少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。
過去ログ
2018年4月
2018年5月
2018年6月
TOP
2018.5.28(月) 運命論
金土日と、たくさんのいろんなことがあって、とても順を追ってまとめきれないので、とりあえず短めの詩を書いてみた。これを見ても何もわからない。僕ですらピンとこない。でも僕はなぜかこのタイミングでこういうものを書くような人間なんだな、ということだけがわかる。
それだけでは心許ないので、少し補足(?)を書いておこう。
生きてきてよかった! と完璧に思えるような肌感覚がぞわりと何秒間も持続した。そんな時が何度となく訪れた。
やや自己嫌悪を要する失態もあったりした。
総合的には、素晴らしい出逢いと再会に満ちた週末であった。
僕は出逢いと再会のために生きているのだと思う。
再会と言っても大げさなことではない。『ラブロマ』という名作漫画で主人公の星野くんが、毎日のように会っている恋人の根岸さんに「また会えましたね」と顔を合わせるたび言う。ある日お店に来てくれて、翌日また同じ人が来てくれた、ということに対しても、僕は「再会」と思う。
そういえば素晴らしい出逢いというのは、ほとんど「再会」のようなものだ。
初めて会ったような気がしないくらいしっくりくる人と出逢えばそれはかなり「再会」に近いし、何回会っても同じように素敵な時間が過ごせるのであればそれは最初っから「再会」だったとカウントして差し支えないような気がする。まるで自分と会うような出逢いであればそれは自分との「再会」とも言えるし、運命を感じるならばそれは完璧に「再会」でしかない。
運命というのは、あらかじめ定められているということである。だから初めてのように思えてもそれは下書きを清書するようなものだったりする。
下書きは目に見えない。でも、確かに誰かが引いた線。そこに誰かがペンを入れていく。「あっ」と言う間に。
その「誰か」とは誰かというのが、醍醐味である。自分かもしれない。相手かもしれない。神かもしれない。天使かも。時間かも。地球かも。宇宙かも。
みんなかも知れない。
大げさな言い方をしなくたって、素晴らしい出逢い≒再会っていうのは、常にそういうふうに、下書きが清書されていくようなことなのだ。
下書きはいつの間にか誰かが書いている。
「会う」ということをしている間に、そのうちのいずれかが清書されていく。どんどん。
清書されたものは渦巻いて、入れ替わって、分裂して、濃くなったり薄くなったりしながら、永遠に残る。
だから空って美しいのだ。(この一行だけは完全に詩です。)
初めての人に会うと、その人がいい人でも、そうでもなくても、何かが書かれる。それが下書きをなぞるものであれば、出逢いとか再会とか僕は思うし、そうでないならば、それがなんだかはよくわからない。大概はいつの間にか風に吹かれて消えていくのだろう。下書きがあとからついてくる、というわけのわからないことだってあるのかもしれない。小説でも「あー、あれは伏線だったのね」と過去の記述があとから意味づけられることがある。それに似てる。
「世の中のことは運命で全て決まっている」というようなニュアンスではない。むしろ、運命ってのは人と人とが出会った瞬間に、生まれるならば生まれるようなもんでしかない、というようなこと。
それまで会ったことのなかった人たちが、出会った瞬間に「再会」する。その瞬間に、下書きも「すでにあった」ことになる。誰かが書いていたのだ、すでに。
だってそうとしか思えないんだもの。(これを運命と称す。)
2018.5.16(水) テイ・ストローディング『悲しき熱帯』
テイストをローディングするべきかもしれぬ、今夜は。
と僕は2003年4月13日(日)日記に書いた。どういう意味かといえば、「なんか昔の書き方がしたいなあ」である。
当時から見た「昔の書き方」とはどのようなものかといえば、2003年4月14日(月)の僕が言うには「さっき昔の日記を読んでたら弾けるように明るい自分を発見して悔い改めようと思った」とのことなので、「弾けるように明るい」ということなのだろう。そう、この日記だって初期の頃は、弾けるように明るいことだってあったのだ。
ところで、2003年4月14日(月)の僕はこうも書いている。
僕は一度も煙草をすったことがないんだけど、
最近なんかkyomuというかニヒリーな気分になる時があると
想像するんです、そんなとき。
自分が煙草すってるところを
そうすると肺の内部から心地よい煙がやるせなき胸のモヤモヤを駆逐してくれるような気になるんです
きっと煙草ってすってみたらこんな感じなんだろうなあとか思いながら
喫煙者の気持ちがすっごいわかるんです
他にも僕がやってることって、煙草をすってるふり。
人差し指と中指をくちびるの前に持っていって、煙草をすってる「振り」をする
で、ゆっくりと深く息を吸い込む、と
なんだか煙を吸い込んでるみたいな錯覚が得られて
ちょっぴり気持ち良くなるんです
(本当はゆっくりと深呼吸してるわけなんだから、あたりまえだけど)
晴れる、とまでは言わないけど、気が紛れる感じ
先日(
2018年4月25日)書いたのとだいたい同じ。変わっていることもあれば、変わっていないこともある。
だいじなことは、だいたいいつでもたぶん一貫している、と思う。太陽とか冒険とかクリスマスとかドラえもんが好きだってことは。
最初期の僕の日記は、人を笑わせることとか、楽しんでもらうことに主眼を置いていた。それがだんだん内省的になって、「考えるための場所」になっていく。どちらも最初からあったんだけど、だんだん後者が濃くなっていった。
「考えるための場所」として洗練されていく中で、僕の文章はどんどん「論理的」になっていった。それで2010年2月9日の僕は、このように言っている。
僕が教壇でではなく、このHPでやりたいと思っていることは、「僕の話を聞こうかなと思ってくれる人たちに伝わるように書く」だ。それはそれで難しいことではあるが、「まあやってみようかな」というのが、今日のこの決意表明である。
あー! もう、めんどくせえ! 「である」なんて言葉を使ってると、いかんな。妙に最近、文章の精密度にばっかこだわって、このHPにそもそもあった持ち味みたいなもんが削がれているような気さえする。やだやだ。
歳を取るってのはそういうことだったのか?
違うと思いたいから、高校生のころの日記まで持ち出して、「あの頃に持っていて、今も持っていたほうがいいもの」を探ろうとしてるんだ。中高生が読む云々というのは、それをするきっかけにすぎない。……と、また難しいことを言ってる。
なんつうのかね、最近自分の文章が、あまりに「りくつりくつ」してるんで、ちょっとこのへんで揺り戻しをかけたくなったのよ。幸か不幸か、とりあえずしばらくの間は「聖職」から遠ざかるわけだし、この機会にちょっといったん、自分の文章を解体してみてもいいのかもしれないなって。
これはそういう宣言でもあるわけ。
8年前の僕は、自分の文章を「解体」しようと試みていた。それでいろいろ、試行錯誤した。なかなかうまくはいかなかった。ところで、では、どのようなものを目指したのか?
ヒントは、その二週間後くらい、2010年2月27日「知性と感性 詩の効用」という文章の中にあった。
が、ことばの本質というのはどうしても論理であって、決して逃げられるものではない。そこで、人々は「詩」というものを思いついた。最も古い文学の形は「詩」であると言われるが、それはたぶん「ことばが論理という呪縛から逃げようとした」ということなんじゃないかと僕は思う。
どういうことかといえば、詩っていうのは、「論理」を気にしなくていい言語なんだ。ふつうは「地球が逆立ちした」と言ったら「間違い」だと言われるが、詩であれば許される。
僕は、高校三年生の時に「論理」っていうものを知って、そればっかりを考えて勉強をしていたから、頭の中が「りくつりくつ」してきちゃったんだ。それで、高三の十月に、本格的に詩のようなものを書き始めた。大量に。
いま思えば、あの時期に詩を書き始めたというのは、「僕の頭が論理という呪縛から逃げようとした」んじゃないかと思う。「丸暗記でない勉強」をしていると、常に論理を考えていなくてはいけなくなる。そうすると頭がどうしても疲れるし、理屈でガチガチに縛られて堅くなってしまうことにもなるから、それをほぐすため、解放するために詩を書き始めたんだろう、と分析する。だからあの頃の僕の詩には、いっさい論理がない。徹底的に非論理を貫いている。
論理だけに偏ると、人は融通がきかなくなる。冗談もわからなくなってくる。それを防ぐために、感性っていうのが論理をサポートする。そうなると論理は「知性」と呼ばれる、一等輝くものに変わる。
知性と感性のバランスの取れた人間になりたいと願う。
僕は、「論理大好き」なんじゃなくて、「高校三年生で論理というものを知ってしまったが、本来は感性の人なので、どうにかバランスを取りたいと思って必死に詩を書いていたような人」なんだと思う。
けど最近はべつに「論理」に縛られてしまうような状況がないから、詩のほうも論理のほうへ寄ってきている。論理というのは「意味」と言い換えてもいい。
詩というのは、「意味」と「意味でないもの」のせめぎ合いで、前衛的な詩には意味がなさすぎるし、平凡な詩は意味でありすぎる。その辺が難しい。
つまり、このころの僕の悩みは、「感性のともなった論理がほしい」だったのだ。でなければ、「論理は知性として成熟できない」ということだ。
僕は、詩のような文章が書きたかったのである。
ある程度論理的であって、その上で詩情も充ち満ちたような文章にこそ、知性なるものは宿るのではないか? というふうに、8年前の僕は考えたのだ、おそらく。
しかし、当時の僕にはまだ、「具体的にどういう文章であれば、そうなるのか」ということがまったくわからなかった。
何を書いても「意味」になってしまうし、むりに「意味」を排そうとすれば、詩でしかなくなるか、筋の通らないたわごとになってしまう。
文章であって、かつ詩でもあるようなもの。だけど散文詩ではなくて、詩散文のようなもの。あくまでも「筋の通った文章」でなければならない。そういうものを目指していた。
で、それが最近はようやく、少しできるようになってきているように思う。直近のここ数記事、たとえば5月11日や5月5日の文章なんかは、わりとそうできた。自分としては。
なんか、一区切り。という気がする。
十数年ぶりに「はこっち」に会えたのは大きい。この名は当時のハンドルネームで、彼女のフルネームをそれぞれ訓読みすると「は こ ち」になることから。懐かしいね。
例えばこんな段落をいきなり挿入してみると、ぐわんとイリュージョンする、かもしれない。そういうことがうまくいったら、「よし」と思える。
あまりやりすぎたら詩になってしまうので、気をつけながら、また更新します。
2018.5.11(金) 友情、という魔法の言葉
高校受験のとき、おかしな女の子がいるなと思って覚えていたら、進学してから通学路で会うようになった。お互い自転車で、似たような道筋で通っているようだった。
学校の廊下で、たぶん向こうから話しかけてきた。よく覚えていないがたぶんまだ四月中で、違うクラスの子と仲良くなるのはそれだけで楽しかった。裏道を歩いてるみたいだった。
彼女は詩を読み、書いた。僕も中学のころから詩みたいなものを書いてはいたが、遊びとさえ言えない代物だった。そんな僕に彼女はハルキ文庫の『谷川俊太郎詩集』を貸してくれた。「少年Aの散歩」という詩はそこに入っていた。角川文庫の詩集には収録されていない。
Eメールもした。携帯電話はお互いにまだ持っていなかったと思う。パソコンでメールのやり取りをすることは当時ではけっこう先端的なことだった。その頃のやり取りはたぶんまだ残っているが、恥ずかしくて見られたものではない。
僕のホームページ(ここのこと!)に詩を投稿してくれたこともあった。「活字芸術」という(恥ずかしい名前の)コーナーがあって、自分の書いたものとか友達の書いたものを何でも載せていたのだ。
男は女によって作られる、ということは、直観的実感的に真実だと思う。僕は彼女によっても作られている。女は、男によっては作られない。変えられることはあったとしても。(これもまた、直観的実感的にのみ、そう思う。)
高2の終わりに彼女は学校をやめてアメリカに移住した。三年生の時に一度だけ会った。その数年後に東京で一度会った。それ以来十数年ぶりに、昨日会った。帰国というかは「来日」である。
僕も彼女も、見た目は何も(本当に何も)変わっていない。内面については、変わっているところ、変わらないところ、どちらもあった。関係はもちろん変容している。だけど、それは全然イヤではなかった。それだけでまた会えて本当によかった。
中国人でもあり日本人でもありアメリカ人でもあるような彼女は、「日本社会」という言葉を何度か使った。僕も気に入って、言った。「人生経験」という言葉も、同じようにたくさん口にした。どちらも面白い四字熟語だからけらけらと笑いながら交わした。同じものを美味しいと思った。初めて酒を飲んだ。
僕たちはいつも友達を探して生きている。自分と同じ人間を探しているのではない。僕たちはいつも、友達を探して生きているのである。
その夜のうちにバスで大阪に発つ彼女をターミナルまで見送った。別れ際「ハグしようぜ」と日本社会にそぐわない提案を受けて初めて僕は彼女に触れた(ということにする)。かつて僕は、「この人と手を合わせたら光り出すだろう」と考えていた。ハグした僕らはちょっと浮いた。友情のなせるわざである。
仲が良いとか好きだとか、そういったことを脇に置いて友情はある。友情は時間と密接に関係する。ほんの30秒しか話していない相手でも、10年お互いがよい記憶として持ち続けたら、それは友情と呼んでいいはずだ。
浮いたり光ったりするのは、時間の仕業なのである。物理の世界では起こりえないあらゆることが、「時間」の内では起こりうる。僕が時間を愛するというのはそんな理屈なのだ。
ここ数日の文章でわかるように、僕は未だに思春期だし、詩人である。それを全開にして申し上げると、時間というのは(もしそう呼ばれるべきものが存在するのなら)、いわゆる奇蹟のことである。あらゆる法則の外側にあって、論理や意味をすべて超越したもののことを、ほかに呼ぶ言葉がなく仕方なく「時間」と言っている。
だから言い換えれば時間とは心のことでもあるし、我が田に水引けば詩のことでもある。敷衍すれば「文学とは時間である」とも言える。そういった表現の亜種として、「友情は時間」ということもあるわけだ。
三十歳の人間と二十歳の人間が出会うと、そこには五十年の時間がある。五十年が絡み合う。それで一瞬のうちに友情が生まれたりする。五十年というその時間の中に、友情を組成する材料と製法が揃っていさえすれば、すぐさま組み立つわけである。
光ったり浮いたりするのは、時間の仕業である。カラクリはわからないが、とにかく時間が、凝縮したり渦巻いたりして、そういう作用を起こすのだ。
僕らが通った高校とは別の、僕らが通わなかった高校の教室の隅で、僕は初めて彼女を見ている。友情が魔法だとしたら、魔法とは時間のことである。
2018.5.9(水) イヒ
5月5日と8日の記事は実のところ8日の深夜から朝方にかけて一気呵成に書いたので、どのくらい妥当性を持つ話なのか自分でよくわかっていない。ちなみにコスモノヴァというのはダジャレである。何とかけているかは、ナイショ。
少し冷静になった頭で別の角度から考え直してみる。
「他人を変えることはできない」とは、よく言われる。
「自分を変えることはできる」と、続けて言われる。
ただ、
他人を変えることはできないけど、否応なく他人は変わっていく。
自分を変えることはできるけど、いつでも変わりたいように変わることができるというわけではないし、自分の意思とはべつに勝手に変わってしまうことだって、あると思う。
「神の手の中にある」という状態だろう。
だから、その時々にできることといったら、
変わっていく中で「関係」をとりなしていくくらい。
仏教における縁起とは、私たちは因縁によって存在するのであって、それらの因縁を取り除いたら「私」と言われる確かな存在は塵垢ほどもないという意味である。
(大谷大学のページ)
僕の言う「関係」なるものは、「縁起」とだいぶ近い。
すると個々の人間そのものは、いわば「空」である。
ものは、すべて、縁起の理論で無と否定されるが、否定されて無に帰してしまうのでなく、そのまま、縁起的には有として肯定される、という両面をもった存在である。
(同)
僕らはみな関係の前に無であって、関係がゆえに有である。
神の手の中にありながら、よき意思を持つことができる。
その自由を与えられている。
執着から離れ、関係だけを見つめる。
神に委ね、しかし自分だけの意思を持つ。
それは怖くて難しい。
僕はたぶん「でもそれほどの怖さはない」とくらいには思える。
だから、変わっていくことも平気。
誰かが変わってしまっても、関係が変わってしまっても、
バイバイで同時にハローなのである。
それはもちろん絶望ではなく、諦めでもなく、
素敵な人とはバイバイせずに、素敵な関係にハローできたら
という意味で。
2018.5.8(火) 執着疫
僕は本当に「関係」しかないと思っている。
僕には好きな人がいた。その人との関係は変わっていった。
関係は変わりながら、今もある。
なぜ関係が変わるのかというと、自分も相手も変わっていくからだ。
正確にいえば、「自分のみる自分」と「相手のみる自分」と「相手のみる相手」と「自分のみる相手」と「その他さまざまな環境的要因」などなど、あらゆるものが、変わっていくからだ。それでは関係も変わらざるをえない。むしろ、変わらないようなことがあれば、まったく不自然である。
自分も相手も変わっていき、環境も変容していくなかで、その風や波やらにうまく乗り、ふたりでダンスし続けられるようならば、その「関係」はよいふうに維持されていく。
それはもちろんべつに「結婚」やそれに準ずるものだけを言うのではない。あらゆる関係がそうだ。
宇宙。僕から無数の線が出ている。その線は僕と関係をもつあらゆる人とそれぞれつながっている。タコアゲをするようにその線は動く。時にもつれ、絡まりながら。
無数の線の中心は僕であるが、もちろん他の人からだって無数の線が出ていて、その中心はその人である。僕から見れば他人はみんな天球の星だとかタコアゲの凧だとかいうようにうじゃうじゃいてめいめいに好きに動くが、他人から見たら僕もその星や凧とかの一つでしかない。
僕だって好きに動く。みんなも好きに動く。好きに動きながら、関係の線は短くなったり長くなったり、傾きを変えたり張りつめたり緩んだり、切れたり、結びなおされたり、実は切れてなかったり、など、さまざまする。
みんなが自由運動する分子で、好きなように好きなだけ関係の線を握りしめる、時には手を放すことだってある、そういうようなことが僕の理想である。
だから僕は固執しない。
しようがない。
みんなが自由に動いていくのだから、変わっていく。
好きな人が好きでなくなったり、一生を誓い合った相手と破局したり、そういうことはあるものだ。
そりゃ、好き合っていたはずの人と不本意に別れたら辛い。寂しい。でも、それは仕方ない。
「あなたは自分とこのような関係であるべきだから、このようにつとめてほしい」「あなたは自分とつきあっている以上、このような人間であるべきだから、こうなってほしい」そういった要望は、すべてあほらしい。
「あなたには生きていてほしいから、死なないでほしい」と自殺志願者に言うようなものだ。
もちろん、「死なないで」と言う自由はある。
死なないでいてほしいと願う自由もある。
同様に、死ぬ自由もある。
要望は、出す自由もあれば、拒絶する自由もある。
当たり前のことだ。恋人でも、夫婦でも、そう。
「浮気しないで」と願う自由もあれば、浮気する自由もある。
浮気とは何か、という定義は、お互いが自由にできる。
事前に「浮気の定義はこれです。違反した場合はこのようなペナルティを科しましょう」と、取り決めることはできる。契約である。
これはわかりやすい。しかし実際のところは、「浮気はしないという前提でいきましょう、もし起こったらその時で」というふうにしか、みんなしていないんじゃなかろうか。
「しない」という前提でいるから、細かいことはなんにも考えていない。
定義に関しても「されたと思ったらしたことになる」ということにしかならない。「俺の中ではセーフだから!」と主張したって、何の意味もない。事前に決めていても「やっぱり違う!」と思うこともある。
結局のところ、自由と相違ない。契約に見えるのは形だけ。
こんなところに書くのもどうかと思うけど、僕は「浮気」なることをされたり、「別の男ができたので別れましょう」といわれたようなことが、5~10回程度ある。
そんなとき僕がどういう反応をするかというと、「ソウデシカ……」。
まあ、もちろん、発狂寸前のところまで行ったこともあるけど、基本的には納得して終わる。
感情としては、イヤだったり、傷ついたりはするけど、それはこっちの問題。相手は何も悪くない。
イヤだったり、傷ついたりするのは、こっちの心が勝手にそうなっているだけで、誰かが「ジャッキーさんの心が痛くなるボタン」を悪意をもって押したわけではない。(押すやつもいる。とても邪悪だ。)
これに気づいた時は、「おお!」と思った。そうか、傷つくのは、自分が勝手に傷ついているだけなんだ。誰にも「傷つけ!」なんて言われていないのに、勝手に傷ついているだけだ。これほどあほらしいことはない!
傷つく、というのは、自分のさじ加減でしかない。自分が傷つかなければ、誰も傷つかないのだ。
これは、「ワタシがガマンすればすむことなんだ……」というタイプの、自己犠牲的な発想ではない。(もっと別の病的なことではあるかもしれないけど。)
「自分さえ我慢すれば」とはたぶんむしろ逆で、「我慢するなんてあほらしい」に尽きる。
我慢っていうのは、イヤだから我慢になるわけで、イヤじゃなければ、我慢でもなんでもないわけだ。
振られるとか、浮気されるとかっていうのは、突き詰めれば「自分の思い通りにいかなかった」というだけ。だから、怒ったり落ち込んだりする必要は、ない。生きてりゃ思い通りにいかないことなんて、いくらでもある。
何でも自分の望むようになると思うのは、愚かしい。
望むのは自由だけど、望みが折られたら、「ああ、折られた。残念だ」で済ませれば、良いではないか!
そんな簡単に割り切れたら苦労はしないのだろうが、原理原則としてはそうなのではないだろうか、といま僕は思っているのである。
自分にとって嫌なこと、不快なことは、起きる。そのとき、「イヤだなあ」「不快だなあ」と思う。それは自然なことだが、それで怒ったり、誰かを責めたりするのは不当だ、と冷血で乱心な僕は思うのである。
イヤだ、不快だ、と思うのは自分の性質のせいで、自分の勝手なのに、相手にそれを押しつけてはいけないのではないか?
というわけで、その「イヤ」「不快」は自分で処理すべきである。
まず一番いいのは、そもそも「イヤ」とか「不快」とか思わないことだ。これができれば一番楽である。
イヤだから我慢になるわけで、イヤじゃなければ我慢じゃないのだ。
「よく考えれば別にイヤでもないなあ」とか、「不快だと思ったけど、見方を変えればそうでもないな」とか、納得できたらしめたものだ。
それが難しければ、その「イヤ」「不快」が二度と起こらないように、「関係」を調整するのがよい。(「別れる」とか。)
その他にもいろいろ処方はあると思う。
たぶん僕はとてもむちゃくちゃな(とみんなが思うであろう)ことを言っている。
「イヤだと思うのは、自分の勝手。」すごいね。
でも確かにそう思うし、みんながそう思えたらずいぶん平和なのでは、と思う。ただし、これまでの社会が前提としていたような秩序は、崩れるかもしれない。(でも実は、その秩序のほうが先に崩れているのかもしれないよ~。)
自由にすればいいんだ、と過激に思う。
自由に動いて、変わっていって、それで関係が移ろいゆくのに任せるしかない。
子どもがいたらどうすんだ? 浮気して離婚したら可哀想じゃないか!
離婚したら可哀想なんだったら離婚しなきゃいいだけではないのだろうか。
あるいは、離婚しても可哀想じゃないようなふうにはできないのだろうか。
浮気と離婚に、直接の関係はない。ただ法律がサポートしてくれるだけのことだ。
離婚と可哀想に、直接の関係はない。そう思えるだけのケースはけっこうたまっていようが、今後はわからないし、個別のケースについてはどうとも言えない。
ともあれ、全体が健やかであれば何でもいい。
浮気が発覚しても、「あ、そ」って思うだけなら、それで終わることだ。
ただ、そのように思う人はとても少ないだろう、今のところ。
されたら、やだなあ、とは思う。ものすごく不快になる。泣いたり吐いたり、するかもしれない。だけど、それは起きてしまったことで、それを踏まえてどうするか、ということを考えることしか、できない。
関係は変わっていくかもしれない。それは悲しく、寂しいかもしれない。だけど、それしかない。
怖がらないでいることしか、できない。
だけど、怖がらないってのは、むずかしいらしい。
人からの相談を受けてそんなことを考えた。
2018.5.5(土) コスモノヴァ
十六歳の時に初めて女の人の肌に触れて、クチヅケをした後は
コスモノヴァ。
天使が朝来て撃ち殺す、というやつ。
そこで時間は止まったのだと思う。止まったのなら。
十六歳、十七歳を目前に控えた十六歳だった。
秋の日だった。
その出来事、それ自体は問題ではない。
そこから僕は僕ならぬ道に転がっていった。そして怪我もした。
僕は子どもだった僕と、大人になった僕との折り合いがずっとつけられないでいた。今もそうだ。だから、それを同時に存在させたり、切り替えたりすることが、難しい。
ここのところの僕は、ずいぶん子どもでいることが多い。無邪気に笑って、遊んでいる。そういう時が本当に幸せだ。
だけどその自分と、そうでない時の僕とは、いまいちまだ分裂している。
ものすごく具体的に言ってしまえば、性的であるような時の自分と、性的ではないような時の自分が、ぜんぜん別に存在しているのだ。
十六歳の時に、突然女の人を知った。と言って、何をしたでもなく、ただ肌に触れたのだが、それはいつか来るとはいえ、あまりに急だった。僕は本当は、もっといわゆる「段階」とやらを踏むべきだったのだろうか? いや、そうしたところで、おそらく何も変わらなかった。順序が少し替わっただけのことだ。誰にだってそういうトキは訪れる。
歴史に文句を言うのではなくて、誰にもいつか来るようなその瞬間が、僕の場合はくっきりと、わかりやすく思い出せるというだけのことだ。そしてその時の光景は、それなりに美しい。醜さなどは微塵もない。だから、肯定的に振り返ることが出来る。幸いなことだ。
で、僕はクルッとそっちを向いた。無邪気さを残しながら、それがゆえ残酷に、突き進んでいった。もちろん騒動もあった。
そのまま僕はどうも、ずっとそっちにいたらしい。
大人か子どもか、という単純な二分法でいえば、「大人」のほうに。
僕の中には子どもと大人が二人いて、ずいぶん便利にやっていた。だから、子どものほうには成熟の必要がなかった。「子どもは子どものまま成熟できる」なんてことは、二十代のはじめのうちにわかっていたけれども、だから自分のあり方をどうする、という発想はあまりなかった。いろんな不自由はあったけれども、その不自由とその問題とを、結びつけてみようとはしなかった。それが正解だったかどうかは、今となってはわからない。ともかくわかるのは、いま僕の目の前にあるのはまさに「その問題」である、ということだけだ。
大人の僕はどんどん成熟していったけれども、子どもの僕は成熟しなかった。ずっとむかしのままでいた。
十六歳で、小さなほうの僕は、停止した。それまで女の人の肌に触れたことがなく、まともな恋もしたことのなかった、無邪気で悩み深い僕はいったん脇に置かれて、新しい僕が新しく生まれた。僕はそっちに夢中になった。
ほっとかれた幼い僕は、ずっと機会をうかがっていた。たまに呼び出され、利用され、また封じ込められた。結局は僕でもあるような十六歳までの僕は、別にそれでいいのだと思っていた。休み時間にさえなれば、遊ばせてもらえるんだから。
でも年をとるにつれて、「遊んでいるほうが大切なんじゃないか?」ということが、わかってきた。それを許してもらえるような環境にも恵まれてきた。大人として調子に乗っていた僕は、急に反省するようになった。「ごめんなさい、ほんとの主役はあなたです」と、小さい僕に座をあけわたした。
当たり前だけど、小さいほうの僕は大喜びで遊びはじめた。これでいいんだ! と泣きわめきながら、草原を駆けた。川を飛んだ。虹を走った。
どうしてそうできたのかというと、僕には一緒に遊べる友達がいたから。一人じゃ孤独だけど、友達となら本当に楽しい。僕の人生はこれしかない、ようやく巡り会えたんだ!
でも「僕」は、十六歳から先のことは何も知らない。
知っているのは、大きいほうの僕だった。
それで僕は、時おり彼を呼び出して、利用して、また封じ込める、ということをした。
ああ、これは、かつてと同じ。
それで良いときは、よい。
良くないときは、よくない。
小さい僕は、ふだん一人で遊んでいる。大きい僕が必要になると、「おーい」って、呼び出さなくちゃいけない。
そうすると、小さい僕は、どこにいればいいんだろう?
これがむずかしい。一緒にいられるときもあるけど、そうできないこともある。
そうできないようなとき、困る。
なんだか頭がいたくなる。
混乱して、わけがわからなくなる。
子どもが遊んでいるところに、大人が入っていくことを想像してみてほしい。このとき、大人が負担を感じることは、ほとんどない。気を遣うことはあっても、気まずい思いをしたり、苦しくなったりすることは、よほど繊細な人でもなければ、まずないと思う。
逆はどうか? 大人たちがお話ししているところに、子どもが入り込む。これは、居心地が悪い。そんなことさえ考えないような幼い時分を除けば、どう振る舞っていいんだろうと、戸惑ってしまうのではないだろうか。
小さい僕は、そういうふうに困っている。
大人と子どもが同席すると、困るのはまず、子どものほうだ。
両親の情事を子どもが目撃すれば、深く深く心に残る。子どもの情事を親が見つける場合だって、心に残るのは子のほうだろう。
あまり詳しいことは省くけど、とにかく、これじゃだめだな、と最近思っている。
たぶん時間が必要なのだ。十六歳の僕が、きっちりと十六歳を終えて、十七歳、十八歳と、成熟していくための時間が。
もちろんそれは、小さい僕を見捨てるということにならないよう、行われなければならない。
小さい僕は、成熟したって消えやしない。その確信はある。でも、じゃあどうやったら成熟できるのか? ということは、わからない。
小さい僕を見捨てて、大きい僕をとる、ということならば、想像がつく。だけど、小さい僕が小さいままで成熟する、ということになると、どういうことなのか、よくわからない。
僕は小さい僕が好きで、そのほうが正しいと思っている。しかし、だからこそ、「都合のよいときだけ大人の顔をして、おいしいところだけもらってしまえ」という考え方はできない。
小さいままで、成熟することが必要なのだ。どうすればよいか? わからない。
ゆっくりと、順を追って、確かめながらやっていくしかない。
かわいく。
手をつないで、にっこり笑うところから。
これは非常に重要な文章なのだが、わかってくれる人なんて、いないだろうなあ。いたらこっそり教えてください。
過去ログ
2018年4月
2018年5月
2018年6月
TOP