お疲れ様です。蝉海です。
2/14の日記「おもしれーやつを立てないかん」、その次の日の「暗い話せんといて〜」も併せて、
大変興味深く拝読いたしました。
ただ一つ気になったのが、これっていわゆる「推し活」ではないでしょうか。
結果的に「おもしれー」人が政治家になるのは仕方ありませんが、
「おもしれー」から「推す」となると、結構危険な考えのように個人的には思えます。
私が考えるに「推し活」というのは、
「推しが(推す自分もしくは推し自身にとって)都合の良い状態へなるよう考える」思考・行動様式なんじゃないかと思うのです。
私事になって恐縮ですが、わたくしは先日よりあるマンガのキャラクターを「推し」ております。
それで、最新話でそのキャラがとある危機に瀕していて、
このところは「どうなったら推しが助かるか」という思考で、頭の中がグルグルしております。
それでふと顧みると、自分の頭が「そのキャラにとって都合の良い状態になること」を最優先で思考していることに気づきました。
……フィクションならまだしも、このような思考様式を現実の政治家に対しても適用するのは、大変危険に思えます。
そういう場合、支持者は得てして「何をすると言っているのか・実際に何を成し遂げたのか」という計画性や実績よりも、「面白い」「変えてくれそう」「頑張っている」といった印象を優先しているからです。
それはさらに進むと、事実認識の放棄と自己目的化(「推したいから推す」)へとつながりってゆきます。
これは一言で言うと、衆愚政治です。
しかしながら、私のような偏屈な人間があれこれ暗い話をしても、
結局はおもろい・明るい印象を与える人が、「推されて当選」するのでしょう。
以上が二つの記事を読んでの私の感想になりますが、解釈違いだったら申し訳ございません。
それでは、失礼いたしました。
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ジャッキー
さん
投稿日:2026年02月27日(金) 10時46分
>「おもしれー」から「推す」となると、結構危険な考えのように個人的には思えます。
当然危険で、「政治が人気投票になっている」というのは良くないです。
いま高市さんが人気あるのって「何か変えてくれそう」「日本を明るく豊かにしてくれそう」といった感覚からだと言われます(テレビなどでそういう声が演出的に取り上げられることが多い)が、これを「期待」と言いまして、この場合の「期待」というのはまさしく「自分にとって都合の良い状態になる」ことへの期待です。
ただ、おそらく誰も「高市さんにとって都合の良い社会になるようにしてほしい」とは思っていない。「日本なんかどうなってもいいからサナの好きにして!」というのが推し活のあるべき姿だと僕は思いますが、しかし実際には推し活というのはあんまりそういう形をとりません。結局のところ「自分にとって都合の良い存在であってほしい」という願いが第一です。
蝉海さんが「推す自分もしくは推し自身にとって」と書くのは蝉海さんが優しいからで、実のところほとんどの推しer(オシャー)は「推す自分にとって」としか考えていないかもしれません。「高市さんは自分に利益をもたらしてくれる」と思うからこその推し活で、「サナ…日本なんか見捨てて逃げたっていいのよ…アタシは餓死したって構わないんだから!」とまで言える人はほぼいないでしょう。「サナがしたいなら戦争して! そしてあなただけは生き残って!」もいません。
みんなは「推し自身」の事情すら考えず、「推したいから推す」をしているだけなのですよね。それでいいはずがない、というのが僕の意見で、たぶん危惧の種類は蝉海さんと同じでしょう。残酷なオシャーたちは「あ、サナ戦争するんだ。そういう子だったんだ。ふーん。もう推さない」にはなると思いますが、その時には手遅れです。