少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。
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2022.11.1(火) 『うさぎとたぬきと柿』初演を終えて
2022.11.9(水) 評価されていこうかなー
2022.11.13(日) 心眼を磨き、肉体を見抜く
2022.11.19(土) しろうととくろうとのちがい
【最近書いたHP外のおすすめ文章】
・夜学バーInstagram「
見た目について」
・夜学バー日報(ジャーナル)
実感三部作(もしURL変わってたら日付で追ってください。2022/11/25-27)
忙しすぎて更新あんまりできていないので、とりあえず↑とか読んでいてくださいませ><
仕事の一部を他人にお願いしたり、誰かと一緒にものをつくったりするのが年末〜来年の目標。
(2022/11/28記)
2022.11.19(土) しろうととくろうとのちがい
ってなんだろうって思って、それは結局「他人の目を意識できているか」に尽きると思った。
幼いころ、「プロっていうのは、それでお金をもらってる人のこと」って聞いて、そんなもんかと思ったけど、それすなわち「他人にほしがらせて、提供する」ってことで、ようするに「他人の目を意識している」ってことなのだ。
端的に言えば、客観性。それが玄人ってことで、またプロってことだと。
主観だけでやってる芸術家を想像しよう。見る人がどう思うかはさておき、自分は自分のやりたいようにやる、作りたいものを作る。
そういう人が、玄人であるか、プロであるかというのは、絶妙。洞窟の中で壁画描いてて、それがめっちゃすごいんだけど、べつにそれを商売にするつもりはない、って人は、玄人とかプロっていうと違和感ないですか? それを誰かが写真撮って絵葉書にしたり、入場料とって見せ物にしたりするなら、そのビジネスを遂行している人こそが、玄人とかプロといわれる可能性ありそう。
アーティストで、衣裳とか、表情とかに常に気を遣って(それが成功して)いる人は、玄人なわけだ。あるいは、「おれはあえてそれをしない」と、完全に自然体、作り込まないでやってる人も、それを意識的にやっている以上は、玄人かもしれない。(ンマーこんなのは言葉の定義転がし、遊びに過ぎませんよ、わかってますよ。もう。)
ただ絵を描いていて、それが評価されていることが玄人なのではない。「こうすると良いと思ってもらえるだろう」と思って絵を描いて、実際そうなることが、玄人なのである。ここでは。
たとえばバーで、オレンジジュースを提供するというとき、どんなオレンジジュースを買ってくるか。「できるだけ儲かるように、原価の安いのを選んだ」というだけでは、素人である。自分の事情しか考えていないから。「多くの人に美味しいと思ってもらえる」とか「パッケージがかわいい、かっこいい」「健康によい、からだに優しい」といった、お客の視点に立った基準を導入してこそ、玄人なのだ。その上で、「できるだけ安く抑える」とか「値段のわりに美味しくてかわいい」というような「現実的な妥協点」を浮かび上がらせる。それこそプロの仕事というやつ。
安さで選ぶにしても、「これなら安い値段で飲んでもらえる」という、お客視点の発想をするのが玄人の発想なのである。
素人はオレンジジュースを買うとき、特に何も考えない。考えたとして、「安い(自分が得をする)」「(自分にとって)おいしそう」「(自分にとって)かわいい」といった、自分視点の発想でのみ選ぶ。玄人は常に、自分の感覚と他人の感覚とを照らし合わせ、すり合わせている。
僕はバーをやっているのですが、営業中は常にその場にいるすべてのお客さんの「気持ち」を想像している。それが正解かどうかはわからないが、常に考え続けることが玄人たる唯一の道なのだ。また、まだその場にいない、これから扉を開けて来るかもしれない「未来のお客」の気持ちさえも想像している。「いまこのお店に入ってくるお客さんは、どういう気持ちになるだろう」と考えて、その時に「うわっ、嫌な雰囲気だ」と思われないような状態を常に保ちたいと、常に考えている。(たぶんそのせいでめちゃくちゃ疲れる。)
それは演劇をするときでも、授業をするときでも同じだと思う。
煙草を吸うにしても、玄人の吸い方は、他人のことをちゃんと考えた吸い方なのだ。煙の流れをしっかり見据えて、常に手の位置を動かしている。息を吐く強さや方向もコントロールする。何も考えない素人のタバコは野蛮、異様に煙たくてうざったい。酒の飲み方だってそう。なんだってそうなのだ。玄人というのはカッコイイ。なぜかといえば、他人のことを常に考えているからだろう。つまり優しいってこと。ちゃんと優しい人は、常にカッコイイものだ。
2022.11.13(日) 心眼を磨き、肉体を見抜く
肉体を信じている。
この詩は3日前、2分で書いた。愛する友へ。離れて、互いの顔も声も気持ちもわからなくても、据え置いて肉体はある。長い間続いてゆくよ、友情。
昨日、駒沢大学で「ベーシックインカム学会」というのがあって、お店の開店を遅らせてまで行ってきた。一般2000円(僕は学生なので1000円)、交通費と往復2時間のコストもかかる。生配信で見ても1000円だったので、「お店を営業しながら再生しつつ画面録画」というのも一つの最適解だったろう。しかし僕は肉体と会いたかったのである。めあては、苫米地英人さんによる
基調講演。
この日記で苫米地(畏敬を込めて呼び捨て)について言及した最初は、
2010年3月11日。覚えている、吉祥寺のブックオフで『洗脳支配』という本を「ジャケ買い」したのである。それまで苫米地の苫の字も知らなかった。先入観なく読み始められたのは、はっきり言って幸運であった。
僕は洗脳について強い興味を持っていた。18歳の時に
特定の宗教団体に騙され、洗脳合宿への参加を余儀なくされたことも経験として大きいが、もっと広く「思い込み」というものの恐ろしさや嫌悪感を幼い頃から感じていたのだ。それでたぶん手に取った。またその頃、小沢健二さんの『うさぎ!』や『おばさんたちの案内する未来の世界』に多大なる影響を受けていたことも手伝う。世は「ひふみよ」(小沢さん13年ぶりの公式コンサート)の直前であった。
2010年3月の段階では、ただ率直に「苫米地という人の本を読んだ」と述べているだけだが、しだいに彼が「なんだかアヤシイ感じの人間」であることがわかってくると、
2011年6月26日のような書き方になってくる。引用する。
苫米地氏は意外とかなりまともなことを書いているのに、「脳科学」とか言うから途端に胡散臭くなる。売るための方便ということだろう。苫米地氏はたぶん、どんな著作活動に関しても「脳とか言っとけば飛びついてくるような愚かな層の人々をこっそり教化する」という目的を裏に持ってんじゃないかなー。『洗脳支配』とか読むと相当真面目な人のように思えるんだが、近年の頭悪そうな(タイトルの)本の乱発っぷりは尋常じゃない。苫米地氏が頭悪いというわけでなく(ある意味で狂っているというのなら否定しないが)、わかっててわざとやってんじゃないか? と邪推したくなる。どの本にも「自分で考えろ」というメッセージが通底していて、結局はそれだけを伝えたい人なんだろうなと感じる。頭が良すぎるがゆえ人々が愚かに思えて、善人であるがゆえ(あるいは悟ってしまったがゆえ)人々の蒙を啓こうとしているのではないか。すなわち「どのような方便を使えば多くの人々の頭を良くすることができるのだろう」と真剣に考えた結果が、今の彼の姿なのだ。こういうところが釈迦の思想に通じるのだろう。(2011年6月26日の僕の日記より)
この時の僕の苫米地評はさしてズレてない。本当は彼は「認知科学」と言いたかったのではと思うが、この頃は時流に乗ってか「脳」「脳科学」という言葉を多用している。2014年1月に『認知科学への招待』という本をサイゾー(自社みたいなもん)から出し、2015年からは「脳」という単語の入った著作が急激に減る。楽天ブックスに登録されている255作品を時系列で並べ替えると、ここ5年くらいでほんの数冊しか「脳」の本は出ていない。「脳」も方便。
ここから11年半、僕はずっと彼の動向を追い続け、たまに本を読んだりTwitter見たり、TOKYO MXの『バラいろダンディ』やネットの動画を見たりしている。年を追うごとに彼の「パッと見の異常さ」は薄れ、「意外とまともなことを言っている」というイメージになってきている、と、思う。たぶん。
しかし一度も僕は苫米地さんを肉眼で捉えたことがなかった。捉えるべきであろう、と思って昨日、行ってきた。大きな講義室の前から三列目中央に座り(強火)、ほんの3メートルくらいしか離れていなかった。
オンラインとの最大の違いは、「誰に向かって話しているか」が明確にわかる点である。聴衆の雰囲気を受けて話すのか、そうでないのか。どちらに目線を送り、その先にはどういう人たちが何人くらいいるのか。また、自分(僕)と目を合わせることがあるのか。合ったとき、こちらが目を逸らさなければどうなるのか、なんともならないのか。などなど。すなわち僕流に言えば、ちゃんと「関係」なるものを適切に意識している人なのか、はっきりとわかる。オンラインとオフラインとでは、情報の量も質も格段に違う。全身が見えるし、大きさもわかる。
ちなみに、前から三列目の中央にいる僕とは、何度も目が合った(と僕が思うような目線の置き方を頻繁にしていた)。その時、彼はまっすぐに僕の瞳を見つめ続けた(と僕が思うような目線の置き方をしていた)。
近かったので、細かな表情も、反応の速度も、機転も何もかも鮮明に伝わった。硬さも柔らかさもよくわかった、気がした。肉体はわかりやすい。顔が小さくて背が高くなくて、シャツにネクタイにジャケットに迷彩ズボン、クロムハーツのジャラジャラをぶら下げていた。
人生というのは(急に主語がデカくなる)、初めて出会った人について、「その人がインチキであるかどうか」を瞬時に見極めるための修行である。今のところの僕の人生にかけて、うむこの人はやはりインチキではない、誠実なイイヤツだ、と僕は思った。そうでもなかったとしたら、僕の目は曇っているか霞んでいるということで、修行が足りないってこと。
年老いて、「こいつはインチキ野郎だ」と見抜けなければ、騙されて身ぐるみ剥がされる。そうならないために、我々は人生をかけて、ひたむきに心眼を磨くのである。
2022.11.9(水) 評価されていこうかなー
ほんの少しずつ「評価されていこうかなー」という気持ちが強まってきた。11月1日と7月11日と、1月1日と4月1日と9月1日に僕はささやかに一念発起する。だいたい2024年度くらいから徐々に評価され始めるよう、少しずつ準備していきます。2027年にリニア東京名古屋間開通予定、2035年には大阪まで開通予定かつ『まなびストレート!』元年です。「評価とは何か?」っていう中身についてはまったく何も考えておりません。
いきなり評価を取りに行くと前のめりになり「変わっちまったな」と言われてしまって悲しいのでゆっくりとやります。まず自分の身体を慣らしていかねばなりません。
ここまで読んで「何を言ってるんだ?」「大丈夫か?」「変わっちまったな」とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、僕の言う「評価される」「評価を取りに行く」というのは、単純に「しっかりやる」というだけのことで、何か本質的、根源的なものを変えようという話ではない。もっと言えば「まとめる力」を意識して鍛えていこうというだけ。
芸術家としての僕のポテンシャルというのはこないだの『うさぎとたぬきと柿』がすべてである。良く言っても悪く言っても「あの程度」のものは一週間でいつでも作れる。あれは個人的には素晴らしい作品であったが、まとまりに欠け、物語として感動しない(演劇としては感動する!)。なぜかといえば、時間と手間をかけていないからである。直観だけであれだけできるのは我ながら偉いもんだが、それをブラッシュアップさせて完成度を高めていく根気に僕はまったく欠けている。
『少年三遷史』も『9条ちゃん』も『小バー』にしても、他のどの作品も、終盤が劣る。中学のころ将棋道場に行って、おじいちゃんたちに「天才あらわる!」なんて最初はもてはやされたのだが、終盤であっけなく逆転され、「詰めが甘いね」なんてがっかりされたことがある。なんだって僕は昔からそうなのだ。
漫画にしても詩にしても、ササッと書いてすさまじい輝きを放つことは多々あるが、「作品」として全体を見たときにはやはり劣る。まとめきれない。自覚があるんだが、脳がそれ以上考えることを放棄するのである。なぜなのか、何十年も目を背け続けているからわからない。
そこに目を向けてみようというのが、今年の11月1日の「念」というわけ。
僕はあまりにも直観を信じていて、それ以上に良いものはあるべきでないとさえ思っているきらいがある。自分の思考や技術よりも、直観のほうが絶対に優れているという自信がある。裏を返せば、自分の思考や技術にはさして信頼を置いていないのである。なぜなのかは、これから考えていく。
ずっとやってこなかったんだから無理してやんなくても、永遠にこんなままでいいじゃん? とも思わないではないが、そろそろ味変もいいだろう。単なる洒落だが、人生さえ「終盤が劣る」なんてことになったら目も当てられない。せっかくここまでカッコいいんだから、最後までカッコよくあるために、できることは試みておきたいものだ。
僕のすべては分散していて、まとまりがない。発達障害の発現でもあろう。だから誰かマネージャかプロデューサみたいな人がいてほしいってのは常々思ってきたけど、やっぱ自分でやんないとしょうがないんだよね。ひとり芝居を完全にひとりで(ギターのコードづけは手伝ってもらったけど)できたんだから、あとはそれを研いていくだけのはず。しっかりやって、褒めやすくなりたいわね。
あと分散してると手伝いにくいよね。とりあえずお店を手伝ってもらえたら僕に時間ができて色々やれるんだけどな。それもゆっくりやっていきます。「今は目の前にタネまいて待とうぜ」的な。
芸術まがいのことをいろいろ試してみて、果てはひとり芝居までやり、年も重ねてきてわかったのは「直観の限界」なのである。
直観において今んとこ致命的な衰えはない。『うさぎとたぬきと柿』は本当に、まあ並の人間にできるようなもんではなく、なかなかやるなーと自画自讃するものなのですが、逆にいうと直観のみでは「あの程度」しかできないのだ。それがよくわかった。応援が必要なのである。直観を補完する、優秀な能力たちの。ここからはいろんなところが弱まっていくわけだし。協力しないと。
ところで『うさぎとたぬきと柿』アーカイブ映像つき上演台本2000円以上で販売始めましたのでよろしくお願い申し上げます。そのうちこのサイトにも演劇のページかなんか作ると思いますが、とりあえず
ツイート貼っときます。欲しい方、見たい方、なんにせよご来店ないしご連絡ください。
ここまでんとこは、僕自身が作品であって、僕の作品はいわば「作品内作品」としての機能が強くて、たぶん一番評価されてるのは「夜学バー」なんだけどそれすら「作品」としての独立した強度はいまいち。それをまあ何年か後には、僕という作品と僕の作品とがそれぞれ独立して価値を持つようなものにしていけたらというようなことでもあります。それはいわゆる「売れる」とか「有名になる」ということではなくって、ただ「評価しやすくなる」くらいのこと。で、僕という作品と僕の作品とが各々見られることによって、その相互作用で僕のかっこよさ、立派さも高まっていく。それによって「すてきなジャッキーさん」の寿命を延ばしていこう、なんつう計画なわけであります。
すごく単純には、面倒くさがるのをできるだけやめて、もうちょっとだけ他人に寄り添っていくことも覚えていきましょうというような話。独りよがりだから、あまりにも。できるまでたぶん何年かかかるけど、気長にやりますんで変わらずごしえんお願い申し上げます。
2022.11.1(火) 『うさぎとたぬきと柿』初演を終えて
こちらの記事でお知らせしたように、夜学バーでのひとり芝居を2公演、お誕生日におこないました。劇団ぼく『うさぎとたぬきと柿』2公演。
自分が単独で演出したお芝居としては高2の夏の『少年三遷史』以来なのかも。『イワンよりもばか』は(僕のせいで)上演できず、『ほうかごのこうえん』は事実上■との共同演出、『なにをする!』はじつは僕でなく後輩のT橋が演出。その後客演(?)したり音響オペしたり即興劇に出たりはしたけど、「自分が演出して上演しました」と胸を張って言えるのは実のところこれで2本目なのだ。自分でもなんだか意外だった。
すなわち、演劇人(!)としての僕の代表作は『少年三遷史』(2001)と『うさぎとたぬきと柿』(2022)ということになる。そのくらい重要な作品であるわけだ。データを残さなくては。というわけで時系列を追って、上演までの流れをまとめておきます。
2001年1月7日あるいは5月27日(たぶん後者、調べればわかるはず)、NHK『笑いがいちばん』で楠美津香さんのひとりコントを初めて見る。井上陽水の『リバーサイドホテル』から始まるやつ。完璧に惚れ込んで100回くらい観る。
2007年11月14日、労音東部センター(北千住)にて楠美津香さんのひとりシェイクスピアを初めて観る。演目は『超訳オセロー』。感想は
当日の日記に書き残されている。楠美津香さんにはさんをつけなさい昔の僕。それから数十公演は通い、「いつか自分もひとり芝居をやりたいなあ」とぼんやり考えるようになる。
2017年4月に夜学バーを開いた時くらいから、「いつかここで演劇をやるぞ。現実的にはひとり芝居だろうな」と考えはじめ、折に触れ「こういう演出ができそうだな」などと妄想するようになる。「構想5年半」の根拠はここ。
2022年10月2日、アーツ&スナック運動(アートとスナックの融合で湯島エリアを盛り上げよう的な団体があるのだ)の永野さんがお店にいらっしゃり、「来月このあたりで演劇のイベントをやります、トークの会場として夜学バーを使わせてもらえませんか」とおっしゃるのでとりあえず快諾し、「僕もかつて演劇をやっていたんですよ、実はひとり芝居をここでやりたいんですよね」と何気なく言ったら、「いいじゃないですか、やってくださいよ」と言われたので、「じゃあやります」と言ってしまった。せっかくやるんならお誕生日だなと思って、11月1日を目処に考え始める。
6日、「やります」と
日記で宣言。
15日、永野さんがイベント関係者さんたちを引き連れて再びご来店。準備はまったく進めていなかったが、「11月1日にひとり芝居やります」と言ってしまい改めて背水の陣となる。ここからの2週間は、「どうしよう、やっぱりやめようかな。今なら中止にできるよな」と葛藤を続ける。なんとなればちっとも台本を書き始める気持ちになれなかったのである。
2022年10月28日朝、札幌のホテルでようやく台本を書き始める。「うさぎとたぬきが柿を取り合う話」という設定(というかフレーズ)は小説のネタとして数年前から考えていて、演劇にするのにちょうどよさそうなので使った。書いてみたらちっとも「取り合う」話にはならなかった。ちなみに次またひとり芝居をやるとしたらたぶん「名古屋城の鹿が奈良公園まで旅をする話」だと思う。
札幌で3分の1くらいまで書いて、28日はそれ以上進まず、昼には飛行機に乗ってそのまま夜学バーを営業。
29日、午後から暗幕を作ったり照明の位置を決めたり、お店の中にあるものでお芝居に使えそうなものを考えたり、配信の準備(パソコンの配線、カメラの画角、マイクの組み立てと設置)などしてから夜学バーを営業。たまたま添え木(当HPの副管理人)が終電を見逃して朝までいるというので、僕もお店に残って脚本を完成させた。28時43分に「初稿が完成」というツイートをしている。
30日、遠方より友達が来たが、練習しなければならないので一緒に公園に行って初稿を手に初稽古。1時間くらいやってなんとなく方針が掴めた。その友達が音楽に明るい人だったのでお店に移動し「大横川のうた」にコードつけるのを手伝ってもらう。
C G→C F G
C G→C F G
C G F G
C G F→G C
F→G C
最初の「C G→C F G」と最後の「F→G C」の部分を僕の適当なメロディをもとにつくってもらって、それをもとにほかの部分を僕があとから整えた。本当にありがとう、ぐうぜんこの日に上京してくれたおかげでなんとかなりました。
夜学バーはねた後、朝まで演出をつける。あの天才的な照明の使い方もあれこれの小道具もだいたい何もかもこの時に思いついた。立ち稽古はほぼできなかった。
31日、昼過ぎに起きて前日考えた演出プランをもとに台本を手直し(第二稿)。藤子不二雄Ⓐ先生のお別れ会に行ったのち、夜学バーを営業。翌日早起きしたいので、BGMを決め、二稿をなぞってセリフを読みながら演出を固めるにとどめた。3時くらいに帰宅、台本を手直し(第三稿)して5時くらいに寝る。
11月1日、ついに本番当日。8時半に起きてごはん食べて、やっぱり眠いので二度寝して(ぼやけた頭で現場入りするわけにはいかない!)、けっきょく昼前くらいにお店に着いた。何度か台本をなぞってリハーサル。とにかく場面転換をスムーズにやることに執心した。通し稽古はしていない。ゲネなし。セリフもほとんど入っていない。BGMを選び直したり、編集して長くしたり、色々な箇所をギリギリまで悩んだ。直前は配信の準備とHP更新もせねばならないので大変だった。
17時。L字カウンターの内側に沿うように暗幕を張り、舞台上(カウンター内)の光はほぼ漏れない。客電は最小出力。真っ暗に近い状態で客入れ。音は小沢健二さんのインストゥルメンタル・アルバム『毎日の環境学』。暗幕の外に出るときはちゃんと衣装を脱ぎ、帽子をかぶりマスクして、裏方っぽいいでたちに努めた。こういう細部が非常に重要なのである。お客さんにとってもだし、演ずるこちらにとっても。
ひとり芝居で、音響も照明も装置転換もすべて自分で行うといっても、それがお客からまるっきり見えている以上は「裏方」ではない。本番になったら自分は常に役者(いつもとは違った意味での文字通りのスター)なわけだから、カウンター外にいる時とは服装からして分けておいた方がいいのである。
単純に、衣装ってもんは幕が開いたときに初めて見えるべきなんで、衣装着た役者が上演前の客席をウロチョロすべきではない、それが演出でない限りは。興を削ぐ。それだけでお客さんは、劇の中に入っていけなくなる。「さっきそこにいた人じゃん」ってなりすぎる。
配信スタート。BGM上げ、客電落とし、BGM下げ、M.T.P『Keep On Shoutin′』(中村一義が15歳のときに作った音源)かける。客席は真っ暗。カウンター内は暗めの地明かりのみ。いい頃合いで幕を取る。
ここからは台本に沿って展開。ミスはあったが、思ったよりうまくいった。セリフはあんまり覚えていなかったが、ほぼトランス状態でスルスル口から出ていった。変な言い方だが、お客さんの多くが僕をかわいがってくれる人たち(女子高生が3人もいたぞ!←その人たちがみな僕をかわいがってくれているとは言っていないし、かわいがってくれていないとも言っていない)だったので、「とにかく自分らしく、かわいくやろう」という方向性でいけた。迷いなく駆け抜けられた。まさしく「ジャッキーさん全肯定の心で」ってやつ、大事なのです。(←前口上で出てくるのです。)
ちなみに劇中BGMは以下の通り。
・緊急速報→『絶対無敵ライジンオー』(1991)「邪悪獣大暴れⅡ」(田中公平)
・うさぎとねこ→『熱血最強ゴウザウラー』(1993)「小さな想い」(長谷川智樹)
・水中→『熱血最強ゴウザウラー』(1993)「ザウラーズ大ピンチ!」(長谷川智樹)
・ワニ〜場転→『ゲンジ通信あげだま』(1991)「ワープロ変換」(佐橋俊彦)
終演後(一礼している時にかかりはじめる)の曲は林原めぐみ『OUR GOOD DAY...僕らのGOOD DAY』、ゴウザウラーのエンディング曲で、ゴウザウラー率高い。なんでかっていうとだいたい
僕はいま9歳なんだけど、なるほど、そういうことなんだなって、終わってから気づいた。我ながら筋が通ってる。
選曲をある人から褒めてもらえたんだけど、これらがマッチしてたってことは、僕がやったお芝居は「91年から93年の子ども向けアニメ」みたいな空気観にできてたってことだと思うから、とても嬉しくて、誇らしい。実はためしに80年代とか90年代後半以降の曲も探してみたんだけど、全然合わなかった。たとえば、この作品に菅野よう子は似合わない。まなびストレート!も宇宙船サジタリウスもしっくりしない。世界観が違うってことだろう。
たった30分でも、スタッフのオペレーションも完全に一人でやり、しかも練習不足を補うために限界ギリギリまで神経を研ぎ澄ませていたせいか、疲労がすごかった。全然回復しなかった。営業をまちくたさんにお願いして本当によかった。まあ、逆に自分で営業していたらもしかしたらあとで書くような問題は是正されていたのかもしれないが、そのぶん果てしなく疲れたであろう。
18時ちょっと前に終演。2回目は22時に幕を張り、22時20分ごろ開演、23時前に終わる予定だった。それまでは僕は客席に座ったり、外に出てギターの練習をしたり、台本を確認したり。後半は人が増えてきたのもあってカウンター内に入ってドリンクを作ったりもしていた。この時間が、非常によくなかった。完全に姿を消しているべきであった。そしてやはり、22時には一度お客さんをみんな外に出して、暗幕を張って電気を消してから再入場してもらわねばならなかった。そういう儀式はちゃんとやらないといけない。なぜならば、1回目の上演でそうしたから。同じようにやらないと、同じようにはできない。そこが最初、わかっていなくて混乱して、ダメだった。
しかしどのみち、それをするためには20分では足りなかったので、22時50分くらいの開演にすべきだったのかもしれない。終わるのが遅くなりすぎるから、悩みどころだけど。
22時。2回目の公演は、かなりドタバタしたまま準備を始めることになった。「演劇を気軽に、手軽に、簡単に」というのがテーマではあるが、いちおうちゃんとした演劇なんだぞというのを示したくて、儀式的な演出はかなりきちんとやったつもり。だからこそ、その雰囲気をうまく作れないと、やっぱりうまくいかない。
室温にしてもそうだ。焦っていて、かなり暑い状態のまま開演に向かってしまった。劇場はやはり少し涼しいほうがいい。とりわけ演者にとっては。準備もずいぶんあたふたしていたので、息も整わず、汗もにじんだまま始めてしまった。これが仇となった。いや、これは失敗談ではなく、うまく成功に導いた話なので安心して読み進めてください。
結論を先に言うと、2回目の公演は完全に失敗であった。だから、10分くらいで一度中止にして、もう一度暗幕を張り、完全に最初から、2.5回目の公演を行った。それは非常にうまくいった。正解であった。
何が敗因だったのかは、すでにほぼ書いている。「1回目と2回目では、客層も客席の雰囲気も、自分のコンディションも全く違うのに、おそらくは1回目がうまくいったせいで、1回目と同じ方向性で始めてしまった」ということである。僕としたことが、単純な罠に嵌ったものだ。
さっきも書いたが、1回目のお客さんの多くは「僕をかわいがってくれるような人たち」で、女の人が多くて、まあ簡単に言えばやりやすかった。芸人の単独ライブみたいなものである。観客との意思疎通がとりやすいというか、「こういうふうにやっておけば間違いがないだろう」という方向性が簡単に掴めた。誰が来ていたかは実のところ僕も、幕が開いて(幕を開けて)初めて知ったのであるが、その瞬間に劇の方向性というか、劇をやるにあたっての僕のテンションはだいたい定まったというわけである。
翻って2回目は、「こういうふうにやっておけば間違いがないだろう」ということが特にない顔ぶれだった。まだ付き合いの浅い方もいらっしゃったし、「え、あなたもご覧になるんですか? 緊張するんですけど!」と言いたくなるような目上の方もいた。「練習した時のテンション」でとりあえずやってみて、乗るべきノリにだんだんと乗っていけばいいだけなんだけど、悪いことに僕は、お客として誰が来ているのかを事前に知っている(ついさっきまでバーの店員とお客だった)のだ。「えー、どうしよう、どういうふうに演じたらいいんだろう、さっきとは絶対に違った感じになるよな? でもだったらどうしたらいいかもわからないな!」と、考え過ぎてしまった。混乱した。結果、1回目の成功体験に縋りついたというわけ。「とりあえずさっきのノリでやってみよう」と。
上演が始まってから「うまくいかないな」と思ったらもうおしまい。「あー、こっちじゃないな」「こうじゃないよな」ということが、セリフを言いながら常に頭の片隅にあって、果ては「こんな気持ちじゃ歌えない!」という言葉(橘いずみの名ライブMC)まで浮かんできて、その頃には汗だくだくでもう熱中症寸前、意識もぼうっとなりかけ、ミスだらけ。ギターもほとんど弾けない状態になっていた。それで意を決して「神が降りてないので、最初からやります」と宣言。仕切り直し。まずエアコンを消し、舞台と客席の間にふたたび幕を張り直し、客電を最小出力にし、客入りBGMを流した。
2.5回目は思った以上にうまくいった。もうあとがないから、やるしかない。1回目とはまたちょっと違った意味での半トランス状態で、場転のときも台本をほとんど見なかった。頭もあんまり使わなかった。無意識でやっているような感じ。ミスはいくつもあったけど、流れには乗れていたので、普通にみていれば気づかない程度のものがほとんどだったはず。ギターは失敗したけど、練習どおりの失敗。
1回目は台本をちゃんと確認しながら、「次はこうなるんだから、こうしておかなければ」というふうに考えていたし、セリフを言う時も、「ここでは次にこういうセリフが来て、こう展開して、そしたらBGMをかけるんだったよな」と頭の片隅で思い浮かべながらやっていた。疲労がものすごかったのは、そういうふうに脳を多次元にフル回転させ続けていたからだろう。中断した2回目は「その神」が自分に降りていなかったのに、「その神」に期待してしまっていた、とも言える。「あれ? 神様どこいるの? いないんですけど!」になったというわけ。
仕切り直したあとはちゃんと「乗るべきノリ」に乗れたというか、「誰が見ていようが、この劇はこういうふうに演じるべきなのである」という、邪念のない、いわばあるべき姿を表現できたといえる。中断した2回目はすなわち「邪念」があった。だから神は降りなかった。今回はちゃんと降りた。たぶん1回目とは別の神が。
23時終演の予定が、たしか23時15分くらいになっていた。そのくらいの超過で良かった。みなさま良き感想をくださったので(その場で悪い感想を言うとも思えないですが!)ひと安心。25時くらいまで夜学バーを営業し、お片付けをしたら真夜中になった。しかし演劇の撤去作業だと考えると、あの程度で済むのは奇跡的だと思う。
配信は、何人か見てくれていたみたい。中学生の人とかはお気持ちでいいですが、大人は会った時とかにおこづかいください。会う気がない人は
振り込んでください。会場に来た方は2000円くらい払って観ております。
アーカイブは1回目も2回目+2.5回目もとってあります、ぜひ観たいという方はアドレスお教えしますのでなんらかの方法でご連絡ください。拝観料は迷ったらおおむね2000円前後で。多ければ多いほど喜びます。無銭はNOです。(この日記だって本当は無銭はNOです、たまたま公開されているだけ。みんなで少しずつジャッキーさんを養いましょう!)
ただし、やはり現場とは臨場感も違うし、画質はそこそこ、音質は「声をできるだけきれいに拾う」ことに注力した結果、BGMがうっすらとしか聞こえないなど不備があります。あくまでも記録映像というご理解で。それでも「すばらしかった」と配信で観た複数の方から声が届いている(まさかつまんなかったとは言えまいが!)ので、少しくらいは価値があると思います。
せっかくなんで台本も本番を踏まえて直し、かんたんに製本して売ろうと思っております。マニア向け。
あとなんか、たぶん書き漏らしてることもあると思うので、そのうち追記するかも。その時は記事を改めるか、このページのどこか上のほうにわかるようにその旨記しておきます。
最後に使った道具を、覚えている限り挙げておきます。再演のためのメモとしても。
観てない人で、観てみたいと思っている人は、あんまりちゃんと読まないほうがいいです。ネタバレになるから。そうなるとつまんないから。本当に。あとでぜひ。
・ホワイトボードとボードペン
・扇子
・栓抜き(ビールの友/さわやか)【張り扇】
・ホワイトボード消し【張り扇で叩く】
・ランタン(懐中電灯モードとランタンモード、アラート機能付き)
・フェアリー、ボルスブルー、ボルスバナナ
・『つむぐ英単語』(赤シート付き)
・電気ケトル
・江戸切子の赤いロックグラス
・ミニギター
・CASIO SA−1 TONE BANK
・ライト(夜学の間接照明に使ってるやつ)
・ひかるかざり
・声(言えない)
・団扇2本
・パソコン(iTunes)、アンプ、スピーカー
・パソコン(YouTubeライブ)、マイク
・暗幕(1.5m×2mを切り裂いて使用)、マジックテープ
・台など
・夜学バー
あとなんか忘れてたら教えてください。
ついに(?)niftyからのお誕生日メールが来なかった。何かの間違いだと思いたい。こういうことがきっかけで人はプロバイダを変えるんですぞ……変えないけど……。すごく「時代」が終わった感じがする。
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