少年Aの散歩

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2018.6.11(月) 自由と場(2) ファミレスを例に

生きる・自由・死ぬ・自由
ウォォォォーッ ウォォォォーッ ウワァァァーッ ガァァァーッ
(BUCK-TICK/デタラメ野郎 作詞:桜井敦司 作曲:今井寿、桜井敦司)

 突然いみのわからない引用をしてしまった。名盤『Six/Nine』より。このトテチモナイ怪曲でも言われているように、「生きる自由」もあれば「死ぬ自由」もある。
 生きる自由、ということはよく叫ばれるが、死ぬ自由、ということが主張されることは少ない。この世の中にはどこか、「生きていることはそれ自体すばらしいことだ」という前提がある。それが個人の感想の平均なんだろうから構わないが、しかし「生きているべきだ」「死んではいけない」という話になると、ここで「自由」が登場する。「死ぬ自由」は保証されないのか?
 僕は、されるべきという立場である。死にたくて死のうとする人間を、引き止めるのは残酷だ。もちろん「引き止める自由」だってあるわけだが、どちらも同等の自由であろう。
 ところで、「人を殺す自由」というのがあるのか、というと、僕の立場からいえば、ある。ただし「犯罪」として取り締まられるので、「人を殺す自由は法的に制限されている」と言えると思う。対して自殺や自殺未遂は現代日本では犯罪ではないので、それ自体に法的な制限はない。にもかかわらず倫理的に常識的には制限されているような雰囲気を僕は感じていて、だから「それを制限する強制力を誰も持っていないはずなのに、なぜか世間では『いけない』ということになっている気がするなあ」と疑義を呈しているわけだ。

 でーさて、こんな高校生(のころの僕)が考えるようなことは本題ではない。これ以上この件について考えると、ずぶずぶと深いところまではまっていってしまう。それに、こんなことはけっこう多くの人たちが定期的に考えるようなことだと思うので、ここにわざわざ書くような意味はさほどない。

 いま僕が書いたような疑問の持ちかたは、「生きる・死ぬ」といったような大げさなことだけではなくて、あらゆる局面に応用できる、あるいは、されるべきではないか、というお話を、僕はしたいのである。

 たとえば、「盛り上がらない自由」「黙っている自由」「自己紹介をしない自由」「好きでもない男と寝る自由」「かつてアルコールで失敗した人間が酒を飲む自由」「健康に悪いことがわかっていながら煙草を吸う自由」などなど……。法的な制限はないが、なぜか「ダメだ」とされてしまう(場合が多い)ようなことたち。
 それによって「何かがうまくいかなくなってしまう」ような場合は、もちろん何らかの対応が必要だ。時とすればその自由を制限するべき場合だってある。

「ファミレスに行って大声で話す自由」を例にしてみる。これは、たぶん、客が自分たち以外にだれもいないとき、店の外にいる人にまで聞こえないくらいの音量で、店員たちの作業効率や精神状態をたいして損なわず、かつ、べつの客が入店してきた瞬間に「うるさい」と感じさせないのであれば、認められるはずだ。

 一。客がほかにいれば、いろいろと不都合が考えられるので、やめるべきであろう。
 二。店の外に漏れ聞こえると、「この店はうるさいからやめておこう」と引き返すような人がいるかもしれないし、通行人が店について悪いイメージを持ったり、近所からクレームがくるかもしれない。
 三。店員の作業の邪魔になったり、ストレスをためさせたりするようなら、控えたほうがよい。作業の邪魔というのは、声が大きすぎて店員同士の会話が聞こえないような場合、ということだ。声量は常識的に聞き取れるはずだと思う範囲内で調整すればよいが、もしも聴力の弱い店員がいたら、店員のほうから「すみません、うちは耳の悪い者がおりまして」と注意せねばならない。ストレスについては、どのような声に不快をもよおすかは人それぞれなので、ストレスに感じた店員がもしいたら、これもやはり店員のほうから「個人的に不快なので静かにしてください」と言わなければならない。重要なのは「個人的な不快感」でしかないことを、きちんと伝えることである。客の「大声で話したい自由」を制限する権利はこの店員にはない。だから、「個人的に不快であるからやめてほしい」と伝えることしかできない。「いや、僕たちは大きな声で話したいんです」と客に言われたら、その自由だって平等に尊重されるべきなので、説得してやめさせるか、店員が我慢するか、喧嘩するか、妥協点を探るしかない。妥協点というのは、たとえば「店長にかけあって、支払いを割引にしてもらうので、静かにしてくださいませんか」とか、「では、しばらく私は外に出ていたいと思います。恐れ入りますがお客さまのほうからも店長にその旨、お願いしていただけませんか」などと、双方が納得できそうな地点を提案するのである。
 四。あたらしい客が入店した場合。入店した瞬間にピタッとやめればいいのか、というと、ここが難しい。できれば客が入店する一瞬前にピタッとやめるか、音量を下げたほうがいい。新規入店を事前に察知するための「見張り役」を置くのが最良と思われる。

 以上四点(暫定。もっとあるかもしれない)を満たす範囲でならば、「ファミレスに行って大声で話す自由」は認められよう。
 しかし、はて。「認められない」と僕がいま決めたような条件下で、誰かがファミレスで騒いでいたら、どうなるのだろうか。どうもならないのである。やだと思う人が「やだなあ」と思うだけである。(もちろん、たまたま誰も「やだなあ」と思わない時だってある。)(ちなみに、「ファミレスで幼児が奇声を発して走り回る自由」は、また別の問題であって、ちがった考え方の導入が必要になると思われる。)

 せいぜい、心ある人が自主的に「すべてがうまくいきますように」という願いのもと、行儀良くするしかない。
 心ある人は、もちろん四条件を満たした振る舞いをする。しかし、ファミレスにはそれなりの高確率でうるさいグループはいる。労力を費やしてでも静かにしてもらいたかった場合、上記四点についての説明をしてみるのも、心ある人にできる対処の一つである。我慢したり、諦めて泣きながら帰るというのも、手の一つである。

 万事、これなのである。人生というのは、ほんと、万事、これなのだ。

「自由」は存在する。存在して、それが認められる状況と、認められない状況というのが、ある。ここまでは、そうだとしましょう。(そう僕は信じたい。)
 心ある人は、「認められる状況」に限定して、自由を行使する。できるだけ自由でいたい人(僕のことである)は、「状況」をつぶさに観察して「認められる」のギリギリのところまで自由を謳歌する。時には状況を操作して、「認められる」の範囲を拡げていく。なんと、お行儀のよいことでしょう!
 心ある人は、「認められない状況」に直面したら、素直に諦めるか、「認められる」ようにがんばるか、譲歩する。譲歩して、「ここまでだったらいいでしょ?」というところで、落としどころを見つける。だめだったら、泣く。泣いて反省して、次に活かす。ああ、なんと人生熱心なことでしょう!?
 しかし「心ない人」は、お構いなしに「自由」をむさぼる。「認められる」か「認められない」かなんて、考えない。欲望のもと、やりたいようにやる。自分ルールをたくさんつくって、人に押しつける。その際、「他人にも自由がある」なんてことは、いっさい考えない。ファミレスで騒いでるれんじゅうは、このなかまである。
 むろん、むろん、はじめから「心ある」人などそうはいない。みんな「心ない」からスタートして、だんだん心を獲得していくのだ。それをみんなわかっているから、幼児はファミレスで奇声を発しても「許される」雰囲気があるのである。中学生とか高校生くらいは、まだ「心」が獲得できていない場合が多い(僕もそうだった!)から、「心ある人」が勇気を出して、労力も出して、例えば上記のファミレス四条件みたいなことを、教えてあげなければならない。

 ところが……大人になっても、いや大人になってますますいっそう、「心ない」ような人は、ものすごくたくさんいる。いいでしょうか、みなさま。「心ある」というのも、自由の一種なのだ。「心ある自由」もあれば、「心ない自由」もある。「心ある自由」と「心ない自由」が戦っても、決着はつかない。同等なのである。「心ある」側からしたら悲しいけれども、それは仕方ない。真理なのだ。
 つまり、「心ある人」が正しいわけではない。いや、もし正しかったとしたって、だからどうだということはない。「正しい」というシールが一枚、もらえるだけである。「心ある人」は「心ない人」に出会い、心が破壊され、泣く。「心ない人」は、心がないので、心が破壊されることもない。なんたる不公平! と「心ある人」は思うのだけれども、しかし実際、これが平等なのである。だって、「心ある人」は好きで「心ある人」をやっているのだ。「じゃあ、心なんてなくせばいいじゃん」である。「心ないほうがトクだって思うなら、お前もこっちこいよ。好き勝手やろうぜえ」なのである。
「心ある自由」を行使した結果、イヤな気分になるのなら、そんな自由は放棄して、「心ない自由」を謳歌しちゃったらいいじゃない、というのである。
 そしたら、ファミレスで思いきり大声で騒いだって、誰からも文句は言われない。もしも「出てけ」と言われたら、「食べログになんて書こうかなあ」とでも言えばいいのだ。そして「金なんかいらないから、出てってくれ!」と言われるのを待とう。みごとただ食いである。殴ったり暴れたりひどいことを言ったり、警察を呼ばれるようなことさえしなければ、何の問題もない。
 素晴らしきかな、心なき人生!
 そう、「心ある」ってのは自由の一種で、趣味の一種なのだ。べつに心なくたって、トクはしてもソンはしない。
 でも「心ある人」は、「心ある」をやりたいのだ。そっちのほうがその人にとっては、心地がいいのだ。「自分らしい」と思うのだ。
「自由」ってのは「自らに由(よ)る」と言うのであって、「自分らしく」ってことと、だいたい同じ意味なのである、と僕は思うのである。

 生きることが自分らしければ、生きればいいし、死ぬほうが自分らしければ、死ねばいい。それを自由と言うのだ。ファミレスで騒ぐような自分でいたければ、騒げばいい。そんだけの話なのである。

 この話は、前回の記事と完璧につながっている。「あなたにとっての正解はあなたの中にしかなく、他人にとっての正解はつねにその人の中にある。決してあなたの中にはない。絶対に」だ。
「ファミレスで騒ぐ」というのは、相手にとっては正解なのである。あなたにとっては間違いかもしれないが、そんなのは「心ある」あんたの勝手だ。あなたが勝手に「心ある」だけなのだ。心ない人の、心ない自由を損なおうというのは、戦争の火種である。
 そんな時に「常識」やなんかをタテにして、騒いでる人たちを叱ってしまう人がいますが、だめ。そんなことをしたら戦争。そうじゃなくて、「騒ぐのはあなたたちの自由なので尊重したいのですが、私は不快なのです。どうか静かにしていただけませんか」と懇願するようにしましょう。それを拒絶されたら、「わかりました。では私は帰ります。しかし気分を損ない、食事もおいしく感じられず、予定していた読書もできませんでした。おそれいりますがお店の方に、私の支払いを少し割引するよう、あなたからも頼んでいただけませんか。あるいは、100円か200円くださいませんか」などと言ってみるのはどうでしょう。これはいいアイディアだ。しかし、相手はファミレスで騒ぐような人たちなので、面倒なことになるかもしれない。それがイヤだから、みんな黙って我慢して泣きながら帰るんである。
 なんせ相手は「心ない」のだから、敵にするのはたいへん危険。

 だからね、けっきょくは「その都度考える」しかないの、やっぱり。
 常識とか倫理とか、そういったもんたちはたいてい凝り固まって、流動性が低いから、使えないときはトコトン使えない。そういうのは「心ない」人が使うもんだと、僕は思う。心ある人は「心」っていう、宇宙で最も柔軟な流動体を身に秘めてるんだから。
 常識や倫理は、道徳は、凝り固まったあらゆるものは、心ない人たちの武器なのだ。武器だからカタいのだ。人を傷つけるのだ。心ある人は、心によってそれをかわし、自由に泳ぐのだ。飛ぶのだ。遊ぶのだ。
 それで僕たちは「楽しい」ということのなんたるかを知るわけだ。

「自由と場」というタイトルの(2)だもんだから、それっぽいことを最後に書いておく。
 どんな場にも、いる人それぞれに自由があって、どれも同じだけの力を持っている。ある場が「楽しい」という状態になるためには、「心ある自由」が謳歌されていることが必要で、そのためには「心ない自由」をできるだけ追い出すか、機能できないようにすることが、一手としてある。共存する手だってあると思う。いずれにしても、その方法を考えたり実践するのはいつだって「心ある人」の仕事なのだ。それを不公平とか、ずるいとか思ってはならない。相手はそういう自由を謳歌しているという点で、あなたと平等なのだから。
 できるだけのことをしよう。大変だけれども、「楽しい」ことは何よりだ。

2018.6.5(火) 自由と場(1) 「正解」はそのつど生まれる

 あなたにとっての正解はあなたの中にしかなく、他人にとっての正解はつねにその人の中にある。決してあなたの中にはない。絶対に。
 ある場に三人の人間がいれば、その場での「正解」は三人の中にある。三人それぞれの中に一つずつ、別の正解がある、というものではない。三人のあいだの「関係」の中に、一つだけある。
 そう、正解は一つしかない。しかしその「一つ」は、あらかじめ定まっているものではない。「正解!」ということになったら、その時に正解は生まれる。つまり、事前には正解になりうる選択肢がいつでも無数にあるわけだが、時間を巻き戻すことはできないので、一つの正解が定まれば「その正解」以外はもう、存在しえないのだ。たとえ質の悪い「正解」であろうと、それで確定してしまえば、やり直しはできない。もちろん、「不正解」だった場合も、それを撤回することはできない。せいぜいその後に正解をくり返して、なるたけ正答率を上げていくことだ。

 三人の場であれば、三人の暗黙の合意によって、「これをいまの我々の正解としましょう」という判断がなされる。合意した以上、文句を言うことはできない。
 しかし「私はそんなことに合意したつもりはない」ということになれば、「文句」となる。
「私にとっての正解は、それではなかった。しかしあなたたち二人は、そんな私を無視して、『二人だけの合意』で正解を決めた。」
 こういう話になってくると、「三人の場」はその時、健全に成立していなかったことになる。
 ここで、二つの道を考えたい。三人がふたたび「健全な場」の成立をめざして「合意」をやり直すか、誰かがその場を離脱するか、である。
 前者の場合、失敗を活かして「健全な場」を形成し直すことができるのならば、それで問題はない。だが、そのために誰かが過剰に我慢したり損したりするようならば、それはたぶん健全ではない。「三人の場を維持する」ことが自己目的化して、楽しいはずの時間が犠牲になってしまう。
 そういう時は、やはり、「少なくとも今は、この三人の場を健全に成立させることは難しい」ということだけに合意して、誰かが離脱することが好ましいように思える。

 人間関係の基本というのは、おそらくこのようなものである。
「あなたにとっての正解はあなたの中にしかなく、他人にとっての正解はつねにその人の中にある。決してあなたの中にはない。絶対に。」
 だから、
「場の正解は、場の中にある。場以外は決して正解を持たない。あなたがそれを持っているわけがない。」

 A氏が営業しているバーに、客としてB氏がやってきた。B氏はこう言う。「首相をSATSUGAIすべきだ。」
 A氏はこう返す。「とんでもない! どんな理由があるにせよ、人をSATSUGAIするのはよくないし、首相をSATSUGAIして世の中を変えようなんて、民主主義に反する。民主主義に反することは、とても悪いことだ!」
 この二人の言い分は、イーブンである。(むかし東海テレビで今田東野が司会の『年の差バトル! 言い分 vs Eぶん!!』という番組があったのだが、それはまた別の物語。)
 A氏とB氏が、どれだけ自分の正義を語り合っても、どちらかが正しいということはない。
 もしもどちらかが、「あなたは間違っている」という内容のことを言ってしまったら、それは言ったほうが悪い。上から目線で口にすれば、「説教」ということになる。
「二人の場」において、二人の意見が相違した場合、その意見のどちらも正解にはならない。もちろん、対話を尽くしたうえで、「なるほどあなたの言うことは一理ある」とか、「そうかそういう考え方もあるのか、持ち帰って熟考してみます」とかいうことになれば、それはかなり実りのある会話で、「質の良い場」だったことになるだろう。しかし、「私の言うことが正しい、あなたは間違っている」という一方的な言い分を互いにぶつけ合うだけでは、必ずや「質の悪い場」ということになるはずだ。
 大切なのは、「自分も相手も、正解など口にしてはいない」ということだ。正解は二人の間にあって、各人の中には絶対にない。

 世の中には、「自分とは明らかに違う意見を目の前で表明されると、自分が否定されたような気分になる」人がたくさんいる。そういう人に、「私はこう思う」を軽率に言ったら、それはその時点で、非難や説教として受け取られてしまう。
「首相をSATSUGAIすべきだ」とB氏が言うのに対して、「私はそうは思わない。首相をSATSUGAIしてはいけない」とA氏が言ってしまったら、そこで起こっている現象は、「A氏がB氏を否定した」になる。世間の常識や世界の正義がどう言おうと、その二人の場においては、そういうことにも余裕でなる。
 では、どうすれば「否定した」にならないのか?

B氏「首相をSATSUGAIすべきだ」
A氏「へえ、なぜそうお思いになるんで?」
B「あの首相が日本をダメにしている。あの首相さえいなければ、日本はよくなる。」
A「へえ、なぜそうお思いになるんで?」
B「あの首相のXという政策は、このまま行けば基本的人権を侵すことになる。」
A「そうですかい、お客さんは、基本的人権がお好きなんですねえ。」
B「はいそうです、基本的人権は、大切です。」
A「なぜ、基本的人権は、大切なんですかね?」
B「それが民主主義のコンカンをなすものだからです」
A「ああ、お客さん、民主主義のこともお好きなんですねえ。」
B「ええ、大好きです。」
A「しかしあれだねえ、首相をSATSUGAIするってのは、あんまり民主主義って感じじゃねえやなあ。基本的人権ってやつは、首相にもあるんでしょう。」
B「それは心得ております。しかし、あの首相の存在は公共の福祉に反するのです。公共の福祉に反するものだから、除かねばならんのです。だからSATSUGAIするべきなのです。」
A「おっかねえ話ですなあ。なるほどもしも彼の存在が、みんなの幸せをおびやかすのだとしたら、それはちょっと、困りものだねえ。」
B「そうでしょう。」
A「しかし、SATSUGAIしなきゃいけないのかね。幽閉くらいで、どうだろうねえ?」
B「それもありですね。とにかく政権から引きずり下ろせばいいのですから。」
A「SATSUGAIするってなると、誰が手を下すかって問題もありまさあ。実行犯はまちがいなく、重い実刑に処されます。そうすると、かなり長い間、かれの、人権っていうんですか? は、制限されることにならあね。そりゃあ、あんまり忍びないってもんじゃあないですか。幽閉くらいなら、せいぜい数年、よくすりゃあ執行猶予がついて万々歳、ってことには、なんないもんですかねえ。」
B「うーん、執行猶予は実際、難しいんじゃないでしょうか。それでもSATSUGAIよりずいぶん罪が軽いのは確かですね。でも、幽閉よりもSATSUGAIのほうが簡単なんですよ。幽閉は手間もお金もかかるし……何より成功率がひくい。警察や機動隊、ことによったら自衛隊が、首相を取り戻しにくるわけです。それを何年、あるいは何十年逃れ続けるのは至難のわざ。だいいち、生きているということは敵に希望を与えます。むしろ神格化されることだってありえるわけですよ。目的は幽閉ではなくて、政策の是正であって、そこが変わらなければ意味がないんです。今のナンバーツー、スリーが、現首相と似たような政策をとった場合、何人もさらって幽閉しなきゃならない、現実的ではないですよね。SATSUGAIなら一瞬ですみます。何人でもやれます。」
A「ああ、なるほどねえ。お客さん、なかなか考えているんだねえ。でもねえ、民主主義が好きってんなら選挙でなんとかするって発想には、なんないんですかい。」
B「選挙で世の中は変わらないですよ。」
A「そうかもしれないねえ。うーん、ほかにできることはないもんですかねえ……。」
B「そうですねえ……なんでしょうねえ……。私はSATSUGAIがいいと思うのですが……。あ、モスコミュールくざさい。」
A「アイ。」
B「よかったらマスターも一杯。」

 ↑二人の会話は、平行線である。双方が違う考えを持っていて、どちらの考えも変わってはいない。しかし、「考えが深まった」という可能性なら、多少ある。どちらも慎重に、相手を否定せず、慎重に言葉をつむぎ、慎重に相手の言葉と、自分の内心とを照らし合わせている。これをもって「無意味な会話」と僕は思わない。
 ちなみに、僕は民主主義も選挙も基本的人権も、もちろんSATSUGAIも好きではない。このA氏もB氏も、僕のふだん考えていることとはまったく一致しないことばかりを考えて生きていると思う。ただし、もしも僕のお店にB氏がやってきて、上記のような話を持ちかけてきたら、僕はA氏のように対応するかもしれない。「僕ら」にとっての正解はつねに、僕の中になどないからだ。
 上記の会話において、A氏は慎重に、自分の意見を隠している。B氏に「SATSUGAIすべきだ」と言われて、A氏は「すべきでない」と思ったのである。しかし決して、それを口にはしない。それは「A氏が一人でいるときの正解」であって、「A氏とB氏が二人でいる場での正解」ではない。それをわかっているのである。
 いま書いたような会話は、たぶん二人にとって、一つの正解ではあるだろう。

 場において大切なのは、「誰がどう思うか」ではなく、「この場はどういうふうにあるべき場なのか」である。それを考える材料としてのみ、場の参加者は存在する。
(「場」は「関係」と置き換えて、さしつかえない。)

 極端な例を出そう。ある男性は、内心で「レイプしたい」とか「セクハラしたい」とか「痴漢したい」とか思っている。
 これは彼にとっての「正解」である。「本音」だ、という意味で。
 しかし知人の女性とか、電車で居合わせた女性とかと「場」を共有しているときには、それは絶対に「正解」ではない。
 やってはいけないことである。(当たり前である。)

 ある男性は、ある女性について「さわりたい」と思っている。
 しかし、むやみにさわっていいというわけではない。
「さわる」ということは、彼の中では「正解」である。妄想の中でなら、それをしてとがめられることは(通常)ない。
 しかし、二人の場においては、「さわる」が必ずしも正解なわけではない。二人にとってそれが「正解」となるような関係やタイミングが存在している時にのみ、「さわる」は正解になる。
 かりにひとたび、二人のあいだで「さわる」ことが「正解」となったとしても、三人かそれ以上の人のいる「場」であるならば、それが「正解」かどうかはまた変わる。友人と遊んでいるときとか、教室とか、ファミレスや駅のホームとか。状況は無限に考え得るが、その状況ごとに何が正解であるか、というのは変わってくる。さわっていいときもあれば、よくないときもある。二人だけのときは二人で決められるが、三人以上になったら、二人だけで決めてはいけない。

「あなたにとっての正解はあなたの中にしかなく、あなたがたにとっての正解はあなたがたの中にしかない。だから、『わたしたち』にとっての正解は『わたしたち』の中にしかなくて、決して『あなたがた』の中になどない。絶対に。」
 なのである。

 スパッと言い切ってしまえば、当たり前のことでしかない。「正解は場の成員によってコロコロ変わる」である。これは「メンバーによって変わる」ということだけを意味するのではない。もっと正確にいえば「正解は場の成員それぞれのその瞬間の気分や思惑によってコロコロ変わる」だ。
「昨日はよかったけど、今日はそういう気分じゃない」という人が一人でもいたら、昨日の「正解」が今日は「不正解」になる、というのは、当たり前にあるのである。
 だからこそ、「今日はそういう気分じゃない」ということは、条件として場に提出することが(できる限り)必要になる。「ごめん、今日ちょっと体調悪くて」とか、そういった一言と、そこから色々と忖度しようとする場の成員の心遣いによって、「そんじゃ今日はこうしようか」という「昨日とは違った判断」が生まれる。「今日はそういう気分じゃない」の表明がなければ、忖度は難しい。もちろん、疲れていて表明する元気さえない、とか、そういう事情もあるものだ。そういうときは「まあ、表明していないんだから仕方ないよな」と思えるとかなり楽だし、そもそも人のいる場に行かないようにするというテクニックも、使えるときは使ってもよいと思う。
「察してよ!」というのは勝手である。「おれたちに察してもらえるように表明しろよ!」である。「だって○○さんたちは察してくれたよ!」と言われれば、「いやおれたちは○○さんたちじゃねえから!」である。

「正解は常にあなたたちの中にしかない。あなたたち以外の第三者を含んだものの中には決してない。絶対に。」  だ。

「あなたたち以外の第三者を含んだもの」というのは、たとえば「世間」である。
「常識」である。
 そんなところに答えはない。
 正解はない。

 誰かが口を挟んできたとしたら、「わたしたち+その誰か」のあいだでの正解が、新たに生まれるだけで、もともとの「わたしたち」にとっての正解は、また別に存在し続ける。

 正解は、あるとしたら、「この場においては」という条件付けのもと、一時的に生ずる。
 ずっと正解であるようなことはない。一定期間同じ正解が続いている、ということは、見かけにはありうるが、それは無数の正解を何度も何度も、延々と弾きだし続けているだけにすぎない。
「なかよし」というのは、そういう正答率が極めて高い状態が維持されていることをさすのだろう。たまには間違う。しかし、できるだけ「あてたい」と互いに(あるいは、みんなが)思うからこそ、なかよしでありつづけられる。

 いやしくも「場」(ないしは「関係」)というものにいる以上、「正解」をあなたが決めてしまうというような傲慢さを持っていてはならない。そう僕は主張したい。
「私は自分の意見を言っているだけで、正解を言っているつもりなんかない」と、ある種の「あなた」は思ってしまうだろう。しかし、「自分の意見を言う」というのは、多くの場合それだけで「正解を言う」ことになるのだ。そのことは知っていなくてはならない。
「自分の意見」なんてものは、本当は「自分の内心」においてのみしか、意味を持たない。それをわざわざ外に出すということは、「私はあなた(たち)と一緒に正解を生み出そうというつもりは毛頭ございません」という宣言にほかならぬ。恋愛関係において、「おれはこう思う」という主張はすべて無意味だ。「あなたはどう思う?」も意味がない。「わたしたちの間には何があるべきか」だけである。各人がどう思うか、というのは、それを考えるためのヒントになるかもしれないというときにだけ、そっと小声で差し出されるくらいでよい。

「人は一人で生きるわけではない」というのは、まさしくこういう意味だと思っている。

2018.6.2(土) 民主主義とSATSUGAI(と鳴き声)

 ある人(Aさんとする)は、国のトップ(Bさんとする)が嫌いである。
 その国は「民主主義」という考え方を標榜している。
 民主主義とは、この場合、18歳以上の全国民による投票によって、国の重大ごとを判断する代表者が決められるというしくみである。トップは国民が直接投票して決まるのではなく、「投票で選ばれた数百人の代表者たちがある程度近い考えの者どうしでグループをつくったとき、最も多数を占めるグループのリーダー」がそれに就任する。
 このしくみは「代表者」による合議によって変えられる。もっと根本的な変更も、「合議からの国民投票」という手続きによって可能となる。極端にいえば、あらゆる決まりごとをすべて廃止する(憲法や法律等の全項目を削除する)ことも理論上はできる。

 そういうことなので、このしくみ(システム)を採用する以上、「投票」が大きな意味を持つことになる。代表者になりたい人たちが立候補をして、得票数の多いものが代表者となる(このあたりについてはいろいろと複雑なルールがあるらしいが、ここではふかくたちいらない)のである。
 投票で選ばれた代表者たちがどのような集合をなすかによって、国の重大ごとは左右される、というわけだ。
「投票」は事実上任意、つまり強制ではない。
「18歳以上の全国民」と書いたが、実際のところ投票に参加するのはその半数程度である。
 その半数程度の票数を、立候補者たちは奪いあうことになる。

 さてAさんは、そのような手続きを経て任ぜられたBさんのことが嫌いである。
 Bさんが政権をにぎっていることを、「おかしい」と思っている。
「Bさんは辞めるべきだ」と思い、願い、週末には「Bさん辞めろ!」と叫ぶデモに出かけ、SNSなどでは毎日欠かさず、Bさんがその地位にいることでいかにその国が悪影響をこうむっているか、ということをうったえつづけている。
 そして、Aさんのような人はおそらく、何万人もいる。
 ひょっとしたら、何十万人という規模で、似たような人はいるのかもしれない。
「Bさんのことは好きではない」とただ思うだけの人ならば、何百万人、場合によっては、一千万人を超える規模でいるのかもしれない。(それはまったくわからない。)
 しかし、だれ一人として、BさんをSATSUGAIした人はいない。Bさんはまだ生きている。
 企図したが未遂に終わった、という話も聞かない。
 なぜなのだろう。Bさんのことを「国家を悪くしている」と激しく憎み、「辞めろ」と叫ぶ人が何万人もいるのに、だれもBさんをSATSUGAIしないのだ。
 そんなに嫌いだったら、やっちゃえばいいのに、と僕なんかは思うんだけど。
 Bさんが政権をにぎっていることで国家が悪くなる、というならば、BさんをSATSUGAIしてしまえば、それで済む話なのではなかろうか?
 次に政権をにぎった人も同様に悪ければ、やはりSATSUGAIする。
 そうすれば、国のトップになるような人たちも、SATSUGAIされないようなやり方を考えるようになるんじゃないだろうか?

「でもそれじゃ、『ドラえもん』のどくさいスイッチみたいに、きりがないよ」ということならば、そもそも代表者を選ぶための手続きがおかしいのではないか? と、疑うべきだ。
 だって、次から次へと就任する「トップ」たちは、みなその手続きによって選出されたのだ。
 その手続きをそのままにして、デモに行って、どれだけ何を叫んでも、意味はない。
 どちらかといえば、だれかが勇気を出して、すべてを捨てて確信犯としてBさんをSATSUGAIすることのほうが、まだ意味がある、と思う。
「ああ、かれらに気に入られないような政治をすると、SATSUGAIされてしまうんだ」と政治家は思って、気も引き締まるんではなかろうか。
 そんな残虐なことはできない、すべきでない、ということなんだったら、しくみを変えるしかないと思う。で、しくみを変えるには、現状「代表者による合議」が必要である。
 ということは、正攻法でしくみを変えることは、ほとんど不可能なのだ。だからみんな、デモに行ったり、SNSでうったえたりするのだろう。
 でも、はっきり言って、そういうことにはぜんぜん意味がない。(個人の感想です。その効力を信じるか信じないかは、もう信仰の領域だと思う。)

 デモはデモでも、みんながゲバ棒と火焔瓶もって、数万人単位で、討議中の国会に攻め入ってみるとか、すれば、ちょっとは意味があると思う。
 それで、気に入らない政治家を片っ端からSATSUGAIしたり、そうでなくてもBOUKOUとかRACHI&GOUMONすれば、だいぶ意味があると思う。
 そんなことができるはずがない、何だ、あなたはテロリストか、そう思うのならば、どうしましょうか。
 どうもできないのではなかろうか。まじめにやるしか、ないのではないか。
 民主主義なんか忘れて、まじめに。
 投票だとか、政権の善し悪しを論ずるんだとか、そんなことはいっさいやめて、もっとまじめになったほうがいい。
 そういう人がもっと増えてくれたらいいんだけど、そういうことはないから、現状があるんだと思う。だから、べつにもうどうしようもないんだけど。
 人のことを考えるんじゃなくて、まず自分のことを考える、で、自分のことを考えるために、他人のことを考えることが必要になる、他人のことを考えているうちに、自分のことにむしろ集中できるようになる。っていう順序を踏みつづけることが、「まじめ」ってことだと僕は思うのだ。
 投票したり、政権の善し悪しを論ずるっていうのは、その「まじめ」っていうことと、もう完璧に遠い。親が政治家だとか、そういう特殊な状況ならば、「八百屋の息子だから野菜に興味を持つ」ってことと同じくらいには、自然だとは思う。だからべつに、そういうことをしてはいけないというわけではない。だけど、べつにしなくてもいい人ってのは、けっこうたくさんいる。そんなことをしている暇があったら、もっとまじめに時間を使うべきじゃない?
「まじめな人たちがまじめなことにばかり時間を使うと、まじめじゃない人たちだけが投票することになり、国はどんどん悪くなっていく」
 ああ、実際のところ、そのとおりかもしれない。
 そこはもうチキンレース。「まじめじゃない人たち」が、全体の一~二割くらいになったら、けっこうイイと思うんだけど、今はなんだかんだ過半数こえてるから、影響力がはんぱじゃない。
 それはもうそういうもんだからってことで、しかたがない。まじめな人たちが、せいぜいまじめにやって、引っぱっていくしかない。
 絶望的なことに、「まじめな人」ってのはめちゃくちゃ少ない。だけど、「まじめとは何かがいまいちわかってないんだけど、まじめな素質はかなりある」っていう人は実はたぶんけっこういて、そういう人が「まじめな人」をみて、「ああ、なるほど!」と思ってもらえたら、いい。「ああ、まじめってのはこういうことだよな」と、わかってもらうことが近道で、「Bさん辞めろ!」と叫ぶことよりは、ずっと意味があると、思う。思いたいです。

 だって、「Bさん嫌い」は「Bさん好き」と、鳴き声としてはだいたい同じなんだから。
 もっとかわいくミャ~とか言おうねえ。

2018.5.28(月) 運命論

 金土日と、たくさんのいろんなことがあって、とても順を追ってまとめきれないので、とりあえず短めの詩を書いてみた。これを見ても何もわからない。僕ですらピンとこない。でも僕はなぜかこのタイミングでこういうものを書くような人間なんだな、ということだけがわかる。
 それだけでは心許ないので、少し補足(?)を書いておこう。

 生きてきてよかった! と完璧に思えるような肌感覚がぞわりと何秒間も持続した。そんな時が何度となく訪れた。
 やや自己嫌悪を要する失態もあったりした。
 総合的には、素晴らしい出逢いと再会に満ちた週末であった。

 僕は出逢いと再会のために生きているのだと思う。
 再会と言っても大げさなことではない。『ラブロマ』という名作漫画で主人公の星野くんが、毎日のように会っている恋人の根岸さんに「また会えましたね」と顔を合わせるたび言う。ある日お店に来てくれて、翌日また同じ人が来てくれた、ということに対しても、僕は「再会」と思う。

 そういえば素晴らしい出逢いというのは、ほとんど「再会」のようなものだ。

 初めて会ったような気がしないくらいしっくりくる人と出逢えばそれはかなり「再会」に近いし、何回会っても同じように素敵な時間が過ごせるのであればそれは最初っから「再会」だったとカウントして差し支えないような気がする。まるで自分と会うような出逢いであればそれは自分との「再会」とも言えるし、運命を感じるならばそれは完璧に「再会」でしかない。
 運命というのは、あらかじめ定められているということである。だから初めてのように思えてもそれは下書きを清書するようなものだったりする。

 下書きは目に見えない。でも、確かに誰かが引いた線。そこに誰かがペンを入れていく。「あっ」と言う間に。
 その「誰か」とは誰かというのが、醍醐味である。自分かもしれない。相手かもしれない。神かもしれない。天使かも。時間かも。地球かも。宇宙かも。
 みんなかも知れない。

 大げさな言い方をしなくたって、素晴らしい出逢い≒再会っていうのは、常にそういうふうに、下書きが清書されていくようなことなのだ。
 下書きはいつの間にか誰かが書いている。
「会う」ということをしている間に、そのうちのいずれかが清書されていく。どんどん。
 清書されたものは渦巻いて、入れ替わって、分裂して、濃くなったり薄くなったりしながら、永遠に残る。
 だから空って美しいのだ。(この一行だけは完全に詩です。)

 初めての人に会うと、その人がいい人でも、そうでもなくても、何かが書かれる。それが下書きをなぞるものであれば、出逢いとか再会とか僕は思うし、そうでないならば、それがなんだかはよくわからない。大概はいつの間にか風に吹かれて消えていくのだろう。下書きがあとからついてくる、というわけのわからないことだってあるのかもしれない。小説でも「あー、あれは伏線だったのね」と過去の記述があとから意味づけられることがある。それに似てる。

「世の中のことは運命で全て決まっている」というようなニュアンスではない。むしろ、運命ってのは人と人とが出会った瞬間に、生まれるならば生まれるようなもんでしかない、というようなこと。
 それまで会ったことのなかった人たちが、出会った瞬間に「再会」する。その瞬間に、下書きも「すでにあった」ことになる。誰かが書いていたのだ、すでに。
 だってそうとしか思えないんだもの。(これを運命と称す。)

2018.5.16(水) テイ・ストローディング『悲しき熱帯』

テイストをローディングするべきかもしれぬ、今夜は。

 と僕は2003年4月13日(日)日記に書いた。どういう意味かといえば、「なんか昔の書き方がしたいなあ」である。
 当時から見た「昔の書き方」とはどのようなものかといえば、2003年4月14日(月)の僕が言うには「さっき昔の日記を読んでたら弾けるように明るい自分を発見して悔い改めようと思った」とのことなので、「弾けるように明るい」ということなのだろう。そう、この日記だって初期の頃は、弾けるように明るいことだってあったのだ。

 ところで、2003年4月14日(月)の僕はこうも書いている。

僕は一度も煙草をすったことがないんだけど、
最近なんかkyomuというかニヒリーな気分になる時があると
想像するんです、そんなとき。
自分が煙草すってるところを
そうすると肺の内部から心地よい煙がやるせなき胸のモヤモヤを駆逐してくれるような気になるんです
きっと煙草ってすってみたらこんな感じなんだろうなあとか思いながら
喫煙者の気持ちがすっごいわかるんです

他にも僕がやってることって、煙草をすってるふり。
人差し指と中指をくちびるの前に持っていって、煙草をすってる「振り」をする
で、ゆっくりと深く息を吸い込む、と
なんだか煙を吸い込んでるみたいな錯覚が得られて
ちょっぴり気持ち良くなるんです
(本当はゆっくりと深呼吸してるわけなんだから、あたりまえだけど)
晴れる、とまでは言わないけど、気が紛れる感じ

 先日(2018年4月25日)書いたのとだいたい同じ。変わっていることもあれば、変わっていないこともある。
 だいじなことは、だいたいいつでもたぶん一貫している、と思う。太陽とか冒険とかクリスマスとかドラえもんが好きだってことは。

 最初期の僕の日記は、人を笑わせることとか、楽しんでもらうことに主眼を置いていた。それがだんだん内省的になって、「考えるための場所」になっていく。どちらも最初からあったんだけど、だんだん後者が濃くなっていった。
「考えるための場所」として洗練されていく中で、僕の文章はどんどん「論理的」になっていった。それで2010年2月9日の僕は、このように言っている。

 僕が教壇でではなく、このHPでやりたいと思っていることは、「僕の話を聞こうかなと思ってくれる人たちに伝わるように書く」だ。それはそれで難しいことではあるが、「まあやってみようかな」というのが、今日のこの決意表明である。

 あー! もう、めんどくせえ! 「である」なんて言葉を使ってると、いかんな。妙に最近、文章の精密度にばっかこだわって、このHPにそもそもあった持ち味みたいなもんが削がれているような気さえする。やだやだ。
 歳を取るってのはそういうことだったのか?
 違うと思いたいから、高校生のころの日記まで持ち出して、「あの頃に持っていて、今も持っていたほうがいいもの」を探ろうとしてるんだ。中高生が読む云々というのは、それをするきっかけにすぎない。……と、また難しいことを言ってる。

 なんつうのかね、最近自分の文章が、あまりに「りくつりくつ」してるんで、ちょっとこのへんで揺り戻しをかけたくなったのよ。幸か不幸か、とりあえずしばらくの間は「聖職」から遠ざかるわけだし、この機会にちょっといったん、自分の文章を解体してみてもいいのかもしれないなって。
 これはそういう宣言でもあるわけ。

 8年前の僕は、自分の文章を「解体」しようと試みていた。それでいろいろ、試行錯誤した。なかなかうまくはいかなかった。ところで、では、どのようなものを目指したのか?
 ヒントは、その二週間後くらい、2010年2月27日「知性と感性 詩の効用」という文章の中にあった。

 が、ことばの本質というのはどうしても論理であって、決して逃げられるものではない。そこで、人々は「詩」というものを思いついた。最も古い文学の形は「詩」であると言われるが、それはたぶん「ことばが論理という呪縛から逃げようとした」ということなんじゃないかと僕は思う。
 どういうことかといえば、詩っていうのは、「論理」を気にしなくていい言語なんだ。ふつうは「地球が逆立ちした」と言ったら「間違い」だと言われるが、詩であれば許される。
 僕は、高校三年生の時に「論理」っていうものを知って、そればっかりを考えて勉強をしていたから、頭の中が「りくつりくつ」してきちゃったんだ。それで、高三の十月に、本格的に詩のようなものを書き始めた。大量に。
 いま思えば、あの時期に詩を書き始めたというのは、「僕の頭が論理という呪縛から逃げようとした」んじゃないかと思う。「丸暗記でない勉強」をしていると、常に論理を考えていなくてはいけなくなる。そうすると頭がどうしても疲れるし、理屈でガチガチに縛られて堅くなってしまうことにもなるから、それをほぐすため、解放するために詩を書き始めたんだろう、と分析する。だからあの頃の僕の詩には、いっさい論理がない。徹底的に非論理を貫いている。

 論理だけに偏ると、人は融通がきかなくなる。冗談もわからなくなってくる。それを防ぐために、感性っていうのが論理をサポートする。そうなると論理は「知性」と呼ばれる、一等輝くものに変わる。
 知性と感性のバランスの取れた人間になりたいと願う。

 僕は、「論理大好き」なんじゃなくて、「高校三年生で論理というものを知ってしまったが、本来は感性の人なので、どうにかバランスを取りたいと思って必死に詩を書いていたような人」なんだと思う。

 けど最近はべつに「論理」に縛られてしまうような状況がないから、詩のほうも論理のほうへ寄ってきている。論理というのは「意味」と言い換えてもいい。
 詩というのは、「意味」と「意味でないもの」のせめぎ合いで、前衛的な詩には意味がなさすぎるし、平凡な詩は意味でありすぎる。その辺が難しい。

 つまり、このころの僕の悩みは、「感性のともなった論理がほしい」だったのだ。でなければ、「論理は知性として成熟できない」ということだ。
 僕は、詩のような文章が書きたかったのである。
 ある程度論理的であって、その上で詩情も充ち満ちたような文章にこそ、知性なるものは宿るのではないか? というふうに、8年前の僕は考えたのだ、おそらく。
 しかし、当時の僕にはまだ、「具体的にどういう文章であれば、そうなるのか」ということがまったくわからなかった。
 何を書いても「意味」になってしまうし、むりに「意味」を排そうとすれば、詩でしかなくなるか、筋の通らないたわごとになってしまう。
 文章であって、かつ詩でもあるようなもの。だけど散文詩ではなくて、詩散文のようなもの。あくまでも「筋の通った文章」でなければならない。そういうものを目指していた。

 で、それが最近はようやく、少しできるようになってきているように思う。直近のここ数記事、たとえば5月11日や5月5日の文章なんかは、わりとそうできた。自分としては。
 なんか、一区切り。という気がする。
 十数年ぶりに「はこっち」に会えたのは大きい。この名は当時のハンドルネームで、彼女のフルネームをそれぞれ訓読みすると「は こ ち」になることから。懐かしいね。
 例えばこんな段落をいきなり挿入してみると、ぐわんとイリュージョンする、かもしれない。そういうことがうまくいったら、「よし」と思える。
 あまりやりすぎたら詩になってしまうので、気をつけながら、また更新します。

2018.5.11(金) 友情、という魔法の言葉

 高校受験のとき、おかしな女の子がいるなと思って覚えていたら、進学してから通学路で会うようになった。お互い自転車で、似たような道筋で通っているようだった。
 学校の廊下で、たぶん向こうから話しかけてきた。よく覚えていないがたぶんまだ四月中で、違うクラスの子と仲良くなるのはそれだけで楽しかった。裏道を歩いてるみたいだった。
 彼女は詩を読み、書いた。僕も中学のころから詩みたいなものを書いてはいたが、遊びとさえ言えない代物だった。そんな僕に彼女はハルキ文庫の『谷川俊太郎詩集』を貸してくれた。「少年Aの散歩」という詩はそこに入っていた。角川文庫の詩集には収録されていない。
 Eメールもした。携帯電話はお互いにまだ持っていなかったと思う。パソコンでメールのやり取りをすることは当時ではけっこう先端的なことだった。その頃のやり取りはたぶんまだ残っているが、恥ずかしくて見られたものではない。
 僕のホームページ(ここのこと!)に詩を投稿してくれたこともあった。「活字芸術」という(恥ずかしい名前の)コーナーがあって、自分の書いたものとか友達の書いたものを何でも載せていたのだ。
 男は女によって作られる、ということは、直観的実感的に真実だと思う。僕は彼女によっても作られている。女は、男によっては作られない。変えられることはあったとしても。(これもまた、直観的実感的にのみ、そう思う。)
 高2の終わりに彼女は学校をやめてアメリカに移住した。三年生の時に一度だけ会った。その数年後に東京で一度会った。それ以来十数年ぶりに、昨日会った。帰国というかは「来日」である。
 僕も彼女も、見た目は何も(本当に何も)変わっていない。内面については、変わっているところ、変わらないところ、どちらもあった。関係はもちろん変容している。だけど、それは全然イヤではなかった。それだけでまた会えて本当によかった。
 中国人でもあり日本人でもありアメリカ人でもあるような彼女は、「日本社会」という言葉を何度か使った。僕も気に入って、言った。「人生経験」という言葉も、同じようにたくさん口にした。どちらも面白い四字熟語だからけらけらと笑いながら交わした。同じものを美味しいと思った。初めて酒を飲んだ。
 僕たちはいつも友達を探して生きている。自分と同じ人間を探しているのではない。僕たちはいつも、友達を探して生きているのである。
 その夜のうちにバスで大阪に発つ彼女をターミナルまで見送った。別れ際「ハグしようぜ」と日本社会にそぐわない提案を受けて初めて僕は彼女に触れた(ということにする)。かつて僕は、「この人と手を合わせたら光り出すだろう」と考えていた。ハグした僕らはちょっと浮いた。友情のなせるわざである。
 仲が良いとか好きだとか、そういったことを脇に置いて友情はある。友情は時間と密接に関係する。ほんの30秒しか話していない相手でも、10年お互いがよい記憶として持ち続けたら、それは友情と呼んでいいはずだ。
 浮いたり光ったりするのは、時間の仕業なのである。物理の世界では起こりえないあらゆることが、「時間」の内では起こりうる。僕が時間を愛するというのはそんな理屈なのだ。
 ここ数日の文章でわかるように、僕は未だに思春期だし、詩人である。それを全開にして申し上げると、時間というのは(もしそう呼ばれるべきものが存在するのなら)、いわゆる奇蹟のことである。あらゆる法則の外側にあって、論理や意味をすべて超越したもののことを、ほかに呼ぶ言葉がなく仕方なく「時間」と言っている。
 だから言い換えれば時間とは心のことでもあるし、我が田に水引けば詩のことでもある。敷衍すれば「文学とは時間である」とも言える。そういった表現の亜種として、「友情は時間」ということもあるわけだ。
 三十歳の人間と二十歳の人間が出会うと、そこには五十年の時間がある。五十年が絡み合う。それで一瞬のうちに友情が生まれたりする。五十年というその時間の中に、友情を組成する材料と製法が揃っていさえすれば、すぐさま組み立つわけである。
 光ったり浮いたりするのは、時間の仕業である。カラクリはわからないが、とにかく時間が、凝縮したり渦巻いたりして、そういう作用を起こすのだ。
 僕らが通った高校とは別の、僕らが通わなかった高校の教室の隅で、僕は初めて彼女を見ている。友情が魔法だとしたら、魔法とは時間のことである。

2018.5.9(水) イヒ

 5月5日と8日の記事は実のところ8日の深夜から朝方にかけて一気呵成に書いたので、どのくらい妥当性を持つ話なのか自分でよくわかっていない。ちなみにコスモノヴァというのはダジャレである。何とかけているかは、ナイショ。


 少し冷静になった頭で別の角度から考え直してみる。

「他人を変えることはできない」とは、よく言われる。
「自分を変えることはできる」と、続けて言われる。

 ただ、
 他人を変えることはできないけど、否応なく他人は変わっていく。
 自分を変えることはできるけど、いつでも変わりたいように変わることができるというわけではないし、自分の意思とはべつに勝手に変わってしまうことだって、あると思う。

「神の手の中にある」という状態だろう。

 だから、その時々にできることといったら、
 変わっていく中で「関係」をとりなしていくくらい。

仏教における縁起とは、私たちは因縁によって存在するのであって、それらの因縁を取り除いたら「私」と言われる確かな存在は塵垢ほどもないという意味である。
大谷大学のページ

 僕の言う「関係」なるものは、「縁起」とだいぶ近い。
 すると個々の人間そのものは、いわば「空」である。

ものは、すべて、縁起の理論で無と否定されるが、否定されて無に帰してしまうのでなく、そのまま、縁起的には有として肯定される、という両面をもった存在である。

 僕らはみな関係の前に無であって、関係がゆえに有である。

 神の手の中にありながら、よき意思を持つことができる。
 その自由を与えられている。


 執着から離れ、関係だけを見つめる。
 神に委ね、しかし自分だけの意思を持つ。
 それは怖くて難しい。

 僕はたぶん「でもそれほどの怖さはない」とくらいには思える。
 だから、変わっていくことも平気。
 誰かが変わってしまっても、関係が変わってしまっても、
 バイバイで同時にハローなのである。

 それはもちろん絶望ではなく、諦めでもなく、
 素敵な人とはバイバイせずに、素敵な関係にハローできたら
 という意味で。

2018.5.8(火) 執着疫

 僕は本当に「関係」しかないと思っている。
 僕には好きな人がいた。その人との関係は変わっていった。
 関係は変わりながら、今もある。
 なぜ関係が変わるのかというと、自分も相手も変わっていくからだ。
 正確にいえば、「自分のみる自分」と「相手のみる自分」と「相手のみる相手」と「自分のみる相手」と「その他さまざまな環境的要因」などなど、あらゆるものが、変わっていくからだ。それでは関係も変わらざるをえない。むしろ、変わらないようなことがあれば、まったく不自然である。
 自分も相手も変わっていき、環境も変容していくなかで、その風や波やらにうまく乗り、ふたりでダンスし続けられるようならば、その「関係」はよいふうに維持されていく。
 それはもちろんべつに「結婚」やそれに準ずるものだけを言うのではない。あらゆる関係がそうだ。


 宇宙。僕から無数の線が出ている。その線は僕と関係をもつあらゆる人とそれぞれつながっている。タコアゲをするようにその線は動く。時にもつれ、絡まりながら。
 無数の線の中心は僕であるが、もちろん他の人からだって無数の線が出ていて、その中心はその人である。僕から見れば他人はみんな天球の星だとかタコアゲの凧だとかいうようにうじゃうじゃいてめいめいに好きに動くが、他人から見たら僕もその星や凧とかの一つでしかない。
 僕だって好きに動く。みんなも好きに動く。好きに動きながら、関係の線は短くなったり長くなったり、傾きを変えたり張りつめたり緩んだり、切れたり、結びなおされたり、実は切れてなかったり、など、さまざまする。
 みんなが自由運動する分子で、好きなように好きなだけ関係の線を握りしめる、時には手を放すことだってある、そういうようなことが僕の理想である。

 だから僕は固執しない。
 しようがない。
 みんなが自由に動いていくのだから、変わっていく。
 好きな人が好きでなくなったり、一生を誓い合った相手と破局したり、そういうことはあるものだ。
 そりゃ、好き合っていたはずの人と不本意に別れたら辛い。寂しい。でも、それは仕方ない。
「あなたは自分とこのような関係であるべきだから、このようにつとめてほしい」「あなたは自分とつきあっている以上、このような人間であるべきだから、こうなってほしい」そういった要望は、すべてあほらしい。
「あなたには生きていてほしいから、死なないでほしい」と自殺志願者に言うようなものだ。
 もちろん、「死なないで」と言う自由はある。
 死なないでいてほしいと願う自由もある。
 同様に、死ぬ自由もある。
 要望は、出す自由もあれば、拒絶する自由もある。
 当たり前のことだ。恋人でも、夫婦でも、そう。
「浮気しないで」と願う自由もあれば、浮気する自由もある。
 浮気とは何か、という定義は、お互いが自由にできる。
 事前に「浮気の定義はこれです。違反した場合はこのようなペナルティを科しましょう」と、取り決めることはできる。契約である。
 これはわかりやすい。しかし実際のところは、「浮気はしないという前提でいきましょう、もし起こったらその時で」というふうにしか、みんなしていないんじゃなかろうか。
「しない」という前提でいるから、細かいことはなんにも考えていない。
 定義に関しても「されたと思ったらしたことになる」ということにしかならない。「俺の中ではセーフだから!」と主張したって、何の意味もない。事前に決めていても「やっぱり違う!」と思うこともある。
 結局のところ、自由と相違ない。契約に見えるのは形だけ。


 こんなところに書くのもどうかと思うけど、僕は「浮気」なることをされたり、「別の男ができたので別れましょう」といわれたようなことが、5~10回程度ある。
 そんなとき僕がどういう反応をするかというと、「ソウデシカ……」。
 まあ、もちろん、発狂寸前のところまで行ったこともあるけど、基本的には納得して終わる。
 感情としては、イヤだったり、傷ついたりはするけど、それはこっちの問題。相手は何も悪くない。
 イヤだったり、傷ついたりするのは、こっちの心が勝手にそうなっているだけで、誰かが「ジャッキーさんの心が痛くなるボタン」を悪意をもって押したわけではない。(押すやつもいる。とても邪悪だ。)
 これに気づいた時は、「おお!」と思った。そうか、傷つくのは、自分が勝手に傷ついているだけなんだ。誰にも「傷つけ!」なんて言われていないのに、勝手に傷ついているだけだ。これほどあほらしいことはない!
 傷つく、というのは、自分のさじ加減でしかない。自分が傷つかなければ、誰も傷つかないのだ。
 これは、「ワタシがガマンすればすむことなんだ……」というタイプの、自己犠牲的な発想ではない。(もっと別の病的なことではあるかもしれないけど。)
「自分さえ我慢すれば」とはたぶんむしろ逆で、「我慢するなんてあほらしい」に尽きる。
 我慢っていうのは、イヤだから我慢になるわけで、イヤじゃなければ、我慢でもなんでもないわけだ。
 振られるとか、浮気されるとかっていうのは、突き詰めれば「自分の思い通りにいかなかった」というだけ。だから、怒ったり落ち込んだりする必要は、ない。生きてりゃ思い通りにいかないことなんて、いくらでもある。
 何でも自分の望むようになると思うのは、愚かしい。
 望むのは自由だけど、望みが折られたら、「ああ、折られた。残念だ」で済ませれば、良いではないか!
 そんな簡単に割り切れたら苦労はしないのだろうが、原理原則としてはそうなのではないだろうか、といま僕は思っているのである。

 自分にとって嫌なこと、不快なことは、起きる。そのとき、「イヤだなあ」「不快だなあ」と思う。それは自然なことだが、それで怒ったり、誰かを責めたりするのは不当だ、と冷血で乱心な僕は思うのである。
 イヤだ、不快だ、と思うのは自分の性質のせいで、自分の勝手なのに、相手にそれを押しつけてはいけないのではないか?
 というわけで、その「イヤ」「不快」は自分で処理すべきである。
 まず一番いいのは、そもそも「イヤ」とか「不快」とか思わないことだ。これができれば一番楽である。
 イヤだから我慢になるわけで、イヤじゃなければ我慢じゃないのだ。
「よく考えれば別にイヤでもないなあ」とか、「不快だと思ったけど、見方を変えればそうでもないな」とか、納得できたらしめたものだ。
 それが難しければ、その「イヤ」「不快」が二度と起こらないように、「関係」を調整するのがよい。(「別れる」とか。)
 その他にもいろいろ処方はあると思う。

 たぶん僕はとてもむちゃくちゃな(とみんなが思うであろう)ことを言っている。
「イヤだと思うのは、自分の勝手。」すごいね。
 でも確かにそう思うし、みんながそう思えたらずいぶん平和なのでは、と思う。ただし、これまでの社会が前提としていたような秩序は、崩れるかもしれない。(でも実は、その秩序のほうが先に崩れているのかもしれないよ~。)


 自由にすればいいんだ、と過激に思う。
 自由に動いて、変わっていって、それで関係が移ろいゆくのに任せるしかない。
 子どもがいたらどうすんだ? 浮気して離婚したら可哀想じゃないか!
 離婚したら可哀想なんだったら離婚しなきゃいいだけではないのだろうか。
 あるいは、離婚しても可哀想じゃないようなふうにはできないのだろうか。
 浮気と離婚に、直接の関係はない。ただ法律がサポートしてくれるだけのことだ。
 離婚と可哀想に、直接の関係はない。そう思えるだけのケースはけっこうたまっていようが、今後はわからないし、個別のケースについてはどうとも言えない。
 ともあれ、全体が健やかであれば何でもいい。
 浮気が発覚しても、「あ、そ」って思うだけなら、それで終わることだ。
 ただ、そのように思う人はとても少ないだろう、今のところ。


 されたら、やだなあ、とは思う。ものすごく不快になる。泣いたり吐いたり、するかもしれない。だけど、それは起きてしまったことで、それを踏まえてどうするか、ということを考えることしか、できない。
 関係は変わっていくかもしれない。それは悲しく、寂しいかもしれない。だけど、それしかない。
 怖がらないでいることしか、できない。
 だけど、怖がらないってのは、むずかしいらしい。


 人からの相談を受けてそんなことを考えた。

2018.5.5(土) コスモノヴァ

 十六歳の時に初めて女の人の肌に触れて、クチヅケをした後は
 コスモノヴァ。

 天使が朝来て撃ち殺す、というやつ。


 そこで時間は止まったのだと思う。止まったのなら。
 十六歳、十七歳を目前に控えた十六歳だった。
 秋の日だった。
 その出来事、それ自体は問題ではない。
 そこから僕は僕ならぬ道に転がっていった。そして怪我もした。

 僕は子どもだった僕と、大人になった僕との折り合いがずっとつけられないでいた。今もそうだ。だから、それを同時に存在させたり、切り替えたりすることが、難しい。

 ここのところの僕は、ずいぶん子どもでいることが多い。無邪気に笑って、遊んでいる。そういう時が本当に幸せだ。
 だけどその自分と、そうでない時の僕とは、いまいちまだ分裂している。
 ものすごく具体的に言ってしまえば、性的であるような時の自分と、性的ではないような時の自分が、ぜんぜん別に存在しているのだ。

 十六歳の時に、突然女の人を知った。と言って、何をしたでもなく、ただ肌に触れたのだが、それはいつか来るとはいえ、あまりに急だった。僕は本当は、もっといわゆる「段階」とやらを踏むべきだったのだろうか? いや、そうしたところで、おそらく何も変わらなかった。順序が少し替わっただけのことだ。誰にだってそういうトキは訪れる。
 歴史に文句を言うのではなくて、誰にもいつか来るようなその瞬間が、僕の場合はくっきりと、わかりやすく思い出せるというだけのことだ。そしてその時の光景は、それなりに美しい。醜さなどは微塵もない。だから、肯定的に振り返ることが出来る。幸いなことだ。

 で、僕はクルッとそっちを向いた。無邪気さを残しながら、それがゆえ残酷に、突き進んでいった。もちろん騒動もあった。
 そのまま僕はどうも、ずっとそっちにいたらしい。
 大人か子どもか、という単純な二分法でいえば、「大人」のほうに。

 僕の中には子どもと大人が二人いて、ずいぶん便利にやっていた。だから、子どものほうには成熟の必要がなかった。「子どもは子どものまま成熟できる」なんてことは、二十代のはじめのうちにわかっていたけれども、だから自分のあり方をどうする、という発想はあまりなかった。いろんな不自由はあったけれども、その不自由とその問題とを、結びつけてみようとはしなかった。それが正解だったかどうかは、今となってはわからない。ともかくわかるのは、いま僕の目の前にあるのはまさに「その問題」である、ということだけだ。
 大人の僕はどんどん成熟していったけれども、子どもの僕は成熟しなかった。ずっとむかしのままでいた。

 十六歳で、小さなほうの僕は、停止した。それまで女の人の肌に触れたことがなく、まともな恋もしたことのなかった、無邪気で悩み深い僕はいったん脇に置かれて、新しい僕が新しく生まれた。僕はそっちに夢中になった。
 ほっとかれた幼い僕は、ずっと機会をうかがっていた。たまに呼び出され、利用され、また封じ込められた。結局は僕でもあるような十六歳までの僕は、別にそれでいいのだと思っていた。休み時間にさえなれば、遊ばせてもらえるんだから。

 でも年をとるにつれて、「遊んでいるほうが大切なんじゃないか?」ということが、わかってきた。それを許してもらえるような環境にも恵まれてきた。大人として調子に乗っていた僕は、急に反省するようになった。「ごめんなさい、ほんとの主役はあなたです」と、小さい僕に座をあけわたした。
 当たり前だけど、小さいほうの僕は大喜びで遊びはじめた。これでいいんだ! と泣きわめきながら、草原を駆けた。川を飛んだ。虹を走った。
 どうしてそうできたのかというと、僕には一緒に遊べる友達がいたから。一人じゃ孤独だけど、友達となら本当に楽しい。僕の人生はこれしかない、ようやく巡り会えたんだ!
 でも「僕」は、十六歳から先のことは何も知らない。
 知っているのは、大きいほうの僕だった。
 それで僕は、時おり彼を呼び出して、利用して、また封じ込める、ということをした。

 ああ、これは、かつてと同じ。
 それで良いときは、よい。
 良くないときは、よくない。


 小さい僕は、ふだん一人で遊んでいる。大きい僕が必要になると、「おーい」って、呼び出さなくちゃいけない。
 そうすると、小さい僕は、どこにいればいいんだろう?
 これがむずかしい。一緒にいられるときもあるけど、そうできないこともある。
 そうできないようなとき、困る。
 なんだか頭がいたくなる。
 混乱して、わけがわからなくなる。
 子どもが遊んでいるところに、大人が入っていくことを想像してみてほしい。このとき、大人が負担を感じることは、ほとんどない。気を遣うことはあっても、気まずい思いをしたり、苦しくなったりすることは、よほど繊細な人でもなければ、まずないと思う。
 逆はどうか? 大人たちがお話ししているところに、子どもが入り込む。これは、居心地が悪い。そんなことさえ考えないような幼い時分を除けば、どう振る舞っていいんだろうと、戸惑ってしまうのではないだろうか。
 小さい僕は、そういうふうに困っている。
 大人と子どもが同席すると、困るのはまず、子どものほうだ。
 両親の情事を子どもが目撃すれば、深く深く心に残る。子どもの情事を親が見つける場合だって、心に残るのは子のほうだろう。

 あまり詳しいことは省くけど、とにかく、これじゃだめだな、と最近思っている。
 たぶん時間が必要なのだ。十六歳の僕が、きっちりと十六歳を終えて、十七歳、十八歳と、成熟していくための時間が。
 もちろんそれは、小さい僕を見捨てるということにならないよう、行われなければならない。
 小さい僕は、成熟したって消えやしない。その確信はある。でも、じゃあどうやったら成熟できるのか? ということは、わからない。
 小さい僕を見捨てて、大きい僕をとる、ということならば、想像がつく。だけど、小さい僕が小さいままで成熟する、ということになると、どういうことなのか、よくわからない。

 僕は小さい僕が好きで、そのほうが正しいと思っている。しかし、だからこそ、「都合のよいときだけ大人の顔をして、おいしいところだけもらってしまえ」という考え方はできない。
 小さいままで、成熟することが必要なのだ。どうすればよいか? わからない。
 ゆっくりと、順を追って、確かめながらやっていくしかない。
 かわいく。
 手をつないで、にっこり笑うところから。



 これは非常に重要な文章なのだが、わかってくれる人なんて、いないだろうなあ。いたらこっそり教えてください。

2018.4.25(水) 架空のたばこ

 バーをやっているとお客がこない日、こない時間、というのがある。
 誰もいないお店にぼーっと、立ち尽くしているだけのことがある。
 時には数時間も。あるいは、丸一日。
 孤独である。
 しかしその、孤独の中に「味」がある。
「詩情」がある。
 それがある種のお店をやる醍醐味のひとつ、でもある。
 そう思える人は、さみしい店に立つ才能があるのだと思う。


 ひとり、手持ちぶさたで、何もやることがないとき、何をするか。
 酒を飲む。たばこを吸う。
 僕はそれらはしない。
 何もせず、詩情を味わう。
(つまり、かっこつけているわけだ。)

 詩情とは、詩のもととなるような心のことである。
 詩を書きたくなるような感情や、詩の材料になるような感覚のことである。
 酒やたばこを体内に入れると、詩情はなくなってしまうのか、というと、そういうわけではない。酒の詩だってたばこの詩だっていくらでもある。酒を飲みながら、あるいはたばこを吸いながら書かれた詩は無数にあろうし、書かれなかった詩情は星の数より多くあるだろう。
 ただ、酒やたばこは詩情を制限する、または、ある方向に詩情を操作する。
 酒を飲んだときの詩情は酒を飲んだときの詩情である。たばこを吸っているときの詩情はたばこを吸っているときの詩情である。それはそれで時には良いものなのだろうが、僕はあまりそっちに向いてない。得意ではない。


 喫煙習慣を持った経験は一切ないが、父親がけっこうな喫煙者なので、たばこを吸う人の気持ちはわかる。
「もし、僕が喫煙者だったら、今きっとたばこを吸うのだろう」と思うような瞬間は、一日に何回もある。
 僕は、たぶん生まれたときから禁煙しているのだ。

 たばこを吸いたくなるような瞬間に、僕はたばこを吸わない。
 その習慣が僕にはないし、つける予定も微塵もない。
 では何をするか。
「架空のたばこ」をふかすのである。

 吸う真似をする、ということではない。
 ただ、「たばこを吸いたくなるような気分のまま、何もせず、たばこを吸ったあとのような気分になる」というだけである。
 詩情はそのとき僕をつつむ。
 血をめぐらせる。
 何かが僕の意識の外へ出て行く。それが詩である。たとえ言葉としての体裁を持っていなくとも。


 酒やたばこは、いちど体内に入ると、一定期間「作用」する。
 それが僕には邪魔である。
 自由が失われるからだ。

 僕はお酒をけっこう飲むが、どういう時に飲むかというと、「行きたい方向が決まっていて、酒がそこへの追い風になるようなとき」だ。そういう場合、自由というのはむしろ、足かせになる。
 酒は人を、自由から解放する。
 酒を飲んで自由になる、というのはまったくのウソで、逆なのだ。酒を飲めば、そのぶん不自由になる。

 こないだ、仲の良い女の子がお店にきて、気持ちよさそうにお酒を飲んでいた。二杯くらい飲んだところで、次には僕の好きな銘柄の焼酎を指名した。
 そこに僕も行こう、と思ったものだ。それで飲んだ。その日の一杯目である。
 僕の自由に、制限がかかった。だけどそれでよかった。そのとき僕は彼女とともに、“そこ”に行くことをしたかったのだ。
 たばこにも同じ性質があると思う。だけどそれをしないのは、単に文化の違いであろう。きわめて雑なくくりだけれども、東洋に生まれたからには、たばこよりも酒ではないか、と。(あるいは「喫煙について」)という文章を参照のこと)。
 また、たばこよりも酒のほうが、より熱心に自由を奪う。僕が酒を飲むのは不自由を得るためなのだから、たばこでは刺激が弱いのである。

 ここでいう「不自由」とは、もちろん、「酩酊」や「前後不覚」をいうのではない。
 詩情の制限である。
 感じたい「ある詩情」のほうへ、追い風を向けるために、飲むわけだ。
 ただしこれは、思うに詩人として邪道である。佐藤春夫も言うように、詩情に制限はない。だから僕は酒を飲むとき、「詩人から降りている」のだと思う。ある詩情に(求心的に)向かっていく、ということは、詩人であることの放棄でもあるわけだ。(僕は遠心的な詩人だから。)さて詩人を放棄した僕は、一体なんになるのか?
 美しく書いてみよう。もちろん先の例でいえば、友人でありたかったわけである。


 酒を飲んで(あるいは、たばこを吸って)詩人から降りたとき、僕は「架空のたばこ」をふかす能力を失う。それは同時に、自由を失うということだ。
 不自由という社会性のほうへ、ふらっと立ち寄りたい時にだけ、僕はそれをしてみるのである。

2018.4.24(火) 生活に帰ろう

 生活をしよう。すてきな生活をしよう。
 そういう意味であれば、よくわかる。
 昨日のつづきである。


 楽しい時間は過ぎ去っていくけど、それが終わってやってくる「生活」というものも、またかけがえなく素晴らしく美しいものだから、いやがらず、むしろこの楽しい時間の中から何かを持ち帰って、おうちに飾ったり、しましょうね。

 そういうことは、とてもよくわかるのだが、それでもやはり、どんな楽しい時間でも、いや、楽しい時間だからこそ、「生活」の中にくみこんでいきたい。そういうものをこそ、「生活」と呼びたい。
 だから、「生活に帰ろう」というのは、「もしもあなたの生活にLIFEが不足しているのだとしたら、どうか Life is coming back いたしますように」という意味を持っていてほしい。
 ライブに行くことと、ラジオを聴くことと、りんごを買ってジャム作って食べることは、すべて並立して同じ「生活」でなければならない、と僕は思うのである。

「非生活」という言葉はない。すべては生活である。
 コンサートで血を燃やすとき、その瞬間さえも生活である。
 好きな人と手をつなぐことが生活であるならば。
 帰るべき生活などない。すでに我々は生活の中にいる。
 ベーコンといちごジャムが一緒にあるように、すべては生活の中にぜんぶ同時に存在しているのではないだろうか? 時間さえも。

2018.4.23(月) 生活と日常

 小沢健二さんのコンサート「春の空気に虹をかけ」(有楽町、東京国際フォーラムホールA)に行ってきた。
 略称を「春空虹(はるそらにじ)」と言う。コンサート中も「1、2、3」とかの代わりに「春、空、虹」とかけ声をかけるシーンが何度かあった。19(ジューク)の『水・陸・そら、無限大』を思い出したが、もちろんべつに何の関係もない。19の二人の下の名前は「健治」と「敬吾」であるが、もちろんそれにも何の関係もない。健治の苗字は「岡平」で、みごと「KENJI.O」となるが、関係は一切ない。

 コンサートの終わり、小沢健二さんは「生活に帰ろう」と言った。二年前の「魔法的」ツアーの時は「日常に帰ろう」だった。本当に本当の最後の最後、すべてを締めくくる決めゼリフとして、それらは言われる。
「生活に帰ろう」の前の短い挨拶でも、「(ホールの外に出ると)日常が待っていて、生活が待っていて……」というようなことを言っていた。
 生活、という言葉が、どうやら今回は、たぶん意識的に強調されている。「魔法的」のときまでは、僕の知る限り、「生活」という言葉はこのようなニュアンスにおいては、使われていない、と思う。(使われていたら教えてください。)

 犬の生活、というのはあるけれども、猫に生活はない。
 猫にあるのは日常だ。
 そんなことを時おり、考える。
 だからかどうか、『犬は吠えるがキャラバンは進む』という小沢健二さんのアルバムの中では、「遠く遠くつながれてる 君や僕の生活」と歌われる。(『ローラースケート・パーク』)
『LIFE』というアルバムもある。この語は「生命」「人生」「生活」といった意味をもち、「日常」と訳せるかどうかは知らない。


 僕自身の感覚としては、コンサート空間を「非日常」とは思わないし、ましてや「非生活」とも考えていない。
 いずれも日常や生活の一部でしかない、と思うので、「帰ろう」と言われてもピンとこない。
 ピンとくる人もたくさんいるのかもしれない、とは思う。


 そういえば「非日常」はあるのに、「非生活」という言葉はない。「生活でない」という状況は、ありえないということだろうか。
 日常と非日常。そのしきいは単純に、「つねにある」かそうでないか、ということなんだろうか。なるほどコンサートは常にはない。非日常である。とりわけ、日々それを心待ちにしていた人々にとっては。
 そういう意味でなら、「日常へ帰ろう」という言い方はわかる。だが、「生活に帰ろう」とは何であろうか?
「非生活」という言葉が成立しない以上、コンサートを「生活ではない」空間だと言ってみたところで、なんだかよくわからない。
 あるいは「生活に帰ろう」とは、「Life is coming back」というような意味なのだろうか?


 まったく関係ないが「いつかあのくもり空わって 虹を架けるはずだよ」と歌う19の代表曲は、1999年3月20日発売だそうである。春・空(そら)・虹よ 無限大。

2018.4.22(日) 顔に自信あり

顔が人生を引っぱり、人生が顔を作っていく。出発点は顔であり、右足を出したら左足を出すように、顔、人生、顔、人生、というふうに行進が続いていく。顔と人生は一歩ずつだけズレ続けながらも、つかず離れずでつねにともにある。
2016年6月4日の日記

 ここでいう「顔」というのは、頭部正面だけでなく髪のようす、肌、体型など肉体全般、所作や身のこなし、あるいは服装、お化粧、アクセサリなど「外見」「見た目」にかかわることすべての統合の象徴。この周辺についての僕の意見は「2009/09/06 一目惚れについて」という文章もご覧ください。

 自慢、惚気、そんなたぐいのものですが自尊心を研磨するために申し上げたいのですが、僕は自分の顔にけっこう自信を持っています。自信とは、「自分らしい、これが自分だ、と確信できる」ってような意味。
 僕は今の自分の顔(=外見)を、完璧に美しいとは思わないにせよ、けっこう良いものだと思うし、なにしろ「これでよい」と思っている。
 それはいわゆるナルシシズムでもありつつ、池ではなくて他人を反射した結果のものでもある。「好きな人から、好きと言われる」ということの繰り返しで、自己愛、自尊心は強化されていくし、好きな人たちの顔や感性を思い浮かべながら「もっとこうしたらいいのかな?」と思い続けていることで、もっといい顔ができたり、もっといい雰囲気になれたりする。
 美意識をほかの誰かとわかりあう、みたいな。

 ものすごい嬉しかった話をいくつか放出してみますと、たとえば、プラトン好きな女の子から「お顔が美しいですね」と言われたり、ある素敵なお店のお姉さんからは「初めてお店に来たとき、すごい透明感があって、お店の女の子と大騒ぎした」と言われ、極めていちばん仲良くなった女の子には、「初めて見た時から、知ってる人だと思った」と、言われた。
 もう、ずいぶんいい年になって、ようやくこういうことが書けた。(ああ、きもちがいい。)ほかに言うところもないのでおゆるしを。誇張やリップサービスもあるだろうけど、こういうことがまさに「自信」のみなもとになる。
 とはいえこれらの例は、客観的にみて僕が「美少年だった」とか「美青年(中年?)である」ということを示すのではない。じっさい前者二つの例は三十歳前後のことで、もうとうにとうのたった時期の話。三つめのは二十代まんなかくらい。
 ただ単にそれは、「その人たちの感性と、僕が人生をかけてつくりあげてきた顔とが偶然にマッチした」という話なのだ。それを僕が「ものすごい嬉しかった」と思うのは、彼女たちのことを僕が心から、愛しているからなのである。
 好きな人たちから、好きだと言われる。そのことが人に自信をつけさせる。「好き」という言葉の向いている先が、「自分が、自分らしいと思えている部分」であるならば、ひとしおである。僕の場合、それは顔であったり、詩であったりする。もちろん、ここに書いているような文章たちも。
 好きな人から褒めてもらえると、「ああ、この人の美意識に認められるとは!」「なんたる光栄!」と、叫び出したくなる。

 僕は、僕の顔をしている。その自信はある。僕がしていたい顔を、していたいと常に望んでいる。流行の髪型も、流行の顔も、流行の表情もしていない。この数千年間、この顔は僕一人しかいないのだぞ、と、確信を持って生きている。そうなるように、顔をつくってきた、つもりである。だから、この顔を褒められるということは、自分そのものを褒められるということなのだ、と考えている。
 もちろん、ここでいう「顔」というのは、所作を含めたすべての「外見」のことであるし、あるいは、だからそこには「内面」だって相当の程度、滲み出ているはずである。今よりもっと、外見と内面との距離をなくしていけたら、さらにいい顔になれるかもしれない。そのためには、内面も常に、よくなくてはならない。難しい。けれども仕方がない。

 あとは、老いながらのこと。ここに手を抜きたくはない。

2018.4.14(土) 革命、友情、自分/恋と感激

 終電がなくなってゆったりとした空気のなか、何気なく奥井亜紀さんのライブ『15FESTA』のDVDを再生したら、そのまま最後までかけてしまって、観ていた三人が嗚咽して号泣、という椿事があった。
 営業中なら、映像を流すことは滅多にない。あったとしてもほんの数分だけだったり、流しておいてほとんど目もくれない、ということがほとんどだ。テレビの回線は届いていない。催しでもなければゲームもしない。
 それでもこの日は、朝までずいぶん時間があったし、僕も「この三人なら」という気分があった。二人とも僕より10か11、年下の女の子だった。
 奥井亜紀さんという人と僕の人生との関わりは何度も書いてきたし書き尽くせるものでもないから、略す。9歳で好きになってもう20年以上、とにかく常に「これでいいんだ」「こうであることは正しい」と思わせてくれるような人。

 三人とも声をあげて泣いていた。画面の中では歌手が歌っているだけである。MCは二度か三度、短いものが入るだけ。
 みんなお酒をのんでいた、といえばそれもあるだろう。せまい空間の集団心理、夜中の眠気でゆるんだ理性、そんなことなども要因と思う。人前で涙を流したり、嗚咽したりなんてことはもちろん恥ずかしいことで、確かにどっかおかしくなってた。春の陽気のせいだってある。
 とにかくその時は、人前が人前じゃなくなった、というのだ。
 とどのつまり友情とはそういうものだと考えられる。

 あまりにも感極まったら、僕らは、誰からともなく爆笑していた。もう笑うしかないよね? と互いに確かめ合った。そんな様子も滑稽で、また笑えてくる。別にみんなが奥井亜紀さんのファンだというわけではない。一人の子などは初めて聴いたのだと思う。簡素なステージでひたすら歌声と身ぶりと表情だけを映し出すそのDVDの二時間前後は、でも本当にもう映画みたいなもので、なんの事前情報もない人を昂揚させる、そう足りぬものは何もないのだ。
 2008年のライブ映像、それまでの奥井亜紀さんのすべてが凝縮されているよう思える。そういうものと出会ってすぐ、心打たれてくれる、感激してくれる友達がいてくれて、僕もこの二十数年間が報われるような思いがした。(最近お店で働いてくれるようになった子である。)
 泣いて泣いて、なーに泣いてんだろねあたしら、って思わず笑って、たまに動けなくなって、という体験。その共有。へんにうたえば確認の儀式みたいな時間。性別と年齢をそれなりに越えて、ああ僕が高校生のころ『少年三遷史』って戯曲にこめた理想はこういうことだったんだよな、いろいろ報われていく。幸福は育つ。

 帰って寝て、夕方近く、予定がなかったからなんとなくファミレスで『少年の名はジルベール』という竹宮惠子先生の、20歳から26歳くらいまでの時期を書いた回想記を読んだ。革命と、友情と、自分の本だった。
 竹宮惠子先生と、増山法恵さん。そして萩尾望都先生。そのほか、登場するすべての人たち。
 また、寺下辰夫さんの『珈琲交遊録』という本も読んだ。親友であるサトウハチローさんによる文章が巻末に収録されていた。寺下さんがフィリッピンで人助けをしたことをサトウさんは新聞で知り、自分にさえそのことを言わないでいたことに感激する。

 寺下とボクとは三十数年来の友で、おたがいに何でもうちあける仲なのだ。
 だが、寺下はフィリッピンで人を助けたなどということをボクにもらしたことはないのだ。だからボクは、新聞に出ていた寺下辰夫を、別の寺下辰夫だと思ってしまったのだ。
 ところが、詩人と出ていたことに気がついた。詩人の寺下といえば、彼より他にはない。
 そこで、ボクはもう一度、よみなおした。
 そうしてフィリッピンでラクソン一家を助けた寺下辰夫は、まぎれもなくボクの親友の寺下辰夫であることがわかったのだ。
 ボクは、うれしかった。
 こみあげてくるものを、どうすることもできなかった。
「寺下よ、お前はえらい奴じゃなァ、辰夫よ、お前はいい奴じゃなァ、俺は前前からお前を友達に持ってることをほこりに思っていたが、……これからは、もっともっと、ほこりに思うぞ、寺下よ、辰夫よ」
 ボクは、ひとりでわめいた。涙の中に、寺下の顔が、いくつもいくつも浮かんで来た。
 にぢんだり、ぼやけたり、ふくれたりした。
 寺下のところへ、すぐにとんで行って、「お前、えらいことをしたなァ、俺はうれしいぞ、寺下よ、ちょっとほっぺたをなめさせろ」と、言いたかったのだが、寺下のことだからすぐに、
「よせやい、お前なんかに、ほっぺたをべろべろなめられてたまるもんか。それに俺は、別に、えらいことをしたわけじゃないんだぞ、人間として当り前のことを、当り前にしただけなんだぞ、変に感激したりするお前は、よっぽど、どうかしてるぞ、早くかえれ、かえれ」
 と言って、ボクを押しかえすかも知れないと思ったのでやめにした。だが、うれしさは、幾日たっても消えなかった。
(寺下辰夫『珈琲交遊録』いなほ書房、1982年。引用部はサトウハチローによる)

 ふたりは詩人である。詩人は、感激屋でなければいけない。僕も僕のことを詩人と思っているが、やはり感激屋だとも思う。僕と泣いて笑ってくれた二人が詩人であるかどうか、僕は知らない。しかし感激屋だ。
 恋とは、感激そのものである。いみじくもサトウハチローさんが「ちょっとほっぺたをなめさせろ」なんて言っているように、友情の本質は恋。竹宮惠子先生と萩尾望都先生とのやりとりも、ちょっと紹介しよう。大泉サロンで同居生活をはじめた矢先、二十歳のふたりの会話である。

「(略)絶対にあなたの『爆発会社』のほうが好きだなって思ったの。最初にあの作品を読んだときの感激が忘れられなくってね。それで、こういう才能とだったら、結婚してもいいなって、勝手に思ってた。良かった、萩尾さんとこういう場所が持てて」
(略)
 彼女はそういう話を聞いて、びっくりして、この大げさなアプローチに照れていた。少しリズミカルに小首をかしげ、ちょっと笑いながら「結婚! ……それは……良かった。そうね、私も結婚するならあなたのような気の長い人でないと無理かも」と言った。
「あの……仲良くやっていきましょう」と私。すると、「ところでほんとにいいの? いろいろ共同で使わせてもらって」と萩尾さん。
「いいのいいの! 家財道具なんて共用のほうが合理的でしょ? もったいないもん!」
 ようやく彼女と笑い合えて、ほっとしていた。
(竹宮惠子『少年の名はジルベール』小学館、2016年)

 ここでも「感激」なのだ。そしてふたりの関係は、友情であり、その輝きは恋だった。
 感激とは、恋そのものである。

『15FESTA』を観ていた僕たちは、その瞬間を恋にゆだね、その局面を愛で満たした。その結びつきは友情であった。
 美しさ、ポケットの中で魔法をかけて。

【次回予告】

 恋と美しさとはふかい関係にある。

 愛は場面であり、恋は瞬間なのではないか。
 そして
 瞬間はもちろん、永遠と同じであって、
 場面は切り替わっていく。

 だから、
 愛と美しさに直接の関係はない。
「美しさ」のような、よそからの客観的な判断は、
 愛には必要がないから。

 瞬間は切り取られ、
 場面は切り替わっていく。

 恋は美しく、
 愛はたのしい。

 光ってのは、どっちも含んでるから、すごい。

2018.4.1(日) 僕は文化を信じる

 暗くなってた。ある人から「あんたの店は本とか全部撤去してキレイにしたほうが儲かる」と言われた。普段なら笑ってすますが、最近そういうような価値観の人と話す機会がほかにもあって、「金金金!」って波に揺られすぎ、なんか気持ち悪くなってしまったのだった。
 金に色はない、ってのは良くも悪くも確かなことだが、僕は色のあるものが好きだなあ。色のないものを好むのはある意味では平等主義者なのかもしれないが、僕はまた全然違う意味での平等主義者なのだ。みんなに自由に、色があればいい。
 自由と平等については、2017年2月22日と23日の日記におおむねまとまっている。よろしければお読みください。乱暴にまとめれば「平等とは、自由を認めあうこと」ということになるらしい。(一年前の僕はそう表現している。)
 だとすれば、平等の質は自由の質に依存する。
 色のある自由は、色のある平等を導いてくれる。

「色のないものを好む」人は、「色のない自由」を愛する。この場合の「色がない」というのは、すなわち「自分がない」ということだ。金に色がない、というのは、そういう意味だと僕は思っている。
 お金は誰にでも、無色に冷血に平等である。究極に「量的」なものであり、質という観点からみることはできない。それを、お金に色はない、と言う。
 しかし、人間というのは、あるいは文化というものは、必ず質的なものなのだ。質を無視すれば「人権侵害」や「文化の破壊」となるだろう。
 ただ、質的でありすぎるということは、個性的に生きるということでもあって、それは複雑に生きるということでもある。だから、疲れる。質から離れて、単純に生きたほうが楽だ、とは誰しも考える。
 そこでお金は役に立つ。数値は、数量は、質を覆う。匂いを消してくれる。「自分」という煩わしいものを、問題にしないでいさせてくれる。
 もちろん、数的なものはすべてがそうだ。「点数」でも「フォロワー数」でも「やった回数」でも。「読書量」でも、なんでも。量は質を問わない。言い換えれば、「自分を問わないでいてくれる」。
 金に色はない。数にも色はない。色のないものをまとえば、自分の色は必要がなくなる。個性も複雑も、文化も「人間」さえも、捨てることができる。

 ある一つの数直線を基準にしてものごとを考えるのは、楽だ。「ふうん。で、それ儲かるの?」というふうに切り口を単純化してしまえば、意外とものごとは見えてくる。一点突破で、けっこううまくいく。
 だけど僕はどうしても絶対に、そうではいられない。
 つまんないからだ。
 どんなにつらくても複雑でありたい。

「お金があれば、それを使って複雑に(豊かに)暮らすことができる」という物言いも、たまに聞く。若いうちは一所懸命働いて、資産と運用法を確立させる。するとあとが楽になる。ギターだってキセルだって好きなだけ買える。「質の良い」芝居も観に行ける。
 でもそれは結局「一つの数直線」だ。「数値の高いものが質の良いもの」というふうなこと。そのとき、価値は自分の外側にある。
「こんなに高いギターを買った。高いギターは音がいい。」それはわかる。確かにそれはその通りだろう。でもその「音がいい」はやっぱ、量的な良さでしかない。「音の良さ」を測ったら、高い数値が出るということでしかない。
 数値は常に、自分の外側にある。人間の中に数値はない。
 文化の中にも数値はない。
 そんなものたちを僕は信じる。


「日本初の児童書専門店」として45年間営業した名古屋のメルヘンハウスという書店が、昨日閉店した。僕は傷心のままそこへ行った。ふだんならあと5分で閉まる、というときにすべり込んだ。新沢としひこさんがギターを弾いて歌っていた。子どもたちは声を合わせ、大人たちは手拍子しながら泣いていた。
 広い店内に、たくさんの絵本と児童書があって、それらを愛する老若男女がぎゅうぎゅう詰めになっていた。一瞬で、傷心なんか吹き飛んだ。そうだ、僕はこれを信じて生きてきたんだ。
 メルヘンハウスが終わるのは、まさに「理念が経営に負けてしまった」からだという(徳間書店「子どもの本だより」インタビューより)。どれだけ素敵なお店でも、売上がなくてはなりたたない。僕なりに言い換えれば、「質が量に負けた」。ネットで買うという、「色のない」買い方を多くの人が選んだわけだ。
 しかし印象的だったのは、「本を買いにではなく、情報を集めるためだけに来店される方が多くなり」(同)という事情である。かつてならば「情報を集める」のはネットの役目だったが、それが逆転している。「お金は使わないけど、現地には行く」という事態が、いろんなところで進行している。
 僕も、そういう性格だ。お金を稼がないから、使いようがない。でもどこかへは行く。松島へ行って、歩き回って、芭蕉のことを考えてぼんやりしていたときに、「観光とお金とは関係がない」と確信した。
 観光は文化そのものだと思う。文化に数値はない。だから、観光とお金は関係がない。
 メルヘンハウスの閉店はきわめて残念だが、それは「文化とお金とがお別れをする」象徴でもあったんじゃないかと、少し思う。これからもっと、文化とお金とは切り離されていくだろう。
 そして文化は権威とも、やがておさらばするだろう。

 それはもちろん、「文化で稼ぐことができなくなる」という意味でもある。それが極まれば、あらゆる文化人や芸術家は職を失う。
 それを悪いとは僕は思わない。綺麗事だろうか? それでもいい。だって、みんなが文化的になればいいだけの話なんだ。
 みんなが人間になればいいだけの話なのだ。
 誰もが盆踊りの輪に入ればいい、ってだけのことなんだもん。クレヨンを持って、絵を描けばいいってだけなんだもん。それは退化じゃなくて、権威が消失するってだけのこと。
 自由で平等で、みんなに色がある世界。
 それでようやく、文化は神様くらいに普遍性をもつ。

 おまけ。昔、筒井康隆先生の『美藝公』について書いたもの
 <1> <2> <3>
 4/1(↑)に書いた話に、ほんの少し関わるのかもしれない。もちろん僕は、数年、数十年の話をしているのではないし、「そうなればいいなあ」という希望の域を出ない。でも、歩く人が多くなればそこが道になる、って魯迅も書いてた。だから理想を述べてみるのです。
 だけどできれば自分のお店くらいは、小さくてもそういう世界になればいいなあ。色のある人たちが集まるお店。(そういうわけだから、どうしたって儲かりはしない。それでいいのだ、と思えたってわけ。)

2018.3.31(土) 恋におちたら

「宝くじは買わない」「金もうけのために生まれたんじゃないぜ」と歌ってデビューしたRCサクセションは日本を代表するような大スターになった。忌野清志郎は死ぬまで愛を歌い正しさを訴えたが、金なんかいらねえんだ、という単純なメッセージは後年になるにつれ言わなくなってきた、ような気がする。
 後に『金もうけのために生まれたんじゃないぜ』をカバーするゆずはデビュー作の一曲目『てっぺん』で「六大学出のインテリの坊ちゃんには四回死んでもわかんねえだろうけど」と歌う。この曲を作ったのは岩沢厚治先生(僕の人生の師匠である)で、この『ゆずの素』というレコードの七曲中六曲までをこの方が作っている(※うち一曲は共作)。その後、どんどん北川悠仁さんの作った曲が増えていき、今ではアルバム十数曲中で岩沢先生の曲は三曲か四曲くらい、というのが大概だ。
 金なんて二の次、というメッセージは、金を得て後は説得力を失う。出世なんて意味がない、という主張は、出世したら戯言になる。世間ではそういうことになっている。「お前が言うな」というやつだ。
 路上で歌っていたゆずは毎年のように紅白歌合戦に出る。そこで歌うのは『夏色』や『栄光の架橋』(どちらも悠仁の作)であって、『てっぺん』ではない。(もちろん、ライブでは大切に歌い続けられている。)

 そういうことを考えてかどうか、RCサクセションに多大なる影響を受けたとおぼしきエレファントカシマシは最初のシングル『デーデ』で「金があればいい」「金が友達さ」と絶唱している。これはいつまでも歌いやすい、先見の明だ。金なんてなくてもいい、というのは、だんだん歌いづらくなる。「そう言うお前は金持ってんじゃん」と下卑たツッコミを入れたいやつらは、たくさんいるのだ。
 そういう風潮が、みんなをお金に集めていく。


 金はないよりあったほうがいい、お金があると余裕が生まれる。よくそう言われる。お金なんてべつに要らないよね、という態度に見えても、ふとした瞬間に「でもさ、ある程度はあったほうがいいよね」くらいのことは、当たり前に言う。子どもだって若者だって、言う奴は言う。
 特に、すでにお金を持っている人は、「お金はあったほうがいい」と熱弁する。実際ついさっき、資産が一〇〇〇〇〇〇〇〇ちょっとはあるような人から、「三十代のうちはとにかく稼げ。そうすると四十代以降が楽になる」と言われた。実感を持って彼は言う。本当にそうなんだとは思う。そういう考え方に従えば、絶対にそうなる。
「お金があったほうがいい」と思うのは、お金を手にすることで幸福になったり、生きやすくなったりした人たちだ。あるいは、お金がなかったことによって不幸をこうむった(少なくともそうだと思っている)人たちだと思う。
 でも、いったい何が幸せで、何が不幸なんだろう。贅沢ってことなのか、そういうことを考えてしまう。

 僕は小学二年生の時に再放送で見た『宇宙船サジタリウス』というアニメに巨大な影響を受けている。あれは「金なんて二の次だ」の極地である。小市民的な主人公たちはいつも「金さえあれば」とぼやく。何度も金に目がくらむ。でも最後には、「やっぱり友達がいちばん」という話に落ち着く。それが僕の心には完璧にインストールされている。
 潔癖すぎて、綺麗事で非現実。いつまでも子供の世界。だけど僕の幸福はそこにしかない。

「お金はあったほうがいい」と考えている人たちは、そこを軸にものごとを考える。そこから離れることができない。一種類のことしか考えられなくなる。でもお金を持っている人たちは「余裕」があるので、いろいろと幅広いことを言う。やわらかそうなことを言いたがる。ただし結局は「金」という前提から足を離さない。ピボットの軸足がぞろっと長くなっているだけのことだ。
 お金がなくて、「お金はあったほうがいい」と思う人は、その軸足が極端に短くて、どこにも行くことができない。「軸足が長ければ、もっといろんなところに行けるのに」と、人々は思う。その足を伸ばそうと努力する。
 本当にお金がない人の大変さは、僕が想像してしきれるものではないのかもしれない。だけど、だからといって足を伸ばすことだけを考えていたら、やはり「幸福」というものがわからなくなってしまわないのだろうか。


 それでタイトル。恋におちたら。サニーデイ・サービスにそんな名曲がある。『恋人の部屋』という曲は「街を行く人たちを見降ろして 僕は詩を書こう」と締めくくられる。
 散歩して、詩を書いて。誰かを好きだと心から思って。それだけのことですべてはオーライなんだ。
「頭をよぎるのは好きな女のことさ」ってのは忌野清志郎が五十代になって書いた『サイクリング・ブルース』という曲のはじめ。僕も自転車に乗ることが好きだけど、そういうことが生きている醍醐味だと思う。
 軸足があるなんてばからしいんだ。誰かや何かを愛しているなら、一緒に歩いていけばいい。


 自由というのは愛を持って散歩できることなんだ。
 コンパスで地図に○を描くような、そんなことでは決してない。

2018.3.30(金) サザンがツー

 ↓の旅行記てきなものを書いていたら3月の日記がほとんどなくなってしまった。「5日」のを書き終えたのは27日(明けて28日)であった。読み書きの時間がたりない。

 大みそかが好きだけど年度末も好き。終わって、変わる。いなくなる。この年度末で東京を去った友だちが何人かいる。
 岡田淳さんの『雨やどりはすべり台の下で』という名作は、「雨森さん」というおじさんがアパート(団地)を去るお話。夏休み、大きなすべり台の下で雨やどりしながら子どもたちが「雨森さん」のことを語り合う。
 ラスト、みんなが雨森さんを送り出す名場面。「送り出す」と言っても顔を合わせて手を振るような仕方ではない。お別れにもたくさんの仕方があって、その人たちの性格や気持ちや関係によって、どんながいいかはちがってくる。

 少し、遠いところに行ってしまう友だちと、それぞれにそれぞれの別れ方で別れた。そのシーンは、鮮烈に、パシャッと、停まっている。
 昨日の夜中に詩を書いていて(カッコイイ!)、「光は永遠と/一瞬の比喩である」という一節ができた。意味はよくわからないのだが、そうだろうと思う。
 詩はふしぎで、書くと離れる。書いているときは意味がわからなかったものを、自分なりにいろんな解釈ができるようになる。まったくわけがわからないときもある。書いているときは「これだ!」と思っていても、書き終わった瞬間に「あんまりリズムがよくないな」なんて思うことも多い。でも、「ある気持ちのときにはこれで完璧なのだろう、きっと」と納得している。
 詩はほんとに僕にとって瞬間だから、次の瞬間には、もうグッとこなくなっていたりもする。だけど、いつ読んでも「うおお」とうならされる何行かもときおりはあって、そういうのは「気持ち」というより「人格」が書かせたものだろう。(それをみんなが「おお」と思ってくれるなら、けっこう普遍ってことになるんだけど。)
 永遠と一瞬がだいたい同じものだってことは、過去にいろんな偉いひとたちが言っているはずだ。光はそれの比喩になる。なるほど。


「逢えなくなってもう二回目の冬が来て 逢えなくなってからは何しろやりきれなくて だけども僕はいつも君がここに居るから なんとかこうしてやってゆける気がしてんだ」(ゆず『ガソリンスタンド』作詞曲:岩沢厚治)

 この曲はほんとうにすごい。具体的なことは何も明らかでないけど、あらゆる具体的なことに繋がっている気がする。
「いつでも逢える遠い所へ行っちゃった君へ」とも歌われる「君」は、今この場にはいなくて、そのことはとてもやりきれないんだけれども、しかし確かにどこかで「僕」を支えている。
「○○は生きているよ。いつまでも、僕たちの心の中に……」なんて、もはやジョークにしか使われないような常套句だけど、じっさい真理だ。

 不在は育む。「会えない時間が愛を育てる」というのもありきたりだが、これも本当。では、「永遠に会えない」という場合は? 永遠に、育まれ続けてしまうのだ。
 愛なるものの呪いである。

2018.3.05(月) 神戸、高知、徳島(4)

●5日(徳島)

 朝の特急で徳島へ向かった。ある男子高校生に会うためである。お店によくくるお客さんが「会ってみたら」と紹介してくださった。徳島駅で待ち合わせ、喫茶店に入った。
 四時間くらいだろうか、話し込んだ。高校1年生で、16歳。才覚を感じた。自分もそのくらいの頃は、こんなだったろうか。大人と話すのは、もっと下手だったかもしれない。でも正直、僕はぜんぜん話し上手な大人と出会っていなかった、ってだけかもしれない。ともあれ、この若い人のために僕は、できることはしたいと思った。迷惑でないように。
 彼はいまエフエムびざんという地元の局でラジオ番組「三居知暉のグルーヴラジオ」をやっているので、ぜひとも聴いてみてほしい。調べればツイッターアカウントとかもあります。どうぞ。
 テスト期間中の彼と別れ、特に僕には行くところがない。午後の四時くらい。ともかく歩き回った。徳島の町を、四時間ほど歩いただろうか。気になる店はあった。しかし、なんというか、決め手がない。高知で二人の人から、そして徳島でも件の三居くんから、「t」というお店を勧められたので、そこに行けば何か教えてもらえるだろうと期待していたのだが、お休みだった。大正初期からあるというレストラン「ノグチ」で夕食をとる。じつに素晴らしかった。が、その後歩き続けても、「ここだ」という霊に巡りあえない。
 八時近く、雨も降り、寒くなってきた。ふと思いつく。バスがあるんじゃないか。バスに乗って神戸にでも行けば、どこか好きな店は開いていようし、明日東京に帰るのにも都合がよい。
 予定では深夜二時台のフェリーに乗って和歌山まで行き、そこから南海電鉄で大阪に出て、18きっぷで東京に帰るはずだった。今日のうちに神戸まで行ってしまえば、そこからJRの新快速に乗って、ノンストップで滋賀県の米原へ着く。ずいぶんと楽だ。調べたら八時半のバスがあり、二時間ほどで神戸に着く。少し飲んで、またクアハウスに泊まればいい。なにしろ3100円だ。
 ネットでチケットを予約して、待合室でぼんやりとしていた。ら、突如思い出した。
T」という店のことである。
 徳島に来ると決めたとき、ネットでずいぶん調べた。若い男の子と話すのだから喫茶店がよいだろうと、「徳島 喫茶店」のワードで洗っていった。すると夜の七時に開き深夜三時までやっているという珈琲屋がヒットしたのである。様々のチラシが置いてあったり、イベントがあったりなど文化の匂いがして気になって、是非ともここにだけはと決めていたのだ。が、なぜだか完全に忘れていたし、四時間歩き回っても看板を見ることさえなかったのであった。
 地図を確かめたら、確かに歩いた道なのだ。繁華街をしらみつぶしに全て、見て回ったというのに。バスの時間まで三〇分を切り、店まで歩いて十五分くらいかかる。雨も降る。仕方ない、今度にしようと思いつつ未練がましく「T」のFBページなどを見ていたら、本棚が写っていた。そこに、てんとう虫コミックスの『ドラえもん』のあるのが薄く見えた。
 ああ、もう、仕方ない。待合室のおじさんに話しかけ、チケットをキャンセルさせてもらった。直前なのに、手数料はわずか百円。助かる。また乗ります。
 そこに行ってどうなるか、知らん。『ドラえもん』があるからなんだというのか、わからん。ただ、僕はきっと口実が欲しかったのだ。もうちょっとここで遊ぶ口実が。それが大好きな『ドラえもん』であるというならば、喜んで受け取ろう。
 行ってみると、間違いなく素晴らしいお店であった。
 こういうことは、筆に残せない。語るならそれこそ、一本の小説ができあがってしまう。ともあれ、僕にとって素敵な出逢いであった。

 二時間ほどそこにいて、「どこかよい店はありますか」というお決まりの質問をぶつけてみるも、よい店とは時に孤高なもので、僕のような人間に相応しそうな店は思いつかないようだった。「t」の名は出たが、休みなのである。つまりこれから二時くらいまでのあいだ、やはり自分のアンテナひとつで過ごさねばならぬ。
 またも歩いた。「T」の方々がそれでもぽろぽろと搾り出してくれた幾つかの店は、その前まで行ってみたり、一度は扉を開けたりなどしてみたがどうもどれも違う気がして、去った。夕方に目星をつけていたところも、ことごとくオーラが合わない。それで残ったのは、「P」というところだった。ここはすごい。ありふれたこの店名以外に何の特徴もない。検索してみても、何も出てこない。試しに「徳島 バー ピノキオ」などでやってみてほしいものだ。ぜんぜん違う店ばかり出てくるし、がんばって探り当てても住所と電話番号くらいしか載っていない。
 もちろんそういう、ネット上に何の情報もないスナックやバーなどは無数にある。総数を考えたらむしろ、ネットに何か書いてあるほうが珍しいのかもしれない。この店も、そういうお店の一つのように見えた。しかし、引っかかったのは入口の重そうな扉である。ポスターが貼ってある。音楽に関わるもので、かなり新しい。五十年でもやっていそうな老舗の構えだが、“情報だけが新鮮”なのだ。
 最初に目を付けたときは、営業していなかった。しかし十時も過ぎた今は、灯りがついている。中をのぞき込んでみる。ごちゃごちゃしている。ごちゃごちゃしているということは、そこに「情報」があるということだ。情報というのは、ここでは文化のことをさす。文化のあるところ、素敵な人がいる。これはだいたい間違わないし、「T」というさっきの店で証明済みなのだ。強気に、ドアを引いた。
 開かない。めちゃくちゃ重たい。ギギギ……と嫌な音を立てて、少しずつ、這いずるように開いていく。途中で、カウンターの中のママと目が合った。いくつなのだろう。あとで聞いたら「ここで店を開いて五十年」とのことで、そういう貫禄。恐怖もやや湧いたが、あとにはひけない。
 入って、座ると、「何か音楽かける?」と問う。試されているかのようだ。「えーと……」下手なことは言いたくない。カウンターにマーヴィン・ゲイのレコードがあった。「あ、マーヴィン・ゲイを、ぜひ」と。我ながら無難なところだ。
「マーヴィン・ゲイね。大阪行ったよ」
 万博ホールでの来日公演のことだろう。彼が日本に来たのはこの時だけ、三公演のみと聞く。恐ろしいところに来てしまった、と思った。
 マーヴィン・ゲイ、マーヴィン・ゲイ……とつぶやきながら、カセットテープの山を探すママ。あとから聞いたが、ここはカセットテープしか再生機器がないらしい。レコードは飾りなのである。「あ、それじゃないですか」Marvin Gayeとマジックで書かれたカセットテープを指さすと、「ほんまや」と手に取り、セットする。なかなか音が出ない。「うん? マーヴィン・ゲイ、歌(うと)てくれへんな」

「モータウン25周年のビデオ見た? マイケルが初めてムーンウォークやったライブ。あんときのマーヴィンは最高やで」
 ママは上機嫌にしゃべりつづける。マーヴィンというチョイスはよかったらしい。ふう。これも99年に小沢健二さんが『Got To Give It Up』をカヴァーしてくれたおかげ。ありがとうございます……。
 話していると、次第にここがとんでもないお店だということがわかった。いちおう詳細は伏せるが、なんとかリングなんとかーンズの、全員のサインが入った、キーなんとかリチャーなんちゃらが使っていたというギターが、飾ってある。おそらく本物である。「来日は全部行っとるで、招待でな」
 OなんとかKンヂ(『BはKなKをKえていR』という本に出てくる店は、ここだそうだ)、RーLー寺なんとか、なんとかロウズの真なんとか、などなど、そうそうたる人々がここを訪れているそうな。石の上にも三年、徳島にも五十年、歴史ある椅子の上に僕はいま座っているのだなあ。
 ジーンとしつつ、帰ろうとすると、「急ぐんか」と聞かれ、「2:55のフェリーに乗ります」と正直に答えたら、「ほな、一杯ごちそうするわ。もうちょっと飲んでき」と、ウィスキーをドボドボと注がれた。うれしい。
 その調子でママの話を気持ちよく聞き続け、ドボドボのぶんを飲み終わったところで、店を出た。ここにはまた来たい。というか、徳島またすぐにでも来たい。
 0時に開店する「堂の浦」という鯛ラーメンに寄る。すばらしい味。そして「T」に戻り、一杯飲みながら報告。4キロほど歩き、港へ。仮眠して、和歌山港から寒空の下で南海に乗り継ぎ、新今宮から18きっぷ。大阪から新快速に乗って東海道線をひた走る。17時前に御徒町に着く。店を開けて日常をつくる。

2018.3.04(日) 神戸、高知、徳島(3)

●4日(高知、二日目)

 朝、「ファウスト」という喫茶店に開店一番すべり込んでモーニング。この店の前の道をずっと行くと「メフィストフェレス」という喫茶店があるが、雰囲気がぜんぜん違う。面白い。
 10時ごろ、中央公園のステージではちきんガールズのステージを見る。それから歩いて駅まで行って、レンタサイクルを借り、れいの十字架を南下して「自由民権記念館」というところまで走る。
 ここはすごかった。勉強になった。高知の人の魂の、ある一つの支点が「自由民権」にあるのだな、というふうに思わされた。「土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た」というのが、いま主に歌われている「よさこい節」なのだが、これが自由民権の時代には「よしや武士(ぶし)」として、「よしやなんかい苦熱の地でも 粋な自由のかぜがふく」などと歌われていたそうなのだ。もちろん、自由民権運動を広めんために。
 また、よさこい祭りで振られる大きな旗(フラフ)も、自由民権運動の時にそっくりなものが使われていたようである。その再現物が展示されているのだが、現代の祭りのそれとほとんど同じ。
 高知は今でも共産党が強く、比例の得票率では概ね京都に次いで二位くらいらしい。板垣退助、植木枝盛、中江兆民、幸徳秋水の出身地でもある。その源流の一つはやはり坂本竜馬に求められるのかもしれない。(みなもと太郎先生などはその立場で、竜馬がいなければ板垣もあそこまで自由に固執しなかったかもしれないと仰っていた。)で、そういう気風はよさこいの歌や旗に溶けこんで残っているようなのである。そういう痕跡は、探せばいくらでもあるのかもしれない。

 やや時間を使いすぎた。急いでとって返し、漫画家大会議の会場へ。「まんが家甲子園」というイベントを見る。たくさんの漫画家がステージ上でお題に合わせた一ページマンガを描く、というだけなのだが、じつにたのしかった。我らがMoo.念平先生はここに登壇。随所でボケを入れて、飽きさせないようにしてくださっていた。さすが。
 その後、昨日「V」で名前の出た某先生の単行本を買い、ご本人と少し話す。そのあと、新谷かおる先生のお話を聞く。師匠である松本零士先生について語るとき、本当に愛し、尊敬しているのだということが伝わってきて、泣きそうになった。とても素敵な方でした。
 駅に自転車を返してから、路面電車で上町に行き、色街あとを訪ねる。いや、あとじゃないのかもしれない。一軒、営業していた。いや、営業していないのかもしれない。でも、何十年もそうしていたように看板は輝き、扉は透き通っていた。小川と石橋が眼に残った。
 その近くで、前回知り合った方が音楽イベントをやっていたので顔を出す。ついでにビールを飲み、鍋をいただく。渋谷系はもちろんBUCK-TICKやスパイラルライフなど、絶妙なラインでも盛り上がる。
 ひろめ市場で少し飲む。東風(トンプー)というお店でカレーを食べ、やや飲む。その後、「O」という重たい鉄の扉の店へ。ここも高知に来るたび訪ねるところ。店主のまぁ~ちんというじいさんが、本当に素晴らしい。ここでDさんという高名なイラストレーターの方と出会う。どこかでまた会えたらいいな。

つづく

2018.3.03(土) 神戸、高知、徳島(2)

●3日(高知)

 夜中に宿に着き、温泉に入る。聞こえはよいが3100円のスパ的なところである。しかし温泉は本物らしい。入口のところで温泉がご近所さんへ無償提供されていた。朝まで少し寝て、三宮からバスに乗る。
 昼前に高知に到着。鄙屋という素晴らしいお店でうどんを食べる。その向かいが会場。今回の旅のメインは、「漫画家大会議」である。僕はMoo.念平先生という漫画家が大好きで、彼が毎年春と夏、高知県でまんがの催しに参加するので、ちょくちょく追いかけてきているのだ。
 総勢20名以上の漫画家の先生方が並ぶオープニングセレモニーを見て、みなもと太郎先生(『ふたりは恋人』『風雲児たち』)、細野不二彦先生(『東京探偵団』『ギャラリーフェイク』)、高橋陽一先生(『キャプテン翼』『CHIBI』)のお話をそれぞれ40~50分ずつ聴く。こんな機会はめったにない。※ほかにも代表作たくさんありますが僕の好みで選定しました
 夕方になり、会場での催しは終了。少し歩いて、前回も行ったはりまや橋商店街のIというカフェでカレーとコーヒー。とてもおいしい。女性が一人でやっていて、カウンター数席と、店の外側にテラス席がいくらか。地元の人や旅の人が集まってくる。演奏の話が聞こえる。文化の匂いがする。かなり好きである。
 この店のはす向かいにライブハウスがあり、Moo.先生も愛する高知発のアイドル「はちきんガールズ」のワンマンがちょうど終わったところだった。僕の後ろを「応援してくれゆう人」の方々が通り過ぎる。何となく気恥ずかしい。
 歩いて中央公園まで行ってみる。
 ここでちょっと、高知という都市について説明してみよう。

 まず、高知駅がある。JR(地元の人は「汽車」と言う)の線路が東西に走っており、その南側が繁華街だ。
 南を向くと、目の前に大きな十字路がある。道路を渡ってまっすぐ歩くと、大きな川を渡る。その次に、追手筋という大きな道。これも渡る。さらに先に、路面電車の走る大通りに行き着く。ここが「はりまや橋」の交差点で、高知市の中枢になる。そこを過ぎると、さらに巨大な川がある。
 JR、道路、川、道路、道路、川と、大きな六本の東西線が通る。高知という「都市」はこれでほぼ完結する。鏡川の向こうは郊外めいてくる。ずっと行けば、桂浜(小山ゆう先生の『がんばれ元気』で、露木さんと海道卓が待ち合わせて酒を飲んだ、あの海岸!)である。
 ものすごく単純化すれば、高知とは、高知駅から逆さまにぶら下がった十字架の形をしている。十字の中心は「はりまや橋」、ヨコの線は路面電車、タテの線は桂浜へと続く国道であるが、鏡川のあたりでチョキンと切れば、ちょうど十字架をひっくり返したくらいの形になるわけだ。ただし、西側が高知城や上町のほうまで続くと見ると、十字架にしては左側がやけに長い気はする。ほかによい喩えも思いつかないし、そっちの方はじっさい寂れて古都めいてもいるため、構わないだろう。(このあたりは後述。)

「中央公園」は、はりまや橋からやや北西にある大きな公園。かつてはここに立志社があった。ちょうどこの3月3日から「土佐のおきゃく」という催事で、ステージが組まれ、屋台や飲食スペースでひしめいている。
「漫画家大会議」の主催で、この公園のど真ん中の座敷で漫画家さんたちと酒を飲もう、というのがあったのだが、僕は申し込まなかった。そのあたりを通りかかる時、仲良くしていただいている漫画家さんがいたので、ちょっと挨拶を交わした。それだけで公園を抜け、そのまま西へ。ひろめ市場(いちば)を覗く。
 ひろめ市場は高知で最も栄えている空間だと思う。簡単に説明すると「めちゃくちゃうまい酒とめちゃくちゃうまい食べものがめちゃくちゃたくさん売っているめちゃくちゃ広いフードコート」。この日はお祭りということもあり賑わっていた。くだんのはちきんガールズも「はりまや橋で待ち合わせ ひろめ市場で食事して 話がはずめば桂浜」というふうに歌っている(『はちきんガール』)。
 僕はグルメでないので、実はそんなにひろめ市場には食指が動かない。地元だったらばったり友達と出くわすこともあろうし、楽しいんだろうけど。すっと出る。まだ夕方の五時台であって、バーも何も開いていなかろう。散歩してみる。

 ぶらぶらと小一時間歩いた。僕が旅行をする最大の目的は「すてきな場所を見つけだし、すてきな人と出会う」ことなんだけど、それには「脚で探す」のが一番だ。足が棒になるほど、何時間でも歩き回って、「ここだ」と思った場所に足を踏み入れる。その「精度」は年々上がっているように思う。今回の旅行でもそれは証明された。(乞うご期待。)
 中央公園、ひろめ市場、高知城は、十字架の左上エリアにあたる。ここから左下エリアをぐるりと回って、右下のエリアに入りこんだ。バスターミナルと「漫画家大会議」の会場が右上のエリアなので、ちょうど反時計回りに一周することになる。数学のxy座標平面でいえば、第1象限→第2象限→第3象限→第4象限と順に移動している。だからなんだということもないが、そんなことも考えながら歩く。見るものをいちいちつぶさに観察し、メモをとったりしながら。
 右下、第4象限の鏡川(都市の終わりを意味する、巨大な川)沿いを歩いて、風俗街にたどり着いた。エッチなお店がたくさんある。古めかしい情緒。早い時間なのに開いているお店も見られた。「ビジネス旅館 某」という看板が小さな民家の上にかかる。扉は開け放たれ、老婆が座ってテレビを眺めていた。どう見てもいわゆる「ちょんのま」というやつで、大阪の飛田新地がとびっきりミニチュアに、みすぼらしくなったバージョン。
 川沿いで、お城の対角。こういう地帯はそういう立地にあるのかな、とふと思う。根拠はないが、あれこれ考えてみるのも旅の醍醐味だ。
 南北の大通りに出る。「m」というお店がある。ここは、前回立ち寄って、とてもよい雰囲気だったところ。開いていた。入ってみる。
 かつてはただのギター屋だったらしいのを、今の店長(三十代くらいだと思う)がコーヒーや酒やライブやDJの楽しめる空間に作り替えた。自由の中の自由、こんなにとらえどころのないお店は東京にだってなかなかない。
 人の通らない大通りに向かって、入口はガレージのようにすべて開け放たれている。コンクリートの店内は広い。バイクと、アラジンのストーブと、無機質な机やイスや照明器具がでたらめに配置されている。壁はうるさい。全体に暗い。カウンターはあるがごちゃごちゃで中が見えない。奥にも踊れるような広い空間があるのだが、入口付近からは見えないようになっている。そこから店長が姿を現す。
 飲みものを出してもらえるのかどうかもよくわからない。緊張しながらコーヒーを頼む。かなりの時間をかけて供されたころに、勇気を出して話しかけてみる。僕だってたいていのとき緊張するし、出そうと思わないと勇気が出ないのである。
 前にきたときはライブイベントをしていて、この店長とはちょっと顔を合わせたくらいだった。しかし幾つかのヒントですぐに思い出してもらえた。そして一時間以上話し込んでしまった。勝手に思ってよいのなら、どうも、志が近しい。こんな妙なお店を作る人なのだから、同じく妙なお店を作ろうとしている僕と、ある程度話が合うのは当然なのだろう。
 たぶん、彼も僕のことを相応に気に入ってくれたにちがいない。とんでもないことを教えてくれたのだ。僕だったら、おいそれとは人に教えない。秘密のアジール。知る人以外は本当に知らない、極めて常識外れなお店があるらしいのだ。絶対に行こう。
 ほかにもいろんなことを教わった。おいしいお店や、すばらしいバー。そして色街。実は、このあたり(第4象限)の風俗街は戦後にできた新しいもので、かつては第3象限の外れがそうだった。しかも名残はまだあって、数軒は営業しているというのだ。これも是非、明日にでも訪ねようと思った。

 夜は長い。「m」にいとまを告げ、また中央公園を通って、もう一度ひろめ市場へ。「H」のAさんがいたので、ご挨拶だけして2秒で立ち去る。もう一度中央公園に帰ると、ステージから覚えのある声がした。なんと松本梨香さんが『めざせポケモンマスター』を歌っていたのである。完璧な偶然。カラオケ大会へのサプライズ出場だったらしい。ホクホクしながら、公園の脇にあるバー「V」へ。
「m」のTさんから「魔女みたいな女の人がやっているお店」として紹介された。実は夕方に通りかかったときから気になっていたのだが、その時はまだ開店していなかったし、地下深く、店名すらわからないほど隠れていたので、敬遠していたのだ。Tさんは、「魔女みたいな」と言ったあとすぐに、「いや、魔女ですね。あれは。とってもいい人ですよ」と付け加えた。どんな人なんだろうと、恐る恐る入ってみたら、確かに魔女だった。Iさんという、きわめて素敵な。
 広いお店で、そのわりにカウンターには一人か、せいぜい二人くらいしか座れない。内装は奇妙。ウィスキーを飲みながら、いろいろにお話をする。
 顔が広いのか、世間が狭いのか。僕が「漫画家大会議」のために来たと告げると、その漫画家のうち、ある一人と友達だと言う。明日その方とお会いできたら、話してみよう。それから、岡山にある「C」というお店も教えてくれた。
「もしかして、自然食のお店ですか?」と言ったら、驚いていた。「どうして知っているの?」
 神戸にまったく同じ名前の、「C」というバーがあるのだ。これまでに三度ほど飲んでいる。昨日、そこへ行こうとして道がわからず、グーグルマップに入力してみたら、なぜか岡山に飛ばされた。そこに「自然食」という文字があったのを、なぜだか濃く、覚えていたのであった。
 奇跡的な偶然に、楽しくなってしまって、もう一杯、タンカレーというジンを頼んだ。ロックで。Iさんはもっと笑いながら、「その店やってる子も、そこ座ってそういう感じで、タンカレーのロック頼んでたわ。」
 ここでけっこうそれなりに、いい気持ちになっていたのだが、やはり例の、秘密のところに行くことにした。繁華街からずっと外れたところにあった。古い喫茶店の、上の上。ぽつりと灯りがついていて、足元に小さな看板が控えめに置いてある。「B」といった。
 店というより人の家。僕がかつてやっていた「おざ研」という場所に、かなり似ていた。入るとまずキッチン兼DJブースがあって、奥にテーブルと椅子がいくつか。お客さんは三人いて、適当に持ち寄ったお菓子やら缶詰やらを食べていた。お酒は店(?)にあるものを飲んでいるようだ。
 絵描きだったり詩人だったり、何やってるかはわからないけどマンガに詳しい人だったり。
みんな、どうやってこの場所を知ったのかわからないが、これまでに行った高知のほかのどんなところとも、違う客層だったように思う。店主はすっかりもうできあがっていて、何を話すでもなかったが、お客さんたちとはいろいろなお話ができた。
 こちらもできあがってきたところで、退く。アーケード街(帯屋町)まで戻って、ルーマプラザというスーパー銭湯で寝る。ここもすっかりお馴染みである。

つづく

2018.3.02(金) 神戸、高知、徳島(1)

●2日(神戸)

 18きっぷで東京→神戸。10時間かかるが2370円。寝たり本を読んだりなど。月見山という駅に馴染みの喫茶店「P」の2号店ができたそうなので行く。月見山は山陽電鉄、18きっぷはJR限定なので、須磨海浜公園駅で降りて歩く。
 ハヤシライスとコーヒーを飲む。帰り際、「元町のほうにいらっしゃってますよね?」と声をかけられる。一度しか会っていないのに、よく覚えているものだ。
 また須磨海浜公園駅まで戻り、JRで元町に。ぐるりと歩き回り、1003という本屋に寄る。佐藤春夫訳の『ぽるとがるぶみ』が売っていたので買う。800円。レジのお姉さんから「舌れ梵」という喫茶店をすすめてもらう。今回は行けず。
P」1号店のほうに寄る。「お待ちしてました」と言われ、気恥ずかしい。2号店から連絡が行った模様。Pにはもう二桁に届くほどお邪魔していて、毎回漫画の話をする。今回はそれだけでなく、じっくりと、今回の2号店開店の事情に始まり諸々の話ができた。
 そもそも「P」は、45年営業した老舗の喫茶店を今のマスターが引き継いだもの。2号店も似たような流れらしい。今回は元のお店の名前を使うのが難しかったため「P」の名を使っているが、本来は前の店の名前を残したかったそうだ。今後も古い喫茶店の引き継ぎを続け、目標は20店舗。すばらしい。どうやらとにかく喫茶店が好きで、その文化を残したいという思いだけでやっている。なんの報酬も考えてゐない。
 この人の素敵なところは、古いものを残すために、新しいものを利用してみるところ。「タイムバンク」というアプリを試してみたり、投資にも興味を持ってみたり。(それで『インベスターZ』の名前が出るところが、彼と僕との会話だという感じがする。)
 心強い味方を得たと思う。年齢も近いし漫画も好きだし。僕も妙なお店をやっていて、その維持と発展(大きくしたいという意味ではない)について常に考えているので。
 鉄板のナポリタンとコーヒーをいただき、長話して去る。荷物を宿に置く。

 飲みに出る。まずは「S」。もともとデザイン会社の書庫であったものを改装してバーにしたそうだ。大型の本を中心に並んでいる。白あかしソーダ割りとハイランドパークのロック。
「P」で教えてもらった「O」という深夜喫茶へ。ほぼ夜通しやっているそうな。内装が完璧だし、置いてあるものがことごとく、何もかもかわいい。(ちょっとレフティだけど。)コーヒーを飲んだ。
 次は「E」。ここはオタク系のバー。いまふうの感じ(けいおん!以降がメインであるようなものを僕はこう呼ぶ)なのでどうだろうと思ったが、店主がものごしよく、わりに静かなお店だったのでよかった。僕のようなオールドタイプでも何とかなった。お酒はかなりよいものがある。Ledaigというウィスキーをいただく。
「H」というお店に寄ろうとしたのだが「もう閉店です」とすげなく追い返される。僕はここ(というかこの系列)のRさんという人にもう一度会いたいのだが、この日もいなかった。なんとなくテンションが下がり、よく行く「r」も混んでいるようだったので、ぶらぶらあちこちのぞき込みながら宿のほうへ戻ることに。
 すると「I」という看板が目にとまる。繁華街からだいぶ外れた、細い小道の中途にあった。よい予感がして、入ってみる。はっきりとすばらしいお店だった。Tomintoul、Bunnahabhain、Caol Ilaといったものを飲んだが年数はわすれた。インバーゴードン1965(43年)、というのを味見させてもらったが、とんでもない味がした。よい店。
 丸高という和歌山ラーメンを食べて帰った。

つづく

2018.3.01(木) 順序(order)について1 文章編

 おみせ(夜学バー)に興味をもってくれてやってきた大学1年の女の子が、なんと同じ大学の同じサークルの後輩だった、ということが最近わかった。
 もちろん、僕は在学中に「サークル」なんぞに入ってはいなかった。とある先輩の妙ちくりんな個人的活動に僕がよく参加していて、そこへいつしか人が集まり、僕が卒業する頃にはサークル化していた、という感じ。例えばまあこんな感じのことをしていたわけですね。(僕は基本的にインターネット上に顔は出さないのですが、やおきんこちゃんは顔出しOKでした。)架神恭介さんともこれを通じて仲良くなりました。
 で、僕はここから10年くらい、つかず離れずでこのサークルに関わっているので、彼女の知っている先輩はだいたい僕の後輩、という感じなのだ。春風高校光画部でいえばたわば先輩と国枝千里(「キングアラジンならあの格好でゴロゴロころがっていかなきゃ。」の人)みたいなもんである。参考文献:ゆうきまさみ『究極超人あ~る』
 そんな奇縁の国枝千里(仮名)さんが僕の文章をそれなりに読んでくださっているらしく、「ジャッキーさんの文章はすっと入ってきます。書くときに気をつけていることってあるんですか?」と、まあ上手なヨイショ、うれしいこと言ってくれるじゃないの、という感想をくださった。その時僕は即座に言わなくてもいい軽口の二つ三つをたれ流してその場をごまかしたんだけど(略)、久々にまともにそういうことを書いてみようと思う。前置きが長い。



 orderということについてよく考えるのである。orderとは順序である。順番と秩序をつづめて順序、などと考えると、orderという言葉の全体像を把握するのに便利だと思う。
 文章というのは文字や記号、改行や空白などの要素を連ねてできあがる。その連ね方によって文章に魅力や味が出たり、難易ができたり、意味を持ったり持たなかったりする。
 まず、読みやすい文章に必要なのは秩序である。そして秩序とは、順番によってもたらされる。
 順番がまずい文章は、秩序のない(または乱れた)文章で、「読みにくい」「わかりにくい」ものになる。

 この「順番」について細かく語っていけば、本ができてしまう。「文章の書き方」といった様のものが。書くのも読むのも大変なので、それはまた永遠の未来に。


 とにかく大切なのは、「ふつうの人は文章を頭から読む」という事実である。だから、「どの順番で要素を配置するか」ということが、文章というものの第一の肝になる。
 これは受験生のとき英語を勉強していて思った。

 ALL children, except one, grow up. They soon know that they will grow up, and the way Wendy knew was this.

訳A:一人を除くすべての子どもたちは成長する。彼らはやがて自分が成長するのだということを知るようになる、ウェンディがそれを知ったのはこのようにしてだった。

訳B:すべての子どもたちは、一人を除いて、成長する。彼らはすぐに知る、こういうことをだ、彼らは未来、成長すると、そしてその道はこうだ、ウェンディが知った道は、このようにしてだった。

 訳Aはそれなりに優秀で、日本語として読みやすい順番とはこういうものである。訳すときは通常このように、順番を工夫する。しかしじっさいに日本語話者が英文を読む際には、訳Bのようなふうに読んでいるはずだ。文章とは基本的に前から読まれるもので、そういうことをわきまえていると外国語も読みやすくなる。
 日本語だって当然、事情は同じ。言うまでもなく、前から読まれる。

 日本語だって同じ、事情は当然。前から読まれる、言うまでもなく。
 というふうに、語順というものはじっさい自由がきくから、「前から読まれる」という感覚は日常的には希薄かもしれない。
 しかし、後者よりも前者のほうが、読みやすい。意味がとりやすい。すんなり入ってくる。それはひとえに順序のおかげなのである。
「I'll kill you」の意味を伝えたいならば、「僕は殺すキミを」より「僕はキミを殺す」のほうが、伝えたいように伝えられる。すべてはその延長。
 ただ、「I'll kill you...」という気分を伝えたい時には、たとえば「僕は殺す、キミを」のほうが、より伝えたいように伝わるのかもしれない。もちろん「僕はキミを殺す……」のほうがよりよいわけだけど、「僕はキミを殺す」よりは、原文のニュアンスを含んでるかもしれない。だがむしろ別のニュアンスが入ってしまっているようにも思える。そういう絶妙な部分は無限にあって、読みやすい文章というのは原則、そういう無限のようなことを考え尽くそうとして書かれる文章なのである。


 ともあれ。順序にさえ気を遣えば、文章はとりあえずわかりやすくなる。文章を練るとは、「どの順番で情報を与えるか」という作戦である。それは単語単位でも、文節単位でも、文単位でも、段落単位でも、章単位でも、どこに焦点を当てたってそうである。「この文とこの文は入れ替えたほうがわかりやすいだろう」とか、「この段落に書いてある内容は、もっと早めに読者に知らせたほうがいいな」とかいう工夫は、すべて「情報を与える順番」に関わる。
 そういうものを書ける人や、読める人は、秩序だった言語感覚をもった人である。


 文章が頭から読まれる、ということを前提とする(そのような読者をあてにする)書き方を、僕は基本的にしている。だから、そのように読まないとよくわからないところもあると思う。ときおりひらがなを多用したがるのも、「表意文字(漢字)や外来語(カタカナ)だけを拾い読みして理解される」のを恐れての事情がある。流し読みしたら意味がわからなくなるほうが、今の僕には都合がよい。
 なぜかといえば、おみせ(夜学バー)の主なターゲット(めざす客層)は、「文章を頭から読むような人」だから。また、僕が友達になりたい人というのも、そういう種類の人。
 ということは、僕の文章を褒めてくれる人というのは、基本的には、僕が友達になりたいような人なのである。(むろん、そういう人とのみ友達になりたいわけではない!)

 それで僕は、基本的には、「頭から読んでもらえればわかるような文章」を書くようにしている。ただ、この「わかる」というのは、「わかった!」とスッキリしてもらえるようなものではなくて、「意味はわかるけど、意味以上の何かがある気がする」と思ってもらえるようなものである。
「きょうはあしたの前日だから……… だからこわくてしかたないんですわ」とは大島弓子『バナナブレッドのプディング』にある有名なせりふだけど、まさに「意味はわかるけど、意味以上の何かがある気がする」である。そういう文章は、読み手のあとをどこまでもついてくる。

「ただひたすらにわけがわからない」だと、「わからない」だけで終わってしまうが、「意味はわかるけど、意味以上の何かがある気がする」ような文章は、「はじめから順を追って読んでいったら、わかるにはわかった。しかし、だからいったいなんだというのだろうか?」と読み手に思わせる。モヤモヤさせる。それが肝心なのである。


 この場合、「肝心」というのはどういうことなんだ? というところで、「モヤモヤ」の余地を残すわけだ。
(この余地は多すぎると混乱するし、少なすぎても物足りない。そこはバランス。)


「わかりやすい」ということに焦点を当てれば、「順序」が最も大切だと僕は思う。ということは、この「順序」を意図的に乱せば、いくらでも「わからなく」できる。ここをうま~く使うと、優秀なミステリが書けたりするのだろう。
 あるいは、この「順序」をいったんすべて分解して、美意識のみによって構成しなおしたものが、僕にとっての詩であって、これは僕が得意というか、好きなもの。ずっと書いている。客観的世間的秩序から解放される快さは、かけがえがない。
 そう、ここで言っている順序というものは、日本語における「客観的世間的秩序」をさす。僕は文章を書くとき、基本的には「みんな」に合わせているわけだ。「みんな」とは何だ、ってのはいったんおいといて、「多くの人がわかってくれそうな順序」を想像して、並べているのである。それはつまり「気を遣う」っていうことでもあって、疲れる。特におみせのHPの文章は、ここよりもさらに丁寧に書いているので、いっそう大変。

 僕は文章を書くことが好きだが、根本的には文字というものを信用していない部分もある(小林秀雄のよく引用するソクラテスや本居宣長みたいなかんじ)。僕みたいなもんが社会とつながる数少ない方法として、文字とか文章というものをありがたく使わせてもらっているにすぎない。より大切で信用がおけるのは、対面で人と言葉(ないしそれ以外の意思疎通)を交わすことだから、学校の先生をしたり、お店をやったりするわけだ。
 対面の場合、順序というものはそれほど考える必要がない。文章のように一直線ではないからだ。もう少し総合的でいい。
 しかし、そうであっても、すなわち文章以外の分野であっても、順序というものが無意味かというとそうではない。いずれ、「文章編」ではないところで順序について書いてみたいが、それはまた別の物語、またいつか話すとしよう。参考文献:ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』

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