ひごろのおこない/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。
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2025.5.4(日) スナフキンかムーミンか
2025.5.7(水) 見ずに見る(接客の極意)
2025.5.9(金) 想像力と責任感
2025.5.11(日) 想像力と責任感2 仕組み化について
2025.5.12(月) 僕たちは偶然に気づく
2025.5.14(水) 比較廃絶運動 序
2025.5.16(金) ヨシカゲという猫
2025.5.17(土) 読者の皆様へ/純粋な声援
2025.5.18(日) 女の話、女との話
2025.5.19(月) 足手まといとコンプラ
2025.5.20(火) 正解と想像力/銀河鉄道の夜
2025.5.21(水) 移動が大好き
2025.5.22(木) 褒め=ツッコミ
2025.5.23(金) バイトでブギ
2025.5.24(土) 似てる有名人
2025.5.25(日) 新潟(内野:ウチノ食堂、みずのみば、ゆよん堂)
2025.5.26(月) 新潟→長岡
2025.5.4(日) スナフキンかムーミンか
最近よく行ってるカウンター居酒屋について書きたいのだが、長くなりそうなのでいつかまた。カウンター居酒屋? カウンターバーとの境目はどこだろう。チャージ500円と書いてある。それであったかいお通しが3品くらい出てくる。メニューはすべて居酒屋っぽいが、よく見ると上等なウィスキーなども置いてあったりする。
不思議なお店。客層はだいたい20代から60代くらいまでで、ほとんどの常連さんが一升瓶の焼酎または四合瓶相当のウィスキーをキープしており、カウンターはそれで埋まっている。僕はボトルキープしたことがなく、だいたい1000~2000円くらいで帰る。食事する場合でも3000円以上は払ったことがない。
おおよそ「準レギュラー」くらいの扱いで、ママや常連さんたちからはたぶんかなり好まれていつつ、同時に「異質である」とも思われているようだ。「自分たちとは違う存在だ」と。そのうえで、差別することなく受け入れてもらえていて嬉しい。
多くの場(主として飲み屋や喫茶店)において僕は同じように「稀に現れる異質な人間」として捉えられており、その際にはおおよそ「好かれる異物」として存在できる。一方で、「不快な異物」として扱われることもあるだろう、というのがこのたびの本題である。
「ジャッキーさんはスナフキンかムーミンか」という問題は昔から僕界隈(?)ではよく俎上に載せられる。「ムーミン」と言う人もいれば「スナフキン」だと思う人もきっといる。実際のところは「どちらでもある」のだが、どちらかの側面しか見ない人も多いだろうから、齟齬が発生する。
念のため説明すると、ムーミン(ムーミントロール)はムーミン谷に住んでいる子供で、家族や友達と楽しく過ごしている。スナフキンはその親友、テント張って暮らす身軽で孤独で自由な旅人、詩や音楽を愛する。
上記のような飲み屋さんなどにおいて、僕はどちらかといえばスナフキンなのだろう。自分のお店にいてもスナフキンっぽく見えるところはあると思う。組織になじまず、馴れ合いを嫌い、一人でお店を経営している。すぐ旅に出るし詩も書くし、最近は音楽を奏でたりもする。しかもギターの弾き語りか、笛。ほなスナフキンやないかい。
でもオカンが言うにはな、ジャッキーさんは去る5月3日、地元の友達と集まるために名古屋まで新幹線で日帰りしてんて。ほなスナフキンと違うか~。スナフキンは自分のタイミングで気ままにムーミンに会いに来るんやから「地元の友だちと集まる」ってことはしないのよ。他になんか言うてなかった?
オカンが言うにはな、ジャッキーさんってあまえんぼで寂しがりやで意外と情にあついらしいねん。ほなムーミンやないか~。
一般に、スナフキンといえばクールな自由人、ムーミンといえば人間らしい(あるいは少年らしい)心を持った常識人、といったところだろう。
たぶん、僕のことをスナフキンでもありムーミンでもあると思うか、どちらでもないと思う(=何も思わない)人からはある程度好かれるのだが、スナフキンとしか思わない人からは嫌われるのではないかな、と思う。本当はかなりムーミンなのだが、そこをあんまり見てもらえない。(僕の見せ方が悪いのでもあろうが。)
人生の中で何度か「生意気」とか「偉そう」と言われたことがある。直接ではなく陰口として。そういうふうな嫌われ方をする。ムーミンなのにな~。(←こういうところが鼻につくのカナ!)
とりわけ「常識の範囲内での上昇志向を強く持つ人」(つまり、偉くなりたい普通の人)からは嫌われるか、ほぼ理解されない傾向にある。自己分析としてそう思う。スナフキンの名言集みたいなのを見ると「正論」が多いんですよね。しかもそれは、いわゆる「常識の範囲内での上昇志向」みたいなものへのアンチだったりする。
偉くなりたい普通の人は、「みんなと同じことをする」を最大の近道だと思っている。なぜならば彼らが目指すのは「数値を大きくする」ことで、そのために必要なのは「多くの人を巻き込む」ことだから。「みんなと同じ」範囲の中で、効果が大きくなりそうな選択を積み重ねる。その常識の範囲内ではリスクも取るけれども、決して非常識なことや、一見無意味なことはしない。
スナフキンは(名言集によると)「大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってるってことだよ」と言っている。自分のしたいことを他人(の集合)が知っていると思うのが、僕の言う「常識の範囲内での上昇志向を強く持つ人」の特徴である。
また「ムーミン谷を犯罪でいっぱいにしよう」とも言っている。どういう流れで言ったかはともあれ、軽犯罪を推奨する(!)ジャッキーさんと重なって面白い。これこそ「非常識」であって、「偉くなりたい普通の人」にはなじまない領域である。
つまりまあ、スナフキンってのは非常識であることを自分に許している存在なのだ。そこにしか自由はないと思っている。そういう人にムカつく人がいるのはよくわかる。もっと真面目にやれ!とか、お前みたいなプータローに何がわかる!とか。
自分はこんなに真面目に一所懸命やってるのに、たまたまうまくいってるだけでヘラヘラしやがって!と、スナフキンみたいな人間が目前にいたらけっこう思う人はいるんじゃなかろうか。「けっ、お前が笑ってられるのも今だけだよ、年取ってから吠え面かけや、能無しのヒッピーが!」的な。
でも僕は、たぶんそんなにスナフキンではない。少なくともスナフキン一辺倒の人間ではない。自認としてはムーミン成分のほうがやや大きいとさえ思う。スナフキンみたいな生活を実行できない弱さが間違いなくあって、しょせん自分はヒッピーではなくインテリの側なんだよなと思う。
ひょっとしたら、スナフキンの仮面の裏に覗くインテリの顔が癪に障る、っていうパターンもあるかもしれない。スナフキンみたいなフリして、実際はインテリのくせしてよお!みたいな。嫌われ自己分析。
でも違うんです、僕はスナフキンのフリをしているのではないのです。スナフキンにあこがれるムーミンなんです。たまにスナフキンのマネをして旅に出るけど、フツーにえきねっとできっぷ買ってビジネスホテルとか泊まってるんです!
あとは見た目や振る舞いがムーミンよりはスナフキンっぽいのかもしれませんね……。
もっとムーミンみたいな顔をして生きていこうっと。(「電車男さん」AAry)
2025.5.7(水) 見ずに見る(接客の極意)
「複数の人に同時に話しかける」ということが僕のやってきたことのほぼすべてである。演劇、教員、バーテンダー(※夜学型または新宿型)、すべて「複数の人に同時に話しかける」を前提とする。遡れば小5の学芸会(ピーター・パン役)や小6の全校集会(集会委員長だった)もだし、こじつければ低学年のころ、水谷先生に「音読がうまいね」と褒められたことまで。
小3のとき、やたら残酷な作文を書いて友達(少数だが)を笑わせていたのも思い出される。小4までは完全なる引っ込み思案ボーイだったので「書く」ほうが楽だったのかもしれない。わけのわからない不条理なゲームブックを作ったりもしていた。
文章を書く、ということは「複数の人に同時に話しかける」を煎じ詰めた形でもある。それが誰にも見せない日記であったり、特定の一人に向けた手紙であったりするのでない限りは。たとえばこのホームページや小説なんかは、まさに複数の人に同時に向けている。
昔から漫才やバラエティ番組などのお笑いが好きだったが、あれも「複数の人に同時に話しかける」がなければ成立しない。まあこれは舞台演劇と同じことだ。
映画やドラマというものは、ごく広義にとれば観客や視聴者にも語りかけていると言えなくもないが、基本的に登場人物は登場人物に対してのみ話しかけている。それがリアリティを担保している。舞台においては、登場人物は登場人物に話しかけると同時に、観客に向けても話しかけている。目の前に観客がいるのだから当たり前で、これがちゃんとできないと観客を引き込むのは難しい。
このことがどうもピンときてもらえない。演劇経験者であっても「そういうこと」を考えたこともなく、できてもいない人はたくさんいるだろう。「複数の人に同時に話しかける」とは、なぜそんなにも「できにくい」のだろうか?
出発点は、「その場には人間がいて、その人間は人間なのだ」と強く意識することだ。よく「観客をカボチャだと思え」なんてことを言うが、とんでもないことである。バーにおいてお客を、あるいは教壇において生徒を、カボチャだと思うことに(僕にとっては)等しい。お客は人間だし、生徒も人間で、演劇の観客も人間である。それを忘れてはならない。
目の前に人間がいるからこそ、緊張もするし、緊張するからこそ洗練されていく。むろんリラックスだって大事だが、同時に緊張もしていなければならない。少なくともバーや、教壇や、舞台においては。あるいは文章を書く時にも。
このホームページの向こうには生身の人間がいる。ごく若い頃には実のところよくわかってない部分もあったが、今はそれをかなり意識して書いている。(いっさい波風を起こさないようにしたら僕の場合は何も書けなくなるので、覚悟していろいろ書いているという話です。)
目の前には、あるいは文章の向こうには、生身の人間がいる。バーでたとえよう。「複数の人に同時に話しかける」というのは、「発話時にそれを心がける」というだけではまったく足りない。あらゆる身体的な手段を使って、常に、やらなければいけない。ここからが本題ネ。
カウンターの中に立っているとき、常に、その場にいるすべてのお客さんを、生身の人間だと思い続けなければならない。常に、「あなたがそこに生身の人間として存在していることを自分は意識していますよ」というメッセージを、全身で送り続けねばならない。しかもそれが重圧にならないよう、さりげなく、当たり前に自然に。
たとえば一つ、具体的な手段としては「視界に入れる」ことである。
人間は「見られる」ということに良くも悪くも敏感で、たとえばガラス張りのお店を通りかかるとき、何気なく中を見ると、向こうもこっちを見てくることが多いでしょう。「目線」というものはそのくらい力強く人に訴えかける。
だから「見つめる」「視線を向ける」ということは、かなり強いアプローチとなる。「あなたの存在をわたしは前提としていますよ」というアピールとしては、ちょっと刺激的すぎる。ゆえにこそ、「視線を向ける」という行為は、ここぞという時に役に立つ。アイコンタクトなんてのもある。濫用せず適度に使うべし。
この「見る」という決定打を温存するためには、「視界に入れる」というくらいの中間的アプローチをうまく使うといい。人間は他人の視線に敏感だから、「見られているかどうか」だけではなく、「視界に入っているかどうか」までかなり精確に察知する。これはおそらく教員としてのテクニックでもあろう。生徒たちは、直接見つめられなくても、「自分は先生の視界に入っているな」と感じれば身を引き締めるものなのだ。
それは他人からもわかる。「Aさんはいま、Bさんの視界に入っていないな/入っているな」ということは意外と伝わる。それをさえ武器にしたい。
「視界に入れる」というのは、「視界の端っこに入っている」というのでは十分でない。「視界に入っていることを常に意識し、それが相手に伝わるようにする」という意味である。わずかなサインでも人はちゃんとわかる。雰囲気として必ず伝わる。色気のようなものとして。
もっと秘伝を言うと、視界に入っているかどうかがなぜ伝わるのかといえば、人は、視界に入っている相手のちょっとした動きに対して同調したり、小さな返答を返したりするものだからだ。逆に言えば、いくら目の中に姿を入れていたとしても、相手の一挙手一投足に対してなんの反応も示さなければ、それは「視界に入っている」とは言えない。
混乱するかもしれないが反対の例も示そう。「たとえ見つめていたとしても、いっさい反応をしなければ相手は見つめられているとは思わない」という謎めいた現象(っていうかそういう技?)もある。ちょうど最近そういうことがあった。ある人を僕はずっと見ていたのだが、ぼーっと、絶妙に焦点の合ってないような目で、相手の動きに対して特段の反応を示さずに見ていたら、相手もこっちを見ていて、目が合っているかいないか微妙な状態のまま、特に気まずくもなく、目をそらすのでも笑い出すのでもなく、お互いにぼーっと顔を向け合っていたのである(恋仲とかではない)。「見ているのに、見られていると思わせない」というテクニックも世の中には存在する。目線というのは面白いものである。
つまり「見られている」とは、「自分に対してレスポンスがある」という状態なのだ。こうなるともう心理術とか催眠術とかの領域だが、たとえば相手がまばたきをした時に、自分も続けてまばたきをしてみると、相手はそれを「自分に対してのレスポンスだ」と深層意識で思うのだ、たぶん。
自分が動いたとき、相手がちょっとでもそれに対応する行動を見せたら、「自分の動きに対してレスポンスをくれた」と人は認識する。もちろんそれは、「ジロリ」というように「目線を与える」というダイレクトな表現であるべきではない。何気なくふっと動くだけでいいのだ。目玉のわずかな動きだけでも相手には伝わる、かもしれない。その積み重ねが相手に「自分はこの人の視界に入っている」という印象を与え、安心感を抱かせる。
そういうレスポンス(反応)が欠落すると、相手は「無視されている」と感じるし、周囲も「無視しているな」と思う。これは僕が過敏なだけなんだろうか? そう思う んだよね。
バーにおいて、バーテンダーは、お客をよく観察しなければならない。「観察」とは「見つめる」とか「ジロジロ見る」というのではない。その人が何をしているのか、を常に意識し、ほんのわずかなレスポンスを返し続けるということである。相手がなにか動いたら、こちらもちょっと体を揺らすとか、その程度の同調でいい(それ以上だとやりすぎであろう)。
具体的なことを言えば、夜学バーにおいてカウンター上の本をお客さんが読み始めたら、何を読んでいるのか気になるのは自然で、その当人ではなく本を見る。そして「ああ〇〇を読んでいるのか」とでも思い、1ミリでもいいから眉を動かしたりなどする。本を戻すとき、当然カウンターの内側に向かって「風」が起きる(実際にはほぼ無風だが、そういう動きが空間に発生するということ)。それに対して1センチでもいいから、体を後ろに揺らすなどしてみる。そういうことだけで、まったく変わってくる。
「何を読んでるんですか?」とか「その本、〇〇ですよね」と言うのも良いが、そこまでしなくても、ごくわずかな身体的な表現で、「視界に入っている」「存在を意識している」ということは必ず伝わる。それがお客さんにとって安心感になる。「自分はこの場に確かに居る」という気分になれる。
当たり前の話だが、これは言葉においても同様である。相手の言葉すべてに、必ず反応する。積極的に無視したい相手でないのなら。すべての言葉をできるだけ正確に受け止め、わからないことはちゃんと聞き返して、誠実に自分の思うところを述べる。気になったことは(聞くべきか瞬間的に熟考して)訊ねる。(「熟考する」という姿勢を見せることも大事である。)
その人がその場にいて、その場において発した言葉のすべてを尊重する。大切な言葉やトピックが宙に浮くことのないようにする。宙に浮いたまま流れてしまったら、覚えておいて、あとで蒸し返してもいい。「そういえばさっきの話なんですけど」と。そういうことの積み重ねが「自分は尊重されている」という感覚をもたらすし、もっと言えば「ここは言葉が尊重される場なのだ」という認識を持ってもらえる。言うまでもなくそれは、夜学バーにおいて最も大切なことである。
これをひるがえして「動き」とか「見る」ということに戻すと、すなわち「ここは(生身としての)人間が尊重される場なのだ」という認識を持ってもらえるよ、という話となる。
僕は極めて難しいことを言っているのかもしれないが、とりわけ夜学バーに立っている各位は、この文章を最低四回以上読み返し、おおよそを理解してもらえると助かります。本当に大切なことなのだ。
なぜ、ジャッキーさん(僕)のお店は(良いと思う人にとって)「良い」のか?っていうのは、もしかしたらここに尽きるのではないか。言葉については言わずもがな、今日の主題は「見る」ということを、見ないでやるということ。全身を目にするということである。気配を感じ、気配で返す。それは「見る」ということ以上に、「見る」ということなのである。(評論文っぽい!)
2025.5.9(金) 想像力と責任感
っていうふうに、想像するといろいろなことが見えてくる。もっともっと想像力を働かせると、もっともっと恐ろしい未来が見えてくる。そう、想像力っていうのは「こわい」んだ。
(僕「要領よくやれ!」)
2008年、成城学園中学校に国語科講師として着任した僕は、生徒たちのあまりの「想像力のなさ」におどろきおののき、学校の印刷機を使って長文を印刷、製本し担当する全生徒に配ったのである。中2向けだが、中3にも配ったかも。上記はその引用。
これはかなり効果的で、わかる生徒はしっかりわかってくれたし、漏れ聞こえてくる保護者の反応も上々だった。「よくぞ言ってくれました」とお手紙を包んでくださった方までいた。調子に乗ってその後もたびたび長文を配布する。「紙」と呼ばれるこのプリント群は通算5年間の教員経験のなかで絶やすことなく続けた。あれを楽しく読んでくれていた子たち、できればいつか会いにきたり、連絡をください。そのために僕のお店もホームページもあるのです。
23歳の僕は「想像力は怖い」と喝破する。偉くない? なぜ若者が基本的に想像力を欠如させているかといえば、「怖い」からに他ならない。想像力をめぐらせると、しんどいのである。正しく想像して「こうしたほうがいい」とか「こうするべきではない」ということがハッキリわかると、自分の行動を変えなければならない。誠実に生きなければならない。そんなんダルい。やってられん。逃避したい。そうだ! 想像なんてやめてしまおう。そんな流れ。想像力は負担を強いる魔物である。
誰だって楽に生きていたい。今の自分を変えずにいたい。何にも気を遣わず、何も考えず、やりたいことだけをしていたい。若い時代はそれが許される。生存はただちに脅かされない。じゃあ甘んじていたほうが気持ちいいわね。ワーイ、ってなもんで。しかし23歳の僕の提言は「そのままだとそのまま大きくなるだけで、自動的にあんたらの嫌うヤバいおっさんおばさんになりますよ」という、一種の脅しであった。
想像力が欠如すると、責任感も欠如する。自分の行動の結果を想像すれば想像するほど、「手を抜くと誰にどのような負担がかかり、将来にどのような不利益がもたらされるか」というようなことがよくわかる。「じゃあ、自分がここで頑張っといたほうがいいよな」と重い腰を上げるのが、責任感というものである。
そこから逃避して「なんとかなってくれ」「どうか許してください」と祈るのが「責任感の欠如」というものだ。
想像力を働かせると、責任感が発生してしまう。責任感が発生すると、自分にとっては負担であるような行為を進んでしなくてはならなくなる。それをしんどいと思えば、回避するために「想像しない」という選択をとる。若い子が怒られてるのは大体これじゃないかと思う。あるいは、若くなくてみんなに嫌われてるみたいな人は、この癖がいつまでも抜けていないということじゃあないか。「いつまでも学生気分が抜けない」という悪口は太古から聞かれるが、概ねこれのことであろー。想像から逃げ、すなわち責任から逃げている。
想像を拒絶する側からすれば、想像していないのだから「それで何の問題があるんですか?」と平気でキョトンと思える。「誰にも迷惑かけてないですよね?」というレベルまで行く。想像していないのだから当たり前である。しかし世の中っつうもんは広大かつ複雑で、そういう彼らの見えていない領域が無限にある。知らないというだけである。想像しないから。
すでに「想像」というものに慣れてきた責任感を持った人間は、「そんなことから教えないといけないのか?」と絶望するのだが、たいていの人間にはそういう時期もあったんで、「まあ想像力ってのは怖いもんな、仕方ないな」と一方では思えるはずである。ただその後で、「じゃあ何からわかってもらえたら想像してもらえるようになっていくんだ?」ということで悩む。道は長い。このことはおそらく人類史、延々と繰り返されてきた。
順序は決して「責任感を持て」ではない。なぜ責任感がないのかというと、想像しないからだ。
想像力を持てよ、逃げんなよ。それしか僕に言えることはない。結局「強くなるしかない」のだから。見つめろ目の前を、顔を背けるな。
僕もいろんなことから目を逸らしがちですけれども、なんとかそれを減らせるように頑張ってはいる。やらねばならぬことを、少しずつ潰していって、できることも増やしていきたい(抱負)。一緒にがんばろうや。
2025.5.11(日) 想像力と責任感2 仕組み化について
AI による概要
「仕組み化」とは、業務の属人性を解消し、誰がいつ、どこで、どのように行っても同じ成果を出すことができるように、手順やルールなどを確立することです。簡単に言えば、仕事の「型」を作ることで、誰でもスムーズに業務を進められるようにすることです。
夜学バー(僕のお店)にはいま複数人の従業員がいて、彼らにスムーズに業務を進めてもらうためには上記「仕組み化」を徹底したほうが絶対に良い。しかし「属人性を解消」しすぎることは夜学バーの店是に矛盾する。
開店当初から「夜学バーは教育機関である」と強弁してきた。そこにいる人間みなが学ぶ場だという意味で、僕も、従業員も、お客さんも教育される。教育という語は「教えを育む」とでも読ませたい。各自が相互作用の中で内実を育んでいく機関、ということ。
「属人性を解消する」ということは、人間を「型にはめる」ということになる。上記AIの説明からするとそうだろう。夜学バーではルールやマニュアルが細かく決まってはいない。そういうものがあると、自分で考えなくなるから。
でも、虎の巻とかアンチョコみたいなものは一応あって、あると困るのが、やはりそれに頼り切ってしまうということだ。するとどうしても原理原則の理解と修得が遅くなる。とはいえ何も参照するものがなかったら何もできない(ずっと僕が横にいてささやき女将する必要が出てくる)ので、「中途半端なマニュアル」みたいなものを作るのがいいだろうと今は思っている。これが容易ではなくて、なかなか完成しないし、中途半端に中途半端な説明だと「書いてあることしかしない」ということにも陥る。なんとも難しいものだ。
仕組み化を徹底すると(少なくとも僕ていどの手腕では)画一的な人間をつくる結果にしかならないだろう。とはいえ自由にやらせてもうまくいかないことはわかっている。教育実習の指導教官のようにつきっきりで黙って見といてあとで怒濤のようにダメ出しするしかない。しかしこれはデメリットが多すぎる、様々な面で。
今のところは、雑なマニュアルと雑なルールで、できるだけコミュニケーションを多くとって、伝えるべきことを伝えられるタイミングで伝えるようにしている。ただ、「雑なマニュアルと雑なルール」を運用しているなかで、「雑な結果」がくり返し出てくるようなことがあれば、少しずつ「厳格なマニュアルと厳格なルール」に変えて行かざるを得なくなり、息苦しさや不自由さが増してくる。そうならないように必要なのは、まあ気合いなんですよね。ハァー精神論。
気合いってのは僕だけの気合いではなくて、各人それぞれの気合いなので、一人ひとりの気合いを高めていくしかないのである。気合いとはやる気のことでもあるし、「想像力と責任感」ってことでもある。そういうお話。
2025.5.12(月) 僕たちは偶然に気づく
池之端すきやビル301は2023年6月まで夜学バーで、12月からは401が夜学バーになった。跡地である301にはいまbar SKETCHYというお店が入っている。通称:跡ッ地ィ。そのオーナーが先日お店に来てくれて、話していたら我が実兄と知り合いだということがわかった(仕事上の付き合いがあったらしく、電話番号が登録されているのも見せてもらった)。世間ってのは狭いもんだ。
そのお店で働いているIさんという女の子(19)が、昨日O崎BックCフェという場所のコンカフェイベント?的なのに出ていたのだが、まったく同じ時間同じ場所でU山という人間も働いていた。彼女は僕の女子校勤務時代の教え子で、かなり仲が良い。
U山に話したら驚いていた。彼女は301時代から、なんならたぶん10代の頃から夜学バーに来てくれている。卒業後(辞職後)も会えるのは本当に嬉しいね。「じゃあ、Iちゃんのお店と先生のお店、ハシゴできるんだ!」確かに。お待ちしております。
余談だが、U山もIさんも非常に「仕事」ができる。よく周りが見えているし、その場で自分がすべきこと(役割)を見極めるのもうまい。こういう子たちを集めてガルバかコンカフェみたいなのやったらそりゃ楽しかろうな、そういう経営者がたくさんいるのはよくわかる。
いろいろ見たり聞いたりしているとコンカフェのオーナーってのは「女子校の先生」だなーって思う。良くも悪くもというか、女子校の先生として好かれる人はコンカフェのオーナーとしても好かれるだろう、原則。ただ女子校が(というか学校が)面白いのは、「顧問」という立場と「担任」という立場と「教科担任」という立場と「授業を受け持ってもらってない先生」という立場と、生徒からしたらまったく違う存在だということ。もちろん専任か非正規かでも違う。どのような立場になるかによって同じ二者でも関係や距離感がぜんぜん変わってくる。僕がそういうお店の経営者として向いているかどうかは、どのような立場で関わるかでまた違うんだろうな。興味はありますので、物件など心当たりのある方はお声掛けください。すばらしい子(天才)はたぶんそろえらるけど、儲ける自信はまったくない。働きたい人も言ってね、妄想として話すだけでたぶん楽しいから。
ところで、本記事では二件の「偶然」を取り扱ったわけだが、「偶然に気づく」のは難しい。偶然というものは気づいてから「偶然!」とわかるもので、気づこうとして気づくことはできない。跡ッ地ィのオーナーが僕の兄(サンカッケー社長)と知り合いだったとしても、気付かないまま一生を終える可能性だって高いのだ。同じ苗字というだけでは。ではなぜ僕たちは偶然に気づいたのか? 僕が兄の製品を身に着けていたりお店に置いてあったりして、たまたまその話になったからである。僕が「そう」しておらず、兄の話をすることも普段まったくなければ(たとえば兄のことを嫌いで避けていれば)、おそらくこのことは発覚しなかったか、したとしても数年以上遅れたかもしれない。
また、IさんとU山に繋がりがあるという事実に気づいたのも、僕が二人のSNSを見ていたからであって、向こうから言い出すことはあまり想像できない。ただU山も「確かにIちゃんのお店の住所に見覚えがあった」と言っていたから、彼女が気づいた可能性もある。それはU山が、夜学バーの住所をおぼろげながらも覚えていた(想像できた)から。つまり、偶然に気づくためには、誰かによる何らかの記憶や行動(アプローチ)が端緒になるはずなのだ、必ず。
いろいろなものごとを憶え、何を見ても何かを思い出し、常に何かを考えたり、意識したり、口に出したりしてみることが、「偶然に気づく」ためのよすがである。何がきっかけになるかわからない。ふだん何気なく接している知人が、実はとんでもない「偶然」を隠し持っていることはいくらでもあるはずだ。それをひょんなきっかけで知ることになると、僕はだいたい気持ちが良くなる。そのために上記のようなことを縷々している。
2025.5.14(水) 比較廃絶運動 序
夢のつづきを夢で見て、覚めてから「そういえば以前にこの夢の前のくだりを見たな」と思うことがある。その時はよく憶えているのだがやはり夢のこと、だんだん現実の記憶からは消えていく。そしてまたつづきを夢に見て、「ああ、そうそう」と思い出す。そんなことを繰り返しているような気がする。比喩でなく。誰にもよくあることなんだろうか?『ドラゴンクエスト6』ってそういう話だもんね。
今日もこれで、もうだいたいのことは忘れた。思い出せるのは、僕はその夢のなかでものすごく不満をぶちまけていた。ふだん、というか人生のなかで「不満をぶちまける」なんてほとんどしたことがない。少なくとも「あのような形で」口にすることはない。それだけは確かだと思う。
それはすなわち「僕だってつらいんだ」という形で、である。それは「他人と比較した時にこみ上げる不満」というものである。僕はそれを、かなり努力して飲み込んでいる。幼いころは他者(兄弟など)からの抑圧によって。成長してからは自身による抑圧によって。
「他人と比較する」というのはほとんど本能に属するようなもので、「自分にはそんな感情や感覚はありません」などと言うつもりはない。僕だって自他を比較する。そのうえで悲しくなったり不安になったり、誇らしく思ったりする。それを僕は理性によって抑え込んでいる。ジャッキーさんとかいう人の歪みの根源はここにあるのかもしれない。
抑圧されているものが夢のなかで解放された、なんて笑っちゃうくらいできすぎた「夢判断」だが、実際笑っちゃったね。モロそうじゃん。本当は「(あなたにも事情があるのはわかるが)僕だってつらいんだ!」と言ってしまいたいのだ。そのほうが健全だという見方だってあるんだし。
ただ、僕のここまでのキャリアの核心が「そこ」にあるのも確かなのだ。「比較(による不満)」を封じたがゆえに見えているもの、達せてきたものはあまりにも大きい。今さら「よーしガンガン他人と比較しちゃうぞ~」へ向かう未来はさすがに見えない。
比較を封じると何ができるか。簡単にかつキレイにいえば「ノイズが減る」これに尽きる。比較によって目は霞み判断は鈍る。ものごととまっすぐ、濁りなく向き合うには比較しない、これに限る。あるものの性質や価値を、他との比較によって相対的に位置づけるのではなくて、それが何によって起こり、何を結果するのだろうかと冷静に考えることのほうがずっと大事だと信じて、歯を食いしばって「比較」を極力捨ててきたのだが、むろん本能なのでゼロにはできないので時には落ち込んだり不安になったりもするし、たまには夢にだって見るらしい。
マー要するにそういうのは不断の努力の上に成り立っているのであって、べつに僕がそういう人だってわけじゃないのだ。ありたいようにあるためにがんばっているわけだ(偉い!)。いつか崩壊する可能性に怯えつつ、でも生きるってそういうことだし、嘘から出たまことってのも信じてる。ちょっとずつまともになっていくんだ。←ここ、小さい男の子のかわいらしい意思イントネーションで再生お願いします。
2025.5.16(金) ヨシカゲという猫
たぶん2007年ごろmixiで知り合った明治さんという人。カミソリのような切れ味を持つ人殺しの瞳をした人物であったが、2009年10月4日、新宿中央公園で猫を拾ってからは前科持ちの菩薩くらいに変貌した。ヨシカゲと彼は名付けた。『ジョジョの奇妙な冒険』の吉良吉影からとったのだろうか。ところで明治といえば『編集王』の明治さんが思い浮かぶし、いまのハンドルネームは「皿屋敷」で、これはお菊さんの怪談だが世代的には『幽遊白書』の「皿屋敷中学校」か。明治から皿屋敷に変わったとき、「なんで皿屋敷なんですか?」と聞いたら「かっこいいじゃないですか」と即答されたのは忘れられない。そういう人なのである。
皿屋敷さんと初めてサシ飲みしたのはたぶんその新宿中央公園、雨上がりの日曜の夜だった。誰もいない薄暗い世界。ビールの大瓶を買ってきて自転車のカゴで開栓しラッパ飲みした。あのかけがえない経験が「新宿青姦遊撃隊」や「花見沢俊彦」の開催を導き、そうでなければ彼がヨシカゲと出会うこともなかったかもしれない。
皿屋敷さんの溺愛ぶりは凄まじく、共通の友達の家が所有する伊東の寂れたリゾートマンションで合宿をした(通称:伊東合宿)時も連れてきており、そこでヨシカゲが行方不明となった。全員で捜索するもなかなか見つからない。血相を変えた、というか鬼が激昂したまま死後硬直したような顔で狂ったように家の中を徘徊し続ける皿屋敷さんにみんなは内心「見つからなかったら我々は全員殺されるんだろうな」と覚悟を決めていた。あらゆる家具の引き出しをすべて抜いていった。タンスの奥にヨシカゲは居た。お茶目な猫である。どうやって入ったのか未だにわからない。
やがて皿屋敷さんが故郷の会津に引っ込んだのち、何度か遊びに行った。当然ヨシカゲもいた。覚えてくれているとか気に入られたとかではないのかもしれないが、あんまり人に懐かないらしいヨシカゲがけっこう足の上に座ってくれたりして嬉しかった。新宿の匂いが懐かしかったのかもしれない。ヨシカゲは家中をピョンピョン跳び回っていた。鼠か猿のように身軽だった。そして誰もが認める美形だった。
ヨシカゲは皿屋敷さんの両親からも溺愛されていて、家のすべてを明るく照らしていた。あらゆることがヨシカゲ中心に変化していったらしいのがよくわかった。ヨシカゲは太陽で、世界のすべてに光を与える存在だった。
僕は祖父が犬(ロクという)を飼っていたという以外にほぼペットとのふれあいがない。猫を飼っている友達はいたが、世話をしたり遊んだりという経験は数えるほどもない。ヨシカゲとの付き合いはごく薄いものではあったが、それでも僕が人生で最もよく知った猫であったのは間違いない。そのヨシカゲが5月16日の23時ごろ息を引き取ったそうだ。この文章を書いているのは実は18日の深夜だが、命日の日付で書こうと遡った。
16歳という。拾った日からちょうど半年前、4月4日を誕生日としている。皿屋敷さんの誕生日は8月4日である(覚えやすい)。
ヨシカゲが我々の前に現れてから15年7ヶ月半。コロナ上陸後は会津に行くことができず、少なくとも5年以上は会っていなかったわけだが、SNSのおかげでヨシカゲの元気な姿はいつも見ることができた。猫煩悩だから写真をたくさんUPしてくれるのだ。僕は決して猫好きというわけではないのだが、僕からしたら友達であるヨシカゲの顔を見ると心が落ち着く。僕の名言で「自撮り(をSNSに上げること)って友達の顔が見られるから最高!」ってのがあるんだが、そういう感じ。顔を見るだけで嬉しいものだ。猫に疎いはずの我ながら、ヨシカゲだけは顔を見分けられる自信があるのだ。
猫を飼って人が変わる、という現象はたぶん一般的にあって、それは必ずしもよいことばかりでもないと思っているのだが、皿屋敷さんとヨシカゲの関係については本当によいことばかりだったと思う。さぞ美しい15年と7ヶ月半だったであろう。たった一つ、悪い影響があったとすれば、ヨシカゲが可愛すぎて僕たちとあんまり遊んでくれなくなったこと、それだけである。想い出話しながら飲みましょう。会津にもまた行きますね。
2025.5.17(土) 読者の皆様へ/純粋な声援
「もうちょっと日記書いてください、最近少なくないですか?」と言われたのでがんばることにする。とりあえず太宰治の『富嶽百景』から例のシーンを引用しますね。
甲府から帰つて来ると、やはり、呼吸ができないくらゐにひどく肩が凝つてゐるのを覚えた。
「いいねえ、をばさん。やつぱし御坂は、いいよ。自分のうちに帰つて来たやうな気さへするのだ。」
夕食後、おかみさんと、娘さんと、交る交る、私の肩をたたいてくれる。おかみさんの拳は固く、鋭い。娘さんのこぶしは柔かく、あまり効きめがない。もつと強く、もつと強くと私に言はれて、娘さんは薪を持ち出し、それでもつて私の肩をとんとん叩いた。それ程にしてもらはなければ、肩の凝りがとれないほど、私は甲府で緊張し、一心に努めたのである。
甲府へ行つて来て、二、三日、流石に私はぼんやりして、仕事する気も起らず、机のまへに坐つて、とりとめのない楽書をしながら、バットを七箱も八箱も吸ひ、また寝ころんで、金剛石も磨かずば、といふ唱歌を、繰り返し繰り返し歌つてみたりしてゐるばかりで、小説は、一枚も書きすすめることができなかつた。
「お客さん。甲府へ行つたら、わるくなつたわね。」
朝、私が机に頬杖つき、目をつぶつて、さまざまのことを考へてゐたら、私の背後で、床の間ふきながら、十五の娘さんは、しんからいまいましさうに、多少、とげとげしい口調で、さう言つた。私は、振りむきもせず、
「さうかね。わるくなつたかね。」
娘さんは、拭き掃除の手を休めず、
「ああ、わるくなつた。この二、三日、ちつとも勉強すすまないぢやないの。あたしは毎朝、お客さんの書き散らした原稿用紙、番号順にそろへるのが、とつても、たのしい。たくさんお書きになつて居れば、うれしい。ゆうべもあたし、二階へそつと様子を見に来たの、知つてる? お客さん、ふとん頭からかぶつて、寝てたぢやないか。」
私は、ありがたい事だと思つた。大袈裟な言ひかたをすれば、これは人間の生き抜く努力に対しての、純粋な声援である。なんの報酬も考へてゐない。私は、娘さんを、美しいと思つた。
まさにこの「十五の娘さん」のようなことを、ある「二三の娘さん」が僕にしてくれたのである。ありがたい事だ。何度も書いているし方々でも言っているが、ニンゲンってのは求められなければ動かないもんですから、こんな「いいね」も「コメント欄」もないような文章は書き続けるのがかなり大変なのだ。みんながホームページやんないのって結局そこでしょ。反応がほしいんでしょ。ないと続かないからすぐやめるんでしょ。僕は反応ないのに細々やってて、だから「ジャッキーさんは反応なくても書くからな」じゃないし、「なんで反応なくても書けるはずなのに書かないの? サボってんじゃないの?」でもないのだ。反応ないと書けないのだ。使命感と義務感を必死に絞り出して、「みんなの笑顔……」とか唱えながら一所懸命がんばっているのだ。参考文献!『地獄戦士魔王』第一話!
誰にも求められていないわけではない。だから続けていられる。読んでくれている人が必ずいるのはわかっている。しかしそれだけで動けるほど僕は優れた出来をしていないのである。なんでもいいから「読んでるよ」「書いてね」「がんばってるよね」的なことを、言ってほしい!ってのもまあ定期的に言ってるから、そんなに効果がないのはわかっている。でもまったく意味がないわけではないのも知っている。ゆえに書きます。
あのー、ちょっと前に「褒めてくださいブーム」があったでしょ。僕の身に。気になる人はちょい前の日記を漁ってください。まだ1年も経ってないよねたぶん。あれは別に「褒められたい」ってのがメインにあるんじゃなくて、「僕の利益にもなるしあなたの利益にもなるはずの、まちがいなく実効性がある行為をしてほしい」ってことだったんですよ。どのくらい伝わったか不安だけど。
二三の娘さんがしてくれたことはまさに、「お互いの利益になる実効性の高い行為」で、それをすることにマイナスはまったくないはずだ。そういうことを積み重ねるのが「世の中をよくする」ってことだと僕は信じていますの。だからそういうふうに水を向けたってコト。褒めて、って。
ところで、それって「なんの報酬も考へてゐない」「純粋な声援」なのか?という問題について。十五の娘さんだってこの「私」が原稿を書けば嬉しいんだから、その意味で見返りを求めてはいる。ってことはここでの「報酬」ってのはお金とか見栄とか、もうちょっと具体的で俗なものであり、「うれしい」や「たのしい」とかは想定されていないってことなんだろう。そう見るとやはり二十三の娘さんが僕にしてくれたことも同じと考えることはできる。ええ。
というわけでこれからもうちょっと頻度が上がると思いますが、これが持続するのなんてせいぜい一カ月とかですから、みなさん折にふれよろしくお願いいたします。娘さんもまた同伴組んでくださいね。ア普通に読むと誤解すると思いますが僕の店に同伴してもらうってことです。月一くらいはノルマです。
2025.5.18(日) 女の話、女との話
なんか最近女と遊んでる。女ブーム。「女」って書き方が気になる方もいると思いますが、女の子と話してるとむしろ「女」って言葉はなぜかよく使うんですよね。胸を張って言いますと友達だからだと思う。あとは住んでる文化圏っていうか価値観が近くて、似たような言語になっちゃってるのだろう。
念のため言っておきますと「女」っていう言葉には我々にとって特殊な文脈やニュアンスがあって、「女の子」「女の人」「女性」「女子」等々とかなり厳密に使い分けております。
たとえば自虐的に使うことも多いんだけど、男なのに「女」が自虐的になるってどういうこと?っていうと、そりゃその瞬間に僕がその女の子と価値観のうえで同化しているからだと思う。男同士で「女はさ~」って言うときのニュアンスとはまあまず異なる。悪口や揶揄になるか、自虐を含んだ笑いになるかはその場での「共犯性」の質によりますわね。男同士の共犯か、女同士の共犯かという。もちろん実際には「一時的に女に寄り添った男女の共犯」なんだろうけど。僕が女子の側に寄ってるというネ。ここで「寄せてる」と言うとまた若干ニュアンスが変わる。言葉、難しい。
橋本治『蓮と刀』を愛読している身からしますと、やっぱ仲良しというコミュニケーションの根幹にあって揺るがないのは「幼児語で話す」すなわち「同じであることを確認し続ける」ってことなのだ。「だよね~」「うんそうだよね~」の世界。肉体関係を前提とした男女の仲ってことになると基本的には「僕たちは違う人間である」ってことをどこかで確認しなきゃいけないんだけど、肉体を用いない場合はそれがほとんど不要になる。もちろんセックスしてたって「僕たち、同じだよね」は仲良くするために必要だし(「気持ちいいよね」とかもね!)、してなくたって「僕たち、ちょっと違うね」はあって当たり前。なんというか、セックスなしで仲良くする場合には「同じだね~」だけをし続ければ十分だという話かな。「違うね~」をわざわざ持ってくる必要はない。違うのは当たり前だから。同じだから奇蹟で、楽しいんだから。
あと、一緒に暮らすとか結婚するとか、一緒に仕事するとかって話になると「何が違うか」がけっこう大きい問題になってくるんだけど、ファミレスで会ってケラケラ笑うような場面だったらそれはほとんど要らない。奇蹟だけを甘受できる愛すべき関係、それが友達ってもんである。でマアもちろん、友達とその他の関係は同時に結ぶことができる。
20の女の子ふたりと、22の女の子の働くコンカフェに行くという会が14日にあった。片方の女の子とはその直前にダルバート食べたりして、もう一人の女の子とはその2日前にお茶したんだけど、あちら様方がどう考えてるのかはわからないがあんまり気を遣わないですね、こっちは。あんまりってのは、緊張くらいはする。二人で遊ぶことってほとんどないから。緊張しないのもヤバいし、しすぎるのもヤバい。だいたい誰と遊ぶときでもそれなりに緊張はするもんだよね。「親しき仲にも礼儀あり」って言葉が僕はすごく好きなんだけど、自分がだいたいいつでも緊張しているからなのかもしれない。
40の男と20歳前後の女なんだから、「違う」っていう部分がものすごく多いのは当たり前で、それでも目の前にダルバートがあってメニューとかあるのは「同じ」なんだから、それについて「こうだね~」「そうだね~」って言いあうようなのが、なんか結局仲良くするってことなんですのよ。恋愛って「違いを説明する」みたいな話になりがちじゃない?「あなたよりも収入と学歴と筋肉があります、どうですか?」とかネ。「わたしはあなたより美しいですので、その差異を金銭や奉仕によって埋めませんか?」とか。ちょっとうがち過ぎかもだけど。そういうことをあんまり考えないほうが仲良くはなれると思う んだよね。
ところで、気になる人は気になるかもしれませんので書いておくと上記コンカフェでは僕は自分のぶんのみ会計しております。「女が女に払う金は肩代わりしない」という信念によります。好きな女に身銭を切りたい、切るべき、という気持ちは二人とも持っているはず。ダルバートと喫茶店はごちそうしました(勾配)。
あと僕だけちょっと先に帰った。女だけで話す時間もあったほうがいい、僕がいると緊張感が薄まってしまう。三人で緊張してる姿を想像すると笑えてくる。これぞ「欠席力」!
僕は元来引っ込み思案で、コミュ障出身なのであります。いまだに誰とでもだいたい話すときはまず緊張する。しかし老若男女の別を問わず仲良くできる人が多いのは、やっぱり「同じだよね~」が基本的なコミュニケーションだからなんだと思う。もちろん、「同じものが好き」っていう話をするのではない。名詞で繋がる関係は脆弱。「解釈違い」ってのもありますし。いま目の前にあるもの、たまたま話題に上がったものについて、「○○ですよね~」「ああそうですね~」を積み上げていくのがたぶん、僕の手癖なのだ。
そのために「笑い」というものを多用する。橋本治さんも講演「ぼくたちの近代史」の中で言っていた。「笑ったんだから通ったよね」と。つまり「笑った=共感した=自分の言ったことが受け入れられた」というふうになるのだと。これはウーマンラッシュアワーの村本さんの手口でもある。彼の独演会に行ったことがあるが、感動的なほど「笑ったんだから通ったよね」のみで占められていた。面白かった。ずっと赤ワインラッパ飲みしながら喋ってた。
笑うってことは、一時的に価値観が合致したってことなのだ。それはとても素敵なシーンで、一時的だからどんどん過ぎ去って消えていく。でも「楽しかったね」という気持ちは残る。その積み重なりが友達っていうものだ。
ところで、当のコンカフェで働く22歳の女の子は4年前に知り合った親友(そう言い合うようになった経緯がある)で、最近はなぜか弟子を自称し、「あたしはジャッキーの系譜だから間を取るタイプのバーテンなんだよね」と言っていた、すでにどこかに書いたが。その日ぼんやりと接客を見ていたら、三人の人間を前にしてしっかりと「複数の人に同時に話しかける」を見事にやっていて、これ冗談じゃなくてマジで弟子じゃん、と思った。具体的に言うと、僕が黙ってメニューかなんかを見ていて、会話の内容はハッキリと二人の女の子に対するものなのに、常に視界に僕を含めているし、二人の女の子からはあえて視線を外したりもしていた。
7日の日記「見ずに見る(接客の極意)」で書いたことをそのまんまやれている。これは彼女が元来引っ込み思案でコミュ障出身(現役?)だからでもあろう。まっすぐに他人を見るのが(たぶんコンカフェの距離感では特に)苦手なんだと思う。僕の接客スタイルもそれゆえに発達したのかな。最初は「出身地が近い! しかも華倫変読者! 奇蹟!」みたいな感じで仲良くなったのだが、フツーに気が合うというか、「同じだね~」ってところが多いのかもしれない。違うところも当然死ぬほど多いけど。
こんど一緒にコゲどんぼカフェに(現れれば)行く予定の友達も、会う機会は少なくなったがめちゃくちゃLINEとかしてて、「わかる~」みたいなことをずっと言い合っている。しかも「わかる~」の対象はどんどん深く掘られていく。知性のスコップで。「かしこくわかり合い続ける」ことのできる、貴重な存在である。で、この人が上記コンカフェ嬢と互いに好みあってるってのも、やたら笑える。最後にまた太宰治『富嶽百景』の引用で締めよう。
十国峠から見た富士だけは、高かつた。あれは、よかつた。はじめ、雲のために、いただきが見えず、私は、その裾の勾配から判断して、たぶん、あそこあたりが、いただきであらうと、雲の一点にしるしをつけて、そのうちに、雲が切れて、見ると、ちがつた。私が、あらかじめ印をつけて置いたところより、その倍も高いところに、青い頂きが、すつと見えた。おどろいた、といふよりも私は、へんにくすぐつたく、げらげら笑つた。やつてゐやがる、と思つた。人は、完全のたのもしさに接すると、まづ、だらしなくげらげら笑ふものらしい。全身のネヂが、他愛なくゆるんで、之はをかしな言ひかたであるが、帯紐といて笑ふといつたやうな感じである。諸君が、もし恋人と逢つて、逢つたとたんに、恋人がげらげら笑ひ出したら、慶祝である。必ず、恋人の非礼をとがめてはならぬ。恋人は、君に逢つて、君の完全のたのもしさを、全身に浴びてゐるのだ。
2025.5.19(月) 足手まといとコンプラ
「女の夢は、好きな男の足手まといになること」
と言ったのは僕の女友達で、「そうだ」と共感するのもべつの女友達。僕が最初に言ったんじゃないよね。なんかめちゃくちゃなことを言っているし、「女」という主語の大きさに比して、表立って共感する人の数は多くなさそうである。
コンプラが厳しすぎる昨今、厳しいからこそ「こういう冗談」をこっそり言い合うのがものすごく面白い、みたいなことはあると思う。若い子の鍵垢とか見てるとLINEやツイートのスクショを晒して悪口みたいなことばっか言ってたりカジュアルに「死にたい」と「殺したい」が連打されている。秒でBANだぜ!? そのうちこのホームページもNiftyによってBANされないとも限らない。そうなるといよいよ言葉狩り、ってかもう魔女狩りに近いが、今のところそこまでではないからみんなこっそりとひどいことを言い合っている。
吾妻ひでお先生がたしか2000年代半ば~後半くらいに「今のロリコンオタクはかわいそうだ、昔はこっそりやっていたから楽しかったのに……」と仰っていた。障害があるから燃える、ってのはいつの世も同じ。
「女の夢は、好きな男の足手まといになること」
こんなこと大っぴらに言って許されるとはまず思えない。当の「女」を自認する人間が言うから「自虐的な笑い」にはなる。しかしべつの「女」を自認する人間は「自分は違う、一緒にするな!」と怒りうるだろう。「女」を自認する人でなくとも、「乱暴な論だ!」「失礼きわまりない!」と怒りうる。今の人たちは本当に生真面目で、そこを「分けて考える」という習慣があまりない。そういう世の中になっている。
時間がないので結論?だけを書き置くが、最近僕がすごく思っているのは、「世の中が厳しくなっていること」と「自分の意志でものを考えたり行動することの得意な人がかなり少なくなっていること」はかなり深く連関しているということだ。自分の意志を持っている人とか、自分のことが好きな人っていうのは、「世の中の厳しさ」にただ従うことが難しくて、密かにそこから外れたり、きわどい冗談を言ったりする。一方でもちろん、「厳しさ」に従うほうが楽な人のほうがずっと多い。いわゆる「レール」のなくなったように見える世界で、別のレールが敷かれたってことなんだと僕は考えている。
2025.5.20(火) 正解と想像力/銀河鉄道の夜
世の人は当たり前に「自分がしたいことをしたい」とか「自分がしてほしいことをしてほしい」と願う。自分の中にすでに「正解」があって、それが叶わないと「不正解だな」と思う。
僕はあんまり「たった一つの欲求」というものを持たない。たぶんむしろ欲張りで、「こういう欲求もあるしこういう欲求もある」という形で複数の欲求を同時に持ってしまう。つまり「なんでもいい」のだ。常にオルタナティブ(代替)を意識するし、切り替えられる。たとえばとんかつを食べようととんかつ屋さんに行って、閉まっていたとすると、じゃあカレーを食べようとカレー屋にすぐ向かえる。カレー屋も閉まっていたら、ほんならうどんにするかとまた変わる。
僕は昔から「かもしれない運転」を推奨しているが、推奨しすぎなのかもしれない。本気でアクセルを踏むってことがない。それもまた兄の三人いる末っ子ゆえだろうか。答えが常に三つある。さらにその上に二つある。
自分からものを欲しがることがなく、「ほしい?」と言われて「ウン」と答え続けてきた。幼い頃から。ドラえもんの43巻や44巻もそうやってウチに来た。
想像力とは、「正解が複数存在するかもしれない」「この正解よりもふさわしい正解があるかもしれない」「そもそも正解などないかもしれない」「正解を考える必要はないのかもしれない」といったように、たった一つの正解に定めず、とどまらず、「かもしれない」を積み重ねていくことなのだとは思う。そういった意味では僕にはそれなりに想像力はあるのだと思われる。若い頃は本当に無かったけど、無すぎて失敗を積み重ね、だからこそ徐々に培われてきた。
そんなむかしの僕も、「自前で用意した答えを他人に期待する」ということだけはしなかった。六人家族の一番下、親戚のうちでも最年少(タイ)で、他人をコントロールすることは絶対に不可能だった。ただかわいがられたり、いじめられたり、心中を勝手に推し量られるだけだった。もちろん四六時中そうだったわけじゃないんだろうけど、平均としては左様と思う。
正解、という発想がそもそもない。答えは風に吹かれてる。ただ眺めて、だんだん色が変わっていくのを楽しむのみ。
遠心的であるということは、「正解」によって立ち止まらないということだ。もちろんそこへ向かって行くこともない。今いる場所から一歩ずつ遠くへ進んでいく。それはもちろん寂しいことで、孤独が約束されている。それはどうしても一人でしかできないことなのだ。少なくとも、きっと僕には。「ああほんとうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだろうか」とジョバンニは言った。宮沢賢治もそういう人だったのかな。
でもそこで絶望する僕ではない。詳しくはこれまでに何度も書いた『銀河鉄道の夜』についての文章を探して読んでみてほしい。とにかく僕はたくさんのカムパネルラ(つまり、みんな)とどこまでもどこまでも一緒に行く。その中で「ほんとうのさいわい」を探す。そのときに一番大切な人と仲良く楽しく暮らしていたい。
そのときに、というのは「見つけたとき」ではない。「探しているとき」である。もちろん。それは孤独と両立できる。
2025.5.21(水) 移動が大好き
僕にとって移動とは「A地点からB地点へと移る」ことであり、ただ「動き回る」ことを移動とは意識しない。ウォーキングもジョギングもサイクリングもポタリングも移動ではない。僕が好きなのは移動で、動き回ることではない。
それって目的地がなければ動かないってことで、かなり求心的な態度なのでは?と見えなくもないが、僕にも言い分はある。確かに「B地点に着く」という具体的な目標はこの場合定められるが、その道筋や寄り道は自由であり、途中にC地点、D地点と経由地を増やすこともできるし、なんなら「やっぱりB地点はやめてE地点にしよう」と変更することも厭わないからだ。これは昨日書いたことにも通ずる。
つまり、僕にとって移動とは「A地点からA地点でない別の地点(X地点)に移る」ということなのである、より正確に言えば。それは「ここではないどこか」を常に求め続ける遠心的な態度そのものであろう。
僕の言う「散歩」というものはまさにこれなのだ。ただ漫然と歩き回るというよりは、常に新たな地点を求めて歩き続けるということ。ジョギングだって同じようなものだろう、と思われるかもしれないが、僕にとっては明確に違う。ジョギングは「走る」ことが目的であるが、僕の散歩の目的ははっきりと「移動する」ことだから。
僕は筋トレが続かない。何度かやってみようとはしたけど早々に諦めた。圧倒的に向いていない。それよりも自転車で諏訪から小諸まで走る(移動する)というほうがいい。僕にとって自転車というのは移動手段であって、それ自体が趣味というのとはちょっと違う。趣味は移動であり、その素晴らしい手段として自転車があるのだ。靴のようなものだ。
「今日は天気がいいから自転車で遠出してみるか」というような動機で走り出すことはない。「あそこに行きたいな」があって、「じゃあ自転車か」となる。むかし名古屋と東京を自転車で走っていた頃も、第一の理由は「タダだから」であった。「アキバにタダで行けるから」の世界。実際は牛丼とポカリ代だけで深夜バス代くらいにはなるんだけど。楽しいし身体にもいいので一石二鳥!って思ってた。
最近、新しいスニーカーを買ったのもあって歩いたり走ったりすることに凝っている。でもジョギングはできないので、お店まで走って行ったりしている。だいたい4キロくらい。ちょうどいい。疲れたらシェアバイク借りていけばいい。最高な世の中になったもんだ。
記事の題を「移動が大好き」としたが、さらに言えば「手段が大好き」なのかもしれない。目的地に「到着する」ことが好きなのではなく、そこに「移動する」ことが好きなのだ。桂浜より、高知駅からそこに至る自転車の道筋のほうが楽しかったかもしれない。途中で自由民権記念館と高知競馬場に寄った。はちきんガールズとMoo.念平先生にお会いした(懐かしい)。
2025.5.22(木) 褒め=ツッコミ
有名な小噺を一席。高1のクラスで随一のお笑い怪獣だった「原ちゃん」という人物。2年に上がってクラスが分かれ、ある日浮かない顔をした彼と廊下で会った。「ゾネ(僕のこと)聞いてくれよ、今のクラスが面白くないんだ。おれは10分間の休み時間を楽しくするために、授業を犠牲にしてネタを必死に練り上げるんだ。いざ休み時間になって1分間くらいでそれを披露するだろ。残り9分間はそれをタネにしてどんどん広げていったり、乗っかったりしてほしいんだよ。それがしやすいように徹底的に考えて仕込んでるんだ。だけどあいつら、大爆笑して、そんなわけねえだろとか、バカだなとかって、突っ込んで終わらせるんだよ。あと9分間、何するんだよ!」
このとき僕は本当にいろんな意味で感動した。原ちゃんへの敬服はもちろんだが、「ツッコミ」というのは「終わらせる」という機能を持つのか、と驚いたのだ。。
「褒める」ということにも似たような機能がある。面白いエピソードトークに「面白いですね!」とだけ返したら、そこで終わってしまう。あるいは、若くしていろいろな物事を知っていたり、鋭い視点を持っていたりすると、「(若いのに)すごいね!」で終わらされてしまうこともけっこうある。
我が夜学バーには若い人がけっこう出入りしているが、話を聞くとそういう目に遭うことは少なくないようだ。特に夜学バー以外の場所で顕著らしく、「夜学のお客さんは褒めて終わりにしない人が多いから嬉しい」というようなことを言われたこともある。遠心的であるということは、終わらせないということ。
若人のためを考えるなら、「それってさあ」と続けていくことがものすごく重要。僕はできるだけ、褒めたら間髪入れずに次のボールを放るように努めている。あるいはその逆。どっかではちゃんと褒めたい。むろん「若いのに」は抜いて。しかし「褒める」だけでは、コミュニケーションを拒絶する手抜きとなりかねない。
「続く」という言葉は素敵ですよね。げに。
2025.5.23(金) バイトでブギ
30分だけバイトしてきた。chocoZAPのお掃除である。メルカリハロから応募し、時給1200円。つまり600円もらえる。
バイトをするといろいろ気づくことがある。かしこい人は何やっても何かに気づくから偉いよネ。さすが今風のよくできたシステムで、このバイト募集の主眼は「掃除してもらう」ことではなく、「そのまま入会してもらう」ことにある。掃除バイトの人は当日無料で使い放題だし、入会割引クーポンももらえる。また人間の性質として「掃除する」という行為には「その場所に愛着を持つ」という感情が必ず伴う。
またchocoZAPには「フレンドリー会員」という掃除すると会費が安くなる仕組みもあるらしい。ピースボートのアレ。無人店舗に社員や清掃業者を巡回させるよりもたぶんずっと安価だし、何より「愛着」を定着させる効果もある。実にすぐれた発想ではある。
ただ、僕が行ったのはわりと最近できた店舗なのだがあらゆる部分が汚く、誰も掃除しに来ていないか、来たとしてもかなりおざなりにやっているのが見て取れた。発想はよいが段取りの面でまだまだ改善点は多い。マニュアルもわかりにくい。思いついた人は賢いけど運用を考えた人がバカ、って感じ。
僕は有能な人間なので30分ちゃんとマジメに働いていろんな場所をけっこう綺麗にした。成果が目に見えるのはなんとも清々しい。しかし騙されてはならない。もちろん入会する気などない。一昨日書いた「移動大好き」の話と同じで、運動を自己目的化させることが僕にはできないのだ。ジムの類いはすべて向かない。
では僕はどうしてバイトなどしたのか? そんなに金に困っているのか? さにあらず。JRE BANKの優待条件に「給与受取口座としての利用実績」というのがあるのだ。それを満たすために働いた。たとえ600円でも6月25日までに「給与振込」電文で支払われれば給与として扱われるはずなのである。金額の多寡や回数についてはどこにも書いていない(はず)。
さらにビューカードからの引き落とし実績があり、まとまった額の残高をキープし続ければJR東日本管内の新幹線が4割引になる優待券が5枚、どこかにビューーン!の2000ポイント割引クーポンが3枚もらえる。これらが半年に一度判定され、また別枠でSuicaグリーン券も年4枚もらえる。
しかし不安なのは「給与振込」電文が使われるかどうかと、それをJRE BANKが認めてくれるかどうか。実験の意味も込めてやってみた。ワクワク。
このようなハックはむろん「つるセコ」目的でもあるが、ゲームでもある。日々はすべてゲーム。せっかくだから楽しく暮らしたい。
ちなみに調べたところタイミーでは仕組み上「給与振込」には原則ならないらしい。メルカリハロなら大丈夫っぽかったので選んだ。
それにしてもバイトは楽しい。今度は旅行先でバイトしてみたいので、日程が決まったら早めに探してみるとしよう。なんといいますか、定期的にいろんな世界を見にいくと刺激になりますからね。半年に一回くらいバイトする機会をもらえるのはありがたいことです。サンキューJR東日本。
あと放送大学の力でGemini Proが15ヶ月無料になるらしい。43500円ぶん。すげー。
2025.5.24(土) 似てる有名人
「小泉孝太郎に似てる」と言われたあと、同じ人から「川本真琴に似てる!」と言われた。自分は誰に似ているんだろう。これまで言われたことのある有名人を列挙してみる。すべて敬称略。
一番多いのは草野マサムネ。近所の飲み屋のママさんがほかのお客に「あの人、ほら、スピッツのボーカル」とささやき、しばらくだましおおせた、というおとが二回ある。次点は小沢健二。堤さやかさんと「オザケンに似てるって言われない?」「言われます」「だよね! 私もよく言われる!」という会話を交わしたのは秘宝である。
2010年の棋聖戦であの米長邦雄先生から指をさされて「君! 大河に出てる人じゃない! あ、そうだ! 香川照之だ!!!」と叫ばれたのも誇り。似ているとは思わないが。
あとは本郷奏多。信太宏文。生徒から「五関に似てる」と言われたこともあった。人が人を見るときにどこを見ているか、というのは本当にそれぞれらしい。
最も嬉しかったのは「動き方がのび太に似てる」で、これを超えるものは考えつきません。
あとは思い出したらここに追記するかも。みなさんは僕が誰に似ていると思いますかァー??
2025.5.25(日) 新潟(内野:ウチノ食堂、みずのみば、ゆよん堂)
ニーガッタ!CBC。ある時代を中京圏で過ごした人にしかわからない暗号。
『ユーガッタ!CBC』(ユーガッタ シービーシー)は、1999年3月29日から2006年3月31日までCBCテレビで放送されていた中京広域圏向けのローカルワイドニュース・情報番組である。協力:中日新聞。
概要
それまで平日夕方に放送されていた『ミックスパイください』と『CBCニュースワイド』を統合し、『JNNニュースの森』を内包した大型帯番組[2][3][4]。
(Wikipediaより)
『ミックスパイください』にはありし日の雨上がり決死隊が毎週出てましたね……。
それはそうと新潟に来ております。5時半の始発に乗って、上野駅で30分待って6時14分の新幹線に乗車。日曜ダイヤのせいもあるのか乗り継ぎが異様に悪い。新潟駅では内野行きをこれまた30分待つ。乗り継ぎ悪すぎ。ちなみに8時10分に新幹線が着くのでめっちゃ走れば8時11分の便に乗れないでもないのだが、自転車を持っているのでまず不可能。大人しく46分に乗車。
9時9分内野着。実際には数分遅れた。なんか電車の遅れ増えてない?と一瞬思ったが、単純にインターネットで「遅れている」という情報をより多く得ているからか。技術は向上しているはずだし。
ウチノ食堂で朝食をとる。開店から30分は100円引きとのこと、1本早い便に乗れたら間に合ったのに。一汁一菜をゆっくりと噛み、村上の煎茶を頂きながら店主の野呂さんと話す。
この春からリニューアルして席数を増やし、それに伴って朝の営業を始めた。「(銭湯や喫茶店のように)日常に組み込んでもらうためには、まず単価を下げてみようと思った」(大意)と。素晴らしい考え方である。夜学バーは基本的に非日常の場(であるからこそ常連という概念を排している)なので、僕にはなかった発想だ。しかし自らを含めあらゆることが変化してゆく現状を踏まえると、そのあたりの微調整も検討すべきだろう。
たとえば朝の10分間読書のようなことを毎夕行ってはどうか? 17時から18時までの間は黙して本を読む。それ以外のことはしてはいけない。ドリンクの注文は任意だが木戸銭として500円くらい払う、とか。読書や勉強の時間を捻出しにくい現代人には良いのではないか。ま17時からじゃ早夜(早朝的な概念)すぎるけど。
さきほど「夜学バーは基本的に非日常の場」と書いてしまったが、僕自身の根本的な思想としちゃ「非日常などない」で、日常と非日常(と思われるような事態)は本来、渾然一体としている。だから実は小沢健二さんがライブの最後で「日常に帰ろう」と言っていたのには違和感があった。いつしか「生活に帰ろう」と言うようになったのは、僕と同じようなある種の危機感を抱いたのではと勝手に思っている。日常と非日常とを分けてしまうことに対しての。「非日常のために日常をこなす」も「日常のための活力を非日常で補填する」も不健全だと僕は思う。
デカダンもね、ポップもね、もう同じとこにあるんだ。
“死にそう“もね、“希望“もね、もう同じとこにあるんだっていう意味で…。
(中村一義『いっせーのせっ!』)
日常も非日常も同じとこにある。ただそう思うなあ〜♪←歌ってる
ってので考えると、夜学バーとしては日常を排斥するのではなく、日常と非日常の境目を取っ払うことのほうが大切だと思っているのである。夜学バーという非日常な場を日常に組み込んでしまう、ということ。そういうことを増やしていくと生活はゲームのように面白くなる。
次いで同じく内野町にある「喫茶みずのみば」へ。奥の席に見知った顔。夜学バーにも三度ほどおいでくださったことがある方だった。驚いておられた。「まさか新潟で……」と。そりゃそうか。
ここの店主はかつて東京に住んでいて夜学バーに辿り着き、非常に良い意味でジャキ漬かり(ジャッキーさんをシャブ扱いする術語)して、「いいたかねえけどめんどうみたョ」(オバQ第1話にも登場する
名曲より)な相手である。あるいは大親友と言える。
みずのみばというお店は僕にとっては非常にバランス良しと思えるお店で、愛洸学園の……じゃなくて夜学バーのまねっこをするんじゃなくて、聖桜……じゃなくて彼女自身にしかできない学園祭……じゃなくて喫茶店になっている。←なんの話をしているかわからない人は『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』を観よう!!
つまり、シャブ漬かりした対象をそのまま真似るのではなくて、そのエッセンスを自分なりに消化したうえで色気として空間に漂わせている。無意識の部分もあるかもしれないが席の配置、壁の演出、カウンターまわりの本の並べかた、あるいは店主の立ち居振る舞いの随所に夜学バーっぽさを感じさせながら(感じるのは僕くらいなのかもしれないが)、しっかりオリジナル(本当のスタイル!)になっていて、全体としては何一つ夜学バーっぽくはない。さすがに僕は彼女にかなり影響を与えているはずと信じて書くと、換骨奪胎の最も成功した形だと思う。
個人的には! まんまパクられるのも嫌だし(本当のスタイルはオリジナルであること!なので)、影響を与えられなかったと思うのも嫌なので、このくらいが完璧に心地よい。僕は大きなことはできないし、一つの派閥を広げていくこともしたくない人なので、こういうふうなさざなみのような影響をいろんな方面に与えることができたらそれで幸せである。何度か
書いている、歌舞伎町で働く僕の自称弟子が密かにスタイルを受け継いでくれているように見えたのも同様。ちなみにこの2人も仲がよい。自分を反射して女の子同士が仲良くなるというのは嬉しいですね。ちなみに彼女らともう一人の女の子(こげどんぼ先生のコラボカフェに現れなかった人)は猫先生こと浅羽通明先生とも僕を反射して仲良くなっており、Win-Win-Win-Win-Winの素晴らしい関係が構築されている。
ウチノ食堂でもみずのみばでも、ゆよん堂の話になった。先だって若き店主が急逝してしまった近くの古本屋である。先に紹介した夜学バーのお客でもある方は彼と古い友人で、僕が日記に書いた
追悼文も読んでくださったそうだ。「ジャッキーさんは数えるほどしか彼と接したことがないはずなのに、深く彼のことを理解してくださっていて嬉しかった」(大意)と。このように仰っていただけると、これまで愛してきたすべてのことを肯定できる気がする。ともに歩いてきた孤独をも。
その後、その方から『銀河鉄道の夜』についての話を振られ、どもりながらも一席ぶってしまった。恥ずかしい。しかし恥ずかしいようなことは言っていない。僕があの作品について咄嗟に思ったのは、というか最近ちょうど考えていたのは、「孤独でありながら、多くの人たちと一緒に生きていくとはどういうことなのか」ということ。ジョバンニは、「どこまでもどこまでも一緒に行く人」を求めるが、そんな人はいない。出会ってきたすべての人がそうだと思うしかない。死んでいようが生きていようが関係ないし、仲が良いのかどうかも関係がない。これが今のところの僕の意見である。
興味がある人はどうにかして山本正之さんの『黒百合城の兄弟』という曲を聴いてみてほしい。お客が他になければ夜学バーでゆっくりってのもいい。あれは現代の『銀河鉄道の夜』だと思います。
死んだ人といかに一緒に生きていくか、というのは宮沢賢治のテーマの一つだろう。少なくとも『銀河鉄道の夜』と『永訣の朝』を代表作としたがる日本人の意識はそのように彼を扱う。ただ僕は思う、繰り返しになるが死んでいようが生きていようが関係ないし、仲が良いのかどうかも関係がない。ジョバンニとカムパネルラが実際どのような仲であったかはよくわからないのだ。
いろいろミスって内野駅で40分も電車の出発を待った。白山駅で下車。まだこの日の話は続くが、長くなったので切る。26日の午後12時44分、喫茶「エトワール」にて。
2025.5.26(月) 新潟→長岡
前回は25日のお昼までのところで終わってしまった。昼食は「ちず屋」でうどん、ビッグコミックオリジナルを読み切る。昼飲みも頭によぎったがせっかく14時チェックインの宿をとったのでホテルにイン。昼寝。
起きて、まず沼垂の「ちゃこ」に。行けばわかるが行かなければたぶんわからない、あのすさまじいロケーション。かつては三十軒もあったという長屋の飲み屋街で、生き残ったたった一軒なのである。ママはかなりの高齢で、同じ話しかしない。と思いきや、うまく水を向けると別の話をしてくれるので、慣れるととても楽しい。僕はたぶん四回目くらい。最初は10年近く前だったかも? 年表があると捗るんだよな、初めて新潟の飲んだのはいつ、とか。旅行年表。日記をすべてGeminiに読み取らせればなんとかなると思うので、がんばる。「この25年ぶんの日記を年表にして」とか言ったらどうなるんだろう。
「ちゃこ」の自慢は金鵄盃という日本酒。常温で一合。おつまみをたのむとパックの漬物が綺麗に皿に盛られて来る。1500円。みなさま映画を観ると思ってぜひ沼垂へ。「ちゃこ」が閉まったら長屋全体取り壊されると思います、たぶん。あのあたりは新潟市が管轄しているらしく、営業しているお店があるうちは何もできない、みたいな話なのかも。詳しい人教えて。
「時屋」へ。お湯割りをいただく。三品ついて1500円。「アッキーズバー」でビールとギムレット。トニックを入れて振るの新鮮。1650円。その後、めあての店がことごとく休みだったので、とりあえず「月ひかり」という居酒屋で一杯だけ日本酒を飲んだ。四品出て1650円。価格破壊!! 新潟に住もう。
「暖ボール(暖流ハイボール)」のラミネートポスターが貼ってあったので言及してみたら、神村酒造の人が飲みに来るだかなんだかで、なぜか同じポスターをもらえた。夜学でも出してるので、貼っときます。
なんか疲れたので宿に帰って寝た。明日もあるしね。我も大人になったのう。
26日。8時ごろ起きて朝食をいただく。ふだんは朝食なしにしてギリギリまで寝るかモーニングでも行くのだが、今回は気まぐれにというか、チェックインが早くてチェックアウトが遅い宿を探して色々考えた結果。
二度寝して11時に出立、友達がバイトする喫茶店へ。「明日が最後の勤務日なので(来て)」と昨日知らされ、勢いで「オー&ラス行きます」と宣言したのを有言実行。コーヒー飲みながら1時間半ほどカタカタと文章書く。いったん出て、No.2こと椿で昼食。かつては500円だったのがついに800円に。それでも格安で大満足。「花」でまた別の文章を書く。そして元の喫茶店に戻って最期を見届けつつまた別の仕事をする。
勤務が終わって、私服で向かいの席に座った。そんなのありなの? 最終日とはいえ、「あの男誰だ!」ってならない? 緊張するんだが?と思いながら会計して店を出る。どんな顔をしたらいいかわからない。バ先に迎えに来るヤバい男になっちゃったじゃないか。
「シュガーコート」で紅茶飲みながら色々話す。
万代の「みかづき」でおみやげ買って電車乗った。長岡へ。
「禮」という、たびたびインスタのDMで営業してくださる45年以上の歴史を持つスナックへ。大歓迎してくださる。禮ちゃん大好きな長者盛辛口に始まり、鶴齢、笹祝、最後にもう一度長者盛。にんじんとトマトとラムレーズン食べた。
「バリエテ3」で長岡のアイラ(!)「吉崎」飲む。うまいのでひと瓶買い取らせていただいた。二杯目はウォッカをいただいてこれも非常においしかったのだが、銘柄を忘れてしまった、ので、Facebookで問い合わせてみた。お返事あるかな。ここのマスターの話によると長岡のレジェンド「黒船」はジエンド(サ終)したようだ。さみしい。
少しだけ時間があったので気になっていたラモーンズだらけのロックバー「DESPERATE」で一杯だけ。めっちゃいい人だったしいいお店だった。また行く。
新幹線に乗って上野へ。夜学バーに到着して新作カクテル「マチークッタン」を作成、この0時に法律上20歳になるまちくた氏に飲んでもらう。そして同じレシピで彼女にも作ってもらい僕も飲む。これにてかの懐かしいダチュラ・フェスティバル主催の3人(ヤガシュー)が全員20歳になった。0時すぎ全員いたので4人で写真撮った。うれしかった。
長岡で飲みすぎていたのもあって途中離脱、帰宅。
2025.5.27(火) バランスのとりかた
バランスを取る、ってことは原則として「お前が一番」ということと矛盾する。ある一つのものに全力投球するのは一本足で立ち続けるようなものである。
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