読書メモを見返していたら、橋本治『「わからない」という方法』の抜書が出てきまして
> 私が言いたいのは、「便利な正解の時代」が終わってしまったら、「わからない」という前提に立って自分なりの方法を模索するしかないという、ただそれだけのことである。「『わからない」という方法」なる言葉自体が、逆立ちした矛盾のようなもので、それはすなわち、「方法はない」なのである。
AIが発達して、橋本治の想定したのとは逆というか、全く明後日の方向に時代が進んでいるなぁと思いました(橋本治の見立てが正道だと言うわけではありませんが)。「AIの要約でわかる(わかってない)」みたいな。
わかる/わからない、ということの意味が変わったようにも思えるし、もっと厳密に問われるようになったのかも知れません。(わかると思っていたことがわかっていなかったり、わからないと思ってたことを案外「わかる」ものと同じように処理していたことに気付いたり)
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ジャッキー
さん
投稿日:2026年04月07日(火) 03時05分
これは難しい話題ですね。そしてとても面白い。
「便利な正解の時代」はまさに生成AIって感じがしますよね。もちろん「正解」のあり方や感触はかなり変わったでしょうが、やはり「わかる」ためにAIが多用されているのは現実だと思います。
最終段落に書いて頂いたような検討はあれこれたくさん思いつきますね。何が変わって、何が変わっていないのか、いくらでも考える筋道がありそうです。今ここで言えることは僕にはたぶんほとんどありません。
個人的には!ここまで容易に「わかる」ことができるようになってしまったら、「わかる」ということの価値が下がっていくのではないかと思っています。そうなると「わからせる」ことで稼いだり(広義に)モテてきた人は困ります。
そしてエーアイは基本的にユーザとの一対一対応の答えを吐き出すもので、一対多の正解を多くの人にばらまくものではない。ここもかなり大きな変化だと考えています。時間とってじっくり考えてみたいトピックです。