少年Aの散歩

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2017.06.24(土) 胃癌退食

 いま、学校に勤めているのだが、内規を確認するとうちの学校は退職願という所定の様式を備えた用紙を提出すれば同意を得ずとも30日後には自動的に契約終了する仕組みがあるとのこと。すごい。そういうのもあるのか。
 ふつう有期契約の場合、期間の途中で辞めるには「やむを得ない」事情が必要になるものなのだが、わが職場は異様に辞めやすい。教員のような仕事だと、案外そっちのほうが学校側にも都合が良いのかも知れない。

 そういうこともあって、その学校を夏で辞めようと考えている。理由はいくつもある。
 まず、自分のしていることは、多くの生徒たちにとってはけっこうな利益になっていると思うが、それは「学校の方針に反する」という背信によって成り立っているものなのである。
 今の学校は原則として、「上の人」の考えていることを「下の人」が遂行することを良しとされる場である(と僕は感じている)。僕はほぼ「いちばん下の人」であるから、「中くらいの人」の意志もきっちりと汲まなくてはならない。しかし、僕はそういうことがとても苦手である。がんばってはいるのだが、必ずしも遂行はできない。完璧に遂行しようとすれば、「生徒の利益」を大幅に削いでしまうのだ。僕はそこで、涙をのんで「自分が信じ、誇る教育の質」を損なうことを選べない。ぎりぎりのところで、組織の秩序より目の前の生徒の未来を優先させてしまうのだ。教育家を標榜する身としては見上げたものだと自分でも思うが、組織に生きる社会人としてはあるまじきことである。
 一言でいって、僕はこの組織になじまない。このまま働いていても、組織に迷惑をかけるだけだ。去年度まではなんとかバランスが取れていたが、今年度になって「組む先生」が変わったら、うまくいかないことが増えてきた。これはいよいよよくないな、と思ったのが、直接のきっかけである。

 また、四月にオープンさせた「夜学バー」や、ライター仕事との両立(鼎立?)の難しさもある。たとえば、水曜日は9時半と13時半と17時半と21時半という具合に、1日に4回も原稿のしめきりがあって、かつ10時半から12時10分までは授業がある。ということは、9時半に入稿→10時半までに出勤→12時10分まで授業→13時半までに入稿……というハードスケジュールなわけだ。ヒイヒイいいながら昼休み、ご飯も食べずにパソコンで作業していたら、組んでいる先生がやってきて「またアルバイト?」とあきれ顔で言われ、「学校にいるんだから、学校の業務を優先してください」と、泣かれてしまったのである。それは本当にその通りだと思う。正論だ。全面的に僕に非がある。その瞬間に、辞意は固まった。申し訳ない、と思ったのが最大の理由だが、それだけではない。
 僕は、このライティング業務のことを彼女に「アルバイト」だと説明したことはないのだ。「原稿を書く仕事をしています」とだけ言った。どのような媒体に書いているかも伝えた。しかしそれは、彼女にとっては問答無用で「アルバイト」なのである。それで僕は「ああ、辞めよう」と思ったのだった。

 本当は、去年から持ち上がりで担当している学年(今の高二)の卒業を待って、去るのならば去ろうと思っていた。彼女たちとは本当に仲良くできている。ぜひとも最後までともにゆきたい。あと一年半は、クビにならない限りいつづけよう。まして年度途中でいなくなるなんて、彼女たちにとっても、僕にとっても、つらい別れになるのはまちがいないのだ。だけども……申し訳ないが、決めさせてもらった。二学期には僕はもう、ここにはいない。

 ちょうど授業は『山月記』を終え、『ミロのヴィーナス』という単元に入るところだった。この文章の要旨はだいたいこうだ。
「ミロのヴィーナスの美しさは、失われた両腕にある。腕がないからこそ、そこに『存在すべき無数の美しい腕への暗示』すなわち、“あらゆる腕のかたちを想像できる余地”がある。また、失われたのが“手”であるということも重要だ。手とは、世界や他人や自己との『千変万化する交渉の手段』すなわち、“あらゆる関係を媒介するもの”であるから。」
 ないからこそ、無限に想像できる。それは死んでしまった友達にもいえることだ。永遠にいなくなってしまったからこそ、「お前は俺になんて言うのかな?」と、考えてしまう。
「ちょうどいいな」と思った。格好つけすぎているようだが、僕も、いなくなったら、みんなはミロのヴィーナスの両腕のように、「もしも僕がこの学校にまだいたら」ということを、無限に想像してくれるんじゃないか。なんとなく、この学年にはそういう自信があった。きっとみんな、僕のことを適度に思い出し、しかもそのことによって、ちゃんと自らの糧にしてくれるだろう、と。

 伝えたいのは、「僕みたいなのはこういうところにはいられない」ということだ。ソクラテスがアテーナイに生きていられなくなったように。そういうことをときおりでも噛みしめてくれるならば、あと一年半、自分がここにいる以上の「教育」に、ある意味ではなるかもしれない。
 アバン先生がいなくなったからこそ、ダイやポップのあの成長があったのだ、というのにも似ている。カダル先生がいなくなったあとのアルスやキラにもそれはいえる。(参考文献:『ダイの大冒険』『ロトの紋章』)
 まんがになぞらえて、かっこつけているが、かなり本気でそう思っているのだ。

 というわけで、23日木曜日の授業で、『ミロのヴィーナス』の要約を伝えてから、自分もその両腕のように消えるのだと生徒たちに告げた。
「やめないで」という声はもちろん多かった。「でも先生は、辞めるって決めたら辞めるよ」と冷静に言った子もいた。「あーわかる、そうかも」と口々にみんな。わかってんなあ。こういう子たちだから、僕も安心していなくなれるのだ。「辞めたらライン教えてくれんの?」と聞いてきた子もいた。「えー、わたしはむしろ、やめたほうがやりやすいかも」と言う子も。
 今の世の中、ちょっとググればすぐにこのHPくらいは見つけられてしまうのだ。卒業生とはすでにオンラインで繋がっているし、ツテをたどれば一瞬である。だから、ほんとうの「お別れ」じゃないんだよね。「ここからはいなくなります」というだけで。「再会」の芽は残されている。さすがに、そうでなかったら、僕もこんな簡単に辞めるとは言い出さない。
「辞めたらツイッターフォローしますね」と言った子は、ずいぶん前からすでに僕のアカウントを見つけていた。見つけたからとて慎んでフォローはしないし、拡散もせず、ことさらに話題にしたりもしない。慎みというものだ。信頼できる。そういう子が多くて、とてもうれしい。末永く仲良くさせていただきたい。
 今年は教えていない子で、わざわざ詰め所までハンカチ持ってやってきた子もいる。授業で話す機会を持てないぶん、廊下でゆっくりと話した。やや饒舌になってしまった。「さみしい」と泣いてくれながらも、「我慢したり変わっていってしまうより、合わないところからはいなくなるっていうほうが、わたしは好きです。」というようなことを言ってくれた。名札からマイメロのプレミアムが下がっていた。ありがとう。

 さよならだけどさよならじゃない、なんて曲もむかしあったけど、まさにそうだ。カリガリというバンドが活動休止時に発表した『いつか、どこかで。』という曲には、こんな一節がある。
「たとえば歩き疲れてしまった時にはいくつかの方法があって、その一つを選んだ時にはさよならを言わなくてはいけなくなる。だけど僕たちは支え合って生きていく、これからもずっと、ずっと、ずっと! だから別れるということも一つの支えなのではないでしょうか?」

 翌金曜日(つまり昨夜)、学校はおやすみだった。夜はバーに立った。卒業生が四人、遊びにきてくれた。もちろんノンアルコールである。僕にも覚えがあるが、中高時代の友達と会うときに、酒はいらない。だって当時はお酒なんて一滴もなしで、叫んだり笑ったりして遊んでたんだから。
 その四人のうち三人がいたクラスは、決してうまくいったとはいえなかった。私語が多くて、どの先生も手を焼いていた。その中で彼女たちは、いつも真剣に僕の言葉に耳を傾けてくれていた。残りの一人は、二年生の時に受け持っていた子だ。
 四人とも、よっぽど僕のことを好きでいてくれたらしい。僕は当時それにぜんぜん気づけないでいた。「ちゃんと聞いてもらえてありがたい」「面白い意見をくれてうれしい」「わかってもらえているようで何より」と、感謝は常にしていたものの、「好き!」っていうオーラはほとんど感じていなかった。卒業式のときに四人で会いに来てくれて、「えっそんなに?」と心底驚いたくらいである。その「オーラを送らない感じ」も(本人たちは「コミュ障」とか「見る専門だから」と言うが)、善き慎みだと思う。
 生きていてよかったと、そのときも思った。昨夜も思った。

 さまざまの話をして、よき再会だ。あの、決してよかったとはいえない環境の授業を受けていた子たちが、あるいは、三年生の時は教えていなかった子が、こんなにも大きな愛情を寄せてくれるというのは、幸福以外の何でもない。
 笑ったけど、「サインください」って、手帳やポーチや、iPodやiPhoneを差し出された。なんだそりゃ。その場でサイン作って書いた。いやいや。この一夜が明けたら「なんでこんなとこに書いてもらったんだろ……」って後悔するのでは? と思いながら、ニヤニヤして書いた。「知らねーぞ」と思いながら。iPadまではいいとして、iPhoneはなあ。下取り出せなくなるでしょうに。しかし、ま、それも含めてのすべてのことだ。

 最近、このようなのろけや自慢が多くてすみません。でも、これは誰にとっても意味のある話だ、と思って、僕自身は書いている。この「再会」は、たとえば僕にとって、そしてこれから僕とお別れする人たちにとって、幸いになるはずなのだ。あるいは、すべての別れる人たちに、すべての「また会うかもしれない人たち」たちにとって。(またもかっこつけている。)
 学校を辞める、っていうことになれば、せっかくこれからもっと、楽しく仲良くなっていけるはずの子たちと、バリッと離れなければならなくなる。それは少なくとも一次的には、れっきとしたお別れだ。だけど昨夜のことを思い出せば、「愛しあうべき人たちはちゃんと愛しあえる」と信じられる。どこかでまた会ったり、気持ちを届け合ったりできるはずだ。今の高二の子たちとは、たぶんもうすでに、そのくらいの関係ができている。長い子でも一年三ヶ月、短ければわずか三ヶ月だが、伝わるところは伝わっている、と思う。お互いに。
 僕がこれからすべきことは、あと一週間や二週間という短い時間をできるだけ有効に使って、もっともっと、自分のことをみんなに伝えることだ。同時にみんなのことを、たくさん見て、知っておくことだ。そんなふうに人事を尽くして、いつかの再会を待とう。命ある限り。

2017.06.15(木) ジャイ誕にあのバカをまた想う

 バカといえば西原という男だが、彼の長い友達だった安達美和さんが、彼についての文章を書いている。僕以外にも西原を語る人間がいるのはちょっと嬉しい。
 それがまずこの文章。18歳当時、たぶん彼と最も仲の良かった友人(少なくともその一人)だったであろう僕は、この頃のことを鮮明に覚えている。ここに書いてあることは僕の知る限りほぼ事実である。ほんとにこんな奴だった。
 そして、その半年後に書かれたこの文章。こっちはたぶんほとんどが創作である。詳しくはここ
 柿田=K=西原というのは間違いないが、さらに詳しくいえば柿田≠K≒西原である。「下劣な西原保存会」会長として、彼があまり美化されてしまわないよう、ここに一応事実との差異(だと僕が思うこと)をメモしておこう。

 彼は「映画サークル」には入っていなかったはずだし、入りそうもない。大学時代は(少なくとも僕と縁遠くなる4年生くらいまでは)一人暮らしをしていないし、しかもそれは「大学の近く」なんかではない(大学は早稲田で、のちに一人暮らしする家は蔵前あたりだった)し、そこを「たまり場」にするような事実ももちろんなかったはずだ。

サークル仲間とみんなで、柿田君のひとり暮らしの家で飲み会をしようという企画が持ち上がったのは秋も終わりの頃だ。大学からほど近い彼の狭いアパートはたまり場としてちょうど良く、終電を逃した友人の駆け込み寺のようにもなっていた。
男女八人でにぎやかに飲み会は始まり、夕方から夜中まで映画談義に花が咲いた。(引用元

 生前の彼のことを思い浮かべたら、笑ってしまった。こんなことがあるわけがない。「サークル仲間とみんなで」「飲み会をしようという企画」「大学からほど近い彼の狭いアパート」「終電を逃した友人の駆け込み寺」「男女八人でにぎやかに飲み会」「映画談義に花が咲いた」これらはすべて、僕の知っている当時の西原の生活には存在しないものだ。
 僕の知っている西原は、「うおのめ文学賞の仲間とみんなで、つよぽんの家に押しかけた。池袋の赤札堂からほど近いつよぽんのアパートはたまり場としてちょうど良く、池袋で飲んだあとは決まってそこに集まった。男ばかり五人くらいで飲み始め、夕方から朝方まで罵倒と奇声と冗談と下ネタと天使と安達で混沌としていた」という感じ。どうでもいいですね。
 そもそも、西原と安達さんは同じ大学(少なくとも同じキャンパス)ではなかった。描かれているエピソードもほとんど創作だと思う。半年前の「K」についての文章と見比べても、相違点・矛盾点はかなり多い。
 安達さんの記事は本人も言うようにフィクションである。「死人に口なし」で、彼にはそれについて文句も何も言えはしない。まあ、「西原も安達さんの役に立って幸せだろうね~」くらいのテキトーなことを言っておこう。

 18~19歳頃の西原は、本当に安達さんのことが好きだった。酒が入るとズボンの中に手を突っ込んで「みわっ、みわっ」とずっと(醜悪に)叫んでいた。じつに下劣であった。
 だけれども僕は下劣な西原しか知らないし、それだけが西原だと思っている。「きれいなジャイアン」ならぬ「きれいな西原」がいたら、笑うだけだ。柿田とかいう人は、ほとんどそれである。安達さんはそういうふうにケリをつけたのだ、ということが対照的で面白い。僕はどうしても彼のことを美化しようという気になれないのだ。いや、口汚く罵り続けることだけが美化であり、供養だとどこかで思っているのかもしれない。そうやって彼のことを永遠に未来に携えて行こうとしているのだろう。

 ただ、個人的には僕は最初の「宇宙で一番~」のほうの記事が好きで、「十八歳の~」のほうは、嫌いである。安達さんには安達さんなりの想いがあって、それはそれで理解できなくもないことなんだけど、「死人の人生をいいとこ取りして自分のために利用している」という雰囲気は、どうしても感じてしまって、それが文章にも出ている気がするんだな。死者を悼むためではなくて、完全に自分のためにした妄想を書いているような。どこまで本当なのかはわからないが、生きてたら名誉毀損、っていうレベルのことを書いているんじゃないかなあ。
 前のほうの記事は素直でよかった、と思う。
(でも後者のほうがバズるんだ、ライティング・ゼミってのはそういうことを教えているのかな、と邪推してしまう。)

タナー (続けて)誓っていうが、僕は幸福な男なんかじゃない。アンのほうは幸福に見える。だがほんとうは勝利と成功に酔ってるだけだ。これは幸福ではなくて、強い人間が自分の幸福を売って得る代償にすぎない。今日の午後僕らがやったことは、幸福をすて、自由をすて、平安をすて、そう、何よりも未知なる未来のロマンティックな可能性をすてて、代わりに家庭生活のわずらいを背負いこむということなのだ。誰であろうと、これはいい機会だとばかりに、一杯機嫌になって、僕をだしに愚劣な演説や野卑な冗談を口にするのは、願い下げにする。僕らの家には僕らの趣味に従って家具をおくつもりだ。だから今はっきりいっておくが、七つか八つかの旅行用置時計、四つか五つかの化粧道具入れ、肉用ナイフに魚用ナイフ、パトモアの『家庭の天使』の特製モロッコ革本、そのほか僕らにわんさと贈られるはずのものは、すべて直ちに売りとばし、売り上げは『革命家のハンドブック』の無料配布の費用にあてる。結婚式は僕らがイギリスへ帰ってから三日後、特別許可により、地区の登記監督官の事務所において行なう。立会は僕の弁護士とその書記、もちろん依頼人同様に、平服を着用し――
ヴァイオレット (強い確信をこめて)あなたってひどい人だわ、ジャック。
アン (愛情をこめて誇らしげに彼を見、彼の腕を愛撫しながら)気にしないでね、あなた。もっとお話しして。
タナー お話し!

 一同笑う。

(ジョージ・バーナード・ショー/『人と超人』喜志哲雄訳 ラストシーンより)

2017.06.10(土) オルカの稼業と僕

 フジテレビの『ザ・ノンフィクション』というドキュメンタリーが好きで、その中でも2016年2月28日放送の「その後のオルカ」という回が特に心に残っている。
 毎週日曜日は予定がなければ近所のカレーBarへ14時ごろ行って格別のカレーを食べ、コーヒーを飲みながら店長のお姉さんと『ザ・ノ』を見る。「その後のオルカ」もそうやって見たものだから、一年半くらいは続いている習慣だ。
 その後も家のテレビで、録画したものを何度か見ている。つい数日前にも思い立って再生してみた。これまで以上に、突き刺さった。

 なぜ、オルカの姿は僕に、しかもことさら“今の”僕に、これほどのインパクトを与えるのだろうか。数日考えていて、ピンときた。


 オルカは「旅人」で「ホームレス」で「大道芸人」である。テント暮らしや野宿をしながら、方々の街を渡り歩く。
 オルカは夜の街頭に立つ。黒のタイツを頭からかぶり、白い手袋をして、静止する。投げ銭箱が置いてある。通行人がお金を入れるか、興味を示すなどをすると、動き出す。奇妙に踊る。何時間もそれを続け、1日平均1000円程度のおひねりを稼ぐ。
「営業」が終わると、コンビニで安い煙草と酒を買い、ねぐらに戻って缶詰などをサカナに朝まで飲む。目を覚ましたら袋ラーメンなどを作って食べる。夜になったらまた街に立つ。そのような生活を、2005年時点で15年は続けてきたらしい。当時オルカは、35歳くらい。
 オルカは北海道の佐呂間町出身で、東京にいたこともあったが、最も馴染んだ街は札幌のようだ。『ザ・ノ』の取材は渋谷から始まり、そこから札幌、旭川、北見と移動し、佐呂間を目指す。旭川での出来事は印象的である。オルカは一晩で、22170円もの投げ銭を稼いだのだ。
 彼は笑ったような、泣いたような顔で言う。幼少期から眼瞼下垂という病を抱えるオルカのまぶたは、ほとんど開かない。瞳のまわりをくしゃくしゃにして言う。「だから10年続けてこれたんだ。10年も15年もね。……味しめちゃうからね」
 夜の街で芸をするということは、酔っ払いの相手をするということである。水商売と同じような不安定さがある。奇跡のように美しい夜もあれば、苦汁を舐めるような陰鬱な夜もある。オルカのドキュメンタリーでは、その双方が描かれていた。


 オルカのやっていることは、ギャンブルと同じである。オルカは明らかにアルコール依存症で、煙草も吸い続けている。しかし、ギャンブルをやっている様子はない。それは、オルカの稼業そのものが、もともとギャンブルのようなものだからではないだろうか。
 酔っぱらいたちの支配する「夜の世界」は流動的だ。稼げるか稼げないかを分けるのは芸の質ではない。運とか、タイミングとか、酔った人間のきまぐれがそれを決める。あるいは、その夜に漂う街全体の空気が決める。
 その空気の中に身を委ねて、吉凶を街に任せる。そういうことが平気でできて、しかもそこに心地よささえ感じてしまう人間が、オルカのような一種の「ギャンブラー」になってしまうのだろう。
 そこに僕は、大いなるシンパシーを感じているのかもしれない。

 よく考えてみれば、僕のやっていることもギャンブルに近いのである。
 オルカの場合はそれが「街頭でのパフォーマンス」であるが、僕の場合は「授業」だったり「お店」だったり、ネットや同人誌に書く「文章」だったりする、ということなのではないか。
 授業は、もっといえば「教育」というものは、ギャンブルなのである。小さな意味でも、大きな意味でも。身体を張って、心を尽くして、やれるだけのことをやっても、報われるとは限らない。とりわけ僕は非常勤講師だから、もらえる給料もわずかである。どれだけ頑張っても、伝わらなかったり、理解されなかったり、嫌われることさえある。本質的な教育を目指せば目指すほど、管理職の理想とはかけ離れていき、同僚との温度差も広がっていく、かもしれない。
 これからの世の中で、目の前の子どもたちが「一人ででも生きていける」ようになるために、僕は一回45分の時間を精一杯使っているつもりである。そのためには、絶対に「組織の犬」になるわけにはいかない。しかしそういう態度を続けていれば、いつか「組織」を追われることになるだろう。生活は不安定へと先細る。
 しかし、ときおり(実際にはけっこう頻繁!)、「味をしめる」ような瞬間がやってきて、「だから続けてこれたんだ」という気持ちがあふれ出す。「犬にならない」で、「目の前の生徒たちとの関係だけを考える」という態度は、じつに危険な橋である。本来ならば、自己の保身と、組織としての意思と利益とを最も優先させるべきなのだ。ほとんどの先生は、僕の見る限りそうしている。僕と違って、みんな真面目だから。
 だけど、僕が僕なりに誠実であることによって、生徒が一人でも「人生は生きるに値する」とか「人間は信じられる」とか「おもしろい大人もいるもんだな」とか思ってくれるなら、僕がそこに立っている意味は大いにある。それをもって「報われる」と思うしか、ない。

 4月から始めたお店にしたって、あんなものはギャンブルそのものだ。開店したって、何時間もただ一人で突っ立っている時だってかなり多い。十年以上前、ゴールデン街で働き始めた時からそうだ。一晩でお客さんが一人も来なかった日だってある。かと思えば、偶然と奇跡と運命とがすべて重なり合うような素晴らしい夜も時にはくる。そんなときに思うのはもちろん、「だから10年続けてこれたんだ」である。
 営業後に「いい夜だった」と噛み締めるごとに、味をしめていく。やめられなくなる。水商売に未来など、原則としてないというのに。

 ここに書いている文章も、よく「笹舟を流す」と表現しているが、誰が読んでくれているかわからないし、「報われる」なんてことはそうそうない。でも、本当にときおり、ここに書いていることをきっかけに素敵なことが起こる。17年間のトータルで見れば、数え切れないほどあった。だからやめられないし、やめるわけにはいかない。これは僕の人生の質を担保する最大のものである。
 こうやって文章を書き続けているおかげで、ライターとしての仕事の質も、それなりのものにはなっている(と多少は自負できる)わけだし、本当に実際に意義深い。
 ここにこのような内省的なことを書いていることで、今の自分が少なくとも15歳からの自分とちっとも矛盾していないということが、自分自身にも、他の誰かにも示せるということは、それだけで善きことと思うのだ。

 今のところ、どれもたいした稼ぎにもなっていない。3種類の仕事を並行してやって、一人で生きていくのがようやくの生活。30年後のことを考えれば、不安と恐怖がいっぱいである。しかし、僕もオルカと同じように、だからといってどうすることもできないのだ。このまま生きていくしかない。30年後を、50年後に幸福に過ごせるように、人とふれあいつづけるしかない。
 僕は「このまま好きに生きて、のたれ死にたい」なんてことは絶対に言わない。考えもしない。そんな無責任なやりかたで、善き魅力を保てるなんて思えないからだ。幸福な未来を前提にしてこそ、現在を誠実に生きられるのでは?
(なんて偉そうなことを言っていますが、別に僕は聖人君子ではない。意図的に人を傷つけることもたくさんあるし、いつか傷つけることになるかもしれない爆弾だっていくつも抱えているはずだ。「傷つける」ということにあまり問題を感じていないという、わけのわからない欠陥を抱えているのであります。)


 オルカはたぶん、母親を愛していた。ドキュメンタリーの中で彼は母親に一度だけ会いに行く。しかしまたすぐに家を出る。母親はやがて死んだ。彼は葬式にも行かなかったし、位牌に手を合わせに行くこともしなかった。
 オルカの人生の先行きは暗闇である。僕の両親だっていずれは死ぬ。10年経って45歳くらいになったオルカは生活保護を受けるようになったが、相変わらず酒を浴びるように飲み、夜には街に立っているようである。

2017.06.03(土) 甘えとは

「甘え」とは、「他人に負荷を与えることがわかっていながら、あるいはその可能性がかなり高いことに気づいていながら、自分の負荷が軽くなることのほうを圧倒的に優先してしまう態度」のことである。
(他人に負荷がかかるとわかっていない、または考慮していない場合は、「鈍い」「軽率」あるいは単に「いやなやつ」ということだ、と思う。)

 人を困らせることがわかっているのに、自分がその場で一時的に楽になるようなことを、その他人に要求する、または促す。それが「甘え」である。
 学校から帰ってきて、お母さんのところにお弁当箱を出さない、とかがそれにあたる。お母さんは洗いたいときにお弁当箱を洗い、渇かし、翌朝にはスムーズにそこへお弁当をセットしたいのである。朝になってから「昨日のお弁当箱は?」なんて聞いているヒマはない。子どものカバンから勝手にお弁当箱を出すこともできるが、それも手間だし、何より良いお母さんはそのように、プライバシーへ土足で踏み込むような真似を嫌う。学校から帰ったらすぐ、空になったお弁当箱をお母さんに提出するべきである。
 しかし、多くの子どもはお母さんに大いなる「甘え」を抱いて生活しているから、お弁当箱を出さない。
 お母さんは困るだろうな、とか、出したほうがお母さんは楽だし,嬉しいだろうな、という気持ちが一瞬、頭にはよぎる。けれども、次の瞬間には忘れている。一度もそういうことを考えたことがないとしたら、かなり無神経で、いやなやつだ。お弁当箱を出さない子どもの多くは、たぶん、「考えはするけれども軽視して、すぐに忘れる」のである。
 もちろん、発達のしかたによって(ここではADHDなどを想定している)、得手不得手の差は出てくるだろうが、それでも、よほど重度でなければ、お弁当箱を出すことくらいならなんとかある程度は習慣化できるし、帰宅後すぐは無理でも、思いだしたときにパッと持ってくるくらいは、できる。「甘え」というのは、「あ、お弁当箱そういえば今日も出してないや。まあいいか」という、「まあいいか」の部分に宿っている。「出してない」と気づいたら、すぐにお弁当箱を持ってきて、「ごめんなさい」とお母さんに謝り、「明日は絶対に忘れないようにしなければ」と強く決意する。それが「甘えていない」態度というものなのだ。
 かく言う僕も、お母さんにはほんとうに甘えていた。ごめんなさい。(ここで直接パッと「あの頃はごめんなさい」とメールできないのは、僕がいまだにお母さんに甘えているということである……。)

 これをしたら、困る人がいるかも知れない、と感づいていながら、それをしてしまうのが「甘え」である。他人の自転車のカゴに空き缶を入れる、なんて行為は明らかにそれだ。
 他人の自転車のカゴに空き缶を入れる人は、「あとでその自転車の持ち主が困る」という想像力が欠如している人間、ばかりではない(たぶんそういう人もいる)。「誰かが困ってもいいや、他人だし」という邪悪な人間ばかりでもない(そういう人が一番多い)。その他のかなり多くの割合が、「自転車の持ち主は困るかもしれないけど、このまま自分が空き缶をずっと持っているのは嫌だな」と考えて、「自分の現在の不快感の解消」を優先させてしまう人間、である。

 このいましめ、万事にわたるべし。
 相手を困らせることがわかっている、または、困るだろうなと予感しているのに、それをしてしまう人、いるでしょう。あなた、そう、あなたですよ。
 それを「甘え」と言うのですよ……。

「恋人に甘える」という言葉もあるけど、これも同じ。
 恋人に負荷がかかる可能性がわかっていながら、「ネェ~ン、あれ買ってェ~ン」と言うわけだ。「ネェ~ン、ディズニー行きたいィ~ン」とか。「チューしてェーン」とか。それが叶えられなければ、「あなたは、わたしのために、その程度の負荷すらかけてくれないのね?」と言って、すねる。すねることによってまた相手の恋人は困るのだが、それも当然、わかっている。ここまで含めて「甘え」である。それどころか、「最初の負荷をクリアしないと、さらに大きな負荷がかかるのよ。めんどくさいしょ? 次からは一回で聞いてね」という脅迫ですらある。いやはや、恐ろしいものです。

「甘え」というのは、つまり、「相手の我慢や譲歩」によってなんとか成立するものなのでございます。
 だから、「甘え」が前提にあるような関係は、かわいくない。(お母さん、かわいくない息子でごめんなさい。)
 楽しくもない。

「甘え」のできるだけ介さない関係でいたい、というのは確かなことだが、しかし、お互いにお互いを適度に甘やかす、というバランスのとれた関係を保ち続けられるならば、それはそれでよい。
 どちらかが疲れていてどちらかが元気、という場合だったら、疲れているほうが元気なほうにちょっと甘える、というくらいは許される。
 しかし、タイミングを誤ったり、どちらかが一方的に甘えすぎたりすれば、関係が根底から崩れてしまうことにもなりかねない。「甘える」というのは、けっこう難しいのだ。
 だから、あんまり軽はずみには人に甘えない方がいいと、僕は思うし、甘やかすことも控えるべきだろう。また、相手が甘えていて、自分も甘やかすようなときがあったら、「いいんだけど、それは甘えでございますので」というふうにサインを送り、甘えの事実を互いに了解することが必要だろう。黙って我慢してちゃ、あかん。

 というわけで、仏の僕も時たまは人に厳しくする。「それは圧倒的に甘えですよ? あなたは今、わたしに大いなる負荷を要求して、その代わりに自分の不快感を解消させたり、新たな快感を得ようとしていますよ? 邪悪のはじまりでは?」と思って、徐々に態度に出していき、気づかないようであればハッキリと断ずる。最近はそういうふうに心掛けている。
「甘え」られてしまうと、自分が困るだけでなく、「その人と自分とが第三者と同じ場を共有する」という場合にも、困るのである。
 ここから先はいろいろと忖度していただきたいのだが、集団でいるときに、ある人がある人に甘えている、という案件が一つでもあると、「和」という状態になりづらいのだ。「和」とはバランスの取れた状態のことだが、「甘え」とはアンバランスに向かっていく力で、「甘やかす」という我慢や譲歩がなければ倒れてしまうようなものだ。そこに力を注いでしまうと、ほかのところのバランスを調整することが疎かになる。それで全体として、「和」を成立させることが難しくなってしまうのである。
 だから、甘えんぼさんに対しては、甘えないようにしてもらうか、甘やかさないようにするか、その場からいなくなってもらうか、という措置をとらざるをえなくなる。
 一番いいのは、もちろん、「甘えないようにしてもらう」である。それですべてが解決である。甘えがちな人を、甘えないようにすることが、教育だと言っていい。子どもはみんな甘えんぼで、大人になるというのが自立することを言うのだとしたら、「甘えない」とは自立そのもので、つまり大人になるということだからだ。
「甘えないようにさせる」ことはたぶん教育の本質で、それがあらゆる場を健全に和やかなものにさせるのだ。
 僕は、「できるだけ甘えないようにしたい」という意志のある人を応援するし、お手伝いもしたい。たとえ今は甘えがちであっても、いつかは甘えないでいられるようになりたい、という気持ちがちゃんとある人だったら、少しくらいは甘やかす。それで少しずつでも、甘えないで生きていられるようになったら、「一人ででも生きていける」ようになると思うから。
 しかし、その気持ちのない人には、やはり厳しくしなければならない。

『イワンのばか』というトルストイの民話は、イワンというばかの農夫が、最終的に王さまになって国を治めるお話である。イワンの国に法律はない。ただ、ひとつだけしきたりがあった。それは、「手にまめのある者は食卓につかせてもらえるが、手にまめのない者は残り物を食べさせられる」というものである。
「他人に負荷をかけてでも、自分の欲求を優先したい」と考えるのは「邪悪」な意志である。これを「してしまう」のはある程度不可抗力で、「甘え」と呼ばれる。できるだけ「甘え」をなくして、邪悪さを追い出したほうがいい、と考えるのが、僕は自然だと思う。その自然な気持ちのないものは、僕の国の食卓にはつくことができない、という感じのことである。

2017.05.28(日) アイデンティティとセクシュアリティ

 アイデンティティの大部分をセクシャリティに拠っている相手に対しては、セクシャリティへの攻撃はほぼ即ちアイデンティティへの攻撃になる。男も女もLGBTI...も。セクシュアリティとは人類最大級の「ジャンル」であって、ここから解き放たれることは悟りに近い状態で、だからお坊さんは性欲を絶とうとしたのかなとちょっと思う。それが妥当な方策だったかはさておき、意図として。
 ジャンルから解き放たれるというのは、自分について、人間であるより前に自分であり、男であるより前に自分であり、社会人であるより前に自分であり、……という具合に、どんな属性よりも前に「自分」を置くことだと思う。あらゆるものが等距離にある、と思うことが悟りであるのなら、ちょっとそこに近いのかもしれない。
 そう、それが悟りに近いようなことならば、普通の人がそれをめざすべきでもないのかもしれない。普通の人は「ジャンル」に拠っていればべつによい。
 その拠るべきジャンルの最たるがたぶんセクシュアリティ。普通のアイデンティティの根本にあるもの。
 僕からしたら、それほど邪魔なものはないと思うけど、でもそれを背負っていたほうが楽だって場合も多いんだろう。おそらくは副作用として、「男ってのは」とか「女ってのは」とか、ないし様々の性差別に対して脆弱になるか、従順であることを強いられるかというものがある。
 基本はたぶんそれで生きていく。

 ところで、僕は「男」というジャンルについてどのような言及をされても、たぶん何も思わない。「男」であるというだけの理由で虐げられたことがあまりないからだろう。(もちろん、全くないとは言わないし、引き受けざるを得なくなったストレスや煩わしさというものは無数にある。本当に、叫び出したくなるくらいのことは直近にもあった。)
 だから、想像してみる。もしも自分が、あるマイナーなセクシュアリティ(例えば「バチョ」)を自認していて、それがゆえに常に虐げられているような状況にあったら、どう思うだろうか。
 つらいだろう。つらいから、なんとかしたいだろう。
 できるなら、「バチョ」とはじゅうぶんな距離をとりたい、と願うだろう。
 どうすればそれが達成できるかというと、きっと「バチョ」であることをやめるということではないし、隠すということでもない。「バチョ」であるより先に来るような「自分」を作り上げることだ。
 それができるまでは、本当に辛いと思う。でも、今のところそれしか思い浮かぶ方法はない。
 まず何よりも先に「自分」であって、「バチョ」であるという事実(自認)は、オマケ。そうなれば、少しくらいは生きやすくなるのではないだろうか。
 ジャンルから解き放たれる、ということの利点は、ここに尽きる。

 そんなに簡単なことじゃないことはわかっているんだけど、僕はいま話題の発達障害の一種であるADHDを自認していて、その克服としてたぶんこれを実践している。知らぬ間にずっとやっていた。ADHDであることはもう、しょうがない。治るものではないだろうから、ADHDであるよりも先にくる「自分」ってのをどうにか作って、それを可能な限り魅力的にしていこう、と。高校生くらいの頃はその彩りがやや過剰だったかもしれないが、今はそれなりによいバランスかと思う。
「いじめに勝つためには、強くなるしかない。」と橋本治さんは書いていた。この言葉の重みは、年々わかるようになってきている、気がする。

 ↓の文章を書き終わり、「個室」の外に出たら倫理の先生に、生徒の前で、「先生は哲学がお好きですよね?」と言われた。勘弁してくれと思った。「だって、前に哲学の話をしていたじゃないですか」と重ねて言われたので、「プラトンの話ですよね?」と確認したら、そうだとのこと。それで「僕は哲学が好きなんじゃなくて、プラトンが好きなんですよ。プラトンとソクラテスが好きなんです」と言っておいた。人を勝手にジャンルの世界に巻き込まないでください。哲学という「ジャンル」に興味はないのです。プラトンのことは本当に大好きです。

2017.05.26(金) 話をずらす人/帰属意識(1)

 帰属意識というのは厄介である。「私は○○に属している」という感覚のことである。それは組織や団体へ対するにとどまらず、好みの「ジャンル」や職業、果ては思想・信条や世代などにまで及ぶ。
 僕はジャンルというものが基本的に好きではないが、なぜというにジャンルは帰属意識を生み出しやすく、それがものごとをけっこう見えにくくしてしまうからである。

 たとえば僕はいま「学校の先生」である。ときおり他人から、「学校の先生ってのはさあ」という切り出し方で、この職業全般に対しての批判を食らうことがある。僕はそれで腹を立てたりしない。自分と、その人が批判している「学校の先生」という一般的な像とは、まったく別のものである。

 わかりやすい例だと、オタクという言葉があって、オタクを自認している人がいたとして、その人が「オタクはキモい」と言われたとする。
 それは「オタク=キモい」と言われたのにすぎず、「オタクはキモく、あなたはオタクで、あなたはキモい」と言われたわけではない。しかしけっこうな割合の人が、そのように受け取ってしまう。
 しかし、「オタクはキモいが、あなたのことは例外的にキモいとは思わない」とか「オタクはキモいが、私にとってあなたはオタクではない」といったニュアンスだってあり得る。

「学校の授業ってホントつまんないよね、あんなのでお金もらってる教員はみんなくだらない人間だ」みたいなことを言われた学校の先生は、このように反論するかもしれない。「なぜつまらないのかというと、それは学習指導要領、学校の方針、生徒たちの質、さまざまな制約、ミスや苦情等への恐怖、うんぬん、かんぬん、こういった種々の事情によって、しかたないのだ。学校の授業を面白くするには教員の努力だけでは足りず、学校、校長、文科省、保護者、地域、生徒、その他、あれやこれ、なんちゃらかんちゃら」と。
 そこまで必死にならなくても、ええじゃろ……。
 学校の授業はつまんなくて、教員はみんなくだらない人間、と言われただけで、「あなた(の授業)はダメだ」と言われたわけでもないのに、なぜ「いえ、学校の授業がつまらないのには理由があるのです」という返し方をするのか。僕には理解ができない。
 あなたがなぜ、「学校の授業」をわざわざ擁護しなければならないのか。それは今のところ関係がないだろう、と僕は思う。
 問題の焦点は「学校の授業はつまんなくて、教員はみんなくだらない人間」というところにあって、それは「学校の授業は面白いほうがいいし、教員はくだらない人間じゃないほうがいい」という価値観の裏返しだと思うから、どうしたら世の中はそっちのほうへ向かうか、という話になっていったほうがすばらしいのでは。
「学校の授業はつまんなくて、教員はみんなくだらない人間」という問題提起に対して、「そんなことはない」と否定するのは有効だと思う。「そうじゃない先生もいますよ~」とか。しかし、「つまらない、くだらない理由」を語る必要は、今のところない。そんな話はまだ、していない。どうして自分から話の焦点をずらしていこうとするのか、といえば、おそらく擁護のためだろう。言い訳のためだろう。そういうところがくだらないと言われるゆえんなのだ。だって、話の焦点をずらしてくるっていうのは、「人の話を聞いていない」ってこと、そのものなんだから。

「わたしメロンパン嫌いなんですよ、あれおいしくないじゃないですか」と言われたメロンパン職人が「今のご時世、庶民的な価格でメロンパンを作るには、原材料がなんちゃら、人件費がどうたら、焼き時間がああこう」みたいな言い訳じみたことを言い出したら、なんだかおかしいじゃないですか?
「白米は嫌いなんですよ」と言われたお米屋さんが、「味覚障害の疑いがありますね」と返したら、なんかやだなと思う。(その場でギャグとして成立するならばよいけど。)「ほんとにおいしいお米を食べたことがないんですよ、きっと」とかも、ちょっとズレている。「白米がおいしくないと感じるのは、あなたの生活習慣に問題があって」とか……。

 話題となっているのは、「私はメロンパンをおいしくないと思う」という個人的な話で、一般論ではない。白米もそう。教員の例でも、話し手は勝手に一般化しているつもりのようだけれども、実は質として完全に「個人の感想です」。
 ちゃんと人の話を聞いている人は、「個人の話」には「個人の話」で返す、というのを原則とする。勝手にそれをズラすのは、自分勝手な人間のやることだ。

「メロンパンが嫌い、おいしくないから」という発言に対しては、たとえば「えー、じゃあ好きなパンってあります?」でもいいし、「私は好きですよおー、おいしいから」と返したり、いろいろある中で、「様々な制約によってどうしてもメロンパンがおいしくならない理由」を語り出すのは、なんだかおかしい。
「学校の先生が嫌い、やなやつだから」という発言に対しては、「えー、好きな先生は一人もいなかったんですかあー?」とか、「いちばんやなやつって、どんなやつでしたー?」とか、「私はけっこう好きな先生多くてー」とか、返すのが、フツーなんじゃないか、と、いうのが僕の感覚。

 なぜ、彼らは話をズラすのか。そこには「所属」(帰属意識)が関わってるんじゃないのか、というのが、最初に僕が思いついていたことだ。
 専門の人は、専門のことを言いたがる。
 名古屋出身の人は、名古屋をばかにされると、擁護したがる。

【ふつうの会話】
A「名古屋ってあんま好きじゃないなー」
B「なんで好きじゃないの?」
A「え、だってなんかダサいじゃん、名古屋だよ。名古屋」
B「うそー。どこが?」
A「なんてえの、発音? なごや。NAGOYA。キモいじゃん。絶対住みたくない。言えないもん、ナゴヤ住んでます、なんて」

【やべー会話】
A「名古屋ってあんま好きじゃないなー」
C「いや名古屋はいい街だよ、ほんと。よく名古屋は微妙とかダサいとか閉鎖的とか言われるんだけどさ、確かに観光資源には乏しいかもしれないし、外部の人を受け容れるのがへたくそってのはちょっとあるけど、住んでみればあれほどいい土地はないって」
A「あ、はい」

 Aが名古屋を好きじゃない理由は「なごや」という音の響きのダサさにあるわけで、Cの言うような内容はたぶん関係がない。Bはちゃんと相手の話を聞く人なので、Aの「好きじゃない理由」を引き出し、そこから話を広げようとしているけれども、Cは自分勝手に、自分の言いたいことを勝手に言っているだけである。結果、Aの「好きじゃない理由」にはかすってもいない。だからAは「あ、はい」としか言えない。

 すべてのトピックに対してそのように振る舞う、本当にやべーやつももちろんいるが、多いのはやはり、「自分が所属していたり、好きだと思っているもの」についての話になると、相手の話をぜんぜん聞かなくなる人というのはいる。一度立場を離れてものを考えるということも必要なんじゃないかね?

 今さら昔の話を持ち出して恐縮だが、「はてな取締役であるという立場を離れて言う」と言ったときの梅田望夫さんは、そういうことをしっかりとわかっていて、だけど当時それを炎上(?)させた人たちは、たぶんわかっていなかったんね。
「所属の意識」は、人を曇らせる、と思う。

(二日に分けて書いたら話がズレたので、むりやりもどした)

2017.05.22(月) ゆう(きゅう+か)=悠久優香

 三つの仕事に忙殺されつつ、仙台や名古屋に行ったりなどし、色々な人と知り合ったり久々に会ったりもして、充実というほかない日々を送っています。そのことについては書き始めると無限なのでおいておきます。

 今日と明日は人生初の「有給休暇」というものをとった。夜はお店に行くんだけど、ちょっとだけゆったり。
 ひと息ついて、改めて思う。充実なのはいいんだけど、忙しいってのはやっぱりいやだ。僕の性に合わない。
 以前、トランプが好きじゃない、ということを書いた
「トランプをやっている間は、トランプしかできない」というのがその主たる理由である。
 同様に、忙しくしている間は、その忙しいこと以外には、何もできないのである。
 トランプをしている間は、トランプをすることに忙しく、ほかのことができない、というわけだから。
 ヒマであれば、どんなことでもやれる。思いついたらすぐに行動できる。また、「いま考えなければいけないこと」がないから、いろいろなことを考えることができる。
 僕は、そのように自由であることが好きだし、そこから色んなことを生み出したり、始めたり、思いついたりしてきたと思う。
 だから、あんまりやることが多くて、それに縛られると、自分のほんらいの持ち味はたぶん失われてしまう。
 30代が忙しいというのは一般的な話だし、そうでなければ老後はヤバイ。忙しさの中で積み上げていくものの価値というのも、一応はわかる。でも、それでよい、というふうに考えてしまったら、今の僕の持っている魅力は、どっかにいってしまいそうなのだ。
 トランプばっかやり続けて、トランプのプロになる人はりっぱだし、トランプを一生の趣味にする人は、それはそれでとても豊かかもしれない。ただ、僕はそういう人ではない。

 架神恭介さんという、作家をやっている友達は、「おれはもう一日四時間しか働かない!」と豪語している。それが彼に可能なのかはわからないが、とても気持ちがわかる。また、そうでなくては、彼のほんらいの魅力というのは保てないのではなかろうか。
 出会ったとき(10年以上前)の架神さんはまださほど売れていなくて、かなり暇な人だった。お金もなかった。そこがまた、魅力だったはずだ。
 彼はもちろん、今でも魅力的な人であるのだが、それは「こんな忙しいのは嫌だ!」という気持ちを持ち続けているからだと、僕は思うのである。
 あの人がもし、「いやー、忙しいけど充実してるよ。仕事はやり甲斐あるし、お金だって、あればあるほどいいからね」と言えるような人だったら(あるいは、そのような人になってしまったら)、僕の抱いている彼への思慕は多少、薄れてしまうことだろう。彼はいまだに、「忙しい! ヒマになりたい! ゲームやりたい! 寝てたい! 妻ちゃんとラブラブしたい!」みたいなことを最大の欲求としている(たぶん)ので、安心して友達でいられるわけである。
 たぶん僕もずっとそういった気持ちを忘れないだろう。

2017.05.11(木) 知られるワールド

 ドラえもんの『パラレル西遊記』という映画で、金閣と銀閣という二人組の妖怪が出てきます。金閣と銀閣に名前を呼ばれて、うっかり返事をしてしまうと、彼らの持っているひょうたんに吸い込まれ、閉じ込められてしまいます。(もちろんもともとの『西遊記』にも出てくるのですが、僕はこの映画を先に知りました。)
 なぜ返事をすると吸い込まれるのか、よくわからないけど、なんとなくなんだかわかる気もしますね。「名前を知られる」ことと「問いかけに答える」ことのセットで、支配する・されるの関係が成立してしまうのだ、とか。

 僕はうんと小さい頃から、「自分のことを知られる」ということがなぜだか恐ろしかったのです。「のみ込まれる」ような気がしていました。高校の頃はそれがとりわけひどく、だけどありきたりな虚勢の張り方をしたくもなかったので、いろんな手法を工面して自分自身に「演出」を加えていたように思います。
 今はさすがに恐怖というほどの程度ではないのですが、やはりどこかにその残滓はあります。「知られる」ことに対する、ささやかな嫌悪感。それは決して、「わかってもらう」ことがイヤなのではないのです。むしろたぶん、「わかってもらえない」ことにつながるから、「知られる」ことがイヤなのでしょう。

 僕は、ほかのすべての子どもたちと同様に、「わかってもらえない」ことに大いなる不満を抱いて生きておりました。「わかってもらえない」原因は、当時の自分なりにはもう見当がついていました。「わかってもらえない」のは、「誤って解釈される」からなのだ、と。火のないところに煙は立たない、というのは本当で、火があれば煙は立ちます。ただ、それを見て「火事だ!」と言うか「たき火だ」と言うかは、相手次第だということです。
 僕がたき火を焚いているつもりでも、「火事だ!」を言いたがる人は「火事だ!」と言います。それが本当に、幼い時にはつらかったです。
 たき火も火事も、「それは火であり、ゆえに煙は立つ」という“共通事項”があり、それに基づいて他人は、恣意的に判断をします。とくに相手が子どもの場合には、「子どもなんだからこう考えたのだろう」という強烈に無礼な先入観によって大人たちの判断はものすごく偏り、鈍ります。僕は超絶絶賛かしこい子だったと思うのですが、周りの人はべつだんそうは見ていなかった、というギャップが、よけいにその隔たりを大きくしていたと思います。

 だから、僕にとって「知られる」ということは「誤解のもとをつくる」ということでした。そしてそれは、「食われる」とか「のみ込まれる」というようなイメージに変わっていきました。相手の勝手な解釈に支配される、というような感覚です。
 僕がこうして、不気味なまでに文字を書き連ね続けるのも、「できるだけ精確にわかってほしい」という気持ちの表れなのでしょう。本当に誤解をおそれないのなら、もっと短い言葉で書くと思います。

 そのせいか僕は、一問一答を好みません。「○○なの?」と聞かれるのがイヤです。「○○だ」あるいは「○○ではない」と答えてしまえば、それのみを根拠として、相手は思考を始めます。そのことが非常に、僕の心には負担です。まことにかってながら。
 言葉を発するということは、邪悪な相手に凶器を与えるようなものだ、というとらえ方も、ある程度妥当かもしれないとおもうのです。
(といって黙るわけにはいかないから、こうしてものを書いているわけです。参考文献:小沢健二『ローラースケートパーク』)

 ほんとうの真実は、一筋縄ではいかないものです。とても入り組んでいるし、もやもやしているし、渾沌だと思います。それを、不安な人は一筋の理屈の糸でスーッと通そうとしたがります。僕はほうちょうで刺されたような痛みを心に感じます。(面倒なやつですね。もちろん誇張しています。)

「答えがある」ということを前提として発せられる質問に、つねに僕は戸惑います。「昨日は誰と会ってたの?」という質問には、「○○さん(たち)とだよ」とか「誰とも会っていないよ」という、大きく分ければ二種類しか誠実な答え方はありません。「なんでそんなことを聞くの?」とか、「答えたくない」などと言うのは、やや誠実さを欠く、はずです。
 質問というのは、他人に対して迫っていくことです。それは突き詰めれば二択になるような選択を要求することです。
 もっと楽しい積みあげ方があると思います。

 最終的には誰かと仲良くしていくことが大切であるならば、質問なんてのは本当は一個もしたくないし、されたくもない。ただその道筋でそれが必要な局面というのはやっぱりあるかもしれないから、できるだけその都度誠実に質問をしたいし、答えたい。でもほんとうの理想を言うならば、質問のひとつもない世界で、ごろごろ遊んでいたいのですよ。

 行く先は同じでもたくさんの道があって、迷うこともあるし、つまずくこともあるんだけど、できるならば楽しくいたい。質問なんていうコミュニケーションは、その調整のために仕方なく存在しているようなものだと僕は思いたい。
 このことを広げてみれば、「知る」ということ自体が、別にぜんぜん、なくったっていいことだと思えてくる。

「知る」ということは、果たして本当に必要なのだろうか。「わかる」ということだけがあれば、じっさい何も「知る」必要などないのではなかろうか。わけがわからないような言い方だけど、最後には「わかる」ということさえ要らなくなって、「楽しい」とか「美しい」、「優しい」といったことだけがそこにあれば、何の問題もなく僕らの地球はまわっていく……はずなのではないかと、永遠メルヘンな僕は9割本気で考えます。

 お店のサイトに長い文章書きました。

 補足のようなことを書いておきます。


「大人は子どもをみくびりすぎだ」というのは、ほんとにありふれた言葉だけど、実にほんとにそう思う。
 たしかに、「今のあなた」から見れば、「今のその子」は幼稚だろう。とても「対等」に接するような相手じゃないだろう。
 でもねえ、子どもには未来があって、その未来というのは、その子の中にすでに宿っているのだ。未来っていうのは、僕に言わせれば、違う世界のことじゃなくて、「地続き」ですらなくて、ぜんぶいまと同じとこにあるんだから。卵のなかにひよこが全部入ってるみたいに。
 若い人をばかにするってことは、その若い人の未来まで含めたぜんぶをばかにすることだ、って僕は思っちゃうので、そういう人を見かけると、いぶかしんじゃう。「本当にその子は、そんなにばかにするような相手なのか?」と。
 もちろんね、僕は邪悪に対しては人一倍敏感なので、すでに邪悪な子どもを見たら、眉をひそめるし、顔をしかめる。その子の中には、現状、すでに邪悪な未来が宿っているような気がして、暗澹たる気分になる。余裕があれば、もうちょっとましになるようにせいいっぱい働きかける。
 現状と未来とは、同じところにすでにもうあるものだから、だからこそ分けて考えなきゃいけない。現状はこうだけど、未来はわからない、と。
 未来まで含めてこの子なんだって考えたら、すでに対等であっていいと思うのだ。確かにあなたは、永遠にその子より年上だけど、「年上だからなんなの?」ってのはある。いつかその子は、あなたをあらゆる面で追い越していくかもしれないんだから。年齢の示す数字以外の、あらゆる面で。

「ばかにする」ってのは、「不要に可愛がる」ってことも、もちろん含む。可愛がるっていうか、やっぱ、ばかにしてんだ。「いやー若いっていいなあ」とか「若いからだよ」とか、そういう言葉はぜんぶ、ばかにしてる。そんなことを言っている暇があったら、もうちょっと仲良くなればいいのに。
 子どもはおもちゃじゃなくってね。アドバイスみたいな名目で、ああだこうだ、言いたくなるのはわかるけど、ちゃんと相手の話も聞かないと。
 学校にいてもバーにいても、他人の家庭をのぞき見しても、そういう問題は山ほどある。なんでそんなに見くびったり、ばかにしたりするんだろう? どうして人の話をよく聞きもしないで、一方的な言葉を吐けるんだろう? そういう人たちが、僕は嫌いだったな。そういう人たちのことを嫌いじゃなかった人たちが、今そういう人たちになってるのかな。
 けっこうそうでもないのが、ほんとうに怖くてかなしい。

 若いっていうことは、若くないことをまだ内に含んでいるだけで、内容量は若くない人たちと変わらない。むしろ「若い」ということが失われていないぶんだけ、質量が多いのかもしれない。もちろん、若くない人たちの中にも、若いことをちゃんと捨てずにとってある人たちだっているから、そういう人たちはすっごい巨大だけど。
 それがわかんないと、偉そうになるんだと思うんだなあ。
「こいつは小さくて弱いから、尊大に強く出よう」っていう、野蛮な発想。
 でも大きさは基本的に、おとなと変わらないか、ことによったらすっげーでかいんだから、その子は。
 ガキに媚びた綺麗事を言ってるつもりはない。ガキ相手に「対等」をやれないやつは、「対等」ってことをまったくわかっちゃない。
 だから、やな大人ってのは「偉そう」なんだと思う。
 対等ってのは「そのつど判断する」ってことだから、それができない人はまったくものごとを考えない人なのだ。
 対等を知らない人は、すでにある答えでぜんぶ決めるじゃん。

2017.05.04(木) のだめくたびれ

 滝のように忙しい日々を送っていますが「疲れた」は言うのがイヤで、代わりに「くたびれた」の使用につとめています。くたびれたは草臥れたと書いて、なんとなく平和な感触がありますね。

 いくつか書きたいことがたまっています。


 ジャンルに支配される、っていうのは本当に恐ろしい。
 文化を愛する人ならば、どこかで心当たりはあるのでは。かく言う僕も、「わたしにもおぼえはある」。

 歌うことが好きである、というような人は、たくさんいる。しかし、そのうちに、「歌う」というジャンルに支配されてしまう人もいる。そうすると、「歌う」ということがなんなのか、わからなくなっていく。
 歌っているときの、陶酔感が、ゴールになってしまう。
 何のために歌うのか? 歌に言葉が載る以上、それは「言葉を届ける」ために歌うのではないのだろうか?
 一人でカラオケに行って、たとえ誰も聴いてなくても、自分の心に、それを届ける。あるいは、いつか誰かの心に届かせるための練習として。
 もちろん、別の言い方をすればこうもなる。歌が音によって成り立つ以上、それは「響きを届ける」ために歌うのであろうから、「言葉」よりも「響き」を重視する人もいる。意味のわからない言語の歌も楽しく、美しくありうるように。
 ともあれ歌というのは、僕が思うには「手段」である。しかし、「歌」というジャンルに閉じると、それは「目的」になりがちである。
 それはそれで、別にいい。悪いことではない。歌という目的のため、歌って、うれしい。その完結の仕方は、それはそれは平和である。
 ただ、「完結している」ことに気付かず、「今、わたしは歌うことによって、何らかの広がりをもち、歌うこととは別の何かを得ている」といった思い込みをし続けていると、自分の意図とはちょっと違った老け方をしちゃうんじゃないの? と、思う。
 ジャンルに閉じることの問題点は、「今、わたしはジャンルの中に閉じている」という謙虚さでもって、自分を見つめることができにくくなることだ。ジャンルに閉じると、視野が狭くなって、ジャンルの壁に書かれた青空や星空を、まるで本物であるように信じ込んでしまう。


 そういうのは、どんな「ジャンル」でも同じで、だから僕はあんまりジャンルに閉じたくない。そうすると「わかりやすさ」は失われる。ジャンルに入ってしまえば、一言でせつめいがつくが、ジャンルをもたないと、一からすべて、説明しなくては相手に伝わらない。伝えるには根気と、能力がいる。でもそれは、「閉じたくない」というわがままの代償だから、わがままな僕としては、通すために泣きながら表現を尽くすしかない。

 そこで今回の「夜学バー」なるもの。夜学バーというのは、今のところほかに存在しない。名前をつける前にGoogleで「”夜学バー”」とか「”夜学Bar”」とかで調べて、一件もヒットしなかったので、決めた。その時点では「夜学バー」は、たぶん(ほぼ)世の中に存在したことのない言葉だったのだ。(ところが、あとでTwitter検索してみたところ、2012年に一件だけヒットした。もちろんそういう店が存在していたわけではないが、言葉としては先取りされていたのであった……。)
 新しい名前をつけると、新しい存在であることが要求される……というか、新しい名前なのに新しくない場合、「新しくないじゃん」という言葉が突きつけられる。
 一ヶ月お店をやってみて、今のところは実質として「新しい」といえるものではない。だけど、新しい名前をつけたことによって、その「新しさ」を「新しい」と思えるような人たちが、集まってくれている。あえて怪しげな言葉を使うと、とても「しつのよい」お客さんたちだ。そういう人たちに支えられて、お店はなんとか今月も存在できそうである。

 夜学バーというのは「新しい」概念で、それをつたえるためには長い時間が必要になる。たとえば文章で伝えるとしたら、長い文章が必要になって、それを読む時間は、短い文章に比べるとずいぶん長い。それで僕はHPに長い文章を書いた。それを読んで、「あ、面白そうだ」と思ってくれる人が、主にお店にやってきてくれる。そういう人は当然、長い文章を読むことが苦でない人だし、「長い文章を読むことによってわかること」にけっこうな価値や意味があることを肌でわかっている人で、つまりやっぱり、「しつのよい」という言葉で表すことができる人、が多い。
 それで、そんなに繁盛しているとはいえない僕のお店は、けっして多くはないけど確かにしつのよい人たちによって、楽しい時間となっている、場合がいまのところ多い。
 本当にありがたいこと。

 で、本当はもっと、たくさんの長い文章を、お店のサイトに書きたい。書くつもりだった。でも、お店に立つ時間が多いと、なかなかその時間がとれない。昼間は学校で授業をしていたり、文章の仕事をしていたりするし。人と会ったりも、相変わらず多い。お店をやってるとよそで人に会うことがどうしても少なくはなるけど、できるだけ二人とか三人とかでも会いたい。そうするとよけいに時間がなくなる。
 そういうわけでここにもあまり文章を書けていなかったのですが、ゴールデンウィークというのはありがたいものですね、学校がないと、時間があるから、いっぱい寝ることができて、ちゃんと寝ると、心にもよゆうが生まれ、「よーし文章を書こう」と思うことができる。
 お店のほうは、最初の文章に書いたことの効力はそろそろ弱まってきたので、新たなエネルギーを文章(とか、写真とか図とか)によって注ぎ込まないといけない。それが生きているということの、やっぱり、証なので。せっかく作ったんだから、死んだホームページにはしたくない。

 というわけで、ちょこちょこ、あっちにもこっちにも、書いていくので、よろしくお願いします。

「大人たちのうるささ」「類は友を呼ぶということ」についてなど、こっちのほうに、いつもの感じで書きたい。

2017.04.24(月) 禁教豊國

 4月1日からお店をはじめた関係で、ぜんぜん余裕がなく、こちらの更新も滞っておりました。最近、複数の人から「書きなさい」と言われたので、書きます。全国30人の読者のみなさま、お待たせいたしました。いつもありがとうございます。
(どうでもいいですが、この「全国30人の読者」というのは、『宇宙船サジタリウス』のメインライター、一色伸幸さんが原作・脚本を手がけられた『七人のおたく』での、武田真治演じるアイドルおたくの言い回しを模したものです。この作品についてはまた後日。)

 学校のことでも、お店のことでも、無限に書くことはあるのですが、久しぶりなので(?)おおざっぱな話を書きます。


「意思は言葉を変え 言葉は都市を変えていく」とは、2月に発売された小沢健二さんの『流動体について』の歌詞。これについても無限に言いたいことがある。
 それはそれとして、先日すさまじい文書を入手した。19歳から私淑している浅羽通明先生が、20歳の夏に書いた文章である。「見えない大学」なるものに関する序論で、ご本人からいただいた。
 終盤、読んでいて泣いてしまった。20歳の時点でこのようなことを書く人だからこそ、僕は13年間追いかけ続けていたのだ。それが芯からよくわかった。
 浅羽先生は、本当にわかりにくい人物である。思想、といってよいものがあるとしたら、それを把握して言語化することは非常に困難だと思う。顔を合わせていても、未だに「怖い」ときがある。僕は、彼が真に優しい人間であることを知っているので、問題ないのだが、慣れていない人は面食らうのではなかろうか。思うに、そういう人である。
 いったい、その文章に何が書いてあったのか。僕などが要約できるものではないし、個人的にいただいたものでもあるので、抽象的にやる。
 それは「意思は言葉を変え 言葉は都市を変えていく」という、48歳の歌手が吹き込んだレコードの言葉ともつながり、15歳の少年が通う「あひる社」という“店”にもつながる。そして僕が20歳のとき、初めて無銘喫茶というバーに足を踏みこんだときの気分にも、当たり前のようにつながっていた。
 僕はいま、東京という巨大な都市のなかで「夜学バー」と冠されるお店をやっている。それはまるで浅羽先生が20歳のときに描いた、「見えない大学」の一部である。知らず知らず僕は、そのような道を辿っていた。僕が“店”を学舎として捉えるようになったきっかけは、20歳の時に通っていたあの古くさいバーが原体験である。そして32歳になって作った“店”で、浅羽先生はこの29日、催しを主宰してくれる。
 1979年の20歳と、2005年の20歳と、2017年の32歳と58歳が、同じところに集っているような感覚。じつに最高のSFである。というのは、僕が16歳の時に書いた戯曲というのは、そういう話だったからだ。
 見えない大学は、そういうふうに時空を超える、と思う。

2017.03.09(木) 卒業式

 卒業式だった。
 この日にしか明らかにならないこと、というのがある。
 去年もそうだった。“この日”になって初めて、声をかけてくれる子がいる。それはこの一年のことがすべて詰まったような声で、とても重みがある。嬉しい。

 僕の授業はかなり特殊である。誤解を恐れずにいえば、手を抜いていない。「子ども相手なんだから、このくらいの説明でいいだろう」ということは、まずしない。「これだけ説明すれば、この中の何割かは理解してくれるだろう」というレベルのことをする。言葉数が多いし、「断定」をあんまりしないので、わからない人にはわからないかもしれない。
 子どもは、「こうである!」と言われることに慣れていて、それを言われれば、「そうなんだ」と思う、素直な生きものである。思わなければ、それは「反抗」になってしまうので、意図的に「反抗しよう」と思わない子は、たいていは「そうなんだ」と思う。そのどちらでもなく、「そうかなあ」と保留できる人は、たぶんかなり少数なのだ。
 僕は、「こう考えると、こうなりますが、こう考えた場合、このようになるし、ほかの考え方をすれば、まったく別の考え方になるでしょう」というふうになるように、努めている。
 あるいは、「一般的にはこう言われますが、そうかなあ、と思ってみてください。どうでしょうか。たとえばこのように考えることもできますし、他の考え方もあります」とやる。
 それはもしかしたら、とてもわかりにくいやり方なのかもしれない。

 去年卒業した生徒と、食事(カレー)を一緒にしたとき、「先生の言ってたことで、いちばん役に立ってるのは“かもしれない運転”です!」と言っていた。
 こうだろう、と一つだけの予測で突っ走るのではなく、ああかもしれない、こうかもしれない、というふうに、いろんな可能性を考えてものごとにあたれ、というはなし。
「えー、むずかしい。どうしたらいいんですか?」とたぶん、当時その子は言った。それに対して僕は、何事につけてもとりあえず「そうかなあ」と思うべし、みたいなことを言った。
 彼女はそのことを挙げてくれたのであろう、たぶん。
「そうかなあ」という、保留の態度は、とても大事だ。僕の授業は、たぶんそれでかなりの程度、一貫している。

 でも、「そうかなあ」と思えるのは、じつはかなり高級なことなのだ。
 だから、僕は「そうかなあ」の実演を、授業を通じてしていたつもりなのである。


 高3の三学期、あるクラスで「スピーチ」をさせた。数分間、自由に何でもしゃべっていいよ、という丸投げ授業だが、卒業間近の彼女たちが、「自由に」と言われて何を話すのか、興味があったのだ。もちろん、そこで話されたことに対しては、僕は持てる限りの能力をすべて使って「ツッコミ(コメント)」をして、「少しでも誰かにとって実りのある話」に導いていこう、と意気込んで臨んだ。
 初日の発表者は6人。そのうちの5人が、なんと「自己紹介」をしたのである。
 ちょっとまて、高3の三学期に、自己紹介って、なんぞ?
 しかも、その内容といえば、だいたい以下のようなものである。「○○××(名前)です。誕生日は◎月□日、血液型は△型です。……えーと、好きな食べものは◇◇です。おわります。」5人のうち4人までが、このレベルか、それに毛が生えた程度のものであった。(1人はけっこう「いい自己紹介」で、かなり褒めた。)
 このような展開は、僕にとって喜ばしいことではなかった。すなわち、指導の失敗である。一年間、自分はいったい何をやってたんだ、ぜんぜん教育なんてできていなかったんじゃないか……と反省した。
 しかし、ここで折れるわけにはいかない。なんとか、「少しでも誰かにとって実りのある話」にするため、ツッコミ(コメント)を入れなければ。

「ありがとう。ちょっと短かったかな。ところで、あのさ、どうしてきみは自己紹介をしたの?」

 これは、本当に、素直な疑問である。
 でも、座って聴いていたほかの子たちは、そんな疑問を、持っていなかったかもしれない。「この人、なんで自己紹介なんてことを始めたんだろ?」と思った人は、果たしてあの場に何人いただろう。
 問われた子は「えっ」と困っていた。考えたことがなかったのだろう。
「何も話すことがないから」と、ある子は言った。
「何も話すことがないと、なぜ自己紹介をするの?」
 と僕は、できるだけ嫌な言い方にならないように、かさねて聞いた。
「え……なんか、何も考えなくていいから」
「なるほど」
 なるほどである。
 何も考えたくなかった、ということだな、と僕は納得した。
 全員に同じことを聞いたが、彼女たちの意見を総合すると、「スピーチとかだるいから、以前に話したことのある内容で、何も考えずにするすると言葉が出てくるようなことで、短く済ませられることといえば、まあ自己紹介」ということらしかった。
 考える=だるい、実際のところ、かなり多くの人にとって、そうらしい。

「うん、自己紹介をした理由はわかってきた。そんならさ、なぜ自己紹介をするってなって、誕生日と血液型を言ったの?」

 こう聞くと、どの生徒もいちど、言葉に詰まる。
 そのあとで、答えられる子は答えてくれるわけだが、ある生徒の口から出てきた言葉は、あるいみ完璧なものだった。

「そういうもんだから」

 そういうもんだから! そのとおりだ!
 心底から、納得した。
 彼女たちは、「自己紹介とはそういうものだ」と思っているから、「自己紹介をする」となったら、誕生日と血液型を言って、それから好きな○○とか、所属している部活とか、住んでいる場所を言って、それでオワリとするのだ。
「そういうもんだ」と彼女たちは思っている。
 それで僕は、どうしてもこう思う。

「そうかなあ」

 50分の授業で、6人の発表、1人あたま3~5分発表して、それに対してまた何分間か、僕やほかのみんなとの質疑応答がある、となれば、時間はギリギリ足りるかな、というところ、だと思っていたのだが、さにあらず、15分くらい余ってしまった。みんな、30秒で終わっちゃうから。
 それで僕は、黒板に「なぜ人は、話すことがない時に自己紹介をするのか」「なぜ人は、自己紹介をするときに、誕生日や血液型を言うのか」と書いて、それについて話すことにした。
 詳しいところは省くが、けっきょく、「そういうもんだから、と考えて、その通りに行動して、それでいいのか?」と疑問を投げかけて、終わった。


「子どもに、どうして赤信号を渡っちゃいけないの? って言われて、なんて答える? “危ないから”、って言う? もし、その道路がまっすぐで、一キロくらい先まで見渡せて、それで車が来ていなくても、“危ないから”って言うの? もしかしてみんな、“そういうもんだから”って、言う? それっていい答えなのかね?」

「だってさ考えてみてよ、みんながさ、親とか先生とかに対して、むかつくとか、うざいとか、ヤだなと思うときって、けっこう“そういうもんだから”みたいなことを言われたときじゃない? あるいは、ぜんぜん何も考えずに、“あれをしろ”とか“これはダメ”とか、言われたときじゃない?」

「“そういうもんだから”っていう言葉は、そういう言葉なんじゃない? 僕たちは、できるだけそういう言葉を、子どもとか、ほかの人に投げつけてしまわないように、したほうがいいんじゃないのかね。どうして赤信号を渡っちゃいけないの? っていう質問には、ほかにも絶対、いい答え方がある。それを考えられるようになるために、みんなはこれまで“勉強”なんてことをさせられてたんだと、僕は思いますよ。」

「“そういうもんだから”という言葉をつかうのは、危ない。なぜかというと、その言葉を受け取った人に、“この人はわたしのために何も考えてくれないんだな”と感じさせてしまいそうだから。自分のために何かを考えてくれている、という実感は、その人にとって、たとえば小さい子どもにとって、とても嬉しくて、生きる糧になるようなことなんだと、思うんだけど。」

「それはひいては、“自分は生きていてもいいんだ”とかっていう、自己肯定とか、自信とかっていうものに繋がっていくと、僕は思うのですよ。」


 なーんてことを、ついつい、語ってしまったわけだ。これを「価値観の押しつけ」と思われる方がいたら、申し訳ない。僕はこのくらいのバランスの取り方しか、今はまだできないのだ。
 学校の先生として、そして僕個人として、「何も考えないでいたい」とか「そういうもんだから、そうする」といった考え方について、「そういう考え方もあるよね、それもいいと思うよ」なんて、言えないもの。
 もし僕が「それもいいと思うよ」って言うんだとしたら、「まあ、それをバカって言うんだけどね」みたいな、ひどい一言を、付け加えてしまうんだもん。それは学校の先生として、できないこと。だからしない。「(そのままだとバカってことになるんだけど)」というのを心の声として、「そういうの、僕はよくないと思うんですけど」とだけ伝える、というのが、せいぜいそのときに僕ができたこと。


 こういった授業を通して、誰が、何を思ってくれたかはわからない。
 言えるのは、一学期、二学期とがんばってきて、三学期にフリーテーマのスピーチをしてもらったら、上記のような内容を話す人が、けっこうな数でいた、ということである。
「力不足」というやつですね……。
 次の時間からは自己紹介はかなり減ったし、べつのクラスではそのように内容のないスピーチをした人は一人もいなかったので、あれはあのクラスのあの時間の「空気」のせいだった、ということではあろう。しかし、そのような「空気」が醸成されてしまった責任は結局のところ僕にあるので、もうちょっとうまいことやれたらよかったなあ、と反省している。
 ただ、同じように言えるのは、当然のごとく「おもしろいスピーチをしてくれた子も、そのクラスの中にちゃんといた」ということ。あの「空気」をはねのけて、話してくれた。そのことについては本当に感謝である。
 さっき、6人中5人が自己紹介、と言ったが、つまり残りの一人は「ちゃんとテーマのある話」をしっかりしてくれたのである。そしてその子は、卒業式のあとに僕のところに(4人くらいで連れだって)来て、「先生の授業と紙(プリント)、とても好きです」的な温度のことを、言ってくれたのである。(そのあとさらに、その子のお母さんからも声をかけていただき、「うちの娘が」と、おなじようなことを言っていただいた。)
 ああ、ちゃんと届いているんだな、と、嬉しくなった。その、連れだって来てくれた4人の子の中に、例のクラスの子は3人いて、そのうちの2人は、果たして僕の授業を楽しんでくれてんだかどうだか、よくわかんなかったのだ。けっこうちゃんと授業を聞いてくれているようではあったけど、それが「面白いから聞いている」のか、「いい子だからいちおう聞いている」なのかは、ぱっと見じゃわからない。(わかる子もいるけど、勘違いだったらイタいので、わからないことにしている。)
 最後になったけど、わかってよかった。ほんとうに。

 そのように、卒業式の日になって、ようやく言葉をくれる子がいる。くれない子もいる。顔を合わせられなかった子もいる。でも、まあ、わざわざ言葉にしてくれなくても、好ましく思ってくれていたり、何かが伝わったような相手は、いるはずだ。そう思っていないと、やってられない。伝わらなかったように見えても、何かをこびりつかせることはできたかもしれないし。教育なんて、すぐに効果が出るようなもんじゃないんだし。

 そういえば、「先生の授業は、国語なんですけど、なんか、ほかの全部の授業を一緒にやってるような感じがして面白かったです」と言ってくれた子がいて、これはじつにじつに嬉しかった。じっさい僕はそれを目指している、というか、国語の、特に現代文の授業ってのは、そうでなければいけない気がする。明治維新がどうの、とか、鎌倉幕府がどうの、という話は、一年のうちに何回もしたなあ。

 卒業生のうち、僕が授業を担当していたのは100人くらいだけど、この中で「友達」になってくれる子が、どのくらいいるかな。とても楽しみであります。これからもよろしくお願いしますね。

2017.03.08(水) メロディと言葉

 ヴォーカルには二種類あって、メロディを歌う人と言葉を歌う人。
 という仮説をたててみた。
 僕は言葉を歌う人がとても好きで、Amikaさんなんかはその典型。
 言葉がちゃんと言葉として伝わるように歌う(あるいはそうなるように作詞・作曲をする)。ものすごく単純には、日本語なら日本語本来の発音の仕方やイントネーションをなるべく崩さない。
 言葉の一つ一つ、音の一つ一つを、丁寧に歌い上げる。どんな言葉にも音にも、それぞれ一つずつ意味があって、大げさに言えば何千何万年の歴史の上に積み重なった、人の気持ちの蓄積がある。それをすべて引き受けて歌う。僕が初めてAmikaさんの『世界』を聴いたときに感じたのは、そのようなことだった(と今思えば思う)。
 言葉を歌う人は、メロディを平気でねじ曲げる。「音符のど真ん中を正確に発声する」ということに決して、こだわらない。上下にも、左右にも存分にぶれる。
 それは「クセ」とか「歌唱法」であったりもするが、本当に言葉を優先する人は、そのどちらでもなく、その都度その都度で、言葉によって、あるいはその瞬間の直観によって、歌い方を変える。
「おもしろい歌い方」をする人ってのはけっこういるんだけど、大抵の人は、それは広い意味では「パターン」でしかなかったりする。「こういうメロディの動き方をするときは、こういうふうに歌をいじくってみる」「こういう感情のときは、こういう感じに歌ってみる」というふうに。それで「その人独特の歌い方」っていうのが生まれて、それに慣れて心地よくなってくると、中毒みたいになって、ハマる。バンドでいうと、PIERROT、SOPHIA、CASCADE、cali≠gari(石井)……なんかはきっとそのタイプで、すっかり僕は中毒である。ベンジーや清春さんなんかもそうかも。
 すべての言葉と音と、気持ちに対して誠実に向き合っていて、決してパターン化しない、となると、やはりすごいのはAmikaさんだ。彼女のモノマネをできる人は、ひょっとしたらいるかもしれないが、「もしAmikaさんが別の人のこの曲を歌ったら」というモノマネは、かなり難しい。「クセ」や「歌唱法」ではないから。公式化できない。
 YUKIとTama(ヒスブルね)がぜんぜん違うのって、僕はそこだと思っているのです。(僕はもちろん、Tamaちゃんが好きなのです!)
(今それで聴き比べてみたけど、いやー、Tamaちゃんいいですね……。)

 YUKIは、メロディを歌っている、というか、メロディに歌わされている、とさえ思えるような歌い方……に僕には聞こえる。だからこそジュディマリは「聴きやすい」し、ポップだし、多くの人に受け入れられるし、「共感」というところにいきやすいのだと思う。だって、原則、たぶん言葉よりもメロディのほうが「ポップ」なんだから。また「多くの人に共感できる」ためには、ある程度単純でなければならない。それは「意味」だけでなくて。


 ネットを通じて知ったAyaQaさんという人もそのように、言葉を歌う人だ、と思う。夜中のツイキャスでぎこちないギターの弾き語りに載せられた歌を聴いて気になって、ライブに行ってみたのだ。
 最初の曲が『よるの独白』というので、一人で出てきて、タンバリン叩きながら、アカペラで歌う。メロディはあまり秩序だっておらず、歌われる言葉の量や熱量によって、一番と二番とで小節の数さえ違うような感じ。歌うようであり、語るようであり、実際ただ語ってるだけのような瞬間もあった。
 リズムを刻むのは本人のタンバリンだから、タンバリンを打つタイミングは完全に自由。変拍子どころの騒ぎではない。タンバリンを打って、次に打つまでの間が2秒であって、その次に打つまでの間が今度は3秒であったりしても、何の問題もない。そのゆらぎが、スウィングってえものだ(たぶん)。
 サビは、備わった感覚がそうさせるのだろうが、耳に残り、心に残る、「ポップ」と言っても差し支えのないものだったが、かといって「ゆらぎ」は失われない。とても心地よかった。
 いいな。自由ってのはこういうことだ。他人のドラムや、ギターに支配されない。ギターの弾き語りも似たようなものだが、あれだとどうしても「コード」につられてしまう。コードの範疇にない音を出してしまうと、不調和が際立つ。アカペラであれば、調和もくそもない。タンバリンはほとんど、講談で机を「バン!」って叩くようなくらいのものでしかなかった。(ピアノはその意味ではギターより自由だが、鍵盤楽器なので、ド、レ、ミというふうに分断されたデジタルな音しか、原則として出すことができない。)
 もちろん、一人でなくては自由でいられない、ということもなく、たとえばジャズのトリオやカルテットが、アドリブで優れた演奏をできるのならば、その時その人たちは立派に自由、といえるのかもしれない。(人間関係もそのようでありたいものだ。)

 AyaQaさんという人は、まことに原始的に、「歌う」ということをしているように感じた。自由、といって渾沌としすぎるでもなく、もともとポップセンスに秀でているのだろう、どの曲もサビのあたりはキャッチーで聴きやすい。こういうシンガーがたくさんいたら楽しい。

2017.03.06(月) (ヘル+スケル)ター

 僕はやらないのですが
 パチンコというものがある。
 パチンコは楽しい。パチンコは気持ちよい。お金が増えることもある。
「射幸心」なるものを煽り、人間にとって根源的な欲求をある意味では満たす。
 依存症になることもあるが、それも人間らしいといえば、人間らしいと言ってしまえる。
 誰もがパチンコにはまってしまう可能性を持っているし、「パチンコ」ではなくても、べつの何かに似たようなはまりかたをする人はとても多いはずだ。
 パチンコにはまる人を、パチンコにはまらない人は、ばかにしたり、「自分とは関係ない」と思ってしまうが、そういう「自分とは関係ない」人たちは、とてもたくさんいる。本当にたくさんいる。そういう人の存在を無視すると、世の中のけっこう多くの範囲に対して、目をつぶることになる。

「パチンコのようなものにはまってしまうのは、人間らしいことだ。」
 実際にパチンコにはまってしまうことがなくても、ツムツムや2048といった単純なゲームにはまったり、ソーシャルゲームに依存して課金しまくったり、アイドルに熱を上げたり、たばこを吸ったり、「パチンコのようなもの」は、いろんな形をとる。心当たりがまったくない、という人はあんまりいないはずだ。
 だから、パチンコにはまる、というのは、そういった人間らしさを象徴するもので、「自分とは関係ない」と思うのは、本当はまちがっている。
 パチンコは、人間の根源的な部分をえぐり出すもので、
 パチンコにはまる人たちの転落を卓抜な心理描写で克明に描いた《この作品》は、人間の深部を暴き出す歴史的快作である。


 まあ、そうなのかもしれない。
 納得もする。
 だけど、それでも僕はパチンコを好きにはならないし、パチンコにはまる人たちの転落を卓抜な心理描写で克明に描いた《その作品》も、好きになるかどうかはわからない。
 その作品に優しさを感じれば、好きになるだろうし、優しさを感じなければ、好きにならない。

 楳図かずお先生の『洗礼』を読んだ。とてもひどいことがたくさん描かれていて、怖くて、つらい。「人間の深部」とかいうものを描いている、とまさにいえるようなものだろう。
 僕は『洗礼』を好きだと思ったが、それはたぶん楳図先生がとても優しい人で、最後には、ものすごい力業で、ちゃんと何か、よいことを残してくれるからだ。悲劇のようでも、どこか光がある。
(だから『イアラ』は本当に好きですね!)

2017.02.28(火) ペンギン村ージェットシティ

 人間ってのは、「10歳」という時を境に、大きく変わる。
 もしも、実年齢で10歳を過ぎているのに、変わっていなければ、その人はちょっとおかしい。10歳よりもわかいのにもう変わっているならば、ちょっとませているというか、心の発育がよい、ということだ。

 人は、だいたい10歳くらいで、変わる。
 だいたい10歳くらいから、「生きる」ためのことをするようになる。
 それよりも前は、「生きる」ためのこととは、ぜんぜん無関係なことをしている。

 たとえば、10歳をすぎると、「蓄積」ということをするようになる。
 蓄積というのは、論理とほぼイコールである。
 経験と言ってもいい。
 学習と言ってもいい。
 わけわかんないだろうか? まあ聞いてください。

 子どもの目には、すべてのものが新鮮にうつっている、と、よく言う。
 人生経験が少ないのだから、大人に比べれば知らないものが多いし、見渡せばどこへ行っても初めて目にするものばかりだから、当たり前といえばあたりまえ。
 しかし、子どもというものは、べつに「初めて見た」わけでなくとも、ものごとを新鮮に感じてしまうものなのだ。
 逆に言うと、一度見たものを、「一度見たな」と思って、新鮮に感じなくなれば、それはもう、子どもでなくなる階段をのぼり始めている。
 だいたい10歳くらいで、その階段をのぼりきって、新たな地平にたどり着くのではないかな、というのが、今日の話。もちろん根拠などない。たぶんそうだろうな、と僕が勝手に思うだけだ。

 一度見たものを、「一度見たな」と思うことは、蓄積であって、経験であって、学習であって、またそれはだから論理の入口でもある。
 だって、過去に経験した「A」ということと、いま経験している「B」ということを、「同値である」と認識したときに、人は「一度見たな」と思うのだ。
 式で表せばたぶん「A⇔B」みたいになって、論理の基本である。(つまり数学の基本である。)

 という意味で、「一度見たな」と思うことは、蓄積とか経験とか学習とか論理という、人間が社会で生きていくためにかなり重要なことの始まりを示している、のだと、考えている。
 同じ絵本を何度読んでも面白いのは、「蓄積」をしないから。
「ちがう本を読みたい」と思うのは、「蓄積」を求めているってこと。

 10歳よりずっと若くたって、当たり前に「ちがう本」は読みたがるはずだけど、ひょっとしてそれは「蓄積」の第一歩なのじゃないかなと思う。「本というものは、面白いものだ」という一般化をしていて、かなり高級な欲求だ。ある本「A」とある本「B」が、どちらも面白い(面白いという意味で、等しい価値をもつ)ことを期待してるわけだから。こじつければ。

 だから子どもが、「ヤダ、その絵本は前に見た」ってことを言い出したら、もうその子はその瞬間、子どもでなくなろうとしている、ということに、僕のこの話に従えば、なる。

 そういう「ヤダ」を第一歩として、子どもはどんどん色々なことに飽きていって、「蓄積されるもの」や「ステップアップするもの」に興味を持つようになる。
 たとえば、プラレールをつないで、線路をどんどん長くしていくようになる。電車の名前も、たくさん覚える。
 どれがどのくらいの速度で、どれがどのあたりを走っているのか、を知っていく。

 で、10歳にもなれば、その感覚はだいたい完成している。

 感覚が完成すると、今度は、「この感覚を基盤として、学習をして、生きるために役立てよう」という気になっていく。
 知識や能力を、あるいは感性を、自分の中に育てていく。

 ここからが「新たな地平」。

 僕にとって、それを切り開く切っ掛けになったのは、手塚治虫だったんじゃないかな。
 僕が手塚にはまったのは7歳か8歳くらいの時で、10歳より前だから、「ませてた」ってことになる。手塚と出会って、僕は「この人の作品はどれも面白い、もっとこの人のまんがを読もう」と思うようになった。それで次から次へ、読んでいった。
 岡田淳さんも、そんな感じで、「この人の作品はぜんぶ面白い。次を、もっと次を」と読んでいった。ほかの作家さんやシリーズに関してもおなじだ。

 そうやって僕は大人になっていった。
 僕はよく小沢健二さんのことを書くけど、それもそうだ。「この人は」ということで、自分の中にどんどん蓄積させていった。
 それが十代の終わりには橋本治さんになったり、いろいろなものに対してそうやって学んで、僕はどんどんかしこくなっていった。

 それは「生きる」ためのことだった。

 でも、今おもう。
「そんなのぜんぶ、二の次なんだ」。

 生きるためのことなんて、二の次だ。
 いや、生きることは大切だから、大切なんだけど、でも、それはやっぱり、二の次の大切なんだ。いちばんのたいせつは、それじゃない。手塚から始まる僕の「蓄積」は、いちばんのたいせつじゃない。
 手塚から始まる蓄積は、僕の人生の質を保障してくれている。圧倒的に。
 そのおかげで僕はいま、かなり幸せな人間になれている。
 このホームページも、その「人生の質」とやらの一環だ。
 でも、そんなことは、二の次の大切。
 本当に大事なのは、別のことだ。

 なんてことを考えながら、こんなことを書いた。
 この社会で「生きる」ということとは、あんまり関係のないところに、ペンギン村はある。
(ペンギン村というのは、『Dr.スランプ』というまんがで、アラレちゃんたちが住んでいる村ね。)
 だからこそ、それは本当に最も大切なことなのではないか、という、非常に抽象的で、観念的で、意味わかんないことを、僕は言っている。
 10歳より前。「蓄積」と関係のない世界で、僕が好きだったもの。
 それをいちばん大切にしていきたいなと、急に思ったのだ。
 手塚にはまるよりも前に、僕は藤子不二雄のまんがを当たり前に読んでいて、それは本当に当たり前だったから、「好き」とさえ思わずに、げらげら読んでた。(今でも、げらげら読んでる。)

 詩的にいえば、それは、「どこにも積み重ならないもの」。
 ただそれのみとしてあるもので、何かと関連づけてみたり、何かを考えたり語ったりするための前提や材料には、ならないもの。する必要のないもの。
 それが一番大事なんだ、というのは、たぶん言うまでもなくて。
 だってそれはつまり、川だったり雲だったり、バッタだったり、っていうことだから、「自然を大切に」と言う人は、みんな知っている。
 あるいはそれは、お父さんやお母さんでもあるだろうから、「親孝行」みたいなことを良しとする人には、もうとっくにわかっていること。
 今更ながら、そう思うのだな。
 文化というのは、パンの上に塗るバターやあんこ(名古屋人ですから)みたいなもんだ。もちろんパンも文化、あるいは「文明」と言うべきようなもの。
 それはそれとして愛すべきものとしてあって、でもそれは10歳よりあとの話なの。


 手塚から始まる僕の人生は、良くも悪くもそういうものなんだな。


 それとは別に、「積み重ならないもの」も確かにあって、それも愛すべきもの。
 星空のようなもの。
 でも、べつに星空を見て、「きれいだ」なんて思わない感じ。
 ただ走り出したくなる感じ。

 冬のやきいものにおいみたいなもの。
 それを「風情がある」なんて思わない感じ。


 10歳よりあとのことは、ただの文化でしかないんだから。
 そゆ※気持ちをいっしょに持っていられる人と、いっしょにいるのがいいと思う。


 ※アラレ語

2017.02.23(木) 意思は言葉を変え言葉は××を変えていく

 この日記は面白いもので、ぼんやりと考えていることが、書き続けることによってだんだん形になっていく。「自由」と「平等」についてはもう何年も、それこそ10年も20年も考え続けているんだけど、昨日書いたことは現段階での一つの答えになっているような気がする。自由と平等、なんて言うと堅苦しいというか、真面目くさいというか、意識高いような感じだけど、僕なりに定義するそれらは、ひとまず「ほかのどこでも聞いたことのないような言い方」にはきっとなっていて、とりあえずこのサイトの目的というか、意義としては適っている。
 このサイトでは、「読む人がこれまでに考えたり聞いたりしたことのないこと」を書きたいと思っている。どこかの誰かがすでに言っているようなことを言ったって、まったくしかたがない。僕が書くのなら僕にしか書けないことを書くほうがいい。だからどうしても自分の話が多くなってしまう。でも、自分の話ってのはどうかすればちゃんと世の中とかほかの人のことに繋がっていくはずだから、それを信じてとりあえずはやる。
 自由とはなにか? 平等とはなにか? そういうことをいくらずっと考え続けていても、結論なんてものは出てこない。でも、自分なりに考えを進めていくなかで、「セーブポイント」みたいなのはあって、「あ、この発想はちょっと面白いな、ただしい言い方に近そうだな」と思うと、たとえばここに、書き留めておくようにしている。じりじりと、にじり寄るように、進んでいって、少しずつセーブしていく。昨日書いたことは、わりと重要なセーブポイントだったかもしれない。
「平等とは、自由を認めあうこと」なんていうふうに、結論めいた言い方をしてしまうと、「いやそれはちょっと、違うんじゃない?」とか思われてしまいそうだし、僕だってそこだけを切り取って今、あらためて見つめ直してみると、「そう言い切っていいものだろうか」とためらう。でも、僕はいきなりポンと、「結論!」というふうに言っているわけではなくて、少なくともこのサイトだけでいっても、16年半くらいのあいだ、じりじりとやっていて、昨日だけでも数時間かけてジリリ目覚ましを鳴らしてるんで、とりあえず少なくとも自分の中でだけでいえば、「うん」と思える。僕の「結論めいたこと」は、16年半日々流動し続けているものの、最新のあり方を切り取っただけのもので、明日にも明後日にも、これから先もずっと、流動し続けていく。で、そのたびに僕だけは、「うん」と言い続けていくことだろう。
 地球はぐるぐる周りながら、ずっと球体を保ち続けている。球体の表面は刻一刻と切り替わっていくけれども、そのどの瞬間を切り取っても地球がまったく「美しい」のだとすれば、それはそれでとてもいいのだ。流動体というのは、究極にいえば地球もそうだし、宇宙もそうだ。

「意思は言葉を変え 言葉は都市を変えていく 躍動する流動体」と、昨日発売された小沢健二さんの『流動体について』という歌にある。
 なるほどなあ、農村は言葉ではあまり変わらないかもしれないもんなあ、だけど都市は言葉で変わるよなあ。それは都市が「自由」だからか。「都市の空気は自由にする」とも言うし。
 そんなことをとりあえず思いつつ、だけどもうちょっと、歌詞の世界をいったん無視して、頭を広げて考えてみると、流動体。流動体と言うならば、都市だけでなく、国もそうなら、地球もそうで、宇宙も巨大な流動体だ。だから「神の手の中にあるのなら その時々にできることは 宇宙の中で良いことを決意するくらい」とも『流動体について』は歌うのかもしれない。
 決意。決意には意思が関わる。これが「行動」でないのが面白い。決意や意思が、ひょっとしたら宇宙を変えていくかもしれない。それが良いものであれば、よいふうに変わる可能性がある。宇宙は流動体だから。そんなことはべつに、歌われてはいないけれども、ただそういうふうな広がりを感じることもできる。(そういうのを名曲と言うのだよなあ。)

 僕の好きな、新庄剛志さんというかつての野球選手が、『しくじり先生』という番組に出ていた。新庄(親しみをこめたよびすて)は、僕が唯一心から好きだ、尊敬している、と言い切れる野球選手である。スポーツ選手の中で、ピカイチに好きだ。その理由を語りだせばキリがないので割愛するが、番組の中で新庄は、奥さんとの離婚についてこのようなことを言っていた。
 新庄は現役を引退して、バリ島に行って、「ここに住もう」と直観的に決めた。その時に、奥さんにメールで離婚を告げたという。番組のなかで新庄は当時の心境として「自由になりたい」「おれは自由だ!」という言葉を使っていた。奥さんは「そういう人なんだから仕方がない」と、わかってくれたらしい。(その心中は、察することができない。)
 僕が新庄を好きなのは、数々の偉業はもちろんだが、それを根本的に支える「自由さ」だ。と言って、彼が魅力的なのは「自由だから」ではない。「自由の素晴らしさ、自由の楽しさを誰よりもよく知っていて、そのことを僕たちに伝えてくれるから」なのだ。
 阪神からメジャー、日ハムへという意表を突いた移籍劇もそうだし、「新庄劇場」と呼ばれた数々のパフォーマンスや、有名な「敬遠球をヒットにする」「オールスターでのホームスチール」という神業プレーだって、彼が「楽しい自由の人」であることの証明である。
 今は一人でバリに住んでいる。ムチャクチャだ。でも、彼は憎まれたり、嫌われたりということがあまりない(僕調べ)。たぶんだけど、「人に迷惑をかけたり、不快にさせる」というのを最低限に済ませる賢さと、能力と、人柄を持っているってことなんじゃないかな。番組では新庄を指して「スーパースター」と言っていたが、なるほどスターとはそういうものなのだろう。
 新庄は、自由であることを世間から認めさせてしまった。なぜならば、新庄の「自由」は、とても楽しそうで、見ている側も楽しくなって、それでいて、人に迷惑をあんまりかけないからだ。
 僕はそこに「自由の本来のありかた」を見る。ただ気になるのはやはり「メール離婚」を突き付けられた奥さんのほうだが、もし彼女が本当に「そういう人だから仕方ない」と納得していて、それで今も楽しく生きていられているのならば、それこそが最大の偉業かもしれない。
 見ているだけで楽しくなってしまう、新庄という人。もしも彼から「自由」を奪ったら? そんなことは実際、不可能だろうが、もし彼が自由を失えば、その魅力は半減どころか、まったくなくなるかもしれない。
 残念ながら彼のような生き方は、ふつうの人にはできるものではないが、世の中のよいありかたを考える材料には、なるのかもしれない。そういう点で僕は新庄のことがとっても好きなのだ。

 日記というのも流動体で、書き始める前にはぜんぜんわからなかったことが、書き終わるころには見えてきたりする。書くつもりのなかったことまで、気がついたら書いてしまっていて、「どこに着地させればいいんだろう?」と考えながら、最後には本当にとんでもないところに行き着いたりもする。それが流動するものの楽しいところだ。
 新庄の話が続いて恐縮だけど、彼は本当に流動する人だ。阪神からメジャーに移るフットワークからしてすごい。調べてみると、日本人野手として初のメジャー選手はイチローで、二人目が新庄。しかしデビュー日はたったの一日違いらしいので、事実上は「この二人が初」と言ってもよさそうだ。メジャーから帰って彼は日本ハムファイターズに入団するが、その理由は「本拠地を北海道に移したばかりで、環境が一新される。ここから自分ひとりでどれだけ球団を強く・面白くできるかと思って」みたいなことを言っていた。そして彼は実際、札幌ドームを満員にさせ、三年目の開幕直後に「今年で引退します!」と宣言してその年に見事チームを日本一に導く。これ、千年前なら神にされてるでしょ。
 そのあとはバリ島に移住。『しくじり先生』では、「明日ベネズエラに行きたいと思ったら行くし、イタリア行きたいと思ったら行くし、福岡に帰るかもしれないし。一日で変わる」と言っていた。天晴れ。それが流動体ですな。
 僕は残念ながらというか、それほどゲキテキな変動を球にできるような球ではないのだが、じゃない、急にできるようなタマではないのだが、流動的でありたいとは常に思っている。
 流動的であるためには、常に変わっていることを自覚していたい。でないと、固まっていることに気づけないかもしれない。それに、形はいくら変わっても、その中身というか、本質みたいなものは、保っていたい。だから、こうして日記という形で書いて、確かめているわけです。

 あ、それは、「深い愛を抱けているか? 誓いは消えかけてはないか?」(『流動体について』)みたいな感じで、常に問いかけるようなのと、似ているかもしれない。
 だけど意思は言葉を変え、言葉は××を変えていく。
 どう変わっていくにせよ、「宇宙の中で良いことを決意する」のは、忘れたくないな。
 ところで、これ、「宇宙の中で、良いことを決意する」ともとれるし、「宇宙の中で良いこと、を決意する」ともとれる。おもしろい。どっちも似たようで、どのみち大切ですね。

 このたびの小沢健二さんの新譜には、『神秘的』という曲も入っているのですが、これはもう、今は僕は語る言葉をもちません。ろんりてきに言葉にするよりも、聴くときに生まれる胸の詩情を、じっと転がしていたいです。

2017.02.22(水) 不倫の日

 不倫というものは当たり前に行われている。それは男女を問わない。
 不倫とは既婚者のいる人がすることで、結婚していなければ単に「浮気」とだけ呼ばれるけど、たぶん理屈は同じ。ここから先「不倫」と「浮気」が混在して書かれますが、どっちも同じようなことだと思ってくだされば幸いです。

 2016年1月のベッキー・絵音と2月の狩野英孝(淫行じゃないほうね)を代表として(?)、芸能界では「不倫・浮気」が取りざたされることが多い。もちろん「芸能界で不倫が増えている」という話かどうかはわからない。「そんなもんは昔からいくらでもあったけれども、それをめざとく見つけてはわざわざ報道するようになった」というだけなのかもしれない。「深いことを考えず、不倫を見つけたら報道していい」というノリは、昔はなかったのかもしれないのだ。(今もあるかは知らないが、ありそうに思えるほどの報道の嵐である。それでも氷山の一角なのではあろうが。)
 清水富美加さんがカナブーンのベーシストと不倫していた、というのが今最もホットな不倫ニュースだけど、そんなもん個人の問題なんだからほっといてやれよ、とは思うよね。「不倫」というくらいだから、それは「倫理的によくないこと」で、だからみんなの前で怒られるんだ、という理屈は、まあ、そりゃそうだよな、とくらいにはわかる。
 最近は、ちょっとでも「倫理や法にそむく」ことがあれば、どれだけでも公然と怒っていい、という風潮がある。芸能人が踏切に立ち入って写真を撮るとかって事件があったら、「けしからん!」と即座に言うことができる。昔はそんなことなかったのかというと、そういう人もいたかもしれないけど、やっぱそんなに、そんなことはなかったのではないだろうかなあ。
 これまで「なあなあ」で済まされてきたような、「よくないこと」が、「よくない!」ととりあえず言われる、生きづらい世の中だ、というのは、今や誰もが言っている。こないだ乗せてもらったトラックの運転手さんも言ってた。何もかもが厳しくなって、「あそび」がなくなっているって。
 ほのかりんさんという人が、19歳で酒を飲んでいた、ということで、サクッと芸能界からいなくなるとか、いやいやそれは。って、誰もが思ったはずだけど、それを「いやいやそれは!」と言うことは、ほとんど誰もしなかった。したとて、意味はなかった。かなり多くの人が未成年から酒を飲んでいるが、それとは全然別の話で、「バレた」からダメなのだ。(『鈴木先生』の「@教育的指導」を思い出しますね。)
 駐車禁止やスピード違反で取り締まりを受けたときに、「誰でもやってるじゃん!」と叫んだって、意味がないように、見つかってしまったら、もうアウトらしい。
 現代では、何か倫理や法にそむくようなことをしようと思えば、「こそこそやる」が原則で、それができなければ、「アウト!」と言われる、ようである。

 で、浮気なんてのはありふれております。誰だってします。
「浮気をしない人もいるよ!」という言葉も真実ですが、「浮気をする人はめちゃくちゃ多い」も真実。その数が昔に比べて増えているかはわからないけど、なんとなく思うのは、「その数において男女の差が少なくなっている」のではないかと。(芸能界の報道では相変わらず男のほうにパートナーのいる場合が多いけど、たまたま僕の身の回りで女性が浮気したって話が最近よく聞こえてくるので、こう仮説を立ててみた。)
 世の中は男尊女卑をやめよう、という方向に進んでいて、男女平等をうたっているのだから、「男は浮気をするものだ(してもいい)、女は浮気をしないものだ(してはいけない)」という、おそらく昔はあっただろう考え方は、古いものとなり、否定された。
 これは「男は煙草を吸い、女は吸わない」というのが、否定されつつあるのと似ている。これまでは天地の差だった男女の喫煙率の差が、どんどん少なくなっている。
 酒も同じだと思う。昔に比べれば、男女の飲酒の量や率、頻度などは、差が狭まっている。
 なぜ、かつては女性は、浮気・煙草・酒などを楽しめなかったのか? それは、もちろん「子どもを産む」からでしょう。
 浮気をすれば、誰の子どもかわからなくなったり、配偶者以外との子どもを産んでしまったりする可能性が出てくるし、喫煙や飲酒は胎児に影響を与える、ということになっている。だから、女性は浮気・煙草・酒などをしないほうが、未来を考えた上で無難、ということになっていた。
 しかし、「そんなのおかしい、平等じゃない」という声が上がる。当然だ。僕もそう思う。「避妊をしたり、計画的に喫煙や飲酒をコントロールすれば、未来を心配する必要はほとんどなくなる」と、科学の発展したこの世の中では、かなり大きな声で言える。「だいいち、わたしは子どもを産む気はありませんから」という主張さえ、できるようになった。浮気も喫煙も飲酒も、責任を持って自己判断すればよい、ということになった。

 浮気・喫煙・飲酒。これらと同じようなものに、「自慰行為」もある。
「男はそれをするものだが、女はしないものだ」という、一昔前の常識は、どんどん意味を失っている。女性がそれをすることは、今や当たり前だし、特段恥ずかしいことでもない。特段、というのは、男がそのことを告白する恥ずかしさと、それほど大きくは変わらない、という意味だ。少なくとも、付き合ってる男の子にならそれを言える、という女の子は、だいぶ増えてきただろう。仲の良い女友達には言っている、という人もいるはずだ。男だって別にそんなに、それについての話はしないのだ(中学生を除く)。男だって、恥ずかしいのである(中学生を除く)。
 人前で、それについての話をしている男がいたら、はしたないとか、下品だと僕は思うし、同じことを女性がしていても、はしたない、下品だ、と思う。その程度には、このことは男女平等に近づいてきている。もちろん、完全に同等ではないし、今だって男のほうがそれをする回数や率は上かもしれないが、以前に比べたらぜーんぜん違うはず。
 男女の差別は、そのように、緩やかではあるが少なくなっていて、だから女だって平気で浮気をする。不倫をする。「男がそれをするならば、女だってそれをしていいに決まってる」というのは今や当たり前の論理で、当たり前の気分だ。それを否定すれば「差別」である。
「女だって自慰をする」「女だって性欲がある」「女だって浮気をする」というのは、すべて繋がっている。
 まあ、一方で、やはり男女差というものは歴然とあって、「だけど女は、男のように、誰とでもいいから回数や人数を増やしていきたいわけではない」という原則もあるようだ。「いや、わたしは誰とでもいいから回数や人数を増やしたい」という女性もいるかもしれないが、そういう人は未だに「男っぽい考え方だね」と、女性からすら思われる、はず。

 女子からの多大なる共感をも得て大ヒットしているハロー!プロジェクトは、ある時期までほとんどの曲の作詞・作曲をつんくという人が手がけていた。モーニング娘。デビューより前に、彼がシャ乱Qというバンドで歌っていた曲に、こんな歌詞がある。
「きっと女の子のほうから 欲しいと言い出したってOKだよ」(『My Babe 君が眠るまで』)
 女子の性欲肯定ソングである。このとき1995年。シャ乱Qといえば「水商売」のイメージとともに語られることが多く、実際その筋の女性たちから熱烈な支持を受けていた、らしい(ちゃんと示せるソースはない……)。
 そういうシャ乱Qのつんくが、後々「ハロプロの人」となり、それが女子からも大きな支持を集めるというのは、とても面白い。「つんくはわかってる!」とビール片手に叫ぶ女性の姿を、僕はどれだけ目にしただろう。いやほんと。「秋元はわかってる!」と叫ぶ女子の姿は、見たことがない。
 余談でした。

 男女差がなくなっていく、平等になっていく、というのは、僕に言わせれば「自由になっていく」である。というか、であるべきだ。平等になっているのに、不自由になっているのだとしたら、非常に勿体ない話である。
 平等とは自由への扉である。だから、自由に繋がらない平等は、ほんらいの平等ではない、と僕は思っている。

 シャ乱Qの1992年のデビュー曲『18ヶ月』は、「あなたの夢が叶ったら わたしの夢叶わない」というフレーズがサビにある。これは平等と自由が達成されないパターンで、当然悲劇だ。
 そのちょうど十年後の2002年、モーニング娘。の『Do it! Now』では「あなたが持ってる未来行きの切符 夢は叶うよ 絶対叶うから 行こう」と始まり、「私の持ってる 未来行きの切符 あなたと二人できっと叶えたい I Love you」と終わる。これは、平等と自由に向かっていく誓いの歌であって、悲劇ではない。
「未来行きの切符」は、お互いが持っていて、その行き先が同じであるか、別であるか、同じ列車に乗るのか、そうでないのか、は明らかにされない。いずれにせよ、「あなたはあなたで夢を叶えるべきだし、私は私で夢を叶えます、あなたと二人で」と歌っているようだ。ここで切符の行き先や時刻は、たぶん関係がない。「あなたと二人で」とは言っても、「あなたと一緒に」とは言わないところが、ニクいのである。
 歌詞の全体を見渡すと、どことなく別れの匂いが漂っている気がするが、それは「切符」の行き先や時刻が違うからではないか? と思う。「どんな未来が訪れても」「いつもいつまでも何年経っても 決心したこの愛が続くように」「間違ったってしょうがないでしょう 迷ったって始まんないでしょう」とかいった言葉が、その不安感を想起させる。でも、この歌詞の視点人物(主人公)は、「愛の形はイメージ通りです 恋の行方はあなたと二人です」と言う。(ここでも「一緒」とは言わない!)そして「あなたの胸の中で いつまでも」である。遠距離恋愛でも始めるのか? 何かお互いの夢のために、一時的に離れる決心をしたのか? そういった想像が膨らむ。だけどシャ乱Qの『上・京・物・語』のような、悲劇的な別れでは、たぶんない。『Do it! Now』の二人が別れるのだとしたら、それは一時的なものだし、心は離れないし、よりよい未来のための決断なのだ。(少なくともこの視点人物は、そういうふうなことを言っている。)

 めっちゃくちゃ話がズレている。話題は「不倫」なのであった。平等と自由、ということを言いたいがため、つんくさんの話が長くなってしまった……。
『Do it! Now』では、「お互いの夢をそれぞれ叶える、だけど愛は続く」という誓いというか、そういうものが歌われているような気が、僕はする。で、それは互いに自由を認めあう、ということでもあるのではないかな、と思う。そのことを平等と言うのだろうな、とも。
(男の視点がないから、よくわかんないけども。それはリスナーが埋めるところなんでしょう。)
 で……不倫というのは、実は「自由の行使」なんですね。恐ろしいことに。

 この話、新書一冊分くらいになりそうなんですよね……。このあとSMAPとかイギリスのEU離脱の話とか、2016年と2017年に起きた無数の事件にがんがんつながってくるので……。そんなものを読みたい人もいなかろうし、さわりだけにします……ね。

 世の中は「自由」という方向にちゃんと向かっている。だから「自分より大きなものの一部として生きる」ということが、どんどんなくなっていく。
 自由の自は自分だから、自由ということを考えるとどうしても「自分」というものが基準になる。そうすると、「自分を包みこんでいる自分より大きいもの」が、邪魔になるのです。それはSMAPだったり、EUだったり、夫婦だったり。いみじくも星野源が「夫婦を超えていけ」って歌ってますけど。
「自分を包みこんでいる自分より大きいもの」の最たるものは家族で、これが現代人には本当に邪魔なんだ。若い人はもう「自由」というほうに進んでいるのに、上の世代はぜんぜんそうじゃないから。上の世代ってのはどのへんをさすのかというと、「不倫はダメ、絶対! だけど男は浮気くらいするものだ」っていう世代。特に「女が浮気するなんて!」という感覚が、当たり前にある人たち。
 そういえば岡村靖幸さんが、1990年にすでに「Sexしたって誰もがそう簡単に親にならないのは 赤ん坊より愛しいのは自分だから?」(『祈りの季節』)と歌ってますね。家族(家庭、子ども)よりも「自分」を優先する、だから子作り以外の目的でセックスしまくる、って話。岡村ちゃんの世代(1965年生まれ)は、その「上の世代」との分かれ目のあたりにちょうどいるのかもなあ。
 岡村ちゃんが20歳のときに、男女雇用機会均等法というのができる(施行は翌年)。ということは、岡村ちゃん世代が大学を出る頃には、一応男女の雇用機会は均等ということになっている。それはけっこう、たぶん大きい。

「家族」という「自分より大きいもの」は存在しているけど、自分は「自分」のほうを優先したい。不倫の起きるメカニズムって、そういうものでは?
「自分」よりも「家族」が優先できるなら、不倫なんてしないもんね。
(かく言う僕も、「自分」を優先したくなる現代人ですよ、もちろん。だからこそこうして、考えて、どうするべきかを悩むのです。)

 ほんじゃあキムタクは、いったい「何」を優先したんでしょうね?
 これは難しい話ですけどね。
 僕なりに報道(死ぬほど見ましたし読みました)を整理して考えると、少なくとも「SMAP(という5人ないし6人)」ではなかった、ようだ。
 では「家族」なのか? 「事務所」なのか? そのへんはわからない。
 僕は「自分」だったんじゃないかな、と思う。
 自分が格好良くいるために、最善と信じる選択を彼はしたんじゃないか、と。
 木村君はそういう人だ、なんて知ったような口はきけないけど、そう思うと僕にはしっくりくるんですね。
 木村君にとって「格好良い自分」(そうでありたい自分の理想像)とは、必ずしも「SMAPのメンバーと一緒にいる自分」とか「飯島さんの手腕によって演出される自分」ではなかった、のかもしれないな、と。細かい事情はいろいろあるだろうから、本当のところはまったくわかんないけど、もしも彼に「決める権限」があったとするなら、の話。

 不倫の原因となる気分は、「家族よりも自分を優先する」こと。
 それは「自由である」ということと深く結びつくから、その気分自体を悪いとは、もう言えない。
「家族のため」だの「配偶者のため」だのというのは、幻想に過ぎない。お人好しの我慢に過ぎない。
 今や「自分のため」が原則である。
 そのくらいに今の世の中には自由が満ちているのだから、不倫や浮気は増えていく。「だってしたいんだもん」でおしまいだ。そのくらい人々はこらえ性がないし、こらえる必要を感じていない。
「なぜ、自分の欲求を抑えなければならないのか?」という問いが根本にある。
 自分、というものと「欲求」なるものが、社会を失った現代人にとってはほとんどイコールだから、「自分の欲求を抑えるということは、自分が自分でなくなることだ」くらいに感じてしまう。

 もしも、不倫をしないような人間になりたかったら、方法はある。「自分というのは不倫をしないものだ」と思えばいい。(この話はキムタクの話と直結しております。)
 不倫をする自分はかっこ悪い、と思えば、不倫というのは自分にとってかっこ悪いのだから、する可能性は低まる。(あたりまえ体操~)
 女性なら、「浮気をしない自分は美しい」「けなげでいちず」「かわいい」「女として魅力的だ」「その証拠にカレは今日も愛してくれたワ(90年代初頭までは見かけた表記)」と思えばいいわけだ。
 男なら、「今日も素敵な女性に午後アプローチされたけど断りました^_^」「俺は浮気に人生かけてるわけじゃないんでね」とかいって、「ああ、なんて自分はクール!」と思えば、いいわけね。ようするに、「それがかっこいい」と思うべきなんね。
 当たり前たいそう~。
「不倫する」に価値を置けば、不倫をするし、価値を置かなければ、不倫しないわけ。あたりまえ~ あたりまえ~。
 愛がほしい、性的欲求を充足させたい、誰かから求められたい、自分に価値があることを証明・実感したい、すべすべの誰かの肌、さみしさを埋めたい、知的好奇心を満たしたい、安らぎたい、恋愛のドキドキを味わいたい、新鮮味を楽しみたい、などなど、不倫の価値というのは、たくさんあります。
 それらをはるかに凌駕する価値を、「自分」の中にセットしなきゃ、不倫は、そりゃ、しますよ。
 自分の「中」でなければ、たぶんだめ。もう道徳も倫理も死んでるし、「○○のために」ってのが、制度的な強制がなければ維持しづらいっていうことも、あたりまえ体操なんで。
 たとえば、「家に帰れば嫁がいるんだから嫁とすればいい」っていうふうに、不倫しない理由を自分の「外部」に設定すると、「今日は帰っても嫁がいないからな……」とか「嫁とはご無沙汰だし……」とか「あんなやつ、もう知らん!」(親鸞と変換された)とかになる。
「ダーリンがいるもん!」ってだけ思ってても、「ダーリンとけんかしたぁ~(酒ガブガブ)」とかいってキッチンで友達と電話しながら酔っ払ってたらイケメンの水道屋さんがやってきて「奥さん!」「どうぞ」なんてこともね、あるわけですよ!
「不倫をしない理由」を自分の外部に設定する人は、「不倫をする理由」も、自分の外部に設定するの。ようするに、人のせいにするんです。
「だって……さみしかったんだモン」の類ね。これほど邪悪なことはありません!
「ダーリンが相手してくんないからぁ」ってのは、単純に「人のせい」だから。
「あんただって去年、浮気したでしょ!!」ってのは、これは「目には目を」という伝統的な考え方なので、僕は「それは不自由な平等主義だな」と思いますけど、気持ちはわかりますね。僕もやっぱり、そういうふうにも考えてしまいがちです。でもそれだって「人のせい」の一種なのれす。
「不倫をしない理由は、ダーリンが好きだからです。今日はダーリンが好きではないので、不倫をします」に、簡単になっちゃうのです。なぜならば、優先されるのは「自分」だから。
「自分」を優先する、なんてことは、もう当たり前の事実なんだから、そこを前提として工夫していかないと、たぶんなかなかうまくいきません。
「私は自分を優先するダメなやつだ! 自分を優先するのをやめたい!」といくら思っても、そうそう変わるものではないのだ。
 それよりも、「私は○○な自分を優先する」の「○○」をなんとか調整していくことのほうが、簡単なのではないか?

 けっこう身近なおしどり(?)夫婦が、不倫でもめた、ってような話を聞いて、ああ、本当にそんなことはごくありふれているのだなあ、と思った。男だろうが女だろうが、不倫はする。そんなもん、当たり前なんだ。今は「自分」を優先する時代なんだから。
 もしも「不倫する自分」を優先してしまうのを、やめたいのであれば、「不倫する自分」を嫌いになって、「不倫しない自分」を好きになるしかない。とことん。
 そんなん、「ああ、またやってしまった~」っていう自己嫌悪に陥るだけなんじゃない? って気もするけど、それはたぶん「嫌い」という感情が強いからで、「不倫をしない自分が好き!」ってほうに行くことができれば、ちょっと変わってくるのではないかなあ。

 苫米地英人さんが、「コンフォートゾーン」ってことを言ってる。人には「こういう状態が落ち着く」という感覚があって、そこにとどまろうとする。布団からなかなか出られない人は、布団の中がコンフォートゾーンになっていて、「カーテンを開けて朝日を浴びる」はコンフォートゾーンではないのだ。
 となれば、いちど「カーテンを開けて朝日を浴びる」のほうへコンフォートゾーン(心地よい状態)をずらしてしまえば、「あ、目が醒めた。陽が差している。もう布団から出てもいいんだ。やった! 起き上がってカーテンをあけよう!」と思うことができる、っちゅうわけ。「布団の中」というコンフォートではない状態から、「朝日を浴びる」というコンフォートな状態に、早く持って行きたい! と思うことができれば、ちゃんと起きられるってこと。
「不倫する」ってのがコンフォートゾーンになっている人は、「不倫しない」をコンフォートだと思えばいいんだね。このりくつでいうと。
 どうしても、「やる」ってことがコンフォートだと、初期設定は「浮気する」のほうになっちゃう。少なくとも、そういう人は多いよ。
 男はそうだし、女のほうも、だんだんそのようになってきている、っていう話。たぶんもともとそうなんだけど、これまでは社会的にかなりきつく禁じられていたのが、緩くなってきたからね。女の子だって戦っていいじゃん!(例:初代プリキュア)みたいなノリで、「女だってやりたいよ!」です。
 平等だなと思うのは、「男だからって、そんなにやりたがんなくたっていいでしょ?」という男も、けっこう増えてきているようだってこと。草食系とか言われますね。
 それは「男だからって煙草を吸うこともないよね」「なんで酒なんか飲まなきゃいけないの?」っていう若い男がどんどん増えているのと一緒。だいたい50歳以上(特に55以上かな)の人になると、そのあたりに言及して「最近の若者は~」と言い出します。男女雇用機会均等法のなかった時代を知っている人たち。(そんな単純な話か? とも思うけど、とりあえず単純化してみています。)
 男がマニュアル限定で何が悪い!? とかも、そうなのかも?

 まあ、そうだとして。どうやって「お布団ぬくぬく」から「カーテンシャーっ!」に変えればいいのか?
 どうやって、「浮気する」から「浮気しない」に、コンフォートゾーンをずらせばよいのか?
 ……苫米地せんせいのご本を読むのがよいのではないでしょうか。(DVDは10万円です。)

 ここまでの話を一言でいうと、「やっぱり自分、てことだよな。」
 人のせいにしている以上、何も変わらない。というか、人のせいにしていると、自分がコロコロ変わってしまう。「きのふの是はけふの非なる」(『舞姫』)だ。

 で、本題ってのはじつは、「自由」なんですね。
「不倫しない」を強要すれば、それはもう「自由」ではないんでね。
「お前が不倫しないなら、俺も不倫しない」は、不自由な平等だ。エラーや例外を許さない、冷たい契約になりかねない。あるいは、それを逆手にとって、ズルが起きたりする。契約書の裏をかく、みたいなね。そこでまたもめる。
 いっぺん不倫が発覚して、そこから配偶者の厳しい管理下に置かれて生活している、というパターンを知っているが、それはほんとうに息苦しい。
 もちろん、覚醒剤の常用者が、獄中に隔離されることで一時的にはクスリを抜くことができる、ってのもあるんで、必要な時はあると思うんだけどね。
 人がヤバイことになっている時は、強制的にどうにかする、ってことも大事だったりする。一時的に自由を奪って、惨事を防ぐ。気持ちのいいことではないけど。
 でも、そうやっていったんはクスリの抜けた人も、シャバに出ればまたシャブに手を出してしまう。再犯率は非常に高い。
 だから大事なのは、結局ね、「するなよ」と強制することでも、「やめてくれ」と懇願することでもなく、「いいんだよ」と言ってあげること、なんだろうな。水谷せんせいありがとう。
 だって、それがその人の、その時点での「自由の行使」なんだもんな。
 それによって著しく傷ついたならば、「つらいよ」と言って、泣けばいい。それは泣く側の勝手だ。それも自由の行使。
「あなたのそれまでの自由の行使を、私はすべて認めます。受け入れます。しかし、あなたはもっと、自分に自信を持っていいし、自分というものを強く、素敵に持っていい。手伝えることがあるなら、一緒にやろう」というくらいのことを、僕は言い続けたい。
 善人くさいかもしれないけど、核心は「自分」なるものにしかないのだから、「あなたは自分というものをより素敵なふうにつくっていってください、自分なりに」と言うのが、意外といちばん良いのではないか、と。
 水谷が言ってることってのも、結局これかな。
 彼は、「自分」なるものをつくっていくために必要なことも、ちゃんと言ってる。
 それは、「誰かのために何かをすること」。何でもいい。でもそれが、次第に「自分」をつくっていく。しかも、素敵に。

 偉そうなことを言っておりますが、くり返しますと僕も「自分のことを優先してしまう現代人」で、そのために人を傷つけることは死ぬほどあります。この文章もほぼ自分のために書いています。おゆるしを。

↓やはりというか、滞っています。思いつくことは多いのにまとまらない。根本的に問いつめ煮詰めているところ。

2017.02.16(木) おみせをはじめます

 フライング告知しておきます。99%は確定事項として動いているものの、9JCのこともあったし、何が起こるかわからないのでアレなのですが、とりあえず。

 場所は湯島。上野・御徒町から徒歩圏です。
 店をまるっと、僕ともう一人で管理するので、「週に一日」というのではなくて、毎日営業します。もちろん、毎日僕がいるわけではないですが。
 形態としては、カウンターのみのバー。月一でおざ研のような持ち寄りの日をつくったり、さまざまイベントをやったりします。もう一人の管理人はお昼の営業(カレーやナポリタンを作ってくださるそうです!)と週末を盛り上げていただき、僕は主に夜、という感じ。

 それは「ふつうのバー」なのか、というと、やはりせっかくやるのだから、ただのバーにはしないつもりです。
 テーマは二つあって、一つは「流動性」。柔軟性と言ってもいいです。もう一つは、「大人」ということです。
 つまり「オーセンティックな大人のバー」ということ、ではありません。そもそも「オーセンティック」とは、どういう意味なのでしょう……。調べたら「本物」「正統的」といった意味らしいです。そういうものではない、まったく新しい存在の場所に、できたらいいな。

 大人、ということを考えようとすると、自然と子どもとか若者とか、大人ではない存在のことを考えるし、大人ってなんだ? という疑問も当然、わいてきます。
 そのあたりを究めるための場所にしたいな、ということです。

「本当に誕生するのはパパとママのほうで 少年と少女の存在はベイビーたちが続けていくよ」

 ↑小沢健二さんがツアー「魔法的」で演奏した、『涙は透明な血なのか?(サメが来ないうちに)』という曲にあった、とても印象的な歌詞です。
 ピーター・パンが常に子どもであるのに対して、ウェンディは大人になるし、その娘だっていつかは大人になっていく。
 でも、その娘(ジェーン)だって、やがて大人になり、母親になり、子を産み育てて、その子がまたピーターに出会う。
 ピーターと出会うような、あるいはトトロと出会うような? 少年や少女は、常にいて、ただその中身だか外側だかが、入れ替わっていくだけ、なのかもしれない。
 パパやママは、子が生まれた瞬間に「そうなる」けれども、子どもは「常にいる」。それを象徴的に体現したのが「ピーター」なのかもしれない。

 では大人とは、どういう時に「なる」ものなのだろうか?
 あるいは、どういう存在が大人と「される」のか?
 そして、大人と「されない」人がいるとしたら、どういう人なのか?
 それに対して、ある限定的な側面から仮説を立てて、実践してみようという、お店です。(意味不明ですね。)
 店を通して、大人が誕生していって、しかし大人ではない存在は、「常にいる」という状況が、一つの理想かも知れません。

 と、このあたりは非常に、抽象的な話。詳しいシステム的なことは、考え中です。

 この後の流れとしては、

 2/20(月) サイトつくる(予定)
 2/22(水) くわしいことを書きはじめる(予定)
 (3月中にどこかで集まりが持てたらいいなあ)
 4/1(土) オープン
 4/2(日) 花見沢俊彦(新宿中央公園)

 という感じです。いま、いろんな人と会って、話して、知恵をいただいているところです。興味あるひとは、ご連絡ください。とりわけ、お店に立ってくれる働き手や、提携・コラボレーションのお相手、宣伝してくれる人、一緒に考えてくれる人など、募集中です。よろしくです。

2017.02.13(月) もうすぐ春ですね

 なくなりそうな、春爛漫なこの桜に、
 なぜ泣くの? なぜ、泣くの?
 ただ、なんとなく、ね。

 なくなりそうな、あの純真無垢な時代に、
 なぜ泣くの? なぜ、泣くの?
 この熱、ももとせ。
 (100s『ももとせ』)


 熱はどうしても散らばっていってしまう。
 なんてことをもうずっと、考えているが
 エネルギー保存の法則というのも一方にあって、
 散った熱はどこかで何かを暖めたり、
 冷えをなだめたりしている。
 あるいは新たな高まりのために、今はなりをひそめているだけ。

 芸術ってのは魔法のようなもので、
 それは神だか悪魔だか、何か神秘的なものが司っている。
 芸術家はその力を借りる。
 だから芸術家はそれを語る言葉をふつう、持ち合わせないけど、
 同時に評論家でもあるような芸術家は
 蛇足のように付け加えたりはしてしまうものなのだろう。
 それはポップにとっては意外と重要で、
 ある種の異常な天才でなくとも、
 そういう蛇足を参考にして修練を積めば、よいものが生み出せたりする。
 ベジータや本阿弥さやか、亜弓さんなどは、
 悟空や柔、マヤといった本当の大天才にかないはしないものの、
 ともあれあそこまで迫ることができた。(できている。)
 そういう人は、たとえばポップミュージックの世界にもいるでしょう。
 マンガの世界にもいるでしょう。
(というか基本はそっちでしょう。)


 桜が散っていくのも、花火が散っていくのも、
 消えていくというよりは、溶けていくもの。
 流れ星だってそうだと思う。
 だから優しさの中へ消えていくわけだ。

 春には桜。夏には花火。
 秋は枯れた葉、冬は雪か。
 あのように消えていくものは、すべて熱にたとえられて、
 見えなくなっても、どこかで何かを暖めたり、
 冷えをなだめたり、
 あるいは新たな高まりのために、なりをひそめているわけだ。
 花や葉は土にかえる。
 雪は地下に沈み、あるいは川になって流れていきます。
 花火はくすんだ匂いと灰をしか残さないけど
 まあきっと、網膜や心に残るのでしょう。
(実はこっちのほうがわかりやすい)

 心の中には、光があるらしいですから。


 散らばったものと、同じものが集まるわけではないけれども
 熱はまた高まる。
 いろんなところで、合わせたら同じだけの熱が常にあり続ける。
 それが生態系の面白いところだと思う。
 ずっと会ってない人も、
 どこかで熱を上げたり、下げたりして
 誰かと集まったり、離れたりして
 死んでしまった人も、
 死ぬっていう強烈な熱を最後にばらまいて、
 それを受け取る人たちがいたりする。
(誰かを悼む火の煙る炎 高く高くと燃え立つ)

(僕は今 慈しみの中)

 熱は散らばり、散らばったすべての熱は生き続ける。
 だから、見た目には何もかも元通りになっても
 それは地球が一回転するのと同じで、
 無限にくりかえされていくことの一周を目撃したに過ぎない。
(愛すべき生まれて育ってくサークル)

 Ecology of Everyday Lifeなのである。
(イッツマイライフ だから~♪)

2017.02.10(金) 16:54 過ちについて

 あやまちをおかすことは、仕方がない。誰もがあやまちをおかす。
 いけないのは、「これはあやまちではない」「あれはあやまちではなかった」と思いこむことだと思う。
 あやまちは、あやまちなのである。
 というか、それをあやまちだと思うことからしか、ものごとは切り替わらない。もし現状が「これでいい」でないのなら、どこかにあやまちがあったのだ。
 で、「これでいい」というのはほとんど常に誤謬である。誤りである。
 生きている限り、「これでいい」とは思わないほうが、妥当だし、たぶん楽しい。(全ての審判は死ぬ日で十分だ。)

 現状が「これでいい」とは思えない以上、どこかにあやまちがあるので、「これはあやまちではない」と思いこもうとしているものが、危ない。
「あやまちではない」と思う時点で、けっこうなかくりつで、あやまちだと思う。
 それをあやまちだと認めることから、「だったらそれを無駄にしないようにしよう」と、前を向けるのであって。
 誤って、それを認めるからこそ、未来をよくしていける。

 夜回り先生こと水谷修さんはこう言う。
「いいんだよ。昨日までのことはみんな、いいんだよ。今日からは、水谷と一緒に考えよう。」
 これがすべてである。ほぼ真言(マントラ)に近い。

 いいんだよ。間違ってしまったことは、それで。
 過ぎたことだから。だから過ちと言うのだから。
 その過ちをひっくり返すために、その後の人生があるのだから。
 それが後に優しさに変われば、逆転なんだから。

 いけないのは、「これでいい」とむきになることで、そうしたら、そこから動かない。そのままだ。
 ココアでも飲みながら、顧みないと。


 ただ、太宰治の『トカトントン』的な、解離とか離人症とか呼ばれる何かによって、「どうでもいいや」になって、くり返してしまうような質のあやまちもあるらしいので、その場合はまた違った心がけなのだろう。

 自分が自分である、という現実感よりも、ほかのものが優先してしまうとき。その場の流れだったり、「気分」だったり。あやまちはそこにしのびこむ。ずるい人の悪い意思が、そこにつけこむ。
 それをくり返さないためには、どうしたらいいのか。「自分をしっかりもつ」ということくらいしか、ないのだろうか。
 自分が自分である、という現実感を、しっかりもつこと。
 でなければ、「自分を大切に」なんて言葉は、空虚だろうな。

 ああ、そのためには、一体どうしたら。
「自分」を強く、するしかない。悔しいけど今は、そこまでしかわからない。
 いじめに勝つ方法も、たぶんそれしかない。それと同じように悲しいが、それと同じように、そこに希望をかけるしかない。
 あなたはかしこく、優しい人なんだから、絶対にできる。
(いつかどこかの誰かにこの応援が届くとよいなあ。)

2017.02.05(日) トランプ(ルールの中で工夫して勝つ)

 トランプをやっている間は、トランプしかできない。
 だから僕は、トランプがあんまり好きではない。
 いや、トランプ自体は好きだと思う。でも、「トランプをやっている状況」というのを、積極的に作り出したいとはあまり、思わない。
 だって、トランプをやっている間は、トランプしかできないんだもの。

 もちろん、トランプをやりながら、楽しくおしゃべりしたり、それによって仲が良くなったりは、するだろう。
 だが当然、楽しくおしゃべりをするために、トランプをする必要は、あんまりない。
 トランプをしている間は、トランプ以外のことをする可能性がとても低くなってしまうし、話題もトランプの試合情勢に関することに偏りやすくなるので、何もせずにおしゃべりをしていたほうが、おしゃべりの内容自体は充実するのではなかろうか。
「何を話していいのかわからない」と困っている人同士なら、トランプをすることによって、「トランプの試合情勢」という話題が生まれるので、言葉を交わすとっかかりができ、それによって仲が良くなり、やがてトランプの試合情勢以外の話題へ移っていくと思われるので、そういう意味では意味がないということもない。
 でも、「トランプの試合情勢」を言葉を交わすとっかかりにする必要も、本当はあんまりない、と僕は思う。

 知育とか、子どもがルールの中でものごとをする練習といった目的のためならば、とても役立つと思うし、大人であっても、ある目的意識のもとでトランプをするのならば、きっと実りのある活動になるだろう。
 でも、そういうことでもないならば、あんまり積極的にトランプに参加しようとは思わない。

 少し前「人狼」というゲームが流行った。けっこうよく誘われた。でも、ほとんど断った。一度だけやったことがあるが、それは「たまたま迷いこんだ会合が、ぐうぜん人狼をやるための集まりだったので、流れで参加した」という事情だ。もちろん、面白かったし、ほとんどの相手が初対面だったが、ゲームを通じてすぐに打ち解けた。
 しかし、それだけの話だ。

 ボードゲームの類も、ほぼ同じ感想を抱いている。それをやっている間は、基本的にそれしかできない。
 スポーツ全般に対しても、そのような態度だ。

 ルールのないところから、あえてルールのあるところへ飛び込んでいくことの魅力が、僕にはあんまりわかんないのだ。
 根本的にルールが嫌いなんだと思う。
 ルールに縛られている間は、ルールを守らなければならない。
 人はどうやら、意外と、ルールの中にいると安心するし、その中でいかに工夫して「勝つ」か、ということに、熱を上げる。

 そう、トランプは、あるいは人狼やボードゲームやスポーツは、最終的に「勝敗」にいきつく。不自由だ。
 ルールの中で工夫して勝つ、ということを、人は人生を通じて行っている。
 だから、上に挙げた種々の「ゲーム」たちは、人生の縮図なんだろう。
 それは人生の練習なのだ。

 でも、ここでいう「人生」というのは、「現在の支配的な価値観の中で一般的とされる生き方」にすぎない。
 逆に、「ゲーム」を通じて、「支配的な価値観」を支配的たらしめている部分も、あるんじゃないか? ワールドカップだ、オリンピックだ、を頂点として。
 トランプっていうあまりにも一般的なゲームは、当たり前に存在しすぎていて、当たり前に人々に「そういう価値観」を再確認させる。
 不自由、と僕が信じる価値観を。
 つまり「ルール」を。「ルールの中で工夫して勝つ」ということを。


 でも、ルールを守る必要のない人たちが、どこかにいて、ルールのなかで頑張っている人たちを、利用している。
 トランプ的なものたちは、そういう人たちのために存在しているのではないか? とさえ思うことがある。世の中には、ルールのない遊びや、決まり事が流動的に変わっていく遊びが、無限にあるし、その場で作り出すことだってそれほど難しくない、と思うんだけど。(小さい頃には、それができていた人も多いのでは?)
 ルールには流動性がない。
 トランプをやっている間はトランプしかできない、ということが、僕にはとてもつまらなく感じてしまう。
 トランプがいつの間にか手裏剣になって、忍者ごっこにでも変わっていけばいいんだけどな。大人だって、誰だって。

【↓の補足】

>「こないだは映画デートだったんだから、こんどは遊園地いこうね」とかでもいい。
>この「だったんだから」が、等価交換の発想を示している。
>「遊園地いこう」ではなく、その前に「だったんだから」がつくのだとしたら、たぶん根底に「天秤」がある。

 これはさすがに「天秤」ではないのでは? という指摘があった。
 確かにその前に書いているような意味とはずれるが、広い意味では天秤かな、という意味で書いた。
 デートの内容として、映画や遊園地をある種の「重み」があるものとして捉えて、比較している、ように思えるから。
 遊園地に行く必然性があるから遊園地に行くのではなくて、前のデートは映画という種類のものだったので、それとは違うものとして、似たような「重み」を持つ遊園地を選択した、という感じ。(わけわかんないかな)
 遊園地に行く理由を、映画という別のものに求めている点で、天秤的であり、等価交換的発想に近しいなと。
 遊園地に行く理由は、遊園地の中に、あるいは、遊園地と自分たちとの関係の中にあるほうが自然では? と僕は思うので、「こないだは映画デートだったんだから」という言い方は、あんまり好きでないのである。

2017.02.02(木) 天秤型平等主義(量的)と質的平等としての自由

 天秤型平等主義とは、「あなたはこれだけの利益を得たのだから、平等主義的観点から、わたしも同じだけの利益を得るべきなので、あなたの天秤に置かれているものと同じ重さのモノを、わたしの天秤の上にも置かせていただきます」という考え方。
「あなたはお肉を二枚食べたのだから、わたしにもお肉を二枚食べる権利が生ずる」という主張のもとになる気分で、量的な判断基準である。
 ただしこれは、「後手」であることが基本。
「あなたはこれをしたんだから、わたしも」という、後手の発想。
 すでに邪悪な空気が立ちこめているのだが、これが先手に回ると、さらに雰囲気が変わってくる。
「わたしはこの利益が得たいから得るのだけれども、その代わりあなたにも同じ利益を得ることを許す」
「あなたはこういう利益を得た・得ている・または将来的に得る“はず”だから、わたしにも同じ利益を得る権利が生ずる」
 こういった態度が「先手」である。

「あなたが浮気をしたのだから、わたしもする」(後手)
「わたしは浮気をするけれども、あなたにだってそれを許しているのだから問題ない」(先手1)
「あなたは浮気をした・している・または将来的にする“はず”なので、わたしもする」(先手2)

 ここに複数の問題が生じるであろうことは想像に難くない。
 その根本をたどっていくと、やはり「量的」であることがあげられる。
「一回は一回」の発想。
 この量的発想の中では、「あなたは浮気をしたのだから、わたしはあなたの財布から1万円いただく」ということは、原則として許されない。「浮気」と「お金」は、同じ数直線の上にないので、量的な比較ができず、平等が実現されない。もしそこを交換しようと思えば、交換比率(レート)を設定して、「両替」を行わなければならない。「ほかの人と手をつないだら5000円、キスをしたら1万円、最後までしたら3万円」と、事前のあるいは事後の取り決めが必要となる。
 または、「わたしは5万円ぶんくらい傷ついた。この傷を埋めるには5万円いただかなくてはならない」という、慰謝料または損害賠償の考え方になる。

 欲望が通貨になっている。欲望資本主義とは、かく意味であったか。

「あなたの満たした欲望(=利益)は、5万円ぶんのものであるから、わたしも5万円に両替しうるなんらかの欲望(=利益)を得なくては平等ではない」というのが、僕のいう「天秤型平等主義」なのだ。
「あなたはお肉を三枚食べてもいいよ、わたしはお肉を二枚と、たまごをもらうから」(スガキヤの特製ラーメンを二人で食べる場合)

 これは人間社会の約束ごととして、とても普通に行われていることだ。「こないだはあなたの観たい映画を観たんだから、こんどはわたしの観たい映画を観よう」であるし、「こないだは映画デートだったんだから、こんどは遊園地いこうね」とかでもいい。
 この「だったんだから」が、等価交換の発想を示している。
「遊園地いこう」ではなく、その前に「だったんだから」がつくのだとしたら、たぶん根底に「天秤」がある。
 天秤は「重さ」(量的な、数直線で表せるもの)を測るので、「平等か、そうでないか」が、簡単にわかってしまう。というか、それをわかるためのものが天秤で、それが人の心の中にある。

 僕の心にも天秤はある。それがさまざまな負の感情を呼ぶ。
 これをなくすのが、いわゆる「悟り」に近づく一歩だろう。
 お釈迦様は天秤など用いない、と思う。
 だが、まあ、完全になくすのは難しいし、人間社会ではむしろ不便かもしれない。うまくつきあっていきたいものだなあ、と今のところは考えている。

 そしてさらに考えたいことは、「では、質的平等というものは存在するのか?」ということ。
 あるいは、平等とは量的なもののみをさすのだろうか?
 そんな気はする。
 たぶん質的な平等というのは、「平等」という言葉では言い表せない境地なのだと思うのだ。
 それはたぶん、「自由」という言葉をもって表される。

 ほんとうの自由は、平等を侵すのではないか。そしてそれは、それでよいのではないか。
 あとはバランス。美意識と優しさの問題。
 美意識も優しさも、バランス感覚をさすのだと思うが、前者は空間的、後者は時間的なものですね、たぶん。(優しさとは未来を考えることだ、という定義を最近したので。)
 自由とは、質的に平等であるような状態である。それは、量的な平等とはぜんぜん違う。
 ふつう質的な平等というと、さっき挙げたような「お肉とたまごとの交換」のようなものを想像するのではと思う。同じ数直線上にないものどうしの交換。でもそれは、レートを設定しておなじくらいの数値にそろえるプロセスをほぼ必須とするから、じつに量的で、等価交換の原則から一歩も外に出ていない。
 そうではなく、質的な平等(=自由)とは、いかなる交換も必要としない境地なんじゃないのかな、と直観的に思っている。
 それを「交換である」と思った瞬間に、量的になるからだ。

 だから、自由を目指す人は「奪われても与えることから」という発想に至る(尾崎豊『自由への扉』)。

 このいましめ、万事にわたるべし。(徒然草92段)

2017.01.25(水) すりよるおじさん

「若い人に人気の何か」を褒めるおじさんは、その「何か」を褒めている何パーセントかの若者のことばかりを気にかけていて、それに興味のない実はけっこう多くの人たちのことが目に入っていない。それが実際に何パーセントかというのはわからないけど、学校という空間にいるとどんなものでもせいぜい数パーセントから数割くらいじゃないのかなって思う。過半数を超えることなんてまずない。
 だからそういうおじさんは、別に「若い人」なるものに優しいわけではない。そのほんの一部に目を向けているだけ。でもそれでわかった気になるおじさんはいる。

 そういうおじさんの手をすり抜けて、自分なりの美意識を高めていくためには、「若い人に人気の何か」から逃げることも一手だと思う。

2017.01.15(日) 神が秘められているような(ある光)

 神様、というものが、「あらゆる神秘的なもの」を象徴的に表す言葉として使われることがある、と思う。
「神秘的」というのは、オカルトな、霊的なことではなくて。

 人間は時に、論理や理屈、常識や道徳など、どんな観念的なものよりも、ひとすじの肉体性を信じる瞬間がある。
 肉体性。「感覚」と言ってもいいかもしれない。

 自分が幸福に感じる瞬間を思いだしてみる。いろいろあるが、たとえば真夜中に、静かな田舎道とか、日本海の海岸線とか、峠とかを自転車で走っている時。こころが昂揚して、目にうつるもの、音、頬を切る風、ハンドルの手触り、すべての感覚が、幸福や美しさとでもいうべき、一つの答えに収斂されていって、それが世界そのものとまったく合一する、というような、不思議な状態。
 それを言葉で説明することはできない。仕方なく僕なら「詩」と称した文字の羅列をものしてみて、やはり上手には表現できずに、「こんなもんか」と妥協する。でもその「詩」をあとから読み返してみると、その時の感覚がほんの少し、よみがえる。
 2002年の10月、今も続けているあの詩のブログを開始したのは、「意味のないことを書きたい」という強烈な欲求に突き動かされていたからだった。その頃僕は受験勉強の真っ最中で、「論理」「理屈」「常識」「道徳」などの観念的な世界にどっぷり浸かっていた。それで苦しくて僕なりに肉体のほうへ向かっていきたくて、でもそのことをはっきりとわからなかったから、文字を使うほかに術をわからず、意味を抜くことによって「感覚」の世界に入っていけることをどうにか発見したのだろう。
 書いている時は、ほぼ「トランス」していた。狂ったピアニストのようにキーボードを叩いた。感覚を文字にし、その文字によって感覚を次から次へ引き出していく。論理も文法も整合性も要らなかった。その解放感が心地よかった。
 すべての文字が、心の中にある一つの答えに収斂されていく。それを言葉で説明することはできない。塊のようでいて、この世界そのもののようでもある。そのものというか、ルールというか、縁起のようなものかもしれない。
 そういう気分は、「神秘的」の片隅にあるものなんじゃないかと。

 心の中にある、言葉で説明できない何か。それによって引き起こされる、明らかに正常ではない状態。人が、信じられないような不思議な経験をするのは、そんなときなんじゃないか?
 神様や魔法や奇蹟や妖精は、人の心が作り出したものだという。だからそれはインチキや勘違いなんだってことではなくて、そのような不思議が人間には、ひいてはこの世にはあるのかもしれない、というわけで。
 手かざしで病気が治ったり、気功の力で人が吹っ飛んだり、っていうのは、人間の心の働きで説明がつく、らしいし。
 可能性が あるんじゃ ナイノ。

 それで、全身で感じる、あの感じのこと。
 自転車で「いい道」を走り続けていると達する、完璧な瞬間。
 それがある以上、神様もいる。
 神秘的というのは、「人智を超えた」ものだとずっと思っていて、科学的な僕の脳は、「そんなことは結局、本当はないんだ」と考えていた。でも神秘的というのは、「神が秘められているような」と読み替えれば、「超えた」ではなくって、「人智の中にある」ものなんじゃないか、と。
 人の心はそれだけすごい。光もあれば、虹もある。
 割り切れるものではなく、その意味で常に唯一無二。

2017.01.14(土) こまけーこたーいいんだよ、

『ポッピンQ』というアニメ映画がとても好きで、ついつい学校でもその話をしてしまった。前の授業で何をやったのか、黒板に「練馬」なんて書いてあったものだから、「練馬→大泉→東映→ポッピンQ!」と連想が働いたのである。
 誰も観ていないだろうな、と思っていたら、ある女子生徒がキャーと声上げて、とても面白かったらしい。めっちゃ泣いた、とも。『君の名は。』はクソつまんなかったと言うので、そういう(どういう?)感性の子なのだろう。
 ともあれ、高校1年生の女の子がイイと言うのには、ちょっと安心。そういうふうに、届く人のところに届いたら、いいなあ。

 新宿で舞台あいさつがあるというので二回目を観に行った。監督、とてもいい人だと思う。こういうことなんだよな、と思えるような、良き人柄の方と見えた。プロデューサーの方も、キャストの方々も、みんなイイ感じで、和気あいあいとしていて、はたから見る限りにおいては、よい現場だったんだろうなと思った。特にキャストの方々が、作中の内容をよく覚えていて、それをネタにしていろいろ冗談言ったりとかもしていて、なんだか演劇部だったころを思いだした。演劇部にいると、過去にやった舞台や今練習している芝居の内容やセリフを、すぐ引き合いに出してきたりパロディにしたり、楽しかったなあ。その感じ。愛された作品なのだな、と。作中の矛盾点というか、突っ込みどころについても笑いながら突っ込んでて(ダンス中の音楽はどこから聞こえてくるの? とか)、うんうんそうだ、こまけーこたーいいんだよ、と改めて。

 こまけーこと考える人は、こまけーことを考えてしまう。「女の子たちがかわいかったから観た」と言った先の女子生徒は、たぶん、あまりこまけーことを考えていない。そういえば『ガーリッシュナンバー』というアニメに対しても、「内容がどうこうじゃなくて、主人公の性格がホンットにだめ!」と素直な感想を出していた。
『ポッピンQ』は、中高生が観るべきものだと思って、でもひねくれた中高生は、あんまり気に入ってくれないだろうな、と予想していたが、何のことはない、ひねくれていない中高生は無限にいるのだ。忘れるところだった。

というわけで本渡上陸作戦、今回の任務はこれにて、しゅーりょー。

2017.01.13(金) ネットと日常

 これは押しつけになりますがきいてください。
 僕の好きだったインターネットというのは、「インターネットと日常が切れていた」インターネットです。インターネットはインターネット、日常は日常、と、はっきり分かれていて、ネット上に日常の事情や人間関係は持ち込まないし、日常(家庭や学校や職場)でインターネットの話はしない。そういうふうに分かれていたからこそ、インターネットはファンタジーな空間で、楽しかったのだ。
 今はもう、そんな時代じゃない。それはわかっているし、ある程度は従うつもりだ。しかし、「分けておきたい」と思う人もたくさんいるのは間違いない。
 ネットはネット、日常は日常。
 だけど、もちろん、「両方を知っている人」同士であれば、こっそりと、他の人にわからないように、その世界を横断することは、むしろ楽しい。だってそれは「その人たちだけの秘密」になるから。
 インターネットを日常と切り離すと、「秘密の楽しみ」も生まれるわけだ。
 今の時代、ちょっとがんばれば、生徒がここを見つけることは難しくない。二秒で見つかる。もし見つけたら、ニヤッと笑って、心にとどめて、ほかに人のいないところで、こっそり耳打ちでもしてくれ。そうしたら素敵な「秘密の共有」が始まるし、ふたつの世界の純粋さも、保っていられる。
 野暮なことはするもんでない、という話なのだ。

2017.01.10(火) ABCD包囲網

 ABCDという言葉を使えばABCDの世界に取りこまれてしまう。あなたはあなたであるというのに。今さらだが、「性別を気にしたくない」と言う人が、「性別を気にしないぞ!」という“気にしかた”をせざるを得なくなったりというのは、ちょっとした不幸だと思う。
 ABCDの世界にはAとBとCとDしかいない。「いや違う、今やABCDというのはあらゆる性的少数者をシンボル的に表しているのだ」という話もあるのかもしれないが、基本はこの四種類だと思う。シンボルとなるからには、「多数派と認められる」という民主的な手続きによって、そうなっているのだろう。
 たとえば、ABCDの世界にはA党、B党、C党、D党があって、議席の過半数、いや3分の2以上を占めている。E党以下、少数議席の党も加わって、たとえばぜんぶで500議席あるとしよう。その500議席の中での多数決で、ABCDの世界は動くし、たぶん世論もそれと遠くない動き方をするはずだ。
 ABCDという在り方を認めることは、その多数決によってつくられた世界の中に住む、ということ。
 それはそれとして存在を否定することは難しいけど、「自分は結局、なんなのか」ということを見失わないようにしたほうがいいだろう、とは思う。
 自分はABCDである、あるいは、それに共感する者である、と自覚すると、それを標榜する集まりに顔を出すようになったりして、次第に取りこまれていく。
 だめなわけではないけど、「自分」はだんだん変容していく。
 だめなわけではないけど。

 昨日書いたことと繋がっているわけです。

2017.01.09(月) デスボリード(1)

 たとえば、「デスボリード」という製品があるとする。デスボリードは海外からの輸入に頼っていて、実はその製法の過程でたくさんの人が殺されているらしい。それで人は叫ぶ。「デスボリードは邪悪!」
 しかし、デスボリードの輸入と販売で生計を立てている人は、「デスボリードの製法過程で命を落とすのはすでに死刑が確定した者だけで、当国の法律でも認められた正当な手続きだ!」と言う。
「でも。世界中のデスボリードの九割は日本が輸入し、消費している。日本がデスボリードの輸入をやめれば、少なくともその製法の過程で死ぬ人はかなり減る。ある国では、デスボリードを作るために死刑を廃止にできないでいるらしい。日本の姿勢次第で、その国から死刑をなくすことができる」
「ああ、あなたは死刑反対論者なんですね。そんなに死刑がいやなら、まず日本から死刑をなくすことから始めたらいかがですか。ほかの国のことをとやかく言うのではなくて。それに、あなたはデスボリードの恩恵をまったく受けずに暮らしていると言えますか? 言えないでしょう。デスボリードのおかげで、日本は豊かさを保っていられるのです。やめろと言うなら、代替案を示してください」
「百年前にはデスボリードはなかったわけだから、その頃のやり方に帰れば良いのではないですか」
「不可能。携帯電話のない世界を想像できますか?」
「デスボリードと携帯電話は違います。私は、デスボリードがなくても生きていけます」
「それはあなたの勝手だ。ただのわがままだ」

2017.01.08(日) 内省

 こなすべきことが多すぎるため、しばらくそちらにしゅうちゅういたします。
(ものを書くのは、むしろ増えるかもしれない。)

 求められたらできる限り応じる、というのは僕のいいところでもあるけど、たぶん今そのせいでがたがきている。
 誠に勝手ではございますが今年は少々休業いたします。

2017.01.07(土) 直観と予感

 行くべきか迷って、だらだらして、結局行ってみたら、行ってよかったと思う、なんてことはよくある。
 博打なんだけど、虎穴に入らずんば虎子を得ず、可能性があればそっちに行ってみる、という精神は忘れたくない。
 直観は信じてもいいが、予感はたやすく信じないほうがいいのだ。
 予感を信じる、というのは、「だろう運転」になる。
 直観は、どちらかというと「かもしれない運転」で、そっちのほうがむしろ安全、かもしれない(直観)。

2017.01.06(金) 神様を信じる強さ

 ってのは、わかった、つまり、「かもしれない運転」なのだ。
 奇跡も、魔法も、妖精も。
 あらゆる神秘的なことは、信じるに値する。

 神様が目の前にいない以上、「いる」と言い切ることは誰にもできない。
 でも「信じる」ことなら、誰にでもできる。
「信じる」というのは、そのものずばり、「かもしれない」ということだ、よく考えたら。
「絶対にこうなんだ」と強く思うことは、意外と「信じる」ではなくて、ただの断定。そこに、神秘性はない。
「たぶんこうだろう」というのも、「信じる」というより、「予想」とか「決めつけ」。
「かもしれない」にこそ、神が宿っているのではないか?
 テキトーに聞こえるかもしれないけど、意外と。

 神様は、目の前にいないからこそ、いる「可能性」だけがあって、そこに「信じる」の余地がある。「かもしれない」が生まれる。
 もし神様がハッキリといるのなら、そこに「可能性」は生まれない。
 奇跡も、魔法も、妖精も、目の前にないからこそ、信じられる。
 祈るときに目を閉じるわけだ。

2017.01.05(木) 意識高い

「意識高い」ということの定義を思いついた。
「意識高い」というのは、「高低という尺度を持っており、高いことをよしとし、できれば高くありたいと思っているさま」。
「高くなくてもいい」「低くていい」と思っているさまを、「意識低い」と言う。
 一方、「高低という尺度」を持っていない人たちは、「意識高い」でもなければ、「意識低い」でもない。
「高低という尺度」を持ってしまうと、その時点で「意識」なるものに取り込まれてしまう。
「意識」というのは、すなわち「高低」なのだと思う。


「高低」という尺度を持っている人たちは、「こっちの水は高いよ」という感じで、人をおびき寄せる。寄ってきた人に対して、「ここにいれば高くなれる、高くあれる」と甘くささやき、囲い込む。
 そして「低い」におびえさせる。
「低くありたくない、高くありたい」と思わせる。

 高低とは、さらにいえば数値とは、そういう性質のものだ。
 ……尺度とは、と言ってもいいのだろうか。

 優劣も善悪も、高低とよく似た性質をもつ。
 いつか、そういったものが一緒にある世界へ。


 高いも低いも、ある以上、ある。
 たとえば、高いことが善くもあれば、悪くもあり、どちらともつかなかったり、善悪がめまぐるしく入れ替わったり、そういうふうでも別にいい。
 尺度自体がいけないのではなくて、尺度が固定化するといけないということなのかも。

 流動体について。

2017.01.04(水) ポッピンQ

 東映アニメーション創立60周年記念作品『ポッピンQ』面白かった。

 ものを評価する時に、因果が逆転してしまうことがある。
 たとえば、
「関係が育まれていく過程をじっくり描くなら、あそこで手を繋ぐのは早すぎる」
 みたいな言い方。
 これは、おかしい。
 事実として、そこで手を繋いでいるのであるから、それを前提に話すべきなのではないだろうか。
「あそこで手を繋いだことによって、二人の関係は……」というような語り方になるのが、自然だと思う。
 あるいは、
「あの二人、まだ手を繋ぐには早かったよね」
 と言うのならわかる。
「制作者側は、こういうことを描きたかったはずだが、それはこれこれの理由により、達成できていない。よって減点とする」みたいな言い方が、批評にはけっこうよく見られる。

 たぶん、子どもは、描かれたものをそのまま受け容れる。
 それは、空が青く、雲が白いのと同じように、所与のものである。

 あるふたりのキャラクターがいて、きゅうに仲良くなっていたなら、二人は仲良くなったのである。「何も描かれていないのに、きゅうに仲良くなるのはおかしい」と言うのは、それこそおかしい。仲良くなるにはもちろん理由がある。それが劇中にはっきり描かれなかったとしたら、描かれなかったところに「何か」があるのだ。我々は「何かがあるんだな」と思うしかない。
 その「何か」を想像したり、感じたりすることも、鑑賞ということの一部だろう。

 とはいえ、作品を享受する側として、その「何か」がちゃんと描かれていたほうが気持ちが良い、という事情はあるかもしれない。そういう人にとっては、その「何か」が逐一描かれない作品は、つまらないと感じるかもしれない。


『ポッピンQ』のなかで、今にも崩れ落ちそうなぼろぼろの木の橋を、陸上部で短距離走をやっているいすみ(伊純)が走り抜ける、というシーンがある。
 橋の長さはちょうど100メートル。計算によれば、これを11秒88で走り抜けないと、橋が壊れて転落してしまう。(説明が難しいので簡単にだけ書くが、いすみのライバルのななは、かつて「11秒89」の記録を出していて、11秒88を出せば、いすみは数字の上でななに勝つことになる。)
 ここでの突っ込みどころは、「なんで橋がちょうど100メートルやねん!」「なんで都合よくいすみの目標タイムと一致すんねん!」。
 いすみはここで、「無理」だと尻込みするのだが、そのときに「落ちたら死んじゃうし……」といった心配は、一切出てこない。周りの面々も、「落ちたら死亡」的なことを、まったく言わない。いやいや、普通だったら危険性とかも問題にするだろ?
 でも、『ポッピンQ』ではそんなことは、一切、無視なのである。
 橋がジャスト100メートルである理由も、走り抜けるべきタイムがいすみの目標と一致することも、転落によって死ぬ可能性も、どうでもいいのだ。
 だって、これはアニメだから。
 異世界のお話だから。
 そういうことが「そういうこと」として与えられているのだから、そういうこととして受け容れるしかないのである。それを「おかしい」と言うのは、野暮なことだ。
「うそでなければ語れない真実もある」とは、岡田淳さんの『竜退治の騎士になる方法』に登場するフレーズだが、まさにこれ。

『ポッピンQ』には、そういう「うそ」がたくさん出てくる。
「普通だったらこうならないでしょ?」とか、「どういう頭してたらこれを受け容れられるの?」とか、「ちょっと都合がよすぎじゃない?」といった疑問が、大人の頭にはたくさん出てくるだろう。
 でも、実際そうなっているのだから、文句をつけたってしょうがない。
 頭を使うなら、それを前提として、受け容れたうえで、考えるべきだ。

『ポッピンQ』の主人公たちは全員中3で、エンドロールのあとで高校生に上がる。なんと偶然、全員が同じ学校に進学しており、さらに生徒会長として挨拶に出てくるのが、異世界で出会った「レノ」という男の子だった。
 こんな偶然、あるわけがないのだが、「あるわけがないのに、ある」ということは、「偶然ではない」という可能性が考えられる。
 実際、才女キャラのあおい(蒼)は、「これって、偶然かしら?」とつぶやく。
 ここで観客ははっきりと、「あ、すべてのことは別に偶然じゃなかったのかも」と考えることが、可能になるのである。
 橋の長さが100メートルであったことも、それを11秒88で走らなければならなかったことも、「偶然」なんかじゃなくて、仕組まれた必然だったのかもしれない、と思わせる。あおいの「偶然かしら?」という何気ないせりふは、そういうほうへ意識を誘導する。

 ポッピン族のいた異世界で起こったことが、どれだけ妙で、「うそ」のように思われても、それが偶然でなくて、一種の必然であったならば、べつにどんなことでもあり得て良いのである。
 まず、異世界に飛ぶ、という時点で現実的ではないのだし、何があっても別に構わないではないか。
 そのうえで、起こったことをそのまま受け容れて、分析したかったら分析すればいいし、考えたいように考えればいい。
「こんなことはあり得ない」とか「現実的じゃない」とか「展開に無理がある」とか、そんなことはナンセンスだ。実際に、それは起こっているのだ。
 また、「○○が描けていない」というのもおかしい。描かれたことがある以上、描かれていないこともあるに決まっている。「○○が描けていない」というのは思考の出発点にはなっても、終着点には決してならない。
 たとえば『ポッピンQ』には、僕の見たところ「エロ」が描かれていない。だからなんだといったら、なんでもない。ただエロくないだけである。それを批判する人がいるとしたら、ちょっとおかしな人だろう。
「○○が描けていないから、よくない」ではなくて、「○○が描かれている」で、よいのではないか?
 描かれていることしか、描かれていないのだから。
 描かれていないことは、描かれていないのだ。
 こんなふうに書いているとまた「ハイコンテクスト」とか言われるのかも知れないが、重要だと思って書いている。

 描かれていないことは、描かれていない。その「描かれていない」ことは、観客が自由に埋めることができる。「こういうふうに埋まるべきだ」と言うべきでは、ないと思う。
『ポッピンQ』をもし子どもたちが観るとしたら、そういう自由が与えられていてほしい。

2017.01.03(火) あの人のこと

 1月3日、『ポッピンQ』という映画を観た。とても良かったので、関連書籍を求めて書店に立ち寄った。18時すぎ。熱田イオン4F、未来屋書店。
 そこに、あの人がいた。
 すれ違いざま、「知っている人だ」と思った。その時点でもう、誰だかわかっていた。
 少し前にいなくなった人だ。よく似た人だろう、と思ったが、それで済ませることはできず、引き返してさりげなく、前の方から顔を見た。
 その人だ、と思った。背格好、髪型、顔、コート、スニーカー、すべてに見覚えがあった。
 一つだけ違ったのは、表情だ。

 書店の入口でダレカに電話をかけて、その顔のまま、力なく手を振った。書店の中から、十代後半くらいの男の子が出てきた。
 ふたりはエスカレーターに乗って駐車場のほうへ登っていった。僕はそれをぼんやり見ていた。
「なぜあの人がここに」とは思わなかった。十分に「居うる」のだから。
 ポッピンQの関連書籍を三冊買って、僕は僕でみんなの待ってる堀田のガストへ歩いて行った。

2017.01.02(月) 十代の影ふたたび

 ふつか。
 高校時代の友達と会って話す。ずいぶん久しぶり。
 彼は、高校時代からそうであったが、精神的に正常でない。今や県知事(たぶん)からもお墨付きをもらっている。
 公的にも認められた「ヤバい奴」なわけだが、彼はしっかりとそれを自覚していて、受け容れてもいて、その点じつに謙虚である。
 とはいえ、いちばんヤバかった時よりはずっとよくなっていたようで、僕も楽しく話すことができた。
 何でか知らんが、彼は僕のことが好きである。うれしいことだ。
 簡単にいえば、僕が面白いやつだからだろう。

 彼はこう言った。
「前に君のホームページに、ミュージシャンやってる人の日記を貼ってたよね。そこに書いてあった、『でも、それは嫌なんだ』っていう一言。俺、ぜんぶあれだと思うんだわ」

 この文章のことだろう。
 彼は、とても記憶力がいい。正常ではないレベルで、よく憶えている。
「でも、それは嫌なんだ」という精神は、この記事のタイトルである「十代の影」という言葉が表しているように、若い。
 こんな若い気持ちを、三十過ぎた我々が共有して、有り難がるというのは、よっぽどあほらしいことかもしれない。ときおり自分で恥ずかしくなる。「こうじゃないほうがいいんだろうな」と、日和りそうになる。そのたびに「でも、それは嫌なんだ」という声が、胸の内から耳に届く。

 しばらく実家で過ごして、古い友達や、そこらへんの飲み屋で出会う人らと話していると、正直な話、彼が求めるような「面白いやつ」とは、そうそう出会わない。みんなそれぞれ魅力的ではあるものの、決まってどこか「これでいい」という姿勢で、生きている。
 僕は一度も、「これでいい」と思えたことがない。思おうと努力しても、ちっとも成功しなかった。

 同じ世代の人たちは、どんどん「一般」や「安定」のほうへ行き、幸福を獲得している。「子どもが生まれて、世界でいちばん自分が幸せだと思うから、誰のことも羨ましいと思わない」と、ある友達は言った。
 地元に土地と家があって、両親は公務員、自分も奥さんも公務員。子どもは三人。僕の同級生の中ではトップクラスに「ちゃんとしている」人間だ。
 そりゃ、そうなんだろうな。
 ただその友達は、さすがに僕の友達だからなのか、「家庭と仕事以外にも常に自分を広げていかないと、子どもから頼られる存在で居続けることができない」とも言う。それも同感だ。いいお父さんで、いい職業人であることが、すなわち「いい人間」「いい男」であるわけではない。「だから、知らない人と話し合える空間が欲しい。いろんな人と話して世界を広げたい。ゴールデン街の例の店みたいな場所を自分で作るか、見つけるかしないと」なんてことも言っていた。
 いいバランスの求め方だと思う。
 東京にいれば、それはある程度たやすい。名古屋市内ならば、まだありうる。しかしその外となると、ぐっと選択肢は狭くなるだろう。
 今はインターネットが発達しているから、そっちから攻めるのもありかもしれない。

 精神の正常でない彼も、実はほとんど似たようなことを言っている。「もっといろんな人と話して、世界を広げていきたい」と。彼はインターネット(mixi)も活用しているが、オフの世界でも「えいやっ」と踏み出していきたいそうだ。
 また彼は、「去年はじめて、本を読むようになった」とも言った。
「俺はさ、君とかよりも10年以上遅れて、青春時代をやっとるようなもんなんだわ」

 やっぱり、僕や彼らを動かしているのは、「でも、それは嫌なんだ」という精神なんだと思う。
 それを「十代の影」なんていう後ろ向きな言葉(三十代の僕らにとって、「十代」という言葉はもう、後ろにあるのだ)で表すのも、ちょっと嫌だ。

 カントは死ぬ間際に、1杯の紅茶を飲んで言った「これでよし!!」
 すべての審判は死ぬ日で十分だ。

 そんな言葉たちを未だに真に受けて、「これでいい」という言葉を温存している。(ちなみに島本和彦『逆境ナイン』と中村一義『ピーナッツ』からの引用)


 その後カラオケに行って、Kannivalismの『クライベイビー』とかをねっしょうした。

2017.01.01(日) Hello, Again

 晴れたれば、鮮やかれ。英語でいえばハロー・アゲイン。
 今日も元気にがんばりまーす
 KMJSかたもみじょーし!!
 モノマネにならないオリジナルな本当のスタイルで

2016.12.31(土) みそか(浮く覚悟)

 2016年はとんでもない年だった。世間も、自分も。
 停滞していたなあ、という気分はある。
 停滞しながら、目を閉じて浮いて、自分を支えてくれるものが何なのか感じていた。
 総評すると2016年は「リセットの年」。
「いろんなことがあったけど みんなもとに戻っていく」。

「死」「別れ」「再会」「仲直り」
「再開」「回帰」「正直」「分散」
「もう一度」

 最初の地点に戻るのだ。ジュビリー。
「僕らの答えはゴールを旋回し、大手振り、出発地点へ戻る。」


 あの四角いエンジのリセットボタンを何度押しただろう。
 その99%以上は今いる名古屋のこの家で押した。
 年末年始はここで過ごします。


 心機一転というより、もう一度ここから、という感じ。
 自分を支えているものは、結局のところ、自分である、という、おもしろみのかけらもない当たり前の原点。それは岡田淳さんの『二分間の冒険』を読んだ時に本当はわかっていた。だけど、何度か疑った。
 本当にたしかなものは、本当に自分なのか?
 それでいいのか? と。

 でもやっぱり結局そうなのだ。
 だから、これから大切にしていきたいのは、「自分の時間」である。
 それを、自分と「ダレカ」のために使いたい。


「君は僕を忘れるからその頃にはすぐに君に会いに行ける」


 僕は僕で汗をかいて暮らす。
 それが君に会う資格なのかもしれない。

 自分との対話が、そのまま「ダレカ」との対話になるのかもしれなくて、自分がそういう人であるのかどうかを、2017年を使って確かめてみたい。

 花火のように、天に打ち上がった祈りが空に発散して、
 地上に降り注ぐようなこと。


 んーだから来年は、もうちょっと閉じて、収束していきたい。
 浮いて浮いて浮きまくる覚悟を決めよう。
 もういい年なんだけど、そんなこと言ってる場合でもないのだ。

2016.12.30(金) 名古屋散策

 ドニチエコきっぷを買って、まず栄に。夕方の女子大小路(栄ウォ~~ク街)を歩いてみる。錦が歌舞伎町なら女子大は二丁目なのかな、という感じの、ちょっとうらぶれた歓楽街。
 林立するビルにそれぞれたくさんのスナックやクラブ等々が入っていて、全体で何百軒、いや何千軒あるのだろう。そんなに飲みに来る人がいるのか? 商売として成立するのか? とクラクラした。女子大は稼働率が低いと言われているが、それでも千軒くらいはありそうだ。Wikipediaによると営業店舗が九百くらいで、稼働率は50%弱だとか。空きも含めると店舗数は二千軒弱といったところか。女子大だけでそのくらいなのだから、名古屋の夜の街は思った以上に規模が大きい。当たり前といえば当たり前だが、十八で東京に出た身としては、初めて体感的に知ることであった。
 時間が早かったのと、年末ということで、開いている店は少なかったが、いくらか良さそうな店をチェック。いつか遊びに来よう。
 新栄まで歩いて、丸の内まで。
 円頓寺商店街。こちらも次の機会に寄りたい店の目星をつけながら。
 名駅まで歩いて桜通線で桜山へ。ボンボンセンターで飲んだ。
 学校が桜山(天下のKY高校)なのだが、さすがに若くて、当時は存在すら知らなかった。その近く(?)のカラオケ「アイドル」にはよく行っていたなあ。
 初めて飲んだが、本当に、小規模なゴールデン街という趣で、じつによかった。
 店主と、ほかのお客さんと、『宇宙船サジタリウス』の話題で盛り上がった。やはりテレビ愛知「マンガのくに」での再放送は大きい。名古屋でのサジタリウス人気(または認知)度は、たぶんほかの都市に比べてずいぶん高いだろう。「マンガのくに」は毎週月~金の18時半からだったので、最もアニメの見やすい時間帯だったのだ。かなり長く続いた枠なので、視聴率もけっこうあったはず。エヴァの翌年に消えたけど。(僕がエヴァに対して冷淡なわけはすべてこの逆恨みである。)
 なんと、そのお客さんはかつてT京にいて、N村橋のMドナルドでS社員としてK務していたらしい。僕が近くに住んでいた頃と時期が思いっきり重なるので、一度くらいは接客を受けたことがあるはずだ。そういえば顔に見覚えがあるような……。いろいろとそういう、奇縁みたいなものがあるので、飲みに行くのは楽しい。
 その後、T達のH子(苗字)とG流して、H田のGストでDンクBーを飲みながら話した。
 帰りにちらりと、Y田のBーでWィスKーをNM。
 711に寄って噂のAさんと雑談。
 徒歩。☆と川。

2016.12.24(土) 練馬ズ ベリナッ

 最近会ってないな~と思って一回りくらい下の友達に「今度あそぼう」と言ったら「土曜日なんかどうですか?」と返された。「クリスマスだよね」と言ったら「ああ、全然意識していませんでした」とのこと。なんか面白かったので、遊ぶことにした。
 夜はほかの友達もまじえて練馬で夕飯、ということになっていたのだが、早めに呼び出して、上京してから11年半住んでいた町を自転車で散策するのにつきあってもらった。
 いい町だなあ、また住みたいなあ。
 駅前のコーヒー屋とか、隣駅のシャノアールとかを久々に見て、いっつも一人で入り浸って、本を読んだり勉強していたことを思い出した。
 谷原のガストとか、ガスタンク近くの公共施設の中にある自習室とかにも、よく行ったなあ。学生時代とか、そのあとのぶらぶら期とか、本当にいっぱい、時間があったんだなあ。
 って、いや、そりゃ、11年半の思い出がいちどに呼び出されりゃ、膨大になるのは当然だ。今の町には、まだ2年半しか住んでいない。
 それにしたって、人生のひょっとしたら最も暇な時期を過ごした町だから、やっぱそういう気分にもなるのでしょうな。

 だけど、年をとってしまったものはしかたない。過去の暮らしをなぞることはできないし、なぞんなくていい。
 それでも、やっぱりちょっと、参考にはしたい。
 あの頃、俺たちはいつも、何かを追い続けていた。
 全てが輝きに満ちて、悩んで迷って。
 楽園の隣のこの世界で、指先に触れてはすり抜けていくその風を
 Oh yeah yeah yeah yeah
 ファンタスティポ

「一人でいたい」と思うことが多くなった。
 人とともにいることは楽しいが、やりすぎている気がする。
 なんて、ここに書いて、誰も誘ってくれなくなると嫌だけど。
 岡田淳さんの『不思議な木の実の料理法』を読み返して、スキッパーだった自分を思い出した。スキッパーという少年は、人とのつきあいが好きではなかったし、上手でもなかったし、とくだんそれを求めてもいなかった。だけど、「ふしぎな木の実の料理法」を探っているうちに、近所の人たちと交流を持つようになる。人付き合いも、多少できるようになる。
 だけど、スキッパーはやっぱり、みんなと会ったあとに、ひとりの部屋で、本を読んだり、貝や化石を見たりすることに、ゆったり、ほっこり、させられるような少年なのだ。
 あのお話のすばらしさは、「友達ができてよかったね」「ひとりぼっちじゃなくなったね」というところで終わらずに、「みんなといるのもいいけれど、ひとりの時間もとてもいい」とか、「みんなと仲良しだからこそ、ひとりの時間もとてもいい」といったことを、伝えてくれることだ、と思う。
 それはたぶん、僕のようなこどもにとって、希望だった。

 わがままなようだけど、そういう気持ちは、あって、バランスがとても難しい。
 2017年は、そこんところをテーマにしていきたいと思う。
 ちょっとしばらく、ひとりにならなくては、バランスとれない気がするのである……。

2016.12.21(水) ウィキペディア症候群

 タイトルはSIAM SHADEの『知りたがり症候群』のメロディで読んでくださると幸いです。

「別に関係ないじゃん 他人のことなんて 知りたがり症候群」
 という歌詞なのですが、

「別に関係ないじゃん そんな情報なんて ウィキペディア症候群」
 と歌いたくなるようなときが、けっこうあります。


 ググれば大抵のことがわかる時代に、「ググれば書いてある情報」を、したり顔で語ってくることの、空虚さ。
 未だに、そういう人がいる。飲み屋で出会ったり、友達の友達として知り合ったり。
「あ、ドラえもんお好きなんですか。ドラえもんがトイレ行ったことあるの知ってます?」
 みたいな、トリビア的な知識をとつぜん披露したがる人って、なぜか多い。いわゆる「マウンティング」ってやつなんだろうか。

「元々、21エモンってのがあって、それは打ち切りになったんだけど、F先生としては、まだこの設定は行けるぞ、ってことで、似た設定でモジャ公を始めたんですよ。で、21エモンがアニメになったときに、モジャ公の話がたくさん使われて、……」
というような内容を、話してくれた人がいた。「その話は今、誰が求めているんだ?」と、正直にいえば、思った。
 僕からしたら、「ああ、その話か」という程度のことで、新鮮味はまるでない。どうしてこの人は、僕がどの程度の藤子ファンなのかということをろくに確かめもせず、この話をしたのだろうか。ほかの同席者が、この話を求めていたということも、特になかったと思う。
 上記の話は、『21エモン』『モジャ公』両作品のウィキペディア記事に書いてあることを、つぎはぎすればすぐにできあがる。前半については、たとえば『モジャ公』愛蔵版のまえがきだったり、いろんなところで書かれ、語られてきた。後半も周知の事実で、藤子ファンとしては当然知っているべき内容である。
「常識なんだから話すべきでない」ではなくて、「ある分野での常識、というだけなんだから、その分野に興味があるのに知らない、という人がいれば教えればいいが、興味がない人には話すこともない。そして、知っている人の前ではあえて語る必要もない」ということなのだ。そのあたりをいっさい勘案せず、「知っていることだから話す」といった態度だと、「なんのために今、その話を?」と思ってしまう。

 そこには、聞き手である他人が「いない」。
 情報だけが、ポンと置かれる。
 その情報が「いま必要であるか」という検証はされない。

 そして、それを語る彼自身も、「いない」。
「自分はこの情報を語っている人間である。この情報を握っている人間である」という乾いた主張だけがある。

 ウィキペディアは事典であって、「知りたい」と思った人が能動的に「引い」て、知識を得るものだ。
 そこに書いてある情報は、事典の中にあるから生き得るのであって、望まぬ他人に投げつけたところで、意味のある情報にはならない。
 なのに、壊れたテープレコーダーのように、ウィキペディアに載っているような情報を繰り出してくる人間に、たまに出会う。

 出会うのはよい。「あ、出会った」で終わりだ。でも「出会った」からには、無縁ではいられない。飲み屋で出会ったなら、その店に出入りする限りは、「関係」が続くかもしれない。友達の友達として出会ったなら、その友達と関わっている限りは、「関係」が続く。
 自分とは直接関係がなくても、そのお店や友達は、そのウィキペディア人間との関係の中で、何らかの影響を免れない。

 どうでもいいか。それを言い出したら、地獄だ。戦争だ。
 そんなことより、そういう人は、なぜ「そう」なのか。
 たぶんコミュニケーションの方法として、それが良いとか、それが楽だとか、それで問題を感じたことがないとか、っていうことなんだろう。
 僕はそういうコミュニケーションの在り方は好きじゃない。それだけのことだろう。
 文化が違う。

 おしまい。



 とするとやはり悪口だけで終わるようなかんじになってしまう……。
 これは嫌悪というよりも、問題意識なので、もう少し。
「情報」でしかコミュニケーションができない、というのは、「自分の外側」でしか他人と交流を持てないということで、すなわち結局「自分に自信がない」なのではなかろうか。
 あるいは、「こんなところで自分を見せる必要はない」と思っているとか。
 一言でいえば「素直じゃない」。
 ありのままを見せられない。見せたいと思わない。
 だからウィキペディアで武装する。
「自分」というものが、ないか、あっても自信がないか、何らかの事情で、見せたくないか。
 そういう人に対して、どうしたらいいのか。
 知らんが、こんど出会ったら、もっと踏みこんでみようかな。
「あなた」のほうへ。
 そういう、ずけずけしたことは苦手なんだけど。
 ウィキペディア以外のことを、語ってくださいよ、と。
 みずから語りだすことに慣れていないだけで、そうとなれば、何か言ってくれるかもしれない。
「なにもない」という場合だってあるので、そうしたら大人しく引き下がるしかないけど。

 僕は、「文化が違う」と感じたら、そっと瞳を閉じる傾向があるのだが、そればかりではいよいよ、つまらなくなってきた。思ったより多いのだ。

2016.12.20(火) J.ウノカタさんのこと/気が合う灯台

 最近は、mixi日記にものを書くことが多くなった。私的なことや、仕事に関すること、あるいは興奮した内容などは、ここに書くと角が立つ。昔はそんなこと考えないで何でも書いていたものだが、大人になるといろんなことがある。
 大っぴらには書けないけれども、しかしどこかには書きたい。そういう情熱が僕にmixi日記を書かせるのだから、そこには、やはりある程度の「熱さ」がある。だからけっこう面白かったり、重要なものが多い。mixiにだけ閉じ込めているのはもったいない。というわけで、その「熱さ」がやや冷めかけてきたところで、別の目から推敲をして、問題のありそうな部分を削って、ここに転記してみたい。

 J.ウノカタさんのこと。


【前編】2016年11月05日15:22

「人生は生きるに値する」というのは、2011年7月9日、表参道のクレヨンハウスで行われた講演会の中で、児童書作家のJ.ウノカタさんが使った言葉だ。もちろんそれ以前にも使ったことがあるかもしれない。その後『図工準備室の窓から』というエッセイ集の最終章「ドリトル先生の台所」でも同じフレーズが用いられている。(どういう文脈の上にある言葉かについては、そちらを参照してみてください。べらぼうに面白い本です。)
 五年前のその夏、「人生は生きるに値する」という言葉に出会ってから、何かあるごとに反芻している。人生は生きるに値する。そう思うことで、いろいろあっても生きていくことができている。

 ウノカタさんは、中学生の時に『ドリトル先生航海記』を読み、ドリトル先生がある少年を自宅に招き、そのすばらしくめずらしい部屋の中で、かれを決して子どもあつかいせず、対等に接して、すてきなソーセージまでごちそうしてあげる、という場面に出会った。そのシーンが強烈に印象に残っているという。振り返れば若き自分はたぶん、その一連の描写によって、「人生は生きるに値する」「人は信頼できる」といった、前向きな感覚を得たのだろう、とかれは述懐する。児童文学の役割、あるいは、物語の役割というのは、そういうことなのではないか、というようなことも仰っていた。(もちろん、このエピソードによって伝えられるのは、このことだけではない。詳しくは前掲書または講演等を参考に。)

 ウノカタには、『二分間の冒険』や『雨宿りはすべり台の下で』といった代表作がある。読書好きの少年・少女であった人ならば、一冊くらいは読んだことがあるかもしれないが、残念ながらベストセラー作家ではない。『かいけつゾロリ』とか『ルドルフとイッパイアッテナ』とか『ズッコケ三人組』のように、誰もが知っている定番の作品など一つもない。しかし、かれの本を必要とする子どもは、常に、絶対にいるのである。勘がよくて、やさしくて、面白いことが何より好きな子どもたちは、みんなウノカタさんに惹かれるはずなのだ。(その点、小沢健二さんと存在の種類としては遠くないだろうと思っている。そういえば、小沢さんのお兄さんの名前は……?)

 僕もそのような、勘のよい子どもの一人だった。というより、うちのお母さんやお兄さん(長兄)が、そういう人だった。物心ついたときから我が家にはウノカタさんの本があったのだ。育つのにこれ以上の環境はないように思う。(まあ、こんなんなったりあんなんなったりもしますけど。)
 小学校のうちにとにかく大ファンになり、片っ端から読みあさり、講演にも行った。1996年7月26日、11歳のときである。本にサインが残っているので間違いない。その時にも、イヤな印象はもちろん、まったくなかった。その後は2004年、2008年、2011年、2012年と、名古屋や東京で催される講演会には通い詰めた。ふだんは神戸にお住まいなので、貴重な機会なのだ。

 そして四年空いて2016年11月1日、僕の32歳の誕生日に、飯田橋で講演があると知り、光の速さで予約した。少し遅れて申し込んだ方は満員と断られていたようだ。
 ちょうどものすごく忙しい時で、寸分も隙があれば寝たい、とばかり思っていたのだが、当日がんばって早起きをして、万年筆を握ってお手紙を書いた。職場に行ってからも空き時間に書き続けて、原稿用紙10枚ほどの長文をしたためた。恥ずかしいことばかり書いてしまった。(何を書いたかはナイショなのさ)



 僕がウノカタさんにお手紙を書いたのは、これが初めてである。
「好きだ」と言い続けてもう二十五年ほど経つと思う。それまでに「講演会に行って、サインをいただく」という以外の「愛情表現」を、ほぼしたことがない。これまで、いろんな人と、いろんなふうに仲良くなってきたが、ウノカタさんにはそういうアプローチをほとんどしなかった。なぜなのだろう。


 ウノカタさんが書いているのは子どもの本で、子どもの本っていうのは、たぶん本来的に「感想」を求めない。「おもろいなあ」で終わりで、そうであることが健全なのだ。それで心になんとなく、「人生は生きるに値する」とか、「人間は信じられる」といった気分を最終的に形作るための、ほんのかけらでも残ればいい。そのために子どもの本っていうのはあるのだから、ことさらに作者に伝えることなどない。そんなことは下心のある大人がやることだ。僕は永遠に子どもとして、一人の読者でいたかった。

 そういうふうに、思っている時期もあった。

 また、もう大人になってしまった自分には、その資格がない、それは現役の子どもたちがやることだ、という思いもあっただろう。ウノカタさんの貴重な時間と心は子どもたちのために使われるべきで、OBの僕は大人しく客席で観戦しているべきだろう、とか。美しそうなことを言えば、そういうところ。
 あるいは、もちろん、怖かった、というところもある。もしウノカタさんに自身を否定されてしまったら、それでもう終わりである。親に身捨てられるようなものだ。そんなことはむろん、あるはずがないのだが、それでも触れるのが恐ろしかった。また、美しい硝子細工に指紋をつけてしまうように、僕の伝えたことがわずかでも影響を与えてしまうのがイヤだった、のかもしれない。(とはいえ、講演のあとのサイン会などでは言える限りの思いの丈をぶつけていたのだが。)
 そして、おそらくは何より、「言うべきことがわからない」ということが最大だ。先に書いたとおり、子どもの本というのは原則として「おもろい」で終わるもので、ああだこうだ批評するのはナンセンスだし、そもそも名作の多くは批評を拒絶する。だから、「ありがとうございます」以外に言うことなど、究極、ない。それだけでも贈ればよかったのかもしれないが、そんな奇妙な手紙を出す意義を、かつての僕は見いだせなかったし、それだけを伝えるために恐ろしい行為(!)に手を染めることも、できなかった。怠慢と言えばそれまでだ。「勇気を出して歩かなくちゃ」「いつも思いっきり伝えてなくちゃ」って、小沢さんも言ってるのに。(『戦場のボーイズ・ライフ』)

 それでも今回筆を執ったのは、「古希」という重みである。僕には御年七十四の友達がいる。高校の恩師、N教諭である。会うたびにどこか弱っていく先生を見て、「この人は遠くない将来に死ぬのだ」と、毎回強烈なさみしさに襲われる。できるだけたくさん、会いに行きたいと思っている。
 ウノカタさんは、本当に元気で、あと数ヶ月で満七十歳とは信じられない。最新作の『森の石と空飛ぶ船』は300ページ超の大作だし、「こそあどの森」最終巻も近いうち出版されるという。それでも、講演をしたり、気軽に人と会ったりすることができなくなったら、あるいは、しなくなったら、お目にかかれなくなる。ウノカタさんと、個人的な関わりを持たないまま、僕も死んでいくことになる。そんなことがあっていいはずがない。同じ世界に生きていて、こんなに大好きで、それなのに片想いのまま終わるというのは、誰が許しても僕の人生の質が許さない。


「人生は生きるに値する」という言葉を得て、僕はようやく、かれに伝えるべきことがわかった。「人生は生きるに値する、という気分を、僕はあなたの作品からたくさんいただきました。」ということだ。そして、「僕はこれからの人生をすべてかけて、誰かに同じ気分を感じさせたいです」ということだ。そのことが彼がやってきたことの、それがちゃんと意味を持っていたのだということの、証拠の一つになればいい。
 また、「ちゃんと愛すれば、ちゃんと仲良くなれる」ということを身を以て証明することは、ほかの誰かに「人生は生きるに値する」「人は信じられる」という気分を感じさせることに、そのまま繋がると思う。だから、そのために絶対に僕は、ウノカタさんと、夕飯でもご一緒せねばならないのだ。

「ちゃんと愛すれば、ちゃんと仲良くなれる」というのは、これまでの人生の中でほんとうにさまざま、実感してきた。もったいなくも親交を持たせていただいている素敵な方々のことを、愛してきたと、自信を持って思う。本当に愛していて、仲良くなっていないのだとしたら、それは愛し方が「ちがう」(間違っている、というのではなくて)か、もしくは、時間がかかっているのだろう。
 そういうことを誰か(たとえば生徒)に、胸を張って言えるか、言えないかは、とても大きなことだと思う。言えるために、まだまだ自分は愛する誰かと仲良くしていきたい。

 今年の二月に、ひょんなことで連絡を取ることがかなった、ずっと尊敬してきた方がいる。20年にわたるその「経緯」は、本当に、ただただ「愛しつづけた」という一言に尽きる。

 手遅れだったこともある。「オイ」という名のチャット友達とは、十年くらい連絡が取れなくて、ようやく消息が掴めたと思ったら、訃報だった。ずっと探し続けていたのに。年に何度も、本名で検索したりし続けたのに。その時はそう思ったが、僕も甘かった。本名を知っていて、宮城にいたことも知っていたなら、もっと方法はあったかもしれないのだ。死んだ後で、高校時代に彼から送られてきた手紙に住所が書かれていたことがわかった。これを手がかりに、探しに行けばよかったんだ、宮城に。役所とか、その地域の小学校にでも行って、涙ながらに事情をうったえて、連絡をとってもらうことだってできたかもしれない。
 すでにここにも(当時)書いたが、オイは僕のことがずっと、むちゃくちゃ気にしてくれていて、このHPもずっと見ていたらしい。周囲に僕のことを語ったりもしていたらしい。「連絡を取れば、会いに行けば」と周囲に言われると、「でも今はまだジャッキーに会えない。もっとマシな状況になったら連絡する」とか、言ってたようだ。「合わせる顔がない」系列のこと。本音なのかはもうわからないが、バカすぎる。会って、本当に友達になっていたら、死なずに済んだかもしれないのに。
 確かに、彼は僕に幾つかの嘘をついていた。そのことは死んでからわかった。ただ、そんなことなんかまったく関係なく、僕らの間には確かに友情はあった。だから、彼が「会わない」ことを最後まで選択し続けたことが、僕にはとてもつらくて、憎らしい。
 人は死ぬのだから、怠慢はいけない。その愛は違う。間に合わせなければならない。同じく若くして死んだ西原と、このオイのことで、強く強くそう思うようになった。  うかうかしていられない、と思って、講演会が自分の誕生日だったという奇縁も後押しして、お手紙を書いたのだった。

 恥ずかしい、青臭いことをたくさん書いた。字も汚い。内容も不躾だったかもしれない。しかしそれが、およそ25年のあいだウノカタさんの本を愛読し続けてきた自分の、現時点でのありのままであり、だからもうそれでしかないのだ。
 この正直な気持ちがどう伝わっても、それは必然なのだ。正解でも間違いでも、自分が歩いてきた道と矛盾しないことは疑いがない。だから、よい。



【後編】2016年12月20日20:40

 きょうは2016年最大のイベントの日でした。今日を空けるためにあれこれさまざま(部屋以外)片付けて、昨夜の夜行で神戸にいきました。

 8時間の夜行バスはまったく眠れず、「これだったら昼間にがたんごとんと10時間かけてどんぶらこっこしたほうがマシだった……」と毎度の後悔。毎度です。

 朝8時、三ノ宮をぶらぶらして、8時半ごろに「とまと」という喫茶店に入ってモーニングをいただきました。コーヒー、トースト、ハムエッグ、サラダ、で450円。名古屋っぽいかんじ。

 11:30くらいまで、山のように持ってきた本を読み込む。すべてウノカタさんの本。あれこれと思い出したり、思いついたりして、ものすごく充実した3時間だった。
 好日山荘というお店の前に停まっていた移動販売のカレー屋さんに声をかける。おともだちなのだ。週に四日、ほど神戸のあちこちでゲリラ的にカレーを売ってまわっている。ちょうどタイミングが合ったので、びっくりさせようと行った。びっくりしていた。

 そこのカレーは、圧倒的にうまかった。なんだあれは。驚いてしまう。しかも安い。ちょっと尊敬してしまう、いろいろと。「ピカソ」というお店です。いい名前だ。

 その後は、夏ぶりに喫茶「ポエム」へ。マスターは憶えてくれていた。ここも最高の店です。

 コーヒーを飲み終え、JRに乗る。
 待ち合わせの14時から少し待って、ひょこっとウノカタさんが現れた。「わっ」とまぬけなびっくり声を出してしまった。
 駅のそばの喫茶店でコーヒー(本日三杯目)を飲みながら、しばらくおはなしをした。

 その内容は、たぶんいますべて憶えているけれども、それは輝く星空を憶えているのと同じで、その星空を描いてみろと言われても、まったくできない。ただ「美しかった」と言えるのみ。ただ、別れ際に何度か「また」という言葉を口にされたことは、「東の空に天の川が見えた」というくらいには簡潔に強調できる。
 なんてすてき。

 いますべて憶えているその星空は、ひとつひとつが流れ星となって、やがて消えていき、最後には優しさになる、のだろうな。(参考文献:小沢健二『流れ星ビバップ』)


ぜったいに忘れていくけれども、ぜったいにそうなる。


 現在は京都のスターバックスでドヤドヤとキーボードを打っている。コーヒー(本日四杯目)を飲みながら。九時頃からおともだちと会うので、それまで休憩。
 遠くに住んでいる人たちとこうして交流できるのは本当にうれしい。

 F先生の『未来ドロボウ』をなぜか思い出す。
 あれは老人目線の語りで締められるけれども、若者目線でも似たようなことが言えるんじゃないかな。そういうおはなしを書いてみようかな。
 まだぎりぎり若者でもある(と思う)僕は、年上の人たちの残り少ない時間を、大切にいただいて、未来に活かしていかなきゃいけない。
 老人が若者の時間を奪うことが罪であるように、若者だって老人の時間をただ奪ってはいけないのだ。大切に「いただく」のだ。栄養にしなくては。


『扉のむこうの物語』を読み返していたら、『少年三遷史』という、僕が16の時に書いて、上演したお芝居と、ちょっとだけ似ている部分があった。15年半して、ようやく気付いた。鈴村=哲也、円ちゃん、俊太の三世代にわたる友情は、行也とメリー・ウィドウのママ=小山内千恵との関係に、思いっきり影響されているのではないか? そんなふうに思うのは、作者である僕だけかもしれない。でも、なんだか無意識のうちに、価値観がすり込まれていたんだろう、と思う。
 そのような関係を「美しい」と思って、描いたのは、ウノカタ作品の影響なのだ。

 不思議なことに、影響というのは、時間の流れを「超」えるらしい。
 最新作『森の石と空飛ぶ船』のラストシーンが、僕の『9条ちゃん』のラストシーンに酷似している、ということにも、今日ハッと気付いたのだ。笑ってしまった。おそろしい偶然。僕があれを書いたのは、七年半以上も前のことだ。それが、時間がねじれるように、ウノカタさんの作品に合流してしまった。「価値観がすり込まれる」ということの究極は、これなんだろう。


 でも、たぶん本当は「すり込まれた」のではなくって、ただ単に「気が合った」というだけのことであることを、僕はもう知っている。
 影響された、のではなくて、「気が合った」のだ。だから時間は「超」えられたのだ。
 もともと僕の中に、そして僕のお母さんや、兄たちの中に、あったものが、ウノカタさんの作品と共振して、「ここだ」と思わせてくれた。目印になった。灯台のように照らし続けていてくれた。
 気が合う灯台。
 子どもの本の役割のひとつは、それだと思う。

 僕が「子どもの本」や「マンガ」を好きなのは、そういう役割が、いわゆる「大人の本」よりもずっと強いからなんだろう。




【ここから、今】
 現在(Ezにこれを書いている現在)は、名古屋の「えん」というなじみの喫茶店で、けたたましい「こどもミュージカル」の練習を背中に受けながら、かたかたと音を立てて、映写機……じゃなくて、キーボードを叩いています。
「子どものにおいのする場所」。(ちょっと前にそんな詩を書いた。)
 こういうところは、本当にすばらしい。

2016.12.17(土) 成功とは

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ
(石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」から)


 友達が成功していく。富か名声を得ていく。湧き出る劣等感。しかしそれはそれ。
「僕はそれを見ながら違う山のてっぺんをめざしてる」(岩沢厚治)じゃないけど。


 そういえば先月、ゆずのコンサートに行った。東京ドームで、二人だけの弾き語り。
 よっぽどすごい山の上に来ちゃったな、この人たちは。かなわないな、と思った。
 でも本当に「それはそれってことで」。
 こんなことを自分で言ってしまうのは、「本当はそうではないのでは?」と疑う材料にもなるんだけど、考えれば考えるほど、自分はちゃんと成功している。足らないこと至らないことはもちろんたくさん自覚しているものの、もしも自分でない自分が自分を見たら、「いいな」と思っているはずだ。自分である自分は、自分でない自分に対して、「いいだろ」と言わんばかりの自慢を、いくらでもするだろう。
 ゆずのコンサートには、高一の同級生と行った。僕がこんなにもゆず(特に岩沢先生は師と仰いでさえいる)を好きなのは、ほかの趣味傾向からすれば若干異様かもしれないが、彼の影響があってのことなのだ。
 僕はけっこう、知足なることを体得していると思うので、ゆずの弾き語りコンサートに彼と行けた、というだけでけっこう、「ああ、この人生はどちらかといえば成功だ」と言うための材料になる。
 そういえば中学までの同級生である添え木さんやたかゆきくんも、よくゆずを聴いたり歌ったりしていた。高校の後輩のひろりんこくんもだ。割と近くに常にあったのだ。

「花を買ひ来て妻としたしむ」という程度で、いいんですよね。本当に。
 そう思えば、自分はぜいたくと言えるほど充実した人生を歩んでいる。
 たくさんの花とたくさんの妻(比喩表現です)に囲まれている。
 その中には「我よりえらく見ゆる」友や、その友が生み出したものがたくさんある。
 なんとも愉快な人生だ。

 22歳の時に「あとは余生!」と決めて、10年が経った。
 余生はどんどん短くなって、そのぶんどんどん濃くなっている。
 焦る必要はないし、焦らない必要もない。

 数日後には、2016年という巨大な年を締めくくるに相応しい、僕にとっての一大イベントが控えている。これが後の生き方にどう響いてくるかはわからない。特に何も響かないような気がする。響かなければ響かないで、「これまでの正しさ」の証明になる。
 藤子不二雄が手塚治虫に会うために宝塚へ行ったように、僕も神戸に行くのである。(兵庫県はすごい)

2016.12.16(金) 二十年後にまた会いたい故に(時のありか)

 忘れないようにしている。
 死ぬまではまた会える。
 死んだ人を思うと悲しいが、生きているならば希望。
 気まずくなって、縁遠くなっても、忘れていなければ、また仲良くできる。
 忘れていても、思い出せばいい。
 でも思い出すにはきっかけが必要で、それはいつ来るかわからない。
 そのうちに死んでしまう。
 だから、忘れないようにしている。
 忘れなければ、いつでも自分で動けるからだ。
 自分次第になる。忘れると、他人任せになる。
 何人も、なかなか連絡を取れない人がいる。
 気まずい、申し訳ない、合わせる顔がない。等々。
 オイという古い友達は、「合わせる顔がない」というようなことを言い続けて、僕と会うことをせず、そのまま死んだ、らしい。
 そういうことになるから、早めに「合わせる顔」をつくるべきだし、つくれそうになければ、そのまま合わせるしかない。
 また会えることのほうが大切だから、恥を忍んで、わびを入れて、ごめんなさいと、会いに行く。手紙を出す。
 それがすぐにできれば苦労しないが、ついつい数年もおいてしまう。
 なんとも遅い。

 だけど死なない限りは。
 時間というもんは当てにならない。実在も疑わしい。
 生きている限り、人にとって、時間はひとつだと思う。
 ひとつの時間とひとつの時間が、交わるか、そうでないか。

「時間」という独立した何かなど、ない。その中で人が出会ったり、出会わなかったりする、ということでは、ない。
 時間は流れない。ただそれぞれに、一つのかたまりとして、ある。
 生まれてから死ぬまでの間。

 生きているうちは。そう思いたい。
 遅くない。だからのんびりだっていい。
 時間の所在を憶えているなら。

2016.12.15(木) 「きょうからお前も友達だ」

 僕は『少年ガンガン』という雑誌を、創刊した1991年4月号から2001年頃までの十年間、愛読していた。雑誌には「色」があるもので、僕は『ガンガン』の色が好きだった。ガンガンにとどまらず、エニックスという会社の出していたマンガ雑誌の「色」がみな好きだった。

 その「色」について、かつてどこかにこう書いた。「それは結局のところ、ドラクエだ」。
『ガンガン』の創刊号の表紙には、『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』の主人公、アルスが大きく描かれていた。エニックスといえば『ドラクエ』の会社なのだから、当たり前のことである。初期の看板作品はこの『ロト紋』で間違いない。
 また、初期のガンガンには『ドラゴンクエスト 4コママンガ劇場』出身の作家が多かった。もともと『ドラクエ』というRPGに親近感を持っている人が多かったわけだ。読者なんか、もっとはっきりとそのはずだ。だから初期のガンガンのヒット作には、ドラクエっぽいものが多い。
 具体的にいうと、「複数人でパーティを組んで旅をする」である。
『ロト紋』を筆頭に、『ハーメルンのバイオリン弾き』『Z MAN』『魔法陣グルグル』などが顕著にそうである。これはやがて『刻の大地』において最盛を迎える(ということはその後は、衰えていく)と僕は思っているのだが、その件についてはまたいつか。

「複数人でパーティを組んで旅をする」という、ドラクエ型RPGが、90年代ガンガンの「色」だったと僕は考えている。
 ところが、初期のメガヒット作で、これにまったく当てはまらない作品がある。『南国少年パプワくん』だ。『突撃!パッパラ隊』もそうである。これらは「旅」とは無関係ながら、確かに『ガンガン』のもう一つの「色」であった。こっちの系譜はたぶん、後に『浪漫倶楽部』などに流れていくのだろう。
「こっちの系譜」を象徴する台詞が、あまりにも有名なこれである。

「きょうからお前も友達だ」(『南国少年パプワくん』)

 思い出すのは、『浪漫倶楽部』の第二話『雨のロンド』。
「友達」のいなかった月夜(つくよ)という少女が、浪漫倶楽部に入部するエピソードである。
 この話において、月夜は(おそらく中学校生活では)初めて、本当の「友達(仲間)」を得る。もちろん、浪漫倶楽部のメンバーだ。
 僕が個人的に『浪漫倶楽部』がとても好きだから、あえて強調するだけといえばそうなのだが、ここにパプワくんの言う「きょうからお前も友達だ」というフレーズを重ね合わせることを、どうか許してもらいたい。


「複数人でパーティを組んで旅をする」「きょうからお前も友達だ」この二つの価値観(?)が、当時の『ガンガン』において支配的だった、と言うことは、さすがにというか、いくら何でもできない。ただ、僕はそういう作品がとても好きで、それを味わうために読んでいたのは確かだと思う。そればかりだったわけではないだろうが、そういうところはあったはずだ。無視できないくらいには。そういう作品が雑誌を支えていた、という事情は、きっとあった。


 それで、もう一つ僕が好きでたまらない作品、『刻の大地』なのである。
 この作品を僕は、少なくとも個人的な趣味としては、90年代の『ガンガン』における一つの完成として見る。一つの「頂点」として見る。
 なぜならば、この作品こそが、『ロト紋』と『パプワくん』のそれぞれの色がちょうど調和したような存在だからだ。

『刻の大地』は、「複数人でパーティを組んで旅をする」が形式としてありながら、「友達」というテーマを常に強調する。主人公の十六夜という少年は、どんな相手でも、モンスターでもラスボス(邪神竜ディアボロス)でさえも、「友達」、あるいは「友達になれる」と信じている。
「魔物(モンスター)が滅んだ世界が平和なのではない 人間と魔物が共存する世界が本当の平和」とは、ザードという登場人物の言葉だが、これを地で行っているのが、十六夜なのだ。もちろん魔物は凶悪であり、それゆえ危険な目にも遭いまくるわけだが、それでもめげずに十六夜は「友達」と主張し続ける。
 激しい戦いの最中であっても、十六夜は、自分を傷つけた魔物に寄り添い、「ごめんね」と言う。
 そして魔物は、それで穏やかになったりもする。(第一話)
「きょうからお前も友達だ」である。

 しかし、なんでなんかはともかくとして、この作品は未完に終わる。
 なんでなんかはしらないが、それは本当にただ象徴として、「この路線」の終わりだか、限界だかを意味していたのだろう。
 それと時を前後して、僕の好きだった「色」はほとんど完璧に失われていった。
(名残をもちつつ、徐々に変色していった。)



 もう少し考えてみると、ここでちょっと面白い事実にぶち当たる。
「複数人でパーティを組んで旅をする」と、「今日からおまえも友達だ」が、同時に存在するウルトラヒット作品が、『週刊少年ジャンプ』誌上で、1997年に始まっているのだ。
『ONE PIECE』にござる。

『刻の大地』の連載はその約一年前、1996年に始まっている。
 さあ、この似て非なる(に違いない)二つの作品の、決定的な違いというのはなんなんだろう。
 どちらもいわゆるハイ・ファンタジー、純然たる別世界のお話だ、という点でも共通している。
 なぜ、『刻の大地』は永遠なる「未完の大作」となり、『ONE PIECE』は83巻を数えるのか。
「友達」と「仲間」という言葉の違いだろうか。
 戦う相手が人間か、魔物か、という差だろうか。

 作者が違うから、当たり前だというだけの話だろうか。
 夜麻みゆき先生が『刻の大地』を描けない理由がわからない以上、考えるだけ無駄だろうか。

 しかし一つだけ、僕にとっては考えるに値することがある。
 なぜ僕は『刻の大地』が好きで、『ONE PIECE』のことはそれほどには好きでないのだろう。


 たまたま『刻の大地』の一巻を開いたら、「ジェンドはダークエルフかもしれないケド だったらダークエルフじゃないよ ジェンドだよ」という台詞のところが開けた。
 ルフィだったら何と言うだろう?
「ジェンドは仲間だ」と言うだろうか。(ベクタ会食の「セリスは仲間だ」を思い出しますね。)
 そういえばここで十六夜は「ジェンドは友達だよ」と言わない。
 むしろ、ジェンドが迫害されるのを止めに入ろうとしたカイは、「うるせぇ!お前仲間か?」と糾弾される。仲間であると主張することは、ここではむしろ逆効果だった。最後にカイは「仲間である俺の責任です」「町から出ていきます」と土下座する。
 仲間であるとか友達であるということは、その絆の内側においては意味があっても、外側にいる人にとっては、「連帯責任を負うべき者たち」でしかないのかもしれない。
 そういう意味で、ルフィたちってのはやっぱ海賊ってことか。(まだ20巻までしか読んでいないが、これから全巻読破するつもりである。)

 思えば『浪漫倶楽部』の月夜のエピソードも、「友達」という言葉で繋がることの危うさを描いたものだったし、『パプワくん』における「友達」もはじめは上っ面だけの空虚なもので、パプワとシンタローとの間に次第に、少しずつ芽生える友情、というものがたぶん、作品全体を貫くテーマだった。(別れのシーンは本当に辛かったなあ。)
 仲間とか友達という関係ができると、そこに内と外ができてしまう。
 それが最大の問題なのである。


 国ができれば国境ができる。
 その国境の外側は、その国ではない。その国から見たら「別の国」になってしまう。
 たぶん争いは起きやすくなる。
 だから「ジェンドだよ」っていう言葉が、あそこでは最も優しかったんだと思う。

2016.12.14(水) 幸せをかみしめる

 なかなか更新できないでいますが、何を忘れたわけでもなく、いろんなことを思いだしています。
 何より、今の自分は幸せだと思う、ということ。
 考えれば考えるほど、ありがたい人生を歩ませていただいている。
 夏目漱石の『こころ』を授業で取り上げたら、死んだ友達のことをまた思いだした。大学でともに国文学を学んだ。彼は漱石研究者のゼミに入ったのだった。通夜にはその教授も来ていた。
 また、同時に別の学年で太宰治の『富嶽百景』をやった。これも僕の原点の一つだから、力が入った。
 とはいえ、どちらの授業もすべて「生徒による発表」という形式で行った。これについての詳細はまたいつか書くかも知れない。
 子どもたちへのプリントをまとめたページも作りたい。やりたいことは無数にある。それがなかなかできないことについての話も、おいおい書いていこう。(と僕が言って五年以内にそれを書く割合は三割程度である、たぶん。)
 生徒に授業をやってもらうと、僕がぜんぜん気づかなかったことや思いつかなかったことがたくさん出てきて、ほんと、あなどれないな、って思う。

 死んでしまった人たちのことを考えると、自分は本当にありがたい人生を歩んでいると感じる。太宰治も、若くして亡くなった作家だった。

『富嶽百景』のテスト(これについても書きたいことがたくさんある)を返却して、時間が余ったので、天下茶屋の娘さんが太宰治を叱った(?)シーンを取り上げた。生徒たちのプリントをチェックしていたら、そこがいちばん、人気が高かったからだ。
 そこに関連させて、小沢健二さんの『さよならなんて云えないよ』を聴いてもらった。僕がこういうふうに、自分の趣味を押しつけるような真似をするのは実は珍しい(意外ですか?)んだけど、そのシーンとぴったり合うような気がしたし、いまちょうどポカリスエットのCMで使われている曲だったので、やってみた。
 その時にある生徒が……おっと、時間だ。出かけてきます。
 それについても、あとで書けたらと思います。(打率は三割)

2016.12.01(木) 小四の原点

 わすれてた! 忘れてた!
 何を格好つけていたのか?
 こせきこうじ先生、ありがとう!

 ジャンプでやってた『ペナントレース やまだたいちの奇蹟』の連載終了は小学三年生の終わりで、単行本買って全巻読破したのは小四だか小六だか中学に上がってからだか、詳しいことは覚えていない。古本で全巻買った覚えはある。1800円だった気がする。なぜ覚えているのかといえば、その頃の僕にはかなり大金だったから。守山区の古本屋のどこかだったように思う。いや、大曽根のユニーの向こうのブックスボスだったか。小学校三年生以降、自転車に乗って北区、東区、守山区あたりの古本屋を片っ端から自転車で回って、できるだけ安く漫画の単行本をかき集めるのが休日の習慣だった。インターネットで調べることなんてできないから、実際に大通りを走ってみて、目に付いた端から入ってみて、頭の中の地図に登録していった。実際にマップも書いたかもしれない。懐かしい。そういうのも僕の原点である。
 こせきこうじ先生の漫画は、あまりにも僕にとって正しくて、世間では顧みられることが少ない。面白いのにな。
『やまだたいちの奇蹟』の連載が終わり、最終巻が出た1994年は、十歳になる年で、だいたいの原点がそのあたりで出そろう。こせきこうじ先生の作品も、その一つだ。94年。その頃に僕は、ちょうどジャンプをやめて、コロコロも読まなくなって、ガンガンをはじめとするエニックスの雑誌に傾倒していくようになる。
 その理由の一つに、『やまだたいちの奇蹟』の連載終了があった、と僕はなんとなく、考えている。そこへ『地獄戦士魔王』の短命が重なって、いよいよジャンプを不要としたのだろう。愛する『ドラゴンボール』の終わらないうちに読まなくなった理由は、そのあたりしか考えられない。だから『マサルさん』とかは本誌で読んでいないのである。

 今日は本当に何もできない一日だった。ここのところはずっとそうだ。仕事と、もの思いと、絶望と呆然だけで時間が飛び去っていく。そんなに忙しいわけでもないのに、こんなに本当に忙しいのは、心の問題でしかない。岩泉舞先生の『ふろん』ではないが、自分が「社会のヒズミ」に堕ちていってしまうのではという恐怖感に支配されていた。珍しいことではない。幼少期よりずっとそんな調子ではある。
 それでいろいろ、漫画を読んだりしていた。コーヒーを飲んで、いつものかりんとうではなくチョコレートを食べて、それでもなぜか眠たくなった。何の気なしにこせきこうじ先生の『株式会社大山田出版仮編集部員山下たろーくん』を手に取った。
 二巻の終わりに、久々に涙を流した。
 涙を流したことが特別だったのではない。それがとても懐かしい涙だったからだ。原点の泉から湧きだした恵みの涙だったからだ。
 ああ、忘れていた。危ないところだった。
「そういうことではないのだ!」と最近の自分を一喝した。
 落ちこむことがいけないのではない。本来を見失っていないか、という話だ。最近の自分はけっこううまくやっていて、うまくいくことも多い。人からもそれなりに好かれる。うまくいかないことも多い。その点については辛くなったり、沈んだりして、それで絶望と呆然の世界に入り浸ってしまう。
 たとえばiPhoneをなくした。今日着払いで戻ってきた。自分はなんて不注意なんだろうな。これは病気、障碍、そういった類のものだ。

 原点、という言葉を使ったところで、「そこへ帰ろう」とか「思いだそう」とか、そういった今後の方針を打ち立てたいわけではない。そんなことをしたらダメなのだ。ただ、「忘れていた」ということを意識することだけが大切なのだ。「忘れないようにしよう」ですらなくって、「あ、忘れてた!」ということだけでいい。たぶん。

 で、忘れていたこととは何か。
 それは、よくわからないので、『株(略)山下たろーくん』の第二巻ラストをもう一度読んでみる。
 なるほど。
 どうやら、たぶん、「どんな自分が好きなのか」ということと、「その自分と関係のないことは、忘れても良い」ということだ。
 なんのことはなく、自分が泣いてしまったシーンに描かれてあることを、そのまま書いてみただけであるが、泣いた以上はそういうことなんだろう。

 どんな自分が好きなのか、ということを殊更に考えるつもりはない。何かを忘れよう、と意気込む気もない。
 ただ僕はこせきこうじ先生の作品が好きである。
 大人になったからって、理屈を通す必要などない。
 通すべき時に通せればそれにこしたことはないが、常にそのために気を張っていることもないのだ。
(そういうわけで久々に筋の通りようをほとんど気にしないで書いてみている。)

 自由というのは自らに由るということで、自らに由らない自分を作ってしまえば、不自由になる。
 そこを崩さないためにここにものを書き続けるのであろう。
 それはあんまり美しいことでも素晴らしいことでもないのかもしれないが、今のところはそのようにしか生きられない。それでいい。
 このたびこせきこうじ先生の作品を読まなければ、ちょっとそこがわからなくなっていたかもしれない。
 帰るべき原点などない。原点は点である。その点が自分を構成するのは確かだが、その点に向かって収縮していっては、小さくなるばかりであるし、ある原点を目指せば、その他の無数の原点を無視することになる。原点は、いくつもある。
 ただ僕には「思い出す原点」のみがある。


 そういうわけで、奇しくも、十二月一日。
 わと先輩、F先生、
 お誕生日おめでとうございます!

2016.11.28(日) 禁欲趣味でいこう!/なぜか大江イオン先生の話

 ストイック。

 欲望を制し、自分を厳しく律する。
 それができたら苦労はしない。

 もうずいぶん長い間、憧れていたように思う。
 挑んでは挫折し、自堕落へ舞い戻る。
「自分には無理なんだ」と諦めて、また布団に入る。

 具体的なことを書く必要もなかろうが、要は、だらだら、ごろごろ、漫然と時を過ごしてしまって、「タイムイズマネー」みたいな考え方にはほど遠い。
 そしてそのことを、べつに悪いとも思わない。
 狭い日本、そんなに急いで何処へ行く、気楽にのんびりやっている。
 やらねばならないことだけをやって、やらなくてもいいことは極力避ける。
 楽しいことは率先してやるが、楽しくないことはやらない。
「楽しくないけど、あとあとになって意味があるかもしれないこと」については、その「意味」を慎重に吟味し、確信が持てない限りは、動かない。
 それでとにかく寝る。眠る。または寝っ転がってインターネットでもする。
 いわゆる「自分に甘い」、ストイックでない人間の多くは、そのように暮らしているのではないか。「意識が低い」とも言う。

「意識が高い」人は、「時間の効率的な使い方」なんてことを言う。「時間をお金で買い、その時間でまたお金を稼ぐ」みたいなことを言い出す。恐ろしい。そんなにガツガツして何になるというのか。柔軟性のない人間になって、人より早く年を取る。そんなにしてまで欲しくなる、金というのはいったいなんだ? そんなふうに思って、「僕はいいや、時間は時間で勝手に過ぎていくものだ。自分と時間とはとくべつ関係がない」などと壮大な逃げ口上を唱えてきた。
 今もその感覚はまったく変わらない。急いだってしょうがないから、ゆっくり歩いていこうじゃありませんか。その中に幸せがあればそれでいいし、なかったら悔いるまでのこと。ふんわかいこうよ、ふんわか。

「ダメだよ、未来のために、今のこの時間を有効な“投資”に回さないと。」と、もっともなことを言う人がいる。本当にもっともだ。人は老いるのだから、若いうちに投資しておかないと、やがて素寒貧になる。この場合の「投資」とは、文字通りの金融的な投資のみを指すのではない。正社員になることも投資だし、子を産み育てるのも投資になり得るし、資格を取ることも、職歴を重ねることも、能力を磨くことも、すべてが投資である。その投資が十全であれば老後は安泰で、キリギリスのようにサボってしまえば暗黒となる。
 僕はこの「投資」について無頓着なわけではない。むしろ人一倍意識している。僕はたぶん上記のような一般的な意味での「投資」にはあまり向いていない。だから僕なりの「投資」を積み重ねていくしかないのである。それについては時に焦りながら、じっくり考えて生きている。自分が「これは投資だ」と信じることに、身を投じながら。

 と、格好良く言い切りたいところなのだが……。
 僕は、それが「投資」になり得るからといって、まっすぐそれに全力投球できるほど、できた人間ではないのである。
 積極的欲望(うまいもん食いたいとかいい女とやりたいとか)が全然ない代わりに、消極的欲望(寝たいとか何もしたくないとか)がものすごく強い。ずっとぼんやりしていたい。楽なようにしていたい。そのためには積極的欲望を犠牲にしたって構わない。「投資」などという前向きなニンジンでは動けない。

 それで、「もうちょっとストイックにできたらいいのになあ」と考えたりするのである。せめて、自分が「これは投資だ」と信じることについてくらいは、厳格にやっていけるようになりたいものだが……。
 何よりまずは信心が足りない。「これは投資だ」と、信じ切れていない。「投資(笑)」とさえ思っている人間なのだから当たり前である。これはもうしょうがない。「投資信仰」に素直に没入できるほど単純でもない。
「投資だ。だからやる」という考え方は、すなわち、「やらねばならないこと・やるべきことを遂行する」、ということだ。そういうのは、「宿題が出た。だからやる」と単純に受け入れて、ちゃんとやってきて提出できる立派な人間のやること。僕は宿題も予習もほとんどやったことがないので、この考え方にはまったく、そぐわない。
 そういう素直さがないと、なかなかストイックにはできない。

「宿題は一切やんなかったけど、好きなことにはいくらでも没入できる」という人もおりましょうが、それはもう才能。僕だって、このホームページを更新することくらいなら、労せずできる。人によっては、「あんなに長い文章、一円ももらえないのによく書くよな……」と思うのだろうけど、頑張って書いているわけではなく、「不特定多数に向けて書きたいことが割とあって、それを書くことが割と苦ではないという才能」が僕にある(育った)という話なのだ。
 が、すでに育った才能の範疇から外れることについては、本当に全然できない。

 それで、「ねばならぬ」ということを外すことが肝要かな、と思い至った。

 才能というのは、基本的には「苦ではない」という状態が保てることで、それが「楽しい」とまでなったらほぼ天才。そこに「うまくいく(他人に認められる)」が加われば、社会的にも広く「天才!」と言われるわけである。

 そこに持って行くためには、まずは「苦ではない」にならねばならない。
 ストイックであることが、苦ではない状態。
「ストイックであらねばならない」と考えることは一切やめて、「ストイックであることもまあ悪くはなかろう」という程度にする。
 ……うーん、なんだか自己啓発本みたいな感じになってしまうな。まあそんな側面もややありつつ、あくまでこれは遊び。結果や成果は求めない。
 趣味の一つとして、「ストイック」というものはありうるのではないか? と。禁欲趣味。いわゆる「ONAKIN」と同じである。
 何もやる気が出ず、ごろごろしている時、「ハァ!」とか叫んで立ち上がり、黙々と家事をしたり仕事したり本を読んだりする、というのが、趣味のように楽しくなればいいし、少なくとも「苦ではない」という状態になればいいのだ。
「なんか暇だし、ストイックなことでもやるか」みたいな。
 ここで「いかんいかん、ストイックにせねば」とか思ってしまうと、もう、絶対に寝る。「ま、暇だし」くらいの温度がたぶん、ちょうどいい。


 大江イオン先生の『小説 刻の大地』は98年4月に発売されている。その「あとがき」を読んで以来、「ねばらなぬ」、ということについてずっと考えてきた。そしていつからか、できるだけそれに縛られないようにと努めてきた。
 今、その文章を読み返して、改めてその素晴らしさに感動した。僕は、18年前からずっと思っているのだが、この人に会ってみたい。もし、十六夜、カイ、ジェンドのことを彼が覚えているのなら、同級生のことを懐かしむように、彼らの話をしたい。あの頃ともに笑ったり、泣いたりした「仲間」として。

 こんなふうに引用するのが不作法であることは承知しているが、今では手に入りにくくなってしまった本だし、この文章をまたべつの誰かが読むことで、きっと何か良いことが起きる、と信じて。また、これによって原作(夜麻みゆき先生)の読者が増えてくれることも願って。


 そのころ、俺は何者でもなかった。いろいろなことに手を出してはいたが、どれも上っ面だけで手応えはなく、淡い霧の中をふらふらと進んでいるような実感しかなかった。
 二十歳を過ぎて、何者でもない、何者かになれる予感がないというのは、結構ヘビーな状況だ。よけいに俺は苛立ち、ろくに前も見えないのに、見てもいないのに、駆け出して、激しく無様にすっころぶということをくり返していた。そのまま行けば、おそらく結果はお定まりの、カスとかゴロツキとか腰巾着とか呼ばれる類の人間になっていたことだろう。根拠のない自信。それだけが俺の財産で、武器であると同時に枷でもあったからだ。
 今でも、あの夜のことをよく覚えている。煙草の甘いにおいとか、薄暗い照明とかいったものといっしょに。――俺の隣に座っていた人が言った。「子供」
 こうあらねば、というイメージに縛られすぎだというのだ。自分がありたいと思うイメージと、ねばならぬと思うイメージは違うのだと。俺は彼女に話したことを後悔した。見ず知らずの人間に、自分の焦りなど打ち明けるつもりはなかったのだ。最初は。
 なぜ、そんな話をしたかというと、単に隣にいたから。俺が結構酔っ払ってて、レゲエが流れていたから。何より、彼女に話していると、妙に気持ちよかったからだ。頭の中のぐるぐるこんがらがったものを、するするとほどかれていくような感じがあって、俺は喋りまくっていたのだった。その間、彼女は時たま相づちを打つだけで聞いてくれていた。
 だから、彼女がわかりきったことを言ったときには、がっかりし、腹を立てた。そんなこと、とっくに知っている。だが、ねばならぬ、と思わずに、どうしてどこかに行けるだろう。
 うっせーよ、なんて低くつぶやいてみせたと思う。一方的に見下されるのは、俺の小さなプライドが許さなかった。失点を挽回しておく必要があった。だが、彼女は笑っただけだった。赤ん坊をあやすみたいに。――俺は悟ったのだった。酔っ払いの悟りだから、ごくごく簡単なものだが。「あ。かなわねーや」
 自分を制御する能力。落ち着き。持久力。そんなものが、俺には決定的に欠けていると思い知らされた。そして、それこそが俺をどこかに連れていってくれるはずのものだった。
 俺は尻尾をまいて、じゃなく、うつむいてグラスに鼻をつっこんだ。
 それがすべての始まりとなる。
 数日たって電話がかかってきたとき、聞きづらい携帯だったにもかかわらず、俺はすぐに彼女の顔を思い出すことができた。少し悔しい気もしたが、声に出てしまったので今さらごまかしはできない。だから、俺は無愛想に要件を訊いた。
 彼女は言った。「小説、書きませんか」
 友人は嘘だと騒いだが、これは真実である。

 その電話から、これが三冊目の本となる。一冊目は無我夢中で書いた。二冊目は初めて読者を意識した。今回は、自分について考えることになった。
 これから先の俺が、字を書いて生きていくかどうかは、まだ定かでない。だが、十六夜とカイ、ジェンドという三人に出会えたことは確実に俺を変えたと思う。三人のうち誰かに自分を見いだしたということはない。三人は皆、俺である。ハイダルではないが、ずっと「彼らならどうするか」「彼らならどう思うか」と考え続けることになるだろう。彼らが俺の中に宿っていることに気づいたおかげで、俺は半歩先が見えるようになった。
 相変わらず、転んだりぶつかったりすることの多い毎日だが、前よりはましになったんではないかと自己評価している。そして、ねばならぬと思う気持ちの危うさにも気づき始めている。つまり、そこに到達した自分の予想図は確かに眩しいものだが、もがき前進する姿にもそれなりに意味があるってことだ。ねばならぬ、と思うことは途中の過程を省いてしまう。一直線に瞬間的に、そこに至らねばダメだと思いこむ。そんなことはないのだ。
 俺は、何者かになりたい。何者かになろうという気持ちを失わないでいたい。それといっしょに、いまだ何者でもない俺を愛する。

 最後に、電話の主であり、導き手であり、タントーさんであるK女史に感謝を捧げたい。彼女の強さ、しなやかさは、俺にとってはずっと驚異であった。彼女はこれからも俺を照らす光、俺を問いつめる鋭い刃、俺を暖める火である。         大江イオン


 青臭かった若者が、「大人の女性」との邂逅により少しずつ変わっていく。その様が、短い文章の中にくっきりと刻み込まれている。
「いまだ何者でもない俺を愛する」という言葉は、本当に感動的だ。
 何者でもないが、何者かになりたい若者は数多あれど、そんな自分を愛する、と宣言できる人はどれだけいるだろうか。きっと普通なら、焦って、「俺はこんなもんじゃない」とか、「本当の俺はもっと」とか、「こんなのは本来の俺じゃナイ」とか……全部同じことだけど、そんなふうに思っちゃうんじゃないだろうか。
 僕は、久々に読み返してびっくりしたのだが、正直言って、この時の大江先生の気分と、たぶんかなり近い気持ちで生きている。
 僕は「途中の過程」を愛するし、そこにいる「いまだ何者でもない」自分を愛する。

 よく僕は「目標」について否定的に語るが、その原点の一つはここにあるだろう。
 どうなりたいか、とか、どうあるべきか、ではなくて、今どうあるのか、ということが、よりいっそう大切だと僕は思う。今日を生きた者にしか明日は来ない、というのと、同じようなことだ。
 未来は今と地続きなのだから。

《自分を制御する能力。落ち着き。持久力。そんなものが、俺には決定的に欠けていると思い知らされた。そして、それこそが俺をどこかに連れていってくれるはずのものだった。》

 そうなのだ。それが「ストイック」というものの、洗練された姿なのだ。
『小説 幻想大陸II』のあとがきには、「大江が三ヶ月も一つの仕事をやり続けた」ということを友人から驚かれた、ということが記されている。
「ねばらなぬ」とこれまで思っていたことから離れて、「漫画のノベライズ」という、思ってもいなかった仕事に取り組んだ。だからこそ、「続いた」のかもしれない。


 大江先生はこの後(98年10月)四冊目の小説を出し、この名で本を出すことをやめた。彼について僕はこれ以上何も知らない。
 今は何をなさっていて、どんな人になっているのか、知りたいが、知らなくてもいい。それは大きな問題ではない。答え合わせなど、「ねばらなぬ」の足しにしかならない。
 ただ、「同窓会」はしてみたいけど。


「ねばらなぬ」は「主義」であり、頑なすぎる。
「ま、暇だし」という「趣味」ならば、もっとやわらかく生きていけるだろう。


 僕は僕で、趣味としての禁欲を気ままにやりながら、転がり込んでくるものを柔軟に受けとめていこう。
「持久力をつけなければ」と思うことは、かえって落ち着きがない。
 自分という地点を疑わないこと。それだけを心がけていれば、あとは優しく笑うだけである。

2016.11.27(日) 『この世界の片隅に』追記/犯人捜しはたいてい失礼

 創作物……とりわけ複数の制作者によるものや、制作者以外の資本が関わっているものは、必ずしも制作者のやりたいようにやれるわけではないし、制作者が作りたいものを好きに作れるわけでもない。年を取って、制作側のプロとして活躍している友人・知人が増えてくると、そのような話を生々しく話して頂ける機会がけっこうあり、軽はずみにものを言うのが憚られてくる。
 つまり、「いろいろと事情はある」のだ。
『この世界の片隅に』にしても、はじめは2時間30分くらいあった絵コンテを、予算の都合で削り、現状の長さ(126分)になったという話を耳にした。(ロフトプラスワンのイベントで監督が仰ったらしい。)
 もしも映画の描写に「不十分」と感じる部分があるとすれば、その「削らざるをえなかった24分間」のせいなのかもしれない。
 コンテを作った段階では表現するはずだったものが、完成品では表現できない。それはじつにやるせないだろう。歯がゆいのは制作側だって同じなのに、観客から「不十分だ」などと言われるのは、どうも噛み合っていない。
(実際には、そんな声はあまり聞かれていないと思うから、「24分間」の処理が巧みだったということだろう。)

 このことは一例にすぎない。他にもいろんな種類の事情があって、作品は作品として世に出される。それで結果、駄作となったり、欠陥があったとして、誰が「悪い」のかは、すべての事情を把握しない限り、わからない。だから憶測で「監督が悪い」だの「脚本家が悪い」だのを言うのは、邪推でしかなかろう。
 いち享受者としては、「良いものを良いと言う」くらいのことしかできなくて、どうしても何かを言いたいのであれば、せいぜい「できる限り誠実に作品を批評する」ということくらいで、「犯人捜し」をするのは、たいてい誰かに対して失礼である。

「自戒を込めて」と言ってすべてを許してもらおうという態度(あるいはその風潮)もイヤなものなのだが、ともすれば忘れてしまいがちなことなので、書き添えておきます。
2016.11.20(日) 「生活」を描いた映画『この世界の片隅に』と、「生きる」を描いた原作と

 本稿は本当は昨日アップされるはずだったのだが、一昨日の記事を書いたあとに、いろいろ考えるところがあって、いったん保留した。
 時を置いて考えても、『この世界の片隅に』は、本当に素晴らしい映画だったし、それに対する賛辞の言葉は惜しまれなく注がれている。それで原作を手に取る人もたくさんいて、こうの史代先生の読者はどんどん増えていくだろう。だったらぜんぜんそれでよくて、僕が何かを言う必要なんて何にもないのではないか、と。



 結城恭介先生が、「【書評】心あらため……」という記事を書いている。

「良い評論とは、誉めてある評論である。悪い評論とは、それ以外の評論である。」

 という言葉を引いて、書評を始めるにあたっての「心あらためとしてこれを記す」としている。この言葉はずっと、胸の内に貼り付いている。
 映画『この世界の片隅に』を語ろうとすると、どうしても「誉める」以外のことをしてしまいそうなのだ。そんな文章を世に出す意義などあるのだろうか。もちろん、けなすつもりなど一切ないのだが、「誉めるわけでもけなすわけでもないが、言いたいことがある」という絶妙な心情をうまく伝えるのは、難しい。
 だったら、黙るのも一つだ。
 何かを書くのなら、それを読む人に何かポジティブな影響を与える可能性の高まるよう配慮しなければならない、というのを、いちおう教育者の端くれとして常に意識している。
 それができそうもないときは、書く必要はない。

 しかし、僕のもう一つの信条は、「歩きつづける」ことだ。
 だからこの日記のタイトルはいつからか「少年Aの散歩」。
 終わらない思春期の思索。
 意味などわからなくても、ただ歩く。人は歩みをとめた時に年老いていく、とアントニオ猪木が引退のときに言っていた。

 結城先生も同じようなことを書いているが、作品というものに、善し悪しなどないのかもしれない。ただ人それぞれに、相性とか、出会うタイミングがあるというだけで。
 それはひょっとして、「書かれたもの」について全般に言えることではないだろうか。
 僕が書いたくだらない評論まがいの文章なんて、ある人にとっては取るに足らないものであろうが、十年後のその人にとっては何かポジティブな影響を与えうるかもしれない。また、ある人にとっては、賛同するかはともかく、何か考えるヒントになるようなものかもしれない。
 人を傷つけない言論など存在しないが、人を勇気づけない言論も、もしかしたら存在しない。
 どっちに転ぶかなど、わからない。

 だからとりあえず、書いてみよう。正直に、ただ思ったことを。
 で、最後にはちゃんと「誉める評論」にしますので、よかったら読んでみてください。




●映画『この世界の片隅に』感想


 上映が始まって、まず「なんて完璧な映画なんだろう」と思った。文句の付け所のない大傑作であることは、冒頭の数分でよくわかった。
 しかし同時に、オープニングテーマがザ・フォーククルセダーズを原曲とする『悲しくてやりきれない』であったことに、違和感を覚えた。
 そういう物語になるの? と、少し疑問があった。
 もし、作品に通底するテーマが「悲しくてやりきれない」という気分であるとしたら、あまり好きではないな、と思った。でも前述の通り僕は映画に対して始終「すばらしい」と思っていたものだから、「たぶんこの主題歌の選定にも意味があって、最後には納得出来るものになるのだろう」と考えることにした。
 実際、どうだったかというと、なんで最初が『悲しくてやりきれない』で始まるのかは、よくわからなかった。この曲が終戦直後のすずさんの心情にマッチしているのもよくわかる。何よりもまず名曲だし、とてもいいカバーだ。だけど、オープニングテーマにまでしてしまうことへの違和感は、ぬぐいきれなかった。「悲しくてやりきれない」というような気分でまとめてしまうような作品は、悲しい作品ではないだろうか。

私が『picnic album 1』(2010年発売)というカバーアルバムを出したとき、監督にCDをお渡ししたんです。多分監督は、その頃から『この世界の片隅に』の準備を始めていたと思うんですけど、そのアルバムに入っていた“悲しくてやりきれない”という曲が、主人公であるすずさんの心情にすごく合っているということで、ずっと聴いてくださっていたらしくて。
(コトリンゴインタビュー)http://www.cinra.net/interview/201611-kotringo

 この作品は、どうも制作のかなり初期の段階から、「悲しくてやりきれない」という気分が、意識されていたようだ。


 そして上映の途中から、「ああ、戦争映画になってしまっている」と思いはじめた。見終わるまで、その気分は変わらなかった。

 四人で観たのだが、僕を除く三人は、原作を読んだことがなくて、上映後に、口々にこんなことを言った。
「心臓に悪い映画だった」
「重い」
「重かったですね」



 たとえば、晴美さんが亡くなるシーンがとても強調されていた。
 原作ではもうちょっと淡々としている。
 映画的演出。暗闇になって、変な模様? みたいなものが出てくるのは、原作に比べればちょっと強めの演出に思えた。
 あんなに強調されると、なんだか、悲劇のために殺されたような印象を受けてしまう。
『ONE PIECE』で、ゾロの設定固めのためだけに(僕はそう思う)出てきてあっけなく死なされる「くいな」というキャラを連想した。
 物語の都合で殺されるような存在は、一人だっていないほうがいい、フィクションだから、架空の人物だからいい、というわけではない、と僕は思う。

 晴美さんの死は、まず径子さんやすずさんにとって重大なもので、観客にとって重大なものではない。僕らが勝手に、我が物としてよいものではない。
 僕はそう思うのだ。だから原作では、あのくらいの描き方にとどまっているのだと。
 映画では、たぶん、晴美さんが死に、すずが右腕を失うシーンを、一つの「山場」としていた。そういうふうに演出していた、と思う。それは映画としてはとても正しい態度だとは思う。
 だが、人生に山場などあるだろうか。生活に、日常に、ことさらに強調されるべき山場はあるだろうか。一人の人間の人生についてならばいざ知らず、「時間」というものの中で生きる、複数の人々について、「山場」というものは設定できるだろうか。

 爆発のあとで、寝込んでいるすずさんの夢(だか回想だか想像だか)が描かれる。原作では7ページ・28コマ(薄い線で囲まれたコマのみをカウント。最後の晴美さんと花畑の1ページも1コマとして数えている)にわたるその夢の中で、晴美さんが出てくるのは7コマ(側溝と下駄のコマを入れて10コマ)にとどまる。

 いろいろなことがあるのだ。
 いろいろな人が生きているのだ。
 その中で、晴美さんは亡くなった。
 ここで晴美さんのことだけを描かないバランス感覚は、本当にすごい。
 映画では、一瞬、ほんの一瞬だが、その美意識を崩してしまったように思う。
 夢に入るまでの数秒か、せいぜい十秒ほどの間。
 観客に、「晴美さん(もしかしたらすずも)は死ぬんだけど、準備はできてる?」という時間を与えた。
 そこで晴美さんの死は強調されて、「悲しむための死」になってしまっては、いなかっただろうか。
 彼女たちの生活から、晴美さんの死をコピペして、観客の胸に貼りつけてしまった。



 話がかなり横道にずれてしまうが、『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』で、バーニィという主要キャラが最後、亡くなってしまう。それがゆえ「一流の悲劇」(結城恭介先生によるノベライズあとがきより)となったのは確かだが、僕はバーニィが死んで、本当に悲しかった。ずっと泣いていた。何も死ぬことはないではないか、と思った。フィクションだから殺していい、のではなく、フィクションだからこそ、殺さないことができる。バーニィはモビルスーツに乗っていて、コックピットを貫かれて死ぬのだが、もしアレックスの攻撃がちょっとでもずれていたら、助かったはずなのだ。
 結城恭介先生は、小説版の最後で、バーニィを生かした。奇跡的に意識を取り戻したのだ、という一節を、はっきりと書いた。僕はそれで、本当にこの作家のことが大好きになってしまった。
 これにより、「一流の悲劇」は「三流のハッピーエンドに堕ちる」(前述のあとがきより)ことになったかもしれない。それでも、僕にとっては救いだった。自作を「三流」たらしめる危険を引き受けてまで、結城先生はバーニィを助けたのだ。

 こんな野暮なことは言わないでほしい。「もし最初からバーニィが死んでいなかったら、お前は『ポケット』をそんなに好きにならなかったんだろ?」と。確かに、あんなに泣くことはなかったかもしれない。だけど、「好きなアニメが一本へる」ことと、「大切な友達が死んでしまう」こと、どっちをとるかと言われたら、答えは決まってる。シオン様(『レヴァリアース』)だって、死なぬが良いに決まっているのだ。

 だからもし、映画『この世界の片隅に』で、晴美さんが生きていたなら、僕は惜しみない称賛の拍手を送っただろう。実のところ鑑賞中、始終それを祈っていたのである。正確にいえば、「原作をずいぶんとはしょっている」ということに気付いた瞬間、「じゃあ晴美さんが死なないエンドもありうるな!」と期待した。
 でも、そうじゃなかった。当然だ。それじゃ「三流のハッピーエンド」だ。売れる映画には、到底ならない。僕の大好きな結城先生の小説だって、決して売れるものではなかった。優しすぎるのだ。



 原作をはしょる、ということについて。

 それ自体が問題になるわけは、もちろんない。2時間の映画におさめるためには、当然整理は必要になってくるだろう。結果的に2時間の映画としてまとまった「整理された物語」は、ほとんど完璧なものといえた。

 ただ、「どこを削ったか」というところは気にしたい。あるいは「どこに何をつけたしているか」。それで、この映画がどういう映画であったのか、ということが、少しくらいは見えてくると思う。



 映画では、リンさんにまつわるエピソードがほとんどない。

 そこは、描かなくてもいいという判断なのだろう。

 極端なことをいえば、リンさんを登場させないことも可能だったし、周作さんが水原さんにすずさんをあてがう(抱かせようとする、と解釈できる)シーンも、カットすることができた。
 だって映画版は、周作さんが遊郭に行った、ということは、匂いすら感じさせないんだもの。それであの「あてがう」シーンだけがあると、ギョッとするよ。
 あの切り取られた帳面と、エンドロールの後のクラウドファンディングありがとうロールの下の絵だけで、周作さんとリンさんの関係を読み取るのはさすがに無理だ。だから映画版では、周作さんとリンさんとは特に関係がなく、周作さんが遊郭で女を買っていたことも、すずさんは知らない(あるいは、知っていたとしても描かれていない)とみるのが妥当だろう。

 僕が原作『この世界の片隅に』を好きなのは、すずさんとリンさんとの関係によるところが大きい。そもそも「すず」と「リン」はどちらも「鈴」と書けるわけだし、この二人の対比や呼応は、作品のかなり根幹となる部分を支えている。それを映画では、ばっさりと切った。ほとんど。
 すずさんとリンさんは友達なんだけど、すずさんの夫である周作さんはリンさんをかつて買っていて、そのことをすずさんは知ってしまう、というのが原作の設定。すずさんはそれを呑み込みながら、夫と生活を共にし、リンさんのことも友達として大切にし続ける。ここが……なんというか……この作品の凄みの一つだと思うのだが、映画版ではカーット! なのである。なぜか。


 倫理的な問題?


 いやしくも、広島や呉の人たちからも協力を得て制作された「戦時下を描いた映画」なのだから、夫が遊郭で遊んでてうんちゃら~みたいな、そういう内容は、削らざるを得なかったのかな? 小学生にも問題なく見せられる、健全なものにしたかったのかな?
 そういう可能性も考えられる。そうだったら、やだなあ。
 だってそれじゃ、いったい、なんのために『この世界の片隅に』を映画化するのか、わかんないじゃん。「健全なものにしたいからこういうふうに変えます」っていう姿勢でやるくらいなら、ぜんぜん別の作品を作って、そこで「健全」をやればいいもん。
 だから、こういう事情ではないと思うし、もしそうだとしたら、すっげーやだ。

 では、どういう「事情」があったと僕が思うかというと、それは「リンさんと周作さんとの関係を入れると、わかりにくくなるから」だ。
 話が複雑になる。
 観客に、わかってもらえない可能性がある。
 考えることが多くなりすぎるのだ。

 僕は、そここそが原作の魅力だと思っている。リンさんと周作さんのことを知ったすずさんが、何を思うのか。何を思いながら、周作さんと暮らすのか。何を思いながら、リンさんと接するのか。何を思いながら、水原さんに身体を預けるのか。何を思って、水原さんに“抱かれない”のか。自分を水原さんに「あてがった」(ヤらせようとした)周作さんのことを、どう思うのか。あの口げんかは、どういう気持ちでしていたのか。
 そういうことは、ほぼ、すずさんの口から直接的には語られない。だから、わからない。わからないけど、何かを感じたり、考えたりしてしまう。「文学性」なるものは、そういうところに宿るんだと思う。

 水原さんに「あてがわれた」事件について、すずは周作さんに詰め寄る。

すず「でも周作さん 夫婦いうてこんなもんですか? …………うちに子供が出来んけえ ええとでも思うたんですか?」
周作「……そがいなんどうでもええくせに ほんまはあん人(にい)と結婚したかったくせに」
すず「は!? どうでも良うないけえ怒っとんじゃ」
周作「ほーー怒っとるとは知らなんだ」
(このあとしばらく、ふたりの口げんかが続く。)

 これが映画では、ずいぶん違ったやり取りになっていた。

 まず、「夫婦いうて」が「夫婦って」とか、そんな感じになっていたはずだ。この「いうて」と「って」の違いはでかい。前者は「夫婦という肩書きを背負って暮らすことって」とか「口では夫婦だと言っておいて」とかいったようなニュアンスが含まれると思うのだが、後者にはない。こういう細かなニュアンスが省かれるのも、たぶん、わかりにくいからだろう。「いうて」と言ってしまうと、そのニュアンスが断定できなくなる。「って」だと、「夫婦というのは」という、単純な意味にしか取れない。

 また、「うちに子供が出来んけえ」というのもなかったはずだ。「すずに子供ができない」という事情は、たぶんほとんど描かれていない。いちど妊娠したかと思って病院に行ったら、そうではなかった、というエピソードが、ギャグタッチで描かれるのみだった。原作では、妊娠と思ったのは「栄養不足と環境の変化で月のめぐりが悪いだけ」というふうに描かれていて、ページのハシラに「戦時下無月経症」の説明が書いてある。これはリンさんとのやり取りの中で出てくるのだが、そのシーン自体が削られているため、映画には出てこない。
 また、すずがリンさんと周作さんとのことを知ったあと、すずさんと周作さんが性行為を途中でやめる(というふうに解釈できる)シーンがあり、そこで周作さんが「もしかして子供が出来んのを気にしとんか?」と言うのだが、この場面もない。

 リンさんと周作さんの関係が消されているのだから、当然といえば当然なのだが、もしや「健全ではない」ということで採用しなかったのでは、という邪推もしないではない。あるいは、不妊で苦しんでいる方々への(謎の)配慮ででもあろうか。

「ほんまはあん人(にい)と結婚したかったくせに」もなく、その代わりに、これはけっこう忘れてしまったが、「わしには見せん怒り顔を見せとったじゃろう」みたいなセリフがあって、それに対して「だから今怒っとるじゃろうが!」というすずの返答。そこから先は、原作通りにくつしたがどうとかいう言い争いになる。

 ただの痴話喧嘩じゃねえか!(許さんぞ!)

 なんでしょう、複雑な心の機微というか、僕が原作に感じていた「凄み」の部分は、ことごとくカットしていくんですね、この映画では。

 で、わかりやすい「恋愛」にさせていく。

 この喧嘩のシーンはその象徴の一つで、原作ではきわめてきわどい会話だったのが、「これをきっかけに本音をぶつけ合える二人になる」という、恋愛ものにありがちな「雨降って地固まる」場面としてのみ強調される。「初めて感情をあらわに出せるようになったすず。初めて(?)けんかする二人。よかったね、これでこれまで以上に仲良くなったね! 水原さんは噛ませイヌ!」みたいな場面になる。改変された二人のやりとり(「あいつにばっか素直にして!」→「いまあなたにも素直になってるじゃない!」的なの)は、まさにそういう演出である。

 ああ、わかりやすい。わかりやすい。たくさんあったけもの道がすべて潰され、舗装された大きな道路になるように、「男女の愛」というわかりやすい一本道が整備される。

 もう一つ象徴的なシーンは、機銃を避けて側溝に落ちた周作さんとすずが、言い合いをするところ。
「広島へ帰る」と言うすずに対して、その理由を問いただす周作さん。原作と映画の違いはこうだ。※()はモノローグ

【原作】
周作「手の事を気にしとんか」
すず「(そうです)」
周作「空襲が怖いんか」
すず「(そうです)」
周作「………………晴美のことか」
すず「(そうです)」
周作「聞こえんわい」
すず「「違います」」
周作「じゃあ何でじゃ」
すず「………………(ほれそうやって ふたりで全て解決出来ると思っているからです)」


【映画】
周作「手の事を気にしとんか。空襲が怖いんか。晴美のことか」
すず「(そうです、そうです、全部そうです)」
周作「聞こえんわい」
すず「違います」
周作「じゃあ何でじゃ」
すず「………………」

 細かいところは違うかもしれないが、概ね間違ってないと思う。
 原作では、手、空襲、晴美の話題に対して、それぞれに逐一「そうです」と言葉を挟む。映画では、三つの話題が出そろったあとで、まとめて「そうですそうです全部そうです」と言う。
 これって、けっこう違うと思うんだけど、うまく説明ができない。

 たぶん、原作のほうが「何を言われても『そうです』と思う」ニュアンスが強い。映画版は、三つまでを聞いた時点で初めて、「そうですそうです“全部”そうです」と言うから、四つ目の登場が想定されていない。原作のほうは、四つ目、五つ目に何を言われても、おそらく「そうです」と答えただろう、という気がするが、映画は三つでいったん区切られる。だから、映画では「手・空襲・晴美」で「そうです」の内容は終わってしまう感じがする。原作だと「手・空襲・晴美……」と続いていきそうだ。
 この「……」は「全部」という言葉で表現されている、と捉えることもできるが、逆に「全部その三つのせいです」という解釈だって成り立ってしまう。ここでそういう解釈の多様性を狙っていく必要もあまりないと思うのだが、どうでしょうか。

 最大の違いは、「ほれそうやって ふたりで全部解決出来ると思っているからです」というモノローグのニュアンスが、映画ではまったく使われていないところ。
 このあとも、周作さんと会話しながらすずのモノローグは続き、リンさんの話題を持ち出す周作さんに対して「(あの人を呼ぶこの人の口の端に愛がなかったかどうかばかり気にしてしまうとは)」とすずさんは思う。当然映画ではカットである。※「あの人」とはリンさんのことで、「この人」は周作さん

 こういう、複雑な心情はいっさい語られない、というか、ないことになっているのである。生きるか死ぬかの瀬戸際を経て、周作さんと二人きりになって、しかし心の中では、周作さんを批判したり、白木リンとの関係ばかりを気にしたりしている。この複雑さこそが、原作『この世界の片隅に』の真髄だし、すずさんのあの夢にいろんな人を登場させてみせるのと同じ、きわめてきわどい「バランス感覚=美意識」なのである。※美意識とはバランス感覚、と書いたのは楳図かずお先生の『14歳』


 僕は、原作の『この世界の片隅に』を、本当に、究極に複雑な話だと思っている。それをずいぶんと単純に、わかりやすくしたのが、映画版だ。
 きわめて、すぐれて、単純にしたからこそ、大傑作たり得た、とも思う。だから多くの人にわかって、受け入れられた。
 ただ、「名作」と呼ぶのにはどうしてもためらいがある。
 わかりやすいものは名作たり得ぬのか、といえば、そんなわけはないのであるが、どうも僕はあの映画から、優しさや美しさを受け取れないのである。
(もちろん、かなり多くの人はたぶんそれを受け取っていて、僕が受け取れないのは人格か、タイミングの問題だ。)


 どうしてそうなのか、というのは、このブログに書いてあることが最も近い。

 こうのさんは「戦時の生活がだらだら続く様子」や、「「生」の悲しみやきらめき」を描いていたのだと思います。徹底的といえる取材で細かく丁寧に描かれていたのは、まさにそれこそが「描くべきもの」であったから。
 ですが、片渕さんはインタビューをいくつか読んでいくとどうもそうではない。「「ご飯を炊く」ということの意味が変わってくる」……ご飯を炊くというのは、何かはよくわからないですが「意味」というものを表現するためのものらしいのです。そして、その「意味」をよりよく伝えるために、徹底的なディティールにこだわる。

 とにかくディティールを追求する。時代考証を徹底的にやる。でもそれは、もっと大きな何かを表現するためにやったこと。こうのさんが描こうとしたもの、描いたものを、(かなり悪くいうと)「表現技法の一種」として「利用」したのではないかと感じました。そして、監督が表現しようとしたもっと大きな何か(何なのかははっきり分かりません)こそが、マンガとの大きな違いで、そこに違和感を感じたのかもしれません。

 僕は「裏の畑から戦艦大和が見えるところでご飯を炊く」風景の向こう側にある「意味」よりも、「裏の畑から戦艦大和が見えるところでご飯を炊く」姿こそが観たい。楠公飯を炊くことが意味する「何か」よりも、ぶくぶくに膨れてとにかく不味そうな楠公飯とそれをすずたちが不味そうに食べる様子を観たい。デートに誘われて「しみじみとニヤニヤ」するすずの顔を観たい。すず達の生活を「意味」のための小道具にしたくない。

 ...まあ読んだ後観た後に調べた話だから、こじつけのようなものかもしれません。
 でも、こうのさんがすずとその世界を丁寧に丁寧に描いたのは、意味とかテーマとかではなくて、それそのものに美しさがあったからだと思いたいですね。

 ……ほとんど全文をコピペしてしまったが、ユニークIDを取れないブログなので、仕方なくやった。仲の良い友達なので許してほしい。(こうやって不特定多数の目にさらされるのも本当はイヤかも知れないが、素晴らしい感想だったので……。文句はうけつけよう。)


 また、監督について「淫らな感じ」とか「誠実というより貪欲」という意見も目にした。貪欲。なるほど。ディテールにこだわり、そこから意味を浮き上がらせていこう、という徹底さは、素晴らしいと思うが、たぶんこうの史代先生のやり方とは違うし、僕が好きなやり方とも違う。
 こうの先生も本当に徹底的にものを調べて書く人だけど、地元である呉市の風景などについては、「そっちは行ったことのない道だから作品には出ていません」と言うような人なのだそうだ(ソースは「マンバ通信」の監督インタビュー)。
 より実感に裏打ちされているというか。より現実を大切にしているというか。架空のものを作るために現実に取材しているのではなくて、あくまでも先にあるのは現実、という意識なんじゃないかな。
 監督はどうも、「これから表現するもの」のために、取材をしたり体験をしたり、しているような気がする。こうのさんは、「実際にあるもの、あったもの」のために描いているのではないだろうか。このへんはほんとにただの直観だけど。

 なんだか、そういうところを感じてしまって、どうしても原作にあるような体温を、僕は映画で味わうことができなかった。
「生きる」っていうのは、そんな単純なことじゃないんじゃないだろうか。
 単純化された「生きる」のレプリカ、ではなくて。

 そう、こうの先生はあとがきにこう書いていた。

 そこにだっていくつも転がっていた筈の「誰か」の「生」の悲しみやきらめきを知ろうとしました。

 ただ出会えたかれらの朗らかで穏やかな「生」の「記憶」を拠り所に、描き続けました。

 こうの先生が描いたのは、たぶん「生きる」ということで、「死ぬ」ことではない。僕が晴美さんの死を強調されることをひどく嫌うのは、そういうところにも理由があったのかもしれない。

 死ぬというのはたぶんあるていどには単純なことで、生きるというのはあまりに複雑だ。
 だから、生きることを描くためには、何も単純になんかしてはいけないと思う。




「わかる」ということばかりを大切にすると、「単純」というものが猛威をふるい、「生きる」という複雑さがなおざりになってしまうのではないだろうか。




 もちろん、「わかる」ものであるからこそ、多くの人に受け入れられるのだし、人の心にストレートに訴えるのだし、何度も書くが、だからこそ映画版は大傑作なのだ。しかしそれは、あの複雑な「生きる」ということをはっきりと描ききった原作とは、ぜんぜん違う種類のきもちを喚起させるものだと僕は思う。

 ある女の子が、原作を読んで、「これってすごい難しい話だよね」と言っていた。彼女はまだ映画を観ていないようだったが、「よくこれを映画化しようと思ったもんだ」と感心していた。あんなに難しい、複雑な話(「ストーリー」が複雑なのではなくて。念のため)を、よくぞあれほどわかりやすくしたものだと、僕も驚嘆する。
 映画を観て、よいと思った人にはぜひ、「生きる」ことの複雑さをそのまんま描いたあのすばらしい原作も、ぜひ手にとってほしい。



 映画版は「複雑な人間の心」というものをざっくりと捨象して、その代わり「生活」に大きなスポットライトを当てた、と僕は思っている。
 その象徴が、終戦直後のあの場面だろう。原作とはかなりかけ離れた、あのセリフ。


「海の向こうからきた小麦や大豆、そんなもんでできとるんじゃろうなあ、うちは。じゃけえ暴力にも屈せんとならんのかね」


 友達がmixi日記で、この場面を引き、戦時下の食糧事情を踏まえた見事な考察を行っていた。この物語において、戦っていたのは「女」なのだ、と。その通りだろうと思う。(引用したセリフも、彼の日記から拝借した。)
 人間と人間との心の関わり合いには深く踏み込まず、ひたすらに「生活」を描いていたのは、それを支えていた「女」たちの戦いを描くためだった、ということか。
 その観点においては、やはり「悲しくてやりきれない」なのだろう。
 ようやく、少しは腑に落ちた。
 戦争映画になってしまった、とはじめは嘆いたが、そういう意味での闘いの映画であるとも思えば、「なるほど」ではある。そういう道路なら、嫌いではない。
(それでも、晴美さんの死は強調されなくていいとは思う。あれを強調と見ない捉え方もあるかもしれないが。)


 それにしても。「海の向こうからきた小麦や大豆」という、一見唐突にも見えるセリフが、食を通じて戦い続けていた「女」たちのこと(事情や気分)を、たった一言で表現してしまっている。そのことは素直に本当にすごい。
 原作のそういう部分を、原作以上に強調して、素晴らしい成果を収めている。戦時下の「生活」を描いた映画として、超一流の作品だと思う。

 原作との差異について考え始めた時、最初はつい「制作者とは気が合わないな」と感じてしまったのだが、この友達の考察を読んで、認識があらたまった。
 彼らは「生活」を徹底的に描いていたのだ。それは周作さんやリンさんとの複雑な関係や気持ちを通じて描かれる「生きる」とはまた別の、また別に普遍的な、「生きる」である。

 そして、「小麦や大豆」の一言についてだけ言えば、あれはなかなか「わからない」ものかもしれない。ある意味で最も大きな「山場」において、一点の「わからない」を象徴的に飾った。その他のところは「わかる」に終始させておきながら。
 それはちょっと、本当にすごいところなのかもしれない。




 僕はどうしても「複雑な人間の心」のほうにも興味があって、それが見られなかったのはやはり残念だ。願わくは同じスタッフ・キャストで、そっちのほうに焦点をあてた映画も制作してくれないかしら。A面とB面みたいな。両方あって、どちらも素晴らしい作品であれば、それが何より……。続編というか、姉妹編として、やってみてほしいなあ。
 そしたら今度は、クラウド・ファンディングにも参加します。ファインディングにも。


 こういう考え方の前提は、一つ前の記事に書いたようなことがあるので、興味があればご覧ください。



「間違っていたなら教えて下さい 今のうちに」という、単行本の末尾にある言葉は本当に誠実さをかんじて、大好きです。セリフの細かいところなど、間違っているところがあればご教示ください。

2016.11.18(金) 「わかる」偏重主義時代(『この世界の片隅に』前段)

「わかる」ということがそんなに大事かよ、というのは折にふれて思うのである。

 わからない、ということの効用については、橋本治さんがまさに『「わからない」という方法』(集英社新書)に書いていたが、そういう本が生まれなければならないというのは、今の世の中がいかに「わかる」を偏重しているか、ということが前提にある。


 しかし、「これが正しい」とはっきり思えるようなことが何もなくなったような現代、もう「答え合わせ」の時代は過ぎ去ったのだ。それなのにどうして、「わかる」ことが依然として偏重、珍重され、至上のものと奉られるのか?
 それは、今が「答え探し」の時代でしかないからだ。「答え合わせ」の亜流に過ぎない。
 これまで(橋本治さんふうにいえば二十世紀)は、「用意された答えに合わせていれば事足りる」時代だったと思うが、今は「自分で勝手に答えをはじき出し、その責任は自分で負う」なのではないだろうか。
 ペーパー式の、センター試験のように明確な答えの定まったテストで100点を取る、というのは、まさに「用意された答えに合わせる」が完璧に成功した例である。あらかじめ定まった答えに、自分を合わせていく。それでよかったのが、これまでである。
 今は、自分で考えた答えによって、他人を納得させなければならない。それは大変ではあるものの、「誤答」という可能性は減ったはずだ。どんな生き方でも、どんな選択でも、認められる目がある。それは幸福なことかもしれない。

「答え探し」が許されるのは、個人主義が実現した証拠である。誰が何を、どう考えてもいい。どんな答えを出しても、他人を妨げない限り、干渉されることはない。それが自由であり、そのように自由であることが、個人ということである。(建前としては少なくともそうだ。)
 自由な個人には多様性が許され、「解釈」というものが流行る。
 一つの映画に対して、さまざまな解釈があって良くて、「それは間違っている」という言葉がナンセンスとされる。「人それぞれやでぇ~」という言葉が、力を持つ。
 だから、「どんなわかり方をしても問題ない」ということになる。

 で、「わかる」ということがもてはやされるわけだ。
 許されていて、気持ちがいいから。
 また、それによって「承認」も頂ける。時によれば、褒めてもらえる。
 どんなわかり方をしてもいいので、「わかる」ことにもう、困難はない。人はもう、労せず「わかる」ことができる。
 わかり方は自由で、人それぞれだからだ。
「わたしはこういうふうにわかった」と言えば、それまでである。それで正しい。
 だから、「わからない」ということは、避けることができるし、誠実に「わからない」と思ったとしても、それを無理に「わかる」ことはなくて、別の「わかりやすそうなもの」を「わかる」ことにより、満足が得られる。
 これには僕ももちろん助けられていて、とてもありがたいことではある。

 しかし、人々がとにかく「わかる」ことを求めると、「わかる」ものばかりがもてはやされる。偏重される。
「わからないもの」は、「面倒くさい」と忌避される。

 わからないのにものすごく流行るものといえば宮崎駿監督の映画だが、あれは本当にすごい。特に最近のものは、『ポニョ』にせよ『風立ちぬ』にしても、「わかる」とは言い難いはずだ。勝手に「わかる」ことがしやすいのだろうか。あるいは、わかるわからないは置いといて、気持ちが良いのだろうか。正直言って、このことに関しては僕はよく、わからない。(だからこれからも宮崎駿監督作品については考え続けたい。)

 人は、「わからなくてもいい」となると、平気で「わからない」と言い、それを放り投げる。「わかる」となれば、がぜん、抱き込む。
 だから、「売れる」作品を作ろうとすれば、原則として「わかる」ものを作らなければならない。

 なんてことを言っていたら、「『エヴァンゲリオン』のように、わからないことが前提であるものを愛でる風潮も同時にあって、二極化しているのでは?」とコメントをもらった。
 確かにそうだな、と頷きつつ、でも「二極化」という言い方は僕の考えていることとはやや違うな、とも思い当たった。
『エヴァ』のような作品は、たぶん、「わかる」ためのものである。
「わからない」まま受容するというよりは、力ずくでも「わかる」ことを楽しむ作品なのではなかろうか。だから「解釈」や「解説」という言葉が、あの作品のまわりからは多く聞かれる。
 普通なら、「わかる」ようにやさしく手ほどきしていくような作品でなければ売れない、はずなのだ(と僕は思う)が、『エヴァ』にはきっと「何がなんでもわかってやる」とか、「わからないけど、わかりたい」とか、思わせる力があるのだろう。
 ……ただ、新劇場版の、あのすさまじいヒットについては、よくわからない。もっとわかりやすくなっているのだろうか? それとも、「わからないけど、なんか気持ちいい」と思わせるものがあるのだろうか。いずれにしても、やはりすごい作品なのだなあ。(最初のTV版以外観ておりません。)
『エヴァ』にお金を出す人の、すべてが「謎豚」であるわけがなく、ごくふつうの、いわゆるオタクでない人だって観に行っていた。それは「宣伝」とか「イメージ」の力なのかもしれないし、それらとはまた別に、ものすごい、僕のまだ知らない魅力があるのかもしれない。

 それで、さて、今回の問題意識なのだが、「並の作品は、『わかる』ほうに寄せられる」である。
 全体としては、やはり「わかる」ほうへ、たとえば映画は、寄せられていると思う。
 売れなきゃいけないんだから、当たり前の話。
 わかりやすくなっている。何がなんでも、一回で観客をわからせなければならない、という執念を感じる。さらに「もう一度観れば、“もっと”わかりますよ」という囁きによって、観客を「わかる」の悦楽に引きずり込もうとする映画が、多いように思う。

『イニシエーション・ラブ』という映画の有名なキャッチコピーに、「最後の5分全てが覆る。あなたは必ず2回観る」というのがある。観客は、最後の5分で、ある事実を明かされて、ものすごく気持ちのいい「わかる」を経験する。「そうか、そういう映画だったのか!」という気付きを得る。そして2回目の鑑賞では、「なるほど、そういう視点で見れば、このシーンはこういうふうに解釈できるのか」と、ふたたび「わかる」を楽しむことができる。
 映画とその広報が、自覚的に、観客に対して「わかり方」を指南しているわけである。「こういうふうに『わかる』と、この映画は面白いのです」と。
 これはどちらかというと、「あらかじめある正解に合わせる」というわかり方なのだが、巧みなことに、これだと観客はあまり「押しつけ」を感じず、「自分でわかった」という気分になれるようである。イケアで買った家具を組み立てて、「自分で作った」ような気になって愛着が湧く、というのと似ている。(これについては小沢健二さんの『うさぎ!』三十九話を参照。DIYの話。)
 学校の勉強に関してでも、これになぞらえたことが言えるが、長くなるし繊細なところも含むので、今回はよしておこう。

 よく言われることだが、昔の映画には「セリフでわからせる」ということが少なかった。表情や情景描写のような「演出」によって、言葉少なでも伝わるような作りになっていた。言葉で語るなら小説でいいだろ、という気分が、あったのではないかと思う。
 今は、すべてセリフで説明してしまう。そういうものが売れる。観客は、「わからない」ものなんか基本的には観たくないし、セリフがなくても「わかる」ほどの理解力は、持ち合わせていないのだ。
 昔の観客は優秀だった! という単純な話でなく、たぶん昔は「セリフがなくても当然わかる文脈」というのをみんなが共有していたから、という事情によるのだろう。男が背中を見せて立っていたらそれだけで泣ける、みたいな。(適当な例が思い浮かばない……。)えーと、椿が落ちたら処女喪失、とか?(違うかーガハハハ。)
 ともあれ、「共通認識」ってのは、今よりも昔のほうがあったように思うから、そこを攻めていけば、セリフなしで伝える、ってことはしやすかったんだろうな、とは思う。だから今の映画が説明過剰になっていることを、単純に堕落とのみ捉えるべきでないとは思う。今は「みんながわかる表現」に乏しいから、セリフで表現しないといけない、のかもしれない。

 とはいえ、とはいえ。
 セリフにも、共通認識にも頼らない、あるていど普遍的な「わかり方」ってのはきっとあって、そういう作品が僕は好きだ。そういうものが「売れない」というのは確かだと思うけど。

 というわけで『この世界の片隅に』の話になる。
 現在絶賛上映中の映画で、こうの史代先生の漫画が原作。
 あの映画は、「わかる」ということを徹底的にさせることで、成功した。
 その代わりに、原作にあった「わからない」「わかりにくい」部分を、ことごとく封印した。
 僕はその「わからない」「わかりにくい」ところこそに魅力を感じていたから、ちょっと残念だった。でも、「売れる映画」にするためには、それしかなかったのかもしれない。

 詳しい話はまた明日。稿を改めます。

2016.11.12(土) 蹴鞠にはサービスがない

 先日、ある人のお話を聞くために、あるバーに行ってきた。
 そのバーは、独立国家であるそうで、構成員として法皇や枢機卿、司教、司祭などがいるらしい。バチカンを模しているのであろうか。
 毎夜バーテンとして「肩書きのある人たち」を呼んで、「○○バー」と題して、イベント的な営業を行っているようだ。(この肩書きとは、たとえば「○○教信者」とか「○○障害」といったものも含む。)
 住宅街の真ん中にある、こぢんまりとした、元々はスナックか何かであったらしい店。雑然と、さまざまなモノが置かれている。とても良い雰囲気だと思った。キャッシュオンデリバリー方式(マクドナルドやドトールのように、注文と同時にお金を払うシステム)で、チャージが五〇〇円、ドリンクは一律五〇〇円。「計算が面倒くさいから」だそうだ。そういうところも好感が持てる。
 健全かどうかといえば、健全ではない。(これは褒め言葉にもなるだろう。)
 その最高責任者と話をした。彼は、「店や自分にまつわる面白い話」や、「これまでにどのようなイベントをやったか、誰が来店したかという話」、「ある有名な人とどれだけ仲が良いかという話」などを披露してくれた。隣には「バーテン長」のような人がいて、いろいろと調子を合わせ、語ってくれた。基本的には、「この店はどれほど特異であり、巨大であるか」という話に終始していた、と僕は感じた。
 それはサービス精神でもあろうが、サービスというのは、そもそも一方的なものである。
 そういう意味なら、サービスのよいバーは苦手だ。

 サーブ(サービス)が飛んできたら、それを受けて、返して、ラリーになる。ところが、テニスでも卓球でも、バレーでもバドミントンでもなんでも、スポーツというのは原則として、「ラリーを続けて楽しむこと」を目的としない。彼らの執心は「自分の側に点数が入るような形で、ラリーを終わらせる」ことにある。
 僕は蹴鞠が好きである。蹴鞠とは蹴り上げられて落ちてきたボールを別の人がまた蹴り上げ、決して地面に落とさないように上空に蹴り上げ続ける遊び、だと理解している。バレーボールを使って手でこれを行うことも多い。こちらは原則として「続ける」ことが目的で、終わりを目的としない。「和をもって貴しとなす」日本人にはぴったりの遊びだ。
 この蹴鞠には「サーブ」がない。少なくとも、ふつうそうは呼ばないと思う。
 もともとは「相手が受けやすいように投げ入れる」からサービス(=奉仕)と呼ぶのだそうだが、それでも、蹴鞠のような仕組みだと、「奉仕」というにはなんか変だ。みんなで協力してやるものだから。

 僕は気持ちの良いサービスを受けるよりも、永遠に続くラリーが好きである。蹴鞠を愛している。
 自前のサービスに自信があれば、それを勧めたくなるのもわかる。しかし、押しつけがましいのは御免だ。

 一人で立っているバーに客が一人入ったら、そこは「二人の空間」になって、二人で蹴鞠をする。もう一人客が入れば、「三人の空間」になって、三人で蹴鞠をする。と、いうのはもちろん、僕の美学である。誰もがそれを良しとするわけではない。僕のようなサーブ嫌いはそうはいないであろうから、思いっきり少数派かもしれない。でも、そういう人だって居んだよ、ってことで、僕はそれを長い間主張し続けているのだ。

 なんだか、彼らの話を聞いていたら、どかどかサーブを投げ込まれて、こっちがどう返しても、「自分の側に点数が入るような形で、ラリーを終わらせる」ことを意図したような反応が、たいてい戻ってきていたような気がするのである。
 そういうコミュニケーションは平和ではない。


 これはもちろん、数日前の「自分の自信の中に相手を取り込んではいけない」と、まったく同じ話だ。
「謙虚さとは、孤独であることに耐え、それを当たり前と考えること」とその時書いた。
 自信がない人は、他人に承認を求める。
「すごいでしょ、ねっ?」と言いたがる。
 それは「孤独ではいたくない」という叫びなのだと僕は思う。
 承認欲求は孤独からの逃避であり、容易に傲慢と手を結ぶ。
 他人を巻き込むもんじゃない。


 今わたしたちに大切なものは 恋や夢を語り合うことじゃなく
 ひとりぼっちになるための スタートライン


 って、海援隊も歌ってましたよ。(3年B組金八先生第四シリーズ主題歌『スタートライン』)

2016.11.11(金) 今の流行語は「大人」

「大人」という単語が、不思議な使われ方をしている。
 お気付きだろうか?
 芸能関連でよく聞く。
「それは大人が決めたことだから」とか、「大人が悪いんだよ」とか。

 あるアイドルグループのメンバーがテレビに出て、ちょっと過激な発言をして、芸人にこう突っ込まれたとする。「あなたアイドルなのに、そんな発言して大丈夫なの?」そうすると、アイドルはこう答える。「ああっ。また大人のひとに怒られちゃう……!」
 ここでいう「大人」とは、アイドルグループを運営するスタッフとか、所属事務所の人とか、ひょっとしたらテレビ局の人とか、をさすのであろう。
 ただ、そのアイドルは平気で二十歳を過ぎていたりするのである。
 不思議だ。
 最近だと、四十代のある芸人の方が、同じようなニュアンスで「大人」という言葉を使っていた。(確かナイナイの岡村さんがラジオで言っていたのだと思う。少し若い世代ではオードリーの若林さんなんかも『しくじり先生』で言ってたかな。)
 自分は「子ども」だとでも言うのだろうか?
 たぶんそういうわけでもなくて、ここでは「支配する側」のことを「大人」と呼んでおり、そうではない自分たちと、明確に区別しているのだ。
 支配者とも、権力者とも言えないから、「大人」。
 自分たちとは関係のないところで、小さなことから大きなことまで、あらゆることを決定している人たち。

 レコード大賞を誰が取るのか、ということを考えているのも、「大人」である。
 レコ大の「審査員」を指して言うのではない。そればかりか、彼らが含まれるかどうかも、よくわからない。「芸能界でお金を握っていて、いろいろな決定権を持つ人たち」がレコード大賞の結果を左右していることはもう明らかなので、そういう人たちを「大人」と僕はいま呼んだ。
 広義では、そういう人たちの手先というか、そういう人たちの影響力の及ぶ、あらゆる体制側(!)の人たちが、たぶん「大人」と呼ばれていて、今や当たり前のようにつかわれている。
 芸能界においてタレントは原則として「駒」にすぎず、それを操っているのは「大人」だというわけで、もはやそのことを誰も隠さなくなっている。その象徴が、今や芸能人たちが当たり前のように使う「大人」という語、なんではないかな。

 芸能界以外でも、「大人」という言葉は使われている。
 あるドキュメンタリー映画で、自民党の集まりか何かにカメラを持って入って行ったら、止められて、こんなことを言われたのだそうだ。「あんたあれでしょ、表現の自由とか言いたいのかもしれないけど、今は大人の話だから」と、ピシャリ。
 憲法よりも優先される、「大人」の話。
「大人」という語が、「支配する側」という意味で使われた(と解釈可能な)例の一つだ。

 大人というのは、どうもそういうものになってしまった。
 裏を返せば、「大人にならない」という選択肢が、それだけ一般的になってきたということなのではないだろうか。
 芸能人なんかは、本当にわかりやすく、「大人ではない」と自認していそうな存在だ。毎日決まった時間に出勤するわけでなく、定時があるわけでもない。そして、業界や自分というタレントを支配する存在(事務所やテレビ局など)のさじ加減一つで、干されたり、急に売れたりする。
 自分の力では、どうにもならない。誰かの意図のままに、駒として動き続ける。その無力感のようなものを、一語に落とし込んだのが、「大人」ではないかと思う。

 この気分が社会全体に広がっていくのが、「格差社会」というもんなのかも。
 非正規雇用者から見た正規雇用者は、「大人」に見えるかもしれない。
 そう、非正規雇用は「大人ではない」。おそらく、気分として。
 正社員であっても、会社の都合でリストラや異動、給料などが勝手に決まるなら、決める側を「大人」と呼んで区別したくもなるだろう。そういう会社においては、従業員はみな「大人ではない」といえるかもしれない。
 ひょっとしたら企業でも、偉い人たち同士の会議や談合とかで決まることを、「大人の決定」とか言うようになるかもしれない。(もうすでに言っているかも?)
 支配者のことを、被支配者側からみて「大人」と言うなら、ありそうな話だ。

 大人というのがたとえば、経済的に自立している存在を言うのであれば、事務所に左右される芸能人も、不安定な非正規労働者も、たしかに「大人」ではない、のかもしれない。
 そういう人たちが増えてきたとすれば、「大人」という語が「大人ではない」人たちと区別するために使われるようになるのも、頷ける。

 かつて(明治以降を主に想定)、日本の支配構造は基本的に「家族の相似」だったと思う。支配者というのはみんな父親に相当する存在だ。天皇だとか、給料をくれる雇用主。仕えていれば、生涯が担保された。そんな状況において、「大人――大人じゃない」を考える必要は生じない。「父親にあたる存在」が大人で、それ以外は大人じゃないのだから、その公式に当てはめれば考えるまでもない。ところが、「誰が大人で、誰が大人じゃないか」の判断が複雑になってしまうと、いちいち「大人」という語を使ってその都度再定義していかなくてはならなくなる。
 いま「大人」と呼ばれている人たちは、ぜんぜん父親ではない。そのトップにいる人が父親に相当するか、というと、そもそも誰がトップなのかもよくわからない。家族が壊れつつある現代には、その相似形もほとんど機能していないのである。ぜんぜん別の支配者が、どうやらどこかにはいて、でもそれが誰なのかはよくわからないから、「大人」と言うしかない。(『うさぎ!』の「灰色」と、少し似ている。)
 どうも、上層部に雲がかかり、見えなくなってきた感じ。
 昔から「上層部」なるものはあったのかもしれないが、庶民にはそれがわからなかった。今は、存在自体は認知されている。また、上層部が複雑になってきたのは、確かだと思う。昔なら望遠鏡を使えばどうにか見えたものが、今や見えたところで、複雑すぎてわけがわからない。そこへまばらに雲がかかる。もうだめだ。理解不能。ガガー、ピーピー。
 だからもう、そのぎりぎり認知できている存在に、名前をつけてみることくらいしかできない。「大人」という言葉が、それなのかもしれない。

「大人」という語を使って自分たちと「上層部」を区別するのは、もちろん下層の人間である。芸能界でいえばタレントが下層にいて、だから彼らは無力ながらも「大人」のことを考え、その語を操っていく。タレントだけでなく、下層にあればスタッフでも一緒だろう。
 アウトロー界にあっても、「大人」は存在しそうだ。特殊詐欺でいえば、受け子や出し子、かけ子等は下層である。自分たちは駒でしかなく、リスクのほとんどを背負い、利益の大半は上層部に持って行かれる。そのくせトップの顔は見えない。
 だから「大人」とか、そういう言葉を使うしかないのだと思う。(犯罪集団の上層部に「大人」はさすがにそぐわないかな?)

 この「大人」という言葉の台頭を、どう見よう。
 絶望とも、希望とも見える。
 ジャニーズ事務所やレコ大の話を見ていると、少なくとも芸能界では、それは「暴かれる」ほうへ進んでいるような気はする。

 なんか人生訓みたいなんばっかになってしまっている……。としをとったのだな……。ううむ。まあしばらくは仕方ないか。

2016.11.10(木) 自分のために何かをすると年をとるの!

 自分のために何かをすると年をとるの!
 他人のために使える時間が若さなの!








 自分のために時間を使うと年をとる。
 他人のために時間を使えば年はとらない。

 逆のような気もする。一般的には逆のイメージなんじゃなかろうか?
 でも、「自己中心的なやつは老けやすい」と言い換えたら、そんなような気もしてくる。

 赤ちゃんは、たぶん自分のために時間を使う。
(「使う」という表現がふさわしいかは知らない。)
 子どもはだいたいそうである。だから、すぐに年をとる。

 じゃあ、妻子のために働くおじさんは、年をとらないのか?
 たぶんこの場合、「自分=妻子」あるいは「自分+妻子=自分たち」というふうになっているから、結局は「自分のために働く」ということになって、やはり年をとる。
 あるいは、「ために」ということの内容が、結局は「金」に変換できることでしかなくなって、有名無実化し、「ために」の効力が失われていくとか。
 何にせよ、こじつけられそうだ。

 でも、だったら、「他人のために時間を使う」ってのは、どういうことなんだ?
 いろいろ想像はできる。
 ともかく、抽象的にだけいえば、たぶん「独り善がりにならないでいる」ということだろう、と思う。「できるだけみんなのことを考える」だと思う。


 できるだけみんなのことを考える独り善がりにならないでいる


 なんと立派な57577!!
 なんてことはおいといて。そうだとおもう。

 学校で働いていると、「本当に自分本位だな!」と思うことがたくさんある。もちろん、生徒に対して。といって、たいして苛つくでもなく、「まあ子どもはそういうもんなんだよな」とか思って、淡々と対処している。(ストレスはたまるけどね。)
 そういう子は、たぶん、すくすくと育っている渦中である。
 若いうちはそれでいいが、来たる先に待っているのは老いであるので、老いるのが嫌であればどこかで方向転換しなければならない。しかし「老いるのは嫌だ」などというこれまた自分本位な考えを全開にしていると、やはり「自分のために時間を使う」という状態になり、意志に反してどんどん老けていく、であろう。何も考えず、ただひたすらに「いいやつ」であることが肝要なのだ。たぶん。

「自分のこと」だけを考え続けると、思考のパターンが一定化してくる。単純になってくる。頑固おやじはある決まった回路でしかものを考えない。顔も頭も石のようになっていく。柔軟性はない。そうするとやはり、老ける。
「できるだけみんなのことを考える」をすると、ものすごく複雑な思考のパターンが必要で、頭は活性化され続けるし、相手や状況によって表情や立ち居振る舞いも変えていかなきゃならないから、柔軟性を保つことができる。

 いわゆる「難しい」ことばかりを考え続けても、たぶんよくない。論理的な思考能力は錆びつかなくても、「論理」というたこつぼの外側にあるものがだんだん見えなくなっていく。難しいことを考えるよりも、たくさんのことを感じたり、柔らかくいろんなことを想ったほうが、たぶんよい。
 よいというのは、ここでは「年をとらない」であるが、「年をとったらだめなの?」という素朴な疑問についても、考えておかねばならない。

 単純に、僕がここで「年をとる」と言っているのは、「いやな年齢の重ね方をする」の意である。そういうニュアンスが、当然多分に含まれる。
「いい年齢の重ね方」をしている人は、それが見た目にも反映されて、「若々しい」とかいうふうに言われることが多い。そうでなくても、「感じがいい」とか「気さく」とか「いい人」とか、前向きの言葉でもって語られやすい。
「いやな年齢の重ね方」をすれば、そうはならない。当たり前だ、やなやつなんだもん。
 やなやつ、というのは「他人のことを考えない」である。邪悪という言葉の(僕による)定義と同じである。自分のことしか考えないと、思考は柔軟性を失っていく。柔軟でなくなれば、若さも同様に失われていく。だから、やなやつに若さはない。若さは柔軟性と同期するからだ。

 余談だが、年の若い人間はみな柔軟である。しかし、かなり小さいうちから「柔軟であろうという努力」を相当懸命にし続けないと、絶対に固まってしまう。十歳で固まり始めていたらもう手遅れに近い。その後十年から二十年かけて、頑固への道を少しずつだが着実に歩んでいくだろう。柔軟であるためには、「柔軟であろう」という努力というか、方針が、必要である。粘土だってこね続けなければかたくなるのだ。

 家庭や学校で植え付けられた「常識」を、自分の頭で再検討するには、相当の柔軟性が必要だ。「本当にそうか?」と疑う練習を必死にやっておかなければ、その柔軟性は育たない。練習が不十分だと、「本当にそうか?」のあとが続かない。「本当はこうかもしれない」を、百個でも千個でも考えられることが、柔軟性というものなのだ。そのための練習が、若いうちには必ず必要で、それをやってこなかった人が、どんどん年をとっていく。
「本当はこうかもしれない」をたくさん思いつく人は、気配りが上手である。「こうすれば気分がよくなるだろう」という「ピンポイントで正解を当てる」方式ではなくて、「こうすると気分が悪くなるかもしれない」「こうすると気分がよくなるかもしれない」という無数のヒントをもとに、外側から水攻めをするようにじわじわと正解を導き出していくので、致命的に間違えることがあまりない。
 もちろん、後者の方式は時間がかかる。前者のように「こうすればいい!」という正解をダイレクトに出せてしまったほうが、話が早くて、効率的である。でも、じっくりと丁寧に考えてあげたほうが、いい結果が出やすい。時間をかけたほうが、相手がいい気持ちになる確率が上がる。これが「他人のために時間を使う」だとすると、それは優しさと柔軟性の証明のような行為であって、まあ、いいやつのすることである。僕のいう「年をとらない」とは、そういうこと。





 自分のために何かをすると年をとるの!
 他人のために使える時間が若さなの!





 時間を、自分のものだと思っているような人に、時間は必要ない。
 だから若さは剥奪される。
 他人のために使える時間が若さなのである。

2016.11.09(水) 自分の自信の中に相手を取り込んではいけない。

 自信がある、ということは大いにけっこうであるし、この世にある心の問題の多くは「自信がない」ところに端を発する。自信がないとは自己肯定ができないということだ。自信はないより、あったほうがいい。しかし掟がひとつ。「自分の自信の中に相手を取り込んではいけない」これである。

 自信というのは、あくまでも自分が持つもの。自分を信じる、信用する、信頼する、確信する、そんな気持ち。相手の気持ちはこの際、関係がない。
 だが自信家の中には、対する相手にそれを要求する者がいる。

「おれはすごい」と思うだけならまだ健全だが、周囲にも「すごい」と思ってもらいたがるのは、いけない。あるいは、「すごい」ということを客観的な前提として、話とか、ものごとを進めようとするのも、だめである。自信とは、主観的なものでなければ。
 自信とは孤独なものである。自信の根拠は、自分の胸の中にしか存在しない。自分だけがいくら自信を持っていようと、相手がどう考えるかは別の話なのだ。自分による評価(=主観的な自信)と、他人による評価とを、きちんと分けて考えられることが、「分別がある」ということだし、「謙虚」ということであろう。
 自信を持つとか自己肯定するということは、自分によってのみ行われなければ仕方ないことで、だからそのための「承認欲求」は空虚である。他人から「承認」されたところで、ほんとうの「自信」は育まれない。自信とは本来的に、他人を巻き込まないものだから。もしも「承認」によって「自信」のようなものが生まれたのだとしたら、それは「他人を巻き込む自信」であり、謙虚さに欠けた、尊大なものになる。「おれはすごい。な、そうだろ?」という形で、他人にウンと言わせない限り存在を許されない、虚ろな自信である。
 そんな虚ろな自信でも、藁をつかむようにほしがる人たちがいる。彼らには孤独が耐えられない。自分の中で、自信を熟成させることができない。
 そういう、孤独に弱く、常に「承認」が必要なような人は、いっそ自信など持とうとするのは諦めたらどうか。「自己肯定」などという神話は捨ててしまって、周囲の人たちとひたすら楽しく暮らせばいいじゃないか、と。実際そのような人たちはたぶんたくさんいて、そうでないわずか一部の我利我利亡者どもが、「尊大な自信家」として今日も大声でわめき立てている、のである。マル。

「自信がない」ことが問題となるのは、「自分」を基軸に生きていこうと努めるからである。そうでない生き方がもしもあるなら、自信の有無は問題にならないのではなかろうか。

 自分が基軸にならない生き方。いくらでも想像しうる。

 とはいえ、「自分たち」を基軸に据えるのも、場合によっては考えものである。「自分たち」に対して自信を持ち、その自信に相手を巻き込んでいった場合、また騒動が起こるのである。(勧誘の激しい宗教団体を想像していただきましょう。)
「基軸」をどこに置いてもかまいはしないが、結局のところ、それを他人に押しつけちゃダメだよね、というだけの話なのだろう。
「自分たち」を基軸とするのなら、その自信についての肯定を、外部に求めてはいけない。それが謙虚というものだ。もちろん「自分」を基軸に生きる場合も同じである。「子」を基軸に生きる場合、その自信に他人を巻き込めば即、親バカと言われる。「親」を基軸にすれば「親孝行」だが、その中に他人を取り込むとなると、「てめーの親のことなんて知ったこっちゃねえんだよ!」となる。われはわれ、かれはかれ。それぞれに大切にするものはあっても、押しつけちゃいけない。当たり前のことである。スポーツマンでもオタクでもなんでも一緒だ。

 話を、個人の自信家に戻す。「おれはすごい」という自信があるのはけっこうだが、「おれはすごいよな?」は傲慢である。これも当たり前の話なのだが、そういう謙虚さのない人は無数にいる。職場にもいるし、飲み屋にも、電車の中にもいる。
 自信の中身を「おれはすごい」のみに限定するとわかりにくいので、「おれはできる」や「あたしはかわいい」についても考えてみよう。
「おれはできる」のだから、周囲からもそのように扱われたい、というのはよくわかる話であるが、「おれはできる」という確信は、自身の中にのみある、主観的な感覚でしかないから、それを他人にもわかってもらおうというのは、虫のいい話である。
「あたしはかわいい」も、まったく同様で、主観的な話であるから、他人にそういう感覚を共有してもらうことは、できないと思っていたほうがいい。
 そういうふうに人間は原則として孤独なのである。
 謙虚さとは、孤独であることに耐え、それを当たり前と考えることだと思う。

「おれはこう思うんだけど、まあみんなもだいたいそう思うよね?」
 というのは、自分の心の中にだけしまっておくべきことで、それを前提にものごとを進めていこうとするのは、傲慢だし、「そうでない」という可能性を無視する、一種のギャンブルである。
 そういうやつを「やなやつ」と思う。

2016.11.01(火) nifty

ニフティ株式会社 <nifty-birthday@nifty.com>
11月1日 (4 日前)

To □□□□
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┏☆┓
┣╋┫ お誕生日おめでとうございます。
┗┻┛
 (お客様の@nifty ID:□□□□)


 いつも@niftyをご利用いただき、ありがとうございます。

 日ごろの感謝をこめて、ささやかではございますが
 プレゼントをお届けいたします。

 ★以下のアドレスをクリックしてご覧ください(要ログイン)★
  □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


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▽このメールは、接続サービスをご利用の@nifty会員の皆さまへ
 入会時にご登録いただいたお客様情報を元にお送りしています。

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 ・プレゼントは、【メールに記載されている@nifty ID】で
  ログインした場合にお受け取りいただけます。
  複数のIDをお持ちの方は、該当するIDでログインしてください。

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 メールでのお問い合わせはこちらのページよりお願いいたします。
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発行・編集:ニフティ株式会社 お誕生日メール編集部
東京都新宿区北新宿二丁目21番1号 新宿フロントタワー
(c)NIFTY Corporation



四日も遅れてしまいましたが、毎年お誕生日おめでとうございますをありがとうございます。これからもniftyでサイト続けていきます。優しくしてくださいね……。

2016.10.26(水) お茶の淹れかた

お茶の香りがしてる
その中に立っていた茶柱が
マッチに見える
静岡茶とか鹿児島茶とか伊勢茶だとか言うけれど
そんな言葉に興味はないぜ ただ鉄の急須でお茶淹れて
揺らしてるだけ 自分の湯飲み 揺らしてるだけ
(BLANKEY JET CITEA/お茶の淹れかた)



 現実的なこだわりとしては、大須の万松寺通り商店街にあるお茶屋さんか、掛川か清水あたりかで静岡茶買ってくる、ってのがあるけど、そういうことさえも本当はどうでもいいのだと悟った。
 お茶に貴賤なし。改めてそう思う。

 先日「お茶(緑茶)は上手に淹れられないからあまり飲まない」という言葉を聞いた。そういう人はけっこう多いと思う。
 お茶をそれなりに美味しく淹れるのは実際のところ、全然難しくない。清水に住まう友達のお母さんに「おいしいお茶のいれかた」をたずねたところ、「温度よ温度。たくさんお茶っ葉を淹れて、ちょっと冷ましたお湯を注ぐだけよ」とのお返事があった。毎日何度も何度もお茶を淹れ続けている(静岡人は急須……いや土瓶のお茶を切らすことがないのである)人の言葉はじつに説得力があった。ずいぶん肩の荷が下りたというものである。
 しかしこの「温度」というのがじつにくせ者で、忙しく面倒くさがりの現代人はつい「熱湯のまま注げる」手軽さに惹かれ、紅茶やインスタントコーヒー(特に粉末のやつ)を好む傾向にある。お茶を淹れるために、お湯をさます、あの一手間が手間なのだ。急須で淹れれば急須を洗う必要も生じ、これまた手間である。それら手間を引き受けて淹れた割りには、さほど美味しくもないのだとしたら、やはりお茶からは意識が遠のく。避けてしまう。
 僕からしたらコーヒーというのがそういう存在である。手間がかかるわりに、おいしくできない。自分にはコーヒーをいれる才能がないのかもしれない。しかしいつかおいしいコーヒーが自分でいれられるようになりたいので、冬休みにでも馴染みのある名古屋の喫茶店で修行させてもらおうかと考えている。

 ただ、お茶にせよコーヒーにせよ、おいしく淹れるための唯一最高の方法を最近悟った。愛するということである。
 どのお茶も愛すること。愛し続けること。お茶に貴賤なし、と思うこと。うまいか、まずいかさえ考えず、ただその目の前の一杯のお茶を愛して飲み続けること。
 きれいごとを言っているようであるが、どんなことでも結局はそうなのではあるまいか。
 おいしい・おいしくないなんてのはどうでもいいのである。ただお茶を愛して、飲むのである。おいしければ「おいしい」と思い、おいしくなければ、特に味のことは思わない。そしてまた次の一杯、次の一杯と、淹れ続け、飲み続けるのだ。
 徒然草の「初心の人、二つの矢を持つことなかれ」だとか、『モモ』のベッポじいさんの掃除のやり方なんかが似たものとして思い浮かぶ。ただ目の前のことだけに集中する。それが「一期一会」なるものなのだろう。……適当に考えていたら利休にたどり着いた! ので、たぶんそれなりに妥当なはず。
 味がなんだろうがお茶はお茶。茶葉が古くなって香りが損なわれていようが、それがお茶である限り、お茶として愛する。それがあらゆることに対する心構えとして、一定の正しさを持つものと信じたい。

2016.10.25(火) 場の支配(2) 法の支配のように/未来に対して優しい態度

王様「グヘヘ~。国じゅうの柿をわしのものにするぞ~。柿をとりたて~い。柿じゃ柿じゃ」
側近「なりませぬ、陛下」
王様「ええいなぜじゃ」
側近「ほかの柿が食えなくなります、じゃなくて、そんな超法規的なことをしても、いいことはありません。現行法では、国税はすべて桃で納めることになっています」
王様「では法律を変えい! 桃3、柿7の割合で徴税するのだ!」
側近「ううーん、しかし……」
王様「なんじゃ、法律を変えれば文句なかろう」
側近「それはそうなんですけど、お治めが王様になっている、じゃない、王様がお治めになっているこの地方では、五億年前から、支配者や目上の者には桃を差し出すべし、柿は猿に投げるべし、という慣習があるんですよ。五億年間、民衆はただそれだけは絶対に守り続けています」
王様「しかしわしは絶対君主だ」
側近「確かにそうたい。ばってん、絶対君主でも侵せない法があるのですよ」
王様「それではどうすればいいのだ、柿が、柿が食いたい!」
側近「王様が猿になればいいんじゃないですか」
王様「カッキ的!」


 ざっくり、ざっくり言うと、「法の支配」とは根本的にはこういうことかと、理解しております。絶対君主であっても侵せない法。それは必ずしも明文化された「法律」というものでなく、長い間、ないし多くの人々のうちで、共有されている自明な法。
 それをもじって、「場の支配」。

 場にはけっこう、場を取り仕切る人、というのが存在する。
 場を取り仕切る人は、「場の支配」をわきまえていなければならない。場を取り仕切る人は、その人がどれだけ偉くて、権力があっても、その「場」のあり方を尊重しなければならない。絶対君主のように、「ここの法律は俺だ!」というような態度になってしまっては、そこはもう「場」とはいえない。(そのようなものとして僕は場なるものを想定している。)
 僕がこれまでに経験した、「いやだな」と思う場には、たいてい「専制君主」と「愚民」がいた。
 専制君主は、場を侵す。自分勝手に、場を塗り替えようとする。愚民は安易にそれに乗る。あるいは耐え忍ぼうとする。そうなれば衆愚政治である。

 法とは、みんなでつくるもの。「みんな」とは、今その国に生きている人たちだけでなく、過去生きてきた人たちや、これから生まれてくる人たちも含めての、「みんな」。そう考えることが絶対に健全だと僕は信じる。今だけでなくて、過去と未来に目を向けること。それは大切。
 そして場というものも、法と同じく、「みんな」でつくるものである。過去にそこにいた人や、これから来るかもしれない人も含めた、「みんな」のもの。その場にいる人たちだけで、勝手につくったり、塗り替えたりしていいものではないのだ。価値観の古い人間だから、どうしてもそう考えてしまう。
 そうなっていて初めて、僕の考える「場」というのは成立するのだ。

『場の本』という冊子にも書いたが、僕がしつこく言い続けている「場」というものの原点は、小学生の頃に遊んでいたいくつかの公園である。たまたま通りがかって、「あ、入る?」とか「入れて」が発生すれば、よほど嫌われていない限り、一緒に遊ぶことになる。この柔軟性、流動性こそが、「場」というものの根源的な性質、だと僕は捉えている。
 公園の遊びは、何代も上の人たちから受け継いだものがほとんどで、それに今の世代が味付けをしたり、新しいものを編み出したりして、時代に対応したり、豊かになったりしていく。過去からずっと、繋がっている。(それが明らかに途切れた、と感じたのは、ポケモンが出た時だったが、それも大きな意味では「時代に対応」だったのだろう。わからんでもなかったが、イヤな時代が来たもんだと、当時は思ったものだった。「あまりにも伝統とかけ離れすぎている!」と。まあこれについては異論もたくさんあるだろう、たんなる個人的な感想として受け取ってほしい。)
 そして未来にも、繋がっていく。
 たとえばサッカーをして遊んでいる時に、新しいメンバーがやってきた。そのメンバーは、何らかの事情があってサッカーができない。そこで「いまサッカーやってるんだからダメだよ」と言うこともできるが、それは「未来に対して優しくない態度」である。現在だけを大切にした考え方。場における、未来に対して優しい態度というのは、「新しい人が来ても受け入れる態勢でいること」だと思う。「この子はサッカーができないから、別の遊びにしよう」とか、「サッカーのルールをちょっと変えて、この子にも参加できるようなものにしてしまおう」とかいった柔軟性、流動性が、「未来に対して優しい態度」だろう、と。

 むりやりこじつけてしまえば、最初の王様と側近の会話。あれだって、柿を食べたくても食べられないとしたら王様は可哀想だ。なんとか、王様が猿の格好をして領内を練り歩き、柿を投げられ、拾っては泣きながら食べる、みたいなことが実現したら善い。なんと柔軟性のあるすてきな国だろうか。それが、過去を尊重し、未来にも優しいということだと思うし、場とか国とか組織とかいうものは、すべてそのような柔らかさを持っていてほしい、と、切に願う。

2016.10.24(月) 非常勤講師の給料/環境を愛することから

 今朝は六時に出勤した。今が旬の時間外労働である。
 非常勤講師というものは通常、担当するコマ数に応じて給料が定まっているもので、残業という概念がそもそもない。まあだいたい、一コマ一万円前後と考えていいと思う。「高給取り!」と言いたくなるかもしれないが、さにあらず。ここでの「一コマ一万円」とは、「週に一コマを一ヶ月間担当した場合、月に一万円が支払われる」のideal……意である。なんの話かカン(環)の話か。要するに、一回の授業に支払われるのは二〇〇〇~二五〇〇円程度というのが、本当のところなのだ。
 ということは、一コマにつき二時間も時間外労働をすれば、いともたやすく時給は千円を切ってしまう。今日は六時に出勤し、二コマの授業をこなし、退勤は夕方の六時くらい。そうなると、100分の授業に対し10時間の時間外労働が発生していたことになる。
 あまり普段は(特にお金に関しては)「割り算」的な考え方をしないように努めている(学費を授業数で割るなど愚の骨頂で、視野狭窄を招くだけだと思う)のだが、今日はちょっと思うところがあって、書いてみる。

 考えたくもない話だが、今日に限れば僕の時給は三〇〇円くらいなのである。もらえるお金を総勤務時間で割れば、2000×1.66÷12=276.7/2500×1.66÷12=345、となるのだ。
 僕の時間外勤務の月計がどのくらいかはわからないが、ずいぶんなのは確かだ。「割り算」をして時給を出せばいわゆる「コンビニでバイトしたほうがマシ」という額になるだろう。
 しかしこういう側面もある。非常勤講師というのは、春・夏・冬の長期休暇にも、(基本的には)出勤を強要されず、給与が支払われるのである。つまり、何もしなくてもお金が入る。すごい!
 それでこれまで、「くっそー時間外労働に手当てが支給されればよいのに!」と思うたび、「いやいや夏休みにも給料もらってるんだから……」と納得しようとしてきたのだが、よく考えたら全然そうでもない気がしてきたので、これは明らかにしておきたいと思った次第である。

 担当授業数が10コマ(このくらいしかもらえない人はけっこういる)であれば10万円、20コマ(相当多い例)であれば20万円、一般的な非常勤講師の月収はいいとこそんなもんだと思ってよい。そこから所得税やらなんとか費やらが引かれる。(もちろんなんとか年金とかなんとか保険とかは引かれず、別途払う。)ああ、なんというワープア! 他に収入源がない場合、かくじつに生活していけない。おそろしい話である。その辺の事情(ほかにいくらの収入があり、この職場ではどのくらいの収入を望むのか)を学校から尋ねられることはないのだが、そういう聞き取りとその可能な限りの反映をこそ、義務化すべきではないのかなあ。授業評価やストレスチェック(これらを行う時間にも手当てがあるべきだとさえ思う)とかよりずっと大事なことだと思うんだが、まあそのような流れにはしばらくはならんであろう。
 さて、日祝日を除く長期休みを長く見積もって三ヶ月とする。僕の場合は出勤する日もかなり多いのだが、フルで休めば春15+夏40+冬15として二ヶ月半弱。これをまあ、敵に塩を送るつもりで三ヶ月としましょう。そうなると10コマしか持たされていない人は4週間ちょい×3ヶ月で、まあオマケして130コマとします。1コマ50分として、108.3時間。まあ110時間としましょうか!
 するってえとですね、それを残り九ヶ月で割りますと(また割り算だ、割り算は邪悪)、12.2時間。月に12.2時間の時間外労働をすれば、長期休みぶんの休日は「チャラ」になるってことです。出勤が週四日なら月に17日として、割ると(割るはワルで悪!)約0.72と出る。43.2分。週三日なら13日出勤として、割ると0.94。56.3分。
 仮に20コマ担当している講師を想定しても、3ヶ月で約250コマ程度、208.3時間、仮に210時間として九ヶ月で割ると、23.3時間。月に23時間20分程度の時間外労働をすると「チャラ」になる。22日の出勤日で割ると1時間と数分。

 結論。非常勤講師の長期休み=「事実上の有給休暇」は、残りの九ヶ月間で毎日40~60分程度の時間外労働をすれば、「チャラ」になる程度のものである。途中途中の「多めの見積もり」をすべて省いて精密に計算すれば、30分くらいになる場合もありそうだ。

 学校では8時15分に朝礼が行われる。授業が始まるのは8時40分。まじめに朝礼に出れば、この時点で25分の超過勤務である。これに加えて10分休みが何回かあれば1時間などすぐにオーバーしてしまう。
 言うまでもないことだが、小テストの採点、提出物のチェック、テストの作成・採点、生徒の相手(志望理由書や小論文の指導をボランティーアで行っているため、時期によっては毎日3~4時間くらいを費やしている)、各種打ち合わせ、授業準備、公開授業のための指導案作成などなど、講師といえども授業以外の仕事はじつにたくさんある。これら以外にも当然、何かしらやるべきことは発生して、それらに手当がつくことは一切ない。すべて「コミコミ」であの値段、である。

 僕は、自らの薄給を嘆いたり、学校への文句が言いたいだけでこれを書いているのではない(まあ多少はある)。ただ、このような待遇では、「学校のために働く」なんていう意識は発生しようがない。このことを雇用側はしっかりと頭に入れておくべきだと思うのだ。だから僕は基本的には、自分と、生徒のためにだけ働く。何をしても金銭的に決して報われることのない非常勤講師の給与体系では、そういうふうに考えられてしまっても仕方ないだろう。(予算がないのはわかりますが、結局組織は人が動かすのだ、ということは忘れるべきでないと思うのです。)

 最近、勤務校の口コミサイトを見た。ひどい評価だった。しかし、概ねは僕の目から見ても真実だった。生徒たちはよく見ている。大人の欺瞞は、すぐにバレる。
 学校の評判をよくするには、説明会で立派なことを言ったり、外面をよく見せたり、新しいことに取り組んだりするだけではだめで、根本的には「生徒たちが自分の学校を好きになること」からすべて始まる。そう僕は信じる。僕の大好きな『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』というアニメでも、大きなテーマになっていた。学校を好きであること、好きでいること。自分の今いる環境を、ちゃんと愛せること。それは自己肯定にも繋がっていく。とても大事なことだ。
 そしてまた、「教員たちが自分の学校を好きになること」も同様に、同じくらい大切であろうと、僕は思う。だから、たとえば講師室の椅子をもうちょっと、いいのに変えてください。お尻も腰もすぐ痛くなって、仕事をするのがつらいです。こういうのがけっこう、勤労意欲の根幹に深く関わっていると思うんだよなあ……。
 あと、共用パソコンのキーボードがダメになったからって、講師がお金を出し合って買うってのは、いったいどういうことなんだろうか? そこは経費なのでは……? そういうことが当たり前に行われてしまうっていうことが、「飼われてる」ってことを無意識に肯定しているような気がするんですけど……。まあ、われわれ非常勤講師は組合にも入れませんから、文句を言うすべもなし、ってことなのかもね……。

2016.10.23(日) 親指シフトに隠された音ノ木坂学院のひみつ

親指シフト練習中。

 ……ローマ字入力に戻した。上の九文字を打つだけで五分くらいかかった。初めてキーボードを触ったときのことを思いだして新鮮な気持ちになったが、実用への遠さを実感させられた。
 親指シフト入力というのは、ひらがなを各キーに二つずつ割り当てて、シフトキーを押す・押さないで打ち分けるキーボード入力方式のことである。上達すればめちゃくちゃ早そうなのは確かだが、ローマ字入力に慣れきった身としてはかなり難しいし、専用のキーボードがないとどうやら辛い。(今はふつうのキーボード+専用ソフトウェアで試用してみたのだ)。
 ところで、面白いことに気がついた。親指シフトでは「J」の位置に上から「お・と」、「K」の位置に「の・き」が割り当てられている。ご存じのようにJとKとは隣り合わせなので、親指シフトキーボードには「おとのき」という文字が並ぶことになる。おとのき……?
 いま「おとのき」といえば当然『ラブライブ!』の舞台となっている女子校「音ノ木坂学院」だ。女子高生を表す「JK」に割り当てられたひらがなが「おとのき」というのは、偶然なんだろうか。『ラブライブ!』のスタッフの中に親指シフターがいて、キーボードを眺めながら思いついた名前だとか、そういう事情でもあるのだろうか。
 試しに「音ノ木坂学院 ”親指シフト”」等でググってみたが、見つからない。たぶん偶然なのだろうが、さすが大ヒット作品というのは奇蹟のようなものを呼び寄せる、というところか。くだらないことだけど、面白いもんだ。
 このことをうまくまとめてTwitterにでも上げれば、多少はバズッたりするのだろうか。そうでもないかな。時期もちょっと外した気がする。けど、誰も思いついてなさそうなのが嬉しいので、ここに記しておくとしよう。いつか誰かが「”親指シフト” ラブライブ!」とかで検索して、ここにたどり着いてくれますように。

 2016/10/18
 間があいてしまっているので更新。
 とてもいそがしいです!
 でも尊敬する人とお酒が飲めたり、新しい友達と仲良くなったり、仲良しの友達が頑張ってる姿を見たり「がんばったねー!」ってお酒を飲んだりできていて、充実しております。
 そのあたりのことをじゅんじ、なんらかのかたちで書いていきたいとおもっています。
2016.10.14(金) 『しくじり先生』のみそぎ(謙虚さ)

 いま好きなテレビ番組は『しくじり先生』と『ザ・ノンフィクション』。どちらも「人生」のむげん性(無限でも夢幻でもよい)を痛感させられるもので、とても参考になる。「生きてるって重大なことだなあ」という当たり前のことを考えさせられる。「生きてる 生きている その現だけがそこにある 生きることはサンサーラ」とは『ザ・ノ』のテーマ曲の歌詞だが、まさにこれ。生きている、ということはただひたすらに重大なことだ。重要とか必要とか大切とかいった価値判断は抜きにして、ともかく重く、大きい。それだけは言える。

 サンサーラとは「輪廻」と訳されるようだが、サンスクリット語の原義は「流れる」なのだそうだ。日本的な仏教理解とは違った意味になりそうだが、面白そうなのでちょっくら勉強してからこの言葉については語ることにしよう。(いつになるやら。)

『しくじり先生』は、かつて「しくじった」芸能人が教壇に立ち、授業の形式で自分の「しくじり」を告白する番組である。芸能人の「しくじり」の中には当然、しゃれにならないものもあり、被害者だとか迷惑をかけた人たちへの「謝罪」も番組内でよく行われる。日本人は本当に謝罪が好きだなあ、と思いつつ、まあ謝罪くらいで「みそぎ」が済むのなら安いものだ。
 僕は昔から、「人間は更生などしない」と考えている。「更生する人間もいる」なんてことはわかっているのだが、「更生しない」と考えるほうが謙虚だと思うのだ。「自分は更生した」と思っている人間がいるとしたら、そいつは「やなやつ」なんじゃないか? と疑ってしまう。反省がないのでは? と。悪いことをした人間は、永遠に自分でその十字架を背負い続けるべきだ。そうであってこそ、他人からは赦されうるのではなかろうか。
『しくじり先生』をみていると、その分かれ目をなんとなく感じる。先生たちはみんな、かつての過ちを猛省し、しくじっていた時期とは違う、生まれ変わったような清新な生き方をしている、あるいは、しようとしている。しかし中には、「自分は変わった」「更生した」と自分で思ってしまっていることが透けて見える先生もいる。それはどうも謙虚ではない。また別の「しくじり」を重ねてしまわないか、心配になる。
 人間は変わらない。本来の姿に向かっていくだけだ。そう考えるような謙虚さがあってこそ、周囲から「変わった」と見なされうる、という逆説(国語の先生らしく、つかってみた)を、僕は信じている。「本来の姿」は誰しも捨てたものではないという、一種の性善説だ。(松永太みたいなのは、別かもしれないが。)

 大和美達という「二件の殺人による無期懲役刑で服役中の文筆家」(そういう人がいるのです……久々に調べたらブログやってた)が、凶悪犯がいかに反省しないか、ということを獄中から告発した手記をいくつも出版している。僕はこの事実(たぶん)に注目したい。性犯罪者に再犯がめちゃくちゃ多い、というのもよく言われるし、昔からやなやつだったやつが今でもやなやつだったりとかってのも実際にある。彼らにとってはそれが「本来の姿」なのだろうか? そうかもしれないし、まだ途上なのかもしれないし、二度とそっちのルートには戻れないような呪いにかかってしまっているのかもしれない。謙虚さがあれば、きっと近づけると信じたい。
『しくじり先生』を見ていて、謙虚さがある先生だと嬉しい。もはや伝説となった辺見マリさんの回(拝み屋に洗脳されて五億円だまし取られた話)も、辺見マリさんの謙虚さがあってこその「神回」なのだ。僕はギター侍こと波田陽区の回がとても好きだが、番組の打ち合わせで初めて「謙虚さ」(という表現に、ここではしておく)を知り、本番中にも少しずつそれを獲得していく様が、実に美しかったのである。
 謙虚さといえば、先日自殺により亡くなった方のHPに、「謙虚さというのは、自分が恵まれたことに気が付いて、その事に感謝出来るかどうかなんですよ。」(参考URL)とあった。いくらしくじろうがなんだろうが、『しくじり先生』に出られて、そこで「みそぎ」をさせてもらえる、というのは、ものすごく「恵まれたこと」なのだから、そういう気持ちが感じられないと僕は、「今回はちょっと嫌な感じだな」と思ってしまう。
 そう、僕は『しくじり先生』で行われていることは基本的に「みそぎ」だと思う。それまでの芸能活動をその時点でいったん清算するような。「反省しております、これからもよろしくお願いいたします」というのが基本構造で、だから「謝罪」は重要な儀式になる。だけど、それが形式のみに堕してしまうこともあって、そこを分けるのは「感謝」とか「謙虚さ」の有無だよなあ。

『しくじり先生』が教えてくれるのは、「しくじらないための方法」だけでなく、「しくじったあとに、どのように禊ぎを行えばよいか」ということでもある。教壇に立つ先生たちの態度をよく見ていると、優れた禊ぎと、そうでもないものがあることに気づく。神聖に、敬虔に、している人はじつに素晴らしい。

2016.10.13(木) 場の支配(1) バーテンの見えざる「手」

 ある飲み屋に行ってきた。支配的な空気が流れていた。僕は飲み屋における支配的な空気があまり好きではない。ここではゴールデン街のバーのような、不特定の人間が肩を並べて座り、たまたま居合わせたメンバーで世間話などを行うような空間を想定しているのだが、そこにおいて「支配的」というのは、「ある特定の人間や話題がその場の中心になってしまう」という事態だ。同じ人(たち)だけがずっと喋っていて、ほかの人たちがじっとそれを聞いている状態だとか、ずっと同じ話題だけが続いて、ほかの話にうつることのない様子だとか。
 とはいえ、長く飲んでいればそういう瞬間が心地よいときもあるし、「今日はそういう日か」という納得の仕方もある。「支配的」であることがそのまま「いやだ」となるわけではない。「ああ支配的だなあ、でもまあいいか」と思うことがほとんどだ。たまたま集まったメンバーで、いつでもよいセッションができるわけがない。
 でもさすがに、それが一時間くらい続くと、「そろそろもういいよ」となる。声が大きくて、話がそれなりに面白い人たちが喋り続ければ、ほかの人はそれを聞かざるを得ない。聞いてる風にしておかないと、なんだか無視しているような感じにもなるし、声が大きくてそれなりに面白いから、なんとなく聞いてしまうのである。それで時間がびゅうっと過ぎていく。
 せっかく人を求めて飲みに来てるのに、たまたまひねったラジオを聴き流しているような時間が長ければ、「楽しい」とはならない。僕はそうだ。延々聞き手でいることが好きだという人もいるかもしれないが、僕の経験上、バーに来るような人たちの中に、本当に心からそう思っているような人は極めて少ない。彼らは「場」を楽しみに来ていることがほとんどだ。「面白い話が聞きたい」というのであれば、読書なりテレビなり別の手段を使うだろう。「自分も機会があれば喋りたい」とか「いろんな人のいろんな話が聞きたい」と思っている場合がたぶん圧倒的で、だから「支配的」であることはやはり、さして歓迎はされないと思う。
 だがそういう状況は必ず訪れる。その時に活躍するのが、バーテンである。

 これは僕の考え方になってしまうが、「たまたま居合わせた複数の他人同士がお話をする」という状況が起こりやすいバーにおいては、バーテンの仕事の一つとして「ならす」というのがある。山をならして平たくする、という場合の「ならす」。極端にいえば、明石家さんまさんみたいなことをするわけである。
 もちろん、さんまさんみたいにうるさくやる必要はないし、何でも笑いに繋げていくべきでもない。さんまさんのように出演者に「役割」を当てて、それを忠実に遂行させるように促すようなことは、むしろしてはいけない類のことだろう。でもさんまさんからバーテンが学ぶべきところはあるだろう、と思う。例えばその一つが「ならす」。
 さんまさんは、ある意味の平等主義者である。盤上の駒(言い方は悪いが)がすべて活躍できるように采配する名監督。さんま御殿なんかはその極致だ。オンエア上では発言のごく少ない出演者もいるにはいるが、それでも全く喋らせない、ということは当然だがない。デビューしたばかりの深田恭子が何かの番組にゲスト出演した際、ちっともかんばしい反応を返してくれない彼女に対してさんまさんが言ったのが「あんた、打っても響かんな」というコメント。何度も連発し、大きな笑いをもぎ取っていた。どんな相手に対してでも、必ず見せ場を与えられる。めぼしい発言のほぼない相手に対してでさえ。さんまさんの凄みである。
 あのようなことをさりげなくやれるのがよいバーテン(の一つのあり方)であろう、と僕は考える。
 ここで大事なのは「さりげなく」だし、喋る必要を感じていない人に無理に喋らせるのもあまりよくない。もしもさんまさんの劣化版みたいなバーテンがいたら、僕は絶対にその店には行かないだろう。さんまさんのやり方はバラエティーショーのやり方であって、バーには別の作法がある。
「神の見えざる手」という言葉があるが、あれのようなものだ。「さんまさんのあからさまな手」ではなくて。すぐれたバーテンは本当にさりげない。


声のうるさい客「○○がよお、××でよお、△△なんだよお」
バーテン「○○って、□□ですよね。」
声のうるさい客「□□? なんだそれ」
□□に詳しい客「□□というのはですね、△△を◎◎したもので、……」
◎◎に興味がある客「えーっ。◎◎ってそんなことにも使えるんですか?」
□□に詳しい客「□□と一口に言っても、ペラペ~ラ、ペラ~」
◎◎に興味がある客「知らなかったです!」
いろいろと無知な客「そういえば、●●の事件、やばくないですか?」
声のうるさい客「あー! ●●!」
バーテン「(無知な客に)事件って?」
声のうるさい客「●●ってのはあ、アレコ~レ、コレコ~レ」
バーテン「へー、そうなんですね。みなさん知ってましたか?」
□□に詳しい客「□□で読みました」
◎◎に興味がある客「□□って、そんなことも載ってるんですね」
□□に詳しい客「それによると●●も◎◎やってたらしいです」
◎◎に興味がある客「えーっ! 意外! 帰りファミマで□□買います」
いろいろと無知な客「結局、●●って◇◇なんですか?」
□□に詳しい客「さすがにそれはないと思いますよ」
◎◎に興味がある客「私の先輩が言ってたんですけど、ウーンヌン、カーンヌン」
全員「え、ええーーーーーー!!」


 うーんと、まあ、こういう感じか。さりげなさ、伝わったかしら。こういうのが「見えざる手」。今はわかりやすく、言葉を例に出したけど、所作とか目線とか、ちょっとした小さな行動で、同じようなことをやってしまうこともある。
 上の例で、もしバーテンが「□□ですよね」という形で口を挟まなければ、□□という単語は場の上に存在せず、□□に詳しい客も出る幕がなかったかもしれない。声のうるさい客がそのままわめき続けていたかもしれない。状況をさりげなく操作して、場を活性化させるのも、この手のバーではバーテンの仕事。バーテンは、場を掻き回す見えないマドラーを常にその手に持っているのである!(ドヤ!)


 ちなみに僕の場合。ゴールデン街のバー、おざ研、ランタンと、「手」の使い方はずいぶん変わってきている。特に今やっている「ランタンzone」は、場の自由度が極めて高く、形式上「バーテン」が存在しないため、本当にもう、これまでとはだいぶ違った感じ、だと自分では思っている。バーにいた頃はけっこう意識していたけど、今は本物の「見えざる手」に頼ってしまうことが増えている。こないだなんかすべてを放棄して将棋にふけってしまった。といって別のタイミングでは、まさにさりげなく、「何か」をしてみたりもする。そういうブレかたも、「ランタン」ならでは。とにかく、「こういう時はこうする」という法則なんてのはつくらずに、柔軟性は失わずにいたい。たまに実験的な手を指してみるのも重要だ。その時は負けても、長い目で見れば強くなれる。なんてことは羽生さんが言っていたな。

 ぜんぜん関係のないようだけど、ほんの少しだけでも将棋をやっていたからこそ、こういう考え方になっているのだと思う。あるいは演劇。ダンスをやった人は、ダンスで喩えるのだろうな。


 タイトルにある「場の支配」について書くのを忘れてしまった。「法の支配」という言葉をもじったのだが、これについてはまた長くなりそうなので、稿を改めるといたしましょう。

2016.10.12(水) 原因はいくつもある/繊細な柔軟性

「自分のせい」と思いがちな人は、「物事の原因は明確に一つに定まる」という根本的な誤謬を抱えている。どんなことにでも「せい」と言えるような原因がたった一つある、と。
 実際は、物事の原因というのは無数の「事情」が複雑に絡み合ってできあがっていて、「これ」という明確な、たった一つの原因が存在するわけではない、はずである、と僕は思う。自分のせいでもあれば相手のせいでもあり、あるいはほかの無数の何かしらのせいでもある。
 問題解決というのは、無数にある原因のうち、たった一つだけを選び、摘出し、改善を試みるものである。「ここさえ改善されれば、少なくともこのように是正されるであろう」という見通しを持って、「目的に照らして急所と思えるようなところ」のみを、ズブリと一点、刺し貫く。決して、「ただ一つの原因」を取り除くことではない。ただ一つの原因など、ないのである。
 ゆえに、無数の原因のうち、一点だけを責め立てるのは愚かなること。かしこき人格者は物事を「人のせい」にしないし、また「自分のせい」にもしない。「何か特定のもののせい」にはしない。ただ、「この問題を是正するにはいくつもの方法があって、実現可能性とコストを勘案すると効果のありそうなのは例えばこうすることだ」とかいった提案をする。
 客観性とか冷静さというのはそういったところに現れる。


 最近生徒から、「先生たちはわけのわからないところでキレる、どうにかしてほしい」というような話をよく聞く。わけのわからないところでキレる先生もどうかしているが、それを「わけのわからない」と断定してしまう生徒にも、客観性と冷静さが欠けている。あるかしこき生徒は、「長い間にたまってきたものが爆発してるんだと思う、うちだけじゃなくてほかのクラスでたまったものも含めて。それを一気にここで爆発させてるんだろうな」なんてことを言っていた。冷静である。
 僕は他人の行動に対して寛容なほうだと思うが、その代わり自分に対しても寛容である。他人に甘く自分にも甘い。甘いというよりも、「原因はいろいろあるんだから、何か一つだけを責めるのはお門違い。僕は僕で反省していくけど、改善すべきところはほかにもあるはずだから、落ちこまず視野を広く持って事に当たるほうがよかろう」といった、前向きな言い訳を常にしているのである。それでなんとか、教員とかいうストレスフルな職業をなんとかこなしているわけだ。そういうある種の強さがなければ、繊細さを保ったまま教壇に立ち続けることは難しいだろう。
 僕は、図太くなったらこの職業は終わりだと思っている。開き直ったら絶対にだめ。「自分が正しい、生徒はそれを聞いていればよい」と思っても、もうだめ。いやね、もちろんね、組織の職務を正しく全うする身としてはそのほうが正しいし、そうでなければ心の平穏は保てないって人もきっとたくさんいる。でも、そういうのはわざわざ僕がやることではない。ほかの人でもできることだ。そうなるようなら、そうならざるをえないようなら、覚悟して職を辞そう。どうもそういう生き方しかできないし、そうであることが僕にできるせいぜい教育的な生き様なのだ……。
 繊細な柔軟性が示せなくなってしまったら、頑固な職人になってしまう。そういう先生も必要であろうが、僕の適性はたぶん別にある。

2016.10.11(火) 手塚治虫 初めて好きになった人間として

 二回目にして真打ち登場、といった風情。
「すべての物語は手塚治虫に流れ込み、再び手塚治虫から流れ出る。」
 そう言って問題ないほどの偉人である。

 記憶の限りでは、小学二年生の時には少なくとも愛読していた。
 クラスメイトから「好きな人いる?」と問われれば、必ず「手塚治虫」と答え、ぽかんとされていたものだ。
 当時は愛蔵版が盛んに出版されており、『ロストワールド』から『ルードウィヒ・B』まで、時期を問わず何でも読んだ。講談社の全集が近所の図書館に全巻所蔵されていたので、母親に連れていってもらって読みふけった。『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『火の鳥』『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』などの代表作はもちろん、『ザ・クレーター』だとか『七色いんこ』も好きだった。『どろろ』『海のトリトン』『ファウスト』あたりは文庫で読んだ。メジャー・マイナーを問わず読むべきものはこの頃にほとんど読んだ気がする。『ゴブリン公爵』とかまで読んでいたんだから。
 特に好きだったのは絵のまるっこい初期作品で、『来るべき世界』や『ロック冒険記』は今でもいちばん好きかもしれない。

 特筆すべきは、僕が手塚の作品だけでなく、手塚の「伝記」をも読みあさっていたこと。
 死後数年が経過していて、手塚の伝記はすでに出ていた。せいぜい数点ではあろうが、複数の伝記にあたった覚えはある。少なくとも火の鳥伝記文庫の中尾明『手塚治虫―まんがとアニメで世界をむすぶ』は確実に読んだ。91年9月の出版なので、時期も合っている。あとは1989年の小野耕世『手塚治虫 マンガの宇宙へ旅立つ』を読んだのだろうか。マンガ『手塚治虫物語』も読んだ。また『紙の砦』などの自伝的な作品も好んで読んだ。僕は手塚治虫の作品だけでなく、手塚の人生そのもの、人格そのものを愛しそうとしていたのである。

 これはまさしく僕の、何かを好きになる際の「愛しかたの原点」だ。作品を愛するのと同時に、それを作った「人」を愛する。そもそも初めて手塚を読んだ段階で、「この作者は面白いからほかのも読んでみよう」という発想になるのが、「人を愛する」に向いている。素晴らしい作品があれば、それを作った素晴らしい誰かがいる。こういう考え方が、その後の僕を育てて行った。
 たとえばこの後、僕はマンガと並行して児童書をたくさん読むのだが、図書館に行っては「岡田淳」とか「さとうまきこ」といった人名を手がかりにして「次に読む本」を探していくようになる。当たり前のことのようだが、意外とこれが身に染みついている子供ってのは、そんなに多くはないと思う。

「人」を愛する癖が僕にはあって、その原点は手塚治虫である。しかし、ではなぜ僕は「手塚治虫」という人を好きになったのであろうか?
 藤子不二雄先生の『まんが道』による刷り込みのせいかな、とも思うのだが、小学二年生段階で『まんが道』を読んでいたかどうかがはっきりしない。おそらく手塚にはまった後で読んでいるはずだ。
 そうなると、思いつくのは、手塚があまりにも凄かった、ということか。

 はじめに僕は、『ロストワールド』から『ルードウィヒ・B』まで、と書いた。これらの愛蔵版が、物心ついた時にはうちにあった。この二作品の執筆時期には四十年の開きがあって、当然作風も変わってくる。「ぜんぜん違う雰囲気だけど、同じ人が書いていて、どれもすぐれて面白い。ということは、この手塚治虫という人は、四十年間ずっと素晴らしい人なんだな」というふうに、幼心にも思ったのではないだろうか。手塚治虫の初期から晩年まで、四十年間の作品すべてを「好きだ」と思った僕は、「つまり僕は手塚治虫という人間が好きなのだな」という結論に至ったのだ、たぶん。
 伝記を読めば幼少期の頃の面白いエピソードや、偉人らしい伝説じみた話がたくさん出てくる。人格の魅力も感じさせられる。そうしてどんどん好きになっていった。この人のことをもっと知りたい、と思った。
 幼稚園でも小学校でも、「女の子を好きになる」ということがまったくなかった。「人を好きになる」ということの基本を、僕は手塚治虫によって学んだのかもしれない。
 小二のとき同じクラスに、「私も手塚が好きだ。私のほうが彼のことをよく知っている」と主張する女子がいた。僕はそれに「いや僕のほうが好きなはずだ」と対抗した。思えばあれは本当に、恋に近かった。だからこそ「好きな人いる?」という問いへ自然に「手塚治虫」と答えていたのだろう。今は「手塚先生」と呼ぶことが多いが、この頃は基本的に呼び捨てだった。

 僕にとって手塚治虫先生は「初恋の人」である。であれば生涯の伴侶は、恋をしながらも空気のように常にそばにいた、藤子不二雄先生だと思う。ジャンルが違えば岡田淳先生になる。次はこの方々について語らなければならないだろう。

2016.10.09(日) 『きゅうきゅうしゃのぴぽくん』砂田弘/高橋透


『きゅうきゅうしゃのぴぽくん』砂田弘 作 高橋透 絵
(偕成社、1983年5月改訂版)


  僕の通っていた幼稚園には、図書の貸出制度があって、それで何度も何度も、飽きるほど借りていたのがこの本だった。

 好きな絵本はほかにも、それはもう無数にあったはずなんだけど、「好きだ」と意識したのはこれが初めだったと思う。今ではもう、なぜそんなに好きだったのかわからない。読み返してみても、さほど面白いストーリーだというわけではない。

 救急車の「ぴぽくん」は、町の人からうるさいと嫌われたり、怖がられたりしている。「いつまでも ねないでいると、きゅうきゅうに つれていかれますよ!」などと、子供を叱るときの脅し文句にさえされた。しかし幼稚園の男の子、特にマサシくんはぴぽくんが大好きで、「ぼく、おおきくなったら、きゅうきゅうの うんてんしゅに なるんだ!」とまで宣言していた。
 ある日マサシくんが無免許運転のトラックに轢かれてしまう。それからはマサシくんの家も幼稚園もひっそりとして声ひとつ聞こえない。「マサシくんも、こどもたちも、あれから ぼくが きらいに なったんじゃ ないのかな」とぴぽくんは不自然なほどネガティブな発想におちいる。ぴぽくんはもちろん、何も悪いことはしていない。それどころか、事故現場に急いでかけつけて、マサシくんを病院まで運んであげたのだ。しかしぴぽくんはふさぎこむ。仕事にもつかれてしまう。一所懸命働いても、ねぎらってくれる人は誰もいない。
 季節が巡り、秋が来て、夏の間に汚れたからだをぴぽくんは救急隊員に洗ってもらう。
「いっしょうけんめい はたらいたから こんなに なったんだ。それなのに ぼくは、ひとりぼっちだ。ああ、もう はたらくのが いやに なったな。」
 ぴぽくんはこれほどまでに追い込まれていたのだ。
 ところがそこへ、子供たちがだだだだだっと駆けてくる。

「いた いた いたぞ!」
 こどもたちが おおぜい かけてきました。
てにてに えをかいた かみを もっています。
みんな ぴぽくんの えでした。
「ぴぽくんが ぼくを たすけてくれたの。
だから おともだちと いっしょに おれいに きたんだ。」
 うわぎに きゅうきゅうしゃの ししゅうをした こが
いいました。そう マサシくんです。
「ぼく、なつの あいだ、いなかの おじさんの うちへ
あそびに いっていたの。
みて、こんなに くろく なっちゃった。」

 それからぴぽくんは元気になりました、めでたしめでたし。

 という、お話。
 事故のあと、マサシくんのお家に誰もいなかったのは、一家で親戚の家に行っていたからで、幼稚園がひっそりとしていたのは、夏休みだったから。(幼稚園には小学校と同じくらいの長さの夏休みがある。)
 ぴぽくんは勝手に気にして、勝手に落ちこんでいたわけだ。

 いったい、僕はこの絵本のどこに惹かれていたのだろうか。
 救急車が特別に好きになったわけではないと思う。むしろ『ぴぽくん』を読んでから好意を持ち始めたというほうが当たっているはずだ。
 正直言って、本当によくわからない。
 わからないなりに幼い自分の気分を当て推量してみると、僕はこの作品に描かれた「絶望と希望」というモチーフに惹かれたのかもしれない。
 絶望と希望。さらに言うならば、絶望の中の希望。
 あるいは、「悪いこともあればいいこともある」ということ。
 ちょっとした運命論のようなもの。


『ドラえもん』の「サイオー馬」(てんコミ44巻)という話で、ドラえもんがこう言う。「いいかね、運命なんてものはこのナワのように……、いいこと悪いことがからみあっているんだ。気を落とさずまってれば、そのうちいいこともあるさ。」
 44巻を読んだのは小学校三年生の時(当時新刊で買ったから間違いない)なのだが、とにかくこの話が心に残った。いいことと悪いことはちょうど同じくらいあるのだ、とうっすら信じるようになった。今でも多少、その名残がある。


 ぴぽくんは落ちこむけれども、がんばって働いていたら、子供たちが似顔絵(?)を持って、やってきてくれる。なんという希望に満ちた話だろうか。


 11年間AKB48グループを牽引し、今年4月に卒業した「総監督」(当時)の高橋みなみさんは、去年6月の、最後の総選挙で、このようにスピーチをした。

みんな悩むと思うんです。
でもね、未来は今なんです。今を頑張らないと、未来はないということ。
頑張り続けることが、難しいことだって、すごくわかってます。
でも、頑張らないと始まらないんだってことをみんなには忘れないで欲しいんです。
私は毎年、「努力は必ず報われると、私、高橋みなみは、人生をもって証明します」と言ってきました。
「努力は必ず報われるとは限らない」。そんなのわかってます。でもね私は思います。
頑張っている人が報われて欲しい。
だから、みんな目標があると思うし夢があると思うんだけど、その頑張りがいつ報われるとかいつ評価されるのかとかわからないんだよ。
わからない道を歩き続けなきゃいけないの。
きついけどさ、誰も見ていないとか思わないで欲しいんです。
絶対ね、ファンの人は見ててくれる。
これだけは、私はAKB人生で一番言い切れることです。
だから、あきらめないでね。

 努力、という言葉は、あるいは概念は、個人的にあまり好きではないのだが、「この言葉を使わなくては表現できない素晴らしいこと」はやはりあって、高橋みなみさんのこのスピーチはそれだった。

 努力が必ず報われるとは限らない。
 しかし、「見ていてくれる人は必ずいる」。


 ぴぽくんにとって、マサシくんやこどもたちがそうだった。
 それは希望である。どんな絶望に深く沈んでも、必ず見ててくれる人はいる。
「報われることもある 優しさを手抜きしなけりゃ」(H Jungle with T『FRIENDSHIP』)である。
 この曲に出会ったのは小学六年生の時だが、実はまったく同じメッセージを僕は、幼稚園のときすでに『ぴぽくん』から受け取っていたのかもしれない。

 落ちこむこともある。しかもぴぽくんのように、ぜんぜん落ちこむ必要のないようなときに、どうしても元気が出なくなってしまって、悪いことばかり考えてしまうことが、ある。マサシくんがぴぽくんのことを嫌いになるなんて、あるわけがないのに、でも、そうかもしれない、と考えてしまう。それはしかたのないことだ。
 でも、そこで腐りきらないで、「優しさを手抜き」しないこと。ぴぽくんの場合は、けがや病気の人を助けることを、やめないこと。誰にも褒められなくたって、黙々と続けていくこと。
 そういうぴぽくんだったから、子供たちはやってきたのだし、だからこそこの物語は美しいのだ。


 絶望に負けてはいけない、諦めてはいけない。
 優しさを持ち続けていれば、いつかいいことを呼び寄せることができる。
 そういうことを、本当にいちばん最初に「本」から学べた(らしい)ことは、とても幸福だったと思う。
 それからずっと、本が好きである。

2016.10.08(土) 原点はいくつもある

 題名はAIR(車谷浩司)の曲『運命はいくつもある』から。

 8行しかない短い歌詞の中で、「運命はいくつもある」というフレーズが印象的。
 AIRで最もよく口ずさむのは『Last Dance』という曲だが、最もよく思いだす彼の言葉はやはりこの「運命はいくつもある」だ。

 運命はいくつもある。
 どういう意味だかはうまく決定できないが、運命はいくつもある、のである。とにかく。
 沈みこんだ歌詞世界の中の、確かな希望。
 運命はいくつもある。

 それをもじって、「原点はいくつもある」。
 そう書いてみて字面を眺めてみる。運命がいくつもある、というのと、意味はあまり変わらないような気がする。
 運命がいくつもあるなら、原点もいくつもある、のではないかと。

 僕の運命はいくつもの原点から出発した線が絡み合って、織り上げられて、鮮やいでいる。(鮮やぐ、なんて言葉はないのだが、華やぐ、があるのなら、あったってよいだろう。)
 原点が増えていけば、運命は様相を変える。また別の運命が生じたり、する。

 こういう格好つけた感じも、いろんな原点から生じた一つの結果だし、別の文体で書くような時も、それはいくつもある結果のうちの一つなのだ。
 文体はいくつもある。

 そういうわけでずっとやりたかったことをこれからやっていきます。前回の記事「原点をめぐる」にあれこれ書いたような僕のいくつもの原点を、ゆっくりと書きのこしていきたい。
 本やマンガ、音楽、映画などにとどまらず、友達のことも書きたいし、あらゆる思い出のことを一つ一つ、整理して書いていけたらな、と思う。
 好きなものだけでなく、悲しかったことも含めて。
 それがいくつもある原点のうちの一つであれば、臆することなく向き合っておきたいのである。
 すべてを赤裸々に、正直に書こうというのではない。ただ僕という多少妙な人間ができあがった背景には、いくつもの原点があって、そういうふうに生きていくことも、人生の手段としては「ある」のだということを、とりわけ自分よりも若い人には知ってもらいたいな、という意図で。

 原点がいくつもある、ということは、たくさんのものを大切にして生きてきた、ということだと思う。もちろんその裏には、おびただしい数の「大切にできなかったものたち」があるから、それが負い目や引け目になって、これまでそういう振り返り方をあまりしてこなかった。

 もういい歳になってきたから、やってみようと思う。
 何から始めよう、と思って、考えるまでもなく「やはり絵本かな」と決めた。
 初めて好きになった……というか、自分で「これは好き」と意識した絵本は、『きゅうきゅうしゃのぴぽくん』だ。
 まずはそれについて書いてみたい。

 ゆっくりと少しずつ、記事を分けながら更新していきます。


(ちなみに、この企画は本当は、学校でプリントとして配ろうと思って考えていたもの。なかなか書く時間がとれないので、いっそこっちで書いたものを転載してしまおうと目論んでいる。しかし何年かかるだろうか。)

2016.10.07(金) mixiからの転載でお茶を濁す(1)

原点ってのは一点ではない。たくさんの原点があって、それぞれの波紋は重なり合って共振する。

たとえばその一つは藤子不二雄先生である。先日の富山旅行はその原点を巡る旅だった。
あるいは小沢健二さん。5~6月のツアーはまた原点を巡る旅だった。

名古屋に帰って、矢田川を歩き、地元のお好み焼き屋に行けば、それもまた原点。
高校1年のあのクラスについて考えれば、それも原点。

両親と兄弟は原点。
日本の歴史だって僕の原点でもあると思うから『風雲児たち』をしっかりと読む。

麒麟さんのことを考える。15年前の彼との邂逅はまたそれも原点である。

ホームページも原点。ドラチャも原点。
幼き日にジプシーして遊んだ公園たちも原点。
原っぱなるものは原点。

『まなびストレート!』は大学四年生の終わりに観たアニメだが、
これだって原点に数えてもいいだろう。そこで一つ僕は生まれたのだ。

無数の原点が多発的に存在して波紋をつくる。
その模様が僕である。

2016年はそれを確認するための年になりそうである。
それゆえか、どうも生活はぱっとしない。
ずっと継続してきたものが一度、手から離れたという感触。

大切なマイミクさんたちとの新しい出会いはあった。
それはたぶん新しい原点になるだろう。

ちょっとまえHPのほうにも書いたけど2016年は「リセットの年」だ。
こじつければユダヤ教の「ジュビリー」にあたる。
「50年に一度、土地をもとの持ち主のもとへ返す」年だという。



昨日からどうも優れない。金縛りのように何も出来ないでいた。
そんなときは漫画を読むか、文章を書く。
それらはずいぶんと巨大な僕の「原点」である。
小学三年生の時だったか、「何かを書こう」と思って、原稿用紙に向かった。
でも、何も書けなかった。
当然だ。何も書きたいものなどなかったのだから。
そこにあったのは「何かを書こう」という意志だけだった。
そこで何も書けなかった僕は本当に誠実というか、真面目だと思う。
よかった。
おかげで、「書くべきもの」を探す旅を、始めることができたのだから。
あのとき、適当に「何か」を書いて、それで満足していたら、
たぶん、あれこれ考えがちな今の僕はなかっただろう。
「書くべきものがなければ、書けない」というのは、僕にとってそうとう重要な「原点」である。

小学三年生といえば、その頃好きだったのはとにかく漫画。
なぜそこで「漫画を書こう」ではなく「文章を書こう」になったのかは、
単純に「文章なら褒められたことがある」からだろう。
そういう成功体験というか、実績は大切だ。

漫画を読むことが好きで、文章を書くことがしたかった、
というのが小学三年生時点での原点の一つで、
それは今に至るまで大きな波紋を広げつづけて
現在の僕にまつわる様々な波紋をのみ込んでいる。

『9条ちゃん』だって、よく考えたら漫画を文章に翻訳した結果なのかもしれない。



2016年はじつに様々なものを振り返っている。
ちょっとくらい不調でも原点の波紋が広がり続けている限り、自分は大丈夫だと思う。


(2016年07月14日19:25「原点をめぐる」、一部改稿)



 最近はちょっとだけ、ぱっとしてきている。
 やはり大丈夫だった。(たぶん。)
 すべての原点にありがとうと言いたい。
 ここには書いていない原点はたくさんあるが、
 その中の巨大な一人である結城恭介先生に大いなる感謝を。

2016.10.06(木) 限界芸術と文化祭(と茶番)

純粋芸術は、専門的芸術家によって作られ、それぞれの専門種目の作品の系列にたいして親しみをもつ専門的享受者をもつ。大衆芸術はこれまた専門的芸術家によってつくられはするが、制作過程はむしろ企業家と専門的芸術家の合作の形をとり、その享受者として大衆をもつ。限界芸術は、非専門的芸術家によってつくられ、非専門的享受者によって享受される。
(鶴見俊輔「芸術の発展」、講談社学術文庫『限界芸術』またはちくま学芸文庫『限界芸術論』より)

「非専門的芸術家によってつくられ、非専門的享受者によって享受される」ところの限界芸術に、ずっと興味がある。素人がつくって、素人がうけとるもの。学校の文化祭というのはまさにこれだ。

 文化祭で中学生によるミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』を観た。本当に素晴らしくて、涙が出た。何がそんなに良かったか、という話はひとまずおくが、僕の感動したそれは「限界芸術」と呼ぶべきものであった、と思う。
 原作は有名な映画だから、正確には素人の創作ではない。肝となる名曲たちも当然、原作の歌をプロが訳したもののはずだ。しかし演じているのはずぶの素人である。であればこその、美しさ。映画に出てくる子役はあくまでもその道のプロ、しかしこちらは本当に、ただの中学生なのである。そのリアリティは、企業や芸術家にはなかなか演出できないものだ。
 中学1年のあるクラスは、生徒が自作した脚本で演劇を上演していた。何もかもが拙かったが、限界芸術は質を問われない。彼女たちは表現をした。それは必ず、少なくとも一部の生徒にとっては、大切な経験になっただろう。客である僕にとっても。
 演劇部も、軽音楽部も、吹奏楽部も、ダンス部も、書道部も漫画研究会も文芸研究会もその他も何もかも、「限界芸術」として一流のものであった。というより、限界芸術に一流も二流もないのである。二日間、心から楽しんだ。

 ところで、文化祭には「教員による演し物」がつきものである。今回のそれはたぶん「限界芸術」と呼べるものではなく、ただ「祭り」にのみ属する種類のものだった。
 先生というのは卑怯である。出てくるだけで面白いのだ。いかめしい校長先生がダンスを踊れば、そのギャップでワーッとなる。どんな先生でも、出てきて、ただおちゃらけていれば、それなりのウケをとれる。僕もさすがに、ふだん仏頂面か苦笑いしか見たことのないような壮齢の先生がステージに出てきた時にはちょっとニンマリしてしまった。
 ふだんは厳しい先生も、年に一度だけおちゃらける日。それが文化祭なのである。

 どこかのお祭りで、一日だけ王様がみすぼらしい格好をして、平民たちに追い立てられる、というものがあると聞いた。典型的な「ガス抜き」の祭りだ。
 日本の宴会芸も、これに近いものがある。偉い人がおちゃらけたり、いじめられると、面白い。偉ければ偉いほど、面白い。ふだんとのギャップが、増せば増すほど。
 子供たちは逆だ。ふだんおちゃらけていても、文化祭では真面目な顔になる。一所懸命に磨いた芸を、真剣に披露する。

 ふだんの在り方が、祭りの在り方を規定しているような気もするし、逆に祭りの在り方が、ふだんの在り方を規定してしまっているような気も、する。

 先生たちはどうして、まともな「芸」や「芸術」をやらないのだろうか? 理由はまあ、忙しいからだろう。五分で憶えられるような単純な振り付けのダンスや、即興でこなせるようなゲーム的なものを見せて、それでワーッと受けるのだし、わざわざ大変なことをすることもない。
 ただ、もしも学校のお祭りを文化的なものとしたいのであれば、教員のほうが率先して原始的なカーニバルのほうへ持って行く必要も、ないんじゃないかとは思う。

 中学生の時、文化祭である先生が長渕剛の『乾杯』か何かを弾き語りした。あまり好きな先生じゃなかったから、その時はどうでもいいな、と思ったが、何か印象に残っている。
 高校では谷川俊太郎の『生きる』を教員が群読したり、なんてのがあった。
 文化的で、とてもよいと思う。

 べつにこのたびの先生たちの演し物がまったく文化的でなかった、などと言うつもりはない。ちょっとは文化的だったかもしれない。でも、本当にそれしかなかったのだろうか? とは思う。
 そりゃあ、真面目なことをやっても場は沸かないだろう。ワーッと盛り上がるには、おちゃらけたり、ギャップで勝負したほうが早い。
 ただ、祭りの在り方がふだんの在り方と相互に規定し合うのかもしれない、という発想は、持っていたっていいはずだ。
 一芸に秀でた先生はいるはずで、どうせやるならその人たちにスポットを当ててみては? とか。そうしたら子供たちだって、未来に対して明るい展望が見えるかもしれない。
 子供たちが先生のことをどう思っているのかって、そりゃ「勉強ができる人たち」で、そういう人が「文化祭」ではおちゃらけることしかできない、のだとすると、勉強なんてのは、やっぱつまんないものなんだな、って思ってしまう。逆に勉強の超できる先生たちが、自分たちよりもうまく歌い、自分たちよりもうまく踊るのだとしたら?

 祭りというのはけっこう大切なものだ。
 生徒たちの「限界芸術」を目の当たりにして僕が思うのは、「やっぱりこの子たちのことは尊敬しなければいけないのだ」ということである。
 生徒たちがただおちゃらけているだけならば、そんなこと思いはしない。

2016.10.05(水) 倫理という罠 倫理ではなくて

 9/22(木)、早稲田大学文学部キャンパスの向かいにある「あかね」というお店に初めて行ってきた。自らの政治的立場を「左」と自認する人々が主に集うお店、と言って間違いはないと思う。

 収容人数10名程度の狭いお店で、チャージが200円、ソフトドリンク200円、缶チューハイが300円、瓶ビールが550円、ナッツ200円、缶詰250円、その他食べものは適当にその都度値段が設定される、という感じ。伝票は一応あるようだが慣れている人は自己申告でお金を払う。店員は曜日代わりでボランティア。店員と客の境目は曖昧。
 この店の「価値観」はそんな感じである。形式としてはかなり、僕のやりたいことに近い。しかしそこにあった「言葉」は、僕の好きなものとはだいぶ違った。

 この日は「イベント」があって、「安保法案」というテーマをもとに十名前後で話し合った。なぜ僕がこれに参加したのかというと、大学時代の恩師が参加するという情報を得てのことで、「安保法案」なるものに一家言あるわけではない。
 だから、ときおり僕は困った。
 その日「あかね」に集った人たちは、例外なくみんないい人であった。そのように僕には見えた。初めて来店した僕に気を遣ってか、何度か質問を投げかけてくれた。しかしその質問は、僕を困らせるものでしかなかった。

「安保法案をどうするべきだと思いますか?」
「自衛隊についてはどう思いますか? 軍隊にすべきですか? 現状維持派ですか?」

 そんなこと、僕は考えていないのだ。
 安保法案には賛成でもなければ、反対でもない。自衛隊にしても、何の積極的な意見も持っていない。だから、この質問には答えられない。
 ただもし、「○○という目的のためには、安保法案をどうするべきだと思いますか?」とか、「○○という目的のためには、自衛隊をどうするべきだと思いますか?」と問われていたなら、僕は少ない知恵を必死に絞って、考えてみたと思う。
 僕にはそういう方面の主張など一切ないので、安保法案やら、自衛隊やら、あるいは「誰に投票すべきか」といった政治的な内容について、意見を求められても困る。
 ある程度の知識はないではないし、考えることだって嫌いではないから、目標さえ設定してもらえば、そこに向かっていくための道筋を話し合うことができると思う。
 しかし彼らが聞いてくるのは、「あなたはどうすべきだと思うか」という「立場」なのだ。「あなたの理想とする目標と、その達成手段」を聞いているのである。
 僕には、というか、ふつうの人には、安保法案や自衛隊の在り方が関わってくるような「目標」などない。どこかでは関わってくるのかも知れないが、それは無数にある関連要素のうちのたった一つで、さほど巨大なものではない。大げさにいえば、「あなたの目標のために、空気中の酸素の割合はどの程度になるべきだと思いますか?」とたずねられているようなものだ。個人の肌感覚からは遠すぎる。
 ここでもし、「人間が少しでも長く生きるためには、空気中の酸素の割合はどの程度になるべきだと思いますか?」と質問されたなら、僕は胸を張って「わかりません」と答える。とりあえず人間と酸素との関係をネットや図書館とかで調べてみるしかないだろうな、というくらいのことをぼんやりと思うだろう。
 目標がわかれば見当はつくが、目標がない場合、どうも答えようがない。

 質問してくる彼らは、何か「前提」を隠し持っている。それは倫理観である。似た思想を持つ者同士で共有している理想、すなわち「目標」である。
 結局のところ、彼らは「あなたは自分たちと同じ倫理観を持っていますか?」ということを問うているのではないだろうか。
 そして倫理観が近しいことがわかれば、「その倫理観をお持ちならば、当然このように考えるのが妥当ではないですか?」というふうに、論を展開してくる。
 倫理観がずれれば、「あなたの考え方はおかしい」と言われることになるわけだが、「考え方」というのは論理性ではなくて、もちろん「倫理観」のことである。

 たとえば有名な倫理観として、「戦争は避けるべきだ」「人名は何よりも尊い」というのがあって、安保法案や自衛隊について質問してくる人の多くは、当然のようにこれを前提としている。そうなると、「軍隊は持つべきではない」というふうに、話が流れがちになる。
 あるいは、「憲法は絶対にまもられなければならない」という倫理観が前提としてある場合、「自衛隊を軍隊にしよう」と言えば「憲法にはこう書いてあるんですよ」「あなたは改憲派なんですね?」ということになって、「憲法9条は世界に誇る云々~」という流れになったりする。(この日、そういう議論になっていたわけではない。)
 こうした倫理観に乗っかってしまうと、「軍隊にすべきだ」派の人も、「戦争を避けるために抑止力としての軍隊を持つべきだ」という論理展開になりがちである。
 あるいはもう一つ、超有名な倫理観は「日本は経済的に豊かであるほうがいい」で、これがやってくると、「軍需産業は日本にとって~」とか「防衛費が~」になる。
 こうした倫理観を「共有」(賛成、反対を問わず)してしまうと、賛成と反対との数直線上でしか話し合いができない。貧しい会話である。
「戦争は避けるべきか、そうとも言えないか」とか「戦争を避けるために、自衛隊を軍隊にすべきか、すべきではないか」とかいった、二者択一的なわかりやすい話に、一度入り込んでしまうと、なかなかそこから出てくることができない。そうやって視野はどんどん、狭くなっていってしまう。
 数直線の上に、あるいは「座標」の中に、閉じ込められてしまう。
 世の中はそんなに平面的にはできていないというのに。

 数直線や座標というのは、ごく狭い範囲のことを考える時には便利だが、広い世界のことを考えるのには向いていない。
 一般的な学校の勉強というのは、その能力ばかりを膨らませるもので、もっと広い世界のことを考えるためには、ぜんぜん別の能力が必要である。
 先日「爆笑問題カーボーイ」というラジオ番組(9月27日25時~放送)で太田光さんが話していた、小林秀雄が紹介した柳田国男のエピソードを思いだす。
 ものを考えるのに大切なのは論理性ばかりではなく、あるいは単純な倫理観ばかりでもない、と思う。

2016.10.04(火) ブログと同期

 どんなもんでしょうかね。(10月3日00:00以降にご覧下さい)
 面倒くさかったらやめます、悪しからず……。

2016.10.03(月) 木戸銭システムと僕の好きなお店について。(芸術、生活、価値観、お金)

 おざ研・ランタンにおける「木戸銭システム」は、「お金とは、何に、どう、どのくらい使うべきものなのか」という問いに対して、一つの解答となるような、価値観を提示するものである。
 四谷三丁目、荒木町にある「私の隠れ家」というお店は、信じられないほど素敵なお店の中で(信じられる音楽を聴きながら)、信じられないほど素晴らしいごはん(おかずが十品くらいつく)を頂いて、食後にコーヒー(夜はほうじ茶)とかりんとうを楽しみ、何時間でもくつろいだ後に、千円だけ払って店を出られるという、信じられないお店である。
 そんなお店をおそらく一人で作り上げ、ほとんど一人で切り盛りしている女の人を、僕は心より尊敬申し上げているし、彼女の作り続けている「芸術」を、本当に愛している。
「隠れ家」が表現しているものは、星の数ほどあるはずだけど、例えばその一つは「お金についての価値観」だと思う。
 隠れ家では、ごはんを食べて、軽くお茶して、千円である。千八十円ではない。千円札を一枚出して、それで終わり。これが隠れ家の提出する価値観であり、思想なのだ。(と僕は思っているが、こんな言葉たちはたぶん、あのお店にはちっともふさわしくない)。
 僕は隠れ家で「お釣り」をもらったことがほとんどない。ひょっとして一度もないのかもしれない。「お金のやり取りに要する時間と手順が極めてすくない」というのが、隠れ家における「お金の価値観」の一部であり、僕があの店を愛する理由の一つである。
 僕のやっている「木戸銭システム」は、千円だか五百円だか好きな額を箱の中にポイ、と入れてもらって、それで終わり、というものなので、隠れ家の感じとよく似ている。ちなみにおざ研にもランタンにも、「お釣り」という概念はない。「お釣りをください」と言われたら、「そういうことはやっておりません」と答えた上で、「両替なら(誰かが)できるかも」と答えるようにしている。
 おざ研時代は「目安は千円」としていた。隠れ家と同じなのは偶然の符合でもありつつ、価値観の類似による必然ともいえる(いいたい)。運命とさえ言いたくなる。隠れ家との出会いはおざ研を開いて後なので、影響を受けているわけではないのだ。

「お金についての価値観」。僕がおざ研やランタンによって表現していることは、幾つかはまあ、あると思うが、たぶんその一つにはこれがある。
 というかお金を発生させるあらゆるものは、必ずこの価値観を表現しているはずである。それが松屋でもガストでも。
「私の隠れ家」を芸術というなら、松屋やガストはエンタメかもしれない。誤解は避けたいのだが、僕は松屋もガストも好きである。サイゼリヤならば、愛しているとさえ言っていい。ただしそれはエンタメとして。……サイゼリヤなんかは芸術の域に達していると言って差し支えなさそうだが、サイゼリヤはエンタメの枠の中でこっそりと芸術しているからカッコイイのである。小沢健二さんの『LIFE』のようなものである。(うん。)
 エンタメと芸術の境界をつけるのは難しいし、今はどうだっていいのだが、どちらもすばらしいものではありつつも、はっきりと僕は芸術を愛している。
 何故かといえば、エンタメはそうでもないのだが、芸術は必ず、一人の人間の人格に辿り着くからだ。ひょっとしたらこれが、「エンタメ性」なるものと「芸術性」なるものを峻別する境なのではあるまいか。
「隠れ家」の芸術性は、純子さんという一人の素敵な(素敵すぎる)お姉さんの人格に帰因する。AJITOならアミさんに、未来食堂ならせかいさん、SLIME BEならあんこさん。人と店が一体となったような、居心地の良い場所。芸術だなあ、と思いながら、その空間にひたることがとても好き。
 これらのお店は、僕がいくくらいだから、どこも安い。「安い」「お手頃」「リーズナブル」、そんな言葉を貼られそうな価格帯。でも、大切なのは「安いか高いか」といった数直線上のどっち側にあるのか、なんて話ではなくって、その数字にいかなる価値観が練り込まれているのか、ということなのだ。
 人は、「価値観」の存在しそうな所には、まず警戒して二の足を踏む。それから、自分に合いそうだとか、受け容れてくれるだろうと思えば、あるいはそれを願うなら、えいやっと足を踏み入れる。安いところになると、ねだん以外の「入りにくさ」が浮き彫りになる。高ければ「高いから」で済ませられるが、安い場合は「価値観」と正面衝突する。(新宿ゴールデン街の今の面白さはそういうところにあるのかも。)
 僕の好きなお店は、「どうだ」とばかりに、半ば喧嘩腰に、どしんと価値観を据えている。「入ってこれるか?」とにらみをきかせる、門番のように。
 あのお店たちが「安い」のは、できるだけ多くの人にその「価値観」と向き合ってみてほしい、ってことなんじゃないかな、と思う。
 おざ研・ランタンで値段の下限を(上限もだけど)定めていないのは、できるだけ裸の状態で「価値観」と向き合ってもらいたいから、だったんだなあ。(こういうのは大抵あとからわかる。)それでも「目安」を提示している訳は、「その方が払いやすいから」と、「入る金額のざっくりとした目星をつけたいから」。目安の額は、家賃や経費をまかなうためには、何人がいくら払ってくれたらよいのか、という観点から決めている。

 芸術、生活、価値観、お金。
 それが「人格」にどう関わってくるか。
 その実践で人生は終わりそうである。


 そんな考え方を基盤として、ずっと考えている「限界芸術」について、「中高の文化祭」を題材として考えてみようと思う。(それはまたそのうちに。)
2016.09.26(月) キー入力の工夫

 実際にガスト市ヶ谷店にて「原稿用紙に万年筆」で書いてみたものをほぼそのまんま打ち込んでUPしてみたのが昨日の記事である。
 今は最初からPCで書いているのだが、実はPCの入力方法もやや変えてみている。

 まず「A」の左隣にあるCapsLockキーにCtrlを割り当ててみた。左手小指をちょっとずらせばCtrlが発動する仕組み。そしてAtokとhtmlエディタの設定をいじり、以下のように割り付けした。

 Ctrl+G : Delete
 Ctrl+H : BackSpace
 Ctrl+I : ↑
 Ctrl+J : ←
 Ctrl+K : ↓
 Ctrl+L : →
 Ctrl+M : Enter
 Shift+Ctrl+I : 選択して↑
 Shift+Ctrl+J : 選択して←
 Shift+Ctrl+K : 選択して↓
 Shift+Ctrl+L : 選択して→

 これまではEnterやBSなどを押すのに右手小指(ないし薬指)を大きく動かす必要があったし、カーソルキーも右手全体を移動させて入力していたが、上記変更によりセットポジションからほぼ移動することなく文字入力に関わるほとんどすべてのキーが押せるわけである。
(あとは、記号(特に「」ーのあたり)がちょっと遠いので別のキーを割り当ててもいいが、そこまでするとほかのPCとの互換性が低くなりすぎるので保留。)

 また、入力そのものに関しても、いわゆる「親指シフト」のキーボードに興味がある。おぼろげな記憶では大昔に我が家にもあったような? 慣れれば便利そうなので是非ともマスターしたいところ。

 30を過ぎると人は、とても保守的になる、と思う。これまで積み重ねてきた「実績」を強く信じ込むようになり、新しい考え型や方法を取り入れることをしなくなる。少なくとも、かなり慎重にはなるだろう。
 キーボードの入力方式を変える、というのは、大げさにいえば箸やペンの持ち方を変えるようなことだ。若くて柔軟なうちはともかく、年をとるにつれどんどん難しくなっていく。「若いままでいたい」なんて思うのはあんまり格好良くない気がするが、「柔軟さを失いたくない」とは思うので、いろいろ試していこうと思っている。いまさら万年筆を手にしてみたのも、そういう気持ちのあらわれである。

2016.09.25(日) 原稿用紙と万年筆

 手塚治虫先生が使っていた画材を真似して買った藤子不二雄先生(あるいは満賀と才野)のエピソードは余りに有名であるが、(――余りに有名なのである。)有名なので、当然僕も知っている。そして「わかる」と共感する。好きな人の好きなものは好き。それは本当に根源的に、絶対にその通りなのである。この場合の「好き」とは、支配とか所有とかいうこととは一切関わりがなく、また「嫉妬」とも遠い。藤子両先生が手塚先生に抱いていた様な、「憧れ」や「尊敬」という意味合いの「好き」である。
 ではこれは男女交際に代表される様な「愛しあう二人」についての話ではないのかといえば、一般にも「尊敬し合える関係が理想」とか言うように、断然関係ある。多分。ただこのことに踏みこむと恋愛論になってしまうのでやめよう。
 少なくとも言えるのは――というか僕が思うのは、「好きな人が好きなものは好き」と“言える”ことって、とても健全だってこと。
 閑話休題。藤子先生は手塚先生に倣って画材を買い揃えたのだそうだ。同じ道具を使えば少しでも近づけるのではないか、と。可愛いファン心である。好きなモデルが使っている化粧品を買ってみるのとおんなじ理屈。僕にもずいぶんそのケはあって、F先生の愛読したというジュール・ベルヌを読んだし、A先生の好きなルネ・マグリットの画集も買った。

 実は今、この文章は原稿用紙に万年筆で書いているのである。ミーハーゆえに。

 本当、いい年して何やってんのかと思わないでもないが、好きな作家の真似をしているのだ。
 結城恭介先生が今、「最強のモバイル執筆環境」として、「コクヨ ケ-35N」という原稿用紙と、「プラチナ#3776センチュリー・ミュージック」という万年筆(のニブ)を使っているそうなのだ。それで書いたものをキーボードで打ち直し、ウェブに上げているそうで。「二度手間やんけ! よーそんなコトできまんなー」と最初は驚愕し、「おれにはできねーな」と思ったのだが、よく考えてみれば僕は日記を書いたあと必ず二度、三度読み返して推敲するのである。それを考えたら打ち直すのも同じ事、とまでは言わねど二度手間が一.三手間くらいに思えてきたので、思い切って新宿の世界堂で「コクヨ ケ-35N」を購入してきた、というわけ。
 万年筆の方は、流石にいきなり同じ物(二万位する)を買うのは畏れ多く、すでに持っていたものを使用している。小学館クリエイティブから二〇一二~三年に刊行された『まんが道』の全巻購入特典として手に入れたもので、「藤子不二雄A」というサインが刻まれている。ひとまずはこれでいけそうだ。しかし世界堂で試用させてもらった「センチュリー・ミュージック」の書き心地が余りに良く、あわや衝動買い、というところだったが、幸か不幸か在庫切れだったので、入荷次第お知らせ頂く、という話に落ち着いた。それまでに「原稿用紙に万年筆」というスタイルが気に入れば(性に合えば)買ってしまうかもしれない。何せ“あの”結城先生御用達である。小沢健二さんも万年筆を使っておられる様だし、遅かれ早かれそうなるだろうとは思う。

 慣れないことをして、ちょっと疲れてきた。しかし楽しい。書いていてトランス状態の様になることはキーボードを使っていてもたまにある(特に小説がノッている時はドバドバだ)が、ペンを使うとその閾値がずいぶんと低くなるなるらしい。先刻からずっと小用を我慢している。「先刻」とか「小用」とか書いてしまうのもアナログの魔力ゆえだろう。万年筆で長い文章を書くのは初めてだが、何というか書いてみて分かった。なぜこのような物が存在し、愛されているのかを。流れるからだ。
 キーボードはデジタルである。当たり前のことだが改めて思う。電子機器だからとかローマ字入力だからとかそういった事情以上に、キーボードは「カタカタ」なのである。一打につき一音が必ず伴う。それを僕はピアノを弾くようで結構好きではあるのだが、どうしてもそこには「音」がある。リズムがある。テンポが存在してしまう。
 インクは液体である故か、川の流れのようなのだ。流れていく。キーボードは人の足の様である。歩いたり、走ったり、その自在さは本当に素晴らしいが、酔うには若干、ハイすぎる。
 血でもよい。
 僕はドラムのない演奏がとても好きだ。ギターやピアノももちろんよいが、ヴァイオリンやトロンボーンがより好きだ。
 川や血に、近づけば近づくほど狂おしい。徒然草や方丈記は当然、筆で書かれた筈である。


 どちらがより「時間」かといえば、万年筆に軍配が上がると思う。

2016.09.13(火) 牛のよだれのように書く理由

 このホームページの文章は、僕がいま死にでもしない限り、いや死んだとしても、本になるようなことはない。売れないからだ。なぜ売れないのかといえば、まずあまりにもまとまりがない。『世界史講義録』といったサイトのようにずっと一つのテーマに則って書いてあるのならばともかく、ここにある文章たちにはテーマも何もなくつれづれなるままに書き散らされているだけのものである。
 僕にも力を入れて語りたいものというのはあって、そうしたものを分類してテーマごとにページを分けて体系的に書いてみたり、いっそブログにしてタグごとに分けてみたり、してもよかったと思うし「そうしようかな」と思ったこともあったんだけど結局ずっとこの形のまま。それを僕は自分で「勿体ないな」とも思うし、「自分には体系的にものごとをまとめる能力が欠けているのだ……」と落ち込んだりもする。でも、昨日書いたようなことを踏まえれば、「なぜ自分がそういう書き方しかしないのか」ということに一つの答えが出せるかもしれない。
 なんで僕が、こんなふうにだらだらと牛のよだれのようにいろんなことを書き散らし、ある決まったテーマのもとに体系立てて書かないかといえば、単純に「いろんなことが書きたい」という散漫さと、「同じものについて書き続けるのが面倒くさい」という怠惰さがツートップで、それ以外の理由などあってないようなものだとさえ思える。ただそこに加えて昨日今日考えたことには、「内容なんかどうでもいいと思っているから」というのがあるのではないかと。
 僕がここに書きたいものは「思考」であって、「内容」ではないのかもしれない。「内容」が先に決まっていてしまうと「思考」が制限されるから、それについては自由なほうがいい。何度か書いているけどいつの間にか僕がものを書く時のテーマは「誰も考えたことのないことや誰も書いたことのないことを書きたい」に定まった。それは面白くなくてもいい。斬新といえるほどでなくてもいい。ただ、まだ誰も手を着けていなさそうなことであればいい。それを目標にやっている。
「内容」を重視するのであれば、「ドラえもんについて語り尽くすホームページ」とかでもよかった。でも僕は「何でもいいから何かについてあれこれと考えるホームページ」を選んだ。「ドラえもん」という枠の中で考えるより、枠のないところで自由にやるほうが性に合っていた。あるいはやがて抱く「目標」に照らして正解であった。
 格好つけて言ってみれば「思考」というものはどんな「内容」よりも必ず本質的だからである。

2016.09.12(月) 思考のオープンソース化

 学校の同僚で一人だけ僕のやっている「場」に来てくれた人がいる。新卒一年目の若い男性で、『場の本』も読んでくれた。その感想として、こんなことを言われた。
「こんなに手の内というか、かなり高度な理念みたいなものまで明かしているのは意外でした。何も言わず黙ってただ『場』をやり続けることだってできるのに、考えていることを言葉で説明するのはなぜですか」(大意)
 考えたことがなかったので、その場で考えた。自分は言葉を使うことが好きだし、得意だとも思っているし、それが仕事のようなものだから、そこまで含めて自分のやるべきことだと思っている、みたいなことを言った。プラトンである僕はロゴス(言葉)の力を信じている、いや、信じたがっているのだ。
 彼とは考え方や目指すものについてある程度共感し合えているように感じるので、その場でも言葉を尽くしたし、別れてからもしばらく考え続けていた。そうしたら、ポンと思い浮かんだ。
 オープンソースか。

 ちょうど、『未来食堂ができるまで』という本を持っていた。未来食堂とは僕の古いマイミク(!)で、学生の頃にちょっと遊んだりもしていて、最近また仲良くさせていただいている小林せかいさんのやっているお店だ。未来食堂はこれまでにないかっきてきなお店で、僕のやっていることと志がちょっと似ている。むろんその志は似て非なるものであり、似て非なるからこそ僕のやっていることと違ってだんぜん注目されているのである。
 その注目されているところとして、たとえば「オープンソース」というところがある。本の帯には《事業計画書、月次売上をすべて公開する 「飲食業のオープンソース化」》という文言がある。
 オープンソースとは、もともとプログラミングの世界の言葉で、ソースコード(プログラムの内容?とでも言えばいいのか?)を無償で公開し、改良や再配布を許す、ということを言う、のだと思う。それによってどんなメリットがあるかといえば、「それを必要とする人の役に立ちつつ、ソースコード自体もいろんな人の手によって勝手に進化していく」ということだ、と、思う。「この概念こそがIT業界を迅速によりよく発展させた根幹」だとせかいさんは言う。
『未来食堂ができるまで』によると、飲食業はずいぶんとクローズドな世界のようで、「手の内を明かさないことによって有利になろう」という風潮が強いらしい。手の内を明かすと、真似されて、せっかくの優位性が失われてしまう。だから明かさない。「うちは秘伝のスープ! 製法は誰にも教えねーんだ! 帰ってくれ!」と取材拒否するうまいラーメン屋ってところ。これって単純に考えてセコくて、手の内を明かすことで世の中においしいものが増えたり、成功する飲食店が増えるならば、それは宇宙にとって幸福なことではないのかと思うのだが、生活がかかればそうも言ってられない。殺されなければ殺される。のたれ死ぬよりはセコさを選ぶのが普通である。
 しかし、未来食堂はオープンソース化を選んだ。それは本の中の言葉でいえば、「真似をすることは不可能だから」。表層は真似できたとしても、コアのところは真似できない。だから差別化できる。素晴らしい覚悟だと思う。そのくらい思わなければ、誇りというのはどこにも生まれない。

「オープンソース」という未来食堂の特徴は、自分のやっていることとはあまり関係ないものだとこれまでは思っていた。でも、その深層にある考え方には、よく似たところがあるような気がする。公開することで、何かがよくなっていくとしたら、公開したほうがいい。公開したところで、誰にも真似できないという自信があるのなら、言い換えれば、確固たる自分だけの「コア」を誇れるのであれば、公開することにデメリットはほとんどない。
 僕は何も考えずに『場の本』という冊子を刷って、100円で売っている。有料だし誰にでも手が届くわけではないので、これをオープンソースというわけにはいかないが、公開することに意義があるはずだという思いは、強くある。
 だって、そもそも、このホームページがそうなのだ。(さっき気づいた。)

 考えてみれば、僕が16年間(!)続けているこのホームページ(特に日記)は、オープンソースなのである。インターネット上で無償公開している、という意味では確かにそうだろう。では改良・再配布といった特徴についてはどうか。僕は「文章」の著作権を放棄するつもりはないが、「思考」に著作権などそもそも存在しないので、主張するつもりもない。(怒る権利はあるので怒る可能性はある。)みなさま大いに「参考に」してくださいませ。
 このホームページは、僕の「思考」がオープンソース化されたものだ、と言うことができるのではないか、と思ったのである。
 ちょっと前に、高校の同級生と話していて、「ジャッキーのホームページは、いつ読んでも、何か考えるの。共感できるところとか、なるほどと思うところもあるし、よくわかんないところもあるけど、絶対に読めば何かを考えるのね」と言われた。めちゃくちゃ嬉しかった。たぶん僕は、そのために書くことをやめないのだ。
 おざ研にしてもランタンにしても、あるいは『9条ちゃん』などの作品についても、このホームページ上で「手の内を明かす」ということを幾度となくしている。それはたぶん「思考のオープンソース化」を目指していたのであろう。ようやくふさわしい言葉が見つかった気がする。これまで僕は自分の書いていることを「自分語り」としか見なしていなかったところがあって、「いい年してずっと自分語りしてて恥ずかしいけど、でも、こういうことにもなんか意味がある気がすんだよなあ……うまく言えないけどそう思うんだよなあ……」とか思いつつ、何年も何年も、うだうだと自分の考えていることを垂れ流すことをやめなかった。「オープンソース」という大げさな言葉を手に入れてようやくピンときた。肯定できた。やっぱりこれは意味のあることだったのだ、と。
 誇りとして、僕の思考は真似され得ない。それは僕の思考が僕の思考として確固たるものだ、という自負があるからである。そんなもん、誰の思考だって二人として同じ思考の人間はいないのだから、当たり前だろう、とも思うのだが、それでも、僕は自分の思考に誇りを持っている。それは特別なことではなくて、当たり前のことなのだ。当たり前のことだからこそ、「これは当たり前のことなんだぞ」と主張したくて、延々とやっているのだ。
「誰にも真似され得ない自分だけの思考があって、そのことに誇りを持っている」ということを主張するために、僕はここに何かを書き続けている。「誰にも真似され得ない自分だけの思考がある」ということは当たり前だし、「そのことに誇りを持つ」ということも、たぶん当たり前というか、そうであることが「ちょっとりっぱ」という段階に進むための条件なのだ。「僕の思考は僕の思考として確固たる」ということを、当たり前だと思うこと。そのことに誇りを持つこと。
 自分の思考は自分の思考だってことは当たり前で、それに誇りは持つべきである、と主張する人がいることで、その「当たり前さ」は強調される。「当たり前さ」を強調したくて、僕は主張を続ける。そんなもんは当たり前なんだぞ、と言いたくて。(わかりづらいわりに、十行くらい同じことしか言っていないので、そろそろ言い方を変えていこう……。)

「誰にも真似できない自分だけの思考」をオープンソース化することに、僕は意味があると思って、そうしてきたのである。たぶん。
 少なくとも、誰かがこれを読んで、少なからず役に立ててくれているのだ。この文章自体が直接誰かによって書き換えられることはなくても、僕が思考したことは、誰かの頭の中で、改良され、再配布(活用あるいは発表)される。だったら、めちゃくちゃ意味がある。そういうふうになっているということは、たまにある読者さまからの反応により明らかなのだ。
 どんな文章だって、言葉だって、当たり前にそういうふうになっている。それを僕は、同じ場所で、16年やってきた。とりたてて評価されることもなく、アクセスが多いわけでもないが、絶対に何か意味があると信じて、やってみている。
 思考は、大切なことだと僕は思う。だから、「こういう思考がある」ということを提示して、それが誰かの役に立ったり、その思考自体が発展していくとしたら、おそらくそれは宇宙にとって善いことなのだ。というか、そうだと僕は信じているのだ。

 思考が、ロゴス(言葉、という意味のつもりで使っています。僕はプラトンなのでプラトン用語を使うのです)によって表され、それが拡散し、誰かの中で育っていく。それも広義の教育だと思う。
 あとはその思考を、あるいはロゴスを、磨いていくこと。それをもっともっと考えていきたい。
 このあたりが僕が「あれやこれや言葉で説明してしまう」ことの理由で、授業の中でもいつも言わなくてもいいようなことを言ってしまう。「手の内」を明かしてしまう。それはたぶん「(きわめて広い意味での)教育のオープンソース化」のようなことなのかもしれない。(かっこよく言うと。)

2016.09.09(金) 親しき仲にも礼儀あり

「親しき仲にも礼儀あり」という言葉が好きである。
 僕はかつてとても感情的な子だった。すぐ泣き、すぐ怒る。小学生の時に「これではよくない」と奮起して、感情を抑え込むようになった。今では滅多に怒りをあらわにしたり、感情的に人に注意したりしない。それでもこの十数年で何度か怒った記憶はある。ほとんどが「親しき仲にも礼儀あり」の絡む問題だった。
「ごめん」の一言がないだとか、泊まりにきて布団を畳まず出て行こうとするとか、そういう些細なことで、長い友達に説教をかましたことがある。いま思えば、僕は彼らとの関係を「何でも許される」にはしたくなかったのだろう。それを許せば「甘え」が発生し、「上下関係の亜流」になりかねない(前回、前々回の記事を参照)。その二人はともに十七年目の友人であるが、当時はまだ確か大学生くらいだったので四~七年くらいだった。そこから十年以上、よく続いている。
「親しき仲にも礼儀あり」とは、僕の言う「対等」という状態を担保するための言葉だ。「対等」を心がけるなら、親子でも、きょうだいでも、親友にだって、この「礼儀」は欠かしてはならない。相手を一人の人間として尊重しなければならない。「ありがとう」と「ごめんね」は言えなければならない。二つの気持ちをあわせて「感謝」と言う。(感謝と呼べない「ごめんね」は空虚である。←言い過ぎだろうか)

 学校の先生をやっていて常に心がけたいと思うのも、やはり「親しき仲にも礼儀あり」だ。生徒が親しく接してくれるのは嬉しいし、呼び捨てにされてもタメ口で話されても僕のほうでは問題はない。しかし、親しさの内にちゃんと「礼儀」が潜んでいる場合と、ぜんぜんそれのない場合がある。その有無は絶対にわかる。「礼儀のある親しさ」を向けてくれれば「やるな」と思うし、そうでなければ「無礼だな」と思う。(今の学校には今のところ前者の子しかいません、念のため。)
 反対に、もちろん、僕のほうでも生徒に対して、「親しき仲にも礼儀あり」を心がける。相手が「生徒」であり「年下」であり、さらに「女性」(女性に対してことさらに礼儀を欠く男は多い!)であっても、どれだけ仲良くなっても、「対等」の関係でいたいから、「礼儀」を用いる。具体的には、色々あるんだけど、第一には「どんな分野においてでも、相手が自分より優れた状態にある可能性を常に考える」だろうか。たとえ僕が専門とするようなこと(藤子不二雄とか?)に関してであっても、相手の知識や考えのほうが正しかったり面白かったりする場合は常にある。上下関係しか意識できない人間はそこで「勝った、負けた」を考えてしまう(決めつけ)のだが、自分の専門に関して相手が自分の知らないことや面白いことを言ってくれたなら、「もうけた!」と喜び感謝するのが素直ってものだ。そうした話にとどまらず、社会問題に対する意見にしたって、学校のシステムへの文句にしたって、相手が正しいこと(妥当なこと)を言う可能性は常にあるのだから、真剣に耳を傾け、違うと思えば、相手が納得できそうな仕方で「反論」をする。ぐうの音も出ない正論ならば、「あんたが正しい!」とちゃんと言う。そういうことを僕は礼儀と考える。
 実際、高校生くらいの子供は、「ちょっといじれば完璧に正しい」ようなことを拙く言うものである。そのつたなさを取り上げて「間違っている!」と言うのは愚かで、「あなたの考えはここをいじればどうにか妥当かもしれない」と導いてあげるのが、まあ、教育というものなんでしょう。(まともな先生はそういうふうにやっていると思う。)

 さて本題はもちろん、「上下関係しか結べない人」のこと。
 上下関係しか結べない人には、「親しき仲にも礼儀あり」がない。彼らは、「上」の人に向ける慇懃さを「礼儀」だと思っている節がある。そうではない。礼儀というものは、「対等」の人に向けてこそだ。礼儀という言葉が不相応ならば、「敬意」と言い換えてもいい。あらゆる人間に敬意を払えるほうが、いいに決まっている。
 敬意は必ずしも「上」にのみ向けるものではない。また、敬意は必ずしも慇懃さ(丁寧さ)と同期しない。タメ口で喋っていても敬意は発生する。善き生徒が僕に向かって話す時もそうだし、僕がかつての先生と話している時もそうだ。敬意たっぷりのタメ口で僕は話している、つもりなのである。
「対等」な相手に対し、「みえない敬意」を払うこと。それが「親しき仲にも礼儀あり」ではないだろうか。「上下」ばかりを意識していると、それができなくなる。「対等なんだから失礼でもいい」ということをどこかで思っている人間は、けっこう多い。

 そういう人は自分に向けられた「小さな親切」や「みえない敬意」に気づかなくて、やたら偉そうになったり、亭主関白になったりすんじゃないだろうか。彼らはそれを「当然」とさえ思わない。当然すぎて、意識さえできなくなっているのだと思う。

ジャッキー さん 投稿日:2016年09月08日(木) 11時09分
 
ヤンキーは、思春期に親を見下し、それが過ぎると尊敬するようになる、というパターンが多い気がします。
「マジ親に迷惑かけた本当に」という歌詞と「仲間たち親たちファンたちに今日も感謝して進む」という歌詞が両立するドラゴンアッシュの『Grateful Days』におけるジブラさんラップ部分は、まことにその象徴でございますね。
上下しか考えていないので、「見下す」と「尊敬する」のどっちかの極に振れるしかない、ということではないかと思います。
もちろん、何十年も見下し続けたり、逆に何十年も尊敬・感謝し続けたりする人もいるでしょう。そういう人も上下人間っぽいです。
AかBか、という単純さで割り切るほうがわかりやすいので、そうなるのでは。
上と下しかない人は容易に「右か左か」という思考にも流れるので、
ヤンキーに右翼が多かったり、頭でっかちに左翼が多かったりするのでしょう。

吾妻ひでお先生の言葉を借りれば、「垂直思考しかできないやつはこのザマだ」ですね。(『二日酔いダンディー』
(掲示板より)

2016.09.06(火) 上下関係しか結べない人

「上下関係」以外の人間関係を結べない人。
 上下関係以外にどんな関係があるのかといえば、それは当然「対等の関係」だ。

「上下関係以外の人間関係を結べない人」は、自分にだって「対等の関係」は結べていると思い込んでいる。だがたぶん、彼が対等だと思っているその関係は、関係などではなくて、裕福に生まれた反抗期の少年が両親に接する態度と同じである。
 少年は親の稼いだ金で生活をしている。トイレットペーパーがなくなれば親がいつの間にか買ってきて替えてくれている。食事も用意してくれる。洗濯もしてくれる。布団も畳んでくれる。しかし少年は親に対して感謝しない。「生んでくれなんて頼んだ覚えはない」といったことまで言う。ずばりこれは「甘え」である。
 世の中には、他人に甘えきっていて、それを「対等」だと思ってしまう人がいる。先生に反抗する生徒も、実は甘えているのである。「俺たちは同じ人間なんだから、年齢も立場も関係なく対等のはずだ!」と叫ぶ子供の言葉には、例外なく甘えが潜んでいる。なぜならば、大概、反抗する生徒は先生を「下」に見ているのであって、「対等」に見てなどいないのである。相手を勝手に「下」と設定して見下すのは甘えである。手抜きと言ってもいい。
 父親にも母親にも、反抗する少年は対等になど接しない。相手を勝手に「下」と措定する。対話などそこにはない。「オレ(たち)のほうが正しい」という信念によって親や先生、あるいは「大人」なるものを見下しているのである。
「対等な関係」とは、まず相手を「対等である」と仮定することから始まる。その仮定が崩れれば、「上下関係」に発展していくこともあるだろうが、そうなると当然もう「対等な関係」ではない。

 上下関係しか結べない人は、学校の先生にも多い、と思う。すべての生徒を「下」としてしまう人。彼らは同僚の先生についてはどう捉えているのだろうか? 「対等の関係」を結べているのだろうか? さすがにわからないので、私見を述べるにとどめるが、学校空間では基本的に「年上(あるいは先輩)の先生の意見が通る」という鉄則が(たぶん)あって、やはり上下関係になりがちなのである(そうでない学校はいい学校だと思います!)。同い年の同期、という場合はどうなのかというと、これぞこれから述べるある種の甘えの関係が存しているように思える。
 同期や同級生との関係はたいてい「対等」ではないか? という気はする。だが、そうでもない気もする。というのは、仲の良い同期や同級生相手だと「何でも許される」という甘えが生じてくるのである。ちょっとくらい失礼なことを言ったって構わない。ちょっとくらい負担をかけても同期のよしみで許してくれる。これは果たして「対等」なのだろうか? 「お互いがお互いに甘えている」という意味で、平等ではあるだろうし、これを対等と呼んでしまっても差し支えない気はするが、だが、これはどうも反抗期の少年と両親との関係に似ていないだろうか。少年はお母さんに対して、「絶対に許される」からこそ、悪態をつくのである。
 対等の関係とは、「何でも許される」という関係ばかりではない。それを言ったらいわゆる「共依存」関係だって、対等の関係ということになる。そうも言えなくはないが、そういう関係を結びがちな人は「そうではない別の対等な関係」はなかなか結べないのではないか?
「何でも許される」関係は、共依存にとても近い。「おれはすべてを許すから、おまえもすべてを許せよ」という、甘えあいの構図である。これは「お互いがお互いを下に見ることを許し合う」約束を結んだにすぎない。よく見ると「見下しあい」でしかなく、つまり「上下関係」の亜種なのではないか、と僕は思うのである。

 上下関係しか結べない人は、「上」だと思う人と「下」だと思う人をハッキリと分ける。そのほうが楽だからだ。「対等」だと思い込んでいる相手のことも、「相手も自分を見下して良い」という条件をつけて、見下している。
 さあ、それでは「対等」とはいったいどういうことだろう?
 僕が思うに、対等とは、タモリさんとさんまさんのような関係である(そればっかかよ!)。いやでも、冗談でなくて。上下関係しか結べない人には、ああいう関係は結べない。そして、ああいう関係を結べるようになるためには、上下関係なんてくだらないことばっかり考えていてはダメだということも、なんとなく想像できるだろう。
 自分と相手とは、時に上のようになり、時に下のようになる。そのバランスがお互いに納得する形でとれているような時、それを「対等」と言うのではないか、と思う。

2016.09.05(月) 成長は「場」の外で

 友達が言っていた、と別の友達から聞いたんだけど、「場というものは人がたまる場なので人は成長しないでそこにとどまる」。確かに、と膝を打った。
(成長、という言葉や概念がそもそも好きでない、という事情はとりあえず無視して。)

『場の本』(そういうものを作りました、ほしい人は言ってください。詳しくはランタンのページへ)に書き忘れたことなんだけど、僕が「場」の象徴としても最もふさわしいと思っているのは、『笑っていいとも』でタモリさんとさんまさんが二人でしゃべる時に置いてある小さな丸テーブルだ。あれこそが「場」である。
 タモリさんとさんまさんはあの丸テーブルに手を置いて話す。彼らにとって丸テーブルは、絶対になくてはならないものなのだと思う。あれはたぶん「場」なのだ。話題を乗せる「場」。あるいは、タモリとさんまという、強烈な二つの個性を同時に載せるための「場」。
 たぶん、彼らの個性は強すぎて、まっすぐに向かい合っては激突してしまうし、かといって目をそらせば拡散しすぎてしまう。自由な彼らはどこへでもどこまでも飛んでいってしまう。あの丸テーブルがあるからこそ、彼らの立ち話はその「場」を離れることなく、安定して続けていくことができる。丸テーブルの作り出す「場」はタモリさんとさんまさんにとっては互いのカドの鋭さを和らげるためのクッションでもあり、360度どっちへ飛んでもふたたびその中心へ引き寄せられてしまう、重力装置でもある。(カドをとり、全方位に働く。そのために丸くなければならんのです!)

 タモリさんとさんまさんは、そこで「成長」などしない。お互いが極めてきた芸の一端を、その一時的な「場」にのせるだけだ。コーナーが終わればまた一人の芸人として、それぞれの仕事に戻っていく。
 場とはそういうものである。

 さっきとはまた別の友達がmixiに書いていたことだが、「教室的な空間」と「部室的な空間」があるとして、前者は毎日強制的に行かなければならない、生産的なところ。後者は行っても行かなくてもいい、非生産的なところ、だという。そうすると、「教室的な空間」では、成長が促され、見込まれ、時に強要される。「部室的な空間」においては、成長はしない。少なくとも、しなくてもよい。する必然性がない。しにくい。
 僕がいつも言っている「場」というのは、どちらかといえば「部室的な空間」に近く、成長とはあまり関係がない。それを僕はずっと昔からたぶんよくわかっていた。だから、まだバーの客でしかなかった頃から、言うべき相手には「ここにいても意味がない」「日々の生活に力を入れたほうがいい」「とりあえず働いたらどうでしょうか」などなど、はっきりと言ってきた(ほんの数名に対してだが)。あるいは、店や「場」とはひとまず関係のないところで、具体的な助言や進言をしてきた。
 もちろん、「場」というのは、「場」での作法を学ぶところでもある。そういう意味での成長はあるわけだが、その作法を身につけるための素養が身についていない人にとっては、難しい。「まずは作法を身につけるための素養を」ということで、「働いてみたらどうでしょうか」というわけだ。「場」というのは、そういうところの面倒を見るところではない。たまたまその「場」で出会った人が、たまたま教育してくれるような場合もある、というだけで。

 無銘~おざ研~ランタンと通ってきてくれている某くんは、最初は会話さえおぼつかず、敬語は使えない、空気が読めない、無表情で怖い、などなどといった問題をたくさん抱えていて、僕も当初は頭を抱えた。しかし二人っきりになったタイミングで長々と(朝まで)説教をたれてみたところ、劇的に快方に向かっていった。
 この場合、もともと伸びしろ(?)があったというのと、僕がたまたま時間を取って長々しい説教をできたというのがよかったのだが、それだけではない。彼は人知れず(自分で言ってたけど)努力をしていたのである。説教を受けた翌週から、無銘喫茶のドアを開ける前にブツブツと喋る練習をしてから入ってきていた、というのだ。つまり彼は「場」の内部ではなくて、「場」の裏側で説教され、「場」の外側で自主的に鍛錬を重ねていたわけだ。たぶん、だから成長できたのである。

 僕のいう「場」というのは、人が集まるところである。その「人」は、その「場」の外側に、それぞれの生活を持っている。それぞれに生活を持っている人たちが、たまたま集まるのが「場」である。生活の場そのものが「場」になることはない。僕の大好きなこの曖昧な語に定義があるとしたら一つにはそういうことだ。
 それぞれに生活を持っている、サラリーマンとか、教師とか、学生とか、小説家とか、絵描きとか、芸人とか、ギャンブラーとか、軍人とか、殺し屋とか、ドロボウとか、マシーナリーとか、モンクそうとかが、たまたま集まってできるのが「場」なのである。生活と「場」とは切り離されている。そして人間が成長するのは「生活」においてであって、「場」においてではない。(そういうわけでFF6のキャラクターたちはぜんぜん成長しないのかもね? ティナが成長するのは村という「生活」においてだもの。対して、ずっと流動的な「場」にしかいなかったシャドウは何も変わらず自殺する。)
 人は生活の中で成長し、それを「場」の中で発揮していく。あるいは、成長を確かめるために「場」というものを求めるのかもしれない、とさえ思う。(僕の場合はそうかもしれない。)

 ぜんぜん成長がない、って事態は、「場」に執着しすぎて起こるのかもしれない。「場」の中では成長などできない、という原則をたまには振り返るのもいいと思う。人間の成長は生活の中においてのみ生じる。そして孤独というのは生活に含まれる。

 たとえば、読書をしてこそ読書会がある。読書という孤独(生活)に支えられて、読書会という「場」が成り立つわけだ。そこを忘れてはいけないし、このことは何にでも敷衍させて考えるべきではなかろうか。
 孤独であったことのない人間は、世の中のかなり多くのものごとが孤独に支えられているということを知らない。「場」だって常に孤独に支えられているのだし、あらゆる人間関係は孤独に支えられて維持されている。孤独を前提にして、と言ってもいい。問題のほとんどは、たぶんここにあるぞ。孤独を知らないと、知らず知らず人を傷つけてしまう。
 若い頃の一人暮らしは買ってでもしろ、ということでしょーか。

 お母さんはトイレットペーパーが切れるたびに新しいのを買い足している。その孤独を知らない人は、優しさに縁のない生き方しかできないのでは?


 孤独について詳しいことはもうちょっと考えていつか書こう。

(これまで出てきた友達はみな、初回のランタンに来てくれた。いろいろ考えながら来てくれて、本当にありがたいです。)

 ランタンzoneという新しい場所を開きます。よろしくお願いします。
 日記たくさん書く予定だったんですがもうちょっとだけお待ちくださいまし……。

2016.08.19(金) 言えることは

 生きるのを辛がって死ぬことばかり考えていて、それでも「死ぬ」ということに確信を持てない迷い人へ僕が言えることはもう「本を読め」くらいしかない。本を読むくらいしか糸口はない。漫画でも映画でも落語でも何でもいいけど、何か内容を含んだものに触れ続けるしかないと思う。
 辛さをなんとかする方法は本当にたった一つしかない。それは「強くなる」ことだ。強くなるしかないのだ。残酷だけど本当にそうなのだ。強くならない限りは何も解決などしない。強くなるためにできることは様々だが、とりあえず無難なのは本を読むことなのである。何でもいいから「内容」に触れ続けることなのである。それで自分の中に何かを蓄積させていくくらいしか、リスクの少ない方法はない。
 学校の先生だから、国語の先生だから、偉ぶってそういうことを言うのではない。本当にそれ以外に自分一人で自分を強くする方法はないのだ。あとは「考える」とか「書く」とか「つくる」とかそういったことくらいだ。でもそれはやれと言われても難しい。やり方を教えるのも大変だ。出来る人はやればいいが、そうでないなら本を読むくらいしかないのではないか。
「働く」でも「人と話す」でも何でもいいのだろうが、それらは一人ではできないし、リスクも高い。一人でできて、安全で、簡単なのは、たぶんやっぱり、本を読むことだと思う。図書館に行けば無料だし。ためしてみる価値はあるはずだ。
 確かに言えることは、「強くなる」以外に解決策はないということ。誰も助けてはくれない。そう思っておいたほうが、実に無難だと僕は思う。
2016.08.18(木) 壊れていても

 人間関係は一筋縄じゃないから、「壊れている」ことと「仲が良い」ことは矛盾しないし、「感謝」「尊敬」「信頼」と「憎悪」「侮蔑」「不信」も併存しうる。「ああか、こうか」の答え合わせでは割り出せない関係も世の中にはある。
「彼らは仲が良かったんだから、壊れてなんかいなかった」ってのは雑な考え方で、「仲が良かったけど壊れてもいた」ということだってある。「壊れていたけど仲が良かったからこれまでは維持されていた」というふうにだって考えられる。「壊れていた上に仲が良くなくなったからもう終わり」っていうのなら自然な話だ。
 尊敬してる相手を殺したいほど憎んだり、ってこともあり得ることだ。嫌いだけど凄いと思うし感謝もしている、みたいな。(マンガ読んでるといくらでも出てくる。)
 実際誰と誰がどうだっていうことは僕にはわからない。当事者以外にはわからないことだ。しかし人と人との関係は単純ではない、ということは確かに言える。特に、家族とかそれに準ずるような深い絆で結ばれた関係があればなおさら。
「あんなに仲良くしてたんだから、軋轢も確執もなかったはずだ」というのは本当に乱暴である。「軋轢も確執もあったけど、あんなに仲が良かった」。だからこそ奇跡的だった、という見方だってあるのだ。

2016.08.10(水) 死との距離/死に無頓着

 日本の人はアマゾンの奥地に歩く木がいると聞くと「あー、木も歩くかもね~」と思ったりする。夜の小学校には巨人がいると聞けば「そういうこともあるのかも」と思う。怪談というジャンルが外の国でどのくらい人気があるのかは知らないがあれはけっこう日本人の感性に向いたものだろう。『雨月物語』にせよ各種の昔話にせよ、神秘的なことが当たり前にありうる世界だ。
 キリスト教的な価値観だと神秘的なものはすべて神(あるいはそれに準ずるもの)によるとされるのだと思うが、日本では別に神とかなんだとか関係なく木が歩く。
 山奥に住んでいる友達がこんなことを言っていた。「うちに白人のクリスチャンが住んでたことがあったんだけど、おかしくなって出て行っちゃった」と。キリスト教の世界に生きていた人が、いきなり日本的な、「いくらでも木が歩く」ような世界にやってきて、わけがわからなくなっちゃったんじゃないかな、なんて話をした。
 また日本人はどこかで、別にいつ死んでもいいと思っている。天国も輪廻転生も本気で信じてなどおらず、ただなんとなく、「別にいつ死んでもいい」と思っている。

 都会に住んでいると常に死と隣り合わせである。山奥に住んでいれば即死の可能性はずいぶんと低いが、都会では即死が当たり前にある。死との距離が近い。だけど人はみな麻痺している。「それがどうした」と思いながら、走っている電車の脇を歩き、びゅんびゅんと通り過ぎていく車の間をかき分ける。通り魔のいるかもしれない繁華街を歩く。
 日本の人はたぶん、いつ死んでもいいと思っているし、誰か人が死んでも「ああ死んでしまった」というふうに割合軽く思う。何万人が死んでも「ああ死んでしまった」と思う。
 原発や放射能に対してでもさほど深刻にならない。「まあ、死んだら死んだで」と、軽く見ている。甘く見ているのではない。そもそものところ、死なんてものは軽く見ている。
 だから「命の大切さを」なんて言葉は日本では空虚だ。実のところ日本では、命はさほど大切でもない。切腹や神風を欧米人がおもしろがるのはその感覚の違いによるのではなかろうか。
 欧米人はたぶん、「自分たちとは違うもの」「人間ではないと見なすもの」「同じ神を信じていないもの」の命については非常に軽く扱うが、自分の命だとか、自分たちの仲間の命についてはとても重たく考える。ところが日本人は、自分の命をけっこう軽く扱う。肉親についてもそう。中絶や子捨て、姨捨てについてけっこう「まあそんなこともあるわね」くらいに思っていそうだ。

 命は何より大切なものだ、という考えに普遍性などなくたぶん一種のイデオロギー(思想)である。話がぜんぜん飛ぶようだけど僕が思うに手塚治虫は「死んではいけない」と主張した作家ではない。「生命の重大さ」を訴えた作家ではある。生命というものは重大であるが、個々の命ひとつひとつを何よりも大切にすべきかどうかは、また別の話だ。手塚は「個々の命ひとつひとつを何よりも大切にすべきで、人が死ぬことはよくないことだ」と訴えているわけではない、と思う。(そんなイメージも別にないと思うが。)大切なのは「死なない」ということではなくて、「生命をどう使うか」だろう。『火の鳥』未来編のラストには「生命を正しく使う」という表現が用いられている。

 日本の人はたぶん、生命の使い方の一つとして「死ぬ」ということをけっこう容易に選びがちなのではなかろうか。切腹や神風も生命の用途の一つである。殉死や後追いや、あらゆる自殺がそうである。須原一秀という哲学者が『自死という生き方』という本を著しているが、彼は自らの死を哲学のために使った。ソクラテスも、生き延びることができたにも関わらず毒杯をあおった。この感じ、実はキリスト教圏の人よりも日本の人のほうが理解しやすいんではなかろうか。

 日本の人が人の死について無頓着ではないかと思うのは、東京大空襲の扱いを見ても思う。たった一日で10万人くらい死んでいるわけだが、それにしてはさして話題にのぼらない。東日本大震災にしても、地震・津波による死者よりもその映像の生々しさや原発と放射能のほうに関心が向きがちだったように感じる。むろんとらえ方は「人それぞれやでぇ~」だけど、僕はなんとなく全体的にそんなようなふうだった気がしている。
 古事記でイザナミが「美しき我が汝夫の命、かく為ば、汝の國の人草、一日に千頭絞り殺さむ」なんて言うけど、「ああ、人の命ってこうやって千人ひとくくりにされるくらい軽いものだったのかな~」と初めて読んだとき思った。でもよく考えたら、今だってその程度のもんなんじゃないかって気もする。
 南京大虐殺の人数についても、日本の人が死に無頓着なせいで定説を見ない(相手の言い値を受け流す)のではないかなという気もする。中国の人の感覚は、どうなんだろう。あまり重たいイメージはないけど。

 平気で森の木が歩き、木を伐るように軽々しく人が死ぬ。そういう感覚が基礎にあって、「別にいつ死んでもいい」とみんな考えている。ある生徒の母親は毎日酒をがぶがぶ飲んで、家族から「そのうち死ぬよ」と諫められると「いつ死んでもいい」なんて答えるという。そういう感覚ってほんとに一般的にあるよな。
 このHPの副管理人である某氏(某になってない)は「奨学金を返したら死ぬ」と時折表明するのだが、これがたぶんけっこう冗談ではないのだ。奨学金さえ返せば、別にいつ死んでもいいと思っているのだ。そしてこの僕も、彼がそうしたいんならまあ仕方がない、とくらいに思ってしまう。もちろん死んでほしくなどないので、ある程度までは「死ぬな」というエゴを通したくはあるが、どういう通し方をすれば実効性があるのかはわからない。僕だって「いつ死んでもいい」という気持ちはわりあい強くあるので、気持ちはわかってしまうのだし。「死にたい」「死ぬな」のエゴのぶつけ合いになれば、ただのけんかである。「おまえだって死にたいくせに」と言われれば反論のしようもない。「それはそれとして」なんて言えば「勝手なやつ!」となる。そんな戦争やってられないんで、やっぱり結局傍観してるしかないのかもしれない。
 死ぬっていうことは最も重大なことでありながら、当たり前にそのへんにあって、さほどいやがるものでもない。即死すればちょっとビックリする、というくらいのものだ。せいぜい緩やかに死んでいこう。

2016.08.09(火) 店=人格

 東京で、名古屋で、あるいは様々な地方に行って、いろんな店に入ります。僕はバーとか喫茶店とかでしらない人と話すのが好きなので、そういう雰囲気の店を探します。特に旅先では時間の許す限り、深夜まで街を徘徊して、これだと思う店を見つけては入ります。
 それは自分にとって「当たり」だったりそうでもなかったりするのですが、それを分けるのは結局「店主(バーテン)の人格」のみであって、それだけです。
 いい店だ、また来たい、と思うのは、そこに立っていた人の人格を好きだということだけが理由です。味も価格もメニューも店の概観や内装もほかのお客さんも、何もかも、店主の人格から湧き出てくるものと思うので。
 しかし、店主の人格なんてものは実際に会って話すまではわからないため、味や価格やメニューや概観や内装などから逆算して、「どうやらここの店主の人格は素晴らしそうだ」と判断するしかありません。そういう能力を僕は、様々な店を観察しまくりググりまくり入りまくることによって磨こうと努めております。それほど上手でもないのですが、しかし成功する例はけっこう多いです。(同じくらいそうでもないことも多いですが。)
 このたび高知では、見るからにヤバイ店に勇気を出して入ってみたら、とても素晴らしい時間が過ごせました。店構えを見ただけで、「あ、これはきっと間違いないやつだ」とその店に関してはほぼ確信できました。また別の店では、看板や店主やバイトの風貌を外から見て「これは違うな」と思ったものの、ちょっとゆかりのある店だったので入って見たら、やっぱりあまり楽しめなかった(店主・店員の人格に対して魅力を感じなかった)ということがありました。こういうのも良い蓄積になります。
 それにしても本当に心から「ここは素晴らしい」と思える場所はあんまり多くありません。つまり僕にとって「素晴らしい人格!」と思えるような店主はあまり多くないということかもしれません。「楽しかったな」とか「入ってよかった」と思うことはあっても、「もう! ここは!」と興奮するような場所は一握りです。でも決してまったく巡り会えないわけではないので、続けています。これは一種のギャンブルですね。ギャンブルは外れることのほうが多いから楽しいのでしょう。

 そんなふうな態度で、「サブカルの聖地」とか「ゴールデン街っぽい」と言われるとある場所へ行ってきたのですが、そこもあんまり楽しくなかったです。なぜかと考えたのですが、たぶんそこには若い人たちしかいないからですね。若い人たちが、「サブカル」「ゴールデン街っぽい」みたいな旗印のもとに集まってきているわけらしいので、絶対に「サブカル」とか「ゴールデン街っぽい」というもの以上の(あるいは、以外の)ものにはなれないのではないかな、と思うのです。既にあるものを手本にする以上、そうでない状態にはなかなかなれない。いずれもどこかで見たことのあるような店ばかりだし、そこでそうとう長くやっているらしい店の店主とも少し話したのですが、どうも「サブカル」かなにかの概念の内側にこもっている感じで、思考の形跡がないのです。
 ゴールデン街は、若い人が増えたとはいっても、まだまだ入りやすい老舗もたくさんあるし、必ずしも「サブカル」が旗印というわけでもない。土地の伝統もしっかりあるから、やっぱり強いですね。外国人観光客の増加が今後どう影響するかはわかりませんが。
 人格、人格。目指しているものがある人は、その「目指しているもの」の劣化した何かしか作ることはできないし、自分の内から出てくるもの以外を志向すると、そのお店はその人の「人格」をある程度無視したものになってしまって、体温のあるお店にはならない。「店=人格」であるためには、何も目指さず、ただ「こうであるのが良いだろう」という自身の感覚のもとに作り上げていくことが肝要であろうと、僕の好みに照らして思います。

 篠原美也子さんに『誰の様でもなく』という名曲があります。「誰の様でもなく 誰のためでもなく 誰にも似ていない I'm nobody」というのがサビの歌詞。人それぞれ人格は違うのだから、「店=人格」となっているような店は、必ず「何にも似ていない」ものになっているはずで、そういうお店(つまり人)に巡り会うと実に嬉しい。そしてそういう場所には、たいてい善い人たちが集まっているものです。

2016.08.08(月) お気持ち(個人について)

 ↑この題で長い文章を書こうと思ったのですがこれに関してはまだ言語化せずなんとなく混沌としたままにしておいてこれから書くお話の中に溶かし込んでいけたらと思います。

 2016/08/18現在、シン・ゴジラは観ておりません。このまま観ないかもしれません。何かが話題になっているときはたいていそうなのですが、「この渦にのみ込まれたくない」と思ってしまいがち。でも、SMAPとかASKAとかに関しては異様な執着を燃やすので、単に「話題だから」避けているというわけではないようです。

2016.08.07(日) ネタバレについて/感動について

 空前の「ネタバレ」ブーム。「ネタバレ」という言葉があちらこちらで飛び交っている。日本人とはこんなに「ネタバレ」を嫌う民族だったろうか。なぜこんなことになっているのか?
 映画『シン・ゴジラ』について語ろうとする人間が、絶対に避けては通れない言葉、「ネタバレ」。どこへ行っても誰かが必ず『シン・ゴジラ』の話をしたがる。そして「この中で見てない人っています?」みたいなことを言って、「あー、じゃあネタバレになっちゃうな~」とかいった流れになる、ことが本当に多い。
 なんでそんなみんなネタバレが嫌なん? なんでそんなに気を遣うん? ネタバレして殴られたこととかあんの? うーん確かに、インターネット(特にSNS)に親しんでいる人は、いろんなところで「ネタバレ注意!」とか「ネタバレ禁止!」とか「ネタバレを防ぐために○○してます」みたいな言葉を見かけるので、「ネタバレ=悪」みたいなふうに思わざるを得ない、というのはわかる。
『シン・ゴジラ』の場合は、パンフレットに「ネタバレ注意」「映画をよりお楽しみいただくため、映画ご鑑賞後にお読みください」と書かれた封がしてあり、公式に「事前に内容を知らないほうが楽しめるよ」とアナウンスされていることになる。試写会を行わなかったことなんかもあって、「『シン・ゴジラ』はネタバレ禁止の映画だ!」「みんなネタバレには気をつけろよ!」といった雰囲気が醸成されている。
 僕はまだ映画を観ていないんだけど、『シン・ゴジラ』の凄さってまずはここにあるんじゃないか、と今の段階では思っている。「ネタバレはよくない」という雰囲気を、あっさりと全国に広めた。
 僕は、「ネタバレはよくない」という雰囲気が、あまり好きではない。

 一つには、「観ないと話に入れない→だから観なくては」という同調圧力・同調欲求が生まれやすいということ。まあこれは別にどうでもいいです。誰もが思うことだし今に始まったことでもない。
 僕が気になるのは、「事前に内容を知らないほうが楽しめる」という考え方のこと。
 まあ、実際、そうなんでしょう。一度にぜんぶビックリしたほうが、「映画を観ている時の楽しさ・面白さ」は増す。映画を観ている二時間前後の間に得られる快感の量(すなわち密度)は、ネタバレがないほうが大きくなる可能性が大きい。あるいは、事前に内容を知らないということは、二時間で処理すべき情報量が増えるので、一度では内容が把握できなくて、二度、三度足を運ぶことが必要になってくる。客としては二度も三度も楽しめるわけだし、興行的にもそっちのほうがおいしい。(「なんかよくわかんなかった~」で終わってしまうような作品ならば別だが、内容や話題性に優れているのなら。)
 めちゃくちゃ乱暴にまとめてしまうと、ネタバレをすべきでないことに理由があるとしたら、「二時間の快楽」の質を高めるためである。映画というものがエンターテインメントである以上、その「二時間」の質を高めることは至上命題である(たぶん)ので、まあまあ、なるほどな、とは思う。
 どうも僕は元来、短時間の快楽というものがそれほど好きではないようだ。いわゆる「おいしいもの」をさほど強くは求めないし、風俗にも行かないし、映画館やライブに足を運ぶのもけっこう億劫である。
 これは好き嫌いの問題であって善し悪しではない。そのように考える人間がこの世に何パーセントくらいいるのかも、知らない。だけどそういう考え方はある。
 僕は、数直線で表せるようなメーター的な快楽の量について、あまり興味がない。(快楽だけでなくたいていのことについてそうなのだが、今は脇に置く。)瞬間的な快楽量が多いから、快楽メーターが高く反応するからといって、良いとも思わないし、それをすべきとも、したいとも思わない。それを良しとした人の行き着く先はヘロインである。(相も変わらず乱暴な極論!)
 じわじわとのんびりとした快楽ができるだけ続いていくことのほうが、どちらかといえば良い、と僕は感じる。そのためにならちょっとした不快も受けて立つ。
《なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。》という、『銀河鉄道の夜』の灯台守のせりふをいつも胸にしている。重要なのは、その一瞬の快楽量ではなくて、その快楽が果たして「ただしいみちを進む中でのできごと」として位置づけられるものなのか、ということだ。もちろんどうであるかは誰にもわからないことなのだが、せめてそうであればと祈って、できれば信じて、納得しながら生きていきたい。
 ネタバレの話だった。「ネタバレはいやだ」と思っている人は、「ネタバレをされずに映画を観ること」の利点について、どう思っているのだろうか。「そのほうが二時間の快楽の質が上がる」とだけ思っているのだろうか。そうでなく、長い目で見て、自分の人生の質のようなものが、ネタバレの有無によって左右されるかどうかを検討した結果、そう思うのだろうか。

 ここまで、ネタバレをされたくない側のことを考えてきたが、ネタバレをしないように努めている側のことも考える。彼らは、ネタバレをしないために、作品の内容について具体的なことを言えない。しかし、言いたいことがあるのに黙っていればフラストレーションがたまるので、彼らはやっぱり何かを言う。何を言うかといえば、それは多くが、「感動の表明」である。それで「感想」は、「感動」に封じ込められる。
「感想」に対しては検討ができるが、「感動」を検討することは難しい。すると「他人の感想を参考にして、観るかどうかを決めよう」という態度がとれなくなる。「とにかくみんなが感動してるんだから、よほど凄いものなんだろう」という数直線的な評価をするほかなくなる。質的なことは何もわからなくて、量的なものだけが判断材料として目の前に出される。
「ネタバレが存在しない」ということは、「感想を封じる」ということで、それは「感動を野放しにする」ということである。ネタバレができないからということで、Twitterなどで、「ゴジラ……ああゴジラ……」だとか、「ゴジラのことしか考えられない」といった言葉が並ぶ。ネタバレをしないように配慮しながら感想めいたことを書こうとする人だっているが、そういうことがうまくできるのはごく一部の賢くて表現力にすぐれた人だけだろう。たいがいは歯にものの挟まったような言い方にしかならない。(もちろん、「ネタバレ注意」と冠してはっきりと感想を書く人も多い。)
 感動が野放しにされると、もののりくつは問われなくなり、秘教じみてくる。秘教に参加できるのは「『シン・ゴジラ』を観る」という儀式を済ませた者だけだ。そして同じ教えを共有する者たちはお互いについて安心感を持つ。「おれたちは『シン・ゴジラ』に感動した仲間だ」というふうに。端から見ている人は「自分もそこに入りたい」と思う。
 僕は『シン・ゴジラ』を観ていないので、まさにいま「仲間はずれ感」のまっただ中にいる。先達の多くは映画の内容について進んで話してはくれず、「観てから話しましょう」などと言う。「あなたと同じ教えを共有したい」というラブコールである。そう思ってもらえているのだから、応えたいとも思い、なんだか観ていないことが申し訳ないような気分にさえなる。
 感動が渦を巻き、その中心にあるものはちっとも見えない。そうなると、どうしても気になる。また疎外感を得る。その渦の中に僕も入りたい。そう思わせてしまう力が『シン・ゴジラ』にはあって、本当にすごい映画だと、観てもないうちから思っている。


「事前に内容を知らないほうが楽しめる」というときの「楽しめる」とは、どういう「楽しさ」のことなのか?
 その楽しさのために、別の「楽しさ」が失われてしまうことは絶対にあると思うし、「楽しさ」以外の「何か」だってなくなってしまう。前情報がないほうがいいのか、あったほうがいいのか、というのは、あらかじめ決められる話ではなく、あろうがなかろうが、何かを感じたり考えたりできればよいという考え方もあるんで、「ネタバレはよくない」という考え方は、「まあそう言う人もいるよね」くらいで扱っておくほうがいい。
「ネタバレをしたからこそ意味のあること」だってあるし、もしもネタバレをしないことの意義が「快楽が大きい」ということだけだったら、「だったらもっと別の意義をとったほうがいいのではないか?」という発想だって見直されていいはずだ。
 あるいは、「ネタバレをしないことの意義って、なにがあるかな?」と、考えてみることも大事なんではなかろうか。
 そして感動についても、怪しいもんだと思ってみるのは、決して無駄ではないと思う。感動はもののりくつを見えなくさせる。本質を覆い隠す。感動そのものに質はなく、感動の中から質を探り出すことが、たぶん大切なのであるから。


『シン・ゴジラ』に限らず、ネタバレをきらう人は、なぜ嫌うのか? 事前に内容を知らないことのメリットとは何か? そのことにどんな意味や意義があるのか?
 野放しにされた感動は、何をもたらすのか? あるいは、何をもたらさないのか?
 感想よりも先に感動を共有することによって、いったい何が起こりやすくなり、何が起こりにくくなるのか?

 野比のび太先生お誕生日おめでとうございます。

2016.08.06(土) 麺の島(まんが甲子園)

【日程メモ】
6 京都、関空、梅田、石橋、三ノ宮
7 高知 まんが甲子園、散策、宴会、ファンキータイム
8 高知 シュシュ、スプーン(今ここ)、未定だがどっかにこもって文章書く、その気になったら飲みに行く
9(予定) 神戸、ポートアイランドでポートピア歌う、ポエム、空いてればWindow of dream?
10 六甲山に登る。空いてればWindow of dream?
11 大阪 まだみぬ友人に会う
12 名古屋?
13 不明
14 名古屋
15 不明
16 不明
17 不明
18 出勤


 まんが甲子園には初めて行ったのだが素晴らしいイベントだった。全国のペン児が戦う本選も素晴らしかったが地元の高校の漫研(的な部活・同好会等)が集って廊下でプチコミケを開催していたのがとてもよかった。その中では土佐高校のくもはぜ先生とサラダバー先生を中心とした合作『麺の島』『続・麺の島 S沢博士の奇妙な愛情』が特に良かった。二作合わせて250ページという大作である。
『麺の島』は、高知県に突如出現した謎のカップラーメン生物「麺イカ」が四国全土を制圧しようとするのを自衛隊が抑えようと奮闘するパニックもののようなストーリー。今ちょうど『シン・ゴジラ』が話題だが、このような作品の醍醐味は「どうやって怪物をくいとめるか」。(初代『ゴジラ』におけるオキシジェン・デストロイヤーは有名である。)
 本作の場合、麺イカを食い止める方法は「四国と本州とを繋ぐ大橋を一つずつ破壊していく」であった。もちろん麺イカそのものの殲滅にも力を尽くすが、強すぎて勝てないのである。仕方なく瀬戸大橋をぶっ壊すラストシーンには迫力がある。四国民がどのような想いで、いかに多大な障害を乗り越えて大橋を建設したかを知る者にとって感慨はひとしおだろう(きっと)。
 この作品について「高校生が描いたとは思えない」という感想は言わない。アイデア・技術ともに高校生ならば十分に描けるクォリティのものだと思う。ただ、250(100+150)ページもの物語を破綻なく、しかも合作で描ききるというのは、小学生だろうが大学生だろうが簡単にできるものではない。
 自衛隊などの考証に手を抜いていなかったり、四国・中国地方の実在の地名や特色をうまく活用したりと、作品に厚みを持たせる術も心得ている。随所にちりばめられた過去作品へのオマージュ(『ナウシカ』『逆シャア』『あ~る』『ゴジラ』などなど……)も、かつての名作から多く学んできた証左である。
 部誌に掲載されたくもはぜ先生(長編のストーリーやネームは主に彼が担当したようだ)の短編二編も、個性があってなかなか読ませる。構図取りなどの実作上の技術や、キャラクター作り、アイデアの質などは、これからさらに磨いていく必要があると思う(偉そうですみません)が、何かを見て学び、描いて完成させるという最も重要な力が既にあるので、これからもどんどん死ぬほど描きまくってほしいものだ。次の作品があるなら本当に読みたい。

 会場で読み終わり、興奮してふたたび売り子さんのところへ行った。なんとか話を取り付けてくもはぜ先生に会うことができた。うまくすれば来春には大学入学のため上京するそうだ。『続・麺の島』以来まんがは描いていないらしいが、「受験が終わったらまたぜひとも。読みたいです」と伝えておいた。これだけでまんが甲子園に行ったかいがあったというものである。

 Moo.念平先生……いや、Moo.念兵衛師範による「大笑いまんが道場」は、実に面白かった。村岡恵先生、最高でした。また、CHAWAN MUSHIチームのヘッドフォンの子! とてもすばらしかった! 直接伝えられなかったのでここに笹舟を流しておきます。

2016.08.05(金) 大曽根の血

 大曽根はずいぶん変わった。これまで地下に潜っていた人たちがうようよと表に出てきている。三角ビル(サンシャイン大曽根)はかつて孤高を保っていた。様々ないかがわしいテナントをそろえた風俗ビルであったが、駅から隔離され、まさに「知る人ぞ知る」であった。何もなかったその道に今や新しい居酒屋やガールズバー等が建ち並び、駅と三角ビルとの「接続」の役を果たしている。キャッチの男性もそこここに立ち、また歩き回っていて、三角ビルの方面へと飲んべえたちを誘導する。驚いたことに三角ビルの向こう側、つまり駅からより遠いエリアにも若い水商売のお店が増えていて、いかがわしさはじわじわと勢力を広げているらしいのだった。大曽根はこれからまだまだ発展するのだろう。
 僕がこの町に住んでいたのは十八歳までだから、夜の世界はもちろん知らない。またうちの中学校の主なテリトリーは上飯田のほうで、大曽根駅のほうは複数の学区のちょうど分かれ目にあたる。いろんな勢力がひしめき合ってこみ入っており、また交通の要衝でもあるため、ものすごく小規模な話ではあるが文化のるつぼとして機能しているのだろう。川が近くて治安も悪く、それで昔から町の規模に比して風俗や水商売が割と多いようだったが、それが近年、どんどん表の方へ進出しているように見える。
 南口のほうだとか、メッツ大曽根の裏だとかに、ちょっとそんな雰囲気のあることは知っていた。しかし駅の北西側の大通りでキャッチが歩き回るなんてことがあるとは思わなかった。知らなかっただけなのだろうか。でも、ともかく確実にお店は増えている。(あんなところに鳥貴族ができるなんて!)
 発展していく町もあれば寂れていく町もあるのだろうが、大曽根はたぶん前者だ。ここにきてなぜだか景気がいい。いったいどういうことなのか?
 と思って何気なく検索してみたら、わけのわからないページにぶちあたった。「大曽根vs新宿」。名古屋の大曽根と東京の新宿との類似を指摘しているのだが、その妥当性は脇に置くとして、大曽根と並べられるのが新宿というのは面白い。ちょうど僕は今日、キャッチをかわしながら友達と大曽根を飲み歩きつつ、「歌舞伎町かよ!」という言葉を図らずも発していたのである。確かに、なんとなくそういう匂いを感じていたのだ。
 高校を出て東京に出てきてから、僕のテリトリーはずっと新宿である。新宿が最も心地よい。「たまたま」だと思ってきたのだが、実は大曽根を思わせる何かが新宿にはあるということなのかもしれない。大曽根には国道19号線が走っていて、北東になぞるとやがて20号線に切り替わる。甲州街道である。そのまままっすぐ東に走れば新宿なのだ。また、大曽根と新宿とはJRの中央線でも繋がっている。運命的なもんを感じないでもない。
 上記のページを読み進めていくと、「では、大阪ではどこに対応するのか?」という話題が出てくる。このサイトの管理者の考えでは、十三(じゅうそう)らしいのである。ちょっと待った、僕が大阪で最も親しんだ町といえば、十三だ。
 十三には友達が住んでいてよく遊びに行った。そこで「おかわり」という小料理屋に出会ったという話はここにも何度か書いている。初めて「おかわり」に行ったとき、ママから、「なんか初めてやのに、初めてっていう気がせえへんねえ」と言ってもらえた。ひょっとしたら僕の身体に流れる「大曽根」の血が、「十三」の血と呼応した、ということなのかもしれない。(ほんまかいな)

 人はときに、「しっくりくる」という感じによって、頭で考えるよりもずっと早く、膨大な理屈をわかってしまう。西武池袋線沿線に住んでおりながら、池袋をちっとも好きになれずに、いつも新宿で遊んでいた。渋谷はちょっと苦手。毎日通った高田馬場も、新宿ほどに好きな町とはならなかった。そのわけは、結局のところ大曽根の血なのかもしれない。

2016.07.31(日) Earthへ着地

 世の中にはいま一般論と持論しかない。
 どちらも「個々の場合について熟考する」という態度に欠けている。

 漫画家のうすた京介先生がインタビューで、「ギャグは、『描きながら考えること』がほとんどですね。『会話中にたまたま面白いことが言える』のと仕組みは同じです。」と言っていた。
「会話中にたまたま面白いことが言える」という能力は、まさに「個々の場合について熟考する」を癖にしている人だけに宿る。「一般論」の人は誰でも思いつくおやじギャグみたいなものや、テレビで芸人がやってる方式のコピーみたいなものしかできないし、「持論」の人は自分が面白いと思っている話を一方的にするばかりで、たとえはじめは面白がられても次第に飽きられる。
「一般論」の人はありきたりなことしか言わず、「持論」の人は独りよがりである。「個々の場合について熟考する」タイプの人は、「熟考」のスピードを速めたり思考を簡素にすることによって、当意即妙に面白いことを言える。うすた先生はそういうタイプの人で、だからこそデビューから25年経ってなおギャグ漫画家を続けられているのだろう。マサルさんからジャガーまで飛び石ながらも15年間、週刊少年ジャンプでギャグ連載を持ち続けていたというのは、そういう瞬発力のたまものだ。瞬発力は枯渇することがない。

「個々の場合について熟考する」はソクラテスや釈迦が、またおそらくはイエスや孔子も当たり前にやっていたことである。仏教の言葉ではこれを「対機説法」とか言うらしい。漢方医学もこれに近いかもしれない。
 一般論や持論は固定的で、柔軟性がない。しかし使いやすく便利である。「個々の場合について熟考する」ことは柔軟すぎて、法則性がなく、効率が悪い。合理的でない。科学的でない。しかしたぶん、そのほうが優しい。
「報われることもある 優しさを手抜きしなけりゃ」(H Jungle with T『FRIENDSHIP』)というときの「優しさ」とは、「個々の場合について熟考する」ということ、そのものなんじゃないかと思う。これに手を抜けば、「一般論」や「持論」に手を染めることになる。楽で、効率的だが、手抜きは手抜きであって、「報われない」時が訪れる。

 報われねえなあ、って思うようなことはたくさんあるけれども、それでも「個々の場合について熟考する」という態度を泣きながら貫いていたら、いつの間にか報われている、ということはありうる。憎まれたり、呆れられたり、見限られたり、誤解されたり、疎ましがられたり、馬鹿にされることはあるのだけれども、ノアが方舟をつくったときもわらわれたのだし、仕方ない。それで意固地になって頑なな「持論」を形成してしまわぬように、あるいは「一般論」の濁流に呑み込まれてしまわぬように、日々いろいろと考えていきたく存じます。
「いつかその想いを託してはばたいた鳥たちが晴れた空へ帰ってくる日まで」なんて歌もありましたが、そのような時は必ず来るのであるから、自分より年の若い人たちにはそれを希望として語り伝えていきたいね。

 そのためにはあんまり感動ばっかしてる暇はないよってのも。
 感動とは停止だから。
 歩くつもりならワクワクするほうがいい。

2016.07.27(水) ポケモン考

 友達がmixiでポケモンGOについて、「スマホをいじるための口実」(大意)というようなことを言っていた。みんなスマホを触りたいのだ。
 人間はたぶん、自分のしたことに反応があることを楽しむ。ゲームの楽しさの本質の本質は、「ボタンを押すと何かが起こる」ということそのものだと思う。いじめだって何らかの反応があるから楽しいのだろう。
「スマホをずっと触っていてもいい」という事態は、その楽しさ、気持ちよさを延々と享受していて良い、ということだ。
 スマホはすごい。指を動かせば、反応がある。光と音が祝福してくれる。視覚と聴覚を大いに刺激してくれる。パチスロと同じような原理だと思う。ポケモンをゲットするという「報酬」はまさにパチスロと重ねられそうだ。
 僕はスマホにしてもパチスロにしても刺激に対して「中毒」となることを「よくない」と思う。また単純で迅速な「報酬」に動かされて行動することも好きではない。そういう面でもポケモンGOはさほど良いものでもないと思う。
 僕は「さほど良いものでもない」とだけ思って、別にそれをやるべきでないとも思わない。やらなくてもいいとは思う。熱心にやる人はばかだとも思わない。やらないほうが無難だとは思う。
 自分だって「やらなくてもいい」し「やらないほうが無難」であるようなことにたくさんはまってきたのかもしれないし、それが良いほうへ転がったことだっていくらでもあったはずだ。ポケモンGOをやるメリットはきっといくらでもある。デメリットだってたくさんあるだろうが、その天秤がどちらに傾くかは「人それぞれやでぇ~」だし、デメリットのほうが多かろうが特定のメリットのためにそれをやる、ということだって人は平気でする。喫煙はその最たるものだと僕は思う。
 中毒であることや依存することは気持ちいいから、気持ちいいことが好きな人はそっちのほうにずっといたがる。
 僕も気持ちいいことは好きだが、それを行動の根拠に据えるつもりはない。「気持ちよかったらラッキー」くらいの気分で生きていたい。
 なぜかといえば、「気持ちいいこと」を求めて生きていると、単純で迅速な報酬しかもらえなくなるからである。僕はもうちょっと複雑で遠い報酬のほうが好きなのだ。要するにただの性分というやつだろう。すぐにもらえるわかりやすい報酬のほうが満足しやすい人もいる。
 それがたぶん僕の価値観の妙さの根源にある。
 僕が「そんなもんどうでもいい」、と容易に思ってしまうことが、一般的な基準においてはとても大切だったりするのは、快楽や幸福の距離感がずれているからではないかと。

 ところでポケモンは、ポケモンというせっかくの多様性をすぐに数字に変換させてしまう。「キミはもう、たっぷりポケモンつかまえた?」という『ポケモンいえるかな?』の冒頭の台詞を聴いて、幼かった僕は「たっぷり捕まえたら偉いの?」と思ったものだった(たぶん)。偏屈な僕は「数字になるようなものは大切ではない」と思ってしまう。僕がポケモンに対して好意的でない理由はいくらでもあるが、一言でいえば「何もかもが最善でない」。
 捕まえたポケモンを飼育して戦わせる、という発想自体が嫌だ。なぜポケモンがアメリカで流行るのかって、「神の次に偉いのは人間!」というキリスト教的な世界観とちゃんとマッチしているからじゃないかな。もともとが狩猟民族だってこともあるし。僕はそういう価値観を持っていないので、「ポケモンを人間が左右しようなどおこがましいとは思わんかね」とか思う。「ゲットだぜ」って言うからにはポケモンは友達じゃないし対等な存在でもないのでしょう。ポケモンGOが「虫取り」という行為と重ねられるように。ポケモンに対して敬意を表さない感じがあんまり好きじゃない。(こんなことを言う僕はもちろん「ペット」という考え方だって好きではないのだ。)
 でも世の中では数字はとても大切だとされているし、ペットだって愛されている。ポケモンをゲットする、という発想に嫌悪感をおぼえる人は少ない。僕の感性や考え方は異常なのだと思う。
 それでその異常性に誇りを持って日々こういうことを書いている。

 初代ポケモンが発売されたのは小学五年生の冬の終わりだった。暖かくなるころにはだんだん流行ってきて、二つ下くらいの世代の子たちが公園に集まってポケモンに興じる姿がよく見られるようになった。「ああ、時代は変わった。」と思った。公園は僕にとって自由な場所で、一緒に遊ぶのに資格は要らなかった。あるとしたら「いいやつかどうか」だけである。ただ「入れて」とか「入る?」とだけ言えば(あるいは言わなくても)よかった。でも、これからはゲームボーイとポケモンがなければ遊べない世界になるんだ。ゲームボーイとポケモンが買えない家の子は、盗むしかない。そういう事情で行われる万引きはけっこうある。『お金がない!』のゲームボーイ盗むシーンを思い出す。
 今はもしかしたら「スマホがなければ遊べない」時代になりつつあって、それを助長するのがポケモンなのだとしたら、「またポケモンかよ」だ。
 そんなことを言っていたら友達が、「それはコミュ力のあるジャッキーさんだからですよ。僕はポケモンなかったら友達できなかったですから! とりあえずポケモンさえ持ってれば一緒に遊べるってのはありがたかったですよ!」というようなことを言ってきた。友達なんかいないうちはいなくていいんじゃないかと僕は思うけどな。僕もずっと友達は少なかったよ。「友達」と呼んでいい相手なんて一人もいないと思っていたよ。だからコミュ力なるものを育てざるを得なかった。なんて言えばまた、「そりゃそういう素養がもともとあったからでしょ。何もない人は何にすがってでも人間関係がほしいんですよ」と返されるかもしれない。そうだな、そりゃそうだ。それは「人それぞれやでぇ~」なのだ。
 友達が作れないようなやつでも、スマホがあってポケモンがあればそれで人と関わることができる。それを僕ははっきりと「嫌だな」と思う。
 友達なんていないうちはいなくっていいんじゃないかな。遊ぶ相手がいなかったから僕は本や漫画を読むしかなくて、それで後に友達を作るための「素養」なるものは育ったんだと思うよ。そういう道筋がちゃんとあるんだから、「ポケモンで友達をつくろう!」なんて拙速なことを考える必要はない、と、思う。思う。思うんだけどな。

 ポケモンGOは「インターネットに繋がっているスマホ」を持ってないと遊べない。ゲームボーイみたいに貸すこともできないし、盗むことも難しい。ハードルが高い。子どもがやっても楽しいと思うけど、やれる子どもとやれない子どもがはっきりと出る。
 ちなみに僕のiPhoneはWi-Fi環境になければインターネットに繋げることができないので、基本的に「外を歩き回ってポケモンを集める」ことができない。楽しもうと思っても楽しめない。契約を変えるしかない。でも携帯電話会社が提供するネット回線を繋ぐのにはけっこうお金がかかるから、しない。「だから羨ましくってそんなことを言ってるの?」と思われたら、いやだな。たとえそうだとしても、「お金がないからネットにつなげない」という事情を抱えているかもしれない人に対して、そういうことを言うのは嫌なやつだと思う。僕がモバイルデータ通信の契約をしていない(その代わり通話し放題にしている)のは、お金の面だけでなく、スマホ依存になりすぎないためというのもあって、中毒が嫌だからだ。ポケモンGOをやらなくてすんで助かっている。どのみちやらないと思うけど。
 僕の頭は古いので、「スマホ脳」にならなくてすむならならないほうがいいと思っている。天気予報だって乗り換え検索だってグーグルマップだって、できるだけ使わないほうが能力が衰えにくいからいざというときむしろ役に立つはずだ。なんでもすぐに検索してしまうことも、必ずしも良いとは思わない。自分で考えなくなるから。
 ポケモンGOに対して「それほど良いものでもない」と思うのは、結局それがスマホでするものだからだ。スマホと親密になってしまう、というだけで、僕にとってはマイナスだ。
 なんでそんなにスマホが嫌なのかといえば、「スマホは人間の一部ではない」と強く思うからで、僕は人間が好きだからである。

 快楽や幸福は、人間が直接もたらしてくれるもの以外はすべてまやかしである、と、思っていたい。そのほうが健全な気がする。
「恋愛などない」と僕が言いたがるのは、「確かなのは人間そのものだけである」という意味でもあるのだ。膨らんだ幻想は人間ではない。

2016.07.26(火) 注意欠陥

 注意欠陥だから動けば失敗し、話せば失敗し、何もしなくても何かの邪魔になる。そんな気がして魂が離脱する。
 自分は本当に注意欠陥で、おろそかになることが本当に多い。ときおり優しい人がいて、目についたおろそかなことを逐一僕に教えてくれたりする。僕はそのことが本当につらい。ありがたいんだけど、実につらい。
 注意欠陥なので、おろそかになることが本当に多いんだけど、おろそかではないこともちゃんとあるはずだ。でも優しい人は、「おろそかではないはずだ」と僕が思っているようなことでも、「おろそかだよ」と教えてくれる。「あれ、おろそかじゃないと思っていたのに、おろそかだったのか。おかしいな。ここはおろそかではなかったつもりだぞ。この人は、僕のすることはどうせなにもかもおろそかだろうと思って、勘違いしているのかな。それとも僕は、自分のおろそかさが自覚できないほど、おろそかなやつなのかな」と考えて、なんか悲しくなって、涙が出てくる。
 悪いのはとにかく、結局、自分である。僕がおろそかでなければ、注意欠陥でなければ、いろんなことがうまくいくのだ。
 少しずつよくなっている部分はある。わすれものをしないように、席を離れるとき、自分の座っていた場所を振り返って見る癖をつけた。大きな進歩であった。
 少しずつそうやってよくなっていけばいいんだけど、そんなにうまくはいかない。気をつけるべきことがたくさんあって、大変だ。
 問題は注意欠陥であることばかりではない。なんだか、どうやら自分は価値観が妙らしい。あるいは常識がない。それでまた優しい人に指摘を受ける。ありがたいことだが、「自分は価値観が妙だし常識がない」ということをその都度意識するから、つらくなる。つらくなるのはこっちの勝手で、相手は好意で教えてくれるのだから、何も悪くなくて、悪いのはこっちだと思うと、また悲しくなる。悲しいということが相手に伝われば、向こうのばつが悪くなり、申し訳ない。なにもいいことがない。がんばるしかない。
 結局、がんばるしかないので、がんばる。
 どうしたらいいのかはよくわからない。
 わかるのは、おろそかであってはいけないらしいということだけだ。
 少しずつでもおろそかでないようにしなくてはいけないらしいということだ。
 僕の人生はたぶんそれだけで終わる。

2016.07.25(月) 流行と殺戮

 流行っているものについて「良くない」と判断しそれを口にすると、そのことに対していやな言われ方をすることがある。「流行ってるものを叩きたいだけでしょ」「自分が乗れないからさみしいんでしょ」「そうは言ってもたくさんの人が良いとか楽しいと思っているんだからいいじゃない、間違っているのは多数決でも確実にあなた」等々。

 僕は「羨ましい」という気持ちにとても慎重だ。それは容易に「ねたましい」や「ずるい」に変わる。「羨ましい」というのはけっこうポジティブな感情のはずだが、それが一転ネガティブな感情にすり替わることがよくある。
「羨ましい」と「ねたましい」「ずるい」とを、ちゃんと分けるように気を遣う、それがここでいう慎重である。人間関係のトラブルはほとんどに嫉妬が絡む。だから慎重さが必要なのだ。
「それってたんなる嫉妬でしょ?」といった種類の一言で、たいていの相手を黙らせるか、怒らせることができる。そんな卑怯な手は打ちたくないし打たれたくもない。でも、何かを言うとすぐその矢は飛んでくる。いやなものだ。それで僕は口をつぐむ。何も言わないことにする。つまんない。

 現今流行っているあるものに対して僕は冷淡な気持ちを抱いている。嫉妬なのかは知らん。不快というわけではない。ただ「そんなにいいもんでもない」と思っている。
「それは最善ではない」と思えば「それは最善ではない」と言いたい。それだけのことなのだが、それだけのことを言うのが難しい。
 ふつうの人はたぶん、最善ではないと思うものに対して「最善ではない」と言わない。最悪であると思うものに対しては「最悪である」と言うかもしれない。
 たぶん、いちばん多いのは「最悪である」を口にする人で、次が「最善である」を口にする人で、その次が「最悪ではない」と言う人で、最後に来るのが、「最善ではない」を言う人である。
 世の中は最善ではないもので満ちている。だって最善であるもの以外はすべて最善ではないのだ。だからいちいち「最善ではない」を口にするのはばかげている。
「最善ではない」とわざわざ言う人は、がんこおやじのように人の眼にうつる。がんこおやじとは理想主義者である。理想を求める人は「最善かどうか」を常に考えている。

「最善かどうか」をいきなり考えるのは難しいので、それに先だって「善かどうか」というざっくりとした判断が行われる。
 理想を求める人は常にこれを行っていて忙しい。
 そうした人は他人に「善かどうか」についてのレクチャーを行いがちである。それを厭う者は仙人になる。
 急げばテロリストになる。
 殺戮者になる。

 それでいま慎重に考えている。
 この流行は善であるか。
 善でないと思えば、自分は何をするべきだろうかと。
 何を書くべきだろうかと。

2016.07.24(日) 歌のうまさ

 うまい歌は空間を支配する。名古屋で活動するあきいちこさんという方の歌は野外の演奏でもまるでそこがライブハウスででもあるかのように場をまとめあげてしまう。場をまとめるといっても聴衆が一丸となって踊ったり身体を揺らしたりといった現象を言っているのではなくて、歌声が「ある緊張感」をその場に作り上げて、空気をまったくその色に染めてしまうといったイメージのことである。彼女の歌の前にいると、息をのんで釘付けになってしまう。それは迫力と表現しても良いようなものだが、ではその迫力はどこから来るのか。
 ある友達がアニメーションについて、「正しさの連続」という表現を使った。連続するセル画の一枚一枚すべてが常に「正しく」描かれ続けていくのが、優れたアニメなのだという。一秒間に最大で二十四回切り替わるアニメの絵のすべてが、余すところなくすべて「正しい」ことが、名作アニメを名作たらしめているのである、と。
 歌にも同じことが言えるのではないだろうか。しかも歌は完全にアナログであって、「一秒間に二十四回」といったケチな刻みはない。無限の瞬間のすべてが一切「正しい」でなければならない。ただの一瞬も「正しさの連続」から外れないような歌こそが、優れた歌と言えるのではないかと、思うのである。
 優れたアニメは、一秒間に最大で二十四回も「正しい」姿を見せてくるから、目を離すことができない。優れた歌は、一秒間にただの一度も「正しくない」姿を見せない。だから僕はそれを目の当たりにすると「息をのんで釘付けになる」のである。正しくない瞬間がないから、ほんの一瞬だってそこから意識を離すことができないのだ。
 その意味で、僕にとって最も優れた歌というのは、奥井亜紀さんの歌である。「もっと優れた歌手はいるよ」と言われればひょっとしたらそうなのかもしれないが、僕が生の歌を聴いたことのある範囲での話ではそうだ。あるいは奥井亜紀さんとの共演で何度か聴いた篠原美也子さんや榊いずみさんの歌も、同様に正しさに満ちあふれていた。最近聴いたものだと鈴木花純さんという方のが、若くありながらそのような志のあるものだった。一秒一秒、一瞬ごとを、大切に歌っているようで好感を持った。生演奏をみたあとYoutubeでもいくらか聴いてみたが、一年前、半年前、そして最近と、だんだん上手になっているようである。
 歌は心、という。うまさというと「音程」や「声量」を基本とした技術的なことが問題にされやすいが、僕が意識する「正しさの連続」とは、必ずしもそこばかりではなく、「歌っているすべての瞬間において、その人の心が声に乗っているか」というようなこと。抽象的で観念的な精神論でしかないようであるが、そここそが大切だと思う。上に挙げた鈴木花純さんという人は、歌唱力という面ではどう判断すべきかわからないが、少なくとも志として、「すべての瞬間で心を乗せた声を出す」をしようとしているように見えた。その志が聴く人の心を揺さぶり、空間を支配する。きっとそうだ。
 正しさの連続。どの瞬間を切り取っても、絶対に美しいこと。絶対に美しい瞬間が無限に連なった結果として、五分なら五分という「歌の時」が満たされる。無限に連なるすべての瞬間に心を乗せた、絶対に正しい数分間。その密度。そのエネルギー。歌とは時間の芸術かもしれない。

 あくまでもライブで聴いた時の話をしているので、動画で観ても仕方ないのかもしれないけど、一応あきいちこさんのと奥井亜紀さんのを貼っておきます。
2016.07.18(月) 晴れた終わり

I know the time will come without fail.
It's the best moment of my life.
I know the time will come without fail.
Live, and wait for the day.
(al.ni.co/晴れた終わり)


 そう確かに時は来る。
 人生で最高の瞬間が。
 疑いなく時は来る。
 生きて、その日を待て。


 晴れた終わりとはよく言ったものだ。僕は終わりが好きである。
 いや、終わることが好きというよりは、終わるのを待つことが好きなのかもしれない。あるいは、見届けることが。
 終わること、それ自体はせつない。さみしくて、時に悲しい。
 しかし当然それは始まりでもある。終わりとは始まるための力が極限まで高まりきった状態だ。チョロQをうしろに引いていくと、キリキリというゼンマイを巻く音が、ある時点でカラカラという苦しげな音に変わる。それはせつない終わりの響きだ。しかし同時に、これ以上ない最大限の力がチャージし終わった証でもある。手を離すと車は走り出す。全速力で。
 晴れた終わり。
 終わりとは常に晴れていなければならない。
 だから、曇っている以上は、それはまだ終わってはいないのだ。
 そして晴れた空がいつか曇りに変わる以上、本当の終わりというものはあり得ない。
 晴れた終わりと言いきって、とりあえずの一服をするのみである。


 年越しの瞬間へ向けて高まっていく終わりのムードが僕は好きだ。一年でいちばん好きなのは大晦日と、その直前の数日間である。あの切羽詰まった感じ。終わってしまうせつなさ。しかし絶対に新年は始まる。疑いなく、その日は来る。

 もうずいぶん長い間、雨雲とともにいたようだ。
 いつかは晴れると知っていた。
「報われることもある 優しさを手抜きしなけりゃ」と、二十年前の歌を信じて、泣く日も笑う日もできるだけ透き通った呼吸を志してきた。
 晴れたからにはこれは終わり。
 報われたからにはそれは着地であって、そこは次のスタートラインとなる。
 そんな晴れた終わり。
 安息は永劫へと変わりゆくだろう。
 Live, and wait for the day.
 待てば海路の日和ありってこった。
 どんなに辛い日も優しい顔をしてきてよかった。

2016.07.11(月) 16周年

 なんと、これを書いているのは14日です。せっかくの、記念すべき16周年の日なのに。更新できなかったのにはわけがあります。すべて精神的な理由です。はじめはきっと長文を書いてしまうだろうなと思っていたし、なんなら何か企画っぽいことをやろうかなとさえ思っていたのです。しかしどういうわけか、11日くらいからすべての気力が失われてしまったのでした。
 具体的にどうということはないのですが、幾つかうまくいかないことがあるのです。それで始終ざわついています。とうに三十も過ぎて未だにこんなふうに不安定であるということがあほらしくもあり誇らしくもあります。いや誇ってる場合でもないのですが、たぶん一生、この調子なんだろうなと思います。
 悩み、苦しむことをやめてしまうのはたぶんそう難しくないのですが、そうなってしまったらもう、そういう人たちに寄り添うことはできないような気がするのです。そうなったらそうなったで、また別の寄り添い方があるし、そのほうが実はよいのかもしれません。ただ、僕はたぶんそういう「係」なのだろうと思っています。
 悩み、苦しむことをやめれば、もうちょっと効率的に時間が使えるようになるのだろうと思うのですが、しかし僕はそうやってうじうじしているのが性分なのでしょうね。

「仲良きことは美しき哉」というのは、遠い客観的な視点であって、当事者からしてみれば、「仲良きことは気持ちいい」なのだ。橋本治さんの『蓮と刀』に書いてあった。「美しき哉」と眼を細める役割だって必要なのかもしれないが、僕はもうしばらく「気持ちいい」の側にいる係なんじゃないか、と思う。もっと本格的に老いてくればそれもわからないが、「気持ちいい」の側にいるからこそ、わかったり、感じられたりすることも多い。
「気持ちいい」ということを軸にして生きていると、当然「気持ちよくない」がやってくる。「美しき哉」の域に達すれば、「気持ちよくない」は寄ってこない。だから人は早々に「気持ちいい」を諦めて「美しき哉」に行く。
 いつまでも「気持ちいい」にいようとする人は、実は「気持ちよくない」を受け容れられるということ。「気持ちいい」に本当に拘泥する人は「気持ちよくない」を何よりも嫌うから、「だったら」ということでその軸からリタイアするのである。たぶん。
「気持ちよくない」を受け容れるくらいなら、「気持ちいい」なんて要らない! そう考えるのが、たぶん大人というものなのだ。って、すっげー逆説的。普通だったら、「気持ちよくない」を嫌うのは子どもだ、という話になると思うんだけど、僕はここでその逆を言ってみる。どんなもんだろう。
 大人と子ども、という対立軸をいったんやめてみよう。「大人」の反対を「若者」としてみる。
 若者は、「気持ちよくない」と「気持ちいい」の間にいて、このままでいるべきか、「美しき哉」のほうへ行くべきか、悩んでいる。その葛藤が、若者を苦しめる。
 子どもは、悩みもせず、ただ「気持ちいい」とか「気持ちよくない」とか、感じているだけだ。悩み始めたとき、若者となる。すなわち、思春期を迎える。
 大人というのは、「気持ちいいとかよくないとか、そんなことはどうでもいい」と、その対立軸を捨ててしまう。少なくとも、大人であると認められるためには、そのような「ふり」をすることが要求される。みんなは無理してそういう「ふり」をしながら、大人という称号を受け取っていく。裏で何を考え、何をやっているかは、知らない。ただおおっぴらには「気持ちいい」「気持ちよくない」を基準にしてはいけない、ということになって、たいていはそれに従っている。するなら隠れて何かをしている。
 現代にフラストレーションがあるとしたら、そこに秘密があるのではなかろうか。みんな本当は「気持ちいい」を求めるし、「気持ちよくない」を嫌う。しかし、大人の社会ではそのようなものは「ないこと」になっている。ストレスなるものは、その建て前の裏で繁殖する。
 藤子不二雄A先生は、たぶんそういうことが面白くなってきて、子どもまんがから大人まんがのほうへ行ったんじゃないだろうか。『笑ゥせえるすまん』とか、まさにそういう、「建て前の裏」を暴いた作品だと思う。「ココロのスキマ」という表現で、それを描いている。
 A先生のよき読者(自称)たる僕は、「ココロのスキマ」なんてものを抱えたくはない。だからまだ、そこへ行く気がしない。行くんだったら万全の態勢を整えてからにしたいものだが、残念ながら僕は未熟だ。もう少しこっち側にいて、力を蓄えていたい。そのうちに死ぬのかもしれないし、いわゆる「取り返しのつかない」ことになるのかもしれないが、そういう覚悟をする覚悟くらいは、なんとなくあるんだぞってくらいには、僕の頭は漫画的である。
 それでいつまでもこのHPは残っていくのだ。

2016.07.10(日) 求心力その2

 世の中の「求心力」の総量が減ってきているように感じる。求心力とは「中心を求める力」と書き、僕はそのような広義の意味でこの語を捉えている。真ん中へ向かっていく力。それがぐんぐん、失われていっている。
 ある集団や結束を成り立たせたり維持していくためには、その集団や結束に「求心力」が働いていなければならない。それがなければ、ばらばらになってしまう。
 円運動を行うには、外へ向かう力と内に向かう力が釣り合っていなければならなくて、ものごとが安定しながら動いているというときは、そのような運動に喩えられるような状態なのだと僕は思っている。
 天体だって、太陽を中心として惑星たちがぐるぐると回る。それはそれは安定して回る。集団や結束が機能するとき、「太陽」に喩えられるような何かが中心にあって、そこへ向かう力が成員に対して常に働いていて、しかし成員は自分自身でも外に向かって動いている。その力が釣り合っているとき、集団や結束は成立する。
 引力のような強い力で中心から引っぱられつつも、自分自身でも動いていようという気持ちが同じくらい強く働くから、円運動が実現し、安定する。これが乱れるのだとしたら、「太陽」のほうか「惑星」のほうか、どちらかに問題がある、ということだ。
 太陽とは理想のことかもしれないし惑星とは自我のことかもしれない。複数の惑星が同じ太陽に引かれ、同時に各々の方向へも動こうとするとき、円運動が安定して、それをもって集団や結束というものができあがる。
「各々の動き」だけがあって「強い引力」がなくなれば、それぞれはそれぞれに飛び散ってしまう。「子はかすがい」という時の「子」は、みごとに「強い引力」そのものである。
 しかし、今はその「子」でさえも惑星となって外向きの力を持とうとするので、「強い引力」など持たない。だから家庭は平気で飛び散ってしまう。
 そのくらいに現代は自由であって、「中心」だとか「強い引力」だとかいうものはない。万有引力という「引き合う孤独の力」だけがある。それはたぶんもう止められようもないことだ。
 じゃあどうするのかというといろんな考えがあると思うが一つには「集団や結束」などというものを諦めてしまうことだ。そうではない状態に安定を見いだしたり、そもそも安定などということを求めないようにする。常に流動的に踊り続けることを良しとするとか。おそらく民主主義というものの理想はそれである。
「遠心力だけで逃げてく先なんてどこもありゃしないからね」と歌った『GOING ZERO』という曲を収録したアルバムは1991年の7月10日に発売されたらしい。まるっと25年前。きっとその通りで、できることなら求心力がほしい。でも太陽のような「強い引力」はもう求められない。そうしたらもう「万有引力」をうまく使っていくほかないのだが、それは簡単なことではない。だからたぶんこれからは集団や結束が長い間維持されるというのは奇蹟のようなものになる。離婚や解散や脱退や反目が無限のように湧いて出るだろう。あらゆる星が自由運動をして、くっついたり離れたりぶつかったりしながら、下手をすれば宇宙戦争のような様相を呈する。
 だから僕たちは、せいぜい自分の操縦を上手にしなければいけないし、ほかの星の運行をよく見て予測する力もつけていかなければならない。結局は、みんなが賢くていいやつになるということのほかに、騒動を避ける手立てなどないのだ。
2016.07.08(金) 豊かさ

 もう10年くらい前のこと。酒場で、ある経営学者の人と議論(のようなこと)をしていた。僕はどうしても彼の意見を理解できなかった。しびれを切らしたのか、こう言われた。
「ほら、あの棚を見てください。たくさんの種類のお酒がありますね。豊かだと思いませんか。」
 僕はたぶんこのように返しただろう。
「それはそうですけど、お花がたくさん並んでいたほうがもっと豊かだと思います。」
 ちょっと格好つけすぎているようだが、僕は「大量生産の結果としての色とりどりな豊かさ」よりも「自然に色とりどりになっている豊かさ」のほうを、より大切な「豊かさ」として強調したかったわけだ。
 本当は、何と答えたのか正確に覚えてはいないのだが、方向性としてはそんなふうだったと思う。

 小沢健二さんの『我ら、時』というライブCDに収録された「自転車」という散文詩(歌詞カードにそう書いてある)で、こんなことが言われている。

たとえばアメリカにいると、人間こそが万物の支配者、という感覚が満ちていることを感じる。人間こそが地上を支配し問題を解決するもので、動物とか昆虫とかは、人間に隷属するものにすぎない。そんな感じ。けれど日本にいるとそういう尊大な感じはあまり感じない。少なくとも都会を出ると、人間が支配者、という感じはまったく薄れてしまう。アマゾンの奥地に歩く木がある、と言うと、アメリカの友人たちは科学的に説明しようとするけれど、日本の友人たちは、あー、木も歩くかもねえ、と言う。欧米文化を貫く、人間が地上の支配者、という感覚は、世界では実は少数派な気がする。虫も木も動物も、それぞれの魂を持っている、という考え方のほうが、圧倒的に多数派な気がする。学校では教えてくれないけれど。

 欧米文化の感覚に則れば、「棚に並ぶたくさんの種類のお酒」は、豊かさの象徴なのかもしれない。人工的なことが、豊かさに繋がっている感じ。日本とかだと、たぶん、自然であることが豊かさにつながる、という気持ちが、けっこう強い。
 僕があの人の話をあんまり理解できなかったのは、そういうところで根本的に違っていたからかもしれない。まだ若かった僕は、そこを踏まえて聞く耳を調整することが、うまくできていなかったようだ。
「あなたとは前提が共有できないから、話にならない」というようなことを言われたのも憶えている。なるほど、それはそうかもしれない。何が豊かであるかとか、何が素敵であるかということが、どこかですれ違っていて、それに気づくことができなかったか、あるいは、自分の信じる豊かさについてあまりにも頑なだったのだろう、あの頃の僕は。
 今だってそうだ。
 瓶なんか一本もなくたって、酒くらい家庭で作れる。
 それは現状、犯罪らしいけど。

2016.07.07(木) 七夕の夜、君に逢いたい

 いろんなことを保留にしたまま夏になってしまった。
 ネロ もうじきまた夏がやつてくる

 かつてお姫様だった人は
 泣いて泣いて泣いて泣いて
 その地位をいつか取り返したくて
 復讐をのぞんでいる
 かつてお姫様だった人は
 その過去の栄冠に永遠にすがり続ける
「私はもっと愛されるべきなのだ」と。

 一度もお姫様だったことのない人や
 生まれてからずっとお姫様であるような人は
 お姫様の地位なんかほしがらない
 お姫様になりたがるのは
 かつてお姫様だった人だけ
「私はもっと愛されるべきなのだ」
「私のことをもっと愛せ」
「無条件で愛せ」
「無償の愛を寄越せ、
 なぜなら私は正当な理由なくそれを奪われたのだ」

 当然愛されるべきだと、自らの本来の姿を描くかつてのお姫様は
 王子様をつくる
 王子様を設定する
 この人は私の王子様だと、決める
 王子様なんだから私を愛してくれるはず
 ほら愛してくれた
 あれ、なんか変だ
 違う
 この人は私の王子様ではない
 だって愛してくれないのだから
 無償の愛をくれないのだから。

 かつてのお姫様は一度も王子様だったことのないような人をたくさん面接して
「王子様になりたい?」と問いかける
「なりたいです」と答える人を
 王子様にする
 王子様志願者はとても多いのだ
 だけど王子様志願者は王子様というものが
「無条件で姫を愛するものだ」ということを知らない
「条件付きで姫を愛するものだ」と思っている
 だって王子様も人間なのだから
 自分だって気持ちよくなっていたいのだ

 かつてのお姫様は
 王子様がちっとも自分をお姫様にしてくれないことを悲しむ
 フラストレーションは溜まっていく
 そして密かに爆発する
 そう それは密かに

 ところで王子様は本当は
 かつてのお姫様と結ばれたかったのではない
 お姫様と結ばれたかったのだ
 決してお姫様になどなりたがらない
 お姫様と
 だけど王子様は間違っている
 本当の王子様は
 決して王子様になどなりたがらないのだ
 そのことを知らず「なりたいです」と答えた彼は
 ちっとも王子様ではなくて
 かつてのお姫様がお似合いで
 かつてのお姫様の悲しみを浴びて
 もっと悲しくなるのがお似合い

 お姫様になどなりたがらないお姫様と
 王子様になどなりたがらない王子様が
 出会って
 くるくる愛しあって
 仕合わせを育むようなのが
 本当の絵本なのだろう

 お姫様の地位を再びねらう、かつてのお姫様と
 王子様になりたいと願う、ただの男と。
 本当の悲劇は絵本にならない。
 こどもは知らない
 よくある話。

過去ログ
移転完了しました。ありがとうございます。ちなみに前URLは2016/11/10(木)に消滅しました……。