新潟~山寺
「雪国へ」



 私は新潟駅に降り立ったが、思ったほど寒くもなく、雪も積もっていなかった。だから、なんだか新潟という雪国に来たという気がしなかった。私は新潟を知らない。新潟に何があり、何をすれば良いのか知らない。新潟駅を降りたからと言って、何ということはない。
 私は公衆電話を探した。モバイルという、小さなパソコンを持ってきていたので、公衆電話からインターネットができる。アクセスポイントを新潟に書き換えて、7度数ほど残ったテレホンカードを入れた。新潟駅は大きく、人が多い。公衆電話コーナーも例に漏れず往来が激しかった。私は置き引き防止のために、下に置かれた自分の鞄を足で挟み込んで、神経を研ぎ澄ませた。どこかから何者かが狙っているかもしれない、そう思うだけで私は少しわくわくした。2日間のメールチェックを済ませ、Entertainment Zoneを開く。掲示板を見ると、新しい書き込みが見られた。私はそれに返信しようと文章を打ったが、打ち終わったところで、ちょうどテレホンカードの度数が切れた。残念だが、簡単に諦めて、その場を後にした。
 何気なく新潟駅を出てみた。とにかく広く、出口の場所もわからないほどだ。私は裏口から駐車場に出てしまい、少し困ったが、そのまま駅の裏側を散歩してみることにした。新潟駅は、もう少し装丁が派手であれば、百貨店と見まごうほどで、大きく、高かった。しばらく駅を背にして歩いてみて、振り返ってみる。それでも新潟駅は高いので、感心して、懐からディジタルキャメラを取り出し、パチリ。

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 足下に1セント硬貨が落ちていて、私は拾って、財布に入れた。財布。僕は辺りを見回した。誰もいない。遠くで男の人が車から降りていた。急に恐ろしくなって、ともかくその場を離れたいと思った。だが、初めに出た所はもう随分と離れてしまっていたし、新潟まで来て、同じところを二度通るのはうんざりしてしまう。僕はそこだけは行くまいと思い、他に出入り口を探したが、見つからなかったので、仕方なしに駅の建物から駐車場を越えて道路に伸びる渡りの階段まで歩いて、そこから駅に入った。随分と遠回りをしたものだ。
 思えばまだ昼食を食べていない。ママさんがおにぎりを持たせてくれたが、それは山寺行きのために取っておきたいし、毎食毎食おにぎりばかりというのもあんまりだ。駅の中には飲食店がたくさんあって、迷うのだが、500円以下でそれなりの食事が取れるところと言えば、限定されてくる。定食屋のような所は大袈裟だし、かといってマクドナルドは好ましくない。ハンバーガーが半額であれば、たくさん買ってお腹いっぱい食べたのであるが、なぜか「平日半額」というのぼりも看板も出ていなく、ハンバーガーは半額ですか、という質問をするなどというのは、ばからしいことこのうえない。私は色々歩き回って、検討した。なかなか決まらない。仕方ないからマクドナルドの隣にある、出店のようなお好み焼き屋さんへ行って、たこやきとお好み焼きのセットを買った。500円だった。私はそれを頬張りながら、今度は表口から、新潟駅の外に出ると、バスターミナルだった。大勢の人がバスを待って並んでいて、また、献血車が来ていて、ストリートミュージシャンがいた。いや、ミュージシャンなんて言うものでは無いだろうか。私は路上で楽器を奏で、歌を歌っている若者達の近くのベンチに腰掛けた。ベンチの上には女性週刊誌が置いてあって、それをぺらぺらとめくって、すぐに戻した。ふと、若者達の歌に耳を傾けると、オー・シャンゼリゼだった。風貌はまさに「わかもの」といった感じで、茶髪にピアスのような、レベルの高いとは思えない格好をしているのだが、曲が「オー・シャンゼリゼ」である。渋い歌を歌うものだ、と感心して聴いていると、次の曲が、19だった。私はすぐに腰を上げて、再び駅へ向かった。
 新潟駅を出ると、乗りっぱなしだ。「べにばな」は新潟から直で米沢まで行く貴重な車両なので、乗り遅れると大変である。私は早めにシートについた。米沢で一度乗り換えがあったが、東新潟、大形、新崎、早通、豊栄、黒山、佐々木、西新発田、新発田、加治、金塚、中条、平木田、坂町、越後大島、越後下関、越後片貝、越後金丸、小国、羽前松岡、伊佐領、羽前沼沢、手ノ子、羽前椿、萩生、今泉、犬川、羽前小松、中郡、成島、西米沢、南米沢、米沢、置賜、高畠、赤湯、中川、羽前中山、かみのやま温泉、茂吉記念館前、蔵王、4時間ほどして山形に着いた。
 山形駅では、7,8人の若者がブレイクダンスをしていて、それを横切るには、勇気が要った。無論、その若者達が声をかけてきて、あまつさえ私に危害を加えるなどと言うことは、千にひとつほどしかない。しかし、私はその千にひとつを仮想して、もしかしたら、身ぐるみ剥がされてめちゃくちゃにやられてしまうかもしれない、と、はらはらした気分を味わって、楽しむのである。もし相手がこう来たら、こちらに逃げて、改札を飛び越えて逃げよう。なあにこちらは天下の青春18きっぷがあるのだ、などと考えていると、当然何事もなく通り過ぎてしまっているのである。
 仙山線、山寺駅への電車は1時間後で、それまでにすべきこともない。どうせ山形へは明日、帰ってくるのだから。それでも山形の夜の街は今しか体験できない、という思いして、外に出てみると、イルミネーション。出口のすぐそばに、きれいな光のクリスマスツリーが飾られていた。電飾の芸術である。だが私は、こういったものは撮影しないようにしている。太宰治の影響をもろに受けて鵜呑みにしているのか知らないが、私は、自分が面白い、素晴らしいと思ったものしか撮らない。どれだけきれいでも、それはきれいに見せるためにつくられたもので、きれいであってしかるべきものである。それがきれいでなければ、それはそこには存在していない。しかし、私は期待している。これからのおそらくは何十年も続くであろうこの人生のうちで、自分のこの考えをうち砕くほどに美しい何かに、出会えることを。きれいなものをつくらんとして製作されたきれいなものが、私の心を本当に打ち、感動させしめたとしたら、私はその制作者に心からの尊敬と、感謝を込めて、脱帽するであろう。きれいということを超える何かを人間が創れるとしたら、素晴らしいことではあるまいか。
 私は仙山線に飛び乗った。北山形、羽前千歳、楯山、高瀬、山寺は、僕にはどんなグラフィティを見せてくれるのだろうか。



 
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