■夜学バー日報 2025年上半期■
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2025年5月
2025年6月
●2025年1月
2025/01/01(水) 休
2025/01/02(木) 休
2025/01/03(金) 13-24saku
2025/01/04(土) 18-23まちくた
<まちくた>
さくくんが体調不良につき急遽営業することに。初めて夜学バーのカウンターに立ったのが3年前の成人の日だと思うと色々と思うことが多い。受験期に1年近くお休みしては時期があったり、終始不規則にお店に立っていた私ですが、それではダメなのかもなーと考え直した日でした。とはいえ、自分のこれからを考えるとやっぱりこれからもある程度は不規則にならざるを得ない気がしてかなり悩みです。すべてのことは夜学バーに帰着しているのですが、もっと実務的な訓練を積むには否が応でも現場を経験し続けることも大切だと思っています。
<尾崎>
※注記 「現場」というのは「夜学バーに立つこと」を意味するそうで、すると下記の僕の文章は間違っているということになるのですが、ひとまずそのままにしておきます。
文章として、「ですが」のあとに「し続けることも」とあるので、夜学バーではない現場であると解釈したわけですが、解釈としてはそのほうが自然でしょう。これは僕がものすごくこだわっている「文字で言葉を伝える」というところにものすごく深く関わっております。そのことについてはまた改めて、できれば「テキスト」ページにまとめたいものです。つっついてください。「書け」と。(2025/01/24追記)
ここでいう「現場」というのは「夜学バーの外の現場」という意味なのでしょう。僕はよく「同じ場所にばかりいるのではなく、いろんな現場に出て仕入れをしましょう」ということを言っております。「常連などない(常連という概念の撤廃)」という方針もこの意図からきています。夜学バーにばかりいては淀んでしまう。ただし、夜学バーだって一つの「現場」であり、軸足をここから離してほしくはないな、と願っております。特に従業員に対しては。
お店で働き始めるとお客さんとして来ることが少なくなって、「お客の視点」に立ち返ったり「店主が工夫していること」を見る機会が減ってしまいます。意識的にいろんな現場に出てもらって、しかし夜学バーもその現場の(とりわけ大切な)一つだということを忘れずにいてもらえると幸いです。
2025/01/05(日) 17-24j
店主(尾崎)の新年初登板。本当はsaku氏が担当する予定だったのだが「saku者急病のため」(ギャグです)急遽やってきた。ずっとお客なかったが23時ごろ隣のお店のママが現れる。1時半くらいから近隣のお店に移動し、解散は7時過ぎだった。そういう日もあるのです。今年もよろしくお願いいたします。
2025/01/06(月) 休
2025/01/07(火) 休
2025/01/08(水) 休
2025/01/09(木) 21-27j
本当は休みのはずだったのだが先月分の家賃の支払いと年末年始に溜まったゴミ捨てのためお店に来たのでせっかくならと営業。23時台くらいだったか1名ご来店、その後1時半くらいにもう1名ご来店。やってみるものだなあ。
経営が苦しくて家賃が払えない!ということではなくて単に年末年始でタイミングが合わなかっただけ。当すきやビルの1階に不動産屋が入っていて毎月手渡ししているのである。しかし「経営は苦しくない」とは言っていない。苦しいと言っておかないとみなさま当事者意識を持っていただけないと思うので大声で叫んでおきます。苦しい! たすけて!!!
2025/01/10(金) 18-27j
新潟市内で夜学バーの良いところをうまくパクって営業している「喫茶みずのみば」の店主が真っ先に来店。何を隠そう彼女はかつての従業員。まちくたと2人でプリキュアやってたね。なつかしいね。事情あって急きょ東京に来たということだった。かなり重たい話ではあったが、夜学バーにおいては「重たさ」って抜けてしまうような気がする。状況によって良し悪しかもしれないが、あのような重たい話が自然と軽くなってしまう空間は異様だと思う。言い方が難しいが、本当に自然と、プシューって抜けるように深刻さだけがなくなる。事態の大きさやその意味はたぶんみんな理解してるんだけど、なぜかあまり深刻にはならない。冷静ってことかもしれない。気が楽だという人もいれば、酷いと思う人もいるだろう。かなり絶妙なバランスでこの空間は成立している。
いちおう僕の新年初めての正式な先発完投日だったのもあり、それなりに来客あって嬉しかった。9時間で8名なんですが、金曜にそのくらいで嬉しいくらいには静かなお店なのでみなさん遠慮せずに、どうせ混んでるだろうと週末を避けたりしないでおいでください。みんなが避けると誰も来ないのです(切実)。いやほんとにすごい現象ですよね、みんな考えることは同じってことなので、逆張りしてくれる人が多くないと困るのであります。あ、でも「金曜だから行く」が順張りで「金曜なのであえて行かない」が逆張りなのか。むずかしいな。でもなんか夜学バーに関しては「金曜なので行かない」がすでに順張りな気もしないではない。僕も金曜だと「あーでも混んでるかな」って避けたくなるお店はあるし。でもだからこそ「えいや」と行ってみるように心がけてますけどね。避けられる側の気持ちがわかる(そしてそれはつらい気持ち)ので。
んまあ、もちろん、何も考えずに行きたいと思ったときに、自由に。あとはどのみちギャンブルなので。
深夜、ある女の子とサシで話す時間が長くあった。僕の記憶では僕の立っている日に1人で来たのは初めてじゃなかろうか。非常に嬉しかった。いろいろ話してがんばろうと思った。いやその人は僕の文章をよく読んでくれて、よく理解してくれてるんですよね。そういう人がいるってわかるとこの日報も書こうって気になるんですよ。いいねもコメント欄もなくて徒手空拳、手応えがぜんぜんないんで、つい後回しになっちゃうんですわよ。だから「読んでますよ!」「面白いよ!」「ちゃんと書いてよ!」と言ってもらえるのが非常にありがたい。「多少無理してでも」やる気になる。言ってくれてる方々は引きつづき言ってください、言ってくれてない方々はぜひ言ってください。その一票は本当に重たいよ! 意味あるよ! だから勇気出して! お互いのために!
実はこの日の記事は17日の朝方に書いている。すでに最新(16日)まで書き上げてあるので、これを書いたら1月の僕の担当分は埋まったことになる。いやー良かった。でもそのあとは12月を(一所懸命思い出して)埋めなきゃ。というわけで、終わり! 6時だ。寝ます。
2025/01/11(土) 18-26j+OJT(小林カモメ)
<カモメ>
みなさまはじめまして、小林カモメです。絶賛OJT中でございますが、日報を書きます。何事も挑戦。
わたしの詳しいことは従業員ページに載せるつもりですが、(独り立ちする頃にはできているはず)どうしてもどんなヤツか知りたい場合はぜひご来店ください。
2回目のOJTは開店と同時に1名、その後ジャッキーさんと2人きりを経て1名来店。しばらくしてもう1名来店。途中、2人とジャッキーさんからギムレットを同時に注文いただきシェイカーを初めて振る。なんとお2人もギムレットを飲むのが初めてとのことで、ギムレットスタートをわたしが切ることに。なんとか作り上げましたが、100点までは遠い道のり。それでも初ギムレットを捧げていただきありがたい限り。
いままでやったことなかったことをするのは(「夜学バー」という場でなら尚更)ど緊張しますが1ミリでも進めたかなと思います。
まだまだやったことがないものが沢山ありますが、足を運んでいだきますと私の成長速度もその分加速しますのでぜひご協力ください。
<尾崎>
前半はカモメ氏の書いてくれた通り。ジントニックも作ってもらった。おいしかった。ギムレットもなかなかスジが良いです。偉そうに言えるほどカクテルが上手ではないのですが。
23時すぎに交代。すでにいたお二人はすぐにお帰りになり、1時間ほど一人でお店の手入れ(いい言葉だ)をしたり漫画を読んだり。
24時くらいにお二人ご来店。よくおいでになる方が「後輩」を連れて。いつもお一人でいらっしゃるので新鮮だった。冷やかしツーリズム(いわゆるダークツーリズムに近い概念で、僕の造語)の話をするなど。そこへさらにお一人、かつて門前仲町の某バーで隣り合った方がいらっしゃる。皆で天理や朝鮮の話を、中島みゆきを聴きながら。二組は初対面なのだが、偶然にも共通言語が多くて非常に楽しい時間となった。3時半くらいに閉店。
2025/01/12(日) 18-26j+OJT
<カモメ>
2日連続でのOJT。前日学んだことをジャッキーさんと復習していると、19時ごろに1名ご来店。ヴェルサイユを注文いただき、はじめて作る。その1時間後くらいかにsaku氏が来店。レモンスカッシュをご注文いただき、はじめて作る。先にいたおひとり様がお帰りになった後、しばらく3人で近年のスポ根の失われ方についてしばらく談義した。
もう1名ご来店し、途中で雪国の作り方を習っていたらそのまま雪国をご注文いただき初雪国を提供。
幸運なことにOJT中は様々なお客さんから様々な注文を投げていただいており非常に有意義な時間となっております。
<尾崎>
2日続けてカモメ氏のOJT。日報も書いてもらって嬉しい限り。
彼の文章にもあるように途中カモメ氏、僕、saku氏の3人で「夜学バー会議」みたいな時間があった。僕が「君らふたりは根性があって偉いよ~」というようなことを言ったらカモメ氏が「今は初期だし下っ端だからちゃんとやってるだけかもしれませんよ!」と牽制してきた。その通りかもしれないが、いやずっとちゃんとやってくれ。しかしその冷静さというか客観性を有しているのは素晴らしい。
ちなみに実年齢はあえて明かさないが現在の夜学バーの世代図はこんな感じである。
モエ・saku世代→まちくた世代→カモメ世代→(欠番)→みつきち世代
んで僕が彼らの約半分の年齢である。(公称9歳)
そんくらい若い人たちを笛吹いて連れてきて働かせているこの店はだいぶヤバいので珍奇なうちにもっと(特に若者たちの日に)お客が増えてほしいと思う。しかしよく知らない人のところに金払って行くのは難しいので↑のように文章を書くなどして親近感を高めていただくのは実に助かる。この最初期だけでなく長く続くことを祈っております。
スポ根の話題が出てますが自分の人生を振り返りますとやっぱり「無理してやる」ってのが大事でした。「多少無理してでも」というのは何年も前から従業員たちに伝えてきたつもりのテーマなのだが、これをもうちょっと大声で伝えるようにしております。無理しないと、背伸びしないとやっぱ伸びないから。伸びないならこんな店で働く意味なんてないから。
考えるためには「材料」と「調理法」が必要なのだが、若いってことは「知ってることが少ない」ってことで「材料」がどうしても貧弱になる。その段階の人間に「自分で考えろ」と言ったところで大した出力は期待できない。それで「教える」ということがどうしても必要になる。それをサボっちゃいけないなあ。学校の先生をやってるとカリキュラムってのがあるから自然と「教える」になるんだけど、カリキュラムがないと意外と自分はそれをしませんね。
カモメ氏が帰ったあと、「雪国」を注文された方としばらくサシに。そこへ初来店の3人連れ現る。扉を開いた瞬間に、「うわ、本だ! 本がある!」と騒いで、「すみません、ここって学歴とかでダメとかあります? うちら全員明治(大学)なんですけど……」
さすがに「学歴フィルターありますか」と問われたのは初めてで、めちゃくちゃ面白くなってしまった。めちゃくちゃ酔っ払っているようで確実にヤバいお客さんなのだが、このていどでNOと言うのは夜学バーの精神に反する。「ありませんよ、どうぞ」と言うのだがなかなか入ってこない。「マスターはどこすか? 大学どこすか?」「え……早稲田です」「(絶句)」
明治大学というのは「早稲田に行きたかった人たち」がけっこういていわゆる「早稲田コンプレックス」がネタにされるくらいありふれている。早稲田のかしこい学部に「東大コンプレックス」がわんさかいるのと同じである。入店後も折に触れ「まあマスターは早稲田ですからなー」「俺ら明治なんで」というイジり(?)が飛び出したのだが、僕が年下で教育学部とわかると少しは安心したようだった。そんなにかしこい学部じゃないからね!(でも当時は今よりはちょっとだけ良かったんだよ! 社学や商が弱くて文構もなかったからね!……要するに他の学部が伸びたのに教育だけ伸びなかった。でもこれから校舎がついに建て直されるしたぶん揺り戻し教育ブームが来るのでわりと伸びると見ている。いやまことにどうでもいい話。)
大事なのはここからである。出身校なんかどうでもよくなるような時間を作っていくのが夜学バーの店是。それなりに成功したと思う。3人のうち1人はとても酔っ払っていたが2人はわりに冷静で、かなり純粋に夜学バーに興味を持ってくださっていた。帰り際、最も酔った方がお手洗いに行っているあいだに別の方が「もうちょっと酒が入ってないときだともっと面白い人なんですよ」とフォローされていて、実際そうなんだろうと思った。優秀な方だろうというのは話していてわかった。こういう方が何度か通ううちに「来てくれるだけで嬉しくなるすばらしいお客さん」となってゆくことはかつて何度もあったのである(懐かしき「アル中サーガ」の方なんてまさに。お元気ですか?)。もちろん「また来ます」と仰ってくださった。ぜひ絶対にまた来ていただきたい。ほとんどの場合、「また来ます」と帰っていく方は二度とおいでにならないので。
2025/01/13(月) 16-24j※成雀式
スケジュールには下記のように記載した。
※「成雀式」は40歳の集い。店主を言祝いでください。愛でたく着物で営業します。あとはこれから考えます。みなさまは普段着、手ぶらでOKです。何かやろうと思うので、来店予定の方は何時ごろいらっしゃるか教えていただけると助かります。と書いてもこのお店の場合は毎度ほぼ反応がありません。そして店主は落ち込みます。それを避けるためがんばってご連絡ください。たった9席、5席埋まれば満席に見える小さなお店。「一票」の重さえげつなく、それゆえにみなさまご遠慮なさるのでしょう。ぜひとも勇気と度胸と覚悟を。常連という概念は撤廃しております、初めての方も堂々とどうぞ。喜びますので。(最近は言葉の力さえ信じられなくなってきているので希望をください! このホームページ写真と動画ばっかにしちゃうぞ!)ちなみに「モエ」「saku」はこの日いわゆる「成人式」に呼ばれる代です。
「何時ごろいらっしゃるかご連絡ください」と書いておりますが、もちろん、誰からも連絡はありませんでした。「お花を贈るけどいつ着くようにしようか?」と言ってくれた人はいた。そのくらいでいいんですよ。でもシュン。
「初めての方」は来ませんでしたが「二度目(のはず)の方」は来てくれたので非常に嬉しかったです。また連休だったからか遠方にお住まいの方も数名いらっしゃったし、かなり久しぶりの方も見えた。総来客数は10名で、祝日にイベント打って8時間(実際は約11時間)営業したわりにはぜんぜん少ないですよね。人気ない。でも一人ひとりの「一票」がズシリと重いのでめちゃくちゃ嬉しかった! わーい。本当に幸せな時間でございました。
だって成雀式なんて「でっち上げ」ですよ。そんなもん本当はないんだから。それなのにお花をくれたりお祝いしてくれたり、こりゃもう発明じゃないですか。「7.11周年」みたいに周年に小数点をつけることによっていつでも周年を祝えるというのもウルトラCだったが、いやもうほんと、言ったもん勝ちっていうか、とにかくやってみることに意義があるってことですよね、なんでも。
また新新成人(18歳になる代)が1名、新旧成人(20歳になる代)が2名きた。成人式(はたちの集い)に行ってきたという人はゼロ。代わりに成雀式だけ出るってのはなかなか面白いですね。一生忘れないでいてほしい。
長丁場だったのもあり、一度退室してまた戻ってきてくださった人もあった。「まだこの店にいたい」と思ってくれたということだ。ありがたい限り。いつでもそういうふうに入退室は自由です、同じ営業日なら特に説明がない限り木戸銭(チャージ)は一回しかかかりませんので。
成雀式は画像2枚目にある式次第のとおり進行した。すべて録画してあるので10年後の「熟雀式」に残ってたらみんなで見ましょう。
開式のことばはごくシンプルに。店歌独唱は今日のために作った新曲(君が代より短い)をマイクとギターで。実行委員長(僕)あいさつ、花束贈呈、記念品贈呈はつつがなく行ったが、従業者式辞、来客式辞は行われなかった。従業者は高2のとき2日だけ働いたことがある子がいたのだが「自分、大丈夫ッス」と固辞された。来客はその時間1人だけいたのだが児童書の話などに夢中になって僕が忘れていた。そして予想通り「乾杯」の時には人がけっこういて、しっかり乾杯した。式辞は誰もやりたがらないだろうから、その時間だけ客数が凹むだろうと思ったら本当にそうなったのである。「決意のことば」はけっこう酔っ払っていたがそれなりにいいことが言えたと思う。「閉式のことば」はごくシンプルに。
で、3時前くらいまで確か営業。着物だったので自転車に乗れない(そもそもめっちゃ酒飲んでる)ので気を遣ったお客様がタクシーに乗せてくださいました。まことにありがとうございました。僕の着物姿はかっこかわいいに決まってるのになぜ10人しか見に来ないのか! 次回ぜひ。
成雀式ってなんで成雀式って言うの?という点については僕の個人ホームページ「Entertainment Zone」の日記に書いておりますのであわせてご参照ください。
2025/01/14(火) 18-22みつきち+j
<尾崎>
みつきちデー。いつも書かないのにわざわざ<尾崎>とつけるのはプレッシャーを与えるためである(パワハラ)。
前半はお客がなかったのでカクテル「雪国」に使う砂糖づくり(これが意外と大変で水面下の白鳥みたいなことなのです)など事務的なことをいろいろやってもらったり、「線を意識してオペレーションする」という僕の必殺技(極端にいえば作業効率が2倍以上になる!)を伝授するなど。これが十全にできるようになると「飲食に関するオペレーションにかける時間」がかなり短縮できて「あそび」が増える。そうすると楽しいこと、面白いことが起こる可能性も高まる。当然ながら経験豊富な僕がいちばん飲食オペについても上手なので、必然的に「あそび」も大きくなる。ここが意外と夜学バー的空間の再現性に大きく関わっているのだ。
夜学バーは意外とちゃんとした店で、やることがけっこう多い。ハイボールを作るのでもほかのカジュアルな店より少なくとも数工程は多いはずである。たとえばガールズバーなんかだと「ガールとのトーク」がメイン商品なので、ドリンクは味よりもスピードが重視される。凝った作り方なんてするくらいだったら一言でも多くお客と喋るべきなのである。スナックでもキャバクラでも、カジュアルなバーとかでもだいたい事情は同じである。コミュニケーションを商品(お店の魅力の中心)とするお店では、飲食オペレーションはできるだけ簡略化して他の享楽的な部分を重視するのが定石なのだ。
ところが夜学バーはコミュニケーションを重視しながらドリンクにもこだわるので、実のところ「人を使う」ということがめちゃくちゃ難しい。ぜんぶ覚えてもらわないといけないから。ちゃんと覚えるまでは時間もかかるし頭も使うので、その間お客さんは退屈してしまう。
僕のバーテンダーとしてのキャリアの前半10年間くらいはまさに「質よりもスピード」でお酒をつくっていた。ゴールデン街だもの。夜学バーを始めてからはむしろ質(おいしさに限らず)にこだわるようになったが、それは10年の下積みがあったから「夜学」と両立できたのである。それを昨日今日カウンターに立ち始めた若者に強いるのは酷なのだが、強いるしかないから強いるしかない。がんばれ~。お客さんを不当に退屈させるな~。
改めて、さてこの日の後半は3名の来客に恵まれた。終わったあと、「どうしてもジャッキーさんがいるとジャッキーさんに投げてしまう」との振り返りがあった。そうなんだよね。でもさすがに18歳未満にワンオペさせるわけにいかないからな。でもなんか工夫します。透明マントか石ころぼうしがほしいな。あきおんち(隣)で飲んでるのがいちばんいい気がする。しゅ、出費が……。んまあ必要経費かねえ。
でも嬉しいのは「ジャッキーさんいてくれてありがとう」ではなく「お前がいるとやりづれえんだよ! 自立させろや!」とある種の文句を言ってくれたところだ。向上心があるではないですか。毎度褒めて伸ばすことしかできなくてすみません。もっと厳しくできるようがんばります!
2025/01/15(水) 17-24saku
<saku>
<尾崎>
さらにプレッシャー度を高めた(昨日の記事参照)。
この日は僕はカウンターに入ってないけど最後のほうちょっと飲みに行った。ギリギリまで働いて0時6分の電車にダッシュで乗って帰るsaku氏はいつも本当に偉い。
2025/01/16(木) 18-23まちくた
<まちくた>
私は高校1年生の冬に夜学バーに立ち始めました。高校3年生の夏くらいから勉強修行でお休みし、晴れて大学生になってからは新生活に追われすぎて最近やっと復帰したなという感じになってきました。そんなこの日はなぜだか、高1~2くらいのまちくた初期を知っているお客さんが何人もきてくださいました。別に示し合わせたとか呼んだとかではなくたまたまです。まちくたの古参としての自負を持って来店したとかでもないです。
ただお客さんから聞いた昔のまちくたさんエピソードがおもしろくて「昔のまちくたさんは尖ってた!」「人と話したくなさそうだった!」的なことをみなさんおっしゃるので驚きました。私の認識では、むしろ夜学バーにいるというだけでお客さんに対して無邪気な対応をしてしまっていると感じて気を付けていたくらいで、閉鎖的な印象を与えていたとは思ってもみませんでした。
<尾崎>
行ってないけどまちくたがゴミ捨て忘れたことを戒めとして特記しておこう(パワハラ)。でも彼女は悪くない。ゴミが悪い(ゴミへのモラハラ)。
ここまではまちくた日報が届くまでに書いたもの。ここからは彼女の文章を受けて少し。
昔のまちくたさんのこと。尖ってたといえば尖ってたが、当然「緊張と防衛」という側面もたぶんあって、「気を付けていた」という言葉通りなんじゃないかな。良い意味で自他に対する警戒心がある。初めて会ったとき(中3)も、今となっては非常に良い意味での!「値踏み」をしてくれていたんだろうなと当時の想い出話をする際などに思います。
ただそれが「閉鎖的な印象」となってしまっていたとすれば、成功のような失敗のような、どちらもあったのかもしれません。ただ結果としては「舐められなかった」ということなので、そこは高校時代のまちくたさんの最大の強みだったと思う。
高校生を相手にすると大人は「逆に」ビビるもので、大学生になったらむしろ舐めやすくなる。高校生相手だとシャレにならないからやめよう、ということでも、大学生相手になら言える、できる、みたいな。ここからはまた別のフェーズに入っていくのかも。
2025/01/17(金) 18-27j
来客2名、接客時間30分、総売上3100円。本を読んだり店を整えたり。今日は顔も服もカワ(・∀・)イイ!! そういう日はお客がないものです。
その数少ないお客さんに対しても、あまり上手に対応できたとはいえません。それはコンディションでもあり、かみ合わせでもあり、あとになってはどうしようもないことなのですが、明日の糧にしたく存じます。
2025/01/18(土) 18-26j
no cacでgrand slam。リベンジだ!と思って昨日とほぼ同じ服装で来たのだが、8時間無風であった。
近所にある54年続く「スコッチバー ノア」の老マスターがグレンリベット15年をストレートでがぶがぶ飲みながら「お客さんに泣き言っちゃダメだね。そんな店行きたくないもんね。おれは愚痴なんか言ったことないよ、一度も」と仰っていた。彼はどんな話題でも自慢話に結びつける。酔っ払っているからでもあると思うけど「いや泣き言や愚痴は言わないけど自慢話はするんかーい!」とツッコミたくはなった。それもまた愛しいものだ。
僕も泣き言、「お客さんが来なーい(泣)」みたいなことはできるだけ言いたくない。景気の悪そうな場所に行きたいって人はいないからね。でもやはりさすがに「クサクサする。飲んで帰るか。」(藤子・F・不二雄『タイムカメラ』より)とは思うので、あちこち飲み歩いて帰った。金土の合計がお客2名、売上3100円というのは落ち込むと言うよりむしろ笑ってしまう。これが水商売ってやつだ。だから神頼みみたいなことが大事になって、「熊手」という文化も廃れず続いているのだろう。
気分や運気(!)を変えようとして飲みに行く、お金を使う、というのも「神頼み」に近いことだと思う。
2025/01/19(日) 18-24まちくた+j
<まちくた>
2024年の私のモットーは「人の話を聞く」ことでした。「人の話を聞く」というのはただ他人が発する言葉を理解することではありません。むしろ発せられてる言葉以外の「言おうとしたこと」だったり「言わなかったこと」だったり「言いたいけど言えない(言い方がわからない)」ことだったり「これから言うことを考えている時間」だったりを想像することを指します。人が発した言葉だけを追うのでなくその前後の動きも捉えるということです。
普段の生活ではこれを意識したおかげで、見えなかったことがたくさん見えるようになりました。例えば、私はいつも声を張りすぎてたなとか沈黙になるとすぐ話し出しちゃってたなとか、そういう自分の一方的な部分に気がつきました。少しくらいの声の小ささなら相手が耳をすませて聞こうとしてくれます。少しくらい沈黙になってもそのまま黙っていれば相手が自然に話し出してくれます。そういうことが少しずつわかってきて、本当の意味での人と双方向のコミュニケーションを取ることに近づけたように思います。
その上で夜学バーに立つと、やっぱりみえることも変わります。
当然のことかもしれませんが、場にいる人が増えるほど〝場を共有すること(≠同じ話をすること)〟は難しいです。連れ立ってきた人だけで場が完結してしまったり、ひとりだけ疎外感を感じる人が生まれてしまったりなど、夜学バーでもおきうる懸念です。もしそうなってしまったときに何かアクションを起こさなきゃと思っても、私が入っていく隙がなかったり不自然な介入の仕方をしてしまって場を変化させることができなかったりします。そういうときは「人の話を聞く」モードになることで、適切な切り込み方ができます。まだまだ自由自在に使いこなせるレベルではありませんが、少しずつできるようになってきていると感じた日でした。
<尾崎>
まちくたさんが一、二段落めで述べてくれていることは僕がごく初期から夜学バーで意識している、おそらく文章の中でもたびたび書いてきたこと。「言葉だけを追うのでなくその前後の動きも捉える」と表現してくれたのは実に巧みで、的を射ていると思います。
「黙るべき時に黙ると、黙っていた人が喋りだす」というのも特によく語っているところ。そういう細かなTipsみたいなものは無数にあって、こうやってたびたび言語化していくのはとても意義深いと思う。
22時半くらいにお店に着いて、しばらく経って交代。夜中に古い友人がやってきて、3時くらいまでゆっくり酌み交わした。彼は僕よりも10歳ちょっと年下なのだが、10年くらい前に半年くらい我が家に住んでいたことがある。(計算してみてください、犯罪じみている。)とても楽しい日々だったし、今も仲良くできているのが本当に嬉しい。
夜学バーのあるビルの1階にずっと空いているテナントがあって、誰かそこに入ってくれないかなとずっと思っているのだが、その彼が興味を示している。こういうのは色々あって実現しないことがほとんどだが、毎回「なんとかなってくれ」と祈っている。少しずつでも湯島を楽しい街にしたい。僕にとって。夜学バー以外にも通えるお店があるといいですよね、やっぱ。
2025/01/20(月) 18-25j+OJT
<カモメ>
開店して1時間ほどでジャッキーさんが私用のため外出し、初めてのワンオペに挑戦。しばらくノー客だったのでメニューを眺めてレシピが頭に入ってるか確認する。シャーリーテンプルの材料を思い出せずLINEでジャッキーさんに確認。その後2名ご来店いただきましたが、シャーリーテンプルは作らなかった。Twitterに書いた上坂あゆ美氏の新著も持ってきていたが出番はなし。準備してきたことは大抵徒労に終わると学ぶ。
準備したことは不発だったが、なかなか有意義な会話(夜学バーが目標としていることに近づくこと)ができた気がする。準備されたものを否定するつもりは全くないけど、やっぱりその場で考えて生み出したものは何にも変え難い性質があると思う。その場で考えることを止めなかったから、今まで勉強してきたこと、自分が高校生をしながら感じてたことが会話を通して、相手の知識が合わさって、線になっていく感覚があった。我ながら素晴らしい。
昨今のデジタル社会のせいなのかインプットだけになりがちでアウトプットが疎かになっている感じがする。インプットは言い換えれば思考の手札を増やす作業であるということ。手札ばかり増えるのはよくない。そこでアウトプットという手札を切る行為をするわけです。増やした手札を別の場で切れると最高。
自分が立つときはインプットもアウトプットもどっちもできるような場にしたいな〜などと考え中!
<尾崎>
かわいい子には旅をさせよ、あるいは留守番をさせよ。ちょうど誘いが入ったので「近所にいるから一人でやってみて」と放り投げた。
「その都度考える」というのは夜学バーの中心にあること。「知ってること言うの禁止!」っていう有名な冗談もある。知ってることは、知らないことへ向かっていくための足がかりにすべし。
インプットとアウトプット、ということでいえば、最近みんなに日報を「努力義務」として書いてもらっているのだが、こういう出力には大きな意義がある。みんなは若くて、若いってことは「時間がある」と思いきや逆で、「全然時間がない」のである。「その時」はすぐに去るから。こういう宿題みたいなもんで補填しなければならない。学校の勉強と似たようでむずがゆいが、でもたぶんゆえにこそ真理。
2025/01/21(火) 18-22みつきち+j
<みつきち>
みつきちです。初めて日報を書きます。
いつもかなり緊張しながらカウンターの中にいるので、いろいろな動きが慎重になるあまりゆっくりになったり固まっちゃったりすることが多いんですが、今日はけっこう肩の力を抜いてやりきることができた感じがします。ただできた理由は「眠かったから」でしかないので、本来夜学バーにとって大切な“どんどん形を変えていくコミュニケーション”をつくっていくサポートという役割については甘かったな、と思っています。
終わりがけに来られたお客さんが来てすぐわたしについて「リトルジャッキー?」みたいなことを言っていました。髪型とか似てるし、なにせわたしにとって夜学バーは心の支えと言ってもいいくらい大きな存在なので(シャブ漬かり生娘状態)、似てくるのは全然納得できます。
なんですが、わたしはもう中学時代からの「夜学バー・ジャッキーさん崇拝」のその次のフェーズへ進んでいます。「みつきちとして夜学バーを作り支える」というフェーズに!
わたしの修行の一つの目標として「『夜学バーの最強天才従業員・みつきち』として名を馳せる」というのがあります。ジャッキーさんとも他の従業員の誰とも、非て似なる!名従業員になってみせます!
そして修行はつづく!(決め台詞!)
<尾崎>
「眠かったから」いいなあ。昔の漫画にはたびたび、「この剣で岩を切れ」みたいな試練が出てきて、力任せに切りつけてもダメ、しかし何十時間もやってスパッとやったら真っ二つ、みたいな場面があった。肩の力が抜けたから切れたのだと。疲れ切った頃に真にムダのない動きができる。
向きは逆だが僕はカウンター内において当然「ムダのない動き」を心がけている。早く済ませたいし、疲れたくないからだ。ルーティン化は効率化ということで、すなわち洗練である。力も要らないし、脳も使わない。そのリソースを別のところに割ける。
「どんどん形を変えていくコミュニケーション」ってのはいい表現ですね。躍動する流動体。いつも同じ空間は安らげるが、いつも同じように硬直しているか、いつも同じように柔軟であるかはまた違う。夜学バーは後者をめざすということです。
十代の若者をシャブ漬かり生娘状態にさせることには罪悪感もありますが、芸道とはそういうものでもございますから……。せいぜいその洗脳を中途半端にとどめるのが教育の仕事。みつきちさんが偉いのは、自分が「シャブ漬かり」であることを自覚して、さらに良い状態へいかに向かうかをすでに模索しているところです。ふつうシャブ漬かりから抜けると「わたしは何をしていたんだ」と我に返り、永遠にシャブから遠ざかろうとするものですが、僕はシャブではございませんので、「あっ、ジャッキーさんをシャブ扱いしてたのはわたし側のさじ加減だったんだ」と気づいてもらわないとお互いに不幸なのです。みつきちさんはとっくにそれをわかってくださっていて、ジャッキーさんないし夜学バーをシャブではなく「栄養のある果物」くらいに持っていって末永くお付き合いしてくれようとしているのではないかと思うのであります。ありがたい。こちらも柿みたいな顔をして向き合おうと思います。
2025/01/22(水) 18-24saku
<saku>
17時からお店を開ける。
21時まで客が来ない。今日はレポートを書きながら、誰かが来るのを待つ。普段は本を読んだりコーヒーを入れたりしながら待っているのだけれど、大体20時くらいまでお客さんが来ないと寂しくなってくる。
17時にお店を開けて20時にもなると段々と本を読む集中力が無くなってくるし、いつお客さんが来るか分からないので常にプレッシャーがある。このプレッシャーから解放されるには、実際に誰かがお店に来るしかない。
この日は夜学バーに置いてある黒電話が鳴り、「もう開いてますか」と聞かれる。
10分後くらいに3人でご来店された。
年配のお二方は同じ会社で、もう一人の若い方(20代後半)はその会社の取引先の方。
若い方が別の会社に転職して地元に帰るらしいので、送別会らしい。
ネーポンの話や、お酒の話など。僕はお酒を飲めない年齢なので、これまでガッツリとお酒の話になったことが無かった。しかし、もうそろそろ立ち始めて一年になるので、お客さんや店主からお酒のことを教えてもらいながら少しずつ覚えてきた。
お客さんとお酒についての話をしているうちに、思ったより自分の中にお酒に関する知識が蓄積されていたことが分かって嬉しい。未成年でお酒が飲めないのに何故かお酒の知識はたくさんある状態。
しかし、もっと僕に知識があれば(この場合はお酒の知識)、もっと面白い話ができたかもなというシーンも多々あった。
知識があれば、それを道具にしてもっと面白い話ができる。だから、知識をつけるということをしなければならない…
ちなみに、お客さんの1人がネーポンを見て「駄菓子で売ってた」とのこと。小さい方が10円、大きい方が30円だったらしい。安い。
ちなみに、今回送別会で来てくださった御三方は夜学バーの雰囲気を大層気に入ってくれて、「じゃあ次は夜学バーで、また三人で集まろう」という素敵な言葉を置いていってくださった。
何年後になるか分からないけど、楽しみです。お待ちしてます。
<尾崎>
「何年後になるかわからないけど」という一言が自然に出るのが素晴らしいし、「夜学バーっぽい」と思います。個人的にも僕の人生のテーマは「再会」です。それは5年後でも30年後でもかまわない。また会いたいという一心でお店をやっています。また会いに来てください。どなたさまも。
ネーポンに小さいほうと大きいほうがあったのか? ネーポン専門家に聞いてみたいところ。
知識については、「知っている」という大きな武器と、「知らない」という小さな武器を組み合わせて使う。うまく「知らない」が効くように「知っている」を絞り出す、みたいなことを繰り返しているといつの間にか上手になっているもの。こういう秘伝めいたことを(日報とかから)切り抜いてくれる人募集。ジャッキーさん明言カレンダーをつくろう。
2025/01/23(木) 18-25j
がんばって日報を書いています。がんばっているのです。書くのは好きは好きですが負担だし面倒だし疲れます。時間もかかります。やったほうがいいと思うからやるのですが、それでも手応えがなければ徒労感に苛まれ、「こんなどこにも訴求しないことをやっていてなんの意味があるのか」と昏い気持ちになってしまうのですが、「書いていてよかったな」と思うことがたまにあるので断続的にでも続けることができています。ありがとうございます。みなさまご協力お願い申し上げます。
さてそのような出来事があったわけです。
その若いお客さんは「バイト先の人がここに来て、面白かったと言っていたので」と語った。初めは誰かを誘おうと思っていたが、日報に書いてあった以下の記述を読んで一人での来店を決意したそうだ。ちなみに彼は翌日、僕の個人HPのBBS(掲示板)にいろいろ書き込んでくださっていて、これもそこからの孫引き(?)である。感謝。
《夜学バーは1人で来るお客が多いが、団体を忌避するものではない。そこからでないと始まらないこともある。ただ「ひとりでいらっしゃい」が原則というか、そこからでないと始まらないことはもっとたくさんあるし、そこからの世界を僕はやりたい。》(2024/11/9土)
何度も書いているが『ひとりでいらっしゃい』という斉藤洋さんによる児童書が僕は大好きで、よく使わせてもらっている。ひとりで行かないと現れないものが、であえないものが世の中にはたくさんある。ぜひあらゆる人に読んでもらいたい本だ。じつは夜学バーの扉の外に飾ってある。持っていかないでね。
日報を書いていなかったらその人はお店に来なかった、出会えなかった、あるいは少なくともひとりでは来なかったかもしれない、すると別の出会い方をしていて、まったく違った時間を過ごしていただろう。その時間も素晴らしかったかもしれない。だが保証はない。
こういうことがあると「やはりちゃんと意味があるのだから書こう」という気持ちにもなる。それは日ごろの営業でも同じで、夜学バーですばらしい時間を「つくれた」という実感が、その次の日のモチベーションになる。奇蹟のような美しい時間を何度も味わうと、麻薬のように「もう一度」と求め、ギャンブルのように必勝法を研究するようになる。20代前半にはすっかりその味を占め、やめられなくなってしまった。
若手の従業員たちもそういう経験をもっと深く、何度も何度も味わうことができたらきっと病み付きになる。店に立つことも文章を書くこともやめられなくなる。それはもちろん諸刃でもあるが、もしめざすのならまず「やってみる」「数をこなす」以外にはないのである。
2025/01/24(金) 18-27j
開店後しばらくして従業員のカモメ氏が来訪。21時くらいまで他のお客なく、じっくりとあれこれ話す。こういうとき多少訓示めいてしまうのはもう仕方ないと思う。老いにも若きにも時間がない。伝えるべきことは伝えなければ。いつも思いっきり伝えてなくちゃ!(宝物をつかみたいから。)
何を話したかはナイショなのさ、ってことではあるんだけれども重要そうなことを一つ二つ。23歳くらいのころに中学生たちに(偉そうにも!)説いていたことだが、ものを考えるには材料と技術が必要で、材料はインプットによって蓄え、技術はアウトプットによって熟達する。若き日はずいぶん二元論的だったな。実際それらは同時に行われて区別できないことが多いんだと思うけど、単純化するならこれでいい。
未熟なころは「インプットしたものをそのままアウトプットする」ということから始まる。すなわち「真似る」ということである。熟達してくるとそれが「インプットしたものを自分なりにカスタマイズしてアウトプットする」ということができるようになる。この「自分なりにカスタマイズする」というのが技術の領域で、僕の好きな「工夫」というやつであり、これができるようになると「どんな材料でも工夫によって役立たせることができる」という境地に至り、あらゆるインプットが武器になる。
ものごとを役立たせるのは当人の仕事。「これはこうやって役立つよ」と手渡されるものだけでは乗り切れない。「これをこうやって役立たせよう」と蓄積の中から引っ張り出して、その都度考えて場に提出する。「どんな経験もムダじゃない」なんて言い方があるが、姿勢によってはどんな経験もムダに終わる。経験を活かすのは不断の努力の結晶なのだ。うむ。今日はいつもに増して偉そうだ。
よく「怖い」と言われるんだけど、損してるよな。本人は極めて柔軟で、かっこよくてかわいらしい聡明な存在です。
僕は「何を言ったか」より「誰が言ったか」が重視されることがとても嫌いだ。上記のような言葉も僕が言ったら届かなくて他の人が言ったら届くようなことがある。歪んだ眼鏡はぜひ外し、文字通りに受け取っていただきたい。(誰に言っているのか。)
そしたら親の言葉も素直に聞けるようになっておトクである。
とあるお客さんが数年後に飲み屋を開くかもしれないと匂わすので「ぜひ湯島に」と懇願しておいた。どんどんこの地に誘致して土壌を豊かにしていきたい。『小学校には、バーくらいある』しばらく積んでいたがついに読み終わったとのこと。嬉しい。忘れてる人、いつでもいいから読んでみてくださいね。タイミングが泳いできたらパシッと。
2週間ほど前、夜中にいきなり呼び出されて連れてこられた方が今度は一人でご来店。「お酒を飲まなくてもいいバーがあるなんて、と感動した」とのこと。そうなのです、このお店は本当にコーヒー一杯で帰っていく人、ネーポンばっかり頼む人の多いこと。それでいいのです。そうでなくてはならないのです。そこに差はないのでございます。
「ひとりでいらっしゃい」というフレーズについて昨日書いたが、まさしく彼は二度目にひとりで来てくれた。なんと嬉しいことだろうか。夜中のコーヒーをじつに嬉しそうに飲んでくださった。ありがたい。もうちょっと生きよう(大げさ)。
2025/01/25(土) 18-26j
僕のいない日にいらっしゃって本日2回目のご来店という方。いわゆる「若手」がリピーターを生んだということだから非常に喜ばしい。しかも浅羽通明先生(僕の大学の恩師である)の居座り古本屋「どらねこ堂」からのハシゴだそうな。
僕の接客(とあえて言う)は非常に時間をかける。っていうかなんかな、「時間がかかる」ということを念頭に置いて行う。はじめから踏み込むということはしない。すると時おり、どこにも踏み込めないままお帰りになってしまうこともある。今月だと17日とかはそうだったかな。
とにかく遠くへ行きたいのだ。相手のことを知りたいのではないし、相手の知っていることを聞きたいのではない。二人とも知らないことを二人で話したいのだ。人数が増えればこれが「みんな」になるだけだ。そのためには「お近くですか?」「お仕事帰りですか?」といったような狭めるばかりの問いかけをしているヒマはない。
ヒマはないのだが、しかし何よりも重要なのは沈黙なのである。沈黙のあいだ、人はものを考える。「考える」という時間がなければ「これまで考えたことのないこと」は出てきようがない。
無理にでも黙ると、無理にでも考える。ゆっくりゆっくり、小さなやり取りから始まって、とぎれとぎれにでも続いて、いつの間にか恐ろしく遠くの海へ出ている。その開けた先には遊び放題の砂浜がある。
初めに来店したその方は、途中3名の団体(団体である)を迎え、見送り、最後にもう一人のお客があるまでいてくださって、午前3時半くらいにお帰りになった。そのかなり長いあいだ、かなり複雑で遠大な世界まで行くことができたと思う。まさしく夜学バーらしい夜だった。
ちゃんと書くと長くなるんだけど印象的なことを少し。「自分は論理的に相手を詰めるようなことをするし、だから自分がされてもそんなに気にならない」というようなことを仰るので、少しして遠慮なく「先ほどの〇〇という話に対して、それとは反対で✕✕だ、ということをおっしゃいましたが、実際のところ〇〇と✕✕は矛盾なく両立するのではないでしょうか」みたいな問いかけをしてみたところ、けっこう驚かれて、「そういうふうなことは誰にでも(他のお客さんにも)言うんですか?」と問われた。
たしかに、これは「お客さんの論理展開に対して店員が異議を唱える」という構図。客商売なら「そうですよねえエヘラエヘラ」と流すのが普通だろう。「今の若い人はとにかく否定されるのを嫌がるので」と彼は言った。それはそうなのだ。もちろん僕は「否定する」ためにそれを言ったのではなく、「このまま論理的瑕疵を放置したまま話を続けると間違った前提の上に間違った推論が積み重なっていき、誠実かつ意義深い展開になりにくくなる」という危惧による。せっかく面白い話ができそうな相手なのだから「お互いが論理展開を共有できなくなる」という事態は避けたく、早めに手を打ちたかったのである。
ここがけっこう、良い意味での分岐点だった気がする。夜学バーは空間を共有する手段として「論理展開を共有する」という手段を割とよく使う。それはもちろん「論破」のような勝ち負けの発生する遊びとはまったく違って、「ちょっと今ついていけなくなったんですけどそれってこういうことですか?」みたいな立ち止まりを許すという、仲良しのための優しさである。それを感じ取ってもらえたかはわからないが、このあたりから少しずつ「ほぐれていった」ような印象がある。
はじめのほうは「飲み屋や大学のサークルなどがコミュニティ化して閉じていく」という現象について、その是非なり内情なりを検討していた。そこからいつの間にか、キリスト教と親しい西洋思想について検討したり、仏教の縁起のような「関係」の重要性を考えたりなど、遠く遠く飛んでいった。
具体的なことを話しているうちに、お互いの持っている語彙なり知識なり、あるいは考え方の癖のようなことがだんだんわかってくる。するとたとえばキリスト教の話をしていて、「絶対的な存在を想定するよりは、関係しかないって思ったほうがうまくいくように思うんです」「あ、それはどちらかというと仏教っぽい考え方ですよね」「そうなんですよね」みたいな会話が成立するようになってくる。
「あ、それは仏教っぽい考え方ですよね」という合いの手は、相当勇気がないと出せない。そんなこと言ってもわかってもらえるとは限らないからだ。でもそれまでに作り上げたインスタントな信頼関係から、思い切って踏み出してみると、「そうなんですよね」ときて、ああ、じゃあ仏教についてもうちょっと踏み込んでも大丈夫なんだな、というふうに、また二人の遊べる範囲が広がってゆく。そうやってダンスホールはどんどん大きくなっていくのだ。
合言葉は勇気。知識を蓄えることも大事だし、技術を磨くのも大切だが、そのために必要なのは実は「勇気」だったりする。一歩踏み出す度胸、覚悟、勇気。失敗を恐れず、しかし相手の足を踏むようなこともできる限り避けながら、慎重に踏み込んでいく。ゆっくりと、一歩ずつ。
2025/01/26(日) 休
2025/01/27(月) 18-25j+OJT
<カモメ>
OJT最終回だったが、何も変わりなく営業。次週から完全ワンオペのためざっと全メニューを確認してひたすらメモをした。
しばらくしておひとり様にご来店いただき、MOやMDについて諸々教えてもらった。普通に過ごしてたら知らなかったことが、いきなり目の前に現れるところがおもしろいし夜学バーの好きなところでもある。
そこからまた少ししたらみつきち氏が遊びに来てくれた。何の話から飛んだのかはあまり覚えてないが、学校の勉強の意味についてそれぞれの考えを言い合っていた時間が長かった。学校の勉強をちゃんとする意味は3つくらいあると思っていて、一つはもちろん「成績を落とさない」ため。二つめは「思考のプロセスを養う」ため。三つめが1番大事だと思っていて、「新しい知識をストックする」ため。
人生単位で目線を伸ばしてみると、先にあげた二つめと三つめの理由がすごく大事になってくる、はず。
思考のプロセスは主に数学とかで養われると感じる。数学は公式や定理がたくさんあって、その中から適切なタイミングで正しい式を当てはめていく。たまに式を変形して、実質は同じだけどその状況に合った形にすることもある。日常生活でもこれは同じで、常に頭を使って場(問題)を理解して、そこに1番フィットするように言葉を紡ぎ(式変形)、発言する(解を出す)。
新しい知識をストックするというのは文字通りそのままで、知らなかったことを自分の血肉にすることであります。実はこれがめちゃくちゃ大事で、夜学バーに立って様々な業界の人と関わる時にその分野についてほんの少しでも知っていると一気に話が広がって、思いもよらないところまで飛んでいける可能性がグッと上がる。
ただなんとなく情報を享受するのではなく、これ知ってたらかっこいいなとか、これって要はこの話と似ているな、という感じで常に知識の着地点を探すことが大事である。夜学バーを作っていく側のわたしが本当の意味での「勉強」を怠ってはいけない。
こういうことはジャッキーさんや他の従業員の日報にも顕著に表れているので、わたしは勉強のつもりで毎回他の人の日報を読んでおります。みなさまもぜひ日報愛読者に。
<尾崎>
「MOやMDが置いてあるバー」は日本でも珍しいかも。カセットテープやフロッピーディスク、レコードもありますがせいぜいその程度、それらよりマイナーなものはありません。僕は「かつてメジャーだったもの」がけっこう好きなのかもしれません。広がりを持つので。LDもほしいな。再生機がないけど。ちなみに正直に申し上げればMOやFDもドライブがないです。MDは再生できます。当たり前ですが「使えなければただの飾り」で、現役で使えるからこそロマンは高まるものです。夜学バーには黒電話が置いていますが、ちゃんと使っております。ドライブほしい。置く場所ないけど。
「思考」と「知識」の組み合わせが大切だと僕は常々説いておりますが、カモメ氏は当たり前にそれを意識している様子。数学をたとえにした説明は実に鮮やかであります。よく「数学なんてやっても意味がない」という人がいますが、訓練と考えたらめちゃくちゃ役に立つ。たとえば「場合分け」だってしっかり訓練しておいたほうが実践で役に立ちやすくなるはず。
「その分野についてほんの少しでも知っていると一気に話が広がって、思いもよらないところまで飛んでいける」これも僕はよく言っております。浅くてもいいから広く知っておくと、深く知っている人が手を引いて連れていってくれるんですよね。知識がゼロだと説明するほうも大変だしモチベーションも上がらないが、2とか3とか知っていると「それなら話は早いね」と、5~6くらいまで引き上げてくれる。好きな人にとってそれはたいてい楽しいものだ。
2025/01/28(火) 18-22みつきち+j
<みつきち>
最近「かっこつけファースト」というなんとなく思いついた言葉について考えていて、今日はその話を何度かしました。
私の趣味のいくつかは、正直に言えば「これ趣味にしたらかっこよすぎるよな」と思ったことが始まりです。音楽を聴くこともそうだし、美術館に行くこと、映画(主にむかしの邦画)を見ることとかはまさにそうです。そういうかっこがつかない理由で初めて触れたコンテンツでも、ほとんどは現在も趣味として続いていて、それぞれが私の人生に重大な影響を与えているというところから、おそらくちゃんとそれらが自分に合っているんだと思います。
そして思うのが、さっきのセリフのような「かっこつけ」は、夜学バーでもよく話題にあがる“自我の発現”の鍵なのではないか!ということ。
「かっこつけ」は「他人を意識したうえでどう見られたいか考えて実行すること」と言い換えられます。他人を意識するようになることによって、「悪く言われないよう振る舞いに気をつけよう」と消極的になったり、逆に「みんなにすごいと思われたい!」と思うあまり主張が激しくなったりします。どちらも「“みんな”の中にいる“自分”としてどうあるべきか考え行動する」ということ。私が思うに、これを覚えることが“自我を得る”ということなのではと思います。
私が自我をまず得たのはおそらく中学一年のころで、理由はTwitterを始めたことにより「他人の意見」を大量に目にしたからなんじゃないかと推察しています。それ以前、私の認識する世界というのは「家族」「学校」のみだったので、それにより物事の判断基準は「学校で習ったこと」「みんな(=クラスメイトや家族)が言ってること」の2種類しかなかったように思われます。
「かっこつけ」というのは思ってたより見栄っ張りで終わらないし、むしろ自我を作っていくことにつながっているからどんどんしていったほうがいいよね、と気づきました。
営業に関して振り返りますと、会話についてはようやく肩の力を抜くことができるようになったものの、飲食の作業がまだ超絶ぎこちないまますぎたなという感想がまずあります。どうコミュニケーションが繰り広げられるか、とかはお客のときからずっと観察していたんですが、お酒の種類とか作り方とかはあんまり見ていなかったので、こっから勉強しまくる必要があります。がんばるぞ!
“遠くに行く会話”を作っていくというのは本当に難しいです。インプットが貧弱なのもありますが、がんばって考えてるといつのまにかフリーズ状態になったりしてしまいます。
獣拳戦隊ゲキレンジャーにでてくる主人公たちの師匠マスター・シャーフーは「暮らしの中に修行あり」というセリフをよく言います。
これでしかありません。毎日の暮らしの中で細やかな思考を繰り広げ、学ぶことです。
そして修行はつづく……
<尾崎>
かっこつけは自我の発現の鍵。すごいテーゼですね。こういう言葉はもしかしたら、日報という形でアウトプットを迫られるから出てくる、ないし「とどまる」ものかもしれない。書き付けることはとても大切。
「みんな」の中にいる「自分」を意識することによって、自分なるものの輪郭が浮かび上がる。その輪郭(自他の境界を示す線)を自我という、みたいな考え方はあったと思うので、みつきちさんの言っていることはかなり妥当に感じます。
自分とは何か、ってことはどうしても(特に最初は)他人との比較によってしか見えてこないものなので、「どうしても他人と比べてしまう」という悩みは通過儀礼なのだと思います。そこから抜け出して「人は人、自分は自分」と冷静になれるのが「自我が固まってきた」みたいなことなのだろう。
営業に関して。夜学バーのいいところは「ドリンクが(意外と)ちゃんとしていること」だと思っているのですが、これが実は新人さん、とりわけ20歳未満の人たちにとってはかなり大きな足かせになる。ハイボールや茶割りを何も考えずガチャガチャ作るだけのオペレーションだったらもうちょっと「場づくり」にリソースを割ける。コミュニケーションが商品となるようなお店って基本的にドリンクはテキトーなんですよね、ガルバ、キャバクラ、スナック等を思い浮かべてもらえればわかるように。味は二の次で、大事なのは会話とか肉体なのだから。
しかし夜学バーは欲張りなのかなんなのか、できるだけ両方いっときたいと思うので、若い人たちには負担を強いているなとは思っています。こんなに修行が必要な店は(こういうスタイルの店としては)かなり珍しいと思います。従業員にはそういうレアな場所にいるのだということで胸を張って頑張っていただきたいし、お客さんたちにはそういうわけなんで多少あたたかい目で見てくださいとお願いしておきます。後生だからそこは甘えさせてください。
ま、ともかく場数と慣れですから、1年もしないうちにみつきちさんはスーパープレイヤーになっているだろうと思います。(プレッシャー)
2025/01/29(水) 17-22みつきち+まちくた
<みつきち>
2日連続のみつきちです。
わたしのミスで開店が遅れてしまい、そこからの十数分かなりくよくよしてしまったのですが、それでも修行は続きます。切り替えてがんばるぞ!となり、その後お客さんが来てからの営業は今までよりいい感じにできたなと感じています。
きょうはまちくたさんが監督をしてくれました。
従業者ページに詳しく書いていますが、まちくたさんはわたしが夜学バーに初めて行くきっかけになった人です。学校と家しかなかったわたしの世界が一気に広がるような体験だったので、まちくたさんはわたしにとって超絶偉大なる人物。今はわたしも従業員になり、偉大なる人物といっしょに「夜学バー」という空間を作っているという事実! 胸熱です。
さっき「いい感じ」と書きましたが、それはその場に展開されるコミュニケーションをより「夜学バーらしい」ものにできた感じがする、という意味です。各々が持つ「知っていること」を、少し遠ざかってみてみんなで考える、というような瞬間が何回かあって、それについて考えるのも楽しい!し、営業中楽しい!と思うことから成長を感じて嬉しいです。
くよくよして止まって動けなくなってしまいそうになっても、めげずにしぶとくゆっくり歩き続けるといいことがあります。
そして修行はつづく!
<まちくた>
初めてのみつきちさん補助でした。みつきちさんとの友だち歴はそれなりにありますが、ひとりでカウンターに立ってる姿をこんなにしっかりみるのはほぼ初めてです。わたしは夜学バーの従業員と友だちになることも、友だちが夜学バーの従業員になることもあります。そのたびに普段の顔と従業員の顔は全然違うんだなあと思います。友だちとしての顔はひとそれぞれですが、どのひとも夜学の従業員としてカウンター内に立っているときは〝頼もしさ〟があると感じます。従業員それぞれに個性があって、つくる空間も違いますが、この〝頼もしさ〟だけは共通していて〝頼もしさ〟に溢れているほど側から見ていていい従業員だと思います。今日のみつきちさんはそういう感じがして、わたしも同僚としてたいへん感化されました!
<尾崎>
「少し遠ざかってみてみんなで考える」というのは良い表現。それを「楽しい」と思えることが夜学バー才能(?)だと思います。
「頼もしさ」という言葉で僕が真っ先に思い浮かぶのは太宰治の『富嶽百景』という小説。
人は、完全のたのもしさに接すると、まづ、だらしなくげらげら笑ふものらしい。全身のネヂが、他愛なくゆるんで、之はをかしな言ひかたであるが、帯紐といて笑ふといつたやうな感じである。諸君が、もし恋人と逢つて、逢つたとたんに、恋人がげらげら笑ひ出したら、慶祝である。必ず、恋人の非礼をとがめてはならぬ。恋人は、君に逢つて、君の完全のたのもしさを、全身に浴びてゐるのだ。
たのもしさは安心やリラックス、そして心地よい笑いに直結する。なぜ人は笑うのかといえば、まず笑いやすい環境にあるからで、それを作り出すために必須なのがこの「頼もしさ」というやつ。カウンターに立っている人にたのもしさがないと、お客さんもずっと緊張し続けてしまう。ようするに堂々としているほうがいい。それもやっぱり「場数と慣れ」なのだが、もちろんただ漫然とやるだけでは足りない。そして修行は続く……。
2025/01/30(木) 18-23まちくた
2025/01/31(金) 18-27j
夜学バー8周年を目前(4月1日です)にして、もしかしたら初めての「ミーティング」を行った。開店前の17時より。1時間でおおむねは進行できたのだがやはり短すぎて駆け足になった。「18時過ぎてもお客がこなければ延長戦」と考えていたのだがありがたいことにすぐ来客が。まことまことにありがたいこと。こういうことはイレギュラー中のイレギュラーなので、ぜひ開店直後にみなさんおいでください。
なんでこれまでミーティングらしいミーティングをやってこなかったかというのは、当初僕は「それぞれの意思」というものをあまりにも信頼し、あまりにも重視しすぎていたからだろう。「みんなが好きなようにやって、それが結果としてすばらしい店を作る」という理想だったし、「続けていればそのうち自然に最適化されていく」と信じてもいた。しかし実際は、そうではないとまでは言わないが、それでは遅すぎるといまさらながら気づいたのである。
また、今は高校1年生から大学1年生までの若者が5人いるだけで、大人らしい大人は店主たる僕だけ。「当たり前のこと」「基本的なこと」を知っているのが一人だけとなると、一対一でそれを伝えるのには限界がある。簡単にいえば僕が忙しくなりすぎる。それでより効率の良い伝達手段としてのLINEグループとか「ミーティング」とかを最近動かすようになったし、この日報もみんなに書いてもらうことを「努力義務」とした。
本当は日報も、ずっと、ずっと昔から、「良かったら書いてね」とは言ってきたのだ。でも書いてくれる人はほとんどいなかった。僕は日報を書くことにものすごく意味があると思っているのだが、自分からそう思わないなら強制できないという気持ちもあった。やってればそのうち「これは日報を書いたほうがいいな」と思ってくれるんじゃないかとほのかな期待は寄せていたのだが、世の中はそう自分の都合のよいほうには動いてくれない。
なぜみんなが日報を書くようになったか、というのは思い当たるキッカケが一つしかない。高3のカモメ氏が律儀に毎回書き始めたことと、彼が他の従業員たちに「みなさんのも読みたいです」とハッキリ告げたからだとしか思えない。
で、みんなが書くようになると「これはやっぱり意味があるな」と僕は実感したし、たぶんみんなもそう思っている。まず読むのが楽しいし、書くのも自他のためになる。結局、やっぱやらせてみるしかないんだよなあ、と、改めて教育つーもんについて考えてしまう。
理想をいえばすべて自主性に任せたいし、自然に最適化されていくのを待つべきなのだ。自分が良いと思うほうへ人や物事を変えていくことは傲慢だ。でもそれって何万年かかるんだ? 優しさや謙虚さだけを武器にしたって何も動かないのが現実だ。銃を突きつけないと変わらないものもある。だけど銃を突きつけるわけにはいかないから、一所懸命がんばって考えて工夫する。待ってるだけじゃあまりにも遅い。それはやっぱり「タイプロ」とか見てても思うんだなあ。※タイプロってのはtimelesz(Sexy Zone改名グループ)新メンバーオーディション番組です
夜学バーってのは「習い事」だと今は思っているので、「こういうことをやりたいんならこのような手順は必要なんだよ」ということは教えるのが当たり前だ。ようやく僕は重い腰を上げてそういうことをやり始めた。それが「ミーティング」なんつう固い、「社会の言葉」を嫌々ながら使う理由である。そんな大人みたいなことしたくないんだけれども、まあこれは部活ごっこなのだ。
ミーティング後の空気から営業中の空気に移行していくのは簡単ではない。最初はさすがにぎこちなかった。それでもだんだん夜学バーらしくなっていくのは嬉しいことである。18時台にいらっしゃった方(2名)は、けっこう長くいてくださった。
ところが金曜というのに21時から25時半くらいまではお客が1人しかいなくて、ずーっと二人で飲みながらサシで話していた。こういう時間もいいなと思う。
話が豊かになっていくには時間がかかる。初速からフルスロットル、ってことはいくら仲が良くても、いや、仲が良ければ良いほど難しい。仲が良い相手とって、最初は手癖でキャッキャする感じで、だんだん話すネタがなくなってきた頃に、少しずつ密度が高まってゆく。仲が良いからこそ表層でも楽しめるし、仲が良いからこそ深めようと思えばどこまでも潜れる。そこまでに3~4時間くらいは余裕にかかってしまう。
ミーティングとか話し合いってのは、その3~4時間をすっ飛ばすものなのかもしれない。良い関係であればあるほど表層で通じ合えてしまう。10時間でも20時間でも、どうでもいい話ができてしまう。
この日もやっぱり少しずつ重要な話のほうに向かっていった。お互いに蓄えてきた情報や鍛えてきた頭の回転をフル回転して、いかに(知的に)面白いことを言うか。考え方の種類として「倉庫型」と「デッキ型」がある、なんて話は覚えているな。
このお客は少年ジャンプを読むように夜学バーを楽しんでいる節があって、お店の方針や従業員についてのことなどもよく考えてくれている。その対話のなかでいろいろなことが思いついたり、わかったりする。それを在宅じゃなくて「夜学バーで」やってくれることが僕にとっては実にありがたい。ふつうお客と店主が従業員について話せば「噂話」とか「陰口」に堕すものだと思うが、そういうところを超えて(その要素が一切ないとは言っていない)抽象的分析的な思考で交歓しながら、よりよくなってゆくための方策を探るところまで行けるのはありがたい。
そんな時間を深夜に及ぶまで過ごしていると、1時半ごろだったか女の人が1名。2度めくらいのご来店。ソフトドリンクしか召し上がれないほど飲んできたそうだが、これまた知識もユーモアもたっぷりお持ちの方で盛大な知的ジョーク大会となり朝5時くらいまで営業してしまった。
「今日が最終出勤で、明日からニートです!」と嬉しそうに語っていた。「でもたぶん2ヶ月くらいしたら働きたくなると思います」とのこと。続報を待ちます。
●2025年2月
2025/02/01(土) 18-26j
21名が来店。何があった? 2週前の土曜日(1/18)は久々のグランドスラム(お客0名)だったのに。これが水商売ってやつか。
組数としては9組。お一人でのご来店はなんと2組(2名)! これは夜学バー史上稀に見る記録であろう。2人連れが2組、3人連れが5組。ふだんはお一人でいらっしゃる方がほとんどで、こんなに複数人連れのお客が多いことはない。なんか特別なことありました? この日。
21名のうち13名は「僕と初対面」のお客さんだった。初対面の方のみのグループは3組で8名。残る5名はお客さん(ないし従業員)のお連れ。データとしてはこんなもんかな。
そうなるとオペレーションはめちゃくちゃ難しい。手が八本あって口が六つあるみたいな接客だった。
前日に5時くらいまで営業していて、3時間寝て10時半新宿集合で友達と5人で『映画ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団』を観たあとバ~ミヤンでビール飲みながら4時間くらいしゃべって、そのうち3人(5歳児含む)を連れて夜学バーへ。いわゆる「同伴出勤」である。同伴料はいただいておりませんがお酒いただきました。多謝。5歳児のつくったケーキおいしかった。最高級ベイマックスケーキ。
つまりものすごい稼働時間と密度だったわけである。そこにきて21名(ドリンクは50杯くらい作った)を相手にワンオペで10時間(実際には1730-2730くらいだった)というのはさすがにつらく、珍しく「そろそろ閉めます」を宣言した。ふだんは青天井(文字通り空が青くなることもある)なのだ。
体力の限界ギリギリをポーカーフェイスしつつ頭も肉体もフル回転させていると、ドアが開いて「3人なんですけど」と言われた時にむしろハイになってくる。どんどんこーい。
最初は「同伴」の3名で、ドラえもんの話などをしていた。順番前後するかもしれないがそのあと「3月に新宿六丁目でバー服屋を開く」という2人連れ、橋本治さん掲載の「ビックリハウス」を差し入れてくださった方、某従業員とその友達3人連れ、よくお一人でいらっしゃる方がご友人を連れた3人連れ、タイプロ(Sexy Zone改名グループ新メンバーオーディション番組)の話をしにきた(?)女の子、
続く
2025/02/02(日) 休
2025/02/03(月) 17-23カモメ
2025/02/04(火) 18-22みつきち+j
2025/02/05(水) 17-24saku
2025/02/06(木) 18-23まちくた
2025/02/07(金) 18-25j
2025/02/08(土) 18-25j
2025/02/09(日) 休
2025/02/10(月) 17-23カモメ
2025/02/11(火) 18-22みつきち+j
2025/02/12(水) 17-24saku
2025/02/13(木) 18-23まちくた
2025/02/14(金) 18-25j
2025/02/15(土) 19-24saku
2025/02/16(日) 休
●2025年3月
●2025年4月
●2025年5月
●2025年6月
日報 TEXT 夜学バーTOP