少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2023.7.7(金) 老いと柔らかき
2023.7.10(月) 交差する軌跡(103の23年)
2023.7.11(火) 23周年
2023.7.19(水) 器用貧乏暇なし
2023.7.20(木) 旅先RTA(新潟)
2023.7.21(金) 旅先(新潟2)
2023.7.26(水) 自己紹介は大人のはじまり
2023.7.27(木) 子供たちの夜学バー

2023.7.7(金) 老いと柔らかき

 一般に柔軟性の危機はまず30代で訪れるのだろう、Don‘t trust over thirty.などと言うように。ここで人格や価値観、また人生の針路のようなものが一つの完成をみる、ことが多い、と思う。それを変更するのは今さらしんどいから、だいたいの場合は「固着」の方向へと向かう。しかし微調整はまだまだ可能である。
 70代くらいで、その微調整が難しくなる、らしい。今日の話題は鈴木大介さんの『ネット右翼になった父』(講談社新書)の感想でもあるので、主として「男性」についてのことと考えてもらったほうがいいかもしれない。

 中学のとき、先生がおおむね嫌いだった。荒れた学校だったのでみんなピリピリしていた。環境が違えば別だったろう。とりわけ嫌だなと思っていた人たちは30過ぎくらいで、「この年代には何かあるんじゃないか」と思っていた。
 30過ぎというのは、若いようでいて若くもなくて、わかってくれそうでいてわかってくれない。中学生からすると、自分たちとそれほど(40代以降ほど)遠くはないはずなのに、どうしてもわかりあえない。そこに一層不満が募るのではないかなと今は思う。
 当時の30代前半というと1970年前後生まれとかで、僕の持論からいうと「価値観を共有できる世代」のはずである。すなわち、9~10歳くらいの自我が芽生える頃までにスター・ウォーズにはじまる大衆的なSF映画が世に溢れ、『ドラえもん』『ガンダム』『ルパン三世 カリオストロの城』があり、YMO、ゴダイゴ、サザンといった平成に繋がってゆく音楽たちも登場している。そこから先は、世界観がだいたい同じなのである。
 その世代の友達は後にたくさんできるが、学校の先生となると話が違うのだろう。「なんでこんなにも話が通じないんだ?」といつも憤っていた。

 現在の僕の言葉で説明するなら、「同じようにドラえもんとかで育ってきたはずの人間同士が、なんでこんなにもわかりあえないんだ!?」
 それはもちろん彼らが「荒れた公立中学の先生」という役割を心身にすっかりインストールしているから。プライベートでは知らないが、少なくともあの中学校にいる間は、柔軟にやっている余裕などなかったのだろう。

 柔軟さは非効率であることが多い。仕事をしてお金を稼ぐ、ということになると、まず追求するのは効率で、そのために捨てるのが柔軟さ。
 それを続けると、たぶんだが、柔軟であるということがわからなくなってゆく。うまいこと「仕事は効率的に、それ以外は柔軟に」と割り切ってうまいこと生活していける人もいるのかもしれないが、かなり少数だろう。
 いわゆる「バリバリ」の30代くらいで、人は柔軟さを失っていく、というのは、なんとなくわかる気がするのである。

 70代になると、もっと物理的にというか、「衰え」として柔軟性がなくなってゆく。いわゆる価値観のブラッシュアップやアップデートと呼ばれることが困難になる。「何十年も当たり前にしてきたことをいきなり変える」ということは難しいらしい。
 30代で起こることは、「能率を上げるために積極的に柔軟さを捨てる」ということで、70代で起こるのは「能力が衰えていくので消極的に柔軟さが消えてゆく」というようなこと、なのだろうなと雑に、ざっくり考えておこう。

 ところで、上越高田にシティーライトという素晴らしい喫茶店がある。もう90歳くらいのおばあちゃんが今は一人で営んでいる。僕は何度も通って、かなり仲良しである。数年前に訪れたとき、「お店を禁煙にしたの」と言われた。なぜかというと、テレビで受動喫煙の特集かなんかがあって、タバコの煙が一瞬にして室内に広がっていくモデル映像を見てショックを受けた。それで翌日にはもう禁煙に変えたという。
 すげーな、と思った。重要なのは、彼女が誰に言われたのでもなく、自らの意思でそうした、というところだ。「条例が変わったから」とか「お客さんに言われて」とかじゃなくって、テレビを見て、それで自分で決心したのだ。すごい。「何十年も続けてきたことを変える」というのは、どんな年齢になったって自らの意志でやれることなのだ。非常に心強い。

 なぜ、シティーライトのママにはそれが可能なのだろう? それはもう、「彼女は常に新しいことを考えているから」でしかない。お店に行けばわかる。僕の書いた本(『小学校には、バーくらいある』)だってちゃんと読んでくださって、お褒めの言葉もいただいた。
 お店を禁煙に変えるというのも、たくさんやっている「新しいこと」の一つでしかない。「何十年もやってきた」ということは「新しいことをやる」ということの前に無力なのである。もちろん、それによってお店の根本的な魅力が失われまいか、ということはよく考えたはずだ。総合的判断として禁煙を選んだと僕には思われる。

 柔軟であり続けるにはどうすべきか、というと、今のところ答えらしきものは一つしか思い浮かばない。「そもそも定まった価値観を持たない」ことである。「喫茶店というものは煙草が吸えなくてはならない」という価値観が彼女の中になかった、もしくはさして強くはなかったから、スッと禁煙に変えられたのではないか。
 学校の先生はふつう、「こうであるべきだ」ということをたくさん持っている。それを生徒に守ってもらうのが仕事だから、ほとんどの先生はたぶん自分でもそう思い込んでいる。彼らは「定まった価値観を持つ」ということが仕事のようなものだから(これは経験者としての体感でもあります、自分がというより同僚だった方々を思うと本当にそう)、柔軟性というのはどんどんなくなってゆく。

 となると、70代くらいで「能力が衰えていくので消極的に柔軟さが消えてゆく」というのは、本当だろうかという気もしてくる。「新しいことをするのが難しい」というよりも、「長く続けてきたことをやめられない」ということのほうが強いのではないかと今僕は仮説する。
 定まった価値観を長いあいだ持ち続けていたら、それを「変える」ことは難しいだろうけれども、そういうのがあんまりなかったら、ただ新しいことを考えたりやったりするのだけなので、脳の労力は意外と少なくて済むんじゃなかろうか。


 僕はずっと、若い人からドント・トラスト!と思われないように努めてきた。具体的には、「その都度考える」ということである。「持論」はあるが、「答え」は持たないようにしている。答えをすでに用意しておくことは効率的であり、毎回その都度考えるのは非効率かもしれないが、長く持ち続けた答えは捨てられなくなる。それが明らかに間違っていると誰もが思うようなことでも、いや正しいのだと言いたくなってしまう。それを見抜くと若人は「信じらんねーな、こいつは」とそっぽ向くのだ。
 こういうふうに日記をずーっと書き続けて、「ジャッキーさんの出した結論一覧!」というようなページを作らないでいるのも、その一環である。いや、面倒だとか、向いてないとかってこともあるけど、答えを出すことが誰のためにも良くはないってわかってるからでしょうね。
「持論」はあると書いたけど、僕だってもちろんこだわりだとか、ここだけはゆずれないということはある。でもそれはできるだけ具体的でない、かなり抽象度の高いものにとどめている。「仲良くすることよりも、仲良しの発想を持つことが大切である」とか、「恋愛などない」とか。そういう抽象的なことだと、変えなくてもそんなに問題ないような気がする。あと50年くらいもつんちゃう?みたいな。「やっぱり恋愛はありましたわ~」って僕が言い出す未来は、来そうにない。
 なんで来そうにないかと言いますと、これは理論だから。中根千枝先生が晩節、50年前(1960年代)に書いた『タテ社会の人間関係』などの内容について、何か変更すべき点はありますかと聞かれて、ありません、あれは理論ですからと返したのがカッコよすぎて、パクりました。
 僕の言う「恋愛などない」は感想じゃなくて理論なのです。だから変える必要はたぶんない。たぶん、というのは、理論だって誤りは見つかるだろうから、その時はもちろん訂正したいですけれども、基本的には単純なスジを通しただけのものだから、誤るも何もないと思う。
 というのは、「恋愛などない」ってのは、「恋愛とは何かってのはそれぞれ考えがバラバラで、みんなフンワカとテキトーに捉えてますよね。たとえば『恋愛をする』って何かっていうと、別にその決まった定義とかってないはずなのに、なぜか同じ恋愛って言葉を使って、恋愛という謎のパッケージに乗っかって、みんなあれこれ語ったり傷ついたり揉めたりしてる。そのような(恋愛なる)ごまかし、手抜きに頼るから無用なトラブルも起きるのであって、もっと具体的な言葉を使って人間と人間のうつくしい関係を築いていくという可能性も検討して良いのではないでしょうか」という提言なのです。
「恋愛」という謎の概念に乗っかって、人間と人間との関係をショートカットしようというのはセコい考え方なのでやめましょう、というのは僕の意見としてあります。これを否定する人はいてもいい。つまり、「恋愛という便利なパッケージはあったほうがいい」という意見には、僕は「そういう考え方もありますよね」と思うし、そういう人とはぜひ詳細を詰めて語り合いたい。でも、「恋愛という便利なパッケージの存在」までは否定できないと思います、たぶん。

 僕はこれからもこういう、よくわからない理論もどきをたくさん新しく作り続けていくでしょう。それで70代くらいになって、まだ新しいわけのわからないことを言っていたら褒めていただきたい。僕が「わけのわかること」ばかり言い出したら終末はそう遠くないでしょうね。わけのわかることしか言わないってことは、もうそこに新しいことはないってことだろうから。

 ともかく、あらゆる思い込みをほぐしてゆくことが大事だと思う。認知を固定させないこと。自分のそういう部分に自分で気づいてゆくこと。「わけのわかること」を疑って、「わけのわからないこと」に変えてゆくこと。←ほら、わけがわからない。

2023.7.10(月) 交差する軌跡(103の23年)

 このホームページ明日で23周年です。本当は冊子作ったりしようと思ってたのですが、夜学バー閉店騒動と重なって何もできませんでした。
 20周年のときはニューコロナ禍下だったこともあってか、10年に一度しか行わないオフ会にぜんっぜん人が来なかったので、例外的に25周年でもオフ会やろうかな。2025年7月11日(金)、予定あけといてください。と言って金曜だとお店の営業と被るだろうからどうなるかわかりませんが。同時開催かも。

 土曜日、23年前に出会った友達のお店(ecke)に行ってきた。いわゆる「103」(1年3組)の同級生、浦野くんである。この日記で実名を載せるのは珍しいが、カフェの経営者としてあちこちで名前を出しているようなのでいいだろう。ちなみにこれまではUとかNとかで登場していた。
 まさか彼が飲食で身を立てるようになるとは思っていなかった。向こうは向こうで「文学少年だった尾崎くんがなぜ飲食、しかもバーに」と思っていたとのこと。高校時代から文学で演劇で、喫茶店の孫でもあったゆえ自分としては矛盾がないのだが、側から見るとどうも違うらしい。

 同じクラスの友達で福谷というのもいて、こちらも経営者として名前を出しているので問題なかろう。ここではボとかボードバカという名で出ている。ちなみにUrano、Fukutani、Jackyということでこの三羽烏はUFJと通称(自称)されていた。高2の時は廊下の出窓に座ってよく3人でごはん食べてたね。
 彼の会社は、それまでの仕事の経緯から人材派遣で始まったが、だんだん手広くなっていった。ホームページから引けば「販売代理店業、イベント事業、アパレル事業、リペア事業」と続く。そして最新は「出版事業」で、今月からスタートするらしい。
 これは何よりも意外であった。高校から理系クラス、大学受験も「ほぼ物理のみで受かった」ような感じだった。本を読んでいたイメージは皆無。またその独特な(ほとんど読解不能な)言語センスは、出版どころか文章という文章から無縁であろうと僕は勝手に思っていたのである。
 話を聞けば、出版事業の中心となっているのは奥さんだという。なるほど。まさに二人三脚というか、苦手な部分を配偶者が補って事業拡大というのは一種の理想だと思う。

 このクラスには他にも未だ仲のよい、素敵な人生を送っている友達がたくさんいるのだがキリがないのでやめておく。このホームページができてから23年、ずっと仲良くし続けてくれている彼らみんなに心から感謝。
 それにしても。浦野、福谷両氏にもそれぞれの23年があって、いろいろと変化しながら大きくなっていると思うんだけど、それがなんとなく交差し始めていることに奇妙な連帯感を抱く。僕はバーをやって、浦野くんはカフェをやっているわけだけど、「(地元の)名古屋で一緒に何かやれたらいいね」なんて話をこないだした。福谷は出版を始めるというが、僕も20歳のときからライターの仕事をいちおう切らしたことがない。仕事として関わるべきかはともかく、相談したり愚痴を言い合ったりすることなら気楽にできるだろう。

 今のところ今月某日に「街と珈琲」という名古屋の喫茶店で、福谷(夫婦のどちらかだけかもしれないが)と会おうという話をしている。初出版物の発売日らしく、忙しいだろうし実現するかはまだわからない。ただその日は、同じく103の同級生であるG氏も一家で名古屋に来ているというから、ちょっとくらい顔を合わせられるといいな。ちなみにGの奥さんA氏とは僕も大の仲良しで、3人でゲーム実況(FF6)をしていた時期もある。

 僕は名古屋がとても好きだし、心強い友達もたくさんいる。二拠点とまでは言わないが、あっちのほうでも何かやれたらとずっと思っている。僕もそろそろ拡大の時期だという直観もある。夜学バー復活のために物件を借りるさい、連帯保証人を親に頼むのがだんだんキツくなってくると気づき、やっぱ法人持たないとやりたいことを自由にやるのは難しいと実感した。先月の長野旅行でも、「地方でなんかやりたい」という欲求がとても高まった。どのように実現させていくかはまだ見えていないが、東京にいつつ、同時にいろんな土地であれこれやれたら、僕はすごく幸せだろうなと考えている。向こう10年くらいでうまく何らか実現させたい。
 お楽しみに、というより、お手伝いください。こんなものを読んでくださっている方々はみな、頼りになるみなさまと僕は信じておりますゆえ。

 とりあえずゆるく複数店舗やりたいと思っています。ゆるく、がいいのだ。しっかりと経営して儲けてゆこうなんて気は、少なくともまだ全然ない。僕らしくやります。とまれこうまれ、うまくいくといいなー。

2023.7.11(火) 23周年

 23周年です。このホームページは本日で23周年を迎えました。どのくらいすごいことなのか、みなさんピンときてくださってますか? けっこうすごいんですよ。すごいから、ということでもないけど、僕はものすごくそれで昂ぶっていて、ちゃんとものすごく忙しい中でも10日の23時には家に帰って、24時ちょうど(厳密には数分過ぎてしまったが)にはトップページにCGIチャットルームを設置して、みなさまのお越しを待っていたことでありますよ。

 これを書いているのは12日、どころか明けて13日という時間なのですが、11日のことを振り返ります。11日の0時くらいに僕は「ドヤ!」って感じでトップにCGIチャットを設置したわけですが、午前3時半過ぎに僕が床につくまで、入室してくださったのは実質1名のみでした。各種SNSも無風、個人的な連絡も何もありませんでした。ホームページの23周年の到来をリアルタイムで祝ってくださった方は1名のみだったということです。
「えー、だって周年の日なんて知らないよ」「ジャッキーさんって周年とか祝われるの嫌なんでしょ?」そういうふうなことを実際言われたことが過去にもあるのですが、僕は1年じゅうトップページの一番上のあたりに「2023年7月11日、23周年です」と表示させておりましたし、トップページの一番下には「Since 2000.7.11」とずっと書いておりますし、毎年この日にはそれを主張する日記を必ず書いておりますから、「知らなかった」というのは要するに「目には見えてたけど興味がないので意識に入っておりませんでしたし、意識に入ったとて重要な情報ではないので秒で忘れておりました、よしんば覚えていたとしてもわざわざ0時過ぎて数時間のうちに見に来てコメントを残すほどの情熱もございませんしその意義も見出せておりません」が正しいと思います。みなさん、言葉は精確に用いましょう。また、そういうふうに年がら年中ホームページの周年アピールに余念のない人が「祝われるの嫌」というのは不自然です、僕はたぶん一度も「祝われたくない」なんて言っていないと思います(言ってたら申し訳ないですがそれは過剰な祝われ方とか義理で祝われることとかが嫌ってことを言おうとしてそうなったんだと思います)。祝うという定義が難しいですが、「おめでとう」と言われたいってだけなわけでは全然ないのは事実です、ただ「がんばってますね」とか「23年も続くなんてすごいねえ、いつも面白い文章をありがとうねえ」くらいに言われて、嬉しくないわけが、なくないですか?
 僕はかなりの程度までみなさんと同じ人間です。自分の都合に合わせて他人を「特別な人間」に仕立て上げるのは本当にやめていただきたい。そういう被害に僕はけっこうよく遭います。

 念のため、Twitterでも10日の早いうちに「明日で僕のホームページは23周年です」という告知をしておきました。それでも平日の夜にマウス握りしめて更新を待つ人はほとんどいなかったということです。このホームページの「人気」のなさがうかがえます。「だって事前に告知とかなかったし」というのはまさにその通りで、たくさんの人に24時ちょうどに来て欲しいのならばもちろん事前に「この時間に見に来て!」と告知しますが、それでやってくる30人よりも何も言わずに来てくれる5人に僕は期待したのですが、それが実際は1名だったという話で、単純に僕の「読み違え」でございます。失敗しました。あーあ。来年はもっとうまくやりますね。皆さんよろしくお願いします。

 とはいえ、チャットはそのまま24時間設置し、けっこう多くの方にログインしていただけました。総計10人くらいかな、たぶん。確認できただけで、10代の若い人たちもいたし、10年仲良くしてくださっている古い友人、高校の同級生もいれば、ドラチャのことを「懐かしい」と言ってくださる方もいて、非常に嬉しかったです。あの方はドラチャ(高1の時に僕が入り浸ってたチャットルーム)の経験者なのかな? ご連絡ください、ぜひ。
 なんだかんだ僕はそれで満足いたしました。幸福です。ありがとうございました。みなさまがいなければもっとずーんと重たい気分になっていたことでしょう。また次回何かあったときには何らかのアクションいただけると嬉しいです。
 だってこのホームページ、ふだん本当に無風なのですよ。BBSを見てください、あの程度しか動いておりません。メールフォームだって年に数回来るかどうかです。直接会ったときに何か言っていただけることはありまして、とても感謝しております。それでも実際に読んでくださっている人の数に比べればめちゃくちゃ少ないだろうと思います。糠に釘です。もちろん、誠実な日本人というのは心の中でいろいろ想って下さっていて容易に言動には出さないものです。僕もかなりそういうタイプです。さればこそ人をポジティブな感情に導くには努力が必要なのです。せめて年に一度くらい、褒められたり感想を言われたりする日があったっていいじゃないですか?と思っていろいろ考えて毎年なんかしらやったり書いたりしてるんですけれども、難しいですね。「結局自分は幸せだ」という結論には毎回なるものの、「自分のやってることって意味あるのかな……」と常々思ってしまっているのが正直なところです。
 結局人間のイキシニを左右するのはそういうことなんだと思います。未来人は今日(12日)誰が死んだか調べてみてください。これは脅しではなく、これからの世を穏和にしていくにはどうしたらいいのか?という探究の一環です。

2023.7.19(水) 器用貧乏暇なし

 新潟に向かう新幹線の中です。あと20分で着くので書けるだけ。
 表題の通りですね。僕は世紀の器用貧乏で、かつ「思いついちゃう病」「やりたがり症候群」を併発しているため、まる2ヶ月間いっさい仕事がないはずなのにめちゃくちゃ忙しい。日記の更新頻度がそれを物語っております。
 お店を閉める直前にも、演劇(ひとり芝居!)をやったり弾き語りをやったり、自ら忙しくしていってしまう。それで本来やるべきことができなくなってしまう!という話ではなくて、むしろ演劇とか弾き語りとかが「本来やるべきこと」なのである。もっと言えば僕の場合、本をつくるとか。そういう時間がここ6年、あまりにもなかったというのはあります。
 思い返せばあひる社時代(今もあひる社という会社とのお仕事は続いておりますが、ここでは生計のほとんどがライターによって賄われていた頃をさす)、繁忙期の5ヶ月だけ働いて7ヶ月ほとんど何も働かない、という生活を数年やりまして、その暮らしは本当に最高だったなあ。数々の名作もここで生み出されました。
 7月、8月は本当に忙しくなりそう。新潟行ったり名古屋行ったり、ってのはまあいいんですが、その合間にポータブル夜学バー営業みたいなことを国立でやるので、その準備も一応あったり。何より、一昨年の夏に「平成のジャッキーさん展(HSJ10)」ってのをやったのですが、それの夜学バーバージョンをやります。HSJ10もすごいイベントだったと思うけど、今回のはもっとすごい予定。いろいろ考えてる。
 その直後に勉強合宿があって、帰ってきてすぐお店復活、の予定。不動産屋さんがちゃんと動いてくれればね……。
 この展の話はこのホームページ以外どこにも書いておりません。有料だからね、ここは。タダで読めるものとちゃうんですよ! いやタダで読めてると思いますけど。有料なので。ああ、そういうことを訴えるページもちゃんとつくんないと。とりあえずトップページから「おこづかい」読んどいてください。
 新生夜学バーは、週3日くらいの営業にしたいな。4日は休む。6年ワシはがんばった。今んとこ木金土を予定。儲かるのか非常に不安ではあるが、しばらくはゆったりして、「本来やるべきこと」をしっかりやんないとな。
 それにしたって半分以上の時間お店を空っぽのまま遊ばせておくのは勿体無い、どうしよう。ここについてはまだ何も考えてない。美しくないことはしない。

2023.7.20(木) 旅先RTA(新潟)

 新潟にいます。掘り進んで来ました。ブエノスアイレスだったら地球の裏側へドリルのマシンでガンガン掘っていくイメージなのでしょうが、この場合は三国峠の内部を突き進むような感じでしょうかね。元ネタは小沢健二さんが『Eclectic』というアルバムを発売する前後に東芝EMIのサイトに書いていたエッセイ。探せばどっかにあるんかな。(僕はページごと保存してます。)

 新幹線の中で昨日の日記を書いて、降りて、内野(うちの)へ。上着を忘れてしまって、電車の中とかお店とか超さむいので、駅の北側しばらく行ったところにある無人古着屋さんへ。ソファとかスピーカーとかあって面白かったけど服はちょうどよいものがなく見送り。駅の南口にまわり、某さんから以前おすすめいただいていた瀧ずしでお寿司10貫たべる。お味噌汁とお新香がついてゼー込1100円。うむ。お茶が美味しい。
 喫茶琥珀へ。350円からドリンクが頼める素晴らしい喫茶店だった。また行く。古本詩人ゆよん堂というお店で店主といろいろ話しつつ本を物色したり、枝豆をいただいたり。とうもろこしの味がしてめちゃくちゃ美味しかった。『味写入門』とブレイクの詩集を買った。企画モノっぽい本はあんまり買わないようにしてるんだけど、味写は好きなのでついについ購入してしまった。
 こちらで教えていただいた「毎日元日」というよくわからない店?みたいなところに行ってみる。お昼の営業は「よこぎり」と言うのかな。15時までとのことで、間に合ったのだが「今日は13時までですごめんなさい」的な張り紙が。良さそうだったので、新潟の人、ぜひ行ってみてください。
 雨が強くなってきた。避難するようにCosmic Farmという雑貨屋さんへ。古着もたしか売っていたはずだ。三着くらい試着していわゆるシャカシャカジャージ的なものを選んだ。ファスナーにテニスラケットが付いていて可愛かったので。デザインも色も好みであるが、他人が見てどうかはわからない。僕は好きだよ! これ着てる僕がね!!
 この上着のおかげでどこへ行っても快適であった。上着最高! 上着考えた人は天才。服の上に服着るとか普通考えつきます?
 Cosmic Farmのお兄さんは気さくで素敵だ。ちょっとお話しした。以前に来たときのことを覚えていてくださった。嬉しい。キックボード褒めてくれた。「JDRAZORまだあるんすね!」
 ウチノ食堂へ。コーヒーいただきながら語らう。僕の新店と夜学バー展についてのブレストみたいになった。こういう関係、というか、こういうお店は貴重ですよね。自然とブレストになるようなのって。夜学バーもそういう場だという自負があるけれども、このお店もちゃんとそうなっている。すばらしいです。
 休業中の銭湯を復活させようとしている人がおいでになる。町から銭湯がなくなるのはさみしい。どうなるか、楽しみ。
 内野という土地はいま新潟でもとりわけ元気がある、と思う。ゆよん堂やウチノ食堂は本当に文化の醸成というものを真剣にやっていて、成功しているように見える。とても楽しみな土地である。永遠にドラクエ3でたとえますけど、あの商人の街(なんとかバーグ)みたいに、たまに見にくるとすっごい面白いのだ。よくわかんない人、一生に一度くらいドラクエ3やってみるといいですよ。それは夏目漱石を一冊読むようなことなんだから。古典。

 新潟駅へ戻る。宿に荷物を置き一息つく。雨は上がりつつあった。今回の新潟行メインイベントはこれから。僕が新潟で初めて通ったバーの店長さん(今は昼間のお店をやっている)と、夜学バーに通ってくれていてなんならちょっと従業員もやってくれていた人(今は新潟に住んでいる)と3人で飲みに行った。夜学バーお疲れ様会、ということで。すごく楽しかった。なぜ自分がこの人のお店に通うようになったかが、プライベート空間で話したら非常によくわかった。なるほど、という一言に尽きます。たぶん10年くらい前に初めてお会いしたのだが、お店の外でお話ししたのは初めて。なんつうか、面白いことが言える人って大好きだ。不謹慎だったりちょっとヤベーようなことでも、「面白い」ってことで全部オッケーになる。その場にいる全員が「面白い!」ってなったら、もうそれは「通った」ってことなのだ。二軒行ってたくさん飲んだ。
 最後にもう一軒、強火夜学担と二人でシャム猫へ。ここのママ、なかなか帰してくれない。うれしいけどね。ヤバい香りもしますが、めっちゃいいお店です。
 宿に帰ってじっくり寝ました。

 お昼に起きて、昨日とは打って変わったウルトラ快晴のもと、キックボードでやすらぎ堤(信濃川沿いの遊歩道、めっちゃ気持ちいい)をひた走って喫茶フラワーロードへ。僕は中村一義のファンなので、彼の(バンドの)アルバム『世界のフラワーロード』を思わされ非常に気になった。昨日最後まで飲んでた子が教えてくれた。行ってみた。名店!
 ぬいぐるみもらった。ランチないけど適当に作るのでいい? と言われ、ありあわせでキャベツ目玉焼きピラフを作ってもらった。待っている間にと枝豆をもらった。新潟の人、枝豆くれがち? スイカも食べた。食後にコーヒーを注文して、しめて600円。ギャー!
 ブレイク詩集ちょっと読み、またやすらぎ堤を走りRyo‘sカフェへ。ジンジャーフロートをいただく。プラムとりんごとココナッツサブレと飴くれた。毎度マシンガンのようにずっと話しかけてくれる。楽しい。
 友達がバイトしてる喫茶店へ。そっからパルムに移動して、いまこれを書いております。
 パルムのコーヒーはマントン(新潟駅前の老舗)っぽいですね。これは研究の甲斐がある。明日マントン行こうかな。

2023.7.21(金) 旅先(新潟2)

 もう忘れかけておる。今日は26日のお昼。
 前回の続き、20日夕方。パルム出たら出待ち(女)がいてビックリした。店の前にキックボード置いてたのを見つけて張ってたようだ。チッと飲みに。「し」の字型カウンターの店。冷酒が引き立つ七味を頂きぼく。こういうふうにお店に入ってアイテムもらったりするゲーム作りたい。RPGツクールの最新版買うので、ご期待ください。Scratchでも簡易版みたいなのやるか。(このあたりは23日の出来事に関連するのでのちの日記で。)
 ペがさす荘に行こうという話になったがそれだけで夜が終わってしまうからもう一軒古町で。おなじみの奏。おじさんがたにワインをごちそうになり、タダ酒で酔っ払う。白と泡1本ずつを5人で。そのまま小一時間歩いてペがさす荘に行ったら閉まっていて、電話したら「古町で飲んでます」と。ドラクエ2の序盤か!(死ぬまで初期のドラクエでたとえていきます。ドラクエ2のゲーム実況やりたいな。ファミコン実機プレイしたのをスマホで配信すれば楽な気がしてきた。そのうちやろう。ドラクエ2は移植版許せない、難易度が変わっているので。)
 さて紫竹山(新潟駅からかなり南)から古町(新潟駅からかなり北)まで歩いて戻ることになった。暇なので連れの女の子にキックボード乗らせてみた。僕はお酒飲んでいますのでね……! 最初は進むことさえおぼつかなかったが、だんだん上達していった。人が何かをできるようになっていく様を見るのは楽しい。そこに関わるのはもっと楽しい。教育者の視点。
 まず「なぜできていないか」を見て分析し、「どうしたらできるようになるか」を考え、そして「どう働きかけばそれが伝わるか」を工夫する。この過程で、自分がなんとなくやっていることを言語化できたり理論化できたりする。そこがとくに楽しい。
 キックボードについて語ると長くなるのだが、最近ようやく言語化できたのは「キックボードと一体化するのではなく、むしろ別々の個体だと考えるべし」。キックボードに自らを預けてはいけない。キックボードに「乗る」という感覚ではなく、たとえばバットとかなわとびみたいな、道具に近いものと捉えたほうがいい。身体とは別々に動くもの。そこが自転車との最大の違いだと思う。自転車はどちらかというと、身体と一体化させたほうがうまくいくのである。
 詳しく知りたい人は「ジャッキーさんのキックボード講座」にお申し込みください。23年くらいキックボードに乗っておりますが、いまだに走っている間はずっと「キックボードの効率的な運転方法」について考えている。肝心なのはとにかく「体重移動」「重心の位置」である。これしかないと言っても過言ではない。
 女の子はまんまと「キックボード楽しい!」となって、後日購入(ポチ)っておりました。ひろがれキックボードの輪。
 さて古町に着いた。四ツ目長屋というあまり品のないお店でぺがさす荘のぺがさんと合流、というかどうやら随分出来上がっていたようで、ろくにお話できなかった。代わりに店主とけっこう話した。「あまり品のない」とさっき書いたが、もちろんこのお店はそれを許容し、時に志向さえしている。僕はお店に立つとき、その場の品を保つ(できるだけ上品な空間にする)ために尽力し、介入していくのだが、このお店の店主はそれをしない。むしろすでにある空気の上に極力無批判に乗っかる、それによって生まれる奇跡やグルーヴを楽しむ。
「遠くへ行こうとする」という意味では実はけっこう近いのである。夜学バーは「カッコよく飛んでいきたい」と思っているが、四ツ目は「カッコなんか気にせず飛んでいこう」なのかもしれない。
 僕が「カッコよく」を重視するのは、それによって「意識的に客を選ぶ」をするため。どんなお客さんが選ばれるのかというと、やや詩的だが「軸足を真っ白な場所に置ける人」だと思う。先入観のない場所にいつでも戻れるような人。
 四ツ目の場合は、「自然に任せていて結果的に客が選ばれている」ということなんだろう。すべて偶然がつくりあげる。それもそれで一つのアートかもしれない。
 若い女を一人で歩かせて(すごいよな)、帰って寝た。

 21日、長い1日だった。喫茶カラカスでピザトーストとコーヒー。シュガーコートでアイスミルクティーと魔法のケーキ少しだけ。駅前のNo.2という謎スナックのランチ。マントン行けなかった。
 夏に新潟来るのはやや珍しい。シュガーコートで冷たいもの飲んだの初めてかも。ところで、すっごい雑な話だけど、女の人は髪型が変わってもすぐわかってくれるけど、男の人は髪型が違うと気づいてくれない、みたいなざっくりとした傾向があるような気がする。男はけっこう髪型で人間を判別しているのかもしれない。(いま僕人生で一番髪が長いのだ。)
 新幹線が30分遅れて出発。上野のお店に荷物を取りに。これから谷保(国立)まで行って、とあるお店でゲストとしてバー営業をするのである。その話は、めっちゃ長くなる予定。お楽しみに。

2023.7.26(水) 自己紹介は大人のはじまり

 今日のテーマは「子どもと大人」。これは永遠のテーマですね。長くなりそうだけど、できれば2時間くらいで書き上げたいな。古い友達と会うので。でもかなり大事なことを書くつもり。

 名古屋にいます。実家のリビング。お父さんがいる。お母さんはあと2時間弱で帰ってくるかな。7月26日といえば僕の初舞台の日(高1)。半ズボン履いた男の子の役。当時の僕は演劇の練習の時くらいしか半ズボン履いてなかったけど、今は夏場ずっと半ズボン(といってハーフパンツくらいか、それよりちょっと短いくらいだけど)。
 こっちに来ている理由の一つは、「楳図かずお大美術展」。東京会場も行ったし図録も買ったけど、もう一度生で見たかったのと、楳図先生が14歳くらいの頃の作品が名古屋会場から追加されているから。また新作の素描(着色前の線画)が良い環境で見られるのも嬉しかった。東京会場は演出がうるさく、なぜかいちいち暗くなったりして重要な展示がぜんぜんよく見えなかったのだ。回転率を上げるための策なんだろうけど。

 楳図先生がどこかで、ご両親について「ぜんぜん大人みたいな人たちじゃなかった」みたいなことを仰っていて、うちもそうだなあと思う。お父さんもお母さんも、ぜんぜん大人みたいな感じがしない。年取ってさらにそうなった(そう見えるようになってきた)気がする。
 そんな環境もあって、僕もぜんぜん大人みたいな感じじゃない。たぶん。

 21日の金曜日に、谷保(国立市)の小鳥書房というところに呼ばれて、ゲストバーテンダーみたいなことをやった。もともと本屋なので、カウンターに椅子が並ぶような構造ではなく、お酒をつくるカウンターの向こうにテーブル席があって、そこにお客さんが座る。ちょっと離れたところに立ち飲みスペースもある、みたいな感じ。模式図でも書くか。⚫︎がお客さん。


    店主
カウンター
 ⚫︎  ⚫︎ カ
⚫︎机 机⚫︎ ウ 
   ⚫︎  ン
机     タ
仕切 仕切 |
  ⚫︎
⚫︎ 立ち   
  飲み ⚫︎ 
  ⚫︎
    入口


 こんな感じ。立ち飲みゾーンはほぼ別空間。カウンターゾーンも、一部の人はカウンターに背を向けて座ることになります。この構造だと、夜学バーのような「空間にいる全員から全員の顔が見える」ということは実現不可能。苦肉の策として、机やソファなどを移動させてもらって以下のようにしてみた。


    店主
カウンター
⚫︎     カ
⚫︎ 机机  ウ 
 ⚫︎ ⚫︎⚫︎ ン
机     タ
仕切 仕切 |
  ⚫︎
⚫︎ 立ち   
  飲み ⚫︎ 
  ⚫︎
    入口


 このようにすると、店主、僕、カウンターゾーンのお客さんに関しては「全員から全員の顔が見える」を実現させられます。これがやれているうちは、なんとなく夜学バーから遠くない場づくりができていたように思う。ただ、それも長くは続かない。人が増えてくる。そしてその増えた人は、すでにいる誰かと知り合いだったりする。あるいは店主と個人的に話がしたかったりする。そうすると、ある意味で固定的な上記の席どりは崩壊する。めいめい好きなタイミングで、好きな相手と話したい。流動的に人はどんどん動いていく。椅子も動く。立つ人も増える。結果的にカウンターから背を向ける人もふたたび多くなる。僕(と店主)だけが、同じ位置と方向に固定されている。
 なるほど、これはパーティなのだな。得心した。

 改めて設定をご説明。「地域密着」と店主は言う、小さな書店兼出版社。毎週金曜日には「良夜(あたらよ)」というバー営業もしていて、そこに僕はゲストとして呼んでいただいたわけだ。2階も開放されており当日は読書会が催されていた。他にシェアハウスの運営などさまざまな事業を手がけている。
 地域密着、僕の言葉でいえば「ご近所型」のお店。「まちづくり」の拠点でもある。間違いなく谷保という小さな街の文化を背負って立つ存在。店主は「近所に引っ越してきてくれる人もけっこういるんですよ」と語っていて、それはおそらく誇らしいことなのだろう。

 良夜は「パーティ型」の場なのだ。お店にはいろいろな営業(場づくり)の型がある。僕が勝手に名付けているだけなのだが、たとえば「多面指し型」「ボードゲーム型」など。詳しい説明は省く。パーティ型はさっき説明したような、「知り合いや知り合いの知り合いなどを中心に、お互いに身分や属性、人間関係、趣味嗜好などを明らかにして交流する、自由かつ流動的な場」である。
 僕のやっている夜学バーはまったく「パーティ型」とは正反対で、知り合いか知り合いじゃないかは問題とされず、身分はおろか名前すら明かす必要がなく、ゲームキーパーのような店員がカウンター内から適宜介入して場をつくっていくので自由ともいえない。またお店が狭いので物理的な移動も行いづらい。
 夜学バーは場が主役だと僕は思っている。対してパーティ型の場は、人が主役なのである。

 夜学バーは「場が主役」となるようにあれこれ工夫して設計されているのだが、良夜はむしろ、パーティ型に適した構造となっている。そこで僕は少しでも夜学バー型に近づけるために、椅子や机の位置を変えてみたりしたのだが、そもそも良夜というお店は夜学バーではないので(当たり前)、ゆるやかにあるべき姿へと戻っていったのであった。非常に勉強になった。


 わずか3時間の営業を終えて、思ったのは「ここは大人の空間なんだな」ということだった。
 大人というのはなんだろう? たぶん「自己紹介」ってのが大人ってことなのだ。

 拙著『小学校には、バーくらいある』は、小学6年生の女の子が、小学校の中にあるバーを発見して、そこに通うようになる、というお話だ。
 たぶん、そのバーは誰の前にでも現れるものではない。お約束通り、その子はちょっとした悩みを抱えていた。
 だいたいこういうお話って、なんか悩み事や困り事を抱えた人のところに、ちょっと不思議なことが起こったり、不思議なものが現れたりする、っていうものなんですよね。僕も(えー、まったく無意識に)そのようにしていたというわけです。
 最初に登場する直接的な悩み(?)は、「自己紹介が書けなくなった」ということだった。

 彼女は「去年までは、書けたんですけど……」と言う。突然書けなくなったのだ。思春期には「自分が何者かわからなくて困る」のが一般であろう。はっきりとそういう時期に突入したのだ。
 大人になるということは、「自分とはこういう人間である」と自分で規定するということだ(まあそういう側面もあるというか、そういうことだとして先に進ませてくださいな)。たとえば就職活動で徹底的にそれをやらされるのが象徴的。そういうのがイヤで僕は一切の就活を拒絶したのだ。履歴書が書けない。自己分析なんてできない。趣味や特技に何を書いたらいいかわからない。
 大人になるということは、「答え」を持つということでもある。多くの学校の先生のように、生徒のどんな悩み事にも即答できるようになる。「時間が解決してくれるよ」とかもそうだし、「それならとにかくこの参考書をやりなさい」とかもそうだし。
 結論を持つということ。自己紹介というのは、いったん自分というものを「結論」づけないとできないのだ。自分について答えを出さなければ。それを「できない」と思ってしまったのが、小学6年生の彼女だった。
 はて、では、なぜ5年生まではそれができたのか? なぜ小さい子は自己紹介ができるのか? 超簡単! 大人がそれを強要するからだ。ひたすら名前を言わされたり、年齢を答えさせられたり。何型とか何座とか、将来の夢とかを言わされる、書かされる。そのために先回りして答えを用意しておく。ケーキ屋さんとか、中日の選手とか。ある年齢までは何も考えずにそれをやれる。しかし思春期にさしかかると、少なくとも一部の子は、「自分は本当は何になりたいんだろう?」とか、「血液型を書くことに意味なんてあるのかな?」とか「自分って本当に編み物が趣味なんだろうか?」とか考えてしまう。

 大人の世界は、自己紹介から始まる。「あなたは大人ですか?」という確認から始まる。「あなたは自分と同じ仲間ですよね?」という同質性の確認。子どもはそういうことしない。

 23日の金曜日、わけあって高校の友達(ボードバカくん)の奥さんと、その子供たち3人と、5人で会うことになった。ボ本人は不在。そこへ同じクラスだった■くんと、その長男も合流。おなじみ呼続の「街と珈琲」というお店で、一時は7人の大所帯。ずっと座敷で遊んでた。楽しかった。
 ボ家の子ら3人と、■長男は初対面である。小1女子、小3男子、小5女子と、小5男子。そして僕も(ごく幼い頃を除けば)彼らみんなと初対面であった。
 3人の子供がいるところに、もうひとり子供がやってくる。名前を言ったり学年を言ったりは誰もしない。大人に尋ねられて「小5」と答え、「じゃあうちの長女とおなじだ」という会話はあったが、そのくらい。
 小3が『ざんねんないきもの事典』を読み上げて、それに対して■長男がいちいちコメント(ツッコミ)を入れる。■長男の性格もあるんだろうが、初対面なのにいきなり遠慮ない。でも考えてみたら子供ってそんなもんだ。知らない子供とも、知らない大人とも遊べるもんなら遊ぶのだ。
 ボ家の子たちも、「なんやこいつ」という態度をとるでもなく、コメントが面白かったら笑うし、面白くなかったりよくわかんなかったら適当にスルーする。「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」で判断しているのだ。権力勾配は基本的にないし、知ってる子か知らない子かも関係ない。
 もちろん僕もそこに入って遊んだ。すごく楽しかった。同時に色々考えもした。

 言うのも野暮だが僕は「遊んであげる」という感覚をまったく持ち合わせていない。質問して状況を引っ張っていったり、「こうしようか」と導いていくこともしない。末っ子だし。ただ良いアイディアが閃けばそれを言うこともあるし、「Scratchってなに?」とか「これってどうやって動かすの?」みたいな本当に気になることはちゃんと聞く。みんな優しいから教えてくれるし、人にものを教えるのがたいていの子供は好きなのである。
 この場において自分は親の立場じゃないから、ある程度無責任に、ただ「いとこの兄ちゃん」みたいに遊ぶことが許されるだろうと、かなり自由にやらせてもらった。
 僕のほうも自己紹介なんてしない。相手に求めることもしない。「何年生?」とか聞くことに意味はないし、名前はお互いが呼び合うのを聞いていれば覚える。この子らの場合は元から知っていたのだが、やっぱ最初は記憶に自信がないし、実際みんなからどう呼ばれているかを参考にしたほうが仲良くなれる。小3は本名とぜんぜん違う呼ばれ方をしていた。結局、ほぼ名前は呼ばなかったけど。
 名前に無頓着、っていうフレーズが『寄生獣』って漫画にあるけど、子供たちもそこまで名前を重要視していない時がある。もちろん間違った名前で呼ばれたりしたら傷つくだろうけど、何が何でも名前を教えて! 名前で呼びたい! こっちのことも名前で呼んで!と相手に求める子供は、そんなに多くはないんじゃないかな。「キミとかアナタじゃなくって、ユミって呼んで!」みたいな文脈なら別。そもそも二人称っていうのは子供の世界ではあまり必要とされてないんじゃないかって話です。その人に振り向いてもらったり注意を向けてもらうための「呼びかけ」機能くらいじゃないかしら、必要なのは。
 名前を覚えてもらえて嬉しい!って気持ちは、もちろん子供にもあるんだろうけど、大人のほうが大きいんじゃないかな。それがわかるから、僕はお店ではお客さんの名前をあんまり呼ばない。会話の中でぽろっと知ってしまった名前とか、SNSを通じて把握した名前とか、実は完璧に永遠に覚えてたりするんだけど、「覚えてますよ」という素振りを出すと、喜ばれすぎちゃったりもするから。(別にいいんだけどなんかそれはチートだし、大人同士みたいになっちゃいそうなんだよね。)あと、ほかにお客さんがいる場合にはそこから「大人っぽいお店」の感じになっちゃうことが危惧されるというか。
 この辺は感想レベルなので話を戻します。


 と思ったらそろそろタイムリミット。続き書くかもしれないので、また見にきてね。

 なんにしても、僕は子供なのだ。あの子たちと遊んでみてよくわかった。自分は9歳!って最近主張してるんだけど、洒落にならないくらい本当にそうなんだろうな。
 別れ際、小5の女の子が「また話したいな」って言ってくれた。「話す」という認識だったのか。彼女はすごく頭のいい5年生で、僕もすごく頭のいい3〜4年生だから、なんだかけっこう気が合ったと思う。早熟な人には「話す」ということのできる相手がそんなに多くないものだ。貴重な1人になれたら嬉しい。

 僕はどうしようもなく子供だから、夜学バーはああいうお店になっている。僕はいつも、大人の世界に飛び出していって、「そういう場所」とか「そういう友達」を探しているんだけど、当たり前だけどそこが大人の世界である以上、なかなか巡りあえない。いつも寂しい思いをしている。

 そういえば良夜で、途中から誰ともあんまり喋らなくなった若い男の子が、たぶん僕のことをすごく気に入ってくれた。僕も彼とはすごく仲良くなりたいと思った。たぶんあの人も、子供なんだと思う。だから場が「パーティ型」になった途端に、喋ることができなくなったんじゃないかな。
 わかるんだろうね。

2023.7.27(木) 子供たちの夜学バー

 今日は高2のとき守山文化小劇場で『少年三遷史』を上演した日です。きっと死ぬまで言い続ける。
 楳図かずお先生の「今はそのときのつづき/そう! みんな ただそのときのつづき」ってフレーズをよく引用するのだが、僕も「昔を懐かしむ」っていうふうに過去を現在と切り分けているというよりは、「つづき」なんだって意識がハッキリとあって、この『少年三遷史』ってお芝居も拙いけれどいかにも僕が言いそうなことばかりが詰め込まれている。その続きを生きているのだ、僕は。

 昨日「パーティ型」の空間について書いた。僕は子供だから(?)パーティって苦手なんだけど、パーティのほうが得意って人も当然いる。友達でも「子供と遊べない子供だった」「子供には仲間外れにされる」って感想をくれた人があって、それでも僕と仲良いんだからそんなことはまあ国語が好きとか算数が好きとかいうレベルの話なんだろう。
「子供だったことがない人」ってのはけっこういる。こないだ西原という12年前に死んだ友達のお父さんと2人で飲んだ。息子について「幼児語のない子供だった」と仰っていた。なるほどなあ、彼は誰にも、一度として幼児語を使うことなく死んでいったのかもしれない。

 と、そんなところまで書いて途切れ、現在は28日の昼過ぎです。
 と、これだけ書いてまた途切れ、現在は29日の夕方です。無闇に忙しいのだが、無闇というのは秩序立っていないということで、やることが無限にありすぎて何から手をつけて良いかわからず、とりあえずここに来る。それなのに書こうとすると次の別のことをしなければならなくなって、また進まなくて閉じる。まあマイペースに。

 さて「子供だったことがない人」、なんとなく第一子に多いような気はする。僕は四人兄弟の末っ子で、かつ両親も末っ子という末っ子のサラブレッドであり、親戚の中でもいちばん下。いわば「子供だったことしかない人」。
「大人の社交場」のようなものが苦手であり、「子供が子供のままで遊べる場」というものの追究をライフワークとしている、みたいに説明できるのかもしれない、今のところ。
 前回の内容を踏まえると「大人の社交場」というのは「相手の所属や肩書、立ち位置などの情報が意味を持つ場」である。よく「飲み屋は相手の社会的立場と関係なく話ができるから良い」なんてことを言うが、実態としては「飲み屋内での立ち位置(キャラクターや人間関係など)が新たな社会的立場となる」のであって、ユーザ視点からは「新たな社会に参入する」ということになる。子供の世界に社会はないので、これもやはり「大人の社交場」なのである。

 高校生の時に通っていた匿名チャットが楽しかったのは、そういうものから完璧に自由であって、相手がどこに住んでいる何歳の誰であろうと最初からタメ口で話して許されるし、相手もそのようにしてくれるからだった。そのチャットは当時小学生から20代くらいまでいたけれども、古参の人に話を聞くと「昔はもっと落ち着いた空間で、十代の子は少なかった」と言う。ある意味ガキどもが場のあり方を破壊してしまったともいえる。ひょっとしたらかつては「敬語がベース」だったのかもしれない。
 少なくとも僕が入ったころは「タメ口がベース」だった。たぶんそのほうがうまくいく時期だった。「そこに大人はいなかった」ということでもある。子供の世界だった。たぶん僕はそこに心地よさを感じていた。
「ガキの遊び場になってしまった」と嘆く人がいたとしたら、「大人の社交場」のほうがしっくりくる人だったのかもしれない。あるいは、そこはドラえもんのホームページだったから、「マニアックな話の通じる人が少ない」という不満もあったかもしれない。僕なんかはけっこうなオタクだったのでそういう話が比較的できるほうだったとは思うけど、ただライトに「かわいいから好き」というくらいの人がだんだん増えていったような実感は僕にすらある。
 それから1年も経たずにチャットは閉鎖となってしまった。理由は「荒れたから」。管理人の意向によりチャットは完全に自治のみで運営されており、アクセス禁止などの措置はとられなかった。とったとしても完全に弾くことは技術的に難しかっただろうし、火に油を注ぐことにもなったかもしれない。閉じるべくして場は閉じた。
 ガキに自由を与えれば荒れるのは当然だ。かといって大人の監督下でやれば「社会」にしかならない。「子供たちが上手に自治をする」しかないのである。橋本治さんの『ぼくたちの近代史』はそのための理論書なのだ。そんで夜学バーはじめ僕がやってきたことというのは、「子供による自治」のひたむきな実践。

 社会というのは秩序を実現するための人類の優れた発明である。しかし無秩序を避ける方法は「社会」のみではない。子供の世界にも一定の秩序はある。ただ固定されたものではないから制度化はしづらいというだけ。
 僕は学んだすべての知恵を賭け、「流動的な子供の世界を街の真ん中に人工的につくり出す」ということをしているわけだ。
 多くの飲食店や「場」といわれるものは、「コミュニティ」という社会的概念によって秩序をつくり出そうとするが、僕はそうではない方法でアプローチしている。夜学バーの魅力ははっきり言ってそこにある。

 場というものを僕は「一回性の連続」として捉えているのであろう。テレビでいえば『笑っていいとも!』のように、1時間の生放送を毎日やっていくような感じ。年に一度の特番(イベント)ではなくて。またコミュニティでは「一回性」は意識されない。定常的な時間が続いてゆくのが原則だ。
 演劇、さらにいえば授業に近い。学校の授業ほど「一回性の連続」であるようなものはない。教員としての僕はそう思って毎回の授業に臨んでいた。夜学バーの場合は「クラス」というものがないので、そこにいる人間も人数も毎回変わるし、教員と生徒というほどはっきりと主従の分かれる空間でもない。みな好き勝手自習している。そこにただゲームキーパーとしての僕がいる。
 学校の授業は、ある面では「社会の象徴」だし、「大人がつくり出し大人が監督する制度」なのであるが、もしそこが学校ではなく、教員も大人ではなかったら? と考えると、自然と夜学バーみたいな場になる、のかもしれないではないか。
 僕は子供なので授業も子供じみたものになっていた。そのように開き直ってからは授業がきわめて上手になった。大人ぶってやっていた頃は本当に下手だったなと思う。いや、大人としての授業はそれなりにうまかったかもしれないけど、僕の持ち味ではない。
 それをそのままバーという場に移してしまう。カリキュラムがないので教えるべきことはない。来る人々も自主的にその場にいるかいないかを決められるし、来たところで何かしなくてはいけないことがあるわけでもない。しかしそこには僕がいて「授業」という場だけはある。決められたことが何もない中で、いったい何が起こるというのか? それを楽しむのが夜学バーというものだった。そのように僕はこの6年3ヶ月を振り返って思います。

 ここでは授業でたとえたけれども、もっとふさわしいのは「外で遊んでいる時間」だと思う。これも「一回性の連続」で、決められたことが何もないから何が起こるかもわからない。誰と遊ぶかも決まっていないし、今日と明日では違った面子になることも多い。知らない人や初めての子が混じることだってある。遊びたくなければ家にいればいい。それを僕は永遠にやっていたいのである。強調するが、僕には友達がいなかったので、ふらふら近所を歩き回って、なんとか遊んでくれる人を探すしかなかった。それは中学校まで続いた。いまはそのときのつづき。そう! みんなただ、そのときのつづき。

 なぜそれを授業という表現でたとえなければならないのかといえば、「自治」を引っ張っていく知恵者(授業であれば教員、夜学バーであれば僕)がいまはどうしても必要だと思うからだ。自由に任せていてはやがて荒れて消え、「楽しかったよね」と過去形で語られることになってしまう。そんな悲しみはもう終わりにしたい。

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