2022.12.12(月) 旅情
少年Aの散歩 / Entertainment Zone 2022年12月
少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2022.12.1(木) 新しい友達
2022.12.6(火) 化石
2022.12.7(水) 僕の詩の歴史
2022.12.9(金) クリスマスの4日ぐらい前
2022.12.12(月) 旅情
2022.12.13(火) 新潟(1) 遠心的な問題解決
2022.12.14(水) 新潟(2) 幕間
2022.12.15(木) 新潟(3) 港町、観光地、都市
2022.12.21(水) 愛というシーン
2022.12.23(金) 質問、要求、告白
2022.12.26(火) 美の手順、詩の手順
2022.12.27(水) 仲良しの定義
2022.12.29(木) 年末だから/まちくた
2022.12.30(金) 新潟(4) 本と世界
2022.12.31(土) 終わらない美

2022.12.31(土) 終わらない美

 ってタイトルを考えたところで詩にしたくなったのでここを離れそのまんま。今は翌午前5時48分。まだお店にいる。
 年は越えました。しっかりと神社で甘酒を飲んだよ。でも鳥越神社は長蛇の列、並んで参拝した人にだけ甘酒と何かを配布しているスタイルみたいだった。大きいところはそうなるよね。やっぱり地元の神社だね。山田天満宮くらいがほんとうにちょうどいい。
 年内のぶん、またそのうち追記するかもしれないけど、いったんこれで。もう新年なんで、晴れたれば鮮やかれ。

2022.12.30(金) 新潟(4) 本と世界

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 新潟2日め。12月13日の話です。hideのお誕生日。三番めの兄のお誕生日でもある。覚えているんだけど、祝ったことはない。向こうからも祝われたことがない。でもたぶん覚えていると思う。

 11時のチェックアウトぎりぎりくらいまで宿にいた。贅沢だ。普段なら夜中まで遊んで朝早く起きてモーニングというところだが、今回は行くべきところだけ行こう、無理はしないで。Rという海の近い喫茶店にのみ行った。雨が降ってきた。
 僕のことをよく覚えてくださっていた。あなたに教えてもらったという若い人が春くらいに来たよと告げられる。嬉しい。
 靴を脱いで上がる畳敷きの小さなお店。初めて来た時からとても好き。話してみると「場所」についての考え方がけっこう似通っている。詳しく説明するには紙幅が足りない。行ってみてください。わからなければお問い合わせを。
 北書店でちょっと本を買って、「書店」という詩を書いた、歩きながら。それから蔦屋書店で3000円分の地域クーポンを使い切った。2時間以上いたと思う。
 時間がなくなったのでバスセンターのカレーをサッと食べて取材先へ向かう。マントンでコーヒー飲んでから新幹線に。旅はお終い。あっけない。

 せっかく新潟に来たのに本屋さんで膨大な時間を使ってしまった。どうも僕は「本」というものに複雑な気持ちを抱いている。さっき貼った詩を読んでもらえれば幸いである。
 大きめの新刊書店を歩き回って、新書コーナーなんかをつぶさに見て、何冊かだけ買って帰る、みたいなのは定期的にやると本当に健全。社会との接点!って感じがする。
 一方、「セレクトしてます」みたいな感じの個人書店や古書店なんかに行くと、むしろ世界が閉ざされていくようなさみしい気持ちになることがある。
 それはもしかしたら、鳥貴族や世界の山ちゃんでお酒を飲むのとと、夜学バーのような癖の強い店で飲むのとの違い、みたいなことかもしれない。鳥貴族は社会との接点であり、夜学バーは社会から隔絶されている。

 本というものはそれぞれ、一冊ごとに「世界」を持っていて、読む本が違えば到達できる世界も違う。言うまでもなくそれは物語に限らない。大型ないし中型書店というものは原則として「社会がセレクトした本」が置いてあって、「社会がセレクトした世界」すなわち、社会という世界観が店内には満ちている。一方、個人がセレクトする狭いお店では、その個人の世界観、もしくはそこに来るような「ある客層」たちの世界観が、もっと言えば「本好き業界」みたいなものの世界観が、展開されている、ことが多い。
 僕はそういう「業界」の人間ではないし、そういう業界が簡単に言って嫌いだから、胃もたれすることがある。普段は気にならないんだけど、ふとした瞬間に、いきなり。
 夜学バーという僕のお店は、僕がセレクトしたものが僕の美意識で配置されているわけだから、そこには「僕の価値観」がある。ただし、僕は「そういうこと」があんまり好きじゃないので、夜学バーに並んでいる本やモノを見ても「僕がどういう趣味のどういう人間か」がまずわからないように工夫してある。木を隠すなら森の中、みたいなたとえ方をすると、一本一本の木はそれぞれ素敵なんだけど、「こういう植生」という統一感はなく、南国の高い木があったと思えば山奥の針葉樹が生え、砂漠の植物の隣に青々とした若葉が生い茂っているというような感じ、を、目指している。

 本は危険なのである。それは「世界」を孕んでいて、必ず見る人に何かを想起させてしまう。そのことに無自覚な状態が僕には居心地が悪い。たぶん本屋は向いていない。
「本と〇〇」とか「〇〇な本屋さん」みたいなお店が世間には多く、仲の良いお店もけっこうある。「本」というものの危険性、あるいは「世界を閉鎖させる力」みたいなものの制御が上手な空間はけっこう好きかもしれない。そうでないと「ああ、息苦しい」とつい、思ってしまいがちなのだ。

 大きめの本屋さん、それもジュンク堂とか紀伊國屋レベルではなく、地方の蔦屋書店とか未来屋書店くらいになると、本当に「社会!」という感じがする。それなりに需要のある本しか置かれていなくて、かといってベストセラーばかりでもないという、絶妙なバランスが良い。高校のクラスくらいの感じ(伝わるか?)。そこにいることは必ずしも僕にとって心地よいのではないが、「ふだん社会から逃げ続けているんだから、こういう時くらい社会と接点を持たなきゃなあ」と、たまに数時間を過ごしてみたりする。
 なんで「高校のクラス」かというと、本というのは誰もが読むわけではないから。誰もが書店に足を運ぶわけではない。そこにあるのは「書店に来るような人が読むような本」で、本当は社会そのものではない。だからまあ、高校くらいの感じ。
 本当に社会を感じたかったらどこに行くべきなんだろう? 鳥貴族やファミレスはいい線いってる。サイゼリヤなんか色んな層の人が来そうだ。まあ町を歩く、散歩するくらいが一番いいのではないか? とまた我田引水して終わります。

2022.12.29(木) 年末だから/まちくた

 1年を振り返ります。あんまり時間ないので狭い範囲で。
 2022年は「まちくた」さんが軸でした。これはもう間違いがない。
 データによると夜学バーに初めて彼女がやってきたのは2020年10月17日(土)。中3だった。次に来たのは2021年4月6日(火)らしい。高校に入学して間もなく。2021年中は月に1〜2度のペースで来店。高頻度ではないが「コンスタント」で、ほとんどむらがない。
 2022年1月に初めてカウンターの内側に立って催しをし、ここからだんだん来店が増えていく。2月から月1で「かなみ」さんと組んで行う通称「プリキュア営業」が始まった。春休みには「『鈴木先生』大激論会」と「自習室」があった。春から夏にかけては「ダチュラフェスティバル」(調べてください)の主催としてものすごい働きをし、もちろん夜学バーにもよく来ていた。
 通常営業を担当するようになったのは7月から。それから今に至るまで、僕の次に担当日が多いのは常にこの人である。

 従業員になると「自分の担当の日しか店に来ない」ということになりがちであるが、まちくたさんはお客さんとしてもよく来る。お客として座っていることの重要さをわかっているのだろう。未成年ゆえ他のお店へ経験を積みに行くのは難しいから、夜学バーに来るしかないのもたぶんある。何より単純に、夜学バーにいることが好きなんだよねきっと。実のところそれが一番大事な才能だったりする。
 村上龍が「小説の才能とは、毎日小説を書けることだ」みたいなことを言っていた。お店の才能っていうのは、毎日お店に行けることなのである。
 実際、「冬休みは毎日夜学バーに来ます」と豪語し、今のところ本当に毎日来てちゃんと勉強とかしてるし、1月10日までは皆勤するつもりのようだ。「毎日同じ人間がお店にいる」というのは僕のかなり嫌うところだが(夜学バーホームページの「「常連」という概念について」という文章を参照のこと)、さほど長くない限定された期間で、かつ営業時間中ずっといるというのでなければ、特に気にならない。昼ごろ来て勉強とかして、夕方に営業が始まったら、早く帰る日は帰るし、残る日は残るという感じ。

「お店力」みたいなものって、カウンターの内側にいるのだけではなかなかついてこない。お客として座っていることがすごく大事。「生徒の気持ちがわからない先生」みたいにならぬよう、両方やってバランスを取っていくのがいい。と、僕は思います。
 また、たとえば週に1日だけのバイトだとしたら、練習日が1日しかないってこと。残り6日は何をする?「火曜日しかグラウンドが使えない」っていうかわいそうな部活を想像しよう。残りの曜日は筋トレとか基礎練やったり、どっかに試合見に行ったりして、力をつけて「火曜日」に備える。
 僕はなんでも部活だと思っているところがある。気楽さと真剣さのバランスがちょうどいい。はっきり言って夜学バーは部活ですね。自分もぜんぜん儲からないし、従業員を儲けさせる気もない(現状では不可能!)。だけど、だからこそ「何のためにやるのか」ということが重要になる。金のためではないとなると、いったい? そこが部活っぽい所以。
 夜学バーという部活動の指針は「世の中をよくする」。その一環として自分をよくしたり、誰かと仲よくしたりする。そこに共感、共鳴してくれる人が薄給(高給になる可能性も理論上あります)で手伝ってくれる。もちろんお客さんたちも「共感、共鳴してくれる人」で、いなければ成り立たない。みんな僕にとっては部員である。幽霊部員もいっぱいいる。新入部員募集中。

 話をまちくたに戻そう。(なんかすごいフレーズ。)
 彼女が来るようになってから、中高生の来客が目に見えて増えた。彼女の直接の友達や、インターネットで繋がった人だけでなく、「高校生が働いているなんて面白いな」と思って来てくれた人もいる。「ダチュラフェスティバル」の主催(夜学集会)3名のうち1人はそれである。いま高3の子。
 また、「高校生が働いている日に娘を連れてこようかな」と言ってくれる人もいる(今日いた)。まちくたさんは人を呼んでくれる。でも気持ち悪い距離バグおじさんとかはほぼ来ない。ここはすごいところ。「拙者、女子高生がいると聞きつけまして、馳せ参じましたぞ〜〜」みたいな人間を寄せつけないのだ。舐められないオーラがちゃんとあるってことです。色々と、誠にありがたい限り。

 彼女について語るべきことはまだまだたくさんあるのだが、そろそろ寝たいので終わります。
 2022年3月頭にまちくたさんが小さなギターをお店に持ってきた。そのまま置いていったので、彼女に手ほどきをしてもらって練習を始めた。そんなに時間を使えないのもあって、上達は遅々としているけれども、とりあえず年末ライブを昨日の夜中、一人でやった。
 曲目はBLANKEY JET CITY『ライラック』、小沢健二『恋しくて』、ユニコーン『雪が降る町』、Sexy Zone『Sexy Zone』。本当に弾けてないので、そういうもんだと思って聴いていただければ幸い。セクシーゾーンは我ながら可愛く歌えてて良い。
 雪が降る町については、一昨日の夜中にお店で仕事していて、ついでにちょっと近くのお店行って歌った音源もこのツイキャスのアーカイブにあります。あと僕のかっこいいご尊顔拝みたい人は夜学バーのインスタフォローしてください。「@yagakubar」です。

 2022年はまちくたさんが軸だった、と書いたけど、このたった一人の人間が及ぼした影響は本当に大きい。↑の弾き語りも彼女がいなければ絶対になかったわけだし。当然この文章もない。
 エネルギーがあるってことでもあるけど、それ以上に彼女は「ちゃんとやっている」のだ、いろんなことを、手抜きせず。小さなことから大きなことまで。動かす力だまちくたディーゼル。
 生き急いでるってんではなくて、ただ時間を有効に使ってるってふうかな。
 みなさんぜひ参考にしつつ、応援しつつ、たまに会いに来てください。僕にも。

2022.12.27(水) 仲良しの定義

 年末なのでまとめっぽくしていきたいと思っております。仲良し、仲良しと散々ほざき続けてきた僕ですが、いざ「仲良しの発想って結局どういうこと?」と問われた時にスッと出せる良い説明がありませんでした。だから6時間にわたる講演会(!)で長々話さねばならなかったのです。(Talking!ページから飛べます。興味ある方はどぞ……。)
 で、それが、先日人と話していてポンとひらめいた。

 仲良しというのは僕にとって、「最終的には相手の困ることができるだけ少なくなり、相手の喜ぶことができるだけ多くなるような行動を互いに心がけようとする関係」のことだろうと。
「最終的には」とわざわざ入れたのは、「一時的には」相手の困ることが多くなったり、相手の喜ぶことが減ったりすることはあるはずだから。

 当たり前っちゃ当たり前なんですけども、意外と言語化できていなかった。不思議なものだ。

 すべての行動がラブコールに、すべての言葉がラブレターに、「最終的には」なるような関係ってことですね。
 たとえば26歳で死んだある友達なんかは、晩年仲良しだったとは言いがたい。「最終的には」が彼の死の時点と仮にするならば。でも「仲良し」と言えた時間はあったかもしれない。互いを罵倒しながら漫画の話ばっかして、早稲田通りのがんこラーメン食ってたような頃。それがあるから彼を「親友」と呼ぶ気にもなる。
 そいつのお父さんが死後、「息子はどうしようもないやつで、褒めるところはほとんどない。でも小さい頃に本当にかわいかった、その記憶があるから愛しているだけ」というようなことをおっしゃっていた。

 時間ないので今日はこれだけ。こっから発展していく先はたくさんありそう。

2022.12.26(火) 美の手順、詩の手順

少しだけ不思議 なつかしい気持ち 思い出す痛み
いつだって僕が伝えたことなんてないのさ
そしてスライドが続くのさ すぐChristmas Timeがくるさ
(Flipper‘s Guitar『SLIDE』)

ミルクを飲んでフラフラの僕は
空気のような空想を描く
黒いトンネルに吸いこまれてく
うんざりするほど永遠にずっと

爪を噛んで数を数えて
窓を開けて僕は終わりをまってる

スライドしてく景色のスピードが
はやくなって僕は立ちつくして
悲しまない明日を願うけど
より深い青に世界を塗りかえてく、きっとーーー。
(Plactic Tree『スライド.』)

 フリッパーズの『スライド』を僕が好きだということはきっと何の意外性もなく、なんなら高校生の頃の日記にも出てくるくらいだけど、プラの『スライド.』もなぜかすごく好きなのである。なんでか本当によくわからないが、いい曲だと思う。
 爪を噛んで数を数えて、窓を開けて。
 思春期に響く言葉ってのは一般にもっとダイレクト。たとえば銀杏BOYZ的な感覚は息長くずっと影響力を持ってきているようだけれども、そういう直裁性?みたいなものは僕に合わない。大森靖子さんとかもその類だと思っている。
 僕はもうとにかく「少しだけ不思議 なつかしい気持ち 思い出す痛み」だとか「爪を噛んで数を数えて 窓を開けて」といったものが好きだ。

「ミルクを飲んでフラフラの僕は」って歌い出しも、ミルクってのはここでは〜みたいな意味分析とかどうでもよくて、フレーズそのものの色味みたいなものがいい。ああ、ミルクを飲んでフラフラ、まったくわかんないけどそういうこともあるんだろうな。と。
『スライド.』という曲は暗い。その暗さに意味がまとわりついてないのがいい。ただ「そういう色味の気分というものがある」ということだけ伝わってくる。
 2番の「なんでまた泣いているんだろ? 痛みにだけ僕は素直になってる」という表現が僕にとってはギリ。ここまでならなんとか(?)好きだけど、これ以上具体的になってくるとたぶん受け付けない。

 人間も関係もやりとりもすべて、詩であるほうが好きだというのが、僕の基本姿勢らしい。そのように全てやっているから、まあ僕なんて売れるわけがないんですわな(自嘲)。
 23日に書いたこともそうなんだけど、結局「閉じられていく」ことより「開かれていく」ことが好きで、「はっきりとして確固たること」よりも「曖昧で流動的なこと」が好きなのだ。
 質問や要求は、相手を閉じさせることがある。それらは必ず、あとから大きく開くためにいったん閉じて力を貯めます、という約束でなければならない。
 固定した関係を言葉で縛り付けるよりも、曖昧な関係の中で踊り続けるほうが僕は好きなんですね。つまり常識がない。常識ってのは「常」の字が入っているように固定的なもの。常識を持つとは「自分の外部にあるものに自分の思考や行動を委ねる」ということでして。本当に向いてない。「なんでいかんの?」が幼少期の僕の口癖だったことは有名(僕もお母さんから聞いた)。
 常識のない人間と付き合うのは怖い。でもはたから見てたらちょっと面白い。僕にガチ恋が(あんまり)わかないのは、どう考えてもそれなりの距離をとったほうがいい、恋してもメリットがない、危険だと判断されるからじゃないかと以前友達に言われました。

 ところで詩の手順というのは、論理的な手続きとは違って、「どの順番でどんなイメージを想起させるか」に尽きる。散文でも「どの順番で単語を並べるか」が最も重要だが、それは「意味をより正確に理解させるため」というのがメインの目的なので、詩の手順とは似て非なるもの。(僕としてはそれらを同時にやるのが理想。)
 詩の場合、語の順番というものは「意味」ではなく「イメージ」のために決められる。イメージというのは、佐藤春夫が言うような、言葉の意味以外の側面によって想起させられるもの。詳しくはこの記事でも。
「韻文は寧ろ言葉の意義を二の次として言葉をどの面からでもその最も美的効果の多い方面から使っている」と佐藤春夫大先生はおっしゃる。言葉の美的効果というものは同じ語でも千変万化、いろんな角度から光るもので、「どこに、どのようにその語を置くか」でまったく違った魔力をまた神性を持つ。「どのように並べたらどのような美的効果が生ずるか」を徹底的に熟知した人間が、狂いなく精確に言葉を紡いでいくことが詩の手順であり、そうでなくして言葉に美など宿らない。

 人間や関係ややりとりが詩になる、というのは、そのようなことを常にやるということ。「自分がどうすれば、どのような美的効果が生ずるか」「自分がどうすれば関係がどうなり、どのような美的効果が生ずるか」「どのような働きかけをすれば、どのようなやりとりになり、どのような美的効果が生ずるか」そういったことを考え抜き、実践する。できる限り狂いなく。そうでなくして美などは宿らない。美しい人間はちゃんと手順をわきまえている。

 高校時代に「作品」と評されたことが2度あった。しかし作品であるというだけで価値を持つわけではない。価値があれば名作と呼ばれる。名作でありたいものだ。

2022.12.23(金) 質問、要求、告白

 質問については2019年5月に奈落の質問マスターという記事に書いている。ほかにも何度も書いているはずだが、この頃はちょうど『小学校には、バーくらいある』を書き上げた直後だったので、たぶんそれなりにまとまっているだろう(読み返してない)。『小バー』は第2章のタイトルが「質問いがいでしゃべれない?」というもので、質問の暴力性(!)について語られている。
 実際、質問以外でしゃべれないような人はいる。小沢健二さんの『天使たちのシーン』という名曲にある「いつか誰もが花を愛し歌を歌い 返事じゃない言葉を喋り出すのなら」という一節を、何千回でも繰り返し歌ってほしい。
「返事じゃない言葉」ということに関しては、ここ(2013年7月22日)とかここ(2019年3月1日)とかここ(2020年3月2日)とかに書いています。良かったら読んでください。けっこう重要な記事の周辺に出てきます。

 質問とはすなわち「要求」である。「答えろ!」と詰め寄っている。それが基本だと思っておいた方がいい。知らずに暴力となってしまうから。

 で、さて? 「付き合ってください」というのは、要求である。「付き合ってくれませんか?」というのも、質問形式の要求。いわゆるこういう「告白(告る)」というのは、要求なのである。「答えろ!」と相手に詰め寄っているのだ。
 おかしいですなあ、「告白」という文字だけ見れば、一方的に「言う」ことのみ意味するのでよさそうなのに、多くの場合「要求=質問」が含まれる。むろん「好きです」とだけ言って、要求や質問として機能しないことだってフツーにあるが、「付き合ってください」等とつづけてしまう人も非常に多い。
 みなさん欲がありますからねえ、「好きです」とだけ言っても、見返りがなさそうなんだもの。「付き合ってください」と言って、「はい」と返されれば、さまざまな欲望が充足されますから。宝くじを買うように「当たれ! あたれ! 満たされよボクの欲望!」と祈りながら特攻してゆく人の多さよ。欲を満たすための努力は何もしないで……。

 当人にとっちゃ「告白する」って一大事で、ものすごいエネルギーを使ってやることだから自覚があんまりないんだけど、実はただ「言う」だけなんですね。それで相手に「返答する」ことを要求するのですね。そんで言われた側は、断る場合「ごめんなさい」とか言わなきゃいけないわけです。なぜ謝るのだ? 意味不明!(さっきお店のお客さんに「告白された時にごめんなさいって返すのおかしいですよね〜」って言われて深く頷いたのだった。)
「自分はものすごいエネルギーを使って告白というのをやった! 返事くらいくれて当たり前だ!」とつい、人は思ってしまうのです。しかし相手にとっては、何もないところからいきなり「返答をよこせ!」と要求を突きつけられたようなものかもしれない。ノーと返すことはほぼ確実に相手を傷つける、落胆させる、ゆえにそれには恐ろしく大きなエネルギーが要る。だから困る。でも告白した側は「早くしてくれ! わたしのライフはもうゼロよ!」と1秒ごとに狂ってゆく。それもわかるからまた困る。
 仕方なく絞り出す言葉は当然「ごめんなさい」になる。なぜならば、自分は相手を傷つけてしまうのだから。

 軽々しく、勝ち目もないのに、宝くじを買うように祈るように「告白する」というのは、相手への暴力的な要求であり、かつ「他人を傷つける」という悪行を強制することでもある。そういう想像力は、恋に狂った人間には存在しない。残念ながら。誰も悪くない。恋が悪い。(言っとかないと。)
 そう! 恋に狂えば人は狂う。頭は悪くなる。IQ?はダダ下がりになる。仕方ない。わたしにもおぼえはある。(参考文献:岡崎律子『A Happy Life』)
 でもそういうのってもう先人が何兆回もやってきたことでちょっと漫画とか読めばわかるはずだし、その程度の理性なら少しの努力で育める可能性が高いので、「その人は悪くない」とまでは思わない。「もう少し成熟してくれたほうが迷惑がないな」くらいに考える。
 今は未熟だからそうなんだけど、だんだん成熟していかなければならない。でないと「他人に負担を強いる」ということばかり永遠に繰り返すことになる。そうなると迷惑なのです。まわりまわって、たぶん僕も。

 じゃあ、恋をしちゃったらどうしたらいいの? 簡単。片想いを、両想いに変えてしまえばいい。それだけのことが、恋をするとわからなくなる、らしい。
 片想い状態になったんだったら、まず検討すべきは「実は両想いである可能性」で、そこに確信が持てないと「確かめる」ということをするわけだけど、その時に「わたしは好きです、あなたは好きですか?」という最大の悪手をやる人が多い、それが「とりあえず告る」。なぜ我慢できない! スキすぎて辛いのはわかるけど、相手は困るじゃないですか。(そういう想像力が恋すると無くなっちゃうよね、という話だけどさ。)
「確かめる」ってのは、じわじわと行うべきでしょう。だって↑の段階で「ノー」と言われたら、そこで終わっちゃう可能性が出てきちゃう。なんでかって、あなたはその時点で相手にとっては「自分に負担を強いてくる人間」なわけだから。「こちらの迷惑も考えず要求を突きつけてくる」うえに、「人を傷つけるという悪行を積まされる」わけだから。最悪。「もうやだー!」ってなるのは目に見えている(恋してると見えないんですよね〜)。

「じわじわ確かめる」ということをして、「こりゃまだ付き合うとかそういう段階じゃないな」と思ったら、それは晴れて「片想い」がほぼ確ってことですから、次に考えるのは「それを両想いに変えていく」なのじゃ。相手はまだこちらのことを「やだー!」と思ってないわけですから、脈はまだ残されております。たぶん。
 ではどうやったら片想いは両想いに変わってゆくのか? それはもう「仲良くなる」しかございません! でもさでもさ、それだと「友達」で止まっちゃいませんか? 「〇〇のことは恋愛対象として見られないな〜」とか言われちゃわない? なんて思っているそこのあなた! アホか! 友達なら友達でいいだろ! 相手のことを人間として見てないんか! まさか性的な欲求を充足させるための存在としてしか捉えてないの? それで好きとか付き合うとか言ってんの? やだ! きも! 無理なんですが!!
 僕の前提として好きというのはいわゆる「人として好き」が含まれてないとおかしいというのがあるのです、健全だから。肉体関係を持つなら持つ、持たないなら持たないで、何であれ「すばらしき仲良しの関係」になれたらそれ以上に幸福なことはない。仲良しをめざせば最も良い形に関係は最適化される。それで恋仲になるならなるし、ならないなら素敵な友達。それを健全と僕はする。
「いや自分は健全じゃないんで、とりあえずこの人と肉体的にどうにかなれたらいいんですよ、とにかくこの人に触りたいんすよ自分は!」というのも、正直でよろしい。それは意外に純愛だ。(参考文献:日本橋ヨヲコ『CORE』)この場合も基本は同じで、確信なき「付き合ってください」は悪手ですね。「どうしたらヤレるんだ?」を手抜きせず考え抜くべきでしょうね。

 ともかく「こういうふうになりたい、したい」というイメージがあるのなら、そこに向かって「手順を踏んでいく」というのが大切なのだと僕は思います。「自分はこういうふうにしたいんですけどお!」といきなり当事者に懇願したって「えっ、こわ」で終わる。「告る」ってのは自己中の手抜き。世の中には自分以外にたくさんの人間が存在して、非常に複雑な力学で動いているのだということをまだ知らないのだろう。

 さらにまあちょっとだけ「恋愛などない」という僕の持論の領域に持っていきますと、そもそも「好きな人との仲良くしかた」ってのは「付き合う」だけなんですか? ってことなんですね。そんな知らない昔の誰かが決めた恋愛とかいう謎のルールに則ることだけが、あなたとその人との「仲」を美しくサイコーにしていく唯一の手段なんでしょうか? 違うよなあ〜♪(←歌ってる)
 別に「付き合う」という状態がなくたって肌に触れていいし、「他の人とこういうことしないでね」という独占契約だってしたけりゃすりゃーいいじゃない?

2022.12.21(水) 愛というシーン

 新潟シリーズはちょっとお休みして(そうでないとそこで詰まってしまう)最近の雑感など。
 長い文章になりそうなこと、考えては消えてしまう。メモだけが残って、それを見ても何も想起できなくなっていたりさえ。鉄は熱いうちに打てって本当だ。
 考えるのは友達のことばかり。ネットプリントで通信を出している友達がいて、第1号は逃してしまったけど2号は印刷できて今日読んだ。お便りを募っていたので送りたいと思っているけど気恥ずかしいな。いつか届くかもしれないし届かないかもしれない。きっとその人はいつかこれを読むから一言だけ感想。

 静かにすると川は澄む。天候が荒れたり誰かが踏み荒らせば濁る。その行き来を繰り返して我々は生きていく。文章にもそう両極があって、書き「残す」ということは、あるいは「読んでもらう」ということは、その軌跡を刻みつけるということ。
 また共感するのは、それは笹舟だねということ。僕がこの日記で20年とかずっとやってるのもたぶん似たようなこと。どこかに届くと信じてるし、動かぬ証拠もある。こう書くことだってそうだ。

 かつて僕は「愛とは場面、局面、シーンである」と書いた。10代の終わりくらいだったかな? 愛とは感情ではない。関係でもない。思想なり思考なり、人間の心の中にあるものでもない。愛とは一つのシーンなのである。
 友情もそうで、それは一つのシーンであるというだけなのだ。関係を言い表す言葉ではない。何があったってそういう「シーン」になってしまったらそれが友情。シンプルな話。

 さっきインスタ開いたら女子校勤務時代の生徒(22)がインスタライブやってたので見に行った。僕が入るなり目を開いて「先生ー!」と叫ぶ。嬉しくも恥ずかしかった。その「先生ー!」というシーンがもう愛だとか友情だとかそういった感じの何かなのだ。ジーンとしてしまうね。この子のこと好きだわ〜と単純に思った。ありがたい存在。

 目が合ってふっと笑うとか、見惚れ合っちゃうとか、そういうシーンが愛だったりする。
 美しい海岸の岩場で飛び跳ねちゃう、そういうシーンが友情だったりする。愛でもあったりする。なんでもいい。言葉は邪魔である。よーするに素敵なんだ。
 最近友達のことばっかり考えてしまうのは、そこにすべてがあるとしか思えないから。毎日ケタケタ笑いながら遊んで暮らしてる、それを愛と言わずしてなんと言うのか? なんとも言う必要はない。ただそれは最高なだけ。

2022.12.15(木) 新潟(3) 港町、観光地、都市

 L字のカウンターに6〜8席程度の小さなお店。ラジカセから演歌が流れている。焼酎の水割りを頼むと、棚から長めのビールグラスを出してきて、水道で軽く洗って、目の前に置いて焼酎を注ぐ。スーパードライのグラスに、氷なしで二階堂がトクトク。「どのくらい?」と聞かれ、「そのくらいで」と止める。
 今度はこれまたスーパードライの小さなグラスに水道水を入れて、それを焼酎に注いでいく。「どのくらい?」とまた聞かれる。全部入れてもらった。空になった小さいほうのグラスはそのままカウンターに置かれる。
 常温の洗い立てビールグラスに氷のない二階堂水割り、意外といい。新潟の冬に、わざわざ冷たいもんを飲むこともない。
 先客は一名。入れ替わるようにお帰りになった。しばらくしてタクシーの運転手さんがきた。「大瓶!」と言う。表にタクシーが停まっている。まさか飲む気? スーパードライの大瓶が出てくる。それをママに「飲みなよ」と振る舞い、空になっていた僕の小さいほうのグラスにも注いでくれる。それで自分は持参した缶コーヒーを飲んでいる。帰り際ママに5000円札を手渡し、「お釣り4000円で」と言う。一滴も飲まずに1000円だけ払っていった。
 飲み屋がかつて20軒も連なっていたという長屋で、唯一営業を続けている。「私が一番最後に来たからね」「もう組合もなくなったから、うるさいことも言われない。365日自由にやれる」
 年中無休で、たぶん16時ごろ開いて、早ければ19時台には閉めているらしい。みなさま新潟に行ったら是非。怖くないです。このお店がなくなったら、たぶん長屋は取り壊されます。

 もう一杯ここで飲みたいと思ったけど、その一杯がいつも失敗なのだ。大瓶の半分以上は僕が飲んだ気がする。これ以上は危険。歯を食いしばって「ちゃこ」を出た。腹八分目。
 沼垂から上古町の先っぽ「古町ぺんぎん商店」へ。新潟の端っこから端っこって感じ。19時までだから十分間に合うだろうと思ったら、早仕舞いのお片付けが大方終わったようなところだった。馴染みの店員さん(もう8年くらい僕はこの人のお客さんである)がいらっしゃってお水を出してくださった。少し世間話。旅先に知っている人がいて、受け入れてくださるっていうのは本当にいいもんだ。
 いったん宿に入り、ちょっと寝る。起きてあてもなくふらりと外に出た。
 宿は古町の8番町あたり。すぐ近くに「奏」というお店がある。生存確認にと行ってみたらもぬけの殻、移転の張り紙。だったら行ってみようと行ってみた。ワインでも飲もう。
 我ながらこの「だったら」という感覚が好きである。いつも通り営業していたら入らなかったかもしれないけど、移転と知ったら急に「行かなきゃ」という気持ちになる。上大川前通6番町とのこと。まさにそこ、年明けにお友達がお店を開くそうだし、四ツ目長屋という古本屋酒場もあるし、いまかなりアツいエリア。面白くなってきましたね。老舗喫茶「六曜館」もぎりぎり6番町らしい。今時書店も北書店(移転後)もそうなんだけど、「萬代橋の西岸」周辺に文化(?)が集まっている。古町・本町も相変わらず素晴らしいんだけど、新しいものは目立たないかも。商店街あるあるで、人が「住んじゃってる」ゆえになかなかテナントが空かないのもあるみたい。

 地図も見ないですぐにわかった。相変わらず安く、美味しい。
 妄想のような、根拠のない空論だけど、新潟の人ってよく「覚えてる」なあ。人についての記憶力がいい。これも港町だからなのでは? という、こじつけ。田舎はどこだってそうかもしれないけど。たぶん人をよく見ていて、その分ちゃんと覚えている。
 港町は、「たまにしか来ないけど、確実にまた来る」人を迎え入れる土地柄、のはずである。理論上。僕は「理論上」のことを考えるのが好きなのでお許しいただきたい。でもそんなの昔のことで、今は(少なくとも一般の人にとっては)港町じゃないでしょ? とお考えの向きもありましょうが、土地に染み付いた柄(県民性的なもの)は社会に溶けきって簡単には抜けない。また上越新幹線や関越自動車道が(角栄のおかげで?)素早く整備されたことによって、東京の人にとっては「港町」にかなり近くなっている。毎冬決まって訪れる僕にとっても新潟はほぼ港のようなものだ。たまにしか来ないけど、確実にまた来る。そういう理屈でいうと、日本の主要な地方都市はどこも大都市に対する「港町」となりつつあるのかもしれない。そしてたぶんそういう町が僕は好きなのだろう。
 港町というのはビジネスの町で、歓迎と警戒のバランスが芸術的に良い。決して相手を不快にさせない。だからこそ相手の良いところ、悪しきところをよく観察する。

 対して「観光地」というものは、「もう二度と会わない可能性が高い」ということが前提にある。だから「良い人であろうが悪い人であろうが、今日という日を無事に楽しんでもらえればいい」という感覚にあるはずだ。理論上。またひっきりなしにたくさんの人が訪れるから、いちいち覚えてもいられない。一期一会の感覚が非常に強い。歓迎が警戒に先立つ。理論上。
 もちろん「都市」というのは警戒が歓迎より先に立ち、それは「無関心」という形で現れる。知らない人がいるのは当たり前だし、その数も膨大だから、いちいちかかずらっていられないのだ。ゆえ「一見には冷たい」という現象も起こる。実のところ「常連で固まる」性質は都市の方が強いと僕は思う。橋本治さんが1987年11月15日の講演『ぼくたちの近代史』で「都市がどんどん田舎になっていくような気がする」と言っていたけど、なるほどこういうことなのかもな、という気がする。トカイには小さなイナカが密集している。僕はそういうインチキ(!?)が大嫌いですね。
 観光地でも港町でもないただの田舎に行けば、「こんなところにどうして来たのだ? 何が目的だ?」という警戒マックスで迎えられる可能性もあるが、「こういうわけです」と説明すれば一転、「そりゃマーわざわざどうもありがとうございます、ようこそいらっしゃいました」と歓迎に転ずる。「トカイのイナカ」にはこれがない。

「奏」では素敵なおつまみと白ワインを2杯。最近ぶどう酒に興味があるので色々教わった。僕が死んだら戒名は「ジャッキー・パンとぶどう酒」がいいな。(参考文献:『汚れなき悪戯』)
 ワイン好きなんだけど開けたら飲まなきゃいけないから開けられない。単価も安くないしね。まあでもお店で僕が飲んでたら「自分も!」って人は多そうだからキャンペーンとして飲みまくるのもありか。
 こないだ、内野(新潟から電車で25分)の「ウチノ食堂」で紹介を受けて夜学バーに来た、という新潟在住の若い女の人がいて、その日は僕がいない日だったんだけど、せっかくだからということでその場で僕の連絡先を伝えてもらって、新宿で落ち合い、ちょっと歩いて話した。新潟の人ってそういう突発的なことに強くない? 思い込み? たまたまそういう人と友達になりがちってだけ?
 その方が「〇〇でバイトしているんで来てください〜」と言ってくれてたんだけど、飲んでたらシフト終わってしまっていた。お誘いいただけるだけで嬉しい。また今度。
 月火は新潟、定休日のお店が多い。この夜もまだ23時過ぎなのに、特に行くところ、行きたいところがなくなってしまった。ちょっと散策して宿に戻り、ちょっと日記書いて寝た。

2022.12.14(水) 新潟(2) 幕間

 上野1022→1224新潟。取材先は駅南、ちょうど1時間あるので周辺を自転車で散策。近年新しくできたお店などを目視チェックして回る。地方でも個人経営のカフェやバーなどが急増している。ここ3年くらいで価値観、人生観を含むいろんなものが転換してきた結果の一つ。ただこれらすべてが「生き残れる」わけではないだろうから、その後の展開が少し気になる。すでに閉じているお店もけっこうある。
 初めて昼間の「ペがさす荘」見て、その異様さに改めて驚いた。喫茶「クリスティ」行こうかと思ったけどもうちょっと走りたかったので「カレーハウス」まで行ってカレー食べた。おかずがたくさんついて嬉しい。健康。
 取材ぎりぎり間に合う。介護士を目指す学生と医療事務を目指す学生の2人から話を聞き、撮影に立ち会う。それから別の学校に自転車で移動して3本目、こちらも医療事務志望。手違いがあったらしく30分以上押して終了。
 沼垂の長屋に一つだけ残る飲み屋さん「ちゃこ」は16時くらいから開くようなので行ってみた。数年ぶり二度め。「二度めは、ずっと」だからまた行くだろう。
 一応解説しておくと沼垂(ぬったり)というのは新潟駅から北東に1.5キロくらい行ったエリア。取材先がやや北東寄りだったのと、自転車だからあっという間に着いてしまったが、歩いたらちょっと面倒である。テナントも安いのだろう、近年若者たちがいろんなお店を出すようになって栄えている。一方で古いお店は元気見えず風前の灯かもしれない。

 短いけど次回に続く。真夜中になってしまった。

2022.12.13(火) 新潟(1) 遠心的な問題解決

 12日、9時12分東京発の新幹線に乗る予定だった。大宮にしか止まらないやつ。でも東京駅着く直前に気がついた。「昨夜財布をお店に忘れた!」と。
 こういう時、まさに「このおちつきがしろうととくろうとのちがいだ」の気分になる。『ドラえもん』2巻の「恐竜ハンター」という回で、襲いくる恐竜を前にドラえもんが悠然と言い放つ超かっこいい一言。

 まず最悪の場合を想定する。そしてそこから極力離れようと思案をめぐらす。

 わかりますでしょうか。僕の座右の銘は「遠心的(遠くへ行こうとする)」なのです。たぶん「求心的」な人は、「まず理想的な状態を想定し、その実現に力を尽くしつつ、少しずつ妥協していく」というようなプロセスを取るのではないかしら。言うてしまえば、遠心は加点法、求心は減点法になりがちなのです。

 最悪の事態とはここでは「仕事に間に合わない」であろう。すぐさま券面の裏を読み「指定列車に遅れた場合は、当日に限り後続の自由席に乗車可能」というルールを確認する。焦って9時12分に飛び乗らなくても良いということだ。新潟での取材は13時30分からで、「10時40分東京発」に乗れば間に合う。1時間半も問題解決のために割けるということだ。
 次に「財布を持たずに新潟へ行って仕事して戻ってくる」が可能かを考える。往復の切符はある。スマホ決済もそれなりにできる。LINE Payから現金化するという裏技もかつて、まさに新潟でやったことがある。仕事で現金を使用することもない。自転車を持参しているからバスにも乗らないでいい。いけそうだ。
 ただし一つだけ問題は、身分証明書がない。「全国旅行支援」で約7000円の割引と3000円分のクーポンがつくのだが、身分証を提示できないと受けられない。きのう抗原検査受けたのも無駄になる。ここでもまた「最悪の事態」から考え始める。もし身分証が持っていけなかったら、夜はお店を別の人がオープンしてくれるから、身分証の写真を撮って送ってもらい、「これでどうにか」と宿に頼み込むという方法。おおらかな相手なら意外と通りそうな気もする。しかし確実ではない。またこういうのは今電話しても「ダメです」と言われるに決まってる。面と向かって顔を見て哀願するのが最も効果的。

 ここからは「いかにして財布を手にするか」。モノは上野にある。いま東京駅にいるのだから、1時間半もあれば余裕で往復できるし、なんなら上野から新幹線に乗ればいい。ただし、もう僕は改札をくぐり、最寄駅から東京駅まで乗ってしまっているのである。こういう切符は原則として「下車前途無効」すなわち、この切符を使って上野で降りると、そのまま無効になってしまうわけだ。普通なら。
 ルートは二つ。「自分で取りに行く」と「誰かに取って来てもらう」。やはり最悪のことから考えるので、「自分で取りに行けない場合」を念頭に置き、「誰か」への手配をまず始める。上野駅(または御徒町駅)の改札内で(改札内から)鍵を渡し、また改札で財布と一緒に受け取ればいい。「自分で行けない(上野で改札を出られない)」ことがわかってから人に頼んだのでは、間に合わないかもしれない。両者を並行して進めるのが賢い。
 とりあえず東京駅の窓口の人に、「この切符で上野から新幹線に乗ることはできるか」を確認する。「東京(都区内)→新潟」だからできるに決まっているのだが、念のため。OKとのこと。よし。構内を歩いているうちに違う疑問が湧いてきたので、別の窓口でもう一度質問。「たとえば上野までの料金を別途払って、この切符の使用開始を上野からにする(入場記録を消す、ないし書き換える)などの対応は可能か」と。「少なくとも東京駅ではできません、上野駅の判断になります」とのこと。向かうしかない、とりあえず。

 上野駅の中央改札は混んでいて地獄。ちょっと並んで番が来て、女性の駅員さんに事情を話す。手で大きくバツをつくり、「だめです」と言われた。えー、なにそれ。「そうでしゅか……なんとかするでしゅ……ありがとうございましゅた……」とすごすご、しおらしく戻ろうとしたら「あ、この切符で今から、自由席に乗るってことですか? それなら大丈夫ですよ! スタンプ押すんでそのまま通って、また有人改札からおまわりください〜」と手のひらをお返しになる。おお、ぬか苦しみ。改札を抜け、「自分で取りに行けることになりました!」と「誰か」に報告と感謝。一件落着。

 結果、1円も追加で払うことなく、お財布を取りに行けたのでした。めでたしめでたし。新幹線までけっこう時間があったので、自転車走らせちょっと遠くの好きな喫茶店に行ってモーニングをいただいた。いつもランチで行くお店だから新鮮。ホットサンド的なものと、ゆでたまごとチョコレートとコーヒー。500えん。お店を出て駅に戻り、自転車を畳んで袋で包みました。浅草口の階段へ向かうとそのなかばで誰かが笑っているのを見ました。それはお見送りに来た誰かさんでした。(参考文献:宮沢賢治『雪渡り』)

2022.12.12(月) 旅情

 石炭をば早や積み果てつ。←これは有名な森鷗外『舞姫』の書き出しですが、なんかそんな気分になることってある。覚えている一文が人生の中にスッと代入されること。このXはこれでござったか、という。今ちょうどそう。
 新潟にいる。飲み足りないような気分を抱えて、消化不良のまま宿にいる。一人きり机に向かってこの日記を書いている。ちょうど『舞姫』の豊太郎と同じように。カルタ仲間もホテル行っちゃって。
 石炭をば早や積み果てつ。←「つ」は完了の助動詞「つ」の終止形。石炭は早くも積み終わってしまった。「友達は家へ帰ってしまった 夜通しのリズムも止まってしまった」(小沢健二『暗闇から手を伸ばせ』)そんな切なさがある。この歌は「大空へ帰そう 賑わう暗闇から涙を拾って」と続く。
 太田豊太郎は石炭を積み伯林を出る船の中で、終わりゆく独逸での日々に筆を執った。それは「暗闇から涙を拾」うような行為だったのではないか。あの手記は彼にとって都合の良い言い訳にすぎなかったかもしれない、しかしその「暗闇」を一度、外に出して相対化しない限りは、何も拾えやしないという見方だってできる。僕はそれでよくここに何か書く。

 旅情。満たされた感傷と、満たされない孤独。暗闇だけが友達な真夜中。
 虚しさとは「かつてそこに何かがあった」ゆえ生まれるものだ。
 その影を浮かび上がらせる。心の炎で炙ってゆく。
 暗闇をじっと睨みつける。

2022.12.9(金) クリスマスの4日ぐらい前

 僕の好きな歌(→2019年2月23日に詳述)に「クリスマスの4日ぐらい前」というフレーズがある。
 4日ぐらい前ってなんだ? 何日ごろのことなんだ?
 まあ21日。あるいは20日。クリスマスってのが24日なのか25日なのかよくわからないから、「4日ぐらい前」っていう曖昧な表現が成立するんだと思う。けど、たぶんこの歌の人物は計算なんてしていない。18日くらいかもしれないし、22日かもしれない。どっちかといえば僕は18日とか、ちょっと早いんじゃないかと思いますね。クリスマスが近づいて、なんとなく楽しくなって、「あと4日くらいかな」なんて思うんだけど、実際はまだ6〜7日ある、気がはやってる。あるいは、永遠に続いてほしいと思ってる。

 こないだ。12月6日だと思うんだけど、「今日はクリスマス」って言う人がいた。そうなんだろうと思った。表参道に行ってきたそうだから、それでその気になったのかもしれない。街はすぐクリスマスをする。街が街らしければらしいほど。そうでなくとも、何かその人に「クリスマス」と言わせる何かが、どこかにあったのだ。そんな12月のテキトーさが僕は大好き。

 昼ごろあてもなく家を出て、どこかへ行こうとめずらしく電車に乗った。夜は新宿で用事。まず国分寺のあの店で、帰りに吉祥寺のあの店に寄って、と喫茶計画を立てていると、「国分寺のあの店」が定休日であることを思い出した。あー、総崩れ。なんとなくそっち方面に住んでいる友達に連絡してみた。
 御茶ノ水から中央線特別快速に。どこへ行こう。吉祥寺、西荻、荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺、カウントダウンしてみる。いずれも馴染みのお店や行きたい場所はある。とりあえず中野まで行って各駅に乗り換えよう。そう思っていたけど新宿の引力に惹かれてなぜか下車してしまった。ちょうど返信があった。「珈琲でも飲まない?」いいですね。
 たまたま東南口から出たので、「長野屋」を眺めて「たつ屋」の横を通る、つもりだったが入って牛丼食べた。いつでもここは最高。あ、新宿の話。そのまま歩いてあひる社に寄り、仲の良い人たちとちょっと喋った。少し仕事の話もした。来週は新潟出張だ。(ライターの仕事もしているのです。)
 さらに真っ直ぐ行くと、あひる社の旧社屋のあったあたり。たびたび食べていた和菓子屋の前に「クリスマスモンブラン」と書いてあった。ああ、今日もクリスマスなのかもな? 栗の部分が緑色で、赤い丸いのがついていた。サンタゼリーも買った。かわいいサンタが刺してあった。
 そのサンタは紙でできていて、どういうわけか2枚重なっていた。「これ1枚持って帰る!」って友達と1枚ずつ分けようとしたら、笑って、「女の子の友達みたい!」と言われた。そうかもしれない。最近もう性別って、あるんだけど、ちょっと意味が変わってきている。削ぎ落とされている。かりに男の子も女の子も、社会が作り出したものなんだとしたら、すべての人が両方をそれなりに持っている。
 世の中が、気の持ちようによっては、いや僕の気の持ちように照らせば、かなり自由になってきている。とても風通しがいい。気兼ねすることが減っている。たぶん全体的にそうなっている。僕の気の持ちようが、そうなっているってのもあるけど、それとチューニングできる「こと」が多くなっているんじゃないかと思わずにいられない。
「そっと手を伸ばせば僕らは手を繋げたさ」って歌がありますけれども、手を伸ばしてもいいし、別に伸ばさなくてもいいし。それが自由ってものだし、想像力とか、何かの生まれる隙間ってのはそういうところに宿るわけでしょう。

 最近よく新聞に量子力学のことが載っている。Aかもしれないし同時にBでもありうるような性質。はじめはどっちの可能性もあって、たまたまどちらかがAに定まれば自動的にもう片方がBに定まる、というような簡単な説明をよく目にする。世の中もきっとそっちの考え方になってゆく。
 コンピュータってのはAかBかの二者択一だった。0か1か。電流が流れているか、流れていないか。イエスか、ノーか。一方、量子コンピュータの世界ではとりあえず「AかもしれないしBかもしれない」っていう保留の状態があって、その後にAってことになれば、もう一方がBになる。
 もし手を伸ばしたら、「手を伸ばさなかった」っていう可能性がその時に生まれる。それだけのこと。それまでは自由。本当は昔からそういうことだったはず。(この辺だいぶ難しいから今後のテーマといたします。)

 ちょっとだけ考えてみますと、旧来のものの考え方というのは、「手を伸ばすか、手を伸ばさないか」ということが二者択一的に「あらかじめ」存在していて、「あらかじめ」それを決定しなければならなかったわけです。めっちゃ無茶苦茶なことを言えば男と女ってのがいれば「付き合うか、付き合わないか」という二択になるという野蛮な考え方ってのは結構あったと思うんですよね。付き合えば仲良くなるのだし、付き合わないなら仲良くなれないという。なんやねんそれは。でも「付き合ってください」ってわりかしそういうことですよね。
「男女の友情は成立するか」などというくだらない議題が平成の世を席巻してたのって今思えば異常ではありませんか(けっこうそういう人たちいたんですよ!)。それは「恋愛か、友情か」という二択でものを考えるからなわけです。それが不確定な状態というか、「そんなこと何にも関係ないよね? これが友情でなくたっていいし、ましてや恋愛かどうかなんてどうだって良くない?」という考え方が許されていくのが、たぶんこれからの世の中なんじゃないでしょうかね。
 りゅうちぇるも結婚してみて初めて、「結婚しなかった可能性」っていうのが見えてきて、「ああ、結婚する前のてこ(ぺこ)との関係はとても素晴らしかった、あれでよかったんだ」と改めて思った、って感じなんじゃないかと僕は想像します。結婚して夫となりパパにならないと子供がつくれない、という平成までの常識に動かされて彼は結婚を選び、「でもやっぱりこういうのって違う気がする、どっちでもいいというか、なんでもいいという状態のままみんなで幸せになることはできないのかな?」と考えた、という。勝手な想像でしかありませんが、かなり好意を持って捉えているつもりです。
 
「あたしと君の間の名前のない気持ちが終わるの」とは川本真琴さんの『ドーナッツのリング』という名曲の歌詞ですが、そういう「名前のない気持ち」が、少なくとも暫定的には許されていくし、その「暫定」のまま進んでいくことも問題視されないようにきっとなります。白か黒かではなくグレー、まあもうちょっとかわいい感じにすると、白か赤かではなくピンク、が許されるようになる。白か青かじゃなくて、みずいろ。うーん、プリキュアかブランキーか、って感じになりますな。

 名前のない気持ちや関係は美しい時には本当に美しい。「手を繋いだら光り出すんじゃないか?」という直観は、そういう間隙に生まれる。

 すごくむりやり繋げてしまうと、「クリスマスか、クリスマスじゃないか」といったこともそうなのだ。クリスマスでもいいしクリスマスじゃなくてもいい、だけど「クリスマスだ!」と言ってしまったらそれでクリスマスになる。実際の日数とは別に無関係に、いつだって「クリスマスの4日ぐらい前」でありうるのだ!
 参考文献:BLANKEY JET CITY『ライラック』

2022.12.7(水) 僕の詩の歴史

 高3の秋からここにアテのない詩を書き続けております。当初は受験勉強や人間関係でギチギチになった頭をほぐす作用があったようで、何も考えずただ自動筆記のように浮かんだ言葉を書きつけていた。日記は日記として毎日書いてはいたが、それが「人に読まれる」ということのプレッシャーと、内容に気を遣う面倒臭さ、そして何より散文という「論理」に窮屈さを感じていたのだった。
 そう、なぜ僕にずっと詩が必要だったのかというと、「論理」から解き放たれるためだったのです。文章というのは基本的に論理的なものだけど、受験勉強(特に英語や古典)を経て、また大学で学ぶうちに、僕の書くものはさらにさらに論理に偏っていった。それは人としてとても不自然で、苦しくてたまらない。生活が「論理」に満ちれば満ちるほど、そのガス抜きとして非論理を許す「詩」を書く数も増えるのだ。データを紐解こう。

 2002年 41(※10月31日〜)
 2003年 165
 2004年 93
 2005年 22
 2006年 12
 2007年 21
 2008年 24
 2009年 72
 2010年 107
 2011年 38
 2012年 28
 2013年 41
 2014年 16
 2015年 11
 2016年 24
 2017年 14
 2018年 17
 2019年 9
 2020年 17
 2021年 13
 2022年 7(※〜12月7日)

 分析いたしますと、本数が圧倒的に多い2002〜2004年は受験期から大学1、2年にあたり、生活がまさに「論理」に染まらざるを得なかった時期。論理漬けの暮らしは非常に楽しかったし、今の自分の基礎にもなっている。しかし一方で「論理ストレス」みたいなものもすごかった。それで詩による発散に向かっていったわけだろう。(単純に思春期だったってのも当然、あるんだけどね!)
 次の波が2009年〜2010年。これはどんな時期かというと、教員を辞めていったんライターほぼ専業になる過渡期で、小説を完成させることができるようにもなり(2009年5月に『9条ちゃん』)、木曜はゴールデン街にも立っていた。また橋本治さんに傾倒して読み漁り、小沢健二さんの『うさぎ!』を一つの考える指針にしていた。「論理的に考えて、書く」ということが生活の中心にあった。その反動で詩の必要も増していたのではと思われる。(ま、実のところ「暇だった」ってだけかもしんないですけど!)

 この頃あたり、日記の文体はほとんど橋本治さんのコピーだった。わざとそうしたというよりは、読み過ぎてそれ以外の文章が書けなくなっていったのに近い。好きな作家の思考をインストールする実感に喜ぶ一方、「これじゃまずいな」という気持ちも当然あった。
 橋本治さんは論理の人ではあるけれども、そもそもは小説の人であり、詩集も出している。文学者なのだ。でも僕がコピーしていたのは「論理」の部分だけであった。もし彼の「文学性」をコピーするということになれば、それこそすなわち「自分を捨てる」ということになり、そんなことはちっとも橋本治的でない。橋本治という人は、「自分の頭で考える」ということを良しとした人であって、「橋本治の頭で考える」ということを推奨するものでは全くない。ゆえに彼のコピーになるというのは「技術を盗む」という意味以上のものであってはならない。僕は僕なりの文体を作り上げていかねばならない、さてどうしよう?

 そこで僕が思ったのは、「文章の中に詩情を入れ込めば解決するのではないか」ということ。文章=論理という図式がそもそも、不自然だったのだ。論理性は橋本さんから学んだものを使うとして、その味つけとしての文体は、「詩」から借りて来ればいいと。
 機構には「遊び」が肝要。ガチガチに締めるよりちょっと緩めたほうがうまく動く。論理には必ず、「遊び」としての詩情が必要なのである! みたいなことを当時ちょっとずつ考えて、論理一辺倒になんないように、詩的な文章を書くぞと意識し始めた。たぶん、2011年以降にだんだん詩の数が減っていって月に一本程度のペースに落ち着いていくのは、「文章の中で詩をやっちゃう」ってのに慣れていったからだと思う。詩を書く必要がそのぶん減っていったのだ。
 2022年はいよいよ詩が少ない。12月までに7本だと! 今や文章だけでなく、あらゆるところで僕は詩をやってるから、「論理ストレス解消のための詩作」という意味合いはほぼなくなった。ただ詩情の湧き出た時にのみ、その色合いを保存しておこうとするだけの行為になった。
 だからこそ、僕はついに詩なるものと向き合おうという気になっている。11月9日の日記で「しっかりやる」ということを書いた。その一環として。

 なんて思いながら今年書いた詩を読み返してみた。なかなか良い。かっこよくできとる。たまに「ん?」と思うような拙い部分が見られる。こういうのを直して、もっとよくする能力を身につけたいなというのが、向こう数年くらいの課題と思っている。それができるようになったら、いよいよ詩集でもつくって売ろう。思えば20周年過ぎたのだし、そろそろベスト盤でもね。

2022.12.6(火) 化石

 22時07分に最後の会計が終わり、1時間半お客がなく、そのかんなにもしていない。閉店の時刻まであと1時間20分ほどある。日記でも書くか。
 何を書こうかというあてはない。お店(夜学バー)の日報に手をつけてもいいが、そんな気分でもない。読書や事務作業も御免なり。詩か日記ということになるが、詩はそれこそ詩情なくしては書き始められない。ゆえにこうしている。10代の頃は「何があっても絶対に毎日更新する」と決めていたので、何も書くべきこと、書きたいことが思い浮かばなくてもとりあえずパソコンに向かい合っていたものだった。

 ここまで書いたのが12月3日、お客があったのでほったらかしにして現在は明けて7日すぐ。6日の真夜中。つまり冒頭は3日前の出来事の記述なわけです。
 最近僕は何を考えているのだろう? 一言で言えば「時代が僕に追いついてきた」という不遜な一声。でもだからこそ、「ここにとどまってはいけない」という想いが強まる。追い立ててくる時代ありがとう、おかげで動けるよ。
「分け合うこと」そして「仲良くすること」、効率の良さを追求すること。自動車よりは自転車が良くて、さらに自転車をシェアできたらすごい良いじゃん? って話で、僕はシェアサイクルをすっごく良いものとして見ている。ドコモのバイクシェアとハローサイクリングはオール電化だけれども、チャリチャリは電動か自力かを選べる。ここがすごく大事だと思う。LOOPっていうスクーターも出てきているけれども、あれとは別に「自力」ってのを僕たちは大切にしていかねばならない。
 そういうことを世の中は流石にわかってきた、じゃあもう僕はそこから離れるのだ、さらに先へ。常にちょっと先へ。
 大学の時に「自転車1」って授業をとって、そこで教えてもらったのが「常にちょっとだけ先を見るべし」ってこと。車輪と地面の接地面を見ているのでは遅い。かといってすごく先を眺めているのでも行きすぎる。「ちょっとだけ先」っていう匙加減が、自転車を走らせるにおいて最も重要。

「こういうことだよな、まあこれで逃げ切れるよな」という打算的予感、それも大事ではありながら、そんだけじゃつまんない。僕に「こんなもんだろう」という止まり方は向いていない。「仲良し」が流行ってきた今だからこそ、焦る。「その先」を見なければいけない。次には何があるだろう? と。
 人はどの世代でも必ず、「ちょっと先」を夢想する。「ものすごく先」を考えるのは優秀な人のすること。中途半端な僕はとりあえず「できるだけ先」を考えることにしている。そこに美しい人がいるから。
 なんとなく「仲良しの発想」ってフレーズ思いついて、ここ数年言ってきてるけど、これはこれで絶対の正しさを持ちながら、まずすべきことは「それを多くの人にわかるように表現する」ってことで、その次に来るのは当然「それとはまた別のことを提示する」ってことなのだ。そのくらいわかっていて、しかし容易くもない。「新しいことは若い人の担当」ってことだってわきまえてはいる。永遠に最先端であるべきか。そうでなければどんな状態であるべきか。常に考えることは尽きず、退屈しない、楽しいが、不安でもある。
 相思相愛な嬉しさ。普遍的にやってれば必ず訪れる。ただ普遍ってのは「とどまる」ことではない。「動いている」からこそ普遍なのである。あの人が僕に普遍を感じてくれるのは、僕が動いているからに他ならない。その動き方を「ほう」と思うっていうわけ。
 その時なりの動きをきちんとやることで、永遠は来る。ダンスなのだ。地球は周り、風は吹き、自然は歌っているのだから。その一部として調和し、透けた美を僕は演じ続けねばならない。
 なーにゆっとんじゃ、と自分でも思う。しかし確信している。だってかつての最高は化石化した。絵画など背景にすぎぬ。心が生きているうちは。

2022.12.1(木) 新しい友達

「大人になると(学生時代までにできたような)友達はできない」というのを聞いたことが何度もある。ずっと疑っていたが、やはりそんなことはない。友達は増え続けている。

 ふかわりょうのネタで、相手にちょっとしたダメージを与える一言として「なんで、年下とばっか遊ぶの?」というのがある。折にふれ浮かび自問する。
 死んだ親友の西原夢路くんは晩年、高校時代の部活の後輩たちとしか付き合いがなかったような形跡がある。僕も絶縁状態だったので真実はわからないが、お葬式に行ってそう思った。なんにしても死人に口なし、そういうことにしたる。
 僕も教育家としての性質上、あるいは精神の幼さからか、年下の友達は非常に多い。十代の人と「親友!」って認め合う様は、ひょっとしたら外野から見たらキモかったりキショかったりするんかも。しょうがない、仲良いんだから。

 もちろん年上の友達も多い。お世話になっている某社の社長とか、そこに棲みついている(?)還暦を過ぎた猫また(猫先生)とか、歳はひとまわり、ふたまわりの隔たりがあれど仲良しで、僕のほうでは「友達」だと思っている。ただやっぱり甘えちゃってたり、尊敬しすぎてるのもあって、「同級生のような」関係とは言えない、正直。でも「部活の先輩」くらいの距離感ではあるのかもな、と思う。「親しき仲にも礼儀あり」って言葉が僕は好きで、そこをちゃんとすると「先輩」くらいの感覚がちょうどよい、落ち着くのである。
 西原くんにとっては「ちょっと情けないけど、基本的には頼りになる部活の先輩」くらいの慕われ方がちょうどよかったのかな。僕は彼とは「同級生」だったし、完全に対等な存在として突っ込みあったり、じゃれあったり、批判しあったりしていた。それが彼には耐えられなくなったのだと思う。


 部活の先輩といえば今日(1日)はわと先輩(高校の演劇部の一個上の先輩)のお誕生日だな。いつまでも言い続けているのは実に気色悪いけども、本当に尊敬していた。もっと仲良くしていたかったな。なぜこの日を永遠に忘れないのかというと、藤子・F・不二雄先生のお誕生日でもあるから。フォーエバーお二人とも。


 年下、年上とくれば同い年。最近すごく仲良くなった同い年の友達がいる。「ほら見ろ、こういう友達がちゃんと、大人になってからもできるじゃないか!」と誰かにベロ出してイーってしちゃいたいところだが、よく考えたらそれって単に「僕らがちっとも大人じゃない」ってだけなのかもしれない。大人じゃないからちゃんと友達ができる、のかもしれない。
 もちろん、僕は大人とか子供だとかいう線引き自体を疑っているというか、不要と断じたい。SOPHIAが歌っていたではないか。「大人になりたくないと呟いてる大人 子供に戻りたいと呟いている子供」(『せめて未来だけは…』)

 新宿ゴールデン街は今や「ガキの溜まり場」である。ここでいうガキというのは、「本当は子供じゃないことを自覚しているからこそ、子供であると主張して何かから逃げたがっている奴ら」。
 藤子・F・不二雄先生の『劇画・オバQ』を読んでください。すっかり大人になったかつての子供たちのもとにふたたびオバケのQちゃんが現れ、「忘れていた何かを思い出したぜ!」的なノリにみんななり、酒飲んで「おれたちゃ永遠の子どもだ!」とか叫ぶわけだが、翌朝になれば元通り、大人の価値観の方へ帰ってゆく(ことが暗示される)というお話。
 僕の愛する古巣、ゴールデン街(オンボロな飲み屋の密集地)は今まさに、「おれたちゃ永遠の子どもだ!」と叫ぶ「大人」たちでごった返している(個人の感想です)。そういう中途半端な奴らのことを「ガキ」と呼ぶのだ。大人ぶった中学生が「ガキ」なのと同様、子どもぶったおっさんおばさんも「ガキ」なのだ。(すげーことを言ってます、ちゃんと。)

 何がガキなのかっていうと、既存の概念に頼ってるからですね。「大人」だとか「子供」だとかっていう。そこに「お前」はいないわけだよ。自分ってものがない。世間に流布する「大人」だの「子供」だのというイメージに、自分が当てはまるか当てはまらないか、そういうマルバツゲームをしているだけなんすわな。
 立派な人間というのは、その存在を外部に頼ることがない。その人物がその人物であるというだけで完結する。わざわざ外から「概念」を持ち出してくる必要がない。大人だの子供だの、どうでもいい。ただその人がその人であるという確固さ。それが格好良さ。ウェー(拳を突き出す)。
 そうなってようやく、年齢というものの意味がなくなってくるわけだ。その人はその人で完結していて、「年齢」という外部(常識と言ってもいい)を持ち出してくる必要がない。「一人の人間」として向き合うだけでいい。そういう人には年上の友達も年下の友達も、同い年の友達も自然にできるもんだと思う。自画自賛。

 先ほど書きました「本当は子供じゃないことを自覚しているからこそ、子供であると主張して何かから逃げたがっている奴ら」が、何から逃げたがっているかというと、わかりますね、「自分」ですよね。「自分になっていない自分」というものに耐えられないから、「子供」みたいなレッテルを自分に貼って目を逸らそうとしているわけ。「シールで閉じて隠して、名前をつけて」いるのです。(参考文献:フリッパーズ・ギター『青春はいちどだけ』)

 いい歳なのに自分というものがしっかり確立できていないから、そのことを誰よりも知っているから、「おれたちゃ永遠の子どもだ!」とか「これが大人の青春だ!」みたいな理屈をつけて、名前をつけて、中身のない自分にどうにか意味を持たせようと足掻いているわけです。それを美しいと思う向きもありましょう、それこそが「人間臭い」ということで、愛すべきであると。わからんこともなくて、共感も少しはするけれども、ただ僕はもっと自分にとって楽しい世界で生きていきたい、というだけ。

 件の十代の親友といつも話しているようなことを、僕なりにまとめるとこんな感じです。何であいつらがダサいのか、ということのとりあえずの説明。
 大人になるというのは本当は、「大人」という属性をゲットすることではなくて、「その人がその人になる」「自分なるものを獲得する」みたいなことであるべきだと僕は思っております。そういう意味では僕はちゃんと大人なのではないでしょうか。あんまり世の中は「大人」というものをそういうふうに捉えてくれませんが……。
「子供」にとどまろうとする人は、「自分」というものから逃げているのです。でもそのことは覆い隠しておきたいというか、向き合いたくないので、「大人」という属性を嫌う、という形に転換してしまうのでしょう。
 しかし僕に言わせれば「大人などない」のだ。「自分」というものと、「自分になる前の自分」があるだけ。それを世間では「大人」「子供」と呼んでいるから、ややこしい。


 新しい友達がnoteにこんなことを書いていた。とても良かったので引用させていただく。

 コミュニケーション能力とは他人が自分をどう捉えるかをデザインする力だと思ったのです。

 冒頭のこの一文がとにかくすごくて、全体もこのあたりを中心に展開する。だけどいわゆる「韜晦」というか、本質のみで固めず軽さや柔らかさを織り交ぜて(自分の読者層なら)誰にでも読めるよう仕立てている。流石のバランス感覚。
 読めばわかるけど「お店をやっている人」で、開店から今日(1日)でちょうど1ヶ月。以前のキャリアも手伝ったろうけれども、短期間でこの境地に達する聡明さ。

「演舞のようでもあり、総合格闘技のようでもある気がしている」「会話の内容、言葉選び、知識、身振り、表情、声のトーン、滑舌、沈黙、、、/全てを構成しつつ行う即興パフォーマンス」これらの表現にも舌を巻く。お店に立つことは演劇や授業に似ている、と僕はずっと考えてきたけれども、この人もステージに立っていた人だから似たようなことを考えるのかもしれない。
「演舞」と言える覚悟。「見られている」という強烈な自覚。だから「コミュニケーション能力=他人が自分をどう捉えるかをデザインする力」が必要となる。それはいつでも即興で、総合的に行われねばならない。時に命をかけた戦いさながら、頭をフル回転させながら。
 ルールを作るのは簡単である。「こういう人にはこう接すればいい」「こういう場合はこう言っておけばいい」などなど。それでは場は輝かない。予定調和より「ノリに乗った」ほうが楽しいライブになる。アドリブ大事。
「外部」に頼るのではなくて、「自分」というもので勝負する。そういう覚悟を感じるのだ。常識やルールは「外部」の代表。それよりも「自分が」「今ここで」デザインする、構成する、それを背負って立つ覚悟。えらいもんじゃわい。

 自分のお店の近所にこのような志ある人のお店ができたのは本当に喜ばしい。結びつけてくれた友達に感謝。
 その友達ってのはかつての生徒で、わずか3ヶ月くらいしか受けもたなかったんだけど、とても仲良くなったし、当時の授業(古典だった)のこともすごく褒めてくれる。それは僕が最も肩の力抜いて「自分らしく」授業できていた時期で、そのころ僕は「雇い主である学校」という「外部」の影響をほぼ受けずに、「一人の人間」として教壇に立っていた。そんでその子もたぶん「自分は生徒だとか子供だとかである前に一人の人間なんだけどな」と思って座っていた、のではないだろうか。だから「人間と人間」「自分と自分」っていう通じ合いかたが簡単にできて、そのまま付き合いが続いていった、そんな感じなんだろうと勝手に認識している。
 先生なんだから先生らしくしていろよ(それが大人ってもんだろうが!)、と思う生徒もいたとは思う。でも僕にはそれは合わない。できない。だから辞めてしまった。

 まとめますと、友達っていうのはそういうふうに、「外部」が取り払われたときに発生する関係なんだと思います。「外部」に頼らない人にはいろんな友達ができる。「外部」に頼っている人は、同じ「外部」に頼っている「仲間」とばかりつるむことになる。その「外部」の内側では(妙な表現だが)、「外部」が存在しないってことになりますからね。まあそれが宗教とか思想的活動とか「コミュニティ」「界隈」みたいなものに繋がっていく。だから僕のいう「友達」だとか「仲良しの発想」っていうものと、そういうものとは、本当に相性が悪い。「グラスの中で宴する」ってやつとは。

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