少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

 過去ログ  2022年1月  2022年2月  2022年3月  TOP
2022.2.28(月) 旅人たち
2022.2.24(木) 犬ころたちの唄
2022.2.20(日) 23歳の僕と最近の僕/関係と客観性
2022.2.17(木) UN‘z(カッコつかないウッチャンナンチャン)
2022.2.13(日) 青春はいちどだけ
2022.2.8(火) 観念と現実を同時に生きる
2022.2.4(金) 執着と再会
2022.2.2(水) 悩みとは何か

2022.2.28(月) 旅人たち

 これを書いているのは3月3日、文京区白山の完璧な喫茶店。でもこの記事は2月に置いていく。2011年2月19日(土)が西原夢路(ペンネーム兼ハンドルネーム)の命日だそうな。昨年の5月父上にメールして確認した。10年経ってようやく正確な命日を知った。
 数え上げてみたらすぐに思いつくだけで30代までに死んだ友人が8人いる。おそらく死んでいるだろう一人を合わせたら9人。彼のことを忘れないためにも数に入れさせてもらおう、生きててまた会えたら儲けもん。「ジャッキー、俺、生きてるよ!」って人は名乗り出てください。君のことだよ。

 たしか20歳くらいの時、中学時代の番長(No.1と目されていたと思う)が死んだと聞いた。自殺だとかヤクザに消されたとかいろいろ言われるが、近所の鉄板焼きのおばちゃんが「あの子も弱いところがあったからねえ」とこぼしていたことからすると前者かもしれない。中学の友達、特にヤンキー勢との繋がりが今やほとんどないので何も確かめようがない。地元で飲んでる時とかに偶然誰かに出逢ったら聞いてみようかとも思うが、20歳まで彼と連絡を取り続けていた人間がそう多くいるとも思えない。おそらくずいぶん遠い世界に行ったのだろうから。
 26歳で大学の同級生である西原が死んだ。その前後に大学の後輩の女の子が死んだ。高校時代のチャット仲間「オイ」が死んだ。この頃には「りょう」も死んでるなら死んでいたと思う。三羽烏で僕だけが生き残った格好。ちょっと年下で、たびたびお店に来てくれていた友人が病気で死んだ。トルコロックさん(39)がアルコールで死んだ。若い美少年が死んだ。仲良くなり始めたばかりの若い女の子が死んだ。

 トルコロックさんを除いてみんな20代。自殺か、精神を病んでの結果でないものは、たぶん一人だけだと思う。ここに挙げなかった人もいるかもしれない。それは今ちょうど忘れているわけだけど、意識に上げるのを何かが妨げているのだろう。軽んじているわけではない。と思う。
 あるいは知らないだけで、実はもうこの世にはいない、という人もいるだろう。
 40代以上なら結構いる。最近だと名古屋ドーム矢田駅前のバー「アマチュア」のマスターはおそらく50歳前後か。老人まで含めればそれこそ数えられないくらい、それなりの年数を生きてきてしまった。

 初めて亡くした友達は夜麻みゆき先生の漫画『レヴァリアース』のシオン様だ、というのは何度も何度も何度も書いてきたけど、それこそが僕のサイコパスさの根源というか、象徴のような気がする。漫画のキャラクターと、現実を生きる生身の人間とがほぼ等価、いや少なくともあの頃(12歳くらい)は、むしろ漫画の方にこそリアリティを感じていた。
 人が死ぬ、ということについて僕がどう感じ考えるのかは、早逝した「西原」という人物を通じてこの日記に書き続けてきた。よろしければ日記の過去ログページから「西原」と検索していただければ。また最近では、ある友人の死に際して書いたこの文章を。

 友人の死の多くには、自分が間接的に関わっている。その死の遠因になっている。自分があの時こうしていれば、あの人は死ななかったのではないか、とどうしても思ってしまう。
 身近な人を亡くせば誰もが少なからずそう思う。本当に具体的に「ああ、あの時のあれが」ということが、結構ある。
 たとえば、ある人は僕のお店に来て、「働かせてください」と言った。僕はその人の話を丁寧に(そのつもりである)聞いて、お断りした。「それならここではなくて、別のお店でもいいんじゃないの」と告げた。「確かにそうですね」と返ってきた。その5ヶ月後くらいに自殺した。
 働いてもらえば良かったのかもしれない。そうすれば死ななかったかもしれない。自らを買い被りすぎかもしれないが、人に受け入れられて、頼られて、褒められて、積み上げて、という経験をウチでしてもらえたならば、少しずつ快方に向かったかもしれない。「ジャッキーさん的なものの考え方」が身に沁みてくれれば、全然違う生き方をしていったかもしれない。
 でもそんなことは考えたって仕方ない。もし過去に戻ってそれを選択したところで、いろいろあって結局死んでしまうのが物語の常道。あの時僕は「それが自分にとっても相手にとっても世の中にとっても正解」と判断したのだ。その判断は誤っていたかもしれない。しかし他の判断をしたら正解だったとも言えない。わからないのだ。結果死んだ。それを受け入れるしかない。反省があるなら生かしつつ。

「自分がそばにいれば、ひょっとしたら」と思うのは、たとえば西原とかオイとか。西原の場合は死ぬ4年前くらいの段階で不可能になっていた。相手は拒絶するし、こちらも疲れていた。オイちゃんに関しては、実家(おそらく)の住所は持ってたんだからなんとか探し出して会いに行けば良かったなと思う。
 もっと直接的に「僕が殺したのかもしれない」と思えるケースもある。最近亡くなった人なんかまさにそうだ。せめて四十九日を迎えてから書こうとも思ったが、記憶の鮮烈なうちに少し残しておきたい。知り合ってから亡くなるまで4週間弱、3回しか会ったことはない。指一本触れていない。何千円もするチョコレートをもらった。あまりに急速に僕のことを好きになってくれていた。こちらは、これからどのように仲良くなっていくべきか戸惑っていた。ここで、僕は何かを間違えたのかもしれない。もちろん僕の存在など、彼女が長い間抱えてきたおそろしく大きなものにとってはほんの小さなものだったに違いない。しかし、だからこそ取り返しのつかないバグを引き起こしてしまったとも考えられる。これも、自分を大きく捉えすぎなのかもしれないけど。
 僕という人間ははっきり言って意味不明である。多くの人にとって理解できないことを言ったり、やったりする。これまで考えたことのないことを考えさせられたり、感じさせられたりして、バグを起こす、ということは、たぶん死に至らないまでも、これまで複数の人に対してしてきてしまったような気がする。ごく最近でも。

 そばにいなかった死者に対しては、「自分がそばにいれば、ひょっとしたら」と思い、そばにいた死者に対しては、「自分がそばにいなければ、ひょっとしたら」と思う。単純にそういうものでもあるんだろうが、もっと単純に、関わった人や、関わらなくなった人が、自分の意思で死ぬというのは、当然自分と関わりのあることだ。僕のせいではないが、僕のせいでもある。どちらも同時に存在する。だからというか、僕は死んでいった友人たちと、本人がどう思うか(思うことはできないかもしれないが)はともかく、一途に共に生きていこうと思っています。

2022.2.24(木) 犬ころたちの唄

 友達と映画を観ることになってせっかくだから昼食はあそこにしよう、となると時間がアマルので中野坂上から池袋まで歩いて途中に喫茶店でも。ルートは日紀に記したので省く。池袋シネマ・ロサで上映中の『犬ころたちの唄』を観た。
 先週金曜の夜にこの映画の制作スタッフが二人、お店(夜学バー)に現れた。広島からやってきたという。映画の舞台も広島。よくぞこのお店を見つけてくれました、ということですぐに予定を組んだ。

 未来人、今は「まん延防止等重点措置」により時短要請が出ているのです。協力金を多めにもらって完全休業にしたり、ソフトドリンクだけで20時までの範囲で営業する、という選択もあったが、「営業21時まで、酒類20時まで」を選んだ。もちろんこちらのほうが儲からないけど、十分なお金はもらえるし、何より楽しいではないか。そんなようなことはすでに夜学のHPのほうに書いた。実際とても楽しいし、このような出会いがあったのだから存分だろう。お金がほしいだけならそもそもこんなお店やってない。
 もちろん、お店を開けることによってどこかで誰か(自分含む)が感染するリスクは相対的に少し高まるかもしれない。そこはバランス。賭けるしかない。戦略的に。おれたちはいつか自分のサカナを食うために、今日を戦う。みんなイシを持て!©️永井豪

 映画についてはさらりと、夜学バーのTwitterアカウントで触れた。核心はほぼ言い尽くしているので、ここから先はネタバレを含んだ感想など。気になる人は観てから読んでちょ。


『犬ころたちの唄』は、男三兄弟の話。森男、林蔵、三樹。細かいことは(面倒なので)書かず、ネタバレだけを書きます。あらすじなどは公式サイトでご確認を。

 ラスト直前のワンカットがたぶん20〜30分くらい?あって、いわゆる長回し。そこのためだけにでも見る価値がある。いろんな意味で「よく撮ったな」と感動した。技術的なことや撮影の工夫だけではなくて。あのエネルギーをワンカットに収めてしまったチームのテンションが本当にすごいと思う。

 三十三回忌の法事で兄弟喧嘩になり、飛び出した森男(長男)を、少し遅れて三樹(三男)が追いかける。横川の街を探し回る。と言っても一軒の飲み屋を覗いたあとは、一直線に近くのビルの屋上へ向かった。果たしてそこに森男はいた。こういう時に兄ちゃんが行きそうな場所といえば決まってるってことだろう、ベタだけど、ベタだけにやはりグッとくる。
 三樹は座り込んでいる森男の隣に座ってタバコを吸い始める。「一本くれや」と森男。三樹はタバコを渡し、ワンテンポ置いて(ここも意味深い間だ)兄のタバコに火をつける。森男は、吸い始めてすぐに咳き込み、「お前こんなん吸うてんのか」みたいなことを言う。三樹は吸い切らないうちに火を消し、兄の火も消す。
 この時点では、「よほどタールのきついタバコを吸ってるんだな」と思った。手巻きタバコのように見えたので、濃いの入れてるんだなとか、フィルターないんかなとか。「火つけてあげるの忘れんなよ」とか「もう吸い終わったん? 早くない?」とも思ったが、これらの意味もあとで(勝手に)わかった。
 ややあってビルを降りていく二人。来たときと反対方向の階段から降りていくのがニクい。あつらえたような構造のビルである。元の場所へ向かって歩いていると、三樹は森男に、先に戻ってくれと言う。森男は先を行き、残った三樹は路上の脇(あとで灰皿スタンドが映る)に寄って、タバコを取り出して、吸わずに(一度吸おうとしているようだが、ここは正直もう一度見て確認したい)そのまま捨て、法事に戻る。
 三樹が会場に入ってきた時にはもう兄たちによるギターとブルースハープの演奏が始まっていて、そのまま歌い出す。歌だけで数分ある。兄弟喧嘩くらいから、ここで歌い終わるまでがワンカット。あざやか!

 注目したいのは、というか僕が感動したのはタバコのこと。三樹が吸っていたのはたぶん大麻なんだろう。推測というかひょっとしたら妄想なんだけど。そう考えると、なんで三樹が「あんな状態」だったのかが理解できそうな気がする。好きな女の子との間に子供ができたのを喜ばず、むしろ別れようとする。親父のギターを売ってまで金を作ろうとする。ひょっとして本当に500万くらいの借金があるんじゃないか。大麻は自暴自棄の象徴であるのと同時に、反社会的な何かとの関わりも示唆しているのじゃないか。そういった想像が一瞬で広がった。
 三樹には「自信」みたいなものがなく、兄弟との絆も、いまいち確かには思えていないようでもあった。あの「タバコのようなもの」は、そういう弱さがギュッと凝縮されたようなものなんだろう、何にしても。それを捨てて兄弟のもとへ戻っていくというのは、これまたベタだけど、その弱さとの訣別であり、兄弟たちとともに、人とともに生きていくということの決意と覚悟だったわけだ。
 そんな重要なシーンのあとで、三人はただ一人ずつワンコーラス歌って、それで映画は終わる。説明しすぎず伝える勇気、セリフではなく歌で表現する気概。それがこの映画を貫く美しさ。


 観終わって、とにかく酒が飲みたくなった。90分の映画のうちシラフなのは80分くらいしかないんじゃないかこれ? みんなずっと飲酒してる。パンフ買って、監督さんにご挨拶をし、すぐ近くのペーパームーンというジャズバーに行った。
 18歳か19歳のとき、西原(26歳の時に死んだ同級生)が連れてきてくれたお店。ズブロッカのストレートをダブルで頼む。初めて入ったバーらしいバーがここなら、初めて凍ったウォッカを飲んだのもここだった。西原がズブロッカを好んだのはザ・イエローモンキーの『聖なる海とサンシャイン』という曲に出てくるから、というややダサい理由だが、僕もその曲は好きなので一緒に飲んだ。
 と書いて思ったが、唐突に怪しく思えてきた。何せ遠い昔のこと、西原のほうはその曲を知らなくて、実は僕だけが「イエモンのやつ!」と思っていたのかもしれない。記憶はもう曖昧だ。確かめることもできない。どっちでもいい。凍ったズブロッカはうまい。
 ここで飲むとさらに絶品である。なぜなら、たぶんマスターがこれを好きだから。たぶんだけど。好きじゃなかったら何十年も、凍らして常備してないよね。たぶん。

 西原が死んでこの冬で11年。『犬ころたちの唄』は死んだ人の話でもあるから、肴にはちょうどよかった。生き残ったほうは盛大に記憶を捏造してやろう。死人に口なし。だから代わりに歌わにゃならん。

2022.2.20(日) 23歳の僕と最近の僕/関係と客観性

 わが夜学バーの日報で、「学生」というものについて書いた。(→20220217※このリンクは将来的に機能しなくなると思うので未来人は日付で探してください。)
 書き終わってしばらくして自転車に乗っていたら、ふと思いあたった。これって僕が23歳の時に中学2年生たちに向けて書いた「要領よくやれ!」という文章(→改版、デザイン的にこちらのほうがたぶん読みやすい)とほとんど同じことを言っている。

 長いですがよかったら双方読んできてください。

 23歳の僕はかなり賢くて、中学校で習うことはほぼすべて「こうだから、こうなる」という因果関係なのだと喝破している。これはすごいと思う。えらいぞむかしのぼく。

 中学校にはいろんな「教科」があるが、そのほとんどが、ハッキリ言って同じことを教えている。それは、「こうだから、こうなる」という、考え方の基本だ。難しい言葉で言うと「因果関係」で、因果の因は原因の因、因果の果は結果の果だ。国語も英語も数学も理科も社会も、「こういう原因があって、その結果はこうなる」ということしか教えていない。その他の教科も、突き詰めて考えると似たようなものだ。

 小学校はもちろん、高校で学ぶこともほぼそう。大学からはそこから先に進むことになっているが、実際にはほとんどが「既存の因果関係をなぞる」ことに終始し、そこにほんの少しでもいいからオリジナルを付け加えましょうね、というのが「卒論」「卒研」「卒制」などであろう。大学院以降でようやく、自分で開発した新しい因果関係について論じていくというふうに概ねなる。おれは学部からそのような高級なことをやっている(やってきた)!と断言できる人は、スゴイデスネ。
 小学校までは「覚える」ことが中心で、中高で「因果関係」をマスターする。大学(学部)で「既存の因果関係を延長(敷衍)して自分なりの考え方を組み立てる」ということをやり始める。僕は日本の6334をそのように捉えている。
 2022年の僕が言いたいのは、学生というのは「既存の因果関係から逸脱するための時間」なのだということ。その基礎固めとして6、3、3までがある。4において羽ばたく。ここで羽ばたけなければ永遠に「既存の因果関係をなぞる」を続けてロボット(社会の歯車)になる。
 もちろん、そういう未来(羽ばたけなかった人間がロボットになること)がちゃんと約束されているのは日本の凄まじいところである。日本社会の強度は、このような仕掛けが随所にあって担保されている。ヤンキーが鳶職になる(うちの三兄がまさにそうである)とかもそう。あらゆる段階に「約束」があって、極力取りこぼさないように工夫されている。それでもそれなりの数は取りこぼされてしまうから泣く人も怒る人もいなくならないけれども、個人的には「よくやっているほうだ」と思う。もっとがんばれと叫ぶのもよいが、たまにはねぎらってあげましょう。

 ずいぶん持って回って、わけがわからない方もいると思います。むかしこの日記のある記事について「ちょっとハイコンテクストすぎてわからないですね。」ってコメントされて勝手にすごく傷ついたのを思い出す。ハイコンテクストってのがどういうことなのか僕にはよくわかりませんが、なんであれわからないってことでしょう。
 17日に松鶴家千とせさん亡くなったそうですね。わかるかなあ。わかんねえだろうナ。それでいいんです。わかるとかわからないとかで語ってる時点で!って。


「語ってるよ」とか言って茶化して!
「旅人!」とか、みんなはそう言うだけ!


 23歳の僕は中学2年生たちに対して、「想像力を持て」と言っている。「こうだから、こうなるだろう」とか「こうだから、こうなるかもしれない」というふうに、常に先を見よと。

 っていうふうに、想像するといろいろなことが見えてくる。もっともっと想像力を働かせると、もっともっと恐ろしい未来が見えてくる。そう、想像力っていうのは「こわい」んだ。

 想像力はこわい。よくぞそれが言えました、若いみそらで。えらいよぼく。
 せっかくひたすらに「因果関係」ばかりを学ばされているのだから、それを日常生活、自らの人生の中にも応用させましょう、という話なのですね。

 大学生くらいになっても、もっと大きくなっても、結局のところそれが一番大切なんじゃないかな。こないだ取材した、とある専門学校の柔道整復師の先生も、柔整は「ちょっと先を読む仕事」だとまとめていらっしゃった。記事には盛り込めなかったのでここに記しておく。ほとんどの仕事は「ちょっと先を読む」が肝なんじゃないのかと直観的には思いませんか。もちろん一方で、それがよっぽど苦手な人でも受け持てる仕事というのも、この世の中ではある程度約束されている。

 夜学バーというお店を僕はやっているのですが、それは常に「ちょっと先を読む」仕事でしかないという自覚がある。お客さんが扉を開けたとき、自分の姿がどう見えるだろうか? そういうことをひたすら細かく考える。このお店が、自分がどのように振る舞ったら、この人の人生はどうなるだろうか? 近未来を考える。その先にある遠い遠い未来も視野の奥には入れながら。しかし決してそこにこだわらず。ただちょっと先だけを見る。
 すり鉢状になった自転車レース場を走ったことがある。白線のきわをまっすぐ走るには「ちょっと前の白線を見つめながら走る」と教わった。確かに安定する。遠くを見るのでなく、タイヤの接地面を見るのでもなく、ほんのちょっとだけ先を見る。
(どのくらい先を見るのか、っていうのは柔軟に変えていかなきゃいけない。)

「既存の因果関係をなぞる」というだけではなくて、自分だけの因果関係を自分で作っていく。目の前にあるあらゆるものについて、自分との関係を考える。自分がどうしたら何がどうなるか。何かをどうにかするためには自分はどうすべきか。それは単純に、「自分と関わっている他人のことを尊重する」というたった一言に集約されるようなことである。しかしそういう能力が磨かれていない人は、「尊重する」ということができない。なんでかって、一方的に「尊重している」と思ってみたところで、相手は「尊重されている」と感じないかもしれない。周囲だって「尊重しているな」と捉えてくれないかもしれない。そうしたら「自分では相手を尊重しているつもりだが、結果的には独りよがりな行動をしているだけ」ということになる。
 関係というのは、自分一人では絶対に完結しない。それを教えてくれるのが学校の勉強でもあるはずなのだ。
 関係がわかるというのは、客観性があるということでもある。主観しかない人、「世界に自分しか存在していない」ような、傍若無人な人は、他人を害(そこな)っていることに気づけない。「私はこんなに尊重しているのに!」と思い続ける。ある種の毒親のごとし。

2022.2.17(木) UN‘z(カッコつかないウッチャンナンチャン)

 実はウッチャンナンチャンが好きである。『誰かがやらねば!』(90フジ)『やるならやらねば!』(90−93フジ)は好きで見ていた。ダウンタウンらとの『夢で逢えたら』(88−91フジ)もなんとなく覚えている。ものすごく小さな頃だったが、兄が見ていたので。『笑っていいとも!』(88−94レギュラー フジ)、『オールナイトニッポン』(89−95ニッポン放送)、『世界征服宣言』(92−95日テレ)くらいまでが僕にとっての「ウンナン第1期」と言える。(もっと前から追っていた人にとってはまた別の区分がありましょうが、僕にとってその時代は「第0期」となります。)
 第2期は『ウリナリ』(95−02日テレ)『気分は上々』(96−03TBS)などの革命的な人気番組が始まり、『投稿!特ホウ王国』(94−97日テレ)『炎のチャレンジャー』(95−00テレ朝)『ホントのトコロ』(98−02TBS、未来日記のやつ)といった、別にウンナンがやらなくてもいいようなMC番組もあり、「笑う犬」(98−03フジ、ウッチャンのみ、2年目からナンチャン合流)のように一方だけで出演することが増えはじめた頃。この時期だと『桜吹雪は知っている』(95−96TBS)や『いろもん』(97−98日テレ)が好きなのだが、いずれも短命。『上々』のフリートークが途中からなくなったのも残念だった。
 第3期は2002〜3年に代表番組が次々と終わり(『内P』は00−05テレ朝)、「ウンナン終わった」と世間が(おそらく)思っていた頃。司会業が中心となり、イメージとしては最近のナインティナインに近いような立ち位置。(ナイナイはラジオもやってるし地方番組や旅番組、スポーツ番組などをピンでやっていたりもするが、いまいちパッとしない。彼らについてはいろいろ持論があって、たぶんウンナンとはまた違う道を辿るだろう。その辺は別の物語。また次の機会に話すとしよう。)
 第4期は「ウッチャンNHK、ナンチャンヒルナンデス!」という現在の「再び天下を取った」状態。NHKでウッチャンのコント番組「LIFE」がはじまったのが2012年、紅白司会は17−20まで4年連続。日テレの『ヒルナンデス!』は2011年に始まっているから、だいたいここ10年くらいにあたる。

 現時点でコンビとしての全盛期といえるのは第1期と第2期。そのちょうど合間に『ゲッパチ!ウンナンアワー ありがとやんした!?』(94年4月11日〜9月12日)があった。『やるやら』のお笑い・コント志向と『ウリナリ』のドキュメンタリー・物語志向との橋渡しとなった番組(と僕は見ている)で、わずか半年であったが、ウンナン扮する「UN‘z(アンズ)」というデュオはよく印象に残っている。
 もともとウンナンはドキュメンタリーや企画CDとかが得意だったが、「マモーミモー」(91)や「ポケットビスケッツ」(96−)、「はっぱ隊」(2001)「NO PLAN」(2003−06)などがバカ売れしたのに比してUN‘sは売れなかった。調べたら5.7万枚、オリコン最高19位だそうな。なぜかというと別に理由なんかないのだろうが、笑いにも感動にも振り切れず中途半端だったのが敗因かとは思う。単純に人気がなかった。

 作詞はUN‘zすなわちウッチャンナンチャン本人たち。すべてを彼らだけで書いたかはともかくそういうことになっている。作曲は谷本新さんといってSMAPをはじめ(君は君だよとか)、嵐(サクラ咲ケとかHORIZONとか)やKinki(シンデレラクリスマスとか)にもたくさん曲を書いている。はっきりいっていい曲だと思う。『俺たちに明日はある』くらいの時期のSMAPが歌ってても違和感がない。

 なんでこんな文章を書き始めたんだっけ? UN‘zについて語りたいと思ったのは確かなんだけど。

 ああそうだ。「カッコつける」ということについて言いたかったんだ。この話をすると長くなる。もう同じ喫茶店に2時間くらいいるよ。

カッコつかない 姿してる
映画と違う感じするけど
そこは現実 よしとしとこう
見惚れる程 笑顔の中
夢と希望の旗ひるがえし
いま君は生まれ変わる
(UN‘z『風を受け走る君には怖いものは何もない』)

 応援歌。売れてれば24時間テレビのマラソンで使われていたかもしれないのになー(他局だけど)。ZARDの『負けないで』発売は93年、時期としても外れてるってことはない。
 ちなみに喫茶店でこの文章書ききれず、16日に書き始めたけどこの行から17日。そんな一所懸命書く内容でもないのだが。

 なぜここで書けなくなったのかというと、この曲について語ることがほとんどないからだ。これまで何度も書こうとして書けないできた気がする。94年に聴いてCDも(たぶん兄が)買って、たびたび聴き返してはいるけれども、いまいち自分の生き方や考え方にこじつけて語ることができない。売れなかった理由はそういうところにもあるのかもしれない。いまいち深みがないというか。その点ダウンタウンの浜ちゃんが小室哲哉と組んだH Jungle with Tの3曲(95ー96)には強度がある。坂本龍一とのGEISHA GIRLS(94−95)は(特に歌詞については、個人的には)それほどでもない。さすが小室というべきか。
 それでも無理矢理何かを語ってみる。「28年間も特に語ることがないままだった」ということが何よりの答えだと知りつつも。僕はウッチャンナンチャンと決着をつけなくちゃいけない(なんで?)。

 UN‘z(ウッチャンナンチャン)がこの曲の歌詞で言っていることを勝手に要約すると、「地に足つけてがんばる君はかっこいい」である。コロンブスやジャンヌ・ダルク、ドン・キホーテを引き合いに出し、「FLYING SUPERMAN」と繰り返す。この街で、勇敢に、目の前の今日を生きる、遠くに光を信じながら。
 で、引用したサビ。
 愛と平和、夢と希望。笑顔で。生まれ変わろう。イエーイ。カッコよくはないかもしれないけど、映画じゃないんだしこんなもんでしょ。
 現代の、いや現実の英雄は、映画みたいにカッコ良い姿はしていない。泥臭くもがんばってる君たちはみんなコロンブスだしジャンヌ・ダルクだしドン・キホーテだしFLYING SUPERMANなのである!
 売れたっておかしくはない気もするけど、時代がちょっと違ったのかも。

 ところでごく幼いころに覚えた歌ってメロディやピッチを微妙に間違えたまま定着しててなかなか直せない。

 まあ……『風を受け走る君には怖いものは何もない』という曲はそのくらいのことしか言っていない(と思う)。で、結果としてほとんど売れず、2曲目はなく番組もすぐ終わった。ちなみにこの時のプロデューサーは吉田正樹、演出に片岡飛鳥がいて、ナレーションは木村匡也。『めちゃイケ』とかなり被っている。
 時系列を整理すると、吉田P&片岡Dは『やるならやらねば!』(90−93)→『新しい波』(92−93)→『とぶくすり』(93)→『殿様のフェロモン』(93−94)→『ありがとやんした!?』(94)→『とぶくすりZ』(94−95)→『めちゃ^2モテたいッ!』(95−96)→『めちゃ^2イケてるッ!』(96−18)と番組を作っていった。
 ちなみに吉田さんは『夢で逢えたら』『誰かがやらねば!』でディレクターを、『笑う犬の生活』でプロデューサーを務めている。ウッチャンナンチャンのフジテレビでの黄金期はほとんどこの人の手によるわけだ。
 こう見ていくと僕がとんねるず、ダウンタウン、ネプチューン、ロンブーなどの番組には(あんまり)目もくれず、ウンナンとナイナイばかりを追ってきた理由がわかってくる。
 僕はともかく吉田・片岡的な感性が好きだったのだろう。いま『ありがとやんした!?』の映像を見るとずいぶん『めちゃイケ』っぽくてビックリする。日テレの『ウリナリ』とはやはり雰囲気が違う。
 実のところ『ウリナリ』には乗り切れないところがあって(毎週見てたけど)、ほぼ同時期に始まった『めちゃモテ』『めちゃイケ』のほうにのめり込んでいった。とてもわかりやすい。もちろん、これはそのまま僕の兄(主に次兄)の話でもある。基本的には兄の回すチャンネルを見るしかなかったのだから。(権力ないので。)
 これはもちろん世代交代ってことでもあったんだろうけど、局とスタッフ陣の違いもかなり大きいはず。

 前述したウンナンの第1期は主にフジテレビだった。第2期で日テレとTBSとの結びつきが強くなり、第3期はTBSを中心として(ラジオもTBSで2年半やった)司会業が増えていった。そして第4期はウッチャンがNHK、ナンチャンが日テレの「顔」となる。面白いのう。


 ウッチャンナンチャンはストイックな人たちだと思われている。よく言われるのが「下ネタをやらない」ということ。これは性的なネタをほとんどテレビでやらない、という意味であって、子供が喜ぶような(コロコロコミックみたいな)下ネタはむしろ好んでいた気もする。何にしても安易に笑いのとれる分野なら何も気にせず突っ込んでいく、というようなコンビではない。性的なことや、いわゆる「人を傷つける笑い」はほとんどやらない。だから「優しい」というイメージが定着し、紅白の司会や昼の顔になれた。とんねるずやダウンタウンとは一線を画すところで、勢い・インパクト・意外性よりも流れ・伏線・お約束を重視する(と僕は思う)片岡演出との相性が良いのはそういうところだと思う。ホワイティやミル姉さんみたいな「キャラもの」は僕の好みではなかったけど、あれも「待ってました!」のお約束と解釈すればなるほどウンナンらしいなという感じがする。
 ダウンタウンは一言で爆発的な笑いを呼ぶスタイルの漫才で、とんねるずはノリ重視のショートコント。ウッチャンナンチャンは「意味(またはドラマ)」を土台とするコントなのである。演劇や映画がその基礎にある。爆笑問題は現実世界ですでに起きたことをドラマとして、そこにコメントすることによって意味や新たな流れを作ってしまう漫才で、意外にウンナンと近いのではないかと思っている。(僕は爆笑問題が大好きである。)
 ウンナンのネタには「あるある」っぽいものも存在する。初期のショートコント「フラレぎわの男」(正式なタイトルは知らない)なんかもそうだ。別れを告げられた男がどんな反応をするか、という。あるあるネタは「お約束」の極地である。
 ウンナンは日常生活とともにある。地味だけれどもその泥臭い、ストイックな日々の歩みこそが、継続という力なのである。ナンチャンが帯番組を10年以上続けているというのはさもありなん。

 ストイックといえば『ウリナリ』の「芸能人社交ダンス部」。この第一回スペシャルは、なんと『めちゃイケ』のオファーシリーズ第一回(SMAPのやつ)のたった6日後に放送されている。「ドーバー海峡横断部」も、ストイックに水泳の練習に励むだけの企画である。瞬発力だけでなく継続の強大さを知っている、それがストイックという評につながっていくのだろう。ウンナンとナイナイ(岡村さん)の共通点としてここはかなり大きい。

 ストイックで努力家、安易な笑いや立ち位置に安住せず、結果的にはテレビ界で(ある意味の)天下をとったウッチャンナンチャン。その最大の危機といえば不慮の事故による『やるやら』の打ち切りであろうが、その直後に起死回生として(?)放ったのがUN‘zなのである。
 ここまで考えて(というか振り返って)ようやく、「カッコつかない姿してる」というサビの頭のフレーズが意味を持ってくる、ような気がする。ストイックな努力家はカッコよくない。地に足をつけて現実を生きるウッチャンナンチャンは一面、華やかさには欠けるところがある。だからメーキャップは必要だし、ちはるや千秋やビビアンを立てないとCDも売れない。とんねるずや浜ちゃんは素顔で歌ってヒットしたのに。松本人志ほどにはカリスマ性もない。
「映画と違う感じするけど、そこは現実、よしとしとこう」というのは、そういう自分たちの華のなさについて歌っているようにも思えてくる。それでも「見惚れる程 笑顔の中」、過激に走りすぎず、人を傷つけることもなく、愛と平和、夢と希望の旗をひるがえし……。ああ、なるほど。『風を受け走る君には怖いものは何もない』という曲は、ちゃんとウッチャンナンチャンの歌になっている。

 94年のウンナンははっきり言って「落ち目」だったと思う。95年に日テレの『世界征服宣言』が終わり、代わりに『ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』が始まった時も、謎のCGドラマなどの迷走っぷりを幼心に「あんまり面白くないなあ」と思っていた。子供にウケなかったらああいうのはダメなのである。96年に番組名を改称したあたりから風向きは変わる。ポケビ、ブラビ、社交ダンス、ドーバー海峡などが立て続けにヒットした。
 そしてそういったドキュメンタリー企画が大ウケしている裏で、ある意味ひっそりと、「ランキングキャラクターライブ」などのコントコーナーもコツコツ地道に続けていたところが、何よりウンナンの凄みなのである。この継続の力が笑う犬とかLIFEとかにつながっていった。

 ウッチャンナンチャンは94年の段階で自分たちの弱点をよく知っていたのではなかろうか。『風を受け走る君には怖いものは何もない』で歌っているのは、「俺たちはまあ、華はなくとも頑張ってやっていきますよ、コツコツね」という宣言だったのだと、今ようやく僕は思えるのであります。

2022.2.13(日) 青春はいちどだけ

 青春は一度だけ。終わったらもう始まることはない。もちろん、終わらなければ永遠に続く。
 前にも引用した楳図かずお先生の「わたしはカズオ」という詩に、

今はそのときのつづき
そう! みんな ただそのときのつづき

 というフレーズがある。実に楳図先生らしいというか、一般的な楳図かずおのイメージそのものだと思う。変わることなく同じ服装をして、同じ顔で、同じノリで生きているように見える。
 一方で、最近の楳図先生は「元に戻る」ということを言っている。「今はそのときのつづき」ということと、「元に戻る」ということはどう関係するのだろうか?

 元に戻る、というのにもいろいろある。「つづき」であれば戻るのは簡単だ。引き返せばいい。ところが「終わっている」場合は難しい。イチからのやり直し。死のように復元不能な終わり方だってある。
 楳図先生が「元に戻る」という発想をできるのは、すべてを「つづき」と思っているからかもしれない。

 数日前にメールフォームからおたよりが届いた。高校生の時に出会ってもうずっと連絡を取っていない古い友人だった。彼女のことはよく覚えているけど、照れくさく間の悪いような時期の記憶とともにあって、でも別にたぶんだからこそ「終わった」ような間柄でもなかった。続いていたのだ。彼女の記憶の中にもずっと僕がいて、折にふれて思い出しては探してくれていたらしい。そしてこのたび見つけ出された。

僕らは古い墓を暴く 夜の間に
手に触れてすぐ 崩れて消えてゆく
ただいつまでも続く
(青春はいちどだけ/フリッパーズ・ギター)

 青春はいちどだけ。でも必ず終わるとは言ってない。
「髪を長く伸ばしてみて 元には何も戻らないと知るはず」とフリッパーズは別の曲(『ラブ・アンド・ドリームふたたび』)で歌っている。そりゃそうだろう。とんちみたいだけど、髪が伸びるってのはどっちかといえば「進化」のほうで、「元に戻る」ってのは髪を切るほうだと思う。切ってもまた伸びる。それが楳図先生のいう、いっぺん退化してからまた進化する、というイメージに近いんじゃないかな。
 傷んでしまった髪は伸ばし続けるんじゃなくて、いっそバッサリ切っちゃって。そういえば楳図先生っていつからか自分で髪の毛を切るようになったらしい。僕も10代の終わりからずっとセルフカットだ。フリッパーズにも『バスルームで髪を切る100の方法』なんて曲があった。なんにでもこじつけられるくらいにはフリッパーズ大好きな僕の青春は続いている。

 いちどきりの僕の青春は今もずっと歩き続け、だからふたたび誰かの道筋と再会が叶う。終わってしまえば「ああ、ジャッキー!」ってもう言ってもらえない。たとえ顔を合わせたとしても。

 ちょうど、いま髪の毛をだいぶ伸ばしてる。高校生の時以来かもしれない。大会かなんかでとある女子校の演劇部の子とすれ違った時、「ジャッキー、前髪切れ!」って叫ばれたのをめっちゃ覚えてる。
 そんとき僕は自分が可愛い男の子だということを知らなかった(マジです)ので、何にも気にしてなかった。今思えばずいぶんもったいないことをしていた。もっと可愛こぶってればよかった。前髪切って。でもそうしたらまた全然違った感じになっちゃってたんだろうな。あのくらい無頓着でむしろよかったと本当は思っている。ああでももっと別の意味でナルシシスティックなバージョンの人生も見てみたい。だめ、青春はいちどだけ。その中でこれから、やるしかない。だから今こんなこと言ってんのかも。

 青春はいちどだけ。40代とかになって初めて恋愛みたいなことを始めると、ものすごく面倒なことになったりするよね。その人にかつて青春がなかったか、あったけど終わらせちゃったからなのだ。続いていれば問題なんて何も起きない。
 色恋に限らず免疫みたいなものが育ってないことをいきなり始めると、暴走する。なんだって。おかしな感じになる。ちぐはぐで。青春が遅く来たならまだいいが、青春でさえなく欲望だけが若々しいのが本当にグロい。(おぢってのはそういうもんです。)
 青春は二度来ませんので、一度終わらせてしまったらもう続きはありません。やるとしたらまたイチから始める必要がある。#リセットミーしなかんよ
 つまり、おぢ(きもいおじさんのことを最近の若い女の人の一部はこう呼ぶようです)は「いつかの続き」をやろうとするからキモいんですな。最初から始めようという謙虚さがない。だめです。青春ってのはそんな都合のいいもんじゃない。いっぺん捨てた人間のところには二度と舞い戻って来ません。全然違う青春をイチから積み上げるんであればまだ可能性はあります。がんばりましょう。

「かつて俺は少しくらいモテていた、だから今だってその気になればちょっとくらいモテたっておかしくはない!」そういう気分がおぢの素。モテ続けないとだめなんですよ。手放すと青春はもう来ませんから。少なくとも自分の理想のセーブポイントからやり直すなんてことは不可能です。リセットミーして最初からプレイしましょうね。目の前にいる女の子は、むしろ青春の先輩ですよ。

 話が逸れている。そんなこと言ったって青春を手放さざるを得ない時期ってのはあるのだろう、各人。就職したり子供が生まれたり。それらを経てなおまだ青春にキラキラ輝いてる友達ってのは、もちろんそんなにたくさんいるわけではない。特殊な理想論と思われる。勤めもせず子もいない僕なんかが言うのも説得力に欠けてしまうんだろうがそれでも言っておきたい、なぜならばたぶんそういう友達はそれなりにいるのだから。常識、雰囲気、思い込み、そういったものにさえ負けなければ、何があったって青春は続く。青春という言葉が分かりづらければ「子供」と言い換えたって構わない。それを「え?」って思うのは常識と雰囲気と思い込みのせい。人間が子供として生まれるのだとしたら、子供のまま成熟して不自然なことは何もない。人間が人間として生まれるのであれば、人間のまま成熟するのが当たり前であるのと全く同じことである(とんち)。

 青春、という時期が存在するのではなくて、人がそれまでの価値観を終わらせて、次の価値観をインストールしてしまった時に、それまでの価値観のことを「青春」と呼ぶようになるのである。

2022.2.8(火) 観念と現実を同時に生きる

 おたんじょうび100にちめです。おたんじょうび当日を「1日め」としたとき、翌日は「2日め」となります。そのノリで「100日め」を算出すると今日になります。誕生日が毎回365〜6日続くと考えれば、いつだっておたんじょうびだし、永遠に続くと考えれば今日はおたんじょうび100日めでもあり465日めでもあり……みたいにずっと重なっていく。三角関数で使う単位円みたいな感じで(?)。

おたんじょうびはつづくよ いつまでも
夜をこえ 歳こえ 冬こえて
はるかな時まで ぼくたちの
たのしいおいわい つないでる
Twitterより)

「毎日が日曜日」というのは、日曜日の翌日は月曜日であるのと同時に「日曜日2日め」でもあると考えれば成立する。はい。

「同時に」というのがポイントで、ホントーにこういう考え方ができなくちゃーいけない。


 仏教寺院は「生活」ではない。火炎土器と同質の「観念」だ。アンリアルな観念は、そのアンリアルさ故に、容易に「美」となる。美という文化の主流は、この「観念の文化」の系統だろう。本居宣長の言葉に従えば、縄文から板蓋宮を通って仏教寺院の壮麗な建物に至るのは「{漢意|からごころ}」だ。弥生から埴輪を通って「ちゃのゆ」「琳派」「民芸」へと至るのは、「やまとごころ」だ。別に本居宣長はそんなふうに言っていないけれども。
 私にしてみれば、美術史というものは、どうしても「漢意」の流れだ。人というものは、どうしても自分の生活の外にある「観念」というものを目指してしまう。文化とは、だから往々にして埒もない「憧れ」の集成だ。それでもよいのではないかと、私は思う。と同時に、そんな人間達が拒絶する「現実」の中にも、結構埒のない「童心」は隠れていると思う。
 観念は結構美しく、現実は結構楽しい。その二つのことが同時にないと、やはりおもしろくない。「そうではなかろうか?」と問いかけているのが、この埴輪という、美術史以前の「幸福な表現」なのではなかろうか。
 埴輪を見た時に感じる不思議な温かさは、やはり「幸福」と言ってよいようなものだろうと、私は思うのだ。
(橋本治『ひらがな日本美術史1』「その1 まるいもの「埴輪」」より 太字僕)

「AかBか」という択一思考は、だいぶ極端なものの考え方である。「AもBも」ということだってあっていい。その可能性をあらかじめ消してしまうのが「認知の歪み」というものだ。
 メンヘラは「ゼロかヒャクか」でものごとを考えがち、というのはよく言われていると思う。少なくとも僕の周りでメンヘラを(自嘲気味に)自称する人たちにこれを言って否定されたことはない。あなたと結婚できないなら死ぬ、みたいなのが一番わかりやすい。三つやりたいことがあったとして、一つできなかったら残りの二つもしない、とか。アニメやドラマは1話でも録画し忘れたらもう見ないとか。
 こういった「ゼロヒャク」は自覚できるし、それがあまり良くないということもわかっている人が多い。ところが「AかBか」を悪いと思っている人は存外少ない(僕調べ)。同じくらいヤベーことだと思うんだけど。
 単純に考えて、答えは「A」と「B」以外に「AもBも」があるし、また「AでもBでもない」がある。最低でも4通り考えるべきところを、2通りに単純化してしまうのが、「そういう人」の抱えるトラブルの大元。そしてそれはたぶんあんまり自覚されていない。
 幸福でありつつ不幸でもある、ということはフツーにある。好きだし嫌い、ということもある。迷惑だし嬉しい、ということもある。迷惑だし好きってこともあるし、嬉しいし嫌いってこともある。あらゆることは同時に起こりうる。いま、目の前に自分の生まれ変わりが立っているなんてことも、あるかもしれない。昼と夜が同時にあったっていい。矛盾していると思えるようなことも、ちょっと見方を変えてみると全然両立したりする。そういう練習をしてみるといいんじゃないですかねー。(誰に言ってんだろ?)
 答えを出す、というのは、非常に排他的な行為である。一つの可能性だけを残し、その他を消してしまう。世界がどんどん狭くなる。
 保留に保留を重ね、あらゆるものの同時存在を許そうではありませんか。そうでなければ、「特殊なすみっこの方へ進化」してしまうだけ。時にはかつての答えを撤回し、元に戻る(退化する)ということも必要かもしれない。(参考文献:楳図かずお『ZOKU−SHINGO』)

 観念は結構美しく、現実は結構楽しい。あなたの思い描く理想の世界はもちろんとても美しい。あなたが思い描く理想の僕はずいぶん美しいことだろう。でもそれは現実と違う。なぜ? 理想の世界はこうなのに! あなたは狂乱する。観念ほどには美しくない世界の中で、観念ほどには美しくない僕を目の前にして。でも、遊んでみれば楽しいよ。ああ、どうしてこんなに楽しいの? こんなに汚れているのに!
 どっちも本当でいいんじゃないか。たった一瞬だけでもそれが交われば奇跡とか幸福になる。そういうことを信じて、「汚い」と思ってしまうようなものを少しずつでも受け入れていくってのが、時間を生きていくということなのだ。点を生きるのは絶対に寂しい。まわる球体を生きましょう。

2022.2.4(金) 執着と再会

 小島よしお先生といえば早稲田大学教育学部国語国文学科の先輩で、彼が浪人しているためギリギリ在学期間もかぶってございます。すれ違ったりくらいはしていたのかな。千葉ゼミらしいです。名門!
 そんな小島よしお先生が最近小学生の人生相談みたいなことをWebでしていて、今日チッとバズってた。小島よしおが「親友に仲間外れにされている」と悩む小3女子に伝えたい「心の握手」とは

 人との関わり合いのなかで僕が大切にしているのは「執着(しゅうちゃく、と読むよ)しすぎない」ってこと。執着しすぎる、っていうのは、言い換えれば「心の握手」が強すぎるってことだよ。心の握手が強すぎるとどうなると思う? 友だちが手を離そうとしているときにこっちが強くにぎってしまうと、友だちの手が痛くなってしまう。それでも友だちが無理やり離そうとしたら、こちらの手はもっと痛くなってしまうよね。

 よしおは(一人称がよしおなの面白い)、「ベストフレンド」ではなく「グッドフレンド」という考え方をせよと説く。一人に執着せず、いろんな人とグッドな関係を結ぼうと。そうしているうちに、距離をとっていた人とも再び仲良くなるかもしれない。僕のよく使う言葉でいえば「再会」である。
 よしお曰く、「仲良しだった人と一度関係が遠くなったとしても、何年もたってからまた仲良くなることもあるんだ。」たぶんほとんどの小学生にとって考えたこともない発想だろう。これを教えてもらえるか、もらえないか、そういう発想があるとないとでは、ずいぶん生きる心持ちは違ってくるはず。さすがよしお先生。
 
 遠くなった人とまた近づいて、また離れて、また近づいて……という経験は実際、いくつもある。お互いにコンディションとかタイミングとかってもんがあるし、温度差は平されなくてはいけない。(ならす、と読むよ)
 個人的には!「要求」や「要望」や「期待」を相手に対して抱き始めたら、離れる時期だと思う。友達はなんにもくれない。優しく楽しく過ごすだけの、無償の関係。
 恋愛についてだって同じだろうし、よき関係とはそういうもの。そうでないのを格別にビジネスとか言うわけだ。友達をやる気がないならビジネスをやるしかないし、ビジネスが嫌なら友達をやるしかない。
 ビジネスにする気はないけど、友達をやるのも難しい……という時に、「離れる」という選択肢が浮かぶ。憎しみ合うわけでなくとも、そういうタイミングはある。ビジネスも友達も、どちらも選ばないとき、いつかの再会に向けて手を振り合うのです。


 例えば歩き疲れてしまった時には、いくつかの方法があって、その一つを選んだ時には、さよならを言わなくてはいけなくなる。だけど僕達は支えあって生きていく。これからも、ずっと、ずっと、ずっと! だから別れるということも、一つの支えなのではないでしょうか?
 巡る季節に抱かれ、僕達は生きていく。懐かしい明日はきっと、眩しく笑っているんでしょう。
 いつか、どこかで、又会える日が来るから。
(cali≠gari『いつか、どこかで。』作詞:桜井青)

 再結成したもんね、このあと。

2022.2.2(水) 悩みとは何か

●「みんな悩んでいる」は本当か?
 悩みは誰にでもある、というのは本当だろうか。思春期なら誰でも悩むのが当然? そうだろうか。「悩んでる人間を思春期とみなす、悩んでないならお前は思春期じゃない!」というのならわかる。しかし「小学校高学年〜中高生(ざっくり10代)なら誰でも悩んでいるはず」というのには根拠がない。

「自分はとても悩んでいる、おそらく同じようにみんなも悩んでいるのだろう」という類推は自己中心的すぎる。「自分はとても悩んでいるが、他の人はこういうふうには悩まないのかもしれない」と思うほうが謙虚であろう。他人のことはわかるはずがない。

 それでも、なんだか思春期の人間はみんな悩んでいるように思える。なぜだろうか? それは、悩んでいる人たちの声が大きいから、ではないだろうか。
 悩んでいない人は、いちいち「自分は悩んでいない!」とは、たぶんあんまり言わない。悩んでいる人は「自分は悩んでいる!」という表明を、どちらかというとしがちだと思う。当たり前の話だが。サッカーをやっている人は「サッカーをやっています」と言うかもしれないが、サッカーをやっていない人は「サッカーをやっていません」とはまず言わない。
(ところで、悩んでいる人が「悩んでいない!」と嘘をつくシチュエーションは想像できるが、悩んでいない人が「悩んでいる!」と嘘をつくようなことはあるだろうか。「悩んでいる自分」に憧れているのだとしたら、それは「自分が悩んでいないことに悩んでいる」ということになるので、結局その人は悩んでいるのかもしれない。「悩んでいる」と言えば優しくしてもらえると思ったのだとしたら、「悩み」に対して無条件に優しくしすぎるのも考えものである。)


●「みんな悩んでいる」と考えたほうが効率的である
 とても悩んでいるのに、声を上げない人たちもいる。黙って一人で悩んでいる。そういう人はたくさんいそうだ。と同時に、まったく悩んでいなくて、当然声も上げない人だってたくさんいるのではなかろうか。いるともいないとも断言はできないが、いるかもしれない。
 悩むとは何か。ちょっとでも嫌なことや、迷っていることがあれば「悩み」だというのなら、そりゃ悩みのない人はほとんどいないだろう。しかしそれでさえ、まったくいないとは言えない。
 実感として、「ああ、この人は10代の頃とかにあんまり悩んだりしてこなかったから、今こんなに悩んでいるんだろうな」と思うような人にはよく出会う。悩まない10代、けっこういると思います。

「みんな悩んでいるはずだ」と全員の心を一律に思いやるのは優しいことだが、「悩んでいない人だっているかもしれない」と一人一人を観察するのも優しさであろう。「悩んでいるのかもしれないし、別に悩んでいないかもしれない」という、当たり前の前提。

 効率を考えれば、「誰だって悩んでいる」と決めてかかったほうがいい。悩んでいる人のほうが普通に考えて「大変」であって、「助けが必要な可能性が高い」のだから。そういう人を一人でも取りこぼさないためには、全員が悩んでいるということにしておいたほうがいい。もし、悩んでいない人に「悩みがあるなら言うんだよ」と言っても、それでダメージを与える可能性はかなり低い。失敗がほぼないのだ。圧倒的に効率が良い。
 世の中はだいたいそのように工夫されている。最大公約数をとらえ、かつ、そこからあぶれる者も特段困りはしないようにする。いったんは後回しにしつつ、ちゃんと目配りもする。


●「悩む」というジャンルで括れば楽である
 世の中には、まったく悩まない人もいるかもしれない。あるいは、「悩む」ということの質が、想像もできないほど自分とは異なっているかもしれない。

「悩み」という言葉はそもそもかなりあやふやで、どんな気持ちも無理やり巻きとって当てはめてしまえる。言葉の定義次第で、全ての人間を「悩み」の中に投入してしまえる。テキトーなもんだ。いっそ「悩み」なんて言葉は捨ててしまおう。一人一人の事情をただ素直に見つめればいい。だが、それでは効率が悪いのだ。「悩み」という便利なジャンルは、もう手放すことができない。ジャンルとは大きな網である。引っかかるものをまさしく一網打尽にする。その味を知ると、もうそれなしにはものを考えられなくなる。世の中はだいたいそのようになっている。

「悩み」という言葉は、あるいはそれに類する概念は、個別を無視してひとまとめに掬い上げる大きな網である。その目は非常に細かい、しかし、かからない人だっているかもしれない。でも、いないことにしたほうが効率がいい。小さな粒など誤差である。その粒をいちいち拾い上げて、顕微鏡でつぶさに調べ上げるよりも、大粒の悩める良い子を規定のプログラムに導くほうがずっと楽。

「思春期には悩むものだ」と、ジャンルで括って決めつけているから、無用に悩む者も出てくるのだと思うし、「思春期を過ぎているんだからもう悩むのは済ませているよね」という形で、悩まずに生きてきた者の存在がなかったことにされる。社会はもうその人たちをケアしない。薬や病院が受け皿になるだけ。
 10代の頃にあんまり悩んでこなかった人や、悩むだけ悩んで「内面」から脱出することのできなかった人は、大人になって悩みを抱えても、もう「悩み」として処理されない。ストンと「病気」になる。
 何歳だろうが、「うまくいかなくて困っている」とか「気持ちが整理できなくて心が苦しい」ということが問題なので、そういった一人一人の事情に個別に向き合ってそれぞれ良くしていけばいい。理想としては。でもそれが簡単にできないから、悩みとか病気とか障害といった「効率的な考え方」に頼っているというわけで、僕は決して社会が悪いと言いたいのではない。社会は社会で本当によくやっている。


●思春期は内面から脱出する過渡期である
 君の悩みはなんだ? という問いかけには、「内面を見つめましょう」というメッセージが隠れている。内面なんか見つめなくてもいいかもしれないじゃないか。むしろ不必要に内面を見つめすぎて、それが「悩み」になって苦しんでいる人たちがたくさんいる。見つめるべきは内面ではない、少なくとも内面「だけ」ではない。一人一人の事情、その全てのはず。
 問題が常に内面にあるとは限らない。いつも内面から問題が解決するとは限らない。起きて、歩いて、寝ることが一番大切だったりする。
 思春期がなぜ悩みがちなのかというと、内面以外にものを知らないからじゃないかと思う。思春期は悩みの中で、内面の狭さと限界を知り、世界との関係のほうへ出ていくための過渡期でなければならない。悩みとは内面に閉じ込められている窮屈な状態の呼称に過ぎない。内面など(まだ)ないような人にとって悩みなんてのは存在しないし、もう内面から飛び出てしまった人にとっても、悩みなんてない。
 悩みは誰にでもある、そう思っていれば「悩み」から出ることはできない。「悩みがない」という状態も存在するのだ、ということを知っていれば、そこから脱した先の想像ができる。悩みがない状態とは、自分の内面の中に閉じていない状態である。世界に開かれている状態である。

 思春期の恋愛や友情は、世界との架け橋。普通これらを経て、内面はその壁をぶち破る。人と共に生きるということを知る。いつまでも思春期みたいな恋愛や友情をやっている人は、いまだ内面の世界に閉じ込められているということだ。自分一人だけの世界に生きているということ。
 早いとこ「自分」なんてものをなくすことだ。「自分」というものが関係の中にしか存在しないことを知る、それが人と共に生きるってことだし、それこそが「自分がある」ということなのである。意味わからん、逆説的な言い方だけど。


●悩むとは、独りよがりだということである
 僕はもう、悩むということがない。かつて向陽高校に毛受先生という人がいて、「大人になると、悩まなくなる。悩んでも仕方ない、意味がないということがわかるから、悩まないんだ」と言っていた。当時(高1)とても衝撃を受けたが、よくわからなかった。今はよくわかる。そして、この説明に何が不足しているのかも、わかる。

 悩むというのは、独りよがりだということだ。ものごとを自分の内面で解決できると思い込んでいる、その傲慢さが「悩み」になるのである。「どうしよう」という嘆きには、「どうにかなるはずだ」という甘えがある。しかし、どうにもならないことは、どうにもならない。だからこそ「行動」という形で外部に働きかけて、状況を好転させる努力をしなければならない。
 自分の内面が決められるのは、自分の内面だけなのに、自分の内面が、自分の外部まで変えられると思い込んでいるのが、「悩み」の正体なのだ。自分の外部を変えるには、行動するしかない。内面をどれだけいじくり回しても、何も変わらない。それなのに「悩む人間」は、「どうしよう」という内面の中で停止するのである。

 悩むことのない人間は、「どうしようもない」という状況に陥った時、内面は「どうしようもないな」というところにすぐ落ち着く。諦めるのである。悩む人間は、「どうしよう」で止まる。どうにかなると思っているからだ。そこに甘えがある。諦められないのだ。しかし、どうにもならないことは、どうにもならない。
「どうしようもないな」で落ち着くと、「じゃあどうするか」を考え始めることができる。とりあえず、ここまではどうしようもないのだから、それはそれとして、とりあえず何をすればいいのだろうかと、新しい、まったく別のことを企画する。
 自分の内面は、自分で決められる。「どうしよう」で止まっているのは、どうにか何もしないで許されたいという甘えである。内面を決めてしまうと、行動を起こさなくてはいけないのだが、それが面倒くさいのである。できれば誰かに肩代わりしてもらいたい。だから「どうしよう」で止まって、誰かが助けに来るのを待つ。


●「悩む」は「悩まない」への過渡期である
 自分の内面を決めても、それだけで外部は変わらないから、行動しなければならない。行動によって、自分の不利益を減らす努力をする。そうやって自分にとって有利な環境を作っていくのが人生というものなのだが、思春期くらいだとまだそれがわからないし、経験も浅い。だから「どうしよう」という内面に閉じこもってしまうし、せっかく頑張ってそこから出ても、実力不足からうまくいかなかったりする。そういう辛酸を何度も何度も舐め続けて、少しずつ上手になっていく。

 悩みというのは、いつか「悩まない」という状態に達して、人生を楽しくやっていくための必要経費のようなものかもしれない。悩むということは「悩まない」への過渡期なのである。(奥井亜紀さんが『レスキュー』という曲で「苦しいのやだから苦しむんだよ」と歌うのは、そういう意味なんだと思う。)


●何歳だろうが「悩んでいる」という状態は危ない
 おそらく、そもそも悩まないという人もいて、そういう人は、運が良ければ一生悩まないで生きていける。しかし、ひょんなところで「悩む」という状態になってしまった時が恐ろしい。それは30代とか40代とか、あるいはもっと後からやってくるかもしれないのだ。「悩む」には体力も気力も要るので、それまで悩まずにやってきた中高年にはいささかキツい経験となる。柔軟性もとうにないので、「どうしよう」から「どうするか」への切り替えもかなり難しい。

 年齢を問わず、「悩んでいる」という状態は危なっかしい。悩んでいるということは、その人はまだ「人と共に生きる」ということが身に染みていないということだ。まだ自分の内面だけですべてが完結すると思っている。そして、世界の現象をすべて自分の内面によって解釈しようとする。他人の気持ちもすべて自分で決めつけてしまう。いわゆる「認知の歪み」はそこに生まれる。
 そういう人を「助ける」のは大変である。まずはその閉じた内面から引っ張り出さなくてはならないのだが、固くなった扉はなかなか開かない。どうしたらいいのだろう? どうしようもないのだ。どうにもならないことは、どうにもならない。悩まない人は、そこで諦めてしまう。悩む人は、諦められずに、共依存となる。うまくいかないものだ。


●悩んでいる人は、どうしたらいいのか
 ともかく、当人が自分の内面の限界に気づかなければならない。「自分で考えたことってのは、実際のところ正しくも正しくなくもなくて、何も楽しくないな」と思わなければならない。独りよがりってのは、「正しくも正しくなくもない」ということをぐだぐだと考え続けることなのだ。正しさというのは他人との関係の中にしかない。「私はこれを正しいと思う!」と主張しても、「いや私はそうは思わない」と言われたら、どうしようもないのである。その場合、どっちも正しくも正しくなくもない。「私たちはこれを正しいと思うよね」という形でしか、一時的にさえ正しさは存在し得ない。
「私たちはこれを正しいと思うよね、これってすっごい楽しいよね、キャッキャ」という関係を多くの人間と結ぶことで、少しずつ内面の壁は破れていく。そして「悩み」は消えていく。その「私たち」が小さなカルト教団の仲間のみである、という場合でさえ、とりあえず「悩み」というものはなくなる。特定の思想に染まるのは、悩みをなくす手立てとして最も簡単なものである。それが嫌なら、できるだけ多くのいろんな人と、「これってすっごくイイよね!」という関係を結ぶべきなのだ。それが僕の言う「仲良し」でございます。
 そうやって自分という輪郭はできていく。自分の内面で考えるのではなくて、あらゆるものとの関係が自分の行動を定めていく。そうして「自分」というものがわからなくなる。自然なことである。不思議と他人からは、「あの人は自分があるね」なんて見做されたりする。

 過去ログ  2022年1月  2022年2月  2022年3月  TOP