少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2024.5.10(金) 祝☆9条ちゃん15周年
2024.5.16(木) 形式より詩のほうが偉い
2024.5.18(土) ふたりエコーチェンバー/全員が緊張している場

2024.5.10(金) 祝☆9条ちゃん15周年

 あす夜学バーは7.11周年です、みんな来てね。明後日でもいいよ。
 詳細はホームページ、だけど実際Txitterが細かなところは早い。SNS社会~。
 SNSはホームページのファンネルかポケモンみたいなもんと考えております。ファンネルもポケモンもだんだん古くなるがホームページという和製英語は不滅である。

『たたかえっ!憲法9条ちゃん』が世に放たれたのは2669年5月10日、すなわち15年前の今日である。それはエポックだった。内面にあったものを初めて「まとまったもの」として外に出せた瞬間だった。
 今回詩集を作ったとき、2009年よりあとのものが圧倒的に多くなった。それは「9条ちゃん以前・以後」という考え方もできる。あるいは「教員以前・以後」でもある。中学校の先生になったのが2008年だから、9条ちゃんは教員をやりながら書かれた。教員になっていなければ9条ちゃんは書けなかったかもしれない。またそれは「『おばさん』以前・以後」というのにも遡る。小沢健二&エリザベス・コールによる『おばさんたちが案内する未来の世界』を僕が観まくったのは2007年のこと。段階を踏んでいるのが目に見える。
 詳しくは周年で出すペーパーに書くこととしよう。自伝の代わりになる。そういえば詩集にも『自伝』という作品を収録した。詩は、昔のものでも思ったより恥ずかしくない。

 おっと、詩集の説明をしていなかった。僕の古い友だち矢崎隆雄くんがずっとこのホームページの別館のような場所で続けている「ハイパー・トニック・セツノーナル」とかやいう詩のブログ。ここから46編を選んで本にした。名義はなぜか尾崎昂臣。たぶん明日届くので、明日売る。買いに来てね。20部しかなくて、一冊は小諸に送るし、一冊は自分のぶんだから実質18部かな。ほしい人、走れ走れ!
 12日までは店頭のみで販売または予約。来た人が優先ですがメールとかでも受け付けます。その数によって増刷も考えるのでよろしくお願いいたします。

 2009年5月10日をもって僕はとりあえず「完成」したと思う。詩もまとまりがよくなった。2002~2008までの詩を見ると一種の神通力は落ちたのかもしれないが、それ以上の超能力を得たと思っている。
 見つからないのだが確か10年とか15年とか前に、「詩のように文章を書きたい」みたいなことを書いたのを覚えている。その頃は受験勉強を経て、大学で学び、橋本治など論理性に長けた文章を浴びるように読んでいて、自分の書くものがガチガチになっていた。ほぐれるまでに10年くらいかかったのではないかな。最近はわりと自分の書くものに満足している。その結実が『あたらよのスタディ・バー』だったと思う。読んでない人は言ってください、読める方法をつくります。
 てかKindleで出したいんですよ、アシスタントの人がんばってください!(ひと任せ)

 日記は24年書いてるけども、なんだって続けていると軌跡ができて面白い。2009年に「完成」と書いたが、完成したからとて完璧ではない。不完全なまま洗練をめざしている。とりあえず歩けるようにはなった、というくらいだ。

 ところで詩集のタイトル『ただ美しいだけで生きている』。とある自作詩(収録した)のなかにこれと似たフレーズがあって、なんとなく目に止まったのでちょっと変えて題とした。いま思うとなるほど、2005年から2024年というのは美という軸で考えると自分としては納得がいく。
 9条ちゃんからの15年はひたすらに美を磨く時間だった。去年をもってそれは終わった(詳しくは詩集を読んでね)。今年のお誕生日くらいから、いよいよもって次の段階に動こうと思っている。

2024.5.16(木) 形式より詩のほうが偉い

 5月11日(土)の夜学バー7.11周年は、12日(日)の後夜祭と合わせてユニーク来客数ちょうど100名で終わりました。両日来たのが10名で延べ数は110名、遠隔ユーザが2名。みなさまありがとうございました。詳しくは夜学バーホームページに特設ページ作りますのでそちらで。

 詩集『ただ美しいだけで生きている』もおかげさまで18部を完売、1部を自分用とし、もう1部は小諸市御牧ヶ原の「読書の森」というお店に送りました。展示してくれる……はず。たぶん。
 自分でいうのも変だけど、ちゃんと美しくできました。本日追加で発注したので、来週にはまた届きます。ほしい人は買ってください。
 解題はすでに書いていて、せっかくだから下のほうに貼っておく。もうちょっと違うことをここに。
「ただ美しいだけで生きている」という言葉は、いろんな読み方ができる。美しい以外のことを何もしていないということなのかもしれないし、美しいということだけをよすがに生きているのかもしれないし。
「ただ美しく生きている」ではなく、「ただ美しいことだけで生きている」とかでもない。この「美しい」にはすでに感嘆の響きさえある。「美しい」というだけで生きているのだ。「美しい」の中で、あるいはそれを浴びたり、外から眺めたりして。
 それのみで僕は生きている。「美しい」というだけで。ふだん「常識」みたいなもんを腐してるのは、マーようするに基準が美にあるから。そうなると「優しさ」とか「思いやり」みたいなものも脇に置かれる。一見サイコパスのような感覚やふるまいになる。
 それが誇りでもあり、すごく嫌だったりもする。
 幼いころから常識や優しさ、思いやりといったことよりも、漫画が好きで、いつの間にか「美しい」みたいなことを求めるようになっていった。漫画とかが好きだったから常識が育たなかったのか、その逆かはわからない。
 で、もっと見事な人間であれば「美と優しさ」とをバランスよく育てていけるのだろうが、僕はちっともできていない。
 芯があるようでいて、別にない。目先の美だけを優先する。ただ美しいだけで生きている。まさに「その詩情を満足せしむる限り、乃木大将を崇拝する事を辞せざると同時に、大石内蔵助を撲殺するも顧る所にあらず。佐藤の一身、詩仏と詩魔とを併せ蔵すと云うも可なり。」という、芥川による佐藤春夫評を思い出す。
 詩仏と詩魔。美仏と美魔。エスパー魔美。
 紙の上でだけやってりゃいいんだけど。

 なんかそんなことを考えて詩を書いてきたのかもしれないな、と思って、そういうタイトルにした。
 出来上がったものを読んで、「これが詩だよ」と言ってくれた人がある。この一言で十分だ。This is shi なのだ。詩であるのならあとはどうでもいい。悪口をいえば、詩のような形をとっていて全然詩ではないような字の羅列ばかり目にする。「これが詩だよ」という言葉には、「あれは詩ではない」という含意がある。
 15歳の友達がすごく褒めてくれたのも嬉しかった。詩だと思ってくれただろうか。たぶんそうだろう。これが詩であり、詩でないものは詩ではない。形式より詩のほうが偉い。


 第一詩集『ただ美しいだけで生きている』解題

 二〇〇二年十月開設のブログ「ハイパー・トニック・セツノーナル」から二〇〇五年以降の詩を四六本収録。最初期の詩は「十八歳作品傑作選」として『ノンポリ少太陽』にかつて選抜して載せたので興味あるかたはお尋ねを。
 選んでいる時は意識しなかったけどできあがってみたら今回のテーマは「美と愛と生死」ってところ。第二詩集は『それで優しさの意味を知る』(仮題)、友愛とかがテーマになると思います。第三詩集は題さえ決まってないけど初期の頃のわけわからん詩を中心にしたシュールで神的なものにしたい。今回泣く泣く削った湯河原シリーズも入るはず。テクニカルカメオとか宮仕えも。(「なんのこっちゃ」なフレーズでしょうがなぜか思い入れあるのです。)

 二〇〇五年に僕は二〇歳で、二一歳になる直前に書いたのが『全てが美しい』。粗いけど後の詩の方向性はここで定まる。高校の同級生で某宗教の熱心な信徒たるGrozny氏から褒めてもらったのを覚えている。「あれよくわかるよ。俺もそんな気分になることがある」と。そういうふうに共鳴してもらえることはあまり多くないから嬉しかった。
『全てが美しい』はデビュー曲みたいなものだ。散歩、夜、川という三大概念が一同に会し、詩を書きたくなるようなあの気分がそのまま写し取られている気がする。
 二〇〇七年の『僕は撃つ』も代表作(?)。散文っぽいのだとやっぱりこれ。言うまでもなく僕は星が好きなのだが、ここにある「星観」はすごくいいですよね。かっこいい。この二作のリズムは一つの基調であり、これを混ぜたり崩したりして僕の詩風はできてゆく。
 このちょっと前に僕は特別好きなある芸術家と親しくなり、彼と彼の当時の活動とを通じて僕の身体からある種の欲がスッと抜けていった。栄誉とか名声はいっさい求めなくなった。しかしこの詩には「焦り」がある。
 たぶんこれは決意表明だったのだ。「ガキの頃から」を続けながら「大人にな」ることをめざし、「本当の悪党をこらしめてや」ろうと誓う。
「早く! 早く! 一つでも多くの星を!」という印象的なフレーズは、使命感による焦りの表出でもあろう。正直言うと昔はこの詩をやや絶望的なものとして読んでいた(書いた?)気もする。美しい星を一つ一つ撃ち落とし、その光を消し、それで大人になってしまうのだと。でも今になって読み返すとここで大事なのは「いつまでも僕は光の中で戦っているわけにはいかない」という部分だった。星の光を浴びているのではなくて、自分が主体的に「撃つ」ということをしていかなければならない。
 もう「受け取る」時代は終わったのだ。これからは「撃つ」ことが始まる。

 二〇〇八年に中学校の先生になって、無銘喫茶の木曜レギュラー営業もこの頃始める。二〇〇九年には『たたかえっ!憲法9条ちゃん』を上梓。そこから数年間はコンスタントに中長篇の小説作品を出し続けたし、その他の創作活動にも精を出す。二〇一二年に「おざ研」という、初の「自分の城」を開設。
 今回収録した詩を見ていくと、2010年のきらめきに出合う。『人が住んでいる』『平城宮跡のように』『住宅』『娘』『夜の爪』『さ聞新』と六本もあった。すべて思い入れ深く、ぜひとも入れたかった。尾崎文学は一つの完成を見せ、最近のものとあまり違和感がない。
『ぶっころせ!刑法39条ちゃん』という名作が書けたのもこの年だ。『9条ちゃん』の後半にいまだやや心残りを抱くのに対して、こちらは「まとまった」という気持ちがある。本当に書きたいことが書けたと。ちなみに略称の「39JC」は「サンキュー女子中学生」でもあり、この三月をもって中学教員を辞した事実と連動している。知恵院左右という人物は二作通して、あの学校にいた複数の女子たちを頭に浮かべながら描いた。彼女らがいなかったらこのシリーズはできていない。いつまで経っても三巻が出ないのは僕が中学生をその後受け持っていないからなのかも。
『娘』のような視点の置き方や、『住宅』のような直接的な表現ができるようになったのも、教員として子供たちとふれあうなかで獲得した誠実さと素直さゆえだと思う。拙い気のするものもあるが歴史として重要なので個人的に好きだと思うものは容赦なく採った。
 本数だけで見ても二〇一〇年は一〇七本書いていて、二〇〇三年に次いで二番目に多い。恋心を描けるようになったのも大きかろう。どんどん素直になってゆく。
 そこからはだんだん本数が減り、二〇一五、二〇一九は特に落ち込む。しかし少しずつ「粒ぞろい」にはなっていく。詩を書くタイミングが洗練されてきたか。でももっとゴミみたいなのも書きたい。
 二〇二三年は三〇本書いていて、二〇一三年以来の水準。二〇二四年ももう八本書いていて良いペースだ。僕のなかに詩ブームが起きていて、それでこの詩集が実現したというのもあるだろう。
 これが好評ならば、二巻や三巻でお目にかかります。

2024.5.18(土) ふたりエコーチェンバー/全員が緊張している場

 京都にいます。掘り進んできました。ぷらっとこだまで
 再放送ついでに再放送。わざわざメールで6年前の「運命論」って日記を褒めてくださった方がいたので。ここで言及されている詩はこれ。2018年5月はこれ一本しか書いていないのですね。たぶん二巻に入るでしょう。

 最近考えているのは「福祉と教育、感性と知性による四象限」。長くなるので今度にするけど面白いからしばらく日記チェック多めでぜひ。短くともちまちま更新する癖をつけます。
 10代の頃は本当に毎日、欠かさず更新していたんだからえらい。常にデスクトップパソコンで。そこまでとは言わなくとも、月に15本くらいは書きたいものだ。

 あと「ふたりエコーチェンバー」ってのがある。これは小ネタ。
 仲の良いふたりが仲良すぎると、その閉じた世界の中で思想が響き合い、共鳴し、常に繰り返され、より強化されてゆく。共依存どころか、共洗脳のような状態となる。
 その考えが妥当かどうか、外部でどこまで通用するかはあまり検討されない。二人の中でそれはもうすでに正しいのだ。小さな宗教が作られる。神が祀られ、悪魔が生み出される。
 ふつうエコーチェンバーってのはSNSについて言われる。それは当然あらゆる「人の集まり」のなかで起きることで、当然「二人きり」にもある。すべて同じこと。
 疑った方がいい。仲の良い二人は。お互いを。また自分を。そして二人を。
 信じるべきは世界のほうなのだ。その範囲をわざわざ狭めることはない。せっかく二倍の目と耳があるのだから。
 違うことや、離れることを恐れずに。
 重なって良いことは意外と少ない。


 全員がリラックスしている場よりも、全員が緊張している場のほうが実現しやすいし、良き空間になりやすいと思う。
 対等ということを考えると、①全員がリラックスしているか、②全員が緊張しているか、③全員がばらばらにいろんな状態でいるか、ということが思い浮かぶ。
 わが夜学バーのまず目指すのは②であり、①はない。③も良い場合には良いが、目指すには曖昧すぎる。
 いわゆる「常連」はリラックスしているもので、「一見(いちげん)」は緊張しているものである。そこに対等はない。ところが、「常連」なる概念が存在せず、何度来ていてもある程度の緊張感を持って座っている場合、緊張しがちな「一見(慣れていないお客)」との距離は遠くなくなる。対等に近づく。
 ただ世の中には「緊張しない一見」というものが存在し、そういう人が場を荒らす。遠慮せず、ちゃんと「緊張しなさい」というサインを出さなければならない。
 緊張という状態のもと、場に対等さが生まれる。慣れている人はリラックスしやすく、慣れていない人は緊張しやすい。とすれば、慣れている人が慣れていない人に合わせるのは当たり前である。

 ふつう、お店の人(特に店主)にとってお店は日常である。「常連」にとっても日常である。しかし「一見」など慣れていないお客にとっては非日常なのだ。そのギャップが対等さを殺し、場をつまんなくさせる。で、たいていの場合「お前もこれを日常にしろよ」と店主や常連は他の客に迫り、引き込もうとする。引き込まれなければ、仲良くすることはできない。
 店主や常連が「非日常」を常とすればいいだけだ。それだけで平和になる。なぜ慣れていない人が慣れている人に合わせなければならないのか? 店主や常連だって一見の客とは初対面なのだから、ちゃんと緊張しないと失礼ではないか。何をホームづらしてんだい。目の前にいるのは、知らない人だぞ。襟を正せ。
 緊張しろ、ちゃんと。


 この話はもちろんさっきの「ふたりエコーチェンバー」という話に関わる。閉じててもいいことはない。あるのは「気持ちいい」という現状肯定だけである。

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