少年Aの散歩 / Entertainment Zone 2023年11月
少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2023.11.1(水) 生誕文化発表会あらまし
2023.11.2(木) 化け猫の古本屋
2023.11.3(金) 絶望と焦燥感2023
2023.11.4(土) 宝探しと訃報の関係
2023.11.5(日) 認知の固定 りりちゃんとジャニーさん
2023.11.6(月) 続き 見られること、犯されること
2023.11.7(火) 続き だれかののぞむもの
2023.11.8(水) 1973年で考え中
2023.11.9(木) ホームページは「見せる」もの
2023.11.10(金) 喫茶二十世紀
2023.11.11(土) 名雑談には時間がかかる
2023.11.12(日) 移動がつなぐ
2023.11.13(月) ノコギリと自転車
2023.11.14(火) 人と機構の境界線
2023.11.19(日) 総集編(15日~19日)
2023.11.20(月) ユニット社会(羽生くんの結婚と離婚1)
2023.11.26(日) 総集編(21日〜26日) 痩せすぎと亀仙流
2023.11.27(月) 上田→小諸
2023.11.28(火) 小諸にて/自転車の運転
2023.11.29(水) 一般か、特殊か(羽生くんの結婚と離婚2)
2023.11.30(木) 飽きが来るほどそばにいて

2023.11.1(水) 生誕文化発表会あらまし

 お誕生日。四谷四丁目のBAR DOCTOR HEADっていうお店(オーナーも店長も友達)をお借りして予告通り「文化発表会」を催しました。HP以外での告知をいっさいせず、もちろん直接声をかけたりもしなかったのですが、6名のお客をえました。みなさまありがとうございました。
 当日お配りした冊子は、これまでにつくった6曲の歌詞を並べてかんたんな解説をつけた折り本。6部だけ製本したところ、ちょうど6人の動員。完璧な読み。といって、誰がくるかという目星がついていたわけではありません。くるようなそぶりを事前に見せていたのは2名で、うち1名は現れませんでした。あとは自覚的に、あんまり考えないようにしておりました。
 折り本は念のため10部印刷してあるので、先着3名さまにさしあげます。1冊は自分のぶん。

「ジャッキーさんはどうして誕生日に何かするんですか?」というような質問を受けて、いろんな答えが考えついたけど結局は「歳を取る」ということについて考えていたいからだろう、と落ち着いた。9歳のときにであった奥井亜紀さんの『Wind Climbing ~風にあそばれて~』という曲に「誕生日を迎えるたびに何を祝うのかがずっとナゾだった」って歌詞があるのと、小6か中学で読んだ『ピーター・パンとウェンディ』という小説に「Two is the beginning of the end」ってフレーズがあるのと。このふたつに思春期から青年期まである意味呪われてきた。そして今でも離れていない。


 文化発表会はまあ本当に自己満足の極みでしておいでくださった方には苦痛な瞬間もあったかもしれませんが、学芸会や文化祭の限界芸術だと思ってご寛恕いただきたく存じます。
 サイケで渋谷系な内装のなか、DJセットとマイクが使えて、アンプに繋げるアコースティックギターも買ってあったので、万全な体制でいろいろ遊べた。
 面倒だから箇条書きでメモ。
 弾語 BUCK-TICK『幻想の花』 Sexy Zone『Sexy Zone』(11/16デビュー) フリッパーズ・ギター『グルーヴ・チューブ』 尾崎豊『Scrap Alley』 フリッパーズ・ギター『ラブ・アンド・ドリームふたたび』
 DJ ノイズ弾き語り5曲 VIP HOPメドレー 浪曲HIP HOP『たたかえっ!憲法9条ちゃん』 『9条ちゃん』主題歌 『なせそ』(生歌唱)
 詩 2003年、2007年、2010年、2023年から若干篇。
 自作弾語 懐かしさに 学校で あしたのよいこ スタアグア お散歩遠く Ec 大横川のうた
 謎の時間 太陽は僕の敵 ミラクルライト
 謎の時間2 A・RA・SHI(11/3デビュー) MADE IN JAPAN(11/1デビュー※デビュー曲ではないが僕はこれが好き)
 謎の時間3 詩(25歳になる直前のもの。さくら道、忘れる、あるじ。読まなかった2篇もよいです) 学校で あしたのよいこ 懐かしさに(いずれもアルペジオで)


 いちおう解説。幻想の花は櫻井さんが亡くなったことを受けて。「狂い咲き命を燃やす」「この世界は美しいと」。10/28の日記に書いたけど僕も身近な人の死に最近触れた。そのせいか新しくつくった歌も死のにおいがする。Sexy Zoneは改名するらしいので。フリッパーズは会場がそういうお店だから。
 ここからは説明を入れつつ過去につくった音源を。ノイズ弾き語りとVIP HOPは2005~6年。浪曲、主題歌、なせそは2013~15年くらいだと思う。
 詩は「高校卒業、大学卒業、教員(第一次)退職」という節目にどんな詩を書いていたかというテーマで読んだ。2010年は「娘」、最新枠は9月20日の「落ちる事」にした。この2本はつながっているし、僕の変化(成長?)も感じられるし、死の匂いもする。
 自作については言うことなし。名曲ぞろい。ここのパートのおかげでなんとなくそれっぽい時間になったと思う。なんせ友達が(いい年して)一所懸命つくったものを一所懸命演奏して歌っているわけだから……。中身は二の次。それにしてもコードが綺麗に鳴らない。精進します。
 謎の時間1は、ただのカラオケ。だってインスト版そのまま流してマイクで歌えるのだもの。たまたま(?)94年のコーネリアスTシャツを着ていたのでデビュー曲。ミラクルライトはなんとなく。
 それから30分くらいして突如始まった謎の時間2。V6ファンの人と楽しくラップしたのが楽しかった。
 大半の友達は家に帰ってしまって、夜通しのリズムが止まりかけた頃、「わたし『大横川のうた』からしか聴けてないんです、いま何かやってください」という無茶な要求をけっこうしつこくしてくる人がいたので、ありがたくやらせていただいた。もうすぐ25歳になるとのことだったので詩はそのあたりを。歌も名演奏だったけどうまく動画撮れなかった、残念。このせいでその人は終電あやうく、なんと新宿駅までタクシーで乗りつけてなんとか間に合ったそうである。
 最後に残った男子も、僕も、終電などとっくになかった。今回はギターとかあったから自転車でなく電車だったのだ。「めしでもくいましょう」ということになり、新宿三丁目まで歩いて中華屋さんに行った。僕はここんとこ胃が悪いのでおかゆをいただいた。お食事と、家の方向が似ていたのでタクシーをごちそう(?)してもらった。こういうのは遠慮しないことにしている。でないと僕みたいなもんは生き延びられないから!
 や、翌日が昼から稼働でなければ「朝まで新宿で遊んでいくわ~」でもよかったのだが、胃も悪いし、甘えちゃった。

 バイバイ 僕のくだらない
 バイバイ 空想の旅に
 君の大切な 時間使ってくれて
 さん きゅう

2023.11.2(木) 化け猫の古本屋

 Podcast「氷砂糖のおみやげ」収録。最近は夜学バーないから新宿の某所で録っている。ここは夜になると化け猫が現れて古本屋をはじめる不思議な場所でして(本当です)、その猫の直販原稿(評論のようなもの)と、本を5冊ほど買った。僕はこの猫を本当に好きだ。会って話すだけで力がみなぎってくるし、ものすごく「残る」言葉をくださったりする。19歳のときからずっと。そこへ行くだけでそれがタダ(同然)で得られるなんて本当にすごい。気になる方は推理して調べるか、お問い合わせください。在庫のラインナップも素晴らしいし、どんな本なのかを訊ねると「口上」が始まって、それがもう1000円とか2000円の価値はゆうにあるので、買えば買うほどお得なのである。きょう僕は5冊買って1050円だった。信じられない。
 そのあと四谷三丁目まで歩いて香港屋さんでおかゆをいただいた。デジャブ。毎日おかゆばかり食べているし、おかゆばかり食べたい。おかゆ大好き。
 読む本や文章がたまっているし、寝たいので短めに。サッと書き終わる勇気をしっかり持ちたい。

 化け猫先生の今回の原稿(本猫に直接会わないと買えない)にジャニーズ問題についての超大作があって、半分くらい読んだけど大いに刺激を受けた。今度それを受けてまたJの話を書こうと思う。
 そういえば苫米地英人さんもTOKYO MXの番組で、芸能界のベースにある(であろう)「男から女への性加害」が隠蔽されている(はずである)、そのことをもっと問題にすべきだと言っていた。本当にそう。猫先生こと浅羽先生はそこを地表としつつさらに深いところまで潜っている。続きを読むのが楽しみすぎる! ゆえに、今日のところは、これで。

2023.11.3(金) 絶望と焦燥感2023

 復活ヤガクバーの営業許可申請を電子で。いま出しても月曜(6日)に対応が始まるわけだから、ちょっと遅かった気がする。忙しかったから仕方ないが、やってみれば小一時間で終わった。いちおう10日から契約できる予定で、そこには間に合わなかろうが、しばらくは内装に手を入れたりモノを運んだりするから問題なかろう。あとは住民票と印鑑証明を用意するだけ。(歴史的メモ)

 浅羽先生の直販原稿と、新御徒町のリンネバーというお店の小島さんという方が29日にくださった教育に関する冊子を2冊読む。仲良くできたら嬉しいと思えるくらいによくできた本だった。『特攻服少女と1825日』はまだ途中。自分も不良文化の端っこあたりにはいたのでとても面白い。2001年に名古屋の港まつり行ったら単車乗ったレディースが100人とか集まってたし、同じ年に同級生から「暴走族をやめられなくて困ってる」というような話を修学旅行の夜にされたりとか、そもそも兄が中学の卒業式に刺繍だらけの戦闘服着てってたりなど、それなりに「時代」の終焉らへんには生きていたのだ。家にチャンプロードとかあった。
 今年出た岩波新書『アリストテレスの哲学』は面白いんだけどやや重たいのであとにするかも。納富信留先生が去年から放送大学で「西洋哲学の起源」という授業を持っているのを知り教科書を図書館で借りたのだが、これも読むのが大変なので放送授業を聴こうかな。
 木下恵介監督に関する本も3冊借りてまだ1冊しか読んでない、それもメインのシナリオは飛ばして、前後に入っている随筆だけ読んだ。作品はちょこちょこ観ている。
 こう書くと、少なくとも15~16歳くらいの頃から僕のやってることはあまり変わっていない。日記にはいちいち書けないがわりとそれなりに多くのいろんなものを取り込もうとしている。明日は尊敬する漫画家のトークショーに行き明後日はシェイクスピアのひとり芝居を見にいく。そういうふうにしているのはもちろん好きだからでもあるが、不安だからでもある。いまだに焦っているのだ。「このままではいけない」と。
 初めて焦ったのは9歳のときで、ゆえにそう自認するのでもある。そこからあんまり変わっていない。中学生のときには「さくらももこもすなる日記といふものを」と急に日記を書き出したりなどした。そのときはさして続かなかったが、インターネットに載せるようになったら毎日書けた。きっと見てもらいたかったんだろう。16歳の正月に有名な大焦りをして、そこからはほぼ同じ感じで人生が続いている。連綿と続く過去の日記が証明である。
 いますごく仲のよい高校生がいるのだが、その人が僕の年になるまで20年もあって、なのにすでに頭角はめきめきしてるとなれば、気を抜けば飽きられて呆れられ、いつか僕なんぞ過去のものとされてしまうかもしれない。現状に満足してなどいられない。そもそもまともに就職とかしてないんだから、みんなに「つまらない」と見なされたらもう終わり。そりゃ気なんか抜いてられないですよね。
 急に歌をつくって歌い出したりみたいなのも、客観的に見れば狂ったか、老いらくの恋的なもの、すなわち青春を取り返そうとでもしているのかと思われそうだが、自分としてはさにあらず、一種の投資なのだ。そういうこともできるようにしておかなければならない。いまだに本なんか読んでるのもそうだ。もちろん本ごときに閉じこもっていたくもないし、「歌手になりま~す」とかそういう話ではない。手札を増やすということでもあるし、幅を広げるということでもある。歌をつくらなければつながらない神経回路というものはきっとある。そういうところをちゃんと開発しておいたほうがいいだろうというわけだ。たぶんそのうち絵も描き出すだろう。そしたら僕の漫画にもペン入れという概念が生まれるのかも知れない。
 しかし、焦っていると疲れる。若い頃は狂えばいいだけだったが、歳をとったら「人に迷惑をかけずに狂わなければ」という打算が強まる。あるいは「狂う」以外の手段で疲れを処理しなければならない。焦りを捨てれば別の解決があるが、それは僕の人生の場合もうかなり選びづらい。メリットも少ない。

 それで今日ぼんやり考えていたのは、新しい夜学バーをどのように運営していこうかということ。どうすれば最小限の稼働で最大の意義をつくりだせるだろうか。具体的には、いかに自分の負担を減らしつつ、夜学バーを世の中に役立たせるか。
 たとえば平日のほとんどは21時から24時くらいの営業にして、それまでの時間は自由に使えるようにするとか。早い時間に開いていることが一つの魅力ではあったが、21時くらいまでお客がないことはザラにあり、そこで消耗する体力はけっこう甚大だった。17時から21時までは事前予約制かつ有料のオフィスアワーとして開放する手もある。
 もちろん「働きたい」という人がいれば代わりに入ってもらうことも考えてはいる。ただその場合は以前よりもっと「徒弟制」っぽくやりたい。しっかりと夜学バー的空間づくりを身に付けていただく。となると、僕の負担はさして減らない。むしろ増えるのかもしれない。
 夜学バーのようなお店をやる人ってのは、やっぱちょっと狂ってないといけない。常識から脱せねばならない。「場」というものが好きで、好奇心が旺盛で、アドリブが利いて、どこまでも遠くに行きたがる人でなければならない。そんな人はなかなかいない。だいたい求心的にちぢこまる。
 若いうちは強気に出られても、能力や人徳をただしく育んでいけないと、どこかで無理を悟らざるを得ない。「ジャッキーさんはすごいなあ」になる。もちろんそれでいいというか、そういう人の代わりに僕はこのように生きているようなところがあって、そのおかげでお金を払ってもらえているのである。
 そうなるとやはり夜学バーで今後働いてもらう人ってのは、「すごいなあ」と言う側ではなくて、言われる側であらねばならないというのが基本線、ではあるものの、そういう人は他人のもとで働きたがらないものかもしれない。ただ一時的に力を蓄える場所としてはけっこう良いと思うので、そういう人を探していくことになるだろうか。
 人材というのも投資の一つで、これまで働いてもらった人たちもみんな立派に世の中で働いている。教育機関たる夜学バーとしてはそれでいい。お客さんになったり、お客さんを呼んでくれたりしたらなおいい。

 このように書くと、これから先の夜学バー従業員雇用基準みたいなものがガチガチに厳しくなるようにも聞こえるかもしれないが、しかしなぜだろうか、僕としては、だからこそ誰でもとりあえずはやってみてもらうという方向性も同時に見える。ただし、ここに書いたような考え方を当人にもお客さんにも明示したうえでやってもらうことになるだろう。ドキュメンタリー性がたぶん強まる。もちろん嫌な感じにはしないようにするが、「そういうふうに見られるのだ」という覚悟さえ持っていただければ、という話。これまではそのことをあるていど隠していた。「徒弟制」とさっき書いたのは、「そのことを明かす」という意味。そのことというのは、「すごいなあ」と言われる側でなければならない、という点のこと。おそろしいプレッシャー。しかしそれで「焦る」ことができるなら、たぶん意味はある。

 かわいそうになあ。気づいちゃったんだよなあ。
 誰も生き急げなんて言ってくれないことに。
 なあ。
 見ろよこの青い空白い雲。
 そして楽しい学校生活。
 どれもこれも君の野望をゆっくりと爽やかに打ち砕いてくれることだろう。
 君にこれから必要なのは絶望と焦燥感。
 何も知らずに生きていけたらこんなに楽なことはないのに。
 それでも来るか、君はこっちに。
(日本橋ヨヲコ『G戦場ヘヴンズドア』)

 ああ、今になってこの名台詞の意味がよくわかる。
 西原が生きていたらふたたび語りあいたかったものだ。

 そう、誰も「生き急げ」なんて言ってくれない。だから、自ら生き急げない人間は「青い空白い雲。そして楽しい学校生活」という「常識」の中で生きていくしかない。
 常識的な生活の中で、かつての野望、若き夢や希望は縮小してゆく。それは非現実的な、くだらない戯言だったと。それは爽やかに、「これが自分に合っている」とか「ここで自分は幸せを見つけた」という形をとる。
「絶望と焦燥感」は、その野望を捨てないために必要だ。しかし、本当にそれでいいのか? みすみす「楽」を手放すのか? 幸福から離れてゆくのか?
 それでも来るか、君はこっちに。

 いやー。誰も来ないよね。ほんとうに。
 でも、僕の友達のなかにはちゃんと、「もう後戻りできない」ようなところまで来ている若い人もちゃんと(?)いる。彼ら彼女らには、ぜひとも「絶望と焦燥感」をインストールしてもらって、あるいはさらに強化していただいて、しっかりと生き急ごうではありませんか。そして僕やみんなをして「すごいなあ」と言わしめて、一生を終えようではありませんか。
 それを幸福としようではありませんか。
 生き急いで死んだら本末転倒だが、戻ろうとして死ぬ人もたくさんいるからね。

2023.11.4(土) 宝探しと訃報の関係

 予定通りの行動ができなかった。気分が乗らず自転車でフラついた。寄ろうと思ったお店は15時からで、まだ14時半、どこか喫茶店でもとウロウロしていたが、土曜日ゆえやっているお店も少ない。閉業するところも増えてきた。するとすさまじいお店に巡り合った。Googleマップには一切の情報がなく、どう見ても小料理屋、しかし食べログなどにはなぜか「喫茶店」として登録されている。前々から気になっていて何度か行ってみているのだが暖簾はいつも仕舞われており、営業の気配はない。今回も念のためと軽い気持ちで通りがかったら、白い暖簾が外に出ていた。昂奮した。
 同時にものすごく緊張した。気軽に入って「やってます?」なんて言えるような肝っ玉はない。こういうときはどうしてもまず「どうしよう」と思ってしまう。暖簾の店名(これまた小料理屋としか思えない名前)以外に見えるものは何もない。本当に喫茶店なのか? 食事のお店だとしたらおなかはいっぱいだし、胃の調子が悪くてものによっては食べられないし、ランチも終わりの時間だから「もう終わっちゃったんだよね」とか言われて心が弱るかもしれない。それでも僕を突き動かすのは好奇心である。これを逃したら後悔する。大好きな映画『バブル・ボーイ』で主人公はナイアガラの滝に突っ込むとき「No regrets!」と叫ぶのだ。
 ところでバブルボーイの全台詞がなぜか読めるページ見つけました。

 そういうわけで勇気を出して入店してみたら楽園。話し好きで風流を知るママが豪勢なお茶請けとコーヒーを供してくださいました。煎った銀杏もいただいた。銀杏好きなのです。(参考:2009年1月8日の日記←あー、このとき、なぜ僕がたかゆきくんに遠慮して年越しに誘わなかったかというと、彼に初めての恋人ができたからなのだ、たしか。ちなみにその人と結婚して子ども3人くらいできて家まで買っている。←どっか間違ってたらごめん それにしてもこの日記面白いな。ぜひ読んで。僕の臆病さと、それに対してのコンプレックスもよく出ている。このとき以来、僕は銀杏が好きでたまらない。そのときのすべてを思い出すから。)
 いろいろなお話を(ほぼ一方的に)聞かされ、それなりに気に入ってもらえたのだろう、また行く、というか、通うことになると思う。席はカウンターに四席程度で、奥に座敷はあるが普段は使っていないと思われる。内装はまるっきり小料理屋だが、ご主人が亡くなってしばらくして喫茶店として営業を始めたという。いわゆる「近所の人がおしゃべりしに来る」場所となっており、そのメンバーはたぶんかなり限られているし、少しずつ減っていってしまう。僕のような比較的若い者が少しくらい増えてもいいだろう。
 いまふと気になったのだが、ここって営業許可とってるのだろうか。ひょっとしたらそういうこと全部スルーしてて、それで余計にひっそりとやってるとか、あったりして。まさかとは思うが、だとしたらかなりのもんだ。むしろそうであってほしい。

 ここでフワ~ッとするくらい良い気分になってしまったのがよくなかったのだろう、このあとは遊び倒してしまった。本当はコーヒーだって胃にはよくないのだが、お酒まで飲んでしまった。翌日は一日動けなかった。これを書いているのも5日の夜中で、ようやくまともに身体が動くようになってきた。
 そもそも4日の昼から、本来の予定をこなせないくらい心身は曇っていたのだ。それが「良き店との巡り合い」によって麻痺してしまった。
 いったん15時に開くはずのお店に戻ったら「貸切中」となっていた。こういうとき、いくら面識のある相手とはいっても、「ドアを開けて挨拶だけして帰る」みたいなことが僕はできない。そっと踵を返した。だがし屋みっちゃん、ここは経営マジでギリギリっぽいのでみなさん行ってあげてくださいませ。駄菓子だけでなくジュースもお酒も飲めます、安くて不思議でいいお店です。若いふざけた人間が「駄菓子www」みたいなんでやってるんじゃなくて、みっちゃんっておばちゃんが、ちゃんと子どもを相手にしようとしてます。現実としては、お酒を飲む人たち(たぶん主に年寄り)に支えられているのだと思うけど。
 いちおうその後の足跡を記録しておこう。もう忘れかけてるけど。入谷エリアの喫茶店パトロール。路はやってる、白鳥は閉業してた、ヒデもとっくに閉業。一六は定休日。三河島まで行って、よく行く喫茶店に入ろうと思ったがちょっと早めに閉めたようで、ママさんの姿は見えたけど「営業中」の看板がかかってなかった。たぶんここなら入ってしまえばコーヒーくらい出してくれるのだが、重ね重ね、僕にはそういうことがいつもはできないのである。もう一軒大好きなお店は土曜が定休。
 それで仕方なく角打ちに入った。なんで酒やねん!という話ではあるのだが、ここも店主が80過ぎてるはずで、言ってしまうとそう長くは続かない。できるだけ寄りたいのだ。奇蹟のようなお店で。コップなみなみで350円の純吟をいただく。安すぎる。おなかを気遣ってさきいかも食べた。100円。よく噛むことが大事。ここでちまちま、スマホでやるべきこといくつかこなす。偉かった。喫茶店のように利用できる、静かで殺伐としたすばらしい角打ち。
 それで、これまた奇蹟のような、中国人のママがやってる自宅一階系カウンターのみ居酒屋に寄る。二度目だが、お客の絶対数が絶対に少ないし、知らない人が来ること自体だいぶ珍しいのだろう、一目で思い出してくださった。死ぬほどおいしいお通しと、だいぶおいしくないハイボールをいただいた。次回はビールにするか、いっそボトルを入れようか。ごはんがあまり食べられないので気を遣って二杯飲んでしまった。気を遣って無理するのいい加減やめたい。今歳のテーマは「無理をしない」だったのではなかったか!「ママに一杯~」とかやればいいんだろうが、それは思想上まだやらないことにしている。
 こうなってくると奇蹟の店めぐりを続けたくなってくる。つぎは千束(吉原)で82歳のママがやってるお店。開店時間のちょっと前で、ちょうちんと中の電気はついているがまだ暖簾は出ていなかった。しかし、なんと僕は入店してしまったのである! 酒が入ったからでなく、ここのママとはけっこう仲良しで、「暖簾が出てなくてもあたしがいたら入ってきていいよ」と前に言われたことがあるのだ。その言葉に甘えさせていただいた。
 まず「おビール?」とたずねられたので反射的に「はい」と言ってしまって中瓶がきた。ハイボールにしておくべきだったのだが。そして意外の事実を聞かされた。毎日絶対に通ってきていて、この人と会わなかった日はほとんどない常連中の常連であるブンちゃんが、なんと65歳の若さで亡くなったというのだ。これこそ「寂しい」という言葉以外では表すことができない。お店の一部分がぽっかりなくなってしまったようなのだ。
 見た目やしゃべり方からして、ブンちゃんは70代か、ひょっとしたら80いってるかと思っていたら、65とは。かつて女に騙され、仕事も数年していなくて、このお店に通ってくる以外に何も無かった晩年だったそうだ。それで「自分で幕を引いた」というのがママの見立てだった。すすんで死を受け入れたようなところがあったのかもしれない、と。39年通ったそうだから、26歳くらいからずっと来ていたことになる。
 偲び、ビールを飲み終わって、どうしてももう一杯飲みたくなってしまった。これについて後悔はしていない。ブンちゃんがいつも飲んでいた、レモンスライスの入った焼酎のお湯割りをいただいた。さすがに沁みた。
 それほど親交の深くはなかった僕だが、それでも彼の生前を思い出して、あれこれと語ることをママはとても喜んでくれたし、きっとブンちゃんも喜んでるよ、と言ってくれた。町にはこういう機能がなくてはならない。

 このあたりで気持ちはもう追悼となった。最近、ほんとうによく人が死ぬな。川を渡って墨田区に入り、このあたりで一等話のわかるインテリが営むパリジャンというお店に寄った。ここもずいぶんご無沙汰しているし、こないだ不忍池のイベントでも一緒になったのにほとんど話せなかったので、この機会にまとめていろいろ行ってやれ、というつもりもあった。隣の人が飲んでいるビールがおいしそうだったので頼んだら、7%の重たいやつだった。そしてまたも、「一杯だけじゃな……」という気持ちになって、アブサンの水割りを頼んでしもうた。これについては、頭が悪いとしか言い様がない。さしもの僕も人の店だとちょっと知能が下がる。
 そしてきくやが開いていたのでカレー食べてしまった。まだ0時にもなっていなかったはずだ。ちょっと前までは2時開店だったのに、どんどん早起きになっていくなあのじいさん。彼のなかではもう日曜の「朝」なのである。
 そんで挨拶回りの最後、近所の「23時から4時まで」という驚異のカウンター居酒屋に。焼酎の水割り一杯だけ飲んで帰った。
 翌日のだるさは二日酔いとはちょっと違った。頭痛もないし吐き気もない。ドーピング(ヘパリーゼとか)もしていないでそれだから、酒量としてはそこまで深かったわけではないはずなのだが、やはり急に無理したのは事実である。そんなつもりはなかった。昼間のすばらしい喫茶店と、ブンちゃんの訃報にバグらされてしまった。すばらしいものはまだまだ隠されてあるし、いずれ人は死ぬ。急がねばならない、そんな勘違いをふいにしてしまったのだろう。
 日曜の予定もすっ飛ばしてしまった。約束も破った。当日の誘いも断った。本当にどうしようもないことだ。しかしぼーっとしながら映画を観たりはしてしまう。

2023.11.5(日) 認知の固定 りりちゃんとジャニーさん

 りりちゃんについてTxitterにちょっと書いたら僕にしてはめずらしく少し拡散されて、いやな引用リプライがつき始めたので即座に「フォローされている人以外からの通知」をミュートした。見ないのが一番。

 僕はりりちゃんを基本的に擁護する立場である。「彼女も被害者なんです!」ってことでもあるし、すでにあれこれ書いたように彼女の言っていることには「一定の芯」があり、そこに僕は「ある程度の共感」を寄せている。また結果としていわゆる悪質ホストの撲滅に一役買いそうでもあることを評価したいとも思う。
 りりちゃんのやったことは犯罪であるが、彼女が「いいやつ」であることはそれとはまた別である。同様に、ジャニーさんのやったことは犯罪であるが、彼が「いいやつ」かもしれないということはまた別の話のはずだ。でも世の人の多くはどうも性犯罪者イコール「人格も劣悪」と見なすようで、「性犯罪者にもいろいろな人がいる」という発想にはあまりならない。
 メリーさんが「弟は病気だから仕方ない」というようなことを言っていたという証言がある。ジャニーさんにとって性犯罪は「どうしてもしてしまう」やめられない依存だった。セックス依存症の一種であろう。「セックス依存症という病気についての理解を求める」人たちがジャニーさんのことをどう言うのかには興味がある。もちろん、病気なら犯罪をしていいと言いたいのでは当然ない。病気ならば適切な治療や支援に繋げるのが妥当なはずだが、メリーさんや周囲の人たちはわかっていつつそれをせず「仕方ない」で済ませていた。そこにかなり大きな問題がある。「病気への無理解」という側面もあるのだ、この話には。
 ジャニーさんのまわりにあった最大の問題はたぶん、「ジャニーさんは誰からも怒られなかった」ことにある。メリーさんにたびたび叱られることはあったらしいが、性犯罪をやめた形跡はないので、「ジャニー、男の子たちに手を出しちゃ絶対にダメだよ!」とキツく叱られたことはなかったのではと想像できる。もちろん、病気だから何度言っても治らなかったという可能性もあるが、無理やり引き剥がすことまではしなかった。なにせジャニーは金を生むから。
 被害者からも大した訴えは出てこないので、それが「悪いこと」であるという認識を持てないで麻痺していったのではないかと僕は思っている。裁判だって「性加害の事実はあった」と言われただけで、べつにそれを「怒られた(有罪となった)」わけではない。「まあこのくらいはいいでしょう、ほかのプロダクションだってセクハラもマクラ営業もフツーにあるわけだし……」という感じに思っていた人も内部には多かったのではないかと、これまた想像する。
 とりわけジャニーさんにはあんまりそれが「悪いこと」という認識はなかった気がする。本当かどうかわからない証言ではあるが、ある人がジャニーさんの布団に入ってくるのを拒絶したら、「ユー、ズルいよ!」と言われたらしい。ズルいってなんだ? 悪いことと思っているなら、そんな言葉は出ないだろう。
 ジャニーさんは性犯罪者だが、悪いことをしているとはあんまり思っていなかった可能性を僕は見ている。その部分の人格はもちろん破綻していると言えるが、破綻して自らの悪に無自覚であるからこそ、その他の部分では「いいやつ」であることができたと考えることができないだろうか。
 タレントからも、被害を訴える人たちからも、ジャニーさんの「人格」そのものを悪く言う声はあんまり聞かれない。そして「多くの人たちに夢と希望を与えた」的な、エンタメ方面の功績を褒める声はいろんなところから聞こえていた。「お酒を飲まなきゃいい人なのに」的な感じで、「性犯罪しなきゃいい人なのに」みたいな存在だったのではなかろうか。

 りりちゃんについても、彼女を「やなやつだ」と言う人はたぶんほぼいない。多くの男性たちに「夢と希望」を与えていたのも事実だと思う、ただそのやり取りの中に「フリ」や「うそ」が多く含まれていたことが問題なのだ。そしてそれは日本の法律では詐欺という罪にあたる。
 もし、りりちゃんが「うそ」をついていなければ、彼女は無罪のはずである(脱税の話はべつとして)。彼女が本当に事業に失敗して借金を背負っていたなら、「困っているからお金がほしい」と言うことには何も問題がない。「○○くんのことが好き」と言って、本当に好きだったら何も問題はない。問題なのは、それらがウソだからである。(めっちゃ当たり前のことを書いている。)
 前者のウソは立証できるウソだが、後者のウソはなかなか立証できない。心の中のことだから。「本当に好きだったんです」と言えば、それを否定することは難しい。すなわち、「ホストに払いたいからお金がほしい、○○くん好きだよ!」だったらほぼ問題はないわけだ。あるいは「なぜお金が必要なのか」といった部分をまったく言わないとか。「好き! だからお金ちょうだい!」ならたぶんOK。しかしそれでは成功率がぐんと下がるから、うそをつかざるを得なくなる。
 りりちゃんがした悪いことはともかく「無数のうそ」である。ジャニーさんがした悪いことは「(主として未成年者への)同意なき性的行為」である。それは人格そのものとはあまり関係ないと僕は思う。りりちゃんはお金がほしくてうそをついた、ジャニーさんは性欲を満たすためにそれをした。そういうことをする人が、それ以外の場面では「人格者」であるということもあり得るはずである。(もちろん、お金のためにうそをついていたり未成年者に同意なき性的行為をしているその瞬間は人格者とは言えないだろう。)

 またりりちゃんは、「おぢ」にうそをついてお金を頂くことを正当化していた。特殊詐欺に関わる人が「おれたちは年寄りのため込んでいる金を再分配しているだけ、むしろ世の中にとってはいいことなんだ」と思い込まされる(らしい)のと似ている。頂きも同じ理屈で富の再分配と言うことができるし、りりちゃんの主ターゲットは「自分が働いている風俗店にやってくる男」だったから、多くは「金を使って女を性的に搾取する」人間から頂いていたわけだ。ねずみ男のような義賊に近い。搾取への復讐という側面があったから、りりちゃんには多くの女性ファンがついたのだと思う。
 幼き頃から父親に性的虐待を受けまくっていた(これがまた壮絶な話なのだ)りりちゃんからすれば、男というものは基本的に「自分を性的に搾取してくる存在」で、自分というものは「男から搾取される存在」だったのだと思う。問題があるとすれば、たぶんその認識なのである。そこが彼女の「病気」といえば病気なのだ。そこをケアすることが何よりも大事で、ホストに接して不幸になる女の子たちの多くは、こういったいわゆる「認知の歪み」(僕の言葉でいえば「認知の固定」)を持っていると思われる。急務なのはそこをどう治す、あるいは癒していくか、であるはず。
 たとえばジャニーさんも、幼きころに男性から性虐待を受けていたらしい。それで彼の認知は「少年というのは男から犯されるものなのだ」というところで固定されてしまった可能性がある。また「自分は無理やり大人の男性から性的なことをされて『こうなった』んだから、自分だってそれをしていいんじゃないか」というふうに、認知なるものは歪んでしまうものだ。拒絶されて「ユー、ズルいよ!」と口走ってしまったのは、もしかしてそういう認識が源にあったのではなかろうか、とまで邪推してしまう。「ボクはされたのに、ユーはされないなんてズルいよ!」と。さすがに考えすぎ、穿ちすぎとは思うけど。
 もしメリーさんが「あなた病気なんだから仕事やめて病院に行きなさい」とむりやり少年たちから引き剥がして、適切な処置を受けさせていたら、ひょっとしたらその後数々の不幸はなくなったかもしれない。しかし「病気への無理解」と、「それをしてしまったらジャニーはお金を生めなくなる」という懸念から、そういうことはされなかったのだと思う。

 浅羽通明先生が「最新の直販原稿」で詳しく述べているので可能ならばそっちをぜひ参照していただきたいが、僕も先月の記事で「鈍感」という言葉で語ったように、ジャニーさんに手を出されたからこそジャニーズタレントの「あの感じ」が現前させられたという側面はきっとあると思う。ジャニーさんが性犯罪者だったからこそ「みなさんの好きなジャニーズのあの感じ」はあるのだろうから、その意味で「みんな共犯者」だと僕は思っている。
 そういう不幸が生まれないようにしたいなら、気づいた人が「あなたのしていることはおかしい」(服部吉次さんが言っていたやつである!)と言って、治療なり支援なりに繋げていくか、または当人が反省し認識を変えるよう促すべきなのだ。

 りりちゃんの報道はいまだにやまず、今朝のサンジャポでも取り上げられていたが、彼女が「性的虐待を受けていた」という事実に触れるものは見たことがない。また彼女の「認知の固定」について語るものもおそらくない。そこが一番大事だと思うんだけどな。「りりちゃんが悪いやつだから」で終わらせてはいけない、「いいやつなのに、このような考え方の歪み、固定があったから、こういうことをしてしまったのではないか」という方面で語っていけば、それを見た人たちが「自分もそういうところあるのかも」と気づくことができる。そういうふうに連鎖させていかないと、世の中はよくならん(ばびっと数え歌)。

2023.11.6(月) 続き 見られること、犯されること

 新しいお店のこといろいろ進めた。歩みが遅いけれども僕はどうも「前提」がしっかりしないと動き出せないたちのようで、とりあえず工事が終わって鍵もらって中に入ってみないことには店づくりのヴィジョンが育たない。健全なことだと思う。

 見られたり犯されたりしていると歳がとれなくなる、というようなことを友達と話していた。見られ、犯され続けるためにはそれ相応の容姿や内面を持っていなければならない。「絶対にもう見られたくないし犯されたくない!」と思えば容姿や内面を変える方向に動くのだろうが、「見られたり犯されることにも一定の意味があるから捨てられない」と思ってしまえば、それはかなり長いあいだ維持される。ジャニーズタレントの多くはゆえにいつまでもカッコいい。
 少年隊のニッキはけっこう早い段階で「おじさん」のようになっていて、反面ヒガシはいつまでもあのように若々しい。それは「見られ、犯される」ということから降りるか降りないか、ということでもあったのかもしれない。降りたニッキは退所し、降りなかったヒガシは社長になった。そんな対比がつい思いつく。
 ニッキという人は「ジャニーさんのマインドを最も色濃く受け継いだ」と言われることさえある人材なのだが、ゆえにこそ彼は「見られ、犯される」側ではいられなかったのかもしれない。むろんニッキが犯す側に回ったと言いたいのではない。むしろそうでなかったから退所したのではないかと思える。
 ヒガシはもしも数々の噂や報道のいくらかが真実であれば、ちょっとだけ「犯す側」であった可能性がある。と同時に彼は「見られる側」であることをなかなかやめられそうにはない。会見でも芝居がかった話し方しかしないし、現在は最後の仕事として舞台に出ている。タレントをやめて旧ジャニーズの社長になったはいいが、新会社の社長になるはずだったのをやっぱり降りるなど、ちょっと安定しない感じなのは、そのあたりのブレが反映されているのではなかろうか。
 ジャニーさんの容姿はしっかりと「おじいさん」で、「見る側」か「見られる側」かといえば前者であろう。その構図が美少年を維持させることに一役買っていた、そんな気がする。

 こないだPodcast「氷砂糖のおみやげ」でも話した(まだ配信していない回)んだけど、僕は小学生の時に大人の男性から付け狙われた(としか僕には思えなかった)ことがあった。とても恐ろしくて、今でもその場面をよく覚えている。高校生のときにはおじさんからナンパされることも何度かあった(発展場のビルと知らずに出入りしていたせいである)。大人になってからも梅田のサウナ施設で寝ているあいだに性器を触られるという完璧な痴漢に遭った(そこはそういうことがメインの場所ではないはずであった)。そういうことどものせいか自意識過剰になってしまって銭湯などでときおり「見られている」ような気がしてしまって緊張することがある(実際めっちゃ見てくる人が一定の割合でいるのだが、その動機はもちろんわからない)。
 僕が30歳くらいまで自分の美しさ(笑わないでほしい)に気づかないでいられたのは、もっといえば「自分はあんまり容姿がよくない」と思い込んでいたのは、「見られる側」でいることの恐怖からきていたのではないかと今は感じる。

 わけのわからない人にはわからないかもしれないが、「見られる」ことを恐れないような人間をつくるためには、「犯す」ということが手っ取り早いのではないかと直観する。開き直らせるというか、バグらせる。「お前は犯される存在で、見られる存在なのだ」と、さらにいえば「お前は性的に搾取される存在なのだ」という認識を植え付ける。この話はもちろん、昨日の記事からの続きでもある。
 男女問わず、「自らの肉体には価値(需要)があり、それはすでに蹂躙されてしまった」という認識を持ってしまったら、「売り続ける」という道を選ぶ人はけっこう多いと思う。親から壮絶な性虐待を受けた(らしい)りりちゃんがまさにそうだ。性的な接触を通して自分の得るものは何もなくただ「減る」だけである、その対価としてはお金くらいしか思いつかない、そういうような感覚。ちなみにりりちゃんの場合は「お金」すら介在させずに不特定多数の男性に対して性を提供させられていた。彼女のバグり方がちょっと特殊だったとしたら、そのあたりにも遠因はあるのかもしれない。
 減るだけ減りきった、と当人が思えば「これ以上売ったってべつにこちらは何も減らない、金が増えていくだけだ」という気持ちにもなる。そこが僕に言わせれば「認知の固定」であって、ケアをするとしたらこの回路ということになるのだろうと今のところは思っている。

 性的な行為は人の認知(認識)を変えてしまうことがある。いろんな型の人間が創り出せてしまう。人体実験が今日も行われている。意図せずか、意図してか。

 おもしろいとおもったらおこづかいください。有料制に関する説明はこちら。永遠にタダで読める予定ですが、お金はほしいです。「見られること」ではなくて、「見せていること」によって何かが得られるという経験を積み重ねて、人は「健全」になってゆくと思いますので……。だからアイドルや芸能というものは、いかに「見られる」から「見せてゆく」に脱皮できるかにかかっていて、ニッキのような人はそういうチャレンジをし続けているのかもしれません。不遜ながらそのミニチュアが自分だと思っております。

2023.11.7(火) 続き だれかののぞむもの

「それはジャッキーさんが30歳をすぎて見た目の価値が下がったからでは?」というご指摘をいただいた。悪意のある言葉ではない。「それ」というのは昨日の記事の「自分の美しさに気づいた」という部分。とても深い洞察と思うので考えてみる。

(ちなみに、美しさというものは意外と「自分は美しい」と思っていないと外には出ないものなので、それまでの僕は別にそんなに美しくは見えなかったのかもしれない。もったいないことをしたと思いつつ、それでよかったとも思う。)

 歳を取り、実際もうそれほど美しくはなくなった。どれだけがんばっても「歳のわりには美しい」という程度にとどまる。そうなればもう「見られる側」となる恐怖もずいぶん薄れる。安心して「自分は美しい、自分はこれでいいのだ」と思うことができる。
 30歳といえばちょうど女子校の先生を始めた時で、これがまた幸いした。もし僕が22歳だったならきっと「ああ」はいかなかった。もっと「見られる側」として消費されていただろう。30歳となると、ほとんどの生徒はいったん恋愛感情とか憧れを脇に置いてくれる。すでにとうが立ち、単純に「美しい!」と思うほどでもない。女の子たちからしてもある程度、「自分の心をダイレクトには乱してこない」くらいの距離感でいられるのだ。その点で安心感がある。それでけっこう彼女らとは仲良くやれたのだと思う。
 女子校の教員をしていたと言うと、「モテたでしょう」と言われるのだが、そのモテかたは22歳のモテかたではない。30歳のモテかただった。あるていど安心して接せられる距離感で、近くにいてもドキドキするほどには美しくもない。22歳であれば、造形そのものがさほど美しくなかったとしても、やはり近くにいればドキドキするようなみずみずしさを感じると思う。30歳なら、少なくとも僕の場合はたぶん、それほどのものはもうなかった。
 ああ、もう安心して僕は笑顔でいられるし、カッコつけたりかわいこぶったりもできる! そのように僕は解放されていたのかもしれない、振り返ると。本当に美しい若い者がそういうことをすると、心を惑わされて「バグってしまう」人も多くなる。それほどに美しくもない壮齢の者がそれをしても、洒落になるだけで終わる。
 いや、何を自意識過剰、自信過剰なことを言うとんねん!と自分でも思うのだが、こういうことを考えるのはそれなりに大切な気がするのだ。ジャニーズに入るような美少年や、多くの女の子たちのことに置き換えていただけると嬉しい。脅かされる恐ろしさゆえに、自分が本当にしたい顔や、見せたい格好良さ、かわいさを追究できないでモジモジしている若い人は、けっこういるのではないだろうか?
 歳を取るごとにほぼ自動的に、「脅かされる」可能性は下がってゆく。それはもちろん悲しいことでもある。時間以外に解決はないのかと。僕の場合は(大した美しさでもないくせに)そうだったようだが、戦っている人たちもたくさんいる。脅かされることを覚悟して、自らの信じる顔を、ふるまいを、しようとする人たち。
 そしてそういう人たちのかなり多くが、実際に脅かされ、敗北し、隷従している。性産業やある種の水商売、コンカフェ、メイド業、アイドル、芸能人や芸術家等々として。(むろん全員がそうだと言っているわけではない。)

 自分のしたい顔、信じる顔をしようと思っていたはずなのに、いつの間にかそれが「他人(たとえば客の男たち)」の求める顔と重なるようになっていて、「それでいいんだ」と思うしかなくなっているような状況を僕は想像している。むろんはじめから「他人の求める顔=自分のしたい顔」であるような人たちもたぶんたくさんいるだろう。
 僕はたぶん、自分だけの顔を獲得するために、できるだけ「誰かの望む顔」のことを知らんぷりしていた。髪型を工夫したことも眉を整えたこともなく、日焼けにも無頓着だった(そのせいで僕の左頬には痣のようなものがある)。笑うことも写真を撮られることも超下手だった。それでいて愛されたかったから、文章を書いたりいろんなことをしてみたり、小さなお店に立って働いてみたりしたのだろう。
 顔だけでなく、僕の半生はなぜか「誰かの望むもの」を可能な限り拒絶するということに終始してきた。就職しないとか逆張りが好きなのもその一環。それで今の自分があるのだから結果オーライだが、まあまあ危ない橋だった。人が求めるものと自分が求めるものがイコールになることに大いなる不安を感じていた。それを僕は「食べられる」とか「飲み込まれる」とかつて表現していたと思う。大島弓子さんの『バナナブレッドのプディング』なんかを引用しながら。
 このことをいま分析するに、「人が求めるものと自分が求めるものがイコールになる」とは、「見られること、犯されること」を受け入れることになると僕は思っていたのだろう。それでいつでも反抗的だった。

 優等生とは基本的にこの「イコール」を進んで受け入れる存在で、だから他人から褒められる。劣等生は逆で、「求められていることに自分を合わせていく」ということを好まないし、苦手である。前者に対しては「本当にそれでいいのか?」と思うし、後者に対しては「もうちょっと器用になれたら」と思う。

2023.11.8(水) 1973年で考え中

 古道具屋に行った。銀杏割り器がほしかったのだがベルトとNATIONALの壁スイッチを買った。公式サイトによるとナショナルのアルファベットがすべて大文字だったのは1966-73らしい。示準化石。ともあれこれを何に使おうか。1800円だった。電気工作は不安だが楽しみ。
 僕がとりわけ注目している年は1972-73,77-79,95-97,2016-。成長と生活が止まり、文化が花開き、閉じ、解体されていく。
 77年にスターウォーズ、97年はFF7、エヴァ劇場版、ポケモンアニメ版(ゲームは96年)、ONE PIECE。そこまでおよそ20年。ここから20年は停滞し、2016年くらいからバラバラになる、あるいは順次終わってゆく。というのが僕の歴史観。

 ごく個人的にSMAPは97年2月の『ダイナマイト』をもちまして終了し、5月の『セロリ』からは別のものである。よく言えば安定期。そして2016年に解散する。
『ダイナマイト』でSMAPは累計シングル売上1000万枚を達成した。それで「もうこれは国民的アイドルと言っていい」みたいな感じで路線変更ということになったのではと僕は勝手に睨んでいる。
 SMAPが国民的アイドルであった20年は停滞の時代で、2016年以降は解体の時代。

 どーでもいいけど『ダイナマイト』や『SHAKE』『たいせつ』などを作曲した小森田実さんは97年から三浦大地少年率いるFolderのほとんど全曲を手がけている。そしてFolderが活躍しなくなる2000年にSMAPの『らいおんハート』を書いている。すごい人なのでチェックしといてください。

 それはいいとしてNATIONALの話。1973年あたりに何がどう、なぜ変わっていくのかは実のところ考え中。渋谷PARCOができたのは大きいのかも。あと『ノストラダムスの大予言』とか。出生数のピークというのも面白い。文化とともに死ぬ準備を始めたような感じ?

2023.11.9(木) ホームページは「見せる」もの

 おそく起きたので具体的なことはあんまりしていない。新しいお店について、あれはどうしようこれはどうしようと思案したり相談したり。昼は雑炊だった。夜はけっこうたくさん食べた。昨夜体重を計ったら48.4キロしかなく、BMIは16.7くらい。できるだけ50~52kgくらいで調整したいものだ。53以上あると重い感じがする。
 そういえば昨夜は自転車用具の整理をした。CarryMeというタテに小さくたためてキャリーバッグのようにコロコロ運べる小径車を二台持っていて、一台は使っておらず、部品取りに使ったりしたためほぼ死んでいる。色は白でちょっと古いモデル。これを直して走れるようにしようと思っているのだが、どうしよう、お店に置いとくか。終電逃した人に貸したりもできる。もしほしい人いたら教えてください、BBSで。

 日記を毎日更新に戻してからひと月になる。書きたいときに気ままに書いているぶんには「書きたいことを書く」だけで済むのだが、毎日書いていると「書きたいこと」が浮かばない日もある、というかそういう日のほうが多い。毎日書きたいことがあるなら前から毎日書いているわいな。というわけで「何を書こう?」と悩むこともある。
 テキトーになんでも書いて終わらせればいいのだが、「わざわざ読みに来る人がいる」「楽しみにしてくれている人がいる」と思うと少しはマシなことを書きたいと思うし、「つまんねー」と思われるのも大いにプライドが傷つく。面白さにむらがあるのは当然とはいえ、読んで一切何も心に残らないような文章にはしたくない。そういうわけでそれなりのエネルギーと時間をこの日記に毎日割くことになってしまっている。お店が始まったらもしかしたらまた気まま更新にするかもしれないが、しばらくは続けるつもり。
 考えてみると、「読む人を喜ばせよう」と思って日記を書くのは十代以来、もっといえば高校生以来かもしれない。あの頃は(時期にもよるが)「読む人が面白いことを書こう」「そして面白い人だと思ってもらおう」という気持ちがけっこう強かった。大学に入って同級生の女の子から「ジャッキーのホームページみたけど、なんか、怖い」といった感想をもらったくらいから急激にテンションが落ちたような気がする。ゆるさん。
 つまり、高校生のときは僕の日記を楽しみにしてくれている人が身近に、すなわち学校にたくさんいたのです。あるいはときおり会う他校の演劇部の友達とか。ときおりしか会えないからこそ僕らはインターネットで強くつながっていた。上京するとそういう人たちとはほとんど会えなくなるから、「こないだのアレ面白かったよ」なんて言われることもなくなる。大学の友達からは「怖い」と言われる。そりゃモチベーションもなくなってきますわ。
 お店を始めて、読んでくれる人の顔が見えやすくなってきた。最近は「読者がちゃんといるんだ」と実感できている。ということは、逆にいえば大学入学からつい最近までの15~20年くらいは「読んでもらえている実感」があんまりないままホームページを更新し続けてきたわけである。おそろしい。いやもちろん、ときおり感想をくれる人は常にいて、おかげさまで続けてこられたのではあります。ずっときてくださっている方々、本当にありがとうございます。

 前々回に書いたことだが、このホームページは僕が「見られる」でも「見る」でもなく「見せる」の世界で生きてゆくためにやっている。お店もそう。コツコツと続けて、ついに「世の中をよくする」という専門用語を打ち立てるまでになった。つまり、「自分のためだけではなくて、ひいては自分の住むこの世界のためにやる」というところまでやってきた(これは教員としての気質もかなり大きい)。
「見られる」も「見る」も、能動的に世の中に働きかけるイメージはかなり弱い。「見せる」はどうにかそういう香りがする。昨日ゆうちょ銀行にまとまったお金が振り込まれた。生きているギャラ、しかしそれはただ裸でぼんやり突っ立っていることへの対価ではない、一所懸命生きていることへの対価であろう。真実は知れぬが、一所懸命やってさえいればそう信じることはできる。
 遠慮なく喜捨、浄財を。お代は見てのお帰りです。

『特攻服少女と1825日』という本すごく面白かった。特攻服も暴走も、「見せる」のほうへと向かうための行為だったと言えなくもない。「見られる側」となりがちな少女が、「何見てんだよ!」と言えたのはものすごく爽快なことだったのかもしれない。

2023.11.10(金) 喫茶二十世紀

 とある巨大墓地のかたわらにあるお花やさん。13時27分に到着するとすでにランチは終わっていた。コーヒーだけいただくことにする。まずほうじ茶が、次いでコーヒーゼリーが供される。アーモンドチョコも添えられている。真ん中の席に座って外を眺めていたらえもいわれぬ詩情がわきあがってきたので書いた。ブログへ投稿済。
「おなかがすくでしょう」とパウンドケーキを出してくださった。吉池赤坂店で買ったとのこと。コーヒーを飲みながらおばあさんと少し世間話のようなことをする。覚えてくれていてうれしい。
 コーヒーだけだとたったの300円。なんてことでしょう。

 おなかがすいたので、何か食べようと思って近くの喫茶店をのぞく。まだランチタイムらしいがなんとなく食指が動かない。駅前の川志満でサンドイッチでも食べようかと入店したが飲みものもつけると1300円くらいになってしまうのでミルクセーキだけにした。
 友達の娘(小4)の書いた作文を読む。感激して長い感想文を送ったのが15時15分、ちょうど閉店の時間。
 少し時間があったのでぶらりと歩いたら面白そうなお店があったので入ってみた。奥に立ち飲み(椅子はあるが誰も座っていない)カウンターがあって、手前にレコードをかけながらお米を炊いている人がいる。店の一部を借りてこだわりの白米を600円で売る活動をしているらしい。ワインを飲みながら米をほおばる。おとなりの方が東大(本郷)の先生で、お互い勤務先が近いいう話に。メールしますと言ってしまって、これ書き終わったら送ります。シャンパンいただく。「喫茶店で一人ワインを飲んで酔っ払ってしまった! こんなはずじゃなかった!」なんて曲がありましたね、だいたいそんなもん。
 けっこう気に入ったのでまた行こう。渋谷区っぽいオシャパリピな店かと思ったが、米を売っている人もいればしっかりしたインテリが平日の昼からお酒飲んでたりしてすばらしい。コーヒー飲めるのもうれしい。

 道に迷い、ぎりぎりになって喫茶二十世紀に到着。学校帰りの女子高生(イノッチ担)にご招待いただいた。V6の年長組トニングセンチュリー(僕は95年からずっと心の中でこう呼んでいる)がつくったお店で、純喫茶としてのこだわりをけっこうがんばっているらしいので気になっていたのだ。僕の誕生日とV6のデビュー日だしね(11月1日!)。
 結論からいえば、近年の「純喫茶のまねごと」的なお店のなかではかなり上手にやっている。お金やバリューがあるとここまでできるのだなと感動した。ひとえに「強力な人脈を利用できる」ということがでかい。かの有名な難波里奈さんもアドバイザリーに入っているらしく、「喫茶店らしさ」はかなり出ていた。内装や家具はもちろん、細部へのこだわりもなかなかのものがある。
 ただし、良いなと思う部分もたくさんありつつ、僕がすごく好きかと言えばそうでもない。喫茶店というものはおおむねオイルショックくらいで様相がずいぶん変わり、僕が好きなのはその「以前」なのだ。さらにいえば昭和30年代までにつくられたものは格別というイメージ。すなわちオリンピック(1964)前。
 喫茶二十世紀は全体的に「1980年代以降のことをやっている」のだと思う。70年代のものもちらほら見られたがメインではない。トニセンだから「二十世紀」という店名になるのも仕方ないが、しかしどうしても「二十世紀って20年くらいしかないんだっけ?」と思わざるを得ない。
 80年代(以降)、すなわちトニセンが育ってきた時代と文化が好きならばかなり楽しめるだろう。僕の好きな喫茶店象とはあまり重ならないが、それでもカウンター席周辺の壁と屋根のアール(曲線)はすばらしいし、椅子も良かった。元はお風呂だったようなお手洗いも見るべきところがいくつもあった。カラカスのなんちゃらもめっちゃおいしかった。きゅうりのサンドイッチも。そして何より「店員の教育」が素晴らしい。食器を置く向きなどもちゃんと統一されている。「まねごと店」はそういうところが抜け落ちがちだと思う。あらゆる部分について「質」が高い。この種の喫茶店のイデアのような場所とさえ言いたくなる。
 おそらく京都のイノダコーヒを参考にしているのではないかな。テラス席を見た瞬間に「イノダだ」と思ったのだが、お手洗いに高田渡の『自転車に乗って』というレコードが飾ってあるのを見て確信を深めた。このB面は『コーヒーブルース』、「三条に行かなくちゃ 三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね」という歌詞が出てくる。そう思うとなんとなくお店の雰囲気も似ている気がする。

 すべての食器の裏を見てメーカーを確認したのだが、カップが名古屋のノリタケだったり岐阜のカネスズを使っていたりしてちょっと嬉しかった。名古屋人だもんで。冷やタンは佐々木ハードストロング。これも順当だろう。個人的にはアデリア(愛知県岩倉市)がよかったけど、トータルデザインからすると佐々木で正解だと思う。

 そんなことも含めてあれこれ話しながら二人で研究して、きゃっきゃと写真撮って、外苑前駅で別れた。そのまま湯島に行き、工事が99%終わった状態の新店舗に初めて足を踏み入れた。不動産屋と今後の打ち合わせをして、荷物を受け取ったり寸法を測ったり写真を撮ったりした。ここからが腕の見せ所というか、苦労のしどころである。
 すごくおいしいダルバート食べた。

2023.11.11(土) 名雑談には時間がかかる

 お店の準備、というか構想。古い友達(15年くらいの付き合いか)をひとり呼んだ。はじめはぽつぽつと世間話のようなことをしていたが、2~3時間くらい経過したところで大爆笑のともなう面白さになってきて、4~5時間経ってご飯食べてたらいよいよ斬新なアイディアが生み出され、「今日会ってよかったな」と思った。
 武富健治先生がいつだったかまるっきりこれと同じようなことをおっしゃっていた。何時間か話していると思いがけない方向に話が転がって異様に盛り上がったりする。黙りがちだったりつまんなかったりしても、辛抱強くというか、それでも意思の交流をつづけていると、どこかでパッと花が咲く。朝方になってきゅうに喋り始める女の子。
 近所のアナログレコードをかけているお店で小沢健二さんの『LIFE』をリクエストしたら次々と『痛快ウキウキ通り』『ラブリー』『ある光』というレアめなアナログを聴かせてくださった。いい音だった。

2023.11.12(日) 移動がつなぐ

 家具屋さん、テンポスをまわり、湯島で新店舗のことを考える。夕飯は三河島の喫茶店までわざわざ足を伸ばす。しょうが焼きとホットコーヒー。ちいさなノート広げてあれこれ思案。帰り際に「今日はおやすみ?」とたずねられた。何十回と通っているが、こちらのママさんとまともな会話を交わしたのは一度だけで、その時にお店をやっていることを話した気がするので、いやあ実はと閉店&復活の話を伝える。湯島に戻り夜中まで新しいお店のことをやった。もうすぐ午前5時。日記を書いている余裕などないのだが、何かしらいいこと言っておかないと眠れない。
 いいことというか、僕のいいところは「わざわざ三河島まで行く」というところにあると思う。近場ですべてを済まそうとすると、そういう癖がつく。するといろんな人やものと疎遠になる。移動を厭わないことが僕にとってはすごく大事なのである。

2023.11.13(月) ノコギリと自転車

 契約、保健所立入、南千住オンリー、ロイヤルホームセンター。ひさびさにのこぎりを使った。「のこを引く」と言うように、のこぎりは引くときに力を入れる。岡田淳さんの『ようこそ、おまけの時間に』という名作から学んだ。それからとにかくのこぎりを引くことは好きでたびたびやっているが本格的にものを作るために引くのはひょっとしておざ研開設時、すなわち2012年ぶりなのかもしれない。
 のこぎりは自転車に似ている。まっすぐ走るためには「けっこう先」の地点を常に見続けていなければならない。「すぐ先」でもなく「ずっと先」でもなく、「けっこう先」というあたりを。
 無心に、一筋の線をのみ信じながら引く。走る。僕にとっちゃ瞑想のようなもの。そこそこうまく切れた。のこぎりなんてずっと使っていないのに、のこぎり以外の経験がなぜかのこぎりを上手くさせている。僕はいちおう職人のまねごとをしていたことがあるので複数ののこぎりを持っているのだが、「この場合はこの刃がいいだろう」というのが根拠なく判断できる。カクテルを作るのにも似ている。

2023.11.14(火) 人と機構の境界線

 昨夜日記を更新し忘れたので台東区の端、午前中しかやってない隠れた喫茶店へ。まだだれにも見つかっていない、僕だけの聖域である。Googleマップにも登録されていない。
「そこは誰にも邪魔されない自由と優しさの世界」(ゆず『境界線』岩沢厚治・作)

 お店づくりだけに終始している。いろいろ考えることはある。「イチ」からではなく、今回は「ニ」もしくは「サン」くらいから作っている。それでこんだけ大変なのだから、「ゼロ」から作ろうという人は本当に大変だろう。
 ゼロからというのは、もう建物から作る。イチからは、スケルトン状態から。ニからは居抜きのリフォーム。サンからは今回みたいな、「リース物件かつ旧店舗が近くにある」くらいの楽さ。
 2012〜15まで存在した「おざ研」はイチから作ったが、カウンターとテーブルをDIYして家具を置いただけだった。今回はサンからとはいえデザインはできる範囲で考えてやっている。そこについては僕だけのセンスや技術では足りないのでアートディレクターを置いているが、そのほかは一人だけ、古い友人と冷凍庫を運んだだけである。お酒や本を運ぶ段階になったらさらに声をかけるかもしれないが、今のところはしてもらうことがない。本棚も自分で運んでしまった。
 できるだけ秘密に作っていきたい。おざ研の時も最初の手伝いは二人だけだった。初動でいろんな人に入ってもらうと「この店は自分が作った」という感覚を持つ人が増えてしまう。距離感が大切なのだ。「みんなで作ったこのお店」という感覚も良いものだが、「そこに参加しなかった人」は疎外感を抱くだろう。夜学バーとしてはそれが最も恐ろしい。時間をかけてでも少人数でやりたい。
 船頭多くして船山に登るという言葉もある。とりわけ僕は他人に流されやすい。「こっちのほうがいいんじゃない?」と言われたら「いいねえ!」と答えがち。もちろんそれは柔軟さでもあるし、それによってより良くなることはたくさんある。しかし最初だけはできるだけ自分の感覚に頼らないと、たぶんブレる。
 これは美学でもあるが弱点でもある。これでは「プロジェクト」にならない。せいぜい「アート」になるだけだ。多くの人を巻き込んだ「機構」は作れない。
 4〜6年後くらいを目処にもう一つ、違う機能を持った場を作りたいと考えているのだが、その時は「プロジェクト」にしたい。僕の美意識を貫く夜学バー的なものはどこかに保存しつつ、もうちょっと大きな、別の意思を持った生き物を作るのが次の目標というか、弱点の克服という僕の課題である。
 いずれにせよ良い物件があればだ。どなたかご紹介お願いします、タダで借りられる空き家とか。(そんな都合の良い話が、……意外とあるはず。待ってます!)
 時計のカラクリ 創られた幸せの裏側から
 そう思いたくはない気持ち 澱んだその川の流れなら
 全てを飲み込んで 全てをかき消して
 やがて少年は大きな夢を見た
 境界線は今はまだ 遠くぼんやりと霞んでる
 そこは誰にも気付かれないこの道の分岐点の向こう
 境界線を追い越す時 それは多分きっと
 新しい僕との出逢い
(岩沢厚治『境界線』)

 15日と16日の日記消えちゃった。何書いたっけ。どうにか表示できる方もしいたらお願いします。
2023.11.19(日) 総集編(15日~19日)

 17日の朝~昼くらいに16日付の日記を更新した時に何かミスをしたようで11月の日記がすべて消えてしまった。iPadのローカルに残っていたデータから14日まで復元したが2日ぶんは闇に消えた。

 15日はたしか、その日にホームセンターと喫茶店2軒、古道具屋4軒をまわったこと、それから「なぜ古道具が好きなのか」ということを書いた。そこに時間があるからだ、と。朝は台東区の僕しか知らないRというお店、昼ごはんはルポでピラフ。
 16日は何を書いたかまったく覚えていない。書いた瞬間に消えたから読んだ人もいないはずである。残念だ。この日は新宿で「鳥はな」「buoy」「ナイチンゲール」行ってから、無銘喫茶を朝まで営業。たくさんお客がきてくれた。「新宿なら行きやすいのに!」という人があまりに多いので、隔月くらいならやってもいいな。奇数月の第3木曜とか。うまく借りられればだけど。
 17日はずっと寝ていた。飲みすぎたのもある。
 18日は喫茶店に寄ってから玉姫公園の靴のめぐみ市で古道具をあさり、ホームセンター、筑波(鮭のバター焼き定食)、リサイクルショップとまわった。
 19日は池袋で夜回り先生こと水谷修さんの講演会を聴いたのち友達と合流、伯爵が混んでいたので西武4階の珈琲貴族へ。水谷のこと、りりちゃんのすごさ、恋愛(などない)、コンビニ内バー、ドラゴンボールなど多岐にわたり話した。その中でとりわけ「この発想は我ながら面白いのであとで日記に書かなきゃな!」と猛烈に思った内容があったのだが、すっかり忘れてしまった。なにか印象的な話があったら教えてください。その後、秋葉原でお母さんとジョナサンに行った。おかーさんはジョナサンが好きなのだ。

 16日のことはあとで改めて書くつもり。
 柿そびれたけどかわいいぼくなので最近通い始めた喫茶店(4日の日記参照)のママ(おばあさん)から手作りの干し柿と柿ジャムをいただいた。かわいいぼくなので、というか、柿が好きだと言ったので。ママも柿が好きだそうなので。山梨の柿街道(通称?)のことも教えてもらった。行く。

2023.11.20(月) ユニット社会(羽生くんの結婚と離婚1)

 保健所で営業許可書を受け取り、警察署で「深夜酒類提供飲食店」の届出について教わる。行きつけてる近くの喫茶店で昼食。
 12月1日の17時から夜学バーを営業することに決めたが、深夜酒類〜が発効するまでは0時以降の営業はできない。ゆえにしばらくは0時閉店。健康的でよい。
 年末までに発効させられれば年越し営業ができるが、迷っている。紅白見て帰るのも良し。いろんな神社でたくさん甘酒飲みたいからな。

 お店づくりが佳境で、いろんなことを書きたいのだが余裕がない。じつは26-29日は旅に出るのだ。意外と旅先のほうが書く時間あったりして。自転車で峠越えるつもりなのでiPadとキーボードは重いしかさばる、迷うなあ。iPhoneとキーボードで更新しようかな。
 しばらくこんな感じの日記になるかも。みすて♡ないでデイジー。過去の文章読んだり、氷砂糖のおみやげ聴いたりしといてくださいまし。


 羽生結弦さんの離婚についても考えたことたくさんあるのだが、とりあえず少し。人と人とが「一緒になる」ことはもうできない。「結婚」はもはや当人たちにはロマンチックなだけで、そこに具体的な意味を見出そうとするのはむしろ世間にいる外野の人たち。そのズレが不幸を呼ぶのだと僕は思う。
 結婚してもしなくても、現代においてはあまり変わらない。子供ができたとしても結婚する必要は別にない。面倒なことや不利なことはあるだろうが、非嫡出子として二人で育てることもできる。結婚で変わるのはまず当人たちの「気分」。あるいは覚悟とかそういうもの。結婚するとなんだか意識が変わったりはする。でもそれは外野にいる人たちには伝わらない、ほぼ影響がない。
 外野の人たちは、結婚によって意識を変えた二人の内面なんて知らないから、表面的な部分だけを見てあれこれ言う。ひどい場合には文句をつけたり干渉をする。
 結婚しなければそういう心配はない。「結婚しないの?」と言われ続けるくらいで済む(というのは雑すぎるかもしれないが、ほかに思いつかない)。意識が変わるタイミングもない。良くも悪くも。
 現代は「結婚しなくても一緒にいられる時代」になりつつある。それでいいならそれでいいじゃん、と僕は思っている。結婚すべきでないとかしたくないという話ではなく、結婚というのは形式にすぎなくて、その形式はもうそんなに大きな意味を持たなくなっているし、さらにそうなってゆくでしょう、という話。
「子供できたのに結婚しないなんて!」という声は当然あるだろうが、「新しい家族の形」はもはやトレンドワードとなった。そういう人たちはどんどん増えてくると思う。そしたら世間も「そろそろ認めていかないとねえ」という空気になってくる。

 僕はといえば、結婚したくないとは別に思わないので、意義深い(メリットが大きい)なら結婚するつもりである。

 一般的には、結婚によって有利になること、楽になることはある。とりわけお金のこと、それから世間(自分たちの外部)との関わりについてなど。ただこれがだんだん意味を持たなくなりつつある。離婚が増えるということはそういうことのはず。
 人と人とが一緒にいるメリットや意味を、もう社会は与えてくれない。世間だって祝福してくれるばかりではない。そのメリットや意味は、当人たちが見つけ、維持すべきならしなくてはならない。もうそれを周りは無条件には手伝ってくれない。

「一緒」というのは今や一時的なことでしかない。「一時的に一緒にいる」ということをいつまで続けるかというのは、当人たちがあらゆる瞬間に選択し続けていく。
 ユニット社会と僕は呼んでいる。

2023.11.26(日) 総集編(21日〜26日) 痩せすぎと亀仙流

 昔のテレビアニメは盆と正月あたりに総集編をやってアニメーターのお休みを確保しておりました。雑誌の合併号みたいな考え方。今月だけでもう2回、使ってしまった。
 21日からもののみごとに体調を崩している。ようやくほぼ普通に動けるようになったが、寝方がおかしかったのか上半身があちこち痛い。1週間くらい前に挫いた足首が未だ痛い。
 歳をとると病気の話ばかりするようになると聞くが、年齢に関係なく病気になったら病気の話をするものなのだろう。ずっと病気のようなものならばずっとそういう話をするのも無理はない。他に話題がないならば。
 暇な時期ならば寝て暮らすのだが、12月1日に開店します!と言い切ってしまったのだから仕方ない。「安静」の範囲をじわじわと押し広げながらゆっくりと店を作っていった。

 今年は体調不良で1ヶ月ぶんくらいダメにしてるんじゃないだろうか。まったく何もしなかったではないのだが「もう全然すぐれないような日々」って感じ。体重は48kg台が続いている。ほぼスペ125。ごはん食べたら49kgになるくらい。
 これまで僕は「太りたい(体重を増やしたい)」という気持ちを一切持たずに生きてきたし、できれば低めのままキープしていきたいとだけ思っていた。こないだ『氷砂糖のおみやげ』でもそう語った。生まれて初めて「52〜53kgくらいに戻したい」という思いを持った。
 以前の日記にも書いたように、僕の身体の現状だと50kgを切ったほうがいわゆる「ライン」は美しくなる(個人の感想)。「過度なダイエットや筋トレにハマる人ってこんな気分なのかな〜」とナルシシズムを爆発させながら思う。肉体が美しいことそれ自体は実によろこばしく、それはそれとして維持したくもなるのだが、弊害が多ければ検討の余地がある。
 ようやく「痩せすぎは不健康」という言葉の真理を悟った。ここで多くの男の人は「じゃあ筋肉をつけよう」という方向になるのだと思うが、僕はどちらかというと脂肪が欲しい。そのほうが健康的な気がするから。
 あまりに細い体では無茶をするにも限界がある。そこのバランスが僕として一番うまく保てていたのが体重52kg前後の時期だったんだと思う。54とか55でもいいんだけど若干美意識との齟齬が生じる。いい落とし所だったのだ。
 もちろん加齢というのもあり、これから身体がますますガタガタ言ってくるのだから丈夫な肉体を作っておくにしくはない。といって「太ろう」という極端には行くわけがない。「筋トレしよう」でもない。「よく動き よく学び よく遊び よく食べて よく休む」という亀仙流の極意にやはり行き着く。

2023.11.27(月) 上田→小諸

 昨日の日記は上田へ向かう新幹線の中で書いていた。本当は「あずさ」で下諏訪、そこから和田峠を越えて知人が出店している「ナワメマーケット」というイベントを見て回り、北上して上田へという予定だったのだが、病み上がりだし足首を挫いてるし朝までお店のことをやっていたので泣きながら30%オフで予約した列車をキャンセル、ロードレーサーではなく折りたたみ小径車を持ってゆくことにした。
 昼間の予定を諦めざるを得なかったのは誠に残念。電車もバスも(ほぼ)ないような場所なので、車のない僕にとっては自転車で峠を越えるしかないのである。ここで知己を増やして長野県進出の足がかりにしようなどと息巻いていたのだが。
 また本来の計画では26日上田、27日小諸、28日佐久と泊まり、29日は小海線経由で茅野に向かい最終のあずさで帰るつもりだった。しかしお店の準備をしたいんで茅野はまた今度、中央線行脚ツアー(孤独なロンリーボーイみたくなってんな)の時にしよう。泣きながら帰りの特急もキャンセルした。手数料は合わせて640円。
 上田には19時半ごろ着いた。友達と夕飯をとる約束。落ち合って歩き回る。日曜なので街は暗く、しかしそれなりに店は開いている。袋町周辺をぐるりと見て、「やきとり とんがらし」というお店に入ってみた。最高でした。Googleマップで調べたら石川県かほく市に飛ばされた。このような「誰にも見つかっていない」お店は大好物である。店構えと、漏れ聴こえる声のトーンで、間違いないと思った。
 ママは韓国の方らしい。1000円の「ほろ酔いセット」を頼んだらみごとにちょうどお腹いっぱいになるような豪勢さ。黒霧島のお湯割りと黒ラベルの中瓶を飲んだ。
 この日のお客は6名で、僕ら、入れ違うようにお帰りになった東京からのおふたり、新潟の上越から来ている方、役所勤めの方。地元の人が一人しかいない。このお店、あとからGoogle検索してみたが、インターネット上のどこにも、微塵も、形跡がない。どう調べても何も出てこない。みなさんトライしてみてください。何か見つけたら掲示板に貼ってください!
 こういう「インターネットに存在しないお店」は当然、「常連」と呼ばれる人たちに支えられているわけだが、お客のほとんどが市外(なんなら県外)の人間、というパターンは(もちろんたまたまなのだろうが)珍しい。僕が夜学バーについていつも言っている、「ご近所型でなくわざわざ型」「できるだけ遠くの土地からお客を呼びたい」「月に一度来るお客が200人いればよい」といった考え方を天然で実現してしまっているのかもしれない。もちろん、たまたまだとは思うので、繁く通って確かめたい。
 ところで、上越の方は僕の顔を見て「あなたいい顔をしてるね、何かやっている人じゃないか」といろいろ質問してきた。嫌な言い方ではなかったので快く答えていたら、最後には夜学バーの名刺を渡していた。すると「私は明日上野に行くんです」と。上野にゆかりのある方らしかった。ご縁というか、こういうところでこそお客さんが作れると嬉しい。
 それにしても一目で僕を見抜く(?)ようなお客さんがわざわざ隣県から通ってくる「とんがらし」の魔力はものすごい。席料たぶんなし、安すぎる。
 それから「冒険」へ。檜のお酒(名作!)と枇杷の葉のお酒を。お野菜もたんといただいた。「犀の角」初めて泊まってみた。共用リビング使ってみたかったが帰りは遅くなっていた。

 7時半くらいに起きて8時6分のしなの鉄道、小諸に降りる。「純喫茶マモー」ネットでは8時半からとなっていたが35分過ぎまで待っても開かないので諦めて「ベルコーヒー」に行ってみた。SINCE1970だが意外にも若い男性、二代目だろうか。朝から近所のお年寄りが集っていていい感じ。ビッグコミックを2号ぶん読む。ちばてつや『ひねもすのたり日記』、小山ゆう『女神の標的』(新連載号と2話め)、高橋ツトム『JUMBO MAX』。
 タイミングよく煎りたて、ひきたて、いれたてのコーヒーが飲めた。ごはんしばらく食べられない気がしたのでめずらしくトーストも注文。モーニングはないようだった。カップが分厚く、重たくて嬉しかった。いいおみせ。
 マモーのほうに戻ったら開いてた。大好きな花川堂も開いていた。9時くらいから動き始めるらしい。覚えておかないと。寄っている時間はない、山道をひたすら走る。がーっと下ってガーッと登って、目的地に着く。
 小径車というのはタイヤの小さな自転車であるが、どのくらい小さいかというとメロンくらい小さい。ギアはない。山を登ったり峠を越えたりする仕様ではまったくないのだが走り方さえ工夫すればどうとでもなる。脚力はともかく体重移動とハンドルさばき、コース選びやペース配分などの技術領域でちょっとした山なら登り切れてしまう。
 テキトーなイメージで言うとロード(レーサー)を使えば難易度2くらいのところが小径車だと8くらいになる。そこがまたたまらない。そのテクニックについて詳しく書けば本が一冊くらいできそう。興味ある人はお店に聞きに来てください。
「茶房 読書の森」が主催する「ロバの音楽座」のコンサートを聴いた。創造力が刺激された。笛の練習をしたいと思った。
 その後は近くにある温泉施設に数時間いて、宿である読書の森へ。たらふく食べて飲んだ。いまは野原の上の小屋の中にひとり。いろいろ抽象的なことはまた今度。

2023.11.28(火) 小諸にて/自転車の運転

「マモー」にて。これから小諸と岩村田(佐久)の何軒かはしごして書き継いでいく予定。
 昨日の昼は「あぐりの湯 こもろ」というところに3〜4時間くらいいた。あまりにも疲れが溜まっていて、もう二度と体調を崩したくない。1時間くらい温泉に浸かっていた。二回ほどサウナ入ってみた。やはり「ととのい」という現象とは縁遠い。(詳しくは「氷砂糖のおみやげ」第48〜50回を聴いてください。)
 露天風呂の景色がとにかく素晴らしい。浅間山を右端にズラリと並ぶ連峰。近景には松、中景に紅葉。よくは見えないが千曲川も横たわっている。雲ひとつない晴天。温泉の中に足だけ突っ込んでぼんやり眺めた。
 お湯に浸かってもすることがないしすぐにのぼせてしまうのであんまり長く入らないのが常なのだが、大好きな山の景観、そして冷たい信州の空気が永遠にとどまらせた。体が冷えてきたら足湯から半身浴に切り替える、または肩まで入ってもいい。
 一定時間サウナに入っていると不快感が生じる。不快になったら出たくなる。ゆえ水風呂を欲するほどには熱くならず水風呂が不快。不快なまま露天風呂にゆく。瞑想に入る。たぶんサウナ経由する必要はない。サウナの才能がない。瞑想と瞑想のあいだにコマーシャルみたいにサウナ行く感じになる。  たぶん僕がサウナを楽しむには「自分の身体をいじめぬく」ということが必要だろう。「氷砂糖」で相方のぷにょさんが「サウナは5分以内でいい」と仰っていたのでそうしてみたが、それだと水風呂がぜんぜん気持ち良くない。二回目は7〜8分入ってみたが高温由来の不快さが増すだけで事情は変わらない。10分以上入らないと「水風呂が意味を持つ」レベルまでいけないんじゃないかと思う。心持ちやテクニック(?)の問題なのかもしれないが、現状はそのように感じてしまう。でも10分もサウナに入ってまで、そしてその後1分くらい水風呂に浸かってまで、「未来に手に入るであろう利益」を目指すのは性分ではない。求心的すぎる。そんなに一所懸命になる必要は僕にはないのだ。ぷにょさんとは事情も違う。真似っこしても仕方ない。
 露天風呂で山を眺めながらぼんやりしているのが最も性に合っている。景色の見えない露天風呂だとあっという間に飽きてしまうが、景色が綺麗だとこんなにも飽きないものかと驚いた。気候が良いのも幸いした。500円で入れるのもいい。
 あまりにも身体がばきばき(なぜだかわからないがこの表現が最もしっくりする)だったので珍しくマッサージも受けた。谷川流足圧とかやいうもの。非常によかった。マッサージ屋さんは数える程度しか行ったことがないが、わりと自分に合っているように感じた。
 もう一回温泉入ってから出た。もうひと息、山を登る。途中で野生のマツを見つけたので、ちょっとばかり葉を失敬した。宿には16時くらいに着いた。
 勝手知ったる読書の森。おそらく小諸で最も文化的な世界。みなさまもぜひ行ってみてください。日中はほぼ休みなしで喫茶店を営業。宿泊もできます。
 ちょっと日記書くなどして、夕飯を食べ始めたのが18時。22時半くらいまで宴が続いた。肩やお尻が痛くなってきたところでお開きとなった。
 2食ついて7000円、運よく差し入れに恵まれたのもあるが夕食とお酒だけで最低でも5000円はかかるような歓待、朝食とコーヒーを1000円とすれば宿泊費は実質1000円(貧乏くさい計算)。
 10時間くらい寝た。夏と同じ小屋(征三ハウス)に泊まったが、虫がほとんどいなかった。
 読書の森の娘さん(二代目??)といろいろ話した。昨夜行った上田の「冒険」は、僕が歩いていて偶然見つけたお店なのであるが、彼女も行きつけていたらしい。店主が僕のことを「学長」と呼んでいると聞いた。学長ウケる。みんなも学長って呼んで。
「やきとり とんがらし」はやはり知らないとのことだったが、旦那さんに聞いてみたら「行ったことある」と返ってきたとのことで、異様な世間の狭さを感じるとともに、感性の引力の実在を確信。
 たまに田舎に行くのは本当に良い。ふとしたところで「田舎の価値観」を学びとることができる。地球のすべてを知りたいとは思わないが、日本全国の隅から隅までを、なんとなくわかっていられたらいいなあとは思っている。

 山を降りて昨日行けなかった「マモー」へ。老婦人の経営。ちいさい自転車をお褒めいただく。ちょっとしたことがとても嬉しい。


 自転車の運転について書きたかったのだが文章では難しい。メモ程度に付しておく。
 峠を登る際に小径車では「ダンシング」(てこの原理を活用した立ち漕ぎ)がほぼ意味を持たない。求められる筋力とバランス感、リズム感のレベルが高すぎる。そのくせ車輪の一回転で進む距離が短いから旨みがほとんどない。
 小径車には小径車の強みがある。それは「小回りが効く」ということで、峠を登るには「蛇行運転」が適している。
「大蛇行」と「小蛇行」をうまく使い分けるのがいい。もちろんこれはグラデーションで、実際の運用では「中蛇行」と言うべきサイズの蛇行も適宜使ってゆくことになる。
 大蛇行とは、道路の広さを最大限に使ってぐねぐねと走る技。無数のヘアピンカーブを仮想するわけだ。バーチャルヘアピン走法と言ってもいい。坂道は斜めに走ると距離が伸びて傾きが下がる(算数)。 登りに強く小回りに弱いロードレーサーではその恩恵を実感しづらく、ダンシングでまっすぐ登っていったほうが圧倒的に効率がいいのだが、小径車の場合はこれが馬鹿にならない。
 バーチャルヘアピンのメリットは傾斜を落とすだけではなく、自重を推進力に変えられるのが大きい。さらにその際、てこの原理によってグイ、グイ、と腕を使うことでほぼ力を使わずして坂を登っていくことができる。
 ただし、交通量の多い道路では使えないし、一台でも車が来たら中止しなければならないのが痛いところ。そういう場合は「小蛇行」に切り替える。
 小蛇行は「バーチャルミクロヘアピン走法」と言い換えられる。車体はまっすぐ進むのだが、タイヤだけが小さく蛇行する。受けられる恩恵は大蛇行とほぼ同じ。気をつけるのは「ダンシング」と同じく重心をブラさないこと。「頭の位置と車輪の設置面を結ぶ線が地面と垂直になる」というイメージである。ここを守ってさえいれば走りは安定し力が脇に逃げることもない。
 交通状況や路面状況などに応じて蛇行の大きさを変える。道によって最も適した蛇行のサイズというものがあるので、大中小さまざまな蛇行運転を臨機応変にやっていくのが吉である。
 やってみてください。

2023.11.29(水) 一般か、特殊か(羽生くんの結婚と離婚2)

「茶王」にて。
 かねてから「一般の方と結婚しました」という言い回しに疑念がある。一般とは? もう一方は「特殊」なのか? 今回の羽生結弦さんの結婚→離婚についても。
 結婚報告の文において彼は「この度、私、羽生結弦は入籍する運びとなりました」とだけ記載し、相手については一切言及しなかった。一般なのか一般じゃないのかもわからない。しかし離婚報告に際しては「私は、一般の方と結婚いたしました」と冒頭にはっきり書いている。
 その人はどうやらプロのヴァイオリニストで、最近まで芸能事務所にも所属していたらしい。一般なのか一般じゃないのか、じつに絶妙なライン。現役を退き「元」となれば晴れて「一般」という考え方はわかる。しかし「一般の方」と言い切ってしまって良いかはこれまた絶妙だと思う。
 羽生結弦さんは競技者を引退して「プロ」に転向したわけだが、おそらく彼の中ではどちらも「特殊」。「私は、一般の方と」と言う側は、「一方で自分は特殊である」という意識を必ず持つ。
 ヴァイオリニストとして名前を出して活動し、それなりには実績も知名度もあって、事務所にも所属していてラジオ番組まで持っていたのならば、その時点で彼女も「特殊」だったと僕は思う。結婚時に「一般の方」と言い切れなかったのもそのためかもしれない。活動の一切をやめたということになれば「今は一般です」と言うことはできる。

 ここから「下町」にて。
 羽生結弦さんは結婚発表時の文章で「皆様(皆さま)」を4回、「〜方々」を2回使って感謝を述べている。極め付けは「皆様の全てを、最高の形にできるように、滑り続けます。」の一節。「皆様の(応援や視線などの)全てを、最高の形に(変換)できるように」とでも補足するべきなのだろう。ちなみに僕は最初「自分の力で皆様の全てを最高の形にしてみせます」と読んでしまった。ともあれ、ここで彼が語りたいのは「皆様との関係は変わりません」ということだと思う。
 羽生くんは、「結婚することと滑ることは別」と言いたかったのだと思う。結婚は結婚として、それはそうと氷を滑る人間としての羽生結弦と皆様との関わり方は一切変わることがありません、と。しかし世間は、少なくともそのごく一部の方々はそれを許してくれなかったのだろう。
 そこで羽生くんは「わかりました、自分はスターですから、それを引き受けますよ。だけど相手はスターじゃない、一般の人なので、傷つけるようなことはやめていただきたい」と声明を出した。それが離婚の報告文である。と僕は見る。
 しかし僕に言わせれば元配偶者の女の人だってちょっとした元スターで、一般とは言い切りづらい、やや特殊な人間である。「一般だから」という言い方は引っかかる。「特殊な人は何をされても仕方がないが、自分ほどは特殊ではないほぼ一般と言えるような人に迷惑をかけるのはやめていただきたい」というような言い方に聞こえる。
 私見だが、結婚報告のとき羽生くんは「特殊な人だからって差別するのはやめましょう、もちろん特殊な部分は特殊な部分として確かにあるから、そこについてはスターとして引き受けますが、プライベートな領域はそことは別のこととして切り分けませんか」と提案したのだ。しかし105日経って、「自分は特殊なんで差別されてもしょうがないんですけど、一般の人に迷惑かけるのは違うくないっすか……?」というトーンに変わっている。仕方ないとは思う。どれだけ大変で、どれだけ辛かったかは想像してもしきれないだろう。
 羽生くんは「そこで戦う孤高のスター」ではなく、「そこで折れるみんなの羽生くん」を選ばざるを得なかった。そのために「特殊差別」を自ら再生産するようなやり方になった。
 そして結果として、結婚相手の「特殊さ」を否定することにもなった。「一般」という烙印を押されてしまった元スターの女性、という存在が一人出来上がってしまった。彼女はこれからどのような人生を送るのだろうか? 一般か、特殊か?
 いったいそれを決めるのは誰なのだろう?

2023.11.30(木) 飽きが来るほどそばにいて

 明日から夜学バー再開ということで、いろんな準備をタッタと進めております。ネーポンも12本買った。2本3200円、3本4400円、6本7000円、12本12600円。商売上手なものだ。ポイントが9%(1058円相当)ついてじっしつ962円。それでも安くはないので一所懸命売らねばならぬ。
 お店を始めるのはけっこう大変で、いろいろ苦労はあるのだが涼しい顔につとめている。これ書いてるのも実は12月1日の15時くらいで、あと2時間でお店が始まってしまう。あわてず湯島のなじみの喫茶店でコーヒー飲んでいる。このおちつきが、しろうととくろうとのちがいだ。
 そんなタイミングで書くのもなんだが、始まる前からちょっとした「やりきった感」が出てしまっていて、正直ちょっと飽きている。なぜ飽きるのかというと、どう考えてもそこに「お客さん」がいないからだ。とりわけ「新たな出会い」や「久方の再会」というものがない。お店つくりとは確定要素の積み木である。はやく不確定の海で遊びたい。一人で楽器の練習をしているときと、セッションしている時の違いみたいなもの。
 それでも「お店」というものにやや飽きてきていることも確かではある。新たな形を同時に模索していこうという気持ちは301(旧店舗)を閉じると決めた時から変わっていない。お客さんが飽きるスピードよりも早くこっちが飽きて、別の味付けをしていく。それをずっと続けていないと、想い出や伝説に成り下がってしまう。
 もちろんそんな劇的に変わろうというつもりはない。401(新店舗)は良くも悪くも301の焼き直しである。ここでやれることを最大限やりつつ、外でやることも育ててゆきたい。来年の抱負。

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