少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

 過去ログ  2021年6月  2021年7月  2021年8月  TOP
2021.7.31(土) 好きな食べものとドラえもん
2021.7.30(金) 班分け社会と予防接種
2021.7.29(木) 中央は中央、サブはサブ2(政治のこと)
2021.7.28(水) 流離い復刻
2021.7.25(日) 中央は中央、サブはサブ(五輪開会式まとめ)
2021.7.24(土) スポーツについて昔考えていたこと
2021.7.23(金) 小山田擁護を圭吾さん
2021.7.21(水) from ビートたけしのバイク事故 to everywhere
2021.7.19(月) おざあさんとおやあさん
2021.7.18(日) 平成のジャッキーさん展 追加日程2(終)
2021.7.17(土) 平成のジャッキーさん展 追加日程1
2021.7.16(金) 請求書が書けない
2021.7.15(木) 中根千枝(94)先生と感染症
2021.7.13(火) 平成のジャッキーさん展1 4日目(最終日)
2021.7.12(月) 平成のジャッキーさん展1 2,3日目
2021.7.11(日) 21周年/ミスターとの再会
2021.7.10(土) 平成のジャッキーさん展 初日
2021.7.5(月) 頂き女子のジャバ
2021.7.3(土) 女の敵は男?

2021.7.31(土) 好きな食べものとドラえもん

 好きな食べものは柿とブロッコリー。この二つに共通するものがわかった。さっきトーストと目玉焼きとブロッコリーを食べていた時に。
 柿ははじめ固く、時間が経つとやわらかくなっていく。あまり放置すると熟しすぎてぐちゅぐちゅになる。僕は「柿に貴賤なし」と思っていて、どの段階の柿も好きである。柔らかいと切ったり皮をむいたりしづらくなるが、皮ごとそのまま食べるなら問題ない。手で持てないほどぐちゅぐちゅになったらお皿とスプーンを使えば良い。
 ブロッコリーも、ゆで具合によって食感がずいぶん変わる。これもほぼ「貴賤なし」で、固くても柔らかくても大好き。
(渋柿やまだ青い柿、ブロッコリーを生で食べるといったことは一般的でないので除外して考えている。新鮮なブロッコリーなら生でも美味しいのだろうか? 試してみたい。)
 思えば目玉焼きも、半熟から固ゆでまで幅があって、いずれもおいしい。トーストだって、ほとんど焼けていなくてもこんがり焼けていてもおいしい。こだわりがまったくない。半熟だとお皿にくっついてもったいないな、とかは思うかも知れない。その程度。
 柿もブロッコリーも、目玉焼きもトーストも、その硬軟に幅があって、いずれの状態も僕は好きである。

 それは「どの段階の味も好きである」というよりも、「柿が好きなのだからどの段階の柿も好きである」という順序のような気がする。ブロッコリーにしても、どの段階でも美味しいから好きなのではなく、ブロッコリーが好きだからどの段階のブロッコリーでも愛せるのである。目玉焼きでもトーストでも。そもそもそのものたちが好きなので、ちょっとくらいの味や香りや食感のブレで損なわれるものは何もない。
 世の中には「固い柿が好き」とか「ブロッコリーはこのくらいのゆで具合がいい」とか「目玉焼きは半熟でしょう」とか、いろんなこだわりがあって、それはそれで文化的(?)なのであろうが、僕にとっては割とどうでもいい。
 親しい女の人がどんな服を着ていようが、どんな髪型やメイクやアクセサリーをしていようが、良くも悪くもあまり気にしない。それは「女に貴賤なし」と言っているのでは決してない、僕は「野菜に貴賤なし」と言いたいのではないのだ。「その人」のことを、すでに「総体として」好きになっているので、柿とブロッコリーになぞらえて言えば「多少の味や香りや食感のブレで損なわれるものは何もない」のである。
 そこを気にする人はたくさんいるだろうし、当人だって気にしてほしいと思っているかもしれない。でも僕は柿が柔らかかろうが固かろうが、甘かろうが甘くなかろうがほとんど気にせず「うん、柿だ」と嬉しくなってしまう。それは柿に対して失礼である! と感じる向きもあるかもしれないが、僕は本当に気にできない。
 僕に柿をくれる人、ブロッコリーをゆでてくれる人は、そのあたり本当にまったく気にしないでいただきたい。そして僕は大変失礼ながらひとさまのことを、柿かブロッコリーのように思っているところがあるのをお許しいただきたい。「うん、柿だ」くらいの温度で、「うん、○○さんだ」としか思っていなかったりする。無関心なのではなく、それは好きってことなので……。

 柿をかじる、ブロッコリーをほおばるということは、自分と柿、自分とブロッコリーとの間柄の確認でもある。柿は今日も柿であり、今日も僕は柿を好きである、ということが、「普遍(永遠なるもの)」を感じさせてくれる。まるで悟りに至ったかのような。「うん、柿だ」という確認を通して、心は改めて「柿の範囲」をなぞる。これを自分は愛しているのだと反芻する。どんな柿を食べても、それが柿であると思える限り、清らかに更新され続ける。この感覚は、万事にわたる。『ドラえもん』を読むときに起きていることは、まったくこれと同じなのである。

2021.7.30(金) 班分け社会と予防接種

 日本は「班」の社会である。中根千枝(94)先生が言っていることを僕なりに一言でいえば。
 ウィルスはまず班で流行る。各班には「仲のいい班」とか「班の成員と仲のよい人が所属している班」がある。また「知り合いはいないが、近しい世間に属する班」もある。そういった隣接した班にウィルスは伝播し、その中で流行る。
 ヤンキーの班とオタクの班は「遠い」ので、ヤンキーの世界で流行るウィルスは、容易にはオタクの世界に流行らない。もちろん人間関係にもいろいろあるから、ヤンキーからオタクに伝播することもなくはないが、例外的な動きであって大移動にはならず、そのルートの火は、ほどなく消し止められる。

 いま、時短営業や酒類提供停止という二大施策が行われており、それを律儀に守るお店や人と、守らないお店や人がある(要請に従わないお店は都内で数千軒という報道を見た)。数としては少数派であろう後者の人たちの周辺で、感染者は特に増えているのだろうと僕は勝手に推測する。
 件のウィルスは主として空気を伝って行き渡り、密集・密接・密閉の回避によってかなりの予防が期待できると考えられている。屋外やよく換気された屋内で、さほど多くない人たちと、距離をとって小さな声で、マスクや手ぬぐい等を適切に使ってコミュニケーションをとることについては、デルタ株であっても感染可能性はほとんどないと僕は認識している。換気が万全(屋外かそれに近い状態)でない場合、会話等が長時間に及べば当然リスクは高まるが、それでも確率としてはかなり低かろう。栄養と睡眠をよくとった、健康で元気な、免疫のしっかり機能する人ならばなおさら。
 そういうことに徹底して気を遣っている人たちのあいだでは、おそらく実効再生産数(1人の患者が平均何人に感染を広げるかを示す値)は余裕で1を下回る。そうなれば仮に感染があっても時間が経てば収束していく。一方、あまり気を遣っていない人たちのあいだでは実効再生産数は2にも3にも、あるいはもっと高くもなるだろう。そういう人たちのあいだで感染者は爆発的に増えていく。そういう人たちの世界から遠いところにいればいるほど、感染の危険も遠くなる。

 A班からZ班までがずらっと並んだごく単純なモデルを想定しよう。A班はいわゆる「自粛」を全然していない人たちの班、それからあとに行けば行くほど、上記のような対策を厳格に守るようになるとする。この場合、A班で流行ったウィルスがZ班まで到達することはまれである。なぜならば、A班では5くらいあった実効再生産数が、J班くらいでは1.5あたりになり、O班くらいで1を切って、T班くらいでほとんど消え失せてしまう、といった流れになる可能性が高いから。もちろん先述したように、A班からいきなりZ班に感染が飛び火することもあるだろうが、Z班の実行再生産数が0.2くらいだとすれば、よほど多くの追撃が外部からやってこない限り、ウィルスは早晩「Z班からは」消滅するのである。

 さっきも貼ったこの記事にも書いているが、「周りに感染者数がどのくらいいるか」という感覚は、班や世間によってかなり異なる。ごく単純には、実効再生産数の高い界隈にいれば「多い」と感じるだろうし、低い界隈にいれば「少ない」と感じるはずなのだ。
 もっとくだけた表現をすれば、「どのような人間関係を持っているか」によって異なる。「友人・知人がどんな人たちか」ということでもある。さっきの例だとA~E班くらいに属する友達が多ければ「多い」だし、X~Z班としかほとんど付き合いがない、という人にとっては「少ない」になる。
 1400万の都民のうち、今日までに累計21万3910人の感染が確認(認定)されているという。単純に割れば70人に一人だが、「まあそのくらいだな」という人もいれば、「うちの周りではもっと多いな」という人もいるかもしれないし、「えっ、そんなにいないでしょ?」という人もいると思う。そのように日本は班分けされている。そのことが可視化されているようにも思える。
 むろん、「陽性と判定されても、それを言わない人が多い」とも考えられるので、全体的に実際よりは少なめに感じられるという事情はあろう。ただ人によって(世間によって)感覚に差があることは確かだと思う。
 ちょっと興味あるのは、「陽性であることを他人に話すか話さないか、という傾向も、やはり世間によって異なるのだろうか?」というところ。たぶん異なるだろう。そして基本的には、感染者数の多い界隈では「言う」傾向が強いのではという気がする。多いところではより多く見え、少ないところではより少なく見える、と。そうやって班分けの溝はより鮮明になっていく。

 いま実施されている予防接種は、現時点でわかっているぶんにはどうやら、重症化や発症はかなり防げるが、感染そのものを防いだり他人に感染させる力を抑える効果はそれほどでもなく、いずれも時間が経てば薄らいでいくと考えられている、らしい。そうであるならばこの予防接種の役割は、「自身の重症化や発症を一定期間防ぐ」ことと「医療のヒッパクを防ぐ」ことが中心であろう。「感染の流行を収束させる」という役割は、さほど担えないように思える。
 もちろん、予防接種をしたうえで、予防接種をしないのと同様の対策を誰もが維持するのであれば、予防接種ぶんだけ流行の抑制力は高まるのだが、今のところたぶん、そのようにはならない気がする。予防接種をしたから旅行に行こうとか、予防接種をしたからマスクを外して咳をしても問題ないだろうとか、換気しなくてもいいだろうとか、そういうふうに考える人がかなり多い。
「予防接種を受けると発症は抑えられるが、他人に感染はさせてしまう」というのが本当であれば、発症する可能性が低いぶん、感染した自覚を持ちづらいので、人に移す機会はむしろ増えてしまう可能性がある。つまり、発症してくれれば「熱があるから人に会わないようにしよう」という意識が持てるが、発症しないと、そういうふうに考えることが不可能なのである。もちろん無症状の場合はそもそも感染力も(たぶん)弱いだろうし、空咳も出ないから人に移しにくい、ということもあるだろうが、症状があれば人に会ったり近づくのを避ける(と考える人が多い……はずである)から、そこは相殺されるかもしれない。どちらが良いのか、判断がつかない。
 また、予防接種が進むと、「班」を飛び越えた濃厚接触も増えていくだろう。緊急事態宣言の主眼は「班を飛び越えさせない」ことにあると僕は思っていて、だからこそA班からZ班への飛び火はかなり少なく抑えられている。騒ぐ人は騒いで、騒がない人は騒がない、ということであれば、感染は「騒ぐ人」界隈にある程度封じ込めることができるわけだが、予防接種によって「騒がない」から「騒ぐ」に移行する人が増えれば、より広範囲にウィルスの手は伸びる。O班とかT班の人もうかうかしていられなくなるわけなのだ。

 予防接種を100%の人が正しいタイミングで受け続ければ、発症する人がほとんどいなくなる。すると強い力で広める人も減るから、全体の実効再生産数も1を切って、次第にウィルスは死滅していく、という、たぶんそういう流れが想定されているのだろう。100%は無理でも、80%とか90%とかにまで上がれば、さして大仰な対策をせずとも感染は減っていく……はずだと考えられている。最終的にはそれをめざすわけだが、過渡期には上記のような問題が発生する。しかも、それを乗り越えても、予防接種によって集団免疫が成立するかどうかは、今のところ不明である。
 ちなみに厚生労働省のサイトにはきっちりとこうあります。

 また、ワクチンによっては、接種で重症化を防ぐ効果があっても感染を防ぐ効果が乏しく、どれだけ多くの人に接種しても集団免疫の効果が得られないこともあります。
 新型コロナワクチンによって、集団免疫の効果があるかどうかは分かっておらず、分かるまでには、時間を要すると考えられています。

 現時点では予防接種にはそういう役割しかないのだと割り切って、引き続き冷静にやるしかないのだが、冷静ってのは難しいらしい。
 PCR検査で感染の有無が常に正確にわかるわけではない。精度は70%程度という話もある。偽陰性の可能性は常にあるのに、「ワーイ陰性だー」とすぐに気を抜いてしまう人はたぶんめちゃくちゃ多い。いろいろ割り切って引き続き、がんばりたいでーす(EE JUMP『Baby! 友達になろうよ』)。

2021.7.29(木) 中央は中央、サブはサブ2(政治のこと)

 第99代内閣総理大臣(72)の支持率が下がって3A(217)の力が相対的に強まっていると聞く。これこそ「中央は中央、サブはサブ」の象徴と思う。
 と、なんか政治みたいなことを珍しく。こないだ総理大臣についての文章を仕事でやったのもあって。おゆるしくだされ。

 3Aとは安倍(66)、麻生(80)、甘利(71)をさすらしい。この人たちは「中央」である。安倍さんと麻生さんは言うまでもなくサラブレッドで、どちらもおじいさんが元総理大臣。もちろん自身も総理経験がある。甘利さんも父親が国会議員で、家柄も良い。対して、現総理である菅さんの生い立ちはパッとしない。秋田の田舎の、農業と教員の家庭から苦労して大学に入り出世を果たした「ストーリー」はよくできているが、絶対に「中央」ではない。漫画の主人公にはなれても、現実で中央に居続けるのは(少なくとも現代日本では)かなり難しいだろう。
 あの田中角栄も失脚し、逮捕までされた。サブはサブなのである。(その後も政界で力を握り続けるのでサブと言い切るのは妙かもしれないが、ふたたび総理とは遂にならなかった。)

 めっちゃ適当なことを言ってみる。田中角栄の首相就任は1972年7月。総辞職は1974年12月。その間の1973年にオイルショックがあり、一般に高度経済成長が終わったと言われる。すなわち、世の情勢が不安定になると、人は「中央」を求めるのではないか? という仮説が思いつく。
 とはいえ、代わって総理となった三木武夫が「中央」の人かというとそうでもないので、この思いつきは微妙である。ただ、田中角栄のようなイレギュラーな存在を許さない空気が、社会不安とともにやってきたというか、そのストレスを不当に背負わされてしまったというか……そんな気はする。田中角栄への金権政治批判と、小山田圭吾さんへのいじめ経験吐露批判は、けっこう似たような「気分」のもとになされたのではないか? と。もちろん小林賢太郎さんへの批判についても同様である。
 みんな疲れているし、不安で仕方ない。そのストレスを背負わされたのが「サブ」の人たちで、「中央」の人たちは楽屋で休んで出番を待っている。3Aがまさにそれである。安倍さんなんかあからさまに、「はい、じゃあサブの人たち、しばらくよろしくね~」という感じで退いたのではないか。つまりスケープゴート、いけにえとして、菅さんや五輪関係者を捧げたという話。

 立花隆さんという人の死を、マスコミはものすごい勢いで取りあげた。新聞も雑誌もテレビも、旧来のメディアは挙って特集を組んだ。それは何日も、いや何週間も続いた。立花隆さんは「文藝春秋」誌上で田中角栄の金権政治を暴き、辞任に追い込んだ人である。もちろん立花さんにそういう意志があったと思うのではないが、「成り上がりで総理になるなんておかしい、何か裏があるんだろう? ほら見たことか。結局のところ金の力じゃないか!」というような気分を結果的には煽ったのだろうと時代を知らない僕は勝手に思う。
 中央にいるはずのない人が中央にいる、というのが、実は人々はみんな不安なのである。豊かな時は面白がれても、世が乱れれば手のひらを返す。だから最終的には農民出身の豊臣ではなく松平家の徳川に落ち着いたのだろうとさえ思ってしまう。
 オイルショックがあれば田中角栄が不安になるし、感染症が流行れば菅さんや小山田圭吾さんや、小林賢太郎さんが不安に思える。あるいはMIKIKOさんとかPerfumeとか大友克洋先生とか、そういう本来は「サブ」であるはずの人たちに対しても、素直に「ワーッ!」となれない気分が、実のところ存在するのではないか? やっぱ王、長嶋、松井でしょ、みたいな。やっぱスポーツでしょ、みたいな。(マリオはさすがにもう、中央かもしれないけど、出なかったですね。)

 面白いのは竹中直人さん。彼は過去にえげつないネタをやっていたことを理由に開会式を直前(前日と言われる)に辞退した。
 竹中さんは1996年の大河ドラマ『秀吉』に主演した。はっきり言って、「笑いながら怒る人」とかで有名な、芸人と区別がつかないほどコミカルなイメージの強かった竹中直人さんは少なくともその当時では大河で主役を張るような大物ではなかったはずだ。幼かった僕の記憶にも「大抜擢」だったイメージがある。しかもこのシリーズは大好評で、『秀吉』よりも視聴率の良かった大河は以後ないらしい。なぜそうなったのかといえば、それが『秀吉』だったからだろう。『家康』だったらそうはいかない。「なんでこんなやつが家康をやってるんだ?」と批判的な声が上がり、視聴率もそれなりだったんじゃないか。「うむ! 農民から成り上がるなら竹中直人くらいがちょうどいい!」とみんなが思った。それが本当にちょうどよかったってことなのだ、きっと。
 農民から立身出世する秀吉役ならばちょうどいいが、五輪の開会式は…? そういう気分が世の中にはきっちり存在し、竹中さんの先手を打った辞退は、そのことの証明のようにも僕には思える。妄想レベルなのはわかっておりますが、世の中というのはさまざまな無数の気分が複雑に作用して動いていくものなので、生体が異物を排除するように、サブの人はいつのまにかいなくなっていく。ちなみに竹中さんが出演するはずだったシーンに一人で主演した真矢ミキさんは宝塚の人で、こちらは「中央」でございます。
 ちなみに『秀吉』も、視聴率が特に高いのは前半で、信長が死んでから、つまり秀吉が権力のトップに立つようになってから下がってくる。第29話までで視聴率が30%を切ったのはたった5回だけだったのに、第30話「信長、死す」は(信長死んでるのに!)26.4%。以降最終話までの20話で30%を超えるのは5回しかない。竹中直人がトップに立つのはつまんない、とみんな思ったのだろう。なんかしっくりこないな、と。
 第1話と第2話の視聴率が低めなのも面白い。30%を超すのは第3話から(26.6→29.2→33.5と急増し、第10話の37.4%が最高視聴率)。最初から期待が大きかったわけではないようだ。「竹中直人かよ」と思った人もそれなりにいたのかもしれない。

 話を戻す。そういう気分が世の中に存在することを僕は勝手に確信していて、立花隆さんの『田中角栄研究』は結果としてその気分を膨張させたと思う。その立花隆さんの死を多くのマスコミが全力で悼むというのは、やっぱマスコミってのは「サブの声の代弁」なんかでは当然なくて、「中央を中央らしくあらしめるための装置」なのだなと思うものである。
「ジャーナリズムとは、中央に対するチェック機関だ」というようなことが言われるが、いわゆるマスコミというレベルにあってはせいぜい上記した程度なのである。マスコミの叫びは「中央にそんなものがあってはダメです!」というのにすぎない。「中央さん中央さん、そいつはサブですよ、排除したほうがいいですよ」というようなもんである。「中央さん中央さん、その角栄とかいうやつ、そろそろ用済みですよ。片付けときましょうね!」的な。
 そのように、「ほらほら、小山田圭吾とかいう人、サブなんでね、ちょっとどいてもらいましょうね」という気持ちが日本中を駆け巡った。新聞、雑誌、テレビといったものだけではなくて、SNSが多大なる役割を果たした。SNSは本当に、マスコミや広告と仲が良い。ネタを提供し合う持ちつ持たれつの関係である。

 僕は当然、むちゃくちゃでテキトーなことを言っている。しかしそれなりに正しい部分があると思う。
 中央は中央、サブはサブ。小池百合子さんだって、元々テレビの人だから、どっちかというと「サブ」なのだ。だから今、いけにえとしてさらされている。
 とはいえ都知事に「中央」の人がいたことなんて、近年ほとんどない。1979年から1995年まで長く都知事を務めた鈴木俊一さんは、わりと「中央」の人だろう。家柄も経歴も申し分ない。その後は……うーん……文化人とタレントしかいない。石原慎太郎さんはその前の国政歴が長いので、それなりに中央っぽい感じはあるか。
 僕は杉村太蔵(41)さんにぜひ総理大臣をやってほしいんだけど、彼はやっぱり、サブの人なんだろうなあ……少なくともしばらくは。世の中が彼を「中央」と認める時代は、来るとして早くとも30年後くらいかな。でも東京都知事なら、文化人やタレントばっかりなのだから、彼にもチャンスは十分にある。
 現実的には、「杉村塾」的な政治集団から国会議員を複数輩出して、自身は北海道知事におさまるという未来を僕は予想している。これ当たったら、本当~~に褒めてほしい!

「中央」の人は、地盤がしっかりしているので、退いても戻って来られる。だから安倍さんはスッと退けた。サブの人はそうはいかない。菅さんや小池百合子さんは、逃げずに一所懸命がんばらねばならない。実家が太い人は逃げられるけど、そうじゃない人はもう、石にかじりついてでも頑張り続けなきゃいけない、というのに似ている。結局、そういうことなのだ。拡大しても、縮小しても。

2021.7.28(水) 流離い復刻

 流離い

 2000年から2003年まで更新されていた紀行文コーナー「流離い」を復刻しました。穴ぼこだらけですがそのうち埋めます。また、2003年以降も少しずつ充実させていく予定なので、ぜひとも応援をお願いいたします。

 去年の春から可処分時間がだいぶ増えたはずなのに、全然何もできていなかった。こないだのHSJ10(平成のジャッキーさん展)くらいからようやく動き出せている気がする。エンジンかかるまで15ヶ月くらい必要らしい。僕は遅い。だからいまだに赤ん坊みたいな感覚でいるんだと思う。
 今日はひたすら昔のデータを整理していた。日記の過去ログ一覧を眺めていただくとわかるのだが、2000年代はあちこちに欠損がある。この間、いったい僕は何をしていたのか? そういうのが自分で気になっている。たとえば2003年の8月とか。9月の日記から推測するに、どうも自堕落な生活を送っていたらしい。文章も書かず廃人のようにゲームばっかやっていたみたいだ。この夏以来、僕は新しい家庭用ゲームにまったく手を出していない。とりわけRPGや戦略系の時間がかかるものは「すでにクリアしたことがあって、十分に好きなタイトル」しかプレイしないことにほぼ決めた。これは日記の中ではっきりとは書いていないかもしれない。
 このホームページが僕の人生の輪郭になればと個人的には思っている。説明をいっぱいしたいってわけでもなく、ただ線が切れているとさみしい。そのために古いデータを整理している。流離いの復刻もその一環である。僕の旅行は、2000年8月から始まって、未だに続いている。それはちょっと大げさにする散歩にすぎない。そういうことを示したい。

 それと、日記らしい日記もつけてみることにした。Googleフォームから日付と本文を送信してGoogleスプレッドシートに飛ばし、それをさらに別のスプレッドシートで引用、という仕組み(見ればたぶんわかります)。送信ページはスマホのホーム画面の精鋭4選の一つに加えたのでワンタッチでフォームが開ける。これで更新はかなり楽なはずだが続けるかは不明。「はじめに」ページ内のどこかから飛べます。
 反転かTab(またはAlt+Tabなど)か、ですよね。こういう時は。

2021.7.25(日) 中央は中央、サブはサブ(五輪開会式まとめ)

 メインとサブ、中心と周縁。
 ここ10日間くらい、いやもっと言えばこの1〜2年間くらいのオリンピック「開会式」をめぐる状況を僕なりに一言でいえば、「サブはサブ」である。
 オリンピックというのはスポーツの祭典で、学校でいえば運動会とか体育祭、球技大会。そこで主役となるのは足の速い子たちとか、もともとスポーツのできる子たちだった。うちの運動会は一味違いますぜ! とかいった特殊の話はまた別で、ほとんどは今でもそうだろう。
 その人たちは社会の中心にい続ける。今もそうなのだ。だから第2回東京オリンピック開会式に際して世の中は「サブはサブ」という結論を下した。

 運動会等で主役となるのは足の速い子たちで、次がそれを観戦、応援する人たちである。そして「知らねーや」と思っている子たち。この「知らねーや」の人たちが「サブ」に属する。本来、小山田圭吾さんも小林賢太郎さんも、椎名林檎さんもMIKIKOさん(広島のアイドルPerfumeの振付で有名)も、サブの人たちだと思う。野村萬斎さんのような伝統芸能の人はどちらかというと中央な気がする。運動会なら応援団か放送部くらいの位置付けか。ここまでは辞任・解任になった人たち。
 実際の開会式に出た歌舞伎の市川海老蔵さんは中央寄り。彼もいろいろあった人だし、今もリアルタイムにいろいろ言っているが、叩かれないのは「出ることが直前までバレなかった(当日午前4時のニュースにはでていたが、その前には遡れなかった)」だけでなく、やはり「中央の人」だからだと僕は思う。キー局のアナウンサーと結婚したのも中央っぽい。その奥さんが亡くなっているという同情もあるだろう。ちなみに「必要とされるなら出たい」という発言は2019年6月のニュースにすでにある。

 中央のお祭りであるオリンピックの花形行事に、サブの人たちが出てくることを人々は好まなかった。この「大いなる意思」が、小山田さんや小林さんを引き摺り下ろしたのではないかと考えるわけである。椎名林檎さんやMIKIKOさんら、初期メンバーが外れていったのもきっとその力が影響している。単純に考えれば、中央の中央にいる人たちは彼女たちの演出がわからなかったのかもしれない。初期案には『AKIRA』の金田バイクが走り回る演出があったといわれるが、「AKIRAってのはアニメだろう? そんなものオリンピックの舞台には出せないよ」と思う人がいまだにいたって僕はまったくおかしいと思わない。そういうもんだろう。いま80歳の人なら、少年ジャンプ創刊は27歳、ガンダムが生まれドラえもんがテレ朝でアニメ化するのは38歳、『AKIRA』上映は47歳の時である。
 5年前のリオオリンピック閉会式でドラえもんやマリオ、女子高生などいわゆる「クールジャパン」が強調されたのに対して、偉い人たちが遺憾の意を表明する場面は容易に想像できてしまう。みんなそんなに柔軟ではない。もしかしたらそういったものは閉会式に出てくるのかもしれないが、少なくとも開会式という最も華やかな舞台には出すべきでないと考える人はいたと思う。森喜朗(84)さんはそっちなんじゃないかな。麻生太郎(80)さんならよく漫画等の価値を認めている(こないだもゴルゴ13についての質問に申し分ない受け答えをしていた)ようだから、ゴーを出したかもしれないけど、そういう人は今最も権力を持っている内ではかなり少数派のはず。
 いえ、すべて僕の妄想です。実際はさらにいろいろ事情があってのことなのだろう。でもそういうすべてを含めて「大いなる意思」だと僕は主張するものである(ズルい)。
 それにしてもまったくクールジャパンを使わないのはどうなのか、ということでマンガの吹き出しと『ドラゴンクエスト』の「序曲」から始まるゲーム音楽が落とし所となったのかと思う。ドラクエの曲はすぎやまこういち作曲。東京生まれの90歳で、豊かな経歴とさまざまな役職を持つ。「中央」の人だと僕は思う。政治的立場は自民党に近く、献金もしている。ザ・ピーナッツの『恋のフーガ』やザ・タイガースの『花の首飾り』を作曲した人だといえば、話は通りやすそうである。
 ちなみに僕は開会式で「序曲」のファンファーレが演奏されるちょっと前に「ドラクエだ!」と叫んでいた。「序曲」のメロディが変奏されていたのである。え、みんな気づいてた……?

 これもまた妄想だが、「サブはサブ」と思っていたのはたぶん、「中央」の人たちばかりではない。むしろ「サブ」に属するはずの人こそが、小山田くんや小林賢太郎(いずれも僕なりに敬意を込めた呼び方)を非難していたようにも見えた。それは「出過ぎた真似をするな」という忠告であり、「そっちへ行かないでくれ」という悲痛な叫びにも聞こえる。サブはサブのままでいたいし、サブの人にはサブのままでいてほしいのである。そのほうが安心するのである。
 小山田圭吾や小林賢太郎が中央に登って出世できるのなら、いつまでもサブでいる俺たちはいったいなんなんだ? という話にもなる。俺たちはお前らが好きで、お前らを信じてサブに甘んじてきたのに、どうして置いていくんだ? やめてくれ、俺たちにそれは無理なんだ!
 コンプレックスは一気に噴出する。小山田やコバケン(僕は通常、この呼び方はしない)が中央に行くというのは、親友が自分を置いて一人で大人になってしまう寂しさに似ている(例:『劇画・オバQ』)。自分は底辺校に行くのに、一緒にバカやってたはずの友達は超進学校に進んでいくような。そういう気分が充満していたと、僕は見る。僕はね!
 これは『シン・エヴァンゲリオン』におけるシンジの成長やまとまりのあるストーリーにガッカリしていた古いファンの心理にかなり似ている。あれこそが「サブはサブでいてくれ! 俺とともにいてくれ!」という悲痛な叫び、そのものなのだ。
 これまで頼ってきた世界観は崩壊する。足元を失う恐怖。サブが中央に行ってしまうと、サブであることに慣れきっている自分はどうしたらいいかわからない。嬉しいとか誇らしいような気は多少するが、でも「自分」はどうしたらいい?
 だから、足を引っ張る。行かないでくれ! 戻ってきてくれ! と。もちろん、そう明確な意思を持って彼らを叩いていた個人はあまりいないのかもしれない。でもたくさんの人たちのなんとなくの気分が集まって結晶して、結果的にそのような「大いなる意思」になったのだ、というのが僕の主張である(ズルい)。

 分相応、ということを日本の人は考える。「百姓に学問は要らない」とか「女が大学に行ってなんになる」の世界である。小山田圭吾よ、小林賢太郎よ、おまえらには分不相応だぞと、多くの人が思った、ということなんじゃないかと思う。いじめだのなんだのは、口実にすぎない。
 人は、人が出世するのが単純に嫌なのである。他人の幸福が憎いのである。なんでサブカル野郎がオリンピックの花形行事の中心にいるんだよ! 気に入らねえな! 俺たちはコロナでストレス溜まってて、金もなくて辛いのによお! そういうことなんじゃないか。

 そして何よりも人は、安定を望む。下克上なんてのはフィクションや歴史の世界にだけあって、たまに浸ってスカッとできればいい。変わらないほうがいい。サブはサブでいい。中央は中央でいいのである。だから国会議員も、歌舞伎役者も、金持ちも世襲でいいと、みんな本当は思ってしまっているのである。変わることを恐れるから。成り上がりで議員になると、叩かれやすい。杉村太蔵が最高の例である。

 僕はhideの歌う「変わること恐れずにGood bye」というのが信条で、上記のような世の中の気分がもちろんすべて好きでない。そういうわけで杉村太蔵(最上級の敬意を込めて呼び捨て)をものすごく応援しているのだが、彼もけっこうな金持ちの生まれなんですよね! やはり頂き女子革命しかない!

2021.7.24(土) スポーツについて昔考えていたこと

 スポーツと、過去を掘り起こすのがブームのようなので。

 まえがき スポーツをするメリットはたくさんありますし、スポーツをすると良いことはたくさんあります。でなければみんなこんなにスポーツをいたしません。スポーツをしている人、過去にしていた人は、スポーツからたくさんのことを学び、大いに恩恵を受けたと思います。幸福だとしたら幸福なことです。スポーツを好きな気持ちも、スポーツを愛することも、素直な心からくるものであることがほとんどです。



 2008/10/10(金) 旧・体育の日に想う

 読み返してゾクゾクした。非常に烈しいことを言っている。書き加えるとしたら、「球技が苦手なのは、そういう発達をしたからであろう」とか。つまり、僕がよく頭を打ったり水をこぼしたりすることと、球技が苦手っていうのはたぶん同じ話なのだ。そのことを2008年の僕はまだ言語化できていなかったのかもしれない。
 この文章では格闘技は許容、みたいなことになっているが、それもやっぱりルールがあって勝ち負けが存在する以上は完全にこの人の嫌いな「スポーツ」である。ただ、戦ったときにちょっとくらいは強いほうがいいって考え方もあるので、勝ち負けの関係ない武道みたいなのだったらありかもしれない。
 それにしても青くさい。ちゃんと僕は恥ずかしくなっております。


 2010/01/14 原っぱと近代スポーツ
(「2010/01/17 メモ」にちょっと補足あり。「中世までキリスト教ではスポーツは悪とされた」というのをどこかで読んで、赤面したそうな。)

 この文章も、うーん、論拠も論理も弱いというか、説得力に欠けるところがありますが、僕がどのような考え方をする人間なのか、というのはわかるかも。
 このあたりの文章も、似たようなことを書いています。


 今でも、「固定ルール、数量化、勝ち負け」を前提とするスポーツなるものを僕は良いものと思っていません。じゃあスポーツにまつわるあらゆることを嫌うかといえば、全然そんなことはなく、スポーツまわりにも好きなものごとはたくさんありますし、尊敬するスポーツマンもいるし、スポーツをする友達もいる。ちばあきお先生の『キャプテン』をはじめ好きなスポーツ漫画は数え切れない。スポーツを見ているとけっこう楽しい。スポーツをするとたぶんけっこう楽しい。王、長嶋、松井の並んだ聖火リレー終盤はグッときた。巨人ファンでもなんでもないけど。
 運動はかなり好きなほうだと思います。自転車で峠を越えるのとか、気持ちよくってしょうがない。
 そういうことと、スポーツを良いものと思うか、というのは僕にとって別なのです。
「固定ルール、数量化、勝ち負け」のないスポーツがあるなら、僕は好きだと思います。ただボール蹴って走ってるだけとか。ただバドミントン飛ばして、拾いあうだけとか。蹴鞠も、落としたら負け、みたいな感じじゃなければ楽しいでしょうね。そういうのはスポーツじゃなくて、遊びの範疇になると思う。(ただし、通常遊びと呼ばれているものの中にもスポーツ成分が多めのものはありますね。)

 オリンピックが嫌いかというと、ぜんぜんそんなことはなくて、みんなが盛り上がってるのは「やっぱみんな好きだよねー」と思うだけ。相撲中継見てる喫茶店のお年寄りとかうちの両親とかに対して、「やあねえ」とまったく思わず、「いいねえ」とむしろ思う。それと似た感じ。
 じゃあオリンピックが良いものか? というと、いやべつに良いものではないんじゃないですか、と思う。スポーツを良いものと思わないのとだいたい同じ理由で、オリンピックも良いものとはとくに思わない。

 高校の時の体育祭や球技大会では、自分の出番の時以外はだいたい教室とか荷車の中とかに隠れて本読んだりしてたんだけど、今もそんな感じ。べつに水を差すつもりもありません。

2021.7.23(金) 小山田擁護を圭吾さん

 第2回東京オリンピックの開会式が終わりました。第3回が楽しみです。小山田擁護の圭吾さんをします。
 今のところ僕の言いたいことの概ねはこの記事(藤原悠馬さん)やこの記事(北尾修一さん)に書いてあり、差し引くことは特にありません。後者は7月31日夕方に消されるそうですが保存したのでどうしても読みたい未来人はご連絡ください。
 そう、未来人のために書き添えておきますと、7月14日頃からコーネリアスこと小山田圭吾さんは世界一有名ないじめっ子(たぶん)となり第2回東京オリンピック開会式の作曲担当を辞任するという流れがあったのです。その開会式がさっき終わりました。
 世間的にはもうこれで「一区切り」となるでしょうから、現時点で思うこと考えたことを書き記しておきます。

 僕は小山田くん(敬意をこめてくん付け)のことが昔から好きで、(ロッキンオン+クイック)ジャパンの当該号も中高の時に古本屋で買って読みました。2018年2月26日には某所にて勇気出して声かけてサインをもらいました。「昔から好きな人」に直接会う機会というのが、僕はかなり多いほうなのですが、みだりにサインを求めることはありません。相手も負担だろうし、水を差すようなことにもなるし、もう永遠に友達になれないような気がしてしまうからです。なぜか小山田さんは別で、生まれて初めてそれをしました。一緒にいた兄に促されたからでもありますが、名状しがたい独特のオーラに動かされたという気がします。「す、すみませんサインを……」みたいにさっき買ったTシャツを差し出したら「いいよー」みたいに軽く、素っ気なく言って、ササッと「k.oymd」とだけ書いてくれました。おおお、これが小山田圭吾という人なのか! イメージ通りだ! いい人だ! と、思ったものです。
 90年代から現在まで、小山田くんのことを嫌いだった時期はなく、今も好きなので、僕は大いに彼を擁護したいと思います。

 SNSでは何も言わずにおります。メリットがない。代わりに細々とこのホームページで書きました。19日と21日の過剰に用心した文章がそれです。どちらも擁護のつもりでありました。

 小山田くんをめぐっては「大炎上」どころか「迫害」に近く、そこに分け入っても巻き込まれるだけなのは目に見えていた。むしろその状況に加担する言論が増えるのみ。火に油。擁護も擁護として機能しない。それでもやるんだ、一矢報いてやるんだ! という態度はすばらしい、たとえば爆笑問題の太田光さんは「サンデージャポン」や「カーボーイ」でそれをやった。でもそれは太田光さんの仕事であって、僕には僕の仕事がある。このホームページを読むような人に、そっと言うこと。僕にはそれくらいしかできないし、今のところそれを最善と信じている。「現在」の読者だけでなく、未来人も多少は読むだろう。
「現在」を偏重する軽薄短小なSNSサービスで多くの人の目に触れて活躍する、そういう「係」の人もいるのだろうが、僕はちっぽけなhtmlサイトでせいぜい数十人の読者に向けてひっそりと書くような「係」なのだ。せいぜい数十人のうち、この話題に興味を持って最後まで読んでくださるのは現状10人いるかいないかだろうが、50年は残しておくつもりなので、いつか倍くらいにはなるかもしれない。

 21日の日記で、僕は「何が真実かわからない」という意味のことを書いたわけですが、上に貼った北尾さんの文章によると、クイックジャパンで「いじめ紀行」という記事を企画した村上さんという人は、「壮絶ないじめサバイバー」(つまり被害者)だったらしい。しかし記事本文において村上さん本人は「傍観者だった」と書いている。どっちが正しいのだろうか? 本人が書いているからには「傍観者」が正しいのか? それはまったくわからない。ここで一曲、フリッパーズ・ギターでドルフィン・ソング。「ほんとのことが知りたくて嘘っぱちの中旅に出る(略)ほんとのこと知りたいだけなのに夏休みはもう終わり」

 まず事実があって、それを小山田くんが語って、雑誌が記事にして、それをさらにネットに転載する。その際に少しでも手を加えたり、恣意的な抜粋をすれば、それはもう変形である。事実→小山田→村上→ネットと、少なく見て二度ないし三度の変容を経ている。さらにネットでは引用を引用してさらに引用して、というループが無限にあるので、まるで伝言ゲームのように変わっていく。ともあれ、雑誌を見たにせよネットの引用を見たにせよ、「小山田」という個人がどこまで悪いかは決めにくい。太田光さん風にいえば、決めるとしたら司法が決める。
 しかし、小山田くん個人の悪さは決められなくても、結果として出来上がった記事の悪さは決められるかもしれない。かりに自殺した人の遺書に「クイックジャパンのあの記事を読んで傷ついたので死にます、小山田という人を許しません」と書いてあったりしたら、小山田くんが実際何をしたとかどう語ったとかはともかく、クイックジャパンの記事はすごく悪いものだということになる。人を殺すパワーを持った記事なのだ。
 一方、「気分が悪くなった」程度のことなら、そこまで責められるべきではないと思う。そのくらいの悪い文章はいくらでもある。その中の一つというだけ。もちろん悪いは悪いし、それを理由にオリンピック開会式の作曲担当の辞任を余儀なくされることも全然アリだと個人的には思います。オリンピックが「そういうもの」ならば、文句はいっさいありません。

 そもそも小山田くんは悪いのか? ということでいうと、クイックジャパンの記事全文(北尾さんの記事内に公開されております)を参照いたしますと、「まあ普通に悪い」くらいなんじゃないでしょうか? 「普通に悪い」というのは、「子供とか若者とかってまあそのくらいには悪いよね」というくらいのもんです。もちろん、オリンピックに「普通に悪い」人間が関わることが許されないのなら、人選は間違っており、いったん留任したのも間違っており、辞任したのは正しい判断です。
 上に貼った藤原さんの文章で僕が好きなのは、「本能的で、子供のように残酷(大人としての分別に欠けている)だけど、子供のような純粋さ故に、差別や偏見も無い人」と小山田さんを評しているところ。これは僕が19日の日記に書いたことと実はほぼ同じです。小山田くんってのは、子供なのです。子供ってのはけっこう悪いもんなのだ。

 When Margaret grows up she will have a daughter, who is to be Peter's mother in turn; and thus it will go on, so long as children are gay and innocent and heartless.
 マーガレットが大きくなったら、娘ができることだろう。今度はこの子が、ピーターのお母さんになるのだ。こうしてずっと続いて行く。子供達が陽気で無邪気で非情であり続ける限り。
(J・M・バリ『Peter and Wendy』黒田誠 訳

 ウェンディの娘がジェーンで、ジェーンの娘がマーガレット。さらにその娘までが出てきている。小沢健二さんの『涙は透明な血なのか?(サメが来ないうちに)』という名曲に「本当に誕生するのはパパとママのほうで 少年と少女の存在はbabyたちが続けていくよ」っていうような歌詞があったと思いますが、なんかそういう感じ。こっちは、ほんっとに大人目線(なんなら神目線)の歌詞だな~、と思います。
 さてバリ曰く、子供はgayでinnocentで、heartless(非情)。
 小山田くんはそのくらいには悪いし、そのくらいにしか悪くない。

 僕も、柄の良い地域に育ってないから、特に中学校はすっごい、小山田くんが語ってるようなことはけっこう当たり前にあった。子供の非情さ、残酷さがフルに解放された土地だったと思う。AくんがEくんをボコボコにするのを、不良たちが取り囲んで見てて、「おいやめろ、死ぬぞ」みたいな感じで、良い頃合いで止めに入る、みたいなのがあって、僕は何もできずに事後、Eくんに肩を貸して家まで連れてったんだけど、なんかそういうまた質の違うヤバいノリ? ってのも若いうちは平気である。Mくんは、下級生でちょっと障害を持っていたかもしれないAくんを道ばたで見つけて、「こっち来て」って呼び寄せて、一発バーン! って殴って、「ありがとう、もういいよ」って帰す、みたいなことしてて、僕はもう何が起こったかわからないくらいびっくりしてしまったんだけど、「やめろよ、よくないよ」みたいなことはたぶん言わなかった。「おい、すげえことするな」みたいな、そういうことを言うしかできなかった。それはいじめというか、暴力への加担なんだろうか? そうだと言えば絶対そうなんだけどそれを加担と言ってしまったら、「逃げてはいけない」ということになる。逃げてもいいんでしょ? 僕は逃げるために、「ダメだよ」じゃなくて「すげえな」と言ったのだ。それは卑怯だったかもしれないが、身を守るためだった。ちなみにMくんは20歳くらいの時に死んだ。自殺だとも聞くし、ヤクザに消されたとも聞いた。近所の鉄板屋のおばちゃんは「ああ見えて心が弱かったからね」みたいなことを言っていた。
 Mくんは番長みたいな立場にいた人で、ケンカが強いのはもちろん、人を殴ったりするのにまったく抵抗がないように見えた。でもなぜか僕とはけっこう仲良くしてくれた。いっぺんなんでそうなったか忘れたけど学校のトイレで殴られそうになって、胸ぐらとか捕まれて大騒ぎになったんだけど、先生が止めに入って、あとから「ごめんな」って言われたことがある。死ぬほど怖かったんだけど、なぜか僕はMくんのことを、どうしても「いいやつ」だと思ってしまう。だけどめちゃくちゃやべえ、悪いやつなのだ。
 ナンバー2と目されていたTとか、ナンバー3のKくんとかは、少なくとも僕から見るとめちゃくちゃいいやつだった。人を殴るのも見たことはない。Gはとにかく筋力が圧倒的で、ケンカになればもしかしたら一番強かったんだろうけど、仲良くなかったのでいいやつだったかはよくわからない。でも陽気で無邪気で非情なのは確か。
 この話、どこまで本当なのだろう?

 僕の本当に仲の良いすばらしい友達に、たかゆきくんという人がいる。中2で初めて同じクラスになった。僕はすでに不良っぽい人たちとか、悪ノリのひどい人たちと仲が良くて、たかゆきくんはそういうのとはかなり遠い立ち位置にいたから、最初はあんまり仲良くならなかった。あんま覚えてないけど一度たしか、そういう悪ノリの人たちと遊んでた時に、たかゆきくんに向かって何かを投げたような覚えがある。彼はびびっていたと思う。いやこれは本当にうっすらとした記憶なんだけど、なんかすごく悪いことをした記憶として残っている。
 でもなんかのはずみで少年ガンガンの話をするようになって、急激にすごく仲良くなった。彼は僕のことをバシバシ殴ってきた。痛かった。普通に暴力といえるくらい、ちゃんと殴ったり蹴ったりしてきた。なんでそんなことするんだ? と思ったが、仲良くしていたかったのであんまり怒ったりしなかったし、それで付き合うのをやめようとは思わなかった。「普通に痛いよ!」とか言って反撃したりしているうちに、だんだん僕たちは軽く殴り合うような関係になっていった。そこに少しずつお決まりのパターンとかルールとかができて、ゲーム性が高まっていって、いつしかもう何しても楽しい、何もなくても二人でいるだけで自然と遊びが生まれてくるような感じになった。まともな言葉を交わす必要もなかった。歌を歌い、殴り合い、わけのわからない言語で鳴き合っていた。ただ歩きまわったりアニメのセリフを暗記して唱えたりした。
 友情というのはそのように育まれていくことがある。僕らは互いに一方的な暴力を振るうようなところがあったが、それがいつの間にか「暴力的なやり取り」に変わり、やがて遊びに昇華されていった。
 たかゆきくんが今さら僕に謝ることなどないし、逆もない。それでいいのだ。我々は互いの存在が幸福なのである。

 小山田くんはたぶん悪い。直接手を出すことはたぶん少なかったのだろうけど、いじめと言われるようなことに参加していたらしい。それは許されるとか許されないとかではなくて、本当にもう、子供の世界では当たり前にあることだ。別に大人の世界にだってある。悪くないと言いたいのではなくて、悪いのである。で、小山田くんはたぶん20代半ばくらいの時点でも、似たような悪さを持っていた。子供だった。
 小山田くんと沢田くん(仮名)は、僕とたかゆきくんのように、「互いの存在が幸福」という状態には至っていない。だから小山田くんは「沢田に会いたいな、僕」と(言ったとしたら)言ったのだと思う。「互いの存在が幸福」という地点の、ちょっと手前くらいにいる実感が、このとき小山田くんにはあったのではないか。だから会うことによって、それを確かめたり、進めたりしたかったのではないか、と。
 小山田くんは、この期に及んで沢田くん(を含む、いじめた自覚のある人たち)に会おうという意思を表明している。先日出された謝罪文にある。批判もされているが、僕はそのことがなんだか嬉しい。彼は終わらせようとしていない、続けようとしている。
 僕の人生のテーマは「再会」である。小山田くんは一貫して沢田くんとの再会を意識している。それだけでも、僕は小山田くんが好きだなと思うのである。

 ところで、僕はいじめられていた可能性があります。小学生の時なんか身体も小さかったし、運動もできなかったし、性格も意味不明。ずいぶんと軽んじてきたやつも何人かいた。その何人かは、僕のことをいじめていたのかもしれない。あれがいじめであったのなら、僕はいじめの被害者である。小3の時にけっこう本気で殺しの計画を立てたのを思い出す。早かったなぁ中二病。Eくんの家で「●●を殺そうと思う」って話して、ぜんぜんリアクションがなくて拍子抜けしたのを覚えている。え、僕、本気で殺そうとしてるんだけどな……意を決して君にだけ話したのに……みたいな。あとM2Oくんはほんとに無理だったなー、あんなに軽んじてくるなんてなー、引っ越してくれて助かった。危なかった。
 でもその辺のことはもう、わからない。その頃に僕を軽んじてきた人間を恨んでいるわけでもないし、べつに今や嫌いですらない。●●やM2Oとは今会っても仲良くできないとは思うけど、O橋とかY司だったら、ある程度話せる気がするんだよなー、なんてことを思ったりする。なんていうか、人間くさいところがあるんだ、この二人は。中学のMくんもそうだけど。もう、人間と人間ってのは、いろいろある。ほんとに、他人からはわからないことがたくさんある。

 差別、という観点については、藤原さんの文章に付け加えることは思いつかない。むしろ小山田くんこそが差別していない、というのには完全に同意する。あと、卓球(敬意を込めて呼び捨て、石野卓球さんのこと)がすごいってのも間違いない。彼も差別のない人だ。このことは今度詳しく書くかもしれない。
 僕が会いたいのは「まこ」なんだ。ちょっと家庭環境が特殊で、本人もちょっと特殊なやつに見えるから、あれはひょっとしたらいじめられてたというか、避けられてるようなところがあったんだけど、僕はずっと、小学1年生くらいから仲良くて、かけがえのない友達というか、初めてできた親友みたいなところがあったんだけど、中学に上がってぜんぜん喋れなくなってしまった。同じクラスだったこともあるんだけど、ほかの友達との兼ね合いみたいなことがそういう時期ってあるから、交流するタイミングがなくなってしまって、学校来てもまこはずっと寝てたりするから、わざわざ声かけることもなくなって、そっから疎遠になってしまって、という。すごく心残りで、とても会いたい。
 はっきり言って、僕はまこをいじめていたのかもしれないのだ。もちろん僕は彼のことが大好きだから、悪いことは何もしていないし、無視したこともない。でも、大好きで仲良くもしたいのに、ぜんぜん仲良くしなかった時期がある。それが彼にとって、ショックでなかったとは思えない。もしかしたら途中からは、「おれはおざきと仲良くしないほうがいいんだろうな」くらいに思って、それで学校に来ても寝てばかりいたのではないか、とさえ思えてくる。気を遣われていたのかもしれない、とか。いずれにせよ、彼はそのまま孤立し続けた。
 はっきり言ってまこは普通の子ではなかったから、彼と遊びたいという人は多くなかった。だから僕と彼と、また別の人と、というふうに複数人で遊ぶことはけっこう難しい。それは本人もきっとわかっていた。それでなんとなく、そういうふうに疎遠になっていく道しか選べなかったのかもしれない。今ならきっと少しくらいはうまくやれるが、当時はそれしかできなかった。中学の時、僕はとにかくいろんな人と遊んでいたのだ。
 ちなみにその頃、僕も彼もケータイを持っておらず、たぶん彼のほうはインターネットもやっていなかった。僕もまだメアドさえなかった。

 小山田くんはクイックジャパンで、「これは果たしていじめなのか?」と言っている。そうなのだ、それがいじめであったかどうかというのは、わからないことがけっこうあるのだ。だから、そこを確かめる意味でも、小山田くんは沢田に会いたがっていたのではないかと思うし、今でもその気持ちがあるから、「大変今更ではありますが、連絡できる手段を探し、受け入れてもらえるのであれば、直接謝罪をしたいと思っております」と書いたのではないだろうか。
 僕も、いじめられていたのかわからないし、いじめていたのかわからない。確かめることはまずできないと思っていいだろう。できることは、「悪いことはできるだけしない」と思って、できるだけ良いことをするというくらいなのではなかろうか。で、小山田くんは、そういうふうに生きているのでは……?
 僕にとって小山田圭吾さんというのは、サインくださいって言ったら即答で「いいよー」って言ってくれるような人なのだ。それで僕はものすごく嬉しかった。もしも「あーごめん、今はちょっとあれだから、今度会ったらまた言って」みたいな返事であったとしても、僕はむちゃくちゃ嬉しかっただろう。たぶん小山田さんは、僕を嫌な気分にさせるような断り方はしない。それは「いいよー」で、なんとなくわかった。

2021.7.21(水) from ビートたけしのバイク事故 to everywhere

 ビートたけしさんが原付で事故ったのは1994年8月2日午前1時40分ごろらしい。約2ヶ月後、顔面に麻痺を負ったまま記者会見を開いて、その場面は幼かった僕の記憶に深く刻み込まれた。印象は強烈だった。ビートたけしという名を聞けば、事故前の顔、事故直後の顔、その後の顔と、大きく分けて三種類の顔が同時に浮かんでくる。
「顔面マヒ治んなかったら、顔面マヒナスターズってのやろうと思ってる(会見映像より)」
 マヒナスターズという音楽グループに引っかけた洒落である。直後に大きな笑い声が上がっている。

 明らかに問題発言。政治家ならば失言とされて大いに突き上げられよう。重大な役に就いている人であれば辞任を余儀なくされるかもしれない。当事者の発言ではあるが、顔面マヒの当事者はたけ氏だけではないのだ。しかしビートたけしさんはこのとき当然あらゆる仕事を休んでいた。辞めるものがない。事故直後の同情もあったろう。またこれが毒舌で知られる「あの」ビートたけしである。問題を感じた人もいただろうが、それよりもむしろ「たけし節」の健在を示した発言として多くの人は捉えたのではないかと思うし、だからこそ「痛々しい」と捉えた人もいたかもしれない。(当時をよく覚えている人のご意見をうかがいたいです。お店にでも来て~、と、営業。)
 ただ間違いなく、彼はこの発言をした。映像として今も残っている。

 マヒナスターズで長くボーカルを務めた三原さと志さんのご子息は、僕の把握している限り1994年以降の数年間に何度か、自身の悪行を語っていたらしく、そのことを多くの人から責められた。彼がその悪行を本当にしたかどうかはわからないし、編集者やライターのまとめた取材記事がどこまで本人の言葉を正確に伝えているかも知りようがない。

 かつてアップスの火曜日を3年間担当した漫才コンビのボケの方は、本人の語った言葉だけを証拠にして良いのかと訴えた。だからなんだという話ではあるが、裁判においては自白のみで有罪にすることはできない。また「自白の任意性」も証明されなければならない。もちろんそれは法の世界の話であって、個人の感情や意思というレベルになれば、そんなことはどうでもいい。自分のために利用できる言葉であれば利用する、それだけのことなのだろう。法律は許しても自分が、世間が許さない。私刑の原理である。

 かつて『ンゴイデッタイサン』という曲でソロデビューした某氏は「疑わしきは罰せずの会」という任意団体を運営していた(いる?)が、そう、疑わしきは罰せずなのである。そういえばこの某氏もいわゆる失言・暴言の類いによってちょっと前に問題となっておりましたが、それはラジオ番組で言ったことなので、これもやはり証拠がガチガチに存在している。

 中学の時、あるマンションの屋上に十数人(不良を含む)集まってるから来いよ、と言われた。屋上へ続く階段には柵があってカギもかかっていたのだが、柵の脇から空中をぐるりとまわって行くのである。落ちたら即死の高さであった。僕もNNくんに引き続いてそこを登った。その時点で僕は悪事の参加者である。不良からの誘いなので断れなかった、というのは本当だ。正直に言えばワクワクもしたが、不安もあった。落ちたら死ぬし、バレたら怒られる。そこで行われていることの内容によっては、補導もある。果たしてその場ではやはり煙草が吸われ、酒が飲まれていた。瓶ビールがケースごと置いてあって、聞けば「その辺の民家の前に置いてあったから持ってきた」とのことで、だとすれば完璧に犯罪である。ただ、それが本当かどうかはわからない。僕は現場を見たわけではない。ただその不良が自慢げに語っていただけなのだ。僕はもちろん煙草も吸わなかったし、酒も飲まなかった。ただ何するでもなく、その空気を吸っていた。はっきり言って気持ちがよかった。
 屋上の隅っこに、KNBが一人で立っていた。煙草を吸っていたかどうかは忘れたが、吸っていた気がする。何してるんだ、と声をかけたら、ラジオを聴いていると言う。『流石の源石』という東海ラジオローカルの番組だった。面白いんだよ、と言われ、翌週から僕も聴いた。想い出の番組である。また、『ンゴイデッタイサン』の某氏らがパーソナリティを務める某番組を二人とも聴いているのがわかり、リスナーだけに通じる話をしたと思う。KNBはたぶん高校に行かず(あるいはすぐ辞めて)鳶か土方(どうでもよいですが僕は元当事者であり家族に当事者がいます)になったのだと思う、実家の裏の駐車場で作業服着た姿に会って、「おう」とか言ったのが最後。生きているだろうか? 『流石の源石』の話、したいな。オールナイトもまだ聴いてるよ。

 これ、どこまで本当かわからないですよね。さらに、イキって話すなら「知らんマンションの屋上に不法侵入して煙草吸って、盗んだビール飲んでましたよぉー!」にすることは容易である。一緒にいた人間がやっていたことをさも自分がやったかのように語るのは「悪かった自慢」の常套。また、「~~くらいのことはやってましたね」みたいな感じで、本当は「~~」なんてやったことないのに、「くらい」という言葉を入れてごまかすようなことも。「タンスくらいのものは盗んでましたね」と言えば、まあせいぜいカラーボックスくらいのもんであろう。一回だけ飲んだか名刺交換したくらいの有名人を「けっこう仲良くてさ」と話すような感じで、人はエピソードを盛るものである。伝聞の場合はなおのこと信用できない。取材記事で、原稿確認もないとなればほぼ伝聞である。「こういうアイディアが出た」が「こういうことをした」に変形する可能性だって十分にある。

 ところで藤子不二雄A先生は、どうやら酒の席などではかなり話を盛るらしい。嵐の番組に出演した時に交友のある芸人から「こんな話してましたよね?」と言われ、「いやそれは大げさでね」と自ら訂正していてめちゃくちゃ面白かった。

 芥川龍之介の『藪の中』は、一つの事件についての複数の人の証言がすべて少しずつ食い違う、というような話である。森鷗外の『高瀬舟』も、喜助(弟殺しで護送中)が真実を語っているとはどうも思えない。証人は目撃してすぐ逃げた婆さんだけで、あとは喜助が自分で語ったことでしかないのだから。

 僕は三原さんのご子息を「悪くない」と言いたいのではない。「悪さの検証が不十分だ」と思う。悪いのは間違いなかろう。ただ、「絶対に悪いと断言できる部分」って、現時点では意外と少ないと思う。何しろ彼が実際に何をして、それを実際にどう語ったのかがほとんどわからないのだ。それがわからないと、二十数年間の沈黙の意味も読み解けない。疑わしいままでは罰せない。批判するのなら、そこを突いたほうが急所だと思う。「で、あなたは何をしたんですか? それをどう語ったのですか? 正確に話しなさい! 証拠があるなら出しなさい!」と詰め寄っては? 反省しているのならすべてをちゃんと語るだろうし、証拠だってあるぶんは出すだろう。他の関係者に迷惑にならないようにみんなで気をつけながら、悪さの検証を進めていったほうが、後の利益になるというか、他の人の参考になるのではなかろうか。面倒くさいなら、司法に持ち込むか、民間の雑誌社に改めて取材してもらうか。謝罪している出版社(編集部)もあるのだから、彼らなら無償でやってくれるでしょう。当時のテープや文字起こしの記録なども、ひょっとしたら残っているかもしれない。

 誰かと誰かの関係のあり方についても、第三者が勝手にその善し悪しを決められるものではない。彼らはどういう関係だったのか? そこも含めてちゃんと検証されない限り、疑わしきは罰せずになるんじゃないかしら。
 そんな時間のかかること! 速攻でキメなきゃいけない時だってあるのだ! という意見もありましょう。その通りだと思います。そのために私刑(その極致が革命)というものはあるのかもしれません。それを否定するつもりは実はないのですが、上記のような冷静が前提にないと、暴走するのではと思うのです。

 2001年11月4日に愛知県立大学でライブをした二人組も、1998年頃のコントの内容が問題とされかけている。こちらは「顔面マヒナスターズ」のように、映像として残っている。

 冷静に賢明に行われる私刑は、ひょっとしたら公の法よりも優れているかもしれない。そうでなければただのワガママに終わる。

2021.7.19(月) おざあさんとおやあさん

 むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。
 おじいさんとおばあさんはとても仲良くしていましたが、あるときお別れをしました。

 おじいさんは一度も子どもだったことがなく、おばあさんはずっと子どものままでした。
 おじいさんは一度も子どもだったことがないので、「子ども」ということについて考えることがありました。「自分は子どもだ」と思うこともありましたし、「ずっと子どもじゃダメかしら」なんて口にすることもありました。
 一方、おばあさんはずっと子どものままなので、「自分は子どもである」と思ったことはないし、「ずっと子どもでいたい」と思うこともありませんでした。

 一度も子どもだったことがないおじいさんは、小さな頃から大人みたいでした。とても頭がよく、客観的に正しいことを見極めるのが上手で、また自分の欲求や欲望をコントロールするのも簡単でした。損得をよく考え、自分にとっての利益を短期的、中期的、長期的とバランスよく獲得していくことに長けていました。おじいさんは通っていた私立中学から偏差値の高い公立高校に進み、そこから日本でいちばん頭のいい大学に入りました。
 おばあさんは同じ私立中学から系列の高校に上がり、ファッションの専門学校に進みました。

 そのうち、おばあさんに子どもができました。おばあさんはずっと子どものままなので、たいして驚くことはありませんでした。自分と同じ人間が生まれたな、と思いました。

 一度も子どもだったことのないおじいさんは、自分の子どもができて、たいそうびっくりしました。自分とはまったく異質な存在が目の前に現れたと思ったのです。
 おじいさんの驚きは大変なものでした。おじいさんは子どもだったことがないので、子どものやることなすことすべてが面白く思えます。自分にはそのような発想がないので、「子どもの発想はなんて自由なんだ!」と感激したりします。自分の子どもと一緒に、「子ども」という時間を楽しんでいます。とても新鮮です。まるで人生をイチから生き直しているような気分にさえなります。ただ、よく思い返してみると、自分も似たような経験はしているのです。おもちゃで遊んだり、まんがやアニメを好きだったことも思い出しました。するとおじいさんは、なんだか自分もかつて子どもだったことがあるような気がしてきましたが、しかしやはりおじいさんは一度も子どもだったことがないので、いまいちピンときません。「繰り返している」というような感覚はありませんし、「自分と同じだ」とも思いません。「そうか、子どもというのはこういうものなのか。自分もそうだったのだろうか? 誰もがこうなのだろうか?」そのような不思議な気分を、おじいさんは自分なりに形にして、仕事に反映させていきました。

 おばあさんもおじいさんと似たような職業でしたが、おばあさんはずっと子どものままなので、子どもの存在が仕事に影響することはあまりありませんでした。
 おばあさんはずっと子どものままなので、ずっと小さい頃の気分のままです。おばあさんは小さい頃、同級生のほっぺたにシールを貼ったことがあります。その頃クラスではいろんな子のほっぺたにシールを貼ることが流行っていました。とても楽しいことだったのです。大人になってもそのことをよく覚えていて、はしゃいで人に話したりしました。ほっぺたではなくおしりに貼ったと言うこともあったし、シールを貼ったのではなくタトゥーを彫ったのだと話すこともありました。また、友達が桃のシールを貼ったことを、まるで自分がやったかのように語ることもありました。おばあさんは桃のシールを持っていなかったのに。おばあさんはもっぱら星のシールばかり貼っていたのに。こういうことは子どもにはよくあることです。ただ間違いがないのは、その時にその子どもたちの間で、人の体にシールを貼ることが流行っていたということです。そしてそのことを、おばあさんや多くの子どもたちは、とても楽しんでいました。シールを貼られた子どもたちのどう思っていたかは、おばあさんたちにはよくわかっていません。楽しんでいた部分もあった気がするし、本気で嫌がっていたような気もします。中には死んでしまいたいほど嫌だったという人もいたかもしれないな、とおばあさんやシールを貼っていた人たちは、時々思います。

 おじいさんや、ほかの人たちは、シールを貼ったことがあったり、それを見て見ぬふりをしたことがあっても、そのことを人に話したりはしません。彼らは子どもだったことがないか、子どもであることをやめてしまうからです。おばあさんは子どものままだったので、人に話すことがありました。しかも子どもらしい無邪気さと誇大さで。それがどうやら自分に不利益をもたらすということがわかると、つまり人から叱られるようになると、さすがに言わないようになりましたし、シールを貼ることはあんまり良いことではなかったなと思いもしますが、相変わらずおばあさんは子どものままなので、ただそのまま遊んで生きていくだけです。

 子どもだったことのないおじいさんは、いつまでも子どものままでいるおばあさんのことを、「いつまでも子どものままだな」と思っているのかもしれません。おばあさんのほうは、おじいさんについて、「面白いやつだよね」くらいにしか思っていないかもしれません。

 おじいさんが子どもというものについて語るとき、かならず「ひとごと」のようになります。その視点は子どもの視点ではなく、子どもの隣にしゃがみ込んで、同じ目の高さからものを見たときの大人の視点です。おばあさんは子どもについて語ることなんてありません。自分について語ることがあっただけですが、あんまり世の中に歓迎されないないようなので、いつしかおばあさんは言葉を使わないようになりました。仕事のうえで言葉を使う必要のあるときは、あまり意味のない言葉を並べるか、誰かほかの人に書いてもらうようにしています。

 おじいさんは、ほとんどの場合、自分の言葉をつかおうとします。そしてそこにできる限り大切な意味を込めようとします。

 二人ははっきりと対照的です。二人はかつて、とても仲良しでした。枝分かれしたというよりは、直線が交差したようなイメージなのかもしれません。

2021.7.18(日) 平成のジャッキーさん展 追加日程2(終)

 昨日の記事をUPしてすぐ、追加日程二人目の来展者が。去年の9月頭に僕が泊まりに行った小諸(長野県)の山中にあるすばらしい喫茶宿「読書の森」で夜学バーの名刺を見てくださったとのこと。まったく初対面の方にとってこの「HSJ10」はどう映っただろう。
 それから少しずつ来客があり、本日は計8名。多くは夜学バーを開いてからのお客さんたちだったけど、後半は小中の同級生や大学の後輩もやってきた。二人とも数年ぶり。うれしかった。

 合計6日間開催されたHSJ10は各5,4,6,3,1,8名のご来展があり、延べ27名、ユニークユーザ数は23名。かなり幅広い年代の方にお越しいただけた。男性8(8)の女性19(15)。モテてるわーいとも思いつつ、繰り返しになるけどそもそも男性(同性)に好かれる類いの催しではないというだけかもしれない。義理のような気分もいくらかはあったかもしれない(謙遜です)。みなさま本当にありがとうございました。

 魔神英雄伝ワタルとかが好きな女の人から「小学校のときの写真はもっとないですか?」と。今回展示しなかったのもけっこうあるんだけど、それでも比較的少ないので実家に帰ったときにお父さんお母さんに聞いてみます。それとは別に、2001年からしばらくこのHPのワンコンテンツとして「そこはかとなし日記」を書いてくれていた後輩のまさやん氏から高校の頃の写真をまとめて送ってもらうことができた。次回があるとしたらそのあたりも整理してバーンと出します。どこに需要があるのか? という話もありますが、これから何年かかけて作っていきます(また維持していきます)。
 年代問わず僕の写真を持っている方、ぜひ送ってください。メアドわからなかったらフォームからおたずねください。

 小中の同級生というのはもちろん、このHPの副管理人でもある添え木(Splint)氏なのだが、彼は消滅志向(なんじゃそりゃ?)が強く、自分がその場の中心になったり注目を浴びたりすることを嫌う。そもそも人と話したり会ったりするのがしんどいらしい。30分か1時間くらいはいてくれたが、「ジャッキーさんと昔なじみである」という情報がその場に共有された瞬間に帰宅した。徹底している。あと1分でもそこにいれば、「ジャッキーさんとはいつからお友達なんですか?」とか「もしかして添え木さんですか?」といった追及は免れなかったであろう。賢明すぎる。たまたまかもしれないが。できるだけ長く生きていてほしい。
 反面、終了時刻を過ぎてからではあるが大学の後輩と二人同窓会のようになったりもした。居合わせた人には「なんのこっちゃ」な部分もあったかもしれないが、友達も含めて「平成のジャッキーさん」だということでおゆるしを。そういう偶発的なアトラクションが展示の一部になるのもよいな、と思っていたのだが、ほかの日には意外と発生しなかった。最終日特典。

 来展くださった方からもたずねられたので、改めてこの展示の企画意図を簡潔に。

・長年アーカイブしてきた自分についての資料を整理したい(これが最大の動機)
・半生を振り返ってあれこれ考えたい
・秘匿ぐせを緩和したい、恥ずかしがらずに(または恥ずかしがりながらも)過去の自分を他人に見せる練習をしたい、すなわちもっと素直になりたい
・「平成の自分展」をやっている人が見当たらなかった(調べてませんが)ので、やってみたい
・いったい誰が来るのか、どのような態度で展示を見るのか、何を面白がり、いかなる反応をするかなどを知りたい、すなわち、各資料が誰にとってどんな価値を持つかを確かめたい

 で、やってみてわかったのは、

・他人の人生をのぞき見ることによって、自分について考えてしまう

 ということ。これはかなり多くの来展者が口にしていた。
 人気のコンテンツがはっきりと出てくるのも面白かった。やはり「読む人が自分を振り返ることがしやすい」ものが多かったように思う。
 具体的には、小学校の時の「かがみ」という詩、ワープロで打った2000年3月22日の長い日記、中2から高1(一部は高3まで)にかけての手書きの日記、高2のとき出席停止になった際の反省文、教員になってから生徒たちに配っていたプリント群、が特に人気だった。いずれも「子ども時代(思春期)」や「学校生活」に関わるものだ。みんなそれを経験している。だから身近で、どうしても自分のことを考えてしまうし、そうでなくともイメージしやすいのは間違いない。
 あと、当たり前だけど恋話みたいなのは人気がありました。本人が目の前にいるのですものね……そりゃ盛り上がりますよね。でも恋にまつわる人たちの写真は一切どこにも展示しませんでしたし、お手紙はもちろん関連する資料は一切置きませんでした。ただ十数年以上を経た僕の言葉だけを、問題ないと判断できる範囲で見てもらいました。「これは文学!」との評をいただき、光栄でした。確かに今読むと、中高生の時の僕の殴り書きの文章は、かなり読ませる。めちゃくちゃ面白いです。また次の機会(n年後)にぜひ。


 展示構成の概略は下記に。

平成のジャッキーさん展(追加日程)
【追加日程】
 令和3年7月17日(土)14時~20時
 令和3年7月18日(日)14時~20時
 詳細はこの記事を参照

 リピート希望の方や、1回じゃ見られない、という方がけっこういらっしゃったので、そんなに需要はないでしょうがもう2日間だけやります。泣いても笑ってもここでおしまいです。次回は早くて1年後。


【展示構成】 ●時系列パネル
 メインです。各部ごとに写真、作文、健康診断表や成績表、日記、生徒手帳、メモ帳、落書き、名刺、幼い頃からの詩や小説や絵などの作品、ライターとしての仕事、生徒たちに配ったプリント群など膨大な紙資料を展示。ケータイ電話も使用した時系列順に飾り、操作体験や本人監視のもとで一部閲覧も可能。 ・平成元年~12年3月 中学生までの部

・平成12年4月~15年3月 高校生の部
・平成15年4月~19年3月 1st大学生の部
・平成19年4月~24年11月 流浪の部
 →無職、覚醒、中学教員、ライター、ノンポリ天皇、無銘喫茶など
・平成24年12月~31年4月 独立の部
 →おざ研(尾崎教育研究所)+ランタンzone、高校教員、夜学バーなど

●ノンポリ天皇特設コーナー
 神武天皇即位期限2669(平成21)年2月11日に即位してからのあらゆる資料を展示。(文芸サークルとして本をたくさん作っていました。)

●古いPC
 昔なつかしいWindowsXP機。デジカメ、ケータイ等で撮影された写真の中から選りすぐってスライドショーしています。ごく小さな音で当時やっていたネットラジオ「ウーチャカ大放送」の音源やラップなどが流れています。

●映像
 無銘喫茶木曜店主時代に出演したテレビ映像(ニッポンのミカタ!とあさイチ)や、高2の時に作・演出・出演した演劇、高2の博覧会(学校祭)のために監督・出演した「人間競馬」のビデオ、同じく博覧会の「半日教室」のために編集したお笑いビデオなどをモニターで流しています。音はごく小さくしていますがご要望があれば聴くこともできます。

●ミニコーナー
 アルバム、卒業論文、教員免許取得にまつわる資料などを置いています。

●その他
 随所にいろいろ置いてあったり、貼ってあったりします。


 注意:揶揄、嘲笑、許可なき撮影や読み上げ、口外、ゴシップ的に面白がっていることを単調に表明することは禁止です。質問や「分析と批評」は大歓迎です。

2021.7.17(土) 平成のジャッキーさん展 追加日程1

 平成のジャッキーさん展(HSJ10)追加日程初日。14時から20時までと言って来展者は1名のみ。じっくりと展示物を読んでくださって、雑談などもたくさんして、6時間くらいいらっしゃった。有意義な時間だったのでそれはそれでよいのだが、東京都心の最高気温は32.6℃だったそうです。
「あんたはまだ若いなどと卑怯な逃げ方をするな 時代を変えて行くものがあるとすればそれはきっと名もない青春たち」と篠原美也子さんは歌っております。(『誰の様でもなく』)
「若い」を理由にするということは、「若くない」を理由にすることと表裏一体。
 最高気温32.6℃という、令和の夏の日にしたらまだ殺人的でもないくらいの気候の時に、若い人だけが外にいて、若くない人たちは家のクーラーで涼んでいる。(と僕は被害妄想する。)
 若い人はすごいねー、こんな暑い日に外に出て。わたしらは若くないんで。
 違う。若いか若くないかではなくて、おまえがそういうやつなだけだ。

 水に濡れるのをいやがってベジータの死亡確認を怠ったザーボンさんがフリーザ様に叱られるシーンが愛知県出身在住の天才漫画家、鳥山明先生の『ドラゴンボール』という超名作にありますが

 ザーボンさんはそういうやつなのである。
 水に濡れるのをいやがることも、暑さ寒さを避けたがることも、それをおしてまでするほどのことでもないよなという判断を「今のあなた」がしているというだけなのだ。
 そしてたまたま「今のあなた」は、「今の自分は昔の自分より若くない」と思っているから、その二つの認識をごちゃ混ぜにして、「若いから」とか「若くないから」を口にするわけだが、そんなもんは単なる「一致」にすぎない。
「元気な状態の若い人」が、「元気な状態の若くない人」よりもおそらく数として多く、またそれが目立つというだけのことである。
 統計を取ればそうなるが、オマエ自身の、単体の問題とはあまり関係がない。
 若さとは関係なく、元気でいていいし、元気でいなくてもいい。ただそれだけのことである。「暑い! むり!」それだけのこと。

 ぜんぜん人が来なかったさみしさを、夏の暑さのせいにして自分を慰めているだけです。べつに、暑くなくたって誰も来なかったかもしれないのです。

 なぜ日記帳に天気を書く欄があるのか、昔はよくわからなかったけれども、こんなにも天候がさまざまなものごとを左右しているのかと、お店を始めてものすごく驚いたものです。僕は猛暑でも台風でも出かける人間なので、それまで本当にピンときていなかった。天気ってすごい。日記に書くべきだ。きっと気分だって左右させられている。
 これ書いてる今現在は翌18日の15時10分。東京都心の最高気温は34℃くらいだったとか。全国では37℃以上の地点もあったそうな。今日も展示をやっていますが誰も来ません。そういうくらいのものなんですよね。
 こないだ20年くらい前のこのホームページをけっこうがんばって復元して公開しましたが、それに対しての反応・反響はほぼゼロです。一人だけ、LINEで話している途中に言及してくれた方がいましたが、そのくらい。でもいいのだ、こんなわけのわからない個人展に、結局は20人くらいの人が来てくれているわけだから。何の問題もない。むしろすごい。インターネットを介して声をかけてくれる人は本当に少ないけれども、直接会いに来てくれる人がたくさんいるのだから、まったく幸福なことです。そして、僕は常に意識しております。何も言わずに黙って来ている全国30人のみえない読者の存在を。ありがとうございます。
 この「全国30人の」という発想および言い回しの元ネタは『七人のおたく』という映画でアイドルおたくを演じていた武田真治さん(撮影当時19歳)です。

 コツコツと、ノアがはこ舟を作るように誰にばかにされたって黙々と、やり続けるだけなのです。21周年のお祝いも掲示板やメールフォームでいただきました。嬉しいワン。
 やってみてよ! SNSに慣れきったみなさん! どんだけ孤独か!
 ひとしずくがどれほど救いになるか。

 今日(すでに昨日だということはもうバラしてしまいましたが)来てくれたのは15歳か16歳くらいの人で、僕がかつて13~18歳の生徒たちに向けて書いて、授業で配ったさまざまのプリントをほとんど読破してくださったようです。それだけでもこの展示をやった甲斐があった。それを書いていた当時の僕は改めて報われたし、彼女にとっても意味があったようだし、同じ文章を読んだことのあるけっこうたくさんの人たちも、ひょっとしたらどこかで何かが報われているのかもしれない。そんなわけはないのだがそうかもしれない。その他効能はいろいろ。
 中学~高校時代の僕の文章を読んで、「これは今の自分にはきつい」というようなことを言って、未来のブースに移動していたのがとても印象的。他人の人生を覗くと、自分の人生について考えてしまう、というのはこの展示でしっかりと確認できた。高校生が高校生の文章を読むのは、ちょっと生々しすぎるのだろう。思い出すことが近すぎる。教員時代の文章を読んだら、自分がこれまで好きになったり仲良くなった先生のことを思い出したらしくて、それも貴重な証言だ。「何を見ても何かを思い出す」というのは僕の好きなヘミングウェイの短編の邦題(題が好きなのであって内容は実のところよくわからない)だが、本当にこれ。展示する内容やその質なんてのは二の次であって、それがトリガとして機能するかどうか、なのだろう。この個人展の肝というのは。

2021.7.16(金) 請求書が書けない

 14日(水)と15日(木)はとある事情で自宅から徒歩圏内にあるホテルにカンヅメしておりました。優雅なもんです。おかげで「請求書を送る」という一大ミッションに成功いたしました。5月あたり必死で書いていた、戦後の内閣総理大臣をまとめた文章のやつです。本が出て、現物がもらえたらご紹介するかも。
 去年あたりに手伝った対談本(文字起こしを担当)も、ようやく出るようです。750ページもの大著が送られてくるとのこと。僕の名前もちゃんと載っているそうなので嬉しい。文字起こしと言っても、個人的にはけっこうがんばって能力を発揮した。中高からの仲良しインテリ二人組なので、お互いにだけ通じる言語で話す。知識と推理力が相当ないと精確な文字起こしができないのである。それが成果物の質にどのくらい影響したかはわからないが、僕としては、はい、がんばったんですよ。

 平成のジャッキーさん展(HSJ10)で、「ライターとしての仕事はあんまりまとまってないですね」というようなことを言われた。確かに。20歳の頃から原稿の仕事をしていない年はない。どういう仕事をしてきたかもだいたい覚えている。ただ記名原稿はクイックジャパンなどごくわずか(そういうのはHSJ10に出している)なので、あんまり人にお見せするようなものはない。取材(インタビュー)記事か、上記のように与えられたテーマに沿って原稿をまとめたり、文字起こし的なものがほとんどなのだ。それでも面白いのは面白いと思うので、明日からの追加日程に向けていくらか探してみます。

 で、探してみたら懐かしいものがザックザク。デビュー作(聖心女子大学の卒業生インタビュー)はまだ見つからないが、「CごとをCたつもり」(伏せ字)というファイルが出てきた。2010年11月最終更新。とある人の文章を新書用に書き直す、という依頼を受けて書いたもので、担当のKさんは「これいいですね! 面白いです! きっと著者も気に入りますよ!」と言ってくれたのだが、すぐに著者から呼び出され「私はこういう文章を書いてくれと頼んだ覚えはない(和訳:ふざけるな)」と言われて罷免された。申し訳ないと思ったのかKさんは帰り道に通りかかった古本屋(確か東京駅の地下)で「なんでも好きな本を買いますから選んでください」と言ってくれて、適当な本を買ってもらったのだが、ギャラは支払われていない。いや、当然もらうべきだし、もらって当然なのであるが、非常に辛い気持ちであったのと、請求書を書くのが面倒だったのと、そもそもいくら請求して良いかわからないし、それをたずねるのもおっくうだったので、11年間そのままにしている。SK社のKさん(光文社で『さおだけ屋~』とかを作った、とても敏腕な人である)、今さらですがいくら請求したらよいでしょうか……。ちなみにおよそ1年後に同書はちゃんと発売されました。おめでとうございます。
 と、いうわけで僕は請求書が書けない人間なのです。請求書を書くためだけにホテルをとってカンヅメするような人間なのです。これ、けっこう本当の話です。

 なぜ僕が「ふざけるな」的なことを言われたのかといえば、文章が下手だとか内容に不備があったというよりはおそらく、オリジナリティを出しすぎたというか、僕らしく書きすぎたというか……。たぶん著者さん的には「おれの名前で本が出るのに、こんな文体じゃおかしいだろ!」ということでもあったのだと思います。僕はおそらく、その人は「監修」みたいな感じで、文章そのものは別の人が書いているのですよ、と明示する形になるのだと思い込んでいたのでしょう。ここに最大のズレがあり、そのせいで編集からの「読みやすくてポップな、面白い感じで!」という指示をあまりにも愚直に、そして曲芸的にやりすぎてしまった。別にふざけたつもりはないのだが、未熟ゆえバランスの取り方が分からなかったのだと思われます。Kさんの「いいですね!」も本当は(やべ……こんなん著者に見せたら殺されるわ……でもライターの機嫌もとっとかないとな……)だったのかもしれないけど、もし彼がある程度本気で「いいですね!」と言っていたのなら、やはりそれは本当に単なる相性だったんだと思うし、彼は本当に敏腕なので、僕の文章自体に大きな不備はなかった、と、思いたいのですけどね……。今ならもうちょっとうまくやれると思います。そのせつはお世話になりました。や、ほんとにKさんに対するネガティブな感情は当時も今もないです。ただあの頃の僕は「そのうちいくら請求すれば良いかの連絡が来るだろう」と思っていたのですが、そんな甘えた態度でいちゃダメだったんですね。とほほ。
 このKさんは『嫌われる勇気』とか『インベスターZ』なんかも手がけていて、そんなすごい人と一瞬でも一緒に仕事をできたのは僕の誇りでもあるのですが、あそこでちゃんと著者に気に入られる原稿が書けていたら、僕の人生の航路も変わっていたか。もっとも、そこで「書けない」ってことは、そっちへゆく人間ではないってことなんでしょうけども。
 ただせっかくなので、ひょっとしたら僕が書いていたら、もっと売れてたかもしれない! と自分に言い聞かせて生きていくことにはします。

 ぜんぜん別の話ですがここに書いている文章の意味や意図を、僕が意識しているのとはまったく違う形で捉えてくださっているらしいような人から何かを言われると、とても傷つく。もっと正確に読めるように書かなくちゃなあといったんは思うものの、そんなことをする義理もないよなと思いなおし、結局同じように伝わらない書き方をして、またなんか言われて泣くという未来がいっぺんに頭に浮かんで、厳しい。
 また、僕がAという立場からBという気持ちでCという言葉を発したつもりなのに対して、「D的な人間がE的な気持ちでFとか言ってきた」というふうに言われると、本当に泣きたくなります。いろんなことに向いてない。
 Dは殺してもいいとしても僕を殺しちゃだめかもしれない。その人がDであるかどうかを個人の直感で決めるのは危険だ。疑わしきは罰せずである。

 夜の中はいろいろあるから、あまり野蛮な人とは目を合わせないようにします。

2021.7.15(木) 中根千枝(94)先生と感染症

『タテ社会と現代日本』(2019)
 ※附録「日本的社会構造の発見――単一社会の理論――」(1964)
『タテ社会の人間関係』(1967)
『適応の条件』(1972)
『タテ社会の力学』(1978)

 この四冊を最近読んだ。かつてベストセラーとなった『タテ社会の人間関係』について、2019年(当時92歳!)の著で「あれは当時の現象をとり扱ってはいるが、その奥にひそむ理論の提示であるから変更の必要はなく」と仰っている。その通り、中根千枝先生が57年前から発表してきたこの理論は、色あせず今も通用する。たとえば「新型コロナウィルス感染症」の日本における広がりを考えるのにも役に立つ、と思う。

 中根先生によると日本社会は、「場」によって結ばれる「小集団」を核とする。小集団はおおむね5~7名程度の封鎖的なまとまり(たとえば家とか部署とかチームとか)で、それは数珠つなぎに連続している。
 一方でインドやイギリスなど、多くの文化では「場」よりも「資格」によって人間関係が結ばれる場合が多いという。
 わかりにくいと思うので原典を少々。

「タテ」というのは、上から下への権力関係を表したものではなく、上と下が組み合っている関係を表現したものです。うまく組み合っていれば、下位の者が上位の者に遠慮なく発言できるし、上位の者も、下位の者から自分の弱点を指摘されても甘受できる。上下ともに強い依存が見られる関係があり、それを可能にしているのが、「場」なのです。
(2019,P25-26)

 資格とは、社会的個人の属性、つまり、その人が持っている特性と考えてもらうといいでしょう。氏、素性など、生まれながらに個人にそなわっている属性もあれば、学歴・地位・職業などのように、生後個人が獲得したものもあります。資本家と労働者、あるいは地主と小作人などというのも資格です。特定の職業集団、一定の父系血縁集団、カースト集団など、そういった属性によって集団が構成されている場合、資格による社会集団といえます。
 一方、資格の違いなどを問わず、一定の枠によって、一定の個人が集団を構成している場合、「場」による設定ということになります。会社などの所属機関もそうですし、○○村というのもそうです。大学でいえば、教授・事務・学生は資格で、「○○大学の者」というのは場になります。
(2019,P21-22)

 同じ「場」を共有するタテの関係で核心といえるのが、小集団です。「タテ社会」という言葉が独り歩きしてしまったために、隠れてしまいがちなのですが、『タテ社会の人間関係』で伝えたかったことは、第一に、日本の社会構造は小集団が数珠つなぎになっているということ、第二に、しかもその小集団が封鎖的になっているということです。
(2019,P27)

 小集団が数珠つなぎになっている、というのがまだちょっと伝わらないかもしれないが、これが新型コロナウィルス感染症の日本での広がり方を決定しているのではないか、というのが僕の仮説。

 現代の日本のように、社会全体を律する確固たる倫理規範もなく、宗教的基盤をもつ社会生活の規律もなく、専門家を除いては法規定もよく知らずに、とにかくつつがなく社会生活を営むことができるのは、日本社会がタテの秩序をもちながら、本論で考察したように、一定の動的法則の働く単一体として、きわめて性能がよいからだと考察できる。
 単一体を構成する細胞のような無数の集団は、各々独自性をもち、同質で同一の構造をもって、一つの連続体を構成している。組織的につながらない各々の独立集団を連続体となしうるのは、すでにクラスターのところで考察したように、各々の相対的順位の認識である。全体構成の中で自分たち(集団)がどのへんに位置しているか、という認識でなく、各々自分の位置を中心とした隣接するものとの位置づけ(順位)についての認識である。累積というか延長というものが、全体を形成することになる。
 すなわち、すべての部分が、どこをとっても微妙な差(順位)によってつながっているということは、全体がじゅずつなぎになっているということになる。このシステムでは、各自の主要な関心は、前後の者との関係にあるから、上層部にいようと、下層部にいようと、同様な心理状態にあるといえる。
(1978,P151-152)

 日本の人は、「自分は全体の中では上のほうだ」というような考え方をせず、「あの人たちよりは上であって、あの人たちよりは下である」と常に相対的に捉える。他の(隣接する)集団との順位比較によって自分の位置を確認する癖がある、ということである。

 ここで重要なのは、上下の差がないということではなく、前に述べたように、上から下までじゅずつなぎの連続体をなしているということである。すなわち、階層的な設定が社会的にできないということである。さきにも指摘したように、どこまでが頭の部分で、どこからが尻尾なのかわからない軟体動物的な構造ということができる。このことは同時に、全体としての感度・性能は、きわめて高い単一体を構成していることにもなるのである。
(1978,P155)

「連続体」「単一体」という言葉で表現されているように、日本の人々のつながり方というのは、たとえば竜の長いからだを想像すればよく、その鼻のあたりに天皇陛下がいまし、皇族や皇室と呼ばれる、いくつかに分かれた小集団を構成されている。そこに隣接してまた小集団があり……、というふうに数珠つなぎになって、いつか尻尾に至る。皇室の方々にお目見えできるのは、頭部の先のほうに属するごくわずかな小集団の者に限られる。胴体にいる「中流」の者たちとは無縁の世界がそこにある。
 これは他の文化、たとえば中根先生がよく例に出すイギリスやインドの文化とはちょっと違う、らしい。あちらは「階層」というヨコの構造で、おそらく段々のピラミッドのような形をなしている。あるいはミルフィーユ、縞模様。日本の小集団は5~7名程度に閉じ、隣接する集団をあわせてもその数はたかが知れているが、階層の場合は一挙に何百人、何万人とつながりうる。

 日本の小集団は封鎖的であり、かつ、個人が二つ以上の集団に同時に所属することは基本的にない、と中根先生は言う。ここはさすがに少しずつ変化しているとは思うが、しかし未だに「優先して所属するたった一つの場」のある場合がほとんどだろう。複数あるとしても、職場と家庭とか、そういう話であって、二つ以上の家庭や職場に同等に所属することはまずない。
 サードプレイスなんて言葉が流行るくらい、第三の所属を求める傾向が最近は強いが、緊急事態宣言というのはその存在を一時的に潰すものなのである。趣味のつながりや、飲み屋のコミュニティとか。そろそろ本題。

 日本では例の新型コロナウィルスが広まりにくい。少なくとも欧米やインドと比較すれば。なぜかといえば日本社会は無数の小集団によって構成されており、それぞれが「閉じている」から。日本で「クラスター対策」がある程度の成功を見せた(と思います)のは、クラスターになるような集団の多くがその中で閉じているから。
 いわゆる「夜の街」が問題とされたのは、気も声も大きくなるし距離も近づくし歌も歌うし閉鎖空間だから、といった理由が一番であろうが、そこが「小集団」を飛び越えてしまう場所だから、という事情もあっただろう。驚くことに中根先生は1964年の段階でバーのこの特質を指摘してる。

 日本のサラリーマン諸氏にとって、あの「バー」なるものの必要性が高いのではなかろうかと思われる。よく観察してみると、本当にお酒の味を好んでバーに行く人は少ないようだ。最も彼らの求めるところは、緊張と闘争の連続である世界からの逃避、神経の慰安所的なものと思われる。そこで、どんな馬鹿なことを言っても受けとめてくれる、そして自分の存在を十分高く評価してくれると思われるバーのマダムとか女の子、そして話のわかる飲み仲間というものが必要欠くべからざるものとなっている。そうでもなければ、あの世界に比類のない日本の「バー文化」の発達は考えられないのである。
(1964,P164-165)

 バーという空間、いわゆる夜の街は、世間や所属する小集団から離れることのできる憩いの場なのである。そのくらい封鎖的な小集団(しかも全人格的な参加を要求される)は、ストレスがたまるというわけだ。
 すっごい余談だけど、これは星新一の作品にバーがよく登場する(有名な『ボッコちゃん』もそう)のと無関係ではないはず。浅羽通明猫先生(中根千枝先生の旧三部作はこの方から購入した)曰く、当時の日本に「そういう場所」はバーくらいしかなかったのではないか、とのこと。

 たとえば、竜の胴体にある小集団Aでクラスターが発生したとする。隣接するBに飛び火する可能性はある。Cくらいまでは到達するかもしれない。しかしDまでは届かない。日本の小集団というのは、そのくらい閉じているのだと僕は思っている。しかしバーはそれを飛び越えてしまう。だから規制されるのだ。

 小集団同士には距離があり、ある小集団でウィルスが流行っても、遠く離れた小集団ではまったく流行っていなかったりする。

 付き合いのある某社の社長が、「ジャッキーくん、コロナって本当に流行ってんの? 周りに誰もかかってる人いてへんねんけど」と言っていた。一方、大手企業で働くある友達は「社内でも、取引相手にも複数人かかった人がいて、自分もPCR検査何度も受けてるし、全部陰性だったけど自宅待機になったりもした」とのこと。二人の交友関係の広さは、たぶん公私あわせればそれほどの差はない。職場は新宿区と中央区である。ここまで感覚にむらがあるのは、所属する小集団の「位置」が違うから、ではないかと僕は推測するのである。
 僕もかなり交友関係の広いほうだと思うが、ここ数年で顔を合わせたことのある知り合いに感染者はまだ聞かない。ところが、某喫茶店の店主曰く「このあたりはバーのお兄ちゃんとかバッタバッタ倒れてるよ!」とのこと。同じ水商売(僕もバーをやっている)でも感覚にずいぶん差があるものだ。台東区と新宿区だが、繁華街の規模としてはさほど変わらないと思う。
 もちろん、「コロナかかっちゃったよー」と言いがちな人たちと、決して言わない人たちがいる、という要素もあるので、観察の難しい部分はあるが、そこをいったん無視して考えると、やはり「周囲の感染具合」の認識にかなりのむらがあることは確かで、それは交友の広さや友達の数ではなくて、「どういう小集団に属しているか」によるのではないか。
 ものすごく雑にいえば、緊急事態宣言が出ていようがなんだろうが酒を飲んで騒ぐのをやめない人と、毎日誰とも会わずにひっそり暮らしている人とでは、おそらく交友関係の質もだいぶ違うのだから、「周囲の感染具合」の認識は異なって当たり前だろう。その人たちの所属する小集団の位置は、たぶんかなり遠い。何区に住んでいるかとか、繁華街が近いかどうかとか、物理的な距離はあまり関係なく、抽象的に距離が遠いのである。竜の腹と、背くらい遠い。


 ここ最近、今の僕の主な行動範囲である墨田区や台東区の感染者数が増えてきている。これまでけっこう少ないほうだったのである。オリンピックの影響だろう。会場がいくつもあって選手村も近い江東区も急増している。このあたりにオリンピック関係者が集まれば、墨田区(スカイツリー、両国、蔵前など)や台東区(浅草、上野など)に観光に繰り出すこともありそうなものだ。ちなみに墨田区にも会場がある。なんにしても単純に、各地に人の流れは増える。
 しかし、だからといって墨田区で普通に暮らしている人が感染しやすくなるか、といったら、たぶんそうでもない。オリンピックによって何かが変化するような場の近くにいるような人はリスクが高まるのだろうが、そうでもなければあまり関係はない。僕は今のところそのように思っている。物理的な位置ではなく、小集団の概念的位置付けが問題なのだ。
 7月15日の東京都内の感染者数は「1308人」。しばらくは増えていくだろう。しかしあらゆるところでまんべんなく増えているわけではない。増えているようなところで増えている。日本が無数の小集団の寄り集まりであり、それぞれがしっかりと「閉じている」以上は、高リスクな「場」と低リスクな「場」がおおむねはっきり区別されているはずである。
 それでも、それを飛び越えて感染してしまうことはもちろんある。決して「おれは陰キャだから安心してよいな」とかいう話ではない。ちゃんと気をつけがちな人たちの多い「位置」にいるから安全度が比較的高いという話なのだ。そこからはみ出せば、いつの間にかリスキーな位置にいてしまったりするかもしれない。
 緊急事態宣言によって夜の街が静かになり、趣味など行動にも制限がかかる。それはやはり感染抑制には効果的なのだと思う。それぞれの所属する小集団を飛び越してしまうような、一種「イレギュラー」な人付き合いを抑えることによって、遠くの小集団へウィルスを移動させないようにしている。その理屈がわかるから、僕は都の要請にそのまま応じる。応じるような「位置」にいたほうが、感染リスクも下げられる。
 かなりマクロな見方をすれば、自粛しないお店で飲んで楽しんでいる人たちは、「そういう人たち」の内に閉じていて、そうでない人たちとはあまり接点がない。いやいや、酒の場では会わなくとも仕事などでそういう人たちと接せざるを得ないのでは? とも思えるが、マスクはだいたいしているだろうから、ちょっと話したくらいで感染することはまれであろうし、何よりも、そういう人たちが多い業界と、少ない業界というのが確実にある。飲み歩く人の多い業界は感染者が多く、少ない業界は少ない。そりゃそうだろう、というくらいのことだ。

 興味があるのは、オタクやインテリの「数珠つなぎ」の中に、どのくらいウィルスは入り込んできているのか? ということ。根拠はまったくないですが、まだほとんどきていないのではと思っています。お酒を飲む飲まない、騒ぐ騒がないの問題ではなく、今の歌舞伎町や銀座や六本木とは、かなり遠い位置にあるような気がするので。オリンピックとも。

2021.7.13(火) 平成のジャッキーさん展1 4日目(最終日)

 最終と言いつつ追加日程を組みました。サイト上部をご覧あれ。
 ↓の記事を書いていたら、残り1時間半というところで、教え子の女の子(当時中2)がやって参りました。そのちょっとあとにもう一人。15時で終わりだったのだが、16時前にもう一人。延べ18名、実数16名、男性5(5)、女性13(11)だと思います。

 僕の半生を展示しているのだが、やはり見るほうの考えることは「自分のこと」のようで、僕は非常に満足しているというか、じゃあやる意味があったなと嬉しく思っております。「自分について振り返ることもできました」とか、「自分も自分について振り返ろうと思っていたところだったので参考になります」とか。何を見ても何かを思い出すのが人間だから、当然そうなるものなのです。他人と向き合うことが自分と向き合うことになる、というのは、非常に高級な現象だと思います。
 今日きてくれたある友人は会うのがけっこう久々で、僕が「健在」であることを喜んでくれた。僕はこれでいいし、君もそれでいい。互いに確認できた気がする。

2021.7.12(月) 平成のジャッキーさん展1 2,3日目

 いまのところ、
 初日 5名
 二日目 4名
 三日目 6名
(うちリピーター1名)
 延べ15名、実数14名。うち男性は4(4)名で、11(10)名が女の人。男は男の展示を見てもあまり面白くないのかな……と数だけ見ると思えますが、4名中3名サマまでは腰を据えてかなり熟読してくださっておりました。お一人は展示の切り口や方向性を確かめに来てくださったという感じ。いずれにしてもありがたいことです。
 カウンターの中からご来展の方々の様子を見ておりますと、「男の人の内面を時系列で覗いていく」という行為がいかに希有なことか、というのを感じます。自分だってそんな経験はないし、たぶんみなさま、特に女の人となると、そこはまったく未知の世界ということになるのでは。立場を逆にして考えれば、男の人だって女の子の手帳をまじまじと眺めることなんてまずないわけです。同性だったらありうる、という話ではなくて、異性のほうが想像はしづらいでしょうから、新鮮さも強いのだと思います。それだけでもけっこう面白い試みだと思うし、何より僕は、記録魔、アーカイブ魔なところもあるから幅も量も膨大、かつ、ちょっぴり「突出して特殊で異常な人間」(橋本治『ぼくたちの近代史』より)なので見所も多いかと自分では思います。もっとも、特殊な人間の展示なんかよりあまり特殊でないような人の展示のほうが面白いのかもしれませんけども。どなたかわれこそは凡庸と思う方、やってください。平成の凡人展。
 これ書いてる今現在は最終日(四日目)で、残り1時間半で会期終了という時なのですが、本日はまだご来展者ありません。このまま誰も来ないかもしれない。平日の昼間だし、そりゃそうか。でも今来たら貸し切りですよ。ぜひ。
 また、追加日程として今週の土日(17,18日)14時から20時まで開展します。リピーターも大歓迎。相も変わらず1000円はいただきます。座興に非ず
 と言ってたら2009年度の生徒(当時中2)が来ました。これも女の子。

庚申チャカ大放送
 7月11日25時(深夜1時)から28時半~29時(早朝4時半~5時)くらいまで放送します。HPのことや展示のことなど。
 こっそりと旧EzをUP。限定公開です。今夜だけかも。
 スマホとかからだとレイアウト崩れるし読みづらいと思うので、ぜひパソコンから見てください。パソコンによるパソコンのためのホームページだったので。

 2001年1月12日のEz
 2002年10月11日のEz
 2003年3月30日のEz ※画像復旧済

 いちばん下のやつは画像をおおむね復旧しているので、「流離い」はここから見るといいと思います。このコーナーは現在見られないので今のうちに。
 と、思ったのだが2003年3月時点のやつだと、2000年冬の旅行記がリライトされている。画像はほとんど消され、文章もかなり違う。古いほうは2002年時点のほうで見られます。好事家は両方楽しんでください。
(2002のほうの画像もいそいで復旧します。→復旧しました。

2021.7.11(日) 21周年/ミスターとの再会

 今日で開設21周年です。ありがとうございます。
 ついでに今日は60日に一度の「庚申の日」なので、眠れません。展示のための整理をしていたら2004年のメモに「庚申」と書いてあって、これももう17年くらい続けているということになります。いつもなら人と集まって話すのですが、今回もリモートで。25時(深夜1時)くらいからYouTubeライブでお話しします。URLはこの上↑に貼りますね。
 平成のジャッキーさん展もお願いいたします。


 一昨日の金曜日、展示資料をチェックするために昔のメモ帳を紐解いていたら、なんと「ミスター」の名前と、電話番号と、住所が出てきた。教えてもらっていたんだ! そのことを僕はまるっと20年間、すっかり忘れていたわけだ。
 一秒でも早く! と、すぐに電話をかけた。誰も出ない。いや待てよ。20年前の携帯番号だ。あの頃はポータビリティ(番号そのままで携帯会社を変えられる仕組み)なんてなかった。落ち着こう。別人のものである可能性が高い。

 落ち着くついでに「ミスター」について確認しておく。彼とは2001年8月15日の夜に出会った。
 詳しくは以下の文章を。2013年4月発売の『未来回路5.0』という同人雑誌に書かせていただいたもの。「現代日本の旅人文化」というテーマだったようです。もちろんHSJ展でも読めます。



旅と文学は自由である。自由とは「選択に満ちている」ことである。(十六の夏に、旅で自由をつかんだ話)※クリックまたはタップすると開きます
 文学とは選択である。選択の連続である。と、ひとまずは考えてみる。「選択」のないところに「文学性」なるものはない。
 文学作品における選択とはたとえば「葛藤」である。ああすべきか、こうすべきか、という「選択の悩み」すなわち葛藤が、文学の一要素としてある。ハムレットの「生きるべきか死ぬべきか」が好例だ。あるいは、「こうしよう」という「選択の決定」すなわち決断も、文学を輝かせる。カエサルの「賽は投げられた」がもしも文学的であるとしたら、そこに「決断」があるからだ。「葛藤」と「決断」は、いわゆる文学作品において非常に重要な概念である。
 書き手の側にとって、「選択」はまた別の形で現れる。言葉を紡ぐ者にとって、その行為のすべては「選択」である。何を、どのように表現し、どんな順番で配置するか。「書く」という行為は「選択」の集積である。文学とは、「書く」ことの純化した一形態である。
 ここでは、そのようなものとして文学を規定する。

「旅と文学」という言葉に、あまり違和感はない。二つの言葉は、とても相性が良さそうに見える。「旅行と文学」ならばどうか? わずかな違和感を感じないだろうか。「旅」と「旅行」との差異はときおり問題にされるが、そこには「文学性の有無」すなわち「選択の有無」があるのでは、と思うのだ。
「旅」には、気ままなイメージがある。「気まま」というのは「自由」ということだ。そして「自由」というのは、「選択」に満ちているということでもある。対して「旅行」は、あらかじめ場所やルートを決めておいて出発するイメージ。「選択」は事前に済ませてある。「旅行は計画を立てているときが一番楽しい」と言われるゆえんである。
「旅」は「選択」そのものであり、「旅行」は「すでに済ませておいた選択を実行する」ものなのだ。旅は文学的であり、旅行をすることは文学的ではない。

 十六歳の夏、名古屋から北海道まで普通列車乗り放題の「青春18きっぷ」で行った。夜行列車「ムーンライトながら」で東京に向かい、始発で東北本線に乗ってその日のうちに青森まで。最終の列車で津軽海峡を越え、函館発の「ミッドナイト」で一晩かけて札幌へ。朝食を食べて札沼線に乗り終点の新十津川駅で下車。名古屋から運んできたキックボードをリュックサックから出し、滝川駅まで走った。
 ここで、「事前に用意していた計画」は終わってしまった。藤子不二雄マニアだった僕はそもそも、津軽海峡線を走る「ドラえもん列車」に乗るために北海道に来たのであって、北海道に上陸したあとのことは特に考えていなかったのである。夜行列車があるから、睡眠を取りがてらとりあえず札幌まで出よう、札沼線にもドラえもん列車が走っているそうだから運が良ければ出会えるかもしれない、新十津川駅から滝川駅まではキックボードで走れる距離らしい、などと、ほとんど勢いだけで滝川という、函館と稚内のちょうど中間あたりの土地まで来てしまったのだ。
 いったんは途方に暮れたが、鉄道マニアの同級生が「北海道なら美瑛がおすすめだよ」と言っていたのを思い出し、とりあえず行ってみることにした。まだ昼の二時か三時くらいだったと思う。富良野の少し北だから、それほど遠くはなかった。いきなり目的地に着いてはつまらないので、二つ手前の千代ヶ岡駅で降りて、キックボードを走らせることにした。
 しかし若かった僕は北海道をなめきっていた。駅間が長く、勾配も激しい。わずか二駅なのに、美瑛駅に着くころにはすっかり日が暮れていたのだった。
 美瑛は都会ではなかった。宿泊施設は探せばあったのかもしれないが、そんなお金はない。北海道にまで来て、ロッテリアや食パンやカールを食べていたような無銭旅行だった。今のようにどこにでもネットカフェがあるような時代でもない。野宿するにしても、夏とはいえ北海道の夜は冷える。最寄りの都会といえば旭川だ。都会に出ればどうにかなるだろうと思って、駅に着くなり改札をくぐろうとした、そのとき。
「兄ちゃん、どこへ行くんだ」
と、声をかけられた。ふり向くと、赤ら顔をした、ホームレスのような風体の、四十歳前後のおじさんが、にやにや笑いながら立っている。僕はとっさに、「旭川に行くんです」と言った。「何しに行くの?」「宿がないので、探しに……」僕はすべて正直に答えていた。「ふうん。美瑛の丘はめぐったの?」「いえ、今着いたばかりなので」そう言うと、おじさんは急に目の色を変えて、語気を荒くした。「それはいけない! 美瑛に来て、丘を見ないで帰るなんて考えられないよ。ねえ、今夜はおじさんと一緒に寝ようよ?」耳を疑った。
 こんな、見るからに怪しいおじさんから「一緒に寝ようよ?」と言われた十六歳の僕は、すっかり固まってしまった。「え、あの、いや……」くらいのことは、言ったかもしれない。そのうちに、おじさんは言葉を続けた。 「仲間もいるんだよ」「えっ?」「あっちに京都大学の兄ちゃんがいるんだけど、今夜は一緒にこの駅で泊まることになったんだ。ねえ、だからみんなで寝ようよ?」なるほど、変な意味ではないらしい。おじさんが示した先には、確かに大学生らしい人の姿があった。
 このとき、僕の人生は文学的になった。僕は「はい、じゃあ……そうします」と答えたのだった。このほんの一瞬に、さまざまな思いが駆けめぐったのは言うまでもない。「知らない人についていってはいけない」と習った。この人や、あの大学生が悪人であったなら、無事では済まない。十六歳の少年にそう思わせるくらいには、このホームレスふうのおじさんは、あからさまに怪しかった。しかし、僕の心の中の天秤は、「ここに残ったら、面白いだろうな」というほうへ傾いたのだ。それは明らかに、「安全か、危険か」という天秤ではなく、「面白いか、面白くないか」という天秤だった。「やった!」とおじさんは子供のように喜んだ。そして「じゃあ、一緒に銭湯に行こうよ。早くしないと閉まっちゃうから」と言って、僕はそれを承諾した。もちろん「断らないほうが面白いだろう」という判断だった。大学生の彼に断りを入れて、僕とおじさんは銭湯に行った。道すがら、そして銭湯の中で、いろんな話をした。
 おじさんは「ミスター」と名乗った。日本中を、また世界中を旅してきた旅人らしい。地元はどこかと聞かれて大曽根だと答えると、彼はその周辺の地理や地形について詳細に語った。曰く、「日本国内ならほとんどの土地は歩いてるよ」とのこと。「歩いて旅をしているんですか?」と聞いてみた。「昔はバイクで旅をしていたんだ。世界中走り回ったよ。でも、そのうち満足できなくなっちゃってさ。自転車で旅をするようになった。でも、やっぱり満足できなくって、今はもっぱら歩いてる。徒歩はいいよ。三百六十度、すべての景色が自分のものになるんだから」ミスターは、本当に嬉しそうな笑顔で話してくれた。
 北海道の駅舎は、暖かい。そうでなければ凍死するからだろう。朝になると大学生は電車に乗って行き、僕はミスターに貸し自転車屋を紹介してもらった。ぜひ自転車で丘をめぐってくれ、と言うのだ。「はじめはこのルートで走るといいよ。一周して、まだ時間があるようなら、次は気ままに、好きなふうに走るといい。本当に素晴らしいから」と教えてくれた。ミスターに別れを告げ、言われた通りに走ってみると、信じられないほど素敵な世界があった。特に二周目、気ままにどこまでも走りながら、僕は泣いたり叫んだりしていたかもしれない。

 このとき以来僕は、ものごとを決める際の判断基準をだいたい確立してしまった。ミスターとの出会いや、美瑛の丘を自転車でめぐることは、僕にとって本当に素敵なことだった。その素敵なことを経験できたのは、あの一瞬の判断のおかげだ。「どういう判断の先になら、ああいう素敵なことが待っているのだろうか」そんなことばかりを考えて生きるようになった。

「旅」という非日常における「選択」のすべては、自分か、自分と同行者による判断に委ねられる。他者の思惑や、既存の環境に左右されることがない。日常生活にはほぼ不可能な、純然たる「自分の選択」ができるのは、「旅」の特性である。「旅の恥はかき捨て」と言う言葉は、旅における「選択」がそれほど自由であることを表している。旅は気ままで、気ままとは自由のことである。自由とは選択に満ちていることで、選択に満ちていることは、とても文学的だ。旅は文学なのである。
「文学」も「旅」と同様に、純然たる「自分の選択」を可能にする。登場人物にとってもそうであるし、書き手にとってもそうだ。他者の思惑や、既存の環境に左右されない。もちろん、「完全に」と言うことはできないかもしれないが、そのような自由さが文学にはある。
「旅」と「文学」は、自由なものである。そして自由とは「選択に満ちている」ということである。選択の一つ一つが、豊かで、意義深いものであればあるほど、その「旅」や「文学」は豊かで、意義深いものになるだろう。僕はそのことを、旅を通じて学んだのである。十六の夏のあの旅行は、思えば確かに旅だった。改札口でのあの一瞬。少年が、自由をつかんだ瞬間だった。



 関連する日記からも少し引用しておきます。

美瑛駅でこれからどうしようかと考えていると、旅慣れしたおっちゃん(ミスター)に声をかけられて、一緒に風呂に入り、一緒に様々なことを語らい、一緒に駅に泊まった。溝田さんという京大の青年も一緒に泊まった。

16日
ミスターの勧めとはからいで僕と溝田さんは自転車をレンタルさせてもらい、美瑛の丘を巡った。
7:00~14:00くらいまでぶっ通しで自転車を漕いで、素晴らしい景色を満喫。
富良野経由で滝川へ行き、札幌へ戻る。

(2001年8月15日、16日の日記より)

 その他、
2008.11.6頃「◆徒歩は正しい! ぼくらの東京&名古屋物語」
2013.10.2
2016.4.16
 このあたりにミスターの話が出てくる。

 これらだけでなく僕は本当にいろんなところで、いろんな人に、この話をしてきた。そしていつかの再会を望んで、「ミスター 旅人」とかで定期的に検索してみているのだが、『水曜どうでしょう』の話しか出てこない。北海道なのもかぶっている。それで僕はこの番組があまり好きになれないのである。(ひどい逆恨み)
 ところが、なんてことはない、メモ帳に連絡先があったのだ。オイちゃんの住所も、もらっていたことをすっかり忘れていたし、僕は本当にだらしない。オイちゃん(高1のときにドラえもんチャットで仲良くなった友達)に葉書の一枚でも送っておけば、ひょっとしたら彼は死ななかったかもしれないのだ。少なくとも、生きている彼に会えていた可能性は高い。本当に、言っても仕方のないことだけど。
 一分一秒でも早く! と、焦って電話をかけたのはそういう理由もある。


 息をととのえ、青森のご自宅のほうにかけてみた。女性の声がした。「〇〇です」と応答した苗字がミスターと一致。間違いない! どうやらミスターのお母さんらしいが、ずいぶんお年を召されているようで耳が遠いのと、青森の言葉ゆえこちらも聞き取りづらい。コミュニケーションは難航を極めた。どうやら事情はわかっていただけて、伝言を頼むことはできたのだが、こちらの電話番号がどうしても伝えられない。「1」と何度言っても「2」と聞こえてしまうらしいのだ。「ワンツースリーのイチです」など、工夫をしてみたがだめだった。しかしそのように熱心に伝えようとしたのが通じたか、ミスターの今の携帯番号を教えていただけることになった。念のため二度繰り返して聞いたら、一回目と二回目でちょっと違っていた。あ、あっぶねえー! 確認したところ、二回目のほうが正しいようだった。
 丁寧にお礼を述べて電話を切った。すぐに教えていただいた番号にかけた。コールはするが出ない。留守番電話にもならない。ショートメールを送ってみようか? 念のため葉書も書いてみるか? と思ったが、急いては事を仕損じる。今度また電話してみることにした。
 急いては、とはいえ、あまりのんびりするのも考えものである。ミスターのお母さんがご健在だから良かったが、数年遅ければ、わからないのだ。電話が繋がらなくなる可能性もあるし、家も潰してしまうかもしれないし、もしどちらも残っていたとしても、ご年配の方は電話に出る習慣がある(だから特殊詐欺の標的になる)が、ミスターの年齢だとわからない。

 翌日。「平成のジャッキーさん展」の初日を終え、片付けに入ろうとした頃に、ミスターからショートメールが来た。
「〇〇〇です!貴方はどちら様でしょう?」
 ああ、これで僕の20年間はすべて報われた。本当にそんな気持ちになった。平成の30年4ヶ月がすべて美しく結晶してはじけ、令和にキラキラと散りばめられていった。
 なるべく短い文字数で、しかしそれだけですべてを伝えられるように、それでいて重たくなりすぎないよう、いろいろ考えて工夫して、だけど何より迅速に、文章をつくった。あああ、小学3年生のときに『山そう村の大事けん』を書いてからずっと、「書く」ということを好きでいて、それを続けてきたのはこの時のためでもあったろう。
 すぐに返事があった。曰く、知らない電話には絶対出ないのだが、「お袋」から電話の話を聞いて、メールをしてみたとのこと。何も無駄でなかった。ありがとうございます、ミスターのお母さん。
「旅人だったとは、知らずに、こちらこそ無礼でした!」
 という言葉を皮切りに、ミスターは旅について、出会った場所である美瑛について、何通かのメールのやりとりの中で改めて熱く語ってくれた。旅の仲間だと僕を認めてくれた。
「今は、お互い違う場所に居たって旅人たちは、何時だって繋がっているものさ 今日は青森は雨空だけども、同じ空の下に居るんだ 今日はお互い、呑もうぜ 再会を祈って!」
 と、絵文字で乾杯を交わした。それで僕は昨日、唐突に酒を飲み始めたわけである。(日記参照)

 ミスターは、当時すでに40代くらいに見えたし、夥しい質量の旅の話を聞くに、50代でもおかしくはないくらいだった。何しろ「大曽根に住んでいる」と言ったら、「ああ、南口から出るとこういう道路があるよね、それでこうやって歩いていくと、徳川美術館があって……」と詳細に語ってくれたほどだった。本当にあれには驚いた。
 あれから20年。おそらく60代、もしかしたら70歳くらいになっているかもしれないが、文面の若々しさ、旅に対する熱い想いは、僕の印象と何も変わっていない。たぶんミスターも、僕や「弟子」(昨日の日記参照)と同じような種類の人物なのかもしれない。だから僕は、美瑛駅の改札口の、あのたった数秒間で、「この人についていこう」と決めたのではあるまいか。そういうことは、わかるときには一瞬でわかるのだ。
 僕もよく年齢不詳などと言われるが、ミスターもそうで、経験豊富すぎて40代くらいに見えても、ひょっとしたらまだ30代、たとえば今の僕と同じくらいだったのかもしれない。なんか、そうだったのではないかという気がしてきた。昨晩、二人の古い友達と会ったせいでもあるだろう。今日の日記はぜひ、昨日のとあわせて読んでみてください。いっそう面白いかと存じます。

 何度となく書いてきたが、僕の人生の最大テーマは「再会」なのです。ミスターがその言葉を使ってくれたのが、嬉しくて仕方ない。僕の20年間は完全に一貫していた。なぜ一貫するのかといえば、そこにミスターの影響が色濃いためでもあろう。なぞるたびに強くなっていく時間という心は、再会によって磨き上げられていく。

2021.7.10(土) 平成のジャッキーさん展 初日

 僕の三半生とともに平成を振り返る個展「平成のジャッキーさん展(HSJ10)」がスタート。
 内容についてはちゃんと記録したい(目録を作りたい)ところですが今夜は体力がないので覚えているうちに書くべきことを中心に。ちなみに今は11日の午前3時33分、このホームページもおかげさまで21周年を迎えることになりました。それについては明日の記事に譲ります。
 今のところ誰からも祝われておりません。僕が毎年ものすごく祝っているのだからいいよね。その代わりみなさまは11月1日、僕のお誕生日をぜひ盛大にお祝いくださいませ。

 HSJはあと11(日)19−24時、12(月)16−22時、13(火)11−15時。普通の人には行きづらい時間帯ばかりですみません。今日は初日で土曜で14時〜19時、来展者は5名。ということは明日からはもっと少なくなるだろう、と予想しております。裏切ってほしいものです。のべ20人くらい来たらかっこつくので分身してどうぞ。(全通大歓迎。お金なかったらゆってね。)

「おざ研」(H24.12-H27.8)の時期に仲良くなった方や、拙作『9条ちゃん』(J2669=H21.5)をきっかけに無銘喫茶((H17.7-)H20.7-H24.11)にいらっしゃるようになった方、夜学バー(H29.4-)初期から来てくださっている方、ごく最近おいでになった方、過去に読書会でお会いした方など。初対面の方はいなかったけど、出会った時期でいえばかなり幅広い。とはいえ「平成」後半に集中しているのは否めない。というか、仕方ない。

 ここんとこ、特に数日間はこの準備に明け暮れていた。けっこう頑張ったのだがトラブル(SSD物理破損など)もありずいぶんともうくたびれた。明日、というか今日のうちに旧HPのUPをして、1時くらいにはYouTubeライブを始めたいところ。URL、明日の夜までに貼りますね。庚申の日なので徹夜なのです。
 眠たくてぼうっとしているから、書こうと思っていたことがスッと出ない。だらだら筆で少しずつ思い出していく。そうそう、いろんな資料を見ながらコメントしていただけるのがとても嬉しい。「この中学2年生の日記、1日ごとにものすごくソフィスティケイトされていってますね!」とか。高校の卒アル(ドラえもん1巻持って写ってる有名な写真)をとてもかわいがられたのもよかった。自分が生まれた頃のケータイをぽちぽちと触る若人の姿にもしびれた。まめ道場、懐かしい。
 いちばん「やった!」と思ったのは、「私もやりたくなりました」という言葉。そうでしょ、やりたいでしょ。いっぺんくらい総決算、しちゃいたいじゃない。でも黒歴史として捨てちゃったのも多いらしい。
 僕はある時から自分の生み出したものや自分に深く関わるものを絶対に捨てないと誓った。それは意外と早い。小学校高学年にはもう、そう思っていたんじゃないかな。それまでのものは3年生の『山そう村の大事けん』を除いてほぼ残っていないが、5年生以降のものはけっこうある。
 とは言っても泣く泣く捨てたもの、なくしてしまったものは多々ある。それは戻ってこない。これから先のものを大切にとっておくしかない。今からでも遅くないので、みなさま、ぜひとも「令和の〇〇展」お願いします、いつか。
 ちなみに、人からもらったお手紙については、幼稚園くらいからほとんどすべてとってある。実はそっちを見てもらったほうが本当に本当の僕というものがわかるのかもしれない。今は絶対に見せないけど、50年くらい経ったら開き直って展示会をするかもしれない。

 そういえば、なぜこんな展示をするに至ったか、ということに触れていない。一言で言えば、「整理をしたかったから」に尽きる。紙資料も、電子資料も膨大で、かついろんなところに分散していて収集がつかなくなっていた。平成の終わった今こそ、その範疇の内で僕なりに素材を組み直すことができるのではないか? と思ったのだ。保存するのは大好きだが、整理するのは苦手なのである。特に電子資料。中学時代からの二十数年間の全データを、できるだけ一箇所に集めておきたい。(そして念のため複数にコピーして保存したい。)
 なぜ集めておきたいのかといえば、「それが自分だと思うから」としか答えようがない。そこにあるものが自分だという意味でもあるし、そうすることが自分らしいのだということでもある。
 で、またそれを誰かに見てもらうことも重要だと思った。僕にとっては、ついに「恥ずかしい」を捨てることである。僕は昔から「知られる」ということが怖かった。知られることは食べられることだと思っていた。だけど今思うのは、「知る」なんてのはそんなに簡単でも単純でもないということだ。だから自分についての断片的な情報をいくら知られたとて、それで何かが変わることはない。変わるようなものは軽視すれば良い。もちろん不利になるような知られ方は避けたいけれども。
 僕が小学校や中学校の時に何を考えていたかとか、高校の時にどの程度のレベルだったかとか、そんなことは本当に、今の自分の一秒間よりもずっとちっぽけなのである。その一秒が魅力的ならばみんな僕を好きになってくれるんだ。たとえむかしのぼくが少しくらい愚かでも。
 むろん「こんな人だとは思わなかった! サイテー! ジャッキーさんなんて嫌い!」と、ならないとは限らない。知られるというのはそういう危険もある。それはもう、そうなるとしたら受け入れるしかないし、そうなるのが嫌ならばそれだけは知られないようにすればいい。そのバランスというか、技術みたいなものが、最近はようやく少しはついてきただろう。
 展示にあたって、比較的最近のこと……具体的には、この12、3年くらいのことはかなり慎重に選んだ。守秘義務のある教職に就いたからでもあるし、単純に新鮮すぎるからでもある。20年経てば多くのことが時効となるだろうが、10年ではそうはいかない。そういうことも、平成のうちにはまだわかっていなかったと思う。僕が今のような「質」になったのなんて、本当にごくごく最近なのだ。そして明日からもまた変わっていく。


 昼すぎ、「弟子」(いまだにこれは強調しておく)から連絡があった。数日前の誕生日にLINEしたので、声をかけるハードルが下がっていたのだろうか。「桃ありますけど取りに来ませんか」とのことで、展示のあとに行った。僕が中学校の教員だった頃に中学生や高校生であった者で、9歳年下であり、今は8歳まで縮まっている。詳しいことは明日書きますが、事情があって酒を飲まねばならなかったので、あちらの最寄り駅周辺で雨の中ぐぐび飲んだ。突然の豪雨であちらは遅れるとのことで、30分弱くらい、木の匂いと雨音に包まれながら立ってビール飲んでいた。
 彼女はまったく変わっていない。中学校3年生の頃から1ミリずつくらいの変化しかしていない。同じ髪型で同じ目つき。僕もそうなので、ああ結局のところ彼女は僕のことをもう師匠だなんだとあまり積極的には思っていないのであろうが、一時的にであれそのように思ってくれていたのは、そういうことだったんだろうなと思った。それは10年や20年経たなければわからないことなのに、わかる時には一瞬でわかってしまう。
 夜でもやってるとうふ屋で木綿と厚揚げを買った。川沿いをぶらぶらと歩いた。とくに大した話もしなかったが、昔から大した話などしたことはない。見た目はともかく内面はお互いたぶん目まぐるしく変わっているのだろうが、それは軸を中心とした回転の中で大きくなっていったり、でなければ削られていったりしたようなこと。「カコーン」と言えば「カコーン」と返す。そういう原則は失われることがない。歩きながら久々に空き缶ゲームをやったよ。世界一面白いゲームで、マリオやテトリスを超える唯一のもの。
 森のような場所にある家の前で旦那さんにご挨拶して桃持って帰った。何が変わってもその周りには木々があり、その匂いが漂ってくる。

 帰り道、西新宿の「おざ研(尾崎教育研究所)」の跡地を見て、歌舞伎町を通ってゴールデン街の「無銘喫茶(元あんよ)」を視認して帰った。そういうセルフ聖地巡礼はたびたびする。ちょうど半生を振り返る展示なぞをしているし、このサイトの21周年を1〜2時間後に控えてもいた(11日の0時開設なのです)ので、沸き上がってくる感情はひとしおだった。
 せっかくだからと四谷4丁目のあひる社にも寄った。社長と23時から25時くらいまで、2時間近く話してしまった。忙しいのに毎度申し訳ない。彼は「無銘」の初代オーナーで、僕が夜のお店にのめり込んだ直接のきっかけでもあり、僕をライターとして登用してくれた最初の人でもある。今でも毎年必ず仕事をくださる。
 僕は彼の影響で、飲食とライター・編集業を並行する道を選んだ。出会ったとき僕は20歳で、彼は34歳から35歳になろうとしていた。ついにその年齢を超えてしまった。30代のうちに彼は飲食を退いたが、最近再び始めようとしている。ただ、自分がプレイヤーになるつもりはないようだ。僕もそっちのほうへ行くのか? いや、僕はたぶん生涯いちプレイヤーなのであろう。プレイヤーであり続けるには、相当の覚悟と体力が要る。そのためのことを今から準備していかなくてはならない。社長になって人を使う適性は、たぶんこちらにはない。彼は第一子の長男で、僕は末っ子なのだ。こじつけではあるがそういうことでもあるのかも。
 社長との話はいつも面白い。そうでなければならない。僕は彼の大切な時間を借りる代わりに、少しでもその時間が有意義になるよう、できるだけ彼の興味をひく、あるいは役に立つような内容にするよう試みる。それは20歳の時から同じである。僕はたった400円で一晩中その店にいたのだ。お金はない、持ってこられるのは経験と発想力、あるいは若さだけだった。そうやって話しているうちに深夜ドアが開いて、素性の知れぬ通りすがりの客が入店してきた時の高揚といったら! それが好きすぎてまだ僕は店にいる。

 彼女と彼の二人とも、僕の平成の後半を語るに欠かせない人たちである。一方で、この日にはもう一人、僕の平成の前半に鋭くメスを入れてくださった方とも交流があった。その件は明日の記事にします。

【平成のジャッキーさん展】

 於:
夜学バーbrat 地図
 東京都台東区上野2丁目4−3 池之端すきやビル301

 令和3年7月
 10日(土)14時〜19時
 11日(日)19時〜24時
 12日(月)16時〜22時
 13日(火)12時〜15時

 入場料:1000円 時間制限なし
 絶対撮影禁止 交渉により有料で可
 全時間本人在廊 望めばガイド可
 飲食物の提供なし
 名前(偽名可)と電話番号をお伺いする場合があります

●内容
 平成元年から平成31年4月までの「ジャッキーさん(僕)」にまつわる資料を広く展示します。
 幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、プー太郎、教員、ライター、同人作家、バーの店主といった各側面について、恥ずかしさをおして、できるだけ何でもお見せするようにします。とはいえやはり、第三者が関わることや、あまりにも沽券に関わるようなところはミッシングリンク?となることが大いにあります。ご了承くださいませ。

 落書き、メモ、写真、幼少期から今に至る各種の「作品」など、視覚資料がほとんどだと思いますが、2000年代のネットラジオや音楽、映像作品なども用意はするつもりです。
 一人の人間に物心がついて、思春期を経て、大人になって適当に自由に生きていくようになるまでの30年間を一望できるような展示にできればと思っています。読み物が多くなると思いますので、じっくり時間をかけてどうぞ。椅子に座って読めます。換気してます。もちろん、もう手に入らない本(小説とか)も置きます。この機会にぜひ。期間中何度でもいらっしゃいませ。
 30年間ためにためた自分アーカイブを、もれなく……とはいいませんが、できるだけ、歯を食いしばりながら置くだけ置きます。すべて恥ずかしいのですが、恥ずかしいからこそ意義があるように思います。「こんな恥ずかしいやつがこのように(良くも悪くも)変わっていくのだなあ」みたいなふうに思っていただけたら幸いです。
 遠方からおいでの方など、どうしても時間が合わないという方は、お知らせください。期間中は割と暇なので開けられます。

 11日の24時くらいから翌5時くらいまでは、これまたYouTubeライブで、この展示とEz(このサイト)21周年について話す放送をします。眠ってはいけない庚申の夜ですので。よろしくお願いいたします。

Ez21周年催事(確定)
 期間:7月10日(土)~13日(火)
・最初期(2000~2001年頃)のサイトを復元して公開
・7月11日は庚申につき深夜~翌朝「ホームページについて」生放送
・夜学バーにて「平成のジャッキーさん展1」(4日間)
・2000年度と2020年度の日記を製本して販売(半分受注生産、かなり高価、詳細は後日)
(2001年度~2019年度、2021年度~も順次刊行予定)
→思った以上に大変なので発売延期します……ヨヤクしてくれた人たちありがとう、必ず出します!!
・『少年三遷史』初演20周年(7月27日)のことも考えています……。
(2021年版を書き抱き合わせて書籍化したい。)
→これは難しそうだけど何かを頑張りはします

2021.7.5(月) 頂き女子のジャバ

 相変わらず僕の言っていること(前回)は伝わっていない気がする、力量不足をお互い(!)反省しましょう。興味があれば何回か読んでネ。
 ここに書いていることはずっと、とりわけこの14年くらい割と一貫していて、全てバリエーションに過ぎないところがあります。その根幹は一つや二つの記事で書き表すことが僕にはできず、単体の記述として不十分になってしまっているのかもしれません。5年分くらい読んでいただけると伝わると思うのですが……(2016年おもしろいよ)。たくさん(長く)読んでくださっている人には多めに伝わり、そうでない人には少なめに伝わってしまっている事情はあるかと存じます。という言い訳を置いといて、本題。

「頂き女子」とは、りりちゃんという現在23歳の女の子が作り上げた概念で、僕なりの解釈を簡潔にまとめると「夢も希望もない男性に対して、自分(女の子)という生きがいを与え、つきましてはお金をいただく」というようなこと。女性アイドル等が、夢も希望もない男性に生きがいを与え、つきましてはお金をいただいているのと、構造的には大体同じである。
 頂き女子は、「お金に困っている(〇〇代が払えない、実は借金がある、など)」と仄めかし、「俺が出すよ」と自発的に言ってもらい、「えーそんな」と一歩引きつつ、最終的にはお金をもらう、という流れが基本。その時、正直に「ホストに使う」「推しに貢ぐ(課金する)」「整形する」と告げる頂き女子はかなり少数だと思われる。つまり、お金を出す男性は、そのお金を本当は何に使っているかをわかっていない。
 アイドルも「彼氏はいません」と言いつつ、本当は彼氏がいたり、加えていろんな存在がたくさんいる、というようなパターンはよくあるはず。これも嘘をついてお金をもらっている例。それは詐欺とは言われない。なぜ言われないかというと、おそらく、ひとえに、法律上そういうことにはならない、ということでしょう。
 キャバクラや風俗などの色恋営業も、まず罪には問われない。頂き女子はかなり濃いグレーだと思うけど、お金を出すと言ったのは男性の側だし、相手は納得して、この子のためになるならとお金を出す。しかもりりちゃんのやり方では、その「信頼関係」は半永久的に維持される。りりちゃんから男性を「切る」ことはなく、ずっと(ある程度の)関係を続けるので、男性からの好意が原則としては途切れない。つまり「生きがい」は維持されるのである。
 たぶん、詐欺罪の立証は難しい。たとえば、頂き女子には実際借金があったとする。「借金があるの」「いくらくらい?」「いくらだと思う?」「100万くらい?」「……そのくらいかな」「俺が出すよ」「えっでも」「いいから」チャリーン、振り込まれました。そのお金を頂き女子はホストに使いました。これは詐欺か?
 頂き女子は、100万を借金返済に使おうとしていたかもしれないのである。しかし折しも担当のホストから「今日こない?」と連絡が。そしてついつい……。これを詐欺罪として引っ張るのは、かなり難しくないだろうか。うーん、気になるから法学部入ろう。
 その借金が本当は5万円くらいだったとしても、「100万くらい?」と聞いてきて、「はい100万円なので100万円ください」とは言っていない。半ば勝手に100万を振り込んできたのだとも主張できる。5万円は返済に当てて95万は返却しようと思っていたら、ついホストに……という弁護も可能である。可能か? 気になるから司法試験受けよっと。
 何にしても、オレオレ詐欺ほど完全ブラックではないわけである。起訴される可能性がないわけではないが、かなり低いと思われる。ギャンブルとしてはずいぶん割りが良い。
 結婚したが、すぐに気が変わって離婚したくなった。「おいおい、結婚するまでにお前に使った金や渡した金を返せよ!」と言っても仕方ない。それは結婚詐欺とは言われない。初めからすぐに離婚するつもりであったとしても、立証はものすごく難しい。切り出された側にできるのは、離婚の同意を拒否して裁判に持ち込むことくらいだが、その結果離婚が認められなかったとしても、誰にも得はないので、普通は同意するでしょう。

 ところで、仮に頂き女子が整形したくて「整形したいの」「いくらかかるの?」「500万くらい」「俺が出すよ」「えっでも」「いいから」チャリーン、だったなら、もちろん詐欺にはならない。何の問題もない。
 また、オレオレ詐欺の「被害」にあった老齢の女性が、「あなたは騙されたんですよ」と言われて、「冗談じゃない! あれはたしかに息子だった、変なことを言わないでくれ!」と怒る、再現映像をテレビで見たことがある。この場合、彼女は客観的事実よりも主観的な真実を選んだのである。それで満足してるなら、なぜその幸福を壊すのか? 知らぬが花、ではいけないのか? いろんな事情があって、主には「社会の秩序を守るため」、それはただされねばならんのだろう。それはわかる。しかし、その個人の幸福だけに着目すれば、わざわざ「あれは詐欺ですよ」と言う必要はないかもしれない。

 法律で(優秀な)頂き女子を裁くのは、かなり難しいと僕は思う。それは多くの人が直観的にわかることなのだろう、だから頂き女子を批判する人は、「脱税」という視点を持ち出す。
 そんだけお金をもらったら、贈与税を納めねばならんだろう、というわけだ。確かに、おそらくほとんどの頂き女子は納めていなかろう。まあ、どうしても納めなきゃいけなくなったら、頂き女子してまたお金を集めるだけなので、実のところそんなに問題はないのだが。ともあれ頂き女子を犯罪者にしたい人は、脱税くらいしか罪状を挙げられない。
 ただ、法律を脇に置いてことを考えると、頂き女子はむしろ、多くの税金を間接的に支払っているとも言えるのである。(もちろん強弁ではあるが。)
 というのは、まず、頂き女子にお金を渡している男性(「おぢ」と呼ばれる)は、納税している。頂き女子が受け取るのは、納税を通過したクリーンなお金である。おぢがお金を用意するために消費者金融でお金を借りたとしたら、その利息の一部を消費者金融は納税している。頂き女子がホストにお金を払うとしたら、ホストクラブもホストも納税している(はず)。シャンパンのメーカーだって卸の酒屋だって納税している。使う先がブランドでも美容業界でも同様。何を買ったって消費税も売り手の所得税等もあれこれ発生する。りりちゃんは頂き女子のマニュアルを売ってもいるが、振り込み等の際に発生する手数料だけとっても、ばかにならない。かつて商材売場のメインだったnote社にも当然マージンが入った。
 これを「経済を回す」とか言う。りりちゃんがこれまでに頂いて、使ったお金を1億5000万円とするなら、1億5000万円をりりちゃんは「回して」いるわけだ。
 りりちゃんはお金を貯め込まない。すべて使う。おそらく本当にそうだと思う。
 その過程のほとんどで、「税」が発生している。おぢのお金がりりちゃんを通過して、世の中に行き渡っていく。「りりちゃんを通過する」時だけ、税が発生していない。その一点だけを取り上げて、「脱税だ!」と怒る人がいる。でも、ちょっと巨視的に見れば、むしろ日本経済に貢献していると言えなくもない。

 ただ、りりちゃんのお金の大部分が「歌舞伎町マネー」に変換されているのは事実で、そこはやや問題に思える。しかし当人によれば、「私の担当(ホスト)は、お金やそれによって得た経験を誰よりも有意義に使う」とのことで、それは彼女なりの投資らしいのである。これを否定するのは、ちょっと難しい。本当にその彼は、将来権力を握って世の中を良くしてくれるのかもしれないのだ。(その点について間違っていると言える人がいるなら、ぜひ言って欲しい。)
 また、りりちゃんはたぶん、一生ただのホス狂いで終わりたいと思っているわけではない。何か大きなことがしたい、もっと広い世界を見たいと折にふれ言っている。すでに実績はある。その方向性次第では、ひょっとしたら世の中によき貢献をしてくれるかもしれない、と僕は思っている。

 りりちゃんを、そして頂き女子を「悪い」と言う人の多くは、たぶん「それは法律に違反している(のではないか)」という視点で言うだろう。この世の中では、法律に反しなければ何をやってもいいという共通理解がある。あとは「他人に迷惑をかけてはいけない」なのだが、りりちゃんは徹底して「おぢたちは私のおかげで幸せになっている」と言う。すなわち「誰も損してない、誰も苦しんでいない」と。この言い分を、法律を持ち出さずに、誰が崩せるだろうか? 崩せるなら僕にとってはそれも面白いし、崩せないならまた面白い。
 ここから、更なる本題。3日の記事に直接関係するところ。
「それでも多額のお金を(時には嘘のような言い方をして)受け取っているのだから、よいわけがない」と思う人は思うだろう。しかし、それは「お金は大事」だと思っているからである。お金が大事と思っていないなら、いくらお金をあげたってさして問題はないわけである。
 たとえば、ある女の子に1000万渡す。それによって800万円の借金を背負う。以後、稼ぎの多くがその返済に消える。でも、別にそんなこと、気にしない人は気にしないかもしれないのだ。パチンコや酒や、風俗に使うお金が減るくらいのことかもしれない。その分、図書館に行って本を借りるかもしれない。世の中、何がどうなるかわからないし、誰がどう思うかも、誰にもわからないのである。
 これはカルト宗教の考え方でもある。「あなたが持っているお金は汚いので、私たちが浄化してあげましょう。稼いだ全額を渡しなさい」だ。それでいいなら、いいのかもしれない。「悪い」とするためには、個別の事情ごとに判断が必要で、一つ一つをつぶさに見ていくのが本流のはずだが、面倒だから一律に「悪」としたくなるし、そこに前提として「お金は大事」があるのは間違いない。
 個人的には、洗脳は好きではない。もしも頂き女子の「信頼関係構築(りりこみっと)」が洗脳だというのなら、似たようなことをやっている宗教団体や自己啓発、オンラインサロン、小規模起業煽り、夢という言葉、DV旦那や××彼女みたいなものたちもすべて洗脳である。(ってか、色恋はたいがい洗脳ですよね。それで僕は「恋愛などない」とか言っているところもあります。)で、僕はそれらみんな良いと思わない。
 洗脳とは、脳を「そのように」変えてしまうものだが、実のところ洗脳などされなくても、自然にそういう脳に育ってしまった人はかなりたくさんいる。そういう人たちにとって幸せというのは、ひょっとしたらりりちゃんが与えているようなことで十分なのかもしれない。
 参考文献はトルストイ『イワンのばか』。共産主義と、ロシアのキリスト教の話である。それを元ネタにして高校2年生の僕が書いたのが『イワンよりもばか』。来週の「平成のジャッキーさん展」で読めます。どうぞ。

2021.7.3(土) 女の敵は男?

 スカイツリーのあたりをお散歩してたら麻生太郎(80)さんが都議選の応援演説に来ていた。

 最近どハマりして立て続けに4冊読んでしまった中根千枝(94)先生のことも書きたいのだが、まだいまいちまとまらない。今後ここに書くことにじわじわ反映されていくと思います。
 簡潔に。やはり世の中というのは常に「すでにある大きな流れ」の中にあって、個人レベルでは(その気になれば)容易に抗えるのだが、その流れ自体を変えることは非常に難しい。ほぼ不可能と言っていい。その中でどう泳ぐか? がまず一人一人にできること。そのうえで、世の中の流れに乗りながら、少しずつ少しずつ動いていけば、川の流れが長い時間をかけて地道にずれていくように、ほんのわずか変わるとしたら変わっていく。その過程で、自分にとってすばらしい友達を見つけて、幸せになる。

 3年くらい前に見つけて、数ヶ月に一度くらい行っていた喫茶店。なぜかこの1ヶ月で4回くらい通っている。毎回領収書をもらっていたら、今日はお店を出るときにすでに用意してくださっていた。ゴディバのチョコレートをふたついただいた。おそらく80代、ひょっとしたら90近い女の人だが、真っ直ぐに立って歩く。時おり煙草を吸っているのが格好良い。店内はいつもチリ一つない。
 いつもコーヒーを2杯分くださるので、ゆっくりと本を読んだりできるのだ。メモ、平日は18時半くらいまで、土曜は15時半くらいまで。

「頂き女子」の提唱者りりちゃんが、登録者数140万人のYouTuberに見つかって、晒されて少々炎上している。タイトルにした「女の敵は男?」というのはこれのことである。
 そもそも頂き女子を生んだのは、男と金である。というか、男とは金であり、金とは男なのである。この意味はちょっとわかりづらいかもしれない。ホストクラブがどうのという話ではない。そもそも「お金」という概念そのものが、男の、男による、男のためのものだというような話。
 現代日本では、男よりも女のほうが「金がかかる」ということになっている。しかし一方で、女よりも男のほうが「金が稼げる」ということになっている。この不均衡は象徴的である。
 そして男の価値というものは、まず第一に「金があること」だということになっている。
 たとえば女が金を得て、その金がホストに移動する。それをもってそのホストには「価値がある」ということになる。
 説明するまでもなく、金のある男には価値があり、金のない男には価値がない。金のある女はそれのみでは価値を認められづらく、男に移動させることによってようやくその価値を存在させることができる。金のない女は、金で男に買われる(このような結婚は非常に多い)。
「男に移動させる」というのはホストとか担当とか推しとかいうのはもちろんだが、そればかりではない。
「金持ちの女」というのが世の中にはどれだけいるだろうか? 配偶者や父親が金持ちで、かつ健在である、というケースを除いて。いたとして、それはどこで判断されるのだろうか? 預金額? 男は、男が欲しがるようなものを「買う」ことによって「金持ちである」という証明ができる。女は?
 女が欲しがるようなものを「買う」ことによって「金持ちである」と証しうるだろうか?
 もちろん、それなりにはできるだろう。しかしたぶん女は(女の感性は)、男ほどは金で手に入るものを欲しがっていない。だから担当や推し「なんか」に大金を使えるのではなかろうか。
 整形もお洋服も、「美」や「かわいい」を手に入れるため、仕方なく買っているのだ。本当はダイレクトにそれが手に入ればいいし、そのためには結局、自分がそう思うだけでいいのだというのは、たぶん多くの人は知っている。
 一方で、男たちは自動車「なんか」に金を使っていたりする。酒や女や性交「なんか」に大金を注いでいたりする。何百万もする置き物やアートなんかを買ってみたり。そういうのは男の感性だと僕は思う。(あくまで感性の話で、必ずしも自認する性別に一致するとは限らない。)

 ちょっと飛躍しているように思えるかもしれないが、頂き女子というのは、「おぢ」(男性)の感性を女にしてしまうようなものである。
 りりちゃんのテクニックの基本は、おぢに「ガチ恋」させること。最近は「信頼関係構築(りりこみっと)」という言葉で表現されていたが、要するに「この子には俺がいないとダメだ」とか「この子にお金をあげたい」と思わせる、ということ。夢も希望もない男性に、「俺の渡すお金によって生きられている、俺のことが大好きな女の子」という存在を、生き甲斐として与えてあげることである。
 それはホストやバンドマン、ヒモ等に貢ぐ女の心理に似ている。借金してまで地下アイドルに金を出す男にも似ているが、男は自分の可処分所得の範囲内で金を使うので、そういう男は意外と少ない。(アイドル本人から激しくおねだりされたり、されていると思いこんでいたら別だが。)
 男は基本的に、金とは自分に価値を持たせてくれるものであると知っている。投機やギャンブルは「金(価値)を増やしてくれるかもしれない」と思うから、男は手を出して身を持ち崩すのである。商売もそうである。儲かると思うから金を出すのだ。女に金を出しても、金は返ってこない。だから借金してまで女に金を出すパターンは少ない。
 一方、女が男に出す金は青天井である。出せる能力の限界まで出す。借金しても風俗へ行っても。それがなぜかといえば、「金が増えることをそもそも期待していない」からである。期待しているとしたら、金を出した先のその男が出世することによって、つまりその男が将来金を増やすことに期待しているのである。金というのは、男のもとになければ価値を持たないからだ。女のところに金があっても、ほとんど意味を持たないことを彼女たちはよく知っている。金とは男であり、男とは金なのだ。

 頂き女子の革命的なところは、そのような境地に男性を誘導していくところである。自分のもとに金があっても意味がない、この子のところにあったほうが意味がある、それによって俺は生きがいを持てる、そんな気持ちにさせてしまうのである。
 それが悪いことか? というと、誰に判断できるだろうか? みんなそれをなんとなくわかっているから、りりちゃんの罪状としてせいぜい「脱税」くらいしか思いつかない。
 りりちゃんの言う「頂きやすいおぢ」とは、「夢も希望もないサラリーマン」だという。僕の言葉に変換すると、「多少の金があっても、それを自分の価値にできない男」である。そういう男を「女の感性」に導くのは、さして難しいことではないということだ。それはとりわけ、「自己肯定感の低い女の感性」と言ってもいい。

 りりちゃんを炎上させているYouTuberは男性である。なぜ炎上させるのかといえば、再生数が稼げるからでしかない。再生数はすなわち金となり、彼の価値となる。
 女の感性は、必ずどこかで金を憎んでいる、と僕は信じる。すなわち男を憎んでいる。なぜかといえば、男が金のことしか考えていなくて、そのために女が割を食っているからだ。
 女が割を食わないためには、どうにかして「金のある男」のそばにいるしかない。そういう社会構造がある。頂き女子は、「男の感性」の未成熟な男性を魔法で「女の感性」に変え、お金を頂く。問題はその先である。結局はホスト=男に行くだけならば、このような社会構造はただ維持されるのみ。頂き女子革命の肝は「富の移動」で、「どこからどこに移動するか」がその意義を左右する。
 革命の途上、それを阻むのが男性YouTuberである、というのが僕には非常に興味深い。男の感性が既得権益を守ろうとして、それが通ってしまうなら、仲良しという僕の理想はまた遠のく。

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