少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2024.1.2(火) 晴れたればこそ、鮮やかなれ
2024.1.3(水) 売れる逡巡 庵野方式の時代
2024.1.8(月) 芸能界と政治の話
2024.1.15(月) Sexy時代(2031~)とは何か
2024.1.19(金) 半生の反省(判断能力のこと)
2024.1.24(火) 「やりたくないことはやらない」と「やりたいことをやる」

2024.1.2(火) 晴れたればこそ、鮮やかなれ

『爆笑問題のハッピー・タイム 歳時記』という企画CDに「晴れたれば、鮮やかれ。」という信念の挨拶が出てきて中学生くらいのときから使っているのですが「こそ」があったほうが座りがいいし「鮮やか」を形容動詞「あざやかなり」と見るなら「鮮やかなれ」がよいだろう。晴れたればこそ、鮮やかなれ。晴れたので、鮮やかだ。雨の日も言うのかな。

 年末年始のことを何も書けていないのでちょっとまとめておこう。


12月
22金 ヴァイオリンの石井くん(成城学園中学校で働いていた時の「教えてない子」)から吉田美奈子さんのバンド「柊」のコンサートに招待されたので行ってきた。目黒。生ハイネケンが350mlくらいで946円だったけど美味しかった。高級なお店は違いますな。夜学バーが22時開店なので第一部だけ聴いて離席、最後まで聴きたかったが。『終わりの季節』よかったな。
 23土 おおむね家にいた。夜はご飯を食べに出かけた。
 24日 ほぼ夜学バーにいた。(いつか更新されるはずの「日報」を参照。)
 25月 お店の家賃を払い、「安い!」と感動し、千駄木や根津で飲んだ。
 26火 Sexy ZoneのSexy Zoneとして最後のコンサートに行って歴史上最後の「We are Sexy Zone!」を叫んだしマリウス葉さんのマイクを通さない生声も聴けた、いろいろととてもよかった。
 27水 ほぼ家にいて、夜は「小松」納めをした気がする。
 28木 おせちを頼みに押上へ。浅草のナッツでコーヒー飲む。13時半から「氷砂糖のおみやげ」収録、17時に夜学バー開店して、庚申の日だったので朝までそのまま。それなりに人がいてよかった。朝方みんなが帰ってから『雪が降る町』を弾き歌いした。インスタにある。
 29金 お昼は三好弥。17時から夜学バー。
 30土 17時から夜学バー。
 31日 14時から夜学バー。21時くらいまでほとんど人こなくて静かなもんだった。ちょうど人が来はじめたころ、おせちを取りにいくため離席、しばしのめみさんにお任せする。京島でなぜか麻雀に巻き込まれる。いったん帰って紅白ちょっと見て、近所の神社で年越し。甘酒飲んで、御神酒ももらおうとしたら「甘酒のおかわりもどうですか?」と言われ、「なんで?」と思いつつ飲む。僕が甘酒好きなのバレてたのか。いったんお店に戻ってご挨拶したあと、池の端の神社にお参り。甘酒と、御神酒と、おみやげ(おまんじゅう、暦、マスク、カイロ、辰のストラップ、そして謎の白紙20枚)をいただく。白紙なにに使うんだと思いますか? わかる人教えてください、BBSで。お店に戻って、朝まで過ごし、みんなが帰ってからもしばし動けず(そういうことけっこうある)、初日の出を浴びながら帰る。押上の「きくや」を経由してみたが、元日は休むとのこと。残念。
 1月
 1日 昼に起きて、爆笑ヒットパレード流しながら「氷砂糖」作業、なんとか15時に間に合う。おせち食べたり昼寝したり。生産的なことはほぼしなかったが、オールザッツ漫才と紅白を飛ばし飛ばしだが全部見た。オールザッツ(関西で年末に夜通しやってる漫才番組)って昔は3~4分くらいのネタをとにかく立て続けにやるだけの番組で、ひたすら漫才だけを50本とか見せ続けられる圧倒的な感じが好きだったんだけど、最近はほぼ「コーナー」と「ショートネタ」だけになってしまって寂しい。時代は変わりますな。明け方近くに見るリットン調査団とか最高でしたよね。記憶にある最も古いオールザッツはトリがぴのっきおやどん・きほーての頃。名古屋でも昔はやっていたのだ。
 2日 散歩に出た。足が痛くて難儀した。7~8キロくらい歩いたか。テレビも録画含めけっこう見た。たくさんものを食べた。


 地震が起きたときはお風呂に浸かっていて、湯船がゆらゆら揺れてまさに湯船だった。クズになった僕は何も感じ取れないのだが、感じ取る人は大変そうだ。
 30日の営業終了後、すなわち31日になった時に、泉谷しげるの『春夏秋冬』とスピッツの『みそか』を弾き歌った。これもインスタにあるがあんまり上手に歌えてない。
「今日ですべてが終わるさ 今日ですべてが変わる 今日ですべてが報われる 今日ですべてが始まるさ」という気分で年を迎えたかった。「みそか」というのはたぶん「仲間はずれ」という意味で、「浮いて浮いて浮きまくる覚悟」という歌詞に繋がるのだと思うが、三十日(晦日)とも書けるので、やはり大みそかとか「終わりの日」というニュアンスも感じる。
「凍てつく無情な風」は冬を思わせるし、「越えて越えて越えて行く 命が駆け出す 悩んで悩んではじまるよ 必ずここから」は年越しと新年を、「尖った山のむこうから 朝日が昇ればすぐに」というのは初日の出を。また「覚悟」という力強い言葉からは「新年の抱負」みたいなイメージを、僕は感じる。アルバム(『スーベニア』)でも最後の曲で、こじつければ発売が2005年の新年(1/12)。

「浮いて浮いて浮きまくる覚悟はできるか」という問いかけを僕は20歳の時に聴いているわけか。このころ僕はスピッツを「みんなが好きなものだから聴いたほうがいいのだろう」とか「スピッツを好きになれなければセンスが悪いということになってしまう」という邪悪な気持ちで聴いていた。そしてむしろ「そんなに良いものではないのではないか」と思っていた。ただこの『スーベニア』というアルバムに関してはけっこう好きで、とりわけ『みそか』を気に入った。今は素直に「けっこう好き」といえるバンドだし、草野さんのことは「マジですごい」と思っている。
 ちなみに似たような気分で椎名林檎も聴いていたが、こちらは今に至るまでまったく好きにならない。大森靖子も同じ気持ちで聴いてみたが同様である。そんなことを仲の良い女の子に言ったら「男の子はむしろそのほうがいい」というようなことを言われ、なんとなく納得した。男ってけっこうみんなうっすらと矢沢永吉とか好きだと思うんだけど、なんかそういうような話なのかもしれない。矢沢じゃたとえが違うかもしれないけどそういうようなことってあるとは思う。
 何かを悪いとか嫌いと言うことは非常に難しいのであんまりはっきりとは書きたくないんだけど、僕は「世間とかサブカル界隈的な世界ではけっこう良いものとされているけどまったく好きではないもの」がたくさんある。その逆もある。もちろんそれは当たり前のことだが、この「当たり前」を獲得するためには、「流されない」という強固さが必要になる。若き日の僕は「好きにならなきゃ」という気持ちでスピッツ聴いていたのだ。自ら流されに行こうとしていた。そんな時に「浮いて浮いて浮きまくる覚悟はできるか」とまさにその相手から問われ、ハッとした、ってことなのかもしれない。綺麗に語れば。
「自分の価値観を自覚して受け入れる」ということをすると、「浮いて浮いて浮きまくる」ということに自然、なる。「これは好きだがこれは嫌い」という正直さは、他人との軋轢を生みかねない。僕の愛する友達には椎名林檎や大森靖子や伊集院光や星野源を好きな人がたくさんいるのだ。若い時期にはそれを忌むべき矛盾と思ってしまって悩んだりもした。今はべつに、もっと広い頭でその現象を理解しているから何も問題には思わない。ただはっきりと「嫌いだ」と言ってしまったら、たとえば僕のことを好きな人はそれを強く意識してしまう。そしていずれかのものとの距離がきっと開いてしまう。みんなやっぱり気にしちゃうのだ、そういうことを。
 いつしか僕は「流行りモノから目をそらす」「多くの人が褒めているものを理由なく取りに行かない」みたいな癖がついた。何も嫌いになりたくないのだ。「好き」と思ったものにだけ近づけば良い。機会損失もあろうが、そのほうが僕には平和だ。こっちの浮き方が性に合っている。
 浮き方にはたとえば、「バズる浮き方」と「バズらない浮き方」があって、僕は圧倒的に後者。黙っている。どこかで大地震が起きても、必要がなければ何も言わない。その必要の見極めにとにかく執心している。

 固有名詞を使って何かを語ろうという態度自体が馬鹿馬鹿しいということもある。「何かを言いたい」という欲求自体を見直すべきという話でもある。しかし、そういう言葉が人を助けたりもする。間をとって、できるだけ質の良いことを言う、とか。そういうふうになっていると良い、このホームページは。
 今年はどういう年にしましょうか。いろいろ考えていることはあるので、引きつづき散歩を続けていきます。

 上に挙げた固有名詞さまたちについて僕が「好き」とか「好きじゃない」とか思うとき、その本人だけのことを捉えている場合は少なく、その周辺にあるものを含めて判断している場合が多々あります。主に「それを好きだと表明している人たち」のことを。「消費されるもの」は「消費するもの」と一体化していると基本的には考えていて、「される側」だけを切り取る場合は、ふさわしい語り方をします。
 僕がバズることに慎重なのはこのせいもあるかも。バズったらバズらせた人たちがついてきてしまう。

2024.1.3(水) 売れる逡巡 庵野方式の時代

 バズる、バズらないということを昨日書いたばかりだが、『プロジェクト・シン・エヴァンゲリオン』という本を読み終わって、「売れる」ということについて改めて考えている。売れなければしょうがない、ということが身に沁みてわかってきた。もっといえば「稼がなければ」「儲けなければ」ということである。
 庵野秀明さんについて関係者は口を揃えて「監督であり経営者でありプロデューサーである」という点について語る。もちろんそんなこと僕にはまったく関係がない、はずなのだが、庵野さんの言う「不確実性を保った作り方」とか「その場その場で強度を探る」(P252)といったフレーズを無視できない。まさか偉大なる彼に自分を重ねるつもりはないが、共感するのは仕方ない。
 夜学バーでやりたいことも、自分の生き方そのものもここに集約される。「不確実性」を愛すれば「その都度考える」が必要となる。
 正直言って人と何かをやることは恐ろしいし、リスキーだし、面倒でもある。しかし「不確実性」は確実に増す。それが「面白い」「楽しい」になるかどうかは、その不確実性を乗りこなせるかにかかっている。
 庵野さんは宮崎駿作品について、「画コンテの時点が一番面白い」と言う。「画コンテには宮崎駿の100パーセントが表れているため」だと。一方、庵野さんは(全編ではないが)画コンテをつくらず、各スタッフのアイディアや成果物について判断を下す、という形式をとっていたようだ。
 宮崎駿は完成品を最初に提出するような作り方をするが、庵野秀明は「都度都度により面白い映像を探り続ける」ことを良しとし、実際『シン・エヴァ』で試みて成功した。宮崎駿は不確実性を廃するが、庵野秀明はそれを愛し、乗りこなそうとしている。

 僕の心はその間に揺れる。自分でぜんぶやってしまったほうが楽ではあるが、僕は上記のようなことを「宮崎→庵野」の世代交代だとも思っているから、これからはきっと庵野方式のほうがうまくいくようになるはずである。実際、夜学バーは最初から自分以外の従業員を複数置いて自由に任せるようにしていた。しかし2019年時点でそれを「乗りこなす」ことができなかった。
 いま、夜学バーに立っているのは僕だけである。大みそかにはお手伝いを頼んだけど。それは「もう自分ひとりで全部やるんだ!」ということではない。しばらくはそうしたほうがいいだろう、というのはあった。「乗りこなす」のにまだ自信がないから。しばらく考えて、いろいろ試してみて、目処がついたらなんとか上手に、みんなと一緒にお店を動かしていきたい。

 ただ、冒頭の話に戻るが、もう一つ揺れるのは「売れる・売れない」である。夜学バーという、すでにある程度確立した概念の中でできることは限られていて、それは「儲からない」と決まっている。儲かるほうに調整していくことも不可能ではなかろうが、それは「徐々に」「微々と」の話でしかない。
 売れようと思うなら「夜学バー」の外側で行われなければならない。売れない店ならではの美徳を保ちつつ、総合的には売れる方法を考える。株式会社カラー(庵野さん)がライセンス事業や不動産投資を経営の助けとしているように。
 一発逆転を狙うのは僕の性じゃないので、正攻法でいくことになるだろう。すなわち、人を雇うなり、契約するなりして、自分ひとりではできないことをやっていく。はっきり言って、正攻法の世界では拡大しなければ儲からない。拡大ということ自体が性に合わないのだが、「矛盾しない点」はどこかにあるはずだし、さすがに今の僕は「多くのお客さんを獲得する」ということを考えていなさすぎる。欲を言えば、洞窟の仙人でもありつつ、しっかりとそれなりに売れるなんらかの存在でもありたいのである。

 さて、なぜ最近の僕は「売れる」ということを意識しはじめたのだろうか。つまるところ「やれることを増やしたい」のかな。一生ただの仙人でもいいんだけど、飽きそうな気もする。もうちょっとダイナミックな動きができてもよかろう。
「セレクトと編集が僕の才能」(P250)「最終的にはすべて自分自身で決める」(P254)と庵野さんは言っている。「優れた剣豪は剣を持たない」と言うように(誰が言った?)、優れたアニメーターはもう画を描かず、ただ判断を下すだけで良い。僕は「現場」というものに一生居続けるつもりであるが、それと同時に「剣を持たない」という状態にもありたい。

 こんなことを書いたからといってすぐに何かを始めるというわけでもないし、具体的な計画があるわけでもない。ただ、頭の使い方を今年はちょっとそっち方向にも振っていく。そのために夜学バーに立つ時間はちょっと減らすのだ。

2024.1.8(月) 芸能界と政治の話

 ゆりやんレトリィバァは言葉で説明できるネタばかりでイリュージョンがない。「ああ、架空のハムスターを撫でてるんだな、面白いな」と一瞬で言語化できる。そこで何が起きているのか、どこが面白さの肝なのか、ということがすぐにわかるし、説明できる。単純だとかわかりやすいとか、それだけの話ではなくて、大事なのは「言葉で説明できる」という点である。「何が何だかわからないが面白い」という余白はない。こないだの『THE W』で戦ったあぁ~しらきとはその点が好対照。あっちは僕には言語化できない。
 とか、トリオのネタは二人で実現可能なものを三人に散らしているだけのものが大半、とか、ロバートに関しては「多数決」という概念が導入されておりこれは二人では実現できない、とか、わりと普段からお笑いについてのことはいろいろ考えております。高校生のころの日記を見ると昔からそういう人間だったらしいことがわかります。それでダウンタウンと、ウッチャンナンチャンと、とんねるずと、爆笑問題についてのことを書いていきたいのですが、どんだけ長くなるやら。
 とりわけウッチャンナンチャンに対する想いはものすごく強いので、とりあえずそれだけは近々書くと思うんだけども、とりあえず松本人志さんと中島健人さんのことを少しでも書きたくて今日はここにきました。

 松本さんの活動休止を受けて、あるアカウントが「賠償額をつり上げるためだ」と喝破しており感心した。なるほど「あんな記事が書かれたせいでこんな事態になった、裁判もあるから仕事を休まなければならない、そのぶんの損害賠償をしろ」というふうに言えるわけだ。原告はたぶん吉本興業(と松本人志?)になるから(2024/01/15追記 そうでもないらしい、次の日の記事で補足してます)、「お前らの記事のせいでウチの松本が仕事でけへんくなったし、テレビ局にもスポンサーさんにも迷惑おかけしたんや! どないしてくれんねん!」という話になるだろうと。
 そうだとすれば、週刊文春はひょっとしたら大損害を被るかもしれない。しかしそれでも松本人志さんを活動休止させたというのはものすごい大きなことだ。「大きい」というのは、価値判断は含まずただ単にサイズとして大きい。ダイナミックである。そういうのがみんな好きなのだろうし、僕も好きだ。面白い。
「世の中面白ければそれでいいのさぁ~」と松笛くん(誰?)も歌っていたが、そういう視点で見れば本当に面白い事態になっている。
 これは勝手な推測でしかないが、なぜ松本さんが活動休止を選んだかというのは、上記の裁判に関することだけではなくて、「休みたい」というのもあるんじゃないかとちょっと思う。本当に想像でしかないが、いくらなんでも人間、何十年もほとんど休まず働いていれば、「まとまった休みがほしい」とくらい思うものなんじゃないだろうか。明石家さんまさんは思わないかもしれないが(イメージ)、タモリさんは思ったことがあるんじゃないだろうか(イメージ)。
 もちろん、「ほとぼりが冷めるまでおとなしくしていよう」というのもあると思う。吉本くらい賢くなれば(というか、賢いブレーンを抱えられるほど巨大であれば)、「人の噂も七十五日」という真理をよく知っているだろう。時間がすべてを解決してくれる。小山田圭吾さんに対していまだに怒っている人はほとんどいない。緊急事態宣言下の異様な雰囲気もだいたいみんな忘れただろう。
 吉本も自民党も、そういうことが本当にうまい。自民党(あるいは政府)はもっと巨大なわけだから、もっと優秀なブレーンがいくらでもいて、いまの裏金問題もうまいこと収束させようとしているはずだ。逃げ切る人は逃げ切るし、切られる人は切られる。松本さんの記事でアテンダーとして描かれた小沢一敬さんはこのまま静かに仕事が減っていくかもしれない。池田佳隆さんは逮捕されてももっと上の人は無傷に終わるかもしれない。さてどうなっていくだろう、何もかもが楽しみである。2024年はかなりすごい。

 巨大な組織は馬鹿じゃない。政治とは「みんなの意見をきくもの」であって、その「みんな」というのは本当に「みんな」なのである。また政治というのは「バランスをとるもの」であって、ありとあらゆることを考えたうえで一番マシと思われる手が打たれる。結果、誰かにとって愚かに見えることもある。愚かだからそれをするのではなく、現状最も賢くて権力のあるような人たちが一所懸命がんばって、それでも愚かに見えることしかせいぜいできないのだ。間違っていることや非効率も多くあろうし、汚いこともあるだろうが、文句を言っても仕方ない。生身の人間が一所懸命がんばって、それでも、いやだからこそ過ちはいくらでもある。だが、国全体にとっては良い結果を生むと信じて政治は動いている。「みんな」の願いをすべて聞きながら。杉村太蔵さんはよく「政治家の皆さんは本当に国のことを考えて日夜働いておられます」みたいなことを言っているが、たぶん本当にそうなんだと思う。しかしそのためには汚いことも現状は必要だと信じられているのだろうし、自分の欲だって満たしたいと思ってしまうかもしれないし、ある面では良いがある面では悪い、という苦渋の決断をせねばならない局面は無数にあろう。
 岸田さんが「新年会」に出席したことを批判されていた。北陸は地震で大変なのに、と。しかし新年会にもいろいろあって、ただ浮かれて飲んで酔って騒いで忘れたいだけの新年会に行ったわけではないはずである。首相が公式に出席する新年会なんだから、その意義は絶対にある(と政府は信じている)。でも見る人が見ればそれは「不謹慎」で、心が傷つけられたり、ガックリしちゃう人もいたかもしれない。なんせ「新年会」ってのは「ただ浮かれて飲んで酔って騒いで忘れる」みたいなものだというイメージがあるわけだし。そういうような多面性が、すべての政治家のすべての行為や政策にある。喜ぶ人は喜ぶが、悲しむ人は悲しむ。
 多くの人が、いまの政治はよくない、間違っている、日本は終わっている、みたいなことを言っている。それはそうかもしれないが、みんなが一所懸命がんばった結果がそれなのだ。どれだけ誰が一所懸命がんばっても、喜ぶ人と悲しむ人がいる。その総合点が少しでもプラスになるようがんばるのが政治なのだ。最大多数の最大幸福を求めてはいるはずなのだ。しかしそんなに上手に人間というのは立ち回れないし、ついつい悪いこともしてしまう。間違った判断もしてしまう。

 Sexy Zoneという存在も大きくなりすぎた。それがマリウスやケンティーにとっては不自由になってしまったのかもしれない。ドームでコンサートをやるようなグループは、その活動と他の何かとを両立させることは難しい。
「あなたの夢が叶ったら私の夢叶わない」とはシャ乱Qの1stシングル『18ヶ月』から。Sexy Zoneとして大きくなればなるほど、個々人は「Sexy Zone」に縛られることになる。
 今日、中島健人さんが3月末での脱退(菊池風磨さんの刹那ルツブヤキ。にはそう書いてあった!)を発表した。なんで脱退しなきゃいけないのか。Sexy Zoneでありながら、自分の個人としての夢も進めていくことはできないのか。できないのだろう。そのくらいSexy Zoneであるということは忙しい。
 ドームツアーするってことは、1万円のチケット代と交通費や宿泊費、ファンクラブ代やグッズ代等々を支払ってくれるファンを10万人以上維持し続けなければならないということだ。それは想像もつかないほど大変な事。「年に一度だけドームツアーするけどほかの活動は一切しません」というのが成立するアイドルってたぶんいないと思う。グループでテレビ出たり新曲出したり雑誌載ったりしないとたぶん無理。露出は大事。それをしながら個人としてやりたいことをやるのは不可能で、だからマリウスもケンティーも泣く泣くグループを去るしかないのでは、とまで言うと乱暴だが、少なくともそういう側面も少しはあると思う。
 僕の理想としては、Sexy Zoneは5人でありつつ、ライブに出るのは主に3人だよ、マリウスや中島もスケジュール次第では来て何曲か歌うかもね、テレビも基本的には3人で出るよ、たまにマリウスや中島も来るかもね、みたいなふうに、「菊池、佐藤、松島の3人を中心とした流動的なグループ」になりゃいいじゃんと思う。しかし世の中はそういうふうな熟し方をしていない。そんなやりかたでファンダムの秩序と治安を保ち、ドームツアーを維持できるとは思えない。もちろん僕はそこにチャレンジしてほしいわけだが、無理なもんは無理なんだろうし、僕の知らない他の事情だって無数に無数に、本当に無数にあるはずだ。
 たぶん、5人とも、誰も、Sexy Zoneをやめたくなどない。しかしさまざまな事情のもと、みんなが一所懸命がんばって、その結果が卒業だったり脱退だったりするのである。それはもう仕方ないことなのだ。世の中は、あるいは人間は、そう都合のよい熟し方をしていない。

 政治も芸能界も、おそろしく巨大なもので、僕のような一般の個人にはまったく見えていない領域が無限に広がっているはずだ。その中で悪いことも行われつつ、それでも基本的にはものごとはけっこう真面目に考えられている。みんなそれぞれにそれぞれの欲求を満たしつつ、どこかでは「最大多数の最大幸福」を目指してがんばっている。
 かつて組織は個人の欲求をある程度制御できていたのだが、もはやそんな力はない。過ぎた欲求は制御不能で暴走する。組織(グループ)と個人とはどう折り合いをつけていくべきなのだろうか。あちらを立てればこちらが立たず。
 もはや天才に狂気は求められていない、みたいな記事をチラッとみた。松本さんの時代は「天才と狂気の蜜月」の時代でもあったような気がする。
 いずれは「両立」の時代になっていくと僕は思うのだが、その過渡期には寂しいことがたくさん起こる。がんばれ量子コンピュータ(?)。

2024.1.15(月) Sexy時代(2031~)とは何か

 前回の記事から1週間が経ち、すでに古くなっている部分があるので補足。どうも松本人志さんが週刊文春に対して起こす裁判については吉本興業はサポートにとどまりあくまでも松本個人が行うらしい。そうなると素人目にも「損害賠償」は無理筋と思う(サンジャポで細野さんという人も言っていた)。吉本が「ウチの松本が休んでまったやろがい」と言うならば、勝てるかどうかはさておき話は成立する気はする。どうなんでしょう。

 それはさておきSexy時代についての所見を述べておく。
 小泉純一郎元首相が息子の進次郎に「50歳になるまでは(総裁選に)立ってはならない」と言ったらしい。それが真実で、守られるのならば彼が総理大臣になるのは2031年4月14日以降。Sexy Zoneの結成とデビューは2011年なので、ちょうど20年という節目の年である。

 小泉進次郎は2019年の国連気候行動サミットにおいて「On tackling such a big-scale issue like climate change, it's gotta be fun, it's gotta be cool, it's gotta be sexy, too.」と発言した。気候変動のような巨大な問題に取り組むことは楽しく、クールで、セクシーだろう、と。

 Sexy Zoneは5人組のグループで2011年9月29日に結成、11月16日にCDデビュー。2022年末にマリウス葉がグループ活動を卒業、2024年3月31日をもって中島健人が卒業し、4月1日から菊池、佐藤、松島の3人が別のグループ名として活動する。
 これについて僕の友達は、「Sexy Zoneはあくまでも5人」としたうえで、「これからはそれが三手に分かれる」と言う。
 Sexy Zoneという名前の存在はこの世の表舞台から姿を消すが、メンバー5人はいつまでもSexy Zoneである。これからは新グループの3人と、海外で勉学に励むマリウスと、個人として活動する中島(ケンティー)とで「手分け」するというわけだ。
 僕はこの「手分け」という概念が大好きである。詳しくはこの日記

 わかりますでしょうか。Sexy Zoneは5人組として永遠に存続しつつ、その中に新グループ、マリウス、ケンティーの3ユニット(?)が所属している。世間では「ケンティーがSexyの概念を奪って去って行く」という意地悪な見方をする人もいるが、さにあらず、Sexyはみんながそれぞれ胸に、あるいは手に持って歩いてゆくのだ。彼らの曲には「sexy」という単語の含まれた曲がたくさんあって、それらは4月以降もきっと歌い続けられるだろう。特にデビュー曲の『Sexy Zone』は。

 Sexy時代を創り出す 新しいageへ
 ここからはじまる Sexy Zone
(Sexy Zone『Sexy Zone』)

 Spice Girlsは1994年に結成、活動休止と再結成を経て2012年にロンドンオリンピックの閉会式で5人が揃いデビュー曲『Wanna be』(1996)と『Spice Up Your Life』(1997)を歌った。これと同じようなことが2021年の東京オリンピックでもSMAPまたは嵐で行われるかと思ったのだが、どちらも活動していなかった。Sexy時代もまだ遠かったのでSexy Zoneも起用されなかった。ちなみにどのグループも5人組である。
 Sexy Zoneは5人ということに強くこだわって活動してきた。途中で事務所(たぶんジャニーさん)の意向により「佐藤、中島、菊池の3人を中心としてメンバーが入れ替わる流動的なグループ」として活動した期間が1年ほどあったのは大きい。その間松島聡とマリウス葉はシングルのジャケットにも載らず、テレビ出演にも姿がなかったりした。


 データや蘊蓄はこれくらいにして、本題めいたところへ。Sexy Zoneに僕は新しい時代(age)の片鱗を見る。
 これからの世界は「同時」ということが当たり前になって矛盾(と従来は見なされていたもの)を飲み込み、組織は力を失い個人はばらばらになるが、一時的な協業や共闘のために「ユニット」が組まれることが多くなる、みたいなことをここに書いてきた。ジャニーズグループの解散や休止、脱退などの多さを見るにつけ「グループが個人より先に立つ」時代はいよいよ終わったのだなと思う。離婚や転職が当たり前になってきたことも連動している。会社とか夫婦とかグループというものはもう求心力を持たない。流動的に変化していく時代なのだ。

 マリウス葉や中島健人が「グループとしての活動をやめる」と決意し、ほかのメンバーもそれを応援するというのは非常に現代的だ。しかしSexy Zoneは今のところ、僕の解釈においては、さらにその先を行っている可能性がある。「Sexy Zoneという5人組(組織)を温存したまま、個人が自由に夢を追う」ということを実現させようとしているかに見えるのだ。
 前回も触れたが、大きな組織やグループは一度動き出したら止まることは難しい。三大ドームツアーをするとなれば、それだけでおそらく何百億というお金が動く、何千人という人間が関わるプロジェクトになる。テレビやCD、CMなどすべての活動を含めればもう一桁上がるかもしれない(このへんはさすがに規模がでかすぎて想像もつかない)。「ちょっと他のことやりたいんでグループ休止します」というわけにはいかない。嵐が休止を発表したのは実際に休止する2年近く前である。SMAPもいわゆる「騒動」からおよそ1年後に解散した。
 その歯車は3人がグループとして引き継いでいきつつ、マリウスとケンティーもそれぞれの現場で活躍していく。森且行がオートレーサーになったのとかなり似ているが、森くんはSMAPではなくなったしSMAPというグループとの共演も結局かなわなかった。一方マリウスは「卒業」とはいえいまだにメンバーたちは「5人」と表現するし、こないだのドームツアーファイナルではメンバーしか口にできない「We are」(これに対してセクラバ=ファンたちが「セクシーゾーン!」と応えるのが通例)をマリウスが叫んだのである。Sexy Zoneのインスタにも出てきてたりする。マリウス葉は依然として「メンバー」なのだ。
 同じような流れになるなら、ケンティーだって「We are」を言ってもいいのだろうし、「セクシーサンキュー」とは言い続けると思う(封印する可能性もないとは言えないが……)し、共演だってするんじゃないかと思う。時が熟すればまた5人で歌って踊ることもないとはいえない。それこそ3回目の東京オリンピックとか……。

 くり返すが僕の思うに、令和以降のキーワードは「同時」である。Sexy Zoneであり続けながら、一般人であったりソロアイドルであったりもできる。そういう道をSexy Zoneが示してくれることをとても期待している。時代を創ろう。たのむぞよ。


 順調に事が運べば2031年以降、小泉進次郎は総理大臣になるだろう。Sexy時代の始まりだ。デビュー20周年を迎えるSexy Zoneの5人は、みな30代の脂ののった時期。ふたたび5人が揃って『Sexy Zone』と『カラフルEyes』(現実的には『RUN』だけどな!)を歌う日を待ち望もうではありませんか。そのように流動的に、柔軟に、離れたりくっついたりできるのがSexy時代というわけです。

 Sexy時代の元号はSexyがいいけれども、さすがに無理だから「永治(エイジ)」とか。でも「永く治める」だと天皇を想起するから今の時代は避けられそうだし、明治と音が似過ぎているのでちょっと違うか。それならば新しいageということで「新」の字が入るんじゃないかな。新が先に来るとアルファベットの頭文字がSになるから昭和とかぶる、ゆえに「○新」の二文字。享新、和新、仁新、宝新、承新、弘新、応新、嘉新……。このあたりでどうでしょう。たまたま古典籍に典拠あることを祈ります。新グループ名発表されたらもっかい考えよっと。

2024.1.19(金) 半生の反省(判断能力のこと)

 自分について考えるに、やはりいつでも「子供である」ということになるんだけど、では「子供である」とはどういうことなのか考えてみると、「判断能力の欠如(未成熟)」ということになるのだろう。
 大人になるとは「判断能力を持つ」ということであるとして、判断能力とは「常識的な判断が思いつき、できる」ということになると思う。
 自分はどうして「こう」なのだろう、という疑問はほぼこれで解ける。判断能力がないのだ。
 それに尽きるのでこれ以上書くこともないが、もうちょっと他人にわかるよう具体的に表現してみる。
 判断能力がないので、能動的に何かをやるということがない。そもそも「判断する」ということが困難だから基本的に受け身となる。流されるまま生きている。
 考えたことがあっても言えない。口に出せない。口に出したことは「判断」として評価されるのだが、判断能力のない人間の判断は常識によって一刀両断される。「その判断は間違っている」と。

 などと書いてみて、「ウソつけ、あんたよくしゃべるし、誰よりも文章書くじゃん」という声が聞こえてきた。確かにそうなのだ。
 なのにどうしてそんな「僕はしゃべれない」みたいな嘘をつくのだろう。いやもちろん嘘ではない。「口に出せない」ことと「よくしゃべる」ことは両立する。思春期のイキッた文系男子によくあることだ。フリッパーズ・ギターそのもの。たぶん僕はいまだにその程度のところにいる。
 自分には常識的な判断能力がなく、苦し紛れに「遠心的」などと言う。すなわち、「結論や目標が先に立つのはあんまり良いことではない」と僕は言うのであるが、それは「結論や目標」を立てることが僕には甚だ困難であるからだ。それすなわち「判断する」ということであり、その出力は必ずや「非常識」である(そう僕は思い込んでしまっているし、いつからかそのほうが自分らしいとさえ感じてしまっている)。
「判断」となるようなことは何一つ口に出せない代わりに、そうでないことならいくらでも口をついて出てくる。あとは白い雲のように風に吹かれて消えていくのさ〜みたいな感じ。
 決断というものをしない。これは極めて問題だ、ようやく気がついた。

 問題ではあるが、ではそのような態度を改めるかどうかはまた別の話になる。
 風に吹かれて生きていくことに覚悟を決める、それも一つの決断であるし、その決断をせずに、一生悩みながら生きていくのだってありうることだ。
 だけどなんか決断をしないことにも飽きが出てきた。
 判断能力がないから、判断しないでいたら、判断能力が育たなかった、単純にそんだけの話でもある。
 判断や決断という楽しみを知らないで大きくなってしまった。
 もちろんその代わり、フツーの人があんまり考えないような領域のこと、すなわち「決断をしないでいかに生きていくか」みたいなことに関してだいぶ長けてきた。
 性に合っているといえば合っている。多分だけどタモリさんとかも決断をしなかった人だと思う。一方、島田紳助さんは決断に塗り固められた人生なんだと思う。合う合わないはある。
 たぶんこの先も、たいした決断をせずにのらりくらり、踊るように生きていくし、今のところはそれが僕のいいトコなんだとも思われる。
 ただ問題は、飽き。そして社会との兼ね合い。楽しく、上手に、やらなければ。

 でも本当に、実感として、僕が決断したことって大体裏目に出る。人の世ってそういうもんだとすら思ってしまう。冷静に状況を見て、それに応えていくほうが、自分から動くよりもうまくいくことが多い。ただそれではダイナミズムは生まれないこともわかる。安全にいくなら座す、ハイリスクハイリターンなら、動く。まあ一番いいのは、蝶のように舞い蜂のように刺すことだろう。機を窺いながら、ここだって時に判断ができるよう、多少練習しておくのは悪くない。
 僕は投資もギャンブルもしてないんだけど、ああいうのができる人ってやっぱ「決断型」あるいは「求心型」なのかなって感じがする。

2024.1.24(火) 「やりたくないことはやらない」と「やりたいことをやる」

 前回、「成り行き(遠心)型」と「決断(求心)型」というような話をして僕は前者と書いたが、タモリさんと島田紳助さんとの比較からべつの説明も思いついた。そっちのほうがしっくりくるかもしれない。
 それは、「やりたくないことをやらない」という態度でいるか、「やりたいことをやる」という態度でいるか、という差。これがまさにタモリと紳助(敬称略)で、僕は完全にタモリ型。

 タモリさんの有名なエピソードで、「幼稚園に見学に行ったとき、お遊戯をしているのを見て『合わない』と感じ、幼稚園に入るのをやめた」というのがある。「やりたくないことはやらない」なのだ。
 その後は「吉永小百合がいたから」という理由で(本当か?)早稲田の第二文学部に進学、友達にお金を貸すため学費を使い込み中退、福岡に帰ってさまざまな仕事を転々とし、山下洋輔、赤塚不二夫、黒柳徹子らに「発見」されていつの間にか東京に住む芸人となった。「成り行きとなりすまし」で人生が進行してきた。
 一方、島田紳助という人は18歳で弟子入りし、「10年間だけ漫才をやったら東京に出て司会者となり、50で引退して好きなことをやる」というのをかなり早い段階から決めていたそうである。そしてほぼその通りに実現した。まさに「求心的」で、「やりたいことをやる」が強い人間であろう。
 たとえばM-1に関しても、「こういう大会がやりたい」ということをかなりしっかりと計画して進めていった(実務的なことは谷良一という人がしたようである)。タモリさんがこのようなダイナミック動きを仕事面でする様子はあまり想像できない。「売れる」という発想があまりなく、基本的には求められることをやる。だから『いいとも』も『タモリ倶楽部』も『Mステ』もあれだけの長寿になったのだろう。(僕は『今夜は最高!』『音楽は世界だ』『ジャングルTV』あたりの、タモリさんの「やりたい」成分が比較的強く出た番組が好きである、言うまでもなく。ちなみに湯島が舞台の『ヨルタモリ』はもともと1年間だけの予定だったらしい。)

 僕はとにかく「やりたくないことをやらない」、いや「やれない」。タモリさんもきっと、幼稚園のお遊戯を見て「無理だ」と思ったのではなかろうか。ワガママで拒絶したというより、不可能なので遠慮した、というほうが近い気がする。想像でしかないが。
 誰だってやりたくないことはやりたくない(当たり前だ)、しかし「やれてしまう」から無理して「やってしまう」人がたぶん世の中の多勢を占める。でないと世の中は健全に動いていかないと普通は思うからだろう。僕だって「やれる範囲でやろう」とは思っている。しかしできないものはできない、そのアキラメが早いということなのかもしれない。ゆえ精神を病む前に辞めてしまう。今のところ眠れなくなったことも薬に頼ったこともない。逃げ上手なのだ(立ち向かい下手とも言う?)。

 別の見方から言えば、「べつにやりたいことなどない」。というか「やりたいことはお金にはならない」。
「売れる」という発想が得意な人は、「やりたい」と「稼ぐ」がけっこう近くにある。島田紳助さんはそういうタイプだったと思う。ところがタモリさんのように「発見」されて偶然売れてしまうようなタイプの人はたぶんそうではないのだ。タモリさんは「受注」が性に合っている。バーなどで披露していたいわゆる「密室芸」も、酔ったお客さんのリクエストに即興で応えていたような感じだったらしい。
 好きなことをしていてもお金にはならない。この日記もある程度好きで(自発的という意味)書いているわけだが、ほとんどお金にはならない。しかしそれでは悲しいので、どうにかして少しでも生活の糧にしてゆきたい。お店に立つことをし始めた頃、「ホームページを読んでジャッキーさんに興味を持ちました」なんてお客さんが来て、「この日記が初めてお金になったな!」と感動したものだ。今運用してる「おこづかい」も、どうにか「やりたい」と「稼ぐ」とを少しでも近づけるためのささやかな努力なのである。
 夜学バーだってそうだ。やりたくないことはやらない、不本意な売れ方はしたくない、僕が「いいお客さん」と思えるような人にぜひ来てほしい、この信念は年々強まっている。いくら儲かったって営業そのものがつまんなかったらやる意味がない。
 いかにして「やりたくないことをやらない」という自分の特性を甘やかしたまま、「君の恐がってるぎりぎりの暮らし」(尾崎豊『Scrambling Rock'n Roll』)を繋げてゆくか。そのための工夫を日夜、しているつもりなのである。

 ただ前回の暗い日記に書きたかったことは、「それだけではダメなフェーズに入ってきたのかもな」ということで、そろそろ別の動き方を検討してみてもいいのかもしれない。
「やりたくないことをやらない」という根本理念を覆すつもりはあまりないが、「やりたいことをやる」のほうを耕してみるのには意味がありそうだ。
 僕は四人兄弟の末っ子で、「自分の意思」というものをことごとく潰されて生きてきたものですから、基本的に態度は受け身、受注、ひたすら黙って耐えて、そのままでなんとか利益を享受しようと画策してきた。「やりたい」という能動的な気持ちはそもそも希薄か封印した。社会に対してもそうで、少し前に政治について書いた諦念みたいなものも、まさに「世界というのは自分の意思でなんとかできるようなものではない」という末っ子感覚から出てきているものだろう。「世の中を変えていかなければならない!」と息巻く人たちには理解できないものかもしれない。僕は僕で、それとは違う感覚から「世の中をよくしていく」ことを静かに、淡々と進めているつもりではあるのでお許しを。
 ここから僕が目指す、というか意識していこうかと思うのは、タモリさんと島田紳助さんのハイブリッド、「やりたくないことはやらないで、やりたいことをやる」という、まあ最良の態度。それで世の中や他人とうまく折り合いがつくとも思えないが、とりあえずやってみようね。

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