ひごろのおこない/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2025.6.1(日) ポートピアと記念樹
2025.6.2(月) ぐうたらの日
2025.6.3(火) 返報性の定理
2025.6.4(水) 教え子と同僚と
2025.6.5(木) 或る居酒屋と僕
2025.6.6(金) 位置エネルギー礼讃
2025.6.7(土) 反省と禁煙
2025.6.8(日) 未成年性考
2025.6.9(月) たった一度で
2025.6.10(火) 想像力の出力調整
2025.6.11(水) 夜学バーと子育て
2025.6.12(木) 林原めぐみさんは人格者だぞ
2025.6.13(金) 筒か鞘か
2025.6.14(土) 体力の限界!
2025.6.15(日) やまなし(1) 苦労と根性
2025.6.16(月) やまなし(2) 分けて考える
2025.6.17(火) やまなし(3) Z・U・S
2025.6.18(水) やまなし(4) 甲府ゲーム
2025.6.19(木) 主張と疑問
2025.6.20(金) 7.11(25周年)告知
2025.6.21(土) 心のタイムスリップ
2025.6.22(日) ジーク・自分!
2025.6.23(月) 酒のゲーム性
2025.6.24(火) 山形 七日町
2025.6.25(水) 山寺、仙台
2025.6.26(木) 塙山キャバレーの実際
2025.6.27(金) 僕の頭の良さについて
2025.6.28(土) 顔の傷の事
2025.6.29(日) 「よりかは」「かなあと」
2025.6.30(月) 方向音痴と二項対立/点たる地球

2025.6.1(日) ポートピアと記念樹

Portpia, the city of light and waves
君が生きる未来 光と波の都市(まち)
Portpia, the city of light and waves
the city of light and waves

山の心が海にとけひとつに
そして海の心 山にとけひとつに
今、君は願いをこめて歩きだす
光の中を幸せの明日へ
(Godiego/ポートピア)

「ポートピア'81」は1981年3月20日から9月15日にかけて神戸のポートアイランドで行われた博覧会。そして今年、3月20日から9月15日にかけて行われているのが「ポートピア’25」である。ポートピア’81を振り返る内容だが主催は神戸市ではなく、ポートピア’81をこよなく愛するたった一人の個人であり、おそらく勝手に趣味でやっている。なんと1994年生まれという。展覧会の形式で神戸、大阪、東京の計7会場を回る。東京会場は墨田区の「甘夏書店」のみで、6月1日が最終日だったので眠い目こすって行ってきた。天気がよかったし、30分くらい歩いて。ご近所なのだ。
 前日までの疲れを引きずり、睡眠も十分ではないのになぜ頑張って行ったか。ひとえにゴダイゴの『ポートピア』が大好きだからである。聴けば聴くほど「で、ポートピアってなんなん?」という疑問が強くなる。博覧会なのはわかるけど、実際どんなものだったの?と。それを知るまたとないチャンスが徒歩圏にあるんなら這ってでも行く価値がある。幸い明日も休みで、ぐうたらが約束されていた。
 結論から言うと、本当に行ってよかった。何から何まで完璧であった。最終日だから主催者もおいでで、直接話せたのもよかった。具体的なことを書くとキリがないのでやめておくが、その素晴らしさを僕はよっぽど子細に合理的に語ることができる。特に「ポートピア花壇捜索隊」という活動とそれを報告する冊子(ZINE)は頭がクラクラするほどよい。悪いところが一つもない。

愛という名の花を咲かせよう
夢と名付ける森を育てよう
時は過ぎ 人はうつり 時代は変わる
それでも都市(まち)は生きる!
(Godiego/ポートピア)

 まったくこの通り。簡単にいえばポートピア’81で使われた1000個超の花壇が兵庫県中に配布され再利用されていて、それを探して記録する活動なのだが、もう、泣けてくる。それでもマチは生きる! ポート~~ピア~~~~ ザシティオブライトアンドウェイブス~ 今めざめた未来~ 光と波のまち~♪←歌ってる

 それで僕はすっかり元気になったのだ。狂気と正気がふたたび手を繋いだ。昨日(先月末)の日記参照ね。「狂ってる? それ、褒め言葉ね。」と胸を張って言えるような生き方をせねばならない。この94年生まれの青年は完全に狂っているが、完全に正気なのである。そして世の中をよくしようとしている。なんと頼もしいことだろう!
 ちなみに会場の甘夏書店は拙著『小学校には、バーくらいある』を売ってくれているお店でもあって、「買いたいっていう人がいたのでまた一冊持ってきてください~」と言われて気恥ずかしいながらもめっちゃ嬉しかった。求められたらもう作家ですよね。がんばる。
 僕はこういうのを「メロスが水を飲んだような」と表現することが多い。「歩ける。行こう。」ってやつね。詳しくは太宰治『走れメロス』を。ごくごく。
『ポートピア花壇捜索隊』を3巻まで(たった1年4ヶ月のあいだに3冊も出ているのだ……)買って、甘夏書店のほうでは織田作之助の『西鶴新論』と『世間胸算用』織田訳が載っている本と、小島政二郎の『百叩き』を買った。
 小島政二郎という人が僕はなんとなくずっと好きだ。野方の古本屋で買った『木曜座談』という本を、ゴールデン街でやっていた「木曜喫茶」という間借りバーに毎回飾っていたのだ。二十代のころ。そこに『百叩き』というタイトル。小山ゆう『おれは直角』のクライマックスに出てくるやつで、この文字を見ただけで泣きそうになる。城代家老のおれを打て!
 ポートピア’25のあとに行った古い古い洋食屋も大変よかった。体力がみなぎってくる。そのあとはファミレスでドリンクバーがぶ飲みして読書。先の『花壇捜索隊』もだが『百叩き』が圧倒的に名著で、みるみる回復してきた。そうや! ワイは文学家やぞ! 詩人やぞ! 狂ってていいし、大好きな佐藤春夫や小島政二郎はそこに正気な部分が良く作用したから長く生きたのだ。楳図かずお先生だってそうだ。アッ、そういえば28日に楳図先生の「お別れ会」に行ったことを書きそびれていたな。行ったのです。2時間くらい並んで、1時間以上は中にいました。
 僕もそうなりたい。多少過ちや失敗があるのは当然だ。綺麗な人間などいない。

 そして家に帰って、録画していた木下恵介劇場の『記念樹』というドラマ(1966-67、全46回)を観て、すべてが上向いた。たった30分、CMを抜けば25分もないような映像が、2時間の映画のように訴えかけてきた。あらためて木下恵介はすごいと思った。同時に、昭和末期から平成にはほぼ忘れられていたというのもよくわかる。美しすぎるのだ。しかし世は令和。そろそろこの美しさが再びわかられたほうがいい。最近BSや地方局(チバテレ、TVKなど)で再放送がされているのは実に喜ばしいな。ちなみに映画では『破れ太鼓』が好き。そんなにたくさん観てないけど。いくらでも観たい。

 ゆったりと、明日のぐうたらに向けて休むこともできた。
 自分の話? 自分の話だよ。

2025.6.2(月) ぐうたらの日

 ぐうたらしました。

2025.6.3(火) 返報性の定理

 オーケー。世の中のすべての二人組を代表して言っておこう。「お前らに言われる筋合いはない。」以上。
(小沢健二『DOOWUTCHYALiKE』第75回=最終回「無色の混沌」1997)

 二人の関係というのは絶妙で、外野がどうこう言うことではないし、当事者にだってどうにもできないことはある。関係は常に「ゆるやかな合意」のもとにあり、ゆるやかだからこそ流動し続ける。二者間の適度な「あそび」はゆらゆらと近づいたり遠ざかったりしながら心地よく距離を保つ。
 タイトな合意は「あそび」を許さない。それを「契約」という。恋愛や性愛の話をしているのではない。「関係」の一般的な性質について書いている。

 何度か書いてきたが僕は「返報性」という発想が好きでない。厳密に言えば、返報性の原理を否定するものではないが、それが単純に「目には目を」というレベルでしか解されていない傾向に疑問を感じるのだ。つまり、「100円もらったから100円返そう」という、僕の用語で言えば「天秤型平等主義」に陥りがちなのである。
 もちろん、返報性の原理とは等価交換を原則とするはずだ。簡単にいえば「恩返ししたくなる性質」だから、いただいたものと同じくらいかそれ以上のお礼をするのが通例だろう。返す側がそれを足りないと感じれば「こんなことくらいしかできないで」と言葉を添えるし、あとは返してもらった側の主観で「いえ十分すぎるほどです」と言えれば成立する。この場合の等価とは「お互いが満足している」ということをのみ示し、客観的な数量や一般常識には左右されない。命を救ったことへのお礼がアメ玉一つでも、双方が「これでいい」と思えば十全である。ゆるやかな合意にもとづいた「関係」はそのような柔軟性を持つ。
 ここんとこ僕はお客さんに甘えているな、と思う。具体的にはめっちゃお酒とかごちそうになってる。それを「申し訳ない」と思うのは返報性である。で僕は立ち止まる。そういう発想は好きじゃないと。
 関係は常にゆるやかな合意のもとにある。ゆるやかな合意は、ゆるみすぎればタイトのほうに寄り、きつく感じたらまたゆるまろうとする。それをコントロールするのはその関係の当事者たちで、他の誰でもない。むろん、一人が勝手に決めることでもない。あそびながら、楽しみながら調整されていく。手綱を握るのは「関係を結んでいるみんな」であって、特定の誰かではない。
 その関係が破綻する時は、誰かが甘えすぎた時なのだ。手を抜きすぎた時。関係の一翼を担う人間が気をつけるべきは、「手を抜きすぎない」という一点のみ。これは明日の記事にもつながる部分。
 僕にできるのは結局、せいぜい面白く生き続けることだけだ。そのためにバランスを取る。狂騒の日々もテコなりカテとする。そのことに胸を張っていなければいけない。誰が卑屈なジャッキーさんなど愛するものか? 僕だったら見限りますね。スターだったやつが弱くなるなんて。
 与沢翼が公園にダンボール敷いてカップラーメン食ってる有名な写真あるけど、ああいうふうでなければいけないのですよ。スーツ着て。あんまり面白いじゃないか。落ちぶれるならそのくらいの洒落っ気がないと。「落ちぶれても元上流家庭!」がなんで面白いのかっていうと、胸を張っているからですね。これは「びんぼっちゃまくん」っていうキャラクターのセリフなんだけど、彼は貧乏だから前半分しか服を着てなくて、後ろ半分は素っ裸。でもそれでいいのだ。人に後ろを見せなければいいだけなんだから。だから胸を張ってさ!(エレファントカシマシ『ガストロンジャー』)

2025.6.4(水) 教え子と同僚と

 女子校勤務時代、2015年度に授業を持ってて、2016年度に卒業した教え子と、2016年度と17年度に同僚だった先生と3人で飲みに行った。生徒のほうはもう27ちゃいだって。ハチ公で待ち合わせて百軒店、ミッケラーでビール飲んでから鳥清とヤンスナ行った。グッディーズ(上里亮太くんのお店)のあったビルは更地になっていてしんみりした。何ができるんだろ?
 生徒は鎹、この先生とたびたび会えるのは彼女のおかげだ。楽しかった。
 まったくこの件とは関係がないが、30歳すぎくらいの男性がお酒を飲んで、元教え子らしい女の子に激しくボディタッチしていまくっているのを目撃した。聞けば女子校の先生だったという。恐ろしい。平成生まれなのにめっちゃ昭和!と言いたいところだが、男性ってべつにいつ生まれようがこうだよね。

2025.6.5(木) 或る居酒屋と僕

 働き方改革と遊び方改革を推進中。本当は毎日25時くらいまではお店を開けていたいのだが体力の限界!というのもあって若手に任せられる日は閉めてもらうことにした。少なくとも6月は。そろそろエアコンつけっぱにしないと店が燃える時期に突入するのでその間はもうちょっと長く営業していたほうが損がないと見るべきか、むしろ早めに閉めて省エネを狙うべきか。悩む。いや縮小を怖がるのをやめたい。貧乏性だし不安症だし「やっぱりお店は開いていないと」って思い過ぎちゃって。早く楽になりたい。
 この日はモエさんが23時すぎにお店を閉めたのを見届けて帰り道にある居酒屋に寄った。本当にジャスト帰り道に存在してくれて嬉しい。商店街の外れにあって、地元の人たちの憩いの場。僕は近所ではなく常にゲスト状態だが常にあたたかく迎えてくれる。早めに湯島を出られればこういうところに行けるのがいい。ものすごく大切なことなのだ。
 いつもいるHさんといつもいるTちゃんがいてとても安心した。Tちゃんのほうは最近お仕事が朝番(4時出勤!)になったそうでこの時間にいるのは珍しい。少し話して先にお帰りになった。閉店時間は特に決まっていないようで、人がいなければ閉めるし誰かいればいつまでもやっている。おそらくHさん以外にお客がいなくなったら終わりというシステムに自然となってるんだと思う。すなわち今日は僕が帰る時間が閉店時間。提灯は消さないのでそれまでに誰かが来ればまた延長する。ああ本当に酒場の鑑と感動する。よほどの事情がなければ来る客を拒まない。明日がどんなに辛かろうとも。
 僕の美徳であり短所と言えるのもそれだ。求められれば応えてしまうし、応えるのが使命だとさえ思っている。キープしている錫釜を水割りで飲みながら三種のお通しをいただき、昨夜渋谷でも食べたえいひれを注文。めっちゃおいしい。ホクホクしていると若い男の子から連絡がきた。「いま○○にいるんですけど、今から相談を聞いていただくことってできませんか?」こういうのにはできる限り応えてあげたくなってしまう。明日の仕事とかたぶん辛いんだけど。
 よし相談に乗ろうじゃないかと湯島に引き返したが、そこは酒池肉林、とても相談するという空気ではない。やや呆れたが仕方ない。そのお店には1~2時間ほどいて夜学バーに河岸を移す。お互いずいぶんお酒が入ってはいたが一応いろいろ意見を伝えることはできた。覚えていなかったら怒る。
 お人好しと言えばそうだし、使命感と言ってもそう。僕はそういう人間なのだ。歩くお店というか? 結局、店に主体性などない。ただお客を待って、要望に応えるだけの存在。「そうではない、われわれは主体性を持って客を選び客に提案をする中で新しい需要を創造していくものだ」とか言いたい向きもあろうけれども、それはビジネスであって「店」という概念とはまた別なのではないか。
 自分がそういう自認でいるから、上記した居酒屋のような態度を心底愛する。ただ待っていてくれている。そして自分の望む限りはその存在を受け入れてくれる。それがいかに大変で、覚悟の要ることかは僕にはよくわかっている。こんな偉大なことを黙って毎日こなしているなんて。簡単な事じゃありませんよ、やってみないとわからないことかもしれないけど。

 2008年、時の総理大臣福田康夫は「あなたとは違うんです」と記者に言い放った。2014年、兵庫県議野々村竜太郎は「あなたにはわからないでしょうね」と言った。
 そういえば死んだ西原夢路くんも最後に電話で話したとき「ジャッキー、お前にはわからないんだよ」と言っていた。当時は呆れただけだったが、今思うとなんと孤独な台詞だろうか。18歳以降に出会った人間の中では圧倒的に、というかたぶん唯一の親友だったはずの相手に。
「自分とあなたとは違う」というのは完璧な孤独で、「わかる」というのはまったくその逆。僕は件の居酒屋で飲んでいるとき「わかる」とばかり思っている。はっきり言って文化は違う。僕の生きているいくつかの世界の価値観とははっきり異なる。でもそこにいると僕は「わかる」としか思っていないのである。

2025.6.6(金) 位置エネルギー礼讃

「壁がなくなる話」「コンビニがスナックになる話」と並んで、ジャッキーさん(僕)による未来予測としてメジャーなものです。そういえば書いたことがなかったかもしれないので記しておきます。

 位置エネルギーが好きなのだ。めっちゃ簡単に言うと、高いところにいると何もせずとも落ちることができる。そのエネルギーのこと。高さ1メートルなら1メートル落下するエネルギーを持っているから、飛び降りると足が痛い。100メートルとかだと死ぬ。位置エネルギーはけっこう簡単に人を殺せる。飛び降りも首つりも位置エネルギーの賜である。(首つりの場合は高さ関係ないので単純に重力と言ったほうがいい?)
 僕は練馬時代(18~29歳)も中野坂上時代(29~33歳)も床に布団敷いて寝ていた。毎度起き上がるのが億劫であった。それは位置エネルギーが0だったからだ。ベッドに寝るようになったら位置エネルギーが起きるのを助けてくれることを知った。ベッド、すごすぎる。実家時代もベッドだったが柵付きだったのでその威力を知ることがなかったのだ。それから位置エネルギーの信者となった。

 位置エネルギーは最強の自然エネルギー。位置エネルギーの利用といえば水力発電だが、ほかにも使いようがあるだろうと僕は夢想している。
 たとえば夜学バーはビルの4階にあって、エレベータもエスカレータもない。お客さんたちは人力で上がってくる。夜学バーにはそこにいる人間の数×ビル4階ぶんの位置エネルギーが蓄えられているわけだ。これがろくに利用されず、また人力で階段を降りることによって消滅してしまうのは非常に惜しい。
 夜学バーから御徒町駅までをロープで繋ぎ、滑車で降りていけば無料迅速な交通機関が作れる。加速を考えて緩やかにロープを張れば浅草くらいまで行けるのではないか? スカイツリー(634m)からロープを張って高尾山(599m)まで到達するのは不可能だろうか? そのへんは空想科学読本の世界になるが、ともあれそれなりには遠くまで行けると思う。
 この話で大切なのは、「高さを足で稼ぐ」ということである。現代の人間は坂も登るし階段も上がる。それによって稼いだ位置エネルギーをいたずらに浪費しているのは勿体ない。なんらかの平和利用があって然るべきだ。なんなら移動と同時に滑車の回転による発電さえ可能かもしれない。
 人力発電で最も美しいと思うのは自転車のライトだがもう一声、スマホの充電くらいさせてくれんかね? 同様に、階段を上がって稼いだ位置エネルギーで充電ができたらめっちゃええーやん?

 都市の中にいくつかの塔が立っていて、そこを人間が自力で登る。そこからロープウェイみたいなもので降りながら移動していく。そのような交通網を効率よく運営していくことはできないのだろうか?
 ともかく安全面と費用対効果なのだが(そのくらいはわかっている)置いといて、実際的な問題としては地上に降りたあとに「滑車」に相当する部分をどうやってまた塔の上に戻すか。滑り降りた時の発電で自動的に戻るような装置は作れませんかね。

 僕は『ドラゴンボール』という漫画でベジータとかいう人が「たまには地球の奴らにも責任をとらせてやるんだ」と悟空に元気玉(地球上の生命すべてからエネルギーをもらって放つ技)の使用を促すシーンが大好きである。現代人は「知らないところで作られた電力」に頼りすぎである。たまには自分でエネルギーを作りなさい! 階段を上るだけで何百メートルでも何千メートルでも移動できるだけの位置エネルギーが蓄えられるのだ。
 永久機関を作るのは難しい以上、ある程度の「人力」を前提とした半永久機関のようなものを作っていかないと、それこそ星を食い潰すだけになる。
 ロープウェイが非現実的だとしても、たたき台としては強く主張しておきたい。「位置エネルギーを稼ぐ」というのは誰もが少しずつ必ずやっていることだ。階段を上るのは健康にも良いし、エレベータやエスカレータによってエネルギーを浪費することもなくなる。もちろんすでに歩くことや上ることが困難な人にそれを求めるものでもなく、バリアフリーに反する気もない。しかしどうせ階段を上るのならそのエネルギーがみんなの役に立ったほうがいいし、みんなの役に立つなら階段を上ろうという気もなって、国民の健康レベルも上昇するはずだ。うまいこと有効活用できないもんでしょうかね。

2025.6.7(土) 反省と禁煙

 金土でお客が36人(出戻り入れると38名、従業員も数えたら僕も含めて入店者はのべ40名)来てた。あんまり疲れたから、ってのもあんのかないのか、また遊び倒してしまった。反省!
「反省なんて簡単さ。わたしは何度だって反省に成功している。」これは禁煙にまつわる古典的なジョークだが、まったく身に沁みますな。僕は反省が得意である。みんなそうだよね? 似たようなことで何度でも何度でも反省して尽きることはない。
 愛煙家にできることは、開き直って喫煙を続けることと、反省しながら禁煙や減煙にチャレンジし続けることだけだ。ハァー、まあ僕は後者でしょうね。反省についての喩えとしてね。
 何度も書いているが僕には自分の意志とか主体性ってもんがないし、楽しい時間はいつまでも続いていてほしいので、いつも最後まで遊んでいる。どんだけ寂しがり屋なのか。さすがにもうちょっと「決める」ってことをしたほうがいいような気はする。原則としてそんなことはどうだっていいんだけどね。ほんのちょっとの調整として。

2025.6.8(日) 未成年性考

 これはけっこうきわどい話なのでどこまで長く書こうか悩む。中途半端に書くと誤解だけ与えそうなので、簡単にだけ書いて謎だけを残そうか。

 成人(18歳以上とする)が未成年(18歳未満とする)に手を出す(性交したとする)場合、成人ははっきりと断罪され、未成年はどっちかといえば被害者となる。合意のうえでも、「真剣なお付き合い」でも同様である。それが近年の風潮だと思う。
 なぜかといえば、未成年には判断能力や責任能力(以下「判断能力」とだけ表記するが「責任能力」についても含意していると思ってください)が乏しく、一方で成人には判断能力があるとされているからである。判断能力のある者が、判断能力のない者を騙して行為に及んだ、として考えるのが一般的であろう。ここまでを本記事の前提とする。
 成人同士の性交は、お互いに判断能力があるのだからお咎めナシ、という話になっている。自由にどうぞ、と。
 それでは未成年同士の性交についてはどうだろうか? 僕の感覚だと、これも「お咎めナシ』ということになっているのではあるまいか?
 つまり、17歳と17歳の性交については「特に問題がない」と考えられているわけである。どう考えてもおかしい。
 そうなの?と思う人はまず『鈴木先生』第1巻「@教育的指導」を読んでいただきたい。中2男子と小4女子が性交していたという問題に関して、その当事者男子の友人であり当事者女子の兄である中2の少年がこう言うのだ。

 雑誌でもネットでもテレビでも 初体験の平均は16歳だって言ってる… その上 学校みてえな<公式な場所/傍点>で中学生もやむなくOKって言ってりゃ――――――
 初めての娘(コ)と付き合いてェ奴がこっそり小4にテェ出したっていいじゃねェか!!

「やむなくOK」というのは、性教育として「避妊しましょう」と教えられたことを踏まえている。もちろん「してもいい」とは教えないことがほとんどであろうが、「どうしてもしなくてはならないときは」(???)という形で黙認しているのが現状と思われる。

 未成年同士の性交も厳しくNOと言うべきである。なぜならば判断能力がないのだから。片方に判断能力があるよりもタチが悪いので、不純異性交遊は発覚即退学とか、そのくらいになって然るべきではないのか?(理屈上の話で、僕個人はそうするべきだとは思っていない。)
 僕はこの件に関して「思いついて考えて書く」ということをしているだけで、世の中がそういうふうになるべきだと強く思うものではない。ただ単純に、「なぜ未成年同士の性交は許されているのか」が疑問なのである。
「成人のみなさん、未成年と性交するときは、相手には責任能力がないのだから必ず避妊しましょう」という意見は真っ当なものとして認められまい。ところが「未成年のみなさん、もし判断がバグって未成年と性交するときは、お互いに責任能力がないのだから必ず避妊しましょう」は成立する。そしてそこに「成人とは性交しないようにしましょう」が来る(前提にある)。未成年同士の性交は想定されて、成人との性交は想定されない。
「未成年同士は判断能力がないから責任能力がないのに平気で性交してしまうが、成人との性交については成人に判断能力があるのだからまともならそんなことしない、する場合は犯罪なので捕まえます」という話。「判断能力がないのでセックスしちゃうよね、しょうがないよね」という話。なのか?
 だとしても、「判断能力のない未成年のみなさん! ない判断能力をふりしぼって、未成年のうちは誰とも性交しないようにしましょう!」という呼びかけがあったってよいのではないか? 最初から「判断能力がないんだから性交しちゃってもしょうがないよね……性教育しょ……」という腰の退けた態度でよいのか? 成人たちよ!
「セックスは自由」「しかし未成年は判断能力がないのでセックスという重大事から守られなければならない」「でもセックスは自由……」「しかし未成年は……」という堂々巡りの中、いつの間にか成り立った鵺的な倫理(?)が「未成年同士の性交はやむなくOK!」なのだろうな、という気はする。そして18歳になった瞬間、「ハイ成人とはセックスしてOKになりました! その代わり未成年とセックスしたら捕まえます!」に切り替わる。わけ分からなすぎるだろ!
 それよりは「18歳になるまでは誰ともセックスしちゃダメなんだよ! 絶対だよ!」って教えたほうがもっとゾクゾクするんじゃないのか!(なんの話?)
 飲酒も喫煙も20歳までは絶対ダメ!って言っといて、ある意味ではもっと重大事であるセックスに関しては「18歳になるまでは18歳未満となら黙認、18歳になったら18歳未満とヤったら厳罰」っていう意味不明な決まりになってるの、非常に面白い。
 ダメなんだよ何歳だろうが18歳未満に手を出しちゃ。それは悪いことなんだよ。そう教えないのは何故なんだ? 両方18歳未満だろうが、片方だけ18歳未満だろうが、性交に「18歳未満」という不安定な存在が関わっているのは同じなのだ。手を出しちゃダメですよ。10歳が16歳に手を出すのも、その逆もダメなのです。ここにおいて「手を出す」って言葉の明確な定義は難しいが、「積極的に相手を性交に導いて遂行する」ってくらいか。すなわち完全な合意であればお互いに手を出し合うってことになる。両成敗。
 ラブホテルに「18歳未満との性交は違法です」とか書いてないのはなぜ? 必ずしも違法(条例含む)じゃないからなんだろうけど、と言って合法とも扱われていない。まあなんというか、くだらない結論を出せばセックスってのはそのくらい絶妙で微妙で、誰にもちゃんとよくわかってない領域なんだってことだろうな。

 この件に関してはたぶんすでにまとまった議論があるでしょう、もし心当たりある方は教えてください。

2025.6.9(月) たった一度で

たった一度の口づけで
あの中学生の女の子が、テレクラはまるぜ

たった一度の口づけで
あの中学生の女の子が、水商売やるぜ

たった一度の裏切りで
あのちびすけが 独裁者になる日もくるぜ

(岡村靖幸/せぶんてぃ~ん)

 この歌の歌詞の全体の意味を僕はいまいち掴めていないのだが、サビの「さんざん迷惑かけても」以下にしても、この引用箇所にしても、ものすごく心に残っている。『セックス』というシングルのカップリング。
「たった一度の口づけで」「たった一度の裏切りで」確かに事は重大だ。たった一度の過ちですべてがひっくり返る。現実とはそういうもので、そして僕はそのような現実が大嫌いである。
 すべてがひっくり返る、一発逆転、そんな発想あって良いわけがない。宝くじ買っちゃう奴じゃん。借金してパチンコ行く奴じゃん。そうじゃなくて、全体をバランスよく見て、一つの過ちは全体の中の一つとして見るのが当たり前じゃないの?
『せぶんてぃ~ん』というタイトルはたぶん17歳を表している。若いうちは仕方ない。それこそ判断能力だ。そして経験を積み洗練されていく中で、「たった一度」の呪いから解き放たれる知性を備えていくのが人間の成長っていうものなんじゃないですか?

 具体例を挙げようとすればキリがないほど思いつくが、おおむね卑近で書きたくない。とにかく「直近の一つ」を「過去に起きた一つ」よりもあまり大きく捉えるような態度は愚かだと強く主張したい。もちろん、「反省します、もうしません。心を入れ替えて真人間になります」と言って何度も同じ過ちを繰り返す場合にはまた別の見方があるのだろうとは思うが……。
 人はとにかく「現在(最新)」というものを重視しすぎる。それは当たり前のことなのかもしれないが、知性とは時間を愛することだと僕は思うし、そのような知性なるものを自分は身につけておきたい。Txitterのような「今」をしか問題にしないサービスが流行るのはまことに嘆かわしい。ホームページ・ルネッサンスの狼煙はそろそろ上がらんやとぼんやり待っている。この洞窟で。隠者として。

2025.6.10(火) 想像力の出力調整

 深夜、ってか朝方まで飲んでいた。酒は脳を麻痺させ知能を低下させると言うが、僕のような散漫な人間には利点もある。シラフの時はすべてのことを考えてしまうのだが、酒が入ると良い意味でも悪い意味でも思考のノイズがカットされる。全体の知能は落ちているのかもしれないが、大河のような思考から激流に変わり、加速する部分もあるような気がする。
 想像力について話していた。その人は僕の文章をよく読んでくれているのでお互いに話が早い。想像力は非常に大事だが、すべてに対処するわけにはいかない。あちらを立てればこちらが立たず。リソースは有限だし〆切りもある。その中でどうやって采配をふるうか。それが目下の悩みだと言う。
『ドラゴンボール』で(僕は死ぬまでドラゴンボールで喩えることをやめません!)トランクスが「自分はものすごい変身ができる」みたいなこと言って、実際やってみたら確かに筋肉ムキムキになるんだけどそのぶんスピードが落ちて実戦には役立たなかった、という説話みたいなエピソードがある。力とスピードもバランスが重要で、力だけ増強しても意味がない。国語だけ勉強しても英語やんなかったら受験には落ちるよね、みたいな話でもある。むろん国語だけで入れる方式なら問題がない、その見極めや決断も大切。
 23歳の時に中2へ配ったプリントに「想像力はこわい」と書いた。僕史においてはかなり有名な話(つい先日も書いたネ)で、いま振り返るとそのくらいまで「まとまって」いたから先生にもなれたし小説(『9条ちゃん』)も書けた。小沢健二さんと橋本治さんにこって狂ってばかりいた頃。
 想像力がなぜこわいかというと、想像したら対処しなければならないからである。しかしすべてに対処することはできない。能力的にも、時間的にも。すると絶望がやってくる。「自分はなんてダメなんだ」「未来に希望が見えない」と。ゆえに愚かなる者は想像をやめようとする。想像してもメリットがないように思えるから。
 若き日に絶望と焦燥感が大切だと言われるのは、それが「想像力」の発揮と、そこに向き合うことを前提としているからで、絶望と焦燥感から逃げれば想像力も育たず、腐っていく。しかし本当のところ話は単純で、絶望しなければいいし、焦らなければいい。想像したものをしっかり見つめて、「これには対処する、これは無理、これは後回し」と冷静にやっていくだけだ。
 まずは想像力を育てること、そしてコントロールすること。あらゆる人間を助けることはできない。ゼロヒャク思考の人間は世界平和のためにとやたらデカいことを考えたりするものだが、「小さなことからコツコツと」が結局は絶対に正しい。できる範囲でやらなければ、できるはずのこともしないまま終わる。
 僕の悪い癖は、あらゆる方向に少しずつ手を出してしまうことだ。人に対してもそう。半端に深く関わってしまう。だからお店のようなものを作って、せめてそこに「関係」を集中させようとしているんだと思う。どうしても誰かと関わってしまうので、仕事と一体化させないと崩壊する。学校の先生も良いが、学校外とは分断されてしまう。みんなと一緒くたに関われるのはお店であり、インターネットだ。だから僕はインターネットが好きだし、関わるためにアカウントが必要なSNSよりは誰でも書き込みやメールができるホームページが好きなのである。
 この場所に文章を書いておけば、読みたい人は勝手に読んでくれる。言葉をくれる人はくれる。僕なりの効率なのだろう。どうしても多くの人と関わってしまうから、不特定多数に向けてまず言葉を投げる。そういうバランスの取り方もある。
 そう考えると、やはり僕はまずそこに注力して、その他のことは想像しても無視してしまったほうがいいこともある。たとえば従業員が終電の問題でお店を23時に閉めるとして、「そしたら25時くらいまでは自分が引き継いだほうがいいよなあ、その2時間のあいだに飲みたい人もいるだろうし、知らずに来ちゃう人もいるだろうしなあ、申し訳ないでなあ。」と、どうしても僕は思ってしまう。「それに僕が25時までいるとなったら23時までに来るお客も増えて、若い従業員も経験を積めるし彼らの売上にもなるので一石二鳥だ。」等々。すべて想像力の賜。そしてその通りにすると、確かにその通りメリットはあるのだが、体力も時間も奪われてしまう。楽しい時間と売上は手にできるし、従業員のためにもなる。しかしその代わりにゆったりとした休息の時間と、たとえばここに文章を書く時間なんかはなくなる。すべてを欲しがる自分としては本当に歯がゆい問題。でも思い切って目をつぶったほうがいいこともあるよな。23時なら23時で閉めればいい、そのあとのことは想像してもいいが、対処はしなくたっていい。大人の発想だよね。
 こないだロイヤルホストに行ったし、明日ロシア料理を食べたりする(未来日記)んだけど、そんな日が来るとは思わなかったね。ガストと松屋しか行かなかったのに。大人になったよね、ようやくね。
 若い日は、想像先を怖がっていた。過剰に。だからお金もほとんど使わなかった。洗練されると「ぼくはなれてるから、あわてないのだ。」という気分がどんどん大きくなってきて、「このくらいは誤差」「必要経費」と思える領域が増える。それもバランスを取るってことなんだな。破産するほど金を使っちゃう人もいるけど、想像力とのバランスを取り損ねているのだろう。無類のギャンブル好きでも破綻してない奴は友達に何人もいて、上手いのだと思う。それが。
 僕は石橋を叩いて渡るから、小さいほうから調節していったけど、大きいほうから調節したっていいんだと思う。破天荒な友達がだんだん縮こまっていく寂しさもどこかにはあるんだけど、それが極端すぎずその人らしさを残しているなら、「付き合いやすくなった」とか「死なずに済んだ」という話になるのみ。愛すべき人々、みなうまくやってほしいものだ。

2025.6.11(水) 夜学バーと子育て

「随伴性」「三項関係と共同注意」という子育て用語を知った。太田光さんの『芸人人語』めあてでとっている「一冊の本」(朝日新聞出版のPR誌)をめくっていて出合った。

《子育てにおける「随伴性」とは、子どもの発言や行動に対して、即座に、かつ内容的に適切な言葉や反応を返すこと、つまり子どもの感情や行動を理解し、それに寄り添った対応をすることです。具体的には、子どもが何か言ったり、行動を起こしたりした時に、すぐにそれに反応し、子どもの気持ちを汲み取った言葉をかけたり、適切な行動を促したりすることが含まれます。》(Google、AIによる概要)

《三項関係と共同注意は、いずれも人が他者や対象物と関係を築く際の、注意の共有を指す概念です。三項関係は、自分、他者、そして共有の対象物の3つの関係性を表し、共同注意は、自分と他者が同じ対象に注意を向けることを指します。共同注意は、三項関係の成立によって習得されると考えられています。》(同上)

 これらが、乳幼児を育てる際に大切とされているそうだ。どちらも完璧に夜学バーに置き換えられる。ああそうか、僕は子育てをやってるんだ、……というよりは、子育てにおいて大切なことは、基本的には対人関係において常にめちゃくちゃ大切なのだろう。
 随伴性については、すでにこの記事で語っている。意図せず。
 お店に初めて来る人や、あまり慣れていない人は、恐れている。緊張している。ごく乱暴に言って赤子のようなものである。そのような人を安心させるには、乳幼児への子育てにおいてやることをそのままやればいいのである。ただし、下手くそな子育てを想像してはいけない。あくまで子どもの自主性を重んじた「随伴的〈反応〉」であることが重要だ。すなわち、お客をよく(しかし極めてさりげなく)観察し、それに応じたふさわしい反応を大小行うのである。
 いつも言っているが僕は「お近くですか?」「お仕事帰りですか?」というような凡庸な問いかけは嫌い(機能自体は認める)だし、そもそも「質問される」というプレッシャーをいたずらに与えることを良しとしない。質問自体がいけないのではない。相手は恐れ、緊張しているのだ。そこへ唐突な質問はビンタをくらわすようなもの。質問は使いようで凶器にも花束にもなる。適切なタイミングで、適切な仕方で行われねばならない。
 相手が緊張している時のアプローチには細心の注意を払う。積極的なアプローチが難しい場合は、「随伴的反応」によって代える。

 つまり「見られている」とは、「自分に対してレスポンスがある」という状態なのだ。こうなるともう心理術とか催眠術とかの領域だが、たとえば相手がまばたきをした時に、自分も続けてまばたきをしてみると、相手はそれを「自分に対してのレスポンスだ」と深層意識で思うのだ、たぶん。  自分が動いたとき、相手がちょっとでもそれに対応する行動を見せたら、「自分の動きに対してレスポンスをくれた」と人は認識する。もちろんそれは、「ジロリ」というように「目線を与える」というダイレクトな表現であるべきではない。何気なくふっと動くだけでいいのだ。目玉のわずかな動きだけでも相手には伝わる、かもしれない。その積み重ねが相手に「自分はこの人の視界に入っている」という印象を与え、安心感を抱かせる。
2025.5.7(水) 見ずに見る(接客の極意)

 随伴的反応は、言葉による必要もない。ただ小さくうなずいたり、目玉を動かしたり、口から息を吐くだけでも構わない。ほんのわずかな積み重ねが乳幼児を、あるいはお客を安心させるのである。「自分はここにいて、存在を肯定的に認められているのだ」と思わせることがどれだけ大切か。

「三項関係と共同注意」も、「質問」という重圧に逃げないで関係を育んでいくために非常に有用である。そのために夜学バーにはカウンターに本が立ち並び、無数の貼り紙や小物が散乱しているのである。「同じものを見る」ということの重要さは言わずもがな、親子でも恋人でも友達でも、どんな関係にあっても変わらない。

 夜学バーでの接客においては、「随伴性」「三項関係と共同注意」この二つをまず意識すると良いのだと思う。相手の存在を肯定的に認めていることを全身によって伝え、同じものを見たり同じことを考えたりする。
 これはもちろん、かなり柔軟に捉えていい。エライ人が何かを言うと字義通りにのみ捉えてしまう人が多いが、まず字義通りにとらえた後に、どこまで応用をきかせていいのか(その言葉の柔軟性の範囲)を考えるのが常道である。
 すでに「同じことを考えたりする」と書いてしまったのはネタバレであったが、たとえば「いい天気ですね」「そうですね」という会話はまさしく「三項関係と共同注意」に含まれる。成長した人間は言語を上手に使えるし抽象的操作も上手なので、目の前にないものを「見る」ことができる。「見る」は「捉える」とか「想像する」「考える」に拡張できる。これが柔軟性の範囲である。それを自分で検討できねばならない。

2025.6.12(木) 林原めぐみさんは人格者だぞ

 林原めぐみさんが炎上していらっしゃったのでお店で1st LIVE『あなたに会いに来て』をかけていたら「趣味が悪いですねえ~」みたいなことを言われた。それ、褒め言葉ね。「極めてジャッキーさんらしい」とも言われた。その通りでしょう。
 中1から『林原めぐみのトーキョーブギーナイト』を聴いているのである。ウェディングドレスの結婚発表もリアルタイムだった。当時はラジコなど当然ありませんから起きているしかなかったのです。

 1998年3月、自身の誕生日に合わせて入籍。2日後に行われた自身のラジオ番組「Tokyo Boogie Night」の公開録音の舞台において、結婚行進曲をBGMにして突如ウエディングドレス姿で登場。3歳年下の会社員と結婚したことを発表し、ファンを驚かせた。この公録の様子は、4月5日の放送の冒頭で紹介され、林原から改めて視聴者に向けて報告された。
(Wikipedia「林原めぐみ」)

 僕はまだインターネットを本格的にはやっていなかった(ガンガンNETのサービス開始を見たり、たまにネットサーフィン!するくらい)が、きっと一部のホームページ等では阿鼻叫喚だったろう。
 ところで、ガンガンNETのサービス開始は1996年12月らしい(Gemini曰く。正確なことは実家に帰って当時の少年ガンガンを見ればわかる……)。ということはおそらく僕のインターネットデビューはこの時(以降)であろう。それより前にちょっと触ったくらいはあったかもしれないが、自発的に「インターネットを見よう」と思って見たのはこれが最初ではなかろうか。掘り進められる自分史。
 深夜ラジオを聴くようになったのはたぶん1997年、これも当時ガンガンを読んでいて「どうやらラジオという世界にはいろいろな情報があるらしい」とわかったのが大きい。また別方面からは、次兄が96年ごろ『ナインティナインのオールナイトニッポン』を聴いていたのと、97年に『ナイナイナ』という番組がクラスの阿部くんと岡くんと三人の間で盛り上がったというのもある。また中2(98年)の夏休み、ののくん(野々山)とこのマンションの屋上で酒盛りしていた(僕はこの時飲んでいない)ら神戸(かんべ)が隅っこでラジオ聴いてて、その時は何を聴いていたか忘れてしまったが、東海ラジオ『流石の源石』の話をしたのは覚えている。ちょうど第3部がやっていた時期である。どうでもいい想い出話だが、こういうことも折に触れ書いておかないと20年後は忘れているかもしれないからしっかり記しておく。自分魔ですな。
 いやそんな話がしたかったのではなくて。漫画アニメ、インターネット、深夜ラジオに浸かった当時の中学生男子が『林原めぐみのTokyo Boogie Night』にぶち当たらなかったらモグリである、ということが言いたい。林原めぐみはその頃にはもう声優という概念の象徴であった。ちょうどエヴァブームの前後であった。
 ゆえに、ここから急に乱暴なことを言うのだが、林原めぐみが何を言っても炎上するわけがない。世の中がおかしい。林原めぐみさんは偉いのだ、偉い人が何を言ってもいいではないか。「偉きゃ白でも黒になる」という歌をシランのか。林原めぐみさんの偉大さをかなり多くの人がわかっていないということで、非常に嘆かわしい。
 林原めぐみはもう僕にとってそのくらいのもので、好きとか推してるとかですらない。尊敬とか崇拝の域で、戦時中の子どもたちが「楠木正成はすごい!」とか思ってるのとあんまり変わらない。楠木正成を炎上させているようなものだ。けしからん。※こういう類いのたとえをして今回林原さんは炎上しました、たぶん
 少しだけ真面目なことを言えば、28年間ほどラジオを聴き続けている僕は、林原めぐみさんが人格者であることを知っているのである。だからたった一度で見限るような真似はしない。たった一度、ほんの少し不用意なことを言ったとしても、それくらいで「林原……おまえ……」とはならない。林原めぐみさんは本当に誠実な人で、今回のブログもよく考えたすえに、熟考して書いたものだと思う。それでもうまく書けている自信がないから最後に「政治的な発言は難しい」と書いたのだろう。言葉尻捕まえて批判することは簡単だが、かわいそうじゃん。極めてまじめな優れた人格者が世の中に危機感を感じて一所懸命がんばって誰も傷つけないように書いたのに、「傷つく人がいます!」と鬼の首取ったように言うのは。
 僕が仲良しの発想をうたうのは、そのほうが平和だからである。28年間ラジオを聴き続けている僕は勝手に林原めぐみさんのことを友達のように理解した気になっているので、「林原さんはいい人だから、一度や二度誤ったとしても批難すべきではない」と優しく思えるのである。もっとも、僕は件のブログ内容にまったく問題も嫌悪を感じないのではありますが。そして彼女の考えに同調、共感するものでもございませんが。

2025.6.13(金) 筒か鞘か

 午前4時ごろ、お店を閉めてお客さんたちと別のお店で飲んでいたら「まだやってますか?」と連絡があったので、やってなかったけど「やってます」と言った。
「お客が来るのでお店を開けに行きます」とだけ言ってそのお店を出た。夜職ではよくあることだが自分とこのお客さんをも放置することになるので非礼ではあった。多量飲酒により総合的な判断能力が鈍っていたのとご連絡をくださった方のことを僕は大好きで尊敬もしている(ブログ全記事を3周は読んだ)ので猛進してしまった。仲の良い人たちだったから甘えてしまったところもある。
 甘えというのは判断ミスのことである。甘えるだけならかわいいものだがミスが伴えば「甘え」となる。この日はいろいろミスって反省した。
 それでも自分が画面越し(映像なりブログなり)に憧れた人物と差し向かいで話ができるというのは幸福なことだ。それが甘えを呼んだということでもあるが、すべて含めて自分の性質が出た回であった。もう少し調整を上手にしよう。(一生言ってるが昔はもっと客観性がなかったのである。)

2025.6.14(土) 体力の限界!

 ろくに寝られず夜の出勤。体力の限界!な風情。おかげさまでお客もたくさんあって楽しかったのだが実際のところ疲れ果てて倒れそうであった。2時くらいに帰宅。2~3時間寝て朝7時の電車に乗るのだ。
 自分の欠点がわかった。体力がありすぎる。体力があるから「みんな」に付き合えるのである。
 僕は一人しかいないが「みんな」はたくさんいる。当たり前のことである。「みんな」の一人ひとりからしてもその人から見る「みんな」はたくさんいる。人間は常に「一対多」の中で暮らして出力を調整している。
 体力やそれを支える気力が強いのをいいことに、この「一」のリソースを極限まで使い尽くそうとしてしまう。悪い癖だ。
 今夜は珍しく体力がなさすぎて、1時過ぎたところで店じまいを宣言し、お客を二人帰した。普段ならお客のほうから「帰る」と言い出すまで僕は何も言わないのだ。(むろん体力以外の事情なら例外はいくらもあるが。)しかし「これはもう無理だ、早く帰らなければ死ぬ」と午後6時からずっと思い続けて7時間、気力のみでやっていて、どれだけ急いで帰ってもせいぜい3時間くらいしか寝られないと確定している状況で延長営業はほぼ不可能であった。
「不可能」というのは去年あたり友達との間で流行ったフレーズでもあって、やりたいとかやりたくないとか、向いてる向いてないではなくて、可能か不可能かという判断基準ってある。何かしらのリクエストを受けたとき、やりたくなくてもやることはできるし、向いてなくても下手くそでもとりあえずやることはできる。しかし「不可能」だという場合、不可能なのである。当たり前だが。
 もうちょっと体力か気力か、あるいは何らかの事情があれば一睡もしないで電車に乗る選択肢もあり得た。さすがに僕は超人なので「ほぼ不可能」くらいのラインにいて「まだ無理はできる」という感じではあったが「死ぬのかもしれない」と考えれば賭けとして割に合わない。
 本当に、僕は体力も気力も人並み外れてたぶんあって「もうやだ、帰って寝させてくれ」という極限状態に陥ることが少ない。あったとしてほとんどは体力以外の理由である。でもそろそろやっぱり体力も落ちてくるわけですから少しくらい緩めてもいいよな。この日はある意味清々しかった。「ああ、このくらい体力がなかったら胸を張って帰れるぞ」と。
 僕が弱くなれるのは体力がまったくない時だけなのかもしれない。体力がもうちょっとあったらつい強がってしまう。無理できちゃうから。死を早めそう。長生きします。

2025.6.15(日) やまなし(1) 苦労と根性

 山梨にいます。掘り進んできました。あずさで小淵沢、いったんピっとして改札を出て蕎麦を食べ、小海線の列車が来たころにホームへ。
 山賊そば(680円)にとろろ(180円)と卵(100円)をトッピング。960円。とろろと卵、別に要らないというかだいぶ割高なのだがこれから3日間ひょっとしたら食が偏るかもしれないので少しでも栄養をと思ったのだがそれでも立ち食いそばで960円は高いな。山賊だけにすればよかった。貧乏性なので七味をたくさんかけた。
 小海線は清里と野辺山以外にSuica端末がないので小淵沢でいったんピっとして改札外で紙のきっぷを買い求める必要がある。あらかじめ全行程の切符を買っておくこともできたがJREポイントを貯めたくてピにした。また最寄駅→甲斐小泉の運賃が3410円なのに対し、最寄駅→小淵沢は3080円、小淵沢→甲斐小泉が210円なので分割したほうが120円安いのであった。
 もっと細かいことを言えばたとえば中野でも分割したらもう120円安くなるし、最寄駅→甲斐小泉駅を四分割すると2970円(-440円)まで削れるようだが面倒だしJREポイントを優先するためにピで済ませた。完全にJR東日本の思うつぼで、我ながら良いお客さんである。←笑うところ
 そもそも今回はあずさの35%オフが取れずチケレスの100円引で買った。その時点でちょっとやる気が削がれていたのもある。そう、これは節約ではなくゲーム。乗り鉄とか撮り鉄という言葉があるが僕は「運賃を少しでも安く抑えるとうれしい鉄」なのだ。
 甲斐小泉駅に降り立つ。雨が降っている。周辺唯一の商店で買い物をして、傘さしながら自転車を押して坂を上がる。今回は時間と余力がなくてロードはやめ持ち運びやすい小径車にした。似たような坂道をこれで上った実績は何度もあるがおそらくそのせいで金属疲労が積もりフレームの一部がバキッと割れたことがある。その部分だけ自分で付け替えたのだが、それだけに不安なのだ。あんまりこの車体で無理はしないようにしている。
 着いていろいろ調整して昼寝。「いろいろ調整して」に含まれる色々を誰が想像してくれるだろうか? こういうところで孤独を感じて寂しくなる。そしてここに書いて癒やしを求める。そういうものだ、日記というのは。
 起きて、ちょっと文章を書くなどしてから山を下りて「てん」を訪ねる。店長とオーナーが出迎えてくれる。1年ほど前にオープンしたカフェなのだが長期休業に入るそうでGoogleマップでも「閉業」とされている。ビールとおつまみをいただきささやかなパーティとなる。僕の友達が3人増えていよいよ宴会、結局17時半くらいから22時半までお邪魔してしまった。楽しかったし、やはり地方に縁ができるのはうれしい。店長のアッキーさんも「知らん人と話すほど楽しいことはない」と仰っていたがその通りである、ただ単にその意味だけでも良い時間だった。
 4人を乗せたタクシー代は1900円だった。数時間前には雨の中食糧品を含む重たい荷物を背負って傘と自転車を両手に持って汗だくになりながら無心に登った道のりである。1900円と思えば救われる気もする。ただそんな苦労も他人の想像の外にあり、僕の胸の中だけにある。そういうものなのだ、苦労って。だからこそ人格も涵養されるというものだ。誰にも褒められないから根性は育つのだ。あんまり水あげないほうがトマトは甘くなるってのと同じである。ところで田舎の観光地のタクシー運転手ってたまにすっごい旧時代的な人がいると思うがまさにその線で典型的に無礼だったので惨殺して海に捨てた。

2025.6.16(月) やまなし(2) 分けて考える

 書き上げていったんUPしたけどネット接続の不具合ですべて消えた。めっちゃ辛いけどこれも「分けて考える」ということの一環だ。仕方ない。思い出して書く。

 昼すぎ2時間くらい散歩して湧き水を汲んだり野菜を買ったり雑貨屋でインドの布を買ったり。ああやっぱり書き直すのはしんどいな。もうちょっとがんばるけど。
 夕飯は一緒に来てる人たちが材料買ってきて作ってくれた豚キムチやアヒージョ。おいしかった。僕は何もしていない。殿様である。とさっきは書いたんだけど昨日の記事にもあるように僕はかなりいろんなことをしている。でもそんなことはどうでもいい。僕の嫌いな「天秤型平等主義」に堕してしまう。それも分けて考えるべきなのだ。それはそれ、これはこれ。そうやってみんなで分けて考え合うことが平和への道なのだ。
 僕も誰もいないときにお米炊いて大根の葉と小松菜の炒め物、大根とネギの煮物、味噌汁を作り、そして宿のオーナーが作っておいてくれた(本来は僕らのものではないのだが前のゲストがイスラームだったため食べなかったらしい)カレーを解凍して温めたりした。ただそれらは僕しか食べていない。むろん豚キムチやアヒージョの楽しさが優先される。僕が作ったものは明日、食べるなら食べればいいのだ。誰かが。
 18時ごろ、従業員から「今日はお店を開けられません」と連絡が来た。それ自体は仕方ない。念のため19時まで代打を募ったが結局お休みとなった。明日はなんとしても開けたいので念のため、18時から22時半くらいまで夜学バーにいてくださる方を大募集。早い時間は難しくてもラストだけでも大丈夫です。事情はそのあとで。いま16日の23時56分、明日17日のその時間までのこの文章を読んでいる人で、僕のことを大好きだったらどなたでも良いです。マなんかっしゃんサービスします、こんど。
 たぶんもう10年以上前、たしか高円寺だったと思うが、今となっては大親友と思っている女の子と古本屋に入って、立ち読みしていたら佐藤春夫(だったと思う)の本に「昔の人は分けて考えるということができなかったので」というような一節があるのを(たぶんその子が)発見して一緒に「すごい!」と感動した覚えがある。以来「分けて考える」というフレーズは僕の心に棲み着いて折に触れ浮かぶ。なぜあの時その本を買わなかったのか。いやたぶん買わなかったよな? タイトルも何もわからない。いつか再会できるのを待っている。
 分けて考える。すべてはこれなのだ。分割し、しかるのち統合する。統合しなくてもいい。
 とこんな感じで原稿は終わり、保存したつもりが消えていた。辛く悲しい。でも分けて考えるしかない。

2025.6.17(火) やまなし(3) Z・U・S

 普通列車で甲府に向かっている、小淵沢から50分あるので書けるだけ書く。「甲府に行く」というと太宰治の『富嶽百景』を思い出して嬉しくなる。甲府から帰ると、わるくなる。

 プチ合宿三日め。今回の旅(?)の説明をそういえば一切していなかった。以前に二度ほど泊まった山梨県北杜市のリゾートコテージ(?)に縁あってまた行くことになった。夜学従業員のさく氏も同行したのだがなんでそうなったかってオーナー(物件の持ち主)と夜学で会ったんだったかな? 遡ると。彼は服飾やってるので、ミシンのある環境(あるのだ)で山ごもり、いいんじゃないの?って。
 加えて、夜と酒の勢いで決まった女の子が一人、来ることになっていた。ところが二人で来た。婚約者(?)も一緒だった。彼は「日帰りします」と言っていたのだが帰るか残るかを丁半サイコロで決めようということになり幸か不幸か勝った、丁だった。それで結局3日間、ついさっき小淵沢駅まで一緒にいた。
 3日めは早朝にさく氏帰るのを見送り、温泉入って散歩してごはん食べて、片付けして、って感じで終わった。ほんの15分くらい昼寝もした。総括すると、結局のところ去年の「やがっしゅく」最終日(ここから数日間完全に頭が狂った)とほぼ同じことになった。だいたい僕が一人で片付けた。(さく氏は自分の領域をちゃんと綺麗にして行った、偉い。)
 わかりますよ、僕が悪いのです。僕が年長で「中心」なんだから、みんな僕に遠慮するし、僕による主導が優先されるものだと思っている。僕を損なってはいけないと気を遣っている。だから僕がキビキビと働いていることを邪魔しない。褒めもしない。「そういうものなんだ」と納得をする。
 今やもう古いたとえになったかもしれないがいわゆる「お母さん」という立場はこれだ。「お母さんの領域」を侵してはいけないと子供は勝手に考える。お母さんがキビキビ働いているのを子供たちは邪魔しない。褒めもしない。「そういうものなんだ」と納得して育つ。
 またお母さんは「家の正しいあり方」を握っている、少なくとも子供はそう考えているし、実際かなりの程度そうであることが多い。ものの仕舞い場所だとか、配置の角度だとか。それを損なってはいけないと子供たちは無意識に思って、「自分の領域」以外には手をつけないようにする。これも当たり前っていうか、まあ「そういうあり方」になってしまっていることがまず問題。マネジメントの失敗。子供たちにとって家のことが「自分ごと」(ひいては、「みんなごと」)になっていない。これは僕も耳が痛いというか、得意ではないかもしれない。だからこそ「がんばりたいな」と思っている。
 僕が悪いのです。マネジメントの失敗。結局、リーダーみたいな人が動いてたら「自分たちは邪魔しないようにしよう」という他人事モードにみんななるものだ。「さて、では自分はどう動こうか?」と能動的に考えてみたとて、「邪魔だから余計なことしないで」と言われる恐怖に打ち消される。念のため言っとくがこれは一般論で、さっき(さっきなのだ)いた人たちの心理状態を邪推や忖度するものではない。そもそもこれは去年の「やがっしゅく」のことやそれ以外のこと(たとえば夜学バーの運営)も考え合わせて総合的にまとめているのだ。でもまあそれに近しいような心の反応は多少あったんじゃないかとは勝手に思っている。言い当てることはできないしすべきでもないのでざっくりとした一般論を書いているだけ。
 18時半くらいに甲府に着きたいから遅くとも17時45分小淵沢発の列車に乗りたい、そのためには17時過ぎには宿を出なければならない。「ふむ。逆算すると、そろそろこれをしておかないと間に合わないな」と考えて僕は動く。「間に合わないな」と思いながら動くから機敏になる。誰かが機敏に動き出すと他人は「邪魔しちゃ悪いな」「逆に効率が悪いかな」と動かなくなる。他人が動かないからタスクが減らず、僕は機敏に動き続ける。なんて悪循環だ。結局のところ1時間くらい機敏に動き続け、なんとか間に合う時間に出ることができた。結局予定より一本遅い電車に乗ることになるのだが、そのアクシデントについてはまたあとで。
 なんにしても関係のあり方と前提の作り方がよくなかった。今回の宿はほぼ無料(無料ではない)でお借りしていて、オーナーは僕の友人なのでホテルや旅館みたいに汚くして帰るわけにはいかない。原状復帰どころか「来たときよりも美しく」せねばならない。そのことがたぶんあんまり伝わっていなかった。言ったつもりだけど伝わっていなかった。「原状復帰して帰ります」というのは、「現状」を彼らが知らない以上、「自分が知っている最初の状態よりも綺麗にする」というのが当たり前に含意されているはずだ。
 やまなし(1)に書いた気がするが、僕は最初に一人で宿に入っていろいろなことを調整したのだ。つまり、その時点で「来たときよりも美しく」なっている。ということは、僕以外の人たちは「僕が整えたのよりもさらに綺麗な状態にする」という意識を持っていないとおかしいわけだ。おそらく、そんなことくらいはわかっている。しかし「それは我々の領分ではない」と思っていたのではないかと、これについてはしっかり邪推しておく。
 最後に残った二人について言うと(個人攻撃のように見えるが僕は仲良しだと思っているのでネタにさせていただく、まあそれもいつもの賭けである。二五年間ここで数多の人間を傷つけてきた僕の常道)、彼らは二階の部屋に寝ていて、そこはハッキリと彼らの「領分」である。ほかにリビング、和室、お手洗い、お風呂、ベランダがある。このうちお風呂以外は「みんなで使った」領域である。そこを「午後17時までに来たときよりも美しくする」という意識は、おそらくなかった。
 美しく、っていうのは、掃除機かけるとか、テーブル拭くとか、ものの配置を綺麗に揃えるとか、いろんな領域がある。ティッシュの箱一つとっても、カドや角度を揃えて置いたほうが美しく見える。オーナーが帰ってきたときに「まあ綺麗!」って思ってもらいたいじゃないか。僕はオーナーと直接の知り合いなのでそう思うのだが、そうでなければ「知らん奴の知らん家」なのでしょうな。
 彼らの寝起きしていた二階についても、最後に見にいったがだいぶやることは残っていた。まず掃除機はかかっていない。ダイソンが二階にあるのだが「電源を入れても使えない」とのことで、かけなかったらしい。だったら一階にある緑の有線のやつを持って行けばいいだけなのだが、しなかったようだ。しかし僕が試しにダイソンのスイッチを押してみたらフツーに動いたので、そのままくまなくかけた。ついでに一階の玄関まわりや脱衣所もやっておいた。
 また、ものの置き方も美しくなかった。わかるよ。「どの状態が初期位置かわからないので、とりあえず何もしない」ということだと思う。でも、明らかに床に何かが落ちてる(何個かあった)とか、どう見ても雑な配置だったら直したほうがいいのよ。あ、それと言っておきます、彼らは心や頭のすっかり健康な人たちではないから、できることとできないことがある。そこを責めているわけではない。まったく責めていない。これは本当である。これが伝わらないからいつも人を傷つけるのである。そうじゃない。「みんな」に言っているのだ。僕は。君たちを含めた「みんな」に。これが本当にたぶん、わかってもらえない。それは僕が悪い。能力が足りない。申し訳ありません。
 甲府に着いてしまった。とりあえず降りてホームにしゃがんで書いている。
 僕も欠陥品だが、欠陥品は根性をつけるしかないし、根性ってのは死ぬほど疲れるような徒労をくり返すってことでしか身につかないんだと思う。ひとまずそれだけを言いたい。
「どうしたら人が嬉しい気持ちになるか」ということを考えるのは、実はそんなに難しくない。ただし、その「人」の範囲をどこまで広げるかということになると、途端に難しくなる。ごく近しい人を嬉しくさせることには気が向いても、近しい人の近しい人、となるともう想像は及びにくくなる。また、ごく近しい人であっても、いま目の前にいない場合には気持ちの薄れてしまうことがある(僕はわりとこういう病があると思う)し、たとえ目の前にいても状況によっては「この人を嬉しくさせる必要は今はない」と考えてしまったりもするものだ。ワガママな本音を言えば、僕はもっと嬉しい気持ちにさせてもらってもよかったんじゃないかと思う。がんばったから褒めてほしい。(褒めてブーム・リバイバル)
 じゃ切ります。続きはまた。

2025.6.18(水) やまなし(4) 甲府ゲーム

 まずは17日の話。17時過ぎに片付けを終え、山を下りようとしたら自転車がパンクした。3日間乗っていなかったのでおそらく初日すでにパンクしていたのだろう。頭の中の計画がすべて狂う。中央本線の小淵沢駅まで走るつもりだったが、最寄りである小海線の甲斐小泉から乗るほうがいいだろう。即座に調べると6分後には出発すると出た。歩けば間に合わないし、パンクした状態で走ってもたぶん無理、急ぐのも危険。甲斐小泉からの次の列車を待つと甲府着が予定より1時間も遅れてしまう。待ち合わせがあるのだ。困る。
 だましだまし、ゆっくりと小淵沢まで降りていけば17時58分発に乗れるのではないか。本来は45分の予定だったのでほんの十数分しか変わらない。前輪は健康なのでなんとかなるだろう。おっかなびっくり走っていると、後輪からバリバリと音がし始めた。チューブがはみ出しているのだ。このまま走るのは危険であろう。
 日陰で停車し、考えたすえチューブを切り裂いてタイヤから取り出すことにした。よい子は真似しないでね。カッターかハサミがあれば秒殺だったが無い。パンク修理用の金具で力任せにやってみた。これがなかなか難しい。僕は非常にかしこいので、すでにパンクしている小さな穴を探して金具のフック部分をめり込ませて引っ張った。少し時間はかかったが切断できたので、引き抜いた。文字では伝わらないだろうが、この機転と技術はそれなりのものだと思う。それを文字で伝えるのが文章家なんですけどね~。今日は諦めます。
 そこからはチューブの抜けたタイヤのみでひた走る。僕じゃなかったら死んでるくらいバランスを取るのが難しいので本当にみなさんは真似しないようにしましょう。これまで自転車に乗ってきた時間はたぶん常人の何十倍か何百倍(比較対象によっては当然それ以上)なので、コツがわかっているのである。それでも事故や死と隣り合わせの自覚はある。心底怖がりつつ、本当にゆっくり、全神経を集中させて少しずつ進んでいく。ちなみに、こんな走り方をしたらホイールや車体そのものに悪影響が出る可能性が高く、たった1時間弱を短縮するためにすることではないのかもしれない。でもそれを選んだ。賭けでもあるし、根性でもある。
 根性ね。もう誰も口にしない、ほぼ死んだ言葉だと思うけど、だからこそ言いたくなりますね。根性は大事。安城は愛知。ナナナナー、ナナナナー、ナナナナナナちゃん~。
 9割ほど走ったところで時計を見る。15分ほどあった。駅が近づけば交通量も増える、ここからは歩いても間に合うだろうと自転車を降りた。このおちつきがしろうととくろうとのちがいだ。
 壊れた自転車を畳んで小淵沢駅に入ると、さっき別れた二人と会った。手を振り合って別れた。僕は普通列車なので先に出るのだ。
 甲府に着き、駅前の無料駐輪場に自転車を置いて、歩いて宿に向かう。「くさ笛」で友人と落ち合う。日本酒を1.5~2合くらい飲んだか。翌日店主の85歳のお誕生日だそうで、一緒に杯を交わした。お酌できたのが嬉しかった。
「馬酔木」でダイキリ飲む。前に来たときに感動した片手シェイクをよく見る。右手を骨折してからむしろ「よく動くようになった」からそれ以来こうしてるとのことで、え、どういうこと? 骨折前は両手で振っていたらしい。推測するに、骨や関節が変形してそれまでと同じ振り方ができなくなったから、片手だけのほうがやりやすく感じたということだろうか。面白い。ラスティネイルはグランダッド80だった(メモ)。同行者が「ここのラスティネイルは他店よりおいしく感じる」というようなことを仰ったが、おそらく普通はスコッチを使うのにここではバーボンを使っているからでなかろうか。
 タクシーで郊外のバーへ連れていっていただく。筆舌に尽くしがたい名店であった。新旧のウィスキーを膨大に揃え、レモンサワーだって自家製で作るこだわりの店なのに38年間営業していてGoogleマップに登録すらされていないのだ。攻略本に載ってない隠しアイテム見つけるようなもん。現実ほどゲーム性の高い遊びってほかにない。ブログとインスタ、Facebookはやっているので、あえて隠れようとしているわけでもない。素晴らしい。
 極上のバーボンを数杯いただいて甲府の「中心」に帰る。あの歓楽街のことを地元の人は「中心」と呼ぶらしい。1時間ほど歩き回ってみたが、めぼしいお店はまったくない。おもしろそうなのはラーメン屋くらいですな。平日の真夜中だからってのもあるが、それにしても僕の感覚にピンとくるお店が見当たらない。どこに隠れているのだ? それとも本当に存在しないのか? 相変わらず甲府を楽しむのは難しい。
 寝て、パん買って「珈琲屋まつもと」でビッグコミック読んで帰る。いまあずさの中におります。

 余談なんですけど暑いなか町を歩くのもゲームですよね。全身が熱を持つので涼しいお店に入っていったん全身を冷やすってのが「回復」だし、季節と時間から太陽の角度を計算して日陰の多い道を選んだりコース取りはあたかもレーシングかスクロールシューティングのよう。日傘の角度だったりとかも。ゲーム脳だから常時ゲーミフィケーションしております。楽しいかどうかっていうよりも、そのほうが楽。甲府は昨日38.2℃を記録し全国一位、今日も36℃はあったようです。

2025.6.19(木) 主張と疑問

「主張」と「疑問」は内的な素材であって場に提出する意義はさほどない。何も場に出ていないときのたたき台としてならば、たとえばお店の営業中に用いることは僕はけっこうある。あえて虚空に投げ「焦点の歩」のような使い方をするならかなり有用だろう。
 しかしむやみやたらこれらを吐き出す手合いには注意が必要だ。特に会議や打ち合わせという時、主張と疑問に終始する者は自分のことしか考えていない。視野が狭く思いやりに欠け、相手が食べやすいように手前で調理して出すという発想もない。主張は自分の中にあるもの、疑問は浮かんでくるものであって、すなわち生モノ、そのまま出して良いときと悪いときが当然ある。刺身や寿司に値する、うまく捌かれた新鮮で形も味も良いものでなければグロテスクな生臭い魚の死骸。
 むろん停滞した会議を無理に動かす、皆の閉じた口をこじ開けるという場面では必要なこともある。「会食にマクドナルドを提案するとみんなが意見を言い出す」というのに近い。主張と疑問は使いよう。
 基本としてポジティブな場においては「課題の提出と検討」が行われるべきで、参加者は「そのような場となるように」発言をコントロールすることが求められる。たとえば主張は提案に、疑問は問題点に変換して出すほうがよい。それも、その場にいる人たちが「検討」をしやすいような形に工面して。
 それをサボり、思ったままを口にするのは怠惰の手抜きで、結果的に時間もかかる。日本人は会議等の時に黙っている時間が長いというが、それは必ず「内的な主張や疑問を場にふさわしい形に変換する作業」をしている時間でなくてはならない。決して「今は自分の出番じゃないな」という消極的な態度であるべきではない。
 夜学バーに立っている時でも、黙っている時は「引いている」のではなくて「身構えている」に過ぎない。いつでも斬りつけられるように目標を見定め続けている必要がある。急にボールが来たって対応できるように。営業後はものすごく疲れる。それでいいというか、そういうものだ。頭と心身をずっとフル稼働させているのだから。
 くり返すが僕は、主張と疑問は原則として内的に処理すべき素材と考えていて、しかし意外とそう思っている人は少ないはずだ。主張がダダ漏れになると「誰も聞いてない話を延々し続ける」とか「特定の話題になると急に熱くなって排他的な意見を語り出す」になり、疑問がダダ漏れになると「質問ぜめ」という暴力になるし、「(追い)詰める」形にもなる。主張と疑問は心の根源にあるがゆえ劇薬で、扱い方にはかなり注意を要する。
 僕が「質問」ということにかなり慎重なのはそのような事情である。もちろん使うべきところでは使わなければ話は進まないのだが、なんでもかんでもたずねればいいというものではない。ここぞという時に「それって○○ってことですか?」とか「××についても同様でしょうか、それとも?」というふうに流れに乗って、できるだけ答えやすそうな形にして、相手の内面やプライバシーに踏み込まないような仕方で行う。
「先ほど△△とおっしゃっていたので、もう少し深く伺いたいのですが、□□については◇◇なのでしょうか?」とか。テキトーだけど。とにかく流れの中で、失礼のないよう誠実に。これは会議とかの時も同じだと思う。主張や疑問を出してはいけないというのではなくて、それは流れの中で、失礼のないよう誠実になされなくてはならない。
 そういうことは誰かに教えられないとわからないし、教えられたことがないか、教えられてもわからない場合も多いから世の中にはその程度のこともわきまえてくれない人が多いのだろう。まあこんなことを考えているのは僕だけってことなのかもしれないが、僕は少なくともそのように思うので、僕が何かをする時にはこういうことを「教える」ということが必要なわけだが、標準の世の中にはこんな考え方は存在しないのかもしれなくて、すると「教える」ということは大上段から非常識を押しつけることになるので、したくない。自然とそうなるようなことを僕は都合良くも望む。しかしそれはほとんどありえないから、そういう世界には行きたくないと逃げてしまう。
 ピュー。

2025.6.20(金) 7.11(25周年)告知 ※6.26追記

 7月11日(金)は上野公園不忍池南のほとり(去年の誕生日会をやったところ)でオフ会をいたします。19時ごろに僕は現地に行って準備を始め、23時完全撤収をめざします。全員来てください。
 少々の雨ならば決行するので傘や合羽をお持ちください。不可能なほど降っていたらサイゼリヤ→マクドナルド→ガストと歩き回り、どこも席がなければ泣きながら夜学バーに入ると思います。その際はホームページにも書くと思いますが、Txitterのほうが早いかも。
 何をするということもありません。「おめでとう」と一言だけ言って帰るなりどこか別の場所に行くなり、夜学バーに行ってみるなりしてください。どんな天候だろうが僕一人がそこにいることは99%可能なので、どうせ意地になって座っているでしょう。初めて会うという人も物見遊山で、または怖いもの見たさでおいでください。このホームページは人生の3分の2近くをともにしてきたライフワークであって、実のところかなり思い入れがあるし、どうしても来てほしいと思っております。本気です。文字を文字の通り読んで理解してください(高圧的)。

 本当は、オフ会は10年に一回と決めていたのですが、20周年は緊急事態宣言に重なり片手で数えられる程度の参加しか得られなかった(それでもありがたいし、今回それよりも多くいらっしゃるかもわからないのですが)ので、「ウーウー」とか言ってたら15年来の読者が「25周年、ヤリナヨ……」と言ってくれたのと、「ヤッテ……イイヨ……」と自分から許しが出たので、やることにしました。(参考文献:武富健治『掃除当番』、2006年7月の萩本欽一さん)

 続報というか、もう少し細かいことはまた追記するかもしれませんが、ひとまず19時から23時、不忍池のこのへんに来ていただければ、なんでもいいです。本当になんでもいいのです。文字通り受け取ってください。来て、うまい棒の一本でも渡して、すぐ帰っていただいて問題ありません。

【追記】
 20周年に何を持って行ったか忘れましたが、確かその時も初期の掲示板ログとか色々用意したと思います。今回も何か(全国30人の読者であっても喜ぶか微妙な)レアいものを。具体的には2000年ごろ数名にのみ公開していた「裏Ez」のログとかですかね……。これはまだ公開していない気がする。あとはHSJ10(平成のジャッキーさん展)で展示したもののうちホームページに関わるものとか、それなりに用意すると思います。かわいい過去の写真集とかナ。Ezパビリオン。10年(ないし5年?)に一度しか開帳しないご本尊みたいな感じで。
 飲みものも用意しますからね。がんばってコーヒーとか入れます。そういうことのためにマホービンだって買ったのだ。お酒やネーポンもそれなりに。お代は要りません(営業したら違法なので)。でも謎の箱がいつも通り(?)置いてあるかもしれません。ハッピー。

 こないだね、「夜職(水商売)においてバースデーは通信簿のようなもの」ってツイートが流れてきてね。わかるなーって思うんですよ。1年間がんばってきた成果がバースデーにすべて出る。それは(少なくとも僕の場合は)売上ではなく人数だし、その顔の一つ一つ。今回は1年どころか25周年で、しかも20周年の振り替え的なものですらある。2010年から「次回は2020年!」って言ってたら緊急事態宣言で、じつにじつに小規模な会になってしまったので、イレギュラーな25周年。それも恥ずかしいことなんですけど、お許しください。
 さまざまな事情で「行けない」ってことはあると思いますが、そういう場合は必ず!掲示板に何か書いてください。無料ですし、家から出ないで可能なこと。お願いです。後生です。僕にセーセキをください。これから先の25年をがんばれるように……。あと、今回ばかりは僕にわかるように身分を明かして書いてください。僕と世の中のために照れながら。
 わかるんでね、気恥ずかしくて腰が重いとか。そういう人のためにインターネットってあるので。書き込みをぜひ。「こいつはほっといても頑張るから大丈夫」なんて思ってたら僕は静かに自殺します(脅し)。←申し訳ないですがこうでも言わないとわかってもらえない気がするので、すなわち怯えているので。希死念慮くらいあるわ、ダセーから言わないが。

 また、7月10日の前夜祭は遅くとも23時から夜学バーにおります。早めに入っているかもしれないし、一声いただければ行くことは可能です。近くにいるとは思うので。金曜(11日)来られない方はぜひ木曜深夜に。25時までですがお客があればかなり遅くまでやると思います。あ、てかつまり木曜の夜23時まで空いてるんでどっか誘ってもらってもいいです、ご連絡ください。掲示板やメールフォームでも。
 当日金曜は19時から公園にいたあと23時までにお店に入り、27時までは待っています。朝までいる可能性もあります。土曜も18時から25時(ないしさらに遅く)まで夜学。スリーデイズいつでも、よろしくお願いします。掲示板もよろしくです。

 重ねて、場所はここ。不忍池の南側、水上野外音楽堂(上野恩賜公園野外ステージ)と下町民俗資料館(したまちミュージアム)のあいだ。歩いていれば見つかります。

2025.6.21(土) 心のタイムスリップ

 わかっていただきたいのです、Time is a great healer. すなわち時間は薬。すべては時が癒す。時が解決する。これは本当で、実感したことのない人はまずいないと思う。しかし愚かな思春期は「ずっと傷ついていたい」「今の心を忘れたくない」と思うので(僕も強く思っていた、というのは10代の日記が証明してくれるだろう)、否定したがる。
 向き合おう、時が解決するんだ。どうせ。
 つか、解決する問題としない問題を峻別して扱うべきさ。

 何かショックなことがあった時、「つらい! ひどい!」と誰もが思う。そんなときは即座に「これは時が解決するだろうか?」と自問すべきだ。解決するならば、もうそのプロセスをすっ飛ばして、心を未来にタイムスリップさせて、「オッケー、終わった」と割り切ればいい。どうせ時が解決するんなら、先取りしたって同じこと。
「これは時が解決する問題ではない」と思うなら、「どうすれば解決するのだろう?」と考える。当たり前のことだ。時が解決する問題(時にしか解決できない問題)についてウジウジ悩んだり、あるはずもない解決法を探すよりは一瞬にして心だけ数ヶ月後に飛ばしてしまえばいいし、時によって解決できない問題を延々放置し続けるのは愚の骨頂で、とても大人がすることではない。なーんて僕は思うんですけれども! それはもう16歳の時から。早いね!
 んだから、僕が「ずっと傷ついていたい」「今の心を忘れたくない」と思っていたのは『ラブ&ポップ』を読んだ中学生くらいから16歳まで、もっと言えば高1の冬までだった。ほんの数年。もちろんしばらくのあいだはそういう心の癖が残っていたが、だんだん薄れていった。「いみない」と。

「"時が解決するよ"なんて とんだ気休め!」(shame『GOOD-BYE』)ってぇこともまた真で、僕が言いたいのは「時が解決するから時が過ぎるのを待ちなさい」という突き放しではなく、「どうせ時が解決するんだから、とっとと心を先に進めろ」である。
「私は傷ついた! 傷つけられた!」と思う人たち、一度胸に手を当てて、それを時が解決するかどうかを問うてみなさい、解決するならおとなしくスッと今もう解決させたほうがいいではないか。悲劇を楽しもうとすでない。時が解決するようなチンケな心の傷、せいぜい悲劇ごっこにすぎない。それともそれを、時が解決しないような深いトラウマにまで「引き上げる」おつもりか? そんなに傷ついているのが楽なのか? そういう人は多いだろうが、不健全な癖だから無くすよう努力したほうがいいと僕は思う。

 僕はあんまり怒らないが、怒るようなことがあった瞬間に、心を未来に飛ばすからである。ものすごいスピードで心を動かす。それで終わる時と、終わらない時がある。終わらない時はさすがに心乱れるが率は低い。たいていのことは「まあ、怒るようなことじゃない」と思える。もちろん、瞬間的には怒っているのだが、瞬間で終わる。瞬時に時が進むから。
 何が言いたいかと言いますと、まあ、縁を切られたりするじゃないですか……。それが「時が解決できないような感情」によるものなら仕方ないですけれども、「時が解決する程度の感情」によるものなら、「縁を切るほどでもなかったよなあ」と後悔が生じ、しかし復縁するのも気まずいし、みたいな状況になる。勿体ない。だったら最初から「心だけ時が進んだことにして~」と、一時的な感情は棚上げしてみたほうがいいんじゃないかと思うのである。でないと再会までに十年や二十年もかかったり、永遠に会えなかったりする。
 これはハックとして紹介しているだけで、誰かに向けてという話ではありません、念のため。

2025.6.22(日) ジーク・自分!

 この日記、もっと面白おかしく書いていきたいな、と思うのは、僕が面白おかしい人間だということが伝わらないのではないか?という懸念からだが、そもそもこの日記を始めた頃の僕は面白おかしい人間であることが周知された状態であり、この日記によってむしろ「面白おかしいばかりではない面」が見えるようになったのだ。しかし更に遡れば僕は面白おかしい人間ではなかった、10歳くらいのときに「面白おかしい人間になろう」と決意しただけの話だ。ネクラとネアカってのがもしもあるなら僕はネクラ側の人間であろう。放っておけばネクラが出てきてしまう。面白おかしい姿は無理しているのかもしれない。まあいいや自然にやろう。日記と称するからにはそれでいいはずだ。

 ジークアクスってのを僕は見ていない。「話題」に入っていくのが億劫なのだ、もう。自分がマイノリティであることを否が応でも実感しなければならない。もし僕がジークアクス(エヴァとかの人たちが作ったガンダムの新作)を観たら、いろいろ考えてしまうし、言いたくなってしまうし、おそらくそれはかなり特殊な内容で、しかし別にバズりもしないだろう。
 そもそも僕は集団に混じるのが苦手なのだ。みんなが観ているものを観て、みんながそれについて話しているところに混じるのが耐えられない。こないだ日比谷野音に小沢健二さんのライブの音漏れを聴きに行ったときだって、わざわざ誰もいない(しかしすこぶる音がいい)ロケーションを探し回って根城にしていた。小学校低学年の頃は座っていられなくて歩き回ったり走り回ったり椅子の上に寝たり教室を抜け出したりしていた。不可能なのだ。
「月9見た?」とか「スマスマ見た?」みたいなのも無理だった。まず見ていないし、見たいとも思わなかったし、無理して見ても話が合ったとは思えない。いやもしかしたら「面白かったよね!」ってみんなと仲良くなれたのかもしれないけど、ハナから諦めていた。ハナ諦め。それが僕の人生の全てなんだ! そういう性質だったのだ。
 小4でジャンプ読むのやめてこのかた、ワンピースも鬼滅の刃も、流行るもの流行るものスルーし続けてきた。鋼の錬金術師すら読んでいない。音楽もそう。みんなが歌える歌を僕だけ歌えない。いまカラオケのあるお店とか行くとけっこう困る。知ってる曲、歌える曲の数だけでいえばめちゃくちゃ多いはずなのに、誰も知らない曲しか歌えないか、歌いたくない。HOWEVERよりa boy~ずっと忘れない~のほうが歌いたい。ジーク・自分! いつだって自分中心。自分が歌いたいもの以外歌いたくない。歌いたくないもの歌うのは苦行である。
 ちなみに「ジーク」ってのは「勝利」って意味らしい。ジーク・佐藤!

 なんで流行り物を嫌うのかって、へそ曲がりとか逆張りとか、中二病とかってのとはまた別に、ものすごく体力を使うのですよ。「みんな」の中に入っていくこと自体が。スラムダンクやハンターハンターの話すらしたくない。ジョジョも。
 でも『ドラえもん』のことは心から好きと言えていくらでもその話をしたいと思うのはダブスタでもあれど、言い訳をするならそれはさすがにメジャーすぎてオッケーっしょ、ってのはある。エヴァンゲリオンがなぜ嫌だったかっていうとそこで唐突に一時的な「みんな」が形成されてしまって、そこに入るか入らないか、みたいなことになっている気がして怖かったのかもしれない。
 ハルヒが流行ったときもらきすたやけいおん!が流行ったときも、ラブライブ!が流行ったときも、あるいはボカロが流行ったときでさえ、「さあここに新しい《みんな》が生まれましたよ! あなたはここに入る? 入らない?」と問いかけられているような気がした。「入る!」と言って入る勇気が僕にはなかった。馴染める自信がなかったから。もっと言えば、「入ってみようかな」って思ってカーテン開けたら、おぞましかったりつまんなかったり、邪悪だと思ってしまったりして、「こんなところに入って変な《みんな》になるのは嫌だなあ」てなっちゃった。流行り物、実は意外とちょっとくらいは見てみてるんですよ。鬼滅はマンガもアニメも最初だけ見たし、チェンソーマンだって一巻は読んだ。
 ジークアクスも映画行こうかなって思ってたんだけど信頼のおける友達から感想聞いてやめた。そのあともネット見たり人からあらすじ聞いたり色々して「やっぱ僕には合わないだろうし、疲れるからやめよう」と思って見ていない。ほぼ同じ事情で僕はエヴァの旧劇は未見だし新劇もQの終わりのほうをチラッと見たのとシンがテレビかなんかでやってるのをチラッと見たくらいで、通して見た映画は一本もない。これは本当である。TVシリーズも小学生のときに本放送でちょっと見た程度で、実際半分も見てないんじゃないかな。最終回は好き。
 何が疲れるのか? 作品それ自体に触れるのがしんどい、ってのもあるのが、それは他のどんなコンテンツについても同じことだから問題ではない。流行っていればいるほど、僕は「それを好きであるような《みんな》」について考えすぎてしまうのだ。そして「自分と《みんな》との根本的な違い」みたいなものに思い悩み、ウーウーしてしまう。違うから苦しいというのもあるし、違うからって別に苦しむべきではないのにやっぱりどうしてもさみしくなってしまう自分に呆れたりもするし、とにかくなんかいろいろ重たくなる。
 本当は、《みんな》などというあやふやな亡霊に惑わされたくなどない。僕は「みんな」ということを考えるのが好きだが、アニメやマンガなどの流行り物に触れると、ありもしない《みんな》なるものが目の前に現れて、「お前は俺達とは違う!」と指さされるような錯覚に脅かされるのである。そうじゃなくて、僕はもっと素朴で当たり前の、分け隔てないはずの「みんな」について語りたいのに、「作品」というものは分断を煽ります。
 僕はポップミュージックや売れた曲ってものが原則として好きではない。『今夜はブギー・バック』をいい曲だと思ったこと一回もないし、なんでみんなそんなに『ラブリー』とか好きなのか理解できない。そのことが本当に苦しい。人気のあるものは人を分断する。ついていけない人を置いてけぼりにする。小沢健二さんのライブで、『強い気持ち・強い愛』とかで会場がワァー!って一体化するのとか、無理すぎる。いい曲なんだから落ち着いて聴けよ!って僕は思うのだが、ライブってのはワァー!ってするもんなんだと、生の音楽とはそのように楽しむものなのだとそこにいる僕以外のほとんど(当然演者も含む)が思っているのだから、僕はまったくマイノリティなのだ。それで「郷に入っては郷に従え」ってことになるんだけど、そういうのが嫌で僕はあんまりライブには行かないのだ。自分から進んでチケット取るのは小沢さんと、Amikaさんと、奥井亜紀さんくらいかなあ。Amikaさんと奥井亜紀さんはじっくり聴いてられるのでほとんどストレスありません。こないだ三重野瞳さんのイベント行ったけど、神々(ヘブライ語では唯一神を複数形で表すそうです)が珍しくお出ましする時とかは頑張って行く。歴史として。
 多くの人に愛されれば愛されるほど、「多くの人ではない人」の存在が浮き彫りになる。たいてい僕はそこにいる。僕を純粋に「多くの人」にしてくれるのは『ドラえもん』とかで、その意味でも僕は本当に感謝している。

2025.6.23(月) 酒のゲーム性

 だいぶサボって、6月30日になってしまった。ここから8日ぶんは「単行本書きおろし」の気持ちで書く。橋本治さんでいうと『デビッド100コラム』とか『ロバート本』のような。
 と言って22日の記事を書いたのは27日の夜みたいだし、21日の記事は26日に書いている。サボったと言ってもその程度。どうか怒らないでほしい。そして20日の記事を熟読したうえ、7月11日前後に会いに来てほしい。生きていてもいいと思いたいので。

 酒の何が好きか。というより面白いか。なぜ僕は「飲み歩く」ということをするのか。明日の記事で東北旅行のことを書くが、その第0章として。
 簡単にいえばゲーム性である。僕はなんだってゲーム化(ゲーミフィケーション)する癖がある。人生はシミュレーションゲームで、店の経営はギャンブル、旅行はRPG。「飲み歩く」という行為はその中のミニゲーム。
 各キャラクター(人間のこと)にはHP(ヒットポイント)があって、俗に「酒量ゲージ」とも言う。時間に応じて回復するが、飲むペースや量、ないし体調等によって回復力は変動する。上手に飲むとか綺麗に飲むというには、HPの減りと回復のバランスをうまく取って飲み続けることが肝要。
 胃の中に食べものを入れておけば防御力が上がってHPが減りづらくなる。おつまみや水はドラクエで言うスクルトやフバーハのようなもので、ダメージを軽減する作用がある。水については回復量を増やす効果もある。ヘパリーゼや五苓散、ミラグレーンのようなアイテムも回復力を増強するものだ。残念ながら「やくそう」や「ホイミ」のような即効性のある回復方法は存在しない。(一生ドラクエを例にすることをやめません、よろしくお願いします。)
 もちろん、ゲームの本筋は「酒を飲むこと」ではない。ドラクエの主人公の目的が「世界に平和をもたらす」であって「フィールドを歩いて町を回りつつ雑魚敵を倒す」ことでないのと同じである。酒を飲むのは手段にすぎない。なんの手段か? もちろん「世界に平和をもたらす」ため、僕の言葉でいえば「(自分が知覚する)世の中をよくするため」だ。
 僕が飲み歩く目的は「酔う」ためでもなく「うまい酒を飲む」ためでもない。店をまわり酒を摂取しながら世の中をよくするためである。誰かと仲良くなったり、生きるうえでのヒントを得たりするためなのだ。酔いは酒量ゲージの指標にすぎぬ。
 HPが減ってくると、すなわち酒量が増して酔いが回ってくると、普通の人間は理性を失ってゆく。それでは勇者の名に恥じる。できる限り理性的に振る舞うためにMP(マジックポイント)というものが活躍する。すなわち「体力と気力」。要するに根性。根性によってどれだけ酒を飲んでも紳士的に真摯に行動するのである。暴れたり乱れたり酔い潰れたらゲームオーバー。
 マジックポイントがもともとゼロみたいな人も存在して、これまたドラクエでいえば武闘家とか戦士なのだが、彼らは「ガハハ!」とか言いながらキャバクラにいたり「ウェーイ」とか言いながらダーツバーとかにいて、僕はあまり会うことがない。反対に「HPは低いがMPは高い(お酒は弱いが節度を持って酒と向き合える)」というまほうつかい系の人もいるが、これは夜学バーのお客さんに多いタイプかと思う。
 話を戻して、「世の中をよくする」ためになら酒を飲まずに似たようなことをやってもよいではないか。なぜ酒を飲むのか?という疑問の答えは以上である。つまり、酒を飲むとゲーム性が高まって面白いのだ。ほぼそれだけのことである。僕にとっては。
 HP(どれだけ酒を飲めるか)を踏まえて敵(酒)と向き合い、アイテム(食べものや水や薬など)やMP(いついかなる時も理性的に行動するための体力と気力)を駆使してできるだけ多くの成果(世の中をよくする)を上げて家(宿)に帰る。このゲームにハマってしばらく経つ。
 前にも書いたが飲酒とは「老化の先取り」である。すなわち、酒を飲むと脳も体も麻痺して普段通りには動けなくなる。そこで「いついかなる時でも理性的であるための体力と気力」が必要となる。老いと戦う予行練習なのだ。心身が思い通りに動かない時、いかなる工夫を持って対するかという。
 ンマそれは老いきる前の戯れ言、実際どうかは数十年後のこの日記で検証することにいたしましょう。アデュー。

2025.6.24(火) 山形 七日町

 22(日)から24(火)にかけて旅行してきた。東京から山形、仙台をまわり常磐線で戻ってくる。すると「一筆書き」となって「東京都区内→東京都区内」という11000円のきっぷが爆誕する。東京→山形6050円、山形→仙台1170円、仙台→東京(常磐線経由)6380円なので本来は13600円。素直に3枚の切符を買うよりも2600円おトクになるのだ。#一円でも運賃が安くなると嬉しい鉄 また普通なら途中下車できない「山形→仙台」間も乗り降り自由になるのもポイント。

 まず新幹線で東京駅から山形へ。しかし故障の関係で福島で乗り換え(やまびこ→つばさ)が発生した。面倒だったが珍しいので許した。とにかく暑い。日曜ゆえかめぼしい喫茶店が軒並み閉まっている。ようやく「珈琲園」というジャズ喫茶で休憩。名店だった。ごはん食べてホテル入る。暑いし寝不足、暗くなるまで寝た。
 歓楽街の名前というものがけっこう好きだ。金沢なら片町、長岡なら殿町、秋田なら川反、新潟なら古町、徳島なら秋田町、上田なら袋町といったように、都市は必ず中心に「二つ名」を持っている。名古屋ならもちろん栄なのだが、住吉とか錦とかさらに細分化されているのが流石である。
 山形なら七日町。山形市に足を踏み入れるのは高1以来で、この街の名は知らなかった。嬉しい気持ちになる。「七日町」という言葉を得ただけで無敵のように思える。「あとは攻略するだけだ」と。
 さんざ歩き回って、たとえば「火酒屋(ウォッカや)」とか良さそうなお店はいくつか見つけた軒並みお休みだった。日曜の夜は静か。たまたま通りがかって「×き」(伏せ字です)というお店が気になった。Googleマップには未登録、影も形もない。ブログに書いている人はいくらかあったが、グルメサイト等に情報は一切なかった。店構えと、先人のブログから伝わるわずかな情報から「ここだろう」と直観、入ってみると天国であった。なんでもおいしく、信じられないくらい安い。「金龍 爽(さわやかきんりゅう)」というほぼ山形でしか流通していない地場の甲類焼酎を知れたのはもうけた。レモンサワーにするとまったくクセ無くスッキリと飲める。ネーポンにも合うはずである。また日本酒は「大山」だった。取材取材。これも世の中をよくするためのヒントなのである……。(本当だよ。)
 老舗カレー屋バーに入る。気に入ってもらって「金龍」を一本、卸値で譲ってもらった。またグレンリベット12年を1杯ごちそうになった。
 もう一軒、と歩き回るも、目を付けていたお店はだいたいもう閉まっていて閉口。彷徨うと入り口に映画『YUKIGUNI』のポスター貼っているお店を見つけたので入ってみた。「12」というバー。これがまた完璧な引きであった。井山計一さんのお弟子さんだそうなのだ。井山さんは酒田の喫茶「ケルン」初代マスターで「雪国」というカクテルを創ったことで高名。僕も一度だけ頂いたことがある。井山さんが93歳の時で、亡くなる2年ほど前だった。
 いろいろ裏話を聞いたのでメモ代わりとしてこっそり記そう。映画化の直前までホワイトキュラソーはコアントローを使っていたが、映画化が決まったので(おそらくサントリーに気を遣って)ヘルメスにした(戻した?)らしい。またライムジュースは明らかにレシピより多く入れてるよね、とか、あんまり振らずにややぬるいままで提供するよね、とか「井山さんあるある」を共有できたのもよかった。僕はたった一度しか行っていない(亡くなったあともう一度行った)までも研究だけは熱心な自負があるのだ。「晩年になるにつれどんどん振り(シェイク)が少なくなっていった」という証言も嬉しかった。
 また、これまでは「井山さんが亡くなったからサントリーのウォッカ100PROOF(黒ラベル)が終売した」と僕は思っていたのだが時系列としては「亡くなる前に終売を知って、代わりに80PROOF(白ラベル)を使うよう指定していた」というのも重要。ああ、これからは怯えずに「サントリー80PROOF+コアントロー」で雪国をつくってよいのだ、ほぼ公式のお墨付きが得られた。ちなみに現在の「ケルン」では息子さんがサントリーの「白(HAKU)」でつくっているはず。数年前はそう仰っていた。
 井山さんのつくるカクテルは明らかに酒が濃い、というようなことを僕が言ったら、「あの世代は……」というようなことをこちらのマスターも仰っていたので、「年寄りのつくる酒は濃い」という僕の持論(経験則)はたぶん正しい。
 雪国とプチ・シャトーを頂いて夜をしめた。

2025.6.25(水) 山寺、仙台

 喫茶店でコーヒー飲んで霞城公園を通りどんどん焼き食べてお弁当買って山寺へ。高1以来! 詳しくはこのページを見よ。16歳の文章、恥ずかしすぎるが。
 12月末、雪に包まれた山寺駅の一夜を過ごした待合室。もちろん暖房などない。よく凍死しなかったものだ。その姿はほぼ25年前のままだった。
 立石寺へ向かう。風景はたぶんあんまり変わらないのだろうな。何しろ雪に覆われていたから違ったとしてもわからない。あの小坊主の道案内(看板)は失われたようだ。寂しいがたぶん出世したのだろう。いつまでも道案内では修行の甲斐もない。
 暑くて断続的に雨。フルに荷物背負って1000段の石段を登る。苦しいがなんの、体力と気力。根性によってワシは生きておる。中腹で弁当食べ、無事に登頂、25年前は雪マルケでなにがなんやらわからんかったが、初めて山寺の全容が見えた気がする。夏と冬と、どちらの顔も知っているのは誇らしい。芭蕉が詠んだのは夏のほうだからようやく本家に出合えたというのも感慨。にしても色々、懐かしい。
 愛子にちょっと寄って仙台へ。荷物置いて夕飯はカレー。「角うち二郎」が復活しててあとで来ようと思ったが、次に通りがかったらもう閉まってた。「くも」もタイミング悪くて開いてるうちに行けなかったのでテロっぽく名刺刺しといた。「107」も閉まってた。デンバーは行っていいのかわからない。マーベリック、バーボンインブルート、アフターファイブの三店には初めて行った。リチククはいっぺん満席だったけどあとで行ったら入れた。ジャズボールだけ飲んだ。マーベリックはまた行きたい。

2025.6.26(木) 塙山キャバレーの実際

 さわやかサワデー、と母音が同じだから「塙山キャバレー♪」と歌いたくなる。かの「ザ・ノンフィクション」等でおなじみの飲み屋街に行ってきた。仙台から常磐線で南下、途中原ノ町と四ツ倉でちょっと下車し、パン屋さんや喫茶店など寄って(Web上にほぼ情報のない「LEO」営業しておりました)、常陸多賀へ。
 ちなみに24日火曜日の話。一昨日から記事が2日ずつズレてます。エバーフリー。

 塙山キャバレーは常陸多賀駅から20分ほど歩いたところにある飲み屋街で、小屋のような居酒屋が十数軒集まっている。「京子」と「ふじ」に行ったのだが、平日というのもあって余所者はほかにおらず、地元の人たちの普段の姿を見ることができた。それでも「地元だけど通うようになったのはここ1年くらい、テレビで見たのがきっかけ」という人もいて、塙キャバの寿命を「ザ・ノ」が伸ばしている面は確実にあろう。またその日はやっていなかったが「塙山女子大学」という茨城キリスト教大学と連携した店舗があったり、「なおちゃん」という数ヶ月前にできたばかりのお店があったりと若い伊吹も感じられて心強い。ただ塙女はどうやらあんまり(週末くらいしか?)営業してないっぽくて、全体の活気のためには毎日営業できるお店のほうがいいんじゃないか(ないしそういう体制をどうにかつくるべきでは)とは思う。

「塙山キャバレーに行ってみたいけど、テレビで見た人たちが押しかけていて外来種が征服しているような状態になっているんじゃないか」と不安をこぼしたら、「ジャッキーさん大丈夫ですよ、ザ・ノンフィクションを見るような人は現地に行こうとは思いませんよ。自分とは違う世界の出来事だと思って、対岸の火事だと安心して見てる人たちが主流ですよ」と言われた。確かにそうかもしれない。あんな僻地(失礼)にわざわざ行こうというのは、よほどの物好きだけなんだろう。
 僕はわりと「関係ないものは関係ないし、関係あるものはとことん関係ある」と思うような癖があるので、塙山キャバレーをテレビで見たときは「これは自分に関係があるからいつか行こう」と当たり前に思った。それは好きな芸術家に会いに行くようなものだ。「作品を味わうだけで十分で本人に会いたいとは思わない」という人も多いが、僕は作品とは別に「人間」というものをしっかり味わいたい欲と興味をかなり強く持っている。会わなければわからないこと、会って初めてわかることはたくさんある。
 塙山キャバレーに関しても、ロケーション、駅からどのくらい遠くて、近くに何があって駐車場はどのくらいの広さで、店と店との距離がどのくらいで、どんな向きに建っていて、どことどこの店が近くて……といった空間的な情報はテレビやネットではなかなか伝わらない。行けば一瞬にして肌でわかる。お店の広さとか内装の細かいところなどもテレビで正確に感じ取ることはできない。もちろん店主やお客さん、醸し出されるお店の雰囲気なども。
「本を読んで、誰かと話して、どこかに行って何かを見る」というのが健やかに成長する三本柱だと20年近く(成城学園の教員時代から)唱えている。「どこかに行って」の大切さよ。

2025.6.27(金) 僕の頭の良さについて

 東京とかいうメガロポリスで長年生きていると「自分より頭のいい人間」と無数に出くわす。むろんここでいう「頭のいい」というのは「数値で表せる次元」での話である。かつ学歴とか点数とかいう社会的に出力された結果を言うのではなく、単に「記憶力の良さ」とか「それを検索して引っ張りだし、場に即して瞬時に表現する能力」といったもの、簡単にまとめれば「情報量と回転の早さ」とでもなるか。そういうものではまったく敵うべくもない相手が、似たような土俵の上にさえ、ごく親しい仲のうちにも複数人見出せる。もともと僕は「向陽→早稲田(教育)どまり」の頭脳でありますから、それよりもっと頭がいい人たちからしたら「頭がいい」の中に入らない虫けらである。最後適当。
 それでもそのような「頭がいい」人たちの中には僕のことをとても好きであったり一目置いてくれたりする人がいる。なぜなのか?「気が合う」という一言で済むのではある。しかしなぜ「気が合う」のかというと、またちょっと考えたいところとなる。
 僕はけっこうモテる男であり、客観的には幸せそうに生きている。金は稼げないけど困っているわけでもない。「世の中をよくする」などとポジティブなことも一応は言う。すると「非モテ」とか「陰キャ」とか根がネガティブな人たち、あるいは何らかの「落伍者」と見なされるような人々からは忌避されそうにも思うのだが、どっこいわりと好かれてきた。それについて吉本さん(無銘喫茶初代オーナーにして㈱あひる社社長)が10年くらい前にこう言ってくれた。「ジャッキーくんが這い上がってきた人間だってこと、みんなわかってんねんな。」
 いま思えばいじめられっ子手前で友達はほぼいない、成績もよくはなく、教室にじっとしていられない発達異常者だった。むろんモテなかった。そこから、努力したとは言わんが手を抜くことを恥じはした。手は頻繁に抜いちゃうんだけど「手を抜いてしまったーーー!」と頭を抱える真面目さはあったということだ。またプライドだけはなんか知らんがあったので「舐められたくない」と根性が育った。
 要するに先の吉本さんの言葉はちょっとした悪口でもある。「ジャッキーくんって本来は非モテの陰キャやもんな」だ。僕の定番のボケとして「22歳で大学を出たスーパーエリート」というのがあるのだが、実際ここまでおちゃらけたキャラなのに浪人も留年もせずに一流(!)大学を出るのもすごいが、就活を一切せずそのままプー太郎になったところが真のオチである。そのわりにはずいぶん頑張ったほうなんだよ、この人生。
 頭の良さ、みたいなことについても、別にそうは頭よくないんだが、元来そうは頭よくないわりにはけっこうがんばってきたってのが頭いい人たちにはきっとよくわかってもらえるのであろう。なけなしのそれなりな頭のよさをいかに使って器用に生きるか。きっちりしばしば失敗しつつ諦めないでがんばっているのを優しい人たちはちゃんとわかってくれているのである。ありがたい。ありがとうございます。

2025.6.28(土) 顔の傷の事

 こないだ久々に「顔どうしたんですか?」と聞かれた。多く見積もっても年に一度くらいの事。みんな顔のことは言いにくいんだろうね。「ゆうべ喧嘩しちゃって」とか言ってテキトーに流す。左頬に痣のような黒ずみがあるが、これはヤケドである。
 高校の頃、約8キロほどの道のりを自転車で通学していた。朝に南下し、夕方に北上する。わかるだろうか? 常に左側に陽射しを受けるのである。最初に気づいたのはお恭だった。「ジャッキー、日焼けしたでしょ?」その後に「レモンでパックするといいらしい」みたいなハックを聞いたような気もする。
 当時の僕にスキンケアという概念はない。timeleszの篠塚くん(22)がオーディション中に「最近、洗顔を始めました」みたいなこと言ってたが、本当の美少年ってのはそんなもんだ。「日焼けか~ これ二度と取れないのかな」とだけ思って放置した。
 大学は10kmを自転車で通った。朝に東へ進み、夜に西へ帰る。常に陽射しを顔面に受けるわけだ。ちなみに大学は家からやや南寄りにあるので、依然として左頬は焼け続けた。当然定着し、取り返しはつかない。
 レーザー治療でも受けるか?と考えたこともあるのだが、別に左頬が焼けているからと言ってモテないとか嫌われるってことはない。キレイにしたらもしかしたらさらに美しく見えるのかもしれないが、どうせ誤差の範囲だしポジティブに考えればこれが自分の自然な顔なのだ。何も気にせず炎天下に自転車で走り続けた勲章でもある。それが美少年の要件だとも思う。
 あばたもえくぼとはよく言ったもので、好きになったら気にならない。目鼻と輪郭の美(自分で言う)がむしろ強調されると前向きに考えたっていい。僕の主たる棲息領域は夜だし。暗闇の中で大切なのは形状と手触りと目の光。
 正直に言って十代後半からしばらくは「嫌だなあ」としか思っていなかったこの痣、火傷=日焼けの痕だが、十年経っても二十年経っても何一つネガティブな成果をもたらさなかった。顔の痣一つで僕を嫌いになる人などいないし、「素敵な人だけど、あの痣がネエ」なんて邪悪は観測するまでもなくお引き取り願う。
 軽度だからってのも、わかっている。小学校の同級生のお父さんが顔の半分くらいに火傷を、これは日焼けではなくおそらくなにか深刻な事故によって負っていて、一見してギョッとなるほどだった。ブラック・ジャックに似ていた。僕の小さな薄い痣とは話がまったく違う。それでも「火傷によってそうなったのであり、火傷というのはそういうものだ」とわかれば気になることはない。肌や目の色が違うからなんだ?という話にも通ずる。
 プラトンの碩学、田中美知太郎のエッセイに「マスク」というのがある。いまお店にいて手元に本がないので内容は紐解かぬが、空襲により顔に重度の火傷を負っていて、視線を意識することも多かったという。僕のはそこまでのものではないが、少しくらい共感することを許されたい。いや共感というより、頼もしさか。誰よりも美について考え続けた人ゆえに。
 美しいとはどういうことか?について自分なりの指針を持てたからこそ、いつの間にか顔の傷について気にならなくなっていった。自分を肯定してくれたすべての友人と先人に感謝する。「その程度のこと」と思う人は思ってくれていいが、ご存知の通り顔については他人の見る何百倍も当人は細かく見え、気になって、考え込んでしまうものだ。そこから解き放たれるには僕だって膨大な時間と経験と沈思黙考を必要とした。今はあっけらかんと「自分は美しい、可愛い」と堂々言えるが、その下には死屍累々、数多の犠牲がある。僕により深く深く傷つけられた人だってたくさんいる。すべてが今につながっているのだとしたら。
 ただ単純に言えば、「自分はこれでいい」と思えるかどうか。それだけのことで、何も改めて言葉を尽くすことでもなかったのだが、「顔どうしたんですか?」といちいち聞かれることはどうしても多少ストレスというか、益がないのでできるだけ正確なことを書いておくことにした。それは僕の顔である。傷ではない。

2025.6.29(日) 「よりかは」「かなあと」

 ハァーまた書いてたモノが消えてしまった。嫌だなあ。ダイジェストで書き直します。生鮮さが失われて辛い。

「よりかは」という言い回しの特殊性、独自性は「より」「よりか」「よりは」のいずれもが成立し意味も文法的性質も変わらないこと。このような言葉は他に見当たらない。「どこかは」「いつかは」は「か」「は」のどちらを抜いても変質する。「ものかは」といった反語も同じ。
 軽く調べたところだと「よりは」の成立は古くたとえば源氏物語にも見られる。「よりか」は江戸時代くらいから定着したらしい。「よりかは」は戦前どころか昭和の用例さえ発見できず、平成年間くらいに増えてきたのではなかろうか。昭和以前の用例があれば教えてほしい。

「よりかは」という言葉は存在する必要がない。「より」だけあれば事足りる。強調したい場合、あるいは譲歩とか拮抗のニュアンスを出したい場合は「よりは」があればなんとかなる。「よりか」はなくてもよさそうだが、「AよりかB」という形で択一のための明確な比較対象が意識される時にはふさわしい気はする。「AよりはB」だと数直線上に並んだ度合いにおいてどちらが高い位置にあるかという量的な感覚が強いように思える。
 では「よりかは」は一体なんなんだ?「よりは」で100%代替できる。百歩譲っても「よりか」でいい。なんなら「より」で問題ない。「よりかは」にしかないニュアンスは機能はなんだろうか? 正直に言って誰も何も考えていないというか、何も考えていないようなやつが何も考えずに使う言葉でしかないと僕は心から信じているのだが、少し考えてみる。

 僕が嫌いな言い回しに「かなあ」がある。単純な疑問を表すのではなく、自分の意見を言うとき語尾に付け加える用法。婉曲である。言葉というものは長く使われているとだんだん婉曲的(遠回し)になっていく。「お前」や「貴様」がだんだん非礼になっていったのもその事情だと思う。近年の日本語では断定を避けて「~~かなあ(と思います)」と言うことが多い。漫画家のMoo.念平先生がもう10年近く前に「一般の人ならともかく政治家がそのような言葉の濁し方をするのはよくない」と仰っていたのをよく憶えているが、確かに今やどんな立場のある人でも平気で「かなあ」を使用する。僕の大好きな(!)成田悠輔さんもサンジャポとかでよく「~(なの)かなあ(と)」を使っていて、少なくともアラフォーくらいでは当たり前の語尾なのかなあと。#カナート
 何をそんなに濁したいんじゃ! どこから逃げとるんじゃ! いやわかるよ、特に立場のある人はどこ突かれて燃えるかわかんないので日頃から断定を避けるクセつけとくのは自衛です。自衛なのかなあと。カナート。何がカナートじゃ! 何がカナートなのカナート。
「よりかは」も同様な逃げ腰のフレーズ。「よりは」だとハッキリ優劣をつける感じになってしまうから、「か」と「は」を重ねて婉曲さを増させている。「彼よりあなたが好きです」だと直接的でその差は歴然たるが、「彼よりはあなたが好きです」のほうが拮抗感が多少出る、それ以上に「彼よりかはあなたが好きです」だとさらに差が縮まってドッコイドッコイに聞こえる。そのように断定を避け、「いやまあ比べればね? あえて言えばですよ?」感を醸し出そうとしている。責任逃れの卑劣な言葉である。あるいは単なる手抜き。とにかく柔らかくしておけば無難という。
 それを要求する社会が悪い、というのではあるが、僕はそのような空気に負けず一所懸命「より」「よりは」を使っていこうカナート思っております。「よりかは」よりかは。

2025.6.30(月) 方向音痴と二項対立/点たる地球

 この日記は「自分探し」なのかもしれない。自分探しってなんやねん。自分はそこにあるだろうが。自分を知るってことですね。「おい! 俺は誰なんだ!」という爆笑問題太田光さんのギャグもあるし、ジョージ秋山『オリは毒薬』の毒薬仁太郎の口癖は「オリは、オリはよう、オリは一体誰なんだよう!」である。「自分が何者か」は思索する人間の最大のテーマであろう。
 読者は「自分探し」……ンマ「自分分析」みたいなのを読まされて何を思えばいいというのか?「なるほど」と思ってもらえれば嬉しい。「自分もそうだ」「自分はそうではない」で終わるのは二流以下(悪口)、なんにせよ「なるほど(そういうのもあるのか)」と受け止め、「そういうふうにものごとを考えることもできるんだな」と感心してもらえたら至福である。またその方法を自分ごとやみんなごとに応用していただけたら世の中はきっとよくなっていく。自負。
 結局僕が是とするのは「みんながちょっとずつ立派になる(かしこくなる)」ということで、『ガンダムZZ』のジュドー(昨日最終回見た)や『逆襲のシャア』のアムロの態度に近い。「今すぐ愚民どもすべてに叡智を」は無理だし、誰もがニュータイプとして覚醒することも望めないが、人の心の光を信じるくらいはできる。

 つうわけで自分が方向音痴であることについて考える。思いつきを言うだけだが、そもそも「AかBか」という二項対立に脳がなじんでいないのではないか。「右か左か」ということに関心がない。「道である」という大雑把な括りだけを考えて、その左右や東西南北に意識が向かない。
 360度、空間は一つであり、道は道で「道」でしかない。たとえば道すがらコンビニにでも入って、出たとする。「さっきアッチから来たので、戻るためにはアッチに行く」とか「アッチから来たので、さらに先に進むならコッチに行く」といった判断が僕にはできない。「道から来たので、道に出た」おわり。目の前に道があることは認識できるが、その道を左右どちらに行けばいいのかはもうわからない。道は道で一つなのだ、僕の中では。
 太陽は太陽で空にあり、それがどの方角にあるかを直観的に知ることができない。知識を使って考え、割り出すことはできる。しかし太陽がどの位置にあろうが太陽は太陽。それだけしか考えられない。
 目の前にいる人間が「何」だろうが僕はあんまり気にしない。男だろうが女だろうが、初対面だろうが仲良しだろうが、存在するのは「その場面における関係」だけで、そのあり方によって振る舞いが変わるだけである。その人が右翼だろうが左翼だろうが、「言葉(いわゆる地雷)に気をつけなきゃな」くらいは思うが、それも「その場面における関係」に包含される。自分で言うのもなんだが、属性に対する差別意識は全くと言えるほどない。「関係のあらしめ方への態度」について差別することは、よくある。「この人には仲良しの発想というものがないな」と思えば、「一緒にやっていくのは無理だ」になる。「こっちが頑張らなきゃいけないのカァ」とか「教えるみたいな偉そうなことしなきゃダメなのかナァ」といった形で切り離してしまう。これが僕の差別である 。

 根本はすべて同じ。あらゆるものごとを点としてとらえ、それが重なる時には調和しないと「衝突」になるよね、と。ずっと語っていることだが僕は時間さえ「線」として捉えていない。時間は地球のようなもので、同じ一点で変化し続けているだけなのだ。それを「線」に変換してしまうのは便宜上の操作でしかない。
「みんながちょっとずつ立派になる」という発想も、人間それぞれをすべて一つの点として捉えているがゆえである。「こういう流れになるのが正しいので、こういう政治運動をしよう」という線的な発想は僕にはない。方向音痴だから「流れ」なんてもんはわからないし、興味も湧かない。みんながイイヤツになればいいだけじゃないか、と素朴に思って、そのために自分ができることをコツコツとやっているつもりである。
「Aという流れよりはBという流れのほうがいいので、Bの流れを応援しよう」という発想がない、というわけだ。折しも参院選が間近だが、選挙というものは「方向」を決めるものである。僕には向いていない、というか何も考えることができないので、ただ点としてここに座っている。
 時間を線として捉えるには、「未来」と「過去」といったような二項対立が必要になる。僕の脳にはどうもそぐわない。足もとに大地があり、それは地球と呼ばれる。歴史を学び考えることも大切だが、かつてあったことを正確に知ることはできない以上、あまり深刻に考えすぎないほうがいいのではないかと思う。また今後起こることを正確に知ることもできないのだから、あまり深刻に考えすぎないほうがよかろう。それらはあくまで参考にすぎない。「わかること」を最重視したい。みんながそうするべきと言っているのではなくて、僕は特性としてそれが向いていると思う。

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