少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2024.6.8(土) ヤバいお店の見つけかた(関西紀行 京奈和滋④)
2024.6.13(木) 繁華街について考える(関西紀行 京奈和滋⑤)
2024.6.15(土) 凡人について 凡テンダーの「お近くですか?」
2024.6.23(日) 最近のこと10選①
 ○MEO業者と契約した
 ○茅野(長野)行った
 ○8月23金~27火は合宿です
2024.6.24(月) 最近のこと10選②
 ○練馬で麻倉くんと飲んだ
 ○小山(栃木)行った
 ○10月に演劇をやることにした
 ○7月11日はゴールデン街でも営業します
2024.6.25(火) 最近のこと10選③
 ○新潟行ってきた(夜学バーがパクられてた)

2024.6.8(土) ヤバいお店の見つけかた(関西紀行 京奈和滋④)

 忙しくなってくるとおおむね「夜学バー日報→日記→氷砂糖のおみやげ」の順に停滞していきます。すべてが停滞しているここしばらく、いかにジャッキーさん(僕)が「何もできない」状態であるか、ということを想像していただけると幸いです。ぼちぼちやっていきます。お店はちゃんと営業してます。(それで他のことがあとになっちゃうのもある。)

 とりあえず旅行記を書き上げておかなくては。書きたいことはたくさんあるのですがなかなか時間がとれない。しかし「とる」しかないのであります。よろしくお願いいたします。

 以下、これまでのつづき。

 片ブ×CASCADE(関西紀行 京奈和滋①)
 京都学派×天理教(関西紀行 京奈和滋②)
 みんなが王様になる世界(関西紀行 京奈和滋③)


●5月20日(月)
 朝、電車に乗るところまでは前回を参照。
 天理駅からJRで南下、巻向(まきむく)駅で降りて纏向遺跡(箸墓古墳とか)をチラ見しつつ歩く。喫茶「田舎」でモーニング。三輪山に詣で、水を飲み、駅前で日本酒を飲み、また電車に乗って香具山で下車。藤原宮跡を味わう。この何もなさが最高である。
 わが第一詩集『ただ美しいだけで生きている』(ただ美)にも採った「平城宮跡のように」という詩は初めて平城宮跡を歩いた時の感覚をうたったものだが、当地はいま多少手が入ってあの頃ほどの寂寥はたぶんない。藤原宮跡のほうは本当にまだ何もないし、これから何かができるともまず思えない。ぐるり見渡すと大和三山(香具山、耳成山、畝傍山)が順繰りに見え、やや遠景には三輪山もある。なぜここが都として選ばれたのかわかる気がする。佳景寂寞として心澄みゆくのみ覚ゆ。

 ずいぶん長く歩いたので道中「さなぶりや」と喫茶「アラビカ」で休憩をとった。畝傍駅から再びJR。今回のきっぷは「天理→和歌山→大阪→東京」というルートで買ったので、みちなかどこで乗り降りしてもかまわないのだ。高田でちょっと乗り換え待ちがあったので少し歩く。そして五條へ。
 楳図かずお先生の聖地をかんたんに巡ったあと街道の端にある古い旅館へ。めあてのカレー屋が閉まっていたが、その高台から見えた飲み屋が「呼んでいる」気がしたので調べてみると、まったく、なんにも、インターネット上に情報がない。口コミがないとかのレベルではなくて、項目すらない。マイナーな住所サイトみたいなのに名前だけ載っている程度であった。昨日今日できたような雰囲気でもない。暖簾は出ている。こういうお店が「続いている」からには、何かあるのだ。入ってみた。壁一面にサラリーマン川柳を毛筆で書いたのが貼ってあった。静かなる狂気! いいお店でした。


●5月21日(火)
 五條と新宮をつなぐはずだった「五新線」跡を見る。僕からしたら「楳図かずおと佐藤春夫をつなぐ電車」。実現していたら奈良・和歌山の歴史は(ほんの少し)変わっていたかもしれない。いまそのルートは「日本一走行距離の長い路線バス」が走っている。たぶん需要はないわけではない。
 散歩しつつ喫茶店を3軒はしご。駅前に意味不明な店(らしきもの)を見つけるが開いてなくて残念。観光協会で買い物。
 電車乗る。和歌山県に入り、橋本駅でしばらく停車時間あったのでちょっと降りる。まことちゃん像にご挨拶したのち駅前をぐるりと。もしやってたら入ろうかなと思っていたお店が跡形もなかったり、すでに閉業していたり。どこも同じだ。古いお店は消えていき、新しいお店が増えていく。当たり前のことだがここ数年はとりわけ激化している。オリンピック~オイルショックくらいに開業したお店が閉まり、コロナショックを経て「自分のやりたいことをやろう」と思い立った若い人たちが開業しまくっている、のだと思う。

 和歌山駅へ。宿ちかくの喫茶店でエッグミルクを注文。ミルクセーキは冷たいので、エッグミルクはあったかいのらしい。夜学バーでも出そう。夜はお城近くでカレー食べる。本町文化堂という古本屋に入って名刺渡す(営業旅行ですから!)。それから「鈴丸」あたりの古くて雑多なエリアと、「新内(アロチ)」という駅寄りの歓楽街を散策し、街のだいたいの構造をとらえる。前にも来たことはあるのだが、夜を過ごすのは初めてなのだ。
 ここからがマグマ。このジャッキーさんという人は本当に「店」を探すのがうまい。和歌山で初めてアルコールを飲む一軒目としてこのお店を選んだ人はたぶん世界でも僕だけであろう。すさまじい場所をいきなり見つけてしまった。
 鈴丸の中でも飲み屋がほとんどない静かな通り。わずか数軒の飲食店がひっそり並ぶ小さな区画に、もうほとんど読めないようなボロボロのスナックの看板があった。どう見ても営業しているようには思えないのだが、二階へのぼる階段から明かりが路上に漏れている。
 さっき通りかかった時は気がつかなかったのだ。両隣のお店が道を煌々と照らしていて、おそらくそのささやかな光はかき消されていた。昼間でも気づくことはないだろう。周辺の灯火が消えた真夜中にだけ浮き上がる。この時点で僕の昂奮は最高潮。近づいて階段の入り口に立つと、建物の内部に小さな貼り紙が見えた。「cxxxx9」と横文字が書いてある。すぐ調べてみたが、何も出ない。まったく、何も。同じ名前の別のものばかりヒットする。
 スナックではない。たぶんバー。それも極めてソリッドな尖った店に違いない。和歌山、それも鈴丸という儲かりそうもない土地で、この隠れ方をして成立しているとするならば、そこには「何か」あるはずだ。
 ただもう一つ、ベンチャー企業の事務所とかそういう可能性もある。家賃が安いからと事務所代わりに借りているケース。耳を澄ましてみる。酔っ払いの声が聞こえる。どっちだ? 店なのか、宅(事務所)飲みか?
 ええい、ままよ。この言葉好きですね。僕もたいがい臆病なほうなのだが、眼前の宝箱のために跳べないほど陳腐ではない。「あ、お店じゃなかったんですね、すみません」と謝って退出すればいいだけの話。
 改段を上り、扉を開けて、入ってみたらなんてことはない、バーであった。心の中は思わずニヤリとする。座ってお酒を頼む。彼らはとても歓迎してくれた。「よく来たね」と。
 通りすがりに入ってくる人は史上初か、きわめて少ないとのことだった。そりゃそうだ。誇らしい気持ちになる。「ソリッドな尖った」と予想した通り、店主は相当色々な(裏っぽいことも含めて)経験を持った人物であった。和歌山が地元ではあるが、しばらく東京にいたこともあるとのこと。そうなのだ、田舎で尖ったことをしているのは余所者か、Uターン組であることが多い。
 しばらく飲んで、真夜中になってしまった。お暇し、気になったお店で開いているところを片っ端から訪ねる。
 住所としては和歌川をはさんで東側が北新、西側が元寺町となる。東には古いお店や典型的なお店が多いイメージであった。西のアーケード通りは若い文化系の人たちがどんどん出店しまくっているようなので、そっちのほうへ。まず謎のうどん屋、最近できたらしいがだいぶ頭のおかしい感じがして気に入った。味もよい。ちょっとしか話せなかったが夜学バーの名刺を渡したら面白がってもらえた。こういう小さな活動が夜学バーというお店、ひいては僕の人生を支えてゆく、予定である。
 次に「Spaceship BAR HUG」。ここのお姉さんとはけっこう話(意見)が合って面白かった。やっぱ現代には色が足りませんよね。
 そして最後に「酒・喫茶2ストローク」。僕よりもずっと若い人が店主で、もうすぐ2周年とのこと。かなり文化的なお店(とはよくわかんないでしょうけど、僕が好きなような感じってことです)で、しかも硬派。ここがこのままクールに続くなら和歌山は安泰である。ちなみにこのへん出身の人ではないらしい。やはり。
 あまり時間がなかったので普段しないような「あっ、(大山)トチロー(のフィギュアだ)!」みたいなわざとらしい「自分そういうの詳しい人なんですよアピール」をしてしまった。そのおかげで一瞬にして「こいつ……できる!」みたいになってくれて、その後の話がスムーズに。技はこういう時につかうのである。

●5月22日(水)
 チェックアウトして喫茶店など2軒、鬼のいる公園に感動、昨夜HUGで教えてもらったお好み焼き屋さん行ってみるが閉まっている。がーん。喫茶店でごはん食べる。和歌山の喫茶店は食事機能が強いというのはかつて書いたことがある。
 最近更新遅いのでこういうの↑読んで待っててね~。むかしの読んでね~。むかしのぼくがさみしがっちゃうからね~。
 酒屋でジュース買って飛行機のある公園で休憩。なんか和歌山市内は公園が充実している気がする。土地があるってことかね。
 5年ぶりの浜喫茶店へ。相変わらずすばらしい。「くろしお」乗って大阪を通り、彦根へ。


 はやく書き終えたい。彦根編はそれなりに長くなりそうなので次回にまわします。ほかにも書きたいこといっぱいあるのですが、もうしばらくお待ちください。8日付けになっておりますが書き終えたのは10日の夜中です。フー。

2024.6.13(木) 繁華街について考える(関西紀行 京奈和滋⑤)

●5月22日(水) 続き
 和歌山からは「くろしお」に乗れば直接大阪駅まで行ける。全席指定で+1530円のところをe5489で買うと750円になる。ちなみに新大阪まで乗ると850円である。ケチなので(また新快速で座れる可能性が高まるため)大阪駅で下車して乗り換える。
 特に理由もなく彦根で降りた。宿への道すがらOn Your Markという「コミュカフェ」に寄る。視察と広報。学生たちと色々やっているとのこと。大学のある都市は強い。代表の方が大曽根(僕の実家)らへんにお住まいだったことがあるらしく驚く。
 また道すがら、B art cafeという凄まじそうなお店を見つけたのだが予約制らしく開いていなかった。インスタフォローしたら返してくださった。今度行くときには必ず。
 旅館にチェックイン。ミツワ食堂でご飯をたべる。

 彦根という町を考えるに、まず第一に国宝彦根城とひこにゃん。これだけで観光(お金)に困ることはない。そして国立滋賀大学。伝統を維持・増進させるのは文化と教養、それを支えるのはビジネスの力。その点で「国宝松本城+信州大学」という長野県松本市と構造的にちょっと似ている。
「観光」がまず第一にあるため、古いものをいたずらに壊さない。武家屋敷などもたくさん残っている。焦って壊して、新しいもの作って地元の若い人を呼び込もう!なんて目論まなくとも、町には常に観光客が歩いている。飲み屋街もしっかり元気であった(むろんかつての盛り上がりはないのだろうが、地方都市としてはマシな方だと思う)。
 観光客が飲みに行く場所も当然あるし、当たり前の話「観光客が来る→町で働く地元の人が多い→その人達が飲みに行く店が必要」という流れもある。観光が弱いと繁華街から人が消える。車でちょっと遠くのイオンに行く、みたいなライフスタイルが普通になる。しかし観光が強いとその観光地が地元の人にとっては巨大な職場(オフィス街!)になるわけで、すると喫茶店でも居酒屋でもなんでも繁盛するという寸法なのだ。たぶん。
 新潟市なんかは観光が弱いので、華やかなりし繁華街「古町」はさびれ、出張者や電車通勤者を目当てに駅前が盛り上がる(飲酒運転がほぼなくなったことも大きい)。名古屋でも同じ事情で「栄」は弱まり、名駅周辺や金山駅が開発されているように見える。
 古町が寂れて、空き店舗が増えて家賃もお手頃になってくると「待ってました!」と若者たちが新しいことを始める。栄のほうもやがてそうなっていくのだろうか。
 いっぽう彦根は、古いものが古いまま堂々と存在している感じがあった。「待ってました!」という人材もそう多くはないのだろうし、学生は「学生」としての活動に閉じ、そのまま就職していくからなのかもしれない。
 若い人たちが「待ってました!」と新奇な店を開いて喜ぶのは地元の若い人であって、観光客ではない。彦根は「保存」されている。観光が強いとはそういうことで、今のゴールデン街に「新しい」お店ができにくいのと似た話なのだろう。

 夜の城を一巡りしてから、どうしても行ってみたいお店へ。「どら笑門」というスナック。駅から30分、宿からも15分くらい歩く場末にあり、インターネットの口コミもまるでない。一応インスタはあるものの、かろうじて内装がわかる程度。なぜドラえもんなのか、どんなお客が来ているのか、いろいろ気になる。
 23時ごろ到着すると灯りは消えていて、扉も開かない。旅の恥はかき捨て、覚悟を決めてネットに載ってる電話番号にかけてみた。男性が出て、要約すると以下。「いま店を閉めて女の子を家に送ったところだ。せっかく来てくれたのだから戻って店を開ける」と。
 女の子を呼び戻すとも言ってくれたのだが、べつに女性と飲みたいわけでもないし、そのぶん高くつくし、数時間帰れないということでもある。固辞して戻りを待った。
 飲み放題歌う放題で3000円、と優しくしてくださった。ありがたい。気になったことを尋ねてみる。中学の体育の先生だったのを退職して夢だった飲み屋を開いた、毎日女の子を一緒に立たせているが、そのほとんどは教え子である。お客にも教え子は多い。なぜどら笑門という名前にしたのかというと、「銅鑼のように遠くへ響き、笑う門に福来るように」みたいなことで、なにもドラえもんとは関係なかった。でもやっぱりそういう名前だからグッズは集まってくるようで、店内にはドラえもんがたくさんいて眼福だった。
 特筆することはない、いわゆる普通のカラオケスナックであったし、店主もふつうのおじさんなのであるが、めちゃくちゃ良い店であろうことはわかる。さすがに元公立教員で、まじめな人なので、無茶な会計はたぶんない。
 帰りは車で送ってもらった。仕事中は一滴も飲まないとのこと。さすが元公立教員である(偏見)。
 スナックというのはいまいち経営的成立要件が不明なものである。おおむね住宅街なら「ご近所型」、繁華街なら「お得意型」が多かろう。お得意型とは「〇〇という会社がよく使ってくれる」みたいな形で、企業ぐるみで「太客」となっているケース。どら笑門の場合も、40年くらい公立中学で働いていたとすればその関わりの人たちが飲み会で使うことも多いだろうし、教え子が自分の会社の後輩を連れて、なんてこともあると思う。労働力もそこから引っ張ってきているというのは面白い。また行きたいので、どなたか連れてってください。彦根周辺に友達がいたらいいんだけどな。甲賀在住大津勤務がいるはずなんだけど、そいつはお酒を飲まないので。スナック「どら魂彭流」とかだったら誘うかもしれないけど(きわめて内輪ネタ)。

 車から降りて宿に戻るとき、さっき通りかかって少し気になっていた建物に明かりが灯っていて、中を覗くと「待ってました!」系の香りがしたので、入ってみた。説明が難しいのだが、まあ要約するとこんな感じ。「かつては母と一緒に店をやっていた。一つの店舗をふたつに分け、母親のほうを和風の飲み屋、自分のほうを洋風のバーにした。最近、DJやライブができるようにさらに空間を拡張した。」とのこと。母親のほうはたぶんもう引退している。そう若い人ではないのだが、一つの空間にバーと小料理屋ふう居酒屋、DJブース、ライブスペースが混在しているのは面白い。貴園というお店。若いお客さんたちを交えアメカジトークで盛り上がり、最後にはなぜかギター弾き語り大会になった。お散歩遠くとスタアグア歌わせてもらった。オリジナル曲があるとこういうときに強いですね! 下手だけど。
 どのお店でも夜学バーの宣伝をした(最近は恥ずかしがらずに積極的に名刺を出すようにしている)んだけども、これが実るのか、実らないのかは不明。たまに成果が出るからやめられない。ほんとビンに手紙入れて流すようなもんだって昔から言ってるけど、それを徒労だと思ったらだめで、祈りだと思わないとね。今後もがんばります。

●5月23日(木)
 メルカードって喫茶店でモーニング。最高だった。彦根城登る。すばらしい。はやの食堂でご飯食べる。ここも最高。いい街だ。「花」って喫茶店が閉まってて残念。米原からひかり乗って帰京。

2024.6.15(土) 凡人について 凡テンダーの「お近くですか?」

 凡人を定義するにはいろんな角度があると思いますがいったん僕はこのように考えてみます。

 凡人とは普通のことばかりをする人のことで、普通とは「よくある」ということ。
「よくある」かどうかは十分な知識や観察にもとづいて個人的に判断される。僕が誰かを「凡人」と思うとしたら、僕の知識と観察に照らして「よくある」ことばかりを言ったりやったりする人、ということになる。
 僕は凡人でありたくはない、すなわち「特別でありたい」と願うガキなので、「よくある」ことを避けようとする。(それはしばしば「逆張り」という形で表れる。「逆張り」もやりようが悪いとかなり「よくある」ダサいことなので細心の注意を持って行うが、「特別でありたい」などと願う凡庸さゆえどうしてもボロは出る。まあせいぜいがんばってみている。)
「よくある」ことを避けようとして、そのあまり「よくある」ものを憎むまで達しているのがこの僕なのかもしれない。ただし同時に、「よくある」ことへの愛もある。それは同時に存在する。
 大まかに言えば、長い時間をかけて「よくある」ことへ収斂していったものへは愛を持つ。一方、いま現在考える余地が存分にあったうえで「よくある」ことばかりをしているものは、ぜんぜん好きになれない。
 古い喫茶店たちが「古いのに似ている」ことは歓迎するけれども、新しいカフェたちが「新しいのに似ている」ことについては軽蔑するわけだ。僕はきわめて正直にものを書いていて偉いと思う。バカにしたっていいが、褒めてもほしい。
 僕にとって非凡とは、「これは凡庸である」と認識して、それを避けている人のことだ。

 ここで「凡庸」と「必然」の差についても考えたい。凡庸とは「よくある」ということであって、「必ずそうである(べきだ)」ではない。そうである必要はないのに、なんとなくそうしているというところが、凡庸たる所以なのだ。そうであるべきことをそうしているならば、それは当たり前のことであって、凡庸とはいえなかろう。
 さっき例に出した「古い喫茶店」も、「必然」の結果似ていくという話でもある。凡庸も淘汰されて生き残れば必然になる。勝てば官軍的な話でもあるのかも。
 凡庸さのうち、必然性の薄いものは消えていき、濃いものは残っていく。すごく単純化していえば、必然性の薄い凡庸ばかりを取り揃えているお店は短命に終わり、同じ凡庸でも必然性の濃いものを多く揃えているところは、生き残っていけるということである。
 たぶん「売れる」とはそういうこと。凡庸でも売れるのは「必然性」があるからで、それがなければ「的外れのバカ」ということになる。


 バーテンダーから言われる「お近くですか?」という一言。これはまさしく凡庸である。
 それを聞いてどうすんの?と思う。むろん意味はある。

 ①コミュニケーションのきっかけとして便利
 ②近所に住んでる(ないし働いている等)ならリピーターになりやすいから知っておきたい
 ③いずれにせよ相手の素性を知っておいたほうがやりやすい
 ④近くなら近所の話をすればいいし、近くじゃないならなぜ来たのかを聞けば話が発展する

 パッと思いつくのはこんなところで、これ以上のことがないとしたらただの手抜きである。必然でもなんでもない。僕はほぼ自動的に「大したことのない店だ」と思ってしまう(むろんその印象が覆ることもある)。
 それなのに驚くほどこの「お近くですか?」をやる店(人)は多い。「お仕事帰りですか?」も同じくらい多い。選ばれる理由はほぼ同じだろう。
 そんなこと聞いてどうするのか? 当然、「バーテンダーにとって得(楽)だから」で、それ以外の答えはない。これを聞かれて喜ぶ客はいるのだろうか? いるとしたらたぶんだいたい何を聞かれても喜ぶんじゃないか。
 その質問は、「自分のために選ばれたもの」であって、相手のためでもなければ、その場にいるほかの人のためでも、その場にいない人のためでもない。自分のためでしかない。それを僕は邪悪だと言い、また「仲良しの発想に欠ける」と思う。
 声をかけるのが悪いとは言わない。お客のほうでもコミュニケーションのきっかけを待っていたり、探していたりすることは多い。しかしそれが「質問」という形である必要はないし、「お近くですか?」や「お仕事帰りですか?」があえて選ばれる理由も99%以上の場合はないだろう。しかし彼らはそれを選ぶ。なぜか? 何も考えていないから。テキトーに、凡庸な、「よくある」方法をとっているだけだ。
 その次によくある質問としては「どなたかのご紹介ですか?」とか「〇〇を見て来られたんですか?」といった、「来店の理由やきっかけ」を問うもの。べつに「なぜこのお店に?」と聞けばいいだけなのに、どうして「どなたかのご紹介ですか?」と狭めるのだろう。答えは「だいたいそうだから」で、客を十把一絡げに扱っていることが露呈する。あるいは、「誰の紹介かで態度を変えますので、よろしく」という宣言かもしれない。恐ろしい。
 声をかけるかかけないか。いつかけるか。それはどのような言葉にするか。そこに「必然」を見出そうとするのがまともな神経だと思うのだが、客を客という生物だとしか思っていない凡人は、「お近くですか?」をやる。
 凡人バーテンダー(以下凡テンダー)にとって新規の客とは、魂のない人形みたいなものである。いわゆる「常連」という存在になって初めて、凡テンダーの目にその人は人間と映るようになる。

 凡人にとって「よく知らない人間」は、すべて同じに見えている。「よくある」存在としか思っていない。「すでに仲良くなった人間」のみ、個体識別できる。「知らない人」を「知らない人」という一種類のカテゴリに押し込めて平気なのが凡人である。
 何を見ても凡人は、知らないものを「知らないもの」としか認識しない。だから知識も観察も不十分なまま育たない。何も考えず凡庸なことを繰り返しているうちにいつの間にか「知らないもの」が「知っているもの」になって、そのとき初めてそれを認識する。そういう順序しかない。「知らないものもいつかは知っているものになるのだ」という想像力すら働いていない。

 凡テンダーのほとんどは良かれと思ってやっている。それで「失敗した」という経験がないからだ。そりゃそうだ。「お近くですか?」と言っただけで怒り出すなんて僕くらいのもんだ。(いや怒ったことはないですよもちろん。今怒っているだけで。)

 凡人がなぜ「よくある」ことをやって平気かというと、「よくある」ことしか認識できないからである。というより、本当は色とりどりで、それぞれに違うはずのものを、「よくある」という箱の中に押し込めて平気だということだ。つまり、人間をすべて同じものとして扱う、平等主義?みたいなものをお持ちなわけです。と思いきや、いったん「知り合い」とか「常連客」というふうに認識した瞬間に、差別が始まるのですけれども。「この人は知っている人なので個別のシールを貼りますが、あなたがたは知らない人なのでテキトーにこの箱の中に入れときますね」である。
 凡人は人間をランク付けしている。「知らない人」から「知っている人」への「昇格」みたいなことを当たり前にやっている。個別に、この人のこと大好き!というふうに一人ひとり捉えるのなら僕はわかるんですけれども、「あなたは知らない人だから低ランクね!」という考え方があるようにしか思えない人はけっこういて、そういう人を僕は心から「凡人だな~」と思うのである。
 知らない人→知り合い→友達→親友/恋人(→配偶者) みたいなランクアップシステムを疑いなく持っている人は多いと思うのだが、この「人間をカテゴライズしたりランク付けして平気」というのが凡人的発想である。

 僕は「凡人ではありたくない」と思い、「できればみんな凡人でないほうがいい」とも思うのだが、それは僕の定義によると「凡人はよく知らない人間を人間扱いしないから」である。人間をまず大まかに「知らない人」「知っている人」に分け、「知っている人」をさらに分けて「好きな人」「嫌いな人」とか「大事な人」「そうでもない人」というふうに、可能な限り省エネで分類していこうとするからである。
 凡人の根底には、「よくある」=「マジョリティ(多数派)」を常に優先する性質がある。それが「普通」ということなんだから当たり前だ。生存のためにも理にかなっている。しかし「よくある」の内側だけを見つめていると、優しさでもなんでもその中に封じ込められて、その外側にいる人たちに及ばなくなる。
 非凡さというのは、「よくある」の外側に常に目を向ける態度のことで、それはすなわちほぼ、優しさと同義でもあるんじゃねーの?と乱暴に思ったりもするわけなのだ。

 バーとか行って、凡庸な態度を受けると悲しくなるのは、「この人は自分をまだ人間扱いしていなくて、これからいくらかの儀式をこなすことによって、だんだん人間扱いしてくれるようになっていくんだろうな」と思ってしまうからである。ランク付け儀式の参加者に、知らぬうちに仕立て上げられてしまうからである。
 いつだって凡庸さは見下してくる。凡庸であるとは、普通であるとは、マジョリティであるということなのだから。その自覚に欠ける人間を、凡人と呼ぶのだと僕は思う。

 そう考えると「お近くですか?」というのはものすごく自分中心の言葉に聞こえてきませんか?(考えすぎ?)

2024.6.23(日) 最近のこと10選①

 主に、関西紀行を書いていたあいだのこと。

○MEO業者と契約した
○茅野(長野)行った
○8月23金~27火は合宿です
○練馬で麻倉くんと飲んだ
○小山(栃木)行った
○10月に演劇をやることにした
○7月11日はゴールデン街でも営業します
○新潟行ってきた(夜学バーがパクられてた)
○りりちゃんのこと
○夜学バー従業員のこと

 一度に全部は書けないような気もするので、書けるところまで書けたら、あとは明日以降の僕が書きます。


○MEO業者と契約した
 MEOとはSEOみたいなもので、Googleマップの検索順位を上げるための工夫。それをビジネスにしている会社から電話があって、なんとなく来てもらって話を聞いて、6月から契約することにした。
 これはもちろん僕らしくないし、夜学バーらしくもない。なぜ受け入れたのかといえば、「他人を使うことを覚えたい」に尽きる。月額16800円で、半年の契約。10万円くらい使うことになるが「アシスタントのサブスク」だと思って決めた。
 Googleマップを使ってお店を探す人が増えているとはよく聞くし、僕も体感している。その運用のしかたによって来客数も来客者の種類も変わってくる。できれば自分で整えたいのだが、その余裕はない。だったら一度プロに任せてみようと。
 しかし無論、Googleマップ上に描かれている姿が「夜学バーらしくない」となるとブランディングとしては失敗で、「オシャレなバーと聞いて」みたいな人たちのほとんどは定着しないだろう。いやなレビューを書かれたりするかもしれない。本当に来てほしい層の人からは「軟派な店だな」と敬遠される危惧もある。担当のH氏とはそのへんをかなり話し合った。
 実際「隠れ家」だの「出会い」だのって単語を入れないと順位は上がっていかないのでしょうから、僕の美意識のままの文章にしてしまったらお金を払う意味がまったくない。結果、「この文章は検索順位を上げるためあえて大衆的に書かれています」的な文言を目につきやすいところに入れることにした。この冗談がわかる人が来てくれれば嬉しい。
 神秘的な場所でありつづけるために写真(特に内観)はあんまり載せたくなかったのだが、誰かが勝手に載せてしまった(これを防ぐ方法は事実上ない)のでもう手遅れ。むしろ訴求力のあるものを載せていく方向にシフトしている。また「メニュー」の項目はけっこう本気の文章書いております。もともとオリジナルカクテル(ほとんどパクテルだが)の解説はどこかに書きたかったので、よい機会となった。いまのところはサバン、サバンふうジンライム、雪国の原稿を送付済み。担当H氏が編集者のようになってくれていて、いま何が掲載されているか僕は知らない(確かめればいいけどめんどくさい)。
 手を動かすのはほとんど彼がやってくれて、僕は「メニューの解説文を書く」以外だと「それは嫌です」と言うこととか「じゃあこういう文言を入れましょう」と提案するくらい。16800円の価値があるかはまだわからないが、「こういうふうに動いてくれる人がいてくれるとありがたいんだよなあ」というのはすごく実感している。まだ始めたばかりなのであんまり美しいページでないが、だんだん阿吽の呼吸になってきたらそれなりに面白いものになるかもしれない。乞うご期待。
 もっと幅広く僕のお手伝いをしてくれる人は本当に募集していて(本当にめちゃくちゃ困っていて)、↑の額よりは出すつもりがあるので興味ある人はぜひ。夜学従業員である「まちくた」氏にお願いする予定だったんだけど忙しそうなので遠慮中。まあ僕のこと、あるいは夜学バーのことがめちゃくちゃ好きな人じゃないと務まらないと思うし割にも合わないだろうから、アルバイトというよりやりがい搾取だと思ってくださいませ。従業員も募集してます(後述)。


○茅野(長野)行った
 簡潔に書きたい、簡潔に。いつもできないから困ってる。
 6月2日から3日、茅野に行ってきた。本当は小諸と上田にも行くつもりだったのだが自転車が壊れたので1日短縮して帰ってきた。
 行ったお店は宝来軒(2日連続)、楚そっと、琥珀、EIGHTDOOR、bik.、紅の豚。fumokuは行ってみたが人がいなかった。あとはホールで友達のピアノを聴いて、一緒にエビ食べて、岡田淳さんの講演(京都きんだあらんど)の動画見た。
 楚そっとは8月にイベントをやる候補地。たぶんやる。25日(日)だと思う。予定開けといてください。(誰に言ってるんだかね、すべての文章は空中に言ってるんですよ、むなしいですね、届くといいな。)
 琥珀はおなじみの定店(じょうみせ)。すばらしい喫茶店。
 EIGHTDOORではコーヒー飲みつつ、しぬほど軽いお鍋(専門用語わからん)と、それを先の細いケトルに大変身させるひみつ道具、超小型のアルコールランプみたいなやつ買った。これで野外でコーヒーを入れるのが(というか、その道具を持ち運ぶのが)かなり楽になる。僕はやっぱり屋外でお店のようなことをやりたい人なので、そのためのドーグは惜しみなく集めておきたい。野点最高。
 bik.は新しいお店で、まだ開業準備中だったけど、勇気出して声かけてお話させてもらった。ジンジャーエールもいただいた。「去年fumokuにいましたよね? もっと髪が長かった気が」と言われてびっくり。見てる人は見てるもんだなあ。定食屋であり飲み屋さんだそうなので、夏の合宿(やるんです)で行けたらよいな。
 そして紅(べに)の豚である。これについて書くと数時間かかってしまうので略す。気の狂った居酒屋。オーナーとバイトのTくんとはずいぶん仲良くなった。Tくんは夜学にも来てくれた。2階の座敷はイベントにも使えそうだし、そのまま朝までいることもできそうだ。浴びるほど飲み、この日はここに泊まらせていただいた。


○8月23金~27火は合宿です
 で、その茅野で夏合宿いたします。金土はさく氏が夜学出てくれるそうだから、僕もフルで参加できそうな気配。まあ欠席力も大事なのでいない日もあるかもだけど。
 さて参加者募集中です。あんまり見境無く誘うわけにもいかないから、僕は基本的にこのホームページだけに告知を絞ると思う。ちなみに主催は僕ではない(っていうか誰が主催とかいうのはたぶんない、自然発生的な合宿である)ので、誰がどういう宣伝をするかもよくわからない。
 金土日月と4泊あって、いつ来ていつ帰ってもよし。日帰りでもよし。客室は男性部屋と女性部屋をとってあって、どちらもかなりの人数が寝られる。宿泊料は「一室貸し」で、人が多いほど安くなる。一泊2000円くらいになる……と嬉しい。ゆえにある程度の人数は必要だし、ちょっと多めに出してくれたら非常~に助かります。
 何を目的にした合宿なのか?「ない」が正解ではあるが、あるとしたら「勉強」であろう。受験勉強もよし、夏休みの宿題もよし、資格試験対策でも、あるいはリモートワークでも。
 あと、土日は何かイベントを催す。余興会って感じになると思う。それは告知をしっかりとやる。東京やいろんな地方から何人かでも来てくれたら御の字である。
 僕は全国に夜学バー的なものを増やすとか、全国いろんなところでいろんなことをやることに大きな憧れを持っていて、2027年には夜学バー10周年を記念して「全国ツアー」を行う予定である。その手始めとしてまず茅野で「何か」をやろうと。ぜひ25日だけでもおいでください。その参加費は会場費と合宿費の一部にあてます……。
 最後に大事なこと。宿泊については、誰でもOKというわけではない。治安が大事なので。「よくわかんないけどまあ自分なら行っても大丈夫だろう」と思える人、ご連絡ください。


 ここから先は、次回!

2024.6.24(月) 最近のこと10選②

○練馬で麻倉くんと飲んだ
 生まれてこのかた練馬区にしか住んだことのない、かれこれ15年来の友人と飲みに行った。「ふだんきみが飲みに行くお店に連れていってくれ」と。石神井公園で集合し、大泉学園、上石神井と一軒ずつまわった。
 僕も練馬に11年4ヶ月住んでいた(彼とはその頃に出会った)ので、なにもかも懐かしかった。今のところ実家の次に長く住んだ土地なのだ。歩いているだけで感動する、まるでふるさとに帰ってきたようだ。住んでいた富士見台には今回は行かなかったが、あそこに行くとほとんど泣きそうになる。富士見台ツアー、付き合ってくださる方いつでも募集しております。
 練馬について語ると長くなる。簡潔に簡潔に……。
 まず行ったのは「雅遊舎」。たしか83歳くらいで、阿佐ヶ谷「メリデ」のマスターと同世代。このお二人はハッキリと知性を保っていて、ともに最近本をつくって自費出版している。雅遊舎のほうは「東京人」みたいなデザインのムック本で、石神井公園駅前の本屋にも扱いがある。メリデのほうはKindleで無料。この年齢になってこれほどカッコよくいられるのは本当にすごい。僕もあと40年以上はがんばらねばならない。ケルン(酒田)の井山さんにならえば50年以上ということになる……せいぜい健康に生きていこう。
 次に大泉学園の立ち飲み屋。ここもよいお店だった。そして上石神井のややカジュアルなバー。どちらにも共通して思ったのは、「全体」を意識しているなということ。「わざわざ型」である夜学バーと違って練馬のお店は原則「ご近所型」。ターミナル駅ではないから通常そうなる。ゆえにお客はあまり選べない。どちらも路面店なのでふらふら歩いている人たちがふらふらと入ってくる。その中で「一つの空間」として成立させるには人柄と手腕が肝要。
 人を個人として尊重することは大切だし大前提でもあるが、個人が二人以上集まったとき、そこには否応なく「集団」が立ち上がる。たとえその二人が初対面で、なんの言葉も交わさなかったとしても、互いに存在を認知した時点で暗に「我々」は成立する。そのことを無自覚であれわかっていないと、よい飲食店は作れないと僕は思っている。
 非常に楽しかった。こういうこといろんな人にしてほしいし、似たようなことをいろんな人にしてあげたい。


○小山(栃木)行った
 火曜日をねらって小山へ。「スローテンポ書店」というのが火木土の営業で、木曜はべつの行きたいお店の定休日、土曜は僕がお店に出たいので、自動的に火曜日となる。
 以前仕事で小山の大学を訪れたさい、取材した学生が小山の街でさまざま精力的に活動している人で、「ぜひ僕のバイトしてる書店に来てください」と言われた。それがスローテンポ書店である。残念ながら彼はいなかったが、名刺を渡してくださいと言付けた。後日インスタをフォローしてもらった。本来は取材対象者と「つながる」のは御法度で、これまで一度もなかったことだけど、特に問題にはならないケース(流れ)だろう。
「Book shop tsukahara」に。こぢんまりとしたいいお店。宮崎安右衛門なる人の『永遠の幼兒』という本を衝動買い。2200円。大正10年に出た古書で、まったく知らない人だったが、内容と装丁がよかった。散文も収録されているが、いちおう第一詩集となっている。詩風がちょっと僕に似ているし、何より狂気を感じた。敬虔なクリスチャンらしいのも気になった。読んでみて、かなりハマった。
 僕が3分の1くらい?執筆した学研の『日本の総理大臣』という本が置いてあって驚いた。こんな小さなお店で。お会計のさい、「これ僕がクレジットされてるんですよ~」と話したら驚かれた(当たり前だ)。お読みになったそうで「面白かった」と言ってもらえた。安右衛門の本については「渋い本を!」と感心された。このお店ともInstagramでつながった。最近はみんなインスタだなあ。
 前回仲良くなった「陽なた」で食事がてら飲む。今回はほかのお客さんもずっといたのでゆっくり話すというよりはカラオケしながら談笑する感じ。たしか『赤ちょうちん』『長い夜』『真夏の果実』『恋するふたり』とか歌った。スナックで誰も知らない曲を歌うのは緊張するが、一曲くらい混ぜておきたい。
 カラオケのあるお店はずっと敬遠してきたのだが、最近ちょっとずつ行き始めている。どこにでも行けるようになりたいので。ところでジャッキーさんの『真夏の果実』はかなりよかった。
「Bar Tearmaria」へ。よく覚えてくださっている。小山ではいま最も文化的な飲み屋ではないだろうか。ライブやDJをやれる設備も整っているし、ヨガをやったりタヒチアンダンスをやったり、今度は演劇もやるらしい。流行ってるな演劇。こうやって「気軽に演劇をやる」文化がもっと広まってほしいものだ。6月29日(土)の20時ごろから本番で、僕は行けないので誰か代わりに行ってきてください。
 電車ギリギリだったけど「Bar MAKKY」でタイムアタック。10分くらいで飲む。前回とは違う店員さんだったけど、柔軟でよい感じの人だった。
 終電で東京へ。このように、小山とか熊谷くらいだったら日帰りでじゅうぶん楽しめるのだから、時間があるときは積極的にいろいろ行きたいものだ。同行者募集(そればっか)。
「ついで」を探していると永遠に行けないものだから、「自発お願いします」って感じですわね。行きたすぎて衝動的に行くというよりは、それが仕事だから、それがよき「仕入れ」(専門用語)になるから、やっているところはある。それは僕のような商売でなくとも、人生をまあなんというか豊かにするとか、知見を広げるみたいな、なんか単純にレベル上げとかアイテム探しみたいな感じで、気軽に小旅行するのは本当にいいと思う。一人旅は特に、孤独になれて、すべてが自分の判断と選択に委ねられるところがいい。それが人を育む。


○10月に演劇をやることにした
 小山のBar Tearmariaが「6月に演劇をやる」と聞いたのが4月。いいなあ~と思っていたら、劇場を持っているご近所さんと意気投合して、あれよあれよと上演の日程が決まってしまった。予定は10月12日、13日の土日。場所は夜学バーから徒歩1分の「バズチカ」というところ。上野の仲町通りです。
 まだ詳細は何も決まっていないので、やってみたい人は連絡ください(そればっかだな本当に)。
 この日記は「すでに知り合っている友達」に対して書いているわけではおりません。「まだ知り合っていない友達」に対しても書いております。読んでいる人、遠慮なくなんでも(嫌な言葉はNO)連絡くださったり、いきなりお店に来てくださってけっこうというか、そうしてほしいです。張り合いがないと何も続けられないので。きほんてきに僕は孤独なんです! 贅沢な話だけど。
 いちおう、役者は三段構えで、「A きちんと稽古する役者」「B ちょっとだけ稽古や打ち合わせをする役者」「C 当日いきなり参加する役者(一般のお客さん)」というふうにするつもり。Aがいま僕を含めて二人しか決まってなくって、Bは頼めば出てくれる人はたくさんいそう。Cはもう、出たとこ勝負。興味ある人は話だけでも聞いてください。その中で僕もアイディアが思いついたりすると思うので、助かります。
 演劇って、ちゃんとやろうとするとお金も時間もかかりすぎて、「やりたい」と思う人は多いのに「やる」ことは難しい。やったことある人でも、「またやりたいなあ」で10年でも50年でも経ってしまう。身体と精神の回路を洗練させるために演劇ってものすごくよいので、もっと気軽に参加できるようにしたい。それが今回のテーマであり、僕の人生を通じてのテーマでもある。授業でもお店でも、演劇の一環としてやっている面もあるのです。
 おととしの11月にやったひとり芝居も、「演劇ってこんな簡単にできるんだ」ということを自分にもみんなにも確認してもらうためにやった。ただあれは僕に能力と経験があるからできるものなので、今回はそういうものがあまりない完全な初心者でも十分にできるのだということを証明するものにしたい。
 すでに「やってみたい」と言ってくれている人もいるけど、あらためて「やります(その前提で打ち合わせさせてください)」等と言ってくださると助かります。なんとなくどういうものにするかはイメージがついてきたので。演劇なんてやりたい人(あるいは、自分は演劇をやったほうがいいと思う人)がやればいいので、あんまりこちらから誘いたくはないのです。僕がやるのだから面白いものには絶対になると思いますし、アイディアや要望出してもらえればかなりの率で採用されます。まだ何も決まっていないし、僕はそういうふうにやりたい。


○7月11日はゴールデン街でも営業します
 詳細はそのうちどこかに書きます! とりあえず当該木曜日の夜17時から33時までのどこか、新宿ゴールデン街「無銘喫茶」まで来ていただけたら嬉しいです。木戸銭1000円、ドリンク500円~というシステムでやります。

2024.6.25(火) 最近のこと10選③

○新潟行ってきた(夜学バーがパクられてた)
 18火。新津、カラオケスナック椿、着替えも何も持っていなかったので無印で下着を買い、古着屋を何軒も何軒もまわった。「おれの考えた最強の古着」みたいなお店ばっかりなのだが個性はあまり感じられず「なんとなくいま流行ってる、価値があると思われているものを集めましたよ」という雰囲気のところばかり。古着屋や古着文化を取り立てて悪く言いたいのではない。カフェとか古本屋とかも全部そう。そしてたぶん、時代や場所を問わず「今」というものはたぶん常にそんなもんだ。けっきょく町外れの無人古着屋でミシシッピ州立大学ブルドッグTシャツ(ぺろぺろしててかわいい)を1000円で買った。疲れ果てていたのでこれで初日は終了。珍しくどこにも飲みに行かなかった。

 19水。六曜館モーニング。友達の働いている喫茶店に行ってカタカタと音を立ててキーボードを叩きます。色褪せた青い文章、スクリーンに映します。そこへまた別の友人が登場。「偶然」と言う。街はまたいくつも戸惑いを投げかける。
 昼食を食べようとぶらぶらしていて、「時屋」がランチやってるのを見かけたので入った。以前夜の営業に来たことがある。おばあさんが経営する猫と音楽のバー。
 680円の豪華食を食べていると、「かわいいTシャツ」とママが声をかけてくれた。昨日買ったブルドッグのシャツ。ママはほほえみながら「猫の店に犬を着てくるなんて」と言った。ジョークなのか、怒られてるのか。面白い。
「前に来てくれたでしょう。ブラットの。夜学の」とよく覚えていてくださる。ありがたい。ちなみにブラット(brat)とは夜学バーが乗っ取った(?)お店の名前で、その兼ね合いで最初の6年間は「夜学バーbrat」という名前でやっていたのだ。いまは無印の「夜学バー」。
 そしてここから話は急展開、完全に意想外のほうへ飛ぶ。
「ブログ(※)見ましたよ。うちの息子もかなり読みこんだみたいで、もうすぐあなたをパクって夜学バーを始めるんです」
 ???? 何を言っているのか?
「ブラットじゃなくてフラットなんですけどね」
 何を言っているのか?

 ※ブログじゃないよ、ホームページだよ

 息子さんは夜学バーのホームページを見て「パクろう」と思い立ち(?)、新潟古町(正確には西堀9)に「夜学♭(フラット) 待夢来燈(タイムライト)」というお店を7月26日に開業予定だそうで、ついきのう看板がついて、保健所も来たそうな。ってことは、もうほぼ手遅れじゃないか。
 ごく素直に、僕は夜学バーがパクられること自体はそれほど嫌ではない。むしろ、全国に500店舗くらい夜学バーがあってほしいと思っているくらいだ。僕がホームページに書いているようなことを実践してくれる人がお店を開いてくれるなら、何をおいても応援したい。何もせず支店が出せるようなものだ。当然マージンなどいらない。
 夜学♭はどういうお店なのか。それによって僕の考え方も変わってくる。ひとまず「息子さんに連絡をよこすようお伝えください」とことづてした。
 そしてすぐ、現地を見に行った。真新しい看板の下に店のコンセプトを説明したパネルが置いてあった。そこには、

 夜学♭ 待夢来燈
「皆が違ってみんな良い」大人の居場所
「ギターも触れる」手ぶらで来れるスナック
「みんな優しく助け合い」コミュニティー

 このように書いてあった。
 はじめに断っておくが僕はこのお店のことは嫌いではない。まだ始まってもいないのでわからないのもあるが、良い人が善意で無邪気に始めたお店であることは間違いなく、悪意はどこにも微塵も感じられない。
 見ての通り、「僕の夜学バーとは共通することはほとんどない」ということがまた同時に真実というだけである。
「皆が違ってみんな良い」→「皆が違って」は当然だが、「みんな良い」とまで僕(夜学バー)は断言しない。むしろ「みんなより良くなろうとすべきだ」という意識高めなことさえ考えており、「現状のあなたをそのままで受け入れ、肯定します」という態度はあえて取っていない。
「大人の居場所」→大人と言い切ると子供が捨てられるので僕は絶対に言わない。「居場所」という言葉も使わない。「居場所」は「居る」ことが主目的の場所であって、夜学バーはそうではない。こういう話題になると必ず持ち出すが、僕は札幌の「漂流教室(の運営している漂着教室)」のような在り方こそ居場所の理想だと思っていて、夜学バーはそれとは異なる。どちらも素晴らしい存在だが、役割というか「係(かかり)」が違う感じ。
「ギターも触れる」このように限定的なことを書くと求心性が増し、他の要素が薄まって伝わってしまうので僕は書かない。夜学バーの説明として「本も読める」とかあえて書かないように。
「手ぶらで来れる」→多分ギター持ってこなくてもお店に置いてありますってことだと思う。
「スナック」→バーではなくスナック。これは重要である。
「みんな優しく助け合い」→それは理想だけど僕は言わない。
「コミュニティー」→絶対に言わない。「ー」と伸ばすこともしない。夜学バーはコミュニティを志向しないことがかなり大きな特徴なので、ここが最大の差だと思われる。

 改めて、この「夜学♭」は夜学バーとは名前以外の共通点がほとんどない。といって嫌う理由も無視するメリットもない、むしろ「仲良くする」を選びたい。「違う」からといって「矛盾する」とは限らないのだ。
 時屋の息子さん(♭の店主)からはすぐに連絡が入り、夜に「♭」で会うことになった。トントン拍子。旅は楽しい。

 昨日に引き続き、明日着るための古着を探しつつ、「居酒BAR酒屋」という朝だか昼から午前3時くらいまで一人でやってる(クリーニング店も兼ねてる)トチ狂った角打ちで一杯。「雪国」をいただいた。アテはスイカ。
 無人古着屋は2日で7軒くらい回ったが、白山駅前のFull gearってとこが唯一まともというか、僕のニーズに合っていた。かわいいの4着買って1500円。これが古着屋だぞ!
 で、内野へ。まず「古本詩人 ゆよん堂」。雑談して本買って詩を書く。そして「毎日元日」。カレー食べて「鶴の友」2杯飲む。8月に開くらしい喫茶「みずのみば」予定地を見せてもらう。
 白山へ戻る。女子高生5人組がベンチや地べたに座ってカップラーメン食べていた。味華に行け。
 いよいよ「夜学♭」へ。決戦の刻。


つづく

2024.6.30(日) 最近のこと10選④

 現在7月1日の夜。ゆうべ20:47ごろ書き始めたんだけど数分後にお客があったので中断、そのまま放っといたら書いた数行が消えてしまった。ゆえ改めて。
 昨夜はめちゃくちゃ疲労していたので「疲労した!」みたいなことを書いていた。それだけなので消えてしまってもそう困りはしないのだが、やはり少しはさみしい。
 それにしても「最近のこと10選」が来月にまで持ち越されるとは。疲労が悪いですね。
 ジャッキーさんに長生きしてほしい人はあの手この手でねぎらおう!


○新潟行ってきた(夜学バーがパクられてた)つづき
 新潟古町に突如爆誕した「夜学♭(フラット)」なる謎の店。オープンまであと1か月前以上あるのだが中に入れていただいてしばし歓談。
 要約すると「店主に悪意はない(いい人である)」「夜学バーのコンセプトとは一切関係がない」。ご本人が夜学(おそらく定時制高校)出身であり、その意味では「夜学」を冠する理由もある。
 というところでこの「パクられた」という話は終わり。パクられたのは事実だが、それでこちらが損をするわけでもない。得もしないけど。もともと「夜学」という言葉は世の中にあったのだし、「夜学バー」という合成語を流用されたわけでもない。無罪、手打ち、むしろ前回書いたように「仲良くなる」方向にしたい。

 全然関係ない、今話してることメモ:Z世代は「失うこと」を怖がるので、100点満点のいい男と付き合って別れて100点を失うよりも、2点くらいのどうでもいい男と付き合って「別れても2点失うだけ! おトク!」と考える(仮説)。

 ♭店主は古町にかつて存在したメイドバー「SLIME BE」に通っていたらしく、おおむねあのような雰囲気のお店にしたいと思っているみたいだった。僕もとても好きだったので応援したい。初めて新潟で飲んだ際にあまりにも店が選べず、えいやと入ったのが「スラ」であった。基本的にメイド長の越(こし)あんこさんが一人で営業していて、空間の作り方、気の回し方がものすごく上手だった。僕が唯一「通った」といえるメイドのお店である。
 最近よく「教育と福祉」という分類を考える。世の中をよくしようとする方針は主にこの2種類に分けられる。夜学バーは「教育」だが、夜学♭は「福祉」である。教育か福祉か。適当な著名人や友人を頭に浮かべて、その人がどちらの要素が強いかを考えたりすると面白い。
「バリ教」たる夜学バーと「バリ福」たる夜学♭がコンセプトをほとんど共有しないというのは自然なわけだ。ただもし交差する地点があるとしたら例の「SLIME BE」のようなお店なのかもしれない。

 ♭からほど近い古町8番街。まさにその「スラ」の真裏くらいにあたる、4年くらい前にいちど訪れたことのあるお店。いつの間にか「会員制」という札がついていた。前回通りがかったときはそれで(怖くて)スルーしたのだが、やっぱり気になるのでなんとか勇気出して扉を開けてみた。怖そうな感じのおじさんがカウンターで一人飲んでいる。「会員制なんで」。
「会員制ですか?」アホみたいな返しをしてしまった。「会員制」と同じ言葉が返ってくる。「前に飲みに来たことがあるんですけど、だめでしょうか」「会員制なんで」と三回め。「その時は女の人がお店に立っていたのですが」「辞めたから、もう」「会員制というのは、どのような……」「俺の友達とか」
 そのようなやり取りがあり、あまりにもつっけんどんなので「あの、どうしてそんなに横柄な態度なんですか?」と聞いてしまった。特に返事がない。謝って帰った。
 前に来たときは「いい店だ」と感じたのだ。あの人はどこに行ったのか。気になっていろいろ調べてみると、どうも近所のお店に立っているらしい。あまり情報がなかったが、これまた勇気出して行ってみた。
 いいお店だった。独立して新しくここを開き、前のお店はオーナーがあのような感じで使っていると。「いい人なんですよ」とおっしゃるので、「たぶんああいうふうに言うって決めてるんだと思うんですけど」と僕もフォローをした。実際、多少無理した「つっけんどん」なんだろうなと思って、「どうして」と尋ねたのだ、僕も。もう一度扉を開いて、「どうか一緒に飲ませていただけませんか」と頼んだらOKされそうな気さえしていた。怖いから、しなかったけど。
 女性が集まる女性のお店はいいお店が多い。4年前もそうだった。女性からの人望が厚く、もちろん男性客もいる。いいバランスだった。初めての僕も自然にその場に入っていける感じがあった。新しいお店はそれにさらに磨きがかかっていて、とてもいい雰囲気だった。愛のキーワード「1173」。

 翌日は花、楼蘭、ひまわり、マントン、だったかな。17時から夜学バー。


○りりちゃんのこと
○夜学バー従業員のこと

メモ
仕入れと再会
売の才能

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