少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2018.1.27(土) 他人に筋書きを書かれること/自由について

 いちばん嫌なことが何だかわかった。
「他人に筋書きを書かれること」が嫌いである。

 自分で筋書きを書きたいわけじゃない。
 筋書きというのは、関わる人みんながその場で作っていくものだ。

 むかし名古屋のCBCテレビに『スジナシ』という番組があった(今は主に舞台で行われている)。笑福亭鶴瓶師匠が、毎回ゲストを迎えて即興の二人芝居をやる。事前の取り決め、打ち合わせはない。相手のセリフや挙動を受けて、その場で自分の動きを考える。
 生きていくというのはまったくそれのくり返しで、この30分番組は圧縮されたよきモデルだった。
 ジャズやダンスのようだった。


 何年前だか忘れてしまったが、人を信じることができなくなった。
「信じる」というのは素晴らしいことだが、これが「他人を信じる」ということになると、「他人に丸投げをする」ことと等しい、そう思ってしまったのだった。
「他人を信じる」ということは、「わたしはあなたのことを信じたのだから、あとはヨロシク」になってしまいがちである。責任の放棄だ。成立しているうちは、それが心地よい。自分の代わりに、誰かがそれを遂行してくれる。
「あなたは浮気なんてしないわよね、信じているわ」
 そういう信じ方は、美しさをもついっぽう、押しつけで、丸投げで、「この件に関しては、わたしにはもう関係がないから、せいぜいヨロシク」なのである。

「信じたいために疑い続ける」(岡林信康『自由への長い旅』)という言葉は、ここにも関わる。
 信じ切った瞬間に、化石化する。
「ああ、もうこれは完璧に信じた」と思いこんだら、「もう自分とは関係がない、この件について、自分が努力する点は何一つない」と言っているようなものだ。残りはルーチンになる。カルト宗教の陥穽も、ここにありそう。
 関係し続けるために、信じたいものに対してほど、日々の検討が必要なわけだ。


 人を信じるというのは、「他人の筋書きを自分で書いてしまう」ということ。
 そのうえで、その遂行を相手に期待する。
「あの人は、きっとこうする。こうしてくれる。」
 発想としては、けっこう野蛮。


 何年か前の話。簡単にいえば、裏切られたのだ。
「裏切られた」の裏には、「信じていた」が必ずある。
「ああ、僕は信じていたんだな」と改めて思った。
 そして「信じるなんてことを、軽はずみにしてしまった僕が悪いな」と考えた。
 信じるというのは、裏切られることを内包して、つまり覚悟して、行われねばならない。信じるのは常に自分の勝手なのだから、それがひっくり返っても、「間違えた!」と思うにとどめねばならない。
 そうやって、許し、受け入れ、納得した。
 それしかなかった。
 拒絶したら、また新しく何かを信じてしまうだけだ。
 怒ることも捨てることもなく、少しだけ悲しんだ。
 自由であるとは、たぶんそういうことだ。
 その種の悲しみを、すべて静かに引き受けることなのだ。

 その時に僕は、「人を信じる」ということがおいそれとはできなくなった。もう「丸投げ」はできない。僕は僕の自由のために、常に疑い、考え続けなければいけない。そういう呪いにかかったのだった。
 それだけが「信じる」という極限に至る唯一の道と思うからだ。


 呪いは未だに僕を縛る。
 ブラック・ジャックの復讐のように。

 なぜ、ブラック・ジャックは高額な手術代を請求するのか?
 かつて自分と母親とを不幸に遭わせた人々への、復讐のためである。
 そのためにお金を貯めているのだ。
 彼ほどの人間でも、それを生きる目標とするしかなかった。
 そういうものを呪いと言うのだろう。
 のち、同じく少年チャンピオンで手塚治虫が連載した『七色いんこ』でも、同じである。彼ほどの人物でも、復讐のために生きた。幸せに背を向け、死を覚悟して、復讐の舞台に向かうところで、物語は閉じる。

 復讐とは、過去に不本意な筋書きを勝手に書かれてしまった人間が、その相手に対して、自分のための筋書きを改めて書いて返すことである。
 そういうものだから、不毛で、悲劇で、虚しいものなのだ。
「誰かとともに筋書きをつくる」という発想は、そこにはない。復讐に呪われた七色いんこは、それを終わらせるまで千里刑事(本作のヒロイン)のもとへは行けないのである。


 そのちょっと後に描いた漫画で僕は、「忘れてねえんだよ、おれは」というセリフを書いた。懐かしい。
 そう、僕は忘れていない。
 悲しき呪いはまつわり離れない。
 忘れるということは、拒絶と同じで、「また新しく何かを信じてしまう」だけだから。


 もちろん僕は、復讐なんてしたくない。
 だけどもう、いや、だからこそ、誰かに筋書きを書かれるのだけは御免なのだ。
 それだけは全力で拒否したい。
 哀れなる復讐の芽は、そこから生まれる。




「他人の筋書きを勝手に書く」というのは、「自分の欲望の達成を相手に委ねる」ということだ。
 それは「親の果たせなかった夢を子に託す」ことでもそうだし、「今日は結婚記念日だから、夫は必ずケーキとプレゼントを買ってきてくれると期待する」ことでもそうだ。
 相手の事情は勘案されない。
「ともに筋書きを作る」もそこにはない。
 苦しくなってしまうのだ。

2018.1.26(金) 大人の事情は仕方ない

 七月に学校の先生をいったん辞めた。六月の半ばくらいに、主に受け持っていた学年の生徒にだけ告げた。(べつの学年には、事情があり遅くなってしまった。申し訳ない。)
 生徒たちは「わかってくれた」。わかってくれそうだったから、決断したところもある。僕は彼女たち(女子校なのです)と永遠に友達でいたいから、むしろ辞めたほうがいいようなところもあるな、とさえ思っていた。
 僕が辞めたあとは、とうぜん代わりに別の先生が入った。生徒たちの中には、新しい先生とそりが合わない子も多いらしい。僕の授業は基本的に楽しくて、かしこいものだったから、そっちのほうが好きだという子は多いだろう。(むろん、こっちのほうが合わない人だっていたかもしれない。)
 授業中に「考える」ということを、たぶんほとんどの先生はしない。僕の授業によいところがあるとすれば、たぶんそこだ。一所懸命考えた結果が多少、ずれていたり、おかしいなと感じられても、生徒たちは別にいやがらない。「ふうん、この先生は、一所懸命考えた結果、そう思うんだな。私はそうは思わないけど」で済ませてくれる。ところが、考えもせずに発せられた言葉が、ずれていたり、おかしいなと感じられると、反感が生まれる。「押しつけがましい」「独り善がり」「理屈になってない」「先生が勝手にそう思うだけじゃん」こういった意見が出てくるとしたら、「考える」というプロセスを、ちゃんと生徒に見せていないからだろう。ただそれだけのことと、僕は今思っている。

 七月という中途で退いたことは、ほんとうに申し訳ない。しかも生徒たちの中には、僕のほうがよかったと言ってくれる人もいる。それで、せめてもの罪滅ぼしにと、二学期の中間、期末と、テスト範囲になっている文章の解説書をPDFでつくり、頒布した。このたびそれが問題とされて、学年集会で取り上げられたと聞く。
 僕は、自分と彼女たちの間で行われたことの、何がいけないのか、皆目わからない。
 聞きかじったところによると、「それを見た人と見ていない人の間で不平等が生じる」という理屈のようだ。
「評判のよい無料塾があって、多くの生徒がそこに通った」というのと、別に変わりはない。そういうことがあればその無料塾に通うことは、禁止されるのだろうか。
 それをしたのが、その学校の元教員だから、いけないのだろうか? なぜ、そうであるといけないのだろう?
 テストはそのたびに作り直されるのだから、インサイダーではない。確かに僕は「過去問」の内容をある程度知っているが、それでは、「LINEで過去問を共有する」ということも、いけないのだろうか。過去問を見ただけで点数が高くなるような試験問題は、問題視されないのだろうか。

 ちなみに僕は、学校関係者に見られてもよいように、とても気を遣ってそのPDFを作った。テスト対策とはいっても、「本文に書かれている内容の説明」に最も紙幅を割いた。問題の予想は、たとえばかねてから授業で教えてきた「なぜ型問題」「イコール型問題」の原則をもとに、「こういう論理展開だから、こういう問題がありえそう」という提案をした。あるいは「大人たちは子どもにこういうことを考えてほしかったり、知っていてほしいと思っているから、テストに出がちだと思う」というような判断を伝えた。あとはちょこちょこと、知的好奇心に刺激を与えるような挿話も交えたと思う。
(ところで、「見た人と見てない人とで不平等が生じる」ということは、僕の作ったこのPDFは「テストの点数を高めるのに効果がある」と認められたわけで、そのことは単純に嬉しい。)  これに問題があるというのなら、あらゆる塾も家庭教師も、問題ということにならないか。

 ある保護者が、大きな部屋を借りて、生徒たち数十名を一室に集め、テスト範囲の講義をしたら、これも問題なのだろうか?
 問題なのだろう。
 すべて問題なのだろう。
 しかし、「なぜ問題なのか」は、語られることがないのだろう。
 いや、考えられることはないのだろう。


 学校というところは、上記のようなことどもと、まったく関係のない理屈で動く。
 僕はそういうところこそ問題だと思うのだが、学校の中にいる大人たちは、「仕方ないよ、そういう仕組みなんだから」と、せいぜい思うくらいだ。よくて。
 結局のところ、学校がなぜこれをダメだというのかといえば、「なんかヤダ」でしかないのである。それを「平等」というもっともらしい字句で覆い隠しているだけだ。
 それと、「とりあえず問題にしておかないと、あとで『なぜ問題にしなかったのだ』と言われそうだから、問題にする」というのもある。
 実際のところ、最大はこれなんじゃないだろうか。
 では、どんな人が、どんな理屈で、「なぜ問題にしなかったのだ」と言ってくるのだろう?
 わからない。たぶんそんなことは、考えていない。
 ただ、いつか鳴り響くかもしれない「なぜ問題にしなかったのだ」という声が怖いから、問題にする。

 もしくは、すでに誰か(だとすればまず保護者)が、「問題にすべきでは?」と言ってきたのかも知れない。
「問題にすべきでは?」と言われたら、問題にしなくては、「なぜ問題にしなかったのだ」と言われそうである。だから、学校は問題にするしかない。実のところ、「大人の事情」とはたいてい、こんなようなものだ。
 学校がもうちょっと「考える」ということを大事にするならば、保護者に「問題にすべきでは?」と言われて、「なぜですか?」「何が問題なのでしょう」と、返せる。しかし、そんな面倒なことは誰もしたがらない。
 そういうことの積み重ねで、生徒たちからの信頼も失っていく。
 生徒たちは、「考えていない」ことにものすごく敏感だから。


 邪推だが、たぶん保護者のうち誰かが、「こんなPDFが出回っているらしいですけれども、これは不平等を招き、問題ではないでしょうか」とでも学校に通報して、それを受けて「問題にされたので、問題にしよう」と、集会で言及したのではないかと思う。集会で言えば、「学年集会でも問題にし、きつく注意しました」と言える。その実績が、ほしいのだ。
 そこに「不平等かどうか」「問題かどうか」という検討はない。ただ、言われたからする、というだけだ。
 もし、かりにそうだとしたら、学校がふだん、生徒たちに強いていることと同じ構図だ。唯々諾々。言われたことにただ従う。生徒にやれと言っていることを、自分たちもちゃんとやってる。ある意味では偉い。でも、そういう理念ではなかったはずだ。
 真実は別にあることを願う。

2018.1.22(月) お店とは/窓を開けておくこと(仙台旅記2)

 東京に大雪警報が鳴り、地上の交通機関が次々としびれ、東京メトロさえ遅延が出ているようだ。僕は至って健康な都営大江戸線でお店にきた。月曜日はふだんふたりの若者に任せているのだが、前半の子が休むとのことで、自分でお店を開けている。
 こんな日に客など来るまい、腰を据えて文章を書こうとPCを立ち上げた。もしお客が来たら中断である。(ところで、こういう書き出しはまるで?外の『舞姫』みたいで気恥ずかしい。)

 ちょっとやそっとのことでは、店を休みにしたくない。ひとたび「営業します」と宣言したら、その約束は守りたい。店というのは、「開いていること」が何より大事と思うからだ。たとえお酒が一滴もなく、つまみの一つも作れなくても、入口だけは開けておきたい。
 かつて毎週木曜日だけのお店を七年くらいやって、休んだのは一度きりだった。3.11の直後である。オーナーから「休んでもいい」と連絡があって、その通りにしたのだが、未だに後悔している。あの時にこそ、扉を開けておかなくてはならなかった。
 クレージーキャッツの谷啓は自宅が全焼したとき、焼け跡にマージャン卓を置いて牌を並べ、一人で遊んでいたそうだ。心配して様子を見に来た仲間たちは、笑ったり、呆れたりしただろう。「入口を開けておく」とはそういうことだ。どんな状況であろうが、そこにいるのは紛れもない、谷啓その人なのだということが、それを見ればわかる。谷啓は「開けておく」ことを選択したのだ。「谷啓としてそこにいる」ということを。
 僕が好きな人や、好きな店というのは、そういうものだ。


 という前置きをしておいて、仙台に行った話の続き。



●1月9日(火)
 ボードゲームから逃げて(参照)ふらりと外に出た。ゴールデン街に出かけるような、そんな気分で。(これは岡林信康『ホビット』の歌詞。)
 市街に着いた時には、すでに夜の九時を回っていた。壱弐参横町、文化横丁などのあたりをふらついて店を物色する。今回の旅の目的は、一に「東京から離れて数日過ごすこと」、二つには「仙台の街を飲み歩くこと」。なぜ仙台かと言えば、湯島のバーで仙台の方と知り合って「ぜひ、あっちでも」ということになったから。水曜日に一緒に飲むことになっていたので、とりあえず彼に教えてもらった、iというバーへ。
 テレビがついていた。YOSHIKIが出ていた。ぼんやり眺めてビールを飲む。二杯目に芋焼酎を頼んだくらいのタイミングで、ぽつぽつ話し出す。件の人の名前を出す。世間話をする。街のことをいろいろ、教えてもらった。
 そして、前回来たときから気になっていた、壱弐参横町のRという昭和レトロを押し出したバーへ。扉に「ここから先は昭和です」と書いてある。こういうのは、どっちかなのだ。入ってみた。「どっちか」だった。一杯だけ、オールドの水割りを飲んで、出た。
 店には種類がある。店が作る店と、客が作る店だ。ここは「店が作る店」すぎた。
 間違いのない店に行こう、と、初めて仙台で飲んだ夜にとても気に入って、以来何度か通っている(これまた)Rというお店へ。スリランカカレーを食べ、ウィスキーを飲み、「ジャズボール」という、フェルネブランカでソーダを割ったものをいただく。隣りあったお客さんから「P」というお店を教えてもらう。このRのマスターがお店を始めるきっかけになったところだという。
 やはり素敵な店だなと満足し、自転車でゲストハウスまで帰り、寝た。


●1月10月(水)

 日中仕事をして、夕方に松島へ。芭蕉も書いた雄島に渡る。
 雄島から海を眺めて、なるほど松島の美しさとは何か少しわかった。

 右目で見る景色と左目で見る景色はちがう。そのちがい具合によって、脳が遠近を把握する。片目だけでものを見ると遠近感がわからなくなる。
 松島は、たくさんの島が浮かんだ海である。たくさんの島は、遠く近く、浮かんでいる。島々には松が生えている。さらに近景、いま自らのいる陸地にも松が生えている。眺めると、あらゆる距離に何かがある。松がある。それを両目は、脳は、同時にとらえる。
 見る者は一瞬、くらりとする。と、思う。
 たくさんのものが、いろんな距離にあると、脳はいそがしい。松島の海では、どの島がどのくらいの距離にあるのか、それぞれの座標を瞬時に把握しなければならない。それも、完全に同時に。
 そのことを諦めたり、やめたりして、すべてを平等に感じるような美しさ、壮大さもあると思うし、そのまま見続けて、慣れていくことにもある種のトランスがあるのかもしれない。
 折りたたみ自転車でぐるぐると走り回った。

 仙台で件の、湯島で知り合った方と落ち合って、(またもや)Rというお店に。昨日とはまた別の店。三杯ほど飲む。ここは「客が作る店」だった。しかしもちろん、すべてを客が作るわけではない。店は、客の振る舞いをある程度誘導する。その誘導の仕方、様子によって、客の色が決まり、店の色が決まる。
 その色が、また新たな客を呼び込む、というわけだ。

 ふたりでタクシーに乗って、Yという沖縄料理屋へ。カウンターと、その後ろに座敷が少々の、コンパクトなお店。ボトルキープされた泡盛をいただく。おそらく水天。また珊瑚礁の古酒を。沖縄そばも食べる。あまりにもおいしい。素晴らしいお店だった。ここには必ずまた来たい。
 よっぽど飲んだが、自転車で四駅走る。寝る。


●1月11日(木)

 夜になり、Pという喫茶店へ。ここはたびたび、いろいろな人から勧められていた。Kinksなどいい音が鳴り響いている。コーヒーとかんたんなケーキ。しばらく読書して、東口にまわり一昨日Rで聞いたPというバーへ。
「お話することが主体の」と聞いていたとおり、店主が話を「まわして」いく。先だって書いたところの「誘導」が、主にマスターの言葉によって行われるわけだ。あまりにも「話す」ということに傾斜していて、「話さない」ことが罪のように思われている。(嫌ではなく、それはそれでよい。)マスターによれば、ある時女性が一人でやってきて、「読書してもよいですか?」と問われた際、「だめです」と追い返したらしい。徹底している。僕がいたときも無口なお客が一人いたが、あまり快く思われてはいないようだった。四杯飲む。
 西側にとって返し、初日のiへ。すでに真夜中になっていたので、これで仙台は終わりかなと思いながら、蕎麦焼酎をぼんやり飲んでいたら、マスターが思い出したように「あ、K。Kという店なら遅くまでやっているかも」とつぶやいた。実はこのKという店が、この長い文章の本題に関わる。
 Kはビルの三階にあった。看板も見当たらず、恐らくここかと上がった先に行き着いた。小さな窓を覗いてみると、店主らしき人が客側の席に一人座って、テレビを見ている。まだ閉める気配もない、あとでまた来てみようと一旦、出た。
 それで国分町のRに行きPに行ってきたという報告をしつつ、スリランカカレーの激辛バージョンとエチオピアコーヒー、またジャズボールをいただく。いよいよ夜が深くなり、またKへ。
 小さな窓をふたたび覗くと、店主らしき人はまだ同じように座っていた。音楽が鳴り、忌野清志郎のポスターが貼られている。意を決して入ってみる。
 店主が立ち上がり、カウンター側にまわる。一杯目はほとんど無言で飲んだ。いきなり話し始めるのは苦手で、話すなら少しずつ話せればいいし、話せないならそれでもいい。ゆったりと店内を見回しつつ、二杯目を頼んだ。
 どういう流れで最初の会話が始まったのかは覚えていない。初対面なのだから、こちらも、あちらも、様子をうかがいながら、ほんの些細に、始まるなら始まる。いつの間にか始まっていた。いつの間にか、星野仙一死去を報じた河北新報(号外)と、ひとふくろの金柑と、一ノ関の納豆と、秋田の日本酒と、矢口高雄先生のイラストが入ったポケットティッシュの台紙とを、いただいてしまった。そして「よかったら、ここ閉めてどっか飲みに行きましょうか」と言われ、ご相伴にあずかることにした。
 朝方だったが彼の心当たりを渡り歩いて三軒め、開いているバーがあった。ビールとマイヤーズを飲む。飾られたオールドボトルを眺めながら四方山の話をする。六時くらいに店を出て、「また」と別れた。自転車で宿に帰って少々寝て、東京に戻り店に出た。



 そして今日、つまり22日現在の話。お昼に行きつけのカレー屋でランチを食べた。店主とお店について少し話した。「お店ってお客さんがつくるっていうところもあるから」という一言を頂いて、この文章の一部に反映された。「お店を続けるために必要なのは、続けようとすることだけ」とも言われた。「ずっと昔からお店をやりたい、やりたいと思い続けて、やっと開いたお店を半年で閉じたりするような人が意外と多い」とのこと。
 店は、店が作るわけではない。ほとんどは客が作る。客が来なければ、店は閉じるしかない。「ぼくがかんがえたさいきょうのお店」みたいなのを作っても、「強そうだね」で終わってしまっては続かない。
 最近、そういうことをよく考えているのだ。ある価値観や方向性に則って作られたお店は、あるいは「場」というものは、排他的になる。「Aだ」と言えば「Aではない」ものを含まない場になってしまう。
「楽しくコミュニケーションができる場です」と言ってしまうと、そもそもコミュニケーションを好まない人をはじいてしまうことになる。また、そのような言い方には「コミュニケーションとは何か?」という検討が見当たらないので、「ここで言われているコミュニケーションとは、わたしの考えるコミュニケーションとは別なものなのではないか」という疑念がわく。
「ワイワイ話せる素敵なお店」と言われたら、「ワイワイ話さなければいけないのか……」と思ってしまう。「アットホームなお店です」と言われたら、「馴れ合いみたいな関係を期待されるんだろうな……」と思う。「ムーミンが好きな人おいでませ」だと、ムーミンが好きでなければいけない気がするし、自分の「ムーミン好き度」が問われるような感じがする。
 そういうことは、どんなお店にも必ずある。それが、上のほうに書いた言葉でいえば「誘導」とか「色」といったものなのだろう。
 店をやるなら、どういった価値観とか方向性に則るのか? どんな「誘導」を工夫するのか? どのような「色」が出れば、それでよいと思えるのか? たぶんどの店も、どこかそういうことを考えている。
 僕は「夜学バー」というものをやっているけれども、このお店がどんな価値観や方向性を持ち、どんな「誘導」を行い、結果的にどのような「色」が出てしまっているのか? ということを、常に気にして生きている。できるだけすてきな色になるように、調整しようとがんばっている。

 仙台で最後に(正確には最後から二番目に)入ったKというお店の店主は、少なくとも僕が一杯めを飲み終えるまで、たぶんほとんど黙っていた。そういう店主は存外多いが、よい「黙り方」をしていたと思う。何をもってよいとするのかは難しいのだが、これまでに出してきたフレーズを組み合わせて表現してみるならば、彼は「店は客が作る」ということを前提として、「この客に応じた自分のあり方」というものを、探っていたんじゃないかと思う。そういう態度が、彼なりの「誘導」だったのではないか、と。
 彼の客との向き合い方は、たぶんダンスのようなものだ。相手が右足を出せば自分は引っ込める。こちらが左足を出そうとして、相手が左足を引っ込めそうにないならば、出さない。気持ちが合えば、くるりと回る。一緒に。
 店の主役は店である。店主ではない。そしてまた客でもない。そう思っている人は、ああいう黙り方をする。「自分は黙る」と決めているわけでもなく、「客が喋るなら自分も喋るし、客が黙るなら自分も黙る」と考えているわけでもない。ただ単純に、「どんなダンスになっていくだろうか」と思いつつ、まだ声を出す必要を感じないでいる。
 そのダンスは、ダンスホールたるこの空間を、美しく彩るものでなくてはならない。店主には、その責任がある。だからこそ、慎重になるのだ。慎重であって、しかも「どこにでも行ける自由さ」を両立させる。それをバランス感覚とか美意識と呼ぶのだ。
 ダンス(?)が始まると、僕と店主は、とりたてて意気投合というわけでもない、淡々とした会話を続け、できそうな話を持ち出し合って、やがては飲みに出かけていた。彼は人が好きで、それで「お店」というものが好きなのだろう。
 彼は携帯電話を持っていないという。インターネットもしない。「いつも店にいるから」とのことだが、店にいるときのかなりの時間は、たぶんああして、テレビを眺めたりしつつ、客席に座っているはずだ。その孤独を引き受けてでも、店を開け続ける彼に心から敬意を表する。雪の中一人でランチを開けていたカレー屋の店主も、同様に素晴らしい。だから僕も今日、とにかくお店を開けに来たのである。
 お客が来ようが、来まいが、あまり関係はない。開けていることが大切なのだ。それはお店が、みんなとしている約束なのだ。それを破るのには、それなりの理由がいる。ちょっと雪が降ったくらいでは、閉めるわけにはいかない。
 もちろん、これは僕の考え方(というか性分)であって、「これが正しい」という主張では全くない。僕がそういうお店を好きなだけ。そういう「誘導」を、あるいは「色」を、愛しているだけ。

『ピーター・パンとウェンディ』で、ウェンディのお母さんは、いつでも窓を開けている。窓から飛びだしていった子どもたちが、いつでも帰ってこられるように。寒い夜でも、いついかなる時も。
 あの小さな窓から覗き見た、Kの店主のあの姿は、それと同じことだったのだ。毎日、休みなく、朝まで店を開け続けるのは。
 そしてお客が来れば、そのたびに「自分のあり方」を考え直す。それをたぶんほぼ永遠に、繰り返していくのだろう。お店を続けるというのは、そういうことだし、それが当たり前になってしまったのなら、もうそうするしかない。

 結局、月曜日担当の若者のうち、一人が来てくれた。彼に店を任せて、お客も二人来た。先に若者を帰し、誰もいなくなった店内で、改めてこれを書いている。
 楽しい夜だった。

2018.1.9(火) ゲストハウス、ボードゲーム、『こころ』、文明と野蛮

 18きっぷを使って仙台へ。宇都宮で30分弱の乗り換え待ちが作れたので、改札を出て餃子定食を食べる。600円。安い。でもあまりに時間がなくて味わっている暇はなかった。久々に各駅旅行特有のあせりを感じた。
 車中では本を読んだり寝たりしていたが、自転車を持ってきているため姿勢がうまくとれず、全身が疲れてしまった。頭も痛くなった。
 新宿から宇都宮、黒磯、新白河、福島、仙台と乗り換え、仙石線で数駅乗ったところにあるゲストハウスにチェックインした。とても寒く、少し雨が降っていた。
 あまり体調がよくない。夕食はどこか外で食べる予定だったがやはり頂くことにする。宿泊客五名、遊びに来た元スタッフが一名、スタッフが三名というそれなりの大所帯で食事をとった。
 客を中心に話はそれなりに弾む。受験のために新潟から来たという中学三年生の女の子とそのお母さん、兵庫県から来たおじさんと名古屋から来たおじさん、そして山形からふるさとの福井に帰る途中に立ち寄ったという若い女性。そして僕。スタッフは四十代の若い女将さんと若い男性が二名。なかなかバラエティに富んだメンバーだ。スタッフは皆、明るい。積極的に話を振ってくれる。
 僕はこれまでゲストハウスに泊まったことがほとんどない。数少ない経験は、どれも殺伐としていた。和気藹々とした雰囲気にめんくらいながら、「ゲストハウスが好きな人たちは、こういうことに醍醐味を感じるのかな」などと思った。
 ご飯を食べたら市街に出て飲み歩こうと思っていたが、ひょっとしたらここにいたほうが面白い展開があるかもしれない。そう思って、自分が食べ終わってからもしばし会話に参加していた。みんなが食べ終わったところで、一斉に食器が片付けられる。みんなで手伝って、あっという間に回収が済む。
 まっさらになった小さなテーブルを囲んで、沈黙はわずかの一瞬もなかった。間髪入れず女将がこう言ったのである。

「今日みたいな日は、ボードゲームなんてしたくなりませんか?」

 終わった! 絶望だ。
 飲みに行こう。
「スタッフの彼が、ボードゲームが趣味でして、最近新しいゲームを買ったそうなんですよ」
 紹介を受けた若い男性スタッフが、トランプのような小さな箱をすぐさま棚から取り出した。「でも残念ながら、六人までしかできないんです」
 六人まで「しか」。
 僕は固辞して、ゲームが始まったところを見計らってドミトリーに戻った。
 ボードゲーム。ボードゲームは、よくない。いやもちろん、ボードゲーム自体が悪いと言っているのではなく、こういう場で、ああいう状況でボードゲームを始めることに、僕は強く反対である。
 なぜなら、ボードゲームをやっている間は、ボードゲームしかできないからだ。
 この話はここここなどで書いた。ほかでも似たようなことは何度か書いているだろう。
 トランプをしているあいだは、トランプしかできない。
 ボードゲームをしているあいだは、ボードゲームしかできない、のである。
 そりゃ、ボードゲームをすれば楽しいだろう。楽しくなるように工夫されているのだ。優れたボードゲームの面白さは、僕にだってわかる。
 だけどせっかくの一期一会が「ボードゲームの時間」でしかなくなってしまう、というのは、あまりにお粗末ではないか?
 もちろん、ボードゲームで一通り盛り上がったあとで、いよいよ個人的な話が始まる、ということはあるだろう。ボードゲームをやる中で相手の性格や考え方がわかったりもするだろう。ボードゲームというものは、一時的にであれ人々をあるひとつの場に固着させる。人々がとりあえず一緒にいて、同じことをするための口実としては、とても優れたものである。しかもそこには「楽しい」というオマケまでつくのだ。その間に「愛着」のようなものが生まれ、その後の関係をほぐしてくれる。そんなこともある時はあるだろう。
 僕は離脱してしまったので、ボードゲームが終わったあと、彼らがどうしたのかは知らない。遅くまで語り合ったかもしれない。僕も残っていれば、その中でよいことがあったかもしれない。
 ただ、ボードゲームをやっているあいだ、彼らがボードゲームしかやっていなかったであろうことは、疑いがない。
 ボードゲームとは、それが盛り上がれば盛り上がるほど、「もう一回」と続けられていくようなものである。そしてその「もう一回」がついに終わったら、みんな疲れてしまっている。一時間だか、二時間が経過している。ボードゲームが始まった時点でもう八時半か九時くらいだった。消灯は十一時である。たぶん十時くらいまでボードゲームは続いただろう。十時くらいまで、彼らはボードゲーム「しか」しなかったのだろう。それから何をしようとか、話そうとか思っても、もう時間はない。消灯以降、共有スペースは使用禁止になる。

 間違いなく僕はあまりにも、「お話をする」ということを重視している。しかし初めて会った相手と、個人情報を含まざるを得ないような「お話」をして、過度にその距離を縮めてしまうことは、少なからぬ危険を伴う。だから、ボードゲームしかしないでいられるボードゲームは、便利なのである。ともに楽しい時間を過ごしつつ、自分に関することは何も知られないですむ。不必要に仲良くならなくてすむ。喧嘩になったり、言い寄られたり、後にストーカーされたりというような事態もかなりおさえられる。
 だが忘れてはならない、夏目漱石の『こころ』においてKがお嬢さんへの気持ちをいよいよおさえられなくなってしまうのは、正月にカルタ取りで遊んだ後であるらしい(そう解釈できる)のだ。カードゲームやボードゲームだって人心を惑わせる。しかもKは、お嬢さんとろくに会話をしたこともないくせに、あんなに好きになってしまうのだ。お嬢さんのことをおそらくろくに知らず、ろくに自分のことも知らせず、ろくな関係もつくっていないうちに、片想いの火を燃え上がらす。そして騒動は起きるわけだ。「恋愛などない」と僕はいつも言っているが、「ないものをあると思い込んでしまう」よい例が『こころ』である。もちろんKだけでなく先生もそう。
 ボードゲームの類いは、「本当はつゆほども存在しない関係や絆を、あたかもあるように演出してみせる」装置として優秀だ。Kは、お互いの気持ちや価値観に関わる交際をまったく経ないで(カルタなどを通して)、お嬢さんのことを過剰に好きになってしまう。不自然きわまりない。
 もちろん「人を好きになる」ことに問題はない。ただ「中身のないまやかしの恋心を抱いてしまっている」ことには多少、恥じたっていいんだろう、と僕は自分の価値観に照らして思う。

 だいぶ話は逸れてしまった。僕は「お話をする」ことを大事だと思う。なぜならば、そういう「お互いの気持ちや価値観に関わる交際」をしっかりやっておかないと、相手との関係や相手への気持ちに生じたスキマをすべて、「自分の気持ち」で埋め尽くしてしまうからだ。Kだって先生だってそれをやってしまったのだ。
 人間が一人では生きていけないという以上、本当に大切なのは「ある人間とある人間とのあいだにある関係」であって、「ある人間がある人間に対して抱く想い」というのは、二の次でしかないはずなのだ。それを大切にしすぎてしまうと、独り善がりになって、それこそストーカーだのに発展してしまう。「好き」という観念的な気持ちは、具体的な人間関係の前では脇にのけておくべきなのだ。(Kはもしかしたらそれをしようとして、できなかった人なのかもしれない。)
 もちろん、関係を築くために必要なのは「お話」だけではない。「お互いの気持ちや価値観に関わる交際」のすべてだ。表情を向け合うこと、ならんで歩くこと、卓球をやったっていい。登山したっていい。その中にカードゲームやボードゲームや人狼とかそういうものが含まれていたって、別にいい。だけど、初対面の人がほんの短い時間で関係を築くには、やはり「お話」くらいがいいと思う。あるいは、永遠に離ればなれになるかもしれない親友同士も、「お話」をもってさよならするのがいいんじゃないかな。(『さようなら、ドラえもん』や新オバQの最終回と目される『九時カエル』参照)
「お話」ってのは、ものすごく大きな力がある。
 しかし逆に、ボードゲームみたいなことにも、違った力があるのだ。

 十代の終わり頃、ある宗教団体にだまされて洗脳合宿に参加させられた。同世代の若者が十数名集められて、講義を受けさせられた。若者同士の「会話」は厳禁だった。しかし、若者たちはそれなりに「仲良く」なっていった。互いに愛着を抱いていった。なぜか。なぜ、「会話」が禁止されているのに、愛着が生まれるのか。
 ゲームをやらされたからである。
 ボードゲームではなかったが、サッカーだったり、身体をつかったミニゲームだったり。あるいは歌を歌ったり、かんたんな演劇をやったりもした。
 そういうことをしているうちに、人間同士は互いに愛着を持ってしまう。そこには「お互いの気持ちや価値観に関わる交際」など、まったくない。ただ形式があるだけだ。しかしそれだけで十分なのだ。愛着が芽生え、仲間意識が生じる。恋だって生まれ得るだろう。
 人間は容易に、形式に左右される。肉体や身体性を優先してしまう。言語になど実はあんまり頼っていないのだ。「お互いの気持ちや価値観に関わる交際」などなくても、仲良くなることはできる。でも、それは野蛮である。本能的、原始的にすぎる。そこを大切にしたい気持ちも僕にはあって、絶対に無視はしないのだが、しかし、そのためにあらゆる文化、文明を無視することはできない。「気持ちや価値観」を捨てることができない。捨てられる人は、あの洗脳合宿で「転んで」しまっただろう。僕は自分の中の野蛮さを見捨て、それまでに培ってきたもの(文明)を取ることができたから、抜け出すことができたのだ。今にして思えば。「あなたは野蛮ですよ、私たちこそが文明です」と、その宗教の人たちは主張していたわけだけど。そこに騙されなくて本当によかった。
 カルトにハマる人というのは、野蛮さに手を伸ばして、「それまで培ってきた文明的な自分」を、ポイッと捨てられる人なんじゃないか、と思う。
 むちゃくちゃな言い方をすると、ボードゲームは野蛮なのだ。

 僕は、未だ見知らぬ誰かとの文明的な交際を望むのである。
「ボードゲームをやりましょう」という提案は、「野蛮に身を投じませんか?」という誘惑なのだ。それをやれば、必ず一定以上の「快楽」が得られる。その代わり、文明的な交際はいったん停止される。
 僕はそれが嫌だと言うのだが、しかし「文明的な交際」なるものは、誰とでも実現できるわけではない。むしろ、そんなことが起きればラッキー、むしろ奇蹟に近いような話でさえある。
 ボードゲームをやれば必ず楽しいが、お話による「文明的な交際」は、必ず実現されるとは限らない。
 だから、もしゲストハウス側が「すべてのお客さまに楽しんで帰っていただきたい」と考えるならば、ボードゲームを提案するのは正解なのである。「ああ、楽しかった」と、訪れたすべての人に思ってもらったほうが幸せだ。そう考えるのは、なるほど自然なことだろう。
 ただもし、「すべてのお客さまに楽しんでもらわなくてよいから、ときおり奇蹟的に文明的な交際が実現される余地があったほうがよい」と考えるゲストハウスがあったなら、ボードゲームをすすめてはこないのではないかな、と思うわけだ。

 僕のやっているお店は、もちろん後者だというわけで、お客としてもギャンブルのようなものだと思う。千円から数千円のお金を出して、楽しいかもしれないし、楽しくないかもしれない。でも、奇蹟的に本当に「来てよかった!」と心から思えることがたまにある。だからときおり来てしまう。そんなお店でよいのだと、今のところは思っています。

 長くなってしまった。仙台で飲み歩いた話はまたごじつ。

2018.1.1(月) お正月だよ

 晴れたれば、鮮やかれ。お正月ですね。
 この記事を書いているのは1月11日です。仙台にいます。

 年越しはお店(夜学バー)で、たった一人で過ごしました。年の変わる10分前くらいまでお客さんが二人いたのですが、お参りに行ってしまい、そのまま帰られました。何をするでもなく、とりあえずウィスキー飲み、タモリの『惑星流し』という、ひとりぼっちになったときの定番曲をかけました。それでいつの間にか年は明けておりました。
 そのあとたしかまた二人ばかりお客が来て、朝まで営業しました。一日もお店におりました。この二日間は初めていらっしゃる方が多かったです。
 二日はたくさんのお客さんがきて、盛り上がりました。三日は別の方にお願いして休みました。四日は遅めに顔を出しました。
 この、三日から四日にかけて僕は悪かった。釣り上げられたマグロのようでした。まったく動けず、誰とも連絡を取らず、あらゆる予定をすべて勝手にキャンセルしてしまいました。謝らなくてはならないのですが、まだできていません。
 それというのも、自分がそのようになってしまった理由は自分にだけわかり、それを他人に伝えることは様々の意味で難しいからです。だから何と言ってよいのか迷うのです。シンプルにごめんなさいとだけ早めに告げるのがいちばんよかったのには決まっていますが、なかなかできないのにも由来があるのでした。
(関係ないけど明治時代くらいの文豪の文章って、こういう感じの思わせぶりな書き方がけっこうあるよなあ。)
 五日と六日と七日はまたお店に出ました。それからしばらくお店に出ないので八日は一日休み、九日から旅に出ました。今ここです。

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