ひごろのおこない/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。
過去ログ
2024年10月
2024年11月
2024年12月
TOP
2024.11.1(金) さみしい引き払い
2024.11.2(土) ジャーナル革命
2024.11.3(日) ユニット政治の可能性
2024.11.4(月) コントロールの時代(1995-)
2024.11.5(火) これからは自分の力で
2024.11.6(水) 夜に理性を!
2024.11.7(木) ゆっくりこつこつ
2024.11.8(金) 松本人志と足子先生
2024.11.9(土) 橋本治『「わからない」という方法』講義/初期・中期・後期/引き払い
2024.11.14(木) 水商売と贈与
2024.11.18(月) 人に気に入られるためには
2024.11.19(火) 谷川俊太郎と「少年Aの散歩」
2024.11.20(水) 「フック」と奇蹟
2024.11.21(木) 本当のスタイルはオリジナルである事
2024.11.22(金) 1988年のドラクエ3
2024.11.1(金) さみしい引き払い
お誕生日です。いまは前日、10月31日の21時30分ごろ。お店を営業しておりますがお客はありません。あと2時間半で満の不惑を迎えるというに、静かなものです。あまり人気がないのです。
僕のことを嫌いな人、あるいは、ちょっと嫌に思っている人は、「お前なんか人気がなくて当たり前だ」と思っているのでしょうが、僕のことを好きな人、あるいは、ちょっとでも好意的に思っている人は、「人気あるくせに」とか「なぜその種の人気がないのだろう」とか「人気とはなんなのだろう」とか思ってくださることでしょう。僕も今それら考えております、なぐさめてしまわずに。
よくわかんないけど、下手なんでしょうね。今僕はちょっとさみしいのですが、そのことに誰も(僕自身も)大して問題を感じていない。そして、僕のお誕生日(ないしその寸前)に立ち会うことによってさみしさや欠落が埋まるような人も、たぶんほとんどいない。いたとして遠慮する。なぜ遠慮するかといえば、「行くとなんだかよくないことが起こるような気がする」からです。それ以外に理由はありません(断言)。
そのような気分がほうぼうで発生するようなやり方を僕は実現していて、それはそれで偉大なことであろうと思います。気難しそうで、何をしても文句を言いそうに見えるのでしょうし、実際すぐ文句言うからな。怖いですよね。でも実際には、毎年お誕生日前になると浮かれて、できるだけ前日と当日は自分の担当日にするし、誰が来てくれるんだろう、とウキウキして待つ。こういう日にしか着ない古いGジャンも着る。美しい髪も美しくしておく。そして時に喜び、時に今のように若干のさみしさとともに過ごす。すべて博打。
昨日気まぐれにちょっと寄ったバーは盛況で、「お誕生日おめでとう」の声が飛びかい、お花も複数やってきていた。「今日お誕生日なんですか?」と聞いたら「月曜日です」と。そこはけっこうちゃんとしたオーセンティックバーでお酒の質もかなり良い普段はわりに落ち着いた店なのだが、それでもお誕生日ともなればこのくらいの盛り上がりはするものなのだ。水曜の深夜に。当日でも前日でもないのに。それが水商売というものである。
僕は夜の人間で、もう20年弱くらい水商売の世界にいるっちゃいるってのに、そういう育ち方をしていない。いったいどういうことなんだか。これは決して誇りではない。今僕はなんせ、ちょっとさみしがっているのだから。
でも別にこれは一つの正解でもある。みんなそれぞれの現場で一所懸命やってて、たまに時間が空いたら立ち寄るのが僕のお店なのだ。そうであるべきと思っている。軸足や基地にはしてもらいたいが、単純な安息の地となるのはイヤだ。馴れ合いの中で休憩するのではなく、休憩の中で新たな一歩のためのヒントを得られるような場所にしていたいわけだ。
そうなると店主が誕生日だろうがなんだろうが、お客さんたちは自分の時間の中を生きているわけなので、そんなもんは関係ない。気が向いた時に足を向けるのがこのお店で、そのように設計してきたわけだから狙い通りである。ただまあ、そういうふうにがんばってきた祝杯を、あげる相手が今ここにいないってのはさみしさの原因なんですよね。だいたい毎年同じようなことを言っている。
みんな本当に、それぞれの生活をそれぞれに自由に、意義深く生きている。それでいいのだ。そのサポートとして僕のお店はある。だから今僕は静かにしている。
今日から「引き払い」を敢行する。0時になったらこの日記をUPし(正確にはこのページは事前にUPしておく)、トップページを差し替える。日記タイトルはご覧の通り「ひごろのおこない」に戻す。何年ぶりだ? もう散歩を名乗るのはおしまい。これが散歩だなんてのはもう当たり前のことになった。
そいで、どのくらいできるかはわかんないけど「作品芸術」ってページ作ってポートフォリオみたいなのまとめる。僕の偉大なる創作物らを一箇所に集めときたい。これはもちろん2000年当時のメインコンテンツ「活字芸術」を意識したネーミングである。もう恥ずかしいとかないんで、古いものもガンガン投下してゆく。めざすは全集。
「創っていくことの素晴らしさ。」ってのも、開設当初(たぶんしばらくしてからつけたのだが)から使っているもの。やや青臭いが、まあ僕のやっていることってのは結局そういうことなのだ。創る、っていうのをかなり広くとれば。創ること、じゃなくて、創っていくこと、なのもいい。ホームページ24年続けてるってのはそういうことだし、毎日を自分で考えて工夫して歩んでいくってのもそういうことなんだし。
無駄なLINEグループは退会する。これけっこう重要だよね。毎日ちょっとずつストレスくるよね。
すでにやってるけど、夜学バーのSNSは毎日更新したり、がんばってスケジュール載せたりしない。みんなホームページを見てくれ! 面倒だったらGoogleカレンダーを共有しちくり~。これもじわじわと、生活の負担になっているのだ。仕事だからな。こうなると。
僕はこのホームページはもちろん、お店のこともちっとも仕事だなんて思っていない(だから続けていられる)のだが、やはりどうしても「仕事寄り」のことはそれをやる中で出てくる。そういうのを削っていく。外注も上手になりたい。
自分の気持ちをとにかく大事にする。それが一番むずかしい。
今日の夜はたぶん遅くまでお店にいますからどうぞ行きたい、行ってあげたいと少しでも思う方はぜひ。喜びますから。外から見てどうかはわかんないけど、内心ではものすごく喜んでますから。ぜったい。
素直にやるんだ。どんなに気を張ったって誤解されたり嫌われたりはするんだから。面白くやるんだ。もうそれだけしかない。
22時になります。このまま誰も来なかったらいよいよ「さみしい」と言っても許されそうだ。なんて気を遣うのもあんまりよくないな。あー、さみしいな。さみしい。さみしい。あ、なんか僕の漫画のLINEスタンプ第3弾が出るようなので、買って、使ってね。「芝浦慶一」でたぶん出ます。
2024.11.2(土) ジャーナル革命
夜学バー日報2024年下半期というページを作りました。このディレクトリ内に。えー。つまり、ozjacky.o.oo7.jp/yagaku/ではなく、ozakit.o.oo7.jp/diary/の中に作ってしまったということです。わかりますか? こうすれば、日記を書くついでに日報も更新する、ということが格段にしやすくなるわけです。格納フォルダが同じになるわけだから。ファイル名も24jb.htmlにしたので、常に24xx.htmlの近くにくるわけだ。頭いい! まあそうでもしないと、滞ってばかりなので。環境を整えるの本当に大事。
夜学バーのホームページがちゃんとあるのに、日報だけがなぜか別館(いや本館か)に設置される、という状況になるわけだ。夜学のほうめんどいからまだ反映してないので、先にこっちに書いておく。とりあえず今から数日ぶん書いてみます。
あと実は、まったく誰にもわからない微細な変化として、しばらく前から更新作業をサーバ上で行うようにしました。これまではローカルで書いてからFTPでUPしていたのですが、そのひと手間が意外と大きな障害になっていたことがわかったのであります。サーバ上のファイルに直接書き込むと、エディタでctrl+Sをしただけで自動的に更新されるので非常に楽。ただし、これをするとローカル(と言ってもクラウドなのですが)にデータが残らないのでかなり恐ろしい。だからこれまでやっていなかったわけです。ともすれば完全消滅もありうるので、意識的にいろんな端末にダウンロードするようにしておきたい。それもあってスマホやタブレットから更新・修正等する時はいったんローカルに落とす方式を温存している。
しかしそのおかげで9~10月はおびただしい量の日記が書けたってのはまた事実。決して暇だったわけではない。ちょっと更新方法を変えただけなのだ、なんと。実のところ。
本当はトップページに最新更新日を書くのもやめたい(実際いっときやめていた)のだが、さすがにそれは読者に不親切すぎるような気がして、がんばっている。でも急にやめるかも。このまま更新頻度が保てるならば。
何言ってんのかよくわかんない、っていう人は、htmlとCSSとFTPの知識がほんの少しだけあればホームページなんて簡単に作れるので、ぜひやってみていただきたい。ブログやSNSしか知らないなんてのはもったいないです。創っていくことの素晴らしさ。ってのを実感してみてほしい。だいたいみんな創っただけで満足して更新が途絶えていくんで、「創って〝いく〟」ってところまでたどり着くのは実際けっこう難しいらしいんだけど……。やれたらやってみて、ほんと。相互リンクしましょう!
2024.11.3(日) ユニット政治の可能性
爆笑問題が大好きなので毎週『サンデー・ジャポン』を見ている。先月また褒めた(
これと
その翌日)杉村太蔵さんもほぼ毎週レギュラー出演していて、今日は国民民主党代表の玉木雄一郎さんにインタビューしていた。
>未来人へ 国民民主党は先月27日の衆議院総選挙で議席を7→28と四倍に伸ばし、過半数を取った政党がないこともあり今とても注目されているのだ。
玉木さんは杉村さんに答えて「その合意する相手も時によって変えていくっていうのがこれからのやり方じゃないですか」(テロップママ)と発言した。自民党とも立憲民主党とも「連立」はせず、あくまで個々の政策ベースで、意見の合う相手とその都度「合意」をしていけばいいと。
単細胞な人は(悪口)すぐ早合点するのでちゃんと注記しておくが、僕はどの政党を支持してもないし、支持すると書いてもいない。この記事の中でもそれは書かないし書いていないはずである。たまたま玉木さんの発言が気になったというだけ。爆笑問題と杉村太蔵さんのことは心から「支持」するけれども、それは「好きだ」という意味であって、彼らの意見や考え方のすべてに僕が「そうだ」と言うわけではない。こんなこと書こうが書こまいがたぶん何も変わらないんだが、念のため書くだけ書いておきます。僕はただの野次馬なのだ。面白い野次を飛ばしたいだけなのだ。
しかも仲間のいない、思想のない野次馬だから、あらゆるものに「その都度」考えて野次を飛ばす。
おりにふれ僕は「2016年を区切りに、日本はユニット社会になってゆく」みたいなことを言っている。たとえば以下の記事たち。
・
2020.12.29(火) 単位が緩くなっているという話
・
2023.11.20(月) ユニット社会(羽生くんの結婚と離婚1)
・
2023.12.27(水) Sexy時代のユニット社会
これらは「ユニット」で検索をかけた結果。「人と人とが一緒にいることはもうできない」的なことはもっとたくさん言っているが、「ユニット」という単語を用いだしたのが2020年くらいなのかな、たぶん。
玉木さんはたぶんこういうことを言っているのだ、と我田引水しておきたい。これからは「一時的に結びつくユニット」の時代なのだと。目的を果たせばまた分かれ、必要があればまた結合する。「連立政権」どころか「政権」という考え方さえ否定していくような構え。
たとえば465議席のうち、40~50議席程度の党が10個あることを想像する。政治は混迷を極めるだろうか? 意外とそんなに変わらず、うまいことやってくんじゃないかと僕はわりに楽観的に考えている。日本人はそういうの他の国よりは上手なんじゃないかな、と。自民党だって派閥に割れるわけなんだから、それみたいなことを全体でやることは不可能ではなかろう。じゃあ誰がそれを監視するのか? うーんと、参議院? 国民? 五人組の文化なんで、やっぱり「相互監視」が働くんじゃないかな。
2024.11.4(月) コントロールの時代(1995-)
『人生は心の持ち方で変えられる?〈自己啓発文化〉の深層を解く』(真鍋厚、光文社新書)という本を先月ちらっと紹介した。手元に現物がないのだがそこに書いてあったことやそこから考えたことを少々まとめておく。
『脳内革命』という本が1995年にベストセラーになった。そのあたりから脳ブームが始まり、「脳と心はコントロールできる」という考え方がじわじわと広まる。「自己と幸福はコントロールできる」ということも定着していった。そのような見方でよさそうだ。
「人の命は地球より重い」という言葉を福田赳夫が使ったのは1977年だそうな。スター・ウォーズ公開の年で、僕の歴史観ではここから少なくともY世代までは価値観が共有されている(詳しくは長くなるので、78年にサザン、YMO、未来少年コナン、79年にカリオストロの城、ガンダム、テレ朝版ドラえもんが登場することだけ記しておく)。
ごく単純に考えてしまえば1977年はまだ「生命至上主義」で、1995年から「幸福至上主義」に傾いていく。
幸福というものは「個人」にしか還元されていかないようなものなので、幸福至上主義はすなわち個人至上主義であり、「個人というものは(自分で、あるいは他人によっても)コントロールできる」という感覚が当たり前になる。ゆえに「自己啓発」という、「他人の指図を踏まえて自分で自分を変えていく」ということも流行る。また服薬(外部)によって自分(内部)を変えていく行為も当たり前になる。
昨今ようやく死ぬことが当たり前というかカジュアルになってきたように思える。SNSなどによって死がより可視化されてきたのは確かだろう。そしてそこには「不幸だから(幸福でないから)死ぬ」という価値観があるように僕には見える。
生命よりも幸福の時代になってきたから、幸福が得られなければ生命は要らない。死を選ぶ。そのように世の中の気分が推移してきたというのはあるんじゃないかな。
幸福-個人-自己啓発。これらは「コントロールが可能である」という理解によって繋がれている。生命さえも手の中にある。「未来は僕らの手の中」と『カイジ』(1996–)第1話で強調されるのはじつに面白い。1995年以降はコントロールの時代なのではないか? ゲームの名前はコントロールと言って……。
2024.11.5(火) これからは自分の力で
世代交代が行われていく。「これからはもう自分ですべてを考えなければならない」という意味だ。
2019年1月29日に橋本治さんが亡くなって、それを知った僕はとにかく「ああ、これからはすべて自分で考えなければならないのか」と絶望した。しかし「絶望の望を信じる」とはよく言ったもの。絶たれた望みは自分でまた創り出すしかない。そのためにこれまで橋本さんが言ってきたこと、やってきたことは大いに参考になるのだ。そんな前向きさを持って生き直すことがいまできている、と思う。
楳図かずお先生は本当にたくさんのことを僕らに教えてくれた。作品だけでなく生き方やその他、すべての在り方を通じて。それは十分僕らの中にインストールされたはずだ。これからはこれを使って僕たちが考えていかなければならない。『漂流教室』『14歳』の最終回のようなこと。『ZOKU-SHINGO』(この日記では
ここや
ここここで書いている)のことも思い出される。
2022年の最新作『ZOKU-SHINGO』の頃のインタビューで楳図先生は、「元に戻る」ということをしきりに仰っていた。僕の「引き払い」というのはたぶんそういうことなんだろうな、と思う。それで日記タイトルも「ひごろのおこない」に戻ったのだ。21年4ヶ月ぶりに。
10月28日15時40分だったそうだ。すべては引き継がれた。ここからはわれわれがやろう。
2024.11.6(水) 夜に理性を!
18時半集合で、お隣のママにごちそうしていただいた。よく考えたら僕のお誕生日はもう祝っていただいので友達のお店の周年祝いに便乗した形になってしまい、実のところ僕は招かれざる客だったのかもしれないとちょっと思ったけど甘え始めたら皿まで舐めないと。先方もその覚悟を決めてくれたのだ。
松田聖子と同い年のオカマで、ずっと水商売をやっている。僕としては学ぶところが本当にたくさんある。ちっとも大人らしくなくて、「ずっと子供」みたいなこと自分でも言ってて僕は心から感動したのだが、一方で水商売という文化の中ではものすごく立派な「大人(たいじん)」だ。「11月は周年も生誕も多くて(ゆえに毎日飲みすぎて)大変よ」と仰っていた。師走も当然忙しいことだろう。
僕は歴自体ならそれなりに長いけれどもそういう文化をほとんど拒絶してきたので素直に「すごいなあ」と思い、その片鱗だけでもインストールしたいとも思う。ただもちろん僕があまり深入りするべき世界ではない。そのバランスは難しい。たくさん甘えたら恩返しせねば、という返報性の原理を僕はできるだけ捨てて生きていこうと決めているのだが、郷に入れば郷に従えという原則は優雅にそれを撥ね付ける。たくさん遊びに行きたいので興味ある人は声かけてください。日曜以外朝までやってます。ジャッキーさんのカラオケ(珍しい?)が聴けるよ。
海鮮をビールと日本酒でたらふくいただいて、別のお店にうつる。シャンパンを飲む。ウィスキーを中心に飲めるだけ飲む。トランプしてテキーラを飲む。謎のオリジナルゲームでビールをショットで何杯も飲む。夜卒とはなんだったのか。いいかい、トランプをしている間はトランプしかできないんだよ!(名言)でもこれも「郷に入れば」ってやつで、自ら郷に入ったんだからせいぜい楽しむのみ。実際楽しかった。楽しいんだよトランプって。それはじゅうじゅう知っているのだ。
かつて「特定の政治団体」こと統一教会の洗脳合宿に連れていかれた時、とにかく僕ら(被洗脳者)はゲームをやらされた。スポーツや演劇、歌などもやった。私語は禁止されていたのでそういったアクティビティを通じて仲間意識を育んでいくのだ。3日も経てば一度も喋ったことのない相手とでもふしぎな絆みたいなものが生じてくる。恐ろしく、しかし希望でもある。「いいも悪いもリモコンしだい」みたいなもんで、そういったアクティビティの持つ力は本当に使いようでどっちにも振れる。
深夜2時前くらいか、くだんのママにお客さんから電話が入りお店に戻られたので僕も帰った。そのあとそこへ行く選択肢もあったが、そうしなかったのは英断である。翌日は午後3時くらいまで起き上がれなかった。こうして少しずつ僕は理性を取り戻してゆくのだ……。
2024.11.7(木) ゆっくりこつこつ
夜学バー従業員らに「集客がんばろうな(大意)」みたいな長文を書いて送った。とこう言うとなんだかあらぬ誤解をされそうだが(なら書くなよ)、僕はかなり回りくどくしかものを伝えられなくて、大意にするとこのような身も蓋もない表現にしかならない。
もう少し精確に書くならば、「あなたたちがこのお店で働くにあたって、どのようにすれば《みんな》の利益は最大化するでしょうか?」という問いかけをした。この《みんな》とは誰を、どこまでを含み、そこにはどのようなグラデーションがあるのか、というところから考えましょう、というのも前提としてある。つまりかなり面倒くさいことを要求したわけだ。そのために僕は自己嫌悪の一歩手前まで行く。「またこんなことを言い出して……なんて独りよがりなヤツだろう」と。しかしすぐに気を取り直して「でもこれを言わないわけにはいかないしな」と思い難を逃れる。さすがにそれを書いたあとは心落ち着かずどっか飲みに行ったりしたかったが、9日に控える橋本治『「わからない」という方法』についての講義の予習のため、やめた。理性! 16時から19時まで、夜学バーでやります。1000円だから、きてね。途中からでも。一応配信する予定だけど生で見るのはたぶん困難(ちゃんと告知できる自信がない)なので録画でどうぞ。見た人はあとで1000円ください。
その長文はしっかりと『「わからない」という方法』の副読本のようになっていると書いてから気づいた。僕と橋本治さんと森博嗣(敬称略)はだいたい同じことを言っているのだ。いやほんと。簡単に言えば「集中より発散」だし「ゆっくりこつこつやりましょう」なのである。
2024.11.8(金) 松本人志と足子先生
いや…わたしも自分で考えてナンセンスだなと思うんで、言いにくいんですけど――――
実は私 最近足子先生の顔とか表情見てて思ってたんです…
この人――休みが欲しいのかなって…
(武富健治『鈴木先生』7巻「足子乱心【後編】」)
職員室で「乱心」した足子(たるこ)先生(女性・家庭科)について、松沢先生(女性・保健体育)が語った言葉。「休みますなんて口が裂けても言えない」状況だからこそ、追いつめられて「乱心」に至った。桃井先生(女性・数学)は続けてそう分析する。
1月8日の日記で、松本人志さんが裁判に集中するため芸能活動を休止するという件にふれて「『休みたい』というのもあるんじゃないか」と書いた。足子先生を意識してのことである。そして今日、松本人志さんが週刊文春への訴えを取り下げ、「率直にお詫び」するという声明を出し、吉本興業は「松本人志の活動再開につきましては、関係各所と相談の上、決まり次第、お知らせさせていただきます」と発表した。
僕はすごく単純に、松本さんは本件を機に休みたくなって、しばらく休んだら働きたくなったのではないかと思う。そうでもしなければ「休みますなんて口が裂けても言えない」状況にあったはずだし。巨泉も、上岡も、紳助も、つまるところ「休みたい」だったと僕は理解しているのだ。敬称略。
根拠は特にないが、「僕でさえ休みたいと思ってるんだからなあ」という実感がまずは大きい。足子先生だって休みたくてああなったわけだし。(現実と漫画の区別はついているが、漫画を参考に現実を見ることが癖になっている。)
『浦安鉄筋家族』という漫画で、主人公の小鉄が夏休みの最終日にめちゃくちゃ遊びまくって、布団に入ったら「学校行きてええええ!!」ってなる回がある(で確か真夜中に学校行くんだったかな)のだが、それをよく思い出す。休んだら働きたくなるものだ。ちなみに僕はあんまりそうならない(ならなかった)のでニートの才能が割とあるんだと思われる。
なんだありゃあ!! 完全にイッてるじゃない!
鈴木先生どうしてあんなこと…
(略)
本当にマトモだったらぼくももっと食らいついて話をしました…
(略)
<本当に…もっと完全に/傍点>おかしくなっていたら止めもできます!!
(略)
あれは―――<本当に壊れる寸前/傍点>の状態ですね…
足子先生の乱心時の様子について、鈴木先生と桃井先生による洞察。マトモであれば対話すればいいし、狂っていれば押さえつけることもできる。しかし、「ギリギリ理性を保っている相手」への処遇はめちゃくちゃ難しいのだ。ここを描いている『鈴木先生』は本当に偉大だと思う。
10月13日の演劇において、起こっていたことはたぶんこれなのだ。僕と妖精(わからない人は先月後半の日記を全部読もう!)はまさに足子先生のような状態で、明らかにマトモではないが同時に理性的でもあった。それで役者もスタッフも観客もまったくどうしていいかわからなくなった。0か1かがわかっていれば判断は難しくないが、そこのはっきりしない場合の対処にはおそらく正解がない。
「乱心」した足子先生は最終的に、学校の三階の窓から身を乗り出し大声で鈴木先生を罵倒したのち、泣き崩れながら保健室へと誘導されていく。
ついに…完全に壊れちまったか…
間に合わなかったですね…
いや…違うと思います! あれは「寸前」で――それ以上行かないために自分でブレーカーを下ろしたんじゃないかと…
(同上)
僕が妖精の首を絞めて「落とした」あと、妖精はその場で泣き崩れた。今思えばあれは「終わらせる」ために自分でブレーカーを落としたとも言える。そのようにでもしなければ永遠に、それこそ死ぬまであの惨劇(劇だけに)は続いていたかもしれない。そこが彼女の最後の理性で、僕は個人として喝采を送りたい。「お前が泣かせただけだろ」とか言わないでね。それは一面そうかもしれないけど、そうじゃない側面の話をしております。僕が首を絞めたのも、「こうでもしなきゃ終わらないだろ」と判断してしまった(それが妥当だったかは措く)ゆえで、次善策のつもりではあったのだ。
お芝居全体の反省としては、このまま『鈴木先生』を援用するならば、お客さんから指摘を受けて「なるほど」と思ったのだが1巻の「教育的指導」エピソードが使えそうだ。
わかるかな岬―――昨日言ったことなんだ…
適年齢は…精神年齢で決まる……
そうだ
真名ちゃんは…2人のデリケートな秘密を お母さん怖さで取り乱して つい打ち明けてしまうほど 幼かった!
そんな真名を――大人だって見誤って行動しちゃったオレも…
相変わらず見る目のない…子供だった…!
オレたち…本当はまだヤる資格のない子供だったってことかよ!
僕はすべてを、というと言い過ぎならば、かなり多くのことを「見誤った」。その詳しいことは10月後半の日記に書いていると思います。まだ(あの演劇を)演る資格のない子供だったってことなんだろう、僕は。
むりやり松本人志さんの話に戻ろう。失礼な想像かもしれないが、年初の松本さんは「足子状態」だったのかもしれない。彼がTxitterに投稿した言葉たち、「やる気が出てきたなぁ~。」「とうとう出たね。。。」「事実無根なので闘いまーす。それも含めワイドナショー出まーす。」等々(全部出てるの面白い)は、「乱心」のようなものだったのではないか。ちょっとおかしい気はするが、理性が失われているわけではないので、誰も止めることはできない。裁判も活動休止も、あまり冷静ではないが我を失ってはいないという「足子状態」のまま選んだこと、という見方はできるような気がする。休んでそれが落ち着いて、働きたくなって、今回の判断に至ったように僕は勝手に思ってしまう。
当然、本当のことはわからない。思考と言葉で遊んでいるにすぎない。これが誰か(たとえば松本さんご本人)を傷つける可能性も考えてはいる。だけど私は書きたかった。だけども私は書きたかった。
2024.11.9(土) 橋本治『「わからない」という方法』講義/初期・中期・後期/引き払い
夜学バーで表題書籍について講演のような講義をした。お客は3名、配信視聴者は発注者と、もう1名すでにお金を払ってくれた人がいるので、判明しているのは5名。小規模! しかしこれでいいのだ。コツコツ地道にやるしかない、というのがこの本から僕が何より学んだことなのだから。
視聴したい方は
こちら。有料(シェアウェア)なので視聴した人は何らかの方法で1000円以上ください。つまらない、などの理由で途中で視聴をやめた場合も同様です。返金はありません。
本自体はKindleで読めるし古書店などでも見つかりやすいと思います。名著です。
1977年に『桃尻娘』でデビュー、2019年没。これは2001年の本で、「初期(80年代)」の仕事を振り返りつつ、「中〜後期」を貫く橋本治さんの思想を確認するような内容になっている、と思うので、彼のことを知りたい、興味あるという人はぜひ。
ついでに橋本治さんのことをもうちょっと考えよう。個人的には! やはり『貧乏は正しい!』(1991年7月〜1995年12月、単行本は1996年までに全5巻刊行)が大きかったと思う。ここで「各論」と「総論」がほぼ整理された気がする。またそれまで賞とはほぼ無縁(佳作どまり)だったところ、『宗教なんかこわくない!』(1995)で第9回新潮学芸賞を受賞した(1996)のも象徴的だ。橋本さんの「考え方」は95〜96年に、ようやく自他ともどもの視点から「まとまった」ように見える。
そんな折、『貧乏は正しい!』を継ぐ連載としてヤングサンデーで始まった『101匹あんちゃん大行進』がくる。これは生前一度も再録されなかったし、ひょっとしたら二度と日の目を見ないかもしれない。(僕は某漫画図書館に行って雑誌連載ぶんを全回コピーしてとってある。)
橋本さんがこの連載を終わらせたのは「1996年2月8日発売号」とのこと(発売日は自信ないのでうさやまさんが書いている通りに記す)。ここで橋本さんはある意味「引き払った」のだと僕は解釈している。もう二度と若者雑誌には出ない、愚かな若者とは絶対に一緒にならない、ということを彼ははっきりと書いている。「<ここ/傍点>には二度と姿を現しません」と。
その言葉の通り、橋本さんは以後一切、若者のいそうなところには現れていない、と思う。僕の知る限りでは。評論の対象もここから三島由紀夫、小林秀雄、明治以降の近代文学、百人一首、学問のすすめ、歌舞伎、浄瑠璃、義太夫などなどどんどん渋くなっていく(元々そうではありますが同時代のものは政治・経済の話がどんどん増えて、現代文化について語る比重は小さくなっていきますよね)。『ひらがな日本美術史』も95年に始まっている。『双調 平家物語』は98年に第1巻。
本業たる小説では94年に『生きる歓び』、98年に『つばめの来る日』が刊行され、「現代の志賀直哉」としての(?)路線を確立してゆく。そして2004年の『蝶のゆくえ』でようやく小説の賞をとり(第18回柴田錬三郎賞/2005)、2009年の『巡礼』以降はもう誰がなんと言っても小説家であるような10年間を送る。楳図かずお先生もそうだけど、もちろん「正当に評価された」とは言えないまでも、晩年になってようやく権威(すなわち大衆!)にさえ認めてもらえるようになったというのはファンとして多少嬉しい。
改めて、個人的には!(これは昨日とりあげた足子先生が元ネタです)橋本治さんの「初期」にあたるのは1996年2月の「引き払い」まで。大学のポスターで名を知られ女子高生の一人称小説(『桃尻娘』)でデビューした人間が若者に目を向けることをやめたのだから、これは大きな転換だと思う。すなわち著作としては『貧乏は正しい!』『宗教なんかこわくない!』あたりが区切りではないかと。小説は『生きる歓び』『花物語』までということになるが、これは同時に中・後期作品の礎、先駆けでもあるかもしれない。
中期は短編小説を多く書き、また新書を書き始めた。2004年の『蝶のゆくえ』で賞をとり、2005年の『上司は思いつきでものを言う』はベストセラーとなった。このあたりが中期の最盛期で、2004年は僕が代表作としてよく挙げる『いま私たちが考えるべきこと』も刊行されている。
後期は2009年くらいからということでいいだろう。『巡礼』以降は長編が多くなる。『双調平家物語』が2007年に終わり(『院政の日本人』でケリをつける?のが2009年)、『ひらがな日本美術史』も2007年まで。広告批評の『ああでもなくこうでもなく』も2008年まで。(このへん、いま出先なので単行本ベースで書いてます、連載の終了はちょっとズレるかも。)
2009年までに橋本さんは長期連載を次々と終わらせて、長編小説を書ける体制を整えたってことになる。おそらく。それで『巡礼』以降を後期としたいわけだ。
だからなんだということでもあるが、橋本治さんのキャリアを僕なりに整理すると、
1948- 超初期 誕生〜
1969- 前初期 画業など〜
1977- 初期 桃尻娘、秘本世界生玉子〜
1996- 中期 〜101匹あんちゃん大行進
2009- 後期 巡礼〜
という感じになるだろうか。
なんでそんな整理をいきなり始めたかといえば、2001年の『「わからない」という方法』がどのあたりに位置づけられるのかを説明するためでもあるが、「引き払い」とはなんたるかを考えるためでもある。初期から中期への移行は完全に「若者からの決別」だと僕は思っている(というかそれを基軸に上記を勝手に定めた)し、中期から後期へは明確に長期連載をいくつも終わらせている。たまたまなのかわざとかはわからないけど。
難しいなあ、と思うのである。引き払うってのは。たとえば「愚かな若者とは絶対に一緒にならない」というような決意を形にすることって、本当に難しい。期待しちゃうし。期待するから高校生のときすでに絶望していた橋本さんは、30年間もがんばってしまったのだ。本当にお疲れさまなのだ。39歳のときの講演「ぼくたちの近代史」(1987.11.15)にはまだ若者への期待がたっぷりと詰まっている。しかし96年以降にそれはほとんどない。僕もあと何年、みんなのことを信じているつもりなんだろうか。
2024.11.14(木) 水商売と贈与
間が空いてしまいましたな。何日かぶんを一気に更新することもけっこうあるのですが、今回は5日ぶんも溜まってしまい、そんなに時間もないものだから「書くために書く」になりそうでやめた。
約束を破った。本当に申し訳ないし自己嫌悪的になる。体調がよくないのだ。鍼でも行くか。
こないだちょっとまとまった距離を走ったら肺はまったく大丈夫なのだが速度に筋肉がついていっていない感じがした。順調に退化している。このまま順調に速度を落としていけばいいのだ。逆らうときっと男になりすぎてしまう。
水商売は惜しみなく与える。小沢健二さんの『うさぎ!』に、人は「他の人を助けたり、他の人と仲良くすると、気持ちが良くなる」という性質を持っていると書いてあった。おそらくだけどこの頃の小沢さんはデヴィッド・グレーバーという人の影響を少なからず受けているか、あるいは偶然に共鳴している。遡ってマルセル・モースかもしれないし、イヴァン・イリイチでもあるのかもしれないけど。まあそんな人名はどうでもよろしい。ただ改めて僕はそのへんを読み直しているのだ。その記録。
新しい倫理とはすなわち、富の蓄積は、ただそれをそっくり他の人びとに分かち与えることができる場合にのみ、弁明可能になるというものだ。結果として生まれる社会で最高の価値となるのは、「公の場で物を与える楽しみであり、美的なものへ気前よく出費する喜びであり、客人を歓待し、私的・公的な祭宴を催す喜び」である。
(グレーバー『民主主義の非西洋起源について』)
カッコ内はモース『贈与論』からの孫引きになる。この部分、まるで水商売のことだ。水商売には原始的な人間の在り方がそのまま残っているような気がする。それで昔から「地頭はいいけど勉強はまったくしてこなかった」山田涼介のような(?)人が「成功した水商売人像」としてあるのではないだろうか(飛躍があるように思えるでしょうが、なんとなく僕にはそこがつながるのであります)。ちなみに山田くんの話は「よにの」で風磨くんが言ってた。
「公の場で物を与える楽しみであり、美的なものへ気前よく出費する喜びであり、客人を歓待し、私的・公的な祭宴を催す喜び」。水商売のプロは、基本的に「宵越しの金は持たない」を信条とする。いや信条でなくとも「そういうもんだ」と自然に思っているようなところがある、ように見える。蓄財する人はするのだろうが、それは入ってくるお金が巨大だからというのと、気前よく使う人のところに(水商売の場合は、特に)お金が入ってきがちだという話なんじゃないかな。
そしてお客のほうも、入ってきただけ使うのが自然だし、なんなら美徳とすら思っている人も多そうだ。そういう人が「水商売の客」に向いている。
水商売の人は、お客から金を搾り取っているように見えるのではあるが、客は客で「与える楽しみ」を享受している面もあるし、水商売の人だって他のお店に行けば「与える楽しみ」を満喫しているのだ。それこそ時に、客以上に。キャバ嬢や風俗嬢がホストにハマりがちなのも、結局はその「楽しみ」というものが、ものすごく原始的に人間の心にズドンと響いてしまうからなのだろう、としか僕には思えない。
僕はといえば、水商売のプロにも客にも向いていない。そういう「原始的な心の持ちよう」から逃げてきたようなところさえある。インテリの悪いところだ。「地頭がよくて、勉強もしてきた」人間の悲しさ。「一杯どうぞ」と店の人に酒をすすめることも、今の今まで避け続けている。そろそろしたほうがいいのかもと思い始めているが。いったい夜卒(よるそつ)なのか夜入(よるにゅう)なのかわからんね。
たぶんそもそも僕は夜の人間になりたくなくて「そこ」から逃げてきたのだ。あらゆる「界隈」に属したくない。どんな常識も内面化したくない。まっさらでいたい。そのように思ってきた。これからもだいたいそのようで行くだろう。しかし前にも書いたように「郷に入れば郷に従う」という原始的な(!)感触を失いたくはない。それは礼儀だから。そのくらいはインテリにだってわかる。心でも頭でもわかりうる、ちょうどいい落とし所なのだ。
何万回でも書くが僕は究極の末っ子であって、「与える」という感覚が一切ない。「与えられる」ことと「奪われる」ことしかない。主は与え、主は奪う。そのような謙虚さが強くある。
僕はたぶん、与えもしなければ、奪いもしたくないのだろう。そろそろそれらを獲得すべきなのかもしれない。
奪われても与えることから。僕の大好きな『自由への扉』(尾崎豊)の歌詞にもそうある。僕はただ奪われたら泣き、与えられたら喜ぶ、よく考えたらもっとずっと原始的で幼い在り方にとどまっている。
改めて。水商売の人はとにかく与える。また奪う。「そういうものだ」と思っている。そういう美学が常識としてある。僕はそこに入っていく、染まってゆくことは嫌だし、しないと思うが、隣接どころか足を突っ込んでしまってもいるので、このあたりのことについて最近わりと考え込んでいる。
「公の場で物を与える楽しみであり、美的なものへ気前よく出費する喜びであり、客人を歓待し、私的・公的な祭宴を催す喜び」を最高の価値とする社会で、水商売の人は確実に美しい。
2024.11.18(月) 人に気に入られるためには
人に気に入られるためにはどうしたらいいのだろうか?
ひとえに「魅力的であること」なわけだが
パッと見て「魅力的だ」と思われることは難しい
「この人は魅力的なのかもしれない」というフックをたくさん身にまとっていることが必要となる
僕だったらたとえばスマホのケースが常にドラえもん、しかも立体的に飛び出ているシリコンのやつ。すごく目立つ。一瞬で普通ではないことがアピールできる。
普通の人だったらこんなもん恥ずかしくて使えない
それでいて堂々としてカッコよいようなかわいいような「なり」をしている(まあ極力)
あまりやりすぎるのはよくないが「手」はいくつか用意しておきたい 僕は喫煙習慣を持たないが吸うとしたら葉巻かパイプか煙管である 紙たばこをフックとして機能させるのは困難だから 肺に入れたくもないし(肺に入れるのも中毒の一因と踏んでいる あと当然ものの質)
スマホを眺めるよりも紙の本を持ち歩いて読むようにするのとかもその一環かもしれない すべては人に気に入られるための戦略と一石二鳥であるといい まあ、極力。
先日、日を超えた真夜中、上野の外れのバーに初めて入った。|に6席、_に2席のL字カウンター(我ながら鮮やかな説明である)のみ。8席のうち7席が埋まっていた。|の端から6席め、_との境界に座った。僕から見て右手に2名、左手に5名のお客がいたことになる。
総計8名のお客は4組に分かれる。2名(男男)、3名(女女男)、僕、2名(男女)という内訳。それぞれ独立していて交わることはなかった。マスターも飲食オペレーションに関わること以外は特に話すでなく、初見で1人の僕に対しても取り立てて発問はなかった。2杯目を頼んだくらいのタイミングで名刺をもらったかな。その程度。
雰囲気は「カジュアル寄りのオーセンティックバー」という感じで、お酒以外の情報は店内にかなり少ない。それでも絵が飾ってあったり楽器があったり、お客さんが描いた(とあとで知る)イラストがあったり、近所のイベントのポスターが1枚だけ貼ってあったりはした。本などは一切なく、小物もたしかほとんどなかった。
僕が入店した時はみんな活発にお酒を飲んでいてマスターは忙しそうだった。とりあえず手間のかからない生ビールを注文した。そしてゆっくりとそれを飲むわけだが、ここで大切なのは「常に見られている自覚を持ってかっこつけていること」だし、「話しかけうる隙を随時つくること」である。僕は孤独のためにバーに入ったのではない。いつだって良き知己を求めている。なんたってそれが商売でもあるのだ。
かっこつけることは難しくない。背筋を伸ばし、表情に気を遣う。本を読んだらやりすぎである。スマホで種々のタスクをこなしつつも、周囲のお客やマスターの意識に「暇」ができたと見たら、かならず画面から目をそらしたり、いったん閉じて机に置いたりする。
具体的にいえば、自分以外の人間が自分以外の人間とのコミュニケーションをいったん休止した瞬間には、こちらも「何かをする」ことを休止するのである。つまり、お互いに「暇」であるような状況を必ずつくる。「話しかけうる隙を随時つくること」とはこのような意味であった。
2杯目はギムレット。メニューブックからジンを選べとのこと、当然ゴードンにした。ライムジュースは明治屋で、シュガーは入れない。僕がつくるものよりはやや酸味が強調されたシャープな感じ。
ビール→ギムレット って流れがカッコイイかどうかは知らない、ここは純粋に飲みたいもの、研究に役立つものにした。
やがて僕の左手にいた5名がほぼ同時に退店した。残った2人はよく慣れたお客さんらしく、「こんなに混むことは珍しい」「何組も断っていましたもんね」「初期のころとは違いますね」とマスターと語らっていた。そして待っていたかのように「ドラえもんがお好きなんですか?」と隣の男性が話しかけてきた。
ドラえもんってのは本当に便利だ。誰だって知っているし、ほとんどの人は好意的に思っている。そして僕は彼(ドラえもんのこと)について簡単に話すこともできるし、どこまでも詳しく語ることもできる。要するにどんな相手とでもコミュニケーションが成立するはずなのである。「かわいい」くらいのところから、地球の中心くらい深いところまでも。間口も広ければ、中に入ってもあまりに広大だというのが、ドラえもんという作品の凄みなのでございます。いや本当に助かっております、いつも。ずっと。
彼(話しかけてくれた男性のこと)はドラえもんがとても好きだと言ったが、ドラえもんについて具体的な話はまったくしなかった。彼は彼で、僕に声をかけるために彼(ドラえもん)を利用したわけである。ドラえもんというのはそういうハブとして本当に有用。冒頭に書いたようにドラえもんは僕が常に身にまとっている「フック」であり、それはたとえばこのように機能すると。
彼(男性)はどうやら、リップサービスでなければ僕のことが相当気になっていたようなのである。知らないバーに1人で来て、ドラえもんのごっついスマホケース堂々と見せつけながら、かっこつけてビールとギムレット飲んでる顔のいい(!)男でありますから。いや「顔がいい」ってのは個人の感想を超えて、先ほど書いた「表情に気を遣う」というところに繋がるのです。造形というより、雰囲気ができているかっていうことのほうがここでは重要だと思う。
ここまでが「魅力的かもしれないと思わせる」という部分で、最大の難所。あとは、自分がその通り魅力的であるということをただ示すだけでいい。
このあとのことは書いても野暮だからほぼ省略するつもりだが、マスターとも、2人のお客さんともかなり仲良くなれたつもりである。男性のほうも女性のほうも飲食店をやっているということなので、自分も同業であると白状した。「今度お店に行きます」とみなさんに言っていただけて、お客のお二方とはLINEまで交換した。こういう酒の場の関係がどのくらい実際続くのか、本当に来てもらえるのかはまったくわからないのだが、そういうもんというか、こういう大小の「可能性」を地道に毎日積み重ねていくことでしか何の実も結ばれない。
いずれにせよこのお店にはそれなりに通うだろう。ほぼ年中無休で、だいたい僕の帰り道にあって、価格も安く、夜学バーが終わったあとでも営業しているようなので。まったく「僕得」ってやつ。そして何より、今日お話しした2人のような「いいお客さん」がいるということが大きい。話の感じだとそういう意味での「客筋」はかなりいいようだ。今日のあとの5名はほぼ新規の方々だったらしい。正直最初のほうは当然退屈だったのだが、帰らずに粘ってみて良かった。そういう判断を自分がどこでしているのかも、いずれ整理してみたい。
さあ、長々と僕はいったい何を書いているのか? はっきり言ってしまえば「どのように客をつくるか」という具体例。スターであったりお店をやっている(立っている)という場合、「魅力的だ」と思ってもらえればお客さんになってくれる可能性がかなり高い。ただそれをめざせばいい。そのためには前段階として「魅力的なのかもしれない」という興味の段階がたいていある。
最近、夜学バーの従業員について考えているのだ。かなり増えてきてくれたから。現在僕以外でレギュラー稼働しているのは3名、来月復帰してくれそうなのが1名、来年度には復帰しそうなのが1名、候補として名乗り出てくれているのが1名。ひょっとしたら6名とかいう大所帯になり、これがなんと平均年齢19歳くらいなのだ。むちゃくちゃな話だ。さらに僕を入れると約17.5歳である。9歳なので。
平均19歳の彼らは、大ベテランであるジャッキーさんに比べれば当然経験も能力もまだ乏しい。もちろん可能性は絶大にある素晴らしい人材しかいないのだが、その魅力を多くの人に伝えて「お客をつける」というところまでたどり着かすのはかなり厳しい。「いかにして僕以外の従業員にお客をつけるか」を最近ずっと考えている。僕もそのためにいろいろするつもりだが、本人たちに動いてもらわなければどうしようもない部分が大きい。しかし僕にも、また当人たちにもいったい何をしたらよいのかわかっていなくて、当座暗誦に乗り上げているという話。
それでいろんなことをいろんなふうに考えているなかで、たまたま上記のような経験が直近であったので記してみた。大事なのは僕の具体的エピソードではない。「魅力的であることを伝えるためには、魅力的かもしれないという興味の段階がたいていある」ということ。
魅力的であることを伝えるためには、魅力的かもしれないという興味の段階がたいていある。
大事なことなので強調しておく。
この「魅力的かもしれない」という段階はインターネットを通じてとか、あるいは店内に何かを仕掛けるなどして実現できるはずなのだ。対面でなくても。っていうか、「魅力的かもしれない」という段階がなければ、まず対面することが難しい。
お客というものは、「魅力的だ」と思ってまず来るのではない。「魅力的かもしれない」と思って来るのだ。だって魅力的かどうかは対面してみて、ある程度長い時間をかけなければわかるわけがない。「どうやって魅力を伝えようか?」と焦るのは実は間違いで、「どうやって魅力的かもしれないと思ってもらおうか」が本当の筋なのかもしれない。文字にするとわずかな違いのようだが、意外と差があると僕は思う。
そもそも「自分は魅力的である」と思える人間なんてほとんどいないのだ。ジャッキーさんとかいう人(僕)も今ではそう堂々としているが、そうすべきだからそうしているという側面だって未だにあるし、昔はまったく自信なんてなかった。
「自分の魅力を伝える」なんてことは考えなくていい。自分が魅力的かどうかなんて、若いうちに確信を持てるほうが異常だし、ちょっとイヤなやつにも見えかねない。また「どうやって魅力的かもしれないと思ってもらおうか」というのも、あんまり考えすぎたって答えは出ない。大事なのは「答えはないよね」ってことなのだ。そう、僕が最近よく言っている「正解などない」ってやつ! 答えがないのだから、とにかくやるしかない、わからなくても恥ずかしくても、とにかく何かを示してみたら、「よくわかんないけどこの人は魅力的なのかもしれないな」と思ってくれる人は出てくるはずなのだ。そう信じるくらいの自信だけは、持っていていただきたい。僕が信じている君たちなのだから。ヤー本当に。
面倒くさいから何もやんない、っていうんならとっとと辞退していただいたほうが夜学バーのため。「苦しいけどやってみるか」と思える人でないと(夜学バーに立つのは)難しい。心からそう思います。こんなもん、狂った店なんだから。
「わからなくても恥ずかしくても、とにかく何かを示してみる」って実践は、たぶんこのホームページの日記がそのものじゃないでしょうか。15歳の頃からの日記を(検閲されたものを除いて)ほぼすべて残しているってのはすごいことだよ我ながら。僕の十代の時の日記をちょっとでも読んでみなさい、ずっと悩んで迷って調子に乗って、恥ずかしいことばっか言ってるよ。今読み返したら明らかに間違っているようなことも含めて。でもそれがまったくダイレクトに「魅力的かもしれない」って感覚に繋がるというのは、ホントちょっと読んでもらえたら分かるんじゃないかと思います。「魅力的かもしれない」っていうのは、「この人は正しいことをしている/書いている」ってこととはあんまり関係がないのです。たぶん。
↑のお店のあとに寄ったお店のこともたぶん書きます。(メモ)
2024.11.19(火) 谷川俊太郎と「少年Aの散歩」
2000年3月、瑞陵高校の試験で同じ教室だった女の子が気になった。机の下に写真出してずっと眺めていた。4月から向陽高校に通い出したら同じ通学路を自転車でその子が走っていた。毎朝のように見かけるのでなんとなく知り合って話していたら谷川俊太郎の名前が出た。彼女は必ず「俊太郎さん」と呼んだ。今思えば「なるほどなあ」という感じなのだ。ハルキ文庫の『谷川俊太郎詩集』を借りて読んだ。その中の『少年Aの散歩』という詩を僕は非常に気に入った。角川文庫や岩波文庫のには入っていない。
高校時代の日記タイトルは「ひごろのおこない」だったが大学に入ってしばらくするとプライベートを公開することの問題がいよいよ無視できなくなった。内省的な記事もどんどん増えていくし潮時とタイトルを改めた。はじめは「少年Jの散歩」で、じき開き直って「A」に直した。
で、20年くらい経ってこの11月にまた「ひごろのおこない」に戻したのだが、まさかその月のうちに谷川俊太郎さんが亡くなるとは思わなかった。11月13日。12月15日で満93歳になるはずだった。早朝寝る前に訃報が出た。
散歩という言葉や行為については散々書いている。ところで『少年Aの散歩』という詩は全体としてもちろん詩なのであるがずいぶん散文的、すなわち「文章のよう」である。谷川さんは最近こう言っていたらしい。
「音楽は、無意味だからこそ素晴らしい。意味を引きずる言葉をどう無意味に近づけるか。それが詩の問題なのだと僕は思っている」
「散文は絶対、音楽には近付けない。詩も、長ければ散文になるからやっぱり近付けない。意味が生まれちゃいけないんだ」
「意味から一切離れるってことは不可能だから、究極にあるものは、僕は『存在』と呼んでいる。言葉はその存在に一生懸命迫っているわけだけど、存在そのものにはなれない。その場合には、言葉を通して存在の手触りみたいなものに近付くしかないというか。俳句なんて特に、言葉で直接存在に触る世界でしょ」
(朝日新聞デジタル 11/19)
詩について僕は常々、佐藤春夫を引用して「言葉の意味以外の要素を珍重する」ものだと書いている。谷川さんも「意味」なるものからいかに離れるか、を考えてきたようだ。ただ谷川さんはとことん「ポピュラー」であろうとする(岩波文庫の自序などを読むとそう見える)人なので、「意味から離れることはできない」ということにも重きを置く。
谷川さんが「最も有名な現役詩人」で居続けたのは、何より「売れていた」からで、なぜ売れていたかといえば、「言葉は完全に意味から離れることはできない」と自覚していて、だからこそ「意味」を巧妙に使えていたからと僕は思っている。
「少年Aの散歩」はまさに、その「意味」の部分が巧妙に胸に訴えかけてくる詩である。それで若き日の僕は「とてもいい!」と思ったわけだが、「意味から離れる」ことが詩の本質とすれば、ある意味では「意味すぎる」谷川さんの作品にいつからか物足りなさを感じるようにもなっていた。
20
本当に大切なことは何万年来不変です
そしてどうでもいいことは
もう言い尽くされていると思うんだけど
(谷川俊太郎/少年Aの散歩)
このどこに「意味」以外のものがあるというのだろう?
分かち書きしているただの文章ではないか。
でもこれは確かに詩らしいのである。
これを詩だと思わせてしまうところが谷川俊太郎の凄さなのかもしれない。すなわち、凡百の詩人がごとく「言葉から意味を抜き取る」ような仕方でなくて、「言葉に意味が宿ることを認め、受け入れ、その上で、意味のまわりに詩をまつわりつかせる」というような手法をとっているんではないかと僕は今やっと思うのだ。
谷川さんの詩には必ず意味がある。文章のような詩ばかりである。それが僕にはややつまらなくも感じられるのだが、誰にでもわかるようにというポピュリズムと、意味は消せないという諦観から結果したことだとしたら、一転、非常に面白い。
さすが哲学者の息子だよなーとか、適当かつ失礼なことも書いてみる。むかし小沢健二さんがSkype出演した西成のイベントに谷川さんが来ていて、「お金持ちの家に生まれてエリートに育つと罪悪感からああいう考え方になりがち」というようなことを小沢さんについて仰ったのもまあまあ失礼だったとは思うので、まあまあ失礼なことを書いてしまってもいいだろうと勝手に思って書いてしまった。
その時、悩んだけど「こんな機会は二度とない」と20代初頭の若き僕は谷川さんに話しかけ、「少年Aの散歩っていう詩が好きでホームページの(日記の)タイトルにも使ってるんです」というようなことを伝えたのだが、「そうですか、ありがとうございます」くらいの反応だった。あまり思い入れがないか、覚えていないのかもしれない。どんな題を言われても似たような反応だった可能性もあるけど。
誤解なきよう書き添えておくが僕は谷川俊太郎さんのことが好きである。生涯に一度でも言葉を交わせて良かったと本当に思っている。でなければ20年以上も詩のタイトルを盗用しない。にしてもそれをやめてすぐに亡くなるというのは。いろいろ切り替わるタイミングなのだ。引き払いブーム。
何について「なるほどなあ」と思ったのかは、ナイショと書くつもりだったがここまで書いたら少しだけ。要するに谷川俊太郎というのはそのような存在で、それをそのように好きだということはそのようなことなのだ。
千ちゃん元気かな、ってFacebookで見てるけど。
2024.11.20(水) 「フック」と奇蹟
一昨日の続き。谷川さんの訃報が入ったので。
その日は2軒のお店に入ったのである。日曜の夜、夜学バーが閉店する頃には湯島の街は静まりかえっている。なじみのお店はほとんどやっていなくて、いつもさみしく帰宅するわけだが、なんだかちょっとだけ寄り道したくなって初めてのお店に勇気出して行ってみたわけです。
1軒めではすでに書いたとおりずいぶん気に入ってもらえた。わりと決め手はショップカードだった。ふだん東京ではあんまり営業活動をしないのだが(と言っても最近は以前よりするようになった)、名刺をもらったら返すようにはしている。それでマスターと、隣に座っていた二人にお渡ししたら、みんなもう長いこと手から名刺を離さないでずっと見てくれていた。女の人からは「こんなにスッと入ってくる文章は『舟を編む』以来」みたいなことを言われた。本屋大賞レベルの名刺、ってコト?
これも先述の「フック」なのである。武器というか。アイテムというか。RPG脳だからそういう発想になる。細かな所作とか言葉の工夫とかは魔法(ドラクエだと呪文)って感じか。
どうでもいいけどドラクエ1から4までファミカセ買ったからお店で少しずつやる。3のリメイクが最近出て、そのうち1と2も出るみたいだから3→1→2→4の順で。
話が盛り上がって思ったよりたくさん飲んだので調子づいてしまいもう1軒行くことにした。東上野の一角にゲイタウンがあって、そこにちょっと気になるお店ができていた。店主はゲイのようだがノンケや女性もOKらしい。朝までやっているしなんとなく悪くない予感がした。
看板に「女性お一人様でもお気軽に」とあって、基本はゲイバーなのにそこまで書くもんか?と訝しんでいたのだが、あとで聞いたらこういう事情らしい。「ゲイの中には女性とお酒を飲みたくないって人がけっこういるので、このお店には女性がいる可能性がありますよ、と伝えているんです」。なるほど。
最近トラックドライバーから転身して開業したとのこと。そのせいもあるのだろうか、おそらく長年この業界にいた人ならばこういう店作りにはならないだろうな、と直観する部分がいくつかあった。ゲイバーでもなければミックスバーとも言いがたく、ただ「ゲイが経営するバー」という感じ。たぶん日によって様子は変わるんだろうし、何度か行ってみないとわからないけど。
メニューをパラパラと見て、バーボンのページで数秒目をとめただけで「バーボンですか?」と訊ねられた。バーボンが好きで、品揃えも多いらしい。かの「ヴァージン7年」がワンショット4000円で出ていた。聞けば「いちばん好きなお酒」とのことだ。えー、僕もなんですけど。ジャッキーさんの「引き」すごすぎない? んまあヒットしうる球数が自身の中に多いからってのもあろう。
ここでは「気に入られた」とまで言えるかはわからない。悪い印象は与えなかったと思う。また行ってみます。バーボンを2杯飲んだ。ノーチャージだけど店主がほぼ自動的に一杯以上飲む(その会計はもちろんお客につけられる)ので実質800円~。面白い方式だ。
なるほど。チャージで1000円前後取りつつ、店主がほぼ自動的に飲んで+1000円前後、というお店もけっこうあるけど、これは二重取りのようなもんなんだな。逆にいうと夜学バーはチャージが1000円あるがゆえ「一杯いただきますね?」をしなくてもなんとかなっているのだ。もしノーチャージだったら僕だって「いただきますね?」をやっているのかもしれない。経営的な事情で。僕はそんなにお酒飲めないし、原価とか手間とか洗い物とか考えるとチャージシステムのほうが合っている。いろいろ勉強になるもんだ。
また別の日。ふらふらさまよって、浅草の朝までやっているバーに初めて行ってみた。そこは「ほぼガールズバー化している女性店主の店」で、下ネタの混じった軽快なトークが男性客たちと交わされていた。お酒は種類、味ともに並。ピーコのファッションチェックくらい辛口になっちゃってるが、まあ。
えー、チャージ800、ジョニ黒ソーダで1000、+10%消費税で1980円。うむ!「ガールズバーと思えば激安だがこの質のカジュアルなバーとしてはやや高い」という絶妙なライン。邪悪なのは、この価格だと「ガールズバーより安く若い女と喋れる」という需要が大発生することである。明らかにそういう客(個人の見解です)が二人いた。700円のビンビールを飲みながら若い女と下ネタや自分の好きな音楽の話を垂れ流し続ける男性たち……。そして基本的には僕のことを無視しながら「暑くないですか?」「ご近所にお住まいですか?」など通り一遍の質問を10分に一回ずつ(計3回)だけ投げかけてくる女店主……。どうしたらいいんだ!ということで店を出ました。
その近くにまだやっているお店が数軒あったが、どこも何か違うなと思って、まあ帰ろうと隅田川を渡ったところで、「あーそういえば」と思い出したお店があった。曳舟駅から少し離れて、「なんでこんなところで?」という謎立地のバー。4時まで営業している。奇特なもんだなと覚えていたのだ。
あとから聞いたが、もともと「駅から離れた住宅街で、朝まで営業できる10坪前後のハコ」という条件で物件を探したらしい。街はどこでも良かったと。50歳まで人生の半分以上を飲食業に従事してきた。直近は管理職、脱サラしてお店を開いて3年め。さすがというか、ドリンクも美味しかった。値段も安い。住宅街でワンオペなら安くなくてはならない。(イヤそうとも限らないけどそういうもんですよね。)
いろいろ話して、気に入られたかはわからないけどフラットな関係は築けただろう。しかしそんなことより、ギムレットを頼んだらずっと探してたグラスで出てきて驚愕した。夜学バーでは「雪国専用」として使っている。雪国というカクテルの開発者が晩年に使っていたのとまったく同じもので、僕は三脚しか持っていない。うち一脚は酒田市の「ケルン」から頂いたものなので、おいそれと使えない。実質二脚。もう絶対に割ることはできない、どうしよう、どこを探しても見つからないし、と思っていたのだが、このお店にはズラリと並んでいる。いったいどういうことなんだ?
三年目のお店だったら最近買ったはずだと、どこで買ったのかと詰め寄ってみたところ、意外な答えが返ってきて、調べたら確かに、そこに売っていた。灯台もと暗し。もう心配することはない。でも売り切れる前に買わなきゃな。
ホッとしたのでもう二杯飲んでしまった。ギネスうめー。
プロってのは何らかの奇蹟を現場で起こせる人だって橋本治さんが言っていたんだけど、まあ今回のこの記事でいうと「ヴァージン」とか「雪国のグラス」とかがほんのささやかながら奇蹟みたいなもんですね。いや別に現場で何かしたわけじゃないんだけど、「夜の街」という巨大な概念を僕の現場だとするたら、どのタイミングでどの店に入って、何を頼んでどういう振る舞いをするか、みたいなところに奇蹟の引き金はあるわけで。そこの精度はだいぶ高まっているなというのと、結局奇蹟ってのは「素材の組み合わせ」でできていることが多いんで、いかに素材をたくさん持っておいて、それを出したり置けたり足したりできるか、ってところが肝要になってくる。それに慣れてくるとだんだん直観が研ぎ澄まされてきて、思考とか理屈とかが一切なくたって奇蹟が勝手にやってきてくれるようになる。や、ホント。
2024.11.21(木) 本当のスタイルはオリジナルである事
19日に髪を切った。だいぶ短くしたが2日も経つと見慣れてくる。今回もセルフカット。未だ一度もお金を払ったことがない。両親と自分以外で髪にハサミを入れた者は誰もいないのである。バリカンは一回、たかゆきくんにやってもらったけど。中学時代の大親友。
最近ずっと髪は長めに切っていた。昔は面倒だからうんと短くして、時間かけて伸ばして、また短く切って、ってやってたけど、長めに残したほうが簡単だし、早く終わることに気づいた。それでまあ、だいたい似たような髪型をずっと続けてきたんだけど、なんか今回は短めにした。短髪ってほどではないけどだいぶスッキリはした。
髪が長いと耳とか眉が隠れるから、僕の本当の顔を知っている人ってあんまりいないんじゃないかな、って思ったのもある。長髪って誤魔化せますから。髪が顔の一部になるというか。今はわりと「顔=顔」って感じになってる。
こないだ「西川きよしのコツコツ大冒険ライブ」ってのを神戸まで観に行ったんだけど、そこでもきよし師匠はおなじみの「耳出しや~! 売れへんで!」みたいなこと言ってた。芸人はちゃんと耳出して、なんならオデコも出して、しっかり顔を覚えてもらわないとダメ、みたいな話。そういうのもあったかもしれない。冬なんだから長めにしときゃいいのにね。これも逆張りってやつなのか。
我ながら目と眉が実に優れているので、それがよく見えるのはいいな。今の髪型が似合ってるかどうかとか、長いほうが好みだとかそういうのはすべて置いといてもらって、眉毛が見えるのは非常に良いことだ。生まれてから一度も整えたことのない、天然の眉。だから僕はオリジナルな顔をしているというのだ。裸眼だし。
ここはけっこう大事なところで、眉を整えるということは「眉を整えている人たちと似たような眉」になるということで、眉を整えないということは「整ってはいないかもしれないが他のどこにもない唯一の眉」になるということ。ジャッキーさんとかいう人のユニークさは、実はそういうところにも宿っている。
髪を自分で切るのもそうで、美容院に行くと、似合うかもしれないが「他人の思惑が入った髪型」になるのは絶対に避けられない。すべて自分で切るとなると、すべて自分の責任であり、すべて自分の美意識が出る。似合うかとか、カッコイイか、かわいいか、ということとは別の領域。そこにジャッキーさんという人物の、単純な美醜では測りきれない魅力の秘密があるというわけなのだ、たぶん。
「常識に寄っていく」ということを、顔からして拒絶している。これは相当勇気がないとできないし、それなりにもともと整っているからできるのでもある。何より男の子だし。女の子だったらどういう考え方をしているんだろうな、というのはたまにシミュレートするけど、わからない。どういう見た目をしてるんだろう。
ともかくまあ、このまま伸びていったらまたしばらくは長めに維持していくと思うので、短めなうちに見に来てね。切るのは下手だから、笑わないでね。
2024.11.22(金) 1988年のドラクエ3
ドラクエ3を始めた。リメイク版ではなく、一番最初(1988年2月10日発売)のファミコン版を実機で。バックアップ用の電池は取り替えてある。勇者「じゃき」武闘家「とっぴ」商人「らな」遊び人「じらふ」。あとで町を作らせるための商人は「あん」にした。何もかもわからないと思いますが『宇宙船サジタリウス』というアニメから名前を取っている。宇宙便利舎のみんなと冒険ができてうれしい……。「しびっぷ」は文字数が2文字も超過するので諦めた。ファミコン版では濁点もカウントするので。
ご存知の通り(?)僕は「1988年から1995年までの子供向け文化」をこよなく愛するのだが、その世界観の背景には当然このドラクエ3もあるだろう。アニメでは同年4月に始まった『魔神英雄伝ワタル』が象徴的作品だが、これもRPGすなわちドラクエシリーズの影響なくしてあり得なかったはずだ。つまり、鳥山明はすごい。
日本のRPGの基礎ってのは『ももたろう』にあると思う。ポケモンの主題歌(1997)で「仲間をふやして次の町へ(待ってる)」と表現されているのは、まさに『ももたろう』そのものなのだ。
あるいは、どっちが先にあたるのかは難しいが、古い物語としては『西遊記』もある。あれも「仲間をふやして次の町へ」という感覚の物語(として日本人は受容ないし脚色しがち)である。
『ももたろう』にしても『西遊記』にしても、発生とか変遷を考えると面倒くさそうなので、ともかくここでは「近代の日本人が好んで受容してきた物語類型の代表例」として掲げさせてもらおう。両作品に共通するのは「パーティ(一行)」を組んで「旅をする」というものだ。そしてそこには「目的」がある。鬼を倒すとか、お経をもらうとか。これが日本のRPG、特にドラクエシリーズに完璧に当てはまる。「パーティ」を組んで「旅をする」、そして目的は「魔王を倒す」。
ドラクエ1作目については主人公一人で戦うので「パーティ」という考え方は適用できないが、こないだ『X年後の関係者たち』という番組で「ドラクエ3のようなゲームを作る前段階として1と2があった」というようなことが話されていて合点がいった。本当は「パーティ」をやりたかったのだが、プレイヤーがまだそれを受け入れるまで成熟していないし、載せられるデータ容量もノウハウも足りなかったということなのだろう。『3』にして初めて、当初描いたゲームが実現できた、という話だと僕は受け取った。
ただし、戦わないまでも途中でローラ姫を助けて二人で旅をするくだりはある。上記の話を踏まえると、あれがせめてもの「パーティっぽさ」の演出だったのだろう。
鳥山明先生の『ドラゴンボール』(1984-1995)はもちろん『西遊記』である。そしてその鳥山明先生がビジュアルデザインの大方を務めた『ドラゴンクエスト』は『西遊記』や『ももたろう』の西洋中世版であろう。和風にしたら『ももたろう』になるし、中華風にしたら『西遊記』になるのだから、西洋風にするしかなかったのではないだろうか。
で、これまで何度も語ってきたがドラクエの会社(エニックス)が創刊した『少年ガンガン』(1991-)という雑誌の世界観はドラクエの影響著しく、「パーティ」「旅」「目的」の三位一体、あるいはその変奏のような作品が数多くあった。僕はそのようなものが大好きなのだ。
『ドラゴンボール』の目的は当初「〇〇を倒す」ではなくて「世界中に散らばっているドラゴンボールを探す」だった。ポケモンなら「ポケモンマスター」をめざすのだしワンピースなら「海賊王に俺はなる」ないし「ひとつなぎの大秘宝を探す」に置き換えられ、それを求めて「パーティ」組んで「旅をする」。日本人がとにかく好きな類型なのだが、これが『ドラクエ3』によって象徴的完成を見た、なんて言ったら言い過ぎだろうか。その10年も前にもうマチャアキ主演の『西遊記』だってあったし、探せば(探さなくても?)いくらだって似たような話はあるんだろうけど、『ドラクエ3』の完成度と売れ方、そしてその影響力はとりわけ凄まじかったように思う。そしてそこには鳥山明という偉人(生粋の愛知県民)がいた。
とりあえず昨日、営業後朝までやってノアニールまで行った。プレイを続けながら考えたことをちまちま書いていくと思う。
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