少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2011/06/30 友達が増えていく

 嬉しいなと思うのは友達が増えるときだ。
「友達が増える」と言うとだいたい「仲良くできそうな人とあたらしく知り合う」という意味になって、そういうときも非常に嬉しいのだが、もっと嬉しいのは「友達と仲良くなれたとき」。

 先日、高校二年生の女の子と会った。彼女が中学を卒業してからまともに話すのは初めてだった。「高校生活とその中の人間関係について」という話になって、僕は「楽しく暮らせるように意識的に生きていくとよい」というようなことを言った。
 幼稚園から中学まで一貫校に通っていた彼女は、その中では非常に強い個性を発揮していた。だが、そのかしこさゆえか新しい環境にいとも簡単に順応してしまい、いわば「牙が抜かれた」ような状態になっていたようなのである。つまり「いわゆるフツーの女子高生」だ。それも悪いわけではないが、本人はあまり面白いとは思っていないらしい。
 そういう話を聞いて、「周りの子たちはみんなつまんない」と思ってしまったらまずいな、と僕は思った。思春期の少年少女たちはそう思ってしまいがちで、だからこそ「年上」っていうのに憧れを抱いたりもする。しかし彼女が通っているのは非常に偏差値の高い高校で、しかも「つまんねーガリ勉」ばかりが集うようなところではない。その証拠に、彼女いわく「文化祭は一年から三年まで全クラスが演劇」だというのである。なんという素敵な学校! 僕が通いたいくらいだ。どんな学校にだって面白いやつというのは一定数いるものだが、そういう学校だったらなおさらだろう。
 でも、普通の高校生というのは「爪を隠している」ものなのである。とりわけ今の学校というのは「空気を読むべし」という相互監視システムが徹底しているため、エキセントリック(奇矯)な行動に走るやつ(僕みたいなの)が非常に生きづらくなっている。その代わりインターネットや家の中や、学校の外にあるどっかの場所で発散させている子は、非常に多いだろう。よく無銘喫茶にやって来る高一の坊主もそんな種類だ。
 だから、ヘンなやつがそのヘンさを自由に発揮させながら学校を楽しく過ごすには、「ヘンなやつを探し出す」ということをしなければならない。『七人の侍』では、腕の立つ侍を見つけ出すためにいきなり斬りかかってみる、ということをやるのだが、そういった類の努力が必要ということだ。これは学校だけでなく日本中のあらゆるコミュニティにおいて言えることかもしれない。日本人は共同体の中では爪を隠しているものなのである。

 それで僕は彼女に、「面白いやつ、気の合うやつは絶対にいる。みんな隠しているだけなんだ」というようなことを言った。「そういうふうに意識して生活していれば、どこかでいい友達に巡り会えると思うよ」と。
 そうしたら今日、「自分なりに人付き合いを見直してみたら、一人の友達と一緒に階段を一段上れた気がします」とメールが来た。こんなに嬉しいことはないな、と僕も思いつつ、奥井亜紀さんの『The Day After』って曲をまた思い出した。

 365分の1日で 終わる予定でいたその日
 親友ってほどでもないあの子 電話の向こうで泣いてるジケン!
 いつでも自慢が多くて疲れる 疎遠になってた過去があったけど
 お互い四半世紀生きてりゃ傷つく 初めて優しく名前を呼んだ
 あの子の心に届くといいけど
 人の道はいろいろある 上を向いて歩こう
 涙の理由はどうでもいいんじゃない
 昨日までと違うふたり 宝物が増えた

 友達が友達以上になる瞬間、というのを歌った名曲。じわじわ仲良くなっていく、ってのもあれば、ある瞬間にぱっと、花開くように仲良くなってしまうことってのもある。そういうときの感動とか嬉しさって、何にも代え難い。
 そういうとき僕は「ああ、なるほど!」って思う。「この人はこういう人だったんだ。だから、僕はこの人のことが好きだったんだ!」とか。それでいて、相手のほうも同じようなことを思ってくれているとわかったら、ひとしお。「そうか、だからこの人も僕のことを好きでいてくれるんだな!」とか。
 そういうことがたびたびある。
 そういう瞬間に、「友達が増えた!」って感じる。
 もともと友達だったはずなのに、なんかヘンな感じだ。
 でも、だけども、そういう瞬間のために生きているというのはある。
 それは友達じゃなくても、恋人でも家族でも同じことだよね。

2011/06/29 原始的な欲求を代替行為によって補完するのが文明

 ということを、教え子にメール打ってて思いついた。
 これを軸に文明ということを考えていくと、しばらく退屈しなさそうだ。

2011/06/28 芸術家村田ちゃん

 絵を描く人で、ものごとをよく考えてしまうような人は、短い言葉でずばりと核心的なことを言えてしまう人が多いように勝手に思う。
 僕にとって最も身近なそういう類の芸術家は村田ちゃんである。  村田ちゃんのブログは、現時点では2010年4月で更新が止まっているけれども、箴言とさえ呼べそうな短くて鋭い言葉の集積であって、時に驚くほど重要なことがほんの一、二行のなかで述べられていたりしたのであった。

 もしもこのタイプの才能を未熟なまま抱えているような人がいたら、その人を見て僕は感心したりしないだろう。このタイプの才能はたぶん、「熟す」ことによってしか開花しえないもののような気がするからである。というか、このタイプの才能が未熟であるような状態を僕は想像できない。
 だから、このタイプの才能を持っている子に対して僕はもしかしたら、不当に冷淡な接し方をしてしまったことがあったかもしれない。僕はその子が「単に未熟であるだけ」であることに気づけなかった可能性があるのだ。
 僕はそういう未熟な子に対して、「魅力がないな」と思ってしまったかもしれない。才能には、素質という段階で光り輝いて見えるものと、素質という段階ではほとんど表に出てこないようなものがある。とはいえまったく見えないものではないと思うが、僕は見極めることができなかった、かもしれない。

 かもしれない、かもしれないと連発しているのは、僕の心当たりのある相手というのが、まだいかなる意味においても熟しきっていないからである。魅力があるのか、ないのか、それすらまだよくわからない。これから何かに化けるかもしれない。化けないかもしれない。僕にはまだよくわからない。
 ただ、今さら当たり前のことを言うようだが、「現時点でその人のことがどのように見えたからと言って、手を抜いて接してはいけない」というふうに思う。つっても、あらゆる人に対してそのように接するのは正直に言って非常に面倒くさいから、「自分より年下の人間に対しては」という注意書きを添えようと思う。二五歳や二六歳で人が変わったように成長してしまうような人が僕の周りには何人もいたので、そのくらいの年齢でも油断はできないし、三十過ぎても四十過ぎても成長する人は成長する、と思う。ただし、二十代くらいまでに「素質」というものが身についていれば、ということかもしれないが。

 変わるといえば、僕の周りでは四十過ぎて悪い方向へ変わってしまうような人もけっこういる。2ちゃんねるばっか見てすっかりネトウヨ化してしまった人とか、見知らぬ誰かをネット上で口汚く罵倒し続けているような人とか。こういうのはもう、若いころにどこへどういう蓄積をしてきたかということにかかっているのであろうなあ。外見も内面も、年取ってくるほどボロが出てくるものなのかもしれない。精進あるのみだぜ。

2011/06/27 (4) 僕が教員に向かない理由

 釈迦の語り方の特徴に、「対機説法」というのがある。『お釈迦さまの脳科学』という本ではこれがすべて「待機説法」と表記されていて、そういうところでもいちいち胡散臭さがあるのだが、単なる(ひょっとしたら大人の事情による)誤字であろう。
 対機説法というのは、「相手の能力や性質、資質によって語り方を変える」というもの。これは教育の基本だと僕は思っているが、現代日本の教育ではこれが許されていない。僕は自分を「教員には向いていないが、教育者としてこれほど資質のある人間もいないだろう」と思っているが、その根拠は、僕が対機説法をこそ得意とする人間だからである。
 教員というのは、「数十人の生徒に一斉に同じことを教える」ということを要求される職業だから、対機説法とは正反対のことをしなければならない。言ってみればある種の大乗仏教みたいに、「念仏を唱えましょう!」とかってバカの一つ覚えみたいに言い続けるのが教員の仕事。僕に向くわけがない。
 対機説法による教育というのであれば、わりと向いていると思う。本当に優れた宗教者や思想家は、みんな対機説法をするが、インチキな宗教者や思想家は、大人数に向けて「講話」をしたがる。僕は後者にはなりたくない。効率はよいのかもしれないが、それでは「洗脳」や「啓蒙」はできても、「啓発」や「教育」にはなりはしない。
 僕は、一対一で人と話すことが好きだし、向いていると思う。「その人に合った話し方」で、「その人にとって必要なこと」を話してあげるのが、教育というものだ。中学校の先生をしていたころ、僕はあんまり「おすすめの本を紹介する」ということをしなかった。本当はしたかったのだが、何を紹介していいのかわからないし、どんな言い方をすればみんなが興味を示すのかわからなかった。ことごとく、僕は「洗脳」ということが下手くそだなと思う。一対一で、あるいは少人数でじっくり話して、その子の資質を見極めた後でなければ、とても「おすすめ本」なんていうのは決められない。
 本当は、学校の先生を何十倍にでも増やしてしまえばいいのかもしれない。一斉授業では教育にならない。「平均的な国民」を作ることはある程度可能で、それに意味がないとも言わないのだが、そればかりでもな、と思う。一斉授業のほかに、じっくりと子供の話を聞いてあげる存在や時間を、学校の外にでもいいから作ればいいのに。それは本来は親が担うべき役割なのだろうが、今の親にはそんな能力は絶対にない。 じゃあ僕がやってやろう、とも思うんだけど、そんなことをしたら変人か変態と見なされるだけで、第一金にならない。金にならなくてもいいから、 って思って、今ちょっとそれなりにやってるんだけど、暮らしは楽になんないね。

2011/06/26 (3) 吾輩は菩薩である

『山口百恵は菩薩である』なんて本が昔あったみたいだけど、それとは関係なく仏教の話。仏教について考えるなら、橋本治『宗教なんかこわくない!』、架神恭介『もしリアルパンクロッカーが仏門に入ったら』、苫米地英人『お釈迦さまの脳科学』あたりを読んでおけばいいと勝手に思ってる。

 苫米地氏は意外とかなりまともなことを書いているのに、「脳科学」とか言うから途端に胡散臭くなる。売るための方便ということだろう。苫米地氏はたぶん、どんな著作活動に関しても「脳とか言っとけば飛びついてくるような愚かな層の人々をこっそり教化する」という目的を裏に持ってんじゃないかなー。『洗脳支配』とか読むと相当真面目な人のように思えるんだが、近年の頭悪そうな(タイトルの)本の乱発っぷりは尋常じゃない。苫米地氏が頭悪いというわけでなく(ある意味で狂っているというのなら否定しないが)、わかっててわざとやってんじゃないか? と邪推したくなる。どの本にも「自分で考えろ」というメッセージが通底していて、結局はそれだけを伝えたい人なんだろうなと感じる。頭が良すぎるがゆえ人々が愚かに思えて、善人であるがゆえ(あるいは悟ってしまったがゆえ)人々の蒙を啓こうとしているのではないか。すなわち「どのような方便を使えば多くの人々の頭を良くすることができるのだろう」と真剣に考えた結果が、今の彼の姿なのだ。こういうところが釈迦の思想に通じるのだろう。

 以下、上掲の三冊の内容と、自分の考えをまぜこぜにして書く。

 苫米地氏は「釈迦は『自我はない』とした」と言っているが、橋本氏は「釈迦は自我を獲得した最初の人だ」と言っている。矛盾しているわけではなく、前者は「アートマン(魂的なもの)」という意味での自我であり、後者は「近代的自我(我思う、ゆえに我あり)」という意味である。
 釈迦は近代的自我を獲得し、「自分の人生は自分のものである」ということを悟った。そして輪廻転生の根拠となる「アートマン(自我・霊魂・本体)」の存在を否定した。というよりも、「どうでもいい」とした。そしてたぶん、「決める必要があるのなら、自分で決めればいい」とでも考えた。

 釈迦がどのようにして悟ったのかというと、幾つか説があるようだけど、とにかく瞑想をして悟ったことは間違いがないらしい。瞑想には観察型瞑想と集中型瞑想というのがあって、それらを合わせて「止観」と言うそうだ。止観というのは「あらゆる感覚を意識に上げる」というようなものだという。伝聞形ばっかりで恐縮だけど。
 僕はそういえばここんとこ(特に四月二五日以降)、「生活を意識化する」とか言ってて、そのためにはこの止観とかいうやつが役に立つんではないかな、と思う。ジョージ秋山先生も瞑想したり、息子に瞑想させたりしているようだし、事あるごとにやってみよう。
 ほかにも仏教(釈迦が言ったかどうかは置いといて)の思想を自分の考え方に引きつけて考えてみると、意識してなかったけど幾つかかぶっているところもあった。釈迦によると「縁起」というのは因果関係のことらしいが、僕はよく「論理」という言葉を使って、因果関係というものがいかに重要かということを言っている。例えば学校教育においては、「こうだから、こうなる」という因果関係をしか教えていないし、言語というのはすべて因果で説明できる。語の定義や性質が「因」で、それらを組み合わせて表される意味が「果」だ。言語というのはほとんど世界のすべてを表してしまうようなものだから、世界は因果であると言ってしまってもいいかもしれない。こうなると、龍樹(ナーガールジュナ)という人の言ったとかいう「縁起」観に近い。彼によると、「全ての概念は相互に依存しあって成立している」(『もし仏』より)そうだ。世界を広義の生態系として捉えるなら、そういうことになるだろう。
 また、中道(中庸)ということも僕はよく言っていて、『絶対安全! 原子力はつでん部』という小説でもテーマの一つになっていると思う。実際、ぺ~こ氏に下読みしてもらった時に「中道って言葉もどっかに入れたら?」というようなアドバイスがあったが、「それをやったらあからさますぎるだろう」と退けた。「極端はよくない」「何事もほどほどに」というのがもともとの意味だというが、「バランスが肝心だよ」という意味でも僕は使っている。

 釈迦の思想の根本はどうやら「なにもかもどうでもいい=だから自分で決めるぜ」だと思う。有とか無とか、善とか悪とかいう価値観を超越した「空」というレベルに達してしまった釈迦は、すなわち「他人が決めたことなんかに従う必要はない、自分で考えて決めればいい」というふうに考えた。それこそが「(真の)近代的自我の獲得」だった。
 個人の情動を基準にした欲望、つまり「自分さえよければいい」という発想では、多くの人がハッピーになることはできない。「自分さえよければいい」は「他人はどうなってもいい」なので、人々がお互いに誰かのハッピーの邪魔をする状態をしか作らない。だから、そんなちんけな欲望を抱くのではなくて、もっとスケールの大きな欲望を持とう。すなわち、世界中の人々がハッピーになるように働きかけよう、というのが、きっと釈迦の発想だと思う。
『もし仏』によると釈迦は悟ったあと、「なにもかもどーでもいー、なんもしたくねー」状態になって、それから何十日かしてようやく説法をするようになったらしいが、これは近代的自我(なにもかもどうでもいい=だから自分で決めるぜ)を獲得してから「みんながハッピーになるように働きかけよう」を思いつくまでに要した期間だったのではないだろうか。釈迦は「ああそうか、なにもかもどうでもいいんじゃないか。他人や、先人の考えた死生観に縛られることなんてないんだ。よーしすべて自分で決めるぞー」と思って、「さて、じゃあどうしようかな」と何十日も菩提樹のまわりをうろうろしてたんじゃないだろうか。釈迦はたぶんこのときすでに自分の幸福というのはどうでもよくなっているから、「うまいものが食べたい」とか「金持ちになりたい」なんてことは思わない。「セックスがしたい」すら思わなかったかもしれない。なにもかもどうでもいいから「死のう」にもならない。それで出た結論が「この考えをみんなに広めよう」だった。なにもかもどうでもいいと思っている釈迦は、本当になにもしないでうろうろしていてもよかったのだろうが、結局は「考えを広める」というところに行った。なぜ釈迦がこんな結論に達したのか、いまいちわからないようだが、個人的にはわからないでもない。僕も二三歳の時に「ついに僕は幸せになってしまった、もうなにもかもどうでもいい」という気分になって、それからいたって自然に「じゃあ他人のこととか、社会のことを考えよう」というふうになった。人間ってのはそういうふうにできているのかもしれない。だとしたら希望だな。
『もし仏』で架神さんは、なぜ釈迦がこういう発想をしたのかはよくわからないとしながらも、「『何もかもどうでもいい』からこそ、『何をすべきか』を自分で好き勝手に設定できる」とだけ書いている。橋本治は『宗教なんかこわくない!』で、次のように言う。
「修行とは、自分のプログラムを自分で設定出来て、それではじめて達成が可能になるものだ。他人の設定した〝修行〟というプログラムは、所詮〝自分のものではない他人の思想〟でしかない。他人の設定した中途半端なプロセスの中に自分というものを放り込んで、そのプログラムの有効性の判断をいつまでも下せないままその修行を続けて、そこでいつまでも〝自分〟というものを発見出来ないでいるのは、愚かなことだ。」
 釈迦が「考えを広める」という結論にいたったのは、もしかしたら「考え=悟り」というものにわずかながら執着があったからかもしれない。ひょっとしたらこの「考え=悟り」はこの時点ではまだ完璧なものではなくて、それがゆえに「なにもかもどうでもいい」にはなりきれなかったという可能性もある。釈迦の考えにはただ一つ、「実践」というものが欠けていたのだ。「自分のプログラムを自分で設定して、それを達成する」ということを、この時点での釈迦はまだしたことがなかった。だから釈迦の思想は未完成だったとも言えなくはない。そこで釈迦が自分で設定した最初のプログラムが「考えを広める」ということだった、というふうに考えることもできるといえばできる。「自分で考えて、自分で決める」というのが釈迦の思想だったなら、実際に何かをしてみなくてはその思想を持っていることにはならない。……もちろん、本当に完璧に悟っていたのならばそんなことさえ「どうでもいい」と思うはずなのだろうが。
 釈迦は、「自分の思想」を他人に伝えて、「その人なりの思想」をその人に根付かせることができて初めて、「考え=悟り=自分の思想」は完成するのだ、とでも思ったのかもしれない。そうだとすると釈迦はこの時点で執着があった=悟っていなかったということにもなりかねないし、釈迦を唯一の仏陀(悟った人)とする仏教は、釈迦の思想を完成させることができなかったことになるんだが、結局のところこのへんは「よくわからない」だろうので、一説として一応書いてみた。
 ともかく、よくわからないが、釈迦は解脱した(悟った)後に、「みんなのこと」を考えた。僕も自分の人生に満足したと感じた時、初めてまともに「みんなこと」を考えられるようになった。人間とはそういうものなのかもしれない、とだけ言っておこう。そうでないとやはり、困る。
 あるいは、『お釈迦さまの~』では、悟りについて「宇宙のすべてのものを、同じように重要に感じ」るという表現がされていた。『友達100人できるかな』の、新二郎の回(第十話)を思い出す。すべてが等しく輝いていて、自と他の区別さえなくなるのならば、自分だけが悟るのでは意味がなくて、世界のあらゆるものが悟りの状態にならなければと考えたのかもしれない。

 仏教のことを考えていたら、僕は菩薩なんじゃないかと思えてきた。菩薩というのは悟るために修行している人のことだ。あるいは「とても優しい人」とかいった意味にも使われるが、そういえば僕は「怒る」ということがない。上にも書いたけど二三歳以降、自分のことについてはかなりどうでもいいのである。悩みという悩みも、幾つかの特殊なものを除いてほとんどない。これがゼロになれば、さらに悟りに近づけるというものだろう。止観、中道、縁起など、無意識のうちにわりと仏教っぽい考え方が身についてきているし、自分のことよりも他人や社会のことばかり考えているし。これはもう、そのうち仏陀になってしまうんでないか? これを機に、釈迦の考えを頭の片隅に入れながら生活してみることにしよう。あらゆる感覚と行動を、「できるだけ」意識化させながら……。

2011/06/25 (2) 洗脳と啓蒙が啓発が(青春)

 啓発と啓蒙はともにenlightenmentという英単語で表される。en(~にする)light(光)en(~にする)ment(名詞語尾)で、「光のある状態にするようにすること」という意味。まさに「蒙(暗い状態)を啓(ひら)く」ということだ。啓発は論語の「不憤不啓不ヒ(立心偏+非)不発」という部分から来ているらしい。啓蒙という言葉は15世紀の辞書(文明本節用集)にはすでに見られるようだ。
 ちなみに自己啓発という言葉は「self-development」とか「individual/personal development」というのの訳らしく、enlightenmentやedification(英仏ともに綴りは同じで「啓蒙」「徳育」などの意)とは直接関係がない。
 洗脳というのは二次大戦後の中国共産党の政策を揶揄したbrain-washingの訳語だという。

 ドラゴンボールで言うと洗脳とはバビディがヤムーやスポポビッチに施したようなもので、 頭の中身をそっくり入れかえてしまう。啓発とか啓蒙というのは悟飯がビーデルさんに気の使い方(空の飛び方)を教えた時のように、意識していなかった部分を意識させる、知らなかったことを教えてあげる、というニュアンスがある。「気」自体は誰でも持っているが、普通の人はそれを意識していないから使いこなすことができない。ビーデルさんは悟飯に教えられて「気」を意識してみたら、ちょっとの修行で飛べるようになってしまったのである。

 それにしても啓発と啓蒙というのは同じものなのだろうか。
 啓蒙は「蒙を啓く」で、enlightenmentという文字そのもので、「バカなおまえらに正しいことを教えてやる」という意味に見える。
 啓発という言葉を知るには、先ほどの論語の意味を知らなければならない。

「子曰。不憤不啓。不ヒ不発。挙一隅。不以三隅反。則不復也。」
 直訳してみる。
「子は言った。『憤』してないと『啓』さない。『ヒ』してないと『発』しない。一つの隅を挙げたら三つの隅が反(かえ)ってくるようじゃないと、二度目はないぞ。」
 これをどのように解釈するかはいろいろあるかも知れないが、一般的には「自ら意欲的に、頭がおかしくなるくらい考えてるやつにしか何も理解できない(その手助けをしてあげない)。一つのことを提示したら三倍の答えや疑問が反ってくるようでなければ二度と教えてあげないよ」という感じらしい。
「答えをください」というのではなくて、「考えてるんですけど、どうしてもわからないんです。何か違う視点からの発想が出てくれば……」とか、「のどまでは出かかってるんですけど、どういう言葉で表現したらいいのかわからないんです……」とか、そういう悩み方をしている人間でなければ、何を教えても意味がない、ということだ。

 悩んでいる、ということは、どこかへ行こうとする力がすでにあって、その目的地や出口がわからない、ということだ。すでに道は走り始めているけれども、その道がどこへ行き着くのかがわからないとか、走ろうと思っているんだけど、どの方向へ行ったらよいかわからないとか、そういうことだろう。
 そういったことに気づいて、立ち止まって考えるのが、たぶん「悩む」ということだ。頭を、胸をかきむしり、「わからない」に溺れながら、藁をも掴むように、何かを探し続けている。そういう人にさしのべる手のことを、そもそもは「啓発」と言ったのかもしれない。
「啓」も「発」も「ひらく」と読む。ひらいたところで、出ようとする力がなければ意味がない。頭や胸が沸騰しそうに煮詰まっていて、それでも「ひらく」ことができないで、破裂しそうになって悩んでいる人に、何か簡単な、そして重要な一言を与えてあげることが、「啓発」ということなんだろう。

 僕は、できるならば啓発ができる人間になりたい。

2011/06/24 (1) the day after

 物事にはタイミングというものがある。もうちょっと早く話せていたらとも思ったが、二年前だったらこんな話はできなかったかもしれない。タイムマシンで七年前くらいに戻れるならば、話は別かも知れないが。

 最近、女の人のことがだんだんわかるようになってきた。男の人のことだってわかるかもしれないが、男の人は他の男の人の介入を許さないのが普通だから、あんまりそれを確かめる機会がない。男の人に対して「あなたはこういう人で、こういう問題点を抱えている。それを解消させるためにはこういう方法があると思う」ということをやりすぎると、嫌われ、避けられ、疎まれる場合が、女の人に対してよりも多いと思う。男はプライドの塊だから。相手が年上の男性だったりすると、怒り出したりすることさえある。
 それに男の人というのは、あんまり自分についてのことを言わない。自分についてのことを言われるのも好まない。女の人はそうではなくて、自分のことを話すことは好きで、ある程度懇意になった男の人に対しては、けっこう重要なことでも詳しく話してしまう。それに対して本質的な返答をしても、真面目な女の人だったら嫌がったり怒ったりすることはほとんどない。と思う。僕がかなりまともな女の人ばかり相手にしているということかもしれないけど。
 だから、「あなたはこういう人で~」をやるのは、だいたいは女の人が相手になる。別にむやみやたらとそうするわけじゃなくて、その女の人が悩んでいるということが明白にわかって、それについて誰かから「ヒントになりそうな何か」を言われることを嫌がっていないような感じであったらば、何かを言うようにしている。
 僕は何だってわかりたいから、わかろうとしてしまう。わかろうとして、わかりかけたことを、本人に投げかけると、少しは答え合わせの参考になるから、そうしてしまう。

「うーん、この女の人のことはいまいちわからないなあ」と思っていても、二人きりでじっくり話してみると、なぜわからなかったのか、を解くカギが、いとも簡単に見つかったりする。たった一つのカギで、すべてがするすると氷解することもある。そうするとつき合い方も変わる。つき合いやすくなる。どういうふうにつき合っていったらいいかがわかるようになる。
 エロい話をすると、他人をわかるために最も重要なのはセックス的なことで、これを抜きにしてわかろうとするのは随分と時間と手間を要する。以前ある女の子が、「相手がどういう人かを考えるために手っ取り早いからとりあえずセックスをしてしまう」と言っていたが、確かにそういう考え方もあるだろう。
 僕もエロいことをしてその人のことをより深く理解したような気になったことがあるし、エロいことをすると普段話せないようなことまで話してしまったりするので、そういう意味でも相手をよく知ることができる。
 男の人とは基本的にそういうつき合い方ができないから、「裸のつき合い」なんて言葉があるのだろう。セックス的なことができないなら、風呂に入ればいい、という、非常に健全な考え方である。友達と銭湯に行くと思いがけない話題に発展したりして面白いものだ。
 何にせよ、わかるためには言葉にせよ体にせよ、コミュニケーションが必要なのだという、当たり前の結論に行き着く。そしてたくさんの人と触れあうことだろう。たくさん本を読んだりすることだろう。それらについて、生活の中に反映させて、考えて続けていくことだろう……といういつもの結論に落ちつく。

 すべては、意識すること、考えること、ということになるのだ。地道な作業。女の人にはぜひこのことに気を遣っていただきたいと思う。

2011/06/23 または僕は如何にして(略)自動車を・憎む・ようになったか

 僕が自動車を憎むようになったのは別に社会的な真面目な理由ではなくて私憤であり私怨である。資源や排気ガスがどうだとか気温がどうだとか、自動車は人を殺すだとかいうのは自転車に乗るようになってからつけた後知恵で、そもそものはじまりはもっとずっと個人的な怒りだった。

 僕の生まれたのは名古屋市の外れを流れる大きな川沿いにあるマンションで、十字路の一角にある。十字路で隔てられた四つの区画には一つずつ集合住宅が建っていて、それぞれに公園が付属していた。僕たちはその四つの公園をジプシーのように渡り歩いて遊んでいた。
 ところがバブルが崩壊したかしないかというころ、その四つの公園のうち最も大きくて、唯一野球をするくらいの広さがあった公園が潰された。駐車場が作られたのだった。ある統計によると一九八九年から一九九四年までの5年間で日本における乗用車の保有台数は一〇〇〇万台以上増加している。一九八四年から一九八九年までは四四〇万台弱の増加だから、ちょうど自家用車の需要が倍増していた時代だったのだろう。我が家はそれでも自動車を買わなかったが、おそらく日本一の自動車社会である愛知県において、それは本当に珍しいことだった。
 小さかった僕にも、どうしてその公園がなくなってしまったか、ということは容易にわかった。公園の代わりにできたのが駐車場であり、そこにあったのはおびただしい数の自動車だったからである。このたくさんの自動車がどこから来たのか、今でもよくわからない。「駐車場ができる」ということで購入に踏み切った家庭も多かっただろうとは想像できる。その市営住宅は四つの中で二番目に古く、お世辞にも富裕層の住むところではなかったが、僕は自動車を持っていない自分の家庭を「貧乏」だと思っていたため、すなわち自動車を持っている向かいの団地の人たちはお金持ちなのかと奇妙な納得をしていた。
 公園がなくなったということについて、僕が感じたのは寂しさであり、憤りだった。僕にとっては、公園はないよりはあるほうがよかったのだ。それはその公園で遊んだことのあるすべての子供たちの共通した想いだったろう。その時に僕は、いろんなことを理解したと思う。「援交相手のオヤジの腹の下で、私は世界のすべてを知った」というのではないが、ベランダから毎日のように、公園が消えていって駐車場として整備されていく様を眺めていた僕は、その時に重要なことをたくさん学んだはずだ。
 土地には限りがあるということ。自動車は増えていくということ。みんなは自動車がほしいのだということ。そのためにまず削られるのは公園であるということ。子供が少なくなっているのだから、その遊び場が狭くなっても何ら問題はない、という考え方が、世の中にはあったらしい。僕の通っていた小学校には当時、たぶん四〇〇人くらいの児童がいたと思うが、その八割くらいはこの四つの集合住宅のいずれかに住んでいて、自然と子供たちの遊び場はほとんどこのあたりに限られていた。
 子供たちにとっては、その公園がなくなるということは、遊び場のほぼ四分の一が消え失せるようなものだったのだ。少なくともそこに住んでいた僕にとってはそうだった。四択が三択になってしまった。それはあまりにも大きなことだった。
 僕はよく「原っぱ」という話をするが、それが四つあったようなものだったのだ。上にも書いたように僕らはジプシーのように渡り歩いて遊んでいた。一つ一つの公園はそんなに広くなく、四〇〇人の子供たちを一度に受け入れられるような大きさではない。「ここの砂場は他の学年の子たちが遊んでるから、あっちの公園の砂場に行こう」ということはいくらでもあった。「あっちでだれだれが遊んでるから、混ざりに行こう」ということもあった。逆に、「あそこにはだれだれたちがいるから、行きたくない」ということもあった。そういうふうに子供たちは、ゆずりあったり、協調したり、時に避けあったりもして、流動的に遊んでいた。「昨日はあっちで遊んだから、今日はこっち」というふうに動くから飽きることも少なかったし、「けいどろやるならあっちの公園のほうがいい」というふうに、それぞれの公園の特徴を生かした遊び方を熟知してもいた。違う学年の子たちと混ざることもよくあった。
 僕は小さいころ、友達がいなかった。何人かの幼なじみは小学校に上がる前に引っ越してしまったし、幼稚園の友達はみんなべつの小学校に行ってしまった。低学年のころは決まった遊び相手がいなくて、暇になるとぶらりと外へ出て、公園を歩いて回った。そうするとだいたいどこかで知っている子が遊んでいるのに出くわして、「入る?」なんて言われて、しばらくはその子たちと遊ぶ日が続く。しばらくするとまた別のところに入ったり、再び孤立することになった。そういうときはまたそこらを歩き回って、入れてくれそうな子を探すのである。

 あの一帯、すなわち四つの公園の周辺は、とても狭くて、人口が密集していたが、それなりの包容力があったのである。その中で、子供たちは子供たちなりの世界を作っていた。場所もメンバーも固定化されないで、自分たちの躍動の方面に向かって実直に、やりたいことをやっていた。野球がチャンバラごっこになるように、突然遊びが変わるなんてことももちろんあった。自由だったのである。しかし遊び場が四分の三になるということは、その包容力も四分の三になるということだった。
 僕がそれをはっきりと実感したのは五年生の時で、ポケモンが大流行していた時期だ。僕は自分ちの下の公園で、三年生の子たちがゲームボーイを持って、頭を寄せ合いながらポケモンをやっているのを見た。これですべてが終わったなと、すでにすっかりませきっていた僕は思ったものだった。
 すなわち彼らは、場所を選ばず、メンバーを選んでしまうような遊びを始めてしまったのだった。公園の特徴なんてもう関係ない、ポケモンは地面さえあればできる。それなのに、ゲームボーイやポケモンを持っていない子たちはそこに参加できないのである。「貸して」とか「見せて」と言って混ざることはできるが、そこに躍動はない。発展もない。ゲームボーイの中だけでほとんど完結してしまうのだ。「公園で遊ぶ」っていう文化そのものが、たぶん壊れる。そう僕は直感した。そうしたら案の定、それから何年間かで、残った三つの公園のうち一つが潰されて、一つは敷地内の半分を駐車場にされてしまった。健全な公園は一つだけになって、しかしその唯一残った公園には問題があった。それは「ほかの公園や道路から見えない」ということだ。ほかの公園は道路に対して開けているので、「あそこでだれだれが遊んでいる」というのが外からでもわかったが、残った公園は団地の中へ一度入って行かないと様子がわからないのである。
 さらに、自分が住んでいるところ以外の公園は、やはりどうしても「よそ」という意識があった。だから理想としては、メンバーの中に「その公園がある団地に住んでいるやつ」というのがいると遊びやすい。全員が「よそ者=お客さん」だと、やはりどこか落ち着かないところがあるのである。こういうのはかなり高度な感覚だと思うが、今思えばそういう雰囲気はみんながある程度感じていたんじゃないかと思う。別の公園に移るとき、「うちの公園行かない?」とか「お前んとこ行こうぜ」なんて表現を、そういえば使っていたのだ。
 だから、四つの公園すべてが生き残っていないと、本当は意味がないのだ。公園が潰されるということは、自分のホームグラウンドを失ってしまうということなのだから。公園が子供たちにとって「うち」と表現されるようなものだということを、たぶん大人たちは知らなかった。「ほかにも公園があるんだから、いいよね」という理屈で、たぶん駐車場はできたのだろうが、そういう問題ではない。「自分が帰属する場所」というものを失ってしまうということは、非常に大きな問題だったのだ。
 ここまで書いておいて何だが、実は最初に駐車場を作った団地には、もう一つ小さな公園があった。それでどうにか「うち」というものを確保してはいたのかもしれないが、あまりにも小さすぎたのと、「十字路に面していない(ほかの集合住宅から遠い)」ということで、代わりにはならなかった。それで次第に「ジプシー文化」は廃れてしまったのではないかなと思う。だって、公園でポケモンをやるようになった世代は、小学校に上がったときにはすでに、例の公園を失ってしまっていた世代なのだ。

 公園というのは、「子供が少なくなってきたから減らしてもいい」という理屈だけでは潰してはいけないものなのだ。面積の問題ではない。物理的な包容力ではなくて、もっと抽象的な、形而上の包容力という問題がそこにはあるのだ。大人はそこをいっさい理解しないから、「遊ぶ面積としては問題ない」になる。ふざけんな。小学校に上がるか上がらないかという年齢の僕でもわかったようなことが、どうして大人にはわからなかったんだ。
 僕が自動車を憎むようになったのは、ざっと以上のような経緯による。はじまりはつまり、「自動車というのは、公園を潰してまで手に入れるべきものだったのか?」という疑問だ。自動車が増えなければ、駐車場は増えなかった。駐車場が増えなければ、公園は減らなかった。公園が減らなければ、あの「ジプシーできるたくさんの原っぱ(自由のある遊び場)」が確保されていたのだ。そういう優れた「場」というのは、それだけで教育になりうる。公園を潰した結果どうなったかといえば、ポケモンだ。そういう個人的な理由で、申し訳ないが僕はポケモンも憎んでいる。同世代や自分より下の子からは「ポケモンやってないの? ダッセー」なんて言われるが、完全なる私怨によって一度もプレイしたことがない。消え去れとすら思う。エヴァと同じで。でも子供たちが夢中になるのもわかる。それ以上に面白いはずのことが、潰されてしまったんだから。

 物事にはかならず理由というものがあるんだ。そういうことを事前に考えないと、取り返しのつかないことになる。僕はそういう想像力の欠如した大人と、彼らの作ったものたちを、永遠に憎み続けていくだろう。

2011/06/20 同じような毎日

「同じような毎日が続いている」という高校生がいた。
 僕はそのように感じたことが生涯に一度もないが、確かに中学生や高校生のとき、クラスメイトから「朝起きて学校行って寝て……みたいな同じような毎日を過ごしているのが耐えられない」式の悩みを打ち明けられたことはあった。
 なぜ僕がそのようなことを思ったことがないのかといえば、単純にずっとマンガ読んで本読んでアニメ見てテレビ観てラジオ聴いてうんたら……という生活の中で、いろんなことが内面的に進行していたからであろう。小学校低学年のころは「暇」というのを感じたことはあったが、三年生くらいになって自分で図書館や古本屋に行くようになると、そういうのはなくなった。毎日読む本が違って、毎日考えることが違うなら、同じような毎日ということには絶対にならない。そもそもは何かを見たり知ったり考えたりということは、僕にとって暇つぶしだったんだろうな。
 それと、「学校に行かない」という発想を、実際に行使したことはほとんどないけれども、常に持っていたことは重要かもしれない。「学校をサボる」という選択肢があって、それを一度でもやったことがあれば、「同じような毎日」というイメージはなくなるのではないかと思う。学校に行かなければならなくて、実際に毎日行って、ていうと、やっぱり固定されてしまう、いろいろと。それは塾でもそうだし何でもそうだ。「ねばならぬ」と「そうである」が一致してしまっていると、日常が退屈になるのは当たり前だ。
 同じような毎日から脱するためには、いつもと違った行動を取ればいい。だけどそれは難しい。一歩間違えば大変なことにもなる。非行に走って夜の世界の住人になってしまったりする。もう一つの方法は、内面的に常に何かを進行させ続け、それを逐一生活に反映していくことだ。内面だけでは意味がないが、行動を変えるというと大仰だ。だから生活について考えてみる……すなわち生活を意識化する。意識して生活をする、たぶんそれだけでいい。
 生活や日常について、考えながら生きるだけで何もかもが刷新される。

2011/06/19 桜桃忌/山本有三記念館

 太宰治の誕生日であり、命日の6日後にあたる今日は「桜桃忌」と呼ばれて、三鷹にある彼の墓には毎年たくさんの人がお参りに訪れるのである。
 僕も時間があれば行くようにしているのだが、太宰治にそれほど思い入れがあるというわけではない。もちろん非常に好きな作家だが、墓参りにまで行くのはほかに理由がある。墓参りに来る人たちのウォッチングだ。
 毎年必ずいるのが「たちの悪いオッサン」と、「感極まって泣く女の人」である。前者はとにかく喋りたがる。今日も見ず知らずの参列者を捕まえて「太宰治はただのペテン師なんだよ! 君はどう思う!」とか叫んでるのがいた。こっちとしてはニヤニヤが止まらない。運が良ければ酒を飲みながら延々と議論し続けている二人組などに出会えることもある。よく聞いてみると太宰のことではなく全共闘運動について話したりしているからまた面白い。
 後者はけっこう洒落にならなくて、あんまり笑えない。お墓に行くまでにすれ違った真っ黒いゴスファッションの女の子も目に涙を浮かべていた。お墓の前でハンカチを握りしめてボロボロ泣いている人もいた。同行してくれた女の子曰く、「女の人は全員泣いていた」そうである。
 男の人でも、腕がザクザクになっている(すなわち、激しいリストカット痕がある)のがいたらしい。僕は発見できなかったが、同行者がめざとく見つけ、教えてくれた。そういういやらしいものを見つけるのは女子のほうが得意なんだろうか……。
 こう、泣いてる人とか、腕がざくざくな人とかって、やっぱり『人間失格』とか好きなんだろうか。僕はぜんぜん好きじゃない。泣いてる人の気持ちというのはいっさいわからないし、『人間失格』を好きとか面白いと言える人の気が知れない。泣いてる人を見ると、「友達なの?」って突っ込みたくなる。「え、知らない人でしょ?」って。「もう死んで半世紀以上も経ってるのに、まだ泣くの?」とか。冗談とか揶揄とかでなく、本当にわからない、なぜ泣くのだ。「ありがとう」とかそういうことなのか。ワカラナイ……オレ……ニンゲンノココロ……ナイ……ナミ……ダ……リカイフノウ……。

 せっかく三鷹まで行ったので、大好きな『まなびストレート!』のロケ地を確認し、かねてより気になっていた山本有三記念館に行ってみた。
 山本有三の作品は実は一冊も読んだことがなかった(かの有名な『路傍の石』すら!)ので、予習のつもりで『生きとし生けるもの』という小説を読んでいったら、かなり楽しめた。

 こっから先は文学の話。

 僕が山本有三を一冊も読まなかった理由というのは、ひとえに「文が平易だから」ということだったのだと思う。今はそんなことはないが、大学時代はとにかく「近代文学っぽい近代文学」ばかり読むようにしていて、現代文学とも言えそうな類の、言ってみればあまり読みやすそうなものは読まないようにしていたのだ。思えば実にくだらないこだわりであったが、面倒くさいものを先にやっといたのはよかったとも言える。今から『金色夜叉』とか読もうと思ってもけっこう大変だから。
 記念館を巡ると、やはり記念館というだけあって、山本有三という人物のあらましがわかるようになっていた。山本有三は明治20年生まれの作家だが、なぜ文章が平易なのかといえば、単純に「そういう文章を目指していた」ということらしい。「誰にでも読める日本語」というのを信条としていた。しかも小説家になる前は戯曲(演劇の脚本)で名を馳せていたというから、文章が読みやすいのも頷ける。僕が読んだ『生きとし生けるもの』(大正15年)も、会話文がやたら多かった。新聞小説だからということもあるだろう。単行本解説で菊池寛も言っているように、戯曲家は新聞小説に向いている。
 有三がどうして平易な日本語を目指したのかというと、たぶん子供たちが読むことを考えたのだと思う。彼は子供たちのための雑誌『銀河』を作ったり、教科書を作ったり、また蔵書を子供たちのために開放したりした。政治家(貴族院議員)としても教育の方面には力を入れていた。
 要するに有三という人は教育者だったのである。教育のためには、まず言葉を整備しなくてはならない、という考えを持っていたのである。たぶん。
 その点では非常に評価できると思うし、僕も多大に共感する。有三は「教育の予算が少なすぎる」とか文句を言っていたらしいけど、そうやって子供のほうに目を向けられるのは、文学者としても政治家としてもすばらしい。
 思想的には、有三は今でいえば典型的な「左翼」だと思う。最初に書いた戯曲の『穴』っていうのは足尾銅山の鉱毒事件を取材したものらしいし、(ほぼ)最初の小説『生きとし生けるもの』でも炭坑での過酷な労働が冒頭に描かれる。日本国憲法に対する言及も多く、特に第9条が好きらしい。かなりの社会派。
 とにかく戦争が嫌いらしくって、記念館のそこかしこにそういう文言が散らばっている。まあ、ひょっとしたらこれは「記念館の思想」でしかなくって、展示を作った人が恣意的にそういう発言ばかりを探してきたのかもしれないが、今日のところは置いておこう。
 面白かったのは、9条に対してこのように書かれていたことだった。「憲法9条とは、外国といざこざがあっても、日本は決して戦争をしかけないということです」(僕の記憶により復元、資料無し)――ちゃんと「しかけない」と書いてある。自衛の可能性を残してあるわけである。こういうところがちゃんと冷静に正確なのは、さすが文学者とでも言おうか。あるいは当時の人は、みんなこういうふうに捉えていたのだろうか。今の人は、9条というと「戦争をしない」と表現してしまいがちだ。ただし、「戦争放棄」という言葉は有三も使っている。これは「しかけない」という意味を正確に反映したものではないと僕は思う。

 僕は山本有三という人をほとんど知らなかったわけだが、記念館の中を覗いてみると、共感できる部分や、いろいろと考える材料になった部分が幾つもあった。楽しい。やっぱりなんだって、面白い面白くないというのは、楽しめるか楽しめないか、つまり、自分にそれを楽しむ能力があるか否か、というところにのみかかっているのだ。そういう能力をもっとたくましくしていきたいなと思う。それにはやっぱり、思考の材料と方法をもつことに限るだろうな。

 記念館は、かつて有三が住んでいた洋館をそのまま使っていて、建築としても楽しめる。また、庭や竹林が公園として残されているのだが、これもよい。庭だけならタダで入れるので、近くを通りがかった際は立ち寄ってみるのもよいと思います。三鷹から玉川上水を吉祥寺のほうに歩いていくと右手側にあります。井の頭公園のすぐ近くなので、吉祥寺から行った方が早いのかも。

2011/06/18 電ノコウイル

 8話まで見て放置してたアニメ『電脳コイル』の視聴を再開。
 優子→ヤサコ、勇子→イサコ を考えた人は天才だなあ。
 子供に安心して見せられるという意味では、ここ10年で五本の指に入る質のアニメかもしれない。このくらい良質な作品ばっかりだったらいいのにな。
 オタクに電脳コイルを語らせると作画の話にしかならないから嫌だ。だからオタクって嫌いだよー。
 最後まで見たらちゃんと感想を書こう。

2011/06/17 そうか、過失致死をなくせばいいのか

 教育実習に行くときに、大学の指導担当の先生から「結果責任」ということをうるさく言われた。わざとであろうがなかろうが、自分が引き起こした問題にはすべて自分が責任を負わなければならない、というのが教育現場での常識であると叩き込まれた。
 ところが、法廷においては「結果責任」ということをあんまり問われない。問われるが、「結果責任」 のみを問われるのではない。「わざとではない」ということになれば、 かなり減刑される。殺人罪は「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役」、過失致死罪は「50万円以下の罰金」となっている。

 考えてみれば、わざとであろうがなかろうが、殺人は殺人である、という考え方でもいいのではないか。かつてはそうだったようだが、近代になって「わざとじゃないんだから許してあげようよ」という考え方が浸透したらしい。そしてそれはどうやら、「自動車とかを売るため」だったという。もしも過失致死が殺人罪と同罪なのなら、誰も自動車に乗らなくなってしまうからだ。この辺のことは今読んでいる『日本人はなぜすぐ謝るのか』(佐藤直樹、PHP新書)という本に書いてあった。

「原発をなくせ」とは言われるが、「自動車をなくせ」と言われないのはなぜかと、震災後に誰かが言っていた。僕はずーっと言ってるんだけどな。「自動車をなくせ」と言わない人が多いのは、「過失致死罪をなくせ」と誰も言わないことと根っこは同じなんだろうと思う。
「殺すつもりはなかった」なんて言葉で殺人が概ね許されてしまうなんてのは馬鹿げている。せっかく殺人罪の法定刑が「死刑」から「懲役5年」という広い範囲で定められているのだから、故意だろうが過失だろうがこの範囲内で処理してしまっていいんじゃないだろうか。すなわち、交通事故で人を殺した人間も、最低で懲役5年を科すべきということ。
 自動車の運転というのは、そもそもが危険なのだから、乗りたい人は「懲役5年」くらいのことは覚悟して行うべきだ。あるいは人を殴ったり突き飛ばしたりっていうことも、それでもし相手が死んでしまったら殺人罪にすればいい、そうすれば多少はいさかいも減るだろう。

「わざとじゃなければ許される」っていうふうだと、気が抜けちゃう。当たり前のことだ。わざとじゃなくても罰されるってことになると、何をするにも気合いが入る。そのほうがいい、っていう考え方だってあっていい。検討されてもいいはずなのだが、誰もそれを言わないのは、やっぱり「気を抜いていたい」「罰されたくない」「自動車に乗りたい」「便利がいい」っていうことだろうな。
 怠惰ってことだよ、何につけても。

2011/06/16 やっぱ舞台なんだなー

 小学校高学年のころ、園田英樹さんのことがとても好きで、広井王子さんのことも大好きだった。二人とも「舞台」を大切にしている人たちだった。岡田淳さんとか、橋本治さんも同じで、演劇に関わったり、作品の中に織り込んだりしている。
 やっぱ舞台なんだなーと思った。生身の体ってこと。
 教室ってのは舞台だと思うし。
 人生は劇場なのかもしれないし。
 これほどに重要な文化ってないだろうな。

2011/06/15 彫刻は引き算の芸術

 今日はジャイアンくんの誕生日です。
 めざましテレビが、小学生たちに原発について討論させたら、「原発賛成派」が「原発反対派」の数を上回ったらしい。
 せっかく子供に討論させるのに、「賛成・反対」なんてひねりのない二択だけから選ばせるのかよ、と呆れてしまうところもあるが、とりあえずそういうことになったようだ。
 子供はもちろん、彼らなりに優れた思考方式と、思考能力を持っている。だから、子供の意見だからといって封殺するわけにはいかない。
 しかし、子供が極めて浅はかな思考しかしないということを忘れてはいけない。浅はかな大人というのも多いが、浅はかな子供はもっと多い。
 浅はかな大人は死んでもらうのを待つしかないようなところがあるが、浅はかな子供に対しては、僕たち大人は教育ということをしなければいけない。
 すなわち、「子供なりの思考」と「正しい思考」とを合致させるための指導を与えるのである。

 子供は「火力発電はCO2を出して地球温暖化になるから原子力発電のほうがいい」ということを「知識として」知ってしまえば、心からそうだと信じる。彼らはとても素直で、一つのことを知ったら「ほかの可能性」を考えるだけの想像力を持たないからだ。
 子供には無限の想像力があるというのは、彼らが「答え」を知らない段階での話でしかない。ひとたび「答え」らしきものを知ってしまうと、頑固なまでにそれに拘泥する。自分が知っていることだけが真実だと思いこむ。
「原子力発電は正しい」という知識をどこかから仕入れてしまった、あるいは、そういう結論に一度でも辿り着いてしまったら、もう修正はきかない。逆も然りだ。「原子力発電はよくない」ということを知っている子供は、その発想から脱することが難しい。
 中学二年生くらいになってようやく、そういったことを「疑う」力が身につくのだと思う。

「子供なりの思考」というのは、一直線で、単線なのだ。
 大人は、その思考が絡まり合った無数の複線の上にある一つの可能性でしかないということに気づかせてあげるか、もしくは、現時点で最も正しいと思える答えを教えてあげるかしなければならない。
 後者は簡単だが、危険だ。前者は難しいが、妥当だと思う。
 だから、安直に「賛成か・反対か」を結論にしてはいけない。出発点にするのなら良いと思う。「賛成」と答える子に対して、「どうして?」と問う。理由を答えたら、その理由が必ずしも正解ではないことを教えてあげる。そういったことをくり返して、「何が正しいのかをわからなくさせる」というのが理想だと思う。まあ、そんなにうまくいけば苦労はしないので、結局は「大人の意見の押しつけ」にしか、現実的にはならないんだろうけど、諦めたくはない。

 とにかく、子供の出した浅はかな結論を、大人が参考にするなんていうのは、ばかげている。大人が参考にするべきなのは、子供の意見ではなくて、子供の気持ちであって、それでも、甘やかすようなことはしないほうがいい。どれだけ子供が「新しいゲームソフトがほしい」と言ってきても、それを買ってあげないで我慢させるという教育だってあるのだ。
 子供を教育するのは大人である。子供を尊重しすぎて、振りまわされてはいけない。それは教育の放棄だ。大人がわからないことを子供に聞いちゃいけない。子供の持っている正しさってのはもっと別のところにある。しかしそれはまだ言語化されないで眠っているのだ。
 子供は平気で人を傷つけ、平気で自分の欲望のために人のものを盗む。そんなやつらの言うことを信用できるわけがない。やつらは気分屋で、自分勝手で、残酷だ。そして、優しく、素直で、情が深い。
 つまり、人間の持っているすべての感情を、子供は無遠慮に解放しているっていうだけのことだ。教育によって、「それはよい」「それはダメ」ということを少しずつ覚えていって、この世の中において悪いとされているものは抑制され、良いとされているものが伸ばされていく。
 子供ってのはすべてを持っているんだ。大人がそこから引き算していくんだ。大人がそこに勝手に何かを付け加えたり、引くべきでないものを引いてしまったりしてはいけない。
 そこで適切に彫刻された子供は、浅はかでない大人になれる。教育というのはそういうもんだぜ。

2011/06/14 もしも空き地にジャイアンがいなかったら

 定期的に同じことばっか言ってる僕です。今日も。

 2000年ごろチャットにはまってた。「ドラえもんの世界」ってサイトの、通称「ドラチャ」ってとこに、毎日何時間も入り浸ってた。
 ドラチャがいつ閉鎖したのか、もう忘れてしまったんだけれども、僕がいたのはそんなに長い間ではなかった。それなのに何年もずっとあの場所にいたような気がしている。

 奇跡的に残ってた古いデータを漁ってみたら、管理人の「とも」と最初のドラチャ閉鎖について交わしたメールが出てきた。2000年8月20日だった。
 もう10年以上経ってるから一部転載してしまうけれども、「あんまり復活させる気にならない。みんな反省してるの? 全然考えが浅い、甘い、足らないの三拍子だよ・・・。」という厳しい、悲しい、絶望の言葉が並んでいた。ただ同時に、「全員がジャッキーみたいなんだったら事はすぐ運ぶんだろうけど・・・。 っつーか、全員がジャッキーみたいんだったら閉鎖なんかしないって!」とも書いてあった。これは救いといえば救いだけど……しかし。
 メールをいろいろ見てたら、たぶん2001年の2月くらいまでは少なくともなんだかんだ、ドラチャは「あった」みたいだ。けど、そのあたりが最後かな。
 どれだけ「存続させたい」って願う気持ちを強く持ってても、ダメだった。そういう問題じゃなかった。

 結局、あの楽園のような空間を壊してしまったのは僕ら自身だった。
 そりゃ、僕自身はたぶん、マナーも悪くなかったと思うし、ドラチャが好きで、ずっとあの楽しい空間が続けばと思ってた。
 だけど、だからといってどうにかなるという話じゃない。
 たぶんインターネットってのは2000年で限界を迎えてしまったんだ。
 それから僕はインターネットがかなり嫌いになった。

 だって「場」っていうのはみんなで作っていくものだからね。
 2000年に、インターネットから「みんな」が消えたんだよ。
 個人になった。
 個人が自由を振りかざし始めた。
「場」っていう概念がなくなった。
 ブログにしろSNSにしろ、すべて個人の集まりでしかないもんな。
 掲示板っていう文化は今でも残ってて、それなりに楽しくやっているところはやっている。だけどチャットみたいな「場」とはやっぱりちょっとだけ違う。それは「同じ時間を共有する」ってことかな。それと、最近の掲示板はだいたい匿名か、アカウント制だっていうのもある。それでも細々と、素敵な空間は残ってるんだろうけど。本当に細々と。

 アカウント制って完全に個人なんだよね。アカウント毎に「その人のページ」ってのがあって。
 同じようなもんだと思われるかもしれないけど、そこの差って大きいと思うんだ。個人が独立しているか、場の中に「みんな」がいるかってのは。
 なぜだろう。アカウントがあると、その場にいなくても存在できてしまうからなのかな。

 ちょっと前に、ドラチャで仲の良かった、少し年の離れた友人から突然メールが来た。何でも、古いパソコンが奇跡的に復旧できて、このHPアドレスを発見したんだとか。それからちょくちょく、木曜の無銘喫茶に来てくれている。
 先週、夜中に彼がやって来て、ドラチャの話題になった。閉鎖のことを話して、しんみりとした。「やっぱり、場を取り仕切る人がいないとね」というようなことを彼が言った。「そうだね。ゲームキーパーみたいな人がいないと、ああいう場はなかなか維持できないよね」というようなことを僕は答えた。それで、木曜喫茶ってのは実はドラチャを目指していて、荒廃してしまわないように自分が一応ゲームキーパーみたいなのをやってるんだ、と言った。それはドラえもんの空き地とか、小さいころの原っぱで遊んでいたのと同じなんだよね、という話をした。
 そしたら、「そうだよね、空き地にはジャイアンってのがいてさ」と同意してくれた。それどころか、「世の中って、突き詰めていくとそういうことでしかないと思うんだけどな」というようなことを言ってくれた。正確な言葉は忘れてしまったけど。
 とにかく僕は本当に嬉しくて、泣きそうになった。あの時、あの同じ空間を共有していた友達が、この無銘喫茶という空間で、同じ理想をわかりあえたということが。「やっぱり、ドラチャと無銘は“原っぱ”というところで繋がるんだ」という思いがまた、確信に近づいた。
 その後、究極超人あ~るを皮切りに、好きなマンガやアニメの話をした。なんとまあ、分かり合えることか! もともとがドラえもんっていうところで始まった関係だけに、根っこのところでやっぱり繋がっているのだな。
 ドラチャを「楽しい」と思っていた理由は、ただなんとなく暇つぶしになるから、ってんじゃなくって、それが「原っぱ」のような、ドラえもんの空き地のような場だったからで、人間と人間が接していくことの理想の在り方ってのがそこにあったからで、しかもそう感じていたのは自分だけじゃなかったんだ、と思って、僕は十年間の長い孤独感をついに払拭できたような気がした。
 無銘に居着いちゃったのも、きっとそういう理由なんだと思う。

 インターネットってのは顔が見えないから、やっぱり限界があった。インターネットっていう現実感のないところにきめ細かく想像力を巡らせられるような人は、あんまり多くなかった。参加者の多くが中高生だったってこともあって。だけど生身の人間を相手にした場だと、いろいろ想像がしやすい。相手の反応や、場の雰囲気をダイレクトに感じられる。そういうところに希望はある。
 僕はもうインターネットが嫌いだから、そこに可能性なんかないと思っている。mixiもTwitterもFacebookも、人と人とを繋げるきっかけにはなるかもしれないけど、「場」にはなりえない。絶対に。そこに「みんな」は存在できない。
 無銘は、僕っていう店長が常にいて、それを含んだ形で「みんな」ってのがある。場がどんな雰囲気になるかっていうのは「みんな」にかかっていて、僕一人がどうにかできる問題ではないんだけど、それでも僕がどんな態度を取るかによって、あるいは僕がどんな人物であるかによって、「みんな」の様子は変わる。どんな人が集まるのかも決まる。
 僕がほしいのはとにかく「場」なんだ。「みんな」が「みんな」でいられるような場だ。「みんな」っていうのは、別に誰だっていい。「みんな」として場を共有できるような人ならば、どんな人が来たって構わない。
 そして、本当に優れた「場」というのは、どんな人だってそこに馴染ませてしまうようなものだと僕は思う。
 そのような場が作れればと思う。

 インターネット上の理想の場は、インターネットが限界を迎えたことによって理想とはかけ離れてしまった。やっぱり現実を生きるしかないということだろう。たぶん2005年くらいに初めて無銘喫茶に行ったとき、僕は直観した。場というものを考えるなら、可能性はおそらくここにあると。
 あんまりお店の話はここでしないようにしてるんだけど、たまには。

2011/06/13 コンパイラ

 安請け合いした仕事がきつすぎて死にそうです。
 それがいくつか重なっていて
 体力・気力・時間とすべて奪われております。
 遊ぶ予定だった人すみません。
 木曜の無銘まで家に缶詰です。

 疲れているので妙なことを言いましょう。
 自分のことを考えると、なんといういびつな才能かと思います。
 いびつとしか言いようがないです。
 いびつな生き方をしてきたのだなと思います。
 背骨の湾曲を矯正するように
 努力をするしかないのですが。

2011/06/12 新刊について

『絶対安全! 原子力はつでん部』ですが、文学フリマで売ったぶんとコミックジン、タコシェに納品するぶんを差し引いたら初版がほとんど残らないので、欲しい方は早めに無銘にでも来てください。取り置きは応じられるかどうかわかりません(主に僕が忘れてしまうため)。
 コミティアにもし受かったら増刷することにしようかな。するとしたら大幅に改訂したいところ。文フリでは「一年かけて書きました」っていう長編を売ってる人もいて、一週間でだだっと書ききったような作品では完成度の点において太刀打ちできないかもしれないなと思った。重版時は少しでも質が上がればよいのだが。

 僕が最も読んでほしいと思う世代は「小学生から高校生くらい」で、大学生くらいがその次。とりあえず一人の高校生がとても面白いと言ってくれたので僕はもう満足だ。年を取るほど目が濁り、頑固になり、「○○を描いていないからこの作品は駄作」などという自己中心的な判断しか下せなくなる。

 なんだってそうだが、「答え合わせ」のような判断は避けねばならない。すでにある答えと目の前の解答を照らし合わせるのではなくて、目の前の解答と向かいあって「これは答えになりうるか」を慎重に検討するべきなのだ。

 子供は正直で良いが、目隠しをされてしまっているような子供も多い。現代日本の学校教育が信じられないってのはまさにこの点に尽きる。答え合わせなんかするべきではないのだぜ。

2011/06/10 紀貫之は文章がうまい、昔の人はほとんどドヘタ

●「古今和歌集・仮名序」
 やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける【ぞ-ける→係り結び→強調】。世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひ出だせるなり。花に鳴くうぐひす、水に住むかはづの声を開けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける【か-ける→係り結び→反語】。カをも入れずして天地【あめつち】を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛きもののふの心をも慰むるは歌なり。
 この歌、天地の開け始まりける時より出で来にけり。しか【然=そう】あれども、世に伝はることは、ひさかたの天にしては、下照姫【神様の名前・シタテルヒメ】に始まり、あらがねの地にしては、素戔鳴尊【神様の名前・スサノオノミコト】よりぞ起こりける。ちはやぶる【神に付く枕詞】神世には、歌の文字も定まらず、すなほにして、言の心分きがたかりけらし【ける+らし】。人の世となりて、素戔鳴尊よりぞ三十文字余り一文字は詠みける。
 かくてぞ、花をめで、鳥をうらやみ、かすみをあはれび、露をかなしぶ心ことば多く、さまざまになりにける。遠き所も、いで立つ足もとより始まりて、年月を渡り、高き山も、ふもとの塵泥より成りて、天雲たなびくまで、生ひのぼれるごとくに、この歌もかくのごとくなるべし。難波津の歌【そういう和歌がある】は、帝の御始めなり。安積山のことば【これも和歌】は、采女のたはぶれより詠みて、このふた歌は、歌の父母のやうにてぞ、手習ふ人の初めにもしける。


 上記は、905年ごろ、すなわち1106年ほど前に書かれた文章です。非常に理路整然としていて、読みやすい文章ではないでしょうか。最低限の古典の知識がわかっていれば読めますし、注を参考にすれば現代語のセンスがある人ならなんとなく意味が取れてしまうと思います。
 これを書いたのは紀貫之という人ですが、この人はたぶん文章がべらぼうに上手かったのです。『土佐日記』という作品も書いていますが、これもかなり読みやすいです。

 中学・高校の国語の授業で習う文章は、ほとんどがドヘタで、紀貫之のような読みやすい文章はほとんどありません。そうなのです、みなさんが「古文って読みづれー」って思っていたのは、古文のせいではないのです。書き手がドヘタだったからです。
 教科書に登場する書き手で、紀貫之なみに文章の上手い人となると、江戸時代の松尾芭蕉の登場を待たねばならないくらいだと僕は思います。
 芭蕉の文章が読みやすいのは江戸時代の文章だからということだけではなくて(もちろんそれも多少はありますが)、彼が非常に文章が上手かったからだと思うわけです。

 徒然草も読みやすいと言われておりますが、貫之や芭蕉に比べればまるで赤ん坊と兵隊です。確かに読みやすい段もあるのですが、基本的に「他人に読ませよう」という心意気がほとんどないので、あんまりわかりやすくないのです。
 枕草子は、橋本治が女子高生の言葉で訳したことで示されたように、文法なんてメチャクチャです。

 へたくそな古文の特徴というのは、「一文が長い」というのと、「語と語の関係が明瞭でない」というところに尽きます。これは古文そのものの特徴というよりは、「文法」というものが存在しなかった時代の混沌とした言語事情によるものだと思われます。
「古文には省略が多い」とも言われますが、それはへたくそだからなのです。他人に正確に意味を伝えよう、という気持ちがないからです。省略にはわかりやすい省略とわかりにくい省略があるわけですが、へたくそな古文にはわかりにくい省略が満ちあふれています。枕草子あたりがたぶんその極北で、ほとんど女子高生のブログだとさえ言う人がいます。松尾芭蕉の『おくのほそ道』は逆に、省略の美学をきわめたものだと僕は思っていて、無駄がない文章で意味がちゃんと伝わるようにできています。俳句は引き算の芸術だから、文章もそのようになっているのでしょう。
 つまり、省略しても語と語の関係が明瞭であるような場合と、省略してしまうと語と語の関係がさっぱりわからなくなってしまうような文章とがあって、文章がへたくそな人というのは後者をやってしまうのです。

 昔の人は文章がへたくそで、それは「文章とはどういうものか」ということがわからなかったからだと思います。「文法」というものが存在しなくて、「書き言葉」という概念もたぶんなかったでしょう。だからほとんど口語に近いような形で文章は書かれていたような気がします。わりと言文一致だったわけです。
 紀貫之は天才ですので、「文章とは何か」がわかっていて、たぶん彼の中には「文法」というものが確固としてあったでしょう。「この語とこの語とをこのようにつなげなければいい文章にならない」ということが彼はわかっていたし、「ここで一度文意を切らなくては意味が取りづらいだろう」ということもわかっていたと思います。だって、今でこそ「、」とか「。」とかあるから文を切ることはたやすいですけれども、当時は句読点が原則的にはなかったわけです。それなのに紀貫之の文章は、ちゃんと明瞭に句読点をつけることができるのです。これは驚異的なことです。いや、本当にすごいことです。

 古文がどうして「一文が長い」のかというと、かつては「句読点」という、どんなに文章がへたくそな人でも容易に文を区切ることのできる魔法の発明が、原則的には存在していなかったからなのです。しかし、紀貫之の頭の中には「句読点」のようなものが、たぶんありました。でなければ、ここまできれいに句読点をつけられるような文章が書けるわけがありません。

「古文は読みづらい」というのは嘘です。紀貫之がそれを証明しています。ただ、「句読点がない」というハンデを乗り越えられたのは本当にほんの一握りの天才だけだったでしょう。たしかに我々が「句読点という手抜きに慣れすぎた」ということもありますが、しかし文章の上手下手というのは歴然とあるものです。紀貫之はおそらく天才でした。
 そういうことを考えながら古文を読むと、たぶんちょっとは違った趣があると思います。「つまんねーなー」「古文ってわけわかんねー」というのではなくて、「へたくそだなー」というふうに思えるということです。「へたくそだなー」と思うということは、その文章を添削することができるということです。「ここには主語がないとダメだろ」とか、「ここで一度文を区切らないとわかりづらいだろ」とか。そこまで行くと古文はもう完璧に会得しているといえます。たぶん、古文を読み解くためのかなり有益な方法として、「その文章が不完全であるということを認める」ということがあるでしょう。「不完全であるから、埋めなければならない」、「へたくそだから、添削の必要がある」というふうに思えば、もうちょっと読みやすくなるんでないでしょうか、という話でした。

2011/06/09 大胆に抱いたって鮪じゃもう、

 しょんぼりとしちゃうぜ。

 水曜にいろいろさぼっちゃったので、あと数日がきつい。今日は無銘だしなあ。とりあえず、原稿の疲れはすべて癒えたということにして12日までは攻めの姿勢で行こう。12日は文学フリマというイベントに参加します。

 ちょっと今充電中ですので、長い日記が書けるようになるにはもう数日かかります。

 世界は横糸と縦糸で紡がれている布であるとか、我々の腕が二本で一対であるのはこの宇宙の物理法則の反映なんだとか、テキストとテキスタイルは同じ語源だから~とか、そういったことを考えたりしました。
 また、イチゾクということも考えました。感傷的です。

 それと、久々に連絡を取った教え子から温度の高い返事が返ってきたので非常に嬉しいです。そういうことによって生かされている気がします。


2011/06/06 原稿おわたー

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 うちのおじいさまのことについて、詩を書くはずだったのですが忙しくてかなわず、このタイミングになっちゃうと散文のほうがいいかなとも思うのですが、プライベートなことなので散文にはそぐわないかなとも。まあ、何らかの形で。
 後輩のことについては僕は何か言うほどの立場ではないので、これからも2月に死んだ西原のことばっかり書いていこうかと思います。

 愛する人の名を呼ぶために言葉は生まれたのかもしれない
 って考えるだけでなんか
 捨てたもんじゃないと思えるものですから
 奥井亜紀さんは偉大です。

 小学生のころの自分に僕は最も感謝しなくてはならない。
 いくらなんでも感性が優れすぎていたと思う。
 中・高をあらゆる意味で死なずに乗り切れたのはあの頃の貯金だろう。

 ベタですが
 僕より一つ年下の彼女は今頃になってとても成長したと思う。
 もうすぐ知り合って10年だが
 あんまり会わないのでわからんが
 そして僕もずいぶん変わった
 ベタですが
 今出会っていたら色々と違ったはずであっても
 あのときああだったおかげで今もっと適した状態に
 お互いがいるのならば
 無駄でなかったし
 最適に幸せと思える
 と、ここまではもう何度も書いているが
 だから、死んではいかんなと思うのよ
 成長することを諦めないようにしたいなって僕は思うのです。

 もしも25までに彼女が死んでいたら
 生きてく強さを獲得する前に死んでしまったってことで
(今はそれがかつてよりもずっとあると思うのだ、知らんが)
 実に勿体ないし、タイミングの悪いことだ。
 ベタですが
 生きていてくれて嬉しい
(別にその子が死にそうだったってわけではないが)
 生きてりゃいいことあるなんて
 ことは言わんが
 まじめに生きてりゃ成長くらいする。
 成長って言葉、少し嫌いだが
 事実なのだから甘んじよう。
 ベタですが
 生きてりゃ成長くらいする
 と信じて
 生きていきましょう。
 それが生きるということだ。
 生命力という意味だ。

2011/06/03 意外と人は死ぬ

 昨日、ちかしい人が二人亡くなった。
 一人は大往生だった。一人は僕より年下だった。
 意外と人は死ぬ。早死にしそうな人ほど本当に死ぬ。
 これが2011年だとすると、あと七ヶ月、いったい何が起こるのであろう。
 意外と人は死ぬ。なめてると死ぬ。放っておくと死ぬ。
 放っておかなくても死ぬ。
 いろいろな理由で死ぬ。
 気をつけていないと、死なないつもりでいないと、死ぬつもりでいると、
 死ぬ。
 2011年は、そんなこととは無関係に人がたくさん死んだ年ではあったが、
 そういうことと密接に関係して死んでいく人もたぶん、やっぱり、
 例年通りにいるのだな。

 えんどコイチ先生の『死神くん』にもあったし、ほかでも聞いたが、
「生きたい」という気持ちがないと、人は生きられないらしい。
 病は気からであり、生命力もまた、気からだ。
 だからあの西原は死んだのだろうと思う。
 彼は自殺ではなかったが、そういう点では自殺のようなものだと
 僕は勝手に思っている。馬鹿野郎だ。時間が経つと寂しさが増す。
 悲しくはないが、二度と会えないのはやはり寂しい。
 クソ野郎で、醜悪だったが、何故か華があったというか、
 面白い奴ではあったよ。

 僕はたぶん、「生きたい」という気持ちが強いのだろうな。
 だから放射能とか、携帯の電磁波とか、中国産の食品とか、
 そういうこともほとんど本能的に気にしてしまう。無理のない程度にだが。
 事故に遭ってもだいたい無傷だし。
 なんかたまに、「生かされてるな」って感じることがあるけど、
 それは単に生きたいってだけなんだろうね。
 あんまり自覚はないけど。
 死ねるんなら死にたいって十五年くらい思ってる気がするけど。
 だけど「死にたい」によって「生きたい」を確認するなんて
 そんな自信のない顔してたら本当に死ぬから
 いい加減生きたがってる自分を認めてあげなきゃなと思った。

「○○になったら死のう」っていつも考えてて
 その○○は何種類もあったりするんだけど(花粉症とか)
 やっぱり生きたいから○○にならないように努力しちゃうんだよね
 悪あがきなのかも知れないけど。

 愛されてる限り生きたいし
 求められてる限り書きたいですよ。

 日常と非日常を飛び越える境は
 きっとどこにでもあるのだろう
 僕らは常に表裏一体のところで生きているのだ
 くるりとひっくり返ったら
 そこはもう異世界で
 二度とは戻って来られない

 あまりにもそのことを僕らは知らなさすぎる
 他人事じゃないんだ

2011/06/02 ぐうたらの日

 予定よりたくさん寝てしまったけれども、ぐうたら感謝の日であるからには仕方ない。今日は働かないぞー。ドラえもん14巻参照のこと。
 メールくださった方、すみません。今ちょっと小説的なものを書いている関係上、いろいろと時間が取れないでいます。あと数日経ったらいったん楽になって、もう一週間経ったらぐんと暇になります。そしたらまた長い文章たくさん書くと思います。


 皆んな安心材料と
 共通語を探してる
 勿論音楽は宗教
 美しさに価値を
 (shame/THINK)

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