少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2024.2.1(木) 話の途中ですが
2024.2.13(木) 長岡行(1/29月-30火)
2024.2.18(月) 札幌行(2/7水-8木)
2024.2.29(木) 2月のダイジェストと懊悩の実際

2024.2.1(木) 話の途中ですが

 石炭をば早や積み立てつ。森鷗外『舞姫』の冒頭文、お店に独り座ってお客待つ冬の夜なんかにふっと浮かぶ。ストーブ炊いてると特に。
 ダウンタウンが近年「仲良し売り」していたのは誰かの入れ知恵だったのか、それとも彼ら自身の嗅覚による自然な態度だったのか。同世代の芸人、たとえばとんねるずやウッチャンナンチャンらより圧倒的にコンビの仕事が多く、CMにも一緒に出たりして、特に松本さんがことあるごとに「浜田が」「それは浜田の方ですけどね」と相方の名前を(不必要と思えるほど)よく出していた。ウエストランドも「お笑いファンはコンビ仲がいいかどうかで評価を決めている」みたいなことを言っていたが、お笑いコンビというのはお茶の間にとって最も身近な


 うおーーーーここまで書いて9日間も経ってしまった!(現在10日の18時半、夜学バーの営業中です)
 僕がここを更新しないということは、基本的に「忙しい」と「体力がない」が重なった時。忙しいと体力が奪われますので当然で、そうなると「元気がない」ということにもつながってきます。ちょっと元気がないですね。

 ↑の文章は、最終的に「ウッチャンナンチャンと爆笑問題の凄さ」という話になっていくはずだったのですが、書けなかったですね。いつか書くと思います……。
 この間に長岡に行ったり札幌に行ったりして、考えたこともたくさんあったので先にそっちを。近いうち更新されるはずです。このままお客がなければすぐにUPされるでしょうが、お客はできればたくさん来てほしいです。

2024.2.13(木) 長岡行(1/29月-30火)

 だいぶ書くのが遅れてしまったが先月末に長岡に行った話を。
 冬になると地方での取材案件が発生する。おおむね20歳の時(21歳かもしれない)から続けている教育関連の仕事で、大学や専門学校等に行って学生や卒業生、先生などにインタビューして記事にするのだ。ここ数年ライターとしての収入はほとんどこれ。(ご依頼は常時募集しております。)今回は新潟県長岡市の専門学校で、分野は保育・幼児教育。

 ちょっと早めに長岡に着いたので、まず友達が薦めてくれた喫茶店「ミチル」でモーニング。それから「亜沙美」という喫茶まで歩くことにするも、遠い。雪を懸念して自転車を持ってこなかったのを後悔した。十分走れる。
 途中、目を光らせて「良さそうなお店やスポット」を探しまくる。ざくざく見つかる。その都度地図上にメモっていく。あっというまにピンで埋まる。長岡に来たのはおよそ20年ぶり、その時は駅からはるか山の上にある技大(長岡技術科学大学、当時副管理人の添え木さんが在学していた)に自転車で行ったので、街を歩くのは初めてのはず。
「亜沙美」は東口から徒歩20分程度の住宅街に。Googleマップ上では「閉業」とされており、インターネット情報はほとんどなし。しかし行ってみると看板の上のパトランプが光ってぐるぐる回っている。これは!と思うも営業している気配はない。ちょうどお隣の会社から人が出てきたので訊ねると、「まだ開いていないかも、もしかしたら中にはいるかもしれませんが」という感じのお返事だったので、やはり閉業しているわけではなさそうだ。あとでまた来てみることにする。
 そこから取材先まではまた20分くらい歩くのである。足を痛めているのでけっこうしんどかった。
 1時間ほどで取材終了。こういう取材の対象者はたいてい「学校で1,2を争う優秀な人間」が選び出されるため、話を聞くのが楽しい。「オープンキャンパスはタダなんだから友達と遊びに行く感覚で分野問わず通い詰めるべし」「ネガティブなことを言ってくる大人は無視して自分の意思を尊重すべし」(意訳です)などパワーのある言葉をたくさん聞けた。
 夜学バー店主としての「幅広さ」「豊かさ」はこの仕事によって培われたり維持されたりしている部分も大いにある。同時に地方でのフィールドワークもできるので非常にありがたい。今回も長岡を堪能した、昼すぎに仕事が終わり、翌日の終電まではいるつもりである。

 ホテルのチェックインまでは時間があるし、昼食もとりたいので西口の「殿町」と呼ばれる繁華街の周辺を歩き回る。地図がピンで埋まっていく。とりわけ目をつけたのは「禮」というスナックと「Variete3」というバーであった。どうしてこの二つが気になったかは長くなるので聞きに来てください(手抜き)。いや、これは本当に大切な「技術」なので適切な説明が難しいのです。
 とりあえずカレーでも食べるかと「モカ」というお店へ。ここは有名なので調べてくだされば。店内にずらり並べられたフィギュアもすごいが、それ以上に接客とかいろいろすごい。安くてたっぷり、コーヒーもついて最高。
 ホテルに入りちょっと横たわった後に夜学バーの日報執筆を開始。そのためにPCも持ってきた。この日は夜学バーの「受注制度」を利用して「日報を書いてください」との発注を受けていたため、少なくとも3時間以上は日報を書き進めなければならなかったのだ。放っとくといつまでもやらないので、実にありがたい。
 20時くらいに遊びに出る。まずは午前中に歩いていて見つけた「鳥八」という居酒屋に。これは名店に違いないと目星をつけていた。「店構えが古くて渋く、インターネットで調べてもほとんど情報がないが、どうやら営業しているらしい」くらいのお店はたいていいい店である。なぜならば「愛されている」に違いないからだ。通行人や観光客に頼らずとも経営が成立しており、しかし「どうやら営業しているらしい」とわかるくらいには外側に開かれている。新しいお客を拒むのでなく、しっかり「やっているぞ」と主張しながらも絶妙な入りにくさによって聖域としての機能を保っている。こういうところは「何しに来たんだ」ではなく「よく来たね」と褒めてもらえる率が高い。
 逆に「何しに来たんだ」となりうるお店というのは(あんまり遭遇したことはないが)、店構えがどこか拒絶的なのだ。うまく説明できないが、「知らない人は入ってこなくていいよ」というオーラが放たれている。「よく来たね」のほうは、どことなく「おいで」とか「わたしを見つけてくれてありがとう」といった顔をしているものなのだ。スピリチュアルな話ではなく、ちょっとした貼り紙とか置物とか、そういうところに店主の意思は宿っている。これは経験を積めばだんだんわかってくる、と思う。
 若く見えるがおそらくかなり高齢の店主。おそるおそる生ビールを注文した。古いお店ではサーバの手入れが行き届いておらず、やたら酸っぱいビールが出てくることも多い。カビでも入ってるんじゃないかと健康に影響がありそうなレベルのものさえ時にある。とてもおいしかった。よかった。料理も何もかも美味しく、また安い。お客さんの雰囲気もとても良い。ほぼ思った通りであった。満悦。
 飲み始めが遅かったのもあり鳥八を出たのは22時15分ごろ。それから小一時間歩き回り、よさそうなお店を探す。狙っていた「黒船」はどうも開いていないようだった。結局先述の「Variete3」に入る。音楽のリクエストが可能で、女性四名が懐メロで盛り上がっている。長岡において文化らしい文化があるのはそれ自体珍しいが、雑居ビルの2階に女の人ばかりというのもまたすごい。みんな酔っ払いきっているのもあってやたらとモテた。「東京の人」とか「関東さん」とか呼ばれて、良くも悪くも新潟市との差を感じる。すなわち、「盆地の城下町」と「城のない港町」との違い。港町はよそから人が来ることを特別なことだと思っておらず、より開かれているような感覚を得る。
 と言って少なくとも飲食店においては長岡の人が冷たいとか閉鎖的とは感じなかった、むしろ歓迎していただけたと思う。特に隣り合ったお姉さんはすっかり酔っ払って、現在絶賛放送中の宮藤官九郎ドラマ『不適切にもほどがある!』の主役、阿部サダヲ演じる小川市郎先生ふうにいえば「これチョメチョメあるんじゃないの?!」って感じだった。普段なら23時くらいで閉めているらしいところ、「マスターもう30分!」と結局1時半まで開けていただいて、一緒にお店を出た。僕のホテル前で別れ、代行の待つ駐車場まで歩いて行くのを見送った。
 もう一軒と思ったが目当てのお店は閉まっていたのでおとなしくホテルに帰り、ほんのちょっとだけ日報進めて寝た。
 誤解なきよう書き添えておくが、そのお姉さんは非常にいい人で、終始どこか冷静、おかしな関係になりかけたとかではない。チョメチョメって言いたかっただけ。今度長岡に行くときはぜひしらふか、それに近い状態でお話ししてみたい。

 チェックアウトして荷物を預け、手ぶらの状態で「亜沙美」まで歩いてみる。今度は少々楽だが、やはり雪まじりの道はくたびれる。雪ぐつを買っておくべきだし、足も早いとこ治さねば。そんな苦労して行ったわりに件のランプは点灯していない。また20分かけて駅前に戻り、荷物取ってスナック「禮」へ。11時半から14時までは喫茶営業しているようなのだ。昨日店頭にホワイトボード出ているのを見て、明日行ってみようと決めていた。
 ホワイトボードを路傍に出しているということは、「来ていいよ」という証拠そのものである。夜営業は何時から何時まで、ということもちゃんと書いてあった。つまり、「ランチはランチで稼ぐためにやっているだけ、夜はまた別ですよ」ということでもなく、「昼夜関係なくぜひおいでください」なわけだ。そういうメッセージを僕は勝手に読み取って、「んじゃあいいお店なんだろうな」と勝手に思ったわけである。で、実際めっちゃいいお店だった。あれこれ話して、夜学バーのことも褒めてくれたし、絶対また行く。
 おかわり無限のコーヒーにトースト、トマトメインのサラダ、洋風の煮込み、デザート(バニラアイスに自家製カスタードを載せてチョコレートソースをかけたもの)までついて800円。ブランチに最高。
 禮のママ(禮ちゃん)はもう40年くらい(正確な年数忘れた)ここでお店をやっているそうで、元は埼玉の人。余所者ならではの視点で長岡という町を見ている。「盆地の城下町」において「外からの視点」というのは貴重であり、鋭いことをする人の多くはそういう人だろう、と僕は思っている。表に看板を出すことによって常に新しいお客を捕まえようとしており、その結果として「他県のお客さんも多い」らしい。繁華街の小さなスナックながらも古びない、フレッシュな感覚を持った方である。こういうお店にたどり着くと本当に嬉しい気持ちになる。「気が合う」と思う。
 その後は「日報」を執筆。まちなかキャンパス長岡の自習室でカタカタやっていたら、やたらため息をついたりイライラしてる感じの人がいて、「やだなあ」とイヤホンつけてやってたら肩を叩かれ、紙を渡された。「うるさい、互尊文庫は音が出せるからそこへ行け」(意訳)とあった。あ、僕にムカついてたのね……。そんなにうるさくカタカタしていたのでもないつもりだが、気になる人は気になるのだろう。互尊文庫なる、「会話や飲食ができる図書館」という触れ込みの地へ行ってみた。電源のついた席は利用カードがないと使えず、その登録は長岡近辺に在住(または市内に在学在勤)でないと作れないそうなので、中高生がたむろってるあたりに腰を下ろした。
 文句はないし、色々考えたらそれが妥当なのではあろうが、「たくさんの出会いが生まれる場所」になることを目指しているため(原文ママ)会話OK!という一見開かれたコンセプトの場でさえ「長岡(近辺)の人しか利用できない」という席があるのは象徴的。これぞ「盆地の城下町」である(偏見)。
 合計4時間くらい書いたので離脱して友達と合流。「越後屋珈兵衛」で蕎麦とコーヒー。その後、キャバクラへ。

 何が起きたかというと、話は昨夜に遡る。Variete3のマスターが「おすすめのキャバクラがあるから行ってきなよ」(意訳)とメモまで書いて渡してくれたのだ。
 僕はキャバクラに行ったことがない。憧れの地である。自分でお金出して行く発想はないのでいつか誰かが連れて行ってくれるに違いないと思っていたずらに時間だけが過ぎた。そんな話をしたら「ではアフロディーテに行くといい」とオススメしてくれたわけだ。
「いいか、19時半に入って1時間で出るんだ。延長はしてはいけない。指名もだめだ。そうすれば3~4000円で済む。飲み放題に食べ放題、女の子は3~4人つく。彼女らの飲み代は「込み」だから安心しなさい。ただしビールは金麦(発泡酒)、ウィスキーはホワイト(サントリー)だからやめたほうがいい。日本酒は朝日山の千寿だからそれを飲め。」
 手取り足取り説明されて、ここまで言われたら行かねば義理が立たぬ、勇気出して行ってみなければ。合流した友達(新潟市在住、二十代半ばの女の子、店師)には事情を話し「あとでレビューする」と約束して一旦別れた。

「指名は?」
「ないです」
 完全にマスターの言ったように。奥のソファに案内され、まずはボーイがシステムを説明してくれる。「この時間に入られますと1時間4000円、おひとりですとTAXが20%です」なにー!
 おい4800円確定やないか!「3~4000円」の範囲にギリギリ入っているようないないような絶妙なライン。それで「帰ります」とも言えないので「はい」と答える(俺は弱いな?)。
(「俺は弱いな?」というのは五木寛之の「わたしが哀号とつぶやくとき」という文章にある台詞。23歳の時に成城学園中学校で教えた教材である。教科書には載っていないのでわざわざ印刷して配っていた。)
 マイクで場内に「○○さん△卓へ」とアナウンスがあり、僕のところへ女の子がやってくる。キャバクラ行ったことないのでわからないが、たぶんこれは古き良きキャバレー文化に近い店であろう。100席はあろう大箱で、カラオケのステージやカジノ(バカラとブラックジャックができる)がある。
 さてその女の子というのがたぶん50歳くらいで、ベテランっぽいのに話も質問も一切面白みがない。あまりにも退屈だが、こちらが気を遣っていろいろしゃべるのも働いてるみたいでくたびれる。仕方ないから熱燗をぐびぐびと飲み、あっという間に飲み干してしまった。「ペース速いですね」と言われたが、あなたが面白くないからなのだよ!……まあ、そうやって短時間に安酒をたくさん飲ませて理性を失わせようという作戦なのだろうから、あえてつまんなくしてる可能性もないではない。だとしたら恐ろしい空間だ。
 50分が過ぎた。その間にウィスキー(ホワイト)のソーダ割りを3杯ほど飲んでいた。恐ろしいペース。そのくらい楽しくなかったのである。まわりを見れば女の子が入れ替わったり増えたりしている卓がほとんどで、「これが課金の力か?」とも思ったのだが、たぶん単なる戦略なのだ。残り10分、ついに僕の座席にも新しい「嬢」がおいでなすった。
 先の嬢は「呼ばれたので」と席を立つ。新しくきた方は20歳の大学生で、とてもかわいい。なるほどこれで延長させようと、あわよくばそのうえで場内指名も勝ち取ろうという腹だろう。幸か不幸かその子は美術をやっていて、月に一度くらい東京(しかもたぶん多くは上野)に遊びに来るという。とりあえず夜学バーの名刺を渡して営業しておいた。延長して指名すれば来店確率は上がるだろうか?とも思ったが、歯を食いしばって店を後にした。待ち合わせもあるし、昨夜のバーにも報告しに行かなければ。そして22:01には新幹線(終電)に乗るのだ。
「2月10日からまた東京行きます」とのことだったが、10日も11日も来ていない。いや、いつか来てくれるかもしれない。「絶対来てください、タダにするんで」くらい言えばよかったかな。安売りも良くないか。いろいろ考えてしまう。面白いからぜひ来てほしい。
 昨夜行けなかった「黒船」で件の友達と落ち合う。マスター高齢だがハッキリしていて感動、また行きたい。エヴァン12年のあとギムレット作ってもらったら生ライムとジンのみでキリッとした味わいだった。そしてVarieteで一杯だけ飲む。「おい話が違ったやんけ」(意訳)と言ったら「6日行くけどくる?」みたいな話になった。面白いんだけどお店(しかも受注)休んで往復18000円かけてまではさすがにちょっと。
 長岡駅まで歩き、僕は東京へ、友達は新潟へと帰っていった。これぞ「静岡で会いましょう」ですね。

2024.2.18(月) 札幌行(2/7水-8木)

 ごく短い睡眠時間で成田空港から飛び立つ。雪まつりのため札幌行きは大混雑、保安検査場には長蛇の列ができており新千歳空港にもかなり遅れて到着した。一本早い便にしておいて助かった。JRで八軒へ。雪道が滑るのでワークマンに寄って2分で靴を買う。1900円。断然歩きやすくなる。
 北海道武蔵女子大学、今は短大のみだが来年大学も開学する。そこの教授にインタビューをとり、原稿にするのが今回のお仕事。お話おもしろくためになった。専門は産業・組織心理学とのことだが、高校で国語科教員をしていたキャリアもあるそうで、奇遇ですねと話した。(僕も中高の国語科教員なのである、現在形で。たまたまどこにも勤務してないだけ。)
 1時間ほどで終わり、東へ。雪に埋もれた北海道大学に入り、学食で豪遊。そのまま突っ切って北18条駅のあたりへ。シーソーブックスは定休日。拙著『小学校には、バーくらいある』を置いてくださっているので、ご挨拶したかったが。そのままずんずん東へ歩くと、僕が札幌で最も愛し、最も懇意にしている喫茶店某に。
 ここはたぶん12時くらいに開いて、15時くらいに閉めてしまう。着いたのは14時50分くらいで、ぎりぎりだった。コーヒーを一杯いただく。世間話をする。冬場は自転車を店内に入れているようで、もともと少ない座席がさらに少なく、せいぜい3席くらいしかとれなくなっていた。本当に、秘密の素敵な場所という風情で、僕はここに少し座っているだけで芯から幸せなのだ。自分のお店も誰かにとってそういう存在でありたいものだ。最終的には僕が何もしなくても、ただ立っているか座っているだけでそのような雰囲気が出せるようになりたいものだ。それが達人というものなのだ。そうなれる自信はある。信じて続けるだけだと思う。
 インスタにちらりと外観の写真を載せたら「どこですか?」と問い合わせがあったが、教えられない。たぶん店主がいい顔をしない。インターネットに載せられるのも嫌がっている。その写真とこの日記、また過去の僕の札幌紀行を読めば必ずわかるので、探してみてほしい。僕も同じように、ある人がネットに載せていた外観写真のみから見つけ出したのだ。その人がその前後に行っていた場所からだいたいの場所を想定し、背景に写っているマンションの色やマークだけを手がかりに、周辺を走り回り、Googleアースを何時間も凝視して。その想い出も含めて僕にとってこのお店はかけがえのない大切なものなのだ。また、行けば必ず気に入られるとも限らない。なんせ店主は「知らない人が嫌い」と言って憚らない方。僕も何度となく通って、少しずつ打ち解けていった。簡単にたどり着けるべきお店ではないのである。そういう存在が大都会札幌の(わりと)中心部にあるというのは大きな希望。「もうやめる」と言いながら何年も続けてくれている。何があっても、札幌に行けば必ず訪れるようにしている。今回のように根雪深く、自転車の走れない時期であっても。
 それなのになぜ外観を載せてみたり、ここに詳しく書いているのかといえば「探してほしい」からでもある。自分だけの秘密にしておくには、素晴らしすぎるのだ。本当は多くの人と分かち合いたい。しかしそういうわけにはいかない。そういうお店が僕にはいくつもあって、店師として実に幸福だ。そう、店師たるもの、小さな小さなヒントから嗅ぎつけてこそ。RPGで裏面見つけるようなもんでありますから。
 店師たちのシーン。思いついたから書いてしまった。「みせし」とも「てんし」とも読めるね。

 また長く歩いて宿に着く。神田沙也加さんが亡くなったホテル。こんな高級なところに泊まることは滅多にない。雪まつりでふだん3000円くらいの宿が軒並み満室か数倍の値となっており、あのニコーリフレ(すすきののカプセル&サウナ)ですら7000円くらいする。困っていたら神田沙也加さんの晩節に並々ならぬ執着を持っている友達がヨヤクしてくれたのである。なんということだ。お礼に外観や室内、窓からの風景などを撮って送った。彼女は22階から落ちてしまったのだが、僕が泊まったのは21階であった。
 少し横になって休み、19時半ごろ起きて外に出る。雪まつりを眺めながら大通り沿いに西へ、市電通りの「居酒屋Ba Bar」へ。
 扉を開け、中に入るなり店主のmayuさんがものすごく驚いた顔で「えっ、届いたから来たの?」と。何を言っているのかまったくわからなかった。「送ったのよ、サッポロッピー、5日に」なるほど。
 札幌から東京に荷物を発送し、それを受け取った人が「よし札幌に行こう」と思って飛行機乗って飲みに来る、それがわずか2日間で行われるわけがない。僕はまだサッポロッピーを受け取ってすらいない。それで一瞬、先方も頭がバグったのであろう。偶然とわかってもそれもまたすごい話なので、しばらくお互いに驚きあっていた。
 サッポロッピーというのはこのmayuさんが開発、販売しているお酒の割り材で、ホッピーのような飲み方のできるノンアルコール飲料。ほぼmayuさんのお店でしか飲めないが、2019年には夜学バーでも扱っていた。北海道からの送料が高すぎて継続は断念していたのだが、どうやら今後は少し安く送れるようになるそうなので、その場で「じゃあウチでもまた出します!」とお約束した。これ書いてるいま現在(2月18日)には元気にレギュラーメニューとなっております。ぜひ。
 サッポロッピー飲みながら盛り合わせやグラタンを注文し夕飯とする。mayuさんも学校の先生(音楽)をやっていたらしい。なんてことだ! 今回はそういう旅なのか。
 PAPERDOLLBARという国産蒸留酒メインのバーへ。「国産」と狙い定めた絞り方が面白い。かつてはSaloon de Scarfという別のバーをやっていた(お店自体は今もある)方が開いて、ちょうど1周年。粗品のタオルをいただいた。ジェムソンソーダを飲む(国産ではないがとても好きなので置いているようだ)。それから確かウィスキーとタイのウォッカを飲んだ。
 電話が鳴る。「いまBa Barにいるんですけど」と。夜学バーで働いてくれていた札幌出身の某氏である。たまたま帰ってきていたらしい。Txitterにサッポロッピーの写真を上げたので、それを見て駆けつけたとのこと。ニアミスで終わりそうな感じもあったが、mayuさんが「行きなさい!」と焚きつけたそうで、ちょっとして来た。この人も国語の教員免許を持っている。反抗期に関する話をしたが、これはまた別の機会に、まとまったら書くかも知れない。(現時点では材料が揃っていないので書くことはできない、また話を聞かせてください。)その者は終電で帰し、僕は0番地を通って次の店へ。

 ちょっと話が遡る。2月4日すなわち3日前、日曜の夜に見知らぬ三人組が階段を登って夜学のドアを開けた。通りすがりに「夜学バー」という名前を見かけ、「ここだ」と思って入ってきたという。日曜は人通り少なく、開いているお店も少ないのでこのお店は目立つのであろう、かような珍客が現れやすい。
 そのうちの一人、まさに「夜学バー」という名前に強く反応してくださったという方が、すすきのでバーをやっているとのこと、「三日後行きます」と宣言した。こういう約束は果たされねばならない。ちなみにこの人は、英語の教員免許があるそうである。
 行ってみると、「本当に来た!」と歓迎していただけた。「いまちょうど話してたんですよ、そろそろキャバクラにでも行こうかって話もあったんですけど、夜学バーの人が来るかもしれないからって」と。ありがたい。
 零下で冷やしたスーパードライが非常においしい。ノーチャージだが店主が無限に飲むぶんがつけられるので実質タイムチャージ制。それでも安い、すばらしい。
 二杯ほど飲んで、キャバクラ(すすきのではセクキャバ的なもの)かニュークラ(すすきのではキャバクラ的なもの)に行く機運が高まってきたのでお暇を乞う。何もなければ行ってみてもよかったのだが他にも行きたいところがあるので歯を食いしばって。
 しばらく歩いて狸小路七丁目へ、サロンタレ目に行ってみたが閉まっている。いちおう営業時間内のはずなのだが。店主に連絡だけして、前回その方に連れていっていただいたお店(談話室バステト)へ顔を出す。するとそこの店主が「14日に上野で飲むんですよ」とのこと。「じゃあその日お店開けます」と宣言、実際開けて、待っていたら、高校時代の同級生や後輩と四人連れでおいでくださった。口約束、なんと甘美なのでしょうか?
 ちょうど一昨日(2/16)放送のドラマ『不適切にもほどがある!』(作・宮藤官九郎)で高校生の男の子が「スマホなしでキミを見つけられた!」と大喜びするシーンがあって、なんかそれと似たようなうれしさがある。連絡を取り合ったわけでもなく、1週間も前の口約束がちゃんと果たされること。僕はお店を開けたし、彼女は来てくれた。
 20代の若い人たちが初対面で聖鬼魔IIについて熱く語り合っていたり、隣り合った方がフリッパーズ・ギターおよびそのメンバーふたり(小沢健二さんと小山田圭吾さん)の大ファンだったりと、良い巡り合わせのあるお店。異様に安いし、おすすめです。
 タレ目の店主から連絡がないので、お隣のWhite Roomへ。初めて通りかかったとき、「ん? 吉井和哉さんのアルバム名だな?」と思って入ってみたら、ブランキーとかギターウルフとかドレスコーズとかみたいなお店でもあって、ちょこちょこ通っている。ヴィジュアル系方面にも強いようで、お隣の方を巻き込んでラクリマの話とかした気がする。
 もうちょっと飲んでもよかったのだが、せっかく高級ホテルがとってあるのだから戻った。ベッドが二つあるので、昼寝したのとは違うほうに寝た。申し訳ない気もしたが、高級だから良いだろう!(高級という概念をなんだと思っているのか)
 行きたいところをすべて回るには当然一日では足りず、札幌だけでせめて3日はほしいところ。またこなくては。

 チェックアウトは11時。13時には札幌駅から電車に乗りたいので、寄り道はできるとして一軒。駅とは逆方向だが「キング5」という喫茶店まで行くことにした。今はなき「わらび」という喫茶店(札幌)で偶然知り合った方が「いちばん好き」と言っていた(ような気がする)お店。すすきのから近いのにあんまり口コミとかなくて、僕が調べた時はGoogleマップに登録すらされていなかった。そういうところは多少無理してでも座りに行きたいものだ。
 コーヒーをできるだけゆっくり飲んで、ぎりぎり間に合うかどうか、というところまで粘り、店を出た。「このおちつきが、しろうととくろうとのちがいだ。」(『ドラえもん』2巻「恐竜ハンター)とうそぶきつつも、内心焦って地下鉄に乗る。間に合った。
 そこからのことは思い出したくもない! ダイジェストでいうと、搭乗には余裕で間に合い、座席について飲みものの注文まで済ませていたのだが、ジェットスターの都合(オーバーブッキング)で「降りろ」と言われ、便が振り替えとなり、結果として飛行機の到着が合計3時間半くらい遅れた。17時開店予定だった夜学バーも19時半開店となった。この2時間半の機会損失はもちろん補填されないし、再び保安検査の列に並ばねばならなかったり、精神的にかなりダウンしてしまったり(本当にめちゃくちゃ落ち込んだ)と個人的には大ダメージだったのだが、5000円渡されて終わりであった。これはもうちょっとごねておきたいなと、その場で問い合わせ先を聞いて、ジェットスターさんに「もうちょっと誠意ってもんを見せてくれねえですかねえ?」と伝えてみた。
 これまではこういうことすべて泣き寝入りしてきた、決まりなら仕方ないし、どのみち誰かが降りなければどうしようもないわけだし、5000円もらってるし。でも尊敬する脚本家の某氏が「誠実に対応させるにはちょっと声を荒げてみたり凄んでみたりする必要がある、できるならちゃんとやれよ、という感じだが、強めに言われて初めて動くことというのはけっこう多い」みたいなことを常々おっしゃっておりまして、実際彼はときおり(本当はそんなことしたくないのだろうが)そのようにあえて凄んでみせたりするようなのである。そういうところも含めて僕は彼のことが好きだし尊敬し申し上げているので、「僕もここはいっちょやってみるかあ……いつも泣き寝入りしているのでは結局もの言わぬ気の弱い弱者が損をする構造を助長するだけだしな……」みたいな気持ちでやってみたのだ。
 ちなみに紹介されたのはコールセンターだったが「つながりにくいですが」と一言添えられたので、そんなストレスは受けたくないと一切かけず、チャットサービスとTxitterの公式アカウントに問い合わせた。前者は「できることはございません」と断言された(ちょっと笑った)が、後者は「担当部署に回します」となりその後メールのやり取りを一往復したが、今に至っても明確な返答がない。数日前に「まだ社内で検討中ですのでお待ちください」という連絡が来たのみ。その返信をすべきかどうか迷っている。エネルギー使いたくないけど、「バウチャーでいいから返金してくれ」みたいなこと言ってみようかな。そしたらまたジェットスターで札幌行こう……(懲りてない)。
 何が悪いって雪まつりのせいなのだ、タイミングが悪かった。繁忙期にそういうことがあるのは仕方ない、それはわかるのだが、まあ5000円といわずもうちょっとなんとかしていただきたい。だってLCCなのに往復で50000円以上したんだからね……。

2024.2.29(木) 2月のダイジェストと懊悩の実際

 ご覧の通り、日記が付けられておりません。すなわち忙しいということなのですが、物理的に予定が詰まっているというよりも、精神的に余裕がないというほうが近いです。うまく自分をマネジメントできていないというか。ちょっといろいろ、このままではできることもできないので、ついに人を雇ってみようか。この日記の書籍化(具体的にはKindle+オンデマンド印刷でペーパーバック化かな)を目標として。
 それはともかく2月は
①1/29〜30 長岡(取材)
②2/7〜8 札幌(取材)
③2/11 横浜(中村一義)
④2/19〜21 青森、八戸、盛岡(湯治と営業)
⑤2/24 池袋(舞台『ふしぎな木の実の料理法』)
⑥2/27 新潟、長岡(営業)
 というのが主たるスケジュールだった。取材というのはライターの仕事、営業というのは夜学バーを全国に広めるための活動をさします。
 ①②についてはすでに記事にしたけれども、それ以外は書けなかった。③〜⑥について簡単にふれたうえで、今月あまり書けなかったもうちょっと抽象的な話も記すつもり。


③2/11 横浜(中村一義)
 友達に誘われて(チケットまで買ってもらって)横浜ハンマーヘッドでのビールフェスへ。中村一義さんのライブ40分くらい、『日曜日よりの使者』(1コーラス)『いつだってそうさ』『セブンスター』『世界は変わる』『愛にしたわ。』『春になれば』『君ノ声』『1.2.3』あたりだったか。順不明。忘れてる曲あるかも。(あったら教えてください。)
 終演後偶然、べつの友達を見つけてみんなで飲んだ。素敵と思える場所でたまたま友人と会う、人生の成功を感じる。
 中村一義さんのことはずっと好きなのだが、ライブで聴いたのは数える程度。12年ぶりくらいかも。49歳になって生き生きと自分の歌を歌っている姿に心打たれた。素直に。こういうのはある意味「栄養」のようなものだと思うが、それを「持続する」と信じてはいけない。遅くとも数日で抜ける。ではコンスタントな供給を続ければいいのかというと、このような特殊な体験は日常化できない。僕はたぶん質素な生活が向いている。ライブ通いには向いてない。
 正直に言って「うおおお! 中村さんのおかげで生きていける!」みたいな気分にはなるのだが、そういうわけにはいかないことも知っている。中村さんは中村さんでこうやって生きていて、僕は僕で別の生活を生きねばならない。「平行線の二本だが、手を振るくらいは」(中村一義『永遠なるもの』)という距離感で。

④2/19〜21 青森、八戸、盛岡(湯治と営業)
 青森と八戸の間、とある温泉宿に二泊。初日は青森と八戸を歩き回り、二日めは青森で「ミスター」と飲んだ。三日めは盛岡に寄って帰った。
 青森駅と本八戸駅周辺についてはずいぶん詳しくなったと思う。また宿の近辺にも、まだインターネット上のほとんどどこにも記載されていない新しい「家系」カフェを発見、次回またここで湯治する際には毎日通いたい。ちゃっかりお店の宣伝もした。
 その駅の近くにはコーヒーを飲めるところが他にたぶん一切なく、宿の人に聞いても「ない」とのことだったが、あれこれ調べたらそのお店のインスタが見つかったのだ。足で探せないものがネットにある、という場合もある。もちろんネットにないものは足で探す。二刀流。
 ミスターとの邂逅(23年ぶり2度目)については語るべきことが多すぎるので一旦略す。ひとまずトップページから「流離い」に飛んでいただいて、そこから2001年夏の北海道旅行記を読んでください。また数週間以内に配信されるPodcast「氷砂糖のおみやげ」#69でも語っております、お楽しみに。
 初日は20度に迫る異様な陽気だったが、二日めは冷え、三日めの盛岡は吹雪いてあっという間に積雪した。喫茶店も飲み屋もすばらしいものに行き合えた。良い旅だった。ただ「湯治」という意味ではさほどゆったりできなかったかも。またいく。

⑤2/24 池袋(舞台『ふしぎな木の実の料理法』)
 原作者、岡田淳さんご本人を交えたアフタートークとサイン会もあった。友人と3人で並んだ。「氷砂糖」を理論社の方に紹介してくださって嬉しかった。
 これも僕にとっては最良の「栄養」なのであるが、こういうことに寄りかかってはいけない。愛するものは自然にそこにあるもので、自然といつか失われていくものなのだ。一時的な活力は「一時的!」と意識しておくほうがいい。その代わり少しでもその栄養を「吸収する」ほうへと生活を向けてゆく。「ああ、幸福だ」と大雑把に済まさず、もっと細かな、小さなところを見なくてはならない。(ナーンか教条的ですが。)

⑥2/27 新潟、長岡(営業)
 キュンパス(新幹線を含むJR東日本管内の一日乗車券)を一枚だけ買って日帰りの旅。長野、上越、直江津と回って長岡か新潟へ寄って帰ろうかと思っていたのだが、庚申明けで寝過ごしたのと、昼過ぎから友達が新潟で落語をやるというので、そのまま新潟駅へ。
 10時に着。南口を出て自転車組み立て、行政施設の中にある喫茶「セレナーデ」でコーヒー飲んで西走、「ひとハコBase」という民間図書館をたまたま見つけたので入ってみる。いろいろ話しかけていただけたので夜学バーの話をしたら、「今度みんなで東京に行くので寄ります!」と。果たされるといいな。先方のインスタに僕の写真載ってます。
 かの有名なデイリーヤマザキ新潟大島店に寄り、味みつというラーチャン屋で食事して、ああ僕ってのは本当にラーメンとかチャーハンに向いていないなあ、と思った。ラーメンやチャーハンを食べて嬉しい気持ちになることがあんまりない。嫌いなのではなく、むしろ好きなのだが、向いていない。
 もうちょっと時間があったので、済生会新潟病院の2階にあるカフェへ。そしていよいよ某自治会集会所、初めの30分ほどは警察の話と特殊詐欺に関するビデオ視聴、そして落語会に。

 藪医舎ナイチンゲールというのが友達で、これまた知己である藪医舎女医の弟子。二人とも「ごっこ」のような感じで、落語協会とかに所属しているわけではない。こういう限界芸術(素人が作り素人が享受する芸術)が僕は非常に好きなのだ。絶対に早いうちに聴きにいかねばと思っていた。
 ナイチンゲールが女医に弟子入りしたのは1月31日、高座デビューが2月25日、2度目の高座が27日すなわちこの日。落語をやろう、と決めてわずか25日で本番を迎えるというのは実にすごい。しかも二度めは「町内会のお年寄り」が聴衆で、友達は僕のみ。
 演目は「500円玉貯金男」という新作(オリジナルの噺)で、実体験が元になっており、僕はこの話のあらましを確か聞いたことがある。それがちゃんと落語として整理されていて、サゲ(落ち)も見事だった。何よりも声の演技力が特筆、表情も良かった。身体をもっと使ったらと思うがそれはこの先の課題だろう(評論家気取り)。ゆっくりはっきり語るので高齢者でもわかりやすかったと思う。
 やりたいと思ったことを速度を持ってしっかりやって、かつ成果(ここでは「ウケる」とか「褒められる」ということ)も出せるというのは素晴らしいことだ。そういう希望を見に行ったのだ。ちゃんと見えて良かった。ありがとうございました。
 500円玉男のサゲは、ダジャレになっているだけでなく、そこまで積み上げてきた男のキャラクターがよく出ているし、その情けなさで客の溜飲も下がる。ものすごく優れている。
 その後は近隣の喫茶店でナイチンゲールと落ち合い、僕も「天邪鬼孔雀」という名前で落語をやりますと宣言したのち、長岡へ。
「太陽」という居酒屋、前に来たときに気になっていた。名店。ぜひ。それから「禮」へ。日本酒をがぶがぶといただく。ギターの弾き語りをさせていただく。オリジナル曲『お散歩遠く』『スタアグア』『学校で』『あしたのよいこ』。僕の限界芸術である。しかしその後にやったかぐや姫の『赤ちょうちん』の方ばかり大絶賛され、まだまだと痛感。かぐや姫は10代の頃から褒められがち。お母さんが強火こうせつファンだからかな。
 そこで21時を過ぎてしまい、「バリアテ」で一杯だけ飲んで新幹線で帰宅。
 長岡の人は「東京」というものをやたら大袈裟に考えている。そこが新潟駅と違うところだ。それは年規模や交通の便というよりは「港町か城下町か」という僕のお得意の分類によるのだと思う。長岡のほうが東京に近いのに、なぜか心理的距離はめちゃくちゃ遠い。不思議なものだ。


 岡田淳さんが24日のアフタートークで、「親とか学校とか大きな社会のない物語を書きたかった」(それが「こそあどの森」シリーズ)というようなことをおっしゃっていた。それらは子供たちを縛り、阻害することも多い。
 ああ。僕も当然そのような世界を望んでいる。しかし一方で思う、人間がある程度まともでいられるのは、制度や不自由があるからなのだ。そういったもののない世界にいて僕は果たして「まとも」でいられるのだろうか? 「悪いやつ」「やなやつ」になってしまうのではないか?
 この日記でもたびたび主張している、尾崎豊の『自由への扉』に歌われるような、「誰もがみな自由に生きてゆくことを許し合え」る、「すべてが奏でるハーモニー」の世界。
 実際、それを現実の中でできる限りやろうとしているのが僕の人生であるわけなのだが、やっぱりかなり難しいのである。なぜなら、僕はそこまでの「いいやつ」ではないから。いや、もちろんそれなりには「いいやつ」だという自負はある。だがきっと極度にアナーキーな世界では通用しない程度のものでしかない。
 そこはもしかしたら「いいやつ」のみが適合する世界であって、僕がそうなれる自信というのははっきり言って、ない。
 むろんそういう「やなやつ」の存在をも容認して、結果として「ハーモニー」となるのが尾崎豊の言っていることなのであろうが、まあ難しい。何がって僕は「いいやつ」でいたいからな。そこを諦めさえすれば「すべてが奏でるハーモニーに心委ねてみてもいいのさ」という境地にも行けるのかもしれないが、覚悟がない。ちなみに尾崎豊はこの曲を作った直後(おそらく)に亡くなってしまった。縁起でもない。
 そんな悩みが最近の僕の内心を占めていて、何もかも捗っていないのはそのせいもある。もっと光を!

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