少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。
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2008/12/18 俺の話を奇形
タイガー&ドラゴン「三枚起請の回」(実質上の第一話)についてのメモ。
●どん太=竜平(阿部サダヲ)は、芸の才能には恵まれず、売れるため(お金のため)にくだらないギャグばかりを言っているが、本人としてもそれは本意ではない。できるものならば真っ当な芸で身を立てたいのだが、そうもいかない。妻子と二人の子を持って、親が借金を抱えているという状態のなかで、長男として家計を助けていくためには、くだらなかろうがなんだろうがとにかく売れていなければならない。でも自分には芸がなく、大袈裟なリアクションと一発ギャグのような小咄を見せてお茶の間の笑いものになることしかできない。「アフロヘアーのカツラをかぶり、ダサいオーバーオールを着る」ということで自らを道化として飾り立て、「キャラクター」という仮面で素顔を偽って、本来の自分の理想を覆い隠していなければ、とてもじゃないがやってられない。…これはたぶん、というか明らかに笑福亭鶴瓶がモデルなのだろう。鶴瓶も若い頃、ネタをやらずテレビやラジオでのみ活躍していたが、髪型はアフロ、服装はオーバーオールであった。(ドラマに本人が組長役として出演しているというのが面白い。)
「名人どん兵衛の長男として生まれ、落語の天才であった次男は既に破門されて家を出て行っている」という状況が、いかにどん太の責任感を駆り立て、巨大なプレッシャーとなっていたかというのは想像に難くない。まだ全話観ていない状態で言うのもなんだが、『タイガー&ドラゴン』において最も複雑な内面を持っているのはおそらくこのどん太であって、最終回までに「どん太が寄席に出て成功する」というような、どん太を救済するためのエピソードがなかったら、『タイガー&ドラゴン』という作品は嘘になってしまう。どんな美しい展開を見せようが、きれい事にしかならない。どん太にその複雑な内面を整理させられるような状況が訪れなければ、少なくとも僕にとってこの作品は消化不良でやるせないものになってしまうだろう。どん太がこのまま、一生道化のままで生きていかなければならないようであるならば、「それはそれで俺は幸せなんだ」という形ででもいいから、どうにか決着をつけさせてあげてほしい。ああ、最終回がどうなるのか楽しみでありんすなあ。って、今さら『タイガー&ドラゴン』観て。
ってーか「饅頭怖い」の回がどん太主役っぽいので今から見てくる。
《追記》
「饅頭怖い」の回を見た。「寄席で成功する」ではなくて、「それはそれで俺は幸せなんだ」の方面で来ましたね。まさか連続ドラマ版第二話(実質三話)で来るとは思わなかったけど、いちおう僕の期待通りの展開になって満足というか、我ながらその自画自賛っていうか。
竜二が二度、「古典なんて年取ってからいくらでもできる」と言うのは、やはり五十を過ぎてから古典をやり始めた笑福亭鶴瓶を意識してのセリフだろうし、披露宴のシーンで鶴瓶扮する組長がどん太に「脱げー!」と叫んで実際に脱いでしまうのも、若くから露出癖のある(生放送でちんちん出した回数がたぶん最も多い芸人である)鶴瓶とどん太を重ねているのは明らかだ。
このことは、「どん太は、今はリアクション芸で人気を集めているが、やがて話芸で認められるようになり、五十を過ぎてから古典落語を始めて一定の評価を得る」という未来を予想させる。つまり、鶴瓶の芸歴と同じ道をどん太は歩むことになるのではないか、ということ。「饅頭怖い」の回は一見、「どん太は結局ヨゴレ芸しかできないのだ」という話にも見えるが、鶴瓶の芸歴と照らし合わせることによってどん太の芸にも明るい未来が待っていることが予感できる。最終話近くならともかく、第二話でやるんならそのくらいがちょうどいいだろうなと思う。早くから救いらしい救いを与えて、どん太のキャラクターに「りっぱさ」を付け加えてしまうと、バカバカしさが素直に楽しめなくなってしまう。
●かつて天才落語少年だった、今は反物屋(服屋兼デザイナー)の小竜=竜二(岡田准一)は、ヤバイ状況に陥るとワクワクしてくるという『ドラゴンボール』(奇しくもドラゴン!)の悟空みたいな性格。なぜワクワクしてくるかといえば、「あとで誰かに話す時、いかに面白おかしくできるか」を常に考えてしまう、という根っからの芸人気質から。
小虎=虎児(長瀬智也)が山奥でヤクザに縛られてリンチを受けた場面で、竜二はそれを(おそらくずっと)隠れて見ていたにもかかわらず、虎児が独りになってもしばらくは出て行かなかった。薄れゆく意識の中で虎児が思わず「かあちゃん!」と叫んだ時、ようやく竜二は姿を現す。おそらく、いや確実に、縛られて血を吐き続ける虎児の姿を見ながら、竜二は「まだだ。まだ、もっと面白いオチがあるはずだ…」と考えて、あえて出て行かなかったのだ。「かあちゃん!」という叫びを聞いて、「これだ。これで“ネタ”になる」と感じたから、それでやっと出て行って、虎児を助けたのである。恐ろしい芸人根性。
もう少し深読みすると、このとき竜二は既に虎児のことを「芸人である」と認めていたのではないだろうか。いくら何でも自分がネタにするために他人の苦しむ様を面白がって見ているほど、竜二は性格の悪い男ではないし、虎児との間にも既に単なる他人とは言い難いある種の絆が芽生えていたはずである。そうでなければ一度は逃げておいてまた戻ってくる理由がない。竜二は虎児を「芸人である」と認め、「状況がヤバくなればなるほど、何か面白いことが起きるはずだ。だから耐えろ、芸人として耐えろ…それが後々の芸の肥やしになるかもしれない」という思いでもって、その「何か」が起きるのをずっと待っていた。単に「面白いから見ていた」とか、「あとでネタにするために傍観していた」というだけではなく、「あいつは芸人だから」という意識がどこかにあって、「ヤバイ状況に陥れば陥るほど、あとでネタにした時に面白い」ということを直感的にも経験的にも知っている竜二は、「だからもうちょっと、もうちょっと耐えてみろ…」と、あえてただ見ていたのではないだろうか。
つまりアレだ、芸人とはサイヤ人みたいなもんなのである。サイヤ人は死の淵から這い上がるたびに強くなる。芸人も、ヤバイ状況を経験して、そこから這い上がって芸を肥やしていく。天才・竜二はそれを知っていたからこそ、虎児のピンチをただ見ていたのである。だって、普通だったら警察呼ぶじゃん? 二時間も前に逃げおおせてたんだから。それをしなかった理由は、たぶんここにしかない。
そもそも竜二は、「落語を教えてくれ」とせがむ虎児を適当にあしらっている「ふり」をしながら、さりげなくチビTのところへ連れていって、「三枚起請」を演じるためのヒントを与えたりしている。天才ゆえの本能なのかもしれないが、竜二の落語に関する「指導力」は並のものではない。だからこそ上記のシーンでの竜二の不可解な行動も、「これは《指導》なのだろう」という形で納得することができる。
2008/12/17
酔いどれて帰路、自転車で十キロほど走って忘れ物に気がついて、取りに帰ったから結局三十キロ以上走ったことになるわけで、寒かったから疲れた。おかげでお酒がぐるんぐるん。といったところで電話が鳴った。午前四時半。
「浮気、したでしょう」
「してないよ」
「嘘」
「何言ってるの、いったい」
「見たのよ」
「何を」
「Twitter」
「ああ」
「どういうこと」
「何が」
「誰にメールしたの」
「いいじゃん」
「何が」
「何がって」
「よくないよ」
「よくないかなあ」
「よくないよ!」
「ごめん」
「ごめんじゃない」
「ごめん」
「謝るようなこと、したんだ」
「してないよ。ごめん」
「何で謝るの」
「いや、だって」
「だってじゃないよ」
「ああ、もう」
「何なの?」
「何でもないよ」
「で、誰」
「何が」
「誰にメールしたの」
「だから、いいじゃん」
「よくないって。誰」
「いやあ」
「浮気でしょ、それは」
「違うよ」
「だってメールしたじゃん。見たもん」
「見たってったって」
「見たの」
「何をさ」
「だから、Twitter」
「ああ、もう」
「もうじゃないでしょ。あたしよりもっと、いい人いるんだよね」
「いないよ」
「いるからメールしたんでしょ」
「あのさあ、そういうわけじゃないんじゃん」
「あたしは傷ついたの」
「傷ついた?」
「そうだよ。死のうかと思った」
「そんなに? どうして」
「どうしてって。浮気されたから」
「浮気?」
「メールしたんじゃん、だって。しかもそれで癒されたりしてんじゃん」
「そうだけど」
「やっぱそうなんじゃん。あたし、要らないんじゃん」
「そうじゃないよ」
「何で? あたしじゃなくていいんじゃん。癒されるんじゃん」
「そんなこと言ってないでしょ」
「だって、さあ。書いたじゃん。夜中にメールしても返ってくるから、つい送っちゃうんだって。それで本当に返事が来るから、嬉しいんだって。眠れるって。あたし昨日起きてたんだよ? 映画観てた。テレビで」
「そうなんだ」
「そっち? バカ」
「ごめん」
「あのさあ」
「うん」
「あのさ、あたしのこと、好きでしょ」
「そうだよ」
「知ってる」
「どうしたの?」
「なんでも、ないよお…」
「だいじょうぶ?」
「だいじょうぶ…」
「ごめん」
「ごめんじゃないって! 浮気したんでしょう!」
「そうじゃないって」
「だって、そうじゃん」
「だってもなくてさ」
「だって、そうだよ。浮気だよ、それ」
「そうかな」
「あたしじゃなくて、いいんじゃん。あたし、起きてたもん」
「それはさ」
「メール来てない」
「そういう話じゃ…」
「もらってないもん!」
「おかしいでしょ? 何で? 何がなの?」
「わけわかんないこと言わないで。メールしたの、あたしじゃないんじゃん。あたしじゃない人で、喜んだじゃん。嬉しいんじゃん。期待したんじゃん。そういうことじゃん」
「それはそうなんだけど、そうじゃないじゃん」
「そうじゃなくないよ」
「そうじゃないんだよ」
「もう、ダメだね」
「そうじゃないよ」
「ダメなんだよ。あたしじゃないんだもん! だって」
「バカ」
「知らない」
それで電話が切れた。僕はもう眠ることにする。何日か経って会ってしたら全ておさまることを知っているから。だから、とても恐くて、もう何もかもお終いなのかも知れないと思う。
2008/12/16 真空パック嬢
この歳になるともう何をしても恥ずかしい。夜中寝て昼起きるだけで罪悪感に物憂う。外は雨が降っているので実のところ出かけたくはない。角部屋だが雨戸を閉め切って部屋を四角くさせているからいつも昼なのか夜なのかわからない。不規則に暮らしていると午前と午後とがわからなくなる。アナログ時計はルーズな生活に向かない。
今日はどうやら夜まで止まない雨だから合羽着て自転車で新宿まで出よう。落語でも聴きながらゆったりと走ろう。雨音をかき消して、エンジン音もタイヤの擦れる音も完璧に無くしてミュート状態で走ろう。危機察知能力と平衡感覚を殺して夢見心地で排気ガスを吸おう。二十三歳の十一月二十四日から二十九日までの間に僕は何をしていただろうか。記憶は薄まり、視界がぼやける。過去を忘れ、現在を知らず、未来が見えない。不安定なリズムでペダルを踏み続け、時によろめいて目を閉じる。ああ、秋だ。
もう、冬だ。
2008/12/15 2
書き忘れてたけど13日はちゃんとカラオケに行ってhideの曲を歌ってきた。気を遣うメンバーではなかったが割とネタっぽい選曲を皆が(自分も)している中で唐突に『ピンクスパイダー』などを(本域で)歌ってやった。この曲はすんたんと二人で熱唱する時が最も気持ちよい。最近彼とカラオケに行ってないので年末もしくは正月に名古屋帰ったらぜひ行こう。らららか瀬戸シダあたり。
どこかで、「Web日記は、思春期が自分を内省的に見つめるための日記とは違って、他人に公開することを前提とするから、若いうちからやるのはよくない。自分を見栄えよく演出してしまって、本当の自分がわからなくなる」というような主旨の文章を読んだ。確かにと少し思った。
13日は多摩川でふたご座流星群を見る予定だったのだが空が曇っていて見られなかった。仕方なく友人宅で鍋をしながら光GENJIのコンサートビデオを見ていた。バブルがいかに何でも許される時代であったかというのがよくわかった。今だって似たようなことをやっているグループはあるのかもしれないけど、でも象が吊り上げられたりSLが走ったり5メートル級のぬいぐるみと一緒に踊ったりロケットが打ち上がって爆発したりするコンサートはなかろうと思う。「社会現象! 社会現象!」とか言いながら騒いだ。
翌日になって雨が降っていたので午後までぐだぐだして、残り物で鍋作って食べて、『ヘアスプレー』観たり『タイガー&ドラゴン』観たりしていたらもう夜だった。
要するにほぼ24時間、僕はその友人宅にいたことになるのだが、たぶん迷惑はあまりかけていない。と申しますのもですな、彼は僕がいてもいなくてもきっと『タイガー&ドラゴン』を観たからなのですよ。彼は『タイガー&ドラゴン』のDVD-BOXを買ってしまっていて、少しずつ観ているところらしいので、『タイガー&ドラゴン』を観るというのは、彼の日常の中に既に自然に組み込まれていた行為なのであって、僕がいたから『タイガー&ドラゴン』を観たというわけではない、はずだ。せいぜい「ちぇっ、こいつまだ帰らねえのかよ。時間が勿体ないからもともと観る予定だった『タイガー&ドラゴン』でも観るか」くらいには考えたのかも知れないが、そのように僕が無視できていたのだとすれば、やはりさしたる迷惑はかけていないはずなのである。
僕も独り暮らしが長いので言ってしまうが、特に自分のしたいことを制限されない限りにおいては、家の中に誰かがいる状態というのはありがたいもんである。何より淋しくないし、ドラマや映画についてリアルタイムで反応を交換できるのも素晴らしいことなので。
僕の場合でも、横で静かに読書でもしていてくれる分にはまったく生活の邪魔にはならないので、かえって誰かいてくれたほうがありがたい。そりゃ一人になりたい時もあるが、そういうときは「ちょっと外行ってくるわ」なんつって散歩したり喫茶店行ったり図書館行ったりということが僕は平気でできるので何の問題もない。まずい来客がある時は「ごめんちょっと五時間くらいどっかで時間潰してて」とかも平気で言える。のっぴきならん事情があれば「ごめん今日はネットカフェにでも泊まってくれ」とも言っちゃえる。その人が友達である限りは別に気など遣わないのである。
もし僕が「『タイガー&ドラゴン』なんか観たくねえよ!」とか言っていたら、かなりの確率で僕は彼に迷惑をかけたことになるのだが、実際には僕は『タイガー&ドラゴン』をすっかり楽しんでいたので、まぁそんなに問題はなかったんではないかなと思う。社交辞令のようなもんだが「もう一晩泊まってけ」とも一応言われたし。
高校時代からの友達のNMちゃんなんかは、誰が家にいようがいまいが、ずっとゲームやったり本読んだりしてる。真に自然体である。それだから僕も遠慮せずにずっとその家にいる。すんたんも、誰かが遊びに来ても真っ先に寝てしまうような人だったりする。それで僕のほうも、誰が家に来たって特に気を遣わずに好きなことをする。まぁ、相手が恋愛対象となるような女子だったらばやっぱり気を遣うけれども。
一般論として「遠慮」や「謙虚」は正しく美徳であるのだけれども、そういったもんがほとんど存在しないような場合だってある。男同士だけでなく、女同士、もしくは男女の間でもそういうことはあるんじゃないかしら。ただ、繊細でよく気がつく人ほど一般論を大切にするもので、女の子はそういうふうに育つ場合が多いというだけの話かね。
で、僕が一般論=常識を知らないちゃらんぽらんであるがゆえ、恋をするならそういう、普通の感性(一般論=常識)を持っている子がいいなと思うわけである…と、言っておかないと。
2008/12/15 いま気付いた~プリキュアと三つ目がとおる~
ふたりはプリキュアの『DANZEN! ふたりはプリキュア!』のメロディが三つ目がとおるの『?のブーメラン』のパクリであるというのはよく言われていることだが、作詞者(青木久美子)も作曲者(小杉保夫)も同じだということはあまり知られていない。というか僕も今三つ目がとおるのウィキペディア見てて気付いた。となるとこれは「パクリ」などではなくて「リメイク」みたいなもんではないか!
ここからは単なる妄想なのだが、十数年ぶりに再会した作詞家と作曲家が「懐かしいねえ、今度のアニメの曲は『?のブーメラン』みたいなのでいこうか」なんて打ち合わせをしたのかもしれないと思うと非常に萌える。
ところで三つ目がとおるというアニメはぎりぎりリアルタイムで見られた作品なので何となく思い入れがある。手塚マンガをリアルタイムで読んだ、という経験がおそらくまったくないため、死後まもなくのアニメ『三つ目がとおる』は初めての「手塚リアルタイム体験」だったのであることよ。
2008/12/14 携帯が物故割れた
携帯の充電機能がぶっ壊れたので、腹が立って真っ二つにかち割りました。しまったと思ったら時既に遅くしばらくジージー音立ててやがてショートして黒い煙を上げました。はんだごて使って必死で組み直してどうにか一命をとりとめはしたものの充電できるようになったわけでなし、しばらく携帯電話のない生活を送らなければなりません。
幸いにして一日に数度メールチェックを行えるくらいの元気は残っているようですが、返信するだけの気合いはあんまりありません。…あんまりというのは送ろうと思えば送れるということですが。
タイガーフェイクファさんが携帯電話を「飛んでけー」って川に投げたみたいな話を昔テレビで聞いたことがあるのですが、そんな気分も共感できぬではなし、家にも電話を引いているのでさして困ることはないであろうというので、年内は必要な時以外は携帯を使わないようにします。今残っている電池を騙し騙し使う。
家電の番号は「おっさんThank you from 俳句」です。
2008/12/12 早熟について
自分は早熟だとずっと思っていたが何年か前にそうではなかったとやっと気付いた。自分はむしろ身体・精神ともに発育が周囲より遅れておりお世辞にも早熟と呼べそうな代物ではなかったのだと。ただ単に頭でっかちになる時期だけが早かったという話なのだ。
僕は未だに熟してなどいない。何一つわからない。
ただパズルが少し上手であるというだけで。
社会と上手く折り合いのつけられない僕は明らかに大人の男ではないし
理想ばかり語る僕は全然女ではなくてやはり少女でしかない。
2008/12/11 少女「的」感性について
「変わりたくない」が少女の感性だとしたら、「少年も少女の感性を持ちうる」にしかならない。
太宰治の『女生徒』に次のような一節がある。
自分のからだのほの白さが、わざと見ないのだが、それでも、ぼんやり感じられ、視野のどこかに、ちゃんとはいっている。なお、黙っていると、小さい時の白さと違うように思われて来る。いたたまらない。肉体が、自分の気持と関係なく、ひとりでに成長して行くのが、たまらなく、困惑する。めきめきと、おとなになってしまう自分を、どうすることもできなく、悲しい。なりゆきにまかせて、じっとして、自分の大人になって行くのを見ているより仕方がないのだろうか。いつまでも、お人形みたいなからだでいたい。お湯をじゃぶじゃぶ掻きまわして、子供の振りをしてみても、なんとなく気が重い。これからさき、生きてゆく理由が無いような気がして来て、くるしくなる。
これについて、ある女の子が、「太宰は少女だったことがあるのだろうか?」と感想を漏らしていた。彼女は、この女生徒の言葉に「共感した」ということなんだろう。かつ「少女はそう考えるものである」という前提に裏付けられてもいる。
さっき、「BSマンガ夜話」の『櫻の園』の回を見ていたら、永作博美とTARAKOが、「女の子は、変わるのが嫌だと強く思っている」ということで同意し合っていた。僕は『女生徒』を読んで感動して泣きそうになったり、『櫻の園』を読んで目頭を熱くしたり、『ピーター・パンとウェンディ』の書き出しに衝撃を受けたり、『ラブ&ポップ』を読んで心をざわざわさせたりするような少年だったから、「自分は少女だったのかもしれない」と少し考えてしまった。二十歳を過ぎてから大島弓子の『バナナブレッドのプディング』を初めて読んだ時にはさすがに「共感してぼろぼろと涙を流す」というようなことはしなかったから、おそらく少なくとも今は少女ではないのだろうと思うが、しかし『バナナブレッドのプディング』で描かれていることが何なのかはわかって「しまう」。かつて自分がそうであったことがあるから。
きょうはあしたの前日だから……… だからこわくてしかたないんですわ
という主人公・三浦衣良の冒頭のせりふがすぐに飲み込めなかったり、作中の「人食い鬼」(衣良が「食べられてしまう」と恐怖する)がどういうものなのかちっともピンとこないような人は、たぶん少女であったことのない人で、だからこそ「男には大島弓子がわからない」などと言われる(ていた)のだと思う。もし僕が小学生のころに『バナナブレッドのプディング』を読んでしまっていたら、生涯のバイブルにでもなっていたかもしれない。その頃の僕はおそらくそのくらいには少女だったのだ。
高校生くらいになっても、小沢健二さんの『さよならなんて云えないよ』の「本当はわかってる 二度と戻れない美しい日にいると そして静かに心は離れていくと」というフレーズに切なくなってみたりしていたのだから、それはその頃くらいまで続いていたのかも知れない。あの頃の小沢健二さんに女性ファン(もしくは、少女的な感性を持った男)が圧倒的に多かったというのも、彼が少女的な感性の詞――変わっていくことへのかなしみのようなもの――を書けていたからなのではないかと少し思う。だから、小沢健二さんのファンなのに大島弓子のような感性がわからないような男の人を見ると「なぜなんだ?」と思ってしまう。同じものなのに。八十年代以降多くの少女たちを虜にしていた岡崎京子が小沢健二の大ファンだったりすることを考えたら「さもありなん」と思いませんか。
男はたぶんそういう(少女的な)感性を持つものに対して比較的鈍感で、逆に女は敏感すぎる。しかし「少女っぽい少年」というものの存在を認めれば、そういうことにわりと敏感な男が存在していたっておかしくはない。僕はひょっとしたら自分がそのような存在の人間だったのではないかなと今、疑っているのである。
上のほうで挙げた『ピーター・パンとウェンディ』は、「男は自分が大人になることなんて考えない(受け入れない)けれど、女は大人になることに早い段階から気づき、やがて諦めたようにそれを受け入れていく」ということを描いた物語だ。女は「自分は大人になってしまう」ということを受け入れることができる。できるからこそ、「イヤだなあ」ということを、真剣に思える。
また、現代において女は歳を取れば醜くなってその価値が下がると考えられているから、歳を取ることに対して「イヤだなあ」と男よりも強く思うのは当然だ。しかし、だとすると、「女みたいな顔の男」も、同じように歳を取れば醜くなってその価値が下がると(実際に下がるかは別として)考えて、歳を取るのを「イヤだなあ」と感じる場合があったっておかしくはない。「女の子みたいで、かわいい」とチヤホヤされていたのが、歳を取ればそうは言われなくなってしまうのだから、「イヤだなあ」と思うのは当たり前。「女みたいな顔の男」に「女みたいな――少女的な――感性」が宿るのは、そういうふうに考えれば納得できそうだ。
もう一つ挙げていた『ラブ&ポップ』についても、少し書いてみる。
大切だと思ったことが、寝て起きてテレビを見てラジオを聞いて雑誌をめくって誰かと話をしているうちに本当に簡単に消えてしまう。去年の夏、『アンネの日記』のドキュメンタリーをNHKの衛星放送で見て、恐くて、でも感動して、泣いた。次の日の午前中、「バイト」のため「JJ」を見ていたら、心が既にツルンとしているのに自分で気付いた。『アンネの日記』のドキュメンタリーを見終わって、ベッドに入るまでは、いつかオランダに行ってみようとか、だから女の子の生理のことを昔の人はアンネっていうのか、とか、自由に外を歩けるって本当は大変なことなんだ、とかいろいろ考えて心がグシャグシャだった。それが翌日には完全に平穏になって、シャンプーできれいに洗い流したみたいに、心がツルンとして、「あの時は何かおかしかったんだ」と自分の中で「何かが、済んだ」ような感じになってしまっているのが、不思議で、イヤだった。今日中に買わないと、明日には必ず、驚きや感動を忘れてしまう。きのうはわたし、ちょっと異常だったな、で済まして、買ったばかりの水着を実際につけて脱毛の範囲を確認したりしている自分がはっきりと想像できた。インペリアル・トパーズは一二万八千円だ。
僕は、もしも当時の普通の少女たちが『ラブ&ポップ』に共感したのならば、この部分以外にはないだろうと思う。この部分を除いて、普通の女の子の感性が入り込む余地がこの作品にはほとんどない。ここから先は「少女の日常」を抜け出して主人公・裕美の個人的な物語へと入っていき、完全に共感するということはできなくなる。この後、主人公の裕美はトパーズを買うために援助交際をするのだが、その行為自体は共感の対象にはならない。問題は動機なのだ。
裕美は「指輪を買うために」援助交際をしたのではなくて、「驚きや感動を忘れてしまわないために」援助交際をした。「今のわたしが、変わってしまわないために、消えてしまわないために」というのが動機であり、もし普通の少女が共感をするとしたら、この「変わりたくない」という感性以外にない。援助交際がどうのとか、リアルな日常がどうのとか、どうでもいい。もう十二年も前の作品だから、そんなもんはとっくに風化した。しかし、上に引用した箇所だけは今でも意味を持ち続けている。
さて、そこでもう一度吉田秋生の『櫻の園』に戻る。永作博美やTARAKOによれば、この作品は少女の「変わりたくない」という思いが描かれているという。おそらく、たとえば第二話「花紅」で、紀子が「ただ楽しくやりたいだけなのに」と言ってキスやその先に進もうとしなかったり、初潮を迎えた時に泣いてしまったことを回想したりといったことなどを指して言っているのであろう。
先日、職場である人と映画の話をしていて、リメイク版の『櫻の園』が話題に上った。彼は「あれって、原作がそもそも面白くないじゃないですか」と言った。僕はその時初めて、「『櫻の園』って、つまらないのか!」と思った。そんな発想はどこにもなかったので、カルチャーショックとも言うべき衝撃を受けてしまった。
僕なんかは、たとえば第一話「花冷え」の「忘れたら女じゃないわ」とか「あのぎこちないキスはもう二度とないの」とか「あたしは今日日記に行ってきます!って書いた」とかが大好きで、読み返すと「ああ、やっぱり僕は少女なのだな」とかバカなことを思うほどなので、よもや「面白くない」と言われるとは思いもしなかった。ちなみに僕は映画版(旧作。新作はまだ観てない)も大好きなのであって。
ああ、でもちゃんと言っておくと僕は『櫻の園』に描かれていることは「わかるけど、知らない」とか、「知ってるけど、わからない」ことなので、読んでいると「知らない」「わからない」ことに対して歯がゆい気持ちになる。たとえば、「男の子を好きになる気持ち」というやつはさすがに、わからない。(だって僕は男の子に恋をしたことがないから。)
職場の彼には、『櫻の園』がわからない。太宰治はたぶん、かつて少女的な感性を持っていたか、あるいは『女生徒』を書いていた時もそうだったか(あるいは原作にあたる手紙をそのまま書いただけだったりするのかな?)で、僕もおそらくそういう時期があった。もしかしたら彼にはそういう時期がなくて、生まれた時からずっと男の子のまま男の人になってしまったということなのかもしれない。もちろん『櫻の園』一つで決めつけることはできないんだけど、なんか示唆的だなと思って。
最初に僕はうっかり、「変わりたくない」が少女の感性だとしたら、「少年も少女の感性を持ちうる」にしかならない。なんてことを書いてしまって、そのせいで思った通り立論に若干の無理が生じている気がする。だからやっぱり、こう言い換えなければならない。
「変わりたくない」は、少年も少女も持ちうる感性なのだが、少年はそのことに鈍感である場合が多く、逆に女性は敏感すぎる傾向にある。しかも「少女っぽい少年」のほうが敏感であるというのもありそうで、だからやっぱり「変わりたくない」は少女「的」な感性なのではないだろうかと思う。
2008/12/09
夜、学校から帰ろうとしたら、雨で、辟易していると、用務のおじさんが、「ビニール袋あげようか?」と言ってくれた。自転車だから、ビニールで包まないと鞄が浸水してしまうのだ。実は小さめのビニール袋なら持ち合わせがあったのだけれど、それだけでは不安なほど降っていたというのもあって、お言葉に甘えることにした。こういう時は、好意は受けておくものだ。たったビニール袋一枚で人と人とが「親切」と「感謝」によって結ばれて、ホンワカな気分になれるのだから、断る理由などないというもの。
中二の分際で、少なくとも高校生の頃の僕くらいには頭が良いような人間に巡り会ってしまった。こういう子がいっぱいいれば日本の将来も安泰なのであるが、「これからの人生苦労するぞえ」とも思う。彼女にはおそらく、世の中のことが「わかって」しまうから。
単純に、「男子のほうが精神年齢が二歳程度低い」という俗説によって、中学生の僕よりも数十倍頭が良いのだろうなとでも考えることにしないと、プライドがズタズタだ。まぁ、中学生の頃の僕がバカ過ぎたっていうのもあるんだけど。
2008/12/07
奥井亜紀さんのインストアライブ。
友達が二人も見に来てくれていて嬉しかった。
明るいところでライブを見るのが初めてだったので新鮮。
予想通り『晴れてハレルヤ』をやってくれたので
友達に対しても面目が立ちました。
久々に再会した五人でジョニー・トーの映画『放・逐(邦題:エグザイル/絆)』を観てきました。
観ない奴は打ち首。
でも女にはわかるまい。
もう十日、歯が痛い。
2008/12/06
きなこチョコうまい。
頭が痛いので何をしても寒い。
2008/12/05 ときどき詩人
僕は昔から詩を書くのが好きで特に高三の秋くらいからはネット上に落書きのようなポエムを断続的にアップし続けている。それが↑の「poem」というリンクから飛べるページなのだがここに書いてある言葉を読んで「いい」と思えるのはおそらく世界で僕一人だけだと思う。僕の詩は僕のためにしか存在していない。少女が日記帳を誰に見せるわけでもない恋の詩で埋め尽くしてしまうのと同じように僕の詩の読者は僕だけである。それはもう詩のページのあまりの反響のなさによってわかる。僕の詩は「独りよがり」というところすらも超越して単に意味不明なので仮に読んだ人がいたとしても別段何の感興も湧かないことであろう。
なぜ僕が詩を書くのかというと誰に対しても素直になれないから。自分の気持ちを正直に語るのが苦手だから。自分の言葉で誰かとの関係を決めてしまうのが嫌だから。ずっとそうだから。
少女の日記のポエムには「あの人」というのが出てくるが僕の日記には出てこない。出てくるとしたら「僕」だけでその「僕」もまったく「僕」について語らない。「僕」は何も具体的なことを言わない。ただ「プラネタリウムになりたい」とか「宇宙になりたい」とかを言う。その言葉の意味を他人は誰も理解しない。作者である僕だけが理解「しうる」。だから僕の詩の読者は僕だけになる。
Web日記やら何やらで「自分」について語っている人がいるが僕にはできない。なんて言うと「いや充分お前は自分について語っている」と言われてしまうかも知れないが僕にしてみたら何も言っていないに等しい。僕は日記に自分のことを何も書かない。ただ嘘だけを書く。本当のことを書いているのは詩の中でだけだ。僕の本当は詩の中にしかない。
僕は素直になれない。本当の気持ちをストレートには言葉にできない。恥ずかしがり屋だから婉曲的に詩に託す。でも別に僕の詩に意味なんかない(それは僕の詩を一つでも読めばわかると思う)。ただ「気持ち」を込めているだけ。結果として出てくるのが「テクニカルカメオのちんちんが」とかそういう言葉で僕の真実はあるとしたらそこにしかない。しかしそんなもん誰だって理解できるわけがない。僕だけが理解しうる。だから僕の詩の読者は僕だけである。淋しくもないし、これからもそうあればいい。強がってなんかない。
2008/12/04 「本を買う」とは「借金をする」ということである。
ジャパンカップで一万円ほど失いました。代わりに、家の中に本が数十冊増えました。そういうふうに思うと「買い物をしすぎてしまった」という罪悪感が「競馬で負けてしまった」という悔しさにシフトして、「おれのせいじゃないもん! 馬のせいだもん!」とか思えるので少しは気が楽になる。実際は馬券なんか買ったこともないんだけど。
僕は暇な時はだいたい本を読むんですけれども、別に好きで読んでいるというわけではなくて、なんか義務みたいになってしまっているのですよ。義務だから、時には「読む気になれない」なんて気分になって、放っておけば三日も四日も一冊も読まないで過ぎてしまうわけです。家の中には何百冊じゃきかないくらいの未読の本があって、そのうえ図書館で一気に五冊も六冊も借りてきちゃったりしてるっていうのに。なんで義務になってしまうかというとそのように未読の本がたまっているからなんですね、買いすぎたり借りすぎたりして。「買うのは趣味、読むのは仕事」って言った近代文学の研究者がいたけど、僕もほとんどそうなってしまっているのです。
読書っていうのは僕の場合、娯楽も仕事も兼ねている行為なのでやめるわけにはいかない。「義務感から解放される」っていうのはもう、無理なんです。そうすると「いかにして義務感を強めるか」ということに腐心せねばならんくなる。
「義務感を強める」ためにはどうしたらいいかというと、答えは簡単。「覚悟料を払う」というものである。つまり「こんだけ本を買ったんだから、その分読まなくては損だ」と思わせる。「今日は五〇〇〇円も本を買ってしまったから、その分くらいは読まなくてはいけないぞ」と自らに言い聞かせるのである。要するに「本にお金を使う」ということをして、「読まなければならない」という気持ちを鼓舞するわけである。
この考え方が「なんかおかしい」と思った方、鋭いですね。僕も「これはおかしい」と思います。おかしいとわかっているのに、やめられないんです。これはもうですね、本当に、「資本主義」という考え方が現在置かれている状況と、ほとんど同じなんですね。そのことに気づいて今、愕然としております。
「本を買う→本を読む」という関係は、「借金をする→借金を返す」という関係と同じです。借金というのは「今はお金がないけど、とりあえず借りてあとでちゃんと返す」という、時間的な保留をつけるものです。本を買うというのもそれと似ていて、「今は読まないけど、とりあえず買ってあとでちゃんと読む」というものです。長かれ短かれ、「買う」と「読む」の間には必ず時間的な保留があります。
「本を買う→本を読む」という関係は、そのようなものです。これは「本を買ったから、本を読む」という意味です。非常に健康な在り方だと思います。ところがこれが「本を読むために、本を買う」というふうに逆転すると、一見普通の言い方に見えますが、一気に不健康なものになります。なぜならばこれは「借金を返すために、借金をする」ということと同じことだからです。
僕が上のほうで書いたのは、「本を読む動機付けのために、お金をたくさん使って本を買う」ということでした。これが「本を読むために、本を買う」という現象です。倒錯しているのが、おわかりになりますか?
資本主義は、「借金をする」ということを前提にしています。橋本治『貧乏は正しい! ぼくらの資本論』に則って、ここではそう考えてみます。
「会社」というのは、「株を売って得たお金」を元手にしてスタートします。この時点で「会社」は株主に対して借金をしています。社長と株主が百パーセント同じ人物だったとしても、この理屈は変わりません。「会社」は株主に借金をして、そのお金で事業をします。
「会社」には必ず借金があります。しかし株主は、「借金を全額返せ」という言い方はしません。「貸したお金は返さなくてもいいので、もし儲かったら、その何パーセントかを毎年ください。会社が儲かっている限りは、永遠にください」という言い方をします。もし儲からなかったら株主は怒って、「こんな株いらない」と言って、売っぱらってしまいます。売る人が多いと、株の価値は下がります。株の価値が下がると会社の信用が低くなって、それ以上の借金(銀行からの借入、株式の発行)ができません。すると会社の《目的》である「成長」ということができません。ひどいと倒産します。困りました。
だから会社は何が何でも儲けようとします。「借金をして、貸してくれた人に見返りを渡すために金儲けをする」です。ある程度儲かると、今までよりも大きな仕事が舞い込んできたりします。
会社というものの《目的》は「成長する」ことです(学校では「利潤を追求する」と習います)。少しずつ成長するだけでいいなら地道にやっていてもいいのですが、一気に成長するためには「今までよりも大きな仕事」という、身の丈に合わないことをしなければなりません。「今までよりも大きな仕事」には、必ず借金がつきまといます。なぜなら、「今までよりも大きな仕事」には、「今までよりもたくさんの元手」がかかるからです。それは現金ですぐに用意できるようなものではないので、銀行からお金を借りたり、株式を発行したりしてお金をかき集めます。この状態が「借金を返すために借金をする」になります。
だって、「どうして大きな仕事をしなければならないか?」ということの答えは、「株主に借金の見返りを渡さなければいけないから」だからです。ここでいう「借金の見返り」というのは、「配当」だけでなく、「株価を上げて、株主の利益を上げる」ことも含まれます。
どうやら現代の株主はあんまり「配当」ということを考えないで「株の売り買いによって利益を上げる」ほうをより重視する人が増えているようです。「この会社の株を買いたい」という人が増えれば、株価が上がって、会社の信用が上がります。会社の信用が上がると、「この会社の株を買いたい」という人が増えて、株価が上がって、会社の信用が上がります。
「会社の信用が上がる」というのがどういうことかというと、「会社がもっとたくさん借金をできるようになる」ということです。
「借金をできるようになる」と言いましたが、借金をするのは何のためかといえば、それはもちろん「借金の見返りを渡すため」です。それは「配当」や、「会社を大きくする=株価を上げる=会社の信用を上げる」ことを通して「株主の利益を上げる」ことです。
そして「借金の見返りを渡す」というのは、「永遠に返済できない借金の利子を払い続ける」ということでしかありません。
さらに、「借金の見返りを渡す」ということは「株主の利益を上げる」ということで、それはイコール「会社が成長する」ということと等しくもあります。だから「会社の《目的》は成長することであり、それはイコール永遠に返済できない借金の利子を返し続けることに等しい」ということにもなります。
さて僕は今「永遠に返済できない借金の利子を返し続けている」ような状態にあります。「本を読むために本を買う」などというバカなことをしているから、永遠に「未読の本の山」はなくならないのです。「借金を返すために借金をする」ということを続けていると借金の山がなくならないのと同じことです。「会社が成長する」というのはそういうことでしかないのです。
人間の《目的》は成長するということである、なんてことは言いませんが、身の丈に合わないような「急な成長」を望んでしまうと、どこかで借金のようなものを背負わなくてはいけないのかもしれません。細々と、自分にできる範囲でやればいいのに、「あれも読みたい、これも読みたい」なんて、身の程をわきまえずに欲張った結果、「未読の本の山」という借金にまみれた現在の僕がいるわけなんです。
2008/12/01
Wせんぱいおめでとう!
…またメアドがわからなくなったのでここに書いて忘れてない証拠とさせていただきます。
2008/11/30
2008/11/29
今さら自分のことなど書きたくもないんだけども……。
奥井亜紀さんのデビュー十五周年ライブへ行ってきた。
僕が彼女の曲を好きになったのがデビューして数ヶ月経った頃くらいで、当時九歳。
僕は自分に「物心」というものがついたのは小学四年生の頃だと思っている。それまでの僕はほとんど動物みたいなもので、今にして思えばあの頃手塚作品を読んで感動していたなんてことがまったく信じられないくらいに僕は幼かった。そしてあらゆる変化は一九九四年に起こった。
それらの変化の原因の一端を担ったのが奥井亜紀さんだった。もう一端は児童文学作家の岡田淳さんで、特に『扉のむこうの物語』という作品。小説らしきものを読み始めたのがこの年だったとか、性格が大幅に変わったとかいろいろあるのだが、何もかもそもそも奥井亜紀さんと岡田淳さんが原因だと思う。その辺についてはもう詳しく書かないで本題に行く。
そういうわけで小学校四年生までの僕にはまるっきり知性などというものがなかった。知性を獲得する前に好きになったものであるわけだから、僕は未だに知性によって奥井亜紀さんや岡田淳さんを語るということができない。手塚治虫先生に対して僕がほとんど神を崇めるように敬虔な信仰を語るというのも、それは僕が知性を獲得する前に愛してしまった相手だから。感性のみによって手塚治虫や奥井亜紀や岡田淳を受容し、愛していた僕は、今もなおそれを知性によって捉え直すということができないでいるし、そんな必要も別にないような気がする。
実は手塚治虫については、それを知性によって語る人間が周囲にもメディアを通しても沢山いるため、僕のほうにもそういう素地が育てられて、ある程度冷静に語ることも可能になっているのだが、「奥井亜紀や岡田淳を知性によって語る」という人なんてほとんどいないから、僕にも当然「奥井亜紀や岡田淳を語るための知性」などというものは育たない。(繰り返すけど、そんなもんはなくていいし。)
だから僕には「好き」と言うことしかできない。「ありがとう」と言うほかにはない。またも大げさに言えば、僕が知性のみに偏った堅物のインテリバカにならないで済んでいる(と僕は思っている)のは、奥井亜紀さんや岡田淳さんが感性の根っこを支えてくれているからで、もしこの「根っこ」がどこかで崩れていたら僕は今ごろ猟奇的殺人者にでもなっていたかもしれない! 僕の生活がどんなに荒れて荒んでも、根底で良心を支えてくれていたものがあったればこそ、完全なる堕落には至らなかったわけである。
「知性によって語る」っていうのは、「こうだから、こうだ」という論理でもってそれを表現できるということで、分析するとか、理屈をつけるとか、そういうこと。知性を獲得した後の僕は、好きなものは「なぜ好きなのか」、嫌いなものは「なぜ嫌いなのか」ということばっかり必死に考えていて、非常にやな感じだと思う。「好きなものは好き、でいいじゃないか」と言えるようなものは年を取ると少なくなってきて、何に対しても「こうだから、好きだ」とか、「好きなのは、こうだからだ」という理屈でもってしか語れなくなってしまう。インテリっぽい人、理知的にものを考えることができる人はみんなそうなってしまいがちだろうと思う。そして、そうなっていくと「情」とか「人間味」というものが理解できなくなっていくんじゃないか。僕が常々「論理」をあからさまに振りかざす人に対して良い顔をしないというのは、そこでは「感性」が無視されてしまうからというのと、「論理(知性)の顔をした感性」は、「熟しかけの知性」に対して妙に巨大な説得力を持ってしまうことがあるからだ。
ややこしいことを言ってしまった。
何はさて奥井亜紀さんのライブに行ってきたという話に戻る。五回くらい泣いた。以上。
2008/11/28
2008/11/27
それでシュミのハバとかを広げようと思って編み物と鳥居というのをやってみたわけだが、これがなかなか楽しい。それらをマスターする作業に関しては遅々として大して進みはせぬわけだが、「趣味である」と先に宣言してしまえば、どれほど遅々としていようが完全にやめてしまわぬ限りは「趣味」のままにさせておける。これが「特技」であればまた別なのだが、「趣味」というのは気が楽だ。
編み物に関しては今、「メリヤス編み」というのと「伏せ止め」というのだけやれるようになった。ひとまずの目標は「セーターを編み上げること」なのだが、このペースでいくと春くらいになってしまいそうだ。でもそんなことは関係ない。僕は編み物を「趣味」だと言っているのであって、「必要」という段階にまでは行っていない。女の子が恋人にセーターやマフラーを編んであげようとして挫折してしまうのはいきなり「必要」という段階からスタートさせてしまうからで、まずは「趣味」だとかせめて「練習」だとかいう段階から始めればいい。いきなり「クリスマスまでに」とか「彼の誕生日までに」だとか思ってやり始めると、だいたいうまくいかない。そうなってしまうのはおそらく、「もともと想像すらしていなかったような必要をいきなり作り上げてしまった」という「無理」が原因だ。「趣味」から初めて、それがやがて「何かの必要に活かせそうな趣味」にまでなったら、改めてそれに見合った「必要」を作り上げればいい。「ここまでできたんだから、こういうこともできるはずだ」という発想のあとに、「じゃあこういう必要を設定しよう」と考えるのが、堅実な考え方だと思う。
鳥居に関しては僕はまだ「神明系の鳥居」と「明神系の鳥居」の違いをようやく知ったという程度で、ずぶの素人である。しかし「鳥居」というのを趣味にしている人がそもそも少ない(であろう)ため、それだけでもずいぶんのもんだと思う。これから旅先で良い鳥居を見つけたら、写真に撮ったりスケッチしたりして、帰ってから「それがどういう鳥居か」というのを調べることにしよう。そのうちにきっと詳しくなっていくはずだ。
これまでは、「いい鳥居」を見つけても、「いいなあ」とだけ思ってそのまま通り過ぎてしまうことが多かった。ところが「鳥居が趣味である」ということを宣言してしまうと、「いい鳥居」を見つけたときにただ素通りするなどということが許されなくなる。鳥居に対しての向き合い方に気合いが入る。現に、これまで漠然と「いいなあ」とだけ思っていたのが、今では「くさびがある」とか「ころびが大きい」とか「反り増しが素敵だ」とかいちいち考えるようになっているわけである。「趣味にする」というのは素晴らしいことだ。
ところで「煙草を吸わない僕は、どのようにして心の孤独と対峙したら良いのか」というのは僕の高校時代以来のテーマで、ぷかぷかと煙草吸う友人をずっと羨ましく思っていた。編み物を始めて「これは煙草の代わりになるかもしれない」と少しだけ思ったが、両手と両目と神経を使い持ち運びにも適さないこの趣味はどうも煙草のように気軽ではない。「編み物が趣味です」とか「編み物が特技です」という人はいるが、「煙草が趣味です」とか「煙草が特技です」という人は少ない。コレクターとかマニアとか、「きき煙草」ができるとかそういう形でしかおそらく存在しない。煙草を吸うというのは「趣味」よりもさらに日常的なもので、その代わりにするのだとしたら同じようにそういうものでなければいけない。
鳥居ももちろん煙草の代わりにはならない。
で、結局「ガムをかむ」「アメをなめる」「うまい棒を食う」くらいしか思いつかない。なんかいいものがあったら教えてください。
2008/11/26
昨日からほとんどの時間を寝て暮らしてんの。どのくらい寝てんのかなんて野暮なことは書かないんだけどさ。もう脳細胞なんか多分ガンガン死んでんのね。そんなことお構いなしでさ、とにかく寝てりゃ誰かが助けてくれんじゃないかなんて考えたりしてずっと寝てるわけ。で辛抱強く頭痛くなるまで寝てると本当にそういう救世主みたいな人が現れたりして、夢の中でああだこうだ、とりとめのない話をしたりどうでもいい作業なんか一緒にしながらちくちくと同じ時を過ごしていくなんていうのが途轍もなく幸せだったりもして、ああ、自分が生きるというのは本当はこういうことなんだろうなあと心の底から思ったりもするの。で、その相手っていうのが女の子やなんかだったら健康なんだろうけど僕の場合はそう単純にはできていないわけね。女の子だったらいつか淫夢のほうへ偏っちゃいそうで不安定なんだ。かといって男友達だったらなんか気持ち悪いような気もする。何が気持ち悪いって「同性だから」ってんじゃないよ。「僕にこんなふうな夢を見られてこいつはどんなことを思うんだろう?」なんて気の遣い方をいちいちしちゃうもんだからまた心やすからず、そういう面倒くさいことを気にしなきゃいけないような「自分」の性質が気持ち悪いってのね。だから僕は「そのどちらでもないような人間」を夢の中に呼び出さなくてはならなくて、それが並大抵の努力でなんとかなるようなもんじゃない。要するに一日も二日も丸々眠り続けなくてはならないほどの難題だったりして、それでようやくついさっき、そういう人がやってきたっていうわけ。「そういう人」って簡単に言っちゃうんだけどさ、実は実際に見るまでは僕にだってそれが「どういう人」なのかまったくわからなくて、見た後になって、「ああ、そういうことだったんだ」ってのがわかる。「女の子でもなければ男友達でもない存在」っていうのは難しいからね。これが両親や兄弟だったりしても禁忌的な感じや甘ったれな自分への嫌悪ってのがついて回るから全然安心なんかできないわけだし。だけど見た後からすれば、「そうか、今の自分には確かに、こういう人しかあり得ないな」というふうに納得できる。とても楽しい時だった。夢ってほんの一、二分の間にもの凄く濃く長い内容を見るらしいんだけど、僕の場合は今回たぶんその十倍以上、ひょっとしたら三十分くらいはずっと同じ夢を見ていたように思う。そのくらいだらだらと長い夢だった。二日で何十時間も寝てしまったら最後にはとる疲れもなくなって、もう夢を見るほかにすることがなくなっちゃうんじゃないかね。でもだいたい夢のほうでは一分か二分くらいの内容しかもともと用意してないもんだからすぐにひとネタなんか終わっちゃって、三十分もずっと見続けようと思ったらネタがいくつも必要なわけ。それだもんで「とりとめのない話をしたりどうでもいい作業なんか一緒にしながら」になるわけね。話している状況だけじゃもう場面が保たなくなってくるもんだから、「くだらない作業」という状況に移行する。その移行のしかたがまたくだらなかったりもしてたまらないんだけど、こうして書いている間に夢の内容なんてほとんど忘れてしまっている。ただ「その人」の笑顔だけが記憶の片隅で「僕が生きるということはどういうことなのか」を教えてくれている。だからといって「まだまだ生きるぞ」なんて思うようなわけじゃないんだけど、ただなんとなく、今の自分というのをそういうふうに把握してみることで少しは心が軽くなったかなとだけは思う。ありがとうございました。もし機会あらばいつか。
2008/11/25
マミー飲んで将来を考える
胃にからみつく甘い味
見通しの悪い朝の道
実用性において牛乳に劣るマミー
生活に忍びこんだファンタジー
お金は
魔法でいろんなものに化け
マミー
それは現実味のない甘い味
どうやって生まれるのか誰も知らない
牛乳というあからさまな生命のイメージ
パッキングの檻の中でモーモーと鳴き
誰にも聞こえない
マミーそれは未来の牛乳
腐りやすい考古学的牛乳は
永遠のマミーに駆逐され滅ぶだろう
2008/11/24
2008/11/23
2008/11/22
学校。合唱。手塚治虫ファン大会。ちばてつや先生、水野英子先生、丸山昭さん、三浦みつる、石坂啓など、そうそうたるメンバーによるトークショーが実に熱かった。
「手塚治虫アカデミー」に引き続き今月は複数の手塚関連イベントに出席してみたわけだが、改めて手塚の偉大さを再認した。手塚はもとよりインテリの読むものだった(呉智英)とはいえ、昨今手塚を読む人間の割合が減ってきているのは事実。それはもしかしたら「インテリが減った」ということであり「民度が下がった」ということでもあるかもしれない。恐ろしいことだ。
そこで僕はこう決めた。「手塚作品を20タイトル以上読んだことがないくせにマンガ好きを自称している人を軽蔑する」と。極端すぎるかもしれないが、「そんなにマンガ読んでるくせに、なんで手塚を読まない…?」と僕は思うのである。何かを好きになったときには、そのものの過去へ遡って知ろうとするものなんじゃないのかと。マンガを好きになったら手塚治虫にはどこかでぶち当たるはずで、そうならないような人の「マンガが好き」という言葉に説得力なんかない。特に理由もなしに手塚を読まないできた自称マンガ好きの人間というのは、単純に、頭が悪いのだろうと思う。
手塚はインテリの読むものであり、オタクはすべてインテリたるべきであり、だからオタクは手塚を読むものである。…そう思うし、そうだったと思う。ところが今「オタクはすべてインテリたるべき」というのが崩れてきている。かつてオタクは世の中のはみ出しもので、どこへ行っても排除され、忌まれ、理解されないできた。だからこそ彼らはインテリにならざるを得なかった。知識と理論で武装して、外部からの軽蔑の圧力に耐えるための内面を充実させなければならなかった。そしてそのようにオタクがインテリであったがゆえに、周囲の一般人はオタクを「畏怖」していた。「なんだかよくわからないし、理解もしたくないけど、だけどとにかくなんかすごい」というふうに。「近寄りがたいけど、でもなんか――自分たちにはないすごいものを持っている」と。
だけど今はオタクは迫害なんかされない(若い世代になればなるほどそうだ)から、大手を振って「マンガが好き」「アニメが好き」と“だけ”言っていられる。もう武装は必要ない。「詳しい」ということと「語れる」ということが、かつてのオタクの自負であり、拠り所であったのだが、今のオタクにはそんなもん必要ない。ただ「好き」とだけ言えばそれでオタクである。最近の若いやつの話を聞くと、「秋葉原に行けばオタクである」とかいった安易で歪んだイメージを持っている輩が多くて、辟易する。例えば、ある「マンガやアニメやニコ動が好きな」中学生がこんなことを言っていた。「あたしオタクじゃないよ! アキバとか行かないし――」事態は、そういうところまで来ているのだ。
そういう今だからこそ「手塚の復権」は必要だと思う。今、書店に氾濫しているマンガ作品の多くは「薄っぺらい」ぜ。最近、十代半ばの若者に薦められてマンガやラノベを読むことがいくらかあるが、そのほとんどはキャラクター商品以上の価値を持っていない。フィギュアと同じ。ヌイグルミと同じ。カードダスと同じだ。ストーリーや心理描写が記号以上の意味を持っていない。そりゃ、昔から「インテリでないマンガ消費者」は手塚治虫なんか読まなかったのかもしれないが、「インテリオタクになる素質のある人間」が、そういったものに出会う機会が全く削がれているというのも一方で事実としてある。僕は「バカなオタク」よりも「頭がいいオタク」のほうが好きなので、いつまでも下らないホットケーキみたいなマンガばっかり消費していないで、「好きなマンガは好きなマンガとして読みながら、古典も読んで読む目を養う」ということをしたほうがいいと思うんだよな。
「手塚治虫アカデミー」で里中満智子先生が「若い人たちに基本の手塚マンガを勉強してほしい」と言っていた。それは描き手にとっても読み手にとっても言えることだろう。
別に手塚に心酔しろと言っているわけではなくて、彼の作品には批判されるべき余地もまだかなり残されているはずで、そういう意味でも「共通テキスト」として優れているのではないかと思う。批判の余地があるように見えて、しかし全面肯定する人もいるということは、そこに「議論」というものが発生する素地があるということだからだ。「議論」は読み手の成熟を促進する最良のスパイスだ。
読み手の質が下がってきているのは、「読むべき古典」が次々と絶版になっているというのもある。たとえば今日のイベントにいらっしゃっていたちばてつや先生の初期の少女マンガは漫画史を語る上で欠かせないものであるはずだし、今読んでも確実に面白い超名作揃いのはずなのだが、どういうわけだかどこへ行っても手に入らない。すべて絶版のようだ。また水野英子先生の作品もほとんどが読めなくなっている。そのくせ毒にも薬にもならぬ、下手くそなマンガばかりが溢れているというのは、どういうわけだ?
活字の世界でもそうだ、かつての名作・名著がまったく再版されなくて、くだらねー小説やエッセイや評論(新書とかね)ばっかが跋扈している。それは出版側にも読者側にも責任がある。なんで読まなくなっちゃったの? ブックオフのせい? それとも――?
2008/11/21
目が覚めたら動けなかった。身体が固まって微動だにできず、ようやっと目蓋を開いてもまたすぐに幕が下りる。声を出すことはできるのだが口が動かないのでうまく発音ができない。こんなことはよくある。金縛りというものには頻繁に出くわす。ただ今回明らかにいつもと違うのは確かに誰かが傍にいるような気がすることだ。いったい彼は(彼女は)誰なんだろう? と思っていると、声が聞こえた。耳慣れた声だった。起き上がって挨拶をすべきだと思ったがやはり動けない。金縛りと言っても半分は寝ているようなものなのだから、もしかしたら半分は夢なのかもしれない。そう思ってもみるのだが、動けないことだけは確かだ。動け、動けと身体に命じる。しかし動かない。徒労から、次第に脳みそが疲れてきた。頭が痛い。
と、左手の二の腕に穴が開いたような感覚と、性器を何かが覆うような感覚とがあって、次の瞬間僕は自由になっていた。動く。誰もいない。
心臓の止まりそうなほどの恐怖は、一分間ほど持続した。
2008/11/20
学校。徹夜明け、かつ帰宅が遅かったのでぼんやりして寝た。
昨日はとても楽しいインターネットラジオを無銘喫茶からお送りしました。
編み物はじめました。
2008/11/19
夭逝した華倫変の漫画に「よく眠る人には厭世的な人が多い」という言葉が出てくる。そういえば僕にとって「娯楽」とは眠ること以外には何もない。眠るということだけが楽しい。そうでない行為はすべて、どれほど楽しかろうが同時に疲れもするし常に不安がつきまとう。ほんのちょっとのさじ加減で一瞬にして絶望に変わるような危うさがある。しかし眠るということだけは違う。あれだけは純粋に快楽だ。眠ることは死ぬこととほとんど同じであり、僕は死ぬことへの憧れをまだ捨てられないでいる若者だから。
流川楓が「シュミは寝ること」と言っていたがそれはわかる。僕にも趣味なんてものはない。無条件に楽しいことなんて強いて上げても眠ることのほかにはない。その他のことは、すべて修行にすぎない。こんな価値観は嫌いなんだけど、そういうふうに育ってしまった。
そういうわけだから僕にはたぶん一般的に言われるような娯楽や気晴らしはあまり必要ない。その代わり僕はよく眠る。経済的といえば経済的かもしれないが、どんなに忙しい時でも生活の中から「娯楽」を削ることが難しいというのは、けっこう不便でもある。
『TAKESHI'S』わけわかんないけど面白かった。
2008/11/18
学校。絶不調。死にたい。文芸。合唱。『TAKESHI'S』前半だけ観る。泣ける。
2008/11/17
学校。言い忘れてたけど北野武『監督・ばんざい』観た。僕は面白いと思った。ただ、長いのでやや冗長。
橋本治『武器よさらば 橋本治書簡集』読◎。これは凄まじい本だ。橋本治の著作は数あれど、彼の「私的な領域」は「ここにしかない」と言っても過言ではない。『恋愛論』なんて甘っちょろいもんだ。
徒弟より借り受けた青木祐子『恋のドレスは開幕のベルを鳴らして』、桜庭一樹『GOSICK』読。前者は演劇がテーマなので楽しめたのだが、やや物足りない。おそらく、まだ誰もマンガや小説において芝居というものを描けていない。キャラの魅力、ストーリーのわかりやすい面白さは○。後者は「男女逆転版ネウロ」という感じ。ヴィクトリカと一弥はネウロとヤコに対応。『狼と香辛料』のホロとロレンスにも近い。
だがどちらの作品も、深く心に刻み込まれるようなものではない。(この歳になるとね)
2008/11/16
古泉智浩先生は神。アクションの『ワイルド・ナイツ』が面白すぎるので、『チェリーボーイズ』と『転校生★オレのあそこがあいつのアレで』を買った。
『転校生』(副題が秀逸すぎる)は、初めて読んだ古泉作品。名作。山中恒の小説『おれがあいつであいつがおれで』のパロディ。大林宣彦監督が映画化した時のタイトルが『転校生』だった。他にも映像化が多すぎて把握できないほど。ちなみに僕が最初に観たのは観月ありさ主演のドラマ『放課後』だった。
タイトルを見ただけで設定が百パーセントわかってしまうこの作品は、ずばり「性交中に神社の境内から階段を転がり落ちて男と女の性器が入れ替わる」という馬鹿馬鹿しいもの。しかしその中で、男子と女子のセックス観の相違や、教室における男子文化と女子文化、さらに童貞文化と処女文化にまで踏み込んで描写した画期的な作品だ。「なぜ今まで誰もやらなかったのか?」というよりも、「誰もが思いつくネタかもしれないが、誰も実際に描かないだろう!」という類のエポックメイキング。細かく書いてる時間が勿体ないので、あとは省略。
『チェリーボーイズ』もめちゃくちゃ面白いのだが、むかしの作品なので少々荒削り。その点最新作の『ワイルド・ナイツ』は洗練されている。特に17話は神ががり的に面白いので超おすすめ。
森下裕美『夜、海へ還るバス』再読。ネット上でもほとんど誰も指摘していないのだが(マジでなんでなんだ?)、谷崎潤一郎の『卍』そっくり。類似点を挙げ連ねればキリがないくらいに。しかしやはり谷崎が男性だからか、女性の心理描写に関しては森下裕美のほうが凄まじいかもしれない。できればセットで読んで欲しい作品。
『大阪ハムレット』が映画化するまでに売れているのに、『夜、海へ還るバス』のほうは全然話題にも上がらない。個人的には『夜~』のほうが面白い、というか、深みのある作品だと思うのだが。おそらく抽象的なシーンが多くて、登場人物の心理も単純ではないためだろう。わかりにくい、というよりは、ある程度の「物語を読む力」がなければ楽しめない作品かもしれない。はからずも(?)『卍』が下敷きとしてあるせいか、文学的な匂いも強いし。
とはいえ、先月のアクションに載っていた『大阪ハムレット』の再開第一作は深みのある文学的な作品に仕上がっていた。合間に『夜~』をやることによってよりそういう表現方法に磨きがかかった、ということなのかもしれない。(まーたテキトーなことを書いてしまったよ。)
ところでさっきから言っている「文学的な」ってのが実際にどういう意味なのか。うまく言いづらいけど、僕なりに説明するといわゆる「意図された空白」が多いということか。すべて説明してしまわないでも、「何か」を読者の心に強く残すことのできる力が森下裕美にはある。今どき希有な作家だと思う。『夜~』みたいな作品がまだまだ描けるんなら、『大阪ハムレット』なんか今すぐに終わったって構わないぜ!
つわけで今からカラスヤサトシの『おのぼり物語』を読む。
某試験で僕の前の席に座った人が柄谷行人読んでてわろた。
2008/11/15
学校。押しかけ。イラK。ベース。ヤムチャ。山家。まんだらけ。山形。ハチ公。
いっぱい「けんか」した。
2008/11/14
橋本治『貧乏は正しい! ぼくらの未来計画』を読み、これでようやく全五巻のシリーズを消化したことになる。今とても『二十世紀』を読み終えた時と同じくらいの絶望感でもやもやしている。完結から12年半経って、今の日本の状況がどうなっているのかと言えば、こうなっているのだ。いつまでバカをやっているつもりなんだ。橋本治は、よく絶望して死んでしまわないよなー、と思うのだが、「誤解なんかしない他人はちゃんといる」(あとがき)と信じられるからこそ、「強い人間」として生きていけるのだろうなあ。
2008/11/13
ブログやTwitterでぐだぐだ言ってるくらいだったら
mixiに引っ込んでた方がマシだよ。
でなければちゃんと自分のホームページを作れよ。
覚悟もなしに、手間もかけずに発言権を得てしまえると
いくらでもばかばかしい問題は起きる。
今後、僕はすべての「日記や雑感を書く場としてブログを借りている人」と「Twitterを利用している人」とを軽蔑する。友達であろうが、なんだろうが。フジロックが嫌いなのと一緒で、ブログも嫌いだ。
そんなわけではてなのブログを消します。ログを避難させなきゃいけないので、すぐには無理だけど。とりあえず非公開にしといた。
あー、やだ、やだ。
2008/11/12
酔っぱらって誰かに電話するっていうことは絶対にしてはならない行為だということぐらい僕は六年来かの西原某を見て知っていたはずなのに。「誰もが心の中に西原を持っている」という自分のかつての名言を思いだす。それだから、誰もが彼を「最低の人間だ」と思っていながら、誰も彼を他人のように思えないのだ。
非常に個人的な話。
学校の後、ヴィルヘルム・ハンマースホイという画家の展覧会に行ってきた。国立西洋美術館。ほとんど「ホイ」という響きの面白さに惹かれて行ったというだけのもんなんだが、なかなか良かった。
ホイは、ほとんどの作品に「窓」か「ドア」、もしくは「そこから差し込んできている光」を描いている。空間と空間とのつなぎ目と、そこを自由に行き来する光。それによって表情を変える室内。同じようなモチーフばっかり選んで書いているのは、彼が「光のあり方」を描きたかったからなんじゃなかろうかと思う。窓やドアの開き具合や、季節や太陽の位置などによってその空間における光の在り方はまったく違うのだから、場所や物体を変えなくともまったく違った顔をした作品が生まれるのは必定だし、むしろ同じようなモチーフを選んだからこそ光の在り方というものがより明らかに描写できたのだろう。
ホイも良かったのだが、ついでに見てきた常設展も良かった。
さすが東京、というようなもんで、有名な画家の絵がたくさんあって、枚挙に暇がないほど。中学校の美術の時間に習った名前が目白押しだった。モネ、マネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャン、ピサロ、シスレー、クールベ、ミレー、ルーベンス、ドラクロワ、等々。ナビ派のランソン、ボナールあたりも良かった。中世の宗教画もたくさんあった。彫刻はロダンがいっぱいあった。(小学生の作文みたいだぜ。)
クロード・モネは特にたくさんあって、時間もなかったので結構流してしまったのだが、『睡蓮』は流石に圧倒的だった。なんかこう、憧れていたルーベンスの絵に出会えたネロ少年みたいな気分になって、「中学校の勉強って、こういう意味もあるんだなー」と、美術の成績が通知票では「2」だったのに期末のペーパーテストでは常に100点近い成績を取っていた僕は思うのであった。
ちなみにかのルーベンスの絵は、赤ん坊が二人並んで寝ている、エッチな作品だった。
でも、最も感動したのはやっぱりゴッホだったりする。『ばら』という、小さな作品が一点あっただけなんだけど、絵の具が生きてる。ちょっと泣きそうになった。「あー、だからゴッホの絵って高いのな」ってのが、ちゃんとわかるようなエネルギーを持っている。二次元じゃなくて、三次元の世界にある。「絵画なんて、カタログで見たって同じことじゃないか」なんて言えなくなるような。
興味深かったのは、ゴーギャン。「印象派は浮世絵の影響を受けている」なんてことを中学校で習ったんだけども、浮世絵を本当に理解していたのはたぶんゴーギャンだけなんだろうなと思った。モネの絵を見て、浮世絵らしさを感じることはできないが、ゴーギャンは「ちゃんと浮世絵している」。
江戸東京博物館の浮世絵展(ボストン美術館から来たやつ)を見て感じたのは、「こりゃあマンガの絵だな」ということだった。中には藤子・F・不二雄先生みたいに優しい強弱を持ったイリとヌキを描いている作品もあって、びっくりしたものだ。
日本の浮世絵と西洋の絵との具体的な違いを挙げると、「輪郭線の有無」というのがある。西洋の絵はふつう写実的な絵で、やたらリアルに描く。「輪郭線」などというものは現実には存在しないので、「リアル」を追い求める西洋の絵には、ふつう「輪郭線」などというものはない。あったとしても、肌の輪郭なら肌色で描き、青い服の輪郭なら青色で描くのがふつうだ。ところが日本の浮世絵は、輪郭を黒い墨で書く。
この「輪郭を黒で描く」というのがマンガの絵の基本になって、それだからこそマンガが今のような形で日本に定着し得たのだろうというのがよくわかって、マンガ好きな僕にとって浮世絵展は「マンガのルーツを教えてくれた」ものだった。
で、ゴーギャンの絵というのが、これまたマンガなんだ。常設展にあったすべての絵を見たつもりだが、「人物の輪郭線を黒で取る」ということをしている画家は、たぶんゴーギャンだけだった。西洋の画家はたぶん、日本の浮世絵を見て「リアルなだけが絵じゃないのだな」と思って、「こういうふうに、自由に描いてもいいんだな」ということ《だけ》を盗んで、技術的には西洋的な描き方を踏襲していたのであろうが、ゴーギャンだけは浮世絵の《技術》をも盗んでしまったのだろう。だから西洋で初めてマンガを描いたのはゴーギャンなのである、などとテキトーなことも言いたくなってしまう。
と、ぜんぜん美術に明るくもないのに書いてしまって、あとで全然違うと気がついて恥ずかしくなるというパターンは踏みたくないから、詳しい人いたらフォローしてくだしあ。
2008/11/11
学校。徒弟より借り受けた青木祐子『恋のドレスとつぼみの淑女』読む。一八七〇年代くらいのイギリスが舞台になっていて、「インド」「紅茶」「阿片」なんていうキーワードも出てくる。中学生ぐらいで読んでおくと世界史の理解が早いかもしれない。文章も(『狼と香辛料』に比べたら格段に)上手いし、構成もなかなか良い。ただ、ストーリーは甘っちょろい恋愛ものなので、大人の男性には向かない。それにしてもまだ出ているんだなあ、コバルト文庫。
2008/11/10
学校。書き忘れてたので書く。松本哉さんの『貧乏人の逆襲』でフジロック批判が二回(一回は雨宮処凛との対談で)出てきて、嬉しくなった。フジロック爆発しろ。
ただ、批判の内容はありがちなもんで、「消費者としての自由で満足してんじゃねえ!」っていうことだった(P81、P175)。僕は自分がフジロックをはじめとしたロックフェスが嫌いな理由を実はまだ整理しきれてなくて、たぶん「金」と「自由」という言葉だけで語れることばかりが理由ではない。
2008/11/09
朝っぱらからガストに行くも、集中できない。九時間かけて二冊だけ読み離脱。広告批評最新号立ち読み。ブックオフ。帰宅したらはてなブックマークのアホさで盛り上がっていたので参加。
橋本治『貧乏は正しい! ぼくらの資本論』読、とてつもない名著。思わず「ひとりバブルとはそういうことだったのか会議」を開催。「相続税」という思想と「家」という制度にまつわる日本史が一つになって「財産」への問題提起をはかるというとんでもない本だ。
松本哉『貧乏人の逆襲 タダで生きる方法』読、松本さんは尊敬するし非常に素晴らしいことをしていると思うんだけど、だからといって彼に追随したり、一緒に活動したりしようとはあんまり思わない(「祭り」には参加したいんだけど)。「貧乏」という思想が現在、「自由にバカをやる」か「マジメに論争をやる」という発想でしか体現されていないのが気にくわないのだ。「貧乏」っていうのは、もっと普通で、日常的なものだ。「やけっぱち」や「ジョーク」ではないし、ましてや「脱出するべき状況」でもないし、「インテリのおもちゃ」なんかでは、もちろんない。考えなければいけないのは「普通の人のための貧乏」だ。バカ騒ぎしたり、「活動」したりするアクティブな人たちの中には入っていけない(いかない)、「普通」の人たちのための「貧乏」。それが生まれない限り、バカ騒ぎはバカ騒ぎで終わり、ヒステリーはヒステリーで終わる。
2008/11/08
学校。また別口で文章を書きまくった。
帰宅してからの記憶はなぜかない。
2008/11/07
昨日は「読む日」だったので、今日は「書く日」にした。久々にたくさん文章を書いた。手塚治虫『マコとルミとチィ』、『やけっぱちのマリア』読。手塚は「育児マンガ」や「性教育マンガ」の先駆でもある。ホントにペンペン草一つ生やさない人なんだなあ。『やけっぱち』あとがきの、「(性表現や性教育的内容は)書けなかったんじゃなくて、書かせてくれなかったんだよ!」という叫びは泣ける。
僕が常々思うのは、「軽薄短小なサービスは絶対に腐敗するのだから、ネット上にはせいぜい“ホームページ”だけがあればよかったんじゃないの?」という乱暴なものだ。この「軽薄短小」にはSNSやブログやTwitterなどが含まれる。人気のある「お手軽なサービス」においては、まず間違いなく「ああいうこと」が起こる。インターネットのことが何にもわかってなくて、自分でサイトを立ち上げることすらできないような人が簡単に発言できるような状況になったら、秩序なんかなくなって当然だ。「精神的にも技術的にも未熟」で、「インターネット上で人はどう振る舞うべきか」なんてことを考えたこともない、あるいは「ろくに考えることができない」ような人が増えれば、「軽はずみな言動」も増える。そりゃそうだろう。
◆徒歩は正しい! ぼくらの東京&名古屋物語
●時間をお金で買う、という発想
「練馬の自宅から三鷹駅まで八キロほど歩いた」(朔日の記事参照)ということを知人に告げたら、驚かれた。驚かれることは想定内というか、驚いてほしいからそういう話をする。驚いて、「なぜそんなことをするのか」と聞いてほしくてそういうことを言う。
そうすると僕はとりあえず「うちから三鷹まで電車で行くと片道五○○円くらいかかるんです」などと答えて、貧乏っぷりをアピールする。この答えは本当ではない。「節約」だけが理由ならば、自転車に乗って行ったほうが早いからだ。だから僕は、実際は別の理由があって歩いたのに、それを言わなかったことになる。それは、今にして思うとたぶん次のような言葉を引き出したかったんだろう。その後、こう言われたのだ――。
「時間をお金で買う、という発想はないの?」
正直言うと、僕は単に自慢がしたくて、あるいはその場に何か話題を提供するために、「歩いたんだ」ってことを言っただけであって、こういう答えは期待もしていなければ予想もしていなかった。でも、面白いなと思った。僕は自転車でずいぶんな距離(何十キロとか何百キロというような)を移動したり、新幹線が走っているところをわざわざ鈍行列車で移動したりするのだが、それらに関しても同じ事をよく言われるのである。
これに関係するようなことが、昨日読んだ『貧乏は正しい! ぼくらの東京物語』(橋本治)に書いてあったので、自分の見聞や経験を引き合いに出しながら少し書いてみる。
●景色が自分のものになる
こういう話で真っ先に思いだすのは、高校二年生の時の北海道旅行で出会った「ミスター」と名乗るおじさんのことだ。詳しくは省略するが、美瑛駅でうろうろしてたら声をかけられて、僕はホイホイ、一夜をともにした。もちろん変な意味ではない。京大の学生が一人、同じように声をかけられてミスターと一緒にいて、それで安心したのである。
ミスターは十代の頃からずっと旅ばかりしてきた人で、日本だけでなく世界中をまたにかけてきたという。日本全国どんな土地の話をされてもわかる、と豪語していて、僕の地元の様子もかなりよく知っていた。そんな彼がこんなことを言っていた。
「昔はバイクで旅をしてきたけど、それじゃ満足できなくなって自転車に変えた。最近はもっぱら徒歩だよ。歩いているとね、三百六十度、すべての景色が自分のものになるんだ。それにスピードが違う。バイクや自転車ではあっけなく通り過ぎてしまうなんてことのない景色が、のんびり歩いているととてつもなく大きな価値になって目の中に飛び込んでくるんだ。」
旅、というか、歩く、ということの本質はまさにこの言葉の中にあるんだろうと思う。速く移動する乗り物は、限られた方向しか視界に入らない場合が多い。僕の大好きな自転車にしたって、基本的には進行方向しか見えない。都会やバイパスでは、ちょっとよそ見したらすぐ死んでしまう。
それでも、停車が比較的自由で、いつでもどこでも「立ち止まって」その景色と空気を楽しむことができるというのは、自転車の特権だ。それに、肌と空気を直接触れあわせ、あまり速すぎないスピードで走り、移動する場所を「面」や「空間」とまでは行かないまでも「線」として捉えることができるというのは、クルマにはない良いところだと思っている。クルマや電車などの「ハコ」系の乗り物は、どうしても場所というものを「点」としてしか体験できない。
しかし、クルマより電車より自転車より、もちろん徒歩のほうが移動する場所を体験するための移動手段としては優れている。しかし、問題は「移動する場所を体験することにどういう意味があるのか」だ。そのことに何の意味もないのだったら、歩くことにメリットなどない。せいぜい「健康に良い」というくらいだ。で、普通の人は歩くことをその程度にしか考えていないので、「お金で時間を買う」という発想が平気で出てくる。そういうふうに言われることを予想できなかった僕には、そういう発想はない。
●「狂う」という自由
「肉体的に移動を体験する」と、距離を感覚としてつかむことができる。普通の人はどうやら「距離」というものを、「クルマで何分」とか「電車で何分」という具合に、「移動手段×移動するのにかかる時間」というふうに把握するらしい。僕は基本的に徒歩と自転車以外の移動手段はふだん使わないので、あんまり「○○で何分」みたいな考え方はしない。正確には、できない。僕が使うのは「狂い」のある移動手段だからだ。
徒歩や自転車というのは、ペースや道の選び方によって所要時間がまったく変わる。クルマも天候や道路状況に左右されるという点では同じだが、ペースや道の自由度は徒歩や自転車よりもずっと低いから、大幅な「狂い」は「アクシデント」としてしか発生しない。「今日は道がすいてたから速かった」というような平均値からの逸脱はもちろんあるのだろうが、それらはたいてい「こうだから、こうなった」というふうに因果関係が明確になるような合理的なもので、「狂い」ではない。徒歩や自転車には、「狂い」が日常的に、自然に訪れる。
クルマは、速度からしてドライバーの自由にはならない。制限速度や、同じ道を走っている他のクルマとの兼ね合いで決まるものなので、「今日はゆっくり走ろう」とか「今日は急ぐぞ!」ということが、しにくい。したら迷惑になったりする。電車ももちろんそうだが、「ハコ」系の移動手段は、「自由がない」ものなのである。「自由がない」からこそ、「狂い」というものも生まれ得ない。「狂い」のない合理的な現代社会は、まさしく「自由がない」のである。
徒歩や自転車は休憩したり、寄り道したりということも自然にできる。「自然に」というのは、「休憩しよう」とか「寄り道しよう」という明確な意志がなくても、いつの間にかそうなっている場合があるということである。それが徒歩や自転車といった「アシ」系の移動手段の持つ自由である。徒歩や自転車の時間は狂いやすく、「○○分」という形で把握するのが困難だ。それは「アシ」系の移動手段が合理的でない「前近代的な」ものだからでもある。
●「歩く」を前提としない東京
前掲書で橋本治がどういうことを言っているのかというと。
《適当な要約A》
十九世紀までの世界は、馬車と徒歩が都市での移動手段だったから、都市の大きさというのは「馬車や徒歩で充分移動できるだけの規模」でしかなかった。ところが東京は、二十世紀になってから発達した異常な都市(しかも、関東大震災によって一度破壊される)なので、やたら広い。大阪の環状線内は歩いて縦断ないし横断できるが、山手線ではちょっと大変だ。/
つまり東京は「歩く」ということを前提としていない都市なのである。だから、僕がやったような「富士見台から三鷹駅までを歩く」なんていうのは、異常なのである。(もっとも、山手線からはみ出した練馬や三鷹=武蔵野がどの程度まで都市「東京」であるのか、という疑問もあるが。)
上にも書いたように、うちから三鷹まで電車に乗ると片道五○○円(最安ルートで四九○円、最短ルートで五六〇円)する。「ハイパーダイヤ」で調べたところによると、四九〇円のルートだと乗車時間は約五〇分、自宅から駅まで歩く時間などを考えると合計で一時間はかかる。ルートを変えても五分程度縮まるだけだった。「それだったら、二時間かけて歩いてもいいなあ」と僕は考える。しかも実際には待ち合わせ時間に遅れそうだったので前半五キロくらいは走って行ったため、三鷹までなんと一時間ちょっとで着いてしまった。後半三キロは、歩きながら国木田独歩の『武蔵野』を読んでいた(これがやりたかっただけなんです)ため、時間を無駄にしたつもりは一切ない。むしろ、武蔵野の土(アスファルトだけど)を踏みながら『武蔵野』を読むという希有な経験ができたことを喜ぶのである。
●「自転車でちょうど良い」広さ
ここで正直に告白すると、僕はふだんあんまり歩かない。歩くのが嫌だからではない。自転車に乗るからだ。「歩く」ということだけに関してなら、きっと電車に乗っている人のほうがずっとしているだろう。ただ、僕は歩くことをまったく苦にしないし、時折は気分を変えて歩いて出かけたりする。無目的に散歩したりもしないではない。でもやはり、基本的には自転車に乗る。それは東京が歩くことを前提として考えられていない都市だからでもある。
「自転車が走りやすいように道路が造られていない」という点では、東京は自転車が走ることを前提としていない(つまり、自動車が走ることだけを前提としている)都市だとも言える。でも、東京程度の広さら、何も自動車や電車に乗ることもないよなあとも思う。東京は、そこまでだだっ広いわけではない。かりに山手線の内側だけを「東京」と考えてみた場合、その広さは僕の生まれ育った「名古屋」という都市での僕の行動範囲の広さとあまり変わらないかもしれない。名古屋でも僕は、自転車にばかり乗っていたのだ。
●都市としての名古屋
僕は名古屋にいた頃、今よりもっとお金がなかったため、もちろん電車にもバスにも乗らなかった。我が家はクルマを持っていなかったし、タクシーは贅沢だから乗らない。必然的に、移動はつねに自転車ということになる。名古屋というのは、僕が考えるにそういうことが可能な都市で、それなのにトヨタのせいで日本有数のクルマ社会になってしまっている。
たとえば、僕が生まれた家は矢田川という大きな川のほとりで、守山区と北区北部の住民の皆さんには悪いのだが、僕はこの川より北を「名古屋の郊外」だというふうに考える。僕の家は矢田川の南側だから、僕の感覚では「名古屋の北端」である。僕のイメージする「都市としての名古屋」は、北区、名東区、天白区、南区、港区、中川区、中村区、西区の真ん中かやや中央寄りのあたりを切り裂きながら走る線の内側くらいで、守山区と緑区は含まれない。(悪気は全くなくて、むしろ守山区と緑区は個人的な思い入れがたくさんあって、かなり好きな区である。)
地図:http://www.nagoya-posting.com/img/img_02.gif
そういうふうに考えた場合、名古屋は自転車で移動するのにちょうど良い大きさだと思う。「北端」に住まった僕が、「都市としての名古屋」に含まれないと僕が考えているような緑区という辺境まで、女の子に会うために自転車で通っていた(これは大学生の頃)のだから。まあ、さすがに緑区は遠かった。ほぼ南端の瑞穂区くらいまでなら、実は小学校の時すでに自転車で行っていた。それも古本屋を探しに、というのだから、僕の人生には一貫性があるよなあとつい思ってしまう(というのに、「軸がぶれている」なんてことを言われる、遺憾だ)。
名古屋という都市を、このように「ちょっと広め」に捉えてみたら「自転車で走るのにちょうど良い」になる。僕がもし北端でなく中央近く(たとえば昭和区)に住んでいたとしたら、市内ならどこでも、くまなく苦もなく走りまくっていただろう。北端に住んでいてさえそうだったのだ。そのくらいに名古屋は狭い。そんな名古屋を、さらに狭い視点で捉えてみるとどうなるか。名古屋の「都心」の話である。
●名古屋の「都心」は本当に狭い
東京に出てきて「名古屋は好きか」とか「名古屋の良いところはどこか」とかいう意味のことを質問されたら、僕が必ず答えていたのが「名古屋は狭いから良い」ということだった。これはほとんど直感的に言っていたのだが、今になってまた確信している。名古屋は狭いから好きだ。「狭い」というのはつまり、「都心が、徒歩で移動しても苦にならないくらいに狭い」ということだ。
名古屋の都心とは、名古屋城と、名古屋駅と、「栄」という繁華街と、交通の要所である「金山」との、四点を結ぶ縦長のひし形に近い四角形の中にあって、それ以上にはほとんど広がりようがない。
名古屋城から南西に直線で二キロ離れたところに名古屋駅があって、そこから南東に三.五キロ行くと金山駅(中央線で一駅)、そこから北東に三.五キロ行くと「栄」繁華街の東端あたり、そこから北西に二キロで再び名古屋城に戻る。名古屋の都心は、この程度で終わる。この中に、秋葉原と上野と浅草と原宿を足して七で割ったような「大須」という町があり、古本屋街があり、風俗街があり、美術館や科学館と言った公共施設があり、まぁ、ともかく文明らしい文明がすべて集中しているのである。
名古屋は地下街が他の地方には類を見ないほど発達しているため、都心が広がらなかった、という話もある。逆に言うと、「都心を広げないために、地下街を発達させた」のかもしれない。もっと現実的に「クルマがたくさん走れるくらいの広い道路を確保するために地下を活用した」というのが本当かも知れない。だとすると、今や「トヨタのおひざもと」に成り下がってしまった名古屋は、どこまでもクルマ中心の考えをしている、ということにもなる。
●踏切のない都市
狭いくせに地下鉄の路線は異常なほど多く、しかし地上に鉄道はあんまりない。あるところはあらかた高架にしてしまっているか、道路が線路を飛び越える形になっているため、踏切などというものは見あたらない。金山から南のほうへ行く線路はしばらく地を這って進むのだが、どういうわけだか踏切は少ない。東京がやたらと小さな踏切を作りたがるのに対して、圧倒的に少ない。おそらく、あっても無駄だからだ。
「踏切のあるような小さな道路なんかわざわざ通さなくとも、線路を飛び越える大きな道路を走れば良い。そのほうが早い。」クルマ社会の皆さんは、そう考えるのである。実際、金山の隣の神宮前駅にある踏切は、名鉄で唯一の手動式踏切である。隣にJR線が走っていて、そっちの駅も近いので、自動にするとまったく開かないから、だそうである。そんな踏切なので、もちろん便は悪い。僕も相当待った記憶がある。
余談だけど、実家の近所に「ゆとりーとライン」という高架バスが走っている。わざわざ専用の高架を作って、ローラーのついたギリギリのサイズのバスをミニ四駆みたいに半自動運転させているのだ。そのくらいに名古屋は、「電車よりもクルマ」で、しかも「高架が大好き」なのである。ちなみに僕は開通初日の朝に徹夜して乗った。ゆとりーとラインの「上り」バスに世界で最初に乗った一般客は僕である。だからなんだってことだけど。
もちろん、都心から離れれば離れるほど踏切の数は増えていく(特に市外に出ると多くなるし、守山区も踏切がちゃんとある)のだが、たぶん「都市としての名古屋」の範囲というのは、「線路に踏切がない地域」をさすのだろうと考えると、妙に納得できる。
自転車で走るのにちょいど良い規模であるはずの「都市としての名古屋」は、どういうわけだか自動車が走ることしか考えていない都市作りをしていて、自動車の障害となる「踏切」というものが増えていくあたりを境に、都市ではなくなる、ということになっているようなのだ。自転車はスロープがあれば(またはなくても)歩道橋を渡れるし、迂回も容易なのだが、自動車にはそうでない。「自動車が自由に走り回れる」ということが名古屋がトヨタのおひざもとで大都市として発展するための条件であるのだから、そこからはみ出した土地、つまり踏切が普通に利用されているような土地は、「都市としての名古屋」には含まれないのだ。
●狭いのにクルマに乗る名古屋と、広いのにクルマが使えない東京
名古屋を出て五年半になる僕が言っても説得力がないというか、実際当時自転車で走っていた印象と、ネットで手に入る断片的な情報だけでものを言っているので曖昧なもんだけど、名古屋は自動車にとって都合の良い都市だということは確かだ。「自転車で移動するのにちょうど良い」広さと、「歩いて十分に回れる都心」(実際、栄から金山くらいなら歩く人はいくらでもいる。大須を中継地点にして)を持っているのにもかかわらず、名古屋はクルマ社会だから、そういう地の利がまったく活かされていない。僕は「名古屋の狭いところ」が好きだが、「狭さを有効に使いこなせていないところ」が、大嫌いである。これほどクルマを走らせるのなら、もう少し広くてもいいのだ。さて、そこで東京の話に戻る。
さっき、「山手線の内側が東京だとしたら、名古屋と同じくらいの大きさだろう」というような表現をした。もしそうであれば、東京は「自転車に乗るのにちょうど良い」規模だということになって、げんに四谷あたりに住んだとしたら三〇分くらいでたいていのところには行ける。しかし実際東京はもっと広い。少なくとも二十三区内を「東京」と呼んでしまって良いほどに東京は発展しているし、首都圏の人の行動範囲は広い。名古屋のように都心機能が「徒歩で行ける範囲」に集中していないから、人々は遠くのあちこちへいちいち移動しなければならない。四谷どころか山手線に内側に住むこと自体が「金持ちか地元民の特権」みたいなもんなんだから、一日に何十キロも移動しなければいけないことがいくらでもあって、普通の人にはとても自転車で走ることができない(僕は走るけど)。
そういう時にクルマがあれば便利なのかもしれないが、どっこい、東京でクルマを持つ、ということは大変なことだ。まず、置く場所がない。それから、使い途がない。どこへ行っても渋滞ばかりで、目的地に着いても停める場所がない。金ばかりかかって役に立たない。せっかく買っても年に数回の行楽シーズンにしか活躍できない。それが東京のクルマ事情だ。
名古屋ではほとんどの家庭が当たり前のようにクルマを持っていて、かなりの割合で複数台所有している。十八になったら「とりあえず」免許を取りに行くというのは常識みたいなもんだし、成人祝いや就職祝いでクルマを買う、というのもごく当たり前のことだ。名古屋では、大人になるということはクルマを運転するということとほとんど等しい。なんと、未だにそうなのである。あんなに狭いのに、そうなのである。
名古屋は「狭いのにクルマを使う」というヘンテコな土地で、東京は「広いのにクルマが使えない」というヘンテコな土地だ。道も狭いし、「開かずの踏切」だって二十三区内にはそこら中にある。東京は鉄道がたくさんあって、たくさんあるくせにラッシュがある。だから踏切が開かない。だからクルマに乗れない。踏切がなくても、混んでるから乗れない。あるいは会社に駐車場がない。
東京は「自動車が走ることだけを前提として作られた都市なのに、実際は自動車で走れない」というむちゃくちゃな土地なのである。
●「その間にあるもの」が殺される
さて、歩くことについて書いていたはずなのであった――。
《適当な要約B》
移動するということは「距離を埋める」ということで、「距離を埋める」とは点と点とをつなぐことだ。埋め方にはいろいろあって、点と点とを車や電車で一挙につないでしまえば「距離の隔たり」はなくなり、「便利だ」ということになるのだが、それで失われるものもある。それは「距離の持つ広がり」だ。
A点からB点に一挙に行ければ便利なんだけど、そうすると「A点とB点の間にあるもの」がわからなくなってしまう。つまり「距離がなくなる」だ。感覚的に距離がないのならば車の中は「自分の家の中」と同じになって、すべてが「自分の世界」のみで完結するようになる。
生きた町、あるいは自然は「情報の宝庫」で、歩くことによってその情報は発見される。発見は「町や自然の持つ刺激」になる。歩かず、何も見なければ、何も発見できないし、何の刺激にもならない。/
「地道に歩く」ということをしないで、車なり電車なりで一挙に移動してしまうと、「その間にあるもの」がわからなくなる。新幹線と鈍行列車についても似たようなことが言えて、新幹線で一気に名古屋なり大阪なりに行ってしまうと、その間にある「駅」が消える。鈍行列車でさえ、「駅と駅の間にあるもの」をすっ飛ばしてしまうというのに。
高校で出会った鉄道マニアの友人は、電車に乗るとずっと窓の外を凝視しているらしい。真っ暗で何も見えなくなるまで、決して眠ったりせずに車窓を見つめる。それは、「駅と駅の間にあるもの」を無視しまいとする、土地土地への思いから来ているのだろう。彼は「駅と駅の間にあるもの」が、放っておけばわからなくなってしまうものだということを知っていたのだ。電車に乗ることというよりも「電車に乗って土地を移動すること」を重視していたであろう彼は、大学で本格的に自転車を始めた。たぶん彼は「歩く」ということの重要性がわかって、「点と点の間にあるもの」を尊重できて、町や自然から何かを発見して刺激を受けることのできる人間だ。僕は文系で、彼はどちらかといえば理系寄りの教科が得意だったし、共通の趣味も話題もそんなに多くはなかった(電気グルーヴくらいか?)のだけど、なぜか僕と彼とは気があって、高校一年生の時は一日中二人だけでくだらないことを延々と喋り続けていた。共通点は、「そういう」意外なところにあったのかもしれない。
ちなみにゆとりーとラインに乗りに行こうと誘ってくれたのも彼である。
●「目的」という病
散歩とは「暇だから、刺激が欲しくて」するものである。そう考えると、歩くことによる刺激というものが理解できる。そういう刺激を受けずに、「自分の世界」だけに閉じこもり、ただ淡々と「目的を果たす」ということのためだけに生きていく。そうやって生きていると、人間はどうなるか。わからないんだけど、わかってしまうような気がして、恐ろしくなる。
歩くということを、単なる一つの移動手段としてのみ捉えると、「お金で時間を買う」という発想が出てくる。「車や電車はお金がかかって、徒歩ならかからない」ということと、「車や電車は目的地に着くのが早いが、徒歩だと遅い」いうことを練り合わせるとそういうことになるらしい。僕は歩いたり自転車に乗ったりといった「アシ」系の移動手段を、半ば思想として選択しているので、そういうことにはならない。思想というよりは、そうだな。「そっちのほうが心地よい」から、そうしている。
なんで心地よいのかというのは、僕は「すでに定められた目的のために生きる」なんてことは嫌だからである。生きるということは、「いま」という地点から遠くの点に向かって引っぱられる直線のようなものではなくて、「いま」という場所から足を踏みしめて「歩を積み重ねていく」ようなものであって、どっちへ向かうかなんてことはわからない。『モモ』という小説で、目の前の道を掃除しているといつの間にか全体の掃除が終わっている、というような掃除のあり方が書かれているが、生きるということもそういうもんで、ある目標に向かって一直線に進んでいくのではなくて、目の前の一歩を踏み続けていくことでいつの間にか直線なり曲線なりができてしまうということだと僕は思っている。それがりっぱか、りっぱでないか。それだけである。
●歩き出せ、近代と「将来」に背を向けて――
「こうだから、こうである」ということを、長いスパンで考えるのは近代的な考えで、「こうだから、こうである」を短いスパンで考えるのがおそらく近世までの考え方である。「こうだから、こうである」という論理はあらゆることの基本で、そこから逸脱することはできない。だからそういう考え方は普遍的にある。しかし、「こうである」を「こうだから」から遠いところに設定すると、「その間にあるもの」がわからなくなる。それは完全に、車や電車で「距離」というものをすっ飛ばしてその間にあるものを無視してしまうことと同じことだ。
かりにフツーの高校生が「政治家になりたい」という目標を設定したとする。フツーの高校生から「政治家」への距離は非常に長く険しく果てないもんだから、フツーの高校生は、わからなくなる。「でも、じゃあどうすればいいんだ?」というふうに。フツーの高校生から「政治家」までの距離は果てしなくて、でもその距離は「政治家になりたい」という目標によって一挙に埋められてしまうから、「その間にあるもの」が隠れる。結果、彼は何もしない。あるいは、何かをするんだけども、その目標に至る道とは全然別のほうに進んでしまう。そして、そんな自分にどこかで気づいて、あせる。「こんなはずじゃなかった――。」
すべては「職業」を「目標」として設定させる近代的思想の産物である。子どもに「将来の夢を考えさせることを強いる」ことからそれは始まっているし、「夢」がイコール「職業」をさすものだと錯覚させてしまう洗脳からそれは始まっている。「いま」と「一歩先」を見つめさせることをしないで、「いま」と「将来」という、「距離の隔たり」のある点と点とを一挙に結ばせようとするから、「その間にあるもの」につまづいてしまうのだ。そうではいけない。生きるということは、歩くことと同じように、一歩ずつしか進めないものなのだ。
6日
朝まで無銘。学校。象のあし。にて、江戸東京学事典なるものを買ってしまった。からには活用せんくば。夕方、二時間ほど睡眠。ブックオフ。九時半から五時半までガスト。まるで「ガストでバイトしてる大学生」みたいな日記だ。
読書をしていて楽しいと思うのは、「適当に選んだ本同士が内容的に繋がった瞬間」。
橋本治『貧乏は正しい! ぼくらの東京物語』◎。このシリーズは面白すぎる。この第三巻は特に夢中になってしまった。けっきょくこの人は「自分の頭でものを考える」ということしか言っていない。
藤原和博・重松清・橋本治『人生の教科書[情報編集力をつける国語]』△。橋本治の執筆箇所は『これで古典がよくわかる』からの再録だった。加筆(おまけ)があったのでよし。他は特には面白くない。
栗本慎一郎『大衆文化論 若者よ、目覚めるな』△。散開寸前のYMOとの対談が収録されていたので読んでみた。四人が東京出身であるがゆえにナウな格好をする地方出身者がバカに見えるというのは、まるっきり前掲『ぼくらの東京物語』に書いてあったことと同じ。大阪と東京の比較も、かぶっている。それと、1980年代の後半に世界は変わるだろう、という栗本の予言は見事に的中した。昭和天皇崩御までは誰にでも予測できただろうけど。
小谷野敦『すばらしき愚民社会』○。全体として小谷野敦の考え方には好感が持てる。梅田望夫への言及(批判)があったり、やたら橋本治をヨイショしていたりと、改めて自分の「いま読むべき本を選ぶ嗅覚」に感動。浅羽通明先生も一度だけ出てきた。「ちょっとなー」と思うところもあれど、大筋では共感。研究対象について真摯であろうとする姿勢は好きだけど、感情が入りすぎなところがある気がした。「編集部の言い分の矛盾」をつかまえて、「宮崎哲弥を批判しているように見える文章」を書くのはちょっとひどい。もう少し穏やかな文体でも良いと思う。
あとで歩くことについてとか書く予定。
5日
橋本治『失楽園の向こう側』読了○。いつも通りで特に目新しい内容ではない。支倉凍砂『狼と香辛料II』読了△。面白いんだけど、一作目ほどの密度はない。萌え小説としては及第。文章は下手くそ。手塚治虫を何作か再読。『鉄腕アトム「赤いネコの巻」』『新宝島』『奇子』『人間昆虫記』など。新宿行ってくる。
4日
小田切秀雄『二葉亭四迷』(岩波新書)読了○。明治二十年代前後の文学史の総まとめ的内容。近代文学をやる人にとって必要な情報が詰まっていてお得。絶版だけど。
コタツ出した。
mixiでものを書くのも、読むのも嫌い。最近またそういう気持ちが強くなってきた。実際、ほとんど誰の日記も読んでない(個人サイトはブログは割と読んでる)し、ラジオの告知とか以外は、できるだけ書きたくない。mixi的な馴れ合いは楽しいが、そういう甘い誘惑をたちきらんと。僕は高校生の時、ここをライフワークにすると決めたのだから、浮気はせんようにしたいものだ。
キチガイだ、あんなもんは。
Twitterも同様に大っ嫌いだから、みんなやめればいいのに。mixiほど「拘束力」はないでしょう、今のところは。
深くはまってる人は別にして。
お店、今月は第1、第2、第4水曜日がおすすめです。もちろん第3もいます。詳細知りたい人はメールください。
●愚民にはわからない手塚治虫
先日の「手塚治虫アカデミー」において、呉智英氏が次のような意味のことを言っていた。
「手塚治虫が死んだ時、マスコミは“国民的漫画家”として取り上げたが、それは真実だろうか。当時コメントを発表したのは全員インテリであった。大人にも愚民とインテリがあるように、子どもにも愚民とインテリがある。手塚治虫を耽読していた“インテリの子ども”がそのまま“インテリの大人”になってメディアで発言権を得ていたというだけの話であって、すべての国民が手塚を愛していたわけではないのである。」
また、同じ席で浦沢直樹氏は次のような意味のことを述べた。
「梶原一騎隆盛の折にも手塚治虫はスポ根マンガを描かなかったが、『火の鳥』の鳳凰編や黎明編などは彼なりのスポ根へのアンサーとして描かれたのではないか。つまり、人間の“根性”なるものを、(スポーツではなく)石仏を彫ったり絶壁を登ったりといったことによって表現しようとしたのではないだろうか。」
両氏の発言を聞いて長年の疑問が氷解した。すなわち、「なぜみんな手塚治虫を愛さないのか?」である。答えは、そうか。やつらが愚民だからだ。スポーツマンガばっか読んでキャッキャしてる、愚民だからだ。
小学校低学年の時から僕は思っていた。「どうしてみんな手塚治虫にはまらないのか?」と。同級生の女の子に「好きな人だれ?」と聞かれて「手塚治虫」と即答していた僕は確かに異常であったかもしれないが、異常な僕の目から見た他の子どもたちは、確かに異常なのであった。「あいつらは人でなしなんだ。だから手塚治虫がわからないんだ」と思い込んだ時期もあったが、基本的には「まさか、そんな…」と、控えめに考えていた。だから、「なぜ?」という疑問はずっと消えずにいた。
そう、昔の僕は「すべて人は同様に賢いのであって、自分が特別賢いなどと思うのは傲慢である」と考えていたのだ。しかし最近は、「バカなもんはバカなんだよなあ」と思うようになってきた。そう考えなければむしろ傲慢で偽善的であるとばかりに、経験と状況証拠は僕に教えているのである。
だもんで、呉智英氏の「愚民には手塚治虫はわからない」という言い方に、すんなりと納得してしまった。「だからかー」と単純に思ったし、「それは僕の世代に限らず、呉智英氏の年代から見てもそうなんだなあ」と、自分の持っていた印象に一般性が与えられたような気がして嬉しかった。
正直申しまして、人格形成期に『来るべき世界』を読んでケロッとしていられるような人間が僕は信じられない。あのとてつもない名作!(シンポジウムでは富野由悠季氏が大絶賛していて嬉しかった)
すべての女はポポーニャとココアであり、すべての対立はレドノフとノタアリンであり、すべての少年はケン一とロックなのである(イワンごめん)。
里中満智子先生がシンポジウムの最後で「若い人たちに基本としての手塚まんがを勉強してほしい」と仰っていたが、それは「線」や「構図」や「キャラ」や「プロット」といった作図・作劇上のテクニックだけの話ではなくて、「人間や社会の在り方」の基本が手塚作品にはあるのだから、実際の人間や社会からはそれらを学びづらくなっている昨今において、「手塚治虫を読む」ということは単なる娯楽を超えた「教育」の領域なのである。…なんという長い文だ。
ちなみに実際、僕は手塚治虫と藤子不二雄によって情操教育されたと言って過言ない。兄弟が多くて手が回らなかったからか、僕は親からは何も教えてもらった記憶がない。ただ、背中は見せてもらったけど。
で、僕は過去に(高校生くらいから)何度か『来るべき世界』を他人に貸したことがあるんだけど、いまいち誰も感動してくれない。「面白かった」とは言ってくれるものの、それきり。これは、好みの問題だったりするんだろうか。あるいはもう人格ができあがっているから、「今さらこんな作品、子供だましだ」ってとこなんだろうか。それは正直、あるんだろうなあ。
僕が『来るべき世界』を読んだのは小学生の頃で、だからこそこの作品は永遠に僕の中で生きつづけているのかもしれない。高校生や大学生が読んだところで、「だからなに?」で終わるようなもんなのかもしれない。きっとそうなんだろう。
だけど『来るべき世界』のような作品が「基本」であることは疑う余地がないし、本質っていうのはいつまでも本質でしかないから、どんなに複雑で壮大なマンガが他にあろうと、『来るべき世界』に劣ることはあっても優ることは絶対にない。これは確実にそういう作品であって、幾つで読もうがゾッとするような凄まじさを感じることはできるんじゃないかと思っているので、「すごい」とだけでも言われたらとりあえず、安心することにしている。
『来るべき世界』を愛せないやつは愚民だ! とまで言うつもりはないが、あえてまた極論を言うと、手塚治虫を愛せない日本人というのは、愚民なのである。少なくともインテリではない。
…呉智英氏の言い方によるとこうなのだが、僕はちょっと違う言い方をしたい。手塚治虫を愛せない日本人は愚かであって、愛せる日本人は情がある。つまり、頭が良い、悪いということではなくて、頭が善い、悪いという考え方で、手塚治虫は頭が善くなければ理解できないだろうと僕は思うわけである。僕は頭の善くない人が完膚無きまでに嫌いなので、決して友達にはなりたくないのです。
などと書くと、「わたしは手塚が好きでないからジャッキーさんの友達にはなれないわ」とか思われそうなので言っておくと、「言葉のあやです」。
あと、何かポリシーがあって「手塚治虫作品が嫌いだ!」と言う人がいたら、じっくり話を聞いてみたい。
3日
江戸東京博物館の「手塚治虫アカデミー」。手塚眞、さとう珠緒/富野由悠季、荒俣宏、大森一樹、石上三登志/里中満智子、萩尾望都、手塚るみ子、藤本由香里(敬称略)。新宿で夕食、花園神社で青春の青空ビール。
2日
江戸東京博物館の「手塚治虫アカデミー」へ。手塚眞、さとう珠緒/藤子不二雄A、浦沢直樹、犬童一心、呉智英(敬称略)。神保町ブックフェスティバルで買い物。靖国通りのブックオフ。どんがらがっしゃんでホッピー飲みながらたんねぇたんねぇ。
1日
僕は文学“少年”だから、誕生日の今日は練馬から歩いて三鷹まで、八キロくらい、国木田独歩の『武蔵野』を読みながら行った。そもそも幼少時、『鉄腕アトム』の「赤いネコ」という話を読んで、そこに引用されていた『武蔵野』に興味を持ったのだが、かつて読もうとした時は東京の地理を全く知らなかったので挫折してしまった。東京に越してきて五年以上が経った今読んでみたら、非常に面白かった。しかも、まさに今その「武蔵野」を歩きながら読んでいるのだから感慨はひとしお。
ところで「赤いネコ」に引用された『武蔵野』は原文通りではなく、いわば『武蔵野』の手塚治虫訳といった風情。僕は「武蔵野を歩くものは道をえらんではならない」というフレーズで覚えていたのだが、原文は全然違った。興味のある人は青空文庫で読んでね。
三鷹といえば太宰ということで、「太宰治文学サロン」なるところへ行ってみた。そこにいたおじさんに、「太宰治が自殺未遂を繰り返したなどという事実はない」という内容の御高話を聞かされて閉口した。僕は太宰治の作品を愛してはいるのだが、自殺が云々とか割とどうでもいい。おじさんの説はおじさんの説で興味深かったんだけども、「わしの説は正しい」的なオーラをぷんぷんさせながら話すのには辟易した。「そういうふうに考えることもできますわよね」くらいの言い方でいいのに。
三鷹から珍しく電車に乗って友人宅へ行き、たこやきパーティ。jmganma。
帰宅。ペン入れ3ページ。
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