少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2024.4.6(土) すべてはアマチュアから始まる 愛さえも(名古屋にて1)
2024.4.12(金) 飲み足しの記(名古屋にて2)
2024.4.18(木) 5.11の7.11周年に向けて
2024.4.22(月) 近況 小山に行った話(と長文へのリンク)
2024.4.29(月) CKK(地方くすぶり高校生)に酸素を送る
2024.4.30(火) 長野県(中央線)紀行

2024.4.6(土) すべてはアマチュアから始まる 愛さえも(名古屋にて1)

 3月31日は青春18きっぷで大阪に行ってから京都まで戻り、4月1日は名古屋、2日も名古屋、3日に静岡に寄って東京に帰った。そのあたりのことを細かに書くと大変(すでに深夜3時前)なので今度にしたいのだが、書いておかないと一生書かないかもしれないので簡単に書いておこう。

 4月1日までのことはすでに書いたので先月末の日記へ。あのあとはテレビを見たりお酒ちょっと飲みながらお父さんと朝方まで話したりなどした。昼過ぎまで寝て、仕事を終えたお母さんが帰ってくる頃に起床。お昼ご飯を食べて散歩に出る。まず矢田川へ。河川敷を東に歩く。矢田川橋を渡って守山区へ。守山城跡に寄り、「雨のち晴れ」という喫茶店でコーヒーを飲む。西に歩いて今度は天神橋を渡って北区に戻る。さらっと書いているがこの間めちゃくちゃ気持ちよかったり、感動していたりする。やはり矢田川は良いし、住宅街の感じもとてもいい。
 19号から南荘方面に逸れ、ソーネ大曽根(元ナフコ)の前でシェア自転車を借りて上飯田、平安通のあたりを走り回ってみる。知らないお店などいくらか見つけた。矢田のほうへまわってメッツ大曽根の近くで自転車を返却。そのへんのカフェに入ろうかと思ったのだが気分が乗らないのでやめにした。喫茶大臣は定休日。歩いてつねかわ(19号沿い)まで戻ることにした。
 こんなこと書かれてもまったくわけがわからないでしょうが、地図を見ながら読むとそれなりには楽しいかもしれないのですごく暇な人はどうぞ……。
 さほどおなかが空いておらず、まだつねかわに入る気にならないのでお店の横でぼんやりしていたらおばちゃんが出てきた。挨拶して中に入る。たませんと小町スペシャル(もちと納豆とチーズとねぎとお好み焼きの生地を鉄板で焼きにんにくしょうゆを塗る……んだと思う)を食べて世間話。「○○さん離婚したって」と近親者の噂を聞く。なんで僕よりも情報がはやいんだ。いやそれが本当なのかもわからないのだが。

 家に帰り、ぼんやりし、夕飯を食べて、お父さんの自転車を借りて飲みに出る。孝太郎に行ってみたかったのだが今度にし、大曽根駅を越えて甲子園を目指す。閉まっていたので弘法湯まで進み、入浴。電気風呂があまりに強くてしびれた。名古屋牛乳飲んだ。
 弘法湯の向かいに面白そうなバーがあって、前から目をつけていたので入ってみる。おもちゃに満ちあふれる素敵な内装。まずビールを飲む。店主がジェムソンのTシャツを着ていたので2杯目はジェムソンのソーダ割にした。するとそのあとに入ってきた女性が「ジェムソンソーダ」と言う。ふむ、これは。
 名古屋でジェムソンを好んで飲む人がいたら、矢田にあったバー「アマチュア」の客であろうと疑っていい。そこのマスター、鶴さんは営業中ずっとジェムソンをストレートでがぶがぶと飲んでいた。ほとんど年中無休で夜中3時までやっていた。たぶんそれが原因と思うが49歳でがんで死んだ。
 僕は彼のことが大好きだったし本当に大好きなお店だった。それでジェムソンを見るとつい注文してしまうのだ。もしかしてその女性もと確かめてみた。果たしてそれはそうだった。
 こういうことは初めてではない。東桜にあるトロワシスというバーでジェムソンを注文したら「ジェムソンお好きなんですか」と聞かれ、「じつは」と鶴さんの話をしたら、「やっぱり」という展開になったのである。訃報に触れたのはその時だった。
 ジェムソンというウィスキーが暗号のように、彼を知る人間同士を繋げてしまう。こんなに美しいことがあるだろうか。鶴さんは死に、二度と会うことはないが、ジェムソンを飲み続けることで彼を知る人とこうして偶然に出会うことができる。ちなみに弘法湯からアマチュアまでは約2.5km、トロワシスまでは約4kmも離れている。近所というほど近所ではないのである。

「鶴さんが映画撮ってたのは知ってる?」いや知りません。アマチュアにはたぶん4~5年くらい通ったし最終日にも行ったのだが、年に数度しか寄れないので「常連」という立ち位置ではなかった。アマチュアの閉店後は鶴さんがいちど夜学バーに来てくれただけで、それ以外の付き合いはなかった。
 ショートムービーを生前に4本撮っており、5本めの撮影直前に死んだという。すべて舞台は飲食店。本当に「店」というものが好きだったんだな。
 5本めは鶴さんを知る人たち(主にアマチュアのお客さんだと思う)が遺されたメモ書きをもとに撮影し、作品に仕上げ、去年の夏に5本まとめて上映会をしたと。それがネット上に置いてあるので、ぜひ見てほしいからとURLを送ってもらった。
 翌日、静岡へ向かう電車の中でそれを観たのだが、感動したといえばこれほどの感動はないというほどだ。動く鶴さんの姿をふたたび見られるとは思わなかったし、大好きな、尊敬する友人の一部がこんなふうに「作品」として遺されているという事実、その質がまた素晴らしいこと、さまざまな角度から、救われる気持ちがした。本当に嬉しいことだ。あの日飲みに出てよかった、覚悟決めてアマチュアの話題を切り出してみてよかった、心から。

「すべてはアマチュアから始まる 愛さえも」とアマチュアの壁には書かれていた。Everyone Starts as an Amateur, as does Love.として鶴さんの作品にも出てきている。映画が元ネタだと聞いたような気もするが調べてもよくわからない。ともあれ、いい言葉だと思う。鶴さんの作品はまさにアマチュアそのものだ。見せていただいた動画にはメイキングも少し映っていたが、どうやら制作過程もアマチュアっぽかったようだ。それがどうにも彼らしい。思えば店だって酒だってレコードだってアマチュアだった。この感じは僕が最近「ごっこ」という言葉で表現していることに近いのだと思う。そういうところがまた、気が合ったんじゃないかな。夜学に来てくれたとき、「本当に来れてよかった」とすごく喜んでくれていた。2年後に亡くなるとは。

 お風呂に入ってきた。5時過ぎてしまった。いったん寝ます。また。

2024.4.12(金) 飲み足しの記(名古屋にて2)

 名古屋に行っていたのは4月1日から3日にかけて。書いているのは12日です。
 前回書いたお店では生ビール→ジェムソンソーダ→ジェムソンロック→ジェムソンストレートと出世魚してしまってじゅうぶんに出来上がっていたのだがそんな時こそ飲み足りない気持ちになってしまうもので、千種のかっちゃんという串焼きとおでんのお店に行った。小さな店内にレコードやCDがひしめいていて、店主のセンスも抜群に良い。そして当然(?)安い。名店中の名店、そして当然(!)入りにくい。
 見たことのない焼酎を水割りで頼み、おでんと串を食べた。がぶ飲みな店主が「文化ってのは~」と文化を主語(主題)にして話すのに好感が持てる。やっぱ「文化」という言葉以外にはないのだ。「BAR文化」みたいな直球なお店をやりたい。
「自分は名古屋に引っ越して来たばかりであり、このお店のような面白いお店を探している。よかったら教えてくれませんか」と隣の人が言った。そうざっくりと言われても困るので「どのようなお店を面白いと思うのですか」というようなことを問うてみると、「このお店のようなところです」と言う。
「このお店」に来るのは二回目だという。最初は「人に連れられて」。ハハーン。さてはおぬし、主体性がないな!
「こちらからは何も言うことはありませんが、とにかくわたしが望むものを差し出してください、ヒントはこのお店だけです」と彼はひたすら言い続けた。たぶん50歳くらいの人。意地悪するつもりはないのだが何も言いようがない。
 森下の「マイスタイル」へ。どう頑張ってもあと一杯しか飲めないので高いお酒(オールドエズラ7年ライ)をストレートで。度数も高い。「僕はここでヴァージンを覚え、めちゃくちゃ好きになりました」という話をしたら無言でスッと7年のストレートが置かれた。こちらも度数が高い。死を覚悟しつつゆったりと飲む。いい夜ではあった。
 家に帰る前に夜の矢田川に出て、岸の砂利のところでCorneliusのMoon Walkを軽く歌う。懐かしい行為。もう儀式のようなものだ。
 昼過ぎまで寝た。実家で眠ることの甘美さよ! 頭ぼんやりしつつご飯をいただく。幸福である。
 ゆったりと15時くらいの電車に乗って東海道線をガタゴト、18きっぷで。静岡には18時すぎに着いた。リッチ生存確認。ニューペーパームーンで店主と話し込む。「いかに客を選ぶか」「イベントとの向き合い方」などの議題。
 鞠舞に行きたかったのだが休みだというので赤い小さな小料理屋みたいなところに行ってみた。何もかも非常に良いお店だったが贅沢したな、という感じ。未だに僕は「一般的に良いとされるようなもの」に魅力を感じない。それだけで生きているような感じがある。そんな詩をさっき書いた。

2024.4.18(木) 5.11の7.11周年に向けて

 お客がないと吐きそうになるのをやめたい。平常心平常心。しかし人間だからそうも行かない。サァ素直に。水商売において「お客がない」とは「儲からない」で、「生活できない」「生きていけない」に直結する。そういう不安がまず一方にあって、他方には「自分のやっていることが世の中にとってなんの意味もない」という絶望感ともつながっている。世の中の役に立つ=仕事だとの考え方も世の中にはあって、そちらが満たされていれば霞食ってだって生きていけるのだが、それすらなければ脂汗。あぶらあせ。
 もちろん自分には人気があり、需要もあり、一定の人々すなわち世の中の一部から必要とされているという自負も根拠もちゃんとある。結局は「商売をもっとうまくやる」というたった一つの結論に落ち着くのだ。そして水商売とは「そんな日もある」ってんだってことも。しかし何年やったって慣れないですね。
 5月11日(土)に7.11周年のイベントを催す。なぜそれを急にやるのかという話はこれから夜学のほうのホームページに書くつもり。簡単にというか、こっちにだけ書けるような書き方をするなら「正攻法でやれば人は来るのか」ということを確かめたいからだ。これまで逆張りしかしてこなかった。順張りしたらどうなるのだろう。
 夜学側にもほぼ同じことは書くのだろうが、そちらはたぶんもっと周到に書く。誤解を恐れて。こっちはもう誤解なんぞ恐れてやらない。
 これまでもはっきりと「来てください」とは言ってきたのだが、解釈の余地が生まれるような書き方ばかりしてきたように思う。もう解釈の余地などない。「周年だから来てください」というどストレートな広報を行う。なぜ周年だから行かなくてはならないのか? そこに理屈などない。世間の人たちはそうしている。今回はそれに倣ってみる。
 自分には関係ない、と思う人は思うだろう。「自分はそういうの苦手なので行かない」と。「うるさいのは苦手」とか「人が多いのは無理」等々、いくらでも理由は見つかる。ただそんなこととは関係なく僕はただ「来てほしい」と言う。いつものようにこうやって散々理屈をつけて言う。むろんそれで来なかった人を恨むでもない。来た人には感謝するが、来ない人にも感謝する。ただ来てほしい。それだけである。
 ちなみに夜学バーの場合、周年だからといって人がいっぱい来るとも限らないし、できるだけお客が散るように12時間という長丁場を設定したのだし、うるさくなる前に僕がちゃんと怒るので、イメージの「周年」とは全然違うものになるとは思います。静かにやります。

 去年、とある若いスナックの周年に行った。3年ちかく行ってなかったのでだいぶ悩んだし、飲み放題で〇〇〇〇円、おみやげ大歓迎というのだと、お金もけっこう使っちゃうし、何を持っていったらいいかわかんなくてこれまた吐きそうになる(もう本当におみやげとかさしいれとか選ぶの無理!)し、辛いことばかりなんだけど、ただ一点、行かないより行ったほうが店主は喜ぶだろうというだけで這うようにして行った。単純に動員が増えたというだけでもきっと喜んでくれるだろう。3年も空けば忘れられているかもしれないし、邪魔に思われる不安もあるにはある。それでも「行く」ということには意味があると信じるしかない。何より僕はそのお店に行きたくて、その店主が好きなのである。僕だったら、2年ぶりに来てくれたらよほど邪悪だった人でも喜んじゃうかもしれない。「すこしは邪悪じゃなくなったのかな?」と期待くらいはしてしまう。だっておそらく夜学バーとか僕のことが好きなのだものね、その人は。そうでもないんだったらほかになんの目的があるのかと怖くなるけど。
 今回、周年の来客目標を100人とした。どんなに僕に嫌われているような人であっても、少なくともその数字には貢献できるからである。ノーチャージ(木戸銭なし)でドリンクは500円から、粗品は全部捌けても一人当たり230円くらいになりそうだから、一瞬来て一杯飲んだだけだとほぼ売上には寄与できない。でも「100人」という目標のうちの1人にはなれるのだ。だから来てね、と僕は言いやすいし、それだと行きやすいという人もいるんじゃないかと思ってそうした。
 夜は無理、という人のために、翌日もボーナスタイムとして開けることにした。14時から、たぶん24時まで。粗品はその日までかな。以降は有料。

「店をやる」ということは、「店に行く」とはどういうことかを考え続けることであろう。なぜ人は店に行くのか。なぜお客さんは、来てくれるのか。「行きたいときに行きたいから行く」というのが自然で、本来的にはそれだけのことだが、なぜお店は周年を祝ったり、花見をしたりするのだろう。
 それは「コミュニティの強化」というだけなのだろうか? そのように思っていたから僕はずっと周年も花見も何もやらなかったのである。夜学バーをコミュニティにはしたくない。しかし、それを逆手に取ってというか、あえてその逆の機能も果たせないだろうか?
 木戸銭フリーでキャッシュオンにする理由はここにある。多くの周年イベントは「飲み放題」である。理由はいろいろあろう。一番は「楽だから」なのだと思うが、ホスピタリティ的側面からは「時間や値段を気にせずゆっくりできる」というのもあるだろう。ふつう周年は「常連たちの交流」がメインになる。かりに初対面でも酒を注ぎあったりなどして時間をかけて仲良くなり、その店の「コミュニティとしての強度」を強めていく。飲み放題という形式はそれに適している。
 夜学バーはコミュニティ化することを拒絶するので、一瞬で帰っても損した気にならない方式をとる。極端にいえば、入店するなり「シャンパン!」と叫んで3万円くらい置いて、乾杯して飲み干して、すぐさま帰ってもいいのである。一方で5時間いようが10時間いようが構わない。あまりにも邪魔だったら木戸銭フリーのキャッシュオンゆえ比較的気楽に「出てけ」と言える。
 このへんは夜学バーHPのほうに書くこととだいぶ重なるであろうが、こうして頭の中を整理している側面もあるのでお許しください。

 それにしても、やることが膨大に溜まっていて気絶しそうだ。

2024.4.22(月) 近況 小山に行った話(と長文へのリンク)

 いろいろあったんでちょっと具体的なことを。
 抽象的な話題もメモに溜まってるんだけども、そういうのはよーけ時間かかるのでそのうち。とりあえず周年にかんする文章を読んでいてくださいませ。12000字くらいあります。名文です。僕なんかは泣けてきちゃいますが、あんまり読まれてる形跡がないのでみなさんお願いいたしますよ。

 こないだ小山(栃木)に行ってきた。とある大学(と言ったらまあ一つしかないと思います)で学生3名の取材。
 社長がカメラマンとして同行するとのこと。社長というのは僕が20歳くらいの頃からライターの仕事をくれている人で、かの無銘喫茶(僕が初めて通い、初めて働いたバー)を創った人でもある。彼も元々はライターなのだが、なぜか今回は撮影担当。だったら取材も自分ですればいいのでは? どうやら「大人数で行ったほうがいい」という判断だったらしい。政治的、流石。
 ショートメールで依頼を受け、時間と学校、取材人数だけを告げられて、その後いっさい連絡なし。当日現場入りする5分前に電話が来た。「遅刻する」と。相変わらずだなあ。
 彼は要するに僕の師匠にあたるような人なのだが、こうして一緒に取材するのは14年ぶりくらいかも。その時は社長もライターとして来ていたのだが、今回はカメラマン。本業じゃないのにテキパキそれっぽく動いていて、なんか「ごっこ」みたいで超面白かった。僕もジャケット着てマジメな顔しながらちゃんと仕事するのはそれ自体「ごっこ」だと思っている。社会人ごっこというか、大人ごっこというか。取材対象の学生も面白い人たちばかりだったし、ちっとも仕事っぽくない。
 その後いっしょにごはん食べて商売についてとかいろいろ話す。車でリンガーハット行った。なんか面白い。

 社長は本当にテキトーというか、忙しすぎて100個くらいタスクがあるうちの67個くらいがおろそかになっちゃうタイプの人。僕もそんな感じなのでイラッとくることはない。ショートメールで依頼を受けたあと「いつ詳細が届くのだろう?」と待っていたのだが前々日くらいには「ああこれは何も連絡がないやつだ」と悟っていた。こういう場合「ごめん11時って言ったけど10時になりましたわ~」みたいなこともあり得るので、先手を打って前乗りすることに。小山駅前に宿をとって、一晩飲み歩こうという腹である。
 結果として僕は小山をほぼ知った。ってそりゃ言い過ぎなのはわかっておりますが、ほとんど完璧な一夜を過ごしたと言っていい。三軒まわって二軒はかなり仲良くなったし、もう一軒でもなかなか素晴らしい方が立っていて、もしかしたらいつか夜学バーに来てくれるかもしれない。
 一軒めはインターネットにほとんど情報のない町外れのお店で、僕の嗅覚はさすがだなと思った。お客の多くが年金生活者だというようなカラオケのある居酒屋なのだが、ママはまだ40代半ばで、東京の短大に通いライターを目指していたこともあるという。お店はいわゆる「文化的」という感じがほとんどないが、たぶん僕はどこかに何かを感じたのだろう。たとえば暖簾とか。あるいはインターネットに一件だけあったレビュー(小山の飲食店のほとんどすべてに行って記録をつけまくっているやべーおじさんがいるのである)にチラリとうつったメニューの文字とか。神は細部に宿るっていうようなこと。なんとなく気が合う感じがするし、あちらもかなり僕のことを好きになってくれたと思う。LINE交換した。
 時間ってのはけっこう大事で、僕はこのお店でたしか3杯くらい飲んだんだけど、2杯までだったらたぶん仲良くはなれていない。まともな人たち同士なら打ち解けるまでに時間を要するのは当たり前だし、ほかのお客さんがいる状態だとできない話もある。タイミングをゆっくり待つのもある種の技術なのだ。そして「待つべきか」を見抜く直観も大事。また僕は余所者だからこそ「ここだけの話」ができて、ゆえにこそ比較的短時間で距離が縮まることもある。もし僕が近所に住んでいる人なら、きっとすぐにはああいう話にはならない。ひょっとしたら何回通ってもならないかもしれない。
 このお店に出会ったおかげで、「また小山に来なければ」という気持ちになれた。早く行きたい、とさえ思っている。

 二軒めはたぶん小山で今はいちばん文化的な店だろう。しかし「よく見つけたね!」と褒められるくらいには地下に潜っている。さっきの店よりさらに町外れである。もしかしたらもっと地下に潜ったやべー店もあるかもしれないけど、それはもう裏面レベル。一回目の来小でここまでたどり着けたらもうたぶんプロゲーマーレベルだと思う。
 隣り合った人と『あしたのジョー』と『がんばれ元気』についてやら何やら、いわゆるインテリオタクっぽい話もできて、小山にそういう客層を受け止めるお店があるというのは希望であった。月末はギターウルフが来てイベントやるらしい。すごい。
 ところで、取材対象者と繋がるのは御法度なのであえて仲良くなろうとはしない(将来なっちゃったらしょうがないけどね!)が、今回取材した学生のうちの一人は小さな書店やコワーキングスペース、行政施設などに個人的に関わって「文化」に貢献している人だった。サークルでも地域との連携をあれこれしていたらしい。就職後は小山を出るのかもしれないが、卒業までぜひいろいろとがんばってほしい。この町がもっと面白くなってくれると、僕も遊びに行く甲斐があるというものだ。

 三軒目はバーで、従業員はアルバイトの女学生だったがこれがまたなんというか見所のある人材。いろんな経験が積みたくて夜職の黒服とかバーテンダーとかやってるんだけど、卒業後は僻地で最低9年間は働くことが決まっているらしい。いやいや。落差がすぎる。大宮で2週間実習があるので上野行けるかも、と言ってくれたが、遠慮せず来てくれるといいなあ。
「約束は要らないわ 果たされないことなど大嫌いなの」なんて歌詞がありましたけれどもね、果たされないかもしれないことを無数に抱えて、祈りを捧げ続けてるしかないのでありますよ。果たされるために「果たされない」を経ないといけない、ことだってある。長岡で会った「しらゆき」さんのことも、僕は忘れていないのだ。
 つい長くなってしまった。もっと書きたいことがあるのにな。こつこついきます。
 美飲豆という喫茶店よかった。夜と朝と2回行った。

2024.4.29(月) CKK(地方くすぶり高校生)に酸素を送る

 茅野におります。標高800メートル。寒い。fumokuという宿つきのバー(バーつきの宿ではない)にチェックイン。去年8月に合宿したところですね、詳しくは当時の日記を参照のこと。
 49分後の電車に乗るのでサッと。

 表題、ざっくり言うと、10年くらい前にTwitterで知りあった女の子がいて、その子は当時高校生で札幌に住んでいたんだけども、まあCKKだったわけですね。地方くすぶり高校生。CKCとかCKD、CKSも当然おります。「人並み以上に膨張してしまったエネルギーや野心を持て余している地方の高校生」ということ。地方だと燃えたくても燃料がなかったり、酸素がうまく供給されなかったり、せっかく火種はあってもくすぶるばかりでなかなかパッと明るくはならないもの。殊に中高生くらいの年代では。
 地元の専門学校を出て上京して幾年、CKF(中央くすぶりフリーター)のような生活を続けてきた彼女が、あるプロジェクトに立ち上げから深く関わり、それをようやく世に出せたのが昨日(28日)。僕も元CKKB(地方くすぶり高校生傍観者)として立ち会ってきた。
 その成果物を僕は「よい!」と思って、それを伝えた。すると「CKKの頃から知ってくれているジャッキーさんに見せられて、しかもちゃんと響いてくれたことが嬉しい」「自分の信じた道は間違ってなかったと自信になった」という意味のことを返してくれた。
 いい話ですよね。こういう煌めきは僕の人生のなかに時折あります。ありがたいことです。なんと幸福なのでしょう!

 で、思うのは、僕もCKKだったのだ。10代のころの僕の日記をチラ見していただければ一瞬で伝わる。絶望と焦燥感にのみ突き動かされた日々。街に出て人と関わったり、いわゆる「活動」みたいなことはできなかった。(それでも演劇部各校との繋がりやインターネットがあったのは僕にとって大いなる幸いだった。)
 名古屋だったらいろいろあるでしょう?とよく言われるのだが、世の中との関わり方を知らなかったのだ。どこに生まれようが知らないことはできようがない。それを教えてくれる人や、身近なロールモデルが必要なのだ。地方ではなかなか出会わない。東京なら絶対に出会えるというわけではないが、確率はかなり上がるだろう。そしてこれを逆に言うと、どこに生まれようが知っていることはできるかもしれない。これが何より重要なこと。
 僕が積極的に若い人と関わろうと思ってしまうのは、たぶんそのせいでもある。くだんの元CKKとも彼女がまだ本当にCKKのころ、札幌で会っている。呼ぶほうも来るほうも常識的にはおかしいのかもしれないが、それで今まで良い関係を続けているのだから結果OK。なんでそこで「会おう」になるのかというと明らかにその子がくすぶっていたからで、自分は僭越ながら微量の酸素を送り込めるのではないかと思ったから。それは昔の僕が求めていたこと。過去の自分のためなのだ。

 高1のときに「ドラチャ(ドラえもんチャット)」で知り合った「とも」は当時大学院生、「くら」は社会人だった。ふたりとも名古屋で会っている。その時はろくに喋れもしないで相手は退屈だっただろうなと思うが、向こうはもしかしたら、いまの僕と同じような気持ちで会いに来てくれたのかもしれない。CKKの酸素となるために。
 火種は自分の中にしかないし、燃料は自分で探すしかない。しかし酸素なら他人が送ってよいのではないか? 押しつけではある。でも燃料の押しつけよりは罪がなかろう。むしろ年長者の仕事として最も大切なこととすら僕には思える。

 先達の送ってくれた膨大な酸素。火種を絶やさずいられたのは間違いなくそのおかげだ。しかし燃料がなければ燃え尽きる。彼らに報いるためにも、必死で探し、蓄えてゆく。火はだんだんと大きくなる。また多くの酸素と燃料が必要となる。
 僕はそのように成長してきて、「これってすばらしく楽しいことだ」と信じるがゆえ、他人にも押しつける。これは思想であり、手前勝手に世の中をよくするための独善である。
 花を配るようなものだと思っていたい。

2024.4.30(火) 長野県(中央線)紀行

 東京から中央線で名古屋(金山)まで行き、それから東海道線で戻ってくる「一筆書ききっぷ」を購入した。
 まず新宿で「あずさ」に乗って茅野まで。「楚そっと」「琥珀」でコーヒーを飲む。すごく疲れていたのだが旅先に来ると元気が出てしまい困る。
 宿にチェックイン。電車までちょっと時間あったので部屋で日記(29日の記事)書く。下諏訪に移動。持参した自転車でぐるりと散策し、わずか1年弱で新しいお店が爆増していて驚く。おなかがすいたので適当なとんかつ屋に入ったらとんかつ定食が1900円。850円くらいだと思った。おいしかったが僕にはあぶらが重たくて一切れ残してしまった。僕が食べものを残すのは非常に珍しいので、よほど苦しかったと思ってください。
「夕やけこやけ」というお店がとても気になって入ってみる。思った通りの素晴らしい空間であった。お茶も出てきた。最高。古い冊子を2冊(おんばしら+お酒の本)と店主製作の竹とんぼ買った。
「もしかしてカズキくんのお知り合いですか?」と問われて一瞬わからなかったが、ああヤミヤの主人かとすぐにわかってそうですと答えると「やっぱり、そういう感じがして」。シュッとしてるからかな。
 その「ヤミヤ」へ。いろいろのお話をする。フォークジャンボリーやりたい。また曽我ガラスのブランデーグラスがあって嬉しくなった(見てわかる僕もじつに偉いと思う)。曽我ガラスの本社(たぶん)は実家のすぐ近く。矢田川の堤防沿い。
 諏訪湖沿いに走って上諏訪へ。友達がよく行くバーで、店主は僕の『小バー』を読んでくださったらしい。友達と合流するが時間がなくて小一時間も話せず。
 ところで、オーセンティック寄りのバーって複数人で行くと店主はスーっとカウンターの端っこに寄ってって他人のふり(?)をしますよね。大曽根の「ダナエ」ってバーもそうだった。あれってそういう作法、「オーセンティックしぐさ」なんだろうけど、なんだか不自然で寂しい感じもする。友達は店主となじみなわけだし、僕だってその友達が到着するまでは店主といろいろ話していたのだが、合流して二人になった瞬間にスーって遠く行って黙ってしまう。いや何も悪くないのです、それはたぶん作法だし、じっさい二人で来たなら二人で話すのがオーセンティックバーなのだろう。ただなんか、スーって向こう行って知らんぷり(?)してるのが面白いというか、なんか自然ではないと感じただけなんだけど、オーセンティックバーってのはそもそも自然な空間ではないからそれでいいのだろう。
 茅野に戻る。宿(fumoku)のオーナーと夏合宿(!)の相談をする予定だったが誰もいない。そんなら急いで帰ることなかったな。連絡もつかぬし、まあこの適当さがこの宿の味だったりもする。
 仕方ない、だめもとで「紅の豚」に行ってみる。店主と彼女と、大学生バイト(その日は非番だったぽい)のお兄ちゃんが3人で飲んでいた。「俺は来た客は絶対ことわんねえから!」と頼もしい言葉。混じって4人で飲む。めちゃくちゃ楽しかった。前回より彼(ら)のことが好きになったし、その大学生がまた逸材で嬉しかった。茅野市街で一番、というか唯一ちゃんと狂ってる気がする。その稀なる狂気に惹かれてやってくる若い人や遠くに住む人(僕もそうだ)がしっかりいるのは希望。
 翌朝。さすがに飲みすぎたがチェックアウトが10時ということでがんばって起きる。こないだまでチェックアウト時間も決まってないくらい雑だったのに、なんだか少しずつちゃんとし始めている。
 一筆書ききっぷは、「後戻りしなければ途中下車し放題」。昨日すでに茅野→下諏訪間を乗ってしまっているから、その区間だけきっぷ買って乗る。240円。塩尻で乗り換えが30分くらいあったので改札を出てみる。一筆書ききっぷは入場記録がなくても外に出られるらしい。つまり240円ではなく200円(茅野→上諏訪)のきっぷを買って入場していても出場できたということだ。40円のキセル(?)が可能であった。鉄道はまだまだこのような、良心の試されるような抜け穴がたくさんあるのだなあ。
 改札外のトイレに鞄を忘れてしまい、再入場してから「iPadが手元から離れました」的な通知が来て気づく。バカなのか? バカなのだ。取りに戻って再入場しようとすると弾かれた。途中下車は1回限りということらしい。ちぃ覚えた。でも出るのは何回もできるっぽいのは面白い。
 ちなみに塩尻駅前は殺風景で、地図で調べても僕にとってめぼしいものは見あたらなかった。もうちょっとなんかあってくれると嬉しいんだが。
「しなの」自由席乗る。+1860円。多治見で普通列車に乗り換え、定光寺で降りる。玉川屋閉まってて残念、自転車で山登って、上にある喫茶「定光寺」で焼きそば定食とコーヒー。それから165段の石段を登りお寺に参拝。定光寺は山も川も寺も何もかも、すごくすばらしいのでぜひ行ってみてほしい。
 下山すると、やはり玉川屋は閉まっていた。あきらめて駅の階段(定光寺駅はかなり高い位置にある)へ向かうと、ちょうど老人が降りてきた。知った顔だ。あ、玉川屋の主人だ! 話しかけて、そのままお店を開けてもらった。コーヒー300円。独特の匂いのきつい店内。これこれ、これですよ……。
 大曽根へ。特にやることがない、というか早く寝たいので帰宅。カレーたべてひとしきりごろごろしてから報徳湯に行って、ちょっと近所をパトロール。帰ってからもひたすらごろごろとした。
 これからはセンチュリーホールで小沢健二さんのコンサートなんだけど、金山までJRで行けば一筆書ききっぷを使える。そこからは自転車、と思ったけど雨だからやめよう。明日は六番町の友達の家に行くので金山までJRにして自転車で現地を往復、金山→豊橋を新快速、そこから「ひかり」自由席に乗る。すると名古屋から「のぞみ」(全席指定+繁忙期料金)に乗るより2280円も安くなる。こういうケチケチした名古屋人根性が僕の生活を支えているのだ。
 いちおう解説すると、この一筆書ききっぷは名古屋駅を通らないので、名古屋発の新幹線に乗ると追加料金(金山と名古屋の往復ぶん!)がかかるうえ、たぶん自動改札を通れないので窓口で説明したりしなきゃいけないから面倒なのだ。
 あー、豊橋→東京の自由席が+3400円、名古屋→東京ののぞみ指定席が5320円+追加乗車券360円。
 そろそろ17時になる。「つねかわ」でも寄ってセンチュリーホール行きます。

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