。以下の事項に対しては疑問符である。
「グゥとでも言って見ろ」のシーンは、漫画の方が間もテンポも表情も、全てが良い。映画ではこのギャグがすっかり流れてしまっているのだ。漫画において、のび太は毎日冒険日記をつけようとするが、「ぼうけんのボウってどういう字だっけ・・・やめた!」と言って一度も書かずに終わっているのであるが、映画では最後の日まで書き続けている。確かにそれも悪くないのだが、この爆笑ネタがないのは少し残念である。偽物のバギーを飛ばして囮にするところでは、映画はバギーと人形の製造過程を描いてしまっている。確かに「バギーあるんなら最初から使え」という突っ込みを避けるためには必要かも知れないが、あのシーンの意外性が無くなってしまい、ハラハラ感が薄くなってしまった。映画はタイムパトロールの出動シーンがしつこすぎる。あれではまもなく助けが来るというのがわかりすぎてしまうので、漫画のようにさらりと描いてしまって良かったと思う。
そして怒りすら感じたのが、プテラノドンのシーンである。プテラノドンのシーン。漫画では見開きで大迫力だったが、映画では迫力が足りない。それは仕方がないかもしれないが、スネ夫の名ゼリフ「まず目玉を突っつくと思うよ、それからお腹を裂いて、やわらかい内蔵を・・・」がなかったのは残念である。何よりもジャイアンが落ちそうになって、のび太がそれを支え続けるという超名シーンは、漫画のみである。そして、その後のキャンプでのジャイアンの超名台詞「おれ・・・、歩いてもいいぜ、日本まで。おれは歩く!!のび太と一緒にな!!おれがタケコプターを落としたとき、おまえ、おれの手を離さなかったもんな」最もジーンとさせるところ。いわばこの作品の山場とも言えるシーンが、映画にはないのだ。確かに、このシーンを入れるとスネ夫が悪者になってしまうかもしれない。でも最大の山場なのだから、入れてほしかった。
藤子先生の脚本がどうだったのかは知らないが、僕はこれらの点をかなり疑問に感じました。
以上より、『のび太の恐竜』は漫画の勝ちです!全体的に迫力が乏しかったし。しかし、映画が漫画に勝つ可能性があるのは、夢幻三剣士くらいしか思いつかない。あの作品のラストシーンは、映画の方がよい。
ところで、ドルマンスタイン(漫画ではドルマンスタン)や、タイムパトロール本部はいったいどの時代に存在しているのであろうか。映画で、TP隊員が「23世紀の刑務所に・・・」と言っているので、ドルマンスタインは23世紀の人間なのかと考えられるのだが、漫画では2314年、つまり24世紀のメガロポリスに住んでいることになっている。だから、漫画と映画の設定が違うのか、あるいは時間犯罪者は住む時代に関係なく刑務所に送られるのか。また、タイムパトロール本部があるのは刑務所と同じ時代だと考えても良いのだろうか。想像は尽きないものだ。もしも並平ぼんや安川ユミ子に会うようなことがあったら聞いてみることにしよう。きっとフォゲッターのせいですぐに忘れてしまうと思うが。20010207

ザッツ・エンターテインメントパート2(映画)

1976・米。ジーン・ケリー監督。今回はフレッド・アステアとジーン・ケリーが歌って踊りながら案内役を務めます。この作品が公開された時、フレッド・アステアはすでに77歳。それでもまだまだ現役でいけるのではないかと思わせるほどの素晴らしいダンスを魅せてくれます。ジーンもアステアも、頭はすっかり白髪まみれになってしまっていて、ダンスにも昔のようなスピードとパワーは無くなっていますが、元来持つエレガントな動きは全く失われていない。2人で踊っているときの彼らは、本当に楽しそうである。前作『ザッツ・エンターテインメント』で、ジーン・ケリーはこう言いました。「俳優は必ず、最も気に入ったパートナーは誰かと聞かれます。私も色々な女優の方々と共演してきましたが、それを問われるのなら、失礼を承知でお答えしましょう、私がベスト・パートナーに選ぶのは、彼です。アステアと踊る時は気を抜けません。彼とは一度共演しただけですが、是非もう一度、彼と踊りたいものです」その夢を叶えるべく、自ら監督をし創り上げたのが、本作です。この時の2人の歌と踊りは、他のどの名作のどの場面よりも、素晴らしいものでした。特にラストシーン。出演者達の名前を早口でまくし立て、主題歌『ザッツ・エンターテインメント』を歌った後の2人のラストダンス。わずか30秒ほどの短いダンスシーンでしたが、とても素晴らしいダンスでした。このシーンだけは、全く年を感じさせない、スピード感溢れたパワフルなダンスでした。そして、踊りの後の2人の堅い握手。そして、幕。感動的な握手だった。おそらく人生においても最後に近いステージで、お互い、最高の相手と踊ることができて、本当に嬉しかったのだろう。彼らも本当に感動して、言いようのない達成感を得ていたと思うのである。その気持ちが伝わってきて、感動した。本作はただの総集編などではなく、紛れもない名画であると、声を大にして叫びたい。20010206

ザッツ・エンターテインメント(映画)

1974・米。MGMのミュージカル作品の名場面を、時のスターがかわりばんこに登場して紹介していく、大総集編的映画。この映画を見終わった後には、必ずこの言葉が漏れます。
ザッツ・エンターテインメント。フレッド・アステア、ジーン・ケリー、フランク・シナトラ、ドナルド・オコナー、ジュディ・ガーランド、デビー・レイノルド、エレノア・パウエル・・・ その他100人を越える大スター達の歌と踊りの大饗宴。
僕が好きなシーンは、現代のアステアがジーンのことを「親友,ジーン・ケリー」という紹介をしたところです。
とにかく前編通して感じられるのは、新鮮な感動です。続きはPART2で。20010202

死刑台のエレベータ(映画)

1957・仏。ルイ・マル監督のデビュー作。音楽はあのマイルス・デイビス。父曰く、この映画に使われている音楽は全て、デイビスが画面を見ながら即興で演奏したものなのだそうである。即興であれだけの音を出せるのはやはりすごい。当時はどうだったのか知らないが、お洒落である。『地下鉄のザジ』のようにとってつけたようなおしゃれ映画というわけではないが、緊迫するサスペンスの中にそういったものが含まれていた気がした。全く違った場所で進んでいく三つのストーリーが一本の線に繋がったとき、なにやら気持ちが良い。ラストの小さいが重いどんでん返しと、婦人のせりふが余韻を残す。20010130

HANA−BI(映画)

1997・オフィス北野。第七回北野武監督作品にして、第54回ベネチア国際映画祭金獅子賞受賞作品。相変わらずのヤクザ暴力映画。ビートたけし、岸本加世子。白竜さんが出てます。未だたけしさんの映画以外で白竜さんを見たことがありません。また、たけし軍団の方々も多数出演しています。なんと、北京ゲンジもちょい役で出演。ラストシーンにはたけしさんの娘、北野(旧姓・松田)井子も出ております。岸本加世子の演技が良かった。カメラ回しの面では特筆すべき事は特にない、あまり注意して見られなかったから。「HANA−BI」というタイトルの意味に深みを感じました。「花火」が出てくるシーンは一カ所しかないのですが、「花」が前編を通してたくさん出てきます。そしてなんと言っても、ラストシーン、絵に描いたような美しい風景をバックに高く響く2発の銃声。そうか、これが「ハナビ」なのか、と納得。映画の印象としては、静かだった。主役のビートたけしは、ほとんど喋らない。岸本加世子に至っては、発したのはたったの二語。「ありがとう。ごめんね」のみ。しかしそれがまた良い効果を生んでいたのが素晴らしい。夫婦の二人きりの描写が、微笑ましくもあり、また寂しくもありで、それだけで綺麗な映画だったと言えるのだが、無茶苦茶なシーンも数多い。ハチャメチャや手口の銀行強盗、どんどん死んでいくヤクザ達。この映画で一体何人の人間が死んだだろうか。そのギャップがまた、素晴らしい効果を招いている。たけしさんは本当にすごい。たけしさんによる挿入画も素晴らしい絵ばかりで、良かった。多少多すぎる感はあったが、魅せられるものがあったので、良かった。20010130

給料日 PAY DAY(映画)

チャップリンの短編。笑いと皮肉に満ちあふれた作品。気楽に見られる映画だ。尻に敷かれたチャーリーの姿が滑稽である。爆笑問題がスパシオ野CMでパロっていた『乗れないバス』のシーンがある。その他にも、逆回しの技術を駆使した『レンガ積み』なども必見。ところで、途中で出てきた現場監督の娘はなんのために出てきたのだろうか。なんとなくだけども、彼はドラえもんに似ている、とふと思った。短編と長編との描き分けのようなものが。20010130

黄金狂時代 THE GOLD RUSH(映画)

巷ではチャーリー・チャップリンの最高傑作と囁かれている作品。淀川長治さんも大絶賛。前半で人間の極限を描き、後半で愛をうたい切なさを感じさせ、最後にはあっけないほどのハッピーエンド。しかし単に幸せなだけで終わっていない(少なくとも僕はそう思う)のがすごいところである。随所に盛り込まれたチャップリンならではの芸が光る。特に『パンの踊り』は絶品だ。僕が好きなのは、前半、雪山で飢え死にをしかける。そこで描かれる極限状態の人間の姿が、「まさに」という感じだった。もしも自分があの状態に立たされていたら、同じことをしていたかもしれない。靴を食べたかも知れないし、仲間を食べようとしたかも知れない。20010129

用心棒(映画)スクリーン

1961年、黒澤明監督、三船俊郎主演、仲代達也準主役、志村喬脇役。これは以前にも見たことがあったので、今回は1回しか見ませんでした。しかし何度見ても名作は名作、非常に面白かった。
『天国と地獄』ほどはテーマ性が低いものの、『七人の侍』と同じく、見終わった後にむなしさが残った。だが、『七人の侍』と違ったのは、同時に爽快感も残ったことだというより、『七人の侍』がむなしすぎただけなのかもしれないが。三船敏郎演じる桑畑三十郎が格好いい。黒澤時代劇にでてくる三船敏郎は、ほとんど役名に本名がついていない。菊千代然り、椿三十郎然り、桑畑三十郎然りだ。菊千代はパクって来た家系図かなんかに書かれていた名前を適当に使っただけだし、三十郎に至っては、その時目に見えたものを名字にし、自分の年を名前にしているだけだ。「俺の名前は・・・ 桑畑。桑畑三十郎。もうすぐ四十郎だがな。まあサバ読んで三十郎でいいだろ」。この匿名性が格好いいのだ。どこの誰だかわからない放浪の侍が、物凄い剣の達人で、無鉄砲で、かつ策略家で、それでいて心優しい面もある。これが格好良くないはずがない。ラストシーン、宿場町の悪人を一掃した三十郎は、世話になった飯屋と桶屋を残して去っていく。その後ろ姿に背負っているものはいったい何であろうか。我々は三十郎の活躍をもっと見たくなる。もっと三十郎を知りたくなるのだ。日本映画史にこれほどまでに魅力的なヒーローは、他にいない。20010127

天国と地獄(映画)スクリーン

1963年。黒澤明監督、三船敏郎主演、仲代達也準主役、志村喬ちょい役。今池国際シネマという映画館で、2回ほど見ました。
いやはや、面白かった。子供の誘拐から身代金の受け渡し、そして逮捕に至るまでの主人公の苦悩、刑事の活劇、犯人の心理描写、全てが見事に描かれていました。ラストのラストで浮き彫りになるテーマにも心打たれるものがあった。勝手な解釈としては、ラストシーン、逮捕後面会する主人公と犯人との会話、本当の地獄に生まれた者は一生地獄なのだという恐ろしさが垣間見られた。仕切られた面接室のガラス。カメラは彼らを決して同じフレームに入れようとはしない。必ず別々に映すのだ。犯人が映り、主人公が映り、という具合に。ガラス越しの犯人の顔が映る。それは天国から見た地獄の姿であった。主人公は哀れみを含んだ瞳で犯人を見る。ガラス越しの主人公の顔が映る。それは地獄から見た天国の姿であった。強がりながらも恐怖感に煽られ暴れ出す犯人、そしてシャッターが閉まる。天国に生きる人々は、地獄を見ている必要は無いのだ。幕。拍手。
ところで、何故か主人公の家はみんな土足で上がり込んでいたのですが、なぜでしょうか?
あと、工場からピンクの煙が立ち上るシーンがあって、何故かそこだけ色がついてました。20010127

ダウンタウンの流し(ビデオ)

松本人志が企画・構成・その他諸々のほとんどを手掛けている。唯一のライターも高須光聖で、無駄な人の手が一切加わっていない。漫才・コントが交互に繰り返され、たまに松本人志のモノローグが入る。漫才は3本収録されており、非常に面白い。ただ、ネタ中にファンが「かわいい〜」とか叫んだり、登場してから黄色い声が五月蠅くてネタが始められなかったり、それに滅茶苦茶面白いところであまり笑わない。ファンの質の悪さが目立った。かなり腹立たしかった。コントは、「犬マン」というロケコントが前・後編に分けて収録されている。面白い場面でも、スタッフや架空の観客などによる笑い声が一切入っておらず、かなり好感が持てた。なにより、SF特撮コントを演じているにもかかわらずのセットや効果のへぼさが笑えた。絶対に狙ったしょぼさである。映像が安くて安くて、大爆笑だった。犬の演技には一切気を使わず、表情や動きと全く違うせりふや特撮が使われているのにこだわりを感じた。20010125

パリの恋人 FUNNY FACE(映画)

1956年・米。『雨に唄えば』でジーン・ケリーとともに監督を務めたスタンリー・ドーネン監督。主演はオードリ・ヘプバーンとフレッド・アステア。ヘプバーンの映画は初めて観た。彼女が画面に登場したとき、びっくりした。当たり前のことのようだが、一目でそれがヘプバーンだとわかった。すごい。僕はつい最近まで映画は監督によって全てが決まるものだと思っていた。だが、アステアやジーン・ケリーを見てから、役者が引っ張っていく映画を知った。しかしそれは、彼らが技術的な面で非常に優れているからであり、ただ立っているだけで画面が成立するとか、そういうことは良い映画の中にはないと思っていた。が、違った。ヘプバーンは、そこにいるだけで確かに意味があった。「永遠の妖精」と呼ばれるわけも、一瞬で理解した。コマネチファンには悪いが、ナディア・コマネチが同じ「妖精」と称せられていることに、微かな嫌悪感すら抱いた、とは言い過ぎであるが、それほどにヘプバーンの存在の素晴らしさに感銘を受けたのである。外国人の演技はよくわからないから何も言えないが、声くらいはわかる。歌。歌が良い。ダンスも良い。上手い。これまではヘプバーンと言えば『ローマの休日』というイメージしかなく(見たことないけど)、あれほどのダンスが出来るとは思ってもいなかったので驚嘆した。ダンスと言えば、アステアであるが、これはもう語るまでもないだろう。彼はすごい。そこにあるもの全てをダンスの道具にしてしまう。傘、上着、帽子・・・まるで自分の体の一部かのように扱う。無駄な動きはない、エレガントなダンス。ストーリーも申し分ない、アステアの他の映画と同じような展開をする(実はそう見えるだけだと思うが)が、演出と撮り方はだいぶ違う。監督が違うんだから当たり前。全体的におしゃれで、うん、最高。20010124

キッズ・リターン(映画)

1996年、北野武監督作品。ビートたけしが映画監督として世界的に大きな評価を受けている理由がやっとわかった。滅茶苦茶カメラまわしが上手い。映画の演出技術については全く知らないが、それでもすごいことだけはわかった。単にカメラの位置とか撮り方とかそういうことだけではなく、画面の使い方がすごいと思った。一番感銘を受けたシーンはこれである。見たことのない人にはさっぱりわからないと思うが、自分のために記しておく。
主人公のシンジが行きつけの喫茶店の中で座っていると、親友であり兄貴分のマーちゃんがヤクザの集団と一緒に店に入ってくる。どうやらボクシングをやめてから、ヤクザの組に入ったらしい。ヤクザ達は店の奥に入っていく。シンジの席からもその様子は見ることができる。シンジはマーちゃんのことが気にかかり、奥の集団を見つめるが、その中の一人がシンジの方をにらみつけている(のかどうかはわからないが、とにかくシンジのほうを見ている。カメラは表情が読やっとみとれるかどうかという距離から集団を映している)。シンジはその視線に気付き、目をそらす。店員がヤクザの席の前へ行って、注文を取る。その店員がちょうどカメラとシンジをにらむヤクザとの間に入って、にらんでいるヤクザと重なり、そのヤクザは画面上では見えなくなる。するとシンジはそれを見はからったように、また奥の集団の方へ目を向ける。
これでは何がすごいのかわからないと思うが、自分でわかっているからよしとしとこう。気になる人はビデオ借りて下さい。本当に小さなところの表情演技にも大きな意味を持っていて、画面をパズルのように使って人間の動きひとつにもこれまた意味を持たせる。これはそうできたものではない、かなり勉強になった。他にもすげえと思った場面はいくつかあったが、僕にはこれが素晴らしすぎて、それらを書く気にもならない。20010123

一日の行楽(映画)

こちらはチャップリンの短編。4人家族の休日(?)の様子を描いています。なんだかチャップリンの顔が若い!ということに比例してか、ギャグ・シーンにパワーが無いなあと少し感じた。ストーリーは・・・いや、ストーリーなんてものはないけれども、「休日にわざわざ遊びに行くなんて疲れに行くようなもんだよ」という野比家理論が見え隠れしていたような気がする。20010121

サーカス(映画)

チャーリー・チャップリン監督・脚本・主演の長編無声映画。チャップリンは確実な笑いと上質な人間ドラマを見せてくれる。この作品ももちろん例外ではない。ラストシーンでチャップリン扮する浮浪者が見せた優しさが、暖かさとなんだか切ない気持ちと感動をくれました。安心して笑える喜劇的要素も、現代のコメディと比べても非常に高い水準を誇っている。父と2人で見ていても大爆笑できた。うちの父ちゃんがガキっぽいということもあるが、世代を越えた、というと大げさながら、誰が見てもやっぱり笑えるんだろうなあということを思った。竹村健一でもこれを見たら笑うと思う。チャップリンの演技も、素晴らしい。誰にでもできるようなもんじゃないですよ、こりゃ。再三口を酸っぱくして言っていると思うけれども、チャップリンやジーン・ケリーこそが本物の【芸人】だと思うんです。20010121

海援隊ラストライブ(CD)  海援隊

復刻版。82年に日本武道館で行われた解散ライブの模様を収録。かなりの名盤です。久しぶりに聞いてみると、やはり良い。『贈る言葉』『母に捧げるバラード』『遙かなる人』などのヒット曲から、千葉和臣や中牟田俊男のボーカル曲に、歴史ものや故郷をうたった曲などがあり、それだけでも十分に名盤と言い得るのだが、なにより素晴らしいのは武田鉄矢のMC。ちょっと笑える小話、竜馬にあこがれた大学時代の話、解散が決まり故郷へ帰ったときの話、そして、アンコール後の観客と武田鉄矢の感動的なやりとり。「やめないでくれよ!」と叫ぶ客。それに答えるように『母に捧げるバラード’82』を歌い上げ、男泣きの武田鉄矢。そして、泣きじゃくりながらのMC。「がんばれ、鉄ちゃん!」と、観客。武田鉄矢、感極まってこの名言!
「一番最後だから、正直に言いますが、おれは・・・あんたがたみたいなお客に好かれて、嬉しいっす。」
この言葉を聞くと、思わず涙を流してしまいそうになります。これほど深いファンとの絆を持つ歌手はそう居はしまい。僕がこの感動をクラスの女の子に熱烈に語ったら、「いいね、そういうの。仲間みたいで」と言ってくれた。嬉しかった。20010121
コール(小説)  結城恭介

探偵・雷門京一郎シリーズの第2段。シャーロック・ホームズのような観察眼を持つ彼が従来の探偵と違うところは、「犯人を暴く」のではなく、「犯人を作る」という点である。ストーリーとトリックはピカ一。読み手の裏の裏をかく展開と、最後にはほろりと泣かせるテクニック。更に凄いのは、文章の巧みさ。表現力が素晴らしい。言い回しも新鮮だし、比喩が上手い。これまでになかった探偵の形を作っていて、思わず唸った。登場人物も魅力的で、キャラクターもしっかりしていて、長い割に読みやすい。電話を使ったトリックも複雑で面白く、ついつい試してみたくなった。ただ、何年も前の作品のため、ポケットベルにメッセージが表示されるのが珍しいなど、時代を感じさせる表記もあり、苦笑ものです。これまで読んだ推理小説の中では最もお気に入り。20010121

頭頭(ビデオ)

1993年。ダウンタウン松本人志のオリジナルビデオ。「アハハハ」という笑いは一切ありません。曰く、「ビデオを出すと言ったら抱腹絶倒のものを作ると思われるだろうから、その裏をかいた」だそうです。なんだかわけわかりません。なんせ全く笑えない。ストーリーはちょっぴり怖くて、切ない。企画が松本人志。構成に松本人志、今田耕治、板尾創路。脚本は高須光聖と、ダウンタウンファミリー(?)で最も面白い人たちが集まっているわりに、全く笑えない。ある意味凄い。でも、前半が特に退屈である。全てのカットに意味があるらしいが、あと5,6回は見ないと全くわからないだろう。20010119

ブロードウェイのバークレー夫妻(映画)

1949・米。例によってフレッド・アステア主演。NHKのBS2は、こういう映画を、しかも字幕で放送してくれるのが嬉しい。
相手役の女性がやや年を取っていたせいか、ハードなダンスは見られなかった。それでも、やはりアステアのダンスはすごい。ジーン・ケリーと比べるとおとなしい印象があるが、綺麗でスマートといったところか。ストーリーはかなり面白く、小説にしても売れたかも知れないと思うほどだが、ダンスと歌が前面に出ていなかったせいか、ストーリーに入り込むまでの間、少し画面の上に退屈さが見え隠れしてしまったのが残念だ。ちなみに僕のおじいちゃんはアステアの大ファンらしい。20010118

雨に唄えば(映画)

1952年・米。ジーン・ケリー、ドナルド・オコナー、デビー・レイノルズの歌とダンスとタップが光るミュージカル映画の最高峰、だと思う。監督はジーン・ケリーとスタンリー・ドーネン。フレッド・アステアも一枚噛んでいるようです。
なんだか、説明するのもバカらしいが、名作だ。昨日観た『地下鉄のザジ』が全く霞んでしまった。
今、世界中をくまなく探してもジーン・ケリーのような芸人はいない。映画の質も下がったもんだ。偏見を言うと、最近の映画は、金と、技術と、役者の顔と、話題性のみで売っているような気がする。それはそれで悪くないし、その上にストーリーが素晴らしいとなればその作品はきっと「名作」と呼ばれることだろう。だが個人的な意見としては、もっと“芸”が欲しい。エンターテイメント性と言うのだろうか、そういったものを持った、人間自体に技と魅力の溢れた、どれだけ金や技術をかけてもかなわないような、そんな演者はいないのだろうか。
とりあえず現在は、いないと思う。20010118

地下鉄のザジ(映画)

ルイ・マル監督。「月刊少年ガンガン」が創刊して日も浅い頃、誌上で『魔法陣グルグル』の衛藤ヒロユキという漫画家が薦めていたことが印象に残っていて、レンタルビデオ店で借りてみた。その頃の衛藤ヒロユキはたぶん全盛期で、現在の数倍も面白い漫画を描いていた。だから、彼の言う「おしゃれな映画」というのも信用できると思って、借りた。
するとどうだろう、「おしゃれ」どころか、すごすぎる。内容もさることながら、いやぶっちゃけて言うと話の展開自体には面白味は無いかもしれない。だが、個々の台詞と、カメラワークと、編集と・・・なにより演出効果が素晴らしい。偉そうなことを言えるほどたくさんの映画を見てきていないが、こんな撮り方をする映画は初めてだ。舞台はパリ。リアルなパリそのもの。特におかしな世界でもワンダーランドでもない。だが、人間が突然消えて、違う場所から現れるなどということは当たり前で、一瞬で服を着替えたりと、場面の切り方が凄い。およそ現実離れしたシーンが平気で出てくるのだ。他には、風船をパラシュート代わりにしてエッフェル塔から飛び降りたり、まあとにかくナンデモアリの世界。車や足で「追いかけっこ」をする場面がたびたび出てくるのだが、そこは特に見物だ。
ストーリーは主人公の少女ザジと彼女を取り巻く大人達とのドタバタで終わるのかと思いきや、ラストには大乱闘が用意されていた。レストランの店員とザジの叔父の仲間たちが20名ほど入り交じって乱闘を繰り広げるのだが、とにかく壊しまくる。投げられるものは全て壊す。壁すら壊す。セットすら壊す。挙げ句の果てにはスタジオのセットの外側まで使っての乱闘になる。カメラマンなどの裏方さんも丸見えである。鮮やかなレストランのセットが破れて、スタジオの陳腐な壁がモロ見えである。これも演出なのだろうか。最後には重装備した警官が数十名加わり、収拾のつかない状態になるのだが、何故かそのレストランの真ん中に穴が開いて抜け道に出る。初めて来たような普通のレストランに何故抜け道があるのだろうか。ハチャメチャだ、実にハチャメチャだ。フランス映画ってすごい。ルイ・マルってすごい・・・20010117

タモリ(CD)  タモリ

77年に発売されたタモリの初レコードをCDで復刻。
インチキ外国語や意味不明の言語(ハナモゲラ語)が満載。何を言っているのかわからない。声は若いが、たまに今のタモリさんを思わせる時がある(特に高音・愚痴・文句・つぶやきの時に良く見られる)。
種種のネタも、当たり前だが現在の30代前半のどの芸人よりも芸が見えるし、光っているし、実力も段違い。タモリのすごさを実感します。20010116

ダウンタウンホラー大魔神怒る!(ビデオ)  ダウンタウン

梅田花月で行われたダウンタウンのライヴ、というより「ダウンタウンが主役の喜劇」。稲川淳二やウッチャンナンチャンが出ています。今にしてみれば夢のような共演であります。もしかしたらこの頃は「夢で逢えたら・・・」で毎週のように顔を合わせていたかもしれないが・・・。
ウッチャンナンチャンは大阪の客に慣れていなかった様子で、南原さんのボケに対して内村さんが「そんなギャグで大阪のお客さんをつかめるか!」という突っ込みを入れていたのが印象的。
当時はまだ稲川淳二がほぼ現役でいじめられキャラをやっていたようなので、熊のきぐるみをつけた稲川淳二がダウンタウンに木片でボコボコに殴られ、逆エビ固めをかけられている姿はなんとも懐かしくもあり爽快であった。
内容としては、ダウンタウンが演じるにはちょっと弱い。大爆笑できたのは随所随所の松本人志の小ネタだけだった。話の内容と流れ自体に笑いも面白味も無かったのが残念である。20010116

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