ひごろのおこない/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。
過去ログ
2026年1月
2026年2月
2026年3月
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2026.2.1(日) 仙台から帰京
2026.2.2(月) 脳出血 or 脳しんとう
2026.2.3(火) 僕はいじめっ子なのかもしれない
2026.2.4(水) 「男のわりには」
2026.2.5(木) 魔神英雄伝ワタル超!感謝祭
2026.2.6(金) タイタンシネマライブ
2026.2.7(土) 三重野瞳は歌い下げる(礼讃)
2026.2.8(日) 小さなおうちはどうなるの
2026.2.9(月) 名古屋店外1 友達観光
2026.2.10(火) 名古屋店外2 那古野→女子大→大曽根→神宮前
2026.2.11(水) 助走的孝行
2026.2.12(木) 模試の想い出
2026.2.13(金) 夫がつまらなくなる前に
2026.2.14(土) おもしれーやつを立てないかん
2026.2.15(日) 暗い話せんといて~
2026.2.16(月) 政策なんかどうでもいい
2026.2.17(火) 凡庸な日本人の集団的知性は最強
2026.2.18(水) 「思想が強い」考
2026.2.19(木) うわさのズッコケ株式会社
2026.2.20(金) ひらけばつぼみ/とじればおはな
2026.2.21(土) スピードフリークスbabyロケットナウ
2026.2.22(日) 爆笑問題史
2026.2.23(月) 爆笑問題とその本質
2026.2.24(火) 新潟行(0) 寝不足と歓喜天
2026.2.25(水) 新潟行(1) 1週間に10日来い
2026.2.26(木) 新潟行(2) 知らないお店何軒か
2026.2.27(金) 長岡行 あげは蝶の店相学
2026.2.28(土) 貸金大王と投資
2026.2.1(日) 仙台から帰京
31日(30日深夜以降)の話。仙台「くも」を出たのは深夜3時くらいだったか、冒険はお仕舞いにして眠った。こういうときは11時チェックアウトの宿を選ぶのが定石である。昼食と珈琲をどうしよう。なぜだか繁華街のほうに行く気にならなかったので、ふだん行かない駅南のほうや東口を歩くことにした。途中でダテバイクを見つけたので借りて、五橋駅の旧奥州街道付近に味のあるお店が多そうだったので行ってみた。休んでいる所やすでに廃墟と化しているところもあり、最大のお目当てだった「光」というお店も閉まっているようだった。口コミで「開いてるのか開いてないのかわからない」とみな書いていたが、暗かったし店内に自転車が置いてあったりしたのでたぶんさすがにあれは閉まっていたのであろう。今度平日の昼時に行ってみたい。岩沼屋というお魚屋さんを選んだ。とてもおいしく、栄養も満点であった。さすが魚屋さん。
その近くの「皇琲亭」で休息。山形で買った生田春月の『真実に生きる悩み』を読む。二葉亭四迷に言及している最初の講演録だけしっかり読み、あとはざっと流して最後まで。この人は秋が好きなんだな。春生まれだから春月なのだと思うのだが。月の話はほとんどなく、星と太陽が強調されていた。
東口の「赤い屋根」に行ってみた。「骨董ですか、喫茶ですか」と聞かれる。「喫茶」は「珈琲」とかだったかもしれないが正確に覚えていない。友達と来て話すのに最高だと思う。一組外国人カップルが入ってきてやはり「骨董ですか、喫茶ですか」と聞かれ、そのまま何も注文せずに出ていってしまった。
珈琲飲みつつ賀川豊彦『星より星への通路』読み、「ぼくはなれてるから、あわてないのだ」と出発ギリギリまで粘る。特急「ひたち」品川行きに乗る。たった1880円の追加料金で味わえる、四時間半の旅(1416-1837)。空いていて最高。人の気配がしたのは水戸-上野間くらいであった。仙台から都心まで乗り換えなしで行ける在来線特急は一日に3本しかないのだが、やはりみんな新幹線を選ぶのだろう。ま、それが普通ですわな。かたや俺は「ひたち」の座席で被災地見て、呟くんすわ。it’a pacific ocaen.
電車の都合で19時開店、けっこうお客さんあり。「仙台行くから休みますわ~」しなくてよかった。旅から帰った日の営業は無風のことが多いのでありがたい。ありがとうございますありがとう。
2026.2.2(月) 脳出血 or 脳しんとう
病院に行った。1月29日の記事にすでに書いているが、1日の営業中に後頭部をガーンと打ち、そのまま頭と視界がぼんやりしたような感覚が続いたので急遽「ギン」氏に交代してもらって早退。あまりにも不安だったので救急も考えたがどこに電話しても「混んでいる」とか「おなかの専門医しかいない」と断られ、果ては「明日の朝でいいんじゃないですかァ~?(意訳)」とまで言われたので、まぁそれもそうかギャンブルギャンブルと大人しく家に帰った。時間外だと問答無用で7700円追加でかかるらしいし。
21時59分のバスが5分ほど遅れてくれていたおかげでスムーズにバスに乗れた。そうでなければ15分待つか、電車で帰るか、自転車か徒歩かタクシーか。この中ならバスが最も良い。階段も乗り換えもないし、歩く距離も短い。そして安い。貧乏性だから「死ぬかも」と思いながらも常にお金のこと考えてるんですよね。ヤベー奴だと腹の中でちょっとわろた。
ところが僕はバス酔いするのですよね。慣れててストレス少ないという点では実際自転車がいちばんよかった気もするのだが、いきなり気を失ったりしたら事故死のセンもあるわけだからやめておいた。冷静で的確な判断力。
症状が実際どうだったのかというと、これがまた、頭を打つちょっと前にコーヒーに少量(10ml)くらいのウィスキーを入れて飲んでいたので、カフェインとアルコールの作用も多少加わってよくわかんないっちゃわかんないんですよね。普段から考えるとたったそんだけの飲酒量であれほどぼんやりすることはありえないので、フィクション用語(?)の「軽い脳しんとう」ってやつだと今では思うんだけど、外傷としての痛みが一切なくてただ頭と視界がややぼんやりしているというのは、「内側で出血している」という可能性を想像して常にゾッとしておりました。死んだり記憶障害になったりするのかな、とか。実際練炭自殺に失敗して1分前のことを思い出せなくなった友達もいたし、後頭部打って嗅覚をほぼ失った友達もいるし、本当に焦った。
とにかく安静にし、考えることもできるだけ少なくして、とりあえずは(吐くかもしれないので)何も食べず、翌朝8時30分に病院に電話して9時半の予約をとった。ゆっくり歩いて3分前には受付を済ませたが、診療が始まったのは10時過ぎ、終わったのが11時前くらいか。CTスキャンは異常なし、帰り道にめちゃくちゃモノ買って食べた。
料金は18600円の3割負担で5580円。薬も出なかったのでそれなりに安く済んだ。CTだけで14700円ですからね! でも怖いので行ってよかった。CTの画像もらって帰ればよかった(もらえるのかな?)。
いま(7日)の段階でもとりあえず元気。CTに映らないわずかな出血がだんだん広がって数ヶ月後に効いてくる可能性もあるらしいから油断できないが、考えたり書いたりすることも普段通りしている。
一応は死を意識するよい機会になった。それに伴いやや人生観に影響が出た。急ごうと思う。もう時間がないのだ……。
2026.2.3(火) 僕はいじめっ子なのかもしれない
なんかわかってきてしまった。「いじめた側」は「いじめられた側」のことを友達だと思っていたりする。これはマジなのだ。最近見かえしている『3年B組金八先生』第四シリーズ(1995年度)でも、桜木伸也を最もひどくいじめていた豊川康は、「友達」だとか「遊んでるだけ」みたいなことを言っていた気がする。それは彼の本音だと思うが、伸也のほうはたぶんかなり複雑な感情で向き合っていたことだろう。
片想いというのは、いじめのようなものかもしれない。ずいぶん乱暴な気もするが、「暴力」というよりは「いじめ」の構図により近い気が今はしている。僕はすごく好きでも、相手はそう思っていない。それなのにその「好き」を押し通してしまえるのは、片想いする側がその相手を「下に見ている」からではないか。
まったく絶望的な話だ。自分がそうかもしれないのだから。いじめっ子がいじめられっ子に「友達」と言ってしまえるのは、主導権が常に自分にあると信じて疑いがないからだ。だから「遊んで(やって)いただけ」と一方的に言えてしまう。片想いもその多くは、「主導権が自分にある」という勘違い、思い込みを伴うことが多い。それはもちろん無意識の話だ。一人相撲に相手を巻き込むような片想いは邪悪だと僕は思うが、無意識に行われるので罪悪感を持つ者は非常に少ない。いじめも似たようなものではないのか。
これは
1月28日の「片想いの資格」という記事に関連する。わかりやすい例ではたとえば昔の恋人への未練というものは、「片想い」であり時に「いじめ」にもなる。相手にとっては思い出したくもない嫌な思い出かもしれないのに。それは友達でも教え子でもなんでも同じだ。
でも大事なのはここからだ、我々はそれを踏まえて生きていくしかない。人に恋い焦がれるということは、常に暴力であって、いじめの可能性がある。だから時にそれを秘め、いつも慎重にその相手に向き合わなければならない。
僕はいじめっ子なのだと思う。それで離れていく人は離れていく。悲劇にも僕のほうは「いじめた」という自覚がない。無邪気に「ねえねえ」とまた声をかけたりする。向こうは「勘弁してくれ」と思い、それとなく避けるようになる。鈍感な僕は「チェッ、なんだよ」と思いさえするだろう。本当のいじめっ子ならそこからいじめをエスカレートさせていくわけで、そのおそれが僕にないわけではない。ようやくわかった。
あまりにも人(みんな)のことが好きで、ずっと愛し続ける重たい気持ちを僕は持っていて、しかし全員が全員そういう性質ではなくて、むしろ忘れたいとか、重たいのは苦しいという感覚だって当たり前に存在する。友達なんて一人か二人いればいいのに、なんでアイツは関わろうとしてくるんだ?と煙たがる人だっているはずだ。それについて「さみしいさみしい」と泣いて嘆くのがこの日記であり僕のすべての活動で、それは単に「いじめ」の正当化でしかない。「どうして自分はすべてを愛しているのにすべては僕を愛してくれないんだ?」というワガママ。そんなんが通るわけがない。愛するのはお前の勝手だ。愛される権利など誰にもない。
2026.2.4(水) 「男のわりには」
「男は」とか「女は」といった巨大な言い方をする人はけっこういて、それが冗談であるぶんには僕はけっこう好きだしその通りと思うことも多い、なんなら自分でもけっこう言う。でもそれは、前にも書いた気がするが「自虐」であるか、「共感的他虐」でなければいけないと信じている。
自虐というのはわかりやすく、男である僕が「男は~」と男の悪口を言うものである。自分にも多少思い当たる節がありながら、「男」という仮想敵をあえて叩くパフォーマンス。他人事ではないからこそ笑いになる。
「共感的他虐」には2パターンあって、僕という男が「女」に共感して(ある種の名誉女性となって)「男」の悪口を言うのがまず一つ。「男ってこういうとこあるよね~わかるわかる、自分はいま名誉女性なのでそこには含まれずあなたの側に全面的に寄り添っております」という態度。閉じた共犯関係によって大きなカタルシスが得られ、信頼関係の確認にもなる。
もう一つは、あくまで自分が男であるという立場から離れずに、「わかるわかる、男ってのはそういうもんなんだよな、殺したほうがいいよな」と、女に共感しつつ男として男を叩く。このとき、自分にも心当たりがあるかどうかは関係がない。自虐ではなくあくまで他虐なのだ。2つのパターンの違いは名誉女性という立ち位置をとるどうかで、男が「女」側に寄り添って共感することに変わりはなく、本質的な差はあまりないと僕は見る。
男女を交換してもたぶん同様に成り立つ。「女って」と自虐するパターンと、「女ってそういう生きものだよね、マジ無理あたしも女嫌いなの」みたいな形で「名誉男性」側の視点から語るパターンと、「女ってそうなんだよね、申し訳ないけどそういうもんなんだから仕方ない、とりあえず同情だけしとくわ」みたいに自分が女の側であることは崩さないパターンと。やはり後者2つには本質的な差はあまりない。
ひるがえって、「男のくせに」「女のくせに」という言い方はどうだろうか? 僕は例外なく不快に思うし、かなりきわどいギャグを逆説的にあえて飛ばす場合以外には言うことがない。ともすれば誤解されて嫌われるかなり高度なギャンブルなのであまり手を出したくはないが、言えば必ずウケるという瞬間もあるのだ。
話はぜんぜん変わるがダイアンのユースケ(西澤)さんについて津田さんが「こいつ男やのに短大行ってんすよ」と言う定番のジョークがある。さすがにもう(特に全国区では)ジョークとして成立しないだろうから、今のように売れてからはほぼ聞くことがなくなった。「男やのに」というきわどさ。それはもう今の時代、自虐ですらない。ただのコンプラ案件である。
「男のくせに」「女のくせに」「男のわりには」「女のわりには」「男なのに」「女なのに」こうした言い回しが正解になるタイミングはかなり限られてきた。シンプルな差別としか受け取られない。ところが僕の私感だと「男は」「女は」に関しては、まだもうちょっと延命の余地がある。その言い方にはそもそも価値判断がなくプレーンなので、「自虐」や「共感」をまぶせばかなりマイルドになり、冗談として通用しやすい。また「男は」「女は」という言い方は「男全般」「女全般」について一般的に語るのに対し、先に挙げたほかの例は明らかに「特定の人間」について攻撃する、ないし晒し上げる言い方になる。どちらが暴力的かは論を待たない。前者は例外を許すが、後者は例外そのものを取り上げて、その存在を許さない。
「男のくせに」と言うためには「男は」という前提がまず必要である。「男はこうであるはずなのに、あの人はそうではなくて○○である、ゆえに悪い」という流れ。「男のくせに」と言うとき、「男は」が先に提示されているのならまだマシなのだが、多くの場合「(みなさんご存じで主が男はこうですよね? 言うまでもないから言いませんけど、それなのに)あいつは男のくせに○○だよね」という省略がおおむね見られる。この「暗黙の了解が前提とされている」感じがまた、邪悪さを醸す。つまり「あらかじめ前提を共有している結託した複数の人間が、特定の人間(たち)を叩く」という構図になるから。
特筆すべきは「男のわりには」である。これはぶったまげる。「男のくせに」は通常、「男はこのように良い性質を持った存在であるが、それなのにその性質を持っていないやつがいる。こいつです!」という晒し方のために使われる。「男のわりには」は逆で、「男はこのように悪い性質を色濃く持った存在であるが、それなのにその性質がやや薄いやつがいる。こいつです!」と、誰か特定の人間を「それなりに褒める」ために使われるのである。
「男のわりには」は、「男という邪悪な集団」をまず(暗黙に)規定したうえで、「その中でもマシなやつがいる」という話として登場するわけだ。誰かを褒めているように見えて、「男」という巨大な邪悪集団をまとめて貶めている。なんつう凄まじい悪口だろうか。たとえば「女のわりには頭いいよね」と言ったとき、その話者はたぶんだいぶ嫌なやつで、あんまり好かれることはないだろう。「女」という巨大な愚鈍集団をまず規定しているわけだから。
最近なんか男と女が戦争している。やるならもっと冗談でやればいいのに。敵にしか思っていない。いいですか、僕の最大の名言はこれです。「対等ということは、お互いが対等であると仮定することから始まる」。腹ではどう思っていてもいい、とりあえず誰かと対等でいたいと願ったり、誰もが対等であるべきだと思うなら、まずはそう仮定するところから始めなくてはならない。
この記事からいくつかの古い文章に飛べるのでご参照あれ。忙しい人は直接
ここへ。
2026.2.5(木) 魔神英雄伝ワタル超!感謝祭
山猫スズメ先生とその娘さま(6)と表題イベントへ。LINE CUBE SHIBUYA、元渋谷公会堂。2月1日の話である。この晩に頭を打ったのであった。人間万事塞翁が馬!
『ワタル』は88年に『(無印)』、90年に『2』、97年に『超』が放送されたほかOVAやCDドラマ、配信アニメなど現代に至るまでさまざまなメディアで展開され続けてきた人気シリーズである。去年は主人公も設定もすべて変えた『魔神創造伝ワタル』が地上波放送され、思った以上に面白くて(わかってて)感動したものだ。
昼の部、簡単な感想。田中真弓さん(71)はすごい! キャラソンでは歌って踊り、朗読劇では走りまわりながら息も切らさず完璧な「ワタル」として演技しておられ涙が出そうになった。一人称がアドリブのとき一回「オレ」になって、ワタルは「ボク」だろ~と思ったが、超ワタ1話の悪いワタルは「オレ」だったから良し。得した。ワタルファミリーの末っ子山寺宏一さん(64)は大スターの貫禄、歌も上手で一流だった。みなさんもちろん素晴らしかったがハッキシ言ってこのお二人は別格という感じ。誰も異論ないと思う。
それでも田中真弓さん、伊倉一恵さん、高野麗さんが中心となって(途中山ちゃんも加わって)演じられた朗読劇(公開立ち稽古)は実に素晴らしかった。『ワタル2』最終回の裏側を茶目っ気たっぷりに描く書きおろしシナリオで、いったい誰が書いたのだ? 赤尾でこ先生では?と言ってる人いたけど、確かにそう思っちゃうよね。
赤尾でこ先生とは、歌手の三重野瞳さんの変名である。そして僕は三重野瞳さんが大好きである。ミエノの歌の魅力については明後日の記事に書く。昼の部では『超ワタル』の前期OPED『ひとつのハートで』『BOYS BE AMBITIOUS』を歌っていらっしゃった。こっそりミエノTシャツを着ていったのだが冬なので誰にも見せる機会なく、終わってからスズメ先生にこっそりと見せた。
ミエノが舞台に出てきたとき、昂奮が伝わったのか隣の娘(6)が「好きなの?」とたずねてきた。「うん」と応えたら、無言で自分がさっきまで振り乱していたペンライトを差し出してきた。すごく感動してしまった。なんてイイヤツなんだ! ありがたく振らせていただいた(珍しい)。いつもいつでも地蔵なので……。
それにしても『ひとつのハートで』は名曲だ。聴き惚れながら「なぜミエノの歌い方でなければならないのか」を考えていて、なんとなく思い当たったことがあったので、それを明後日書く(はず)。
イベントのラストはファーストシリーズのOP『STEP』をみんなで歌った。なんていい曲なんだ……。さすがに泣いてしまったが、その中でずっとミエノを見ていた。ミエノさんは4分くらいの曲のうち10秒くらいしかマイクを自分に向けることなく、ほとんどずっと会場に突き出して歌っていた。これが三重野瞳という人物なのだ。『ひとつのハートで』のあと高齢者(?)ばかりの会場に対して「立っちゃダメなの?」とスタンドアップを煽り、その流れもあってか『STEP』も総立ちであった。赤尾でことしての活動もそうだが、実のところ縁の下の力持ちなのですよね。たとえば彼女の作詞が僕はとにかく好きです。一番は『夜は目をあけて』ですね(キリッ)。たぶんあんまり売れてない最新アルバム『2930』(2007年)ぜひ買ってください。すべてミエノの作詞です。
終わってからグッズに並ぶ。すでに売り切れ多発。実は昨夜「これでグッズを買ってください」とおこづかい5000円 #頂きぼく していたのだ。そのお金でTシャツと定規買った。定規ヤバい。いまどき定規を公式グッズにするのすごい。よくわかっていらっしゃる。オマケでもらえたポストカードは僕がヒミコ、スズメ先生は海火子であった。完璧である。スズメ先生は海火子がたいそうお好きなそうなので……。
2026.2.6(金) タイタンシネマライブ
意外にもタイタンライブを観るのは初めてである。金曜はだいたいお店に立っているし。この日は明石家さんまさんがスペシャルゲストというので重い腰を上げた。いやー、行ってよかった。
爆笑問題 / ウエストランド
キュウ / シティホテル3号室 / まんじゅう大帝国 / 春とヒコーキ
とろサーモン / エレキコミック / 流れ星☆ / バイきんぐ
明石家さんま(古希還暦)
タイタン所属メンバーと他事務所の芸人たちを見比べることができて非常によかった。タイタンの芸は「演劇」的であると確信した。春とヒコーキが最初だったのだが、演技の質がコントというよりは演劇のように思えたのだ。情報量とテンポで笑わせたり、顔や動きの異様さで笑わせるのではなく、「間と言葉」がその主役である。シティホテルもその系統に寄っている。漫才にしてもまんじゅう大帝国やキュウはまさに「間と言葉」。キュウの今回のネタについてはだいぶ演劇だった。むしろウエストランドと爆笑問題がそこから外れる。彼らは「言葉」が中心にあって、「間」はそれを引き立てるためにある。まんじゅうやキュウは間そのものが笑いに直接的に貢献している。
爆笑問題とウエストランドは、さすが売れてるだけあって「間」に頼らない。彼らくらいになってくると「間」なんて完璧で当たり前なのだ。夢路いとし・喜味こいしの境地を思い浮かべていただきたい、「間」は彼らの立っている舞台そのもので、そのうえにいとしこいしがいるからそれだけで楽しく、自然と顔もほころんでくるのである。
ゲスト(タイタン以外の芸人)は揃ってめちゃくちゃ面白かった。そのうえでタイタン勢との違いをあえて考えてみるなら、やっぱタイタンってインテリの笑いなんだなというところか。頭で考えて笑う感じ。「絵が見える」のではなく「論理が見える」というか。このへんはもうちょっと詰めて考えてみたい。
トリを飾った古希還暦は、古希(70歳)を迎えた明石家さんまさんと還暦を迎えた太田光さんの二人組。「来年もやる」みたいなこと言ってたけどコンビ名どうするんだろう。ま昭和のいるこいるだってずっと昭和だったんだからいいか。僕も「不惑而立」とかやりたい。カッコいい。「志学而立」はもっとカッコいい。
漫才(?)が長すぎて止めに入った(たぶんそういう演出)田中裕二さんとのトリオ漫才(レツゴー三匹や漫画トリオのカバーやってた)も含め、とにかくみんな楽しそうで嬉しそうだった。太田さんがその状況について「遊んでた」と表現したのも非常に良かった。楽しそうに遊び、それがお客さんや視聴者にも伝染する。それが僕の考える「お笑い」の理想系である。「この世界にもっといたい、離れたくない」と思わせるのが、あらゆるクリエーテブなコンテンツの目指すべきところであろう。
小さいころ本読んでて、だんだんページ数が残り少なくなっていくのを実感すると「終わってほしくない、ずっとみんなと一緒にいたい」と寂しくなったものだ。さんまさんと太田さん(そして田中さん)の「遊び」のような漫才は十分にそういうものであった。
爆笑問題の素晴らしいところは「論理が見える」インテリな笑いと、「楽しそう」な遊びの笑いとを両方できる、というか両方の要素が常にあるところだと思う。さんまさんも実はこっそりとそのようなことをしているのだが、熟練しすぎて一見そうは見えない。論理の「くさみ」がほとんど感じられない。最近『人間・明石家さんま』という新潮新書を読んだのだが、そこでもさんまさんが実は恐ろしいほどの博識で勉強家であることが明かされていた。高度に大衆化したインテリの笑いはピエロと区別がつかない(なんのこっちゃね)。ちなみに僕のあんまり好きじゃない芸人たちはみんなそういう「くさみ」を捨てきれていない、ピエロになることのできていない人たちなのだと思う。歌手とかについてもそうだろうな。
太田さんもいつからか「今この本を読んでいる」「この本が面白かった」みたいなことを以前ほどは言わなくなった。読書量はたぶんむしろ増えているのだと思うが、だからこそ言う必要がなくなってきたのだろう。あるいは言っている暇も。そんなことよりも言うべきことがある。読書の内容ではなく、それを経て自分の中から生まれてきた言葉のほうがずっと価値がある。関数としての自分に自信がついてきたみたいな話ではなかろうか。僕の高校生の頃の日記に「これを買った」「これを読んだ」みたいな記述が多いのも同じ話。もうそんな必要はない。本よりも自分のほうが偉いのだから。もちろん、本に代表される様々なものどもを常に栄養としているからこそ、そうであることができるわけだが。先達に感謝!
2026.2.7(土) 三重野瞳は歌い下げる(礼讃)
1日に「ワタル超!感謝祭」で三重野瞳の歌を生で聴きながら(1年2ヶ月ぶり2度目)、この人の歌の魅力がどこにあるのかをぼんやり考えていた。考え始めてから数秒で結論が出た。この人は歌っている時に音(ピッチ)を上げないのだ。
「歌い上げる」という言葉があるが、そのイメージは「天城〜〜↑越〜お↓お↑↑えぇ〜〜↑↑↑」みたいに上がっていく感じ。三重野瞳がこれを歌ったら「天城〜〜↓越〜お↓お↓えぇ〜〜↑↑↓」って感じになる(脳内再生余裕)。文字では伝わらないと思うけど……。
なんと言うのでしょう、歌手によっては語尾(音尾)をフッと上げる感じの歌い方をすると思うのだが、ミエノはフッと下げる。ほとんど常に。これが安心感や優しさのある表現につながっているのではないかと思う。
三重野瞳の『ヤッホー!』『Dearest』という曲は、それぞれイズミカワソラ『ヤッホー!』と沢田聖子『親愛なる人へ』のカバーである。またワタルの主題歌『STEP』を歌った音源もある。これらを聴き比べると、上げ下げの違いがよくわかる。平成J-POPの歌い方は音の末尾を上げていく方向性なのだろうなと思っているが、ミエノは逆である。そのせいでイマイチ売れなかったのではなかろうか。しかし僕のようなハイセンス逆張り男にはむしろ響く。
『STEP』の原曲は「君の↑ 涙↑ 最後にする↑ワケは→」というイメージだが、ミエノは「君の↓ 涙↓ 最後にする↑ワケは↓」というような感じで歌う、少なくとも相対的には。実際の音の上下は僕には実のところ検証できないが、与える(僕が感じている)イメージはそのようなものなので、個人の感想としてお許しいただきたい。もう少しわかりやすいところだと、「虹の橋がもうすぐかかるから」の「る」の部分が低くなるのがミエノの特徴。こういうところにグッとくるのです。
とか言ってますが今JIKKAにいて音源の確認ができていないので、すべて僕の妄想、勘違いという可能性はあります。今度検証して間違ってるようなら謝罪文出します。
なんにしても僕の思うに、三重野瞳の歌い方は柔らかくて優しい。普通の歌手なら「歌い上げる」ように歌うのを、彼女はむしろ「歌い下げる」かのようにする。「上げる」文化に慣れきった身としてはいつでも新鮮で、しかし心が休まる。代表曲『ひとつのハートで』も、他の(歌うま系 or 陶酔系の)歌手ならたぶん「たったひとつのハートで〜↑」と歌うだろうが、ミエノはもちろん「たったひとつのハートで↓」と踏みとどまる。そこには決意がある。「守りたいんだ君を〜↑」よりも「守りたいんだ君を↓」のほうが信用できる。「僕の大事な人が」の「が」をしっかり低くしてくれる安心感よ。ここを高く伸ばして余韻をつけると切なさが勝ってしまう。そのほうがエモい(ゆえ売れる)のかもしれないが、僕はミエノの素直な歌い方が一等好きである。
さらに感覚的な話をすると、ミエノの歌い方は「聴かせる」のではなくて「伝える」なんですよね。歌が上手い人は「私の上手な歌を聴いて楽しんでください」という雰囲気を持っている(気がする)が、ミエノは「こういうことです」と歌の中身をそのまま伝えてくる。「たったひとつのハートで守りたいんだ君を」と、そのままただ発しているだけなのである。歌のために曲があるのではなく、曲のために(さらに言えば言葉のために)歌っている。僕はそういう歌手が好きなのだ。Amikaさんもそういう人である。小沢健二さんは自分でそのようなことを言っていた、ある日のMCで。
歌手が「歌い上げる」のは聴き手が気持ちいいからだと思うが、ミエノは歌い上げない。気持ちがいいかどうかではなく「こういう曲である」ということのほうが大事で、ライブでも「こういう曲だからこう盛り上がりましょう!」という姿勢を感じる。ミエノは作詞家で脚本家で構成作家で絵本作家でもありますから、文芸的な「中身」をしっかり問題にするのでしょうね。というかそういう歌手だったからそういう仕事に移っていったのでしょう。で、そういう歌手だったから『ひとつのハートで』を聴いた中学1年生の僕は(もっと言えば『瞳にDiamond』を聴いた小4の僕は)三重野瞳さんを大好きになったわけであります。
2026.2.8(日) 小さなおうちはどうなるの
急がず焦らず、のんびりと準備して東京駅に向かい、どうしてもそばが食べたかったので「そばいち」というお店でカレーそばを食べた。そばを食べたかったのにカレーそばを選ぶ僕はなんて無邪気で可愛らしいのでしょうね? 単にダシが効いてればなんでも良かったのだろうが、カレーという文字を見たらカレーを食べたくなるのだ。いい奴だな。
雪で遅れていた。混んでいた。窓際が良かったので「のぞみ」は見送り、14番線の「ひかり」に乗ろうかと思ったが15号線の「ひかり」が急遽「のぞみ」になったか番線変更があったかなんかでそっちのほうが早く来そうだったし列が空いてたので並んで乗った。2号車先頭の窓際をゲトー。通路まで満席になるほどの混雑だったがそれなりに快適に移動できた。
最寄り駅→川崎410円、横浜市内→名古屋市内5720円と分割して買った。6380円が6130円になるハック。ちなみに東京(または神田や新日本橋)→川崎にすると320円なのでさらに90円安くなる。フーフー(興奮している音)#1円でも運賃・料金が安くなると嬉しい鉄
新幹線は自由席で4180円。合計10310円(あるいは10220円)は実のところ金券ショップのほうが少し安いが「名古屋市内」がつくのと「えきねっと」で買えばJREポイントが300pt以上貯まる(JR東海管内でも率は下がるがちゃんとつくのだ)のでこちらのほうがいい。
ちなみに帰りは(フーフー)同じ分割きっぷを買い、浜松行の新快速に乗り、浜松から新幹線で静岡、一度下車して静岡から三島まで新幹線、そこから在来線で熱海からはグリーン車(優待券で無料!)に乗る。フフフ……ポイントはロングシートが三島-熱海間のみになること。浜松行の新快速(かなり少ない)に乗れれば勝利確定。浜松→三島の自由席は2530円だが、浜松→静岡と静岡→三島に分割すると各990円で1980円となる。すると合計8110円(あるいは8020円)というわけだ。それで浜松、静岡で途中下車して遊べて最高。フーフー
※フーフーの元ネタは武富健治『鈴木先生』の竹地です。名作なので読んでね!
狂っているので電車の話をすると早口になっていけない。名古屋に着きました。まっすぐ帰ればいいのに地元駅で一軒だけ飲み屋に寄ってみた。それが「ミ・カシータ」、小さなおうちくらいの意味らしい。ボドゲの店のようだから「求心性が高そう」と敬遠していたのだが日曜の夜でも朝5時までやっているという心意気を買って初めて入ってみた。こんな立地(駅からも遠い雑居ビルの上階、そもそも大曽根には深夜人間がいない)で成り立つのか?と思ったら、なんと9年も成り立ち続けたらしく、これは「何かある」と思わざるを得ない。ただ2月22日で閉店とのこと。すごいタイミングだ。いま行かなければ二度と行くことはなかろう。
入店すると店主らしき女性とお客が一人、ソファ席に座ってチルアウトしていた。店内はかなり散らかっており、カウンターの上はモノがいっぱいで座るべきではなさそうである。カラオケもある店なのに完全に無音。どう考えても営業しているようには見えない。普通の人間ならば「ア、間違えました」とか言って出ていくところだろうが、僕はむしろ針のむしろ感を感じつつ観察していた。10秒くらいで「たぶんいい店だ」とわかった。単純に、店主もお客も見知らぬ僕が入ってきたことをまったく嫌がらなかったからである。若い女性店主だったのでもっと警戒しても良さそうなもんだ。胆力がある。
2時間飲み放題プランを選び、結果としてハイボール、ワイン3杯、レモンサワー飲んだ。「ジキルとハイド」という韓国のボドゲを遊んだ(面白かった)。求心的!?と思ったが、一人いたお客が最近ボドゲにハマった方だったからであって、店主曰く「ボドゲもカラオケもやらなくていい」。おっしゃっていたことを総合して要約すると「何をしていてもいいし、その選択肢は広いほうがいい」ということなんだと思う。いろんな人がいて、いろんな気分の時があるのだから、やることを限定すべきではないと。遠心的な魂を感じて、思わず名刺を渡してしまった。実際ほかのお客が終電でお帰りになってサシになってからはひたすらずっと話していた。この方実のところかなりの才媛で、とある近所の旧帝国大学の理系学部に現役で合格していたそうな。しかし1日も通わなかったという。その周辺の事情もいろいろ聞かせていただいたが書くのは遠慮しよう。すべてめちゃくちゃ面白い話で、いい時間だった。
もうちょっと早く行けばよかったな。しかし後悔先に立たず。火曜日にもう一度行けると思うので、その際に『夜学バーのつくりかた。』(通称句点)を渡してみようかな。どんなお客さんがついているのかも気になるから、22日は顔を出してみたい。さすがに無理か……。
2026.2.9(月) 名古屋店外1 友達観光
朝9時半に大曽根駅でお友達と合流。時おりご来店くださるお客で、名前も素性も知らないのだが先日お店で話していたらたまたま同じ日に名古屋にいることがわかったので折角ならと。よく考えたら「店外(てんがい)」である。しかも遠方。キャバ嬢とかが温泉とかに連れてかれるアレ。パパ活の源流(?)。でも現地集合ってのはあんまりない気がする。
知らないおじさんから押し売りされた「喫茶はじまり」の珈琲チケットが使い切れないので手伝ってほしかったのだが臨時休業だったのでたかゆきくん(2000年頃の日記参照)ちの近所「ヴィーナス」でモーニングをとる。大曽根ではもう一番好きだな。ここは「女性の店」で、もう一つのお気に入り「大臣」は「男性の店」である。喫茶店ってこの2種類に大別できる気がする。細かいことは長くなるので直接おたずねください。残念ながら大臣のほうは最近閉業してしまった。ラーメン二郎(New!)の向かいらへんにあったのだが。
上飯田南荘のほうをまわって「つねかわ」へ。混んでいたので「あとで来るわ~」と先に矢田川に出る。水辺を歩く。いつ来ても矢田川はいい。僕のすべてを育んだもの。いつでも涙を洗い流してくれた。天気がよくて本当によかった。
つねかわに戻るがさっきよりもっと混んでいたので「4つの集合住宅」(「場の本」参照)や小学校のあたりを歩き回る。学区内にある酒蔵「金虎」でお酒を買って(梅酒を買ったらウメをくれたぞ!)、ふたたびつねかわ戻るとやや空いていたので入る。まだロキポで見られると思うがついこないだ「キャッチ!」というローカル番組で取り上げられたらしく、開店から押すな押すなの大繁盛だったそうだ。つねかわがメディアに出るのは珍しいことではない(壁は色紙だらけである)が、駅から遠いし駐車場もないので今日ほど混むことはめったにない。平日の昼間なのに! 放送直後となるとさすがに影響あるようだ。3月下旬にはNHK「あさイチ!」の放送も控えているとのこと、全国版だしまた忙しくなるのだろう。そういえば僕も木曜喫茶(無銘喫茶)時代に密着されたことがあるけど、それ見て来たって人はあんまりいなかった。
開店から51年。おばちゃん死ぬまでやる気らしいがいつコロリと行くかわからんのでここの読者は無理してでも早めに行ってください、11時くらいから20時まで、年中無休。冠婚葬祭と病院以外で休むことは基本的にありません。正月は不明だけど。
マヨたません、おこそば、お好みイカ肉(醤油)、スナックロール、もちチーズ、こんじょう焼き、そしてビールを2本、二人で豪遊した。のどごし生という発泡酒(500ml)をつねかわではビールと呼ぶ。かつては店内に「ビール」というメニューが貼ってあったのだが今では隠しメニューになっている。
つねかわはいまだに年々メニューが増えて行っている(異常である)のだが、今回注文したものはすべて30年以上前から存在する。小中学校の時に食べていたようなものたち。当時から今まで、つねかわに座ってもちチーズを食べなかったことはたぶん数えるほどしかない。みなさんも一度おためし下さい。(参考文献:芝浦慶一『水道』)
僕の接客スタイルや店づくりの基礎にはこのお店の影響がけっこうある。一番の根っこは祖母が松本で経営していた喫茶「駒」だが、その次はつねかわだろう。おばちゃんは不用意に名前をたずねたりしないし、僕が見知らぬ女性を突然連れていっても関係を詮索することはない。「個人情報だで。最近うるさいもんでかん」と今は言っているが、こういう場にとって個人情報は意外とノイズになるともどこかで考えているのではなかろうか。んま近所の人の噂話は平気でしてくるけど。それは「同時」で矛盾はしない。ちなみにおばちゃんは大阪の人だが名古屋が長いので方言はハイブリッド。経営感覚や接客も名阪のいいとこ取りという感じがして、そこも面白いところである。
「キャッチ!」でも取り上げられていたが、つねかわは狭いので見知らぬ人との会話が生まれやすい。おばちゃんがお喋り好きなのもあろう。そこがやっぱり僕の原点にあって、そういう店しかやる気にはならない。
駅に戻り、改札で見送る。ふるさとフルコースを堪能(?)して頂いた。友達の生まれ故郷というものはそれだけで観光地になる。僕もこれまで徳島の池田や静岡の清水などで友達に「ツアー」を頼んだことがある。あれほど楽いことはかった。誰もが楽しいとは限らないし関係にもよるのだろうけど、その人についての理解や気持ちにより厚みが出るような気がする。
2026.2.10(火) 名古屋店外2 那古野→女子大→大曽根→神宮前
名古屋でテンガイといえば天野天街さんだよね~というローカルジョークは置いといて。少年王者館は青春です。ところでアマノドラッグとかカメラのアマノとか、キャイ~ンの天野ひろゆきさんとか愛知県にはアマノが多いのです。天野こずえ先生はたぶん違うけどルーツが名古屋圏にある可能性はゼロではない。
9日は15時くらいに帰って昼寝(夕寝)して親孝行に努め、どこにも遊びに行かなかった。そういう日も必要だ。
10日、16時13分、甲斐国在住のボウ(某)氏からDMがあった。
「(8日の)日記を見て(ミ・カシータに)行ってみたくなりました(ので会社を飛び出し今から名古屋に向かいます)」と。
ギン氏もあれを見て「行きたい!」と思ったそうなので、よほど訴求力の高い記事になっていたらしい。あんまり詳しくは書いていないのだが、それがまたよかったのかもしれない。親孝行しながらUPしてよかった。というわけで2日めの「店外」が確定したわけである。ちなみに「小さなおうちはどうなるの」の元ネタは奥田民生『近未来』であります。名曲。
話は前後してこの日は昼すぎに家を出た。歩いて矢田川を渡り守山区の「ぽかぽか温泉」へ。朝6時から15時までWi-Fiと電源とフリードリンクと漫画とゴロ寝スペースのある休憩所が「モーニング」と称して無料になる神湯なのだ。入浴料530円のみ。神……。(参考文献:芝浦慶一『神をさがせば』)
15時までポチポチ作業してお風呂に入り、また歩いて守山アピタへ。スガキヤ食べる。そして歩いて新守山駅から大曽根駅へ移動(160円)。フフフ……。なんて効率のいい移動なんだ……たかまる……。昂奮する……。
コーヒーチケットを押し売りされた(お店の人から押し売りされたわけではないことを名誉のため記す)「喫茶はじまり」は定休日のはずだがまちなかのイベントに合わせて16時から数時間だけ開いているようだった。チケット使いたいので行った。来店は3回目くらいだが前回「スナックはじまり」と称する週末営業(ここで押し売りに遭った)で覚えて頂いたようで、入ってすぐ「名古屋にお帰りなんですね~」と声をかけていただいた。
もちろん「押し売り」というのはネタで言っているのであって恨みや後悔はないが、あれは押し売りでしかなかったというか、僕のような心の弱い人間には断ることが不可能な流れをつくられたのは間違いない。おかげで向こう1年間はけっこう頻繁に名古屋に帰ってこねばならない。うれしい悲鳴である。名古屋好きだし、両親も年ですからネ。またそれによってこの店の「ウチ」に入り込めたという功能もあった。
このお店は良くも悪くも「地元密着型」で、僕のような新余所者に対しては(他の名古屋のお店と同様に)閉鎖的、排他的な傾向がある。地方に行くと頻繁に発生する「どこから来たの?」とか「ご旅行ですか?」といった声かけは名古屋では極端に少ない。このくらいの大都市になると余所者なんて「いて当たり前」で珍しくもなく、「日常的なノイズ」として無視されるのである。良く言えばそれは「身内の輪に無理矢理入れるのも申し訳ない」という気づかいでもあろうが、旅行に慣れた身としてはさみしく思ってしまう。
ところで新余所者(シン・ヨソモノ)とは僕が今つくった新しい概念で、「本来は余所者ではないのだが時を経て余所者になった」というニュアンス。ひょっとしたら僕のほうが古い大曽根を知っているくらいなのだが、今住んでなくて頻繁に通って来ないのならやはり自分は余所者なのである。
名古屋の人は「ウチかソトか」の判定を重んじる。いったん「ウチ」に入ってしまえばそこからは急速に距離が縮まっていくのだが、「ソト」の人間は徹底的に排除、無視する傾向にある。もしかしたら僕は深層意識においてそのことを若い頃から感知していて、それでどうしても東京に出て行きたくなったのかもしれない。言語化できるようになったのはずっと後であるが。
町おこしには内向きと外向きがある、という話はまた今度にしよう。長くなるので。
地下鉄の24時間券を買い、覚王山で降りてチェコと古本の店「cesta(ツェスタ)」へ。細く長く通っている名古屋では数少ないお店。18時の開店と同時に入り、30分くらいだけお邪魔する。短時間でチェコビールとチェコアブサン飲んだので酔っ払ってしまった! こんなはずじゃなかった! こちらは本当にバランスよくやられていると思います。開き方と閉じ方が絶妙で、心地が良いし鼻につかない。しばらくはこの「開き方と閉じ方」という観点からお店や場を見ていくことになると思います。そういうブーム。
藤が丘のサイゼリヤへ。同級生のボードバカ(彼が高校の頃から使っていたハンドルネーム)一家と待ち合わせる。子供3人と奥さんとで計6人。ここでの話もあとにしよう、長くなるから。
国際センター下車、藤一番で腹ごしらえ、ちょっと円頓寺と四間道を散歩。えんどうじとしけみち。どちらも変換できない。がんばれよATOK for 一太郎2021!
バー・パプリカへ。ここでようやくボウ氏と合流。2人で計4杯飲んで2700円だった。価格破壊。名古屋では屈指の文化度を誇るいい店なのだが、立地と狭さ、営業時間の短さなどもあってイマイチ目立たない存在となっているのが勿体ない。こういうお店が那古野(なごの)地域にいくつか集まっていたらいいんだけどナァ……。さすがは文化不毛の地と呼ばれる名古屋だワ。
日付が変わるころ女子大小路に移動、「ブルズバー」に行ってみる。けっこう好きだな。78歳の多趣味な店主。たぶんSM(好きが集まる)バーとして認知されてるのだと思うが、店主は頑なに「変わった趣味嗜好」とか「趣味が多い」という言い方をする。SMに限定されたくないのだろう。わかる。そういうところも非常に好感が持てた。
近所を探索、ボロボロのビルに入って感嘆していると定休日であるはずの「Book Bar Spenser」が開いていた。11月に開店したばかりの新店で、さっき調べて知ったばかり。ブックバーというブックバーを僕は基本的に信頼していないのだが、せっかくなので入ってみた。気の抜けたけっこういい店だった。「別のバーで働いていたり飲み歩いていた時の知り合いだけで売上は出るので基本的に新規顧客の獲得は考えていないが、知らない人に来てもらえるとやっぱり嬉しい」とめちゃくちゃ素直で素朴な感想を伝えてくれて、ある意味なかなか言えるこっちゃない。SNSなどの広報は確かに力を入れていないが、まったくしていないわけでもない。「新規顧客は要らない」「でも新しい人にも来てほしい」という狭間に浮かんでいる様子。「女子大にはこういう文化的な香りのするお店が少ないので嬉しい」と伝えると、「ありそうなのに」と返してくれたので、それなりに色々わかっている人ではあるのだと思う。今のお客さんはほとんど本を読まない人たちばかりだというが、少しずつ変わっていくかもしれない。定期的に通って観察してみたい。
大曽根に移動、本丸の「ミ・カシータ」へ。この日もお客は終電までに帰ったらしく、店主はひとり原神をやっていた。偉いのだよ。客がいなくても帰るのではなく「自分の時間」としてありがたく活用している。僕もお客がいないとたいてい本を読むか文章を書いている。いい時間だなと噛みしめながら。たまに焦ったりもするけど。もし夜学バーが毎日朝まで営業するお店になったなら、読書時間が増えると前向きに考えることもできるわけだ。
店主と話しつつ、また一個だけボードゲームをやった。ボードゲームをやっている間はボードゲームしかできない(名言!)のでいつもあまり気は進まないのだが、22日に閉店してしまうというのだからむしろ体験しておきたい。「ビンゴリノ」というのをやって、やっぱり店主が勝利した。さすが、頭いいのだ。各種ゲームは閉店セールで売りさばいているらしく、ボウさんにアクトレイザー買ってもらった。電池入れ替えてあるらしい。すごい。ワーイ!
朝が近づく。前にボウさんをお連れして大いに気に入ってくださった早朝4時に開く名喫茶「ロアール」へ。始発まで過ごす。ここでモーニングをいただきながらビックコミックオリジナル読むのがもう至福中の至福。前回は五階(と僕は呼んでいる)の窓際の席で朝日を迎えたが、今はまだ夜明けが遅いし三階(と僕は呼んでいる)の雰囲気も味わってほしかったので登らなかった。もうちょっと遅い時間だと三階は埋まっていて四階か五階に通されることが多くなるから、実のところ三階でコーヒー飲めるのはちょっとレアなのだ。
家に着いてもまだ夜は明けていなかった。両親も寝静まっていた。この人たち夜更かしだから起きて待っててくれたらどうしよう(申し訳ない)と思ったが、お父さんは昨晩めっちゃお酒飲みながら長時間話したので「息子欲」も落ち着いていたのだろう。その辺の話はまた書きます。
11日はすでに書いたように朝から動いて浜松と静岡に寄ろうと思ったのだが身体を慮って、そして少しでも実家にいる時間を延ばしたくて昼まで寝た。喫茶はじまりでもう一枚チケットを消費して、電車乗って、ガラガラの「ひかり」自由席でゆったり帰った。14時31分発の「ひかり」は豊橋に停まる以外「のぞみ」とまったく同じ停車駅なのに、自由席が5号車まであるのである。フフフ……。移動ハックだいすき。早めに着いたので早めにお店を開けたがお客は数時間来ず、ずっと本を読んでいた。
2026.2.11(水) 助走的孝行
名古屋に帰っても「せっかくだから」と昼夜問わず遊び歩いてしまうことがほとんどなので今回は意識して家にいる日をつくった。9日は手塚治虫の命日でもある。僕が最初に好きだと思った人物で、専らこの実家において耽読された。ちょうどいい。
とは言っても寝不足だったので夕方から22時くらいまで寝た。起きて食卓で日記書きつつ、お酒飲んでるお父さんと何時間か話した。今はまだ非常勤講師として働いているので生徒たちとの触れあいがあって良いが、いつか話し相手がいなくなる。その時にはたまに帰ってくる息子との対話はかなり貴重なものになるはずで、そういう時間をちゃんと持っていないとボケたり弱ったりするかもしれない。多趣味だからやることがなくなるってことはないと思うが「話す」ことは一人ではできない。もちろんお母さんもいるわけだが限界があろう。来るべきリタイヤ後のため、今から助走をつけて親子の会話を増やしておかなければならない。戦略! 実際そんなに長い時間は残されていないのだ。今はまだ雑談のターンだが、そのうち伝記が書けるくらい詳しくいろんな話を聞いてみたいものだ。
寝ているお母さんの横でぽつぽつ色々な話をする。想い出話もあれば時事問題もあり、親子の会話としてはそれなりに豊かなのではなかろうか。焼酎をストレートでグビグビ飲み続けるので「ガンになるから水を飲むか何かで割りなさい」と言っておいた。10杯くらい飲んでいたのではないか? 心配になる。ガン家系ではないはずだが飲み方には気をつけたほうがいい。おじいちゃんが長生きした(93歳)のも健康に気をつけてよく散歩していたからだろう。その感覚が僕に隔世遺伝しているような気がする。
父方の祖父は神戸出身で、岐阜で働くために愛知県内に居を構えたと聞いた。細かいことは知らないがおそらく働いていたであろう場所は1922年にできて1937年に本格的な整備が完了したそうな。おそらくこの頃に移ってきたのだろう。名鉄もすでに通っていたので十分通勤圏である。今は40分ほどで行ける。当時でも1時間くらいだったんじゃないかな。このへんはうろ覚えと想像に過ぎないので、正確なことはいつかお父さんに聞いてみよう。とか言ってるうちに不可能になるのは怖いが、それはそれ。マイペースにやる。
僕が岡田淳さん(幼少期より崇敬する児童文学作家)の言葉や声に安心感を覚えるのは、おじいちゃんと同じく神戸の人だからなのかもしれない。
長くなったから記事を分ける。
2026.2.12(木) 模試の想い出
両親とともに過ごしたのは高校生までなので想い出話は当然そこまでのことになる。問題児だったので特に高校時代のエピソードには事欠かない。お父さんは嬉しそうにその頃のことを話す。
面白いのは、僕の記憶とは食い違っているというか、僕がまったく覚えていないことをお父さんが知っていたり、僕の知らない事実が今になって明るみに出てきたりすることである。
高3の7月に受けた河合塾「私大模試」について僕はこのように書いている。
七月に受けた全統私大模試とかいう奴の結果が返ってきました。
正真正銘生まれて初めての模試さん。
つまり常套句を自覚して使っているのだということをいかに証明するか、という話。
というわけで(どういうわけだ)
森の中で蜘蛛の巣に出会うような頻度で会見を交わすこの文字列を皮切りに始まったストーリー
私大模試なんか誰も受けないので偏差値が高くなるのは当たり前でちゅが
英語と国語は偏差値が70弱
世界史はそれより20くらい低い。
というのも半分がマーク式半分が記述式で記述式の部分が全て学校で習っていない分野のもので
しかもその分野は完璧ノーマークだったため惨憺たる結果なのです。
というわけで(どういうわけだ)早稲田大学の《判定》とやらはEとかDとかだったわけですが、
その他(4つ)はみんなA判定でした。
というわけで(どういうわけだ)以下、結果を記す。
これは完全に事実なのですが高3の5月まで僕は定期テストの一夜漬けを除いた一切の勉強をしておらず、夏休みの宿題すら高校では出したことがなかった。7月の段階では何もできなくて当たり前なのだ。公立ゆえか「高2までに受験範囲のすべてを先取りして終わらせる」みたいな進学校しぐさもなかった。世界史の偏差値が50未満だったとすれば教育学部(当時は今よりはもうちょっとだけレベルが高かった、社会科学部よりずっと良かった……)でD判定だったのはむしろ驚異的とも言える。
そういう事情をお父さんはわかっていたのかいないのか、たまたま見かけたこの模試の結果を見て「早稲田は絶望的……。日大はA判定、まぁそんなもんか」とこっそり感じたらしいのである。こっそりというのは、我が両親は偉大すぎて勉強とか受験について一言も口を挟むことがなかったから、それを見たのか見ていないのかも僕は知らなかったのだ。
ちなみにこの時A判定だったのは「日本大学芸術学部演劇学科」「四天王寺国際仏教大学人文社会学部アラビア語文中期」「長崎ウエスレヤン大学現代社会学部福祉コミュニケーション」「椙山女学園大学文学部」。すべてネタである。日芸の演劇学科が入っているのは爆笑問題が好きだからというだけで入る気など1ミリもなかった。いや1ミリくらいはあったかな。いずれにしても失礼ながら、そりゃA判定出るだろというラインナップ。お父さんはこれをどのくらいネタだと思っただろう。現代なら「椙山女学園大学」を見て、「うちの息子は今流行りのエル……ナントカなのか?」と思ったかもしれない。いや当時でもこの前年に『3年B組金八先生』で上戸彩が性同一性障害の生徒を演じていたから、アレか!なんて思っただろうか?
ところで、なぜたった2ヶ月の勉強で国英が偏差値70弱取れたのか? それは1年生の古文を担当してくださった宮城先生が「こ~き~く~くるくれこ、こよ!」とか「さりかかりしかりもたり!」とか覚えるべきことをことごとく呪文のように唱えさせまくってくれていたのと、高3にもなってbe動詞がなんなのかも知らない僕に英語の仕組みのすべてを根本からたたき込んでくれたリンキューこと林先生の神業、そして『漢文早覚え速答法』のおかげである。塾とか行く気がいっさいなかったので、たぶん5月くらいによさげな参考書をちゃんと揃えておいたのだ。
で、問題はこのあと。お父さん曰く「いつの間にかA判定になってて驚いた」と言うのである。しかし僕の記憶では、9月の模試は途中で抜け出して他校の文化祭に行ったため判定など出るわけがないし(試験中に手を挙げて「帰ります」と言った迷惑者)、12月の早大オープンは添え木さんの名義で受けて(名古屋人なので遵法意識が低い)、日記には「むり!」「さよなら壮大な夢」と記されている。いったいお父さんはどの模試の結果を言っているのだろうか?「夏以来模試というものを避けつづけていた」ともあって、秋には受けていないはずなのだ。
でも確かに、河合塾の「アンテナ」という模試の好成績者一覧に名前が載っていた、というのを同級生から教えてもらった覚えはあるのだ。その記録が日記に見当たらない。すべてGeminiに流し込んでおけば探してもらえるのかな。なんでもすべて書いているわけではないけど、史料はこれしかないからなあ。実家に帰れば色々残してあるとは思うけど。そういうのの発掘作業も進めていかねば。あとは当時のメールとか(HDDにはサルベージしてある)。
8月11日の日記に「全統奇術模試」と書いてあって、この日に受けている可能性はあるが、記述模試でA判定取れるか? 謎は深まる。でも諦めないぞ。
浮かび上がってくるのは、「おれ全然勉強してねえし」的なノリかもしれない。判定が悪いことだけを日記に書いて、A判定が出たことは書かない。「アンテナ」に載ったことも書かない。それだから受かった時にみんなビックリしたのでもありましょうな。嫌らしい韜晦。向陽高校のくせに……(東海ではない、というギャグです)。
戻って、8月11日の日記に「得点率8割」と書いてはいるんですよね。それで調べてみますとですね~、どうも8月に実施されていたのはマーク模試(あるいは記述も?)だったようで、Geminiに聞いてみると「河合塾が当時第2回マーク模試を実施していたのは8月の第2日曜日」すなわち2002年8月11日(日)だろうと。たぶん当たりですね。このマーク模試の結果がA判定だったのだと思われます。
ちなみに「第1回全統私大模試」は2002年7月14日(日)という。日記にその影はないが。ここでDだったのが1ヶ月後にAだったとしたら確かに驚く。僕の記憶ではその結果を見た瞬間におおむねやる気をなくし、その後半年間は遊び狂っていた(と言うと言い過ぎだがバランス良く遊んでいた)ような気がする。夏休みは部活の合宿にも行ったし、遊びの呼び出しはすべて一度も断らなかった。偉い!
当時韜晦してたんで時を経て自慢してみた。お父さんにとってもそれは自慢だったようである。ちなみに彼がA判定だと知ったのは、秋に僕が学校で問題(僕は未だに問題だと思っていない)を起こした時に担任から職場に電話があって(職場に電話掛けてくんなよ、しかも県立の高校の職員室に)、「すみません勉強もろくにしないで」みたいなことを言ったのかな、忘れてしまった。そしたら担任が「いや早稲田A判定ですよ!」と言ったらしい。これは今回初めて知った。そんで「息子にはなんと言っておけばいいでしょうか」とたずねたところ、「いや何も言わなくていいです」だって。なんのために電話かけてきたんだ。
2026.2.13(金) 夫がつまらなくなる前に
今回の帰省(2/8夜~2/11昼)の主目的は10日夜の同級生(高1~)ボ氏との会合。奥さんと子供3人と計6名で藤が丘のサイゼリヤに入った。ボはこの1年くらい激動の日々を過ごし我々にもろくに連絡がなかったので近況を聞きたかったし、加えて「おれの奥さんがお前に会いたがっている」というのでビューンと行ってみた。
本名で活動しているので書いてしまおう、
この方である。二人が出会ったばかりの頃からエピソードは聞いていたし僕が初めて会ったのももう十数年前、ちょっと前にはボ本人を除いた一家みんなと「街と珈琲」で遊んだりもした。その時はScratch教えてもらって、僕もしばらくやっていた。
ボ氏と連絡取れなかった時期、しっかり心配した僕は彼の会社(起業して十年以上社長をやっていた)のサイトやSNSをたびたび見ていた。その時に真知さんのnoteも発見しフォローしたのである。そこから僕のホームページにたどり着いた彼女は一読して「話がしたい」と思ってくださったそうな。
noteは頻繁に更新されているし著作も2冊Kindleで出版している。真知さんは文章の人であり、思考の形も「文章的」らしい。ボのほうはまったく対照的で、言葉によるアウトプットはかなり苦手。完全に直観型で、大学も理系に進んでいる。
口数少なめで、たまに話せばまったく意味不明な言葉が飛び出してくる。一瞬場が止まり、「こいつは何を言いたいんだ?」とみんなで考える。「だいたいこういうことか」とわかった時には、「それがなぜその言葉になる?」と笑いに変わる。高校1年生の頃からボ氏の「意味わからん言語感覚」は我々の大好物で、ちゃんと語録を作っておけばよかった。
そういう組み合わせの夫婦だから真知さんのほうは「話が通じない」「共感してもらえない」というフラストレーションを常々抱えているそうで、僕の文章を読んで「この人はわかってくれるだろう」と感じたにちがいない(そういうようなことを言ってくださった)。それで僕は呼び出されたわけだが、これだけだと「夫に対する不満を夫の旧友によって(本人と子供たちの目の前で)解消する」という形而上寝取られプレイのように見えるわけだが、たぶん彼女が僕に会いたがった動機の本丸はそこではない。
「この二人が友達でよかった(嬉しい)」と彼女は言う。そして「夫が私のことを好きになったのは、尾崎くんと話している時と同じような感覚を持てたからじゃないか」という仮説を唱える。
ああ、「行き交う友達はみんなおんなじ人だと思う」(僕『友達は変わる』)というやつ。この見立てが正しいのであれば、ボは彼女の中に僕を見たわけだ。それを言語化したのが本人ではなく妻であるというのが面白い。ボはそういう言葉の操作が徹底的に苦手というか、発想の中に一切ないと思う。良いコンビなのだ。
ボは文章を書くどころか、読んでいる印象もあまりない。ゴクドーくん漫遊記の話しかしたことがない。でもなぜかこのホームページはけっこう読んでくれていて、たまに感想をくれたり掲示板に書き込んだりもしてくれていた(やや意味不明だったりもしたが)。また、ろくに会話するでもないがなぜかよく一緒にいたし、今でもたまに呼び出して話したくなる。そして彼も、呼び出せばたいてい忙しい時間を割いて来てくれる。ちなみに高校時代二人で停学(正確には無期謹慎)になったことがあるが、その時もべつにろくに話すでもなくいつのまにか共犯になっていた。何かが合うのであろう。
真知さんが僕に親近感や共感を覚えたのは、たぶんそのような事情が裏にある。「自分と似た感覚で夫と付き合い続けてきた友人」という存在は、そりゃ頼もしいものだろう。その視点はなかなか共有できない。「ものごとを言葉で考えて言葉でアウトプットする」という習性を強く持った人が、「完全な直感型」の人と暮らしていくというのはかなり面倒なことだと思う。愚痴くらい出てくるというものだ。それを僕は確かにほぼ理解できてしまう。「この人ならわかってくれる」という気持ちの真ん中にあったのは、「夫はわかってくれないから」ではなくて「この人は私とかなり近い形で夫のことをわかっているはずだから」というものだ。まったく寝取られではなくて、「あの人のことを一緒に愛そうよ!」という誘いだったわけだ。
「あー! 夫はわかってくれない!」という時に必要になる健全な存在とは、「夫にはわかってもらえないような話をわかってくれる男」ではない。「わかってくれない夫のことをわかってくれる男」なのである。「夫がわかってくれない!」「わかる! アイツにそういうことがわかるわけないよね!」と言ってくれる立ち位置の人間と話がしたいのだ。なぜかって、夫のことが好きだからね。
さらに言うと、本丸のうえに築き上げられた天守閣がある。彼女が本当に求めていたのはこっちかもしれない。それは「アンタ最近つまんないよ」である。「昔の夫はもっとおもしれー男だったのに、社長という責任を背負って働いて子育てもしていくうちに、どんどん丸くなって面白みがなくなっていった」というのがたぶん最大の不満なのだ。そりゃそうだ、おもしれーから好きになったのだ。もっとおもしれー男であってくれないと困る。せっかく好きになったし、今でも好きなのに、つまんねー男になっちまっては愛する甲斐がない。あんまり続くなら離婚もあり得る。
そこで、「いまだにおもしれー男」代表であるジャッキーさんと共犯関係を築き、「今のお前はつまらん! もっとおもしれーことをしろ!」とハッパをかけたかった、というのはたぶん考えすぎなのだが、結果的にはそういう展開になった。三人の子供たちだっておもしれーお父さんのほうが好きなんじゃないだろうか。少なくともお母さんのほうはそういうお父さんのほうが好きで、子供たちはそういうお母さんの態度を見て育つ。どう考えても面白くしといたほうが得策だ。
愛されていて羨ましいが、愛されているうちが花である。これは一つのアラートでもあるかもしれない。たぶんいま彼は人生の大きな分岐点に立っている。主として仕事の面で。ここからどうするかはかなり大きい。奥さんのほうは今ひたすら「自分」というものを掘ったり築いたりしている渦中にあると僕は見た。今回の会合もその一環、だといいな。置いてかれないようにがんばれ~。
2026.2.14(土) おもしれーやつを立てないかん
河村たかしの経歴を簡単にまとめる。
1948.11.3 名古屋市東区古出来うまれ
→桜丘中学(名古屋市東区東大曽根町)
→旭丘高校(名古屋市東区出来町)
→東大落ち一浪して一橋商学部
→河村商事株式会社(名古屋市東区古出来)入社、家業を継ぐ
→旧司法試験がんばったが、ダメ
→1983年初立候補するも10年間鳴かず飛ばず
→1993年初当選、衆議院議員に(自転車街宣で話題に)
→1996年、2000年、2003年、2005年連続再選
→2009年名古屋市長、2011年、2013年、2017年、2021年連続再選
→2024年、2026年衆議院議員再選
世襲でもないのに44歳で初当選して以降落選なく衆院7選、名古屋市長5選というのはマァ凄すぎるわけですが、個人的に注目したいのは若いころ。生まれ育った「古出来」や旭丘高校のある「出来町」というのはいずれも「大曽根」が最寄り駅、すなわち僕の故郷とめっちゃ近いってことなんですね。僕は大曽根中学校ですから。
あと「自転車街宣」も重要。初当選は僕が小3の時で、家の前を河村たかしが自転車で走っていくのをベランダから見たような記憶がありますよ。その頃から河村たかしというのは「なんかその辺を自転車で走ってる近所のオッサン」というイメージがあって、いまに続く庶民派戦略がすでにできあがっている。さすが商売人、ってことでもあるが、実は政治家を志してから初当選まで10年くらいあるので、考えに考え抜いた結果、あるいは地道にコツコツ地盤を固めていった結果という話でもある。意外と偉大なのだ。
河村たかしのしゃべり方を「ビジネス名古屋弁」と言うのはたぶん半分間違っている。確かに名古屋人ですら「これは大げさだわ」と思えるほどキツい方言を使っているが、大曽根地域に生まれ育った身としては「古出来生まれの団塊の世代ならあんなもんでしょう」。僕の世代でもかなり名古屋弁キツかったので。「ダテオォマーカンデイコマイ」くらいはナチュラルに言う。「ヒャーボール」とは言わなかったが。
2026年2月8日の衆院選で77歳にして当選を果たした。直後の会見ではかなり大切なことを語っている。
「高市さんも立派だけどね、僕らみたいに零細企業やってきた人間、そういうの本当におらんのですよ、日本の政界の中で。そういう人に。それと面白いの。高市さんは高市さんで、まぁあの笑顔もええわ。まだまだ足らんとこようけあるけど。やっぱり野党系で、なんか辛気くせゃーというかよ、まじめくせゃー、男ばっか、ま女の人もおるけど、やっぱおもしれーやつを立てなかんですわ。自民党に勝つには。高市さんにね。」(氷水かぶる直前)
「高市さんの人気に対抗できるだけのね(略)、魅力のある、ちゃんと候補者を立てな」
「ショウビャー(商売)やってきたような人間がおらんのですよ」
「日本の政治はみんな家業になってまって、給料が高いで。ファミリービジネスなんですよ。何がなんでも長くやろうという、権力闘争なんだからこれ。権力闘争なんですよこれは。学校の授業みたいにこの政策がええとかじゃないんですよ。とにかく高市にしたら勝てると。勝てると思ったらやるわけだで。ほりゃ、その、戦争に、勝つよりしょうがないじゃないですか。と思いますよ私は。文句言っとったってしょうがないじゃない。ほいだったら給料下げてみんなボランティア的にすればまた別ですよ。ということですわ。」(座り取材)
河村たかしは「金」の話ばっかりする。だてに金メダルかじってない(ドッ笑)。
政治というのはまず勝つことがすべて。少なくともそう思っている人たちが勝ってしまうような側面はある。文句言っても仕方ない。それで河村たかしはあらゆる手を尽くして勝ち続けてきたわけだ。あらゆる手とは何か? それはまず「おもしれーやつ」であることだ、とたぶん河村たかしは思っているし、河村たかしは「おもしれーやつ」だから勝ってきた。自転車で街宣するのも、「本人」タスキを使用するのも、うるさいほどの名古屋弁も、最初は「なんだあれ?」と訝しまれたことだろう。しかしそれはやがて「おもしれーやつ」という認識に変わる。10年間は落ち続けたが、試行錯誤を続け工夫を凝らし続けることによって勝利に繋げていった。「なーんで河村たかしにずっとできとることが他のやつにできんだぁ、ショウビャーゆうもんがわかっとらんでだろ↑う↓」ときっと彼は思っている。
選挙が人気投票のようになってきている昨今、「おもしれーやつ」であることの重要性は増している。河村たかしにはそのことがよーくおわかりなのである。おそらく政治の話だけではない。もし今後の日本が少しずつパンとサーカスの世界に近づいて「金」の価値が相対的に下がるなら、人との「関係」や「人気」みたいなものは資産としての重みを増していく。そこにおいて「おもしれー」ことはかなり大切になってくる。ショウビャーをやるにしたって、「いくらの額を提示できるか」よりも「どんだけおもしれー提案ができるか」のほうを重んじる人は増えていくのではないか。少なくとも個人でやっている人たちについては。どうせ金なんてそんなに稼げないんだからせめて楽しくやりたいよ、という人たちはやりがい系スモールビジネスに身を投じていく。その世界では「おもしれー」ことがかなり重視される(されてほしい)。
昨日の記事に関しても。真知さんが夫に「おもしろかったあなたに戻りなさい!」と叱咤するのにはそういうウラがあるのだと思う。彼がもしこれからまた何かチャレンジをするのだとしたら、「おもしれー」ことは必須のはずだから。河村たかしの国で生まれた我々にはよくわかっているはずだ! ウッ、名古屋のことを河村たかしの国とか言ったらなんか誰かに刺されそう。ちなみに僕は河村たかしの支持者ではない(住民票は東京なので選挙区でもない)。でも河村たかしのことはなんとなくけっこう好きである。他の多くの名古屋人たちと同じように……。だって「おもしれー」から……。
ところで「おもしれー」とは何か? 他の人がしないことをすること、というのが中核だと思う。あの頃はまだ自転車で街宣する人なんていなかったんだから、それだけで本当にすごいのですよ。そんでそれは基本中の基本なんですよね、ショウビャーの。
2026.2.15(日) 暗い話せんといて~
飛影、いや高市さんはそんなこと言わない。話題になった衆院選当日の高市早苗首相と爆笑問題太田光さんとのやりとりは、実際にはだいたい以下の通り。
太田 大変失礼なことを言いますが、日本の政治家っていうのは責任の所在があやふやになることが、今までの歴史の中で僕は多いな、と思うんですよね。で、やっぱり、もしできなかった場合、高市総理はどういうふうに責任を取るんでしょうか?
高市 できなかった場合?
太田 できなかった場合。つまり、食料品(の消費税)ゼロに……
高市 いや、だって公約に掲げたんだから、一生懸命今からやるんですよ。
太田 やりますよね。で、もし実現しなかった場合。
高市 だからできなかった場合とか、その、暗い話しないでください。
太田 いや、暗いというか、それは責任の取り方です。政治家としての責任の取り方をどうするか、という、覚悟がおありなのか、ということを、大変失礼ながら質問させていただいてます。
高市 なんか意地悪やなあ。最初からでけへんこと……いや最初からでけへんと決めつけんといてください。
太田 なんで急に関西弁?
高市 できるように……あ、なんでやろ? やっぱりこれは一所懸命、あの、公約に掲げて沢山の方にお認めいただいたことやと思うとるんです。だから、だから他党にも呼び掛けていって、財源はこうだから、だから一緒にやろうよと。で、給付付き税額控除に少しでも早く移行したいわけですよ。これは低所得者の方にね、大変なメリットがあるわけですから。だからこれはもう真摯に議論すると。だってみんな思いは一緒なんですから。
太田 そうですよね。FRBだとね、インフレターゲットっていうともう、そこでできなかったら辞職する、みたいな。欧米的にはそういうこともあるじゃないですか。日本はなかなかその、日銀の総裁はそういうことをしない。そういう意味で、要するに責任の所在をどうするのか、というのをお聞きしてるんですけど、あの、意地悪ですかね、この質問。
高市 うん。だってこれから必死にやろうとしているわたくしに対して、すごい意地悪。
太田 本当ですか。サンジャポでお待ちしてます。
(2月8日、TBS「選挙の日2026」)
高市さんは「暗い話しないでください」と言った。ではなぜこの日記のタイトルが「暗い話せんといて~」なのか? これは2月10日放送のラジオ『爆笑問題カーボーイ』で爆笑問題の二人が声をそろえて合唱したフレーズなのである。
太田 私もサナ活してましてね。とにかくあの、サナ活……
田中 意地悪やわあ~。
太田 意地悪やわあ~。
田中 ほんま意地悪やわあ~
太田 ほんま意地悪やわあ~
田中 意地悪やわあ~意地悪やわあ~
太田 あ、見てました?
田中 見てたよ。
太田 ほんまにやなこと言うわあ~。暗い話せんといてください~。
(冒頭1分ごろ)
田中 もうやめて、もう。意地悪やわあ~。ほんま~。
太田 意地悪やわあ~ほんま~。
二人 暗い話せんといて~。
田中 もう~。
(25分ごろ)
最初の1分のところで「暗い話せんといてください~」というフレーズが初出(のはず)なのに、同じ放送の25分後に「暗い話せんといて~」と合唱できるとは、なんと息の合ったコンビ。それにしても「暗い話しないでください」が「暗い話せんといてください~」になり、「暗い話せんといて~」にあっという間に変化した。それだけ「急に関西弁」のイメージが強烈だった(面白かった)のだろう。
しかし何より大事なのは、爆笑問題の二人が「意地悪やなあ」の次点として「暗い話しないでください」というフレーズに注目していることだ。「意地悪」はやり取りの中に3回も出てきている超パワーワードなのでわかるが、「暗い話」は1回、直後に「暗いというか」と太田さんが返しているのを入れても1.5回くらい。「できなかった場合」(3回)とか「最初からでけへん」(2回)とかに注目しても良さそうなのに。
爆笑問題にはわかっているのだ、「暗い話」というフレーズが最も大事であることを。
「意地悪やなあ」は高市さんがその場に「勝つ」ために持ってきた言葉である。「誰からも好かれている人気絶頂の女に対してわざと意地悪をする男」という構図を一瞬で見せたわけだ。「暗い話しないでください」も同様に戦略的な言葉。ここにはやや大げさに言えば、「国民は私が総理大臣であることに明るい未来を見ているのに、どうしてその巨大な民意に反してあなたは暗い話をするのか? あなたは非国民ですよ! ねえみなさん?」という静かなアジテーションだったと僕は見る。爆笑問題もそういうズルさを感じ取ったゆえ、あのように複数回ネタにして盛り上がったのではないだろうか。
試しに「高市 明るい」で検索すると、「若者に刺さる高市フィーバー 本当に「日本は明るくなった」のか」なんて記事が真っ先に出てくる。次が「「とにかく明るい」高市早苗"旋風"で自民圧勝の情勢」だった。日本初の総理大臣である高市さんに対してかなり多くの国民が「変えてくれそう」「何かが変わりそう」と前向きな評価をしていて、ここにはもちろん「明るい方向に」という前提がある。高市さん自身も演説で「明るい未来のために」なんて言葉を使っていた。
そういえば河村たかし(愛を込めて呼び捨てヨ)は当確直後に「高市さんは高市さんで、まぁあの笑顔もええわ」と言っていた(昨日の記事参照)。高市さんといえば笑顔。「高市 笑顔」で検索しますと「高市首相はなぜ、あそこまで笑顔を見せるのか?」という東洋経済オンラインの記事が一番上にきた。
当然、「明るい」というイメージを強調するためである。国民はいま高市に「明るさ」を見ているので、「暗い話」をするのは非国民なのでござる。そこで勝敗は決し、太田さんはめでたく炎上することとなりました。
ここから、漫画家の都留泰作先生が発表していたnoteの記事とからめていくつもりだったが、ひとまずつづく。
2026.2.16(月) 政策なんかどうでもいい
『ナチュン』『竜女戦記』などでおなじみ、漫画家の都留泰作先生がnoteに「
「高市現象」は政策ではなく、感情の避難所である」という記事を出していた。
ちなみにこのnoteはたぶん生成AIを使って作られている。最初の記事に以下の宣言があり、この姿勢は今も持続していると思われる。
構想や視点は筆者によるもので、記述にあたってはChatGPTとの対話を通じて構成・表現を整理しました。
現時点では未検証の情報や出典のあいまいな記述も含まれていますが、今後あらためて文献などにあたって精査・発展させていく「たたき台」です。
chatGPTの性能が格段に上がり、私自身の発想を刺激してくれる存在になったことを個人的に実感したことがこの投稿の出発点でもあります。人間に代わってAIが考える、というより、人間の思考を補強しスピードアップする存在としてAIを意識するきっかけともしていきたいと思います。
忙しい都留先生にふさわしい高効率なアウトプット方法。さすが。僕もエーアイの活用方法として大いに参考にさせてもらっている。さすがにこの日記をエーアイ記述にさせる気はないが、それ以外の仕事はどんどん手伝ってもらいたい。
かつて参政党について「参政=投票=当選のみを是とする政党(名は体を表す!)で政策はなんでもいい、そこがすごい」と書いた。チームみらいも「プロセスの効率化や透明化などを主眼に置く政党で、経済や外交などの政策は二の次」だと僕は解釈している。そして都留先生の記事にあるように高市政権も、というか高市政権を選んだ国民も、政策より別のものを重視しているように思える。
逆に、政策や思想的な「中身」を重視するれいわ新撰組や共産党、社民党などは軒並み議席を減らしている。もう中身の時代は終わった。なぜならば、極端すぎるかもしれないが政策はビッグデータ&エーアイがある程度考えることができて、誰に任せても大きくバグることはないという社会が近づきつつあるからではなかろうか。
それよりも「社会がまとまる」とか「安定する」みたいなことのほうが大事だ、というのが高市政権の本質にある。政策や公約なんかどうでもいい、だからこそTBS「選挙の日2026」(昨日の記事参照)における太田光さんの質問「(食料品消費税2年間ゼロが)できなかった場合は?」という質問は最も痛いところであり、同時にナンセンスだったのだ。「そんなことみんなわかって楽しんでんだよ」って話。
「公約が実現するとは限らない、そんなことわかってます、でもとりあえずそういうことにして明るくまとまったほうが安心するでしょ?」というのが国民の本音。みんな不安で、不安なのは嫌なのだ。とりあえず前を向かせてほしい、安心させてほしい、その気分が高市政権を支えている、というのはたぶん都留先生の記事とも合致する。
エーアイはとても優秀で、これからもっと優秀になっていく。そこにお伺いを立てつつ、日本で最高レベルのエリートたちが額を寄せ合って考える。これ以上に信頼できる政策決定方法があるのだろうか? たとえ私利私欲にまみれた政治家が何人もいたとして、その人たちはその他のマジメなエライ人たちや、ものすごく優秀なエーアイの提案をすべて退けて愚かな選択を突き通せるほどの力を持てるだろうか?(持てるとしたらヤバいのはわかりますが、さすがにそんなことなくないか?と、ぼくは思います!)
高市さんのことをある友人が「自らの承認欲求のためだけに解散した」と表現していた(すごいこと言うよナァ)のだが、万一、仮に、そんなわけないのだがそうだったとしても、周囲のめっちゃ頭いい人たちの知見や冷徹なコンピュータの分析をすべて踏み倒して「戦争しま~す」とか決めて、それがそのまま旋風に乗ってGOされるとは思えない。えっ、僕って頭、お花畑ですか?
また別の知人はnoteに長文で「このままだと高確率で戦争になる!」(大意)と憂えていまして、僕がお花畑ならこの人はソバぐらいしか育たない荒涼とした大地。「ソバぐらいしか育たない」というのは『銀河鉄道999』1巻で火星に降り立った鉄郎が言うセリフね……。
ものごとはかなり複雑で、個人の意志ひとつで大きく動くほど単純ではない。どんな独裁者だって無数の要因と総合的な流れによって生まれる。それをさすがにみんなわかってきたし、バグりかけてもエーアイ様がある程度「それはオススメしません!」と止めてくれたりもする。「結局株価はいったん下がっても上がり続けるし、おれたちが多少ヒスっても小難しいことはエーアイが冷静に考えてくれるんでしょ?」という諦観とも信頼ともつかぬ奇妙な気分をなんとなく人々は抱いている。そのように僕は見ております。
それで「政策なんてどれ選んでも実行されるとは限らない、ウンそれで別にいいよ。どのみちエライ人たちとコンピュータがそれなりの答えを出してくれるんでしょ? おれたちが政策選ぶ意味ってマジでないよね。だったらせめて安心感と前向きさ、明るさだけでも頂いとこかしら!」という感じで、高市政権は選ばれているのであ~る。
高市さんがもしも、万一、そんなわけないけど戦争大好きで、「早く戦争したいわ~、武器つくって売りたいねん~、自衛隊を軍隊にして若者いっぱい殺したいわぁ~」と思っていたとしても、そんなことは実現しない。実現しないとわかっているから、「とりあえず明るい気分を」と、みなさん自民党に投票したわけだ。
チームみらいが伸びましたのは「エーアイへの信頼」ってところもあると思う。「なんかよくわからないけどエーアイというものはすごいぞ! 政治も経済もこれに任せたほうがいいんじゃないか?」となんとなくうっすら思う人たちがたくさんいて、チームみらいってのはそういうふうなことを進めてくれるイメージがあるし、まじめに考えれば人間が間違えそうになった時のブレーキとしても機能しそうだよね、って感じで支持が高まっているのではなかろうか。
みなさま人間よりも「流れ」や「空気」や「機械」のほうを信頼している、って話なのかもしれない。象徴人間制。エアーとエーアイの国。エーアイの人間宣言。ってのはちょっと話が違うか。
2026.2.17(火) 凡庸な日本人の集団的知性は最強
中根千枝先生の理論についてはコロナ禍下にいったん
まとめた。ぜひお読みください。すごいので。62年前すでに「バー」の場としての特性についても語ってられます。
当該日記でも引用しているが、『タテ社会の力学』(講談社新書三部作の三作目)には日本社会について「一定の動的法則の働く単一体として、きわめて性能がよい」と記されている。僕の根本的な日本観はずばりこれで、昨日の記事の「お花畑」的意見もここから出ている。
どこまでが頭の部分で、どこからが尻尾なのかわからない軟体動物的な構造ということができる。このことは同時に、全体としての感度・性能は、きわめて高い単一体を構成していることにもなるのである。
(中根千枝『タテ社会の力学』1978)
日本の人やその構成する小集団はすぐ他者の顔色を気にしたり、身近な他者と比べたがる。それによって国家すべてを包括する巨大な「じゅずつなぎ」の「連続体」が成立している。
この「小集団の連続体」を僕は
この記事で「班」に例えている。これも結構わかりやすいと思うのでよかったら。
ある人が、今回の衆院選の結果を受けて「いやー、日本人ってのは結構冷静だなと思いましたよ」と感想を漏らしていた。その通りだと思う。昨日の記事もそれを僕は言いたかったのである。「じゅずつなぎの連続体」の中でみんなは冷静に隣同士の顔色を窺いあい、それが全国津々浦々隈なく徹底している。そうして生まれる大きなうねりに、多くの人は身を委ねる。何も考えずに。そう、個々の人々はほとんど何も考えてなどいない。しかし軟体動物的な連続体、あるいは単一体としての「日本国民」は、むしろ信じられないくらい深慮をめぐらせるのだ。集団的知性って言うんでしょうか? そういうの本当に得意というか、それだけが取り柄の国だと言ってもいいような気がする、こと政治的決定に関していえば。
僕は楽観的すぎるのかもしれないが、しかしどうしても「そういうもんだろう」としか思えない。1億の国を運営するための意思決定システムとして「凡庸な日本人の集団的知性」以上に優秀なものを思いつかないし、思いついたとてこの仕組みが変わることはない。高市政権を選択したことはたぶん賢いのだ。個人的な好き嫌いは置いといて、今はこれしかないってことなんだと思う。
2026.2.18(水) 「思想が強い」考
ほぼイメージのみで書くことをお断りしておきます。胡乱で乱暴な暴論です。「思想が強い」とは何なのか?
たぶん「黙っている」ことは「思想が弱い」あるいは「思想がない」ことの表象であり、その態度は「保守」である。黙っているということは変える意思や希望を見せないということで、自ずと現状を肯定する。ごく広義に捉えると(乱暴点①!)投票行動でいえば投票することそれ自体が意思の表明であり革新的行動なのである。ゆえに投票しないことだけが保守と言える。投票しない、というとアナーキズムの匂いがしてウルトラ革新っぽいはずなのだが、「黙っている」という観点からは保守なのだ。
「天皇は日本国の象徴であり国事行為のみを行う!」と大声で主張する人はたぶんいない。街宣車でこんなことを叫び散らす右翼は想像できない。天皇がそういう存在であることは現在当たり前なのだからあえて強く唱える必要はない。「これでいい」と思っている人は基本的に黙っている。むろん「天皇は統帥権を握るべし!」と言う人への返答として「いや天皇は象徴であって国事行為のみを行うべきでしょ」と言うことはある。黙っている人が喋り出すのは、現状を変えられてしまう恐怖や不都合を感じた時だ。
ゆえに、「黙っている人(浮動票!)を喋り出させる」ために「思想の強い人」は恐怖や不都合を出汁にして煽る。「このままだと戦争になりますよ!」「若者が戦死していいんですか!」と。あるいは「このまま外国人が増え続けるとこんなディストピアが来ますよ!」とか。
いわゆる右翼でも左翼でも「現状否定」という点で同じく革新であって、いわゆるノンポリだけが保守と言えるのではないか、というか、そのように捉えてみることもできるよなというのが今回のお話です。(乱暴点②!)
「今のままではいけないと思います。だからこそ、日本は今のままではいけないと思っています」とは有名な小泉進次郎構文。この発言については指南役さんという人が
小泉進次郎のフェイクニュースを検証するという記事で良質な考察をしている。うん、進次郎はそんなにワルクナイヨ〜。
「日本は今のままではいけない」というのが革新の核心と確信している。「日本は今のままでいい」という考えだけが保守である。そりゃそうだって話なんだが。「今のままでいい」と思っている人は基本的に黙っている。
で、「今のままではいけない」と思っている人たちは、すごくよく喋る。SNSなどで訴えかける。デモに行ったりイベントも開催する。「もっと政治に興味を持とう!」「みんなの声で変えていかなきゃ!」と叫ぶ。
まったく誤解してほしくないのだが僕はそういった態度を冷笑するものではないのだ。「声を上げる」ことには意味がある。もうちょっと実効性の高いことをしたらいいのに、と思うことはあるが、それは個別具体的な事例のパフォーマンスについて思うだけで主張や態度への冷ややかな侮蔑ではない。「せっかくいいこと言ってるんだからもっとうまくやってくれよ〜」というもどかしさではあるかもしれない。
僕が最も危惧するのは「もっと政治に興味を持とう!」と考える人たちが「政治にしか興味を持てなくなってしまう」こと。頭の中が「セージ」という範囲に閉じてしまうこと。「今のままではいけない→政治!」みたいな単調な思考は詐欺師たちの恰好の餌である。陰謀論めいたことを言えば(乱暴点③!)「世の中の支配層」的な人たちにとっては人々ができるだけ単純に考えて動いてくれたほうが都合が良い。
僕はもちろん今のままではいけないと思います。だからこそ「日本は今のままではいけないと思っている」とはあえて口にしない。できる限り物事を単純化しないためであって、このホームページもある種のブレーキになることを期待している。そのためにあえて、本当にあえて、誰も言わないようなこと、考えないようなことを極力記すよう努力している。
たとえば進次郎構文についても、ただ笑ってバカにして受け流すのでなく、先の指南役さんのように立ち止まり、自分の目と耳と頭で捉え直して、「進次郎構文の99%は創作、あるいはキリトリ」と断ずるほうがずっと上等だ。「進次郎みたいなバカに任せられるか!」と考える人たちがもしその根拠を「進次郎構文」などに求めるのならばだいぶ単純と言わざるをえない。進次郎をめぐる状況はおそらくけっこう複雑だし、現在の進次郎のパブリックイメージはもちろん自民党や進次郎本人による優れた戦略の成果だと思う。そういったことをすべてひっくるめて批判するなら批判しなくては。
「今のままではいけない」と思う「黙っていない人」は、「黙っていられない人」になっていく。「黙らない」「声を出す」ことが目的にすり替わっていく。そうすると発言の質は間違いなく下がる。いつの間にか「高市は自らの承認欲求を満たすためだけに解散総選挙を断行した!」などと叫ぶようになるわけだが、それはさすがに単純すぎやしませんか。支配層の思うつぼですよ!
声を出すことは大事だが、声を出していればなんでもいいわけではない。「思想が強い人」の陥りがちな病だと思う。いつの間にか店に張り紙が増えていく……。
2026.2.19(木) うわさのズッコケ株式会社
株式会社をつくったよ。本日登記してきた。2月19日。古巣たる「株式会社あひる社」の設立日が8月19日なので、ちょうど半年の日を選んだ。リスペクト。
設立にあたって事務的な処理のすべては社長である中立氏がやってくれた。本当にありがとうございました。僕はアクトレイザーやりながら「イインジャナイッスカァ〜〜」とか言ってるだけです。これにて会社役員ですわたしは。「JR東日本活」のためにビューカードゴールド(年会費11000円!)に申し込んだのだが、本業は「自営業」、副業として「会社役員」にチェックを入れさせていただいた。フ……。
いったい何のためのどんな会社なのかというと、まぁすべては中立さんが悪いです。「ジャッキーさんを売るために会社作るんで仕事辞めます!」と言って本当にやめて本当に会社を作ってしまった。僕を売るための会社を……。僕ほど絶対に売れない人間は他にいないのに。マ「売れない」と思ってるから売れないわけなんで、売れようと思ったら多少は売れるのかもしれませんよね。僕は売れようと思うのが苦手なので「売ります」と言ってくれる人がいるのは非常にありがたい。そうでなければ僕は何もしないまま死んでいくだけだから。
聖書こと『ドラえもん』てんとう虫コミックス第1巻「未来の国からはるばると」によると野比のび太は「しゅうしょくできなくて自分で会社をはじめる」のであった。はからずもそういうことになりましたね。僕の人生はドラえもんのお導きによって進んでいる。おお ドラよ! ふるい いいつたえの ゆうしゃに ひかりあれ!
「しゅうしょくできなくて自分で会社をはじめる」はマジでシャレにならない話で、社長は僕に本を書かせて出版するつもりなのである。誰も出してくれないから自分で出すっていう形になる。それはすでにやってる同人活動を商業ラインに載せるって話でもあるんだが動くお金が全然違うんでね……。大損して爆発する可能性は全然あります。もちろん僕の本だけで会社が成立するわけないんで社長は前職(編集者)の流れで専門書をどんどん作っていくし次第にジャンルも広げていくと思うので、大いに売りまくっていただきたい。他人事のように言っているが僕もがんばります、ただ右も左も分からないだけで。
野比のび太先生の名言に「(将来の夢を聞かれて)ぼくは、だんぜんがき大将になる!!」「子どものうちになれないから、おとなになってからなるんだ。」というのがある。あまりに不憫であるが、発想の型としてはじつに共感できる。セワシ理論(東京から大阪に行くとき、どんな乗り物で向かっても結局は大阪に着くという、第1話に登場するたとえ話)もそうだが、『ドラえもん』という作品は「オルタナティブ」を語る名作でもある。就職できなければ起業するし、ジャイ子が嫌ならしずちゃんにする。乗り物(過程や手段)は換えがきく。クールっちゅうかサイコパスっちゅうか、F先生のそういうところが詰まっておりますよな。SF短編にもそういうのが多いです、人生やり直しものや若返り、生まれ変わり、あるいは『パラレル同窓会』などなど、「代替(オルタナティブ)」を描いた作品がとても多い。
新潟に着いちゃったんで終わります。いま2/25カラオケスナック椿ことスナックNo.2ランチの開店待ち。さむい。不許可! ともあれ会社はできました。破産しないようにがんばりますし、このタイミングで久々に取材依頼が来た。今回は誰でもタダで読めるやつ。ちゃんと載れば初めての「開かれたメディア」への進出となります。夜学バーももうすぐ10周年だし今年はほんとなんとかやります。みなさま応援ご支援よろしくお願い申し上げます。
2026.2.20(金) ひらけばつぼみ/とじればおはな
「信じたいために疑い続ける」とか「変わらないために変わり続ける」といった逆説的な箴言が好きだが、「開くために閉じる」というのもあるかもしれない。最近夜学バーを手伝ってくれているギン・ザ・ベスト氏(勝手にフルネームを考案、実はすでにginthebest.htmlという形で使用している。フ…)がなんかそのようなことを言っていた。彼の今年の目標は「売れる」だそうで、マァ僕もそうだ。会社まで作って、売れなきゃしょうがない。
開くためにはいったん閉じる必要がある。なるほどなあ。倉本圭造っていう変な人が、
このような図をよく用いている。曰く、ある問題・課題についてまだ世間に周知していない「滑走路段階」では「敵側を全否定する論理」が必要だが、よく周知された「飛行段階」においては「敵側を包括する論理」が必要であると。この人の『「みんなで豊かになる社会」はどうしたら実現するのか?』という本はとても良かった。Kindle Unlimitedにあるよ。
「時期によってやり口を変える」。当たり前のことだが、これがなかなかできない。逆に言えばここを押さえている人はうまくやっている。参政党なんかズバリそうなんじゃないかな。あれだけ大きくなってくればもう過激なことを言う必要はない。
いつか大きく開くためには、グッと閉じる時期だって必要なのかもしれない。
町おこしについて考える。都市部における町おこしは通例「街づくり」という言葉で表され、多くの場合その土地の飲食店が牽引している。僕の友人でいえば新潟市西区内野町の「ウチノ食堂」や名古屋市南区呼続の「街と珈琲」は長い年月をかけてそれを成し遂げつつありまことに素晴らしい。我が実家のある「大曽根」地域では今「喫茶はじまり」と「KAZU COFFEE」の二店がその中心を担っていて実に頼もしい。やっぱ名古屋だと喫茶店なんだな〜。
こういう「街づくり」にも二段階あるように思うのだ、「内向きに閉じている段階」と「外向きに開いていく段階」。初めは地元のいわゆる「常連さん」だけをターゲットにして、まずは土地に溶け込み店の存在や活動を「良いもの」として周知させることが必要で、そうでないと「開いていく」段階に進めない。地元の人々の協力や同意を得て、一丸となって邁進しなければ「街づくり」とは言えないのである。
「この街にはこういう素敵なお店があって、こういう素晴らしい活動をしていて、自分たちはそれを応援し支援し協力する地元の人間であり、そう思えることがとても嬉しい」という段階に至って初めて「閉じる」ことをやめられる。それまでは正直、排他的になっても仕方ないのである。
はっきり言って、このような街づくり系の店は「余所者」を好まない。実感としてわかる。旅行者である僕は常に「余所者」であるわけだが、街づくり系の店にはどこかこちらを「ノイズ」として扱っているきらいがある。被害妄想かもしれない。でもかなり多くの「そういう店」に出入りしてきた経験からして、割と間違っていない気はする。むしろそういう地元の結束から離れた「孤高系」のお店のほうが余所者には優しいような気がするんだわね。
理屈は単純で、「余所者を大切にする」ということは「地元の常連さんを大切にする」ということと相性が悪い。「なんかあの店は地元の人を大切にしないよね」というイメージが少しでもつけば、「良いもの」として周知、定着することができない。「とにかく地元想いだよねあの店は」にならなくてはいけない。「余所者の相手ばっかしてさ」と思う人が一人でも出てきたらまずい。少なくとも初期の段階においては、そういう拗ね方をするような人でさえ「大切に」扱わなければならない。むしろそういう人たちに嫌われれば、どんな噂を流されるかわかったもんじゃないのだ。
もしもその「街づくり」が成功し、その存在と活動が地元に完璧に定着してしまえば、そこがむしろ「外部から人を呼び込む観光拠点」にすらなって、大いに「開いて」いくわけだ。そこまで達すると「この店は我が地元の誇りで、遠い地方からもわざわざ人が来るんだよ」といった自慢さえ囁かれるようになる。まずは地盤を固めないとしょうがないのだ。
ウッ、そろそろ古町演芸場に向かわなくては。葵翔太郎が待っている。えーとですな、街づくり系の店は初期の段階においては求心的に閉じていくことが必須であって、その副作用として外部を遮断、排除する瞬間も必要になってくる。しかしその段階を過ぎれば、むしろソトに対して開いていくことがウチ(地元)の人たちにとって誇りとなり活力の源泉となる。そういう仮説を考えると、ちょっとくらい冷たくされても我慢できるな〜みたいな話。さみしいけどね。
夜学バーってのはその段階を取り払って最初から外に開いていこうとしている稀有な店で、それがなんで可能かっていうと単純に「街づくり系」ではなく「孤高系」だから。この辺のことはいつかもうちょっと深めたい。いつかね……。
2026.2.21(土) スピードフリークスbabyロケットナウ
ロケットナウ(韓国資本の出前館みたいなやつ)の営業が来て「30000円とタブレットあげるので契約して〜」と言うので「30000円とタブレットもらえるなら〜」と軽く承諾した。何を出前するねん!という話ではあるが僕は食玩のようなシステムを考えていたのだ。たとえば500円でラムネ菓子かなんかを出品して、売れたらそれに小冊子つけて配達の人に持ってってもらう。事実上半径5km以内なら「送料無料で夜学バーの冊子が買える、お菓子付き」という話になるわけだ。それを1ヶ月くらいだけやって解約すると、手元に30000円とタブレットが残る。タブレットは貸与ではなく譲渡でいいと言質はとった。小冊子やチラシそのものが商品になるのはNGだが、オマケとしてつけるくらいなら大丈夫とも言われた。このやりとりはちゃんと録音した(現代的〜)。
しかし僕も世間知らずであった。ロケットナウは想像以上にテキトーだった。PayPay初期の怒涛のバラマキ営業を思い出してほしい。最近はどうもああいうやり口が主流になっているようだ。最初にドカンと資本注ぎ込んでなりふり構わず店舗とユーザを拡大させ、シェアが安定したところで手数料を高くしていく。この「なりふり構わず」というのは「スピード重視で一件一件は雑にやる」という意味だったらしい。
詳しく書くと時間かかるので省きたいが、とにかく彼らの言ってくることはすべてデタラメだ。とにかく契約が取れたらよくて、あとから「話が違う」と言われたら破棄すればいい。丁寧に100件契約して90件残るよりも、雑に1000件契約して500件残したほうがいいというわけ。従来の日本のやり方は前者だったと思うのだが、それだと外資のスピードに勝てないので変わってきたのだろう。
もし僕が「話が違う、とにかく30000円とタブレットよこせ」とゴネれば「わかりました、30000円とタブレットあげます」で損切りする。その数万円は織り込み済みの必要経費なのである。それがわかった瞬間にすべてのやる気が消え失せた。もちろんただ「よこせ」と言うだけでもらえるものではない。ある程度までは向こうも「こういう理由で渡せません」をやるだろう。ただこちらがゴネるだけゴネて、おかしいおかしいと言い続けたらどこかの時点で「じゃああげます」になるんじゃないかな。根拠ないけどそういう気がする。アホらしい。
トカトントン。ああ、もう、どうでもいい。こんなことにコスト割くべきじゃない。たった30000円ぽっち、とは思わない。30000円は大きい。だけど嫌な予感がする。関わらないほうがいい。もうタブレット届いちゃった。あれこれ試したが仕込まれた機能ロックは解除できない(ロケットナウの受注以外の用途には絶対に使用できない設定になっていて、たぶん初期化しても無駄)。これでお店の会計も兼ねられるなら最高と思ったが逆に無用の長物だ。さよなら30000円。さよならタブレット。営業の人に「契約やめます、要りません」と送ったのが金曜日だったのだが、これ書いてる今現在の26日になっても返信はない。しかし別の窓口からは「早く商品と金額を登録してください!」と急かされている。スピードフリークスどもが。営業は一つでも多くの契約を迅速に取りたいからキャンセル要求なんかにかまっている暇はないのだろう。そしてもう一つの窓口は早く多く「登録」作業を済ませてもらわないとしょうがないから、こちらの事情も考えずひたすら急かしてくる。なんやねん。君のイビツなロケット! 待ってるだけの昨日にアディオスしたいよ〜〜〜。
2026.2.22(日) 爆笑問題史
なんとなく「爆笑問題史」(主として太田光史)を私見で作ってみる。興味ない人は徹底的に興味ないでしょうが、マァ自分用です。
【第1期】1988~93 事実上の下積み
結成→事務所から独立し干される→タイタン設立(※しゅうしょくできなくて自分で会社をはじめる)
【第2期】1993~2006 着実に売れていく
NHK新人演芸大賞受(93)、GAHAHAキング初代チャンピオン(94)、ボキャブラ天国(94.8~)
『日本原論』発売(97.2)
『爆笑問題カーボーイ』(97.4~)※「太田はこう思う」2003.10~2005.10
『号外!爆笑大問題』の枠(98.4~2006.3)
「爆チュー問題」地上波(99.4~2006.3)
「いいとも」レギュラー(2000.4~2014.3)
『サンデージャポン』(2001.10~)
『バク天!』(2003.10~2006.3)
【第3期】2006~2010 イメージと権威の確定
※「太田のこれを読め」2006.2~2010.10(たぶん)
『太田総理』レギュラー放送(2006.4~2010.8)、特番は2005.10と2006.1
『東大の教養』『ニッポンの教養』(『爆問学問』)(2006.5.26/2007.4~2012.2)
『憲法九条を世界遺産に』(2006.8)、『爆笑問題の戦争論』(2006.8)、『爆笑問題の清き一票を田中に!』(2007.5)など政治っぽいタイトルの著書が増えたのち、爆笑問題名義の出版が減っていく。2009年以降は現在まで6冊(日本史言論4冊、日本言論2冊、うち共著1冊)のみ
長尺漫才『爆笑問題のツーショット』(2006~)
『検索ちゃん』(2005.10~2009.9、『ネタ祭り』2006~)
「万年筆が似合う著名人」(2006)
「芸術選奨文部科学大臣賞放送部門」(2006)
『日曜サンデー』(2008.4~)
【第4期】2010~2019 漫才レジェンド枠として安定しつつ、活動を模索
正月や改編期などのほとんどの漫才番組でトリやトリ前を務めるようになる。2015年前後に「ネタ特番」が増えたりリニューアルしたことも一因。ヒットパレード、東西寄席、名人寄席、ENGEIグランドスラム、THE MANZAIマスターズなどなど。
2014年にいいともが終わり、2016年に「爆チュー問題」のCSレギュラー終了。また大御所化するに従って「単純なMC」を担う番組が減り、サンジャポとラジオと漫才とゲスト出演に収斂していく。爆笑問題名義の著書もだんだんなくなり、単独の活動が増えていく。太田さんについては小説も映画もコントライブも(僕は好きだが)うまくいったとは言い難く、個人的には模索期だと思っている。
『太田総理』特番(2010、2013)
『爆報! THE フライデー』(2011.10~2021.3)
『2355/0655』(2011.4~/6~)
『探検バクモン』(2012.5~2019.3)
『太田上田』(2015~)で名古屋に阿る
小説『マボロシの鳥』(2010)
小説『文明の子』(2012)
久々に太田光名義の(小説以外の)単著『違和感』(2018)、映画撮る(2018)
30周年コントライブ『O2-T1』(2018)
【第5期】 2019~ 知識人としての安定、天下取る
時評『芸人人語』連載開始(2019.4~)
NHKで英語番組やる(2020.4~)
第57回ギャラクシー賞・DJパーソナリティ賞(2020.6)
TBSで選挙の顔になる(2021~)
『デララバ』(2023.10~)で名古屋に阿る
小説『笑って人類!』(2023)
明石家さんまと太田光「古希還暦」結成(2025)
余談:シンパイ賞(2019-21)で霜降りと、刺さルール(2021-23)で神田伯山と番組をやってみたがいずれも2年で終わり(2年続いたのもすごいが)、若手と組んでなんかやるってのは合わないのかもしれない。結局は漫才とサンジャポ・選挙の日路線が最も世間にウケているのである。爆笑問題は結局のところ「上を見上げる」ことと「上を見下す」のが面白いのであって、「下を見る」ということは合わない。だから太田さんはいつまでも権威化できず、なめられたり叩かれてばっかりなのだろう。広く「尊敬できる人」というイメージがつかないから本も売れない。かわいそう。だけどそれこそが安倍晋三にも似た彼の強みなのだと僕は思う。
これだけで疲れたので、明日にまわします。
2026.2.23(月) 爆笑問題とその本質
BBSのMakotoさんの書き込みを読んで爆笑問題について考えていたら年表だけで2時間くらい使ってしまったので記事を変えます。皆様のカキコ(死語)が僕を刺激し、文章を書かせることはいくらでもありますので、遠慮せずカキコしてください。カキコを!
爆笑問題は1988年にデビューしているが一時期干され(僕の年表だとここまでが第1期)、1994〜95年ごろに再ブレイクを果たした。僕がファンになるキッカケとなった札幌テレビ制作の枠は1998年4月から2006年3月まで、『爆チュー問題』が地上波放送していたのは1999年4月から2006年3月で、それらと入れ替わるように2006年4月から2010年8月まで『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中』が放送される。ちなみに『憲法九条を世界遺産に!』という中沢新一との共著は2006年8月。
年表では2006年から2010年が「第3期」として区切られている。テレビで『太田総理』を、ラジオでは「太田のこれを読め」をやっていた時期とまるまる重なる。この頃の爆笑問題(というか太田さん)はとにかく「伝えたい」という気持ちで前のめりになっていたような記憶がある。
2005年の郵政選挙と2009年の政権交代選挙は記録的な投票率で、世は「選挙ブーム」だったと言っていい。『たけしのTVタックル』や『たかじんのそこまで言って委員会』の好評に続けと大抜擢されたのが太田光さんだった、ということなのだろう。
ちなみに2006年から2010年の首相は小泉→安倍→福田→麻生→鳩山→菅。小泉と安倍に挟まれておおむね1年で交代、「トップなんか誰でもいい」となんとなく思われていた時期でもあるし、「もっといいやつを選べ!」と人々が熱くなっていたとも言える。選挙ブームなので。3.11のあと野田政権を経て2012年末から2020年秋まで安倍政権が続く。
こう見ると『太田総理』が4年4ヶ月も続いたのはすごい。そのウラで本当の首相はたった1年で交代していたのだ。太田光は安倍、小泉に次ぐ長期政権のレコーダーだったのであ~る。
『太田総理』が終わったのは単純に、民主党政権になって「自民党をイジる番組」として機能しなくなったからだとも思われる。鳩山由紀夫が総理になって1年後、震災を待たずに番組は終わる。大きく言えば『太田総理』は「政権交代を準備した」のかもしれない。役割は果たしたのだ。右寄りの『たかじんのそこまで言って委員会』でさえ「やらせてみればいい」とか煽ってたし、メディアは全体的にそっちのほうに誘導していた。ちなみにたかじんは2014年初頭に死去、求心力を失い、その跡にはただ安倍さんと維新の天下だけが残った。彼も立派に役割を果たしたのだ……。
太田総理のWikipediaにはこうある、「初期の頃は視聴率が月平均9.3%と苦戦を強いられていたが、2008年からは12 - 13%前後に安定し、2009年1月23日の放送で19.0%と番組最高視聴率を記録した。しかし、2009年には視聴率が10%を切ることが多くなった。その後も低迷が続き、2010年8月27日をもってレギュラー放送を終了」(このあと第4期)。
選挙ブームはここでいったん終わったと僕は見る。2012年末の総選挙(安倍政権誕生)では前回から10%も投票率が下がっている。そして自民党一強の時代へ……。で、また最近選挙はブームだという感じがある。その一翼を担っているのがまた太田光さん(第5期)だって僕は思うのだが、けっこう偉大なんじゃないですか?
爆笑問題史を振り返るとき、最も重要なのは2006年の春である。長く続いた番組がいくつも同時に終わり、『太田総理』と『ニッポンの教養』が始まるのだ。「政治と教養」というイメージが定着し「万年筆が似合う著名人」とまで言われる。このとき太田光サンは41歳、うおおおお!
完全に私見ながら、ここから12年間ほど爆笑問題は良くも悪くも迷走する。いろんなことをやりすぎる。さまざまな経験を積み、キャリアを固め、安定してきたのが2019年頃からだと思う。あまりにも個人的な見解だが30周年(2018)の『O2-T1』というコントライブによってそれまでの爆笑問題は成仏し、新しいステージに突入した。完全に天下を取り、大御所となった。
これとか
これとかで語った通りである。
出かけるので急にまとめる。爆笑問題の本質とは「政治と教養」ではない。2006年から時代の要請で強調されたにすぎない。考えること、書くこと、読むこと、みること、語ること、掛け合うこと、演じること、練習すること、そういったことたちの「反復」にある。
その根底と源泉は「憧れ」で、「上を見る」ということ。政治に目を向けるのも、そこに「政治(家)」という「上」があるからだ。教養も然り。それらに対して自分なりの感覚と言葉で立ち向かっていくのが太田光であり爆笑問題であった。
その長く膨大なキャリアの中で、いま残っているのが「サンデージャポン」(2001~)とラジオ『カーボーイ』(97~)、『日曜サンデー』(2008~)というのは実に面白い。結局ここに本質の中の本質はある。そのへんの話はまたいつか……。
2026.2.24(火) 新潟行(0) 寝不足と歓喜天
ここんとこ異様に寝不足でこの日も一睡もできず、16時からの打ち合わせには這うように行ったのだが「体力の限界!」ということで18時からのみつきち同伴(店番を未成年だけにしないように成人が付き添う制度)をいったん中立さん(社長)にお願いして我が定宿「カプセルランド湯島」へ。朝6時から23時まで2000円でカプセル使えて、入退場可。凄すぎる。運良く空きがあった。朝方だとけっこう埋まってるのですよね。
お風呂に入って髪乾かして仮眠。1時間くらいしか寝られなかったがメロスが水飲んだくらいには回復。22時までに帰れば良かったのだが21時ごろ「店主呼び出しボタン」(夜学バーホームページに実装)が押される。のそのそと這い出て、ちょっとごはん食べてお店に。
呼び出した(とおぼしき)方から「歓喜天」像をいただく。中学の頃からずっと気にしていた神様である。ちょっと前にTxitterで「ほしい」的なことをつぶやいたら「お祀りが難しいらしいので考え直したほうがよろしいかと」(大意)という諫言をいただき、怖かったのでシュンとしていたのだがいただいてしまったのだから仕方ない。丁寧にお祀りさせていただきます。
歓喜天は植芝理一先生の『ディスコミュニケーション』にも登場し、かなり重要な役割を果たす。それで僕はずっと憧れていたわけだ。ありがとうございますありがとう。前に図書館で借りて読んだことのある『歓喜天信仰と俗信』を注文。ちゃんと勉強しないと。
深夜3時くらいまで営業して、2時間くらい寝て8時半くらいの電車に乗る。
今回は「ダイナミックレールパック」で、東京都区内(新幹線は上野乗車)→新潟、26日にコートホテル宿泊(朝食バイキング付き!)、長岡→東京都区内(新幹線は上野下車)で16600円。安いじゃろう。コートホテルは朝食豪華で昼ごはんいらなくなるくらいなのでめっちゃおトクなプラン。JREポイントの還元率は低めだがすでに次期プレミアム確定していますのでね……。
本来は上野→新潟10550円、長岡→上野8900円。ここで上野駅じゃなくて東京駅にすると210円ずつ高くなるので注意。コートホテルが通常4000円前後、朝食が1100円なのでずいぶんとバグった価格だ。
ただし2泊の旅程で宿は1泊ぶんのみ。25日はかなみ家やぺがさす荘に泊めてもらうか、朝まで飲んでまねきねこにでも行くかという選択肢もあったのだが、あまりに寝不足すぎて急遽宿をとることにした。死んだように寝るだけだからカプセル。Yahoo!トラベルで2700円だった。
これで万全。あとは旅を満喫するだけである。クイズ! 今回はなんのために新潟に行ったのか? 答えは次の記事で……。
2026.2.25(水) 新潟行(1) 1週間に10日来い
11時過ぎに新潟駅到着。「スナックNo.2」のランチ待ちのあいだに新幹線の中で書きかけていた日記を進めて更新。お昼食べて、内野へ。15時すぎくらいまで「喫茶みずのみば」でかなみさんと店づくりについてなど話し合う。DIY部隊の若者も二人いて、いい人達だった。一人は『夜学バーのつくりかた。』を読んでくれていた。
16時、駅前の「bnb+ Niigata BOOK INN」へチェックイン。前にも泊まったが穴場だと思う。本が置いてあるからといって読むわけでもないのだが、ある種の「結界」になっているような気はする。安いわりにヘンな人は多くない、と思う。アンゴ荘なきいま気楽なのはここかな。Wi-Fiと電源ついた作業机もあるし11時チェックアウトだし最高。
もう一日ぶん日記書いて、シェア自転車で古町演芸場へ。そう、今回の旅の目的はこれでありました。2月はまるっと好きな劇団が新潟にいるのだ(大衆演劇=旅芸人とはそういうものなのです)。
かなみさんと落ち合って中へ。
劇団舞姫、本日の演目は『任侠東海道』という、森の石松のカタキをとりにいく清水次郎長のお話。総座長の葵翔太郎に逆流性食道炎の疑いあり、ということでおそらく配役の変更があったと思われる。本当は主役級(次郎長または上州の大前田英五郎)を演じる予定だったんじゃないかと思うが、ちょっとしか出てこない黒駒勝蔵(甲州)だった。舞踊ショーでも大人しめの振り付けしかなく、仕方ないことだが残念。かなみさんに翔太郎のイイところ、もっと見てほしかったヨ……。送り出し(お見送り=接触、なんと無銭で写真が撮れる恐ろしい世界……)もなかった。
さすが千秋楽前日の夜公演とあって、平日ではあるが20名ほどのお客があった。普段はもっとさみしい客入りのはずだ。せめてもうちょっと増えていただかないと困るのだが、あんまりバズりすぎてもこの「保存された昭和」がきっと破壊されてしまう。いい感じにじわじわと、静かにファンが増えていってほしい。微力ながらアピールしている。何がどう昭和い(形容詞)のかは後々またまとめると思う。
大衆演劇は3時間あるので17時半開演で20時半になる。「くいしん坊」という営業時間と価格設定の狂った店で豪遊。その後、4月で閉店するという「四ツ目長屋」へ。また新潟から文化の灯火が消えるか。残念。
「1173」行ってから「くいしん坊」再訪。遅番(中番?)のぺが氏(ぺがさす荘主人)とあれこれ話す。店員と平気で雑談できて実にいい居酒屋だ。そんなもんで帰って寝たんだったかな。ようやくまとまった睡眠を取れた。
2026.2.26(木) 新潟行(2) 知らないお店何軒か
11時チェックアウト、万代で「みかづき」食べてから歩いて古町演芸場へ。劇団舞姫今月の千秋楽公演。2月は短いとはいえ1日から26日まで毎日昼夜公演(最終日など一日一本の日もある)、合計約50公演を、たぶんすべて別の演目でこなす。なんと全通した人もいるらしい。そういう人がいなくては成り立たない業界、まことにありがたい。僕はそんなに行けないしお金もオトせないので。
意味わからないでしょうが、マァ今度書くつもりなのですが大衆演劇というものは、1時間以上ある異なったお芝居を1ヶ月に50本以上ほぼ同じメンバーで上演し続けるというとち狂った世界なのであります。ちなみに僕が好きな(半ばインプリンティングされた)この劇団は4月には東京都北区十条の「篠原演芸場」で1日から28日まで毎日やります。1日の昼公演は『曽根崎心中』なので行くと思います(一度見て、素晴らしかった)。そのあとは夜学バー9周年当日だからたぶん僕が出ます。
この日のお芝居は『泣き虫兄弟鴉』。何それ?って感じでしょう、僕にもよくわかりません。調べても大衆演劇のことしか出てこない。そう、大衆演劇には大衆演劇にしかない演目というのが無数にあって、詳しいことがほとんどわからなかったりするのであります。沼っぽいでしょ? 大変ですよこんな世界に深入りしたら。
さすが千秋楽ということでちゃんと総座長の葵翔太郎サンが主演で、非常にカッコよかった。しびれる。あこがれる。心の底からジーンとなるわウキー! 僕はともかく昔から演技や歌や踊りのような芸事が好きで、Folderもアステアもちぇり→ボンボンもはちきんガールズも全部おなじように愛してきたのでございますが、そこに葵翔太郎(23)が加わったという感じですね。
千秋楽はすべてが「自由」という感じで、芝居の途中でアドリブ大喜利コントみたいなのが20分くらい差し挟まれたり、アンコールが起きたりなど。着物に差し挟まれる現ナマはさすがに東京ほどではなかったが昨日よりは多かった。お客は30名くらい。最後の最後は翔太郎サン大事をとらずにポンポン飛び跳ねておられて良かったです。送り出しはなし。名古屋でも2公演ともなかったし、結局翔太郎に送り出されたのは10月の2回だけだな。ハ……。
終わると15時、ちょうど宿にチェックインできる時間である。よく出来ている。おなかがすいていたので歩いていて見つけた「居酒屋860」という最近できたばかりの店に行ってみた。外観にかなりサブカルい(形容詞)演出が施され、漫画や映画、音楽などを好きな人だと一目でわかる。「定食の店」とでっかく掲げられているが営業時間は14時から21時までらしい。どういうビジネスモデルなんだろう?
「2月はお客が少ないから定食やってないんですよ、冷凍したごはんで良ければ出せますのでおかずを選んでください」とのこと。1月オープンとのことだが、ちょっと待ってケレ、「定食の店」とのぼりを出したまま、たった1ヶ月でへこたれてメニューを縮小したのか? 店なんてもんは人が来なくて当たり前で、最初のうちは泣きながら米を炊き続けるしかないと思うのだが、だいぶ不安になった。とりあえずサバ塩焼きの定食とチャンジャを頼んだ。チャンジャゆうべ「くいしん坊」で食べて美味しかったし、定食だけじゃ申し訳ないというチップの気持ちであった。お酒は我慢した。
解凍されたごはんは、ほぐされることもなく半球形で提供された。量もおかずに比して多すぎる。出されたものは全部食べる性分なので食べましたが、最後のほうはキツかった。チャンジャなかったら死んでた。漫画がたくさん置いてあって、「世代!」って感じで、『カメレオン』とか全巻あった。僕は『特攻の拓』最終巻だけ読んだ。店主は客席に座り、でっかいテレビに都市伝説系の声と文字だけのYouTube映して見てた。これはすごい。新潟に来たら必ず寄らなくては。『まんが道』と『少年時代』の中公から出た愛蔵版なんかもあって嬉しかったが、この版はまさに「世代!」なのですよね。わかる~。
はっきり言ってこのお店が長く続くとは思えず、普通に考えたら1~3年ほどで消える。しかし飲食店経営というのはそこまで単純でもない。なぜかお客があってなぜか続くパターンもある。そうなるとしたら何が何でそうなるのか、ということがキニナルので、ぜひとも定点観測していきたい。新潟に住んでる人、たまに寄ってみてください。14時からの定食800円はランチタイムを逃して行くところがなくなったときに重宝する。漫画喫茶みたいに利用しても大丈夫そうな感じだった。ミッシェルやブランキー、hideとかも好きっぽいしそっちに水を向けてみたら面白いのかもしれない。
腹ごなしに歩いてチェックイン。ちょっとサギョーして寝る。
起きてまたサギョー。やること多すぎる。キリのいいところで飲みに出る。「奏」(上大川前通のほうね)でワインと栄養を摂取。「ORANGE STREET BOOKS」行ったら若い女の人が二人飲んでて、どちらも関西の神学部卒(大学は別)ということで宗教の話などして非常に有意義な時間を過ごせた。やはり本のある場所には結界が張られていてそういう人たちが集まってくるものなのだ。名刺渡して営業。店主には『夜学バーつくりかた。』お渡しする。これは仕事なのだ。遊びではない! 領収証くざさい!
「拾番」で84歳のじいさんのラーメン食べて(ラーメン食べるのは珍しいが84歳のじいさんの店に行くのは珍しくない)、勢いで「ROSIER」というお店をたずねてみた。LUNA SEAの真矢がつい1週間ほど前に亡くなったので。
席に着くと「SLAVEさんですか?」と。そりゃそうだろう。「SLAVE(LUNA SEAの熱烈なファンないしファンクラブ会員)ではないですが」と、とりあえずその文化に理解と多少の知見があることを伝えた。結局このお店に4時くらいまでいてしまった! なぜかというと、その場にいたお姉さんがたに(より正確にはそのうちの一人に)ものすごく気に入られてしまったからである。モテたモテた。
別にその人たちもSLAVEというわけではなさそうで、一人V系が好きな人がいてその職場の人たちらしい。一晩中黒目を褒められた。「黒目がちな人が好き」「白目が大きい人は無理」「あなたはかわいい」「美容院に行きなさい」などなど。僕と3~4歳くらいしか変わらないようだったが、完全に上からカワイイカワイイしてもらえてありがたいものである。弟くらいの感じか。「#かわいいぼく」の発動は主として昼間なので新鮮でもあった。しかし1杯たりともごちそうしてもらえるわけではなく、かわいさ搾取のみされて開放された(めっちゃ楽しかったです!)。チャージ1200円で店主が「一杯イイスか?」するタイプだったわりに会計はお優しいものだった(4~5杯飲んだのに。サービスしてくれたのかも)のでLUNA SEA復習してまた来よう。
ところで、ファッション的にそして僕を気に入るからにはそうかな?と思っていたがやはり「オザケンに似てる~」みたいな話になって『強い気持ち・強い愛』と『痛快ウキウキ通り』歌わされた。これはけっこうあるあるだ。
しかし計算が狂った。また寝不足に逆戻り。コートホテルはチェックアウト10時だし朝食ついてるのでそれまでに起きねばならない。
2026.2.27(金) 長岡行 あげは蝶の店相学
ホテルの朝食(貧乏人には)豪華すぎて時間ないのに欲張ってギリギリまで食べたせいで胃もたれが発動。アホですな。ケチって長岡まで普通列車で行くので待ち時間長く、新潟駅の待合室で30~40分くらい文章書くなどする。改札内に机と電源あるのヤバすぎる。
1108→1222、長岡に着く。食べ過ぎておなか空かないので腹ごなしに歩く。眠すぎる。コワーキングスペース借りて3時間くらい仮眠しようかと思ったんだけど長岡に来た意味が一切なくなるので元気出るまで歩く歩く。街に異変がないかのパトロール。歩いてたら元気出てきて、けっきょく「禮」に顔を出す。禮ちゃんはもはや「長岡のお母さん」なので、会わないわけには行かないよね。46年の老舗スナックで昼も夜もやっている。毎回アポなしで訪れるが閉まっていたことが一度もない。何よりまずそこが尊敬できる。
基本的には禮ちゃんのペースでそのマシンガントークをひたすら聞くことになるのだが正直言って若者(要出典)の義務であろう。年寄りは一方的に喋る生き物だ。その時にとるべき道は二つあって、①なんとか対等な対話を試みる、②相手の話の中から自分を利する内容を見いだす、だと思う。僕はどっちも好きだし得意なので苦はない。
ギターを弾いて歌え、と言われたのでかぐや姫の『僕の胸でおやすみ』(山田パンダ作)を。撮影&インスタに投稿。恥ずかしい。寝不足のオフモードゆえあんまりビジュよくなかったけど仕方なかろう。歌は良い。いい声だよね(最近そう思える様になった)。
朝食べ過ぎてあんまりおなかがすかないと言ったらクロワッサンの自家製カスタードクリームサンドをおみやげに持たせてくれた。禮ちゃん……。
14時を過ぎていた。前回訪れた際に見つけた謎の店「あげは蝶」に勇気出して入ってみる。
「面構えが違う」というネットミームがある(『進撃の巨人』由来)が、本当に僕は「面構え」を見抜くのが得意である。特にお店の。人相学みたいなもんで店相学ってのがあるのだ。パッと見てわかる。人の思想や歴史は顔に出る。店の思想や歴史は入り口に出る。
扉の横に正方形のタイルのような看板がついている。50cm四方くらいか。そこに店名はなく、女性と思われる青い瞳と眉の非常にリアルなイラストが描かれていて、その周りをこれまた青い無数の写実的なアゲハチョウや花々が囲んでいる。「BAR」という文字はあるがお花に埋もれてパッと視認できない。この時点でもう常人のセンスではないことがわかる。理解や納得を拒絶しているし、「文字が読めない」とかいった一般的には大切とされるが美意識の前では実に細けーことは気にしていない。
しかし、ここではまだ大まかに2パターンが想定できる。僕好みの本物のキチガイか、勘違いしただけのつまんねーアーティスト気取り野郎か。
ヒントは扉にある。ホント笑っちゃうんだが、立て看板が二つぶら下がっているのだ。たぶん理解できないですよね。立て看板がぶら下がっているのです。扉に。おそらくもとは一つの立て看板だったのだろう。わかりますか、横から見ると三角形に見える、おおむね木製の、畳むと平たくなるやつね。トランプを二枚合わせてテーブルに立てるときの形。あれを分解して、扉の上下に一枚ずつぶら下げているのだ。狂ってる! これ、褒め言葉ね。
下の立て看板にはランチタイムの説明があって、平日11:30から13:30までたった600円、ドリンクつけても700円。いくら長岡でも安い。アルコールも飲めるらしい。そういったことがメニュー内容とともにやたら細かい字で書き連ねられている。情報量が多い。
上の立て看板は店名と営業時間、連絡先などが書いてある。携帯電話番号が二つ載っていて謎を誘う。「和洋折衷 あげは蝶」とでっかく飾り文字で書いた周りに、囲うように舞うようにかなり小さい字で「麦酒」「山崎12」「パスタ」「カレー」「ラーメン」「やきそば」「お好み焼」「シーシャ」「シーシャ」と書かれている。なぜかシーシャだけ2回書いている。
ヤバいのは営業時間である。先述のようにランチが11:30~13:30、「あげは蝶」14:00~18:00、「夜あげは18:00~2:00←れんらくくれたら、なんじまでもOK」。狂ってる! こ、褒。
ケータイ番号が二つ書いているってことは、たぶん一人ではなく複数人で回しているのだろうが、それにしても午前中から「なんじまでもOK」というのはなかなかすごい。気合い入ってる。ちなみにもちろん、ネット上にはなんの情報もこの時点では存在しておらず、いったいどういう人が経営しているどんなお店なのかはまったくわからない。心の底からワクワクしてくる。
「非常ドアを開けるたびに胸がなぜかドキドキする♪」というのは91年のアニメ『絶対無敵ライジンオー』オープニングテーマ『ドリーム・シフト』の歌詞であるが、幼き僕をオタク沼に落とした戦犯だけあって本当にずっとこれだ。非常ドアを開け続けるだけの人生になってしまった。
そして最も感動的なのは、その「和洋折衷 あげは蝶」とでっかく飾り文字で書かれた、その真上に、その折角の店名を覆い隠すように、「営業中 SUPER”DRY”」という木の札が吊り下げられていることだ。「和洋折衷 あげ」までがほぼ隠れていて「は蝶」しか読めない。頭が悪いのか!? 気が狂っているのか? たぶん後者なのだ。
賢明な読者ならお気づきのことと思うが、ここまで「和洋折衷」要素なし。何がどう和洋折衷なのか。シーシャ以外はほぼ日本のものであるし、シーシャが「洋」かというとまた絶妙なものがある。洋らしい洋は「パスタ」くらいか。それも「ナポリタン」と書いてあるのでほぼ間違いなく日本式だと思われる。このあたりを和洋折衷と見なすなら日本の飲食店のほとんどすべてが和洋折衷である。っていうかこの国自体が。あの十九世紀以来♪ こんにちに至るまでこの国の文化はいつだって和洋折衷。
看板の文字はおそらく女性の手によるもので、全体的に若者のセンスとは思えない。でもシーシャとか言ってはいる。いったいどういうことなのか?
扉と看板の脇には複数の「のぼり(幟)スタンド」が置いてある。「ラーメン」とか「ホッピー」とかの旗を立てる際に棒を突っ込むための土台である。土台だけあってのぼりがないのもなんだか奇妙で、「入りづらさ」を増幅させている。いや、もしここにのぼりが立っていたら、もちろんさらに何倍も入りづらくなるのだろうが……。
というわけで入ってみたのだが、さてどんなお店だったのか、続きは来月!(引っ張るよ! 読んでね!)
2026.2.28(土) 貸金大王と投資
生まれて初めて金を貸した。正確にいえば一度だけ三兄に10000円だか5000円だか貸したことがあるのでそれ以来である。金を借りたことは一度もない。一瞬1000円とか借りたとか貸したとかはあったかもしれないけど。
手元にある「金銭消費貸借契約書」によると2月16日、20万円を貸し付けている。初の貸金(かしきん)のわりに大金(たいきん)である。なぜ借金はシャッキンなのに貸金はカシキンなのだろう。
これまでの僕なら金を貸すということはなかったのだが会社つくったことによってお金の動きが変わるし、宇宙唯一の杉村太蔵ファンとして投資を強化しようという気持ちもある。なんとなく今はそういう時期なのだ。厄年にあえて挑戦していこうという逆張りの鬼。またひょっとしたらそのうち紅の豚(べにのぶた、茅野駅前)のアンパンさんとかに貸すことがあるかもしれない(打診されたことがある)ので練習という面もあった。20万貸して22万帰ってくる予定(法定金利内!)なので利回りも良い。
貸した相手は学生で、近々に卒業旅行(海外)があるのに先立つものがなく困っているとのこと、親に泣きつけばなんとかなるとは思うが泣きつきたくはなさそうだったので自分が貸すことにした。
するとエライもんで、その人間は金を借りた2日後の午後に新幹線で名古屋に発ち、その翌朝に帰ってきた。往復で20000円以上かかったはず。ただ単純に遊びに行ったようで、ハシゴ履歴から察するにおそらく飲食代で15000円くらい使っているだろう。飲み方によってはもうちょっと。総額40000円としたらすでに借りた金の5分の1が吹き飛んでいる。ありま猛先生の『連ちゃんパパ』という名作を思い出す。ってかこの件のせいもあって数日前に全巻読み返してしまった。未読ならばぜひ!(2026/03/10注:「(総額)3万くらいしか使ってない」だそうです。「学割で往復新幹線が17000弱だったので…」と。なるほど。いろいろ偉い! 貧学最高!)
余談だけど『連ちゃんパパ』って絵は北見けんいち先生っぽいけど内容は国友やすゆき先生の『幸せの時間』なのですよね。だいたい同じ。
その名古屋旅行の半分はこの日記の聖地巡礼で、具体的には
この前後に出てくるお店を主として回ってくれている。ありがたいことだ。もう半分は彼自身のアンテナや経験に基づいて組み立てていた。いいバランスですね。
堅実たる僕の発想だったら20万円借りたとしてもできるだけ使わずにとっておいて、いつでも返せるようにできるだけ多くプールしておくのだが、しかしよく考えるとそれでは20万を借りた意味がない。冷静に考えると20万は早めに使ったほうがいい。「毎月22000円ずつ返す」をすればいいのだから、月末に22000円余っていれば問題ないのだ。
20万円を22万円で買った人間は、その20万円を「22万円以上の価値」として使わなければ意味がない。「今すぐにやりたいこと、やるべきこと」につぎ込むのが常道である。名古屋への往復20000円は金のある時には20000円の価値しかないが、金のない時には無限の価値に化ける。不可能なのだから。不可能なことには価値がつく。不可能を可能にするのが借金である。
何をどう頑張っても実行不可能なことが、借金によって可能になる。その瞬間、20000円は50000円にも100000円にも化ける。この考え方は一分の隙も無い真理であり、ゆえ人間を狂わせ、借金地獄に落とすのである。
50000円で女を買いたいが、その金がない。しかしどうしても女がほしい。女……女……女を! その瞬間、50000円の女の価値は100000円にも200000円にもなる。これが借金の本質である。手に入らないものの価値は増大し、手に入ると確定した瞬間にピークを迎える。その刹那につかみ取らなければ暴落していくのみである。今しかない!という時に手を伸ばせば、50000円のはずの女を200000円の価値のまま抱くことができる。そういう発想で借金大王たちは生きている。
ところが金を持っている人間にとって50000円の女は50000円の女で、揺るがない。それが「金の価値を知っている」ということなのだ。
一方で借金をする人間というのは、金の価値が揺らぐことを知っている。いわば金の本質を知っている。金というのものは自在に伸び縮みするのである。『連ちゃんパパ』では金を手にした瞬間パチンコ屋に駆け込む人間ばかり登場するのであるが、それは「その瞬間、金の価値がピークに達している」ということでもあるし、「その金はいくらでも伸び縮みする」ということを肌でわかっているからでもある。「増やせば問題ない」というのは、「増える」と確信している人間の物言いである。堅実な人間は「お金が伸び縮みする」ということを知らないので「何をバカなことを」としか思わないのだが、借金する人間からすると「バカはそっちだ」なので、あろう。
友人の友人で、どう考えても儲からないであろう商売のため起業して、さしたる企業努力もせず貸し付けられた金を使い込んでいる人がいる(らしい)。具体的には、起業して社長となり、数百万円の融資を受けた瞬間から「タクシーに乗るようになった」というのである。融資された金を自分の金だと思い込んでいるのだ。愚かではある。しかし一抹の真理も含まれている。融資された金は、融資された瞬間に最も価値が高いのである。使いたくなる気持ちはわからんではない。
学生である彼が、借りた金を秒速で使っている(と見える)ことを僕はむしろ好ましく思う。新鮮な魚を食うように、新鮮な金を使うのは正しいことだ。ましてや彼自身もまだ若く新鮮な身、今使う金は10年後に使う金よりもずっと価値があるはずだ。価値の高いうちに使ってもらえたら貸した側としても嬉しいことで、それを投資と言うのである。
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