■夜学バー日報 2025年上半期■
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●2025年1月

2025/01/01(水) 休


2025/01/02(木) 休


2025/01/03(金) 13-24saku


2025/01/04(土) 18-23まちくた

<まちくた>
 さくくんが体調不良につき急遽営業することに。初めて夜学バーのカウンターに立ったのが3年前の成人の日だと思うと色々と思うことが多い。受験期に1年近くお休みしては時期があったり、終始不規則にお店に立っていた私ですが、それではダメなのかもなーと考え直した日でした。とはいえ、自分のこれからを考えるとやっぱりこれからもある程度は不規則にならざるを得ない気がしてかなり悩みです。すべてのことは夜学バーに帰着しているのですが、もっと実務的な訓練を積むには否が応でも現場を経験し続けることも大切だと思っています。


<尾崎>
※注記 「現場」というのは「夜学バーに立つこと」を意味するそうで、すると下記の僕の文章は間違っているということになるのですが、ひとまずそのままにしておきます。
 文章として、「ですが」のあとに「し続けることも」とあるので、夜学バーではない現場であると解釈したわけですが、解釈としてはそのほうが自然でしょう。これは僕がものすごくこだわっている「文字で言葉を伝える」というところにものすごく深く関わっております。そのことについてはまた改めて、できれば「テキスト」ページにまとめたいものです。つっついてください。「書け」と。(2025/01/24追記)

 ここでいう「現場」というのは「夜学バーの外の現場」という意味なのでしょう。僕はよく「同じ場所にばかりいるのではなく、いろんな現場に出て仕入れをしましょう」ということを言っております。「常連などない(常連という概念の撤廃)」という方針もこの意図からきています。夜学バーにばかりいては淀んでしまう。ただし、夜学バーだって一つの「現場」であり、軸足をここから離してほしくはないな、と願っております。特に従業員に対しては。
 お店で働き始めるとお客さんとして来ることが少なくなって、「お客の視点」に立ち返ったり「店主が工夫していること」を見る機会が減ってしまいます。意識的にいろんな現場に出てもらって、しかし夜学バーもその現場の(とりわけ大切な)一つだということを忘れずにいてもらえると幸いです。

2025/01/05(日) 17-24j

 店主(尾崎)の新年初登板。本当はsaku氏が担当する予定だったのだが「saku者急病のため」(ギャグです)急遽やってきた。ずっとお客なかったが23時ごろ隣のお店のママが現れる。1時半くらいから近隣のお店に移動し、解散は7時過ぎだった。そういう日もあるのです。今年もよろしくお願いいたします。

2025/01/06(月) 休


2025/01/07(火) 休


2025/01/08(水) 休


2025/01/09(木) 21-27j

 本当は休みのはずだったのだが先月分の家賃の支払いと年末年始に溜まったゴミ捨てのためお店に来たのでせっかくならと営業。23時台くらいだったか1名ご来店、その後1時半くらいにもう1名ご来店。やってみるものだなあ。
 経営が苦しくて家賃が払えない!ということではなくて単に年末年始でタイミングが合わなかっただけ。当すきやビルの1階に不動産屋が入っていて毎月手渡ししているのである。しかし「経営は苦しくない」とは言っていない。苦しいと言っておかないとみなさま当事者意識を持っていただけないと思うので大声で叫んでおきます。苦しい! たすけて!!!

2025/01/10(金) 18-27j

 新潟市内で夜学バーの良いところをうまくパクって営業している「喫茶みずのみば」の店主が真っ先に来店。何を隠そう彼女はかつての従業員。まちくたと2人でプリキュアやってたね。なつかしいね。事情あって急きょ東京に来たということだった。かなり重たい話ではあったが、夜学バーにおいては「重たさ」って抜けてしまうような気がする。状況によって良し悪しかもしれないが、あのような重たい話が自然と軽くなってしまう空間は異様だと思う。言い方が難しいが、本当に自然と、プシューって抜けるように深刻さだけがなくなる。事態の大きさやその意味はたぶんみんな理解してるんだけど、なぜかあまり深刻にはならない。冷静ってことかもしれない。気が楽だという人もいれば、酷いと思う人もいるだろう。かなり絶妙なバランスでこの空間は成立している。
 いちおう僕の新年初めての正式な先発完投日だったのもあり、それなりに来客あって嬉しかった。9時間で8名なんですが、金曜にそのくらいで嬉しいくらいには静かなお店なのでみなさん遠慮せずに、どうせ混んでるだろうと週末を避けたりしないでおいでください。みんなが避けると誰も来ないのです(切実)。いやほんとにすごい現象ですよね、みんな考えることは同じってことなので、逆張りしてくれる人が多くないと困るのであります。あ、でも「金曜だから行く」が順張りで「金曜なのであえて行かない」が逆張りなのか。むずかしいな。でもなんか夜学バーに関しては「金曜なので行かない」がすでに順張りな気もしないではない。僕も金曜だと「あーでも混んでるかな」って避けたくなるお店はあるし。でもだからこそ「えいや」と行ってみるように心がけてますけどね。避けられる側の気持ちがわかる(そしてそれはつらい気持ち)ので。
 んまあ、もちろん、何も考えずに行きたいと思ったときに、自由に。あとはどのみちギャンブルなので。
 深夜、ある女の子とサシで話す時間が長くあった。僕の記憶では僕の立っている日に1人で来たのは初めてじゃなかろうか。非常に嬉しかった。いろいろ話してがんばろうと思った。いやその人は僕の文章をよく読んでくれて、よく理解してくれてるんですよね。そういう人がいるってわかるとこの日報も書こうって気になるんですよ。いいねもコメント欄もなくて徒手空拳、手応えがぜんぜんないんで、つい後回しになっちゃうんですわよ。だから「読んでますよ!」「面白いよ!」「ちゃんと書いてよ!」と言ってもらえるのが非常にありがたい。「多少無理してでも」やる気になる。言ってくれてる方々は引きつづき言ってください、言ってくれてない方々はぜひ言ってください。その一票は本当に重たいよ! 意味あるよ! だから勇気出して! お互いのために!
 実はこの日の記事は17日の朝方に書いている。すでに最新(16日)まで書き上げてあるので、これを書いたら1月の僕の担当分は埋まったことになる。いやー良かった。でもそのあとは12月を(一所懸命思い出して)埋めなきゃ。というわけで、終わり! 6時だ。寝ます。

2025/01/11(土) 18-26j+OJT(小林カモメ)

<カモメ>
 みなさまはじめまして、小林カモメです。絶賛OJT中でございますが、日報を書きます。何事も挑戦。
 わたしの詳しいことは従業員ページに載せるつもりですが、(独り立ちする頃にはできているはず)どうしてもどんなヤツか知りたい場合はぜひご来店ください。
 2回目のOJTは開店と同時に1名、その後ジャッキーさんと2人きりを経て1名来店。しばらくしてもう1名来店。途中、2人とジャッキーさんからギムレットを同時に注文いただきシェイカーを初めて振る。なんとお2人もギムレットを飲むのが初めてとのことで、ギムレットスタートをわたしが切ることに。なんとか作り上げましたが、100点までは遠い道のり。それでも初ギムレットを捧げていただきありがたい限り。
 いままでやったことなかったことをするのは(「夜学バー」という場でなら尚更)ど緊張しますが1ミリでも進めたかなと思います。
 まだまだやったことがないものが沢山ありますが、足を運んでいだきますと私の成長速度もその分加速しますのでぜひご協力ください。


<尾崎>
 前半はカモメ氏の書いてくれた通り。ジントニックも作ってもらった。おいしかった。ギムレットもなかなかスジが良いです。偉そうに言えるほどカクテルが上手ではないのですが。
 23時すぎに交代。すでにいたお二人はすぐにお帰りになり、1時間ほど一人でお店の手入れ(いい言葉だ)をしたり漫画を読んだり。
 24時くらいにお二人ご来店。よくおいでになる方が「後輩」を連れて。いつもお一人でいらっしゃるので新鮮だった。冷やかしツーリズム(いわゆるダークツーリズムに近い概念で、僕の造語)の話をするなど。そこへさらにお一人、かつて門前仲町の某バーで隣り合った方がいらっしゃる。皆で天理や朝鮮の話を、中島みゆきを聴きながら。二組は初対面なのだが、偶然にも共通言語が多くて非常に楽しい時間となった。3時半くらいに閉店。

2025/01/12(日) 18-26j+OJT

<カモメ>
 2日連続でのOJT。前日学んだことをジャッキーさんと復習していると、19時ごろに1名ご来店。ヴェルサイユを注文いただき、はじめて作る。その1時間後くらいかにsaku氏が来店。レモンスカッシュをご注文いただき、はじめて作る。先にいたおひとり様がお帰りになった後、しばらく3人で近年のスポ根の失われ方についてしばらく談義した。
 もう1名ご来店し、途中で雪国の作り方を習っていたらそのまま雪国をご注文いただき初雪国を提供。
 幸運なことにOJT中は様々なお客さんから様々な注文を投げていただいており非常に有意義な時間となっております。


<尾崎>
 2日続けてカモメ氏のOJT。日報も書いてもらって嬉しい限り。
 彼の文章にもあるように途中カモメ氏、僕、saku氏の3人で「夜学バー会議」みたいな時間があった。僕が「君らふたりは根性があって偉いよ~」というようなことを言ったらカモメ氏が「今は初期だし下っ端だからちゃんとやってるだけかもしれませんよ!」と牽制してきた。その通りかもしれないが、いやずっとちゃんとやってくれ。しかしその冷静さというか客観性を有しているのは素晴らしい。
 ちなみに実年齢はあえて明かさないが現在の夜学バーの世代図はこんな感じである。  モエ・saku世代→まちくた世代→カモメ世代→(欠番)→みつきち世代
 んで僕が彼らの約半分の年齢である。(公称9歳)
 そんくらい若い人たちを笛吹いて連れてきて働かせているこの店はだいぶヤバいので珍奇なうちにもっと(特に若者たちの日に)お客が増えてほしいと思う。しかしよく知らない人のところに金払って行くのは難しいので↑のように文章を書くなどして親近感を高めていただくのは実に助かる。この最初期だけでなく長く続くことを祈っております。
 スポ根の話題が出てますが自分の人生を振り返りますとやっぱり「無理してやる」ってのが大事でした。「多少無理してでも」というのは何年も前から従業員たちに伝えてきたつもりのテーマなのだが、これをもうちょっと大声で伝えるようにしております。無理しないと、背伸びしないとやっぱ伸びないから。伸びないならこんな店で働く意味なんてないから。
 考えるためには「材料」と「調理法」が必要なのだが、若いってことは「知ってることが少ない」ってことで「材料」がどうしても貧弱になる。その段階の人間に「自分で考えろ」と言ったところで大した出力は期待できない。それで「教える」ということがどうしても必要になる。それをサボっちゃいけないなあ。学校の先生をやってるとカリキュラムってのがあるから自然と「教える」になるんだけど、カリキュラムがないと意外と自分はそれをしませんね。

 カモメ氏が帰ったあと、「雪国」を注文された方としばらくサシに。そこへ初来店の3人連れ現る。扉を開いた瞬間に、「うわ、本だ! 本がある!」と騒いで、「すみません、ここって学歴とかでダメとかあります? うちら全員明治(大学)なんですけど……」
 さすがに「学歴フィルターありますか」と問われたのは初めてで、めちゃくちゃ面白くなってしまった。めちゃくちゃ酔っ払っているようで確実にヤバいお客さんなのだが、このていどでNOと言うのは夜学バーの精神に反する。「ありませんよ、どうぞ」と言うのだがなかなか入ってこない。「マスターはどこすか? 大学どこすか?」「え……早稲田です」「(絶句)」
 明治大学というのは「早稲田に行きたかった人たち」がけっこういていわゆる「早稲田コンプレックス」がネタにされるくらいありふれている。早稲田のかしこい学部に「東大コンプレックス」がわんさかいるのと同じである。入店後も折に触れ「まあマスターは早稲田ですからなー」「俺ら明治なんで」というイジり(?)が飛び出したのだが、僕が年下で教育学部とわかると少しは安心したようだった。そんなにかしこい学部じゃないからね!(でも当時は今よりはちょっとだけ良かったんだよ! 社学や商が弱くて文構もなかったからね!……要するに他の学部が伸びたのに教育だけ伸びなかった。でもこれから校舎がついに建て直されるしたぶん揺り戻し教育ブームが来るのでわりと伸びると見ている。いやまことにどうでもいい話。)
 大事なのはここからである。出身校なんかどうでもよくなるような時間を作っていくのが夜学バーの店是。それなりに成功したと思う。3人のうち1人はとても酔っ払っていたが2人はわりに冷静で、かなり純粋に夜学バーに興味を持ってくださっていた。帰り際、最も酔った方がお手洗いに行っているあいだに別の方が「もうちょっと酒が入ってないときだともっと面白い人なんですよ」とフォローされていて、実際そうなんだろうと思った。優秀な方だろうというのは話していてわかった。こういう方が何度か通ううちに「来てくれるだけで嬉しくなるすばらしいお客さん」となってゆくことはかつて何度もあったのである(懐かしき「アル中サーガ」の方なんてまさに。お元気ですか?)。もちろん「また来ます」と仰ってくださった。ぜひ絶対にまた来ていただきたい。ほとんどの場合、「また来ます」と帰っていく方は二度とおいでにならないので。

2025/01/13(月) 16-24j※成雀式

 スケジュールには下記のように記載した。

※「成雀式」は40歳の集い。店主を言祝いでください。愛でたく着物で営業します。あとはこれから考えます。みなさまは普段着、手ぶらでOKです。何かやろうと思うので、来店予定の方は何時ごろいらっしゃるか教えていただけると助かります。と書いてもこのお店の場合は毎度ほぼ反応がありません。そして店主は落ち込みます。それを避けるためがんばってご連絡ください。たった9席、5席埋まれば満席に見える小さなお店。「一票」の重さえげつなく、それゆえにみなさまご遠慮なさるのでしょう。ぜひとも勇気と度胸と覚悟を。常連という概念は撤廃しております、初めての方も堂々とどうぞ。喜びますので。(最近は言葉の力さえ信じられなくなってきているので希望をください! このホームページ写真と動画ばっかにしちゃうぞ!)ちなみに「モエ」「saku」はこの日いわゆる「成人式」に呼ばれる代です。

「何時ごろいらっしゃるかご連絡ください」と書いておりますが、もちろん、誰からも連絡はありませんでした。「お花を贈るけどいつ着くようにしようか?」と言ってくれた人はいた。そのくらいでいいんですよ。でもシュン。
「初めての方」は来ませんでしたが「二度目(のはず)の方」は来てくれたので非常に嬉しかったです。また連休だったからか遠方にお住まいの方も数名いらっしゃったし、かなり久しぶりの方も見えた。総来客数は10名で、祝日にイベント打って8時間(実際は約11時間)営業したわりにはぜんぜん少ないですよね。人気ない。でも一人ひとりの「一票」がズシリと重いのでめちゃくちゃ嬉しかった! わーい。本当に幸せな時間でございました。
 だって成雀式なんて「でっち上げ」ですよ。そんなもん本当はないんだから。それなのにお花をくれたりお祝いしてくれたり、こりゃもう発明じゃないですか。「7.11周年」みたいに周年に小数点をつけることによっていつでも周年を祝えるというのもウルトラCだったが、いやもうほんと、言ったもん勝ちっていうか、とにかくやってみることに意義があるってことですよね、なんでも。
 また新新成人(18歳になる代)が1名、新旧成人(20歳になる代)が2名きた。成人式(はたちの集い)に行ってきたという人はゼロ。代わりに成雀式だけ出るってのはなかなか面白いですね。一生忘れないでいてほしい。
 長丁場だったのもあり、一度退室してまた戻ってきてくださった人もあった。「まだこの店にいたい」と思ってくれたということだ。ありがたい限り。いつでもそういうふうに入退室は自由です、同じ営業日なら特に説明がない限り木戸銭(チャージ)は一回しかかかりませんので。

 成雀式は画像2枚目にある式次第のとおり進行した。すべて録画してあるので10年後の「熟雀式」に残ってたらみんなで見ましょう。
 開式のことばはごくシンプルに。店歌独唱は今日のために作った新曲(君が代より短い)をマイクとギターで。実行委員長(僕)あいさつ、花束贈呈、記念品贈呈はつつがなく行ったが、従業者式辞、来客式辞は行われなかった。従業者は高2のとき2日だけ働いたことがある子がいたのだが「自分、大丈夫ッス」と固辞された。来客はその時間1人だけいたのだが児童書の話などに夢中になって僕が忘れていた。そして予想通り「乾杯」の時には人がけっこういて、しっかり乾杯した。式辞は誰もやりたがらないだろうから、その時間だけ客数が凹むだろうと思ったら本当にそうなったのである。「決意のことば」はけっこう酔っ払っていたがそれなりにいいことが言えたと思う。「閉式のことば」はごくシンプルに。
 で、3時前くらいまで確か営業。着物だったので自転車に乗れない(そもそもめっちゃ酒飲んでる)ので気を遣ったお客様がタクシーに乗せてくださいました。まことにありがとうございました。僕の着物姿はかっこかわいいに決まってるのになぜ10人しか見に来ないのか! 次回ぜひ。

 成雀式ってなんで成雀式って言うの?という点については僕の個人ホームページ「Entertainment Zone」の日記に書いておりますのであわせてご参照ください。

2025/01/14(火) 18-22みつきち+j

<尾崎>
 みつきちデー。いつも書かないのにわざわざ<尾崎>とつけるのはプレッシャーを与えるためである(パワハラ)。
 前半はお客がなかったのでカクテル「雪国」に使う砂糖づくり(これが意外と大変で水面下の白鳥みたいなことなのです)など事務的なことをいろいろやってもらったり、「線を意識してオペレーションする」という僕の必殺技(極端にいえば作業効率が2倍以上になる!)を伝授するなど。これが十全にできるようになると「飲食に関するオペレーションにかける時間」がかなり短縮できて「あそび」が増える。そうすると楽しいこと、面白いことが起こる可能性も高まる。当然ながら経験豊富な僕がいちばん飲食オペについても上手なので、必然的に「あそび」も大きくなる。ここが意外と夜学バー的空間の再現性に大きく関わっているのだ。
 夜学バーは意外とちゃんとした店で、やることがけっこう多い。ハイボールを作るのでもほかのカジュアルな店より少なくとも数工程は多いはずである。たとえばガールズバーなんかだと「ガールとのトーク」がメイン商品なので、ドリンクは味よりもスピードが重視される。凝った作り方なんてするくらいだったら一言でも多くお客と喋るべきなのである。スナックでもキャバクラでも、カジュアルなバーとかでもだいたい事情は同じである。コミュニケーションを商品(お店の魅力の中心)とするお店では、飲食オペレーションはできるだけ簡略化して他の享楽的な部分を重視するのが定石なのだ。
 ところが夜学バーはコミュニケーションを重視しながらドリンクにもこだわるので、実のところ「人を使う」ということがめちゃくちゃ難しい。ぜんぶ覚えてもらわないといけないから。ちゃんと覚えるまでは時間もかかるし頭も使うので、その間お客さんは退屈してしまう。
 僕のバーテンダーとしてのキャリアの前半10年間くらいはまさに「質よりもスピード」でお酒をつくっていた。ゴールデン街だもの。夜学バーを始めてからはむしろ質(おいしさに限らず)にこだわるようになったが、それは10年の下積みがあったから「夜学」と両立できたのである。それを昨日今日カウンターに立ち始めた若者に強いるのは酷なのだが、強いるしかないから強いるしかない。がんばれ~。お客さんを不当に退屈させるな~。

 改めて、さてこの日の後半は3名の来客に恵まれた。終わったあと、「どうしてもジャッキーさんがいるとジャッキーさんに投げてしまう」との振り返りがあった。そうなんだよね。でもさすがに18歳未満にワンオペさせるわけにいかないからな。でもなんか工夫します。透明マントか石ころぼうしがほしいな。あきおんち(隣)で飲んでるのがいちばんいい気がする。しゅ、出費が……。んまあ必要経費かねえ。
 でも嬉しいのは「ジャッキーさんいてくれてありがとう」ではなく「お前がいるとやりづれえんだよ! 自立させろや!」とある種の文句を言ってくれたところだ。向上心があるではないですか。毎度褒めて伸ばすことしかできなくてすみません。もっと厳しくできるようがんばります!

2025/01/15(水) 17-24saku

<saku>

<尾崎>
 さらにプレッシャー度を高めた(昨日の記事参照)。
 この日は僕はカウンターに入ってないけど最後のほうちょっと飲みに行った。ギリギリまで働いて0時6分の電車にダッシュで乗って帰るsaku氏はいつも本当に偉い。

2025/01/16(木) 18-23まちくた

<まちくた>
 私は高校1年生の冬に夜学バーに立ち始めました。高校3年生の夏くらいから勉強修行でお休みし、晴れて大学生になってからは新生活に追われすぎて最近やっと復帰したなという感じになってきました。そんなこの日はなぜだか、高1~2くらいのまちくた初期を知っているお客さんが何人もきてくださいました。別に示し合わせたとか呼んだとかではなくたまたまです。まちくたの古参としての自負を持って来店したとかでもないです。
 ただお客さんから聞いた昔のまちくたさんエピソードがおもしろくて「昔のまちくたさんは尖ってた!」「人と話したくなさそうだった!」的なことをみなさんおっしゃるので驚きました。私の認識では、むしろ夜学バーにいるというだけでお客さんに対して無邪気な対応をしてしまっていると感じて気を付けていたくらいで、閉鎖的な印象を与えていたとは思ってもみませんでした。


<尾崎>
 行ってないけどまちくたがゴミ捨て忘れたことを戒めとして特記しておこう(パワハラ)。でも彼女は悪くない。ゴミが悪い(ゴミへのモラハラ)。
 ここまではまちくた日報が届くまでに書いたもの。ここからは彼女の文章を受けて少し。
 昔のまちくたさんのこと。尖ってたといえば尖ってたが、当然「緊張と防衛」という側面もたぶんあって、「気を付けていた」という言葉通りなんじゃないかな。良い意味で自他に対する警戒心がある。初めて会ったとき(中3)も、今となっては非常に良い意味での!「値踏み」をしてくれていたんだろうなと当時の想い出話をする際などに思います。
 ただそれが「閉鎖的な印象」となってしまっていたとすれば、成功のような失敗のような、どちらもあったのかもしれません。ただ結果としては「舐められなかった」ということなので、そこは高校時代のまちくたさんの最大の強みだったと思う。
 高校生を相手にすると大人は「逆に」ビビるもので、大学生になったらむしろ舐めやすくなる。高校生相手だとシャレにならないからやめよう、ということでも、大学生相手になら言える、できる、みたいな。ここからはまた別のフェーズに入っていくのかも。

2025/01/17(金) 18-27j

 来客2名、接客時間30分、総売上3100円。本を読んだり店を整えたり。今日は顔も服もカワ(・∀・)イイ!! そういう日はお客がないものです。
 その数少ないお客さんに対しても、あまり上手に対応できたとはいえません。それはコンディションでもあり、かみ合わせでもあり、あとになってはどうしようもないことなのですが、明日の糧にしたく存じます。

2025/01/18(土) 18-26j

 no cacでgrand slam。リベンジだ!と思って昨日とほぼ同じ服装で来たのだが、8時間無風であった。
 近所にある54年続く「スコッチバー ノア」の老マスターがグレンリベット15年をストレートでがぶがぶ飲みながら「お客さんに泣き言っちゃダメだね。そんな店行きたくないもんね。おれは愚痴なんか言ったことないよ、一度も」と仰っていた。彼はどんな話題でも自慢話に結びつける。酔っ払っているからでもあると思うけど「いや泣き言や愚痴は言わないけど自慢話はするんかーい!」とツッコミたくはなった。それもまた愛しいものだ。
 僕も泣き言、「お客さんが来なーい(泣)」みたいなことはできるだけ言いたくない。景気の悪そうな場所に行きたいって人はいないからね。でもやはりさすがに「クサクサする。飲んで帰るか。」(藤子・F・不二雄『タイムカメラ』より)とは思うので、あちこち飲み歩いて帰った。金土の合計がお客2名、売上3100円というのは落ち込むと言うよりむしろ笑ってしまう。これが水商売ってやつだ。だから神頼みみたいなことが大事になって、「熊手」という文化も廃れず続いているのだろう。
 気分や運気(!)を変えようとして飲みに行く、お金を使う、というのも「神頼み」に近いことだと思う。

2025/01/19(日) 18-24まちくた+j

<まちくた>
 2024年の私のモットーは「人の話を聞く」ことでした。「人の話を聞く」というのはただ他人が発する言葉を理解することではありません。むしろ発せられてる言葉以外の「言おうとしたこと」だったり「言わなかったこと」だったり「言いたいけど言えない(言い方がわからない)」ことだったり「これから言うことを考えている時間」だったりを想像することを指します。人が発した言葉だけを追うのでなくその前後の動きも捉えるということです。
 普段の生活ではこれを意識したおかげで、見えなかったことがたくさん見えるようになりました。例えば、私はいつも声を張りすぎてたなとか沈黙になるとすぐ話し出しちゃってたなとか、そういう自分の一方的な部分に気がつきました。少しくらいの声の小ささなら相手が耳をすませて聞こうとしてくれます。少しくらい沈黙になってもそのまま黙っていれば相手が自然に話し出してくれます。そういうことが少しずつわかってきて、本当の意味での人と双方向のコミュニケーションを取ることに近づけたように思います。
 その上で夜学バーに立つと、やっぱりみえることも変わります。
 当然のことかもしれませんが、場にいる人が増えるほど〝場を共有すること(≠同じ話をすること)〟は難しいです。連れ立ってきた人だけで場が完結してしまったり、ひとりだけ疎外感を感じる人が生まれてしまったりなど、夜学バーでもおきうる懸念です。もしそうなってしまったときに何かアクションを起こさなきゃと思っても、私が入っていく隙がなかったり不自然な介入の仕方をしてしまって場を変化させることができなかったりします。そういうときは「人の話を聞く」モードになることで、適切な切り込み方ができます。まだまだ自由自在に使いこなせるレベルではありませんが、少しずつできるようになってきていると感じた日でした。


<尾崎>
 まちくたさんが一、二段落めで述べてくれていることは僕がごく初期から夜学バーで意識している、おそらく文章の中でもたびたび書いてきたこと。「言葉だけを追うのでなくその前後の動きも捉える」と表現してくれたのは実に巧みで、的を射ていると思います。
「黙るべき時に黙ると、黙っていた人が喋りだす」というのも特によく語っているところ。そういう細かなTipsみたいなものは無数にあって、こうやってたびたび言語化していくのはとても意義深いと思う。

 22時半くらいにお店に着いて、しばらく経って交代。夜中に古い友人がやってきて、3時くらいまでゆっくり酌み交わした。彼は僕よりも10歳ちょっと年下なのだが、10年くらい前に半年くらい我が家に住んでいたことがある。(計算してみてください、犯罪じみている。)とても楽しい日々だったし、今も仲良くできているのが本当に嬉しい。
 夜学バーのあるビルの1階にずっと空いているテナントがあって、誰かそこに入ってくれないかなとずっと思っているのだが、その彼が興味を示している。こういうのは色々あって実現しないことがほとんどだが、毎回「なんとかなってくれ」と祈っている。少しずつでも湯島を楽しい街にしたい。僕にとって。夜学バー以外にも通えるお店があるといいですよね、やっぱ。

2025/01/20(月) 18-25j+OJT

<カモメ>
 開店して1時間ほどでジャッキーさんが私用のため外出し、初めてのワンオペに挑戦。しばらくノー客だったのでメニューを眺めてレシピが頭に入ってるか確認する。シャーリーテンプルの材料を思い出せずLINEでジャッキーさんに確認。その後2名ご来店いただきましたが、シャーリーテンプルは作らなかった。Twitterに書いた上坂あゆ美氏の新著も持ってきていたが出番はなし。準備してきたことは大抵徒労に終わると学ぶ。
 準備したことは不発だったが、なかなか有意義な会話(夜学バーが目標としていることに近づくこと)ができた気がする。準備されたものを否定するつもりは全くないけど、やっぱりその場で考えて生み出したものは何にも変え難い性質があると思う。その場で考えることを止めなかったから、今まで勉強してきたこと、自分が高校生をしながら感じてたことが会話を通して、相手の知識が合わさって、線になっていく感覚があった。我ながら素晴らしい。
 昨今のデジタル社会のせいなのかインプットだけになりがちでアウトプットが疎かになっている感じがする。インプットは言い換えれば思考の手札を増やす作業であるということ。手札ばかり増えるのはよくない。そこでアウトプットという手札を切る行為をするわけです。増やした手札を別の場で切れると最高。
 自分が立つときはインプットもアウトプットもどっちもできるような場にしたいな〜などと考え中!


<尾崎>
 かわいい子には旅をさせよ、あるいは留守番をさせよ。ちょうど誘いが入ったので「近所にいるから一人でやってみて」と放り投げた。
「その都度考える」というのは夜学バーの中心にあること。「知ってること言うの禁止!」っていう有名な冗談もある。知ってることは、知らないことへ向かっていくための足がかりにすべし。
 インプットとアウトプット、ということでいえば、最近みんなに日報を「努力義務」として書いてもらっているのだが、こういう出力には大きな意義がある。みんなは若くて、若いってことは「時間がある」と思いきや逆で、「全然時間がない」のである。「その時」はすぐに去るから。こういう宿題みたいなもんで補填しなければならない。学校の勉強と似たようでむずがゆいが、でもたぶんゆえにこそ真理。

2025/01/21(火) 18-22みつきち+j

<みつきち>
 みつきちです。初めて日報を書きます。
 いつもかなり緊張しながらカウンターの中にいるので、いろいろな動きが慎重になるあまりゆっくりになったり固まっちゃったりすることが多いんですが、今日はけっこう肩の力を抜いてやりきることができた感じがします。ただできた理由は「眠かったから」でしかないので、本来夜学バーにとって大切な“どんどん形を変えていくコミュニケーション”をつくっていくサポートという役割については甘かったな、と思っています。
 終わりがけに来られたお客さんが来てすぐわたしについて「リトルジャッキー?」みたいなことを言っていました。髪型とか似てるし、なにせわたしにとって夜学バーは心の支えと言ってもいいくらい大きな存在なので(シャブ漬かり生娘状態)、似てくるのは全然納得できます。
 なんですが、わたしはもう中学時代からの「夜学バー・ジャッキーさん崇拝」のその次のフェーズへ進んでいます。「みつきちとして夜学バーを作り支える」というフェーズに!
 わたしの修行の一つの目標として「『夜学バーの最強天才従業員・みつきち』として名を馳せる」というのがあります。ジャッキーさんとも他の従業員の誰とも、非て似なる!名従業員になってみせます!
 そして修行はつづく!(決め台詞!)


<尾崎>
「眠かったから」いいなあ。昔の漫画にはたびたび、「この剣で岩を切れ」みたいな試練が出てきて、力任せに切りつけてもダメ、しかし何十時間もやってスパッとやったら真っ二つ、みたいな場面があった。肩の力が抜けたから切れたのだと。疲れ切った頃に真にムダのない動きができる。
 向きは逆だが僕はカウンター内において当然「ムダのない動き」を心がけている。早く済ませたいし、疲れたくないからだ。ルーティン化は効率化ということで、すなわち洗練である。力も要らないし、脳も使わない。そのリソースを別のところに割ける。
「どんどん形を変えていくコミュニケーション」ってのはいい表現ですね。躍動する流動体。いつも同じ空間は安らげるが、いつも同じように硬直しているか、いつも同じように柔軟であるかはまた違う。夜学バーは後者をめざすということです。
 十代の若者をシャブ漬かり生娘状態にさせることには罪悪感もありますが、芸道とはそういうものでもございますから……。せいぜいその洗脳を中途半端にとどめるのが教育の仕事。みつきちさんが偉いのは、自分が「シャブ漬かり」であることを自覚して、さらに良い状態へいかに向かうかをすでに模索しているところです。ふつうシャブ漬かりから抜けると「わたしは何をしていたんだ」と我に返り、永遠にシャブから遠ざかろうとするものですが、僕はシャブではございませんので、「あっ、ジャッキーさんをシャブ扱いしてたのはわたし側のさじ加減だったんだ」と気づいてもらわないとお互いに不幸なのです。みつきちさんはとっくにそれをわかってくださっていて、ジャッキーさんないし夜学バーをシャブではなく「栄養のある果物」くらいに持っていって末永くお付き合いしてくれようとしているのではないかと思うのであります。ありがたい。こちらも柿みたいな顔をして向き合おうと思います。

2025/01/22(水) 18-24saku

<saku>
 17時からお店を開ける。
 21時まで客が来ない。今日はレポートを書きながら、誰かが来るのを待つ。普段は本を読んだりコーヒーを入れたりしながら待っているのだけれど、大体20時くらいまでお客さんが来ないと寂しくなってくる。
17時にお店を開けて20時にもなると段々と本を読む集中力が無くなってくるし、いつお客さんが来るか分からないので常にプレッシャーがある。このプレッシャーから解放されるには、実際に誰かがお店に来るしかない。

 この日は夜学バーに置いてある黒電話が鳴り、「もう開いてますか」と聞かれる。

 10分後くらいに3人でご来店された。
 年配のお二方は同じ会社で、もう一人の若い方(20代後半)はその会社の取引先の方。
 若い方が別の会社に転職して地元に帰るらしいので、送別会らしい。

 ネーポンの話や、お酒の話など。僕はお酒を飲めない年齢なので、これまでガッツリとお酒の話になったことが無かった。しかし、もうそろそろ立ち始めて一年になるので、お客さんや店主からお酒のことを教えてもらいながら少しずつ覚えてきた。
 お客さんとお酒についての話をしているうちに、思ったより自分の中にお酒に関する知識が蓄積されていたことが分かって嬉しい。未成年でお酒が飲めないのに何故かお酒の知識はたくさんある状態。

 しかし、もっと僕に知識があれば(この場合はお酒の知識)、もっと面白い話ができたかもなというシーンも多々あった。
 知識があれば、それを道具にしてもっと面白い話ができる。だから、知識をつけるということをしなければならない…

 ちなみに、お客さんの1人がネーポンを見て「駄菓子で売ってた」とのこと。小さい方が10円、大きい方が30円だったらしい。安い。

 ちなみに、今回送別会で来てくださった御三方は夜学バーの雰囲気を大層気に入ってくれて、「じゃあ次は夜学バーで、また三人で集まろう」という素敵な言葉を置いていってくださった。
 何年後になるか分からないけど、楽しみです。お待ちしてます。


<尾崎>
「何年後になるかわからないけど」という一言が自然に出るのが素晴らしいし、「夜学バーっぽい」と思います。個人的にも僕の人生のテーマは「再会」です。それは5年後でも30年後でもかまわない。また会いたいという一心でお店をやっています。また会いに来てください。どなたさまも。
 ネーポンに小さいほうと大きいほうがあったのか? ネーポン専門家に聞いてみたいところ。
 知識については、「知っている」という大きな武器と、「知らない」という小さな武器を組み合わせて使う。うまく「知らない」が効くように「知っている」を絞り出す、みたいなことを繰り返しているといつの間にか上手になっているもの。こういう秘伝めいたことを(日報とかから)切り抜いてくれる人募集。ジャッキーさん明言カレンダーをつくろう。

2025/01/23(木) 18-25j

 がんばって日報を書いています。がんばっているのです。書くのは好きは好きですが負担だし面倒だし疲れます。時間もかかります。やったほうがいいと思うからやるのですが、それでも手応えがなければ徒労感に苛まれ、「こんなどこにも訴求しないことをやっていてなんの意味があるのか」と昏い気持ちになってしまうのですが、「書いていてよかったな」と思うことがたまにあるので断続的にでも続けることができています。ありがとうございます。みなさまご協力お願い申し上げます。
 さてそのような出来事があったわけです。
 その若いお客さんは「バイト先の人がここに来て、面白かったと言っていたので」と語った。初めは誰かを誘おうと思っていたが、日報に書いてあった以下の記述を読んで一人での来店を決意したそうだ。ちなみに彼は翌日、僕の個人HPのBBS(掲示板)にいろいろ書き込んでくださっていて、これもそこからの孫引き(?)である。感謝。
《夜学バーは1人で来るお客が多いが、団体を忌避するものではない。そこからでないと始まらないこともある。ただ「ひとりでいらっしゃい」が原則というか、そこからでないと始まらないことはもっとたくさんあるし、そこからの世界を僕はやりたい。》(2024/11/9土)
 何度も書いているが『ひとりでいらっしゃい』という斉藤洋さんによる児童書が僕は大好きで、よく使わせてもらっている。ひとりで行かないと現れないものが、であえないものが世の中にはたくさんある。ぜひあらゆる人に読んでもらいたい本だ。じつは夜学バーの扉の外に飾ってある。持っていかないでね。
 日報を書いていなかったらその人はお店に来なかった、出会えなかった、あるいは少なくともひとりでは来なかったかもしれない、すると別の出会い方をしていて、まったく違った時間を過ごしていただろう。その時間も素晴らしかったかもしれない。だが保証はない。
 こういうことがあると「やはりちゃんと意味があるのだから書こう」という気持ちにもなる。それは日ごろの営業でも同じで、夜学バーですばらしい時間を「つくれた」という実感が、その次の日のモチベーションになる。奇蹟のような美しい時間を何度も味わうと、麻薬のように「もう一度」と求め、ギャンブルのように必勝法を研究するようになる。20代前半にはすっかりその味を占め、やめられなくなってしまった。
 若手の従業員たちもそういう経験をもっと深く、何度も何度も味わうことができたらきっと病み付きになる。店に立つことも文章を書くこともやめられなくなる。それはもちろん諸刃でもあるが、もしめざすのならまず「やってみる」「数をこなす」以外にはないのである。

2025/01/24(金) 18-27j

 開店後しばらくして従業員のカモメ氏が来訪。21時くらいまで他のお客なく、じっくりとあれこれ話す。こういうとき多少訓示めいてしまうのはもう仕方ないと思う。老いにも若きにも時間がない。伝えるべきことは伝えなければ。いつも思いっきり伝えてなくちゃ!(宝物をつかみたいから。)
 何を話したかはナイショなのさ、ってことではあるんだけれども重要そうなことを一つ二つ。23歳くらいのころに中学生たちに(偉そうにも!)説いていたことだが、ものを考えるには材料と技術が必要で、材料はインプットによって蓄え、技術はアウトプットによって熟達する。若き日はずいぶん二元論的だったな。実際それらは同時に行われて区別できないことが多いんだと思うけど、単純化するならこれでいい。
 未熟なころは「インプットしたものをそのままアウトプットする」ということから始まる。すなわち「真似る」ということである。熟達してくるとそれが「インプットしたものを自分なりにカスタマイズしてアウトプットする」ということができるようになる。この「自分なりにカスタマイズする」というのが技術の領域で、僕の好きな「工夫」というやつであり、これができるようになると「どんな材料でも工夫によって役立たせることができる」という境地に至り、あらゆるインプットが武器になる。
 ものごとを役立たせるのは当人の仕事。「これはこうやって役立つよ」と手渡されるものだけでは乗り切れない。「これをこうやって役立たせよう」と蓄積の中から引っ張り出して、その都度考えて場に提出する。「どんな経験もムダじゃない」なんて言い方があるが、姿勢によってはどんな経験もムダに終わる。経験を活かすのは不断の努力の結晶なのだ。うむ。今日はいつもに増して偉そうだ。
 よく「怖い」と言われるんだけど、損してるよな。本人は極めて柔軟で、かっこよくてかわいらしい聡明な存在です。
 僕は「何を言ったか」より「誰が言ったか」が重視されることがとても嫌いだ。上記のような言葉も僕が言ったら届かなくて他の人が言ったら届くようなことがある。歪んだ眼鏡はぜひ外し、文字通りに受け取っていただきたい。(誰に言っているのか。)
 そしたら親の言葉も素直に聞けるようになっておトクである。

 とあるお客さんが数年後に飲み屋を開くかもしれないと匂わすので「ぜひ湯島に」と懇願しておいた。どんどんこの地に誘致して土壌を豊かにしていきたい。『小学校には、バーくらいある』しばらく積んでいたがついに読み終わったとのこと。嬉しい。忘れてる人、いつでもいいから読んでみてくださいね。タイミングが泳いできたらパシッと。
 2週間ほど前、夜中にいきなり呼び出されて連れてこられた方が今度は一人でご来店。「お酒を飲まなくてもいいバーがあるなんて、と感動した」とのこと。そうなのです、このお店は本当にコーヒー一杯で帰っていく人、ネーポンばっかり頼む人の多いこと。それでいいのです。そうでなくてはならないのです。そこに差はないのでございます。
「ひとりでいらっしゃい」というフレーズについて昨日書いたが、まさしく彼は二度目にひとりで来てくれた。なんと嬉しいことだろうか。夜中のコーヒーをじつに嬉しそうに飲んでくださった。ありがたい。もうちょっと生きよう(大げさ)。

2025/01/25(土) 18-26j

 僕のいない日にいらっしゃって本日2回目のご来店という方。いわゆる「若手」がリピーターを生んだということだから非常に喜ばしい。しかも浅羽通明先生(僕の大学の恩師である)の居座り古本屋「どらねこ堂」からのハシゴだそうな。
 僕の接客(とあえて言う)は非常に時間をかける。っていうかなんかな、「時間がかかる」ということを念頭に置いて行う。はじめから踏み込むということはしない。すると時おり、どこにも踏み込めないままお帰りになってしまうこともある。今月だと17日とかはそうだったかな。
 とにかく遠くへ行きたいのだ。相手のことを知りたいのではないし、相手の知っていることを聞きたいのではない。二人とも知らないことを二人で話したいのだ。人数が増えればこれが「みんな」になるだけだ。そのためには「お近くですか?」「お仕事帰りですか?」といったような狭めるばかりの問いかけをしているヒマはない。
 ヒマはないのだが、しかし何よりも重要なのは沈黙なのである。沈黙のあいだ、人はものを考える。「考える」という時間がなければ「これまで考えたことのないこと」は出てきようがない。
 無理にでも黙ると、無理にでも考える。ゆっくりゆっくり、小さなやり取りから始まって、とぎれとぎれにでも続いて、いつの間にか恐ろしく遠くの海へ出ている。その開けた先には遊び放題の砂浜がある。
 初めに来店したその方は、途中3名の団体(団体である)を迎え、見送り、最後にもう一人のお客があるまでいてくださって、午前3時半くらいにお帰りになった。そのかなり長いあいだ、かなり複雑で遠大な世界まで行くことができたと思う。まさしく夜学バーらしい夜だった。
 ちゃんと書くと長くなるんだけど印象的なことを少し。「自分は論理的に相手を詰めるようなことをするし、だから自分がされてもそんなに気にならない」というようなことを仰るので、少しして遠慮なく「先ほどの〇〇という話に対して、それとは反対で✕✕だ、ということをおっしゃいましたが、実際のところ〇〇と✕✕は矛盾なく両立するのではないでしょうか」みたいな問いかけをしてみたところ、けっこう驚かれて、「そういうふうなことは誰にでも(他のお客さんにも)言うんですか?」と問われた。
 たしかに、これは「お客さんの論理展開に対して店員が異議を唱える」という構図。客商売なら「そうですよねえエヘラエヘラ」と流すのが普通だろう。「今の若い人はとにかく否定されるのを嫌がるので」と彼は言った。それはそうなのだ。もちろん僕は「否定する」ためにそれを言ったのではなく、「このまま論理的瑕疵を放置したまま話を続けると間違った前提の上に間違った推論が積み重なっていき、誠実かつ意義深い展開になりにくくなる」という危惧による。せっかく面白い話ができそうな相手なのだから「お互いが論理展開を共有できなくなる」という事態は避けたく、早めに手を打ちたかったのである。
 ここがけっこう、良い意味での分岐点だった気がする。夜学バーは空間を共有する手段として「論理展開を共有する」という手段を割とよく使う。それはもちろん「論破」のような勝ち負けの発生する遊びとはまったく違って、「ちょっと今ついていけなくなったんですけどそれってこういうことですか?」みたいな立ち止まりを許すという、仲良しのための優しさである。それを感じ取ってもらえたかはわからないが、このあたりから少しずつ「ほぐれていった」ような印象がある。
 はじめのほうは「飲み屋や大学のサークルなどがコミュニティ化して閉じていく」という現象について、その是非なり内情なりを検討していた。そこからいつの間にか、キリスト教と親しい西洋思想について検討したり、仏教の縁起のような「関係」の重要性を考えたりなど、遠く遠く飛んでいった。
 具体的なことを話しているうちに、お互いの持っている語彙なり知識なり、あるいは考え方の癖のようなことがだんだんわかってくる。するとたとえばキリスト教の話をしていて、「絶対的な存在を想定するよりは、関係しかないって思ったほうがうまくいくように思うんです」「あ、それはどちらかというと仏教っぽい考え方ですよね」「そうなんですよね」みたいな会話が成立するようになってくる。
「あ、それは仏教っぽい考え方ですよね」という合いの手は、相当勇気がないと出せない。そんなこと言ってもわかってもらえるとは限らないからだ。でもそれまでに作り上げたインスタントな信頼関係から、思い切って踏み出してみると、「そうなんですよね」ときて、ああ、じゃあ仏教についてもうちょっと踏み込んでも大丈夫なんだな、というふうに、また二人の遊べる範囲が広がってゆく。そうやってダンスホールはどんどん大きくなっていくのだ。
 合言葉は勇気。知識を蓄えることも大事だし、技術を磨くのも大切だが、そのために必要なのは実は「勇気」だったりする。一歩踏み出す度胸、覚悟、勇気。失敗を恐れず、しかし相手の足を踏むようなこともできる限り避けながら、慎重に踏み込んでいく。ゆっくりと、一歩ずつ。

2025/01/26(日) 休


2025/01/27(月) 18-25j+OJT

<カモメ>
 OJT最終回だったが、何も変わりなく営業。次週から完全ワンオペのためざっと全メニューを確認してひたすらメモをした。
 しばらくしておひとり様にご来店いただき、MOやMDについて諸々教えてもらった。普通に過ごしてたら知らなかったことが、いきなり目の前に現れるところがおもしろいし夜学バーの好きなところでもある。
 そこからまた少ししたらみつきち氏が遊びに来てくれた。何の話から飛んだのかはあまり覚えてないが、学校の勉強の意味についてそれぞれの考えを言い合っていた時間が長かった。学校の勉強をちゃんとする意味は3つくらいあると思っていて、一つはもちろん「成績を落とさない」ため。二つめは「思考のプロセスを養う」ため。三つめが1番大事だと思っていて、「新しい知識をストックする」ため。
 人生単位で目線を伸ばしてみると、先にあげた二つめと三つめの理由がすごく大事になってくる、はず。
 思考のプロセスは主に数学とかで養われると感じる。数学は公式や定理がたくさんあって、その中から適切なタイミングで正しい式を当てはめていく。たまに式を変形して、実質は同じだけどその状況に合った形にすることもある。日常生活でもこれは同じで、常に頭を使って場(問題)を理解して、そこに1番フィットするように言葉を紡ぎ(式変形)、発言する(解を出す)。
 新しい知識をストックするというのは文字通りそのままで、知らなかったことを自分の血肉にすることであります。実はこれがめちゃくちゃ大事で、夜学バーに立って様々な業界の人と関わる時にその分野についてほんの少しでも知っていると一気に話が広がって、思いもよらないところまで飛んでいける可能性がグッと上がる。
 ただなんとなく情報を享受するのではなく、これ知ってたらかっこいいなとか、これって要はこの話と似ているな、という感じで常に知識の着地点を探すことが大事である。夜学バーを作っていく側のわたしが本当の意味での「勉強」を怠ってはいけない。
 こういうことはジャッキーさんや他の従業員の日報にも顕著に表れているので、わたしは勉強のつもりで毎回他の人の日報を読んでおります。みなさまもぜひ日報愛読者に。


<尾崎>
「MOやMDが置いてあるバー」は日本でも珍しいかも。カセットテープやフロッピーディスク、レコードもありますがせいぜいその程度、それらよりマイナーなものはありません。僕は「かつてメジャーだったもの」がけっこう好きなのかもしれません。広がりを持つので。LDもほしいな。再生機がないけど。ちなみに正直に申し上げればMOやFDもドライブがないです。MDは再生できます。当たり前ですが「使えなければただの飾り」で、現役で使えるからこそロマンは高まるものです。夜学バーには黒電話が置いていますが、ちゃんと使っております。ドライブほしい。置く場所ないけど。
「思考」と「知識」の組み合わせが大切だと僕は常々説いておりますが、カモメ氏は当たり前にそれを意識している様子。数学をたとえにした説明は実に鮮やかであります。よく「数学なんてやっても意味がない」という人がいますが、訓練と考えたらめちゃくちゃ役に立つ。たとえば「場合分け」だってしっかり訓練しておいたほうが実践で役に立ちやすくなるはず。
「その分野についてほんの少しでも知っていると一気に話が広がって、思いもよらないところまで飛んでいける」これも僕はよく言っております。浅くてもいいから広く知っておくと、深く知っている人が手を引いて連れていってくれるんですよね。知識がゼロだと説明するほうも大変だしモチベーションも上がらないが、2とか3とか知っていると「それなら話は早いね」と、5~6くらいまで引き上げてくれる。好きな人にとってそれはたいてい楽しいものだ。

2025/01/28(火) 18-22みつきち+j

<みつきち>
 最近「かっこつけファースト」というなんとなく思いついた言葉について考えていて、今日はその話を何度かしました。
 私の趣味のいくつかは、正直に言えば「これ趣味にしたらかっこよすぎるよな」と思ったことが始まりです。音楽を聴くこともそうだし、美術館に行くこと、映画(主にむかしの邦画)を見ることとかはまさにそうです。そういうかっこがつかない理由で初めて触れたコンテンツでも、ほとんどは現在も趣味として続いていて、それぞれが私の人生に重大な影響を与えているというところから、おそらくちゃんとそれらが自分に合っているんだと思います。
 そして思うのが、さっきのセリフのような「かっこつけ」は、夜学バーでもよく話題にあがる“自我の発現”の鍵なのではないか!ということ。
「かっこつけ」は「他人を意識したうえでどう見られたいか考えて実行すること」と言い換えられます。他人を意識するようになることによって、「悪く言われないよう振る舞いに気をつけよう」と消極的になったり、逆に「みんなにすごいと思われたい!」と思うあまり主張が激しくなったりします。どちらも「“みんな”の中にいる“自分”としてどうあるべきか考え行動する」ということ。私が思うに、これを覚えることが“自我を得る”ということなのではと思います。
 私が自我をまず得たのはおそらく中学一年のころで、理由はTwitterを始めたことにより「他人の意見」を大量に目にしたからなんじゃないかと推察しています。それ以前、私の認識する世界というのは「家族」「学校」のみだったので、それにより物事の判断基準は「学校で習ったこと」「みんな(=クラスメイトや家族)が言ってること」の2種類しかなかったように思われます。
「かっこつけ」というのは思ってたより見栄っ張りで終わらないし、むしろ自我を作っていくことにつながっているからどんどんしていったほうがいいよね、と気づきました。

 営業に関して振り返りますと、会話についてはようやく肩の力を抜くことができるようになったものの、飲食の作業がまだ超絶ぎこちないまますぎたなという感想がまずあります。どうコミュニケーションが繰り広げられるか、とかはお客のときからずっと観察していたんですが、お酒の種類とか作り方とかはあんまり見ていなかったので、こっから勉強しまくる必要があります。がんばるぞ!
“遠くに行く会話”を作っていくというのは本当に難しいです。インプットが貧弱なのもありますが、がんばって考えてるといつのまにかフリーズ状態になったりしてしまいます。
 獣拳戦隊ゲキレンジャーにでてくる主人公たちの師匠マスター・シャーフーは「暮らしの中に修行あり」というセリフをよく言います。
 これでしかありません。毎日の暮らしの中で細やかな思考を繰り広げ、学ぶことです。
 そして修行はつづく……


<尾崎>
 かっこつけは自我の発現の鍵。すごいテーゼですね。こういう言葉はもしかしたら、日報という形でアウトプットを迫られるから出てくる、ないし「とどまる」ものかもしれない。書き付けることはとても大切。
「みんな」の中にいる「自分」を意識することによって、自分なるものの輪郭が浮かび上がる。その輪郭(自他の境界を示す線)を自我という、みたいな考え方はあったと思うので、みつきちさんの言っていることはかなり妥当に感じます。
 自分とは何か、ってことはどうしても(特に最初は)他人との比較によってしか見えてこないものなので、「どうしても他人と比べてしまう」という悩みは通過儀礼なのだと思います。そこから抜け出して「人は人、自分は自分」と冷静になれるのが「自我が固まってきた」みたいなことなのだろう。
 営業に関して。夜学バーのいいところは「ドリンクが(意外と)ちゃんとしていること」だと思っているのですが、これが実は新人さん、とりわけ20歳未満の人たちにとってはかなり大きな足かせになる。ハイボールや茶割りを何も考えずガチャガチャ作るだけのオペレーションだったらもうちょっと「場づくり」にリソースを割ける。コミュニケーションが商品となるようなお店って基本的にドリンクはテキトーなんですよね、ガルバ、キャバクラ、スナック等を思い浮かべてもらえればわかるように。味は二の次で、大事なのは会話とか肉体なのだから。
 しかし夜学バーは欲張りなのかなんなのか、できるだけ両方いっときたいと思うので、若い人たちには負担を強いているなとは思っています。こんなに修行が必要な店は(こういうスタイルの店としては)かなり珍しいと思います。従業員にはそういうレアな場所にいるのだということで胸を張って頑張っていただきたいし、お客さんたちにはそういうわけなんで多少あたたかい目で見てくださいとお願いしておきます。後生だからそこは甘えさせてください。
 ま、ともかく場数と慣れですから、1年もしないうちにみつきちさんはスーパープレイヤーになっているだろうと思います。(プレッシャー)

2025/01/29(水) 17-22みつきち+まちくた

<みつきち>
 2日連続のみつきちです。
 わたしのミスで開店が遅れてしまい、そこからの十数分かなりくよくよしてしまったのですが、それでも修行は続きます。切り替えてがんばるぞ!となり、その後お客さんが来てからの営業は今までよりいい感じにできたなと感じています。
 きょうはまちくたさんが監督をしてくれました。従業者ページに詳しく書いていますが、まちくたさんはわたしが夜学バーに初めて行くきっかけになった人です。学校と家しかなかったわたしの世界が一気に広がるような体験だったので、まちくたさんはわたしにとって超絶偉大なる人物。今はわたしも従業員になり、偉大なる人物といっしょに「夜学バー」という空間を作っているという事実! 胸熱です。
 さっき「いい感じ」と書きましたが、それはその場に展開されるコミュニケーションをより「夜学バーらしい」ものにできた感じがする、という意味です。各々が持つ「知っていること」を、少し遠ざかってみてみんなで考える、というような瞬間が何回かあって、それについて考えるのも楽しい!し、営業中楽しい!と思うことから成長を感じて嬉しいです。
 くよくよして止まって動けなくなってしまいそうになっても、めげずにしぶとくゆっくり歩き続けるといいことがあります。
 そして修行はつづく!

<まちくた>
 初めてのみつきちさん補助でした。みつきちさんとの友だち歴はそれなりにありますが、ひとりでカウンターに立ってる姿をこんなにしっかりみるのはほぼ初めてです。わたしは夜学バーの従業員と友だちになることも、友だちが夜学バーの従業員になることもあります。そのたびに普段の顔と従業員の顔は全然違うんだなあと思います。友だちとしての顔はひとそれぞれですが、どのひとも夜学の従業員としてカウンター内に立っているときは〝頼もしさ〟があると感じます。従業員それぞれに個性があって、つくる空間も違いますが、この〝頼もしさ〟だけは共通していて〝頼もしさ〟に溢れているほど側から見ていていい従業員だと思います。今日のみつきちさんはそういう感じがして、わたしも同僚としてたいへん感化されました!


<尾崎>
「少し遠ざかってみてみんなで考える」というのは良い表現。それを「楽しい」と思えることが夜学バー才能(?)だと思います。
「頼もしさ」という言葉で僕が真っ先に思い浮かぶのは太宰治の『富嶽百景』という小説。

 人は、完全のたのもしさに接すると、まづ、だらしなくげらげら笑ふものらしい。全身のネヂが、他愛なくゆるんで、之はをかしな言ひかたであるが、帯紐といて笑ふといつたやうな感じである。諸君が、もし恋人と逢つて、逢つたとたんに、恋人がげらげら笑ひ出したら、慶祝である。必ず、恋人の非礼をとがめてはならぬ。恋人は、君に逢つて、君の完全のたのもしさを、全身に浴びてゐるのだ。

 たのもしさは安心やリラックス、そして心地よい笑いに直結する。なぜ人は笑うのかといえば、まず笑いやすい環境にあるからで、それを作り出すために必須なのがこの「頼もしさ」というやつ。カウンターに立っている人にたのもしさがないと、お客さんもずっと緊張し続けてしまう。ようするに堂々としているほうがいい。それもやっぱり「場数と慣れ」なのだが、もちろんただ漫然とやるだけでは足りない。そして修行は続く……。

2025/01/30(木) 18-23まちくた

<まちくた>

2025/01/31(金) 18-27j

 夜学バー8周年を目前(4月1日です)にして、もしかしたら初めての「ミーティング」を行った。開店前の17時より。1時間でおおむねは進行できたのだがやはり短すぎて駆け足になった。「18時過ぎてもお客がこなければ延長戦」と考えていたのだがありがたいことにすぐ来客が。まことまことにありがたいこと。こういうことはイレギュラー中のイレギュラーなので、ぜひ開店直後にみなさんおいでください。
 なんでこれまでミーティングらしいミーティングをやってこなかったかというのは、当初僕は「それぞれの意思」というものをあまりにも信頼し、あまりにも重視しすぎていたからだろう。「みんなが好きなようにやって、それが結果としてすばらしい店を作る」という理想だったし、「続けていればそのうち自然に最適化されていく」と信じてもいた。しかし実際は、そうではないとまでは言わないが、それでは遅すぎるといまさらながら気づいたのである。
 また、今は高校1年生から大学1年生までの若者が5人いるだけで、大人らしい大人は店主たる僕だけ。「当たり前のこと」「基本的なこと」を知っているのが一人だけとなると、一対一でそれを伝えるのには限界がある。簡単にいえば僕が忙しくなりすぎる。それでより効率の良い伝達手段としてのLINEグループとか「ミーティング」とかを最近動かすようになったし、この日報もみんなに書いてもらうことを「努力義務」とした。
 本当は日報も、ずっと、ずっと昔から、「良かったら書いてね」とは言ってきたのだ。でも書いてくれる人はほとんどいなかった。僕は日報を書くことにものすごく意味があると思っているのだが、自分からそう思わないなら強制できないという気持ちもあった。やってればそのうち「これは日報を書いたほうがいいな」と思ってくれるんじゃないかとほのかな期待は寄せていたのだが、世の中はそう自分の都合のよいほうには動いてくれない。
 なぜみんなが日報を書くようになったか、というのは思い当たるキッカケが一つしかない。高3のカモメ氏が律儀に毎回書き始めたことと、彼が他の従業員たちに「みなさんのも読みたいです」とハッキリ告げたからだとしか思えない。
 で、みんなが書くようになると「これはやっぱり意味があるな」と僕は実感したし、たぶんみんなもそう思っている。まず読むのが楽しいし、書くのも自他のためになる。結局、やっぱやらせてみるしかないんだよなあ、と、改めて教育つーもんについて考えてしまう。
 理想をいえばすべて自主性に任せたいし、自然に最適化されていくのを待つべきなのだ。自分が良いと思うほうへ人や物事を変えていくことは傲慢だ。でもそれって何万年かかるんだ? 優しさや謙虚さだけを武器にしたって何も動かないのが現実だ。銃を突きつけないと変わらないものもある。だけど銃を突きつけるわけにはいかないから、一所懸命がんばって考えて工夫する。待ってるだけじゃあまりにも遅い。それはやっぱり「タイプロ」とか見てても思うんだなあ。※タイプロってのはtimelesz(Sexy Zone改名グループ)新メンバーオーディション番組です
 夜学バーってのは「習い事」だと今は思っているので、「こういうことをやりたいんならこのような手順は必要なんだよ」ということは教えるのが当たり前だ。ようやく僕は重い腰を上げてそういうことをやり始めた。それが「ミーティング」なんつう固い、「社会の言葉」を嫌々ながら使う理由である。そんな大人みたいなことしたくないんだけれども、まあこれは部活ごっこなのだ。

 ミーティング後の空気から営業中の空気に移行していくのは簡単ではない。最初はさすがにぎこちなかった。それでもだんだん夜学バーらしくなっていくのは嬉しいことである。18時台にいらっしゃった方(2名)は、けっこう長くいてくださった。
 ところが金曜というのに21時から25時半くらいまではお客が1人しかいなくて、ずーっと二人で飲みながらサシで話していた。こういう時間もいいなと思う。
 話が豊かになっていくには時間がかかる。初速からフルスロットル、ってことはいくら仲が良くても、いや、仲が良ければ良いほど難しい。仲が良い相手とって、最初は手癖でキャッキャする感じで、だんだん話すネタがなくなってきた頃に、少しずつ密度が高まってゆく。仲が良いからこそ表層でも楽しめるし、仲が良いからこそ深めようと思えばどこまでも潜れる。そこまでに3~4時間くらいは余裕にかかってしまう。
 ミーティングとか話し合いってのは、その3~4時間をすっ飛ばすものなのかもしれない。良い関係であればあるほど表層で通じ合えてしまう。10時間でも20時間でも、どうでもいい話ができてしまう。
 この日もやっぱり少しずつ重要な話のほうに向かっていった。お互いに蓄えてきた情報や鍛えてきた頭の回転をフル回転して、いかに(知的に)面白いことを言うか。考え方の種類として「倉庫型」と「デッキ型」がある、なんて話は覚えているな。
 このお客は少年ジャンプを読むように夜学バーを楽しんでいる節があって、お店の方針や従業員についてのことなどもよく考えてくれている。その対話のなかでいろいろなことが思いついたり、わかったりする。それを在宅じゃなくて「夜学バーで」やってくれることが僕にとっては実にありがたい。ふつうお客と店主が従業員について話せば「噂話」とか「陰口」に堕すものだと思うが、そういうところを超えて(その要素が一切ないとは言っていない)抽象的分析的な思考で交歓しながら、よりよくなってゆくための方策を探るところまで行けるのはありがたい。
 そんな時間を深夜に及ぶまで過ごしていると、1時半ごろだったか女の人が1名。2度めくらいのご来店。ソフトドリンクしか召し上がれないほど飲んできたそうだが、これまた知識もユーモアもたっぷりお持ちの方で盛大な知的ジョーク大会となり朝5時くらいまで営業してしまった。
「今日が最終出勤で、明日からニートです!」と嬉しそうに語っていた。「でもたぶん2ヶ月くらいしたら働きたくなると思います」とのこと。続報を待ちます。

●2025年2月

2025/02/01(土) 18-26j

 21名が来店。何があった? 2週前の土曜日(1/18)は久々のグランドスラム(お客0名)だったのに。これが水商売ってやつか。
 組数としては9組。お一人でのご来店はなんと2組(2名)! これは夜学バー史上稀に見る記録であろう。2人連れが2組、3人連れが5組。ふだんはお一人でいらっしゃる方がほとんどで、こんなに複数人連れのお客が多いことはない。なんか特別なことありました? この日。
 21名のうち13名は「僕と初対面」のお客さんだった。初対面の方のみのグループは3組で8名。残る5名はお客さん(ないし従業員)のお連れ。データとしてはこんなもんかな。
 そうなるとオペレーションはめちゃくちゃ難しい。手が八本あって口が六つあるみたいな接客だった。

 前日に5時くらいまで営業していて、3時間寝て10時半新宿集合で友達と5人で『映画ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団』を観たあとバ~ミヤンでビール飲みながら4時間くらいしゃべって、そのうち3人(5歳児含む)を連れて夜学バーへ。いわゆる「同伴出勤」である。同伴料はいただいておりませんがお酒いただきました。多謝。5歳児のつくったケーキおいしかった。最高級ベイマックスケーキ。
 つまりものすごい稼働時間と密度だったわけである。そこにきて21名(ドリンクは50杯くらい作った)を相手にワンオペで10時間(実際には1730-2730くらいだった)というのはさすがにつらく、珍しく「そろそろ閉めます」を宣言した。ふだんは青天井(文字通り空が青くなることもある)なのだ。
 体力の限界ギリギリをポーカーフェイスしつつ頭も肉体もフル回転させていると、ドアが開いて「3人なんですけど」と言われた時にむしろハイになってくる。どんどんこーい。

 最初は「同伴」の3名で、ドラえもんの話などをしていた。順番前後するかもしれないがそのあと「3月に新宿六丁目でバー服屋を開く」という2人連れ、橋本治さん掲載の「ビックリハウス」を差し入れてくださった方、某従業員とその友達3人連れ、よくお一人でいらっしゃる方がご友人を連れた3人連れ、というところまでで「第一部」か。満席になったり減ったり増えたり、場が混ざったり分離したりを経て最終的に3人連れの一組が残り、1~2時間くらい4人で話す時間があった。ここが個人的に「第二部」。
 まったくこれぞ夜学バーという感じで、初めのほうこそあまり口数の多くなかった初来店の2人が、少しずつ発言が多く、また深くなっていって、「結論のまだ存在しないテーマについてみんなで考える」という状態が訪れた。それぞれ専門領域や関心事を持ち寄り、多方面から手を伸ばして城を作っていくような。具体的には「AI技術が進んでいった先には」という今が旬の頻出テーマから始まったのだが、その内容やそこからの発展は「このメンバー」でなければありえなかったものにちゃんとなって、決して一般論にはとどまらなかった。そういうことがこのお店の存在意義だと信じる。
 たとえば仕事をする際の「課題発見→解決策の考案→実行」というプロセスのうち「課題発見」以外の領域をAIが代行してくれるとしたら、人間は暇(スコレー)になって(古代ギリシャの哲学者たちのように)「ものを考える」ようになるのではないか? ユートピア到来、わーい!というような話(だいぶ雑に要約)が提出された。大きな希望ではあるが、中高の部活というものが「ほっとけば何をするかわからない(悪事を働く可能性が高い)若くて強大なエネルギーと時間を奪うために存在する」という考え方を引くと、暇になったからとて誰もが「ものを考える」かというと疑わしい。考えるべきは「与えられた暇が良いほうに使われるような社会設計」ではないか。社会経済学とか犯罪環境学などさまざまな学問領域を総動員して「暇はあるけど犯罪には使わない」という世の中を構築することを同時進行で行っていくべきだし、今まさにそのようにみんながんばっているのではないか。みたいなところまで覚えている。
 そのあとはまた別の人が上記を踏まえて提出した「数直線的な考え方」(これは僕の用語である)への疑義(価値という尺度自体への疑問)について話し、それをもう一人の方が行っている教育ボランティアに応用して子どもとの接し方について考えたりなど、非常に意義深い時間だったように思う。僕を含めた四人が四人、インターネットや世論からの借り物の言葉ではなくて、自分自身の関心事や価値観、考え方から持ち寄った言葉を付き合わせて話すことができた。一同そろって「答えは出ないんですけどね」という顔をしながら。
「第三部」は、ある女の子が来客したところから(振り返ると)始まったように思う。まず「タイプロ(Sexy Zone改名グループ新メンバーオーディション番組)」の話をした。ちなみに第一部にいらっしゃった大学生の女の子ともタイプロの話になった。
 毎週金曜22時配信なのでちょうど新鮮な時期。彼女たちはすでに最新回を見ているのだが僕は時間がなくて半分までしか見られなかった。現在勝ち残っている12人のうち4人が脱落する回だったので、正直言って結果はものすごく気になっていたのだ。「ネタバレしてもいいですよ」と言ったのだがその大学生の女の子は「ネタバレは避けます」と言いつつ、僕が話すことに対して「それで間違いないと思います」「さすがです」と褒めてくれた。帰って続きを観たらその子の言うとおり、僕が予想した(そして期待した)内容そのものだった。余談だが帰り際、僕が「マリウスも平気で出てきてて嬉しいね」というようなこと(実際はちょっと違う内容だったが)を言ったら、「そうですね、ギター持ってきたり」というようなことを返してくれたので、けっこう強めなセカンズ・セクラバなのではと思った(ようするに、かなりマニアックな「返し」だったのである)。もっといろいろ話してみたいものだ。
 さて第三部の話。この日21名のうち単独で来たのは2名のみだったが、ここで来てくれた女の子はその一人。彼女が「地方くすぶり高校生」だった頃からの友達で、いつの間にか付き合いは10年ほどに及ぶ。タイプロの話もしつつ、メインは内定(転職大成功)報告だったようだ。上京前からの紆余曲折、艱難辛苦を知っている身として涙が出るほど嬉しかったし、「先日ジャッキーさんにいただいたアドバイスが功を奏して」的なことも言ってもらえて鼻も高い。これまた夜学バーの存在意義だと思っている。ここで「学んだ」(?)ことが実地で役に立ったということだから。
 内定の話を聞いて、初めて来たお客さんたちが帰り際に「おめでとうございます、ぜひ一杯何か飲んでください」とお金を置いていってくださった。彼女がそれを飲むのも待たず店を出て、当然連絡先を聞くでもセクハラするでもない。ただ善意とノリだけの申し出だった。とても素敵なシーンだった。
 その後、第四部。3人組が来店し、次いで内定の子が帰宅。3人のうち2人が煙草を吸いに外に出たとき、残った女の人に「さっきいた女の人はすごくよく来るんですか?」と問われた。なぜそんなことを?と思いつつ「一月に一回か、もしくは数ヶ月に一回くらいですかね」と正直に答えた。「え、そうなんですか? 相当の常連さんかと」と驚かれる。「付き合いは長いんですよ」「なるほど。元カノとかでもないんですよね?」「ちがいます」「そうなんですね。なんというか距離感が、お店の人とお客さんって感じではなかったので。家族みたいに感じました」
 たぶん喜んでもいい話。もちろん古くからの友達なのだから友達らしく接するのは当たり前なのだが、歳は十数年離れているし、馴れ合っているという雰囲気でもなかったはずだ。タイプロで佐藤勝利さんも言っていたが「親しき仲にも礼儀あり」は僕の座右の銘でもある。そもそも彼女らが同席した時間はかなり短く、帰り際の「バイバーイ」みたいなやり取りを見てそう思ったのだろう。
 僕がめざしているのは「お店の人とお客さんが家族みたいに接している心地よい居場所」みたいなのでは絶対になくて、「そういう関係も存在できるし、そうでない関係も同時に存在できる」というものである。お店によっては極端には一種類の関係性しか存在できない場合さえある。二、三種類くらいが平均なのではなかろうか。個人的にはそういう数種類の関係性しかない場所で「第三の関係」として存在するようなのが心地よかったりもする。ただ自分でお店をやるんだったら「関係のあり方が無数に存在する」ような場所にしたいのである。
 この日は非常に多くのお客さんが来てくださったが、僕自身もそれぞれのお客に対してそれぞれ別の関係を持っているし、お客さん同士ももちろん無数に複雑に(瞬間に)関係を結んでいる。それが面白いからずっと続けているし、これが可能な限りはやめなくていいかなとは思っている。あーでも油断しないでください、お客さんがいなくなれば自然と消えますので。たまには顔を出してください。切実に願います。
 そのあとまた別の3人連れが現れ、7(僕+3+3)人でしばらく話す。この時間もなかなか面白かった。「昭和」という話題から「あ、昭和が終わったときのアサヒグラフありますよ」と僕が言って、そこからなかなかほかの場所では成立しない「まあまあ不謹慎だが知性でごまかすことによってなんとなく通用させてしまうようなジョークの応酬」みたいに場面に。やっぱりユーモアって大事ですね。「笑ったんだから通ったよね」の世界。(参考文献:橋本治『ぼくたちの近代史』)


2025/02/02(日) 休


2025/02/03(月) 17-23カモメ

<カモメ>
 2月になり、OJTが終了していよいよ「小林カモメ」として営業する時になった。オープンからクローズまで完全ワンオペのためドキドキしながら湯島に向かう。鍵を開け、店全体に掃除機をかけ、椅子を整える。いつドアが開かれても恥ずかしくない状態にして、途中だった単行本を読みながらカッコつけてお客を待つ。
 ここまではほぼ完璧と言ってもいいほどだったが、何かがおかしい。お客が来ない。独り立ち初日だというのに知り合いの1人も来ない。あれほど2月3日に湯島の夜学バーに来いと言ったのに。
 まあこればかりはどうしようもないと腹を括り、寂しさと空腹に押しつぶされそうになりながら4時間ほど待っているとジャッキーさんが来てくれた。神! 天才! 会話できるって素晴らしい!
 ジャッキーさんと事務作業をしていると、ついに「小林カモメ」としての初めてのお客様がご来店。心の中でめちゃくちゃ喜んでた。そのお客様は夜学バーをSNSで知ってからずっと来てみたかったとのことで念願の来店ということだった。夜学バーのことから始まって、近年の飲み会について、博士課程まで進む意義、などと多方面に話がつながっていっていっぱい頭を使った。
 途中でまた1名ご来店いただいて、先に挙げた話にもう1人分のエッセンスが加わり、さらにあらゆる方向に幅が広がった。時折一対一の会話になってしまったことは反省しなければいけない。修行は続く......(みつきち氏のサンプリング)
 23時ごろになってジャッキーさんとジャキーさんのお連れの方がお店に来た。本来は23時までの営業だったけど、なんか面白いことが起きそうな予感がしたので急遽24時まで延長し、ジャッキーさんにバトンタッチした。24時でバトンタッチして帰ってしまったことに後悔。面白いことが起きそうと予感したのに帰るのは、自分の成長の場を捨てているに同義である。ここは潔く朝までやると決心するべきだったが、そこまでの決断力を持ち合わせていなかった。なんてちっぽけな自分......
 このように、自分にとって良いことが起こるとわかっていながらそれを切り捨てることは非常に勿体無いことで、いわば機会損失の極みであります。転がってきた原石を拾い上げ、磨き上げる準備をしていなければ、それが人生に一回しか巡り合わない事象だとしても易々と逃してしまう。今回はそれと同じようなことをした。自分が直感で確信したものを信じ切れるように、いろんな経験をして、腕を磨かないとまた大事なことを逃してしまうかもしれない。


<尾崎>
>独り立ち初日だというのに知り合いの1人も来ない。あれほど2月3日に湯島の夜学バーに来いと言ったのに。

 これなんですよね。われわれ水ショー売人を絶望のどん底に突き落とすのは。「傍観者効果」とか「衆人環視のパラドックス」みたいなことで、たぶんあらゆる「人を呼ぶ/人を待つ」職業というのはこの壁にぶち当たる。さてどうやってこれを解決するか、僕もいつまで悩むんだろうなあという感じです。がんばろ。
 カモメ氏の最初のお客が僕だってのはなんかダサいし、せっかく初日だからとお客がいらっしゃったところでスッと店を出た(そのことが記述されていないぞ!)。ゆえに彼がどのようなお店をしていたのかは知らない。「多方面に話がつながっていっていっぱい頭を使った」「先に挙げた話にもう1人分のエッセンスが加わり、さらにあらゆる方向に幅が広がった」とあるからには、「脳の夜学筋」は十全に駆使していただけたことと思われます。「時折一対一の会話になってしまった」というのは状況がわからないのでそれ自体絶対に悪いとは言えないが、「もっと良くできたのに」という悔やみであるからにはたぶん不足があったのでしょう。こちらは「肉体の夜学筋」みたいなものに関わるかもしれない。文字にできる領域だけでなく、身体性とか空間性までうまく利用していくことがきっと重要になってくる。
 朝まで残らなかった判断については「機会損失」と見ることができる一方で「損切り」という見方もできる。どちらが正しかったかはわからない。判断したからにはせいぜいそれを良い結果に結びつけるよう努力するほかない。
 ただ今回については「直観に逆らって帰宅した」ということらしいので、たしかに残留を選んでもよかったのかもしれない。成人しているのだし。
 よく使うエピソードだが高2の夏、北海道へ一人で行った時。美瑛駅の改札で見知らぬ中年男性から「今夜はおじさんと一緒に寝ようよ」(本当にこう言われた)と誘われ、直観的に彼についていったのである。その一瞬は僕の人生をすっかり変えた、というか方向付けてくれた。殺されたり犯されたりという危険もよぎったが16年間の直観を信じたのである。もちろん書いていないだけで諸々の事情から安全は読み取っていて、なんとなくそうしたというわけではない。たった一瞬だが将棋の重要局面のように膨大なことを考えた。そういう研ぎ澄まされた瞬間が、この夜の彼にもあったのだろう。ゆえにそれは絶対に無駄な後悔ではない。

2025/02/04(火) 18-22みつきち+j

<みつきち>
 営業が終わるたび、毎回自分の足りないところやうまくいかなかったことについてずーっと考えます。考えるあまり頻繁にくよくよしてしまうのですが、結局営業をより良くするためにできることは「急速に成長すること」しかないです。
 夜学バーのカウンターに立ち始めてからずっと「急速に成長すること」しかないよなー、と考えています。本当に常々考えているし、10月からの私はいままで以上に「人とはなすこと」を大切に生活しているつもりです。それでも毎日のように「本当に自分は成長できてるのかな」と不安になってしまいます。
 とはいえこういったいろいろなことに対して「自分はうまく出来てるのかな」と思うような不安がなくなることはないと思います。本当にそういう不安がなくなったら、「そこから成長してより良くなる」ということを自分からできなくなっている、という状態になってるんじゃないかと思います。そうなってしまうのはイヤだし、くよくよしてばっかりというのも良くないので、引き続き慎重にぶっ飛ばしていきたいです。
 そして修行はつづく......


<尾崎>
「急速に成長する」急ぎますなあ。よく引用するのですが日本橋ヨヲコ先生の『G戦場ヘヴンズドア』という漫画に「君にこれから必要なのは絶望と焦燥感。」というせりふがござる。「こんなんじゃダメだ」という絶望、「どうにかしなくちゃ」という焦り。ここで「諦める」とか「考えない」に行くこともできるし、「慎重にぶっ飛ば」すというほうも選べる。さあ、どっちにしますか?っていう、そういう場面でもあると思います。引用部は以下のように続きます。
「何も知らずに生きていけたらこんなに楽なことはないのに、それでも来るか、君はこっちに。」
 誰も生き急げなんて言ってくれない。急ぐもサボるも自分の意思で決めなければならない。「え? 誰も自分のこと決めてくれないの?」って気づいたら、背中がグーンと重くなるんですよね。未来は僕らの手の中、それほど過酷なことはない。

2025/02/05(水) 17-24saku

<saku>
 17時にお店を開ける。22時30分までお客さんが来ない。
 その間に本を読む。
 大学の資料室で借りた鷲田清一の『てつがくを着て、まちを歩こう』を読み終わる。19時。
 そして、橋本治の『いま私たちが考えるべきこと』と『蓮と刀』を交互に読み進めた。
 夜学バーのカウンターに置いてあって、ずっと気になってはいた本たち。
 21時くらいで集中力が切れたので、面白そうな漫画を夜学バーの中から探す。選んだのは岩泉舞の『ミレンさんの壺』。これは前に夜学に来られたお客さんが、この作家さんのことを推していて気になったため。夜学バーの中で立ってる中で、話題に出た本は出来るだけ後で読むようにしている。
『ミレンさんの壺』を読み終わって、同じく岩泉舞作の『七つの海』を読もうとしたところで来店。22時30分くらい。ショートカクテルを2回ほど作ってお出しする。雪国とギムレット。
 シェイカーに詰める氷の入れ方、振り方で味は相当変わってくる。そして美味しい時もあれば、飲んで「ん?」となってしまう時も存在する(恐ろしや)。
 だからカクテルを作る時は緊張するし、集中して作る。
 そろそろ夜学バーに立ち始めて1年になる。
 僕はまだお酒が飲めない年齢なので、これまで自分が作ってきたカクテルの味は分からない。それでも、お客さんのフィードバックによって味はどんどん進化していっています。有り難い。
 24時、締め作業をして退店。


<尾崎>


2025/02/06(木) 18-23まちくた

<まちくた>

2025/02/07(金) 18-25j

 飲み会と飲み会の合間に「30分だけ」と来てくれて、ソフトドリンクを飲んでいった長い付き合いの方。「最近の関心事はなんですか?」彼女はアニメ版『あしたのジョー』で、僕は「タイプロ(timelesz project)」であった。
 そのあとまた別の長いお客さん、そして近所のお店の女の子が高校の同級生を連れてやってくる。僕から見て左手に「2人一組」、右手に「1人」がいらっしゃる状況で、左手は2人で話したり僕を交えて3人で話したりする、右手は僕と話す。僕は一人しかいないので実にアンバランスな状態だ。こんな時、店によっては(夜学バーであっても状況によっては)「みんなで話そうよ!」というノリになってむりやり場を一体化させたりもするが、同級生2人は積もる話もあろうし、不自然に不必要に馴れ合うべきではないというのが僕の基本姿勢である。同級生たちは積もる話もあろう。
 勘違いされたくないので何度でも書くが夜学バーは「みんなで話そうよ!」というノリの店ではない。もちろんそういう場面は多く見られるが、必ずしもそこをめざすものではない。最大多数の最大幸福が達成されるなら経過はなんでもいいのである。(そしてその達成は何にせよ非常に難しい。)
 さてこの状況で僕はどうしたらいいか。様子を見つつ、その時すべきと思うことをするのみである。答えなどない。ただ気を抜かないこと。
 そこへもう一人お客がやってくる。ここでまたバランスが変わる。そして「積もる話」もそろそろ崩れる。
「積もる話」とはトピック数の問題ではない。久々に会った友達とはとりあえずまとまった時間「話」というものをして感覚をチューニングしあうものだ。内容なんかどうでもいい。それが「積もる話」というものだから「オッケー」という瞬間も訪れる。いやすべて勝手に言ってます。彼女ら、べつに昨日も会ってたのかもしれないし。
 まあなんだかんだよくわからないがなんとなく場が均された。21時くらいにお客が1人になった。そこから数時間、金曜の夜だってのに来客はなく、サシでいろいろのことを話す。そして夜中に強面の二人連れが現れる。説明が難しいが彼らは、ある夜にフラリとおいでになって、なんでかわからないがこのお店(と僕)のことを気に入ってくださって、以降たびたびおいでになる。毎回悪態のような文句を垂れつつも、ニコニコ笑って浴びるほど飲んでくださる。4人でけっこう飲んだ。結局3時半くらいまで? たのしかた。
 ちなみに彼ら(のうち少なくとも一人)はもし今年10月ごろにまた演劇をやるとしたら出てくれるそうだが、よほどいい会場がなければ(大変すぎて)やりたくないので探してくださいと言っておいた。自由に使える広いスナックとか。

2025/02/08(土) 18-25j

 1年ぶりくらい2度めの来店。「前回は徳島に住んでいましたが今は埼玉に転勤してきました」とのこと、ずいぶん近くなりましたね! これは僕の性質でもあるのかもしれないけど、時間をかければかけるほど話が面白くなっていく。当たり前っちゃ当たり前なんだけど、ぜひみなさま、僕と話すときは時間をかけてみてください。実際人見知りってのもあるけど、たぶんあんまりいきなり踏み込んだりはしないからってのが大きい。慎重に人と話す。そこが長所というか、夜学バーの夜学バーらしいところの源だと思っております。初めこそ「土地の話」みたいになってしまったけど、だんたん抽象度の高い話にうつっていった。とても気持ちが良い。
 その後、初来店の女性2人(○)と、ドラえもんファンの集い4人組(ド)。そして1名でおいでの男性(●)。ここで席順をちょっとミスった。最初にいらっしゃった方を◎として一列に並べると、
  ドドドド ○○ ● ◎
 このようになっていた。最後に来たのは●さんで、◎さんの隣にしたらちょうどいいと判断したのだ。「ドドドド○○」はすでに交流を持っていて間に人を割り込ませるのは自然ではない。また●◎(敬称略)は話が合いそうだし、僕を含めて3人で話しても面白いだろうと踏んだ。
 ところがここで◎さんがすぐにお帰りになったので、「ドドドド○○/●」というパワーバランスになってしまった。将棋好きとか言ってるわりに「三手先を読む」ができていなかった。あそこは「ドドドド●○○◎」だったよなー圧倒的に。と感想戦。こういうの大事。
「ふだんドラえもんの二次創作等をしている人たちの一次創作同人誌」をつくっているという方がいて、次々号への寄稿を乞われた。もちろん謹んでお受けした。本当に依頼くるかな。楽しみだな。果たされたいな。

2025/02/09(日) 休


2025/02/10(月) 17-23カモメ

<カモメ>
 先週の日報を読んでくれた影響なのか、翌日が祝日だったからなのかは不明だが、今日は結構忙しめの営業になった。(ヒジョーにありがたい!)
 開店してから1時間ほどで1名ご来店いただき、そこから2人組、おひとりさま、おひとりさま、2人組、おひとりさま、と人が途切れることがなかった。オーダーもそれなりの頻度で飛んでくる状況であったし、2人組とおひとりの組み合わせだったので場が分断されすぎないようにうまく回すことも忘れてはいけない。こういう日は訓練味が強く出てきて、まだ慣れていない自分にとってはしんどい面もあるが、自分の力量次第では面白いことを起こせるので楽しみながらやれている。
 こう書くと、まるで小林カモメが大変素晴らしく優秀な大型新人みたいになってしまうが全然そんなことはない。毎営業ごとに反省点は巨万と出てくる。「私のここがダメ」というのはあまり書きたくないので、書いていないだけです。ただ、いつか他の従業員から暴露されたりしたらそれはそれで面白そうなのでアリかも知れませぬ。

 途中、お客さんの座っている位置と組み合わせが店の入り口側から見て、2人、1人、2人でなんとなくそれぞれが別々の話をしているときがあった。奥側に座っていた2人組の話の中で「最近言語化って持て囃されてるよね」(意訳)というフレーズが飛び出した。場が分断されすぎちゃってるなあと感じていた時だったので、ちょうどみんなで考えられそうな話題がきたと思い、すぐさま「それってどうしてそう思うんですか?」と切り込んだ。そうすると、「言語化って本当にそこまでいいものなのかわからない」というのでなるほどなーと感心していると、奥に座っていた方の1人がそこにレスポンスしてくれた。こうなると話は早い。最初は言語化の話をしていたのに気付いたら「言葉の簡略化」の話に飛んでいってたし、そこからさらに飛んで最終的に長く話していたのは最近よく使われている「解像度」という言葉の是非についてだった。「解像度が上がったのか、ピントが合い始めたのか」では意味が違う話になり、みている対象物が変化したのかはたまた自分が見る角度(方法)を変えたのかが重要なのではといった結論に至った。私は趣味で写真を撮っている人間なので、巷の「解像度」の使い方にぼんやりと疑問を持っていたけど、こうやっていろんな人と話してみるとこで思考が洗練された感覚があって、また一段と夜学バーの良さに惹きつけられた。


<尾崎>
 僕はこの日かなり後半の20分間くらいだけ営業に立ち会い、あとはカモメ氏に任せていた。ちょうど上記後半に記述されている場に居合わせていたので、あとで「なかなか面白かったじゃん」と伝えたら「あれが最大瞬間風速でした」とのこと。
 あんまり目立たなかったと思うがたぶんあれが「裏回し」みたいなことであろう。
 裏回しとはたぶんテレビ用語で、検索すると「番組の進行や展開をサポートする役割、またはその行為」「メインのMCではなく、ひな壇芸人などが、全体の展開や意図を汲み取りながらさり気なく話を展開する」「司会者が振った話題を盛り上げるために出演者同士を緩やかにコントロールし、番組の進行をサポートする」などと説明されている。
 少なくともこの日の僕は他のお客さんに「どう思いますか?」といった直接的な話の振りかたはしていなかったはずだが、なんとなく広がりそうなほうへ言葉を投げたり、論理の破綻や事実誤認を避けるための補足を入れたり、言葉の定義を確認したりしていたと思う。うるさかったら申し訳ないが、そういう細かな調整が話を進めていく。
 僕はいつも『ダッシュ!四駆郎』という昔のミニ四駆マンガをイメージする。ミニ四駆ってのはモーターと電池で走るクルマのプラモデルだが、これはラジコンと違って操縦ができず、まっすぐしか走れない。それだとマンガとしておもんないよねってことで、この作品で主人公たちはホッケーのスティックみたいなのでミニ四駆をぶっ叩いて進行方向を制御するのである。同じ速さで併走しながら。ハッキリ言って僕はそのことしかほぼ覚えていない。ちっちゃすぎて。アニメ第一話のこのあたりがわかりやすい。
 逆にいえばそれがものすごく印象的だったのである。まっすぐしか走れないミニ四駆でも、スティックで制御すれば一緒に走れる。もちろん強く叩いたら壊れたり飛んでいったりするので、狙いは精密に、優しく。話し合いや指導の進め方ってのはそういうもんだと僕はたぶんこの作品で学んだ。
 さっき書いた「なんとなく広がりそうなほうへ言葉を投げたり、論理の破綻や事実誤認を避けるための補足を入れたり、言葉の定義を確認したり」というのはこの「スティックによる進行方向の制御」のイメージ。しかし誤解してほしくないのは、僕はまるでゲームキーパーのように厳しく「それって論理が破綻してますよね?」「ソースはあるんですか?」「どんな定義で使ってます? デリダ的な?」みたいな責め方をするものではまったくない。ただ「こっちへ行ったら面白そうだ」とか「そっちへ行ったらうやむやになるので避けたい」というような動機で、柔らかに調整する(しているつもりだ)。
 知的な遊びをする際には、筋が通ってないとつまんない、というか、筋が通ってるからこそ笑えるし、センスオブワンダーに至りうる。優れたSFとは「絶対にありえないけど筋は通っている」というようなものだと思うし、面白い会話というのにはわりかしSF的な側面があるはずだ。
 最低限の「筋」を確保したうえで、「こんなふうに考えても筋が通る」という抜け穴を見つけるとめちゃくちゃ気持ちいい。難しい話じゃなく、誰しもギャグやジョークを言うときって無意識にやっているんじゃないだろうか。

 爆笑問題の25年くらい前の漫才にこんなのがある。「いまケータイ電話みんな持ってますよね。このまま科学が進歩したらケータイどころかみんなテレパシー使えるようになるんじゃないですか。イタズラ電話ならぬイタズラテレパシーなんてのも出てきたりして。無言電話みたいに、無言テレパシーとか送るんだけど、無言だから全然気づかれない。」
 ここで「電話技術の延長線上にテレパシーがあるというのはおかしい」というツッコミをいきなり入れるのは野暮だと僕は思う。まずは「電話→テレパシー」という変化を前提(仮定)として受け入れる。するとそのあとのアナロジーがいくらでも思い浮かぶ。ネタ中にはほかに「まちがいテレパシー」なんてのもあった。このへんのネタがだいたい出そろったあとで、「ところで電話が発達するとテレパシーになるってのは、どういう技術革新があればそうなるんでしょうかね?」という疑問を提出するのはいいと思う。そこからまた話は発展していきそうである。
 ツッコミは話を終わらせてしまう。ツッコミどころこそ出発点にしたい。

 話を「裏回し」なる概念に戻す。「裏」とここで言っているのは、それを客席にいながらやっていたからである。場のマスターはカモメ氏だから僕はあまり出しゃばりたくない。ただ客の立場から「より面白い」展開を目指して話したり聞いたりしていたつもりだ。客席にいる人たちはどうかみなそのように考えてくださいませ。スティックを持って夜学バーをぶっ叩いていただきたいのだ。精密に、優しく。

2025/02/11(火) 18-22みつきち+j

<みつきち>
 祝日(建国記念“の”日)だったからでしょう、お客は4時間で10人ほど。自分の日にしては過去1の忙しさで、本当に〝修行〟という感じでした。
 夜学バーで飲み物を作っていると、「ただしく飲み物を作る」ということに脳みその機能をたっぷりと持っていかれてしまいます。しかも今日は絶えずお客さんがいらっしゃったので、うまくいかなかったことがとてもとても多いです。あまりにも伸びしろだらけ!頑張るしかありません。
 そして修行はつづく.....

 前回の営業から一週間経って今日が来ているわけですが、なぜか今回は、二週間ほど空けて「今日からまた頑張るぞ!」と意気込むような、いつもよりすこしフレッシュな感覚がありました。思い返せば、前回の営業が終わってからの一週間ではいろいろと考えていたことを実行したり、また別のことを考えこんだり、それらによっていろいろなことに気づいたりしていました。
 夜学バーのカウンターに立つときはいつだってフレッシュでいたいものです。「フレッシュである限り人間は自滅しない」と聞いたので!


<尾崎>
 この日はみつきちさん大変そうでした。お疲れさまです。
 僕は学校の先生をやっていたのですが、当然教育実習にも行ったことがあります。おそらくどの学校でも共通する暗黙のルールとして「実習生の授業中、指導教官はその場では一切何も言わない」というのがあります。
 実習生がどれだけ間違ったことを言っても(もちろんよほど問題のある発言であれば別でしょうが)指導教官は訂正しません。終わってから指摘が入り、その次の授業で実習生自らが訂正するのが普通だと思います。もちろん実習生が混乱して言葉が出なくなったり、段取りを忘れたりしても助け船は出しません。実習生の授業は実習生の授業。そのように領分が尊重されます。学校ってのはわりとしっかりそういう場所だと僕は認識しております。他の先生の授業に口を出す先生はまずいません(たまにはいると思いますし、実のところ僕が辞めた理由の一つでもあります)。

 夜学バーで、僕が客席に座っている時は基本的にこの「指導教官」のような立場でいます。もちろん僕にしかわからないことは教えたり答えたりしますが、空間を運営するのはあくまでもカウンター内にいる人。とはいえ、やっぱり「おい腰が退けてんぞ!」とか「もっと踏み込め!」とか「今の見逃すなよ!」とかスパルタ運動部みたいな声かけがしたくなったりもするのですが、いや実際したほうがいいのかなと思ったりもするのですが、今のところは傍観しております。
 昨日の記事で「裏回し」について書きましたがこの日はほとんどそれをしませんでした。とくに隣に某従業員が座って「見て見て」と動画を見せてきた前後の時間はほぼ二人の空間に閉じておりました。その間みつきちさんはけっこう困っていたはずなのですが、僕もその従業員も助け船を出すでもなく端っこのほうにいたわけです。うーん。それはそれでどうかと思いますよね。裏回したほうがよかったな。ふだんお客さんに助けてもらってるんだからお客になったときくらい店員を助けないと。MC(マスターオブセレモニー)はあくまでもカウンター内の人なので客席にいる僕らは表立って出しゃばりはしないけど、裏立ってできることをできるだけしないとね。当たり前のことだし、僕はもちろん常にそれを心がけている(から昨日の記事のようなことをする)のだが、それができない体力、精神状態、その他諸々の事情ってのもあるわけだ。んまいろいろな場合がある。感想戦だけして次に進もう。

 みつきちさんについてはもう、胸を張って一歩踏み込むことだと思いますね。恐がらずに、というか、怖いもんは怖いんだからなんとか押し殺してやるしかない。俺が俺がでいいんだよ。自分がこの場を支配してるんだって気持ちでやんないと、空間は音もなくほころんでいき、収拾がつかなくなる。これも学校の先生の授業を思い浮かべてくれたら分かると思う。自信のない先生の授業はまず間違いなく崩壊している。

2025/02/12(水) 17-24saku

 17時にお店を開ける。17時30分ごろに1人ご来店。
 18時30分ごろにもう1人ご来店。長野県の方から。みすゞ飴を頂く。
 幼稚園の時に食べていたような気がする味。大阪のおばちゃんのように袋からみすゞ飴を取り出して、いくつか頂いた。
 2人もしくは3人の場で出てきた話題について。

「歩くチラシ」
 僕は今アルバイトでチョコレートを売っている(バレンタインが近いので)。そこではお客さんに端的に分かりやすく、そして効率的に情報を押しつけて買ってもらうことが推奨されている。夜学バーとは真逆のこと。その時にお客さんの1人が「歩くチラシになってたんですね」と仰られていた。まさしく! チラシでしかない。
 そこから一方向のコミュニケーションについてや、1ヶ月の中で新しく出会う人間の上限は既定されているという話をしたりする。

「20歳までにタバコはやめとかないと」
 タバコやウイスキーを心の底から美味しいと思ったことはあるかという話になった時に出た言葉。話もそこから広がった。
 20歳以降でタバコを吸い始めるのは予定調和すぎる。

 2人とも21時半ごろまでにお店を出られた。
 1人はラーメンを食べに、もう1人は北千住に飲みに。
 17時過ぎから飲み始めると、21時頃には結構いい感じに酔いが回る。その上、終電までまだまだ時間に余裕もあるのでたくさん遊べる。
 これ結構得した気分になれます。是非早い時間にお越しください。


<尾崎>
 そうですね、せっかく夜学バーは17時とか18時とかからやっているのですから、まず一杯、それからどっか遊びに行ってごはん食べながら一杯、そしてまたどっかで一杯、最後に夜学バーで一杯……はしなくてもいいので、ともかく夜のスタートとして選んでいただけたら嬉しいものです。
「歩くチラシ」が夜学バーと正反対のものだとしたら、さて夜学バーはなんて形容したらいいのかな。「棒立ちの文学」うーむダサいな……。「そびえ立つ詩」これでいこう。すきやビルは詩の塔である。詩塔。カッコいい。

2025/02/13(木) 18-23まちくた


2025/02/14(金) 18-25j

 バン・アレン帯のお誕生日なのでウキウキしながら来た。郵便でチョコレートがひとはこ届く。わーい。男性が3名、ばらばらに1名ずつ来る。皆様お帰りになったあと女の子が1人きてチョコレートくださる。わーい。みんなもうちょっと残ってたら分けられたのにな。やがてまた1人になって黙々とチョコレート食べる。
 役得と言いますか、お店をやっていると一定はモテます。今年はふた箱もチョコレートをいただいたぞ! とてもありがたい。しかしいつまでこの文化は続くのか。全盛よりは弱まっているようには思う。水商売の世界でさえ縮小している気がする。さすがに中高とかでは乱れ飛んでるんじゃないかと想像するが。あるお客さんは「会社でこんな小さなチョコレートもらった」との証言。みなさまのまわりではどうですか? 楽しんでやるぶんにはいいが同調圧力や強迫観念になってくると息苦しいわよね。昔ほどではないんだろうとは思うが、どうなんでしょう。ぜひ色々教えてください。
 後半戦。会社の同期二人組、新幹線で来ている方、ごくご近所の方。
 このご近所の方は「湯島いいっすよねえ、特に夜学バーがあるんで離れられないっす」と言ってくださっている。いやあヘヘヘ。お世辞でも嬉しいです、お世辞じゃないでしょうからもっと嬉しいです。みなさまもぜひこのあたりにお引っ越しください。

2025/02/15(土) 19-24saku

 普段の僕は水曜日に中に立っています。土曜日に立つのは久しぶりです。
 営業中、場に6人くらい居る状況が結構長く続きました。ドリンクの注文が立て込んだりして、アワアワと慌ててしまいます。
 もう少し後ろに下がって、俯瞰する余裕を持ちたいです。

 この日の営業中にお客さんから「もし山賊が来たらどうしますか?」と聞かれました。
 その時は「うーん、そもそも金目のもの、あんまり持っていかないからナア、山賊が来て盗まれてもナア……」とゴニョゴニョ返事をしてしまいました。
 ここはやっぱり、大喜利的に面白い回答を返してフロアを沸かせたかったと反省。
 まあ、そこで面白い答えを無理に考えるよりも「山賊が来たらどうするかを何故聞いたのか」についての話をしてみた方が面白くなりそう。
 会話の流れ的に思いつきで言った訳でも無さそうだったし、今の時代にあんまり聞かないような山賊ということばを使っていたのも気になる。
 もしかしたら彼は幼い頃に山小屋とか、山の麓の旅館で寝泊まりしていたら山賊っぽい存在に襲われた経験があるのかもしれません。もしくは山賊についての勉強をしているとか。
 今度いらっしゃった時にでも聞いてみることにします。

 人数が多いと、夜学バーに来ている全員にとっての最大限幸福である状態を作り出したくて、今回の営業ではそれを話題をテンポ良く変えていくと言うことで達成しようとしていました。
 その結果として、営業全体で話題が浅い状態のまま次の話題にいってしまう時も多くあり、惜しいことをしてしまった……。

 昔、店主のジャッキーさんが「中に立つという覚悟が必要」と言っていました。
 中に立つということは場の会話の手綱を握るということでもあります。手綱を握るのはいつでもすごく緊張しますが、「『覚悟』だッ! 『覚悟』が必要なんだッ!」と自分に言い聞かせています。

 そして手綱を握る人間には「一時的に最大幸福が達成されない状態になったとしても、鉱脈(会話)を深く掘り進めた方が面白くなる」という判断を下す責任があります。
 最終的に、その場にいる全員の最大幸福が達成されることを目指して。
 輝く鉱石を見つけるための『覚悟』が必要なんだッ!


<尾崎>
「もし山賊が来たらどうしますか?」
 無茶振りですなあ。そういうこともあります。無茶振りが好きって人もたまにおられます。ごくたまに。
 でも実は、本文でもsaku氏が少し触れているように、その方にとっては「無茶振り」でもなんでもなく、ただ単に山賊というものについて日ごろからよく考えているのかもしれませんよね。
「山賊ゥ? まーたまたなんですかあふざけないでくださいよォ~」なんて返したら、「えっ、べつにふざけてるわけじゃなくて、本気で聞いたんだけど……」と、シュンとさせてしまいかねません。

 余談ですが高校生のときに演劇部の先輩たちとカラオケにいく機会があって、僕がごく自然に小沢健二さんの『ドアをノックするのは誰だ?』を歌ったら、二つ上の男の先輩が「ハハハ。ジャッキーはすぐネタに走るんだから」と仰ったのでございます。僕はまったくネタだとは思っておらず、単に好きな曲だしアップテンポでノリもよいし、なんならまあまあ売れた曲だと思い込んでいたので、その反応は意外でした(実際のところ当時オザケンをガチで歌うってのは「ネタ」でしかないのかもしれないと今は思います)。
 しかし後にこうも思いました。その先輩はナチュラルオザケン本気歌唱によって思いがけず「ダダ滑り」した僕を、「それはネタなんだよね」という形でフォローしてくださったのかもしれないと。その時は「えー、ネタじゃないのに」としか思えなかったのですが、視点を変えれば「フォローあざっす」だったわけです。

「中に立つという覚悟が必要」というかつて僕が言ったという言葉に無理やり繋げますが、その覚悟とは時に引かれたり滑ったりすることを受け入れる覚悟でもあります。「浅い」「無難な」レベルに終始すれば大きな失敗はないのですが、美しい奇蹟のような時間、瞬間は「一歩踏み込む」ということなしには起こりにくいものです。手綱を時に引き、時に緩め、時には大胆に手を離してみたり、馬上でダンスを踊ってみたり、あるいは馬に抱きついてみたりとなんだってしてみて、その結果はとりあえずカウンター内にいる自分が負う。
 たとえば「山賊」というワードに食らいつき、掘り下げてみたら鉱脈にあたった可能性はあります。saku氏が書いてくれているように、めざすのは「最終的に」という境地であり、「目先のそれっぽさ」ではない。恐れずにキャラバンを進めていくのでございます。

2025/02/16(日) 休


2025/02/17(月) 17-23カモメ

 18時ごろに私の知り合いが突然やってきた。日頃から夜学バーのことは周りに話しているので、こうやって実が結んでいるのを実感できたことは非常に嬉しい。そこからしばらく2人きりで、2時間ほど経った20時ごろにまた別の知り合いが来てくれた。今日は知り合いが2人も! なんとも喜ばしいことよ。
 実はこの日来てくれた2人も互いに知り合いで(いわば2人からすれば私は共通の知人)、なんとも面白い偶然があるもんだなとぼんやり考える。
 いくら知り合いとはいえ遠くに行く作業は怠っては行けない。せっかく夜学バーという場に存在して会話をしているのだから、その都度考える会話がないとなんか寂しいものです。ただ「全部の会話を遠くに飛ばさなきゃ」と考えちゃうとどうしても窮屈に感じてしまう場面は出てきてしまうと思うので、適度に散らしていくのが重要かと。何事も適量に。しかしこれがなかなか難しいので、こればっかりは経験がものを言うのかもしれない。

 21時半ごろにおひとりさまがご来店。飲みたい気分だったらしく、Googleで検索したところ夜学バーがヒットしたらしい。やはり時代はインターネッツなのか。
 この時店内には3人。そのうち2人は先にいて、しかも知り合い同士。全員でよーいどんスタートであれば空気に馴染むのはそう難しくないが、先にスタートされた場所に入って、そこに追いつくのはなんともやりにくい感じがあると思う。私自身が出来上がった空気感の店に入るのがなかなか苦手なので、なるべく誰にでも入りやすい場にできるよう頑張っている。
 この日は発見があった。今までは、後から入店してきた人にどんな話をしていたかとか、〜についてどう思いますかね、などと話を振ってなるべく場に溶け込めるよう意識していた。でも、この日はそういったことがうまくできなくて、知り合い2人、おひとりさまといった感じで別々に話を広げいた。
 15分くらいすると、急に場が一つになる時が増え始めて、30分くらいしたら全員で考える時間が結構な割合で増えていた。その時は、いきなり話が広がって場の空気に身を任せられるようになったなくらいしか思っていなかったけど、後々考えてみると最初に無理に場を一つにさせようと焦らなかったのが良かったかもしれないなと気付いた。最初は無理に話しかけないで、なんとなくその日の夜学バーの雰囲気を感じ取ってもらって、その日のマスターと会話をして、他の人の会話に耳を傾ける時間がとても重要なのではないでしょうか。
 焦らず一度立ち止まって、静かにゆっくり考える時間を大事にしていきたいものです。


<尾崎>
「出来上がった空気感の店に入るのがなかなか苦手」これは見習いに入ったごく初期から言っていたような気がしますね。それにしても「出来上がった空気感」とは? 僕が努めていることがあるとすれば「空気感を出来上がらせない」ということに尽きるのかもしれない。「空気感が出来上がっている」というのは「そこにとどまっている」ということで、「変化がない状態」とも言える。夜学バーの標榜する遠心性(遠心的な態度)というものは、このカモメ氏の文章にも出てくるとおり「常に遠くへ」ということなので、「空気感が出来上がる」ということはそれだけで失敗しているわけなのです。完成してはいけない、というか、完成は常に一瞬であり、その美しさを甘受した後はすぐ潔く切り替わっていかなければならない。
 ナーンテのはむろん綺麗事、っていうか理想論。常に厳格にできているとは限らない。ただ「努めている」ないし「望んでいる」ことだけは確かである。そうしているうちに15分、30分くらいしてだんだんと「空気感」はほぐれ、崩れ、いずれかへ消え去って、場の色もすぐれてきたりする。意思の不思議な力? そう、無理して「お仕事帰りですか?」なんて紋切り型に話しかけたり、「一緒に話しましょうヨオ!」なんて袖を引っ張る必要もない。
 ただ、「待つ」ということの効率は著しく悪い。だから僕はあえて「待つ」という言葉は使わない。「構える」とでも言いましょうか。常に構えておく。他流試合をする人のように、研ぎ澄ませておく。わずかなことも見逃さず、ひと筋の光から「自然」の中へかき分けていくことを厭わない。勇気、度胸そして覚悟をもって。だいぶ抽象的だけど伝わるでしょうか。
 言い直せば、「自然なコミュニケーション」というものをめざす限り「不自然なコミュニケーション」は排したいわけだが、それを恐れて「何もせず待つ」ということがいつも正しいわけでもない。「何かをすることが自然である」ということは、まず「気づく」ということから始まったりするので、「気づくために構えている」ということが重要だと僕は思うワケなのだ。

2025/02/18(火) 18-22みつきち、-24saku

 先週、祝日だった11日の忙しさに対して今日はかなりゆったりした4時間でした。お客はわたしが立っていた18-22で3人。じっくり考えられる日も非常にありがたい。とはいえ、夜学バーの持続可能性を考えると忙しい日を恐れてはいられません。そして修行は続く……。

 最近わたしは友だちとの関係についてずっとモヤモヤ考えていたので、今日は友だちに関する話題を何度か出しました。(出しすぎたかも……すみません。)
 思い返してみれば、わたしの中学3年間での人との関わり方は「『見下されること』を徹底的に避ける」という感じだったかもしれません。「見下される」と、クラスでの極端な例を上げれば「いじられキャラ」にされてしまったり、やることなすことをバカにされたりといったことが起こります。これらが死ぬほど嫌で、なんとか避けようとわたしが取った解決策は「前に立って偉そうにしたり立派そうなことを言ったりして『バカにはできないやつ』になること」でした。
 中学3年間はずっと吹奏楽部にいたのですが、中2になったときに後輩が入ってきたり、生徒指揮というそれなりに意見を言うことが要求される役職についたり、ちょうど夜学バーに通い始めたことにより以前に比べ「学校の外で得てきた知識」がものすごいスピードで増えていた、などの理由により、「学校の外で得てきた知識を使って偉そうに物を言う」ことがめちゃくちゃ得意になりました。みんな中学生のガキンチョですから、もはや部内はわたしが教祖で部員が信者、みたいな状態になっていました。そうして部活の中で最強になったわたしは、クラスでも偉そうにできるようになり、「前に立って偉そうにしたり立派そうなことを言ったりして『バカにはできないやつ』になること」によって、なんとか身を守るような日々を送っていました。
 でも、最近気づきました。わたしが何を言っても言葉を丸呑みされて「さすが」「すごい」等しか言われない環境なんて、何も面白くありません。わたしは別に信仰されたりしたいわけではないから。そして高校に入学してクラスが前より穏やかになった今、わたしは友だちと仲良くしたい。たのしくすごしたい。それをするためには、中学で染み付いてしまった威嚇のような姿勢を直さないと、「見上げる(盲目的な尊敬)」でも「見下す」でもない、「友だち」というたのしくて美しい関係を築くことはできません。わたしのここからの高校生活は「友だち」がテーマになると思います。


<saku>
 ↑にみつきちさんが書いていてくれたように、この日は「友だち」が話のテーマの一つでした。

 僕が通っている大学の学科では、スタジオの生番組やテレビで使われるようなVTRを制作する課題があります。
 当然1人では作れません。
 少なくても5人、多い場合には20人とチームになって制作を進めていくのですが、20人もチームにいると全員とコミュニケーションを取るのは難しくなります。

 放っておくと、声の大きかったり話すのが上手い誰かが「教祖」になって、その意思決定を他の19人に伝えていくという順序が出来ていく。
 実際に、つい最近の課題で20人のチームでの課題があったのですが、順序が出来てしまう場面が多々ありました。

 教祖になる人も寂しいだろうし、他の人たちも自分の意見を出すことが難しくなっていくだろうし……。
 うっすらとモヤモヤした不安がチーム全体を覆っているような空気感。
 チームの形としても、コミュニケーションの形としても、すごく不健全だなと思いました。

 みんなで考えるってことがしたいんだよお…

 喜びをほかの誰かと分かりあう! それだけがこの世の中を熱くする!

 友だち同士が別々の方向を向いているのだけれど、でも手は繋いでいるような関係。これってすごく健全な関係なのでは?と最近考えています。
 それを世間の定義で友だちと呼ぶのかは分かりませんが、喜びを分かりあえるような友だちが出来たら素敵だろうなと思います。
「みんな」でも、きっと出来るはず。


<尾崎>
 火曜、みつきちデーだが店主不在。saku氏に監督とその後の営業をお任せしました。18歳未満は22時までしか働かせられないので。
 その最年少みつきちさんが「夜学バーの持続可能性」と書いてくれておりますが、そうなのですとにかくお客がなければ消滅するのが水商売。いま5人ほど従業員おりましてその平均年齢は18.4歳。どんなあぶねー店だよって感じですが誇らしくもあります。ただ当然、そうなると現状「お客を持っている」わけでもないし「お客を作れる」わけでもないのですよね。そのうち実力がついてくればファンも爆増するはずですが、今のところは「夜学バーファン」であるみなさまに支えていただくほかないのが現実です。よろしくお願い申し上げます。みんなたぶん成長するし出世するんで今のうちに観察しとくと面白いはずだし、かれらが長く続けてくれるのだとしたら今のうちに通っとけば「端っこ古参ヅラ」(古いスナックでよく見るやつ)もできる。んまあサバ番とかジャンプとかみたいな気持ちで眺めてもらっても楽しいと思います、ともかく注目をぜひ!

 それはともかく、みつきちさんがここで語っていること(プチ自伝)は刮目に値します。「さすが」「すごい」という思考停止返事ばかりが来るようになったら、それは「失敗」だと肝に銘じた方がいいですね。僕も稀にですがそのような目に遭うことがあります。褒められるのは嬉しいですが、ほしいのは相手の「返事じゃない言葉」。それを交わし合えるような関係が「友だち」っつうもんなのですたぶん。そんで夜学バーってのは初対面の人たち同士でも「疑似友だち」のように「返事じゃない言葉」を交わし合える環境を用意するのが仕事なわけです。
 場によって、お店によってはカウンター内にいる人が「教祖」のようになってしまうこともあります。僕は全力でその地位を拒絶しているつもりです。「ジャッキーさんすごい」と思ってもらうのはベリーベリー大感謝なのですが、それを言うよりも楽しいことが目の前にあるのならばそんなこと言っているヒマなどなくなります。「すごい」(客観的尺度)よりも「楽しい」「面白い」(主観)が優先される場にしておきたい、とも言うことができます。

「友だち同士が別々の方向を向いているのだけれど、でも手は繋いでいるような関係」というのは非常に素敵な表現。『サンクチュアリ』という名作漫画を思い出します。
 これまた名作漫画たる『鈴木先生』では、教員である鈴木とジャーナリストの若神とが酒を酌み交わす場面があり、彼らが別の道を行きながら「手を繋いでいる」ことがよくわかります。いまいる従業員はもしかしたらいつか夜学バーで働くことがなくなるのかもしれませんが、それでも手を繋いでいられたらいいなと心より願っております。

2025/02/19(水) 18-25j

 お客は2名。最初の3時間くらい無人だったので掃除や店の整理などいろいろした。「いろいろ」の中身はもう本当に細かなことばかりで目に見えない。こういう小さな手間とか工夫みたいなものの積み重ねが大事なのだ。そう信じるしかない。生きるって大変だあ。
 お客がいなくなってからもひたすらお店のことをする。壊れたFAX機を思い切って撤去し、黒電話だけにした。ナンバーディスプレイとFAXメール通知サービスを解除した。月々550円浮く。FAX好きだしこれがないと連絡が取りづらくなる人もいるのだが、仕方ない。さようなら。いつかまた使えるようになる日まで……。
 突然だが自分に老後はなく向こう50年間くらい曠野である、このままでいくと。それを幸せと思えるようせいぜい準備しておきたいところだ。最近そんなことばかり考えてる、なぐさめてしまわずに。

2025/02/20(木) 18-29j ※庚申の日

 前半はお客が2名(うち従業員1名!)という静かな営業であった。庚申の日なので朝まで営業するのが、終電を前にしてお店は空っぽ。こういうのを「テンカラ」と専門用語で言うらしい。じつは今日が庚申であることをずっと気づいておらず、かなり遅れての告知になってしまったのだ。不覚。今日はこのまま動きナシか、ファミコンでもやるか……と思っているところへ、深夜1時くらいだろうか、着物をお召しになったとても綺麗なお姉さまが男性を一人連れておいでになった。
 近所のスナックのママで、ずっと行きたいと仰ってくださっていたのだが、営業時間がモロ被りなため庚申の日を狙って来てくださったのだ。お客さんまで連れて。
 かつて浅草で一杯売りのバーを営んでいらっしゃったが数年前に閉店、時を経て湯島に新しく出店したのが去年だったか。噂を聞いて(Facebookで見て)まさに数年ぶりにお目にかかったのだが、やはりプロというか、相当酔っ払っていたにもかかわらず一目見て「アー! ジャッキーさーん」と叫び声でお迎えくださった。
 水商売の人の、人を覚える能力、あれはなんなのだろう。そういう才能のある人が水商売で成功しているのか、努力によって自然と鍛えられていくのか。本当にすごいなと思うことがよくある。
 ちなみに飲み屋さんにはお客の名前を「覚える系のお店」と「覚えない系のお店」があって、前者は名前をまず聞くし、聞いたらとにかく呼びまくる。呼ぶことによって覚える。いわゆる「女の子のお店」というものは、「覚えている」ということが商品とさえ言っていい。覚えられている(ことが実感できる)というだけで、お客はめちゃくちゃ嬉しいものなのだ。
 夜学バーは、というか僕は、というと、「こっそり覚える」である。名前をこちらから聞くことは99%ないし、知っていても呼ぶことは少ない。そうなるとお客さんのことは覚えにくいし、「覚えているぞ」というアピールもしにくい。しかし、だからこその価値というものもある。鳥山明先生はどんなお店でも、「あ、鳥山先生ですよね」みたいに顔が割れると二度と行かなくなる、という話を聞いたことがある。真偽は不明。またSNS等でも、カフェなどで「いつもありがとうございます」と言われた途端に通うのをやめる、という声を聞くことがある。「覚えられている」ということは喜びでもある反面、それを強くは望まないシチュエーションにおいては「圧」となるのである。
 僕はお客さんのことはかなり覚えているほうだと思うが、「覚えていますよ」というアピールはあまりしない。するんだったらかなりさりげなくする。「覚えている」ということは「覚えられている」というプレッシャーを生むし、どうしても「前回の続き」という雰囲気も出てしまう。一対一で会うときならばそれでもいいが、「常に入れ替わる不特定多数の人々による一期一会の場」たる都市的バー空間においては、そのような「ローディング」はあってもいいし、別になくたっていい。必要な時にだけ読み込めれば。
 キャバクラやガールズバーやコンカフェのようなものを女の子に対する「攻略」に見立てれば、RPGのように「セーブ」と「ロード」は重要になってくる。また「常連システム」の存在するお店では、それがなければ常連入りが認められたり、「ランクアップ」することがなくなってしまう。そのどちらでもない(と僕は思っている)夜学バーにおいては、それほど意味を持つことではない。
 ただし、「なじむ」ということはある。「あなたのことを覚えています」というアピールや、「覚えられていて嬉しい」という感情よりも、「その人との対話に慣れる」とか「その場になじんでいく」というような育まれ方がずっと大切である、というのがこのお店の信念なのだと思います。
 ちなみに朝方さらに近所のお店の方が二人きて、そのままだいぶ長いこと飲んでいた。僕は昼と夜とのコウモリ野郎なので、たまにこういう日があると非日常で楽しい。

2025/02/21(金) 18-25j

 スロースタートの金曜日。あるモノを鬻いでいるお客さんが、「最近ようやく売れるようになりまして」と報告してくださった。断続的にではあるが見て来たので僕も嬉しい。お酒もふだんより多く召し上がった。その後、初来店(たぶん)の方が2名と、2度めの方が初めての方を連れて。うれしいものですね。
 よく「常連さんばっかりって感じですか?」と聞かれるのだが、どう答えたらいいかわからない。「常連システム」は廃絶しているのだがいきなりそんな説明をしても気難しいと思われそうなので「よく来る人ばっかりですか?」とか「初めてのフリーのお客さんは少ないですか?」というふうに読み替える。すると、これまた困る。確かに「すでに知っているお客さん」の数も多いのだが、「まったく初対面のお客さん」もかなり多い。この日のお客さんで、いわゆる「なじみ」と言えそうなのは7名中2名。二度めの方をリピーターと数えても3名。そのお連れを含めると5名。「会員制」でも「紹介制」でもないが、フリーの方がドカスカ入ってくるのでもない。SNSやGoogleマップで見て、という方はだいぶ多い。どう説明したらわかりやすいのだろう。んまあ、そういう説明のできにくいところが我ながら良いなと思います。
 夜中においでになったお客さんたちと、もののはずみで(?)同じビルの真下のテナント、301号室、元夜学バーだった場所にできた「スケッチィ」(通称:跡ッ地ィ)というバーに行ってみることになった。とても楽しかった。
 ご一緒した女性が、某高学歴大学の文系修士号をお持ちの編集者で、ずーっとベラベラ喋り続けていた。その上司が「お前は夜の店で働くべきだ」としきりに言っていて、なるほどなあと思ったのだが、このコミュニケーションスタイルだと夜学バーで働くのには向かない。でも「インテリガールズバー」みたいなのがあったら完全に適任で、もし自分がそういう店を開くんだったらスカウトしようと思った。ちなみに構想しているのは「天才ガールズバーかしこ。」というお店で、天才の女の子だけを雇う。天才とは? 言ったもん勝ち。

2025/02/22(土) 18-25j

 羽田沖~。前半は計5名のお客がいらっしゃった。お話する時間が長く、全員(僕以外)が初対面という中、かなり夜学バーっぽいような時間が持てた。

【アンパンを例に】
①アンパンとはパンの中にアンコが入っているものだ、ということを互いに了解しているかどうかを常に考えている
②パンの中にアンコが入っているものはアンパンである、ということを互いに了解しているかどうかを常に考えている
③パンの中にアンコが入っているものがアンパンであり、アンパンが(すべて)美味しいものなのであれば、パンの中にアンコが入っているものは(すべて)美味しいものだということを互いに了承しているかどうかを常に考えている

 夜学バーっぽいとは何か、を突き詰めるとこのあたりに落ち着くのではないかと思う。要するに「慎重に、考えて話す」ということである。
 帰り際、あるお客さんが小さくつぶやいた一言がとても印象に残った。「次こそは〇〇から離れて(話をしたい)」。
 〇〇にはその方のある種の専門分野が入るのだが、それが専門を超えて属性になってしまうと、凝り固まって場における柔軟性も失われる。一つのところに留まるよりも別のところにも行けるほうが楽しい、というのは夜学バーの基本理念でもある。
 この日にお話しできた方とまたお目にかかれる日を心待ちにしております。
 5名のうち最後に来た17~8年来の旧友が帰ってしばらく誰もいなかったが深夜に1名来店、その方とは久々に二人きりになったのもありゆっくりといろんなお話ができてよかった。そのあとさらにもう1名いらっしゃり、お店を閉めたあとその方と勢いでタクシーに乗り新宿(住所は大久保)の某コンカフェへ。非常に仲の良い友達のバースデーイベントで、間に合えば行こうと思っていたのだった。
 その子は出会った当初18歳になったばかりで、なぜか湯島のバーの店長を任されていた。いろいろあって歌舞伎町に移り、22歳である。2月22日。羽田沖~。いろいろ揃ってる。いろいろあった4年間をぐるぐると思い出す。
 甲斐性がないので抜き物を入れるでもなく静かに少し飲み(その子は僕の血脈?なのでコンカフェなのに接客がかなり大人しいのである)場所を移す。ゴールデン街で2軒ほど飲んで帰宅。(日記みたいになってしまった。)

2025/02/23(日) 休


2025/02/24(月) 17-23カモメ

<カモメ>
 来客は2名。振替休日だったのでもう少し人が来るかと思ったけど、通常の月曜日とあまり変わらず通った感じ。先に来た方は2時間ほどの滞在だったが、もう一名は4時間ほどで30分くらいだけ3人になったが、基本は一対一だった。
 この日は感覚的にはいつもと一緒にやっていたのにあんまり話に幅を持たせることができなかった。初めて話す人に対して自分がなかなか踏み込めない癖が邪魔をして、一定のラインを超えることができなかった感じがする。非常に難しい。
 いきなりズカズカと踏み込んでいくのも良くないと思うけど、丁寧になりすぎて表面しか触れられないのももったいないし遠くに行くことができない。
 それこそ知ってることを言うだけで終わってしまう。


<尾崎>
「踏み込む」ってのは大事な感覚で、そのために必要なのは積極性とか馴れ馴れしさとかではなくて勇気、度胸そして覚悟。不適切なことは雑にもできるけど、適切なことは適切にやらないと成立しない。適切なことを適切にやるのにはちゃんとした手続きが必要で、それを人の目の前に積み上げていくことには勇気が要る。照れるし。

2025/02/25(火) 18-22みつきち+j

<みつきち>


<尾崎>
 いま思いつく標語:「複数の人に同時に話しかける」「勇気度胸覚悟で踏み込む」「待つのではなく待ち構える」

2025/02/26(水) 18-25j

 何度目かのお客さんで、会話のひょんな隙間から愛知県瀬戸市にゆかりがある方とわかり、いろいろ話していると共通の知人がいることがわかった。世間は狭い。僕の実家は名鉄瀬戸線の大曽根駅が最寄りなのだ。
 そういうのも含めて僕は「奇跡」と呼んでいる。そういう事実はどこにでも隠れているのかもしれない。何気ない会話だけで終わったお客さんが、実は父親の同級生だったりとか。お互いにそれを知らないだけ。
 たとえば僕は、何気なく入った新宿の飲み屋さんで隣り合ったお姉さんの初体験の相手が自分の実兄だった、という嘘みたいな経験がある。それも、小一時間ほど話していて少しずつ核心に近づき、だんだん判明してきたのである。
 それはさすがに奇跡と呼んでも良かろうが、なぜそれが起きたのか?というと、お互いに(正直主に僕が)少しずつ情報を出し、出させ、さらに「見抜いた」からである。たとえばイントネーションやちょっとした言葉遣いでだいたい愛知か岐阜あたりかなと直観する。さりげなく出身地の話でもしてみる。すると「えー私も名古屋なんですよ」となり、なんかのタイミングで「うちのお兄ちゃん地元のすごいヤンキーで~」みたいな話になって、「あーうちの兄も」とか言って、「じゃあもしかしたら兄同士が知り合いだったりするかもですね」となったら、あとはもう「え、弟さん?」まで必至。
 少しずつ情報を出し、出させ、見抜く。これの繰り返し。大切なのは「少しずつ」の部分で、いきなりズカズカと「どこ住み?」みたいに行くのではない。何気ない、目の前のグラスの霜の話からでも始まって、静かな長い時間を経て、いつの間にか「中1の時に熱田まつりの草むらで自分の兄と初体験を持った」というエピソードに化けている。
 意外と地道な歩みの先に奇跡はある。目の前の人がどういう人であるかを、すべて知ることはできない。もしかしたら恐ろしいほどの奇跡を秘めた存在なのかもしれない。そのような気持ちで常にお客さんとも向き合いたいものである。

 また別の話。以前、かなり前からよくおいでになっているお客さんが、珍しく友人を連れておいでになった。その二人が、今回は時間差で現れ、しかもお互いに顔は合わせていない。たぶん示し合わせてもいない。つまり、連れてこられた側の人が、連れてきた側の人に特に断りもなく、自然と通ってくれるようになっているということである。こんなに嬉しいことはない。おそらく三方にとって。

2025/02/27(木) 18-25j

 前半、初めてのお客さんが4名中3名(2組)。お一人は、いろいろ話して楽しかった!と思ったあとに「実はふるほんどらねこ堂で浅羽通明さんにおすすめされて来ました」とのこと。浅羽先生は最初に入った大学からずっと公淑&私淑している方である。たいへん仲良くさせていただいておりこうしてお客さんを紹介し合っている。ありがたい。もう一組は上司部下らしき二人連れ。部下の方は転職中とのこと、エントリーシートのようなものを見せていただいたので遠慮せず思ったことを伝えた。
 みなさまがお帰りになり、しばらくどなたもいらっしゃらなかったが24時過ぎに旧友が訪れ朝まで話し込む。僕と同い年なのだが最近なぜか3年連続東大理IIIを受験している変人である。ちょうど二次試験当日で上京してきていたのだ。「ジャッキーさんは(高校から書類もらわなくても)教員免許の写しで共通テスト受験できますよ」という超絶重要な情報を得る。来年は僕も受けようかな。

2025/02/28(金) 18-25j

 某高校生と勉強の話などしていると旧友が訪ねてきた。昨夜も旧友が訪ねてきて、なんだこの店は旧友ばかり訪れる旧友バーかと思われそうだが別の記事にあるように初めてのお客さんもかなり多い。若手が立っているときは学校の同級生なんかも来たりする。そういう「身内」みたいな存在と「まったくの初対面」とを両端としたグラデーションがおおむね夜学バーの客筋であり、そのみんなが違和感なく混じり合い溶け合うような空間を理想とします。
 ふつう一人でも場に身内がいると「身内!」って感じになってしまうか、あるいは身内側が「身内……」と縮こまってしまうのだが、そのようにならないためにはどうしようか、ということを日夜考えているわけです。
 実際その後、二度目の方が初めての方を連れて来訪。深夜には首外(首都圏外)のお客さんがコーヒーを飲みに。いろんな人が来て楽しい。そしてそれを維持していくのはものすごく大変なことなので、ぜひとも評価してほちい。

●2025年3月

2025/03/01(土) 18-25j

 若いお客さんに、「小沢健二さんについての講義がWebにあるのでぜひ」とプレゼンされたので無料期間のうちに聴いてみた。いつの間にか無料期間が終わってお金が引き落とされてしまった。お金に細かい僕としては珍しいことである。ともあれ勿体ないのでもう一回くらい聴こう。(もうだいたい忘れてしまった。)ともあれお客さんからいろいろ教えてもらえるのはありがたい。
 静岡(某ラブメロディ)の地からおいでになった方が。お客あり遠方より来たる、またよろこばしからずや。ヘミングウェイの短編で『何を見ても何かを思い出す』という題があるが、あらゆる地名と思い出が結びついている状態にひどく憧れる。もちろんすべては難しいし、なんでも知っていればいいということでもないが、好きな地名が出てくるとうれしいのは間違いない。
「あ、カッキーだ!」と急に興奮して叫びだす初めてのお客さん。カッキーとは奈良県五條市(楳図かずお先生の故郷)のご当地キャラクターで、聖地巡礼した際に観光案内所みたいなところで買ってきたマスコットを吊るしていたのだが、まさか反応する方がいらっしゃるとは。人生何が起こるかわからない。何がフックになるかわからないのである。夜学バー店内は非常に情報量の多い空間であるが、すべてがある種の釣り針なのである。何を見ても何かを思い出す。

2025/03/02(日) 休


2025/03/03(月) 休


2025/03/04(火) 18-22みつきち+まちくた

<みつきち>
 2度目のまちくたさんとの営業でした。
 雪が降るらしく高速道路も通行止めになったりしていたようで、「お客さんくるかな〜」とぼんやり考えたり考えないようにしたりで2時間が経ち、「ほんとに誰も来なかったらどうしよう」とか思い始めた頃に来客。うれしいです。
 今日はまちくたさんに本当に助けられました、、。「はやく一人前の立派な従業員にならねば!」と強く強く思いました。毎回言ってますが、毎回本気で思っています。
 暮らしの中に修行あり。修行は続きます。

 22時に終われるようにすることが一番難しいかもしれません。まだ数年未成年が続きますから、「お店を閉める」という作業も営業と同じくらい慎重に頑張っていきたいです。


<まちくた>


<尾崎>
 天気と天候は夜学バーの(というかほとんどすべての飲食店の)客入りをもっとも左右する要素でしょう。雨の日は平均的にお客は減りますし、台風の日と「急に寒くなった日」「急に暑くなった日」は特に少なくなります。みなさまにおかれましては、そういう日にこそおいでください。お店の人からすると天使のように見えるものです。

2025/03/05(水) 17-24saku


2025/03/06(木) 18-23まちくた


2025/03/07(金) 20-25j

 青森県(青森・弘前・東北町)に数日間滞在しており、帰ったその足で六本木(ビルボード東京)で野宮真貴さんのライブへ。ゲストはCorneliusと立花ハジメさん。そこにご一緒した方と同伴で(!)夜学バーへ。
 夜学バーにはキャバやガルバにあるような「同伴」制度はないのですが、現実としてそういうことはあります。自然に。夜職ごっこのようで楽しい。お気軽にお誘いください。同伴料はかかりません(くれるんだったらもらいます)。
 珍しく来客の多い金曜日(ぉぃ)。たびたびいらっしゃる方が職場の同僚を誘って4人組でご来店。9席のお店に4名様が入るとかなり空間成立難易度が上がります。すぐ居酒屋のようになってしまう。そこをうまくとりなすのが夜学バーの面目躍如というものなのですが、常にうまくいくわけでもなく。この日は標準の出来だったかしら。
 同棲している彼女に黙って通っている方。飲み会があった日に「長引いた」ことにしてこっそり寄るようにしているそうな。怒られるとか嫌がられるというよりは、ただ「聖域を確保しておきたい」というだけだという。わかる気がしますよね。知られているのと知られていないのとでは全然違う。
 ちなみにこの日はたしかその彼女が旅行中だったとかで、何も気にせずゆったりできているようだった。
2025/03/08(土) 18-25j

 近所の80代マスターが現れる。歴代でも「メリデ(阿佐ヶ谷)」マスターに次ぐ恒例のお客さん。花見のシーズンに上野公園で屋台バーをやるからぜひ来てねとのこと。元気だな~。あやかりたい。
 初めてのお客さんも素敵な方で、楽しい時間を過ごす。「ベトナム人女性が最近好きで、絶対にベトナム人女性と結婚したい」という方もいらっしゃって、なんだか面白い。いろいろな人がいる。
 昨夜の「こっそり」氏が二日連続で。僕の文章をよく読み込んでくれている女の子も交えてよもやまの話をし、朝5時くらいまで営業が続いた。そういうこともあります。通りかかって、まだ看板が出ていたら入ってきてみてください。

2025/03/09(日) 17-2350saku、-28j

<saku>
 17時から23時50分までの営業。その後は店主のジャッキーさんに交代して28時までの営業。
 23時50分に交代した理由としては、僕が20歳の誕生日を迎える3月10日0時00分の瞬間に店主が作ったカクテル『雪国』を飲みたかったから。
 無事果たされました。

 これからも長く続いていく「バーに立つ」という修行の中で、お酒が飲めない→飲めるになる境目は一生に一度しかありません。
 高校2年生からこのお店に通い続けてきて、ずうっとソフトドリンクを飲み続けてきた自分にとって、お酒という概念と夜学バーが出会う瞬間!です。
 不思議な気持ち。

 ちなみに、この日は初めて来られたお客さんに「ケーキ食べる?」と仰って頂いたので食べました。ワーイ。
 ケーキが売っていなかったらしく(日曜夜の23時頃にケーキが売ってるお店はほとんど無いはず)、スフレが乗っかっているプリンに、いちごに見立てたキットカットのストロベリー味を上に載っけてショートケーキとしました。DIY精神溢れるケーキ、美味しかったです。ありがとうございますホントに。


<尾崎>
《これからも長く続いていく「バーに立つ」という修行の中で》頼もしいですね、こういうの僕はあんまり忘れないのでよろしくお願いします。(しかしそれが夜学バーだとは書いていない……。)
 夜学バーの中では未成年飲酒は絶対禁止(当たり前)。高2からの3年間は長かったですよね。改めておめでとうございます。
 同様にモエ氏も20歳になったさい「雪国」を飲んでくれました。もうじきまちくた氏が20歳を迎えますが、彼女も当日日付が変わった瞬間に僕のカクテルを飲んでくれるそうです。こちらはオリジナルで新しいものを作れとお達しがあったので、いま開発中です。目撃したい方は5月26日(月)の24時ちょうどまでに夜学バーへ。
 2019年8月21日の日報に記録されているとおり、意外と長く楽しまれている行為。恒例というつもりもないのですが、そうしたいとか、面白いと思ってもらえるのはとても嬉しいこと。居合わせた人、居合わせる人はあたたかい気持ちでぜひ。

2025/03/10(月) 17-23カモメ

<カモメ>
 17時に店を開けて、3時間ほど無風。最初の30分くらいは掃除とか冷蔵庫整理などの仕事をやって、殘りの時間でパソコンとノートを開いて短歌を詠む。

 20時ごろに2人組のご来店。前回の営業の二の舞にならぬよう(2/24の日報参照)流れに頼りすぎず慎重に場を作るよう意識した。カウンターに立つ側が思考を止めた瞬間に、“みんなで考える”ことの質が落ちてしまうと思う。

 40 分くらいしてジャッキーさんも合流してそこからはずっと4人だった。話題がかなり飛んだり戻ったりする感じで、そういう時にふと出た発言を自分の手札と結びつけて新しい場を展開できるようにならなければと強く思った。
 というのも、ジャッキーさんはほぼ全ての話題に対して返事じゃない言葉を返していて、もちろんストックされているエピソードの量と質が私とは段違いなのもあるが、一瞬で適切な手札を判断して場に出しているのを目の当たりにした。ここまでくるとこんなに話に幅がでるのかと内心かなり驚いていた。
 ただ、もちろんわたしはジャッキーさんになれないし、他の従業員もジャッキーさんにはなれない。
 誰かを完全にトレースするのではなくて、考え方の根底だったり行動原理だったりはちゃんと学んで、それを表現する方法は自分のやり方を探っていこうと決めた。


<尾崎>
《ジャッキーさんはほぼ全ての話題に対して返事じゃない言葉を返していて》《一瞬で適切な手札を判断して場に出している》
 こういう話になると毎度思い出すのはヘミングウェイの『何を見ても何かを思い出す』という短編。実のところ内容はあんまり印象にないのだがとにかく題(その邦訳)が良い。
 上記のような「ストック」について大切なのは量や質だけではなく、「何を見ても何かを思い出す」ということ、すなわち連想。適切な連想を適切に処理(取捨選択)することが大事、だと思っております。
 もちろん、カナメは自分なりの応用。ただ夜学バーにいるからには「原理」みたいなものを尊重してもらえたら嬉しいという感じです。夜学バーという理念の上にどのような個性が花咲くか、見守っていただけますと幸いです。

2025/03/11(火) 18-22みつきち、-25j

<みつきち>
 最近二週間に一度ほどの頻度で私の友だちが来てくれていて、非常にうれしいです。きてくれた時は少し気持ちがほぐれると同時に、「わたしの夜学バー従業員としてのイメージがこの時間で決まる!」ととてもとても緊張します。でもそれは友だちの来店に限らず、営業中はつねに「その人にとっての夜学バーの印象を決めうる」わけですから、やはり慎重に、ぶっ飛ばしていきたいです。
 わたしは音楽高校に通っているのですが、そこでは「音楽の話題」は最強の共通の話題になるので、わたしのような人が好きな音楽のことしか考えていなくてもみんなと結構仲良くなれてしまいます。そうなると、音楽高校の中でしか面白くなれず、周りから見ればただのコミュニケーションの下手な人になってしまうわけです。わたしはいまその危機に瀕している感じがしています。危険すぎる! 楽器を捨てよ街へ出よう。そして修行はつづく!


<尾崎>
 そうなのです。お客さんにとっては誰が立っていようと「夜学バー」なので、その日その時間がすべてとなります。せいぜい格好良くお願いいたします。
 また「専門の中でだけ面白い」というのは結局「内輪ネタでだけ輝く」ということだから、広くいろんな人と楽しい時間を作れる能力は別のものとして持っていて良い。修行引き続きドゾー。

2025/03/12(水) 17-24saku

<saku>
 17時にお店を開けました。
 最初の2時間くらいはのんびり本を読んでいるのですが、流石に3時間くらい誰も来ないと本を読むのにも飽き始めてソワソワしてきます。
 本を読むのにも飽きると、カウンターに置いてあるドラえもんの適当な巻をとってパラパラとめくって気を紛らわせながら時を過ごします。
 誰も来ずにお客さんを待っている時間が5時間くらいになると、何故か怒りのような感情が湧いてきます。
「なんで誰も来ないんだ!」みたいな怒りであるのかもしれないですが、理不尽な怒り。自分に対しての怒りもきっとあります。

 何で今日は誰も来ないのだろうかについて考え始めました。雨が降っていたから客足が遠のいていたことと、時々こういうことは起こるかもしれない確率論的には、とか考えたりします。
 でも雨が降っていても、偶々お客さんが少ない日でも、こういう時だからこそ、このお店に足を運んでもらえるようにしなきゃいけないんだよなあと考え、じゃあどうすればお客さんが来るのかなあ…グヌヌとなったりしてました。

 結局この日はNo cac。なぐさめてしまわずに、考えていきたいです。


<尾崎>
 ドラえもん読んでもらえるの嬉しいですね。あれは「楽しい」ということのほとんどすべてですから……(信仰)。夜学バーの営業にも役立つことでしょう(信念)。
 お客が来ない時はどうすべきか、っていうと、綺麗事をいえばともかく、「何かをする」に尽きる。たしかフジテレビの『ザ・ノンフィクション』だったと思うが、大勝軒というラーメン屋の店主が「(お客が来ない時は)掃除でもなんでもするんだよ、そこになんかあるんだから」みたいな意味のことを言っていたのが印象的だった。お客がいないと絶望したり落ち込んだり不安になったり内心忙しいわけだが、そこを押して「何か」をすることが重要だ、と言うわけだ。「そこに何かあるんだから」というのは「お客が来ない理由(よりお客が来るようになるための改善点)がそこにある」というふうにも読める。そういうことを日夜積み重ねることで、「お客が来る」という状態は実現するのである。きれいに言えばネ。

2025/03/13(木) 18-25j

 グランドスラム……専門用語で「お客なし」。水商売などでは「お茶を引く」とか「ボウズ」等いろんな表現があります。こないだ青森に行ったとき、文脈上明らかにその意味の表現で、まったく聞き慣れない言葉に出合いました。なんだったんだろう。
 実は個人的な事情で1時間ちょっと遅刻してしまったのでした。18時のところ19時15分に到着。SNSではアナウンスしましたが、その間にお客さんがおいでくださっていたかもと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 それから5~6時間フリーだったわけですが、1時間くらいはお店に関する雑務に消費されます。お客があろうがなかろうが、やらねばならないことは存外色々あるのです。4時間くらいは読書と勉強に使えた。大学受験指導ができるレベルに取り戻すため復習をしております。

 昨日の記事とあわせると二日連続でグランドスラムだったようで。そういう時もある。面白い。

2025/03/14(金) 18-25j

 昔、ゴールデン街で朝までお店をやっていた頃は一晩のうちに何度も状況が変わり、「第○部」みたいな考え方をしていた。終電で閉めるとそれほど大河的になることは少ないが、それでもやはり「第○部 ●◎篇」みたいなことを意識する日はけっこうある。
 第一部は、初めていらっしゃった女性とひたすら長い話。夜職の話、茶の湯について、このお店のことなど。夜学バーは小学生が一人でも来られる、というのが売り文句なのだが、それについて「どういう経緯で?」と不思議がってくださった。これまでのところ小学生以下だと100%「お客さんや友達の子ども」であって、種としてはどってことない。それでも「一人で来る」というのはかなり珍しいと思う。繁華街の四階のバーだと。ンマその子たちももう大学生だったり中学生だったりで現在は単独で来る小学生というのはおりません。募集中。最近あんまりお昼やってないからな。希望あれば開けますのでご連絡ください。
 第二部は、お客が一人増え、また一人増えて、また減ってゼロになるまで。いったん静かになると「終わった?」という感じで、スッと心が「閉店モード」になりかける。でもまだ動き出す可能性があるので気は抜けない。
 第三部、誰もいないところに改めてお客がやってくる。ふだん人が多いとあまり喋らない方でも、一対一だったり数名だったりするとけっこう話が弾む。金曜という見えない勢いもあるのかもしれない。それがもう一人増え、さきほどお帰りになった方が帰ってくるなどして、また人が減ってゆく。
 まれにあることなのだがそのあと「アフター」で銀座に行った。銀座!「みやざわ」「Y」「なんどき屋」と辿る。Yについては伏せ字である。ここは一見さんお断りなのだが、先日友達に連れていってもらったので入れた。友達というのは、まさに小学生の時から夜学に来てくれている大学生の女の子である。銀座の会員制バー(!)に連れていってくれるほどに成長するとは。時間やはり良い。

2025/03/15(土) 18-25j

 珍しいことにこの日の記録がない。保留にするので覚えている人おしえてください……。

2025/03/16(日) 17-24saku

<saku>
 日曜夜でしかも雨。
 お客さん来るかな、でも雨降っちゃってるしな、もしかしたら今日も誰も来ないかも(前の僕の営業日の3月12日水はNo cacでした)と悲観的になっていたら4人来ました。しかもそのうちの3人は新しく来てくださった方。うーん読めない。

 新しく来てくださった三人が同じ場にいる時間が結構長く続きました。こういう時だからこそ中に立っている僕が「率先して黙り、考えている姿を見せて、考えた結果を伝え、それを面白がってもらう」ことを恐れずにしなければいけないと思いました。少しずつ、慎重に、様子見ながら、みんなで歩いていけるように。
 ⇧引用たくさんの文章。引用元は内緒。


<尾崎>
「率先して黙り、考えている姿を見せて、考えた結果を伝え、それを面白がってもらう」すばらしい言葉ですね。たくさん引用されている元の人(誰だろう?)も喜んでいると思います……。

2025/03/17(月) 17-23カモメ

 またもや来客は2名。内1名は今度行きますと宣言していただいていたので、実際に来てくれてヒジョーにうれしい。数多の友人に夜学バーを紹介しているのだが、8割は今度行くねとだけ残して、一向に来る気配がない。それでも健気に待ち続けています。いつかきてね。
 秋葉原の歴史とか、飲み屋おじさんの話をたくさんした。飲み屋おじさんっていうのは飲み屋にいる若者に話しかけて一緒に飲んだりご飯食べたりするような人のこと。実際にまあまあ遭遇するらしく、場にいたおふたりも何回も経験があると。わたしも一人旅とかをしているとたまに飲み屋おじさんに話しかけられて、仲良くなってご飯を奢ってもらったことがある。ただ、どうしてそんなことをするのかを真剣に考えたことがなかったので今日は3人で真面目に飲み屋おじさんを考察できて非常におもしろかった。なんとなく過ごして、なんとなく体験してきたことを一度振り返って、ちゃんと考える機会というのはなかなかないので、こういう時にじっくり掘り下げられるのはとても有意義である。


<尾崎>
「行きます」「また来ます」の9割はいらっしゃいません(ほんじつ現在)ので、8割ならずいぶん優秀です。その調子でくさらずにいきましょう。また「ほんじつ現在」で8割なので、死ぬまでにはそれが1割くらいまで減るかもしれません。実際はお葬式とか、死んでからってことになりそうだけど。孝行したい時に店はなし、友達もなし。思い立ったときにどうぞ。
「飲み屋おじさん」についての話、ぜひ今度まぜてください。おきゃくさま(読者様)におかれましても、「そういえばこないだ日報にあった飲み屋おじさんの話」みたいな感じで、切り出していただけますと非常に嬉しく存じます。日報の宣伝にもなるので。みんながんばって書いてくれてるので。何卒~。

2025/03/18(火) 18-22みつきち、-25j

<みつきち>
 今日は色々な話をしている中で「今年度面白かった本トップ2」という話題になりました。
 わたしのトップ2は、鶴見俊輔『限界芸術』と九鬼周造『いきの構造』です。どちらの本も面白すぎてわたしの芸術観を大きく動かし、たちまち〝思考のこじつけ先〟として自分の中にひとつの定規としてインプットされるような本でした。『限界芸術』のほうは夜学バーにも置いてあります。おすすめです^_^

 少し前に「眠かったおかげで力が抜けてよかった」という日報を書きましたが、今日はたっぷり寝ることのすばらしさを痛感しました。頭がはたらくのなんの! ふだんあまり手の回らないところも「あ、あれもやった方がいいな」と気づけて自分でも嬉しいです。夜学バーで従業員として働くことは夜学バーと結婚することとほぼ等しい(!)ので、どんなことも「手伝う」という気分でいるとうまくいきません。夜学バーに看取られる気でいなければ。そして修行は続く。


<尾崎>
 うれしいこと言ってくれますな。「手伝う」とか「店番」という感覚ではなく、今いる人たちはみな「夜学バーの重要な一部」として機能しようと努めてくれております。「そうじゃなかったらすぐに辞めてください」とこちらから伝えてもおります。(タイプロの影響もあるのかねー)←ちなみにこれの元ネタは山田芳裕『大正野郎』第一話です
 前半部について。僕もみつきちさんくらいの年代の時にある種「覚醒」したので心当たりあるのですが、上記二冊のような「こじつけ先」をたくさん用意しておくことを(それが得意なら)強くおすすめします。一つ、ないし一人の思想(思考)に傾くとよくありません。もちろん一時的に「ハマる」ということは自然なことで、あっていいのですが、それが行きすぎるのを引き留めるのは「それより前にハマっていたものたち」。それらを否定したり排除すると「終わり」ます、というのが僕の感想。過去を否定するものはカルト。僕、大学で演劇サークル見にいったとき、「高校演劇のことはすべて忘れて」って言われたから、入るのやめたんだよね。えらいですね、その嗅覚。そのあと本物のカルトに何度か誘拐されたけど(詳しく知りたい人は聞きに来てね)。
 というわけで、これから何があっても夜学バーのことは忘れないで(否定しないで)ね……。

2025/03/19(水) 17-24saku

<さく>
 雪からの晴れ。

 この日は17時30分から24時までお店に誰かが必ずいる状況が続きました。というのは、お客さんが帰ろうとしてNo cacになりそうになると、また新しいお客さんに来店していただくことが2回程あったからです。
 まるでお客さんがリレーをして、お店に誰かいる状態を作り続けて頂いているような感じがして、面白かったです。

 最近20歳を迎えて、夜学バーに置いてある様々なお酒が解禁されました。絶賛勉強中。
 まだウイスキーの味も、ワインの味も、美味しさが全然分からないのですが、いつか急に美味しく感じられる日が来る気がボンヤリとしています。

 それに関連してこの日はお酒、特にウイスキーについての話をすることが多かった営業でした。
 そもそも何故ウイスキーは樽に入れるのか、シングルモルトやブレンドとは…
 スコッチウイスキーの90%はバーボン樽で作られているらしいのですが、もしそこら辺の樽で作ったらどんな味になるのでしょうか…
 この日の営業が終わった後、個人的にウイスキーで疑問に思っていることを色々と調べてみました。ただ、これまで僕自身に全く関係なかった分野ということもあり、専門用語が全く分からなくて、調べた情報が全然処理しきれていません。
 これからじっくりと、学んでいきたいと思います。


<尾崎>
 お客のリレー。いいですなあ。
 お客さんの中には「次にお客が来るまではい(てあげ)よう」と思ってくださる方もいるようで、気を遣わせちゃってるかな申し訳ないな~と思いつつ、だからこそその時間をよりよくしようと気合いが入ったり。それを「リレー」と表現するのはなかなか美しい。確かに、バーテンダーもいったん火が消えるともう一度点火しなきゃいけないわけで、そこを繋いでもらえるのはけっこううれしいかも。次のお客さんにとっても、「点火した状態」で入店できるからいろいろスムーズだったりします。単純にオペレーションが早いし、たぶん話も早い。
 お酒の味について。僕は20歳のころ、新宿ゴールデン街でお酒の味を覚えました。それまでは味というよりは「酔うためのもの」という不健全な認識だったのですが、決定的に変えたのはそこにいる大人たちが「カッコよく」「うまそうに」飲んでいる、という現前の事実。印象論ですがリーマンショック前のゴールデン街は「カッコいい大人」がけっこういたのです。
 角のロックとかマイヤーズのロックとか、いま思えば安い酒なのですがそれをあえて「これがいいんだよ」とばかりにスイッと飲んでいくお兄さん、おじさん、おじいさん方を見ていると、「あれがうまいんかあ」と思えて、「うまいらしい」が先行するといざ飲んで「なるほどこれがうまいということなのか」と学習します。味を知るというのは僕にとってはそういうもんでした。想い出の話。

2025/03/20(木) 18-23まちくた


2025/03/21(金) 18-25j

 金曜だが静かめ。初めてのお客さんもあり。ぜひまたおいでください。手元のメモに残っている「YML」がどうしても思い出せないのです。たぶんこの方にその場で初めて作って出したオリジナルカクテル的なものだと思うのですが……。おそらく「イエロー・マジック・○○」の略で、「YMLって書いとけば忘れないだろ! 完璧!」って思い込んだむかしのぼく許せない。ごめんなさい。あるいは全然関係ない話から出たワードなのかもしれない。記憶、あてになりません。
 従業員勢を除けば4名。そんなもんなんで遠慮なく、週末もおいでください(そいでごった返したら幸い)。

2025/03/22(土) 18-25モエ+j

<モエ>
 半年ぶりに復帰いたしました、モエです。

 前半2名ご来店、後半は7名(内この日2回目の来店の方1名)!!

 初めての方が半分ほどいらしたので、店主の詩、戯曲、漫画などを勧めたのですが、その後私のホームページの文章を目の前で読んでくださるお客さんが!
 恥ずかしいというかテレルナァというか、どきどきしました。
 普段文章を書く時には、生身の人間に届くことを意識し「あなた」というワードを使いがちなのですが、意識はしていても目の前に「あなた」がいるのは何にも変え難い感情になりました。
 本当に有難く、とても嬉しかったです!

 従業員の自己紹介文どれも素敵な文章なのでぜひ☺︎


<尾崎>
《店主の詩、戯曲、漫画などを勧めたのですが》←恥ずかしい! 嬉しいけどね。自分で言うのもなんですが僕の本質が最も出ているのはまず第一に漫画、そして詩、あとは高校時代に書いた戯曲も非常に素直な気持ち(当時の考え)が吐露されていて素っ裸。ゆえにすべてけっこう恥ずかしいんだけど、僕という人間をわかってもらうには実は手っ取り早いのかも。散文は気取ってしまう。
 モエさんの言う「あなた」は僕がこういうところに書く「みなさま」とかそういう言葉にあたると思うんだけど、そのように「まだ見ぬ誰か」を考えることはとても大事。夜学バーの真髄はその開き方にあります。多くのお店や場というものはどうしても「すでに(知って)いる人」にばかり意識が向きがちになる。そうではなくて、「知っている人」と「まだ知らぬ人」とをフラットに見る目がとても大事。
 たとえば、「私は○○な人を助けたい」と思って福祉の活動をしていると、「○○」にあてはまらない人が見えなくなりかねない。もちろん「○○」がその人の専門なのであればそれはそういう「係」ということだから、役割分担でしかないのだが、たぶん見えないよりは見えたほうがいい。

2025/03/23(日) 17-23まちくた


2025/03/24(月) 17-23カモメ

<カモメ>
 21時半ごろまで無風。ひたすらに待つしかないが、ずっと1人というのもなかなか辛い。
 この日は読みかけの本も、ノートパソコンも忘れてしまった。必要な作業をした後はカウンターに並んでいる漫画の『ドラえもん』を一巻から読んでみようと思い、手に取る。夜学バーの従業員として『ドラえもん』知識は蓄えておかなければ。
 読み始めるも、ぐだぐだとしてしまい2時間ほど読んで三巻までしか進まなかった。カウンターの中にいるときはいつドアが開いても対応できるように気を張っているので、どうしても100%の集中を読み物に注げない。ちょっとした物音があるとすぐにドアの方をみてしまうのでそこで集中が途切れる。
 裏を返せばちゃんと意識がドアにも向いているということなので、それはそれで良いことなのかもしれない。


<尾崎>
《夜学バーの従業員として『ドラえもん』知識は蓄えておかなければ。》←そんなことないんですよ! 夜学バーの従業員じゃなくても『ドラえもん』は読んどいたほうがいいんですよ!(ガンギマリ)……ってのは冗談。「知識を蓄える」というのも大事だけど、個人的には『ドラえもん』のノリとかテンポとか、ジョークの巧みさみたいなものを学んだら役に立つと思う。『ドラえもん』という名作の魅力は、爆笑に次ぐ爆笑、これに尽きる。それを支えているのが、技術。盗むべし。
 僕がずっとふざけてたり、人を笑わせようと自然にしているのは、ドラえもんの世界が好きだからなんだろうなあ。自己分析。
 営業中ずっと気を抜かないでいると、いるだけで疲れますよね。ゆえ一人でずっと待つのはしんどい。それだけにお客さんが来た(いる)ときの嬉しさはひとしおなんで、よろしくお願い申し上げます。

2025/03/25(火) 18-22みつきち+カモメ

<みつきち>
 ほんじつはカモメ氏に監督をしていただきました。夜学バー従業員歴でいえばカモメ氏よりわたしの方がすこし長く、わからないことを監督の人にすぐ聞きがちなわたしとしては「いつもの調子で行くとかっこがつかないじゃないか、、、」とやや緊張していました。が、始まってみればかなり肩の力が抜けて、全体的に比較的よい感じにできたのではないかと思っています。

 前半で話題になったのは、存在のし方・させ方の一つのスタイルとしての「地蔵」。
 地蔵のように「多くの人が通り過ぎていく中そこにただありつづける」という状態を地蔵的、などと呼ぶことにすれば、夜学バーという店はとても地蔵的だと言えます。
 後半には音楽のこと(なぜ長調は明るく短調は暗く聞こえるのかなど)、「大人とは何か、子どもとは何か」などいろいろな話題がビュンビュン広がっていきました。立っている自分もめちゃめちゃ面白かったです。夜学バー従業員って楽しすぎる‼‼


<カモメ>
 本日はみつきち氏の監督として22時まで店内に座っておりました。あくまでも今日のマスターはみつきち氏なので、空間を邪魔しないよう端のほうで作業しながらも耳は働かせてたまに会話に参加するといった感じで。
 他の人の営業を見ているとやはり非常に勉強になる。自分ができていなかったり、意識しすぎたりしていることがあった時に他の従業員を見てこうすれば良いのかとか、逆にこれはそんなに意識しすぎなくて良いのかといい発見に繋がる。
 それでいうと今回は「自分語り」についてとても参考になる日でありました。
わたしは「自分語り」がかなり苦手でしてなかなか話を切り出せないのですが、みつきち氏はすらすらと話し始めていて、こんなに自然にできるものなのかあと1人で尊敬しておりました。
 静かに考える時間も大事ですが、何か話したくて夜学バーに足を運んでいただく方もきっといるはず。話したいけど自分から何かアクションを起こすのが苦手な方にも楽しんでいただけるよう、わたしからそっと手を伸ばせるように、一つの手札として「自分語り」を習得したいです。


<尾崎>
 夜学バーは地蔵的! なんだかわからないがすばらしい。あるものを理解するために別のものの特性を持ってきて共通点などを比較して語るだけでも高級な行為なのに、それが「バー」と「地蔵」という一見まったく繋がらないようなものだってのがとても良い。
「多くの人が通り過ぎていく中そこにただありつづける」を地蔵的として、拝む人もいれば無視する人もいて、気づかない人もいるってところでしょうね。願わくはたまに拝みに来てほしいものです。心の中にだけある地蔵にはなりとうない。お地蔵さんだってさみしがるし、手入れされなければ朽ちていくばかりだ。
「かさ(こ)じぞう」って話がありますが、僕はあれが好きで。鳥山明先生がお地蔵さんのクビをこえだめに捨ててメッチャンコ叱られ、こえだめの中から出してきて洗った、って話も好き。おじぞうさまは大切にするもんじゃ。

「自分語り」については僕も思うことがあります。男の子は特にそれが苦手な人が多いような気がします。僕はけっこう得意というか、教員としてもバーテンダーとしても「そういうスタイル」なんですよね。なんならライターとして学生を取材するときとかでも多少自分語りを混ぜます。取材をやりやすくさせるためと、もしかしたら相手がそれによって何か良いことを考えてくれたりするかもしれないから(そういう可能性の高そうな話をします)。無意味かもしれないけどいちおう、世の中がもっとよくなるかもしれないような時限装置を渡しておく、というような感じ。おっと、これぞ自分語りだ。
 そう!「自分語り」というものは「自分のため」にするものではないのです。というか、自分のため(だけ)にする自分語りならすべきでない。相手のため、誰かのため、世の中のためになるかもしれない自分語りをすべきなのであります。
 僕はバーテンダー等からいきなり「お近くですか?」「お仕事帰りですか?」「このあたりでよく飲まれるんですか?」などと質問されることが苦手、正直に言えば大嫌い。それにある程度の機能(防犯の領域も含む)があることはわかっているのだが、あえて夜学バーではそれを捨てている。質問のメリットよりもデメリットを重んじている。
 質問について慎重になるとほとんどの人は何も言えなくなる。すると「自分語り」に見えるような発言の必要性も高まってくる。あるいは「独り言」である。こういったものを堂々と使いこなせるようになると、コミュニケーションの幅が単純に三倍に広がる。

2025/03/26(水) 17-24saku

<さく>
 17時開店。この日はお昼頃まで長野県の茅野におりまして、そこから青春18きっぷで夜学バーに向かいました。

 前日(3月25日)に諏訪にあるパリ・テキサスというバーに行きまして、これが人生で初めてのオーセンティックなバーでした。
 何をもってオーセンティックとするのかは分からないのですが(夜学バーだってもちろんオーセンティックバーです)、僕は中に立っている人がピシッと制服を着ているバーに行くのが初めてでした。
 僕らがお店に入った時に、マスターの初老くらいの男性がスクッと背を伸ばしながら椅子に座り、素敵な佇まいで待っていました。店内にお客さんが誰も居ないのにです。
 その佇まいがすっごくカッコよくて、この日はそのマスターを真似て精いっぱいカッコつけてお客さんを待っていました。

 流石に僕は何もせずに待っていると退屈になっているので、えんぴつでノートに書きものをしながら。
 大体こういう時は、カッコつけからフッと気を抜いた時に限ってお客さんが来るという定説があります。
 それを警戒して、ずっと気を抜かずに待っていました。

 無事、カッコつけに成功。
 これからも気を抜かず、カッコつけに精進していきたいです。


<尾崎>
 仕様変更された新18きっぷをうまいこと使いこなしてて本当にえらい! 僕はまだ使っておりません。15歳のときからほぼ毎シーズン買っていたのですがここ10年くらい前から買わないことも増えてきました。ここ5年はまったく使ってないかも。鉄道の旅はむしろ前よりもいっぱいしているのですが。大人になったってことじゃなあ。今は「一筆書ききっぷ」を独自につくって、どこで特急を使うかとか考えることが楽しいです。えへん。
 さく氏はもちろん僕よりも若く、当然僕よりも経験、体験の種類や数は多くないと思います。上記のような「カッコいい!」を無数に知り、盗み、会得していくと、いつの間にかオリジナルのカッコよさが錬成されていくはず。何を「カッコいい!」と思うかはセンスなので、結局はセンスがだんだん人間を作っていくということなんだと思っております。そしてセンスは磨くことができます。おお、なんか訓話っぽい。でも本当にそう思います。カッコつけていきましょう。

2025/03/27(木) 18-25j

 とある大学の文学部史学科では卒論がごく最近まで(今は不明)手書きだった、という話をうかがった。なぜなのか?という考察をそれぞれが提出する。
 トピックに対して、「そうなんだ!~終~」という対応もあるが、「それはなぜか?」「するとどうなる?」「どんな意味が?」「ウラはないか?」「何と似ている?」みたいな疑問も当然出てくる。それを飲み込まず、踏み込むと、広がる。当たり前の話だけど度胸がないとできない。
 従業員たちのシゴトを見ていると、「それってどうしてなんですかね?」といった単純な疑問文が意外と出てこなかったりする。言ったら面白いのにナ、と思うことがけっこうある。自分が気になることはほかのお客さんも気になったりしているものだ。「気になるけど自分がいきなり言うことではないよな」とお客はふつう遠慮し、話が流れると「言えばよかったかな」と残念にさせてしまう。店員が身銭を切るしかない局面は多い。「誰も言わないからそれについては誰も興味がないんだろうな」ではない。みんな、遠慮しているのだ。店員は「あえて遠慮しない」という態度も、時には必要。もちろんズケズケ行くのはよくなくて、平常はごく慎重に。
 高校の英語の授業で、「いまお時間ありますか?を英語で言え」と先生から急に問われ、nowとかtimeとかを使った英文を考えていたら「アーユーフリー?でいいんだよ」と言われ、うわーなるほどと一本とられた。考えすぎると単純な言葉が出てこない。
「話を広げるにはどうしたら……」とか考えるよりも、素直に単純に「なんでなんですかね?」と言ってしまったほうが、転がる可能性は高い。転がらない場合は、その言葉が宙に浮いて、ちょっと空しい思いをするだけだ。それを引き受けるのが度胸というものである。

 この日は墨田区八広のバーで出会った学生(ポーラスマテリアルのこととかを色々教えてくれた)が来てくれたり、近所の大学の学生が初めて来てくれて苺や蓮根の節について教えてくれたりもして、たぶん「夜学バー」と聞いてイメージされる「夜学バー」っぽい感じだったと思う。またべつの若者はついに(2/1の日報に記述あり)来月お店をオープンするとのことで、名刺を持ってきてくれた。
 前途ある若者とはできるだけたくさん仲良くしておきたい。老後に食いっぱぐれないために……(本気です)。僕のこと忘れないでね!

2025/03/28(金) 18-25j

 およそ4年ぶりのお客さん。ほんの少し風貌は変わっているように見えたが、一目でその人とはわかった。100%の自信はないし、そもそもどんなに久しぶりでも店内では「久しぶり」とは言わない主義、そして内心どんなに嬉しくてもいきなり特別驚いたり喜んだりはしないように努めているため、ポーカーフェイスで接する。するとあちらから「久しぶりに来ました、覚えてないかもしれませんが……」とおっしゃるので、「今日は日曜じゃないのに」と返した。香炉峰の雪!
 当時この方は単身赴任で東京に来ており、週末は家族のもとに帰って日曜の夜にまた戻ってくるため、来店のほとんどが日曜日だったのである。それを彼は「定点観測」と呼んでいた。実は名前すら覚えております。T23さんですよね(これを読んでいるかはわかりませんが)。
 お店の人ってのは存外覚えています。それが仕事でもあるし。とはいえ僕がすべてをなんでもいつまでも覚えているというわけではございませんで、その方は2年くらい断続的に(もちろん毎週日曜という話ではなく、数ヶ月に一度)いらっしゃっていたから記憶にしみわたり、もう永遠に忘れることはないのです。一度、二度くらい、しかも短期間だと完全に覚えているというわけにはいかないと思います。
 でも僕は妙なところで記憶力がよくて、「どんな話をしたか」というのは言われれば思い出すことが多いです。ぜひ試してみてください。その時にどのくらいお酒が入っていたか、というような条件も諸々だし、むらはあるんだけど。
 4年ぶりの再会は嬉しく、積もる話も非常に面白かった。いつの間にかお見かけしなくなってしまったので単身赴任が終わったのだろうと思っていたのだが、ほぼその通り、今は別の土地で単身赴任しているとのこと。そのいきさつもめちゃくちゃ面白かった。
 ほかに、昨夜初めて来てくれた学生(2連チャンうれしい!)や、近所にお住まいの方がかつて連れてきてくださったご近所でない方が、単身で。うれしいものです。「彼、ちょこちょこ来てくださってますよ」と近所のほうの方にお伝えしたら、「えー!」と驚き、喜んでおられました。僕としても非常にうれしいパターンです。

2025/03/29(土) 18-25j

 かなり昔に何度か来てくれて、何年もお目にかからなかったお客さんが久々に来てくれた、ってのが去年の11/19だった。そのあいだに大学(院)卒業後の進路も決まっていた。そしてまた久々に来てくださったのが今日。僕の信奉する『ディスコミュニケーション』全巻読んだって言ってた。う、うれしい……。岡田淳さんの本も読みすすめてくれているみたい。さすが氷砂糖(僕のやっているPodcast)リスナー。再開しないと……。
 最近ちょこちょこ来てくださっている方、前回「次こそは〇〇から離れて(話をしたい)」というようなことをおっしゃってお帰りになった(2/22)ので、その話は振らなかった。どうだっただろうか。また感想を交わしたい。
 この日の後半は夜学バーの面目躍如というような時間があって、さすが僕と自画自讃したくなった。建築を専門とする二人組がいらっしゃったのだが、当然僕は門外漢である。夜学バーの(というか僕のスタイルの)最も輝く瞬間の一つというのは、「自分の知らない専門的な分野に手持ちの材料でどうにか分け入って行き、そこに自分の考えや知見を注ぎ込むことによって相手にも感心していただき、みんなで楽しい気持ちになる」という状況が創り出せた時である。たぶんそれができた。
 建築のことはよく知らないのであるが、ゼロではない。まったく知らない人よりは多少知っている。この「多少」というのは、たとえば谷崎潤一郎の『陰影礼讃』が日本建築における陰影の美について書かれたものであるとか、川合健二という愛知県の建築家がドラム缶のような家を作っていただとか、その程度のことである。そのような小さなかけらを武器として立ち向かう。知識は量ではなく、質でもなく、使い方なのだという信念をもって。
 あるいは相手の話していることをちゃんと理解して、味付けして返したり、発展するような感想や疑問を返すこと。新しい地平を開くような発想を持ってくること。そういうのはもう楽しくて死にそうになる。
 ホームページの背景色と文字色にからめた「白と黒」についての話は、僕と彼らの専門領域のちょうど真ん中にあるようなもので、たぶんお互いに非常に楽しく、刺激的だった。あれは我々の成果と言えるだろう。それについて詳しくはもしかしたら、個人サイトのほうに書くかもしれない。

2025/03/30(日) 休


2025/03/31(月) 17-23カモメ

<カモメ>
 お店を開けてから1時間ほどしてジャッキーさんが、その3、40分後にお一人のご来店。共学校の青春の話などをしていた中で、どんなきっかけだったかははっきりと覚えていないが心理学の話になっていき、最大多数の最大幸福が話題に挙がり、その流れでトロッコ問題の話になった。
 これがまた非常に面白くて、わたしはトロッコ問題を功利主義の話だと捉えて振ったつもりだったが、トロッコ問題の本質はそれとセットで挙げられる歩道橋問題にあるとのこと。トロッコ問題単体では測れない、人間の矛盾や、実際に自分が明確に人間を殺す状況になった時の判断の違いを明らかにする意味があるらしい。

 2時間ほどお話しした後ジャッキーさんと2人になった。その時になぜジャッキーさんがいると会話がスムーズに回るのか真剣に聞いたら、プロバーテンダー的技術ではなくて「プロ客」だからであると言われた。なるほど……。「プロ客」という概念……。ヒジョーにおもしろい。今まではカウンターの内側からの視点を意識していたけど、第一に客側の視点を理解しなければいけなかった。
 今までジャッキーさんに言われていた夜学バーの従業員になっても、夜学バーに客としてくるということの意味、重要さがはっきりとわかった。従業員である前に、客として場を楽しめるようにならなければ、みんながたのしい場を作るのはむずかしい。


<尾崎>
 心理学というか、たぶん「倫理学」ですかね。僕もこのときお店にいましたが、面白い話でした。
 プロバーテンダー技術とプロ客技術は表裏一体だから、どちらかができればどちらもできる、んじゃないかな。特に夜学バーにおいては「一座建立」を大事にしますので、よき空間をつくるためにバーテンダー側だけががんばっても意味がない。お客さんが同じように参与してこそ。基本的には内外で同じことをする、それによって良き場が生まれますよねというのが夜学バーなのであります(理想としてはネ)。すなわちカウンター内でうまくふるまうにはカウンター外でもうまくふるまえる必要がある。
 ここで働きたいです、という人に対して僕は、その人がお客としてどのようにふるまっているかをすごくよく見るし、たとえ働いてもらったとしても、そのお客としての感覚を忘れないために、自分が立ってないときでもお店に来てね、ということを必ず言う。そのため従業員は木戸銭がゼロだし、お金がないが飲みたい、ここにいたいという希望があればほぼ無条件で通す(タダ同然にする)ようにしております。
 ただ、僕はプロすぎる(?)のでほかの人が働いている時はお店にいてもそれほど大きく「参与」しないようにあえてしていることが多いです。良くも悪くも店主というものは場を支配する力が強すぎる。わざと黙ってるとかっていうよりは、隅っこで仕事してたりします。でも「隅っこで仕事してる」お客さんってのも夜学バーにはたまにいるわけだから、そういう人として扱ってもらえたら幸いです。

●2025年4月

2025/04/01(火) 18-22みつきち、-25j

<みつきち>
 5周連続くらいで友だちが誰かしら絶えず来てくれています。スマホカバーにネーポンのステッカーを入れて「これなにー?」と聞かれた際すかさず夜学バーのことまで教えてしまうという技や、毎度の営業前にインスタのストーリーで宣伝をしたりするなどの効果が一気に現れているのかも。「みつきちさんが働いているお店気になる、行ってみたい」と思って来てくれるというのは本当に、非常に嬉しいです。前にも書きましたが、初来店の方がおられると「この時間で夜学バーの印象が決まる!」かなり緊張します。緊張すると、話題を出したり広げたりすることを難しく考えすぎてフリーズしてしまうことが多く、課題だなぁと思います。加えてわたしは監督が店主の場合それに陥ってしまいがちです。たぶんビビりすぎている。ジャッキーさんは怖い人じゃないのに! カウンターに立つことはその場を支配することです。勇気を出して歩かなくちゃ!宝物をつかみたいから! 暗闇の中挑戦は続く、そして修行は続く‼‼


<尾崎>
 技。宣伝(営業)って技ですよね。僕も名刺渡すかわりに領収書もらって「あ、夜学バーで」みたいな技、たまに使います。「領収書技」って呼んでます。
 なんだってすぐには効果が出ないもので、ちまちまちまちま、徒労感に苛まれ泣きながら淡々とやり続けるしかないんですよね。で、たま~に報われて幸せ絶頂みたいな時が来る。それでやめられなくなる。ギャンブルと同じ。
 店主いると緊張するとか、自由にできないってのはわかるんですよね。だからみんなが働いてくれているとき毎回は来ないようにしてたりするのですが、みつきちさんの場合は事情があってつねに誰か一緒にいるようにしております。僕じゃない時がもっとあってもいいんでしょうね。
 あと僕は怖い人じゃないです。強調しとかないと。でもよく考えてください、怖いのはお店の人のほうじゃないでしょうか? お客さんはお店のことを事前に知ることができるし、身分もなんとなくわかるけど、お店側はお客さんのことをまったく何も知らないのです。
 お店の人が怖く見える時って、じつは向こうがお客さんのことを怖がってるのでございます。僕は怖がらないようにがんばっているので、怖くないのです。客は未知で、未知のものは怖い。お客さんがお店のことを「未知で怖い」と思っているのと同じかそれ以上に、お店のほうも同じように思っているのかもしれません(深淵理論)。だからおたがい、怖がらないようにしましょうよ、適度な緊張感で優しく向き合いましょうよ、ってのを僕は一生言い続けているつもりなのです。

2025/04/02(水) 18-24saku


2025/04/03(木) 18-23まちくた


2025/04/04(金) 18-22みつきち、-25j

<みつきち>
 学校で夜学バーの宣伝などしていると「火曜日は毎週レッスンがあって行けないんだよねー」みたいな人が何人か出てきます。ならば他の曜日にも!ということで金曜日に立ってみることにしました。火曜日より少しだけ雰囲気に勢いがあるような感じがしました。

 飲み物を作りながら喋る、ということがだんだんできるようになってきました。ネーポンとかは体で作れる域にきてます。めざせネーポンマスター!
 やっぱりどうも「場を掌握する」というのは難しいです。無言になると「なんか喋らなきゃ、えーとえーとえーと!!!」と焦りすぎるし、脳内で焦ってると体はフリーズしちゃうので。喋り出す以外のアプローチも常に意識するくらい余裕を持っていたいです。そして修行は続く・・・


<尾崎>
 金曜は勢いがある。それはなんとなくそうかも。「混む」とかそういう単純なことではなくて、なんとなく世の中全体に勢いがあって、それが個人個人にもわずかずつ及んでいる。
 演劇を始めたときを思い出します。「腹式呼吸による発声を意識しながらセリフを読んで身体を動かす」ということを自然にできるようになるにはけっこう時間がかかりました。慣れてくると当たり前にできるんですけどね。
 ポイントはたぶん、それらを切り分けすぎない、ということなのかもしれません。発声とセリフと身体を、ちゃんと関連させて動かせるようになればいいだけなのです。たぶんみつきちさんはまだ、さまざまな種類のオペレーションを別々に考えてしまいがちなのでしょうが、すべては連関していて、繋がっていて、一つの空間で起こっているのです。
 空間を、場を、一つのものとして意識して、自分はその中の一部である。自分のすることはすべて空間に影響し、他人のすることもすべて空間に影響する。それはすべてが「劇場」の中にあるということに近い。

2025/04/05(土) 18-23モエ、-25j


2025/04/06(日) 休


2025/04/07(月) 17-23カモメ


2025/04/08(火) 18-22みつきち、-25j


2025/04/09(水) 18-24saku

<さく>
 昔、たしか村上春樹さん(だったはず)が、自身で経営していたジャズ喫茶について「2回目にお店に来てくれるお客さんは、初めて来てくれた10人のうちの1人だけだった」と書いてあるのを読みました。夜学バーでも2回目に来てくださるのは初来店の10人のうち1人かは分かりませんが(恐らくもっと多いはず)、2回目に来て頂けるとすごく嬉しい。

 僕が中に立っている時に初めて来て頂いたお客さんにとっては、僕の振る舞いによって夜学バーの印象が大きく決まってしまう訳で、やっぱり緊張します。もちろん、自分なりにこの場の面白さや夜学バーが目指していることが伝わるように尽力しています。でも、なかなか上手く伝わらないことも多々あって、己の力不足を実感します。

 そんな中、この日の営業では、以前僕が立っていた日に初めて来てくださった方が再び足を運んでくださいました。しかも「前回が楽しかったから、また来てみようと思った」とのこと。嬉しい!!
 これからも素敵な場が存在できるように精進し続けるので、引き続き見守って下さると幸いです。


<尾崎>
 夜学バーってお店をやっています、とお外で言いますと、「常連さんばっかりですか?」とかなりの割合で聞かれます。それを聞いてどうすんの? 常連ってなに? ばっかりってどの程度から?など様々な疑問が浮かび、まともなお返事ができません。なんて答えたらいいんだろう。たいていは正直に言います。「常連っていうのがどの程度の人をさすのかはわかりませんが、何度も来てくださっている方もいれば、初めてのお客さんもいらっしゃいますし、もちろん二度目、三度目の方もいらっしゃいますね」と。まったく中身はありませんが、真実です。
『小学校には、バーくらいある』という拙名著に「二度めは、ずっと」という章がありまして、この言葉は本当に好きですね。詩ですし、箴言ですね。「二度あることは三度ある」というようなだけのニュアンスではなくて、もっと絶妙な意味合いがあるのですが、詳しくはぜひ本書を繙いてみてください(宣伝)。
 上記さく氏が書いてくれたような嬉しい体験を積み重ねて、自信というものはついてくるし、自分のスタイルなんてのも定まってきます。一度しか行ったことがない、会ったことがないという方、ぜひ意識的に二度めを作ってみてください。個人的には一度めよりも二度めのほうが「自身による決断」としての度合いが高いような気がして、だから多くの人が二の足を踏むのだと思います。
 一度めよりも多くの勇気が必要なので、ひるんで、「一度めに勇気を出したんだから、もうこれ以上はいいよな」となってしまう。あるいは、一度めが楽しかったゆえ、二度めが楽しくなかったら損だから、いっそ一度めの想い出だけを抱きしめていこう、みたいなこともある。そういう気持ちは僕にもあって、そこをどのように飛び越えていただくか、というのを常々考えながらも、答えは出ません。

2025/04/10(木) 18-23カモメ


2025/04/11(金) 18-25j


2025/04/12(土) 18-25j


2025/04/13(日) 休


2025/04/14(月) 17-24さく

 この日から月曜日営業。大学の授業の関係で水曜日にこれまで立っていたのが月曜日へ移転しました。
 とりあえず8月頃までは月曜日の営業になると思います。
 大半の人は日曜日が休みで、月曜日から学校なり、会社へゆきます。
 月曜日は早めに寝ておこうかなあ、明日も仕事あるし、みたいに思われてしまう…

 僕は自分の営業日にたくさん人が来てほしい!死ぬほど売れたい!と思っています。今年の目標。
 たくさん人が来た方が楽しいし、お客さんがそんなに来ていない状態で営業を続けるのは不健全な気がします。夜学バーに対しても、自分自身に対しても。

 そのために、月曜日に夜学バーに来てもらうにはどうすればいいのでしょうか?

 夜学バーはバーでありながら、お酒に主軸が置かれすぎていない。常に「学び」に重きが置かれています。
「飲みに行く」というよりかは、喫茶店のようにコーヒーを一杯飲んで帰るというのもあり。そして、月曜日に仕事が休みだっています。飲食店の人等々。
 糸口はどこかにあるはず...
 お客さんに来てもらえるように焦りすぎて「夜学バーらしさ」が失われてしまったら本末転倒。都度考えながら、慎重に、全力疾走で。
 どうか月曜日、夜学バーを訪ねてみてください。


<尾崎>
 じつに切実な話。月曜は需要が低めなのは承知ですが、しかし「仕事の初日はあえて飲んで勢いをつけたい」なんて話も聞くことは聞きますし、逆に月火あたりを休みにしている自営業の人にはいいのかも。特にバーや飲み屋さんは月火あたりを定休にしていることが多く、そうなると「同業者」は来やすかったりするのかも。あとはたゆまぬ営業、でございますね。
 さく氏も書いてくれているように、糸口はどこかにあります。願わくはそのよすががこれを読んでいる方々のうちにありますよう。日報を見てもらえれば分かると思いますが、さく氏は本当にがんばってくれているし、自分から出勤日を増やそうともしてくれています。それも不人気なはずの日月を中心に! この殊勝な若人をスポイルしてしまわぬよう、余裕がありましたらぜひおいでください。きっと出世しますので今のうちに株を。5月はとくに多めに入ってます。よろしくお願いします。

2025/04/15(火) 18-22みつきち、-25j


2025/04/16(水) 18-23カモメ


2025/04/17(木) 18-25j


2025/04/18(金) 18-25j


2025/04/19(土) 18-23モエ、-25j


2025/04/20(日) 休


2025/04/21(月) 17-29さく


2025/04/22(火) 18-22みつきち、-25j


2025/04/23(水) 18-23カモメ


2025/04/24(木) 18-25j


2025/04/25(金) 18-25j


2025/04/26(土) 18-23モエ、-25j


2025/04/27(日) 休


2025/04/28(月) 17-24さく


2025/04/29(火) 18-22みつきち、-25j


2025/04/30(水) 18-23カモメ


●2025年5月

2025/05/01(木) 18-23モエ、-25j


2025/05/02(金) 18-25j


2025/05/03(土) 17-23まちくた、-25j


2025/05/04(日) 17-23まちくた、-25j


2025/05/05(月) 17-29さく


2025/05/06(火) 17-22みつきち、-25j


2025/05/07(水) 17-23カモメ、-25j


2025/05/08(木) 18-23モエ、-25j


2025/05/09(金) 18-25j


2025/05/10(土) 18-23まちくた、-25j


2025/05/11(日) 17-24さく


2025/05/12(月) 17-24さく


2025/05/13(火) 18-22みつきち、-25j


2025/05/14(水) 17-23カモメ、-25j


2025/05/15(木) 18-23モエ、-25j


2025/05/16(金) 18-25j


2025/05/17(土) 17-23まちくた、-25j


2025/05/18(日) 17-24さく


2025/05/19(月) 17-24さく


2025/05/20(火) 18-22みつきち、-25j


2025/05/21(水) 17-23カモメ、-25j


2025/05/22(木) 18-23モエ、-25j


2025/05/23(金) 18-25j


●2025年6月

日報 TEXT 夜学バーTOP