少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。
過去ログ
2024年8月
2024年9月
2024年10月
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2024.9.1(日) 店くらいしかやれることがない
2024.9.2(月) 老いは自明
2024.9.3(火) やがっしゅくとは何であるか
2024.9.4(水) 上越→新潟→東京→高知→徳島→和歌山②
2024.9.7(土) 時間と石炭
2024.9.8(日) 弾丸長野・山梨行
2024.9.9(月) 上越→新潟→東京→高知→徳島→和歌山③
2024.9.10(火) 途轍もない恐怖と不安
2024.9.11(水) ひとごと、われごと、みんなごと
2024.9.12(木) カス共がッ!!
2024.9.13(金) 運転技術の向上
2024.9.14(土) フラれて元気
2024.9.15(日) 根本的に人は人と関わりたいとは思っていない
2024.9.16(月) 横と縦
2024.9.17(火) 美醜とメイクアップ
2024.9.19(木) ヨヤクをしろ!ください!
2024.9.20(金) 孤独な古本屋
2024.9.22(日) 甘美な稽古
2024.9.23(月) 褒められました(1)
2024.9.24(火) 褒められました(2)
2024.9.29(日) 引き払うってこと言ってんの
2024.9.30(月) 引き払うってこと言ってんの!
2024.9.1(日) 店くらいしかやれることがない
師事(私淑)する浅羽通明こと猫翁(びょうおう)は某ビル七階を部分的に合法占拠(斡旋僕)し「ふるほんどら猫堂」というお店を毎週末営業している。テナントの借主から「やるのはいいけど毎回ちゃんと本を片付けてほしい」と当たり前の要望を出され金土日の営業なら三度本を並べ三度片付ける。常時千冊はあろう大量の本を段ボールに入れて積んでおき、営業のたび下ろして並べる。終電までにそれをふたたび積み上げて元に戻す。お客があって終電に間に合わなければ朝まで営業して始発を待つ。仕入れは原則本人による「せどり」で、古本屋や古本市を年がら年中うろついている。
猫も普通の猫なので、お客があれば嬉しく、お客がなければ悲しい。千冊という本を下ろして並べ、一人として来客なくとも、下ろす以上の労力でもって再び元のように積み上げねばならぬ。まるで賽の河原、ここに孤独のないわけがない。
もちろん猫にとって店は楽しみであり生きがいでもあろう(と自称弟子は見る)。しかしそれ以上に「店」とは猫の仕事であり使命である。猫にとってそれは「やりたいこと」であるという以上に「やるべきこと」なのである(と自称弟子は見る)。
またおそらく猫にとってこの店は「(数少ない)やれること」でもある。猫は就職したことがない。物書きやイベンター、資格試験予備校の講師や大学の非常勤講師といった知の職を除けば猫の労働エピソードはついぞ聞いたことがない。「どらねこ堂」は猫にとって初めての労働なのではないか。もちろん「流行神」(ニュースレター)や「辻説法」(講演会のようなもの)、「星読ゼミナール」(星新一読書会)といった営為も猫の商売ではあるし、当然事務的な作業も多数伴うのだから労働といえば労働なのだが、やはりそれは「物書き」としての仕事の一環ではある。
しかし「どらねこ堂」は、「仕入れ・輸送」「値付け・在庫管理」「店番・接客」「会計・決算」といった個人商店としてのサイクルを(ごくミニマルではあるが)一通りこなしていることになる。それは物書きなぞというやくざな仕事(失礼)とは違って(超失礼)「立派な仕事」のように見える。少なくとも「立派な仕事ごっこ」ではあるように思う。
僕はこの「ごっこ」という用語をものすごく肯定的に使っている。
夜学バーという「店」を経営している僕にとっても、それは「やりたいこと」でありつつ「やるべきこと」であり、また「(数少ない)やれること」でもある。趣味であり仕事であり使命でもあるのだが、それ以上に重要なこととして、「消去法で選んでもこれくらいしかできることはない」というのがある。なぜか「店」ならできるのである。ほとんど何もできないが、店ならできる。やれている。それは僕のような欠陥を背負った(と自認している)人間にとって大きな救いなのだ。個人商店をやっている人の中にはきっと「自分にはこのくらいしかできることがない」と思っている人はかなり多かろう。
主として一人で運営できてしまう小さな店は、他人との連携や渉外が最低限で済む。他人の意志通り動かねばならないということがほとんどないし、「こだわり」を殺さず、むしろ生かすことが是とされることさえ多い。それが楽だからやっている、というよりは、そうでないとまともに働くことができないのである。
大学三年生のとき、就職活動を始めようと「リクナビ」というサイトに登録したが、たしかその日のうちに解約してすべてを諦めた。この世界に行くことはできないと直観した。教員採用試験すら受ける気になれなかった。でも教員ならいつかはなんとかなるかもしれないと思ってとりあえず免許だけは取った。(取っといて本当に良かった。)
世の中のことを知れば知るほど、「ここでこのように生きていくのは不可能だ」という実感が深まる。非常勤講師として計5年弱、教員という仕事を体験してみたが、結論はやはり「この世界で生きていくことは不可能」であった。我慢できる、できないというこらえ性の話というよりは、可能、不可能という能力の話である。少なくとも当事者としてはそう思っている。
かの偉大なる猫もたぶん、「世の中という現場でフツーに生きていくことは不可能」という深い実感をたぶん相当幼いころから持っていて、だからこそ「世の中で一番難しい試験に通っておけばなんとかなるのでは」と旧司法試験に合格してしまったわけだ。
僕もかつて「自分に可能なレベルでそれなりに良い大学に行こう」とたぶん思っていて、そこには「どうせまともに働くことは不可能なのだから」という発想がぴったりとくっついていた。教員免許や司書教諭をちゃんと取ったのも、四年で卒業したのも、「自分の欠陥を補ってくれ」という願いであった。もっと単純に「プライド」みたいなのもあったけど、裏を返せば「自信がない」ってことでやはり同じだった。
いま幸い「店」というものを生活の糧にできているが、ここに至るまでは色々あった。夜学バーがそれなりに軌道に乗るまでは自分が何をすれば生きていけるのかまったくわからなかった。ライターとしても教員としてもあまりに半端で、それを一生続けていくのは不可能という確信だけがあった。「とりあえずまあ店でもやっていれば最低限の暮らしはできるんじゃないだろうか」となんとなく思えるようになったのはほんのこの数年である。今でも不安は大きいが、それ以前つったらもう「一寸先は闇」で絶望と常に一緒にいた。
もちろん夜学バーなんてのは月にせいぜい10~15万ていどしか可処分所得を生み出さないのであり、それはまさに(年齢を考えれば)「最低限の暮らし」と言うにふさわしい。それ以外のことが難しいのだから仕方ない。ただ読みたい本を躊躇せず買えるような状態でいるためにはこのホームページとかをマネタイズしていかねばならず、「おこづかいをくれ!」などと臆面も無く言い続けている。みなさまよろしくお願い申し上げます。そのうえ9月前半は心身を調えるためほとんどお店を休んでいて、つまりその間収入が途絶えるということですから、個人商店ってのは本当に大変なものです。同情するなら金をくれというやつですね。
本題はこれではなかった。閑話であった。焦点としたいのは「猫のようながんばり方」についてなのである。猫が毎日古本を仕入れたり(何十冊という本を持ち歩くだけでも大変なはずだ)、一日ごとに本の入った重たい段ボールを下ろしたり積んだりしているというのは、そしてそれをどんな嵐の日でも雪の日でも休まずするということは、「がんばっている」ということだと僕は思う。このがんばり方は実に僕のがんばり方に似ている。強く親近感を覚える。
猫は、また僕は、このようながんばり方でしか生きていくことができないのだ。ゆえに仕方なくやっているのでもあるが、そこに楽しみはあるしやりがいもあるし、使命感もある。少なくとも僕はそう捉えている。ただお客が来なければ進退を考える。当たり前のことだ。それは「これさえ成立しないのだったら自分にできることは一切なくなるな」という重たい現実である。猫がどう思っているかは知るよしもないが、僕はそのように感じてしまう。自分にできることなんてやっぱり何もないのではないか?と。
ゆえにこそ、そうならないように工夫する。どうすれば自分の「(数少ない)できること」を死守できるのか死ぬ気で考える。そのためなら毎日の本の積み下ろしも苦ではない。いや、苦ではあったとしても、いやがっているような場合ではない。生きるか死ぬか。いやいや、自分がこの世の中に存在していても良いかどうかの瀬戸際にいるのだ。「必要」というもので世の中と繋がっていなければ、生活とは言いがたい。
2024.9.2(月) 老いは自明
今回の一連の(8月26日深夜以降の)僕の乱心の根に「老い」はあるのかという検討をしてみたい。結論は「わからん」であり「どうでもいい」なのでもあるが、それこそ「ジャッキーさんそれは老いだよ(ニヤァ)」みたいな視点の存在がイヤすぎるので「わしに死角はない!」というアピールのためにも念のため書いておこう。(こういう妄想を封印しますと書いたのはつい数日前であったが。)
実際「老いだよ」とか「老いたね」とか何も考えずに言ってくる人はたくさんいる。15年という付き合いの女の子からそう言われたことがあるのだが、同じこと言われたらどう思うん?とはまさに「すくんで(Freeze)」言えなかった。あ、ストレスに対する真っ先の反応としてFight(闘争),Flight(逃走),Freeze(すくみ)という三種が考えられているそうで、僕は圧倒的にFreezeの人生だったなー。闘争と逃走は交感神経系、すくみ(≒諦め)は副交感神経系のたまものという。僕はどっちかゆうたら副交感神経を優位にさせることで困難に対処するほうなのだろう。幼少期より「怒るより先に泣いてしまう」という性質があるのだが、泣くというのはまさに副交感神経系の働く状況に起こるらしい。参考文献:鈴木郁子『自律神経の科学』講談社ブルーバックス 2023.4
まあもちろんあらゆる変化は老いや経年に関係があろう。「それは老いだよ」と言われたら「そりゃそうだろう」だ。慰めにもならない。「老い」というのは「絶対に否定できない事実」で、「それは老いだよ」と言われたら「違う」とは言えない。言ったら「何をムキになっているのか、そんなに老いがイヤなのか、そんなに若い状態でいたいのか、笑い」という勝ち方ができる。そう、「それは老いだよ」は僕には「勝つための言葉」にしか聞こえない。勝ってどうするんだ? 何の意味もない。
「そんなつもりはない」と人は言うだろうが、だったらなおさら問題だ。無意識に人は人に勝とうとする。それも、絶対に負けない仕方で。
これに非常に似ているのが、「納得のいく理由を聞かせて」である。納得がいくかどうかは当人のさじ加減なので、何を言われようが「納得できません」と言い張れば永遠に負けない。どんな言い分でもそれで通すことができる、魔法の言葉だ。こういうのが僕は好きじゃない。「わたしにとって都合の良い言葉を言ってもらえるまでわたしは納得しませんし、わたしが納得しない限りあなたの要望は通しません」まるで暴君だ。
「老いである」という指摘は「絶対に間違いではない」。時間が経過する以上否定は難しい。反論を許さない暴力的な言葉。「まあ、我々も年取ったからね~」「ほんとにね~」という信頼関係をベースにした共鳴の形でしか本当は機能しえないものである。
それはそれとして、歳を取ることによって感覚や感情が緩んでくるというのは聞く話で、たぶん事実であろう。先月末の日記で僕はあれこれ自己分析をして「9歳児に戻った!」というようなことまで書いたのだが、それは「歳を取って理性が弱まった結果」でもあるのかもしれない。せっかく育てた理性なのでできる限り温存しつつ、しかし弱まっているのであればそれを踏まえたふるまい方を心がけたいものである。正論。
ものごとの原因というのは結局わからないものなので、疑わしい要素があるのならばすべてに目を光らせておくしかない。で、なんか思いついたら考えたり書いたりする。それで少しでも何かがマシになったらいいな。
何かの原因が加齢にあるということはたいてい「そりゃそうだ」で、それがわかったところで対処法が定まるわけでもない。あんまり考えても仕方ない領域だから、「それはそれとして」くらいで軽く済ませておきたいわけである。大事なことは個別の問題への対処にあって、「加齢」という巨大で曖昧な要因を頭に浮かべてもほぼ意味はない。
2024.9.3(火) やがっしゅくとは何であるか
8月29日の夜、このタイトルの日記を2時間くらいかけて書いていたが全て消えた。もう一度がんばって書く。
「やがっしゅく」は「夜学」と「合宿」の合成語だが、ひらがな表記なのは「夜学宿」と「夜合宿」双方のニュアンスを平等に残すためと思われる。また「夜学バー」というお店の匂いを消すためでもある。
第1回は2023年8月29日(火)から31日(木)まで二泊三日で「勉強合宿」という名目で行われた。このとき僕は子供として参加しており予約にも会計にもほとんど関わっておらず、「夜学バーとは関係のないプライベートな合宿である」と強調していた。誰が主催かも曖昧で、大学受験生を中心になんとなくみんなでやろうと言い合って実現した感じであった。
第2回は2024年8月23日(金)から27日(火)まで三泊四日で行われた。結果から見ると「勉強」「芸事の練習」「社会見学」が活動の三本柱となった。今回は25日(日)に宿の近所で「全国夜学バー総合文化祭ちの大会」を行った関係もあり、全体として僕が主たる指揮をとった。予約の名義を僕にし、会計をまとめ、人もけっこう誘った。あとで振り返るかもしれないがちょっと張り切りすぎた(責任を負いすぎた)のをやや反省している。
個人的には! この「やがっしゅく」の助走となった重要な合宿が二つある。2009年8月の「新潟南魚沼合宿」と、2010年8月の「伊東マンション合宿」である。前者は神絵師n氏の実家で、後者は友人麻倉氏の親族が所有するリゾートマンションで行われた。双方に共通したのは以下の要素。
・期間中いつ来ていつ帰ってもよい
・原則として自由行動
このスタイルを初めて実践したn氏には心から敬意と感謝を。「こんなに楽しいことはない」と思った僕は翌年の伊東合宿にも勇んで参加したし、時を経て「やがっしゅく」なんぞにも喜んで行った。ここには「何か」あると思っていたのだ。
第2回やがっしゅく最後の夜(8/26)、残っていた5人のうち4人は初日からいた人たち。また5人のうち4人は去年も参加していて、あと1人もリモートで(通話を繋げて)いた。なんとなしに、というか自然に、「やがっしゅくとは何であるか」を話し合っていた。
2年続けてフル参加したまちくた氏がいいことを言った。やがっしゅくは「マイペースのまま人と関わる場」であると。
マイペースでいると「他人と歩調を合わせられない」ことになりがちである。ゆえ社会には「マイペースではいられない」局面が多くある。多くの人はたぶん、「マイペース=孤立」か、「マイペースではない=他人に合わせて行動する」かという二択を状況に合わせて選択している。しかしやがっしゅくでは、「マイペースのまま人と関わる」という折衷的な状態が常である。それができて、かつ心地よいという人が、この合宿には向いているだろうと。
いつ来ていつ帰ってもよく、いる間もどこで何をしてても良い。自己紹介さえする必要がない。ただしそこには「同じ場を共有する」という現実だけが絶対にあって、誰のこともできる限り不快にしないよう努めるという前提がある。さらに言えば「みんな(自分含む)がより楽しくなるよう努める」というテーマも当然ある。
マイペースを軸としながらも、「他人を損なわない」「みんな(自分含む)をより心地よくさせる」という二つの意識だけは外さない。そのバランスがほどよい緊張感を生む。それはもちろん「媚びる」とか「気を遣う」とかいう大仰な話ではなく、みんながちょっとずつ部屋を掃除するとか、一つしかないお風呂を効率よく「まわせる」よう入るタイミングや時間を考えるとか、その程度のこと。誰かが寝ていたらあんまり大きな声を出さないとか。自分のこと「だけ」を考えるのではなく、自分を含むみんなのことをいつも考えていること。
これはじつのところ夜学バーの営業のあり方とほぼ同じである。マイペースでありながら、人と関わる。積極的に喋るべきというわけではなくて、黙っていようが何をしてようが、ともかく他人を損なわず、またできればそこにいるみんな(自分含む)が心地よくなるようなふるまいをする。そのためには「完全に気を抜く」のではだめで、「そこそこに気をつける」くらいの緊張感を持続させる必要がある。一生それだとちょっとキツいが、夜学バーに来店している時間とか、数泊の合宿くらいならなんとかなる。
自由に行動するといっても、「ごはん○○で食べるけど一緒に行く人いる?」とか「アフタヌーンティー行かない?」とか「温泉行きたい人~」「誰かクルマ出して~」等々、人を募って複数人で行動することもままある。雑談の中で「そんなら○○しよっか」「いいね!」と持ち上がることも。それに対して「ううん、いい」と断ることがあんまり負担ではないような空気を、みんなでつくっていく。
25日の深夜、まちくた氏が言った。「あしたアフタヌーンティー、ジャッキーさんも行かない?」僕はそんなにめちゃくちゃ行きたいわけでもないが、行きたくないわけでもないので「何時?」と聞いた。「9時。」と言うので、「無理。」と言った。25日といえば僕は「総文祭」終わりで疲れ切っていた。そもそも21日くらいからぜんぜん眠れていないのだ。最終日は10時にチェックアウトだし、今夜以外にぐっすり眠れるタイミングはない。「ごめんけど寝たい。」とかなんとか言って、それをさすがに否定はされなかった。
翌日、正午くらいにまちくた氏が部屋に来た。「ジャッキーさんアフヌン行こうよ。」「え、ってかなんでまだいるの?」「みんな寝坊した(大意)。今から行く。」「何時?」「13時。」「13時かー。なら行けるかも。起きます。」ということで、僕も人生初のアフタヌーンティーに行くことになった。
「どうやって行くの?」「バス。」「バスかー。(バスって苦手なんだよな。)僕自転車で行こうかな。」「(えー、みんなで行こうよ。)なんか謎の乗り合いバスに乗れるよ。」「それってなんとかちゃんなんとか?」「違う。かりんちゃんライナーじゃなくて。のらざあ。」「のらざあ? なんだそれ。よくわからないけどおもしろそうだな。(まあみんなで行くのも楽しそうだし、雨降るかもだし、疲れてるから)そうする。」
そのような「調整」があって、僕らは四人で同じバスに乗って山の上のアフタヌーンティーに行くことになったのである。ものすごく楽しかった。一人で自転車で山を登るのも楽しかったはずであるが、そういうのは本当に一人でいる時にいくらでもできるのだ。
僕は基本的にマイペースだし、マイペースでいることが楽なので、定刻のあるバスに乗るよりは自転車でスイスイ行ったほうが性に合っている。人と一緒に行動することもそれ自体気楽ではない。でも上記のような「調整」を経て、「それならそのほうがいいな」と思えるようならばそっちのほうを取る。それが「マイペースのまま人と関わる」ことの真髄であるようにも思える。強制ではなく調整しあうこと。
彼女らが寝坊したのは何も僕と一緒に行くためではなかろうが、柔軟というのは「転んでもただでは起きない」ということで、予定していたバスに乗れないとわかったらすぐに調べ直し「じゃあこの謎の『のらざあ』とかいうサービスに登録すれば行ける!」とか「そんならジャッキーさんも起きてくるかも!」とかいうふうに展開を調整していくことが重要なのである。結果的には9時のバスで行くよりも楽しくなったかもね!なんてまで思えたら幸福だ。路線バスよりのらざあのほうが400円安かったし。4人ぶんなら1600円も差分が出る。前向き前向き。
マイペースというのは、必ずしも「頑な」を意味しない。自分一人ですべてを決められるのがマイペースなのだから、いくらでも柔軟になれるのだ。「んじゃ一時的にそういうことにしよう」というのもマイペースなのかもしれない。
夜学バーもやがっしゅくも、「自由に人が入ってきて、自由に人がいなくなる」という性質を持つ。そのたびに状況は変わる。そこに全員が柔軟に対応していく。そのために必要なのが「マイペース」であろう。「ルール」という頑丈さももちろん有用なのだが、数人から十人くらいの規模感であればなくてもなんとかなる。
おもしろかったのは、同じ日に帰る人が三人か四人くらいいたときに、みんな特急「あずさ」で帰るのに、「わたしは18時の便に乗ります」「わたしは19時の」「ぼくは20時」というふうに、時間がまるでばらばらだったこと。みんなそれぞれ絶妙に事情が違い、帰りたい時間も違う。相談して合わせるのも楽しいが、自由に決めるのも気楽である。1時間ごとに人が減っていき、「じゃあね~」と玄関口でお見送りするのは楽しかった。送り出す側からするとむしろさみしくない。
こうした具合、バランス感覚みたいなもの、それを誰もイヤだとは思わないような空気感、というのがやがっしゅくならではというか、この合宿のまなざすところだったように思う。
まだまだ僕は「原っぱの論理」というものを信じていて、大人の世界というものが介在しないでどこまでやれるのか試そうとしている。それをふだんは夜学バーというごく日常的な「お店」というところで実践していて、やがっしゅくは特異点である。僕の専門とするところではない。だから新潟でも伊東でも去年の茅野でも僕は「主催」という立場にいなかったのだと思う。
また、夜学バーとやがっしゅく最大の違いは「中心人物の不在」である。店主も店員もいない。責任者はいちおう今年は名義上僕であったがほぼ名前だけで、ほとんど原っぱのようなものであった。その意味で夜学バーよりもやがっしゅくのほうが原っぱレベルがずっと高い。それゆえ安全に終わらせるのも難しい。今回、最後の夜に僕がちょっと乱れてしまったのは、「リーダーがいないことの不便」が最後の最後に浮き彫りになってしまったからだと思う。まだまだやがっしゅくには成熟が足りない。
二階の男子部屋を最終日、僕が一人でぜんぶ片付けたわけなのだが、それはまあ最終日まで残った男が僕だけだったので仕方ないというか当たり前のことだ。ただ、起きたら起きっぱなしのお布団たちを前にして、「立つ鳥跡を濁さず」「来た時よりも美しく」という意識をほとんど感ずることができず、これは上記の「他人を損なわない」「みんな(自分含む)をより心地よくさせる」という原理を共有できていなかったということを示しうるため、それで「あれ、この合宿は失敗だったのカナ?」と不安になってしまったのかもしれない。
まあ、「どうすればいいかわからないのでそのままにする」という選択を誰もがしたのであろう。まさか最終日まで残った人間がすべてを背負うなんて想像もしない。誰が悪いとも思わないが、もしみんなが「どうすればいいかわからなかったけどとりあえずこれだけはしておきました」という意思を、僕にわかるよう残しておいてくれたら、それだけでけっこう救われたなとは思う。「何も考えてないのか」と思ってしまうのと、「ああ、考えようとしてくれたんだな、でもどうしたらいいかわからなかったんだな、それはこちらの落ち度でもあるよな」と思えるのとではだいぶ違う。
ルールもマニュアルも、リーダーも何もなくてもつつがなく進んでいき、みんなが楽しくなれるような世界を僕は望んでいる。今回のやがっしゅくではほぼそれが実現していて、とても幸福であった。さらにこれを成熟させていきたい。前向き、前向き。
2024.9.4(水) 上越→新潟→東京→高知→徳島→和歌山②
8月頭のこと。
①はこちら。スケジュールのみ記した
ダイジェストはこちら。同じページの前後記事なのでどっちかに飛べばOKです。
●8月1日(木) 続き 上越→内野→新潟
上越妙高で新幹線を降り、高田、直江津と寄り道をしてきた。越後線経由で新潟に向かっていた。
1504から1529まで柏崎で停車。改札を出て少し歩く。暑い。喫茶「ポプラ」の営業を確認。居酒屋「よね山」の前にはコーヒーの幟が出ていて、モーニングやランチもやっているようだ。ちょうど暖簾が仕舞われるのを目視した。「心の居酒屋 酒蔵 節子」も開いていそうだった。めっちゃ行きたい。停車時間が短いためどこにも入れなかったし、暑すぎてそれ以上進む気にもならなかった。
1635から1659まで吉田で停車。駅前の「栄ちゃん茶屋」は気になった。八百竹という八百屋でなんとなく桃を買った。あんまり歓迎された感じはしなかったが仕方ない。
1730内野(うちの)に着。まっすぐ「喫茶みずのみば」に向かった。8月1日、この日に新規オープンした友達のお店である。
先客なく、ゆっくり話しつつピザトースト(ん?カラカスか?)とミルクセーキ、コーヒーをいただく。ノリで対談スペース(Txitterの音声配信)を行う。お客が来たところでスペース終了。領収書の用意がなく紙ナプキンに書いてもらった。
もうちょっと居たかったが時間がない。1911の電車で新潟へ。1933着。
さてここまで、上越妙高→高田→直江津→柏崎→吉田→内野→新潟と一直線に進んできた。非常に美しい旅程なのだが伝わらないと思うのでちょっとだけ説明しておく。
本来、上越妙高→新潟と進むとき、長岡(南側、内陸)を経由するほうが早い。柏崎から線路が分かれ、特急「しらゆき」はそっちのルートになる。あえて北側の吉田方面に進んだのは三つほど理由があって、目的地の一つである内野を通れること、長岡を通らないですむこと、特急料金がかからない(かける理由がない)ことである。
なぜ「長岡を通らない」ことが重要なのかといえば、今回いわゆる「一筆書ききっぷ」の考え方で旅をしているから。「東京→安中榛名」と「安中榛名→高知」ときっぷを2枚に分割して使った。なぜ安中榛名で区切るのかというと、ここでは「高崎を通らない」ことが重要だからである。
一筆書ききっぷは、「同じ駅を通らなければいくらでも長いきっぷを作ることができて、その距離が長ければ長いほど運賃は安くなる」という性質を利用するもの。高崎はどうしても通らざるを得ないので泣く泣く分割した。安中榛名から上越妙高を通り、日本海に出てそのまま北側ルートで新潟に至り、そこから南下すれば長岡を一度通るだけで東京に戻れる。そのまま高知まで同じきっぷでグイーーンと行けばかなり距離が稼げるというわけだ。これ書くの何度目だ。よく飽きないな。
たとえば東京→高田、高田→新潟、新潟→東京、東京→高知と四分割してきっぷを買うより、上記の工夫をしたほうがたしか6000円前後安くなるはずだ。
こんなことに頭と時間を使っているから疲れるし忙しいのかもしれない。これは倹約である以上に趣味なのだ、と自分に言い聞かせてはいるものの、やや過剰な気はする。旅程を立てるのに一晩費やすとかザラなのだ。さすがに問題。
新潟駅に着く。キックボードに乗り「アンゴ荘」にチェックイン。ここは朝6時からチェックインできて、チェックアウトの時間も「正午までにはベッドを空けてね」くらいの雑な感じなので、2800円で「実質二泊」が可能。すなわち、一晩めは朝まで遊んで6時に寝て、二晩めは昼まで寝るのである。名古屋人なのでこんなことを平気で考える。基本的にはゲストハウスは落ち着かず、ビジネスホテルが安ければそっちにするのだが、ここはいろいろ気楽なので新潟ではわりと定宿としている。
とりあえずお風呂に入りたくて「いずみ湯」へ。道路から男湯が丸見えで、素っ裸のおじいさんが二人も見えた。最高すぎる! ワクワクしながら暖簾をくぐると、番台のおばさんから脱衣所も浴場もしっかりと見える。すごい! 服を脱いで奥に進むと、シャワーの前の窓が開いていて脇の道路からもよく見える。す、すごい!! ハァハァ。(露出狂だからではなく、特異なはずの文化と価値観が涼しい顔して存在できている事実につよく昂奮している。)
湯の横の「本間文庫」へ。前から来てみたかったが思った以上にすごい。食に関する文献の質と量は素人でもなかなかとわかる。飲食物もおいしい。
「四ツ目長屋」は相変わらず流行っていて、うまくやれていることがよくわかる。「オレンジストリートブックス」はやや心配になるが、いい店なのでできれば長く続いてほしい。そして「夜学♭待夢来燈」であるが、「まさかまた来てくださるとは」とのこと、嫌われていると思っていたのかもしれない。ここも店主は常に弱気のようだが、いろいろがんばっているし、少しずつ報われていくといいな。意外と冷静に現況の分析を逐一していく人ではあるので、うまく調整できればそれなりに成り立つだろう。(偉そうですみませんがどの店も応援しております、好きだから行くのです。)
最後に「1173」という、前回行ってとても良かったお店に。いろいろ話せてよかった。気の合う人はいる。気づかないだけで。
2024.9.7(土) 時間と石炭
石炭をば早や積み果てつ。森鷗外『舞姫』の第一文である。石炭はもう積み終わってしまった。「つ」は完了。「友達は家へ帰ってしまった 夜通しのリズムも止まってしまった」という歌の雰囲気とちょっと似ている。お客が帰ったあとの真夜中のお店ってなんかちょっとそんな風情。いちおうあと40分は営業時間なので、その間に何か書こう。
夜学バーの日報、実は「やがっしゅく中に進めます」とある人に約束していたのだが、総文祭の疲れ、アフヌン、そして内面の崩壊などによって一ミリも進まなかった。これから10月12、13日に上演する芝居を作っていって、さらに10月10日締切のショート小説を書かねばならない。これはちゃんと書けさえすれば某雑誌に載るはずで、外すわけにはいかない。日記も書きたいし、タスクは膨大である。また夜学に新人が入りそうな気配なのでマニュアルも整備したくなってくる。
なんて言ってたらお客が来た。しらないひと、ふたり。たぶんつづく。
翌朝、あずさ3号の車内にて。また茅野に向かう。明治温泉行ってから富士見寄って甲斐小泉かな〜。自転車なので天気次第。夜から降るみたい。場合によっては日帰り。
リフレッシュしなかん。#リセットミーしなかんよ。明治温泉は標高1500メートル。峠攻め瞑想みたいなのあると思う。漫画瞑想とか。僕の場合。
ほとんど寝てないから車内でも眠りたいのだが苦手でどうも。これもやっぱり「石炭をば」の気分だ。なんとなく。
ようやく重い重い腰をあげて「時間管理」みたいな概念に手を出そうとしている。さすがに下手すぎる。自分の脳やら神経やらの特徴がだんだんわかってきたので、そろそろ対策もできるだろう。ひとまずそういう本を図書館で予約したり、Kindle Unlimitedで読んでみたりしている。まず無銭から。
昨夜の「しらないひと、ふたり」は二十歳くらいの若者で、素敵な方々だった。夜学バーは「看板を見て」気になったそうで、とても気に入ってくれた。奨学生にしたのでまた来てほしい。
眠たい。珍しく眠れそうだ。無理せず退きます。
2024.9.8(日) 弾丸長野・山梨行
別に眠れやしなかった。今は帰りの「あずさ」の中、あと12分で新宿着くから書ききれないとは思うけど始める。今は9日の昼だが8日付で。
車内で眠るのがどんどんできなくなってる。車両も少しずつそういう仕様に変化している気がする。電車に睡眠や休息を期待するなんてハナからやめたほうがいいんだろうが、本を読んだり文章書いたりも気持ち悪くなっちゃうからな。でもなぜかスマホは動かせる、そういう人体になりつつあるのか。恐ろしい。
9時51分、茅野駅に着いてまず改札横の蕎麦を食べ朝食とする。自転車を組み立てEightdoorでコーヒー。平日は昼からだが土日祝は朝8時半から開いているのだ。定喫(じょうきつ)の「琥珀」は11時くらいに開く(たぶん)のでありがたい。顔馴染みのお店が増えていくと「旅人ごっこ」の気持ちが昂まる。準備運動して明治温泉をめざす。
距離は20キロ弱、ただし茅野駅(標高790m)からだいたい800メートルほど登る。ピークの標高はたぶん1600m手前くらいか。空気は薄く気圧は低く、何より死ぬほど暑い。ビンディング(ペダルとシューズを固定する仕組み)を使っていないので筋肉の負担も大きく、リュックも邪魔。といったコンディションの悪さもあってだいぶ体力を消耗した。
ビンディングなしがこんなにキツいということは、ふだん山越えなどをする時いかにビンディング(足を上に引く力)に頼っていたか。そもそも僕は膝が弱く、それで長距離からヒルクライム中心に乗り方を変えたのだが、今回は久々に膝に響いた。山越えにビンディングは大事、というか必須。膝を守るためにも。
「傾度12%」「標高1500m」など天国へ続くような標識を眺めつつミシャカイケ(変換できない、がんばれiOS!)に到達。ここの水面が1540mだそうなので、やはり明治温泉入口は1550〜1600mくらいだと思われる。ここからガーッと下って、滝のある温泉宿に着く。12時半くらい。
今日は「第2回みんなの明治温泉ごちゃッと祭」が行われている。初めて来たとき(
7/19)スタッフやゑ氏からチラシをもらい、「ぜひとも行きたい!行きたいのだけども今現在この時点ではッ、確約ができぬ!軽率に行くと約束してしまっては貴殿にも迷惑がかかる!よって日程の調整をし次第即座に連絡をするので、誠に申し訳ないがツバだけつけさせてはもらえぬだろうか!」とだけ思ってお店にチラシを貼り、最後の最後まで迷ったのだが思いきってやってきた。忙しいけどリフレッシュは大事。友情も大事。そしてこれも仕事の一環なのだ。
やゑ氏と出会ったのは2022年の11月25日らしい。高1のクラス(103)メイトで大親友の浦野くんが経営するコーヒースタンド「ecke」をたまたま訪れ、そこに置いてあった拙著『小学校には、バーくらいある』を見て夜学バーを訪ねてくれた。しばらく八ヶ岳周辺を拠点としており「やがっしゅく」にも2年連続で参加してくれている。まだものすごく若いのだが初対面の時から「なんて素敵な人間だろう」と思っていて、去年のやがっしゅくでそのようなことを告げたら「それは初めて知りました」と。当たり前だが、口にしない思いはそう簡単には届かない(少なくとも確信できない)。いつも思いっきり伝えてなくちゃ〜(←歌ってる)。
んまあエッケ→小バー→夜学バーという道を辿ってくれる時点で本当にただものではない、いや、ただごとではないのだ。そしてその始まりは浦野くんであった。ありがとう浦野くん。なぜこんなことをいちいち書くかといえばあす9日(これを書いている当日)は彼の誕生日だからである。おめでとう、コーラ。(←103の一部の人にしかわからない保健体育の松下先生ネタ。)淵野辺駅前のecke、みなさまよろしく。
ちょうど受付にやゑがいて、「本当に来てくれた!」と驚き喜んでくれた。こういうことのために僕はなんでも頑張る。ささやかなエンターテイナーなのである。オールラウンドの。ともかくヘトヘトに疲れきっていたので水分!と思い食堂へ。茅野駅前のBar平野が出店していてびっくり。まさに7/19お邪魔したお店だ(その記述は22日付に)。ご挨拶してシモッパラのスイカを凍らしてかき氷にしたやつをいただく。それから「九つ半」というブースでどぶろくを。こちら町田で月一の曲がり酒場をやっているそうなので、そのうちeckeとハシゴしよう。
2階でゆっくりライブ聴きながら一息つく。途中やゑさん通りかかり女子高生が女子高生に会った時とかによくやるあの「あー!(両手)」みたいに手を振り合った。それから温泉(この日のみ無料!)に入り、やがっしゅく4日めにお邪魔した笹原の水聴庵(これもやゑ氏のお誘い)の方による足裏リフレクソロジーの施術を受ける。ついでに隣のカイロでも骨盤から背、首まで全身を調整してもらう。寝不足で熱中症寸前のところから急にからだに良いことを立て続けにしすぎて身体がバグりそうになった。
それにしても誰もが「やゑちゃん、やゑちゃん」と大人気。ホームなので当たり前ではあるのだが、その名を口に出す時の音の感じとかでどういう印象を持ってるかってなんとなく伝わる。人徳があるってこういうことだろう。
ヒメマス甘露煮のおにぎり買って食べる。九つ半もリピート。またも2階でゆっくりいただく。水聴庵でお会いしたまた別の方とちょっと滝のほうを散歩。最後にマコモ茶を飲みつつ窓からお祭りのフィナーレを見届けた。
「みんなの明治温泉ごちゃッと祭」は、まさに僕が理想とする在り方の場であった。このホームページのテーマは当初より「ごった煮」や「るつぼ」である。掲示板の名がいまだに「Ez mixed BBS」なのがその名残。見にくる人も色々で、内容も雑多で仕切りなし、そのようなEntertainmentを目指すのである、というような志があった。演劇が総合芸術と言われるのに似ているというか、それを意識したのかもしれない。そして実際にいま大きく育った僕のエンタメ性というのはまさに「専門性が(目立た)ない」ことを前提にしている。
「ごちゃッと祭」も、人もさまざま、内容もさまざま、それぞれが自由に動きつつ、しかし大まかにはなんとなく一つのまとまりとして蠕動する。夜学バー→やがっしゅく→ごちゃッと祭と並べてみると、だんだん規模が大きくなっていきつつ、ある意味での完成度も増していっているように見える。2年前の夏にやっていた「ダチュラフェスティバル」もごちゃッと祭と同じくらいの位置になるだろう。巨大になればなるほど準備や運営に力を入れざるを得ないから、完成度のようなもの(自由を前提としたまとまりとしての蠕動?)も高まるのだと思う。僕がやりたいことの一つはまさにこういうことだろうなと思う。代わりにやってくれたヤガシュー、また明治温泉の方々、勝手ながらありがとうございます。
四時半ごろ、明治温泉から再び走り出す。めざすは富士見駅。下るだけかと思いきやさにあらず、富士見駅の標高は955m、けっこう高いのである。はじめにグワーッと下るのと、駅周辺でまたグワーッと下ったのとを除けば、むしろ上りのほうが多い印象だった。思ったより時間がかかって、7/19に『小バー』を買ってくれたmountain bookcaseという古本屋に着いたのは17時20分くらい。1749の電車に乗りたかったので本を見る暇はまったくなく、店主さんとの世間話で終わってしまった。また遊びにゆきます。
小淵沢で小海線に乗り換え、甲斐小泉で下車。前は小淵沢から自転車で登って行ったので、この駅を利用するのは初めてだ。「くいしんぼう遊」で五目かまめしを食べ、例の友達のゲストハウスへ。20時過ぎには就寝、3時くらいに激しい雨音で目が覚めたがもう一度寝て、7時すぎに起床。温泉に入り、荷物をまとめて自転車でふもとに降りて「ひので てん」へ。夜はバー、朝は日の出の時間(今は5時21分くらい)からカフェ営業する天然狂った店。自転車を掛けて(掛けるところがあるのだ!)入店すると、一目で「あなたは!」とまた驚いていただく。別にサプライズしたくてサプライズ訪問するわけではない。事前連絡は緊張するというだけ。行けなかったら申し訳ないし、ゆえにこそ「絶対に行かなきゃ」というプレッシャーも向いてない。フラフラしたいというよりも、フラフラしていないと何もかもがうまく行かない感じがするのだ。勘違いかもしれないけどさ。
サンドイッチとコーヒーをいただいているとオーナーさんが帰ってきた。初対面。音楽関係の仕事をずっとしているそうで、色々伺う。山下達郎や坂本龍一といった名前の中に「笹路正徳」という名前が出たとき、「プロデューサーとかやってる……」という説明がついたので「あ、ユニコーンとか」と言ったら「話が早い!」みたいになって火がつき、そこから笹路さんの話をたくさん聞くことができた。こういうなんか、スッと何かをショートカットさせるとっさの一言、みたいなのがさしはさめた時は非常に気持ちが良い。たぶん先方にも喜んでいただけたと思う。
小淵沢まで自転車で降りて、分割きっぷを発券。小淵沢→塩山、塩山→八王子、八王子→新宿と3枚に分けると2660円、正規より420円安くなる。チケレス35%オフの特急券が1450円なので4110円で新宿まで帰ってこられるという寸法である。正規運賃は5320円。
そのとき指定席券売機前でおばあさんが困っていたので代わりに操作してあげた。3日後に「小淵沢→軽井沢」を大人二人で乗るきっぷがほしいのだという。窓口で「券売機を使ってください」と言われたと。これを年寄りに券売機で買わせようというのはちょっと無理があると思う。この場合たぶん軽井沢までのきっぷを買うことはできなくて、ここで小諸まで買って後にしなの鉄道へ500円べつに払う必要がある。(一応やってみたが「軽井沢」は目的地として選択できなかった。)人件費が割けないのは仕方ないと思うが、「話せる券売機」の待ち時間は長すぎるし、色々世の中は大変だなア。とりあえず小淵沢→小諸の12日付のきっぷを2枚作ってさしあげた。
新宿着。「あてれこ」で豪勢な鮭定食。ピュンピュン丸の田上和枝さんがピンピンと接客してくださった。「生きてる! 歩いてる!」と内心思ったが黙って帰った。前に夜営業に来たとき、「ママにファンだって言うと喜ぶからぜひ伝えて」と言われたのだが。「いつも思いっきり伝えてなくちゃ!」とか書いといて、やっぱり言えないこともある。とまれ、できる限り通おう。
新宿で一番好きな喫茶、マリエールで食後のコーヒー。いまこれ書き終わるとこ。
2024.9.9(月) 上越→新潟→東京→高知→徳島→和歌山③
このシリーズいつ終わるが(土佐弁)。幽山おめ。
●8月2日(金) 新潟→東京
モーニングを「びすとろ」で。新潟1107→1221長岡。50年という歴史深いスナック「禮」で禮ちゃんに会う。禮ちゃんとはすっかり仲良しである。トマトの味立つ偉大なるブランチ。なじみらしいお客さんが、「長岡花火もし来年くるなら格安で席と宿と飯と酒と移動手段を用意するから禮ちゃんづてに連絡を」とのこと。考えちゃうね。4人いると好ましいってさ。
1449の新幹線に乗るので時間はほとんどない。近くを歩いているときに「まちまち、ときどきカフェ。」という看板を目にした。調べてみる。何も出てこない。虎穴に入らずんば虎子を得ず。入ってみた。大学生や中高生を中心とした若者と地域とをつなげて色々良いことをしよう、というような方向性のNPO団体が立ち上げたカフェのようだ。ちょうどNPOの代表の方がカウンターにいらっしゃったので話を伺う。なんと昨日オープンしたばかりだという。ちょっと待って。まとめると、
・高田「シティーライト」のママのお誕生日(91歳)
・直江津「なおえつ茶屋」の周年日(何周年かは不明)
・内野「喫茶みずのみば」オープン日(まさに昨日)
・長岡「まちまち、ときどきカフェ。」オープン日(同)
ってコト? 8月1日……いったい何者なんだ。
繰り返すが、8月7日:のび太と長兄、6日:radiwo、5日:麒麟さん、4日:ニートさんと皿屋敷さん、3日:欠番(未知)、2日:Oくん、というふうに「お誕生日8月7日の人からカウントダウンするように順々に人と出会っていく」という現象がジンクスとしてある。8月3日が見つからない、と思ってたら、1日がなんと「シティーライトのママ」だったか。確かに僅差でOくんのほうが少し早く出会っているのかもしれない。こうなるといったい3日生まれの人は誰なんだ?なんて言い方をしたら「私です」とはまず名乗り出ないと思うので、自然に現れるまで待つとしよう。
「まとカ」の上田さんいい人だった。SNSで見守りつつ、長岡に来たら寄ろう。
急いで駅へ。長岡花火で駅は満員(すしづめ)。『ハイスクール・ララバイ』の発売日は8月5日らしい。そんなことを口走るような夜はヤバいぜ。何処かスカッとするようなところへ行かなくちゃいけない!と思う人たちのために1622上野着、不忍池の向かいの通称「三角地帯」でアーツ&スナック運動の一環として開催されている「JAZZ&BEER」なるイベントに寄って(このために作られたカウンターは10月のお芝居で流用させていただく!)ビールをチッと飲み夜学バーを開店。26時まではいたはずだが、この日は記憶も記録もおぼろげである。「行ったよ」という方、どういう人がいてどういうことがあったか教えてください。
●8月3日(土) 東京→丸亀→高知
1216丸亀着。我ながら頭がおかしい。こんな無茶したくないのだ。したくないのになぜするか。しなくてはならないという謎の、無根拠な、時折虚無的ですらある抵抗不可避な使命感のためだ。メロスのいう「もっと恐ろしく大きいもの」に近いのかもしれない。
暑すぎるなか「讃岐製麺所」でうどんを食べる。蛇口から汁が出るタイプ。おかずは勝手にとる。おいしくて安い。店舗の味わいは底なし。初めて食べる(!)讃岐うどんだったので心底感動してしまった。その近くの喫茶「SMILE」へ。ネット上に口コミ等はほぼないので年寄りによる年寄りのためのお店かと思ったが店主さんは意外と若い。どうやら代替わりしたか居抜きで借りたかで、店内古い部分と新しい部分が共存していて良かった。ただ「年寄りのための」というのに間違いはなさそうだ。写真とか撮らなかったけどコーヒーたしか300円。唸るねえ。またイクッ(C)ハイパー殿
1343発。阿波池田通過時に友達のあかりん(そこ出身)にLINE。一緒にFF6実況やった人ネ。あかりん家には何度もお世話になったのだ。1539高知着。宿に入ってちょっと寝る。
お客さんに教えていただいた55番街の「京や」へ。長くなるので多くは語らないが高齢店主の名店、みなさん早めに行ってください。お腹いっぱいになったのはいいが日本酒でべろべろになりすぎた。こんなはずじゃなかった! 急いで外出りゃ街に光るのはネオンサイン。Slowhand mojoへ。モトキさんいた。よかった。「ジャアッキイサアーン!」と、ちょい前に神田でなさったワンマンライブでお会いした際とだいたい同じリアクション。
「こないだジャッキーさんのご紹介の方が来ましたよ。」
「ああ、小諸の『読書の森』の方々ですね。」
先日(8/27−28)読書の森をf氏と訪ね、あるじの雄さんが毎年末に書いている「すろうりぃの雑記帳」を開いたら、mojoについての記述があった。現地でしか読めないものなので詳細な引用は控える(ぜひ読みに行ってね!)が、あまりにも印象的な箇所があったのでそこだけ勝手ながら転記させていただく。
言葉に表しにくいが、それぞれの人に気のあう店があって、それはそれまでの出会えなかった長い時空を越えて寛ぎをもたらしてくれる場所である。この店も私にとってはそういう類の店の一つであった。しかしこういう店を自分の足で歩き回り、言わば嗅覚で見つけ出してくるというのはすごいことだ。
(「すろうりぃの雑記帳」2023年版より)
「それまでの出会えなかった長い時空を越えて寛ぎをもたらしてくれる」これは僕の得意な、持論とも言える「再会」についての考え方によく似ている。やはり雄さんとはどこか深くで通じるものがあるのだ(と勝手に思っています)。
誰かに初めて出会うとき、まるで初めてではないかのように思えることがある。それどころか、「君と僕は不思議だけど昔から友達だよね(Pizzicato Five/マジック・カーペット・ライド)」とさえ感じられる。それは、本当に言葉が難しいんだけれども、やはり「すでに会っている」のだ。神秘的といえば神秘的だが、そうでもないと思えばそうでもない。
心の中には、これまでに出会ってきたあらゆる人の記憶がある。それは必ず断片である。ある友人の人間像も、その断片の集積にすぎない。「大好きな友達」についての記憶の断片がすべて、たとえば一つの素敵な箱の中にしまってあるとする。そして初めての人に出会った時、その断片のいくつもとほとんど同じような印象がもたらされたとする。それはほとんど再会ではないのか。要するにあらかじめ好きな存在が目の前にいて、その「好き」の証拠が過去に出会った幾人かの人たちなのだ。
たぶん2007年くらいだと思うんだけど(年表を作るため確定させたい)、十三(大阪)の「家庭料理おかわり」に初めて行ったとき、これは僕が「店師」としての才能を初めて自覚した瞬間だったんだけど、ママから幾度も「なんか、初めてやのに、初めてっていう気がせえへんねえ」と言ってもらえたのをよく覚えていて、それがこの考えの礎になっている。そう言われると僕も「おかわり」に初めて来たような気がしないし、そもそも遠くから看板を見て「あそこに入ろう」と決めたのも、「すでに知っている」と思ったからなのだ、きっと。
とても大好きなある人が、僕と初めて会ったとき「知っている人だ」と思ったらしい。これももう十数年前になるが、やっぱりそういうことはあるんだと確信が持てた。「なつかしい」という感覚も、「過去に好きだと思ったものと照らし合わせて」抱かれる場合が多い。だから初めて会っても「なつかしい人」というのは存在する。
「読書の森」の雄さんが、「mojo」について抱いたのもそういう感覚なんだと思う。「この店は知っている」と。それが「出会えなかった長い時空を越えて」という表現を生んだ。「時間」ではなく「時空」なのは、小諸と高知との遠い距離を踏まえているのだろう。雄さんは坂本龍馬のファンで、高知に行くのはたぶん初めて。いかに長い間その土地を焦がれていたか。「時空」という言葉にはそういう重さもある。
雄さんの長い人生(僕の1.5倍以上生きている)のなかで培われてきた、育まれてきた、養われてきた価値観は、「膨大な素材をもとに徹底的に研ぎ澄ましてきた」ものである。そうすると「気のあう」お店というは必ずしも多くはない。だからこうして年に一度の雑記にわざわざ書き残してくれたのだろう。もちろん僕だってそうだ。「気のあう」存在はそう簡単に見つかるものではない。だからこうして、読書の森とmojoとの邂逅をことさらに喜んでいるのだ。
ところで「邂逅」という言葉は実に好きだ。中学の時にハマりにハマったYMOの曲にもあるし、記憶が確かならば麒麟さん(すんたん)が10代の頃に僕との出会いをそう表現してくれたことがある。そしてこの語は、基本的には再会のニュアンスを含む。
あー、こんないい話(いい話なのです)を旅行記の途中にさしはさむなんて勿体無いよな。僕っていつもそうだよね。平均点が高すぎて、最高点が目立たない。だからあんまり褒めてもらえないのかもしんないな。まあいいや。とにかくなんでも読んでみてください。
しばらくmojoで話していたら少しずつお客が増えてきた。その中になんと! 片山ブレイカーズとCASCADEの対バンライブの日(5/18)に京都の「キャロルキング」でお会いした片山さんとモトキさん共通のご友人(
その日の日記へ)が。「あれ、京都で会いましたよね」これぞ邂逅。こう書くとあっさりした感じだけど、当人その場ではやはりゾワっといたしました。旅してると、ってか生きてるとそういうことがいくらでもあって、すっごい嬉しい。
ここから「へびや」「ベルズ」「VIVA!」と知る人ぞ知る(ほとんどの人は知らない)高知の名店を続けて参るのだが、疲れてきたのでまた次回。
2024.9.10(火) 途轍もない恐怖と不安
いまちょっとコンビニ行って飲み物と食べ物を買ってきたので多少落ち着いた。コンビニでものを買うのは緊急の事である。貧乏性の健康厨ゆえ。
問題はここにもある。「貧乏性」で「健康厨」ということは、「考えることが非常に多い」ことをそのまま意味する。よりパフォーマンスの高いお金の使い方を心がけながら、より肉体に良い行動を常に意識している。何も考えず、「肉が食いてえな」と焼肉屋に入り「サーセン! カルビ5人前くざさい!」なんてできれば脳の負担も少なかろう。何も考えないということができない。むしろより多くのことを考えようと努めてさえいる。
まず「肉が食いてえな」というような欲求に対して僕は鈍感なのだと思う。自分が何を食べたいのかよくわかっていない。これはわかっていたほうが良いらしいと最近聞いたので、もっと自分が何を食べたいのか考えるようにしたい。
生育の過程で、「これがほしい」とか「こうしたい」という欲求を持つことを極力封じてきた。自分は末っ子であり立場が下なのだから、何かを望むのは分不相応であると。「これが食べたい」と思う練習をほとんどしてこなかった。外食するときは「何を食べるか」ではなく「どこで食べるか」を考える。僕は飲食店が大好きだが、飲み食いが好きなわけでなく「店」が好きなのである。
店が決まると、「貧乏性と健康厨」が出てくる。価格と栄養、塩分や添加物なんかについて考えてしまう。それで消去法で食べるものを決める。逆にいえば、そうでもしないとまったく決められないのである。何が食べたい、という欲求がないのだから。
それはけっこう貧しいことであるとも思っているので、できる限り「欲求」のほうに目を向けたいと思ってはいる。そのほうが「考える」という領域が減るような気もするし。もう疲れたのだ。考える量を減らしていきたい。本当に。
なぜいまここに文章を書いているのかといえば、タイトルの通り「途轍もない恐怖と不安」に支配されていたからだ。もう21時だが今朝(昼前だが)起きてからずっとそうだ。とりあえず飲み物と食べ物を腹に入れて、この正体はいったいなんだ?と考えてみる。結局考えるんかい。
とにかく膨大なのだ。眼の前が、頭の中が、いっぱいになっている。たとえば「やるべきこと」だけ取っても、無限にあって収集がつかず、何から手を付けたらいいかわからない。巨大な暗黒のボウリング玉みたいなものが津波みたいに覆いかぶさってくる。途轍もない恐怖と不安。どうしたらいいのだ。とにかく動き出せばいいのだが、動き出すためのストレスが半端なく、FREEZE(すくみ)してしまう。叫びだすくらいしかできることはない。ここで依存系コンテンツに手を出し始めたら終わりが始まりそうなので一所懸命我慢する。とゼロヒャクで考えても愚かなのでたまには依存系コンテンツを嗜んだりもするが、さして意味のないことが多い。「こんなに無意味ならやめときゃよかった」と後悔する。
解決策は一つしかない。粛々と、一つ一つ、片付けていくことだ。わかってはいる。目についたものから少しずつこなしているつもりでもある。しかし「これでいいのか?」という不安は常にある。「こんなことやっている場合じゃないのではないか」「何かもっと重要なことを忘れていないか」「順序が明らかにおかしいが中断してほかをやるべきか」等々、考え続ける。気は散り続ける。
さすがにヤバいんで7日の日記にチラリと書いたが「そういう系」の本を読み「タスク管理」「時間管理」「自己管理」について考えてみている。これまでだって何度も何度も何度も何度もそういうことを試みてきた。ことごとく失敗している。すべてとは言いたくない。多少役に立っていることもあろう。それを「だいぶ役立った」まで引き上げないと今後はもう成立しない気がしている。
とりあえずエクセルでも使ってタスクを書き出すか。ちゃんと運用できる自信は本当にない。でもやるしかない。誰も助けてはくれないのだ。
僕は立派なので、助けは必要でないと思われていると思う。立派であることをやめたら助けが必要だとわかってもらえるのかもしれないが、実のところ立派でない人を人は助けてくれないのだ。なんという逆説であろう。でもそれが近代である。
それを超えるために「助け合う」ことが大事なのだ。僕の言葉でいえば「仲良しの発想」というやつだ。助ける・助けられるという主客の間柄ではなく、「助け合う」という主主であり客客でもある関係を結ばなくてはならない。何も無差別に、より多くの人たちとそれをしろなんて僕は言っていない(よく誤解される)。友達が多いにこしたことはないと僕は思うが、ともかく「そういう発想」を持っていることが大事で、実践するとか運用するというのは「必要に応じて」でいい。
書いていてもいまいち落ち着かないな。うーむ。
僕は立派だと思われているし、「引っ張っていく人」だというイメージもある(実際それはそうではある)ので、「ジャッキーさん待ち」みたいになることがたぶん多い。「ジャッキーさんが動き出すまで待っていよう、ジャッキーさんが動き出すタイミングで動き出せばなんとかなるのだろうから。だってジャッキーさんは立派だからな」みたいな。妄想かもしれないが、そのように思う人がけっこういるのではないだろうか。それで僕は「動き出さなきゃ、動き出さなきゃ……」とうめいている、というわけ。実際僕が動き出さなきゃしょうがないとは思うんだけども、それは僕が「リーダー」みたいになっちゃうからなわけだし。僕が悪い。僕が悪い。僕が悪い……。←かわいそすぎる
僕が悪いというのは、ようするに、「そういう構図」を作り出しているのが僕だからなのだ。すべて「他人事」に思わせてしまう。優れた中心人物というのは、関わる人たちに「これは自分事である」と思わせるのがうまい人だ。そこまではわかっているのだが、難しい。他人に「他人事」と思わせてしまうのは僕の責任で、僕が悪いのである。僕がそういう「中心人物」でしかないからいけないのだ。ごめんなさい。
と、こんなところで終わってしまうと読後感も悪かろうからちょっとくらい明るく終わらせたいのだがどうしたものかな。
まあ、だいたいすべての問題はここに帰着するな。ジャッキーさんという人は、周りの人に「自分事」と思わせるように努めたほうがいい。「他人事」と思われているうちは、孤独のままだろう。でもセコい方法は取りたくない。騙したり、洗脳したり、誘導したり。それができればとっくにバズってるわ。そういう僕が好きなみんなは、「ジャッキーさんはわれわれを常に他人事でいさせてくれるから安心」ってんだろうか。自分事になるってのは面倒だし、大変だし、それは「徒党を組む」とか「界隈を形成する」ことに繋がりやすいし。まー難しいことに手を出したもんです。
自由である、ということを前提にすると、他人のしていることはおおむね他人事になる。それが個人主義ってもんだ。その超克をめざすのがジャッキーさんの一連の思想。「自由(マイペース)でありながら人と関わる」というのは、「他人事」だの「自分事」だのっていう主客の感覚を超えて、「みんなごと」っていう意識を持つことに終始するんだと思いますね。なるほど、ここでまとまりそうだね。
僕は「すべて他人事に思わせる」(道化)がしたいのではない。「すべて自分事に思わせる」(洗脳)をしたいのでもない。「みんなごと」なり「ぼくらごと」なり、お互いにとって関係のあることだからお互いが考えていこうよ、っていうところをめざす。すなわちそれが「仲良し」ってことですわよね。ああ、だいたいわかった。
それでさみしくって、自分から動き出すことがより億劫になってしまっているんだろう。仲良しの発想を持って、信じて、泣きながらやるしかないんですね。
2024.9.11(水) ひとごと、われごと、みんなごと
9/11東海豪雨から24年。昨日は「夕方においでください」と言われたはずの場所に17時すぎくらいに行ったら閉まっていて、夕方っていうのはすごく曖昧な表現だなあ、反省しよう、と思って反省しました。そこから7時間くらい何もできないままお店でぼんやりしていましたね。睡眠をとるでもなく。
これも結局「他人事(ひとごと)」「自分事(われごと)」「皆事(み(ん)なごと)」の話に繋がるんじゃないでしょうかね。僕は昨日、朝からうめき声をあげながら「ウワー! ギャー! 夕方に上野に行かなければ!」と戦い、ようやく這うようにして太陽を浴びながら行ったのだが、あっさりと閉まっていた。もちろん!「何時に行けばよいですか」「まだいらっしゃいますか」と連絡すべきであった! でもね、いちおう同じプロジェクトの中で……う……まあチームは違えど同じ催しに参加して、同じ会場や機材を共有する者同士ですから、まあ甘えてしまったのですね、僕がね。僕が悪い。(むろん、完全に自分が悪いとは思っていない! でも「僕が悪い」と言わないと満たされない気持ちだってあるのだ。)
誰が悪いでもないので、ただ落ち込んだ。「いま伺いましたがどなたもいらっしゃいませんでした、到着が遅くなってすみませんでした、また次回調整させてください!」と連絡すべきなのだが、できないでいる。
無理だ。
家に帰って珍しく風呂も入らず寝た。途中起きて歯だけ磨いた。その代わり早起き(10時直前)して朝はそれなりに働けた。昼過ぎ能率が落ちてきたので外で仕事しようと思ったがよく利用するワーキング系カフェは第2水曜休み。千里軒に行ってみたが知らぬ間に火木土のみ営業と変わっていた。仕方ないので珈琲館に入ったら「ご利用は90分以内」「店内でのテレワーク/通話/大声での会話/セールス・勧誘行為はご遠慮ください。」とあり、PC、スマホ、会話を表すピクトグラムにそれぞれ×のつけられた図が付されていた。どうかこれ以上僕をいじめないでほしい。
解釈が難しい。たとえば日記を書くのはテレワークでもないし通話でもない。しかしピクトグラムにはPCに×マークがついている。ただそのPC画面の中央には○で囲った人物のアイコンが表示されていて、ビデオ通話のみNGであることを示したものかもしれない。「あの、パソコンを開いてはいけないのでしょうか」と控えめに(しかしやや責めるような表現になってしまっているのはその瞬間僕が被害妄想的心情に陥っていたからであろう)問うと、「通話をご遠慮いただいております」とのお返事。そりゃそうだよな、フリーWi-Fiもあるし。でも90分て。僕は文字の読める人間なので90分と書いてあったら90分で出なければならない気が本当にする。あと1時間くらいしたら「いつ追い出されるのか」「早く出て行けと思われているのではないか」と怯え始めるに違いない。ああ、いやだ。そういうことを誰も考えないのだろうか? あるいは、やはりこうしたほうが長い目で見れば儲かるのだろうか。
すげー空いてるのに隣の席に男性が座ってきた。いやだなあ。いやだなあ。ちょっとしたことがすごーくいやだなあ。
昨日書いたことだがとりあえずタスクを整理せねばと「Focus To-Do」つうポモドーロ系のアプリをPCとiOSに導入し、思いつくだけ書き出してみた。
目の前に無数のトゥードゥーが並ぶ。ある意味壮観でもあるが、やはり気は重くなる。なんでこんなにやるべきことや、やりたいことがあるのだ。幸いにも「やりたくないこと」はほとんどない(そうなるように全力を尽くしているから!)が、それにしても呆然とする。この問題を解決するにはさらにもう一段階進めて「なにをおいても今すぐやりたくて仕方のないこと」のみでこのトゥードゥーリストを埋め尽くすしかない。が、がんばるぞ。
それにしても、こんなに書き出してみたからとて何になるというのだろう。8月末から何度か書いているが僕の最大の欠陥は「優先順位がつけられない」ことである。可視化できることと忘却しづらくなるのは非常に良いが、「何をすればいいかわからない」という状況は変わらない。まあ、ぼちぼちやるわ。
このあといろいろ書いたけど全部消した。結論だけ残す。「結局は一人ひとりと直接話すしかないんだよね。友達なんだからそりゃ当然だわね。」
ちょっとまとめとく。
ある人が何かをやるとき、まわりにいる第三者がそれについてどう思うか、という話を僕は昨日からしている。
①他人事だと思う
②自分事だと思う
③みんな事だと思う
こういう三つがあるとする。
①は、「自分には関係がないので、まあがんばってください」くらいの距離感。
②は、「これは自分と大いに関係があるので、関わったりお金を送ったりします。ライングループ作りましょう」というような距離感。
③は、「これは自分を含むみんなと大いに関係があるので、自分がどのように振る舞うかについて真剣に考えさせていただきます」というような感じか。
②と③の違いは少しわかりにくい。②は「自分」というものしか意識していないが、③は「自分を含むみんな」という意識のしかたをしている。ここの絶妙な差異を僕はずーーーっと問題にしているのだ。たぶん。
「自分を含むみんな」ではなく「みんな」とだけ捉えると、①に近づいてしまう。わかりますか。「みんな」って言葉を他人事だと思う人ってけっこういるのです。そうじゃない。その「みんな」には自分も含まれているのだ、という感覚が大事なのだ。
①の場合、自分がどう振る舞おうが何も意味がないと思っている。「自分が何かアクションをすれば誰かは喜ぶのだろうが、自分は別に喜ばないのだからする必要はない」というのが他人事ってえもんである。
②の場合、自分の振る舞いはそのまま自分に返ってくる。「自分が何かアクションをすれば自分が喜ぶので、積極的にアクションしていこう」である。これが自分事。
③の場合、自分の振る舞いは自分にも、その他の人たちにも影響する。自分も喜び、他の人も喜ぶようなアクションを考えなければならない。難しいので、あまりこれを意識する人はいない。
利己、利他という言い方にならえば③は「利皆」というような感じになる。「皆」には己も他も含まれる。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために(One for all, all for one.)」という言い方があるが、これを「自分は他人のために、他人は自分のために」と無意識に捉えてしまう人が多いんじゃないか?というのが僕の問題提起なのだ。この場合の「all」には「one」がすべて含まれていなければならない。
そういうものごとへの関わり方をするのが、夜学バーであってやがっしゅくであって、僕のやっていることのほとんどすべてに一貫する思想なのである。
自己犠牲では絶対にない。自分が楽しいのと同時に、ほかの人も楽しくなるように、努める。ここで「努める」という言い方になるのは、「仲良しの発想」の「発想」という言葉選びに通じる。できることがすべてではない、しようとすることが大事なのだ。本当に。
みんなね、「できない」ことを恐れて「しよう」というのを封じるでしょう。だから「自分なんかが」って言い訳して「何もしない」を選択するんだよね。僕に対してのことだけじゃなくて、たいていそうでしょうよ。僕だってかなりそういうときあるんだ。
ここんとこ文章をたくさん書いているのはセラピーなのだ。決して暇だからではない。いや暇っちゃ暇なんだけど、その可処分時間は膨大なタスクを少しでも減らすために使うべきであろう。でも減らない。なぜか? セラピーに時間を割いているからだ。なぜセラピーに時間を割くか? 悲しいからだ。傷ついてしまっているからだ。それはだってそりゃしょうがないじゃないの。
なんでそんなに悲しくて傷ついているのかというと、理想が高いからなんでしょうね。「みんなごと」みたいなことを考えてしまうからなんだろうな。もっと「人間なんて自分の利益と欲望のことしか考えてないズラ!」って絶望しきれたらいいんだけど、絶望の望を信じるがゆえにのう。
2024.9.12(木) カス共がッ!!
療養日記みたいになっているが、まあ療養日記だ。半月経った。なんとかしててえらい。そんなになんとかはなってないけど。
「女にふられたのでは?」って言われたけどまったくそのような事実はない。髪でも切ろうかね。
まあ確かに女にふられたあとの僕の文章量は伝統的に圧倒的なので、読みとしては妥当なんだけども、その人はたぶん僕の文章を読んだことはない。
昨日はあれから、珈琲館まではがんばれたのだがそのあと銭湯入って家に帰ったら虚脱!ってなったのでとりあえずごはん食べに行って、猫(浅羽通明)先生の紙(直販原稿)読んだりなどした。歯を磨き、眠り、11時前くらいに起床。ずっと行ってみたかった洋食屋へ。優雅な生活だ。はた目には。
おなかを落ち着かせようと「はやしや」でコーヒー(350円)を飲む。心が落ち着かないのでとりあえず猫紙で言及のあった呉智英先生の『封建主義者かく語りき』を読む。かつてよりも理解が深くなっているように感じる。そこに、
では、「孝」とは何であるのか。それは、人間が、“個”でありながら“全”に連なったり、“全”を内包したりしているという原理の確認なのである。(文庫P84)
ここまで考えると、“個と全”という重大なテーマは、いたずらに大難問と決めてかかるより、むしろ「孝」という概念を導入し、人間は、“個”でありながら“全”に連なり、また“個”の中に“全”が内包されうる、と考えたほうが、現代の直面する種々な危険に有効にたちむかうことができるようになるのだ、ということがわかってくるだろう。(同P86)
とあった。昨日、一昨日と書いてきたことに重ならないでもない、かもしれない。とりあえずメモしておこう。
移動して、「千里軒」でコーヒー(450円)を飲む。まだPCを広げる気になれない。客観的に、「いや働けよ」「みんなお前待ちなんだよ」と思うのだが、できないのだ。鳥山明先生が、「ペン入れするとブツブツができる」アレルギーになったって話がある。過酷な週刊連載を長年続けたこと(そうなる過程にあった様々のこと)によって、漫画を描くことが辛くなってしまったんじゃないかと推測される。偉大なる鳥山先生を引き合いに出して許しを乞おうというセコい算段なわけだが、おなじ尾張の偉人なのだから本当にどうかお許しいただきたい。ちなみに『ドラゴンボール』の最終回が発表されたのは鳥山先生が40歳になった翌月の末。ああ、だからもう、僕の人生は鳥山先生でいったらもうちっちゃい魔人ブウがいきなり地球を破壊しようとしたくらいのところなんじゃないかね。
それはまあ、コンフォートゾーンが(!)低すぎるってことなので、上にズラしていくべきなのでございますわね。
コンフォートゾーンってのは苫米地英人さんの用語で、彼について僕が初めて日記で言及したのは2010年の3月11日。かなり早いほうだとは思うが2008年には水道橋博士のWeb番組に出ていた。ちぇっ。僕は吉祥寺のブックオフでただ「おもしろそうだな」と『洗脳支配』を手に取ったのであって、前情報は一切なかった(はずである)。とはいえ2005年から『うさぎ!』(小沢健二)を読んでるんだからもうちょっと早く出会っててもおかしくはない。
ちなみにタイミングとしては僕が成城学園中学校を離れる時で、だから「学校における洗脳」というタイトルがつけられている。
ぶっちゃけ俺は天才なんで、
天才じゃないお前ら馬鹿共に
負けるわけねーんだよ
カス共がッ!!
(高校3年生の僕)
これは受験のあいだ勉強机の前に貼っていた自筆の檄文。図書室の電子化で要らなくなった索引カードのウラに書いた。スピード感があって非常によろしい。むろん恥ずかしいけど。前にこの画像(当時撮ったやつ)をTxitterに貼ったら数名の若い女子たちが気に入ってくれて、たびたび送ってくれたりパロってくれたりしている。嬉しい。どこか共感(?)できるところがあるのだと思う。
天才であるということは優れているということなので、天才じゃない(優れていない)かつ馬鹿であるような存在には負けるわけがない。負けるわけないのだから(どうせ勝てるから)堂々と「カス」呼ばわりする。じつに論理的(??)な少年である。
この頃の僕はコンフォートゾーン(快適な領域)が高かった、ということだろうか? ここでいうコンフォートゾーンとは、「自己能力の自己評価」に近いものと考えていいと思う。「100点をとっているのが快適である」か、「20点をとっているのが快適である」か、というのがコンフォートゾーンの高低(の単純化)だと僕は理解している。
100点を快適と思う人が80点を取ると不快になり、次は当然100点をとろうと努める。一方、20点を快適と思う人が80点を取るとこれまた不快になり、次は20点どころか、バランスを取るために0点でも取ろうかと努める、みたいな話。初めて読んだときは「わかりみ~」と思った。嘘である。そんな言葉当時はない。
たとえば、「自分には価値がない」と思っている人が大金を手にすると、「自分はこんなに大金を持っていていい人間ではない」とギャンブルやホストなどで浪費したりする。一方、「自分には価値があり、大金くらい持っていて当然だ」と思っていれば、浪費しない。さらに稼ぐ。そういう話。
僕は高3の5月までまったく勉強というものをしていなかった(中3の2月頃を除く)。ゆえに自己能力の自己評価としては「ぼくは勉強ができない」だったわけだが、いろいろあって早稲田大学に入らなければならなかったので、「自分は当然早稲田大学くらい入れる人間だ」という自己評価に変えていく必要があった。それでこの貼り紙も誕生したのだと思われる。
とりあえず向陽高校に入った実績はあったし、まわり(「タモリ」と同じ発音)からは賢いと思われがちだったので、コンフォートゾーンは「南山くらい」から「早稲田くらい」に上げればいいだけだった。それなりには成功したと思う。
若かった僕は自分を「天才」と(むりに)規定し、それ以外の人間を「馬鹿」「カス」とおくことによって、コンフォートゾーンを引き上げようとしたわけですね。そういうことをそろそろまた、しなきゃいかんような気がしていますね。いや他人をばかにしようってんじゃなくて。もっとスマートな仕方で。他を下げて相対的に自分が上がるんじゃなくって、極力絶対的に。
僕が働けないのは、動けないのは、「自分はそんなに活躍するような人間じゃない」と思っているからなんでしょうね。コンフォートゾーンを狭めて上にズラさないと。もっとエフィカシーを上げていかないと。クロックサイクルを速くしないと~~~。(ってこのように半笑いで言えるのがいいことか悪いことかは知らない。)
問題がそこにあることはなんとなくわかっているのだ。自分はもっと偉大なことができるんだ、と松岡修造のように言い聞かせなければならない。セルフトーク! アファメーション!!(意識高いモードでお送りしております。)
なぜだかブレーキをかけてしまうし、今みたいに落ち込んでいる時期は前を向くのさえ難しい。脳みそでも入れ替えるかな。
んで、三軒目の某ー(なぜかここだけ伏せ字)に入ったところで、『封建主義者かく語りき』を読み終わり、やっとPCを開くことができた。起きてからその気になるまで6時間かかりました。んまあ僕の仕事の密度からいえば上出来だ。パッパと何件かタスクを片付け、17時半で閉まるとのことだったのでいったん自分のお店に入って作業を再開。いくつかやるべきことをやってからこれにとりかかっている。いまちょうど19時を過ぎたところで、店番のsaku氏がすでに来ている。何か相談があるとのことなのでそろそろ終えよう。
僕の仕事の速度とか密度はまあまあすごいので、これを「その気になれない6時間」にみっちりやれたらほとんどの問題は解決するだろう。それをどうするかだ。クロックサイクルはもともと速いし、エフィカシーもそこそこなので、あとはコンフォートゾーンを……。いや心配しないでくださいね。もう苫米地歴長いんで。怪しいものに騙されてるわけじゃないと思ってください。弱ってるからとかでなく、14年半前からずっと好きなんですよ、苫米地(敬意をこめて敬称略)。おもしろいのです。一回講演行ったことあるけどすごくいい感じの人だった。
2024.9.13(金) 運転技術の向上
だいぶ快方に向かってきた。金曜の21時前だがお客が途切れたので来た。夜学バーのカウンター内についに「デスク」を導入したので、その試用でもある。使わないときは折りたたんでしまっておける。高さ71cm、天板は73cm×40cm。
ハイチェアーはそもそも高低差ができるだけ大きいものを選んで買ってある。いちばん上げるとお客さんの目線と同じかちょっと低いくらいになり、いちばん下げるとだいたいこのデスクにちょうどよい。数時間の作業にも耐えうる。ようやく環境が整った。
客席側に回れば比較的作業はしやすいのだが、営業中は避けたいのだ。客席は客席、カウンター内はカウンター内、と分けておきたい。ここは舞台であり教壇でもある。その境界を守ることがお店および店主(僕)の神秘性とか謎めきをひそかに支える。
古い飲食店だと店主が客席に座ってテレビ見たり新聞読んだりしていることがよくあって、あれはあえてその境界をなくすことでお店の親近感とか居心地の良さに貢献している。お店と生活とが渾然一体となっている、そのすがすがしさ。僕はもちろんそういうお店ばっかり大好きなのであるが、自分はまだその反対をあえてやっていたい。
ともあれそれなりにその気になってきた。なんとかなりそうな気がする。なんとかする。
あとはもっと寝やすい環境を整えたい(寝袋はある)のだが、そこまですると本当にこの城から出なくなってしまいそうだ。おうちほどいいところはない。おうちの環境も整えていかなければ。
ちょっと追記。いま10/12、13のお芝居(絶対来てね!全員!)の台本を考えているのだが、「めちゃくちゃ面白くなりそう!」って頭の中が昂奮物質で満たされ始めた瞬間に、やはり例の「コンフォートブレーキ(これは僕の造語)」みたいなのが働き、ちょっと胸やけがしたり頭の中にストレスがかかったりする。で、作業が止まってしまう。これを払拭できればネクステ(次のステージ)なんだよなってわかってるんだけど、なかなかこれがホメオスタシスっちゃって難しい。
んでとりあえず日記書きに来た。こういうの記録しとくのけっこう大事な気がするんだよね。
昨日の記事を読んでいただければわかりますが、一応もうちょっと詳しく書いておくと、「自分がそんなに面白いものを書けるわけがない」っていうブレーキが働いちゃうのです。人間は(というか生き物は?)現状維持していたいものらしい。
ノンポリ天皇作品とか書いてたときも、それを振り切って、ぶっちぎろうとはしたんだけど、やっぱりある程度書くと「これ以上面白いものを自分は書けない、書くべきではない」っていうブレーキが働いて、止まっちゃってた。だから最初の30ページくらい死ぬほど面白いんだけど、そっから先どこかブレーキがかかっちゃうみたいになることが多い。かの名作『女の子のちんちんって、やわらかいと思う』なんかは中編だから一気に書き上げることができて、だからたぶんとりわけ出来がいい。
もっと本当の万能感がほしいものです。
ちなみに12(土)は13時~16時、13(日)は18時~21時。お芝居自体は2時間以内におさめる予定で、この範囲からはみ出すことはないはず。
よしやるぞ。コンフォートブレーキをぶち壊すのだ。夜学のカウンターの中、僕にしか見えないところに「カス共がッ!!」貼ろうかな。探せばどっかに現物があるはず。こういうの絶対捨てないから。探してる暇あれば書け。
2024.9.14(土) フラれて元気
「女にふられたのでは?」って言われたけどまったくそのような事実はない。髪でも切ろうかね。
まあ確かに女にふられたあとの僕の文章量は伝統的に圧倒的なので、読みとしては妥当なんだけども、その人はたぶん僕の文章を読んだことはない。
と僕は11日の日記に書いたのだが、さっきメール見たら「ジャッキーさん、誰にふられたか知りませんが(少し予想はしています、笑)、そんな小さなこと(誰かに振られるというのはとっても小さなこと)で、」という文面を含むものが届いていて、思わず吹き出してしまった。すごい! すごすぎる!
深夜3時すぎ、お店を終えておうちに帰ってきて、お風呂入って歯を磨いてあとは寝るだけなのだが思わずPCを開いてしまった。
その方は僕のことをとても好きでいてくださっていて(そう解釈しています)、この日記もよく読み込んでくださっておりますが、そのうえで「誰かにふられた」と決めこんでおいでなのだから、僕はよっぽど誰かにふられたように見えるのだなあ。高度なギャグだったらそう言ってくださいね、今からでも、本当に。気にしちゃうんで。
もう一度引用するぞ。私信を晒しているわけではあるが、どうしてもこれは正確に引用させてほしい。
ジャッキーさん、誰にふられたか知りませんが(少し予想はしています、笑)、そんな小さなこと(誰かに振られるというのはとっても小さなこと)で、
とのことだ。決して誤読、深読みしてほしくないが僕はこの件によってこの方を恨んだり、嫌いになったりしているわけではない。微塵もない。もちろん「ひどい邪推だ!」とは思う。そして傷つきもした。でもそれと同等くらいには興味深く思っている。そうか、僕がこのような(8月末以降の日記参照)状態になっているところを見る人が見れば「ふられた」という解釈にしかならないんだな。文面上、どう見ても100%そう確信しておられる。しかも「誰にふられたか」の予想さえついておられるという。すごいことだ。僕はこの10年弱ほどは誰にもふられていないと思っているのだが、実は誰かにふられているのだろうか。
実際「ふられた」という言葉を性的、あるいは恋愛絡みよりずっと広義に捉えれば、僕だって「ふられる」ということがあったかもしれない。信頼を持って会いに行った相手にいきなりビンタをくらわされた、みたいな。最近じゃ「行きたかった店に行ってみたら閉まってた」ということを「ふられた」と表現するケースをかなり目にするので、「ふられる」の意味世界は僕の知らない方向へ広がってきているのかもしれない。
メールには「女に」とは書かれていない。「誰かに」とあるだけだ。そこが大事だから、正確に引用させていただいた。もしよかったらその「ふられた」というのがどういうニュアンスで、誰にふられたと思ったのかを教えてくださると幸いです。このメールをくださった方だけでなく、日記を読んだり会ったり連絡したりなどして「ふられたのかな」と1ミリでも思った方、またはこの日記などでその発想に触れて「なるほどそういう解釈があってもおかしくはないな」と思ったような方がいらっしゃったら、ぜひ所感をお伝えください。これマジで言ってます。「ふられる」という言葉について、俄然興味がわいてきた。
翌日追記:「高度なギャグです」とメールが来たが、それなら「少し予想はしています、笑」という記述の真意はどこにあるのだろう。なぜそんな失礼な(と僕は感じる)ことを書いたのか。まあギャグと言うならなんでもいいです。また私信の公開はこの範囲なら違法ではないと僕は思う。むろん非礼ではあると思う。
2024.9.15(日) 根本的に人は人と関わりたいとは思っていない
「ジャッキーさん、根本的に人は、できるだけ人と関わりたくないと思っているんですよ。」
みたいなことを言われて、「確かに!」とハッとした。そういえば僕の昔からの大親友には「人」をあまり必要としていない人が多い。孤独を愛するというわけではないが、「人と関わるのはしんどい」という気持ちがとても強い。根本的には人のことが好き(たとえば彼らは僕のことを非常に好き)なのだが、わざわざ会うのはしんどいし、新しく誰かと仲良くなることはさらにしんどい。連絡をとるのもしんどい。あるいは必要を感じない。
人それぞれに「ちょうどいい距離感」というのがあって、それがだいぶ遠めな友達が僕には多い気がする。ってか友達ってそういうもんだよね、という感じさえする。「友達とは、すでに一生分の絆を深め終えた相手のこと」なんて定義をこないだ勢いでしてみたんだけど、それがすべてではないとはいえそういう側面もあるよな。ある一時期に、それがどのような関わり方であったにせよ、「仲が良い」という状態に一度なったら、「もう自分たちは積極的に関わり合う必要はない」と互いに了解するときが訪れる。それを淋しいと思うことも僕にはあるが、頼もしいという感覚のほうが大きい。いまさらたかゆきくんやぺ~こ(そういう人たちがいるのだ、ふたりともサイト開設初日にBBSに書き込んでくれていたはず)とかと仲悪くなるイメージはまったく持てない。永遠に良い関係が続くだろう。それは互いに互いの距離感覚を把握できているからでもあると思う。それをわかり合ったら、「あとはもういいよね」ってもんなのかもしれない。友達って。
会う会わないは関係なく、ずっと心の中にいて支えてくれる友達たち。それは好きになった本とか曲とかアニメとかも全部そう、僕にとっては。自分の中にいてくれる。信頼や親愛とともに。
このことも、実は「人は案外人と関わりたいとは思っていない」というところに繋がってくるのではないかと思う。もちろん世界にはいろんな人がいるが、僕と仲良くなるような人たちはけっこう根本的には「そっち」なんじゃないか。そこで僕の役割というのがなんなのかといえば、根本的には人と関わりたくないと思っている人たちのために、いざという時にだけいつでも関われるポジションにいて、さらに「知らない人もランダムにいうる」という空間をさえ確保している、ということなのだろう。僕も実のところ根本的には人と関わるのがしんどいのだ(と思う)が、このような役割を果たすために、使命として一所懸命がんばっているのではある。これは本当に本音である。
わが夜学バーが常連という概念を拒絶し、「毎日のようには通ってくるな」とずっと言っているのは、「人は根本的に人と関わりたいとはさして思っていない」という原則を守りたいからでもあるはずだ。常連コミュニティはしんどい、毎度同じ人(たち)と顔を合わせるのはキツい、そのように思う人たちを夜学バーはターゲットとしている。「あ、ケンジくんウィッス、今日ユミちゃんは?」みたいなコミュニケーションがベースにある空間には絶対したくない。
僕がこの日記で「褒めて!」「金くれ!」「がんばってるねって言って!」ってさんざ叫ぼうが、これを読んでいる人のほとんどは「根本的には人と関わりたくない」わけだから、そのような僕とのコミュニケーションの発生自体がしんどいし、それを促されるのは相当キツい。そういう気分になったときだけ自主的にフラッと訪れるのが夜学バーで、ホームページだって別に足跡がつくわけでもなく、気が向いた時に読みたいだけ読むものだ。僕はそのような人たちをターゲットにし続けているわけだ。だから「褒めて!」と言われると「いや、そういうのやってない(しんどい)んで」という反応になるのは当然。それで僕は思ったほど「がんばってるね!」「がんばったね!」と言われなかった。だいぶさみしかったが上記のような事情があるのだろうと推定できたのだから良しとしよう。これにて「褒めてキャンペーン」は終了とします。キャンペーンが終了したのだから安心して褒めたりねぎらったりしてください。好きな時に。
ぜんぜん違う話だけど「言い訳」っていう概念はすばらしい。常に意識したほうがいい。そして「言い訳は口答え」というよくわからない言葉を無批判に受け入れ、「言い訳は悪いことだ」と何も考えず信じ込んだほうがいい。自分の言葉が言い訳かどうかにいつも気をつけていたほうがいい。人は「あ、言い訳だ」と感じると、冷たくなるものらしいので。
言い訳というのは「保身のための説明」で、「保身」が前に出ると「説明」の内容がおろそかになる。聞かれたことに答えていなかったり、相手の理解や心情を無視したりしがち。「かみ合っていないな」と思うときはたいてい「言い訳」をされているのである。
ともかく言い訳をしないように努めたいものだが、言い訳をされる側となった時にも気をつけるべきことがある。まず言い訳をさせるまで相手を追い詰めてしまっていること。相手に「自分は被害者だ」と思わせてしまっていることを反省する。そして言い訳を浴びたあとでは、「それは言い訳だ!」と糾弾するのではなく、「言い訳という悪しきもの(このことは先ほど前提とした)を発生させてしまった我々の関係は現状悪く、その責は双方にある」ということを強く意識したい。
そのあとはケースバイケース、慎重に。
一応書いておかないと、と思って書くが、むしろ書かないほうがいいのかもしれないが、これは特定の個人に向けて書いているのではない……何回書くんだこういうこと。これを書くってことは「これは自分のことか?」と思う人(たち?)がいると僕が想定してるってことで、すなわちそれは「特定の個人に向けても書いている」という証明にさえなりかねない。それでもこれを書いてしまうのは、怒られたくない、他人の心を刺激したくない、という気持ちからなわけで、つまり「保身のための説明」、ゆえに「おろそか」でもある。これぞ言い訳。実演してしまった。
2024.9.16(月) 横と縦
演劇の打ち合わせ。今やれる範囲のことをたくさんできてよかった。社会人たちの「集まれる時間」は本当にわずか。今後はとくに無駄なく時間を使えるようにしなくては。苦手なので気合入れる。
夜学の日報に書けよって話でもあるんだけど、書く場によって書き方も変わるから、こっちに書きたいことはこっちに書きたい。
金曜はお客4組6名、土曜は8組11名、日曜は3組3名。月祝なのに思ったほど振るわなかった。でも個人的に面白い三日間であった。
数ヶ月前、ある企業の人たちが4人連れでおいでになった。そのうちNさんだけがもう一度来てくれていた。この金曜にYさんが来た。「Nはもっかい来たらしいですね」と言っていた。そしたら土曜にNさん(3度目)が来た。どうも偶然の事らしい。
経験上、最初に複数人、とりわけ3人以上で来たお客は、リピートするとしたらたいていまたほぼ同じメンツでやってくる。あるいは3〜4人のうち1人だけがリピーターになる。今回のように、集団のうち複数名が別々にリピートしてくることは滅多にない。最初は「集団対お店」という構図だったのが、複数の「個人対お店」に分解されて関係が続いていくというのは、非常に感動的である。僕にとっては。
日本の人は、とくに企業に所属していると「集団」を意識することが多くなり、「集団で訪れたお店は個人では行かない(行けない、行きたくならない)」という傾向があるように思う。これは20年近く夜の店に出入りしていて実感していることだ。最初は集団で訪れて、気に入ったからこっそり、一人だけ通うようになるパターンはそれなりにあるが多くはない。
僕はもちろん、集団でいようが個人でいようが、「このお店は自分とどのような関係を結ぶべきだろうか」と純粋に考えるほうがいいと思っている。「集団の中の自分」と「個人としての自分」とを分けて考える必要はないだろう、という話。でも理解はしている、会社の匂いが少しでもするような場にプライベートでは足が向かないよな、そりゃそうだわな、とかは。
NさんとYさんは、二人とも「自分が気に入ったからまた行く」という単純な気持ちで来てくれているように見えた。非常に嬉しいことである。彼らは個人として夜学バーと、また僕と向き合ってくれているのだ。僕がときおり唱える「ひとりでいらっしゃい」という呪文(?)は、「一人の人としてあなたと向き合いたいのだ」という想いも込められてある。
ちなみに彼らの名前については、初回の来店時にお互いが呼び合っているのをこっそり盗んだ。こちらから名前を聞いたり、向こうから自己紹介したわけではない。だから彼らがもしこの文章を読んだら「なんで知ってる(覚えてる)?」とビックリするかもしれない。にたり。
そして日曜であるが、たった3名の来客ではあったが、一人は15年前からのお客さん。一人は13年くらい前のまなびストレート!オフ会で知り合った友達(当時JKであった)で、会うのは2年ぶりくらい? 一人は5〜6年ぶりくらいに会う女の子。「覚えてる?」と入ってきた。覚えているのだが、最後に会った頃と印象が変わらなすぎて逆に「幽霊か?」と戸惑ってしまった。自分も大概そのようなものだが。
はからずも自分の歴史を感じさせるラインナップで、OJTの若者が初めて入る日として相応しかったのかどうか。わかんないけど、こういうある意味珍しい状況を早めに見てもらうのもよかったかもしれない。
何度でも書くがやはり昔(から)の友達ってのはいい。何年ぶりに会おうとも呼吸が合う。好きで好きでたまらなかったりする。立派になっていれば「立派になったなあ」と思う。
その元JKは非常に面白い話をしてくれて、書きたいのだが長くなるのでまたいつか。(こう書くときはたいてい書かれない。『はてしない物語』と同じである。)
ともかく30歳になる前後に彼女はいろいろ進化したようなのである。そういう覚醒みたいなこと、頭でぼんやり理解だけしていたことが深い実感に変わる時期。そういうのってあるよな、好きだな、ダイナミックだよなとずっと思っているので、そのうち改めて語りたいのは確か。すでに自分の経験としては何度も書いてきてるけど。
2024.9.17(火) 美醜とメイクアップ
昨日書いた元伝説のEカップJK(かつてそう自称していた/exLEJK)が、「昔は二次元の女の子の可愛さしかわからなかったが、30歳になって(正確にはその前からだろうが)三次元の女の子のかわいさがわかるようになった、ゆえに今わたしは過去のどの時期よりもかわいいし、来年はもっとかわいくなるはず」みたいな内容のことを言っていた。非常に面白い。
彼女はまた「ADHD30歳成人説ってあるけど本当だよね」とも。たしかにそっち系の特性を持つ人は30歳くらいになってようやく安定するというか、わかるべきことがわかるようになってくるような気はする。僕も30歳くらいのときにやっぱり人生何度目かの覚醒を得た自覚がある。ま特性如何ではなく現代人みなそうなのかもしれんが、伸びしろのある人は30歳くらいでもっかい伸びる、みたいな言い方もできそうだ。
昔からDon't trust over thirty.って言葉を実感する場面が多い。30歳くらいでどうしようもなかったら永遠にどうしようもない。逆に30歳になって伸びしろを示すような人は、ひょっとしたらずっと伸び続けるのかもしれない。
人間の顔の美醜に関しては僕もずっとよくわからなかった。それこそ30歳くらいで「そういうことか!」と腑に落ちたところはある。
僕の過去の日記を紐解くと女の化粧についてずいぶん否定的に書いているものを見つけられるはずだ。本当にずいぶん前のこと。今でいえばルッキズムの拒絶であって、若いわりに偉いもんだとは思うが当時は現実が見えていない。
一般に化粧は「顔の美醜(等)の差がつきにくくなる」という機能を持つ。見た目での差別や偏見が公然と存在するこの世では非常に重要なものだ。しかしそれはそれとして、幼少期にえんどコイチ『死神くん』JC4巻「心美人」を人格の一部に採り入れてしまった僕としては、「それはそれとして」と考えざるを得ない。
「みんな違ってみんないい」みたいなことが(建前上の)理想とされているはずなのに、なぜ化粧のようなものが「日常的に」かつ「半強制的に」また「脅迫的に」要求されているのだ?と若き僕は疑問だったわけだ。そんな不自由なことがあるか。化粧というものが文化ならば、したい人がしたいように、したい時にすればいいだけではないか?と。まー理屈ではそーだ。
でもまあ現実として「日常的な文化」としてそれは「服を着る」みたいなことと同様に存在している。そこに男女の差があるというのは、男は上半身裸で歩くことができやすいが女はそれができにくい、というような差と近しいであろう。すなわち簡単に埋まる溝ではない。正しいかどうかではなく、そういうふうにできている。
ただ最近はSNSですっぴんを見せるのをさして厭わなかったり、こないだも(執筆時点20日から見た昨日=19日なので未来だ)矢口真里、キンタロー。、橋本マナミが化粧せず練馬に立って誰が最初に声をかけられるか?って企画をテレビでやってた。「化粧は化粧、素顔は素顔」という分け方も今の世の中にはあるらしい。
そういえばexLEJKがまだ本当にJKのとき相談があるってんで名古屋で会ったら学校帰りですっぴんで、ふだん「二次元の女のかわいさしかわからない人間がする化粧」をバリバリにしているものだからそのギャップに少し驚いたのだが、先方は特に気にしないようだった。まだ高校生だしこっちは教員(現役だったかは忘れた)だってのもあるが、そもそも「顔」というものについて彼女は実はそれほどピンときていなかったのかも。コスプレも好きだった(まなびストレート!のみかんを名刺にしてた)ので、お出かけ時のメイクはそれに近いような感覚もあったか。ちなみに最近はゴスロリやロリータを着るようになっていて、それが「二次元の顔」から「三次元の顔」へ理解が進んで(?)いく過程の中で生じた趣味の変化だとしたら非常に興味深い。
さて現在の僕は、諸々の事情を「現実問題」として認めたうえで、化粧というものを「価値観の反映される技術」として捉えている。これは「ファッション」「髪型」などはもちろん「表情」というものにも近しい。服を着る以上はファッションというものが存在し、頭がある以上髪型というものが存在し、顔がある以上表情というものが存在する。そして化粧というものも、社会的に求められるところでは存在するし、求められていなくとも存在して良い。
毎日の表情の蓄積は顔つきに結実する。特に30歳ともなれば顔つきがすべてだとさえ思える。くだんのexLEJKも非常にいい顔をしている。「今まででいちばんかわいい」と彼女が思えるのは30年の表情の蓄積でもあろう。
僕が自分の外見について語ったのは「
2009/09/06 一目惚れについて」が有名(?)であり、その後は
これとか
これとか。
顔というものはそれまでの価値観が反映された作品であり、その上に化粧というものを、「現在の価値観」として付け加える。肉体とファッション、ってのもそれに近い関係がある。そのトータルバランスに違和感なく、また美しいかどうかが、「かわいい」の「かっこいい」のって評価を左右する。
ゆえに今メイクとかそういうものどもについて思うのは「バランスを取るための技術」。非常に大切で優しいもの、という側面がそこにはある。だからこそ踊らされたり社会や他人に左右されすぎたり、自己目的化してしまうのはもったいない。
2024.9.19(木) ヨヤクをしろ!ください!
10月12、13日に
演劇をやるのだが、ヨヤクが一切入っておりません。この日記の読者さま、来られる人は全員来るように。面白いよ、絶対に。僕がやるんだから。
「当日行けたら行く」という人の気分もわかるのですが、事をなす人間の気持ちもわかっていただきたい。あまりにヨヤクが少ないと不安なのである。そして「需要がない」ということについて絶望したくなる。するとモチベーションの低下に繋がり、作品のレベルも下がってしまう。ヨヤクすることによって作品が面白くなる、これは間違いない。ヨヤクはまわりまわって観る人の利益にもなるのだ。
それってこの日記とかでも同じで、掲示版が動いたり感想くれたりするからたくさん書こうという気持ちにもなるのであって、無風であれば「どうせ何を書いたとて」って筆は進まなくなる。そういう仕組みが小さな世界にはある。衆議院の解散総選挙よりも小さな町の町議選のほうが一票の重みははるかにでかい、それとまったく同じである。ジャッキーさんは登録者100万人のYouTuberではなく、24年かけてアクセス延べ49万人の弱小HomePagerなんだよ。
しかし演劇というのは僕にとってリハビリだな。このタイミングで決意したのにはきっと意味がある。僕も11月1日で32回目の9歳を迎える(すなわち……計算してください)。そろそろ「自分一人でやる」というだけではやってられなくなってきた。
一昨年のひとり芝居『うさぎとたぬきと柿』みたいな、完全に一人でやることも続けていきたいが、複数人でやる「プロジェクト」とか「チーム」みたいなものも今後は意識していこうと思っている。手始めに10月から少しずつアシスタントを動かしていく。ずっと言ってるけどいよいよ本格的に。そのうち法人化もしたい。
30代ってよく「働き盛り」と言われるけれども、僕が30歳で成人して10年間、一人でやれることはやったなという気がする。ここが僕の個人としてのみ動く限界であろう。ここを突破するには一度ある程度の「かたまり」として動いてみて、あらためて個人として動き出すことが必要なんじゃなかろうか。ソロ→バンド→ソロみたいなの。
性分として「みんなでやる」のは得意ではないが、それでもそろそろそういうこともできるようになっておかないと孤独死もある。肉体に非ず、概念としての孤独死が。
2024.9.20(金) 孤独な古本屋
高1のとき初めて自転車で稲武行った記念日。「あ、つまり自転車ってことなんだな」と目覚めてしまった。そういう日のことは永遠に忘れないね。
9/17と9/25は古い古い大切な友達(片方はたぶん死んでる?)の誕生日なのでいろいろなことを思い出す時期でもある。
さっき友達から「○○さんが亡くなったらしい」と連絡が来た。某県で古本屋を営んでいる人で、飲みものを出したり大小さまざまの企画を立てたり、細かな工夫も面白く、小さな町の確かな「よき場所」として麗しかった。ちゃんと若い人、小さい人たちにも目を届けていた。
「飲食やイベントもやっている小さなセレクト本屋・古本屋」はあまたあれど、たいがい似たようなことばかりやって、同じような本を並べている。それで業界同士でつながって、わかりあって、「本好き」みたいな人たちでうなずき合って、「そうだよね」とばかり言っている。それはそれで社会的意義はあるんだと思うが、どうしてもそこから一歩出ない。出ようとしても出にくい、という事情もある。「本」というもので繋がると、そういうことになりがちだ。本っていうのはどうやら、性質として閉鎖的らしい。おかしいな。
どれだけ広がろうとしても、「本」というところからは決して出ることができない。それをあえて破ろうとするか、それに自覚的になりつつ、粛々とやるべきことをこなす人たちを僕は好きなのかもしれない。無自覚に「本っていいよね」「やっぱ本だよね」とだけ言い合っているような人たちを信じる気にはなれない。
亡くなった彼は「本」というものの限界、あるいは閉鎖性を知っていたように思う。ゆえにあの店には孤独感があった。さみしさがあった。さすが「古本詩人」を標榜するだけのことはある。店主は自作曲を弾き語りで歌うこともあった。アコースティックギターで。エレキじゃダメなんだよ!と思ったらインスタに思いっきりエレキ弾いてる動画あったわ。店じゃなくてスタジオだから許してやろう(なぜか偉そう)。
創作というものの孤独も彼は知っていただろう。その点でも僕らは気が合ったのだと思う。「僕も最近曲作って弾き語りやってるんですよ~」と告げた時、じつにうれしそうに「本当ですか! ぜひ対バンしましょう!」と言ってくれた。はぁ、実現できなかったな。人が死ぬとこういうことになる。生きていてほしかった、とも死んでからしか思えなくて歯がゆい。
本を読む、ものを作る、店を開く、それらは孤独なことだ。しかしそのことに自覚的な人はさほど多くない。だから孤独さの存在する店は世に少ない。なんでガラス張りやねん。それで、孤独さをよく知っている人は、孤独のあるお店に心地よさを感じる。彼の店が好きだった人はそういう人だったんじゃないかな。
孤独を忘れたいのではなく、孤独に浸りたいのでもなく、当たり前に孤独が「そこにも」ある。わたしの心にもある孤独が、このお店にも当然のように満ちている。だから吸う空気は身体に入って違和感がない。
大切な同志であった。詩情を知る人のお店が一つなくなったことを残念に思う。彼がいなければそれは成立し得ないのだ。
2024.9.22(日) 甘美な稽古
土日と稽古であった。稽古。なんたる甘美な。懐かしきこの響き。まともな芝居の稽古なんて『ゆでたインゲン豆』以来20年ぶりなんじゃないの?
いや、まともかどうかはわからない。なにせ台本が現在進行形なのだ。むろん僕の怠惰のせいでもあるが、作品の特性上のことでもある。アドリブ(ほぼインプロ)を基調とし、僕含むメインキャストのほとんどは本人役。
本人を本人として登場させ、アドリブいくらでも出るだけ出して!という演出方針なのだから、「当て書き」(誰がどの役をやるかをあらかじめ想定して書くこと)にも限界がある。「わたしはこんなこと言わない」「言いたくない」といったことは書けない。言わせても誰も楽しくないし、アドリブでボロが出てしまう。
ゆえ台本を進めるには「聞き取り」と「相談」が必須なのである。とりわけメインキャスト二人には、生き方とか内面とかに関わる内容を舞台上に載せていただくので、「これは自分ではない」と思わせるような筋は作れない。かれらがそれで多少なり報われる、ないし救われるような台本でなくてはならない。んまあ難しくはあるんだけど、できる限りそこを目指したい。
みんな社会人だし僕は夜の仕事(金土は2時まで営業)なので、昨日も今日も昼に集まって夕方に解散。あまり時間がない中でそれなりに効率的に動けたとは思う。某社長にお借りしている稽古場(稽古場!)もいい感じだ。
金曜、26時すぎにお店が終わり1時間だけ仮眠し台本を進め、そのまま稽古に行って15時半くらいに解散。その場で1時間だけお昼寝し、教え子の生誕営業にチラッと顔を出して19時から夜学26時まで(メリデのマスターがいらっしゃり、緊張してしぬかとおもった、むろんポーカーフェイス!)。帰宅してそれなりに寝て、家のことを少しやり旅行の準備をして早めにケーコバへ。台本を進めつつ待つ。16時前に飛び出して新幹線乗る。どこに行くかはナイショなのさ。さっき静岡茶買いました(ヒント)。電車の中で小道具買ったりなど。
ところで、お昼は土日ともみんなでおべんとみたいの食べたんだけど、楽しいね。ふだんこういうふうに食べることってないもんね。そういう特別も「演劇」や「稽古」って言葉には甘美さとして含まれている。
多司のおにぎり食べたいなー。
2024.9.23(月) 褒められました(1)
くぼくん(元レンタル話し相手)という人から褒められた。ねぎらわれたと言ってもいい。ちゃんと「がんばっていますね」という内容を伝えてくれた。長文で。
未来人のために書き記しておきますが、僕は8月末くらいから(具体的には
この記事以降)心調と頭調を著しく崩しており、その回復のためみなさんへ「がんばってるねと言ってください!」とお願いしてきたのだ。
しかし! 実際「がんばってるね」と言ってくださった方はそれほど多くはなく、むしろ「そんなこと言われても」という空気を多めに感じて、反省した(間違いを悟った)のがつい最近の
この記事。《これを読んでいる人のほとんどは「根本的には人と関わりたくない」わけだから、そのような僕とのコミュニケーションの発生自体がしんどいし、それを促されるのは相当キツい。》というくだりには、15年付き合いのある友達から「爆笑した」とのご感想をいただきました。わかります。
とはいえ「がんばってるね」と言われたらめちゃくちゃ嬉しいから、テキトーなタイミングで、もうそれこそ挨拶みたいに軽くでも、お伝えくださったら幸いに存じます。
彼(くぼくん)からは二度に分けて文章をいただいた。本人に許可を取りましたので一部転載しつつ所感を述べていきます。まず最初のおたより。
先ほどから8月26日あたりの文章を読んでいるんですが、すごく心に響くものがあります。自分に重ね合わせたりジャッキーさんの気持ちに想いを馳せたりしています。2回泣きました。
2回も泣いてくれるなんてありがたい! これは9月9日の夜に送られてきたもので、まだ心が今ほどは回復していなかったので非常にありがたかった。
ジャッキーさんは頭が良くて優しいなぁといつも思っているのですが、その知性や優しさはがんばっているからできたものだったんですね。いつもがんばってるんですね。
こういうことですよ。こういうことを僕は言ってほしかったんですよね。「知性的ですね」とか「優しいですね」と言われるのももちろん嬉しいですけれども、その背後にある「がんばり」についてはあんまりねぎらわれない(気がしていた)し、いま心が死にかけているときにくらい、みんなの力を借りさせてほしいなーと思ったのです。このように的確に応えてくれる友達が何人もいたということは本当に有り難いです。
ふだんはいくらでも黙ってがんばれるんだけど、心がもう死んで、これはもうヤバいって時は別だったりするじゃないですか? ふだん言わないけど言うってことは相当ヤバかったのだとご解釈いただきたい。みなさんのおかげで持ち直しました。感謝しております。
なんて書くと、何もアクション(ないしアプローチ)をしなかった人たちは、「ホラ見ろ、自分が何もしなくてもジャッキーさんは立ち直ったじゃないか。やっぱり人に恵まれているんだ、自分なんかは数に入る必要はないんだ」とあらためて傍観、静観を基本に据えるのではと思ってしまうのですが、僕は本当にそういう態度を憎んでいますからね。何度も書いていますけど。
それはピーターパンが「妖精を信じるなら手を叩いておくれ!」と叫んだとき、手を叩かなかった子どもと同じなんですよ。小説『ピーター・パンとウェンディ』の該当シーンを読んでみてください。ティンカー・ベルが死にそうになってて、それを助けるためにピーターは子どもたちに「手を叩いて!」と呼びかけるんだけども、そのあとにちゃんとこういう記述があるんですよね。
《大勢の子どもが拍手をした。/拍手をしない子どもも、すこしはいた。/もっとすこしだけれど、しいっ、なんていった、意地の悪い子どももあった。》偕成社文庫より、訳は芹生一。
手を叩かない子がいても、それどころか「しいっ」なんて言う子がいても、ティンクはちゃんと生き返る。そこがこの小説のすごいところなんですよ。それで「ふん、僕が手を叩かなくたって、ティンクは生き返ったじゃないか。自分は要らない子なんだ」なんてスネるのは、あんまりいいやつじゃない気がしませんか。
でも手を叩かない子どもの気持ちがわからないかといったら、わかりますよね。人にはそれぞれ事情があって、手を叩きたくない時だってある。だからその子どもたちを憎むつもりは僕にはない。ただその「態度」だけは憎ませてもらいますね。態度を憎んで子どもを憎まずというか。それはよくないことなんだけど、よくないことをせざるを得ない時だってあるよね、ということ。その自覚の有無は、いいやつかどうかっていうのに関わってくるんだと僕は思います。毎度偉そうですみませんが、このあたりは次回の記事にも関わってくるところなのです。
手を叩かない子どもの事情や気持ちもわかるから、「おまえ手を叩かなかっただろ」なんて怒るつもりは僕はない。ティンクは怒ってたけど。《ティンクは、妖精を信じてくれた子どもたちにお礼をいおうなんてことは考えず、ただもう、しいっ、といった子どもをいじめたいとだけ思っていた。》これもすごいでしょ。そういう本音も存在する。それをちゃんと描いたのは本当に素晴らしい。めっちゃ面白いんで、読んでね。
ジャッキーさんの文章からも得るものが多いですが、今回の文章には特に助けられています。がんばって文章を書き続けてくれてありがとうございます。
いや本当に本当に。文章だってがんばって書いているのであります。好きで書いているのではあるものの、本当に好きに書き散らしているわけがない。
ちなみに言っておきますが、このくぼくんという人物は僕のイエスマンではないし、ファンとかでもない。ただお店に長く通ってくれている友人である。来る頻度も高くはない。また僕の考え方をトレースしたり乗っかろうというタイプでもない。彼には彼なりの考え方があって、他人の意見によってそれを曲げることはほとんどないのだ。しかし納得できることにはちゃんと納得するし(当たり前だが)、時間をかけて「とりいれる」とか「参考にする」ということも実はずっとしている。堅牢な頑固さの中に素直さや柔軟さがしっかりと隠れているのである。ジャッキーさんという人は彼の頑固さを(あまり)否定せず、その陰にある柔軟さに賭けてじっくりと向き合ってきた人物なのだ。彼は彼で、時に考え方の異なる僕の言葉を(たぶんそれほどは)否定せず、「なるほど」と思うところだけ思って、じっくりと向き合ってきてくれた。それを踏まえると実に感動的な文章なのである、これは。
夜に読んでもらう方が感動してもらえそうだけど今寝てたら明日の朝読むかもしれないとか、最近の文章を全部読んでからにしようとか考えてましたが、とりあえず今言ってと書いてあったのでとりあえず今言いました。
明日もっと本気のがんばってますねを伝えようと思います!
巧遅は拙速に如かず、という言葉がある。あとでうまくやるよりも、下手でいいからいますぐにやったほうがいい、みたいな意味。どうしても巧遅をめざしてしまうのは見栄もある。誰だってうまくやった姿を人に見せたいものだ。それをこらえて、今すぐに動いてくれたことを感謝します。
一通目(9/9)はここで終わっている。
二通目は長いのでいったんここで切りましょう。いま大阪の喫茶店にいます(実は24日)。
2024.9.24(火) 褒められました(2)
前回は9月9日深夜に届いた「くぼ」くんからの激励おたよりを紹介いたしました。「明日もっと本気のがんばってますねを伝えようと思います!」とあったが長文がきたのは21日の早朝(4時29分)。いろいろあったであろうなかわざわざ朝方まで時間を割いて僕を褒めるためだけの文章を送ってくれたことはじつにありがたい。ということで、それを公開することによってささやかながら彼へのお返し、褒め、いたわり、ねぎらいと代えさせていただこうと思っております。
お待たせしました。やっと本気の「がんばってますね」の文章を送ります。
本気でやろうとするとやっぱり腰が重いですね。遅くなってすみません。でも軽いのは読んだ日にすぐ送っておいてよかったです。
8月27日から今日までの記事の読みたいところを読んで、「仲良しの発想」も6時間中4時間半まで聞き直して(残りも聞きますよ)色々考えたのですが、ジャッキーさんは「自分が幸せになるために信じられないほどがんばってる人なんだな」と思いました。
これは慧眼というか、「伝わってるな」と思った。そう僕は「自分が幸せになるために信じられないほどがんばっている人」なのである、最終的なラベリングとして。
幸せになるための努力を決してサボらない。諦めない。「どうせ」なんて言って外部のせいにばかりしない。できる限りはやってみる。「自分は不幸せだ」などという情けない結論は出さん。最後の審判は死ぬ日で十分だ、人事を尽くして天命を待とう。児童書や漫画もそう言っている。
ぼくからするとジャッキーさんはメンタルに余裕がある人のように見えていたので、たまに幼少期の話を聞くと、そんな大変だったんだ、意外だなと思います。
辛い幼少期をなんかうまく器用に乗り越えて今は平気な人なんだなと思っていたんですが、想像を絶するほどの不安や絶望に押しつぶされそうになりながら必死でがんばって、自分が生きられる道を探し、今も少しでも気を抜いたら崩れそうな中、がんばり続けてるんですね。
はい、そうです。そうなのです。メンタルに余裕などありません。もちろん、かつてに比べたらだいぶ安定してきた自負はありますが、それでも「今も少しでも気を抜いたら崩れそう」な危ういバランスのもと生きているのであります。崩れないのは培ってきた技術のおかげでしかない。で、実際こないだ崩れかけた。いや崩れた。ご存じのように。
ぼくもだいぶ生きづらさを抱えている人間ですが、幼少期にずいぶん甘やかされて育ったために「世間の人はぼくをお母さんみたいに甘やかしてくれない!」という不満を撒き散らして生きづらくなっているタイプなので、幼少期に大変な家庭で育ってきた人のがんばりは想像もできないなといつも思います。なんで1人でがんばれるんですか?
この人(くぼくん)のえらいところはここである。「自分は甘やかされて育ってきた」という自覚がちゃんとある。そのうえで、「自分なんかが世の中に文句を言う筋合いはない」などと凡庸な考え方はせず、「なぜ甘やかされないのだ!」という不満を正々堂々主張している。これはなかなかできることではない。かつ、「自分とは違う育ち方、生き方をしてきた(している)人間」にも今、目を向けようとしているのも素晴らしいではないですか。
もちろん、無条件で誰もかも甘やかすべきではないとは思いますが、しかし「無条件で誰のことも甘やかさない」と思っているような人もおかしい。そういう人に限って「無意識に誰かのことを甘やかしてしまう」ことがよく見られる、ような気がしてしまいますね。
僕はこのくぼくんという人に対してそれなりに厳しくしておりますが、無条件に厳しくしているわけではなく、場合に応じて優しくしたり甘やかしたりということもしっかりと行っているつもりである。そのバランスの上にわれわれの友情は成り立っているのだ。正当に厳しくあたり、正当に甘やかす。その態度が伝わっているからこそ、彼は僕の存在をずっと好んでいてくれているのだろう。
なぜ一人で頑張れるのか?という質問については、まったくわからないですが、一人でがんばりたいとは思っていないから、かもしれない。誰かとがんばりたい、みんなとがんばりたい、だから諦めずに「その道」を探って、頑張り続けているのかもしれませんね。みんなが「みんなごと」を考えて、その中にその人と僕が両方いる、という状態をめざしている。
ここ非常に良いことを言っているので2回読んでください。
あと、仕事をがんばっているのもすごいなと思ってます。
以前、教員の仕事と掛け持ちをされていた時にびっくりするぐらいの睡眠時間で稼働し続けていると聞いて、器用にやってるタイプだと思ってたけど根性もすごいあるんだなぁ、がんばってるなぁと驚きました。
ぼくはアルバイトとかすぐ手を抜いてしまうし疲れたら休んでしまうので、真似できません。
教員と夜学バーを掛け持ちしていたのは2017年4月から7月までの間なので、彼とはその頃から知り合っていたことに。たしか当時は大学生。長いことお世話になっております。
睡眠時間がどうというより、いろいろ大変でして、根性があるからそれができていたけど、根性だけではこれは持たない(勤務先の学校でいろいろあったのです!)と思ったので、教員を辞めることにしたのです。りすくへっじ。
ここから先、くぼ節が炸裂してとても面白い。
それだけがんばらないと生活できない仕事しかできないというのは、辛いですね。
大多数の人はそこまでがんばらなくても生活できるのに……ジャッキーさんは何も悪いことをしていないのにそれだけ選択肢が限られるなんて、世の中は理不尽ですね。
がんばらなくても生活できるようになればいいんですが……そのためにはお客さんが倍くらいお金を払わないといけないのでしょうが、冷たい人が多いんですかね。
なんだこいつ。煽ってんのか? やんのか? お?
こういう揶揄とか悪口にしかほぼ聞こえないようなことを天然で、悪気なく言えてしまうのがくぼくんの美点(素直という意味で)であり、欠点でもありますな。
いやまあ、お店に関して言うなら、僕が設定(想定)している料金をみなさまにお支払いいただいているだけなので、「お前らもっと金払えや!」という気持ちは一切、微塵もありません。本当に。ただお店から離れて「おこづかい」の領域に入ると「いくらでも金をくれ!」と思いますね。むろんそれはかなり難しいことで、求めすぎているというのはわかるのですが、だからこそこの超進歩的な考え方を今のうちから強く主張しておきます。
このあたりのことは今月中に書く予定である「るなめる」さんの引き払いに関する記事に繋がります。お金(浮き世の価値)とはいったいなんであるのか?みたいなこと。乞うご期待。
今回、「がんばってますねって言って!」と一所懸命お願いしているのが1番、「がんばってるなぁ」と思いました。
これって他の人は言わないじゃないですか。
褒めが足りないなと思っても不機嫌になったりするだけで普通は要請しない。
でも、ジャッキーさんは黙って我慢するのではなく、どうすればいいか考えて、「声に出してお願いすればいいじゃないか」と思って、実際にそれを行動に移して、しかも何日も続けたわけですよね。
この発想力と行動力の持続力のどれもが特異ですごいし、どれもががんばりの表れなんだと思います。
ここはけっこう、彼の文章の中でもサビ、白眉と言っていい部分だと思います。
ところで白湯というとき白は「さ」と読み、白眉の眉はもちろん「び」でありますから、「白眉」は「さび」とも読み得ますね。頭いいですね、ジャッキーさん。(シャレやジョークが好きだとこういうことばかり考えるんですよね。)
さてこの観点、「がんばってますねって言って!」と一所懸命お願いしていることそれ自体ががんばってる、普通はしない、黙って不機嫌になるのではなく誰も考えないような解決策を発想して行動して持続させている、これぞ「がんばり」そのものではないか。そう言ってくれているわけですね。その通りですね。よくわかってくださいました。ありがとうございます。
そういうことに僕は気づいてほしいし、気づいてるよって示してほしいんでしょうね、きっと。じゃないとさみしいから。そう、さみしいからなんですよ。より大きな快楽を得たいとかじゃなくて、ぽっかりと心に穴が空いたような気持ちになってしまうのを、どうにか避けたい一心なんですよ。
で、なぜそんなにがんばるかというと、「幸せになりたい執念があるから」なんじゃないかとぼくは勝手に解釈しました。
ぼくがインフルエンサーになるのにこだわりつづけているのも、そうならないと自分は幸せにならないと思っているからで、自分の幸せをなんとしても掴むぞという執念のせいなんですね。
で、世の中の大多数からはそういう執念を感じません。なんでやりたくない仕事をしているのか不明だし、恋人を妥協しているのも不明です。もっと本気で自分の幸せを追えよ、と思います。ぼくはこれを「真摯に生きてない」と表現しています。
ジャッキーさんはその点、誰よりも真摯に自分の幸せを追っていて、ずっと手も抜かず、ぼく以上に執念がある人なんだなと思っています。
ぼくは自分の幸せに対して真摯な人にポジティブな感情を抱くので、ジャッキーさんもすごく素敵だなぁ、と思います。
このあたりはくぼくん個人の信念に沿った感想で、彼のことをよく知る僕としてはかなり理解も納得もできます。素直にありがとうございます。
こういう時、「でもがんばりすぎないでくださいね」とか普通は言いたくなるところですが、がんばらないと生活できないとなると、そうは言えないですよね。
煽りなのカナ? でも悪気がないことはわかっているので気になりません。お気遣いありがとうございます。
ぼくがお金持ちだったらめちゃくちゃお金あげるんですが、ぼくも余裕ないのであまり力になれないのが歯がゆいです。
とりあえず今日(21日)お店行くので、そこで1万円ぶんお支払いしますね。
では後ほど、夜学バーで!
その気持ちだけで十分です、と言いたいところを、具体的な日時と金額まで挙げて支援を表明してくだすって、いやー実にありがたいことでございます。
もう何も言うことはありません。
2024.9.29(日) 引き払うってこと言ってんの
ギリギリになってしまった。9月30日に友達が「引き払う」ので、それについての文章を書こうとずっと思っていたのだが、忙しいうえに難しくってなかなかできないでいた。これから書くことも正直ちゃんとした「説明」になっているかは疑わしい。僕なぞが言葉で表せるようなら彼女はあんなに苦しむものか。言葉を尽くせば尽くすほど伝わらないというジレンマは僕が誰よりもよく知っているつもりだ。僕はこれからその徒労の一部になろうというだけだ。使命により、祈りとして。
何から書いたらいいかもわからない。結局すべてが終わってから改めて書くことがすべてになるのだろうが、とりあえず明日に向けて少しくらいは言っておきたい。まずは「引き払う」という表現について。少し長いが大切なところなのでしっかりと引用する。
残された音声データには、静かに問い詰める沙也加と、言葉少なに答える前山の声が収められていた。
沙也加「じゃあ、1カ月で引き払うってこと言ってんの?」
前山「うん」
沙也加「マイ・フェア(が終わる)までって、あと1カ月しかないのに?」
前山「うん」
沙也加「そんなことしないでしょ」
前山「1週間で引き払わせて、じゃあ」
沙也加「でも自分が決めてきたところ、1カ月で引き払わないでしょ」
前山が契約を決めたマンションを1週間で引き払うと主張するのに対し、神田が「そんなことしないでしょ」と応じている場面だ。ところが、ここで前山の声のトーンがガラリと変わり、怒鳴り声になっていく。
前山「引き払うって! なんで俺のこと信じないの、そうやって! おい!」
沙也加「怒鳴らないで」
前山「死ねよ、もう。めんどくせぇな」
沙也加「『死ね』って言わないで」
前山「死ねよ」
沙也加「『死ね』って言わないで」
前山「(遮るように)死ねよ」
沙也加「(やや涙声で)何で言うの?」
前山「死ねよ、マジで」
「死ね」という言葉を4回繰り返す前山。沙也加はハッキリと涙声になって、こう問いかけた。
沙也加「死んだらどうなの?」
前山「ん? 別に」
沙也加「何とも思わないの?」
前山「うん」
沙也加「せいせいする?」
前山「うん。お前しつこいんだもん、だって」
すすり泣きながら、沙也加はこう言葉を継いだ。
沙也加「『死ね』って言わないで。叩きなよ、じゃあ。『殺すぞ』とかさあ、『死ね』とか言うんだったら。言うこと聞かせればいいじゃん、それで」
前山「そんなことしないよ。殴ったらだって俺、悪くなるじゃん」
沙也加「そんなこと言ったって、『死ね』って言ったって、『殺すぞ』って言ったって、おんなじだよ」
前山「いいじゃん、もう死ねば。みんな喜ぶんじゃない?」
沙也加「私が死んだら?」
前山「うん」
沙也加「なんでそんなこと言えるの? みんなに嫌われてるってこと?」
前山「うん」
しばらく沈黙が続き、沙也加は声を絞り出す。
沙也加「ねえ? (涙声で)ねえ、そんな酷いこと言わないでお願いだから」
そして、音声データの最後に収められていたのは、
沙也加「『大好きだ』って、『こんなに合う人いない』って言ったから付いてきたんだよ……」
将来を見据えたはずの恋人に縋りつく言葉だった。
(週刊文春 2022年1月13日号より)
2021年末に亡くなった(飛び降り自殺と見られる)神田沙也加(SAYAKA)さんと当時の恋人とのやり取りとして週刊文春が公開したもの。冒頭に何度も出てくる「引き払う」というワードをくだんの彼女は用いているわけだ。
はて彼女とは誰か?
僕の友達の女の子で、今月30歳になった。そしてこの月末で「引き払い」を企図している。神田沙也加のファンというわけではない。
この場合の「引き払う」というのは引退のことである。彼女はメイドをしたり歌を歌ったり、それらに付随して様々のものをつくったりしていたのだが、そういったことを一切やめるということらしい。おそらく去年の12月30日には決意していた。明けて1月3日に「誕生月でやめる」と僕にLINEした記録が残っている。
彼女の「それ用」のTxitterアカウントのフォロワー数は今見たら96人。ついさっきまで94人だった気がするが、この期に及んで増えたようだ。このアカウントも30日の24時で消える。
100人に満たないフォロワーで、うち僕の友達(単にフォロワー被りというわけではなく本当に親しい人)は8人。知人とか「知ってる人」というレベルに広げるとおそらくその2倍かそれ以上。かなり小規模な活動なわけだ。
9月30日の20時31分から、四谷四丁目のBAR DOCTORHEADというところでラストライブが行われる。ここはオーナーも店長も僕の20年近い友達である。同じビルの7階も同じオーナーが借りていて、そこで僕の20年前からの恩師である浅羽通明先生が「どら猫堂」という古本屋を間借りしている。要するに完全に僕の人脈が根を張り尽くした会場なわけであるが、僕が押さえたわけでも斡旋したわけでもない。と言って偶然でもない。「友達の友達」でいつの間にかそうなったのだと思われる。
20時31分というのは「8:31」すなわち「野菜」。これは一昨年の「ダチュラフェスティバル」で彼女が作ったCDシングルのA面曲で、僕がたぶん15年以上前(正確にわかったら教えて)に川本真琴さんの『桜』で替え歌したのをカバー(?)してくれたもの。B面は少し前に死んじゃった友達といっしょに歌った『Fly Me to the Moon』。3、4トラックにはさっき引用したSAYAKAと前山氏のやり取りを僕と、まちくたさんと3人で再現(?)したやつが収録されている。
ここまで読んできて、意味がわかっただろうか。たぶん意味がわからないと思う。そしてもちろん彼女には男のオタク(ファンのこと)がかなり少ない。ものすごく偏った感想を述べさせていただくが、男は、とりわけ女を推すようなタイプの男というのは、意味のわからないものを愛でることができない生き物なのである。「ワカラナイカラ好キニナル」という言葉を知らんのか。(僕の大好きな漫画『ディスコミュニケーション』の標語。)
世の中というのは必ずしも「意味」なるものでできているわけではない。佐藤春夫いわく詩というものは言葉のもつさまざまな要素のうち意味以外の要素を意味以上に珍重して作られるものだという。僕はまったくもってこの佐藤先生の言を信じており、この言葉に出逢う前からずっとそのような姿勢で詩作をしていた自負もある。実際昔から僕の詩を褒めてくれたり詩集を買ってくれるのはやはり女の人が多かった。
現在の現実的な男女の差をあえて言ってしまえば女のほうが詩を好きである、あるいは好きでありたいという気持ちが強い。彼女のしていることは常に詩的で、それも僕らが気の合う理由の一つだろう。明日の(っていうかもう今日、12時間後には僕も会場入りする予定なのだが)ライブでも、シャンパンを予約してくれたのは圧倒的に女性が多いようだ。
ただ誤解してほしくないのは彼女はいわゆる「不思議ちゃん(死語)」のような人間ではない。ものすごく頭が良く、ものすごく論理的である。思考のスピードも幅も人並でなく僕は日常的にいつも感心、いや感動している。頭が良すぎるからこそ、「詩」という領域から一切出ることがない。詩ではないもの、もっと言えば美しくないものを本能だけでなく理性や理屈でも判別できてしまうので、研ぎ澄ます際に隙が生まれないのだ。それでいつも純度の高い芸術を提出しているわけだが、そんな純度の高いものを一般の人間が理解してくれるわけがない。だから客はさほどつかない。
残酷なような書き方をしてしまうが、男のオタクが彼女につく際の理由はたった2つしかない。「女であること」そして「たまたま出逢ったこと」である。もちろん「女であること」の中には「見た目がかわいい」とか「自分を否定せず、立ててくれる、話を聞いてくれる、媚びてくれる」というようなニュアンスも含むわけだが、まあ要するに「記号として女である」というくらいのことだ。
とはいえ、じゃあ女は群がってくるかというとそうでもない。友達はそれなりにいるようだが取り立てて多いわけでもなさそうだ。しかし女友達の母数とシャンパンをおろしてくれたりイベントに来てくれたりする女友達の数との比率で考えたらこれは都内でも一級じゃないかと僕は思う。それは「友達だから仕方なく」というよりも、「なんだかわからないが気になる」ということなんだと僕は考えている。
あともっと言うと、たぶん今日(ついに今日と書くようになってしまった)のライブイベントには10人以上の来客があると僕は踏んでいて、遠隔とかも含めたら15人いく可能性もある。それってフォロワー数が96人ってのからしたらものすごいことではありませんか。有象無象もいるだろうに。
そして念のため書いておくが、この文章を読んで彼女がすごく喜ぶとは僕は思っていない。書いたこと自体については嬉しく思ってくれるだろうが、内容に関しては喜ぶ部分も喜ばない部分もあると思う。むしろ傷ついたり落ち込んでしまうことも書いているかもしれない。
意識としても僕は、彼女を褒めたくてこの文章を書いているのでない。もっとわかろうとして書いている。もっと言語化したくて書いている。しかし引き払う前日になってもまだ表現が見当たらない。まず間違いなく彼女のこの一連の活動、ことに引き払いに関することについては世界で一番理解していると思うのだが、それでも何を書いたら何が伝わるのか一切わからない。この感覚は本人が一番わかってくれるのではないだろうか。何を書いても何も伝わらない気がしてしまう絶望。僕も自分自身についてよくそれを感じる。
なぜ彼女は引き払う(俗に言えば引退する)のか? 30歳になったから、ではない。もちろんそういうキリの良さも決断の背中を押したのだとは思うが、あくまでも数字の偶然にすぎない。彼女いわく「できないから」だそうだ。「売れないから」とか「向いてないから」というのとは違う。「誰もわかってくれないから」というのはあると思うが、直接的にはそういう話ではないらしい。「不可能」という感覚が近いとのことだ。
彼女は肉体的な限界を感じている。単純にただそれだけのことと理解していいと思う。やれるならやるのだ。それが使命なのだから。でもできない。だから引き払う。
この感覚が僕は本当にすばらしいと思っている。年を取ったからやめるとかっていうことではない。不可能だからやめるのだ。そりゃそうだろう、使命なんだから、可能な限りやるんだよ。偉いんだよ。使命を負った人ってのは。
これ明らかに自分にしかわからないメモ書きみたいにもなってしまっているが、最近どこかで「使命」について書いたからそれを参照していただきたい。時間がないので思いつくことをずいずい書いていくぞ。
じゃあ彼女はなんのためにメイドをしたり歌を歌ったりしていたのだ? それが使命とはどういうことなのか? ここは僕にもいまいちピンと来ていないというか、正しく言語化できそうにないので深くは踏み込まないでおくが、かなりあっさりと言えばたぶん「世の中を良くする」ということなのだろう。そしてそれは「自分が美しいと思うことをする」という形でしか達成されない。
彼女のすばらしいところ、すなわち僕と似たところでもあるのだが、それは「自分が美しい(正しい)と思うことをする」ということと「世の中がよくなる」ということの一致を考えているところだと思う。本人がそう言っていたわけではないが僕にはそう見える。SAYA花で世界が美しくならなければSAYA花を折る意味がないし、世界が美しくなったとしてもそこにSAYA花のようなものがなければ美しいと思うことは難しい、みたいな。
(SAYA花を折るってなに?ってのは真っ当な疑問でございますが、まあそういうのがあるのだ、とだけご理解ください。)
もちろんこれはワガママとか自分勝手、独りよがりといった意味ではない。ここは本当に誤解しないでほしい。単純には、僕がよく書いている「世界の中には自分がいる」というだけのことだ。「世界の中には自分がいる」ということを踏まえないと、「世界の中にすべての人がいる」ということが意識できないに決まっている。そこがわかっているだけで彼女は偉いのだ。
SAYA花でしか世界を美しくできないと思っている人がもしいるとしたら、SAYA花によって世界を美しくすることはその証明になる。それをすることが使命なのだ。
セットリストの説明とかしたかったけど駆け足になるな。たとえばFolderの『NOW AND FOREVER』という(僕も大好きな)曲が今夜歌われる予定になっているが、なぜこの曲を彼女が歌うのかといえば、「この曲を歌うことによって世界が美しくならなければならない(それを証明せねばならない)」と思っているからにほかならない。僕はそう解釈している。それが使命というものである。
それは天才てれびくんバージョン(すなわちタケカワユキヒデワークス!)の『愛はきらめきの中に』という曲でもそうだ。これを歌うことによって世界が美しくならなければ、この曲を愛する人(当人含む)が幸せになれないかもしれないのである。
もちろんこれらの曲に訴求力はたぶんほとんどない。世間的には需要がないマイナーな曲。盛り上がるかといえば、おそらく別に盛り上がりはしない。そのことは本人もよくわかっている。だから「(あとからでも歌詞を読んでもらえれば少しは伝わるかもしれないから)歌詞カードを配るべきではないか」と思って、せっせと今頃作成している。
SHIP(酒田発アイドル育成プロジェクト、2001~)というグループの幻の(!)デビュー曲『All My Love』もセトリに入っている。音源がどうしても手に入らなかった(SHIPまわりの研究をしていた酒田出身の大学教授にまでDMしたのに!)のでYouTubeに上がっているライブ映像(この曲を歌っている動画は一つしかなかった)から音源を抽出し、それにかぶせて歌うようだ。歌詞は必死に聞き取り、わからなかったぶんは僕が持ち前の言語力をフル稼働して割り出した。たぶん99%合っていると思う。歌詞カードを作るなら表記も整えねばと二人で相談しながら考えた。なんでそんなことまでするんだ? SHIPたちへの誠実さである。それがなければやる意味などない。彼女が幼いころ清水屋(デパート)で聴いた『All My Love』への礼儀であり、その当時の自分に対する礼儀であり、同じような経験や気持ちを持ったことのある人たちみんなへの礼儀でもある。むろん祈りと置き換えても良い。
そんな誰も知らない曲をなぜ歌うか? 歌うべきだからである。『All My Love』を歌うことによって世の中が美しくならなければ絶対にダメだからなのだ。歌詞は正しく歌わなければならないし音源や歌のクォリティも可能な限り高めねばならない。それが礼儀だし、美しさの基盤でもあるはずだからだ。
なぜ『All My Love』を歌うことによって世の中が美しくならなければならないのか? 小さい頃に聴いたこの曲が美しかったからに決まっている。同じように美しいと感じた人がほかにもいたかもしれないし、SHIPたちやそのファンにとっては当然美しかっただろうし、何よりも、少なくとも彼女自身の心に残った。だから今さら、音源も持っていない幻の曲を引っ張り出してきてカバーしようというのだ。需要なんてないのに! でも、どこかにこの曲を好きな人がいる。他ならぬ過去の自分がそうであり、今の自分もそうであり、またこのジャッキーさんも聴いてみて「めっちゃいい!」と思ったのである。絶対にこの曲は歌われなければならず、それによって世の中はちゃんと美しくならなければならない!
わかるんかな、このことが。誰かに。しかし書かなければならない。これも使命なのだ。
セットリストはそんな曲ばかりで占められている。僕がむかし作詞した『なせそ』と『わたしのフラワーロード』も歌ってくれる(曲は石井くんという教え(てない)子)。後者は本当にお蔵出しって感じで、「よく知ってるな!」と感嘆したくらいだ。なぜこれを彼女が歌うのかと言うと、もうウンザリかもしれないが当然これを歌うことによって世界が美しくならなければならないからである。そしてまたこれは新旧の僕への応援でもある。彼女の身近で最も世界を美しくしてくれそうな人間は当然僕であるから。それはただ「好き」ってだけではない。歌うべき(歌うのが正しい)と思うから歌ってくれるのだ。その正しさの中には、「この関係性だから歌う」ってのも含まれる。仲良しの人が作った曲は、歌うでしょ。そのほうが美しくなるでしょ、世の中は。っていうことでもある。正しいじゃないか、どう考えたって。曲が良いってのもそりゃあるけど、いろんな角度でものすごくすばらしい選曲なのだ。
SAYAKAの曲も歌われる。しかし彼女はSAYAKAのファンというわけではない。嫌いなわけではなく、どちらかというと好きなのだろうが、ここまでSAYAKAにこだわるからには熱狂的なファンだったのだろうというと、それだけは絶対に違う。そこをあんまり分けて考えてくれる人がいないのは不憫である。共鳴という表現を当人は使っていたが、それは僕にもしっくりくる。好きとかファンだっていうことと、共鳴するってことは違う。共感ともちょっと違う。共鳴。だから弔うようにSAYAKAをモチーフにするのだと思う。
人間はいろんな感情を持っていて、それらが同時にあることもザラだ。しかし傍観者は一つの紋切り型な解釈で一刀両断しようとする。そういう時に彼女も、僕も、悲しくなる。世界はもっと豊かで美しいのに!
もう朝7時になろうとしている。内容よりもこの熱量で何かを感じ取ってほしい。言葉には意味以上に重い要素が宿りうる。そしてライブというものは常に、意味以上のものに満ちているものだ。20時31分までにこれを読んだ人は急いで四谷のDOCTORHEADまで。「これを読んだ人は」ってのは額面通りの意味。全員だよ!
2024.9.30(月) 引き払うってこと言ってんの!
終わりました。現在10月1日の午前2時すぎでございます。とても素晴らしい時間を過ごしました。シャンパンだけを大いに飲み、打ち上げのような時間ではワインだけを飲み続けております。
合計で10本以上「抜きもの」が出て、バードクターヘッド(僕の友達がオーナーと店長を務めるお店)史上最大の売上を間違いなく上げ、「まあしばらくは越えられないだろう」とのことで、彼女は見事有終の美をあげたことになります。
ま、引き払ったからにはそんなこたあどうでもいい。ぜんぜん違う角度からちょっと書いて帰る。今はまだ会場の天空(七階)にいる。
ものすごーーーーーく抽象的に書こうと思って、どうすりゃいいのかと迷うが、うーん、まあ、簡単に言えば、「すでに知っていることに価値を見いだす」ということが僕は嫌いなんだな。そう言う人間を目の当たりにすると本当にくだんねー気持ちになる。
僕が彼女、そうくだんの、引き払い女のことを好きなのは、「すでに知っていること」なんかに価値を置かないからだ。その最たるもんが金であるが、情報っていうもんはだいたい全部そうだ。情報っつうもんは金のような性質を持つ。
情報を得て、それが「知っていること」であれば理解できて、「知らないこと」であれば理解できない。そういうのにうんざりする。
こう書くと「わたしは知らないことを聞くことが好きだ!」と思って安心する人もいるんだろうが、そういう人が興奮してんのはまあ「知っていること」なんだよ。実際。ここ本当に大事。
まったく発想もしたことのないことにしか僕は興味ないもんな、たぶん。これはだって謙虚さでもあるじゃん。
知っていることに当てはめることからしか何も始められない。知っていることに当てははめられてようやく「安心」したり、「評価」できたりする。それを結論とする。結論なんかないのに、「わかった」と落とす。そういうが本当に辛い。
権威に左右されるとか、権威に逃げるということが満ち満ちている空間が面白いわけがない。予定調和だから。そうならない関係が僕にとっては安心できる。
それはまあ僕の言葉でいえば「常識」ってやつですね。
既存のもの。
常識とはつまり「既存のもの」そんだけなんだよな。
既存に意味なんかあるか? ない!
おわり。帰る。
一ヶ月後に僕も引き払うことにする。その引き払い方は、彼女とはぜんぜん違うものだが、心情としては似ていると信ずる。
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