少年Aの散歩

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2019.11.15(水) 長子と末っ子

 長子、というのは主に「第一子の長男」をイメージしています。「第一子の長女」も似たような事情がありそうですが、長男のほうがよりそうだろうなと思うので。
 と、いうのは、「長男は弟だったことがない」という話。
 長男は弟だったことがないから、いざ世の中で「最年少」とか「下っ端」という立場に立たされると、どうしていいかわからなくなってしまう。
 逆に末っ子は兄だったことがないので、いざ世の中で「最年長」とか「責任者」みたいな状況になると、どうしていいんだかわかんないんですね。
 真ん中の子は、弟だったことも兄だったこともある。それが「万能感」とか「無責任」につながったりもする。
 すべてテキトーに言っておりますが、ただそういう場合もあるんじゃないかとは思います。

 僕は末っ子で、いつもおびえている。長男という生き物はひょっとして、何におびえていいのかわからなかったり、自分が何におびえているのかがわからなかったりするんじゃないのかな。あんまりおびえたことがなくて。
 ただ「姉しかいない末っ子」の場合、そんなにはおびえていないかもしれない。僕は「兄が三人いる末っ子」だから、ほんとにおびえて生きてきた。
「怯える」ということを知っているのは得だと思うけど、でもいつでもおびえていてしまうというのは、とても不便なものだ。
 あんまりおびえたことのない長男は、ふだんべつにおびえていないという点では便利だけど、いざおびえるべき状況の時に、ちゃんとおびえることができるんでしょうか。
 おびえたほうがいいような時に、長男みたいな振る舞いをしてしまいやしないか。それで反感をかったりしては損だ。人は長子だとか末っ子だとかにいつまでも支配されてはいけない。自由になるというのはそういうことからも解放されるってことだ。
 誰だっていつだって長子にもなれるし末っ子にもなれる。合間の子にだってなれる。豊かな関係を持てる人というのはきっとそういう性質のはず。

2019.11.08(水) 「自分の気持ち」

 それとも自分自身で決断するという、普通の大人ならみんなやっている(筈の)ことを回避したいだけ? 甘ったれんじゃないよ。
〈妊娠初期に風疹にかかりました〉——ふんふん、それで。〈医者から奇形児の生まれる確率が高くなるといわれました〉——だから? 医者は“確率が<高くなる/傍点>”って言っただけなんだろ? それを盾にとって次の一行が出る訳ね——〈私は身体が弱く〉——どのテード?——〈この次子供に恵まれるチャンスがあっても産む自信がありません〉——結局〈自信がありません〉の一言を正当化したいが為にこの相談がある訳ね。〈医者〉も口実、〈確率〉も口実、〈身体〉も口実、〈風疹〉も口実。だから私は、一体あなたは何を回避したがってんのか? って訊いてんのね。〈仮に奇形児であっても私達の子供なのだからいいじゃないかと夫は言ってくれますが、経済的な面やこれからの苦労を考えると悩んでしまいます〉——一行抜けてる。“私は奇形児なんていやです”の一行。
 誰もそんな運命望まないものね。なのに、どうしてそういうことを隠すのよ? なんでそんないやったらしいカッコのつけ方すんのよ? 結局なんなのよ? 〈簡単に中絶という方法をとりたくはありません〉——じゃァ、どういう方法があるの? “生む・生まない”現実にはこの二つしか途はない訳ね。〈簡単に——とりたくはありません〉なんて、勿体つけて、じゃァどうしたいのよ? 要するに、あなたは、“<複雑に/傍点>中絶という方法をとりたいのです”でしょ? そんなもん、あーる、もんかァ!(中略)
 誰もあんたの決断を肩代わりしてはくんないのォ。分かったァ? 十五年後の<万一の結果/傍点>の救済の為に、初めに書いたみたいな言葉もあるんですゥ。私は、あなたの子供の、赤の他人よ。赤の他人でさえも、まだ生まれて来ないあなたの子供の為の言葉を考えてんのよ。恥ずかしくないの? 生むの? 生まないの? 早く決めなさい!
(橋本治『青空人生相談所』)

「初めに書いたみたいな言葉」というのは、僕の知る中で一番といえるほど、究極に優しい言葉である。気になる方は本書をどうにかしてお読みください。(夜学バーにもたぶん永年、置いています。)


 この「妊娠初期に風疹にかかってしまった二十四歳女性からのご相談」は十九歳で初めて読んで、以来「人生」とか「決断」ということについて考えるときは必ず心に浮かぶ。生きて、生活していると、正当化や本音の秘匿、そして決断の肩代わりを求めるような態度と本当によくかち合う。
「私は奇形児なんていやです」のような一言が、みんな言えない。
「いやだ」って言えないんですね。
「自分はいやだとは言わないが、社会的に(世間的に)考えるといかがなものか」というような言い方をしてくる。これが僕の今の最大テーマである「社会の言葉」ってやつ。
 なんで、自分の気持ちを社会や世間に肩代わりしてもらおうと思うの?
 って、そりゃ自分は何も背負いたくないからか。あとは「本音を言うのが恥ずかしい」とか「実は自分は正しくないような気がしている」とか。あるいは、「自分の気持ちよりも社会や世間のほうが正しそうに見えるはずだから、その威を借りたい」ってのもあるかもしれない。
「だって社会って、大人の世界ってそういうもんじゃん?」という単純な回答もある。

 僕が24歳のときに書いた名作『たたかえっ!憲法9条ちゃん』のなかで知恵院左右(ちえいんそう)という中学三年生の女の子は、担任のリカ先生から「あなたは何を支持するの?」と問われて「自分の気持ち……だけよ」と答える。また別のシーンで、これまたリカ先生から「守りたいもの」を問われ、答える。「前にも言いましたけど、あたしが大切にしたいのは……守りたいのは……」「自分の気持ち、だけよ!」
 シリーズ屈指の名台詞、名場面(だと僕は思っております)。この二人は続編『ぶっころせ!刑法39条ちゃん』でさらに絆(?)を深めていくのだが、それはまた別の話。
 知恵院は、読んでもらうとわかるけどいろいろある子で、(主人公のマモルや9条ちゃんとは違って)とても繊細で複雑な内面を抱えており、だからこそ「自分の気持ち」“だけ”を大切にする。頭がいいので「社会の言葉」も完全に理解しており、リカ先生とも対等にわたりあえるが、大人であるリカ先生が「自分の気持ち」をよそに置いたクールなキャラである一方、知恵院はあくまで「自分の気持ち」のみを大切にする。
 だから『39条ちゃん』でリカ先生が「自分の気持ち」を動かして知恵院と共闘する姿が美しいのだが、それはまた別の話。(再販する予定なので買ってください。)

 なんで僕が知恵院左右をそういう女の子として描いたのか、というのをあらためて考えると、「自分の気持ち」を美しいと思っているからなんでしょうね。
 知恵院は頭脳もお金も権力も何もかも揃えた万能キャラである。人望(人気)さえある。だから彼女は、どんなことでもできる。しかし彼女の行動原理は「自分の気持ち」だけでしかないので、それに沿わないことは何もしない。
 詐欺師の才能があってもそれに手を染めない人がいるように、あらゆるものに恵まれてなんでも実現できる人でも、実際にすることは自分で選ぶ。そして究極に賢くて「いいやつ」である知恵院は、「するべきこと」をかなり正しく吟味することができる。しかし「するべきこと」は当然「したいこと=自分の気持ち」とは別なので、かならずしも「するべきこと」をするわけではない。
 そういう人って、かっこよくて、素敵で、美しいなと思って、僕は知恵院左右という女の子を描き出したのである。たぶん。で、今は僕の手から離れて歳を重ねていっている。もう僕は何も考えないで彼女のことが書ける。

 でね、「社会の言葉」は「自分の気持ち」とは違うよね。
 でも、「自分の気持ち」ほどなんだかよくわかんないものはない。
 だから知恵院はたくさん悩む。僕もよく悩む。
 それが美しく生きていくための道筋なんだろうと信じて。

 ↓これは「宣言」で、「あー言えた」という気分です。予言ですが読んだ人は必ず未来、ものすごく巨大な「ピンときかた」をするはずです。自分や家族や世の中のことを考えるにあたって、この文章が「ピンとくる」ときが絶対にきます。忘れないようにしておいてください。

2019.11.06(水) 大人みたいなもんは全部やだ!

 まだまだそういう年頃だから書くけど、大人みたいなことはもう絶対にやだ!
 ぜんぶいやだ。そう思っているのにおそとでは、たとえばこのホームページでもだけど、ちょっとはクールに、ちゃんとぶったふうにしてるから、誤解されてるのかもしれない。でも僕はただの子供だよ。
 僕は名古屋出身で、本当は名古屋弁を話す。でも東京に来たら、それはだめなんだろうって思って、みんなの言葉を話すようにした。なんでだめだと思ったのかっていったら、恥ずかしいとか浮くってのもあるけど、何よりも伝わらないことがいやだった。違うふうに届くのが。だから一所懸命、みんなにきっとわかる言葉に変えたんだと思う。十八歳のとき。
 それとおんなじで、伝わんないから、僕は大人の言葉を覚えて、それでずっとやってきたんだけど、そんなことしてるからみんな、僕に大人の言葉で喋ってくる。うんざりだ。ばかばかしい。僕はもういつでも自由に、自分の言葉で話せるようにならなくっちゃいけない。じゃないといやだ。もうやーめた。
 社会なんてもんは本当はない。だから「社会の言葉」なんてのは、みんなが勝手にでっち上げてるだけのもんで、僕の中にはない。だけど学習してそれをやることはできる。ある程度はやってきたし、できる。必要があればやる。でもね、自分が本当に好きな場所では、そんなことしたくないの。
 郷に入れば郷に従うってのは好きで、そりゃ場所によっちゃそれをするよ。先生やってたときだって、職員室にいたときは職員室の言葉でしゃべって、生徒が呼びにきて廊下に出たら、もう僕たちの言葉でしゃべればよかった。教室に入ったら僕たちしかいないから、ぜんぶ僕たちの言葉でやった。最後の年なんかはもう完璧にそうしようと思ってそうしてた。そしたらとってもうまくいって、もう学校の先生でやりたいことはここで頭が雲から出たなって思って、思いきってやめた。その代わりに今のお店とかやってるわけで、だからこのお店ってのは、そういうふうな言葉でできてなかったら絶対にいやだっていうか、あのとき教室でみんなと共有していた言葉ってのを裏切って、なかったことにしちゃうってことだから、だめ。そんなのは。
「学校やめてお店に専念する」ってのは生徒たちの前でもちゃんと言ってたから、「そういうお店」じゃなかったら、やなんだよね。もちろん僕がね。あのとき一緒にいたみんなと自分と、あの空間ってのが永遠に大好きだからね。
 教室のことね。
 教室ってのは社会の中にあって制度の中にあって組織の中にあって常識の中にあって、あらゆる堅っ苦しいものの真ん中にあるようなもんだけど、ちょっとだけいろいろとズルをしちゃいさえすれば、その中でああいうことができたんだ、っていうのは、僕にとってはもう最大の希望で。そういう授業の中でみんなはちゃんとちょっとは賢くなったり優しさみたいなことを知ってくれたと思うし、そう信じてる。全員が全員ってわけじゃなくても。
 どこにいたって、うまくやりさえすれば素敵な空間とか場ってのはつくることができる。教室でそれができるんだったらお店でだってできるでしょ、って。本当はお店じゃなくって、原っぱとか屋根と座布団しかないようなところとかでやりたいわけなんだけど、いろいろ考えて折り合いつけてお店としてやってる。
 だからそれは絶対に社会じゃないから、社会みたいな言葉はなくっていい。
 こないだお客さんと「話し合いなどない」みたいな話をした。話し合い、っていうのは社会の言葉で、たとえば恋人同士でそんなもんが必要な状況になったら、もうおしまいなんだよ。
 そう、「恋愛」ってのも社会の言葉なのね。社会の言葉ってのは「約束事でできあがっているだけの言葉」ってこと。社会ってのは契約だからね。社会とかゆーもんが勝手に決めた「恋愛」なんつう謎のパッケージングに乗っかって、「付き合ってください」「はい」だのって契約やってんの、ばかみたい。
 契約なんていんないのが仲良しってもんで、だから一緒にいるわけじゃないの。
 実際のところ、契約がないと一緒にいらんないから、あれこれ考えて好きな人との人間関係を「社会化」しちゃってるってことでしょ。つまんないね。
 あーそれは理想ですけどね、理想ってのは何も悪くないから理想。ただ、難しいってことでしょ。それを目指していくと、うまくいかなくて、つらいことがたくさんあるからみんな避けるんだ。そんだけの話。
 僕はとりあえず今日まで折れないで、「大人みたいなもんは全部やだ!」ってやってきた。ここでいう「大人」ってのは「社会」のことで、そもそも人間を大人と子供に分けてること自体、社会的な約束なわけだ。そんなもん、はなからくそっくらえなんで、大人なんてもんは絶対にもういやなの。それは社会を全面的に受け入れるってことでしかないから。
 じゃあなんで僕は子供なのかっていうと、まあお父さんとお母さんの子供として生まれて育てられたからですね。そんで、大人になれなんて少なくとも家族からは言われたことないし、自分でそれを選びとろうなんて思ったこともない。
 大人などないし子供などない、それは社会の言葉だから、ってのが前提にあって、でもお父さんとお母さんは僕のことを「子供」だと思ってる。たぶん「大人」だなんて思ってないね。だから僕は子供であることだけは認める。だってふたりが好きだから。「大人になんなさい」なんて絶対に言ってこない、あのふたりが大好きだからさ。
 お父さんとお母さんと僕との関係は、絶対に「契約」や「約束」なんてもんに縛られていない。ただ親と子であることを互いが認めていて、黙って愛し合っているだけだ。もちろん法律上、あるいは制度上、それを前提として手続きをしたり、きまりに従って行動したりもする。でもそれは「折り合い」ってやつだ。同じ世の中に生きている、いろんな人たちとそれなりに仲良くやっていくためのね。だから「人にめいわくをかけない」くらいのことは、僕だって教わったよ。
 なんだかうまくいかないな、ってことが最近あって、ひょっとして僕のことを「大人」だと思っている人がいるんじゃないか? と不安になった。当たり前にそう思ってしまっている人はけっこういるんじゃないだろうか。僕はそんなもんとはいっさい、関係がありませんよ。ただやったほうがいいと思うことをやって、やらないほうがいいと思うことをできるだけ避けて生きているだけ。
 社会の言葉を言われても、僕は悲しくなるだけなんです。

 過去ログより:納得について(2018.7.15)

 納得とか駆け引きとか、そういうのは「仲良しの発想」から遠いのです。
 いやなときは「やだやだ!」って言うのが、仲良しなんだと思う。

2019.11.05(火) 寓話・少年ガンガン

 僕は少年ガンガンという雑誌を1991年の創刊号から2001年くらいまで読んでいた。はじめは兄が買っていたのをたしか95〜96年くらいに自分で購読し始めたのだと記憶している。10年も同じ雑誌を読んでいると「誌風の変遷」みたいなものが見えてくる。知らない人には退屈かもしれないが、寓話としてちょっと、さっき思いついたことを書いてみたい。わかりにくくなるのを覚悟で、簡潔に。
 初期のガンガンを支えた作品は『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』と『南国少年パプワくん』だと思うが、だいたいガンガンのヒット作というのは「ロト紋型」と「パプワくん型」に大きく分けられる。言い換えると「冒険型」と「日常型」である。初期でいえば『ハーメルンのバイオリン弾き』や『Z MAN』は前者、『突撃!パッパラ隊』は後者。少し遅れて始まった『魔法陣グルグル』はもちろん「冒険型」の最大のヒット作で、RPGを強く意識した作品だった。
 少年ガンガンというのはエニックス(のちスクウェアと合併してスクウェア・エニックス)という会社が発行していた。エニックスは『ドラゴンクエスト』の開発元で、このゲームなくしては「ガンガン」もない。作家も読者もドラクエはじめRPGを中心としたゲームに好意を寄せる人たちが多く、それゆえ「冒険型」の作品が多くなったのだと思う。僕の言葉で言うと「一緒に行く」とか「ともにゆく」という型である。原則として一人旅ではなく、仲間とパーティを組んで一緒に旅をする、という筋が基本になる。「バトル」もあるが、「旅」のほうにより重点が置かれるイメージ。
 大切なのが「一緒に行く」という点なので、「ともに過ごす時間」の描写が魅力的でないといけない。『グルグル』はそこに優れていた。ゆえに(初期の)『パプワくん』的な、「日常型」ないし「生活型」といえるような側面も持っている。この要素が、のちに『CHOKOビースト‼︎』とか『浪漫倶楽部』など、「旅はしないが一緒にいる」型の名作につながっていくのではないか、と僕はにらんでいる。
 96年に『刻の大地』が始まり、これもかなりヒットする。「冒険型」であり、かつ「ともに過ごす時間」に重点を置いた作品として、僕は『グルグル』と近いものを感じる。何より両作品は「かわいい」のである。この「かわいさ」が現今の「ガンガン」に続く礎になった、とも言えるが、いわゆる美少女系の作品が増えていく原因は完璧にはっきりしている。もちろん96年に始まった『まもって!守護月天』である。
 95年から97年にかけて、初期を支えた「冒険型」「日常型」の作品がバタバタと終わる。97年に『ロト紋』が終了したのをもって、ガンガンは「ドラクエ」という重要な羅針盤を失った、と言うこともできると思う。そして代わりにということでもないが、『月天』が台頭する。
 このころには92年から2000年まで続いた『TWIN SIGNAL』も美少年・美青年だらけになっていた(パプワくんもすでにそういう感じだったが)し、読者層の成長に合わせてなのかちょっと大人向けというか、中高生をターゲットにしているらしき連載が増えていた。『刻の大地』だってそういう需要にも応えていただろう。個人的には、「日本一元気な少年マンガ誌」という当初のスローガンから決定的に離れていった時期だと思っている。
 同じころ(97年)姉妹誌の「Gファンタジー」では『最遊記』という化け物のような連載が始まっている。完全に私見だが『月天』と『最遊記』がその後のエニックス(スクエニ)誌の方向性を決定づけたとして言い過ぎではないと思う。有り体に言えばオタクと腐女子にターゲットが固まっていったのだ。99年4月にはついに「ギャグ王」が休刊。もう子ども向けの誌面づくりは事実上不可能になっていたのではないか、と思う。

 時代、ということはある。ある雑誌の方向性を一つの作品や作家が左右できるものではなく、やはりそれは「時代の必然」なのである。もしも『最遊記』がなかったら「Gファンタジー」も休刊していたかもしれないし、『月天』の路線を認めなければ「ガンガン」だってどうなっていたかわからない。舵取りを変えなければ生き残れないようなタイミングはかならずある。91年から読んでいればそりゃ「変わった」とは思うだろう。でもそれは雑誌が変わったというよりは、時代が、世の中が変わったのである。僕は97年くらいまでのガンガンが本当に好きだった。だから時代や、世の中というものがあんまり好きではない。(これは単なる私怨。)
 日常とゲームをみごとに融合させた一本木蛮先生の『勇者コジロー2』(95〜96年)や、少年冒険活劇として期待していた西川秀明先生の『爆力冒険メガバーン』(96〜97年)は、どちらも全3巻であっという間に終わってしまった。僕にとっては叫びたいほど好きな作品である。そういう時代に入ろうとしていたのだな、と今では思う。『刻の大地』は長く続いたが、中途で断絶してしまった。(なんと最近になって再開した!)
 僕にとって「ガンガン」という雑誌はある時期、ユートピアだった。小学校の時には「浪漫倶楽部」に憧れた。入りたかった。部室でコーヒー飲みたかった。でも他人がつくったユートピアはいつかなくなってしまう。僕はけっきょく、当時の「ガンガン」だとかそのほかのいろんなあらゆる美しいものから教わったユートピアというものを、自分の力で作っていかなければならないのだ。

 なかなか更新できない。夜学バー日報は更新したので、よかったら読んでみてください。

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2019.10.29(火) セツノーナル

『失踪日記』を読んで吾妻ひでお先生を好きにならない人なんていない。先日亡くなった。初めて読んだのは2005年か遅くとも2006年だったはずだ。僕がまだ大学に通っていたころ。
 今夜はどうも隔靴掻痒、なんというかむずがゆくて、夜中まで何もできなかった(と言いつつ寝っ転がりながらたかもちげん『祝福王』を読破)。いかんと思って、なんとなくお風呂で『失踪日記』をぜんぶ読んだ。冷蔵庫で眠っていた「本搾り」オレンジ500ml缶を出してきて飲んでいる。吾妻先生の直接的な死因はアル中じゃない(20年間飲まなかったようだからすごい)とおもうので、不謹慎とはいわれないだろう。僕は基本的に家で一人でいるときに酒はほぼ飲まないのだが、年に一度くらいカッとなって飲んでみる。いまだに背徳的な気持ちになれるから好きだ。スナック菓子もあんまり食べないが、今日は大好きなカラムーチョの大袋を開けた。ザマーミロ(?)。
 時刻はもうすぐ午前5時である。
『失踪日記』を読むまでは恥ずかしながら吾妻ひでお先生といえば「長兄が好んで読んでいたSFや美少女を描くのが得意な漫画家」というくらいの認識で、『ななこSOS』や『オリンポスのポロン』なんかをちょっと読んだ程度だった。『不条理日記』もとにかくわけがわからないという印象だった。『失踪日記』で開眼させられて読みふけり『二日酔いダンディー』や『エイリアン永理』はバイブルと言いたくなるほど好きな作品になった。『シッコモーロー博士』や『やどりぎくん』なんかも好きだ。もちろん『アル中病棟』は大傑作。
 そんなことはどうでもいい。低レベルなマウンティングだ。2005〜2006年の僕は生意気で不安だった。2007年の夏に僕は「あとは余生」と決めるので、その直前。『失踪日記』はそのころの気分に合っていた。
 吾妻ひでお先生は実際に二度、長期的な失踪をする。一度めはホームレス、二度めは最初ホームレスだったがなぜかスカウト?されてガスの配管工として働くようになり家族とは連絡も取らぬままアパート住まいになる。
 誰もが、とまではいわないが実はかなり多くの人が「失踪」に憧れていると思う。ホームレス生活をしてみたい、と思っている。そして今の仕事とはまったく別の仕事を、まったく違った環境で、誰にも自分の過去や素性を知られずに、やってみたいと考えている。吾妻ひでお先生はそのすべてをやり漫画に描いている。それこそ不謹慎かもしれないが、楽しそうだと思ってしまうし、最終的にはそういう手もある、と思える。ある意味で勇気を与えられる作品だ。
 僕も本当にどうしようもなくなったらホームレスとしてしばらく(吾妻先生がしたくらいの期間くらい)は生きていけるだろう。身体さえある程度しっかりしていれば肉体労働だってまだできる。実際大学生のころとその直後の無職期間は軽作業や大工(かんたんなプレハブなどを作ったり撤去したりする)でけっこう稼いでいた。僕はもちろんインテリなんですけれども、じつはけっこう肉体派でもあるのだ。スポーツがあんまり好きじゃないだけで。
 大工はE組というのに所属していて、ちゃんと道具も一式揃えていた。インパクトドライバー、どきゅうのバール、なぐり(トンカチ)、メジャー、カッターなどを腰袋に入れてけっこう本格的に作業していた。粉塵を吸いすぎるのがこわくてやめてしまったが、おかげで「おざ研」(昔やっていたお店みたいなもの)のカウンターも自分で作ることができた。
 そういう経験がいちおうあるので、吾妻先生が失踪中にガスの配管工になったときの気分はなんとなくわかる。やべーやつが多くて、それがなんとも面白いというのもわかる。一方で学校の先生なんかもやっていた僕から見ればほとんど異世界のようだが、意外と地続きでもある。僕の場合は中学校が荒れていたり、三番目の兄がずっと土方(鳶)をやっていたりするので、「ありえたもう一つの人生」ともいえる。
「現場」には意外とインテリがいる。『失踪日記』にも北杜夫のファンで『楡家の人びと』の話題を持ちかけてくる仕事仲間が出てくるが、これはリアリティがある。僕もあっちこっちの現場でさまざまなインテリを目撃した。文学系が多いが、なぜか英字新聞を持ってきて読んでいる人なんかもいた。
 酒場でもそうだ。よく出会う。文化系とガテン系は矛盾しないどころか、意外と相性がいい。座ってものを考えているだけでは何も生み出せない、ということなのかもしれない。
 僕もライターを生業とするより、水商売の現場に出続けるほうが性に合っている。そのほうがじつは文化的なのかもしれないのだ。教壇に立つのも「現場」の一種。でもできるだけ、いろんな現場を知っておきたい。

 ところで、SFとは「世界観フィクション」だという話がある。現実とべつの世界観を描くのがSFなのだと。吾妻ひでお先生はSFの人で、だからこそホームレス生活やガスの配管工を楽しめたんじゃないかという気がする。僕もそういう意味ではけっこうSFの人だろう。
 SFの人は動じない。「そういう世界観もあるな」と思う準備ができている。知らない世界観に出会えば、それだけで面白がれる。どうやら世の中には「自分と違う世界観」に出会うと即、拒否反応を示す人も多いようだ。SFの人は「そういうのもあるのか」と思うだけである。

2019.10.27(日) 最新の者は過去を見る

「若い人」になんとかついていこうとする態度はまあだいたい間違っていてうまくいかない。「若い人」を引っ張っていこうとする態度もだめ。「老害」と化す。僕が近年、老人のやっている喫茶店やバーに並々ならぬ執着を持っているのは、そういう理由なのだろうな。
 常に過去を見る者こそ最新なのだ。
 逆説ですのでどうぞ聞いてください。

 インターネットの華やかならざるころ、僕の情報収集源は主にテレビだった。「伝説のなつかし番組」とか「あの名曲をもう一度」みたいな振り返り番組があったらかならず見ていた。それが「過去」を知るのに最も効率のよい方法だったからである。
 そう、ここでいう「過去」というのは「自分が経験した過去」ではなくて、「自分が経験できなかった過去」のことである。それを見ている人間こそが「最新」。
 若い人は「過去」を見ている。まともな人ならなおさらそうだ。現在だけ見ていたり、ちょっと先の未来だけを視野に入れて生きている人は、まあいわゆる「何も考えていない」とか「意識高い」と言われるような人たちで、ちゃんとものを考えようとしている人は、無意識に「昔」へ目を向けている。
 まともな若い人は、年長の人間を「自分たちを待ちうけている未来」とは考えない。「〇〇さんみたいになりたいです!」という態度は模倣しか生まず、高級な発想とはいえない。いくら目の前に魅力的な年長者がいようとも、それを目指そうなどというのは愚かしい。その人は自分とは別人だし、育ってきた環境も時代状況も違うのだ。ただ、参考にするのだ。その人のことを「未来」ではなく「過去」だと思うのだ。
 自分より年長の人間は、自分よりも「過去」についてよく知っている。何しろ自分たちより長く「過去」を生きているのだ。彼らの「過去」からは学ぶことがたくさんある。それを糧として、自分なりの「現在」を構築し、未来に備えるのが賢い。
 他人を「過去の集積」として捉えると、そこに「歴史」が立ち上がる。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶとはよく言ったものだ。人間というのはそういうふうに「読む」ものである。

 もちろん、同級生だろうが年下だろうが、自分とは違う「過去」を持っているという点で年長者と同様だ。ただ年長者のほうがそれがわかりやすく、見えやすく、学びやすいというだけのこと。どんな人間にも敬意を持とう、というのは、どんな人間だって歴史を持った「過去の集積」なのだから、そこから学べることはいくらでもある、というような話。
 他人を「過去の自分」のように扱ったり、「未来の自分」のように捉えたりするのは実に愚かしい。ただ「自分とは違う過去=歴史を持った人間」であると思って、相応の敬意を持つべきなのである。
「おれもむかしは君みたいだったよ」とか「どうしたらあなたのようになれますか」というふうに言うのが非常に失礼だというのは、相手の「歴史」に対して敬意を表すことができていないから。相手のなかの歴史を読むことで、こちらの学びとし、相手に自分の歴史を読ませることで、相手の学びとする、という方法しかないのだ。教わったり、教えたりするには。

「新しいものを、新しいものを」「現在における最先端を」と求める人は、はっきり言って視野が狭くなる。いちばん新しい地点に立って、過去全体をなめるように眺めるのが、最も見晴らしが良いはずだ。逆にいえば、すべての過去が見えている人がもしいるとしたら、その人は何よりも誰よりも、いちばん前にいてこちらを振り返っているはずなのである。
 いちばん前にいることは神レベルなので不可能として、「まあまあ前」くらいまでなら行けるだろう。で、「まあまあ前のほうにいて前を向いている人」と、「まあまあ前のほうにいて後ろを振り返っている人」と、どちらがよくものが見えているかといえば、実は後者なのだと思う。過去のほうが一対百兆くらいで広大だろうし、何よりも、現在だとか未来と思っていたものはすぐ過去になるからである。前のほうにいて前を向いている人たちは、後ろのほうにいて前を向いている人たちから称賛を浴びる。それは気持ちが良いしお金も儲かるのだと思うが、実際のところクールなのは広大無辺な視座を持ちながら地道に後ずさりしている人たちなのではなかろうか。そういう人たちがたまに前のほうに視線を向けると、まばゆいばかりの光のヴィジョンが見えたりするはずだ。それが未来というもの、であるべきなのだぜ。
 こじつければ、それが「最新」の意味でもあると思うのですね。

2019.10.26(土) オンデマンド(要求に応じて)

 一冊から注文できるオンデマンド印刷が最近安くなってきているので高校生のときに書いた戯曲三本(『少年三遷史』『イワンよりもばか』『なにをする!』)をまとめて解説つけて一冊だけオーダーしたら送料込みで759円だった。本文164ページでこの値段だからかなり安い。複数冊まとめて注文すればもうちょっと安いし、マニア(何人いるんだ?)向けに1500円くらいで売れるのではないか。過去の小説とか詩とか漫画とか日記とかどんどん製本していきたい。自分用としても嬉しい。一冊から作れるのは在庫を抱えなくていいから気が楽だ。
「出たら買うよ」という人がいたらほんとうに作るので、ぜひとも申し出てください。まさかの日記20年分すべて単行本化、というのが、20周年くらいまでにできたらいいなあ。(あと9ヶ月しかない。)そしたら「平成のジャッキーさん展(仮)」が現実のものとなる……かも。

 友達がひさびさに店に来た。半年ほど働いておらず家賃も払っていないでパスタになけなしの調味料をつけて食べてしのいでいるらしい。何か食べるものをと言われたのでカレーを出した。飲み物も出した。お金は今回はタダにした。それにしても会うたびに痩せこけている。かわいそうだからカロリーメイトを三箱あげた。ちょっと古くなってしまった冷凍モノとかもあげた。帰り際「(一緒に)牛丼でも食う?」と言ったら「現金のほうが」みたいなことを言うので「おこづかい」と言って五百円あげた。「ほんとうに大変だったら連絡せよ」と言ったら「ほんとうに大変だったら言うよ(当たり前だろ、と言わんばかりの温度)」とのことだったので本人的にはまだ慌てるような時間じゃないのだろう。
 彼に施しをするのは非常に気が楽である。彼は感謝もしないし恐縮もしない。「申し訳ない」とか言わない。「ああ、ありがと」くらいのことを軽く言うのみである。彼にどれだけ恩を売っても彼からもたらされるものはほぼ変わらない。「お返し」みたいな概念はたぶんない。しかし、どうやら「日ごろからお世話になっている」みたいな感覚はあるらしい。だから恩を売っても売らなくても恩返しはしてくれる。その恩は与える金銭やモノの多寡により左右されるものではなく、「関係」の中に内包されているのであろう。第一、僕は今回のようなことでもなければ彼にモノは与えない。食べ物を買うお金がないようだからカロリーメイトをあげるのであって、なにもなければ何もあげない。僕が飢えていて彼が飢えていなければ彼だって僕にカロリーメイトをくれるだろう。まあただそれだけの話なので、なんとも気が楽だ。世の中のだいたいがこんな感じならいいんだけどな。

 もうすぐ(11月1日)誕生日。10月はお店がほんとうに流行らなくて死にそうだけど、まあ11月はめでたいところからスタートなのでなんとかなるでしょう。そんななか最も付き合いの古い友人の希死念慮が過去最大に高まっているようす。自分はよっぽど玄人だと思う。

2019.10.23(水) それがバランス

 陳腐というのは凡庸ということです。凡庸ということは、ザラにあるということです。ザラにあるんだから、別にそれをいやがることもないんじゃないかというのが、現代の最大の退廃なのです。
 陳腐であるということは、退廃しているということです。現代では、既に退廃もそこまで大衆化しました。平凡な顔をした退廃とくっつく必要はないということです。そして、平凡な顔をした退廃ほど、逃げるのに困難を極めるものはありません。何故ならば、平凡こそは、人類の行き着く最終の安息の地だからです。そこが退廃しています。そこに居着いたら、もう永遠に逃げ場はありません。だからすぐ逃げなさいと言っている訳です。
 既にそれに見こまれているあなたにとって、多分逃走は困難でしょう。困難ですが、それをやらなければ、あなたも死にます。
(橋本治『青空人生相談所』P210〜「■付き合っている彼女に結婚をほのめかされて困っている二十六歳男性のご相談」)

 飽きるほど引用したけど、まだまだ。
 僕に何か思想めいたものがあるとしたらこれに尽きる。この文章にいう陳腐、凡庸、平凡、退廃といったものをいやがり、「ザラにはない」というほうへ(遠心的に)向かっていこうとする態度。引力からぬけだして遠くまでいこう、という感じ。
「ザラにはない」というのは、「悪しき風習の安易な克服」ではない。「安易な克服」は必ずや「ザラにある」と結びつくから。「ザラにはない」というのは、そもそも過去にあった「悪しき風習」のことなど問題にしない。ほかの何かのネガ(否定)ではなく、オリジナルでなければいけない。
 この文章にしても、今つくっている本にしても、詩にしても、お店にしても、すべて「ザラにはない」をめざしている。何かの否定でもあり、何かの肯定でもあるが、何かを単純に裏返したものではないし、何かをそのまま写しとったものでもない。
 好きなものも、いやなものも、無数にあるので。

「人と違うふうであろう」と僕は言っている。しかしそれは「少数派になろう」ではない。「人と違う自分をめざした結果、ほかの誰かと同じようになってしまった」も避けねばならない。少数派どころではない、「誰とも違う」をめざすこと。そうすると、自然と人は孤独になる。
 なぜ人が他人と同じことをしたがるのか、といえば、さみしいからだろう。他人とまったく違う、自分だけの考えを持って行動すれば、孤立するのは当たりまえ。それがいやなら、「適度に人と同じことをする」が必要なのである。人に合わせて生きていけば、さみしくない。「少数派」の人たちは、そのへんでこずるくバランスをとっている。
 もちろん、100%他人と違う、というのは不可能だし、100%同じにもできない。これもバランス。「違えるギリギリまで違っていこうぜ」というくらいのことを僕は言いたい。
 服を着るとか、歯を磨くとか、そういうことは僕はする。そこまで他人と違う必要はない。しかし、違うべきところは違っていたほうがいい。見極めは難しいが、その繰り返しが人をかしこくさせるし、人を「その人」自身にさせる。
 原理として、「同じ種類の人たち」がいれば、派閥になる。派閥が争えば戦争になる。派閥がなければ、常に個人同士の差異だけが問題になる。僕は後者に賭けるというわけ。

 さみしさを解消する手立ては、「誰かと同じであること」だけではないはずだ。そんな、「同じではない誰か」を排除するようなことをしなくても、人と仲良くすることはできる。その可能性を探っている。
 究極に孤独である人だけが、どんな人とでも仲良くすることができるのではないか、とも思う。誰とも連帯を組めないような人は、誰とでも等しい距離にいられるはずだから。
 僕はもちろんその境地に達することができない。内面的にどう孤独であるかはさておき、僕の経歴や能力や外見は変わらないから、客観的にはいろんなふうにカテゴライズされてしまう。どこと距離が近く、どことは遠いという判断を、されてしまう。「ここと連帯していて、こことは連帯していない」というふうに、思われてしまう。
 僕のほうには、ほとんどの人との距離が果てしなく遠い、という実感がある。しかし実感は実感、「他人の目」とはまったく関係がない。

 しかし、そもそも人間に百の要素があったら、そのうちの五個くらいは共通していても、九十五個はぜんぜん違うのだ。五個だけ切り取って「共通!」と喜ぶのは、無邪気すぎる。
 僕は、かりに二十個の共通点を見つけたとして、まあ「共通!」とは叫ぶかもしれないが、無邪気に喜ぶ以上のことはない。大事なのは「共通点」などではなく、仲良くできるかどうか、という、ただその一点のみなのだ。そしてそれは「百個の要素」なんかより、ずっと複雑なことなのだ。
 僕が凡庸をきらい、「違う」ことを大切に思うのは、「共通点」などという些末なものにこだわりたくないからかもしれない。無限に細分化されていったとき、一個や二個の共通点など問題にならない。細かな要素がどう模様をつくったり、結晶したり、反応を起こすのか、ということのほうがずっと重要なのである。
 僕が「選別」をしているとしたら、そこのあたりにまず基準を置いている。


 ちょっと別の話。僕は性別問わず若い人と仲良くなりがちですけどね、若くなくて柔軟な人と、若くて柔軟じゃない人とだったら、絶対に若くなくて柔軟な人と仲良くなるし、なりたい。「柔軟ではないけど今のあり方がとても美しい」という人に対しては、仲良くはなれなくても深い尊敬を抱く。喫茶店やバーで働く年老いた素敵な人たちなんかのことは、そういうふうに見ている場合が多いです。
 やはり、若い人のほうが柔軟である率は高い。それは「従順」と紙一重だったりもするけど、柔軟であるがゆえに「生意気」だって側面もある。こっちだって従順で、生意気だもんね。

2019.10.22(火) 邪推と妄想

 僕がなにかをここに書く。まあAさんのことでも書く。実名は出せないのでぼかして書く。ある人がそれをBさんのことだと誤解する。
「ああいう行動をできる人はすばらしい!」みたいなことを僕は書いたとする。それを「Bさんのことだな」とある人は思う。本当はAさんのことなのだが、Bさんだと思い込んでしまう。「ああ、ジャッキーさんはBさんが好きなのね。そういえばBさんと話すとき、いつも嬉しそうな顔してる」と考える。「Bさんと二人でお買い物に行ったという噂もあるし、最近Bさんに彼氏ができたとも聞いた。つまり、ジャッキーさんとBさんは最近付き合い始めたのだ。つながる、つながる……。まちがいない!」

 邪推。僕だって邪推をすることはある。ただ「邪推は邪推」とわきまえるよう心がけており、「かもしれない」にとどめる。そしてその「邪推」を「次の推論に進めるための前提」とはしない。できるだけ。それをしたら「妄想」になってしまう。「邪推」と「妄想」の間はかなり広い。
 身辺で起こる「嫌だな」と思うことのほとんどは、誰かの「邪推」が「妄想」にまで踏み込んだ瞬間に生じているような気がする。
「邪推の上に重ねた推論」を「妄想」に進めないためには、それを「たくさんある可能性のうちの一つ」にすることである。将棋を知っていればわかりやすいかもしれない。自分が次に指しうる手は無数にあり、それに対する相手の対応も無数にある。無数にあるからといって、検討しないわけにはいかない。検討する。一つひとつ。「相手はこう動くかもしれない、いやこう動くかもしれない」と考えるのは、妄想ではない。
 もちろん、可能性が一つに絞られるのだとすれば、答えは一つに定まる。しかし、なかなかまあそういうことはないものだ。「一つに絞られた」と思ってしまうとき、たいていは「そのほかの可能性について考えるのが面倒くさい、考えたくない」といった気持ちが背景にある。

 武富健治先生の名作『鈴木先生』で、「…つながる… 全部つながる‼︎」(2巻、山崎先生)「つながる 全てつながるーーー」(2巻、鈴木先生)「つながる つながる…」(3巻、鈴木先生)といったセリフがある。これらはすべて、「辻褄が合う、ということだけを根拠に可能性を一つに絞ろうとする」態度を表していた。
 しかし実際のところ、「辻褄が合う」なんてものは、そうたいした根拠にはならない。一つの状況証拠だけで犯人を特定しようとするようなものだ。「被害者は弁護士に恨みを持っていた、だから犯人は弁護士だ」というレベルの話。こういう考え方は、疲れているとけっこう陥ってしまいがちである。気をつけなければならない。
 問題は、「辻褄が合うと気持ちがいい」ということである。快感なのだ。『鈴木先生』にもこんなセリフがある。

…山崎先生が裏であることないこと告げ口しているーーー そう考えた時 こう思って気持ちよかった… つながる 全てつながるーーー

 この快楽に流されれば、「妄想」へとまっしぐらである。「ぜんぶ〇〇のせいだ!」と原因を一本化すると、考えることが少なくなって一つの「納得」だけが心に残る。たぶんそれが気持ちいいのだ。借金を一本化してちょっとスッキリしたような気分になるのと本質的には(たぶん)同じ。「テクノロジー犯罪」も「アベのせい」も。
 で、それは実は「最近ちょっとあの人変だよね」も同じなのだ。その人にまつわるあらゆることを、細かい検証は抜きにして「変」という総合評価で一本化する。そこを軸にして、いろいろな辻褄を合わせていく。そうすると楽で、気持ちがいい。
「〇〇はオワコン(終わったコンテンツ)」でも「どうせわたしなんて」でも「男は〜」も「女は〜」も同様。一本化の罠。「複雑な事情を単純な言葉で一本化し、そこを前提としてものを言う」。インターネット上の「意見」を観察していると、そういう態度が非常に多い。
 みんな、詳しくものを考えるというのが苦手というか、面倒なんだろう。

 こうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。そういう保留を無数に胸の内に持ったまま、できる限り多くの角度から検討を重ねた言葉だけを口にする。神業のようなもので、僕だって常にはできはしないが、そのほうがいい、ということくらいは考えていてもバチはあたるまい。
 最近、「邪推のもと」みたいな噂話をたくさん耳にする。そうすると僕はかしこさを総動員して考える。で、その結果を「将棋の読み」の一部として保存しておく。
 意識的にそうしていなければ、すぐに「妄想」は突っ走ってしまう。「つながる、つながる……」と。
 軸足はあくまで「ここ」に、ピボットで。
2019.10.21(月) 日常の政治について

 政治、という言葉は人間関係についてもたまに使われます。「ある人間関係を思惑通りに動かそうと画策するさま」という感じだとおもいます。そういった政治的なやり口によって保たれたり良好になったりする人間関係もあるのでしょうが、その領域に踏み込むのは「仲良しの発想」ではありません。
 たとえその人間関係を大切に思うがゆえに行われた政治だとしても。
「組織」でも「家庭」でも同じ。政治を企てたら、もう仲良しではありません。
 僕が思うに政治と仲良しは反対っこで、僕は仲良しが好きです。だから政治があまり好きでないのだと思います。
 べつに社会について何事かを言いたいわけではなくて、「なんでどこもかしこも『社会』なんてもんにさせちゃうの?」ってことが言いたいだけです。社会ってもんは約束事でできあがるものなので、約束しなければ社会ってのはない。で、実は仲良しっていうのは、「約束」というものを完全に無効化するんです。

2019.10.20(日) 心で

(少なくとも2035年は)今日が聖桜学園の学園祭です。我が母上や上皇后陛下をはじめとしてさまざまな人のお誕生日です。おめでとうございます。
 たまたま連絡をとったのでおかあさんに「おめでとう」と送ったらスルーされました。そういえば僕もおかあさんから誕生日おめでとうメールなんてきません。ついでがあれば言われるかもしれませんがそれに対して僕が必ず返信するかといえばそういうわけでもないし。僕は家族全員の誕生日を忘れたことはなくて毎年すべての日に「あ」と思っているけど「おめでとう」の連絡はほとんどしたことがない。たぶんみんなそうなんじゃないかな。
 そういう家庭である、ということが今の僕を作っているし、だからたまに怒られたりもするんだろう。

2019.10.19(土) セクシービームで

 僕のこの約二十年間にまたがる日記をお読みいただければわかるのですが(読む必要はありません)、僕は時おり何かを集中的に考えています。一つのテーマを中心にしてとりとめもなく雪崩のような文章を書いてきました。けれどもその「テーマ」が何かは明示されていなかったりして、ハタから見れば「気でも狂ったか」と思われるような様子もあったでしょう。よくあることです。
 ある時パッと何かに気づいたり、あるいは心を揺さぶる大事件があったりして、そういうものをまとめたり整理するために膨大な文章を書きます。で、そっから発展していくわけです。そういうことがたまにあるからこそ、たぶん僕は僕なのです。そういうことがなくなって、変わらなくなって、安定していったら、散歩ルートが完全に固定されてしまったら、つまらない。こんなホームページはやっている意味がありません。お店も。
 変化しない人たちは「人は変化しない」と思っている。柔軟性のない固まった思考の内にピッチリと他人を収める。パズルを嵌めるようにぴっちりと。だから、わかんないんだね。

 柔軟性ってのは敬意を持つってことと同じじゃないのかね。人を尊重するってことと。(2019年8月12日 参照

 紀行文みっつ。(2019/10/16更新)

・2019年8月3日(土)~9日(金)
 高知→徳島→和歌山→大坂→草津→名古屋
・2019年9月9日(月)~10日(火)
 高崎→中之条→前橋→高崎→熊谷
・2019年10月5日(土)~9日(水)
 富山→高岡→金沢→高岡→富山→下呂→関→多治見→名古屋→静岡→清水

2019.8.3(土)~9(金) 高知徳島和歌山大坂草津名古屋

<3日 東京→高知>
 昼すぎに高知龍馬空港に着き、インフォメーションで空気入れを借りて自転車を組み上げ、走り出す。最初の行き先は決めている。喫茶「ポイント」。
 空港と後免駅とのあいだくらいにあるが、駅からも国道からも離れ、商店街というわけでもない、ちいさく静かな道路の脇にぽつんと建っている。県道243号、247号、45号とが交差するところにあるので「ポイント」と名づけられたのだろうか。こんど聞いてみよう。
 ミックスジュースとトーストハーフを注文。食べ終えるころ、ママさんとお客さんとが表に置いてあった僕の自転車を話題にした。「ああ、あの白い自転車。まえにも来たねえ」と思いだしてもらえた。特殊な形の自転車なので、覚えられやすいようだ。
 ちょろちょろと世間話に参加する。今夜すぐ近くで花火が上がると教えてもらったが、見忘れてしまった。不覚。
「ポイント」に行ったら「イマジン」にも行かねばならない。高知市街はまっすぐ西だが、いったん北上して汽車(JR)と電車(路面)の間の道を走る。すると、黒塗りの妙なお店に出くわした。「cafe ぎやあう亭」。外観は新しいように見えたが、感性はどうも古めかしい。怪しいと思って入ってみると、フォークソング好きの男性が退職後に開いた喫茶店だった。メニュー表に岡林信康のレコードジャケットが載っていたので、「岡林好きです」と言ってみると、レコードをかけてくれた。拓郎も好きらしい。
 まえは「タンポポ」という喫茶店だったのを、改装して2月にオープン。国道沿いで立地は悪くなさそうだが、「あてがはずれた」という。ううむ、やはり喫茶店というのはもう、なかなか流行らないものなのだろう。「純喫茶ブーム」は確かに一方では存在するが、たぶんその潮流にのっかっている人たちが好きなのは「喫茶店」を構成する要素のほんの一部分にすぎない。「自分の好きだと思えるものがたまたま喫茶店の中にいくつかあった」という感じなんじゃないかね。クリームソーダとか、古い家具とか食器とか。
 さて「イマジン」。半年ぶり二度目だが、ママはよく覚えていてくれた。相変わらず甲高い声で、けたたましく土佐弁で話す。健康の話などいろいろ教えてもらう。本当に誰にも見つかっていない、なかなかよそにないめずらしいお店なので、高知に行った際はぜひとも寄ってみてほしい。大津バイパスの「YSP高知」の裏あたり。
 途中、古着屋があったので寄ってみる。こういう余裕も必要だ。「html」と書かれた黒い半袖のパーカを買った。htmlさいこう!

 高知駅周辺に到着。北口に新しくできたジャズ喫茶「Debby」に寄ってみる。ここも退職後に始めたお店らしい。「退職後にジャズ喫茶」というパターンは本当に多く、どの都市に行っても見かける。僕のいま住んでいる街にも「退職してから開いたジャズ喫茶&バー」があるし、実家のすぐ近くにも「週末だけ開くジャズ喫茶」が最近できた。先の「ぎやあう亭」はジャズではなくフォーク中心だったが、似たようなパターンだとはいえる。老後の楽しみが「レコードを聴くこと」や「音楽について考え、話すこと」ならば、ついでにお店もやっちゃえ、という感じなのだろうか。うちのお父さんもそういうお店を開いたらよかったのにな。「コーヒー入れたらあとはニヤニヤしているだけでいい」んだから。(これはさくらももこ先生の漫画『ひとりずもう』でももこがヒロシに、八百屋やめて「喫茶ヒロシ」でもやったら、とすすめるシーンにあるセリフ。)
 ただ、そういうのは土地や家があるから成り立つところもあって、集合住宅住まいだとテナントを借りねばならん、その家賃を払えるくらい人が来るかといえば、かなり難しいだろうなあ。
「Debby」は素敵なお店で、読書でもするには最適だ。近所にあったらけっこう通うかもしれない。
 高架下南側の「へびや」へ。僕の知っている中では高知で最もマニアックというか、「見つかっていない」飲み屋だと思う。ここもけっこう年を取ってから始めたらしいお店。マスターは昭和三十年代くらい?の古い歌謡曲にとても詳しい。この日はレナード・コーエンの『Various Positions』というアルバムがかかっていた。あまりに格好良かったのであとでアップルミュージックで聴きまくった。のんのこの水割りをもらう。たった400円という破格。「青い花」というお店のことを教えてもらい、電話までしてくれた。あとで行こう。
 だんだん南下して喫茶「クレオール」へ。喫茶といってもほぼカウンターのみ。ビールと思ったが夜は長いと思いとどまり、カフェオレをいただく。くせのないお店ではないので、くせのないこともない人たちが集まっている。この階上に某というこれまたヤバイお店?があるのだが、閉まっていた。残念。
「Slowhand mojo」へ。ここでは毎年8月に「鏡川フォークジャンボリー」という音楽フェスをやっていて、毎年僕がいく頃なので毎年寄っている。ちょっとだけライブ見る。せまい、ガレージのような空間にモノと人が詰まっている。フェスは四日間開催され、述べ三十組以上が出演。ときおりは「身内ノリ」みたいなものもあって若干つらいが、良い演奏は本当に良い。
 もうちょっと夜の街を散歩する。行ったことのないお店にも行きたい。「フランソワ」という老舗バーに入ってみた。

 ギムレットとジントニックを飲むあいだ、とくにお店の人とも、ほかのお客さんとも会話するいとぐちがなかった。「バー」といえばたいていはそんなもんだ。僕がやっている夜学バーみたいに、「一つの場をみんなで共有する」ことを是として、「常にどの人とも会話が発生する可能性があるが、べつに発生しなくともよい」というくらいの温度調整をめざしてやっているのは、非常に珍しい。このお店も僕のお店も、一言でいえば「お客さんのご自由にどうぞ」なわけだが、「完全に自由」であるか、「下ごしらえはしてあるので、あとは自由にやりましょう」という違いはある。
 このお店は、「完全に自由」という方針のようだった。「ここはあくまでも一人一人が自由にお酒を飲む場所であって、一つの場を共有するとか全体のバランスを取るとかっていうことは特別に意識していません」という感じ。それがふつうだし、それが気楽でもある。ただ、僕は旅行で来ているので、せっかくだから現地の人とちょっとくらい触れあいたいのである。
 右隣に座っている二人組が、ちょっと珍しいお酒を頼んで、ビンを見せてもらっていたので、「僕も見ていいですか?」と声をかけた。そこからはもう、あれよあれよ。農園をやっている人と、建築関係の人。ものすごく話が弾んだ。ゆずのリキュール、ありがとう。そういうふうに、自分から道を拓いていくことは大切だなと改めて思った。
 話は変わるが阿佐ヶ谷に「メリデ」というすばらしいバーがあって、バーテンダー歴50年以上というマスターは確かにこう言っていた。あたしらの役割ってのは、自分を反射してお客さん同士を繋げることなんです、と。そうはっきり言ってもらえると心強い。僕もそういう志でやっているのだ。でも、バーに立つ人がみんなそういう気持ちでいるわけではない。それで今回は、ゆずリキュールのビンを反射材とさせてもらったのである。

「よこやま」でおべんとうを買い、しばらくさまよった後、「へびや」で教えてもらった「青い花」へ。思った以上に文化的な場だった。内装もすばらしい。お通しはくだものにキャラメルポップコーン、えびかなんかのチップス、芋けんぴと盛りだくさん。で、安い! いいお店だ。朝までやっているお店を教えてもらう。
 さて「VIVA!」。ここはもうずいぶん通っている。店主Iさんはテレビ、ケータイ、インターネット等すべて持っておらずお店の電話と新聞だけで暮らしている。「新聞読んだらまんが甲子園のことが出てて、ジャッキーさん来るかも~って思ってたら来た」と言われる。なんともうれしいことだ。ニシン来たかとカモメに問うようなものである。
 最後、「フライボックス」という夜中に開いて朝か昼に閉まるという、都市には必ず必要な形態のお店に行く。ジャズボール作ってもらって飲む。「青い花」にいた人たちが全員いた。


<4日 高知>
 ルーマプラザという男性専用サウナが5時~9時で1000円なのでお風呂入ってちょっと仮眠。オーテピアという複合施設の中にある高知図書館に行ってみる。すばらごい。規模も建築も特集も。これほどの図書館はなかなかない。放送大学コーナーが充実していて嬉しかった。田岡典夫の展示も良かった。
 自転車でじゅりあん、野ばらといった駅近くの喫茶店を見てまわる。日曜だからか、いずれも閉まっていた。藁工ミュージアムで展示を見る。VIVA!のIさんの作品が目当て。とてもよい。ほかにもいくらか見るべきものがあったのでメモしておいた。喫茶スバル、まちかどべんとうやよい店、松屋喫茶店、喫茶ノア、喫茶うらどおりなど、気になるお店がたくさんあった。すみれというお店でお昼を食べた。かるぽーとに行ってまんが甲子園を見物。別の階でやっていた展示を見ていたら「高校生?」と言われた。いくらなんでも。
 Moo.念平先生(今年はこの名前だったはず)が司会をつとめる「大笑いまんが道場」を見てから、急いで上町(龍馬の生まれたあたり)まで走り、宇田味噌製造所の「BEANS」に参加。ここでは毎月第一日曜にイベントをやっているんだけど、今回は「みんなでお寿司を食べる」だけの回。このくらいゆるいのもよいですな。
 高知の人はとにかく集まりたがるというか、「場」をつくりたがる。お店を開いたり、イベントをやったりしたがる。ほかの地方都市より多いと確信している。たぶん、だから喫茶店が多いのだ。人口あたりの喫茶店数は、全国平均の三倍くらいある。
「信長と秀吉、利休と織部にゆかりのある地方には喫茶店が多い」と僕は勝手に信じているのだが、高知は例外なのである。今のところ、高知の場合は「自由民権運動」が強かったことに関係があるんじゃないかとにらんでいる。「集まって話す」という文化は、そのあたりで育まれたのではなかろうかと。これも完全なる独自研究なので、どなたかアドバイスください。
「mojo」へ。Sくんという学生のライブがぜひ聴きたかった。ギターの弾き語りで、味のあるオリジナルソングを歌っている人。去年のジャンボリーで聴いていっぺんにファンになったのだった。やはり、すばらしかった。
 無人の物売り屋「ruはまや」というのに寄る。なんだかよくわからないが、すごい。
 疲れが出てきたので、ホテルに入ってまんが甲子園の中継をニコ生で見ながら夜まで寝た。便利なものだが、これではもはや何のために高知に来ているかわからない。きっかけは確かにまんが甲子園だったのだが……。
 ところで、一泊目は1000円のサウナで仮眠し、二泊目は3000円くらいの安宿をとる、というのは天才的じゃないでしょうか。ホテルというのは15時くらいにはチェックインできて、そっからいつでも寝放題なのだから。一泊ぶんの値段で二泊分寝られるイメージ。トラベルハック!

 がんばって起きて、21時半からのmotoki tanakaさんのライブを聴きに行く。mojoの店長で、高知のいろんなお店を教えてくれた恩人。初めてちゃんと彼の音楽を聴いたが、非常によかった。Iさんも来ていた。
 mojoがなければ僕は高知をこれほど好きにならなかっただろうし、地方都市を歩く「コツ」みたいなものも身につかなかったかもしれない。すべては、帯屋町を歩いていたときに地下のクラブから流れてきた渡辺満里奈の『大好きなシャツ』のおかげ。これはフリッパーズ・ギターが作った曲なので、その先にかならずや「それ系」の人がいるのだと確信したのだ。吸い寄せられるように降りていくと、イベントは終わりかけだったが何人かの人と知り合うことができ、おかげでmojoやBEANSに繋がることができた。直観と、それに対する自信と、一歩踏み出す勇気。僕の歩き方はちょっと変わったと思う。
 おなかすいた。「よこやま」でおにぎりを食べたかったが閉まっていたのでソライロでラーメンを食べた。おいしかったが、しかしラーメンというものは食べるたびに食べなくてもよかったなと思うようなものである。スガキヤ以外。
 日曜だしあんまりやっている店はないかな、と思ったが、「模型ミュージアム KOCHI SNAP」というバーを見つけた。ここがもう、本気のオタクのお店で、僕なんかまったく敵わないというか、ちょうど僕が「手が届いていない」ところを全部取りそろえているような感じだった。「うわ、それちょうど知らない!」「ちょうどそこ、詳しくない!」という分野が中心で、非常に勉強になった。やっぱりオタクには文系と理系ってあって、兵器とか銃とか、車とかってのはたぶん理系なのだ。鉄道は文理どちらもあるから巨大ジャンルなんだと思うけど、僕が好きな時刻表とか「乗り」とかは、たぶん文系。車両とか機構などのことはあんまり知らない。と書いてみて、時刻表は数字を扱うし理系なのかな? とも思った。絶妙なところだ。どうでもいいことだが、考え始めると面白い。
 自分が文系オタクで、理系オタク分野にはぜんぜんついていけない、ということを痛感させられた。あんまりバランスが悪いのもよくないので、もうちょっとこっちのほうも楽しめるようになりたいな。いや、もう、そういう意味でもいい店だし、そっちのほうに興味があるなら天国だと思う。


<5日 高知→池田→徳島>
 早起きして喫茶店をめぐる。「のんた」でモーニング。さほど古いお店ではないのかもしれない。ちょっと文化的な匂いがする。シニアな文化。そしてずっと行きたかった「ハレルヤ」が開いていた。ビッグコミックオリジナルを読んだかな、たしか。ここでもモーニング。おなかいっぱいになった。
 ゆっくりとコーヒーが飲めて、食べものもあって、新聞や漫画が読める。そういう場所はゼッタイに必要だ、と僕は思うのだが、それってどうしても「ちょっと昔の考え方」だ。いまは新聞や漫画を誰もが読む時代ではない。テレビすら求心力を失っている。インターネットとかスマホの時代に、「喫茶店のようなもの」はどういうふうに存在していればいいんだろうな。そういうことを考えるために、僕は各地で喫茶店に寄るのである。
 昨日開いていなかった「じゅりあん」が、今日はやっていた。あと20分程度で汽車に乗らねばならないが、どうしても入ってみたかったので、えいやと入店。ジュースかなんか飲んだかな。こぢんまりとした、いいお店だった。古くて味がある、といった感じではない。もっと生活的で家庭的で、「うちのダイニングが広くなった」くらいの感じ。リビングというよりダイニング。食堂の趣に近い。ああ、もしかしたら喫茶店も、リビング系とダイニング系があるのかもしれないな。
 急いで電車に乗る。「阿波池田」で下車。

 池田には友達(高校の同級生Gのおくさんでもある)の実家があって、これまで二回寄っている。うち一回は、友達本人は東京にいたのになぜか寄らせていただいた。今回もそのパターン。池田に寄るよと連絡したら「よかったらまた実家に寄ってって、ジャッキーくるかもって言っとく」と。
 とはいえ、いきなり押しかけるのはやはり気が引ける。ちょっと時間をつぶして心の準備をしようと、まちなかを走ったり吉野川に足首まで浸かったりして遊んだ。暑かったけど、楽しいな、そういうのは。
 商店街のアーケードをちょっと外れたところにある「カフェ・ド・マキシム」で一服。ミルクセーキを頼んだら、どうも生クリームかバニラアイスかをいれているような味がした。こういう手もあるのか! 勉強になる。なにもかもすばらしいお店で、池田で喫茶店に入るならまずここかな。
 いよいよ、友達の実家へ。場所は完璧に覚えていた。ちょうどお母さんが帰ってきて車から降りるところで、「こんにちは」「ああジャッキーくん」とご対面。バッチリのタイミングだった。すさまじい歓待を受ける。申し訳ない。でもありがとうございます。勝手な話だけど、こういう経験が僕を「人に優しく」のほうへ導いてくれるのであります。とにかく、自分や自分の身内にとって大切な存在には、優しくするものだ。身にしみる。
 世間話をあれこれして、完璧なタイミングで「そろそろだね」とお父さんがつぶやく。たしかに、ちょうどいまから出れば汽車に間に合うくらいの時刻だった。さすが地元の人。おなかいっぱいのお礼を改めてして、駅へ。

 徳島駅に入る直前、たまたま窓の外を見たら喫茶店があった。店構えだけで絶対に名店だとわかる。ずいぶん古い外観だ。営業しているんだろうか?
 僕は新しい街に行くと、何度も何度もグーグルマップとかで「喫茶店」とか「カフェ」とかで検索する。それなのに線路沿いにあるそのお店のことをまったく知らなかった。不思議なこともあるもんだ。駅から出て自転車を組み立てると、すぐにそのお店に向かった。戸を引いてみるも、動かない。カギが閉まっているようだ。
 すでに閉業してしまっているのか。もう夕方だから店じまいしたのか。それにしても、見れば見るほど良いお店に違いない。数百軒に一軒もないほどの名店であろう、と勝手に思い込み、しばし途方にくれたのち、写真でも撮って帰るかと諦めた瞬間、ギギ、と扉が開いた。おおきく腰のまがったおばあさんがいた。
 どんなやり取りがあったかは忘れてしまったが、ともかくお店に入れていただいた。歩かせても悪い、ということを言い訳に、カウンターに座った。どんなメニューがあるかわからなかったので、コーヒーをお願いした。もちろんお客は僕ひとり。ゆったりと待ち、飲み、お話しした。
 僕はこういうお店が好きである。「こういう」と言ったところで読者には何も伝わらないであろう。がんばって試みたい。
 カギが閉まっていたのは、ちょっと早いけどお客がいなくなったから、とのことで、本来なら営業時間の内だったらしい。無理して開けてくれたわけではないのだ、と、ちょっとほっとした。それにしたって、「今日はもうおしまい」と断ってもよかったのに。しかも、見たこともない初めてのお客を。
 僕はよく「窓を開けておく」という表現をする。誰にでも「開いている」ようなお店が僕は好きだ。Moo.念平先生の『あまいぞ!男吾』でも「お客さんを差別するんじゃないよ!!」という有名なせりふがある(3巻「これぞ…おふくろの味」)が、誰であろうと「その扉」を開けた以上はお客さんなのである。少なくとも、差別されるかどうかは入ったあとの振る舞いで決まるのであって、事前に決まるものではない。このママさんも、とにかく扉を引っぱった以上は僕をお客とみなすほか考えていなかったのだと思う。そういうふうに、きっと何十年もやってきたのだ。
 30分ばかりお邪魔した僕のことを、もちろん彼女はまったく差別しなかったし、一人の人間として向き合ってくれた。僕にとって「いい店」の要件とはそれだけである。誰に対しても開いていて、人間として向き合ってくれること。会話の有無や内容は関係なく、振る舞いやお店の雰囲気でそれは十分に伝わる。内装や調度品のすばらしさは二の次で、ただ、それを何十年も続けてきたという証拠が、店のはしばしにこびりついている。
 この「純喫茶ブラジリア」というお店は、夭逝した山之内遼さんの『47都道府県の純喫茶』という本に載っているとあとで知り、すぐに購入した。あんまり広く知られたお店ではないようだが、こうして記録に残してくれている人もいる。嬉しいことだ。

 いったん宿に入り、ちょっと休んで、ポッポ商店街の「駅前bar」というのに入ってみる。「反射」はあんまりなさそうだが、店員さんはあれこれ話しかけてくれた。とても若い人だった。がんばっていただきたいものだ。
 バー「ランボオ」へ。春に続き二度目。たまたま前回ご一緒した方がいて、マスターも覚えてくださっていて、「よくぞ二回も」と賞嘆された。おかげで支払いはゼロ、つまりごちそうしていただいた。ありがたい。こういう優しさが僕を以下略。見つけづらく、入りづらい老舗だけど、そのぶんお店の雰囲気はとてもいい。ぜひとも。
「ピノキオ」に行ってみたら、なんとお客がいた! しかも二人連れ。もう四回目くらいだけど、ほかにお客がいたのは初めてである。嬉しい。せっかくということで、「ガタカ」というお店に連れていってもらった。「映画がありましたね」と言うと、「そう、よく知ってるね」と言われる。なんでも知っておくとたまに褒められる。
 それにしてもピノキオのママは本当によくやっている。けっこうなお年だけど、定休日以外は毎日ちゃんと開けているようだ。ちょっと特殊なお店だけど、徳島に行ってここに寄らないという選択肢はない。なんでかはわからないが、癖になるというか、やっぱり「こういうお店はほかにない」のだ。ママが五十年かけて作りあげた世界は、ほかの誰にも作れない。もう二度と、こういうお店は生まれない。そう思うと、行ける時に行っておきたいと思う。沁みた気持ちが、勉強になる。
 そしてこれまた外せないのが喫茶「あめりかん」。繁華街の路地の二階の、ちいさなお店。生活空間とつながっていて、のれんの向こうにリビングのような風景が見える。ここでいつも一人でお店を守っているAさんの人柄が、たまらなく好きなのだ。19時くらいから夜中まで、ひょっとしたら朝までやっている。お酒はたぶんない。コーヒーとかレモンスカッシュとか、メニューはいたって喫茶店。この日は近くでラウンジをやっているお姉さんがいらっしゃって、せっかくだからと相席になる。名古屋出身だというと喜んでいた。ドラゴンズファンらしい。もっとドラゴンズのことを知っておかなけあ。
 最後、「トランプ堂」でたしか、ヴァージンの残りをハーフくらいの量でいただいたんだったかな、あまり覚えていない。僕以外はほとんど注文していなかったようなので、数年かけてやっと飲みほした感がある。個人的にちょっと感動。


<6日 徳島>
 朝から喫茶店をまわる。有名な「びざん」でレモンスカッシュ飲む。「シャガール」でメロンソーダ頼んだら切ったメロンが刺さってて感動。内装もすばらしいのでじつにおすすめ。ちょっと早いけどランチは「モンパリー」で。けっこう混んでいた。
 そして食後はふたたび「ブラジリア」。一度の旅行で複数回、同じお店に入るということはあんまりないのだが、ここは別だ。入店してカウンターのほうに歩いていくと、お客さんのおばあさんが「かわいいぼくがきたよ」とママに言った。かわいいぼく! そうか、僕はかわいいぼくだったのか。たぶん半ズボンだったからだ。
 ちなみに、僕は近所でも旅行先でも、喫茶店でカウンターに座ることはあんまりない。「よっぽど」だったら別で、このお店は「よっぽど」なのである。そのほうがよい、と思うのだ。
 お客はけっこう多く、昼時だったのでチャーハンや焼きそばを食べている人がいた。な、なんと! そんなにメニューが豊富だったのか。もちろん(?)メニュー表などないので、コーヒーくらいしか出していない可能性もあるなと勝手に思っていたのだが、喫茶店で出されるようなものならたいがいできるらしい。となりのおばあさんがソーダ水を飲んでいたので、僕もそうした。ブラックニッカのグラスにレモン入れて出てきた。最高すぎる。完全にトリコになった。はやくまた来たい。あたりまえだけど、ママも覚えてくださっていた。帰り際、またお客のおばあさんに「ほんとうにかわいいぼくだねえ」と言われた。かわいいぼく! かわいいぼくだぞ!

 自転車で走って私設図書館「おとなり3」へ。二階に上がるとふたりいて、森さんが洋裁を教わっていた。「ああどうもジャッキーさん!」といった感じで話が早い。この方、ネットに書いてる文字だけ見るとややこわい感じがあるものの実際お会いすると本当に素敵で優しくやわらかい人である。相手にもよるかもしれないが。
 一度くらいは行ってみようかと「バーレンシーア」へ。バイトの女の人がいた。量が多いので食べるのにものすごく時間がかかった。雨のなか金物屋兼古本屋の「ソラリス」へ。声をかける勇気がなくて(そんなときもある)そのまま出てきてしまった。
 夜の街へ。早い時間だったので開いているところが少なく、ひとまずBというバーに入ってみる。いいお店だったが「特筆」というものはない。時間をつぶす意味もあり、新町温泉という銭湯に。400円。安い。東京は460円である。
 今年できたばかりのマンガバー「Gペン」へ。「こないだジャッキーさんがいらっしゃったとき、お客さんといろいろマンガの話とかしてたじゃないですか。二人ともメッチャ詳しいのにビックリして、僕ももっとマンガ読まないとって思って、あれからたまにマンガ喫茶とか行っていろいろ読んでるんですよ!」と、死ぬほど嬉しいことを言ってもらえた。死ぬほど嬉しいですよ、だってこのお店のマスターがいまよりもっとマンガに詳しくなるということは、たぶんこのお店がさらに良いお店になるということなのだ。マスターがマンガに詳しいのが良い、というだけの話ではなくて、そういうふうなある種の向上心を持ってお店作りをしようとしている、ってことだから。なんやら新メニューもちょうど作っていたし。また来ないと、って気にさせられる。「また来てください」と言うことよりも、ずっと営業効果があるのだ、そういうことが。ちなみに、草野誼先生の『愚者の皮』が店主おすすめマンガコーナーに置いてあって、さすが! と思った。草野先生はさいこう。
 そして「NOLO」へ。相変わらず楽しいお店だ。料理とお酒が非常に充実しているが、お客さんはオタクが多い、と思う。たぶん。ここの店主さんとはネット上でそれなりにお互い見ているので、「なんか違う地域の人と繋がってるのって面白いね。常に擬似旅行しているような感じ」と言われた。ああ、なるほど。確かにそうだ。僕も常に、ちょっとはどこか徳島にいるような気がする。
 深夜、某所で休憩させていただく。Mさんという方がいたので、ちょっとお話しした。用意していただいていた寝袋で仮眠。早朝のそのそと起きて、フェリー乗り場へ。


<7日 徳島→和歌山→大阪→草津→名古屋>
 和歌山のフェリー乗り場から市街地まで、自転車でぐるぐる走りまわって、喫茶店などを探訪。「純喫茶ラガー」じつに最高。モーニングを食べる。街のほうに出て「浜」でコーヒー、「エミ」でめずらしくクリームソーダ。
 和歌山県は人口あたりの喫茶店数で高知、岐阜、愛知に次いで四位、また和歌山市は「喫茶店の個人経営率」が県庁所在地及び政令指定都市の中で一位(いずれも平成26年)。もうそこかしこ、あらゆるところに喫茶店がある。そしてどこもコーヒーはそろって350円。たまたまだとは思うが、それより安いところも高いところも見なかった。不思議だ。
 和歌山の喫茶店は食事が充実していることが多いようだ。喫茶店というよりは食堂では? というくらいメニューが豊富だったりする。「ランチ○○円」といった看板もよく目にした。僕が思うに、和歌山では喫茶店はけっこう「食事をするところ」で、売り上げの中心は食事。だからコーヒーは安くても構わない、ということではないだろうか。むしろ安ければ「せっかくだからコーヒーもつけるか」にもなりやすい、とか。たいていはセット料金があるんだろうけど。
「エミ」も食事が充実していた。たしかコーヒーが350円で、クリームソーダは450円。や、やすい。ちなみに僕以外はみんな、やはりなにか食べていた。
 もうちょっと和歌山をうろうろしよう、とのんびり自転車を走らせ、ある橋を渡っていたら、向こうからなんだか見覚えのある顔がやってきた。あちらも自転車、しかもロードレーサーに乗っていて、あっという間にすれ違った。え、いまの、Yじゃなかったか?
 Yというのは、十年ほど前に僕が都内の中学校で教員をしていた時の教え子である。いや、まさか、和歌山にYのいるはずがない。よく似た人もいるものだ、と思ったところで、Yが某テレビ局の和歌山支社に配属になっていたことを思いだした。
 レレッ、ということは、和歌山でYと出会う可能性はないこともない。いやでも、あんな立派なロードレーサーに乗るもんかね? と思ったところで、彼女が大学時代に自転車サークルだったことを思い出した。おい、Yやんけ! ぜったい!
 というわけで、ここまで数秒、くるりとひっくり返ってあとを追った。相手はロード、こちらはタイヤのちいさな小径車であり、追いつける見込みなし、と思われたが、幸か不幸か炎天下、あちらものんびり、流して走っていたおかげで、数百メートル全力疾走したところで「Y!」と声をかけることができた。キキッと停まって、「ワー!」と驚いてくれた。よかった。
 久々の師弟(?)再会だったが、ビックリしすぎてお互い「いやー!」とかくらいしか言えなかった。とりあえずおすすめのお店を教えてもらった。行ってみたら、HYDEのサインが飾ってあった。さすが和歌山。
 最後に喫茶「マリンナ」でミルクセーキ。ウーン、すばらしい。

 和歌山から電車で大阪に向かうと、当然まずはミナミに出る。ちょっとだけ時間があるので天王寺で途中下車して、山王のほうをうろついてみた。このへんにも古い喫茶店がいくらかあるのだ。
 しかし、目当てにしていたところがことごとくなくなっていたり、閉まっていた。べつのところに入ろうかとも思ったが、それほどの時間もない。それで、冷やかしで行くべきところでもないことはわかっているが、一種の研究のためだ、と言い訳して、ちょっとだけ飛田の中を歩いてみた。
 いや、これはまた日を改めて書いてみたいのだが、やはりすさまじい。あれほど生々しく売春が目のまえにあるなんてことはほかにないのだ。そういうことがどういうことであるのか、というのを、実際それをせずにある程度知るためには、あそこを歩いてみるのがたぶん一番いい。吉原だろうが金津園だろうが、あの感覚とはまったく違う。

 草津でまた途中下車。駅前のカフェ的なところに入って人を待つ。高校の同級生Pと、全然べつのところで出会った友達Sちゃんとが、今たまたま草津に住んでいるので、せっかくだから三人でと勝手に僕が呼び出したのだ。ほんの一時間くらいだったが、友達と話すのはやっぱり良い。
 それにしても思うのは、「自分は動きつづけていて、それがゆえに止まってもいる」ということだ。すなわち、「止まることができれば、ある方向に動くこともできる」である。これはバランスの取り方の問題で、僕らのあいだに線を引くための発想ではない。それぞれのバランスの取り方が、それぞれにあるだけだ。それは「仲の良さ」とは無関係で、だから友達といえるのである。(だいぶ抽象的な話になってしまった。)
 具体的に。PやSちゃんは僕とは違った次元でそれぞれかっこよく生きていて、たまに交差したり「手を振るくらいは」ってできる。それが「友達」ってことなんだよな、と。彼らとは三十年後にも仲良くしているだろうし、その頃には今とは別の交差の仕方をするだろう。そういう人たちが全国にたくさん散らばっていると思うと、楽しくて嬉しくて仕方ない。今はちょっとはさみしくっても。
 何より、ほんの一時間でも時間をつくって、会って話してくれるってのは、奇跡的なことだ。それだけで感動してしまう。これからも僕は詩を捧げます。(よくわからないかっこつけかた。)

 実家の最寄り駅までは寄らず、金山で下車してあっちこっち走ってみる。某V系バーに初めて行ってみた。楽しかったが、店主がお客の払いでガブガブ飲んでいて、わあ、と思った。「一杯どうぞ」と言われて飲むのではなく「飲むね」と言って注いでいく感じのスタイル。小さな飲み屋では珍しいことではないものの、こういうふうにしないと成立しないのであろうなあ、と思いはした。


<8日 名古屋>
 実家でぐうたら、スイカ食べるなど、とりたてて何もせず過ごし、夕方金山に出て「ブラジルコーヒー」でHろりんこと会食。愛知で教員をやっている、高校の後輩。悪いくせなのだが、彼くらい話のわかる人間と久々に会うと「まったくみんなオロカダヨナー」みたいな愚痴っぽい共感に終始してしまいがちになる。そんなことはわざわざ確かめあわなくてもよさそうなもんだが、お互い、たぶんとくに相手のほうは、普段あんまりそのことを確かめあえる人ってのがいないのだ。たとえばおくさんとはそういう話をするのだと思うが、職場ではなかなかできないんだろうな、と勝手に思う。そして基本的に、職場以外に人間関係というものはなかなかないだろう。
 だからこそ我々は「オロカダヨナー」ではなく「ドウシヨウカネー」を語り合わなければならない。で、語り合ってはみるのだが、「ドウシヨウカネー」の先はなかなかわからない。ただ、「心強いな」とは僕はいつも、思って帰る。

 実家周辺に戻り、最寄りのガストでEちゃんと待ちあわせ。彼女とは少なくとも数年おきに会って、ここで近況を話しあう。彼女の「近況」はいつも面白い。
 ものすごく簡潔に書くと、彼女は非常にプリミティブなのである。プリミティブとは「原始的な、根源的な、初期の、太古の、未発達な、素朴な、粗野な、原形」という感じの意味らしい。決して悪い意味ではない。
 たとえばまず、彼女は僕の太古のファンである。「中学の時からおざきくんのファン」という言葉をかつて引き出したことがあるのだが、これは驚くべきことなのだ。なぜならば僕が今のような僕、「魅力的だと自分で思えるような僕」になりはじめたのは、高校に入って以後、このホームページを開いてからである。中学までの僕なんてただの調子に乗った根暗のオタクで、さほど魅力的なことはなかったと自信を持っていえる。しかしプリミティブな彼女はそこを見抜いていたらしいのである。そして彼女の目は確かだったのだ。(自分で言いますよ、もちろん。)(ところで高校以降の僕は、「ただの」をいかにひっぺがすか、ということをまずがんばったんだと思う。)
 彼女は根源的なことをよく知っている。何が正しいかを肌でわかっている。「未発達」という「発達」を前提とした状態にある。僕と同い年ながら「止まる」気配がない。「まだまだいくらでも動く」のだ。
 彼女は「常識」と相性がよくない。「常識よりも正しい」から。そういう人は魔女に向いている。(また詩になってしまった。)今回会った人でいうと、Iさんに近い。根源的なことがわかっていれば、余計なものは必要がない。だからスマホも持たなくていいのである。
「心強い」という言葉がピッタリとあてはまる。ドリンクバー何杯もおかわりする。本質をずばりわかっているから、今日も今日とてファミレスなのだ。

 夜中、自転車で新栄に出て、「Madcap」覗いてみるがやっていない。しばらくぶらぶらしたのち、とくに行くところも定まらないので「and one」に行ってみる。ここは非常に良いお店で、店主も魅力のある人だが、やはり酒場である。「一人一人が自由に酒を飲むための場所」で、全体が「場」となることは少ない。そこかしこにドラえもんいるのがよい。
『今夜はブギー・バック』が聞こえてきたので「Y」というバーに入ってみたが、べつにそっち系が好きという人ではなく、なんとなく過去のヒットソングだから歌ってみただけのようで、一杯飲んで出た。近くの某V系バーに行ってみる。これで名古屋のV系バーは三軒制覇(?)したことになる。なんだかあれだ。
 V系バーって基本的にバンドマンが始めるものらしい。それはそれで楽しいはずだが、ということはべつに必ずしもV系マニアではない、ということでもある。僕はバンドマンでもバンギャでもなくV系の音楽がちょっと好きなだけの人なので、そりゃ別に楽しくもないよなあ。でも知らないバンド教えてもらえて良かった。勉強にはなる。
 どっかにV系マニアのバーってないものかな。


<9日 名古屋→東京>
 起きて、おとうさんにごはん作ってもらって食べた。「つねかわ」に行ってチェリオ飲んでくじひいた。おかあさんに18きっぷを売って、そのお金で新幹線に乗った。名駅で住よしのきしめんを食べ、ペットボトルの静岡茶を買って、そのままお店に立つ。日常に帰る、という言葉はこういう時に使うほうがライブとかよりしっくり来る。

2019.9.9(月)~10(火) 高崎 中之条 前橋 熊谷

 18きっぷ余ったから中之条でも行くか、ということで。
(以下、これを書いているのが10月12日深夜なので、時系列がちょっと狂っているおそれあり。)

 高崎「コンパル」でカレーライスとソーダ水。「heim」というつい最近できたという喫茶店でコーヒーを飲み、若い店主とちょっとお話しした。
 今回、初めてじっくりと高崎の街を自転車で練り走ってみたら、面白そうなお店がいくつも見つかった。タイミングが悪くほとんど行けていないが、高崎、思ったより面白そう。

 吾妻線で中之条へ。「千里」という食堂で定食を食べる。最高。宿に行く。おばあちゃんが出迎えてくれた。
 僕はこの「山木屋旅館」のことがとても好きで、泊まるのはもう三度目になる。ここに泊まりたいがゆえに中之条に来ていると言って過言ではない。おじいちゃんもおばあちゃんも80代半ば~後半くらいだったと思う。いつまで続けるかわからないけど、まだまだスタスタ階段ものぼるしおいしいご飯もつくってくれる。夕飯がなくなったのはさみしいけど、朝ご飯はうなるほど食べさせてくれる。
 お風呂に入ると先客がいた。若い男性がひとり。ちょうど「中之条ビエンナーレ」という芸術祭がやっているので、おそらくそれを見に来たのであろう。意を決して(意を決するのです)話しかけてみると、やはり東京近郊からビエンナーレのためにやってきたとのこと。東京近郊で、文化的なことに興味がある、しかも山木屋に泊まるような人となったら、ほとんど奇跡! すきをみて夜学バーの宣伝でもしておこう。
 部屋に戻って、とにかくゆっくりしようと思ったが、なぜだか眠れず。静養のために来たつもりなのだが、これでは意味がない。うーん、山木屋が好きすぎて、眠るのが勿体なかったってことなんかね。

 起きると、ごはん。すごい質、量。うう、19時くらいに「千里」でごはん食べてから何も口にしていないのに、その空腹を埋めてなお一向に減る気配なし。一時間以上かけてぜんぶ食べた。昨日お風呂で会ったお客に夜学バーの名刺を渡しておいた。(そしたらあとでツイッターからメッセージをくださった。)
 いったん部屋に戻って、しばらくごろごろ。帰り際にジャムとうめぼしをいただいた。このおばあちゃんのうめぼしはほんとにまあ世界一よ。
「壱番館」という喫茶店も中之条に来ると必ず寄る。こちらも三度目。行ってみると退職されたお父さんがお店にいて、何度か来たことがあると話したらママを呼んでくれた。あれこれお話しして、ああ、やっぱり、いろんな土地にこういうお店があるというのはそれ自体幸福なことだし、僕にとっても本当にもうありがたいことだ。なんというか、自信になるというか、人生はやっていける、人間は信じられる、みたいなことを思う。
 前橋。あてにしていたお店がことごとく休みだった。「喫茶あおき」は煮しまっていてすばらしかった。なじみ深い「ヤギカフェ」も寄った。それからどうしようかと迷ったが、今回は思いきって前橋はそれだけにして、高崎に戻ってみることにした。

 昨日閉まっていた「巴里園」という喫茶はやはり閉まっていた。焼きまんじゅうの「オリタ」も閉まっていた。「白馬車」は18時かららしかった。「Rebel Books」は開いていたので、ビールを飲んでしばらく店主と雑談させていただいた。「金龍」は週末のみらしいし「酔狸殿」に行ってみたいがちと時間が早い。うろうろしていると住宅街の一角にカフェだかバーだかわからないお店を見つけた。それほど古い感じはしない。中を覗いてみると上品でお洒落な白髪の老女が本を読んでいるのが見えた。カウンターに人の姿がないので、おそらく彼女が店主なのだろう。これは間違いない、と思って、開けてみるとやっぱりだった。喫茶店だというのでコーヒーを頼んだ。店内に酒類は見当たらない。時刻は19時くらいだった。僕のにらんだとおり、上品でお洒落で本を読むようなおばあさんは、やっぱりそういう人だった。いろいろの話をした。「ケインズ」また行こう。

 熊谷に着いたらバケツをひっくり返したような土砂降りだった。駅で雨宿りして、一瞬弱まったすきに畳んだままの自転車引きずって「モリパク」まで急いだ。よかった、やっていた。僕は「電話で確認する」ということを基本的にしないので、開いているかどうかは行くまでわからないのだ。べつにこだわりがあってそうしているわけではないので電話すればいいのだが、苦手なのだ。電話が。
「A.L.F.コーヒー」は臨時休業だとネットで見たので、「モリパク」が開いていて本当によかった。前田のとうふと、麻婆チャーハンを食べた。豆腐に豆腐。何も考えずに注文してしまった。でもおいしかった。ビールも二本くらい飲んだかな。
 このお店は本当に、まあ、誰にも教えたくないくらい良い。あんまり言わない。もし熊谷に行ったら、ぜひ。こういう店は、ほかにない。
 けっきょく、僕が好きなお店というのは、「ほかにない」と僕が思うようなお店なのだ。だからわざわざ何の用もないはずの熊谷で降りたりするのだ。かけがえのない友達に会いに来るようなものだ。だからお店を探すのも、かけがえのない友達に会うようなものだ。
「よそにもあるようなお店」に行くというのは、だとすると、「かけがえのある友達に会う」ようなものなのである。
「かけがえのある友達」ってのが、そもそも友達なんだろうか? という話で、僕はいつでも「かけがえのない」ということを探している。文章だって、詩だって、僕はいつでも「かけがえのない」ものを書きたいのである。

「いやいや、どんなお店だって同じものはないでしょう。あらゆるお店がかけがえのないものだと思いますよ」と、良心的な僕の心は同時に言う。たしかにそれもそうではあるのだが、しかしどうしても「すべての人間が同様に友達である」とは思えないからには、やはり僕は友達を探そうとしてしまう。

2019.10.5(土)~9(水) 富山高岡金沢下呂関多治見名古屋静岡清水

<5日 東京→富山→高岡→金沢→高岡→富山>
 富山市での「藤子不二雄A展」開催にあわせ5日6日のツーデイズ安孫子先生が現地でお話しされるとのことで行ってきた。
 東京都区内を出発し、富山、岐阜(美濃太田と多治見)、名古屋市内を経由して東海道線で東京都区内に戻る、といういわゆる「一筆書き」のきっぷを使った。途中下車は七日間し放題で、乗車券は単純に富山を往復するより安くなる。
 JRは乗車距離が長くなればなるほど割安になるので、行きと帰りに切符を分けるより、ぐるっと大回りする切符を一枚買ったほうがおトク。いちおう高校では演劇部兼のりもの研究同好会だったので、そういうのはけっこう好きなのだ。
 まずは新幹線で富山。A先生の登壇される開会式は15時からだったので、土日祝のみ使える「あいの風・IRフリーきっぷ」(2000円)を買って高岡市に移動。

「高岡カルタ」の製作者であるFさんと高岡大仏のまえで待ちあわせ、喫茶「へら」で雑談。
 Fさんとは面識もなければ共通の知人もいない。インターネットで知って、こちらから「お会いしたい」と熱烈なダイレクトメッセージを送った。そのくらい「高岡カルタ」にはインパクトと一種のシンパシーを感じたのである。話してみて確信した。彼はまず根底に「誰もやっていないことをやる」という志がある。そうでないと意味がないとさえ思っていそうだ。食うための労働ならば別の話だが、彼はほかに生業を持っている。
 ここからは僕が勝手に思うだけのことだが、「誰もやっていないこと」によってしか何かが変わることはない。「誰かがやっていること」をやっても、すでにある流れが多少強くなるだけ。「その流れを強くすることに意義があるのだ」と思えればそうすればいいのだが、たぶんFさんも僕も、そこに興味がないどころか、「変わる」ためには逆効果だとすら思っているだろう。何より、単純に「つまらない」。自分でも面白いと思えないし、誰かから面白いと思ってもらえるとも思わない。ただ似たような考え方の、同じ流れの中にいる人たちだけが「いいね」と言ってくれるだけであろう。
 彼は高岡という土地に一石を投じようとしている。独自の一石を。そして次の一石も、すでに構想があるようだ。何年後になるかわからないが、楽しみにしていよう。
「JOY」という喫茶店で昼食。入るやいなや「平均年齢が下がる」と聞こえてきた。いいお店だ。図書館の書庫にあるような、ギギギと動かす重たい書棚が十列ほどあり、その両面に漫画がぎっしり。名作だらけ。こち亀の初期のほうは「山止たつひこ」名義だった。某グルマップでは「閉業」とされていたが、とんでもない。
 その後、南口にまわって「ひとのま」という謎のスペースを覗いてみた。まえに通りかかって何だろう? と思っていたのだが、こないだ札幌で「漂流教室」のYさんからすすめられて、次の機会にはと思っていたのだ。民家を開放してフリースペースにしているような感じ。入り口は開いていたが、人の気配はない。上がり込んでみると、なるほどこれは面白い。人がいたらもっと面白かったな。名刺だけ置いて去った。近所の売店で高山右近たんのグッズを買った。

 富山駅から走って高志の国文学館へ。途中「珈茶点」というお店を見つけた。土曜だからか営業はしていなかった。あとで調べてみたが某グルマップには登録されていないしネット上にほぼ情報がない。覗いてみたら内装や雰囲気がすばらしかったので、開いている時にぜひ行ってみなければ。
 開会式には無事間に合う。えらいかたのお話やA先生のご挨拶を聞き、テープカットに立ち会う。内覧会まで回らせていただく。
 まえにA先生のお姿を直接拝見したのは、この日記の過去ログによると2002年9月7日。名古屋市美術館でマグリット展をやったさい、講演会があったのだ。高校3年生以来。「生きてる。歩いてる!」と思ったもんだ。(日記にもちゃんとそう書いてある。)
 今回は、ほんの1メートルの距離にいらっしゃった瞬間もあった。ハァー。85歳にして『少年時代』のタケシみたいにスタスタ歩く。僕もこのくらい元気でいられるようがんばろう。
 喫茶「GOLD」というボウリング場の中にある喫茶店へ。プレイしているところをガラス越しに上から眺めることができて、面白かった。内装もすばらしい。富山駅の近辺には、まだまだ面白そうなお店がある。こんどまたゆっくり見て回ろう。

 金沢へ。着いたときにはもう18時くらいだったが、どうしても行きたい喫茶店がふたつあった。急いで歩いて「ローレンス」。ここについては僕が書くべきことは何もない。すばらしい。この日は店主のお誕生日だったようだ。「おめでとうございます」と言えなかった。まだ二度しか来ていないし、ずうずうしいかなとも思った。次回にしよう。隙があれば。
 喫茶「岸」。世界でいちばんおいしい焼きそば。意外の事実を報された。なんだというのはちょっとだけ詩に書いた。
 このふたつのお店に来るだけで、このふたりの人に会うためだけに、金沢に寄ったようなものだ。まえに来たとき、完全に惚れ込んでしまったのである。実際おなかいっぱいになって、そのまま戻って電車に乗った。「こま」というお店も大好きなのだが、時間が遅かったためか営業していなかった。夜はいつも(過去二回中二回)新天地を中心にお酒を飲むのだが、今回は時間がなく。満月喫茶に行きたかったな。

 忙しい。高岡に戻った。Fさんから「大仏飲食店街に新しいお店ができている」と聞いていたので、行ってみた。
 大仏飲食店街というのは古い古い小さな横町で、営業しているのはせいぜい一店舗だけのゴースト通り、だと思っていたが、週末の夜のみ営業しているバーがあるというのだ。果たして、灯りがともっていた。看板はまえのお店のままだが、扉にはちゃんと「日ノ出」という新しい名前が刻まれている。意を決して(僕だって初めてのお店に行くときは意を決するのです)入ってみると、いや、いいお店だった。
 ある観点からはどうやら「高岡という街はもうだめだ」という見方があり、「高岡カルタ」にもそれは反映されている。デパートも駅前の本屋もコミュニティバスもなくなって、「イオンに行く」という文化のほかは一掃されてしまいつつあるようだ。素材はいいはずなのに、観光にもさほど強くない。ここの店主は「いっぺんぜんぶなくなればいい」と語った。それは本当かもしれない。僕はFさんをはじめ、すばらしい高岡の人を何人も知っている。このまま新陳代謝が進めば、ひょっとしたら面白い街になるのかもしれない。「昔の高岡」はもうだめでも、「これからの高岡」はむしろ、と。そう思わせてくれるのは、この「日ノ出」とか、次に行く「nousaku」といった素敵なお店たちのおかげでもある。
 看板のないワインバー。ちいさな階段をのぼって靴を脱いであがる。まえに来たとき偶然見つけて入った。引きが強いというか、嗅覚が育ってきたというか。本当にすばらしいお店なのだ。(今回、すばらしいという言葉があまりに多く出てくるが、時間がないからである。)
 このnousaku、なんと東京にも出店するらしい。「富士見台トンネル」という名前で、十日後くらいにオープンとのこと。月に一週間は東京でお店をやって、残りは高岡に戻ってお店をやる、と。なんじゃそりゃ。さすが。行かなければ。
 この高岡のふたつのお店は、僕の言うところの「場」というものが、わりと発生しやすいと思う。お立ち寄りの際は、ぜひに。
 富山に戻って「日の出」という深夜食堂でごはん食べて、寝る。


<6日 富山→下呂>
 11時からA先生のトークショー。もう落語を聴いているみたいだった。くるぞくるぞと「オチ」を待ち構える感じ。九割が知っている話でも、残りの一割や細かな言葉遣いが聞き逃せない。そもそも目のまえで楽しそうにお話しされているというだけで嬉しい。ハァ~~。
 喫茶「ブルートレイン」で休憩。オレンジコーヒーおいしい。
 富山市内を歩き回る。日曜だからか、やっているお店があんまりない。そうこうしているあいだに電車の時間。高山駅でみたらし食べた。東海地方のみたらしは五個。
 下呂。ぐるぐると歩き回る。17時すぎだと喫茶店はだいたい閉まっている。位置や外観を確認するなどして明日にそなえる。「飛騨屋」というお店でキムチラーメン。「けいちゃん屋」に入ってみる。オープンして数ヶ月ほどとのことで、インターネットにもほぼ存在していない。5~6席程度の小さなお店。むろん安い。うん、こういうお店がいいのだ。こういうところがあるなら、たまに下呂に寄ってみるのもいいな。実家から日帰りできるし。宣伝しておこう。名物「鶏ちゃん」をみそ、醤油、塩の三種で味わえる。「けいちゃん串」(このお店が元祖とうたっている)もあるから食べ歩きも可能。
 温泉に入ったあと、近くの足湯に行ってみた。下呂には方々に足湯があり、無料開放されているものもある。近づいていったら先客に「こんにちは」と話しかけられ、そのまま世間話に。地元の人だった。新しい人がやってくると、その人も会話に参加した。夜中の十一時すぎである。バーやスナックが少ないかわりに、こういうところで交流があるのかもしれない。こぢんまりとした喫茶店みたいな雰囲気。お金もかからないし健康にいいし、なんと良い文化だろう。


<7日 下呂→関→多治見→名古屋>
「果林」でモーニング。「じゅん」は最高の一言。「のばら」は温泉街から離れたほう(ちゅうえいさんの実家の近く)にあり、9時から22時くらいまでやっているらしい。日曜は定休だったのかな。コーヒーも食事もお酒もある。すばらしい。下呂に来たらここもゼッタイだなあ。
 高山線で美濃太田、長良川鉄道で関口まで行き、五個のみたらしを食べ、「太陽」という喫茶店へ。ここは、もう、なんていいますか。お店から離れるまでずっと「骨の髄まで」という言葉が頭の中をぐんるぐんるしていた。いや、もう、なんていうのか、骨の髄まで喫茶店なのだ。手を抜いているところが一箇所もない。喫茶店のイデアを体現している。
 僕がここまで言うのは、意外とめずらしいことである。「古いがゆえの良さ」なんてものではなく、「それなりに古くはあるがそんなこととは関係なく骨の髄まで美意識に支配されている」のである。天晴れ、としか言いようがない。驚くべきことに、コーヒーの味までおいしいのだ。思わず豆を買ってあとで家でいれて飲んでみたが、おいしいのだ。おそらくはなんのへんてつもないカトーコーヒーの豆である。どこまで完璧ならば気が済むのだ。骨の髄までか。
 ネットを見ればこのお店の写真やレビューはたくさん見つかるだろうが、喫茶店ってのは「空間」なので、現地に行かないとわからない。たぶん皆さんの家からは遠いけど、ぜひとも体験してほしい。

 となりの関富岡まで歩いて、美濃太田経由で多治見へ。五平餅を食べ、焼き物を見て、散歩。地図にない喫茶店を探し出すなど。おどろおどろしい狭い横町を抜けたところに「中華天国」を発見。カウンターが6席程度とテーブル席が2×2席ていどのちいさなお店。おいしすぎて昇った。ミヤコ蝶々さんの色紙が飾ってあった。
 実家に帰り、おかあさんの作った麻婆豆腐を泣きながら食べて、ごろごろとネットサーフィン(死語にはさせない!)していたら新栄の「Trip bar Madcap」が年内で閉店してしまうことを知る。零時くらいになっていたが「ちょっと遊びに行ってくる」と不良少年しておとうさんの自転車で外出。
 Madcapのまえで耳をそばだててみたらちょっとうるさい感じだったので、ちょっと栄のほうに出てみた。気になっていたお店をあれこれ見て回るが、どこもピンとくるところがない。その代わり「いつか行ってみようかな」と思えるお店がいくつか見つかった。不思議なものだ、インターネットではなかなか探せないようなものが、街に出るとぼろぼろ見つかる。やっぱり歩くことですな。
 新栄に戻って、こんどは静かそうだったのでMadcapに入ると店主のみ。その後一人お客がきて、二時間くらいゆったりと飲んだ。閉店のためレコードを処分するとのことで、フォーリーブスの1stLP『HIT! HIT! HIT!』というのを500円で買った。あとで聴いたらめっちゃよかった。
 このマスターはていねいに人と話す。いろんな街のいろんなお店に行くが、そういう人は多くない。たとえば身ぶり手ぶりが適切だったり、声色が穏やかだったり、ちゃんと間を取ったりといった、あたりまえのことをあたりまえにやっている。とくに身ぶり手ぶり。こういうお店で店員の動きを観察してみると、意外と手を動かしていないことに気づく。目は口ほどにものを言うが、手も口ほどにものを言うのである。勉強させていただきました。また、どこかでお店をやることがあったらぜひ寄らせてください。そういうこと、言いそびれてしまった。余計なことを聞かない、というのもこの人のいいところかもしれない。だから、僕も余計なことが言えない。それでいいのだ。


<8日 名古屋→静岡>
 昼まで寝太郎。ぼんやりしたのち、近所のパトロール。同級生の実家でもある喫茶「稲葉」は閉まっていた。マスターは中にいたので、すでに営業が終わったということなのか。モーニングしかやっていないのかな。また朝に行ってみよう。駅付近をぐるぐるとまわり、「朝日屋」でサンドイッチ買う。トーカイウォーカーの取材が来ていて、すこしインタビューを受けた。(かるい世間話ていどなので記事に反映されることはないと思います。)
 親友Tくんの実家からnメートルくらいのところにある喫茶「ヴィーナス」に初めて入った。イタリアン(鉄板ナポリタン)を食べた。何もかも最高だったので帰省したら必ず寄ることになるだろう。実家のほうに戻って「つねかわ」に寄ったら身体壊してしばらく鉄板休んでいるというのでチェリオのグレープジュースだけ飲んでちょっとしゃべって帰った。僕は、このお店は永遠にあるものだと思っている。
 いったん帰って自転車置いて、歩いて駅へ。鶴舞で降りて散歩。あれこれ見たがいまいち琴線に触れず、けっきょく鶴舞図書館の地下のスガキヤでラーメンとミニソフトを食べ、食後に「新潟」に行くという黄金のコースにした。レモンスカッシュ。雑誌が二週分置いてあるので読み逃していたモーニングの『望郷太郎』とビッグコミックオリジナルのまえの号を読んだ。金山で東海道線に乗り換え、21時すぎに静岡着。

「NJ CAFE」という、これまたインターネットにほぼ出ていないお店。栄えていないほうの南口を出てしばらく歩いた住宅街の真ん中にある。モノリスのような面妖な外観の建物をストリートビューで見て、「これは行かねば」と。中に入ると大きなクスノキが生えていて、各所に抽象美術があしらわれていた。娘さんが中心となって営業しているようだが、お母さんもいつもいるのかもしれない。お店と住んでいる家とが繋がっているらしく、お父さんと猫の姿も見えた。よくわからないが、こういうわけのわからないお店は大好物である。
 北口に出て「喫茶ペーパームーン」へ。前回は昼間、ほんの二十分くらいしかいられなかったので、今回はゆったりと。夜はすっかりバーのような雰囲気になるのか、ほかのお客さんとあれこれ話せて楽しかった。棚の選書もよく、静岡では有数の文化度だと思われる。それからグリーン横町の「鞠舞」でビールと砂肝トマトカレー。もう三度目くらいか。ここを自力で見つけたのは我ながら偉いと思う。アパートの一階の通路を進んでいくと駐輪場の先にこのお店がある。そんなだから当然グーグルマップにも存在しない。今月中に改装してちょっと広くなるらしい。その前に来られてよかった。ごはんもおいしくてすべてが安くて店主もちょっぴり狂った優しい人格者で、静岡の名店と言えば僕はここを推す。


<9日 静岡→清水→東京>
「まるしまのおにぎり」に行くために南口に宿をとったのだ。朝っぱらからおでんとおにぎりを心ゆくまで堪能し、おいしいお茶をたくさん飲んだ。これで静岡を発ち、清水へ。
「洋菓子喫茶 富士」は定休日だったようだ。「木馬」という喫茶店に初めて入ったが、ジャズ系のお店のなかではピカイチにバランスがとれていると思う。コーヒー300円。「マンガ喫茶富士」でまたコーヒー。こんどはお昼を食べにこよう。ほかにも行きたいところはたくさんあったが、時間切れ。電車に乗って東京へ。そのまま夜学バーで日付をまたいだ。

2019.10.10(木) ことばの三態

 自分の昔のを読んでいたら朝になってしまった。
 高校2年生のときに麒麟さんって人と邂逅(この言葉は彼の文章で知ったのだよな)し、彼のメモライズ(今でいうブログ)から詩を学んだ。彼はもう4〜5年ほどたぶん書いていない。勿体無いな。そろそろまたその気になってほしい。
 僕が文章や詩を書かなくなる、ということがあるんだろうか。ありそうにもないが、昔に比べればペースは落ちてきているし、どうなるものかわからない。
 2013年の詩に「言論は固体/小説は液体/詩は気体なのだ」とあった。それっぽいことを言いよるね。なんか、そんな感じがする。どれも欠けちゃいけないな。
 固体は、ここに書いているようなこと。気体は、上にリンク貼ったブログで。液体のほうは、ようやくそろそろ入稿できそうです。いや、ほんとに。大詰めです。お待たせしています。買ってください。

2019.10.2(水) 教育は失恋

 死を予見すると人は焦って、饒舌になったり何かを急いだりする。
 そういうことと似ているかどうか、僕の筆(?)も時によりぶれる。

 読者歴10年というベテランさんに「ジャッキーさん最近失恋した?」(原文ママ)と聞かれた。していない。でもさすが、ここんとこの自分は失恋したようなものか。それで感傷的な文章が多くなっているかもしれない。

 またも山田芳裕先生の漫画『へうげもの』の話で、太閤秀吉は晩年、古田織部(主人公)以外に友達がもてなかったと嘆く。その孤独感は、僕にもいたく沁み入る。
 しかし最期の最期、今際の際には、なんていうか友達なのかどうかわからないけど、たくさんの人に送られて、正妻おねのうちで安らかに果てるのだった。(ネタバレ)
 ところで、織部には友達がたくさんいる。僕が目指すのはもちろん、秀吉ではなくて古織(こう略すらしい)である。ただ、まだ25巻中17巻までしか読んでいないので、この後彼がどうなるかは知らない。(史実としてなら多少知ってはいるが。)
 死が近づくと人は焦る。『へうげもの』という漫画で言うなら、利休も秀吉も家康も。古織もそうだったのではないか。年をとるとどうしても、「世の中を変えたい」「正したい」という欲求が出てくるようだ。(織田家の人間は、わりと余裕をもって構えているように見えるけど。)

「やろうと思えばそうできる」という自信が、そう思わせるのだろうか。年をとって能力と実績がついてくると、世の中を変えたり正したり、できるような気がしてくる。現代でも、親というものがなぜ子供にああしろ、こうするなと指図するかって、「自分にはその力がある」という自信からなんだろう。「自分のほうが正しい、だから言うとおりにしろ」という傲慢な態度だ。

 SNSなんかを見ると、政治や社会について物申さんとする人が数多いる。10代でそうなる人もいれば、20代30代のある時からそうなる人もいる。40、50、60それ以降に目覚める人もいるだろう。時を問わず、「それが正しい」と思い込んでしまうと、そうなる。よくもそんなに自信が持てるもんだ。
 もちろん、しかし、僕だってある部分では「これが正しい」という信念を持って生きている。ただ、それがリアルタイムに世間で話題になっていることへ向けられていない、というだけで、「これが正しい」という想いだけは、まあ人一倍強いだろう。
 年もとってきて、お金以外はそれなりに充実している。「この場合は、これが正しい」と言えるくらいには、自信もある。「だから、こうしようよ」と、人に言いたくなることもある。言ったほうがいいと判断する時もあって、実際言う時もある。
 そのことが、もうなんというか、寂しいのである。それを「失恋」と言ってしまえば、ちょっとはそういうことなのかもしれない。

 秀吉が最期にはおねのもとで安らぐように、かは知らないが、僕にも僕をわかってくれる人がいる。失恋などするものかと思う。友達は、たぶんたくさんいる。幼児語ではしゃぎ合えるような人だっているのだ。そういう人たちに囲まれて生きていくことしか、自分にとって癒しはない。
「この場合は、これが正しい」ということの核はここにある。だからこそ、「こうしようよ」と言うのが苦しい。それは「失恋した」と認めるようなことでもあるから。
 わかりますかねえ。すごくわかりやすく書き換えてしまうと、「こうしようよ」と言わねばならない、ということは、相手はそう思っていない、ということなのだ。でも、それをしないわけにもいかない。

 教育なんて発想は、失恋からしか生まれない。親は子に失恋して、その悲しさを埋めるため「指図」なんてするんですね。
 当然、親が死に近い。そういう焦りもあるんだろうし。

 世直しと同じく、教育は寂しい。「そうでないものを、そうする」ものだから。それは自我の発露でしかなく、孤独とほぼ同義。
 ちゃんと、寂しくないような生き方をこれから探していくつもりである。たぶん、あえて茶の湯でいえば「一座建立」を徹底して追い求めること。
 場面の美。

2019.9.27(金) 茶の湯と喫茶2 静岡のお茶

 お茶といえば静岡だが、25歳以上の茶道人口は11位(2016年、人口あたりの割合、人数では10位)とこれまた高くはない。彼らにとってお茶は日常そのもので、茶「道」といった大仰なものではないのだと思う。昨日に引き続き、思いつきとこじつけを書いてみる。
 家康は茶の湯をあまり好まなかった、という説がある。だが長年駿府(静岡)に住み、その地を愛した彼は、もちろんお茶をこよなく愛してもいたらしい。
 まだ6巻までしか読んでいないのに引用するのも気がひけるが、『へうげもの』という漫画のなかで家康は、珍しい酒や高級な酒をきらい、「『箔』もなく安きうえに旨い」常飲向きの酒を気に入っている。家康がもし本当にこういう人物だったとするなら、かしこまった茶道的な場よりも、現在の静岡人がするような「土瓶で大量に作ったお茶を茶の間で飲む」というほうが好みということかもしれない。とすると家康は「生活の人」だったのだろう。(そのへんはもうちょっと調べて、考えてみたい。)
 しかし不思議なことに、静岡には喫茶店が少ない。2014年段階で人口あたりの喫茶店数は全国27位だそうである。ちなみにこのランキングの1位は高知で、岐阜、愛知、和歌山、大阪、兵庫と続く。高知を除けばみごと、信長や秀吉がいた地域とほぼ符合するのだ。大阪では利休のいた堺市が特に盛んらしいのも面白い。しかし家康が隠居生活を送った静岡は「27位」だし、江戸=東京も「19位」にとどまるのである。この統計は重要なのでリンクしておく。
 家康にとってお茶とは「わざわざ飲みにいくもの」ではなく「家でふつうに飲むもの」だったのかもしれない。「お茶」と「それを飲むための場」を家から切り離していたのが信長や秀吉で、家康は「家で飲めばいいじゃん」と考えた……とか。根拠は特になにもないけど。
 そういうことだとすると、やはり喫茶店は「茶の湯の場」に相当するものであって、コーヒーは「茶の湯の茶」にあたるものなのではなかろうか。家康が「お茶は家で飲むもの」と決めてしまったせいで、「お茶でお金をとる飲食店」が成立しにくくなった。そのために新しく用意された「お茶」が、コーヒーだったのではないかと。

2019.9.26(木) 茶の湯と喫茶

 山田芳裕先生の新連載『望郷太郎』がモーニングで始まった。そのせいもあって『へうげもの』を読み進めている。茶人、古田織部を主人公にした傑作。茶の湯に俄然、興味が出てきたので神津朝夫『茶の湯の歴史』『茶の湯と日本文化』など読んでいる。単純なので、近いうち京都の古田織部美術館に行こうと決めた。
「美意識の源流」という章が気になって、原田治『ぼくの美術帖』もちょっと読んだ。主に「縄文的美意識」についての話だった。橋本治『ひらがな日本美術史』も合わせて読み返したい。

 茶の湯や日本美術について急に考え始めたのは偶然ではない。「屋根と座布団」という会を始めたため。屋根のある場所に座布団置いて、ちょっとだけお金もらってお茶会をしよう、という単純なコンセプト。とりあえず、しばらくは茨城県のつくば市で。なぜつくばかといえば、「僕やります」という殊勝な若者が住んでいるから。ありがたいことです。
 つくばという土地の特殊さには前から注目していた。24日に実際行って、やってみて、ここでやることにはたしかに意義があると確信した。10月いっぱい、あるいは11月くらいまで? 断続的に続けてみるので、よろしくお願いします。一度くらいは来てみてください。交通費は都内から往復2000円ちょいです。秋葉原、新御徒町、浅草、南千住、北千住などから35分〜50分で着きます。僕はたまにしかいないけど、10月17日(木)には必ずいます。
 というのもその日、つくば市内の中高一貫校へ「芸術幼稚園」という催しの講師として招かれているのである。代表の女子生徒が呼んでくれた。うれしい。その広報原稿も書かなければならない。なんだかけっこう忙しい。もちろん、本もそろそろできる予定。
 つくばという土地とかTX(つくばエクスプレス)とかについて語り始めたら長くなるので、それらはいつかの機会に。ともかく話は茶の湯と日本美術、というか、日本文化。
 場とか和とか、そういうものを突き詰めた結晶の一つが茶の湯なんじゃないか。「茶道」ではなくて、「茶の湯」。今まだ調べながら考えている中途なので、そのうちそれっぽいことを書くつもり。とりあえず『へうげもの』全巻読んでから。

『へうげもの』の主人公、古田織部は岐阜(美濃)の人。彼がそれぞれ深く関係を持った信長、秀吉は愛知(尾張)の人で、茶の湯を重んじた。家康も愛知(三河)だが、茶の湯についてどう考えていたかはまだ僕はよく知らない。ただその後も茶の湯が流行り続けたのは確からしい。また尾張七代藩主徳川宗春が奨励したり、西尾という茶の名産地もあったため、愛知ではしばらく茶の湯は盛んだったと思われる。
 ところが現在、「25歳以上の茶道人口」を調べると、愛知県は17位とさほどでもない。(これは2016年の「人口あたりの割合」であって、「人数」そのものなら東京、大阪、神奈川についで4位。)
 僕が勝手に思うのは、愛知・岐阜の人が好きなのは「茶道」ではなくて「茶の湯」なのではないか、ということ。そして茶の湯の精神は、おそらく喫茶店(とりわけ小さな個人店)に引き継がれている。コーヒーに必ず豆菓子などが供されるのも、モーニングなどのサービスも軽食の充実も、内装や調度品に凝ることも、お店の人とのちょっとした雑談もなにもかも、茶の湯の感覚といえば納得がいく。そう考えると昨今流行りの殺風景かつ単調なカフェのつくりも、一種の利休的「わび」なのかと思えてくる。(個人的にはあんまり好きな「わび」でもないが。)

 そうか、僕が興味を持っているのはじつは「日本文化」というよりも「名古屋文化」「愛知文化」なのだ。ひいては「自分の源流」をたどりたいのだ。縄文時代のことを考えるのにも、「さて名古屋は西日本か東日本か」ということをまず確認したくなる。そして喫茶店が全国にあり、モーニングの文化が広まり、コメダ珈琲が大繁盛するのなら、その「名古屋的美意識」はおそらく悪いものでもない。バーをやるにせよお茶会をやるにせよ、まずその精神を内面化しておきたいのである。
 ちなみに、バーは『へうげもの』の利休の茶の湯にちょっと似ている気がする。そのへんについてもまたそのうち。

2019.9.14(土) 場のつくりかた

「複数の人に同時に話しかける」という能力について考えている。夜学の日報にもちょっと書いた。
「今日、雨すごかったですね」みたいな言葉を、複数の相手に対して投げかけるのは、意外と特殊な能力なのではないか、と。
 A、B、Cの三者がいて、Aが「今日、雨すごかったですね」と、BとCの二人に投げかける。それはもしかしたら、簡単なことではないのかもしれない。
「今日って、雨降るんですかね?」だったら、もうちょっと簡単だ。初心者(?)はこっちから入ったほうがやりやすいと思う。(これは、昨夜「日記読んでますよ!」とダイレクトお電話をくれた四国の友達が言っていた。いろいろとありがたい!)
 いずれにせよ、そういうことができるようになるには、たぶんそれなりの心構えと訓練が必要だ。僕の場合は、演劇や教員をやっていたこと、そしてお店に立ったりお客として通ったりした経験が、その能力を育んでくれたんだろうと思う。


 高校のときの演劇部の練習で、「声かけ」というのをやった。たとえば、こんなふう。
 部員A、B、C、D、Eと、同じ方向を向いて並ぶ。このとき、距離も方向もばらばらになるようにする。Aから見て、Bは5メートル向こうのやや右手にいる。Cは10メートル向こうの左手にいる。Dは11メートル向こうの真ん中にいる。Eは20メートル向こうの真ん中にいる。Aから見て、全員が背を向けて立っている。
 ここで、Aが「おーい」と叫ぶ。BCDEは、自分が呼ばれた、と思ったら、手をあげる。それだけの練習。
 Aはもちろん、事前に「誰に向かって叫ぶか」を決めておく。Cに向かって「おーい」と言ったのに、BやDが手をあげてしまったら、Aは「失敗」したことになる。Cだけが手をあげて、ほかの人は誰も手をあげない、というのが「成功」なわけだ。
 声をまっすぐ、届けたい方向に、届けたい距離だけ投げかける、という練習である。
 応用として、複数の人に同時に声をかける、というパターンもある。たとえば、BCDの三人に声をかけて、Eにだけはかけない。この場合、「おーい」と言ってBCDの三名だけが手をあげたら「成功」で、Eが手をあげてしまったり、BCDのいずれかが手をあげなかったら、「失敗」。
 これは、演劇の基礎の基礎。誰に向かって話しかけているか、というのを、客席に瞬時にわからせる、ということは、とても重要で、とても難しい。


 発声は奥が深い。まっすぐ一直線に進む声もあれば、拡散して広がっていく声もある。上の例でいくと、Cにだけ届かせたいならば「まっすぐの声」を使い、BCDに届かせたいならば、「適度に拡散させた声」を使うとよい、ということ。
 実際には、人は声だけで判断するのではない。姿勢とか、表情とか、身振りとか、「空気感」みたいなものを総合して、「誰に話しかけているのか」を判断する。演劇をやる人は、声だけでなくそれらのすべてを磨き、「誰に話しかけているのか」を確実に伝えるよう努める。
 舞台袖に向かって「おーい」と言ったとき、何メートルくらい先に、何人くらいの人がいて、その人(たち)とはどういった関係であるのか、というところまで、イメージさせる。こういうことがちゃんとできる人は、「演技がうまい」と言われるだろう。

「複数の人に同時に話しかける」という能力は、こういった演技力に隣接している。あるいは、直結している。
「場」をつくるのが上手なバーテンダーは、たぶんそういうことを自然にしているのだ。カウンターで、右手側と左手側にお客が離れて座っていた場合でも、「今日、雨すごかったですね」という言葉を、双方に同時に投げかけることができる。そして双方から、ちゃんと反応が返ってくる。そのバーテンダーを反射して、二人の客になんらかの交流が生まれる。そういう可能性が常にあるなら、そこは「開かれた場」といえそうだ。

 ただし、ここが絶妙なところなのだが、「べつにいま話題に巻き込まれたくなどない」と思っているお客もいるかもしれない。その可能性も踏まえたうえで、まずは「今日、雨すごかったですね」くらいのささやかな話題を出してみる。それも、「机の上に静かに置く」くらいの穏やかさで。
「いやあ、今日! 雨すごかったですねえ! ガハハ!」みたいな「バーン!」とした言い方だと、僕だったら「ヒッ」ってなって萎縮してしまうし、「やばい、これはこの店主とずっと喋り続けてないとダメなやつだ」と勝手に覚悟を決めてしまう。「これは無視してもギリギリ失礼にはならないよな」と思えるような軽さで言うのが、たぶんよい。
「今日、雨すごかったですね」とささやかに、おだやかに、双方に届くようにつぶやいてみると、相手もたいてい、ささやかに、おだやかに反応をかえしてくれる。そのときの微妙なニュアンスを、各人が読み取りあう。それをたよりに、次の瞬間の態度が決まる。そうしてしだいに「場」のバランスができあがっていく。
「場」というものはかならず流動的なもので、みんなの動きによって毎瞬間、変わっていく。育まれていく。

 大事なのは、「巻き込まれたくない」と思っているかもしれない相手にも、「コミュニケーションの可能性」を常に開いておくこと。それが僕のよく言う「窓を開けておく」ということである。閉じてもゆるされるのは、「いやなお客」に対してのみ。(これは、緊急避難の話。)
 原則として、「場」(小さなお店など)にやってくる人というのは、他者とのなんらかのコミュニケーションやふれあいを求めている。それが「話したい」なのか「ただ近くに人がいるというくらいがいい」なのかは場合によるが、「無視されたい」とか「軽んじられたい」と思っているような人は、たぶんまずいない。また、最初は「今日はとくに喋るって気分じゃない」と思っていたとしても、その場の雰囲気や話題などによっては、「やっぱりちょっとお話ししたいな」になるかもしれない。その時に「場」が閉じてしまっていたら、せっかくの想いも叶わない。

 先日あるバーに行った時の話。さきに二人のお客がいた。一人はすぐに帰り、僕ともう一人だけになった。マスターはもう一人のお客と話しながら、ちらちらと僕のほうを見るのである。
 話題は、たしかに僕にも参加できそうなものであった。具体的には忘れてしまったが、天気の話に近いような、一般的なこと。マスターはそれについて先にいたお客と話しながら、僕のほうをちらちらと見る。「どうですか、あなたはどう思いますか?」というような感じで。しかし僕はそこに口を挟むことはできなかった。マスターは、明らかにもう一人のお客にだけ、話しかけていたからである。そして、お客のほうもマスターにだけ注意を向けていて、僕には文字通り一瞥もくれなかった。
 そこで「場」は閉じていたのだ。マスターとそのお客の二人のあいだで。その状態のままマスターは、息継ぎをするように首を動かして時おり僕のほうを見る。それはもう間違いなく、僕に気を遣ってのことだろう。「一緒にお話ししますか?」というサインだったのだとしか思えない。しかしこう見えて(読めて?)それなりには引っ込み思案でコミュニケーションにやや臆病な僕は、そこに入っていくことはできなかった。もうちょっとだけでも開いていてくれないと、ちょっと難しい。(いや、その気になればできるだろうけど、その気になる理由はなかった。)
 そのマスターは、たぶん「複数の人に同時に話しかける」ことができないのである。彼はめちゃくちゃいい人で、愛想も良く、お酒を作るのも上手だし、サービスもよくて価格も安い。なかなか死角のない「いい店」なので僕も何度か行っているのであるが、ただそこは「開かれた場」にはまずならないのである。
 もちろん、そもそも「そういう店」ではないのだから、なんの文句もない。「いい店」であることはまったく揺るがない。ただ、なぜ「そういう店」ではないのかといえば、その理由の一つには、やはりマスターが「複数の人に同時に話しかける」ことが不得手だから(あるいはそういう発想がないから)、ということはあるはずだ。僕の顔をちらちら見るということは、僕がその話に参加する可能性というものを、考えていないわけではないのだし。

 一般的な小さなお店では、たぶん「何度も通っているうちに顔見知りができて、いつのまにかいろんな人と話すようになった」というふうなことが普通だと思う。これが「常連になる」というやつだ。
 まずはマスターと話す。マスターと仲良くなる。マスターに自分のことを知ってもらう。するとマスターから、マスターとすでに親しいほかの客に紹介してもらえるようになる。「〇〇業をやってる何某くんだよ」と。それでそのお客と仲良くなる。あとは似たようなことの繰り返しで、「よくくる客たち」に認知されていく。それが一通り済むと、立派に「常連」の一員として所属が決まる。
「一対一の対話」を数珠つなぎのようにして、時間をかけてたくさんの人と繋がり、最後には自分も数珠の一つに加わっている、というわけ。この方式であれば、 「複数の人に同時に話しかける」という特殊能力は必要がない。

 この「常連システム」はよくできているが、何しろ時間がかかるし、お客を「常連」か「そうでないか」に分けてしまう。「はじめからみんなが同じところにいる」という前提を持った「場」があったっていい。「原っぱ」や「公園」ってのはそういうもので、自分がやるなら、そういうものをやりたい。「夜学バー」の根幹はそこにある。
 奇しくも「常連」には「連」という文字がつく。「連なっていく」のである。「連なる」は、「一対一の連続」だ。一直線のカウンターに居並ぶ、一対一の連続。
 もっと、自由なほうが好みである。二人でも三人でも四人でも何人でも、みんなが「場」の中にともにいたほうが、心地よい。その中でマンガ読んでる人がいてもいいし、寝てたっていい。教室の休み時間なんか、ちょっと感じが近いかもしれないが、あれほど混沌としていると大変だ。整理するための「バランサー」的な存在が必要になる。
 で、それを担うにはやはり「複数の人に同時に話しかける」能力に代表される、「場をつくるための技術」がちゃんとあったほうがいい。


「複数の人に同時に話しかける」はけっこうむずかしいが、「複数の人に同時に話を聞いてもらう」は、そんなにむずかしいことではない。前者の上手な人が一人でもいれば、あとはみんな後者をやればいいのである。むずかしいのは、最初の一言。
「今日、雨すごかったですねえ」をちゃんと届けて、いったん「場」が形成されてしまえば、あとはその中で自然に話すだけなのだ。

2019.9.12(木) 高崎、中之条

 元気がない。あとで書くかも。現在9月9日の21時38分です。

2019.9.11(水) 親しき仲にも礼儀あり

 家族でも恋人でも友達でも、礼儀はあったほうがいい。小さな子供に対しても当然「失礼」はあるべきではない。親や教員などからひどいめにあわされている子供がいたら、「子供がかわいそうだ」ではなく「子供に失礼だ」と告げることにしよう、これからは。

2019.9.10(火) プラスとマイナス/人に興味を持つ 補足

「人に興味を持つ」というのは、「さまざまな角度からその人を見た時に浮かびあがってくるすべての可能性に注目し、無限くらい膨大な人間の中身なるものを出来る限り知ろうとする態度」といったところか。今見えているものはほんの一部分でしかない。まだまだ自分には、その人についてわかっていないことがたくさんある。そのことを前提として、相手と接すること。
 GUNIW TOOLS(グニュウツール)というバンドの『真鍮卵(しんちゅうらん)』という曲のPV(プロモーションビデオ)に、「どれだけ分かったと感じても そこを 離れてはいけない」という言葉がある。(全文は2014年7月の日記に引用した。)まあ、それに尽きる。
「誰も行けぬ険しき場所に 添えた花は 誰 置いたもの?」というのがこの曲のサビにある印象的なフレーズ。そういう「領域」が存在して、そこにたどり着いた人がいる。しかも、そこに花を添えた。それはひょっとしたら、そこで息絶え朽ち果てた人に対する祈りの花なのかもしれない。となると、「そこ」に行った人は一人ではない。そのことを、どう感じるか。
 僕はそのような愛すべき先人たちに花を添えるため生きているようなところがある。

 ああ、あんなところに花があるな。というところで終えてはいけない。それを面倒くさがってはいけない。あなたが「わかった」と思うよりずっと深く大きな内容を、必ずその花は持っている。

 可能性を愛する、なんて言葉を大昔に使ったような気がするけど、これはすなわち「かもしれない」を大切にする、ということ。それはもちろん、未来を愛そうとすることである。たとえば、相手との「関係」の未来を。
 ちょっと前の記事に書いた「すべての人に興味を持つ」というのは、ようするに「(人間の)未来そのものを愛する」ということになるわけです。「すべてのものに」になれば、「(人間の)」が取れるわけですな。

2019.9.09(月) プラスとマイナス

「人に興味を持つ」というのは「心配」ということなのでは、と言った人がいた。僕はしばらくピンとこなかったが、「心配→心配り→かもしれない運転」というふうに転がしてみると、なるほど僕がふだん考えている内容とだいたい一致した。人に興味を持つというのは、「この人は〜〜かもしれない」という想い(心配)を持つことと、けっこう重なるのではないか。
「心配する」というのは、たとえば「事故に遭っているかもしれない」といった形で、多くの場合「かもしれない」の気分を伴う。(「〜かな」とか「もし〜たら」といった言葉が使われる時もあるが、いずれも「かもしれない」にかなり近い気分である。)
 たとえば自分のやっている「夜学バー」のような小さいお店を成り立たせるための極意として、「かもしれない運転」があると思っている。「この人はこう思っているかもしれない」というのが基本姿勢で、決して「この人はこう思っているだろう」と決めつけてばかりではいけない。常に、「これでいいだろう」ではなくて「これではいけないかもしれない」と疑い続けること。あらゆる瞬間に。
 そういうふうにお店に立っていると、かなり疲れる。けれどもそうしなくては「良いお店」はできない(と僕は思っている)。

 同じ人から、「相手に与えるマイナスを想像できない(人がいる)」ということを教えてもらった。意外と多くいるようだ。恥ずかしながら、僕はまだこの件について突き詰めて考えたことがなかった。
 自分の振る舞いが、相手(または周囲)にマイナスの影響を与えているかもしれない、と考えない。なぜそうなるのかというと、たとえば「自分はたいていのことをマイナスには受け取らないから」というのがある(らしい)。
 そういう人は、プラスのことしか考えない(らしい)。「相手にプラスを与える」ことはたくさん考えるけれども、「相手にマイナスを与えない」ことを考えない。
 ああ、なるほど。たとえばプレゼントだ。「プレゼント」にはプラスもマイナスも伴うはずなのだが、そのプラス面しか考えられない人がいる、というわけだ。
「相手にとってプラスになるものをあげたい」という思いだけがあって、「それによってマイナスを与えてしまうんじゃないか」という視点がない。受け取る人の迷惑だったり、心苦しさ、気まずさ、面倒臭さ、周囲とのバランスなどを想像しない。
 そういう人でも、ちゃんと確認はするだろう。「これは要りますか?」と。しかしそう言われて「要りません」と答える人はまずいない。とりあえず「ありがとう」と受け取る。そういう人が、この日本には多いと僕は思う。「人の好意を無にしてはいけない」が原則なのだ。
「プラスになる」と思って、ものをあげる。受け取る人は、「たしかにプラスになる」とは思う。しかし、「同時にマイナスでもある」ということを、受け取る人だけが思っていて、あげる側が思っていない。そういう状況はけっこうよくある。「ありがた迷惑」というやつだ。
「ものをもらう」というのは、たぶん元来気持ち悪いものなのである。それをわかっている人は、「あげかた」に工夫をする。どうやって渡せば、気持ち悪くないか。どこから先が「気持ち悪い」になるのか、といったことを熟考して、慎重にものを渡す。
 おそらく日本では、「あげる」よりも「分ける」のほうが、気持ち悪くない。「持ってきたからみんなで分けましょう」とか「余ったのでおすそ分けさせてください」といった口上は、受け取る側のマイナス気分を減らすための「伝統的なあげかたの工夫」だと思う。


 冒頭に戻る。「心配」とは「(悪いことがある)かもしれない」ということで、「マイナスを想像する」こと。それが「人に興味を持つ」であるとは、どういうことか?
「心配」というのは、「見えていない部分を想像する」ことだから。
 自分にいま見えているのは、ごく一部分でしかない。自分が把握できているのは、ほんのわずかな範囲でしかない。そういう謙虚さを持つと、「かもしれない」の量が格段に増える。
「この人はこういう人なのかもしれない」「でも逆にこういう人でもあるのかもしれない」「こんなことを考えているかもしれない」「いやこういうふうな気持ちかもしれない」と、相手のことをあれこれ想像する。プラスのことだけではなく、同時にマイナスの面にも思考をめぐらせる。それが「心配」という行為の核心であって、「人に興味を持つ」ことである。
(これは僕の意見というよりは、「人に興味を持つということは心配ということなのではないか」という発想について、僕が考えたこと。)

 僕が特に興味を持っているのは「心配」というキーワードよりも、「プラスを想像する」と「マイナスを想像する」という二つのことについて。世の中には、どちらか一方ばかりをしてしまう人や、両方を同時にできない人がけっこういると思われる。
 あるものごとを推進しようとする人は、プラス面ばかりを強調するし、それを阻もうとする人は、マイナス面ばかりを主張する。戦略的にそうしているズルい人もいるのかもしれないが、「意識していない」人もそうとうな割合でいるだろう。
 なんでそうなるかというと、たぶん「面倒くさいから」。一度に二つ以上のものごとを考えるのって大変だし能力も必要だから、しないにこしたことはない、とどこかで思って、それが適切と判断するんじゃないかな。
 それは人間関係についても同じで、一度に二つ以上のことを考えるのが面倒くさい人は、「一対一の関係」に閉じていく。「三人の関係」や「四人の関係」などを拒み、複数の人間と同時に接することをいやがる。「いま自分が接している一人の人間」のことだけを考えて、その外側にいる人間のことを意識から除外する。
 で、もちろんその「一人との関係」の中でも、プラスかマイナスかのどちらかしか考えない。良好な関係を築きたい場合は、「プラスになるように」だけを考えるか、「マイナスにならないように」だけを考える。たとえば、「相手がどうしたら喜ぶだろう?」だけを考えて、「相手がいやな気持ちになるかもしれない」という方面からものを考えない。あるいはその逆。
「自分はそこまでアンバランスではない」と思っている人も、注意はしておいたほうがいい。かりに「プラスを8割、マイナスを2割考える」という人がいた場合、それも十分にアンバランスだからだ。「私は周囲のこともちゃんと意識している」と思っていても、その割合が、「ある特定の人物への意識が9割、その他の人に対する意識が1割」だったら、やはりアンバランスなのである。きっとそういう人が、いちばんたちが悪い。「自分は大丈夫だ」と思っているから。
 もちろん、問題は「割合」だけではない。「五分五分」であるのが正しい、というわけでは絶対にない。「どんなバランスで何をどう配慮するかは、その都度判断する」でなければならない。常に、その場で、考え抜かなければならない。これは非常に面倒くさく、難しく、疲れる。だからなかなか、やりたがる人はいない。僕はどうにか、できるだけやろうという意思は持って生きているが、いつでもうまくやれているとはとても言えないし、本当に疲れて、自分はいつまで「もつ」のだろうか? という巨大な不安も抱えている。といっていまさら、「最適化された一定のバランス」に自分を固定するつもりもない。暗闇の中挑戦は続く、という感じ。

 なんとなればそれは芸術だから。芸術に強制力はない。だから素敵なわけです。

2019.9.08(日) してもらえないんだね(プラスとマイナス 序)

 もっと優しくなろうと思った。自分はけっこう優しいほうだと思うが、優しいぶんにはバチも当たるまい。
 以下は大半、ある友達(心底尊敬している)が言っていたことの焼き直しである。

 僕はこれまで、「わたしは傷ついた! 不利益をこうむった! おまえのせいだ!」と激しい言葉で罵倒してくるような人は、「わたしはこれだけ傷ついたのだから、わたしも誰かを傷つけてもいい」という気持ち(平等観)を持っているのではないか、と考えていた。しかし、そうとばかりも言えないなと、その友達の言葉で反省させられたのだ。
 おそらくかれらは、「自分が誰かを傷つける」という発想自体を、たぶんまったく持ち合わせていない。頭の中は「傷つけられた」ということでいっぱいで、そのほかを考える余裕はない。「自分の痛み」を少しでも和らげようと精いっぱいなのである。「おまえが悪い!」と考えることが当座、最大の癒しなのだ。
「おまえが悪い!」モードに入ると、それまでの関係性の積み重ねなどはいっさいリセットされる。というか、自衛のために組み替えられる。直前までの関係は破棄され、「自分の痛み」を低減させるために最も効果的な「新しい関係」を、その場で作り上げるのである。(「でっち上げ」ではなく「組み替え」なので、一面的にはたしかに成り立つような言い分が多い。「おまえがこんにゃくゼリーを買ってきて机に置いたから、子供が食べて喉に詰まらせたんだ! おまえが悪い!」みたいなもの。しかし当然話はもっと複雑で、こんにゃくゼリーを食べたいと言ったのはこの人だし、こんにゃくゼリーが机にあったのを気づいていてしばらく放置していたし、子供がこんにゃくゼリー食べて苦しんでいたのもしばらく気がつかなかったりした、というわけである。いろいろ考えると、買ってきて机に置いたことだけが悪いわけではないとわかるはずだが、そんなことはこの人にとって、まったくなんの意味も持たない。)
 罵倒される側は傷つく。これまでに積み重ねてきた関係を、すべてなかったことにされるのだ。それどころか、「自分勝手に組み上げられた新しい関係(あなたがわたしを傷つけた、あなたがわたしに不利益をもたらした、あなたはわたしに悪意を持っている、等々)」を突きつけられ、そうではないと言っても聞く耳は持たれない。当然だ。その「新しい関係」が、その時に自分をいちばん守ってくれるものなのだから。
 それまでにどれだけ相手を想い、心を尽くし手を尽くし、好意を持って付き合っていた(つもりだった)としても、そんなことはなんの意味も持たない。つい昨日(または一瞬前!)は仲良く遊んでいても、ラブラブだったとしても、「おまえが悪い!」モードに入ったら、そんなことは風の前の塵に同じ。雲散霧消。
 残るのは、「ああ、これまでに自分がこの人のため、良かれと思ってしてきたことは、すべて無駄だったのだな」という徒労感、無力感だけである。

 しかし、相手に「傷つけよう」という意志はない。ただ「傷つけられた」と思っているだけなのだ。そして「この傷を少しでも軽くしたい」と一所懸命になっているだけなのだ。それがたまたま「罵倒」のような形をとり、結果的に他人を傷つけてしまった、というだけ。かれらに「傷つけよう」という意志などない。そんなことに関心を持ってなどいられない。もっと大切なことがある。「自分を守る」ということが。

 そう考えると、怒るのも傷つくのもお門違いな気がする。相手はただ、傷ついた自分のケアを自分でしているだけなのだ。そこに追い打ちをかけるように「おまえは間違っている!」と断ずるのは、厳しすぎる。相手にとっては理不尽でしかないだろう。
 もっと優しくできるはずなのである。

「わたしは傷ついた」「わたしは被害者である」というところは、動かない。そこを動かそうとしても無駄である。その人にとっては「そこ」こそが現時点での安全地帯なのだ。「おまえが悪い」「おまえのせいだ」も、動かない。「そこ」が安全地帯なのだから。
 これまでの僕はついつい、事実誤認や論理破綻が目についたり、そもそも今その態度を取ることは正しくないだろう、というような観点から、「そこ」に踏み込んでしまうことがあった。「どうしてそんなこと言うの?」と泣いてしまうこともあった。でもたぶん間違いだ。「そこ」が動くことはないし、動かすべきでもない。「そこ」を動かそうとするのは、相手をさらなる窮地に追い込もうとするようなことでしかなく、それは絶対に「仲良しの発想」ではない。

 じゃあどうすればいいのか、というのは、皆目わからない。とりあえず今考えているのは、相手の安全地帯を侵すべきではないだろうということ。たぶん、「そこ」にいることをまずは尊重したほうがいい。肯定するわけではなく、尊重する。その人が「そこ」にいることには、重大な意味があって、軽はずみに侵すべきではないのだと。

2019.9.07(土) 芸術になんの意味があるか

 このホームページも夜学バーも、芸術としてやっていて、夜学バーに来てお金を払ってもらうのは、描いた絵が売れるようなもの。芸術としてやれないとしたら、職人としてやる、という道しか僕には思い浮かばないが、それならば別のやり方でやるだろう。
「おざ研」の時代から今に至るまでお店は芸術という意識をもってしかやっていないし、やるつもりもない。ホームページも、この形に芸術性があると今のところ思うからこうしている。こういった「芸術」がいつか(筒井康隆先生の『美藝公』の世界のように)世の中をつくっていけばいいな、と夢想しながらやっている。
 続けることに意義があるわけでもなければ、儲けることに意義があるわけでもない。芸術である、ということだけが大切だ。美しくなければ意味がない。
 美しくない色を塗られてしまったら、塗り直すしかない。だれがどうやって塗り直すか? ということを、考えながら。
 遊びでも仕事でもない、芸術なのだ、ということを、わかるべき立場の人にはどうかわかっていただきたい。わからないのなら「わかるべき立場」にいるべきではない。

「持続可能な芸術」が、あちこちにあったらと思うんだけどな。


 メールフォームからもきた。ああよかった。引き続きよろしくお願いいたします。僕もがんばります。

 ファンレターきた! うれしい! メールフォームじゃなくてメアド宛だけど、この人から最初に連絡をいただいた時はたぶん掲示板かメールフォームだったんだよなあ。そう、掲示板いちおうあるんで、使ってもらえたらとも思うんですけど、ちょっと仕様があんまりかっこよくなくて、昔のやつと同じデザインでやれたらと思っております。ちょっとスパムが多すぎて閉じておりますが、どうにかならないでしょうか。どなたか技術者の方、見ていたら、よろしくお願いいたします。

2019.9.02(月) 恋愛、破壊と想像/橋本治 is still alive

「リーダーはもう来ない」なんて当たり前じゃない。だって俺やだもん。俺リーダーなんかになりたくないもん。だって、リーダーってすごくつまんないよ。ここで、六時間話してても、誰からも話しかけてもらえないもん。どこが面白いのそんなの? 誰もやりたくないに決まってるじゃん。それで、リーダーやれちゃうんだとしたら、リーダーが実質としてそういうつまんないものを持ってるってことに気がつかない、言ってみれば孤独であるっていうことに鈍感でいられるバカな人間だけだもん。孤独であることに鈍感だから、権力的なリーダーになれるんだよね。俺やだもん、そんなの。
(橋本治『ぼくたちの近代史』河出文庫P88)

 一週間前に「ファンレターでもどうぞ」と書きましたが、いっさい何もありませんでした。メールフォームではない別のところから一言くださった優しい方が一人だけいらっしゃいましたが、そのくらいですね。いや、感謝です、本当に。

 橋本治さんの言う「リーダー」のつまんなさって、孤独さって、そういうことなんですよ。こうやって何時間もかけて文章を書いたって、誰からも話しかけてなんかもらえない。そりゃ、誰もやりませんよこんなこと。SNSならいいね!がくる、リプライがある。それを互いに与えあう。そういうご褒美が、全然ないんだから。そりゃ徒労感と疲労感がたまっていくばかりでね。間接的にならともかく、直接的には一円も儲からない。むしろniftyにホームページを維持するために月額いくらっていうのを払っているんですよ。普通の読者さまはいっさい、そういう想像をしてくださらないと思いますけれども。
 だってこれは、僕が好きでやってるんだもんね。好きでやってるんだから、読む側もべつに受け取るだけで構やしないよね。読ませていただいています、なんてへりくだる理由も、読んでやってるんだ、と偉ぶる理由もない。ただフラットに、そこにあるんだからたまに読む、と。そういうくらいのもんだろうから、べつにファンレターも何もないのでしょう。
 お時間のある方は9月1日の夜学日報を読んでみてくださいませ。言葉を「交わす」ということについて、少し書いています。大事なのは「交わす」であって、誰かがべらべら喋り続けて、誰かがそれを黙って聞く、なんてことじゃないんです。絡みづらい文章を書いているのは僕なんだから、反省すべきなのは承知しているんですけども。
 僕はリーダー(権威や権力を持つ存在)なんてやりたくないので、フラットなお店をめざして夜学バーというもの(詳しくはHPへ!)をやっているわけですが、それは「交わす」ということが土台にあるフラットさでなければ絶対にいやなんです。


 それはそれとして恋愛の話。

 人間というものがなんで恋愛などというものをするのかというと、中途半端なままに出来上ってしまっている自分を一遍ブチ壊す為なんですね。
(橋本治『青空人生相談所』河出文庫P234)

 絶対に付き合ってはいけない男として美容師、バンドマン(特にベーシスト)、バーテンダーが挙げられ、まとめて3Bなどと言われますね。これらの職業はみんな、「金さえ払えば会いに行ける男たち」なので、まあそこから恋愛感情になっていくことは多いのでしょう。彼らは基本的に「お客さん」を否定しない。美容師はむしろ褒めてくれるだろうし、バンドマンはファンと言われれば悪い気はしないだろうし、バーテンダーはどんな話にも耳を傾けてくれる。なぜならばそうすることでお金が引っ張れるからです。(パブリックイメージはそんなもんで間違いないと思います。)
 僕も夜学バーに立って働くからにはバーテンダーであって、不用意にも恋愛感情のようなものを抱かれることがあります。ただ、それはあくまでも「恋愛感情のようなもの」にとどまっているはずです。「お金を引っ張ろうと思う才能」が僕にはあまりないから。お店の美意識を傷つけるくらいならそのお金はいりません、とけっこう本気で思えるから。いわゆる「色営業」をすることによって夜学バーが夜学バーじゃなくなってしまうなら、それは損ですね。だからしません。
 それでもしぶとく「恋愛感情のようなもの」を抱かれることはあります。それは「付き合いたい!」とか「抱かれたい!」とは違う、ある種の「執着」のようなものです。なんのために彼女ら(男性の場合もありますが)が、僕にそういった執着を抱くのかといえば、「中途半端なままに出来上ってしまっている自分を一遍ブチ壊す為」なのでしょう。

 さっき『明石家電視台』という関西ローカルの番組をTVerというアプリで観ていたら、日ノ本高校ダンス部の一年生女子が25歳の顧問の先生に想いを伝える、という場面がありました。直観ですがもしかしたら「学校の先生に恋をする」というのは、「中途半端なままに出来上ってしまっている自分を一遍ブチ壊す」を純粋に望んだ結果なのかもしれません。女子校でわりあい多くの生徒が同性や教員に恋愛感情を向けるというのは、そういう事情があるからなんじゃないかと。

 たとえば結婚していて子供もいて、恋愛をしたところでそれを成就させるわけにはいかない、という立場の人がいます。そういう人が「中途半端なままに出来上ってしまっている自分を一遍ブチ壊す」という必要を感じてしまったら、むしろ「成就しない相手に恋愛感情を持つ」ことが最も都合よいのでしょう。僕は「恋愛などない」とフツーに思っている解脱者なので、「ともに溺れていく」ということは少なくとも、今のところは、考えにくい話です。ある意味で安全牌です。もっと安全なのはアイドルや二次元、ということになります。
 成就するはずのない、あるいはしてしまったら大変なことになるような恋愛をなぜ人はするのかといえば、実際には成就しないほうが良いと思っているからなのではないでしょうか。だって恋愛の本当の目的は相手とどうこうしようというのではなくて、「中途半端なままに出来上ってしまっている自分を一遍ブチ壊す為」なのだから。ところが、成就しないと思っていたような恋愛も、意外に成就しちゃったりするもので、それで大変なことになってしまう人がけっこういますよね。
 美容師、バンドマン、バーテンダーはいずれも、客の立場からだとかなり成就しにくいように見えます。だから安易に、先生に恋するように、恋をしてしまうのかもしれません。どうせ成就しないだろう、とタカをくくって。ところが美容師もバンドマンもバーテンダーも、意外と恋愛に付き合ってくれやすかったりします。(パブリックイメージとして!)それがあとで「騙された!」となるような関係だったとしても、とりあえず「関係」を持ってくれたりはします。(パブリックイメージ!)

 大事なところに戻ります。べつに恋愛なんてする必要もないのに恋愛をしてしまうような人たちは、実は「中途半端なままに出来上ってしまっている自分を一遍ブチ壊す」ということを望んでいるのではないか、という話です。
 自分が「中途半端である」ということがわかっていて、そしてその状態で「出来上って(完成して)しまっている」ということもわかっている。膠着して柔軟性をいっさい失ってしまっている自分に気づいていて、でも膠着して柔軟性がないからどうにもできなくて、しょうがないから「恋愛」という劇薬で頭をバカにさせて、いったんすべてをブチ壊す。固まってしまっていた「自分」を解体して、もう一度組み立て直すということをする。
 逆にいえば、柔軟な人は恋愛をする必要がない、ということでもあります。柔軟な気持ちを持っていれば、恋愛の機能を利用する必要がないのです。
 僕が「恋愛などない」と言うのは、たぶんそのことを踏まえています。「そもそも恋愛というのは人間が現状の自分を破壊するために他者(生身の人間に限らない)の存在を利用する現象であって、みんなが思っているような『感情や契約関係をパッケージングした概念』ではございません」ということを最も短く表現したフレーズが「恋愛などない」です。

 僕はもうたぶん、少なくともかなりしばらくは恋愛らしい恋愛をしないと思いますが、その理由は「中途半端ではなくきちんと出来上った(完成した)から」ではもちろんありません。「中途半端なまま未完成であるから」です。
 つまり、もし僕がこのまま「完成」してしまったら、あるいはそう思い込んで膠着してしまったら、ふたたびまた「恋愛」のお世話になるだろうということです。それはそれで楽しそうな気はします。


 冒頭で、「交わす」ということの重要性を書いておきました。恋愛の特効薬はこれです。恋愛というのは「中途半端なままに出来上ってしまっている自分を一遍ブチ壊す為」にするもので、実は自分一人で完結しています。「付き合っている」二人の内実は、たいてい「お互いが自己完結したまま一緒にいる状態」です。そこに「交わす」はあんまりなかったりします。
 いまの僕はもちろんそういった「付き合い方」をしませんので、相手が自己完結している時、こっちはすることがなくて退屈です。向こうは大忙しでしょう、ブチ壊してしまった自分を再び組み上げる、という作業をしているのですから。しかし「自己完結したまま組み上げる」をしてしまうと、もう一度元に戻るだけなので、「交わす」を積み重ねながら組み上げてもらわないといけません。でなければその恋愛の意味は何もなかった、ということになります。
 だから、やる気があるなら「交わす」をしようよ。


 そういうことを、そういう人たちには直接伝えているつもりなのですが、まあ……つらいことばかりですよね、お互いに。
 何遍言ったって通じやしない、ってこたぁ置いといて、僕ぁ言う。(中村一義『魂の本』)
 あーあ、さみしいなあ。(孤独であることに非常に敏感。)

 今日はここの日記を二日分(つまりそうとうなボリューム)書いて、夜学日報も二日分(それぞれけっこうな長さ)書いた。こんなに文章を書いてどうするんだ? と急に思った。休みます、とはべつに言わないし思いもしないけど、もうちょっとけいざいてきな書き方をしたい。
 あんまり読者も多くないけど、書きながら考えていることが重要なんだと思うから、これからも書くだろうと思います。ところでこの「いいね!」のない世界では、何か反応がもらえると非常にうれしいですので、ヒマな人はファンレターでもどうぞ。(たとえばもう1年以上メールフォームが使われていない。)本当に読者が30人もいるのか怪しく思えてきたよ。

2019.8.26(月) 自主制作と自己実現

 世の中は自主制作に満ちている。以下は「以前お店で働いてくれていた人」の言葉から着想を得て考えたこと。

 ものの質がわかるようになってくると、自主制作のジン(冊子のことネ)とか、自主制作の音楽とかには、だんだん満足できなくなってくる。質(印刷や音質のことだけではなくてネ)のよいものであればもちろん「すごい!」となるのだが、そもそも自主制作モノに質のよいものは(割合として)多くない。
 僕の場合、どうやら以前は「自主制作補正」みたいなものがあったようなのである(今でも多少ある)。「自主制作にしては良いな」とか「自主制作っぽくて良い」とか「自主制作しているだけでえらい」とか。文化祭に遊びに行くと文芸部とか漫研とかの冊子をつい買ってしまい、とくに面白くはないのに「良い」と思ってしまう、というのとよく似ている。(『天悪の教室』はめっちゃ面白かったが、例外中の例外。)

 自主制作モノの良さ、というのは、限界芸術(非専門家が提供し非専門家が享受する芸術)の良さに通ずる。盆踊りなんかがそうらしい。カラオケ大会もまあそうだろう。文化祭の演劇やお化け屋敷なんかもそういうモノだと思う。「小説家になろう」「pixiv」「YouTuber」なんかもたぶんそう。単純に(「専門家」が判断するような)質、というものが問題になるのではない世界。
 しかし慣れてきたり、目が肥えてきてしまうと、だんだん飽き足らなくなってくる。「自主制作」の裏側が見えてくるようになると、嫌悪感すら覚えてくる。裏側になにがあるのかといえば、ずばり「自己実現」。

 自己実現は当然「自分」のために行われることなので、多くの場合「みんな」のことを考えていない。言ってしまえば自主制作モノには、「自分のことしか考えていない」ものが多い。「自分のことしか考えない」ことを僕は長らく「邪悪」と断じている。自主制作には、常に邪悪さが付きまとう。
 そもそも自主制作というのがなんなのか、自主制作でないものとどう違うのかといえば、たぶん「多くの人を巻き込まずに制作する」ということだと思う。元請けとか下請けとかスポンサーとかいった大きな仕組みの中で制作するのではなく、自分とその周りの小さな人間関係の輪の中だけで制作する。多くの人を巻き込んだ制作であれば、自然と「みんな」のことが(たとえ商業的な観点からのみであっても)意識されるだろうが、自主制作のような小さな仕組みの中だけだと、「みんな」はおろか「他人」という小さな単位にすら目がいかない。「自分」が中心になって、「世の中」という大きなものはあまり意識されない。
 もちろん、すべての自主制作がそうだと言うわけではない。このHPだって自主制作である。僕がつくる本(冊子)も、夜学バーというお店も自主制作。だからこそ、できるだけ広い視点をもち、できるだけ「みんな」を考えていたいと思っている。放っておけば「自分」だけになってしまうのだから、より意識的に意識していたい。そしてむしろ、そういうふうな「自主制作の呪いに抗う」ような小さな人たちを、僕はなによりも愛している自覚がある。


 自主制作の呪いとは、自己実現の呪い。自己実現の呪いというのは、「実現すべき自己があるが、その自己はまだ実現されていないので、実現しなくてはならない」という強迫観念、というか思い込み。しかし、自己などない。ないのだから実現しようもない。ゆえにこそ「呪い」なのだ。
 この呪いをはねのけるためには、「自主制作」をするさい、まず「他人」のことを考える、という作業が必要になってくる。(このあたりは橋本治さんの『いま私たちが考えるべきこと』が近いことを書いているかも?)
 たいていの自主制作ものは、いわゆる自己満足に過ぎないものが多く、「受け手」のことをあんまり考えていない。
「どういう人が享受するのか」「享受した人がどう感じるか」「どんな影響を与えるか」などなどを想像するのが、「まず『他人』のことを考える」ということ。これをしないと、基本的には「自己満足」と言われるようなものになる。

(あえて「受け手」のことは考えず気ままに表現して、評価はご自由に、というスタイルも、当然「自己満足」。自己満足ゆえに悪い、ということはない。ただ、だからこそそれを提供(公開)する時には慎重にならなければならない。何も考えずに作ったものは、どこで誰を傷つけたり、怒らせたりするかわからないのだから。制作とか芸術とかとは別の問題。)

 自己満足な自主制作は、自己実現のために行われる。それが「自己実現のためのみに」行われるものならば、それを享受する人は、その出汁にされるという構図になる。だから「自己実現もできて、みんなも嬉しい」ということがたぶん、ウィンウィンで良いとされる。
 まあ、それでべつに、いいんじゃないですかと思うは思う。ただその「みんな」ってのは誰だ? というのが、問題になるというだけで。
 自己実現のための自主制作は、ほぼ自己満足だし、かりにそれをありがたがって嬉しくなるような「みんな」がいたとしても、それは「それによって自己実現しようとする人と似た価値観の少数の人たち」でしかない。制作というのは多かれ少なかれ「似た価値観の人に好まれる」ようなもんではあるが、この場合の「価値観」は「自己実現を目的にするようなやつと似た価値観」なので、ろくなものではない。(ひどい悪口かもしれない。)
「自己実現を目的にするようなやつ」というのは「なんとか口実をつけて自己満足をしたい人」なのだ。おそらくはそれに群がる人たちも、「なんとか口実をつけて自己満足をしたい人」である。第一の目的は「自己実現」であって、そこで繋がった共犯関係が成立する。
 みんなで輪になって手をつないで、空に向かって「自己実現!」とでも叫んで、ああいい気持ち、といったやつばらである。(だんだん口が悪くなる。「やつばら」などという言葉は『走れメロス』のディオニス王くらいしか使わないものだ。)

 そうなると、ここでいう「みんな」というのは、「自分たち」くらいの意味である。コミュニティとか界隈と呼ばれるものは、たいがいそういうもので、だから僕は自分の作っている「場」がそうなってしまうことを絶対に避けたい。
「自分たち」というものは、「他人」を飲み込んでできあがる。飲み込めない他人は、弾き飛ばす。そうして「自分たちと、それ以外」という形で世の中をとらえるようになる。「バーベキューに参加する人」と「しない人」に分ける。そういう人たちがたくさんいて、世の中はバーベキューだらけになっている。


 今さらながら「自主制作(インディーズ)」というのは、「作品」という形で発表されるようなものに限らない。「お店」だってそうなのだ。個人商店というのはすべて「インディーズのお店」と言っていい。デニーズやローソンは「メジャー」だが、近所の駄菓子屋は「インディーズ」である。
 メジャーは原則として「大味」で、最大公約数の人が満足するような無難なものである。インディーズならばもっと自由がきく。現代はそういう理由で、自主制作のお店をやる人が多いのだと思う。(昔は、単純に土地があるからとか、儲かるだろうからとか、ほかにやれることもないといった理由で個人商店を開いたケースがもっと多かったのだろうけど。)
 つまり、いまインディーズのお店を開いている人たちのけっこう多くは、「自己実現」のためにやっているのかもしれない、という話。
 前の章段の末尾に書いたような状況になっているお店が、多いのでは? と思うのである。

 お店を構成する人間が「自分たち」のみになっていて、「他人」がいない。そこに「お客」はいないと言ってもいい。だって自主制作バーや自主制作カフェの基本態度は「どう? オシャレでしょ?」ではないか。「どう? オシャレでしょ? そう思うでしょ? だったら話は早いけど、そうじゃなかったらごめんなさいね。」なのである。(これも、ひどい悪口。自覚はあります。)
 たぶんケーキ屋さんや雑貨屋さんでも同じようなことが言えるし、靴屋さんでも古着屋さんでも今あえて個人が新しく作るようなところはそうなんじゃないのかな。「商店街に一軒くらい服屋がないと困る」といった「必要性」はなくて、「感性のマッチング」だけがある。「感性がマッチしたら、あなたはウチのお客さんだけど、そうじゃなかったらごめんなさいね。」なのだ。この「お客さん」というのは、言うまでもなく即、「自分たち」に組み込まれる。
 美容室だとどうなんだろう? まあ、似たようなものなんじゃないだろうか。行ったことがない(本当です)からよくわからない。
 ちなみにこの「感性のマッチング」は今、SNS等の力でクラスタ化されている。(←この一文を深く掘ると大変そうなのでもうちょっと考えてからにします。)

「感性のマッチング」は、「オシャレでしょ?」「ええ、まったく」という暗黙の合意によって成り立つ。それは「自己実現する側とさせる側」でありつつ、享受者は「オシャレさを身にまとう」ことによって満足を得、自己実現に近づく。あるいはSNSに載せることで「オシャレでしょ?」を投げかける側に回ることさえできるのだ。「いいね!」という形で「ええ、まったく」をいただき、合意が成立する。
「そこに『お客』はいない」とさっき書いたのは、売り手と買い手がこのような共犯関係にあるから。なんなら、「買ったお客のSNS投稿を売ったお店のアカウントがいいね!する」という状況だっていくらでもあるわけだから、まさに共犯というかマッチポンプ承認大会である。
「バーに行く→SNSに載せる→バーのアカウントがいいね!する」というような話。それが悪いというわけじゃもちろんないが、そういう仕組みに現代はけっこう、なっている。
 インディーズの人たちはそうやって「自分たち」をある程度まで増やし、維持させていくことに努める。SNSじゃなくても、小さなお店はなんらかの方法で「自分たち」を確保する。たとえばバーやスナックなんかの場合、その工夫の一つが「バーベキュー」だったり「花見」だったり、「周年イベント」だったり「生誕祭」だったりする。
 インディーズのカフェの人たちは何してるんだろうな。インディーズ美容室は? インディーズネイルサロンは? とか考えていくと、面白い。美容室の場合、そこで行われる「会話」が実は、それなんじゃないか、という気がしている。会話によってお客との結びつきを強め、「自分たち」の中に組み込もうとしているんじゃないか。なぜ美容師さんはやたらと世間話をしたがるのか?(なんかそういう感じらしいじゃないですか)というのがずっと謎だったが、そう考えると合点がいった。カフェの場合はやっぱり「通ってもらう」ことや「SNSに載せてもらうこと」なのかな。あるいはインディーズだと、お客と店員の会話がけっこうあったりするのかもしれない。「このコーヒー豆は……」みたいなうんちくを語り出す店も多いだろうし、「おいしいでしょう?」「ええ、まったく」という形で合意を得て、「自分たち」という意識に持っていくのかしら。あるいは「自家焙煎」とか「スペシャルティ」「有機栽培」「サードウェーブ」等々といった概念を「良し」として共有することが?(このあたり、結論ありきで考えております。ちょっと遊んでしまいました。)


 そういえば、昨日の記事で「自慢話ばかりする推定70代のバーのマスター」のことを少し書いたが、あれが自己実現の成れの果てだろう。「わしの自己はこんなに実現している!」というアピールを、口頭でしなければならないことの哀れさよ。総じて自慢話というものは、「自己実現したかったのにできなかった人が自分は自己実現できているのだと自身に言い聞かせる」ためになされるものだ。ゴールデン街で50年、バーを維持してきただけでよっぽど偉いのに、自慢話がどうして必要なもんかね。悲しいサガだ。
 実現される自己なんてものは、ないのだ。ないから、できない。できないから自慢が必要になる。自慢によって「できた」ことにしてしまうしかない。「実現した!」と言ってしまえば、したことになる。少なくとも当人の中では。
 あるいは、「実現しています!」と他人に言わせればいい。それがさっきから書いている「共犯関係」の中でなされていることだ。実のところ、この記事によってあぶり出したい邪悪はこれである。「自分たち」という範囲の中で「俺たちの自己は実現されているよな?」と確認しあうこと。それによって「自分たち」の幸福は担保されるけれども、広く「世の中」について考えたらどうだろう。考えてみて、「自分たちと世の中でウィンウィンだ!」と確信できるならそれでいい(それがいい)が、果たしてみなさま、そういったことを考えておられますか?
 そこなのだ。「俺たちの自己は実現されているよな?」と確認しあうことが、すなわち「世の中もウィンしてる!」であればいいのだが、ただその「ウィン」っていうのは、「自己実現しようとするような人たちが考えるウィン」なのである。「まず自分のことを考える人たち」が考えるような、ウィン。そういったウィンが蔓延した世の中は、どんな世の中なのだろうか? それは良いか? どうだ? という、話。
 そこに取りこぼしはありませんか? 「自分たち」の外の人たちが、ちゃんと過ごしやすくなるようにできあがっていますか? その、あなたたちの「自分たち」というものは。

 話をグイーンと戻すと、自主制作というものは、自己実現と繋がりがちなのだ。「だから」そこに質のいいものはあんまりない。ただ、自己実現とは関係のないところで行われる自主制作には、見るところがあるはずだ。「世の中をよくしようとして行われる自主制作」である。
 自己実現を目指すのは簡単だ。自分が満足すればいいだけなのだから。一方、「世の中をよくしよう」というのは、とても難しい。だからほとんどの人はそれをやりたがらないし、やってみたところで「投票に行こう!」くらいしか言えないのだ。
 おそらくこれから大切なのは、「世の中をよくしようとして行われる自主制作」の「世の中」という部分と「よくする」という部分について、しっかり考えること。「投票に行こう!」などという単純なところに落とし込まず、「はて、世の中をよくするとはどういうことで、どうすればそうなるのだろう?」と、みんながじっくり考えることだ。でもたぶん、そんな事態にはなかなかならない。それで僕なぞは、「ちょっとでもそういうふうになるためには、微力な自分はどうしたらいいんだろうか?」というくらいのことを考えている。




 で、省みて自分の「夜学バー」とかいうもんはなんなんだ、といえば、そこらへんのところを悩み苦しみながらやっているような存在なのだ。まず理想としては、「世の中をよくしようと思っている店」として世の中に存在すること。手はじめには、そういう存在をめざしてみること。めざしていることを、できるだけ上手に表明すること。
 自主制作なので、本当にうまくやらないと、いま自分が書いたような状態には簡単になってしまう。自己満足におちいったり、自己実現を切望したり、「自分たち」という閉鎖性に甘んじてしまったり、単純な思想にかぶれてしまったり。そういうことは絶対にしたくない。強い気持ちでそう意識していないと、小さなお店はすぐに転ぶ。たくさんの好きなお店が転ぶのを見てきた。バランス、バランス。美意識をしっかりとさせ、ちゃんと目を見張り、耳をすませておくこと。油断しないこと。心優し、ラララ科学の子………というところで、おやすみなさい。

2019.8.25(日) 世の中をよくしようと思っている店

 新宿ゴールデン街の「納涼祭」に行ってきた。15時から22時のあいだ、約270店舗のうち180店舗以上がチャージ無料、一杯500円で開放される。参加店12店、非参加店1店で合計13店舗をまわった。
 まずS番街の「S」という店に行った。ツイッターで見て、もしかしたら良い店(良い人)かなと思ったのだが、「世の中をよくしようという気持ちがあるか」という基準においては、まったくそんなことはなさそうな店、人、であった。
 もう、ここんところ思っている。お店の善し悪しを測る基準があるとしたら、「世の中をよくしようとしているか」くらいしかないだろうと。
 それから平日会員制の「T」。声優さんの経営するお店で、Y有作さんとかO恵美さんとかのボトルがあってすごい! と思ったが、世の中をよくしようとしているかどうかはわからなかった。お客の一人がひたすら「僕〇〇さんとも仕事してて!」「ガンダムの本も書いたことあって!」と大声で吹聴していた。
 そのあと「TM」というお店に行ったのだが、これはすばらしかった。まず人が少ない。僕が入った時は、ふだんから来ているらしい年金生活者(のちに話題が出た)のお姉さんたちが二人、特にお話をするでもない納涼祭参加者の男性が一人、のみだった。濃い濃い赤霧島を注がれて、30〜40分くらいいたが、そのあともお客は一人きただけだった。たぶん三十数年は営業しており、ママも年金生活。そんなに儲ける気もないらしく、「店を維持しているだけ」と言う。そのわりに納涼祭に参加しているのは、「これをきっかけに知ってもらえれば」とのこと。つまり「べつに儲からなくてもいいが新しいお客がくるのは嬉しい」ということで、僕はこれを「世の中をよくしようと思っている」に類する気持ちだと考えている。
 古巣の「M」へ。店内に入ったのは2012年11月1日(正確には2日の明け方)以来なので、7年近く離れていたことになる。懐かしかった。このお店のシステムは、よく工夫すれば世の中をよくさせる可能性がある。でも、そうする意思がないとなんだってそういう方には向かわない。
 友達が働いている「U」に。「サーセン! 〇〇さん(友達)のつくったハイボールくざさい!」とドヤ顔で言ったら、「いまわたしお金の係なのでお酒作っていません」と。なんとも柔軟性のない、とも思ったが、そういう常識なのだろう仕方ない。ハイボールおいしかった。
「G」。良い店だと思ったが世の中を(略)
「L」。たぶん世の中をよくしようとは考えていない。お店のお姉さんとお話ししていたら「つまんねえ話だ。ホステスじゃねえんだよ!」と怒りだし、自分が口を開けば自慢話しか出てこない推定70代のマスター。食べログレビュアーのようなことを書いてしまったが、面白いのでまたいこうと思う。
「N」。見るからに世の中を(略)だが、おともだちが中にいるのを発見して入店。悪い店ではないが、世の(略)
「U」。創業55年で代替わりなし、というのはもはやゴールデン街ではほかにない。古さでは一位だと思われる。ママはおいくつなのか、僕が20歳のころからたびたびお見かけしているが、容貌が1ミリも変わっていないのがすごい。近くのお店で働いていたので、よく怒られたものだ……。怖かった。今回初めてここで飲むことができ、感動してしまった。意外と内装や調度品、置いているお酒などには凝っていて、美意識のしっかりある方なのだとわかった。うむ。もはやゴールデン街に思い残すことはない。いや本当に。ママは一言でいえば「キョーレツ」というやつであり、常にトゲトゲしていて口が悪く、ひたすら怖くて、値段もふだんはけっこう高い。もちろん世(略)
「S」こちらも推定70代のママ。とても良いお店だ。世の中をよくしてきたのかもしれないが、よくしようという意思があるかはわからない。たぶんどこかにあるのだろう(このお店のことはもうちょっと知りたい)。なんと漫画家のS先生と偶然お会いして感激。都留泰作先生のお話がちょっとできて嬉しかった。
「A」なんかガールズバーみたいだった。先代の頃は知らないが、今は世(略
「SW」もう、座っているだけでつらい。こないだまでSWさんというおじいさんのお店だったのが、代替わり(乗っ取りにしかみえない)してからウワー! って感じになってしまった。SWさんはなんとか生きているらしい。もちろん、世の中をよくしようなどと考えている気配はない。

 最後、最近できたという「SKT」。ここは納涼祭に参加しておらず、通常営業。オーナーではなく月一で立っている方の日だった。お店に立つのはまだ三度目くらいだそうだが、お客が多い中そつなく営業をこなしていた。とても良い人だった。その方のお知り合いなど若い人たちがわらわらといた。
 店内はこざっぱりとしていた。「世の中をよくしようとする内装」というのが僕はあると思っているのだが、若くてセンスのいい人の感性ならばこれが「そう」なのだろうか。カフェでもなんでもそうだが、現代の人はどうも「殺風景の中にポツンポツンと意味を置いておく」ような空間づくりが好きなようだ。IKEAで揃えた部屋みたいな。
 そう、そして極めて洋風。和風なら和風で「和風!」という気合いの和風ばかり。日本らしさ、というのは実は、そのどちらにもないのではないかと思うんだけどな。あるいは、もうそんな時代でもないってことか。

 もちろん、世の中をよくしよう、というのは、ある特定の思想(投票へ行こう!等も含む)を賞揚する態度のことではない。このお店が存在することによって世の中がよくなる、という確信のことを言っている。
 古いお店の人たちは、惰性でお店を続けている、ただの暇つぶしでしかない、というのは、実際ほんとうにたぶんそうである。そして同時にそれが「自分だけでなく、複数の人間の惰性と暇つぶし」であることを知っている。そのお店に来ているお客さんだけでなく、社会全体、世の中全体にとっての「惰性と暇つぶし」でもあるということも、ちゃんと知っている。そこまで来ると「惰性と暇つぶし」は文化であって、世の中の持つ「雰囲気」そのものなのだ、ということになってくる。つまり、その「惰性と暇つぶし」こそが、世の中の一部を構成し、世の中の雰囲気を作っているのだということ。そのあたりまで意外と「確信」しているからこそ、彼らは80になっても90になっても、店をやめないのではないか、と僕には思えてくる。「古き良き」なるものの、最後の担い手として。語らずとも伝えてくれる。
 そういうものなのだ、ということを、頭のいい若い人たちは自覚して、そのようなお店づくりをしてくださればいい。今、新しい店たちが「どう」あるかによって、50年後の世の中の「雰囲気」が変わってくる。責任は存外、重大なのだ。そういうことを考えているようなお店が、「世の中をよくしようと思っている店」だと僕は考えている。

 ちなみに「世の中をよくする」というフレーズの(僕の中での)元ネタは『ばびっと数え歌』です。

2019.8.18(日) 芸術家の要件

「他人」を二種類に分けて考える人がいる。「自分に利益をもたらす他人」か「そうでない他人」かと。で、「利益をもたらさない」と判断した相手には、興味を持たない。そういう人はほぼすなわち「自分のことしか考えない」人であって、邪悪。(はじめまして、僕はこのようなスピードの文章を書きがちです。)
「たくさんいる他人のうちの誰かが、自分に利益をもたらしてくれる場合がある」とくらいに考えたほうが良い、と僕は思う。
 利益はいつのまにかもたらされるもので、それが実のところどこからやってきているのかは、わからない。そう思っておく謙虚さはとても大事だ。もちろん、「〇〇さんのおかげだ」と仮定してお礼を言ったり恩返しをするのもまた大事。ただ実際は世の中、そう単純ではない。

 すべての人間に興味を持つ、いやせめて、すべての人間が等しく「他人」というものなのだ、というくらいの認識は、持っておいてもよいのではないか。

 すべての他人は等しく「他人」で、分類はできない。ただ、その一人一人と自分との「関係」が一つずつある。それが網の目のように組み合わされて、きわめて複雑な「人間関係」が存在している。本来はそうだ、と僕は強く信ずる。
 しかし、そういうものの考え方をするのはかなり大変だ。さっさと分類してしまったほうが労力が少ないし、大した能力も必要ない。それが人類の智恵というものでもある。
 それで何にも問題はない。

「ああ、この人は他人に興味がないんだな」と思う瞬間はけっこうある。それはすなわち「自分のことしか考えていないんだな」であるし、「他人を何パターンかに分けているんだな」でもある。
 きっと楽だから。だって、出会ったすべての他人に対して、「自分との関係」を一つずつ作っていくのは、しんどい。
 そういう面倒くさいことをして、いったいなんの得があるんだろうか? 「自分に利益をもらたす他人」との関係さえあれば、自動的に利益が振り込まれてくる。それで何の不都合があろうか?
 たぶん、べつに、ない。
 美しさ、優しさ、豊かさ、そういったものが「その先」にあると思う人だけが、「すべての他人に興味を持つ」などという酔狂に走るのだろう。
 言ってしまえばそういう人は、みんな芸術家なのである。

2019.8.12(月) 対等区対等

 対等、ということについて改めてぶちあたり、ひとまず過去ログを「対等」で検索してみたらちょうどいい文章がいくつか見つかった。べんりだなあEz。
 まず「2016.09.06(火) 上下関係しか結べない人」という記事の中にある重要な記述を切り取ってみる。

「対等な関係」とは、まず相手を「対等である」と仮定することから始まる。

 自分と相手とは、時に上のようになり、時に下のようになる。そのバランスがお互いに納得する形でとれているような時、それを「対等」と言うのではないか、と思う。

 その次の記事「2016.09.09(金) 親しき仲にも礼儀あり」にもちょっと重要な部分がある。

 礼儀というものは、「対等」の人に向けてこそだ。礼儀という言葉が不相応ならば、「敬意」と言い換えてもいい。

 2017年5月上旬ごろの日記(リンク先の一つ下の文章)では、若い人と対等である、というのがどういうことかを、考えている。子ども相手でも、礼儀や敬意は必要なのである。

 でもねえ、子どもには未来があって、その未来というのは、その子の中にすでに宿っているのだ。
(略)
 若い人をばかにするってことは、その若い人の未来まで含めたぜんぶをばかにすることだ、って僕は思っちゃう
(略)
 未来まで含めてこの子なんだって考えたら、すでに対等であっていいと思うのだ。

 そして、「2018.11.04(日) 散歩と対等」「2018.11.07(水) 散歩と対等、補足」という記事から、それぞれ以下。

僕は自由に道を歩く。相手も自由に道を歩く。だけども結局は同じほうへ進む。どちらに行くかは呼吸で決まる。その「呼吸」が「仲良しの証左」で、よく息が合っていれば「対等」といえる気がする。

 バランスのいい時は、対等だな、と思うが、なんだかアンバランスだな、と思えば、対等ではない、と僕は感じる。


 このくらいで、僕が近年「対等」について考えていたことがだいたい出揃う。
 まとめてみると、対等とは「納得のいくバランス」が成立している状態のことで、それは「敬意」によって支えられる。
「おれはお前を軽視するから、お前もおれを軽視していいよ」という取り決めを互いに交わすのは「対等」というより、上下関係の亜種である。(「上下関係しか結べない人」参照)
 そうではなく、礼儀、敬意、尊重といったものが、「対等」という状態の基礎にある。
 で、「仲良し」とはそういう状態のことである。
 礼儀、敬意、尊重といったものたちで、バランスを取り合っている状態。
 それにお互いが納得している状態。

「仲良し」になるにはどうしたらいいか。「対等」になればよい。
「対等」になるにはどうしたらいいか。
「対等であると仮定する」である。


 僕のことを尊敬してくれている人がいる、とする。
 その人は、僕と対等になりたいと思っている。
 そのために、なぜだか僕の粗探しをする。
 冗談みたいだが、そういう発想の人はいると思う。
「ジャッキーさんってすごい人だけど、でもこういう欠点もあるよね」
「こういうところは、自分のほうが優れているな」
 そんなふうに思うことで、なんだか対等な気になるらしいのだ。
「上下関係の亜種」を作り出すことによって、「お互い様」に持っていく。この発想は、「不公平」を叫びたがる気持ちと同類だ。「自分はこれだけ傷ついたのだから、あなたも同じくらい傷ついたって文句は言えない」という、野蛮な発想。数値の帳尻だけを合わせようとしている。「仲良しの発想」とは程遠い。
 もちろん、「どんな面でもジャッキーさんにはかなわない、対等になんてなれるわけがない」とか思うのもおかしいし、「ジャッキーさんなんか取るに足らないね」と思うのも、当然「仲良しの発想」ではない。
 単純に、まず「対等である」と仮定すればいいだけなのだ。


 この人と自分とは対等である、だとしたら、どのような敬意をもって接するべきだろうか?
 そういうふうに考えるのである。
 どんな目上の人にでも、あるいはよっぽど年下の相手にでも、とにかく「対等である」と仮定してみる。ばかにしない。おそれない。対等な相手にするように、敬意を払う。
 そのうえで、相手が納得するように、バランスをとっていくのである。
 これが仲良しの秘訣だと思う。すぐに「仲良し!」と言えるわけじゃなくても、ちゃんとじわじわ、そういうふうになっていく。正当な手続きで。時間をかけて。
 上にも下にも見ないで、「対等である」と仮定する。そんなこと慣れてきたら簡単だと思うので、ぜひ、おすすめ。

 ところで、「対等であると仮定する」というのは、「遊ぶ」ということの前提にある。
 だから、遊んだことのある人たちは、当たり前にできるはずなのである。
 たとえば、大人が小さい子供と遊ぶとき、「対等であると仮定する」をしていますよね。え、していませんか?
 したほうが楽しいと思います。で、仲良くなれると思います。

 親が子に接するときでも、教員が生徒に接するときでも、それらの逆でも。なんだって「対等であると仮定する」は、あったほうがいいと思います。
 敬意ってそのくらいすごいものなので。

2019.8.10(土) 恋愛、かわいい、好き

 一種の唯物論かもしれない。「恋愛」などない。「かわいい」も「好き」もない。
 本当はないのだが、これらの言葉を使うといろいろと便利なことがあるから、使うだけ。

 もちろん、突き詰めれば言語というものはすべて「ないものをあらしめる」ものと言えるし、「便利だから」使われている。ただ、「恋愛」とたとえば「岩」とか「手紙」といったものだと、同じ言葉でもちょっぴり違う。
「恋愛」よりは「岩」とか「手紙」といった言葉のほうが、定義が明確である。「こういう意味ですよね」という取り決めがしっかりしている。共通認識としてブレが少ない。
 岩はあるような気がする。手紙もあるような気がする。でも恋愛は、ちょっとわからない。
「かわいい」とか「好き」も怪しいものである。
「恋人」も「友達」も「友情」も、当然そう。
 こういったものは、定義が曖昧なまんま、その場その場で便宜的に、いろんな意味やニュアンスで使われる。そういうものは、果たして「ある」と言えるのか? いっそ「ない」と考えてみたら、意外とそっちのほうが正しく生きられるのではないか?
 って、これを書くのは何度めなんだろうか。同じことばっか書いている。もういい加減やめにしたい。
(でも書きながら考えてるってところもあるから、ご堪忍。)

「ない」と僕が言うのに対して、「いや実際あるじゃん」「みんながあると思ってるんだからそれでいいじゃん」「辞書に載ってるんですけど?」等と言われたら、「まあ、あるといえばありますね」と僕は答えるしかない。ただ僕が言いたいのは、「ない、と考えてみたら、けっこう発想が柔軟になると思いますよ」なのである。
「恋愛」「恋人」「付き合う」といった言葉に踊らされている人は多い。そんなもん、いっぺん「ない」と考えてみたらどうなんだ! と。「ある」と思っている人は、なにを根拠にそう思うのか。なぜ、恋愛をしたり付き合ったり、恋人を所有(!)しなければならないのか。それは一言でいえば、「便利だから」「楽だから」。そういったものの存在を前提としなければ「面倒くさい」という、現生人類が最も忌み嫌う状況にぶち当たってしまうから。
 面倒くさい、というのが、本当に邪悪のすべて、元凶なのだ。面倒くさいからみんな、「告白」をして「付き合う」をして「恋人」をつくって「恋愛」をするのだ。
 あーあ、本当にあほらしい。くたびれてしまうよ。
 そういう曖昧な取り決めで無理やりくっつくから、あとで齟齬がでてダメになるんでしょう。
 もっとちゃんと人間と人間とのステキな関係、みたいなふうなんを目指して生きてって、必要があればだれかとくっつけばいいじゃないと思うんだけど、まあそれには労力も能力も要る。面倒くさい人はそんなこと、やってられない。日が暮れて死んでしまう。だから仕方がないというか、近代人の智恵なんだろうな。恋愛の発明ってのは。
(恋愛ってものをよく見ると、性欲、快楽、所有欲、独占欲とそれによる嫉妬、不安・孤独感・さみしさからの逃避、暇つぶし、見栄、経済的合理性、単純な執着心や思い込みなどなど、「恋愛感情」なんて言葉を使わずに説明できるような内容ばっかりなんですね。そういったものをざっくりと「恋愛」で括った先人は、まあ天才というか、すさまじい智恵だと思います。)

 人間同士が仲良くなるってのは、けっこう難しいんですよ、本当は。「恋愛」みたいな概念があったら、それを接着剤にして無理やりくっつくことができる。そうするとすっごい楽。もし、そういうものがなかったとしたら、少しずつ、ゆっくりと着実に仲良くなっていくしかない。どこまで仲良くなれるかもわからない相手と。それってすごく面倒くさい「らしい」んですよね。一足飛びにピャーッ!っと、「恋愛!」つって合意に至れたら、まあ楽ですよね。そりゃそっちのほうがいいですよ。長い目で見ないのであれば。長い目って、10年50年、ないし数百年単位で。(世の中を良くするには、最低でもそのくらいの時間感覚でいなければ。)

 もし「面倒くさくてもいいからわたしは本当にステキな人とめぐりあいたい!」という方がいたら、とりあえず『銀河鉄道の夜』でも読んで(なぜ?)、川原に行って「恋愛などない!」と一回だけ大声で唱えてみましょう。そしてそれからは四六時中、どんなささいなことでもいちいち「なぜだ?」と考えてみたりするなど、いかがでしょう。
 曖昧な言葉に頼らず、ものごとを細かく考えるくせがつくと、柔軟になっていきます。すると「人と仲良くする」ということが、だんだんできるようになっていきます。「恋愛」なんてものの力を借りなくとも。

2019.8.4(日) すんごい15歳

 高知県にいます。今回の旅行もいいことばかり。学びに満ちております。詳しいことはのちにまとめる予定。
 いま、このあとにつづく文章を書いていたのに1000字くらい消えてしまった。こないだも同じことがあったし、もうこのアプリはだめなのかもしれない。僕はほんとうにつらいなあ。
 というわけで書いてたことを超簡潔に再現して寝ます。
 2000年8月4日の日記面白い。それについて言い訳している2008年4月16日の僕も面白い。たしかにあれは「分岐点」だった。なんの分岐点だったのかは、今になってなんとなくわかる。「裏日記」はどこかにあるはずだから、探しておこう。それをアップできるようになったら、ついにあの頃の自分を供養できるかもしれない。
 ところで昔の日記を公開していることはとても恥ずかしい。フォントいじりも固有名詞の濫用も、単語の選び方や文体や口調も、調子に乗っているさまも他人や周囲のことを考えていないところもさまざま厳しい。でも「人は変わっていく」ということを証明するため、消すわけにはいかない。ジャッキーさんだって昔はこんなにバカだったのだ。バカでも考えることや判断すること選択することをずっとやめなければ、そういうことだけはそれなりに上手になっていくのだ。
 僕はいまそうとうかしこい人間だと思うけど、昔はそれほどかしこくなかった。それは15歳の僕が証明してくれている。で、僕はその15歳の僕をとても大切に思うがゆえに、彼から離れてかしこくなることはしていない。彼がそのままかしこくなるように19年間やってきた。だから「かしこい」といってもその「かしこさ」は世間や社会とは関係のない、15歳の少年にしか関係のないようなかしこさなのである。

 15歳の僕は、16歳になってすぐ、具体的には2001年の1月2日に、「もっとかしこくなりたい」と強く思ったらしい。日記にちゃんと書いてある。その3月くらいから、文章を書く姿勢も変化していると思う。16歳と17歳の2年間でだいたい固まって、18になった2002年の11月くらいからはまた次の段階、といった感じかな。すごく暇な人はそのへんどうぞ研究してみてください。

 ↓推敲ひと段落(2019/08/02 04:33)

2019.7.31(水) 実効性について/団結は分裂の母/教育と愛情の構造

「まあ〜……、27時間ふりかえって、団結、団結といって、団結はしたんですけれども、そのぶん、国民からは離れたかもしれません。(間。周囲からざわめき、つっこむ声)大丈夫ですか。えー……、テレビを見ていてくれた方々、そして、見ない方にも、感謝を申し上げます。どうもありがとうございました!」
(2012年の「27時間テレビ」エンディング、タモリさんの言葉)

 東日本大震災の翌年ということもあって、この年のテーマは「団結」。27時間生放送で、「団結」をスローガンに全国をつないだ。最後の企画はタレントたちが一丸となって跳ぶ長縄跳びで、44回の記録を出し大団円。その直後の言葉が、上記である。
 当時見ていて、「なんちゅうこと言うの」と思った。たまげた。なかなか言えるものではない。このあとタモリさんは、27時間マラソンを走った草なぎ(なぎ略)くんに話を振ったのち、何事もなかったように「団結しました!」を繰り返した。そうしてとりあえず場を盛り上げたところで、「それではまた明日も見てくれるかな?」「いいともー!」と番組をしめくくる。すべて、さすが。
 そうなのである。テレビの中で団結をすればするほど、「国民」からは遠ざかる。

「見(てい)る人と、「見(てい)ない人」にまず、テレビは「国民」を分断する。そしてさらに、「団結している人たち」と、「団結していない人たち」とに分ける。
 自由に満ちた「場」が大好きなタモリさん(と僕は考えている)からしたら、そうやって人々を分けていくことが快いとは思えない。彼は「世間」や「内輪」からそうとう遠くにいる。(そのかわり「密室」とはともにある。内輪と密室とはまったく別のもの。幼稚園の入園は拒否するが、宴へは乱入するしゴールデン街への招待なら受けるのが、タモリさんなのだ。密室には侵入することができる。世間とは、帰属するものである。)
 そうだからこそ、『ある光』を歌い「無色の混沌」や「文学のテクノロジー」を著した小沢健二という人の音楽を(とりわけ歌詞を)あんなにも褒めるのだろう。小沢さんも、「分ける」ということに対して非常に敏感で、繊細な人に違いない。(そう僕はさまざまな面から思っている。詳しくはおたずねください。)

 あのときタモリさんは、番組の趣旨と矛盾しかねない、「自分の思想そのもの」でもあるような本音を、さらりと言ってのけたのだ。そのうえで、草なぎ(な略)くんや「いいともー!」の掛け声を利用して、番組のエンディングを成立させてしまった。なんたるバランス感覚。いや、感服。七年も前のことなのに、こうして折に触れ思い出す。役に立つ。
 タモリさんは、吉本の騒動(宮迫さん詐欺集団とのチョクの営業でやめさせられ事変)にも、いっさい触れていない。もちろん選挙の話もしない。「意見」を言うことが極端に少ない。その種のコメントを求められそうな番組やメディアを持っていないからでもある。たぶん仕事を選んでるんだと思う。
 いいともやMステやタモリ倶楽部では、「意見」を言う状況にはならない。ブラタモリでも、ヨルタモリでも、ジャングルTVでもならないだろう。今夜は最高!ならば場合によってはありえないでもないが、三十年も前に終わっている。コラムなどの連載もずっとしていないと思う。ラジオは長いあいだ出演を続けてきたが、2005年度を最後に(知る限り、調べる限り)レギュラーはない。これはブログやSNSがブームになる時期とほぼ一致している。「ブログ元年」と言われるのが2003年または2004年で、mixiサービス開始が2004年。ツイッターは2006年(日本語版は2008年)。拡散や炎上から見事に逃げ切っている。鮮やかに。

 自分のメディアを持っている人たちは、「発信力」と「発言の自由度」があればあるほど、影響力を持つ。それが彼らの「力」になる。
 吉本興業の件では、様々な人たちが、それぞれの力を行使した。会長、社長、松本人志、加藤浩次、明石家さんま、売れっ子の芸人や売れていない若手芸人、多くの人がどこかで何か「意見表明」をした。「力」の大きな人は大きな力を使い、小さな人は小さな力をせいいっぱいに行使している。
 宮迫さんや田村亮さんもある程度「力」があったからこそ、AbemaTVも会見に協力してくれたし、多くの人が耳を傾けてくれた。彼らの「力」はちゃんと「力」として機能し、マスコミにもテレビを見ている人にも、ネット配信やSNSなどを見た人にも、それなりの効果を与えられたと思う。くまだまさしや2700だったら、こうはならない。
「力」というのはそういうものである。小さな力よりも、大きな力のほうが強い。当たり前なことに。
 そして、島田紳助さんにいわせれば、宮迫さんレベルの芸人であっても「もっと偉なってから言えと。偉くなってもういっぺん喧嘩せいと」(週刊新潮)なのである。吉本興業や芸能界というものの大きさを感じさせる、重たい一言だ。
 ナインティナインの岡村さんはラジオで、「みんな冷静になってください。社長や会長と対等に話のできる諸先輩方が、掛け合ってみると言っているのだから、とりあえず任せましょう。それでもだめなら、改めて考えましょうよ」(大意)というようなことを言っていた。なんともまともな意見である。まともすぎるせいか、ワイドショーやインターネットではあまり注目されていない。

 現時点で「力」のない人たちは、コツコツやるしかない。コツコツやって、「力」を得て、使いたいなら使う。小さな「力」では、行使したところでほぼ効果はない。(ここで、僕はもちろん、吉本の件とはぜんぜん違うことも視野に入れている。「このいましめ、万事にわたるべし」である。)
「でも、その小さな力がたくさん集まれば」というのは祈りでしかない。実効性があるかは別の話である。「集める」には「集める」ための「力」が必要なのだが、その発想がなければ、そうそう集まりはしない。「それじゃお前らみたいなやつらしか集まんなくて、お前らみたいなやつらってせいぜいお前らくらいしかいないんだよ?」と、僕はいっつも思っている。
 本当に力を集めたいのなら、一人一人が「力」を大きくしていって、それを「集める」ために使う、という手順を地道に繰り返さないといけないのに、そういう発想がない。なぜかって、そんなこと面倒臭いから。たくさんのことを、いろんな角度から考えて、実践しないといけないから。
 政府がくれる「一票」とやらは、タダで手軽にもらえる。それを行使するだけなら楽ですよね。デモも署名もツイッターもYouTubeも、タダで手軽に与えられている。自分では何も考えなくたって、やるべきらしきことは目の前にすべてある。誰かがすでに言っていることに、ただ続くだけでいい。
 みんな面倒なことをしたくないし、自分のお金をできるだけ多く確保したい、ということなんだ。だからみんな、二言目には「税金」と言うんだね。


 ついでだから「お金」について思うことを。
 よくこんな意見を耳にする。「〇〇万円の給料から、所得税、住民税、年金、保険料その他いろいろ引かれて、さらに消費税が10%もとられたら、10万円くらいしか残らないよ!」とか。(金額は適当です。)
 もし、この意見に「本来は〇〇万円もらえるはずなのに!」というニュアンスが含まれているのだとしたら、非常にふしぎなことだ。「自分は本来〇〇万円もらえる仕事をしている」と錯覚していることになる。いったい何を根拠に、あなたの仕事の対価が「〇〇万円」であると思うのか。それは「あなたの給料は〇〇万円です」と雇用元から言われたから(明細に書いてあるから)だけではないのか。
 あなたの仕事の対価はそもそも、10万円なのである。そこから逆算して、「〇〇万円」が導き出されるのである。本当の順序はこっちなのだ。
 あなたは10万円がもらえるくらいの仕事をしている。10万円に、所得税や住民税や年金や保険料や、各種の間接税などが《加算》されて、「〇〇万円」という額面になっているのである。(この考え方が間違っているとしたら、ぜひ教えていただきたいです。)
 注目するべきなのは「〇〇万円」という額面ではないのだ。実際にあなたが使える「10万円」なのだ。それが「現実」である。
 さらに、その「10万円」がどのくらいの価値かというのは、市場(物価)が決める。
 だからもっと詳しくいえば、あなたが気にするべきなのは「あなたが手にした価値」なのだ。

 こんな言い方もよく見る。「消費税10%をあわせると税金的なものの割合が給料の30%を超えるので、一年に四ヶ月くらいはタダ働きしている計算になる」というもの。これも錯覚。数字の詐術。
 あなたは働いた対価をちゃんと得ている。明細にはもうちょっと大きい数字が書いてあるというだけだ。複雑な事情があって、そうなっている。その「複雑な事情」をすべて無視して、ただ「ヤダ!」とだけ言うのなら、それは単なるわがままだろう。

 あなたが「まず」考えるべきなのは、「あなたが手にする価値」についてである。それが十分であれば困らないし、十分でなくて困るのであれば、なんらかのアクションを起こしたほうがいい。
 が、ここで「税金的なもののせいだ!」と思うのはたぶん早計である。
 果たしてそれは「税金的なものの額」だけのせいなんだろうか?
 当然そこには「複雑な事情」がある。
 あなたが自分の手にした価値(かりに「10万円」)を「少ない」と思うのだったら、その原因として考えられる「複雑な事情」のすべてに目を向け、片っ端から分析し、是正できるところから是正していかなければならない。
「税金的なものの額」だけを考えていても、事態はよくならない。だって、よっぽど複雑な事情があってそうなっているのだ。「おれからとる税金をもっと減らしてくれ!」という単純な嘆願によってひっくり返ることは、まずないと見ていい。かりに税金が減ったとしても、「複雑な事情」はたぶん許してなどくれない。形をかえて、ふりかかる。
 税金的なものたちは、ひとまずは「所与」なのである。ともあれそういうものが、今現在は(変更が決まっているぶんまで含めて)「ある」。道路や信号や横断歩道がすでに無数にあって、それを不満に思ってもなかなか変えられないというのと同じである。時間は巻き戻せないのだ。
 税金的なものたちは、すでに存在している病院や警察や学校やさまざまなインフラや福祉や防衛費や外交費や国会議員の給料や宮内庁の予算などなど種々の複雑な事情によって設定されている。それに文句を言ったところで、すぐにはどうしようもない。
 まず大切なのは「どのくらいの貨幣価値があなたの手元にきたか」なのだ。

「複雑な事情」という大きなものを変えていくことは、少なくともすぐにはできない。だから、ひとまずは「自分の生活を素敵にする」方法を、考えられるのなら考えたほうが、いいと思う。
 たとえば、税金的なもののことだけでなく、もっとべつの視点からでも「あなたが手にする価値」を高めるやりかたを考える。あるいは、「その価値のままですてきに暮らしていくやりかた」を。

 そういえば、若い人たちは消費税について「生まれたときからあったものだし、たったの数%上がるだけでそんなに騒ぐのがわからない」と思っているのではないか、という意見をどこかで読んだ。
 まださほど勤労も納税も経験がないからピンと来ていないのだろう、とも思えるが、「生まれたときからあったものだし」という部分については、注目しておきたい。35歳以上の人たちは消費税がなかった時代を覚えている。50歳以上ならば、大人になってから消費税ができている。20歳の人は生まれた時には5%で、15歳くらいで8%になっている。
 消費税があるのは当たり前で、上がっていくのも当たり前。8%も当たり前。
 消費税以外のものをとっても、どの世代をとっても、何かそういうものはあるはずだ。いま生きているすべての世代が、「〇〇があって当たり前の世界に生きている」のだ。
 平和(戦争のない状態)があって当たり前、とか。
 世代間ギャップとはそこにある。そういうことを問題にする限り、「分裂」はおさまらない。
 考えるならば、もっと普遍的なところに目を向けたほうがいい。
「いかにして(みんなが)すてきに暮らしていくか」。
 キーワードは、僕なりにいえば「かしこさ」と「やさしさ」、あと「めんどくさがらない」こと。そのあたりを軸に、考えて、生きていく。


 しかし、そういうことを考えられるような人は、考えたほうがいいと僕は思うが、「考えられない人」はどうしたらいいか。「少しでも考えられるようになる」のがいいだろうと思うが、そうも言っていられない事情はあるはず。
 いま、僕が言えるのは、「考えられる人が一所懸命考えるしかない」である。面倒くさがらずに、考えられるなら、考えるほうがいい。「考えられない人」も含めたみんなが、少しでもよくなるように、一所懸命考える。それでうまくいけば、「考えられない人」にも考える余裕や気持ちが芽生えるかもしれない。
 なんか、代議士制の本来、みたいな話をしているかのようだ。でもそれは今のところうまくいっているともいえないようだから、できるだけ多くの人が、できるだけいっぱい考えたほうが、いいんじゃないかしら。
 それでちょっとずつでも、「力」をつけていったほうが。それがたぶん「実効性」への地道な道と思う。


 巨大なる「複雑な事情」をほぐしていくものがあるとすれば、一人一人のかしこさと、やさしさ、そして面倒くさがらない気持ち。それらを「実効性」というテーマのもとに、うまく活用していく。
 宮迫さんや加藤さんは、ある程度「力」があったから、ある程度「実効性」のある方法が取れた。会社や世間をある程度動かしたことは疑いがない。が、紳助さんにいわせれば「まだ早い」のだろう。ナインティナインの岡村さんや明石家さんまさんのように本当に賢い(と僕は思う)人は、焦らず、現状を冷静に把握し、虎視眈々と「実効性」をたくわえている。

「団結すればするほど、国民からは離れる」というタモリさんの箴言を思い出したい。「団結」による実効性など、その程度のものである。団結は分裂を強化するだけなのだ。タモリさんにはそれがよくわかっている。そして、それをたった一言だけでもテレビで言ってみることも、彼にとってのささやかな「実効性」なのかもしれない。
 ここで「団結」というのを、「誰かの言っていることにただ乗っかる」まで広げて考えてみると、「ああ」と僕は思い当たる。
 たくさんのことに、思い当たらないものですか。


 ところで、どうしてみんな、そんなにも「トップダウン」が好きなんだろうか? トップに泣きついたり、脅したりすることばかりを考えるのだろう? あるいは、「おれたちの中からトップを出そう」とか「おれたちがトップを選ぼう」と考えるのだろうか。答えはたぶん、それ以外のことを考えるのは大変だからだ。能力がないし、面倒だからだ。学校や会社組織や、自分の育った家庭でやってきたことの延長でものを考えるほうが、自然なのである。
 これが「愛情も教育も上から下に注ぐことが前提にある」ということの問題点。
 ぜんぶつながっています。

(なぎは弓ヘンに旧字体の前に刀。)

2019.7.28(日) 幸福の原点と「わかる」の卒業

 いろいろと思うことはたくさんあっても、自分の人生のなかで今ほどしあわせな時期はない。物心ついたときから、末っ子の僕の中には「わかってもらえない」が充満していた。3人の兄は僕の考えていることを「自分が考えている範囲」の中に収めようとしていた。まさか一番下の弟が、「自分が考えていない範囲」について思いを巡らせているなんて、想像もしなかっただろう。無理もない。きっとほとんどの場合はそれで正解だったから。でも、そうじゃなかったこともいっぱいあった。
 学校に上がれば、先生や同級生もまたそうだった。こちらの考えていることを勝手に汲み取ったり、刈り込んだりした。中学生まではずっとそうで、高校に上がって知恵がつき言葉も育ってからは、「なんでわからないの?」という態度に変わった。そこから先はこのHPを参照のこと、である。
 一方で両親は「わかる」とか「わからない」というアプローチをあまりしてこなかった。末っ子だったからでもあろうが、それにしたってこれは本当に偉大だと思う。「両親にわかってもらえなかった」という記憶がまったく思い浮かばない。「わかってもらえた」という記憶も、ほとんどない。だから僕たち親子は永遠にわかりあうことがなくていいし、そのままで最大に幸福なのだ。

 高校生より先、「なんでわかんないの?」という傲慢な内心を持ち続けて、ひたすら「説明すること」に努めた。やりかたはけっこう雑ではあったと思うが、徐々に身を結びはしているはず。それでようやく、このあたりにいたって、まったくわかってくれますな、という人たちが何人かいるし、わかりかけている気がする、わかりたい、というふうに思ってもらえることも増えた。ありがたいことです。
 そんな幸福のただ中にありながら、一週間くらい前は実のところ「なんでわかんないの?」が膨張して破裂寸前になっていた。今やっと、「そろそろつぎの段階ってことだな」と冷静に考えることができている。
「わかってもらえない」という悲痛な叫びから、「なんでわかんないの?」という傲慢な主張になり、さてその次はなんだろうか。
 謙遜せずにいえば、もうとっくに、12年くらい前から、「つぎの段階」にいるはいる。「まずは僕がわかんないとな」である。自分がわからないくせに、他人に「わかれ」と願うのは、それこそ傲慢。「なんでわかんないの?」という声はとりあえず隠して、「まずは自分がわかろう」とたぶんここ12年くらいはやってきたつもりなのだ。
 今、自分が「わかっている」状態にあるとはもちろん、思っていない。本当に、わからないことは果てしなくある。だからこそ、もう「わかろう」じゃない段階なのだろう。そして同時に、「なんでわかんないの?」も捨てるべきタイミングに来ている。
 すなわち、「わかるとかわからないとかじゃない」という境地。それが具体的にどういう状態なのかはしらないが、たぶんもう、「わかる」という周辺にいることは休んだほうがいい。すぐにそうはできないが、すこしずつ軸足をうつしていきたい。
 で、その前に「わかる」まわりのものごとを一つの文書にまとめておきたい。もうそろそろそれができそうな気がする。そういう形でけりをつけないと、「同じ種類のわかりかたを延々続けている人」になってしまうだろう。それはそれでかっこいいはずなのだが、僕はすでに飽きている。
 いや、もうしばらく「わかる」のことを続けますよ。一年くらいで、なんとかしたい。

2019.7.25(木) 優しさにつけこまれて三千里

 長文書いていますが完成しません。もう少々お待ちください。
 ここんとこずっと考えているのは「甘え」ということ。この定義は前に決めた。

「甘え」とは、「他人に負荷を与えることがわかっていながら、あるいはその可能性がかなり高いことに気づいていながら、自分の負荷が軽くなることのほうを圧倒的に優先してしまう態度」のことである。
2017.06.03(土) 甘えとは

 甘えている人は、「この人になら、負荷を与えてもいいや」と思っているのである。たいてい無根拠に。たとえば親などに。
 自分は、そう思われがちな人間になってしまっているのかもしれない。「負荷を与えてもいいや」とまではいかなくとも、どうやら「ジャッキーさんにとっては、たいした負荷じゃないだろう」と、思われてしまっているフシがある。「お母さんにとっては、たいした負荷じゃないだろう」と、世の子たちみんなが思ってしまっているように。ちょっとでも楽になったほうがいいに決まってる、本当はそれがわかっていながら、「まあでも、お母さんにとってはたいした負荷じゃないだろう」と勝手に思うようにして、お皿を片付けなかったり、いやな態度をとったりしてしまうのが、世の子である。(「世の子」といっても、特定の宗教の話をしているのではありません。)
 そうだとしたらある意味誇らしいことで、僕はそういうお母さんとかお父さんみたいに、強っちい人間だと思われてるってことだ。すごい。でも、いたわられたいね、たまには。いや、いつでもね。
「あの人は好きでやってるんだろう」とか「何も言わないから大丈夫だろう」というのを、勝手に思い込んで、自分に負荷が降りかからないようにするのが、「甘え」である。「かもしれない運転」を心がけましょうよ。
 これ別に、ある特定の人に向かって書いているのではなくて、みんなそうなのである。向けているのだとしたら、「たくさんの特定の人」に向かって、書いている。
 四方八方あらゆる人たちがそういうふうに見えて、たいへん今僕は負荷を感じているのだ。(被害妄想! と言うような人のことは、知らん。つかれてきているのは、確かである。)
 おとうさんおかあさんいまさらながらごめんなさい、ありがとうございます。ばちがあたりました。でもそのくらいには、いいやつになったよ。

2019.7.21(日) 

 きびだんご持ってようね

 から、始まる詩を書きましょう。
 他人はあてにならないです。

2019.7.17(水) 水色のタンブラー

 いちばん好きな喫茶店はどこか、と聞かれたら祖母のやっていた「駒」で揺るがないが、ほかでなら、本所三ツ目通りのあるお店。創業83年、何もかもが古いように見えて、よく見れば何もかもが「今」であるような、美しい空間である。つい最近、メニューが全面的に改められた。まだまだ続けるつもりなのだ。
 こないだ祖父が亡くなって、葬式には「駒」の店内で夫婦ならんだ写真が飾られていた。それで当時使っていた「冷やタン」つまり、「お冷やのタンブラー」の種類がわかった。その水色のタンブラーは、おそらくアデリアというブランドのものと思われた。
 この5月26日水曜日、「がまぐちや」という湯島の小さな喫茶店が43年の歴史に幕を下ろした。その際に食器などをまとめてお譲りいただいたのだが、その中にあった「冷やタン」もアデリアである。ただし色のない透明なもので、「駒」にあったのとは少し違う。
 今日、三ツ目通りの件のお店でソーダ水を飲み、お会計しようと立ち上がる瞬間、カウンターの脇に下げられていた「冷やタン」に目が止まった。それはアデリアの水色のタンブラーだった。
 何度となく通っているこのお店で、このタンブラーは初めて見た、気がする。いや、ひょっとしたら何度も目にしていて、「駒」と「がまぐちや」のおかげで、意識がようやくそっちに向くようになっただけなのか。
 聞けば、その水色の冷やタンは「ずいぶん古いもの」で、「もうこの一つしか残っていない」という。
 祖母は86で健在である。もしも道路拡張の話がなければ、「駒」はまだ営業を続けているのかもしれない。
 二重写しになる。あの人たち、もしかしたら同い年くらいなんじゃないかなあ?
 ほんとにただ、そんだけの話。

2019.7.16(火) 現状を問いかける陥穽

「よくなりたい」と思う人たちがいる。一方で、「悪くなりたくない」と思う人たちがいる。
「悪くなりたくない」と思う人たちの中には、「自分の現状に問題はない。だから、現状を維持したい」と考える人たちがいる。
 美しい女性が、「私はいま十分に美しい。現状を維持したい」と思っているような、イメージである。

 わたしはいま十分にかっこいいのだから、かっこ悪くなりたくない。
 そういうふうに考える人たちの中には、「よくなりたい」という気持ちがあんまりない人たちがいる。
「悪くなりたくない」という考え方が強い人は、「悪いところをなくしたい」という気持ちになってしまいがちである。(ここは僕の決めつけである。)
「悪い」を起点に考える。

 つまり、なるほどこの話は、「よい」を起点にものごとを考える人たちと、「悪い」を起点にものごとを考える人たちの話なのだ。
「悪い」を起点にものごとを考える人たちは、「現状」というものに注目している。「よい」を起点にものごとを考える人たちは、「未来」を見ている。
「悪い」について多く考える人と、「よい」について多く考える人、の違い。

「かっこよくなりたい」というのと、「かっこ悪くなりたくない」というのとの、違いである。
 未来のかっこいい自分をイメージしているか、過去から現在までのかっこよかった自分をイメージしているか、という違いかもしれない。
 前者は、「かっこいい」ということの検証が不可能であることを、踏まえている。
「現在」や「過去」がかっこよかったかどうかは、自分ではわからない。
 だから、せめて未来だけは、と努める。

「かっこ悪くなりたくない」という人は、「かっこいい」ということの検証が可能だと思っているきらいがある。「悪くなりたくない」という人は、「よい」ということの検証が可能だと思っている、きらいがある。
 検証はできない。だから「よくなりたい」しか存在できない。
 せいぜいいって、「よくありたい」だ。

 ところでいまいる居酒屋。「のみや」という名前(!)なのだが、マスターが超かっこいい。なんなんだろうな。てきぱき動いて。
 かっこつけてないんだ。いつかは、この境地に。


 ちなみに僕は、口ではたまに「かっこ悪くなりたくない!」と叫びます。そういう時は、「ああ、自分のことをかっこいいと思ってるんだな」と、ほほえんでいただけたら幸いです。
(そういう瞬間もある、ってことです。)
 やっぱ、鶴瓶さんの「もっとおもろなりたい!」はすごい一言なのだ。
 ところで、この記事のような論理(?)展開はちょっとそろそろ一区切りしたいので、こういうふうなものの考え方をまとめて小冊子でも書き下ろしたいです。(いつもの皮算用)

2019.7.14(日) 発想の断片(予告篇)

 書きたいことの7分の1も書けていない。日記もだし、夜学日報はじめ夜学バーHPもだし、夜学マニュアルもだし、冊子もどんどん作りたいし。豆本のことだって忘れてないんだ!
 あと、塾で長らく働いている友達に、塾をやるべしと背中押されたので、なんとか夜学バーか、あひる社か、ないしどっかしゃん(名古屋弁)使って、何かやれたらいいな。まずは国語の授業か、文章講座か。まあ、そのうち……。まずはもうちょっと時間的精神的余裕を作らないと。

 今日はもう寝てしまう(現在午前5時、時間が二人を朝にする時刻)ので、予告めいたことを書き置く。エッセンスだけを手短に。


「言葉の一つ一つに気を遣わない人」についてずっと考えていて、ちょこちょこ書いているのだが、言葉だけでなく「目線(視線)」もあまり意識されていない。
 その目線(視線)が、どういう意味を持つのか。それを向けられた相手や、その様子を見ている第三者をどう感じさせてしまうのか。そういうことに気を遣わない人についても、考え始めている。
 目線(視線)というのは比喩としてではなく、そのもの。その目がどこをどう見ているか、というのは、みんなけっこう敏感に察知している。向けられた相手はもちろん、周囲にいる人たちも。目は口ほどにものを言う、というのは本当だ。
 最近ずーっと書いている、「客観性」ということと、深く関連している。


「妖精やコロボックルがいないとは考えていない」という人で、信じられないほど賢い、という例を、僕はいくつか知っている。僕が狐に助けてもらったエピソード(この話は、頭がおかしいと思われるのが怖くて、そんなに頻繁には語っていない)を聞いて、「あると思います!」と思ってくれるような人たち。それはいわゆる「オカルト」や「スピリチュアル」みたいなものとはだいぶ違って、ただ単純に、「妖精やコロボックルがいないとは考えていない」くらいの温度で。つまりそれは「慎重で誠実な人たち」ってことでもあると思う。だから賢くなっていくんじゃないかしらね。
 斉藤洋さんの『ひとりでいらっしゃい』について、まとめておきたい。あの本がめちゃくちゃ好きで、みんなに読んでもらいたい! という感じでもないけど、ある一面において、まったく完璧にすごいお話なので、そこだけは共有したいのである。
 とくに子供のふれるお話において、「ある」かどうかは非常に重要だ。「(ありえ)ない」話は、ぞくぞくしない。「ある」話のほうがいい。僕は、『はてしない物語』は「ある」と「ない」のすれすれのあたりにあって、「ナルニア国」は、(生育環境も影響しているのかもしれないが)「ない」ような気がする。岡田淳さんの諸作品は「ある」ようなものがほとんどだ。
 僕は意外と、「こそあどの森」にはまるのが遅かった。岡田淳さんの話のなかでは、一見「ない」ように見えるからである。でも、実はどの作品よりも「ある」のかもしれない、とわかってから、ずずずずずっと深くのめりこんでいった。
『星モグラ サンジの伝説』なんかは、究極に「ある」話だと思う。『竜退治の騎士になる方法』なんて、「ある」の極致。なにも不思議なことは起きていない、かもしれない。
 斉藤さんの『ひとりでいらっしゃい』も、芸術的に「ある」話になっている。
 ズッコケ三人組は、とりわけ初期のほうは、べらぼうに「ある」だった。中年シリーズは、もう「ある」でしかない。(子供は読まないだろうけど。)
 ドラえもんは、机の中からやってくるところが、「ある」感じを帯びさせている。
「ある」ってのがなんのことかっていうのは、たぶん『注文の多い料理店』のに書いてあります。
 で、この「ある」っていうのは、「あったらいいよね」じゃなくって、本当に「ある」なのだ。妖精やコロボックルが「いない」とは思っていない、というぐらいでいいから、本当に思えねばならない。
 そこはけっこう基礎の基礎なんじゃないかと思う。何のって、愛のですよ!(本気で言っている。)
 神様に関わることですからね。


 ちょっと僕はなめられすぎなのではないか? という問題。「みなさんジャッキーさんを甘く見すぎでは?」と問題提起してくださったかたがいたので、ちょっくら真剣に考え、できるなら対策もしていこう。僕はもしかしたら「みなさん」が考えているよりずっと賢く、鋭く、かつ、デリケートでセンチメンタルな人間かもしれないのですよ! だいたいのことは、「みなさん」が自分で思っているより、見抜いているので、気をつけていただきたい……。
 で、たぶん、「みなさん」が思っているよりも、僕は優しく、控えめで、意気地がない。だから直接は何も言ってこない。それほど恐ろしいことはない、ということを、もうちょっとわかっていただけたら幸いでございますけれどもな。

2019.7.11(木) ナゴ・ジャニ・そら、∞

 19周年です。ありがとうございます。
 何度も書いていますが20周年の来年、2020年7月11日(土)は、10年ぶり2度目のオフ会(!)をおこないます。会場は夜学バー、13〜17時くらいを考えています。
 せっかくなのでホームページのお客だけを呼びたく、今日をもってこのHP以外ではいっさい告知しないことにいたします。さて、どのくらいくるかなあ。土曜日なのでみなさん、予定を空けておいてください。今から。来られない人は、ぜひとも電報……というかメールフォームからでいいのでコメントください。匿名でも送れるので。
 かくれて読んでくださっている方々、10年にいちどの機会なので、よろしければ、何か。
 2010年に、初めてオフ会と称した集まりをしたんですよ。ほぼジョークで。その時に「次回は10年後!」と言ってしまったので、やります。こればかりは。イベントみたいなのはあんまりやりたくないんだけど、これはもう仕方ない。

 この日記のタイトルよくわかんないかと思いますが、名古屋市のマークは「八」なので、関ジャニ∞よりもナゴジャニ∞のほうが正当性があるぞ! という心の叫びです。名古屋ジャニーズどうなったんでしょうね。(一生言い続ける所存。)

東海地方で活動するジャニーズJr.が在籍するユニット、通称ナゴジュ。ジャニーズJr.黄金期に誕生した。関西ジャニーズJr.と違いTVレギュラーや単独コンサートをしないため、先輩のバックが主な仕事であった。そのため名古屋ジャニーズJr.が存在しているのかすら、あやふやな時期が長く続いた。しかし2012年のSexy Zoneコンサートで平野紫耀と岡本カウアンが名古屋ジャニーズJr.として紹介され、組織の存在が確認。
ただし彼らもジャニーズJr.もしくは関西ジャニーズJr.として活動した。
ちなみに名古屋jr.からCDデビューを果たしたのは千賀健永と平野紫耀のみとなる。
(https://dic.pixiv.net/a/名古屋ジャニーズJr.)

 平野くんがナゴジュだとしたらナゴジュすごいジャン。
 ただ「組織の存在が確認」とあるけど、これ本当なのかな。適当に名古屋の子たちだから名古屋って言っただけで、「組織」はべつにないのではないか……。研究が待たれる。
 ナゴジャニがなぜか気になるくらい、僕は生粋の名古屋人なのです。このホームページを始めたときは、もちろん僕は名古屋にいました。15歳の高校一年生でした。
 一度だけ兄に「ジャニーズ入る?(勝手に応募するぞ)」と言われたことがある。怪奇倶楽部とかやってたころかな。たぶん小学生。もし僕がジャニーズに入っていたら(入れるかどうかは知らないが)当たり前だけどぜんぜん違った人生だった。こんなホームページを公開するような人間なのだから、ヤバさだけでいえば堂本剛さんや渋谷すばるさんに匹敵する(もしくは超える)。たぶん、30人くらいのコア〜なファンが熱狂的に応援してくれたんじゃないかな……。で、なんかどっかのタイミングで退所してるでしょう。かなり早めに。個人的には金八に出て風間くんルートに乗りたい。
 それにしても。一度でも履歴書を送っていたら「ジャニーさんに選ばれた人間」もしくは「ジャニーさんに弾かれた人間」になれていたのか、と思うと、ぞくぞくしますな。すべての履歴書をジャニーさんが見ていたかどうかは、これも知らないけど。
 男子たるもの、一度はジャニーズに履歴書を送るべきだったのかもしれない。まだ名古屋ジャニーズが元気だった時代(要出典)に……。

 そんなことを夢想させるジャニーズおよびジャニーさんはやっぱりすごい。僕はべつにジャニーズが好きなわけではない。単純に考えても複雑に考えてもジャニーズを「良いもの」と評価することはできない。ただ、めちゃくちゃ面白いとは思う。そして、「存在してしまったからには必要であった」ものだとも思うし、「怪物的に芸術的なもの」だとも感じる。ジャニーズがこの世になくてもよかったけど、ジャニーズがこの世にあってしまったから、今こういう世の中になっているのかもしれない、とさえ考えることがある。そのくらいジャニーズは巨大である。ジャニーさんという人が怪物すぎて、「ジャニーズがなかったらなかったで、代わりのものが流行ってるでしょ」と単純に考えることができない。ジャニーズがなかったら、いったいどうなっていたのだろう? ひょっとしたら、ないほうがよかったかもしれないし、あったほうが圧倒的によかったのかもしれない。わからない。そういうところが、本当に面白い。
 ここから適当なことを言うので識者は割り引いて読んでほしい。
 ジャニーさんの感性はアメリカ的なものだと言われることがあると思うし実際ある程度そうなんだろうと思うんだけど、しかしジャニーズというものは実際ものすごく日本的なものだと思う。だから、意外と男性アイドルまわりにあるものは、さしてアメリカナイズされてこなかったのではなかろうか。ジャニーさんは実は、ジャニーズによって日本の文化的感性を守っていた人だったのではないかと。
 近年ジャニーズの力が弱まっているとしたら、代わりに強くなってきたのはたとえば具体的にはLDHでありK-POPでありDA PUMPである。それらはすべて、むっちゃ乱暴にいえばアメリカなのである。(K-POPにはちょっと異論があるかもしれないが。)こういう価値観の流入を、たった一人で防いでいたのが、ジャニーさんだったんじゃないだろうか。
 少なくとも源氏物語の頃から続き、文学や浮世絵、漫画、歌舞伎などの芸能へと受け継がれてきた日本の文化的感性を、「男の子」というパッケージ(!)に落とし込んで表現した演出家が、ジャニーさんであった、と言ったら、ちょっと無茶苦茶だろうか。まあ19周年だし言わせてくださいよ。
 ジャニーズは日本の立派な伝統芸能であって、だからこそ「河原者」みたいな側面があった。貧乏の影があった。性的虐待と呼ばれるようなこともあったのだろう。裏社会とのつながりだってまったくないわけがない。そういうことは日本の芸能のこれまでの歴史を見ていけば、どこにだって当たり前にあったことだし、今でもあることだ。だから僕はジャニーズを「良いもの」とは言えず、しかし「面白い」と言えるのだ。芸能とはそういうものなのだ。差別を前提としているのだ。
 吉本興業がアメリカ的でないのと同じくらいには、ジャニーズもアメリカ的でない。欧米式でない。西洋風でない。で、もしも吉本がなく、ジャニーズがなければ、芸能界はどうなっていたであろうか? というと、ひょっとしたら今のように日本的な雰囲気はなかったかもしれない。
 そのことの是非はある。日本的なのはやめにして、アメリカ的にしようという声もある。具体的には、事務所制でなくエージェント制にしよう、とか。もしも吉本が崩れ、ジャニーズが崩れれば、そういう流れにもなるのだろうか。そろそろもう、事務所の看板がモノを言う時代ではなくなるという見方もある。ユーチューバーやオンラインサロンで稼げたり、商業よりも同人誌のほうが割りが良くなったり、手売りのインディーズミュージシャンがけっこうやっていけちゃったりするのなら。
 ただ、そうなると、誰が価値観とか、美意識をリードするのだろう? それをやっていたのが、ジャニーさんのような人だったのだ。ジャニーさんは「こういうのがいいんだよ」と人々に教える、教育家の側面も持っていたはずだ。それはタレントに対してだけでなく、広く世間のみなさまに対して。「日本において、かっこいいとはこういうことだ」ということを、世に知らしめていたわけだ。で、最終的には「世界が平和であるってのはこういうことだ」と言いたかった人なのだ。たぶん。
 これからの世の中は、もしかしたら、リーダーなんていなくなるのかもしれない。みんなが好きなようにやっていって、それでなんとなく成り立っていくのかもしれない。でも、それで「すてきな世界」になるためには、みんながもうちょっとずつかしこかったり優しかったりしなければならない。それが心配だから、教育家はついつい「教育」なんぞに身を焦がしてしまう。
 教育とか愛情ってのがどういうものか、というのは9日の日記に書いた。ジャニーさんは天才で怪物で、だからずいぶんうまくできたほうだとは思うけど、それでもやっぱり、教育とか愛情の限界だけは突破できなかったんじゃないかと思ってしまう。それは同時に人間の限界でもあるだろうから。教育も愛情も、上から下に注ぐものでしかないのだ。いくら敬語を禁止したって。いくら身体を使ったって。家族があんなにたくさんいたジャニーさんに、友達はどのくらいいたのだろうか。

 7月11日(木)午前0時でサイト19周年。あと3時間半。店には客が一人のみ。そのうちみなさん、祝いに来てね。(言わずにね。)

2019.7.3(水)〜5(金) 札幌と酒場と喫茶店

<3日 水>
 新千歳空港から札幌へ。17時ごろ着き、地下をダッシュして「わらび」という喫茶店に向かったが、閉まっていた。ネットで調べたら18時までとあったが、17時半の時点でもう真っ暗。最近は早めに閉めるようにしているのかもしれない。
 待ち合わせまではまだ1時間ほどあったので、そのまま「すすきの」周辺を歩き回った。言うまでもなく、北海道でいちばんの繁華街。すすきの交差点ではフジテレビの『ザ・ノンフィクション』で二度取り上げられたオルカという芸人を探したが、いなかった。現在はどこにいるのだろう。それから狸小路のあたりを入念に下見した。いくつか気になるお店があった。その一つが「mayu 繭」。あとで出てきます。
 ぶらぶらしていると、「30分ほど遅れます」という連絡があった。30分あれば。「ポロクル」という貸し自転車で散策することにした。手続きなし、パスモをかざすだけで乗れてしまう。東京で登録したアカウントが全国共通で使えるようになったのだ。そして安い。60分で150円。
 ぐるぐると走り回る。最初に街の雰囲気や構成などをできるかぎり把握しておくと、あとで効いてくるのだ。直観で川を渡ってみる。思った通り、良さげな小さな飲み屋が軒を連ねているエリアがあった。繁華街を外れると家賃が安くなるので、儲けよりも志を重んじるようなお店(ようするに、個性的な店)が増えてくるものなのだ。あとでまた来よう。
 19時すぎ「未来カレーこりす」へ。友達がアルバイトしていたとのことで。とてもおいしかった。おすすめ。そこで人と合流。前に一度、僕のいる夜学バーに来てくださったことのある方。フリースクールを運営していて、そのお話を聞きたくてお誘いした。のちその同僚の某さん、「訪問と居場所 漂流教室」という名のこと(だいぶあとに詳述)をしているPさんもやってきた。
 だれもドリンクやサイドメニューを頼まず、カレーとパンないしライスだけを注文。食後はごく自然に個別会計。やはり「自由を基盤とした学びないし福祉事業」的なもの(もちろん、ここには夜学バーも含まれる)に手を染めている人たちの集まりだ。そういうことなのだ。
 東京の東陽町にある「古本と肴 マーブル」の店主から「小学校の同級生がやっている」と紹介された「小さな呑み屋さん ipeko.」へ。コーヒーウォッカを飲む。某所の料理長、インフラ系のえらいひととその部下らしき人などと肩を並べる。良い雰囲気。
 2012年、狸小路七丁目にできた「たぬきスクエア」という飲屋街にそのお店はある。ここんとこ地方に行くと「美しく整備された人工的な飲屋街」みたいなものをよく見る。(都心にもある。)だいたいは風情に欠け、さして面白そうなお店も入っていないものだが、ここはちゃんと(?)迷路のようになっていて、歩いていたらいつのまにか隣の建物に迷い込んでいたりするし、狭くていい感じに汚くさえある。
 odecoという立ち飲み屋をすすめられたので行ってみる。RPGのように、町の人から情報を聞いて行き先を決めるのは旅の楽しさのひとつ。黒ラベルを。札幌はやっぱりSAPPOROが多い。
 猫の額のように小さなお店。最大8人入る、と店主は主張するが実際3〜4人も入れば窮屈になる。8人入ったら楽しそうではある。出張で来ている人が二人もいた。東京からの方もいたので、お店の名刺を渡しておいた。このように僕は常に旅行と「営業」(宣伝)とを兼ねているので、旅費交通費飲み代などはすべて経費なわけである。(個人事業主としての経費にしているので、お店のお金に手をつけているわけではないです、念のため。)もちろん、作法というものの少しは心得ているつもりなので、だれかれ構わず名刺を渡すわけではない。「この人とここで別れて一生会えないのはもったいないな」とか「この人はぜひ夜学バーにきてみてほしい」と思ったときに、こっそり、小さな音で渡すようにしている。
 Wというバーへ。ブランキージェットシティやイエローモンキーやギターウルフなどのポスターが貼ってある。入り口には清志郎も。価格もお客も店主も具合よく、札幌の定宿ならぬジョウミセになりそうだ。ジェムソンのロックとラムコーク。関東によく行くとか、東京から出張で来ている、という方もいた。
 すすきの交差点に出る。やはりオルカはいない。グーグルマップで「おにぎり」と調べたら、朝までやっている「蜂屋」というお店を見つけたので行ってみる。これが名店だった。おばあちゃんがおばあちゃんにOJTしていた。水商売のおねえさんがおにぎりを食べていた。煮卵のおにぎり、梅のおにぎり、お味噌汁で、ちょうど500円。
 東に歩き、町外れの小さな店が並んでいるほうへ。(いま調べたところ創成川イーストなどと呼ばれ、近年再開発されているエリアらしい。)いちばん目立つきらびやかな、トチ狂ったような店に入る。こういうお店にありがちな「よく(旅行で来て)この店を選んだね!」という褒め言葉が。このあたりでいちばん古い店、とのことだった。隣のお客さんと話す。「宿はどこ?」「決めてないんです」「えー! じゃあサウナのタダ券あげる!」ということで、ビールとハイボール1030円と深夜料金600円でお風呂と仮眠室をえた。


<4日 木>
 宿(男性専用サウナ)に着いたのが午前3時くらい。6時半まで機械に充電しつつ仮眠をとり、起きてお風呂に入って7時半には札駅に。某駅までの往復券と特急券(なんと360円足すだけで乗れる!)を購入し列車に乗る。サングラスかけてちょっと寝る。
 9時前に到着。とある喫茶店を訪ねるために来た。インターネット上にほとんど情報がないお店で、やってるのかどうかもわからない。店主がもう97歳くらいとのことで、開いていないのは覚悟のうえ。果たしてこの時間、閉まっていた。「営業中」の札はついたまま。ぐるっと町を散歩してから戻ると、なんとさっきは閉じていた窓が開いていた。しかし人の気配はない。少し待ってみようと近所のCという喫茶店に入る。
 ボックス席側の電気がすべて消えていたので、カウンターに座った。他に客はなく、お店の方々に話しかけていただき、けっこう長いあいだお話しした。自動的におかわりのコーヒーが注がれた。和田義雄という人の『札幌喫茶界昭和史』(を収録した沼田元氣さんの本)をもっていたのでお見せしたら、「懐かしい」とマスターじっくりと読みふけり、昔の話をいろいろ伺うことができた。この喫茶Cは昭和43年開業とのことで、ちょうどこの本が出版された当時だったのだ。
「あそこの喫茶店は、今やってないんですか?」とマスターにたずねてみた。「ちょっと閉めてますね」というお答え。「たぶんもう、やめちゃうと思いますよ」とも。
 10時半くらいにお店を出て、もう一度れいの喫茶に行ってみる。窓がもう一つ、さっきは開いていなかったところが開いている! 期待して扉を引くも、やはり開かない。もうちょっと粘ってみようと、またべつの喫茶Sに入った。
 そこも素晴らしいお店だった。昭和48年開店、女性的な感性で彩られた、茶色くない曲線の喫茶店。妖精の描かれたステンドグラスがとくに可愛い。ほとんど連続した日付の刻まれたコーヒーチケットの束が壁から十数枚だけ垂れていた。(このニュアンスが伝わるでしょうか。)
 お客さんもみなあたたかく、「(登別温泉まで)車でのせていってあげようか?」と言ってくださる方も。心苦しくもご遠慮した。もうちょっと時間があれば乗せていただいたのになあ。
 350円のレモンスカッシュ飲んでもう一度、あの喫茶に戻る。変化なし。駅の逆側にまわって、海をみてまた戻る。変化なし。電車のぎりぎりまで粘ってみるも、動きはない。仕方ない、また来よう。
 札幌に戻り、矢口高雄先生の特別講義を聴く。今回の最大の目的だから、外すわけにはいかない。矢口先生も今年で80歳。ゆっくり、ゆっくりお話ししていた。おそらくふつうの講演会であれば15分くらいで済ませるであろう内容を、丁寧に絵を描きながら、じっくりと1時間かけてお話しされていた。始終マイペース。お客の95パーセントは専門学校の学生(それも半数はマンガのコース)だったので、マンガ作法の基礎の基礎、もっとも根源的な部分をご説明されていた。一言でいえば「日本のマンガは右から読む」ということだけを、ほとんど、ひたすら。
 終わったのは17時前。昨晩会食したPさんのやっている「居場所」を見に行くことにした。
 Pさんはカレー屋で最初、あまり僕の存在には興味を示さないようなふうだった(つまり、ごく自然にそこにいた)が、あれこれ話すうちに、だんだんと(すなわち、自然に)交わす言葉が生まれ、増え、充実していって、さいごには「同じ種類の人間」というようなニュアンスのことまで言ってくれた。僕もそれは感じていたので、この人はどういうことをやっているんだろう、と気になったのだ。
 廃校になった定時制高校の教室を一つ借りて、そこをフリースペースのようにしている。むかしは「フリースクール」と名乗っていたらしいが、今はそれをやめて「訪問と居場所」としたそうな。
「勉強する」とか「何かをやる」ということ自体、選択可能なことでなくてはならない。「スクール」という言葉を使ってしまうと、とにかく何かを「やる」ということだけは動かない雰囲気が出てしまう。だから「訪問と居場所」という、ただ「いる」ことだけを重視した名前に切り替えたのだろう、と僕は理解した。何もやらなくてもいい。いるだけでいい。そういうことをはっきりと意識し、宣言してやっている人は、あまり多くはない。
 学校のような机や椅子はなく、カーペットとちゃぶ台のような低いテーブルが置いてある。マンガの詰まった本棚やテレビゲーム、ボードゲーム、けん玉など遊びに関わるものは無数にあった。もちろんまじめな本や資料もあって、勉強をしたければそれを邪魔する雰囲気もない。隅っこのデスクでPさんが作業をしていたほか、床に座り込んでいる二人の若者がいた。
 僕はその部屋に入った瞬間、だいたいのことを理解したように思う。Pさんに軽い挨拶を済ませたのち、マンガの本棚に目を通す。すばらしいラインナップだった。「漂流教室」と名乗るくらいだから楳図かずお先生はもちろん、藤子不二雄ランドがほぼ全巻あったし、諸星大二郎先生、高野文子先生、こうの史代先生、つばな先生の『第七女子会彷徨』、とよ田みのる先生の『ラブロマ』、『デビルマン』や『大正野郎』もあった。情操教育として完璧である。
 Pさんともほぼ話さず、二人の若者には挨拶さえせず、部屋の中を見て回った。「はあ」とか「ほん」とか言いながら。
 3月に徳島の「おとなり3」という私設図書館に行って、森さんという人と知り合った。彼は子供の居場所にとってゲームがどれだけ重要であるか、ということをたびたび語っている。平たく言えば、ゲームがないと子供は来ないし、来ても楽しめない。ゲームからコミュニケーションが生まれることはいくらでもあるし、ゲームから何を学べるかというのも本人や周囲の意識次第だ、というようなことを。それで僕はポンとPさんに、「いいですねえ、ゲームなんかもいっぱいあって」と言ってみた。
 すると若者の一人が「男子はみんなゲーム好きだから!」と唐突に叫んだ。彼らはゲームの機械がたくさん置いてあるエリアにいた。ちょっと経ってから、そっちのほうに行ってみた。ミニスーファミを見つけた。「あ、ミニスーファミだ!」と何の気なしに言った。「ああ、それは(自分が)最近持ってきた」(正確には覚えていないので、ちょっと違うかも)と若者のどちらかが言った。僕の頭の中には「ミニスーファミといえばファイナルファンタジー6」という流れができてしまっているので、「FF6やりました?」とほぼ反射的に彼らにたずねた。
「やってない」と言うので、FF6のこととか、FF7のリメイクのこととか、あれこれ話してみると、一人がとくに食いついて、メガテンだペルソナだと、ややレトロゲーム寄り(ですよね?)の話題を振ってきた。こちらもある年代までのゲームについてはそれなりに知っているので、メガドライブだとかMSXだとか、彼の出す固有名詞に合わせて合いの手を入れたり、自分の考えを述べたりしてみた。
 彼はけっこう一方的に喋る人間なので、真正面から対応していると疲れてしまう。ワイファイのパスワードを聞いて、iPadでグーグルアースを立ち上げてぼんやりと眺めながら話すことにした。(なぜグーグルアースを見ていたかというのは、たぶんあとで書きます。)
 肩の力を抜き、ちゃぶ台の前に座ってお菓子食べながら話していたら、時間が経った。居場所の開放は18時までだが、15分ほどオーバーしていた。Pさんが「ぼちぼち」と声をかけると、二人はスッと帰っていった。
 ほんの少しではあったけど、彼らが規定の時間を過ぎてもしばらくそこにいてくれたことが、ちょっとうれしかった。もし僕が来て著しく居心地が悪くなったのであれば、たぶん18時になった時(あるいはそれより前)に帰ったであろうから。たぶん、自分は利用者の一人としてその場にいることができたのだ。もしもPさんと大人同士の話を延々していたり、若者たちに不自然に一方的に話しかけたりしていたら、ちょっと具合は違っていたのかもしれない。その日そこにいた彼らがそういうことを気にする人たちかどうかはわからないが、僕は僕なりに無難なやり方ができたと思う。重要なのは「いる」ことであって、「話す」とか「何かをする」では(必ずしも)ないのだ。不自然でないことが、一番いいはず。
 その後、Pさんとしばらくお話をさせてもらった。毎週出している紙媒体(プリント)は881号を数え、単純計算でもう18年目ということになる。また、今月から利用料を無料にしたというのも聞いた。これまでは一回の利用につき1000円もらっていて、それは「フリースクールとしては」安いのだそうだが、「ただいるだけ」が重要だという考え方なのに毎回お金がかかるというのはどうなんだ? ということで、思い切ってすべて無料にすることになったらしい。
 もちろん活動資金は必要で、なければ家賃も払えないので、「賛助会員を募る」という形で賄おうとしている。「200人いれば100万円になり、活動資金が全額出せる。それより増えればスタッフの給料が出る」ということなので、一口5000円ということだろう。
 200人いれば賄える、という考え方は、どこかで聞いたことがある。そう、夜学バーである。詳しくは最近「テキスト」のページに書いた文章をご覧あれ。
 僕はこの「訪問と居場所 漂流教室」という場所の考え方に強く共感し、応援したいと思ったので、その足で郵便局のATMに向かい、5000円を振り込もう、と思ったのだが、あの緑の光る看板を見た瞬間、「まてよ」と思った。
 この5000円はどこから出るのかと考えると、僕の給料は基本的に夜学バーから出る(その他の収入源もあるけど)ので、つまりその5000円はもとをただせば夜学バーからきたお金なのである。
 僕は夜学バーと漂流教室は、だいたい同じ志のものだと思っているので、夜学バーのお金を漂流教室に移すということは、非常に大きな目で見れば、名義人の同じAの口座からBの口座にお金を移すのとあまり変わらない。夜学バーが十分に儲かっていてお金が余っている、ということであれば、漂流教室にお金を移すことはそれなりの意味を持つが、今のところそうでもない。ぜんぜん儲かっていない人たち同士が、お金を回し合うことは、ともすれば貧乏人の馴れ合いにしかならない。
 ということは僕がすべきは、ひもじい懐から5000円払って仲間意識をアピールすることではなくて、たとえ効果は少なくてもこうして日記に書いたり、ほうぼうでお話ししたりして、「漂流教室」の存在を知らしめ、その志への賛同者を増やすことであろう。と、いうわけで、興味ある方はこちらのページでも見てやってください。
 お金を払うと、「この件はこれで終わり!」としてしまいかねない。「お金を払ったんだから、自分はこれを支援している」と完結できてしまう。基本的にはそれでいい。みんなそれぞれの生活があるのだから。でも夜学バーの場合は(あるいは未来食堂=サロン18禁とか、あひる社みたいなものは)、かなりこの漂流教室というものと近しい存在なので、お金じゃないところでなんとか、協力しあえないかと思ったのだ。以上、5000円をケチったことへの言い訳。お金「も」出せばいいじゃないか、と我ながら思うけど、座興で貧乏してるんじゃないんだ!
 実際、僕はPさんから高岡の「ひとのま」という人たちについて教えてもらい、僕はPさんに「おとなり3」のことを教えた。それだけでもけっこう、出会った意味はある。もちろん、心強さを得られた、とか、札幌に知己と行く場所ができた、ということが、僕にとっての至福である。
 お時間のない方は、この文章だけでも。短くて、優れています。

「ポロクル」を借りて、昨日ipekoですすめられた古本とビールの店に行ってみたが、ライブ中とのことで遠慮した。そこはだいぶ西のほう(西19丁目)だったので、西10丁目までてくてく戻り、気になっていた「mayu 繭」というお店に。
 まあ天国のようなお店。中央から狸小路を歩いてアーケードがなくなってもしばらくそのまま行くとあるのだが、やっぱりそういう、ちょっと外れたところに良い場所はあるのだ。むろん中心部にだってすてきな店は隠れているが、外にあるもののほうが探しやすい。
「何しに札幌へ?」と問われ、「矢口高雄先生の講義を聴きに。行きたい喫茶店もあったので。」と答えた。「喫茶店? たとえばどういうところ?」「わらびとか。」「わらび!? ……あーあ、なるほど。にしまったお店が好きなのね。」
 にしまった? にしまったとはなんぞや。そしてしばらく、話題は「にしまる」という言葉に。「にしまるって言います?」「言いません。」「でも、わかるかも。」
 結論を申せば、「にしまる」とは「煮染まる」と書き、煮物の一種に「おにしめ」という、あれと同じことらしい。じっくり煮こまれ染まり上がった、というようなニュアンス。そういう喫茶店が好きなのでしょう? と僕は言われたわけだ。
 それが方言なのか、そうでもないのかわからないけど、とにかく「にしまる」という言葉を僕は気に入ってしまった。それだけでもこの店に入った甲斐があったというもの。そう、たとえば僕が行きたくて行けなかったれいの喫茶店はそうとう、これ以上ないというくらい「にしまって」いただろうし、Cというお店もにしまっていた。Sに関しては、にしまるとはまたちょっと違った言葉が必要な気がする。たしかに創業から46年が経ち、年季を感じさせるところはあったけど、煮込んだという感じではない。どちらかというと、酢漬けのほうが近い。(なんのこっちゃね。)
 ところでこのお店は、「サッポロッピー」というオリジナル商品を作っていて、レモン味のホッピーみたいな瓶飲料を、焼酎はじめさまざまなお酒と割って飲む。これがおいしかった。思わず2本ほどその場で買い求め、使っている焼酎もチェックしておいた。サッポロ焼酎。こんなのあるのか。夜学で出そう。(すぐ買った。)
 たまたまとなりに座った方が札幌のグルメライターさんとのことで、話は弾み、名刺もいただいた。僕も自分のお店の話をした。ほかのお客さんも素敵そうな感じのかたばかりだったので、もうちょっと居たかったけれども、まだもうちょっと散策してみよう。
 人気のない通りに真っ白い光る看板があった。近づいてべつの手がかりを探すと「某」という店らしい。地下の店で、「23時を過ぎるとオートロックになります」とある。ネットで調べても何も出てこないので、えいやと勇気出して(どんな店に入る時も勇気を出しているのです)入ってみた。60歳くらいのマスターが大きいスピーカー据え付けて名曲喫茶のようなことをやっていた。マイヤーズを飲んだ。お客がほかに二人きた。音楽の音が大きく、マスターとほかのお客が話していても、その内容はよくわからない。わかったとしても、こちらが口をさしはさむのは、かなり難しい。大声を出さねばならなくなる。
「こういう」お店なのだ。というのは、文字にするのも野暮であるが、要するに、そういうお店である。えーっと。
 酒があって、音楽があって、たまに「知り合い」がいる、というお店なのである。
 わかりにくい書き方になってしまうが、たまに「知り合い」がいるだけ、ということは、「知らない人」は徹底的に「知らない」。「知らない相手として知る」ということはなく、「知らない人は、知らない」なのである。「人」ではあっても「相手」ではない、という店なのである。あらかじめ「知り合い」でない限り。
 そこでは当然、僕はひとりの匿名者として存在が認められる。喫茶店のテーブル席に黙って座っているように。そして音楽に耳を傾けることができる。酒を飲みながら。
 そういう価値観はそういう価値観であって、僕がそれを好きでないというわけでもないのだが、なんだろう、ちょっとした居心地の悪さは感じてしまう。
 渋谷の「名曲喫茶ライオン」(撮影、私語、物音を立てることが事実上禁止)のように、「知り合い」という概念がハナっから抹消されているような店ならばいいが、「知り合い」という概念を大っぴらに前提としておきながら、一方で「知り合う」という方途は塞がれているとなると、宙ぶらりんな気分になってしまう。そこには「分け隔て」があり、「知り合い」という椅子と、「そうでない」という空中の分子たる自分がいる、というイメージ。
「カウンターを常連が占める喫茶店」みたいなものでは? というと、そうでもないのが僕の信じる喫茶店の素晴らしさなのだ。この朝に訪れた「S」という喫茶店も、この翌日に行く「菊」という喫茶店も、「分け隔て」がなかった。
 どちらのお店も、僕は初めて入ったのであるが、Sではカウンターをすすめられ、常連(あの人たちは常連と言って差し支えないはず)のみなさんと緩やかに談笑した。過度に歓待を受けたり質問責めにあうでもなく、なんとなくぽつぽつ、そこにいた。世間話に耳をかたむけたり、どこから来てどこに行くのか、ということを尋ねられたりしただけだった。「菊」では、カウンターのすぐ後ろのテーブル席に座って、常連(あの人たちも常連と言って問題なさそう)のみなさんがあれこれ話すのをテレビみながらぼんやり聞いていた。どっから来たのとも何も聞かれず、ただカレーライスと豪華な副菜と、レモンスカッシュをいただいた。途中で「お酢たべられる?」と、酢の物を一品追加してくれた。お店の方がしげしげ見つめていたテレビの占いでは11月生まれが一位で、「僕、11月なんですよ。」ともしも口に出したらば、「ああ、そうなの!」とか「よかったねえ。」とか、たぶん言われたと思う。そういう雰囲気があった。勘違いでなければ。
 そういうお店には、「知り合いかそうでないか」の区分はなく、「よく来るかそうでもないか」が、グラデーションとしてあるだけなんだと思う。(もちろん夜学バーはそのくらいの感じをめざしている。)
 その差がどうやって生まれるのかは、僕にはまだわからない。だけどたぶん、空間についてのあらゆることが関わっている。
 一つ言えるのは、その某というバーは、「マスターの好きなものを詰め込んだ店」であったこと。詰め込んだだけで、バランスをあまり考えていない。すなわち、美意識が働いていない。美意識というのは当然、他人からの見えかた(客観性)を優先する。(そうでないならば、それは一等優れた芸術でなければならない。)
 他人の視線を前提とした空間は、その「他人」に、「自分はここにいてもいい」と思わせる。なぜならばその空間は、「第三者の視線の存在を許す場所」として作られている。
 そこが肝心なのだ、きっと。
「自分の視線」しか存在しない場は、「他人の視線」の存在を許さない。他人がそこに存在するためには、「知り合い」である、という条件が必要になる。「マスターの好きなものを詰め込んだ店」には、「知り合い」以外の他人は存在できない。
 すてきな喫茶店には、よき「場」には、かならず客観性が宿っている。そうでなければ「居心地の良さ」というものは、存在できない。存在するとしたら、「知り合いとの馴れ合い」によって生じる「居心地の良さ」なのである。あらかじめ客観性が織り込まれている場でなければ、「知り合いでもなんでもないけど居心地がよい」ということは、ない。

 初日にも行ったWというバーに。今夜はここで飲み納めの予感があって、ゆっくりした。隣のお客と音楽の話をしたり、店主とあれこれ話したり。だいぶ仲良くなれたと思う。やっぱりなんというか、いろんなことに興味を持って、覚えておいてよかったと思う。いくら僕がそれなりにいいやつでも、まったく音楽について知らなかったら、もう少し時間がかかったかもしれない。文化の力を借りている。
 今回は、2度目が翌日だった、というのも大きいか。
 ツイッターを見たら北海道出身の友達が「けやきの味噌ラーメンたべたい」と言っていたので探して食べた。昨日行ったサウナのカプセルに泊まることにした。ちょっと高かった。


<5日 金>
 7時くらいに起きてお風呂入って喫茶「わらび」へ。なるほどよく煮しまっている。コーヒーを注文。どうやら北海道にはあまりモーニングの文化がない。
 数人のお客があったがいつのまにか僕だけになり、そのまま20分くらいママさんと二人きりの時間があった。喫茶研究家としてはここで彼女に話しかけ、あれこれお話をするのもよかったかもしれない。しかしたいていのばあい僕はそういうことをしない。そういえばそれはなぜなんだろう。
 バーやスナックのようなところであれば、むしろ僕は話をするのを好むし、ほとんどの場合はあちらからものをたずねてくれる。喫茶店はそうではない。酒場は「非日常」を許容するが、喫茶店は「日常」から離れない。酒場では異分子が異分子として存在するが、喫茶店では異分子という概念がない。酒場では「異分子ですよね?」という確認が飛んできて、どのような異分子であるかが解明される手順があるが、喫茶店にそのような手続きはない。(そして僕の夜学バーというのは、できるだけその点喫茶店のようにありたいと願う妙なバーである。)
 喫茶店には異分子という概念がないので、「異分子なんですけど」と申し出るのは、よほど事情がない限り不自然である。酒場には「一見さん」という概念があるが、喫茶店にはない。喫茶店は、おおむね客をフラットに取り扱う。喫茶店の人たちは、われわれ旅行者を「旅行者だな」とは思っても、「旅行者ですね」とは言ってこない。(もちろん、そんなもんは時と場合と喫茶店によるんだけど、なんとなくの傾向としてそういうことはあると思う。)
 喫茶店には異分子という概念がないので、旅行者は旅行者であっても、異分子ではない。喫茶店という日常の中に、当たり前にいるひとつのふつうの存在である。
 だからなのか僕は、初めて入るすてきな喫茶店では、「これからずっとここに通うんだ」と夢想しながら座っている。札幌の喫茶店に通えるはずはないのに、それでも「ずっと通う」ことを念頭において振舞っている。ずっと通うのだから、今日お店の人と仲良くなる必要はない。ずっと通っていれば、いつか顔を覚えられ、少しずつ話すようになって、ひょっとしたら今回のように二人きりの時間があれば、あれこれお話しできることもあるかもしれない。今日のところは、コーヒー一杯だけ飲んで、「ごちそうさまでした」とだけ言ってお店を出よう。と、そういうふうな気持ちでいる。喫茶店が「日常」から離れない、というのは、そういう意味だ。
 喫茶店のすべての客は、潜在的に「ずっと通う」客であって、実際の通い度合いのグラデーションはあれど、「常連か否か」というパッキリとした分類はない。「よく見る」か「そうでもない」かしかない。コーヒーチケットが壁に貼られる式のお店では、その有無が多少なにかを分けることはあるかもしれないけど、よく来る客が必ずしもお店や他の客と仲良くなったり、コミュニティに入り込むか、というとそうでもない。毎日のようにくるお客でも誰ともコミュニケーションを取らずに終始黙って去っていくような人もたくさんいるのが喫茶店。酒場はもうちょっと、ウェットである。
 ここで、酒場と喫茶店に分けているのは便宜上のことであって、本当は「S型かK型か」くらいのことを僕は言っているつもりである。営業のジャンルを問わず、お店はそういうふうに傾向が分かれているものであろうと。
「異分子を異分子として許容し、解明しようとする」型の店と、「異分子という概念がそもそもない」店と。僕が落ち着くのは後者である。いちばん落ち着かないのは、前者ではなくて、「異分子を異分子として認識する」だけで終わってしまうお店。この前の日に行った某という店はそうだった。で、お店ではないが「漂流教室」という場所は、当然「異分子という概念がそもそもない」。

「ポロクル」を借りて駅の北側にまわり、東区を周遊する。実は、一枚の写真だけを手掛かりに探している喫茶店があり、おそらくそれは東区だろうとあたりをつけていた。サウナのタダ券をくれた人にその写真を見せたら、「この、うしろにうつっているマンションはたぶん〇〇系列」と教えてくれた。そのマンションさえ探し出せれば、角度と距離から場所が割り出せる。とにかくそのマンションを見つけようと、走り回った。その途中に、「菊」という喫茶店に寄った。昨日フライングして書いたが、素晴らしいお店だった。そこで僕は異分子ではなかった。異分子という概念が存在しない店だった。
 なんて書いたところで、「じゃあロリータファッションの若い女の子が入っていっても異分子扱いされないのか」という疑問がわいた。うん、いい店であればあるほど、されないだろうと思う。
 その後、「風吹木」というお店に行った。飛行機まで時間がないので通り過ぎようとしたが、あまりにも気になって引き返してまで入った。開口一番「(今は)営業していない」と言われ、ひるんだ。閉業したわけではなく、最近は午前中はやっていない、しかも今日はお中元で忙しい、というお話だった。お店の中はものすごくごちゃごちゃしていて常軌を逸していたので、それについてちょっとコメントしたら、そのまましばらく話し込んでしまった。ここもまた、ぜひ来たい。
 それからぐるぐる、喫茶店を中心に入り口だけ見て回り、くだんのマンションも探し続けたが、見つからなかった。11時50分の札幌発で空港へ。搭乗口前で充電しながらグーグルアースを眺める。そう、僕が「漂流教室」でグーグルアースを見ていたのは、喫茶店の写真にうつりこんでいるマンションを探すためだったのだ。果たして、なんとまあ、空港で僕は発見してしまった。グーグルアースというのは上空から地表を眺めた光景をオンライン上で見ることができるサービスなのだが、探していたマンションも、そのかたわらの喫茶店も、はっきりと視認できた。グーグルマップのストリートビューに切り替えたところ、店名まで確認できた。Gというお店。グーグルマップに登録はされていなかった。
 近いうち、また札幌に来なければならない。オルカも探さなきゃ。といって、さあいつになるか。旅行するといつもその土地に「ずっと通う」つもりになってしまう。喫茶店と一緒である。

 成田空港から京成上野まで電車に乗り、そのままお店に立った。6月は本当にお客が少なくて、7月頭もふるわなかったから、びくびくしていたけど、それなりに(そう、それなりに)お客さんがきてくれた。自分にとって、それほどうれしいことはない。

2019.7.9(火) コドクコドクと音がした2

 うん、うまくいかない。
 教育というものは常に上から下へと流れるものである。愛情と同じである。
 教育と愛情は非常によく似た性質を持っている。
 教育者は、教育(これはほぼ愛情と同一のものである)を他人にほどこす。その見返りはない。どれだけ親が子を愛しても、子はその愛情を甘受するだけで、お返しなどしない。何十年も経ってから「親孝行」という形で返済するようなことはある。まるで年金だ。
 わたしは親に愛情の見返りをあげている、という子も中にはいるだろうが、子が勝手にそう思って、親も(愛情ゆえに)それで納得しているというだけのことだ。母の日のカーネーションみたいなもの。あるいは、「親から縛られてあげている」といった歪んだ愛情ならば、それなりに成立はするのかもしれないが。
 それが教育である以上、見返りなど期待できない。それが愛情である以上、見返りなど期待できない。教育者は孤独なものだし、愛情を持つ者も孤独なのだ。「愛に縁がないという人に限っていつも愛が溢れる」というフレーズ(中村一義『いつか』)も、たぶんそういう話なんだろう。
 見返りが欲しければ、教育をやめ、愛情をやめなければならない。

 今の僕は、教育や愛情のような一方的な流れを好まない。むろん必要なタイミングもあって、大いに利用はしているが、そのせいで深まっているのは孤独である。
 見返りが欲しい、という話ではない。(もらえるものならばもらいたいけど。)「うまくいかない」と冒頭に書いたのは、ここしばらくに類を見ない孤独感に苛まれていたからだ。
 正確には現在(7月10日午前3時ごろ)ちょっと回復してきてはいる。これを書きはじめたのは7月9日の夕方で、それまではけっこうひどかった。(昼過ぎに「みどりや」っていう最高の喫茶店に行ったからずいぶん気持ちは楽だったんだけど。)
 なんでそんな孤独な気持ちでいたのかというと、一言でいえば「報われない」である。(つまり、この文章は愚痴である。)そしてこの「報われない」の原因は突き詰めれば自分にあるのだから、誰をうらむでもなく、あ〜さみしいなと思うほかすることはない。
 結論は書くまでもなくて、「それでも粛々とやっていく」である。「報われることもある 優しさを手抜きしなけりゃ」って歌う曲を主題歌にしている以上。

「教育や愛情は真面目に取り組むほど孤独になる」という話。孤独でいたくなければ、教育や愛情に取り組まないほうがよいのである。僕はそのあたり不器用で、ついついそういうことに足を突っ込んでしまうから、孤独になって、吐きそうになり、泣きそうになり、土日タキソウになる。(ある時代に東海地方にいた人にしかわからないネタ。)
 まったく、愛するほどコストパフォーマンスの悪いことはない。なぜそうなってしまうかというと、それが上から下へと流れる一方的なモノだからだ。愛なんてものは、原則として報われないのである。
 だから、教育とか愛情とはまったく別のところに軸足を置かなくてはならない。それは「遊ぶこと」や「楽しむこと」であったり、「友情」であったり。
 でも、それはもちろん教育や愛情の代わりにはならない。簡単に言えば、それらだけでは人は育たない。誰かが犠牲になって、教育や愛情という慈善事業に手を染めないと。
 このことを考えると、また吐き気がぶり返してくる。孤独の鐘がなる。そうなのだ、誰かが教えなきゃ、将棋もトランプもやる相手がいないのだ。敵のいなくなった悟空は自分でウーブを育てるしかないのである。(このたとえはもちろん、わからなくてけっこうです。)
 具体的な話を最後に。嫌だなあ、つまり僕は「あなたは想像力を働かせなければなりませんよ」とか「あなたは自分の利益よりももっと大きな利益について考えなければなりません」とか、言わなきゃいけないってことだ。そんな疲れるこったない。
 だってそう言われた相手は「ふうん」と思うだけで、一緒に歩いてくれはしない。

 僕がもっと、ひとが歩きやすいようにできたらいい。そしたら一緒に、遊びながら行ける。それだけの話なんだけど、それができないから、つらいのです。
 さらに立派になりますね。

2019.7.2(火) コドクコドクと音がした

 いつも立派なことばかり書いているのでそうでもないことを。
 僕は本質的に協調性がなく、人と付き合うのが苦手で、気分としてコドクである。

 本を読むのがそれほど好きではない。活字を追うのは疲れる。苦痛でさえある。おもしろいと思っている時だけおもしろく、おもしろいと思っていない時は、つらいだけ。したくもない勉強をさせられているのと大差ない。
 実のところ漫画を読むのも似たようなもの。おもしろい時はおもしろいが、おもしろくない時はおもしろくない。
 本も漫画も、読まずに生きていけるものならばそのほうがいい。これは本音。読んでいればたまに「おもしろい!」と思って、それで気持ちいいことはあるけど、気持ちいいことなんてほかにいくらでもある。
 しかし、なんとも豊かならざる話だが、どうもこの世の中には、したくないことでもしなければならない場合があるようなのだ。
 本当は本を読んだり漫画を読んだりなんか、したくないのだが、しないわけにはいかない。それをしないと、自分は立派に生きていけない気がしてしまう。というか、自分が立派に生きていくためには、そういう手段を使っていくのが効率的のようだし、性に合ってもいるらしいと自分で思うから。
 僕にとって本(さまざまなジャンルのもの。小説や物語の類は、割合としては少ない)や漫画を読むというのは、自分が立派に生きていくためであって、それ自体が楽しいからではない。本当は、それ自体が楽しいのならばそれにこしたことはないのだが、そうやって生きていけるほどシンプルな人生ではない。たまに楽しいときがあるから、それで納得しているというだけのこと。
 こうして文章を書くのもそう。書いたほうがいいと思うから、書くのであって、書くこと自体が楽しいわけではない。もちろん楽しい瞬間もあるし、書けばあとあと良いことがあるだろうと信じてもいる。 でも、べつに書きたくて書いているのでもない。書いたほうがいいから書く。
 本当は、書くことが楽しくて仕方がない、と思って書くほうがいい。そういうときだってたまにはある。たまにしかない。

 人と会うのも同じことで、べつに僕はたぶん、人と会いたいわけではないのだ。でも人と会ったほうがいいと思うから、いくらでも会うのだ。そういうやりかたが僕には合っている。
 元来僕はまちがいなく人見知りで、人と友達になることが不得手。「誰とでも仲良くなれる」という性質はまったくなく、「できるだけいろんな人と仲良くなれるように努力している」のだ。
 それは「できるだけ多くのことを学ぶように努力している」のと同じことだし、「できるだけ上手に文章を書くように努力している」のと同じ。
 コドクな人間が、そのおかげもあって「コドクであっては生きられない」と幸い早めにわかって、「じゃあどうしよう?」と考えた結果、本を読んで、文章を書いて、人と会おう、ということになった。
 と、いま実は日付とちがって7月3日の14時18分でして、空港にいて、搭乗手続きがうまくいかなくて泣きそうで吐きそうになっている。結局もちろんなんとかなったのだが、泣きそうで吐きそうである。
 自分はどんなこともうまくいかない、という気分が強くある。昨夜なんかも複数のいろんなことが一挙にうまくいかなくて極度に落ち込んで、自転車もうまくこげなかった。さっきも歩くのがやっと。でも、それで泣いてるみたいな文章を書いてかわいいのはもう十代のころ散々やったので、今はまたべつの感じのかわいさをやらなければならない。むずかしいなあ。
 自分はどんなこともうまくいかない、という気分が強いので、人に助けてもらわなければならない。そのために人に好かれる(要はモテる)ような立派な人にならんとして、本を読んだり(以下略)しているわけだ。
 それさえもうまくいかない、という気分になったとき、このうえなき孤独感がやってくる。
 僕は誤算していた。立派な人になればなるほど、誰も助けてくれないのである。小賢しい人は、「このようにして私を助けてください」という指示を他人に出して、利益を得て、生きていくことができる。僕にはどうもそれができない。かわりに「みんなで立派な人になりましょう」と僕は精一杯言っているのであるが、たぶんそれをうまく伝えることができていない。30人、本当に30人が限界なのだ。それでいいっちゃ、いいんだけども、それだけだと肝心の「生きていく」がままならない。
 僕はお店をやっていて、それを成立させるには「30人」ではだめなのである。「200人」でなければならない。しかし当たり前だが、30人と200人の差は、とてつもない。
 30人を200人にすることは、それ自体むずかしくはないかもしれない。でも、「30人のときの志を保持したまま200人にする」のは、僕にとって至難のわざなのだ。
 昔から思っているのは、「30人に届く人が6人いれば180人になる」ということで、そこまでいけばあと一歩だ。しかし容易に6人に増やせるような人間ならば、コドクなど背負わない。
 コドクだから困っている。ただコドクでなくなるつもりも今はない。
 世界には同じようにコドクな人がたくさんいて、同様な苦しさを抱えている。
 そのへんにもいる。たくさんいる。
 そういう人たちと尊敬し合えるのならばそのほうがいい。もう、しょうがない。
 そのためだけに今の孤独を受け入れるしかない。

 たかくたかく、行けばいくほど、孤独が深まる。
 誰にもわかってもらえなくなる。
 だけど違う山のてっぺんからニコニコ見ている仙人みたいな人が一人いたらそれでいいのかもしれない。
 でも本当はそういうニコニコした仙人みたいな友達が半径2メートル以内のところにいっぱい毎日いたら、それがいちばんいいわけで、なんとかその間のどこかで人生を終えたい。
 友達たち、よろしく。

2019.6.29(土) 客観性(相手がどう思うか)

「相手からどう思われるか」は考えても、「相手がどう思うか」は考えない人がいる。
 絶妙にみえるが、かなり大きな違いである。

 たとえば、ものの食べ方が汚い人がいたとする。その人に「食べ方が汚いですよ」と注意する。すると食べ方の汚い人は、「いいんだよ、おれは、自分がどう思われたって構わないんだから」と言った、とする。
 その人は「食べ方が汚いと、人から悪く思われますよ」と解釈したわけだ。
 しかし注意した人の本心は、じつのところ「食べ方が汚いと、人を不快にさせますよ(自分は不快です!)」なのである。

 ものごとを自分中心に考える人は、「見られている自分」のことは考えるけれども、「それを見ている他人の気持ち」は考えない。
「こういうふうに思われるのはいやだ」という発想には二つの側面があって、「自分はそんなふうに思われたくない」という気持ちと、「相手をそういうふうに思わせるのは申し訳ない」という気持ち。
 この「申し訳ない」という観点がない、というわけ。


「また来ます」や「お久しぶりです」という言葉について、かねてから夜学のテキストページに書いてきた。
 いずれも、「自分の事情にのみしたがって発言していて、それを言われたほうの事情までは深く考えていない」という点を問題にしている。
「がんばって」という言葉もわかりやすい。「がんばって」と言う自分は、当然「応援している」という自分で、それだけなのだが、言われたほうにとっては、「がんばってって言われても」だったりするのである。
「十分がんばってるつもりなのに、これ以上なにをがんばればいいんだ?」かもしれないし、「がんばりたくなんかないんだよ」かもしれないし、「がんばらなきゃ……はぁ……そうだ……がんばらなきゃ……」かもしれない。「お前なんかになにがわかる!」ということもあるだろう。もちろん「ありがたい! そうだがんばろう!」となる可能性も大いにあるのだが、そうでなかった場合のことを考えると、あまり軽はずみには言えないはず。
 で、言った側は「そういうふうに思われてしまうかもしれない」という危惧はしても(しない人も多かろう)、言われた側の気持ちについては、あまりわかっていなかったりする。
 僕が嫌だったのは、「今日は元気ないね、あなたらしくないよ?」といった類の言葉だった。知るか、という話。僕の元気の有無を、なぜあなたが決められるのか。「僕らしい」というイメージを、なぜあなたが勝手に決めてしまうのか。
 これも、発言した自分がどう思われるかというのは、「他人を気遣う優しいわたし」で完結しているのだろうけど、言われたほうの気持ちをほぼ考えていない。「偽善っぽく見えちゃうかな?」とは考えても、「相手が嫌な気分になるかもしれない」という心配は、あまりしない。

 自分より年齢の若い女性を「○○ちゃん」と呼んで、相手が違和感を持ってしまった場合、呼んだ人は「おっさん」とか「気持ち悪い」とか「距離感おかしいだろ」とか思われてしまう。
 ここで同時に、「言われたほうの女性の気持ち」にも意識が向くことが当たり前なのだが、これが意外と、向かない人も多いのだ。「○○ちゃん」がじゅうぶん、容易に、相手を傷つけたり不快にさせるということに、思いが至らない。

 ツイッターだってそうだ。「こういうツイートをしていると、わたしはこういうふうに見られてしまうかもしれない」というところは考えることができても、「そのツイートを見てしまった人の気持ち」までは考えることができない。
 政権がどうのとか、性的少数者がうんぬん、フェミニズムがどうの、というツイートを大量にリツイートしたり、自分でもつぶやいたりしている人は、「自分がどういうふうに見られるか」は多少わかっても、「それを見た人たちがどういう気持ちになるか」はあんまりよくわかっていないらしい。
 下品なツイートばかりしている人も、「下品なやつだ」と思われるところまでは想像できても、その下品なツイートを目にして気が滅入っている人のことまでは、想像がおよばない。
 想像しないまま、持ち出される必殺技が「嫌なら見なきゃいい」。
「わたしは嫌だと思われても平気だ、あなたが嫌なら見なければいいだけのことだ。」
 そうですか、あなたは他人を「嫌」だと思わせて平気なのですね。
「ええそうです、わたしは他人を『嫌』だと思わせて平気な人間だと思われて、平気です。」
 自分中心の考え方、というのは、これである。

「自分はどう思われようが構わない」が、そのまま「相手がどう思おうが構わない」になってしまっている。「相手がどんな気持ちになろうが知ったこっちゃない」である。
 いいやつってのはたいてい、「自分はどう思われようが構わないが、相手がどう思うかは気にする」ものなんだけど。(思いやりって、たぶんそういうものでしょう。)

2019.6.21(金) 客観的に相手を見る

「自分を客観的に見る」ことも大事だが、「他人を客観的に見る」ことも大事である。いま目の前にいて自分と接している他人なら、「相手を客観的に見る」ということになる。
「自分を客観的に見る」というのは、「他人から自分はどのように見えるか、見えているか」という視点で自分を捉えるということである。で、「相手を客観的に見る」というのは、「他人から相手はどのように見えるか、見えているか」という視点で相手を捉える、ということ。
 つまり、「自分から相手がどのように見えているか」だけでなく、「客観的な視点からだと、相手はどのように見えるのだろう?」と考えることが大切、と僕は言いたいわけです。
 客観的に自分を見て、客観的に相手を見て、その他の他人も客観的に見て、それで初めてその「場」とか「空間」を客観的に見つめることができる。
 そういう仕組みなんじゃないか。
 
 人はつい、向き合っている相手のことを「自分の視点」で見てしまうものだ、と思う。でもそれと同時に、「客観的な視線」でも相手のことをちゃんと見ないと、「思い込み」や「被害妄想」などの出番になる。
「あなたは私に冷たい!」と言うときには、「自分の視点」だけでなく「客観的な視点」からも見たほうがいいよ、というわけ。
 ここで第三者に、「あの人は、私に冷たいよね?」という問いかけをしても、「そうだね」か「そうかな」くらいしか返ってこない。あまり意味はない。「やっぱり!」というかたちで思い込みを強化するだけに終わりかねない。「そうかな」と言われても「そうだと思うんだけど」で終わるのが大抵であろう。
 だから自分の中にはいつも「自分の視点」と「客観的な視点」の両方を持っておいて、二つの目で相手を見るようにしたほうがいい。

「それも私の、ひとりよがりか?」とセリヌンティウスをついに疑ったとき、はじめてメロスは客観的な視点を得る。大げさに言えば、自我が芽生える。これをもって「大人になった」とか「近代人になった」とか、いろんな言い方ができる。(そういう授業をしていたもんです!)
 メロスはセリヌンティウスのことを、「自分の視点」でしか見ていなかった。セリヌンティウスは親友だ、私を裏切るわけがない、そう思い込んでいた。それを「ひとりよがり」と気づいたのは、たぶん「客観的な視点」から相手(セリヌンティウス)を初めて見たからなのだ。あるいは、自分を。自分たちを。ないしは、あらゆることを。
(人間が賢くなるってのはこういうプロセスを経るもんなんだ、ということを表現したお話として、僕はこの太宰治の『走れメロス』という作品を強く推します。で、賢くなったからには「恐ろしく大きいもの」に向かって、走んなきゃいけないんだよ、っていう、お話だと思っております。)

 自分を、相手を、自分たちを、その他の他人を、世界を、宇宙を、くまなく客観的に見られる存在がいるとしたら、それは神で、神に近づこうなんてのはおこがましいかもしれないけど、ちょっとくらいお手本にしてもバチはあたらないんじゃないかなあ。
 ある場においてよく振る舞うために、せめてその(小さな)場くらいのことは。

↑記事の補足、「主観と客観と葛藤」

「自分が当たり前だと思っていること」が、すなわち「みんなが当たり前だと思っていること」というふうに錯覚してしまっている人はとても多い。
 自分が当たり前だと思っていることと、他人が当たり前だと思っていることは違って、他人が100人いれば100通りの「当たり前」があるのだ、ということを、ちゃんとわきまえている人はとても少ない。
 いや、ほんとうに。

 主観と客観がまぜこぜになって、分けられていない人は多い。
 自分の考えでしかないようなことを、客観的意見のように言う人。
「私は美人じゃない」と言ったとき、それは「自分の考え」であって、必ずしも「客観的意見」ではない。しかし「私は美人じゃない」という言葉は、客観的意見として言っているように周囲には聞こえる。
 正しくは「私は美人じゃないと(私は)思っています」だが、まだるっこしいから略して「私は美人じゃない」になるんだろうか。
 でも「私は美人じゃない」と言われると、「いやそれはあなたが決められることではないでしょう?」とツッコミたくはなる。
 自分は美人じゃないと思っても、誰かから美人だと思われてしまうことはある。「私はあなたを美人だと思います。」と告げられることもあるだろう。それで「いいえ、私は美人ではありません。」と返しても、謙遜にしかならない。「美人であるかどうか」の議論にはまずならないし、たぶんできない。美人じゃない一票、美人である一票。それだけのこと。

「自分の考え」と「客観的意見」の間にはけっこうズレがあって、そのズレに悩む、葛藤するのが、思春期というもの。
 それを経て、「自分はこう思うが、客観的にはこういう考えもあるだろう。」ときっちり分け、整理して、その上で悩まない、葛藤しないようになるのが、思春期の超克である。
「私は自分を美人じゃないと思うけど、私のことを美人だと思っている人はけっこう多いらしい。どうも客観的には私は美人であるということのようだ。でも私は私を美人だとは思わない。さて、どうしてなんだろう? このズレは、いかにして生じたものだろうか? そもそも美人というものとは?」
 なんてふうに思索を深めていくのが、思春期以後の世界。

(ちなみに、思春期は何度も訪れる。いくつになっても。だからこれは、別に若い人々についての話題ではない。)

2019.6.15(土) 「好き」と一方通行

 人と人とが関わるときに、「一方通行」はあまりよいとはいえないし、「双方向」も特によいわけではない。
 先回のキーワードだった「また来ます」は、「一方的」な宣言である。「また来ます」「また来てください」となれば、「双方向的」になる。
「好き」という宣言は「一方的」である。「好き」「わたしも」となれば、「双方向的」になる。
 もちろん、「好き」「うるせえ!」だって、「双方向的」には違いない。
「また来ます」「もう来るな!」も、双方向的。
「双方向的」というのは、原則的に一問一答(ないし多問一答、一問多答、多問多答)であって、クイズやゲーム、学校のテストと仕組みが似ている。5月26日の記事に書いた「質問」もこの形式。
 会話をキャッチボールやラリーにたとえる場合があるが、それらは「双方向的」なものである。「会話のキャッチボールは大切だ」と言うような人は、「双方向的な会話」を良しとしているのだろう。
「双方向的なコミュニケーションはよくない」と言うつもりはない。便利な手段の一つである。ただ、ほかにも会話の形式というものはある。たとえば「積み上げる」だったり、「突き合わせる」だったり、「置く」と「拾う」だったり、さまざま。
 コミュニケーションというものはたぶん「一方通行」から始まって、やがて「双方向」を覚え、さらにだんだん、少しずついろんなやり方を覚えていくものなんじゃないだろうか。まずは自分の言葉を自分のために言うことから始まって、だんだん「質問」や「返事」ができるようになって、それから豊かに、ふえていく。
「自分の言葉を自分のために言う」しかしないような人もいる。質問や返事ばかりしかしないような人もいる。

 さて、あなた[誰?]の口にする「好き」という言葉は、「一方的」か、「双方向的」か、あるいはそれ以外か。(このあたりは3月1日の記事に関連するかも。)
 べつにどれだっていい。悪いことじゃない。だけどその種類に応じてじつは、その言葉の持つ意味や効果、影響などが変わってくるかもしれない。そういうことを意図的に操作できたら、けっこうトクかもしれない。(詐欺師はみんな心得ている。)


「(あなたのことが)好き」という言葉は通常、かなり鋭利な矢印で、言われた側を強く撃つ。うれしいかうれしくないかは別の話で、とにかくそれは「飛んでくるヤジルシ」なのである。だから「対処」が必要になる。そのぶんだけ、撃たれた側は負担になる。言う側はそういうことを、いったいどれだけわかっているだろうか?
 そういうふうにヤジルシを飛ばすのが「一方的」で、互いに飛ばし合うのが「双方向的」。だけどヤジルシなんて物騒なものを使わなくたって、仲良くはできる。人と人とのあいだにテーブルを用意して、その上に言葉をそれぞれ出し合えばいいだけなのだ。そうしたらヤジルシが身に突き刺さることはない。テーブルの上が多少雑多になったり、殺風景になったり、ときおり芸術的な様相を呈したり、するだけなのだ。
「例の事件、どう思います?」じゃなくて、「いやあ、物騒なことがあるもんですねえ」にするだけで、ヤジルシではなくなる。相手の負担はかなり減る。もっと慎重にするならば、「なんか最近、ねえ。ほら……。」と言ってみて、相手がピンと来ていなかったらその事件を知らないか興味がないということだし、嫌そうな表情を見せたらその話はしたくないということだとわかる。それで違う話題のほうがいいなと思ったらさらっと「まあ、暑くなってきましたねえ。」とか言って向きを変える手もある。
「また来ます」にしたってヤジルシであることに変わりはない。だからそれは時に重大な意味を持つ。その意味がわからないうちは、気軽に使わないほうが無難なんじゃないかなあ。

2019.6.09(日) 「また来ます」

 何回も何十回もお店に来てくれていて、また来ることがほぼ間違いないような人でも、帰り際に「また来ます」と言ってお店を出て行くことがある。変なことを妙に気にする偏屈な僕は、「なぜ、わざわざ『また来ます』と言うのだろうか?」と考える。
 この件についてあまり書くと新しく出すおはなし(ちゃんと出ます)のネタバレっぽくなってしまうので軽く記すのみにしておくけど、また来ることが双方にとって明らかなのに「また来ます」と言うのは、たぶん口癖になっているということなんだろう。

 また来ることが明らかでない場合は、「また来ます」と表明したくなる気持ちは理解できる。表明する必要もないと思うけど、言いたくなる気持ちはわからないでもない。
 でも、「また来ます」と言う人にかぎって、なかなか(あるいは二度と)来ない、という話もある。なんでかっていうと、もう「満足」しているから。「また来ます」と言った時点で、そのお店はその人の中で「想い出」になっているから。つまりいったん、終わっているから。(そういう場合もあるって話で、絶対にそう、というわけではないです。もちろん。)
 ある場所に旅行に行って、「すばらしかった! また来よう」と思っても、ほんとうにふたたび訪ねていくことはまれである。だけど旅館のおかみさんには「また来ます」と言ってしまう。10年後にまた来るかもしれないが、その10年のあいだは「行けてないなあ」と思い続ける。近所のお店だって、そのくらいのもんだ。そういう時にお店は、観光とほとんど区別がつかない。
(「わたしは同じところに何度でも行くよ」と思っている方もおられますでしょうが、また行きたいと思ったすべての場所に複数回必ず通うのかといえば、現実的にはなかなかそうはいかないのではないかと存じます。)
 また行きたい、という気持ちを表明するだけだ、それを実現する気もある、だから「また来ます」と言うのは自然ではないか? という感覚に対しては、「それはわかるんだけど、それを表明することに何か意味がある?」と思う。「あら、また来たいと思ってくれるのね、うれしい!」と思ってくれる人ばかりではない。なぜならばお店の人というのは、「また来ます」と言うだけ言ってまったく来ない、というお客を無数に知っているからである。その言葉が基本的に社交辞令として使われる、ということが身にしみている。初めて言われた「また来ます」であれば、「また来てくれるんだ!」とまずは喜ぶかもしれないが、それが実現されなかった場合、「来ないなあ」と約束を破られたような気持ちになるだろう。待っているうちに第二、第三の「また来ます」が言われ、またそれも裏切られ、「ああ、また来ますと言ったって、ほんとうにまた来るとは限らないんだ」と学習し、「また来ます」という言葉を額面通りには受け取れなくなる。
 そこにこそ「風情」があるのだ、というのも一面の事実かもしれないが、それはお店の人が勝手に噛みしめるものであって、言う側はその風情をコントロールできない。つまり、「また来ます」を相手がどう受け取るのかは、言う側にはまずわからない。
 相手がどう受けとるのかわからない言葉を口にするのは、何のためかといえば、自分のためである。自分が言いたいから言うのだ。
 それでも、いや、だからこそ、人は「また来ます」を言ってしまう。言いたいのだから。自分の気持ちを満たすために、それを口に出してしまう。

『南国少年パプワくん』という漫画で、シンタローはパプワとの別れ際「またいつかきっと……」と言ってしまう。それに対してパプワは「いつだ いつかなんて日はいつだ!」と返す。それでシンタローは「大人はすぐに “また”とか“いつか”とか 言っちまうんだよ」と涙を流す。小学生だった僕はそれを読んでいたく胸をうたれたし、たぶん多くの人がそれを「名場面」と捉え、記憶に残しただろう。
 シンタローが「またいつか」と言ったのは、自分のためだった。それをパプワはすぐに見抜いた。そういうシーンだと僕は思う。シンタローはパプワとはもう、おそらくかなり長い間、会うことができない。その罪悪感を拭うため、あるいはパプワを一方的に(上から)慰めるため、そういう方便を言った。だけど子供にはじつは、そんな小細工は通用しない。「今度の日曜は遊園地に連れていくって言ったじゃないか、パパー!」っていうのと一緒で、それで子供はずいぶん傷つく。

 そんな(ふうに僕が理解している)「また来ます」という言葉が口癖になっている、というのがどういうことかというと、「その言葉がどういう意味を持つかをそのつど検討せず口にしている」といえないでない。「また来ます」が適した場面もあれば、適さない場面もあるはずなのだが、「好きだと思った店を出るときは『また来ます』と言う」が習慣になっていると、「そのつどの検討」がおろそかになってしまう。
 時間の都合などで話が尻切れになってしまい心残りがある、という場合なら「また来ます」は適しているかもしれない。でもその場合にしたって、「この話は、またこんど」とかいえばいいので、きまって「また来ます」という五音であるのならば、それはやはり口癖だという気がする。そのつど、そのときに合った言葉を発する、というのが「誠実な言葉の使い方」だと僕は思うので、妙に気になってしまうというわけ。
 初めて来たお客さんが、「また来ます」と言うのは理解できるし、嬉しくなくもない。素直に「また来てくれるといいな」と思う(言われなくたって思うけど)。で、何ヶ月も何年も来なかったら、「あの人はもう来ないのかなあ」とぼんやり思う。「また来るって言ってたんだけどな」とか「もしかして何かあったのかな」とか思ったりする。「橋本治が死んだら来ます!」と言ってお店を出ていった女の人もいたけど、橋本治が死んで四ヶ月半たった。まだまだ僕は、たぶん死ぬまで待っております。まあその人の時間感覚がたぶんちょっとゆったりしているだけのことで、そのうちひょっこり現れるとは思いますが。ちなみに、もちろん僕はその時に「死ななくても来てください!」と叫んだんだけど、ほんとに死んでからってことになっちゃったなあ。
 何回も何十回も来ている人が、「また来ます」と言うならば、「なんで?」と思う。「もう来ない可能性を、こちらが考えていると思うの? だとしたら、ちょっとさみしいなあ」なんて思ったり。こっちはその人がお店にくることを「当たり前」とか「日常」と思ってるんだけど、あちらはそうでもないのかな、とか。どうしてその言葉が、口癖みたいになっちゃってるんだろう? とか。
「じゃ、また」とかだったら、そこまで考えることはない。「うん、また」とだけ思う。「また来ます」の場合は「もう来ません」が反対語として内包されていて、それが同時に想起されてしまうから、じゃないかな。「好き」とわざわざ言われることへの違和感(ありませんか?)も、ここに由来するのだと思う。表裏一体。イエスと同時にノーが生まれる。二者択一。イエスをとればノーが消える。世界が半分ずつ見えなくなっていく。(「質問」の話と、大いに関連します。)

 いろいろ書いてしまったけどこんなのは言葉尻を捕まえて遊んでいるだけのことで、「また来るんだからまた来ると言ってるだけなんですけど?」ということならば、「そりゃそうだ」と僕だってストンとうなずく。ただ、その言葉が相手にどういう気持ちを抱かせるか、ということは、ちょっとくらい検討してもいいかもしれないよとは思いつつ。

2019.6.05(水) 涙をとっておく

 05301048母方の祖父が亡くなった。3日4日は通夜と葬儀のため長野のとある地方都市に行ってきた。多くのことを考えた。身内のことなのであまり多くは書かないが、自分にとって大切なことだけ記しておく。
 朝バスで新宿から乗って、納棺に立ち会う。飲みながら座敷でゆったりと、7時間くらい食事していた。いい時間だった。21時前から街をぶらついて、良い飲み屋でもないかと目星をつけていく。2軒入ったが、どちらも名店だった。ほかにいくつも間違いなさそうなお店があったが、おとなしく23時くらいに帰った。
 僕がいう「いい店」とか「間違いない」というのは、「そこにすばらしい人がいる」というくらいの意味である。街は巨大な出会い系、と思っている。(そうやって良い人たちと知り合うことが、自分の未来を作ってくれるのだと思う。)
 その夜、なぜかまったく眠れなかった。階下にじいさんがいたからだろうか。起きたのも7時くらいで、喫茶店にでも行こうと家を出た。11時すぎに出棺だから、それまでに帰ればよい。
 泊まったのは祖父母の家。それで通夜と葬儀のあいだに2度も出かける、というのはひょっとしたらちょっと珍しいのかもしれない。とがめる人もさみしがる人もいなかった。そういう家、というか、そういう一族なのだろう。根底に「自由」がある。
 となり駅まで歩き、そこの喫茶店でモーニングして、骨董屋やパン屋や洋菓子店などをまわり、散歩しつつ、もういちど別の店でモーニングを食べて帰った。
 出棺。火葬。葬儀。食事。途中で抜けて特急で帰った。で店に立ったが、着いてからお客は一人もこなかった。
 祖父は「ろくに働かず酒を飲んで暴れる」ような人だったという。それもちょっとやそっとではない。詳しく書けないし書きたくもないので、察していただきたい。それで91まで生きた。
 同居しない孫である僕(ら)からしたら、「ちょっとキテレツな優しいじいさん」でしかなかった。しかし、僕なんかは60を過ぎてからの彼しか知らない。ほかの兄弟でも事情は似たようなものだ。まだ若かった頃の蛮行については、祖母や母や伯父から聞くしかないわけだが、それで十分である。母ははっきりと「父親を尊敬できない」と言った。それで十分なのだ。それによって僕は、彼を尊敬するわけにはいかなくなる。
 悪い思い出は何もない。好ましい思い出しかない。ボケちゃったあとで「誰だお前! 人の家でなにしてる!」と言われた時はさみしかったけど、その程度だ。60を過ぎてからボケるまでの祖父は、ものすごく面倒くさい存在ではあったが、だいぶ丸くなっていたとは思う。弱くなっていたというのもある。一緒に住んではいなかったからわからないけど、孫やひ孫に対しては優しく、面白く、楽しい人間だったはずだ。晩年は酒も、それほど飲んではいなかった、と思う。
 それでも、好きか嫌いか、と問われれば、口ごもるしかない。それは、僕が心から大好きで尊敬している母と、その母が(あるいは伯父が、そして一族みんなが)心から愛する祖母を、大いに苦しめてきたからである。
 僕はお母さんが本当に好きだが、同じくらいお父さんが好きだ。一緒に過ごした時間や、直接してもらったことだけならばお母さんのほうがずっと多いんだろうけど、そのお母さんがお父さんを心から尊敬しているんだから、僕はそのぶんもお父さんのことを好きになる。尊敬する。そういう理屈って、あるのだ。
 お父さんのことを僕は本当にすごいと思うし大好きである。そして「お母さんがお父さんを好きである」という事実が、さらにそれを膨らます。その逆もある。そういうことどもによって「この二人が大好きだ」という気持ちが強くなる。セットで好きになる。だから僕はお父さんもお母さんも、同じくらい好きだと言える。いや言わなければいけない。「お母さんのほうが好きだ」と言っても「お父さんのほうが好きだ」と言っても、二人ともいい顔をしないのはわかりきっている。
 こういうことは本当にむずかしい。僕は、ある人のことを、永遠に許すことがない。僕の大好きな人たちのことを、まちがいなく苦しめたからである。僕のことも苦しめた。しかも、今に至るまでそれについての反省は見られない。しかし、もしも僕がその人のことを憎んでしまったら、いちばん悲しむのは僕の大好きな人なのである。だから憎まない。許すこともないし、好きだとも言えないけど、憎んだりもしない。むずかしいところだ。
 好きだとは言えないけど、いい思い出がないわけじゃない。それなりにある。これがまた僕に対してはけっこう優しかったりもする。だから嫌いだということもない。
 好きでもないし嫌いでもない、許すことはないけど憎むこともない。愛しているか、と言われたら、これは口ごもる。ひょっとしたら愛しているとは言えなくもない。感謝していることもある。ありがたかったと思うこともある。人格的にも良いところはある。悪いところもたくさんある(と、僕は思う)けど。
 その人が死んだら僕は、たぶんじいさんを亡くした伯父の気持ちの、縮小版みたいな感じになるのだろう。
 伯父は言った。「涙は祖母のためにとっておく」と。なんて深く重たい一言だろうか。実際、通夜でも葬儀でも、目に涙をためるくらいのことはあったかもしれないが、伯父はまったく泣かなかった。もちろん母も、そして僕も。同じように、涙は祖母のためにとっておきたいのだ。(祖母には特別な呼び方があって、本当はその呼び方でみんな話しているのだが、あえて「祖母」と表記する。)
 ああ、でも、「その人」が死ぬころには僕の「大好きな人たち」はとうに亡くなっているだろう。涙をとっておく先がない。しっかりと泣けばいいのかな。そのために「大好きな人たち」は、先に死ぬのかもしれないな。どこまでも優しい人たちだ。わかった。そのころにはただ、素直にやります。
 ところで、祖母は67年間ものあいだ、祖父に耐えた。べつに好きで一緒になったわけでもないらしいのに、話を聞くだに恐ろしい、凄惨な目に遭い続け、それでも立派に一族を作り上げた。祖父と祖母の間に生まれた一族は、数え上げると血縁だけ(嫁や婿を含まず)で17人いる。もちろんまだまだ増えるだろう。なんという偉大さだ。そしてその祖母を間近で見て育った僕の母も、同様に偉大だ。偉大なる伴侶を得たうえに、奔放な僕ら兄弟に耐え抜いたのだから。耐え抜いた結果、僕らはみんな、それぞれなりに立派になった。一生頭が上がらないし、永遠に尊敬し続けたい。お父さんとともに。
 祖母と母の血が、僕にも流れている。僕もちょっとやそっとのことは耐え抜いてしまう。運命を受け入れ、「それならば」とがんばれてしまう。血というならば祖父の血だって入っているのだから、本当はそうではなく、「見ていた」ことが大きいのだろう。母の姿を尊敬するがあまり、母のそういう部分を受け継いでしまったのだと思う。どれだけ理不尽でつらいことがあろうと、耐えることができる。「耐えることによって守られるもの」を優先できてしまう。ちょっと悲しい気持ちもあるけど、祖母も母も世界一美しいわけだから、それで正しい。僕はあの二人が好きだ。
 葬儀に来られなかった兄がいた。「祖母のときはみんな集まるといいね」と送ったら、「そうだな」と返事があった。
 話は変わる。母の葬儀は、母があげるなと言うならば、絶対にあげたくない。これだけは生前の願いを叶えてあげたい。母はなんでも耐えてきた。本当は喪服も着たくないだろうし、合掌だってしたくはないんだろう(べつにほかの特定の宗教に入っているわけではないです)に、当たり前のようにそういうことをこなす。僕が小さいころから、葬式はあげてくれるな、と母は言ってきた。だけどよく話にも聞くが、あげたくなくてもあげざるをえない、ということはあるようだ。もしあげざるをえないようなら、母は黙って受け入れるだろう。着たくもない服を着て、したくもない焼香をするように。でも最後くらい、好きにやらせてあげたいのだ。もしも本人が「あげるな」と言うなら、あげないであげたい。どうにかならんもんですかねえ。まあ、こんな願いも、もし「やらざるをえない」というなら、僕も黙って受け入れますよ。そういうことを、受け継いでるんだから。
 それにしても母、つよいので、職場からの香典や弔電のたぐいを、すべて断ったらしい。ほかの人の時は黙って出すが、自分は断固として拒む。そういう人なのだ。そういう「しがらみ」や「風習」のようなもの、だれかの「自由」をおかすもの全般が、原則として好きじゃないのだ。「宗教」だって同様だ。僕の根底に「自由」があるのはその影響だし、なぜ母の根にその思想があるのかといえば、おそらくは祖父のせいなんだろう。

過去ログ
移転完了しました。ありがとうございます。ちなみに前URLは2016/11/10(木)に消滅しました……。