少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2024.8.6(火) ダイジェスト・プラグイン(旅トレイン)
2024.8.12(月) 上越→新潟→東京→高知→徳島→和歌山①
2024.8.16(火) 台風嫌い? 人嫌い?(緊急事態宣言の想い出)
2024.8.21(水) 大ピンチなんですね~(仮)
2024.8.27(火) 一所懸命生きているのである(日記編)
2024.8.28(水) 続・一所懸命生きているのである
2024.8.29(木) 褒められなくてもいいです
2024.8.30(金) 自伝
2024.8.31(土) なつのおしまい(ばいばい)

2024.8.6(火) ダイジェスト・プラグイン(旅トレイン)

 旅トレイン!!
 よくあるサイケデリックな話にまるで飽きてこのままオートマチックに僕は君のもの
 まーわかりますな、あんまりめんどくさいことを考えるよりも「今は君に触りたい」とダイレクト・プラグインしたほうが話は早いし、素直で、それは意外と誠実だ。と。

 いま和歌山の喫茶店におります。なんか旅してると日記っぽくなるだよね。紀行の中に思索が入るのが肝ではあるんだけど、考えたことをいちいち書いているといつまでも終わらない。「これは長くなるな〜」と思ったらおいそれと書き始められない。そんなジレンマがもう20年くらい続いている気がする。
 いかがわしい川沿いの風俗店立ち並ぶエリアにある喫茶「竹垣」。喫茶天国和歌山市内を走り回るの三度目にしてようやく見つけた、昼はここだ。ここが一番好き。まだランチの漬物しか来ていないけどすべてが最高。(フー!)
 競輪場の横の焼き鳥屋は10時から14時までの営業とのことでギリギリだめだった。次回絶対間に合わせる(個人的メモ)。

 前回の日記に書いたように8月1日と2日は新潟にいた。ここまでの大まかな旅程をダイジェストで記しておく。あとでちゃんと書くつもりではあるけど、クレヨンで色塗る時に輪郭をまず囲うみたいなこと。


【1日】
・1019高田(新潟県上越市)着
 シティーライト
・1247-1257直江津
 陽向 なおえつ茶屋
・1420-1730内野
 ※柏崎、吉田をプチ散歩
 みずのみば
・1911-1933新潟
 アンゴ荘 いずみ湯 本間文庫 四ツ目長屋 オレンジストリートブックス 夜学♭待夢来燈 1173

【2日】  びすとろ
・1107-1221長岡
 禮 まちまち、ときどきカフェ。
・1449-1622上野
 JAZZ&BEER 夜学バー(17−26)

【3土】
・1216丸亀着(しおかぜ)
 讃岐製麺所 喫茶SMILE
・1343丸亀-1539高知
 宿(寝) 京や mojo へびや ベルズ VIVA! 樹香

【4日】
 まんが甲子園 のんた 十月 清水湯 玲子 変質者 フランソワ おはなちゃん khaos

【5月】
・高知→池田→徳島 1113-1449
 ×ブラジリア まるわ食堂 宿(寝) ×あめりかん いまちゃん ピノキオ ランボオ トランプ堂 (スペース)

【6火】
 ×ブラジリア
・徳島港1055-1305和歌山港1314−19和歌山市
 ×やきとり エクセル 竹垣(今ここ)
・[予定]和歌山市2324-0039なんば

【7水】
 未定、9日(金)は夜学バー(17−26時)


 忘れてるのありそうだけどとりあえず。自分用メモでもある。
 総括すると、まず暑い。熱中症も日焼けも嫌なので日中の移動はかなり控えめにしたし、ふだんならキックボードで行くところを電車やバスにしたところがいくらかある。
 その数百円をケチらないようにしよう、と道中決心した。どうも僕はお金のことを考えすぎている。節約よりも「いかに額を減らすか」というゲーム性が好きでやっている面が大きいのだが、さすがにリソースを割きすぎている。やっと反省し始めた。
 先日このように書き、読者様から「珍しく年齢(加齢)のこと書いてましたね〜」と言及していただいた。少しでも反応あると嬉しい。たのんます。
 僕もそろそろ天王山(とは?)ですから、上るばかりでなく下ることをこそ考えなければならない。「技を磨く」方面はもうほとんど天井のはずなので、徐々に「力を抜く」ことに力を入れたい。
 かしこい僕はすでにそのようにしてきている。旅トレイン(とは?)にしても18きっぷから一筆書きに移行し、新幹線や特急を惜しみつつ使っている。さらにこれからは「惜しみなく」もやりたい。また日常でも電車等を使うことがこの10年でかなり増えた。20代まではほぼ自転車だった。これは老いとか衰えと後ろ向きに捉えるのではなく最適化と考えたい。すべて自転車というのは極端だし、またすべて公共交通機関をというのも僕にとってはまた極端すぎる。
 そしてこれからは、常に最適解を、という極端さもまた疑っていこうと思う。最適を追い求めて時間をかけすぎてはむしろ非効率。「損切り」に似ている。日記についても、実は最近推敲をほとんどしていない。「手を抜け 気を抜くな」の精神。
 何も諦めるつもりはないけれども、無駄は無駄と看破すべきだ。人生はどんどん短くなってゆく。削っていった先に残るものが天命なのかもしれない。

 まだ書きたい気もするが、ここで退くのも大事だろう。
 書くことの気持ち良さに溺れてはならぬ。

2024.8.12(月) 上越→新潟→東京→高知→徳島→和歌山①

 お盆進行に入ってきました。こないだの旅のことをまとめます。

●8月1日(木)
 喫茶シティーライトの開店が10時なので10時19分「高田」駅着の新幹線に乗った。軽井沢、長野、飯山のさらに先、新潟県上越市。ほぼ日本海で、新潟駅と富山駅のちょうど中間くらいにあたる。
 お客はおらず、ママはカウンターの手前の席でなにか読み物をしていた。久方ぶりなのですぐにはわかってもらえなかったが、挨拶をしたらいつも気にかけている旨賜り栄に浴す。
 この日はなんと、ママの91歳のお誕生日だという。何も知らず、偶然。途中どこからか大きなお花が届いた。
 アイスコーヒーを飲みながらお話していると、スタイリッシュなおばあさんがおいでになった。80歳という。ママとはここ2,3年ほどで親しくなったそうだが、まるで昔からずっと仲良しのように通じあえているらしい。お二人とも思春期のある時期を長野県で過ごしたそうで、「長野県の精神」というフレーズも飛び出した。僕はまさにそれについて研究しているところなので、非常に興味深い話である。


 お客があったので中断してしまった。ここからは8月16日の夕方に記す。


 このお客さんをKさんとしよう。彼女は押花絵をつくっており、その作品はシティーライトに複数展示されている。ぜひ見てほしい。本当にすばらしく美しいのだ。
 刑務官の父を持ち、幼い頃は転勤ばかり。3月10日の東京大空襲と8月6日の原爆を両方経験し、被爆手帳を所有している。若いうちに年上の知識人と駆け落ちし、数年前に亡くした。91歳のママはだいたいその旦那さんと同じ年代で、逆にママの旦那さんはKさんと同じくらいである(ずいぶん前にコーラの飲み過ぎで没した)。お二人の話や感性がマッチするのは、お互いの配偶者の年代とそれぞれ重なるゆえもあるのだろう。
 ずっとずっとお話していたくて、電車を一つ遅らせることにした。途中でママがドリンクをサービスしてくれた。
 Kさんがお帰りになって少ししてから僕もお暇をした。何気なく置いてあったチラシを見ると、翌々日に小学館ドラえもんルームの徳山さんが上越に来るとあった。浅羽通明先生を通じて交友があり、夜学バーにも何度もおいでくださっている。いろいろと奇縁が重なるものだ。
 少し時間があったので高田の町をキックボードで走り回る。新しいお店がけっこうできている。大好きな喫茶「秋」も健在のようだ。13時くらいに開くので、今日は行けない。

 12時47分に高田を出る。北上し57分に直江津に着。新潟県の西側で最も栄えている町といえば高田と直江津でワンツーだろう。一度来てみたかったのだ。
「陽向」という、スナックだけどお昼は喫茶というお店に行ってみた。駅から少し離れ、お定まりでインターネットの情報はほとんどない。ここでお昼ご飯を食べた。はっきり言って、旅行者も地元の人も、一見ではまず入ってこない店であろう。外観もじつに入りづらい。それなのにお店のママは「どこから来たの?」「初めて?」「旅行?」「よく入ってきたわね」といった言葉を一切投げかけてこない。ただ一人のお客として扱ってくれた。港町ならではと思う。内陸部ではこうはいかない。今度は夜に来てみたいものだ。
 さて旅をするときは、まず「情報のほとんどない」ところを訪れてみる。そういうところをいくらか回っているうちに、「情報がまったくない」ところが見つかったりする。あるいは「現地ならではの情報」にぶち当たる。
「なおえつ茶屋」も、ネットを見ただけでは「絶対に行こう!」とは思わなかった。しかし入口の雰囲気になんだか気になるところがあった。電車まで20分もなかったが、入ってみた。
 店主は84歳(たしか)の女性で、圧倒的な人間だった。元気だとかハッキリしているとかそんな言葉は全く当たらない、まったく何もかも現役であった。
 わずか15分に満たない滞在だったが、心底驚いたことが2つ。入店してまず席に座り、何気なく後ろの本棚に目をやったところ、見覚え深い緑の帯のついた背表紙があったのだ。思わず「あっ!」と声を出してしまった。『小学校には、バーくらいある』。「これ、僕が書いた本です!」
 そこから話は尽きなかった。「友達が今日からお店を始めるので、これから新潟市の内野に行くんです」と告げると、「このお店も今日が周年日なんだよ」と。そんなことありますか?
 喫茶「みずのみば」の開店日に、シティーライトのママが91歳を迎え、なおえつ茶屋も周年を迎える。さすが「水の日」だ。
 そういえば、個人的な話になるが我が家の長兄と野比のび太の誕生日は8月7日。高1からの悪友Radiwoくんの誕生日は8月6日。同じく高校からの麒麟さんは8月5日。mixi最大の収穫といえるニートさんと皿屋敷さんは4日。一日飛んで、お店でいつも馬鹿(かつ知的)な話を交わしているO氏は2日。ここまでキレイに「出会った順」でカウントダウンされている。満を持してここに「1日」が降臨したわけか。
 ということは、どこかに「8月3日生まれ」の人がいるはずである。流れ通りならば2006~2017年くらいの間に出会っていることになる。心当たりのある方はお申し出ください……。
 閑話休題、もちろんなおえつ茶屋の店主には夜学バーのショップカードを差し上げた。お返しに名刺をいただくと「花柳紀寿郎」とある。踊り子であるという。バーテンダーもやっていたそうで、夜学バーの存在をとても喜んでくださった。「またバーの時代になるよ」と予言めいたことまで。「私もね、ババアのやってるババーってバーをやろうと思ってるのよ、尾道で。」尾道で? 何から何まで脱帽である。

 柏崎、吉田を経由して内野へ向かう。待て次回。

2024.8.16(火) 台風嫌い? 人嫌い?(緊急事態宣言の想い出)

 数日前から「台風が来るぞ!」って喧伝されてて今日がその当日。台風が来るたび怒っているが、台風に怒っているのではなくて、台風に対する人々の態度に怒っているのだ。
 結論は「みんな理科ちゃんと勉強したの?」ってところ。「ウェ~イこいつリカちゃんと一緒に勉強したらしいぜ~」「ちがわい、ちがわい」「ウェ~イ~~」

 まず昨今の天気予報というものは「考えうる最悪の事態をお知らせする」ものである。ここを間違えてはいけない。あれは「予想」ではない。「予報」なのだ。
 予想というと当たる、当たらないということになるが、予報というのは当たるとか当たらないとかではなく、「このような天気になる可能性がこのくらいあります」という「お報せ」でしかない。行動を決めるための参考である。
「台風が(最悪の場合)このくらい強い状態でやってきます!」というお報せを受けて、「じゃあお店を閉めよう」と判断する人はたくさんいる。さっきTxitterで「僕がフォローしているアカウント」というフィルターをかけたうえで「休業」「お休み」などと検索してみたところ、東京近郊の知っているお店が10数件ヒットし、いずれも臨時休業を伝えていた。
 コロナ禍における緊急事態宣言のときと同じである。「危険!」と言われたら「そうですか!」と店を閉める。店はなんのためにあるのか? みんなのためにあるのだ。みんなが危険にさらされるのであれば店を閉めるべきかもしれないが、みんなが危険にさらされないのであれば、店を開けるべきではないか、と、ぼくは思います!
 より正確には、「みんなが危険にさらされるデメリット」と「お店が開いているメリット」とをしっかり検討し、そのうえで前者が大きいと思ったときにのみ、休業を選択すべきであろう。僕は2020年初頭の新型コロナウィルス上陸から数年間、前者を最低限に抑える工夫をしたうえで、常に後者をとってきた。夜学バーは一度も休業していない。2021年から「休日」はつくるようにしたけど、2020年は年末年始を迎えるまで完全に無休で営業したのだ。なぜかといえば、「こんなときにこそ夜学バーのようなお店は開いているべきだ」という信念があったからである。
 あのころ休業を選択した人たちは、「いまこのお店は開いているべきではない」と判断したのだ、と僕は傲然と烙印したい。
 もちろん様々な事情や思惑があることは想像する。お年寄りと生活しているとか、世間(界隈)の目がこわいとか、休業することで国民の意識を少しでもステイホームに向けたいとか。そういうことを思いつく限り勘案したうえで、それでも「あなたは自分のお店がいま開いているべきではないと判断したのですよね」と僕は真顔で言い続けたい。
 その判断が間違っているとは言わない。ただ、僕の最も気にかかっているのは、当時休業を選択した人たちがその理由をほとんど口にしていなかったことだ。なぜ休業するのか。みな口を揃えたように「昨今の情勢を鑑み」だ。「自分は世間の空気に唯々諾々と従います」「何も考えず横並びでみんなと同じことをします」「わたしには思想も意見も何もありません」と主張しているようなものだ。それでいいと判断したのだ、彼らは。
 たとえば、「老人と同居していて、自分の介護が絶対に必要なので一時的に別れて暮らすこともできず、感染の可能性を極限まで下げたいので休業を選択します」と言われたら、わかる。それはそうすべきだろう。でも、当時そういうふうに具体的に休業の理由をインターネット上に書いているお店はほとんど(記憶の中では一つも)なかったし、直接連絡をとったり話したりする中でも僕が妥当と思える説明をしてくれたケースは思い出せない。それで僕は本当に孤独な気がしていた。自分だけが、「なぜ営業するのか」「どのように営業するか」「様々なバランスをいかに取るか」という説明を必死になってしているように思っていた。夜学バーのホームページは「宣言」や「措置」の出るたび長文に溢れた。さみしかった。
 台風が来るたびにあの頃のことを思い出す。

 コロナウィルスが流行っている→休業する
 この「→」の内実を誰も彼も曖昧にしていた。今だってそうだ。「台風がきた→休業する」この「→」の意味はなんなんだ?
 台風が来ていたってお店を開いてもいいじゃないか。営業時間帯前後に人が死ぬような暴風雨が確実に予想されるならわかるが、ちゃんと「天気予報」を読んでいればそれほどのことにはならないと容易にわかる。みんなそんなに理科ができないのか?
 唯一、僕が納得できるのは「お店を休むことによって、危険であるというプロパガンダ(あえてこう表現します)に加担することができ、人々のあらゆる活動を縮小させ、安全性をより高めつつ防災への意識をも向上させるとともに、従順さを育て、条件反射をすり込み、いざというときに国民を思うままに動かしやすくできる」というものだ。それならそうとハッキリ言ってくれたら「まあそういう考え方もあるよな」と思うし、「がんばれ」とも思う。
 個人の見解として断言するが今回の台風7号は東京23区内に大した被害を及ぼさない。なにかの拍子で怪我をする人くらいはいるかもしれない。つるりと滑って車に轢かれたり、もともと取り付けが弱くなっていた看板が急に落ちてくるといった可能性は、ほんの少し高まるだろう。そこをさえできるだけゼロに近づけたいと思う人が、上記のようなプロパガンダ加担論を唱えるなら、僕は「それはそれで」とは思える。だったらそう声高に主張したほうが「なるほど」と真似する人が増えるから、より実効性が増すだろう。それをしないということは、そういう思想ではないのか、単に目立ちたくないのか。(たぶんいるとしたら多くは後者だと思う。)
 しかし世の中には常に危険がある。その可能性が0.001%から0.002%くらいに上がるようなことを、みんなそんなに恐れているのか?
「歩けないような暴風雨のさなかに外に出ることを推奨する」のはよくない。しかし「最大でも風速10メートル未満で雨量も1時間に5~10ミリ」といった程度のときにお店を営業するのは、そんなに危険を招くだろうか。そう思う人はいてもいいが、ちょっと多すぎるように僕には思える。昨日からずっとそのくらいの予報である。少なくともYahoo!天気は。
 今(18時)なんか18時以降は4mm→2mm→0.9mm→0.8mmで、0時には0mmになっている。風速はこれまで6メートルまでしか観測されておらず、今後の予報でも7メートルが最大だ。なんでこれで「休業します」になるんだろうか?
「大事をとって」とは言う。でも理科(地学)がある程度わかれば、そんな「大事」はまず訪れないことがわかると思う。数日前から数時間ごとに天気予報をにらみ続け、「今日は営業して何も問題がない」と僕は判断し続けている。
 僕は今回の台風を「ほぼ安全」と一貫して捉えてきた。もし同様にそう考える人がいて、それでも休業を選択するなら、理由はプロパガンダ加担か、あるいは「どうせお客が来ないから」だ。この発想が僕は最も嫌いである。
 誰か来るかもしれないじゃないか。一人でも、そのお店を必要とする人が。そういう人たちの、というか、そういう想いのためにあなたは「個人店」をやっているのではなかったのですか。そもそもそんな大して儲からないことをわざわざやっているのは、なにかご立派な信念や理想がおありになってのことではないのでしょうか。(猫=浅羽通明先生みたいな皮肉っぷりになってきた。自重しよう。)
 緊急事態宣言のさなか、静かにお店を開けていて、本当~にお客は来なかった。せいぜい一人か二人、来るか来ないかって状態で、売上なんてほとんどなかった。でもみんな「開いていてよかった」と言ってくれた。ああいう空気だったからこそ、灯りをともし続けることが必要なはずだと僕は信じていたのだ。そこに共振した人が、こっそりと来てくれていた。

 あと45分で開店の時間。今日だって誰も来ないかもしれない。それでもやるのだ。誰か来るかもしれないし、来なくたって、「開いてたんだ」とか「行きたかったな」と思ってもらえるだけでも意味はある。来てくれたらもっともっと嬉しいけど。
 お店というのは開いているからお店なのだ。閉まっていたらお店ではないのだ。「あした学校ある?」「ないよ」「ウェ~イ学校はあります~爆発でもするんですか~~???」みたいなの、あるけど、学校が休みの日って、学校ってないんだよ。実際。ちがいます?

 でも、自分が休んでる日の学校は「ある」ような気がするじゃない。そのために僕は今日もお店に来ているのですよ。早起きして、雨の降らないうちに家を出て、ふだん行けないお店でモーニング食べて、上野で買い物とかして、うた作ったり作業したりしているのです。工夫すれば「開ける」こと自体はそんなに大変じゃないと思います、たいてい。もし無理ならその説明をしてもらえたほうが僕は嬉しいな。きょうお店を休んでる人たち。

 最後に悪口を言って終わる。ふだん殊勝らしいことを言って、「わたしたちのお店は世の中の役に立っています!」「文化を守ってます!」みたいな態度(個人の観測)をとっている人のなかに、2020年以降休業したり、さほど被害の予想されない台風の日に休んだりしている人はものすごく多い(個人の観測)と思っております。僕、そういう、世の中の役に立ってて、文化を守ってるようなお店ばっかりフォローしてるもん。好きだし友達(仲間)だと思ってるから。(傲然と。)

2024.8.21(水) 大ピンチなんですね~(仮)

 深夜四時! 明けてもう22日。やることが無数にあって消えない。大きくも小さくも。おふろ掃除も、新刊制作も。名刺の発注も(これは今やろう)。←やった。パチパチ。29日の18~20時にお店に届く。
 23日から27日まで茅野(長野県)で合宿するのである。そして27日は山梨に泊まるかもしれない。
 合宿では以下のタスクをとる。
①落語(上飯田落語)
②弾き語り(新曲含むたぶん4~5曲)
③オカリナ演奏(『信濃の国』予定)
④半即興演劇(いちおうおおまかな台本をつくり練習もする)
⑤日報執筆(最近のと、とりあえず昨年6月くらい)
 ①~③までは22日中に完成させるべきものである。①はまだ台本もできていない。②はなんとなくできそうだが今回はコードと歌詞を見ないでやるつもりなので淀みなく弾けるには遠い。③はさっき曲を決めた。
 ④はほぼゼロで、行きの電車の中でおおまかなことを考え、24日に他の演者と相談しながら作る(恐ろしい話だ)予定。ここまでは25日昼の「全国夜学バー総合文化祭ちの大会」にて発表する。⑤にとりかかるのはそのあとになるだろう。
 そういうわけで本当に時間がない。いったん逃げる。わー。
 配信はたぶんないけど録画して売るかも! わからない! 依頼して!

2024.8.27(火) 一所懸命生きているのである(日記編)

 合宿が終わりました。ここからは延長線です。まだ茅野にいます。みんなと別れてお昼の11時49分、KiiTOSというカフェで一人ご飯を食べながら書いております。あとでコーヒーがきます。1600円もするけど必要経費なんだ。今書かないといけないのだ。
 14時16分のあずさに乗るから書けるだけ書く。小諸の「読書の森」に急遽行くことにしたのだ。楽しみだ。不義理(と僕が思っていること)を詫びなければ。

 この合宿(通称「やがっしゅく」)の個人としてのまとめを先に書いてしまおう。本当は順を追ってぜんぶ書きたいし、月初の旅行についても書かなければならないのだが、核心だけは新鮮なうちに書き留めておきたい。

 ようやくわかった。わかってしまった。それで昨夜遅くから今朝にかけてずっと泣いていた。みんなの前でもエンエン泣いた。おかげでおおむね整った。絶望的な話ではないので安心してほしい。
 自分が何をしてほしいのかやっとわかったのだ。どんな言葉をずっと求めてきたのかを。これがまったくわからなかった、気づいていなかったから、辛い気持ちが拭えなくて、いろんな人を傷つけたりもして来たのである。
 単純に、僕は「がんばったね」と言ってほしいのだ。たぶん本当にそれだけなのだ。
「褒めてほしい」と折にふれ言ってきたし、書いてきた。でもそれは「すごい」とか「えらい」とか「りっぱ」とかいったことを求めていたのではなかったのだ。「一所懸命やってるんだね、がんばったね」と言ってもらいたいだけなのだ。
 僕ってかなり能力の高い人間だしいいやつだし優しいし常に世の中のことをものすごく広く深く考えている(つもりだし実際相当そうだろう)し、はっきり言って偉大だと自分で思うし周りにもけっこうそう思ってくれている人は多い。ジャッキーさんがすごいとかえらいとかってのはある意味当たり前で、それであんまり褒められないってのもあったんだけど、本当に大事なのはそんなことではなかった。
 ジャッキーさんがなぜすごかったりえらかったりするのかというと、「一所懸命生きている」からであって、それ以外ではない。絶対にない。もちろん遺伝だ環境だもあるが、今の今までこんなにかわいくかしこく優しく育っているのは一所懸命生きて来たからに他ならない。手を抜いてこなかった。それがどれだけ大変なことか他人にはわかりようもない。だから「がんばったね」と言ってもらえない、たぶん。でも間違いなく僕はそれだけを言ってほしい。これも書きながらカフェでずっと泣いている。
 もちろん無謬なわけではない。良いことをするために悪いことをしたり、合成の誤謬みたいな感じで良いことと良いことが矛盾したり衝突して結果的に別のところで悪になっていたりもする。博打まがいのこともするし、セコいところもめっちゃある。でも頭には「できるだけよいことをしたい」というのはずっとあって、いつも「どうしたらいいんだろう」と思っている。自分の悪いところを最小限に抑えつつ、よいところを最大限に発揮しようと努めているのだ。悪いところをゼロにはできない。たとえば我慢が苦手だったり。一所懸命がんばって、工夫して、悪いふうにならないようがんばっている。とてもがんばっているのだ。それでもうまくいかないことばかりなのだ。
 目の前の、中身の入ったペットボトルのフタが開いたままになってても閉められない。「これこのままにしとかないほうがいいんだよなー」と思ってもそのままにしたりする。問題があることはわかっているのに解決のために動けない。なぜならば、あらゆるすべての問題によって常に頭がいっぱいなので、ある一つの問題にだけ意識を絞ることが非常に困難だからだ。目の前のペットボトルを眺めながら「風呂を洗わなければ」とか思っていて、風呂を洗いに行ったらペットボトルのフタは閉められない。どう考えてもフタを閉めてから風呂を洗えばいいのだが、なぜかその能力は備わっていない。お風呂のことを考えた瞬間にペットボトルのフタのことは意識から消滅し、ペットボトルのフタのことを考えるとお風呂のことが消滅する。無数の問題が目まぐるしく意識の中をぐるぐるしている。まあそういう人って多いだろうからけっこうわかってもらえると思います。「私も! つらいよね、がんばってるね。私もがんばるね」とか、言い合いたいものだ。

 僕がどうして「がんばってるね」と言われないのかというと、僕ががんばっているかどうかが他人からわからない、少なくともわかりにくいからであろう。だからハッキリと言っておきます。僕はがんばっております。ものすごくがんばっております。がんばってがんばって一所懸命生きています。それで「えらい」とか「すごい」とか言ってもらえるようなことができているのである。がんばっているからすごいことができるし、がんばっているからえらいことができるのだ。「がんばってるね」がすべてを覆うのだ。それだけで僕は本当に嬉しくなるはずだ。
 僕やっていることややったこと、言っていることや言ったことをすごいと思ったり感心したら、「すごい」と合わせて「がんばったんだね」と言ってほしいのだ。

 25日に「上飯田の夏」という25分くらいの自作落語をやった。江戸落語でも上方落語でもない「上飯田落語」という新しいスタイルの体で。なぜその設定にする必要があったのかという思慮も含め、よく考えられた出来の良いものであった。拙いし重要なところを一つ飛ばしたし、一度だけ巻き戻してしまったりもしたが、面白く作れたし、けっこう覚えていたし、何より上手だった。あれは「すごい」と言われていいと思う。だけどその「すごい」ものを作るのにどのくらい僕ががんばったかというのはまったくわからない。すごいことをした人に対して「がんばったんだね」と声をかけるのは失礼なんじゃないかという感覚もあろう。しかし僕に対しては、どうにか自然に「がんばったんですね」というようなニュアンスを伝えてほしいのだ。そうでなければ僕はずっと泣き続けてしまう。
「すごい」とか「面白い」と褒められれば、プライドが満たされたり快感を得ることはできる。しかし孤独は癒やされない。むしろ深まるだけだ。そうじゃない。その凄さとか面白さとかは、がんばったから、一所懸命やったから生まれたものなのだ。偶然じゃない。本番より構想、制作、練習のほうが長いのだ。もちろんこれが甘えだってのは承知だ。モノを作るんなら成果物だけで勝負しろというのもわかる。でも僕が言ってんのは友達の話だよ。友達だったら「めっちゃがんばったんでしょ、えらいよね。楽しかったよ、ありがとう」とか言うもんでしょ。言うべきだと思った、本当に。いっそう心がけよう。気づいてしまったのだから。
 ただまあ実際は「がんばったね」を褒め言葉にとらない人も多いと思うので、求めていることがわからない限りは言わないと思う。
 しかし僕はねえ、友達相手に商売してんだからァ、面白いとかすごいじゃなくてェ、がんばったね〜とか楽しかった〜とかありがとう〜とか言われたいの。本当に。わかりますかねえ。僕はクリエイターじゃなくて友達師なんだよォ〜〜どこまで行ってもそうなんだよう。

 合宿でみんなと喋ってて思ったけど、「面白い」ってのはその時に現在形で言い合うもので、「楽しい」っていうのは主に過去形か未来形で語られるものなのだよな。「それ面白い! ギャハハ!」って8000回くらい言い合ったあとに、「楽しかったね〜」って言い合うのがもう最高! なんだよね。これがわからなかったら地獄におちるぞよ!(謎の脅し)
 未来形ってのは「楽しみだね〜」みたいなことね。「チョー楽しい〜」っていう現在形もあるにはあるけど、実はあんまり使われない。そんな暇はない。少なくとも僕の友人関係というのはそうなんじゃないかと思う。それを逆手にとって僕はたまに「もう楽しい!」とか言うことがある(今回も何回か言った)。それは「本来過去形で言うべきところを、我慢できなくなって今言っちゃった!」っていうカワイイ感覚なのである。我慢苦手だし〜。
「もう楽しい」は、意味的には、「もう楽しいけどこれから絶対もっと楽しいことがあるんだよね、ワクワク!」ということだから、未来っぽい感じもある。いい言葉だな我ながら。聞く人にどう伝わるかは別として、口にする僕は勝手に幸福になってしまっている。独りよがりと言わないで。カワイイだけなのだ。

 そいで本題に戻り、さらに深めてゆきますが、「話が通じない人」ってのはいるね。その人のことが好きかどうかとか、仲が良いか関係なく。うーん、言語が通じないっていうんかね。それはまあ「踏まえる」しかないことだね。
 もうちょっと言うと、僕は言葉の「意味」をすごく大切にするのだが、それを大切にしない人もいる。過去に交わした言葉を無意識に脳内で改変してしまうのも「意味」の軽視ないし無視である。少しでも違う言葉や表記であれば、同じ意味を持つわけがないのだ。
 僕は意味に支配されている。意味病と言ってもいい。そこから逃げたくて詩を書き始めたのだ。詩は意味以外の要素を珍重するって佐藤春夫が言ってて、多分そのおかげで僕は詩の中にいる時だけ楽になれる部分がある。ちょっと脳が休まるというか、意味をほぐせるというか。
 意味に支配された僕は意味を携えて人と接する(意味を尊重してコミュニケーションする)けれども、意味を軽視ないし無視する人と話していると、「何が起こっているんだ? 今?」とパニック状態になることがある。それを「話が通じない」と今書いた。その人の中で言葉の意味は恣意的に変更されていくし、それに伴って共有していたはずの文脈もズレていく。「えっ、何の話してるの?」と驚く。
 それを僕はいよいよ諦めることにした。意味の埒外にいる人に一所懸命優しくすることは控えたい。一所懸命生きているとは言っても、あらゆることに全力を尽くすわけにはいかない。引き算していかないと身がもたない。
 もっともっと素直になりたい。我慢が苦手なのにずっと我慢している。やめます。少しずつ楽になっていきたい。

 昨夜なんで泣いていたのかというと、誰かにいじめられたわけでもないし、さして嫌なことがあったわけでもない。きっかけはきっかけとしてあったのだが、それが僕の心の奥深くをたまたま刺激しただけで、それに関わった人が悪いわけではない。みんなのことが大好きである。
 なるほど!と思ってしまったのだ。僕はがんばっているんだということに気がついたのだ。一日中恐ろしく膨大なことを考え、いかに効率よく実践するかということばかり考え、そして行動している。効率が好きだというよりは、できるだけたくさんのことを実現させるためにがんばっているということなのだ。めっちゃいいやつじゃん!と思った。もちろん効率が悪いこともあるし、動けない時もめっちゃある。だけど精一杯、一所懸命、少しでも何かがマシになるように頑張ろうとしているのだ。そう思ったらもう泣けてしまった。最初は泣かなかったんだけど、ずーっとそのことばかり考えていたら涙と嗚咽が止まらなくなった。「なぜ自分がつらかったのか」がわかったら、一生分のつらさが全て思い出されるような気がしてしまったのだ。
 僕はただ「がんばったね」と言ってもらいたいだけだったのだ。「ありがとう」でも「えらいよ」でもいいんだけど、やっぱり一番は「一所懸命やってるんだね」ということをわかってほしい、認めてほしい、褒めてほしい、それが僕の生きる中のほとんどを占めていることなんだから、そこが理解してもらえなかったら何も理解してもらえていない気がするのだ。僕は一所懸命やっているのだ。一所懸命やってこれなのだ。すごい部分も、ダメな部分も、全て一所懸命やった結果なのだ。人を傷つけてまた泣かせてもそれはできるだけ何かがマシになるように一所懸命考えた結果ではあるのだ。だから許されるということではないが「一所懸命やった」というのは事実として存在しているのだ。
 僕がどれだけたくさんのことを考えているかというのは誰にもわからないから、はっきり言っておく。僕はたぶん平均よりだいぶたくさんのことを考えていて、それはほとんど「自分が楽しくなるために、みんなが楽しくなるにはどうしたらいいんだろうか」ということに尽きている。みんなが嬉しいと僕も嬉しくなるような「みんな」と出会って仲良くしていくためにはどうしたら良いんだろう? どんなことをしたら良いんだろう、どんな本を読んだら良いんだろう、どんな場所に行って何をしたら良いんだろう、それだけを考えているのだ。どんな文章を書いたら、とか、どんな詩を書いたら、とかも正直言ってある。僕は安楽に生きていきたいのだ。そのためにみんなと幸せに生きていたいし、そのために死ぬほどがんばっているのだ。それを認められたら嬉しいに決まっているじゃないか。それを認められなかったら自分は何のために生きているのかわからない、ただ利己的なだけの人間で終わるじゃないか。そうじゃない、「ジャッキーさんが一所懸命がんばっているおかげで私はちょっぴり幸せなんだよ」と伝えてほしいのだ。それはそういう明確な言葉じゃなくていい。ただそばにいてくれるだけでも十分伝わることはある!
 もちろんお店に来てくれるでも遊んでくれるでもあらゆるところでそれは少しずつ伝わっているのだよ。だから「みんなのことが大好き」なんて堂々と言えるのだ。でもやっぱり「ありがとう」や「がんばったね」は嬉しいし、疑うことだってどうしてもあるじゃないか。安心させてくれ〜〜頼むぜ。
 どうしてこんなにつらいのか、どうして涙が止まらないのか、頭が良すぎて泣きながらフル回転で考えていたのだが、「自分は一所懸命生きているだけの人間であるのに、一所懸命生きていると思われていない(そう思われているということが観測されない)ように思えてしまう。自分の99%くらいを占めている『一生懸命生きている』ということが認められなかったら、自分の存在はほんの1%しかこの世にないようなものではないか。なんて虚しい人生だ。それは非常に寂しいことだ。これが孤独の正体か!」ってもう悟りみたいにバァーッと広がった。目の前にいるのが「大好きなみんな」だったから安心して泣いてしまった。誰も僕を攻撃しないはずだから。いや、本当はすごく不安だったのでけっこうセンシティブになっちゃってたな。ああいう状態になると「慎重さのなさそうな雰囲気を多少でも纏った言動」にものすごく過敏になってしまう。にも書いたのだが僕が嬉しいのは「慎重さ」なんだよね。もちろん慎重さの結果としてあえて一瞬だけそう見えかねない言動をすることもあって、そこに0.1秒で反応してしまった僕のせいである。その人は本当に優しい人で悪意なんか一切あるわけがないのに、怯えてしまった。怖すぎて。ごめんね。
 ふだんは人前で泣くことなんてまったくないし感情や本音をものすごくコントロールしているんで、非常に珍しいことでした。それも「一所懸命生きている」の一環で、それがもし辛そうに見えたり部分的に間違っているように思えたら「無理しないで、素直になって」と言ってもらえるのもたぶんけっこう嬉しい。「そうそう僕無理してるの! 一所懸命生きてるの! わかってくれる?」っていって、一所懸命生きてない素直な瞬間を一緒に過ごすことができたらそれこそもう本当に友達!ってふうに僕はきっと思う。
 何度も書いてるけど女子校の先生になってから「素直」っていうことがわかったんだよね。そのあとすごく仲良くなった人がさらにそれを開いてくれて、「動物や小さい子みたいに生きている瞬間」を持つことができるようになった。いまではそれなりにいろんな友達の前でもまあまあ素直になれるようになって、合宿(特にラスト宿泊日の昼以降)の中で「もう楽しい!」とか言ったりニヤニヤしてたりしたのは本当に素直な状態だった。ああいうふうにいることを許してくれて変な顔もしなかったみんなに本当に感謝だ。そういえば「時に浮かれながらはしゃぎ回るみんなに感謝!」って僕の作った『スタアグア』って変な曲(あんまり評判をきかないが練習してたら高校生音楽家が「良い曲ですね」って言ってくれたからしばらく生きていける)の歌詞にある。「みんなに感謝」って本当にいい言葉だな。そもそも「みんな」ってめっちゃいい言葉なので、いいふうに使っていこうね。使いようによって全然匂いも変わるからね。
 さすがに自分を女子とは言わない、ちゃんと男の子であることに自信と誇りを持っているのだが、女の子たちと一緒にいる時にしか開かない部分ってやっぱりあるなって思った。合宿の最初のほうと最後のほうは僕以外みんな女の子だって時がけっこう長くあって、自分がなんだかすごく素直になれているのを感じた。素直になるのが上手なのかな、みんなが。
 嫌な見方をすればいくらでも嫌な見方ができるんだろうからそんな視点は無視するけど、もし男子っぽい感じと女子っぽい感じってのがあるとしたら、僕の中には当然どっちもあって、女の子の中にいるとやっぱり女子っぽさがけっこう強めに出るよねってだけの話。それが意外と自然だなって感じたりもする。感傷的な人間ですしね、僕はね。昔からすぐ泣くしね。
 昔からっていうか本当に10歳くらいまでは泣いている記憶しかないな。高校生くらいの時もよく泣いてたな。布団かぶって新聞紙ちぎったりしてたんだよ。かわいいよね。親に心配かけたくないから、布団かぶって新聞紙ちぎってんだよ。えらいよね。がんばってるよね。一所懸命だよね。思春期の破壊衝動とか破滅衝動を、「布団かぶって新聞紙ちぎる」で手を打つんだよ。最高にがんばってるじゃん。なんて健気なんだって思うよね。わかりますよね。僕いまでもそういうことばっかりやってるわけですよ、がんばってるんですよ。
 だからがんばってるね、って言ってほしいんだよね〜。
 がんばってるからがんばってるねって言ってほしい、それが自分の存在や時間を肯定することになるから。がんばってるねって言われなかったら、自分ががんばってることを自覚できないし、できても「本当にこれはがんばってると言えるのか?」って不安にもなる。それで「僕の生きていることや、していることって何の意味があるのだろう?」まで行く。それが「がんばってるね」の一言だけで「よかった、僕、がんばってるんだ」と思えるし、「がんばってるんだからあんまり無理しないどこう」にもなる。言われなかったら、がんばってるのかわからないし、もっとがんばんなきゃ褒めてもらえないのかなって思って、無理しちゃうんじゃないでしょうか。そうしたら僕は死ぬではないですか(脅し)。冗談じゃなくって、本当に僕を、人を褒めるとかねぎらうっていうのは、命を繋ぐんですよ。僕は本当にそれだけで繋いでるから、綱渡りで、もう本当に毎日でもいくらでも「がんばってるね!」って言われたいよ。
 繰り返すが「がんばる」という言葉は非常に扱いが難しい。軽はずみに人に言えば反感を買うかもしれない。しかし、あえて言うがちゃんと使われた(意味として自然なシチュエーションにおける)「がんばってるね」は僕にとって薬です。心配せずに、僕に対してはぜひ使ってください。雑な言い方をしたら許さないけどね!(なんて言うから誰にも言ってもらえないんだけど、これだけの長文を読んだならさすがにわかりますよね、あなた、一所懸命伝えるんですよ、僕に! 雑にならないように気をつけて、慎重に、一所懸命!)
 一所懸命ってのもいい言葉だ。「命かけて」「その都度」やってんだわ。「一所懸命やっててえらいよ」って言われたら僕はもう本当に「エヘヘへ」ってなるよ。このホームページ、掲示板もメールフォームもあるからよろしくお願いしますね。他人事じゃないんだよ、これを読んでる全員なの。まずは誰でもいいの。そこから始まるんだから。あなたの一所懸命が僕の命を繋ぐんだよ。そしたら僕はみんなのためにまた毎日がんばるんだよ。そいで僕が言う「みんな」の中には、ちゃーんと僕も入ってんだよ。だから「みんなのために」って言えるんだ。僕とみんなが別のものだったら、それほど深い孤独ってないでしょう? わかってよ、お願いだから。

2024.8.28(水) 続・一所懸命生きているのである

 昨日付の日記を書いたのが27日のお昼ごろ。いま28日の15時48分であります。26時間くらい経ちまして、まだ規定の「がんばったね」量には達しておりません。掲示板(トップページの「BBS」をクリック!)やメールフォームにも動きはありません。1週間もあればそれなりの数の人が昨日の日記を読むでしょうから、その頃にはさすがに規定量の数倍ほどに達していると思われます。「言えって言われると言いにくくなるんだよな〜」とかじゃなくて、友達がお願いしてるんだから(あるいは自分がわざわざ読みに行っている文章の執筆者が心から懇願しているのだから)どうかひとつ。
「自分なんかが言わなくても、きっとたくさんのお友達がジャッキーさんを労っているのだろう、自分がわざわざ動く必要はない」と思っている人がきっと多い。みんなが遠慮するから何も届かない。それは僕が「へたくそ」だからだと思うよ。ストレートに頼んでるから。もっと色々人の心を自然に動かすような、騙くらかすような仕掛けをしたほうが上手なのでしょうし、言えば言うほどもらえなくなるっていうのもよくわかりますよ。「また欲しがってるわ、うざ」「これさえなかったら面白いのに」とか冷ややかに思っている人もいるかもしれません。でも僕は言い続けるよ。褒めてくれと。そして今回はついに具体的な言葉まで指定し始めた。「がんばったね」「いつもがんばっててえらいね」「一所懸命やってること伝わってるよ、本当によくがんばってるよね」そういったことをただ伝えてくれるだけでいいのですよ。
 指定されれば指定されるほど、それそのままの言葉を伝えるのが難しくなるっていう心理もよくわかりますよ。オリジナルの言葉を紡がなきゃ、って後回しにして、けっきょく忘れて風化していく。そういう流れはありふれていて、そういうモヤモヤが繰り返されていくとストレスになるから「もうこのジャッキーさんとかいう人と関わるのはやめておこう」「あんまり日記も読まないようにしよう」というふうになるところまで想像しておりますよ。
 でも違うんよ、いま僕に「がんばったね」って送るのは、「読んだよ」ってことで、「伝わったよ」ってことなのですよ。そういうコミュニケーションがもう始まっているのだ。それはすなわち「ジャッキーさんのこと好きだよ」だし、「泣いちゃったんだね、よしよし」でもあるかもしれないし、とにかくそれはミュージシャンが「イェー!」って叫ぶのにファンが「イェー!」って返すようなもんなんです。そういうコール&レスポンスに対して「オウム返しなんてしょうもないこと私はしない」って言うのはちょっとヤバいファンですわね。そういう「ファン」はけっこういると思うよ。しょせん「ファン」だから。でも「友達」だったら違うでしょ。僕はファンなんてほしくないんだよね。友達がほしい。あるいは、友達になるという発想を持っている人が自分のまわりにいてくれることを至福とするの。
「会って直接言いたい」ってのもただの「後回し」だからね。どうしてもそういうことにしたいなら、とりあえず匿名で掲示板に「がんばったね!」って書いといて、あとで実際会ったとき改めて「がんばってね〜」って言えばいいじゃないの。そしたら僕は2回嬉しいじゃないか。ぜひそうしてください。僕のために。
 いま友達じゃない人、これをたまに読みにきているだけの人も、「自分は書き手との距離感を保っていたいから」みたいなことを思うのは勝手だけど、それこそ匿名でいいから掲示板に書いてほしいですね。身分もバレないし、僕が喜ぶ以外に何も起こらない。それをどうしても拒絶する人がいたらその理由が本当に知りたい。「言いなりになるのはシャクにさわる」みたいなこと? 仲良しの発想と対極の!
 自分が「好きだ」と思う人がいて、その人が絶対に喜ぶ行為を知っていて、それをするのに1円もかからないし時間もせいぜい1分くらいで済んで、なんなら匿名でもできる。気恥ずかしさすら感じることがない。しかもこれは何回もできるから最初は匿名にしてあとから実名でやることも可能。過去に匿名で書き込んでいたこともバレることはない。
 こういう条件のもと、それでも「しない」ということは、僕のことが別に好きではないのか、あるいは「甘やかしてはいけない」みたいな教育的配慮ってこと? それかやっぱ「言いなりになるのはなんかイヤだ」っていう話? 僕はいまだいぶ参ってんだけど、それを助けようっていう気持ちも特にないということでしょうか。もちろん、何かしらの教育的配慮、長い目で見るとそれはジャッキーさんのためにならない、っていうんだったら理解はできますけどね。そうでない限りは、今のところ僕には本当にわからない。
 そして、教育的配慮的なものがもしあるとしたら、後学のために「なぜしないほうがいいのか」を教えてほしいです。匿名でいいので。これも本気です。


 本当に意味ってものはわかられていない。このようなことを読んでも、文章の意味を読み取るのではなくて、文章の雰囲気だけを読み取って、「ジャッキーさんつらそうだな」とか「なんか怒ってんな」とだけ伝わってしまうことだってけっこうあるのだ、たぶん。仕方ないことなんだろうな。
 僕は26日の深夜に泣きながら「すごいとかえらいとかじゃなくて、がんばったね、一所懸命生きているんだねって言ってほしい!」みたいなことを力説していた。後日、それを聞いていた人たちが「すごい」とか「えらい」とかを言ってくれる場面があって、それはもちろん嬉しいんだけど、やっぱり「がんばったね」とか「一所懸命やったんだね」ではなかったりして。あれれ、僕が泣いたその雰囲気は伝わったんだろうけど、その中身ってのはあんまり届いていないか、まあ覚えられていないんだなと思った。「大の男」がエンエン泣くってまあインパクトだから、かき消されるのももっともだけど。それでしつこく長い日記を2本も書いているってところはある。
 で、すでに書いているけど問題はもうそこではない。僕がこの日記で「褒めて! 具体的には、がんばったねとか一所懸命やってるねって言ってほしいな!」と言っているということに焦点は移っている(と僕は思っている)。


 追伸未来人へ 何ヶ月、何年経っててもいいですからね!

 追記 まーようするに「このネタで遊んでくれる人は遊んでくれや!」ってことなんだけど今回は「遊んでくれなかったら死んじゃう!」みたいな脅しを僕はかけているわけですね、そのくらい心が昏く苦しく狂おしくなっているということです。許してください。
 なんて書くと「あ、じゃあやっぱり言わなくてもいいんだ、ホッ」って、意味ではなく雰囲気だけで感じとって、「あーめんどいことから解放された」ってなるの人もいるかもしれませんね。人はめんどいことから解放されたがっているので、めんどいことから解放されるための歪んだ解釈をすすんで捏造するのです。この追記には「僕を労うのは任意です」という意味は含まれておりません。まだまだ苦しいのです。助けて欲しくて、それができるのは画面の前の、あなたたちです!と僕は二日続けて叫んでいるのでございます。

2024.8.29(木) 褒められなくてもいいです

 みなさん……、みなさん、ありがとう!
 参考文献:岡田淳『雨やどりはすべり台の下で』

 ともかくできないことが多いのだ。
 できるようになろうとは思っている。
 しかしできないことが多すぎる。
 できるようになろうと思うだけ思ってはいるが、手をつけられていないことがたくさんある。そういうことに関しては「できるようになろうという努力が見えない」ということになる。思っているだけで何もしていないので。
 それはペットボトルのふたが開いたままになっているのを「問題だ」と認識していながらも閉めないのと同じ。そして、「どうしたら閉められるようになるんだろう? 閉めるようになりたいな」と思うだけ思って、しかし解決策が見つかっているわけでもないし、その問題だけにかかずらっていると他の問題も解決しないので、仕方なく「保留」ということになる。
「ペットボトルのふたをしめなさい!」と怒られて、「はい、努力します」と言うには言うが、具体的にできることは思いついていない。ただ「努力しなきゃ、努力しなきゃ……」と焦りつつ、他の問題に一所懸命取り組むだけだ。他の問題が片付いたら、こっちにも着手しなきゃなあ……と思いながら。
 もちろん複数の問題を同時に取り組んではいる。しかし100とか500とかを同時にやるのは難しい。せいぜい50くらいまでだとすると、残りの50とか450という問題は手つかずとなる。
 それで「前に努力すると言ったのに、ぜんぜん努力してないじゃないか!」と怒られる。その人からはすでに100の問題点を指摘されており、そのうち50くらいはどうにか手をつけてはいるのだが、「ペットボトルのふたをしめる」ということについては何もできていない。「どうしてペットボトルのふたをしめない!」ということになる。
 脳がそのようになっているので、なぜできないと言われてもわからない。考えてはいる。この問題を忘れているわけではない。しかし具体的な方策が何も思いついていないから、「気をつけるぞ!」とだけ思って、脳はいつも通り開いたままのペットボトルを無視する。
 それは怠惰なのだろうか? わからない。でも数日前に僕は、これを「努力」と思ったっていいんじゃないかと思い始めた。
 がんばってるじゃないか。ペットボトルのふたについてはまだ手をつけられていないけれども、常時50の問題と同時進行で戦っているのだ。偉いもんじゃないか。すばらしいよ、「がんばっている」というその姿勢を評価してあげたいよ、僕は、僕にそう思う。
「がんばっていますね」という言葉は、がんばり以外に評価する部分がないときに現れる。成果が出ていればふつうそれを褒めるからだ。成果が出ていない時にこそ「がんばったね」は出てくる。
 成果の出ないことをやっているとき、成果を褒められることはないわけだから、褒めるんなら過程を褒めるしかない。しかし手をつけられていない場合はその過程がない。だから「がんばろうとしている」という意志を褒めるしかない。他の問題については手をつけていて、過程もあるしそれなりの成果もないではない。それが信頼となって「いつかこの問題についても着手するはずだ」と思われれば、
 かなり眠くて論理も文章も弱い気がします。ごめんなさい。
 読み返すことさえできない、頭がまわらない。
 まあともかくも。申し訳ありませんでした。何を書いても人を傷つけうるが、何も書かないと誰も得をしないので、一所懸命これからもやります。
 何に謝ってるのかって? 傷つけたり、負担を強いたりした人に対してです。今日までのことは本当にごめんなさい。
 ここ数日ずっと気が立っている。ふだん不機嫌ってことすらほとんどない僕だけども、今はとても珍しい。この不安定さは小学校低学年以来じゃなかろうか。お店も休みたいくらいだ。たぶんやるので来てほしいです。こわがらず。あんまり刺激せず、優しくしてください。こう書くのにも怯えている。どこかで誰かが泣いているかもしれない。何を書いても誰かが泣くのだ。本当に恐ろしいことで、僕はなんのためにこんなことをやっているのだろうか。
 限界。後数秒で寝る。

2024.8.30(金) 自伝

 寝不足すぎて頭がおかしくなっていたり気が立っていたというのはあったと思うが昨晩10時間弱寝たけどほとんど心が回復しない。
 いつでも四人兄弟の末っ子として生まれたことからしか僕は説明を始めることができない。それすらも文句言われそうだが知ったものか。申し訳ないがご負担いただく。信頼を持って会いに来た相手にいきなりビンタをくらわせる? その手はどこから伸びている?
 あらゆる言葉を発することが恐ろしい。かならず誰かを傷つけ、どこかで静かに文句が発生している。こうやって広範囲に、しかも主として(過去現在未来における)友達に対して言葉を発している以上、そうなることは避けられない。それが高校時代から一貫して僕の悩みであった。それで2000年代の半ばくらいはこっちでの発信をかなり減らし、一時は閉鎖みたいな状態にまでなった。だって人を傷つけてしまうのだもの。それで悲しまれたり怒られるのだもの。器用じゃないのだもの。

 まあともあれ僕は四人兄弟の末っ子に生まれ育った。我が家という環境において僕は「理不尽」というものに常にさらされていた。何を言っても潰され、歪曲され、それはそのまま相手の利益となった。黙っているほうが得策と悟った。しかし抑圧による鬱憤が晴れることはない。僕は泣いたり唸ったりしてそれを解放していた。しかし「泣けばなんとかなると思いやがって」という攻撃の存在がすぐにわかった。「なんとか言えよ」とかもある。無感情であるほうが良いのだと判断し、家の中ではできるだけ消極的に存在するようになった。泣くときは一人でシクシク布団かぶって泣くようにした。これを書きながらいまちょうど涙が出てきた。こういうリアルタイムメモはあとから読むと面白いにちがいない。
 文章を書いていると、妄想のように声が聞こえてくる。反論が聞こえてくる。それを一個一個潰すようにして僕は慎重に書き進めていく。想定される反論、ひとりでに脳内に反響する誰かの不平不満を先取りして「違うんです」と言い訳をしていく。それでも取りこぼすものはたくさんある。誰かが今日もどこかで傷ついて泣いている。本当に申し訳ない、ごめんなさいとは思っている。本当です。
 それが「がんばっている」ということで、「一所懸命生きている」ということなんです。僕は誰も傷つけたくなはなくて、こう闊達に書いているように見えて常に頭の中で誰かの反論や不平不満が鳴り響いていて、それを無視するんじゃなくて「こう書けばいいのかな」「でもこのことは主張しておきたいしな」という形でバランスをとろうと努めてはいる。それがそれほど上手ではないのかもしれない。結果としてまた誰かが不満を持つ。泣く。それは本当にごめんなさい。がんばっているんです。一所懸命やっているんです。信じてもらえないかもしれないけど信じてほしいのでこれからもがんばります。
「なんで信じてほしいの?」という返事がまたどこからか聞こえてきた。どう答えたらいいんだろう。わかることばかりではないし答えられることばかりでもない。わからないことばかりだ。それを引き連れて僕は書き進めていく。心の中のモヤモヤは晴れることはない。書くことによって解消や発散できる部分もあるけど、書けば書くほどわからなくなることや溜まっていくものだってある。みんなが幸せになるようにがんばってはいるのだ。できないし、やっぱり自分を優先してしまうことはあるけど、みんなの中に自分が含まれている以上それは、全体のバランスの問題でしかないと正当化している。それがムカつくのならそれが僕の醜さなのだと思う。

 小学校でははじめいつも泣き叫んでいた。暴れていた。どうしていいかわからなかった。家庭でうまく生きられないのに、学校のような、知らない人ばかりで、画一的で、ルールに満ちた場所でうまくやれるはずがない。家庭で感情を出せば潰されるが、学校で出しても潰されはしない。ただ静かに嫌われていくだけだ。家庭ではむしろ、嫌われることだけはない。僕は自分が兄たちからちゃんと愛されていることもよくわかっていた。だからこそ意味がわからなかったのだが。
 学校では、感情を出していることが不利に働くことがだんだんわかってきた。手塚治虫とかデビルマンとかまんが道とかちばてつやとか、ひたすら読みまくって知恵をつけていくなかで、「演じる」という可能性に目がいくようになったのかもしれない。手塚作品だと僕は『七色いんこ』という演劇ものがとても好きなのだが、ひょっとしたらそういう理由もあるのかもな。
 有名すぎる話だがそれで僕は小4から「演じる」ということを始めたわけですね。Aという行動様式では不利になるが、Bという行動様式をとれば有利になる、ということが教室を眺めていてわかったのだ。なるほどすべては行動様式の問題なのだと、それでまあおどけた感じになった。明るい人格を演じ始めた。そしたらあっという間にモテるし人気出るし運動もできるようになった。単純なものである。というか、子どものときの成長ってけっこう「気から」なんだろうなと思う。
 その頃家ではどうだったのかというと、相変わらず無感情で、言葉少なであった。高校を卒業するまでずっとそうだった。学校では明るく、家では暗かった。家の中で行動様式を変えたところで何も成功しないだろうと思っていた。むしろ目立たない存在で居続けることが良いのだと判断した。両親とまともに会話できるようになったのは20歳を超えてしばらくしてから、ひょっとしたら30歳くらいからかもしれない。

 家でも外でも、ともかく僕は「感情を出す」ということを禁じていた。10代の終わりにそのことの問題点を知り、10年間どうしていいかわからないまま時が過ぎ、30歳くらいのときに「素直であること」の効用を知ってようやく少しずつ「自然でいる」とはどういうことかがわかり始めてきた。40を手前にしてついに、10歳以前の自分、いま自分が自認年齢と主張している「9歳」という状態に還りつつある。それがここ数日である意味成功してしまった。エンエンと泣きじゃくり、昨夜はついに暴れながら叫ぶという小学校低学年以来30年以上ぶりの快挙を成し遂げた。ああ、僕はとうとう9歳児になれてしまった。本当に戻ってしまった。
 これでまた、9歳からやり直しだ。
 いいんだか悪いんだかわからない。

 高校2年のときだったか、部活の話し合いみたいなので、僕はなんでか感極まって泣いてしまって、それに対して同席した同級生が「お前は泣くことによって自分に利益をもたらそうとしているわけだが、おれにその手は通用しない(僕がその時に読み取った大意)」と言った。は? 利益? ただ泣いてしまっただけの人間、それも友達に対してその言い方はないだろ?と思って、それ以降いよいよ誰かの前で感情を出すということを封印した。サイコパスを演じて、本当にそうだと信じようとしたような感じかもしれない。男が感情的になるということは不利益しかもたらさない。その頃はそう信じていた。
 9歳の僕は丸裸で、そういういじけ方をまだしていなくて、ただ泣きたいときに泣いていた。それではうまくいかないから泣かないようにした。30年たって、また泣ける状態に戻ってきてみたのだが、やはりあまりいいことはないような気がする。まだブランクが長いからってのもあるだろうし、そもそも泣くことが下手だったので下手な状態に戻ってきただけなんだろうな。もっと上手に泣きたいな。
 フィクションでなら大いに泣けたんだよ。っていうか、現実で泣くことを禁じていたから漫画読んで泣いていたんだよね。代替行為としてね。でもそれが非常にさみしいことだってだんだん心でも頭でもわかってきたから、現実で泣きたいなって思ってずっと素直に素直にってがんばってきて、ようやくそうなってきたけど、どうなんだろうな、これでいいのかな。よくわからないぜ。
 友達との距離を近づけたいだけなんだよね、たぶん。感情を抑えたりサイコパスのふりをしたりするより、もっと自然にやりたいんだけど、まあそれもグロいっちゃグロい。親しき仲にも礼儀ありなんだから。ここもバランスなんだよな。まだまだ下手くそだってことだ。なんせ感情初心者なのだから。
 ともかくしばらくは心が不安定なことがほぼ確定しているので月初からお店を休みがちにする。1日からは5連休。ここでどうにか回復するといいけど、どうも道筋が見えないな。やることは無限にあるし。
 そんで金土だけお店出てまた5日休む。

 がんばってるんだけどな。がんばってるねって言ってほしいだけなんだけどな。ただそれだけの単純なはずのことが、複数の人間が複雑に生きているこの世界では、ものすごく難しいことなのだ。
 もっと優しくしあえるようにお祈りしよう。

2024.8.31(土) なつのおしまい(ばいばい)

 8月31日を「夏の終わり」と表現すると「うちの学校(地域)では9月1日が始業式じゃなかったので疎外感を受けます」と苦情を言われたりする。そういうのが昨日書いた「妄想のように脳内に鳴り響く想定される反論」というやつで、この表題を読む人の何パーセントかは「まーたわたしを仲間はずれにしようとしている」と感じるのであろう。人を傷つけない言論などない。そこを常に踏まえながら文章を書くことは非常に苦しい。そう書くと「じゃあ書くな」という声が聞こえてくる。苦しいものである。
 人を傷つけないような言論を心がけたとて限界がある。それはプライベート、現実世界で声を発する時でもそうで、目の前の人を傷つけない言論を心がけたとて限界がある。そこを突っついて「わたしを傷つけるな!」と言われたら謝るしかない。申し訳ない。心がけてないわけではないのだ。「いや、わたしを尊重する意識が低いからそうなるんだ」と言われたらその通りでしかない。優先順位が低いのは事実だ。そして僕の障害というのは、その「優先順位をつけられない」というところに核心がある。確実に。
 大切にすべきと思うことがたくさんあって、どれを重んじたらいいかわからない。それらが矛盾するように見える場合も、本当に矛盾するのか、本当に両立しないのかを検討するあいだに事態は進行していく。ペットボトルのふたが開いたままになっているとき、「閉めたほうがいいようには思えるが、もし5秒後にふたを開けたくなったら手間が増えるではないか」くらいのことを考えてしまって、動けなくなる。その間に「ペットボトルのふたが開いたままになっていることの弊害」は温存され続ける。これを専門用語で「後回し」と言う。

 すなわち人格的欠陥。発達だの障害だの病気だの言えばそれっぽいカテゴライズになるが、単純に欠陥なのだ。間違っているのだ。人を傷つけやすい特質を持っているということでしかない。だからそこは責められて当たり前だ。「然るべき」とは思わない。「当たり前」である。放っとけば責められるのは当たり前で、だけど本人の意図しないところでそうなっていることに対して責めるだけなのはかわいそうなので、たとえば「優しさ」とかをもって対応することで手を打つ。もちろん一方だけが優しさを持つのではアンバランスだから、みんなが優しさでもって関わり合うことを心がける。より劣っている、欠陥人間もきちんと、できる限り大きな優しさを持とうと努めなければならない。これが助け合い、支え合い、「お互い様」というものである。
 幸いにも僕には、欠陥と同時に優れた能力も備わっているので、それをなんとか社会に還元したり、人を傷つけている以外の局面で他人を喜ばせたり楽しませたり具体的な貢献をしたりして贖罪となしているつもりなのである。その努力だけは認めていただきたい、というのが僕の今回の一連の叫びなのかもしれない。
「認めてますよ」「認められているくせに」という声が聞こえてきた。ほかにも無数の声が聞こえてはいるのだが、いま聞こえている声だけがすべてではないしあるていど無視しなければ先に進まないのでこれからしばらくこの「声」に関することは言うまでもない前提として封印しておく。

 8月31日に「なつのおしまい」と書くだけで少なくしても以上のような逡巡を経るのだから疲れるのでありましょうね。僕にとっては8月31日ってのは特別な日付で、好きなのだ。そういう個人的な話として語ればいいだけなのにね。全世界の顔色をうかがっているのは実は僕のほうなのだ。
 ここを一つの区切りとして、明日からは(と言っても実はこれ書いてるのは9月1日の19時半くらいなんだけども)またちょっと切り替えていこうと思う。しばらくは「がんばる」とかそういう方面のことをたぶん考え続けてはいくだろうけど。
 とりあえず5日まで僕はお店を休み、その間にべつの仕事を進めていこう。本も読もう。はぁ。この「本も読もう」っていうようながんばり方について次は書きたい。


 日本武道館で小沢健二さんの「LIFE再現ライブ」があった。おびただしい数の友達が来ていたようで、幾人かとは挨拶を交わすことができた。服部さん(ストリングス指揮者)の真後ろの席は非常に穏やかで、一度も立ち上がることなくじっくりと鑑賞できた。アリーナは段差もないし僕の真後ろは背の高くない女の人だったので、僕が立ち上がったらまったくステージが見えなくなるだろう。それで僕は終始座っていたのだが僕の前の人は構わず立ち上がっていて(それは悪いことではないらしいが僕にとっては単純に不都合である)ほとんど何も見えないような時間もけっこうあったけど、そういうときは思い切って目を閉じて演奏を聴いていた。
 お父さんが毎晩ジャズやクラシックのレコードを座って目を閉じて聴いていたせいだと僕は思っているが、僕の音楽との向き合い方は基本的にこれである。また手拍子をすること自体ものすごく苦手だ。恥ずかしいとか面倒くさいとかいうのもないではないが、単純にそれをすると音楽が聞こえなくなるのだ。とはいえ「ライブに参加する」ということはからだを動かしたりコール&レスポンスに乗ったりすることも含むと思ってもいるので、そういう局面ではそういうこともするのだが、はっきり言って苦痛ではある。好きにさせてほしい。でもそれはワガママなのでそう勝手にはしないよう努めている。(まわりまわった言い方だぜ。)
 立ち上がらなかった理由はほかにもある。おなかの大きくなってきた友達がすぐ近くにいて、彼女もおおむねは座って聴いていた。立ち上がる人が少ないほうが「自分(たち)だけが座っている」というプレッシャーも(あるとしたら)和らぐだろうし、僕が同じ気持ちで聴きたかったのもあったかもしれない。また単純に僕は心身共に疲れ切っており億劫であった。

 音楽に合わせて動く、ということ自体が嫌いだったり苦手だというのではない。我が次兄(同じく小沢さんのファンなので誘ったのだが今回は仕事が入って来られなかった)の名言で、「おれたちはお父さんのおかげで物心ついた時から素晴らしい環境で優れた音楽を聴いて育っているので大きなアドバンテージがある、どんな音でもスウィングできる」と。カッコいいですな。これはその通りだろう。音に対する感度はうちの兄弟みんな高いと思われる。お母さんも音楽の人で昔は作詞作曲とかもしてたっぽい。
 しかし僕は、話が飛ぶようだが「振り付け」というものが極端に苦手である。決められた動きをトレースすることができない。リズムをとることはそれなりにできていると思うが、他人の動きを把握することが困難なのだ。まず右と左がまったくわからない。形や動きを把握することもまったくできない。絵が下手なのと同じ根っこだと思う。

 こないだの合宿の終わったあと、せっかく長野県にいるのだからもう一泊と、小諸の「読書の森」をf氏と訪れた。宴のあと、ヴァイオリンとピアノのセッションをするからみんなで聴こうという展開になった。そこでf氏が「それに合わせてフリーで踊ってもいいですか」と申し出て、3人のセッションになった。そしてf氏が「ジャッキーさんも一緒に踊ろうよ!」と快活に言ってくれた。僕はそういうふうに踊ったことがないし、上記の通り「ダンス」は大の苦手だ。しかし舞台上で踊るf氏の姿を見たことがあるのでだいたいどういう作風(芸風?踊風?)かはわかっており、「あれならやってみることはできそうだ」とすぐに思った。
 それだけなら僕は静観を貫いたかもしれない。専門家三人のセッションに素人が入るのは遠慮して当然だろう。いちおういつでも入れるような心と身体の準備だけはしておいて、最初の曲は隅っこで様子を見ていた。するとろくちゃんという、たしか三歳半くらいの男の子が曲に合わせて、f氏の動きをなんとなく真似しながら動き始めたではないか。それを見て僕は「ろくちゃんが踊ってるなら僕が踊らない理由はないよね」と自然に思い、f氏とろくちゃんと、三人で踊るつもりでスッと音の中に入っていった。
 それが上手だったかは見る人の判断だし、その場で上手い下手は実際関係がない。ろくちゃんの踊りをいま評価してもあまり意味はないだろう。踊っているという事実、そして楽しいということ、誰かの記憶に残ったということがたとえば大事。
 僕はとても楽しかったし、「ろくちゃんと踊る」ということ、そして「f氏と踊る」ということがそこで実現したことが何よりも僕にとって素晴らしいことだった。二つの音と三つの身体が、それぞれ自由でありながら相互に影響を与え続け、またそのために探りあい続け、一つに溶け合おうと協奏している。その意志そのものが何より美しい。そしてろくちゃんという、少なくとも意識的にはその意志を共有できていない人間もしっかりと作品として存在しているという事実は神秘的ですらあった。ここでもしろくちゃんが「意に反してやらされている(あるいは大人たちが喜ぶので道化を演じている)」ということであれば生贄のようなものだが、おそらくそうではなくただ自由に音に乗っていた。あとはこの経験が彼に恩恵をもたらすと信じるしかない。
 f氏と僕とはそれなりに長い付き合いだが、こういうコミュニケーションをとったのは初めてである。ノンバーバルで、自由に独立して動きながらも互いを邪魔せず、常に協調しあって、時に目線を合わせ動きを合わせもしながら、ともにより良い空間を創り出す。もう数曲あったらたぶん手を取って踊る社交ダンスのような演出がもっと増えていっただろう。自然に。
 また当然のことながら我々二人が意識していたのは「ろくちゃんをもっと踊らせる」で、少なくとも僕はそっちに重点を置きすぎたところさえある。でもあの場ではそれがもちろんふさわしかった。彼はスターなのだ、圧倒的に。それが生贄にならないように、すなわち彼の自由を損なわず、楽しさだけを共有し、あわよくばそれが芸術に昇華するよう意識しながら、それでも心と身体を開いて踊った。そこがたぶん両立していたことは僕には至福であった。
 ともあれ、踊れるもんだなと思った。やったことはないけれどもやれる気がしたのは、そこに「振り付け」がないから。演劇経験も一応はあるし身体表現自体にはわずかな心得がある。音に乗ることも(お父さんのおかげで)できるはずだ。身体も男性にしてはかなり柔らかいし、f氏ほどではないがしなやかに曲線的に踊れるだろう。

 ロックなどのコンサートで振り付けがあると脳がそれに支配されてしまう。手拍子だって僕にとっちゃ振り付けである。それをするのが礼儀と思えばするが、本当は苦痛なのだ。と言ってフリーで踊るのは異様すぎる。座って目を閉じて聴いているのが性に合う。  歌を主体とした演奏においてドラムという楽器の存在があまり好きでないのだが、うるさいから(僕が音に過敏で、耳自体もたぶん何らかの病気だから)ってのもありつつ、一定のリズムで刻まれることがあまり好きでない。クラシックとジャズで育っているためだろうか。指揮者がリズムをとる、あるいは少数の演奏者が相互にリズムを確認し合って構成される音楽にはなじみがあるが、ドラムや打ち込みがリズムの中心となるような(今聴かれているロックやポップスって結構そうだと思う)ものはあんまり向いていない。フォークソングが好きなのも「ギター一本」が基本だからだと思う。
 今回僕らが踊ったのはピアノとヴァイオリンだから、ちょうどよかった。あれが一定のリズムでバン、バン、ドン、ドンと刻まれるようなものだったらまたちょっと違った感想になっただろう。うまくできなかったかもしれない。
 時間を等間隔で刻む、という感覚自体が僕に馴染まないのではと思う。そのように時間を把握することが苦手というか、脳に負担を与えるのではなかろうか。
 ゆえに僕は弾き語りをする時もメトロノームを鳴らしたり打ち込み音源をバックにしてするというのは今のところ想像できない。

 意外と僕は盆踊りが好きではない、いやお祭り自体は大大大好きなのだが、踊るのはじつに苦手。あれは「振り付け」だし、太鼓の入る「等リズム音楽」の側面が強いからかも。
「夏休み、我らが社会の偉大なる時計」っていう言葉を2017年に小沢健二さんは使った。時計は必ずしもチクタク等間隔で刻むものではない。日時計のような徹底してアナログなものだってある。夏休みとか8月31日というのは僕の独自の時計の中にあって、なんだかよくわからない不思議な役割を毎年果たす。

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