少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2024.7.5(金) 魔法の呪文
2024.7.6(土) シジュウカラ
2024.7.7(日) 最近のこと10選④
 〇りりちゃんのこと
2024.7.8(月) 会いに行ける会いたい人 新宿編
2024.7.9(火) 着物はじめました
2024.7.10(水) マッチングアプリおぼえがき
2024.7.11(木) 24周年やぞ!
2024.7.16(火) 八ヶ岳南麓の思索(自己分析)
2024.7.17(水) 甲斐小泉駅前に文化場が爆誕
2024.7.18(木) 金持ちと貧乏人が分離する
2024.7.19(金) 山梨県→長野県
2024.7.22(月) 続き(改めて、長野県のDIY精神について)
2024.7.23(火) 頂きぼくのかわいがられ況
2024.7.25(木) 小山田圭一
2024.7.31(水) 上越→新潟→高知(予告)

2024.7.5(金) 魔法の呪文

『魔法の呪文』とは崇敬する奥井亜紀さんの曲名なのだが内容とは関係がない。僕は呪文が好きである。寝っ転がってて起き上がりたいとき、僕はある呪文を唱える。寝付けないときの呪文もある。教えないけど。
 そして新たな呪文が三つできた。これは教える。いま実は夜学バーの営業中でお客も二人いるのだが、話の流れでホームページを更新している。
 一つめは「エキストリーム・ルミナリオ」。ふたりはプリキュアMax Heartでブラック、ホワイト、ルミナスが三人で放つ必殺技である。「エキストリーム」は脳内で、なぎほのの声で再生し、「ルミナリオー!!」は自分で声に出す。やっぱり、ふたりのセリフを一人で言うのには抵抗がある。「ルミナリオー!!」はひかり(シャイニールミナス)のセリフなので一人で言ってもいいだろう。これは仕事にとりかかるための呪文。
 二つめは「国名を言う」、どの国でもよい。これはAのタスクからBのタスクへの移行をスムーズにするためのもの。ブレイクを挟むとどうしてもだらだらしてしまうものだから。
 これら二つは中旬に山梨でひとり合宿をするので、そのときに怠けないためにお客さんと一緒に考えたもの。
 三つめは「時分の花」。世阿弥の言葉で、「その時期にしか咲かせられない花(表現美?)」のこと。このホームページを更新するための呪文である。初心を思い出し、その瞬間の花をしっかりと残せるように。その意味もあってあえて営業中にこれを書いている次第。お客さんおまたせしました。午前2時5分。

2024.7.6(土) シジュウカラ

 夕方の雷雨を合羽と自転車でお店に着く。氷屋さんと酒屋さんがずぶ濡れでやってきた。夕立は過ぎて晴れ上がり開店から3時間が経った。特になにも起こらないので日記でも書くか。

 時分の花というのは一時的な花で、永遠に残る「まことの花」とは違う。僕なりに世阿弥を解釈して言えば、その折々に時分の花を開かせつつ、決してそこに満足して留まらず、次の花、次の花と咲かせ続けることによって、いずれ「まことの花」なるものが身についてくる、というようなことだろう。
 世阿弥は、芸の上達は三十五歳くらいが頂点(盛りの極め)で、四十歳からは下がっていくと書いている。この頃までに「究める」べしと。そして四十五歳くらいからは「身の花も、よそ目の花も、失(う)するなり」。若い頃のような花はなくなっていく。それでも消えない花があるとすればそれが「まことの花」であると。そして五十歳を過ぎると、「せぬならでは手立てあるまじ」。
 僕はよく「剣の達人は剣を持たない(持たなくても強いので持つ必要がない)」みたいなことを言うが、芸能もそうなのだろう。小手先の術を弄せずとも、ただいるだけ、ちょっとした所作や表情、少しの言葉だけで存分に「花」となるような境地。僕がこれから目指すのはここである。
 僕は9歳であるが、そろそろ「盛りの極め」の時期は終わる。そして芸は、美は、下がっていくであろう。いや世阿弥が言うのは数え年であろうから、実際はすでに来ている。徒然草も「長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」と言う。去年の初めで僕はとっくに死に時を過ぎていた。

 手を抜くつもりはない。これまでと同様にかわいく、かっこよくあり続けたい。ただ一介の世阿弥ファン、徒然草ファンとして上記は強く意識してゆくだろう。ここからは引き算だ。準備運動とっくに始めてはいる。
 実際のところ弾き語りで曲を作ってみたり、一人芝居をしてみたり、落語を始めようとしてみたり、あるいは10月にやる予定の演劇(今度は多くの人を巻き込んでやる)もそうだが、これらは僕の中で「足し算」ではなく「割り算」である。考えようによっては「引き算」とも言える。僕という人間をどう割れば、あるいは何をどうやって引いていけば「その分野の表現」に結実するかという考え方なのである。材料はもう十分にある。これまでに培ってきたものは主として夜学バーに立つ時間の中で総合されていった。あとはもうそこから何を抽出(割り算ないし引き算)し、掛け合わせる(掛け算)かという話でしかない。
「貯める」「養う」「育む」「培う」……もう限界だろう。あとはそれをどう料理するか。ここを見誤ると雑学オタクとか蘊蓄ウィキペディア人間と化していくのだ。
 16歳の正月、「このままではいけない」と僕はとにかく「貯蓄」を始めた。がむしゃらに知りたくて食べた。それはすぐ形になるわけではなかった。何を読んでも見てもすぐに忘れ、どこへ行っても空回りしていた。しかし「栄養」と信じて摂取し続けた。いつかこれが強靭な肉体を作るのだと。それが満期を迎えたのである。

 四十からは下がる。だから引いていく。膨大なものをコントロールする能力は衰えていくだろう。いかにこの膨大さから単純な、純粋なものを掬い取り、また彫刻していくか。静かになってゆこう。
 老いれば視力も聴力もあらゆる感覚が弱まっていく。感じる世界が狭くなってゆく。研ぎ澄ませるには都合がよい。ノイズは僕を変えていきいつか消える。その時にまことの花が残るとよいな。

2024.7.7(日) 最近のこと10選④

 七夕の夜、君に逢いたい

 なんつう歌がありますが陽の落ちてから誰とも会っておりません。お店は15時から開けていてお客ひとりあったのだが17時半以降なし、現在22時半すぎたところ。この5時間ほどで図書館から借りた本を5冊終え、2冊を並行して数章ずつ読んだ。座ったり立ったり客席に回ったりしながら色々姿勢を変えてはいたがとうとう身体が痛くなってきたのでカウンターに立ったままこの文章を書いている。
 練馬時代(18~29歳)、「立ってパソコンやったほうが健康的なのでは!」と思って実践したことがある。一瞬でやめた。家だとやっぱダラダラしたいんで座椅子に戻った。ノートならそういう使い分けもアリだったろうが当時はたぶんデスクトップしか持っていなかったのだ。
 お店だとけっこう良いかも。いつお客が入ってくるかわからないのだから「ダラダラ」はできない。適度な緊張感で立ったまま待てるのは。
 こういうのは夜学バーの「日報」のほうに書くべきですな。申し訳ありません。そっちも進めます。

○りりちゃんのこと
 もったいつけて後半にしましたが書くことはそんなにない。今さらりりちゃんのことネットに書いてる人たちに対して「僕は四年以上前からファンだもんね!」とマウンティングしたい、みたいな話。
 逃げも隠れもせず、僕はりりちゃんのファンであり、ちょっとした友人でもあると思っている。また「理解者」と言って差し支えない存在であるとも自認したい。
 未来人の方は「頂き女子」で検索していただきますよう。ちなみに僕はこの用語が誕生する前からのファンであり、「頂き」ではなく「うらっぴき」という言葉を主として使っていた頃の「マニュアル」も持っている(マウント)。2020年4月25日公開のもので、たぶん第2段。
 りりちゃんは極悪犯罪者であろうか? 僕には「わからない」としか言えない。司法が有罪というのならその意味で犯罪者ではあるのだが、「無罪だと思う」と主張することは誰にでもできるし、「極悪ではない」と留保することもできる。個人的には! 無罪と言い切ることもできないし、有罪と言い切ることもできない。刑罰が軽いか重いかもわからない。「極悪」かどうかもわからない。
 ただ僕は彼女のファンであり、そして(本当にごく薄い関係性ではあるが)「友達」とも思っているので、常に彼女の肩を持つし、彼女にとってよき未来が訪れる可能性が少しでも高まるように考える。
 りりちゃんはいま、主として「手紙」という手段で社会とつながっている。その一部は「ごくちゅう日記」としてTxitterに連載されている。僕はあんまり読んでいない。
 死刑囚である木嶋佳苗さんのブログは2018年5月10日からしばらく止まり、2024年5月1日に再開を宣言した。「信頼できる読者に向けて、価値ある情報を、小さな声で書いていきたい」と。そして2ヵ月また止まったままである。
 その6年間で木嶋さんがどう変わったか、変わっていないのか、わからないのだが、6年間という時間は人間を変えるには十分だと僕は思う。変わるというのは、根本的に変わるというよりは、洗練されるとか熟練するとか、わかっていくとか進んでいくとかいうほうがたぶんありやすい。

 ここからは順序の話をする。「あと8年はあるのだからそれがどういう順序でも問題はないのだが、8年のうちにそれが終わらなかったら大変だ」というのが主旨である。

 りりちゃんは木嶋さんと違っていずれ出所する。2032年くらいだろうか。そこから娑婆で立派に生きていくためにはどうしたらいいのか?
 僕は(りりちゃんに肩入れする人間として)「立派に生きていく」ことが「弁済する」よりも先にあるべきだと思っている。立派に生きて、何らかの方法でお金を稼いで、それを結果的に納税や返済等に充てる、という順序。
 それを考えたときに、あの「ごくちゅう日記」にはどのくらい意味があるだろうか? 長い目で見れば「宣伝」としては良いのかもしれない。いずれ何かをするときに注目されやすいから。それ以外の意味は、思いつかない。
「被害弁済プロジェクト」では、たとえばりりちゃんが獄中で小説を書いてそれを売り、少しでもお金を生み出していくことも計画しているらしい。それはもちろんりりちゃんが「成長する」とか「変わる」ということのためにも大切なことではありそうだ。たぶんまずは「ごくちゅう日記」を書籍化するのだろう。「弁済」を第一に考え、急ぐならそれはきっと正しい。早く出したほうが売れやすい。
 僕もとりあえずそれでいいとは思う。小説を書いたり本を出したりして、お金を稼ぎながらりりちゃん自身も「立派」のほうへ向かっていく。
 ただ僕は勝手に不安になっている。今のままの方針で、あとたった8年間で彼女は立派に生きていけるようになるのだろうか?
 私見だが、今のところあの「ごくちゅう日記」は本人にとって「これまでの整理」でしかない。「すでにあるものを書き写している」のに近い。今はそれが必要かもしれない。しかしいつか、「6年間の沈黙」みたいなものもたぶん必要になると思う。
 成長には「離れる」ということが必要なのだ。
 りりちゃんは「りりちゃん」の延長から離れて、静かな時間の中で、たくさんの本や手紙や面会を通じて、涵養されていかなければならない、と僕は考えている。彼女のもとにはきっと膨大な手紙が届いているだろう。出せる郵便の数は限られているので、当然「ごくちゅう日記」はその返信という側面も持つ。これが彼女を「りりちゃん」という既存の世界の中に閉じ込めてしまう。
 世間がりりちゃんに求めるものを、りりちゃんは提供してしまう。それができる能力は存分にある。でも、それではこれまでと同じなのである。もちろん彼女が彼女らしさを捨てることはない。捨てられたらりりちゃんのファンである僕も困る。しかしファンとして最も恐れるのは、「自分がファンを続けられないような存在に変化してしまうこと」である。
 彼女が気づくべきは「世界は広い」ということ、それだけだと思う。彼女に手紙を出す人たちだけが「世界」ではないのだ。「求められる」「応える」ということをいったん断ち切ったほうがいい。いったん断ち切って、本当はもっと広大な「世界」というものと自分がいったいどのように関わっていくべきなのか、いくことができるのか、ということを考えなければ。
 りりちゃんがりりちゃんでありつつ、しかしこれまでに求められたものとは違う形でそれを表出させる。それができなければ「立派に生きていく」という線はない。あんなに魅力的な人間なのだから、きっと驚くほど素晴らしい後半生を送れるはずだ。それをつぶすのは、りりちゃんの「支援者」や「ファン」や「野次馬」たちである。野次馬はしょうがないとして、支援者やファンはできる限りそうならないようなアプローチをしていかなければ。
 もうちょっと落ち着いてきたら僕も手紙を出すつもり。この日記(この記事に限らない)も読んでほしいな。だれか印刷して送ってください。ひとまかせ。

 また何か書くと思います。

2024.7.8(月) 会いに行ける会いたい人 新宿編

 昨夜は0時にお店を閉めてすぐさま新宿へ。大江戸線も間に合ったのだが今回は自転車にした。お酒も飲んでなかったし、夜風に吹かれて身体を動かしたい気分だったのだ。
 幽山あきという女子校時代の教え子が西武新宿駅近くの店でイベント営業しているというので会いに行った。報せていなかったのでたいそう驚いていた。会いに行けるところに会いたい人がいてくれるのはすばらしいことだ。その喜びはよくわかるから、自分もそうであり続けたい。日曜、熱帯夜、終電後ということでその時はわりと空いていて静かで、わりとゆっくり話せた。まずここに行ったのはいい判断だった。
 ゴールデン街に移動してぐるりとパトロール。20歳の頃から来ている街なので新しいお店があればもちろんわかるのだが、一発で目を引く「これは!」というものにはなかなか出合わない。一見は無個性なほうがいいのだろう。良くも悪くも良い店は隠れているものだ。言いたかないけど目立てば目立つほどお客の質は下がる、たぶん、ことゴールデン街では。
「かおりノ夢ハ夜ヒラク」に寄った。できてしばらくした頃にはけっこうよく行っていてボトルも置いていたのだがなんとなく遠ざかって先日数年ぶりに寄った(後述)。店主はその日もいなかった。いま日月火に立っているという店員さんは水曜「無銘喫茶」でお店やっているらしい。無銘は僕が初めて通い初めて働いたバーであり、いろいろあって離れていたのだが最近ごく稀にまた借りるようになった。11日(木)も17時から33時まで営業予定。詳しくは夜学バーのホームページへ。
「Pearl」へ。ここもできたばかりの頃にはたびたび行っていた。店内にはピチカートファイヴや小沢健二の何やらも貼ってある。これまた店主はいなかったが店員さんとフリッパーズ・ギターの話とかした。2000年代のゴールデン街ってこういうお店けっこうあったよね、って思えるような懐かしさがある、でもまだ10年の老舗。
 どちらもチャージ1000円。むかしは高いと思っていたけど僕も大人になったものだ。一杯飲んで1700円と言われるといまや安いほうだとさえ思える。たぶん湯島のほうがずっと相場が高い。最近できたあるお店は「チャージ1200円、ドリンク800円から、Taxとサービス料20%」。座ったら2400円確定なわけだ。
 最後に、大学の先輩(愛知出身の狂人)がもう10年以上「奇数日曜」のみ働いているお店へ。これも幽山と同じで、「会いに行けるところに会いたい人がいるのは嬉しい」というやつ。幽山のイベントがたまたま第1日曜だったのは僥倖。(いま『カイジ』読み返しているらしい。)
 その先輩は日本縦断マラソンを2回(2005、2011)もやるなどストイックでとち狂った企画を打つのが趣味というか人生みたいな人なのだが、今の会社に入ってから具体的なイベントごとはあんまりやっていないようだ。「サイゼドリンクバー飲み干し企画から今年で20年、縦断マラソンから来年で20年ですよ! なんかやらないんですか?」と煽ってみた。「実は会社を辞めるなら今年か来年だと思っている」「4月1日から3月31日までの1年間で四国のお遍路(八十八カ所)を何周できるかという企画をやりたい」と仰るので、全力で応援した。たびたびお尻を叩きに行こう。みなさまもご協力ください。チリチリナインというお店です。たぶん朝5時くらいまでは何がなんでも鍵を開けていると思います。行って「早く辞職してください!」とお伝えいただけると助かります。そういうので動く人なので、たぶん。

 すでに書いたように11日(木)ゴールデン街でお店をやる(湯島も同時に営業)んで、その視察や宣伝も兼ねてこないだも飲みに来たのだが、その時に友達が三人できた。友達と言っていいのかはわからないが、僕はその人たちにけっこう興味を持ったのでまた会いたいと思っている。そのうちの一人は幽山の「友達のお客さん」らしいことが今日わかった。世間はせまい。
 ちなみにその三人とは「かおり」で顔を合わせて、うち二人とはその後無銘喫茶に一緒に行った(正確には、一人と一緒に行き、もう一人は追いかけてきてくれた)。ゴールデン街の楽しさがギュッと詰まった一夜であった。いろいろ変わっちゃってはいるけどまだまだ捨てたもんではないというか、やっぱり月曜とか日曜のほうがいいですね。静かで。会いたい人はいなかったりするけど、たぶんそれゆえに意外と奇蹟も起こりやすい。

2024.7.9(火) 着物はじめました

 何につけても「必然性」「縁」「流れ」がなくては始められない。海外に行ったことがないのはこれら三つの全てに欠けるからである。着物に関しても「着てみたい」とか「着物を普段着にできたらカッコ良かろう」など考えるには考えてきたのだが、上記三つとは関係ない。「動機」だけでは動かないのだ。それでマッチングアプリもやったことがなかった。
 過去形なのはついに一つだけ登録してみたからだが、ここに書けるような経験は何もしていない。僕には向かないと思うのみである。そこには「特殊なまま存在している特殊な人間」は一人として見当たらない。意外性は一切排除されている。「無難」で「最大公約数的」で、カテゴライズしやすい既視感たっぷりの画像や文章、軒並み「点」的なのである。線も面もそこにはなく、ゆえに関係が育つ土壌は皆無。こんなもんでまともな相手が見つかるものか。
 僕はいまだに「マッチングアプリで知り合えるのはマッチングアプリをやるような人間だけ(その質は実に低い)」と思ってる。他のアプリは知らないが、少なくともその大手アプリについてはこれで正解だろう。もうちょっとmixiみたいなのないの? 友達がほしいんだけど。

 やはり現実しか勝たんのである。インターネットは今や「現実へのどこでもドア」に近い。インターネットで知った情報をもとに新しい現実へ出かけて行って、そこで友達を作ったり愛を育んだりするのが現代の良い落とし所だと思うのだ。マッチングアプリのような「点と点を繋ぐ」サービスは案外効率が悪い。自ら「面」の上に飛び込んでいくほうが実のところ経済であろう。
 もちろん、これは「僕(のように特殊を愛する人間)」が「人間関係を広げる(そこにはいずれ恋人や配偶者になる人もいるかもしれない)」ならという話で、もっと単純に「〇〇相手」を探すのならピンポイントで条件を指定できる上等なマッチングアプリ等に課金しまくるのでも良いと思う。双方同時にやるのでもよかろう。
 たぶん最近の人は「面」の世界を面倒くさがる。だから水面下で「点」となり別の「点」を探して繋がろうとする。その気持ちもよくわかるが、年寄りとしては「そうは言うても結局現実は避けられず存在しているからな〜」と思う。しょせん現実から逃げることはできないのだから、自分に都合良いように現実を書き換えていくって方法もあるのだ。そこに全力を注いでいるのが僕である。ただしこれには能力と根気、覚悟と強い自尊心の維持が必要で、多くの人はそれで「面倒くさい」となってしまうのだろう。

 と、いうわけで今日も現実の海を漂っていた。はっきり言って面倒だ。この暑いなか、「今日もわたしは出かける」。最高気温37度、13時に家を出た。
 この日記に書いたお店。火曜日のみランチやっている。きゅうりの浅漬け、ポン酢の冷奴、まぐろ、いわし、かつお、みょうが等の海鮮丼にお茶。デザートにトマトのシロップ蒸しとしそジュース。700円とはいかなる。
 6月29日に寄ったさい、ここで着物と羽織をいただいた。亡くなった旦那さんは背が小さかったらしく僕は着ることができないだろうというのだが、たまたま親戚から終活の一環として送られてきたものがピッタリ合ったのだ。しつけ糸のついたまっさらな状態で、かなり質の良いもの。加えて旦那さんの形見でもある腰紐と博多帯を。巻き方まで丁寧に教えて下さった。
 山梨に生まれ、都内で働いていて嫁入りした先。「あの人からは粋な生活を教えてもらった」と言う。「本当に幸せに生きて幸せに死んだ人だったから、その帯はとてもいいわよ。」そう胸を張っていえるこの方も同じく幸せに生きてきたのだ。こりゃあ本気で、「ちゃんと」着なければならない。
 不幸に生きて不幸に死んだ人のものならば他人にあげるわけにはいかないけれども、あの人のものだったら誰にあげたって大丈夫。きっとその人も幸せになる。なんという確信、自然と背筋がしゃんとした。
 その日のうちに着てみて、写真撮って、見せに行ったのが今日。思った以上に喜んでいただけた。ほかのお客さんたちも大いに褒めてくださった。孫ムーブというか末っ子ムーブというか、着物をもらったからには「着る」「それを見せる」がまず自動的に実行される。もちろん着たまま行ったほうがいいんだけど、冬物なので。
 そこへ着物姿に杖ついた、すっかり腰の曲がった白髪のおばあさんがいらっしゃった。席に着くより先に店主が僕の着物の話をする。僕もすぐさま大きなiPadで写真をお見せする。着物の下は、サンダル。それに気づいてか立ったまま「下駄ほしい?」とおばあさん。「はい」と答えるやそのまま引き返し、下駄と、雪駄と、薄物の着物を一枚持って戻っていらっしゃった。
「うちの主人のもんなんやけどね、大したもんやないけど夏にはちょうどええね。まだ着物に慣れてないんやったらこれ家で練習で着てみたら。」
 座敷に上がり、合わせてみたらこれもぴったし。そして幅広の下駄に革張りの雪駄。素人でも良いものとわかる。頂きぼくは遠慮しないことに決めているし、気持ちよくもらったほうが相手も嬉しいと思うようにしている。厚く御礼を申し上げた。家からは3キロくらいあるのだが、そのうちこれ着て歩いて行こう。
 さて帯がない。いや前回いただいた博多帯があるのだが、冬の着物にもらったものをそのまま夏物に合わせていいものか。素人すぎてわからない。ちょうど三河島に行こうと思っていたので、繊維街の中古着物屋で聞いてみることにした。
 声をかけるととても丁寧に、一から教えてくださった。いただいた着物を見せると、「これに合うのなら……」と帯を選んでいくつか出してきてくれた。助かります。餅は餅屋と言いますか、本当に当たり前なんだけど、詳しい人に現物を見せるのが一番でありますね。「履き物はこれに合わせたいです」と言ったらそれも加味して考えて下さった。善は急げ、手元にモノがあるうちに行くのが良いのだ。じぇぃおぼえた。
 それで角帯を一つと、腰紐を一つ買った。すごく安かった。さっそく今夜お店で着てみよう。善は急げなのだ。

 三河島でいつも行っているところが臨時休業だったので別のところへ。住宅街の奥の奥、おうちの一階を改装した系の知られざる喫茶店。近所のおばあちゃん、おじいちゃんしか来ないようなところ。堅あげポテトを頂きぼくした。行く先々でアイテムもらえるのでかわいくしとくにシクハナシ。
 まぁ〜6日に書いた世阿弥の話でいくと、この花がいつまで残るかはわからない。「かわいいわねえ〜」から「あの方ごりっぱよねえ〜」みたいなふうにだんだんなっていけたら良いな。まことの花を携えたい。でもそのために時分の花を捨てるのはたぶん、愚かなことだ。
 3軒め、ここは本当によく通っている。落ち着く。この記事のほとんどはここで書いている。これからもう一軒だけ、おうちの一階改装系居酒屋(本当に家にしか見えないし中に入っても概ね家である)に寄ってから谷中でちょっと人と会い、お店を開けるつもり。現実はじつに楽しい。


追記 三河島の「つぼみ」にいます。本当は人に教えたくないお店なのだがもうちょっと儲かるべきなのでそっと置いておきます。行ける人ぜひ行ってください。駅前すぐ、火金土のみ営業。夕方くらいからやってます。情報ほとんどないので住所→東日暮里3丁目39-14。連れてってほしい人はメールフォームなどからご連絡ください、他の名店もご案内できます。

2024.7.10(水) マッチングアプリおぼえがき

 最近、というかもう10年くらい、じわじわとマッチングアプリの勢力が増し続けている。そのうち飽きるだろと思ったらずっとみんな息を吸うようにマッチングアプリやってるし、好きな人にフラれたら「よしマッチングアプリだ」みたいになるし、マッチングアプリ以外に選択肢はないと信じている人がかなりいる。僕は96年に小学生だったくせにポケモンを一切やったことがない。同じノリでマッチングアプリもスルーしてきた。
 鬼滅の刃は原作をちょっとだけ読んで「自分には縁のないものだ」と決め込んで読まなかった。まあマッチングアプリも同じくらいの齧り方はしてもいい。お店で深夜、「やってみよかな」とノリでインストールした。
 恋人や性の相手を探したいのではない。僕はmixi大好き人間なのでああいう感じで友達ができるなら面白いなとはちょっと思った。それで「友達作るならどのアプリがいいの?」と識者(?)に問うたところ、「大手で同性ともマッチング可能なのはTinderくらいですよ」と。かつ男性が無料で参入できるアプリといったらほぼこれしかないらしい。
 で、やってみたのだが前回の記事に書いた通り自分には向いていない。縁のないものだ。「ジャッキーさんそれはティンダーだからですよ、ペアーズやウィズならまた違いますよ」という声もありそうだが、あれは恋愛や性愛のパートナーを探すものだと理解している。そもそも異性としかマッチングできない仕様らしいので。

 僕は「恋愛などない」とずっと主張している。「恋愛」というのは正体のない曖昧な概念で、これといった明確な定義はない。みんななんとなくぼんやりと「こういう感じのもの」としか思っていない。恋愛とは「結果としてそう呼ばれるような状態や関係になるもの」であって、初めから目指すべきではない。「恋愛がしたいからそれにふさわしい人間を探してこよう」という発想は相手に対して失礼だし、「恋愛」に付随するバグった感情(主として性欲に基づく独占欲)を第一に置いて築かれる関係は持続しにくい。
 ナーンてことをずっと考えていつつも、もちろん僕だって馬鹿ではないのだから、「そのみんなの思い込み(恋愛なるものが存在するという妄想)がなんとなく世の中を円滑に動かしてきたのではあるよね」というところにはちゃんと頷く。人間は概してそんなに冷静ではなく、ルールや約束事で縛っておかないとすぐ殺し合うような生き物。「この思い込みをみんなで共有しているうちは平和だよね」という目配せなのだ、恋愛ってのは。だからこそそのルールを破るやつに対しては「戦争だろうが……っ! 戦争じゃねぇのかよ……っ!」と燃え上がり、本当に殺人に至ったりする。
 ところで、SNSで可視化、増幅されたせいもあるだろうけど、この「戦争だろうが……っ!」という感覚、日に日に強まっているというか、過激になっているように思う。みんなめちゃくちゃ怒るよね、なんか。誰が決めたわけでもない恋愛ルールを破られた(と自分が思った)瞬間に。「ほかの女とLINEした手で私に触るな!」とか。

 いわゆる「恋愛」というものは気晴らしとしても暇つぶしとしてもアミューズメントとしても趣味としても欲望充足の手段としても非常に効率が良いものだ。というか、男女関係のあり方を最大公約数的に煮詰めてまとめて効率化したものが「恋愛」というパッケージ。もう一度書く。男女関係のあり方を最大公約数的に煮詰めてまとめて効率化したものが「恋愛」というパッケージである。
 ここでいう効率とは、「あまり時間をかけずに手っ取り早く男女の関係に持っていける」ということで、「告白」という儀式はまさにこの効率化の象徴。合コンもマッチングアプリも恋愛への入口を「効率化」する一環なのだ。
 ゆえに、「マッチングアプリで恋愛をする」ことに僕は反対するものではない。むしろ「恋愛がしたいならマッチングアプリはじつに効率的でいいよね」と思う。しかし「恋愛というパッケージを意識しない人間関係」はたぶん、マッチングアプリを使って意図的に実現させるのはかなり難しい。もちろん「出会ってみたら気が合ったが恋愛という感じではなかったので友人になった」は結果的にけっこうあるものだとは思うが。

 僕は恋愛には興味がないのでペアーズもウィズも使わないし、ティンダーもやってみたら結局は恋愛と性愛の世界で、そこに「人間み」はほとんどない。「最大公約数的な」ありきたりな写真や文言しか並んでいない。恋愛をしたい人たちというのは、「効率」しか考えていない人たちなのだ。
 もっとmixiみたいなのないの? mixiやればいいのか。やってるけど。

2024.7.11(木) 24周年やぞ!

 おかげさまでこの「Ez」開設から24年が経ちました。来年は25周年。
「10年に一度だけオフ会をやる」とずっと言っていて、2010年7月11日は新宿御苑で開催した。開設当初からの読者も何人か来てくれて(わざわざ上京してくれた友達もいた)、けっこう賑やかにやれた。雨降ってきてサイゼリヤかなんかに移動したんだったかな。2020年7月11日はコロナ禍下だったのもあって一応やったけどものすごく小規模なものだった。20周年だよ? 10年に一度だよ?? 10年前からずっと告知してたんだよ???と思っても時流には敵わない。来てくれた人は本当にありがとうね。
 オリンピックだって1年延期したし、小沢健二さんのライブは2年延期したのだ。Ezの周年オフ会も5年延期として来年、第2.5回を開催するか。そうしよう。みんな来てね。金曜日です。

 今年は木曜日だったので「無銘喫茶」を借りて営業した。かつて毎週木曜に一日店長していたお店。天気悪かったけどたくさん人来てくれた。天気よかったらもっと来てくれたろうな!とは思うけど、それはそれで暑いならわからない。
 人は天気に左右される。自然でよろしい。いまこれ書いているのは13日の土曜日だが、昨日も今日も天気悪くて客足は鈍い。いま19時になるけどまだ誰も来ない。こう書いているからといって「いつも閑古鳥」というわけではないので注意。べつに景気悪いこと言いたいんではないのだ。むしろこうして暇な時間があると日記書けたりしてハッピーなのだ。疲れないし。最近は全体に来客が増えてきたのでちょっと人が来ないくらいだと気にならない。むしろ静かでいいなとさえ思う。いいバランスでお店やれてる。

 24年続けてることってあんまりないですよね、ってお客さんに言われて、そうかもと思った。褒めてくれる人はそんなに多くはないけど、その一人ひとりが僕にとってすごく重たくて大切だから、続けていられるし、ずっとやってようという気にもなる。実のところ好きでやってるわけでもないのだ。読んでくれる人がいるからやるのだ。いなかったらやらないと思う。読んでくれる人……。少なくとも二人はいるよね。掲示板に2件、周年をお祝いする書き込みがありましたからね。2件。2件……。
 2件マジで嬉しいんだけど、お願いだからみなさんお祝いくらい書き込んでください! 30秒ですむでしょ! その30秒で僕がどれだけ喜び、次の一年間をどれだけ幸福なモチベーションで続けていけるかが決まるんですよ、どうして優しくしてくれないんですか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 景気悪いことも言いたくなりますよね。だって24年もやってるんだから。夜学バーも8年めですごいけどEzからしたらニワカなのだ。その30秒を僕にください。やる気が出ますから。今からでも遅くないから掲示板に「おめでとうございます」と書き込んでください。って書いたらどのくらいの人が書いてくれるのか、気になるのでぜひお願いします。

2024.7.16(火) 八ヶ岳南麓の思索(自己分析)

 山梨にいます。掘り進んできました。
 とある飲み屋さんで知り合った方が八ヶ岳の山梨側に別荘を購入し、そのうち宿泊施設にもするというのでモニターも兼ねて泊まりに来ております。
 昨日の朝、あずさ3号に乗って9時36分に小淵沢着。「山賊そば」に馬肉と野沢菜のかき揚げをトッピングしたの食べて、自転車組み立てる。前回の茅野行で愛用のキャリーミー(小径車)がバキッと壊れてしまったので今回は久々にロードレーサーを携行した。20年近く前に買ったもので、カラーリングはドラえもん。正式名称は「ロバ」。ロードバイクの略でもある。
 本当はあんまりよくないのだがサドルに荷台をつけ、専用のバッグを装着してある。加えてリュックも背負っている。基本的にロードってのは荷物を持ち運ぶようにできていないので、こういうことをすると車体が不安定になり転びやすくなるのだ。輪行しやすいランドナーほしいな。
 小淵沢から甲斐小泉までは小海線でひと駅なのだが乗り継ぎが30分もあるしせっかくロード持ってきてるんだから走っちゃえ、330円も安くなるぞ。ということで下車したのだが、目的地までの標高差は400~500メートル。これをたった7キロほどで登るのだ。さらにメインルートを避けて近道を選んだから、勾配はきわめて急。最初の数キロでどっと疲れてしまった。
 坂を登り切った頃合いにある「ぶるうべりー」という喫茶店で休憩。まだ食後のコーヒーと言っていい。男性的美意識と女性的美意識の調和した素晴らしいお店だった。カウンターはカメルーンあたりから輸入してきた大木のスライス(メモ)。
 ここからしばらく緩やかな登り坂となり、甲斐小泉駅を過ぎてまたぐうっと傾く。もうちょっと荷物減らしとけばよかった、なめてた。なんで本を四冊も持ってきてしまったのか。どうせ読めないのに……。(あるある)

 とりあえずシャワー浴びて和服に着替える。最近「ごっこ」にハマっていて、やっぱり避暑地に逗留するならそれっぽい格好をしないと。つって着物と帯、雪駄まで持ってくるから荷物が嵩むわけなのだ。わらけますな。でも着いてしまえばどうということはない。あとは荷物の9割を置いてここを軸足とし四方八方、自由に走っていける。山でロードは翼である。
 ところが到着後すぐ雨が降り始め、水曜(翌々日)の夕方くらいまで止まない予報。何のために自転車持ってきたんや! んましばらく引きこもるのもいいだろう。

 前回の記事で24周年お祝い恐喝して、Txitterでもおねだりしたところ合計9件の書き込みをいただきました。あのBBS書き込みづらいスマホだと書き込みづらいでしょうに皆様ありがとうございました。まだまだ、年中お待ちしております。褒めてください。具体的に思ったこと何でも。僕が凹むような書き方をうまく避けつつ。
「ジャッキーさんの冒険譚と思索の旅を毎日楽しみにしています。」と書いてくださった方がいた。「毎日」というのがいいですね、はい、できるだけ毎日(のように)更新いたします。や、それよりも。「冒険譚と思索」というフレーズが気に入った。
 すでにBBSの返信にも書いたのだが、初期の日記タイトルは「ひごろのおこない」であり、日常生活について書くいわゆる「日記」であった。だんだん思索の率が増していき、大学に入ってしばらくしたくらいから確か「少年Jの散歩」と改めた。散歩というのは日常における「冒険と思索」そのものである。
 近所を何気なく歩くことが、小さな冒険となっているとき、それを散歩と呼ぶのだと僕は思う。散歩には新鮮さと発見がなくてはならぬ。天気でも草花でも、駐車された車でも店頭でも。昨日とは違うことに気づき、それを楽しむ。そしてそれをヒントやスパイスとしておのずから思索が始まる。
 八ヶ岳南麓、標高1300メートル超の別荘地。見知らぬ山荘にたった一人。新鮮さのみが身を染める。それだけで楽しい。意味もなくベランダに出て鳥の声を聞いたりする。ごっこ遊び極まれり。

 僕は僕なりに消費されてきた。幼い頃、兄が時おり僕の目玉を食べた。母方のおじいちゃんもよく僕のいろんなところを食べた。嫌ではなかったが、意外とよく覚えているものなのだよ。その兄も祖父も僕は大好きで、一度も嫌いだったこともないし憎んだこともない。祖父に関してはまあ、むちゃくちゃな人間だったらしく手放しで「いい人だった」とは言えないのだが、自分を食べた行為等についての怒りや憤りは微塵もない。
 明らかに僕はかわいかったのである。父は四人兄弟の一番下、母は兄のいる妹で、いずれも末っ子。その間に生まれた四人兄弟の末っ子が僕なのだ。父方、母方どちらの親族でも僕が一番年下である。同い年のいとこはいるが「末っ子同士の末っ子」ではないので、末っ子力(?)は僕のほうがちょっと高いわけだ。
 わけのわからん計算をたまにする。父が四番目の末っ子、母が二番目の末っ子、僕が四番目の末っ子なので、4×2×4で僕の末っ子力は32。末っ子でない親は何番目であろうが「1」と数え、自身が末っ子でない場合は「0」と数える。みなさんの末っ子力はいくつですか?
 たとえば父親が三人兄弟の末っ子で、母親が二人兄弟の姉、自分が二人兄弟の妹だとすると、末っ子力は3×1×2=「6」。32というのはけっこうものすごいのである。なんのこっちゃね。
 SP(末っ子パワー)32を誇る僕はかわいすぎて消費される存在でもあった。その代わり小狡い者でもあった。生まれながらの被虐者が賢く生き抜くには、どこかで「ズル」を覚える必要があったのだろう。僕はかわいくてズルい。
 断れないし、流されるままに流れていくんだけど、「どうしたらこの状態から自分の利益を最大にできるのだろう?」と常に考えている。愛されることは何にも増しておトクだからちゃんと愛されるんだけど、愛されるがままに愛されていても相手によっては消費とか搾取してくるだけなわけで。ズルい子供はちゃんと「愛されの取捨選択」ってものをしていく。この人からは愛されたいけど、この人からは愛されたくない。だって僕から奪い取ろうとするだけなんだもの!
 もちろんそんなのが正しい姿勢でないことは僕もわかっていて、それでひねり出した答えが「仲良しの発想」なんだと思う。

 石丸さんっていう都知事選で二番手になった人が、「僕、常にコミュニケーションの基本としてミラーリングするんですよ。善意に対しては善意で返すし、敵意に対しては敵意をちゃんと返す」と言っていた。(一次情報→https://youtu.be/pvhzvC513uQ?t=1796)
 彼の言う「ミラーリング」は僕に言わせれば野蛮で、「目には目に」の域を出ない。仲良しの発想はどっちかというとケンティー(中島健人くん)の「言葉のナイフには言葉の花束で返す」に近いが、そもそも「返す」という行為さえそぐわない。
「悪意には悪意」が石丸、「悪意には善意」がケンティー。僕はどっちかといえば橋本治さんが『蓮と刀』で展開したような(これについてはこの動画で)のにたぶん似ていて、ともかく「同じ地平に立つ」ということが大切なんだと思っている。
 女子校に勤めていた頃、当然そこには「男女」があり「年齢差」があり「先生と生徒という立場の違い」があったが、授業の中ではできるだけ「同じ地平」に立つように努めた。平等である必要はない。同一化する必要もない。ただ時折「じゃない?」「だよねー」が成立しさえすればいい。そこに共感があり、共鳴があり、共犯があればいい。
 仲良しの秘訣は結局のところ「僕たち、同じだよね」「ウン、同じだよね」(たしか『蓮と刀』のどこかにあった記述、あとで確認する)の瞬間を共有することなのだ。これはあくまで「瞬間」でいい。きれいな花を見て「きれい」と思うだけでいい。気持ちいい時に「気持ちいい!」と言い合えるだけでいい。
「同じせりふ同じとき思わず口にするようなありふれたこの魔法で作り上げたよ 誰もさわれない二人だけの国~」っていう!曲があるじゃないですか。
 石丸さんにはたぶんこれがないし、ケンティーにもあんまりなさそう。僕はケンティー好きだけど、そこが危うさだとも思っている。(いずれもメディアを通しての姿について言っております。)

 一方的な消費、搾取には「ありふれたこの魔法」は無縁である。「ねえねえ、ここ行こうよ」「行きたい行きたい、ここ行こう」とか「わあ、これ面白いね」「ほんとだ、面白いね」みたいなことがたくさんあって、あるとき同時に「味華でラーメン!」みたいなフレーズがユニゾンする。それが仲良しの証拠って言ってもいいような気がする。
 愛情にはいろいろある。僕はものすごく昔から愛とはシーン(場面、局面)だと言っていて、「ありふれたこの魔法」みたいなのはまさにそう。一方で、「AからBに向けられるエネルギーみたいなもの」という理解も支配的に存在する。僕は後者の愛をほぼ理解できない。
 返報性の原理を拒絶する、というのもたびたび書いているが、それは愛情というものを「送って、返す」という現象によって表現しようという向きへの反抗でもある。もちろん送られたら嬉しいし助かるので、みなさまじゃぶじゃぶ「おこづかい」くださいな、とは思うのだが、それに「お返しする」ということを徹底するのはあまりにキリがないから、たぶん動きはやがて鈍くなり、縛られ、結果として「いまの自分」は変容していくだろう。
 綺麗な希望を申し上げると、僕がこのような僕として生きていくことを良しとしてくれる人がいるならば、その持続可能性を高めるためにぜひお金を投げてほしい。そしてそれはそれとしてあったうえで、そういう人は僕のことをとても好きなわけだから、ぜひ仲良くなってほしい。仲良くなるために必要なのは「送る」ことではなくて、「じゃない?」「だよねー」を積み重ねていくことである。
 たとえ意見の異なることがあったとしても、「それは間違っている!」と対立しあうのではなく、「ここが違うんだね」「そうだね!」という形で共鳴することは当たり前に可能なのだ。
 僕には「断固として譲れない意見」なんてものは一つもない。意見なんか言葉だけの話なんだから、「いったん譲る」のは造作もない。「じゃあそれを行動に起こしてください」と言われたら拒否することはたぶんとても多いけど、会話の中ではいくらでもテキトーになれる。
 テキトーというのは、嘘をつけるというというよりは、「まあそうだとしましょう」という留保はいくらでもできるということ。(ソクラテスはそういう論法だったような。)「そうだとした時にどういう展開になるか」をいくらでも進めてもらっていい。その渦中で「ってことはこういうこと?」「そうです」がいくらかあれば僕は嬉しいし、「僕はこうだと思いますけど」「なるほどなあ」ということがあっても嬉しい。それが意見の違う者同士の仲良しの道だと思う。同じことを理解していればいいのだ。

 そういうことがどうにも難しく、どうしても消費、搾取ということになってしまう場合もある。そういう時は距離を考えたほうがいいのだろう。理想としては、いつか「だよねー」という地点に達しやすくなるように自分を、また相手を誘っていくことがいいのだろう。相手を変えようだなんておこがましい、とは思うものの、仲良くしたいんなら仕方ない。
 ちなみにここでいう消費、搾取というのは、「僕がされる」というだけの話ではない。人間のバランスって不思議で、「消費される」人は、同時に相手を「消費している」場合もかなり多い。なんでかっていうと、単純に「一方的な消費」という関係が長く続くわけがないからだ。ある程度長く続いている関係に「消費される」という状況がある場合、逆向きの消費も存在していると思っていいと思う。そうでなければ犯罪級にアンバランスな関係なのである。
 すなわち、僕は消費される時、多くの場合相手のことも消費してしまっているのである。それがちょっと嫌なのだ。「どうせ消費されるなら、自分にだってトクなことがないと」という発想がどうしてもある。どうにか「仲良し」のほうに持っていきたい、と僕が強く思うのは、そういう不健全な相互消費関係を、僕が体質的に導きがちだからなのかもしれない。
 回りくどい書き方になったが、これは一種の訣別の辞である。

 自己分析すれば何かが許されるというのでもないが、歳を取ればとるほど自分のことがわかってくる。わかってくればくるほど、わからない部分とか、どうしようもない、コントロールできない、うまくいかない部分も見えてくる。難しいものだ。
 そんな思索を山中でしている。
 蕎麦を買って茹でたり、本を読んだり、柄にもなく一人で良いワイン飲んだり、異様なほど昼寝したりしながら。


 さてみなさんのSPを教えてください。また、スマホから書き込みやすそうなイケてる掲示場の作り方、設置方法、レンタル先などあればぜひ教えてくださいませ……。あのBBSは開設当初とほぼ同じデザインゆえできれば踏襲したいから、レスポンシブデザインにできれば一番いいんだけど……。

2024.7.17(水) 甲斐小泉駅前に文化場が爆誕

 山ごもり三日め。初日はほとんどタスクをこなせなかったが、火水で「請求書と交通費精算書類の送付」「氷砂糖のおみやげ(Podcast)の編集→UP」「夜学バーのメニュー解説文書の作成」といった、「始めてみればすぐ終わる(進む)のだがなんとも手をつけづらい仕事」をいくつか終えることができた。これだけで意義ある隠遁といえる。読書も1.2冊ぶんくらいした。観るべき動画も家事をしながら消化した。あと8~10月の合宿、イベント、落語、演劇、新曲といったあれこれの構想……とまではいけなくともなんとなく「やるべきこと」の整理だけは済ませた。明日と明後日でもうちょっと動かす。
 本当はもうちょっとやる予定だったのだが19時半にいったん出かけて戻ったのが26時半くらい。思ったよりちゃんと「見つけて」しまったのである。
 月火とずっと雨だったのでほとんど家(宿)にこもっていて、水曜の夜には晴れるようだったからそれまでがんばった。自転車に乗って7キロくらい離れた温泉に行こうと思ったのだがあまりに暗すぎる。街灯が一切なく、せっかくの月も雲に隠れ、曲がり角が寸前まで認識できない。登りは辛く、下りは怖い。予定を変えて気になっていた山中のアイリッシュパブに立ち寄ってみた。
 とても良いお店で、なるほどこの田舎にあって立派に人間関係の「ハブ」として機能しているようであった。僕のような一見の者にも優しく、排他的でない。しかし少々物足りない気分もあった。それでフィッシュ&チップスにビネガーかけてタルタルソースつけずに食べながら無駄と知りつつ「バー」「現在営業中」とGoogleマップに尋ねてみた。
 なぜ「無駄と知りつつ」なのかといえば、そりゃ事前に死ぬほど調べてあるからだ。こんな山奥、あらゆる店という店をもう把握してあるつもりであった。しかしどうだろう、ほとんど覚えのないお店がピョンと表示された。なんだこりゃ、こんなもんあったっけ。
 写真も口コミもない。Instagramのリンクを辿ると、7月10日にオープンしたばかりらしい。カフェだかバーだかわからないが、飲食店のようだ。
 Googleマップには「0時まで営業」とあるが、インスタには「10時から19時」と明記されている。こういうのはもちろんインスタのほうが正しい、通常は。営業日はよくわからなかったので「木金もし営業するのなら時間を教えてください」とDMしてみた。直後、よく見ると「火水土のみ営業」という文言があった。「すみません見落としてました、また今度お邪魔します」と追記した。
 とはいえ行くところもない。下見だけ行ってみるか、と真っ暗な中おっかなびっくり、甲斐小泉駅を通り過ぎて件のお店まで行ってみた。
 開いていた。iPhoneを確認すると「今日は24時までやってます」と返信が来ている。え、つまり、インスタよりGoogleマップのほうが正しかったってコト? すごい。
 入ってみると、まあパラダイスですね。オーナーは元ミュージシャン(かなり偉大)の音楽業界人で、その方と奇縁で知り合ったという青年がお店にいた。詳細は時間がかかるので割愛するが、ともあれこのような文化的なお店がまさか駅前(とはいえ徒歩10分)にできるとは。お店の方と、お客さんと、僕と3人で4時間以上話し込んだ。みな教育畑というのも奇跡的だし、山奥で「知性」に飢えているのもあって、やや前のめりな、よく輝いた時間を持てた。二人とも「いつでもウチに泊まってよ!」と仰ってくださり、いきなり甲斐小泉駅前と諏訪(茅野寄り)に宿ができてしまった。
 どんな田舎にも「飢えている地元の人」はいるし、どんな田舎にも「都会からやってきた野心的な人」はいる。ほんの少し前まで僕はすっかり諦めていたのだ。さすがにこの土地にはそういう「場」は存在しないだろうと。しかし実に、たった一週間前に、爆誕していたのだ。なんというタイミングか。
 ここで謎が解ける。なぜ事前に調べても出てこなかった店が、いきなりピョンと表示されたのか。「Googleマップに登録したのほんの2日くらい前なんですよ」すげー! この世で一番大切なことはやっぱりタイミング!だと思うべな~(C)小倉優子&小西康陽
 ともあれ「諦めるな」ってことですね。見えないものはすべて存在している。(←むちゃくちゃだけど、そのくらいに考えたって損はないのかもしれない。)
 そうやって友達はまた増えていくのであった。

2024.7.18(木) 金持ちと貧乏人が分離する

 だいぶ駆け足で書いてしまったので改めて。
 昨夜訪れたのは「日の出カフェ てん」というお店。まず土間にベンチ&ソファ席みたいなのがあって、靴を脱いで上がったところに小さなカウンターとテーブル。奥は広い座敷になっていてそこが早朝5時から10時半くらいのあいだカフェになるらしい。一階はほかに倉庫とトイレ、お風呂があり、二階は音楽スタジオ、三階は民泊スペースとなっていた。
 バーエリアにはCDや本、ポスター、置物などがずらずらしており、「一つの町には一つくらいこういうお店がなければならん!」と思わされた。どんな田舎にも知的な人間というのは生まれてしまう(住みついてしまう)、ゆえ絶対に「知性の逃げ場」みたいなものは要る。人との関わりの中で発揮されないと知性は腐り、あらぬ方向に暴走しかねない。知性は全国の、世界のいたるところで健やかに育まれ、ボトムアップで広がっていくべきものなのだ。(と、ぼくは思います!)
 オーナーが60代半ばなのもあって明らかに70~80年代に青春を送った感じのセレクションだが、店長は30歳とのことなので徐々にもっと幅広くなってゆくのかもしれない。
 しばらく店長サンと2人で話していたが、そこへ自称「ファミリー枠」という男性が到着。意気投合というか、いやに気に入られてしまったし、僕のほうももちろん彼らを好きになった。
 店長は首都圏に住んでいたがいろいろあって八ヶ岳でリゾートバイトしていたところ、同じバイトとしてオーナーに出会ったという。そのバイト先というのが、まさに僕の逗留している「AMBIENT八ヶ岳コテージ」。偶然に偶然が重なる。
 お客の男性は、近くの飲食店でこのお店のプレオープンのビラを見かけて常連となった。諏訪で個別指導塾を、甲府でフリースクールを運営していて、後者は店長さんも関わっているそうな。こちらの方もいろいろあって首都圏から宮古島、そして八ヶ岳へと流れてきたという。
 一言でまとめると、ここにあるのは「個人の事情」と「人との繋がり」。日本全国いろんなところで、移住者や地元の人たちがあれこれ新しいことを試みているが、それらもすべてこの二つが基盤となっているように思える。
 人にはそれぞれ事情がある。働けなくなったとか。今の家や仕事やコミュニティにいるのがつらいとか。自分がしたいのはこういうことではないが、といってやめるわけにはいかないだとか。まずはそういった事情に対して、素直になること。認めて、受け入れること。現状に固執せず、「自分はここにいなくてもいい」と自由になること。するとそこに「人との繋がり」がやってきて、導かれたり導いたりしてゆく。
 このお店のオーナーと店長、そしてお客のこの男性は、奇縁によって出会い、事情にまみれたそれぞれの人生を互いに育みあっている。貧しくなっていくと言われるこの国の片隅では、とにかく「個人の事情を受け入れること(素直になり、ストレスを避けること)」と、「仲間や友達どうしで助け合うこと」が肝要になる。

 これからの時代は「そういう人たち」が間違いなく増えていく。というかもう、めちゃくちゃ増えている。なぜならば、貧しくなるからだ。より正確にいえば、まずはたぶん「金持ちと貧乏人」にはっきりと分かれ、その経済的格差は広がってゆく。そのあとはどうなるか? 僕は「金持ちと貧乏人が分離する」というイメージを持っている。一つの数直線上で高いか低いか、という比較が意味をなさない、まったく違う文脈の存在になる。そうなるともう「格差」とは言われなくなる。
 金持ちは引きつづき金の世界に住み、貧乏人は金のあまり意味を持たない世界に生きる。究極をいえば自給自足に近づくわけだが、そう極端な話ではなく、「貨幣経済の中にはいるが、それほど多くのお金は動かさない」という生き方が増えるのではないかと。

 個人事業主が増えていく。国もちゃんとその前提でいると思う。その人たちの多くは、そんなに稼がない。とはいえ一方、そんなに使わない。
 むかしマイルドヤンキーという言葉が流行ったとき、「彼らは低収入だがクルマやバーベキュー用品などを仲間内でシェアするし、互いの不要品や子育てに必要なものなどを譲り合うなどして暮らすので思ったよりずっと豊かに生きている」みたいな話があった。そういう感じ。
 金持ちは引きつづき「多くの他人のためになる仕事」をする。貧乏人は、「自分と自分のまわりの人のためになる仕事」をする。前者は立派であり、だからこそたくさんのお金を稼ぐことができる。後者は影響する人間が少ないうえに、何よりもまず自分の利益を考えて働くので、そう多くのお金はもらえない。
 乱暴に言うと、貧乏人は「自分がやっていて辛くないことをする」のである。辛いことだってしなければお金は稼げない、それは真実である、辛いことを避けるならお金は稼げない。でもそれが絶対に嫌だという「個人の事情」に対して素直になることを選んだ人(別の言い方をすれば、金持ちがするような仕事のストレスに耐えられない人)は、大したお金をもらえないのが当たり前である。
 もちろん、世の中には才能がある人も運のいい人もいるので、「金持ち(高収入)だけどノーストレス」というパターンもあるだろう。それはそれとして、まあ能力がそれなりだったり運が悪い人ってのは「我慢しないとお金は稼げない」ものなのでございます。
 今のところ、「低収入でストレスフルな仕事」を避け「自分がやっていて辛くないこと」のほうに舵を切れるのは、能力か人脈のある人である。能力を鍛えるか、「いいやつ」になるしかないと僕は思う。それで「仲良しの発想」なんていう考え方を僕は推しているのである。
 そうやってどんどんみんながそっちのほうに行ったら、「貧乏(低収入)でストレスフル」という仕事のなり手がいなくなってしまう。能力も人脈もつかめない人間はここに沈むしかなくなる。将来的にはここがロボットやコンピュータに任されるようになるといいのかもしれないが、すべてが、というわけにはいかないだろう。とりあえず「それをストレスフルに感じない人」をうまくマッチングさせることと、「どうしたらその仕事がストレスフルでなくなるか」ということを真剣に考えることだと思う。ストレスフルでなくなる代わりに、収入が低くなるのは仕方ないと割り切ろう。「いいやつ」になって、友達を作ればなんとかなるのだから。

 いま僕は「友達ファシズム」みたいなことを言っているのだろうか? 友達がどうしてもできない、作れないという人はどうしたらいいのか? 能力を伸ばすか、ストレスに耐えるしかないのかもしれない。能力を伸ばすのも嫌で、ストレスに耐えるのも嫌だという人は絶対にいて、そういう人はどうにかしないとどうにかなってしまう。その問題は、僕の考え方では解決できない。ここが現状、「仲良しの発想」の限界である。
 誤解してほしくなくていつも言うことなのだが、僕は「みんなが友達を増やすべき」とか「友達のいない人は死あるのみ」と主張したいわけではない。「友達がいるほうが生きやすい世の中になっていくので、できる人はそれをするとお金がそれほどなくてもなんとかなるかもしれませんよ」という話をしている。友達がいない状態が心地よければ、それを前提とした生き方を組み立てていくだけだ。僕は「仲良しの発想があると得をする」と言っているのみで、「誰とでも仲良くすべきだ」とは絶対に言わないし、「友達がいないと損をする」とも言わない。ただ「友達がもたらす恩恵は巨大である」という当たり前のことを言っているだけなのだ。友達がいない、いらない、作りたくないという人は、また別の生き方がある。
 ところが、「別の生き方」というものが見つけらない人も当然いて、僕はそこにのみ危機感を持っているし、解決策も思い浮かばない。能力を伸ばすか、「いいやつ」になるしかない、という程度までしか僕の発想は及ばない。
 どうにかしてお金を得るのが手っ取り早いわけだが、お金というのはやっぱり能力や人徳に集まるわけで。「何もないし、何もできないし、何もしたくない」という人はどうしたらいいのだろうか。どうしようもないに決まっているのだが、どうしようもない人をどうしようもない状態で放置しておいたら、ひょっとしたら大変なことになるんじゃないの?ということを、懐かしい「黒子のバスケ脅迫犯」の人は言っていたのだ。僕は本当に、そこはけっこう恐がっている。もうちょっと考え続けようと思います。


 今日は着物と雪駄で歩く練習をした。「氷砂糖のおみやげ」第75回まで編集、UPした。来週と再来週の月曜に配信されます。本を読んでたら何時間も昼寝してしまった。あとは……色々したのだがそれほど捗ってはいない。でもずっとリラックスしている。なんとなくリフレッシュしたような気がする。
 15日にこの八ヶ岳南麓に来て4日め。明日は上に書いたフリースクールにちょっと寄って(急遽決まった)、友達の働いている蓼科の温泉に行って(急遽決まった)、茅野駅のほうに降りて知っているお店をまわって、23時までに夜学バー着きます。それまではまちくたさんいます。ぜひどうぞ。

2024.7.19(金) 山梨県→長野県

 特急「あずさ」で東京に向かっております。

 けさは9時に起きてお味噌汁を飲み、おつまみとして買ったナッツとチーズを少々食らい、昨日つくったコーヒーとりんごジュースを飲み、宿の片付けをして自転車で出立した。
 10時過ぎには甲斐小泉駅前の「てん」に着く。甲府のフリースクールが今日はここで活動するんだそうな。子供たち5人と大人が5人いた。英語の勉強していた。
 夜学バーの名刺を見せたら「(フリースクールもてんも夜学バーも)大きく見れば同じことを志しているんですね」と言ってもらえた。そうなのです。たぶん。
 富士見高原経由で笹原へ。標高1100メートルくらい。ここで友達に迎えに来てもらった。目的地はもう400メートル上がる。距離から考えてかなりの急勾配が予想され、真夏に重い荷物を背負ったまま登るのは難儀そうだ。案の定標識に「12%」とかあって、くわばらくわばら。今度身軽な時にまた登ろう。
 標高をおさらいすると、四泊した宿がだいたい1300ちょい、甲斐小泉駅が1044、富士見高原が1250~1300。アップダウンがくり返されるので実際はこの数値よりだいぶ多めに登っている。
 待ち合わせた公民館のすぐ脇に、友達(Yとしよう)の関わっている改装中の古民家があって、見せてもらった。じつに素晴らしい風情だった。いずれ休憩所か何かになるそうだ、整備が待たれる。
 長野県(避雷針の発音)はDIYの土地だと思う。海がなく、山しかないので、「そこにあるものを工夫して使う」ことに長けている。冬場は雪に閉ざされ、とにかく「木を切る」ことからしか何も始まらない。薪が必要なのだ。
 大都市からも遠く、独自の文明がそれぞれの平地で育まれてきた。……だめだ長くなる。かつて書いたこともあるのでいったんやめておこう。
 Y(さん付けで呼んでいるがここではイニシャルっぽく呼び捨てで)はその上のM温泉というところで働いていて、連絡したら「ぜひおいで」とのこと。約26キロ走って合流。仕事のお昼休みにわざわざ来てくれたのだ。自転車は後部座席に積ませてもらった。建物を案内してもらってから温泉にゆっくりと。鉄と硫黄の名湯、源泉は27度と冷泉なので、あったかいのと交互に入る。無限ループ。
 休憩所でPC作業。畳敷きのだだっ広い空間、ギターやキーボードなど楽器もたくさん置いてあってライブもできるようだ。じき日が照ってきた。暑いというより、熱い。
 仕事を終えたYの車で、少し降りたところにあるアノニムギャラリーというところに連れていってもらった。だだっぴろい古民家にさまざまな古道具がものすごく安価で売られており、展示や飲食のコーナーもある。いろいろ買ってしまった。Yも箸置きとかミニチュア古道具(ミートボールくらいの桶とかすり鉢とか)を買っていた。それから富士見へ。mountain bookcaseという古本屋さんへ寄ってみると、なんと偶然Yの友人とばったり。このまま二人で小淵沢に向かうことで合意したらしい。座り込んで雑談している方もいて、きっちり「場」として機能している。僕もちょっと店主さんとお話しして、夜学バーの名刺もお渡しした。
 3人でその隣のmame mura coffeeへ。ここもしっかりした選書で本が並んでいて、さすが長野県。文化水準が段違いである。コーヒーのテイクアウトを待っているとお隣の店主がやってきて、「この本、買えますか」とスマホ画面を僕に見せた。拙著『小学校には、バーくらいある』だった。すぐに夜学バーのことを調べてくれて、「読みたい」と思ってくれたらしい。送料込みのお金を受け取って「あとで送ります」と約束した。(まだ送ってない、いそぎます。)
 車から自転車を降ろし、小淵沢に向かう二人と別れて出立。コーヒーカップを口にくわえ、リュックからは今Yからもらった長いパンが飛び出している。行き先は茅野。駅が近いから輪行しようかとも思ったが、次の電車が30分くらいあとだし、自転車を分解するのも面倒だから、走っていくことにした。
 かりに電車だと1855に着く。19時閉店のお店に行きたいのだ。距離は約13キロ、たぶん自転車のほうが早い。富士見を出たのは18時22分であった。トライアル!
 時間がないので茅野編に続きます。

2024.7.22(月) 続き(改めて、長野県のDIY精神について)

 18時47分には茅野駅前の喫茶&山道具「EIGHTDOOR」に着いた。前回買えなかった五徳とコーヒードリッパーを買った。偶然、Yとも知り合いであるらしく、奇縁と世間の狭さを同時に感じる。11月にオープンした新しいお店。
 その後、「bik」というごく最近できたお店へ。「湯島の」とすぐにわかってくれた。金曜というのもあってか盛況していた。それから今年の1月に開店した「Bar平野」へ。。隣り合ったお客さんに「さっきbikにいましたよね?」と言われちょっと恥ずかしかった。諏訪東京理科大の教員だという。夜学バー宣伝しといた。
 それで自転車を分解して袋に入れるのだが、袋が合わなくてなかなか入らず、さらにファスナーがバカになって大ピンチ。なんとか最終の「あずさ60号」に間に合ったけど、新しい袋買わないとなあ。

 あれ、終わってしまった。夜学バーには23時すぎに到着。まちくた氏と交代して2時か3時くらいまで営業した。

 土曜日にいらっしゃったお客さんと「青森県と長野県、あるいは弘前と松本」について語ったのだが、おおむね僕の考えるところを強化してくれた。やはり長野県の文化レベルとDIY精神は比類なく、「山あい」とか「盆地」といったことだけでは説明できない。「城下町」という概念は文化レベルには影響するだろうがDIY精神とのつながりは見えない。
 違いがあるとすればやはり、弘前には青森(ないし十三湊など)があり、長岡には新潟がある、ということか。山間部の城下町でも「比較的すぐに接続できる(同じ県、とりわけ同じ藩の)港町」のあるなしでだいぶ違いそう。さらにいえば長野県は(イメージですが!)県内の他地域とあまり仲が良くないので、「ほかに頼らず独力でやるずら」という気持ちが強いような気がする。

 あとは東北や北陸に比べ長野県は意外と積雪が少なく、「外に出て木を切ったり作業する時間が長く取れる」という事情もあるのでは。文化レベルについても「雪が積もりにくい→外に出られる→集まりやすい→文化の発展」という流れがあっておかしくない。すべて、想像ですが。

 なぜ僕はそんなに長野県にこだわるのか? お母さんが松本の人だからである。すなわち僕の血の半分は長野県から来ている。もう半分は岐阜寄りの愛知だが、そのおじいちゃんはもともと神戸の人だったらしい。岡田淳さんなど神戸の人の喋り方になんだかあたたかい親近感を抱くのはたぶんそのせいだと思う。
 お母さんのことは生まれてからずっと観察しているので、「この人を育んだ長野県という土地はいったいなんなんだ?」という素朴な疑問なのだ。それがひいては自分を説明する材料にもなる。
 お父さんはすごくすごく理系の素養を深く持っている人で、自分の論理性とか合理性、あるいは(意外と?)理科的なものの見方は主にそこから来ているのだとずっと思ってきたが、一方で、ド文系にしか見えないお母さんの血からも「DIY」「手作り」「独力」といった精神が流れ込んでいるせいもあろうと最近思うようになってきた。
 資源だけ豊富にあり、完成品はどこからもやってこない。それが長野県であり、DIY精神の源。お母さんが「てづくりおもちゃ教室」みたいなことずっとやってるのはまさにそれだし、その影響が僕に絶対に色濃くあるから、こうして延々とホームページのタグを打ち続けているのであろう。

2024.7.23(火) 頂きぼくのかわいがられ況

 暑すぎてすべての喫茶店が異様に混んでる。←この一文はYという喫茶店で書いた、あとで出てくる。
 今戸(浅草の北東、隅田川沿い)の喫茶店(?)でネクタイを大量に(30本くらい?)もらって、それを背負ったままビッグコミックとビッグコミックオリジナルのバックナンバー読むために三河島に向かったのだが暑すぎてこれはもう無理!とたまたま見かけた「有馬湯」という銭湯に入ってみた。熱い! さすが下町。身体を冷まそうと脱衣所の本棚にあった『これ描いて死ね』(とよ田みのる)読んでたけどあったまりすぎて涼しいはずなのに汗だらだら。ほとんどの洗い場にシャワーがついてなかったりボロボロの木桶が置いてあったりして最高なのでまた行きたいんだけど夏は銭湯も命がけだ。
 三河島のめあての喫茶店「F」には休業の貼り紙。最近お休み多くて心配だ。「C」のほうに行ってみる。ここがもう、テーブル席がお年寄りで埋まってて初めて入り口近くのカウンターに座ってみた。四角い物理ボタンが鍵盤のように並ぶ古めかしい扇風機を向けていただく。400円のアイスコーヒー頼んだら凍ったソルティライチくださった。100円はするじゃん。ありがたい。今日はそのくらい暑いというわけなのだ。
 まだまだ暑いのでもう一軒、「Y」へ。ここも見たことないくらい人であふれていた。いつも僕だけか、もう一人か二人いるかどうかなのに。夏は喫茶店が流行るんだなあ。
 火金土しか開かない「つぼみ」に寄りたかったがお酒を飲む気分でもなく、いっそのこと新宿まで行こう。いったん上野御徒町まで行って自転車を置き東新宿へ。新宿眼科画廊でりりちゃん(はホームレスです)にまつわる展示があって、寄付制で冊子を配布していたのである。お昼の時点であと一桁しか在庫がないそうだったので急いだ。手に入ったのだが謎の女性グラビアが全体の半分くらいを占めており不安になった。あとでちゃんと読みます。
 戻ってお店を開店。もらったネクタイを整理し、着けたまま営業してみた。家に帰ったら頭痛くて、夏バテだ!と2日くらいだらだらした。
 水曜は一軒だけ近所のお店に行ってみた。65歳で、12年やっているが、インターネットにまったく情報がない。よく逃げ切っているものだ。好かれてはいるのだがお節介で、ちくちくとお説教じみたことを言ってきたりもする。それが芸風でもあるのだが、「なぜ人は……」という気分にもなる。人それぞれやでえ。一方的に意見を言うのではなく、一緒に考えてくれたらいいのに。干渉も詮索もたえられない、そういうのがなければもっと通えるのに……というお店はけっこうある。

2024.7.25(木) 小山田圭一

 なんなんだよ、
 寄って集ってハヌマーンが
 ダサいとかキモいとか
 俺を救ってくれた音楽を、
 誰かを救った音楽を嘲笑するなよ
(略)

 といった書き込みをインターネットで見かけた。
 ある人と、その人を救ってくれた音楽とは、別のものである。
 そういうことがわからなくて、というか、どうしても同じものとして扱ってしまって、さまざまトラブルが起きている。

 その人はその人であって、救ってくれた音楽とは別の、独立した個人である。そりゃもちろん、「俺の恩人をバカにするのか!」という気持ちになることはわかるが、自分がバカにされているわけではない。「救ってくれた音楽=その人」ではない。誰の恩人だろうがなんだろうが、バカにされることはある。バカにするやつはバカにしてくる。その人が誰を救ったかとまったく関係なく。
 他人をバカにするな、他人を嘲笑するな、ということならまあわかる。「俺を」あるいは「誰かを」救ったかどうかは関係ないと僕は思う。
「自分とハヌマーンとは同じものである」という感覚があると、ハヌマーンを悪く言われたときに「なんだと!」となる。。自分とハヌマーンとの境界性がわからなくなっているから、ハヌマーンをバカにされると自分がバカにされたような気持ちになる。
 ドラえもんが4巻「のろいのカメラ」で、「のび太くんをばかにするということは、ぼくをばかにすることだ」と熱いせりふを吐く。ドラえもんとのび太は友達であり、そこには相互の深い「関係」があるうえだ。しかし、一方的にファンだとか救われたとかいうだけならば、そのような「関係」は存在しない(と僕は見る)。
 それでも(相互の関係がなくても)、「俺の大好きなハヌマーンをばかにするな!」と主観的に述べるんならわかる。理解できる。「個人の感想」としてはアリである。しかし一般論、客観的意見として語るのには無理がある。「それはあなたが、ハヌマーンと自分との境界線が曖昧になっているから不快なだけですよね?」と思うのみ。

 音楽が魔法かどうかはさておき、「ある音楽を好きになった=自分はその音楽と同一化した」という短絡的な思い込みに僕は反対である。音楽は音楽で、お前はお前。ハヌマーンがばかにされたからといって、すなわちあなたがばかにされたということではないし、ハヌマーンが誰を救ったかということが何かの免罪符になるわけでもない。ハヌマーンが誰を救おうが、ハヌマーンはハヌマーンでしかないので、ばかにしたい人にとってはばかにされるような存在でしかない。ただ、重ねて言うが、「自分はハヌマーンが好きなので、ハヌマーンをばかにする人間は許さない!」という主張を僕は自然だと思う。「のろいのカメラ」におけるドラえもんのように。
「俺が好きなハヌマーンを嘲笑するな!」と叫ぶことに僕はまったく違和感を覚えない。しかし、「ハヌマーンは俺とかいろんな人を救ったのだから、嘲笑されるべきではない」という一般論は成立しない、と僕は考えている。
 ある人にとっては嘲笑したくなるような存在であるハヌマーンを、あなたは特別な思い入れがあって「素晴らしい!」と叫んでいるのだから、それで良いではないですか。なぜ「救った」などという言い訳を用意するのでしょう。どれだけ自信がないのか。「ハヌマーンの良さがわからないのは愚鈍の極み」と言うのなら僕は「なるほど」とだけ思います。
 自信を持って、胸を張ってハヌマーンを「好き」と言えばいいだけのことで、「ハヌマーンは人を救ったから偉い(客観的価値があり嘲笑されるべきではない)」と言うのは無理があるというか、根拠が薄い。
「俺はハヌマーンをばかにされると不快になるのでやめてほしい」といった個人的な主張なら僕はまったく気にならない。これは「俺はハヌマーンをばかにしていないと不快になるのでばかにしたい」という主張と等価なので。

「俺や誰かを救ってくれた音楽を嘲笑するな」というのを「主観にのみ基づいた個人的主張」として捉えるなら、話はちょっとだけ変わる。「なんで?」とだけ思う。それでたとえば「なんとなく」とだけ言われたら、「そうなんだ」と思います。

 小山田くん(敬称)の話はたぶんまたこんど。

2024.7.31(水) 上越→新潟→高知(予告)

 7歳の日と8歳の日はあるけど9歳の日はない。10歳の日はある。
 さて現在は8月1日の午前8時ちょうどで北陸新幹線の中。とりあえず上越妙高まで行くんだけど、上田や長野、いや飯山より向こうだというのに毎回驚く。富山や金沢に向かう途中(それよりは手前)という認識なので。
 上越妙高からえちごトキめき鉄道に乗り高田駅でいったん下車予定。いわゆる「上越高田」である。上越は新潟県だが長野県にほど近く、新潟駅まで特急で2時間かかる。
 首都圏に生まれ育って全国の地理に弱い皆様方のため東京でたとえますと、東京を東京駅として、新潟を上野駅としますと、高田は湯島駅ですかね。「東京と新潟は新幹線で迅速に結ばれていて、新潟と高田は距離は近いが在来線しかないので時間がかかる」という事実を踏まえて。長岡は秋葉原駅。
 大宮で自由席が満席に。さすが夏休み。子供や学生が多い。

 高田では喫茶「シティーライト」に寄るのみ。90歳をすぎたママが毎朝歩いて、階段を登って、10時から19時まで9時間も営業している。お休みは月に5日ていど。頭が下がる。よく「若い人からエネルギーをもらって」なんてことを言うが逆も然りで、僕くらいの年齢だと10代よりもまだ90代のほうが遠いわけだから、先達にこそ学ぶところ多いはずである。仲良しなので昨日お電話して、「明日伺います」と告げておいた。ふだんは全く来店予告をしない(度胸がなくてできない)のだが、もし臨時休業だったら上越に寄る意味がないので、切符を買う前に確認しておいたのだった。
 それから初めて直江津に立ち寄り、気になっていたお店を幾らか周り、柏崎、吉田と各駅列車で乗り継いで内野へ。かなみさんの喫茶「みずのみば」初日営業のラストに立ち会いたい。彼女は夜学バーに命を救われた存在(個人の感想)で、おなじ店師(店に明るい技術職)でもあるので応援している。こちらも来店予告をしていないが、僕が着くまでにこれを読む可能性はある。もし読んでいたらどこかのタイミングで「得意な泳法は?」とお尋ねください。「まなび式であります」と答えますので。
 新潟駅に進み、宿に寄り、7月26日にオープンしたばかりの(夜学バーのパクリと名高い)「夜学♭ 待夢来電燈」をはじめ何軒か寄ろうと思っている。詳しいことは未定だが、いま寝不足なのでここで睡眠を確保しないとまずいのはある。銭湯にも入りたい。
 翌日は長岡に各駅で行って「禮」の昼営業をねらう。45年の歴史を持つスナックで、短期間に2度立ち寄った。お店としてのSNSはやっていないが最近個人のインスタがよく動いていて、僕が着物の写真をUPしたりすると「似合ってる!」とかメッセージくれたり。Googleマップにも写真などを投稿しているようだ。自意識過剰かもしれないが僕の来訪が刺激になったのではという気もする。もちろんそれだけではなかろうが、モチベーションの一つになれたなら嬉しい。そういうことが世の中をよくするのだ。それでそのためだけに長岡に寄る。
 16時半ごろ上野に戻り、三角広場(そういうのがあるのです)の野外ビア&ジャズバーでビールでも飲もうかな。かの有名なアーツ&スナック運動の一環で、10月12、13日にやる演劇市(夜学バーも参加します!)と同じ主催。東大の某研究室が中心となっているのもあって、僕のような偏屈者から見ても嫌な感じのまったくしない知性と礼節ある社会実験をたくさん行っている。心強いものだ。野外ジャズバーはこの金土の夜やっているので、夜学に来る前にどうでしょう? ビールはたぶん上野の仲町通りで醸造したオリジナルのめっちゃ美味しいのが(おそらく安く)出てると思います。
 そして17時から夜学バー。きてね。珍しい方もいらっしゃるようです。

 ところで、今回つかうきっぷはかなり変則的。乗車券を2枚に分けております。
 まず「東京都区内→安中榛名」まで。
 そして2枚めが「安中榛名→上越妙高→(高田)→直江津→柏崎→吉田→(内野)→新潟→(長岡)→東京→岡山→(丸亀)→高知」(実際の乗り換え予定駅、カッコは乗り換える必要ないけど途中下車する駅)。
 つまり、北陸新幹線で上越まで行って、越後線経由で(長岡の重複を避けて)新潟をまわり、いったん東京に戻って(お店に立って)岡山通って高知へ行くきっぷ。なぜ2枚に分けているのかというと、高崎〜東京までの区間が重複するから。同じ駅を通るときっぷが作れないのであります。
 なんでこんなことをするのかといえば、これで乗車券が6000円くらい安くなるから。すごいでしょう(※東京→高田、高田→新潟、新潟→東京、東京→高知と素直に買った場合との比較)。ちなみに1枚めを北鴻巣あたりで2分割するとさらに150円安くなる。するべきだった。間違えた。勿体無い。
 また、ケチいので、すでに書いた通り上越妙高〜新潟〜長岡間は新幹線も特急も使わない。あとはまあ、ほぼ特急券かな。このバランスが今の僕らしいところ。
 ちなみに東京でたとえますと、東京→御茶ノ水/新御茶ノ水(上越妙高)→湯島(高田)→西日暮里(直江津)→鶯谷(内野)→上野(新潟)→秋葉原(長岡)→東京→八王子(岡山)→茅ヶ崎(高知)ってとこか……?(東海道線で茅ヶ崎行けよ)
 かりに四ツ谷が名古屋)、新宿が大阪としたら、岡山は八王子とかでいいか〜って思って、町田が高松、徳島が横浜(そんなわけあるか)、池田が橋本、高知が茅ヶ崎、松山が小田原……八幡浜が熱海とかになるのかな。実にどうでもいいですな。執筆時間のたぶん半分くらいこんなことに費やしてしまった。
 ちなみに帰りは徳島からフェリーで和歌山に渡るつもり。短時間だが船中泊、どうせ寝れないけど楽しみだ。今回のテーマは「いかに睡眠時間を確保するか」ですな。

 紀行文も書きつつ、いろいろ思ったこと書いていこうと思っております。8月もよろしくお願いいたします。

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