少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2023.12.1(金) 夜学バー再開しました
2023.12.4(月) 能動ビジネスは流行らない、が
2023.12.10(日) 愛は日常の中にすでにある
2023.12.11(月) 答え合わせ社会の現在(1) 未知か既知か
2023.12.14(木) 答え合わせ社会の現在(2) 個人から世間へ
2023.12.18(火) 答え合わせ社会の現在(3) 回答者から採点者へ
2023.12.19(水) 新潟行×2の1
2023.12.20(木) 新潟行×2の2
2023.12.27(水) Sexy時代のユニット社会

2023.12.1(金) 夜学バー再開しました

 さむい。現在は2日の13時、上野公園と夜学バーの間あたりの路上で屋台を出している。人通り少ない日陰、お客はほぼ来ない。自分で熱燗つけてしのいでいる。楽しいけどつらい。
 昨夜は満を持しての夜学バー再開営業。6月30日以来なので5ヶ月ぶりということになる。ジャーナル(日報)でやれよということでもあるがひとまず、来客数は14名。これをどう見るか。多そうにも見えるが7時間営業したので30分に一人来店した計算。実際のイメージとしては最初の2時間に7名来て、最後の2時間に7名来た感じ。19時から22時の間はほぼ動きがなく静かなものだった。
 新夜学バーの席数は9。満席になった瞬間はなかった。最初と最後はそれなりにずらり席が埋まった感じだったので、問題は中間の3時間にある。ここをうまくアピールできていたら20名くらいの来客がありつつ、かつゆったりと営業できた。
 本当は30人くらい集客したかったが、非日常ではなく日常でスタートできたのは良いことでもある。今日きてくれた人たちが来年も最低一度はいらっしゃいますよう願う。できれば2ヶ月に一度くらいだとちょうどいい。

 それにしても、古本がちっとも売れない。そもそも立ち寄る人が皆無に近いので仕方がないのだが。この百冊を超える本たちをもう一度四階に戻すのは気が遠くなるので、できるだけ減らしたい。タダ同然で叩き売りしてますので月曜までにどうぞ。11時から17時、詳しくは「しのばずいけまち研究会」で検索を。
 ブックオフ来てくれないかな。

2023.12.4(月) 能動ビジネスは流行らない、が

 できるだけ毎日更新しようとは思っておりますので今月もよろしくお願い申し上げます。
 律儀にホームページ代お支払いいただいている方々ありがとうございます。有料(シェアウェア)化を叫んでもう8ヶ月になるのですね。読者さまのご都合に応じてゆうちょ銀行、東京三菱UFJ銀行、みずほ銀行、三井住友銀行、またPayPayやLINE Payなどさまざまな決済方法に(手動で)対応しております。自動的に引き落とされたい人やクレジットカードで決済したいかたはLiberapayやStripeをご利用ください(推奨)
 2日から4日(今日)まで、お店の近くの路上(不忍通りの伊豆榮前あたり)で屋台を出している。コーヒー、ホットネーポン、熱燗、お湯割りをメインに鬻ぎつつ、お店で不要になった古本を販売。「タダ同然で叩き売り」した結果、2日で100冊近く売れた、と思う。現在は月曜の12時半、平日は動きが小さそう。寒空の下で書いている。
 前回に引き続き夜の成果を発表しますと、復活2日めである12/2(土)の来客は5名、12/3(日)は1名でした。ちゃんと人気がない。いや本当は大人気なことくらい知っているが、いろいろあって「わざわざ足を運ぶ」という人はそんなに多くはないのである。そしてこの店はそれでもいいのだ。
 お客の少なかったのはもちろん「21時から24時」という短い営業時間だったのが主原因だと思う。続く火水木も同様にやってみる。その感じを見て今後の営業スタイルを考える。

 整理するために書いてみる。いま考えているのは、木金土を「17時〜26時」くらいの営業にして、日曜の日中を「オフィスアワー」として開放。月火水その他空いている時間に「店と店主をレンタルできる」制度を導入する。価格は考え中。世間では「貸切」と呼ばれる状態だが、それを「通常営業」として告知するかどうかは借主が選択できる。そうなると世間でいう「予約」に近くなる。
 すなわち、夜学バーとジャッキーさんを自由に使い倒せる。コスプレしろと言われたらする(需要ノ低サハ超天文的ダガゼロジャナイ)。人生相談にも乗る。たぶん将棋も指せる。「通常営業」の中で将棋をしてしまったらたぶん風営法に引っ掛かる(接待にあたる)のだが「レンタル」という形なら問題ないはず。(ちなみに将棋盤ではなくスマホ同士で対戦するなら接待にはならないらしい。抜け穴。)
 また店主のみをレンタルすることもできる。ディズニーランドも行ける。店のみはできない。「持ち込み企画」や「間借り」にはできるだけ対応したいが、なんでも良しということにはしたくない。
 日月火水の夜などに「夜学バーとして営業したい」という人がいたら任せてもよい。ただしいつだったかここに書いたようにそれをやるなら「夜学バーとは何か」を徹底的に探究し、会得する覚悟で臨んでいただきたい。一時的には「ジャッキーさんのまね」をある程度してもらう。夜学バーの再現性、属店性を高めたい。br>  詰めなきゃいけないのはそのレンタル制度の名称と価格設定。1時間2500円、時間無制限(実際は6時間以内とか)で10000円とかですかね……。高い? 占い師だと思えば激安ではありませんか。
 どうせお店に来てコーヒー飲んだら1500円かかってしまうのだから、2時間5000円ならそう高くもない。ドリンク等はオプションで追加料金だけど。
 ただし、なぜ人は占いに30分3000円とか出すのか?というと、「基本的に自分は何も考えなくてもいいから」だと思う。占い師がすべてリードしてくれて、最後には答えを出してくれる。そこからしばらく、何も考えずに言われたままに生活していくこともできる。たった30分3000円で、ひょっとしたら1ヶ月くらい何も考えず「脳死」していられる。そういうふうに完全に占い師に思考を委譲してるような人はもちろん多数派ではなかろうが、世の中にそういう需要が存在し、そこにものすごく多額のお金が投入されているのは事実であろう。
 ところが僕のやろうとしているのは、「夜学バーとジャッキーさんを使ってあなたの過ごしたい時間を自由に過ごしてください」というふうに、考える主体、決定する主体が客の側にある。そういうサービスは流行らない。おそらく注文はあんまり来ない。ゆえにこそ僕がやる意味がある。もしかしたら社会教育の一環として。

2023.12.10(日) 愛は日常の中にすでにある

 歯を食いしばってSNSではクールに振る舞っている。ここに書いて整理するのが僕の人生のバランスの取り方なのだが余裕がなくて溜まってゆくばかりであった。ようやく少し時間を取れた。
 細かいことはいずれ書くであろう日報のほうに譲るとして、12月1日からの夜学バー10日連続営業(うち3日間は昼間も路上屋台出店)があと1日、今日を残すのみ。今は13時30分で三河島の喫茶店におります。15時から24時まで営業しているのでたくさん人くるといいな。
「インターネット上で不景気なことを言わない」というのを復活夜学バーでは徹底したいと思っているのだが、事実の記録と分析はしておきたいし、その時に素直な気持ちを吐露することも日記や日報など「読者が能動的に読みにくる長文」の中だったらアリにしたい。でなきゃ嘘をつくことになってしまう。もちろん、単なる弱音や愚痴に留まるような内容には絶対しない。
 一言でいうと、不景気である。変則的かつ難易度高めな営業時間設定と、そもそも復活したことが周知されていないであろうこと、行ったことのない場所に向かうハードルの高さ、年の瀬の多忙など考えられる要因は無数にある。「どんな心構えで行ったらいいかわからない」「よく考えたら夜学バーに行く理由は別にない」など、華やかな(?)閉店劇のあとに5ヶ月という長すぎる冷却期間が置かれたことにより熱やリズムが失われたという事情もあろう。
 閉店の時にはものすごくたくさんのお客さんが来てくれていた。人間は(とりわけ日本人は?)滅ぶほうが好きなのは間違いないので、流石にあれほどとはならなかろうが、それなりには人が来るだろうと思って、営業日と営業時間を熟慮した。「この日なら行けるのに」とならないようはじめの10日間は休日を作らず、しかし混みすぎないための工夫もした。人々は「混んでいる」という状態を嫌い、ちょっとでも「混んでいるかも」と思えば足を向けない。実際夜学バーが混むことなんかほぼないのだが、閉店月の繁盛が最新の記憶なわけだから、「ああいう感じだろうからもうちょっと時間を置いて行こう」と思っている人も多かろうと思う。そういう気持ちに配慮して、平日の21時から24時までという混みようのない営業日を設け、「安心してください、空いてますよ」というアピールをしたつもりであった。しかし、平日だろうが休日だろうが、さほどお客は来なかった。たぶん無意味であった。「17時から24時」にしていてもさして状況は変わらなかった気がする。体力とスケジュールの問題があって、どのみちそれはできなかったけど。
 もちろん夕方から開ける日も作ったし、土日は15時から開けることにした。結果、金曜の夜以外(9日のうち7日)はほぼ閑古鳥。単純に僕の「読み違え」である。とりわけ昨日の土曜日、9時間営業してお客は3名のみ、「これはすごい」と我ながら思ってしまった。0名や1名の日もあった。みんな忙しいし、夜学バーの復活にそれほど訴求力はないらしい。
 お花畑の頭は、「みんな新しい夜学バーの内装がどうなってるかとか気になってるだろうし、久々に僕と話したいとか、復活にまつわる話も聞きたいはずだから、最初のうちはさすがに人が来るだろう」と予想していたのだが、別にそんなことはなかった。お祝いムードも特になかった。ジャッキーさんはそういうのをあんまり好まない、というイメージがすごく強いらしい。「ほしい」とか「くれよ」という気持ちは特にないが、お花の一つもいただけず(11月16日に新宿でいただいたお花の作品は飾っております、枯れてるけど)、シャンパンが入ることもなく(シャンメリーは入りました)、しめやかに毎日は進んでいきました。
 もちろんシュークリーム持って来てくださったりとか、お酒をご馳走してくださったりなどさりげないお祝いはいただきました。そのくらいのことが実のところ僕は大好きで、とても嬉しく幸福に思うのだが、まあ普通の店なら胡蝶蘭くらい届くのである。「常連一同」とかいって。10年も15年も店やってきてそういうベタベタしたムードをまったく作ってこなかった自分を心から誇らしく思う。平熱。

 僕は四人兄弟の末っ子で、そのせいというわけではなかろうが親との距離の取り方がよくわからない。プレゼントをしたことはないし、お誕生日おめでとうもほぼ毎年言いそびれている。世間的に立派な人生でもない。親孝行に向いていない。僕にできるのは、「末の息子」として永遠に可愛く生きていることくらいだと思っている。できるだけ足繁く実家に通い、ごはんを食べさせてもらって、コーヒーを入れてもらって、たまに一緒にお酒を飲んだりもする。そういう「時間」を両親とともに過ごすことが僕にできる精一杯の孝行なのだ。それ以外のことは思いつかないし、きっと実行もできない。
 ただ、これは僕が愛されてきたがゆえに発想できることだから、僕がそうすることは両親にとって「愛情が子に届いていた証拠」にもなる。大袈裟なことは何もできないが、「あなたたちの子育ては間違っていなかった」ということを全身で伝えるために、僕は折に触れ実家に帰り、彼らに甘え続けるのである。甘えんぼだね〜。

 岡田淳さんの代表作に『雨やどりはすべり台の下で」という名作がある。僕について興味のある人がもしいたらぜひ読んでいただきたい。ここに出てくる「雨森さん」という人は、ほとんど僕そのものだと自分では思っているのだ。雨森さんはあんまり人と深い関係を築こうとしないように見える。しかしなぜか積極的に(としか思えない)子供たちに関わってゆく。そして子供たちの心に良きものを残しまくる。あのラストシーンは、まさに僕が求める世界観そのものである。僕だって心から全力でいつかみんなに、ありがとうと言いたい。

 僕がどうして胡蝶蘭をほしがらず、シャンパンを煽ることもせず(一応置いてあるので売上の助けにしてくださる方はぜひお願いしますね!)、「常連」という帰属意識をくすぐって人気を出そうともしないのか。上記二例がすべてである。愛は日常の中にすでにある。僕は照れ屋で不器用なので、そういうふうにしか人との関わりを深めていけないのだと思う。
 だから復活した夜学バーがこのようにスロースタートなのはある意味でとても僕らしい。華やかである必要はない。ただ、思ったよりさみしい日常から始まった。飲食店というのは安定するまでに3年はかかるという。復活というのは一度死んだってことだと噛み締めねばならない。たぶんまたあと3年かかるのだろう。これは式年遷宮だとかつて書いたが、新しい社殿が風格を備えるのにはやはり少しは時間がかかる。

 救われるのは、この9日間でご来店くださったお客さんのほとんどが、夜学バーを「日常のもの」として捉えてくださっている方ばかりだったこと。「お祝いだから来ました!」という人はほとんどおらず、「また通えるようになってよかった〜」という雰囲気でやってくる。しかも「常連」概念を否定する夜学バーだけに、毎日のようにやってくる人もおらず、三度以上来た人はまだいない。もちろんたくさん通ってくださるのは嬉しいのだが、夜学バーの外で何か面白いことを拾ってきて、それをまたここに持ってきてください、という気持ちのほうが僕は強い。ただし、何か辛いことがあったとかで、来る回数が一時的に増えるのはある意味では健全なので、破綻しない程度に大いに利用していただきたいです。
 そう思えばこの9日間はある意味では「成功」だったとも思える。「華やかで賑やかなスタート」ではなくて、「日常的で落ち着いたスタート」を切ることができた。実際そんなことができる人はほとんどいないと思う。普通だったら「おめでとう!」「押すな押すな!」ってなるはずだもの。そうならないで平熱運行できるのは僕の偉大なる証拠。ほら、書いてみたら気持ちが落ち着いたじゃないか。でもさすがにもうちょっとはお客さんに来てもらいたいから色々がんばります。

2023.12.11(月) 答え合わせ社会の現在(1) 未知か既知か

 お客さんと話していて(こういう入力経路が戻ってきて嬉しい)僕が長いこと提唱している「答え合わせ社会」についてより考えを深めることができた。
 例のごとくそれを「誰と話していたか」がいま思い出せない。ちょっと思い出してみる。いやほんと、話の「内容」はよく覚えているんだけど、その「相手の顔」がまったく出てこない、ということがよくあるのだ。これは「自己中だから」ではなく「個人ではなく関係ばかり見つめすぎているから」だと思いたい。どこに座っていたか、までも覚えているのに、肉体や声色だけが出てこない。
 ああ、思い出した。失礼した。これが「少年ガンガン的想像力について」というテーマだったら0.1秒で思い出せたんだけど。彼とは先日長い時間サシでいろんな話をしたので、記憶が混濁するのも無理はないとお許しいただきたい。

 答え合わせ社会というのは、簡単にいうと「インスタで見た場所に行く」というようなこと。世の中の至るところにこのような感覚が見られる。みんな「すでに知っていること」が好きで好きでたまらないのだ。
 日記を検索してみると少なくとも2011年から僕は「答え合わせ」という言葉を(術語として)使い始めており、2012年12月に「答え合わせ社会」という単語が登場する。
 予想して、当たる、という快感。それが「答え合わせ」を加速させてきた。テストもクイズも、一問一答、一対一対応の「問いと答え」というセットで、正解なら気持ちがいい。
「ここの○○が美味しい」という噂を聞いて、それが正解と信じ、確かめに行く。美味しければ「当たった!」と嬉しくなる。単純に、美味しかったから嬉しい、というだけではない。「確認」が快感を生むのだ。余談だが観光とは確認であると先ほど読んだ文章の中に書いてあった。

 ここまでは2012年くらいの段階でまとまっていた。これをベースに2023年という時代を考えてみると、人々は答え合わせ社会の「回答者」であるばかりではなく「採点者」にもなってきたのではないか。10年かけて進化(?)してきた。長くなりそうなので次回につづく。


 小沢健二さんが2012年3月のコンサートで「文学のテクノロジー」という文章を朗読した。その中で「知っている内容はすぐに理解できるが、知らない内容はすぐに理解できない」というような意味のことを言っている。たとえばTwitterは140文字という制限が(当時)あり、その短い文章で理解を得るためには「すでに知っていること」を言わなければならない。すなわち、バズるツイートの多くは「読者がすでに知っていること」をなぞっているにすぎない。そのように僕は捉えた。
 ジャッキーさんとか夜学バーというものがバズらない(今の世の中で流行らない)のは明確に、「知らない」ことをひたすら目指しているからだろう。そう思いたい。読者やお客さんは「答え合わせ」の機会を与えられない。「夜学バーってこういうお店らしい、行って確かめてみよう!」ではなくて、「夜学バーってどんなお店なんだろう、わからない……」で止まってしまう。「わからない」と恐ろしいし、時間とお金を無駄にするリスクも高い。それでも「気になる」の勝つ人が足を運んでくれる。
 もちろん中には「夜学バーってのはこんなお店なのだろう」と予想を立てて「答え合わせ」に臨む人もいるかもしれない。あんまり当たることがないような気がするし、当たったとしたら「すごい! ぜひまた来てください!」になる。決して「思った通りの場所だったから満足! もう答え合わせしたんで二度と来ません!」にはなってほしくない。答え合わせというものは「そこで終わり」ということでもあって、学校のテストのようにすぐ抜け落ちて消えてしまう。絶対に既存の言葉で語れるようなお店や人間でありたくない、人生も関係も続いてこそだ。

2023.12.14(木) 答え合わせ社会の現在(2) 世間から個人へ

 我孫子にいます。掘り進んできました。毎年冬になると取材(インタビューして原稿をつくる)の仕事がやってきて、「普通の人間」のフリをしなければならなくなる。今日は川村女子学園大学で2件。これからそのまま新潟に行って明日は専門学校の学生を取材する。すぐ戻ってきて金曜はお店を開け、月曜にまた新潟で取材。
 僕の数少ない「社会とのつながり」である。これがなくなったらいよいよ「社会の中で生きている人間」としての僕はほぼ失せる。塾で働いたりとかしようかなあ、とか思ったりもするが、道楽でやることじゃないからね。お誘いあればだいたいなんでもやります。
 今回も「14日は朝から我孫子で、15日の昼に新潟どう?」と依頼されて、まだお店のスケジュール立てる前だったから「あー、木曜を休みにすればなんとかなるな」と引き受けた。できるだけ仕事は断らない、というのが信条というか、売れないフリーランス文字土方の鉄則だと思う。
 夜学バーでは「受注営業」という新たな試みを始め、すでに今月2件入った。それももちろん断らない。みなさま気軽にお申し込みいただければと思う。夜学と僕のスペックをどうか使い倒してほしい。勿体無いから。

 答え合わせ社会のなかで、人々はもはや「回答者」であるばかりでなく「採点者」ともなっている、という話であった。日本の人は長い間、世の中が用意した問いに答えを提出し、「正解!」と言ってもらいたがり続けている。それがある時期は「いい大学に入り、いい企業に就職し……」だったし、ある時は「個性を伸ばし夢を叶える」だった。自由に生きていいんだよ、と言われて羽ばたいたつもりが、実は「世の中が用意した答え(=常識)」という手のひらの上で転がされていただけ、というのが僕の生きてきた時代であったような気がする。
「似てしまうのよね……個性のない人が無理やり身につけた個性って……」という名台詞があって、たぶん漫画か何かに出てきたのだろうが、出典がわからない。これを教えてくれた尊敬する友人も「出典がわからなくなった」と言う。ご存知の方、もしいたら。

 ここまで書いたところで時間がワープ、今は15日の午後、新幹線で新潟から上野に向かっているところ。
「個性のない人が無理やり身につけた個性」とは、「こういうのを個性と呼ぶのですよ」という世の中の雰囲気(=常識)を無意識に踏襲してしまったということだろう。廃墟が好きとか。
 なぜ無個性な個性憧れ人間はみな一様に廃墟を愛してしまうのかというと、たぶん廃墟というのが「もう使われていない、社会にとって無益なもの」で、普通に考えたらそれをありがたがる人はいないわけだから、「逆に」「あえて」それを好きになることで手軽に少数派(個性!)に回れるという単純な発想によると僕は信じている。しかし、僕だって廃墟は好きである。人間は「滅び」が好きなのだ。ゆえに実のところ「廃墟が好きなんて普通のこと」なのだが、「もう使われていない、社会にとって無益なもの」という一面だけを見ると、「それを好きになれば少数派になれる!」と勘違いしてしまうのであろう。実際は別にそんなに少数派ではない。みんな廃墟はなんとなく好きなのだ。ただ言わないか、ことさらに意識しないだけで。
 ただし現実として、「廃墟が好き」と言えばなんとなく「個性を得た」ような気になれるのは確か。「廃墟が好き」というのは「個性的である」ということとセット、すなわち「問いと答え」というつがいなのだ。「廃墟が好きであるということは?」「個性的ということ!」みたいな。
 廃墟が好き→個性的、という答えはすでに世の中に用意されている。「廃墟が好きな自分はどういう存在なのだろう?」と悩む必要はない。廃墟が好きな人は実のところありふれていて、それがどういうことなのかという社会的な判断はすでに下されている。だからこそ安心して「廃墟が好き!」と言える。「それってどういうこと? なんかこわい!」ではなくて、「そうなんだ、個性的だね」と言ってもらえる。
 腕を切るのもホストに通うのも、すでにある「答え」である。「心がつらい、どうしたらいい?」という問いに対してはすでに、「腕を切る」「薬を飲む」「ホストに通う」といった答えが用意されていて、そこから選び取る。もちろんみんなやむにやまれず、どうしてもそのつらさを解消しなければならないから何らかの行為に及ぶのだ。たとえば爪を噛むとか髪の毛を抜くという人もいる。リスカやODやホス狂いが現在選ばれがちなのは、それが文化として身近にあって、「選択肢」として提示されているから。みぞおちを殴ることが流行ればみんなそうするかもしれない。
 もちろん、手軽さとか感覚の心地よさとか、つらさを忘れるための効率といったところで最も優れているのが今はリスカやODということだろう、流行るのには理由がある。みぞおちを殴るのが流行らないのはたぶんあんまり優れていないからだ。もし新たに優れた行為が発明、ないし発見されたらば、今度はそれが流行る可能性は大いにある。実はみぞおち自分で殴ってみたらめっちゃ良かった!みたいなことがあるかもしれないし、やっぱ過食嘔吐だよね、ということになってくるかもしれない。
 心のつらい人は基本的に思考する元気がなくなっているから、「どうしたらいい?」と問いかけて、そこにある答えの中から手近なもの、自分に合っていそうなものを選びとる。(もちろん向こうから近づいてくる邪悪にも引っかかる。)
「バンドやアイドルを好きになる」とか「恋人をつくる」とかも、人生がつらいときに選ばれる答えとしてメジャーなものである。「つらいな、どうしよう? 恋人でもつくるか」とマッチングアプリを始める人はいまたぶんめちゃくちゃ多い。マッチングアプリもとりあえずの「答え」として今、用意されている。重要な選択肢の一つになっている。
「答え」とは、「余計なことを考えなくて済む魔法」でもある。すでに目の前にあるのだから。「つらい→恋人をつくろう→ではマッチングアプリを始めよう→出会った人間を値踏みして、良さそうな相手がいたら付き合おう→問題がなさそうなら結婚しよう」といった具合に、ほぼ何も考えずに用意されたルートを歩むことができる。
「付き合ってください」「はい」という恋人契約も、「問いと答え」というセットの典型。答え合わせそのものである。付き合ったあとは「この人とずっと一緒にいるんだ」という誓いの答え合わせで、別れたら「違った」となる。離婚した状態をバツと呼ぶのは面白い。「正解だと思って出した回答が間違いだった」ってことか。

 日本において、「答え」の採点者は「世間」であった。世間が褒めてくれるからいい大学に入り、いい企業に就職していた。親の言う「こうしろ」はほぼ世間の代弁であった。今だっておおむねはそうなのだが、個人による採点が増えてきたように感じる。あるいは「世間」が細分化しているか。
 ようやく本題に進めそうだ。いったん閉じます。

2023.12.18(火) 答え合わせ社会の現在(3) 回答者から採点者へ

 ふたたび新潟にいます。掘り進んできました。この「掘り進んできました」というのは小沢健二さんが2002年ごろに(おそらく東京から)ブエノスアイレスへ行った時の表現、こういうの誰にもわからないのに一生使い続けてしまう。「行脚ツアー」とかもつい言っちゃう。
「氷砂糖のおみやげ」55回の後半で『究極超人あ〜る』についてやや熱めに語っているのですが、その中で、古きオタクは「その世界に行きたい、そこにいたい」という思いが今よりも強かったのでは、という仮説を出した。『あ〜る』という作品でいえば「光画部に入りたい」「轟天号に乗りたい」「鳥坂センパイのような生き方がしたい」などなど……。
 僕が小沢さんの歌詞や文章、発言などを引用しがちなのも「古きオタク」の仕草なのかも。「なりたい」というよりは「あやかりたい」のほうが近いとは思っておりますが。引用することによって、その言葉の持つ深みとかリズムとかが身に浸透していくんじゃないかと。
 学生時代に素顔でウルトラマンを演じた庵野秀明さんは「古きオタク」の代表と僕は見る。ウルトラマンが好きすぎて「ウルトラマンになりたい、あの世界(サイズ)で戦いたい」と思って彼はあのフィルムを撮ったのではと思うのだ。それは『あ〜る』の読者が原作、CDドラマ、OVAのすべてのセリフをくまなく暗記して会話に散りばめたり、おかゆライスを食べたり超人野球をやったり飯田線に乗ったりしたのに似ているだろうと。
 その庵野さんが95年、多くの「謎豚」を生み出し「答え合わせ社会」と心中するような作品(エヴァのこと!)を作ったのは僕史観では皮肉と言える。しかしあの『シン・エヴァ』によってその過去は清算されたと僕は読んでいる。詳しくは当時の日記へ。

 謎豚とはエヴァンゲリオンの「解釈」や「考察」に血道をあげていた人たちのことで、彼らは自分なりの「答え」を探す「回答者」だった。その人たちの時代は2021年3月の『シン・エヴァ』によって終わった。それが僕の紡ぐ歴史。
「回答者」の時代は終わり、「採点者」の時代となった。人々は「自分がどこかから仕入れてきた答え」を胸に抱き、それを「他人の意見」と照らし合わせて、「あなたは合っている」「あなたは間違っている」と、採点している。それが「答え合わせ社会の現在」。
 めちゃくちゃ単純にいえば、「新型コロナワクチンは悪」と信じる人たちが、同じ意見の人たちに「Yes!」と言い、少しでも違う意見の人たちには「No!」と言う。そういう話である。もちろんそういう人たちはいつの時代もいるのだろうが、SNSはあまりにもその声を広げすぎ、感染させすぎた。データを出すことはできないがさすがに「増えている」のではないだろうか。
「解釈違い」という言葉も近年流行っていて、ピクシブ百科事典やニコニコ大百科にも項目がある。解釈が違うのは当たり前だが、さらにそこから進んで、解釈の違う人を「間違っている」と叩く傾向が強まっているのではないか。根拠のない、私的な仮説ですが。
「飛影はそんなこと言わない」という有名な言葉があるけど、「このキャラクターの一人称は絶対に『僕』でしょ!」みたいに怒るユーザの声はそこそこ目立つ。僕もここ20数年のドラえもんの映画とか観ると「のび太はこんなやつじゃない!」と怒ったりするが、慎ましいので黙っている。そこで声を上げたら「採点者」になってしまう。新世代のオタクたちには「採点者」が多いように思う。
 採点者は、胸の中にすでに「答え」を持っていて、基本的にそれが修正されることはない。氷砂糖の例の↑シリーズでも話しているが、心や頭が散漫になりがちな人は、「定点」をつくると安心する。たとえば「推し」や「恋人」を生活の中心に置き、そこを軸にして人生のすべてを構成していくとやりやすくなる。「ホストに貢ぐためにがんばる」もそうだ。「ホストに貢ぐ」という中心点(定点)がなければ、何もがんばることができず、何をしていいかもわからない。
 心の中に「答え=定点」を作り、それを絶対のものとして、それと同一のものを良しとし、ズレたものを悪とする。小さなカルト宗教が日々「採点」に命かけている。

2023.12.19(水) 新潟行×2の1

 14、15日と18、19、20日は取材のため新潟。合間は東京に帰ってお店を開けた。年末らしい忙しさ。
【14日 木】
 まずは千葉の我孫子、川村学園女子大学で10時半からの取材。早朝(僕にとっては)から電車に乗って天王台下車。そこから自転車組み立てて現場に向かう。学食でお昼を挟んで学生2名にインタビューと写真撮影。この日のカメラマンは馴染みの方だったので緊張せず、雑談も少々(実はこれが普段は苦手なのである)。分野は歴史と幼稚園。専門的な話はやはりタメになる。春以降、一所懸命探せばWebのどこかで僕の書いた文章読めますので僕マニアは頑張ってください。職業ライターとして個性を殺して書いておりますが、しかしギリギリのところで「通りいっぺん」にはならないよう努めております。当たり障りのない、一般的な、誰もが言いそうなことを適当に書いておけば成立する(大きな声では言えないがそういうライターも数多い)のですが、できればほんの少しだけでも良い原稿にして「世の中を良くしたい」と。
 ただ実際、「誰もが言いそうなこと」というのは本当に「誰もが言う」のだというのも、この仕事をしていると実感する。そこには確かな真実がある。学生たちは分野ごとに多少違えど、毎年似たようなことを口にする。そこだけを書けば記事にはなる。しかしその奥にある「その人だけの言葉」を少しでも拾い上げないと、なんというか、やっててこっちもつまらないのだ。

 駅前の「ルパン」という喫茶店でコーヒーを飲み時間調整。上野から新幹線に。夕方着く。まず沼垂の「ちゃこ」という古い古いカウンター居酒屋に。おばあさんが一人で、年中無休で開けている。お客はほかになし。ハライチのイワイに間違えられる。間違えられるってなんだよ。間違えられたのだ。1ミリも似ていない人に間違えられたのは、奥出雲の竜王戦で米長邦雄さんから「香川照之だよね?」と言われて以来。実際の僕はもうちょっと、誰って言うんでしょうか。よく言われるのは草野マサムネさんと小沢健二さんで、悪い気もしないし少しは似ていると思う。ただもちろん、澤部か岩井かと言われればまあ岩井であろう。
「銀撰 金鵄盃」という日本酒を熱燗で二合、すごい勢いで飲まされたのですっかりできあがった。古町に移動し、なじみの奏(駅前にも同じ名の店があるようだがそっちではない)でワインを白赤。友達と合流。おじさんのセクハラ代は出なかった(575)。
 遠く紫竹山、ぺがさす荘へ。大林宣彦監督の『ハウス』を10年ぶりくらいに観た。たしか架神恭介さんのおうちで見せてもらった、懐かしい。ビール何杯か飲んで、「今日は醸造酒しか飲んでないから大丈夫」と謎の言い聞かせをおこなった。

【15日 金】
 今日は新潟デザイン専門学校で学生取材1名。宿をチェックアウトし、雨なのでゆっくり現場に向かおうと思っていたら、六曜館を通りかかってモーニングの札がまだ出ているのに気づき、吸い寄せられるように入った。30分ばかりゆっくりし、ギリギリかと思ったら意外と早めに着いた。しかしここでホテルにファイル(厚みがあってファスナーついてるやつ)を忘れてしまったことに気づく。マスクもそこに入っている。万が一心象を悪くしてはいけないので、ちょっと戻ってセブンイレブンでマスク買った(時代ですな〜)。それで時間はぴったりだった。
 取材を終えてホテルに電話、「月曜に取りに行きます」と告げる。今から行ったらそれだけで旅が終わってしまう。現場は紫竹山よりさらに南、宿は古町で、片道4.5km。雨もザーザー降っている。週明けすぐまた取材があるのは幸いだった。
 ぺがさす荘のすぐ近く、喫茶クリスティで昼食。ものすごく豪華で、歌舞伎揚やヨーグルト、食後にコーヒーまでついて、730円。恐ろしい価格破壊、誰にも教えないぞ! 個人的にはビッグコミック、ビッグコミックオリジナル、週刊文春の置いてあるのもポイント高い。
 駅南といえばカフェ・ドゥ・ラペ。ここ数年は入院を繰り返しているらしく開いてたり閉まってたり。コーヒーを無言でいただく。帰り際、領収書をもらう際に「あ、湯島の」と思い当たっていただき、ちょっと話す。またこんど入院されるそうな。
 16時54分に上野着の新幹線に乗車。がんばって17時10分までに開店したのだが、やはりお客は19時過ぎまで来ないのであった……。

【18日 月】
 日曜の夜営業(受注営業!)を終え、帰って「氷砂糖のおみやげ」を編集して眠り、10時くらいに家を出る。上野駅でぼんやり新幹線に乗ったら、それは新潟行きの「とき」ではなく、金沢行きの「はくたか」だった。一瞬、気が遠くなった。「仕事を飛ばしてしまった、終わった」と思ったのだが、僕も一流のドラえもん読者である。「ぼくはなれてるから、あわてないのだ。」(2巻「恐竜ハンター」)と思いなおし、いったん冷静に。
 正しいホームにいたのは間違いない。すべて北に向かう列車だ。東北新幹線、上越新幹線、北陸新幹線、長野新幹線など名称は違っても、おおむねすべての便が大宮に止まる。大宮で乗り換えれば問題ないはず。6秒くらいでここまで考えて興奮はおさまった。「このおちつきが、しろうととくろうとのちがいだ。」(同)
 10時46分発のに乗るべきところを、ホームに早く着きすぎて38分発に何も考えず乗ってしまったらしい。念のため詳細を調べる。大宮ないし高崎に停車しなかったら終わりだが、そんな「はくたか」は見たことがない。大宮で8分以内に乗り換えればよいことがわかった。余裕。
 停車まで20分弱あるので、自由席に座った。いやー、危なかった。経験と知識のおかげでパニックにならずにすんだ。機転というのだ。ドジだからこそ育まれた能力である。

 駅南の「国際こども・福祉カレッジ」にて、保育士コースの学生2名を同時に取材。珍しいケースである。45分間という時間も厳しい。なんとかやりおおせたが、ちょっとだけ時間オーバーしてしまった。まだまだ修行が足りない。今回は撮影なしということで、仕事は約50分でスッと終わった。今回の新潟での仕事はこれでおしまい。(もちろん原稿は書かねばならないが。)
 それなのに欲張りな僕は二泊も宿をとっているのである。ただし遊び倒すというよりは、連泊のホテルでぐっすり寝たり、原稿や溜まっている日記と夜学バー日報を進めたりなどの目的もある。この文章も20日の朝から昼にかけて、新潟区役所近くの「カラカス」と新潟駅前の「マントン」とで書き継いでいる。ちなみに昨日の日記は「花」で書いた。こちらは誰にも教えたくない知られざる名店なので、すぐさま忘れていただきたい。覚えていたい人は課金してください。
「スナックNo.2」で昼食。ここはすごい。駅前にあるのだがものすごく入りづらい、閉ざされたドアを開けて二階に上がっていくと靴を脱ぐべきか土足でいいのかよくわからない空間が広がっており、客席には橋とおしぼり、お通しのようなものとおせんべいがすでに並んでいるから好きな席に座ると、5秒後くらいに味噌汁が来て、その8秒後くらいに超豪勢なお弁当がやってくる。刺身と焼き魚と牛すじ豆腐と唐揚げと白和えと切り干し大根のサラダと呼び名のよくわからない緑のおかずとみかん、味噌汁はなめこを中心として具沢山。食後にはコーヒーがつく。これで600円である。支払いはセルフ。カウンター上に現金を置くところがあるのでそこにお金を置き、自分でお釣りをとる。初めてのときは多少たじろいだが、「ぼくはなれてるので、あわてないのだ」。肉と魚がそれぞれ2種ずつやってくるのはすごい。そして、さすが新潟で米がうまい。
 こういう情報も「有料サイトだから」書いているので、無料ユーザの方は即刻、忘れてください! 決してメモなどなさらぬように!!
 そういえば有料化説明ページをちゃんと作っていないですね、いろんなことにぜんぜん手が回らない。「氷砂糖」にも慣れてきたし、来年はもっと暇にするぞ〜。(いつも言ってる)

 新潟の喫茶店や個性的な飲み屋、価格破壊ランチ店などに関しては全国で指折りに詳しいと思う。そういう情報を、というより、そういうお店の見つけ方を、なんとか再現性を持たせて収益にしたいが、あんまり広めたくもないので、やはり徒弟制しかない。
 くたびれてるんで早めに宿に入ってちょっと寝る。友達がバイトしてる喫茶店に冷やかしにいく約束をすっかり忘れていてすっぽかしてしまった。申し訳ありません。シュガーコートに寄ってミルクティー飲んでケーキいただき、茶葉とクッキー缶を買って最寄りの信号を渡ったところにその子が立っていた(怖い、前回も「キックボードがあったので……」と喫茶店の前で待たれてた、怖い)ので合流、ぺんぎん商店の前を泣きながら通りすぎ「鳥の歌」で夕飯。煮物と魚の煮付けが同時に出てきて、その後に巨大なサワラの揚げ物が出てきた。たくあんが異様においしい。最後に味噌汁とごはん。一番搾り大瓶と日本酒(鶴齢の燗)も飲む。やばい男の話を聞く。やばい男の話を聞くたびに、やばい男の存在が怖くなる。なぜ人間は時に気が狂って自分勝手に関係をショートカットしようとするのだろうか? その安易なショートカットによって、それまで築いてきた関係のあらゆる部分の歯車が狂っていってしまうことを「損だ」と思わないのだろうか。それともそういう想像が一切できなくなっているのだろうか。また相手との関係だけでなくほかの人との関係にも影響は及ぶものなのだが、そういうことも発狂はすべて無視してしまう。
 僕はといえば、慢性的に気が狂っていますので、気をつけていないと人生が終わりますから、この文脈でいうところの「損か得か」みたいなことを常にぐるぐる考え続けている。そのせいですごく疲れてしまう。それはそれであほだと思う。

 行こうと思っていたお店が閉まっていたので、散歩して店を探す。寒い。「みどり」というお店の看板や店構えが良すぎたがとりあえず保留。どうしようかね?と二人でGoogleマップを睨みつけていたら、その子が「ORANGE STREET BOOKS」という古本屋バーを発見してくれた。こんなの知らない。よく見ると我々が前から気にしていた「ストーリー」の跡地ではないか?
 いい店であった。8月に開店したらしい。同じような業態で同じ古町(↑ふ↓るまち)に「四ツ目長屋」があるが、選書の方向性がだいぶ違うのでかぶらない。四ツ目はアングラ&サブカル寄りだがORANGE〜のは正統派でシャープ、本の並べ方や店内の構成も好対照。ギターとピアノの違い。実際ORANGE〜にはピアノがあって自由に弾ける。ぺがさす荘はその中間にあるのかも。ギターもピアノもなんでもあるし。(by 新潟評論家気取りのザキ)
 東京で長らくバーをやっていたとのことで、なるほどお酒が美味しい。いろいろ話しながらしばらく飲んでいると閉店時間間際に来客が。夜学バーの話になり、名刺交換となって、それを見て驚いた。新潟を代表するアイドルグループNの育ての親と言われる某さんではないですか。「あの、僕の高校の部活の顧問だった先生が初期からNを追いかけていて、毎週のように名古屋から新潟に通ってたんです」「えっ、ほりいけ(彼がEzの掲示板に書き込む際のハンドルネーム)さん?」
 なんという偶然。10秒後には某さんはほりいけ先生に電話をかけていた。「電話かわるね」「ジャッキーです!」「えー、どういうこと?」と急に同窓会。
 某さんもほりいけ先生と話すのが久しぶりだったらしく、良いきっかけがもらえたと喜んでくれた。偶然の出会いが二つの再会を生んだ、僕の一等好きな奇跡であった。
 今や全国区で売れっ子のNであるがほりいけ先生が追いかけ始めたころは新潟の人でも普通は知らない地下アイドルであった。お客(特に遠征なぞ!)もまだ多くなく、それで某さんとも自然と仲良くなったのであろう。「ふつうファンの人とは仲良くなんてしないんだよ、ほりいけさんは特別」とのこと。さすがこもたん。
 話は戻って、ORANGE〜の店主は中身のある冷静でまともな人で、新潟の中心部にこういう人がいてくれるのは本当にありがたい。このお店が撤退してしまったら新潟の文化レベルが下がる、というか、極めて低かったということが証明されてしまうことになるので、何卒みなさま通ってください。お酒安いので一杯だけでも。ここの読者に新潟人および新潟よく行く人がいることを願う。
 帰り道。古町のホテルで先週忘れたファイルを回収し、駅前の宿に戻る。友達とは古町で解散した。「夜中だし家まで送ったほうがいいのかなあ〜」みたいな甲斐性は捨てた。

 忙しすぎて、また落ち込みすぎて放置したまま数日経ってしまった、いま24日。いったんUPします。

2023.12.20(木) 新潟行×2の2

【19日 火】
 さて27日になった。だいぶ忘れかけてはいるが大切な記録なので続けよう。いつかこのホームページの整理、および書籍化(!)を手伝ってくれる人が現れたら、旅行記だけをまとめたページなり本なりをつくりたいし、まだ書いてない旅記を一所懸命思い出して書いたりとかしたいのだ。安くていいならギャラも出せる。日給30円~時給255円の間くらいで。(参考文献:椎名高志『GS美神 極楽大作戦!!』)

 連泊なのでのんびり、11時半くらいまで寝た。やすらぎ堤をしばらく西走、降りてすぐの喫茶店で昼食をとった。ごはんみそしると6品くらいのおかずがついて500円というバグ店。昨日に引きつづき、新潟は探せば価格破壊の現場がいくらでもある。コーヒー200円の喫茶店も古町(名古屋でいうと栄)にあるのよ。
「あら、初めて?」と言われて、「いえ二度目です」と答える。食事が運ばれてきたときに、「思い出した、あそこに座っていたわよね。女の子かと思って」「はい、その時は髪が長かったですね」
 食後のコーヒーを求めて古町へ。「花」という隠れ名喫茶で日記を書く。ここは何もかも美しい。お手洗いもすばらしい色使いなのでぜひ。こっそりね。
 なんとなくそれ以上遊ぶ気にならなくて、宿に戻ってちょっと寝転んだあと、原稿を2本片付けた。女子大のやつ。で、飲みに出る。

 昨夜見つけてどうしても気になってしまったお店へ。緑色を基調とした看板や外観のデザインがあまりにも素晴らしいのだ。そこから漏れ聞こえる上品な音楽。インターネットには本当に一切の情報がない。誰ひとりとして口コミを書いていないし、一枚の写真もない。しかし明かりはともっている。こういうところにしっかりと行くのが店師のフィールドワークなのである。
 勇気を振り絞って入ってみると、60代と言われても80代と言われても驚かない上品な雰囲気のママがテレビを見ていた。スナックについて書かれた本に「不安なときは最初にシステムをたずねましょう」と書いてあったのでそうしてみると、「ここに逆さになっているものなら、ご自由に」。ライブハウスのドリンクカウンターみたいにウィスキーやブランデーが逆さにされて並んでいる。下からプッシュすると出てくるやつ。ご自由にということは、飲み放題なのか。聞き方が悪かったようで、結局よくわからない。ジョニ黒とかワイルドターキー8年(しかも99年までの旧ボトル!)とか、そこそこいいものばかりだから、いったいいくら請求されるのかとやや怖い。しかしここでひるむわけにはいかない。「このおちつきが、しろうととくろうとのちがいだ」とばかり、涼しい顔でジョニ黒のハイボールを注文。しっかりおいしい。突き出しもなかなか豪華である。「時間は関係ないから」と、タイムチャージのない旨だけ伝えられた。
 世間話をしばらくしたあと、「女性呼ぼか」とまさかの一言。じょ、女性!? 女性を? 女を!と動揺していると、「ちゃんといるのよ」と不敵な笑みを浮かべ、ガラケーをパカッと開けて電話をかけ始めた。
 それから20分か30分、いろいろ気が気でない。どんなアバンチュールが待っているのか? っていうか、2杯くらい飲んだら別のお店に行こうと思っていたのに、これでは少なくともその「女性」が来てから1~2時間くらいは帰れないではないか。申し訳ないから。この「申し訳ないから」という思考の癖は本当にそろそろやめたい。来年はもっとサバサバしたい。「僕ってサバサバしてるから!」を口癖にしたい。
 そして女性が来るということは、その女性に時給+αを支払うということであり、それよりも高い額を僕は必ず支払うということである。たとえば時給2000円として、2時間で4000円、キャストドリンクみたいなものが発生すればまた数千円、自分の飲みしろやチャージ的なものを考えると20000円くらいにはなるか。そんな飲み方は一度もしたことないんだが!
 二杯目はターキー8年のロック。めちゃくちゃおいしかった。さすが90年代の旧ボトル、わざわざ詰め替えているとも思えないから勘違いではないと思う。マニアのサイトで確認してみると、「アロマ、フレーバー、アフター、全てストロング。味わいが現行品より立体的に感じる」とのこと。ですよね~。これを飲むためにまた訪れたいと思えるほど。(なんかそれ系のブログ文体になってしまった。)
 内装の話をまだしていなかった。シックで洒落ていて、照明も美しく、小物のセンスがずば抜けている。作り付けの家具や太く立派なカウンターは古き良き濃い焦げ茶で落ち着いているが、背後のソファ席には白っぽい配色もあって飽きないバランス。カラオケもあるので少し明るさがあったほうがいいのだろう。ただし外観と違って緑色っぽい要素はほとんどない。壁はウィスキーの販促品の鏡やプレートなどで飾られ、棚には古い古いオールドボトルや高級ボトルがずらりと並ぶ。「昔はバーだったけど、今はスナック」という事情が前向きに作用したハイブリッドな味わい。グラスや水差しにも強いこだわりが見える。そこに背筋の伸びた老女性バーテンダー。要するに僕の趣味には最高なわけである。
 扉が開き、「女性」が現れた。金髪で、赤いワンピースに白い上着。僕の隣に座り、「えっ、隣に座るの? 大丈夫? 風俗営業の許可とってる?」とまた動揺していると、目の前に緑色したチョコレートの箱がスッと置かれた。バッカスという、酒の入ったやつ。赤色のラミーではなく緑のほうをチョイスするのは気が利いている。「どうぞ」と言うので「ありがとうございます」と顔を見ると、なるほどママよりはほんの少し年下なのかもしれない70歳前後と思われる老婆がニコニコしていた。こちらの女性は始終ママに対して敬語であり、ママは妹に対するかのようにちょっと強めの態度であたる。実際姉妹なのかもしれない。
 女性はマシンガンのように質問を浴びせかけてきて、ママのほうにも気を遣って応対しなければならないからけっこう疲れてしまった。ん? これは? 接待しているのは僕のほうでは? 無料ホストクラブか??
「いま26~27歳くらい?」と言われて、実際はひとまわり上なのでリップサービスなのかとも思ったが、このくらいのご年齢の方には20代も30代もあんまり変わらず見える、よくあることだ。ちなみに最初は「学生?」と言われた。いや、あの、20代に見えるような相手に70前後(おそらく)の女性をわざわざ呼ぶってどういうことなの? 80代に見えたとかならわかるけど。きっと古町にはそういう、年齢にまつわる思い込みは存在しないのであろう。一面すばらしいことだ。
 女性が「ママはカクテルが上手で、とてもおいしいのよ。○○で××してる若い先生がね、おいしいおいしいって三杯も召し上がってねぇ」という話を三回くらい聞かされたので、ではぜひそれをとオリジナルの「みどりカクテル」をいただく。「ちょっと量が少なかったわね、もう一回つくります」となぜかほぼ強制的に二杯飲むことに。しかしレシピを微妙に変えてくださったので飽きなかったし、そのどちらも製法をほぼ完璧に盗むことができた。『ファイナルファンタジー』というゲームに青魔法というのが出てきて、敵キャラが使った技や魔法を覚えて使うことができるのだが、そんな気分で僕はこういう老バーテンダーのオリジナルカクテルをラーニングすることが大好きだし、そうであればこそこういう飲みしろも堂々経費となり得るわけである。材料は夜学バーに揃っているので、いつでもリクエストください。ちなみに二杯目のレシピのほうが僕好みであるが、一杯目はペパーミント(夜学ではGETで代用すると思う)を使うのでそっちが好きな人も多いと思う。どちらもベースは日本酒。
 それらを飲み干し、さすがに帰ろうとも思ったのだが、すでに新しいカクテルグラスが用意されており、ソルトまでもうつけられていたので、もう一杯ショートカクテルを飲まないわけにはいかなくなっていた。名前を聞きそびれてしまったのだがジンベースにカカオを使ったカクテルで、これも非常に美味しかった。ボルスのカカオがあれば夜学でも作れるのでプレゼントお待ちしています。
 ところで女性は、インフルエンザの予防接種を受けたのでお酒は飲めないという。「ママ、コーラちょうだい」と言うと、ママは僕の顔を見て、「いい?」と確認する。キャスドリである。「もちろん」と答えるしかない。
 何時くらいまで飲んでいたか。19時くらいに入って、22時近くなっていたかもしれない。おいとまを乞うと、ペンを持って計算しているような感じがあったので、セット料金ではないのかもしれない。7700円。五杯飲んで、キャスドリが一杯で、チャージが入るとして、素直に考えたらすべて税抜き1000円というところか。チャージと一杯の料金がすべて一律1000円というのは、かつてこの近所にあった「ラ・アンドレ」という老舗と同じシステム。あっちは税込だったけど。古町にはよくあることなのかもしれない(研究中)。
 思ったよりは安かった。次回はそれなりに飲んでから来て、タキ8とオリカクだけいただこう、それでもし3300円なら適正か、むしろ安いと思う。
 帰り際、お歳暮かお年賀のために発注したらしい、ラッピングされた日本酒をいただく。「今日届いたの、今年はあなたが初めてよ」と。それなりには気に入られたのだろう、何度も何度も「また来てね」と言われた。はい、たぶん、そうします。ひとりだとまたホストになりかねないので、誰か連れて行けたらいいな。
 この夜はこれで疲れ切ってしまい、そのまま宿に戻って寝た。行きたいと思っていたお店がことごとく閉まっていたり、会員制になっていたりしてたのもある。今日はそういう日なのだろう。

【20日 水】
 10時にチェックアウト。雨のなかわざわざ駅前から古町に出て「カラカス」でピザトーストとコーヒー。定番なのである。雨が落ち着いてきていたので駅前に戻り、「マントン」で日記を書き進める。昼過ぎの便で内野駅へ。自転車を組み立てているときに傘がないことに気づく。たぶんマントンだ。急いでいたから。申し訳ない。
 けっこうな烈しい雨のなか、100均のぺらぺらな合羽を頼りにウチノ食堂へ。白湯が出てきて嬉しい。そして健康的な定食。店主の野呂さんと少し話す。遠い土地で、それぞれの信念を持って、自分だけにしかできないことをやっている人のことが僕は本当に愛おしい。年に数回も会えないような間柄だけども、存在してくれるだけで心強い。
 ただこう、野呂さんは人気のあることができる人で、それもあってこのたび雨灯という新しいお店をつくった。夜カフェだそうだ。僕は本当に、人気のあることができない。そのコンプレックスを払拭して、いよいよもうちょっと人気の出ることをプロデュースできないだろうかというのは一応ずっと考えてはいるものの、まだまだ苦手意識のほうが強くて、自信も持てない。このまま洞穴の仙人のように霞食いながら「知る人ぞ知る」存在として老いて死ぬのも良いが、それはすなわち僕が素直にやりたいようにやった場合の人気の限界というものを示していて、誇らしく美しいとは思いつつ、そのパラレルとしてちょっと別のことがあってもいいんだよなという気持ちもないではない。「ないではない」くらいだから、何かもうちょっときっかけとか、具体的にいえば「この物件で何かやりませんか?」みたいなことがない限りは動かない気がする。「ないではない」くらいにしか思っていないと、思考がそっちのほうに向かなくて、いいアイディアも浮かぶはずがない。「この条件で何かをするならば」と迫られたら、たぶんちょっとは面白いことが思いつくんだろうけど、じっくり考えたことには勝てない。じっくり考えるための何かを待っているが、待っていても実のところ、ねえ。今はまあそんなところ。来年はそのあたりをもうちょっと詰めていく。令和9年がなんとなくの目処。

 申し遅れましたが内野というのは新潟駅から西に14kmほど離れた街。JRで7駅、手前の駅が「新潟大学前」だから学生街の側面もある。ここがこの5年くらい、件のウチノ食堂を基軸として(と僕は思ってしまう)急速な文化的発展を遂げており、僕はかなり注目しているのだ。やはり大学がある、つまり「学生がいる」というのはでかい。人間がなかなか入れ替わらない田舎にあって、大学の新陳代謝が果たす役割はものすごく大きいのである。
 内野駅から東(新潟大学方面)に10分くらい歩いたところに「毎日元日」を名乗るお店がある。スーパーフェニックスという人が運営している。ゆよん堂という内野駅近くの古本屋の主人から教えてもらって、前回の来新(来内)のおり行ってみたのだが閉まっていた。今回はそのリベンジ。
 民家以外に何もないような道路から奥に入ると、うーん、表現が難しいのだが、民家の奥にまた民家があって、道路からだとわからないんだけど入っていくと「あ、奥にも家があるんだ」みたいになるような構造のアレで、つまり普通は見つけられない、隠れた場所にあるお店、というか、まったくの完璧な民家。自転車を停めて合羽を脱ぎ、「OPEN」と書かれた紙を確認してドアを開ける。
 事細かに書くと大変なのでダイジェストでお送りする。これ以上日記が長くなっても具合が悪い。毎日元日は、「こういうことがやりたい」と僕が思うような一つの理想形である。何も決まりがない。たぶん気の赴くまま、売れる売れないとかをほとんど意識せず、やりたいようにやっている。そのうえで「もっとやれる」とか「もっとこうしたい」という気持ちが常にある。その家の持つ無限の可能性に対していつもさらに開こうとしている。だが無理はしないし、焦らず機を待つ余裕も感じさせる。
 スーパーフェニックスさんは美術もやるし落語もやるし、探偵も始めたそうだ。それらを彼は「ごっこ」と表現して、僕も強く膝を打った。ごっこ。そう! すべてはごっこなのだ。人間が生きているということ、そのものがだいたい「ごっこ」という言葉で表現できる。その域に達しているから、彼は肩の力が抜けて見える。一番共感するのはここ。
 毎日元日は明らかに「お店屋さんごっこ」である。週5でサラリーマンとして働き、帰ってきて自分の食事を作りつつ「食堂」と称して客を待つ。日常が「お店屋さんごっこ」になっているのだ。立地も悪く、広報も行き届いていないためお客はかなり少ないようだが、「ごっこ」である以上、何よりも「やっていること」に意義がある。
 自作のカレンダーを買ったのだが、それも「カレンダーごっこ」としか言いようのない類いのもの。しかしそこには「ごっこだから許してくださいよ」という言い訳はない。おままごとをしている時に、「これはおままごとだから」と言ったら興ざめである。真剣に本物を装うからこそ「ごっこ」なのだ。
 僕が最近、自作曲をつくって歌ったりしているのは、まさに「シンガーソングライターごっこ」。ごっこだからこそ堂々とやるし、自分でもいい曲だと思ってやっている。夜学バーだってごっこだ。バーと言ってはいるが、バーテンダーの修行をしたことはなく、すべて見よう見まねでやっている。しかし「バーだ」と言い張ればそれはもう、バーなのである。ごっこというのは「真剣に本物を装う」ことなのだから、それでなんとなく世の中にまかり通ってしまう。で、やっているうちにそこそこカクテルをつくるのも上手になってゆくし、酒の味だってわかるようになってゆく。
「ごっこ」の素晴らしいところは、それが「遊び」であることだ。遊びという領域から僕はまったく抜けられないから、「人気が出る」というところにいかない。「どうしたら売れるのか」ではなく「どうしたら楽しいのか」が常に優先される。「ごっこ」は自分が楽しいからやるのであって、決して他人を楽しませるためにやるのではない。ただ「お店屋さんごっこ」とかになると他人を楽しませないと「ごっこ」が成立しないから、結果的にそれもやっている、というだけ。
 スーパーフェニックスさんも、「面白い」とか「面白そう」ということ、あるいは「楽しい」「楽しそう」ということに根幹があるように見受けられた。フリーでやっている一回り近く年下の落語家に入門して自らも落語家を名乗り、「僕が弟子入りしたことによって『一門』になったんですよ」と嬉しそうに語る。フリーの、自称落語家と言われても仕方ないような立場の人に、あえて弟子入りするとそれは「一門」となるから、なんとなく立派そうに見えてくる。そしてなんと最近、二人目の弟子ができたらしい。それもスーパーフェニックスさんよりさらに年上の人。面白い。ほとんど嘘から出た誠、スーパーフェニックスさんが弟子入りすることによって「一門」が生まれ、それを堂々と言い張り続けていたら追随者が出た。「一門」躍進である。ごっこ遊びとしてこれほど楽しいことはない。
 自分の食事をつくるついでに、ちょっと多めに量を確保しておいて、自宅を開放して「食堂」と言い張れば、それはもう食堂なのである。もちろん許可や届けは必要だろうが、それも遊びの準備というだけ。それを「面白い」と思う人なのだと思う、スーパーフェニックスさんは。
 新潟に住んでいる人、あるいは行く用事がある人は、ぜひたずねてみてほしい。まだ始めて間もなく、これからどんどん進化していくだろう。僕も何らかの形で使わせてもらったりしたい。合宿とかしたいので民泊の許可かなんかも取ってほしいものだ。

 いつの間にか激しい雪が降っていた。傘がないので雨よりは助かるが、1分走っただけでコートが雪だるまになる。琥珀という喫茶店でホットミルクを飲んでから、古本詩人ゆよん堂へ。店主の山田さんと積もる話に花を咲かす。またノートに詩を書くなど。テキトーに書くので毎度そこまで質のいいものにはならないが、リアルタイムで書きのこすことそのものに意義がある。これも詩人ごっこなのである。
 シンガーソングライターごっこの話をしたら、彼も曲をつくって歌う人なので、「対バンしましょう!」という話に。これまでのライブはすべて自分が主催する場だった。他人が主催ともなればごっこ度が上がるというか、一気にそれっぽくなる。これも嘘から出た誠。というか、嘘が誠になる過程。
 吹雪く内野駅から新潟駅に戻り、新幹線に。上野は晴れていた。めっちゃ急いで17時にお店を開けたのだが、19時過ぎまで誰も来なかった。いっつもそう。人生のごっこ遊びには孤独がつきものなのだ。

2023.12.27(水) Sexy時代のユニット社会

 27日の深夜です。いろんなことがあったものです、時間ない(早く寝たい)ので脳内をダイジェストで抽出いたします。
 今日の週刊文春に載った、松本人志さんが主として性的に悪いことをめっちゃしてたという話で、まず思うのは「これでいろんなことが変わったら面白いな」。ダイナミックな動きがあるのかどうか。

 今月書いている「答え合わせ社会の現在」と名付けた一連の記事で、「世間から個人へ」ということを書いた。先月は「ユニット社会(羽生くんの結婚と離婚1)」という記事を書いている。要するところ僕の主張は、「これから世の中は個人と個人が一時的にユニットを組んでは解消するようになっていく」みたいなこと。組織とか固定的なグループみたいなものはだんだん弱くなってゆく。インボイスも個人事業主が存在感を増していくからできた制度だし、非正規雇用や副業、兼業の推進もこの流れの一部。
 吉本興業もジャニーズも退社やエージェント契約が増えている。そういえば今日、ハリセンボンが吉本から別の会社に移るというニュースが出ていた。どんどん流動的になっていく。

 26日はSexy ZoneのSexy Zoneとしての最後のコンサートに行ってきた。近く改名の予定なのだ。史上最後の「We are Sexy Zone!」を現地で叫べたのは実に嬉しい。
 名前を変えてもグループは存続する。永劫そうであることを僕も願う。Sexy Zoneはすでに、メンバーの編成変え(さんにんZoneのこと)や休養、卒業を経験した。しかし解散の気配はないし、マリウスが抜けたあとでも「五人」であることを強調し続ける。メンバーが減り、名前も変わるのだが当人たちは、またファンたちも「変わらない五人」と認識し続けるのだと思う。
 実質的には時代の流れに乗った流動的なグループ(そういえばさんにんZoneのときに「流動的なメンバー編成」という言葉が使われていましたね……)なのだが、しかし頑なに「この五人」であり続けようとする。ここにほのかな希望を見る。実際には流動的であり、みんながそれを許しつつも、でも自分たちは、彼らは五人なのだと思い続けることはできる。これからのSexy時代ってのはそういうものなのかもしれない。
 僕のいうユニット社会とは、個人と個人が一時的に関係を結び、それがまた離れたりくっついたりすることが当たり前になる、というイメージなんだけど、たとえばマリウス葉が一時的に復帰して、一曲でも一緒に歌って踊ることが許されるならば、まさにその体現となる。もしも菊池風磨や中島健人が何らかの事情で1年くらい(旧)Sexy Zoneとしての活動を休まざるを得なくなったとしても、メンバーもファンもそれを許容できるだろうし、マリウスがそこで「『NOT FOUND』までなら踊れるよ」と言って現れて、しかもそれが実現する可能性すらあり得る。「流動的」という言葉にはそういう夢もある。
 ユニットは、消滅する必要がない。「グループ」はどちらかといえば結びつきが強固だから、解散して結成する、みたいな手続きが必要そうだが、「ユニット」と言うとだいたいは自然消滅していて、いつの間にかまたポッと現れたりする。実際トラジ・ハイジや修二と彰(亀と山P)は解散していないはず。
 覚えのある人もいると思う、何年も何十年も会っていない友達と再会して、まるで昨日ぶりのようにまた仲良くできてしまうようなこと。「ユニット社会」というものを前向きに捉えるとそういう良さがある。あらゆる可能性は開かれたまま温存されるのだ。

 この話と、松本人志さん、そして週刊文春の同じ号で結婚と離婚について書かれていた羽生結弦さんの話とがどう繋がるのか、僕にもまだあんまり見えていないのだが、この年末年始はたぶんこのことをもうちょっと考えていると思う。ではまたあとで。

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