ひごろのおこない/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2025.3.1(土) 閑筆宣言
2025.3.2(日) やがっしゅくとは何であるか2
2025.3.3(月) (1)青森1→弘前→青森2 音楽の店と未知の店
2025.3.4(火) (2)上北町1 他流試合のように
2025.3.5(水) (3)上北町2 爆サイの裏をかけ
2025.3.6(木) (4)上北町3 頂きぼくとママ祭り
2025.3.7(金) (5)上北町4→青森3→ビルボード→夜学バー
2025.3.17(月) ホームページ購読料決算速報
2025.3.20(木) 確定申告と受験勉強
2025.3.22(土) 学習の3つの型(向き不向きについて)
2025.3.23(日) ダイジェスターダスト
2025.3.24(月) 茅野1 やがっしゅクォリティ
2025.3.25(火) 茅野2+上諏訪 福祉と教育
2025.3.26(水) 茅野3→甲府→新宿
2025.3.31(月) 白と黒/納得と合意

2025.3.1(土) 閑筆宣言

 チィーと筆をおろそかにしますな。できるだけ毎日書こうとは思うけど、あまり書くことに追われていたくはないので。日報もありますから。他にも書きたいもの書くべきもの、たくさんある。テキトーにやります。では。

2025.3.2(日) やがっしゅくとは何であるか2

 勢いでまた合宿することになった。参加したい人は教えてください。茅野駅すぐ。24月から26水まで、二泊。
 正式な「やがっしゅく」ではなくスピンオフのようなもの。いつものように「誰が来てもなんとかする」というスタンスではなく、事情によりちゃんと知ってる人のみ歓迎いたします。ただし閉鎖的には絶対にしたくない、誰にでも開いておきたいという気持ちはいつもと同じなので、現時点であんまりよく知らない人は24日までにちゃんと知ってる人になってください。メールフォームなどから個人的にご連絡頂ければと思います。単にセキュリティ上の問題で言っているだけなので。
 今回特に決まったアクティビティーーはありません。二泊だけだし平日だし、ただぼんやり過ごすと思います。リフレッシュ。
 なんでたびたびこのような「合宿」を行うのか。とりあえずこの「やがっしゅくとは何であるか」という記事をご参照していただいた上で、少しお話させていただきます。

・期間中いつ来ていつ帰ってもよい
・原則として自由行動

 やがっしゅくの決まりはこれだけ。また二年連続参加でほぼ主催者とも言えるまちくた氏は「マイペースのまま人と関わる場」と表現している。

 いつ来ていつ帰ってもよく、いる間もどこで何をしてても良い。自己紹介さえする必要がない。ただしそこには「同じ場を共有する」という現実だけが絶対にあって、誰のこともできる限り不快にしないよう努めるという前提がある。さらに言えば「みんな(自分含む)がより楽しくなるよう努める」というテーマも当然ある。
〈略〉
 これはじつのところ夜学バーの営業のあり方とほぼ同じである。
(「やがっしゅくとは何であるか」より)

 結局のところ僕がやりたいことはこれで、こすりにこすった尾崎豊のあの歌詞でいえば「すべてが奏でるハーモニー」「誰もが皆自由に生きていくことを許し合えれば」というやつ。橋本治さんのいう「原っぱの論理」にも近い。僕は幼少期の公園ジプシーによって、中学時代の夏休み生活(天邪鬼儒雀による古典上飯田落語「上飯田の夏」に詳しい)によって、また高校時代のドラえもんチャットや毎日の校内行脚ツアーによって、そして大学時代のゴールデン街通いによって、それをライフワークにすることが決定づけられた。
 それはある時には「お店」という形で、またある時には「合宿」という形で、あるいは何かまた別の形で、どんなふうにでも実践されうるし、されるべきである。それが誰にも当たり前になることが、世の中がよくなるということだと信じてやまない。
 ゆえ、そこに共感してくださる方の参加を拒むことはない。布団が足りなければ僕が板の上で寝たり、誰かが起きるまで起きていればいい。まるで火の番をするように。みんながそのように考えあえばいい。ただ楽しいってだけが合宿の主眼ではあるが、「楽しい」を成立させるために必要なものをみんなで持ち寄るという前提が当然ある。その実践が二年連続で叶ったというのは僕にとって本当に喜ばしいことだ。
 お申し込みお待ちしております。文字通りに捉えてください。一泊2500円以内で、あとは何人くるか。お金ある人はご支援よろしく。遠隔もぜひ!

2025.3.3(月) (1)青森1→弘前→青森2 音楽の店と未知の店

 1234新青森着、1253青森着。念願の「惣菜田中」で昼食。生姜焼き定食と大皿を軒並み。650円だけど600円でいいよと言われた。太陽まぶしく、雪がちらちら舞う。天気雪と言うのか。店の素晴らしさもあり卒倒しそうだ。美しすぎて。
 コーヒーをどうしよう? 隣も喫茶店なのだが折角なので探る。駅から自転車で向かえるところで一番情報のない喫茶店は「シドニー」である。一年前に行ってみたときは確かシャッターが降りていた。ストリートビューで確認しても同様の姿。もう営業していないのではないかと思ったが、念のため行ってみることにした。ここで「念のため」と思えるかどうか、徒労かもしれないところで踏み込めるかが幸福の鍵だ。これもささやかながら「リスクをとる」ということである。
 雪深く、ところどころツルツルに滑る。駅から離れれば離れるほど道路はボコボコになり雪の量も増えてゆく。喫茶店の入り口は雪に埋もれていて足跡もない。軒先の電灯もなく、扉にも「営業中」といった看板はない。窓の中も暗くて見えない。これはもう絶望ですね。とぼとぼと踵を返し、20メートルほど進んだところでハッとした。ん? 入り口? 扉? シャッターが開いてるってコト?
 どう考えても営業しているとは思えない面構えで、こういう場合は「営業はしていないが家族がごはん食べたりはしている」みたいなパターンもあって、ともすれば不法侵入になりかねない。それでもおそるおそる扉に近づき、さりげなくよく目を凝らしてみると、人間がいる! それがお客さんなのかお店の人なのかもわからなかったが、ダメだったら謝ればいいのだ。ままよ、と扉を開けますと、そこは天国でしたね。カウンターにママと高齢の女性が二人、テーブル席に背広着た高齢の男性が一人。賑やかに談笑しておられた。こぎれいで美しくてととのっていて、どう考えても「営業している」のである。これほど外と中のギャップが激しいお店も珍しい。昂奮を隠しつつホットコーヒーを注文。しばし本を読むなどして過ごす。窓から床へ、四角い日ざしが二つ落ちて輝いている。何から何まで完璧だった。あらゆる部分に神が宿るようなデザインと質感。そしてなぜだか『特攻の拓』とか全巻ある。お手洗いも隙がなくタイルはもちろん天井の模様までカッコいいのである。こうした文化財級のお店がインターネットから隠れてひっそりとお客を呼んでいるのは本当にロマンティックだ。メニューもしっかりしているし、ごはんもおいしそう。青森ではマスト。8時からモーニング、そのあとランチがあって15~16時くらいには閉店。
 あとから気づいたのだが、実は裏側にもう一つ入り口があった。本来は勝手口のはずだが3人のお客はみなそちらを通って帰って行った。ははあそちらに駐車場があって、みんなクルマでやってくるから通り沿いの入り口はほぼ使われないのだ。
 退店後、裏に回ってみるとなるほどこれは、知らなければわからないようなさりげない入り口で、駐車場の中にちょっと入らないと見えないようになっている。通りすがりに「あ、喫茶店」と気づくのはほぼ不可能だろう。近づいてみるとここには「営業中」の札があった。なるほどそれでほぼ知っている人だけが来ているわけだ。もしかしたらシャッターを開けず、裏口だけで営業していることも多いのでは。今日は天気がよいから日ざしを入れるために開けたのか? そう思うとこれほど誰にもバレていないことも、去年シャッターが閉まっていたことにも合点がいく。
 ホクホクしながら「アルプス」へ。前回は堤店に行って非常によかったので、今回は中央店に。こちらは輪をかけて最高だった。チェーンというよりは母屋と離れの関係に近いのかな。たぶん中央店のほうが古くて、手狭なのでもう一軒つくったという感じなのかもしれない。
 コーヒーなんて立て続けに何杯も飲むもんじゃないのだが、どうしても行きたいお店があったので向かう。「しもん」である。残念ながら閉まっていた。ゆっくり歩いて1556発の特急で弘前へ。

 とりあえず観光をと、太宰治の旧下宿、弘前大学(放送大学青森学習センター)を見て回り、弘前城へ向かう途中に「まわりみち文庫」という古本屋にぶつかった。2冊ほど買い「領収書作戦」で夜学バーの名刺を渡す。ちょっと話して、教えてもらった老舗文房具屋に向かい万年筆のインクなどを買った。そして「おしやれスナックMANSIKKA」なるお店に。もともとここには絶対に行くつもりだったのだがまわりみち文庫の店主も名を出したのでやはりと思った。しかし地方ってのは情報の偏りがすごい。インスタのアカウント以外には古いネット記事が一つあるだけで、あとはほとんど何もない。Google Mapにすら登録されていないのだ。「その筋」では相当有名で、弘前の文化を支えている存在であるはずなのに、「その筋」の外側からはまったく見ることができない。旅行者がGoogle Mapで「バー」やら「スナック」と入力してこのお店が表示される確率は現在のところ0%なわけだ。
 いいお店だった。前情報でも聞いていたが「最初はブックバーとして始めたが誰も本を手に取らないのでレコードバーに変えた」とのこと。個人的には悲しい。弘前にはかつて紀伊國屋もジュンク堂もあったのに消滅し、今では本屋らしい本屋が「品揃えの悪いTSUTAYA」くらいしかなく、あの小さな小さな「まわりみち文庫」が主要となっているらしい。総合大学だってあるのに。ゆゆしき問題だ。
 たとえ弘前大学の学生が「そういう場」を求めたとしても、普通の探し方ではMANSIKKAは発見できない。僕みたいに狂ったように検索すればいいのだが、大学生くらいだとそのノウハウやコツみたいなものはわからないと思うし、そもそも自分が何を求めているのかも知らないことがほとんどだろう。たまたま巡りあって「ああ、自分が求めていたのはこういう場なんだ!」と思うのが自然である。その「たまたま」の発生率をいかに上げるかがやるべきことなのだが、地方にはまずそういう体力も発想もない。いや違うか、都会の人だってだいたい体力も発想もない、「たまたま」の確率がそもそも高いから甘えているだけだ。
 同席した女性とも話弾み、「来月東京行くのでお店行きます~」と言っていただき(きっとだよ!)、店主ちゃっぴーさんに教えてもらった「ハルちゃん」というスナックへ。「何を飲まれますか?」といきなり問われてパニクったがとっさに角のソーダ割りにした。濃くておいしかった。大皿料理をあれこれいただき夕飯とす。麻婆豆腐、イカとカボチャの天ぷら、目玉焼き、りんご。
 同席したおじいさんが「バーチャルカラオケ」を立て続けに歌っていて、脳天打たれた。こんな文化があるのか。僕もやりたい。これは本当にすごい。本当にすごい。本当にすごい。バーチャルカラオケヤバすぎる。全国のおじいさんたちがこれやってるんなら、バーチャルってもんにはいくらでも可能性がある。バーチャルは若い人だけの文化ではないのだ。
 つい長居した。「旅行?」とも「誰かの紹介?」とも聞かれず、このタイプの地方スナックとしてはかなり珍しいだろう。ママなりの考えがあってのことなのかもしれない。こりゃいいお店だ。ちゃっぴーさんの紹介でと最後に伝えて、2500円。
 最後、「アサイラム」で一杯だけ飲む。猫が6匹いて匂いがすごかったが、寒いうちだけ野良猫をかくまってるとのこと。とても良い人だった。終電で青森まで戻らなければならないのでがんばって切り上げる。

 青森には24時間営業の「エンデバー」という喫茶店があるので最終的にはそこに行けばいいと思っていたのだが、念のため下見に行ってみたら「23時まで」と変わっていた。インターネットはあてにならない。地方だと情報の反映がかなり遅くなる。県庁所在地レベルでもそうなのだ。
「立ち吞 いいわけ」というお店へ。僕は本当に店の引きが強いというか、インターネットのわずかな情報と、実際に見た店構えとでだいたいのことがわかるようになってきた。東京に30年くらい住んでいたという店主が経営する、東北地方ではおそらくナンバーワンのラムバー。立ち飲みなのはスペインバルを意識しているのだろう、地面には青森のヒバが敷き詰められている。
 ACHや酎ハイ街道など「その筋の人」にしかわからない話題がドンドン飛び出る。話しながらもずーっとラムを飲み続けている。酒飲みが酒飲みすぎて酒の店酒飲みながら酒に飲まれる、なんて短歌を五秒で作ってみた。
 ここも「音楽の店」であった。なんつうか、世の中には「音楽の店」が多すぎる。みんな音楽に逃げてしまう。音楽というものは肉感的で、動物としての人間の本能にかなり近いところにある。最近読んだ『動物たちは何をしゃべっているのか?』(山極寿一、鈴木俊貴)という名著でもそのようなことが言われていた。まだちょっとしか読んでいないが『22世紀の資本主義』(成田悠輔)のコピーも「稼ぐより踊れ」だ。音と踊りが人類の原初的な姿を映し出すものであって、その点で「音楽の店」こそが正しい(?)というような考え方もできるのだが、でもよー、だったら文化とか文明ってなんなんだよお!「それ」しかねえのかよお!って僕は思ってしまう。
 踊るための音楽ならば打楽器だけでもよくて、複雑な音楽を愛でる必要はない。ましてや「○○の△△が名盤で」とかってオタク化する意味もなかろう。「この曲ちょーカッコいいよね~」という素直な反応はまだしもだが、それとてただ「気持ち良い」と言い合ってるだけで、なんだかな。「音楽の店」ってのにはそういう中途半端さがある。原初的という文脈でならレイブやクラブで狂ったように踊るほうが正しい(?)わけだし。
 いつかもうちょっと子細に語りたいが、「音楽の店」は欲求と快楽をしか問題にしない。好きな音楽かけて、好きな音楽について語れたら気持ちいい。そういうお店は僕だって嫌いではないが、あまりにも酒との相性がよすぎるのである。つまり「音楽の店」は欲求と快楽が主体なので、酒に酔って乱れることを許容、あるいは推奨さえする。
 一方でわが夜学バーは「酒を飲んだ自分をコントロールする」ことを何より大切にする。コントロールしたうえで、酒が入った状態ならではの面白い発想がもし出てくるのだとしたら、それは非常に素晴らしいよねという考え。シラフと酔いとのグラデーションを楽しみながら、理性のコントロールを鍛えること。そういうようなお店は本当に少ない。

 音楽以外にも文化とか文明とかあるわけだけど、たとえばそれが「本」とかって限定されてしまうと、これがまたほとんどの場合欲求と快楽をしか問題にしなくなる。読書会でもなんでも、そういう場において本とは「自分の欲求を叶え、快楽を与えてくれるもの」となりがちだ。限定する、テーマを設けるということは、「欲求と快楽の対象を定め、同好の士を集める」ということであって、つまり「これを使って一緒に気持ちよくなれる人募集~」でしかない。アニソンバーでもテキーラバーでもなんでもそうですね。  そこで、この日最後に行ったお店。喫茶まるめろという青森市ではたぶん最も気の触れたお店の一つであろう。ほとんど毎日朝までやっているが、扉には常に「準備中」の札がかかっていて「畑ニ居リマス。賢治」というアレも貼ってある。その状態でいつも営業している。
 店主はミュージシャンであり、音楽もずっとかかっているが「音楽の店」ではない。そのような限定が一切ない。そして彼は物静かに、慎重に、言葉を選んで話をする。僕と同じで、たぶん凡庸なことは極力避けている。「限定しない」ということは、「何が自分の欲求を叶え、快楽を与えてくれるかがわからない」ということで、その「わからなさ」をこそ魅力に思う人が好む方式なのである。
 世の中にはあらかじめどのように気持ち良くなれるかをわかっているほうが好きだって人のほうが圧倒的に多いので、かようなお店は流行らないのだが、僕のような好事家は「うおーよくやんなあ、スゲー」と思うのである。僕がもし何も知らずに夜学バーを訪れたら同じ感動をするだろう。「こんな答えのないことやってて怖くないのか」と。不安や恐怖は、未知なる面白さの代償である。お客としてもそうで、「鬼が出るか蛇が出るか」という気持ちで来店することを好む人だっている。僕はそうなのだ。
 というわけで3時間くらいお邪魔しただろうか。終始ほかにお客はなく、あまり遅くなっては申し訳ないので店を出た。始発までだいぶあるので、すき家で時間を潰すか浅虫温泉から乗るか迷った結果、後者にした。楽しかった。
 初日おわり。

2025.3.4(火) (2)上北町1 他流試合のように

 始発で到着。玉勝温泉で鍵を受け取り別館へ。数日前まで逗留していたsaku氏(夜学従業者)が置いていった食品類を台所から回収し、とりあえず温泉に入る。なるほどお湯がぬるい。去年はもうちょっと熱かった気がする。こうして温泉は終わっていくのだ。玉勝はすべてが古くて雑で、あまりに安くて、あと何年続くんだかわからない。
 夕方くらいまで寝て、PCをセッティング。コタツの上にゴミ箱を置き、その上に本体を載せる。外付けキーボードとマウスで操作。こうするとかがみ込まなくて済むのだ。ハック。机の高さに画面があるのは本当によくない。
 しばらくサギョーして、20時ごろ駅前のお寿司屋さんに行ってみた。去年からいろんなところでオススメされるので一度くらいはと。安かったので特上にする。飲みもの要らなかったんだけどプレッシャーに負け「いい茶こ」(いいちこ茶割り)を注文。蛸の白子と自家製たくあんをサービスしていただき嬉しかったが税が加算されて3000円近くになった。安いような高いような不思議な気分だ。ケチだでな。
 ユニバースで食糧品など買ってからスナック街に移動し、去年は一度も開いていなかった「R.」ってお店へ。saku氏も飲みに行ったそうなのでその旨をママに伝える。「あなたも大学生?」たまに聞かれるのだが返事に困る。放送大学生なので。
 ここのママは町会議員でもあり代行ドライバーでもあり、就職寸前の男の子をバイトに雇っていたりと色々やり手である。お客も絶えない。料理などオペレーションの手際も恐ろしいほどよい。生い立ちを聞かせていただいたが総合的に見てバケモノ。「二日連続でお客がゼロだったらやめる」と決め、21年間続けている。
 隣り合った男性と2時間くらい長話。「地域活性化起業人」という総務省の制度を使って関東から出向し、この東北町を活性化させるためさまざまな試みを行っているそうな。課題は山積で、やりがいは無限にあろうが、うまく肩の力を抜いてやっているようでとても好感を持った。こうして飲みに来ているわけだし。「政治」にもなるし息抜きにもなる。なんとsaku氏とも先日会ったそうだ。
 最近よく書いているが僕は「人と話すプロ」なので、こういうときはもう「他流試合をするように」全力を尽くして相手に向き合う。自分の知っていることと知らないことを峻別し、バランスよく配置して渡り合う。そう「渡り合う」のである。「自分はそれについてこれだけのことを知っているが、この点については知らないので教えてほしい」とか「自分はそれについてこのように思うのだが、この点については理解が進まないのでご意見を賜りたい」というようなバランスで投げかけると、たいていは喜んで知見を授けてくださる。またそれを受けて「自分はこう思います」とか「それでいうと自分はこういうことがありました」と返せば、「面白い人だ」と思ってもらえることが多い。それを刺激としてまた話は盛り上がっていく。
 ここんとこ夜学バー従業員はどうしたら育つか、ということばかり考えているわけだ。あれは「複数の人と同時に話すプロ」であることが求められるのだが、そのためにはまず「一人の人と話すプロ」でもなければならない。
 ほかにも行きたいお店があったのだが0時過ぎてしまい、火曜日ということもあってほとんどのお店が閉まっていた。おとなしく帰って寝た。

2025.3.5(水) (3)上北町2 爆サイの裏をかけ

 存分に寝て、昼ごろ温泉入る。ひたすらカタカタPCを打つ。21時くらいか、飲みに出る。目当てのお店が今日も開いていない。寒いのでひとまず昨夜のRをリピート。昨日はほぼ話せなかったバイトのTBSくん(4月からKMKN)と多少歓談。東京に行ったら寄ります、と嬉しいお言葉。
 ママは向かいのお店を紹介してくださったが、その時にはすでにインスタのDMでヨヤクを取り付けていた。1年ほど前にできたばかりのショットバーらしきお店。

『FF6』というゲームにゾゾという荒廃した町が出てくるのだが、そこにいる人間は一人を除いて全員が嘘つきである。彼らが言っていることを一切信用してはならない。しかし裏を返すと、彼らが「言っていないこと」は完全に信用できるわけだ。そこに気づけば謎解きは進み、「かいてんのこぎり」という最強の機械が手に入る。

 地方でお店を探すときは「爆サイ」という最低最悪のおげれつ掲示板が非常に頼りになる。もちろん真に受けてはならない。彼らが言っていることの反対がだいたい正しい。あるいは彼らが「言っていないこと」をこそ見抜くべきなのである。

…今 考えている事の逆が正解だ。
でも それは大きなミステイク
お前のくちぐせだったな、ダリルよ!
(『FINAL FANTASY 6』ED

 ぜんぜん余談なんだけどセッツァーというキャラのこのセリフ、界隈(ファンダム)では「マジ意味不明」って評判(?)なんだけど、「でも それは大きなミステイク」がダリルの口癖という見解を僕は取る。ここだけ句点も記号もないのが引用のサインではないかと。受験国語(現代文)ふうに見ると、「今考えている事の逆が正解」=「でも それは大きなミステイク」=「ダリル(=お前)のくちぐせ」と結べる。

 ともかく「お前らの言っていることの逆が正解だ」という気分で爆サイを読んでいると、だいたい失敗しない。昨年お邪魔して大変仲良くなった「かぐや」というお店も、爆サイにほとんど記述がなく、せいぜい「最近行ってないからわからない」くらいしか書かれていなかったから選んだのだ。つまり爆サイに書き込むようなやつらは顧客ではないということくらいはわかる。ちなみに「上北スナック」というスレッドで、なぜかそれなりに活気があって面白い。
 くだんのショットバー、「HIDE OUT 7 1/4」というのだが、ここについても「ぼったくり」とか色々悪口ばかり書いてあったが、まあ奴らはゾゾの住民みたいなもんだ気にしてはいけない。インスタで検索すると鍵垢が出て、「会員制だけど興味あったらDMください」みたいなことが書いてあった。外に開こうという気持ちが多少はあるのだ。例の「かぐや」のママとも繋がっているようだったので、思い切って連絡してみた。
 すると丁寧な返信があったので行ってみたら良いお店だった。東京で水商売やっていたとのこと、なるほど。外への絶妙な開き方も人の雇い方も、商売のやり方もいろいろ、確かに東京っぽい。会員制なのは田舎の価値観が流入しすぎないためなのだろう。コンセプトはハリー・ポッターで内装もけっこう凝っていた。  ちなみに持論、東京は「無数の村社会の集積」というだけで、真に都市型の飲み屋なんてのは全体の1%も存在しない。夜学バーはその希有な一つと自負しております。
 地方には村社会が一つかせいぜい数個くらいしかなくて、どこに属すか、何派か、みたいなことがかなりわかりやすく問われる。東京は規模が違うから選択肢が多い、それだけである。HIDE OUTさんは東京にあるような「相対的に小さな村社会」に生きようとしているのだ。そしてそれを心地よいと思う地方の人も当然いる。だから「隠れ家(hide-out)」という名前をつけたのであろう(実際そんなようなことを仰っていた)。
 ここにはカラオケがない。近隣のほとんどのお店にはカラオケがあるから、そこに差をつけなくては隠れ家にならない。ちなみにR.にもカラオケはない。歌って騒ぐお店とこっそり話すお店と、使い分けるのが今風なのだろう。

 お手洗い行ってる間にマスターが近所のお店に電話してくれて、ヨヤクを取り付けてくれた。正直ありがた迷惑(もうだいぶ飲んでるので)なのだが、村なのだから仕方ない。「mayu」というお店にお邪魔した。隣のお爺さんがわざわざクルマからギター持ってきて『禁じられた遊び』とか弾いてくれた。

2025.3.6(木) (4)上北町3 頂きぼくとママ祭り

 雪が降っていた。昼前、東北町歴史民俗資料館へ。やはり地方の「こういうモノ」はばかにできない。ものすごいハイクォリティであった。冊子を購入したいと申し出たら、役場等でお金を払ってまた取りに来るか、郵送で受け取るかしかできないそうな。「現金を扱えないから」とのことで、お役所もいろいろあるのですなあ。
 上北町で唯一のカフェ「茶菓 初雪舎」へ。駅から1.6kmほどあるので旅行者は普通来ない。僕は頭がおかしいので去年、まだGoogle Mapにもどこにも載っていないころに執念で(インスタとか検索しまくって)見つけ、次回はここに入り浸って仕事するぞ~と誓っていたのだが火水とお休みだったため今日になってしまった。
 高台にある自宅を改装したカフェ。まじで、めちゃくちゃ、よい空間である。悪いところが一つもない。ごはんは初めて食べたのだが極めて素晴らしく、かつて荒木町にあった「私の隠れ家」に匹敵するうれしさ。一カ月くらい毎日これ食べて温泉入ってたらさすがに健康になると思う。
 食後にコーヒー飲みながら長いお手紙を書いて、郵便局から速達で出す。そして役場に行って冊子代の500円を支払う。あとは取りに行けばいいのだが、あんまり時間がないのと、申し訳ないが上北町から郵便で送られてくるというイベントも楽しみたいので待つことにした。
 去年も寄ったアメリカ大好き雑貨屋さん(三沢基地が近いからネ)に寄り、米軍ベルトを一本買う。一目見て「お久しぶりです」と言ってくださる。さすがプロじゃ。
 駅の反対側にまわり、道の駅へ。サラッと書いているがここまで5キロ以上は走っている。自転車の調子がちょっと悪い。チェーンが伸びて外れかけている。
 それでもなんとか15時の「旅のうくん」除幕式に間に合った。これである。一昨日隣り合った方から「よろしければ」と誘われていたのである。彼は動画にも映っている。僕はギリ映っていない。惜しい。
 道の駅でついでに買い物をし、くだんのI氏と挨拶を交わし、また2km走って「初雪舎」に戻る。お店でコーヒー飲めるのが嬉しすぎてまた来てしまった。18時まで2時間ほどPCをカタカタ。なんだかんだのんびり読書する時間がぜんぜんない。やっぱ数泊じゃ少なすぎる。
 帰り際、店主さんから「夕飯に」とちらし寿司をいただく。涙~。人の優しさ~~。名店~~~。
「まつのゆ」という温泉に入る。とてもよい。帰ってごはん食べてちょっと作業して、明日帰るので部屋の掃除して、飲みに出る。

 夜は吹雪いて、一瞬に道路は雪に覆われた。まず何としても寄らねばならぬ、去年もお邪魔した「かぐや」へ。六趣水割り、黒サザンライムロック、レモン搾ったイエローレディにピール飛ばすのは裏技っぽくてよい。美味しかった。
 次のお店へ。ここでsaku氏がカップラーメンもらったらしいが、僕も同じのもらった。嬉しいよね。なんだかね。壁にゴッホの「ひまわり」飾ってた。残ったお菓子を袋に入れて渡してくれた。同じカウンターに座ったどこかのお店のママさんが「うちの娘が道の駅でキッチンカー出してるのよ」と、その商品だというパンをたくさんくださった。急に頂きぼくが発動。
 最後にもう一度「HIDE OUT」へ。毎日二人体制らしく、昨夜のミヤビさんは8月くらいから、今夜のイクミさんは開店当初からのスタッフだそうだ(メモ)。店主はよっちゃん(メモ)。
「あれ、さっきいた人だ」よく見ると一人挟んで、前のお店で同席した某店(S)のママ(パン屋さんのお母様とは別人)がいらっしゃった。真ん中にいた男の人はママと僕のぶんを全額支払ってくださった。その人が代行を呼んだらR.のママがきた(4日の記事参照)。いやなんか本当にすごい街だ。

2025.3.7(金) (5)上北町4→青森3→ビルボード→夜学バー

 意外と起きられたので最後に温泉入って青森へ。昨夜東北新幹線の連結外れがあってダイヤが乱れているらしく、とりあえず早めに動いたほうがいいだろうと判断したのもある。
 幸い天気はそれなりによく、とりあえず2kmほど離れた「シドニー」へ。モーニングは10時までだったようでコーヒーのみいただく。でも「10時までは300円なので」とは言ってくれた。300円て。相変わらずすばらしいお店だ。うれしい。そしてママさんも嬉しそうに見えた。4日前にきた謎の大荷物セーネンがなぜかリピートしてくれたのだからけっこう驚いたと思う。
 戻って、月曜に閉まっていた「しもん」へ。ここでモーニングいただく。おそろしく豪勢なセットで400円。価格が破壊されている。内装も店主もお客さんもすべてすばらしき名店なのであるうちにぜひ。
 そして「惣菜田中」でカレーを食べる。すでにモーニング食べちゃったのでお惣菜はおなかに入らない、パックに入れて持ち帰ることにした。カレーライスと、パンパンにお惣菜10種類近く詰めて計500円。青森で暮らしたい。
 青森→新青森→東京→国会議事堂→乃木坂。ビルボードトーキョーで野宮真貴さんのバースデイライブ。お姉さまとデュオシートへ。チケット代と事前予約のハンバーガー代(もちろんすげー高い)を出して頂いたのでさすがに悪いと思い、お酒一杯ずつとおつまみ二品、そして赤ワインをボトルで注文。ホストだから「店外」の食事代だけ出すのである。
 ゲストは立花ハジメさんと小山田圭吾さん。これを高いところから、半個室の四人くらい座れる柔らかいソファでゆったり、野宮真貴さんくらい美人な(!)お姉さんと高級ディナーとってワインとか飲みながら聴いているというのはあまりにも至福で、これが金持ちの世界(の端っこ)か~と感動した。お金ってすごいなー。なー。
 曲目はいずれも良かったが、本編最後の『東京は夜の七時』でカーテンが開いて六本木の夜景が少しずつ見えてくる演出がさすがに良かった。でっかい商業施設の4階なので、けっこう高い。これが金持ちの世界(の端っこ)……。
 オリーブおいしかったわー。
 アンコール最初は『トゥイギー・トゥイギー』で、僕が中学のとき初めてピチカート・ファイヴを動くものとして認識した曲。独特なダンスは当時のままでとても嬉しかった。老人の喜び方ですな。最後は『三月生まれ』、当然ですな、バースデーだから。
 余ったワインにコルク詰めて持ち帰る。ただいま貧乏人の世界。そして地下鉄で同伴出勤。これも貧乏人の価値観。タクシー乗れよ。

2025.3.17(月) ホームページ購読料決算速報

 カクテーをシンコク、できなかったのでまだやってます(火曜の昼過ぎ)。おれたちの戦いはこれからだ! さすがに今年は諦めません。「閑筆宣言」の通り静かにしていてすみません。じきまた元気に書き殴るようになるはずです。

 カクテーのシンコクではみなさまからの「購読料」も計上します。ホームページ(文筆)は副業ではなく本業ですので! しっかり「売上」に数えております。
 2024年は、引きつづきゆうちょで律儀に毎月1000円振り込んでくださる方、500円ずつ送金してくださる方、そしてアンバランスながら断続的に100~1000円をくださる方、またLiberapayやStripe経由で定期的にお支払いくださる方々若干、年間まとめてお渡しくださる方など合計で79833円となりました。ちなみに去年は(まだ未確定ですがおそらく)67097円。当面の目標は20万円でして、これを超えれば胸を張って「副業ではない!」と言えるのです。20万円から所得として申告するのが慣例なようですから。
 ちなみに「購読料ではないおこづかい」は「贈与」とみなし、110万円が目標。ここまでは非課税なので……。まだまだ余裕あるのでドシドシどうぞ!

 さてみなさま、このホームページは無料ではありません、シェアウェアです。なにとぞ僕に「本業」をください。今年(2025年)発生した原稿料は「日本児童文学」から振り込まれた3000円のみ。『小バー』『ただ美』などの同人誌売上とホームページ購読料を足して20万円に達しないと「副業」みたいになってしまうので、危機感があります。アイデンティティクライシス。
 単純に、お金をもらっているとなると書く気にもなるというもので。ここに来てちょっと穴が開いてしまいましたが、去年10月以降はかなり書いていて、今年1月、2月は休みなしだったかな。3月もカクテーのシンコクが終わったらふたたびギア入れますので、ご支援のご検討よろしくお願い申し上げます。なんとか10万は見えてきたぞ~。
 目標ちいさくてかわいいもんじゃないですか。お店の売上は少なくてもそう気にならないが、こっちは気になる。15歳からやってて年に10万も稼げてないのは過去の自分にも申し訳ない。がんばるぞ!

 実際これは「続けるため」の措置で、「ついでだからお金もらおう」じゃないんですよ。この忙しい生活の中でEzという場を守るためには、ほんの少しでもマネタイズしとかないと終わっちまうぞこのままじゃ、って話なのです。ここに来る時間を捻出するために、ほかにいる時間を減らすことが必要で、そのための経済的な余裕を確保する手段として「シェアウェア」概念を採用したわけです。
 実際開発者たちだって「趣味でやってるっちゃそうなんだけど、これに時間を割くためには多少お金が入らないことには続けられないんだよ~」といった事情でシェアウェアという苦肉の策を編みだしたんではなかろうか。
 ともあれよろしくお願いいたします。おすすめの野良投げ銭システムなどあれば教えてください。個人的には今んとこLiberapay(およびStripe)は気に入っています。手数料少ないのが必須。

「おこづかい」ページもそのうちちゃんと更新いたします……ではレシートの山に戻ります。

2025.3.20(木) 確定申告と受験勉強

 19日にシンコクをカクテーさせ、ぶじカクテーをシンコクすることができました。応援してくださったみなさまありがとうございます。ただしこれは「2024年ぶんが終わった」ということであり「2023年ぶん」は終わっておりません。大変なことです。20代前半から毎年自分で確定申告していて、1日でも遅れたことは一度もなかったのですが、いまのところ370日くらい遅れております。ゆゆしきこと。
 なんで急にできなくなったかというと、夜学バーが301号室から401号室に移るにあたって旧「Bar brat」および「夜学Bar brat」における鵺的状況の痕跡が消え去り、すべての名義が僕個人に集まったことが一番。やることが増え、また煩雑になっております。軽減税率の処理も非常に面倒くさい。また2023年は5ヶ月間お店を閉じていた間に別の場所(無銘喫茶、Ajito、小鳥書房など)で営業したり「夜学バー博」を開催したりなどイレギュラーな売上と経費が多いのも大変でした。先に2024年を処理することによって道筋ができて、あとはまあ機械的にやればいいという感じなのでたぶん今月中には。

 いろいろ語りたいことはあるのですがとりあえず直近のことを。書いといて実現できなかったら恥ずかしいので迷うのですが、やはり関心事なので記すべきでしょう。
 僕は結局「受験勉強」というものが好きなのですよね。それは「大きな成功体験だから」ということでもあるんだけど、それだけだと「過去にすがる」という側面が強調されてしまう。もっと前向きに見ると「高校までに習う内容を一所懸命身につける口実とその証明」であることが今になれば大きい。
 もし大学受験をしていなかったらかなり「教養」に乏しい人間になっていただろう。一度でも体系的に総覧したことがあるかないかでは雲泥の差が出る。英語、国語、世界史で受験したので、日本史が弱い。知らないほうではないはずだが偏りや手落ちがひどいのだ。
 夜学バーなんてお店をやっているからには「高校までの勉強」くらいは全部できておきたいものである。数学は大学を出てからIA・IIBをやり直し、放送大学でも20単位以上取っているのだが、「受験」をしたわけではないので演習をぜんぜんしておらず、容易にどんどん忘れていく。理科は中学までは一番できた教科なのでわりに向いていると思うのだが高校レベルはつまみ食い程度に終わっている。地理や公民も同様である。
「栄光を掴みたい」というのではなく、「力試しがしたい」というのでもなく、「役に立ちうる能力を増やして役に立たせたい」という欲求が僕にはある。そのために「大学受験」というのはかなり有用に思える。資格試験でもいいのではないか?と疑問を持たれそうだが、何度かやろうとしてみて、これは違うなと思った。まず「高校で(みんなが)習うこと」とどうしてもズレが出てしまうんで、「共通の話題」としての強度が弱い。時代に応じて形式や内容も変わっていくので、新しい世代の感覚や常識に馴染むこともできるだろう。それになんだかんだ高校レベルの勉強ってのは「何よりも使える」はずなのだ。

 時間がないので結論を書くと、来年度こそ僕はもう一度大学受験をしてみようと思うのだ。何年も計画だけはしてきたが、出願が面倒くさかったり、いろいろ忙しくなったりして断念した。この2年は「夜学バーの移転」によって「勉強時間が確保できない! 無理!」ってなった。今年もひょっとしたら思わぬ生活の変化があったりして辞めるかもしれないが、今のところはGOで考えている。なんせ、こないだニートさん(ここ3年東大理IIIを受け続けているごく親しいキチガイ)から「ジャッキーさんは教員免許の写しで共通テスト受けられますよ」と教えてもらったのがでかい。そんなら高校に連絡しなくていいのか! 楽ちん!と浮き足だった。しかしよく調べてみると、受けようと思っている都立大法学部を受けるには結局高校の何かしらが必要なようであった。あれれ、ついこないだまで「調査書の代わりに作文を提出」みたいなのでいけたんじゃなかったっけ? まあいいや、仕方ない。共通テストが簡単に出願できそうなだけでもだいぶ肩の荷が下りる。
 なぜ都立大法学部か? 公立なので万が一入学したとしても学費が安く、受験料も安く、入学金はやや高いが都民は半額になる。そして何より、共通テスト含め三教科で受験できる。英国と日本史で受ける予定。ちゃんとやれば受かりかねない。
 僕が入学することによって落ちる人がひとり出るわけだから、受かっても辞退するかもしれないが、入学するとしたらそれなりにちゃんとやるつもりである。「ジャッキーさんが法律知ってたら最強」と昔だれかに言われたのが心に残っていて、すごく「確かに」と思うのだ。民法とか勉強しとけば宅建取るのにも有利だし……(取ってどうするかはともかく、取って損はない)。キャンパスが遠すぎるのが懸念だが、がんばるしかない。
 実際どうなるかわからないですが、まあ書いたからには進めていきます。英国の復習はすでにぼちぼち初めていて、歴史総合(世界+日本の近現代史)にもとりかかろうというところ。ただやっぱ、時間がとれないですね。ただでさえいろいろなことを溜めているのに。まあ、いいようにやります。本も漫画もいっぱい読みたいし、友達とも遊びたい。幸せなことですわね……。

2025.3.22(土) 学習の3つの型(向き不向きについて)

 茅野にいます。掘り進んできました。24日の午前11時。宣言通りこれから26日(水)までおります。水曜は甲府で飲んで、終電で帰れたら帰るという感じかな。誰でも来てね、遠慮無く。しかし行儀良く。
 夜学バーにおいて僕は店主、経営者、責任者、あらゆるすべてを司る者、なのだがこのようにたびたび留守にさせてもらっている。ありがたいことだ。ふつう店舗を構えたら容易には動けない。しかし生来のフッ軽、久しくとどまりたる試しナシ。
 そんな人間だからみんな旅をしろよ、と思ったりはするのだが、なんというか結局真理は「人それぞれやでぇ~」なんですよね。旅に向いている人もいれば向いていない人もいる。
 学びのスタイルは得意とする情報処理の型によって3パターンあるという。(岡田尊司『愛着障害なのに発達障害と診断される人たち』で読んだ)

①視覚空間型:目で見た情報を処理するのが得意→体験や反復による学習が得意で、頭で考えることは苦手
②聴覚言語型:耳で聞いた情報を処理するのが得意→講義や対話による学習が得意で、抽象的な操作は苦手
③視覚言語型:文字などの言語情報を処理するのが得意→読書や論理的・抽象的操作による学習が得意で、体験や対話は苦手

 おおまかにだいたいこういうことだと理解した。みなさまはどれにあてはまりますか?と言ってこういうのはハッキリパッキリ分類してしまうより比率で考えたほうがいい。僕は「①1割、②3割、③6割」って感じかな。
 ①に関しては、ダンスとかできないし、絵は下手だし、球技できないし、すぐ頭をぶつける。空間把握能力がまったくない。反復についてもドリルや問題集みたいなものはいっさい向かない。筋トレも続かない。何一つ習慣づかない。そもそも「見る」ということにあまり興味がない(視力はいいのに!)らしく、美術館や動物園に足が向かないし、映画やアニメも昔は頑張って観ていたが実はそう好きでもない。じっと座っているのが苦手なのもあろう。漫画はめちゃくちゃ好きだし描くのも得意だ(!)が、漫画というものを言語として処理しているからに違いない。③の能力をもって漫画を描いているのである。あの棒人間のような絵柄(知らない人はお店に読みに来てください)でなぜ漫画として成立しているのかというと、絵よりも実は文字(記号)に近いからなのだ。それを「漫画」という文法に正しく載せているから楽しく読めるわけである。
 ②については、授業を受けて理解するのは得意だし、ラジオも好きだし、音楽は日本語の歌詞をかなり重視して聴き、日本語を美しく書きふさわしく歌うミュージシャン(小沢健二さんやAmikaさん)を最も好む。対話も非常に重視している。演劇をやったり夜学バーのような劇場型の(?)お店を続けているのもこの分野に秀でる部分があるからだろう。ただこれはどちらかというと後天的なもので、元来は①と同じくらい能力に乏しかったはずだが、10歳くらいから訓練し始めて少しずつ育んできたのである。ちょうど奥井亜紀さんや小沢健二さんを好きになった時期と重なるのも面白い。中高の思春期には一所懸命深夜ラジオを聴いたりお笑い(漫才や明石家さんまなど)の研究に励んだ。演劇部もよき鍛錬になった。そして少しずつ人とまともに喋れるようになっていったのである。なぜそれができたかというと、聴覚言語の「言語」のほうがたぶんけっこう優れていて、引っ張ってくれたのだと思う。「聴覚」の側は実際あんまり優れていない。耳で聞いたものを一度脳内で文字にしなければ理解できないのである。それを猛スピードでやっているだけ。
 そんで基本的には僕は③の人なのである。元来。幼少期はとにかく友達もいないから児童書と漫画を読むことだけに費やしていた。それに飽きたら何もやることがなく「ヒマだヒマだ」とばかりつぶやいていた。今もとにかく文字ばかり読み、文字ばかり書いている。好きだとか中毒だとかそういう話ではなく、本を読むことは基本的に苦痛である。単純に自分にとって最も効率のいい情報の扱い方だから言語(とりわけ文字)を用いるにすぎない。

 ジャッキーさんとかいう人は意外とバランスが良い。前述したように10歳くらいで一念発起して②の能力を磨いてきたからだと思う。夜学バーというお店を成立させているのは②③の能力で、どちらも相当以上に秀でた人間はたぶんかなり珍しく、それで一応唯一無二の存在とできているのであろう。
 こないだ従業員を集めて訓示を垂れたさい、「一期一会」の場に「一座建立」を実現させるには「当意即妙」が重要、というような話をした。「当意即妙」の「当意」は③で、「即妙」は②の領域であろう。③だけの人間はいわゆる「コミュ障」。当意だけで突き進むと「空気が読めない」ということになる。10歳まで(もっと言えば20代前半くらいまで?)の僕はまさしくそうだった。ラジオやお笑いや演劇、また酒場通いなどによって「掛け合い」を学び、徐々に「即妙」の技術を磨いていったのだ。

 おそらく僕にとっては「旅」というものも②の領域を拡充するものだったし、あるいは①を補充するものでもあったかもしれない。③は放っておいても勝手にやってしまう。高1の頃からどこかへ行くたび旅行記を書いていたのは、本来①(せいぜい②)の領域だけで完結するはずの旅なるものを③領域に引っ張ってきてしまう「③人間」の性分だったわけだ。
 そう、旅ってのは本来①なのだ。景色のいいところに行って目を清めるものだ。また見知らぬその土地、その場に身を置くことそれ自体が価値なのだ。しかし僕のような人間は旅に出会いを求め(②)意味を求める(③)。
 えー、つまり、何が言いたいのかというと、旅にはすべてがあるのだ。もっと言えば、すべてのものにはすべてがあるのかもしれない。それをする人の意識次第で、①②③のいずれにも振り分けられる。だからこそ、「だったら別に旅じゃなくてもいいよね」という発想になって、「旅に向かない人」も出てくるのであろう。僕にはたまたま性に合ってしまっただけで、これはもしかしたら①だの②だの③だのとはまったく関係がない。んまあ、旅に生き旅に死せる身としては、だったらほかにあなたは(旅に相当するような)何をやっているのだ?と問いたくはなる。興味がある。僕もそれをやってみたい。

2025.3.23(日) ダイジェスターダスト

 ここ最近のことをダイジェストでお送りしようと思ったのだが多いんだモンで難しい。マア軽く。
 1月から3月にかけては大きな分岐点だったのかもしれない。「僕として僕は行く」と歌った中村一義さんも2月18日で50歳になられた。
 大月と都留に遊びに行った。銀座に飲みに行った。高1女子ふたりと紀伊國屋に行って参考書コーナーで偉そうに訓示を垂れる会をした。第2回夜学バーミーティングをした。出会って10年になる生徒がひまわりの種を買ってきてくれた。ひまわりの種大好き。ひまわりという喫茶店に行った。
 授業と授業の合間、広い校庭をはさんだ花壇のひまわりから種をもいでは食べまくり、鐘が鳴ったら走って戻った。小学生の頃の最高の想い出だ。誰と走ったかは覚えていない。ひまわりの顔と青空だけが記憶にある。
 10年前に高2だった彼女は今年で27歳になる。地下鉄サリン事件から30年経ったという。その喫茶店に毎日通うおじさんとママが当時のオウムを思い切り茶化して笑っていた。人が死んでんねんけど、関係ないのだ。不謹慎が当たり前だったあの30年前。それはただの想い出でしかない。
 僕にとってだってそうだ。音楽室の木琴でミドミドミドミドミドソラソファミレと叩いていた。合ってるかわからないけど当時そう叩いていたのは間違いない。やってみて一番しっくりきた音階だったのだろう。まだ覚えている。それは僕にとって想い出でしかない。
 高1は高2になり17歳となり
 やがて27歳になる
 そして7歳はひまわりの種をかじるため校庭を思い切り走る。

 時間は止まっている。それに気づけたのが収穫。
 僕らが勝手に移動しているだけなのだ。

 少なくとも、同じ事を繰り返しているだけで人生は終わっていく。人類も終わっていく。愚かしく生まれ育った僕はこれからも愚を犯し続けるのだろう。
 繰り返す歴史を空しく思うか、待ってましたと手を叩き想い出として微笑むか。瞬間を閉じ込めたアルバムをぱらぱらと開く。その中にオウムもサリンもある。内村光良さんが『DA.YO.NE.』の替え歌で「やだねーやだねー 嫌な事件ばっかり多発しちゃって 東京 東京 サリン サリン」みたいに歌ってたのをすごく覚えてるんだけど時期的に『世界征服宣言』の最終回付近(ないし4月の特番)だろうか?
 松本サリン事件の少しあと、フジテレビの『ありがとやんした』は終わり、地下鉄サリン事件の少しあと、日本テレビの『世界征服宣言』が終わる。95年5月から『ウッチャンウリウリ!! ナンチャンナリナリ!!』という謎のCGコントをメインにした番組が始まる。ここは間違いなく時代の変わり目で、それは僕にとって本当に想い出なのだ。4月から大好きな『飛べ!イサミ』が始まっていて、10月にはすべてを塗り替えるように『エヴァンゲリオン』が始まる。
 その頃生まれた、あるいは生まれていない皆様には本当に「なんのこっちゃ」であろうし、当時を生きていた人でも僕と同じ想い出を持っているとは限らない。想い出は本当に人それぞれだ。
 あのCGコントは革新的すぎて非常に印象に残っている。あまり関係ないかもしれないが『少年頭脳カトリ』は98年だ。なんの話? 95年の子どもたちにとってはまだグロテスクだったんだと思う。
 だからこそ想い出に残っている。
 逆にオウムをグロテスクとは思わず、ただのギャグだと思っていた節があるのは不思議だ。時代にフィットしていた。実写に導入されるCGはまだ違和感しかもたらさなかった。ラブ&ポップの映画版だって98年なんだからなあ。
 なんの話?
 想い出の話。
 花壇にひまわりが植わっているような世界の話。

2025.3.24(月) 茅野1

 みんな見てますか? もっと読みたい人は掲示板にワッフルワッフルと書き込んでください。
 9時51分茅野駅着、あずさ。ひとまず駅ビル内を見て歩く。毎度ながら長野県民の「文化的やる気」に圧倒される。とりわけ多量の書物に囲まれたフリースペースは広くて使いやすいし、隣には有料のワーキングスペースもある。チラシ類も「文化的やる気」に満ちている。移住組、二拠点組と地元組のバランスもたぶんなかなかいいと思う。
 駅そば食べて、琥珀でコーヒー。長野日報読み、日記書く。上社方面に走りスピリチュアル喫茶でカレーをいただく。いろいろスピリチュアルな話を聞かされるが、凡庸な狂気という感じでそそられなかった。失礼な物言いかも知れないが、想定の範囲に収まるというか。
 北斗神社、本宮を拝み、14時を待って「松の湯」に入る。お湯が熱くて最高。
 以前、小海線の甲斐小泉駅前にある「てん」というお店で知り合った方が、すぐ近くで塾を経営しているのを、地図見て思い出した。Webを見たら「3/31で閉めます」と。これはと行ってみたが閉まっていて、ピンポン押しても反応がない。夜学バーのショップカードにケータイの番号書いて郵便受けにわかりやすく挟んでおいた。あの人の性格からして、たぶんすぐに連絡をくれるだろう。そういう人だというのは、ちょっと話せばわかるものなのだ。と、なぜか自信があった。
 宿にチェックイン。基本的に無人で、部屋の鍵はロッカーに入っている。前回覚えた番号を回したら開いた。部屋の鍵は開いていた。すべて、何の意味があるのだ。
 とりあえず布団敷いて、ちょっと横になって、荷物整理して外に出ると合宿参加者A(以下A)がちょうど入ってくるところだった。一緒にEightdoor行って夜学の日報(ジャーナル)ちょっと進める。その後飲みに出るが、雨が降っていて寒いうえ、開いているお店がかなり少ない。悩んだ末「おやじ」というお店に入る。おやじはおらず、おばあさんとおばさんがいた。43年(だったか?)やってるそうな。量が多くておいしい名店だった。出るとみまつが開いていたので入ってみる。おじさんがやってるカラオケスナックだった。ここで合宿参加者B(以下B)と合流。「さっき琥珀にジャッキーさんがいるの(外から)見たよ」と言われる。LINEくらいくれればいいのに。でもその緩さがやがっしゅクォリティなんですよね。紅の豚に行ってみたが、混んでいて忙しそうだったうえなぜか店主の姿が見えなかったのでとりあえず隣の人生劇場(飲み屋ビル)にあるペパロニというお店に入ってみた。いい店だった。
 で、ベニブタに行ったが最後で、結局朝5時くらいまで飲んだ。店主が寝たら帰る合図なのだ。このお店については語ることが多すぎてなんとも言えない。気が向いたら次の記事で書きます。23時ごろ合宿参加者C(以下C)が合流。僕は合宿参加者J(以下J)である。
 以下とは?

2025.3.25(火) 茅野2+上諏訪

 14時ごろ起きる。共有スペースで予定を考えていたら電話が鳴った。「ジャッキーさんですか?」昨日、不在だったので郵便受けに名刺つっこんだ、あの塾の方である。K太郎さんという。あれ見たら飛ぶ勢いで連絡をくれると信じていた。16時まで授業なので、そのあと夕飯でもと。「教え子が一人、一緒なんですけどいいですか?」むしろ楽しみ。
 とりあえず琥珀でコーヒー。昨日に引き続き領収書をもらうと「尾崎さんね、覚えちゃった」とママ。実はこのやり取り、初めてではない。去年の夏だったかも連日通っていたら二日目には名前を覚えられたのだが、そりゃ半年も経てばリセットされるものである。
 Bが行きたがっていた煎茶のお店「sen」へ。14時すぎの時点ではまだ寝ていた。16時半くらいに「ラストオーダー17時らしいよ」と写真付きでLINEしたらまだ寝ていたのか「むりっす」と来たが、16時55分に現れた。偉い。17時にK太郎さんたちが迎えにきたので、1000円札渡して先に出た。
 車に自転車ごと乗せてもらい、「めしとほんとさけ まんま・みぃ屋」というお店へ。1時間半くらい歓談。二日酔いで気分悪かったが、話して食べているうちにだいぶよくなった。
 例の教え子はTさんという。いまは福岡に住んでいるのだが、通っていた塾のイベントに登壇するため大阪に来ていた。K太郎さんはそれを聴きに行っていて、そのあと一緒に茅野へ来たそうだ。
 ある日、K太郎さんが大学の研究室で疲れ果ててコーヒー入れながらテレビをつけたら、一人親家庭を支援するW塾についてのドキュメンタリーが流れていた。そこに高校生のTさんがほぼ主役のような形で出ていた。それを見て感動したK太郎さんはW塾で働くことを決めた。時が経ち、Tさんが一念発起して大学受験を決めたタイミングで、K太郎さんが「俺に英語を見させてください」と名乗り出る。それから1年間みっちりと濃密な関係を過ごしたそうな。僕には想像できる。彼らも「勉強のことだけじゃなく、いろいろな話をした」と振り返っていたが、その時間のかけがえなさ。さぞものすごい1年間だったであろう。
 Tさんはその後、みごと大学を卒業して就職した。W塾に入ったのは中学2年生、いまは28歳くらいと思われる。もちろんかつてのTさんを僕は知らないが、いまは聡明で立派なひとかどの人物であると十分にわかった。

「福祉と教育」ということを僕はよく考える。誤解を恐れずごく単純化すれば、福祉というのは困っている人を助けることで、いわばマイナスを0まで持っていくことが主眼にある。教育は0ないしすでにプラスであるような状態の人を、さらに高いところまで引き延ばしていく仕事である。一般的にもそのように考えられていると思う。
 世の中は福祉だけではダメで、教育だけでもダメであり、「福祉から教育に繋げる」ということを可能な限りすべきである。僕は完全に教育の側の人間だが、たとえば漂流教室(札幌)の山田さんのように、どちらかといえば福祉の側にいる人たちとも共感し合い励まし合っているつもりだ。
 W塾(ならびに連携する大阪府M市)のすばらしいところは、「福祉と教育を一貫して考えている」ところにあるのだと、K太郎さんからいただいた資料を読んで思った。曰く「これまでの取り組み」は「せめて授業についてこられるように最低限の手当をする」ことであったが、それでは不十分という。「子どもの能力・自尊心・将来への希望」といったものを、「高いレベルまで押し上げる」ことが必要なのだと。
 僕のさっきの説明(おそらく一般的な認識)であれば、「最低限の手当をする」が福祉、「高いレベルまで押し上げる」が教育といえるのだが、そこを分けて考えすぎると「ウチらは福祉なんだからあとは教育の仕事だよね」という形で断絶が生まれかねない。そうでなく福祉と教育を一貫した一連のものとして、「マイナスから高いレベルへ」を訴えるのがM市(伏せる必要は別にない、箕面市)なのである。
 はっきりとこれには感銘を受けた。僕は先述した意味での「教育」が役目で、そういう係だと思ってやってきているのだが、本当は福祉だの教育だのといった分け方はすべきでない。ただ自分には今のところそれをうまくやるビジョンがないのだ。
 こないだ「天才ガールズバーかしこ。」の構想を書いたが、その奥にはこの問題意識がすでにあったのかもしれない。わかっているのだ。「夜学バー」だけでは片手落ちなのだと。いかにそういう「係」だとはいえ。
 また別の構想として、繁華街ではない場所で、できれば路面で、塾のような場所をやりたいというのも実はずっと言っている。これにも福祉と教育を「一貫した一連のもの」として捉える発想が秘められているような気がする。ただ、それを僕が得意かどうかはわからない。もし身近に得意そうな人が現れたら、協力してそういうことをやる可能性はあるかも、なんてことも思ってはいる。いや僕なんかは協力しないほうがうまくいくのかもしれないけどね……(気弱)。

 K太郎さんとTさんと別れ、上諏訪の「楽茶」へ。まことにハイブカな(=文化レベルの高い)いいお店だった。20時、ゴトーショテンでAと合流、と思ったら、どう示し合わせたのかCもいた。3人で飲みながら店主夫妻とあれこれ話す。僕はお茶の本を2冊ほどと、茶碗を一つ買った。というか、買ってもらった。頂きぼく! 奥さんのほうが表千家の方で、茶道・茶の湯の本や茶器などが揃っていた。こんなお店は全国探してもそうはない。とても気に入ってしまった。お茶の話などいろいろ伺う。旦那さんのほうは明日、ゴールデン街で働く(!)とのことで、「行けたら行く(ぜひとも行きたい!行きたいのだけども今現在この時点ではッ、確約ができぬ!軽率に行くと約束してしまっては貴殿にも迷惑がかかる!よって日程の調整をし次第即座に連絡をするので、誠に申し訳ないがツバだけつけさせてはもらえぬだろうか!)」と思った。
 というわけで近日、ふたたび(ふたたびなのです)夜学バーでお抹茶が飲めるようになると思うが、どうやら抹茶が品薄気味らしく不安である。あと西尾茶がいいんだけどどこでも売ってるのかな。ネットかな。わかる人おしえて。おすすめの銘柄なども……。
「パリ,テキサス」というお店へ。バーボンやらカクテルやらをいただく。昔のブッカーズや古いシェリーカスクのジムビーム、めちゃくちゃおいしかった。ただ「ヴァージン・バーボンのような味わいの(要は代替の)酒」を探す旅には終わりがない。難しいなあ。
 茅野に戻り、吸い込まれるようにベニブタへ。また深夜3時くらいまで飲んでしまった。レバ刺し、鳥刺し、馬刺し美味しかった。
 このお店と「長野県民のマジメさ・勤勉さ」については長くなるのでまた記事を改めよう(いつになるやらね!)。

2025.3.26(水) 茅野3→甲府→新宿

 いちおう10時チェックアウトなのでお布団を片付けて外に出る。Cと琥珀でコーヒーを飲む。二人連れで行ったからかいわゆる「認知」はリセットされ「コーヒーしかない(食事はできない)けどいい?」と聞かれる。Cも昨日行ったらしいのに。でもわかる。一人のお客は「一人」という単位でインプットされ、いつも二人で来るお客は「二人」というひと塊で記憶に残る。そういうもんなのだ。あるある。
 先にCは出ていき、しばらくパソカタして「パンDEチ~ノ」にドラえもんパンを探しに行く。ピカチュウとアンパンマンしかいない。絶望しているとタイムリーにパンが足された。ヨダレ垂らし寄りて見るにトトロとキティちゃんのみ増えていた。ドラえもんわい。普段ならかきくらし帰るところ旅の恥はかき捨てと「ドラえもんわい」とたずねてみると、「ごめんなさい今ドラえもん作ってないんです」と。世も末だ。おしまいだ。ドラえもんの引力に魂を縛られた愚かな人間なのだ僕は。世界はもう次のステージに進んでいるということか。
 ところで「ドラえもんわい」というのは関西弁で「ドラえもんは?」というような意味だと思うのだがすると「ドラえもんはい」という表記が正しいのではないか? しかしこれだと「wai」でなく「hai」としか読めなかろう。方言を文字にするのは難しい。
「ドラえもんはぃ」いや「ドラえもんはィ」ならギリギリ通じるか?「ドラえもんはィイ!」とかにすればいいのか。ご意見求む。
 駅に戻り、お土産屋さんに入る。お土産を買うことは苦手で避けてきたのだが最近猛省し練習中。旅先では一つでも小さくとも何かかわいいものや珍妙なものを見つけて買うようにしている。干し柿の寒天と、「すわっ子」というなごやんみたいなお菓子を選んだ。そこにいつの間にかCがいた。同じ電車に乗るようであった。
 甲府まで二人で各駅に揺られ四方山のことを話す。「そして僕は喋りすぎた」「少し酔ったみたいね喋りすぎてしまったわ」といった歌詞が思い浮かぶが、最近ってこういう「喋りすぎた」系の歌詞ってあるのかな。饒舌な花束。「喋りすぎる」ということに対しての感覚は変わってきたのか、否や? ご意見求む。
 甲府では「いらか」という喫茶店で遅い昼食とコーヒーをいただき本を読む。その後「カムイ」に行くとちょうどJASSYという地域メディアの人たちがやってきて撮影を始めた。本を読み、終わる頃に少し話してダメ元で夜学バーの喧伝を仕掛けておいた。恥を忍んで。
「オープンカフェまるごとやまなし館」なる行政っぽい場所でぶどうジュース飲みながら電源とWi-Fi借りてPカタ。都温泉に入ってから馬酔木という老舗バーでAとステルス待ち合わせして飲む。ジンフィズ、バラライカ、雪国、マンハッタンをステルスラーニング。81歳というマスターの片手シェイクがカッコ良かったので真似したい。次はくさ笛という横に長いカウンター居酒屋で一升瓶ワインを飲む。84歳のママ、料理を少し焦がしてしまったのでと(?)ツーショを撮ってくれた。なんだこのサービス。電車まであと20分くらいしかなかったのだがもう一軒バーに行き、10分でウィスキー一杯飲んで駅に走った。2116最終のあずさ。
 ちょうど新宿ゴールデン街のシャンプーって店でゴトーショテン(上諏訪)のマスターが立っているとのことだったので寄って一杯だけ飲む。こういうフットワークが大事なのである。ちなみにお客はほぼ全員が非日本語話者で、最近のゴールデン街、特に3、5番街あたりの路面店はそういうところがかなり多くなっている。僕の知っている頃とはずいぶん様変わりしたが、ある意味ものすごく面白い街だ。
 甲府からの終電は、各駅だと新宿までしか行けないので朝まで飲む予定だったのだが、あずさに乗れたことにより余裕ができていた。一杯飲んでもまだギリギリ間に合いそうだったので大江戸線で上野御徒町へ。夜学バーに着くとちょうどCとお客さんが一人、ちょうど帰るところだった。Cは終電へと走り、お客さんとはせっかくなのでアフター(働いてないけど)に行った(珍しい!)。0時すぎるとまともなお店がグッと減るので迷った挙げ句「うちに来ますか」とお申し出いただいたのでお邪魔した(超珍しい!)。
 家に帰るまでが合宿。家に帰った。

2025.3.31(月) 白と黒/納得と合意

 若い人って白黒はっきりさせたがる、って話を聞いてなるほどと得心。まあそうかもな。僕も若い頃そうだったしな(年寄りっぽい発言)。
 要するに「納得と合意」を求めるってのが若いってことなんじゃない? 納得ってのが僕はすごく嫌いで、そんなもんサジ加減じゃん?って思うんだけど、若い(=経験や思考の試行回数が少ない)状態にあると、「完璧」つうもんが存在しちゃうと思っちゃって、「納得」ってのが実は単に個人的な満足にしかとどまらないってことがわかんないんじゃないんですかと僕はずっと思っているのです。※もちろん現実的には、納得を求める人たちの納得欲の存在をしっかり踏まえて尊重しないとうまくいかないことのほうが多いです、これは僕のいつもの原理原則論です。(2025.4.3追記)
 この「若い」ってのは決して年齢とか生きてきた時間の長短ではなく、「思考の幅の豊かさに乏しい」って意味で僕は使っております。年かさでも一定の幅でしか思考を使えないと「若い」という状態にとどまると思うわけです。ゆえ爺さんでも婆さんでもこの意味では若いことがありうる。当然に。ただ通常は「若い」という言葉が当てられず「老害」とか「老いぼれ」等と形容されるのみ。
「納得」ってのは「個人のサジ加減」でしかない。「合意」ってのは「当座仕方ないからここで固定しときましょう」っていう一時的妥協でしかない。老練してくるとこれらを煩わしく感じる(もんなのではないかと僕は思う)。
 わからないこととか、割り切れないことっていくらでもあって、それを踏まえてどうやってうまく「今」を運用していくか、ってのが重要なのだ。現実を見るってのはそういうことだ。それをしつつ、しっかりと「理想」から目をそらさないのがカッコよいのだ。それをやろうぜ。
 説明できることがすなわち正しいのではない。納得できることや合意できること、理路整然と説明がつくことってのは「安心」を呼ぶけれども、それ以外の機能でポジティブなことはそんなにない。もっと柔らかに考えたほうがいい。ってのが僕の考え。
 納得と合意、あるいは白と黒ってのは「固定」であって「終着」である。言葉遊びだけどそれは「執着」と仲が良い。燃え尽きるような頑固さ。
 先達の偉そうな訓示として言えば、若い時ってナァそういうこともある。そこをいかに越えて行くかだ。理論だの論理だのを覚えると、そのうちの浅めな法則に心奪われて「これだ!」ってなっちゃう。「こういうことをしっかりした方がいいと思うんですよ」という提案が、ある柔軟性や可能性を殺してしまうことは大いにあって、積み重ねられてきた長い歴史がそこで無効化される。勿体ない。
 そして歴史の側もまた手を抜いてはならない。すべてを説明し尽くすのが不可能な以上、曖昧な「ハック」がなんとなく通用していくのが現実だ。そこに甘えて「ずっとやってきたから」の一言で済ますのではなく、覚悟決めて毅然として「わしはこう信ずる(ゆえにそうする)」と断言できなくてはならない。その強さに圧倒されて若者も知るのだ。「なんだか知らんがとにかくよし!」を。
 常にその戦いなのだ。幼さと老練さとの。どちらにも分はある。ゆえにこそ衝突し、その先にメタ的正しさはある。それをいかに仲良く進行させられるかが鍵となる。
 迷いながらやっていこう。深く長く仲良く、楽しく面白く、笑いながら、時に戸惑っても。何年生きようが引いて見たらみんな未熟なのだから。
 やけに抽象的な話となったが年度末だから総合的なことを書いたつもりである。
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